2018年01月20日

オークランドでB&B経営しませんか。

今日は僕のビジネスとして書くので興味が無い方は無視して下さい。

 

B&BBed & Breakfastは日本ではあまり観られないホテル型式であるが欧州や英国ではごく普通に存在する。

 

自宅のようなちっちゃくてお洒落なブティックホテルに泊まり景色を楽しみ夜は近くのお洒落なレストランで過ごし、翌朝はきっちりと手作りで美味しく作られた朝食を楽しんで次の場所に移動するのがB&Bである。僕も30年前にオークランドに来た時にはレンタカーで移動しつつあちこちの街のB&Bにお世話になったものだ。

 

B&Bのオーナーは地元の観光、治安、名物、面白い事をよく知ってて、レンタカーで来た旅の客に色んな案内をしてくれるので、旅人は安心して外に出られる。

 

同じ車の旅でも米国などに多い鍵を渡すだけのモーターインとは違い旅先の人との会話があるので、これは楽しい。モーターインが白黒映画とすればB&Bはフルカラー映画のようなものだ。

 

欧州大陸にあるオーベルジュの場合はレストランで最高の食事を楽しむためにわざわざ車でそこまで行き食後はそのレストランに付属のリビングでオーナーシェフたちと会話を楽しみ付属の部屋で寝て翌朝次の場所に移動するとなる。なのでB&Bとは反対の位置づけになる。

 

ニュージーランドでは生活を楽しむと言う考え方がありB&Bやワイナリーの場合Life Styleと言う言葉があればそれはビジネスとしてよりも生活そのものを楽しむと言う意味になる。

 

今回入ってきた案件も、どちらかと言えばLife Styleである。ただし、敷地が広い。西オークランドの郊外にありシティから車で40分ほどかかるが、とにかく広い。何せ敷地の中に小川が流れその向こうの山も敷地であり時々は牛が迷い込んで庭先にいたりするくらいである。

 

逆に言えばオークランドからたった40分で森の中に入れて小川には鰻がいて山には食べられる草があり夜は満天の星空を眺めながら日本式のお風呂を楽しめるってのは、なかなか出来ない体験である。

 

最近売りに出たこのB&B物件は僕自身も関わっており不動産自体の政府価格もビジネス機会としての価格も把握している。もし興味があればご一報頂ければ詳細をお伝えします。

 

と言うことで今日はビジネスM&Aの営業ブログでした。



tom_eastwind at 17:13|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月19日

NZ女性首相初出産

去年末の総選挙で政権を勝ち取った労働党の党首であるジェシンダ・アーデン首相が今年6月に出産とのニュース。6週間の出産休暇中は副首相のウインストン・ピーターズが代理を務めて首相勤務に戻ればご主人が専業主夫となり子育てをするとの事。

 

如何にもニュージーランドらしい記事である。

 

これがもし日本で女性首相が出てくれば新聞記者は「出産の予定は?」とか評論家が出て来て「だから女はダメなんだ!」とかやりだすんだろうな。日本は所詮男が偉いと思い込んでいる男だけの文化である事は何も変わらない。

 

しかしその男が子供を産めるか?

 

男が得意とするのは一般的に高いところにある物を取ること、重いものを動かす事である。

 

けど21世紀になりロボットが出て来てモバイルスーツが出て来て書類がペーパーレス化してしまえば男の得意とする分野はなくなる。そして総合的に物事を判断出来る人物であれば男も女も関係なくなる。

 

すでにそんな時代が来てるけど、どんなに時代が変わっても男が子供を生むことは出来ない。女性であれが冷凍精子をずっと溜め込んでおけば男なしの世界でもやっていける。まさにアマゾネスの世界である。いずれ男が男であるだけでは生きていけない時代が来るぞ。

 

今回の出産はおめでたである。ニュージーランドの地元でも歓迎のニュースだ。こういう記事を皆が素直に喜べるのは良いことである。



tom_eastwind at 18:19|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月18日

ランドバンキング

今日のオークランドは雨。霧雨と斜めに殴るような雨が繰り返し降っている。けど空はそれほど黒くないので夏の雨である。

 

先週は当社スタッフがお客様同行でランドバンキング現地視察を行った。それなりに天気も良くて現在建設中の29棟の外装工事が終了、これから内装工事にかかり2月後半から居住開始となる。

http://blog.livedoor.jp/citadelnz/

https://youtu.be/9b_IPZ4-U-0

 

下のyoutubeは上空にドローンを飛ばして撮影した動画である。3次元画像なので立体感があって面白い。記事で読むドローンと実際に自分の仕事で観るドローンはやはり印象が強い。

 

ランドバンキング企画を考えたのは5年前である。当時はオークランドの不動産の価格がここまで急上昇するとは誰も思ってなかった時期だ。

 

けど移民である僕の目から観れば南半球で治安の良いオークランドは当時から人口増加が続いてて「北半球でテロや戦争に巻き込まれる前に避難先見つけよう」って考える人がこれから北半球で急増するだろうと推測出来た。

 

そして日本の昭和中期を過ごして東京の多摩地区とか大阪万博跡地の住宅開発とかもずっと観てきたから「これから土地開発と居住用不動産だな」と予測することが出来た。

 

だから最初はグレンフィールド地区のそれまでは単なる荒れ地だった斜面を切り開いて住宅建設して次はオークランド南部の広い元軍用地に集合住宅を建てて、どこも建設終了までに売り切った。

 

当時は「こんなちっちゃな家でもこんな価格で売れるんだ」と実感したが、それほどオークランド住民が必要な住宅が不足していた。

 

住宅価格上昇の一番の原因は外国から移住して来た資産家が自国の街の住宅価格と比較して「まだ安い!」と思い、広い庭付きの住宅をどんどん買っていったからだ。

 

なので既存の住宅価格が値上がりしてそれが本来50万ドルの住宅を100万ドルにしてしまい普通のサラリーマンがローンを組めない金額に跳ね上がった。

 

そこで政府が問題解決策として政府の保有する土地を放出して民間デベロッパーに開発させて通常の住宅価格よりも30%近く設定してローンが組める金額、つまり70万ドル前後でファーストホームバイヤーの手の届く価格になった。

 

ある意味ここまでは過去の北半球の歴史を知っていれば予測も推測も出来る話である。人間の考える事って北でも南でもそんなに大きく変わらない。

 

けど今年は去年や一昨年のような高騰はないだろう。大体物価上昇率と同様の5%程度値上がりが基本だろうが、住宅価格があまりにも上昇しすぎた地域では価格が少し下がるのではないかと思う。

 

ただ米国のサブプライムのようなたたき売りは出てこない。と言うのもNZで住宅を買う場合不動産投資というよりも自分で住む場合が多く、折角買った住宅を値引きしてまで売る理由がないからだ。

 

これからも北半球からの移民は続く。現政府としても投資や起業をしてくれる人々は歓迎である。これは世界的な現象であり日本だって優秀な能力のある外国人には永住権を発行して日本に居住してもらおうとしている。

 

特に南半球の小島であるニュージーランドは隣国である豪州に比べて人口も四分の一と少なく、現時点で全国民約480万人であるが、豪州ではシドニーだけで約500万人である。

 

ニュージーランドは人口密度も低く土地はまだ十分にある。小高い丘を切り開けばまだ住宅開発に十分な余裕がある。これから最低でも10年くらいは住宅開発が続くであろう、昭和中期の日本がそうであったように。



tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月17日

年金不支給

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年金受給開始70歳以降も可 高齢社会対策大綱案の全容判明 65歳以上一律「高齢化」見直し 60〜64歳就業率67%目指す

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産経新聞記者のまとめ方が上手いのか政府広報の担当者が予め作ったのかわからないけど実によく出来た文章である。

 

要するに政府は年金を払わんぞ、年をとっても働け、である。今まで払ったカネ?もう遣い切ったよ、箱物行政で。60歳以降の老後は穏やかでは?そんなもんないよ。死ぬまで働け、但し怪我するな、病気するな、健康保険使うな、である。

 

それを「高齢者はエイジレスであるから意欲、能力を持って働きましょう!」とか「年金は70歳から貰えますよ!」とか、よくもまあ上手く言い換えたものだ。さすが政府!立派!

 

そして高齢で癌になった場合など、どうせ死ぬのだから無駄な治療などせずおとなしく死んでくれってのをQOL(生活の質)などと置き換えている。

 

いや、言ってることは僕も理解出来る。定年など設定せず元気なうちは70歳になっても働けば良い。生活の質であるQOLも同意である。

 

けど日本政府が今それを言うか、である。こんなのは昔から分かりきっていた事なのに戦後の政府が工業化する日本社会で若年労働者を適正な賃金ではなく安くこき使い踊らせるために「60歳になったらもう働かなくても良いですよ、だから60歳までは安い賃金で死ぬほど働いてね」と言う仕組みを作っただけだ。要するに賃金の先送りである。

 

そうやって政府及び支配層は自分たちだけしこたま稼いだ。おまけに年金は箱モノ投資で自分たちの天下り先確保、全くどこまで労働者を絞れば気が済むのか、どこまで絞っても一滴でも水が出る限り絞り尽くすのだろうかって感じである。

 

しかし21世紀になり労働者が正当な報酬を要求する世代になると今度は「死ぬまで働け、健康保険使うな」であり、結局多くの国民は本来の労働に対する対価を受け取れず死ぬまで元気で働くしか無い。一体誰のための国家か、である。

 

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 大綱案は「65歳以上を一律に『高齢者』と見る一般的な傾向は、現状に照らせばもはや、現実的なものではなくなりつつある」と指摘した。その上で「年齢による画一化を見直し、全ての年代の人々が希望に応じて意欲、能力を生かして活躍できるエイジレス社会を目指す」とした。 

