2009年02月

2009年02月28日

賢者の贈り物

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土曜日は朝から雨だけど数日前と違ってじめじめしていないので過ごしやすい。

 

プールから帰ってきた竜馬君を連れて、先週からおねだりされていたDVDとゲームソフトを買いに行く。

 

 

お母さんとみゆきは自宅で何かしてる。

 

アルバニーショッピングセンターの駐車場はいつものように満杯状態。5分ほどぐるぐると回ってちょうど空いた場所に停めてJBHIFIに向かう。

 

昔懐かしいロボコップと他にいくつか古典映画を買い込んでアルバニーを出発する。

 

途中でりょうまくんが「お父さん、ぼくKFCを食べたいよ。おねえちゃんもおかあさんも食べたいだろうから、グレンフィールドショッピングセンターでtakeawayしようよ」と提案。

 

優しい子供である。よしよしと言うことで家に電話するけど誰も出ない。あれ?庭の掃除でもしているのかな?ケータイに電話しても、やっぱり出ない。

 

まあいいか、いつも電話を取らない娘といつもケータイの着信音が聞こえないお母さんのことだ、どこかにいるんだろうね。

 

そして僕らは4人分のKFCをたっぷりと買い込んで、車がチキンのジューシーな匂いが広がる中で自宅に戻る。

 

すると。

 

あれれ、やっぱり二人ともいない!買い物に出たのか?もう一度ケータイに電話するけど、やっぱり電話に出ない。あーらら。

 

仕方ないので、僕と竜馬の二人でKFCを黙々と食い始める。竜馬はwickedwingを8本と、時々許されるコーラを一杯。普段は自宅にコーラを置いてない。僕はお昼なのであんまり控えずにOriginalRecipeをぱくつく。

 

食べながら竜馬は「お父さん、chickenは後でMicrowaveすれば食べられるから、お母さんとおねえちゃんの分は台所に置いておこうね」と、たどたどしい広東語と完璧な英語をごったにして喋ってる。

 

けど、せっかく竜馬が家族の為に買ってきたのに、彼らはどこに行ったんだろうな?

 

そんな事を考えながらKFCをぱくついていると、車庫が開く音がした。

 

「ただいま〜!」元気よいお母さんの声が聴こえる。

 

「あ、お母さんだ!おかえり〜!」と竜馬が口の中のKFCをもぐもぐさせながら玄関に飛び出す。

 

お母さんが嬉しそうに言う。

 

「りょうま〜!あなたの大好きなKFCをいっぱい買ってきたよ〜!みんなで食べようね〜!」

 

賢者の贈り物。

 

優しさは時々すれ違うけど、悪くはないよね。



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2009年02月27日

大航海?大後悔?

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今日は珍しく朝から移住起業チーム6名でのミーティング。

 

普段ぼくはほとんど会議と言うのをやらない。基本的な方向性だけ説明したら、あとは一人一人のやり方に任せるので、何かあれば首をつき合わせて「さあどうしましょう」と言う話にはならない。

 

世間で一般的に「なんにもせんむ」とか「能天気社長」と言われる人に近い。

 

前向きに進んで失敗すれば、それは問題なし。だから皆もあまり僕に聞いてこない。てか「だって聞いてもまともな答をくれませんからね、大体質問するたびに答が違うんで、聞いても無意味ですよね」というのが本音だそうだ。

 

企業の形態によって最適値は違うと思うので、うちではとにかく会議は時々。

 

今日は久しぶりにその「会議」をやった。今までうちが扱ったことのない新領域に乗り出すに当たって、その方向性をしっかり皆に理解してもらう為だ。

 

ニュージーランドと日本の間を専門として、主にNZの第一次産業を中心に貿易商社として乗り出す。

 

まずは羊肉。フランスのプレサレと同レベルの肉と言われる羊肉があると言われている。けどまだ食べていない。本当に旨いのか?日本人に合うのか?だめな場合はどのような対処策があるのか?そんな事を話し合う。

 

牛肉。これも、いかにしてNZの牛肉がブランド肉に出来るのか?厳しい検疫をどう通過するか。日本でどのような販売網を作るか?

 

漁業。日本の技術が発達しているのは分かるが、ではそれを誰にどのような形で提供していくのか?どうやって付加価値を高めていくのか?

 

大航海の時期である。

 

うちは数年に一度、こんな羅針盤も無い大海原に乗り出すことがある。その時はとにかく勘を磨いて、先々どんな波がやってくるか、とにかく先が読めないんだから目を拓いて毎日前進していくしかない。

 

けど、何もやらなければ大後悔。

 

何もやらずに後になって大変な目に遭ってきた人々をしこたま見てきているので、とにかく動いて見る。

 

考えても仕方ない。まずは一歩を踏み出すのみ。

 

丁度冬の雪山を登山するようなもので、次の一歩が雪被(せっぴ)なのか尾根なのか誰にも分からない。踏んで見て初めてわかる。

 

踏み抜いて滑落する前に足を戻す技術、堅いと読めたら強く踏み込んで前に行く技術は、この10年でいくらか学んだ気がする。

 

さてっと、やらねば。

 



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2009年02月26日

購読者様

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田中宇のメルマガは欠かさず読んでいる。

 

彼の示す世界情勢の「基本にまずイスラエルを置く」と言う姿勢は僕も全く同感。

 

 

イスラエルが良い悪いではなく、その時世界で一番パワーを持っているのが誰か、そしてそのパワーバランスがどうなるかを知っておく必要はあるからだ。

 

パワーバランスに人種別特性(商売の仕方とかも含めて)をベースに置いて、そこを起点として自民族がどういう方向に行けば一番世界と自分の為に良いかがある程度見えてくる。

 

そうすれば今、日本のメディアでしょっちゅう出てくる郵政やかんぽなんて、答えはそれほど難しくはない。

 

世の中を逆から、つまり個人から見るからテレビや新聞に振り回されたり間違って見えたり勘違いしたりするだけで、根っこのところから見ていけば大体の場合テレビや新聞の嘘に気づくし、ガセネタもすぐ分かる。

 

山の麓から景色を眺めるのと山の頂上から360度の景色を眺める違いみたいなものだと思う。

 

そのメルマガが4月から半分有料になるとの事。

 

今まで年間52本の無料記事を書いてたのだけど、最近は執筆速度も上がったので品質は下げずに(つまり無料はそのままで)執筆速度の上がった分が有料になる。

 

ということは今まで読んでた読者には何の問題もなく、追加で更に読みたい場合はお金を払うと言う選択肢だから、充分納得出来る。

 

実際に経済ニュースであれば最新ネタを本にして出版するまで一ヶ月以上かかるわけで、一旦印刷した文字になるとデータ訂正も出来ない。

 

だからニュースはネットと親和性が高いのだけど、それだけ質の良いものを有料で買うのだから何も問題はない。

 

新聞やテレビの崩壊がいよいよ近づくにつれ、メディアの将来がどうなるのかが多くのジャーナリストにとっても気になるところだろう。

 

けど答えは既に出ている。既存の新聞は情報伝達手段としては残るだろうが、その内容はまったく別の人々が作成するようになる。

 

そこでは質の高い記事が販売されて、例えばインターネット上で時事問題が噂のように広まった時に読者が「そうか、じゃあロイターではどう書いているんだろう、あそこの記事なら信用出来る」となる。

 

簡単に言えば今の出版社と作家の関係である。出版社はあくまでも編集と製作と流通を手掛けるだけで、読者は出版社ではなく作家の名前で本を買う。

 

これが日常に行われるようになる。この時点で警察発表の横一列記事しか書けないジャーナリストの生命は終わり。

 

こうなるとインターネット配信している田中宇のような読み応えのある経済政治記事は、お金を払っても読みたいとなる。

 

広告ではどうしても広告主に対しておもねる部分が出てくるので、記事の内容に自信がある不偏不党を目指すジャーナリストならば当然自分の記事の有料化を目指すだろう。それは本を売ることと同じだからだ。本は媒体、記事は内容。媒体が本でも電気でもOK。

 

その意味で今回の有料化記事も「そうだよね、当然お金払います」と僕も納得した。早速手続きをする予定だ。一ヶ月500円であれだけ優良な記事を読めるなら安いものだ。

 

と、ここまでは納得したんだけど、後半の「有料で読みたい人向け」の文章を読むと少し違和感があった。

 

それは、彼が使っていた「購読者様」と言う表現。

 

これって誰のこと?表現としてどうなんだろう。まだ現在有料化されてないんだから、現時点では購読者はいない。

 

これが個人の姓の後ろにつける佐藤「様」や鈴木「様」ならしっくりくるし、これを英語にしてMrSatoでも問題ない。

 

けどMr Readersとはならないよね。この違和感。

 

早速英語Nativeさんに聞いてみた。するとやはりReadersに対してMrが付くハズがないとのこと。

 

じゃあ日本語の購読者「様」の「様」に当たる英語は?

 

答はありません。

 

それは、答がないという意味ではなく、様にあたる英語はないとの事。

 

敬語として使うならば、

To my dearest Reader’s

Your honor Reader’s

Valued Reader’s

などがあるそうだけど、様にぴったり適合する英語は、やっぱりない。

 

例外的に米国ではMrPresidentってのはあるし、英国では肩たたきをされた偉いおじさんや歌の上手なイギリス人ならSirなんて呼ぶ。

 

後は相手の名前が分からない場合に呼びかけの言葉としては、Hey Mister がある。哀しみレストランですな、古。

 

じゃあこうすれば↓

購読希望者へ⇒たかぴーですな。学校のセンセーみたい。

購読者君⇒上からですな。

購読者様へ⇒悪くはない。

購読者諸君!⇒右翼じゃんか。

購読者の皆様⇒これが一番しっくりかな。

 

どうでも良いとは言え、思わずつっかえてしまった。

 

閑話休題、これからは有料ブログが増えていくだろうから、やっとメディアもまともな方向に進むのではないかと思う。あとは時間の問題だ。

 

田中宇のウェブサイトは↓です。

 

 http://tanakanews.com/

 



tom_eastwind at 00:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年02月25日

卵と壁

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非常に危険な言葉である。村上春樹がエルサレム賞授賞式で受賞演説をした(何の演説かはいろんな人が書いている)際に使った言葉である。

 

 

村上春樹は世界で人気のある稀有の作家でありながら、濫読daisukiの僕がどうしても受け入れることが出来ないから困ったものだ。

 

何故かと言うと、彼の第一作「限りなく透明に近いブルー」をリアルタイムで読んだからだ。

 

なんて書いたら、あはは!バカジャン!と言われそうだ。

 

同姓で同じ時期に作品が出たので、なんだかいつも頭がごっちゃになるが、村上春樹と村上龍がぼくにとっては非常に苦手だ。

 

てか、「風の歌を聴け」でも「ノルウェイの森」でも感じたのが、こいつ、ずるいじゃんって事。

 

ここまで言い切ると世界の大小説家に対して大変失礼だし、彼をおっかけする読者が多いのでやばいくらいだけど、ただ自分が本を読む人間として、何故読むのかという点は常に忘れてはならないと思う。

 

その本が描きたかったことが例えば宇宙活劇だろうが恋愛だろうが、そのテーマにどうこう言うつもりはない。けど、村上春樹が世界に広がってそれが現実に影響を与えるとすれば、これはやばいっす。

 

彼の作品は、それこそ一時期のフランス文学と同じであり、カフカにしてもそうだけど、結局自分を虫にしたり暑いから人を殺したりと、大正時代の私小説に非常に近いものを感じるからだ。

 

志賀直哉の作品とかもそうだけど、読んでて「だからどうした!」と言いたくなるのである。

 

文章はすんごいうまいよ、村上直樹も志賀直哉もカフカも三島も。

 

村上文体の出来の良さってのは、それだけで芸術と言える。ありゃすごい。あれはもう、言葉という本来は人間間の意思伝達手段として使われていた素朴なものを、全く違う芸術品として昇華させたものだと言える。

 

そりゃ素晴らしい。

 

これを書くにあたってもう一度村上春樹を思い出そうとして会社に置いてあった「海辺のカフカ」を手に取るけど、やっぱり彼の文章はすごい。

 

もしかしたら彼は文字で人を殺せるのではないか、本気でそう思わせるほどの素晴らしさ。

 

そりゃ素晴らしいんだけど、けど、どうしても芸術技術としては最高の評価をつけたとしても、人間として絶対に認めたくないものがある。

 

それが、彼の作品を読んで「結局何?何が言いたいの?あんたは人を助けてるの?」と言う素朴な疑問だ。

 

彼が書くのは自由だけど、あれはもう凶器ですよ。あんなもの読んだ日には、神経の鋭い人は自殺するかもしれないよ。

 

人を殺すものが作品か?それならナイフや銃と同じではないか。

 

要するにそこには阿片窟で煙をくゆらせながらベッドに横たわり目をとろんとさせて独り恍惚に浸る喜びしかないのだ。

 

彼の作品は麻薬的なすごさであるが、けど山本周五郎や司馬遼太郎のようには僕の心を駆り立ててくれない。

 

多くの政治家や企業経営者は座右の本で司馬遼太郎を挙げる人が多いが、それは彼らの本が人に夢を与えるからだ。

 

人間は何故生まれてきたのか?どうやってこの社会を良くしていくか?それを過去の日本人をテーマにしながら、例えば「坂の上の雲」などで人々を鼓舞する小説を書き上げてきた。

 

山本周五郎は、「それでも人は人なんだよ、信じていこうよ」と言うメッセージを放ち続けてきた。その最高峰は短編ながら「裏の木戸は開いている」だろう。

 

三島由紀夫と同じ時期に本を書いてた作家で野坂昭如がいる。彼は「蛍の墓」で有名で、彼の文章もまた切り取ったら血が流れ出るのではないかと思うくらい凄まじい。

 

ちなみに僕は今でも「蛍の墓」は映画でも本でも漫画でも絶対に読まない。読めば泣くと知っているからだ。何度泣いても、次のページの筋書きが分かっていても泣ける、そんな文章だ。

 

野坂昭如はそんな自分を「売文家」と卑下していた。本を読めば、行間に垣間見える自分に対する羞恥心を感じて、実際に彼はそう思っていたのだとわかる。

 

そんな素晴らしい小説家の中にあっても、村上春樹の文章はすごい。けど嫌だ。

 

確信犯。これが彼に対する一番適切な言葉ではないかと思う。分かってて何もせずに言葉を弄んで、村上言葉で踊る人間を上からワインでも飲みながら眺めているって感じ。

 

この冷たさと言うか、何も作り出さない寂しさ暗さ、それはまるで底の見えない深い井戸の暗闇を覗き込んでいるような感じだ。

 

今回の卵と壁でも、すんごいそれを感じるのだ。今までは日本人相手に遊んでたのが、今回はイスラエルですかい。

 

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

 

言葉遊びジャンか。

 

村上ファンからすれば「ふざけんな!」と怒鳴られるのを承知で、それでもあえて「そりゃ違う」と言いたい。

 

子供の頃から本を読んできて、例えば18歳で車の免許を取りそれから毎日運転している人にとってハンドルさばきは殆ど無意識に行っているよね。そんな人が自分の車のハンドルにちょっとでもぶれがあれば感じるよね、あの感じ。

 

これと言って切り出して説明が出来ない分だけ、くそ、村上の野郎うまいことやりやがって!と言う気持ちになるのだ。切り出しようがないけど明らかにそこに存在する、人間の存在や尊厳に対する冷たい視点。

 

これは彼がイスラエルに行ってイスラエルの人々を批判することへの批判ではない。

 

彼自身が人々に対してどう思っているかと言うことをはっきり伝えてもらいたいと言うことだけだ。

 

ただ、何度も言うけど彼の文章の怜悧さは、並みの作家が何百人集まっても書けないほどのレベルの高さであることだけは認める。

 

演説の日本語版はこちらから

 



tom_eastwind at 00:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年02月24日

亀と兎

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ニュージーランド経済についてちょいと一言。

 

NZdaisukiなどを見ると不動産のローン支払いの滞りが増えているという記事が出ていた。

 

それはその通り。けどこれには場外の人には見えない色々なずれや現実ネタがある。ここを知らない限り読み解いたことにはならない。

 

僕自身不動産を毎日のように見て扱っているので現場視線で見るのだが、市場外の人が思うほどには痛んでない。

 

まるで投売りのような印象を与える記事だが、僕がその記事を持って奥さんに

「ねえ、安い物件あるの?」と聞くと、

「ばっかじゃん、赤字になってまで売る人がそんなにいると思う?」

そう。新聞が言うほどには下がってないのだ。

 

これは数字のマジックで、銀行がアパート投資への新規ローンを実質停止した為にアパートを買う投資市場は消失したが、だからと言って家賃が下がってない現状では、ムリに叩き売る必要はない。

 

ここがポイントであり、米国では自分が住むマイホームを、本来払えるはずのない金利で借りて失業したから家を手放す結果になったのだ。

 

けどNZの投資家は自分が住む為にローンを組んだのではない。米国のような、途中から返済額が大幅に増えるローンでもない。

 

最初からきちんと払える計算をしてローンを組んでいるのだから、家賃さえ適正に入れば叩き売る必要はないのだ。 

 

そう、ここがポイント。オークランドで毎日家賃相場を見ているが、これが下がってない。何故ならアパートを必要とする学生の数が減ってないどころか増えているからだ。

 

ローンが払えずに手放すケースも確かに発生している。しかしその内容と大変さは、米国や英国の比ではないのだ。象さんと蟻さんくらいの違い。

 

第一、本当に生活に困ればその時は政府がすぐに出動して経済援助してくれるのがNZの一番の特徴、つまりセーフティネットである。

 

多くの投資家は自分の持ち家がある状態で投資の為に買い、利回りが5〜7%で回っているのだ。あえて叩き売る需要はそれほど多くはない。

 

そう、NZでは元々ムリして投資をしてないのだ。だからムリして返済する必要もない。ここがサブプライムと一番違うところだ。

 

では誰が売っているのか?

 

投売りの多くは、実は外国人投資家がNZの物件に投資して自国通貨ベースで計算して損失が拡大したので損切りをしたりとかのケースである。NZドルで持っている人は為替は関係ないのだ。

 

米国や英国の強烈な激痛、例えば痛風や奥歯の歯痛に比べれば、蚊に食われた程度と言うのが正直な印象。

 

ニュージーランド経済を読むときに絶対に忘れてはならない視点がいくつかある。

 

1・NZと(比較する)自国民の消費動向や労働志向を同じと思わないこと。

2・NZが自国のような経済大国と同じような動きをすると思わないこと。

3・NZの新聞はネタ欲しさにクロスチェックもせずに扇情的な記事をかくこと。

4・NZでは現場を最初に見てから記事を読むこと。何よりも現場が全て。

5・NZと自国の法制度やセーフティネットを同じと思わないこと。

 

このあたりを理解せずに、記事に載った内容だけで悲観したり楽観したりする姿は、僕から見れば正直こっけいでさえある。

 

叩き売りはある。しかしそれは諸外国に比べて異常に少ないし、大体叩かれた値段ではない。

 

答は常に現場にあるのだ。何なら不動産オークションに行ってみろ。全然安くねえジャねーか。

 

一次情報を新聞やネットから見て無批判に信用して記事にする新聞やブログに利用する人がいるけど、あれは通用しないよ。

 

今では一次情報に値しないのが新聞なのは日本もNZも同じ。

 

何よりも大事なのはまず自分が社会常識と世の中の全体の流れを理解した中で記事を読み熟考し、普通に考えれば「そんなことあるわけないじゃん」と判断する読解力を持つ事だ。

 

けど多くの人はそういう自己努力をしないまま周囲の嘘の波に飲まれてアップアップしている。

 

なぜ今回の世界的金融危機でニュージーランドがあまり大きく傷ついてないか、思いっきりはしょって簡単に言うと、

 

1・NZは農業が中心の国家であり食い物に困らないし基礎生活品の値段も上がらない。だから日常生活で目に見える部分に及んでない。(勿論ちょっとはあるけど、それはもう北半球と比較すれば蟻さんと象さんの違い)

 

2・NZという国は元々勤勉で節約なプロテスタントとか英国教会の敬虔な信者の集まりで出来上がった国なので過剰消費がない。(これも比較だが元は同じような集まりであった米国とは全く純粋度が違う)

 

3・元々経済発展が遅れておりグローバリゼーション経済とのつながりも少なかった。

 

要するに糞真面目で退屈で美味しい食い物のない、活発な人間にとては面白みのない旨味のない国だったけど、結果的に「亀さんと兎さん」の亀さんになったのがニュージーランドなのだ。

 

本当はこれに色んな数字を付けてそれらしく見せれば良いのだろうが、毎日書くブログにそこまでデータ収集をする時間もないので大雑把にしたままで申し訳ないが、僕の感覚は実際に金融関係者や政府関連の人々の読みとほぼ一致している。

 

彼らは数字で武装しているので、机の上と現場の意識は一致しているといって良い。

 

誰しも1年前の自分の生活と今の自分の生活を比べて悲観したりする。けどあなたが比較すべきなのは、今世界の反対側で発生している事と今自分の街で起こっていることなのだ。

 

北半球でまさに今核戦争が起こっている最中に、オークランドの道端でバナナの皮に滑ってヒザを擦り剥いたって、核とバナナとどっちがましだ?

 

犯罪も経済も現場で起こっている。現場を見ることだ。

 

そう、実は一番現場を無視しているのが新聞記事だと言っても良い。

 

バナナの皮がどれだけ危険かを大学の先生に調査してもらい、比較の方法をわざと扇情的にする事でNZも核戦争に巻き込まれたくらいの記事にして少しでも部数を増やそうとしているだけなのだ。

 

目先の机上の数値ばかり見て騒いで更に世間を不安に落とし込んでいる高給取りの評論家や分析者のお利口さんよりも、実はニュージーランドで一生懸命毎日野菜や芋を作っている人の方が社会の価値を高めているんだと言う現実を見たら、真面目に働くことの価値を見いだせるのではないか。

 

今回の金融危機で当初は大丈夫と言われてた日本も、円高と輸出激減で大変な問題になっている。

 

東尋坊で飛び込む人が急増したのもその一つであろう。

 

ただ今こそ言えるのは、他人の無責任な言葉や新聞に振り回されることなく、自分が何故生きているのかをもう一回考えて、なぜ「助け合う社会」がこの世に必要なのかを考えて、じゃあ人間らしく生きようとすればどうすれば良いのかを、根っこのところから考え直す良い機会ではないかと思う。

 

災い転じて福となす。これから50年の人生を考えたとき、あなたにとって何が一番大事ですか?

 

目先の金?ウォシュレット?(妄想の)社会的地位?高層ビルと立派なスーツ?

 

せっかくの100年に1度の機会なのだ、自分が欲しかったのは何なのか、今こそ考え直す一番の機会ではないかと思う。

 

写真は寝覚めの床で川底を覗き込むりょうまくん。面白がって飛び込むなよ、そこはニュージーランドじゃないんだから。



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2009年02月23日

両輪社会、三輪社会

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今日からオークランドで仕事再開。

 

今回の出張を計算してみると、去年のどの出張よりも長かった。

 

 

と言うのも、

 

前半は農業など新規業務の立ち上げミーティングどっさり。

 

中盤はお客様ご家族と去年からお約束させて頂いてたスキー。

 

後半既存企画のミーティングどっさり。

 

それにみゆきのアパート探しもあってネタが目白押し。

 

けどこれで今年の方向性や各業務ごとに仕分けが出来てきたので種まきは無事終了だ。

 

後はこれを種ごとにどう大きくしていくか。

 

特に農業と漁業。

 

農業は早速取り組みを開始する。

 

まずはフランス産のプレサレと同様な土地で飼育されるラム肉の製品化と日本のレストラン向け業務用輸出である。

 

これにはまだまだ障壁が多いけど、生産、輸送、販売と各分野ではすでに業務遂行能力を持っている人々ばかりが今回のチーム。だから後はそれを全体図を描いて実際に動かすと言う商社能力が当社に要求される。

 

でもって当社の一番得意な部分も、実はこの商社機能なのだ。なのでこれはうまくいけば半年程度で市場に出せるだろう。

 

ここで難しいのは以前も書いたけど、生産者と消費者がお互いに相手を尊敬していくという点だ。

 

言葉を変えて言えば、お客様が神様と思っている人びととは、この取引は成立しないと言うこと。

 

生産者にしても消費者にしても、まず皆は人間である。一つの社会をそれぞれ業務分担しながら助け合って生きている人間である。

 

ある人は都会で機械を作り、ある人は田舎でその機械を使って農作物を収穫する。ある人は生産者と消費者を結ぶ流通の仕事をする。そうやって三者が最終的に社会を構築するのだ。

 

ほら、どれ一つがいなくなっても困るのが近代社会だ。

 

そんな時にモンスタークレーマーや値段叩きしか言わない流通業者、商品を誤魔化す生産者となったら、そんな社会はあっという間に他人が信用出来なくなって崩壊してしまう。

 

今の中国を見ればよく分かることで、人が人を信用出来ない。だから野菜でも果物でも日本製が高くても売れるのだ。

 

そうやって世界で構築してきた日本製の素晴らしさだけど、今その成功のリンクがdandan壊れ始めている。

 

それはマスコミ、クレーマー、自分の利益しか考えない流通業者などあちこちに問題はあるものの、一番悪いのは「お客様は神様です」と言うシンワを作った歌手だ(半分冗談・ほんとはその時代の流れだったんだろうけどね)

 

日本人ってのは理論的に考えずに情緒に流されるから、和服を着て歌うおじさんがにこっと笑って「お客様は!」とやってしまうと、その言葉の裏にある近代社会での分業化と言う一番大事な視点を忘れさせてしまい、消費者は神様、金を持ってれば消費者、じゃあ金持ちが一番じゃん!と言うことになったのだ。

 

まあそのあたりは日本でこれからどう変化していくにせよ、少なくとも今回のビジネスでは生産者である南半球の酪農家の人々が、8千キロ以上はなれた北半球の島国の人々に対して好意を持ってもらうのが第一だ。

 

酪農家の皆さんが5年も働けば一軒目の家を買える頭金が貯金出来るくらいの利益を出してもらいたい。

 

そして次は消費する人々に口福を味わって欲しい。フランスのプレサレラムは一頭で店頭価格25万円くらいする高級品だけど、味はそりゃもう絶品だし、第一流通量がめちゃ少ないから、そこにはまだニュージーランドラムが入っていく市場があるはずだし、クリーン&グリーンのニュージーランドのイメージでブランド化すれば、これは確実に売れる。

 

勿論途中で流通に関わって全体図を描く担当の僕らも商売だから利益を出さねばならない。けどそれは一番最後で良い。また必要であれば両者の利益確保の為には絵を描く責任者である当社が負担をすれば良いと思ってる。けど最終的には利益を出さないとダメ。企業の利益をどうこう言う人がいるけど、そういう人に限って自分の利益には敏いのだから困ったもんだ。

 

まあいずれにしても明日からだ。

 

漁業に関する新技術もしっかり日本で見せてもらったので、これも早速ニュージーランドでの実用化を目指して始動だ。農業よりもこっちの方が時間かかりそうな気がするけど、とにかく既存ビジネスの上に新ビジネスとして立ち上げていくには遣り甲斐のある仕事だ。

 

車は一輪ではいずれ倒れる。

両輪あれば進んでいる間は倒れない。

三輪あればまず倒れない。

 

三輪社会で皆が助け合う、そんな時に一人だけ神様になってもらったら困る。皆仲間、友達なのだ。

 

写真は八方の黒びし。ご存知の方はご存知ですね。初回目の挑戦でコブの真ん中あたりで見事に飛びました。まだ手足は付いてます・・・。

 

いや、ほんとにすごいですね黒びし・・・。来年待ってろよ。



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2009年02月22日

成田外し

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今回も成田から香港経由オークランドに戻ったのだが、やっぱり成田は使いにくい。

 

都内で午前中に最後の仕事を終わらせてバスに乗って約1時間30分。現在ではほぼ無意味で無駄な作業を生活の糧としている空港入り口のパスポートチェックにいらいらさせられるのは、彼らの動作が遅いからではない。

 

手早くきびきびと動く彼らも、自分のやっていることが出来る限り利用者の不便にならないようにしているのだろう。けどさ、これは地元千葉の雇用対策なんだから、どうせ税金や利用者からの金で雇用を生むのなら、もっと違うところに雇用を発生させれば良いではないか。

 

僕は成田市や千葉県のことは詳しくないけど、21世紀の日本が向かうべき方向性と同じ方向を向いている産業への資源注入など、やるべきことはたくさんあるのではないか。

 

成田空港の到着口で野菜を売るのも地元商品の宣伝なのか空港職員が仕事の帰りに買って帰るのだろうか、しかし世界のハブ空港と自慢している中で、野菜を売ってる空港がいくつあるのか?

 

野菜を売るななんて言ってない。日本の野菜の高品質は知られたところだ。ならばその野菜だけでなく、旅行中に手軽に食べられる果物を置いてみればどうだろう。それを中国からやってきた旅行団の目に付くところに置いて中国語で「安心安全!地元直産!」と書いた広告を付けておくのだ。

 

ついでに日本に語学留学に来てる中国人学生をアルバイトとして雇用して販売促進をすれば良いのではないか。中国の連銀カードが使えれば益々良い。

 

そしたら彼らは手にとって買ってみるだろう。ゴミ入れ用のビニール袋を付けておけば車内も汚れないだろう。そうやって美味しい果物を食べた中国人は、中国に戻ったら千葉産の果物を宣伝してくれるだろう。

 

要するに何かをしようとする気持ちだ。成田を活性化させて成田市や千葉県を良くしたいなら自分の一票を売り飛ばして政治や行政に頼って税金のおすそ分けで食わせてもらうのではなく、自分の力で利用者からの満足を勝ち取るのだ。

 

今は成田自体が陳腐化している。ところが変化を嫌う地元はなかなかてこ入れをしようとしない。

 

そりゃそうだ、何もせずに仕事とお金が入るのだから、地元出身議員様万々歳である。

 

けどさ、成田空港は地元農民の反対を叩き潰して利用者の不便さを犠牲にして多額の税金を突っ込んで政治の妥協で造られた空港なんだから、どうせ造ってしまったんなら使いやすくするのが成田の仕事でしょう。

 

勿論変化の兆しはある。手荷物検査でひっかかる液体を、以前はそのまま没収だったのが今では袋をくれるようになった。

 

以前はチェックインの前に預け荷物のX線検査があり、ここに多いときは100人近い行列が出来てバブル期の日曜日のスキー場のリフト待ち状態だったのが解消された。

 

そう。ターミナルを改修したとかどうかの大きな箱の話も大事だけど、利用者からすれば心地よく使えるかどうかも大事なのだ。

 

そして国の全体を考えて動くのが国会議員である。今の成田が使いづらいのだから、いずれはもっと使い安い場所に空港を移せば良い。羽田の拡張でそれは可能になった。だから羽田と成田で使い分けをしてもよい。

 

大体一般国民には成田を使わせておいて政治家が外遊するときは羽田発って、語るに落ちるですよね。

 

ところが今度は千葉県民が自分のエゴで既得権益を手放そうとしない。国家の利益と棚ボタで降ってきた既得権益とどっちが大事かは考えれば分かること。

 

千葉県の人々が本当に国家単位でモノを見るならば成田の既得権益を手放すべきだろう。その時こそ千葉県民は日本国中の人々に対して堂々とモノを言えると思う。

 

その時は雇用対策として拡張した羽田空港で新規雇用する際に「千葉枠」を作っても他の県民は文句を言わないだろう。

 

表立っては総論賛成、自分の不利益になると突如各論反対の今のような状態では、千葉県民が何を言っても誰も信用しないだろう。

 

今回も腹立たしいことがあったが、いちいち書くのは面倒なので結論からいくと、今後は特に問題なければ極力中部国際空港を使うことにした。

 

と言うのが、僕がいつも利用するキャセイ航空は、オークランドから香港が一日二便出てて、朝の855分の飛行機に乗れば同日2100分には中部国際空港に到着する。同じ朝の便で香港経由成田に向かっても到着時間は2120分。なので中部も成田も殆ど違いはない。

 

でもって成田からだとこの時間では都内に行く交通方法が限られているので結局成田空港付近に泊まることになる。そして翌日都内に出れば、大体12時前後になる。

 

中部国際空港の場合は、まず入国が早い。人が少ないだけでなく設備が円滑に作られている。成田のように飛行機が到着してから階段上がったり下がったりまた上がったりする必要がない。

 

でもって名古屋駅まで電車で30分かからない。だから10時過ぎには名古屋駅のホテルにチェックインできる。そして翌日の新幹線に乗れば、これも昼前には都内に入れる。

 

何より大きいのが空港で働く職員の態度でもある。

 

成田で何より頭に来るのは、入国管理でパスポートにスタンプを押す場所にいる係員。アルバイトなのか元役人なのかしらないが、60過ぎだろうよく日に焼けた小柄な親父がふんぞり返って外人用の入国管理場所の行列整理をするのだけど、この態度の横柄さと言ったら、同じ日本人として恥ずかしいほどだ。

 

初めて日本に来て戸惑っているような外人観光客を捕まえては下から見上げるような顔で大声で日本語で怒鳴るように「おいおい!あっちあっち!こっちはおまえじゃないんだよ!」と恥ずかしげもなく大声で命令している。

 

これに比べて中部では今回のうちの家族のように、空港係員がわざわざ僕の携帯に電話してくれて丁寧に事情説明をしてホテル名を聞いて「もうすぐ出てこられますからね」と一言添えてくれた。

 

つまり物理的には都内に入るには中部も成田も変わらない中では毎回腹が立つ成田を使う理由がないのだから、少しでも気持ちよく使える中部と言う選択になるのだ。

 

「成田外し」は僕個人の問題だけど、今日本に住む人が一人でも多くみんなのシンボルとなるような「成田」を使わなければ、例えばバカな国会議員は落選させるとか国民の税金を無駄使いするような役人を罷免すれば、それだけで少しでも住みやすくなると思うのだが。 

 

写真は成田のたこ焼き。日本の無気力さと上からの洗脳の強さはこんな現場まで広がっている。理由を書いたら長くなるのでまた次回。

 



tom_eastwind at 13:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年02月19日

木曽路はすべて山の中である

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月曜日の朝も晴天。

 

白馬から長野駅に向かう大型バスのターミナルでは、名残惜しそうに山を見上げたり昨日の滑りを思い出してにんまりする人たちが集まっていた。

 

乗客のうち9割が西洋人だ・・・。これってニセコに行った時と同じジャンか。あの時も札幌空港からニセコに向かうスキーバスには日本人乗客はゼロだった。

 

時間丁度ぴったり、まるで裏口で時間まで隠れてたんじゃないのって思うくらいOntimeにやって来たバスに、西洋人の皆さんは早速バス下部のトランクルームに荷物を放り込み始めた。

 

一個が30kgしそうな荷物がごろごろしてて運転手さんとおじさん二人で格闘してたんだけど、出来るだけ場所をきちんとする為に荷物のサイズをいちいち確認しながら、堅くて四角いものを下に載せて、その上に小型のトランクを乗せて、その上にソフトバッグを乗せる。

 

そうこうするうちに皆がバスに乗り込み始めるとどんどん座席が埋まってしまいはじめた。

 

その光景を見た運転手さん、突然怒りっぽい声で西洋人集団に向かって「おい!NO!こっち!」と怒鳴り始めた。

 

これには西洋人、全く意味不明。声を荒げているのは分かるけど、その理由が分からない。彼らからすれば外国に来てるのだから現地の人と喧嘩するのは避けたいだろうしバスには乗らねばならない。だもんで皆??な顔になった。

 

運転手さんからすれば要するに座席が足りないから降りてくれと言いたいのだけど、言葉が出てこない自分にいらいらするようで、手振り身振りで相手を指差しながら、やっと出てきた言葉が「あなざーばす!」だ。

 

これで西洋人、次のバスがすぐ来るから荷物はこのバスに積んで次のバスに乗れと言うことだなとやっと理解したようで、はいはいと言いながら定員をオーバーした数人がバスから降りていった。

 

普通座席に座りきれずに補助席に体の大きな西洋人がちょこんと坐ってたのは、思わず心の中で笑った。「あの補助椅子、絶対折れるぞ」。

 

けどま、運転手が客商売かどうかは別にして、わざわざ欧州や米国から高い金を払って白馬までやって来てるんだから、もちっと「おもてなしの心」が欲しいよねと思った。

 

バスが出発すると右手に八方尾根とジャンプ台が見えてくる。そして周囲に広がる山々。

 

遠くに見える山の名前を見るたびに山岳小説を思い出してしまったが、それにしてもこんな山に、それも雪の降っている時に登る人がいるのには唖然とするしかない。

 

小泉さんが「国民給付金法案が衆議院で再度採決をするほど大事な問題か?」と発言してここ数日の話題になっているが、ぼくも正直言って「死ぬほどの思いをしてまであんな山に登りたいのか?」と本気で思った。

 

だって彼らには親兄弟も家族もいるだろうに、死ぬような思いをしてまで、そして現実に死ぬ人もいるのに、それでも登りたいのか?もうこうなると山男は普通の常識では考えられないな〜、けど、それだけ情熱をかけることが出来るのも、すんごいな〜と感心してみたり。

 

そんな複雑な心境の中、バスは約1時間ちょいで長野駅に到着。「あっちは善光寺」ってサインが出てて、善光寺の重厚で歴史のある木造建築と近代的な長野駅のアンバランスが、これまた面白い。

 

ここでオリンピックやったんだよね、でもって去年は田中麗奈のスキー映画が作られたんだよね。

 

バスが予定より20分近く早く到着したので、駅で切符を買ってから待合室で信州そばにトライ。

 

「信州信濃のそばよりも、あたしゃあんたのそばがいい」なんていなせな言葉が頭を駆け巡りながら、立ち食い蕎麦のカウンターで海老天そばを注文。勿論ネギなしでお願いする。

 

「あいよ!」そう答えたおばさんは、大体60歳前後かな、いかにも地元の人で生真面目そうな顔。

 

もう一人のおばさんとチームを組んで仕事をしているのだろう、いつものようにちゃっちゃと麺を打って丼に入れると、そのまま何の気なしにねぎをぽい・・・。

 

実はこれが僕にとって一番辛いとき。というのが、もちろんこれは相手のミスではあるけど、慣れてしまえばついつい麺の次はネギとなる。ところがネギが入ったのが出されたら僕は食えないので、そんなときは「あ、いいですよ、もう一杯作ってください、お金は払いますから」と言うことにしている。

 

いくら客の注文とは言え、こちらのわがままなので申し訳ない気持ちになるのだ。

 

ところがこのおばさんは、入れてしまった瞬間に気づいて、「あらま!」と一言。でもってお箸で少し掻き出したのだけど、すでに大量のネギはつゆの中に浸み込んでしまってる。

 

それを見ていた隣の店員さんは「あらら、大丈夫よ、それくらい」だって。

おいおい、お前のせりふじゃないだろう、そう思ったが、まだそばがこっちに来てないので口も出せない。

 

ところが最初のおばさん、何を思ったか「ちょうどお腹も空いてたからいいやさ」と、あっけらかんと二杯目を作り始めたのだ。

 

「あらあら、あんたそんなことしなくても・・」

いやさ、だから二人目の店員さん、じゃあどうするの?

 

などと考えてたら天ぷらそばネギなしが出てきた。

申し訳ないなとか思いながら少し口をつけると、流石に本場のそばだけあって、実にうまい。麺もうまい。

 

で、竜馬君を呼んで立ち食いカウンターでそばを食わせ始めると、なんと最初のおばさんはカウンターの中から出てきて食券を買うのだ!

 

え?ということは、例え店員でもミスは許さないってこと?てか、作り間違いなんてミスの許容範囲内でしょうと思ったのだが、真面目なのか店の方針なのか、その食券をカウンターの切符入れに丁寧に入れてから、おばさんネギの入ったおそばを食べ始めたのだ。

 

日本でもある一部の地域の人は異常に真面目だったりする。これは地域性なのか風土病なのか分からない。

 

けど、そう言えばバスの運転手さんの態度と言い、あ、そうだそうだ、バスターミナルでリフトチケットを返して1千円の保証金を返してもらってたお客さんがいたんだけど、ターミナルの係員はじろっと客を見てから「これ、違う山ですよ」とぶすっと答える。

 

でもって「まあいいです、今回は特別に許しましょう、こっちで返金しますけど、本当はダメなんですからね!」と、ずいぶん高飛車。お客の方は金が返ってきたのでもうどうでもいいやって顔。

 

そう。長野の人は生真面目なのだ。

 

皆で決まりを作れば、状況がどう変わろうが必ず守る。とにかく決まりなのだ。守るのだ。

 

これに対して他の地方からスキーシーズンで働きに来ている若者等は、これは全く態度が違ってて、いわゆる普通のサービス。

 

もちろん長野でもおちゃらけな人も変化を好む人もいるんだろうけど、木曽路に入ってから見かけた人は、みんな生真面目で勤勉って感じを受けたのは事実だ。

 

以前に何度か書いたけど、日清戦争や日露戦争で出征した兵士たちは、各地域ごとに大きな違いを見せた。

 

九州出身の兵隊は、とにかく突撃に強い。後先考えずに鉄砲撃ちまくって突っ込むのだから、これは強い。攻撃には最高である。

 

けど一旦守りに入るともうだめ。守りに退屈してしまい、また塹壕から出て突撃してしまうのだ。勝てそうにも無いときだって、守りで退屈するよりは攻めたほうがましって感じ。全く命をなんと考えているのか(笑)?

 

これに対して東北の兵隊はとにかく守りに強い。一旦守ると決めたら何時間でも何日でも一つの塹壕に篭って戦うのだ。

 

日露戦争時の黒溝台の戦いでも、雪国出身の兵隊たちは守りを固めて頑固なまでに死守した。

 

これって、長い冬を雪に囲まれて過ごす人々が自然と身に付けたDNAなのではないかと思う。

 

帰りの長野新幹線に乗り込むとアルプス山脈がくっきりと空に聳え立っていた。あの山に多くのアルピニストが挑戦して命を落としたんだな。

 

あの山で長野オリンピックが開かれたんだな。

 

あの山で。今年も良い新日本紀行の旅になった。

 



tom_eastwind at 14:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年02月18日

木曽路から白馬へ

八方景色1新田次郎の本は読んだし想像も少しは出来たけど、アルプス山脈を目の前に見ると「うっそ!こんな山に人が登るのか?!」と、感激を超えてただただ呆然とするばかりである。

 

 

 

木曽福島から白馬に行くには、特急電車で松本まで出てそこから普通電車で約2時間、各駅停車をしながらゆっくりとアルプスの裾野を走っていく方法しかない。

 

松本では乗り換えが5分しかない中、ホームからホームへと重さ20kgちかくある荷物を持っての移動。3両編成の電車は地元の人たちの足として利用されているようで、夕方と言うこともありずいぶん込み合ってて、大きな荷物を6個持ち込む僕らは、少々不謹慎?

 

06cc8fb8.JPG例えて言えば山手線の朝8時30分に海外旅行用のスーツケースを2個持って乗り込むようなものだ。

 

けど地元の人は慣れたようなもので、にこにこしながら場所を開けてくれる。他にもスノーボードを持ち込んでる白人グループもあったりして、結構受け入れOKだ。

 

電車は順々とお客を降ろしながら山道を進む。途中では粉雪が降り始め、左手に見える山並みが松本を過ぎるあたりからdandanと盛り上がってきて、先の尖った黒々とした岩山が広がる。

 

電車パンそうこうするうちに電車は黒部ダムの始発である信濃大町を過ぎて白馬に向かう。車内は地元の人々の生活の足となっており、高校生が学校の近くで買ったのだろう、大きなパンをぱくついていた。

 

 

奥さんがびっくりしたように「ねえお父さん、日本の電車は食べ物食べていいの?」

 

香港では電車内での食事は一切禁止。そんなもん一旦認めたら、あっという間に車内は食べかすの山になるのが自明の理だからだ。

 

うちの奥さんも新幹線や特急列車なら食事をするのも納得出来るようだが、普通の人々の足である普通電車でも食べてるのはけっこう文化的衝撃だったようだ。

 

そう。日本人は綺麗好きなのだ。車内で食べてもきちんと後片付けをするのだ。

 

このあたりも日本人の良いところですな。

                                                                電車が白馬駅に着くと迎えのバンが待っててくれてホテルまで10分程度で送ってくれた。このホテルは宿泊客の半分近くが外人で、スタッフもほぼ全員英語が出来る。

 

 

早速りょうまくんと一緒に露天風呂に入る。りょうまくんは子供の頃から慣れているので、温泉ですっぽんぽんになるのはOK。

 

びっくりしたのはとっても綺麗な内風呂と露天風呂のお客の半分近くが白人だったこと。

 

金髪碧眼のフランス人や訛りのきついオージーや腹の突き出た米国人がにこにこしながらのんびり湯船につかり、三々五々とおしゃべりを楽しみながら片手に缶ビールを持ってEnjoyしているのには、思わず笑ってしまった。

 

「どこから来たんだい?」

露天風呂でりょうまくんと英語で話してたら、隣にいたスマートな白人のおじさんが話しかけてきた。

「ニュージーランドだよ、知ってる?この子はニュージーランド生まれのアジアンキーウィだよ」

「おお、君らはそんな遠くから来たのか。で、ニュージーランドってどこだっけ?」

話がかんでないし・・・。

 

そんな感じで、活発でおしゃべり好きなりょうまくんを媒体として白人の子供たちと会話が進む。

 

八方景色2白馬が外人を集めているって話は聞いてて、去年はニセコでオーストラリア人村を見てきたので、おう、それでは白馬も営業努力をしているのだなとか思ってた。

 

 

 

けどそれはこのホテルのようなほんの一部だけで、やっぱり全体のシステムは江戸時代から続く村システムなんだなって感じ。

 

それはまた明日書くけど、白馬で外人を受け入れてると言っても、うむむむってことかな。



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2009年02月17日

木曽路

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木曽路はすべて山の中である。

 

だからケータイもインターネットも繋がらない。

 

などと書くと極端だけど、実際に5日間のあいだ、ほとんど繋がらなかったのも事実である。

 

 

JRの駅とかちょっと大きな村に出ると、何とか僕が使っている無線モデムが動いてくれるのだけど、それでも遅い遅い。まるで長年人力車を引いてきたおじいさんの車に曙が乗り込んで横須賀の急坂を登るようなもので、モデムがふーふーと息切れしているのが分かる。

 

ふーふーふーふー、ときにはそのままぱたっと倒れてしまい、もう繋がらなくなる。

 

木曽路はすべて山の中なのだ。

 木曽御岳

ケータイに至ってはほぼすべて圏外。たまに電話がかかってきても、受信ボタンを押したらそのまま切れている。

 

ある場所では「FOMA使えます!」とのぼりが立っていたが、ぼくのはソフトバンク。てかさ、「FOMA使えます!」って、要するについ最近までFOMAもダメだったってことですよね?だから宣伝効果あるんですよな。

 

僕の仕事の殆どはインターネット環境での作業なので、木曽路を名古屋からアルプス山系を抜けて長野に出るまでの今回の旅の合間にほんの一瞬だけ電波が繋がりそうな場所を見つけては車を停めてメール受信をするのが精一杯。

 

島崎藤村の時代は「木曽路は全て山の中」だから最初からインターネット環境等想定していないしそれで良かったのだろうが、今の時代にはちょときつい。

 

しかし、それにしても雄大な景色が続くのはこれは素晴らしい。黒部ダムに行ったことはあるけど、アルプスを縦断したのは今回が初めてだ。

 

今回の出張では東京での仕事を終わらせて名古屋に向かう。

 

爽快な晴天の名古屋は春のような気温だった。前日の晩に名古屋入りして少しゆっくりする。

 

翌日朝から木曽路の旅が始まる。まずは車で木曽福島方面に向かい1時間もすると、そこはもう木曽の山の中だ。空が薄っすらと霞(かすみ)がかかったように見える。

 

「あのあたりからアルプス山脈が広がっているんですよ」

 

そう言われて遠くを眺めると、霞のかかった青空を地面から突き上げるように数千メートル級の先端の尖った山々が折り重なるように連なっていく大自然。まさに圧巻だ。

 

妻籠途中で馬篭を通り過ぎて妻籠へ。

 

車を降りて江戸時代から残る昔の街を歩く。割合広々とした歩道を歩きつつ、深深と白い雪の降る山道を江戸時代の人はどのように歩いたのだろうかなどと考えて見る。

 

 

雪道を掻き分けながら歩いてきた旅人を迎える宿は、入り口の土間で温かいお湯で足を洗い、ほっとした彼らを畳みの間に迎えたのだろう。

 

それから旅人は鉄釜のような五右衛門風呂に入って旅の汗を流し、地元の野菜と米、それに魚の干物など一汁一菜で食事を済ませて、三々五々に酒を飲んだりごろっと横になったり。

 

外には雪が降り、囲炉裏で暖を取りながらその周囲の板の間に布団を引いて雑魚寝をしていたのだろう。

 

江戸時代の風景を残す妻籠を後にして寝覚めの床に行く。写真のような大きな岩の塊が続く景色はなかなか見もの。

 

ところがその後がちょいと大変。今回のツアーリーダー、なんと素手と普通の靴で自分の背丈以上の岩石の間をいきなり昇り降りを始めたのだ。

 

寝覚めの床歩くこれには参ったが、なにせリーダーは僕よりもずっと年上。普段なら行かないな〜とか思いながら、それでも行くぞと岩山行進。

 

登って見ると頂上にはお堂があり、これも歴史を感じさせる。

 

 

これなんだよね、ぼくが自分を日本人と思うのは。

 

結局ぼくが好きだし愛してやまないのは、こういう日本の原風景や歴史や山河なのだ。それは決して現在の政権でも政党でも政治家でも役人でもないのだ。

 

僕の払う税金や、もし僕が寄付をするとすればそのお金はこの自然や歴史に対してであり、決して決して今の政権に対してではないのだ。

 

車は木曽福島に入る。駅周辺は昔の中山道の宿場町であり、交通の要所でもあった。

 

旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだアナウンサーがいる。たしかにそう読める。

 

読み方は違っても意味は同じってのが、この誤読の本当に面白いポイントだ。木曽路は|日中山道なのである。

 

これってもしかして江戸時代の人が洒落で考えたのではないかと思うくらい、ぴったりとツボにはまっている。

 

木曽路の旅は続く。



tom_eastwind at 02:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年02月14日

木曽御岳

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山の中にいる。インターネットが繋がらない環境は何ヶ月ぶり。

けど100年前にはそんなもん存在しなかったし、それでも人々は情報を収集して生きてきた。

いつの時代も情報の強さを認識する山の中の生活。

情報から遮断された状態での考え事もとても楽しめる。その時に出来る最良のことをするのみだ。

 

 



tom_eastwind at 20:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年02月13日

三割増!

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東京のホテルでゴーグルニュースを開くと、いきなり目に飛び込んできた文字。

 

「三割増!」

景気の良い話だと思ってよく見ると倒産件数。

 

「2.2倍に増えた!」

すごいすごいと思ったら負債額・・・。

 

そいでもって国会では毎日毎日郵政の議論して、何とかお互いに政敵を叩いて次の選挙で勝とうとしている。

 

オリックスが入札で「かんぽのやど」を手に入れた経緯がどうなのかは分からない。おそらくある程度の話し合いもあっただろう。

 

しかしまともな経営者なら今回の話の問題点には気づいている。

 

「建物をいくらで作ったか」などは時価には全然関係ない。どれだけ金をかけて造ろうが、それに商品価値がなければ価格が下がるのは当然。

 

なのにマスコミは「建設費よりも入札価格が安い」ことを問題にしている。

 

ばっかじゃないの?本気でそんな事を信じてマスコミが発表するなら、こりゃもう担当者は完璧なるあふぉーであり、嘘と知ってて堂々と発表するならこれは詐欺師だ。

 

何だこの国は?政治家が国民の為に働かず役人は自分の省庁の利益のみを追求して、誰も国家天下を語らない。てか、語ると選挙で負けたり役人で出世出来なくなる。

 

本来は社会の木鐸(ぼくたく)として政治をチェックする機能を持つマスコミは、これまた自分の利権を確保する為にあるときは政治家あるときは役人と組んで、社会の弱いものいじめをやっている。

 

そんなことを考えながら名古屋のホテルのバーでジントニックを注文した。出てきたのがこのグラス。

 

それにしても量が多いね。東京のバーの3割り増しではないかと思う。

 

名古屋ではいろんなものが安い。喫茶店ではいろんなものが無料で付くし、ホテルではインターネットが無料だ。

 

そんな事を考えながら今度は中部国際空港に行く。香港からやってくる家族を迎えるためだ。

 

今回はみゅーと言う名鉄の電車で空港に向かったのだが、これが便利。JR名古屋駅から屋根続きで名鉄に移動出来て、電車にそのまま乗り込むと約30分であっと言う間に空港に到着。

 

それも空港駅のプラットフォームを出るとそこはもう空港。なんか当たり前のように書いてるけど、成田から電車を使って1時間かけて移動している現状を考えると、これは全然便利さが違う。

 

この空港は、人の動線を理解して造られているなって感じた。

 

そんなことを考えながら空港到着口で待っていると、突然ケータイがなる。非通知。普段は非通知なら受けないのだけど、何か気になったので電話に出てみると、これがなんと空港入管から!

 

なんじゃ!と構えて低めの声で話を聞くと、相手の声は明るいままで「オタクの家族、どこに泊まるんですか?」って質問。

 

あ、そうか、滞在先を書かないといけないんだ!でもってうちの家族は名古屋のホテルの名前を知らないんだ!

 

そこでふと「あ、そうか、入管の人がみゆきにオレのケータイ番号を聞いて、わざわざ電話してくれたんだ」と、ちょっと感激。

 

役人ですぜ彼らは。それがこんな親切をしてくれると、これはもう、ぐっとくるではないですか。

 

勿論たかが電話一本なんだけど、それだけで「決まりですから」といつもほざいている成田入管の連中に言ってやりたい気持ちになった。「やりゃ出来るじゃん!」

 

「もう少しでご家族は手続き終わりますので、お父さん、もうちょっとお待ちになっててくださいね」だって。

 

こりゃもう民間のサービスですぜ。

 

もちろん彼らとしてもうちの家族の書類の体裁を整える為に必要なのは良く分かるけど、それでもうれしいのは事実。

 

そしてさらに10分ほど待つと、わいわい騒ぎながら笑顔で入ってくる家族の顔。

 

「おかあさん、どうだった?」そう聞く僕に「ねえお父さん、この空港、いいよね」と早速一言。

 

その話を名古屋のお客様にお話すると、「そうでしょうね、中部国際空港は利用する民間の人が作った空港ですから、利用者の視点ですよね」と言われた。

 

そのとおり。

 

僕が成田空港を嫌いなのをご存知な方は多いと思うが、三里塚闘争時代からあの空港は嫌いで、今も嫌いだ。

 

それは成田空港で野菜を売ってるのが嫌だとか、意味のない検問で無駄なお金と時間を使っているとかだけでなく、それが役人の利益の温床になっているからだ。

 

実際に中部国際空港を使った場合の時間を計算してみた。

 

空港に到着後、約20分で出てくる。電車で約30分で名古屋駅到着。そのまま新幹線に乗れば2時間以下で品川に到着。

 

合計で3時間である。

 

成田だと、外人が入国するときには平気で1時間以上並ばせる。それから荷物を取って到着階から電車乗り場まで10分くらいで移動。

 

大きな荷物を持って電車に乗ってからも都内まで1時間以上かかる。

 

東京駅に到着してからも、あの駅の一番下にあるホームから地上に出るまでいくつのエスカレーターに乗ることか。

 

気持ちの良さを重視すれば、これからは成田よりも中部を利用したくなった。 



tom_eastwind at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2009年02月10日

内田さんについて思うこと

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以前も書いたことがあるけど、

 

内田樹さんという

 

フランス文学者の書いてる内容はとても興味深いし学ぶものが時にはある。

 

 

例えば子供と学校の関係で、何故学びが必要かとか、そういうテーマの場合は面白い解決策を提案してくれる。

 

子供は賢い。だから学校に行く目的が

「レベルの高い大学に入って(何を学んでも学ばなくても同じ)」、

 

「現在の売上優良な会社に入って(仕事が出来なくても良い、正社員は首を切られないんだから)」、

 

「たくさんの給料をもらって(その結果として家庭が崩壊するほど働かされることは当然)」、

 

それで物質的に幸せになることであれば。

 

だったら若いときの10年を毎日自分の気持ちを殺して真夜中まで勉強したり塾に行ったりするよりも、若いときは思いっきり遊んで社会人になって強盗をする方が合理的だ。

 

強盗をしても逮捕される確率が30%程度で、一年に一回だけ大きく強盗して1億円くらい稼げば、これはOKでしょう。

 

強盗する先は自分の心が痛まないように違法カジノの売上とか政治家の表に出せない選挙資金とかやくざの麻薬取引の金とかね。

 

もっと賢く稼ごうと思えば政治家になるのが良い。あれなら違法で稼いだとは言われない。だって法律を作ったり解釈するのが政治家なので、合法ですと言えばなんでもOKだ。

 

ライブドアの数百倍の違法行為をやった日興証券は誰も逮捕されずに済む様な世の中ですもんね。

 

何故勉強するのか、その問題を理解していない社会の教育体制が問題。

 

うん、そうだ、彼の言ってることは良く理解出来る。

 

そう、内田さんが教育論を語るときは面白いのだ。

 

けど、けど、それが次のネタで経済とか社会とかシステムとか、要するに専門外の話をする時はどうしても「隅っこで拗ねてる子供」のような感じを受けるのだ。

 

大学の問題を語るときも

 

1・100年に1度の不況だから受験生が減少した。

2・大学の先生はビジネスマン主導でやる気を無くす。

3・大学の先生は過去の栄光を振り返り、懐古し良き時代に戻るし変化を嫌う。

4・だから大学の先生をうまく使うには変化はダメである。

 

これは教育論ではなくシステム論の問題だ。大学の教授をどう有効活用するか、である。

 

ところが話の前提やポイントがすべてずれてる。

1・受験生減少は100年に1度の不況だからではなく少子化である。

2・大学の先生は人の話を聞こうとしない。教えると拗ねる。

3・変化を嫌ったものはすべて滅びたという歴史の現実を忘れている。

5・学問は変化して進歩してきた。それを否定している。

 

などなど、元々彼の本を読んだときからずっと感じていた違和感が、このあたりに凝縮されているような気がする。

 

では彼の言うように大学を運営していたらどうなるのか?

1・既存の教育は暗記教育で大学に入るための教育で、大学に入る目的が大手会社に入社することなら、真面目に勉強する必要はない。

2・大学は社会の意見を理解もせずにどんどん時代遅れになる。

3・大学の教育にインセンティブがなければ、働いても働かなくても同じになり、全体のレベルが下がる。

 

特に問題なのは、じゃあ一体人は何故勉強をするのか?と言う基本的問題を理解しているように思えない。

 

勉強や研究の最初は人が持つ好奇心であり、それに技術として学ぶ方法を覚える。

 

ここまでは良い。

 

しかしその好奇心とは必ず社会を良くする方向に進まねばならない。この点がいつも彼の視点から欠如していると感じるのだ。まるで、「こんな世の中、なくなってしまえ!」みたいな。

 

けど、どれだけ偉い哲学者がどれだけ立派なことを言っても、その結論が「だから人間は滅びるべきだ」となれば、こんなもの学問じゃない。

 

人を幸せにしない勉強等、意味はないのだ。

 

この点において根本的に理解されてないのではないかと思う。何だか拗ねた子供が隅っこでだだこねてる感じなのだ。そこに人間の進歩と言う視点が欠落しているとしか思えないのだ。

 

だから子供の学習と言う視点では実に良いポイントを突くのだけど、それと社会の関係と言うことになると、途端に論旨不明瞭、てか論旨矛盾しているよね、となるのだ。

 

何故なら彼の言ってる一つ一つはすべて正しくても、それを合計してしまったら大きな間違い、てか社会が滅びるだろう。

 

部分の無謬(むびゅう)、合成の誤謬(ごびゅう)が発生するのだ。

 

一個一個の議論は、さすが学者で目の付け所が良いとは思うのだ。だからもうちっとツッコンで根っこのところまで降りていって、一般社会の人々の現実の生活に目を向けてもらいたいなと思った。

 

それともフランス文学とかフランス語を勉強していると、皆さん周囲が見えなくなるものなのか?もしそうなら、恐るべしフランス語とその文化、である。

 

写真は戦前から存在する邸宅の居間。



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2009年02月09日

Buy American 3

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続き 3

 

こんな事を考えて見たことはないだろうか。

 

今日本では商社など企業が商品を仕入れる際は出来るだけ相手を買い叩き支払いサイトを延ばして商品にけちを付けて値引きを要求し、消費者に安く提供しようとしている。

 

ところが買い叩いた相手も失業を恐れるサラリーマンでありながら家に帰れば消費者であるから、今度は溜まった鬱憤をメーカーに叩きつける。モンスタークレーマーである。

 

そうして生産者はマスコミに叩かれ企業は消費者に叩かれ労働者は消費者に叩かれ、皆が鍛えあって?真夜中まで残業して土日も出勤して、そうやって世界でトップクラスの商品を作りあげるのだが、その商品を本当に楽しんで使うのは誰だ?

 

大型テレビがすっぽり入るような大きな家に住み、滅多に壊れない燃費の良い車に乗り、残業もせずに自動洗濯機と大型冷蔵庫を持ち、土日は家族でBBQを楽しみ、利益は日本株が配当してくれるから生活には困らない。

 

日本人にせっせとモノを安く作らせてそれを買えば、自分たちは土日に休みが取れて残業も不要。そういうのは日本がやれば良い。不景気になったらそんな高級品を買わなければ良いだけ。製造業のリスクは不要。

 

そんなことを考えている国があるとすれば、さすがに腹が立たないか?

 

個人レベルでは既得権益とか自分の保身だけに生きてきた日本の政治家や官僚に頭に来るけど、国家同士での喧嘩となるとやっぱり僕は日本人だ。日本人を食い物にしている国家があれば、それはやっぱり頭に来る。

 

今僕が出来ることはどれだけあるのか分からないが、個人レベルで出来る限りのことをやっていきたいと考えている。



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2009年02月08日

Buy American 2

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*昨日からの続き*

アメリカの食料メジャーにとって1億人の食糧消費は大きい。だから次の日本向け食料政策は米潰しだ。

 

米は減反して日本の米農業を潰してしまえ。そしてアメリカから小麦を輸入させるんだ。

 

その為にはソフト戦略としてまずパンを食べることが格好良いと見せる。次に学校給食にもパンを導入させる。そしたら子供の頃からパンの味に慣れるから、大人になってもパンを食べる。その分米の消費が減るって計算だ。

 

要するに食べる人の人口が多いかどうかだけでなく、一人の人間が消費する主食の中の米対小麦の割合で小麦を増やしてパン文化にすることなのだ。

 

それだけでは勿論戦略不足だから、同時にアメリカは日本政府を動かして戦時中の食糧管理法を戦後長い間継続して米の価格を高めに設定しておいて安売りは一切させなかった。

 

これは当時の自民党の集票戦略とも一致して長期にわたって続いた。米の値段が逆鞘になればサラリーマンや企業が納税した税金をつぎ込むだけで政府の腹は一切痛まない。

 

米が自由化などを認めれば安くて美味しい米が出回る。けどそれはアメリカの小麦が価格競争に巻き込まれて利益が減少したり販売量の減少に繋がるのだから認めるわけがない。

 

そして米農業自体を潰してしまうには、誰も米を作らなくなれば良いのだ。

 

その為に農家が格好悪い商売だと位置づけて、農業をする事はダサいとイメージ戦略を植えつけた。

 

次に農家が減反して米を作らなければお金を上げるよと補助金漬けにして、生かさず殺さずにして新しい技術は導入させずにじわじわと細い紐で農家のクビを締め上げて、そんな農家はやりたくないと後継ぎが出てこないようにした。こうして米を作る農家が減少して喜ぶのは誰ですか?

 

答えは簡単、小麦を輸出するアメリカですよ。

 

美味しいお米の味を知っている日本人が、いくら日本で米がとれないからってタイの米を主食にするのはつらい。それなら最初からパンを食べようかと言うことになる。

 

こういう子供向け給食洗脳や米の価格調整、輸出入障壁、補助金漬け、後継者潰しなど様々な方法を使って日本がアメリカから食べ物を輸入するようにしたのだ。

 

もちろん日本でもこんなアメリカ従属に反対する政治家はいた。

 

けどそれはアメリカが南米や中東や東欧でやったように、まずは柔らかく提案されて、それを断ると政治家失脚、それでも難しそうな場合は、実際に殺人に手を染めた(と言われているとしか書きようがない・・・)。

 

勿論食料だけでなく外交問題や軍事問題、最終的にはアメリカの属国になるか中国と手を組むかって大きなところまで来ると、これは政治の問題になる。

 

田中角栄が5億円程度の金で失脚するなんて普通あり得ないって。田中角栄が当時首相として動かしてたお金を考えれば、そんなの小銭でしょ。

 

大体現職首相を逮捕なんて、普通に警察が動いたって検察が動いたって絶対に不可能。最後は指揮権発動で検察の動きはすべて停止できる。首相を逮捕出来るのはたった一つ、米国が動いた時だけ。

 

米国はこの時、政治問題として田中角栄を認識してCIAやエージェントを送り込み、マスコミに情報を流し政治家に資料を渡し、田中角栄に叛旗を翻すことを勧めた。そしていつもの通り「嫌ですか?ああ、そうなんですか」と恫喝。中国に接近した田中角栄を追い落とすことに成功した。その米国の手先になったのが彼の一の子分や二の子分だった。

 

子分からしても言い分はある。「親父、ここでアメリカに逆らっても勝ち目はない、中国と手を切ってアメリカ属国に戻りましょうぜ」

「ふざけるな!日本は独立した国家だ!どこの国とも対等に付き合うしお隣の中国とは一衣帯水の国ではないか!断じて認めん!」

 

そう啖呵を切った田中角栄を見た子分たちは、ため息をついて「おやじ、分かりました」。

 

そしてロッキード事件が始まった。

 

田中角栄が失脚して失望のまま病の床に就いたときでも、田中は絶対にこれらの子分を許そうとせずに、絶対に家に上げなかったという。悔しかったのだろう、折角の日本の真の独立の機会を身内によって奪われてしまい。

 

では何故米国は日本の政治に口を出すのか?そして日本はいつまで経っても国が一つになって同じ方向性に向かって進んでいかないのか?

 

これは米中日と言う3つの極で見ると分かり易い。日本という場所が元々地政学的に微妙な場所にいる。米国からすれば中国とロシアに対する「太平洋の不沈空母」だ。戦争は日本でやれば米国本土に爆弾は落ちない。

 

中国からすれば日本は、喉元に突きつけられた匕首のようなもので、日本からならいつでも北京や上海を急襲攻撃出来るし、ミサイルの確実な範囲内である。沖縄の核を使われたら終わりだ。だからなんとしても自分の支配下に置いておきたい。

 

ロシアからすれば何百年もの歴史的伝統として「南下政策」、凍らない港を探すと言う民族的本能がある。だから北方領土を押さえて虎視眈々と北海道を狙っているのだ。

 

今はムリでも米中が本格的に日本領土で揉めれば、その時は漁夫の利で北海道をかっぱらってしまえと言ったところだろう。ただ米中ほどには神経質ではない。ロシアは西側にも玄関があるからだ。

 

日本だってその気になって国民に愛国心を植え付けて国民がまとまれば中国や米国に対して反発するだろう。

 

けど日本は政治的に乱れているほうが民主主義が作動しなくて都合よい。これは共産党も米国も同じ認識である。

 

なぜなら日本で民主主義がしっかり機能して教育がしっかりしてしまうと日本人は今自分たちが置かれた立場に気づいて、選挙で自分たちの政治家を選ぶ。そうすると米国や中国のコントロールが効かなくなる。

 

米中にとって一番良いのは、日本が今の無知のまま両国の草刈場になってもらうことだ。

どっちつかずでいてくれるのが支配者にとっては一番幸せだ。

 

右翼が靖国参拝と騒げば左翼が南京大虐殺と騒ぎ、そして不毛の議論を繰り返すうちに国民が政治に飽きてくる。

 

そうなれば米中にとってはしめたものだ。そのためには中国は朝日や毎日新聞系を使い左翼宣伝を行う。米国と右翼は読売を中心としたマスコミを使って愛国心をかきたてようとする。

 

米国が賢いのは、愛国心を適度に掻き立てて中国の左翼宣伝と同じ程度にバランスを取る事で無関心状態を維持しようとするけど、あまり愛国心が強くなりすぎると困る。

 

だから靖国や南京は中国の左翼ネタで、ここに口出ししないアメリカは、けど北朝鮮拉致事件をネタにしてアメリカにとって利用しやすい調節ポンプにしている。

 

米国にとっては極東のアジア人同士が誘拐したりされたりなんて、今まで自分たちが虐殺してきた先住民や植民地でやってきたことを考えれば可愛いもんで、そんなもんどうでも良いのが本音。今は政治に利用出来るから使っているだけなのだ。

 



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2009年02月07日

Buy American

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「バイアメリカン」で米議会をけん制 IMF専務理事

  【ワシントン=大隅隆】国際通貨基金(IMF)のストロスカーン専務理事は2日、米国の景気対策で同国製品の使用を義務づける「バイアメリカン」条項が浮上していることに関し「グローバル化している世界経済の中で、他国のことを考えずに国内的な解決を図る道はありえない」と語った。

 

 

保護主義的な政策は「機能しない」とも指摘、米議会をけん制した。

 

 中国の通貨人民元に関しては「なお過小評価されている」と指摘しつつも「今は、人民元(の切り上げ)は重要な問題ではない」と強調。

 

世界経済の回復に向けた財政刺激策などで国際的に協調することが重要との認識を示した。(17:01)

 

 

グローバリズムとあれだけ騒いでた国が、今度は自分の国の経済を守る為に米国製を買ってくれってか。あまりのご都合主義にびっくりですな。

 

まあ勿論米国政府としてもこんな要望が世界で通るわけはない事は知ってるだろうから、これはあくまで米国選挙民に対して「オバマ頑張ってます!」なのだろう。

 

それでも日本はお人よしだからまたこんな議論に政府が振り回されて、マスコミがこれを煽って、テレビしか媒体を知らなくて自分の頭で考える訓練をしていないメジャーな人々が「よっしゃ、僕はアメリカの車を買います」とでも言うのかもしれない。

 

考えて見れば僕が農業や漁業をビジネスとして考えるようになったのはここ1年であるが、その原因はすべて米国発であった。

 

最初はとうもろこしとバイオ燃料問題。バイオ燃料がどれだけ代替燃料になるかもはっきりしないまま小麦粉を食料にしなくなった為に世界中の小麦粉の値段が上昇したのは誰でも覚えているだろう。

 

バイオは2年位前から何回か取り上げたが、その時に反対していた要旨が今そのまま表面化されている。

 

あれは代替燃料とかは単なる後付の理屈で、実は小麦粉をたくさん作るアメリカが次世代エネルギー戦略と小麦粉をもっと高値で売るために考えた戦略に過ぎない。

 

小麦を普通に粉にして消費者に提供するよりも、次世代燃料と位置づけて燃料危機の対応とすればその分高く売れる。おまけに世界の政府がこのバイオエネルギーを使うようになる。

 

そうすれば各国政府が補助金を出すようになるしエネルギーを作る基礎技術は全部アメリカが押さえておくから技術料でも丸儲けである。

 

燃料効率は悪いし各国政府の補助金を吸い取った挙句に自分だけ儲けて無駄な次世代エネルギーにしようとするその姿勢には、社会をよくしようとする発想が全くない。

 

常に自分だけが正しくて自分だけが儲ければ良くて他人のことなんてどうでもよくてと言う戦略が丸見えである。

 

もう一つ大きかったのは、このようなアメリカにある会社が世界の食料メジャーとして生産から流通、販売まですべてを仕切っており、自分たちの商品を売るためなら非合法な行為でも平気ですると言う事実を知ったからである。

 

政府にCIAがあり国策を推進する為に相手国の首相を暗殺したりクーデターを起こさせたり、東欧では民主主義という言葉を利用して反アメリカ諸国で選挙を行わせて親アメリカ政権にしている筋書きは、その後様々な映画のネタにも使われた。

 

てか、今のイラクやアフガニスタンを見ればよく分かることだ。

 

気に入らない相手が石油を持っている。じゃあ相手が持ってもいない大量兵器を持っていることにして無理やり戦争を仕掛けて相手の政権を倒して、政敵を全部潰した後に「民主的な選挙」をやって「ほら、民主主義だろ」と威張りながら、裏では米国政府の息のかかった石油メジャーがイラクの石油利権を次々に押さえ込んでアメリカの利益にしているのだ。

 

こういう資源戦略の食料版がアメリカのカーギルだ。このカーギルと言う食料メジャーは1800年代に出来た同族会社で、売上も利益も公表していないが、恐らく世界で一番大きな食料企業だ。

 

この企業ではパパブッシュが役員をしてたり、とにかく政府とのパイプが太いことでも有名だ。

 

カーギルが自分の持ってる余剰食糧を販売する先=国を決めたら、まずそこに友好的にエージェントを送り込み、まずは政府首脳に面談してアメリカの売りたいものを伝える。

 

そこでお互いの意見が一致すればその政府は安泰、逆らえば「あ、そういえばお隣のxx国、クーデターで首相が暗殺されましたよね〜」とほのめかす。

 

それでも強硬に逆らう首相や政権に対しては、本当に実力行使に出る。

 

日本は戦前は魚が主食だった。いつから日本が肉食になってパンを食べるようになったのだ?

 

答えは簡単で、戦争に負けてからだ。

 

最近はかなり日本も自主性を取り返してきたが、昭和20年以降昭和の終わりまでを思い出して見てほしい。食卓から次々と魚が消えて米が減って、肉が増えてパンが増えたではないか。日本人が自発的に食生活を変えたのではないですぜ。

 

戦後すぐの貧しい日本人はアメリカ人がステーキにかぶりつくのを見て涎を垂らした。戦後の日本人は、当時ビフテキと言って超高級食材と崇めていたものだものだ。

 

牛肉は戦後すぐの食料危機と言うこともあり、。体が大きくて格好良いアメリカ人は、自宅の庭で毎週子供の顔くらいある大きなステーキを食べてコーラを飲み、キャデラックを乗り回す姿は「あんな生活をしたい」wannabeブランド戦略として大成功した

 

ただある程度レストランなどの外食市場が広がって更に市場を家庭に広げる為に日本の食卓を調査してみると、家庭ではやはりまだまだ魚が多い。それに学校給食で鯨を出しやがった!

 

アメリカの牛肉を食ってもらうには、日本人が魚を食べ続けては困るし、鯨など言語道断!

 

そこで魚に関しては日本が法律的に魚を獲れなくするように公海上の漁業権(いわゆるxxマイル条約)を導入することで、それまで日本の船は世界中で獲れていたのが、獲れる場所や量が限定されることで漁業ビジネスが急激に傾いた。

 

獲れる魚が減少したのではない、獲れる場所がなくなったのだ。その為昭和の後半では多くの水産会社が大不況に陥り、清水港や土佐港などの漁師が仕事にならずに丘に上がり建設業に次々と就職するようになった。

 

とくに日本人がdaisukiな鯨、あれなんて米国からすれば迷惑の極め付きだ。牛の何頭分の肉が獲れるのだ?おまけに捨てるところがないほど優秀な食材だし牛肉よりずっと安い。

 

こりゃまずい、エージェント出動だ。そして今の反捕鯨運動が始まった。

 

日本人でも反捕鯨を強硬に主張する人がたくさんいるけど、そして現場で反捕鯨を叫んでいる人はそれなりに真剣なんだろうけど、上の方は米国から金を貰い、下の方は共産党の若者が文化大革命を信じて知識層を殴り殺したのと同じ。

 

結局皆さん最初から見事にアメリカの食料政策の手の中で踊ってるだけなんですよ。

 

長くなったので明日に続きます。



tom_eastwind at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年02月06日

オンラインチェックイン

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キャセイ航空では出発の48時間前になると登録しておいたメールアドレス宛にチェックイン連絡が入る。

 

オンラインチェックインでは、旅券番号や有効期限とか発行国の情報を入力していくことになるんだけど、この記載が面白い。

 

 

旅券発行国をクリックすると国名がずら〜っと上から下に並ぶんだけど、漢字表示だったりカタカナだったりするので日本を探すのも結構見づらい。

 

でもってにっぽんだから「ナ=N」だよなとか思ってスクロールしていると、南極?

 

南極で旅券発行してたっけ?

 

新西蘭? 電話番号を記入する欄でも国を選ぶ必要がある。キャセイ航空では搭乗客と話をしたい時には登録してケータイにいきなり香港から英語で電話が入ってくるのだけど、彼らが仕事しやすいように国番号の省略とか出来るようにするためにこっちが国を選択するんだろうな。

 

けどさ、新西蘭???

 

あのさ、おれ日本人なんだよね。普通の日本人が国名を検索すれば、当然カタカナで「ニュージーランド」って出てくると思うよね。

 

もしかして近いうちに日本は中国に支配されて中国語が標準になることを見越してシステムを漢字表記にしたのか?

 

そ、それってもっと言えば、南極はいずれ近い将来中国の領土になるってことか?

 

今度聞いてみよう。



tom_eastwind at 00:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2009年02月05日

アパートの鍵かします

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僕はニュージーランドでは「外国人」だ。けど、だからと言ってなんらかの証明書を持ち歩けとは言われない。

 

日本では、外国人が日本に住む場合は外国人登録証が必要となる。

 

 

そして登録証は常に携帯する必要がある。香港では国籍や旅券に関係なく、すべての人々がIDカードの携帯を義務付けられている。

 

国によってそれぞれルールが違うんだけど不動産を借りるときも日本はちょっと面白い。

 

外国人がアパートを借りようとすると必ず「外国人登録証」が必要になる。けどこの外国人登録証を取得しようとすると「現住所」が必要になる。

 

いたちごっこだ。

 

つまり役所に行けば「住所がないからダメ」と言われ、じゃあ住所を決めようと不動産屋に行けば「外国人登録証がないからダメ」となる。

 

外国人は身分証明書を携帯しないといけないのに日本人は何故携帯しなくて良いのか?みたいな議論もある。

 

実際に日本でアパートを借りるのは大変だ。子供の学校が蒲田なので地元の不動産屋さんを訪問したのだが、とにかく「日本国内の保証人がいないとダメです」の一点張り。

 

「何故?」と聞くと「大家さんが要求しているからです」となる。

 

このあたり、借家人が強い日本の法律の影響だけど、この法律が出来たのは戦時中で、戦争をしやすくするための法律だったのは有名な話。

 

もともと所有者が誰に貸すかを決めていつになったら出てけって契約を結ぶのはごく当然。

 

だからニュージーランドでは家を借りるときも保証人も不要だしとても簡単。けど、追い出されるのも早い。

 

借家人の住んでるところにある日突然知らない人がやってきて「おい、部屋を見せてくれ」となる。何だと聞くと、所有者がこの不動産を売りに出しているとの事。

 

こんなの日本じゃ考えられないが、ニュージーランドではごく普通。時には借家人込みで販売される。

 

売り方=所有者の営業文句は「借家人付きでっせ、新規募集も不要で家賃収入ありまっせ」だ。

 

まったく奴隷か家畜並み、そう思う人もいるだろうけど、所変われば品変わるの代表的なニュージーランドの話である。



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2009年02月04日

カムイ伝

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買ったぞ!

 

良い年こいて漫画買って大喜びしている。奥さんには言えないぞ、一冊が4800円の漫画を4冊なんだから。

 

それは写真下の百科事典みたいな「カムイ伝」豪華愛蔵版なのです!

 

うれし!〜

 

カムイ伝は、歴代漫画界の中でベスト10には絶対に入る作品で、作者の白土三平も勿論素晴らしい実力なんだけど、手塚治虫と比べればほんのちょっとだけ落ちる。

 

石ノ森章太郎と同じレベルかな。それはちょうどアイススケートで安藤と浅田を比較するようなもので白土と石森はほぼ互角。手塚治虫と比較する事自体にムリがあるかもね。

 

けどカムイ伝だけは、並みクラスの手塚作品よりは確実にレベルが高い。ブラックジャックと喧嘩しても負けないし、火の鳥と肩を並べたら5cmくらい低いだけ。

 

いや〜、うれしいな。こんな環境にいて何よりうれしいのは、過去の名作をゆっくり読めることだ。

 

この街は何もないけど時間だけはたっぷりある。職住接近だし残業ないし土日は完休だし年休は、・・あれ?おれは年休あるのか?けど本を読む時間だけはあるぞ。

 

何より作品が作られた1970年と言う時代背景とガロという一種独特な、ある意味宗教はいってますか?と思いたくなるような雑誌に掲載されたと言う特殊事情もあるが、けどやっぱり時代を超えていつまでも新鮮で本物なのだ。

 

他にも満州ものをいくつか買った。

 

佐野真一のドキュメンタリーでは、前回は満州の麻薬の元締めの話。今回は大杉栄を殺したことで有名な甘粕正彦。

 

それから馬賊の話だ。これも面白そう。戦前の日本や満州は、う〜ん、オレ、住んでみたかったかも。今もかなり自由にやってるけど、戦前の方がもっと楽しめた気がするな。

 

最近は満州や戦前の歴史にはまってます。今回は僕のクレジットカードで買いました。奥さんが買い物総額を見ると本気で怒り出すかもしれないので、はは。 

 

 

カムイ伝 (10) (小学館文庫)カムイ伝 (10) (小学館文庫)
著者:白土 三平
販売元:小学館
発売日:1995-06
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tom_eastwind at 00:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年02月03日

マリアージュ

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僕は外国に住んでるけど英語はネイティブではない。

 

子供の頃から徹底的な「使えない英語」を学ばされてきたので、発音、表現共にネイティブと比較したら話にならない。

 

 

それでも何とかついていけてるのは日本語で色んな事象について学んだベースがあるからだ。

 

エンジンブルブル、ノーゴーゴー、である(笑)。

 

その点うちの竜馬君などは頭は悪いのに英語はうまい。少ない語彙の中で最適な言葉を見つけて喋ってる。うらやましいな。

 

そんな生活をしているからかもしれないけど、やっぱり日本語を大事にしたいし、日本語で表現できるものは出来るだけ日本語で表現をしようと思っている。

 

最近よく日本出張で耳にする言葉の一つがマリアージュ。レストランでもホテルでもデパートでも良く使われている言葉。

 

**

マリアージュとは、フランスで”結婚”を意味し、理想的な結婚生活のようにお互いを
一層高め合うという意味からワインと料理の組み合わせに対して用いられる。

一般的に軽い料理には白ワインや軽口の赤ワイン、重めの料理にはしっかりとしたワインが
合うとされている。

**

 

なるほど、最初はフランス語で結婚の意味だったのがそのうち相乗効果を意味するようになりそれがレストランで使われるようになって、日本に渡ってきたときに女性誌の編集者に「使いやすい新しい言葉」として認識されたのだろう。

 

要するに、お互いに単体では得られなかったものを自分が持つものと相手が持つものを共有または交換することで今までにはない新しい価値が生み出せると。

 

それなら他に例えば共有の意味なら「出会いの美しさ」とか「めぐり合いの素晴らしさ」とか「重なり合う妙」とか、堅く言えば「相乗効果」、英語好きには「シナジー効果(これも疑問・日本語がちゃんとあるのにね)」とか、交換の意味なら「パチンコと玉のマリアージュ」など色々と表現方法もあるのだけど。

 

いったんこうなると日本人の極端な性格だから、そしてどんな機会でも販売に結び付けたいから何でもかんでもマリアージュだ。

 

帽子と服のマリアージュ、紅茶とケーキのマリアージュ、素敵なお二人のホテル披露宴マリアージュ。

 

これくらいならまだしも、そのうち焼きたての焼鳥と冷えたビールのマリアージュ、いも焼酎とモツ煮込みのマリアージュ、あげくにはレストランの今日の昼定食「男にとって夢に見た!焼きソバと目玉焼き2個のマリアージュ!」なんてさ。

 

やってる本人からすれば日本語を少しづつ壊しているなんて認識はない、自分が望んだ最高のファッション職場で高級女性誌を作って毎週締め切りで真夜中まで働いてるんだから、そりゃ自分がキャリアウーマンってドーパミンが出まくって楽しいんだろ。などとついつい思ってしまう。

 

考えて見れば毎日忙しくてゆっくり考えてる時間がない人がついついお手頃のネタで済ませよう、ましてやそれが使いやすければと、それが日本語全体を少しづつ低下させることは考えもせずに使うのだろう。

 

けど海外に住んで日本語をベースにしている人間からすれば、このようなヨコモジの使い方はどうなんかと思う。

 

夜遅く、それも終電近くの時間、駅を出た帰宅途中に夜食を買いにコンビニに寄った若い女性がファッション雑誌を手にとる。

 

表紙に映る綺麗な写真を見て「マリアージュ」なんて言葉が目に入ると、その美しい響に賛美のため息をつきながら、今自分が夜遅くまで安月給で働いている状態を見比べて、言葉だけでも“マリアージュ”って使いたくなるんだろうな。

 

だから、作る側の女性にも自分の雇用確保や時間節約という理由があるし使う側の女性にもそれなりのストレス解消になるのだから、被害者がいないではないか、だから犯罪ではないぞとも言える。

 

キャバクラで彼女が商売道具として“あなたとマリアージュ!”と言って、それを真に受けたフランス語学者が結婚を迫り拒否されたので包丁で刺したら、これはフランス語学者の犯罪であり、この言葉を生み出した製作者の罪ではない。

 

日本文化をどうこう言う人がいるが、突き詰めていけば日本文化は日本語によって存在している。

 

例えば日本人は世界中どこの国に行ってもその国の文化や習慣を尊重して溶け込む。その結果子供は日本語を使わなくなり、彼らにとって日本人と言うアイデンティティは消滅する。

 

中国はその正反対で、海外に出た華僑は何世代経っても母国の言葉を忘れない。

 

マリアージュ(笑)

  

 



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2009年02月02日

平成関東大震災

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200ページ以下の文庫本で地震学者の解説でもなく都庁の営業資料でもない。

 

この本は都内で忙しく働くサラリーマン向けに書かれた、かなり「あなたの個別ケース」に近そうなテーマで設定された情報小説である。

 

元ネタは福井晴敏が週刊現代に書いた緊急連載。

 

表紙の絵がバカっぽいので普通なら絶対に買わないのだけど、福井晴敏となれば「TwelveYO」、「川の深さは」など僕にとっては外すことの出来ない作家であり、彼の一冊であれば表紙がバカっぽかろうが(編集の技にかかったか?)まずは作者に敬意を表して購入となる。

 

ノンフィクションでありながらテーマは実際に起こりそうなケース、つまり都内の高層ビルのエレベーターで地震に遭ったらどうなるか?通行不能のケース、水と食料の確保、避難場所の確認、被災者の救助、被災後の心のケアなどを取り上げて、主人公や周囲がどう反応すべきかを教えたり情報提供をする。

 

地震を自身で正確に理解して地震に自信をもって対応するってのは、日頃どれだけの危機意識を持って生きているかによる。

 

こうなると多くの日本人はすぐ極論に走る。

 

殆ど多くの場合は、9月1日の防災の日が近づいて新聞でキャンペーンが始まると毎日が心配だらけで職場でも「どうしよう?」とかなり地震グッズがどか〜んと売れて、それでも新聞の地震キャンペーンが終わって10月にもなればデパートの地震グッズの売上はが〜んと落ちて、先月までの騒ぎは何だったんでしょうと言うことになる。

 

つまり、いつも自分の頭では考えずにマスコミに振り回されているのだ。

 

最近特に問題になっているのが「感染」。移動手段が発達した現代ではインフルエンザの新型だって世界中を旅する。

 

2003年に中国で発生した鳥インフルエンザがあっと言う間に世界中に広がったのはよく知られた事件だが、あの時の世界の反応はすごく、香港では約半年近くホテルや航空会社がほぼ全滅状態だった。

 

問題は、何が起こるにせよ、あまり気にしすぎては外出も出来ずに生活に支障を来たしてしまうし、だからと言って何の準備もしなければ万が一の事故に巻き込まれた時にパニックに陥って何も出来なくなるってことだ。

 

本来なら常日頃から自分の生活環境に健全な危機感を持って生きることが大事なんだけど、多くの人の大原則は「今日と同じ明日が来る」だから、危機感を維持することは難しい。

 

物語では新宿都庁の高層エレベーターに乗っていて大震災に遭遇した主人公が瓦礫と火災の中を何とか新宿から自宅のある墨田区京島まで歩いて戻る。彼は、そこで機敏に避難所に待機して全員怪我も無く無事だった家族に会える。

 

だが30年ローンを組んで去年苦労して建てた我が家は火事で消失、これから先住宅ローンは29年残っているのにどうすれば良いのか???その後彼の会社の同僚は事務所内で死亡し当分は自宅待機、仕事が消滅した。

 

**抜粋開始**

だってそうだろう、先の見えない明日、避難生活、呆気なく失われた命。一時に受け止めるには重過ぎる。おれの人生にはこんな時の対処マニュアルはなかった。二十年に及ぶ営業生活の中、大胆に決断しないことをよしとし、得意先のクレームには真摯に対応、他社との叩き合いにはなるたけ加わらないようにしてきた。特に策を持たず、日頃からの付き合いを大切にして、ひびが入りそうになればすかさず粘土で修復。そうやって小さな茶碗を一個、大事に大事に修繕しながら守ってきたような人生だったのだ。

 

その茶碗が、壊れた。もう修繕のしようがないほどに。これからどうしていいのかさえわからない。なにをしたらいいのかわからない。何故生きているのか分からない。

**抜粋終了**

 

そんな中、人は助け合いで生きていることに初めて気づく。人は自分だけではないんだ。ならば当然、自分だけが利益を得て他人にアッカンベーをすることは、自分にアッカンベーをする事なのだ。

 

それが自分の世代では分からない成功者でも、必ず子供の世代でアッカンベーをされる。そうならない為には、他人のために何が出来るかを考えることだ。

 

他人の為に働く事が自分の利益になるってのは、強い人間の信念だし、それは長い間共同社会で継続してきた。それがぶっ壊れたのは、米国による短視眼的な「バンバン、お前は死んだ」ビジネスモデルなのだ。

 

その結果として、「バンバン!」お前も死んだのだ、バカ。

 

この小説は災厄に遭遇してもそれを乗り越えて逞しく生きていこうねってテーマ。1時間もあれば読み終われる簡単な小説。

 

福井作品にしては歯ごたえも旨味もないけど、都内で避難する解説本という位置付けで読めば丁度良いのでは。

 

そんなことを書いてたらたまたま新聞で面白い記事を見つけた。

 

能登半島地震で被災した方の仮設住宅でIH調理器が使われた。何とか生き延びたおばあちゃんが照れくさそうに最新の技術を使っていた。

 

生きていれば、明日はあるのだ。

 

写真はクイーンストリートとビクトリアストリートの交差点。

 

平成関東大震災--いつか来るとは知っていたが今日来るとは思わなかった--
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2009年02月01日

デビルマン

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「オレは食っただけだ」

 

映画の最初の部分で人間より強い生き物として位置づけられてるデーモンが氷河期の永い眠りから地上に現れて人間を食い始めたときのセリフだ。

 

「活き造り」とはさらに一味違ったテーマ、あはは。

 

 

現代の人間の理屈で言えば、人間が人間を殺して食ったら殺人と死体損壊(?)で罰せられるだけでなく倫理的な問題を問われる。

 

少なくとも殺人者の身内や親戚は一家離散、名字変更で一生心の傷だ。

 

けど、人間が魚を殺して食ってもこれは殺魚であって、食べる目的なら罰せられることはないどころか、「どっちの料理ショウ」では「なんと優秀!」となる。

 

「人間は動物を殺して食ってるではないか。どうしてオレが人間を食ったらいけないのだ!」優秀な人食いであるデーモンが「どっちの料理ショー」に出れば大人気だったかも。

 

ついでに言えば彼らデーモンは地球の先住民族であり本来は自分たちの土地だったので、あとから来た人間は土地を勝手に盗んだことになるので、マオリがニュージーランドで多くの権利を持つようにデーモンが持ってても当然ではないか。

 

今の人間と魚の関係は完璧に力関係で成立している。魚と折り合いをつけながら生きる必要なない。

 

だって人間がどう転んでも魚に食われて滅びることはないからだ。

 

もし対等な関係でやるんならお互いに相手を認め合って魚と人間の間で「権利の章典」とか「刑法や民法」を定めて共同生活をするようにしないとね。

 

例えば魚と人間の間に結ぶ漁業権は魚が海で営業する権利であり、人間に昆布を売るとかスキューバダイビングショップを経営する権利とかになる。

 

魚が昆布やダイビングの対価として人間から受け取るのは水中銃で、こいつで哺乳類である鯨や甲殻類のイカをやっつけて海が魚の支配する世界にするのだ!

 

権利書作るときは人間側は署名、魚側は手がないから魚拓だな。

 

(実際にワイタンギ条約を白人とマオリが結んだとき、白人の署名に対してマオリはマルやバツを書いたのだ。そしてマオリは白人から受け取った銃でお互いの部族同士の戦いに使った)

 

わはは、ついに食物連鎖の一番上のくじらを取り除いたから俺たちが一番だ!そしてぬるぬるする変態みたいなイカも、あいつらでかいけど甲殻類なので魚じゃないから、同じ海の水を飲んでても敵だから殺しまくれ!

 

魚の世界でも当然に上下がある。おれさまはカジキマグロ。お前らひらめは黙って下向いてろ。

 

さよりとか可愛い名前しやがって、さあ食うぞ。はまちのやろう、出世してブリブリに大きくなったら政敵になりそうだから、今のうちに食っておけ、ばく。

 

だから1700年代にオーストラリアや米国に入植した白人は、そこに住む先住民族を最初から対等な立場と認めずに魚と同じように扱った。魚拓にしたのではなく撃ち殺したのだ。

 

え?何を意味不明なこと?けど、オーストラリアにおけるアボリジニは1800年代には動物の一種であり、入植者が彼らを殺しても裁かれなかったし、1950年代までは人口台帳にも掲載されず、生まれてきた子供はオーストラリア政府が無理やり親から引き離してその後に大きな問題を残した。それはすべて白人の持つ銃と人口数と工業化の違いである。

 

だからもし一つの種族よりも圧倒的に強い種族が出てきた場合、弱い種族は強い種族に対して戦う力もないし理論的に対抗する権利もないだろうし、その時は食われても仕方ないと言う理屈になる。

 

これが昔の奴隷制度だったのだろう。戦争で相手をやっつけたら、それを食うよりも働かせるほうがよりたくさんの生産性があるのだから、殺してしまうよりも奴隷に子供を産ませて数を増やしたほうが良い。

 

奴隷時代の白人の理論でいけば、デーモンが人間を食うのは当然の行為であろう。当然だ、腹が減ったのだから。

 

さて、デビルマンは永井豪が描いた傑作SF漫画だ。

 

1972年、今からもう36年前に作られた作品は少年ジャンプが少年たちの聖書だった時代の強力なライバル「少年マガジン」に掲載された作品。

 

デビルマンは何度もテレビ化や映画化されて、2004年には漫画版の実写版が出来ている。

 

地球上を征服していたデーモンが氷河期に冬眠、目覚めて見るとそこは人間の世界だ。デーモンは人間と合体することで人間を征服しようとする。

 

今日はりょうまくんとこのデビルマンを見ているのだけど、あの頃の漫画やアニメには本当に主張があったなって感じる。

 

だからついつい冒頭のようにお魚さんの話になってしまうのだけど、当時はSFと言いながら思想性があったから、時代を越えた今でも新鮮さと創造力を感じるのだ。

 

勿論その時代背景には60年代から70年安保で日本が引っくり返るような騒ぎになり、これがその後の安保闘争から成田闘争、そして過激派による身内同士の「浅間山総括」殺人となり、過激派の生き残りはパレスチナ過激派に合流、その後の赤軍派となった時代だった。

 

だから映画を見ながらその雑さに唖然として俳優の学芸会活動にびっくりしてオリジナルの筋子じゃなかった筋書きがいくらみたいにばらばらにほぐされてあちこちに飛ばされててしまい、原作を読んでない人には全く意味不明の展開だったろう。

 

けど原作を同時進行で読むことが出来た僕には懐かしさがあるし、筋子がいくらになってても、元々の筋子状態を頭の中に入れてたので、場面ごとに「ほう、こうやっていくらを切りとったか?」と分かる。

 

ある映画評論家は「ポスターのみが綺麗で、100点満点の2点」を与えたり、2004年で最も下らん映画と賞をもらったり散々な結果となった。

 

他には見所ないんかい?と言われても、まさに何もない。映像CGのみ。とにかく見れば分かる。

 

大体真面目なテーマで作るなら、人間がデーモンに変身するときにデーモン小暮の顔作るなっちゅうに。

 

映画の前半では人類を守るデビルマン対人類の敵デーモンだったが、そのうちデーモンの中でも人間の理性が打ち勝つを持って後半では人間同士が不信に陥り殺し合いになり、遂には魔女狩りが始まる。

 

わたしたちじゃない、悪魔はお前ら人間だ!人の心を持つ悪魔となったMIKOは、魔女狩り集団に向かって突撃していく。

 

等と、テーマ性を全面に出すと見かけ格好良いのだが、最後の場面でのボブサップも、あれは笑っていいのか怒ればいいのか、本当にやじろべえーのど真ん中に立たされた気分でいらつく。

 

前宣伝の音楽も酷い。ラップだぜ、デビルマンを。

 

〜だれだ、だれだ、だれだ〜!〜と始まる「あの音楽」を、どんなセンスでラップにしたんだろう。漫画原作を一度でも読むなり当時の人々に永井豪やデビルマンの事を聞いてれば、絶対にあり得ん選曲。

 

真面目なのかふざけているのか、それとも頭の悪い真面目な連中が永井豪のブラックジョークの意味も分からないまま見掛けだけ真似をした教条主義者か?たぶん教条くんだろうな。

 

この映画は先週アルバニーで18.98ドルで買ったのだけどR13指定となっている。妥当かな、けどかなり「ぐろい」ので、子供と見るときには要注意。

 

 



tom_eastwind at 14:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画