2007年04月

2007年04月30日

ディズニーチャンネルの森公美子

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もりくみこが「ザック&コーディ」と言うディズニーチャンネル(テレビ)に出てた。

 

日本から来た有名な歌手がザックとコーディの自宅を訪れ、手に持った一匹の鮭を、何故か中華包丁で捌いてたが、このミスマッチはプロデューサーの失敗か?

 

日本から来た歌手で、有名なんだよって子供たちがお母さんに面白おかしく説明しているのだが、竜馬君はもう、お腹をかかえて笑ってる。森さんの体格と、日本人離れしたオーバーアクションはとても面白いし、それに英語がうまいのにびっくりした。

 

この作品は2006819日に作られたので、その後世界中あちこちで放映されて、昨日はそれを偶然ニュージーランドに住む日本人が見たことになる。すんごい確率だな。

 

そういえば昨日のディズニーチャンネルでは、米国人の子供が行方不明のお父さんを探す場面で、これも何故か、クイーンストリートからバルカンレーンあたりを走り回ってた。場面はその後カナダに移動したので、クイーンストリートが出てくる必然性はない。

 

両方とも偶然に竜馬君のテレビをちら見してて気づいたのだが、特にバルカンレーンの場面等、そこに住んでいる人でないと絶対に気づかないだろう。

 

これってさ、ディズニーが世界中のお客を取ろうって発想で、あえて色んな場所で撮影して、その地元の人の人気取りしてるんじゃないのって、みゆきと話をした。

 

そうかと言えばパフィが米国で大人気で、YumiAmiの名前でアニメや実写に出てるのが実に楽しくて、これもよく見ている。

 

竜馬君にとっては、とにかく楽しければ良いのだから、「この女の人、日本人なんだよ」と話しても、画面から目を離さずにけらけら笑いながら So what ? What it mean ?  みたいな顔をしてる。

 

竜馬君の世界では、国境も国籍も関係ない。

 

写真はバルカンレーンの夏

 

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tom_eastwind at 11:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月29日

世界のレストラン

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ちょっと長くなるけど、CNNからの引用です。

 

ロンドン(CNN)  2007年4月26日 

 

英国の業界誌「レストラン・マガジン」がこのほど、最新号で2007年度版の「世界のレストラン・ベスト50」を発表、スペイン・バルセロナ近郊にある「El Bulli」が、昨年に引き続き2年連続で首位だった。

2位以下、6位までは昨年と同じ顔ぶれで、英国の「The Fat Duck」や、フランスの「Pierre Gagnaire」、オーストラリアの「Tetsuya's」などがランク入りした。

651人の委員が、世界70カ国の店から首位に選んだ「El Bulli」のシェフ、フェラン・アドリア氏は、自分自身を「料理人というより科学者」と話す。1年のうち半年は世界各国に出向き、様々な料理のインスピレーションを得ると、バルセロナの「実験室」にこもって、新しい味に向けて、様々な角度から研究するという。

国別に見ると、上位50店のうち最も多くランク入りしたのはフランスで、昨年の10店から増えた12店。続いて米国の8店、スペインとイタリアが6店で並んだ。

都市別では、フランス・パリの9店がトップで、ロンドンの6店が後を追っている。

2007年度版の上位10店は次の通り。

(1)El Bulli(スペイン)

(2)The Fat Duck(英国)

(3)Pierre Gagnaire(フランス)

(4)The French Laundry(米国)

(5)Tetsuya's, Australia(オーストラリア)

(6)Bras(フランス)

(7)Mugaritz(スペイン)

(8)Le Louis XV(モナコ)

(9)Per Se(米国)

(10)Arzak(スペイン)

 

******引用終わり******

 

ここの5番に出てくる「てつや」ってのは、その名の通り日本人だ。ワーキングホリデイでシドニーに渡り、料理屋の手伝いをしながら料理を覚えて、ノースで自分で店を出した。そこで作った新しいメニューの鱒料理が当たってシドニーっ子の人気を得て、今ではシティに立派な店を作った、ある意味伝説的な日本人。

 

僕も2回ほど食べに行ったことがある。

 

その時は予約をするのに2ヶ月先で、お店の予約を入れてから飛行機の手配をしたほどだ。

 

お店も立派な作りで、庭園を見ながらきちんとお酒を飲めるバーがあり、ダイニングテーブルに案内されると、そこも食事に相応しい雰囲気だ。

 

この店は基本的に「その日の美味しいもの」を出すので、メニューは決まってない。値段だけが決まってて、行ってみないと何が食えるか分からないって言う、楽しい趣向だ。

 

僕が行った時は、ニュージーランド産のスキャンピ(手長えび)やラム肉など、ニュージーランド産の材料が多かった。

 

「へ〜、ここはオーストラリアなのに、ニュージーランドの材料で料理するんですね」と聞くと、とてもプロフェッショナルなサービスをするウエイターが「そりゃそうですよ、食材はニュージーランドが一番ですから」と言ってた。

 

彼に「僕はオークランドから来たんですよ、この店に来るために2ヶ月前から予約してね。でもまさかシドニーに来てニュージーランドの食材を食べるとは思わなかったな〜」と笑って言うと、彼は「え!、そうなんだ、僕はクライストチャーチからこっちに働きに来てるんですよ!」だって。

 

食材も人材もニュージーランド。シドニーの人口は約400万人だが、そのうちの10%、大体40万人はニュージーランド人だ。

 

その気になれば、国境なんてたいした問題じゃないんだね。

 

これは続きねた。次は森くみこさんのはなし・

 

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tom_eastwind at 14:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

2007年04月28日

竜馬のお弁当

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フィッシュソーセージが1本で2ドル60セント

おにぎりせんべい(一番小さい袋)が1ドル80セント

バナナ1

時々卵サンドイッチ

水筒1本

 

これが竜馬君のお弁当の基本だ。毎日小学校に通うこの子は、他の子供が袋入りチップスやサンドイッチ、りんごなどを持ってくるのに対して、日本製魚肉ソーセージとかおにぎりせんべいなど、若干日本的な食材である。

 

おにぎりせんべいは友達にも人気が良いようで、時々「お父さん、今日は2袋ちょうだい、友達にあげるから」と言ってる。Share Lunch の時は、ちっちゃな、海苔を巻いた俵おにぎりなんかと卵焼きを持たせると、これも結構うける。箸を使わないし、サンドイッチと同じように手で掴めるのがポイントなのだろう。

 

つい先日竜馬君が家に帰ると真っ先に「お父さん!今日のソーセージ、駄目だよあんなの!みんなに笑われちゃったよ〜」って、自分も半分笑いながら言ってきた。

 

普段は魚肉ソーセージの端っこにある、あの鉄の棒をくにゅって曲げた部分だけをナイフで切り取ってお弁当箱に入れているのだが、どうしたのと聞くと、竜馬君はそのソーセージを端っこからちゅーちゅーと吸いながら食べてて、それが友達に笑われたと言うのだ。

 

キャンディを食べる感覚で口にくわえていたらしいのだが、最初に皮全部剥いて食べればよかったのに、ちゅーちゅーやるもんだから、そりゃ僕も笑うとか思いながら、あ、そうか、よく日本人の子供が学校で虐められたとか言うのは、こういうことなんだなと思った。

 

キーウィの子供からすれば、見たこともない食べ物を見たこともない食べ方をするアジア人ってのは、とっても不思議だろうし、その動作に笑ったり変に思ったりする。

 

日本人の子供からしても、インド人がスプーンを使わずに右手だけでカレーを食べてるのを見ると、ご飯に指を突っ込むなんて!と、びっくりするだろう。

 

キーウィの小学生は、まだお箸を使う年でもないし、どっかのアジア人が白ご飯にふりかけしてドラえもんの顔なんて描いたお弁当を持ってきた日には、そりゃあびっくりするだろう。ましてやちっちゃな四角の箱に仕切りがついてて、ちっちゃいソーセージや卵焼き、まるでミニチュアランチボックスを見ているような気分ではないのかな?

 

それに何せフォークもナイフも使わず、2本の木の枝を使って弁当の上に顔を傾けるアジア人の姿は、日頃の彼らの食事には存在しない食べ方だから、そりゃあ笑いもするだろう、世界を知らないちっちゃな子供なんだから。

 

みゆきの通う高校は2000人くらいの生徒がいて、韓国人もたくさんいる。さすがに高校ともなると人のお弁当を見て直接笑ったりする事はないが、みゆきが家に帰ってくると、時々韓国人生徒のお弁当の文句を言う。

 

「だってさ〜、あの子達、毎日キムチだよ〜、ほんとにもう、飽きもしないのかな、おまけに彼女たち、いつも一緒に食べるから、においが教室に籠るんだよね、その近くにいくと、もう臭くて嫌だ〜」って、子供らしい素直な感想を言ってた。

 

勿論中国人の子供でも、大陸華北地方出身の子供はあまり匂いや行儀を気にしない。

 

だから16歳の大陸中国人の子供が昼飯時に立ったままお弁当を食べる時の、にんにくぷんぷん、お箸で相手を指しながら、食べ物の入った口を大きく開けてぎゃんぎゃん言ってるのも「あれもやばいよね〜、周りの目が気にならないのかな〜」と言ってる。

 

実際、白人の子供たちからすれば、さすがに高校生なので、お箸も知ってるし、アジア料理も結構なじんではいるから、直接笑うわけではない。また西洋でもギリシアではがんがんニンニクを使うので、臭い自体は、それ程気にならない子も多いし、またそういう事を言うのは失礼にあたると理解しているが、やはりアジア人同級生には、少し違和感があるようだ。

 

でも、おまえんとこの娘も、半分は中国人だろ、にんにくは普通に使うんじゃないかって、そりゃその通り。でも、中国と一口に言っても、華南地方=香港や広州の料理では、華北地方=北京や大連とかに比べて、あまりニンニクは使わない。ほぼ日本人と同じ程度の使用量だ。料理の味を引き立てる時にはどか!っといれるが、普段は日本の夕食と同じように、香りつけ程度である。

 

台湾出身の子も、その点はあまり香港と変わらず、香り付けにはよく使うが、極寒の華北地方の人たちが体を温める為にどか〜んと使うほどには、使わない。

 

以前香港に住んでいた時に日系メーカーへの営業で大連に出張した事があるが、あの時は、にんにくの使用量の違いにびっくりしたものだ。

 

テーマがずれた。

 

にんにくの話ではない、他国の人の食べ物や食べ方は文化の違い、それをもって差別の原因とするのはおかしいと分かっていても、単一文化しか知らない子供には通用しないってのは事実だって事が今日の本筋。

 

僕も焼肉はdaisukiだし、オークランドでは月に1回は必ずMapoと言う、ドミニオンロードにある焼肉屋に行く。ここの焼肉は絶品だし、突き出しのレベルの高さは、メインメニューが一皿20ドル以上しても、全く高値感を感じさせない。

 

10種類くらいの突き出しが出てくるが、開店したての夕方6時過ぎに行けば、チジミは焼き立てで香ばしい。焼き豆腐も温かくて、じゃがいものほこほこした感じも、やはり出来立てならではの味だ。

 

ただ、仕事柄毎日お客様に会うので、週末の土曜日しか食べられないのが、かなりつらい。

 

と言いたかったのだ。

 

だから、子供をこれから外国人ばっかりの学校に送り出そうとするお母さん、もしお子さんが小学生であれば、出来るだけ他の子供と同じような食材を用意する事をお勧めします。

 

お弁当は、子供たちが一緒に蓋を開いて食べるものだ。そんな時には、サンドイッチとゆで卵、それにバナナとかで、子供には十分だ。

 

その代わり朝ごはんにはしっかり腹持ちの良い白飯をど〜んと食わせて、おかずもしょうゆ味で良い。夜も、家で食べるんだから、白いご飯に焼き魚とかハンバーグ、子供の喜ぶものを作ってあげれば、それで十分だ。

 

ついでにもちっと話をそらせば、食べ方の問題よりも食材の問題の方が、本当は大きい。子供たちのお弁当の話をしているが、子供の弁当に鯨の大和煮を入れるとどうなるか?

 

理論的に正しいかどうかではなく、あまり根源的な、大きな問題でなければ、相手の国にいる以上、相手の文化を尊重すると言うのは当然のことだと思う。

 

じゃあそれが、根源的で大きな問題と、「そうでないちっちゃな問題」の区別をどこに置くかといえば、日本のサラリーマンが、わがままなお客の為に、少々おかしな話でも黙って従うってのが、「そうでないちっちゃな問題」だと思う。

 

だから僕は鯨の話はニュージーランドではあまりやんない。聞かれても、「それはこの場で話すようなテーマじゃないよね」と、避ける。よほど親しい人なら、きちんと説明するが。相手が生理的に嫌がるような話をする事は、理論だけで相手をねじ伏せて喜ぶガキのようなものだ。

 

じゃあ根源的で大きな問題は何かと言えば、やはり「慰安婦問題」や「南京問題」だろう。これを聞かれたら、きっちりと日本人の主張をする。首相が公式に謝罪したとか政府が認めたからって問題ではない。

 

何故ならこの問題の本質は、慰安婦でも南京でもなく、外交カードの突きつけあいに利用されているだけなのだから、そこで変な妥協をすると、外交を知らない世界中の無垢な人々が、日本人に対して間違った印象を持つからだ。

 

両方ともアジアの話であり、うちのみゆきと奥さんにはしっかり理解してもらいたいから、時間をかけてきちんと説明する。それが日本人としての役目と思うからだ。

 

・・・・やっぱり話がそれたな。なんだ、今日は?