 年金の受給開始年齢については、原則65歳で60〜70歳の間で自由に選べる現行制度を見直し、「70歳以降の受給開始を選択可能とするなど、年金受給者にとってより柔軟で使いやすいものとなるよう制度の改善に向けた検討を行う」と明記した。

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上記の文章など実によく出来たものであり日本語の勉強に最適であろう。エイジレス、年金支給が70歳以降、ここまで書けばまさに黒いものを白いと描くようなものだ。例えば白地に大きな黒の斑点が付いた牛と黒地に大きな白い斑点が付いた牛の区別がつかないようなものだ。

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このほか医療に関し、「QOL(Quality of Life=生活の質)の観点を含めた高齢のがん患者に適した治療法などを確立する研究を進める」と書き込んだ。高齢者にとって抗がん剤治療は吐き気などの副作用でQOLを低下させる可能性があり、手術をする場合も一定の体力が必要となる。こうしたことを踏まえて記した。

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今までさんざん製薬業界とつるんだ厚労省が患者を薬漬けにしておいて患者及び家族の人権を無視しておきながら医療費がかさむと「生活の質」など、今になっていうかって話である。

http://www.sankei.com/politics/news/180117/plt1801170003-n1.html

 

けど言ってる話は決して間違いではない。人は死ぬまで現役、健康な間は働き続けて社会と繋がり貢献して報酬を得てそれで美味しいものを食べて最後はピンピンコロリで往生する。これはもう死生観の問題であるが今回政府が発表した年金及び健康保険に関する基本的な意見は間違っていない。

 

ただこれを実行する時は、今度こそは自分たちだけのご都合主義ではなく、国民を真ん中に置いた民主主義を実行してくれって、そして国民も何度も政府に騙されるなってだけである。



tom_eastwind at 20:34|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月16日

さらば1万円札

去年から議論が出ているのが日本銀行が発行する1万円札の廃止である。

 

仮想通貨、フィンテックによるスマホ決済、中國のアリペイ等電子通貨が次々と登場して来て中國では乞食や大道芸人もアリペイ決済と言う時代になった。

 

政府としては通貨は管理したい。誰がいくら持っているか知るのに電子決済であればすべての資産の把握がネットで一発で出来る。

 

そんな時代に現金1万円札?1万円あれば都会のビジネスホテルに泊まって近くの店でせんべろ楽しんで翌朝はコンビニでコーヒーとドーナツが楽しめるぞ。

 

てか1万円札がたくさんあれば大きな現金決済に使われてお金の行く先が分からなくなるから税務署も把握が大変。それなら1万円札を廃止すればどうよ?と言う話が出てくるのだ。

 

すでにインドでは高額紙幣を廃止したり北欧でも現金通貨の流通を止めてすべて電子決済にしようとしている。

 

今時日本ではコンビニでもお財布携帯、クレジットカード、最近では鉄道系カードで決済とか広がっている。

 

実際に僕も日本のコンビニで買い物をする時、以前は現金しかなくて不自由したものだ。到着した空港で現金を引き出すけど基本1万円札。

 

それでコンビニ行って水やパンやカップヌードル買ってお釣りが8,958円とかになるとポケットじゃらじゃらだ。小銭は重いしポケット膨らむし、かと言ってアタッシュケースに入れてると買い物の時につい忘れてしまい、オークランドに戻って使えない日本の小銭を見つめることになる。

 

オークランドでの生活ではEFTPOSと言うデビットカードとクレジットカードが一枚になっているので朝起きて会社に行く途中でスムージー買ってお昼ごはんを屋台のようなお店で食べてスタッフ用にドーナツ買って訪問先の駐車場で駐車料金払って自宅に戻る途中にガソリンスタンドでガソリン入れて、これで自宅を出てから自宅に戻るまで一度も現金を使わずに生活出来る。

 

オークランドで生活してて日本に出張すると「そう考えると日本って現金文化だな」そう思ってたらここ数年でカードが普及したので随分と支払いが楽になった。現金でさえも到着空港のATMなら外国のカードでお金を引き出せるからこれで非常用の現金は確保出来る。

 

なので僕にとっては日本で現金がなくなるのは有り難い話であるが、やはり多くの日本人にとっては現金文化が根づいているのでいきなり1万円札廃止と言う事にはならないだろう。

 

フィンテックの発達でビットコインが成長しているがあれは中央政府が管理出来ない。ならばブロックチェーンの仕組みを政府が導入して政府が主体となる電子通貨「円コイン」を発行して徐々に市場に出回っている現金を回収して電子通貨に切り替えていく。

 

その際には国民全員にまず政府発行の「円コインカード」を支給するがここにはマイナンバーが全て付設されている。国民がどこで決済しようがどこの銀行に入金しようがマイナンバーで全て把握出来るし現金がないのでタンス預金も出来ない。

 

2020年に向けた国内銀行の名寄せ作業はすでに大手IT企業が受注して作業の真っ最中である。

 

マイナンバー発行→国内銀行名寄せ→国外財産調書→共通報告基準(CRS)→通貨の廃止→泥棒にも課税出来る仕組みの出来上がりである。

 

もともと消費税を導入する時に欧米では「泥棒からでも課税出来る仕組み」と言ってた。そりゃそうだ、泥棒だって盗む時に税金は払ってないけどレストランで食事したり買い物したらすべて消費税を払っているから、泥棒からでも取れる税金となっているのだ。

 

消費税は世界的に観て今後も定着していく税制であり企業への法人税を減らして経営者がいちいち節税対策しなくて済むようにして、その代わり経営者には高級車買ってもらい高級レストランで食事してもらい、その度に消費税を払ってもらう。政府としてはこの方が手間いらずだ。消費税はNZなら現在は15%だ。

 

国民から確実に税金を取る。この仕組の未来版が現物通貨の廃止である。原始時代の石の通貨から始り天保銭、日本銀行発行の円と続いてきた通貨の歴史がインターネットとファイナンスの発達と融合でいよいよ通貨自体がなくなる。

 

そのことで中央政府が国民の資産管理が出来て課税も適正にできて、政府からすれば「あはは!」である。国民からすれば「払ってもいいけど、何に遣うんだよ?消費税って君らが消費をするために国民が納税しろって事かい」ってなるだろうな。

 

僕はニュージーランドで20年間ビジネスをしているがその間消費税、PAYE(源泉徴収)、どれもこれも馬鹿正直に払ってきた。何故なら税金を払ってもそのお金で僕の子どもたちが小学校から大学まで行けるわけで、住んでる地域で医療が提供されて生活に困った人たちに補助金が支払われて誰でも平等にこの社会に乗り出していけるからだ。

 

1万円札がどうなろうが構わないが、一体日本は誰のための政府であるのか、ただそれだけである。



tom_eastwind at 16:29|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月15日

蛇口と水槽

会社は先週木曜日に再開したが取引先もまだ開いておらず年末年始の郵便やデスク周りの片付けが中心であった。仕事本体は年末年始に関わらず継続しているので会社が再開したと言う違和感はない。

 

でもって今日の月曜日は久々にスーツに袖を通してネクタイして取引先訪問と会議だったので久しぶりに仕事感ありだ。

 

去年後半から行っている日本企業によるNZ企業の買収案件で取引先と色々打ち合わせ。こういう仕事はシンジケートであり誰がボスって事にはならないけどシンジケートのトップレフトに立つのは誰かってのは決める必要がある。

 

だから今日の会議でも誰がどこを担当するのか決めるんだけど、仕切るのはどうしても当社になる。現在のニュージーランドにおいて当社の立場は水道の蛇口、地元チームは水槽(シンク)であり、彼らは水槽にたまった水をどう適正に分配するかを考えるのが仕事だ。

 

僕の仕事はどれだけの水をこの水槽に流し込むかでありこちらでシンジケートの様子を見ながら判断することになる。今までも水をいろんな水槽に流し込んできた。

 

2017年の日本は景気が良かった。大企業は利益を増やしビットコインはロケット上昇し日本の大企業は内部留保した資金をどこに使うかと考えている。

 

2017年の日本が円安株高で金利が低いので2018年には円キャリートレードでまた使おうぜって話も出ている。ビットコインはまだまだ伸びるって話も賑やかである。

 

ただこういうのは通貨の投機であり実業への投資ではない。目先のカネは稼げるがそれが人々を幸せにするのかな?

 

例えばニュージーランドで豊富な資源を日本で適正価格で販売する。それが水でも樹木でも空気でも良い、日本に住む人々を幸せにさせて適正な代価を頂く。

 

販売する仕組みはキーウィが作るけどその開発資金を日本企業が拠出して日本企業は配当で利益を得て地元キーウィはビジネスで事業利益を出す。こういうのをNZ移民局もスタートアップビジネスとして応援している。

 

こうやって雇用が生まれて若者が社会進出出来る。

 

投機のような金融ビジネスはどうしても少数の人々だけのゲーム場になってしまい、社会成長とは言えない。

 

キーウィのビジネス仲間とも買収案件を話しつつ、今の日本のビットコインブームは雇用を生むのかなって話になった。

 

明治の渋沢翁は株式会社をよく理解しており会社の存在価値をその社会的価値に置き換えることが出来た。曰く「利益は機械の油かす、大事なのは社会への奉公である」。

 

まさにその通りである。企業が社会に存在する価値はその企業がなければより良いサービスや商品を受け取れない人の為であり、もし企業がサービスや商品提供が出来なければ退場すべきである。中途半端に政府の補助でゾンビーのように生き残ってしまえば、逆に健全な企業が迷惑を被る。

 

雇用を生む。顧客が幸せになる。企業が発展して更なる雇用と顧客を創り出す。その為に企業は常に「今人々が何を求めているか」を理解して商品化する必要がある。

 

それもその商品が人々を幸せにするのかも大事である。いくら商売と言えど麻薬を非合法で売っちゃダメでしょって話だ。

 

