2006年09月

2006年09月30日

一所懸命な人々

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 そろそろ夏の終わり、夜はジャケットを軽く羽織りたい東京の説明会、30代半ば+子供1のご夫婦が、個人面談の際に今の気持ちを語っていた。

 

先月の残業が160時間、毎晩12時過ぎにしか帰れず、家族の会話もなく、お互いにぎすぎすしてきて家庭の不和まで出てきて、これじゃあ一体何の為に夜遅く迄頑張って仕事しているのか分らないし、こんな国でこれから子供を育てても、いつ子供が誘拐されたり学校で授業中に殺されるか分らない。

 

大体、子供が無事に大学を卒業出来ても、就職出来るのが日本国内の企業しかないとなれば、子供は親と同じような道を歩くしかない。

 

そんな生活をさせたくないと、真剣に子供の未来や夫婦の生活を大事にしたいご夫婦+子供1だが、親に移住の話をしたら「なに〜!日本を捨てるのか!」と怒られたと言う。

 

僕も日本人だから、その親の言ってる日本語は理解出来るし、感情も理解出来る。でも、その内容は、完璧に洗脳された宗教団体という感じしかしない。まるで日本全体が「一所懸命」という古代宗教に染まっているようだ。

 

出て行くななんて、おいおい、一体いつから国家が国民を選ぶようになったの?国民は、憲法で保障された、幸福な生活を追及する権利及び住居の移動の自由があるのではないか?

 

同じ価値観を持つ国民が自分の理想とする国家を作るのが民主主義であり、その運営を委託するのが選挙であり、委託を受けた公僕は、国民に対するサービス産業ではないか?いつから国家がそのご主人である国民に指図するようになったのだ!

 

本来国家は、国民の代表として国民が住みやすい国造りを行うのが仕事である。ところが現在は、政府が国家運営に失敗しておいて、そのつけだけを国民に対しているのが実態だ。

 

その癖政府は、自分では責任を取らず、増税、医療費負担率値上げ、年金の切り捨て、セーフティネットがないままの綱渡りをさせて、落ちて死ぬ人が年間で約8千人、労働者の賃金は益々下がり、サービス残業が横行して、本来取り締まるべき労働基準局も見てみぬ振り。

 

そりゃそうだ。まともに残業をつけられたら、企業としては利益が減るし、そうなると政府の税収も減ってしまう。せっかく増え始めた税金は、国民総サービス残業で支えられているのだから、この仕組を壊す訳にはいかないだろう。

 

しかし、その為に国民が犠牲になる、どんな理由があるのだ?

 

そしてここからがさすがに優秀な統治者である政府だ、彼らはこんな理屈を作り出して国民を洗脳した。

 

「お前は日本で生まれて親に育ててもらい、教育を受けて食い物をもらってきた。その親を捨てるような恩知らずな真似は、恥知らずである。もっと国を愛しなさい」

 

一見それらしい理屈だが、国=山河や日本人を愛するという事と、無策によって失敗した政府のつけ払いをするというのは別問題だろう。

 

大体子供の頃に無料教育を受けられたのは、自分達の父親世代が頑張って働いて税金を払ったからであり、政府が自分でお金を作った訳ではないという事実に、しっかり目を向けよう。

 

先の大戦で日本が荒廃した時に、ゼロから国家を建て直したのは経済だし、それを作ったのは現場の日本人だ。

 

政府の義務として社会福祉を充実させた結果、今の老人が年金をもらえていると言っても、それだって若い世代が税金を払っているから成立している制度であり、実際、若い世代が年金を払わなくなった現在、政府は早速年金の減額を行っている。本来なら60歳からもらえる筈だった年金を65歳にしたのが分りやすい例だ。

 

つまり、政府が自分で作った訳ではなく、国民の労働から徴収したお金を、政府が胴元になって再配分しているけど、その政府自体が馬鹿な政治をやって外で赤字作ったから、今は国民がもっと痛みを感じて、この国でしっかり納税しなさい、逃げちゃあ駄目よと言ってるのだ。

 

一所懸命という概念は、昔から日本人の遺伝に組み込まれている思想だ。でも、例えばNZでは一箇所で一生住むと言う概念はなく、高く買ってくれるならいつでも売ります、売って、もっと気候のよい街に住みますってのが普通。

 

キーウィであれば「日本で昔起こった成田空港闘争なんて、土地を買い上げる政府のごり押しに反対せずとも、条件闘争で高く売りぬけばよかったじゃないか、その金で他の土地に豪邸を建てれば良い事。何で武力闘争までして同じ国民同士で殺しあうんだろうね?」と、疑問に思うだろう。

 

勿論成田闘争は、当時の自民党代議士による地元利益誘導の結果として、一番弱い農民にしわ寄せがあり、何も土地だけの問題ではなく、きちんと段階的に説明してこなかった政府の責任であり、その片方では先鋭化する学生運動が背景にあった事は間違いない。それでも、土地をビジネスの対象として見ているキーウィからすれば、その為に人が死ぬ必要はあるのか?と思うだろう。

 

成田闘争までいかなくても、日本人は一箇所でじっとしているのが好きだ。そりゃ分る。その方が何も考えなくてよいからね。でも、江戸時代も飢饉や悪政に対しては、農民が「逃散」という手段で他の国に移動した例がある。

 

僕らが幸せを追求する権利を守り、家族を大事にする、その為の移住であれば、それは本来国家としても、目先の利益が減るという狭い視点ではなく、日本人がより国際化する事で世界とのつながりを深め、それが日本の国際理解につながり、ビジネスに広がっていくと言う視点で見るべきだ。

 

1億2千万人が住む日本で、海外に住む日本人はまだたった100万人程度だ。香港では1980年代から90年代にかけて、600万人の人口のうち、60万人が移住した。そして移住した人々が香港の尖兵として、地元香港とビジネスを繋げて更に発展させている。その結果として、香港からオークランドに飛ぶキャセイ航空は、一日二便の運行体制である。それでも満席になる事が多い、キャセイにとってのドル箱路線だ。

 

ところが人口1億2千万人の日本では、福岡線がとっくの昔に廃止され、最近は中部線も廃止、次は関空線も廃止と言われている。そしてその機体は上海線に回されている。要するに、観光客としての日本人はもう終わった、日本Passingである。 

 

日本と香港、どちらが本当の意味で国際化を行っているか?

 

いいかげんに政府も、目先の利益ではなく国家天下の百年の計を考えて、日本人の移住政策を進めるべきではないか。ドミニカに日本人移民を捨てるような真似をするのではなく、積極的に大和精神を世界に広めようとしないのか?

 

一所懸命のような「目を閉じて砂に頭を突っ込むオストリッチ的安定」は、これからの国際化には、もう通用しないのだから。

 

最後に言っておく。どれだけ日本から外国に移住する人が増えたと言っても、それが国家のバランスを崩す事は絶対にない。どれだけ移民が入ってきても、日本には長い時間をかけて築き上げた、素晴らしい技術があるのだ。

 

日本に労働者が必要であれば、優秀な外国人を入れればよいのだ。実際、多くの優秀な外国人が日本で働きたがっている。彼らに対して門戸を開き、多角的な視点で民主的な国家運営をすれば良いのだ。

 

すでにフィリピンからは看護婦を送り込む計画が進んでいる。頑張れば、肌の色に関係なく夢を達成出来る、そんな魅力的な日本にするのだ。そして同じ価値観を持つ人々が世界中から集まり、日本の旗の下に一つになればよい。

 

え?外国人にこの国を乗っ取られるのではないか?おいおい、心配するな。最終的に土地と法律を押さえているのは日本政府と日本人だ。必要ならいつでも法改正すれば良い。

 

大体、世の中に閉鎖された安定なんて永続しない。 いつまでも鎖国は出来ないのだ。今こそ第二の維新だ。世界に向けてドアを開けるのだ、戦え、そして生き残り、勝ち抜け。戦争は、守りに入っては絶対に勝たない。100万人を海外に移住させて、120万人の移民を受け入れろ。

 

世界が小さくなる中で、今この移民政策をしっかりと見直して、労働力としての外人ではなく、消費者、国民としての外国人を受け入れる仕組を作ることが、本当の意味での天下国家の百年の計である。

 

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tom_eastwind at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月29日

幸せな国家を目指して

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安全な国家を目指せないか?

 

今回も日本にいるとほぼ毎日殺人事件のニュースを見る。

 

でも、その陰に隠れるように電車に飛び込んで自殺する記事があり、さらに犯罪の検挙率がどんどん低下しているという話を聞く。

 

 

警察庁のまとめでは、05年の全国の自殺者数は3万2552人で、うち動機が「経済問題」のケースは7756人にのぼるとの事。自殺者数を小さく見せたい警察でさえこの数字だから、実態はもっとたくさんあるのかもしれない。

 

NZと比較してみると、(日本の人口が1億2千万人対NZの人口が約400万人だから)30分の1の国家であるNZで「経済問題」による死亡者を同数とすれば7,756人の30分の1で258人となる。しかしNZで、お金がない事で自殺した人というのは、まだ一度も聞いた事がない。

 

中国人同士の殺し合いや誘拐などの事件は発生しているし、NZ在住日本人が関与した殺人事件も2件、直接知っている。しかし、お金が無くなった結果としての殺人事件ではない。

 

自殺するほどに追い込まれた人は、銀行強盗や誘拐もするのではないか?自殺するほどだから、強盗なんて勇気はないよと言っても、もし暴力団あたりが多重債務者リストを入手して、彼らに強盗の実行犯をやらせたら、どうなる?

 

自殺する筈の人を犯罪者に仕立てて、犯罪者が7756人増えたとしても、犯罪の増加率は大した伸びはないかもしれない。でも、社会の治安が大幅に低下するのは間違いない。

 

そして検挙率が低下したら、最も問題なのは、「何だ、捕まらないなら、俺もやろうかな」って事になり、社会全体の倫理観が下がり、もはや国家としての形を保てなくなる、つまり人々の財産と生命の保証が出来なくなるという事につながる。

 

問題はここだ。いくら個人が資産を作れる国であっても、その資産を守る為に警備員を雇ったり防犯カメラをつけなければいけないとなれば、何の為の金だろう。ましてや、失敗したら自殺するしかない国、それって何だろう?一体何の為の国家なのか?

 

こんな笑い話がある。

 

英国で生まれ育った若者が、苦学の挙句に一流大学を卒業、シティの銀行で見習から叩き上げ、40歳過ぎにやっと独立、運良く成功して資産家になり、50歳で引退。彼はその後タヒチの小島のビーチ沿いにコテージを購入。

 

パーティ好きな彼は、早速近くに住む地元の人たちを呼んでバーベキューをした。地元の人と言っても貧しい農家や漁師である。

 

彼は自分の苦労話をして、やっとこの生活を手に入れたよと自慢すると、農家や漁師の人々は「ほ〜、そうかい、そりゃ大変だったな。最初からここで生まれていれば、何もしなくてもこの素晴らしい景色を楽しめたのにね。お疲れさん」

 

つまり、治安とか財産とか生存権などは、実は、国=住む場所を変えるだけで、簡単に手に入れられるのだ。多くを望む必要はない。他人にどう見られるかなんて関係無い。クーラーがなくても、コンビニがなくても、素敵なレストランがなくても、心の平安と安全な浜辺があれば、それでよいのではないか。

 

今のニュージーランドを批評して、低賃金とはもう言えない。福利厚生は間違いなく日本よりよい。でも、何よりも良いのは、地域社会がしっかり存在して、お互いに助け合っていける土壌があるという事だ。

 

コンビニ、24時間映画館、漫才番組、そんなものはないけど、自分の財産は政府や他人に盗られず、命は保証されていて、失敗に対して寛容な国。人が人らしく、道ですれ違った人に笑顔で接する事が出来るニュージーランド。ストレスフリーな国。これこそ、今の日本人が一番必要としているものではないだろうか。

 

写真は、オークランドに戻った初日、どのインスタントラーメンを食べようかなんて贅沢に悩んでいる僕でした。

 

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tom_eastwind at 00:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月28日

ユダの福音書を追え

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最近読みたかった本の一番手。

 

大阪に着いて早速本屋に飛び込んで買った。

 

東京までの出張の移動と、東京での夜中の空き時間を利用して読了。

 

 

こりゃ、聞きしに勝る凄さだな。やっばいっしょ、これって。本気で宗教学者がこの問題を取り上げたら、まじで今のキリスト教、崩壊するかも。おお、ほうかいなんて気楽な事が言っておれるのはアジア人くらいかも。

 

ユダの福音書を追え」では、主にこの福音書が発見されるまでの事実を、時系列に小説風に書いているのだが、勿論その内容にも触れており、そこにはキリスト教の根本的な思想を吹き飛ばしてしまうほどの、それこそ原子爆弾級の事実が書かれており、これに比べれば「ダ・ヴィンチ・コード」の衝撃など子供のお遊びに過ぎないくらいの過激さだ。

 

日本人は、神社で七五三の記念写真を取り、キリスト教の教会で結婚式をして、死んだらお寺の墓に入るくらい宗教に関してとても寛容な日本人からすれば、今のイスラム教原理派のように、宗教が原因でキリスト教(主に米国)やユダヤ教(主にイスラエル)と殺し合いをするってのは、なかなか意味不明の現象だと思う。

 

その上去年あたりからキリスト教の世界を激震させている「ダ・ヴィンチ・コード」等は、当事者であるキリスト教信者の喧喧諤諤の議論などそっちのけで、日本人が団体ツアーを組んでパリへひとッ飛び、それこそ小説の舞台のルーブル博物館で「高みの見物」を楽しんでいる。

 

日本に限らず極東アジアでは仏教が中心であり、これって宗教というよりも哲学で、お釈迦様は神様じゃなくて人間で、一生懸命勉強して彼岸、つまり悟りの境地に入った、だから、人間その気になれば誰でもいけるよって言う親しみがある。

 

