2005年07月

2005年07月22日

2003年11月 あなたの宗教は?

TwelveYO

 

外国に来て日本を見つめ返す機会が増えたと思う。外人に質問されて、「あれ、私って随分日本の事知らないんだな」って感じる事があると思う。そんな貴方が、外国人に話し掛けられても困らないように、今回は「宗教」を取り上げてみました。

 

あなたは無宗教?

 

今あなたがHSファミリーから、「君の宗教は何?」と聞かれたら、何と答えるだろう?おそらく殆どの人が「無宗教です」と答えるだろう。

 

しかし、無宗教というのはこの場合正しくない。正確には「宗教に無知」なのだ。「貴方は仏教式葬式をしながらクリスマスを祝う。これは、二神を信じる事なのか?」、「あなたが無宗教と言うなら、例えばキリスト教を信仰するに足りない理由はどこにあるのか?」こう聞かれたら、何と答えるか?答えようがない。

 

「だって、じいちゃんが先祖の墓に入るのは本人の希望だったし、クリスマスイブって言うのは、本命の彼女と一流ホテルに泊る晩の事だとばかり思ってたから」

 

それはそれでいい。日本国内であれば何の問題もない。むしろ状況判断としては正解でさえあろう。キリスト教の事を考えてるうちに、ホテルの予約を忘れたら、そのほうが悲惨である。一人で過ごす冬の夜は寒いのだ。しかし海外ではそうはいかない。

 

神は同じ?

 

キリスト教とイスラム教とユダヤ教では同じ旧約聖書を経典としている為、彼らの唯一の神はヤハウェのみである。エホバ、アッラー等と呼ばれたり、英語ではGOD、ラテン語ではDEUSと呼ばれたりしている。

旧約聖書+タルムード = ユダヤ教

旧約聖書+新約聖書  = キリスト教

旧約聖書+コーラン  = イスラム教

 

神の言葉を代弁した人物が、キリスト教では「神の子」キリスト、イスラム教では「預言者」ムハンマド、ユダヤ教では「預言者」モーゼである。この3人は皆、神ではない。代弁者だ。成立年代は、ユダヤ教が紀元前2000年〜1300年頃(推定)、キリスト教は紀元4年、イスラム教は7世紀頃である。

 

仏教の神とは?

 

これら3宗教に比較して、仏教では所謂西洋的な意味での神は存在しない。インド北東部の王子として生まれた仏陀(お釈迦様)の教えが仏教である。

 

なので、仏教の神様はいるのかと聞かれれば「貴方達のような、人間の上に立つ絶対的な支配者という意味では存在しない」と答えるのが正解だろう。そう、仏教においてはみんなが、先達である仏陀のように悟りを開く為の勉強会をする「同朋感覚」なのだ。

 

啓典の民

 

旧約聖書=経典を聖典として派生したのがキリスト教とイスラム教なので、兄であるユダヤ教と合わせて兄弟宗教と言う意味でこの3宗教をイスラム教では「経典の民」と呼ぶが、この3種の民は、大変に仲が悪い。

 

元々イスラム側としては兄弟子にあたるキリスト側が旧約聖書の十戒の一つである「偶像崇拝禁止」の戒律を破って次々と教会を建立する事を苦々しく思っていた上に、十字軍遠征はイスラムの世界を決定的に反キリスト教にさせた。

 

キリスト教対ユダヤ教

 

またキリスト教によるユダヤ教弾圧(反ユダヤ主義・1300年頃から最近まで続く)は、昔苛められた兄貴に対する陰湿な仕返しと言える。特にカソリックが、前大戦でユダヤ人を虐殺していたナチスを黙認していた事実は有名である。

 

ユダヤ教はユダヤ民族限定の宗教であり他民族に対する布教をしないが、当時ユダヤ教から派生したキリスト教は、ユダヤ教信者を真っ先にキリスト教に改宗させた。

 

獅子心中の虫が身内を食い荒らすのであれば許しておけない。そう考えたユダヤ教は、時のローマ帝国と結託してキリスト教弾圧を行い、キリストを磔にするのだが、これに激怒したキリスト教が最近まで反ユダヤ主義を続けていたのだ。

 

2000年3月にローマ法王ヨハネ・パウロ2世がサンピエトロ大聖堂の1万人ミサで「十字軍遠征」と「反ユダヤ主義」を悔い改めたのは有名である。

 

イスラム対ユダヤ

 

しかし、意外な事に、ユダヤとイスラムの間ではつい最近まで大きな抗争は殆どなかった。ユダヤは民族宗教なのでイスラム教信者を改宗させる気もないから喧嘩にならない。

 

(旧約)聖書って何?

 

3宗教の手本となる(旧約)聖書は3群24巻の書物群の総称であるが、特に重要なのが「創世記」と「出エジプト記」であり、キリスト教でもイスラム教でも聖典とされている。

 

「創世記」では主に世界と人の創造を描き、アダムとイブの「失楽園」、カインとアベルの「弟殺し」等が有名であるが、アブラハムという人が神との契約で土地をもらう章がある。この土地がカナン、今のパレスチナである事に現在のイスラエル−パレスチナ紛争の元がある。

 

「出エジプト記」は紀元前1300年頃エジプトで奴隷生活を送っていたイスラエルの民をモーゼが率いて脱出し、十戒を受領する話だ。

 

(旧約)聖書は元々ユダヤ教の聖典であり、ユダヤ教からすれば(旧約)と言われる筋合いは全くないのだが、キリスト教が4世紀に自分だけの聖典を作る時に本来の聖書を「旧約」の位置に「隠居」させた為、新約と旧約という呼称が業界標準になったのだ。

 

仏教の経典

 

仏教では阿含経、法華経などの経典や小乗仏教、大乗仏教などの経典があるが、3宗教と基本的に違う点は、輪廻転生の考え方で、仏教では死んだ後も魂は形を変えて永遠に続くのだが、生まれ変わるのは虫かも鳥かもしれない、という点である。

 

神はごりやく?契約?

 

「約」は、神様との約束という意味であり、人は「一神のみを信じる,絶対服従する、十戒を守る」代わりに、神は「現世の幸福と死後の楽園を保証してくれる」という一生ものの生命保険みたいな相互契約なのだ。自分の神様だけが一番とやっているから、他の神様が「俺のほうが一番」と言うと、必ず争いが発生するのも、このあたりに理由があるのかもしれない。

 

お断り:このコラムは「世界5大宗教入門」主婦と生活社発行から一部引用を行っております。



tom_eastwind at 23:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2004年 移住とは自分を知る事 

2003年12月 宗教紛争から国際紛争へ

タイトル

Twelve・Y・O−2

 

小見出し

宗教紛争から国際紛争へ

前回で述べた通り、歴史的にはイスラムとユダヤの対立は比較的少なく、聖地パレスチナでも3宗教が共存する時代が続いていた。しかしそれも欧州にロスチャイルドが現れ、国際社会の中でシオニストとしての発言力を持ち、それに迎合する英米政治家が現れるまでだった。

 

本文

土地争い

今世界を揺るがすテロ事件の根源であるパレスチナ問題は、平穏に住んでいる人々を政治力と暴力で追い出したという意味では成田闘争や地上げと同じだ。そこにユダヤ対イスラムと言う宗教を絡めたから話がややこしくなった。

 

この土地争いを首謀したのは1914年当時のイギリスである。中近東は元々イスラムの支配地域であり、税金さえ払えば「信教の自由」が認められていた場所であった。そこに自らの利権を獲得する為に三枚舌外交を行って人種問題に火をつけたのがイギリスであり、その結果としてクルド人難民問題、イスラエル問題、そして現在のアル・カーイダ、テロへ連綿と繋がっているのだという事は、しっかり認識しよう。

 

それでは、具体的にどんな三枚舌を使ったのだろう?

 

一枚目

フセイン・マクマホン書簡 (1914年)

アラブ地域の豪族であるフセイン(現ヨルダン国王の先祖)と、アラブ地域にアラブ人独立国家を作ることを取り決めた契約。当時トルコの支配下にあったアラブは、この契約を信じてトルコへの反乱を行った。この時イギリス側から送り込まれたのが映画でも有名になった秘密情報員「アラビアのロレンス」である。

 

戦後アラブは独立宣言を行ったが、結局イギリスによって阻止され、その土地は更にイギリスの信託統治領とされてしまったのだ。

 

二枚目

バルフォア宣言(1917年)

時のイギリス外相バルフォアが戦費獲得の為に欧州の銀行家ロスチャイルドから借金を行い、その際に交わした契約がバルフォア宣言である。戦後のパレスチナにイスラエル国家を樹立する事に賛同するという内容だ。しかし当時人口比はアラブ人683,000人に対しユダヤ人60,000人であった。

 

6万人が68万人を支配する?という非常識がどうして発案されたか?それが前回の旧約聖書に出てくる「神とユダヤ人の契約」である。ユダヤ人からすれば、2000年以上も前に神から授かった土地であり、そこに誰が住んでいようと関係ないという訳だ。

 

2000年以上にわたりパレスチナの土地を離れ世界を放浪したユダヤ人たちは、行く先々で差別や弾圧、時には虐殺さえされた。そんな彼らが19世紀頃から自分達の生命と財産を守る為に国造りに立ち上がった。これがシオニスト運動であり、そのリーダー格がロスチャイルドなのだ。

 

一番厚かましいのはイギリスである。元々イギリスの土地でもないものをユダヤ人に「どうぞ使ってください」と差し出したのだ。差し出す方も受け取る方も、そこに実際に住んでいるアラブ人の事は全く考えていなかった事だけは事実である。

 

三枚目

サイクス・ピコ条約(1916年)

敗戦したトルコ領を仏、露等で分割する契約であり、実際には1920年4月のサン・レモ会議において、フランスによるシリアの、イギリスによるイラク・パレスチナの委任統治を決定した。この時イラクが分割され,民族に関係なく国境線を引いた事でクルド人難民問題が発生した。

 

エクソダス 栄光への脱出

1948年、英国のパレスチナ領地権利放棄と同時にユダヤ人はイスラエル国家の樹立を宣言した。この時点で120万人のアラブ人が同じ地域にいたにも拘わらずである。当然これは周囲のアラブ国家の反感を買い、パレスチナのアラブ人を保護する為に戦争が起こった。これが第一次中東戦争である。

 

しかし英米の庇護を受けたイスラエル軍は圧倒的に強く、翌年イスラエルの勝利に終わったが、周囲すべてを敵に囲まれるという異常な状態でスタートした国家は、最初からその「生き残り」がすべての優先条件であった。

 

その為には世界の耳目を集め、世論を巻き込み、この土地戦争に違った視点を持たせる事だ、そう考えたユダヤ人は、「宗教戦争」という視点を取り入れた。多数民族イスラムによる少数民族ユダヤへの攻撃。これにより西洋社会はアラブを正当に攻撃する理由が見つかった。

 

米国のユダヤロビーは、米国在住のユダヤ人500万人の代表として政府を動かして、武器供与、資金供与、兵士の訓練など、様々な援助を与えつづけた。弱いイスラエルを攻撃する悪いイスラム。この構図なら米国民は納得するし、おまけに武器が売れる。死ぬのはアラブやユダヤだ、アングロサクソンに関係のない戦争であれば、良いではないか。これには勿論英仏も乗り、中東に武器を売りまくった。

 

勿論ここで一番の力を発揮したのがメディアである。連日のキャンペーンでアラブ非難を半年もすれば、白いものも黒くなる。こうやってパレスチナ戦争は作り上げられた。

 

この戦いを合わせて合計4回の戦争が1973年までイスラエルとアラブの間で繰り広げられていくが、結果的に領土拡大をしたのはイスラエル側であった。そして戦いの度にパレスチナの人々は当事者としての発言権もないままに、難民ととしシリアやレバノン等に追いやられ、泥の中でテントを張り、戦争の度にどこかの兵隊によって殺され、無視され、その存在は全く片隅に追いやられてしまったのだ。

 

イギリスの帝国主義による利権拡大の暴威の中で振り回されたのがアラブ国家であり、その象徴となったのが「誰も助けてくれない」状態に置かれたパレスチナ難民なのである。

 

CNNを観て外人の友達とパレスチナ問題を語る時は、この背景を理解した上で語るべきであるが、実際西洋社会でもパレスチナ問題が正確に把握されているかどうかは疑問の残るところである。



tom_eastwind at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2004年 移住とは自分を知る事 

2004年1月 そしてテロが始まった・・・

現代版宗教戦争の始まり

 

そしてテロの始まり・・・

 

2000年にわたって虐待され続けたユダヤ人は、自分の生きる権利を守る為に戦いを始めた。その結果としてパレスチナ人という、新たに虐待される人々を作り出してしまったのは歴史の皮肉であろうか。いや、そうではない。自己の利益のみを守る為には他人の事など一顧だにしない特権階級が、このカオスを創り出したのだ。

 

平和主義と平和の違い

 

もし平和主義のあなたの住む村に敵が現れ、村の財産や家族の命が奪われそうになったら、あなたはどうするだろう?頼るべき警察も存在せず、旗を振って現れる騎兵隊もない村で自分の財産や自由を守る為にはどうするだろう?当然村人全員が一丸となって敵と戦うだろう。

 

こんな時に「戦いは間違っているから戦いません、私は平和主義ですから」とか「人のものを盗るのはいけないと思いまーす、間違ってると思いまーす」と言うのは自由だ。しかしその頭に斧が振り下ろされて、残った村人全員が殺されて財産が略奪され、土地まで奪われたら、無人の焼け跡で誰がどう「平和を守るべきでーす」と言うのか。

 

理想を掲げて生きる事は正しい。しかし現実とのバランスが取れない理想は、画餅に過ぎないどころか、危険でさえある。平和を守る為には戦いが必要な時もあるのだ。

 

そして戦いは始まった

 

世界の誰もが無視する中で、やせ細る子供やけが人を守る為に、パレスチナ人は立ち上がった。生き残りたいなら闘う。彼らは平和を守る為の戦争を開始した。

 

「戦闘してない民間人を殺したらテロ?それならば平和に暮らしていた私たち民間人を殺したイスラエル人もテロリストだし、彼らに武器を与えた米国人はテロリストの親玉だ。仕掛けられた戦争である以上、闘い方に文句を言うほうがおかしい」そして彼らは、イスラエルを後押しして自分達を殺戮の現場に追い込んだ親玉である西洋社会にも攻撃を仕掛けた。

 

ちなみに西洋社会では今でも「テロ」と呼ぶが、実際は戦争である。しかし戦争と認めるとパレスチナ問題の矛盾が露呈するから「テロ」という言葉をメディアに押し付けただけである。ここからも、如何にマスメディアが体制に組み込まれているかはよく分かる。

 

「テロ」又は「中東戦争」自体の悲惨さや正当性を語るのがこのコラムの目的ではないし、民間人攻撃を容認するものでは絶対にないが、少なくともCNN報道だけが中立公正な歴史認識ではない事を理解してもらえばと思う。

 

アル・カイーダ

 

アル・カイーダは、アラブ諸国から集まった外人部隊と考えてもらうと良いだろう。どこか一つの国を守るだけではなく、イスラム諸国をキリスト教国家の弾圧から守る為、いろんな国を渡り歩いている。最初の戦いはキリスト正教を信じるソビエトの侵攻に対する抵抗であった。

 

1985年、ソビエトが不凍港を求めて南下、アフガニスタンに侵攻した。自分の土地を守る為、アフガンゲリラとアル・カイーダは10年にわたりソビエトと絶望的な戦いを続け、ついにアメリカの援助を受けたアフガンゲリラが勝利したのだ。「ランボー2」で馬に乗ったシルベスター・スタローンの戦いを観た方も多いだろう。映画でご覧の通り、アフガンに武器供与をしたのは米国であったし、アフガニスタンの前宗主国は実はイギリスである。

 

激烈な内部抗争の後タリバーンがアフガンの政権を実質的に押さえ、アル・カイーダが次の活動を開始した。その目的は、中東戦争を引き起こした二枚舌のアメリカを攻撃して、戦争のルールを教える事だった。アメリカの二枚舌。イスラエルに兵器と金を送りつづけて仲間のパレスチナ人を殺しつづけ、自分達はニューヨークの、クーラーの効いたビルでワイン付きのランチを楽しんでいる連中に。

 

誰が誰を攻撃したのか?

 

2001年9月11日、この日をもって米国の「ゲームのルール」が変わった。彼らのルールでは、ゲームの場所はいつも相手の国もしくは傀儡国家だったのに、ある日アラブのチンピラが、アメリカ様に向けて飛行機を突っ込ませたのだ。こんな事は、半世紀以上前に東洋の猿と戦争して以来だ。

 

ふざけるな、そんなのはルール違反だ。戦争はお前の土地でやる事だろ!子供や民間人を殺すのはテロだ!そう言ってアメリカは立ち上がった。勿論自分達がベトナムで殺した子供や村人は「戦争だから仕方ないのだ」し、パレスチナで殺される人々も「イスラエルの政治は干渉出来ない」のだし、民間人に原爆を落としたのも「戦争を早く終わらせる手段」なのだろう。自分達がやるのはいいが、相手がやるのはいけない。これが米国のゲームのルールだ。確かにそのルールは変わった。自分達がやることは、いずれ相手もやるのだという事に気付いた日だったのだ。

 

こういう時、ブッシュは旗振りには最高だ。頭の中に何もないのだから、倫理、公平や平等、人道等悩む必要がない。ましてや政治家としての勉強もせず失言が多く、大統領の支持率がどんどん落ちていた時に、「親分、テロの今が勝負でっせ」と教えてくれる補佐官連中が唆したのだから、本人は舞い上がった。

 

仕返しだ!やり返せ!そしてアメリカはルールを変えた。国連なんて知ったこっちゃない。俺の味方か、それとも敵か?!敵の頭には拳銃を突きつけてやる。こうやって国内のキリスト教信者を固め、外国を巻き込み、アフガニスタンからイラクへ復讐の戦火を広げていったのだ。

 

ユダヤ教とキリスト教、そしてイスラム教の三つ巴の戦いとなった中東戦争だが、それを遠くからじっと眺めているグループがある。仏教を中心とした中国だ。仏教はどこの宗教とも組める融通性がある。国際情勢は中国を中心としたアジア仏教国に問い掛けてくる。どっちにつくのか?

 

こうして、否応もなく国際紛争に巻き込まれた時、貴方が日本の首相ならどう判断するだろう。どちらと組んでも、反対側から攻撃されるのだ。

 

 



tom_eastwind at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2004年 移住とは自分を知る事 

2004年2月 イラク戦争の真実

イラク戦争の真実

 

前回までは宗教の問題を取り上げてきたが、今回のイラク戦争と宗教はどう影響しあっているのだろう?

 

イラクでは米英による侵略戦争が終わり、米国主導で民主政治の導入を進めている。しかし、今も米兵に対する攻撃は容赦なく続き、既に第二のベトナム戦争化の様相を見せている。

 

戦争時に失った兵よりも多くの兵が、占領後に殺されている。本当に戦争は終わったのだろうか?多くの識者の中で出てくる疑問である。実は、国際法上では(この記事を書く時点では)フセインが終戦協定を結んでいないから戦争は終わっていない。これは、占領は終わったが戦争は終わっていない事を示している。

 

ではフセインが逮捕された後も闘っているのは誰だろう?それは普通の国民である。例えばボーア戦争で英国に侵略された農夫達が、自分の土地を守る為にイギリス軍に戦いをしかけたり、マオリ戦争で土地を奪われたマオリが、各部族ごとにイギリス正規軍と戦ったようなものである。

 

そこで、ここで大胆な前提を想定してみよう。CNN等のメディアではフセインが独裁者と報道しているが、実際には独裁ではなく、国民に選ばれた指導者だったのではなかろうか。この現実をまず認識しないと、イラク問題は理解出来ないのではないだろうか。イラクは元々フセインによって「安定した政治と生活」を与えられていたのだと考える事は出来ないだろうか?

 

第二次世界大戦当時の日本も侵略主義と呼ばれ、連合軍との戦いに敗れた時はメディアによって「日本は独裁主義国家である」と言われていた。また、戦後も学校教育の中で「侵略戦争」と呼ばれたが、しかしどれだけ多くの日本人が、その当時の日本を独裁と感じていただろうか?