だから必然的にビジネスの範囲は限定していくことになるが、それでも十分夢はある。NZのような小さな国でも日本向けに売れるものはたくさんある。大事なのはそのすり合わせである。

 

NZにおける雇用と企業成長を考える。今日も取引先の会議室であーでもないこーでもないとか話しつつ、何か次に繋がるものはないかと考える一日であった。



tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月14日

氷水(こおりみず)

うちの奥さんが日本に滞在する度に必ず文句を言うのがレストランや喫茶店で出される氷入りの水である。

 

中國や香港では基本的に冷たい水は出さない。これは漢方では体を冷やすのは万病の元と言われているからだ。

 

なので日本に行く度に冬の北海道のラーメン屋でも氷入りの水が出て来て「すみません、氷なしの水を下さい」と言う話になる。

 

最近の日本インバウンドで多くの中国人が日本を訪問して景色や人々や文化を楽しんでいるが、氷水だけは彼らが受け入れることはないだろう。いくら日本文化とは言え自分の健康を害するようなものを飲むわけにはいかないからだ。

 

オークランドではガタイのよい連中が真冬でも半袖で街を歩いているが彼らは常に運動して筋肉があり熱を発している。中国人は自宅の中でもヒーターではなく厚着をして体を芯から温める。

 

しかし日本人の場合は焼きたての焼き鳥を食って思いっきり冷えたビールを飲んで、中国人からしたら「おいおい、お前は自殺願望か?」となるのだ。

 

実際に日本人の体温は50年前の36.8度に比べて下がっている。最近では35度なんてのもあるくらいで、そりゃ病気になるでしょって体温である。

 

体温が下がる原因はいくつもある。例えば運動不足、塩分の取らなさ過ぎ、ストレス、夏のクーラーなどがあるが、冷たいものを食べたり飲んだりするのは直接的な体温下げの原因であるのは間違いない。

 

体温が1度下がれば新陳代謝が12%、免疫力が30%低下して病気になりやすくなるわけで約2度下がった現在では免疫力が60%下がるわけで、そりゃ病気にもなる。

 

かくいう僕も日本で生活をしていた頃はガンガン氷水を飲んでいたわけでその意味では立派な戦犯であるが最近は奥さんの厳しい指導で随分と冷たいものを飲まないようになった。

 

だからと言ってパーティの場の雰囲気を壊すわけにはいかないから最低限の礼儀は守るけど、冷えた白ワインよりは常温の赤ワインとか、日本酒なら少し温めるとかである。ビールは最近全く飲んでないが次はドイツ人のように室温で飲んでみるかな。

 

勿論糖質制限もあるので糖分摂取は考えるが温度管理は別物であるので、これはこれで考える。

 

考えてみれば人間の身体の中には内臓があり臓器は常温で活動しており普通に生活すれば現在であれば100年くらいは利用可能である。

 

その臓器に癌とか病気が出てくるのが運動不足とかストレスとかが原因の冷え性で新陳代謝が下がり免疫機能が弱まった結果として異常細胞である癌を発症するなら少なくとも氷水を飲まないのは実行しやすい1つの生き残り手段である。

 

何だかいくつになっても奥さんに教えてもらって生きてるな、よく飽きもせずに色々教えてくれるな、感謝の毎日である。

 

日本の氷水文化は右に倣えの賜物であるが、これもどこかのメディアが取り上げて「氷水、からだに悪いんだってよ」ってやればそこから一気にレストランや喫茶店で「お水は氷お使いになりますかー?」と変わっていくような気がする。



tom_eastwind at 20:39|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月13日

言霊

最近の日本でテレビ番組を観ると健康オタクのような番組が増えた。年をとるとこんな病気になるから気をつけろ。そりゃそうだ、世の中が高齢化しておりテレビを観るのは高齢者であり、ならば番組構成も健康番組が増えるのは当然である。

 

ここまでは良い。問題はここから先で誰も彼もがテレビ番組を観て一夜漬けの医者になり仲間を掴まえては「おいお前、最近ここが痛いだろ、それはなんちゃらと言ってな、身体が年を取ってきた証拠なんだよ。何?痛みを感じない?そりゃやばい、早く医者に行った方がいいぞ」

 

口から出た言葉は言霊に変化して現実に大きな影響を与える。だから老人同士が病気でもないのにお互いを病気呼ばわりして実際に病気になる。病は気からであり気は言霊である。

 

例えば夏は暑い。暑いから暑いと言う。ここまでは良いがその暑さをネタに否定的な話をしても仕方ない。「暑くてやってられない」と言うよりも「暑いのはさっぱりしてこりゃいいや、どんどん汗かいて新陳代謝良くしようぜ」とか、もっと生産的な話をする方が良い。だって否定的な話は何も産まないのだから。

 

病気も同様で、年を取ったからと言って誰もが病気になるわけではない。ピンピンコロリで90過ぎまで元気に生活する人がこれから医療の進歩で急増するだろう。

 

死ぬまで元気なのが医療費もかからないし良い事なのだから老人同士元気になる話をすれば良いのに、集まればすぐに病気の話ってのは何も産まないどころか病気を生み出すだけである。

 

年をとると言う事は知識が次々と身に付き賢くなることである。その知恵で何かを創り出すことが出来る。学ぶことに年齢制限はない。インターネットのキーは木の幹を叩くような力は不要である。今後は音声入力も発達するからキー入力も不要になる。

 

それで毎日散歩をしてしっかり食事してぐっすり寝れば身体は元気だし何時までも創作意欲は失くならない。

 

問題はそういう自分の生き方を見つけることが出来ない人々である。今までの人生をずっと他人と横並びで行動して自分の頭で考えることをしなかった人々が退職した場合、自分の生きる目標を持つことが出来ない。そういう訓練を受けてこなかったからである。

 

いずれにしても言葉は言霊である。たとえ本人が不注意で発言してもその言葉は自分で足を持って歩き出し、発言した本人も止めることが出来なくなる。

 

だから他人と横並びにテレビを見て一夜漬けの医者になるのではなくて、これからの50年をどうやって生きていこうか、その為の積極人生を考えて正しい言霊を発すべきである。



tom_eastwind at 20:06|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月12日

19歳が読む乱調文学大辞典

ティーンエイジと言う英語がある。これは13歳から19歳までの年齢を示す英語の語尾がteenになるからで、心が一番大人に変わっていく年齢層である。

 

でもって英語の発音でよく取り上げられるのが1990とかであるが今日は英語ネタではなくあるサイトで見つけたお笑い。

 

恋に溺れるのが19歳、風呂に溺れるのが90歳。

道路を暴走するのが19歳、道路を逆走するのが90歳。

まだ何も知らない19歳、もう何も覚えていない90歳。

自分で自分を探すのが19歳、皆が自分を探すのが90歳。

 

上記のようなお笑いを笑えるかどうかは聴いてるご本人次第である。

 

世の中には真面目な人が多くて物事の道理を外れると全く脳内に吸収されず完璧に跳ね返してしまう事がよくあるが、笑いというのは様々な種類があるわけで「笑う」と言う行為が肉体に良い影響を与えるのはロビン・ウィリアムズの映画でもあったようにある程度は医学的に証明されているようだ。

 

しかし問題は何を観て笑うかであり何を観ても読んでも笑えなければ意味はない。そこで人類は古くから様々な劇や踊りで人々を泣かせ笑わせ心を弾まさせていたものだ。

 

近代では落語で笑うと言う文化が日本に出来上がった。上方落語や江戸落語がありそれぞれに芸風が違うがそりゃそうだ、住んでる土地の文化が違うから笑いのとり方も違うのは当然である。

 

これがラジオやテレビが発達して全国一斉に放送が中継されるようになると全国均一に受け入れられる笑いが出てくるようになった。

 

そして一般的な笑い、つまり1+1=2的な合理性のある笑いが定着すると今度は逆に1+1=11のような非合理的だけど数学の原点を引っくり返す疑問をぶつけるようなネタが出てくるのだが、ここになるとテストで点が取れる一般的な頭の良い良い子にはもう笑えなくなる。

 

だって1+1は2でしょ、それが何で11なの?となり頭の中で11が受け入れ不能になるのだ。てかそれ受け入れたらそれで今まで自分が営々と築き上げてきた常識が破壊されるからだ。

 

けれど本来112になるのは1+1が2になるのではなく1+1は2と呼ぼうとする社会的合意であり物理的再検証可能な事実とは別物であると考えれば、1+1を11とする考えがまるで既存通貨を無視するビットコインのように流通しても良いのではないか?

