2008年07月

2008年07月31日

停電の夜

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停電、です。

 

週末に暴風雨がオークランドを襲い、お決まりの停電だ。

 

オークランド全体であちこちに被害が出ていて、お湯が数日使えない家庭、電気が使えない家庭、なんちゃらかんちゃらとテレビではネタにされている。

 

今の家に引っ越してきて、一年に3〜4回はこんな事があるのでこっちも慣れたもので、夜に土砂降り大風が吹くと、ほいほい、ロウソクとマッチを用意する。

 

土砂降りが数時間も続くと案の定、それまで観てたTVの画面が、す〜っと魂を抜かれたように消えていく。

 

ほいほいっと。マッチでロウソクに火を点けて、今日はクリスマスかな〜。

 

パソコンはバッテリーがあるので今日の仕事には困らない。食事はさっき終わった。TVがなくても困らない。たまに家族で過ごす静かな夜である。

 

むしろこんな時のほうが、皆で慣れない作業をわいわい言いながら分担する分、家族の繋がりが強くなる気がする。

 

台風と言えば思い出すのが、何故か僕の場合は高村光太郎だ。

 

智恵子抄

 

彼の詩の中では、よく自然や天気の話が出る。

 

  深夜の雪

あたたかいガスだんろの火は
ほのかな音を立て
しめきつた書斎の電燈は
しづかに、やや疲れ気味の二人を照す


宵からの曇り空が雪にかはり
さつきから見れば
もう一面に白かつたが
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と二人のこころとに感じ
むしろ楽みを包んで軟かいその重さに
世界は息をひそめて子供心の眼をみはる

「これみや、もうこんなに積つたぜ」
と、にじんだ声が遠くに聞え

やがてぽんぽんと下駄の歯をはたく音
あとはだんまりの夜も十一時となれば
話の種さへ切れ
紅茶もものうく
ただ二人手をとつて
声の無い此の世の中の深い心に耳を傾け
流れわたる時間の姿をみつめ
ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて
ありとある人の感情をも容易(たやす)くうけいれようとする


又ぽんぽんぽんとはたく音の後から
車らしい何かの響き――
「ああ、御覧なさい、あの雪」
と、私が言へば
答へる人は忽ち童話の中に生き始め
かすかに口を開いて
雪をよろこぶ
雪も深夜をよろこんで
数限りもなく降りつもる
あたたかい雪
しんしんと身に迫つて重たい雪が――

大正二・二

 

 

有名な歌ではこんなのがある。

 

  あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。


阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

 

*それとか、智恵子、よっぽど愛されていたんだなって思うような作品。

 

あなたはだんだんきれいになる

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。


見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。


をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。


時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。

 

***

 

 

大正の詩なんだよね。まだ東京にも電気がちゃんと通じない時代、電話もないし、ファックスもないし、フェデックスもない時代。勿論インターネットもなし。

 

そんな時代に自分の心を詩にのせて、今日の天気はこうだったね、今日はこんなものを食べたよねと語る彼ら。自然と同居して生きてけた時代。

 

停電で色んな不便もあるけど、それを嫌だな〜と思うんじゃなくて、そんな日も人生にはあるよね〜って思って、じゃあそんな日はこんな事をしようかって楽しめる心の余裕。

 

そんなの今の日本じゃ出来るわけない大変だよって、それは分かる。でも、このオークランドと言う街では、あまり違和感なく、ロウソクで過ごす一晩を楽しめる。

 

それがこの街の良い点なのではないかな。

 

これはもう好き嫌いの問題なので、これ以上は何も言うことはないけど、僕は暴風雨が来るたびに高村光太郎を思い出すし、そんな日本が、たった100年前に存在してたってのは知ってる。

 

停電で風呂に入れないのが、ちょい辛いですけどね。何せこっちの家はすべて電化なのですよ。結局ガスでお湯を沸かして行水でした。



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2008年07月30日

食 北関東 5

新幹線田んぼ今回北関東を回って一番感じたのは、新幹線と田んぼと民家が並列しているって事だ。

 

勿論これは3月の北海道市場調査でも同じなんだけど、あの頃は雪ばっかりで、農家の娘さんの話を聞くだけだった。

 

 

だから、今回のように、池袋から電車に乗って暫くすると、本当に田んぼやネギ畑?が並んでいる景色には、おお!って感じだった。

 

お前どこで生まれたんだよ?って言われそうだが、そうなんです、実は僕は子供の頃からコンクリートジャングル系だったので、川で遊ぶとか田んぼを見るとか、そういう機会がとても少ないし、第一子供の頃は自閉症だったので、そんなもんが目に入っても見てなかったんだと思う。

 

美味しんぼ 102巻

 

うちの会社には「美味しんぼ」をほぼ全巻置いてある。ところどころ抜けているのもあるが、基本は新しい巻がでたら逐次購入である。

 

漫画が「ガキの精神教育に良くない読み物」と、食わず嫌いのPTAに嫌われて実質発禁処分になってた時代から漫画を読んでいた僕は、PTAの連中のあまりの理解力ほぼゼロの無知さと知ったかぶりの厚顔さに呆れるよりも、その当時は小学生だったので、思いっきり腹を立てた記憶がある。

 

その中でもビッグコミック系列は電車の中で読むとまだエロ本と思われてた時代に「美味しんぼ」が出てきた。それまでは「浮浪雲(はぐれぐも)」などの傑作(その後大学受験の題材に取り入れられる)が代表作として取り上げられたが、「それでも所詮は男のエロ本の延長でしょ」だったのが、「美味しんぼ」が出てからは社会的地位に変化も出てきたような気がする。

 

思いっきり話はそれるが、「はぐれ雲」の作者である秋山ジョージ氏は、その昔人間の業を描いた「アシュラ」で神奈川県教育委員会から「未成年が読んじゃいけないよ」指定を受けたし、「灰になる少年」では公害問題を追及したし、「銭ゲバ」では拝金主義に陥る社会に痛烈な批判をぶつけた人物である。

 

その結果、殆どのマスコミから無視された時代がある人だ。正しい事を言う人が無視される、こんなの、ありかいと本気で思った時代だ。

 

そ〜いう作者が書いた内容がその後大学試験の質問に出てきたってのは、どれほど昔のPTA連中があふぉだったかってのをよく表してるし、漫画を馬鹿の読むものと決め付けた連中の馬鹿さ加減を表している。

 

またもネタがそれた。

 

さて、その「美味しんぼ」の102巻を購入すると、今回のテーマは「食のあり方」である。これは以前から僕も興味があったので、かなり読み込む。

 

ところがその後、成田からオークランドに戻る時に、機内に乗り込む前に買った雑誌が、「週刊ダイヤモンド7月26日号」である。

 

何と、食に関する大特集をやっており、以前から食の問題については私淑(ししゅく)している吉野家の安部社長の持論、「安全と安心の違い」を読む。

 

上越新幹線安全は絶対に必要。でも安心は感覚だから人によって違う。そういう人を最大公約数で満足させようとすると、その原価がとてつもなくかかる。結果的にそれは消費者が負担することになる。企業が赤字になれば倒産して商品が提供出来なくなるから、消費者負担にせざるを得ないのだ。だから消費者はもっと賢くあらねば、結局は自分が被害を蒙ることになるのだ。

 

ここまでが彼の今回の持論。

 

ここから先は、日本の経営者がなかなか口に出せない本音。

 

ところがその過程において企業も自らの経営努力で出来る限り原価を下げる。これが問題で、原価を下げる場合に最も手っ取り早いのが、取引先企業に値引きを要求したり、自社の社員の給料を下げること、または社員を出来る限り減らしてパートや派遣にすることだ。

 

その結果として全体的に労働者の給料は低く抑えられ、昼食は500円のコンビニ弁当となる。だからモノが売れなくなり、結果的にいつまで経っても日本経済で消費が活性化しなくなる。結局いつまでたっても不況から抜け出せない現状になっているのだ。

 

民家の畑だから、消費者が賢くなり、意味のない「安全神話」をまるで金科玉条のようにして騒ぐのではなく、自己責任で勉強して、無駄なモノを省くことがまず第一だ。

 

その上で、良いものは高いという事を認めて、良いものにはきちんとお金を払うという習慣を身に付ける事だ。

 

そうすれば企業の経営者も賃上げの余裕が出てきて、結果的に労働者も収入が増えるし、それが消費経済の活性化につながり、そうすれば消費税も取れるから税務署も暴力団並みの取立てをしなくてよくなるし、国家予算も安定すれば福利厚生の切り捨ても不要になる。

 

経営者が何故本音を言わないか?それを言うとマスコミに叩かれて不買運動が起こり株価が下がり経営者が首になるからだ。

 

要するに、消費者は同時に労働者であり、状況を分かっている経営者は本音を口に出来ず、今は無知な消費者が自分で自分の首を絞めている状態だってことだ。

 

勿論無知な消費者を創り上げたのは政府である。いつも書くことだが、「民は寄らしむべし知らせるべからず」と言う江戸時代からの統治方法が今の日本の不況の大本である。

 

民衆は政府を頼りにして、何も考えずについていく、そういう統治方法は、もう限界なのだ。どうしてもやりたければ、再度鎖国するしかないが、それは現実的に不可能。だったら門戸を開いて、「民は自立させるべし知らせるべし」とするしかないのだ。

 

つまり、個人の自己責任原則の導入と政府による情報開示である。

 

これが出来ない現在を作っているのは、選挙の事が気になって仕方がない政治家と、自分の天下り先が心配で仕方ない役人である。

 

つまり、分かっている人々は、経営者も政治家も役人も皆自分の身が可愛いから保身の為に何も言わず、分かってない一般国民は不景気にどっぷり浸かっている原因を考えようともせずに、目先の感情のみで動いている。その結果、昔の日本と同じで、敗戦に向けて皆で一直線、どっぽ〜んとなるのだ。

 

食に関する問題は消費者の問題から始まって国際社会での貿易まで広がるので、小手先だけちょこちょこやってもどうしようもない。やっぱり国全体をゼロから作り直す必要があるのだ。

 

それにしてもこういう偶然、よくある。何かのテーマを調べていると、それに関連する情報がぞろぞろと出てくるのだ。

 

美味しんぼとダイアモンドと、そして今回巡った北関東の畑。

 

温室今までもいろんな街を回ってきたが、これほど農地と自宅がぴったりと同居している景色は、あまり見たことがない。

 

新潟が日本で一番米が取れるとか、埼玉はネギの生産地とか、とにかく日常生活に農業が直結しているのが肌で感じられた。

 

僕は生まれた時からアパート生活だし、大人になってからは都会しか知らず、それからクイーンズタウン、香港、オークランドと、日本的な景色をまともに見ることがなかった。

 

中学校の頃に川の魚の名前を先生に聞かれて、僕一人がクラスの中で唯一知らなかった記憶がある。

 

 

食の問題。火中の栗を拾う政治家がいるのだろうか?

 

少なくとも僕は、政治家になる道よりも外国で生活をする道を選んだ。だから政治家にならない人を非難する立場にいない。

 

でも、今の日本を立て直すんだったら、政治からしかない。特に国家レベルで言えば自民党も民主党も理解している一番の問題が官僚であり、それを改善する為の法律が「国家公務員制度改革基本法案」である。

 

時間はかかるけど、15年間失敗してきたんだ、同じ時間をかけて直していくしかない。

  



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2008年07月29日

移住の必要なし! 北関東 4

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しまむらのような大型衣服量販店、銭湯のような温泉施設、イオンに代表される郊外型ショッピングモール、どれにも共通するのが、まるでアメリカの50年代のように、人々が車で移動することを前提としていることだ。

 

違う点は、こっちの場合道が細いので車種が軽であるってくらい。

 

 

 

そんなの“当たり前田のクラッカー”なんて言われても、僕としては、商店街とは駅前であり、人々の移動は電車又はバスが基本で、その中心地となるターミナル駅が最も繁華街となってた時代しかしらない。

 

九州の田舎を回ったりして、駅前型商店街が完璧に崩壊しているのはまざまざと見てきたが、その反対の極にある、発展する郊外型ビジネスモデルを見る機会が、今までなかった。

 

理由は簡単で、地方に出張しても新幹線で移動出来る範囲内しか見れないし、ましてわざわざレンタカーを借りてまで見に行く時間も取れなかったからだ。

 

だから日経ビジネスなどでイオンのビジネスモデルとかしまむらのビジネスモデルとか、要するに郊外型がどんどん成長しているのを見て、一度は自分の目で見てみたいな〜と思ってた。

 

それが今回の出張では、池袋から川越、最初から「普通の人々の生活」を見る予定を組めたので、ショッピングセンターを回り、スーパーで肉や野菜の価格を調べて、寂れた駅前、軽自動車での移動、食材の販売サイズの極小化、朝から温泉に入る老人や中年、そんな地元の人の話を聴くことが出来た。

 

これが九州だと、おそらく僕の地元と言うこともあって、どうしても僕自身がある種の「思い込み」を持ってしまい、客観的な判断が出来なかっただろう。

 

人々の顔を見て、話を聞いて、街を見て、そして直感的に思った。

 

結論から言えば、多くの日本人にとって今必要なのは、移住ではないと言うことだ。

 

