2009年01月

2009年01月31日

活き造り

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漁業に関する基本調査をしていく中で「食」に関する各民族ごとの考え方の違いが出てくるのは当然のこと。

 

でもって今回のネタはニュージーランドの日本食レストランでの「活き造り」。

 

盛り合わせではなく活き造りの問題なので誤解なきように。

 

ニュージーランドでは動物愛護の観点から「生きたまま動物を食べること」は法律で禁止されている。かなり以前、オークランドの老舗の日本食レストランで活き造りを出したところ、何も知らないキーウィはそれを見てびっくり、即市役所に電話して、これで大問題になったことがある。

 

「魚を殺して身を切り刻んでお皿に盛ってから出すのはOKで、活き造りとどこが違うんだ?」そう思う日本人は多いだろう。

 

「そんな事言っても、キッチンで殺してサシミにするのはOKで活き造りだけ嫌だなんて、ずっるくない?」なんて言われそうだけど、こればっかりは感情の問題なんだから仕方ない。

 

だって、死にかけてる相手の顔を見ながら相手の肉を食らうんだよね。

 

生きる為に栄養を摂る、だから相手を殺した後に食うのはわかる。

 

けど、自分の体の肉をばらばらに切り裂かれて骨と皮が剥きだしの状態にされて死にかけている魚の上にその魚の身を乗せて、体が痙攣して頭を振り口をパクパクさせながら間もなく死にますってぴくぴくしている状態を見ながら、その魚の生肉を口に入れて「美味しいよね!」って言うんだよね?

 

日本という地域では活き造りが普通なんだから、キーウィが日本に来て活き造りを見て怒っても、「そりゃあんたに関係ないでしょ」となるし、僕もそういうだろう。相手の民族と地域を尊重する気持ちがあれば他人の文化にむやみにクビや足を突っ込む事はしないのが礼儀だ。

 

食事で言えばうちの奥さんの中国文化ではもっとすごい食べ方をするのだから、活き造りなど可愛いほうである。

 

例えば広州の市場の肉屋の前で歯茎が真っ黒に焼けて牙が飛び出したままの犬がひっくり返されて釣られているのを見ても、それは彼らの長い歴史と食文化の違いなのだ。

 

その犬が殺される過程で棍棒でぶん殴られて恐怖を与えられることで味を良くするってのが事実かどうかは知らん。

 

けどいずれにしてもそれが直接的に僕に何かの影響を与えない限り相手を尊重する気持ちを持ち、個人的な趣向に口を挟むなど余計なことは言うべきではないだろう。

 

だから同じように、キーウィが「あり得ん!」と言うくらいに嫌っている食べ方を「そんなの非合理」とか「理屈が通らない」で押し通してしまえば、それはニュージーランド国民の気持ちを魚で、じゃなかった、逆なですることになるんだから、そりゃだめっしょ。

 

要するに活き造りの理論がどうかではなく、相手の国で相手の国民の気持ちを尊重するかどうかである。

 

ここ5年でキーウィはずいぶん魚の刺身を「健康な食品」と理解して受け入れるようになった。もう何年かすればイセエビの活き造り程度なら理解出来るようになるかもしれない。活き造りdaisuki派としては、それまではきちんと待っておくのが正解だと思う。

 

僕の場合で言えば生き作りは苦手である。

 

子供の頃はあまり気にならなかったけど、小学校の終わりか中学生くらいかな、ある一連の本を読んでから、なんて残酷な食い方だと思い始めてからはもうだめ、人が集まって食べるときでも出来る限り僕の周りからは押しのけてたものだ。

 

古代中国の歴史本、梁山泊とか三国志とかを小学生の頃から読んでた。今の記憶では小学校4年の時にはすでに大人向けの文庫本をガンガン読んでた気がする。

 

そして中国の歴史本の中では、人を食らう場面がよくある。

 

古代のある国の王様が自分に逆らった部下を丸裸にして生きたまま板に張りつけて、死なないように止血しながらわき腹の肉を少しづつ鋭利な刀でそぎ落として、それを板の隣に置いたぐらぐら煮えてる鍋に放り込んでしゃぶしゃぶにするのだ・・・。

 

部下は死ぬことも出来ずあまりの痛みにのた打ち回りながら自分の肉が食われるのを見るだけだ。勿論最後には手も足も食われてしまい、痛みでショック死するか失血死するか、どちらにしても死ぬ運命に変わりはない。

 

文化大革命の頃には多くの中国人が昨日までの友達を食らったようだ。

 

政府によって反逆者とされた人間はどのような地位にいる人でも昨日までの仲間に自宅から引き釣り出されて広場で公開裁判を受ける。

 

その結果は殆どが死刑だが、その殺し方が半端ではない。

 

例えば昨日まで隣組で仲良くしてた反逆者とその家の子供を殺すとき。まず子供の通う小学校の校庭に大きな鍋を置いてお湯を煮え立たせる。そして反逆者の子供を生きたまま手足を切り落として鍋に放り込み、骨からスープを取る。恐怖に脅えてるほうが美味しくなるそうだ。

 

ある程度味が出てきたら、次には子供の残りの部分を少しづつきり取っては鍋に入れて、仲間で輪になって食らう。夕陽に照らされた校庭では、人食い共の姿が長い影を作る。

 

体をずたずたに切り裂かれ肉体は瀕死状態。そして最後にやってきた老婆が無残な姿になったその子の脳みそに5寸釘を打ち込んで穴を開けて、そこに細い竹の筒を突っ込んで脳みそを吸う。

 

「脳みそは活きてるうちに食うのが美味いんだよ・・・。」

 

さてどうだ、今でも活き造りを食べたいか?と自問してしまった。

 

むろん魚には痛点がないと言われる。だから身を切り刻まれても痛みは感じないと言う。

 

けどね、あのね、魚に痛点があるかどうかは知らんけど、痛いのはこちらの心なんですよ。

 

中国の古代の本を読み、食の基本が人間の生存の為であり、活き造りや人間を食べる「食人行為」が食べるほうの喜びだとすると、その違いが見えなくなる。すると、例え相手が魚であろうが、この食べ方はな〜と、僕の気持ちの中でちょっと受け付けるのが苦しくなったのだ。

 

要するに、美味しく食べる為なら犬を棍棒で殴るのか?生きた魚に盛り付けするのか?

 

魚を美味しく食べる為に締め方などの技術を開発するのは素晴らしいことだと思うが、なんてか、この食べ方と技術開発と二つのどこかに一線があると思うのだ。

 

この一線が、越えてはいけない一線が人によって違うのは当然。

 

キーウィは一般的にこの一線があまり整理されていない。食文化の違いというよりも食に対する興味の違いではないかと思う。

 

美味しいものを探してきて何でも食材にしようとする東洋人と、美味しく食べると言うこと自体が「酒食にふける罪人!」みたいに感じる(これはもっぱらそれぞれの持つ宗教の違いから来ると思う)キーウィでは、同じ物差しを適用するのは難しいだろう。

 

食を文化として人間が生まれながらにして罪深いという理論まで創り上げた東洋人数千年の歴史を、学校で殆ど歴史を学ばない人に理解させるのは難しいだろう。基礎学力がないのだから例えば幼稚園児に大学院の授業を受けさせるようなものだ。

 

だからやっぱり待つしかない。彼らが追いついてくるまで。けど、一度追いついたら彼らは身の代わりが早い。

 

あっという間に馴染んでしまい、こっちが冗談で「おい、キーウィはいつから刺身食うようになったんだ」って言うと、澄ました顔で盛り合わせのサシミを取りながら「あのさ、刺身って健康で体に良いんだぞ」と平気で言い出す人種である。

 

この件で当社が作成した報告書の一部を抜粋する。

 

***

NZで活魚を扱うこと自体は問題がありません。ただ、活き作りとなりますと、やはり文化的に西洋人には抵抗があるようです。

 

弊社には日本人スタッフの他にも白人のスタッフ、韓国人のスタッフ、中国人のスタッフが在籍しておりますが。白人男性のスタッフには、活きたままさばくと言ったら!!!無理!!!!っと拒絶されました(涙)。

 

ちなみに韓国には活きたタコの足をちょん切り、にょろにょろと皿から逃げ出す足をそのまま食べる、タコの活き造りの文化がありますし、中国も生きているイセエビをバリバリっと二つ折りにして刺身にする活き造りの文化がありますので、韓国、中国チームはOKでした。

     **

 

活き造り。いろんな考えがあって良いと思うが、その基礎には「互いに理解しあう気持ち」を持つ事だと思う。

 



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2009年01月30日

脱出記 The Long walk

脱出記―シベリアからインドまで歩いた男たち (ヴィレッジブックス)
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第二次世界大戦の最中にソビエト軍に捕まりシベリア捕虜収容所送りになった著者が、シベリアから仲間と共に脱出し南へ南へと下り、つりにインドまで歩き続けていくノンフィクション物語。

 

最初はシベリアの原野にぽつんと建つソビエト捕虜収容所からの脱走。

 

そして普通では人間が生きていけないような環境のシベリアを縦断する。

 

次に越えるのは砂と土と灼熱の太陽しかないモンゴルのゴビ砂漠。飢えと渇きに苦しみながら縦断する。

 

最後は雪と岩で覆われた世界最高峰のヒマラヤ山脈を一本の古びた斧とナイフ、それに短いロープだけでまともな防寒具も無いままに真冬に縦断する。

 

殆ど何の装備も食料も水もなく約1年の脱出行で5千キロを歩き続けた人々の物語で、最初に出版された1956年から現在まで約50年間も読み続けられている。

 

まさに事実は小説よりも奇なりを地でいく様な物語だし、これがもし冒険小説だったらこんなストーリーは最初から誰もバカらしくて信用出来なくて小説としては絶対に売れないだろう。

 

だって世界の秘境ですぜ。シベリア、ゴビ砂漠、ヒマラヤ山脈と縦断するって、書けば簡単ですけどその距離だけで北海道から鹿児島まで縦断してもいっぺん北海道に戻ってそれからも一度東京まで戻る距離ですぜ。

 

冒険小説のように銃がバンバン撃たれるわけではなく、むしろ一つ見方を変えれば大自然探検のような感じさえもてるけど、でも実際はソビエト軍からの逃避行。

 

これはもう、人間の限界を超えたフィクションだけど、いや、それにしてもすごい。人間はここまで出来るんだって思うと、何だか「大丈夫だよ、いけるよ」と優しく背中を押された気になるから不思議なものだ。

 

本って素晴らしいですね。

 

 



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2009年01月29日

米を研ぐ

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研磨と言う言葉がある。Sharpenと言う英語がこれに当てはまるようだ。意味は鋭くするってことになる。

 

研ぐって、米を鋭くするの??

 

 

 

米の形は普通の日本人なら誰でも知っているし、ぼくも米を食べたことはある。けど米を鋭くするなんて考えたこともなかったぞ。

 

今日はお客様と話をする中で米を研ぐと言う言葉を使われて、かなり新鮮な驚きだった。

 

ご飯を炊く時は米を研ぐ。それは米と米をすり合わせて表面のヌカを取る事で、それによって味も香りも良くなるとの事。

 

ほ〜。

 

何故ならだって自分の頭の中には辞書機能として「研ぐ」って言い方はあるのだけど、実際の作業では「洗って」いたからだ。そう、うちでは米を洗う。結婚してからずっと、米は「洗って」いたのだ。

 

奥さんのお母さんと10年同居しており、そのお母さんがいつも米をざるに入れて水道水でちゃちゃっとすすいで、そのまま電気釜に放り込んでたのを観てて、奥さんも同じようにやってるのを見てたから、僕の最近20年の生活においては、やっぱり米は「洗う」ものだった。

 

「ヌカ臭いんですよ、よく洗わないと」

おお、あの匂いのことか。

 

またも食に関して学ぶことあり。

 

そしてもひとつ学んだこと。それは昨日のブログを読んで頂いた方から、「NZにもイクラが存在する」ってのを教えていただいたこと。

 

NZRegal社が販売しているようで、スーパーで買えるとのこと。味は決して日本人には納得出来ないそうだけど、一応イクラにする技術はあるようだ。

 

その後その話をイクラのプロに聞くと「あれはね、筋子をほぐす時の処理のバランスがすんごい難しい職人技なんですよ。あれが出来る職人は年収1億円くらいありますよ」と言われた。

 

イクラ一つをとっても奥が深い食ビジネスです。

 

てか、米くらい研ぎ方を知っておけって話ですね、、はは、今から変わります。

 

・・・けど、香港出身の奥さんは納得するかな〜。

 

写真は僕の大好きな「海鮮茶漬け」です。このメニュー、僕以外の誰も注文しないようです・・・美味しいのにな。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年01月28日

MAF 食料について

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農業と水産業は、当然のことだけどやり始めると実に奥が深いことに気づく。命にもっとも密接に存在するものが食なんだから、そりゃそうだろう。

 

 

けど、僕はつい1年前までは炊飯器も使えない人間で、料理と言えばインスタントラーメンに卵を入れるくらいだったのだから、そういう常識がなかった。

 

それがここ1年で自分で料理をするようになり、ついに今年は企業向け農業コンサルティングにも進出と言うコペルニクス的大転回をやったのだから、自分でもびっくりである。

 

人はいくつになっても変わることが出来る。

 

そう思いながら今日は物流を担当してもらえそうな企業の方とミーティング。

 

この方はある特別な時間帯、そう、ドラキュラさんが歩き回る頃にお会いすると「にこ〜!」っと笑っていきなり「tom〜!」とか吼えながら彼の重い体をドラキュラさん並みに飛び上げてフライングシザースチョップを食わせてくれる方だが、昼間に会うと非常に上品で優しい紳士である。

 

つい最近までは「食」に対して何の意識も持っていなかった僕だから、誠に申し訳ないが食材がどこで出来てどのように作ってどのように流通してどのように食卓に並ぶかなんて全然意識してなかった。

 

僕の場合自閉症なのもあるんだろうが、興味のないものには全く見向きもしない癖があるので、例えば「はかた長浜ラーメン」一杯をとっても、あれは夜中にシメで食うものであり、麺で使っている小麦とかスープとか豚肉や紅しょうがの由来等考えたこともなかった。

 

ねぎ?ああ、あれは考えたくもない食い物(大嫌い!)なので、最初から意識の外。ちなみに僕はインスタントラーメンの粉末スープに入ってるネギでさえ茶漉しで取り出すほどだ。

 

まあそれはどうでもよいが、ラーメンのスープを粉末にする技術って、すごいじゃん!なんて感動をしたのはインスタントラーメンを食い始めて数十年経って、自分が食ビジネスに乗り出してからである。

 

ましてや冷凍技術とか魚の鮮度を保つ方法とか、この世界に入ってみて、「おおおおおおおお!」と言うかんじの連続だ。

 

ただ、「食」をビジネスモデルで考え一つの研究対象として見た場合、いきなり全然違う思考回路が回り始めて原材料から加工、そして流通と販売に分解することが出来るのが自閉症の特徴か。

 

そうやって観ると食ビジネスがどれほど国策による「無駄」と生産者の「無理解」と消費者の「思い込み」に縛られているかが見えてくる。

 

皆がばらばらなのだ。統一がないからあちこちに無駄なエネルギーが消費されて、それが結果的に全関係者(つまり全人類)のコストになっている。

 

簡単に言えば

 

本来なら1kg10ドルで食えるはずの鯛が30ドルになっているのだ。

 

本来なら栄養になるはずの食料が農薬等の様々な理由で人を殺しているのだ。

 

本来なら食せる材料を廃棄しているのだ。

 

こうなるとこっちは俄然と燃え上がる。何故なら僕は矛盾、つまり一物二価をぶっ壊すのがdaisukiなのだ。

 

モノやサービスが本来あるべき価格と現在の価格が違っているのが一物二価で、そこに差が存在する時は必ず一物一価に収斂(しゅうれん)しようとする自然な力が働くはずなのだが、現状維持を好む一物二価派はそれを嫌って変化をしようとしない。

 

だから一物二価派が強い市場、つまり政府による規制や保護が強い業種では変化がなく結局その「業態ビジネスモデル」自体が崩壊してしまう。今の日本の農業や漁業がまさにそれである。

 

しかし崩壊してもその業界に存在価値があれば、燃え上がる大火の中から生まれる不死鳥のように必ず新しい形が生まれる。

 

その「ぶっ壊しから生み出し=破壊と再生」が僕にとっては実に楽しいのだ。簡単に言えば既得権益や既成権力に守られた人にとっては宿敵。

 

コンピューターは入力⇒演算⇒記憶⇒出力であるが、人間の頭も感情を除いて大体同じ作りになっている。そしてこれがビジネスモデルの基本だと僕は思ってる。

 

農業をおおまかに俯瞰してみると(なんて偉そうなこと!)、生産⇒流通⇒販売の三つに分かれると思われる。

 

そこから細分化されて、例えば生産には改良がついてくるし販売には外食、中食、スーパー(この例えが正しいかどうか素人なので気になるが)とか分かれたりするのだけど、やっぱり基本はこの三つだと思う。

 

だからその物差しに当てはめれば、今は生産の段階でも流通の段階でも販売の段階でも、思いっきり改良の余地がある。

 

今日の会議でも「イクラ」の話(イラクではない、イラクの政治に興味があるのは今日の会議参加者4人のうち僕だけだ)が出たが、ニュージーランドではイクラを作る技術が無い為筋子のまま日本に送っているとの事。

 

なんと勿体無い!