これに比べてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神様はたった一人で人間じゃなくて、人間を支配する絶対神で、だから逆らってはいけないし、自分の神様だけが正しい、他の宗教は間違っている!という思想。

 

これじゃあ戦争にもなるわな。ところが面白いのが、この3つの宗教、実は同じ神様を信じているって言う点だ。元々はユダヤ教が紀元前から存在しており、その宗派の一つとしてキリスト教が紀元30年頃から、そしてイスラム教がその数世紀後に始まった。

 

だから何の事はない、同じ神様を信じているのだから喧嘩する必要もないと「寛容な日本人」からすれば思うのだが、当事者同士は、お前の信じ方は間違っている、俺の信じ方が正しいんだと、お互いのちょっとした違いを針小棒大にして何かと他人との差別化を図りたいのだろう。まあ、同じ日本人なのにちょっとした違いを取り上げてわーわー言う奴もいるから、そこんとこは同じだな。

 

この3宗教の中でも特に戦闘好きなキリスト教は、新興宗教として親であるユダヤ教を敵に回して信者獲得に走り、その後も台頭するイスラム教とは十字軍遠征とかでどんちゃん騒ぎをやってきた。(ここで戦闘好きなキリスト教という言い方を敢えてするのは、基督の磔、ユダヤ排斥、十字軍、ナチス容認、最近では大ボスによるイスラムへの冒涜発言など、歴史を踏まえての事であり、現在の一般的キリスト教信者の話ではない事は明言しておく)

 

さてこの福音書。今から約2千年前に書かれた「ユダの福音書」がエジプトで発見され、長い時間をかけてやっと現代語に翻訳したところ、そこに書かれていた内容が既存の新約聖書を完璧なまでに否定している、てゆ〜か、全く無視しており、新約聖書に書かれている事を基本にすべての行動規範を作って来た、特に米国人やカソリック教徒にとっては恐るべき内容になっているのが、この福音書だ。

 

そこでまず「ユダの福音書」の前に、現在のキリスト教の主流派が使っている新約聖書を考えてみよう。新約聖書は4つの福音書と外伝などで纏められているが、多くの日本人に理解して欲しいのは、

 

1・新約聖書が完成したのは基督が死んで300年近く経った後であり、基督が自分で書いたものは何一つ無い。

 

2・聖書を作る際に、当時たくさんあった福音書(20以上あったと言われている)の中で、当時の支配者に都合良い4つだけ抜き出して、更に添削して出来たのが、現在の新約聖書。

 

3・基督やその使徒はイスラエル生まれで、全員ユダヤ人でユダヤ教だった。

 

4・米国で作られた映画等では基督は白人としてよく描かれているが、考えて欲しい、紀元前の中東に白人がいたか?中東生まれの基督だけ白人なんてあり得ないのに、何故か基督を描く時は白人になっている。

 

そしてユダの福音書。この書では、実はユダは基督の信頼を最も受けており、最も基督の考えに忠実で、他の使徒には理解出来ない事まで学び、最後にユダは、基督の考えを具現化する為に基督本人から命じられて当時の支配者層に基督の居場所を通報したのだと書かれている。

 

また、この福音書では基督が死ぬまでを書いているが、その後の復活は全く書かれていない。これが意味するのは、新約聖書に書かれた基督の肉体の復活は何の意味もないという事だ。

 

現在の教義においてはイエスの復活こそが宗教の根幹みたいに扱われていて、イースターなんて言う、神様が復活した事を祝うようなお休みがあるくらいだ。

 

が、同時にキリスト教の葬式では「肉体は滅びても魂は天に還る」と教えている。つまり人間の体は魂の借り物であり、肉体が滅びるのは魂が天に戻る事なので、何も哀しい事ではないと教えている。

 

では何故基督の肉体が死後3日で「肉体を復活」させる必要があるのだ?魂が全てと言う宗教で、何故肉体を日活、じゃない、復活させたのか?

 

それは民衆に基督を信じさせる為に「ほ〜ら凄いでしょ、基督は肉体も復活出来るんだよ!」と言うだけの示威行動だった。これって、どっかの松本さんが「僕、空中浮揚出来るんだよ〜」と言ったのと、ほぼ同じ程度の話ではないか?

 

キリスト教をある程度知ってて興味のある方、少し内容が硬いかもしれないけど、読んでみる事をお勧めします。

 

今現在キリスト教の方、読まないほうが良いと思います。あなたの思想が吹っ飛ばされる可能性があります。

 

宗教に興味がない人、新約聖書を知らずに読んでも意味が分らないので、まずは新約聖書と旧約聖書を読んだ方が良いです。

 

(ユダの福音書が実在すると言う事は、紀元3世紀頃のキリスト教主流派がこの福音書に対して文書で猛烈に反発したという歴史的事実によって知られている)

 

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tom_eastwind at 00:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2006年09月27日

ドメスティックエリート

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内向きな人々

 

今回の出張でも、日本で活発にビジネスを行っている多くの若い経営者と会う。しかし、その度に感じるのは、「言ってる事は外向きなのに、やってる事は内向き、超ドメスティック!」という印象だ。

 

 

世界に60億人が生きてて、日本なんてその60分の1で、更にこれからますます減少していくってのに、世界がますますITと物流や人流によって相対的に小さくなっていくってのに、話している事は国際的なビジネス展開で理論だけは立派だが、実際の収益は国内の目先の商売でしか見ていない。

 

本当の海外展開なんてやれるだけの力量がない。だから人に話して心地よい海外事業展開構想とか喋るけど、実際には外に出て行く力なんてないし、大体そんな度胸も無い。別府温泉ゆ〜だけよって感じ。

 

ましてや日本という国、政府による裁量行政と、個人資産をどんどん政府がカッパラッテ溜め込んでいる国なんだから、金が欲しかったり、日本ででかい商売をするならば、どうしても政府が絡んでくる。

 

裁量行政の日本で競争するってのは、自分の力量じゃなくてコネや付き合いがものを言う。だから政府や役人にゴマ擦って頭下げるだけの、それこそ過去の銀行、保険、建設業界等の護送船団行政時代に戻って、とにかく言われた事だけやって金儲ける商売しか出来ない。

 

最近の福島県の談合事件にしても、まだこんな時代遅れの話があったのかってびっくりだ。福島の人には申し訳ないが、自分の会社の持つ技術や力量なんて関係ないビジネスなんて、そこのどこに、自由な発想や世の中に貢献するって言う、本来の商売の面白みがある?

 

そんな米搗きバッタ商売ごときで、家の子供に「お父さんは忙しいんだから、遅くなっても文句言うなよ、日曜の接待ゴルフだって必要なんだよ」って言った挙句に逮捕だよ、子供に恥かしくないかい?

 

日本人って、一人一人で見れば、優秀な大学を出て日本のビジネス社会で磨かれて、実に細かいところでは優秀なのだが、その発想はどこまでいっても上意下達のドメスティック。だから、親亀こけたら孫亀までこけるというビジネスモデルになっている。

 

大所高所でモノを見るとか、自分の頭で自由に考えるという視点が欠落している。社会常識よりも会社常識が優先する国に戻っている。これが日本の現況だなと思った。

 

そしてそんな彼らに共通するのは、「生きる為の技術」は学んでいるけど、「何故生きるのか?」っていう、一番大事な「人の気持ち」を全く学んでない事なんだ。

 

草や花がただ生きてるってだけで感動したり、人の為に何かして嬉しくなったり等の、人間が根本に持つ感情が育ってないのだ。

 

結局、親や他人から言われた道を歩くだけで、自分の頭で考えるという事が出来ない。解の決まっている暗記問題を3択くらいで解くのは得意だけど、じゃあ解がいくつもある中で、自分の頭で考えてリスクを取って方向性を決めてみろって言うと、いきなり「おたおた」しだす。

 

そしてそんな学歴・職歴・家庭環境、どれを取っても素敵なエリートが海外に出てみると、中卒の中国人を相手に商売して騙されて、それってお笑い?みたいな事になってしまう。そんな実例、香港時代に死ぬほど見てきたけど、ほんと、日本のエリートは弱い。

 

やっぱり教育の失敗だろうな。今の30代エリートって、まともに親と食事した事あんだろうかね?コンビニ世代や鍵っ子世代、学校では暗記ばかりで、人生における正しい答と試験の答が違っていれば、試験の答の方が正しいとなってしまう時代に生まれたドメスティックエリート。

 

根本のところに間違いがある。例えばウインドウズのOSでマックを操作しようとして、どうしても動かなくて悩んでいるような感じ。

 

これならやっぱり、江戸時代から続く日本のシステムである「民は依らしむべし、知らしむべからず」方式が、日本には合ってるな。

 

民主主義なんて、この国には100年早いなと感じた、東京の夜でした。

 

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tom_eastwind at 12:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月26日

日本出発

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早朝のチェックアウト、リムジンバスで 成田へ移動。これだけ忙しくなると、まともにブログ書く時間、ないな〜。

それにしても移住の反応、盛り上がりは感じていたものの、ここまでとは・・。30代の皆さんの危機感が、そのまま伝わってくる。

日本に対する危機感。

ま、いいや。これは、オークランドに戻ってからゆっくり書こう。

写真は、ホテルのラウンジから見える六本木ヒルズ。

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tom_eastwind at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月25日

京都日帰り出張

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8:50の新幹線で京都へ。ところがこの「のぞみ」、すごい込み具合で、禁煙車は殆ど満席!

京都駅内のホテルグランヴィアで2件の面談を終わらせて時計を見ると、もう午後3時。お腹すいた〜って事で、新幹線に飛び乗る前に、構内の立ち食いうどん屋に駆け込む。

東京に戻る途中、富士山が見えてきた。やっぱり綺麗だな〜。

他にも浜名湖あたりの景観がとても綺麗。やっぱり日本は良いな。

写真は東京タワー。これもパワフル。

さて、これで出張の日程もすべて終了。明日は香港経由でオークランドへ戻ります。

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tom_eastwind at 19:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月24日

日本到着

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金曜の午後、日本到着。

 

午後関空から大阪市内に入り夕方より3組面談。翌日新幹線で名古屋にて昼食を挟んで面談後、品川へ。ホテル到着後すぐに打ち合わせ2件。土曜日は面談4件なり。今回は期間が短く、体調管理の必要ありかな。

 

新幹線に乗っていつも感じる事が、大きな荷物を置く場所のなさと、昼間からサラリーマンがちくわをつまみにビールをぐびぐび飲みながらスポーツ新聞のしょうもないネタ欄を開いて、脂ぎった顔でじ〜っと見つめている場面の情けなさ。

 

平日の昼でしょ、もうちょっとする事はないの?スポーツ新聞も、時には気分転換には良いだろうけど、新幹線に乗ってから降りるまで、ず〜っと変な記事読んでて、隣に座っている女性客に見られても、赤の他人だから恥かしさも感じないんだろうけど、自分の子供の前でそのページ、見られる?

 

テレビを見ると、飲酒運転のネタが、福岡の事件以来マスコミを賑わせている。この国って、何でいつもこうなんだろうと思う。

 

飲酒運転が悪いなら、取り締まりの方法があるだろ。日曜の田舎の結婚式場の近くで検問してみろ。地元の議員がどんどん捕まえられるぞ。

 

要するに弱い者苛めしか思いつかない裁量行政じゃないか。(裁量行政=役人が弱い一般市民を苛める時に使う手段。強い者、やくざや議員には適用されない事でも有名)

 

大体飲酒運転を止めさせたいなら、代行の仕組をもっとしっかり作ればよい。役人が代行業者を認可制にしておいて新規参入の障壁を作った挙句、じゃあ田舎のお付き合いで飲まされた場合は、実質的にどうやって帰れと言うのか。

 

代行運転にタクシー免許が必要と言うなら、社用車でお客様を運ぶ人は免許不要なのか?

 

飲酒運転の原因を根本的に手直しはしようとせず、新聞で叩かれた時だけ問題にして、これで喉元過ぎたら、また飲酒運転の放置になるんだろうね。

 

 

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tom_eastwind at 00:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月23日

ヒルズ黙示録

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おお、凄いタイトル。六本木ヒルズを舞台に、ライブドア、村上ファンドと続けて起こった事件に、伏線の楽天やリーマンブラザースなども参乗させて、十分な時間と綿密な取材をして書き上げられたドキュメンタリー。

 

ここ半年で一番のドキュメンタリーだろうと思う。前回の「兵士の帰還」から「ヒルズ黙示録」までの間に3冊ほど読んだが、それほど心に残らなかっただけに、この本がパワフルに感じる。

 

この本は、ライブドアがオンザエッジと言われた時代からライブドア裁判に至るまでの六本木ヒルズの動きを中心に描いているが、作者の主張は村上及び彼の周辺の外資系投資会社が中心となりホリエモンを動かしたというものだ。

 

そして、ライブドアの仕掛けの中心を担う野口という若者が沖縄で「自殺」をするという事態を、「自殺である」と書きながら、読む人の心に「他殺ではないか?」と思わせ、その背後に、「野口はHIS系列の証券会社の支配者になりながらも、根っこではライブドアの人間」であり、更に彼が安倍晋三後援会の理事であり、事件発覚後に沖縄に突然誰かに呼ばれて死亡しており、これは結局ライブドアが仕掛ける為の現金を準備したのは「誰か」という問題を、暗に提起している感じがする。

 

勿論、表面的には外資ファンドなどがライブドアに現金を用意した。でも、その現金は誰が出資して、どこから来たのか?そして、その投資話に乗っかった政治家がいたのではないか?