 

等などまさに終わらない神学的な議論が交わされるわけだが、ここで出てくるのが筒井康隆の「乱調文学大辞典」である。

 

彼は実に腕の良い作家であり小松左京と同格か、執筆の多様さからすれば小松左京が王貞治なら筒井康隆はイチロー選手か。

 

今から30年昔、僕がクイーンズタウンに住んでいた頃に「乱調文學大辞典」を読んだのだが、とにかく抱腹絶倒、最初から最後まで「ここまでやるか!」と笑いの連発であった。

 

何故ならそこに書かれた世界は徹底的に事実を学んだ上で事実をからかっておちょくってシニカルにネタにしてそれでいて全く嫌味がないのだ。

 

例えばこの辞書では「アウトサイダー=密造の清涼飲料水」となる。他にも抱腹絶倒はあるがさすがにこの場面では女性もお読みなので書けない。

 

ただこの笑いって、世間全般に対する基礎知識がないと笑えない。

 

大阪の漫才だと単純である。元ヤンキーが公衆の面前で他人の頭を殴って公衆を笑わせるから何の知識も不要である。単なる暴力の行使だからだ。

 

ところが同じ大阪出身でも筒井康隆は文学を極め世界の本を読みその上で笑いを作った。だから筒井康隆の笑いに付いていくためにはしっかりと本を読み込んでいないといけない。

 

更に大事なのが本を読み込んだ上でその常識を自分で破壊してそこから笑いを取り出すことなのだ。これが普通に学校で良い点数を取る日本人には難しい。何故なら学ぶことが全てであり疑問を持たないから答を破壊することが出来ないのである。

 

蜻蛉日記(かげろうにっき)=とんぼの生態観察記録。



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2018年01月11日

ホテルとコンビニ

僕が日本に出張してホテルにチェックインして真っ先にすることが近くのコンビニでの買い物だ。

 

フルーツパック、サンドイッチ、カップ麺、2L南アルプス水、おつまみ、ゴルゴ13、ローソンならチキンとか焼き鳥、時にはのり弁当。ホテルに持ち帰るのはあまり格好良くないけど部屋での生活必需品である。

 

何せ一日仕事をするとかなり疲れるからレストランに行くのも億劫だし一人で飯を食っても仕方ない。ルームサービスでスタッフが部屋に入ってこられるのも身繕いしなくちゃいけないので面倒だ。

 

それならば仕事が終り風呂に入って体を伸ばしてソファに転がって一人で焼き鳥とかのり弁当食って水をがぶ飲みする方がずっと気持ち良い。

 

けどホテルの中でショッピングバッグ持ち歩くのもあんまり品が無いよな、そう思ってたら最近はコンビニOKなビジネスホテルが増えてきた、てかコンビニ併設なホテルになっているのだ。

 

だから冷蔵庫は最初から空っぽでコンビニの買い出しをお待ち申し上げます状態である。

 

例えば平均的なセブン-イレブンの日販が60万円でファミマが40万円でもホテル内にレストラン代わりにファミマ作ればセブン-イレブン並の日販が取れて、そしたら宿泊部門は低価格でもきちんと利益が取れて料飲部門(コンビニ)も利益が取れて直営レストランを持たないから固定費も人件費も不要である。

 

そして部屋に電話を置かなければ初期投資も安く収まるしテレビを置かなければNHKにカネ払わなくて良い、ましてや新聞なんて宿泊客がネットで読むから不要、そう考えればビジネスホテルの固定費が大幅に減額出来る。

 

まさに時代の変化に合わせた宿泊業の変化である。

 

旅館とかホテルの歴史を観ると常に時代に合わせて変遷して来たのがよく分かる。宿泊業は時代を常に反映していると感じる。

 

元々日本でも江戸時代の宿は温泉地の旅館は別にして移動と出張のための旅籠は雑魚寝が一般的であった。馬込、妻籠などに行けば細い街道沿いに雑魚寝の旅籠が並んでいたのが分かる。

 

貴重品は身体に巻いて火鉢の近くにごろ寝して朝起きれば草鞋を履いて次の宿に向かう旅人たち。こう考えれば江戸時代も今もビジネスマンも多忙に違いないが時代の変化は宿の変化に直結している。

 

そう言えば最近はカプセルホテルも大きく変化しており飛行機のビジネスクラスやファーストクラスをイメージした作りのカプセルも出てきている。簡易型旅館なので鍵はかからないが、飛行機のビジネスクラスだって鍵はかからない。

 

格安な値段で狭いながらも快適に過ごせる設備が整っており男女区別されているから不快な思いもしなくてよい。よく考えた仕組みである。

 

顧客視点から観れば携帯電話が発達した現在、部屋に固定電話は不要である。新聞も時代遅れ。レストランがなくても安くて美味しいコンビニでドーナツとコーヒーで十分。そう考えるとこれから宿泊業界も二極化していくと思う。

 

徹底的に顧客視線で合理化して安全な滞在と安い宿泊費を追求するホテルか、長期滞在を前提としてホテル内で会議を行い顧客と食事をして仕事を完結させる「旅先のオフィス」となるホテルとするのか。

 

いずれにしても旅行業にとって宿泊業は切っても切り離せない業界であり今後の動きは大変興味がある。

 

ホテルとコンビニ、1970年代に北海道のホテルを予約するのに往復はがきを送ってた時代を体験した者からするとまさに隔世の感があるが、それが時代の変化と言うことだろう。少なくともコンビニは日本在住の日本人以上に海外から訪れる人々にとってはまさに魔法の玉手箱みたいなものだという事だけは知っておいて損はないと思う。



tom_eastwind at 16:38|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月10日

言語明瞭意味不明瞭

最近目立つのが言語明瞭意味不明瞭な問い合わせである。

 

NZで会社を作りたい。手続きを教えてほしい」

 

普通に考えれば何も難しくなく意味も明瞭だと思われるだろうが、日本人がニュージーランドで会社を設立するには必ずその背景がある。単純な事業拡大なのか社員の誰かを送り込むのか又は自分か誰かの永住権取得を視野に入れているのか?

 

会社作りのその前提となる最終目的が明瞭にならない限り正確な答は出せない。

 

例えば現在の商法ではNZの会社には必ず一人はNZ居住者の登録が必要だ。また今後NZ非居住者が実質的なオーナーである場合、その個人データ及びNZの会社の財務情報をネット公開することとか、様々な条件が付随してくる。

 

またこれは日本とニュージーランドの法体系や商習慣の違いも大きく影響する。日本は大陸法、NZはコモンローでありながら日本人ビジネスマンが何か考える時は結局大陸法で考えるから、最初に大陸法的な発想で自分の頭に全体図を描くのだがその前提となる情報が間違っている事が多い。

 

例えば自分がNZに永住したい、ならば誰かにNZに会社を作ってもらいそこでワークビザを発行してもらい2年ほど働いて永住権取得を、みたいな道を描く。それを前提として当社に「会社の作り方」を聴かれても、そりゃ会社なんていくらでも作れるがご本人が永住権を取れるかとは全く別問題である。

 

ワークビザでも駐在員であれば職歴が加算されないとか永住権申請には英語力テストとかもちろん健康診断も無犯罪証明も必要なわけで、ところがご本人は5年くらい前の古い技能移民の知識が前提として入っているから話が食い違う。

 

大体NZの会社では必ず地元居住者を取締役に入れる必要があるが逆に言うと雇われた人は取締役として商法上の責任が発生するわけで外国人が会社作って何やってるか分からないのに「はい分かりました役員やります」なんて話にはならない。

 

また日本のビジネスを拡大すると言うが上記の反対に「雇われ取締役をどこまで信用出来るか?」と言う問題もある。広げようとしたビジネスそのものを取られてしまうかもしれない。

 

キーウィはお人好しだし個人的には良い人が多いけど仕事となれば全く別物である。僕がよく見るパターンは頭の良さそうな日本人が颯爽とやって来て

「おい、会社作ってくれ」

「取締役はどうしますか?」

にこっと笑って

「心配するな、俺の友達がキーウィなんだ!」

とやる。

大体OUTである。

 

日本の資産をNZに移す目的であった場合は将来的にマイナンバー提出義務が発生した場合どうするのか?資産を移すのであれば自分の代で使い切るなら良いが子供に残すと言うのなら最初から相続対策としてある程度低税率で納税をした上で収益資産を早期に子供の名義にすべきだ。

 

そんなこんなと色々あるけど、頭の良い人に限って自分の頭の中で絵を描きすぎて最初にガチガチに固めてしまいがちだ。

 

国が変われば法律も変わる。法律も変われば遵法精神も変わる。遵法精神も変われば商習慣も変わる。商習慣も変わればお互いの言葉も変わる。言葉が変われば相手が何を言ってるのか分からなくなる。分からなくなれば言葉と言う試金石がなくなる。試金石がなくなれば闇夜の地雷原を懐中電灯なしに歩くようなものだ。その結果吹っ飛ばされることになる。

 

話す(通信)と言う(放送)は別物である。話をしようと思うなら相手が使っている言葉を理解することが必要である。でなければ聴いている方からすれば「こいつ何言ってるんだ?言語明瞭意味不明瞭」となるだけだ。



tom_eastwind at 13:03|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月09日

ここはニュージーランドだ!英語で話せ!

ノースショアの海辺にはお洒落なカフェが多くて元々は地元キーウィの有閑夫人などで賑わっていた。それが最近はアジア系の中でも人気が出て来てお洒落cafeにも地元アジア人の出入りが増えている。

 

けど中には周囲を気にせずに大声で我が物顔で母国語で喋り写真を撮りまくり、観ているこちらも同じアジア人ながら「どうなん?」と思うほどである。観光客でないのはひと目で分かるからもちっと周囲への配慮が出来ないのか。

 

でもってある日あまり大声で機関銃のようなおしゃべりの止まらないアジア人中年女性グループに隣のテーブルに座っていた白人のおばあさんがこう言った。「ここはニュージーランドですよ、英語で話しなさい」。

 

これを聴いたアジア人はその場では声を潜めたものの当然後日問題にした。

「私達は他の人達と同じようにお金を払ってお茶を飲んでいるんです、何語で話そうが自由でしょ、じゃあフランス語を話したらそれでも文句を言うのか!」である。

 

これ、NZに住む日本人が普通に聴けばアジア人の主張が正しいように思うだろう。どこの国に住んでいようが個人の会話を何語でするかは当人同士の問題であると。

 

そして「自分だけが正しい」と信じてる自己道徳的な日本人はすぐに「これは差別だ!」とか言い出す、他人の庭先に住まわせてもらいながら。それで自分の正義を通したような気分になる。

 

この論理、何語で話そうが自由だろって部分は分かる。他人に迷惑かけないなら何語でも良い。けどその日本人が日本国内で同じような差別をやっていたか知っているだろうか?