 

また実際にアジアで植民地化してた多くの国々が、戦後すぐにイギリスやオランダ、フランスから独立した事実を見ると、米英メディア主導の「侵略」や「独裁」という言葉には、素直に頷けないものがある。

 

確かにフセインはクルド人を生物兵器で殺害し、イランとの十年戦争を行ったが、国内的には人気のある指導者だったのかもしれない。だから今も国民は、「侵略者」である米国兵に対してゲリラ戦争を仕掛けているのではないだろうか。ここで間違っていけないのは、終戦協定が結ばれるまでは戦争が継続しており、米英に対する攻撃はテロではなく戦争行為であるという事だ。

 

例えば今、日本が北朝鮮から攻撃をされて日本政府が降伏をしたとしても、国民はそんな不合理を許しはしないから、当然武器を持って自分の家族や民族の為に北朝鮮兵士と戦うだろう。そんな時に自分達の事をテロリストと呼ばれれば、どう思うだろう。それと同じ事を行っているのが今のイラク人である事を忘れてはいけない。

 

大量破壊兵器がない事は、実はブッシュのブレインも知っていた。それでも敢えて事実を無視して侵略戦争を仕掛けたのは何故か?その理由は大きく分けて二つある。一つは勿論米国の伝統的政策である「エネルギー戦略」だ。石油を押さえる事で戦車や飛行機などを押さえて、戦争に負けない力を持つ事だ。産油国として最大のサウジアラビアは既に米国の味方だし、次の産出国がイラクなのだから、ここを押さえればエネルギー戦略は完成する。そしてもう一つの問題はネオコンだ。

 

ネオコンとは、neo conservative、新保守主義である。但しこれは比較的最近になって出来たグループであり、米国人でさえ多くの人がその存在理由を理解していないが、要するに19世紀から20世紀にかけて大陸鉄道や石油などで東部特権階級となった人々が、米国から更に世界までも自分の手中に納めたい、自分の為の地球を作りたいと考えている人々の集まりだ。

 

言葉を変えれば、帝国主義である。彼らは、いかにして自分が利益を得るかのみを考えている。都合の良い時は国連を無視して自分のルールでイラクに戦争を仕掛け、都合が悪くなると国連のルールを持ち出して「国際法違反」と言うのが、彼らの特徴だ。分かりやすい例で言えば、一旦は認めた京都議定書を、自分の不利益になるからとその後拒否した事である。彼らの傀儡がブッシュである。頭の悪い彼には一番の役回りだろう。本当の役者は影に隠れて、ブッシュが表舞台で踊っているだけだ。

 

では、イラクはネオコンにとってどのような利益があるのだろう?それは一つにテロへの復讐と、もう一つ大きなものは、キリスト教対イスラム教の対決という構図を世界中に想起させる事である。

 

ここで初めて宗教問題が出てくるが、何故キリスト教とイスラム教の対決が必要なのか?それは、そうする事でユダヤ人問題が影に隠れるからだ。そう、ネオコンとは実は米国系ユダヤ人の一部派閥なのだ。たまたまブッシュが選挙で勝ったので、力のあるうちに一気にユダヤ問題を片付けてしまえと、彼らの絵を描いたのだ。

 

イスラエルに直接ミサイルを打ち込む事が出来る敵性国はイラクだ。潰してしまえ。フセインは昔みたいに俺たちの言う事を聞かなくなった、やっつけてしまえ。しかしそんな本当の事を言ったら米国人は戦争に反対するから、宗教やテロや大量破壊兵器を持ち出した。

 

但しこの絵には大きな誤算があった。戦争とは政治の一手段であり、必ず妥協点が存在する。勝利の限界点とも言うが、相手が一国家であり、国民を皆殺しに出来ない以上、政治的戦いも自ずとルールが出てくる。現在のルールは、周囲の国家を味方につける事だが、ネオコンが国連の決議を得ないまま戦争に突入した事は一番の誤算だった。そして占領だけでは戦争が終わらないと言う点を知らなかった事が、現在の多くの米兵戦死者が発生した理由である。

 

20年前にアフガニスタンで何が起こったか?どうしてロシアが10年も支配したのに、結果的に退却する事になったのか?ネオコングループは、その多くが机上論者である為、政権内反主流派で戦いを知っているパウエル長官に議論では勝ったが、現場の戦争では負け続けている。パウエルは戦いを知っており、道義のない戦争は勝たないという事を知っていたが、戦いを知らないブッシュは戦いを選んだ。

 

今回のイラク戦争では米国と欧州に亀裂が出来たというが、正確には、米国内ネオコンユダヤグループと欧州政治家グループの亀裂であり、国民レベルの亀裂ではない。

 

ロスチャイルド家を代表とする欧州ユダヤグループは、長い歴史の中で戦いの愚かさや損失の大きさを知っており、今回のイラク問題に関しても、実力行使は時期早尚と判断した。

 

イラク問題に一番反対したのはフランス外務大臣であるドミニック・ド・ヴィルバンであるが、彼も本来なら同じ白人である米国を批判する必要はなかった。それが何故これほど争う事になったのか、その理由は、あまりに子供っぽい西部劇感覚のネオコンが、結果的に世界を再度戦争に巻き込む事に気づいていたからだ。



tom_eastwind at 21:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2004年 移住とは自分を知る事 

2004年3月 戦いを忘れた日本

子どもの遊びの延長戦。キリスト教による差別がすべての始まりで、彼らがユダヤ問題を作り、ユダヤがパレスチナを作った。そして今、イラクでイスラムが叩かれている。地球サイズのグローバリズムは、実はユダヤによる地球支配にしか過ぎない。それに対抗するにはアジアの知恵を結集するのが一番だ。日本の知識と中国の知恵を組み合わせるのだ。

  

戦いを忘れた日本

 

僕らが今こうやって外国に住み、一応日本人としてそれなりの評価を受けていられるのはどうしてだろう?いろんな理由はあるだろうが、やはり日本人の持つ勤勉さ、真面目さ、実直さ等が素直に西洋社会で評価されているからと見なすべきだろう。

 

では、誰がその「日本人」の基本を作ったのだろうか?そして、その人は、日本人のあるべき姿としてどんな理想像を描いていたのだろうか?

 

石原完爾(いしはらかんじ)という人物を知っている人は少ない。彼は第二次世界大戦前のエリート陸軍軍人であり、国際政治というレベルで世界を読み、激動する世界の中で日本がどうあるべきかを具現化した人物であった。

 

しかしその政治的意図が、敗戦後、GHQにより意図的に歴史から抹消されたのは、彼こそが満州事変の張本人であり、米国にとって最も思想的に危険な人物だったからである。だからこそ彼の存在は、教科書や歴史から名前を消された。それは、彼こそが、その当時日本が尊厳ある独立国家としてどうあるべきかを理解していたからだ。

 

第二次世界大戦は日本側では大東亜戦争と呼ばれていた。この戦争は日本が真珠湾に奇襲をしかけて始まったと言われるが、これはどこまでが事実だろうか?軍国主義の日本がある日突然米国に理由もなく戦争を仕掛けたのだろうか?

 

日本の教科書では、何故日本が戦争に突入したか等の戦前の日本の状況は殆ど描かれていない。しかし日本の中国進出に対して対抗措置として行われた米国による石油の送油停止、日本の海外資産の凍結等、日本が戦争に走らざるを得ない状況を作った一因が米国にあるのは、歴史が証明している。

 

勿論他国を侵略する事自体を容認するものではないが、その時代に英国やオランダ、フランス、米国等が東南アジアを植民地化していた現実を見ると、「俺たち白人はアジアを植民地化してもいいが、黄色い猿には俺たちの真似をさせない」と宣言しているようなものであろう。

 

19世紀の植民地政策でアジアを支配しようとした西洋列強に対して、東洋の中で唯一明治維新という自己変革により植民地支配を受けずに成長した日本は、五国協和と言う精神でアジアの連合を唱えた。この事に怒った西洋諸国が日本に懲罰を加えようとしたのは、日清戦争後の三国干渉と全く同じ経緯である。その結果第二次世界大戦が発生した。

 

さて、日本がどうあるべきかという答を出す為には、日本人とはどのような民族なのか、そして日本が明治維新後どう歩んだのか、日本の生産力、国力はどれだけあるのか、日本を取り巻く国際情勢はどうなのかという様々な要素を、時代のある一点で切り取って総合的に読み取る能力と判断力が必要になる。

 

稀代の戦略家と呼ばれた石原莞爾は、1920年代のアジア情勢を読み、日本の進むべき道を決めた。これが「大東亜共栄圏」思想である。この思想は、実際は玄洋社の頭山満等多くの愛国活動家の集大成であったとも言える。

 

1900年代初頭のアジアは、殆どすべての国が欧米帝国主義によって植民地化されていた。日本のみが明治維新により植民地化を逃れ、その後の日清戦争、日露戦争でアジアの独立国としての体面を保ち、その当時国力が分解され、欧米の植民地として乱暴の限りを尽くされていたアジアと提携して「大東亜」として一つの国際的発言権を持てる「地域」として立ち上がろうとしていたのだ。インドにおけるチャンドラ・ボース、中国における孫文等が有名である。

 

日本による満州建国、中国侵略は、結果として多くの災禍を中国側にもたらし、また日本もそれによって多くの歴史的問題を残した。しかしこれは石原の当初の目的ではない。

 

欧米に踏みにじられた清朝は国民を守れず、反対に国民に更なる苦しみを押し付けていた時代に、満州を建国し、石油戦略を確立し、清朝に反対する孫文等の革命グループを巻き込み、「アジア」としての体力をつけてから欧米と互角の立場に持っていくのが彼の目的であったが、陸軍内部の抗争により失脚させられた彼の後釜に座ったグループ(東條)がその方針を換骨奪胎させて進めたのが現在まで問題を残す「中国侵略」だったのだ。

 

その後の歴史は皆さんが学校で学んだ通りである。

 

そして日本は、否応なく大東亜戦争に突入する。当然、国力の違う米国には敵わず、1945年に敗戦を迎える。その時軍人政治家が学んだ事は、「負ける戦はするな」という昔からの原則だった。敵を知らずして己を知らねば、戦争には勝たない。こんな簡単な原則を、数百万人の日本人の血を対価として学んだ日本は、戦争をしない道を選んだ。

 

そこまでは間違ってない。勝てない相手への戦いは体力の消費だからである。全方位外交という名目の元、米国支配に甘んじながら、裏では経済力で日本を大国にしようとしていた。そして1980年代までには、日本は世界で第二位の経済力を身に付ける事が出来た。

 

しかし国際社会の中で日本の置かれた立場は不安定である。中国と米国に挟まれ、お互いの覇権主義の狭間でどう舵を切るのか?この問題は「先送り」のまま、田中角栄が失脚させられ、ある政治家は絞殺された。

 

国自体に一つの明確な国策がない。米国主導でいくのか、大東亜共栄圏の現代版で、アセアンを中心としたアジア連合体と共同するのか?国家自体がこの二つの流れの中で結論を出せずにいる。そしてプラザ合意。日本は敗戦の恐怖を忘れた二世議員と、米国の本当の怖さを知らない官僚によってバブルに突入した。



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2004年4月 Twelve Y.O

Twelve.Y.O

 

連載期間中、このタイトルを見て「どういう意味だろう」とお考えの方も多かったと思う。これは福井晴敏という1968年生まれの作家の小説のタイトルであり、彼は米国に帰国したマッカーサーが公聴会で「日本人は12歳の子どもである」と発言した事でこのタイトルを想起したとの事だ。

 

日本人とは何であろう?国家とは何であろう?そういう疑問を持たずに生きてきた日本人が、上滑りの形ばかりの議論をする中で、この小説は世の中に蔓延するすべての中途半端な誤魔化しや現実無視、自己に対する甘えを切り捨てて、読者に対してまるで刃物を突きつけるように答を迫る。

 

戦前は「東洋のサル」と言われ、米国の人類学者から「あと10cm背が高ければ、サルは戦争をしなかっただろう」と言われ、原爆を完成後、すぐに落とす決定をした当時のトルーマン大統領は、その理由を日記の中で「日本人は野蛮人で、無慈悲、残酷、狂信的」」だからとしている。

 

ところがこの狂信的なサルが、戦後は米国が投げ与えた偽りの自由に飛びつき、米国に飼い慣らされたサルになった。本来戦って勝ち取るべき民主主義と自由をただでもらったサルは、その使い方を知らなかった。

 

米国が日本を飼い慣らした目的は、米国の安全保証であり、1950年代当時に米国の敵と予想されたロシアと中国、そして北朝鮮などのアジア敵性国家に対する不沈空母として日本が自衛隊を持つ事を認めた。つまり「自衛」とは言いながら自衛隊が守るべき相手は米国であり、日本自体の生残ではない事を忘れてはならない。

 

ちなみに日本の航空自衛隊は最新の戦闘機とレーダーで世界第三位の要撃力を持ち、海自も米国に次ぐ対潜哨戒機能を持っているが、基地構築や長期地上戦は弱い。この事実が示すのは、敵が攻めて来た時に情報収集をして迎撃の時間を稼いでもらい、捨石になってくれという米国の意思である事は明らかである。

 

しかし戦争に負けた日本には多くの選択肢はなく、こうやって日本は戦後、敗戦を知る日本人官僚集団と政治家が、敗戦の悔しさをバネに日本株式会社として80年代まで一枚岩で米国と渡り合ってきた。

 

しかし彼らが引退した後を引き継いだのは、敗戦の苦しみをしらない、拝金主義や利己主義の政治家と官僚であった。また、たまに本気で国を良くしようと考える政治家がいても、選挙に通らなければただの人である。だから彼らは選挙区からの請託を聞き、法を捻じ曲げる。選挙に勝つ為に企業に都合の良い法律を作り、選挙資金を貰う。政治家の言い訳はいつも「そうしないと選挙に勝たないし、自分の理想の国作りが出来ない」からだ。

 

そこにつけこんだ一部企業や地域の既得権者が政治家を利用し、「おらが村の代表」を国会に送り、「おらが村」だけが金持ちになればよいと言う、今の金権政治の仕組みを創り上げた。その結果、お互いに自分の権利ばかり要求して、国全体の事を考える人がいなくなった。今の政治的混乱は自由の意味を学ばなかった国民が自ら創り出したと言っても過言ではないだろう。その結果失われた10年が発生した。

 

何故日本人がこのようなミスをしたのか?その理由は、中途半端な米国的個人主義が浸透した日本で国民すべての判断基準が「お金」になってしまい、日本人が本来持つ民族性=道徳や社会規範が破壊されたからだ。

 

それでは日本は今後どのような道を進めばよいのか?パレスチナのように西洋に蹂躙されず、米国のような覇権主義を歩まず、正しい道を行く為にはどうすればよいか。

 

その第一歩は、国家と国を混同してはいけないという事だ。「お上」に飼い慣らされた日本人は、国家=国と考えがちだが、「国破れて山河あり」という言葉通り、日本人として持つ民族性は、その属する国家とは関係がない。従って日本人が帰属すべきルールは普遍的な日本民族性であり、期間限定国家(おまけに賞味期限切れ)それもしょっちゅうボスの代わる政府ではないという事だろう。

 

そして大事なのは誰の為に生きているのか?自分が命を捨てても守るべきものは何なのかを徹底的に考え抜くことだ。中国人とユダヤ人はそれを「家族、そして民族特性(宗教も含む)」であると考えている。家族は時代や民族を越えた団結を生み出す。そして家族を離散させずに永遠に継続させる為には民族特性が必要となる。従って彼らは世界中どこに行っても自分の言葉と自分の文化を持ち続けている。

 

しかし同時に、そのアイデンティティが「自分達が良ければそれでいい」的利己主義を生み出しているのも事実である。何故なら彼らの発想は自分達の民族が生き残れば他はどうでも良いという発想であり、民族の壁を越える事が出来ないからだ。

 

だから彼らはその利己主義の為、いつまで経っても他人に好まれない。時代の覇者にはなれない彼らが今目指しているのは、一つの民族による力による全世界支配である。しかしこれは結局パワーゲームであり、いつまで経っても世界レベルの安定した統一はあり得ない。なぜなら力による押さえつけは、力による反発を必ず生むからだ。

 

世界から戦争がなくなればよい、みんなが幸せになればよい。言葉ではどうとでも言えるが、ではその実行の為に何をすべきか?実はここに日本が生き残る一つの道がある。それは全世界全ての人種と宗教を一つの器に入れてしまう、地球国家構想である。

 

かつて藩という国家同士が争っていた。大した違いもないのに、お互いの利権や考え方の違いで争っていた。そこに明治政府という中央集権政府が出来て、軍備の集中と法律の国家的統一整備を行う事で日本という統一国家を造った。

 

その際には勿論多くの人々が反対した。薩摩の人々は自分のアイデンティティを大事にするし、それぞれの地域に独特な文化や風習が残っている。しかしその壁を壊す事が出来たのは、日本人のみが持つことが出来る「滅私」の思想があったからだ。

 

この明治政府構想を世界レベルで当てはめてみればどうだろう?すべての軍隊を地球政府=国連の下に集合させ、地域レベルでの武力は持たせない。無理やりにでも国境をなくして、国家間のパスポートなしの移動の自由を認める。同時に労働の自由を認める。すべての貿易に関税を撤廃する。世界レベルでの法律と地域法律を導入する。そうすれば自ずと、人間が好きな地域がどこなのか分かるだろう。

 

この結果、一時的に人口がゼロになる地域が出てくるかもしれない。水と安全がただで治安が良い日本に人々が集中し、日本は一時的に麻痺してしまうかもしれない。しかしそれでも世界が平和になれば良いではないか。「滅私」である。滅私を美徳と捉える事が出来る国民性。ある意味、他人を無条件に信じる事の出来る国民性でなければ、このような世界的事業は出来ないであろう。

 

水と安全がただの国で生きてきた12歳の子どもたち。机上の空論を振り回していつまでも答を先送りしてきた政治家。しかし世界の価値観が大きく変動する今なら、世界に対してその国民性を発揮する事が出来るだろう。

 

今日と同じ明日は来ない。自分で作り出すのみだ。



tom_eastwind at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2004年 移住とは自分を知る事 

2005年07月21日

2003年2月 故郷と国家

棄民 国家を選ぶ民たち。

 

故郷と国家の違いって何だろう?日本人が海外で生活するって、どういうことなんだろう?

 

棄民

 

今日の日本が直面する大きな課題の一つに「移民」がある。貧しさを解消する為に日本へやってくる外国からの労働移民と、経済的に収入が低下してでも自分に合った生活のために出て行く日本人移民。少子化問題を抱えながら、政府や国家としての魅力が失われて、日本人から見捨てられていく国。

 

明治以降の日本移民で、経済的な減収があっても海外に住みたいと思う集団現象が発生したのは、今回が初めてである。その直接的原因はバブル以降の日本の制度疲労と社会構造の変革であるが、更にその背景には、集団思考の人種であった日本人の中に、「新日本人」が育ってきた事が大きい。

 

新日本人は、周囲の期待をも大事にしながら、それでも自分の気持ちを優先出来、生き生きとした個人思考が出来る人々である。政府や国家の決まりに縛られず、本当の人間らしい生活は、時にはお金よりも大事であると、人々が気づき始めた証拠と言える。

 

自分が生きる場所は自分で決める。国家に与えられた仕事をするのではなく、自分がやりたい仕事をする。働く場所がなければ国を変えればよい。これが21世紀の国家のあり方だろう。移民と貿易を完全に自由化した瞬間、国家は株式会社に変わり、採用と教育と労働条件の良い所に優秀な民は流れはじめる。

 

東洋の真珠、香港にて

 

皆さんがよく香港人という言葉を使うが、正確には香港人という民族は存在しない。また、香港に住む人の多くは、最近100年内に中国の各地方から戦乱を逃れてきた難民や仕事を求めて集まってきた移民達である。国内移動で「難民・移民」と言うと疑問を持つかもしれないが、彼らは話す言葉も書く文字も違うのだから、実態として移民といえるだろう。

 

見も知らぬ土地と言葉の世界に、何の知識もなく飛び込むのだ。そのような「よそ者」たちばかりが集まった土地で彼らの子供が生まれ、英国統治の中で中国全土の文化を足し引きしながら成立したのが現在の香港文化と香港人である。同じ小学校を出て同じ校区に通っている子供達も、それぞれに違った故郷を持っているのだ。

 

公屋

 

彼らの多くが住む住宅は公屋と呼ばれ、大きなアパートから物干し棒が真っ直ぐに突き出ている景色は、観光で香港を訪れた人も見た事があるだろう。特にダイヤモンドヒルと呼ばれる地区には、つい最近までバラック建ての小屋が密集して、そこにも1万人以上の人々が生活をしていた。

 

最近はかなり改善されたというものの、部屋はあいも変わらず狭い。ねずみ小屋と呼ばれる日本の小さなアパートと比較しても、信じられないくらいの狭さである。5人家族が日本の1DKに住む状態を想像して欲しい。家族で食事をしたテーブルを片付け、テレビを見ている居間が、夜はそのままマットを敷いた寝床になる。

 

そんなスラム街で生まれ育った子供達は、難民である彼らの親から国家の怖さを教えられながら大きくなり、アメリカのテレビを見ながら「あんな大きな家に、いつか住んでやる」と、小さい頃から心に決めていた。

 

1980年代から既に60万人以上の香港人が海外移民をした。人口の約10%である。英国が香港を中国に返還する事を決めた年から、人々が音を立てて移民をはじめた。彼らの殆どは大企業の優秀なマネジャークラスので、通常3ヶ国語を話す。4ヶ国語を話す人も珍しくない。

 

そして彼らの一番の特徴は、世界中どこに行っても怖くないという点である。彼らがたった一つ怖がるのは、中国共産党のみである。その中国共産党がやってくる・・・彼らの選択は「逃げる」しかない。

 

元々共産党の迫害や戦乱を逃れてきた人だから、中国の政治の怖さは知り尽くしている。今日言う事と明日言う事が違うなど日常茶飯事、約束は、力のある者が決める一方的なルールであり、弱いものは約束を破られてもただ笑って見過ごすしかない時代から逃げてきた人々が、また中国から逃げるのである。

 

世界が庭

 

中国で生まれ育ち、そして逃げてきた人々からすれば、言葉の通じる西洋諸国への移民などは、日本人が東京から大阪に行くようなものだし、移民先がどんなに大変と言っても、殺される事も約束を破られる事もないのをよく知っている。従って、どの国に行こうとも彼らに捨てるものはないのである。

 

移民先で殺されない安心、これがどれだけ素晴らしい事か、今の日本人移民に理解出来るだろうか?