 

今週の裁判では、ライブドアのホリエモンが自分の会社を粉飾決算をして商法に問われたというような流れになっているが、粉飾決算など大小どのような会社でもある程度はやっている事。

 

それよりも安定して相互依存していた既存社会の馴れ合い体質構造をぶっ壊したという点で「大人」から見ると許せないガキである。時間外取引などではホリエモンは法律違反をしていない。黒に近いが、現在の法律上では白である。だから商法で引っ掛けた。

 

むしろ今回のライブドア・村上事件は、ライブドアと村上ファンドを通じて利益を出そうとした人間が、自分の存在を表立たせない為に取った「国策捜査」ではないか、更に言えばその途中で過剰反応を起こして野口さんを殺した問題をマスコミに触れさせない為の目くらましではなかったのかという気にさせる本だ。

 

他にもリーマンブラザース等の外資の動きも裏側がよく見えて、実に面白い話になっている。

 

読んだ本は自宅ではなく、いつも会社の本棚に入れてるので、興味のある人は読んでみて下さい。

 

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tom_eastwind at 00:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2006年09月22日

移民が国を潤す。

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日系ビジネスでシンガポール特集を読む。

 

シンガポールは1965年にマレーシアから独立、現在の人口は424万人、面積は東京23区とほぼ同じ。一人当たりのGDPが日本の約7割(2万6千7百ドル)。

 

日本人にとっては観光地、買物、マーライオンのイメージと、最近では村上ファンドが本拠地を移した場所としても有名。

 

 

ところがそのシンガポール、出生率は日本と同じ1.24で、移民政策を取らなければ人口減少になるので、毎年3〜4万人の移民を受け入れている。

 

面白いのはここからで、労働力として労働ビザを取得して来る女性には妊娠検査が義務付けられ(つまり妊婦の入国は駄目)、シンガポール人との結婚は許可制であり、同棲して妊娠したら、労働ビザを取り消すという方針だ。つまり、シンガポールは自国民に対して手厚い社会福祉政策を構築しており、外国人女性が潜り込んで勝手に住みつく事を禁止しているのだ。

 

これなどまさに、2年程前にクライストチャーチで起こった、日本人女性による観光ビザ出産事件を思い出させる。シンガポールでも、外国人が貢献もせずに良いとこ取りをする事は認めてない。その後NZ政府も法改正で、NZで出産する事を出来なくしている。

 

そしてもう一つ面白いのは、リーシェンロン首相が日系ビジネスのインタビューに答えた内容だ。

 

「我々は、真中から上のレベルの労働者が働き、根をおろす事(移住)は奨励しています。でも、未熟練労働者が根を下ろして(永住権を取得して)仕事を辞めてしまい、市民権を得たのだから恩恵や権利を要求するような事は、深刻な社会問題になる」

 

つまり、シンガポールは優秀な人材は受け入れるが、真中から下のレベルの労働者は、長期にわたっての受け入れはしないとはっきり言っているのだ。

 

1億円規模の投資をする外国人には永住権を与えるが、シンガポールに現在住む、50万人いる単純労働者は、住む場所、職種を厳しく決められて、起業も出来ないし、一定期間が経てば出て行ってもらい、次の労働者にその権利を渡すと言う政策だ。

 

金持ち優遇政策ではあるが、彼らは明確に「それの何が悪い?働かない連中や能力のない連中を外国から呼び寄せて社会福祉を提供して永住させるほど、俺たちは金持ちではない」という事だろう。

 

シンガポールはセーフティネットを備えながら自助努力を促す社会保障制度を作っているが、それは国に貢献した人への政府からの返礼であり、乗っかるだけの人は認めないという姿勢が明確である。

 

シンガポールが管理社会であり、リー一族の独裁国家であるのは事実だ。僕もあの国に住もうとは思わない。あまりに管理が厳しいからだ。しかし彼ら一族が作って来たシンガポールという国は、移民政策や金融政策を見る限り成功している。

 

そこでNZに振り返ってみると、NZで労働ビザが欲しい、移住したいと思っている日本人は多いが、一旦NZに移住すると、すぐにこの国の社会保障を利用する人が、最近増えてきたと言う事だ。

 

特にNzdaisukiの書き込みでは、掲示板を利用して情報交換をしているが、そこには、永住権を取得したばかりの人が「私はどうやったら失業保険をもらえるんでしょうか?」等と書き込む。

 

それに対して「それって違うんじゃない?僕らは自分の自由意志でこの国で住む事を決めたのに、相手に迷惑をかけるような事はよくないでしょ」と書き込みがあると「そんなの当然の権利ですから、もらって何が悪いのよ!」みたいに、権利ばかりは主張する。

 

じゃあその人、国民として国家を支えているという意識はあるのだろうか?例えばNZに投資をする、NZで労働力として貢献する、NZで納税をする等、この国に対する貢献なしで、権利ばかり主張する人になると、じゃあその権利を支える為の資金はどこから生まれるんだろう?

 

社会福祉関連の色んな権利は、それを支えてお金を出す人がいるから成立しているのであり、皆が「頂戴頂戴!」の大合唱をやってしまえば、国が潰れてしまう。ましてや、その国で生まれ育ったわけでもない人が、権利をもらう為だけに移住してくるとしたら、それは本末転倒であろう。

 

 

移民が国を潤す、それが本来の移民の姿だと思う。移民が国を枯らすのであれば、その時は1960年代の米国大統領でダラスで暗殺されたJ・F・ケネディの演説を思い出すべきであろう。

 

「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.(祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい。)」

 

 

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tom_eastwind at 00:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月21日

香港に寄る・キャセイ航空

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日本出張だ。オークランドから関空に向かう途中の乗り継ぎで香港に一泊する。

 

JALとNZが共同運行しているオークランドから日本への直行便を使っても良いのだが、1991年から始まる僕の香港生活時代から10年以上使っているキャセイ航空は、エコノミーでも機内サービスや食事が優れているので、今も利用している。

 

 

エコノミーでも座席に画面が付いてる機体を早い時期に導入したのもキャセイだし、通常の食事とは別に、日清食品と契約してキャセイ独自のカップヌードル(ヒンズーやイスラム等の宗教に配慮して、スープも鶏肉出汁しか使わないやつ)をどこよりも早く麺類に提供したのもキャセイだ。

 

それだけのサービスを提供しているから顧客からの信頼も厚く、同時にスチュワーデスでさえも飛行機を降りたら制服のままで乗合バスを使って、市場で野菜を買ってきたおばちゃんと肩を並べて自宅に帰るほど、しっかりと原価管理が出来ている。

 

どこかの国みたいに、スチュワーデスが超高給取り(今は派遣が増えて安くなったが)で、世間の普通の人々よりも高い場所(飛行機の中)にいるから偉いと思い込んだ組合が、贅沢な環境を組合員に提供した挙句に、その会社は大赤字で、今は殆ど倒産状態であるのと比較すれば、誰がまともな企業運営をしているか、一目で分かる。

 

全く、馬鹿と煙は高い所を好むと、よく言ったものだ。この辺の組合問題は山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読むとよく分る。

 

そしてキャセイが何よりも良いのは、短気な僕が「切れない」で、安心して乗れる航空会社であるという事だ。それは何も、僕のキャセイのマイレッジが多いからではない。これは昔、マイレッジもマルコポーロクラブもなかった時代からのサービスである。

 

常にお客様志向であるその営業姿勢は、末端のキャビンアテンダント=スチュワーデスまで伝わっている。だから、誰かがミスしても誰かがフォローするし、客の言う事が無茶なら、それをどう断るかという事をしっかり理解しているし、何より機内で起こった事はその場で判断するしかないので、現場に判断権限が下ろされているのが良い。

 

持ち帰ってどうこうしますなんてない。NOはNOで、ちゃんとその場で答を出していく素早さが心地良い。ロストバゲージの時でも、処理の仕方が実に現場に権限を下ろされているのを感じる。失敗した時こそ営業の機会である。そのサービスには、切れる必要がないくらいの、顧客志向があるからこそ、切れる必要もないわけだ。

 

以前も書いた記憶があるが、僕は日本直行便の共同運航便の日本人CA(キャビンアテンダント)に怒った経験がある。

 

そのフライトはNZ航空が機体とCAを提供しているので、搭乗したCAはNZ航空で採用された日本人女性である。

 

でもってこのCA、乗りこんで来た日本人団体客をまるでゴミのように扱い、「ええい、めんどくさい黄色いサル婆め、この私の働いているお姿が見えぬのか!私は忙しいのじゃ!何かして欲しければ英語を話せ」みたいな態度を取る。

 

おいおい、お前さ、何でお前のような黄色いサルがNZ航空のCAで採用されたか分るか?それは、同じような黄色いサル様が乗るからだよ。

 

お前らの存在価値は英語が出来ない黄色いサル様に仕えるサルであり、サルの共通語である日本語が話せるから通訳として今の地位を得ただけなのだよ。

 

なのにお前が偉そうにエセ白人をやってしまい英語で話せなんて言い出したら、自分で自分の首を締めているようなものじゃないか。そんな事さえ分らないのか?

 

そのくせ英語を話す連中には、座席の横に腰を下ろして長話。よほど英語が話せる事を黄色いサル団体に見せたいのだろう。

 

しかしこういうエセバナナ(バナナとは、西洋の白人諸国で生まれ育ち、西洋の教育や文化を受けて育った東洋人の子供の事を言う。外見は黄色だが、中身=考え方や行動は真っ白というバナナみたいだからだ)。

 

外見は黄色だが中身は白人並ですよと他の白人に言いたいんだろうけど、でも宗教、教育、文化が全く違う環境で育った連中、要するに実際はバナナではないと自分で分っているから、白人に擦り寄る為に、他の黄色いサルを馬鹿にする事で差別化するしかないという、情けないほどの人種差別を行っているのが実際だ。

 

大体そんな白人信仰がどこから出てくるのかよく分らない。白人のどこが偉いのか?劣等感の裏返しなのだろうか。僕は白人に対しても日本人に対してと同様に、先入観念なしでつきあう。YESとNOは、はっきり言わせてもらう。

 

あえて言えば、彼らの作った国で御世話になっているので、母屋を借りている立場としてこの国を造ったオールドキーウィに対して尊敬の念は常に持っているが、だからと言って目の前の馬鹿なキーウィの馬鹿な発言を寛容に受け入れる理由にはならない。

 

その時は僕が日本人CAのあまりのサービスの悪さに本人に直接日本語で文句を言うと、英語ぺらぺらに見えるけど本当は薄っぺらな英語ばかり喋ってる彼女が白人チーフパーサーにしがみついて「英語も出来ないサルみたいな日本人が訳の分からない無理難題を押し付けている」みたいな顔で、泣き付いている。

 

なるほど、二人でこっちを攻めに掛かろうという腹だろう。

 

そりゃあさ、顔はサルだけど、中身はまともだよ。チーフパーサーに英語で事情を説明する。日本人が自己保身の為に同じ日本人を馬鹿にする事で白人に近づこうとする姿勢は、サービス業としていかがなものかと。

 

するとそのパーサーにはちゃんと理解してもらえたようで、彼女からはお詫びしてもらい、その場の話は片付いたのだが。(だと思う、少なくとも彼女よりは僕の方が、発音は下手でも英語で説明という点では上手だったと思うし、相手には理解してもらえたと思うが、確認は出来てない。何故ならそれ以降この路線を使う事はないからだ)

 

それにしても全く、馬鹿らしくてやってられない。何で金を払って他人の会社の社員教育をせんといかんのか。

 

今の時代に、ここまで時代錯誤の航空会社(NZ航空)が何故存在できるのだろうと思ってたら、案の定去年倒産して、国有化された。そりゃそうでしょ、勘違いCAが偉そうに働いている飛行機に、誰が乗りたいと思うものか。

 

お蔭様で2年前くらいから去年から日本人観光客が激減、元々16万人くらいで推移していた市場が、去年は14万人しか来てないんだって。

 

そして昔と違い、その直行便を利用するお客は、観光でもビジネスでもないお客、つまり英語の出来る移住者が激増しているのだから、日本語のサービスなんてそれほど必要ない。

 

進化の法則、無駄な勘違いCAは切られていくという事ですな。日本人に嫌われ、白人には利用価値なくなって捨てられ、全く自沈ですな。ええこっちゃ。

 

それにしてもプライドを持たない日本人にだけは、本当に頭に来る。日本人として堂々と生きようよ。だって、日本人は世界の誰にも誇れる民族なんだから。

 

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tom_eastwind at 00:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月20日

半旗〜叛旗?

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オークランドのハーバーブリッジのてっぺんに掛かる旗は、ほぼ毎日違う。その時にニュージーランドを訪れている外国政府の要人や行事に合わせているのだろう。興味のある人、橋を超える時に見てみると面白いですよ。

 

今朝はいつものNZ国旗だったが、よく見ると、旗が半分しか揚がってない・・・はて?