今必要なのは、閉塞感というヘリウムが詰まった、パンパンに膨れた風船を一突きして吹っ飛ばす「力」だ。

 

それは政治だ。それも、国政レベルではなく、市政レベルである。

 

子供たちが通う学校の安全性の確保、老人の生活を守るセーフティネット、雇用を確保する為の既存の産業の再開発、そして何よりも、北関東においては農業の再興だろう。

 

 

これは、国政レベルでやろうとすると、どうしても国会レベルで利害が出るので法制化が難しい。

 

県議会でも、一つの県の利益の方向性が一つに向いてないのが現実だ。同じ県名で違う市が新幹線誘致の喧嘩をしているのだから。また、町政レベルでは予算問題等で、独自に動くには小さすぎる。

 

でも市政レベルならそれなりの収入はあるし、市民の利益の方向性はある程度一致している。それに他の市の干渉を受ける必要はない。県庁に根回しして、霞ヶ関に目立たないように進めることが出来る。

 

 

「ふざけんな、市政の難しさを分かってるのか!」と言われそうだが、それはそのままお返ししたい。「ふざけんな、難しいからこそお前がやっているんだろうが!能力ないなら、引っ込め!」

 

僕は市政の何を知っているわけではない。ただ、色んな国で仕事をして、個人的にも政治や文化が好きで勉強して、日本では国政を見ている立場からすると、「あるべき市政」が見えてくる。

 

市の条例の細かい条文がどうなのか、そんな事は知らないが、自分が20年海外で生きてきた経験から言えるのは、直感的に言えるのは今の日本の切り口は市政だって事だ。市政だったら、力技で反対派を押さえ込める。そしてもう一つのポイントが、素人が政治家になることだ。

 

国政では、政治のプロでないと潰される。でも喧嘩の仕方さえ知ってれば、市政ならそれはないような気がする。つまり素人でも参加出来るのだ。素人が仲間の代表として政治家になればよい。金儲けの為の政治屋ではなく、あくまでも期間限定の政治家だ。

 

今の仕事を一時期辞めて、10年程度政治を司って、市民の意見を実現していく。一定の年齢になったり実績が十分に出来れば、その時に政治家を辞めて、また昔の仕事に戻っても良い。他の仕事をしても良い。

 

要するに「みんなの為に働く」のだ。

 

ニュージーランドではすでにこの仕組みが定着しており、だからこそ(途中をはしょるが)政治に汚職が少ない。日本ではこの仕組みをいきなり国政に導入なんて出来る仕組みになってない。

 

でも市会議員なら、手弁当で選挙に出られる。周囲のサポートがあれば、自分の街を再開発出来る。

 

どうだ、それだけでも楽しくないか?わくわくしないか?自分が生まれた街を、自分の手で良くしていくのだ。

 

そんな機会に恵まれる人は少ない。多くの人は、機会があっても本人にその器がないからやれない。これこそ、「人は死して名を残す」、ではないか。子供のための最高の置き土産ではないか。今の時代しか出来ない。世の中が完全に混沌としている今の、それも地方だから出来ることだ。

 

何故僕がそう思ったか?そこには色んな原因がある。思いつくままに列記してみると、

 

地方では初任給が安いと言いながら、スーパーで売られている食品は一人暮らし分に細かくパックされてて、尚且つ安い。つまり、食が確保されているのだ。

 

ちなみにニュージーランドの現在の為替でざっと比較してみると、卵は半額、肉は同額、飲料は半額、そしてトイレットペーパー、洗剤、シャンプー、石鹸などに至っては、思いっきり高性能でありながら半額以下だ。

 

おまけに品物の豊富さと品質の高さは、ニュージーランド産など恥ずかしくて横に並べることも出来ないほどだ。

 

モール朝から焼きたてのパンの香りがするスーパーを見て回り、レジのサービスの良さ、第一、レジの外で買い物をまとめてふと見ると、何と水を無料で飲めるようにしている!

 

それが、最初はちっちゃなカップに飲めるやつを見て、「おお、こりゃ気が利いてる」と思ったのだ。

 

ところがが、なんとそれから出口に近づくと、そこには更にペットボトルに無料で水が入れられるようになっているのだ!

 

こりゃもう、アリエナイザーイナバウアーである。

 

そこにユニクロ、しまむらが続く。低価格高品質の衣料である。

 

そして、家賃が安い。地方の場合は自宅通勤が多く家賃負担が家庭全体で振り分けられるのだ。

 

つまり、生活の基本である衣食住は、実は今でもきちんと守られているのだ。普通に生活をする分には、一生懸命働きさえすれば、地方ではやっていけるのだ。

 

そして朝からお風呂に行くおじいちゃん、開店の10時を待ってクーラーの効いた車の中で新聞を読んでいる。実は新聞にはとんでもないことが毎日起こっているのだが、おじいちゃん、「いやいや、今の日本は大変だね〜」と言いながら新聞を閉じて、開店したお風呂にそそくさと入って、いやさ、今日も幸せ。

 

要するに、人々は幸せなのだ。ナンだかんだ言っても、幸せに生きてるのだ。大事なのは、その生活を守ることであって、難しい話をすることではない。

 

要するにその町の住民の意思を汲み取って政治に反映させることが出来ればよいのだ。目先の金ではなく地域の自立を真剣に考えて、必要なら地元選出の国会議員をあごで使う。そいつを自分の代弁者として国政に送り込む。

 

そうやって、地域を活性化させれば、移住なんて必要ない。日本で十分に楽しく生きていけるのだ。意味不明の英語、違う文化習慣、そんな事に苦労しなくても、生まれた街で生活を構築出来るのだ。

 

「移住をビジネスとしているお前がそんな事言って、そりゃ自爆じゃねえか?」なんて思う人もいるだろうが、僕は昔から自分のビジネススタイルがある。

 

それは、お客様にとって何が最高の選択かを考えた上でその提案をするのが僕の仕事だと思っているから、それが結果的に僕の利益の期待値にいかなくても、それで良いということだ。

 

どれだけ自分の懐が苦しかろうが、相手にとって最善の選択をさせずに自分だけ利益を得るなんて、商売じゃないと思ってる。皆が儲かってなんぼだ、それがビジネスである。そんなビジネスモデルが作れないなら、やらないほうがまし。

 

ただ、今回の北関東を見て思ったのは、ここはまだ力が残っているって事だ。まだやっていける、十分に活性化出来る、そう感じた。

 

でも、どんな状態も、必ず旬がある。時期を逃せば、後になって「ああ、あの時やっておけば」と言うことになる。

 

今出来るときに、今出来る最善の事をする。夕張のように、国が「お前、死ねや」と宣言されてしまえばおしまいである。

 

今、体力のあるうちに市政レベルで戦えば、ほんっと、移住なんて必要ないって。

 

僕は市議会がどこまで議決権を持っているかは知らない。でも本能的に分かる。今ならやれる。条文解釈とか、そんなもんはやる気さえあればどうにでもなる。ジャの道は蛇だ。

 

今回、北関東を回って、何となく自分の中で、まだいけるじゃん、「ニッポンちゃちゃちゃ!」って気になった。

 

ただ、そうは言っても移住したい人向けに、第33回ニュージーランド外貨預金・移住・投資説明会を9月14日(日)13:00から15:00を予定しています。

 

詳細はこちら。

 

はは、商売している。



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2008年07月28日

歩道がない! 北関東 3

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日本の道路ってこうだったのかな〜。てか、こうなんだよね。今までも色んな街を回って細い道路とか見てたのに、あまり気が付かなかった。

 

そう言えば東京でも、とにかく道路が細くて離合出来ないところがたくさんあったことを思い出す。

 

今回はたまたま視点を変えて見て回ったので、昨日の歩道橋に引き続きこの道路の細さ、てか、歩道が殆どないってのに気づいた。

 

ところが実際にこのような細い歩道を、トラックの横をすり抜けるように自転車が走りぬけたり、子供たちが学校の帰りに歩いているのだ。

 

日本ではこんな景色見慣れててごく普通の事だから住民はあまり気にならないのだろうけど、これってどうなんかと思った。

 

ニュージーランドでは地域ごとにシティカウンシル(市役所)があり、彼らが建築基準や道路基準などを厳格に管理している。

 

だからオークランドの住宅地では、道路自体が十分な幅を取っており、日本なら二車線取れるような道路でも写真のように大きく一本になっている。

 

NZ Roadそして道路を作ったら、必ず道路の端に段差を付けて歩道を作ってる。

 

写真をよく見れば分かるけど、道路、端っこ、ちょっとした芝生、歩道、そして芝生となっている。芝生の向うに境界線となる塀があるけど、そこから先は個人の土地になる。

 

(この写真、実は自宅に帰ってからこのブログを書く為に撮ったので、週末の暴風雨の日でした)

 

ところがこの個人の土地であっても、塀から自宅の前部分の壁までは6メートル以上空けなさいという決まりがある(これは地域や建築時期で少しづつ違うけど、基本は同じ)。

 

更に住宅規制として、隣の家との幅は、最低2メートル以上空けなさいとある。つまり、両方合わせると4メートルの幅を取る事になる。勿論自宅でありながら裏庭のサイズも規制がある。

 

また、自宅の木を勝手に切ることは出来ない。枝が伸びたからと言って勝手に枝切りをすることも出来ない。すべて市役所に許可を貰う必要がある。

 

それほどまでに街を作るときの基準が厳格化されているので、写真のように道路全体がゆったりと作られているのだ。

 

これも勿論、個人の生活を優先する、てか、優先できる環境にあるニュージーランドだから出来ることだとは言える。日本では国家の利益が優先するから、こうはならないだろう。ちなみにシドニーでは建設基準が緩いから、結構きつきつで家が建っている。

 

昨日の歩道橋、今日の歩道、このあたり、日本の越し方をよく表しているなと思った。

 

どっちが良いか?それは色んな見方があるだろう。

 

国民が一致団結して国民が自分の身体を危険に晒してまでも国家の利益を優先した結果、日本は一時期世界で2番目の国になった(もっとも最近は落ち込んで、GDPで10位以下だ)。その結果として日本人と言うだけで世界で一目置かれる立場になった。

 

ニュージーランドは個人が自分の生活を優先して、金銭的には豊かではなかったが、心の豊かさを得ることが出来た。子供が安心して学校に通える環境が出来た。

 

僕がこのような状況を説明会で話す時、日本人はMoney Richになったが、キーウィは Mind Rich になる道を選んだ、その結果として両国の現在があると説明している。

 

だから、どっちを選ぶかは最終的にその人の判断だ。

 

ただ、自分で能動的に自分の人生を選択せずに、ただ流れのままに生きて、その結果として今の日本の文句を言うのは、それは筋違いではないかと思う。

 

今の日本のやり方が問題だというなら、政治家になって自分の街から作り変えていけばよい。それが大変だと思うなら、自分の住む町を変えればよい。どっちもせずに文句を言うのは自己責任放棄である。

 

今までは東海道新幹線が縄張りで、その中で色々と見てきたが、基本は仕事の視点だった。今回の北関東は、生活の視点から見ることが出来て、非常に面白い体験だ。

 

まだまだいきます、北関東。

 

第33回ニュージーランド外貨預金・移住・投資説明会は9月14日(日)13:00から15:00を予定しています。詳細はこちらからどうぞ



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2008年07月27日

歩道橋 北関東 2

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埼玉のお客様が終了して移動の最中、隣に車輸送トラックが止まった。

 

チラッと目を向けると、おお!歩道橋ではないか!トラックの天井がすれすれにひっかかりそうな高さにある、車の排気ガスを長年浴びて薄埃に覆われたクリーム色の歩道橋は、かなりの年季が入ってるな。

 

 

歩道橋が初めて作られたのは戦後の事、特に交通戦争と呼ばれていた昭和30年代(1955年代)には、一年に一万人の死者が出て、二年合算すると日清戦争の死者よりも多かったくらいだ。

 

外国との戦争よりも国内で交通事故で死ぬ数の方が多いのだからこりゃ戦争、そうなると特に子供の事故が多かった為に、彼らが「無事に大人になるまで生き残れるように」、特に学校近くに歩道橋を作った。

 

ただこれ、実に見た目に悪い。

 

最近出来た新横浜駅前の歩道橋とかはエレベーター付きで、駅前空間を意識したお洒落なデザインと老人や子供が使いやすい作りになっているが、1960年代はそんな余裕も発想もない。

 

何せ戦いなのだ。道路がなければ加工貿易国家として物流システムが成立しないから、国民には我慢してもらい、階段を上がり下がりしてもらう。当時の技術では車を止める信号システムを作る事が難しく、物流の速度低下を招くことは、何よりも避けねばならないことだった。

 

当時の国民は若いから、階段の上がり下がりなんて大きな問題ではない。だから全国各地に歩道橋を作り、人々の景色の中で、歩道橋の存在が当然のようになってきた。

 

そこでふと思った・・・。

 

あれれ?オークランドに戻って車の運転をしながら再度周囲を見回した。

 

オークランド空港を出てから幹線道路に出るまで。高速道路を走り市街地へ。市街地からシティに入り、再度高速道路に乗る。橋を渡りすぐのジャンクションで一般道に入る。自宅へ到着。

 