 

「あら、今はアメリカに住んでるの、あ、そ〜、で、パスポートはカナダ?そうそう、子供は今度オークランドの学校に通うのよね?お正月は中国に里帰りするの?」などという会話が、まるで近所の引越しや子供の通学並に平気で成立する中国人移民に、海外に住む恐怖など、全くない。

 

ホーウィックで生活をする65歳になるおばあさんは、全く英語が出来ない。でも楽しそうに毎日散歩している。「外国生活の心配?何を心配するの?食べるもの?言葉?住むところ?仕事?何言ってるの、中国大陸から逃げてくる時はもっと悲惨な思いをしたんだから、あれ以上ひどいところはないでしょう。見てよ、香港の家に比べれば、同じ値段で10倍の広さの家を買えるわよ。」

 

平和な環境に慣れた日本人には、これだけ守られた、安定した環境でさえ不安を感じる贅沢が出来る。贅沢だという事さえ分かってない。

 



tom_eastwind at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

2003年3月 漁船に乗ってきた移民たち

漁船に乗ってきた移民たち

 

1900年代初頭に、日露戦争で賑わう日本を背にして多くの漁民が北米大陸に渡ってきた。彼らの多くは太平洋側に住み着き、乾ききった土地を耕し、山地を開墾し、持ち前の一生懸命さと勤勉さで現地社会の発展に尽くした。

 

特にバンクーバー、ロサンゼルス等では当時から日系新聞も存在するほど多くの日本人が住み、白人からの差別を受けながらでも「郷に入らずんば郷に従え」と、積極的に外国人社会に溶け込んでいった。

 

そして荒れた畑を耕し野菜を作り、子供には片言でも英語で話しかけ、日の出前から日沈後までも働く日本人の働き振りと正直さは、ストレートを好む米国人社会にいつの日か溶け込んでいった。

 

その中でも米国に移住したフレッド和田は、戦前は日本人社会をまとめながら野菜店チェーンを広げ米国人や日本移民の間で信用を得て、戦時中は収容所に入れられながらも、戦後再度ビジネスに活躍し、戦後間もないロサンゼルスで開かれた水泳選手権で、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古川広之進をサポートした人としても有名である。

 

カナダに移民した人たちも、その悩みは、毎日いかに生活をしていくか、何を食べるかという事に集中しており、将来の事など考える余裕は到底無かった。「日本人同士の団結と地域への融和」という二つのテーマを持ちながら生活してきた彼らは、気づいた時には既に二世、三世の時代になっており、子供達は近くの道端で地元の子供たちとベースボールをする、完璧なカナダ人になっていた。

 

今バンクーバーで働く60歳台の日本人寿司シェフは、カナダ生まれのカナダ育ちだ。当然ネイティブの英語を操る。アルバータ州の郊外の農場で、アルコールランプしかない掘っ立て小屋に生まれた彼は、貧しくとも一生懸命働く両親の手伝いをしながら夜学を終え、バンクーバーに出てきて仕事を見つけ、最近やっと生活が安定してきた。日本語は、ご両親の方言だけを聞いて育った為に、どこか違和感を感じる。

 

彼のような人たちは今、カナディアンである自分のルーツを探している。二世や三世は親から日本の事を殆ど何も教えてもらっておらず、また教えてもらう余裕も無いまま生きてきた。自分の祖先がどこから来たのかも分からない。

 

徒手空拳でやってきた移民の生活に余裕が出てくるのは、通常二代目くらいからだ。20世紀も終わり頃になって、日系移民は初めて自分の過去に興味を持ち始めたのだ。移民が始まって約100年かけて、過去を振り返る時間が出来たのだ。

 

今カナダのテレビでも女優として活躍している日系三世の方は、おばあさんの言葉だけを頼りに日本で過去を探し、最近ついに家族を探し当てた。

 

永住=移住とは親だけの問題ではなく、その後生まれてくるすべての世代に影響する問題である。「郷に入らずんば」で溶け込む事は日本人の得意技だが、その子供達が将来根無し草になると感じた事はあるだろうか?英語を覚え、海外生活を覚えても、その根っこのところがどこかに定着していないと、子供は言葉にならない不安を感じるものだ。そしていつの日か、心の安定を求めてルーツを探しに旅に出る。

 

いずれは溶けるアイスクリームのような民族性。アイデンティティを守るという中国的発想はそこにはなく、子供に英語のみを教える日本人文化。今、バンクーバーの日系三世の多くは日本語を話せない。

 

カナダ移民は、アイデンティティとは何か等を考える暇もなくカナダに溶け込んだ。彼らは祖先が日本出身というだけで、今は完全にカナディアンである。我々がここから学ぶべきは「歴史」だろう。

 

今、ニュージーランドの移民は多くが一世である。そして昔の移民に比べれば生活の余裕もある。移民は決して流行ではなく、生活の一大決心であるし、その影響は親だけではなく、子供に大きく現れる。日本語を教えずに日本文化を教えずに育てるのも一つの選択だろう。

 

しかし、子供の選択の可能性を出来るだけ多くして、子供の心に将来生まれるであろう「私は誰?」という質問にいつでも答えられるような環境作りも、親にとっては大事な問題ではないだろうか。よく「日本人と付き合うと〜」等と聞くが、その場限りの格好良さよりも子供の将来を考えた生活設計を考えるべきではないだろうか。

 

アイデンティティは、時には母国の為に祖国と戦う事を要求する。



tom_eastwind at 21:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

2003年4月 ニューヨーク 人種の坩堝で

ニューヨーク 人種の坩堝にて

 

二世部隊物語

 

日系二世のみで編成された442部隊。第二次世界大戦で米国兵としてヨーロッパ戦線で戦った日系二世兵士は約16,000人いる。個人勲章1万8千143個、戦死傷率31.4%

 

一人最低一回は勲章を貰い、最初に配置された兵は勿論、交替の兵も合わせて、ほぼ全員が何度も傷を負い、そして多くの兵が戦死したが、脱走兵が唯一人としていなかった事でもよく知られている。

 

戦死傷率、個人勲章授与数は米国史上最も多く、時の大統領が「彼らこそ本当のアメリカ人だ、肌の色の問題は関係ない」と感激した事でも知られている。勿論これは米国内の事であり、殆どの日本人が知らない事実である。

 

少し長くなるが、逸話がある。戦争中、フランス戦線で敵の包囲に遭ったテキサス部隊211名を救助する為、442部隊は休暇を取る間もなくドイツ軍によって包囲された大隊の救出を命じられた。

 

テキサスからやってきたこの大隊は敵陣地に深入りしすぎたのだ。二世部隊は多大なる犠牲を払い作戦に成功する。それで師団長はじきじきにねぎらいとお褒めの言葉をかけようと、連隊長に命令した。一件も外出許可を出すな。全員足止めさせておけ。激戦の後でうっぷんを晴らしたいのはやまやまだろうが、と。

 

当日、各中隊の点呼結果が報告された。E中隊がその日連隊最大の中隊だった。整列した隊員42名。中隊の定員は197名だった。I中隊はわずか十数名しか残っておらず、たった一人の二等軍曹が指揮を執っていた。

 

将軍は連隊長を叱り、こうたしなめた。

「連隊全員を集めろと言ったはずだぞ。外出許可を出したようだな」

連隊長は答えた。

「連隊全員であります。残りは負傷、もしくは戦死しました」。

戦闘参加者800名。戦死187名、プレイベートライアンを思わず思い浮かべるが、第二次世界大戦中に日本人が命を賭けて、命を捨ててまでアメリカ人を救ったのだ。

 

ニューヨークに行くと、第二次世界大戦中に収容所に入れられた日系移民の話をよく聞く。アメリカに渡りアメリカ人として生活をし、差別にもめげずにアメリカを祖国として愛した移民。にも関わらず、祖国が起こした戦争の為に、たった一晩で敵性国民になったのだ。

 

「移民許可証を持ってても、あいつはジャップだ。見ろ、あいつの肌の色を!」二世は武器を取った。母国と、収容所で飢えている、愛する家族の為に。

 

二世部隊は、命を賭けて家族を守り、家族は命を賭けてアメリカ人になった。その中の一人に、部隊に参加し負傷し、パープルハートを授与された米国上院議員ダニエル井上氏(ハワイ選出)もいる。彼は移民社会の中で国家的地位を勝ち取った。

 

彼らにとっての日本は勿論祖国だ。しかし、その祖国日本が母国アメリカに戦争を仕掛けたら、あなたはどちらの立場を取るだろう?二つの国を持つ人の、生まれ持った葛藤がそこにある。

 

また、あなたの子供はどちらの立場を取るだろう?もし子供に、「何で日本人なんかに生んだんだよ!」と言われれば、どう答えるだろう。

 

歴史に「もし」はなく、そのような決定的な瞬間に出会わないまま移民として生きていく事の方が多いだろう。起こりもしない事に悩む必要はないだろう。でも、もし「決定的な歴史の転回点」に立たされたら?そして実際に、多くの日系移民が選択を迫られた。

 

由紀

 

12月、人種の坩堝のマンハッタンは厳冬である。マイナス11度、道路に粉吹雪が舞う中、ゆきは風邪気味の体をコートとマフラーで包みながら、毎朝早くからダンス教室に通う。「早い時間の方がね、昨日ブロードウェイに出てた人とかが来てるんで、すごく勉強になるんです」

 

26歳、ニューヨーク在住3年目を迎える。元々日本ではプロダンサーで、生活も安定していた。でも、ブロードウェイの踊りを見る度に、子供の頃からモダンバレーを学んだ体が自然に踊りだすのを感じた。「今しかない」そう思った彼女は、親の支援もないままに、手元のお金をかき集めてニューヨークに渡った。

 

レストランのウェイトレスや皿洗い等、様々なアルバイトをしながらも明るく答える彼女。「ニューヨークのレストランで、あたし達みたいな学生がいなくなったら、半分がとこ潰れるんじゃあないですか、やる事多すぎだけど、今は最高に幸せですよ!」

 

多くの若者が夢を求めてやってくる街。中途半端に妥協せず、最高のものをここで手に入れる。「出来ない」とは絶対思わない。絶対出来る!そんな気持ちがなければ最初から来ていない。テロに遭遇したら「ちょっと不運だね」と笑って言えるくらい、毎日が充実している。

 

「私の夢はブロードウェイに立つ事。オーディションも何度も受けたけど、まだまだうまい人が多過ぎて、私まで順番が来ませんよ、でもね、ここで踊りを見てるだけで目が肥えます。日本の歌番組ビデオでバックで踊る知り合いとかを見てると、おっくれてるな!と感じますね。まだまだ人生は長い、もっと勉強しますよ!」

 

二世部隊には母国と家族を守るという目標があり、泥だらけの戦場で命がけで追いかけた。ゆきにはダンスという目標があり、粉雪の降る中で夢を追いかけている。一方は究極の選択であり、片方は飽食の時代の選択だが、お互いに目標は明確だ。

 

その国の国民になる事が目的の人もいれば、その国で学ぶ事が目的の人もいる。どちらも、目標があり、自分で選択した。ある意味、誰よりも幸せではないだろうか。なぜなら、目標に向って努力しているから。

 

ニューヨークは人種の坩堝だ。アメリカ人が日本人にビールを売り、日本人はメキシコ人にテレビを売る。中国人は道端で新聞やピーナッツを観光客に売り、韓国人はデリ(コンビニの一種)で黒人にコーラを売っている。

 

この街で生き抜こうとする人に肌の色の違いは関係ない。あるのは、目標を持って強く行きぬく人種と、競争に敗れて道端に座り込んでいる人種だけだ。

 

勝者と敗者の差は大きい。目標を持たない事の怖さを感じさせる街だった。

 



tom_eastwind at 20:20|PermalinkComments(1) 2003年 移民昔物語  

2003年5月 尾瀬は、時々訪れるから素晴らしいのだ。

尾瀬には素晴らしい自然が残されている。

 

山歩きが大好きな東京在住のビジネスマン一家が、ゴールデンウィークを利用して尾瀬を訪れた。久々に都会の喧騒を逃れたビジネスマンは、そこで尾瀬の管理をする若者に、うらやましそうにこう言った。

 

「こんな素晴らしい自然に毎日触れられて、本当にあなたは幸せでですね」

すると、腰を曲げて観光客が道路に捨てたごみを片付けながら若者が答えた。

「ほう、じゃああなた、コンビニも映画館もないこの村に住んで見ますか?たまに来るからいいんでしょ。平日は都会で便利な生活を送ってて、自分の都合のよい週末だけ、自然を見に来るんですよね、あなた達は」

 

このビジネスマン一家からすれば、たまの休みに「都会の喧騒を逃れて」自然に触れたという単純な喜びであるが、選択の自由がないまま子供の頃から田舎に住んでいる人からすれば、東京の便利さを片方で享受しながら、去り際にごみを捨てて都会の便利な生活に戻る都会人の、実に自分勝手な「プチ自然愛好家」のせりふにしか聞こえないのだ。

 

「本気でうらやましいと思うなら、いつでも代わってやるよ」それが若者の、正直な気持ちだ。

 

ニュージーランドでは毎年約5万人が海外に流出している。ほぼギズボーンの人口に匹敵する人々が毎年NZを離れて海外生活をするのだ。特に、やる気のある元気の良い人々、手に職を持った優秀な人材が流出している。

 

ニュージーランドでもオークランドの人口は毎年確実に増え続け、現在は120万人を越えているが、その多くは田舎から出てきた若者である。

 

そして今海外の都会であるシドニーに住むキーウィは、約30万人いる事をご存知だろうか。シドニーに住む人の実に一割がキーウィなのだ。

 

この事実が何を示すか?

 

実は田舎に住む若者は、都会に、それも出来るだけ大きな都会に住んでみたいのだ。仕事の選択の幅があり、夜中でも買い物が出来て、素敵なバーやクラブがあり、エレベーターのある生活をしたいのだ。頑張ったらお金がたくさん貰えて、高級マンションに住んで見たいのだ。お洒落なレストランや気の利いた映画館もないような村で、父親の牧場を引き継ぐだけの生活は嫌なのだ。

 

金曜日の夜、シティに出ると、そこには改造車に乗った若者達が、朝まで騒ぐのを見ることが出来る。平日にエネルギーが滞留している田舎の若者にとっては、週末に200キロ走ってでもオークランドに来るのが、唯一の楽しみなのである。

 

田舎に住む自由。それは都会の生活を経験したから言えることであり、田舎に生まれ育った人たちからすれば、何故そのような素晴らしい生活を捨てて田舎に来るのか、なんとも理解不能なわがままにしか聞こえないのだ。

 

ニュージーランドへの移民が最近の人気だが、ともすれば「住む事」自体が目標になっているのではないだろうか。隣の芝生の良いところばかりに目が行き、「NZは最高だ、日本より良い国だ、住んで見れば何か良い事が待っている」と思い込んでいるだけなのではないだろうか?

 

現実はしかし、そう甘くはない。住み始めれば、田舎ならではの嫌な面も沢山出てくる。人付き合いも最低必要だし、アマチュアリズムで正確な仕事をしてくれない人々と一緒に働く事もあるだろう。家を買えば、現地の法律問題にも関わってくる必要がある。「プチ移民」程度の気持ちでは、到底現実の問題は乗り越えられない。

 

都会にないものを求めて田舎に行くという事は、都会の便利さをいくらかでも犠牲にせねばならないと言う現実にしっかり目を向けているだろうか?そして都会の便利さを犠牲にしても良いだけのものが、本当にニュージーランドにあるのだろうか?

 

そして忘れて欲しくないのが、子供である。お父さんとお母さんは都会の生活を十分楽しんだ上で田舎を選んだ。しかし田舎で生まれた子供は、選択の余地がないまま田舎で生活をするのだ。いつか彼らは言うだろう。「おとうさん、僕東京に行ってみたい。東京って凄い都会なんでしょ!」

 

尾瀬は、時々訪れるから素晴らしいのだ。

 

青い鳥を探しに日本を離れる事が本当にあなたの幸せだろうか?日本を離れ米国に移り住み、肌が合わずにニュージーランドに来てもやはりしっくりせず、そしてオーストラリアに行って見てトライするのも、一つの人生かもしれない。しかし思い出して見よう、隣の芝生は青く見えるという諺を。

 

勿論移民を否定するわけではない。むしろ積極的に勧めたい。しかし、実はいつの時代も青い鳥はあなたの心の中に住んでいるのだという事は、移民の最低の心構えとして理解して欲しい。そしてあなたの青い鳥が他の人、特に家族にも青いとは限らない事も。



tom_eastwind at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

2003年6月 真珠移民

真珠移民

 

木曜島

 

「血玉が出たぞ!腹を押さえろ!胸まで行っちゃあ、こいつは死ぬぞ!」

「刺せ、羽根を喉から突っ込むんだ、血玉を割るんだ!」

「駄目だ、めんたまが飛び出した、おい、絹のハンケチ、すぐ持ってこい、めんたまを押し戻すんだ!」

「サメだ!サメが来たぞ、引け、すぐ引き上げろ!あいつが食われちまうぞ!」

 

抜けるように青いオーストラリアの空の下では、毎日のように人と自然の死闘が繰り広げられていた。

 

木曜島。日本人のほぼ誰もが知らない小島。そしてそこには日本の、忘れられた移民の歴史がある。700名の墓碑と共に。

 

木曜島は、オーストラリア北東部、ヨーク岬の突端から35キロほど離れた場所にある。日本から行くには直行便でケアンズに入り、そこから33人乗りの小さなプロペラ機に乗り換えることになる。2時間ほどで木曜島の隣にあるホ−ン島に到着。ここからさらに船でおよそ15分。小さな丘を4つつなげたような島である。

 

この島は1800年代後半から、高瀬貝、白蝶貝、黒蝶貝など高級真珠貝の産地として世界に名をはせた。「真珠貝は儲かる」その噂を聞いた貧しい農家の若者は、一攫千金を夢見て、船賃を前借して移民業者の手配でこの島にやってきた。そして経験した事もないダイビングを行い、次々と真珠貝を採っていった。

 

当時(昭和前期)農村で働いたとして、1年の賃金が15円から20円程度。ところが移民の場合、3年間でおおよそ350円稼げたという。若い日本人が命を懸けてまで潜る理由は、金だった。1910年代にはダイバー160名のうち150名が日本人で占められていたという。島全体の人口のうち、実に約3割が日本人だった時代もある。

 

真珠貝のダイビングは、普通なら1日5回も潜れば疲労で動けなくなる重労働だが、日本人はその数倍、多い時は50回以上も潜りつづけてカネを作り続けた。ふるさとの親兄弟に送金する為に、言葉の通じない海外で朝から晩まで潜りつづけた。しかし同時に、それは命を賭けた移民でもあった。なぜか?

 

「関節に痛みが走ったら、潜水病の兆候だ。そんな時は再度重い銅製ヘルメットをかぶって海中に入り、船上のポンプから送られる空気を吸い、七、八メートルの深さのところに二、三時間待機する。夜だと冷たさで感覚がなくなってくる。見えるのは吐き出すアワと、時折光る夜光虫だけ。脳裏には家族と故郷のことが浮かんだ」。一九六〇年代まで木曜島で真珠貝採取をしていた平川京三さん(65)は回想する。(読売新聞より引用)

 

潜水病にかかると、腹から胸にかけて血の玉が上がってくる。実際には血液中の窒素なのだが、減圧に関する知識もなく、理由も分からぬまま上がってくる塊を、大の男が数人かけて押し戻す。

 

うまく腹に戻ればよいが、胸までいってしまうと、その場で血を吐いて死ぬのである。とんびの羽を喉から突っ込み、塊を突き刺す事もあった。そうすれば窒素は抜けてくれたのだ。絹のハンカチはいつも船に置かれていた。飛び出した目の玉を押し込むのに汚れた手で触ってはいけないからだ。ゆっくりもむように押し込んだそうだ。

 

減圧に関する知識もなく潜っていた彼らは、経験と勘だけで潜水病と闘った。もちろん、敵は潜水病だけではない。海上に戻る途中に食事のおかずにと思って捉まえた貝の肉を狙って、サメが襲ってくるのだ。明治から大正時代にかけて、オーストラリアの青空の下で、700名の若者が命を落とした。

 

歴史を振り返ってみよう。1878年(明治11年)、英国商船水夫として横浜を出帆した島根県広瀬町出身、野波小次郎はシドニーで下船し、木曜島に来て真珠貝採取船のポンプ係りとなる。やがてダイバーとして頭角を現し、ジャパニーズ・ノナとして知られる。彼の活躍を見た英国人ジョン・ミラーは、英国領事館を通して日本政府と交渉し、最初の正規契約労働者として、横浜の潜水業者、増田万吉配下の千葉県人鈴木与助以下37名を木曜島に呼び寄せる。これが真珠移民の始まりだ。

 

しかし、1940年代にプラスチックが発明され、真珠貝の需要は急激に落ち込む。それでも細々と真珠採りは行われていたが、1970年代初頭には、木曜島の真珠採取が完全に壊滅した。トレス海峡でオイルタンカーが座礁し、58000トンものオイルが流出してしまったのだ。海は汚染され、以後、木曜島の主力産業は真珠ではなくイセエビ漁に変わった。

 

移民の子孫である春美さんは、20年ほど前に一度日本に戻っている。 「日本はいいね。いいと思った。でも、私は店があるから。戻れないよね。ただ、交換留学生で日本に行った孫は『日本は凄い凄いって』。いつか日本の仕事に就きたいって、一生懸命、日本語とか勉強してるよ」

 

日本人はどれくらいいるんでしょうか?