 

 

あ、あれって半旗じゃんか!そう言えば車の中で聞いてたラジオニュースで、今日はトンガ国王の葬式と言ってた。

 

そうか、トンガ国王の葬式に合わせて半旗にしているんだろうな。もしそうだとしたら、なかなかきちんと礼儀をわきまえたNZ政府だなって思う。

 

トンガ国王は去年くらいから体調を壊して(太りすぎという説もある。何せ多い時は200kgを越す体重だったらしい)、最近はオークランドの病院に長期入院していたのだが、先週病院で亡くなった。その為遺体をトンガに搬送して、地元で葬式を行ったのだろう。ちなみに葬式では彼の遺体が入った棺を、かなりたくさんの人で支えていたらしい。そりゃそうだろう。

 

そのラジオニュースでは、多くの国家代表に混じり、日本の皇太子も列席していると報じていた。南太平洋の小島のことなので、欧州からはイギリス以外は、あまり偉い人は来てないようだ。

 

トンガは1970年にイギリスから平和友好的独立しており、今でも英語を共通語として使っている人口10万人の国でキリスト教が普及しているので、ニュージーランドとも縁が深い国である。そういった事もあり、オークランドの病院での治療を選んだのだろう。タヒチやフィジーじゃ英語も通じないからね。

 

さて皇太子、奥さん帯同で来たのかなって、ちょいと疑問を持つが、その事はニュースでは触れられてない。まあ、日本の天皇の息子が、嫁さんと一緒に来るかどうかってのは、下手にニュースにして政治ネタになって叩かれても、NZの放送局としては何の利益もないもんね。

 

何せ自分の親にあたる国では、皇太子が浮気した挙句にダイアナさんと離婚して、最後には離婚したダイアナさんが交通事故で亡くなるって不幸な状態になっている。下手に日本のネタをいじっても、じゃあお前らの元の宗主国はどうなんだ、今でも一応NZで一番偉いのは女王だろうがという事になる。

 

そういや今でもエリザベス母さんは、新しいオンナの事を認知しているようには見えない。それこそ皇位継承権を、いきなり孫に渡してしまうかみたいな話も出てて、お婆ちゃん、孫が大きくなるまでは死ねないね。王室であっても一般庶民であっても、苦労は同じだ。

 

だから外国の要人の下ネタをあんまり突っ込んでもいないNZメディアだが、地元ニュージーランドの事となると、そりゃあメディアに発言権ありますよって感じで、スキャンダルと浮気ネタdaisukiな英国人の本性が現われたように、凄い事件が起こっている。

 

それは、国民党(野党)党首のドン・ブラッシュが、病気の中国人妻をほったらかして、ある実業家の奥さんと浮気してたってすっぱ抜きがあり、先週からニュースはその記事で大賑わいなのだ。

 

元々ドンブラッシュは最初の白人の奥さんがいる間から中国人の彼女を作り、せっせと浮気、ばれると速攻で白人の奥さん捨てて、今の中国人を奥さんの座に据えたくらいの人物。そして時は経ち、又も同じ事の繰り返しかよ〜。

 

さすがに新聞では人種差別的な発言は書かれていないが、多くの白人は「このばかったれ、前回はビザ欲しさの中国オンナに騙されやがって、今度は政界のリーダーの癖に、また友達の嫁さんに手をつけやがって、いい加減にしろ!」って感じだろう。

 

(この中国人妻がドン・ブラッシュと結婚する前から永住権を持っていたかどうか、今のところ不明だが、もし日本で小沢や安倍晋三の妻が中国人だったら、どんな理由があろうと、政治的公正という意味で、党首は難しいでしょ)

 

今回の浮気相手は、資産家ビジネスマン夫婦の奥さんであり、ドンさんは当然旦那さんとも顔見知りなのに、まあ、ようやるわって感じだ。一応この旦那さん、「妻は無実だ」とか言ってるようだが、真実は藪の中、二人で一つの部屋に入って、そこにベッドがあって、1時間も出てこなけりゃ、疑われても仕方ないよな。かと言ってドンさんに、ドアを開けておくという趣味があるとも思えないし、いずれにしても不用意でしたな。

 

性に関しては結構オープンな国だとは思うが、基本がキリスト教なので、遊びまわる男に女性票が集まるわけはないし、NZの有権者の半分は、清き正しき女性だ。やばいっしょ。やっぱ、片方ときちんと切れてからでないと、次に行ってはいけないのよ、この国で政治家をしたいならね。

 

実際に以前住んでたクイーンズタウンでは、あるカップル2組が楽しそうに食事してて、そこに加わって話をすると、2組ともとても仲が良くて相手の事をよく知ってる。聞いてみると、「おう、あいつの嫁は俺の元の嫁なんだ、ははは、そいでもって、俺の今の嫁はあいつの元の嫁なのさ!」そしてパチンとウインクされてもね〜。まあこういう話が普通に転がってた田舎だったので、他にする事もなかったんだろうけどさ・・・。まあ、こいつは俺の嫁だってのが、男同士でなくてよかったくらい?

 

でもってドンさん。男からすれば「おいおい、そんなのは世間の男性の二人に一人はやってる事だし、悪いのは、ばれた事なんだからさ〜」って思ってるだろうが、それは絶対に表立っては言えない。仕事帰りのバーでこそっと男同士でのみ許されるネタだ。もし自宅でそんな事言ったら、奥さんから蹴りが入って娘からはシカトされ、唯一の味方の筈の息子でさえ、家庭内騒動に巻き込まれないように自分の部屋に逃げ込むだろう。

 

案の定ドン・ブラッシュは、これで野党の党首の座を降りるようだ。

 

ところが先週も終わりになると、今度は国民党側が仕掛けたのか、ヘレンクラーク首相の旦那が、「どうもやばい事になっている」と言う噂が出回り、日曜の新聞(Sunday Herald)にすっぱ抜きで掲載されたのだ!

 

「首相の旦那はこんな趣味がありまっせ〜」的なすっぱ抜きなのだが、勿論ヘレンクラークも早速猛反発して、「全く非道で卑劣で最低な偏向報道であり、すぐに刑事告発に訴える」とやったもんだから、多くのTVや新聞社等、記事を掲載、転載したメディアが「お詫び報道」をやっていた。内容は、あまりに下らないので書かないが、先週からの政界は、もうひっちゃかめっちゃかな状態である。

 

どこを着地点にするか、そろそろ決めないと、与党も野党も、やばいっすよ。街には選挙の看板が立ち始めているんだから。

 

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tom_eastwind at 00:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月19日

日曜のお客様

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日曜のお客様

 

先週の日曜は、晴れたり曇ったりの天気の中、午前中に日曜討論で次期政権の話を聞き、安倍が当て馬じゃないのかってブログを書く。

 

午後は、日本から移住を希望するお客様を迎えた。

 

ピンポーン、ドアを開けてみると、当社の移住担当コンサルタントが連れてきたお客様がドアの向こうに立っている。あれ?どっかで見た事あるな、あ、そうだ、この人は前回の説明会に参加したご夫婦だ!

 

日本から移住の下見に来られたこのご夫婦は、30代前半。まだ子供がおらず、比較的自由に行動出来るので、今回の連休を利用して下見に来たとの事だ。

 

今回は、実際にNZで生活している日本人の話を聞きたいというお客様の希望で、だったら説明会で偉そうにNZがどうのこうのと言ってる張本人の僕の自宅を訪問させるべ〜という担当者の英断という事になった(みたい)。

 

大したものがあるわけではないが、一応プーアル茶と日本のせんべいを出して、午後の晴れ間のランギトット島を見ながら話をする。

 

彼らは、漠然とだが、クライストチャーチに住みたいと思ってる様子で、やっぱりオークランドは人気ないな、最近落ち目かい?とか思いながら話を聞くと、ご主人は普通の大学で農業化学関連を学び、卒業後は普通の会社でIT関連の業務についている為、職歴と学歴につながりがない。更に英語も、10年以上前に取得した英検二級のみで、それも今は錆び付いている。

 

親が資産家という訳でもないごく普通の、ある意味日本で住むには生活の苦労もなく、いずれ一軒家でも購入して幸せに過ごせそうなご夫婦だが、そんな人に限ってNZで永住権申請をする際に一番不利な立場の人なのだ。

 

NZでは永住権を取得、というか、自分の立場をアピールする為には一芸が必要とされる。要するに自分をどう他人に対して「商品化して価格を付ける事が出来るか」という事だ。「人が良い」とか「優しい」などは商品価値にはならず、パソコン技術やMBA資格など、目に見える効能が大事なのだ。

 

しかし日本では、自分を商品として理解出来ている労働者は殆ど存在しない。親や学校に教えられた道を歩く事が最高と思っている彼らは、自分が商品であるという事を教えられてないから、「商品に価格を付ける」という事が自分にも及ぶという市場論理を理解出来ないまま学校を卒業して就職、一般職になり、気付いて見れば日本の、それも、その企業の文化の中でしか生きていけないという事になるのだ。

 

哀しいが、日本では子供を社会の歯車として育てる事はあっても、人間として育てる事はしない。日本株式会社の歯車として育てられた人間には、個人が資格を取る必要はないし、ましてやその資格を持って転職、こちらの言葉で言う「Job Hopping という発想にはならない・・・。

 

でもって、一通り不動産の話などをした後に出てきた言葉が、「こんな僕でも永住権が取れるのでしょうか?」という質問だった。

 

この質問に対してNOと言うのは簡単だ。だって実際、英語も出来ず資格もないその状態で永住権を取得する事は不可能だからだ。

 

でも、いつも僕が答えるのはYESだ。

 

その理由は、「永住権はこの国で住む為の手段ですよね、だったら他にも観光ビザ、学生ビザ、ワークビザ等、様々な方法があります。それをうまく組み合わせて長期滞在する間に、最終的に永住権を取得すれば良いのです」だからだ。

 

実際に、日本で資格もなしにサラリーパーソンをやってた人がいきなりNZの永住権を取得するのは難しい。何よりも英語テストが難関だ。

 

でも、もう一度学生に戻った気持ちで英語学校に通えば英語は磨けるし、コースに拠っては学歴も取得出来る。また、NZは日本の田舎のような地縁社会であるので、一旦この国に入って近隣の友達を増やせば、そこから次の段階に持っていける。つまり、生活出来る給料をもらえるだけの仕事と、その先の英語テスト免除もあるし、そして永住権取得という道が出来るからだ。

 

要するに、学生ビザで半年、その後ワークビザを取得して2年程度頑張って働き、その後に永住権を取得、自分の本当にやりたい仕事につくと考えれば、2年程度の生活資金(夫婦で400万円程度)とやる気さえあれば永住権は最終的に取得出来るということだ。

 

だから、最初から永住権という高いハードルを狙って諦めるのではなく、最初はまず観光ビザ、そして学生、労働ビザと時間をかけて、3年くらい先の永住権を狙えば良いじゃないですかと話す。

 

するとお客様、それまでテーブルのお茶と僕の顔と奥さんの顔の間をくるくると見回していた顔が、急に上向いてランギトト島の光景を見て、「この景色いいですね〜、やっぱニュージーランド、本気で移住しようという気になりました」と仰ってくれる。

 

百聞は一見に如かずだ。まずは何としても休みを取って、自分の目で現地入りすることをお勧めしたいな。

 

写真は自宅の池の風景、もう春ですね、カメラがぼろいので分りにくいけど、綺麗な花が咲いてます。

 

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tom_eastwind at 23:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月18日

次の次の首相

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昨日の「日曜討論」では次期自民党総裁=内閣総理大臣候補3名が出演して、それぞれの政策を力強く語っていた。

 

その中であれ?と思ったのは、安倍晋三の発言。この人だけ力が弱いんだよね。声に力がないし、何より話の内容が不明瞭。べつに最近のきっこに影響された訳ではないけど、何となく安倍さん、あれれっこれで良いの?って感じ。

 

麻生さんは見識と自信に満ちた、堂々とした発言が目立つし、何より現実的な起点から話を始めるので、説得力がある。谷垣さんは、いつも通りの冷静な、でもきちんとポイントを押さえた話し振りだし、特に持論を主張する時には、冷静さを通り越して声が大きくなるのが特徴的だった。

 

なのに肝心の安倍さんだけが、司会者の質問に対して明確な答えを避けてみたり、結論をなかなか言わなかったりで、おいおい、これで本当に次の首相をする積り???

 

気になる教育問題でも、安倍さんが教育バウチャー制度の導入を話す。「これは学校同士に競わせて、より良い学校つくりの為に〜」というと、麻生さんがすかさず「これさ、俺たちいつから話してるかな、谷垣さん、もうかなり議論しているよね〜。大体学校を自由に選択出来るんなら、塾とも競争させるべきだろう、そう言う議論の踏み込みが出てくる問題なのに、表面的なところばかり言ってもね〜云々」と、すぐ切り返す。

 

消費税も、麻生さんは「やらないとは言ってない。まだ早すぎる、もっと政府が自分の無駄をきっちり省いてからだ」と言うのに対し、安倍さんは「それはですね〜、政府としてですね〜、色んな考え方のですね〜」ばっかりで、じゃあ結論は何?となると、何も語っていない。

 

靖国問題では谷垣さんが「お隣の国と歴史的な関係を考えれば、ここは日中国交正常化の時の周恩来の意見(日本人民は中国人民の仲間だ、悪いのは一部戦争指導者だけなのだ)を立てて、日本が譲歩すべきだ」と言えば、麻生さんは「それもそうだろうが、靖国は元々陸軍所管の追悼場所だったのを戦後東京都登録の宗教団体にした歴史的な処理の方法が間違っているのだから、その辺の技術的な手直しをすれば良いじゃないか」と答える。

 

ところがここでも安倍さんは「日中関連では周恩来の言葉なんて残ってないし、条約に書いてない事(靖国参拝してはいけない)を持ち出してもね〜、」というと、谷垣さんは「そんな姿勢だからぎすぎすした事になるんだ。紙に書いてなくても、あの時の日中の認識は一致していたじゃないか、そんな事言うから中国に反発を喰らうんだろ!」となる。

 

全体的に、麻生さんと谷垣さんの主張の方が明快で正論という感じがする。小泉さんだって、靖国は政治の道具の一つとして使っているのであり、「靖国に行かない事」が目的なのではない事くらい、安倍さんは分っているだろうに、そんなこっちゃ次の政権で中国に振り回されるよと感じる今日だった。

 

大体条約に書いてないからって言い方は、僕も聞いてて疑問に思った。それはないでしょ、本来ならお互いに話した事は、紳士同士の協定でしょう。そんな枝葉末節の文章を持ち出した日には、それこそ中国の得意とする枝葉末節の議論に巻き込まれてしまいますよって思う。

 

そこでピンと感じたのだけど、もしかして今回の安倍さんは、単なる「つなぎ」なのでは?って事。

 

小泉5年の長期政権で官僚とも仲違いした内閣だが、ここで安倍さんを出して失敗させて、その次に麻生か谷垣を出す事で長期のバランスが取れた政権を作ろうって、誰かの考えではないのか?

 

つまり安倍さんは、どっかの長老が仕掛けた策にはまり、「父親の出来なかった事をやる」というはしごを掛けられて屋根に登ったところが、振り返ってみるとはしごが外されている事に気付き、今更ばたばたしているんではないか?