やっぱりない。歩道橋がないのだ。空港から自分の家まで、一つも歩道橋がないのだ。

 

シティもすべての交差点は信号であり、後でよく調べたらオークランド周辺で唯一歩道橋と呼ばれるものは、高速道路の上をまたぐ、どうしても信号の作りようのない場所に数箇所あるのみで、(実際に僕の記憶ではノースコートのバスセンターに行く為の、ガラス張りの完全に仕切られた、エレベーター付きの歩道橋が一つだけ)、この街には歩道橋と言う概念は基本的に存在しないのだ。

 

記憶を辿りながらシドニーを思い出す。あそこもそういえば、立体交差の道路はあるけど、日本のような歩道橋はない。

 

オークランドでさえないのだから、クイーンズタウンは勿論、クライストチャーチでさえ存在しない。

 

勿論これには人口密度の圧倒的な違いや、予定を完璧に実行する国民性の違い(つまりキーウィはかなり大雑把と言うこと)があるのだけど、う〜ん、キーウィは、街が発展しても歩道橋は作らないのではないかな。

 

そんなもん作っても使いません、自己責任で左右を見て道路を渡りますって事になるのだろう。

 

香港にも歩道橋はあるが、多くの人々は道路のガードレールを乗り越えて車の間をすり抜けるように横断している。

 

結局日本人の強さってのは、国民が社会全体の成長のためには我慢できる人種であり、皆が統一したルールを守って、一人ひとりが弱くても団結して強さを出せる国民性があるって事の、一つの証明なのだろう。

 

ただ、最近の少子化や老人の増加と電気制御技術の向上で、歩道橋は姿を消しつつある。その社会的使命を終わらせて、老朽化した歩道橋や閉鎖した学校の前の歩道橋は、耐用年数が過ぎたら解体する方向にある。

 

ちなみに解体に要する費用は、大体300万円との事。

 

 

ご案内:

9月14日(日)に東京で第33回NZ移住説明会を行います。

 

 

 

 

 

 



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2008年07月26日

埼玉 北関東 1 

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埼玉県

 

この県に来るのは何回めか?えっと、3年位前に来たことがあったな。それ以来か?

 

ニュージーランドで会社設立をしたお客様の会社を初めて訪問する。

 

 

エコをテーマにしたその会社はとても若い会社だが、創業以来業績を伸ばしている。ビジネスプラン自体が実に明確だし分かりやすく、王道を走っている「Clean&Clear」ビジネスだ。

 

やってる作業自体は真夏でもクーラーの効かない場所なので実にきついのだが、クーラーの効いた東京のオフィスで社長ごっこをやってる連中に比べると、内容が全然違って堅実だ。これは是非とも頑張ってほしい、本気でそう思った会社の一つであった。

 

ところで日本に居る頃、僕の頭の中の日本地図では、東京の次に来る街は北海道、てな時代がずっと続いていた。

 

移住してニュージーランドに来てから初めて北関東を訪問するようになったのは「それで日本人としていいのか?」ってくらいだが、周囲の人に聞いてみると、案外皆そんなもので、自分の住んでいる街から出ることは殆どなく、東北の人に九州地図で全県名を記入出来ない人もいる。九州も同じで東北の県名を全問正解出来ない人もいる。だからまあ、いいかな。

 

今回の埼玉は川越と言う街を訪問したのだが、大きな荷物を持ってタクシー、電車、乗り換え、おいおい、何でこの池袋って駅の東武東上線ホームにはエスカレーターもエレベータもないのか?

 

てか、池袋駅の入り口も地下に降りるのだが、こちらは仕事で背広着てるしPCバッグと小型のスーツケース(2週間程度の荷物収容サイズ)だぜ、これ抱えて歩いて降りろってかよ。

 

結局入り口では、隣のデパートのエレベーターに移動して何とかいけたが、ホームは完璧OUT!そそり立つようなのぼり階段を見つめ上げながら、傍にいた駅員さんにスーツケースを見せて「あの〜、ここ、エレベーターはないんですか?」と聞くと、人の話をまともに聞いてないのか、「南口ならあるんですけどね〜」だってさ。まさに「はあ?」ですぜ。

 

そうでしょうそうでしょう、上野だって池袋だって、元々は「おらが村」の利益の事しか考えてない田舎の役人や陣笠議員が、風呂敷一個持って霞ヶ関に陳情に行って、その帰りに上野駅や池袋駅近くの食堂で「まんず今日はうまぐいったさ〜、これで村もダムの誘致で大もうけだっぺ、な〜にもせんでも国が金っこくれるからよ〜、働かなくても食えるなんで、おれら、な〜んて賢いんだべ〜、がはは!」と、ビールで乾杯してたのだ、そんな連中はエレベーターなんか不要である。

 

この構図は九州から東京に上京した連中も同じで、要するに日本中の田舎から風呂敷持って出張にやってきて、本郷や水道橋あたりの旅館に歩いて移動して泊まってた時代の名残だもんな。

 

そんなところにスーツケース持ってパスポート持ってパソコン抱えてくる、俺のほうが間違いだ。「ぜいたくいっちゃいけねーべ、がんばっでずーずーけーず、持ってあがるべさ」と、こっちまで東北弁で納得してしまう。

 

僕も昭和の昔なら風呂敷移動してたんだろうと思う。彼らはその当時それが当然のスタイルだったからだ。でも時代が変わって世界から人がやってくるようになったのに、インフラがそこに追いついてないってのは、一体どうなのか?

 

今回北関東を回って見て一番感じたのは、結局各地方にある「おらが村」の、「おらが村」による、「おらが村」の利益のみを追求した為、日本とか大きく括って地方を見たときに、その「つなぎの悪さ」に唖然とするという事である。

 

本来産業基盤(鉄道、道路、空港、港etc)を整えるときは、一番大きな視点、つまり国家の視点からこのインフレがどうあるべきかを俯瞰していく必要がある。ところがそれが実行段階になって地域の利権者によって換骨奪胎されて、本来あるべきところにない、と言う状態が発生しているのだ。

 

以前ある元国際線パイロットが書いた本の中にも「戦前の飛行場や空港は、実に近くの地形や風の流れをよく考えて作っているから操縦しやすい。しかし戦後に作られた空港は、実に自然環境が悪いので操縦しにくい」とあった。

 

成田空港の生い立ちを考えれば、それは一目瞭然である。結局国民利用者視点や国家の視点から見ていないという構造のおっきいのが、空港の建設利権や東北で言えば新幹線駅である。上越新幹線の高崎、山陽新幹線の新山口、何でその駅で停まるのよ?ってのがある。

 

それのちっちゃなのが、駅にエレベーターやエスカレーターがないという事だろう。だから、自分の領域内で片付く利権問題ならどうやってもいいけど、インフラでそれやっちゃいかんでしょって話だ。

 

まあいいや、問題がそれた。北関東、埼玉のことを書くつもりが、池袋駅で躓いててはいけない。

 

でもってこの川越、立派な街である。普通の地方の町かと思ったら、駅前が立派に発達しているし、お客様の車でそこから移動の車中で・・・あれ?、シャッター街があるではないか。

 

シャッター街という名称が出るようになって久しいが、この街でも昔からの商店街は寂れている。たまたま訪れたのが水曜日と言うこともあったのだろうが、やっぱり人通りも少ないし、その後に通った古い蔵のある街に比べると、活気が違う。

 

う〜ん、このシャッター街って、一体ナンなんだ。最初はてっきり、人口減少とか交通手段の変化とか、大型ショッピングセンターの出現とかが原因って思ってたんだけど、ナンか違うな。

 

これ、もうちょっと考える必要あり。

 

お客様の会社を訪問して、これも思い切り考える必要あり。このビジネス、そのままニュージーランドでやれるじゃんか!

 

僕は昔からサービス業で生業を立てていたので、工場とか倉庫とか在庫の存在に慣れていない。それでも、この仕組みを見ると、まさに「おお!」と頷ける合理性である。

 

利益の出し方、全員が儲かるって仕組みをこの業種で作り出しているそのビジネスモデル、これはすごい。

 

今の日本、他人を虐めて自分だけ儲かるってのが当然のような風潮だが、こりゃいいな〜。昔の日本じゃんか。

 

何となく、体の中で爽やかな風が流れた。ニッポンちゃちゃちゃ!

 

その夜はお客様にうなぎを食させてもらったが、これがまた、美味!日頃は夕食で米を口にしない僕だが、その夜だけはご飯をほうばってしまった。

 

よっしゃ、俺も頑張ろう。

 

 

 



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2008年07月25日

相続税が動き出した

相続税が動き出した。昨日の朝日新聞で掲載された記事を読む。

 

とにかくあの手この手で税金を取ろうとする仕組み作りという点では、日本政府は勤勉である。

 

ただ同時に、「俺は税金を払ってもよいのだ、ちゃんと使ってくれれば」という声を、お客様からよく聞く。

 

そう、問題は払うほうではなく使うほうなのだ。使い方がデタラメで国民を愚弄しているから、皆が払う気がなくなるのだ。そんな声を聞かずに課税に走る役人、どうするつもりだろう。

 

今回の相続税改正では、今まで死者の4%くらいしか相続税の対象でなかったのを、10%くらいまでに広げる、つまり相続税の最低課税価格の引き下げを考えているようだ。

 

現時点では5千万円までが無税、5千万円以降も、相続人一人に付き1千万円までは無税だ。

 

この最低課税価格はバブル期の相続のあまりの多さに改正されたのだが、今のような超不景気時代では、そんな事やってたら税金取れない、だもんで、なんちゃらかんちゃら公平性とかどうのこうのといいつつ制度変更(盗るほうから見れば改正、盗られるほうからすれば改悪)を導入して、薄く広く、勿論高額納税者からは、あいも変わらずがっちり取るという方法だ。

 

開始がいつになるか分からないが、この制度、実は大きな矛盾を抱えている。それは税金の二重課税である。

 

要するに、普通に皆さんが働いて収入を得る際には、すでに所得税を払っている。つまりそのお金はすでに一度所得税として課税されている。なのに、それを家族が受け取ったら、再度所得として課税するのだから、どう見ても憲法違反ではないか?

 

ニュージーランドでは二重課税と言う考えはない。ニュージーランドでは、家族信託会社を立ち上げることによって、贈与税(GiftDuty)は免除される。

 

でも、そんな贈与を受けた人でも、結局そのお金でものを買うし食事をする。その時点で消費税(12.5%)として回収出来るから良いではないかという考えだ。

 

最初から事業収入に課税して、更に儲かった連中に、今度は相続で課税する、そんなんじゃ誰も働く気が出ないよ。多くの人は、家族の為に働いているのだ。

 

そういう国民の声を、何百年も民主主義やって理解している英国政府の流れを汲むニュージー政府は、要するに、豚は太らせて食えと言う政策が効果的なのをよく理解している。

 

ところが日本では、親豚を税金で殺して、更に子豚の餌をなくそうとしているのだから始末に終えない。

 

おいおい、起業ってのは物凄い危険を伴ってやることなのに、そいつらに夢を与えずに、一体誰がメシのネタを見つけてくるんだ?

 

儲かるネタを見つけてきた奴にはご褒美(相続無税)をあげる、それが当然ではないか?

 

う〜ん、どうしても、今の日本政府は日本国民を嫌いなのか?それとも、余程馬鹿にしているのか?

 

本気でそう思う。

 



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2008年07月24日

またも・・・無差別殺人

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一昨日の夜、八王子の駅ビル内の書店で昨夜無差別殺人が起こった。今回は書店のアルバイト女性1名が殺され、客1名も被害に遭った。

 

なんじゃこりゃ?である。

 

 

昨日の朝、出発前にテレビを観ると、コメンテーター達が「こんなの社会のせいにするのがおかしい、個人の責任じゃねーか!」と怒り狂ってる。

 

「大体、昭和の苦しい頃だって、苦しいからってこんな事件はなかったよ!」中年後半のアナウンサーも怒り心頭に発したように大声で話し出す。

 

どうなのか?人間から夢や希望、「明日は今日より良くなるさ」と言う気持ちがなくなれば、どうなるのか?個人が社会から完全に疎外された、つまり村八分の状態になった場合、どれだけの人が平然と生きていけるのか?

 

勿論多くの人々が苦しい中で我慢をして生きている。だから「我慢出来ない」と言う意味では犯人は社会不適応である。第一、どんな理由があろうとも他人を傷つける言い訳になんか、なりゃしない。

 

しかし待て。その前に、何で我慢をしなきゃいけないんだって事を誰かが考えないんだろうか?

 

「俺が我慢しているんだからお前も我慢しろ」なんて理屈は、理屈ではない。ある人にとっては耐えられる環境でも、ある人にとっては耐えられなくなる。

 

だからまず考えるべきは、我慢しなきゃいけないような社会環境を誰が作ったのか、である。

 

都内の電車にほぼ毎日誰かが飛び込むような時代に、一体誰がしたんだ?