 

最後に、今日の買い物リスト。現地の日本食材の値段を知りたい方向けの参考資料です。これはジャパンマートの価格です。

 

ひとめぼれの5kg入りお米が29ドル。

豆腐一丁が2ドル20セント。

チキンラーメンが2ドル80セント。

午後の紅茶500mlで3ドル(特売)

糸こんにゃく1袋で2ドル

 

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tom_eastwind at 16:42|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月27日

国民って事・より安全な国へ

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一般的に、日本で生まれて育てば日本人だし日本国民と言える。勿論在日二世、両親が外国人等のケースでは日本国籍が自動的には取得できないケースもあるが、肌の色や人種で日本国籍が決まるわけではない。

 

つまり、白人の容姿をしていても、黒人の容姿をしていても、日本国籍が持てる。

 

そんなの当たり前じゃん、あんた馬鹿?って言われそうだが、じゃあ黄色人種の日本人が、白人国家のニュージーランド人になれるか?これも、勿論なれる・・・筈だよねとなる。

 

昨日から「戦争の出来る普通の国」と現状の日本を書いてるが、米国の代理戦争に巻き込まれないための現実的な手段としては、やっぱり日本国籍を捨てて、米国等の白人国家のパスポートを取ることではないだろうかと思う。

 

と言うのが、現在の世界の仕組みは西洋、特に米国を中心として動いており、彼らは自国民の利益の為に活動しているから、彼らの枠組みに入り込む=つまり西洋社会の国民になってしまえば、これからの日本のように代理戦争に駆り出されることもないし、グレン・福島のように日系人でも頑張れば米国の議員にだってなれる。

 

勿論米国では徴兵制ではないものの、お金がない人や移民が兵隊に志願していると言う。これはもう、そうならないように米国でも通用する資格を日本で身に付けて、ある程度の資金を持っていくことが必要だ。でないと、行った先で兵隊に志願しなくちゃいけないようになる。

 

米国移住はかなりハードルが高いとなれば、次善の策として英国連邦や白人国家に移住する方法がある。米国は少なくとも、アジアのどんな親米国よりも、どんなに生意気でも同じ人種であるニュージーランドを好む。

 

生意気と言う意味は、ニュージーランドは非核三原則を唱えており、実際にANZUS協定と言う軍事協定を米国と結んでいたものの、1980年代に米国の核搭載軍艦の立ち入りを断り、米国と実質国交断絶をした時期があるからだ。

 

それでも今のニュージーランドは志願制だし、国連主導だし、空軍も廃止したし、専守防衛に徹底している。隣国のオーストラリアのようにイラク派兵はしておらず、一応白人国家で英連邦の一員だから、少なくとも使い捨てにされるアジア国家の二級国民であるよりは、準一級国民としての扱いがましだろう。

 

そして、例え黄色人種でもニュージーランドの旅券を取得してしまえばニュージーランド人である。差別のしようがない。

 

要するに、アジアと言う海外で優秀な日本人として現地支店採用されて不安定なポジションに就くよりも、西洋社会の中=本社でアジア系の普通の人として本社採用してもらう方が、首切りや差別の可能性が低いってわけだ。差別や首切りがゼロとは言わないが、少なくとも日本よりはましだろう。

 

よく聞かれるのが、外国のパスポートを取ると、後で日本の国籍を取り戻せないのでは?という質問だが、これは、日本で生まれたと言う証明さえあれば、再取得が可能である。

 

また、当家の例で言えば、うちの子供はパスポートを3冊持っており、3つの国の国民になっている。

 

移住して永住権取得後5年経てば、ニュージーランドの市民権=国籍が取得出来る。だから、例えば父親がニュージーランドの市民権を取り、母親は日本の国籍、子供は2カ国の国籍と言うことが可能だ。

 

こうする事で、自分の家族に将来起こるであろう様々な環境の変化に耐えることが出来る。例えばニュージーランドでアジア人迫害とか超不景気になれば日本に戻って国籍を取り直せばよい。当面は、母親について戻り日本の永住権を取得すれば仕事も出来る。

 

また、もし日本が徴兵制など日本国籍を持つ者に対して何らかの強制をするようなら、その時は日本の国籍を捨てればよい。

 

何でこんな事を言うかってのは、実は韓国から毎年たくさんの移民が来るのだが、その理由の大きなものに、徴兵制度を免れたいという気持ちがあるからだ。

 

韓国は今でも徴兵制度があり、成人の頃に必ず軍隊に入らねばならない。もし自分の子供が軍隊に居る時に北朝鮮と戦争が始まったら?

 

今でも韓国と北朝鮮は停戦状態が続いている。つまり、この2国間では、まだ戦争は終わっていないのだ。そう考えると、母親としては早いうちから海外に出して、現地の永住権や市民権を取ってしまおうということになる。

 

 

昨日も書いたが、今の日本が確実に「戦争の出来る美しい国」に変化しようとする時、誰でもそうだが、人は何かを持つと一度は使いたくなる。軍隊も同じで、防衛庁が防衛省になり、有事行動が出来るようになり、イラクで兵隊輸送などの経験を積むと、今度は、よっしゃ一丁やってやろうかという気持ちになる。

 

それがどのような結果になるか、今の時点では誰もわからない。しかし、そこに潜在的であれ危険があるなら、君子危うきに近寄らずだ、家族の安全の為に、より安全な地域に移動するのは、ある意味当然な事ではなかろうか。

 

何だこのやろ、非国民め!日本を捨てるのか!なんて言われそうだが、よく考えて欲しい。

 

今の日本で国民の殆どがマスコミと政府に洗脳されている状態で、今更少数の日本人が政府に抵抗しても、結局多数決の原理で負けてしまうから、あんまり日本政府に付き合ってストレスを溜め込んだ挙句に子供を戦場に送り込むような事になる前に、ニュージーランドに逃げ込むってのも、一つの方法だと思う。

 

日本を愛するから日本の為に、政府に向かって立ち上がります!それも一つの選択だろう、でも、共産党中国では多くの人間が中国人民のために共産党に立ち向かい、そして皆殺しにされた。文革による死者は数え切れず、天安門広場の虐殺に至っては、世界のメディアの目前で行われた。

 

独裁による虐殺の残忍さを知悉(ちしつ)している中国人は、機会さえあれば外国に移住して、その国の旅券を取る。それこそが唯一、自分のみを守る方法なのだ。国内で新たな言論団体を作って戦うなど、そんな夢物語を信じている中国人など、殆どいない。

 

それでも彼らは移住先でも中国人として生活し、中国本土の小学校や病院、大学に寄付して、子供たちにもっといろんな事を学ばせようとしている。

 

国民って事が政府の奴隷じゃないって事は、200年以上も前にジャンジャックルソーってフランス人が「人間不平等起源論」や「社会契約論」」で説明したとおりだ。

 

外国に移住しても日本人というアイデンティティを持つことが出来る。でも、死んでしまえば、単なる骨にしかならない。骨に国籍はない。

 

写真はガーデニングをする竜馬君。3カ国の国籍を持つ。

 

 

 

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tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月26日

福知山脱線事故から2年 無意識の原価

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続きです。

 

福知山脱線事故を機会に国民の支持を得た「安全の最優先」という言葉を人質にしたマスコミが、不二家の社長の首を切らせ、日本のすべての企業に、コスト又は国民の不利益部分を全く無視して、安全のみを要求するようになった。

 

国民相手に商品を売っている民間企業は、売り上げが落ちると一気に赤字になる。だからマスコミに叩かれ政府に介入されてしまえば、売り上げが激減するから、二度とお上に逆らおうと思わなくなる。そうすると、何かマスコミや政府に問題があった時でも、彼らに対して毅然とした態度が取れなくなる。

 

こうなると、一罰百戒ではないが、「うちもやられるのではないか?」と、お隣の企業もびびってしまい、結局日本の企業殆どが、政府とマスコミの言うとおりに操られることになる。そうならない一部の企業とは、政府と組んでいる(=国民よりも議員がdaisukiな)大手企業のみである。

 

「そんな事ありゃしね〜よ、俺様はよ、ちっちゃな街工場でも今までいっしょけんめ〜技術一本でやってきたんだ、そんなさ、お上がどうの、マスコミがどうのなんて、こわかね〜よ!」なんて啖呵を切るおやっさんも、自分のことならともかく、それが家族や社員に影響したらどうだろう?

 

ちょっとでもマスコミの手にかかれば、どんな捏造記事だって書くことが出来る。誤報でしたなんて言っても後の祭り、書かれた時点でおしまいだ。おやっさん、人が良いだけに、他人に迷惑かけたくない、そうなると黙り込むしかないって事になる。

 

植草痴漢事件が冤罪かどうかは分からないが、朝ズバ!の不二家報道はほぼ捏造だし、あるあるなんて確実に捏造だ。本来国民の側に立って権力の行き過ぎを報道するのがマスコミの役目なのに、マスコミ自体が違反をやっており、記者クラブから報道される大本営発表のみを掲載して、すでに政府に法律的に牛耳られているのが現状だ。

 

ここまでは良いのだが(本当は不二家の社長が首を切るような事件ではないし、それならもっと首を切らんといかん議員やマスコミ記者がいるではないかという突っ込みは別にして)、世論を誘導して作った安全神話をかついだマスコミが一般企業に乗り込み、内容もろくに精査しないまま、新聞やテレビでぼろくそに叩いた挙句、政府による指導、介入をさせ、結局その企業は政府の圧力にかかってしまい、大政翼賛企業にならざるを得ないという点が、福知山脱線事故に限らず、最近起きている不祥事問題だ。

 

こうやって民間企業が黙り込むか政府の傀儡になるかしたら、最後の仕上げはマスコミ内部にいる反政府系の記者を首切りすることだ。労働法なんて関係ない、この記者はこんな事をしまして、解雇しましたって事にすれば、これで日本全部が大政翼賛会の出来上がりだ。

 

と、ここまで書いたのも、一体何が言いたいんだ、長すぎる!と言うと、丁度同じNHKニュースで、『いよいよ日本が「普通に外国と戦争出来る国作り」=集団自衛権の議論を開始する』と言うニュースと、「憲法施行六十周年を記念し、安倍晋三首相は祝辞で「新しい国づくりに向け、国の姿、形を語る憲法の在り方についての議論が国民とともに積極的に行われることを切に願う」と述べ、憲法改正への意欲をにじませる」(東京新聞4月25日付け)があったからだ。

 

結局最初の福知山脱線事故に繋がるのがここなのだが、国民が、安全や不祥事をあまり過剰に無責任に求めると、企業や個人や団体が発言出来なくなり、それが結果として政府の思う壺にはまって、国民の安全とか国民の声って言うお題目の下でやりたい放題の行政につながり、今の政府がやろうとしていることに、結果的に誰も反対が出来なくなる状況を創り上げるということだ。

 

これは安全問題だけではない。カネボウ、みすず監査法人、金融再編でシティバンクに身売りされそうな日興も違反をしたが、その代償のあまりの大きさと比べると、政府側についている松岡大臣とかマスコミが不祥事をやっても、誰も責任も取らない、その格差は一体何なんだ。アパ耐震偽装事件では現役首相までもがその関係を取りざたされているのに、マスコミさえ知らん振り。

 

これこそが、長いものに巻かれろ、お上に逆らうなを明確に表していると思うのは僕だけだろうか?法治国家と呼ばれた日本が、いよいよ大政翼賛会に変化していると感じるのは、僕だけだろうか?

 

言葉にするのはどうも難しいのだが、傍目八目で、外国から日本を見ると、しょうもないヒマ記事がフィルタリングされて、大きな流れの記事のみが入ってくるので、企業の不祥事をネタにして世論が再構成されて、日本が今、どんどん「戦争が出来る普通の国家」に近づきつつあり、一般国民はそこから目をそらされているというイメージだ。

 

目をそらすというか、こっちの水は無責任で甘いよって言う政府の言葉に釣られて、ふらふらとついていった先が、自分や子供が米国の代理戦争に巻き込まれて殺されるって事だ。

 

勿論福知山脱線事故自体は悲惨な事件だし、安全優先を第一にするのは当然だ。しかし、それを検証する側の国民が、一体自分はどうすべきかをしっかり理解しているのかどうかを説明する義務も機会もあるのに、マスコミと政府によってわざと無視されており、国民が自分の責任に気づく機会を失っている。言いっぱなしでOKですよ〜な状態に置かれて、その結果無意識のうちに、政府の望む方向に国民が追い立てられているのだ。

 

そして気が付けば、米国の傭兵としてアジアの守りを司るようになり、一朝事あらば、北朝鮮とどんぱちする役目を押し付けられているのが現状ではないか?

 

危機に対する無意識=洗脳された国民が、結果的に目の前にある甘いものに飛びつき、本来見るべきものを見ずに、危機意識もないままに戦争に突入するのではないか。

 

少なくとも戦争までいかなくても、働いても働いても食っていけない、利益はすべて米国に吸い取られる構造作りに協力しているのが現状ではある。

 

今回のニュースは、日本が武装の議論をすると言う意味では、一定の前進だと思う。

 

しかし今回の政府議論は、米国が自国軍隊の縮小を目指して、アジアの安定=米国の利権確保を日本に肩代わりさせる為に行っている事が見えているから、これは一つ慎重に考えるべきだと思う。

 

1945年、米国は戦争の勝利に合わせて日本に乗り込み、怖い日本の軍隊を解体させて非軍備化させた。要するに二度と米国に逆らわないようにするためだ。

 

ところがそこからたったの5年で米国は方針転換、朝鮮戦争が始まると、アジアの不沈空母として警察予備隊=今の自衛隊を創った。その後は冷戦の期間中、日本が中国やロシアの突然の攻撃に対する防壁になるように、最初の攻撃に耐えるだけの空軍と海軍を強化した。

 

そして今、自国の兵隊が殺されるのを好まない米国政府は、アジアで戦争が発生しても米兵が死ななくてよいように、日本の軍備強化を進め、日本が米国のためにいつでも戦争出来るようにしたのだ。

 

つまり日本は、米国の為に改憲を行い、普通に戦争出来る国になろうとしているのだ。

 

百歩下がって、それでも軍隊が持てるようにした方が良いという議論があるにしても、よく考えてみれば、日本はすでに世界でトップクラスの軍隊=自衛隊を持っているのだ。今の日本に必要なのは、他国に簡単に侵略されないだけの陸上自衛隊の武装強化と法律整備をすれば良いだけなのである。

 

もう百歩下がって、「でもそんな事言っても日本は戦後の今も実質的に米国に支配されているんだから、米国の考え方に従うしかないでしょ、米国に逆らえば、どっかの政治家みたいに殺されるか、首相の座を追い出されるかでしょ」と言われれば、そりゃそうだ、戦争で負けたんだから仕方ないよねという事になる・・・・か?う〜ん、それはどうなの?

 

そんな60年以上の前のゲームで負けたからって、今でも罰ゲームやらされなきゃいけないの?こっちの命まで差し出さないといかんのか?と思う。

 

そりゃ戦争には負けた。だから戦前の日本の財産の殆どは外国に奪われたし、国家の権益の多くも米国によって支配された。今でも戦前に日本が作った橋や工場を利用している国もあるほどだ。でも、米国が支配出来るのは政府までであり、国民の感情までも支配出来るものではない。

 

そしてその国民自身が一丸となって政府に対して「対米追従反対!」とやれば、これこそ米国が最も嫌う事態=日本の自立に繋がる。どれだけ政府を支配しても、その国民全員が死ぬ覚悟でいた場合、米国は手の出しようがない。だって、日本国という場所があっても、そこに日本人が住んでいなければ、米国は日本人に代理戦争をさせるわけにはいかないからだ。日本は、自立した上でもう一度武装の議論をすればよい。

 

対米追従反対、そういう時代が、今から50年ほど前にあった。ところが戦った人たちは素人で、時代は冷戦に入っており、対米追従を拒否すれば、残された道は共産主義しかないという状況の中、あっと言う間にプロフェッショナルの連中に潰された。

 

しかし、今はどうだろう?今の時代なら、てゆ〜か、今の時代こそ、そろそろ日本が米国から完全独立をして、自分たちが自信を持って、自衛の為の武装を語るべき時ではないだろうか?