 

自分の腕一本でのし上がったのなら根性もあるから、そんな状況でも戦うだろうけど、ぼんぼん育ちではそこまで戦えず、近いうちに政権を投げ出すだろうという読み。

 

狙いは来年の参院選あたりで、自民党が負けてその責任を安倍さんに取らせる。そして自民党と意見が近い民主党の小沢と組み、宗教団体の公明党を外してしまえば、元自民党同士で、愛国教育、北朝鮮問題、憲法改正等で挙国一致体制が作れるではないか。

 

何となくそんな筋書きが感じられる討論会だった。

 

 

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tom_eastwind at 00:38|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月17日

時給を計算してみる。

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最近のニュースで一億総残業時代に突入したという記事を読んでブログにも書いたが、その時ふと思ったのが時給である。

 

NZではサラリーパーソンの給与は、大体時給か年収で表示される。日本だと月給がいくらという形なので、少し戸惑う事があるが、元々日本の後出し給料のようなボーナス制度はなく、勤続年数よりも役職で給料が決まる国なので、計算は分りやすい。

 

 

例えば時給を、NZの最低賃金である10.25ドルと設定すれば、一年間の労働時間は大体2000時間なので、年収は2万5百ドルだ。これは最低賃金である。

 

男性の平均賃金は2005年で3万5千ドル程度だが、毎年10%近い賃上げが行われており、特にオークランドでは大卒のキーウィ男性は重宝されてて、今なら5万ドルは確実にいけるだろう。

 

でもってまずは10.25ドルという最低賃金なのだが、これはレストランの皿洗いでもオフィスワーカーでも全く同額である。産業別の違いはない。でもって、これってよく計算すると、

 

すでに日本の最低賃金を上回っている!

 

東京都の最低賃金は時給719円です。三重県だと671円。

 

今の1NZドルが78円だから、東京の最低時給で計算すると、約9.2ドルになる。そいでもってNZの最低賃金は10.25ドルだから・・・・やっぱり!NZの方が最低賃金が高くなってる!

 

そいでもって平均賃金を計算してみよう。一億総残業時代の日本では、すでに公務員まで残業する状態だが、例えばサービス業などは週40時間の基本労働で終わる人はおらず、大体が週50時間、つまり一日2時間程度は残業している。それに会社に行くまでの通勤時間が、ドアからドアまでで考えれば平均で1時間だろう。

 

と言う事は、会社の為に毎日8時間+3時間=11時間を使っており、年間労働時間で計算すれば、週40時間の基本+追加の15時間なので55時間、これを52週で計算すれば、日本人は2860時間を会社に貢献している事になる!

 

NZでは残業はまず発生しないし、通勤時間であるドアからドアでも30分が普通であろうから、週40時間の労働に1.5時間加えた41.5時間、それに年休は完全消化するので4週間分引いてみれば、1826時間の労働だ。

 

じゃあこれを時給で計算してみると、4万ドルの年収を貰うサラリーパーソンは、日本の年収500万円を貰う人と、金額的にも同額であるという事になる。

 

ちょっと待て!

 

勿論NZでは、高速道路もトンネルも無料だし、駐車料金も安いか無料なので、週末のピクニックでも殆どお金がかからない。毎日会社に行っても、お金を使う場所がない。僕自身、何もなければポケットの20ドルが全然減らないまま家に帰る事が出来る。

 

そうすると、可処分所得の違いが大きく出てくるではないか!

 

日本の家賃と生活費と日常支出を考えれば、NZの4万ドルの年収所得者は、とて〜もリッチだと言う事になるじゃないか。

 

家賃とか交通費とか、細かい点を再計算する必要があるにしても、大きな点で見ればNZの方が物価が安いのは間違いない。それなのに給料を計算すると日本より高いし、おまけに労働時間が短くて、毎晩家庭で家族と一緒にお父さんが食事出来るとなれば、これはもう、どっちが幸せか答えは出ているようなものだ。

 

おまけに、何より大事なのは社会保障だ。病気、失業、老齢に対する手当てが、日本に比べて行き届いているこの国では、生活に対する不安がないから、誰も貯金しないくらいだ。

 

そしてストレスがない。これが最も大事だろうが、電車が停まろうが街中の電気が消えようが、人々はにこにこ笑って受け入れている、そんな事が日本であるだろうか?

 

給料も高いし、ストレスもないし、可処分所得も多い国、そんな国ではあるが、その社会に所属する為には永住権の取得が大前提となる。

 

今の日本人にとっては大きな関門ではあるが、しかし、不可能な門ではない。

 

よくインターネット掲示板などで、NZは物価が高いとか給料が安いとか言う書き込みを見るが、英語も出来ずにNZの生活基盤もなく、やる気もない人が最低賃金のアルバイトをしていたら確かにそうだろうが、普通のキーウィは今、間違いなく幸せを享受していると思う。

 

同じ書き込みの中で、インターネット関連の仕事を得た人のサラリーは、平均年収6万ドル、多い人なら13万ドルというのもあった。

 

いつの時代でも、真面目に働いている人は、神様がちゃんと見ているという事ではないだろうか。

 

写真は、NZで新しくなったコイン。古いコインは、もうすぐ使えなくなるよ。

 

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tom_eastwind at 00:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月16日

二つの花束

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今日も笑える、楽しい一日だった。

 

ある飲み友達(女性)から電話が来た。

 

 

飲「とむさんおはようございます」やけに元気の良い声。

 

T「おは!」 今時、死語か?

 

飲「今日わたしたんじょうびなんです!」

 

T「おお、おめでと!25歳だね!何か買わないとね」普通に対応。

 

飲「で、オフィスに花束がとどいてきたんですけどね」

 

T「ほ〜、よかったじゃんか」ふむふむ・・・ちょい不安?

 

飲「2つも。写真をとってみました」

 

T「二つ?」 もしかして・・・いやな予感・・・。ええっと、もしかして・・・

 

T[二人から?]

 

飲「はい。でも、両方とも名前が書いてなくて、誰からか、わかんなくて」

 

T[ええっと・・・・・・・]意味分るだけに、笑える・・・。

 

飲「ヘタにお礼が言えないんですよ」

 

T「はは!それ、超うけた!」男って、そんなもんだよね〜。自分だけと思ってる。

 

飲「ホステスみたいですね」

 

T[今日のブログに使っていい?]思わず言う。

 

飲「えー!いいですよ」

 

T「はは、それにしても、あいもかわらず楽しい人ですね〜」

 

飲「そうですか?ちょっと自慢しようと思って話し掛けてみました」

 

ですって。幸せって、いいな〜と思った今日この頃。毎日が戦いの中で、

こんな風にのび〜って笑える時間、少ないです。

 

写真は、会社の入口に置いてある生け花です。

 

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2006年09月15日

オフィスから眺める空

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昨日も今日も天気が良いな。気温16度ってのは、過ごしやすい。春って訳でもないだろうに、実に気持ち良い天気だ。

 

NZの良い点は、湿度が低い点で、特に今日のような天気は、空気もからりとしていて気持ちよく、お酒もうまい。・・>?

 

昨日は楽しいお酒と食事。会社の方向性って言うか、どんな事をやりたいのか、この会社を使って何をやりたいのか、そんな事を考える時間。

10年前。最初は一人で観光タクシーの運転手から創め、そしてツアーガイド派遣会社を興した当社は、6年前に留学事業に乗り出して、3年前からは移住への取り組みを行い現在に至るわけだが、今ではそんな歴史を知っている人は殆どおらず、EWというのは、元々今みたいな会社だと思ってる人が多い。

今までの事を考えると、ほんの少しの成功と、たくさんの失敗の繰り返しみたいな気がする。

何か、そんな事をふと考えさせた今日の青空。

十年先も同じような青空を見ているのだろう。その時は何をしているにせよ、青空は何も変わらないんだろうな。

まあいいや、十年先の事を考えても仕方ない。今日を真面目に、後悔しないように一生懸命生きるのみだ。

あ、そうだそうだ、昨日が誕生日の人、おめでとう御座います!益々波乱万丈、いつ刺されても後悔しない人生を楽しんで下さいね。

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2006年09月14日

水晶山

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オークランドに最近出来た観光地、と言うほどではないが、シティから車で西に20分ほど走った山の中にぽつんと、その水晶山はある。英語でクリスタルマウンテンと呼んでいるが、実際には中国系の経営なので、僕には漢字の「水晶山」の方が通りが良い。そこの山、というか丘みたいなところで水晶が取れるなんて話も聞いたことない。

 

 

でもまあその水晶山。早速先週行って見ました。僕が住むノースショアからだと、一旦シティに出て1号線から16号線に入るよりも、18号線と言う、ノースショアからオークランド西部を結ぶ裏側の道の方が早い。

 

途中くねくねとした田舎道を走りながら「おお、オークランドにも、まだこんなところがあったのか〜」等といたく感激する。と同時に、日頃の勉強不足を感じ、やはり週末はもっと外出して、街を観ないといけないなとか、勝手に思う。

 

少し曇り空だったのが、到着する頃は軽い雨。被っている帽子にぴょんとぶつかって、軽々と、ぱーん!って感じではじけていく、そんな雨。遠くには青空も広がっている、典型的な継はぎ雨です。このような雨、NZではパッチーレインと言ってます。

 

さて水晶山。園内には小型電車や子馬に乗るアトラクションもあるのですが、あいにく雨のため、全部中止。おいおい、この程度の雨で中止と言うより、要するに客いないからって、はっきり言えば〜とか思いながら、建物の中に入る。

 

建物の左側に入口があり、その右側はキーウィ向けのカフェだ。カフェの部分は無視して内部に入ると、おお、水晶が勢ぞろい!

 

この水晶山、行くまでの道もしけてるし、園内に入る道もしけてて、おまけに雨も軽く降ってたので、かなり期待落ちだったのだが、展示している商品を見ると、「おお!」って感じで、よく揃っている。

 

深緑、オレンジ、ピンク、青、様々な色の水晶が、掘り出したままの形のものや加工されて置物になったものまで様々で、何よりびっくりしたのが、水晶に力がある!これ、どこで採ったのかな〜。

 

水晶にはいろんな力があって、人の心を落ち着けたり、環境と調和させたりと、様々な効果があると言われている。どの程度科学的に証明されているか知らないけど、僕としては水晶、非常に力を感じるので、観ていて飽きない。

 

そうこうするうちに紫色の、片側が真っ黒になっている水晶を発見。早速購入、力ありそう。そしてオレンジの水晶、薄いピンクの水晶、深緑の水晶など、たくさん買い込む。

 

そして早速家に持って帰り、それぞれ良さそうなところに配置してみると・・・。

 

何と、家の中が光りだした!

 

お化けが出たわけではなく、水晶に電気の光が反射したくらいの事なんだろうが、すんごい家の雰囲気が変化して、びっくり。何も、黒いものが白くなったのではないけど、体の中の波長が、が〜って変化した気分。

 

ものすんごいびっくりしたのは、翌朝。それまではいくら水を入れ替えてもすぐ汚れていた金魚の水槽が、何とたった今磨き上げたみたいに、ものすんごい綺麗になってたのだ!

 

これには家族一同ビックリ。「ねえねえ、誰か寝てる間に洗ったの?」と、お互いに顔を見合わせる。

 

それから数日経つけど、今も全然掃除してないのに、綺麗なまんま。これってすごくない?勿論、どこに置くかとか何を置くかで違いがあるんだろうけど、その石は適当に雰囲気を観ながら置いただけなので、まるで宝くじで一等賞を引いた気分です。

 

いやいや、暫くは幸せが続きそうです。はは、これがほんとの、陽気なO型、しあわせもんですな。

 

写真は、ピラミッド型の薄いピンクの水晶です。自宅の机の上に早速置いてます。

 

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2006年09月13日

誰の為に働くのか?

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日本の働き盛りの30〜40歳代の労働者で、週60時間働く人が23%いるそうだ。週50時間以上なら28%だとさ。

 

19時前に帰宅する父親は13%であり〜〜云々云々。NZでは絶対に考えられず、これだけで離婚の理由になるくらいだ。

 

 

日本は今、確かに一億総残業時代に突入しているな。

http://homepage1.nifty.com/rouben/teigen05/gen050930c.htm

 

 

人々の心は擦り切れ、電線に落雷が落ちて電車が停まっただけで、たった160円の切符を買っただけの家路に帰るサラリーマンが目の色を変えて駅員を怒鳴り上げて侮辱して言う、「何で電車が走らないんだ!」そりゃ落雷で電気が来ないからでしょ?サラリーマンは自分の言葉の理不尽さは無視して、昼間に会社で上司に怒られて自分の体の中に溜まった怒りをぶちまける為だけに、無抵抗の駅員を小突き回す事になる。

 

今の日本のストレスは残業だけではない。ノルマや生産性など、様々な要素が、そこで働く人々の精神を蝕んでいく。

 

日本の製造業は強い。しかしその強さを支えている、例えばトヨタの看板方式(Just in time )は、結果的に下請けメーカーがいつでも商品を供給出来る体制を強いる。また荷物を小分けにして運ぶ運送会社も、自分の荷物が工場に入荷されるまでの間、工場の外で車を駐車させて、車内でずっと待つしかない。多分その時間は給料に計算されないだろうな。荷物をいくつ運んでいくらという計算だろうから。

 

右肩:

でも、そうやって製造業が創り上げた素晴らしい商品が僕らの日常を豊かにしているじゃないか?家庭は電化製品で溢れ、ケータイで生活が自由になり、僕らはまた世界で一番幸せな人々になろうとしているではないか?

 

左肩:

しかし、どれだけ商品が良くなっても、それを使う立場の国民は、幸せか?