 

説明会でもよく話すのだが、ニュージーランドは国家が出来て以来、精神病で自殺する人はいても、お金がなくて死ぬ人は一人もいなかったし、今もいない。

 

失業?ならば政府が社会保障給付すべきだろう。

    NZでは最長47年間給付が受けられる。

 

病気?政府が責任を持って治療すべきだろう。

    医療の無料化制度がある。

 

治安?政府が責任を持って予防に努めるべきだ。

     警察が銃を持たなくて良い国なのだ。

 

教育?政府が責任を持って教育のプロが子供に教えるべきだろう。

    無料教育制度による教育の機会均等だ。

 

老齢?政府が責任を持って生活に足る年金を支払うべきだろう。

     平均70%保障の仕組みは今から100年くらい前に作られた。

 

つまりNZでは、社会環境の根幹を占める医療、教育、治安、失業、老齢と言った大きな生活安定要因に対して、政府が責任を持って対応しているのだ。

 

政府も、自分の仕事は民間業務をする事ではなく、国家の制度を整えて国民に安心と将来の夢を与えることで治安を守り住みやすい国つくりをしている。他人事ではない、自分の国と国民を守ることが政治にとって最も必要な仕事なのだ。

 

日本でも同じように、憲法で

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされている。

 

ところが日本では、誰でも分かるように個人が尊重されることはなく、日本株式会社の中の一部分の機械(民間会社)の歯車として生きているのみだ。

 

生命を守る為にはお金が必要だとわかっていながら政府が税金を渡さない⇒失業給付の問題では、「彼らは働けないのではなく働かない怠け者だ」と定義付ける事で保険給付を削減させ、電車に飛び込んでも知らんふり。

 

年を取ったら働けないと分かっているのにすずめの涙のような年金。死ねと言うのか?国民の生命や幸福追求出来る仕組みを作るのが国の仕事であり、その為に国民は税金を払っているのだ。

 

税金取立てはぎゃんぎゃんやるくせに、払う段になるとあーだこーだと出し渋る。そのくせ自分たちの為には国家公務員用の年金制度を別に作ったり退職金やボーナスの権利は守り通す。

 

君らさ、役人は公僕(こうぼく)だよ。本来君らは、国民の僕(しもべ)となって国民の財産や生命を守り、将来の夢を与えるのが仕事だ。

 

だから君らは、僕らが本来施行すべき権利を一時的に貸してるだけなのだ。徴税権、逮捕権、職務執行権限、法制度立法、などなど、日頃僕らが忙しいからかしてるだけなのに、何を勘違いして自分たちだけが守られる仕組みを作っておきながら肝心の国民を放置しているのだ。

 

こんな国になって毎年国家赤字で社会保障も満足に出来ない国にしたのは、君らだよ。その自覚はあるのか?

 

そりゃさ、昭和の苦しい時代もあった。でもあの頃は「明日は今日よりも良くなる」って、そんな自信が社会全体にみなぎっていた。

 

誰もが学校を出て就職すれば後は終身雇用と賃金確保により、30歳半ばで結婚してマイホームを持ち、生活に高望みさえしなければそのまま60歳まできちんと生活が出来て、年に一回は家族で海外旅行や温泉旅行にも行けた時代だった。

 

そのすべての社会のインフラにあったのが、国民に安心と安全を与える国家のシステムである。

 

今、その社会インフラが崩壊しているのだ。

 

僕はこの犯人の動機を許そうなんて思ってはいない。当然死刑を持って対応すべきだろう。ただ、この犯人の動機の半分以上は、少なくとも彼が今から30年前に生まれていれば、おそらく起こらなかっただろうという事だ。

 

テレビでは個人責任と言う方向で話がどんどん進む。そりゃそうだ、これを社会問題と認めてしまうと、国家が社会の安定と安全を守れなかったという答になるからだ。

 

テレビ局、ただでさえ商売が大変なのに、これで政府から免許取り消しとかやられたら商売上がったりだ。だから、こういう社会の根幹に関わるような問題では、お上に矢を向けるような真似は絶対に出来ない。

 

大分県の教員採用試験などは、こりゃ政府の根幹ではないし、元々労働組合の強い県だから、テレビとしても叩きやすい。よっしゃいけ!これは個人の問題じゃない、組織の関与があるのだ!となる。

 

でも、マスコミがどのように個人責任を追及しようが、現場を生きる国民からすれば、増える一方の路上生活者、毎日のように飛び込み自殺で停まる電車、上がらない給料、安定しない雇用、人々のストレス増加による過労死、そういったものを肌で実感しているから、ある程度自分で考えて周囲を見る人なら、この事件は本人だけなのか?と疑問を持つと思う。

 

では、このような状態を解消するにはどうするか?5年程度の中期的視野においては公務員改革しかない。公務員が国民の為に仕事をすればそれだけ収入が増える仕組み作りだろう。

 

長期的には、国民が主権者であることを自覚して、民主主義は自己責任であることを理解して、他人任せではない生活観念を持つことだろう。

 

短期的には・・・もし僕が今日本在住でこのような事件で家族を殺されたら、第一に犯人を殺人事件で、そして政府を、このような治安の不安定な環境になるのを予測できたにも関わらずなにもしなかったという「不作為」で訴える。

 

国民が一人でも多くそのような不作為訴訟で国家を訴えるようになれば、政府も本気で考えるようになるだろう。



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2008年07月23日

終了

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終了

 

今日で東京の日程をすべて消化して、明日から北関東だ。

 

合計4泊だが、とにかく忙しい。毎日アポイントをぎっしり入れてるし、一つ一つが重い。

 

そりゃそうだ、移住なんてテーマでお客様と打ち合わせをするのだから(彼らからすれば人生の大きな転機である)半端な話では終わらない。

 

相手の話を聞き込んで、何が優先順位の上に来るのかを確認しながら、納得出来るグランドデザインを提案していく。

 

最初は皆さん、なかなか自分の個人的な問題を話したくないのだが、「それが必要なんです」と説明して、少しづつ聴きだしていく。

 

そのうちグランドデザインが大体見えてくると、今やらねばならない問題が判明する。そうしてある程度整理して一件終了。その頃には次のお客様が他のテーブルからやってくる。

 

この繰り返しで何が一番大変かと言うと、何を話したか、記憶に残しておくこと。実際問題として、今の僕は記憶装置のないコンピューターみたいなものだ。

 

実は僕は、高校の頃にコボルやフォートランを一応勉強していた。だからコンピューターの基本機能、てか構造は理解出来る。ありゃ、人間の脳みそと同じ作りである。

 

入力演算記憶出力。

 

まず、目と耳でデータを入力する。次に頭の中で演算する。そして口から出力する。でも、僕の場合は記憶の部分がない。だから移住コンサルティングの場合は常にペアで話を聞くのだが、ほんと、自分は壊れたコンピューターじゃないかと思ってしまう。

 

それにしても日本は、ますます住みにくくなってるな。今回はビジネスの打ち合わせもあり、日本のビジネスマン諸氏と話したのだが、コンプライアンスとか個人情報保護とか金融取引法とか、とにかく会社の手足を縛る法律ばかりがどんどん出てきて、企業が活発な活動をする代わりに内部の問題を整理するだけで手一杯。

 

一体何の為の法律だって思ってしまう。法律を作って会社を締め付けて、その結果として経済活動が停滞して、一体誰が得をするのだ。僕もコンプライアンスの大事さはよく分かる。ただ、法律の作り方がへたくそ。だから海外のダイナミックな活動に常に遅れをとるという事になる。

 

ニュージーランドではコモンローという法体系を採用しているが、面白いのは法律にあまり細かい規定を作らず、国家が企業に要求するのは「公正で透明で誠実であれ」なのだ。

 

僕は弁護士ではないが、日本人としてはかなり多く「法律と対面する機会」がある。なのでこういう「簡単な決まりごと」が肌で理解出来るのだけど、法律に縛られた日本人には、なかなか理解出来ないようだ。

 

昔の中国の王様は、「法律は出来るだけ少ないほうが良い」と言ってた。僕もそう思う。

 

「角を矯めて牛を殺す」ような愚策しか立案出来ない連中、どうにかならないものか。

 

 



tom_eastwind at 03:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2008年07月22日

あちち!

あちち!

 

東京は暑い。ナンじゃこの暑さは?30度を軽く越しているのだけど、更に湿気が70%以上なので、まるでお湯の中を歩いているようだ。

 

だから、出来るだけホテルの中で終了するように予定を組む。外に出るとしても、精々が隣のビルまでだ。

 

ところがホテルの中は冷房が効いてるので、今度は場所によってはかなり「冷える」ことになる。だからジャケットを着てあちこちホテル内を移動するのだが、そんな状態でちょいと用事が出来て外に出ると、あじじ!である。

 

冷房の有難さはよく分かるけど、う〜ん、ここまで寒いのはどうなんか?

 

とか思ってたら、いつも愛読するさとなおさんのブログで、

 

「それにしても昨日も今日も超猛暑で暑かった。京都で37.4℃。神戸でも35℃を越え、さすがに堪える。いくつか仕事も持ってきたのだが、さすがにする気にならずグッタリしていた。」

 

だって!

 

東京で良かった。

 



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2008年07月20日

いつもの場所

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いつもの場所

 

東京に着く。

 

昨日まで新横浜で2泊して仕事をこなし、そこから東京へ移動。お昼時には定宿に入り、やっといつもの場所に戻ったって感じだ。

 

ここで午後はずっと面談を繰り返す。IT系、コンサル系、小売系、いろんな業種のお客様(とは言っても全員社長さん、自分で決断を出来る方ばかり)と、それぞれのビジネスモデルやライフスタイルについていろんなシュミレーションを描きながら提案を繰り出す。

 

僕の仕事はコンサルティングだが、助言ではなくどちらかと言うとほぼ指示に近い。

 

何故ならこんな生意気な事を言って悪いとは思うのだが、お客様がNZでご自分のビジネスモデルやライフスタイルを構築する為の判断材料があまりに少なすぎるから、どうしても判断にずれが出る。だからこちらから「最新の情報によると、それはこうなんです」と状況説明をする事になる。

 

すると結局、情報の非対称性という奴が発生して、お客様はどうしてもこちらの話についてくるしかなくなるのだ。

 

そこでお客様はこちらを信じて「指示に従って」いただけるわけだが、そんなの、誰が面白いものか。他人に自分の人生設計をあ〜だこ〜だと言われるのだから、楽しいわけがない。

 

中には勿論「どうしてそうなんだ!」と怒るお客様もいる。

 

そんな時に、そのお客様の理解出来る言葉で納得出来るまで説明する理論武装が必要となる。これはもう株主総会で事前通告のない質問を受け付ける社長のようなもので、何を聞かれてもその場で打ち返さねばならない。

 

能力不足は許されない世界での一騎打ちである。

 

だから、1時間お客様と面談をすると、かなり疲れる。それを午後一杯、3〜5件やると、終わった時はもうくたくた。誰とも話もしたくなくなる。早く部屋に戻りシャワーを浴びて、バーに飛び込んで一杯やるだけが、唯一のリフレッシュとなる。

 

シャワーを浴びた後にいつものバーのいつものカウンターに坐ると、にこっと笑って「お帰りなさい」と迎えてくれる人がいると、とてもほっとする。

 

ああよかった、疲れがとれる。

 

一杯目の酒は一気飲み。二杯目は、二口で飲む。三杯目は、すこしゆっくり飲む。

 

よしよし、今までトップギアで入ってた心が、dandanゆっくりとローギアに入っていくのを感じる。

 

すこしずつ、心の中のヨロイが外れていく。ふ〜、よっしゃ、この辺でゆっくりしよう。

 

いつもの場所でゆっくりする。



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2008年07月19日

出口のない笑い

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出口のない笑い

 

竜馬君が最近はまって見てるのが、ディズニーチャンネルの「HannahMontana(ハナ・モンタナ)」だ。英語のつづりは正確かどうか分からないが、高校生学園ストーリーみたいな内容で、とにかく出演者の子供たち、よく空気を読んで喋っている。

 

確かに、次から次へと繰り出される言葉の放出には、その間合いの良さにびっくりする。17歳くらいの子供がここまで演技出来るなんて、たいしたもんだなって感じ。

 

ただ、その筋書き自体は完璧に番組脚本家によって作られている。つまり出演してる子供たちは、自分の言葉を話しているのではなく、あくまでも振付けられたせりふと演出を「演じている」だけなのだ。

 

僕がモンタナを観ていつも感じるのは、「だから何?」と言う点だ。その番組を見終わった子供に、何が残るのか?毎日これを見てて、一体どんな成長があるのか?