 

無意識の原価は高い。ある日突然、あなたの上に大きな請求書が来る日は近い。

 

写真は空母キティホーク。この空母の代わりに日本が不沈空母になる日が近づいている。

 

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tom_eastwind at 11:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月25日

福知山脱線事故から2年目・安全の原価

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このニュース、2年前の当日、たまたまオークランドの自宅でNHKを見てたら、いきなり「緊急ニュース!」って感じで画面が切り替わり、電車事故がありました!でも詳細は不明、みたいな、NHK側も殆ど何も把握出来てないままに現場のニュースが飛び込んできたので、よく覚えている。

 

たまたまこの電車に乗り合わせたどこかの記者が携帯電話でニュースを報告、そのうちヘリがやってきて、マンションにからまるように脱線横転した電車を映し出す。左上に写るマンションに、カーブした線路から飛び出して、蛇腹みたいに電車がはりついてる。

 

記者は「2両目がマンションにはり付くように〜」としゃべっているが、どう見てもあれは1両目じゃんか、一番最初の場所にあるのが1両目でしょうとか思ってたら、何と1両目はマンションの一階にずりこんでしまい、ヘリからは見えない状態だったということで、更にびっくりした記憶がある。

 

実は911の時も、偶然成田のホテルに泊まっていてNHKを見ていたら、あの、貿易センタービルに飛行機が突入する衝撃の映像!が飛び込んできてびっくりした。あの時も記者は「これが何のニュースか今だよく把握できてませんが、まずは映像だけでもどうぞ!」みたいな、まったく筋書きのない話が次々とテレビから飛び出してきたのを覚えている。

 

今日のNHKでは2年目の命日に合わせて、大怪我をしながら一命を取り留めたものの、同じ車両に乗っていた母を亡くしたと言う女性のドキュメンタリーをやっていた。

 

「安全を最優先にしてほしい」そう訴える女性の姿は涙をそそるものがある。

 

ただ、女性の訴えは被害者として当然の気持ちである事を前提として、そうは言っても気をつけねばならないのは、安全最優先を訴えるなら、それだけのコストを利用者も負担せねばならないという事実を、利用者自身が理解、許容せねばならないという点だ。

 

本当に安全を100%追求すれば、事故を起こすような電車など走るな、飛行機は空を飛ぶなという事にしかならない。これを極論と思わないで欲しい。

 

どんな危機管理も、完全なる安全はあり得ないという前提で考えねばならないと言うのは、世界的リスク管理会社の社長の言葉だ。

 

だから完全なる安全を求めるのであれば、安全を100%保障できない電車は走るなとしかならないのだ。

 

でもそれじゃあ何だ、電車がなけりゃ、神戸から大坂まで車で移動しろって事になるのか?いやいや、車だって事故の可能性がある。だから車も駄目なんだ。じゃあ自転車か?いやいや、それも外に出れば交通事故の可能性があるから、それも駄目だ。じゃあどうしろってんだ!

 

これが結局文明の利便さと安全の重要さの間で、バランスを取るしかないのだ。そのバランスが結局費用対効果ということに繋がる。利便さを享受するなら、ある程度のリスクは取ってねという事だ。

 

利用者の自己責任と言うか、利用者の負担部分は無視して安全最優先だけやってという理屈は通らない。だから、安全に対してどこまでのコストをかけるのか、そのコストをしっかり把握する必要がある。それも、物理的安全だけでなく、国民の意識として費用対効果を学ばねばならない。

 

僕が東京に滞在中に大きな地震があり、JR恵比寿駅デパートの本屋にいたら、積んであった本が床に落ちるほどの揺れで、エレベーターは勿論、電車も停止した。その後、地震が納まってからもエレベーター、電車ともに数十分から1時間程度、保安検査の為に停止した。

 

僕は止まったエスカレーターをてくてく歩いて降りて、そのままホテルに戻る途中に駅を通ると、改札口に集まる乗客はついさっきまでぐらぐらと揺れてた地震等忘れたように駅員に詰め寄り、「何で電車が動かないんだ!」とか「早くしてくれ、仕事に間に合わないじゃないか!」「こら、駅員、お前が俺の仕事の責任を取るのか!」など、暴言の連発。これで乗客の言うとおりに安全確認もせずに電車を走らせて事故ったら、誰が責任取るんだ!もう安全意識の低さにあきれたものだ。

 

ところが、僕が泊まっていたホテルは外人(主に西洋人)利用客が多いのだが、この外人さんたち、彼らは先ほどの地震を体験しているから、止まっているエレベーターを見て、スーツ姿のまま、片手にカバンを持って、とっとと階段を上り始めた。

 

「本当に申し訳ございません」階段の横で申し訳なさそうにお詫びするホテル係員に対してこの外人さんたちは、「え、さっきの地震は君が起こしたの(笑)?」などとジョークで返す場面があった。

 

安全を本当に最優先するなら、サービスの低下も甘んじて受けねばならない。物事に両面があるのは当然な事であるが、どうもある種の日本人は、安全最優先もサービス最高も、何でもなけりゃいけない、でもその為のコストは一切自分では負担しないという発想のようだ。

 

この考え自体は、日本にいる様々なわがまま君の持っている特質だから、それをいちいちどうのこうのと議論しても仕方ない。ただ単純に「おいおい、早く自分の言ってる事の矛盾に気づいてくれよ」で終わりだ。

 

ところがこれがマスコミと政府の手にかかると、話が全く違う方向に進む。これが最近の現象として最も怖いことである。

 

写真はクライストチャーチ、エイボン河のパンティング風景。この船は就航以来一度も死者を出していない、安全な河遊びだ・・・?

 

明日へ続く。

 

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tom_eastwind at 13:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月23日

そろそろ紅葉のクライストチャーチ

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朝6時に起床、竜馬君の朝ごはんを作ってから空港に向かう。この時間帯は、僕の住んでるノースショアから空港まで1時間ちょっとかかる。

9時丁度発のクライストチャーチ行き飛行機のチェックインカウンターに着いたのが8時50分。かなりぎりぎりだ。

今日はクライストチャーチ出張。空港に着くと空気がひんやりしてて、気温は12度くらいかな、それにしても空が青い。オークランド以上にすがすがしくて、空気が透き通ってる感じがする。

昼前にシティのオフィスに入り、いくつか打ち合わせをした後、出張のメインイベントである移住会員のお客様と面談。

昨日東京から到着したお客様ご夫婦は、これからの生活を構築するので、最初のミーティングには必ず僕が付き添うようにしている。最初のボタンのかけ違いをしてしまわないようにするのが目的。

今後の予定を確認していく中で、ビザ、就職等から、インターネット接続や引越し荷物の件まで打ち合わせをしていく。

今日はこれで打ち合わせも終了なので、夜はおいしいクライストチャーチのビールでも飲もうっと。

写真は紅葉と大聖堂。

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tom_eastwind at 12:08|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月22日

松川事件

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山本薩夫監督の作品「松川事件」を観る。

 

「昭和24年に起こった戦後最大のでっち上げ事件と言われている〜」というせりふは、カバーの解説の出だしをそのままコピーしたものだが、戦後のこの時期は、下山総裁殺害事件、三鷹事件、そしてこの松川事件と、当時先鋭化した労働組合と共産主義を弾圧する為に、米国及び日本側の協力者によって行われたでっち上げ事件と言われている。

 

今の日本の学校で歴史の時間に教えられているかどうかは知らないが、この事件のことは小学生時代から見聞きしていた記憶がある。

 

しかしまあこの映画、山本監督がどこまで意識していたかは分からないが、平成の今から見直してみると、実に興味がある。

 

東北本線松川駅で起こった列車脱線事故と、その後の裁判の様子を描いたこの映画は、その背景に、当時の世相がよく描かれているからだ。

 

松川駅は福島県福島市にある、東北本線の駅だ。明治20年に開業、2005年当時の一日あたりの利用客は1201人との事。

 

映画の中で、自宅で裁縫をするために最新型のミシンを近くのお店で買う場面があるのだが、運ぶのはリヤカーで、おまけにジューキの足踏み式のミシン!

 

ミシン台の足元に30cmくらいの鉄製の踏み台があり、リズムを取って前後に動かして、台の横につけたベルトを回してミシンの針を上下させると言う、電気不要のミシンなのだ。

 

もう今では博物館にしかないような足踏み式ミシンを見て、とっても懐かしさを覚えるのは、僕の年代が最後なのかもしれない。

 

古い民家の畳の居間で蚊帳を張って寝る家族、寝巻きや浴衣も当時そのもの。クーラーもない時代だから、夜でも普通に汗をかく。夏祭り、盆踊り、道を行きかう人々、ほんと、あの頃と今では隔世の感があるな〜。

 

 

最近の映画は120分が平均だが、この作品は162分の長編。

 

1961年の製作だが、40年以上も経ってDVDになってニュージーランドで日本人がパソコンで観るなんて、誰も思いもつかなかっただろうな。

 

amazonでまとめ買いした独立プロ名が特選も、あと2本を残すのみになった。

 

今晩は家族で「七人の侍」を観る予定。これはみゆきからのリクエストだ。彼女も最近、日本の歴史に興味を持つようになった。うれしいことだ。

 

写真は最近の松川駅。東京紅団のサイトからリンクしてます。

 

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独立プロ名画特選 DVD-BOX 2 闘争編

 

 

 

 



tom_eastwind at 13:58|PermalinkComments(0)TrackBack(4) 最近観た映画 

2007年04月19日

ビクトリアの煙突と日本食

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当社オフィスから歩いて10分ほどのところにビクトリアマーケットと言う、一種フリーマーケットみたいな場所がある。観光客もバスで乗り付けて買い物を楽しんでいる。

 

ここに立花(りっか)という日本食レストランがある。お客様の8割がキーウィと言う、日本食ではかなり成功しているレストランだ。

 

オーナーは日本人シェフで、今でも時々キッチンに立つ。キーウィに受けているだけあって、味は濃い目だし、料理の飾りつけはとても綺麗だ。石焼きなど、熱っした石の上に牛肉スライスを乗せてくるので、見かけはとても楽しい。

 

てんぷら類もキーウィが喜びそうな大きな作りで、実際にキーウィは、ワインを飲みながら大きなてんぷらをばくばく食っている。

 

お寿司も、東京のすし屋ではまず見かけないようなアボカド、とび子ふりかけ、鶏の照り焼きなどの変わりネタが多く、特盛りにした和風点心などは、キーウィの喜びそうな鶏の照り焼き、巻き寿司、刺身、牛肉などなど、ちょこちょこと乗せた料理が大皿で出てくる。

 

客層を日本人に絞ってしまうと、オークランドではほぼ確実に利益は出ない。それほど日本人市場は小さいし、現地に住む日本人の外食率は、日本に住んでいる普通の日本人より少ないと感じる。

 

というのも、ニュージーランドを選んでやってくる日本人は、かなり家庭を大事にする人が多いし、残業もない国だから、食べ歩くとかしない。それより家で家族と一緒に食事するほうが良いと思うのだろう。

 

そしてもひとつの理由が、レストラン側も、日本人が美味しいと思うような日本食を作ってしまうと商売にならず、結局キーウィやアジア人が喜ぶ、濃い目の味付けや揚げ物をメインにしてしまい、そうなると日本人が時々来ても、「な〜んだ、やっぱりこんな日本食しかないのか」と、次回の足が遠のく。

 

だからキーウィかアジア人というくくりでやらなければ、ほぼ確実に利益が出ない。そして立花はキーウィに目標を絞って成功した。

 

日本人人口が3万人くらいになれば、シドニーの吉井のように本格的な寿司も出せるのだがな〜と思いながら、再度見つめた人口統計でした。

 

写真は、立花から見えるビクトリアマーケットの煙突です。

 

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tom_eastwind at 17:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月18日

2006年度国勢調査

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2006年度の国勢調査の結果の一部が発表された。2001年度と比較したデータである。

 

人種(民族)別統計 (Ethnic Group) では、2001年と比較してヨーロピアンが80%から2,609,592人(67.6%)に落ちているが、変わらず人口別のトップ。但し2006年はヨーロピアンとは別にニュージーランダーと言う人種が作られており、ここに該当すると思った人が全人口の12%くらいいるので、ニュージーランダーとヨーロピアンを合わせれば、総数の80%は実質的には白人と、市場の大きな変化はないと思ってよいだろう。

 

ニュージーランダーという枠が出来たのも、俺たちはいつまでもヨーロッパ移民じゃないぞ、もうジモティなんだという意思表現だろう。

 

白人に次ぐ人種はやはりマオリで、2001年と比較しても率に殆ど変化がなく565,329人(14.6%)だ。

 

目立つのは、当然だが、アジア人の増加である。2001年の238,176人が、2006年には354,552人と、何と50%近い増加である。

 

パシフィックアイランダーは265,974人で、2001年と比較して14.7%の増加。

 

特にオークランドは人種の坩堝状態で、ヨーロピアン(大雑把、白人)は56.5%と全国平均に比べて減少しており、アジア人は18.9%、パシフィックアイランダーは14.4%、マオリが11%である。(アジア人には、インド地域も含む)

 

もう一つの特徴として、2001年は9%であった、二つの人種民族にまたがった人が10.4%に増加したことで、要するに人種民族のMixUpが増加している。

 

アジア人の内訳ベスト5を2001年から2006年で比較すると下記のようになる。

中国人105,057人から147,570人へ

印度人 62,190人から104,583人へ

韓国人 19,026人から30,792人へ

フィリピン人11,091人から16,938人へ

日本人 10,023人から11,910人へ

スリランカ、カンボジアからの移住者もそれぞれ約8千人いる。

 

中国人の場合は相当数の不法滞在者もいるし、実際にはもっと多いと中国人同士の間で語られているが、そこはどう転んでも闇の数字なので統計には出ない。僕の感じ=WTVで見る番組チャンネルがどんどん増えてて、そこの営業資料を見て、TV広告出稿の出方を見て、街の中国市場で買い物をしてて、つまり公式統計に出ない、学生や不法滞在なども合計すれば、中国人は約20万人かなと思ってる。

 

それにしても、あれれ?意外と日本人が少ないな。移住したけど日本に戻った人とかも多いのだろう、てゆ〜か、2001年当時に1万人もいたか?これが疑問・・・。

 

あ、そうか、この統計って、ビザの種類に関係なく、その時に滞在していた人で計算しているから、ワーホリ人口が含まれてるんだ。

 

確かに2001年当時はワーホリが最高潮で、4千人くらい来てた。ところが2005年あたりからワーホリ数が激減して、2006年は2千人ちょいと言うところじゃないかな。勿論定住していないワーホリの場合は数えられない。

 

前回は、本当の意味で移住定住している人は7千人程度、今回の11,910人は実際に移住定住しているってのが、肌感覚である。

 

それにしても、中国人の伸びは40%、分母の「でかさ」を考えれば、圧倒的だ。伸び率で言えば、インド人が68%、韓国人も61%と、すごいね。

 

アジア系移民の特徴としては、15歳から29歳までの若者が30%もいて、同時にアジア系移民の60%がオークランド地域に固まって住んでいるという点だ。

 

写真は人口増加の為に歩道拡張中のクイーンストリート。人口が増えたから道路を増やすんじゃなくて歩道を広げるって発想は、いいですね。

 

 

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tom_eastwind at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月17日

暴力の街


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まるで柳葉敏郎みたいな顔つきのイケメン原保美(はらやすみ、男性俳優)が、埼玉の新聞記者を演じる、1950年の映画作品。監督は山本薩夫。この映画って、日本映画演劇労働組合が東宝映画に出させた金で作った映画だから、思いっきり左こてこて。

 

映画の舞台は、上州の空っ風に吹かれる埼玉県で、そいでもって白黒の画面に広がる1950年の日本で、パソコンはもちろん、テレビもクーラーも携帯電話も自由も民主主義も覚醒した個人もやくざと一線を引いた警察も市民を考える政治家も、何もない状態の地方の小都市=人口2万5千人くらいの町を描く。

 

褌(ふんどし)の現物を見たことがある日本人って、たぶん5千万人以下じゃないかな。少なくともうちの会社で聞く限り、現物を知っている人は殆どいない。

 