 

例えばシャープ亀山工場と言えば世界でも名高いトップクラスの生産性を誇る工場だが、そこで働く従業員の多くは派遣社員であり、健康保険も殆ど適用されずに最低賃金のみで働かされて、病気でもしようものならすぐに首だ。シャープに限らずキャノン等でも派遣の問題が新聞で大きく取り上げられている。

 

そこで作られたシャープのテレビはトラックで店先に運ばれるが、その仕事を担う運送会社は、顧客からの相次ぐ値引き要請によって殆ど利益が出なくなっている上に、最近の原油高でも顧客に値上げが受け入れられず、値引きと原油高の板ばさみで、まさに悲鳴をあげる状態だが、その最終的なしわ寄せは結局現場で働く運転手の低賃金と過激労働という形で現われる。

 

酒を飲んで事故を起こす長距離運転手が増加する背景には、その流通体制に大きな問題がある事は周知の事実である。去年からNHKなどでも取り上げられている。

 

激務に疲れた体で長距離運転する為に飲酒運転。酒で疲れを誤魔化した挙句に高速道路で交通事故に巻き込んだ車には、働き盛りの父親が乗っていて即死。残されたちっちゃな子供には何の保護も与えられない今の日本の福祉政策。結局その子供は不良になり、ナイフを持って夜の街を彷徨し、最後には近くにいる人を刺して刑務所へ。

 

そんなトラック運転手の自宅にも、残された子供の家庭にも、おそらく液晶テレビはあるのだろうが、哀しい事にそれを見る人は、もういない。

 

哀しいまでの、負のスパイラルではないか?

 

日本全部が値引きと競争で、確かに海外に比べれば生産性は高いと言えるかもしれないが、それを支えているのが日本人全体であれば、一体日本人は誰の幸せの為に働いているのだろう?

 

日本人は、総残業時代に突入して、それぞれが相手の総残業を支える為に、また残業しているような、まさに24時間社会になった。

 

その結果、日本で作られた素晴らしい製品は、海外で高い評価を受けて、NZで夕方時には自宅に帰る父親が、家族と一緒に食事しながらシャープの液晶テレビを観ている。週末はトヨタの四駆で家族と一緒にピクニックだ。

 

昔、日本人は世界で最も高い給料を貰っていた。今は最低賃金に押し込まれた多くの労働者が、NZよりも安月給の状態でコンビニの添加物たっぷりの食事で何とか毎日を過ごしている。

 

本当に今、日本人は誰の為に、何の為に働いているのだろうか?どこかでこの負のスパイラルを切らない限り、誰も幸せになれない気がする。

 

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2006年09月12日

フラット化する世界

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トーマスフリードマンというニューヨークタイムズの記者が最近「フラット化する世界」という本を発行した。

 

「世の中がフラット化した。その理由はインターネットと高速移動手段である」大意をまとめればこういう事になるだろう。

 

 

 

そして社会学者トフラーも、21世紀においては個人が主役になり、国家や国境は、その意味がますます変化、または消滅していくと彼の著作中で述べている。

 

しかし、トフラーやフリーマンを生まれて一度も読んだ事がなくても、優秀な大学を卒業していなくても、この二人の意味する事をすでに実践している人々がいる。それは日本からの移住者である。学者達の社会科学的推測や予測は、すでに予測の時代を超えて現実になっている。

 

何故モノが豊かな、言葉の通じる日本を出てNZ等の海外に移住するのか?それは表面的には「海外の方が、治安、教育、将来性、等を総合して生活しやすい、幸せになれる」と感じている人が増えたからだと言えるが、そんな「普通の人々」である彼らの希望は、100年前に叶える事など、まずありえなかっただろう。

 

明治時代に欧州の貴族に嫁いだミチコなどは本当の例外であり、多くの「普通の人々」にとっては、海外の情報等入手も出来ず、ましてや移動手段もなく、海外生活など夢のまた夢であった。

 

他にもオーストラリアの真珠取り移民、カナダ移民などは、本当に一握りの、経済の為の移民であった。

 

しかし現在。特にインターネットが急激に発達した1990年代以降は、「地球の歩き方」がなくてさえも旅に出られる時代になった。

 

携帯電話で海外の最新情報が入手出来、ジェット飛行機に乗れば世界中の何処へでも、ほぼ15時間以内に移動出来る。これなど、一眠りしたらそこは海外という、分りやすい例だ。

 

つまり、移住する為の技術が発達して、移住が特別な事ではなくなったのだ。国家が国民を選ぶのではなく、国民が国家を選ぶ時代に、技術的に移行したのだ。

 

すでにある程度以上の学識や知識、資金的な余裕がある人々にとって、移住はかなり現実的な選択肢の一つになっている。

 

インターネットが発達して在宅業務が可能になれば、NZに住み、日本の会社で働く事も可能になる。個人商売なら、なおさらだ。例えば漫画家や小説家は、働く場所を選ばないし,毎日会社に行く必要もない。それなら、箱根の旅館に篭もるよりはNZの陽光の下で仕事をしたほうが楽しいだろう。

 

殺伐で世知辛い日本で生活をするよりは、人々が幸せな顔で生活出来るNZの方が、余程楽しいではないか。

 

まして、日本では国民が政府の奴隷になり、一切の文句を言わせず税金を巻き上げた挙句に、その税金は使途不明の飲み代や官官接待、不要な道路になってしまう。それでも毎年30兆円の赤字ときたもんだ。

 

ところがNZでは、税金も安く国家も明朗会計で、毎年国家財政黒字を出しており、所得税の引き下げを行っているくらいだ。比較すれば、一目でどちらが住みやすいか、分かると言うものだ。

 

以前も「廃国置球」というテーマで書いた事があるが、国民が自分の生きる場所を選択する権利は憲法で保障されている。ならば、その憲法に則って、自分の好きな場所で生きようではないか。

 

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2006年09月11日

生活先進国

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「格差社会の行き着く果て」

 

武田徹・東京大学先端科学技術開発センター特任教授が日経ビジネスに寄稿したタイトルが上記である。

 

 

  

 

東大で先端技術を研究している人が、その先端技術の行く先に社会的弱者切捨てを感じているのは恐ろしい話だった。だってもともと技術者だよ、社会科学を勉強している訳でもないのに、技術者のような理性的な目から判断しても、今の日本の状況がやばくなってるって事でしょ。

 

 

コラムからの抜粋:

「2004年に東京都の都営住宅で309人が孤独死した。そのうち17人は一ヶ月以上放置されていた。京都では38歳男性が失業で収入が途絶え、栄養失調で入院、一度は退院したが、結局は餓死した。死後一ヶ月経って発見されたミイラ化した遺体は、頭を布団にこすりつけ、(まるで聖堂の床にぬかずく拝礼のように)痩せた体を海老のように丸めて、死んでいた」

 

今時の日本で飢え死にをする人が出るなんて信じられない!そう思う人は、日本の福祉切り捨て政策が、弱い者から切り捨てていくという現実を知っているだろか?生活保護を打ち切られて収入を全く無くしたシングルマザーが、子供の見ている前で餓死したという記事をご存知だろうか?

 

1987122日ガスも電話も料金未払いでとめられ、暖房も使えず、母子家庭の母親が3人の子どもを残して餓死した。札幌市白石区でのことである。・・・・すでにガスもとめられ、市営住宅の家賃も滞納している本人が、体が悪い、といって生活保護の申請をしているのに、診療もすすめず、生活調査もせず、「若いから働けるでしょう」とか、9年前に別れた夫(ギャンブル癖のために別れた)から「扶養についての書類をもらってくるように」と言って、申請さえも受け付けなかったのである』

 

1987年と言えば、日本中がバブルで浮かれていた時代である。つまり弱者切捨ては不況など関係ないのだ。事例を挙げればまだたくさんあるが、社会的弱者が擂り潰される国、それが日本である事は間違いない。役人がお手盛りで税金を給料にしてしまい、暴力団からの生活保護にはNOと言えず、でも力の弱い女には強く出る。典型的な卑怯者である。

 

先進国かどうかを兵器や総合経済力で判断するなら、そりゃ日本や米国は先進国だろう。でも、その基準を「すべての国民を幸せに出来る国」とか「少なくとも飢え死や経済的理由で自殺をしなくても良い国」としたら、どこの国が本当に国民にとって生活しやすいか、分る筈だ。

 

社会の弱者に手を差し伸べて、お互い助け合いながら生きていこうとする社会、それこそが本来の社会ではないのか?だって、今日は金があっても明日はないかもしれないし、今日は元気でも明日は病気になるかもしれない。自分の代は裕福でも、子供の代になると失業して社会弱者になるかもしれない。

 

何故人は保険に加入するか?それは、万が一を考えるからだ。万が一社会の弱者になっても生活に困らないように、今のうちに個人の収入の範囲内でお金を払うのだ。

 

それなら、いつ自分が社会的弱者になるのか分らないのだから、社会福祉を国家政策として構築する方が、個人で守るよりも余程良いではないのか。だって、個人の努力には限界があるし、不幸はいつ自分の身に降りかかるか分らないのだから。

 

この話になると「じゃあ働かなくても生活出来るとなれば、誰も働かなくなるではないか?」という議論になるが、社会福祉はセーフティネットである。憲法で保障された最低限の生活を送る権利を行使するだけの話であり、税金を金持ちからたくさん取れと言っているのではない。

 

今度首相になる安倍晋三も、セーフティネットと、再挑戦出来る国造りを目指して、政策としても(実現可能性は別にして)その点を強調しているのだ。

 

金持ちは、例えば豪邸を建てる。そのおかげで設計家、建設業者、下請け、部品メーカー、さらには彼らの家族が潤い、そして現場の大工のお兄ちゃん達は、夜の街に繰り出す。夜の街でしっかり稼ぐお姉ちゃん達は、翌日にその金で化粧品を買い、おいしいものを食べに出る。そうやって儲かった化粧品会社の社長やレストランのオーナーが豪邸を建てる。そのおかげで〜という風に、社会の中をお金と言う血液が循環する事で、社会は発展していくのだ。

 

だから、金を生み出す打ち出の小槌=金持ちを重税で潰すのではなく、稼げる奴には稼がせて、そして使われせれば良いのだ。良いか悪いかは別にして、企業の経営などは誰でも出来るモノではないし、経営とは、宮大工やデザイナーと同じ、特殊な技能であるから、出来る奴にやらせればよい。そういうのが苦手な人は、経営者の下でサラリーマンとして腕を振るえば良い。それが適材適所だ。

 

そして消費税という形で全体から薄く広く税金を取り、その金でセーフティネットを作り、今はお金がなくて生活保護を受けている学生でも、「よし、俺もいずれ金持ちになってやる!!」という、やる気が出る社会。

 

それこそが活力ある社会ではないだろうか。そして、そのような社会を構築する事が出来る国家、それが本当に住みやすい国家と言うべきではないだろうか。

 

東大の特任教授が指摘する格差社会の問題は、最終的にセーフティネットに行き着く。これからの日本が外形的には成長していくだろうが、競争から落ちた人を救う為のネット作りが出来ない限り、年間3万人の自殺は更に増加するし、凶悪で異常な犯罪も増加するし、何よりも人心が崩壊して、人の顔からは笑顔がなくなるだろう。

 

彼が最後に言う。

『先進国ですら人生の歯車がわずかに狂っただけで餓死にまで至ってしまう状況で、社会的セーフティネットの構築は「他人のため」ではなく「自分のため」に必要になっている。だが、それに気付いている人はあまり多くないようだ』

 

餓死だけではない、人生の歯車がわずかに狂っただけで失業して収入を無くして電車に飛び込む中年、残された子供は一生社会を恨むかもしれない。もしかするとそれがきっかけで悪に手を染める事になるかもしれない。そんな人が犯罪者になり、あなたの子供に麻薬を売りつけるかもしれないし、麻薬で正常な判断が出来なくなった子供が他人を刺し殺すかもしれないのだ。社会の悪循環の始まりである。

 

生活先進国:

今NZを旅する人やNZで生活している日本人がよく言う言葉は「キーウィって、ほんとに幸せそうな顔をして、いつも笑顔で楽しそうに生活しているね」ってこと。国家の政策が国民の笑顔に直結すると言う事を知っている国こそ、生活先進国と呼ぶべきだろう。

 

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2006年09月10日

ビザと英語 その2

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英語は2階建てでいこう。

 

そうそう、日本にいるといつも「え、ニュージーランドから来てるんですか、いいですね、私も行ってみたいですね〜」と言われる。これは、NZ生活経験のある日本人なら、ほぼ誰もが日本で経験する事だろう。

 

 

 

そんな時に「じゃあ行けばどうですか?行く気もないのに言うだけですか?」等と皮肉を言ってはいけない。何故なら彼らの発言趣旨はあなたの経験に対する無責任かつ肯定的評価であり、本当に行きたいとは思っていないケースが殆どだからだ。

 

つまり、「私はNZに住んでます」という人に対して「え!あんな田舎で何やってるの?羊の世話?お願いだからヤコブ病だけは持ち込まないでよね!」と言うのも失礼に当たるし、行った事もない国だし、まあ相手にとって当り障りのない程度で誉める為に「良い国に住んでますね」という表現をして、更に自分の言ってる事が嘘じゃないよと補強する為に「行ってみたい」といってるだけの、要するに言行一致しない無責任さから出た相手を喜ばせるだけの、弱い優しさなのだから、一々真面目に反論または皮肉を言う必要もなく、素直に「有難う、良い国ですよ、是非来て下さい」と言うのが、波風を立てない「大人の付き合い」であろう。これは海外でもある事ですからね。

 

てゆ〜か、そんな事を書くために今日のブログを立ち上げたわけではなく、肝心の話のポイントは、海外に住んでいると「いつも英語を使って生活している」と思われている点だ。

 

数日前のブログで「ふ〜、今日は英語ばかり話していた気がする」と書いたが、じゃあ日頃は英語使わないんですか?という質問を受けた。

 

今の一日の言語使用量で行くと、日本語6割・英語3割・広東語1割くらいなか。やはり圧倒的に日本語が多い。というのもお客様は日本人だし、日本人の代行でいろんな作業をやるので交渉は英語だが、そこに至る調べモノやお客様からの聞き取りは日本語が中心になるし、キーウィに質問を投げ込む時はポイントを絞っているので、必然的に使用時間は日本語が中心になる。

 

だから木曜みたく朝からキーウィの顔ばかり見てると、言語使用比率が逆転してしまい、夕方になると頭がぐらぐらしてきたりするが、実際にニュージーランドに住んでいる日本人で、朝から晩まで英語生活の人って、キーウィの彼氏と結婚して専業主婦をしている、それも付近20km以内に日本人の友達がいないような家庭の人くらいじゃないかな。あ、それに子供がいないってのも条件かもね。

 

てゆ〜か、また話がそれたが、やっと昨日の話題に追いつくのだけど、要するにNZに住むからといって、日常生活では、すんごいレベルの高い英語を要求される事は少なく、また朝から晩まで英語漬けになるって事も、あんまりないって事を言いたかっただけ。

 

実際に当社で働いているスタッフでも、多くの人は、一日中殆ど日本語だろうし、中には英語で掛かってきた電話を、黙って隣のスタッフに渡す人もいるくらいだ(ほら、そこの君!)。

 

だから、海外生活=100%の英語なんて構えずに、基本、つまり一階部分である生活日常英語さえしっかり出来てれば、そこから上乗せ=二階部分になる、文化や固有名詞、宗教、法律などは、自分の好きな分野をゆっくり勉強していっても十分に間に合うという事。

 

僕自身、今だもってミューニックをミュンヘンと言ってしまったり、欧州の固有地名を学校で欧州風の発音で習った世代からすれば(今はどうなんだろう?)、発音や単語自体が理解出来ない事がよくある。

 

先日等はラジオニュースで、「ウニモグ」が川に落ちたと言う事件をやってたが、ウニモグと言われて理解出来る日本人は、殆どいないだろうなと思った事がある。

 

うにが潜って川に落ちた?