 

ウルトラマンとかゴジラとか鉄腕アトムには、必ず「出口」があった。見終わった後に、子供になんらかの形で道徳が身に付いた。

 

世間の事を知らない10歳の子供が、TVを通じて「やってよいこと悪いこと」を学んでいた。

 

弱い人を叩いちゃいけないとか、家族は大事ってか、なんてか、時代を超越した普遍的な道徳、そういうものを番組を通じて学んでたって気がする。

 

この「学んでた」ってのが大事で、実際に僕は「子供の頃にそういう番組を観て色んな事を感じた」から、過去を懐かしく思い、過去に回帰して書いているのであるし、今、竜馬がウルトラマンとかウルトラQをビデオを観てる時に同じ時を共有して一緒に観て、子供の顔を見ながらそのメッセージ性を確認できているって事だ。

 

ウルトラマンを観た後に竜馬に「弱い人を助けようね」と言うと、彼はちゃんとお父さんの顔を見て、うんうんと頷く。ところがモンタナを観た後の竜馬に何を話しかけても、ひっくり返ったような目で「うん、次の番組が始まるから、お父さん、ちょっと待ってて」となる。コカコーラみたいなもんで、中毒になるけど何も得ることがないってこと。

 

こりゃもう、自閉症って病気のせいもあるんだろうけど、僕がモンタナから感じるのは、完璧なる目先拝金主義である。

 

ビジネスだから儲けは必要、だから拝金自体を問題にしているのではなく、問題は世界中の子供を犠牲にしてでも株主に配当して、自分の給料を増やすという、そういう姿勢が見え隠れすることだ。その結果子供が馬鹿になったとしても、俺には関係ない、要するに今年のボーナスがたくさん入ればよいのだってことで、世界とか社会の成長なんて全く視野に入れてない。

 

だから言えるんだけど、モンタナのどこにそのような家族愛とか道徳があるんだろうなって思った。うわっすべりの軽い言葉と、受けの良い、誰も傷つかない無意味な音みたいな言葉。

 

なので最近はハナモンタナを30分見たら、その後にはチャンネルを切り替えてNational Geographicを30分見せるようにしている。

 

これがディズニーのビジネスモデルである、なんて言うつもりはない。ディズニーは十分に子供に夢を与えてきた。ただ、その一部分では、特に最近のTVでは、自分の利益の為に子供の利益を奪っているのではないかと思ってしまった。



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2008年07月17日

戦争論、とまではいかないけどね

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今年になってうちの会社で扱うビジネスの売買が急増している。一件あたり20~50万ドルの売買だ。

 

ビジネスの売買において一番の問題は資産評価(デューデリジェンス)だろう。

 

その会社の本当の価値はいくらなのか?そのビジネスは正解なのか?

 

最近は優秀な若者が優秀な大学の優秀な学部で優秀な成績を残して優秀な会社に入って優秀な仕事をするというパターンが目立つようになった。主に外資系。

 

昔の日本だと、「若い奴らは10年雑巾がけじゃ〜!」みたいな風潮があり、どれだけ能力があっても責任のある立場につけないシステムがあった。

 

それが今では、若くても能力さえあればかなりのところまで一気に伸びていけるのも事実である。

 

特に東京に出張して仕事をしていると、実に優秀な人間をたくさん見る。その中には様々な計算式を作って、「これがこうだからこれがこうで、だからこれはこうで〜」とやる20代後半の人も見かける。

 

ただ、ビジネスとは何か?その点をどうも大学の先生はきちんと教えていないようだ。

 

ビジネスとは基本的に戦争である。戦争とは相手のいる喧嘩である。相手が馬鹿であれば、こっちがちょろくても負けない。相手が利口であれば、こっちがかなり仕組みを作った上で準備をして戦わねば勝ち目はない。

 

(そして一番うまい戦争とは、戦争をせずに目的とした利益を得ることである。その為に、誰もが不満が出ないように、三方一両得というビジネスモデルを創り出すのが最高の戦い方だ)

 

そういう意味でのデューデリジェンスとは、市場の一般的な現時点での動向や企業の置かれた地位、現在のバランスシートだけでは計れず、市場の未来、企業の将来、経営者の姿勢が大きく影響する。

 

だから「人の気持ちを読んだり市場の先読みをしたり自分の立ち位置を理解する為」に、はるか昔の孫子の本がビジネスマンの間で読まれているのだ。

 

戦争の基本は、冷静に相手を見極めて、戦って勝てるかどうか、勝ったとしてこちらの損失はどれくらいか、損失が大きいなら戦争はやめとけという基本的な判断がある。

 

でも、そのもっと大前提として、政治がある。ビジネスは戦争であり、戦争をするかどうかを決めるのは政治である。

 

だから、数字を並べて議論するのではなく、自分が政治家として守るべきものは何か、その哲学をぶつけ合う必要が最初にある。政治において民衆とは数字でなく、息をする生きた人間とその愛し合う家族をどう守るか、なのだ。

 

簡単に言えば人間哲学のない政治等存在しないし、だから哲学のないビジネスは最初から無意味であり矛盾を内包しているという事だ。(今の日本が問題なのは、哲学のない官僚が政治家に代わって政治を運営しているから、民衆を数字でしか捉えられないという点だ)

 

その上で、政治的に必要なら戦いを起こすかどうかを判断して、天の時、地の利、人の和が整っているかどうかを確認した上で、それで利益と損害を比較して初めて戦うのだ。

 

でもって、ここまで来たら、これはもう数字で図れる部分を越えてしまう。てか、今の数学や経済学では計算不能である。

 

天の時って、いつわかる?地の利って、どこが良いかって何の本にも書いてない、人の和なんて、人間学がないと理解出来ない。

 

そういうビジネスにおける「本質的には計算不能」な部分を「本質的に計量的に計算可能」と思ってるのが、実は今流行の机上のデューデリジェンスなのだ。

 

そういう哲学を、今の学校は教えているか?暗記ではなく生き残る為の技術を教えているのか?

 

僕自身が幸運なことにニュージーランド、カナダ、香港でビジネスをする機会があり、西洋人社会の戦い方やデューデリジェンスを学ぶ機会があったので、その基本はある程度理解出来ているが、どれだけ勉強しても絶対に答が出ないのが、「未来の予知は不可能」と言う点だ。

 

だから僕がデューデリジェンスをするときは、基本は「出来るだけ計測するけど、不可知な要素は常にある、うまくいけばおお化けするし、失敗すれば大コケする」と言う視線であり、完全に失敗した際の被害評価をどう計測するかが大事だ。

 

だから古代の戦争では、必ず占い師を連れて戦ってた。最後は結局、運なのだと理解している戦略家は、運をどうやって自分の味方につけるかが最も重要だと知っていたのだ。

 

実は人生もこれと同じで、どれだけ準備をしても絶対という答は存在しない。最後は博打である。

 

博打になった時に強いのが、個人力である。他人やルールに頼らずに、その場でどんどん決断をして、最後には勝利に導く力である。

 

ちょうど1年前かな、あるとても優秀な金融関連の30代前半のビジネスマンと移住について話す機会があったが、彼はあくまでもリスク回避の為の様々な方策を考えながら、こちらにいろんな逆提案をしてきた。

 

僕の答えは、すべてNOだった。人生とは常にリスクと隣りあわせだ。そのリスクを取って、万が一状況が急変しても、その場で臨機応変に戦うだけの能力がなければ、自分らしい人生なんて生きていけない。リスクを絶対的に許容出来ない彼に言えることは、NOしかないのだ。

 

だから、状況に合わせて戦える戦闘力を身に付ければよいのだが、どうも彼は大学でそのような勉強は学ばなかったようだ。

 

1足す1が2になる世界で、机上の空論を学んでしまった彼は、これからどう生きていくんだろう?

 

算数だけで生きていけるほど、人生は甘くない。リスクのない人生はあり得ない。

 

あれ?k表は何となく散漫な文章になった。自分でも、一個の文章の中に色んな未処理のネタを放り込んだ感じ。

 

けど、中国人、白人、色んな連中と取引をする中で、ビジネスにおける大事な部分ってのは、今の日本の大学ではあまり教えてないんだろうなってのだけは、または、学ぶほうに何か大きな欠陥があって理解出来ないんだろうなってのだけは、事実として感じる。

 

 

 



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2008年07月16日

Protein 33

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オークランド最終日。明朝のフライトで日本だ。

今日はお客様との面談2件、社外打ち合わせ2件、社内打ち合わせは5分単位で数知れず。

明日から日本なので、どの案件を保留にしてどれを継続にするか、仕分けも必要な日。それに付け加えて、社外打ち合わせで、こっちの企画がいけそうだと判明。こりゃ大きな案件になるぞ。

これが当たれば、今までのニュージーランドにおける日本人市場のファイナンスの仕組みが、根っこからひっくり返るかもしれない。

お昼時もお客様の足は途切れず、今日のお昼は写真のProtein33。

これ、ある東京のお客様に教えてもらったのだが、プロテインがどれくらい効果あるのか、生まれて初めて食ったので、まだ分からない。ただ・・・・ああ、甘い。

ニュージーランドだからなのか、チョコレートでコーティングされており、中身のヌガー?もかなり歯ごたえあり。

とにかくPC叩きながら片手でエナジーバー(つまりProtein33)を齧って仕事を進める。

そんなこんなの矢先、ラッキーなことに、マルちゃんの「長崎ちゃんぽん」が机の上に!

やったね、これで九州生まれの僕は、ポパイのほうれん草のように生き返るのだ。

次のお客様との予定まで30分ある、、、よし、お湯を沸かすのに3分、麺に5分、食うのに7分・・・途中の作業工程を考えても、よし、いける。

5分前に注いだ熱湯が、蓋を外すと豚骨の湯気と共に、おお、心を揺さぶる〜、今回のマルちゃん、味が良くなったな〜。スープがより濃厚だし具も多い。おお、おお、たかがカップめんなのに、スープの最後の一滴まで完食。

ふ〜、力出たぞ、てな感じで乗り切る。

それにしても去年から今年にかけての流れ、こりゃ本当に、ど真ん中に大穴を開けてしまったのかもしれない。

そろそろ自分の処理能力に限界が来るのでは?と思いながら、でもまだいけそうだ。幸運なことに、後方業務をこなす兵站部隊が、今は実に優秀な連中ばかり。

まだまだこなせそうだ、そう思った今日の午後の兵站部隊からの一件の報告メール。スタッフの皆さん、こんなあふぉに付き合ってもらい、ありがとっす。



tom_eastwind at 18:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2008年07月15日

若きハッカー

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ファティアンガに住む若きコンピューターの天才が米国のペンシルヴァニア大学のコンピューターシステムにハッキングして、ニュージーランド警察、米国FBI、オランダ当局の共同調査により逮捕されたのは去年のこと

だ。

 

 

 

若きハッカー君、Akillというネット上の名前だそうだが、国際インターネットサイバー犯罪集団の一員である彼の犯意は明確、本人も自供して、地方裁判所では有罪判決を受けたのだが、今日の高等裁判所の判決では、有罪判決が出ることなく、自由に裁判所から立ち去った、そうな。

 

その理由は、本人はまだ若いし、今回の事件ではお金が目的と言うよりも自分の実力を見せ付けたかったからで、更に外国の会社から仕事のオファーも来てるから、その経歴に傷を付けたくないからなんだと。

 

????

 

ここで普通の日本人なら、「犯罪でしょ?自供してるでしょ?証拠もあるでしょ?それにペンシルヴァニア大学は多額な損害を受けているんでしょう?それでいいんかい?」となる。

 

日本居住者からすれば目が点って感じだけど、こういう事は、実はニュージーランドではよくある。

 

犯罪者天国ってわけじゃないけど、どうもこの国の法律は、その適用に当たって最大限に犯罪者に有利に働くようになっており、通常の経済事犯とか今回のような「人を驚かせて、自分の力を見せ付けたい」ようなケースでは、無罪になることも多いのだ。

 

白人だから無罪ってわけでも、コンピューターが使えて優秀だから無罪ってわけでもなく、若者は更生の機会を与えることが必要だって考え方。

 

そういえば数年前にも面白い事件があった。Kロードで麻薬を買った40代のビジネス経営者が逮捕されたのだが、結局彼は週末の無償奉仕数百時間のみで、無罪釈放。その時の判決理由は、「このビジネス経営者は優秀で、彼が今刑務所に入ると会社の売上が下がるし、従業員も困る。だから刑務所に入れるよりも働かせて納税させたほうが社会の為だ」ってこと。

 

このあたり、日本人にはもう理解不能だろう。

 

金が万能な社会なのか?

 

勿論違う。

 

ただ、社会を支える法律に対する考え方が、日本とは根本的に異なるだけなのだ。

 

例えば麻薬で捕まった経営者の場合、彼を刑務所に入れる理由は何だ?収監費用、刑務所でのメシ代など、社会コストが発生するではないか?彼が麻薬を吸ったからと言って国民が税金を払うのでは、不公平ではないか?