ハンフリーボガードみたいなスリーピースに身を包む記者たちが腰に巻くのは褌だ。そんな彼らが、埼玉の田舎の街を私物化している有力者(やくざ、警察、市議会を押さえている)がやりたい放題の事をしている事実を掴みながら、結局は記事に出来ずに悶々(もんもん)とする日々が続く。

 

そんな中、イケメン記者(原田保美)が配属されて、たまたま有力者とぶつかり、びんたを張られる。(*この言い方分かるかな?ほっぺたを思いっきり平手で殴られる状態を指します)

 

そこから暴力追放運動が始まり、どこの町でもお馴染みの、政治、警察、議会が三つ巴になって戦いが始まる。

 

1950年の作品なので、当然左翼色が強い。てゆ〜か、どう見てもこれは社会党や共産党の宣伝映画でしょって感じだが、山本薩夫監督の腕と、テーマの切り口が素晴らしいために、黙ってみてると本当に自分まで左翼になってしまいそうな名作。

 

1950年の日本と言えば、日本を再軍備させるか平和憲法でいくか、米国の中でも意見が分かれていた時代。朝鮮戦争が始まった年でもある。山本監督、まさかこんな戦争が起こるなんて、思ってもいなかったろうな。結局朝鮮戦争のために、日本を自己軍備させる目的で警察予備隊が創られ、それが現在の自衛隊=日本国軍に繋がっている。

 

映画は、いかにも街のごろつきや暴力団上がりの有力者、権力に弱い警察などを順々に描きながら、だから社会主義が素晴らしいのだ、人民の覚醒がすごいのだ!なんてやってる。

 

テーマとしては、今の時代の高校生に見せれば染まるかもしれんが、大人には無理かな。これは、映画としての完成の高さを問うべきであり、テーマを問うと、ちょいとまずいかもって感じ。

 

だから、作品はとても面白いので、戦後の埼玉県で人々がどんな格好をしていたかとか、歴史考証と言う意味で、とても面白い作品だ。

 

それにしてもこの時代、労働組合が強かったんだな〜。

 

第二次世界大戦でイギリスを率いた名相チャーチルが語ったと言われる言葉、はっきりと覚えていないが、

 

「若い時に社会主義に燃えなければ情熱がない証拠だし、年を取って社会主義に燃えていたら、成長していない証拠だ」みたいなせりふがあったと覚えている。言葉は正確ではないので、僕個人の思い込みと思ってもらいたい。

 

ただ、内容は良く理解できたのを覚えている。なぜなら、僕も若い頃の一時期は組合活動や社会主義に共感して、今は社会主義だけでは世の中が続かないという事を知ってしまったからだ。

 

(ただ、この点あまり突っ込まないで欲しい。議論を始めたら、ブログなどのスペースで解決するような問題ではないからだ)

 

写真は沖縄の万座毛。綺麗ですね。

 

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amazonから直接リンク出来る仕組みがあるみたいで、挑戦中。

これで金稼ぎなんて考えてませんが、より多くの方に日本の名作や

古典に触れて欲しいと思います。

 

 

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tom_eastwind at 17:15|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年04月16日

日本の大学じゃあるまいし

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最近、日本に帰国する30代の日本人カップルを時々見かける。

 

当社のお客様ではないので正確な理由は分からないが、要するに到着後の計画が甘くて、思ってたような生活が出来ずに、日本に帰るということだろう。

 

そりゃそうだ、ニュージーランドは天国ではない。そこに辿り着きさえすれば天国、「酒も旨いし姉ちゃんは綺麗だ」なんて訳にはいかない。こんな歌、もう知らない人の方が多いだろうな。おらは死んじまっただ〜。

 

「ここは天国じゃないんだ」とは、僕のブログの最初に書いている事だ。そう、ニュージーランドは天国ではない。自分で切り開いていかねばならない、多くの茨の道がある。

 

あなたの前に道はない。自分で切り開いたところに、初めて道が出来るのだ。その覚悟なしに、ビザを取ることだけに執心してしまい、肝心のニュージーランド生活に対する詰めが甘いケースが散見される。

 

日本の大学じゃあるまいし、入ってしまえば後は遊ぶだけ、というわけにはいかないのだ。実際にニュージーランドの大学は、入学は簡単だが、そこから山のようなレポート提出が待ち受けており、実に辛い学生生活を3年間も送るのだ。

 

そうして社会に出れば、今度は会社の中でいきなり大ベテランと肩を並べて互角の立場で競争だ。社会人一年生だから教えてくださいなんて、そんな甘い会社はない。「君は大学出たんだろ、だったら仕事のやり方くらい学んでるだろ。知らないんだったら、もう一度大学に行きなおせばよいよ」となる。

 

終身雇用制で、学校は基礎教育、会社が社会教育を受け持っていた日本では、会社の研修でお辞儀の仕方を習う。でもこちらでは、会社に入社した瞬間から即戦力なので、基本的なことなど、誰も教えてくれない。

 

だから、移住をする人も、このあたりが日本感覚のままで、NZに来たら誰かが何かをしてくれると思ってしまう。しかし、誰も何もしてくれない。

 

だからその「違い」に耐え切れず、私は虐められていると思い、ニュージーランドは私を嫌いなんだと思い、回りを歩く人が話しかけてくれない事に人種差別を感じ、結局退散、って事になる。

 

でも、よく考えてみれば、移住というのは文化も習慣も違う国に行くことであり、そこで日本と同じような対応があると思う事に無理があるのではなかろうか?

 

違う世界なんだ、ゼロからやり直すんだくらいの気持ちで渡航すれば、これは結構円滑に地元生活に溶け込める。大事なのは、今までのプライドを捨てること。これさえ出来れば、移住は半分成功したようなものだ。

 

移住先に溶け込めない人がいるのも分かる。戦前戦後のハワイ移民、ブラジル移民、ボリビア移民と、日本人が渡航した先でも、離散した家族もある。だからハワイやブラジルに行けば幸せになれるなんて事はあり得ないので、溶け込めずに苦労する人もいるだろう。

 

その結果として、日本への帰国という選択肢もあるだろう。

 

ただ思うのは、自分が溶け込めない原因を相手に押し付けるのはどうかという点だ。何かと言えば「NZはこれが駄目、あれが駄目」と言っても、そんな事を知らずに来たのですか?という事にしかならない。

 

日本の大学じゃあるまいし、入ったらどうにかなるなんて思わない事が、移住を成功させる第一歩だと思う。

 

写真はオークランドのスカイタワーとヨット。最近、このアングルが多いな。やっぱ写メだけではきついかも。デジカメ、買おうかな。

 

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tom_eastwind at 17:34|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月15日

世界の日本人ジョーク集

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日曜は仕事の予定もなくのんびり出来たので、午後からお風呂に入りながら前回の家族旅行で奥さんが日本の本屋で買って来た「世界の日本人ジョーク集」を読む。

 

世界の中で日本人がどう見られているか、ジョークの中に真実を探そうってテーマの本で、これが面白い。

 

ちなみに半身浴という言葉が出る前から、てゆ〜か、風呂に入って本を読むのは、僕の大事な生活リズムの一つで、社会人になってからずっと体調管理、特に精神安定の一環としてやってるので、そっか、もう20年くらいだから、これを週に最低2回はやらないと、調子悪い。

 

特に風呂上りの水割りがdaisukiだ。たっぷりの氷で良く冷やした薄めの水割りを一気飲みすると、熱で半分くらのぼせた頭の中が、一気に雨雲を吹っ飛ばして青空になったような気分になる。

 

もう一つの体調管理はインスタントラーメン。日本に行って後半に調子を壊すのは、大体がインスタントラーメン食わないからだと本気で思い込んでいる僕は、たぶん生れた時からインスタントラーメンを食っていると思う。少なくとも小学校の頃、台所で棒ラーメンを食っていた記憶があるから、これは40年近いか。

 

インスタントラーメンは体に良くないとか、スープは人口調味料だらけとか、それはよく分かるが、水でも薬と思えば薬効があるように、僕にとってはインスタントラーメンの毒々しい味が、どうもMother tangになっているので、出張が終わり、自宅で真っ先に食べるのがインスタントラーメンだ。

 

特に棒ラーメン、出前一丁が愛用で、ほんとは「うまかっちゃん」もdaisukiだが、とんこつ味は基本的に福岡で喰う事にしているので、数的には棒3出前3うまかっちゃん1くらいだ。

 

勿論昭和中間生まれの僕は、チキンラーメンもdaisukiだ。チキンラーメンが出た頃に生まれた僕は、チキンラーメンと同じ人生を歩いてきた。昭和の繁栄、工業化、高度成長、1986年には対外純資産で世界一、87年には一人当たりGDP(国内総生産)が米国を抜き、失業率2%と、世界でほぼ、最も物質的に豊かな国になり、そんな時代でもチキンラーメンは、いつも僕の食料庫に常備していた。

 

そして、バブルの崩壊で失われた10年どころか、結局15年以上も不況であえいだ日本、その頃にはすでにニュージーランド生活で、その後香港に渡った後もチキンラーメンにめぐり会うことはなく、もっぱら出前一丁専門だったが、オークランドに居を移してからは、ジャパンマートがチキンラーメンを仕入れるようになったので、バーモントカレーと共に食料庫の常備品となった。

 

最近またチキンラーメンの売り上げが伸びていると聞いて、何となくうれしい気持ちだ。安藤さんも亡くなったが、チキンラーメンは不滅です!と言いたいくらい。

 

てなことで、全然話がそれたが、この本の作者は早坂隆氏で、2005年11月に発行された本だ。僕のお風呂の時間にちょうどぴったり、一ページ目からお風呂に浸かって、1時間後には全部読み終わってお風呂から上がった。そして水割り!

 

作者はルーマニアにも住んだ事があり、その時の経験も、ジョークとは別に記されているが、その経験のコラムのほうがよほど面白い時がある。

 

日本の残業や過労死に触れて作者が自分の東京体験をルーマニア人に語るのだが、「東京のとある雑誌編集部に勤めていた時代、深夜零時〜2次に帰宅することも珍しくなく、そのまま会社に泊まる事もしばしばだったと話すと、夕飯はどうするのだ、家族は怒らないのかなどと聞かれ、それなら貧乏でもルーマニアにいるほうがマシだねと口々に言われるのであった」と書いている。

 

彼は更に「2005年4月に起きたJR福知山線の脱線事故は、海外の多くの人が驚いたのは、事故原因となった1分半の遅れであった。彼らの目には、この痛ましい事故は非常に日本的な事故と映ったようである」と書いている。

 

「ルーマニアなら起こりえない事故だと、ルーマニア人自身が感想を述べた」とのことだが、そうだろうな、日本人的だよな。ルールを優先するあまり、そのルールの目指すべき最優先目標である安全が無視されたのだから、いかにも日本的だ。

 

細かいルールにこだわり、何故そのルールが存在するのかを理解しないから、こんな事故が起こる日本。

 

そうそう、お金が人を幸せにするとか、物質が豊富だったら人が幸せになるとか、そんな事はないって。モノがなくてもお金がなくても、キーウィは実に楽しそうに生活をしているもんな。

 

ただ、紹介するジョークも、実に面白い。ここでは書けないようなジョークもあるので、是非とも一冊買って欲しい。

 

ちょっと紹介すると

 

=鯨の代わり=

アメリカ人が日本人に言った。

「鯨を食べるなんてことは絶対に認められない」

日本人が聞いた。

「なぜですか?」

「鯨は高い知能を持ち、豊かな感情を持つ生き物だ。かわいらしく愛嬌もあるじゃないか。そんな高等な生物を食べることなど許されることではない!」

それを聞いた日本人はこう言った。

「なるほど。では、これからはアメリカ人をたべることにしよう」

 

これなど、実にウィットに富んだ内容だし、日本人の言いたい点を見事に押さえている。昨日のきっこでもいるか、鯨問題をやってるが、このままアメリカ人に返せばよいと思うくらいだ。

 

=幸福論=

「人生における最高の生活とは?」

「アメリカで給料をもらい、イギリスの住宅に住み、中国人のコックを雇い、日本人を妻にすることさ」

「では、最低の生活とは?」

「中国人の給料をもらい、日本の住宅に住み、イギリス人のコックを雇い、アメリカ人を妻にすることさ」

 

これも秀逸。

 

そして、いろんな本で紹介されているエスニックジョークの代表例。

 

=早く飛び込め!=

ある豪華客船が後悔の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示をしなければならなかった。

船長はそこで、それぞれの外国人乗客にこう言った。

アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」

イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」

ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」

イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」

フランス人には「飛び込まないでください」

日本人には「みんな飛び込んでますよ」

 

写真はハイストリートの広場で昼食を楽しむキーウィビジネスパーソンたち。楽しそうですよ、食事する姿が。

 

楽しい週末でした。

 

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amazonリンクは下記へどうぞ。海外に住む日本人の必携かも_?

 

世界の日本人ジョーク集

 

 

 



tom_eastwind at 16:32|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2007年04月13日

新しい失業手当導入

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NZdaisukiの3月の記事で、こんなのがあった。

 

新しい失業手当制度導入へ

 政府は、失業者が次の仕事を得るまでの準備金として、来月から最高1500ドルの助成金を支払うことを発表した。

 社会開発省によれば、新しい「就職活動」の為の助成金は全ての失業者に適用され、失業者が就職して初の給料をもらうまでの交通費、衣料費などの経費をカバーするとのこと。

 助成金を受給する為には、個人収入と資産の審査をパスし、以前仕事をしていたという雇用証明と求職活動、その経費の記録を提出する必要がある。

 この制度は、長期にわたる失業者、および病気による休職者を救済するためのもので、雇用主が新しい就職者に対し、研修を行う経費として、1週につき最高380ドルを助成するという計画も含まれている。
社会   200735

 

高齢労働者の実状

 先日発表された労働省の調査レポートでは、2005年時点で50歳から64歳の人々のうち77%が職に就いていることがわかった。
 数にすると、1991年の267,000人から倍以上の547,000人にものぼる。

 働く年配女性の割合は、45%から70%へと著しく成長し、これに関係する要因には、女性が生涯を通してキャリアを追求しているという事実が含まれる。
 定年退職の適正年齢を上げることもまた今後の重要な課題とされている。

 50歳から64歳までの労働者に支払われた時給は、平均に近いもしくは若干上回る程度のものだった。
 NZは先進国の中でも高齢労働者において高い労働力率を持っており、オーストラリアに比べても10%も高い。
生活   200738

 

 

失業手当自体はすでに支給されているが、更に就職の際にかかる経費も国が面倒見ましょう、だから就職しましょうねと言うキャンペーンの一環である。働かない人間は国が税金を使うばかりだが、就職してくれれば、国に税金を納めてくれるのだから、お金を払ってでも就職させた方がそりゃ有利だ。

 

日本の失業保険は、会社都合の退職でも半年程度しか出ない。その後はどうしろと言うんだろう?働きたくなくても働き口がない人は、家族や住宅ローンを抱えて、ローンや学費を支払うあてもなければ、後は電車に飛び込むしかない。

 

そんな人たちからすれば、ニュージーランドの社会保障の充実ぶりは「生まれた国を間違った!」と思わせるかもしれない。

 