 

日本では戦前朝鮮半島から多くの人々が渡ってきて3K仕事をやっていた。これはいつの時代の移民も同様である。

 

例えば戦前の日本では農家の間引きのようにブラジルやペルーやハワイに日本人移住団が送り込まれた。そしてその社会の最底辺で仕事をした。家族の間では日本語で話し子供は親が何とかやりくりして勉学を積ませて学校では米国語で話した。

 

戦後も移民は多くの国でその下働きをして社会を支えてきた。実際にニューヨークの下町で移民を排除したらあっという間に働き手がいなくなりレストランは閉店だ。

 

カリフォルニアでメキシコ移民を排除したらどうなる?だからカリフォルニアジョークとして「おい、ここはカリフォルニアだぞ!ちゃんとスペイン語で話せ!」となる。

 

香港に行けばフィリピンから住み込み女中が集団で働いており彼らは日曜日になるたびに近くの公園に集まり三々五々パーティを楽しんでタガログ語でおしゃべりをしているが、彼らがいなかったら香港の共働きは成立しない程の影響力を持っている。

 

香港では誰が何語で話そうが全く気にしない。ただ広東語で話さないと外国人価格が適用されるだけだ。

 

ところが日本では戦前から戦後まで日本人が日本に住む半島人(韓国および北朝鮮)が朝鮮語で話すのに対して「お前ら何しゃべっとんのじゃー!ここは日本やど、日本語で話さんかい!」と大声で怒鳴っていたものだ。

 

こういうのが日本人が持つ短視眼的な発想である。自分が差別する時は自分が何を言ってるか理解せず何も考えずに言いたい放題、そのくせ自分が差別された時だけ発狂する。島国生まれだから文化がいくつも存在するというのが理解出来ずその場の思いつきで自分だけの正義論をぶって喜んでいる白痴である。

 

冒頭の話に戻るとNZのおばあさんからすればこれが近年急激に増えてきたアジア系に自分たちの場所を奪われた苛立たしさと単なる雑音としての外国語と声の大きさと傍若無人な雰囲気が混ざり合ってつい怒ってしまったのだろう。

 

それにしてもオークランドではそれだけ人々の心に余裕がなくなったのもある。



tom_eastwind at 10:08|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月08日

慈雨 その5 黒い雨から軽武装へ

日本は戦争末期に2発の原爆を落とされた。既に敗戦は確定していたにも関わらず。米軍の主たる目的は「使ってみよう、どうせ死ぬのは東洋のチビ猿だから」。そして黒い雨が降った。

 

その後吉田茂は日本の首相となり日本は米国の武装を借りて自国は軽武装で兵器にカネを使わずその分を鉄鋼、造船、自動車など第2次産業に振り向けて成功した。

 

ある意味戦後の日本政治家も米国に対しては上手い戦術を用いて、負けたふりをして実利を得ていた部分もある。

 

しかし21世紀になり世界の様相は変わった。日本も変わらざるをえない。変化出来ないものは滅びるしかないのだ。

 

では米国相手の傘寸借詐欺が通用しなくなった日本は今後どうするか。

 

その意味で現政権の方向性は正しい。普通の、主権を持つ国家に戻ることだ。米国から距離を置き中國と今のうちに対等に付き合える関係を構築する(軍備は最後に語る)。

 

その為の第一歩が権力あって責任なしの官僚から権力を奪い彼らの霞が関城を落城させて本来の優秀な役人として政権に対して政策選択肢を示す公僕とする。政権はその選択肢を国民視線で考えてどれが国民にとって一番良いかを判断して責任を持って実行する。失敗すれば次の選挙で落とされる。

 

まず外務省にあっては儀式とワインの万引きと個人資産を増やすことしか考えない連中を追放する。今の在外公館は主たる仕事が日本から来た有力者の接待なのだから、現業部門はビザ発行も含めてJTBにでも任せればよい。

 

財務省は優秀であるが現場を知らず仕切ろうとするので失敗する。なので局長クラスから上は政府が現場を知る民間から優秀な人材を高い給料で雇用して5年程度の任期で官僚と民間が行き来出来る仕組みを作る。野村證券と財務省スタッフが5年毎に入れ替われば良い。

 

内政においては50年計画で日本の将来を描く。ここで大事なのは国民を今までのような使い捨ての駒にするのではなく日本人を中心とした使い捨てでない本当の意味での民主主義が自然と入り込めるような仕組みを作る。ここに必要なのは数字が分かる哲学者である。亀井勝一郎が生きていたら面白いが今の時代なら稲盛和夫だろう。

 

教育に関しては日教組を完全に排除し公務員としての労働組合行為を一切禁止する。労働活動したければ民間企業に行け。学校卒業して民間企業で働いた事のない先生が将来社会に旅立っていく子どもたちにどのような助言が出来るか?

 

道徳授業の復活も良いがむしろ現代社会と現在の世界の現実を教えて子どもたちに考えさせる教育を身に着けさせる。日本人は放っといても一致団結するのだから学校にいる時くらい自分の頭でモノを考える自主的行動性を身に着けさせることが必要だ。でないと何十年経っても社会のリーダーとしての英米には勝てない。日本で何故マイクロソフトもアップルもグーグルも生まれないのか?

 

このようなことを実行するにはまず雇用の流動化である。最高裁判決を廃棄して新しい時代に合った社会に作り直す。

 

この際に転職教育を充実化させる。その上で官民交流を行う。こうやって「外圧」ならぬ「高圧」で上から一気に下に向けて明治維新のように社会構造を大変化させる。

 

国家の主は国民であり国家の主権は国民にある。憲法は政府を統治するための手枷足枷であり憲法は国民を縛るものではない。それは憲法の前文に明確に述べられている。

 

憲法改正するならその前に国民全員に現在の憲法が何を主張しているか理解させることだ。国民を国民らしく扱うことだ。

 

そして最後に軍備を考える。

 

憲法を読み今の日本が置かれた地政学的位置を確認して何を武器とするかを考える。

 

最近から振り返れば、

太平洋の西の端で米軍の傀儡不沈空母として中ロに対抗していた時代。

太平洋を渡って米国まで戦争を仕掛けた時代。

中國とロシアをそれぞれ別々に何とか撃破した時代。

長い鎖国の時代。

北は千島から蝦夷、十三湊、新潟、舞鶴、博多、鹿児島、琉球、広州までと広がった日本海大貿易時代。

 

この長い歴史の中に日本が平和的に生き残れる要素がある。それは貿易と経済の繁栄である。

 

フェニキア人の時代ならいざ知らず世界がこれだけ狭くなる中で国家間の全面戦争は起こりにくく、起こるとすればそれは何かの理由が他に存在するしそれは長続きしない。

 

アイザック・アシモフが考えた本当に長続きする国家とはそれは戦争力を持つ国家ではなくて経済力を持つ国家であった。他国からすれば破壊するよりも自国に取り込みその技術を学びたい、そう思わせる国家であった。

 

今の日本が成長する素地は経済と技術にある。失敗を恐れてばかりで起業家を生まない国に成長はない。

 

結局今の日本を良くするのは全体社会主義を止めて本当の意味で国民視点の市場主義を導入することである。問題は今の日本人が首に鎖の付いてない状態を不自由と感じる国民性かどうかである。



tom_eastwind at 07:24|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月07日

慈雨 その4 カツアゲ

戦後日本を復興させたのは戦争を知ってた官僚と政治家である。自分たちが苦しんで仲間も死にそして日本がどうあるべきかを考えた人々が日本を作り変えた。そしてそれは成功した、彼ら優秀な人々が退職するまでは。

 

ところがその後官僚として入省した人々は1964年の東京オリンピックとその後の大阪万博の成功しか知らずオリンピックと同年の昭和39年に開業した東京と大阪をつなぐ新幹線で大阪の優秀な人材を次々と東京に送り込む仕組みを作り一極集中を作り上げた。こういう「こすいこと」だけは得意なのが「戦争を知らない官僚たち」である。

 

沖縄海洋博では現地企業を食い物にして全ての利益を東京に持ち帰り、まるでインカ帝国を侵略したスペインのようなもので、後に残されたものは58号線沿いの廃墟となったプレハブ旅館やレストランだけであった。沖縄はまさに何度も日本から侵略されたのである。

 

それでも沖縄は自前で優秀な国会議員を東京に送り込んだ。それも東京を中央として観ずにあくまでも占領国の本拠地として理解して國場、下地など優秀な連中を送り込み植民地の権利回復の為に戦った、自民党本部の中で。面白いのはそういう人々でさえ受け入れる自民党の器の広さである。

 

米国独立戦争の時、植民地である米国は宗主国である英国に対して”No Seat, No Tax”と訴えた。税金を要求するなら議席をよこせ!そして独立戦争が始まった。ところが日本では沖縄に対して議席を与えたのだ、そして税金の減免措置を。

 

地元では東京と戦える知事、例えば沖縄戦で鉄血勤皇隊としてまさしく若き身をバカ帝国陸軍が起こした全滅戦の馬鹿さ加減のど真ん中に放り込まれ125人中37人しか生き残らなかった大田昌秀が知事となりまさに沖縄の為の政治を行った。

 

その後も大田を選挙で破った稲嶺恵一など優秀な人物が沖縄を一枚岩で支えている。

とにかく沖縄では与党も野党もない、どちらもそのときの情勢に合わせて「良い刑事と悪い刑事」を使い分けてるだけである。

 

例えばどこそこ県民が日本人であり公共事業などで不当な事をされても「いや〜、お上がそう云うんだからね〜」となるのとは彼らどこそこ県民が長いものに巻かれる思考があるからだ。その分必ず後で何か返ってくる、それが分かっているからだ。

 

けれど琉球民族は取られっぱなし、植民地である。だったら「日本人になる」なんて発想を止めて宗主国である日本からたっぷりカネを貰おうぜって発想が出て来た。

 

その結果として基地と米軍を使った「カツアゲ」は大成功して今の沖縄は大発展している。結局戦争を知らない甘えん坊官僚と戦争を体験した人々の違いである。

 