「今はいないねぇ。日本人はもうほとんど居ないしね。あそことここと……もう数家族しかいないでしょ」

 

 今、木曜島に、真珠時代の栄華のかけらはひとつもない。大した産業もないわびしい南の島の一つ。そんな島で朝から晩まで懸命に頑張り続けるごく少ない日系人たち。(インタビューの章、探検ドットコムより引用)

 

地図で探すのも難しいこの小島で、700名の日本人移民の若者が命を落とした。殆どの日本人に忘れられた、明治から昭和にかけてのオーストラリア移民。これも移民の歴史である。



tom_eastwind at 19:03|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

国家から地球へ 「廃国置球」 みゆきはニュージーランドで生まれた。

ニュージーランドから

 

みゆきは12歳。香港人の母親と日本人の父親を持ち、南島のクイーンズタウンで生まれ、現在の国籍はニュージーランドである。今は中国語の勉強の為に母親と一緒に香港に住んでいる。

 

彼女は自分の事をアジア人と呼ぶ。広東語では「亜州人」と書く。両親が教えたわけではなく、本人がいつのまにか、自然に学校で同級生に説明していたのだ。国籍や国境という概念を持たない彼女にとっては、日本人でもなく中国人でもなくニュージーランド人でもなく、アジア人である事が一番自然なようだ。

 

「ね、みゆきちゃん、日本語でみゆき{幸雪}ってどんな意味?」

「幸せな雪。冬に生まれたからね」

「12月?」

「ううん、7月。だってNZの冬に生まれたんだもん」

 

彼女が通う香港の中学校での会話である。雪を見たことがない同級生は不思議そうに「7月に雪が降るの?雪ってどんなの?」と聞いてくる。そして最後に出る質問がいつも同じ。

 

「みゆきちゃん、何人?」

「アジア人だよ。」

 

淡々と答える彼女の顔には、何の抵抗もてらいもない。

 

自意識の中では日本人でもない、中国人でもない、ましてやニュージーランド人でもない彼女は、ニュージーランドに生まれ、1歳の年に香港へ移住した。7歳でNZに戻ってオークランドの小学校に転校し、10歳の年にまた香港へ。勝手な親だなと思ったかもしれない。

 

たまに旧正月を利用して家族旅行で日本に行くと、箱根の露天温泉で5歳年下の弟と二人、夜空から落ちてくる雪を珍しそうに眺めていた。

 

浅草の商店街を歩きながら、英語で書かれたでんでん太鼓やキモノを見て「お父さん、日本っていろんなものがあるね〜」と、本当に楽しそうに笑っていた。

 

みゆきの通う香港の学校では、広東語で授業を受ける。英語の授業には苦労しないが、国語=中国語の勉強は大変そうだ。今でも何かあるととっさに出てくるのは英語だ。

 

父親と話すときは、片言ながら日本語を使う。聞き取りには問題ないが、話すのは苦手だ。だから「お父さん、おまえは今日どこ行くの?」となる。アニメで憶えた日本語だ。

 

父親に新しいデジモンのCDをおねだりする時は、面倒な電話はせずに、英語でeメイルを送るのが彼女の得意な手段である。女はいつの時代も、生き残るすべを知っている。母親や友達とは、勿論広東語で話す。

 

みゆきについて両親が一番考えたのは、子供のアイデンティティをどこに置くか、という問題であった。

 

私は誰?と悩むような根無し草にはしたくない。バナナにもしたくない。(バナナとは、外側が黄色で中身が白い、つまり西洋圏文化のみを理解するアジア人という意味である)どこかの地域にアイデンティティを持ってもらいたい。その結果選んだのが香港=中国である。

 

日本でも良かったのだろうが、父親の仕事の都合で日本に定住出来ない、また香港漢字を学べば日本漢字にすぐ馴染める、そういう事情もあり、母親が子供二人を連れて香港に戻ったのだ。

 

香港で彼女が使う広東語には、やはり不自然さがある。おそらく英語にしても、生粋のキーウィが使う英語とはどこか違うのだろう。日本語にいたっては、駅員さんとの会話が精一杯である。

 

「全くひどい両親だ、親の都合であっちこっち連れまわして、どこの言葉も満足に覚えられない。一体何を考えているんだろう?」とも思っただろう。そこで彼女は行く先々で自分の身を自分で守るすべを身に付けた。それは、国を国として考えないという事である。

 

「言語」を方言程度に考えておけば、少々変な方言でもいいだろう。元来博多弁の人が東京弁を話すようなものだ。「文化」については、自分さえしっかり持っていれば、どこの国でも自分の家のように過ごす事が出来ると言う「強さ」を身に付けた。

 

廃藩置県という言葉がある。藩というものが国家レベルの権力を持っていた江戸時代には住んでいる藩の事を「私の国では」という言い方が存在した。例えば鹿児島で生まれた人は、「私の国は薩摩です」と言っていた。

 

しかし中央集権国家(法律の統一化)になりインターネットが発達し(情報伝達の迅速化)、飛行機が日本の空を縦横無尽に赤字を垂れ流しながら飛び回るようになった現代(移動速度の迅速化)、日本で「私の国」は死語になりつつある。

 

ならばいっその事「廃国置球」、国家を地域、地球を国家と置き換えてみたらどうだろう。すべての人々の移動の自由。実は1700年代にそんな事を考えた。ジャン・ジャック・ルソー。彼の書いた「社会契約論」は、その後のフランス革命の理論的基盤となった。

 

 彼の教えをかなり簡単にざっくり説明すると下記のようになる。

 

「人は、生まれた社会に縛られる奴隷ではなく、社会に自発的に参加する人民である。その社会に不満があれば、社会を自分の住みやすいように変える(政治家となって世論を導く)か、自分の好きな、他の社会を選ぶ(移民)べきである。国家は、その魅力をもって国民を自国に留める努力をすべきであって、暴力と恐怖によって留めるものではない」 

 

この理論、現実世界では当然のように見えて実行されてない。今もアジアのある国では恐怖と無知によって国民を移動させないようにしている。「嘘でしょう?」そうだろうか?例えば「親の面倒は子供が見る」という儒教的ルールを社会の仕組みに持ち込むことで、どれだけ多くの若者が自分の夢を捨てただろう。実態として移動しずらい社会制度そのものに疑問を持つ事はないのだろうか?

 

少なくともニュージーランドでは、年老いた親は社会が面倒を見ると言うルールがあり、リタイアメントビレッジという決まりが定着している。詳細は省く。リタイアメントを書き始めると、到底この紙面に収まらないからだ。

 

他にも日本にはたくさんの「見えない束縛」がある。年金制度は国民にとって「飴」であるが、その代償として若いうちから強制的に金を払わせるという「鞭」が並存する。

 

誰しも折角払ったものは取り戻したいから、移民する時に年金がどうなるのか心配する。ましてや支払った年金さえも受給出来なくなるかもしれない。

 

しかしニュージーランドの社会福祉制度では「受益者負担」という考えが無い為、一度も年金を払わなくても受け取る事が出来る。

 

何もニュージーランドの社会制度を絶賛するわけではないし、この国にも様々な問題がある事は当然理解している。しかし両国を「県」として比較してみると、あなたはどちらの県に住みたいだろう?

 

東京でも区によって税金や手当てが違うように、ニュージーランドと日本の税金や社会福祉が違うと思えば、どちらが住みやすいだろう。

 

勿論、新しい国の新しい文化を理解出来るだろうかという不安はある。そういう人は自分で自分の人生を選択すればよいと思う。馴染みのある日本がよいと思う人もいる。日本を良くしよう、そう思って政治家を目指す人もいるだろう。また、新しい文化に不安な人は移動する必要はない。

 

しかし少なくとも、移動の自由は転職の自由と同じであり、福岡で生まれ育った人間がよりよい条件を求めて東京で働くように、日本で生まれ育った人がニュージーランドに自由に移動して生活が出来る、そのような環境を整える事が社会の使命の一つではないだろうか?

 

「日本に生まれ育った恩義を忘れたのか?」そのような理屈で人の自由を縛る事はやめてほしい。「俺をこの国に住まわせたいなら俺の住みやすいように国の仕組みを変えてくれ。政府が国民を選ぶんじゃない、国民が政府を選ぶんだ」

 

国家は亡くなっても山や河は残る。そして僕らが愛してやまないのは、子供のころに毎朝眺めた緑の山であり、釣りをしたきらきらと光を跳ね返す美しい河であり、少なくとも今の政府やそのシステムではないと言う事実を、もう一度目を開いて見直して欲しい。

 

みゆきはアイデンティティとしての「国」は持っているが、拘束される意味での「国家」は持っていない。今、日本人は海外に住むかどうかの段階で議論している。彼我の差は大きい。

 

江戸時代末期に坂本竜馬と言う日本人が誕生した。そして今みゆきはアジア人として生活している。みゆきの子供が生まれる頃には、地球人が誕生するのかもしれない。

 

新日本人の誕生はこれで終了します。

 



tom_eastwind at 18:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

2005年07月15日

2001年10月 タバコの煙

合法殺人機械:煙草を斬る!

日本政府の本音と建前が事実を煙に巻く。

 

世界で最も効率的で合法的な殺人機械はタバコである。今回はタバコの害と、それを知らずに喫煙する問題点、そしてその背後にもうひとつ隠された日本人の問題を考えてみる。

 

秋葉原にて

 

「日本語はすらすら出てくるんだけどサー、まずDear sirだろ、それでセンキューベリイマッチだろ、これで“平素よりお世話になります”でいいんだよね。」

「“いつも”だからalwaysを使わなくちゃ!」

「違うよ、alwaysは副詞だから使わない方が・・・…」

 

真夏の太陽が照りつける午後の秋葉原。駅裏商店街の地下1階、薄暗い喫茶店ルノワールで交わされる会話。昔の自分を思い出す、ベリーがへそに聞こえるご愛嬌付きだ。喫茶店の大型クーラーが、店内に充満したタバコの煙を目が真っ赤になるくらい勢いよくかき回している。

 

「英語の勉強会」に目を向けると、みんなネクタイを少し緩めたサラリーマンだった。多分いつもの昼食の帰り、日本的なランチタイムの過ごし方だなと、自分の日本時代を思い出して懐かしくなった。

 

久しぶりの日本(そして地方出身の悲しさ)、生まれて初めて秋葉原を訪ねた時の情景である。アキバハラなのかアキハバラなのかよく分からないままに、電気製品が安くて外国用のものも沢山売っていると聞いて、新宿の宿泊先から足を伸ばしてきたのだ。

 

海外担当

さて、近くの電気屋で海外担当として働いてる雰囲気の彼らは、暑い夏を振り払うように首筋の汗を拭きながら、蒸気機関車のように煙草をふかしはじめた。

 

レントゲンで見るとタバコの煙が肺に送り込まれる様子がよく分かるのだろうが、最初の煙が送り込まれた瞬間に、胃袋がねじれるようにして収縮運動を始めるのだ。

 

まるで断末魔のあがきのようだが、胃袋のねじれによって食物の納まりが良くなり、それで「食後の一服」がうまく感じるのだそうだ。

 

サラリーマン諸君はまるで後ろから見えない手に押されるかのように、椅子に座るや否や競争のように煙草を取り出して、手の届く周囲に灰皿がないと、まるで鬼の首を掴んだように「こんなサービス、なってねーよ!おーい、灰皿、早く持ってきてよ!」と大声を出している。

 

そして手近にあるスポーツ紙を引っ張り出して、巨人はオーナーが駄目だよとかあいつが打たないのが敗因だとか、一流評論家顔負けの演説をぶっている。きっと毎日のストレスが溜まって、それがちょっとした事で彼らを怒らせ、昼間から酒を飲むわけにはいかないのでタバコに走らせるのだろう。

 

彼らの舌はヤニで麻痺して、味蕾には長年の喫煙でヤニがこびりついているから、すでに普通の食べ物の味を分からなくなっている。よくタバコをやめると急に太ると言うのは、食物をおいしく感じてついつい沢山食べてしまうからだ。

 

肺がん患者の肺を死亡後に切り取ると、内部にただれたニコチンが腐着している様子がよく分かる。

 

続く

 

 

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tom_eastwind at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2001年 斬りたい日本! 

2001年10月 タバコの煙 続き

続き

 

国内事情

 

しかし、その喫茶店で何よりも驚いたのは、喫茶店の中ではタバコの煙が充満しているが、誰も気にする事さえなく、禁煙席さえ存在しないと言うことである。お店の茶髪ウェイトレスに確認したところ、「禁煙席ですかー、申し訳ございませんがー、うちでは置いておりませーん!」と、半分宙を見上げるように自分のセリフを思い出しながらの、いかにもマニュアル化された回答であった。

 

次に来た時はマニュアルにのってない質問をしてやろう、例えば「お宅の店で売ってないものを飲ませてもらえますか?」とでも。でも多分答は「そんな飲み物はございませーん!」なのだろうと思う。

 

閑話休題、日本の国際化?駅のホームの禁煙など、外国人が見える部分だけは国際化が進んでいるようだが、純喫茶店に昼間からたむろする純日本人の世界に入れば、そこはあいも変わらぬ日常である。

 

たばこ。本音と建前の使い分けに慣れている日本人は、なぜ禁煙が必要なのかを理解せぬまま、とりあえず建前では外国と同じようにしたいから「禁煙」し、外国人に見えない領域では本音でタバコを吸うのだろう。

 

タバコ殺人事件

 

ではここでタバコのいったい何が害なのか、考えてみよう。法律用語には「未必の故意」と言う言葉がある。「こんな事をしたら相手が死ぬかも知れない」と認識していながら故意に行動を起こす事を指す。そしてタバコが肺ガンを引き起こす要因である事は科学的に証明されている。

 

それは飛行機が地上に激突すれば、乗客はほぼ確実に死亡すると言うのと同様の事実である。であれば、もしタバコが肺ガンを起こす事を知りながらその事実を伝えずに販売していれば、これは立派な未必の故意になる。

 

この理屈によって、現在の米国では多くのタバコ会社が集団訴訟裁判を起こされ、巨額の賠償金を支払わされている。

 

そして「俺は自分の責任でタバコを吸っているんだ、他人に迷惑をかけないんだ。」と言う個人でも、その人が肺ガンになった場合は当然国家の補償による医療サービスを受ける訳だから、結果的に社会に迷惑をかけているのである。

 

例えて言えば、個人の責任で壊した国の所有する街灯や信号機を国に修理させるようなものだ。

 

医療費用

 

ニュージーランドなど社会医療システムが整っている国では、肺がん患者の治療費用の多くは政府から支給されるのが現実だ。であれば、喫煙者はまずその喫煙自体において「他人に迷惑をかけて」いるのである。

 

健康なうちは「他人に迷惑をかけない」と言いながら、病気になると国の治療保険を使うのであれば、政府は本人に対して治療費用の還付を要求すべきであろう。そうしなければ、税金を払って健康を保っている人達に対して不公平である。

 

そして…

もっと大きな問題は副流煙である。これは、本人が喫煙しなくても周囲の喫煙により煙を吸い込んでしまい、これが原因で肺ガンになると言うことだ。タバコを吸う人間の横にいるだけで禁煙者が死んでしまう訳なので、禁煙者は喫煙者に殺されるようなものだ。

 

この治療費も国家負担になる。これなどは喫煙者による完璧な未必の故意である。そばにいなければいいじゃないかと喫煙者は言うかもしれないが、どこにいるかは誰でも自分で選ぶ権利がある訳で、タバコを吸う人に場所指定優先権があるのではない。

 

医療先進国家

 

ニュージーランド等の西洋諸国でタバコを禁止しようとする背景には、毎年増加する「国家による医療費負担」がある。

 

せっかく国が年間医療予算を準備しても、その金が自分勝手な喫煙者によって濫費された場合、本当に治療を受けたい人への手当てが出来なくなる。馬鹿げた自殺的行為である喫煙だけならまだしも、本当に治療を受けたい人が受けられなくなるのを防ぐ為に、NZ政府では毎年タバコ代金を値上げして、これを間接的に医療費用に充当しているのだ。

 

タバコの税金を高くして、それで喫煙率が低下すると国会で報告して、「ほうら、これでタバコを吸う人が減った、来年はもっと税金を上げよう」とあいなる。

 

また、喫煙を放置する事によって、日本で言えば河川管理法のように、事故が起こると予想されるのに放置した場合は国が訴えられるという問題もある。

 

つまりタバコに害があると分かっているのに民間業者を規制せずに販売をさせた場合である。米国では政府がタバコ会社を告訴しているが、その理由は「タバコの危険性を指摘せずに販売を続けた結果発生した<喫煙者の肺ガン患者の治療費用>は、政府が負担する必要はない。」と言う考え方である。

 

だから、タバコが悪いのは臭いからでもなく、空気が悪くなるからでもなく、人殺しの道具だからなのだ。

 

更に、続く。



tom_eastwind at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2001年 斬りたい日本! 

2001年 タバコの煙3

 

本音と建前

 

さて、問題になるのはこれからである。このコラムの目的はタバコに関する善悪を問う事ではなく、ニュージーランドにおいては明確に理解されているタバコの害が、日本において正しく認識されていないその理由を問う事にある。

 

日本の喫煙率は世界のトップクラス

諸外国が日本を見る際に、その喫煙率の高さを問題にされることがある。まず男性成人喫煙率は、日本では59%、NZではたったの24%である。

 

1995年の世界保健機構の資料では、タバコによる死亡数が年間で300万人を超えている。特に日本人の働き盛りの男性の3人に1人は、タバコが原因で死亡しているのである。

 

この医療負担は各国政府によって賄われているが、1人が死亡するまでの医療費を単純に100万円としても、各国政府が年間に負担する金額は3兆円である。

 

タバコ対策の為に年間3兆円使っている金を発展途上国に回せば、多くの疫病対策や予防対策が行える。これだけあれば小さな国家ひとつくらいは十分に賄える金額だし、反対に言えば政府はタバコ対策の為に毎年多くの無駄がねをどぶにすてているようなものなのだ。

 

これはすべて世界保健機構(WHO)による公式調査資料で公表されている。もし興味のある方は検索ページで「たばこ」と入力すれば、すぐに結果は出る。

 

この冷厳な事実を目の前にすれば、タバコ販売業者の責任が如何に大きなものかが見えてくる。そしてもし日本で、一般国民が日本政府を、その専売公社時代に「タバコの危険性を告知せずに販売した」として告訴した場合、米国で行われているような裁判結果が予想されるのである。国家による国民への賠償が発生するのだ。

 

自己責任?

 

タバコを吸うのは自己責任だとも言える。しかし、だからと言ってその事実を知らせないままに販売する事は許されない。法的に言えばこれは「告知義務」と呼ばれる。商品を購入する人が事実上知る事の出来ない事柄は、販売する際に必ず伝えねばならない。これが法の大原則だ。

 

例えばお客がオーストリアの有名なチョコレート菓子であるザッハートルテを食べた後に、店員から「おいしさの秘密は砒素入りだからです」と言われたら、誰でも怒るだろう。そして店が「だって、おいしかったんでしょ、死んでないんだし、食べた人の自己責任ですよ。」などと言ったら、その場でぶち切れるのは間違いない。砒素が入っていると聞けば、普通の人はまず食べない。思わず「人殺し!」と怒鳴りたくなるのではないか。

 

タバコも、実は全く同じ「危険物」なのである。だからこそ世界ではタバコ会社が「告知をせずに事実を隠蔽した」ためにぶちきれているのである。

 

陰謀

 

このような世界のぶちきれ風潮の中で、日本のみはあいも変わらず雑誌等でタバコ広告を掲載しており、そこで禁煙を訴えると「何だよ、外国の言う事ばかり真似しやがって」と言われる。

 

実は喫煙問題で専売公社時代の責任を取らされるのが怖い日本政府は、なぜ禁煙が必要なのかと言う一番大事な啓蒙運動にはあえて金も時間もかけず、如何にも外国に押し付けられたような雰囲気で禁煙運動を進め、そして国民が何となく反感を抱くように仕向けているのだ。これこそは国民の目をそらさせるための陰謀である。

 

エイズ

 

エイズ問題を思い出して欲しい。日本政府はエイズに関しては啓蒙運動を進めて、病気の恐ろしさやその正確な情報を伝達する為にテレビ広告まで行っている。なぜならタバコと違いエイズ問題は医療負担が全額政府の負担になるし、エイズの場合はどのような形でも国家収入が発生しないからだ。

 

せいぜいコンドームが余分に売れて岡本理研が儲かるだけだし、だからこそ国として医療費を抑える為に啓蒙と予防にお金をかけるのだ。

 

タバコの元締め

 

さて、殺人事件の場合犯人探しの基本は、人を殺した時は誰が一番利益を得るのかを考えることである。ではタバコを売る事によって誰が一番儲かるのか?同時にタバコの害が明確になる事によって誰が一番困るか?それは政府である。

 

元々日本のタバコは専売公社、つまり現在のJTが独占販売をしており、その利益はすべて国家の収入となっていた。そして時の政府もタバコの危険性を理解していながら販売を続けた訳だ。なぜか?それは独占販売によって国家の収入が増えるからだ。

 

勿論、政府にとって医療費の増大は問題ではない。なぜなら国民に対しては医療費の増加を名目にすれば問題無く増税出来るからだ。タバコで儲けといて、医療費は国民に別途請求である。これが政府が良く使う言葉の「国民の理解を得られる」と言うものだ。だから日本政府はあまりタバコの問題を重視させなかった。隠蔽していたと言うべきだろう。

 

一番大事な問題

 

タバコの場合は国家収入に直結する。そしてエイズ対策での医療増税は「国民の理解を得にくい」が、癌による医療費増税は国民に受け入れられやすい。

 

これが政府の考え方であり、だからタバコ問題については政府が及び腰なのだが、今回の問題で一番大事なテーマは、実は政府によるタバコ陰謀だけではない。その背後に実は僕ら自身の大きな問題がある。

 

それは、日本国民は政府やお上の言う事を何の問題意識も疑問も持たずに従属すると言う事である。

 

政府はこの国民性を良く見抜き、それを増長させる事によって常に国民を操って来た。そして今回のタバコ禁煙問題も同様に、国民に違った情報を与える事によって国民を騙しにかかっているのだ。

 

人が人として生きていくならば、すべての現象に問題意識を持つ必要があるし、政府の行動を疑問視し、国民も自衛する必要がある。自分の頭で考える力を持つことが肝要なのである。

 

政府に馬鹿にされた挙句にタバコを吸わされ続けて、その結果ヤニ漬けになって最後は病院から墓場行き。そんな末路をいつのまにか政府によってインプットされた人生を、あなたは気づいているだろうか。

 

世界の雰囲気に合わせて建前だけの禁煙標語をばら撒く前に、なぜ禁煙が必要なのかを自分の頭で、本音で考えてみよう。

 

そしてそれでもタバコを吸うのなら「初志貫徹」してほしい。

 

個人の自由があるから自殺行為を止めはしない。タバコの害を理解した上で吸うなら、言う事はない。しかし山手線に飛び込んで関係ない人の通勤の足を止めるような事はやめてほしい。

 

他人のいるところでは吸わない、ポイ捨てはしない、肺ガンになっても絶対に公立病院には行かず、治療費は一切政府に請求しないと言うことを心がけてほしいものだ。それでこそ社会の一員であろう。



tom_eastwind at 21:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2001年 斬りたい日本! 

たばこの煙 続編

議論の後日談

 

マリファナより怖いタバコ、それでも日本政府はやはりタバコ漬け?