高齢者の労働について、うがった見方をすれば、「年を取っても働かないと、食っていけない国よね」なんて声もでそうだが、実際はそうではない。

 

彼らは年を取って仕事を辞めると社会とのつながりがなくなるとか、自分はまだ働けるのに、定年だから辞めるなんて発想がないだけだ。

 

これは元々のキリスト教的発想だが、労働は人間の義務だと考えている彼らは、神様との約束で働いているような面がある。子供の頃からそういう教育を受けてきたお年寄りたちは、働ける間は働くのが当然だし、失業保険なんて貰おうとは思ってない。

 

僕がいつもお願いするタクシー運転手のキースにしても、もう70歳過ぎなのに、週7日、夜6時から朝6時まで毎晩タクシーを運転している。

 

「子供も大きくなって一人暮らしだし、運転しながらお客と話すのが好きなんだよ。それにみんな、俺を指名して使ってくれるからね。働けるときは働かないとね」

 

「でもさ、時代はどんどん変わっているよ。tomが俺のお客になったのが、良い例だな」

 

明るい声でキースはそう語る。彼の40代の頃は、まさか自分が70過ぎてタクシーの運転手をするとは思わなかっただろうし、ましてやアジア人が自分のお客になるなんて、考えもしなかっただろう。

 

ニュージーランドの政策は、現在の時点では効率的に機能していると思う。後から振り返れば、もっとあ〜しとけばとかこ〜しとけばなんて話も、出てくるのかもしれない。

 

ただ、格差を認めて、頑張れる労働者がどんどん働く事で企業が成長し、雇用が拡大する。そして税金を安く抑えることで企業に更にやる気を出させる。それが給料という形で労働者に分配され、労働者は所得税を払い、更に見えない形で消費税を払う。この税金を元にして、社会保障に充当する。同時に政策的に最低賃金を上昇させることで、格差自体は存在するものの、生活に豊かさを感じさせ、俺も真面目に頑張ろうと言う気持ちにさせる。

 

日本で格差是正というが、耳に心地よい言葉であっても、それが他人の足を引っ張るだけなら、社会全体の成長を止めてしまう。それよりも、格差を認めてセーフティネットを充実させ、お金が消費に回るような仕組みを導入すれば、今のニュージーランドのように経済が活性化するし、街に浮浪者が殆どいない状態を作れる。

 

経済大国と言っても、都庁の真裏の公園に青いビニールシートが並ぶようでは、国民が幸せだとは言えないと思う。

 

日本よりは所得も生産性も低いかもしれない。でも、人、国民の幸せ度合いからすれば、間違いなくニュージーランドの方が高いと言える。

 

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tom_eastwind at 11:17|PermalinkComments(0)TrackBack(2) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月12日

ホームスイートホーム

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Kid’ Club

 

ニュージーランドの小学校は四学期制で、今はイースターを加えたホリデイの最中。奥さんとみゆきは旅行に行ったので、お父さんと竜馬君が、二人で留守番だ。

 

スクールホリデイって事は竜馬君の小学校も休みなので、そしてニュージーランドでは10歳の子供を自宅に置いたまま外出すると、お父さんは警察に逮捕(児童虐待?安全義務違反?監督義務違反?いずれにしても)される。

 

とは言ってもお父さん、毎日外に働きに出ないと飯が食えないので、当然子供を預ける場所が必要となる。

 

そこで出てくるのがキッズクラブ。これは、スクールホリデイの最中の昼間にお子様を学校で預かりますよって仕組みだ。スクールホリデイの数週間前から父兄に配られる案内に、「次回のスクールホリデイ期間中は、こんな催しをやってます」とか「当キッズクラブでは、お子さんを一日25ドルでお預かりします」ってのが出てる。

 

「催し」はホリデイプログラムと呼ばれて、海や山や動物園に行ったりする、単発の商品。「キッズクラブ」は毎日運営されており、学校が休みの間、学校の施設をそのまま借り受けて運営されている。

 

父親失格なのだが、この団体が誰によって運営されているかよく知らない。

 

ただ、学校の敷地と施設をそのまま借り受けていて、期間中に子供の面倒を見ている人はどう見ても「児童教育免許は持ってるけど、学校の先生ではないな」って人たち。

 

なので、察するにホリデイ期間中だけ学校と契約して施設を借りて運営されている、臨時小学校みたいなものかと思う。この点、申し込みはいつも奥さんがするので、いまいち分かってないのは、ちょいやばし。奥さん帰ってきたら、聞いてみよう。

 

ただ、この施設が何より良いのは、日頃竜馬君が通っている小学校の施設がそのまま使えて、校庭で走り回ったり、体育館で自由に遊んだり、今日は近くのプールに連れて行ってもらったり、ケッコウ至れり尽くせりなのだ。

 

毎朝9時前に子供を学校に連れて行って、クラブの出席簿にお父さんのサインと電話番号を書き込む。これは、8時30分以降ならいつでも子供を連れて行ける。

 

帰りは6時前なら、何時の迎えでもOKだ。僕は5時頃を目処に迎えに行くが、その時間帯は、ネクタイを外したお父さんや、工事現場の道具をピックアップトラックの後ろに、3歳くらいのちっちゃな息子を助手席に乗せた大工のお父さんがやってくる。

 

大工のお父さんは、その巨大な胸板と肩の上に、キッズクラブでピックアップしたちっちゃな男の子を抱えて車に戻る。

 

こんなシステムがあるから、そして残業がない国だから、子供を迎えに行くのが楽しい。

 

「りょうま、今日は何して遊んだの?」

「あのね〜、プールに行って午後はゲームして、お弁当も全部食べたけど、お水は半分しか飲まなくて、えっとね、それからね、ボールを投げて遊んで、とっても楽しかった!」と、あまり脈絡のない話が続く。

 

何かさ、日本でビジネスパーソンしていると、こんな楽しみってないよね。

 

さ、ちびすけ、帰ろうぜ、お父さんと一緒に、ホームスイートホームへ。

 

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tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月11日

法令遵守が日本を滅ぼす

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今日からライブドアブログが全面再開した。長かったな、約一ヶ月の停電?停止?無料版は使えてたが、これで何とか今までのような「何しとんじゃ〜!」クレームは、何とか収まってくれそう。

 

それと共に僕の中で最近の日本の流行は「法令遵守が日本を滅ぼす」だ。

 

この本自体は元長崎地検次席検事だった作者が、コンプライアンスという視点から現在の日本の問題点を描いている。ただ、彼が作中で取り上げたテーマは、どちらかと言うと政府向きだが、彼の問題提起自体は、まさにその通りと思う。

 

日本は、実に細かいルールを作ることで、そのルールに手足を縛られ、ルールを守る事にのみ意識が集中してしまい、何故そのルールがあるのかという点を忘れている。

 

作者は、ルールとは社会的要請があって出来るものだから、社会適用性が時代の変化によって失われれば、ルールも当然なくなるべき、または改変されるべきだと言う。

 

これなど、今更言わなくてもと思うような常識だが、日本の現場では、今だもって無駄な慣行が行われている。

 

丁度この本を読み終わった時に併読していた日経ビジネスで丹羽宇一郎伊藤忠会長が、村社会内部の壮大な無駄を書いていた。

 

それは、国会審議期間中に、官僚の多くが徹夜状態で国会に張り付いているという事実だ。一見当然そうに見えるその裏には、実は、そんな張り付きなんて全く必要ないのに、国家の大計を図るべき役人が、全く意味のない古い規則に縛り付けられて無駄な時間を過ごしているという実態だった。

 

他にも周囲を見渡せば、意味のないルールや法律の細則に拘るあまり、何も前進させることが出来ずに、同じところをぐるぐるぐるぐる回っているような会社がたくさんある。

 

法律は人が社会的要請に従って作ったもの。要請の必要がなくなれば、法律も改変すべきだが、もっと大事なのは、法の精神を理解して、運用の段階で調整することだ。そして、その調整をするべきものは、それこそ社会の常識だ。

 

実は裁判官も弁護士も、法律よりも社会の常識を重んじる事を知っている。何故なら法律家こそ法律の間違いの怖さを一番知っているからだ。

 

大体、裁判所の判決の理由の前段によく使われる言葉が「社会通念上」である。これは、言葉通り、法律には運用の幅があり(例えば殺人は15年以上無期懲役又は死刑)、殺意を持っても一人を殺すだけでは死刑にしないが、殺意を持って二人殺すと死刑になると言う「運用」である。

 

このように法律に幅があるのは、厳格に適用すれば法律がとんでもない非常識な事態を引き起こすことを知っているからだ。

 

ところが実際の社会では、法律の、実に細かい点のみをあげつらい、マスコミが視聴率欲しさに下らん記事を書く。それを喜ぶ、自分で考えることをしない民衆がいる。その結果として、自縄自縛に陥っている日本。

 

結局、間違いを恐れずに堂々と主張する人間が馬鹿を見る世の中になっていき、それがそのまま国際競争力の低下に繋がっている。

 

まさに、思考停止の連鎖とでも呼ぶべきか。この思考停止連中の一番困る点は、自分が正しいと本気で思い込んで、こちらが問題提起すると、目を潤ませながら「あなたね、社会の弱者の気持ちが分からないの?」と、本気で聞き返してくることだ。

 

おいおい、お前のように、勉強せず考えもせず、その場の雰囲気に情緒だけで流されるような思考停止連中が、このような世の中を作ったんだぞ。

 

それにしても、これからの日本が、本当に怖くなる。今、西洋が日本を狙っている。現代では一つの国家が一つの国家を狙うという様相ではない。巨大企業が国際化しているから、国家の代わりに巨大企業が日本を飲み込みに来ている。

 

シティバンクが日興を、他にも外資大手がどんどん日本の資産を刈り取りに来ている。昨日も書いたが、まさに明治維新前夜である。

 

フランスに支援を受ける徳川に付くのか、イギリスに支援を受ける薩長に付くのか。これから5年後に日本の企業の支配図が、信じられないほどに変化するだろうが、その変化を真っ先に受けるのは労働者である。

 

自分の無知と無行動と思考停止が、5年後の自分の生活を位置づける。今が日本の潮目、維新の危機でないと思える人は、5年後に間違いなくその「結果」を受け取ることになる。

 

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「法令遵守」が日本を滅ぼす



tom_eastwind at 17:54|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 最近読んだ本  

2007年04月10日

どっちの国民になろうかな?

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どっちの国民になろうかな?

 

民衆が 頭を下げる美し国 元の濁りの小泉恋しき

 

美しい国=「美国」って、中国語では米国の事を示すんだよね。これから米国のようになりますって宣言かな。本気ならOKだ。

 

 

 

米国は自国の国益の為に行動するが、国益を受ける対象は米国人である。そして米国は単一民族国家ではない。例え親父は日本からの移民でも、米国で生まれて米国で育てば、それは立派な米国人だ。

 

だから、日本人が米国人になってしまえば、米国の国益=日本人の国益と言う理屈が成り立つ。

 

今の政治のように、政権が官僚を抑えることが出来ず、小泉時代の恨みを晴らさんばかりに、次々と各省庁がやりたい放題やってしまい、国家のコントロールを失った状態に比べれば、そりゃ米国のほうが、まだましだ。

 

少なくとも米国は、利己主義とはいえ方針は一つである。国の方針がばらばらになることもない。

 

小泉さんの強権が懐かしくも思える。

 

実際に米国に移民した日本人が、今ではフクシマさんとか、米国の政界にも日系米国人として進出しているし、彼ら日系人が代表するのは日本人の利益ではなく米国全体の利益だ。だから日本人が米国人になってしまえば、少なくとも税制や権利の面で、今の日本よりは数段恵まれることだろう。

 

現在の日本は明治維新直後のようだと言ったお客様がいる。

 

僕も同感だ。

 

江戸開闢以来三百年の徳川政権を倒したのは良いが、その過程で坂本竜馬のような優秀な人材を亡くしてしまい、政権を奪取した時点では人材不足の上に金不足、仕方ないから維新政府は、江戸時代より高い年貢を農民から徴収した。

 

農民からすれば、政権のクーデターなどお上のやってる身内の喧嘩、所詮わしらには関係のない事、問題は今年の年貢が徳川様の時代より高くなったと言うことだ。

 

維新政府は日本国家のためと言うお題目で税金を徴収しただけでなく、江戸時代には戦争に行く必要のなかった農民を徴兵して戦地に送り込み、農民は重税と徴兵と言う二つのくびきで、江戸時代以上の苦労を受けながら明治時代を過ごした。

 

歴史書に出てくる明治時代の日本は東京ばかりだ。明治の同じ時期に地方で過ごした一般庶民からすれば、子供は兵隊に取られ年貢は増やされ、物価の狂乱で米も買えずに暴動を起こせば、自分たちを守るはずの警察が取り締まりをする。

 

挙句の果てに自分の娘を遊郭に売り、何とか糊口をしのぎながらの生活。

 

このあたり、「橋のない川」、「荷車の歌」などで描かれているが、それならいっそ、米国に移住してしまえ、例えサトウキビ畑の重労働でも、日本で搾り取られるよりはよほどましという事で、藤村の「破戒」のような米国移住となる。

 

米国が守るのは米国の利益であり、日本人でも米国人になれば、当然の権利として米国によって守られるのだ。過去の歴史では日本人や日系人が大戦中に収容所に入れられたりしたが、米国はそれをきちんと反省している。

 

だから、どうせこの世で生きていくなら、どれかの国家に乗っかるしかない。どうせ乗るならどろ舟よりも、浮かぶ可能性の高いどる舟のほうがましだ。イラクと戦争やってるが、少なくともあと10年近くは国家としての力はあるだろう。

 

国家としての権力がなくなれば、その時に時代に合わせた新しい国家に移ればよい。それがハラショーでもニイハオでも良い。自分が日本人であるという誇りさえ失わなければ、生きる地域はどこでも良いのだ。

 

国家に拘らずに、家族を大事にして生きていこうとすれば、頼るべきは国家によって作られた企業ではなく、自分の力であろう。世界中どこに行っても家族を守って生きていける力を持つこと、個人として強くなること、それがこれからの重要な点になると思う。

 

それにしても移住、5年前はここまで潮目が高くなるとは、正直言って思っていなかった。時代、なんだろうな。

 

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tom_eastwind at 18:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月09日

ニュージーランドの経済改革

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今日はEaster Monday だが、日本から初めてニュージーランドに下見に来たお客様に同行して一日過す。

このお客様は、今すぐの移住ではなく、5年後とかを視野にいれながら、まずはどんな国なのか見てみようと、日本からパッケージツアーでやってきた。物価、治安、雰囲気、景気、とにかくまずは基本的なデータを押さえておきたいという事だ。

最初は南オークランドを見てもらい、この国の格差を少しでも理解してもらい、犯罪は普通にあるし、夜中に歩くとやばい地域もある事を説明。

その後ボタニーダウンの新興住宅地やショッピングセンターを案内しながら、最近の景気について語る。

するとお客様は、昨日空港からシティに来る時に若い日本人女性ガイドから聞いた話として「ニュージーランドはバブルなんですか?」と質問される。

この質問、もう100回くらい答えた気がするな。お酒を飲んでる場で知り合いに聞かれて、説明がめんどくさい時は「じゃあバブルって何ですか?」と聞き返すことにしている。

ガイドさんって、今何歳なんでしょうね?バブルを知ってる年代?まあ、そんな事を聞いても仕方ないけど、バブルとは商品の本来の価値以上の値段がつけられて取引される状態を言う。

じゃあ今のニュージーランドが不動産バブルかと言えば、それこそ見方によって答えは変わると丁寧に言いたいが、はっきり言えば違う。

航空機とインターネットの発達により人々の移動が盛んになり、その結果として世界の価格の平準化が始まった。住宅は野菜と違い、産地費消の商品ではないため、バンクーバーの住宅とオークランドの住宅の価格の比較が出来る。

例えば香港で猫の額のようなマンションを5千万円で購入した人は、オークランドで5千万円で買える、庭付きの5ベッドルームを見て安いと思うのだ。

購入者からすれば、住宅環境が良くて香港からの直行便があって治安が良ければ、「じゃあ一つ買っておこう」となる。投資目的もあるから、今後の人口増加も見込める。

値段が上がらなければ、その間は賃貸にしておいて、自分が住んでも良い。

要するに、価格の平準化が世界レベルで発生しているだけであり、毎年3万人の人口が増加する街では、住宅価格が上昇するのもごく当然というわけだ。

だから、人が増え続ける限り住宅価格は高止まりをするし、住宅需要が実需として存在する限り、それはバブルとは呼ばない。

バブルに関しては以前興味があり、南海バブル、チューリップバブル、そして日本のバブルを取り扱った資料を読んだが(興味のある人はtom文庫を訪問してほしい)、今の時代から考えると、何でチューリップの球根の来年生えそうな色に対して、その権利の売買と言うビジネスが発生したのか、今の時代からすれば、何じゃそりゃ?だろう。

だが当時は、売り手がいて買い手がいれば、商品自体の価値は問わない、要するに商品は何でもよくて、博打をしていただけだ。

ところが昭和40年代の東京の地価はどうだろう?これは1980年代までは、確実に右肩上がりで地価が上昇していた。バブルが起ったのはプラザ合意による日本円の急激な値上がりによるものだ。

資金がじゃぶじゃぶと余ってしまい、その金が土地に流れ込んだ、だから本来の成長を大幅に越すような地価上昇を招き、これがバブルとなった。

だが、今のニュージーランド、特にオークランドの商品価値を見てみると、人口増加しており、世界で最も治安が良い大都市の一つで、法律も整備されて、外国人でも自由に土地売買が出来るとなれば、これは十分に魅力的な価格だと思う。

このような要素を含めて考えれば、今はバブルではなく好景気だと捉えるべきだ。

バブルを知らずしてバブルを語り、自分が就職氷河期に学校を出たと言う厳しい日本しか知らないから、ついつい他人の言葉を鵜呑みにするガイドさんもどうかと思う。まあ、もしかしたら僕が一度でも教えた生徒かもしれないので、あんまり悪いことは言えないが、初めてニュージーランドの土地を踏む人に対しては、それなりの知識を持って接して欲しいものだ。

とか思いながら、午後はノースショアの住宅見学をする。5年前までは70万ドル程度だった物件が、今では100万ドルまで上昇しているが、さすがに景色はばつぐん。

それも、一握りの住宅ではなく、一つの地域が全部、海を正面に見下ろす住宅街なので、それは綺麗だし、勿論住民は皆知り合いなので、治安も良い。

ニュージーランドは、セーフティネットを整備した上で格差を認めている。誰でも一生懸命働けば、海の見える一軒家に住める、そんな現実が目の前にある。

お客様とはタカプナでお茶をしながら、ニュージーランドの社会福祉、学校の制度をお話する。日本とは全く異なっているので、お茶でも飲んでゆっくりと話をしないと、なかなか理解してくれないからだ。

冒頭にも書いたが、基本的に僕は、ニュージーランドの悪い点から話をする。ここは天国じゃないし、泥棒もいる。仕事の速度は遅いし、ミスも多い。商品は少ないし、品質も悪い。

ただ、それでもやっぱりこの国は、ある種の日本人にとっては住みやすい国だと思う。だから、移住なんてのは、誰でもどうぞとお勧めするものではない。

ただ、移住できる素質のある方には、長期海外旅行とか、将来の相続に向けてとかの視点で判断して来て貰っても良いのではないかと思う。

最近よく読むブログに、池田信夫blogがある。ニュージーランドの経済改革の手伝いをしたアメリカ人学者というのがあったので、めもっておく。

この人のブログ、コメントでも「毎回、何を言ってるか分かりません」と言うほど難解なテーマだが、とても面白くて、毎日必ず読むブログの一つに入った。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87553d6c0515752df5b05d5f88c5d1b1

さて、明日から通常勤務。職場では、イースター前から残しておいた案件を処理せんといかんし、新規のお客様も来るんで、今日は早く寝なければ。それにしても、下見のお客様が増えたな〜zzzzz。

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tom_eastwind at 19:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月08日

ナビ

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日本で車を運転する人にはもう常識になったナビゲーター(車のハンドルの左横に付いてる、自分の今いる位置が分かる電気地図)だが、ニュージーランドでは殆どと言って良いほど、てゆ〜か、全く普及していない。

 

昔から車を運転している人なら、道を間違えることのないような単調な一本道だし、何せオークランドから300km近く離れたロトルアに行くのに、途中に信号が一つもないような国なのだから、ナビなんて不要ってのが一般論だった。

 

ところが昨日、りょうまくんを連れてボタニーダウンショッピングセンターに行くと、何とナビ発見!

 

さいしょの目的は、イースター旅行に出かけた奥さんとみゆきの送りの為に空港に行き、その帰りにボタニーダウンのゲームショップでりょうまくんが欲しがってたガンタイプのコントローラーを買う事だったのだが、EBゲームという行きつけのお店で聞くと、在庫切れ。

 

ガンタイプのコントローラーはTMヴィールスに効果的で、バイオハザードにはなくてはならないし、レジデントエビルのように動きの早い敵相手には、通常のコントローラーでは戦いにくい。

 

だもんで、日頃はあまり行かない電気専門店のディック&スミスにないかな〜と思ってのぞいたのだが、案の定、ここでもPS3は売ってるが、ガンタイプはなし。

 

仕方なく店内をうろうろしていたら、NZVMANという会社のナビゲータが販売されていたのだ。

 

安いモデルだと700ドル、高いのは1600ドルくらいだが、日本のような最初から搭載されているタイプではないため、ハンドル横の送風口に貼り付けるようなタイプとか、ダッシュボードの上に置くタイプばかりだ。

 

手のひらに乗っかる計算機みたいなサイズだが、見る限りまともそう。3D画面で地図は2006年のものを使っているようだ。重さ200gで、勿論カラー表示。

 

www.navman.com

 

でもな〜。必要なのか?面白いから一個買ってみようって値段じゃないしな〜。

 

そんな考え事をしてたら、りょうまくんが聞いてきた。

 

「お父さん、何見てるの?」

「これはさ、運転する時の地図だよ」

「ふ〜ん、お父さん、道を知らないの?」

 

だよな、これが普通のキーウィ会話だよな。

 

誰もいないそのコーナーを、僕はりょうまくんと肩組んでゲームコーナーに行った。

 

いつかこの国もGPSが使われるようになるんだろうな。でもそれって、いつだろう?時間と人の親切がたっぷりなこの国、人口が500万人くらいにならないと、まだまだ必要にはならないんだろうな。

 

そう思いながら、地図も見ずにボタニーダウンから適当にシティに戻った。途中で道に迷ってもよい、時間だけはたっぷりあるし、思いがけないものを見ることも出来るしな。

 

写真は、僕のオフィスから見えるクイーンストリート。歩道の工事中で随分と混んでる。

 

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tom_eastwind at 15:02|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月07日

荷車の歌

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「荷車の歌」

 

明治から大正、昭和にかけて、広島県三次市の、更にその奥の山村で生まれ育ったある女性の生涯を描く映画。1959年、同名の原作を元に独立プロの山本薩夫監督が作ったこの映画は、その製作費用を農協婦人団体から一人10円の寄付で作られた、日本でも珍しい庶民投資型の作品である。

 

丁稚奉公、庄屋、荷車、馬車、田んぼ、農家、とにかく今の時代ではおそらく死語であろう状況が、白黒映画の中で次々と広がっていく。

 

当時の山村の様子がよく描かれているが、特に興味深いのが、三次のような山奥でも海運が発達しており、農村で作られた各種産物が、近くの大きな川で待つ帆掛け舟に乗せられて廣島に運ばれると言う、1800年代の物流の様子が分かることである。

 

峠の山道を夫婦で二人、荷車を二台引っ張りながら、身代を作ろうとする若い夫婦。しかし田舎にありがちな、古い習慣に縛られた姑に、嫁は虐められながら子育てをしていく。勿論当時だし、旦那は弱気でいつも姑の味方をするから、誰も嫁を助けてくれない。

 

3つになってもまともに成長しない長女を連れて巡礼に出る母親。その後何とか奇跡的に長女はすくすく成長する。親思いの子だが、姑に反抗して遂に里子に出すしかなくなる。

 

その後男の子を生み、次第に姑とお互いの気持ちを通わせることが出来るようになる。幸せが来たかのように見えたある日、今度は身代が出来たおかげで亭主の浮気が始まる。遂には浮気相手を自宅に連れ込むようになり、毎日苦しむ妻と、それを慰め、何とか解決しようとする子供たち。

 

そんな彼らの背後には、時代と共に大東亜戦争が影を落とす。そして廣島の原爆、その後の農地解放、新しい時代が始まる。

 

荷車が馬車に抜かれ、馬車が石炭自動車に抜かれ、そして鉄道が走り、そういう時代の大きな変化の中で生き抜いた農家の妻のたくましさが、望月優子が演じるセキが見事に演じぬく。

 

ちなみに、浮気ですけべ親父を演じるのは、山本薩夫作品でいつも「そんな役回り」の三国連太郎。当時から、若い役、老け役、ボケ役、すけべ役、何でもこなしてたんだな。若い自分に年寄りの役をする為に前歯全部抜いたのは有名な話。

 

今は釣り馬鹿日誌のすーさん役で有名。三国連太郎と言うよりも、佐藤浩市の実父と言った方が分かりやすいか。

 

それにしてもこの時代の映画のレベルの高さ、本当に唖然とする。

 

映画を観終わって奥さんに筋書きの説明をすると、彼女は一言、「映画なんか見なくても、私の義姉さんの話をちょっとでも聞けば、もっと面白かったのにね」だって。

 

どうも姑問題は、日本固有ではなさそうです。

 

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tom_eastwind at 22:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年04月06日

橋のない川

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今日からイースター連休に入る。

 

実質的には木曜の夜から翌週の月曜の夜まで、しっかりと映画&読書の、文芸復興時間だ。日本から買ってきた独立プロの映画をまとめて観て、昔読んだ本で、もいちどゆっくり読み返したいものを会社から持ち出して読む。

 

木曜日の夜は、「橋のない川」2部作。住井すえ原作、てゆ〜か、住井すえの作品の出来映えの高さに、共産党出身の今井正監督がどう取り組むのかに興味があった作品だ。

 

日本には部落問題という、日本人が作り出した差別問題がある。明治から大正にかけて差別是正活動が広まり、水平社が創設されて、現在も続く問題である。

 

ただ最近は同和団体、社会党、共産党が入り乱れて、市役所あたりの利権問題の格好付けに同和を持ち出して、本来の人間平等という精神をすっかり忘れてしまった金の亡者がむらがっているが、そんな現状だけを見て同和問題=部落問題=悪い奴の集まりという趣旨で語るのは、自民党が悪いから民主主義が悪いと言うような、全く意味のない理屈である。

 

日本における部落問題は、元々1600年代頃から始まる人為的政策的な差別であり、明治天皇の時代に公式には解決されたように見えたが、島崎藤村の「破戒」にも語られるように、自分と他人の比較でしか物事を評価できない人々にとっては、苦しい自分の立場を一瞬でも忘れて無意味な優越感に浸るだけの、じつに貧しい精神的貧民の餌でしかなかった。

 

部落の本質的問題を気づかずにいた、無垢で無知で無勉強で無反省で、生まれただけでそれ以上の事を何もしようとしない平民人種によって行われた差別は、差別する方には何の痛みも罪の意識もなく、差別される側に死ぬほどの侮辱を与えた。

 

でも、そんな時代背景を淡々と描きながら、住井すえは明治、大正、昭和と時代を冷静に、暖かく切り取っていく。

 

今回の今井作品でも、暖かさが伝わってきたな。評価は、さまざまなウェブサイトがあるので、是非ともご覧頂きたい。でも、その前に、まず観てもらいたい。戦後日本が世界に誇れる一作である。

 

差別されてる人に言いたい。ニュージーランドに来てみな、部落どころか、キーウィからすれば日本人と韓国人、中国人の区別さえない。みんな一人の人間として扱われる。

 

誰しもが一人一人の個性で評価されて、違いがあるのが当然と言う目で見られるから、人と違っていることが何の問題にもならない。

 

日本の一番の悲劇って、島国なもんだし、そこそこ統治が良かったから、逃げるほどではない、だからいつの間にか煮え湯になった時に逃げ切れなかったってとこなんじゃないかな。

 

今も日本では、マスコミの弾圧法案が内閣決定された。医者もぼろぼろになるまで働かされている。この道って、いつか来た道じゃんか。その事は後日再度まとめて書きたい。

 

橋のない川はDVDも本もtom文庫にもある。最初にこの本に触れたのは、もう20年以上前だ。五味川純平の人間の条件、司馬遼太郎、山本周五郎と並んで、僕の中の古典の一冊だ。

 

それにしても、ニュージーランドで過ごす夜に、今井正監督の日本の名作「橋のない川」を観れる幸せ。時代の進歩に、感謝。

 

あ、この映画一部では、長山藍子が嫁役で出ています。今ではすっかり良いお母さん役ですが、当時も、お母さんっぽかったです。

 

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tom_eastwind at 21:46|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 最近観た映画 

2007年04月05日

最後の一切れの肉

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我が家は4人家族だ。16歳の娘みゆきと、もうすぐ10歳の息子りょうまは食べ盛り。週のうち4回くらいは僕が近くのスーパーで材料を買ってきて自宅で料理をするが、最近こいつらは口が肥えている。

 

以前ならお父さんが作った料理と言うだけで喜んで食ってくれたが、最近は「お父さん、ちゃんとインターネットで料理法検索してる〜?ちょい味が落ちてるよ」とか、平気で言う。

 

がきどもは香港で「舌で学ぶ世代」を過ごしたから、食べ物にはうるさい。下手なものを出しても、一口食べて、「あ、お父さん、今日はお腹一杯、ごめんね、あんまり食べられないよ」なんて慰めてくれる。

 

ところが、美味しい料理がうまく作れた夜には、すべてが激変する。材料が美味しいという意味ではなく、味付けや調理法に成功した場合だが、食卓に出せば、大体5分ですべてなくなる。子供二人の箸が、ヌンチャク並みに飛び回り、あっという間においしい料理は消えうせて、僕と奥さんの食べ物は、残り物の野菜。

 

一応親としては、途中まで食べて子供の箸の動かし具合を見ている。ぱくぱく食べる時はこちらの箸のスピードを落として、出来るだけ子供にたくさん食べさせようと思う。

 

昨晩は豚バラ肉とほうれん草を軽く海塩を振って炒めただけの料理にパスタ三種なのだが、りょうまくんが自分のパスタの上に肉を載せようと、親の顔を見もせずに、周りを振り向きもせずに、お皿に残った最後の一切れの豚バラ肉を遠慮なく掻っ攫って(かっさらって)いく。

 

それが、親としてうれしい。

 

景気の良いオークランド、今月から全国的に最低賃金が10%近く上がった。

 

最近のある日曜の午後、たっぷりと太ったマオリの親子がマックに来て、子供が楽しそうに笑い、マックを食べていた。そこには誇らしげな父親の顔があった。

 

「どうだ坊主、今までは月に2回しか来れなかったけど、お父さん頑張って働いて、今は毎週1回来れるようになったぞ、お父さん、頑張ってるだろ」そんな言葉が、父親の背中から聞こえてくるようだった。

 

地球上のどんな親でも、子供に対して持つ普遍的な気持ちだろう。どんな法律や理屈を越えても愛情ってのは普遍だと思う。だからその愛情が素直に表現出来なかったり、親子のつながりを壊すようなことがあれば、それは世の中か本人か、どちらかに問題があると思う。

 

こんなもん、当たり前の感覚だろう。子供を持つ親なら、誰でも当然考えることだろう。

 

じゃあ、もう一歩踏み込んでみよう。

 

今日は子供に飯を食わせることが出来た。明日はどうだ?明日も絶対に、今日と同じような美味しいものを食べさせてあげる、そんな自信を持てる人は、日本にどれくらいいるのだろう?