 

「悪いことをしたら刑務所に入るよ」なんて考え方の人からすればあり得ないような考え方だけど、こりゃもう法律が何故存在するのか、何故刑務所が存在するか、そこから考えないと理解不能だ。

 

この国の法律を学ぼうとする若者が一番最初に教えられる黄金のルール、それは、法律は真実を追究する道具ではなく物事を整理する為の手段であるってことだ。

 

秩序を守ることが法律の精神であり、法律を守ることが法の精神ではない。だから、法律に違反したとしても秩序に影響が出なければ、てか法律を守ることで秩序に影響が出るなら、法律を適用するなって言ってるのだ。

 

この言葉をハッカー青年に当てはめると、この若者は自分のやった事を十分反省しているし、もう二度としないと言ってる、それに彼が今後立派に働いて納税してもらうほうが社会的価値が高いではないか、何故刑務所に放り込んで国民の税金で面倒を見なければいけないのだ、となる。

 

ニュージーランドに移住してきて戸惑う人が多いが、その多くはこのような法律や社会習慣の根っこの部分が理解出来ないからである。

 

表面的にニュージーランドをいくら眺めても絶対にこの「法の精神」は見えてこないし、社会習慣の持つ根っこ、それは時代背景だったり道徳心だったり、更に言えば宗教観、つまり死生観にまで落とし込まないと理解出来ない部分がある。

 

だから、日本の基準で、NZ方式が良い悪いと判断するのはやめてほしい。誰にも独特の価値観があるのだ。てか、僕はNZの法体系は合理的だと感じている。

 

ニュージーランドに移住してくる人々には、その自然の美しさや人々の優しさとかストレスフリーの部分だけを見るのではなく、国の拠って立つ根っこの部分も学んで欲しいと思う。

 

なぜなら、この国の根っこを知ることによって、初めて日本という国の良い部分、悪い部分、世界の中でどのような立ち位置にあるのかが客観的に見えてくるからだ。



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2008年07月14日

四川大地震で生徒より先に逃げ出した高校の教師

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教師の告白があぶり出した中国社会の「危機意識」

 

日経ビジネスオンライン 「ニュースを斬る」 7月14日 遠藤誉寄稿

 

**抜粋開始**

中国で今、「四川大地震で生徒より先に逃げ出した高校の教師」が話題になっている。しかもこの教師は自らその事実を、ネットで「告白」した。

 

 最初は、なぜ彼がわざわざネットに書いたのか、何が言いたかったのかに関して、深く考察されることもなく、ただ単に卑怯か否か、道徳的に許されるか否か、といった賛否両論の方が表面化していた。

 

しかし彼のこの告白は、徐々にだが、中国を支配するイデオロギーに基づいた道徳観念や、価値観の是非に対する議論のきっかけになりつつある。それはゆっくりと、中国のネットに大きな潮流を形成しつつあるように思われる。

**抜粋終了**

 

中国では建国以来国民の意見は一切無視されて、共産党中央の意向と威光で国家が運営されてきた。

 

1949年に共産党国家が樹立されて、毛沢東周恩来の二頭立てで運営されてきたが、途中に大失敗に終わった「大躍進」、世界の歴史の中でも類を見ない大虐殺「文化大革命」を経て、1970年代後半になって、やっと後小平による南方巡話、経済改革が始まり、今の中国の基礎が出来上がった。

 

僕が生まれて初めて中国の土地を踏んだのは1970年代後半、北京ではほとんど全ての人々が緑の人民服を着て自転車で職場に通勤し、上海では少しだけ街が首都に離れてて外国に開けていた分だけ色気づいてたものの、基本は人民服と自転車、第一百貨店のトイレでさえ、すべてにドアがなかった時代だ。一部には、民衆同士のひそひそ話を防ぐ為とも言われている。

 

あの頃、中国には泥棒がいないと言われていた。外国人からモノを盗むというのは誇り高い中国共産党幹部にとっては、「おやおや、社会主義もどうなんですか〜?モノが不足しているんですかね〜?」と外国人に笑われることになる。

 

笑われる。これが中国人にとっては一番の侮辱である。

 

だから、中国人同士で殺しあおうがどうしようが関係ないが、外国人のモノを盗れば、それで死刑になる可能性がある。だから中国では外国人への泥棒が全く発生しなかったのだ。

 

決して道徳心が高いからモノを盗まなかったのではなく、費用対効果が合わないからやらなかったのだ。それは今の中国のビジネス現場を見ればよく分かる。

 

そのような中国で急激な資本主義が導入されている、てか、本家本元がいよいよ本性を出し始めたのだ。

 

が、だからと言っていきなり左から右に振れてしまえば、多くの学生や若者を外国人の面前で戦車や銃で虐殺した第二次天安門広場の二の舞になる。中国人は、熱いのだ。この点を世界中の人間は理解する必要がある。

 

彼ら中国人は、ある一線まではすべて合理的に動く。しかし、譲れないその一線に問題がかかった瞬間に、彼らの損益計算表は吹っ飛び、すべては面子の問題となる。侮辱、笑われる、謝罪させられる、このような行為は、彼らにとっては許しがたいことなのだ。

 

だから、政府は様々な問題を言論統制する方法として、あるときには反日を宣伝し、ある時はカルフールをたたき、ある時は海外に住む中国人留学生を動員して聖火を守らせる。

 

特にインターネットは爆発的な力を持っており、原則言論自由であるインターネットでの情報発信をどう制御して軟着陸させて愛国心と経済大躍進を同時進行させるかが大きな課題となっている。

 

しかし、インターネットは諸刃の剣である。うまく使えばすさまじいまでのパワーで国民や若者を動かせるが、一つ間違うと、政府の根っこからぐらぐらと揺さぶる強大な力となることを、政府自身がよく理解している。

 

だからこそ、何せ天下のグーグルでさえ、中国では政府による検閲を認めさせたくらいだ。天下のグーグルでさえ、頭を下げて中国と組んだのだ。

 

昔、インドの地方の王様がコカコーラの製法を教えねば売らせないと言ったら、コカコーラ社は、「ならば御宅の地方では売りません」と断固拒否したのと比較すれば面白い。

 

そんな中で今回、ある地方のたった一人の教員が投げ込んだ問題が、今中国のインターネット、てか中南海の今後の方向性に大きな波紋を投げかけている。

 

この問題は、中国の限界を示しているのではなく、中国のこれからのインターネットの発展を示している。

 

中国を好きな人も嫌いな人も、その知識を少し深いところに落とし込んでみようと思う人には、これは大変面白いテーマである。

 

日頃僕は、中国ネタのブログはあまり取り上げない。数が多すぎるし内容が多岐にわたるわりには、本質を突いたものが少ないからだ。

 

しかし、これは実に面白かった。中国の今日を描いて、これからの中国の変化を予測させてくれる内容であった。

 

 日経ビジネスのNBOnlinePremiumは、読み応えのある記事が多い。今の時代、日本にいるから日本の事を良く知ってるなんて時代ではなくなった。

 

自分から情報を取りに行く人間にのみ、情報はその価値を与えてくれるって時代になった。甘えてちゃ駄目。今の自分に満足しては駄目。そのうち、時代に棄てられて取り残されて、気づいた時は手遅れだぞ。

 



tom_eastwind at 18:49|PermalinkComments(1)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2008年07月13日

土曜日、晴天の朝

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今日のニュージーランドヘラルドのトップ記事は、有名な男性ニュースキャスターが2年前に付き合ってた彼女に「激しい蹴り」を入れて骨折させて、今になって彼女から賠償請求が来て、彼が謝罪の言葉と共にお金を払ったって事。

 

国内記事としては、警察の飲酒運転チェックが夜だけでなく、金曜日の真昼間に、ニュージーランドで最も交通量の多いクイーンストリートとビクトリアストリートの交差点で行われ、少なくとも4人程度が飲酒運転と「認定」されたそうだ。

 

最初の記事では、さて2年前の暴行事件で、その後も彼らが会ってるし、賠償金も払ってるし、こりゃ警察が介入すべきかなってところらしい。

 

二つ目の記事では、飲酒運転は昼間でも成立するのだって事を、ニュージーランドで最も忙しい地域で働くエリートビジネスマンに「教える」のが目的だそうだ。

 

そうか、エリートビジネスマンは、昼間ならお酒を飲んでも飲酒運転にはならないと考えているんだな。そういう話は確かに僕も聞いたことがある。

 

金曜日の夜にビールを飲んでる立派なビジネスマンに「車を運転するんじゃないの?」って聞くと、「俺?呑んでないよ、これはビールじゃんか、ははは」と言われて苦笑したことがある。

 

まあ確かに、ニュージーランドでは夜の接待がない分、昼間のビジネスランチで2時間くらいかけてワインやビールを飲みながら仕事の話をするので、その後に車に乗れば飲酒運転であるのは間違いない。

 

ところが一度世界に目を向けると、

1・韓国人女性が北朝鮮の軍事地帯に入り込んで射殺された!

2・米政府がサブプライム問題で住宅抵当公社への支援を打ち出した!

3・ポーランドでワレサ氏が元共産党スパイの疑いをかけられた!(これは知る人ぞ知るネタなので、知らない人には意味不明だけど大問題)

4・北朝鮮の六カ国協議が難航、日本は排除か?

 

等等、結構一触即発、次はどうなるんだ、てなネタが山積みだ。

 

ニュージーランドでは土曜の朝のトップニュースが、2年前の痴話喧嘩や昼間の飲酒問題。

 

よくも悪くもニュージーランドは平和な国だ。ただ、日本と違って平和ボケではない点は、これは国民の民度の違いであろう。 



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2008年07月12日

iphone

NZ、世界で初めてiPhone 3Gを発売

 

午前0時、ボーダフォン・クイーン街支店でAppleiPhone 3Gが世界で初めて発売された。初めてiPhone 3Gを購入したのはAUT理学療法の学生ジョニー・グラッドウェルさん。発売の55時間前から店の前にならんでいたそうだ。

iPhone 3G
は数分後にウェリントン支店およびクライストチャーチ支店でも発売が開始された。あまりにも多くの人が集まったため、警察も客の誘導に協力した。

昨日の朝にはすでに10人ほどの客が並び、中にはソファを持ってきた人もいた。発売3時間前にもなると行列は100人ほどとなっていた。行列の中には世界で誰よりもはやく購入するためにカルフォルニアから訪れた人もいた。

ボーダフォンはコーヒーや、マフィン、ハンバーガー、ジュースなどをくばり、ヒ―ターやテレビなども供給した。


生活   2008711

     **NZdaisukiのニュースから全文引用***

 

そうそう、週半ばにクイーンストリートのヴォーダフォンショップ前に若者の座り込みが始まり、何が起こってるんだ?と、ちょいと不思議だったのを思い出したが、これだったのか。

 

ニュージーランドでは結構個人レベルで色んな示威行動をする。クイーンストリートでピアノを弾いてお金を集めてた子供が警察に逮捕されると、不当逮捕だとビラ配りをしたり、その時のビデオをパソコンで公開したり。

 

基本的には平和なデモが多いし、明るい顔でやってるのでそれほど気にはならない。アジア系のデモの場合、結構過激なのが多い(指切ったり国旗燃やしたり)のに比べれば、表現の自由とそのコントロールは、バランスが取れていると思う。

 

だから最初は、てっきりヴォーダフォンに対する抗議行動かなと思ったくらいだが、坐ってる若者が毛布を持ってたりちっちゃな椅子に座ってマックで自分たちのビデオを撮ってたり、横にいる警備員がにこにこしているのを見て、おお、なんかの売り出しかなくらいには感じてたが、あんまり真剣には考えてなかった。

 

てか、iphoneの売り出しが世界で最も早い??あ、そうか、21世紀の夜明けが最初に見えたのもニュージーランドだったもんな。

 

技術があるわけでもなく、たまたま誰かが24時間を導入して、その時間帯の一番近くにいたって言う地理的な利点ですね。

 

まあ、それを言うなら隣のオーストラリアも、たまたま昼寝してたら、その地下に鉄鉱石があったってだけで、豪州人が何かの努力をしたわけではない。

 

そう考えたら、日本なんて何もないところから世界第二の経済大国になったんだから、本来ならもっと強い国民でいてもいいんだけどな〜。

 

写真は、夕陽に沈む宮島の鳥居。このまま、沈み続けるんかな〜。

 

 鳥居4



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2008年07月11日

40代からの勉強法

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「40代からの勉強法」

 

精神科医の和田秀樹氏が出版した「40代からの勉強法」、日経ビジネス「著者に聞く」のページで紹介されている。

 

「前頭葉、磨いてますか?」と言う小見出しで記者との対談を掲載しているのだが、本はまだ読んでないが、本そのものよりも対談の内容が面白い。

 

そこからあちこちを抜粋

***

「40代になると、意欲や創造性が落ちることです」

 

「特に他人への気配りは30代までは向上しますが、40代以降は出来なくなることが多い。あえて自分で高めていこうとしなければ、こうした能力は落ちて行くのです。」

 

「自発性が乏しくなる、感情のコントロールが出来にくい、考えがなかなか切り替わらない。こうした症状が出始めたら、要注意です。」

 

「その場の状況に臨機応変に対応する“流動性知能”は10代後半がピークで、あとは下がる一方です。これに対して、積み重ねた経験や知識を活用していく“結晶性能力”は70代になっても伸びる人がいる。」

 

「この本は、新しい課題に挑み続ける中高年を応援する気持ちを込めて、書きました。」

****

抜粋終了

 

ここで言ってることは二つに分かれる。一つは、自分で磨かない限り、何もしなければ人間の意欲や創造性は墜ちるという事だ。海に落ちれば、泳がない限り溺れるのと同じだろう。

 

もう一つは、抜粋には入れなかったけど、今の若者に負けるな、あいつらは学力が低下しているから、結晶性能力で勝負しろって言うことだ。

 

最初の部分は同感納得で、後の部分は、思わず笑ってしまった。

 

て言うのが、著者の言ってる結晶性能力ってのは、それこそ若い頃から継続して学んだ能力であるが、若い頃に「立てば麻雀坐ればパチンコ、歩く姿は千鳥足」の人々が、とりあえず行くとこないから大学に行って、何の夢もなく就職したわけで、そのような人々が「学習能力」をどう「結晶」するのか、疑問に思わなかったのだろうか?