 

ところがこの「勿体無い」の感覚は、会議に同席した当社スタッフは「なんで私はニュージーランドでは安くて美味しいイクラを食えないんだ!」であり、僕は「なんでニュージーランドでは加工技術を成長させて付加価値を付けるビジネスモデルを構築させて、そこに雇用を生むと言う合理的なことが出来ないんだ!」である。

 

僕だって美味しいものを食べるのはdaisukiだけど、それをビジネスとして捉える時に、自分が食べれるかどうかよりもビジネスモデルとして成立するかどうかが大事である。

 

けど食い物好きが集まると会議の真っ最中に、「イクラ、美味いっすね〜!」とか「いやいや、このわたがAUSで作れるんっすよ」とか、「本当の美味しい野菜は土から作るんです」とか、まるで食が全ての「全食教」信者の集まりのようになり話が止まらない。

 

まあこの情熱が「食」ビジネスを成長させているから、あまり冷やしてはいけないのだが、時にはあまり「食い方」の話になるので、おいおい、こっちはそれを無事に安全に効率的にみんなの幸せになるようにあなたの鍋の中に送り込むための方策を考えているのに、お前はなんじゃ!って事になる。

 

そういえばラジオの野球生アナウンスでも、野球を好きな奴にアナウンスやらせちゃいけないという話がある。

 

だって試合やってる間中、「こら〜!」とか「違うだろ!」とかアナウンサーの気持ちが入ってしまい、理性的なアナウンスが出来ずに、誰が今バッターなのか守備は誰なのか分からなくなるからだ。

 

「いや〜、今のプレイ、だメッスよね、xxさん」と語るアナ、あのね、視聴者の知りたいのは何がダメなのか、なんですよ。

 

これから僕の立ち位置がどこになるかはまだ見えてない。けど熱い当事者から一歩距離を置いて、それがビジネスとして成立することを考える役になろう。



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2009年01月27日

輪廻・・・怖いぞ・・・僕には・・・じゅうぶん・・

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昨日の午後から耳の穴がむずむずする。日本のホラー映画「輪廻」を家族のいない昼間に見終わったすぐ後からだ。どうも虫が入り込んだような感覚。夜になっても時々耳の奥がかゆくなる。

 

呪いか?

 

もし虫だったら、寝てる時に潰してしまえと思い、右側を下にして横になって寝る。

 

けど、普段は奥さんとりょうまくんが三人で肩を並べてるベッドなのに、今晩はお二人は居間で寝たいとのことで今晩は自分ひとり。

 

あいつら、仕組んだか?

 

実は僕はけっこう怖がりだ。闇夜の提灯が火の玉に見えるタイプ。だから風で揺れる草木の影や空気清浄機の突然動き出す音とか、けっこう怖い。

 

一人で寝てると、もっと怖い・・・・・

 

どういうこっちゃー!

 

結局、眠ると怖いし眠らないと疲れるの繰り返しで、一晩中ベッドの中でごろごろする。

 

これがよくなかったのか、翌朝は右肩が痛いぞ、、てて。

 

てか、一番問題だったのはやっぱり「輪廻」を観る場合は事前に「奥さん、今日は一緒に寝ますか?」って確認を取らなかったことだろう。

 

それにしても、輪廻、夢に出ないようにした・・・ああ、怖かった・・・。ほんとはそんなに美ビル作品ではなく、結構論理的で楽しいんだけど、観終わって一人でベッドに入ると、もうだめぼ・・・じゅうぶん、だめぼ。



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2009年01月26日

新年快楽!

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今日も快晴のオークランド、奥さんが朝早くからあちこちの友達に電話をしまくり、相手が出る度に嬉しそうに「新年快楽!」とやってる。

 

そう、今日は中国の新年なのだ。

 

 

旧暦で生活をしてる中国人社会では、今日は一年の中で最も晴れやかで賑やかで大事な日である。

 

日頃はクリスマスのバーゲンやクリスマスパーティをやったりする彼らだけど中国4千年の歴史は体に刻まれているようで、香港では旧正月前後の賑わいがクリスマスの10倍くらいの雰囲気だったのを覚えてる。

 

何よりこの期間の親戚巡りがすごい。日頃はめったに会わない親戚の自宅を訪問するのだけど、多くの人が家族と一緒に町に繰り出してバスに乗りあちこちの親戚に顔を出すのだ。

 

それも特に予定を立てずにいきなり相手を訪れるのだから、肝心の相手も親戚に顔出しをするために外出しているなんて当たり前。まだケータイ電話がそれほど出回ってなかったのでミスマッチが多かったものだ。

 

計画性ないな〜、予め関係者全員で予定作ればいいのにと思ったものだが、万事計画を作って失敗する日本人と、万事行き当たりばったりで失敗する香港人と、どっちもどっちかなと思い直した記憶がある。

 

ただまあこの日だけは香港の殺伐とした雰囲気が一転変わってのんびりした家庭モードに切り替わるので、これだけは西洋人や日本から派遣された駐在員には理解不能だったようだ。

 

いつも無愛想で笑顔の一つも見せない香港人に嫌気が差した英国人が「君、いくら払ったら笑顔を見せるんだよ?」と言ったことがあるとか、それほど普段の香港人は愛想がないし金を使わない。

 

それが家族と一緒にいるといつもにこにこ、お正月のお年玉はバンバン気前良く振りまく。

 

このギャップは香港人の中で香港人として生活しなければ絶対に理解出来ない現象なので日頃香港人をうまく使いこなせない駐在員から「おい、どうやったら香港人を笑わせられるんだ?」と良く尋ねられたものだ。

 

広義の中国人のうち大陸中国は共産党支配の影響で昔からの伝統的な文化(特に漢字!簡体語)がかなり破壊されたけど、香港はその反対に世界の中で最も中国伝統文化を残しているのではないかと思われる。

 

台湾は蒋介石が戦争に負けてやってきた寄せ集め集団ともともとの地元民族の複合国家だしシンガポールはマレー、インドなどを含む複合人種国家だ。

 

彼らに比較すれば香港も複合ではあるが基本的に漢民族の複合なので伝統的中国人であると言える。潮州、客家、福建、上海、広州など様々な個性を持つ人々が集まってはいるが、上から下まで生粋の中国人だと言える。

 

特に大事な相違点は、香港の多くの人は自由を愛して商売がdaisukiで共産党から逃げてきた人々だから伝統を大事にするし共産党のように文字をぶっ壊すことは絶対にしない。

 

今日は昼からどこかでパーティがあるようで、奥さんはお呼ばれでそちらに顔を出していたが、午後自宅に戻ってくると今度は香港の親戚に電話しまくり。

 

香港とニュージーランドでは時差が5時間あるので、午後に電話すると丁度良いのだが・・・まあ今月の電話代の請求は見ないようにしよう。

 

それから子供たちを連れてまたもお出かけ。今度は中国市場だそうだ。

 

今晩は中国の伝統料理が食卓に並びそうだ。

 



tom_eastwind at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年01月25日

Desperate Housewives

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この三連休はスキーに行ったり映画を観たり、けど基本はゆっくりのんびりのびのびしている。

 

休みだからってぎっちりの日程で旅行に行って、帰ってきたらその疲れでまたストレスってんじゃ洒落にならんのに、やはり日本人は旅行日程もぎゅうぎゅうに詰め込みたがる。

 

せっかちな人種なのか遊び下手なのか。

 

けど実際に日本人が旅先で「何もせずに過ごす」ことなんかやったら、その方が苦痛が大きいんだから、たとえ後で旅疲れになると分かってても、やっぱり旅の途中はいろんなものを見て回るのが真情である。遊びについては西洋人の方が上手なのかもしれない。

 

昔はビーチでのんびり過ごす白人の感覚がなかなか分からなかったけど、最近少しづつキーウィ化したのか、「のんびり」を楽しめるようになった。これも忙しさを経験したから言えることで、生まれた時からこんなにのんびりしてちゃ国が滅びるぞとは思うけど。

 

でもって休日二日目は最近家族がはまって観ているテレビドラマ「Desperate Housewives」鑑賞だ。アルバニーショッピングセンターのJB-HIFIで買い込んで、家族で朝から観てる。

 

米国のABCで作られているホームドラマだけど、これがまた楽しい。映画のような作りではないけど映画並みに楽しい。てか、下手なメッセージ性のある映画よりも、よほどリラックスして楽しめる。

 

こういうのは、「24」から始まった流れではないか?そして「プリズンブレーク」も、そのスピード感やストーリー展開がまさに「息をつかせぬ」面白さ。

 

この「Desperate Housewives」、家庭の専業主婦の話も、違う意味でとても面白い。ソファに寛いでのんびりと息をつきながら、隣に坐ってる奥さんと「ほら!やっぱり女は〜!」とやると、その次の場面では奥さんから「ほら!やっぱり男は〜!」とやられる。

 

要するに家族で楽しめるのだ。家族に会話を生んでくれる筋書きなのだ。時には銃が出てきたりお皿が割れたりするけど、基本的に「ふつーの夫婦や家族」と、彼らが所属する地域の日常を描く物語である。

 

「そんなん退屈じゃん」って思う人、良く分かるその意見。僕も観るまではそうだった。けど、これは今の時代には多分殆ど存在しない「楽しくて面白くてちょっと窮屈だけどでも皆でそれなりに助け合ってきた時代の社会」みたいな雰囲気があるのだ。

 

テレビ番組に限らず映画でもそうだけど、あーいうのって、半歩先を描くとうけるらしい。あまり行き過ぎると視聴者はついて来れません。

 

良く出来た筋書きと役者の演技を観ながら、「そうだ!」とふと思った。

 

うちの奥さんはこのドラマを広告付きテレビでは観ずに、JB−HIFI(電気や)で普通にお金を払って「買った」のだ!

 

39.98ドルが「Desperate Housewives」のFirstSeason6枚分の価格である。

 

これじゃんか!

 

以前からテレビのビジネスモデル(=スポンサー広告で無料視聴)が崩壊したって事を何度か書いたけど、あたり前の話だけど、そうだ、テレビ番組が良質であれば視聴者は有料でも買うのだ。

 

今の日本のテレビ業界の問題は、お金を貰っても見たくないような程度の低い番組ばかりだから必然的に視聴者が離れて行ってるのだ。

 

ならば質の良い番組を作ればいい。それだけのこと。そのためにはスポンサーを探すよりも優秀な監督とプロデューサーを見つけて良質の番組を作らせれば良いのだ。そしてそれを有料で放映する。

 

放映終了後はDVDにして販売をする。

 

だから今のようにテレビ局がすべて仕切るのではなく、製作会社が作った優秀な番組をテレビ局が審査して、いけると思った番組を放映する。そのテレビ局は有料テレビなので、番組のレベルが低ければ視聴者から「延長しません」とお断りになる。

 

こうなれば誰もが意味のない視聴率ではなく視聴者がお金を払ってくれる良い番組を作るために一生懸命になるだろう。スポンサーに気兼ねせずに本来のメディアとしての健全な批判も出来るようになるのではないか?米国ではすでにこのような淘汰が始まっているのかな?そんな事を思いながらDesperate Housewivesを観る。

 

池田ブログの池田信夫氏がテレビ番組の中でとても面白い表現をしていた。

 

「沈む船の椅子取りゲーム」

 

まさにその通り。今のテレビは視聴率と言う椅子を取るのに一生懸命だけど、テレビ自体が沈没を始めているのだから、そんなのに一喜一憂してる場合じゃないでしょ。

 

おまけに「地デジ」と言うお馬鹿の爆弾を抱えているのは米国も日本も同じだけど、オバマは地デジの開始時期を延長した。日本はどうするんだ?最後はまたも国民の税金でテレビチューナーを配るのか?

 

 



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2009年01月24日

三連休

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今日からまた三連休だ。

土日が普通のお休みで月曜日は「Auckland day」と言う、オークランドだけのお休み。

先週はクライストチャーチが同じように休みで三連休。県民の祝日?

だから昨日の夕方は午後4時頃から自宅に帰る車で高速道路もシティ内も大渋滞。

みんな早く仕事を終わらせて家に帰り、これからの三連休の計画を立てているんだろうね。

うちは今日もスキー。子供向けにはソリがあったりして、大人から子供まで遊べる屋内スキー場は、多くを望まずにスキーの練習と割り切れば実に楽しい。第一子供を連れてきても子供を見失うことがないので、親子連れには楽しい場所だ。

今日もたくさんの親子連れが来てて、皆さん窓ガラスに張り付いて子供が滑る写真をうれしそうにばちばち撮ってます。もちろんデジカメ。

そう言えば現像が必要なカメラの販売台数はここ10年で10分の1以下になったそうだ。おかげで現像をビジネスとしてたキタムラカメラなどはビジネスモデルの転換を迫られて大変そうだ。

フィルムが不要になるとフジフィルムはどうなるのだ?フジカメラ?そりゃもうすでにやってる。

フィルム技術を生かした業態転換。

社会に必要とされるものを提供するのが会社だから、社会がデジタルカメラになれば、それに追いつく何かを提供するか、退出するしかない。

うちも社会に取り残されないように常にビジネスモデルの変革をしていってる積りだけど、ほんと毎日注意しておかないと、あっというまに陳腐化するもんね。

今日と同じ明日はない。常に心に緊張感を持っておくこと。

それにしても二人とも随分上達しているぞ。毎週スキーやってれば当然だろうけど、やっぱりスキーって続けてやるものですね。



tom_eastwind at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 | NZニュース

2009年01月23日

ウェリントニアン

Bungyニューヨークに住む人をニューヨーカーと呼ぶ。

 

同じようにオークランドに住む人のことは一般的にオークランダー( Aucklander )と呼ぶ。

 

 

 

そしてニュージーランドの首都であるウェリントンに住む人はウェリントニアン ( Wellingtonian )と呼ばれる。

 

英語の語尾の変化の問題だろうが、同じ大都市でも変化のない街もある。例えばクライストチャーチは、まんまクライストチャーチだ。

 

クライストチャーチャーでもないしクライストチャーチアンでもない。

 

そういう呼び名がないってのは、別にクライストチャーチに住む人が自分の街の名前を嫌っているわけではない。

 

理由はよく分からないながら、ウェリントンへ日帰り再出張。

 

ニュージーランドは良い意味で食料の宝庫だと思う。まだまだいろんなことが未開発で、それでいながらこの幸せ生活レベルを保てるんだから、何て恵まれた国だと思う。

 

出張先で水産加工の話や農業、加工食品の話をしながら、本当にこの国はいろんなことが手付かずで残っているなと実感。

 

この国は基本的に自給自足、海に行けば魚もウニもあるし山にいけば鹿肉も豚肉もあるし、家は自分で木を切って建てれば良い。

 

農地1

だからいろんな食料資源が手付かずで残っているんだけど、それを商売としていちいち掘り起こさなくても、裏庭で作ったジャガイモと砂浜で拾った貝と山で撃った鹿肉で家族と毎日楽しく食卓を囲めるんだから、これ以上何が欲しい?

 

 

こっちから見れば、「あれも出来るこれも出来る!」と欣喜雀躍(きんききっず)な気持ちになるけど、肝心のウェリントニアンからすれば「うに?そんなん、食いもんじゃねえよ」となるし「魚?釣れたもんを食えばいいんだよ、何をそんな種類の指定なんかしやがって」である。

 

やり方次第でいくらでもビジネスの機会はあるのだけど、そこまで頭を絞って考えるよりも、友達とBBQやってビール飲んでるほうが楽しい人々だから、「そのまんま」で生きているほうが良いのである。

 

もちろん棚から落ちてきたぼたもちは食うけど、わざわざ棚に上がってまでぼたもちを取ろうとする気持ちはない。

 

だいいち研究熱心なわけではないので、棚にぼたもちがあることを気づかない。

 

けどそのことに気づいたほうが幸せなのか?気づくとどうしても宝探しが始まって人の心をぎしぎしさせる。

 

気づかないまま毎日を楽しく過ごすほうがいいんじゃないのか?ウォシュレットがなくても生きていけるのに、一度使ったら止められないんじゃ、麻薬と一緒だ。

 

それよりは最初からトイレはマニュアル、そう考えて生きてきたから今回のような世界の金融危機でもけろっとしている。

 

何事も徹底的に追求していく人種が結果的に自分を苦しめるなら、贅沢は出来ないけど楽しく生きられるキーウィライフも良いではないか?

 

海岸線

160年前に英国からやってきた「まじめさん」が南太平洋の小島で「のんびりさん」のマオリと共同生活をする中で培われたキーウィキャラってのは、西洋人が本来持つ「俺かお前か、バンバン!」てな部分がかなり丸くなってると思う。

 

 

丸いことを「鈍(にっぶい)い!」と思い、他人の失敗を笑って許せる心の余裕を「だっさ!」と感じ、家族の夕食の為に残業を断る気持ちを「やる気あんのか!」と感じる人にはちょっと楽しくない国かもしれない。

 

けど、キーウィはそんなあなたにこの国を褒めてもらおうとは思ってないだろうし、どうぞ自分の住みたい国で生活をしてくれ、けどいちいちこっちのやってる事に口出ししないでくれって感じだろうな。

 

aa2c9e42.JPG写真はウェリントンの街中を走るトロリーバス。

電線から外れた「ひげ」を、女性運転手がのんびりと取り付けようとしている。車内のお客さんも、のんびりとそれを眺めていた昼下がり。

 

 

 

日本だったら運転手が床に手をつけてお詫びをして、乗客は「いつになったら修理が終わるんだ!」と怒鳴り、そのうち「トロリーバスの存在とは!」みたいにテレビで特集でも組むんだろう。

 

けどこの国では誰も急がないし、誰も文句言わない。

 

いいよね、これって。



tom_eastwind at 15:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年01月22日

農業大国 そして今

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英国から船に乗って赤道を越えてやってきた初期移住者がPatumahoeを切り開いてから160年後のある晴れた午後。

 

 

「牛がいいっすね。羊とかも悪くないけど、手間とかを考えると今のニュージーランド農業だと牛がいい」

 

来週にはPatumahoeの牧場を引き払って南に150kmほど下ったところの、もっと大規模な牧場に移る予定の牧場主がそう言った。

 

「ここはちょっとちっちゃ過ぎるんですよ、もっと牛を飼おうと思うってね」

 

今の牧場でもずいぶん広いと思うのは子供の頃から風呂も付いてない公営団地の2DKに住んでた貧乏人の気持ちがそうさせるのかもしれないが、とにかく自宅の庭から向うの丘の中腹で横たわっている、かろうじて牛と見分けられるサイズの白黒の物体を指差してそういうのだから、「は〜、そうですか」と頷くしかない。

 

午後の明るい光を取り入れて眼下に広がる農地を見渡せてるオープンデッキでは、友達が三々五々に持ってきた手料理の名古屋風チキン、手作りののりまきおにぎり、昨日獲って来たウニやカニが並ぶ。

 

こちらのパーティでは「お呼ばれ」は一皿が基本。けど料理の役に立たない男はワイン一本かビール6パックである。

 

オープンデッキの片隅では炭火で焼くBBQ、反対側では日本人が何十人も三々五々に固まって、クーラーボックスに入ったビールやワインを楽しんでいる。

 

車で来ているのだ、お酒を飲んでよいわけがない(笑)。だからビールかワインを飲む人は、今日の行きの運転手。幸運なことに帰りの運転を奥さんにお願い出来る旦那さんなのだ。

 

奥さんたちは熱い日差しを避けて部屋の中でこれもまた三々五々と固まってハーブティーやおしゃべりを楽しんでいる。「あら、これは奥さんが作ったの?すごい!ねえねえレシピ教えてくださいな」、「勿論喜んで!メールアドレス教えてくださいな、後でお送りしますわ」

 

100年経っても女性は変わらない。変わったのは通信手段だけだ。

 

変わらないのは男性も同じで、集まって話すことと言えば「最近どうでっか〜?」、「ぼちぼちでんな〜」とか「ほら、あの入り口に置いてたビンテージカー、誰んかな、えれー格好いいよね」とかである。

 

100年以上前にこの土地を切り開いた人々は、今その土地で日本人が牧場を経営しているのを見てどう感じるだろうか。

 

「新移民さん、こんにちは。農業は大変だけど遣り甲斐あるよ。頑張ってね」そういってくれてるかな。

 

電気が通り水道水が使えて、ましてや電話や高速インターネットの設備まで整った大きな農家は、すでに日本人のイメージする暗い農家ではない。

 

けど、間違いなく農家だし、間違いなくニュージーランドを支える基幹産業であるのだ。

 

農業が暗いとかダサいとかで、日本ではクビを切られた派遣社員でも行きたがらないような環境らしいが、ニュージーランドでは立派な社会的地位を持つ仕事である。

 

例えて言えば戦後すぐに新日鉄で働いて「鉄は国家である」と誇ってた人々のようなもんだ。力仕事だし汗かいて大変だけど、自分たちの仕事に誇りを持てるのだ。

 

今の日本で誇れる産業ってあるのかな?

 

僕は今年ニュージーランドの海や大地で作られたPureNZの食品を売っていく予定である。

 

販売方法は、出来る限り生産者と消費者の直結であるため、これはインターネットを使った通販形式になる。

 

安心で安全、顔の見える生産者と農場から直接購入した食品を、直接消費者の食卓に送る。

 

生産者は「食べて頂きたいな」と思い、消費者は「分けて頂く」と言う気持ちで、お互いが対等の立場で農業を語っていければと考えている。お金は媒体でしかない。大事なのは気持ち。

 

今の日本では生産者が叩かれ消費者が騙され、儲かっているのは中間で搾取している会社のみだ。

 

それは生産者情報が消費者に伝わらないし、消費者の要求に生産者が応えられないというお互いの情報格差に問題があった。

 

しかしインターネットの発達と物流手段の発達により、この二つの壁は壊れた。僕らはもう、嘘を言う中間搾取会社は不要なのだ。

 

「こんにちは消費者さん」、「始めまして生産者さん」、両者がついに直接手を結べる時代がやってきた。



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2009年01月21日

農業大国 その3

patumahoeパツマホエ(Patumahoe)と言う地名がもちろん英語ではないのは誰でも分かるだろう。

 

元々オークランドと言う地名はタマキと呼ばれていた時代がある。

 

それが1840年に白人がやってきてオークランドに船を乗りつけるようになり、ここに港町オークランドが成立する。

 

当時は帆船や蒸気船しかない時代で約100日かけて英国からオークランドまでやってきた移民。

★飛行機なんて飛んでないぞ、今の移民は恵まれてるぞ。

 

彼らは青い空と自由な大地と自分だけの農地を目指して、まだ一度も自分の目で見たことのないニュージーランドへ、家族と共にやってきたのだ。

★今のようにちょっと下見なんてできる時代ではない。恵まれてるぞ、今の世界。

 

当時の英国は産業革命の真っ最中と言うのはすでに書いたが、もっと問題なのは当時の社会構成だった。

 

英国の中のほんの一握りの貴族が世襲制で殆どすべての英国の土地を領有しており、中産階級を構成する教師、医者、経営者、自作農民などは、どれだけ働いても最終的には政府への納税と相続税で失ってしまい、ましてや自分の土地を得ることは出来なかった。

 

誰にとっても自分の土地は一つの象徴であり、男なら自分の家を建てることが男のしての役目を果たしたことになるし、女からすればやっと自分の城を持てたと言うことになる。

 

だから誰もが土地を求めたが、政府が提供出来る土地はなく、人々はいたずらにお金を消費するだけであった。

 

その上ロンドンには次々に工場が建つのだが、当然不足する労働者を英国政府は東ヨーロッパからの移民に頼った。その結果英語も満足に出来ない労働者が英国に渡ってきたのだが、当時の英国政府は、彼らはあくまでも労働者であり、生活保護や子供の就労等全く考えていない。

★なんだか外国労働者を抱えてる東洋の国と良く似てますね。

 

だからそのような人々が結果的に社会の最底辺に生きる「下流」と固定化されて、それがロンドンの治安を悪化させた。

 

高い税金、土地はない、おまけに治安は悪い。貴族に生まれなかった人にとっては行くあてのない先進国であった。

 

そんな1838年のある日、新聞に載った広告が載った。

 

「ニュージーランド移民募集中!1エーカー1ポンドであなたの土地が入手出来ます」

 

「狭いイギリスにゃ住み飽きた、僕もいくから君も来い」まるで戦前の満州に日本移住団が進出したようなもので、この広告を見た人々は次々に申し込んで第一期募集は一ヶ月で売り切れたと言う。

 

彼らは工場の排煙で薄汚れたロンドンの空を見上げ、かっぱらいが横行する道を歩くのを怖がり、安全に住める自分の土地を渇望したのだ。

 

そして彼らは決心した。よし、新天地に行こう、そして自分の土地を持って、そこを家族と一緒に耕すんだ。

 

とくに彼らの特徴は、非常に真面目で敬虔(けいけん)なクリスチャンであったと言うことだ。労働を尊び家族を守り大地と共に生きる、そういう人たちが集団でニュージーランド、まだ見ぬ大地へやってきた。

 

イギリスから灼熱のインド洋、南半球のオーストラリアを横目にニューギニアとの間を船は走る。そしてケアンズを抜けたあたりから更に2千キロ進んだところにニュージーランドがあった。

 

新天地!

 

dc5b2887.JPG長旅を終えた彼らは桟橋で船を下りると自分たちの手荷物を抱えてまっすぐクイーンストリートを上り、今もその名残を残すオキシデンタルホテルなど、今のバルカンレーンあたりで宿を取った。

 

写真は現在のバルカンレーン

 

そして久しぶりの堅い地面に感謝しながらシャワーを浴び、ホテルレセプションの壁側にあるボトルで作ってもらった酒を飲む。勿論カウンターの上にはタップビアが並んでいるから、ビールを飲む人もいる。

 

当時はまだシェリー酒もイングランド人が好んで飲む酒であり、ウイスキーはそれほど流行ってなかった。

 

子供たちはお父さんに買ってもらったレモネードを、カウンターに肘を乗せてゆっくりしているお父さんの足元に座り込んで、嬉しそうにチューチューと吸っている。

 

馬車周りには同じような移民家族が集まり、「おう、おたくは南ですか、うちは北のほうの土地を買いましてね」とか「今度買った馬は、なかなか走りが良くてですね、で、オタクの馬は?」などと会話が始まる。

 

 

奥さんたちは船上で仲良くなった友達と料理のレシピと共に住所を交換しながら、「手紙出すわね、またどこかで会えるといいね〜」とやっている。

 

そして翌日。街に出た彼らは、猟に必要な猟銃と弾丸を購入し、馬を選び馬車を買い、旅に必要な荷物をつぎつぎと揃えていった。

 

auckland densha

 

当時の主な移動手段は馬車だが、クイーンストリートやサイモンストリートには電車も走るようになってた。

 

 

今もキーストリートに残る古くからの建物は、その当時の貿易会社が建てたビルが殆どだ。今のフェリービルディングは当時の入国税関だった。そして免税品店DFSが入る建物は元の税関だ。

 

数日をオークランドで過ごした家族は、いよいよある早朝に旅館をチェックアウトして都会とも分かれ、南に向けて馬車を走らせる。荷馬車には充分な食料と毛布を積んで。

 

子供たちは無邪気にはしゃぎ、お父さんはこれから広がる未来にわくわくしながら(これは男性特有・獲らぬ狸の皮算用と言う:男性が良く罹る病気)、お母さんは「どうにかなるさ」と開き直って(これは女性特有の現実主義:明日の夢よりも今日のメシ)、今晩の食事はどこで作ろうかと考えている。

 

「〜遠い明日しか見えない僕と、足元の暗闇を気に病む君と〜」。「まほろば」と言う、さだまさしが歌う歌がある。

 

いつの時代も男と女の考えることは全然違う。それでも一緒にいるほうが良いから美しき誤解で片付く時はそれで良い。誤解が解ける頃には子供が出来て、母親は違う愛情の対象を見つける。

 

オークランドを出発した馬車は南へ南へと馬を走らせて、僕が数日前に車で走った道とほぼ同じ平原を下っていく。

 

そうしてやってきたのがオークランド南部の農場地帯、Patumahoeだった。他の家族はそのまま更に南に下り、ワイカト平野に広がる豊かな大地に向かって馬車を進めたりした。

 

森

 

当時はまだ灌漑も進んでおらず、とりあえず自分の買った土地の猫の額のような平地にテントを立て、翌日から大きな原生木が立っていた森林を切り開き灌漑を行い、少しづつ自分の農地を作っていったのだ。

 

当時の日本は江戸時代、鎖国末期である。

 

日本人がちょんまげを付けて攘夷攘夷と外国人に向けて切りつけてた時代に、ニュージーランドはすでに農業を中心とした国造りを進めていたのだ。

 

そして話は現代に続く。



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2009年01月20日

農業大国 その2

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Druryのイメージは1940年代のロサンゼルス郊外。「長いお別れ」で私立探偵フィリップ・マーロウが焼けるような赤い大地と青い空の間に挟まれながら、依頼者の自宅の屋敷に古い車で訪れる場面がある。

 

道を行きかう人はなく、道路沿いには街路樹が枝を広げているが、それで防げるほど日差しは甘くない。アスファルトの歩道とその両側に広がる芝生はきれいに刈り込まれているが、それをやっている人の姿は見えない。

 

朝食を食べるための食堂が作られている、そんな時代に建てられた住宅が軒を連ねる。まさにそんな雰囲気だ。

 

Druryの人通りのない街中には殆ど信号もなく、住宅街の四つ角は殆どがランナバウト(信号のない四つ角)だ。

 

ランナバウトで徐行しながら時々右側から通り過ぎる車を待ち、車が過ぎるとこちらも軽くアクセルを踏んでランナバウトに入る。

 

くるり。回った。あれ?太陽の位置が変わったぞ。

 

タイミングの悪いことに、その瞬間に黒い雲が僕の頭の上に急激に広がって、叩きつけるような雨に変わる。

 

おいおい、前が見えないぞ。ランナバウトのすぐ向うにある小学校の駐車場に車を突っ込んで、昨日印刷しておいたグーグルマップを取り出す。

 

み、道がない。

 

そう、僕が走っている田舎町の細い道は、どうも掲載されてないようなのだ。そんなことありくい!と思うのだが、もしかしてこの地図はオークランド南部を印刷しているんだけど、僕がいるのはオーストラリアのパースかもしれない。

 

道を歩く人もおらず、時折通り過ぎる車は「ビシャ!」と水を弾いて行く。

 

真っ黒な雨雲が抜けて、また強い日差しが車を焼き始めると、自分の行くべき方向を確認する。

 

えと、僕は北から南に向かって走っている。だから地図を逆にして見る。なるほど、目的地の位置は南西で、僕の進行方向からすれば太陽を右手にまっすぐ下り、右に右に行くようにすればいいんだな。

 

今回の目的地は、地図を見るとまさに農場地帯のど真ん中。

 

途中まで国道を走り、分かれ道で農道に入る。のだが、地図の上では非常にわかり安そうな交差点や二股道でも、実際の景色ではどれが正解か全然分からない。

 

何せ回りはすべて農場地帯。右に見えるのはキャベツだろ、えっと、左に見えるのはとうもろこしか?とにかくどこも丘陵地帯に広がる農園ばかりで、どれも同じ景色に見えてしまう。

 

時々出てくる道路標識が、どうしても僕の手元の地図と合わない。

 

時速100kmで日本で言う「普通の道」を飛ばしながら(そうしないと後続車から追い込みをかけられる)地図と眼前の景色を比較していくんだから、これは難作業だ。出来れば目玉が4つ欲しい。

 

pukekoheたぶん途中で、本来ならまっすぐ行くべきところを左折したんだろうな。気がついたら目的地を大きく外して(大体10kmくらい)、全然違う次の街プケコヘ(Pukekohe)に着いてしまった。

 

え〜皆様、右に見えますのがプケコヘ小学校、そんな事を一人でつぶやきながら、北に戻る道を探す。

 

何とかそれらしい道がある。よし、この道を北上して標識のあるところを左折だな、今度こそ、と思いながらそれらしい道を見つける。けど、この道は僕の手元の地図に出てる名前と違う。

 

どういうこっちゃい。まあいいや。

 

このあたりまで来ると、地名の付いてる街と言っても、人口200人くらいですなか。住宅が数十軒並んでたかと思うとあっと言う間に通り過ぎてしまい、次の街までは農地が続く。日本のように切れ切れに街が繋がっているなんてことはない。

 

イメージとしては、オークランドから真っ直ぐに南に下る道があり、その道沿いに「ここは俺の土地と家」って感じで住み始めて、何せ道路の向うに広がる農場が広いから、一つの街が何十軒も固まることが出来ないのだろう。

 

地図を見るうちに、だんだん分かったことがある。このあたりでは同じ道でも1ブロックごとに名前が違うのだ!

 

そして行く先を示す標識も、標識によってすぐ隣の町だったり、すんごい離れた西の端のタスマン海に面する町の名前を書いてたりする。

 

ええい、とりあえず左折できそうな道を見つけて、西へ進路をとろう。全然名前は違うけど、心は通じるだろう・・・・って、かなり意味不明。頭、つかれてきたか??

 

てか、このあたりの標識になると、知ってる人向けに作ってるわけで、100年以上前から道があって、100年以上生活している家族のための標識で、オークランドのよそ者が初めて来たって分からないように出来ているのだ。

 

patumahoe時のゆっくり流れる農場地帯で、僕一人がBBQの開始時間を考えながら「急がなきゃ」と思ってた。

 

そんな僕を、100年以上も地元の人々のBBQを見てきた畑。

 

彼らは、隣の畑と顔を見合わせながら笑ってるんだろう、そんなことを思いながらとにかく車を走らせる。こっちゃ日本人、時間には厳しいんだ。

 

けどこの判断が合ってたようで、やっと街の名前と地図の名前が一致し始めた。おうおう、なんとかいけそうか?

 

途中で地図にはない、農作物を積み込む引き込み線路を一旦停止せずに一気に通り過ぎながら、あ、これには説明が必要。

 

日本人には信じられないかもしれないけど、ニュージーランドでは踏切では一旦停止するほうが危ない。

 

何故なら、停まったらそのまま動かなくなる可能性があり、線路上で立ち往生する可能性があり、それが機関車にぶつかったりする可能性があり・・・・・どんな車じゃ!

 

けど、これは本当なんです。だから踏切では赤信号がなってなければ一気に通り過ぎろが基本なんです。

 

sheep途中両側に広がる農園風景を眺めながら、時には立派な馬が牧場を走り回る姿を見て、時には一般道を時速100kmで走る車の横でipodを付けてジョギングしている体格の良いおじさんをみかけた。

 

 

そして時には「しゃこたん」にフードパーカや野球帽を反対にかぶった若者がぎっしり詰め込まれた改造車が突っ走るのを見ながら、車は進む。

 

そうこうしているうちにやっと目的地にたどり着く。入り口の自動門を開けてもらってくぐると、すでに先客の車が一列に10台近く停まっていた。この御宅をお邪魔する頃には3列に車が並んでたから、そうとうの賑わいだったと言える。

 

ここもまた広々とした土地に果物の林や遠くに見える牛がのんびりと草を食べている。

 

こんなところで子供を育てたら、本当に素直に育つんだろうな。オークランドからたった一時間でこんな町があるんだもんな。

 

なんか、たどり着くまでに結局2時間近く車に座りっぱなしだったことになるけど、さてやっと本番、農業大国がどうして始まったかの話ですが、それはまた明日。



tom_eastwind at 00:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年01月19日

農業大国ニュージーランド その1

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ニュージーランドの食料自給率は約300%。つまり10個のチーズを作れば7個は輸出して、その輸出代金で日本からテレビや洗濯機等の工業製品を購入するビジネスモデルだ。

 

 

この国は1840年に英国の植民地として始まったが、産業革命が進み農地が工場になった英国へ食料を送り込む食料庫として活躍した。

 

ところが1970年代になると英国のEC加盟により英国がEC域内で食料を調達するようになりNZの輸出先でもっとも多いときは8割近くを占めていた英国を失うことになった。

 

その為NZは販売先拡大策としてそれまでは英国とのビジネスを円滑に行う為にポンド通貨を使っていた(当時のポンドは10進法ではなかった)が、取引先を太平洋向けに切り替えるためにNZドル通貨(10進法)に切り替えて生き残りを図った。

 

しかし管理貿易であったNZは既得権を盾にする組合や公社の力が強すぎて営業の新規拡大が出来ず、遂に1980年には未曾有の不況を迎えた。 

 

そして1984年、デビッドロンギ労働党内閣が成立すると一気に経済改革市場開放に政策転換、これが大成功してNZの農業ビジネスは見事に復活した。

 

要するに南半球という地域性を生かして北半球の端境期に食料を輸出するビジネスモデル事態は構造的に優れていたのだが輸出先を大幅に変更するなどの体質変換を図ろうとしたら組合や公社が邪魔をして大不況になったということだ。

 

ところがそのボトルネックを取り除くと、見事に復活したと言うわけだから、硬直化したシステム=公社や目先の利益しか考えない=労働組合が経済成長と変化を妨げていた一番の要因だったことが歴史的に良く分かる。(今の日本と良く似てますな)

 

NZの農業はNZの基本なのである。

 

ところが僕はそんな国に20年住んでいながら、実際に農業に触れることは一度もなかった。まあつい1年前までは炊飯器でご飯も炊けなかったのだからさもありなん。けど自慢できることでもない。

 

だから改心したって訳ではないが、去年後半から農業が僕の頭の中に生まれてきて、日本の食の安全や食糧自給という国家的な問題を見ていくうちに、これはNZと日本を結びつける一つの大きな機会ではないかと考えるようになった。

 

そこで早速新会社を興して農業ビジネスに全くの素人ながら飛び込んでみたのだ。

 

そして今日は現場の初日。つまり初めてNZの牧場を訪れたのだ。

 

今までも観光牧場や羊や牛を見てはいたが、それは羊の毛刈りとか牛のミルク搾りとかであり、普通の牧場は今回が初めて。

 

実はオークランド郊外の農場を経営している日本人家族がいらっしゃる。そこにBBQに呼ばれて、大人が50人、子供の数を入れれば100人近くが集まっての日曜の午後のBBQとなった。

 

ただ、郊外と言っても普通の日本の郊外ってイメージではない。

 

オークランドから南に下った、大体100kmほど離れた農場地帯の一画にあるその牧場までは高速道路を使っても僕の家から1時間かかる。

 

今回は何年かぶりにオークランドから南に車で行くので、折角だからと以前お世話?になったパパクラ裁判所や、その近くで数ヶ月前にひったくり殺人事件が起こった場所、古くから中国人が1枚5ドルとかで古着を並べている街とかなどを見て回ろうと、シティから一般道(国道)を使って南下した。

 

日曜の昼下がりでもあり買い物客で賑わうニューマーケットを横目にレミュエラへ。ここは、あいも変わらず植民地風の洋館が並ぶ静かな高級住宅街だ。けど、アジア人が住むと、浮くだろうな。

 

グリーンレーンは車販売会社が集中している場所だが、随分と店が入れ替わってきれいになっている。BMW、スバル、アメリカ車、ジャガーと並んでいるが去年から車販売が激減しているので、どこも大変だろうなとか思いながら通り過ぎる。

 

オークランドの軽工業地帯であるマウントウェリントンに来ると、日曜ということもあるが幅広くて埃っぽい道路や、その道路を挟むように建設機械や倉庫が並ぶ工場地帯には全然人気がない。

 

そんな人気のないところのバス停でアジア系の若い女性が一人でバスを待ってるようだったが、何せ彼女の周囲数ブロックには人っ子一人いない。誘拐されてもおかしくないぞ、そんな事をマジに感じさせる町の雰囲気だ。

 

オタフフまで下るとざわついた雰囲気が出てくるが、これがまた「ここ、あの、ニュージーランドですか?」と言うような人種構成と町並み。

 

昼下がりの歩道には腰の曲がったアジア系のおばあちゃん、サリーをまとったインド系、のし歩くようなガタイのいいアイランダー系。彼らは何時見ても誰かとつるんで歩いている。

 

埃っぽい道路沿いにはドアが曲がってきちんと閉まらないような20年近く前の日産サニーやホンダシビックプロトタイプですか?今時オークランド市内では先ず見ないような、ボンネットとドアの塗装が違うのとかが無造作(つまり前後左右を考えずに駐車している)に停められている。

 

とにかくこの商店街の古くからの町並みには、道路に張り出した商店街の屋根から片方の鎖が半分切れかかったようにぶら下がる車の排気で汚れた看板。そこには古い書体の英語と、これはペンキで手書きの中国語が書かれている。

 

薄汚れた商店の窓に紐でぶら下がっている、あれは何だ?人形か古着か?とにかく店の前に子供がお風呂で使うちっちゃなプラスチック椅子に座って通り過ぎる車をぼやっと眺めているおじいちゃんだけは生きてる人間だ。

 

インド系の住民が家族総出で車に乗ってて、彼らが僕の目の前で車を停めると、わあわあと大声で子供たちがはしゃぎながら飛び出てインド系食材を売っている食料品店に駆け出していった。

 

小柄で小太りのお父さんと、更によく太ったお母さんは子供たちの後姿を微笑ましそうに見ている。

 

彼らと視線が合うと思わず軽く「ハイ!」と挨拶する。食料品店の上に掛かっている看板は「食品」と書かれている・・・・・と思う。

 

ここは彼ら中国系やインド系の1980年代の古い移民の土地ですなって感じさせる。

 

暫く走るとそろそろ道路が分からなくなる。このあたり、地図の上では一本道でも途中の交差点で微妙に五差路になってたりして、正面左と右に二本の道が広がってたりする。どれがまっすぐか分からない。

 

こんな時は空を見て近くの大木を見て、その影を確認しながら走る。とにかく道は多くないんだから、午後の太陽を右手に見ながら走っていれば間違いない。

 

そうこうしながらマヌカウに着く。ここは市役所もある大きな街で白人も多い。

 

駐車場にはBMWが停まってて、白人家族が楽しそうにショッピングカートを押しながらトランクに買い物を入れている。

 

ショッピングセンターを出てよく舗装された道を道路標識を見ながら走り・・・・・あれ?まっすぐ行ったらパクランガ?オレが行きたいのは南だけど、パパトエトエ?パパクラ?パパかママかよく分からなくなった。もしかしてまっすぐ行ったら東?。

 

赤信号で停まったのを利用して近くの木を見る。おう、僕の右手の木の影が僕の車の進行方向と同じ右手前方に伸びている。

 

南は右折だ!

 

原始的ですな、ナビはないの?って思うでしょうが、この国でもナビは売ってます。大体600ドルくらい。けど何故かナビは交差点をまっすぐ通り過ぎた頃に「あ、さっきのところを左ですよ」みたいに反応が遅い。

 

なんでだろう?まあいいや、とにかく太陽が東から出て西に沈むことさえ分かってれば、ニュージーランドではそれほど不自由しない。

 

マヌレワは、街というよりも四つ角を中心に商店が集まり、その周辺に住宅が囲むようになっている。日本だと駅を中心に放射線状に町が広がるのだが、この国では駅を降りたあとに自宅まで3時間歩く人はいないので、結局はドアtoドアで自家用車を使って移動する。

 

だから車社会では駅前よりも四つ角の方が商店が集まりやすいのだ。だって一本の道より四本の道が集まってるほうが通行量が多いですからね。

 

マヌレワを過ぎるあたりからそろそろ牧場や農場が見えてくる。途中の道が細いし走る車も少ないので、これで間違いなく国道だよねとか考えたりしながら、けど太陽は嘘をつかない。

 

そのまま走っていると、今度は見慣れた風景。薄汚れてシャッターを閉めた街工場にスプレーで書かれた芸術。つまり落書き。

 

道路沿いの住宅は1950年代に政府が復員軍人の為に建てた公営住宅(stateHouse)。

 

太陽の熱で反り返った寄せ木の塀は釘が半分抜けてところどころ壊れて、もちろん何十年も前に復員軍人が愛する妻と一緒に将来を夢見ながら太陽の下で塗装したペンキの上には、今では真夜中にスプレーで落書き塗装をされてる。

 

商店街は半分くらい閉まっており、ジーンズをパンツが見えるまでずり下げてフード付きパーカをかぶって数人で踊ったり大声をだしながら、どこかに騒動のネタはないかと暇そうにあちこちを睨みつけてるアイランダー系やマオリ系の若者がのし歩いている。

 

そう。この地域はおそらく今オークランド、正確に言えばグレーターオークランドと呼ばれる地域で最も治安の悪い地域の一つ、パパクラである。

 

昼下がりの街はよどんだ空気が流れているようで、目立つ傷もなく図体のでかい僕の車が何でこんなところに用があるんだ?みたいな、刺すような視線が道端でうろつく若者から飛び込んでくる。

 

いくら昼間とは言え、車を駐車させる気にはなれない。ましてや夜は、この通りを走る気持ちにもならない。

 

そうやって肝試しをしたり、何も知らずに人類は皆兄弟と思って車を停めた人々の招いた悲惨な結果をパパクラ地方裁判所で2年近く見てきた僕としては、肝試しもしたくないし人類を人類と言うだけで兄弟と思えるほど幸せでもない。

 

人は時々兄弟を裏切るものだ。

 

そうして左手にパパクラ地方裁判所を見ながらまっすぐ進むと15分ほどでドルーリー(Drury)に着く。ここまで来るとオークランドの邪気も喧騒もなくオークランドサウスの喧嘩もなくましてやパパクラのギャング同士の撃ち合いもなくなる。

 

オークランドの治安を尋ねる人が「オークランドの治安はどうですか?」と一括りな聞きかたをするが、そんな時の僕の答えは↓

 

1・はい、とても素敵な街です。

2・週末は家族が楽しそうに買い物をしてて

3・路上駐車した車は頻繁に車上荒らしに遭って、

4・ビーチでは無料で車を停めることが出来て海水浴を楽しんで

5・普通にスーパーで買い物をして車に戻ったらひったくりに遭ってひき殺されて、

6・週末は友達を呼んでバーベキューを楽しんで

7・自宅に帰ったら知らない人がテレビを持ち出そうとしたりして、

8・夜になると素敵な夜景が見えるレストランで豪華な食事とワインを楽しめて

9・時々はギャング同士の殺し合いがあって、

10・親切なキーウィが見知らぬ人を助け合って、

11・酒屋やドラッグストアでは猟銃を持った強盗がよく現れて、

12・それでいて店員が自己防衛の為にギャングにバットで逆襲すると暴行罪で逮捕されて、

 

そんな街がオークランドです。と答えるようにしている。

 

You have to believe me , この街は日本のように皆さん幸せに同じレベルの生活をしているのではないってことを。道路一本隔てて全然治安が変わるってことを。

 

長くなったので、残りは明日にします。写真はフォートストリートから眺める元メトロポリスホテル。このあたり20年前はいかがわしい通りだったんですが、今ではすっかり小奇麗になってます。



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2009年01月18日

国家に隷従せず

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隷従(れいじゅう)ってのがまず難しい言葉。

 

隷属(れいぞく)して従属(じゅうぞく)して、略して永住、じゃなかった隷従。

 

だいたい隷従なんて言葉を使っても何人がそれを読めるのか?

 

0重=れいじゅう。

 

霊獣=れいじゅう

 

まさか怪物の仲間とは思わないだろうが、至って難しい言葉。

 

だから本屋でタイトルを見ただけで避ける人もいるだろうが、ご心配なく、内容も同じようなものだ。

 

内容は1990年代後半から9・11テロ後の頃のジャーナリストの私的ブログである。当時はもちろんブログと言う言葉もなかったが、毎日適当に思いつくことをコラムにして、それをまとめた本として出版したのだが、政治家、右翼や左翼、民衆の批判をしている。

 

けど読んでるとジャーナリストの限界を感じさせる本だ。

 

ジャーナリストとか戦場の写真記者とかの究極のテーマとして「目の前で爆弾に吹っ飛ばされそうな兵隊がいる。君はその瞬間を写真に撮って世界に発表することで戦争を無くそうとするのか、それともカメラを放り投げて目の前の兵隊を救うか?」がある。

 

斉藤貴男という人は真面目な人だと思う。彼なりに一生懸命やってるのもよく分かる。だからついつい他のジャーナリストがやらない究極の追求をやってしまい、本の中で自分の限界を晒してしまうのだ。

 

これは決して悪い意味ではない。ただジャーナリストと言う存在は、まず世界に現実の動きがあってそれを追っかけると言う作業であり、誰も何もしなければジャーナリストの存在価値はないのだ。

 

つまり、どう転んでも現実の動きが主であり、ジャーナリストは動きを追いかける従なのだ。

 

その意味でジャーナリストは「国家に隷従せず」ではあるが、現実の動きには追従せざるを得ない。

 

いきなりしょっぱなから小難しいことを書いたが、斉藤さんのような優秀なジャーナリストでなければこういうことは書けない。

 

何故なら世の中にまともなジャーナリスト、つまり現実を見てそれを批評して「木鐸(ぼくたく)」となるべきジャーナリストが殆どいないからだ。

 

その意味ではこの本は非常に面白い。

 

例えば厚生年金は戦時中にどさくさにまぎれた始まった仕組みで、元々国家が軍事費用を集める為に考えられた手段だとか。最初から国民の老後とか将来等考えてないのだから、今の事態が良く分かる。

 

今問題になっている非正規社員の問題も彼は2004年の時点で指摘している。先をしっかり見通した人だと思う。

 

煙草議論についても客観的な視点から書いており興味深い。個人の生活に政府がどこまで入り込めるのか?

 

戦後の日本は規制が中心だったけど、戦前の日本は牧民官であったとする点も面白い。戦前はごく一部の優秀な官僚によって羊たちは自由を与えられていたから民主主義ではないという点は、その官僚と民間が常に入れ替わる仕組みを作れば民主主義ではないか?

 

実際にニュージーランドでは官僚も政治家も二世もいなければ永久就職でもない。だから牧民官と羊が不定期に交代しているのだ。これが問題なく続いているのは、やはり汚職が世界でトップクラスに少ないし、その根っこにはGoodOldBoyが道徳を持っているからだ。

 

内容には僕からすれば的外れな問題提起もある。例えば小泉元首相と二人三脚で構造改革をやった竹中元大臣に対する批判など、じゃああの時点で他の選択肢はあったのか?そして彼の残した結果はどうだったのか?と言う現実の視点から見ればおのずと答えは出ると思うのだが。

 

それから根本的な問題として、日本が軍隊を持つべきかとかは、彼の意見が全面に出ているのだが、その論拠がどうしても「憲法に書いているから」となるのは面白くない。

 

軍隊であろうが原発であろうが、国民の総意を得るためには議論が必要だけど、その論拠が「だってケンポーに書いてるもん」ではダメ。やはり紙面を割いてでも戦争と国家の関係を子供同士の喧嘩と家庭の問題にまで落とし込んで書くべきだろう。でなければ触れないほうが良いと思う。でないと読者には消化不良になるもんね。

 

憲法は国民のものであり、法律も同じだ。憲法を守ることは必要だし、だから憲法に書いてある「国民の生命と財産を守り公衆衛生を行う」のは政府の役目だけど、国民自身がそれに疑問を感じれば、これは堂々と変更すべきだろう。

 

この本は社会問題を勉強する為の底本としては面白い。なので世の中がちょっとおかしくない?って感じ始めたら読んでみると良いかもしれない。けど解決方法は書いてない。

 

なぜならジャーナリストとは批判することが仕事であり、解決をするのが仕事ではない。だからそこに現実世界に生きる人間としての限界があるのだ。

 

本当に問題を認識して行動しようとすれば、今の時代は国会議員になるかどうかは別として「政治家」になるしかないのだ。

 

もしかしてこれは、作者が最初から意図的に「他人の批判をするだけでは話は前に進まないよ、この本を読んだら自分が何をやるべきか考えようね」と言う、暗黙の忠告をしているのかもしれない。

 

写真はビーチストリートから見る最近建築された高層アパートやオフィスビル。10年前に住んでた人からすれば「あり得ん」景色でしょうね。

 

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2009年01月17日

国民が国家をリストラする

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非正規労働者問題で日本中が大騒ぎになっている。その中で民主党の菅直人氏の名言がインターネット上で取り上げられてた。

 

「企業は(労働者を)リストラできるが、国は国民をリストラできない」

 

 

そのとおり。国には国民と生活を守る責任がある。ところが今は国家がその責任を果たしていない。

 

リストラ出来ないはずの国民なのにリストラしているから社会不安や生活保護問題が発生しているのだ。

 

ただ、この人が意味する国ってのは「国家」であり国家の内容は政府と政党と官僚なのだ。

そして国民がイメージする国とは、日本語、日本の四季、日本文化なのだ。

 

ここが根本的に違うのだ。

 

だから彼が絶対に言わないのは、その正反対の究極の選択もあるってこと。国民は日本語と日本文化は捨てなくても、国家をリストラできるってことだ。

 

中国人は世界を庭と考えている。だから世界中何処で生活をしても全然気にしない。彼らはその時に住み易い国を選ぶ。

 

彼らはどこの国に行っても自分たちの言葉を使い自分たちの文化を持ち込み、中国の四季はそれほど綺麗ではないので、カナダのトロントでも気にしない。

 

時たま故郷に帰って古い親戚に会って、地元の学校に教室を寄付して自分の名前を教室に付けてくれれば良いのだ。

 

国家とは所詮その程度のもの。国家は国民が選ぶのだ。

 

インターネットで政治に関する議論で下記のようなのがあった。

 

**抜粋開始**

平たく言ってそういう事ですね(^^;政治家にとって「それをやって実際に良くなるか?」はどうでも良いことで、「それをやって次の選挙で勝てるか?」だけを基準に動いています。従って「こうすれば失業率が減りますよ」と彼らにアドバイスしてもムダで、「こうすれば選挙に有利ですよ」と説得しないとダメって事ですね。

本来、賢明な投票者が充分いれば「選挙対策」と「実際に効果がある政策」は一致するはずなんですが、現実の選択支として「一人2万円ばら撒いて消費を喚起する」と言ってる政党と、「派遣労働を禁止して失業者を減らす」という政党のどっちか選べと言われても、目くそ鼻くそですよね。

そういう場合は自分たちで新党を作って候補者を擁立すれば良い筈ですが、そんな事は現実的には無理ですから、結局充分賢い人は支持政党無しで無投票ってオチになるんです。政治家たちはその辺の事情を充分判った上で、頭の弱い人や利権がらみの人を対象に選挙戦略を練るのです。

**抜粋終了**

 

そう。今の政治システムの中では新党を素人が作ることは資金的にも能力的にも不可能であり、そうなるとどこかの政党に入るしかなく、その時点で政治の世界に巻き込まれて、当初考えていた理想を追求することなど出来なくなる現実があるのだ。

 

「結局充分賢い人は支持政党無しで無投票ってオチになるんです」と言うくだりをもっと追求していけば、

「結局充分賢い人は自分の理想に近い政治が行われている国に引越しするんです」となるだろう。そりゃそうだ、自分の理想とする政治を自分で作ってたら何十年掛かるか。今既にそれがあるなら、その国に行った方が良いではないか。

 

多くの人は「そんなこと出来るはずがない」と考える。おそらくそうだろう。子供の学校、両親の面倒、仕事などなど。でも結局国家にとってはそういうのが実質的な人質なのだから、国民が脱出するわけがないとなめきっている。

 

国家にとって究極の問題は、国民が存在しているかどうかだ。その事は役人が一番良く分かっているから、国民を国家に縛り付ける方法として子供の頃から教育で洗脳をして大人になったらいろんなもので縛りつけ、がんじがらめにしているのだ。

 

だから殆どの一般日本人からすれば「海外なんて!」となるのも当然。それはオーム真理教の洗脳以上に強烈な国家洗脳だからだ。日本が北朝鮮と比較されるのもその点にある。

 

海外でも生活出来るけど日本を選ぶ人もいる。それはそれで問題ない。問題は、国民は移動の自由があるってことをしっかり国家が国民に教育すべきだってことだ。

 

間違いなく国民は国家をリストラできるのだ。ほんの少しだけ父親が勇気を持って生きる力を身に付けさえすれば。

 



tom_eastwind at 00:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年01月16日

民放連の58年の歴史で最悪。

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本日のウェブ日経を読む。

 

「民放連の58年の歴史で最悪。民放55社が08年9月中間決算で経常赤字」

 

でしょうな。民放テレビ局が広告主にテレビ番組企画を持ち込み有料広告を入れてもらう。民放テレビは無料で視聴者に見せることで広告が見られて購買活動に繋がる。

 

このビジネスモデルはすでに壊れた。広告を自動的に飛ばす録画器械が出現して、インターネットでいろんなドラマや映画やニュースが見られる時代に、何であえて広告を見る必要があるか。

 

第一問題は、その広告効果が測れないということ。誰も高い割にその効果が分からないテレビ広告にお金は払わないよ。

 

随分昔うちの会社で無料情報誌を毎月定期的に発行していたことがある。当時は年間4千人近くのワーホリがNZを訪れ、携帯電話もインターネットカフェも発達してなかったので、情報提供手段として無料情報誌は効果的であった。

 

ただ無料情報誌を発行しても、そのビジネスモデル自体が成立しないことは分かっていた。つまり、作っても儲からないのだ。

 

何故なら新聞を制作する費用と取材編集にかかる人件費、配送費用を合計すると当時一ヶ月一万5千ドルくらい。これで印刷されるページ数と広告に使える紙面を計算すると、1ページ当たりの価格が出てくる。

 

するとこれがどうしても中国や韓国の新聞の3倍くらいの価格になるのだ。だから広告主からすれば高い日本語情報誌と思われるし、ましてやその印刷がどれだけ綺麗でもその広告を見て何人のお客が来たか分からない。

 

だからこりゃ商売にならんなと最初は思った。

 

ところが視点を変えて当社が外部に払っていた広告費合計がいくらかと考えれば、これはいける。

 

つまりビジネスとして利益を出すのではなく自社の広告費を削減すると言う考えだ。

 

例えば一万5千ドルの経費から外部広告費を差し引けば経費が5千ドルになるなら、この5千ドルをどう埋めるかを考えれば良いわけで、もっと言えば自社新聞の広告欄に自社広告を経費を気にせずに掲載することが出来る。

 

そして自社の意見表明が出来る場所を持つと言う意味でマスコミの強みが利用出来る。

 

これなら成立する。

 

しかしそれだけでは当然面白くないので、もちろん外部広告を取りに行った。その時に広告主と話をしていて分かったのは、彼らは効果さえ分かれば金は払うということ。逆に言えば効果が分からないのにお金は払えないと言う事実。

 

そこで僕はPayPerViewの新聞版を提案したことがある。要するに広告を切り取ってお店に持っていけば5%割引になると言う、今のほっとペッパーみたいな奴だ。

 

これなら効果が分かるのでどうですか?と提案すると、かなり多くの会社が乗ってくれた。これが今はインターネットで普通に使われている。クリックした分だけ課金する仕組みだ。うちもグーグルとyahooに掲載しているが、納得性がある。

 

納得性があるってのは、本当にクリックされたかどうかは合理的に証明出来る方法はないけど、少なくともテレビの課金システムよりはましだからだ。

 

その後インターネットが普及してきたので紙媒体はその役割が終了したと判断して発行終了、全面的にウェブサイトに切り替えたのが5年前かな。

 

止めるときは随分考えたけど、結果的に業務量を大幅に削減出来て本業に集中出来るようになった効果は大きい。

 

今もやってるんだからこれからも続ければ良いという「紅白歌合戦発想」では、今回の民放のようにいつかは行き詰る。

 

テレビ局の親会社は新聞社ってのは皆さんご存知のとおり。当時の新聞社が新しいメディアであるテレビ局に危機感を持ち競合相手と看做して、各県ごとに許認可制になった時にすかさず自分の会社に取り込んだことで、58年間の栄華を誇ることが出来た。

 

しかしテレビ局はその生い立ちを考えようともせずに、次世代のメディアであるインターネットを敵と看做して、事あるごとに「だから2ちゃんねるは教育に悪い」とか「インターネットには嘘情報ばかり」と攻撃をかけてしまった。

 

けど「嘘情報ばかり!」と叫ぶテレビ局自体が、実は多くのやらせ番組を作り、嘘の情報を流し、下請けをこき使う事実が表に出てしまったのだから、視聴者の信用は失ってしまった。

 

第一、広告効果を測る為の努力をしようとせずに「視聴率」のみをデータとして企業に示した。けどそんな広告代理店の子会社が作った数字を誰が信用するか。

 

そして一般市民はインターネットを選択し、企業もインターネットを含む、テレビを含まない広告手法を選択した。

 

早い時期からテレビ局がインターネットを理解してテレビとインターネットで取り込める仕組みを造れば良かったのに、パソコンも使えないおじいちゃん達は変化出来ずに乗り遅れてしまった。

 

当社は現在ウェブ一本だ。説明会を開催する告知もウェブだけなのに「よく毎回集まりますね」と取引先によく聞かれる。

 

時代は変わった。社会構造とビジネスモデルが大きく変化したのだ。だから企業もそれに合わせて変化する必要がある。

 

民放の広告激減は一時的な景気後退の問題ではない。テレビが終わる日の始まりなのだ。

 

**記事抜粋**

 日本民間放送連盟は15日、全国のテレビ局127社のうち43%にあたる55社が20089月中間期に経常赤字になったことを明らかにした。広告収入不振に加え、20117月に予定する地上デジタル放送への完全移行に向けた設備投資が収益を圧迫した。広瀬道貞会長は同日の記者会見で民放の経営状況について「」と語った。

 

 民放連に加盟する194社の地上波テレビ局とラジオ局のうち約47%にあたる92社が中間期に経常赤字を計上。テレビ局に限れば127社のうち55社が赤字だった。093月通期の見通しについて広瀬会長は「さらに悪化していく恐れがある」と厳しい認識を示した。

 

 地デジへの移行完了に向けた放送業界の設備投資額は民放だけで1兆円超にのぼる。同会長は「ローカル局の投資額は各30―50億円で、各局の利益の約10年分」と説明。一方で「(減価償却負担が増す)当面の局面を乗り切れば、またテレビの時代になる」と力説した。 (19:16)

**抜粋終了**



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2009年01月15日

クリーニング店募集中!

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数日前にクリーニングの記事を書いたら、早速書き込みを頂いた。

 

以前オークランドで生活をしていた方からで「今もオークランドのクリーニングの質が低いのに驚き」だったそうです。

 

そうなんです。低いんです。

 

「NZは天国!」みたいにニュージーランドを手放しで褒める人もいますが、あれは困りものです。

 

「ココは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない」のです。ただちょっとだけ、日本よりも人に優しいし、人との違いを認めてくれるから、自由に生きたい人には楽しいってこと。

 

確かに僕はNZを褒めることも多く、日本で生まれ育った人間として日本の問題点が目に付くのでついつい日本にキツメの評価をしますが、現実生活の中では、人に優しいゆるいルールの中でバスが道を間違い、銀行が入金計算を間違い、クリーニング屋さんはシャツのボタンを溶かし、魚市場に行っても海に囲まれた国なのに魚の扱いを知らずに新鮮な魚をわざわざまずくする国なんです。

 

その方の書き込みで一つ僕的に受けたのは「CafeRikkaという当時オープンしたばかりの和食の店」と言う表現。

 

この店、てか今では3店舗ありますが、今ではオークランドの和食業界でキーウィに大人気のトップクラスレストランですよ。オーナーシェフでありながら経営感覚がしっかりしてて、サービスと味を同時に提供しています。

 

そうそう、日本にあってNZにないもの。それはサービスの品質管理なんです。白洋社さんでなくても、NZ進出をお考えいただけないですかね。今のNZなら確実にNo1になれますよ。

 

今は日本円が強いから、今のうちにNZでクリーニングやってみませんか。私が第一号のお客様になります!日本円はいずれ「すとん」といきますから、今年中の投資をお勧めしますよ、結構まじで。

 

あ、そうだ、今日はクイーンストリートにある日本食材屋「Made in Nippon」さんに米を買いに行った。

 

カリフォルニア米の蓬莱米を勧められ、早速1kgを試しに購入。あきたこまちと比べたら香りや甘みがないかな。あっさりとも言える特徴のない味?今晩のおかずは鶏手羽の甘辛煮です。

 

写真正面の色気も何もない建物は市役所。奥に見える四角い無機質な、上に四角い屋根が載ったような建物が警察。

 

センス、分かりますよね。

 

ちなみに両方の間に見える梅色の建物はホテル。名前はランデブー。ケーサツと市役所の間でランデブーですか。

 



tom_eastwind at 22:34|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年01月14日

やじろべえ

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来生たかおが作り薬師丸ひろこが歌う「夢の途中」が頭の中でずっと回っている。

 

誰でもありますよね、何故か無意識に頭の中で繰り返しかかる音楽。これがなかなか止まらない。

 

けど、ふと気づいた時には他の音楽が回っている。

 

ほんとに久しぶりにお正月を自宅で迎えたので、そいでもって1月8日に出社しても取引先はまだ商売始めてないので、会社にいてもいつもの半分くらいしかReplyがない。街の雰囲気としては何だかまだ休みの途中みたい。

 

けど対顧客、つまり日本の部分では早速ガンガンと全力で回っていて、今日はあるお客様の自宅の改築作業の問題解決に出向く。

 

市役所の建設課と現場でやり取りなのだが、建設課の若くて人の良さそうな担当者と腰の曲がった住宅検査官のお爺ちゃんがやってきた。

 

このおじいちゃんが建築現場の仮の足場(鉄パイプを組み合わせただけのもの)をまるで曲芸師のようにすいすい登っていって問題点を指摘しては「あれがダメ、これがダメ」とダメ出ししていく。

 

市役所の職員もかなりびびって「あのさ、そこ、登らないほうがいいよ、大丈夫、下からでも見えるから」って言ってるのに、爺さん「何の」と言いながらすいすいと柱をくぐり遂には3階まで登っていく。

 

そして3階の鉄パイプ足場に腰掛けながら(洒落じゃなく本当に)パイプをくゆらせて一言。

 

「ふん。足場が弱いな」

 

このお爺さんはニュージーランド流に言うと「Good old Boy」である。つまり良い人だ。決まりを守り家族を大事にして一生懸命働いて真面目な人生を過ごして、そしていつもまっすぐ正面を見て、何をするにしても正面突破。

 

決して横の抜け道を探そうとか考えずに、「真実は勝つ」とばかりに直進する人たちなのだ。

 

この住宅に関しては屋根の雨漏りがありその修理が必要だったのだが、屋根まで上がったおじいさん、大きな声で

 

「こりゃいい!立派な屋根だ。よく出来てる。ほら、この雨どいにしても、屋根瓦から流れ落ちてきた雨がちゃんと樋に溜まって下に落ちないように出来てて、よしよし!」

 

と、バンバンと屋根の樋を叩いている。

 

あのねおじいさん、問題は雨どいではなくて瓦の下に防水シートを張ってないから部屋に雨漏りすることなんですよね。外側の樋の雨漏りは今のところ問題じゃないんですけどね。

 

けどっまあ、お爺さんはとても楽しそうに仕事をしているので、まあいいやこの件は後で市役所の若いお兄ちゃんに話をしておこう。

 

街に流れる空気ってのか、やっぱりその街を構成する人々の総和の「空気」によって「街の雰囲気」が出来上がっているんだと思う。

 

北半球は大変なことになってるけど首相はハワイでのんびり過ごし、政府が活動を再開するのは来週。

 

何だか、体の右半分がキーウィの空気に染まってのんびりとしてて、左半分が日本の今年の動きに乗っかってて「早く動かなくちゃ」と焦っている感じ。

 

けど、下手に動くと転びそう。

 

ぎこちない、やじろべえのようだ。



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2009年01月13日

1万2千ドルの携帯電話

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クイーンストリートの高級時計店は昼飯に行く途中の通り道なので、時々はローレックスとかパネライとか欧州の高級品で目の保養をする。

 

大昔に日本で仕事をしていたときはそのような時計もそれなりに役立ったけど(質屋に入れるという意味ではない)、ニュージーランドに来てからは全く無意味。

 

時計の値段を言うとキーウィは怪訝そうな顔で「お前、なんでそんなのを持って歩いてるの?意味、わかんな〜い」とよくバカにされたものだ。

 

あまりにバカらしいのでそのまま香港に送り返して売り飛ばして以来、時計は持ってない。

 

そうこうするうちにケータイも普及したしキーウィ相手に時計を持っても無意味だったので、ずっと携帯電話だけで過ごしている。

 

それが去年の後半からこの高級時計店のローレックスの下の棚に、黒いビロードの箱に入ったケータイ電話を見かけるようになったのだ。

 

最初は何だろうと思ってみるけど、どう見てもケータイにしか見えない。けど値札を見ると1万2千ドル! 

 

このケータイ電話 Vertu が今年2月から日本でも本格的に販売されてるなんだけど、売れ行きはどうなるのかな?

 

こんなケータイを思いついたのは、あるデザイナーが自分の身の回りの品を、時計、指輪、カバン等など並べていったら、ケータイだけ唯一高級ではなかったと言う事実。

 

「ケータイじゃない、通話とテキストが出来る宝石にすりゃいいじゃんか」

 

そういう発想から作ったので、Nokiaのグループ会社でありながらNokiaでは売ってないし、ケータイでありながらケータイショップでは売ってないという特別な位置付けのケータイ、じゃなかった、通話+テキスト機能を持った宝石となっている。

 

「え?じゃあ写メは?ワンセグは〜?着歌は〜〜?お財布ケータイないの〜?」と言う方は、「どうぞそういう機能を持ったケータイを買ってください」、つまり「あなたは私の顧客ではない」と宝石君、言葉少なに語っているのだ。

 

けどさ、たかがケータイに1万2千ドル??

 

いくらチタンを使ったり宝石を散らしたりしても、だったらチタンをベースにして宝石を散らしたネックレスやカフスボタンをするよって事になるのではないかい?

 

だいいち、ケータイってどうしても机に置いたり居酒屋でテーブルに置いたりするから、しょっちゅう忘れるじゃんか。飲みに行って宝石のネックレスを忘れたなんてのは、そりゃ違うでしょって世界だ。

 

Nokiaは日本市場から撤退するそうだ。少子化市場でケータイが溢れている国で価格競争やサービス競争をするくらいなら、アフリカや中国の新興市場でもっと効果的に儲かったほうが良いということだろう。

 

けど宝石なら市場は別だ。日本は世界のラグジュアリー市場の18%を占めている。だから一部の富裕層のみを対象として売り込もうと言う作戦だろうな。

 

けど、日本の富裕層は一般層よりも更に要求は厳しいのでは?宝石が付いただけのケータイ、じゃなかった、通話機能の付いている宝石を欲しがるのかな?

 

それよりも上記の「対象とされていないお客」の正反対のパターンで、富裕層からすれば「対象とされてない商品」になるのでは。

 

だって、この値段だとどう見てもケータイと宝石を別々に買うんじゃないのか?

 

真夏のクイーンストリート、昼食を終わってジャケットを片手に歩きながら、そんな事を考えた。

 

年が明けて下見渡航のお客様が増えている。今週も毎日アポ入り。

 

来週からは政府もいよいよ再開、こちらも忙しくなる。

 

あ、お正月で食い尽くしたお米を買いに行かなくては。



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2009年01月12日

100日計画

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去年末に新たな政権政党となった国民党(National Party)は、政権取得後すぐに100日計画と言うのを打ち出した。

 

例えば以前に書いた雇用規制緩和策である90日試雇法案とかだ。

 

 

ニュージーランドでは経営者が若者の雇用を弾力的に行えるように雇用緩和を行ったが、日本ではその正反対に雇用規制強化に走っている。

 

それが結局失業率を上げて若年労働者をますます苦境に追い込むことは分かりきっている。

 

けど、世の中の殆どの人は感情で動くので「あらまあ、派遣の人が可哀相、正社員にしてちょうだい」と言う気持ちで雇用規制強化を訴えるが、経営者からすれば一旦採用すればクビに出来ない正社員など雇う気持ちはない。

 

だから仕事が増えれば現在の社員の残業を増やして処理するだろう。または丸ごとどこかの会社に委託するのみだ。いずれにしても雇用には繋がらない。

 

「破滅への道は慈善で満ちている」だったかな、そんな諺がある。要するに本人は良い事をやったり言ってるつもりだけど、それは結局破滅へ繋がるってことだ。

 

そういう事を言ってる人に限って自分が正しいことをしているって思い込んでるから処理に困る。

 

けどまあそれは今日の本題ではない。

 

今朝のニュースで「政府は100日計画とか言ってるのに、首相が休暇を取ってるじゃないか」って書いてた。

 

ジョン・キー首相はクリスマスからハワイに休暇で、戻ってくるのは14日の水曜日。

 

首相代行であるビル・イングリッシュも休暇を取っているが、携帯電話は繋がる場所にいる。(この携帯電話ってのが受けた。じゃあなんだ、首相はケータイも繋がらないの?)

 

要するに首相も首相代行も一ヶ月近く休暇で首都にいない状態。

 

そんな彼ら閣僚を「やる気がない!」と批判する前政権首相のヘレン・クラークも現在は欧州で休暇中。休暇先から連絡をしてきて「あんた達やる気ないね!」と言うのも笑わせる。

 

閣僚も休暇から戻り始めてるが、いずれにしても政府機能が回復するのは来週からだ。それまでは閣僚がウェリントンに戻ってきても、ビーチでごろごろするしかない。

 

首相の報道官は「別に大した事件もないし金融危機たってやることは全部やってるからいいじゃん、休んでても」てな感じのスピーチをした。

 

いかにもキーウィ、日本のように仕事がなくても夜中まで待機する霞ヶ関官僚が聞いたらどう思うだろうな。

 

「閣僚が全員戻ってきて閣僚会議を開くのは来週火曜日。100日計画で残されたのは後38日だけ。どうするの?」と言う記事の論調だけど、君ら新聞社の幹部もお休みしているんじゃないのかい(笑)?

 

いずれにしても今週は交通ラッシュは起こりそうにないニュージーランド。

 

記事の中で「冬の北半球の金融危機はゴードンブラウン英国首相やバラクオバマ次期大統領を忙しくさせている」と言う一文が面白かった。

 

いかにも「うち?ああ、それ程でもないよ」だ。

 

写真はビルイングリッシュ首相代行。



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2009年01月11日

あなたがドキドキしたければ。

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今年から企業向けコンサルティングを開始するので、このブログでも「こんなのがあれば

いいな」って切り口で、ニュージーランドに「これが欲しいな」ってのを挙げて行く新企画。

 

オークランドであなたがドキドキ感を味わいたければ・・・

 

答えは簡単、あなたが一番大事にしている服を街のクリーニングショップに出すことです。

 

服をクリーニングに出して、これが出来上がるまで3日ほど、間違いなく毎日毎晩ドキドキしますし、3日後に出来上がった服を無事に受け取った時には、「あ〜よかった!」って生まれて初めてだって言うくらいの安心感を味わえます。バンジーより迫力ありますよ。

 

もう二度と離さないわ、そんな気持ちにさせてくれる町のクリーニング屋。何て素敵なんでしょう。

 

けど、そうやって戦地から戻ってきた息子を自分の胸に抱ける母親はまだ幸せ。

 

その隣では、夜7時にクリーニング屋から電話がかかってきて「奥さん、悪いけどあんたの服、ぼろぼろになっちまったぜ、保険で片付けるから現在の時価を教えてよ」だって。

 

それほどにニュージーランドのクリーニングはひどい。何せどんな失敗でも許す国だ。

 

無事に出来上がったとしても、まともにアイロンもかかっていない。「これなら自分でやった方が余程まし」といつも思うのだが、出張の回数を考えれば洗濯の時間がなかなか取れず、仕方なく汚れてもよさそうのだけをクリーニングに出してる。

 

第一、値段が高い。Yシャツ1枚で3ドル50セント、日本感覚で言えば350円である。日本と比較すれば、あり得ん!

 

だもんで大事なものは日本に出張に行く際にカバンに入れて丸めて持っていく。日本は安くて丁寧で綺麗で、襟元も実にびしっと決めてくれるので本当に安心出来る。

 

こういう二カ国利用が、これから日本とNZの間で流行るようなら、それこそ日本のクリーニング技術をNZに導入すれば良いのだ。

 

ぼくは日本でクリーニングに出して綺麗に仕上がった洗濯物を、型崩れしないようにダンボールに入れてオークランドにもって帰る。

 

どうです皆さん、オークランドに住んでみたいと思いますか(笑)?

 

かと言ってこれはキーウィに対する悪口ではない。価値観の違いなのだ。

 

たまたまこういう世界一のサービスを提供出来る国から、アイロンのかかり具合に価値を感じない国に来たから、そこで文句を言うのもおかしな話なのだ。

 

ただ間違いなく言えることは、彼らも消費者としては間違いなく良いサービスを期待している。ただサービス提供者としては、そんな面倒なことはしたくないってのが本音だ。

 

彼らはとにかく基本がファーマーで、今でも奥さんがご主人に「お父さん、ちゃんとシャワーした?」と聞くと、ご主人は「ちゃんとしたよ、(小声で“昨日ね”)」となるような国だ。

 

上下水道設備も整備されてなかった時代を長く過ごしてきた国だから、もしかしたら日本の江戸時代の方が清潔だったかもしれないぞって、結構本気で思ってみたりするけど、アイロンのかかりかたの悪いのが何の問題だ!って言われれば、「はいそうですね・・・」と答えるしかない。

 

今も、街のクリーニング屋に行くのだけは出来るだけ避けている。けど、この街で生まれ育った人からすればこの街のクリーニングはもっと田舎にある、例えばテ・アロハの街よりもずっと優れているのだろう。

 

しょせんは比較の問題。たまたまこういうサービスが世界最高の国から来たもんだから不満を感じるのみ。

 

今日のお題。

 

どなたかクリーニングの白洋舎さんを紹介してくれませんか?クリーニング店のニュージーランド進出、お手伝いします(笑)。



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2009年01月10日

教育が国を壊す

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日経ビジネスオンラインはウェブ版の日経ビジネスで毎週2〜3回送信されてくる。

 

週刊誌の方が読みやすいので普段はそこで済ませているが、たまたま気になる記事があったので拾い読みして・・・。

 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090105/181859/?P=1

 

これはひどい。そんなデータどこにでも転がっているよって内容をいかにも自分が初めて発表したように言いながら、そこに「だから私の言うとおりにしなさい、政府の公共サービスを増やしなさい、役人に任せるのが一番です」と言う一文を潜りこませる事で役人の既得権を守ろうとしているのだ。

 

例えばこれ。

 

***

(スウェーデンの経済的復活の要素である)自発的な勉強会が職業訓練の場になっていたということですか。

 神野 そうですね。そして、もう1つ職業訓練支援があります。例えば、失業すると職業紹介所に行きますよね。自分は旋盤工だったけど、これからの時代は旋盤工よりもIT系の方が産業としては有望――。そう言われて、IT関連の会社を紹介されたとしましょう。

 その後、面接で採用されると、6カ月だけ試験的に雇用される。その際、当時は75%の賃金を政府が出していた。

     **

 

上記の意見についてコメントで他の方が指摘している。

 

***

要するに「わたしのしごと館」を存続し、雇用・能力開発機構のような官僚天下りには目をつぶって公益法人や独法はたっぷりと温存する。所得で区別せずに給付金を万遍なくばらまく。そして消費税を大幅にアップする。そう仰りたいのですかな。

***

 

表面的には綺麗で正しいことを書いてるのだけど、結局役所がその仕事をする仕組みをもぐりこませようとしているんだ。だんだん腹立ってきた。こいつ、ずるいし無知だ。これが東大経済学部教授のコラムでスカイ!

 

てか、これは役人の作文を、金を貰って大学教授と言う肩書きのある人間が喋っているだけではないかと疑問に思う。

 

ずるい部分。

 

この程度のどこにでも転がっている低レベルの知識は、少なくともまともな学者なら雑誌の取材では絶対に言わない。話す内容に自分が持つ独特の視点なり他人が指摘していない点なりがなければ恥ずかしくてか話せないからだ。

 

例えば東大教授に分かりやすく説明するとすれば、5歳の子供が満月の夜に空を見上げて「ねえ、お母さん、ほら、僕、おっきな丸い星を見つけたよ!あれは月って言うんだよ」みたいなもんだ。

 

君が見つけたんじゃないんだろうが。君はそれにどんな付加価値を付けて話すんだよ?

 

5歳の子供が言えば可愛いが60過ぎの親父が言っても可愛くも何ともない。単に失望するだけだ。それが大学教授となればますます、君、誰の金で何を研究してたんだよ!って事だ。

 

だって「あ、今あなたが言ってた話は何時何時だれだれが話したことだよね。で、貴方は他に何か付け加える意見があるのですか?」と突っ込まれたら学者としての存在価値が終わりだもんね。

 

だからどう見てもこれは作文だと思う。あ、もしかすればこれは、人件費かさみすぎでおまけに役に立たない東大教授をここで晒して「無責任発言による雇用止め」で葬り去ろうとする官僚の経費節減陰謀ではないか(笑)?

 

無知な部分

 

無知だってのは後半の部分で、一般大衆?に向けてアンケートを行ったら、なんとも意味不明な調査結果になってしまい、一体今の国民は何を考えているのか分からないという話。

 

これは後半の話口が変わっているので、おそらく役人の書いた原稿以外の余計なことを自分の口で語ってしまい、思わず本音が出たのではないかと思う。

 

それほどに一般大衆の今の気持ちを理解していない。

 

例えば

***

「ただ、(アンケートの)中身を見てみると、やっぱり訳の分からないことになっている。男女別に見ると、男性は7割が高福祉高負担に賛成。でも、女性がダメなんだよ。女性は福祉の恩恵に浴するはずなのに、低福祉低負担を望む率が半分。それで、平均すると6割になる。」

***

 

福祉の恩恵の良くするのは何時ですか?税金を取るのは何時ですか?今まで騙され続けてきた女が、ポケットの中の最後のへそくりを「今度こそ大穴が来るんだ!黙って金を出せ!」と言ってる嘘つきな旦那に金を渡すと思いますか?

 

要するに国民が政府を信用していないのだ。そんな人の気持ちさえ分からないあんぽんたんが教授やってるから国家がおかしくなるのだ。

 

まあ中身を見てみよう。

 

経営>戦略>この国の行方と言う流れの中で東大経済学部現役教授が書いたコラム、てか対談である。

 

「手厚いセーフティーネットが強い国を作る」

“中産階級が実感できる公共サービスを提供せよ”

 

上記のタイトルに興味を持って読み始めたのだが、コラムで語っている内容は、日本が小泉構造改革によって間違った自由化で社会に歪が出てきており、これをセーフティネットの整備によって安心できる国にする事で失敗を恐れず起業家を生むことが出来ると言ってる。

 

小泉の構造改革で格差が発生したわけでもなければ今の解雇問題が発生したわけでもない。格差問題は1992年頃から発生しているし、解雇問題は世界の不況による生産調整である。第一雇用の自由化をしなければ誰が正社員を雇用しただろうか?

 

けど、セーフティネットの整備は大事なことだ。僕もそう思う。

 

ただ、日本で一番優秀と言われてる大学に行って何年も経済の勉強をして、日産自動車で働いてから再度東大に戻り教授となってからは更に学生の学費や国からの費用でたくさんの事を学んだはずの彼のセーフティネット結論は、そんなの、ニュージーランドの片隅にいて毎日仕事しながらでも、まともに毎日社会を見てれば分かることだってレベル。

 

これならオレも東大教授になれそうだと思いながら次を読むと、最初はスウェーデンの社会制度がいかに優れているかを滔滔と語る。

 

それも、どっかの資料を見れば10分で分かるようなことを語るから、2ページ目くらいから、「こいつ、税金で食わせてもらってるって認識あるのか?」とか本気で怒りを感じる。

 

「スウェーデンではですね、こうなんですよ」って、医療や職業訓練、失業手当、教育の仕組みを話すけど、別に今君にそんな事を教えてもらわなくても良いよ。

 

てか、これ、ニュージーランドと非常に良く似た社会システムだから、その背景にある考え方も、日本にいる日本人よりよく理解しているつもり。

 

背景にあるのはキリスト教をベースとした自己責任と一部の西洋人国家が持っている性善説。

 

これが理解出来ないと、全体のシステムが何故こうなってるのかが分からない。そういう大事な、けれど日本の学者があまり指摘しない面を指摘してこそ初めて意味があるのにな。

 

さて本人をおだてて書いた日経ビジネスネットの紹介文が面白い。「セーフティネットの重要性を説き続けてきた硬骨の士に聞いた」と言うものだけど、思わず笑ってしまった。

 

恍惚の、じゃなかった「硬骨」って、脳みそが骨まで硬いって意味なんだ、なるほどぼけの正反対でがちがちに固まってるんだね、役人の金で。日本語は難しいね、もっと勉強しなくちゃ。

 

後半部分

 

***

―― 国と国民の信頼関係が失われている日本は悪循環に陥っていますね。

 神野 正直なところ、今の国民が言っていることはよく分からない。メディアを含めて、「増税をするなら歳出を削減しろ」と言う。普通、公共サービスは国民の生活を支えるのに必要なものでしょう。そう考えると、多くの人は「必要な公共サービスを減らしてくれれば、負担増に応じる」と言っていることになる。

 ―― …まあ、そういうことになりますね。

 神野 それからさ、「財政再建のための増税に応じる」と言う人も多い。財政再建なんだから、サービスは増えませんよね。つまり、「サービスが減るか、同じだったら負担増に応じてもいいけど、サービスを増やすのは嫌だ」と言っていることになる。こういう考え方は普通あり得ない(笑)。どうなっているのか分からない。端的に言ってしまえば、民主主義が機能していない。

 ―― なぜ、国民は論理的に考えることができないのでしょう?

 神野 分からない。ただ、スウェーデンのケースから考えられるのは、公共サービスが中産階級の生活を支えているかどうか、それが国民が納得できるかどうかのポイントなんだと思う。

***

 

分からないのは君の頭のほうだ。60年以上も生きてきて、一体何を学んだんだ。取材側まで引いてるぞ・・・・・って。「民主主義が機能してない」って、その通り。そんな事誰でも知ってる。

 

僕らが求めているのはその解であって「民主主義が〜」なんて他人事みたいに誰でも知っていることで解を出せない奴は金貰うな、少なくともこんな公の場で馬鹿抜かすなと言いたいのだ。

 

公共サービスがデタラメで、社会保険が崩壊して医療が崩壊して教育が崩壊しているから、そんな公共サービスを充実させる為の金なんて払わないって言ってるだけじゃんか。

 

そんな無駄遣いを止めてきちんと止血してくれれば、国民はちゃんと金を払うって言ってるだけだ。

 

そんな言葉は異口同音にコラムに書かれている。1月8日付けのコラムなのに、中身はすでに28件のコメント。

 

日経ビジネスの、ましてやオンライン版だからそんなにたくさんの一般大衆が読んでるとは思わない。それでも忙しいビジネスマンでさえ思わず「ふざけんな!」と書き込みたくなるような、あまりにずるくて無知なコラムであった。

 

あ〜あ、後味、悪いし。

 

1・大学の教授がここまでバカなのか、

2・彼がバカな大学教授なのか

3・彼はバカな大学のバカな教授なのか

 

さあどれでしょう?って感じ。

 



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2009年01月09日

またかよ その2

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今の国会はまるで政治家と官僚が全員揃って、少しでも自分の利益を引っ張り込もうと四方八方から綱引きしている状態で、どっちかが引けばどっちかが引き戻し、そんなことやってるから話が全然前に進まない。

 

給付金が良いか悪いかを別にしても、首相が「やる」と言うと民主党や自民党内部でも「やるな」と言う意見が出る。

 

雇用問題ではついこの間まで非正規労働者の受け入れ先であった製造業が不況で解雇をすると、政府は解雇をするなと言う。

 

こういうのを八方塞がりと言うべきか、とにかく何も決まらない状況が続いている政局である。

 

でも、そうこうしている間にも世界は激しく動いている。日本だけがお互いのエゴで足を引っ張り合って、結局国益を失っている現状は、誠に情けないとしか言いようがない。

 

自分がビジネス上でいつも気をつけるのは、問題の先送りをしないという事である。

 

月曜日の間違った判断は金曜日の正しい判断よりも正しい。これが僕の持論である。理論的にはおかしいだろうけど、経営ってのは理論だけでは把握出来ない様々な要素で動いている。

 

理屈をどういおうが、てかヒマな時にいくらでも理論を振り回しても良いが、いざ戦場となればそんなものは使い物にならない。目の前で発生する様々な問題をどんどん処理することで、勿論失敗も多いけど結果的には先送りよりもましな答が出る。

 

今のように政治をおもちゃにする連中が日本の中心にいるんだから、そりゃ一般庶民も大変だろう。

 

たかが1万2千円とか2万円の定額給付金を全国民に払うために発生する事務作業費用はいくらなのか?

 

総額2兆円を原資とするなら、それをそのまま失業保険の原資に上乗せして失業者向けに1年間の給付をする方が、よほど本当に困った人にお金が回るから世の中のために良いではないかとは、僕の個人的意見。

 

けど何よりいかんのは、誰も何もしないってこと。

 

君は船、民は水と言う古い中国の諺がある。

 

水が凪なら船は安定している。水が荒れた状態だと船は揺れる。だから君は常に民の事を考えろ、そうすれば君も安定するぞって意味。

 

ところが今の日本は、君の泥舟は沈みかけ、民は泥まみれ状態だ。

 

民は君と一緒に沈みたいのか?

 

残された方法・・・総選挙で治療出来るレベルを超してるね、やっぱり霞ヶ関相手の実力デモ行進しかないんじゃないのか。

 

写真はオークランドの夏空と、正月を利用してペンキを塗りなおしたベランダ。ちなみに二日かけてベランダを塗りなおしたのは奥さんとみゆき。男女平等、ですな。

 

 



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2009年01月08日

2009年始業

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今日から会社始業。

 

一応日本人らしく、「あけましておめでとう御座います!」と言う言葉が軽く飛び交っていた。

 

1月8日だから、計算してみると年末から15日のお休みだ。

 

クリスマス休暇と言う白人のお休みに日本人のお正月を組み合わせてるのだが、日本で働いている日本人からすれば「何じゃそりゃ!」的な長さだろう。けどこの時期、皆からすればまとめて休めるので日本への里帰りも出来るのだ。

 

毎年この時期には2週間程度の休みを取るのが当社の習慣だが、それは当社に限らず日本人が経営するお店でも1月13日までお休みとかも普通にある。

 

キーウィの会社など、1月17日までお休みなんてのもある。だから今日も高速道路はガラガラ。自宅から会社まで、ドアtoドアで15分だった。

 

そう、つまりニュージーランドでは12月中旬から1月中旬までは「ずっとお休み!」なのだ。

 

自分とこだけが休んでれば周囲から非難の目で見られるだろうが、周囲も休んでいるのだから逆にこっちが会社を開けてても仕事にならない。問い合わせを貰っても調べ先がお休みだからだ。

 

今日は初日とは言え午前中からミーティング、午後はお客様との会議、夕食を一緒にしながら最近の日本の経済状態の話等をする。

 

日本は今本当に幸運なことに円が強い。しかしこれがいつまで続くか、誰にも分からない。今のうちに資産を海外に移転して海外投資をすべきだ、これはかなり多くの経営者の頭の中で考えられている筋書きだ。

 

そうでない経営者は、今日明日の会社運転資金確保のために走り回っている。

 

去年後半からの激動は、経営者をも見事に勝ち組と負け組に峻別してしまった。

 

健全な企業が資金繰りがつかずに倒産するのは、これは本当に悲しい話だ。こういう企業を救う仕組みがないのが社会の金融機能の欠陥だなと思う。

 

思う、って気楽なこと言うなと言われそうだが、実はニュージーランドでは本当に「金融危機はどこ吹く風」みたいな雰囲気なのだ。

 

もちろん影響は出ているけど、元々貧乏な国だけに今更困ることもない。

 

だから今年もいつものように、皆はクリスマス休暇に入って思いっきり休む。国自体がお休みだ。

 

金はなくても心は幸せ、ぼろっちい家にお洒落じゃない服でも、家族で一緒に食卓を囲めて一緒に過ごせれば、それに勝る幸せもないのではないか。

 

ニュージーランドはマインドリッチ、日本はマネーリッチというのは僕が作った造語だけど、北半球の大変さを聞きながら、この国でのんびりと休みを取ってる国民の幸せさを再度感じた。



tom_eastwind at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年01月07日

ケータイに問題をすり替えるおとなたち

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一体何をしたいのか良く分からん

 

最近は子供が異常な犯罪の被害者として殺される事件が発生して、そのためにはGPS機能付きのケータイを持たせるとかの議論があったのに、何故か去年後半から突然のように「学校への携帯電話持ち込み禁止」と言う話になっている。

 

この事をみゆきに聞いたところ、みゆきの通っている高校では携帯電話の持ち込みはOK、だけど朝9時から午後3時、つまり就学時間中はスイッチオフにする事ってのが決まりだそうだ。

 

やっぱり子供のことだから手元にあるとどうしても使ってしまう、けど親の送り迎えとかの都合でケータイがあったほうが便利と言うことで現在のようになったとの事。何も教育長がどうのこうのとか政府がどうのこうのと言うレベルではなく、普通に先生が「ダメよ」で片付いている。

 

日本の学校でも同じように、授業中に子供がケータイを使ったりして授業が乱れるのだろう。そんな背景からケータイ禁止と言う話になるのだろう。

 

それは良いのだけど、問題はいつもの如く「部分の無謬全体の誤謬」である。

 

だ〜から、学校の問題はケータイをどうにかして片付く問題ではない。授業が面白くないからケータイを使うんだよ。センセーに威厳がないから子供を注意出来ないんだよ。ケータイがあるからって問題じゃない。

 

ケータイを禁止したって子供の頭は柔軟だから、ケータイに換わる遊びを必ず考える。それを止めさせようとするのは、子供から自由を奪うのと同じだし、それは一番やってはいけないことだ。

 

悪いのは子供を注意出来ない大人であり、威厳のないセンセーなのだ。体罰禁止とか日教組とかゆとり教育とか、その時その時の大人の都合でつぎはぎにされた教育システム自体にすでに歪みが出ているのだ。

 

そういう根本的な問題を直しもせずに目先のちっちゃな「ケータイ」の話に議論をすりかえるのを一般的な社会では「問題の先送り」と言う。

 

学校教育の仕組み自体が既に現実に合ってないのに、それを根本から変更しようとしない体質が今の問題だ。

 

学校の先生に威厳がなく、だからケータイ一つを取っても先生が指導出来ず、自分で生徒にきちんと話が出来ないから「これは決まりです」と規則を作って縛ろうとする小手先で片付けようとしている。

 

けどこれでケータイを持たなくなった子供が放課後に誘拐されてその時にGPSがなかったら、マスゴミ連中やセンセーは「ケータイは子供の安全の為の必需品!」とでもなるのか。

 

これは学校に限らずすべての日本の戦後体制に通じることだ。

 

教育、医療、経済、雇用、いろんなものが戦後の大量生産大量出産大量消費の中で作られてきた。

 

1980年代まではそれで良かったが、その仕組みは現在の社会には適合していない。だから大胆に社会そのものを変革させる必要がある。

 

その一番のキーワードが「自己責任」だ。

 

国家の奴隷でありながらその事を自覚せずとも生きていけた江戸時代からの悪しき慣習を破り、世界と同等の立場で戦っていこうとすれば、自己責任を理解して一人ひとりが強くなるしかないのだ。

 

それを否定しているのは国家であり、何故なら自己責任を認めてしまうとその先にあるのは平等な国家となり、それは江戸時代以降続いた特権階級による国家支配を否定してしまう、つまり自分の既得権益を失ってしまうことになるからだ。

 

たかがケータイ、何をそこまでと思うかもしれないけど元自閉症の僕としてはどうしてもこういうものがすべて一つの絵として見えてくるのだ。

 

ケータイについてはいろんな意見があるだろうけど、もっと現実に即した処理の方法があるでしょ。持ち込むか持ち込まないかではなく、使うか使わないかの問題だ。

 

#須藤教育長は「子どもたちには、大人と同じ情報と接するだけの判断力はない」と述べ、#

 

おいおい、大人のほうの問題は誰も追及しないのか?大人がバカだから敏感な子供はそれに感づいて先生をバカにしているんだよ。社会がおかしくなっているから子供が敏感に反応しているんだよ。

 

もし授業が面白ければ子供は必ず夢中になる。そしたらケータイの事なんてすぐに忘れてしまう。つまり今の問題は授業が面白くないってことだ。

 

勿論内容によっては退屈な授業もあるだろうけど、授業の5割くらい面白ければ先生の威厳も出てきて、ケータイくらい先生の威厳で停止させられるでしょ。

 

決まりを作ってどうこうって、大人同士が自分の弱さを隠して問題をすり替えているだけではないか。

 

公立小中「持ち込ませず」

 県教委の須藤稔教育長は6日の記者会見で、県立高校内で生徒の携帯電話使用を原則禁止する方針を明らかにした。公立小中学校については「原則持ち込み禁止が望ましい」として、各市町教委に協力を求める考えだ。

 須藤教育長は「子どもたちには、大人と同じ情報と接するだけの判断力はない」と述べ、携帯電話の使用にルールが必要との考えを強調した。県教委によると、県立高校では学校ごとに使用を禁止しているケースはあるが、いじめや犯罪被害の防止などの観点から統一的に使用を禁止する必要があると判断したという。来月にも文書で通知する。

 小中学校については、原則持ち込み禁止とする一方、保護者が子どもの安全面を考え、登下校に際して携帯電話を持たせたいというケースもあるため、個別の判断は各学校に委ねる方向だ。

 文部科学省は昨年7月、各都道府県教委に、学校での携帯電話使用についてルールづくりを求める通達を出しており、今回の措置はこれを受けたもの。昨年12月には、県や県教委、PTAなどでつくる「県青少年のための良い環境づくり実行委員会」が子どもに携帯電話を持たせないよう呼びかけるアピールを発表した。

200917  読売新聞)

 

 

 



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2009年01月06日

またかよ・・・

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年末からの「年越し派遣村」でいろんなニュースが出てるが、こんな事やってたらもう知らないぞって感じ。

 

問題は前回も指摘したように雇用とセーフティネットを混同することである。

 

雇用の機会を平等にする事と雇用されなかった人々、働けない人々の生活保障をする事はまったく別なのだ。

 

ニュージーランドもこの問題で随分悩み、1970年代は官僚主義が行き過ぎて大不況になり、ついに国家倒産の瀬戸際まで来た。

 

そして1984年に労働党が政権を取り、デビッドロンギ首相の下に経済改革を行い、機会の平等は守りながら結果の不平等を取り入れて、なおかつセーフティネットは維持すると言う政策で新しいニュージーランドを作ったのだ。

 

その結果として今のニュージーランドは15年以上続く国家黒字を成して、国会の議論はいつも「どこを減税するか」であり、今回の世界的不況の中でもあまり大きな影響を受けずに済んでいる、安定した経済政策を続けている。

 

ところが今の日本ではどういう事か、政治がまともに機能していないからマスコミ、役人、議員がすべて右往左往している状態である。

 

もう本当に「知らんぞ!」と言いたくなる。

 

派遣法の問題は僕は1980年代に学んだことがある。同一労働同一賃金と、派遣社員の組合員化がポイントだった。

 

そして大手の組合になればなるほど、「おや?これを導入すると自分の首が危なくなるぞ」と気づいていた。

 

あの時から問題は全く変わっていない。結局国を挙げて先送りしてきた問題ではないか。

 

やるべき事は見えている。正社員の解雇の自由化だ。正社員も、どっかの大学じゃないんだから、入社したらそれで終わりじゃないんだよ。

 

企業にとって利益を出せる社員かどうか?利益が出せなければ辞めて貰う。当然のことを誰もが認めようとしない。

 

何故ならその「誰もが」は正社員であり、自分のクビにロープが掛かっているのを知っているからだ。

 

しかしこの「誰にも」には派遣社員は入ってないし、非正規社員は元々発言権がないのだ。

 

そうやって既得権を持つ者がそれ以外の人間を排除した場合に何が起こるか?

 

1・治安の悪化。秋葉原無差別殺人とか厚労省役人殺人とか。

2・企業体力の悪化。これが進行すると企業の海外移転が始まる。

3・失われた10年が再度続いて、更に10年の不況が日本を襲う。

 

じゃあどうすれば良いのか?答の一つのポイントは、自己責任をどう国民に理解させるか、であろう。自己責任を理解した上で、皆が皆を助け合う仕組み、それが本来の「社会」である。

 

***

 

派遣法改正「止められず申し訳なかった」広島労働局長が謝罪

 

厚生労働省広島労働局の落合淳一局長は6日、広島市中区のホテルで開かれた連合広島の旗開きであいさつし、製造現場への労働者派遣が解禁された2004年の労働者派遣法の改正について、「改正を止められず申し訳なかった」と謝罪した。

 

 落合局長は「もともと問題があると思っていた。市場原理主義が前面に出ていたあの時期に、誰かが職を辞してでも止められなかったということは、謝りたいと思っている」と述べた。

 

 集会後、落合局長は読売新聞の取材に「この時期にこういう場で、労働行政にかかわる者として、(問題に触れずに)大きい顔をして壇上からあいさつはできないと考えた」と話した。

2009170228  読売新聞)

 

自動車・電機各社による「派遣切り」が相次ぐのを受け、舛添厚生労働相が「製造業まで派遣労働を適用するのはいかがなものか。国際競争を勝ち抜くため、しわ寄せが低賃金や派遣労働に行っていいのか」と発言。規制すべきだとの考えを示していた。

 

 これに対し、桜井氏はこの日の会見で「(失業者らに対する)セーフティーネット(安全網)の充実など手直しを考えるのが重要だ」と指摘した。ともに記者会見に臨んだ岡村正・日本商工会議所会頭も、「うまく機能しているときは、従業員は仕事の選択ができ、企業は繁閑期の労働調整ができた」と、製造業派遣の意義を強調した。

 

 アサヒビールの池田弘一会長も、見直し論議に対し「性急すぎる。もし製造派遣を規制すれば(企業はかえって人を雇わなくなり)失業率が高まる」と強調。三井物産の槍田松瑩社長は「バランスのとれた柔軟な雇用の仕組みがなければ、製造業は海外に逃避する」とした。ともに規制の強化が、かえって雇用情勢を悪化させるとの指摘だ。

 

 経営悪化を受け大幅な人員削減に取り組んでいるソニーの中鉢良治社長も「議論が内向きになりすぎている。日本の国際競争力の低下は避けなければならない」と話した。

 

***

 

 

 

 

 

 



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2009年01月05日

今日も午後スキーに行く

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今日も午後スキーに行く。この屋内スキー場は毎日13:00オープンなのだ。

 

奥さんすべりも随分うまくなってる。スピードが出てきたしパラレルも少しづつだけど型にはまって来た。

 

もうちょっと練習すればいいぞとか思ってたら、奥さんスキーが終わった後にこにこしながら、「ね、わたし明日は仕事だけど、明後日もスキー行く?」だって。どうもはまったみたいだ。

 

スキー場はあいも変わらず外国人ファミリーが目立ってて、今日はフランス人家族がいかにも欧州的なスキーウェア(ガンダム系カラフル上下つなぎ)を着て滑ってた。スイス人かもしれないけど、家族で話してた言葉はメルシーって言ってたのでフランス人としよう。

 

彼らもこちらをアジア人移民家族と思ったのだろう、スキーの途中に「元気いいよね、君のスキー!」って話しかけてきた。ちょっとぎこちないけど普通の会話の速度なので話が引っ掛からない。

 

「おじさんこそ元気良いですよね、ジャンプ頑張ってますよね」と返そうと思っても、英語には僕の言いたい「おじさん」と言う言い回しがなくて、普通にU2になる。Good Old boy は相手に対する言葉としては使えないしな。

 

みかけ60歳手前のおじさんだから敬意を表して「体堅いのに、よくキーウィの若者に混じってジャンプしてますよね」とは言わなかった。

 

彼らにとっては年齢は関係ないのだろう、けど西洋人の特徴かな、いくつになっても心が若い。

 

失敗を恐れずに常に挑戦していく気持ちって素晴らしい。

 

社会が失敗を許す仕組みになっている。Try and Error がOKなのだ。

 

そして心が若いってのか、いつも自分だけを見て生きてるから、他人からどう見られようが関係ないのも日本との大きな違いかな。

 

日本のファッション雑誌が「今年の流行はこれ!」って決めたら皆がそれと全く同じ行動を取る日本では考えられないよね。

 

日本人が失敗を恐れるのは、学校で「失敗するな」と習い、親の背中を見て失敗したら世間で二度と生きていけなくなることを知っているからだ。けど誰が失敗を許さない社会にしたんだ?なぜそんな社会にしたんだ?

 

答えは簡単、その方が国民を統治しやすいからだ。

 

限られた一部の人間が国と国民を支配しやすいように「失敗は悪」=「何もしないのが一番」と言う考え方を子供の頃から脳みそに刷り付けたから、洗脳されたほうは自分が何も気づかないままに時には国家の手先として国家の意思に反する者をマスコミで叩き、時には国家の奴隷として自殺するまで納税する。

 

そんな洗脳状態を気づかせようとした学者は、皆潰される。

 

適当にガス抜きをする学者だけが国家によって生存を許される。時にはテレビにでも出れて「わお、うれしいな!」となる。

 

ニュージーランドはちっちゃな国だけど、少なくとも国民の意思がきちんと政治に反映されているし、いわゆる日本のような固定的支配層はいない。

 

もちろん白人上位という意味では固定的支配層だが、ニュージーランドではアジア人も政治家になれるし閣僚にもなれる。日本で外人が閣僚になれるか?

 

スキー場でいろんな国の家族が楽しむ姿を見ながら、そんな事を思った。



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2009年01月04日

さらばNHK

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去年12月上旬にNHKの受信契約を取り消した。

 

日本ではないのでテレビがあるからと言うだけで受信料を払う必要はない。

 

番組は海外で生活をする人向けに作ってる内容で、要するに見たければ金を払う有料テレビ番組なのだ。

 

考えて見ればNHKは一週間で2時間程度しか見てないし、それもニュース関連と政治討論番組だけなので、これならインターネットで情報は取れる。

 

受信料が月50ドル以上かかるのを考えれば、あまり価値はない。大河番組も日本にいる頃からすっかり興味がなくなっていた。

 

「もみの木は残った」などの本格的な歴史ドラマであれば一年付き合うが、歴史ドラマに見せかけたバラエティ番組に一年も付き合えるほど暇ではない。

 

大体これって有料番組だよね?

 

お金を払ってみてる視聴者に、日本でやってる「ちゃーんちゃらっちゃっちゃん!」ってピアノで体操をする人を見せてお金を貰うつもりか?????

 

何で海外で受信するNHK番組に何で「体操の時間」があるの????ピアノのリズムに乗せて健康体操????あれを観た外国人は日本人をどう思うのだろう?

 

視聴者をなめきってないか?

他にも、殆どの番組は観るに耐えないレベルである。

 

いよいよ日本の経済界でもあまりに低俗な番組に対して批判が出た。

 

だいいち本当にテレビ広告が売上に貢献しているのか?そんな疑問が公に出てくるようになった。

 

翻って質の高いニュースを見たければBBCもあるし、米国に偏った記事を見たければCNNで良いし、バランスの良い記事を読みたければ有名どころの個人ブログを読めば色んな情報や視点が入手できる。

 

子供に日本語を教えたければいくらでも教材はある。NHKである必要は、全くない。

 

紅白歌合戦は昔から見ていない。興味もないし正月にNHKが見られる場所には殆どいなかったからだ。

 

昭和の一時代は、全国民と歌手の接点がNHKであり、そこにおいて媒体としての意味が存在した。皆が集まりお祭りをやって一年を締めくくる、とても良い企画だったと思う。

 

けど媒体としての意味がなくなり、コンテンツだけならインターネットで購入したほうが良いような時代に紅白の意義はどこにあるのだろう?

 

結局今までやってきたからこれからもやります、続ける理由はそれしかないではないか。やめたいけど、やめても何をやっていいか分からないからずるずると続けてる、不幸な結婚のようなものだ。

 

僕にとっては今年後半から出張中のホテルでもテレビを見なくなったので、いよいよ「さようならテレビ、こんにちはインターネット」になった。

 

ついでに言えば、グーグルでニュースを観てたら、去年の民放で発表されたレコード大将は「Exile」というバンドが獲得したとのこと。

 

Exile?あの下手くそ?

 

いやいや、勿論僕よりは歌はうまいのだろうが、しかしプロとして金を貰ったり人に聴いてもらうレベルではないよね。デビュー当時に何度か聴いて、その度に思わず耳を押えた。ふ〜、よかった、まだ耳が付いてる、もげてない。

 

レコード大将は一応日本で一番人気のあった歌手やバンドに与える賞かと思ってたけど、どういうこっちゃ。

 

一体何が起こったんだ?不思議に思ってYoutubeで受賞曲を聴いてみる。

 

うわ!やっぱり耳がもげるかと思ったぞ。

 

やっぱ超下手じゃん。歌手の周りで黒服が盆踊りをやってるが、あれ、どっかのキャバクラで仕込んだおっさん向けの一発芸か?歌とは関係ないよね。

 

盆踊りの青年団連中に囲まれてやぐらに乗っかったような顔で坊主頭に剃りこみいれてサングラスに「ふかふか襟」つけて歌ってるのは、あれは“Unknown羞恥心”と言うグループでしたっけ?と聞きたくなるくらいだ。

 

他にもっとうまい歌手がごろごろしているけど、なるほど、どうやら一番人気と実力は関係ないんだな。

 

要するに世の中でCDを買う人という限定された市場で一番たくさんCDが売れれば、それがレコード大将なんですな。

 

しかし、こんなに下手でもいいのでスカイと思い、もちょっと調べて見ると、どうやら今年のレコード大将は販売枚数とか実力に関係なく、何を歌おうと最初から決まってたようですね。

 

http://www.cyzo.com/2008/12/post_1349.html

 

まあ芸能界ですから何でもありでしょうし、いちいち気にする必要もない。剃りこみいれたチンピラがウーウーと唸ってお金がもらえるのは、まともな社会に適応出来ない、声も出せない盆踊り青年団を救うための民間型社会保障なのかもしれないしね。

 

ただ、こんなゴミ音楽を年末に電波で流すことで自己の地位を低下させている民放テレビ局も、もう将来がないよね。

 

現状に不満を持っているテレビ局の人々もたくさんいるんだと思う。

 

良心的な番組を作ろうとしている人々もいる。

 

民放のビジネスモデルは良い作品をスポンサーに買ってもらいそれを放映することでスポンサーのイメージアップに繋がるという事だった。

 

ところが今テレビを見る人の多くは、そのような良質な番組は期待していないようだ。現実の痛みを忘れさせ、視聴者に迎合して視聴者を褒めてくれて、お笑い芸人が出て笑える番組が欲しいのだ。

 

その意味で今の民放は実に見事に視聴者の要求する番組を流している。その結果として内容が低下したのだから、必然とでも言うべきか。

 

下らなければ下らないほど喜ぶ視聴者がいる以上、これはもうタコ消費者がタコテレビを食っているようなもので、お互いに自滅していくしかないんだろう。

 

年末の記事では、いよいよ民放がキー局も含めて赤字になったとの事。

 

テレビ局はいよいよ土管商売としてコンテンツと視聴者を繋ぐだけのインフラになるしかない。つまり番組は制作会社が作って有料番組として視聴者に提供する。視聴者は興味がなければ買わない、Pay Per Viewに変化していくしかない。

 

しかしまあ、ぼくのような外国に住む人間が日本国内で「おらが村の盆踊りレコード大将」を見ながらコタツでみかん食ってる人々を批判する立場にはいない。

 

僕が出来ることは、テレビのスイッチを切ることだけだ。



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2009年01月03日

去年の今頃

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ふと気づいて、去年の今頃は何してたかなとブログを読み返す。

 

さすがウェブ版日記は便利ですな、去年の今頃はゴールドコーストとシドニーにいたことを思い出す。

 

その時のブログを読み返すと、おお、あれからもう一年経ったのかって感じになる。

 

特にこの正月旅行では、

 

ゴールドコーストで泊まった時に会ったニュージーランドの田舎出身の女の子との会話

 

シドニーのバーでバーテンダーをやってたウェールズ出身の男の子との会話がとても印象深かった。

 

両方とも英国圏内での移動だから、ある意味北海道から東京へ、仙台から沖縄へ、みたいな感じだったな。

 

けど、肌の色が違う日本人が彼らと同じように新しい環境にぎこちないながらも溶け込めるはずもないし、何もせずに受け入れられるハズもない。

 

そんな事を書いてたな。

 

一年経った今もその考えは変わらない。自分が相手に感謝の気持ちを持って「軒を借りる」、それくらいの気持ちでないと移住に限らずどんな事でもうまくいくわけがない。

 

相手の母屋に入り込むのは子供の世代だ、それくらいの気持ちで構えれば楽しく過ごせる。

 

去年の1月ってのはオーストラリアの資源景気が盛り上がっていて、シドニーのインターコンチネンタルホテルの最上階のバーは毎晩順番待ちくらいに賑やかだった。

 

そう言えば最近シドニーに行ってないな。そろそろ定点調査に出なければ。

 

そんな事を考えながら家族でアルバニーショッピングセンターに出かける。新年初売りというわけだろうが、いろんなものが割引をやってて、家族は大はしゃぎ。

 

たった10分程度の道のりなんだけど、途中で大雨が降ってかんかん照りになって曇り空が広がって、いかにもNZってな天気。

 

アルバニーショッピングセンターではその広大な駐車場でさえ入ってくる車を受け入れる場所もなく、駐車難民がぐるぐると駐車場を回っていた。

 

ブログを見るとあれれ、実は去年もオーストラリアから帰ってすぐここに買い物に来ている。偶然ですな〜。

 

人の出入りは去年より多い気がする。今までは来なかったような人たちも来てる気がする。これは統計ではなく感覚なので学者さんのような説明は出来ないが、あれれ、もしかして去年より今年の方がニュージーランドは景気が良いのではないかと感じる。

 

去年も行ったお店JB HI−FIで今年はサラ・ボーンとエラ・フィッツジェラルド、それにセロニアス・モンクの古いCDを買う。出来ればヘレン・メリルを買いたかったが見つからず。

 

早速PCに落とせば、あとはいつでも聴ける状態だ。僕の場合音の良し悪しはよく分からないし、自宅で子供がきゃーきゃー騒いでる合間の一瞬に聴くだけなので贅沢なオーディオルームも必要ない。

 

パソコンにスピーカー取り付けて、ヘッドフォン装着して、よっしゃこれでOK。

 

さって、今日までが僕にとってのお休みだ。ゆっくり音楽を聴いて、今晩は久しぶりにチャールトンヘストンの「十戒」を見る予定。

 

明日からは仕事に取り掛かる。今年のグランドデザインは大体出来上がったから、後はどんどん詰めていくだけだ。



tom_eastwind at 15:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年01月02日

滑り納めと初滑り

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大掃除を終わらせてすっきりした自宅、大晦日の夜は12時丁度に家族で年越しそばを食べて過ごす。

 

りょうまはいつものごとく「お父さん、何で真夜中に麺を食べるの?」と聞く。

 

僕は月見そば。家族はかけそば。使った麺はスーパーで売ってる一袋1ドルの即席めん、家族一緒は実に楽しい。

 

一年を振り返りながら来る年を考える。

 

そして元旦も初すべり。

 

ん?元旦も?ニュージーランドは夏だよね?

 

そうなんです。実は大晦日のお昼には家族でスキーに行き、あんまり楽しかったのでもう一回ということで元旦もスキーに出掛けたのです。

 

実はオークランドから北に車で20分ほどのSilverdaleという場所に屋内人工スキー場があり、あることは知ってたんだけど今まで行ったことがなかったので、奥さんがクイーンズタウンで買ったまままだ使ってないブーツの試しということであまり期待もせずに行ってきた。

 

結論からすればすんごい楽しめた。どうせニュージーランドなんだから大したことないんだろうなと思ってたのが良かったみたいで、結局5時間くらい滑りまくった。

 

コース自体は初級者でも楽しめるし、ジャンプ台があちこちにあるので飛ぶことも出来る。大きなターンだと5回も回れば終わりだけど、結構スピードも出せる。

 

何よりいいのは、斜面に石がない。風が吹かない。雪も降らない。ゴーグルもサングラスも不要ってこと。

 

屋内スキー場なんだから当然なんだけど、僕としてはニュージーランド独特の自然のままの屋外スキー場、つまり斜面は岩石が飛び出して風が吹けば山が閉鎖になるほどの大風、雪が降れば横殴りに吹き付けてきて、ゴーグル使っても前が見えなくなるほどの環境でスキーをしてたので、「おお、屋内スキー場ってもの、こりゃ良いものだ」と思えてきた。

 

リフト料金は54ドル、レンタルが24ドル程度で時間制限なしなので、お昼の12時から夜の9時まで遊べる。勿論カフェもあるので休憩も出来る。

 

あんまり楽しかったので翌日、つまり元旦もまたスキーに出かけてきたのだけど、結果的に、こりゃはまりそう。

 

だってオークランドから車で20分も走ればスキーが出来るんだから、やりたいことさえしっかり絞り込んでおけば、十分に楽しめる。

 

例えばジャンプを練習するぞって目標を決めれば、コースが短い分だけすいすいとバーで登れて短時間で練習が出来る。

 

エッジを立てて回る練習なら、それも問題なし。実際にインストラクターが練習がてらショートターンの練習してたり、10台の若者がボードやスキーで高く飛んで2回転とかしてた。すんげえな。

 

ここのカフェも良い。カフェの前面が大きな窓になってて、コースの一番上からリフト乗り場まで全部見渡せる。食べ物は・・・・NZでは普通だ。

 

途中でコーヒー休憩したりお昼はピザ食べたりしながら正月スキーを楽しむ人々を眺める。

 

面白いのが、欧州か南米か知らないけど英語圏以外の家族連れも目立ってたこと。雰囲気からして移住してきたって感じではないので、オークランドで駐在生活しているのかな。

 

目立つのがどこでも同じだけどルールを守らない大陸中国人。ペタペタのビニールサンダルに襟が汚れて黄ばんだTシャツ、突き出た腹に半ズボン。

 

リフト切符を買う順番も守らずカフェでは他人が坐っているところに平気で座り込み、周りの迷惑を考えずに大声で騒ぎまくっている。一体いつになったらマナーを覚えるのやら。

 

滑ってる人はレンタルスキーが殆どだけど、道具の良し悪しを考えるような本格的な斜面ではないし、気になる少数の人は自分の道具を持ってきてる。そうじゃない人はキャーキャー笑いながら斜面で転んだりそりで滑ったりするんだから、全然問題なし。

 

屋内の温度はマイナス5度。スキー手袋をつけても手がかじかむくらい。ところが外は真夏のかんかん照りの25度。合計で30度の温度差を楽しんできました。



tom_eastwind at 11:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年01月01日

謹賀新年

皆さんあけましておめでとう御座います、今年もよろしくお願いします。

 

日本にいる頃から年賀状を書く習慣がないので、ブログで失礼致します。

 

2008年の動きは本当にすごかった。100年に1度が正解かどうかは別にして、これだけジェットコースター的に世の中が動くものなんだなって、肌で感じた一年でした。

 

経済だけでなく社会的にも、一気に日本の中に溜まっていた不安や不満がまるで胃袋の粘膜を引き裂いて飛び出すエイリアン1のような一年でした。

 

雇用の不安。秋葉原の無差別殺人。社会保険のデタラメ。厚生労働省元高官殺人。無責任な一般市民による企業への攻撃。

 

医療の世界ではすでに「バカとは付き合えない」とばかりに医者が仕事をしなくなる。当たり前だ、一生懸命勉強してやっと資格取って、そして一生懸命治療に勤めてるのに、ど素人に訴えられるのだから、やらないほうがまし。医者の気持ちも分かります。

 

ところがそうなったら今度は「医者がいない!」と文句を言い出す一般市民。

 

そんなばか国民のわがままを「国民の意見だから」とそのまま丸呑みする政治家たち。

 

何より問題なのは官僚システムですが、結局渡辺さん、かなりがんがったけど、さあ今年の衆議院選で自民党と袂を分かつのか?

 

それにしても一体この世の中はどうなったんだ?まさにそんな一年でした。

 

2009年から2010年にかけて大きな変化が来るでしょう。今までが序章とすれば、これからが本番かなって感じです。

 

僕個人で言えば、去年は実りのある一年でした。そして今年は更に飛躍できそうな予感があります。

 

手探りで進んでいた自分の「5万人移住計画」ですが、何となく道筋が見えてきた気がします。今NZで生活をする日本人は1万5千人程度。移住者は現状は年間で1千人程度なので、このままだとあと35年かかりますが、っさすがにそれはないよね。これをもっと「巻いて」行く為にも何かしなくちゃ。

 

そう思ってた矢先の2008年でした。お、潮目が変わったぞ。そう感じた一年でした。

 

2009年、これからも皆さま、よろしくお願いいたします。

 

tom



tom_eastwind at 19:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