僕が1970年代後半に初めて沖縄に行った頃はまだ戦争の傷跡があちこちにあった。那覇市の南にある豊見城では古い一軒家があり表札もあり沖縄独特のシーサーもあったが誰も住まず放置されていた。そこに住んでいた家族は全員大日本帝国陸軍の指示で避難、近くの洞窟で自決して家だけが当時も残っていたのだ。

 

沖縄には日本の多くの矛盾が凝縮している。大正から昭和にかけて大磯あたりで女中を連れた若い女性も沖縄の植民地から得たカネで立派な服を着ていたわけである。恥ずかしいとは思わないだろう、それが当然だろうと思うだろう、何故ならそれが当時の文化だったから。

 

しかし暑い夏の日に沖縄では島全体が艦砲射撃を受け焦土と化し更に米軍上陸後に避難していた壕に火炎放射器で炎を送り込まれ多くの民間人が命を失った。

 

戦後は長い間米軍占領下に置かれて日本領土でありながらパスポートがなければ行けない場所になった。

 

ベトナム戦争時代は米軍のベトナム攻撃最前線基地として活動して嘉手納基地に核爆弾が配備された。

 

念願の日本復帰後も沖縄はあいも変わらず二級国民として扱われ大阪に集団就職した沖縄の子どもたちが寮の朝ごはんの味噌汁の味が薄くてバターを溶かして飲んでいたら賄い婦はせせら笑いながら「また沖縄がこんなことするんやねー」。

 

僕から観れば今の沖縄は上手いことカツアゲをやっていると思う。英国に対する復讐と言う形でIRAのような独立運動をやって爆弾を吹き飛ばすよりは余程生産的である。

 

今回のカツアゲは「もっとやれー!」である。長年の不平等を知恵を使って沖縄の未来の為に日本政府から投資させた。そして観光客が急増して今後は1000年前の琉球のように物流の拠点となっていけば良い。



tom_eastwind at 19:07|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月06日

慈雨 その3 官僚

安倍首相の周りには様々な意見を述べる人々がいるし皆さん個別に試験を受ければ大変優秀であろう。しかし各個人が持つ素質を国家のために使える根本的な哲学が現在の日本の実社会に寄り添い成長させる仕組みになっているかと言えば僕は個人的に大きな疑問があると感じる。

 

何故なら官僚だけが偉くて他の被支配層全員ばーかと言う基調なのだ。馬鹿には何も決めさせてはならん、社会を大変化させるような行動は政府が起こすのじゃー!

 

そのくせ現場では昭和のような「誰でもトップを狙い、競合相手を振り落とす」と言う内向きの仕組みと自己保全の仕組みが残されている。

 

これは官僚の賃金制度と官庁と民間の交流が今の時代に合っていないから起こる現象である。

 

官僚は本来業務内容に合わせて募集して契約期間中は数千万円から数億円の年収を支払い活動する。本人が何歳だろうが関係ない、能力が全てである。そして契約が終了すれば延長も良し次の人材を民間から再募集するも良し。

 

東大卒の優秀な後輩を出張先のカバン持ちにさせたりして有意な能力をすり潰し官僚制度の中で階級制度に組み込む事で自分の子分を増やし組織で優位に立とうとする。

 

そんな事にばかり能力を使うから人間的な生活が出来ず庶民の気持ちも理解出来ず町内会の共同掃除に「お宅のご主人、今週の日曜日が当番ですよ」と言われて困惑げに「あの、宅は東大卒でして」などと答えたりする。


ところがその「宅」は国民から集めた年金使って箱物政策、バブルはじけて三セク、その後も戦争を知らない子どもたちは自分たちだけが偉いと思って何の責任も取らず失敗政策を打ち続けた。一体どこの世の中に「責任なくして権利だけあり」って片務責任があるか?

 

これは僕がよく使う言い方だが「いいか今からオレとオマエでコイン博打をやる。表が出れば俺が勝ち、裏が出ればお前が負けだ」である。

 

ただその中で最も失敗した政策は愚民政策なのである。三人寄れば文殊の知恵と言う。東大卒だけで政策作らなくても旧帝大や優秀な私大から意見を集め、まずはやれるところからやろうぜ、そういう根本姿勢がずれている気がする。

 

まずは豊かになれる街から豊かになろう。そして人口が急減する地域はスマートシティに国費で引っ越してもらい楽しい老後を送ってもらおう。

 

もし地元に居たいなら公共サービスは自腹で宜しく、何故ならたった数人の為にバスや郵便を送るのは公共サービスではなく個人の贅沢なので費用を負担して下さいって話だ。

 

このあたりが国民全体の意見を取り入れる仕組みを持つ自民党、あくまでも戦前の共産主義が頭のなかにありつつ自分の保身を第一に考える官僚、安倍首相率いる国家社会主義を実現させたいとるす政権側とのせめぎあいであろう。

 

何故ならこれはもう実理論ではなく主義主張の問題であり数字に置き換えられないからだ。

 

政権は官僚の人事権を奪った。これは強い。この流れでいけば官僚は政権の支配下になる、何故なら官僚の最終目的は国家天下ではなく自己保身だからだ。

 

ただ自民党も内部は一枚岩ではないどころか何十枚も岩がある。それぞれがそびえ立ち競合している。

 

安倍首相のような明確蒙昧な全体主義者もいれば中韓との繋がりを大事にする政治家もいる。更に麻生さんのような麻布高校出身の反骨精神の塊なのもいる。

 

つまり実は自民党こそが国民の様々な層から意見を吸い上げて政策を実行する民主主義なのであり、これに比べれば日本共産党など党の意見以外は一切存在しえない野党は独裁主義である。



tom_eastwind at 14:06|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月05日

慈雨 その2 下向きの平等

一般的に東大では日本で最も賢い若者を生み出す為に高等教育を提供していると考えられている。しかし学部によっては戦前から戦後に渡ってマルクス教育が行われていた。これはマルクスが正しいかどうかの議論でありその中で日本古来の文化とマルクス思想が噛み合った時に教材として使われることもあったようだ。

 

例えば日本における「村制度」。地域ごとにちっちゃな村がありそこには村長がいて村民の日常の問題を片付けるのが仕事だ。

 

その基本は「平等、公平」である。つまり誰かが困れば周囲が助けるが次に他の人が困った時は同じように村全体で助ける。要するに相互保険である。

 

当時は「もやい(もあい)」とか「頼母子講」と呼ばれていたが、村人はお互いを助け合い肩を並べて生活した。そしてその為に大事な事が「平等、公平」であった。

 

例えばある家の子供は農作業の手が遅い。けれど人が良くて近所の子供と遊んだり老人の面倒見も良かった。

 

ある時村人の一人が「お前は手が遅い、だからお手当下げるぞ」と言うと村長は「彼は手が遅いかもしれんが村のために尽くしている。また彼の将来生まれる子供は手が早いかもしれない、その時にお前の子供の手が遅くてお手当さげていいのか?」と言った。

 

つまり自分の世代だけでなく将来世代に渡って安定と成長を目指すならば目先が不公平に観えても長い目で観れば社会全体が潤う制度が「平等、公平」なのである。

 

ところが問題は、平等とか公平を主張する時にその目的を忘れて言葉だけ独り歩きして社会を成長させようとする起業家を潰すのが日本である。曰く「ほら、他の人がやってないのに君だけやっちゃダメでしょ」とか、「皆に渡らないなら誰も受け取らない」とかである。

 

これのどこが悪いか。この仕組みの悪いところは「皆せーの!どん!」で同時に成長しないとダメっている護送船団方式、つまり最も足の遅い人間に全体が速度を合わせる「下向きの平等」になる。

 

実は「下向きの平等」を否定したのが中國の小平である。足の引っ張り合いの共産主義から経済成長出来る共産主義に切り替えて「どこでも良い、成長できる地域から成長していけ、他の地域はその後に追いつけ」とやったのだ。

 

つまり共産主義本場の中國では上向きの平等を目指し経済成長して表向き資本主義の日本では皆が足を引っ張り合う下向きの平等を目指し20年を失い現在に至ると言うことだ。


 



tom_eastwind at 14:03|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月04日

慈雨 1

今日のオークランドは昼頃から雨が強くなり午後遅くからはこれに大風が加わってオークランド中の木や草や花は満足であろう。これだけ降れば数週間は大丈夫で雨は草花にとっては慈雨である。

 

もちろんその分道路に水が溢れたりして今晩は停電もあるかもしれないけど、この自然のおかげでニュージーランドは観光や農業で豊かな恵みを得ているわけで、そう考えれば人間にも慈雨であろう。

 

日本はこれから10先どうなるのだろう。様々な面から観ていく必要があるが、やはり社会の基本は政治、経済、社会、そして個人に直接影響を及ぼす医療、税制、年金である。

 

このような要素は結局一つの形を作り上げてそこに新しい社会が発生する。

 

そこでまず日本の今後の政治である。安倍首相は株価を上げてきた。こうなると政治理論ではなく直接自分の腹に飯を詰め込んでくれる安倍首相は自民党だろうが共産党だろうが構わない、ネズミを捕る猫が良い猫なのだ。

 

その上に隣国である韓国や中国に対して毅然とした態度を取り日本国民からすれば溜飲の下がる思いであろう。

 

野党は安倍一強が悪いと言うけど、悪いのは政策を持たない野党の方でありそれは国民も既に気づいてそれが選挙結果に現れている。

 

白い猫でも黒い猫でも構わない、ネズミを捕る猫が良い猫なのだ。

 

そして経済を考えてみると株価上昇、円安による日系企業の高収益。例え容が空井戸であっても人々が「良い!」と思う限り景気は上昇する。実体経済?ビットコインなど何の実体も無いがそれでも丁半博打の賭場になって今は稼いでる方が多いのだから何の文句があろうか。

 

次に社会。オリンピックを迎えて東京は盛り上がり建設関連や港湾関連はまさに隆盛を極めておりバブルの頃のような状況になっている。都内の夜のタクシーも時間帯によっては拾いにくくなっている。

 

安倍首相はトリクルダウンと言うが、簡単に言えばオリンピックがあるから建設会社が儲かりその接待で銀座や六本木に行く。お店で働く女性スタッフは当然一生懸命サービスして良いボーナスを貰う。

 

貰ったボーナスで新しい靴買ったり富士山あたりに旅行だ。すると靴屋のスタッフは実績に応じてボーナスをもらい旅先のレストラン、お土産屋、ホテルはどこも潤う。

 

するとレストランの従業員は週末の夜に地元の店で家族と一緒にご飯食べて楽しむ。すると地元の店では仕入れを増やすことで地元の肉屋とか八百屋の売上が増える。

 

地元の肉屋と八百屋では長いこと買い替えてなかった営業クルマを新しくする為にディーラーに向かう。ディーラーが売ればメーカーも儲かる。儲かったお金でメーカーはオリンピックに向けてもっと広告宣伝やろうぜって話になる。こうやってお金はぐるりと一周する。

 

そして安倍首相として恒例の官製春闘賃上げ3%、ここまで来れば見事な手腕である。

 

国家が政治、経済、社会を動かして国家の方向性と速度を決める。これを国家社会主義と呼ぶ。

 

こうなれば野党の主張である社会主義的容をそのまま実行しているのが自民党であることが分かる。つまり現在の与野党は細かい意見の違いはあれ国内政策は全く同じ方向を向いている。ならば仲良く手を繋いで是々非々で行けば良い。

 

自民党は国家が付いてる社会主義、野党は国家の付いてない社会主義、自民党は国家がバックに付いてるから政策を実行出来るけど野党には実行力がないと、ただこれだけだ。

 

唯一違うのが外交である。中韓とどう対応するかであり、自民党の対応は国民の評価を得ているが野党が国民の評価を得ているというのなら「そうね、おたくの党員だけね」で終りである。ここは自民党は野党を切っても良い。

 

ただ問題は今後の個人が負担する年金、医療、地方住民税である。国家を運営する際には誰かが責任を持って対応する必要があるが、1970年代から分かっていた事を自民党も官僚も放置していた。

 

その結果としてこれから社会に出ていく若者たちの支払いは大幅に増えてしまう。これをぶち破るのは強力なインフレを起こすことである。年金等は物価スライド制にせずお年寄りの手取りは実質的にマイナスになり「死ぬまで働け」、若者は毎年10%程度の賃金上昇が起こり可処分所得を確保出来る。

 

この可処分所得が将来の消費社会の原資となるのだ。



tom_eastwind at 14:01|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月03日

沖縄と尖閣

日本のテレビ番組で元旦にお笑い芸人が随分と無知な発言をしたようでそれが中國にまで飛び火しているようだ。

 

「尖閣諸島が侵略されたら白旗を挙げて投降する」とか基本的な軍事知識がないし政治的視野がないので、これは完全にプロデューサーに台本貰ったなってのが観え観えである。

 

また中國に沖縄を割譲要求されたら素直にする、何故なら沖縄は昔は中國領土だったとかが理由である。

 

歴史誤認と言うかここまで来れば無知にしか過ぎないので知らん振りしておいたが中國がこれを利用し始めたのでこれは放置のままではないかんなと思い意見を書くことにした。

 

まず最初の問題は現在におけるトーク番組や討論番組は既にプロデューサーの結論ありきのバラエティ番組作りであり議論の中で何かを作っていくと言う趣旨ではなくなっている事だ。

 

なのでバラエティ番組で発言されたことをそれほど真剣に取り上げる必要はない。それは発言者がお笑い芸人でも大学教授でも同様だ。何故ならお笑い芸人は知識のないままカネのために台本だけ読まされており大学教授は知識がありながら自分のカネのために台本を読まされているだけで基本的にはどちらも議論はしてないのだから。

 

上記を基本として具体的な事実に入れば、まず近代法治国家では「他国を占領しない」と言う大原則があり例え現在人が住んでいなくても国際法上日本の土地として認識されている場所に他国が侵入することは出来ないと言う事である。

 

過去の古文書を取り出して「ここは大昔当家の領土だったのに取られたから今取り返す!」なんて理屈が通るようになれば、ドイツとフランス国境などもう一回全面戦争やらなくちゃって話になる。

 

だから第二次世界大戦後は「いまあるがまま」の国境を世界中で守りその上で話し合いで片付けようという合意がある。もちろん守らない国もあるがその場合は国際連合に依る制裁を取るようになる。

 

まず尖閣諸島は歴史的に一度も中國の土地ではなかった事は歴史的事実であり古文書でも明確である。中國にとっては沖縄よりちっこい岩の塊のような島など元々視野に入っていなかったのだ。

 

もし中國が尖閣諸島を占領すればそれは主権国家である日本が主権を手放した事になり最早主権国家を降りる、それは尖閣以外についても権利放棄をしても許されると言う理屈になる。

 

なので日本が沖縄及び本土を含む国家主権を維持するためには外敵と戦うしか無いのだ。沖縄のきれいな砂を中國観光客が持って返っても何も言わないが土地を持っていくのは違う次元の問題なのだ。

 

そして沖縄だが、この国は元々独立国であり日本及び中國との貿易で栄えていて日本及び中國両国家に朝貢をしていた。当時は日中どちらも沖縄が朝貢と言う態度を表せば何も言わなかったし実質的支配もしなかった。

 

これが変わったのは中國が鎖国政策に入りつつある時期に薩摩藩が琉球を領土に編入させた時点である。それから約500年、沖縄は日本領土になり1945年以降は米国支配下にありその後また日本に返還された。

 

だからこのお笑い芸人が沖縄についてその帰属を語るならば本来は「独立させよ」である。

 

本人は「沖縄は戦後基地を押し付けられた」等と言ってるがそれはまさに木を見て森を見ず、どこかの中途半端左翼に飲み屋で言われたような話である。

 

その話をするなら琉球併合から薩摩藩による支配、そして地元方言を使われると本土から来た兵隊が何を言われているか分からないから治安維持の為方言の使用禁止、その後は名前を日本風にするようになど、民族自立抹殺計画を進めていたのである。

 

第二次世界大戦中は大本営を守るためだけに不沈空母として米上陸軍と戦闘させて時間稼ぎ、挙句に玉砕命令を出して民間の人々と共に殺した。

 

玉砕当時は慶良間列島、玉城、豊見城、あちこちで人々が手榴弾を持って集団自決してその当時の資料は今も沖縄の資料館に残っている。

 

だから中國が沖縄に興味を持つ前に本来は日本政府が沖縄を自治政府にすべきなのだ。そして経済特区の業種を更に広げて東南アジアのハブ地点として今後どう自立発展していくかを考えるべきなのだ。

 

ところがこのお笑い芸人は「元々中國のものだった」とか「返せばよい」とか、基本的な古代歴史も知らず近代において沖縄がどう扱われたかも知らず、今目の前だけで言い切っている。

 

それがまあ番組プロデューサーのやりたい事であれば、つまり視聴率を上げたいだけなら良いが、今回のように中國に飛び火をするとこれは状況が変わる。中國は常に情報部が情報線を戦っており、日本に対しても毎日自分の碁石を打ち込める機会があれば必ず打ち込む。

 

今回のお笑い芸人、自分がどれだ国益を損ねたかは何も考えていないだろうな、ただ自分がこれで後3ヶ月位は番組に出る機会が出来た、くらいなのだろう。しかしこれが朝日新聞の捏造問題のように日本の将来に波紋を投げかけるようであれば、お笑い芸人とその背後にいるプロデューサーともに売国奴の戦犯である。

 

と思いつつどこのテレビ会社かと思ったら「テレビ朝日」。あたたた、である。



tom_eastwind at 10:43|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月02日

北東アジア戦略2018

歴史を何年単位で切り刻むかで答は変わると思うがこれから少なくとも20年は日本に良い目があると思わない方が良い。

 

これはもう個人的な努力とかではなくて国民の資質の問題であり、いろんな国が成長したり衰退したりしたがそれはその国の持つ個性と周囲国家の「気の流れ」の合成であり個人的英雄がどうこう出来る話ではない。

 

例えば言えば4人で麻雀を打ってて上家がバカヅキしたら逆らわない。様子を観ながらいつかこっちに「気の流れ」が回ってくるのを待つことが肝要である。

 

日本と中國は日本が西洋型民主主義で選挙制度もあるり中國は共産主義であるが実体としてはどちらも社会全体主義、共産主義である。

 

日本は明治以来の官僚制度がありそれは江戸時代から続く「民は由らしむべし知らしむべからず」の中央集権国家=国家社会主義制度の主体は官僚でありその制度は敗戦後も維持されたから今も日本には欧米のような国民主体の民主主義はない。

 

日本国民にはテレビとプロ野球と飲み屋街を与えておけ、そうすれば彼らは絶対に上を見ないから。国民は毎日食えて楽しければそれでよいのだ。

 

中國の場合も似たようなもので共産主義と言いつつも常に国民の不満のガス抜きのために計画経済化でも経済自由特区を作らせて沿岸都市部を急激に発展させた。

 

政治問題が起これば日本や周辺国を巻き込み国民の視点を他国に向けさせた。それでもそれは国民の付託に応えると言う事である。本当の独裁国家であればそんな面倒なことはせずに独裁者の命令のもと軍隊が国民を殺す。

 

殺すと言えば中國だってチベットや法輪功を殺しているではないか。ならば日本だって安保闘争、浅間山事件、その後も公安が裏方で活動して随分と非合法捜査をしている。日本の場合同一民族であるから中國のような多民族国家の直接的弾圧ではなく常に相手よりも強い抑止武器は持たず騒動が過激化することのないように当時の後藤田長官等が配慮したのが結論の違いだが開始地点は国家治安維持のためには国家として戦うと言う姿勢で日中とも同様である。

 

最近は中國が安定しているので反日を使わずとも日本と良い関係を作れるしその方が国益になると考えた中國は今年から日本に対しての姿勢を変えてくるだろう。

 

ただ領土問題など中國の根幹となる問題は彼らは絶対に引かない。領土拡大は中華民族にとっての精神的根幹なのだ。領土拡大をしない中国人などあり得ないのだ。ここが日本に取って痛し痒しなのである。

 

そういう中國を隣国として抱えてこれから20年、日本は少子高齢化していく。その間日本の土地が空けば中国人はいずれ買いに来る。今もすでに対馬や北海道や沖縄の土地が買われている。

 

近代になり100年以上経って中國は復活した。今年以降日本は、常に米国よりも中國の動きを見ながら活動していく必要がある。

 

去年から中國の動きを見て年末に集中して考えて年明けの戦略設定を考える中で中國の重要性は一段と強まった。



tom_eastwind at 21:35|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2018年01月01日

元旦2018

去年末から年明けは天気が良い。風は涼しく太陽は明るく、そんな中で今年の自分の頭の中のカレンダーを組み立てていく。

 

特に1月から2月末までは既に予定が入っており日本でもNZでも出張や面談があるので3月以降のオークランドの夏の終わりまでくらいの具体的な予定を考える必要がある。

 

これは僕の場合3月から6月の戦術にあたるけど、その前の戦略確認をしっかりする必要がある。それはこの世界がこれからどちらに向かうかである。それに合わせた戦略を立てて方向性を決める。

 

次にその戦略に合わせて「では今年1年の行動計画をどう構築するか」であり更に逆算して3月から6月までの戦術を作るようにしている。

 

朝令暮改と言う言葉は元来は悪い意味で使われたと言うが現代においては正しい言葉である。

 

戦争をやってる時に戦場が変化すれば変化に合わせて細かく訂正していく必要がある。今まで聴いてた情報が実は間違いだった、ならばすぐに戦術を変更する必要がある。

 

それをまるで江戸時代の平時の後家のように「なにをおっしゃる、決めたことを変えることはならん、ならんものはならん」等と言ってたら、あっと言う間に殺される。

 

平時における「規則を守ること」と戦時における「変化をすること」は全く違うルールが適用される。

 

それなのに今自分が置かれている状況を理解しようとせずひたすら変化を嫌い、嫌う自分を正しいと思う。

 

とにかく変化をしない他人はもうどうでも良い、自分が変化の中で生き残る。それが僕の今年の命題である。



tom_eastwind at 13:56|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年12月31日

なごり雪

今年も終わり。

 

「なごり雪」は伊勢正三の作った歌で彼は大分県出身バンド「かぐや姫」の一員であった。

 

とは言っても3人組が1970年代に大分から東京に出て神田のボロ宿で生活しながら歌を作ってたら当時の風騒に合ったのか、「神田川」とか「赤ちょうちん」が大ヒットして人気グループになり人気を集めただけだ。

 

この3人の中で歌を作る実力で言えばやはり伊勢正三だったろう。グループ解散後も「海岸通り」など次々とヒット曲を作った。

 

しかしまあ、歌は世につれ世は歌につれと言う言葉どおり、時代と歌は何時も同じような流れをしている。

 

今年も紅白歌合戦が繰り広げられるが、実はぼくは日本で大人になった頃からこの番組は殆ど観ていない。

 

と言うのも毎年末は仕事で海外に出ており元々人がベタベタするのも嫌いで録画装置もない時代だったから見ずに過ごしていた。

 

インターネットが発達すると海外でもいろんな記事が配信されるようになり、今年は安室奈美恵が出るのかとか桑田はどうするのかとかで賑わっているが、好きな人達がやっていればよい。

 

今年は久しぶりに一人だけの大晦日と正月である。そんな時に思い出すのが「なごり雪」と言う歌だ。

 

30年前、志賀高原で雪の中を走るバスの最後尾に座って、離れていくスキー場を観ながら「ああ、こんな事もあるんだな、歌そのものじゃないか」と思った。

 

気温23度、青空の広がるオークランドで年末を迎える。年末は誰が作ったルールであるか知らないのでそれほどめでたい気持ちにもならず単なる時間の区切りと理解しているが、それでも暦が変わるのだから音楽を聴く理由にしよう。

 

ビートルズとバッハと伊勢正三、さあ誰が一番か?分かるわけがない。今年も終わり。



tom_eastwind at 07:40|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年12月30日

オリンピックの身代金

今日は年末年始の食料の買い込み。まずは近くのショッピングモールの韓国商店に行き日本製冷凍うどんと納豆とキムチと韓国カップ麺を買い込む。All Aboutの「暑い夏にはピリ辛キムチとネバネバ納豆入りの冷製うどんが旨い!」と書いてたからだ。

 

暫くひとり暮らしなので簡単に作れる料理を探して何故かクックパッドでなくAll Aboutにたどり着いたがこれはAllAboutの方がニッチ市場に特化しているという事だろうと何時ものようにどうでもよいことを考えつつ食料を買い込む。

 

キムチは発酵食品であり健康に良い。納豆も同様。ではチーズは健康によいのか?等と何時ものようにしょうもないことを考えながら商店の中を回ると冷凍ケースの中にはタラやサンマ等もある。S&Bのカレーも売ってるし寿司用のガリも置いてる。

 

何だ、日本で食いたいものが大体ここにあるな、オークランド暮らしも20年前と違って今は欲しいと思ったものがだいたい手に入るようになった。

 

もちろん流行りものとかは別であるがオークランドもそれなりの市場に育ってきたのだろう、北半球から品物が入ってくるようになった。

 

クイーンストリートを歩けばヴィトン、グッチなど高級店が並び地元スーパーではカップヌードルが売ってあり(中国製だけど安くて美味しい)、地元の人が歩く浜辺や公園には北半球のアイスクリームが売られるようになった。

 

日本では戦時中「贅沢は敵だ!」と言う標語が街角に貼られていて、そこにいたずらっ子がいて漢字を一文字書き加える。「贅沢は“素”敵だ!」。

 

良いセンスである。

 

贅沢は素敵だ。そう、豊かになるとは贅を沢山積み上げることなのだ。日本でも昭和の昔に「消費は美徳である!」と言われた。人々は毎日夜遅くまで働き週末に家族で炊飯器を買い冷蔵庫を買いカラーテレビを買い求めたものだ。

 

全く戦前とは180度違った話であるがその時の政府が要求するものなのだから日本国民としては羊のように従順に言われたとおりのことをするだけである。

 

「この国のプロレタリアートは歴史上ずっと支配層に楯突くということをしてこなかった。我慢することに慣れきっているので、人権という観念すら持っていない。無理をしてでも先進国を装いたい国側にとっては、願ってもない羊だろう」

「オリンピックの身代金」奥田英明

 

今読んでる本は昭和39年に東京で開かれたオリンピックを舞台に東大院生が社会の矛盾を追及する容だが、簡略化すれば格差に対する反対である。

 

日本の場合民主主義と言おうが社会主義と言おうが要するに一握りの支配層がそれ以外の人間を下に向けた平等で押さえつけることである。金持ちは潰してそのカネは政府が盗る。誰もが貧しいまま。彼ら支配層は人々を上に向けた平等にしようとしない。

 

そして子供には子供の頃からの基礎教育で国家に従うことを徹底要求して肌に塗りつけ染み込ませお上に逆らうことなどあり得ないと理屈ではなく肌感覚で理解させるから、政府が「カネを遣え」と言えば遣う。どうしてって聴けば「だってお隣さんも持っているんだもん」で終わりだ。

 

個人の個性がない場所に民主主義が存在するわけがない。何故なら民主主義とは個人ごとの意見の違いを調整する仕組みであり個人ごとの意見が違わない国では民主主義は不要である。

 

つまり日本では元々個性を持たない人々が一部の支配層に支配されて彼らの言われるがままに動きその動きを自分の個性と思っているが、そんなもんやくざやテキ屋、サラリーマンから社長まで含めてすべて政府支配層の手のひらの上で動いているだけだ。

 

すべては社会の中の歯車でしか無い。チャップリンが100年前に悲喜劇とした歯車社会を現実化したものがまさに今の日本なのだ。

 

「オリンピックの身代金」を読みつつ当時の東京を考える。

 

日本橋の上を被さるようにして作られた高速道路。天空を飾るレストランを持つニューオータニ。銀座、東京タワー、「なんて言うか、東京は祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますね」

 

秋田から出稼ぎの旦那が東京で死に、その葬式のために来た妻が一生に一度の東京見物をしたいという。東大院生が東京見物を案内する中で妻がぼそっと言った言葉。

 

贅沢は敵だ。けど贅沢さえ出来ない田舎は敵にさえなれない。

 

今のようにどんな地方都市でもコンビニがあり東京で買えるものは通販で買えるようになった。ましてや日本から1万キロ近く離れたオークランドでバーモントカレーが買える時代になった。

 

これは豊かと言えるだろう。ニュージーランドの場合は基本的な部分は社会主義だが上に向けた平等と言う仕組みがある。誰もが頑張れば上に行ける、そういう仕組みがある。

 

人々は良い意味での平等を信じて良い意味での努力をして頑張って上に行こうとする。一つの会社で一生過ごす日本人と違いキーウィは転職を重ねて成長する。

 

ふー、この本まだ上巻の終わりで下巻まだなんだけど、今既に重いな。



tom_eastwind at 09:38|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年12月29日

海の京都