うみぐもが川に落ちた?

 

どっちにしてもNZのラジオニュースで日本語使うわけないしな〜、てな感じになるだろう。

 

他にもユートの売上が良いとか言われても、それだけではニートの親戚がよく働いているという意味ですかと思うが、どちらもNZでは一般的な車の名詞だ。

 

ウニモグはメルセデスベンツ社が開発した、世界でおそらく最強の四駆で、ユートは元々オーストラリアで使われ始めた、ユーティリティビークルの愛称。後ろに荷物が一杯載る奴ですね。オークランドのシティでもよく見かけます。シティを走る彼らは、後ろはもっぱら幌をしていますが。

 

そんなこんなで、またまた話はそれてしまったが、移住を考えながらも英語で悩む皆さんに告ぐ。

 

英語に完璧なんてないし、英語が出来ないから移住が出来ないなんて思い込む必要はないですよ、実際に僕らも、日常生活ではそんなたくさん英語を使ってないんですよという事をお話したかった今日この頃でした。

 

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2006年09月09日

ビザと英語

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NZでビザを取る場合、特に永住権を取得する際は、英語能力の証明が必須である。アイエルツ(IELTS)というテストを受けて、6.5ポイント取得する必要がある。

多くの人はこれを見て「ああ、俺には無理だな」と諦める人が多い。

 

しかし、このルールにはいくつかの適用除外がある事を知らない人が多いのも事実だ。

例えば自分で日本で商売をしている人、つまり会社の役員経験が2年以上あって、その仕事と関連性のある、NZの経済及び雇用に貢献する会社を作るのであれば、IELTSは5.0で良いよという決まりがある。

5.0なら英検2級くらいなので、普通に高校で英語の勉強をしていれば、1年程度一生懸命やれば何とか取れる資格だ。

また、NZの地元企業で英語を使う昼間の仕事で1年間、ワークビザを取得して働けば、これも英語テスト免除の可能性がある。

例えばワークビザで旅行会社で働く場合、殆どのケースで英語テストは免除される。このような事は移民局のウェブサイトの、かなり細かい部分を見ないと発見出来ないが、きちんとルール上に掲載されているのである。

勿論、実際にNZで生活をするからには英語は必須であり、「出来ません」では通用しない。たま〜に、日本人で殆ど英語が出来ない人がいるが、それは例外であり、基本的には生活の道具として英語は必要である。

ただ、生活の為の英語とIELTSの要求する英語が全く同じかと言えば、そうではないというのも事実なのだ。

先日のオーストラリアのニュースで、英語を話さないイスラム圏の人々を問題視した発言があったそうだ。それも首相が発言したとの事で、結構波紋を呼んでいる。

まあ経済の調子も良いし、最近はイスラムのテロリストが国内で逮捕された事もあり、首相も結構強気なのだろう。

いずれにしても日本人。一応学校である程度は習っているし、NZに行けば英語学校で勉強もする。これは、他の移民とはかなり違う点であり、真面目な人種だと思う。

但し、真面目と言うのと、法律の条項全てを鵜呑みにして最初から永住権申請を諦めるのは別である。

永住権は「より安全で安定した生活を得る為の手段」であり、その為にはワーキングホリデイビザ、労働ビザと段階を踏んで、3年先くらいに永住権取得を考えても十分間に合うし、もっと言えば、永住権であろうがワーキングホリデイであろうが、合法的な生活が出来るという意味では同じなのである。

自分で道を閉ざす前に、ちょいと現地の人間に相談してみればどうだろう。そうすれば、本人が思っても居なかったような道が開けると思う。

ニュージーランドに5万人の日本人を住まわせる目標を持つ、僕からのメッセージでした。

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2006年09月08日

起業家ビザ

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今日は朝から弁護士と税理士と僕で、お客様の起業家ビザの申請に関する進め方の会議。

あいつら、そりゃいいよね、自分の国の話だから、くそったれやろ〜とか、ばっかたれ!みたいな、言いたい事いって、かなり汚い言葉で話が進んでいく。

 

唯一の外人である僕は、やはり地元の人に対する悪口は使わないようにするが、こいつらくらい言いたい事言えれば気持ち良いだろうなと、ふと思ったり。まあ、ホームで戦う連中とアウェイで戦う違いかな。

ところで弁護士が聖職だと思っている人、税理士が道徳的で真面目だと思ってる人、その考え方を改めたかったら、いつでもこの会議に参加して下さいな。彼らは大学を出て語彙に豊かで、とっても知的なくそったれだという事に気付きます。

でもまあ、仕事は出来る連中で、押しも強い。だからお客様の筋書きをどんどん組み立てていき、移民局に提出する書類の分担を決めて大体1時間程度で会議は終了。このあたり、頭の良い連中と議論するのは気持ち良い。無意味な感情論も勝手な思い込みもなく、円滑に話が進む。

しかしまあ、話の途中で使うFワードの多さには、全く辟易。最後にはこの弁護士、「おいtom、これがうまく行ったら、床が鏡になってる、ミニスカートのオンナの子が働いてる店を作ってくれ、俺が最初の客になるから」ってさ。

それって、ノーパンなんちゃらでしょ。何でキーウィの君が知ってるの?

午後は別件で、最近ビザが取れたお客様と今後の仕事の進め方などを打ち合わせ。ビザを取るのに時間がかかることは、いくら事前に説明しても、やはり「いらいらする」気持ちが湧き出るのは仕方なし。でも結局取れたのだから、今は超ハッピー顔でした。お客様、お待たせです。

これ以外にもお客様の不動産の物件売買で、2軒の不動産屋と駆け引き交渉。高く売却したいこちらと、安く買いたい購入者の代理である不動産屋、駆け引きが続く。週末に再度交渉することで話を一旦切る。ふ〜、これで土日、仕事ですな。

他にも不動産管理の件で、内装業者さんと電話で打ち合わせ。あのね、僕の働いてるところ、普通のオフィスなんです。工事現場じゃないので、少し小さい、わかりやすい言葉で話してくれませんか?Fワード以外で表現する方法って、ないんですか?

それにしても白人のFワードだけは、どうにかならないものかなと思った今日この頃。ふ〜、一日中英語を話してた気がする。

写真はシティに飾ってある「ラグビーワールドカップまで後365日」の看板。おお、丁度一年後だ。この日にちって、電光掲示板になってて毎日変わるので,明日見たら364日になってるんだろな。あ、当然か。

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2006年09月07日

とんでもない未確認情報!

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日本の大手留学斡旋会社が先月警察の強制捜査を受けたという記事を見る。

「関係者の話によると」という前置きが付いているので、警察からの裏情報だろう。

会社名は伏せられているので、本当かどうか確認の取りようもないが、記事の出所は辿れるので、あながちガセとも思われない。しかし、もし事実だとしたら・・・・???。

これが日本の留学業界全体のいびつな収益構造にメスを入れる事になるのか、それとも違う形で留学業界の再編成に繋がるのか?全く持って不明。

本当は今日の記事、違うネタにしていたのだが、急遽差し替え。この日が何かの始まりになるのか、それとも数日後には「ガセでした」で終わるのか。予断を許さない。

これ以上は、今は書けないな。

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2006年09月06日

男女平等について

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遥洋子という女性のコラムが好きだ。いろんな評価のある人だが、正論だと思う事を、冷静に語っている。

 

最近で面白かったのが、男女平等というテーマ。

 

元々この人は男と女の社会的不公平を認めていない。但し、これからが難しいのだが、じゃあ一体平等とは何かってなった時点で、実に現実的な判断をしているのだ。

 

そして、その判断のどれもが心地よいくらい的を得ている。きっこのブログの命中率が5割とすれば、遥洋子の命中率は、今のところ100%近い。

 

特に最近の出色のテーマは、「コンパ=飲み会」である。関東では男女合同の飲み会では、最終的に割り勘にするそうだ。九州出身の僕からすれば、女性が金払うなんてあり得ない状況なのだが、まあそれは地域特性という事にしてもよい。問題はそこから先。

 

男女が飲み会をやる。その構成は職場とか同級生とか合コンとかいろいろあるだろうが、大体の場合、男が偉そうに説教する事が目立つ。オンナに向かって「大体さ〜、それっておかしいんだよね、俺はさ〜」とか、吠えてる。

 

そいでもって何より不思議なのは、(ここから先は遥洋子の意見)「飲んでる時は男が不平等なまでに言いたい事言って、お勘定の時だけ男女平等?!それって、不平等じゃないの?」

 

この意見を読んだ時は、思わず笑った。そのとおりなのだ。そりゃ不公平だ。

 

大体の男は、飲む時に、言いたい事を言う。時には女性にとっても面白くもないし何の知識にもならないし、ましてや酔払い男の自慢話や根拠のない放言など、面白くもくそもない。仕事の愚痴や家庭の文句、そんな事を飲み屋の席で喋っているオヤジと付き合って、何が楽しいものか。

 

「嫌ならやめろ、離婚も退職もあんたの自由でしょ。やりなよ、こんな所で愚痴こぼすくらいなら。出来なきゃ、そのあふぉ口を閉じてなさい、馬鹿が目立つから」くらい言いたいものだ。(まあ、言う人もいるけどね、はは)

 

それでも話を聞いてくれたんだから、飲み代くらいは男が出す。これが常識だし平等でしょ、大体飲み会で男が「うんうん、君のいう事分るよ」なんて状況は、下心ありの時だけだし。

 

飲み代割り勘なら、少なくとも話の時間割や会話を楽しむ事も平等にすべき。そしたら、言語能力や会話能力の優秀な女性は、ほぼ間違いなく、飲み会の主役になるはずだ。

 

そして少なくとも、支払の時だけ男女平等を主張するような、楽しいキャッチボールとしての会話も出来ない、話題もないような男性が話に入り込めない事だけは事実だ。

 

そんなことも分らずに飲み屋で威張って、会社の女性には嫌われ、スナックの女の子には軽蔑され、挙句の果てにお勘定にけちをつけるような、そんな寂しい男性、いませんか?

 

人に尊敬されるって、お金では買えませんよ。恥かしいと思う気持ちが少しでもあるなら、女性に対して本当に少しでも見直してもらいたいなら、女性の意見を聞く場所が飲み会であると再認識するとか、飲み代は全部こちらが持って、会話の楽しみ方を教えてもらうとか、やる事山積みですよ。

 

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tom_eastwind at 00:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月05日

プリンシプルのない日本

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白洲次郎という人物に接する。

本を通じて知合いになるってのは、片道通行のようでいて、本気で本を読み込み始めると、相互通信みたいな事が起こる。

読書が面白いのは、吉田兼好も言ってるけど「まだ見ぬ世の人を友として」語り合う事が出来るという事だ。

 

 

例えば防人の歌を読む吉田兼好は、その話に涙して、時には話し掛け、そして自分の蓄えとして、翌日も戦おうと思ったろうな。

白洲次郎の本2冊「風の男白洲次郎」と「プリンシプルのない日本」を読む。特にこの「プリンシプルのない日本」は、彼が1950年代に書いたコラムであり、今ならブログと言えるくらいの雑文であるが、実に彼の卓見というか識見を感じられる。てゆ〜か、50年前の文章なのに、まるで今の事を書いているみたい。女系天皇、憲法改正、自衛隊問題など、政治的問題から経済問題まで、実に深い洞察を持ちながら、それを一言で片付ける技術を持っている。

そうかそうか、戦前から戦後にかけてこういう人物もいたのか。すっげ〜な、かっこいいな。なりたいな、そんな人間に。

思わず彼に話し掛ける。「吉田茂って、どんな爺なの?」とか、「あんたさ〜、かっこつけすぎだけど、でもかっこいいよ」とか。

すると彼が速攻で反論する。

「吉田茂ってのは歴史に書いてるだけの爺じゃね〜ぞ、本気で死ぬ覚悟をした国士だよ」

「おいおい、俺はおかまじゃね〜ぜ、男に好かれても、うれしくもくそもね〜や」という軽口が、その文章からにじみ出てくる。

これが相互通信(Interactive) になっているから気持ち良い。雑誌や情報誌では、一方通行なので、テレビと同じ「放送」だ。片方から片方に情報が流れるだけ。

勿論これはこれで必要なのだが、やはり交信出来る本ってのは、本読みからすれば至福の一時と言える。

白洲次郎。同じ時代に生きていたが世界が違っていた人。それにしてもかっこいいな。

彼の言葉は、今この時代、日本語を読める人には是非知ってもらいたいので、あえて著作権を無視して書く。

プリンシプルのない日本
「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。

僕らは原則を持っているだろうか?流されていないか?常に気をつけて生きていかねば、本棚の白洲次郎に怒られてしまう。

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tom_eastwind at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2006年09月04日