 

若い頃に勉強もせず、会社に入れば文句ばかり言って自分を磨かず、ランチタイムはしっかり1時間取るけど、そのうち最初の30分は同僚で愚痴をこぼしあい、後の30分は喫茶店でくわえタバコでスポーツ新聞の変な欄をじろじろと眺めているような世代だぜ。

 

それとも、本当は「新しい課題に挑み続けるほんの一部の中高年」と書きたかったけど、編集者から「それだけはやめてくれ」って言われたのか?

 

それにしても、若者と比較して40代を励ますというのも、よく分からん。若者対40代という比較がそもそもこのような個人的な能力の問題で成り立つのか?

 

自己研鑽をするような40代であれば、そもそも若者と自分を比較することなどしないし、若者も自分と同じ人間であるという前提で付き合う。

 

自己研鑽をしない40代であれば、自分が無能であるという事に気づかないから何事にも無関心で、自分が先に生まれたから若者より偉いと思い込み、若者を若いだけで馬鹿と思い込んでいる「生まれっぱなし」である。

 

まあいいや、わざわざamazonで注文するほどではないけど、もし縁があれば日本で買ってみよう。

 

写真はViaductに係留している大型ヨット。向かい側にあるウエスティンホテルも営業を開始してます。



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2008年07月09日

セカンドバッグ

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セカンドバッグを持つようになった。

 

そういえば、週末に竜馬くんと遊びに出る時にポケットの中身を見ると、ケータイ電話、財布、車の鍵、文庫本、その他いろいろとポケットに入れると、随分膨らむ。車に乗ってるときなど、結構すわり心地が悪かったりする。

 

服の形を気にしない時はそれでも良かったし、むしろ男性が何でサイドバックなんて持ってるんだろう、あんなもん持ってれば、すぐなくすでしょう、くらいに思ってた。(ちなみに文庫本は、いつもジーンズの背中側に差し込んで持ち歩いてます。背中のくぼみに収まりが良いのです)

 

何故なら僕は、飲んだ先で平気で靴でも無くす人間だし、国際線の飛行機に乗り遅れるのも珍しくないから・・・・おおっと!

 

分かった!サイドバッグを持つような人は、元々酔っ払ったり飛行機に乗り遅れない事が前提なのだ。

 

ふむ、これはすでに生きてる道が違うな〜、そう思いながら、ある出張の際にふと紳士用品店の人に言われた。

 

「私は、ジャケットの仕付け糸、買った時から取らないんですよ。だからいつもセカンドバッグを使っているんですよ」

 

 

ええ!ポケットとはモノを入れる場所ではなく、デザインの延長で付いてるのだ、どうしても必要な時には使うけど、基本的にモノを入れてジャケットの形を壊すのは最低なのだ!

 

うわお!

 

長いことジーンズで生活をしてきたので、目からうろこって話だった。

 

そうなのか、服って、そうやって着るんだ〜、とてもびっくりした東京。

 

てな事で、買ってみましたセカンドバッグ。そいでもって、先週末は早速竜馬くんと一緒に街に出る時に使ってみた。

 

するとこれが便利なのである。そんな事今更言うな!〜って言われそうだが、実際に、小物を突っ込んだりちょっとしたものをしまうのに、これは便利だ。

 

第一、昼間持ち歩くので酔って落とすという事がない。その日もtakapunaでおもちゃを見たり、帰りにスーパーで食材を買ったりしたのだが、手の中に自然と馴染んでくれる。

 

おお、これでまた新しい世界が広がったぞ。つ〜か、今まで生きてた世界が特殊すぎて狭すぎるのかも。



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2008年07月08日

TAMIYA

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先週末に竜馬くんと一緒にシティのホビーショップに行き、田宮のプラモデル、「イギリス正式戦車」を購入した。勿論35分の1シリーズ。

 

店にはイタリア製や中国製のプラモデルも並んでいるが、はっきり言って田宮に敵う品質は、精々長谷川くらいだろう。張り合わせた時の正確さ、全体の形容の正確さ、部品の精密さ、どこを取っても「プラモは田宮」である。

 

ほんっと、日本人ってすごいよな〜。何をやらせても徹底的に隅っこまで究極に詰めて、世界で最高のものを作る。まさにモノ作りの極みみたいな人種だ。

 

これは日本人の置かれた環境にも、先天的なものもあるのだろうが、とにかくアフリカ人がスポーツやって白人の上をいくってなもんで、こりゃもう、日本人の手先の技術の程度の高さはどうしようもなく強い。

 

問題は、日本人は一生懸命現場を見つめてプラモを見つめて、さてどうするかなんて考えているときに、うえのほうではその会社の経営は西洋人に乗っ取られるという、西洋社会の仕組みへの理解不足が結果的に日本企業の衰退を招いているのだ。

 

誰が悪いの?

 

答えは簡単で、戦後の日本経済を大元で仕切ってた政府通産省と、オーナーでもないのに会社のボスと思い込んでろくな仕事をしなかった経営者連中だ。

 

この点だけは、誰に反論されても、絶対に引かない。自分が10年間ビジネスをやって、その中で学んだことは、組織とは最後にはボスで決まるし、日本ではそのボスをやってたのが政府なのだ。

 

勿論僕も、1980年代前半までの日本の「ボス」の存在は十分に評価している。ありがとう、と言いたい。問題は、その後に来た、敗戦の痛みを知らず哲学を持たないぼんぼん連中の存在だ。

 

こいつら、まさに戦犯ものの馬鹿ばかりである。

 

折角の素晴らしい人材を生かすことが出来ずに、経営レベルで次々と西洋スタイルに巻き込まれて、日本企業の一番の特性を生かすことが出来てないのは、これは現場の問題ではなく経営、政府の問題であることは一目瞭然。

 

これは多くの人が指摘するが、第二次世界大戦で日本が滅びた時の構造と全く同じである。日清戦争、日露戦争に勝利し、その勢いを駆ってのぼせ上がり、日本が神の国とか言いながら、要するに自分の保身だけを考えたばっかやろう連中が、日本を負け戦に追い込んだ。

 

誰よりも優秀な現場の兵隊を抱えている軍隊が、上にいけばいくほど腐れていき、誰もが中途半端に小利口だから無責任で、結局現場の兵隊を死に送り込む図式だ。

 

特に日本軍、てか日本人組織の上部の馬鹿さ加減を一番理解したいなら、インパール作戦に関する指揮官の馬鹿さ加減、現場の兵隊の凄まじいまでの努力を読んでもらうことだろう。これは高木俊朗の本が一番良いと思う。

 

TAMIYAのプラモデルは僕も大好きで、中学の頃はかなり凝ってやってた。今でも、大体の戦車や飛行機の形は覚えている。

 

戦争には負けたけど、現場での技術では負けないぞ、そういう気持ちが常にあった。

 

今、国際人となった竜馬くんがTAMIYAを作りながら、「お父さん、これ、ほんっと難しいし、細かいよ〜」と文句を言ってる。

 

そりゃそうだ、彼が今まで作ってたのは外国製の入門編、ガンダムにしても、バンダイが作った特殊な「作りやすい」プラモデルであり、TAMIYAのような伝統的な作り方ではないから苦労しているのだ。

 

竜馬くんが、早くTAMIYAを作る技術を覚えてくれるとうれしいなと思う今日この頃だ。



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2008年07月07日

自警団

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以前、南オークランドの治安の問題で、インド人オーナーが強盗に撃ち殺された記事を載せたけど、今回はその続き。

 

実はその後も2件続いて南オークランドで殺人事件が起こり、これが今回の自警団問題に発展している。

 

西洋人から見ればインド人もアジア人に含まれるわけで、インド人は雑貨店を経営しているし中国人や韓国人は酒屋を経営している。そういうお店はある意味客が入らなければ商売にならないので、客に対してどうしても無防備なところがある。

 

これがシドニーみたいに泥棒がいる事を前提にコンビニを作って、キャッシャーの周囲を鉄の柵で覆っていれば良いのだが、基本が性善説で治安が良いってのがこの街の前提なので、なかなかそこまでやることもない。

 

その隙間を狙ったちんぴらギャングが殺人事件を起こして問題になっているのだが、この問題、何度も指摘するように、「事件は現場で起きている」のだ。その現場とは南オークランドであり、この街の治安が極度に悪いのは誰でも知っている事だ。

 

泥棒の住む街で生活をして「泥棒反対!」ってのが今回の自警団問題である。

 

詳細は英語版を読んでもらえばよいのだが、中国人グループが今回の事件を契機として南オークランドに自警団を作り、彼らにマーシャルアーツを教えて、必要であればギャングも雇うと公言しているのだ。

 

同じ街でそんなに治安が違うんですか〜?なんて事は言わないで欲しい。日本でも大阪の西成は、今でも普通の人が歩けますか?ついこの前も暴動があったばかりですぜ。

 

東京には山谷があるし、もっと言えば日本の場合は昼間の普通の場所でもやくざにぶつかれば、まず一般市民は視線を下げて通り過ぎるしかない。もっともっと言えば、休日の昼間の歩行者天国を歩いてるだけで、トラックに突っ込まれてナイフで刺されてしまう。その意味では日本の方が広く浅く「危ない地域」があると思う。

 

オークランドは、やくざのような組織暴力団はいないので、ちんぴらがいない地域⇒ノースショアとかに住めば、治安の問題は、ほぼ解決する。

 

ちんぴらは、何の智恵もやる気もない、だらしないガキが自分の住む街にたむろしてるだけで、その街に行かなければ問題はない。

 

今回は、南オークランドの特殊性を考えないアジア人移民が、安いからと南オークランドに住宅を買ってしまい、今更引っ越すのが嫌だから自警団を作ってギャングを追い出すという事だ。

 

いかにも中国人らしい戦い方である。何故ならこれは、勝ち目があるからだ。日本だと一般市民がやくざや警察相手に戦っても勝つわけがない。第一勝ったとしてもその後を考えれば到底普通の生活には戻れない。

 

ところがオークランドでは、警察が本気になればギャングの取り締まりは可能である。そして中国人はすでに国会に中国人議員( Pansy Wong )を選出しているので、今回の示威行動は、かなりの確率で成功が期待出来る、と考えている。

 

そうそう、オークランドの街を東京と同じように、都知事が南から北まで管轄していると考えていると、この問題の視点はちょいとずれる。

 

オークランドは140万人の人口がいるが、これは正式にはグレートオークランドと呼ばれて、北はアルバニーから南はパクランガあたりまで広がっているが、行政上はマヌカウシティカウンシル、オークランドシティカウンシル、ノースショアシティカウンシルと横並びに分かれており、これを上部で一つに統括する、選挙で選ばれた組織は国会になる。

 

実際はオークランドシティカウンシルのジョンバンクス市長ってのが一番幅を利かせてはいるのだが、行政上は横並びなため、ジョンバンクスがマヌカウ市に命令を出すことは出来ない。

 

だもんで、今回はマヌカウシティカウンシルの問題となり、オークランドからすれば「お手並み拝見」となるのだ。

 

警察がどのような行動に出るかは未定である。「割れ窓理論」でガキどものちっちゃな犯罪を徹底的に引っ叩くのか、中国人の意見を無視するのか、問題はこれから様々な利害関係者の間でキャッチボールとなるだろう。

 

ただ、警察の予算は国が出してるし、一部地域が治安悪いからとそこに重点的に警察を配備すれば、たくさん納税をしている地域からは「不公平だ!」となる。

 

そりゃそうだ、殆ど納税しないどころか政府の福祉にぶら下がって、その合間に強盗やって、刑務所に入れば3食付の寄宿舎と思ってる連中に、何で高額納税者が税金を払わないといけないのか?

 

街の治安が悪ければ、対症療法として警察を増やすのではなく、その原因であるアイランダーやマオリに対するきちんとした道徳教育、就職活動などの政策を導入すべきだろう。

 

「あらま~、tomさんは人種差別するんですか、マオリでも良い人はたくさんいますよ〜!」なんて感情論はこの場ではやめてほしい。そんな事は言われなくても分かっている。

 

ただ、刑務所に入ってる人種別統計を見てもらえば答えは一目瞭然だし、自分の家族が一度でも彼らに襲われたり自分が一度刑務所に入り彼らの実態を見てから言うのなら、僕も拝聴する。そうでない限り幻想や空想は振り回さないで欲しい。問題解決には全く繋がらないのだから。

 

じゃあ僕が今マヌカウ市長なら何をするか?

 

答えは見えてる。まず最初にすべきは自警団は止めさせること。アジア人が自警団を作ると、間違いなく問題は拡大して、もっと大きな人種抗争になるからだ。

 

そしてその代わり市役所が自分の予算でボランティア的な自警団を作り、彼らに夜回りをさせて、スプレーで落書きをするガキどもをひっ捕らえて、親と共に警察に放り込む。

 

そして必要なら子供を親元から手放して施設に入れる。そしてそのような親が今後子供を産むようなら、すべて隔離する。親は、スリーストライクで刑務所に放り込む。

 

何で子供の罪で親が?なんて法律的議論は、この際横に置いておく。実際に親の責任なんだから、責任を取るのは親である。

 

そして子供たちに教育を身に付けさせて、泥棒をするよりも、もっと楽しいことがあるってのを教える。ヨットに乗せても良い、海外旅行に連れて行ってもよい、要するに、まじめにやった方が未来が明るいってのを子供に教えるのだ。

 

人権なんて、立派に市民の役目をこなしてから言うものだ。

 

 

 

Triad gangs and vigilante groups of concerned citizens, trained in martial arts, will soon be roaming the streets of south Auckland looking for trouble-makers, it's been reported today.