 

先月の常識非常識で取り上げたタバコ議論であるが、偶然の一致とは恐ろしいもので、当社新聞が発行された翌日に記事が出た。当社の記事をご愛読の方はお気づきだろうが、やはり金目当ての国民殺人事件は、日本政府によって操作されていた。

 

ある日の朝日新聞朝刊:

 

日本、「たばこ条約」に緩い規制を要望 大蔵・業界の抵抗根強く 

世界保健機関(WHO)が2003年の採択を目指す「たばこ対策枠組み条約」について、政府は、各国の自主性を重んじる緩やかな内容にするよう求める方針を固めた。条約の必要性は支持するものの、大蔵省やたばこ産業の規制強化への抵抗が根強いことから、規制を「骨抜き」にする主張となりそうだ。10月16日からジュネーブで開かれる第1回政府間交渉会議で表明する。

 

日本のたばこ対策は世界的にみて大きく遅れており、男性喫煙率は52%(厚生省調べ)と先進国の中で突出して高い。 国内の年間たばこ販売量は約3400億本。税収は国税と地方税を合わせ年間約2兆4000億円に上る。条約への対応を話し合う関係省庁会議では、たばこ税率を上げて規制することについて、大蔵省などに「税率を条約で規制することは国の主権を侵す」との慎重論が強い。たばこ関連産業は警告表示、広告、自販機など新たな規制に反対している。

 

厚生省は規制強化を狙っているが、政府としては、国内のたばこ対策に手をつけずに済むよう、あまり厳しい規制を課さず、多くの国に受け入れられる条約の策定を求めることにした。すでに取り組んでいる未成年者の喫煙防止や分煙の推進、密輸防止などを重視する考えだ。

 

******

 

と、ここまでが記事の全文である。全くの偶然だが、タバコに関する常識非常識を掲載した翌日の朝日新聞にタイムリーな記事が掲載されたものだ。タバコを止めようとする世界の風潮に対して日本がやめないと明言したのだ。すなわち「そんなに禁煙を押しつけないでよ、私の国の勝手でしょ」である。

 

そして新聞の解説にもあるように、その本音はやはり税金不足だ。税収難に遭って困っている政府にとって税収2兆4千億円は大きい。これは特に最近、法人税の落ち込みが激しく財政不足に陥っている国にとって無視できない大きな収入だ。やっぱり政府の本音が出たかという感じである。

 

やはり政府にとってタバコとは利益を取り易い商品であり、これで儲かるからタバコに関する世界的なルールを作ろうとする風潮に対して、民間業者(JT)の利益確保と大蔵省の税収確保の為に、日本は独自にやるよ、世界の規制は不要ですと言ってるわけだ。そこには「国民の健康」と言う一番大事な問題は、一顧だにされていない。

 

また、密輸防止や分煙などは、タバコ規制をしないと言うだけでは子供の理屈以下だとわかっている政府が国民や世間の目をそらさせるために思いついた言い訳の最たるものである。

 

しかし、前回でも問題にしたとおり、一番大事なのは国民の健康である筈なのに、その問題に全く触れられていないのはなぜだろう。それはやはり政府にとって国民は上得意の客であり、金の卵だからなのだ。

 

元気な間は日本株式会社の為に朝から晩まで蟻のように働き、その上残業は無料。疲れを取るために夜遅くから酒を飲みタバコを吸って、更に疲れた体でタクシーに乗る。そして週末も会社の為に働き、「企業戦士」と言われる事のみに異常な誇りを持つしかない。家族はもう見向いてもくれないからだ。

 

そして所得税よりもたくさんのタバコ、酒税を払い、病気になれば自分で積み立てた健康保険で入院費を賄う。死んでしまえばその財産からは遺産相続税を搾りたてる。30年ローンを組んでやっと建てた、箱庭のように小さな一軒家。そんな苦労の結晶からも「税金が払えなければ家を売ってでも金を用意しろ?」とのたくる税務署。サラ金真っ青のアクドサだ。政府に比べれば商工ローンや日栄などは可愛いものである。

 

話はそれたが、要するに日本のサラリーマンとは、政府に金を落とし続け何の疑問も抱かない、まるで無垢な金の卵であると言う事だ。政府にとって国民とはブロイラーに過ぎないのである。元気な時は金の卵、死んでしまえば相続税。見事なまでの収奪システムを用意して「産めや増やせ」と卵を産ませ続け、遂に国民人口は1億2千万人にまで膨れ上がった。

 

しかし、前回も同じく指摘したとおり、そのシステムにのっかって生活をしているのも、楽しんでいるのも同じ日本国民なのである。毎日死ぬほど働き、休みもろくに取らず、働く事こそが生きがいと信じきっている人々。彼らは決してマゾヒストではないのだろう。普通に生きていると思ってるのだろう。しかしその実態は、自分の首を絞められて喜んでいるマゾヒストなのだ。

 

自分の生き方を正しいと思い、政府は個人の生活を守る為に存在していると言うたわごとを信じて、社会に対して何の危機感も持たず、トラブルに巻き込まれて初めて社会が政府の為に存在する事に気づいても、その時はもう遅い。

 

あなたの肺はタバコで蝕まれ、肝臓は酒でやられ、心は精神的抑圧で潰されているのだ。しかしそれもすべて自分の責任なのだ。

 

だが、若い皆さんならまだ間に合う。今ならば遅くはない。あなたの命を短くし、他人を殺す殺人機械であるタバコをやめて自分の為に生きてみてはどうだろうか?

 

日本に戻って政府を太らせる為だけのブロイラー生活をするよりも、もっと自由に生きる事が出来る海外で、本当の人間らしい生活を取り戻してみてはどうだろうか。

 

タバコから話が飛んだが、タバコの煙を通して世の中が見えてきた。

 



tom_eastwind at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2001年 斬りたい日本! 

2001年11月 集団無責任体制

集団責任と個人無責任

 

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格はない」とは、チャンドラーの小説中の主人公フィリップ・マーロウが語った名言だ。そして現在の法律社会では「強い」とは法律やルールを知る事である。ルールは知らねばならないし、守らねばならない。

 

知らなかったんだもん!

 

先日のオリンピックでドーピング問題が発生した。金メダル獲得者が前日飲んだ風邪薬にドーピング剤が入っていたという事実だ。彼女の言い分は、「成分を知らずに飲んでしまったし、問題になっている成分は結果的にドーピング剤ではかった」と言う事らしい。つまり、「知らなかった」で済ませようと言う訳だ。

 

日本なら「温情で酌量」になるかもしれない。「可哀想」で通るかもしれない。しかし、知らなかったで済んだら警察は不要である。極端な例だが、人を殺しておいて「殺人が犯罪だとは知らなかった」では通らないのと同様だ。

 

今の世界で「だって知らなかったんだもん!」が通るのは日本くらいのものだ。

 

自分の不注意で間違った商品を買ってから平気で返品する、

詐欺まがいのセールスに勧誘され、購入した後で文句を言う、

そして海外でトラブルに巻き込まれるとすぐに「だって、聞いてないもん、知らないよ、サインしたけど、意味わかんなかったんだもん!」とサインが本来持つ意味を無視しようとする。

 

このような自己責任を否定して「知らない」だけで責任回避する姿勢がまかり通っていた現実が、日本が戦後築き上げた独自の集団責任、個人無責任スタイルである。

 

集団責任

 

元々日本政府は、敗戦後の日本が経済成長する為に加工貿易国家を作った。そして大量生産体制に合うように、小学生時代から国民を型にはめる「洗脳教育」を行ってきた。つまり誰でも同じ能力を持ち、組織で行動出来る人間を作り出す人間鋳型工場である。

 

その鋳型工場を日本では学校と呼ぶ。そしてその学校で教える事は、連帯責任・集団責任・修学旅行のグループ行動・協調性等等。こう言った体制を作る事で戦後の企業は奇跡の復活を果たしたのだ。

 

同時に洗脳にかけられた労働者が個人責任や自主性というものを持たないように、余計な事に気を使わないように、余計な勉強をしなくて済むように「知らなかった」が通る社会を作り上げた。

 

もし国民が自主性や個人責任を勉強して「知りすぎて」しまえば、日本社会の矛盾に気づき、自由を発見し、その結果政府が苦労して作り上げた洗脳ロボット社会が崩壊するからだ。

 

だから学校では、自主性はわがままの代名詞、個人責任は集団の和を乱す悪であるという風潮を作った。覚えていませんか、修学旅行の旅館で、友達のトラブルに巻き込まれて自分まで足止めを食らった事。何かあると「みんなと一緒に行動しなさい」と言われた事。

 

ロボット生産工場である「学校」では、義務教育の美名のもとに、子供を9年間かけてロボットにしてきたのだが、この仕掛け人は政府中枢官僚、実行者は文部省と学校の教師だ。

 

国際化

 

それでもそんな自己無責任のツケが回ったケースがある。例えばクレジットカード。これは日本ではつい最近まで1回払いしか出来なかった。諸外国ではリボルビング払い(自由分割払い)が常識なのに、である。これは大蔵省が「リボ払いは使いすぎてカード破産する可能性がある」からだそうだ。

 

冗談ではない、使いすぎるかどうかは本人の問題であり、使いすぎれば破産するのは当然だ。そんな事は自己責任であり、国が関知する事ではない。ところが日本では前述の理由から「自己責任」を学校で教えてない。リボ払いを導入すると「だって、カードを使いすぎると破産するなんて知らなかったんだもん、私の責任じゃないよー!」と言う事態が起こる事は、国は最初から想定していたのである。

 

だから本来1回かリボ払いかを利用者が自由選択出来るはずなのに、クレジットカード会社に対して、大蔵省通達によって1回払いしか出来ないようにしたのである。

 

しかし国際化が進む中、「知らないよー!」では通らない国際常識が日本国内でさえも通用するようになると、国家はその発想を大きく転換して、個人の自由を認めるようになった。

 

リボ払いもok、である。自己責任を認めるようになったのだ。そうしなければこれからの国際社会に適応出来ない事が認識出来たからだ。

 

では何故国際社会に適応しなければならないのか?何故今までのままではいけないのか?

 

それは、このコラムでも何度か触れているが、簡単に言えば今の日本が抱える外国からの莫大な借金のせいなのである。日本のバブル崩壊で、現在は700兆円の赤字が発生したと言われている日本だが、この借金は平たく言えば外国や個人からの借金で賄われているのである。

 

金を借りているのだから、貸主である外国の言い分も聞かねばならず、その結果として金融や保険等の分野で外国が乗り入れてきて、彼らが次に要求したのが国際社会の常識が通用する国にしろという事なのだから仕方ない。こうなってしまっては彼らの要望を受け入れて自由と個人責任を教え込むしかない。よし、それではいっその事一気に国際化を進めてしまおうと言う事になった。

 

取り残される人々

 

だからこれから学校や社会に入る子供たちは、昔より自由が認められるようになるだろう。学校で自由や個人責任を教え込まれ、米国等とは違った形だろうが、自由な世界になっていくだろう。これは基本的に歓迎だし、そうでなければ国家としての将来を見誤り、大変な結果を招いていただろう。

 

その部分においては日本政府の(いくら後ろ向きに行動したと言っても)努力を評価したい。しかまだ大きな問題が残る。それでは今までロボットとして育てられた人々はどうなるのだろうか?

 

個人無責任を常識として生きてきた今までの日本人は、これからもその常識で生きていく。しかし、国際常識の中では、これは非常識になる。今まで学んで正しいと思ってきた事が国際化の中でコペルニクス的転回をする訳だ。

 

ではその人たちはこれからどうやって生きていけばよいのだろう。その人達に対する国家の責任はどうなるのか?国が教えた事を忠実に守ってきた国民は、自分の人生を変更する力を持ってない(そういう力があれば元々ハチ公のような忠犬にはなってない)。しかし政府は何一つとして責任を取ろうとしない。それこそ「自己責任です」と突っぱねるであろう。

 

なぜか?それは、そのような国民はすでに社会にとって、つまり国家にとって不要だからだ。それでは政府の責任はどうなるのだ、俺たちはどうすればよいのだ?答は簡単、今からは誰にも頼らず自分で勉強をして、自分で生きていけるようになりなさいと言う事だ。

 

政府の言い分は、非常に分かり易い。ハチ公国民の言い分は、どう贔屓目に見ても勝ち目は、ない。

 

信じた相手が悪かった、騙された方が悪いのだ。悪い時に悪い場所にいたのも、罰の対象となるのだ。

 

なぜ?それは例えば親の遺伝子のおかげで自分が近視になったからと裁判で訴えても勝ち目はないだろうし、自己責任を教えてもらえずに育った子供が、私がこうなったのは親が悪い、親が自己責任を教えなかったと言って裁判をしても勝ち目はないのと同じだ。何故なら本人には大人になった時点で学ぶ機会があったのに学ばなかったのだから。

 

忠実な犬ハチ公

 

そして今、多くのハチ公国民は自分の常識が外国では通用しないと言う事実を知らないままにニュージーランドでもそのルールを平気で押し通そうとしている。例えば、自分でフラットを決めて手付金を払っておいて、入居寸前に「やっぱり嫌だから返金して頂戴」などというルールは通るはずがない。

 

相手は君のために部屋を空けて待っていた。ところが当日になって取り消しされても、待っていた時間は帰ってこない。それならば最初から他の人に貸していた筈だ。だから当然取り消し料を請求すると、ハチ公は支払いを拒否する。

 

泊まってもないのに、なんで払わなきゃいけないのよ!勿論そんなルールが通るわけはないが、本人は何故そのルールが通用しないのか分からない。日本では、今までは「気が変わった」らいつでも変更出来たし、取り消し料がかかるなんて「知らなかったし、聞いてない」と言えばまかり通っていた。

 

他の例を挙げよう。ニュージーランドに住む日本人ハチ公中高年でも、日本の常識感覚を思い切り引きずってきた人々がいる。何かあると「お客様は神様」と言う日本の常識を持ち出して、あちらこちらのスーパーマーケットのレジ、で自分が英語を出来ない等の責任を棚に上げて、相手の文句ばかり言う。

 

レジのサービスが遅いとか、金額を誤魔化したとか、態度が悪いとか、とにかく自分に金があるから言いたい事をまくしたてる。そして何を勘違いしているのか、自分が金持ちの国に住む偉い人と思い込み、異常なまで下らぬ事に執着して店員相手に議論し、「なによ、この野菜高いわね!安くしてよ、あたしはいつもいいモノ買ってんだから。安くならないなら買わないわよ!」などと訳のわからん話を吹きかける。

 

挙句の果てに新聞に投書して、自分の武勇談を語り、「だから日本人はもっと強くならなくちゃ、見てよこの私、スーパーで店員相手に一歩も引かなかったのよ!」と恥をさらす。

 

自分がどれだけ恥ずかしい事をしているか、何が抗議で、何がごね得なのか全く理解していない。この記事を読む人の中にも恥知らずの中年日本人がいるだろうし、恥知らずの日本人をスーパーマーケットで見かけた人も多くいることだろう。

 

しかし、彼らもある意味では政府の政策の被害者なのである。いちがいに馬鹿呼ばわりするのはやめて、暖かく見守る事も必要かもしれない。

 

これからはハチ公中年を代表に、時代に取り残されていく人々が多く発生するだろう。しかし、彼らは誰に対しても文句を言う事は出来ない。今まで学ばなかったのは、それこそ本人の「自己責任」である。

 

どんな事を言っても時の針は戻らないし、世界の常識をあなた一人で変える事は出来ない。ルールは知らねば負けるし、知らねば罰されると言う世界の現実は決して変わらない。日本国家の忠犬ハチ公は、新しいルールで生きるしかない。帰らぬ主人(助けてくれるはずの国家)を待って野垂れ死にする訳にはいかないのだ。



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2005年07月14日

2001年11月 拉致

日本外交。

 

先日森首相が北朝鮮による日本国民誘拐事件について、「第三国発見」と言う解決策を英国首相に話をした。今問題になっているのは、外交の秘密を公表した事がよいかどうかである。しかし天下の大新聞までも基本的な問題を全く理解しないまま政府主導の議論に誘導されている。

 

基本的な問題とは、日本国民を拉致誘拐して何十年もしらを切り通している北朝鮮に、自国民を誘拐された日本国政府が誘拐の事実を無視して頭を下げるその外交手段である。

 

自国の国民が誘拐された事実を無視して、国家の主権も無視して目先の外交と保身に費やすのが日本外交なのであろうか。何の為の政府かと言いたい。国民の安全を守る事が国家の責任ではないか。どんな理由があれ、自国民が誘拐されてそれで黙っている、そんな事が許されるのだろうか。これが米国市民であれば即刻戦争になる。米国では自国の大使館を襲撃したテロリストに対して、国境を越えた反撃を行った。

 

だが日本政府の現実は、無理が通って道理が引っ込んでいる状況である。他国による自国民の誘拐がまかり通っている。民間人が誘拐した場合は新潟の少女誘拐・監禁のように大きな問題になる。ところが北朝鮮による誘拐は、政府が北朝鮮に頭を下げて「済みませんが、どこか他の国にいたと言う事にしてくれませんか」となる。なぜなのか?

 

誘拐された方の家族は、政府に対して税金を払っているのだろうか?税金を払い政府を維持すると言うのは、その代償として自分の身の安全を保護してもらう事である。安全な生活が出来る事を保障してもらう権利を保持する事である。

 

この義務を守るのは政府の仕事であり、彼らに国民を守るかどうかを選択する余地はない。

 

この場を借りて日本政府に伺いたい。北朝鮮による日本国民誘拐は、新潟の少女誘拐・監禁事件とどう違うのか?国が誘拐した場合は日本国の刑法に触れないのか?そんな政府に対して税金を払う必要があるのか?

 



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2001年12月 取り得

これからは取り柄の時代。今、君はどんな取り柄があるのか?どんな資格を持っているのか?何もないままニュージーランドで1年過ごして、日本に帰って生きていけるのか?        

 

何にも出来ない私

 

よく晴れてはいるが肌寒い空気のオークランドに到着した彼女は、ヒマワリのような笑顔をまき散らしたような、夢一杯の素敵な女の子だった。「自分探しに来たの!英語?大丈夫よ、今から勉強するんだから、どーにかなるわよ。私?何でも出来るわよ」。

 

しかし、1ヶ月の英語学校が終わり、仕事を探し始めた彼女の前には大きな現実がのしかかってきた。「君は何が出来るの?」担当者の質問に「何でもやります。」と応える彼女。担当者はまたかと言うような呆れた顔で「そーじゃなくて、何が出来るか聞いてるの。」と返す。

 

一瞬言葉に詰まりながら「え、な、何でも出来ます...」「じゃ、パソコンは?英語は、具体的に特技はあるの?資格はあるの?」と、次々に突っ込んでくる担当者の英語さえ、最後には聞き取れなくなっていた。彼女は、それまでの笑顔が、顔に凍りついたまま真っ青になっていく自分に気がついていた。

 

一般職が求められた時代

朝日新聞ウイークエンド経済より引用

40年も前の話になるが、当時の大学受験では願書にレントゲン写真を添付しなければならなかった。自分では全く自覚していなかったが、筆者のレントゲン撮影の結果は「クロ」であった。受験ができないショックは大きかったが、仕方なく近くの病院に入院した。

 そのとき担当医になったのは美人の医者だった。彼女はよく雑談の相手をしてくれたものだが、彼女の口癖は「自分は何も取り柄(え)がなかったから仕方なく医者になった」ということだった。口癖が本音であったか、てらいだったかはわからない。しかし、世間を見渡すと「ほかに取り柄がなかったからサラリーマンになった」と言う人は結構多いのではないだろうか。

 昔はこれで良かった。しかし、年功序列や終身雇用制度が崩れ始め、マーケットで通用する「プロ」が求められる時代になったいまは事情が違う。何となくサラリーマン生活を送っていては、どの道のプロにもなれないから、リストラにあったとたんに路頭に迷うことになる。

 グローバルな商売をやっている会社では、社員が「何も取り柄がないからせめて英語で会議ができるようになろう」という時代になった。

 日産自動車では、ルノーの資本が入り、フランス人幹部が増えたため、ほとんどの重要な会議が英語になったという。英語で会議に参加できない人は出世の見込みがないのだとも言う。日産の幹部候補生は死にものぐるいで英語の勉強を始めた。必死になってやろうという気持ちが出てきたのである。

 フランス人幹部が使っている社用車の運転手は、待ち時間の間ずっと英語のテープを聴いて、ヒアリングの能力を身につけようと頑張っている。会社からお手当があるわけでもない。上から下まで「せめて英語くらいは」となっているのである。こういう状態になれば会社の雰囲気は大きく変わるし、将来の展望も開けてくる。

 考えるまでもなく、グローバルなビジネスを展開している会社では、好き嫌いは別にして、英語で議論ができないのはもともと論外なのである。しかし、言うまでもないが、誰(だれ)でも英語を勉強しなければならないということではない。明確な取り柄のある人(プロ)は、英語は必ずしも必須(ひっす)ではない。将棋の名人や相撲取りが英語が苦手であっても何ら困らない。実力がすべてだからだ。

 しかし、国際企業の社員ならせめて英語で会議ができるように日頃(ひごろ)から訓練しておくのは当然だろう。その上に、財務やマーケティングなど、それぞれの分野のプロとしての能力を磨くべきものなのである。「取り柄がないから仕方なくサラリーマンになる」という考え方はだんだん通用しなくなってきたことを私たちはもっと明確に認識する必要がある。日本の若者たちの多くもいまようやくそのことに気づき始めたのではないか。

以上が、全文の転用である。

 

Able Men

日本は高度成長を続けて、人々は歯車として働き続けた。どんどん大きくなっていく組織では、何でも出来る人間が求められた。その時代、企業の財産は結局人であった。会社の命令とあれば転勤や単身赴任をいとわず、どんな職種でもこなし、今日は総務課、明日は営業、その次は経理と、右肩上がりの企業が新規事業に乗り出し、その為に新規事業を管理できる優秀な経営者を必要とする状況が続いた。

 

そして終身雇用制度の中で、企業は社員に対して会社の中で学びながら成長していく事を求めた。成長とは脱皮であり、次々と新しい事業に進出する企業に合わせて、社員も脱皮を続けた。つまり、今現場で覚えた知識や仕事をそのままにして、次の仕事を覚えるわけである。当然、数年すれば以前覚えた現場の現状は把握出来なくなる。その為「以前はそんな事もやったなー」と、酒を飲む場では話に出るが、実際に現場に戻ったら役立たずになるわけである。

 

特にそれが総務や営業だと、将来経営者になる為には必須でも、現場で一生過ごそうとする人間には全く不要な知識である。そんな部門で働いてきた人間を専門家と呼ぶ事は出来ない。なぜなら、専門家とは少なくとも専門の学校を出て正式な知識を身に付け、就職の時に肩書きとして使えるものでなければならないからだ。

 

 

専門職が求められる時代

 

では、なぜ専門家が必要か?それは簡単に言えば企業が企業内教育をやめたからである。もう会社では仕事は教えません。自分で技術のある人だけ来て下さい。技術がなければ、学んでから来て下さいということだ。

 

インターネットが発達して、終身雇用制度を廃止し、リストラを進め、給料が高い不要な人材は切る。古い人間の知識はコンピューターに移し変えられ、古い人間は不要になった。新しい人間に、時間をかけ古い知識を教える必要はないし、そんな事をして折角教えた社員が、知識を覚えた瞬間に転職したら、企業としては全くの大損である。

 

だから企業は教育をしない。その代わり優秀な人材であれば中途でも採用する。極端に言えば、採用は随時行い、4月の新卒のみを採用すると言う事がなくなるのである。

つまり、日本におけるいわゆる「エリート」の定義が急速に変わってきたのである。エリートの「中身」が多様化してきたと言った方がよいかもしれない。

 つい最近まで、日本社会におけるエリートコースは、幼少のころから「お受験」をし、一流の大学を出て、一流大企業に就職することだった。このコースに乗ることが世の中の大部分の母親の夢であり、若者にとってのゴールだった。組織への入り口はきわめて狭いが、いったん入ってしまえば、後は終身雇用が約束され、年功で地位も上がっていくから老後に至るまで生活が保障されることになる。

 しかし、終身雇用が揺らぎ、いまではこういった従来型のエリートコースは自明のものではなくなった。多くの若者は従来型のエリートコースに希望を持っているとはいえない。むしろ、能力のある若者、意欲のある若者ほど、もっとおもしろい人生があるのでないかと真剣に考え始めている。

外資系の会社の方が自分の能力を生かせるのではないかとか、できれば自分でインターネットのベンチャービジネスを始めてみたいとか、MBAの資格を取ってコンサルティング会社で腕を磨きたいといった考え方が学生などの間ではむしろ一般的になってきた。

 エリート像の変化は、「組織依存型の人生」から「自己責任型の人生」への変化だと言ってよいだろう。IT革命やグローバル化の波を受けて、企業の新たなビジネスモデルを作り上げるというきわめてクリエーティブな仕事の多くが、個人の発想力や構想力に依存するようになってきたという事情が変化を作り出す背景にある。

 そうなると、時代遅れのビジネスモデルで何百人の人がこつこつと仕事をこなすことによって生み出される利益よりも、たった一人の才能ある個人が提案する新しいビジネスモデルの方が付加価値としてははるかに大きいということもしばしば起こりうるだろう。

 最近欧米の経営者と話をすると、しばしば "War for the Talent"(人材獲得戦争)と言う言葉が飛び出してくる。このような言葉が日常的になっているのは、イノベーティブな人材を獲得できる企業だけが勝ち組企業として生き残れるという危機感が彼らには非常に強いためである。

 このような労働市場の変化は、一流大企業に入りさえすれば組織の庇護(ひご)で安楽な一生を送れるというこれまでのエリートコースが崩壊したことを意味する。日本社会はようやく「自分の人生を支えてくれるのは大企業という名の組織ではなく、自分自身のスキル以外にはない」という考え方が通用する「正常な」時代を迎えたのである。

 サラリーマンが、通勤電車の中できわどい漫画本を読みふけっていても、会社では立派にやっていけるという日本独特の光景が消える日もそう遠くはないのではないだろうか。

そんな時代に取り残されないようにするには、自分の専門知識を武器として、企業と対等に戦うしかないのである。企業が人を育てる時代は終わり、企業と社員が本当の意味で対等になる時代が来たのだ。

 

取り柄とは

 

英語が出来ずに苦労している日本人ワーホリを時々見かける。これは辛い言い方だが、あえてその人たちに聞きたい。今まで何をやってたの?学校でも学ぶチャンスはあった。社会人時代でも夜や休日に学ぶチャンスはあったはずだ。

 

忙しくてとか、難しくては、結局言い訳にしか過ぎない。彼らは現実を目の前にして、自分の考えの甘さに気づく。自分の能力欠如に気づく。何も出来ない。プライドだけで生きている。しかし、そんな自分に気づいて泣いてみても、誰も助ける事は出来ない。時間があったのに何もしなかった、そんなあなたに神様が当然のように与えた罰なのだから。

 

若者よ、自分の目の見えるままに歩め。自分の思うままに生きよ。しかしそのすべての終わりに、神はあなたに相応しい場所を用意している。

 

おそらく、おそらくだが、今ニュージーランドに来て生活している、これが最後のチャンスだろう、一般職が専門職として生まれ変わり、英語を覚えて仕事を覚えて日本に戻るための。

 

そんな最後のチャンスの1年を、君はどう生きていくのだろう。取り柄を身につけて帰るか、それともまた言い訳を見つけてこの国でも遊んで、もう一度、日本で現実を見せ付けられて泣くか。しかし、今度の涙には後はない。それからの一生を敗残者として社会にしがみついて、後悔の人生を送るしかないのだ。

 



tom_eastwind at 07:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 2001年 斬りたい日本! 

2005年07月13日

1999年8月 英語学校の非常識

英語学校の非常識

ワーキングホリデイでニュージーランドに来る人がびっくりすることが多々ある。特に目立つのが、日本の常識をそのまま持ち込んで自分の思いこみを前提として他人と話をする。そして何ヶ月もたってからその間違いに気付くなどだ。

自分の常識その1=英語学校に行けば英語が上手くなる。

これがワーホリ、いや彼らに限らず日本人に共通する、大きな非常識だ。大学に行けば頭が良くなるか?ならない。塾に行けば賢くなるか?ならない。結局はどこに行こうが自分の努力なしではエスカレーター式には上がれないのに、NZで英語学校に行くだけを目的にして、英語学校に行きさえすれば英語がうまくなると思っている人が多いのだ。

実は、英会話を一番安く効率的に上達させる方法は、ヘラルド朝刊の翻訳とテレビニュース、そしてラジオの聞き取りである。 何故かというと、この3種類のメディアは、同じ記事を違った形で報道しているから、耳の勉強にも、文法の勉強にもなるからだ。

一日に3時間で良いから実践してみれば分る。ここまで言い切るのは申し訳ない気がするが、実際に英語学校に行かなくても、お金を使わずに学べる場所はたくさんあるのだ。

まず朝刊を読む。最初は気に入った記事だけを取って、日本語に訳してみる。この、日本語に翻訳するという事が大事だ。それから慣れてくれば、新聞全体の記事を要約して見る。

ラジオとテレビは、基本的に朝刊に掲載された記事と関連してるので、最初は分からなくても筋が見えてくる。最初の3ヶ月これをみっちりやれば、誰でも英語の中級クラスには十分行ける実力がつく。

発音?これは日本人に生まれて日本で英語教育を受けた人には、殆どの場合どう矯正しようもない。 ネイティブの発音をしたければ、遅くとも13歳程度から英語圏で生活する必要がある。

だから20歳過ぎて出来もしない発音で苦しむよりも、語彙を増やして文章力で相手に理解させる事の方がよほど効果があると言える。そのための新聞とテレビだ。新聞とテレビは状況に応じた適切な単語の使い方を学ぶのに最高だ。 文章と単語が正しければ、発音が悪くても大人の相手は分かってくれる(但し、8歳以下の子供に理解させるのは無理です。彼らは文章でなく発音で理解するようですから)。

但しこれにはかなりの忍耐を要求されるのも事実。誰もいない部屋で、毎日一人でやるのだから、かなり強烈な目的意識を持たないとやって行けない。

で、ここに登場するのが英会話学校。自分一人ではどうしても忍耐力が持続できない、一人で部屋に籠もるのは寂しくて、勉強なんか手につかない。そんな人向けに存在するのが英語学校なのである。英語学校はそういう意味で実に貴重な存在であり、もちろん学生は高いお金を払っているのだけれども、先生達は本当に親身になって教えてくれようとしている。 分からない所を繰り返しながら、みんなのレベルが上達するように知恵を絞っている。

しかし、学校の先生と言えども神様ではない。ただ座って待っているだけの学生に英語知識を詰め込むことは出来ない。馬を泉に連れていくことは出来るが、水を飲ませることは出来ないのと同じです。それがなぜか、自分で籠もっての勉強もせず、英語学校で自分から質問しようともしないのに、ただ英語学校に行きさえすれば上達すると信じている人がいるのは不思議なものである。

 ニュージーランドに着いたらすぐに学校に行けばよいと言うモノではない。学校に行って効果のある人は「自分でやる気はあるのだけれど、やはり周囲に友達が欲しい。」とか、「質問はしたいんだけど、道端の人々に声をかける勇気が無い。」であり、「よし、学校に払った授業料分は絶対取り戻してやる!」くらいの気持ちを持てる人だ。

それ以上に強い気持ちをもてる人には英語学校は不要だし、それ以下の、全く受け身で自分が何をしていいか分からない人には、英語学校はお金と時間の無駄でさえある。

だから新たにニュージーランドに来た皆さん、自分の貴重なお金を使うのだから、「とりあえず学校に行けば英語が出来る。」とは、くれぐれも思いこまないようにお願いしたい。 「とりあえず」なら、まず南島などを旅行してみることだろうそこで自分の英語の弱点を認識して、後で目的意識をはっきりさせて英語学校に行く方がよほど有意義なお金の使い方ではないだろうか。

自分で何をやりたいのか明確な目的をもってから英語を学ぶ方が、よほど上達が早いのも事実だ。 英語学校のランチタイム

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tom_eastwind at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

1999年9月 ホームステイの非常識!

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ホームステイの非常識!

 

非常識第2弾、英語学校に続いて今回はホームステイ。自分が真実と思ってるホームステイの実態は如何に?

 

  

あこがれのホームステイ、親切なニュージーランド人家庭の中でホストファザーやホストマザーが優しく接してくれて、小さな子供たちと英語の勉強をする、そして私の英会話能力はどんどん上達していく。これは桃色の夢!そう考えている人は多いだろう。

 

しかし現実はそんなに甘くない。仕事に忙しいご主人とは話す機会もなく、子供の育児に忙しいおかあさんは相手にもしてくれない。

 

仕方ないから生意気なまでに英語の上手な子供に話し掛けても、彼らは発音の違いを理由に一切反応してくれない。夜は8時に寝かされてしまい、テレビも見られない。

 

朝起きてみると、食パン1枚だけが朝ご飯代りにテーブルにのってる。食パンは君に話し掛けてはこない。

 

週末は家族みんなでどこかに遊びに行ってしまい、私はついに鍵っ子ホームステイ。あげくの果てには当初の条件と違って、土曜の昼ご飯が付いてないとか、フラット代金を受取ってないからもう一度払えとか、「これがあこがれのホームステイかー!」とびっくりして飛び出すワーホリのみなさんもいる程だ。

 

勿論そんな家庭は少数であり、自分自身の経験から言っても、そういう人たちを一般的なニュージーランド人とは言いがたい。しかし少数であれ、存在することは事実なのである。これも結局、オークランドなど都会の場合はお金目当てのホストファミリーが存在するからだ。田舎は良い。人の性格が違う。

 

しかしオークランドは家の値段が高く他の街の2倍はかかる。子供を抱えている若いカップルが何とか家を買っても、ホームローンはたっぷり残ってる。でも、せっかく新しい家を買ったのに今更小うるさいキーウィのフラットメイトを入れるのはいやだ。それよりも文句を言えない何も知らない学生を相手に「国際親善」の旗のもと、見かけのいいホームステイをやった方がよほど収入もよい。

 

何せこの金は税務署への申告が不要で、何も知らない日本人学生からもらう現金170ドルの収入は、旦那さんの給料の30%増と同じ価値がある。これは年収4万ドル家族の場合。4万ドル以上もらっている家庭は、ホームステイなど請け負わない。何せ金があるのだ、どうしてそれ以上に面倒のかかる事をする必要があるか。(1999年9月時点のデータです)

 

是非と言ってやりたがるホームステイファミリーがあるのだが、彼らの特徴はいったんお金をもらうと、それまでの親善の旗を捨てて、「あんた達、自分の事は自分でしなさいね、あたしは忙しいんだから!」みたいに学生を扱うことだ。

 

だからホームステイをする人たちが知るべきことは「ホームステイはお客か家族か?」の質問を自分で解く事である。もしお金を払っているならお客だけど、食後に皿を洗ったりベッドの片付けとかをするのなら客ではない。

 

もし家族と思えば風呂洗いまで手伝わされるのも納得できるが、家族でない証拠に子供は好きなものを冷蔵庫から出して食べてるのに、自分は勝手に食べる事はできない。

 

このような事を突き詰めて考えれば、結局ホームステイとは、相手の家庭に入り込んだ「特殊かつ期間限定」の、お客と家族の中間にある存在であり、この「存在」がお金を払って家族らしく扱ってもらおうと、かなり下手に出なければいけない制度なのだと言う事が分る。

 

その証拠に、この存在は常に子供として扱われ、主体的な意見を発するようになった瞬間から嫌われはじめる。つい先週まであれだけ好意的だった人たちが、今週から急に冷たくなった、こういった経験をした人も多いだろう。

 

そりゃそうだ。君が素直で可愛いペットでいるうちはよいけれど、ファミリーの言う事を聞かずに食文化を語りはじめると(鯨や犬を食べる話)、「今までの恩を忘れやがって!」と、相手は突然怒りにかられる。

 

相手の家に住まわせてもらってるのだ。これをきっちりと理解しないとだめ。食文化の話は、フラットで東南アジア人同士でやるぶんにはokだけど、ホームステイの期間中は御法度である。つまり、言いたい事を何でも言ってはいけないのがホームステイなのだ。その代わりに外国の生活習慣や言葉を学ばさせてもらっているのだから、相手が聞きたくない事は言わないでおこう。

 

楽しくホームステイをするには、まずお金を払っているという事実を忘れる事。これで客感覚を捨てる。そして親しくない友達の家に居候してると思う事。

 

親しくない友達の家なら勝手に冷蔵庫を開けて食べる事は(普通は・地域によって違うようだが)しないし、一緒に食事をするものの礼儀として、相手が作れば自分が洗うと言う同等の意識を持てるはずだ。そしてとにかく、うまくできなくてもいいから自分から話をする事。

 

今日は何をしたとか、びっくりした事とか、とにかく相手の気をひく事だ。相手も最初から君を嫌っている訳ではないし、邪魔物あつかいにしている訳ではない。一生懸命やってれば「こいつ、何か言いたそうだぞ。」と相手も好意を持ってくれる。

 

自分が何を伝えたいかを具体的に説明する事ができれば、この「ひっかけ作戦」も成功率が高くなる。例えば夜遅く(9時以降)テレビを見る時は、見たい番組を示して、「これ見たいけど、夜遅くなるけど、いいか」と聞く事。

 

この話のポイントは、

 

「見る番組は自分で決めている、問題は夜遅くなるけどいいかどうか。」

 

である。もしこの話を、

 

「Can I watch this TV program tonight?」

 

とやってしまうと、相手は

 

「その番組はつまらないからこれを見ろ」

 

などと、全然見たくない番組を押し付けられた挙げ句、見るはめになってしまう。

 

問題は、見る番組は自分で決めた、しかし夜が遅くなるのでよいかどうかを聞いているという事を相手に理解させられるかどうかだ。これが意志疎通である。

 

意思疎通がうまくいくようになったら、ホームステイもかなり楽しくなっていくはずだ。勿論本当に過ごし易いファミリーがたくさんあるのも事実だが、ホームステイを突き詰めるとやはり自分自身が相手よりも相手の立場を理解してあげて、相手の立場を立てながら共同生活をさせてもらうと言う事になる。

 

簡単に言えば、金を払っている居候と思う事がお互いにハッピーにいけるという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

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tom_eastwind at 21:21|PermalinkComments(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

1999年12月 仕事ありますか?能力ありますか?

仕事ありますか?能力ありますか?

 

簡単な引き算だ。300ドルを投資して500ドル儲かるのと、500ドル投資して1000ドル儲かるのと、どっちが得かは誰でも分る。

 

分らないのは、商品として自分が投資される方に回った人に限って、英語の出来ない、長期で働けない、低い商品価値しかない自分を、英語がネイティブで、長く働ける地元の大卒キーウィと同じくらいに商品価値が「高い」と思い込む事である。

 

人を雇うとは一番金のかかる投資であり、能力がない人への投資は、経営者にとっては一番儲からない投資なのだ。

 

「ねえ、ここ募集してるよ、履歴書送ってみようか?」

「やっだー、こんなに給料安いのー、」。

 

これも、日本の給料をもらっている人からみたら当然でしょう。日本で月給25万円もらってたら、年間ボーナスゼロでも時給25ドルです。それがここではたった6ドル。(1999年当時のレートです)

 

三分の一以下です。やってけないよね。でも、ちょっと考えてみて下さい。日本にいる頃に日本語や日本の文化が分らない白人を見て「かっこいい」と思う以外にどう思った?

 

日本語が出来なくて文化が分らずに、駅の切符の買い方が分からずにボーゼンと立ち尽くしている彼らに対して何を感じましたか?優越感?フラストレーション?

 

でも、NZに来たばかりの我々はその頃の彼らと同じではないでしょうか。英語が出来ずに、英語の文化が分らずに、上手な受け答えも出来ない。おまけに仕事を教えてもすぐにやめてしまう。そんな人に経営者がお金を払いたいと思いますか?あなたが経営者だったら、雇いますか?

 

仕事が欲しいと言いながら、その仕事は「英語できないんですけどー」「給料もうちょっともらえませんかー」「来月は南島に行くんで、準備があるんで今日でやめますーす。」なんていちいち条件をつけられたら、雇う方でも嫌気がさします。

 

雇う方は教えるために時間を使い、やっと使い物になると思ったらもう辞めると言う。「日本人は、人はいいんだけどすぐ辞めるから。」と、最低労働期間を3ヶ月以上などと決めるお店もあるほどです。

 

そんな中で仕事を獲得するにはどうすればいいのか?答はとても簡単、真剣にやることです。

 

例えばまず自分の実力を見てもらうために、1週間でもただばたらきをする。売れと言われた物は何とか知恵を絞って売る。やれと言われた事は何よりも真っ先にやる。そして実力を認めてもらってから給料をもらうくらいの気持ちが必要なのです。

 

勿論最初の給料は安い。それも覚悟の上。その代り日本と違って、力があればどんどん上に行けます。少なくとも3年程度はどんどん昇格出来ます。勿論、自分に自信があるならば、能力があるならばの話です。

 

ワーホリで来て短期なのでそこまで真剣にはどうも…と思うのであれば、最初からよい条件を期待してはいけません。むしろ、仕事も経験のうち、能力をつけるための海外体験、金ではなく楽しむためのボランティアと割り切った方がよほど正解です。

 

本当に努力して仕事が欲しい、例えばワークビザとか永住権を視野に入れた中で仕事をしたい人たちの場合、特に日本で営業してた人なら分るだろうけど、仕事を獲得するコツを憶える事が必要です。

 

コツとは簡単、「相手が求める物をすばやく判断して、すぐに見せ、与える事」です。つまり自分で自分を売れる能力を持つ事です。

 

能力には様々なものがありますが、すくなくともこの社会でその範疇に入らないのは「社内の根回し」と「お人好し」ですね。

 

だから本当に仕事が欲しければ、それなりに相手が満足する能力と、「まず試しに無料で使って下さい、よかったらご購入下さい。」と言う、まるでデパートの地下食料品売り場で試食をすすめているお姉さん方なみの自己営業が必要なのです(ちなみに、履歴書を書く時はとにかく能力を大きく書けと言うのも、自分で自分を売りこむ以外には誰も評価してくれないと言う意味があるからです)。

 

自分が商品である、労働力は商品であるという事を、日本ではあまり教えていません。しかし西洋社会ではごく当然の事であり、だからその反動として労働組合が強くなるのです。

 

日本のような家族主義も、決して間違ってはいません。しかし冷厳な事実としてこの国で「労働者は商品である」と言う事を認識して、この社会の一番底辺で生きてみて、それを経験として日本に持ち帰れば、仕事ありますかと聞く前に自問自答できるはずです。

 

「わたし、能力ありますか?」。

 

 

 

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tom_eastwind at 20:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

2000年2月 生活サポートって何だろう?

留学エージェント、生活サポートって何だろう?

 

毎年4,000人のワーホリがこの国を訪れる。そのうち何割かは、日本の留学会社や旅行会社を経由している。事前の出発準備から空港出迎え、ホームステイ、学校手配を代行してくれる等、初めての海外生活の不安を解消する会社の存在は大変心強いものがある。でも、どうもよく分らないのが「現地での生活サポート」である。これって一体何なんだろう?

 

留学雑誌を開いてみると、様々な留学エージェントが広告を掲載している。料金は千差万別であるが、どこのコースを開いても必ずついているのが現地サポートだ。しかし何をサポートするのかと言うと、その実態は各社抽象的である。

 

「あなたの生活を年間サポ-ト!」とは言っても、具体的に何なのか伝わってこない。最近はサービス内容を「現地でのトラブルに即対応。現地での諸手続き、全てサポートします。現地であなたに合った滞在先をご紹介。現地で希望に沿ったアルバイトをご紹介」等とabroadに宣伝している会社もある。

 

しかしアルバイトご紹介と言っても、現地オフィスでする事は、近くの情報センターの求人広告張り紙を見て手紙を送る程度だ。「あなたに合った滞在先」が、あなたに「合わない」時は、「それはあなたが悪いのよ、もうちょっと我慢しなさい。」となる。

 

「現地での諸手続き」は銀行口座開設のみ。それも最近はシティバンクがあるから不要と言う。お腹が痛くなって24時間現地サポートと言われて電話すると、「もうちょっと我慢して、朝まで痛かったら病院に行きなさい。」となる。これってサポートかい?旅行業界ならとっくに業法違反で免許取り消しだ。

 

しかし、留学エージェントはまだ社会的地位が確定していない為に旅行業のような運輸省による法律的規制がない。なので、商品内容やサービス内容が各社ばらばらであり、消費者からしても文句を言う先がないのが実情である。

 

先日もこんな事があった。「現地で体験仕事コース!プログラムに申しこんだら現地で仕事が出来ます!」とのふれ込み。ところが現地体験に限らず、世間で仕事をするには最低条件と言うものがある。少なくとも言葉遣いや服装、髪型等最低限守るべきルールがある。

 

しかし日本では面倒くさい事を嫌った為だろう、参加できる資格を明確にしていなかった。そのために現地で仕事が出来ないと言うトラブル発生。結局現地担当者の努力で何とか事無きを得たが、これも日本で販売する際のサービス内容が明確でないために発生したトラブルだ。

 

本来は日本で事前に「遊びに行くんじゃないんだから、社会人の常識として着る物や服装、言葉遣いは自分で考えてね。」程度は言うべきであろう。これを日本で説明しない理由は何なのか?一言で言えば「黙って売りたい」のである。余計な事を言って「お客」をなくしたくない気持ちなのであろう。

 

パックツアーであればまだ理解出来る。パックツアーの場合、現地担当者が何とか処理して「遊びに来たお客様」を満足させる事が出来る。しかしプログラムは違う。現地担当者の努力で解決してしまったら、ワーキングホリデイ本来の意味がなくなるのだ。

 

現地担当者のアドバイスを受けて自分が努力して解決し、自主性や主体性を身に付けるのがワーホリの本来の目的なのだ。それを日本側が「黙って」売ってしまえば、通常のパックツアーと同じではないか?

 

しかし、プログラムを購入する側にも誤解があるのは事実である。本来ワーキングホリデイとは自分で勉強する事である(筈だ)。通常のツアーでは現地係員が手足となってお客様を苦労させずに楽しませてくれる。ツアーと違うのは、ワーホリの場合は現地係員のアドバイスを受けながら自立した生活を送る事にある。

 

だから当然自分で苦しむ事も出てくる。それが勉強となるのだ。それを日本では「売るために」良い事ばかり説明する。いつのまにか旅行会社的な売りこみをやっている。イヤな事、辛そうな事は言わないまま現地に送り出す。「後は現地でやってくれるから。」。

 

しかし、ちょっと考えてみれば良い事だ。自分が何のために海外生活するのか、目的がわかっていればする事も自ずと結論は出るはずだ。「後は現地でやってくれる」のでは、楽な生活はできても本当の生活は身に付かない。折角のワーホリ体験なのに、自分でパックツアーに格下げするようなものだ。

 

ある現地担当者が話してくれた。先週の例だ。到着した学生からいきなり「あの、おいしいレストランを予約して、メニューも一緒に頼んで下さい。ノースモーキングで。」と言われた。おいしいレストラン紹介とメニューまでは分る。来たばかりでまずいレストランやメニューに当たると時間の無駄だから、紹介しよう。電話のかけ方も、当然最初の頃は分らないだろうから教える。

 

しかし、予約自体は自分でやらねばならない。それが勉強である。その為に来ているのだ。この線引きがツアーデスクと生活サポートの違いであろう。

 

学生が限られた時間を有効に使えるようにアドバイスし、交通事故や怪我、法律問題等で本人が処理できないトラブルが発生した時に援助するのがサポートであって、レストラン予約の代行ではないのだ。その事を教えると、「えー、そーなんですかあ!」と、本人はびっくりしたそうだ。

 

しかしカウンセラー自身にも質の低いのがいる。ニュージーランドの事を殆ど何も知らず、医療・保険・法律・警察問題など、各種の質問に明確に答える事が出来ないカウンセラーが多いのも事実である。

 

カウンセラーは免許不要であるから誰でもなれるのが問題でもあるが。NZ滞在何年と言っても、日本で使い物にならなくてただ単にここに住んでいるだけの「住みっぱなし」もいる。知っている事はローカル日本人村のどろっとした人間関係だけという奴だ。

 

日本で日本の社会に対して無知だった人間が、NZに来たからと言って急にNZの社会が分る訳がないし勉強するはずもない。日本にいた時も、こちらに来てからも親の金で生活してるから本当の生活を知らない。

 

「すごいですねー、長く海外生活してて!」と到着したばかりの若者に言われて単純に喜んでる永住者もいる。そんな「住みっぱなしカウンセラー」に当たったら不運としか言い様がない。

 

 

結局この問題は、留学エージェントと言う仕事や海外生活サポートと言う業務が社会的認知を得ていない上に、歴史が浅い為に発生している問題だろう。

 

お客がツアーと勘違いするケースもある。販売する方がツアーと考えてる事もある。現地がボケてるケースもある。どれひとつが間違っても、歯車はうまく回らない。一番よいパターンは、申しこむ方も「自分が勉強するのだ」としっかり認識し、販売する方も「あなたの人生の問題なのだ、自己努力が必要だ。」と説明し、現地スタッフが「ツアーデスク」ではなく「アドバイス」が出来る程に現地の事をしっかり把握している事だろう。

 

はっきり言って今はあちこちに問題がある留学システムだ。しかし、今の留学システムが悪いからと言って留学プログラムそのものが悪いというようでは、自由民主党が悪いから民主主義が悪いと言うのと同じである。

 

留学プログラムそのものは間違いなく必要である。それほどに今の日本は過保護である。昔の中島みゆきの歌ではないが、今の日本で自分を狼であると言いきれる人間がどれだけいるか。留学プログラムなしで来るのは、羊やキーウィを目隠しさせたまま狼の群れに放りこむようなものだ。だから今後も留学プログラムは増えるであろう。

 

結局ワーホリとは自分で勉強するものである。これを効率化する為に留学エージェントがある。だから正しい留学エージェントの選び方は、まず出発前のカウンセリングによって自分が不慣れな事を、よい事も悪い事も含めてちゃんと調べてくれるか。(これによって自分で調べる無駄な時間を省く事や、正しい情報を得て自分のやりたい事を明確に出来る)。

 

そして到着後のカウンセリングでソフトランディングがうまくいくようにアドバイスが貰えるか。(つまり現地での受入は担当者がしっかりしているか、ちゃんと現地事務所があるのか等である)。

 

最後は滞在中に病気、事故、警察沙汰等のトラブルが発生した場合のサポートと処理が明確であるか(現地での緊急対応策があるか。個人的努力でなく、会社としてちゃんとシステムを持っているのか)。

 

これがきちんと説明できる会社と上手く付き合っていくのが最も正しい留学エージェントの活用方法と言えるだろう。今後皆さんの後にニュージーランドに来る後輩には是非伝えて欲しい。いい事ばかり言う会社は信用するな!と

 

 

 

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tom_eastwind at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

2000年3月 過労死

過労死 KAROSHI, そしてDIGNITY、何と翻訳しますか?そしてその意味。日本人は本当に分っているのでしょうか?

 

日本の過労死が最近地元新聞に取り上げられた。日本政府が過労死防止の為に無料で健康診断を行うと言う記事だ。仕事のストレス、異常残業による体不全、高血圧、糖尿、そして満員電車での通勤。命を縮めるには十分な要素が揃った日本。今回は自分の常識と言うよりも日本の常識とNZの常識を比較してみた。そしてその中でDIGNITYとは何かを考えてみた。

 

過労死=KAROSHIと英語で直訳される日本の社会現象。OVER WORKで自分の肉体を滅ぼす日本人。キーウィから見たら信じられない現象である。日本人とは、本当に同じ時間に同じ地球に生きる文明人なのか?キーウィからすれば疑問であろう。

 

世界に先駆けた素晴らしい技術を持ち、アメリカと対等に戦う島国。それだけ頭が良くてよく組織化された国なのに、なぜ自分の身体を滅ぼすような事をするのか?何故、何の為に自分の身体をすり減らして命を捨ててしまうのか?

 

今のニュージーランドでは理解不能な現象である過労死。しかしここに、キーウィも日本人も互いに見落としているお互いの常識の違いがある。

 

日本の常識は、平日は残業する事で週末は休日出勤や接待ゴルフをする事。NZの常識は平日は一切残業をせずまっすぐに家に帰って家族と食事をし、週末は家族と一緒に海や山に行ってのんびり過ごす事だ。

 

平日の彼らは、本当に夕方の5時になると手に持った鉛筆を放り出しても家に帰る。夕方5時前になると、ワイヘキなどの離島の自宅に帰ろうと駆け足でクイーンストリートを下ってゆくサラリーマンを見かける筈だ。

 

彼らにとっては目の前に溜まった仕事よりも、自宅で料理を作って待っている家族の方が大事なのだ。勿論日本人は言うだろう。「俺だってたまには早く帰りたいよ、でも仕事が終わらないんだ。」キーウィは言うだろう。「明日やれば?今日は出来ないんでしょ。大体あんた、残業手当てもらってるの?」日本人は言うだろう。「そんな事出来る訳ないだろー、会社も大変だし、第一仕事なんだから!」。

 

仕事と言えばすべてが正当化されて美化される日本がそこにある。

 

会社に金がないから残業手当てを請求しない事が正しいとされる日本。もしキーウィが彼らに何故と質問したら、多分日本人はこう答えるだろう。「本当は正しくないと思ってるよ。でも仕方ないでしょ、みんなそうやってるんだから」。

 

そして日本人は自分の仲間に向ってぺロッと舌を出して言う。「今日さ、キーウィにこんな事言われたよ、全く何も分ってないんだから、あいつらは。仕事も手が遅いしさ。」。 ぺろっと舌を出す事が仲間意識の確認であり、もしその時にキーウィの見解を認めると日本人社会においては「国賊」になるのだ。残業手当が出ない?!それではNO MONEY, NO WORKとはっきり残業を断るキーウィは、村社会においては「困った存在」になる。

 

村社会においては自己犠牲が最も素晴らしい「美徳」であり、個人が自分の権利主張をする事は「自分勝手で他人の事を考えない」とっても悪い事なのだ。

 

社会の在り方や方向性は村長が決める。皆はそれに従っていればいいのだ。文句を言うな。そうして日本は成長してきた。

 

今のNZを見てみろ、何かいい事があるか?みんながわがままを言うばかりで、全然国として成長してないじゃないか! 失業率は7%もある(1999年のデータ)。(勿論政府の高福祉政策の為失業率が落ちないとか、大卒の就職率が100%に近いと言う事は、村長には関係ない)。国民数が370万人程度と日本に比べて圧倒的に人口が少ない事や、南半球と言う地理的な問題で国際市場社会への参入が遅れている事は、言い訳にはならないのだ。

 

国民が少なければ沢山生めばよいのだ。育児をしながら個人の文化生活レベルが保持出来る子供数が2名など、国が成長するためには後回しにすべき問題なのだ。子供を何人生むかは本人の自由?違うよ、国が決めるんだよ。

 

地理的に不利?だから早く軍備を強力にして他の国に戦争しかければいいじゃないか!見てみろ日本を。戦争では1回負けたけど、東はハワイから南はシドニーまで、西は中国の山奥まで一時期は支配していたんだ。

 

大東亜共栄圏はすごいんだよ!そんな一級国の国民やれてるんだから、過労死とか生活苦とか、少々の事は我慢すべきでしょう。ね、日本はいいでしょう!そのおかげでみんなワーホリ生活楽しんでいるんだから。 国破れて山河あり、民倒れて国家ありだよ。おっと、村長が本音を言うとまずい。建前を大事にしなきゃ。

 

日本ではごく普通の挨拶。「OO社の佐藤栄作ですが。」これがNZだと「栄作です、今はOO社で働いてます。」となる。なぜならキーウィにとっては、仕事先が帰属先ではないからだ。自分の帰属先は自分であり家族だ。

 

しかし日本人にとっては常に頼るべき組織が帰属先となる。その代わり帰属先に対しては忠誠を尽くす。元々村社会で成長した意識体にとって、帰属すべき組織とその中での自分の位置確認というのが、まず動物が脱糞する前に安全を確認するような自然な作業なのだ。

 

この作業が無事にいかないと、自分の生活に不安を感じる。安定を失ってしまう。だから居酒屋で隣り合った相手の年齢と会社名およびその地位が分らないと、どうも居心地の悪さを感じてしまう。日本人がまずこのあたりを明確にするために行う活動には名刺交換がある。

 

そして「失礼ですがお年は?」となる。村社会では村長制度を取っているため、年齢が増えれば猿でも尊敬される。これでお互いの地位確認は終わり、後は安心して心置きなく酒が飲めるようになる。今どこで働いているのか?年はいくつなのか?

 

キーウィの場合、バーで隣り合った人達の話はラグビーとヨット、そして家と庭の手入れの話だけである。彼らにとって話のねたは「趣味の話」であり、話している相手が(社会地位的に)誰なのか、それは肝要ではないのだ。ましてや仕事の話などが初対面で出る事は、まず有り得ない。

 

元々絶対的な神を持たず、社会の中で常に他人との比較においてすべてが決まってしまう日本人と、自分の人生は神のみが見ており、常に神との対話の中だけに自分の存在価値を見出すキーウィ。

 

だからキーウィにとっては他人がどう思うかと言うのは全く問題にならない。大事なのは神様だ。誰が見てなくても神様は見ている。だから誰も見てないからと言って悪い事は出来ない。

 

しかし日本人にとっては自分が生きる社会(村)がすべてであり、村のルールが個人のルールに優先する。人が残業をすれば、それが良い事かどうかを別にして、一緒にやらねばならない。良い事かどうかを議論するのは兵隊の役目ではない。議論はお上(政府)がやるものだ。そしてまた周囲が見つめる中、過労死が発生する。

 

しかし、怖いのはこの表面的な過労死ではない。実は過労死予備軍はこのニュージーランドにも大量に移動してきているのだ。日本に矛盾を感じて出てきたワーホリにも、実は過労死予備軍が多く含まれているのだ。どこが?と思うかも知れない。

 

それではまず村社会テストをしてみよう。あなたは名前も年齢も出身も知らない日本人と、名前も年齢も出身も聞かずにどれだけ長く話が出来ますか?他人の間違った認識や意見に、相手との摩擦を避けるために適当にあいずちしてませんか?相手の生き方に矛盾を感じた時にその場で指摘出来ますか?

 

自分のニュージー生活を見て欲しい。貴方は自分の生活を自分で見つけていますか?やりたい事、行きたい所、友達に頼っていませんか?友達も実はあなたに頼っているのです。そしてお互いに自分で生きられない二人が集団になり、村を構成していくのです。そしていつのまにか日本と同じ生活を繰り返している。

 

自分探しの旅に来たのに、いつのまにか日本と同じ生活を繰り返している。過労死予備軍の兆候は、ここにあります。結局過労死とは、「自分を持てないまま歯車になる」病気なのです。

 

自分を持つとは何か?それは自分をまず歯車ではなく人間として認識して、自分を大事にする、尊厳を持てる、自立した、自分で判断出来る人間になる事です。そうすれば他人の尊厳も理解出来ます。そして本当の人間らしい社会が出来るのはないでしょうか。

 

「友達」という美辞の元にNZでも流されやすい歯車環境を作っていませんか?友達を作る事は大事ですが、それは慰め合うものでなく、自分の意見をぶつけて励ましたりお互いに学んだりするためのものです。お互いの議論の中で自分が反省する点を見つけていく事です。助け合うのが友達と言うものでしょう。

 

いつのまにか尊厳を失った人達は、他人に対する思いやりを忘れてしまう。そしてヒステリックなまでに他人に対する攻撃を始める。

 

大雨と落雷による停電で止まった電車の駅で、駅員に詰め寄る乗客。異常である。常識で考えれば分る。雷は誰の責任でもない。そして雷が落ちても壊れない送電線を作る事は、出来ない。

 

只でさえ電車が動かずに大変な時に、自分の怒りをぶつけるためだけに駅員に詰め寄る神経とは一体何であろう。仕事の約束や抑圧で擦り切れた人間性が他人を巻きこんでしまうのだろうか。

 

相手も人間である事を忘れている。当然かもしれない、怒っている本人もすでに自分が人間である事を忘れているからだ。自分が機械の歯車であり、自分の部分はちゃんと回っているのに、他の歯車がきちんと回ってないからと怒る。

 

機械が機械を怒っているようなものだ。そこにすでに人間性は存在しない。そして他人が一個の尊厳を持った人間として存在する事を忘れている。

 

中国に駐在していた日本人マネージャーが、現地のレストランで間違ったサービスをしたウエイトレスを土下座させた事件があった。「客の前で恥をかかせられた、それもたかが現地のウエイトレス風情に!」。

 

マネージャーの給料はおそらくウエイトレスの100倍以上だろう。社会的地位も違うだろう。それであれば間違った方が土下座するのは当然だ。無礼打ちにされないだけありがたく思え!そう思ったのだろう。

 

これも人間が尊厳を失った事件だ。一体間違ったスープを運んだ事がそんなに怒る事だろうか?仕事を間違ったからと言って、その人格を否定するような土下座が必要だろうか?

 

この事件はその後大きな問題になり、くだんのマネージャーは日本へ帰った。「機会があったらまた行ってみたい。」と取材陣に語ったそうだが、それが本当だとすればまだ彼の頭には人間の尊厳というものが理解できていないのだろう。

 

雷も土下座も、ニュージーランドでは考えられない。事件と人格は別である、事件をもってその人の人格や尊厳を否定する事は出来ないと言う事をこの国の人々は理解しているからなのだ。

 

NZでは刑務所の中でも人々の尊厳は守られる。例え犯罪者でも、尊厳は守られる。日本では、刑務所の中でも外でも、人の尊厳は守られない。すべては仕事のため村のため、組織のため、人の尊厳は踏みにじられていく。

 

「おまえが正しい、でも世の中はそれだけじゃないんだよ」。そう言ってますます人は人である事を忘れてくる。それに慣れてだんだん感覚が麻痺してくる。彼らを見て育った子供達はおやじ狩りや浮浪者狩りに走る。そして友達を殺す。そうなってしまった世の中のどこが間違っているのか、今の日本にいると分らない。

 

小さな例を取り上げる。憶えている人も多いだろうが、数年前にオークランドで大停電が起きた。市内中心部の電気が、約1ヶ月にわたって殆ど通じなくなったのだ。そのため多くのビルは閉鎖、街の信号もすべて光を失った。

 

勿論ビルを追い出された会社は後日電気会社に移転費用請求を行い、レストランやショップも休業補償を受けた。しかしそんな中でも大通りの交差点を走る車には全く渋滞が発生しなかった。電気会社の社長はすぐに全面的に非を認めて謝罪したが、土下座はしなかったし、誰もそのような非生産的な要求はしなかった。

 

皆さんが自分の住んでいた街の駅前の交差点を思い出して欲しい。もし交差点の信号が壊れたら次に何が起るか?渋滞である。そして電気会社の土下座であろう。誰もが道を急ごうとしてかえって道を塞いでしまう日本。

 

何故オークランドのような大都会で、警察の誘導なしで渋滞が発生しなかったのか?それは、お互いに道を譲るからだ。何故道を譲るのか?キーウィに聞いても、彼らもすぐには答えられないだろう。彼らにとって助け合いとか譲り合いと言うのは意識外の反射的行動である。だから何故と聞かれても彼らも困るだろう。

 

「何故って、何故?当たり前の事でしょう」。そうしか答が出ないだろう。しかし実はこのような意識外の反射的行動に、その国民性が現れる。自分の事は自分で判断する。他人とその人格を認める。そうする事によって自分の人格も認められる事が、日常生活の中で理解できているのだ。

 

大変長い話になってしまったが、キーウィは(読者には色々と反論をお持ちの方もあるだろうが、)敢えて一言で言えば高い社会的道徳性を日常生活の中で後天的に身につけていると僕の経験で感じる。

 

勿論レベルの低い輩も、中にはいる。特にNZがすべてと思いこんでいる、日本の江戸鎖国時代の攘夷主義者みたいな輩もいる。僕もNZのすべてがいいと言っている訳ではない。

 

仕事の要領も悪い。ミスも多い。街中のペンキ塗りたてで汚れた手、看板くらい置いとけ!個人生活の観点からすれば文句もある。しかし国民性と言う統計で判断すれば、彼らの自立した社会的道徳性は、我々日本人から比較して非常に高い事がさまざまな日常生活から伺える。

 

病気に喩えれば過労死は症状・結果である。そしてその原因は(野菜が不足して脚気が発生するように)、人間性と尊厳の不足によって発生する。尊厳とは自分が人間である事を理解し、他人も人間である事を理解し、人間である限り当然必要な社会ルールを大事にしていく事。

 

この尊厳と言うビタミンこそが我々日本人が今一番不足しており、そして今一番身につけるものではないだろうか。それがこの国で学ぶ事が出来る最高のものだと思う。

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tom_eastwind at 18:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

2000年4月 女が人になる時代

21世紀・女が人になる時・国境のない時代

 

オークランドの日本料理店でロサンジェルス生まれの日本人と韓国人と中国人が英語で会話していた。内容はIT産業に関する事だ。オークランドの新規クライアントに対して提供する無料ホームページシステムらしい。

 

メンバーの中の日本人がシェフに刺身を注文していた。勿論日本人が日本人シェフと話す時は日本語である。周囲に断ってから日本語に切りかえる。韓国レストランに行けば、同じ事が韓国人と韓国シェフの間に起こる。中国人の場合、まず相手が話すのが広東語か英語かを確認してから母国語に切り換えるようだ。

 

21世紀にはこのような風景が当たり前の時代になる。住む場所の言葉と自分の母国語を、何の違和感もなく同時に使う。バイリンガルが当然で、それプラス専門特化された自分の知識を持つ事が当たり前の時代になる。

 

実は中国人社会ではすでに100年前からバイリンガルが常識になっている。今でも南島に住む多くの中国人は、家庭では広東語、大学では英語を当然のように使っている。彼らが特別に言語の才能があるのではない。単に民族特性の違いである。

 

現在のロサンジェルスではこんなジョークがある。「おい、ここはアメリカなんだ、だからちゃんとスペイン語で話せ!」である。それほどにアメリカ南西部ではヒスパニック民族が増加している。一般の役所でも英語とスペイン語の両方を表示しているのが当たり前である。そして多くの中国人移民が合法、違法を問わず年間数十万人単位で米国西部に流れ込んできている。

 

エリン・ブロコビッチ

 

そしてもうひとつの21世紀。これからは結婚が目標でなく一つの過程として扱われるようになる。いい女はいつまでも恋をする時代になる。

 

結婚などは「してもしなくても」大きな影響はない。結婚は元々一緒に住む二人の所有権に対する社会的権利を保障するために発生したシステムであり、同性間の結婚や性転換後の結婚、デファクト関係が社会で認知され始めた現在では、すでに時代遅れの感がある。

 

21世紀は女性がその才能を活かして自分で技術を身に付け、一人でも一生生活できるだけの資金的余裕を持つようになる。勿論本人次第だが。少なくとも結婚と花嫁姿に涙を流して、公園デビューとか子供の洋服の専門雑誌を読んでいる時代はあっと言う間に過ぎ去ってしまう。

 

そんな新時代を迎える今、4月から新しくニュージーランドで生活を始めた皆さんは、自分のこれからの半生をどのように過ごす計画をお持ちだろうか?おそらく多くの方はいずれ日本に戻る予定であろう。だから海外生活を楽しんで英語を少し勉強して、日本に帰ってから正しい就職と正しい結婚を目指すのだろうか。

 

勿論今の日本は鎖国化されており、海外の人間と力量を直接比較される事はない。

 

しかしこれからは日本を含めて国境のない時代に突入する。今の米国や西洋諸国がすでにボーダーレス時代に突入している。これは間違いのない事実である。そんな時代に僕らはどうやって生きていくのだろうか?