 

ましてや、子供が大人になった時、日本がどうなっているのか?自分が子供の頃には気づかないが、親になれば確実に目の前の問題として考えねばならない。

 

子供のために最後の一切れの肉を残して食べさせ、明日も、もう一切れ、子供のために残せる生活が、ニュージーランドにはあるような気がする。

 

社会保障という問題は、突き詰めてみれば、安心出来る家庭で、明日も子供にご飯を作ってあげる事ができるかどうかという点にあると思う。その基本の上に、すべての個人生活が築かれる。

 

明日がどうなるか分からない、そんな状態では、怖くて子供も産めない。

 

勿論、この国でも交通事故に遭うかもしれない。落ちこぼれで不良になるかもしれない。学校を出ても満足出来る給料も貰えずに、転職を繰り返すかもしれない。先日の事件のように、日本人家族が死ぬこともあるだろう。だから、どこに行っても絶対の安全なんて絶対にない。

 

でも、親として最低限の義務は、子供を餓えないようにして、出来る限りゆっくり寝れる場所を用意することだろう。出来るだけたくさんの選択の余地を与えることだろう。その意味で、この国は、ちゃんとした明日が見えるな、そう思った昨晩の夕食だった。

 

写真は、近くの鍋レストランでアイスクリームを食べるりょうまくん

 

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tom_eastwind at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月04日

自殺か?クライストチャーチの日本人家族死亡

昨日衝撃的なニュースが入った。1980年代にクライストチャーチに移住した家族が、月曜日の朝7時過ぎに自宅のフラットが燃え、死体が4つ発見されたのだ。

 

死亡した4人のうち、50代半ばのご主人と奥様、ご主人の80歳になる母親の身元は確認され、後の一人は現在も身元調査中との事。

 

月曜日の段階では新聞でも憶測記事が出回る。記事では、死んだおばあちゃんは奥様の母親だとか、20歳前の娘が焼死した等と書かれたが、これは嘘。てゆ〜か、要するに新聞社ってのは、以前も書いたがまともな取材はしない。

 

情報のクロスチェックもしない。聞いた事を書くだけで、子供のお遊びとほぼ同じレベルの取材だが、更に輪をかけて問題になっているのが、他殺か自殺か?という点だ。

 

例えばヤフーニュースでは「放火殺人か?」等と書かれているし、英語のニュースでも昨日と今日では随分内容が変わっている。英語で「殺人及び自殺」と「誰かが火をつけた」と言う表現があったので、それをそのまま鵜呑みにして「放火殺人」となったのだろうが、一応公共に提供する記事なら、現在の不確定な段階でそこまで書くことはどうなのか?という気がする。

 

今朝のPressでは、ご主人は元々裕福で、クライストチャーチで旅行会社を一時は経営しており、子供も私立学校に通わせるほどお金があったが、1998年頃に投資をしたビジネスが大失敗して、6百万ドルの負債を抱えていたと言う記事を書いていた。

 

この投資自体は詐欺で、売込みをしたニュージーランド人は2年の罪で刑務所に入ったが、すでに出所しているよね。

 

警察も、昨日から情報が錯綜してすみません、みたいなコメントを出してた。

 

いつも酔っ払った僕を自宅に送ってくれるタクシードライバーのキースと、昨晩車の中で事件の話をした。

 

彼は「信じられない、ニュージーランドでは、お金に困って人のものを盗るような事件はあっても、お金のために家族全員が自殺するなんて、あり得ない!」と言ってた。

 

彼は70過ぎの老人だが、今でも余裕矍鑠(よゆうかくしゃく)としてタクシーの運転をしている。オークランドの人々が自宅に鍵をかけなかった時代からこの町に住んでいる彼からすれば、最近の犯罪の多さにはいつも嘆いていたが、特に今回の事件では想像を超える衝撃を受けたようだ。

 

だって、これだけ社会保障がしっかりしているのに、何で死ぬ必要がある?どれだけ借金があっても個人破産すれば、それで借金は棒引き、2年もすれば、元のようにクレジットカードも持てる。仕事がなければ政府が世話をしてくれるし、給料が安ければ社会保障を受ける事も出来る。

 

困った人のための社会保障ではないか、なぜそれを使わないんだ、どうしても死にたいなら、自分だけ死ねばよい。なんで家族を巻き込むのか?

 

今朝の記事では、子供たちは他の場所にいて今回の事件に巻き込まれてはいないと確認出来た。死亡したのは、妻と母親、もう一人は、今だ不明。

 

80過ぎのおばあさんは、神戸の震災で夫や家を無くしてしまい、どうしようもなくて、今回死亡した息子の家に同居していたらしい。当社クライストチャーチのオフィスに、よく本を借りに来ていたそうだ。

 

「英語が出来ないもんでね、バスも満足に乗れないんですよ、ここで日本語の本を借りて読むのが唯一の楽しみですよ」と、自宅からシティの当社まで1時間、歩いて通ってたそうだ。

 

彼が1980年代に移住をして旅行会社を経営していたとすれば、現地オプショナルツアー運営だろうし、そうなると、僕もどこかで顔を会わせていただろう。当時のクライストチャーチでも、旅行業界に携わっていたのは数十名だからね。

 

ただ、この事件を新聞等で見ながら思った事は、やっぱりニュージーランドは天国ではないという事だ。来てしまえば誰でも幸せになれるか?なれない。来るだけでは駄目で、やはり強くなければいけないのだ。

 

とりあえず日本が嫌だから来ました程度じゃ、それから先に待ち受けている様々な問題を乗り越えることは出来ない。事件の家族も、移住当初は順調に物事が進んでいたのだろう。

 

でも、人生はどこに落とし穴があるか、本当に分からない。今回の彼も、もしキーウィの仕掛けた詐欺にはまらなければ、今も幸せに生きていただろう。

 

子供を私立に通わせてたというのは、かつては随分資産があり、豊かだった筈、ところが最近はフラット住まい、それも3ヶ月以内に退去してくれと言われてたらしい。

 

ご主人は、最近まで地元の会社の運転手で生活の糧を得ていたそうだが、50過ぎで英語もあまり上手ではなく、仕事をするにも随分と不自由を感じていただろう。

 

彼らにとって日本に帰るという手段はなかったのだろうか?年齢的にも日本の年金を放棄していたのかもしれない。ただ、クライストチャーチに残るにしても、子供はすでに20歳前で立派な大人なのだから、家族全員が働けば、食べていくには困らなかったはずだ。

 

借金はご主人だけが抱えるもので、家族には関係ない。だから本人が自己破産をして、後は家族全員で働けば、何も問題はなかったはずだ。

 

もっと言えば、1990年代には自宅を数軒持っていたそうだから、早いうちに家族信託会社を作り、そこに資産を移しておけば、例え本人が自己破産をしても、資産は全額守られる。母親も子供も妻も、それまでと同じ生活を続けることができたのだ。

 

何でそういう、家族を守る為の技術を、裕福なうちに学ばなかったのか?時間は十分にあったはずだ。いろんな選択の余地があったろうに、最悪の結果を招いた今回の事件。

 

何故もっと生きてるうちに強くならなかったのか。生きてれば、どんなやり方でもあるのに、全く悔やまれる。僕ならそのような状況に対して徹底的に戦うし、知恵を絞って手段を打つだろう。

 

子供さんたちは今、クライストチャーチの警察で事情聴取を受けているようだ。子供さんが助かっただけでも、まだ救いだが、彼らの心には一生忘れない傷になる。

 

いずれ詳細が分かるだろうが、新聞記事の取材のいい加減さと、亡くなった方には申し訳ないが、結局子供の心を一番傷つける事になった事件だった。

 

今日は、写真もクリックも貼り付けたくない気分だ。



tom_eastwind at 10:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月03日

テレビを見る人々

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最近どのお客様と話していても感じる、大きな共通点がある。それは、彼らは殆どテレビを見ないという事だ。

 

「子供の教育には良くないし、学べるような番組もない」、「内容のしっかりしたドラマもない、ニュースにしてもあれだけ嘘がまかり通るようだと、見てても意味がない」だから自然とテレビのスイッチを入れなくなったと言うのだ。

 

テレビは、戦後に新聞社から生まれて、新しいメディアとして出現して、つい最近までは茶の間の中心に座っていたが、それがどうも不調だという話を聞く。

 

なぜ不調か?一番の理由は番組の質の低下にある。

 

それはテレビ局がありもしない視聴率というお化けを追いかけていった結果だが、そうなった原因は、視聴率調査会社の視聴率の「調整問題」(視聴率率を調査する会社は現在日本には実質的に一社しかない。その会社の30%以上の株を持つのが電通)は別にして、テレビが「大多数の人々」を対象にしている限り、相対的に頭数の多い、テレビに映ればなんでも真実と思い込む、テレビ教信者向けに番組が作られるからだ。

 

馬鹿も利口も選挙じゃ一票ってやつで、誰でも良いからたくさんの人に見てもらわないと視聴率も伸びず、広告が売れないもんね。

 

企業は、自社で作ったテレビ広告が本当に効果があって商品が売れているのか、それとも商品自体が良くて売れてるか分からず、結局視聴率に頼るしかなかった。

 

そして広告主を大事にする電通等の広告代理店は、更に広告主に気を使い、とにかく視聴率の高い番組に広告を入れるようになる。その結果、少数派である知識層が納得するような題材よりも、笑いが取れる大衆向け番組が売れるようになる。

 

そういえば最近のインターネット記事で見かけたが、日本テレビの去年の暴走族取材でもやらせがあったと言う。報道取材でさえ「やらせ」をするわけであり、そこにはすでに、真実を報道する「ジャーナリズム」は消え去り、視聴率のみを追いかける「商業メディア」のみが残骸のように残っているという事を、賢い人々は見抜き始めたという事だろう。

 

何度も書くが、あるあるを見て納豆を買うようなテレビ教信者が、テレビの言うことを信じて政府発表を信じる。ところが少数ではあるが、自分で考える力を持っている人々は、テレビ発表をそのまま信じることは、まずない。

 

だって彼らは自分の知識と思考力で考えるから、テレビがどれだけ国民向け大本営発表を行い、それが嘘に満ちているか、よく知っているからだ。

 

例えば耐震偽装事件でも、インターネットではどんどん新しい事実が出るのに、広告主や政府の圧力を受けた商業メディアは、政府の言うことしか書けない。

 

記者クラブというものも、政府の気に入った記者しか入れず、そこに入らなければ取材さえ出来ないので、自然と政府の発表をそのまま記事にするだけという事になり、真実を追究するという本来のジャーナリズムはなりを潜めて、大本営発表の手先と成り下がっているだけだ。

 

マスコミをあまり信じない人々にとっては、むしろインターネット情報の方が分かりやすい。何故なら、インターネット情報は、読むほうに一定の知識があれば、それこそ無料の有益情報として活用出来るからだ。

 

インターネットは取捨選択だけしっかりと判断できれば、非常に有効な情報収集手段である。ただその特性として、情報を受ける側が能動的でないといけないという事だ。

 

これはウェブ進化論でも述べられているが、テレビはスイッチを入れてるだけで情報が自動的に流れてくるので、考えなくても良いという性質を持つ。

 

それに比べてインターネットの場合は、自分が目的とテーマを持って検索しなければ、データが出てこないと言う点にある。だから最初から検索する目的もテーマもなければ、情報が全く存在しないのと同じという事になる。

 

最初からそこにあるのに、調べる技術がない人、調べる気力がない人が、テレビの情報だけを耳と目に入れて、何の疑問も持たずに信用してしまう。

 

当社でも3年ほど前かな、クライストチャーチの田舎新聞のヤラセ取材でとんでもない騒ぎになった事がある。

 

元々ありもしない事を勝手にでっち上げて、その後も事実と全く正反対に書かれた捏造記事が、たまたま記事ねたがなくて暇だったTV1に取り上げられて、瞬く間に全国版にまで掲載された「インターンシップ事件」だが、あの時も随分と何も知らない人々がはしゃいだものだ。

 

記事の始まりは「夕方の公園に一人で寂しそうに座っている日本人女性を、キーウィの老夫婦が不思議に思って声をかけて家に連れ帰った」とあるが、おいおい、その老夫婦の家に当社の手配で一ヶ月前から住んでたのは、その日本人女性でしょ。一体どうやって公園で「発見する」の?