とり越し苦労をしない事

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取り越し苦労をするのは、実に時間の無駄だ。自分で自分の首を締めるようなもの。

 

例えば「雨が降ったらどうしよう」程度の悩みなら「傘を持っていこうか」くらいですむが、これがもっと拡大して、電車に乗ったら事故に遭うのではないか、飛行機は落ちるのではないか、だから家にいるのが一番とばかりに自宅に篭もっていたら、今度は家に暴走トラックが突っ込んで来たなんて事になる。

 

 

「苦労」は買ってでもしろと思うが、取り越し苦労が無駄なのは、考えても仕方ない事まで悩んでしまうという点にある。

 

杞憂という言葉は中国の古語であるが、これは杞の国に住む頭の良い学者が、いつか天が地に落ちてくるのではないかと憂いた(うれいた)事から来る。

 

そりゃあね、もしかしたら空が落ちてくるかもしれないね。地球に彗星が衝突する事もあるだろう。太陽の活動が活発になり、地表温度が100度になって、人間が皆焼け死ぬかもしれない。ちっちゃな事で言えば、大震災が来て多くの人が死ぬかもしれない。それほどに天災は恐ろしい。

 

でも、でもだよ。そんな事を考え始めたってどうしようもないでしょ。心配するのは物理学者に任せておいて、自分はいつ何があっても後悔しないように毎日を生きるしかないでしょ。

 

勿論、常に準備を怠らない事は大事。例えば枕もとに懐中電灯を置いておくとか、水は常に自宅に10リットル程度は用意しておくとか。

 

何故こういう準備をやるかというと、「備えあれば憂いなし」という発想があるからだが、今の日本の場合は、この準備が何時の間にか日本化して、取り越し苦労に繋がっているのではないか。

 

こうなったらこうする、ああなったらこうするというマニュアルを作るが、そのマニュアルを作るだけで物凄い時間を使ってしまい、結局自分の生活を苦しめている感じがする。もっと怖いのは、これって思考停止したいからマニュアル作りに走るのではないかという事。

 

要するに、色んなパターンを最初から考えてマニュアルを作っておけば、そこから先は何も考えずに済む、つまり一番面倒くさくて大変な、「ケースバイケースで考える」という作業をする必要がないからだ。

 

マニュアルを作って安心したい気持ちは分るが、天変地異のように、マニュアルを作ること自体が無意味な場合がある。マニュアルを作る人、取り越し苦労をする人、じゃあ、天が地球に落ちてきたら、どうする?

 

それよりも、何故生きているのかという観点から、毎日発生するいろんな問題の対処をした方が、結局楽しい人生を過ごせるのではないかと思う。

 

その究極の諺が「人事を尽くして天命を待つ」だろうと思う。後悔しないように、出来る限りの努力はする。でも、考えても無駄な事は考えない。そこは神様の領域。自分が出来る事をしてしまえば、後は酒でも飲んで楽しく騒ごうぜ!その方がよっぽど人生を楽しめる。

 

取り越し苦労をして、何をしたいの?長生きしたいの?そんな事言っても、人はいずれ死ぬんだよ。だったら、生きてる間をどう生きるかの方が大事じゃないのかな。毎日の終わりに「ああ、今日も生きていた、神様ありがとう」、それだけでいいんじゃないかな。

 

毎日の問題に真剣に取り組む、でも考えすぎない。この辺のバランスが取れないと、生きてても疲れるでしょ?楽しむ為の人生だ、やる事やったら、後はぐわ〜っと騒ごうぜ!

 

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tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月03日

下見ツアー

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今朝はオークランド快晴の中、下見ツアー開始。

最初にボタニーダウンモールを見学して、NZの高級さ?を理解してもらう。早い時間で人は少ないものの、雰囲気は昨日視察したシルビアパークよりも、ずっと素敵。

そうそう、昨日はオークランドに戻って少し時間があったので、SylviaParkを視察したのだが、あれって何?壁が並んでる刑務所?建設途中で半分しかオープンしてないから「ああ」なのかもしれないけど、もし設計段階から「ああ」だったら、出来上がって大変な騒ぎになるのでは?

だって暗い。どこから入ってよいか分らず、駐車場が暗いし、建物も、どれも背中を向けてるって感じ。あそこは、遊園地か何かを入れないと、やばいっしょ。

という事で、ボタニー。その後はお客様がスケートをやってたとの事で、隣のスケートリンクを見る。キーウィの子供に混じってアジア人の子供もがんがってる。

Pakurangaからcityに戻り、ジャパンマート、太平市場、フードタウン、フィッシュマートと、食料関係をめぐる。これ、台所を預かる女性には大事。値段や品質などを一通り説明する。

その後、今回のお客様が現役の勤務医である為、メディケアでNZ医療事情を聞く。

午後は移住者の住宅訪問。移住してからどんな事があったか、生活の満足度などを雑談形式で話す。

実はこのご夫婦、ちっちゃなお子さんもいるのだが、移住を希望していたのはご主人の方。ところが話の流れからそのうち奥さんも火がついたみたいで「いいじゃん」という気持ちになり始めている。

多分今晩は、奥さんが「ねえ、良くない?」と言い、旦那が「そうは言ってもな〜」と立場逆転するのではと思わせる。

間違いなく、普通の日本人が移住を考え始めた。それも、移住というよりも海外引越しだ。

自分の家族の生活に合わせた地域で住む。例えば独身の頃は都内のアパートに住み、結婚したら郊外の一軒家に引っ越す。就学年齢になれば良い学校のある地域に引っ越す。

子供が18歳になり一人で生活するようになれば、夫婦が二人で手入れしやすい、少し小さな家に引っ越す。

この「引越し」のサイズが、ちょいと大きくなっただけ。それが海外移住。いずれ日本に戻る選択肢もあるのだから、あんまり真剣に考える必要はない。

いつもそう説明しているのだが、帰宅後日経ビジネスを読んでいたら、何と「第三の波」の著者アルビントフラーの最新作「富の未来」で、全く同じ指摘をしていた。

これからの世の中は飛行機と電子(つまりウェブ)の進歩で、個人の生活範囲は劇的に変化すると言ってるのだ。

それこそ僕がいつも説明している事で、21世紀には世界が自分の庭になる時代になるのだ。彼は理論、僕は実践と直感なのでかなり違うが、でも答えは同じ。

やっぱり21世紀は変わる。NZに住み、日本で仕事をする、そんな生活がやってくる。その時代に追いつくかどうかは、本人次第だ。

人生を楽しみ、有意義なものに出来るかどうか?それは、変化を恐れずに進歩していく人間にのみ許された権利になるだろうな。

写真はクライストチャーチのワーナーホテル307号室から見た大聖堂。あいも変わらず好きなホテルです。

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tom_eastwind at 14:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月02日

I'm in church

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日本人同士で地名を話す時は、省略形を使う事が多い。

例えば三茶は三軒茶屋だし、外国でもロスアンジェルスがロスになる。一番面白かったのが 5アベ。ニューヨークに住む日本人学生が、フィフスアベニュー、5番街の地名を、日本語と英語で混ぜてしまい、ゴアベにしてしまったケースだ。

昨日からクライストチャーチに出張していた僕は、クラウンプラザホテル内にある「山玄」で本格的なすき焼を楽しみ(刺身は随分分厚かった)、いつものようにエイボン川のバーで飲んでいると、こんな笑い話が近くに座っていた日本人学生グループから聴こえてきた。

日本人の間ではクライストチャーチの事を略して「チャーチ」というのだが、ある日本人学生がオークランドからチャーチにいるキーウィの友達の家を訪ねて来た。

突然の訪問だった為に、相手をびっくりさせないようにと、まずは電話をかけた。

「Hi, how are you ?」

[Hey, how is going !  Where are you now ?]

「I'm in church now ! 」

[Which church ? ]

これには結構笑えた。

帰りの飛行機で安倍晋三の「美しい国へ」を読了。これから首相になる人の施政方針だが、全体の流れは理解するものの、やはり増税、社会保険の切り下げという大前提には変更がないようだ。痛みのある改革は、次の政権でも続くのだなという事は、しっかり理解出来た。

外交、安全保障という点については、最近は米国ともかなり平等に近い交渉が出来ているし、中国ともきちんと堂々とした、対等な交渉が出来ている。

つ〜ことは要するに、民敗れて国家ありという明治からの基本方針に戻るという事だな。日本人には、ある意味それが一番幸せなんだろうな。でも、今の日本人と明治の日本人の違いは、ストレスの激化だろうから、これをいかにガス抜きさせるか、技術的な面でどのように運営していくかという点で興味がある。

国家によるガス抜き方法は、愛国教育、スポーツ振興、お笑いテレビ(つまり、真面目にものを考えさせない方法)等いろいろあるが、今年後半の政局、実に興味がある。

写真はクライストチャーチの大聖堂にある銅像の頭に鳩が停まってるとこ。あんまりばかっぽくて笑えた。

明日は移住希望の勤務医のお客様と終日同行。あんまりのんびり笑ってばかりもいられない。

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tom_eastwind at 16:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2006年09月01日

霜降り肉

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今朝は牛肉の薄切りをエバラ焼肉のタレ醤油味でいただく。

3日ほど前に太平(タイピンと読む)市場という中国のスーパーで冷凍で購入したのだが、いつもだと赤身の多い肉なのに、今回のは随分脂身が多い。

てゆ〜か、よく見るとこれ、日本の霜降り肉?って思うくらい、たっぷりと油が乗っている。

僕は霜降り肉信仰はないので、日本の鉄板焼きに行って「最高級の霜降り肉です」と言われると「ほ〜、さぞおいしいんでしょうね、すみません、シェフの方に聞いて下さい、これが本当に一番美味しい牛肉なんですか?」と聞く癖がある。

そうするとお店の人は大体「いえいえ、実は佐賀牛(まあどこの産でも良いが)の霜降りもおいしいんですよ〜」と言う。

実に性格が悪いと自分でも思うのだが、おそらく同じ事を日本に来た肉食いの白人も感じているのではないか?

一度など新宿のヒルトンホテルに泊まった時、チェックインが遅くて、夜9時過ぎだったので、ホテル内のレストランは鉄板焼しか空いてなかった事がある。

その時に一人で鉄板焼きのカウンターに座ったのだが、注文した「高級の霜降り肉」を食って、その油っぽさにびっくりして、これは僕が安い肉を注文したからだろうと思い、お店の人を呼んで、「すみません、お金はちゃんと払いますので、最高級の肉をもう一枚焼いてもらえますか」と、殆ど手付かずの高級霜降り肉を端っこにどけた。

怪訝な顔をしながらシェフが白い山高帽を被ってカウンターの反対側に立つ。相手も気になるのだろう、あまり話し掛けずに手元ばかり見つめていた。僕はその間、焼ける肉を見ながらワインを飲んでた。白だか赤だか憶えていないが、たぶんドライの白だろう。

でもって数分後に出来上がった最高級霜降りを口にしてみた。やっぱり油っぽい!てゆ〜か、もっと酷い!一体どういうこっちゃ!という事でもう一度お店の人を呼んだ。

「すみません、僕、やっぱり一番安い、油の無い肉を焼いてください」別にやくざではないし、ちゃんとお金は払うけど、折角食うなら、自分がおいしいと思ったものを食べたいという趣旨を説明するのだが、「美味しい肉を食いたいなら、あなたの目の前にあるではないか」という顔をするウエイターさんとは、美味しいという基準が違うので、なかなか分ってくれなかった記憶がある。

でもね、でもね、

だって、霜降りって要するに油だし、牛肉の脂の融点は人間の体温以上だから、口に入れて暫くすると、ねちゃねちゃするのだ。

魚の霜降りなら人間の体温以下で溶けてしまうので、冷たい刺身でも口の中で油がとろけてくれてうまい。

しかし牛肉や豚肉では、単にねちゃねちゃだけ、なのだ。

自分の舌で普通に食べれば分ると思うのだが、このあたり個人の主観の違いなので、まあ置いておくとして。

この霜降り肉、前の晩に料理の材料として使う事になったが、さてどう料理するか?油を抜く方法を考えて、結局豆腐+糸こんにゃく+練り物と一緒にしゃぶしゃぶにした。お湯をしっかり潜らせて油を抜いて、鍋から出したらすぐタレをつけて口の中に放り込むという戦法だ。

それでも途中からは段々口の中がにちゃにちゃしだして、子供たちも最初は珍しがってたが、途中から降参したようだ、鍋の中の豆腐ばかり食い始めた。

しかし、翌朝、鍋に放り込まずに残った牛肉(写真のやつですね)をどう料理しようかと考えて・・・・そうだ!牛丼!

早速、鍋を強火にかける。油は牛肉から出る油のみで、一気に強火で焼き上げて、油を飛ばす。薄い牛肉を炒飯作るくらいの強火で一気にが〜っとやるので、焦がさないようにする火加減が難しかったが、結局ぎりぎりで火が通ったと思った瞬間、用意しておいた「エバラ焼肉のタレ」をざ〜っとかける。

ここで間を置くと、今度はタレが焦げ始めるので、これもぎりぎりのタイミングで肉を引き揚げてお皿に盛る。

よっしゃ!牛皿の出来上がり。

よっし、油もかなり抜けてて、タレがかぶさっているので、ねちゃねちゃ感が全然なくなった。考えてみれば昨日は、しゃぶしゃぶのタレとは言え、鍋のスープにちょいと醤油を足しただけだったので、油が口中に残るのを防げなかったのだな。

今朝はしろご飯と味噌汁、おかずが山盛りの牛皿という、とってもパワフルブレックファーストでした。満足。

てゆ〜か、相棒が入院してるので、朝から仕事も山盛りじゃっちゅうに。

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tom_eastwind at 00:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