 

日本にいて普通に生活していても、国境のない時代は向こうからやってくる。結婚して家庭を作っても、夫はいつリストラされるか分からない。また、いつ会社が外資に買収されるか分からない。そんな時に英語まあまあ、日本語も普通、特別な能力なしでは、到底日本での普通な生活はおぼつかない。

 

すでに日本語の上手な中国人や米国人がその特殊な立場を利用して日本社会に参入し始めている。外国人弁護士や外国人医師が日本で開業するのも間もない。そんな時代にみんなが生きていくのに最低必要なものは、少なくとも日常生活で全く不自由しない程度の英語、コンピュータースキル、そして一芸、例えば陶芸、園芸、ヨット、飛行機操縦免許、等である。

 

これから1年間ニュージーランドにワーキングホリデイで住む皆さんに言っておきたい。ニュージーランドでできるだけたくさんの事を学んでいってほしいと。遊んでしまえば日本に帰って必ず後悔する。

 

勿論あなたの親が田舎の金持ちであれば、毎日のんべんだらりと生活しても問題ない。金があるのだ。努力する必要などない。毎日夢みたいな事ばかり言って、やる気もない、出来もしないことばかり言ってればよい。

 

しかし、本当に自分の人生を自分でコントロールしたいなら、努力して自分を高めることしかない。ちょうど今ジュリア・ロバーツが演じる「エリン・ブロコビッチ」と言う映画が上演されている。これを見ると今の米国人女性がどれだけ強く生きているか分かる。

 

何をするにしても、後悔しない人生を送る事のキーは、あなた自身です。

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tom_eastwind at 17:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

2000年5月 マニュアル人間

マニュアル人間に生き残る道はない。

 

規格大量生産と言う大目標に向かって驀進する機関車のように戦後を進んできた日本は、未曾有の発展を成し遂げた。この間における殆どすべての日本人がその恩恵をこうむったのは間違いなく、同じ時代を中国で文化大革命の嵐の中で無為に死んでいった中国人と比較すれば、国家の発展と言う点から全体的に判断すれば日本の勝利であろう。

 

日本と言うよりも、こう言ったシステムを構築した日本官僚の「俺が国家を支えているんだ!」と言う凄まじいまでの自負を持った努力の賜物である事は疑い得ない。もちろんその中で三池三井炭坑労働争議、水俣病、四日市公害、成田空港、自然破壊と多くの社会的事件を生んだのは事実である。

 

今も諫早湾埋め立てや苫東開発等に過去の負の遺産を抱えてもいるが、そう言った過去の問題が厚生省によるお詫び、あるいは建設省による歴史的和解、開発中止等である程度処理できた時に必要なのが、これからの日本がどこに向かうかと言う指標である。

 

坂の上に雲は見える。でも、どちらの坂を登るべきか?

 

国際化と言う言葉が出始めたのはいつからか分らないが、少なくとも官僚組織がこの問題に対して約10年前から全力で取り組んで来たのは事実である。そしてその結果が今実現し始めている。

 

最初の兆候は外国人が日本に増え始めた頃である。最初は労働力不足と言う名目の元、外国人が増えた。そして法律変更による在日外国人の日本国籍取得、株式上場基準見なおし、金融ビッグバンの誕生と、一つ一つ小出しにされていた時は気づかなかったが、時間軸を当てはめて見るとその取り組みは一目瞭然である。

 

官僚は国家レベルで十年かけて「国際化」を確実に一歩づつ作り上げてきたのである。ではなぜそこまでして国際化が必要なのか?そして官僚の考える国際化とは何なのか?

 

日本は加工貿易立国である。自国で原材料を持たない国は、人か技術を持つしかない。そこで日本は小学校教育から模範的国民の「鋳型」を作る事によって全国民が同じ形になるようにして労働力と技術を確保して、海外に出かけて車と電気製品を売りまくった。

 

しかし相手国での販売の自由を獲得するためには、相手国の日本における販売の自由も認めねばならない。特に日本の商品がどんどん売れる時にはなおさらそうである。その時に相手国と日本の販売に関する規則や方法が違っていたら、これは不公平である。

 

外国で日本の商品が自由に売れるのに、外国人が日本で売ろうとすると様々な規制があるのは不公平と言われても仕方ない。そんな時に「日本固有の商習慣」と言っても通らない。何せ相手の国ではこちらは自由に売っているのだから。

 

勿論自分に資源があれば、どんな無理でも通る。サウジアラビア等が良い例だ。しかし日本には、悲しい事に資源がない。余っているのは人だけだ。そしてこれだけ拡大した日本のビジネスは、輸出しなければ成り立たないサイズになっている。

 

従って海外で物を売る為に世界共通のビジネスルールを採用せねばならない。日本だけが違うとは言っておられないのである。その為には国内における大手企業を守る行政主導の日本株式会社方式や銀行・証券・企業の株取得・生命保険・損害保険などを守る護送船団形式を世界標準に変更せねばならないのである。

 

ではなぜ今経済開国をせねばならないのか?とりあえずもうちょっと時間をかけて軟着陸する場所を探せばとも言えるだろう。しかしバブルの崩壊と言うとんでもない爆弾を抱えてしまった日本は、今開国せねば巨額の国債と大赤字の銀行を抱えて倒産してしまう可能性があるのだ。

 

信じられないかもしれないが、実に今の日本は倒産の危機に瀕しているのだ!

 

国が倒産すると言うのは感覚的に分りにくいが、簡単に言うと日本が外国から信用をなくして通貨が暴落する事である。そして今発行されている国債を誰も買わなくなるので償還が来た時に返す金がなくなる。

 

金がない政府に対して、外国企業や政府は国有財産を売って返せとなるだろう。例えばタバコの占有販売権を米国に10兆円で売るとか、成田空港の運用権を1兆円でヨーロッパの会社に委譲するとか、そうやって金を返さねばならないのである。

 

また、今まで100円で買ってたアメリカ製の原材料が1000円払っても買えなくなるのである。そうなると日本では外国製品はすべて値上がりする。そして日本は原油、食料などを輸入に頼っているから諸物価が高騰するが、それに合わせて給料を増やす事がインフレーションにつながる。その結果は社会不安と失業、そして国民の暴動であり、政府の崩壊につながるのである。

 

インフレの結果は明治、大正の日本や欧州で十分過ぎるほど経験している日本政府は、だから世間の批判を食いながらでも銀行を潰さないために公的資金を注入し、公定歩合をゼロにして何とか延命措置を取っているのだが、その延命装置も税金や国債の発行で賄っている。

 

利益で賄っているのではないのであるから借金にも限度がある。今の日本に必要なのは世界の資金である。弱い日本に対して投資してくれる外国資本が、のどから手が出るほど欲しいのだ。だから日産を外国の企業が買うし、長期信用銀行を外国の銀行が買うのである。

 

どちらも日本の超一流伝統企業である。15年前ならば絶対に売らない相手に伝統企業を売ったのは、如何に日本が金を欲しいかと言う表れである。日本は純血主義だけではもう生きていけない貧乏華族なのである。

 

そして外国にお嫁さんに出すには、それなりに外国人に綺麗に見えるように化粧もせねばならない。それが護送船団の取り止めと国内法律の国債標準に向けた整備である。

 

経済開国するとは、肉を切らせて骨を断つ荒療治である。国内整備をする事によって多くの国民が痛みを感じる。そして切られる部分の肉にしてみれば痛みどころか、死活問題である。今まで正しいと思ってやっていた事がある日突然間違いに変わるのである。

 

明治維新がよい例だ。それまでちょんまげをつけて刀を持って町人を無礼討ちに出来ていた侍が、ちょんまげを切って刀を捨てさせられて四民平等になり、おまけに廃藩置県で給料も出なくなった。

 

おかしい、俺たちを救うための明治維新じゃなかったのか?農民もびっくりした。、明治政府になってから徳川時代より税金が増えて取り立てが厳しくなり、あげくの果てにそれまでは侍だけが兵隊だったのに、富国強兵国民皆兵により、一般農家からも兵隊が徴られ始めたのである。それが明治維新である。つまり明治維新は、その当初において誠に一般市民に受け入れ難い、大変な苦労を強いるシステムだったのである。

 

政府も、分っていてそれをやった。やらねば日本と言う国が沈没するからである。日本を守ると言う大義の元、今までのシステムにしがみ付いていた人々は切り捨てられたのだ。これと同じ事が今起きている。まさに平成維新である。

 

そんな明治時代に立身出世した人たちもいた。岩崎弥太郎・渋沢栄一・井上馨・山県有朋など、いずれも貧乏な家庭の生まれである彼らに共通するのはマニュアル型ではない、縦横無尽の知恵で時代を生き抜いたという点だ。

 

今までがこうだからとか、こうだから出来ないと言う世間の常識を引っくり返して、どうやったら出来るのかと言う一点のみに神経を集中し、そして常識と呼ばれる殻を次々に打ち破ったのだ。

 

他にも多くの人材が輩出したのが明治である。なぜこの時代に多くの人間が下層階級から出たか?それは、この時代は既存の秩序が崩壊しているが新しい秩序が生まれていない、法律における全く自由地帯であったからだ。そして過去に縛られる事の多い金持ちよりも貧乏人の方が判断の自由があったからだ。

 

皮肉な自由であるが、それをどう生かすかは本人次第だった。そしてそのチャンスを生かした人間だけが生き残ったのだ。そしてそう言った人物を起業家と呼んだのだ。戦後にも多くの起業家が輩出した。松下・本田・盛田、皆起業家だ。戦後と言う混乱時期が生んだスーパースターである。

 

現在米国における起業率は15%、日本のそれは3%以下に過ぎない。

 

官僚は今日本に一番不足しているものを知っている。それは起業家だ。既存の大手企業は世界標準と戦う事が能力的にも精神的にも出来ない。彼らはマニュアルなしで動けないからだ。道標のない時代にマニュアルなしで自分の判断で生きていける起業家は、結局国を動かす事が出来る。だから官僚は今は外貨獲得をしながら同時に日本の起業精神を切実に求めているのだ。

 

その表れが東京証券取引所によるベンチャー支援のMOTHERSだ。赤字でも上場出来る。そして通産省によるベンチャービジネス支援だ。起業家には担保なしで金を貸そうと言うのだ。今自分がこの国でマニュアルなしで動く事を覚えれば君の将来は保証される。もし日本に帰ってもマニュアルどおりに生きて行けば、君は間違いなく化石になる。

 

平成維新はすでに始まっている。明治維新の主役は武士であり、平成維新の主役は官僚なのだ。

 

今日本で起こっている現象は、血の流れない革命である事を認識しているだろうか?維持しながら刷新していく作業では、人の血が流される事はないが、今まであった多くのものが抹殺されて「過去の遺物」となって博物館に飾られていく。

 

「昔はサラリーマン企業戦士という階級があって、日本人の80%はそう言う人だったのよ。見て、この疲れた顔でよれたネクタイして、居酒屋では上司の悪口言いながら昼間は部下いじめをしてた人たち。」そう入館客に指差される日も遠くないであろう。

 

明治維新では45年の間に多くの既存階級(武士・公家)が時のかなたに流されていった。平成維新では昭和にすがり付いて終身雇用と年功序列を信じていた企業戦士階級(サラリーマン)が流されていくのである。

 

そんな時に君はマニュアルなしで生きていける自分を、この国で見つける事が出来るだろうか?それは君次第だ。

 

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tom_eastwind at 16:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘! 

2005年07月09日

2000年6月 カッコ-の巣の上で

怒らない人々 カッコーの巣の上で

今から四分の一世紀前に「カッコーの巣の上で」と言う映画が上演された。後にアマデウスで監督賞を獲得したミロス・フォアマン監督、69年代最高の映画イージーライダーで脚光を浴びたジャック・ニコルスン主演、プロデューサーは今は俳優として有名なマイケル・ダグラス。今考えれば超豪華キャストで1975年に上演されたこの映画は、その年のアカデミー賞で主要5部門を獲得した。

自分が今生きている世界が、実は嘘で塗り固められた世界であると気づいたら貴方はどうするだろうか?そんな事ないよ、目の前に見えてることが嘘な訳ないよ!誰もそう思うだろう。しかし、映画「マトリックス」ではないが、今から55年前に日本である事件が起こった。

事件と言うよりは、その期間の長さを考えれば“時代があった”と言うべきである。それは1938年頃から始まり、1945年まで7年間も続いたのだが、その時代に生きていた日本人の殆どすべてが騙されて、国民の見るもの聞くものの殆どすべてが嘘で塗り固められていたと言う事件だ。あなた方の祖父祖母の時代である。決して大昔ではない。

その当時の国民は7年の間、日本政府によって騙されていた。国民は時の政府の言われるままに挙国一致で‘鬼畜米英’と戦った。勿論一部の人間は「日本が侵略戦争をしている」事実を知っていた。政治家と反対派、そしてマスコミである。

政治家は自分の野望をかなえる為に軍人と結託して国民を煽った。反対派は自分の意見を公開する場所がないままに南方の戦地に送り込まれ、そのまま帰らぬ人となった。マスコミは保身の為に偽情報を流しつづけた。その為に人々が死ぬ事があっても自分が死ぬことはないからだ。

そしてすべての国民は挙国一致で戦地に送り込まれた。

この時に政府が行った宣伝政策がマインドコントロールである。政府に比較すればオウムのマインドコントロールなどはかわいいものである。サリンで被害を蒙った方は数百人、しかしこの時代に被害を蒙った人々の数は、数百万人である。

政府がマインドコントロールをする際は、通常マスメディアを利用する。特に当時はラジオや新聞が効果的だった。日本人は紙に書いた事やラジオから流れる言葉をそのまま信用する癖があるからだ。それに“天皇”とか“御国のため”とかのオマジナイを少しかけてやれば、当時の殆どすべての人間は舞い上がって、涙を流して死んでくれた。

そして敗戦。日本の統括者として乗り込んできた連合軍のマッカーサー陸軍元帥は「日本人の思考は12才の幼児と同じ」と公言してはばからなかった。なぜか?それは国民のが独自の思考をもたない事に気づいたからだ。ではどうやって気づいたのか?

マッカーサーが最も恐れていたのは、例え政府を降伏させても、狂信的な国民すべてがゲリラになるのではないか?と言う不安であった。日本兵の戦いの凄まじさを肌で体験していた彼は、その恐怖から逃れる事が出来なかった。ところが実際に厚木に乗り込んでみると、実態は全く違っていた。そこに待ち受けていたのは、信じられない程従順で異国の客を迎える人々だったのだ。

日本人の頭脳にインプットされた“鬼畜”は、1945年8月15日にデータを再処理されて“メリケンさん”となり、米兵が乗るジープの後を子供が追いかけてお菓子をねだるようになったのだ。

個人の判断を至上とする西洋の常識では考えられない事が次から次へと発生した。米軍相手の商売、闇酒、闇タバコ、オンリーさん、PXで生き生きと働く若者たち。彼らはつい昨日までの敵だったのだ。一体これは何なのか?昨日まで、例え歯で食いちぎってでも敵を倒す事のみを追求していた人々が、たった一夜で“歓迎の旗”を振る。それも心から嬉しそうに。

そしてマッカーサーは遂に理解した。国民の思考を奪い、マインドコントロールをする。その結果、昨日の敵が今日のお客様になる。これが実は日本政府が古代から行ってきた民衆マインドコントロールであり、長い歴史の中でたった一度だけ外国人にその正体を見せた時だったのだ。

個人の思考回路をマインドコントロールによって遮断、個人の思考能力を無くす。.これは反乱や一揆を恐れる為政者にとって最高の政策であり、日本は綿々とした長い歴史の中で(江戸時代はおろか明治以降も同じで「考える国民→政治に疑問を感じる」は不要)国民から思考能力を奪い続けた。

実は戦後も同じ方法が踏襲された。当然だ。戦争に負けて多くの一般人は死んだが、戦前の政治家は「終戦と言う緊急事態をソフトランディングさせる為に」そのままぬくぬくと新政府に残って、佐藤栄作や池田勇人のような人々が政治をやってきたのだから。(このあたり、今のバブル処理と同じ「ソフトランディング」の言い訳である。もっともその結果がどうなったのかは、そごう問題等で国民が一番よく理解している)。

そしてこの稀代の政治家達が作ってきた「日本」は、高度成長によるテレビの出現と民間への普及によって戦前よりも強力なマインドコントロールを行う事が可能になった。

戦後の日本ではテレビ世代と言われる人たちが一つの社会を構成する前に「思考を訓練した世代」が一時的に日本を動かそうとした時代がある。60年代の学生運動華やかかりし時代である。彼等は暗中模索の中でも将来を考え、その結論を行動で表した(結果の善し悪しは別にして)。

しかしその結果は「思考し行動する事によって逆に社会から疎外される」と言う結論を得たに過ぎない。この「思考する世代」もこれを切っ掛けにして思考する事を止めてしまった。

池田勇人が総理大臣になり「貧乏人は麦を喰え」と経済政策第一の日本が動き出し、高度成長時代(経済の/この時期から日本の自然は破壊されていった)を迎え、どの家庭にもTVが普及し、テレビ世代が生まれた。

この世代以降、日本人はテレビによってものを知り、テレビによって共通の話題を得るようになった。方言が使われなくなり始めた時代でもある。そして政府のテレビによるマインドコントロールが始まったのである。

そのテレビ番組の中身と言えば、バラエティと称する、芸の出来ない芸人が集まっての時間潰しや野次馬根性丸出しでプライベートを暴くノゾキ番組、学芸会のような歌番組等々がズラリ。思考能力を必要としない番組ばかりが肩を並べている。

テレビ電波は郵政省によって割り当てられている「公共の電波」である。「公共の電波で伝えるべきこと/日本の現実や国際的状況など」は探すのが大変な程少ない。その結果街頭インタビューで『自自連合とは』と質問された20才前後の女性は「ジジーの集まり」(ジョークではない)と愚にもつかない答えを発し、恥じるでもない。

日本人の頭の中は55年前と少しも変わっていないのである。公共の電波→政府が認可→無思考番組という構図から見ると、政府がテレビ局を利用して国民のマインドコントロール(無思考)を完成させた......と言っても過言ではないだろう。

思考能力を持たない自分。その事実を外国人に指摘されてもまだ気づかない日本人。

自分たちが「思考能力を持たない特殊な国民」であると言うことを、「特殊な思考文化を持つ国民」と言い換える事によってその場で納得しようとする。又は指摘を受けた外国人の持つ文化と自分の文化を、(殆ど客観的な比較の要素なしに)純粋に主観と他人の受け売りのみによって比較して、「だからあの国は駄目なんだよ!」と切り捨ててしまう日本人。

読者は既にご存知であろう、日本人の読書量の多さ(特に週刊誌や批評)を。何故なら日本人は批評家を必要としているからだ。自分で判断出来ないから、批評家(又は大勢の他人)の言う事を聞かなければ不安なのである。

自分で食べているもの、観ているものが本当に良いかどうか、批評家の答が出るまで答えられない。なぜなら自分の意見がないからだ。批評家なしでは料理の味も映画の良さも分からなくなった国民。裸の王様を笑っていられない状況である。

「カッコーの巣の上で」と言う映画が上演されたのは、実に25年も前である。ジャック・ニコルスン演じる主人公マクマーフィーは、刑務所の強制労働を抜け出す方法としてオレゴンの州立精神病院に入った。そこで見たものは、個性を全く殺してしまう洗脳教育であった。

病院に入った男が、無気力に管理される患者たちを生き返らせようとする。人間の尊厳をテーマにひとりの男の行動と悲劇を描く。しかし、何より怖いのは、実はその病院に入っている多くの病人は、実は自分で選んで入院していたのだ。コントロールされる事を望んでいたのだ。

自分で考えて自分で動くことを貫いた挙句、遂に病院によって前頭葉手術を施されロボトミー(無思考状態)にされたマクマーフィ。そんな彼の遺志を受け継ぐように、その晩一人の患者が病院から抜け出した。

貴方は人に感想を質問されて答えられずに困った事はないだろうか?何が一番かと聞かれて不安を感じた事はないだろうか?裸の王様を読んだ後に、自分が踊らされていないと自信を持って言えるだろうか?君の前頭葉はマインドコントロールされていないと答える自信はあるだろうか?

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tom_eastwind at 07:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 1999年 来る前に知ろう、常識の嘘!