 

そして、その嘘を前提に、当社が有料で手配を行ったインターンシッププログラムと、それを受け入れて3ヵ月後にワークビザを発行する予定だった、ある高級ホテルが叩かれたのだ。

 

冗談じゃない、英語学校に行くよりも、無給のホテルベッドメイキングでもキーウィと働くほうが英語の勉強にもなるし、きちんと働けば3ヵ月後にはワークビザも取れる、そしたらその後、レストランやフロントにも行ける、だから是非とも参加させてくださいと言ったのは女性のほうである。

 

ホテルからしても、当社が最初にフィルタリングをかけて、更に3ヶ月の採用をしてみてワークビザの手続きが出来るので安全である。

 

そのような事情を一切書かずに、とにかく悪徳業者がホテルと組んで、いたいけな若い女性を金を取って仕事をさせたという筋書きのまま、話がどんどん進む。

 

彼女もきちんと老夫婦に説明すれば良かったのに、あまり英語が上手でなく、周囲の雰囲気に巻き込まれ、どんどん大きくなる話を途中からNOとも言えず、止める事も出来ずに大変な騒ぎになった。

 

結果的に労働局も移民局も「まったく問題なし、継続してください」となったが、ふざけんな、一度新聞で叩かれた被害は、一体誰が補償してくれるんだと思った。彼女も最後にはお詫びしてきたが、一番酷かったのは、事件を最初にでっち上げたホストファミリーである老夫婦だ。最後に会った時に、「またよい子がいたら家にホームステイさせてね〜」だってさ。呆れたもんだ。

 

一番可哀相なのは、このプログラムでワークビザを取得する予定だった、他のインターンだ。彼らは結局この騒ぎのおかげでプログラムに参加出来ずビザも取れず、日本に帰ることになった。

 

よく言われるが、マスコミは手抜きをしないといけないほど忙しいのか知らないが、とにかく自分で勝手に筋書きを作って、都合の良いところだけを抜き出して記事を作る。それでも足りなければ捏造してしまう。

 

ところが読むほうは、他に情報がないから比較も出来ないまま、その記事を信じるしかない。

 

それに比べれば、インターネット情報は膨大であり、一つの事象に対して右側左側から違う意見が出てくるし、一つの事件を四方から見渡して判断することが出来るから、判断力のある人間からすれば、この方がずっと効果的である。

 

インターネットの特徴はマスコミと違い、放送ではなく通信である。つまり、情報が一方通行ではなく、往復なのだ。だから一人ひとりが自分の意見を発表出来るし、それに対する反論も出来る。だから意見発表をする際(例えばブログやホームページ、ウェブサイト)には、一応自分の意見が理路整然としているか、校正するようになる。

 

そして他人の意見でも、その場で議論しているわけではないので、勝ち負けがないから、割合素直に聞くことが出来る。

 

そうやって出来上がった知識の輪がインターネットであり、そこで提供されるインターネット情報は、結局のところ、数的には少数でも、質的には社会の本質を捉えていたりする。

 

最近ではテレビの調査結果よりもインターネットで調査をした方がよほど正確な答えが出ると言われている。ウェブ進化論でも作者が小泉政権の誕生をインターネットを通じて予測できたと書いている。

 

時代の流れは、これからもウェブ2に向けて進んでいくだろう。その時に要求されるのは、情報を理解する能力だ。それがないままに、無神経にテレビの画面をつけっぱなしにしていては、最後に馬鹿を見るのは本人という事になる。

 

写真は、シティの路上に駐車しているベントレー。新車で2000万円以上するだろうな。

 

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tom_eastwind at 12:17|PermalinkComments(1)TrackBack(2) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月02日

車間距離は心の余裕

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以前も何度か書いたが、ニュージーランドでは交通道徳がしっかりしていると感じる。

 

例えば停電で市内の電気が全部止まり、シティの信号全部が消えた時でも交通ラッシュは起こらず、皆が譲り合って運転してた。

 

それとか、日常でも人が親切に自分の時間を使って他人の為に手助けをする行為をよく見かける。

 

 

これなどはキリスト教文化で育ったキーウィ(ニュージーランド人)の特徴と言う人もいるし、確かにその部分はある。ただ、同時に忘れてはいけないのは、彼らは仕事においては非常にハングリーであり、俺が生き残るかお前が生き残るかだ、みたいな点もあるという事だ。

 

だから、彼らも「お前か俺か」となれば、遠慮なく他人を押しのける。では何故日常生活ではあまりハングリーではないのか?

 

反対に例えば大陸中国人の場合、平気でバスの列に割り込むし、自分さえ良ければ他人の事は全く関係ないという顔で生きている。

 

そのような態度はキーウィからしたら「実に嫌らしい」と感じるし、行列を守る日本人からしても、「同じアジア人と思われたくないわ」と言う気持ちになるだろう。

 

しかし、中国の古いことわざにあるように「衣食足って礼節を知る」という人間の原則は、キーウィにも中国人にも等しく当てはまる。

 

つまり大陸中国人は衣食足ってないから礼節を知らず、てゆ〜か、礼節を知って実行すれば、ほぼ確実に死んでしまうような国に生まれ育っているから、礼節等生きる為に邪魔だから、真っ先に捨ててしまっているのだ。

 

行列に割り込む大陸中国人にとっては、このバスは常に「最後のバス」だと思うから、他人を押しのけてでも乗る。それが衣食足たない中国人が礼節を忘れて行う行為だ。

 

ただ、だからと言ってキーウィが「これが最後のバスだ」と知っていても行列を守るだろうか?やはり、誰かを押しのけてでも乗り込むという人間が出てくるだろう。

 

ただ、そうならないのは何故か?

 

それは、ニュージーランドでは「この次もバスは来る」と知っているから、あえてみっともない真似をして他人を押しのけないだけなのだと思う。勿論奉仕の精神が豊かである事は当然だが、その上に実際の生活面でも「次のバスが来る」のを、政府が保障しているからだ。

 

ニュージーランドでは政府が人々の生活を保障している。出産から幼児医療、学校教育、失業保険、母子手当て、老齢年金まで政府によって社会保障が組み立てられているから、生まれた時から衣食が足っているのだ。

 

国民としては、食っていけるし服も買える。だから礼節を知る事が出来るし、キリスト教文化がその上に乗っかっているから他人を助けると言うことが堂々と出来る。

 

もし日本が社会保障を充実させて、昭和40年代の頃のように国民を守ってくれるなら、今のように社会が「ぎすぎす」する事もなかったろうにな。

 

これから益々社会保障が切り捨てられ、生活が厳しくなれば、確実に犯罪は増えるし治安は悪化するし、国民の心は大陸中国人並みにすさんでいくのではないだろうか。

 

そうなれば、礼節の国と呼ばれた日本の歴史や伝統は崩壊していくんだろうな。

 

朝の交通ラッシュで前行く車を見ながらいつも思うのは、そんな事。

 

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tom_eastwind at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2007年04月01日

ニューワールドで働く中国人

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いつも仕事の帰りに立ち寄るスーパーマーケットはニューワールド。地元大手経営の、シティ内のスーパーで、朝早くから夜遅くまでやっていて、シティで働く人間には重宝されている。

 

出来たのはもう5年くらい前かな、とにかくシティに夜間人口が増加し始めた頃からだ。

 

この店は割合高級感があり、自家製のパンや店内でさばいた魚、食料品、日用品、ビール、ワイン等品揃えは豊富で、レジでも二人体制で、料金計算をする人と袋詰めをする人がいる。

 

パック&セーブなどの割安感を売る、レジにビニール袋を置かないタイプのお店とは客層が違い、いかにもシティで働いてますって感じのビジネスマンが目立つ。

 

彼らはシティで朝8時から仕事を始めて、夕方4時頃の帰宅途中にニューワールドの駐車場に車を停めて、背広は車に置いてネクタイを少しゆるめ、それまでの仕事一本やりの顔から、今晩は何を作ろうかって、子供の顔を思い浮かべながら買い物をするお父さんの顔に変化する。

 

このお店ではレジに若い中国人が目立つ。たまたま僕が並んだ、Less12item(手提げかごに入る程度の12品以下専用)のレジでは、Tsnagと言う名札をつけた、細身で短く髪をまとめた、まだ若い中国系女性が立っていた。見た目はどうも20歳くらいだが、実際には25歳くらいかな?

 

僕の列の前には同じニューワールドで働く、同じく中国系の若い男性店員(緑の制服を着ている)が二人並んでいた。いかにも流行のシャギーな髪で屈託なさげな彼らの顔は、普通に太平市場などの中国系のスーパーで見かけるおじさん中国人と違って、何となくほわっとした感じがする。

 

二人は中国語でおしゃべりをしていたが、自分の順番が来てレジの前に立つと、Tsangさんとは英語で話していた。3人とも、ほんの少し中国訛りがあるが、流暢な英語である。親に連れられて子供の頃からこちらに住んでいるのだろう。

 

外国に住む日本人の場合、子供に日本語を教えないケースがよくあるが、中国人は、ほぼ100%の確率で子供に中国語を教える。だから中国人はどこの国に行っても子供が中国語を話せないと言う事は少ない。この前書いたチョイさんの家族も、娘3人はきちんとした広東語を話す(書くのは下手だが)。

 

それにしてもこの3人の若者、たぶん地元の学校を出て、大学には行かずにニューワールドに就職したのか、それとも大学を出てニューワールドのレジの研修をしているのか、どっちか分からないが、ほわっとした顔をしているのは、3人とも共通だ。

 

たぶん彼らの親の世代、つまり1980年代後半に移住した人は、移住するだけの金もあったのだろうが、やはり一番には将来の子供の事を考えて、共産中国ではやってらんね〜と判断したのだろう。

 

だからと言って親はたいした英語が出来るわけではない。当時は永住ビザを取得するにも、英語力はあまり要求されなかったから、移住してからも言葉の面で結構苦労もあったと思う。

 

そこで多くの香港人旦那は、家族をニュージーランドに残して元の勤め先の香港に戻り、太空人(たいほんやん=宇宙飛行士=単身赴任)のあだ名を貰いながら、家族の住むNZに送金した。

 

他の移住者は、地元で小さなテイクアウェイショップを開いたのかもしれない。それとも散髪屋か?中国系のスーパーで働いてたか?これはもう、想像するしかない。ただ言える事は、親の代では家族の別居、給料の安さ、開業の難しさと、随分苦労した筈だということだ。

 

そりゃそうだ。見も知らぬ土地に落下傘降下して、全くゼロから始めるのだ。苦しくても、今までの土地にいれば、友達も親戚もいるし、言葉も通じるし、文化も同じだ。何であえて海外に出なければいけないのか?

 

ここが日本人と中国人の決定的な差だが、中国では共産党政府によって自由も平等も公平も規制されており、いつ自分が逮捕、殺されても文句が言えないという点だ。

 

それに比べれば、日本では、きっこのブログみたいにお上に軽く楯突いても、そう簡単には野口さんみたいには殺されないし、アパグループのような違法マンションを売っても刑務所に放り込まれないし、ほりえもんだって第三審までに執行猶予がもらえるだろうし、怪しげな宗教団体も堂々と活動出来るし、スパイ防止法もないし、とにかく適当にお上に調子を合わせておけば、何とかなるのが日本だ。

 

だから、もっと楽しい生活を夢見て移住する日本人と、確実に安全な国に、どんな条件でも良いから逃げ込もうとする中国人では、その真剣さが決定的に違う。だって、日本人は戻る国があるのに、彼らには戻る国がないからだ。

 

特にもう一つ大きいのが、家族の将来だ。日本人の場合、移住しても、精々5年先に子供が英語ネイティブになって〜とかくらいの視野だが、中国人の場合、100年先を考える。

 

中国語の新聞を見ると不動産広告が必ず載っており、そこには常に「名校区」という表示がある。これは、優秀な学校に通える地域ですよと言う意味だ。これが売り文句になるのは、それだけ親は、子供にしっかりした学校に行ってもらいたいからだ。

 

それはなぜ?答えは簡単で、中国では大家族制度が残っているが、一族全員の金を集めてでも、優秀な一人の子供に投資をして、その子に優秀な教育を与え、将来優秀な稼ぎ手になり、一族全体を支えてもらいたいと思ってるからだ。

 

日本ではすでに崩壊した三世代同居が、香港や中国では今も残されており、親戚同士の繋がりが「一族」までに広がっている彼らの場合、優秀なリーダーを教育すると言うのは、一族の繁栄にとって最も重要なテーマなのだ。

 

そんな彼らにとっては、一族繁栄の為の100年計画であり、たった20年程度の、親の世代の移住の苦労なんて、あっと言う間だ。

 

子供たちがしっかり育ち、英語を話して現地で溶け込みながらも、自宅では中国語を話す、そういう環境になれば、いつでも親戚家族を呼び寄せることが、経済的にも家族のビザサポートも可能となる。

 

これが究極のリスク回避だろう。今住んでる国がやばくなれば、世界中、すぐにどこにでも逃げられる権利。

 

これはユダヤ人も同じで、彼らも大家族+世界中に分散しているという特徴がある。米国、英国、西欧、東欧、ロシア等に分散して、政治的リスクや経済的リスクを低減させている。

 

ただ、冒頭の若者らは、すでにNZのビザがあるし、大人になってからの国際競争にさらされてないので、どうも顔がほんわかしてくるのだろう。

 

厳しい競争を勝ち抜いて中年になってからやってきて、ざんばら髪で襟の汚れた白いYシャツに、荒縄で縛ったようなベルトを、これまたねずみ色のズボンに通して太平市場で買い物をするおじいさんたちからすれば、「け、ずいぶん甘いがきどもめ」とでも思ってるかもしれない。

 

こうしてみると、日本人の場合は、一体誰が幸せになりたくて移住するのだろうか?

 

30代で移住する人たちの多くが「家族のため」と言う。これは勿論だろう。でも、「家族」の重みは、自分の気持ちの中にどれくらい含まれているか?今の子供の教育か?英語学習の場か?妻か?それとも子供の将来の就職か?それとも50年後の家族か?もしかしたら、自分が今の社会が嫌だから、ニュージーランドに行けば何でも良くなると、妄信していないか?

 

日本人の良い面でも悪い面でもある「忘れやすい」と言う性格は、移住の場合、良い面も悪い面も見せる。

 

悪い面で言えば、移住して半年もすると、何のために移住したのかという点だ。誰のためなのだ?何のためなのだ?

 

日本にいれば、言葉も通じるし同じ文化だし、ちょっと政府やお上に頭さえ下げて、毎晩遅くまで残業して土日も仕事して、子供との会話もままならないし、ストレスは溜まりまくって暴飲暴食で体を壊すし、酒とタバコで中年になればぶくぶくで、成人病に罹っては心まで蝕まれていくが、少なくとも食っていけるし、何とか社会との接点を持って生活出来る、そんな素敵な生活を捨ててまで、何でニュージーランドにやってくるのか?

 

その点を、悪い意味で忘れているのではないかと思う。

 

「子供のためです」。そういう風に目的を明確にするなら、是非とも子供の為に働いて欲しい。自分の給料が安ければ、アルバイトをすればよい。子供が学校に持っていく弁当は地元民並みでも、子供は文句は言わない。夜はお父さんお母さんが日本語や算数を教えればよい。

 

土日だって働ける。インターネットを使った副業も出来る。もし子供の為にニュージーランドに来たというなら、それくらいの生活を20年くらい続けてみればよい。

 

そうではなく、実は自分が土日休みたいのだ、ストレスから開放されたいのだ、子供と一緒に遊びたいのだ、のんびりしたいのだ、そう思うなら、そのような生活を送れるだけの資金を用意してくることだ。

 

何の準備もなく、明確な目的もないまま、ただニュージーランドに来ればどうにかなると思っていては、移住した後に必ずトラブルが生まれる。移住した先の国の悪口ばかり言って生活するようになる。

 

勿論ニュージーランドにもたくさん改善する点がある。だが、それを言う前にもっと自分がやるべきことがあるのではないか?

 

中国人だって、この国が遊びのない、退屈な国だといつも感じてる。精々が自宅の裏で作った中国野菜と新鮮な豚肉で美味しい中華料理を作るくらいが楽しい事だ。

 

しかし彼らは、いちいちそんな事を愚痴にこぼして一日中過すような生産性のない事は絶対にしない。そんな時間があれば働く。金を稼ぐ。そしてこの国に基盤を作り、将来やって来るであろう一族の迎え入れの準備をする。

 

中国人の100年計画とまでは言わないが、少なくとも50年先の計画まで入れて、自分の人生を組み立てているか?そうでないと、いつの間にかこの国の悪い点ばかり見えて、愚痴ばかりこぼすのに何もしないという、最悪のパターンに落ち込んでしまう。

 

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tom_eastwind at 12:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