 

The organiser of yesterday's huge south Auckland protest against anti-Asian violence says he has vigilantes in training to stop further attacks.

 

A crowd estimated at more than 10,000 turned out in cold, wet conditions in south Auckland yesterday to demonstrate against recent attacks on members of the Asian community.

Organiser Peter Low from the Asian Anti-Crime Group (AAG) said politicians could not ignore the strong message sent out by the marchers.

 

The east Auckland importer said if authorities tried to stop his vigilantes looking after their own, then the AAG would consider hiring local Triads to protect his people from violent attacks.

 

"We are a vigilante group and are training now," he told a Sunday newspaper.

 

"We are training people in hand-to-hand combat and how to handle situations.

 

"I want this group to be legalised. If they (the police) don't allow it, that's when we might have to employ Triads to protect our community," he said.

 

Mr Low, 55, said he had been organising his team of vigilantes for months but brought forward the start date because of the recent violent deaths of three Asians.

 

Liquor store owner Navtej Singh, 30, was fatally shot at his shop on June 7.

 

A week later, Yan Ping Yang, 80, died after having been attacked by an intruder in her home three days earlier.

 

On June 16, Joanne Wang, 39, was knocked down by a stolen vehicle in a shopping mall car park after her handbag was snatched. She died in hospital.

 

Mr Low said Asians had become targets because many did not speak good English and criminals thought they had lots of money.

 

"My wife is frightened to go to the supermarket now and I'm always worrying about my daughter going to the bank.

 

"Is this the kind of place we want our families living in?

 

"We live in fear. We live in anger."

 

Mr Low said many Asians had lost faith in the police's ability to protect them.

 

"New Zealand is promoted as a green and peaceful country. That's not true," he said.

 

"We don't deserve to be humiliated by this crime while the Government does nothing about it.

 

"I have gotten fed up because the police response is not good enough."

 

Mr Low said yesterday's march through east Auckland, which has a heavy concentration of Asians gave a voice to members of the community who want action by the Government, the justice system and the police.

 

Until such action came, he was preparing trained patrols to be able to answer calls for help.

Mr Low, who admitted there was opposition from within the Asian community to the concept of a vigilante force, is funding the AAG from his own pocket.

 

Manukau Acting Mayor Gary Troup said month it would be concerning if such groups were set up.

"Rather than creating vigilante groups and trying to distinguish isolated incidents we've really got to work together and make it work long-term."

 



tom_eastwind at 00:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2008年07月06日

克己


鳴沢了シリーズの最新作「久遠」読了。金曜の夜から取り掛かって、最後の50ページは日曜の午後のお風呂で一気に読みきったので、カバンに入れてあった日経ビジネスまでは届かず。

 

こいつは今日の夜、家族でスタローンの旧作「クリフハンガー」を見ながら読むかな。

 

今回は、今までの鳴沢シリーズと違い、かなり人間的な成長を描いている。筋書き自体の面白みよりも、鳴沢ファンとして主人公の内面的な心の成長を傍にいて見つめているほうが面白い。

 

 久遠 上―刑事・鳴沢了 (1) (中公文庫 と 25-12)


 

つまり、筋書き自体は今までの焼き直し的なところがあるので、今までのシリーズを読んでない人には、殆ど意味が分からないのではないか?読み切りシリーズにしては、どうなのか?

 

せめて今までの話を少しおさらいしながら書けば、以前のシリーズを読んでなくても読んだ気持ちになれるし、次に買ってみようかって気になるのではないか?このあたり、作者の意地か編集者の判断か?

 

ただ、本は楽しむものだ、面白くてなんぼと思う僕からすれば、う〜ん、作者の意地なら今までの作品の質の高さに免じて理解するし、編集者の判断であれば、そりゃ戦略的に問題ありでは?と、敢えて異論を唱えたい。

 

今回も筋トレと食事コントロールが横糸で入っている。それもたっぷりと。ダイエットや筋トレ、健康についてあまり正しい生活を送ってない人が読むには、ちょと嫌味かも。てか、話自体が常に「何かとの戦い」を意識して書かれている。

 

それが時には犯罪者との戦いであり、時には友人との戦いであり、そして自分との戦いであり、そして常に逃げないことがテーマなのだから、そりゃいつも言い訳ばかりして逃げてる人間には辛いだろう。

 

それにしても、警察や探偵、犯罪小説に最初にこんなダイエットとか筋トレとか、自分との戦いを横糸を入れるようになったのは、誰だろう?僕が思い出す限りでは、スカーペッタシリーズで中年女性主人公が、目の前にあるおいしそうなピザをついつい食べてしまい、「ああ、これで明日は余分に5km走らないとね」と嘆くシーンである。

 

それにしても警察とか探偵小説では、タバコは大事な小道具だった。フィリップマーローシリーズ、特に「長いお別れ」や「さらばいとしき人よ」では、タバコがなければ話が進まない。

 

 

長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))

 

それが数十年経って現代になると、警察官がダイエットのために筋トレを行い、タバコを吸う人間の横に立つのを嫌い、夜9時以降に食事をする事を蛇蝎のように嫌がるようになるとは、レイモンドチャンドラーもびっくりだろう。

 

それにしても警察小説としては鳴沢シリーズよりも「半落ち」で有名になった横山秀夫の方が売れてるのは、今の日本の世相を示しているのだろうか?

 

半落ちに限らず彼の作品は、弱いサラリーマンとして警察を描いている。日本で棚に平積みされて、「こりゃ面白い!」とか「警察内部の知られざる実態!」とかにのせられて買ったのだが、はっきり言ってあれは、弱い男(社会人、ですね)が自分の弱さを許してもらう為に読むような本だ。

 

警察官でさえ人間、とか、記事に出来なかった記者がどうこうとか、世の中の変化や戦いについていけない人が組織に巻き込まれて流されていく事への言い訳ではないか?

 

 

だから、世間がますます国際化して厳しくなり、生き残る為の努力は半端ではないない時代に、サラリーマンとしてなんとか組織にしがみついて、そんな自分に言い訳をする、そんな連中が増えているから売れているのではないか?

 

 陰の季節 (文春文庫)

 

 

 

 

会社は人生のすべてではないし、しがみついてお慈悲で生き残る為の手段ではない。

 

 

それよりも家族や自分の生活を優先するために、優先できるだけの能力を身に付けて、会社を選ぶ立場になり、いずれは国も会社の延長として、政府による面倒見が悪ければ退出する、そんな考えでないと、21世紀は生きていけないのではないかと思う。

 

そんな時に横山秀夫の作品が売れているのだから、多くの日本人男性の21世紀の未来が見えるような気がする。もっと怖いのは、オークランドの日本人社会でも「横山秀夫」現象が出ているという事だ。

 

今日久しぶりにスリーピースのスーツに袖を通して見た。随分着てないな。最低5年以上は着てない。買ったのは二十数年前。ずっと箪笥の隅っこ。

 

今でも十分に着られた。あの頃、無理をして買ったけど、よかったなって今思う。

 

明日は雨が降ってなければ、これで出社してみよう。



tom_eastwind at 15:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2008年07月04日

賃上げと減税がセットでやってきた

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ニュージーランド説明会の資料を作ってて面倒なのは、法律がしょっちゅう変わるというところ。

 

特に所得税や最低賃金などは、こうなるともう日進月歩ですかって感じ。

 

国が設定する最低賃金は毎年10%程度上昇している。

 

医師は毎年10%以上の賃上げを要求してストライキをやると言ってるが、経営側は、組合員への賃上げは4%で、非組合員には8%の賃上げをしましょうなんて提案をしている。

 

バスの運転手も3年続けて毎年10%づつ賃上げしろってストライキをやろうとしてた。

 

結果的にどのあたりで落ち着くのかは分からないが、何せ政府自体が最低賃金を10%上昇させてるんだから、一般会社員も10%を要求するのだろう。

 

それに合わせて当然、バス代や食費、レストランの食事、クリーニング費用等の諸物価も上がっているから、日本の昭和後期のような、賃上げ⇒物価上昇⇒賃上げの好循環となっている。

 

それに輪をかけるかのように、今年10月から個人向け減税が始まる。

 

今回の特徴は、年収のうち最初の1万4千ドルまでが今まで15%だったのを12.5%に、2.5%減税するとか、1万4千ドルから3万8千ドルまでに対して19.5%の所得税だったのを、今年10月からは上限を4万ドルまでとする減税。

 

ちょっと日本にいる人には分かりにくいけど、ニュージーランドでは個人に対する税金はPAYE(pay as you earn)と呼ばれている税金が一本のみ。

 

これが所得によって税額が変わるので一般的に日本語では所得税と言ってるが、ここには、失業保険、老齢年金、医療年金、市民税、などなど、すべての国税と地方税が含まれている。今日本でも年金を税金で徴収するべきだという議論が出ているが、NZの場合はすでにそうなっているという意味だ。

 

だから年収4万ドルの給与所得者は年間で大雑把5万円の減税がまず行われる。また、最高税率の39%が適用される範囲を今までの6万ドル以上から7万ドル以上にする事で、中級所得者への減税が行われた。

 

なので、もし年収が6百万円(6万9千9百99ドル)なら、10万1千150円の減税となる。

 

中級所得者であれば減税が1.7%で昇給が10%なので、大雑把12%の所得が増えたことになる。

 

この減税は二段階になってて、今回の減税後、2010年4月と2011年4月に、更に再度減税が行われることが決まっている。

 

ほんの数年前から見ても中級所得者の概念が3万3千ドルから4万ドルに変化している。それだけニュージーランドの平均的所得が増加したという事がよく分かる。

 

要するに、国も儲かっているし個人も儲かっている。でも、国は儲かったお金で無駄な保養施設を作るとか要らない道路を作るとかはせず、社会投資は高速道路の整備とかのみにして、残ったお金はさっさと国民に返しているという状況が良く分かる。

 

そして犯罪の増加を防ぐ為にセーフティネットを構築して、国民が、犯罪を起こすよりは少なくとも政府の失業保険で生活をしよう、そしてもちょっとやる気があれば労働してお金を稼ごうと言う気にさせている。

 

閑話休題

 

ただ、残念なことにこの一ヶ月で2件の強盗殺人事件が起こった。これは政府にとっても衝撃であろう。

 

普通に社会人をやっているキーウィからすれば、信じられないような「通り魔強盗殺人」なんだから、怖くて市民なんてやってられないという事になる。つまり国が一番必要とする治安と秩序に対する不安である。

 

もっともこの問題は、学校教育とか所得格差以前の問題ではないかと僕は思っている。

 

僕から言わせれば政府はよくやってるが、一部低所得者層の中には、教養もなく粗暴で計算も出来ず体調管理も出来ずジャンクフードでぶくぶくに太り、将来の夢もなく誰にも相手にされずに若者時代を過ごして、何の考えもなく酔っ払ってパーティで女を見つけて子供を作り、家庭を持ってしまうと自分の不安な生活やいらいらや社会からの疎外感を感じて、それを怒りに変化させて子供を虐待するような馬鹿親の問題だと思う。

 

こういうのは間違いなく伝染性がある。子供がどれだけ素晴らしい能力を持っていても、こういう馬鹿親がそれを摘み取ってしまい、そこに悪の遺伝子を送り込むのだからどうしようもない。

 

馬鹿の一番の問題点は、自分が馬鹿だと知らないことだ。自分が利口だと思って生活しているから、周囲との落差に気づかない。そして周囲に迷惑をかけたり、自分の子供を結果的に異常にしている。

 

こういう親と言うのは、子供が自分の所有物だと思っている。おいおい、君は生まれて初めて子供を作った、要するに子育ての素人だよね。それが何で偉そうに子供にモノを教えてるの?まるでそれが絶対のように、親が言うんだかいう事聞けなんて、君はそんなに偉いのか?教育のプロなのか?

 

ほんとに一部の連中ではあるが、特にオークランド南部ではこのような「どうしようもない連中」がたむろしている地域がある。僕自身、昔は南部の裁判所にはしょっちゅう通っていたので、その実態はよく分かる。

 

ニュージーランド経済に貢献してないのはまさにこのような連中であるが、昔から住み着いているのでアジア人よりも発言力がある。でも経済力は、ゼロどころかマイナス連中だ。

 

時々民主主義の疑問を持つのは、こういうときだ。彼らに市民権、投票権があるのは公平なのか?

 

紀元前に世界で初めて民主主義を導入したギリシアでも、当時は投票権は限定されていた。人間の命の重さを議論するつもりはないけど、納税しない人に選挙権があるってのは、本当にそれは平等なのか?少し考えてしまった。

 

写真は、今日オークランドのクイーンストリートでデモをやってるトラック運転手部隊の風景。石油の値上がりに対する不満か賃上げ要求かよく分からんが、平和的に自分の意見を主張してます。

 



tom_eastwind at 11:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース