2009年04月

2009年04月30日

甘粕正彦 乱心の荒野

甘粕正彦 乱心の曠野甘粕正彦 乱心の曠野
著者:佐野 眞一
販売元:新潮社
発売日:2008-05
おすすめ度:4.0
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甘粕正彦 乱心の荒野読了。

 

日本が中国東北部に進出して満州という国家を作った。これはその時の世界情勢の中ではある意味常識と言えただろう。

 

だってみんながしてるんだもん、何で僕がやっちゃいけないの?少なくとも僕は、侵略した土地の人々を皆殺しにしたり奴隷にはしなかったよ。

 

帝国主義と弱肉強食が当然の時代、スペインが南米インカ帝国を滅ぼして自分たちが領主となり、その後は英国がアジアアフリカの植民地を作り、遅れてやってきた米国はフィリピンを支配して東南アジアはずたずたにされた。

 

東南アジアの中で唯一欧米と張り合うことが出来た日本は、日清戦争と日露戦争を経て満州の植民地化に乗り出す。

 

このあたりは以前読んだ福田和也の石原莞爾本「地ひらく」に詳しい。

 

この当時の日本陸軍の一部超優秀な幹部は、時間の針を戻せば明治維新の志士たちと繋がるのだろう。本気で日本民族を考え、どうあるべきかを考え、私利私欲ではなく国造りをした人々。

 

そんな中に甘粕元憲兵大尉も混じっていた。

 

甘粕と言えば大杉栄事件である。ぼくも学校では関東大震災を利用して憲兵甘粕が無政府主義者の大杉栄と伊藤のえを殺害した犯人と習った。その時は子供も一緒に殺されたとは学んだ覚えはない。

 

当然ぼくの認識では甘粕と言うのは「悪い人」と印刷される。これが学校教育の怖いところだ。真っ白なキャンパスに最初に色を塗ったものの勝ちである。その点教育を押さえている国は強い。

 

満州をテーマとした本でぼくが最初に手にしたのは五味川純平の「人間の条件」である。満州の鉄鉱石を掘る山と関東軍を舞台にした大作で、今も僕の中では5本指に入る作品だ。

 

けど、どうしても左傾化した内容で書かれているから子供の頃に読んでこれまた軍国主義が嫌いになった僕としては、どうしても右翼系の本を読む気になれなかった。

 

小説における子供の頃の洗脳が解けたのはここ5年くらいではないか。歴史を紐解いて見ると僕の知識の中の満州の位置付けと、自分が今まで学んだ世界史の間にどうもずれがある。

 

もしかして違うんでは?そう思って少しづつ満州の本を読み始めた。それがぼくを甘粕大尉まで引っ張ってきたんだな。

 

誰しも自分の知っていることが正解だと信じている。とくに子供の頃に学んだ知識については訂正のしようがないくらい信じ込んでいる。

 

佐野真一と言うノンフィクションライターには毎回驚かされる。とくにその取材の緻密さと、きちんと裏を取りながら事実のみを押さえていく姿勢。

 

ガセネタや大本営発表ネタしか書かない今時の記者や物書きに是非とも学んでもらいたい姿勢である。

 

結論から言えばぼくが学校で学んだことは間違っていたようだ。甘粕憲兵大尉は大杉栄一家殺人事件の犯人ではない。

 

それでも甘粕はやっていない、のである。

 

ただ甘粕はその時の組織や大義に殉じて、あえて「やった」と言い罪を被り周囲の避難を一手に引き受けてその後の人生に大きな傷を残したのだろう。

 

満州と言う国家の器を作ったのは石原莞爾とその一派である。この器に行政を持ち込んで、新しい世界を作ろうとしたのが元首相あべしんぞうの祖父にあたる岸信介とその一派である。

 

自民党を作る時にパトロンとなってカネを出したフィクサーやロッキード事件で名前が出た連中や大物と言われる政治家は、その過去をつなげていけば大体満州に到着する。それほどに満州とは野性で新鮮で魅力的であったのだろう。

 

そしてその頃の満州メンバーである政治家やフィクサーが戦後の日本を牛耳って今までやってきた。

 

戦前日本史を理解する上でも是非とも読んでおきたい一冊。けど、、、、分厚いぞ。

 

前回の出張でもカバンに入れてたのだけど、蝦夷地別件(分厚い文庫本で三冊)に時間を取られて出張中は読めず、結局ページを開かないままに自宅に持ち帰り、やっと3晩で読了。

 

それにしても日本で仕事をしていてもいつも感じるのは、基礎知識の薄い人が何と多いことかって事。仕事以前に人間としての基礎的知識がないから、なんかキッザニアで仕事をしている感じ。

 

皆さん、本を読んでも損することはありません。喫茶店のお茶飲みや自分へのご褒美とかぼや〜っとした時間を持つとか、そんなの人生の無駄の垂れ流し。本を読みましょう。

 



tom_eastwind at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2009年04月29日

自己変革 満州

「東条には思想も意見もない。思想のない者とは意見の対立もない」

 

昭和21年3月に戦勝国側の検事が出張尋問した時の石原莞爾の言葉。

 

そうなんだよね、これなんだよね。一人でうんうんと頷きながら本を読んでると家族が不思議そうな顔をする。

 

普通、本を読んでるときは言葉を発しないのだけど、いっや〜戦前の満州ネタはすごいぞ。

 

実は移民とか移住のベースってこの時に既に出来上がっていたんだね。

 

戦争に負けて日本は島国に押し込められたけど、実は元々は世界に雄飛出来る民族だったのではないか。

 

大きな明後日の夢を描く石原莞爾と、明日の米びつの残量を確認する東条。その間で仲を取り持つ甘粕。

 

今まで僕の頭にあった甘粕の印象がすっかり変わった一冊である。てかこれ、無茶苦茶大きい。甘粕の立ち位置ってそこだったのか!

 

満州って大きな国造りであり、それがほんの数名の力で行われたってとこに日本の特殊性があるのかな。

 

それも権力側によって行われた大変革である。普通の西洋社会なら民衆が権力に対して戦うのに対して、日本では明治維新もそうだけど常に権力者の側から自己変革を起こしてきたと言う歴史がある。

 

自己変革は思想も意見もない奴には出来ない。けど思想や意見があっても実務が出来ないと自己変革は出来ない。

 

両方をバランスよく持っていないと変革は出来ない。出来てるか?・・・自己反省の日々だぞ。



tom_eastwind at 18:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年04月28日

明後日は素晴らしい、けど明日は?

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甘粕は石原莞爾を「明後日の計画は素晴らしいが明日が抜けている」と言い、石原は甘粕と東条を「思想のない実務屋」を言う。

 

今読んでいる「甘粕正彦・乱心の荒野」で出てきたせりふ。な〜るほどな。本当にそう思う。

 

実際に歴史の勉強をしていると東条がやってた事と石原莞爾がやってたことの違いは、まさに思想であると思う。

 

世の中のことは随分難しそうに見えるけど、突き詰めていけば実は簡単だ。いつでも死ぬ覚悟でいる事は大前提にして、その上で今日の現実を取るか明日の夢を取るかである。

 

この本を読みながら何よりも面白いのは、これって「国造り物語」だってこと。満州と言う、今まで日本人がいなかった土地に日本人を移住させて日本民族を発展させる。

 

規模は全然違うけど、考えてることは同じだぞ。ニュージーランドに5万人の日本人を移住させる。その為の起爆剤として当社が存在する。

 

日本人が住む為に必要な様々なインフラを用意して、地元のキーウィにも理解してもらい、相乗効果を産み出しながら成長していく戦略だ。

 

今日もMAORI族のビジネスマンとミーティングを行った。実に眼力のある男だけど、何より楽しかったのは彼との会話で誰がいくら儲けるかではなく、MAORI族の宗教観とか死生観と言う点で話が出来たことだ。

 

思わず「飯食おう。食いながらゆっくり話そう」と声をかけてしまったが、ビジネスのレベルではなく概念のレベルで共有できるものがあれば、これは強い。

 

個々のビジネスで誰がいくら儲けるかではない、共同体としてどう活動していくか、そんな話が出来ればとても楽しい。仕事って本来そうではないか?

 

週末に飯を食う約束をした。さて、日本人の宗教観や死生観、普遍的な部分と現在の日本人が抱えている問題点をどう切り離して説明するか。それも英語で、だぞ。

 

本はまだ途中だけど、何かまた新しいものが見えてきたぞ。

 

宗教観の話等したので、思わずその後の社内打ち合わせでも宗教の話を出してしまった。あれはよくない。反省。

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年04月27日

オークランドに戻ると、、、豚

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日曜日にオークランドに到着、そのまま自宅に戻りたっぷりの半身浴と読書。

 

そういえば最近も本は読んでるのに、あまり感想書いてないな。

 

 

文庫本3冊の分厚さになる「蝦夷地別件」とか、何故か今の時代に売れている「ニューギニア戦記」、その他いろいろと読み込んではいるのだけど、ついついそのまま会社の本棚に放り込んでUPするのを忘れてしまう。

 

やっぱり最近半年の自分の流れが戦前に固まっているからか。書き始めると止まらないし、かと言ってアイヌ問題とかニューギニアとかを中途半端に書きたくない。どちらも自分の中ではかなり重いからだ。

 

今風呂の中で読んでいるのはノンフィクションルポライターとして僕の中でトップクラスに有名な佐野真一の「甘粕正彦 乱心の荒(言語は日に廣)野」。

 

今時大東亜戦争や満州事変の話をしても殆どの人は口に突っ込んだお箸を一瞬止めてびっくりしたように「何それ?」、「誰それ?」だろう。

 

前作の満州の麻薬王とか馬賊の伊達準之助とか、これから読む本である「風の払暁」など、最近3ヶ月は戦前の満州をテーマにした本をまとめ読みしている。

 

20世紀の一時期にこの世に存在しながら、野獣の集まりのような世界の殺し合いの中で消された国、満州。

 

大体そんな終わった国の話なんか読んでどうすんの?って感じかもしれないけど、人間の未来は過去の歴史の中に答があるんだもんね。

 

誰しも失敗はしたくない。だったら同じようなケースで失敗した人の本を読めば、人がどこで足を踏み外すか分かるでしょ、その意味で歴史を扱う本は学ぶものがある。

 

けど今日の話は本ではなく豚。

 

何とメキシコで発生した豚インフルエンザがニュージーランドでも発生したのだ。メキシコに旅行してた学生が持ち込んだとの事だけど詳細は不明。

 

だろうね。こんなのをあんまり派手に取り上げたら、それこそパニックだ。

 

けど日本人の掲示板では早速いろんなコメントが出てる。その中で一番笑えるのがこれ。

 

★日本に帰国ができない可能性もあります。いまのうちに帰国して方がいいと思います。いつもなんでイスラム教の人が豚肉食べないと考えていましたが、やっぱりなにかある。私は明日の便で日本に帰ります。★

 

冗談なのかツリなのか本気なのか、(笑)もないし分からないのだが、受けた。

 

実はSAAS(だったっけ?)が香港で発生した時にうちの家族はまさにそのど真ん中にいた。いつも通う自宅近くの吉野家が入ってる雑居ビルが全面封鎖されてしまい、誰も出入り出来なくなったのだ。

 

怖いよね。けど、世の中って怖いことばかりだよね。

 

なので、家の対策としては日常生活を変化させないけど、いつものようにアンテナだけはきちんと張っておくのみ。

 

考え始めたらきりがないし、考えなかったらバカ。なのでその真ん中を行きます。

 

最悪やばそうだったら、今回は香港に避難するか日本に避難するか。こういうときにありがたいのが、自分が住める国が3つあるという事ですな。

 

リスクは常に分散させるってのは投資の基本ですが、それは安全リスクも全く同じで、一つの国のルールに従っていては、そこで何か起こった時に「逃げ」がきかない。

 

豚丼を食べるかどうかは別にして(笑)、インフルエンザにご注意ください。

 

 

 



tom_eastwind at 21:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月26日

日本出張最終日

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最終日は9時からの朝食ミーティングから始まる。

 

朝ごはん食べながらのミーティングってのは、なかなか新鮮。

 

やったことないもんな。

 

ナンだかまるで日本にいるみたいに忙しい、てか間違いなく日本にいるし、有効な時間の使い方をやってるな。でもこの朝の時点では、今日がまさかこんなに忙しくなるとは思わなかったぞ。

 

ミーティング後は部屋に戻りメールを処理して、何とかある程度片付けてみるものの、なかなか全部は片付かない。結局いくつかは放置して品川駅に向かう。

 

品川に着いたら一番早い新幹線に飛び乗り新横浜へ。時間が中途半端なのでやば、またも昼飯食い逃すかもとか思いながらそのままミーティング会場に移動。

 

今週は一体何人の投資顧問業の人と会ったことか、まだきちんと数えてないけど10人は下らないぞ。

 

14:00からのミーティングでプレゼンをしながら、今回提案する投資物件は彼らはプロとして冷徹な計算でYesNoを出していくのだけど、主な話題が終わってその後にJBCの農業+漁業ビジネスをちらっと話すと、皆さんきまって乗り出して話を聞いてくれるのが興味深かった。

 

「そうですよね、今の日本が取り組むべきテーマですよね、こういうのにファンドを付けていけば、単純にいくら儲かったかとかではなく、社会貢献にも繋がっていくので人にも堂々と言えますよね」と喜んでくれる。

 

農業ファンドの仕組みはこうだ。

 

例えば今手掛けようとしている「天然の鯛」を、今までのニュージーランドに存在しない流通システムを導入することで、日本食レストランのシェフの目の前まで生きた鯛を届けることが出来る。

 

この技術導入と加工場を借りる費用、そして加工処理する人件費などを合計して運営に必要な費用を算出するのだが、最初は大体3千万円くらいで計算を仮に開始する。

 

この費用を30分割して一口100万円で募集をかける。これには鯛専用のSPC(特別目的会社)を設立して、他の商品と利益や費用が混在しないようにする。

 

次に鯛の月間処理量を算出してそれを売上に換算して利益率をかけていく。ここがポイント。

 

最終的に一つのファンドで投資家の利益を10〜15%程度に設定して売値を計算して、これが市場価格として受け入れられるかどうかを市場調査する。

 

市場調査に問題なく、レストラン側が受け入れ可能な価格であれば、これでファンドの募集を開始する。

 

もちろん投資なのでリスクマネーである。もしシステムを作り上げた後に突然鯛がニュージーランドの海からいなくなれば、その時は他の魚を探さねばならない。すべての魚がニュージーランドからいなくなれば、鯨でも獲るか(笑)?

 

しかしまあ投資ってのは、実は銀行にお金を預けるのも間違いなく投資であり、リスクとリターンをどれくらいで設定するかの問題だ。

 

だからこの投資のリターンが低ければ当然投資家としては興味を持たない。けどこれがニュージーランドの雇用と流通革命を起こし、結果的に日本人が行った技術革新と投資によってニュージーランドが喜んでもらえれば、これはお金で買えない喜びがある。

 

これがアグリファンド、つまり農業ファンドの面白みである。

 

今回はまず鯛から始めるが、ある程度見込みがつけば他の分野にもどんどん進出して、それぞれの商材に合わせてファンドを組み、例えば牧場ファンドであればオーガニック牛肉の一番美味しい部位を配当として投資家に送ることも可能だ。

 

ニュージーランドから届いた牛肉で「あのさ、うちの牧場で育った牛の美味しいところが送られてきたんだよ、今週土曜にバーベキューするから家に来ない?」と友達を呼ぶことも出来る。

 

なかなか格好いいじゃんか。ニュージーランドの雇用と経済に貢献しながら自分は金利配当と現物(牛肉)配当を受ける事が出来る。友達を呼んでパーティも出来る。

 

投資ってのはやっぱり実業がいいよな。

 

新横浜の仕事が終わってから一旦ホテルに戻りメールの処理をしてから、今度は溜池山王に移動だ。18:00からのミーティング。

 

これが何と首相官邸が目と鼻の先ってとこのオフィスでミーティングなのだが、今度は更に厳しい評価をする投資家を相手のプレゼンテーション。

 

いや〜、これがきついきつい。「中途半端な商品なんか相手にせんぞ、ぼけ〜!」と、関西弁でまくしたてられる。

 

ほんと、投資家によって全然商品の評価が違うよね。

 

ある人はキャッシュフロー、つまり利回りを重視して、ある人は売却時のキャピタルゲインを見ている。すごいのは、皆きちんと自分のポリシーを設定して、自分に課した原則を曲げないと言うことだ。

 

今回の投資家は一般住宅よりも利回りの良い商業ビルに興味があり、「やっぱり20%くらいないと投資なんかせんぜ〜」的。

 

うむうむ、なるほどね〜。よっしゃ、こりゃオークランドに戻って商業物件を探してみましょう。10〜20億円程度の物件探しだ。来週は不動産部門、忙しくなるぞ。宿題だらけだぞ。

 

この会議が終了したら、次は歩いて10分程度の場所にある高級ホテルでの会議だ。途中に博多ラーメンのお店があったので、昼飯抜いてくーくー言ってるお腹に豚骨ラーメンを詰め込む。

 

これは結構旨い。チャーシューも麺も良いし、スープはお店が言うほど薄くない。

 

けどなんかな〜、もうお腹が空き過ぎて気持ち悪くて、せっかくの豚骨ラーメンも8割くらいしか食えません。味は悪くない。

 

申し訳ないな〜とか思いながら「すみません、ちょっとお腹一杯ですけど、美味しかったです」とお断りしてお店を出てからホテルに向かう。

 

このミーティングではファンド商品のお話を聞く。すごいな〜、やっぱり日本の真ん中東京だ、全然商品内容の磨き方が違う。

 

結局日本人って、製造業に限らずこういうファンドビジネスでも、見事に黄金の玉にするんですね。つまり日本人ってのは、日常の生活のレベルからすべてのものを磨く技術を身に付けてるんだな、本当にすごい!と思った夜でした。

 

仕事が終わったのは結局22時過ぎ。それからホテルに戻りシャワーを浴びてこの日最初の一杯のウイスキーを飲んだのは23時30分。

 

ふ〜、アルコールが心地よく体をほぐしてくれる。こんなに神経張り詰めたのは久しぶりだぞ。

 

よっしゃ!今回の出張、オークランドに戻ったら全部形にするぞ!



tom_eastwind at 18:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年04月25日

よっしゃ、オークランドに戻るぞ

昨日までブログをUPする暇なし。

今回の出張では、今までと全然違う世界を見てきた。

なんつか、今まで僕がやってたことが竹刀のちゃんばらなら、今回聞いた話は抜き身の真剣の日本刀で正面から向き合った本当の戦いである。

いっや〜、日本の奥深さを思い知らされた。

今から香港に向かい、明日の昼過ぎにはオークランドに戻る。

今回の出張の前までに知っていた日本とこれから見ていく日本は、全く違うものになるな。面白い。やってみましょう、そんな本気が燃え上がった日本出張だった。



tom_eastwind at 14:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月22日

相模大野

僕にとって東京の一番西は町田市で、そこさえも今まで行ったことがない。

 

更にその向うの街ってなると、こりゃもう大航海時代以前の地球が四角だった時代の、あの海の向うは断崖絶壁ですぜと言われた時代のような超遠隔地。

 

そんな事を言うと「失礼な!東京のベッドタウン、新宿から30分の通勤圏内です!」と思い切り反撃を食らう。

 

その通り、それは良く分かる。けど、小田急とか乗ったことないし、箱根とかまで電車で行けるなんて思いもしない九州の山猿からすればびっくりするのみである。

 

夕方のアポで相模大野駅で待ち合わせってことで時間を計ってみたら、やっぱり恵比寿から1時間ちょいかかる。

 

うわ=、遠いな、こんな所に人が住んでるのかよってのが正直な印象。

 

ところがほぼ満員の小田急電車に30分ほど揺られて到着したその街、なんてかこりゃ、オークランドシティよりもでかいんではないのか??

 

まさにびっくり、東京ってのはそのベッドタウン一つだけでオークランドシティよりも数倍でかいんだ。

 

駅前から伊勢丹まで歩いてく通りは全部雨降り用のドームが付いているではないか!

 

伊勢丹ではブルックスブラザースが売ってるではないか!

 

おまけにデパートの七階にはキハチも入ってて、もうもうびつくりの連続である。

 

いや〜、やっぱり東京は、でっかいすね。

 

偉そうに日本のことをどうのこうのって、けどこれだけでっかい国をまとめるのは大変だろうな、あっそさん。

 

本当は町田市にちょいと寄って一杯飲みたかったんだけど、会議と食事が終わってホテルに戻ったのが23時過ぎ。さすがに移動に疲れたっし。

 

今日は日本のことどうこう言わず、とっとと寝ます。



tom_eastwind at 02:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月21日

特別に

キャリーバッグの取っ手がもげてる!

 

成田空港に到着してオークランドで預けた4個の荷物を集めてたら、服を入れたてソフトバッグには何もなかったのだけど、ぼくが5年くらい愛用しているキャリーバッグの取っ手が、かなり強烈な力でもぎ取られてた・・・。

 

こんなん初めてだぞ。一体どんな荷物輸送しているのか分からんが、とにかくオークランドでは荷物の扱いがぞんざいである。雨が降ってても普通に機外に放置するんだもんね。

 

おまけにこのカバン、すでに底の方のジッパーのあたり2箇所をかぎ裂きされたのは数年前のことだ。

 

こりゃもう再起不能かな、このカバン。

 

一応キャセイ航空のカウンターに持って言って、まずは冷静に伝える。

 

「すみません、預けたカバンの取っ手が全部もげてて、取っ手自体が紛失しているんですけど」

 

そう言った僕に対して受付の女性は一応「ああ、そうですか、どのような状況でしょうか、ちょっと拝見させてください」と丁寧な言葉使いながら、その底には「知るかい、預けたお前の問題だろ」ってのがちら見えだった。

 

これは彼らもマニュアルに従って話をしているわけで、カバンの取っ手の一つくらいでいちいち相手にしてられないのも分かる。

 

けどまあこっちからすれば長年の付き合いのカバンである。

 

一年で60回くらい飛行機に乗るわけで、5年も付き合ってくれたカバンなんだから、やっぱり一応航空会社にはクレームをしておきたい。どうなるか分からないけど、長年付き合ってくれたカバンの為にきちんと一言言わないと、やっぱり冷たい男ってなるでしょ。カネがどうこうではない、付き合いの部分でやっぱり一言ってなるのだ。これは仕方ないけど今後どうするのって部分。

 

さてどうなるかと思ってたら、最初は「あ、取っ手は免責ですから、うちは知りません」的な返事。

 

おいおい、ここの部分がいつから免責になったのか知らんが、そんな言い方はないだろうがよ。

 

これをお前が修理しろって言うよりも、今後はこうしますからみたいな前向きな話を期待していたのに、彼女の答えは正反対。

 

おおい、そりゃあ今の時代クレーマーは多いだろうよ。けどこっちはキャセイに何年乗っているか記録を見れば分かるでしょ。今までヘンなクレームした事がないのも分かってるでしょ。ブラックリストに名前がないんだから。

 

だから少なくともこっちの話を聞いて欲しい、その上でニュージーランドから香港区間での荷物の扱いについては注意を促してくなどの建設的なお話をしたいでしょう。

 

そのあたりから僕は少し腹が立ち、受付の彼女に対してこちらの意見を説明した。僕は切れると急に冷静になり、いきなり1秒前には考えもしなかった論点整理が頭の中で出来て、それが機関銃のように口から飛び出していくのだ。

 

これ、特技というのはヘンかもしれんけど、その時はとにかくこちらの言いたいことを説明した。

 

それが2分も続いた頃、彼女は突然「はい、ではちょっと上司に確認を取って〜云々」と言う話になった。

 

そして上司に電話を入れて指示を受けて電話を切り、こちらを振り向いた顔は笑み満々で「はい、では本来はダメなんですけど今回は特別に修理出来るように手配をいたします」だって。

 

これで僕は切れた。

 

そうではないのだ。僕だけ特別扱いをしてくれなんて言ってない。大体ぼくだって旅行屋で30年飯を食っている。カバンが壊れることもあるだろうし、それにいちいち航空会社が付き合っていられないのも分かっている。

 

しかし今回の事件はオークランドから東京の間のどこかで民度の低い人間が行った人的災害であると考えている。

 

そして僕が言いたいことは「お前、修理しろ!」ではない。あくまでもこれを機会に民度の低い連中がどこかにいるわけで、それへの対応をしてくれ、その結果このような事が起こらないようにしてくれと言うのが依頼の趣旨である。

 

ところがそれに対して「じゃあんただけ特別にね」なんて、じゃあナンだ、大きな声を出せば良いのか?じゃあ声を出せない人は泣き寝入りなのか???

 

そうではないだろう、制度としてきちんとやるべきであり、キャセイとしてシステムを考えることで乗客の利便を図るべきだろう。

 

長いものには巻かれろなのか?無理を通せば理屈が引っ込むとでもなるのか?

 

要するに社内ルールとか航空約款ではないのだ。お互いに利用者と企業が意見交換することで成長しようと言ってるのに、こっちを一方的にクレーマーとして声が大きいからこいつの言うことは聞こうというのでは、そりゃ違うでしょと言いたい。

 

僕は、自分の声が大きいからと特別扱いされたくないのだ。

 

僕がお願いしているのは「特別扱い」ではないのだ。僕の言ってることの理を認めて欲しいのだ。それこそ僕が子供の頃から思っていたことなのだ。

 

かなり頭に来たので、彼女に対しては「悪いけどあなたの話は理解出来ないし、あなたが私の話を理解出来てないのもよく分かる。あなたが連絡を取っている上司を呼んでくれ」とお願い?した。

 

びっくり顔の彼女は「はい!」と返事して上司に連絡を取りつつ、何かを期待するような顔で「あのすみません、責任者はあと20分くらいしないと戻って来れないほど遠くにいるのですが」と言う。

 

成田から早いとこ都内に入りたいだろ、このヘンで「すっこみな」、そんな背景がみえちゃんである。

 

こっちはこの後アポはない。1時間でも待てる。「そこの椅子に座って待ってますから、責任者の方が来たら声をかけてください」と言うと、彼女はこれまたびっくり!と言う顔で「はい、少々お待ちください」と電話に戻った。

 

椅子に座って5分もすると、遠くにいた顧客担当課長さんが名刺を持ってやってきた。なるほど、遠くというのは成田ではこういう使い方をするんだな、そう思いながら僕は彼の顔を見た。

 

一目見た瞬間に分かった。こいつ、プロだ。国際線で長いこと世界中の人種相手に渡り歩いてるな、それが分かった。

 

少し緩いお詫び顔と、相手を見極めるような軽い笑顔でこちらに近づいて来た彼、勿論最初はお詫びをするのだが、お詫びをしながら下からこっちをじっと見てる。

 

「こいつ、何か偉そうな事言ってるけど、何を要求してくるんだ」まさにそんな顔。

 

「てか、その辺のタコなら潰すぞ」って感じもあるから、おお、やるじゃんかって感じ。

 

ぼくはまず最初に

「カバンが壊れた件でぼくは一円もあなたに請求するつもりはないし、預けたぼくもバカだったからその事は言わない。けどオークランドから成田の間での荷物に関するトラブルはこれが初めてではない」

 

「特にオークランドから香港、おそらく僕の勘で言えばオークランドのスタッフがカバンの取り扱いが杜撰すぎると感じている。なので、あなたからその事をしっかり本社に連絡を入れて欲しい。そして今後こんな事がないように充分注意して欲しい」と伝えた。

 

ちょっとちょび髭を生やしたおじさん、お洒落な眼鏡をちょっと持ち上げながら「お、クレームではないのか。なるほど、これなら話し合いの余地があるな」と読んだみたいで話し始めた。

 

「いやいや、このカバン、こちらで修理をしますよ。それにオークランドにも連絡をして、こんなことがあったって伝えます」だって。腹の中で落としどころが見えたのだろう、うれしそうなのが眼に見える。

 

僕はそれに対して、dandan怒っている自分が馬鹿らしくなってきた。というのが、僕の目の前にいる彼はどうやら同業者なのだ。怒りもすっと引いてしまい、思わず苦笑しながら、

「あのですね〜、ほんっと、オークランドは酷いんっすよ。こんな事でもないと彼らに文句を言う機会もないと思うから、このあたりできちっととっちめてやってくださいよ」と、後半は笑顔で話しになった。

 

彼もこっちの意図を理解したのだろう、「はい、オークランドの荷物の取り扱いについては、きちっと次回の会議で話しますよ、そこは安心してください」と真面目な顔で返事をしてくれた。

 

ちょっとした事なんだけど、一体相手が何を望んでいるのか、それを聞くべきかどうかって判断は、最終的にはどれだけ色んな状況を潜り抜けてきたかどうかなんだろうなって思った。

 

先日のコンビニの話もそうだけど、キャセイ航空の受付の子もそれなりに頑張っているんだろうけど、やはり決定的に不足しているのは、修羅場をくぐった経験だろう。

 

マニュアルで処理出来るほど世の中は甘くないし、処世術にマニュアルは存在しない。

 

交渉の時は、相手の顔を見ながら相手の気持ちを読み取り、そして相手の話す内容に理があるかどうかを考えるのが最初だ。

 

マニュアルをいきなり出してしまえば、それで弾切れですぜ。

 

結局僕は取っ手の壊れたカバンを引っ張りながら成田リムジンバスに乗り込んだ。片道3千円、2時間の旅で定宿に到着である。

 

ふー、シャワーを浴びて行き付けのバーに顔を出す。今日はもう食欲なし。



tom_eastwind at 01:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年04月20日

愛国とジャッキーチェン

ジャッキーチェンのニュースが流れている。

 

★抜粋開始

俳優のジャッキー・チェンさんが18日、海南省で開催されたボアオ・アジアフォーラムの記者会見で、「自由すぎると台湾や香港のように乱れる。中国人は管理されるべき」と発言したことに対し、中国のインターネットでは20日午後までに、「その通りだ」などとする声が増えた。

     抜粋終了

 

この記事だがそもそもジャッキーチェンが冗談で言ったのか本気かは分からない。

 

けど、彼の言ったことは明白な事実である。

 

思いっきりはしょって言えば、中国人に限らず日本人も民主主義には馴染まない。どちらの人種も、力強いボスに引っ張られていく家長独裁の方が合っているのだ。

 

民主主義ってのが何でも正しくって絶対だなんて考えが元々大きな問題であるってのを、そろそろ日本人も理解すべきではないか。

 

民主主義ってのは、自分が独立していて自分で判断出来て、世の中で起こることを皆が同じ情報量を共有してそれで自分なりの意見を持ち寄って結論を出す場所だ。

 

例えば民主主義の反対は何?って聞くと、共産主義!なんて答える人もいるくらい民主主義は理解されていない。

 

あのさ、共産主義も立派な民衆が作る民主主義なんですよ。だから民主主義の反対は独裁主義。例えば江戸幕府。

 

そこで考えてもらいたい。江戸300年の平和をもたらした、そして江戸文化を作り上げた独裁主義って、ダメでしたか?

 

ジャッキーチェンの言葉を批判する人は、その大前提として民主主義が絶対的に良いものと考えている。けど、その大前提が間違っているんだよね。そこが西洋に染まってないか?

 

民主主義は一つの考え方であって絶対的な正義ではない。

 

中国人とか日本人には、その考え方のベースの部分に民主主義を受け入れられない性質を持っている。それは他人を信じて仕事を任せるってとこかな。

 

     記事抜粋再開

当初は、「中国人は要管理」発言に対する批判もみられた。しかし、ジャッキー・チェンさんを批判する記事が掲載されたところ、逆に「発言」を支持する書き込みが急増した。

  「中国人は要管理」発言を批判する文章を発表したのは、法律や時事問題で多くのメディアに寄稿の実績がある劉渠景氏。筆名掲載とみられる自らのブログで「ジャッキー・チェン先生にお尋ねする? 中国人はだれに管理してもらう必要があるのか」との文章を発表した。

  同文章は、「われわれ中国人は、法律により完全に自由だ」、「中国人は自由を行使する能力を完全に持っている。したがって、社会の一部の人に管理してもらう必要はない」などと主張。人民日報が運営する人民網など、中国の多くのインターネット・メディアが同文章を転載した。

  環球網が併設したコメントらんでは、ジャッキー・チェンさんを支持する意見が多い。「ジャッキーが正しい。法律違反はどんどん増える。汚職も目に余る」、「中国政府が管理するということだろ。管理しなきゃ、滅茶苦茶だ」、「(ブログ文章の)筆者は、ジャッキーの文言を断片的に取り上げて批判している。脳みそ水ぶくれ」、「ジャッキーが国を愛していることは、皆が知っている。その上で、事実にもとづいて発言した」などの書き込みが続く。

  また、ジャッキーが「香港は乱れている。台湾も乱れている」などと発言したことから、「ジャッキーが言う乱れた中国人とは、台湾人のことだ」などとする意見もある。(編集担当:如月隼人)

     抜粋終了

 

ぼくはたまたま本人とちらっと話す機会があり、その時の印象もそれ以降の映画や日常生活の印象も通して、非常に真面目な、大きな意味での中国daisukiな人だと思った。

 

本当の意味での中国人を復活させようよ、そんな意識を持っているしっかりした人だと思った。

 

香港映画界がやくざに食い物にされた時は、俳優を集めて当時の香港政府の前でデモをやって先頭に立った。

 

いつも香港の人が元気の出る映画を作ってきた。普通に香港で生活をしていたら、何故彼が一般市民から「タイコー(おにいさん)!」と呼ばれているか分かるはずだ。

 

今回の発言がどうなるにせよ、ぼくは「タイコー」を応援する。

 

とくに2年前に探偵物語2で彼が演じた警官。あの、特に最後の最後の場面ですべての疑問を氷解させた、彼の中国に対するそして人に対する優しさを見せてくれたあの演技を観れば、あれが時間と共に変化するものとは思えないからだ。

 

繰り返すが、彼が言ってるのは正論だ。中国人は独裁主義で動く、つまり今のような修正資本主義的共産主義政権は、まさに中国12億人を引っ張っていくのに一番効果的だと思ってる。

 

たぶんこのブログを読むうちの奥さんからすればあんまりHappyではないだろな。けど事実は事実だ。民主主義の言葉に騙されないだけの知識を理解すべきなのは、ジャッキーチェンを批判する人だと思う。



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2009年04月19日

こんにちわ

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「こんにちは」

 

そう普通に挨拶を返すと、ファミマ!のレジの女の子は一瞬凍りついたような、びっくりしたような顔でこっちを見つめ返した。

 

 

 

いやいや、こちらは何も下心があっての事ではない、あなたが普通にレジの向うからこっちの顔も見ずに笑顔を見せて「こんにちは」と言うから、普通に挨拶を返しただけなのだ。

 

オークランドのような寂しい都会でも、眼が合えば「Hi!」って挨拶くらいするし返礼もする。

 

けど東京を回っていると、本当に人と人がぎすぎすしているな〜と感じる。笑顔を見せるのは商売のとき、上司に言われたときだけ。一旦仕事が終わって自宅に帰る自転車に乗れば、子供が歩道を歩いていようが無視して思いっきり自転車を飛ばすし、ぶつかっても謝りもしない。

 

とにかく余裕のない社会になりながら、会社の指示で「客にあいさつしなさい」と言われれば機械的に挨拶をするけど、それに対して挨拶が返ってくるなど予想もしていないのだろうし、実際にあまり挨拶を返されたこともないのだろう。

 

これがおそらくちょいと吉祥寺とか新小岩あたりだったら地元の人同士があいさつ交わすんだろうけど、恵比寿の大きなビルの中ではそういう事も出来ないのだろう。

 

昨日の池田ブログでは「希望を捨てる勇気」が語られていた。これから数年で経済が向上すると思うな、とくに若者の目の前に出てくる現実は、既得権益に乗っかった労組と正社員が最後には大きな退職金をもらって椅子取りゲームの椅子ごと社会から退出していく場面なのだ。

 

だから若者に残されたのは崩壊した年金システムと医療システム、上がらない給料、専門能力が身に付かない人生で、最後にはすべての責任を取らされてしまうのだ。

 

希望を捨てる勇気が戦いに向けた勇気に繋がれば良いのだが、どうも今の東京を見る限り、てか2ちゃんを見る限りそちらの方向にはいかないのではないか。

 

物心付いたときにはすでにバブル崩壊で、親が背中を丸めて子供に何も語れない時代に育った子供たちはそのまま大人になり、とくに新卒で就職氷河期にぶつかった人々は正社員になれず、社会のへの入り口で一旦躓いた彼らはそこから上がってくることは出来ない社会の仕組みに「諦める」しかないのだろう。

 

池田ブログはいつもと全然違ったコメントが、今日の時点でも64付いている。どれもこれも現場からの深刻な声である。

 

人が挨拶をしなくなった世の中、他人に無関心な世の中。

 

大丈夫、僕は君の側にいるよ。そんな事を伝えようとすれば、ますます変てこに思われるしかないから、僕はそのまま立ち去るしかなかった。

 

その後もちょっとショッピングバッグを整理するふりをしながら見てたら、ほんと、お客の側があいさつ返してない。

 

カネを払う立場と貰う立場、世の中がその二つだけしかなくなったら寂しいでしょ。けど現実は、そんな世の中を「厳然たる事実」として受け入れている若者なんだろうな。

 

日本人が自分の力で「こんな世の中おかしい!」と革命を起こすことは、もうないのだろうかな。

 

池田ブログのコメントでは、現実的な問題処理方法として何名かが「やっぱり海外に出るしかないっしょ」と書いてた。

 

そういう時代になっているんだろうな。

 

写真は高輪泉岳寺近くのお蕎麦やさん。



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2009年04月18日

JV

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出張の前日はは幸運なことにニュージーランド農業や漁業のキーグループであるMAORI政治集団の一員である、40半ばのがっちりとした体格の、現在はある会社の社長をやっている人と話すことが出来た。

 

 

 

ある意味こちらからプレゼンをしたようなものだが、この人、眼力がすごい。ぐいってか、じっと、てか、とにかく視力は知らないけど相手を見る時のその眼は、ありゃ久しぶりに見た迫力あるものだった。

 

新しく始めた会社JapanBusineeConsultingの趣旨説明を行い、ニュージーランド農業漁業従事者にとっても雇用の拡大と経済貢献につながり、日本の消費者からすればより安全で美味しいものを食べる機会を提供する、相互に利益の出るビジネスモデルである事を伝える。

 

この人、かなりの英語力でもある。単純に英語がうまいとかではない。使っている言葉が政治言葉なのだ。その時に一番正しい言葉を選びながら、一つの間違いもないように使いこなしている。

 

政治をやるとこういう話し方を覚えていくんだろうな、ああ、羨ましいなと思う、こっちの貧弱な語彙ではなかなか対応出来ずに苦労する。

 

それでも最後には大体こちらの言いたいことを理解してくれて、JBCと言う会社がニュージーランドに何を提供出来るのか、少しづつ理解してもらった。

 

そして彼らも、いきなり政府とはいかなくても地方レベルであればすぐに行政レベルで動けるという話を頂いた。いくつか実績を作ればすぐに政府レベルでのJVにいけそうだ。

 

これが第一歩だ。

 

現地企業とジョイントベンチャーでお互いに得意となる部分を支えながら、最終的にはその地域にも儲かってもらい投資をした人も儲かる、皆が利益を折半しながら持続できるビジネスをやろうという事になった。

 

ぼくは香港時代、ジョイントベンチャーで中国に食われた日本の会社を山ほど見てきた。それこそ死屍累々である。

 

結局日本人は甘いのだ。相手を見ずに目の前に出された契約書という紙切れとカンペイ!で飲まされた老酒で、最後は相手に飲み込まれるのだ。

 

今回のミーティングは突然の設定であったが、約2時間にわたって幅広い意見交換が出来た。

 

まずはお互いに何が出来るかの確認であったが、相手が信用できる。これはなかなか滑り出しから良いキーパーソンに会えて、調子良いぞ。

 

写真は昨日視察した水槽で見たおこぜ。今日はどこの中国人の食卓に乗っているやら。

 

あ、そういえば家も2日前にオコゼ食ったぞ。オコゼと芋とトマトを入れたスープ。オコゼをスープネタにするとは、さすが中国料理でした。



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2009年04月17日

ジンクス Jinx

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ジンクスって縁起かつぎの言葉の一つ。元々はネガな意味だったらしいけど、日本ではどっちでもOKだ。

 

日頃は合理的なことを言ってても基本は神様を信じている僕なので、同時に「気の流れ」はいつも気にしている。

 

 

気の流れと神様は、自分が正しいと思ってるときは良い気が流れ込むし、それを呼び込んでくれるのは体の中にある裁判官である神様が「よっしゃ、今日は良い子でしたね」的に提供してくれるようだ。

 

だからいつも、出来るだけ流れを大事にするようにしている。そして節目節目では、ちょっと大きく決めていく。その時に絶対に個人的な感情は持ち込まないようにしている。

 

日頃はかなりちゃらんぽらんなので「ほんとか〜」なんて疑われてるんだけど、あの、100のうち1くらいは結構真面目に判断しているんですよ。

 

まあそんな事はどうでも良くて、今日は一つのジンクス。

 

僕は出張前日に荷物をカバンに詰める。とは言ってもほぼ毎月日本に行ってるしそれ以外の出張もあるので、出張用の荷物は常にある程度カバンに入ってる。

 

けど出張先によって微妙に異なる、例えば電源の先っぽとかで香港と日本とNZは全部違うわけで、「今回は何処回るんだっけ?」とか自問自答しながら必要な道具をカバンから出し入れする。

 

その時にジンクス発生!実は、「よっしゃ完璧!全部揃えたぜ!」と思って威勢よくカバンのジッパーを閉じた時に限って、大体追加の入れ忘れ荷物が出てくる。

 

あれれ・・・???

 

これだけなら普通かもしれないけど、ジッパーを閉めずに放置しておくと、「お、追加の荷物、もうないよね」となる。

 

これが不思議。

 

やってる本人の気持ちは何も変わらないのに、ジッパー閉めた時に限って「あれ?」となる。

 

これはやっぱり神様が「こら、何でも揃ったと思い込んでいい気になるなよ」って戒めているんだろうなって思う。

 

だから敬虔な気持ちで「いえいえ、僕のカバンはまだ揃ってません、いまだ未熟です」って構えておくと「お、偉いじゃんか、じゃあ今日のところは許してやるよ」とばかりに、カバンに何も追加で入れなくてもよくなるのだ。

 

でもって日頃の僕を知っている人からすれば「お前が神様を敬う???ありえん!」と思うかもしれないけど、僕なりにきちんと自分の心の中の神様と会話して

 

「あ〜あ、昨日の失敗どうしよ?やっぱり謝ったほうがいいんかな?」

「そりゃそうだけど、お前できるの?心の準備してるの?」

「だよな〜、下手にやるとまずいしな」

 

なんて心の中の神様とよくおしゃべりしている。

 

ジンクス。色んな場面で出てくると思うけど、僕はそれなりに大事にしてます。

 

と言うことでカバンの荷物は詰め終わり、東京に向かって出発です。前回の出張の際に「次、いつでも用事があれば東京に上がってきますよ!」と言ったら東京生まれの人に笑われた。

 

う〜ん、位置的にも雰囲気的にも「上がる」なんだけどな〜。いつまで経っても田舎のくせが抜けない僕でした(笑)。



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2009年04月16日

MS 13

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ナショナルジオグラフィックの特集でアメリカに急激に広がる新ギャング集団MS13をやってた。

 

9歳でギャングに入り、11歳で初めての殺人を行い、そこから後はギャング集団の仲間として一生を過ごす。

 

このようなストリートギャングの収入は露店のみかじめ料や麻薬等多岐にわたるが、自分のテリトリーを持ってて他のギャングが入ってくると集団で追い返す。もちろん銃を使ってだ。

 

約1時間の番組を観ながら、このグループは元々エルサルバドルを中心とした中南米の非合法移民がロサンジェルスで結成したものだと分かり、う〜ん、移民がキーワードかと思ったりした。

 

エルサルバドルと言えば米国CIAが政権をひっくり返したりしてがちゃがちゃにされた国である。その子供たちが今ロサンジェルスでギャングをやっていると言うのも因果応報か。

 

誰でも知ってるコーザノストラ、つまりイタリアンマフィアだって米国に移民したイタリア人が自警団として結成したものだった。

 

古くからあるチャイニーズギャングも、元はと言えば清朝の時代に時の政府に逆らって作られた漢民族の団体だった。

 

どのような少数民族も政治的に自分の問題を解決出来ないと分かった瞬間に暴力行為に走るようだ。これが世界の主流とも言えるのか?

 

ロサンジェルスではギャングの方が普通の警察よりも重装備だと言われている。自動小銃を持った子供が車で自分のテリトリーを巡回しながら余所者と警察を威嚇しているのだ。

 

ふ〜。移民ってのは大変だ。それに比べて日本民族の移民、悩むレベルが違うよね。

 

勿論それだけ平和な国を作ってくれた日本人先輩たちに脱帽ものであるが、だからと言って日本人も世界の移民の常識を少しくらい齧ってくれても良いのではないかと思うのだ。

 

それにしてもこの番組を観ながら奥さんと二人顔を見合わせて、それにしても良い国に移住したよねって安堵してしまった。

 

ニュージーランドの治安が最近どうこうと言う。強盗があったと言う。所詮その程度。

 

子供ギャングがマシンガンを振り回して街中で銃撃戦をやってるのに比べれば、みかじめ料がなく商売出来て誰もが堂々と胸を張って生きていけるこのニュージーランドの方が、それだけでもずっと住み易いではないか。

 

退屈?だったらロサンジェルスでギャングが支配している街に移住してみれば(笑)?



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2009年04月15日

魚と不動産

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今日の午前中は魚を捌くまでの間保管する魚屋さんに行ってきた。魚屋さんと言えども日本のようなイメージではなく、ヘンダーソン郊外にある工場地帯の一画でそれこそ機械工場とか倉庫の間に水槽を並べた場所である。

 

そう、今日は魚の流通の中でも海で獲れた鯛を生きたまま港に持ってきて、それを流通経路に乗せるまでのルートを確認しているのです。

 

ニュージーランドのサカナは日本と同じ海洋国で緯度も同じような地理なので良い魚が獲れる。

 

けどせっかくの魚を漁船の上で絞めた後は氷の中に放り込むだけで血抜きも出来てない。

 

おまけに漁法自体がどうしても魚の体を痛めるような方法の為、外見も見かけが悪くなる。

 

その上問題なのは流通である。せっかくの魚なのだけど流通の時間がかかるしその間は精々氷で保存するだけなので、どうしても鮮度が落ちてしまう。

 

今回ぼくらがニュージーランドに導入するのは、海で獲れた魚を殆どその状態のままでレストランに届ける新しい流通システムだ。

 

従前の流通業は、どうしてもたくさんの商品を短時間で一気にまとめて安定して供給する商売にするのが主流だった。だからどうしても細かいお客様の要望に応えることが出来なかった。

 

現在の流通システムには、今回僕らの企画しているような、少量で不安定供給だけど品質の良いものを流通させると言う発想はない。

 

まあ、今までになかったものを作るのはdaisukiなので、それが医療であろうが流通であろうが何でもOKだ。

 

8月を目処に魚と肉の流通を開始する予定。

 

帰路、不動産開発をしているある日本人デベロッパーの物件も視察した。ここも頑張っているな〜。一軒50〜万ドル程度の物件だけど、日本人好みになりそうだ。



tom_eastwind at 12:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月14日

バーガーキング

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BK4は8ドル50セントだ。

 

二月に一回くらいお隣のビルのバーガーキングに行く。

 

お昼にカップ麺じゃ物足りないし何だか肉をがつっと食べたいなと思って、けど昼食は余程アポがない限り10分で終わらせたい、そんな時にバーガーキングの存在はありがたい。

 

何よりも他の店との決定的な違いは、バーガーの中に刻み玉葱を使ってないって子供っぽい理由からだ。

 

他の店だと「ネギ抜きね」と言っても、はいはいと言いながらねぎを放り込む。それでもプロかと思うけど、そんな事を中国人に言ったら逆切れされる。ならば最初から余計なことを言わなくても良いBKチーズバーガー。いつもコーラとチップス付きのコンボで、ダブルチーズバーガーがNO4なのでBK4。

 

この店のもう一つの興味深さは世界中の人々がお昼ご飯として愛用しているってことかもしれない。それほどこの場所では色んな人に会える。

 

僕の隣のテーブルでは品の良さそうな頭にターバンを巻いた色の浅黒い若者がきちんと並んでハンバーガーにかじりついている。イスラムの教えは牛肉OKなのか?

 

かと思えば目の前の道路を、頭からすっぽりとヴェールを付けた民族衣装の中近東の若い女性二人連れが横切っていった。国が違っても素顔は見せない、ですね。

 

中国人の学生男子はまるでトレードマークの如くセンスのない服装とまともに風呂に入ってない髪の毛と「オレがこの世で一番偉いんだ!」的な傍若無人な態度で現地調達の中国人彼女を連れて入ってくる。

 

ネクタイを付けたキーウィは、いそいそと入ってきていそいそとよそ目を振らずにぱくついて5分で出て行く。忙しそうですな〜。

 

maoriの若者はアイも変わらず太った体を揺さぶりながら友達とつるんで店の中を我が物顔で歩き回り、コーラを時々床にこぼしている。

 

白人の若い女の子、もしかしたらこれが一番手に負えないグループかもしれないけど、数名があちこちに固まっては顔を寄せ合って「くすくす!」とおしゃべりをしている。

 

もちろん韓国の学生も日本人ワーキングホリデイの姿も見かける。

 

ここにあるのは人種差別ではなく個性主張の塊って感じで、みんなそれぞれ自己主張をしている。

 

けど、この人種の坩堝の中で一番場違いでおどおどしているのは日本人だろうって感じるのは僕だけではないかもしれない。

 

要するに自己主張をするにも個性がないから、何かを主体的に主張するってことが出来ない。そのくせ他人の批判だけは年中ぐちぐちとやってる。結局中身を見れば誰もが一緒。同じようにつるんで行動して、他人のすることをそのまま真似しているだけ。外側は違うように見えても中身はまったく一緒の没個性。

 

そんなのがバーガーキングに来ると、やっぱり浮いている。少し口をあふぉみたいに開いて上のほうをぼや〜っと見ながら、自分が何を食いたいかも分からない状態で、寂しいもの同士でひっついたバカップルが肩を並べている。

 

日本人に対してちょっと言い方がきついのは、やっぱり自分が日本人だからだろうなとは思う。

 

けど、ただでさえ戦争で負けておまけに白痴化洗脳教育を受けて挙句の果てに洗脳者の猿真似をしている中身からっぽの連中を見るたびにハンバーガーの味がまずくなるのは、僕だけではないだろうと思ったりした。

 



tom_eastwind at 15:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月13日

イースターによせて

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イースター初日の昨日は竜馬君を連れてのお買い物。

 

以前から約束していたセントルークスショッピングセンターの中のおもちゃ屋に行くのだ。

 

けど、いつも思うのだけどニュージーランドのお休みってあんまり天気が良くないことが多い。このイースターもあんまり天気が良くない。

 

イースターに限らず他のお休みでも、何か休みになるたびに神様の恨みをかってるんじゃないの?って思うくらいだ。むしろ普通の週末なんかが晴れることが多い。

 

中国の10月10日ってのは絶対に雨が降らないという話を聞いたことがある。実際にはどうなのか知らないけど、あれだけの大行事をやるのに雨が降ったら面倒だ。

 

だったら逆に、絶対に雨の降らない日を統計で割り出してその日を記念日とかにした方が良い。十と十が重なるから縁起も良いなんて理由で決めたんではないかと思う。そうやって自然と折り合いをつけてきたのがアジア人だ。

 

それにしても記念日と雨に関係なく、白人が何かやる時は何故か自然を敵対視して征服するものと言うイメージがある。それに比べて中国や日本などのアジアでは自然と人間が共存すると言う感覚だ。

 

元々日本では自然と共生していたし自然の恵みを大事にしてきた。山で狩をした後には山ノ神に礼を尽くすとか、日本人は昔からそういう行為を自然に行ってきた。

 

それに対して白人文化ではいつも自然を敵にする。なんだか、自然を征服するべき相手と見るんだよね。これ、オレも20年前は同じ感覚だったので偉そうなことは言えませんが。

 

これに限らず白人文化では何か自然に対してムリをしてしまい、結局それが自分にマイナスになって跳ね返ってくると言う現象をよく見かける。つまり長期的な視点が存在しない。それやったらこうなるでしょ、的な部分が弱い。

 

けど白人の中でもニュージーランドはその点、自然と共生するって考えがあると思う。これが日本人と近いって感じがする一番の原因ではないか。やっぱり周囲を海に囲まれて山があり川があり緑が多い、こういう環境が同じような人間を生み出すのか。

 

キリスト教の原理主義者がごろごろいる米国人から「エコ!」なんて言われると「ふざけんな!だったら馬鹿でかい車を捨ててみろ!」と言い返したくなる。キーウィの場合はそれがわりかし納得出来る。

 

要するにキーウィの場合は、米国人に比べれば人の話を聞く余裕ってか、他人の価値観を認める気持ちがあるってことではないかと思う。

 

モノを大事に使う文化、壊れたら修理してまた使う、自宅の木でも簡単には切らせないルール。こういうのも、日本人に合うよね。

 

ここ最近数百年は白人文化が世界を覆っているけど、2千年の歴史の中で言えば1500年以上はアジア文化の方が優位であった。

 

だからアジアが良いなんて感情的な気持ちではない。

 

けど少なくとも合理的に考えれば、西洋の考え方はいつか行き詰る。要するに部分では間違ってないけど全体を足して見ると破壊されてしまう仕組みなのだ。その仕組みの根本に宗教があると思う。

 

部分の無謬全体の誤謬が発生しているのが西洋文化で、その意味では「Sustainable」と言う言葉が最近白人の間でも使われるようになったけど、そんな「持続する」なんて考えは実は日本が一番進んでいる。

 

別に僕は白人嫌いでもアジアdaisukiでもない。客観的に両方の国家を見て、やってる事を客観的に考えて見れば、たしかにある宗教学者の言ったとおり白人文化の一番の問題はキリスト教だと言うことはよく分かるだけだ。

 

海外生活20年を過ぎてるだけでどうこうは言えないけど、僕は自閉症の名残なのか、物事を突き詰めて考えすぎる癖がある。それもかなり極端で、他人から見れば「あんたおかしい!」と言われるくらいだ。

 

その自閉症が日常生活で無意識にキーウィの行っている仕草やビジネスの進め方を見てきた。それとカナダで3年くらい仕事していた時にカナダ人のやり方も見てきた。香港では世界中の人種とやり取りしていた。勿論オーストラリアでもユダヤ人を含む世界中の移民がいた。

 

そんな海外生活をしながら人々のやっていることを見て、最終的に感じたことはキリスト教が持つ根源的な問題点だ。

 

それが「一神教」と言うこと。

 

普通に考えれば分かることで、社会生活をするのに他人の価値観を全く認めない、おれの考えだけが正しいんだなんて通るわけないよね。

 

でもってキリストだけが正しいとなるとそれがすべての価値観の基本になってしまい、それ以外の考えは異教になるわけだから当然排除すべしとなり、これが宗教戦争に繋がる。

 

挙句の果てに、同じキリスト教でありながら聖書の読み方がちょっと違うだけど「あいつは異教だ!」と内部抗争に繋がる。

 

要するに他人の価値観を認めて共同生活を行っていくと言う基本がキリスト教の中に存在しないのが一番の問題なのだ。

 

ここがアジア人的発想と根本的に違う。アジア的発想、大雑把に言えば仏教思想では、人間はすべての植物や動物を含めた自然の中の一つであるから、一緒に生きていこうと言う発想になる。すべての他の存在の価値観を認めているのが大前提だ。

 

ところがキリスト教では、人間だけが特別で動物は人間より下位で、自然は征服の対象となるから、彼らは自分の都合で鯨を殺したり先住民族を皆殺しにしたりする。

 

同じキリスト教でも国によっては色合いがかなり違うわけで、その意味でニュージーランドはバランスの取れたキリスト教国家だと思う。きちんと他人の価値観を認めるキリスト者が社会の中心にいるからだ。

 

もちろんまともに勉強もしないし社会人になってもまともに物事を考えたことがない低層連中は話にならない屑だ。こいつらは自分だけが正しい、他の奴らは全部間違いってことを本気で思い込んでいる。

 

まあ学校教育でも表面的にはそういう教え方をしているから仕方ないのだが、自宅で親がきちんと「他人の価値観を尊敬する」って事を教えていれば良いのだけど、馬鹿が3代続くとどうしようもなくなるのは事実。

 

でもってそういうどうしようもないのが何代も続いて出来た国家が米国の支配層だから、こりゃもう困ったちゃんである。

 

あっちで戦争したりこっちで他国の政治に口を出したり、とにかく世界一の武器を持っている、自分だけが正しいと思い込んでる5歳の子供と同じだ。

 

第二次大戦後にマッカーサーが日本人を「12歳の子供」と例えたらしいが、僕から見れば5歳のガキよりは余程ましだと思う。

 

 

同じ白人国家でありながら宗教色の濃淡が違ってて、キリスト教の中でも良い部分を取り出して生活をしているニュージーランドで生活出来て幸運だなって思ったり。

 

なんてイースター初日に考えてたら、面白いことに最近は東洋文化を見直す本も出てきてるんですな、日経ビジネスで紹介されてました。

 

宗教は嫁さんと同じで、こっちは自分の嫁さんを「こいつ不細工だな」と思ってても他人に指摘されると頭に来るわけ。

 

長い旅行業の中で覚えた、添乗員として絶対に口に出してはいけない3つの言葉がある。

 

野球、政治、宗教。

 

これだけは余程相手の気持ちを理解した後でないと、絶対に口に出してはいけない。他の事なら笑って済ませるけど、この3つだけは絶対にダメってのが、僕の人生で痛い思いをして経験したことだ(笑)。

 

だから今日のブログでも、たまたま今日がイースターだから一人の無神教としてこんな事書いたけど、普段はそんな事で宗教議論するつもりはない。

 

相手は理屈抜きに自分の信じているものを守りたいんだし、こっちは自分の理解していることを相手に知ってもらおうなんて思ってないからだ。

 

僕は自分の勉強の中で理解していればそれで良いだけで、それをどこかに広めようなんて一神教的な考え方は持ってない。

 

おれは彼らの生活に干渉しない。だからオレの考え方にも干渉してもらいたくない、ただそれだけ。社会を構成する一員としてルールは守るけど、そこに宗教がはいるならNOだ。おれ、アラブ国家では絶対に住めないだろうな。

 

相手の信じるものはぼくなりにできるだけの礼節を尽くすが、それが不足だと言われても異教徒である俺にはそれ以上どうしようもないのだ。

 

そんな事を考えながらセントルークスショッピングセンターに着いた。

 

「よっしゃ竜馬、おもちゃ買うぞ!」と二人で喜びながら駐車場に入ると・・・・そこはがら空き。

 

今日は、あはは、お休みなんですね。キリスト昇天の日は商売しないんですな、失礼しました。

 

竜馬と二人で自宅に戻りながら、「ごめんね、明日は開いてると思うからさ」と話した。「いいさ、仕方ないよね、今日はジーザスの日だ!」



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2009年04月12日

僕の朝食は健康だった!

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僕は健康食品を食べてた!

 

朝から何をとちくるっているのかと思うかもしれませんが、昨晩日経ビジネスの「心と体」と言うコラムを読んでると、おおっとびっくり!

 

★抜粋開始

人間の胃袋は脳と密接に関連しており、胃袋の動きには一定の決まりがある。

 

食後は胃袋の下部が運動して胃袋にある食べ物を「幽門前庭部」が1分に3回動いて食べ物を細かく砕き栄養を吸収しながら胃袋から排出する。

 

そして睡眠時には胃袋の上部が運動して胃袋の中に残ったものを掃除している。

 

こうすることで胃もたれにならない。逆に言えば夜中に食事をすると胃袋に食べ物が残った状態で朝を迎えることになり、これが胃もたれの原因になる。

 

でもって体に良い朝食は胃の働きをあまり必要とせず、胃液だけで消化出来る物がよい。同じカロリーであれば、胃袋の動く時間が最小で済むたんぱく質、次は糖質、つまり炭水化物が良い。胃袋の中に最も長く残るのが脂肪である。

★抜粋終了

 

つまり朝ベーコンを食べるのはあまりお勧めではない。BLT(ベーコンレタストマト)などは体に良さそうに見えるけど、パンの部分は炭水化物で良いのだがベーコンはまずい。それに野菜も胃袋に残るので頭の働きを鈍らせるそうだ。

 

朝ごはんに最も良いのはたんぱく質と炭水化物、麺類やゆで卵、鶏肉のささみ。

 

おお!ここに至って僕は思わず台所のラーメン保存箱に駆け込み、成分表を見てみた。

 

やったね!ラーメンはたんぱく質と炭水化物で100gのうち80gくらいを占めている!それに僕はラーメンに卵半熟を入れるわけで、そうか〜、実は自分でも気づかずに毎朝、最高に体に良くて頭の働きに繋がる食事をしているんだな。

 

何で頭に関係あるのかって言うと、

★抜粋開始

炭水化物とは糖質と食物繊維の総称。エネルギー源になる。中性脂肪に変えられて体内に貯められる。体の構成成分となる。脳、赤血球、神経系、筋肉等はブドウ糖だけをエネルギー源とする

     抜粋終了

 

つまり脳みそや血液を活発化させる為に必要な唯一のエネルギーが糖質で、炭水化物にはそれがたくさん含まれてて、だからインスタントラーメンは胃袋と脳に優しい食べ物ってことになるんだ。

 

いっや〜、久しぶりに朗報です。そうだよね、小学生の頃から朝ごはんはインスタントラーメンって生活を送ってきてて、他人はそれを「不健康!」とか言ってたが、全然違うじゃんか。

 

粉末スープが体に悪いとか言うけど、あれだって今の時代、そんな無茶苦茶な添加物は使わないだろうし、大体ほんの少量の粉ではないか。コンビニで弁当食ったりおにぎり食うより余程健康的ですぜ。

 

あ、ただこれは袋麺の話です。「出前一丁」とか「マルタイ棒ラーメン」、「うまかっちゃん」とかです。

 

カップ麺は、あれは容器に問題がある。どんなにしっかり容器を作っても、やっぱりあれはプラスチック。熱湯をかければいくらかのプラスチック成分が汁の中に混ざってしまい、あれが健康面では良くないと僕の体が訴えてくれます。

 

だから緊急用に時々なら良いけど、あれが毎日ではどうかな〜なんて思いますよ。

 

あ、ちなみに僕がいつも泊まる恵比寿のホテルでは、恵比寿ガーデンプレイスのオフィス棟にファミマ!が併設されてますが、ここはお握りとコンビニ弁当、そしてカップ麺が実によく売れるそうです。

 

このオフィス棟、外資もたくさん入ってるのですが、皆さん夕方になると食事を買い込んでいくんですね。だから僕も夕方に買い物に行くと、立派な洋服を着た立派な皆さんが首から札さげて両手にお握りとカップ麺や弁当を抱えて並んでいるのを見ます。

 

う〜ん、彼ら、オレより給料は高いだろうけどあんまり健康的な生活じゃね〜な、などと思ってしまいました。



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2009年04月11日

21世紀の夢

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今日はちょっと面白い夢物語を一つ。

 

自動車産業は現在苦境に陥っており、米国のビッグ3は倒産寸前、日本でも減産に継ぐ減産で2時下請けが次々に倒産している状況だ。

 

日本のお家芸である金型や鋳造、鍛造、キメの細かい技術を持つ企業が立ち行かなくなっている。

 

ところがある人に話を聞くと、トヨタは手元資金があるにも関わらずそういった下請けを救おうとしていないらしい。

 

その理由は、いずれビッグ3が吹っ飛んだ時の買収費用と言うことだ。

 

この時は単純に「なるほどね」と思った。資本の理論で言えばそうなるし自分たちが資本主義の世界で生きていると言うことを理解出来ない経営者であれば、それは淘汰されるしかないだろう、そう思った。

 

ところが自宅に帰って日経ビジネスを読んでいると、オバマのニューディール政策特集をやってた。

 

そこには100年に一度の構造改革が描かれていた。

 

米国ではどんな人種であろうが受け入れる移民政策がある。それが米国にとって良ければOKなのだ。例えばインテルの創業者は東欧出身の難民だ。

 

もしトヨタが100年先を見越して世界を考えれば、次はエネルギー革命とそれに応じた移動手段の開発だが、それは当然石油から電気になるだろう。

 

問題はどうやって電気を作って溜めるかだが、創る部分は風力などがあり、溜める部分は三洋電機などがすでにかなり技術開発を行っている。

 

であればビッグ3が吹っ飛んだ後に優秀な車つくり会社であるトヨタがTOYOTAとして米国に入って米国の市民権を勝ち取っていけば、何の問題がある?

 

何で日本にいる必要がある?

 

勿論日本の下請け産業は大打撃を受けるだろう。けどそれって、米国が1970年代に日本の経済侵略に遭って、遂にはテレビさえ作れなくなって製造業から撤退したと言う歴史を振り返れば、日本がどうこう言う権利はないと思う。

 

下請けを潰すのか!とか雇用を奪うのか!などと言っても、現実に日本は米国の製造業を叩き潰したのだ。彼らに教えてもらったラジオ、テレビ、いろんな技術を学んで本家を潰して雇用を失わせたのだ。

 

今になって何を言うか、である。

 

大変言い方は悪いかもしれないが、トヨタと一緒に仕事をすることで生活を支えてきたという事はトヨタに頼って生きてきたわけだ。ならばもしトヨタがいなくなったら?そういう危機意識を持って生きてきたか?

 

生き残りたければ自分を変化させろ。時代に合わせて自分を変えて、名前や業種なんてどうでも良い、とにかく生き残る為に戦っていくのだ。そしてトヨタから「おい、一緒にアメリカに行こうぜ、おまえがいないとおれ、ダメなんだよ」と言わせるくらいの技術を磨いてきたか?

 

豊田がTOYOTAになる日、その時日本人は何を考えるだろうか。

 

だって米国の工場で車を作り米国人を雇うのだ。精密工作機械を利用して金型やなんだの難しい技術をすべて機械化したモジュール生産に切り替えてしまえば、実は職人技術は過去のものとなるのだ。

 

そうなると金型技術の職人芸は江戸時代の消防のハシゴ登りのような、年に一回お正月に見るだけの芸になり、実際の現場で必要となくなる。

 

エネルギー需要は風や太陽が源となり、そうすれば面倒な中東政策なんて考えなくて良い。

 

おい中東、もうお前らを相手にしないよ、シーア派とスンニ派で勝手に殺し合いをしてくれ、アメリカはもう降りたよ、ばいばい、である。

 

思えば20世紀の米国の戦略の基本はエネルギーであり、20世紀後半からはエネルギーの為に過激な中東政策が必要となった。それがことごとく短視眼であった為に失敗したのは、歴史を見ればよく分かることだ。

 

ここでオバマがやろうとしているグリーンニューディールはその意味では100年に一度の大転換である。1800年代の鉄道輸送が、大恐慌のニューディール政策で無料高速道路を作り、その高速道路の発達で自動車が発達して鉄道が次々に姿を消していったようなもんだ。

 

だからTOYOTAがここで日本を見捨てて米国にシフトすれば・・・・。

 

大事なことは、ハワイに移住した日本人の孫が米国上院議員になってもやっぱり日系議員として日本を助けようとするように、TOYOTAが米国に行っても日系企業でありやっぱり日本を助けようとするだろうって事。

 

この、助けようとする相手は政府ではなく個人レベルでの日本人である。カネばかり使って何もしないどころか個人から税金を取り上げて自分たちの利益だけの為に回す政府役人を助けるのではない。

 

考えて見れば、これこそ日本人の国際化ではないか?しょうもない政府など無視して、国民レベルで世界に日本民族を展開して、世界中で日本の素晴らしさを見せてあげようではないか。

 

まああり得ないだろうけど、トヨタがTOYOTAになるその日、日本が国際化する日ではないかと夢見た。

 

 



tom_eastwind at 19:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年04月10日

結婚50周年

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結婚して50年を迎えた夫婦がいる。

 

両方の家庭の歴史の重みを抱えながら、自分の置かれた立場を理解しながら、出来るだけそれを時代にあったものにしようとする努力。伝統と変化を同時に持つ難しさ。

 

ありゃあ大変だろうな。本当にそう思う。

 

 

オレが何がラッキーかって言えば、そういうバックグラウンドが全然ない状態でSandyさんを見つけることが出来て、そして結婚して20年経っても、今でも毎日「あ、こいつと結婚してほんとラッキー!daisuki!」と思えるし、それを言葉に出して「おかあさん、daisukiだよ!」って毎日言えることだ。

 

何もかも自分で作ってきて、何の助けもバックもなくて、とにかく自分が倒れたらそれで終わり、みたいな背水の陣で20年間生きてきたけど、いつも奥さんが後ろにいて支えてくれた、それが結局自分の自信になった。アリガト、カンシャ!以外に何をいう事があるだろうか。

 

誰から何を貰ったわけでもない人生なので、他人や誰かに頭を下げる必要はないし、誰かにモノを言われる事もないのは、こりゃ気軽だ。

 

だから昔は、伝統を引き継いで生きて文句を言う奴を見ると「食い物があるだけありがたく思え!」てな気持ちだった。

 

けど親から何かをもらって生きていく苦しさってのは、子供を持って自分が親になって、やっと最近になって分かるようになった。以前ならばっさりと「甘えるな!」で終わってたとこだが、ふ〜ん、彼らも大変なんだと思ってた。

 

そんなところに結婚50年を迎えた夫婦がインタビューを受けてこんな事を言ってた。

 

★抜粋開始

また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧(よろい)も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。

★抜粋終了

 

他にも結構かっこいい事を言ってた。これが普通の家庭の人間なら「ああそう」で終わるところだけど、この夫婦、確かに苦労をしたんだろうなと思う。

 

お互いに尊敬しながら結婚50周年で感謝状のやり取りって、いいじゃんか。

 

常に他人に見られる中で自分で何かを勝手にやることも出来ない中で、少しづつ自分たちの個人生活を家庭に取り入れ、それまでは子育ては養育係り担当だったのを自分で面倒見るようにしたり、良いものは残しながら新しいものを取り入れ、よく頑張ったと思う。

 

オレがやれって言われたら、あんな仕事は絶対にしないね。あんな御宅に生まれたら絶対に飛び出しただろうと思う。

 

けどそれはオレのわがままであり、自分の置かれた立場なんて何も考えない自分勝手だとも言える。

 

自分の置かれた立場を理解して、過去を大事にしつつ今の自分に規律を作り、更に将来の事を考える。

 

う〜ん、オレには絶対ムリ。

 

けど、この50周年記念の話を聞いて、この二人、すんごい頑張ってるじゃんかって思った今日。うれしいね、こんな人がオレラの代表でいるってのは。

 

東京のど真ん中に大邸宅を持っているのを羨ましいと思ったことは一度もない。あれ、売れば?くらいの気持ちは今も変わらない。

 

けど、個人的には尊敬出来るぞ、この二人。日本人で良かった、誇りを持てたって気持ちだ。

 

久しぶりにすっきりした文章だったので、ちょっと長くなるけど引用します。

 

 

両陛下の会見での回答(全文)

 問1 夫婦二人三脚で歩んできたこの50年を振り返り、お二人で築きあげてきた時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代にどう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。


 天皇陛下 私どもの結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを誠にうれしく、深く感謝しています。ただ国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。

 顧みますと、私どもの結婚したころは,日本が、多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から、日本国憲法の下、自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて、国民生活が向上し始めた時期でありました。

 その後の日本は、更なる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。また都市化や海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は、人々の生活から離れた存在となりました。

 結婚後に起こったことで、日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年の小笠原村の復帰と昭和47年の沖縄県の復帰が挙げられます。両地域とも先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。

 一方、国外では平成になってからですが、ソビエト連邦が崩壊し、より透明な平和な世界ができるとの期待が持たれましたが、その後、紛争が世界の各地に起こり、現在もなお多くの犠牲者が生じています。

 今日、日本では人々の努力によって、都市などの環境は著しく改善し、また自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。ますます人々が協力し合って社会を支えていくことが重要になってきています。私どもはこのように変化してきた日本の姿と共に過ごしてきました。様々なことが起こった50年であったことを改めて感じます。

 皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。不幸にも若くして未亡人となった、私の姉の鷹司神宮祭主のことはいつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、あるとき、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのかというお話があったことがありました。

 皇后は兄弟の中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。

 時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来、昭和天皇を始め、過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、また、日本国憲法にある「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

 守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀(さいし)もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種籾をまくことから始めています。学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども皇后と共に関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。短時間ではありますが、受賞者、新会員皆と話をする機会が持て、私どもにとっても楽しいものになりました。

 皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇の在り方としてその望ましい在り方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。

 皇后さま 50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心が一杯でございました。今日こうして陛下のおそばで、金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。

 結婚以来、今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらしたころには将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に深められ、国の出来事や人々の喜び悲しみにお心を添わせていらしたように思います。

 50年の道のりは、長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。陛下のお時代を、共に生きることができたことを、心からうれしく思うとともに、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに感謝を申し上げます。

 質問の中にある「皇室」と「伝統」、そして「次世代への引き継ぎ」ということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事及び祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また、皇室が過去の伝統と共に、「現代」を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に「今」という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。

 伝統と共に生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家が、どれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が、社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。

 また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。WBCで活躍した日本の選手たちは、鎧(よろい)も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手も、やはりどこか「さむらい」的で、美しい強さをもって戦っておりました。

 陛下のおっしゃるように、伝統の問題は引き継ぐとともに、次世代にゆだねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。

 問2 お二人が知り合われてからこれまでにさまざまなお言葉のやり取りがあったと思います。いろいろなエピソードが伝わっておりますが、陛下はどのようなお言葉でプロポーズをされ、皇后さまは陛下にどのようなお言葉を伝えてご結婚を決意されましたか。銀婚式を前にした会見では、陛下は皇后さまに「努力賞」を、皇后さまは陛下に「感謝状」をそれぞれ差し上げられたいと述べられましたが、あらためて今、お互いにお言葉を贈られるとすれば、どのようなお言葉になりますか。

 天皇陛下 私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します。

 結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこの度も「努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。

 夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。二人のそれぞれの在り方についての話合いも含め、何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活に、いつも笑いがあったことを思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。

 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓

 婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。

 皇后さま たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。とりわけ婚約のころのことは、50年を越す「昔むかし」のお話でプロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思い出すことができません。また銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、この度も私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。

 次の「夫婦としてうれしく思ったこと」。このようなお答えでよろしいのか、嫁いで1、2年のころ、散策にお誘いいただきました。赤坂のお庭はくもの巣が多く、陛下は道々くもの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の丈を少し短く切って、渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと、胸が温かくなります。

 昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙な日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、様々に配慮なさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きを、どのような形で完成し、出版できるか、また昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本を、どうすれば散り散りに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。こうしたご配慮の下、平成元年の末には「皇居の植物」が、平成7年には「相模湾産ヒドロ虫類」の続刊が刊行され、また平成5年には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が国立科学博物館に、平成7年には,鳥類の標本が山階鳥類研究所に、それぞれ無事に納められました。「印象に残った出来事は」という質問を受け、このときの記憶がよみがえりました。

 「結婚してよかったと思った瞬間は」という難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話しいたします。春、辛夷(こぶし)の花がとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、そこに欲しいと思っていたとおりの美しい花がついておりました。うれしくて、後に歌にも詠みました。歌集の昭和48年のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。

 この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としての、お立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。

     全文引用終了

      

これからもよろしく、です。こんな事書いたら昔なら天皇不敬罪で死刑だろうけど、形式主義のくそバカ右翼連中が天皇の言葉や個人を尊敬せずにその立場だけを敬っているよりは、オレの方が多分まともに天皇の事を理解していると思うし、天皇からしてもオレのような人間に好きになって欲しいと思う。

 

オレもこうやって後30年、贅沢かもしれないけど、出来れば死ぬまで一緒にいたいな、ね、おくさん。

 

 



tom_eastwind at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2009年04月08日

御代は一億円

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旅行業が従前の形態のままでは生き残れないと書いたけど、じゃあ具体的に何をすれば良いのか?

 

殆どの旅行屋にはその答が見えてないと思う。何故なら顧客視点でものを見てないからだ。

 

例えば1億円のツアーを作れるか?御代が一億円だ。

 

たぶん旅行業関係者であれば作れない。けど発想を変えれば作れる。

 

旅行業者は自分のことを旅行業者と思い込んでる。それは良い、けどその旅行業者の領域については思い切り勘違いしている。

 

旅行業者とはお客様の要望に応じてホテルと食事と移動手段をパックにする事だと思ってる。

 

違う。全然違う!

 

僕らの仕事はお客様を幸せにすることであり、日常生活から解放してあげることなのだ。

 

いつかは誰でも自分の家に戻る。そしたらどんなお金持ちでも殆どの家庭では奥さんが台所に立って味噌汁を作るだろう。旦那は庭掃除をするかもしれない。

 

けど、旅のあいだはそれが不要だ。その解放感だけでも全然気持ちが違う。

 

そう考えれば、高級ホテルを選んで宿泊なんて発想はすでに頭がちがちの心が貧しい発想だ。

 

例えば一ヶ月ニュージーランドで過ごすなら、ミルブルックゴルフリゾートで別荘を買えば良いではないか。

 

好きな時間にオークランドからクイーンズタウンに行ける様にプライベートジェットを手配すればよいではないか。

 

クイーンズタウンでの移動手段はBMWのZ3をレンタカー会社で手配すれば良い。

 

そして通訳兼任バトラーを雇い24時間サービスで専任スタッフを傍に置き、街に出るときは自分でドライブ、素敵なレストランでお酒を飲んだら、帰りはバトラーに運転してもらう。

 

こうすれば、別荘が8千万円、ジェットが5百万円、バトラーで50万円、レンタカーが30万円、それと食事代なんかを入れれば、ほら1億円のツアーが出来る。

 

このツアーの良い点は、2回目に来る時は1千万円程度の旅費で済むって事だ。

 

こうなると、豪華客船の「あすか」に乗るのと殆ど変わらない。ところがこっちでは別荘がもれなく付いてくるし、使い飽きたら売れば良いのだから、ずいぶんと手軽な値段で旅行を楽しめる。

 

ぼくが今ニュージーランド政府観光局とニュージーランドのホテルオーナーと提携して進めているのは、そんなラグジュアリーツアーだ。

 

ラグジュアリーと言いながら、買った別荘が高く売れれば、もしかしたらプライベートジェット費用も全部賄えるかもしれない。これならラグジュアリーツアーに宝くじが付いたようなもので、更に楽しみが増えるではないか!

 

今は企画を作成中だが、今年の11月頃から販売出来る予定。

 

何で既存の旅行屋がこういう発想が出来ないか?それは彼らが自分のことを「不動産屋じゃないしな〜」とか「おれ、移住なんて扱ったことないし〜」とか「え?ジェット?そんなん売る力ないし」からなのだ。

 

要するにどこの業界にもいるけど、出来ない言い訳と自分のビジネス領域を勝手に自分で狭めているだけの、貧しい心の人々なのだ。

 

元々は旅行屋としてぼくの社会人人生は始まったのだが、ここ10年くらいは「旅行じゃ食えん」と仕事の軸足を少しずらしてたが、そろそろ僕の一番大好きな「旅行」で食える時代が来るような気がしている。

 

てか、古い常識に縛られた連中の古い頭を吹っ飛ばす良い機会だと思っている。この企画を当てて、値引きしか脳みそにない旅行業連中の目を覚まさせてやる。



tom_eastwind at 19:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 

2009年04月07日

国家のイメージは国民によって決まる

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これはある中国ブログの一部の日本語訳の抜粋である。

 

外国人から見た中国人、外国に旅行する中国人がテーマだと思う。

 

 

 

★抜粋開始

我々一人ひとりの言動が中華民族全体の道徳や素養として見られるのだ。その言動の良し悪しにかかわらずである。

  日本人の礼儀正しさは素養の高さは世界中から認められている。彼らは痰を吐いたりゴミをポイ捨てしたりしない。

 

中国人の場合はというと、多くの国において中国人に対して中国語で書かれた「痰を吐くな」「物を盗むな」「店を出る際には荷物を検査します」などといった標識が存在する。

 

多くの国において、日本人を排斥しようとする動きは存在せず、排斥される対象の多くは中国人である。

日本を知れば知るほどため息が出る思いである。国家のイメージはその国家に住む人々の素養や礼儀によって決定されるのだ。

 

中国人は驕らずに謙虚であり続ける必要がある。愛国とは自分自身の行為から始まるものなのである。

     抜粋終了

 

上記はある中国のブログに書かれていた内容の日本語訳である。

 

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0402&f=national_0402_009.shtml

 

誰が何故こんな事を書いたのかは不明だけど、同意出来る点は多い。じゃあちょいと今の日本人の実態に即して書き直してみよう。

 

我々一人ひとりの言動が日本民族全体の道徳や素養として見られるのだ。

 

日本人の言動の無意味さや無内容だけでなくすぐに相手に頭を下げて自分が何が悪かったか、悪くもないのに反省してくれる素養は外国人にとって素晴らしくありがたいのだ。

日本人の礼儀正しさは教養のあるなしに関係なく世界中から認められている。日本人は痰を吐いたりゴミをポイ捨てしたりしない。

 

それは、他人や上司や家族にするなと言われたからであり何故してはいけないかと言う道徳心からではない。他人と横並びをするだけなのだ。

 

その代わり関係者のいない公共の場では何をやっても良いので東京の公園のトイレは汚く、電車では子供が土足で座席に上がって親は文句も言わない。他人に何も言わないのが教養と習ったからである。

 

日本人の場合はというと、多くの国において日本人に対して日本語で書かれた「痰を吐くな」「物を盗むな」「店を出る際には荷物を検査します」などといった標識が存在しない。

 

そりゃそうだ。日本人は痰を吐いて殴られるリスクを極端に嫌うし、旅先で万引きして会社を首になったら一生が終りだからだ。その代わり関係者の目に触れない場所であれば新聞記者でも珊瑚を折るしニューヨークでイエローキャブにもなるし東南アジアで今でも売春ツアーを行うような人種であるし、修学旅行で米国に行って集団万引きはするのだ。

 

多くの国において、日本人を排斥しようとする動きは存在しない、だって日本人は外国に来て白人を見ればにこにこ黙ってお金を払うし文句も言わないし、不動産を買って騙されても泣き寝入りしてくれるお得意様なのだ。排斥される対象の多くは文句を言う中国人である。

日本を知れば知るほどため息が出る思いである。国家のイメージはその国家に住む人々の素養や礼儀によって決定されるのだ。

 

日本人は驕らずに謙虚であり続ける必要がある。

 

謙虚とは他国の人々に魂を売り飛ばす売国行為や、自分自身の無知や白人に無意味に媚を売る行為やプライドのない姿勢から始まるものなのであるから、そうしておけばいつか日本はどこかの国の植民地に、心の底からなることが出来るのだ。

 

何でこんな事を書いたかと言うと、丁度今日は中国系弁護士と打ち合わせの後に世間話をする機会があり、その時に彼が上記と同じような自国民に対する文句を言い、tom、お前はそれに比べていいよな日本人でって言われたからだ。

 

だから僕も同じように上記のような言い方で、「いやいや、日本だって問題てんこ盛りだよ」と話したからだ。

 

日本人が実際にはここまで酷いとは思わないが、東京の街を歩いて他人に関心を持たない人々を見るたびに、本当に道徳心が落ちたなと落胆することが多いのは事実である。

 

個人としては良い奴なんだろうが、東京と言う都会で生きていくには、それでは殻が薄すぎて生きていけないんだろうな。中国人のような強さしたたかさが欲しいなと思ったりもする。

 

僕と彼のおしゃべり。ここから出てくる結論の一つは、やっぱり他人の芝生は綺麗に見えるってことだろう。

 

あ!あの、これ読んで僕が中国万歳主義者だとは思わないでくださいな。僕が一番好きなのは日本で、だからこそ今の日本に怒りを感じる権利があるって思ってるだけですから。

 



tom_eastwind at 21:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年04月06日

オトナのアイのうた

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アーティスト:オムニバス
販売元:ユニバーサル シグマ
発売日:2009-03-25
おすすめ度:3.5
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今回の出張で一番楽しかった買い物がこれ。

 

「オトナのアイのうた」日本語版とジャズ版。

 

どちらも実によく編集されてて、今まで頭の中でくるくると回っていたオリジナルの音楽とは全然切り口を変えて歌いかけてくる。

 

「M」を山崎まさよしが歌い、「SAYYES」を布施明、「待つわ」をまなかな、等等、よく出来てるな〜。

 

こんな仕事をしてる人たちってあの時代をdaisukiで、いつも忙しさの中で頭の中で音楽をかけて、「お、これをこの人に歌ってもらえばいいじゃん」とか書き溜めてたのかな。

 

「世界中の誰よりきっと」本来はアップテンポの音楽を少しボサノバにして織田哲郎に歌わせてみたり、いいよね、これ。

 

夜。体をゆっくりとソファに寝かせてリラックスした部屋着で片手にグラスを持って、灯りは少し落として音量を少し上げて、出来れば背景は部屋から見える星の見える空だ。ちょうど真冬のクイーンズタウン、ミルブルックのベランダから眺めるリマーカブルの向うに光る星のような。

 

そうすると次第に20年前の事がゆっくりと星空を背景に浮かび出してくる。

 

「そんなつもりじゃなかったのに」あの時わかってくれなかった人は今何をしているんだろう。♪出会った秋の写真には、はにかんだ笑顔 ただうれしくて♪

 

「そうだ、あんな先輩もいたな〜、あの二人、結局うまくいったのかな〜」♪I can’t stop the loneliness, どうしてなの、悲しみが止まらない♪

 

結局人は誰も、音楽の良し悪しよりも、どんな場面でその音楽を聴いたかってのが大きいよね。

 

誰も若いときは思い出を作り、年を取ればその思い出を楽しむのだ。たくさんの思い出を作れた自分は幸せだと思う一時。少なくとも勉強したことだけは、一度もなかったぞとしょうもないことを喜んで見る。

 

 

オトナのアイのうた-ジャズ編-オトナのアイのうた-ジャズ編-
アーティスト:オムニバス
販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック
発売日:2009-03-25
クチコミを見る

ジャズ版ではヘレンメリル、チェットベーカーから大御所のニッチモなどなど、これはこんな場面か。

 

大都会のホテルの部屋で薄暗い窓に肘をかけて、遥か下の道を走っている黄色いタクシーたちを眺めながら、白いガウンに包まれたその手には三分の一くらい残った白ワインの入った大きなグラス。

 

リビングルームから流れてくるジャズは、足元からゆっくりと渦を巻くように体を包んで耳の横をくすぐりながら通り過ぎる。少しお酒の回った頭を軽くなぜてからそのまま窓ガラスを抜けて都会の夜に流れ出してくる。

 

さあ、あの人の待つ部屋に戻らないとね。

 

 

 

忙しい出張でしたが、この2枚のCDは今回の自分へのお土産として最高でした。

 



tom_eastwind at 19:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本

2009年04月05日

一億総中流は終わってます。

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今回の出張で一番感じたことは、まだ一億総中流の時代は終わったってことを気づかない、てか気づきたくない人々の多さ。特に旅行業関連。

 

1990年代後半、バブルはすでに崩壊したのに証券会社の古株連中は「夢よもう一度」とばかりに毎日何もせずにバブルが戻ってくるのを待っていた。

 

それと同じで、日本の旅行業は完全にビジネスモデルが崩壊しているのに、その事に気づこうともせずに昔の夢の話ばかりしている。一億総中流の時代に作られたパッケージツアーってのは、一億人が皆中流にいた時に売れたビジネスモデルである。

 

だから世の中が二極化すれば今までのパッケージツアーなんて売れるわけがない。現実に顧客層の動きがすでに大きく変化している。

 

なのにまだパッケージツアーにしがみ付いて、少しでも現地価格を引き下げることで安売りをして、それでどうにかなると思っている企画担当者連中には困ったものだ。

 

まさに無努力の極みである。それが更なる旅行業者離れを起こしているのが気づかないのか?

 

値段を下げるって事は取引相手の利益を奪うことであり、そういう事ばかりやってたら誰もニホンジン相手に商品なんか売らなくなるぞ。中国や欧州など言い値で買ってくれる国はいくらでもある。何でわざわざ日本人に売る必要があるか?おまけに送客は毎年右肩下がりで去年は遂に中国に抜かれたではないか。

 

要するに自分で自分の首を絞める最低の行為が値段叩きなのに、その事を全く分かってない。

 

てか、企画担当者、自分が会社にいる限り簡単に解雇されないから安心しているのか?

 

安かろう悪かろうのパッケージツアーなど、誰も買わないのだ。皆、自分でインターネットを使って直接航空会社とホテルに連絡を取って予約をするのだ。

 

今現在大手旅行業者は軒並み大赤字である。旅行業自体がその体質変換をしないといけない時期に、今も偉そうなことばかり言って何の変化もせずに問題を先送りしてしまう経営者連中や現場の支店長クラスは、もうどうしようもない。

 

ああいう連中って、本当に口だけはうまいけど実際の変化を見ようとしないという点では、世間に転がってる「使えね〜中年おやじ」だ。

 

メタボメタボって最新の話題を口に乗せるだけで満足して、自分は言い訳ばかりで体調管理するだけの努力さえしない中年連中。煙草は体に悪いんだよななんて言いながらそれでも止めようとしない。

 

てか、大体自分の商品知識を磨いて新商品を作るって発想さえしない。これからも自分たちのビジネスがが永遠に続くって思ってるのか?

 

旅行業は続くよ。けどそれは今までの旅行業ではない。一人一人の旅行の歴史と家族の歴史を頭に入れて、一人一人の夢と喜びを提供するビジネスモデルが生き残るだけである。

 

そんな事を考えながら仕事をしていたら、偶然だけどそういう旅行会社があるのを知った。

 

北陸にある旅行会社で「マゼラン」と言うのだが、週刊ダイヤモンドで旅行業特集の中で紹介されていた。

 

旅行業が今後どうあるべきか。その一つの道筋がこういう旅行形態なのだろうと思う。

 

ホテルについても全く同じである。寝るだけの設備としてのホテルならそれは出張であり旅ではない。旅行会社が手配をする必要はない。

 

旅行会社がやるべきことは夢と喜びを売ることだ。その事を現場の人間がどれだけ分かっているのか?そこが旅行業として生き残れるかどうかの岐路である。

 

座席と部屋と飯を売るのが旅行会社ではない。お客様はブロイラーではないのだ。一回の旅でお腹一杯にさせて移動させて景色を見せれば終わりと言うのは、21世紀の旅行業ではないのだ。

 

てか、正直言えば20世紀でもそんなのは旅行業ではなかった。どれだけお客様の履歴を把握してその人が何を欲しいかを理解して、しっかりと手数料を貰ってプロとして手配するのが本道だった。

 

けど1970年代から飛び始めたジャンボ機が、座席の数をたくさん売った方が偉いと言う風潮を創り出してしまい、その方が楽だからと旅行業者がダイエー並みに野菜のたたき売りをするように旅行商品をたたき売りをするようになった。そうして手数料の値引きを始めた。

 

このあたりから旅行業はおかしくなったのだが、今の時代になってやっと本道に戻り始めている気がする。

 

2001年頃のブログやコラムで、これからの10年は革命的に時代が変わるぞと書いた。やはり世の中はそんな風に変わっていった。

 

旅行業でも、変化出来る人間だけが生き残れる。さ、業界の皆さん、変化出来ますか?

 

写真はマゼラン。



tom_eastwind at 08:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NZの不動産および起業 | 日本

2009年04月04日

やっとオークランドに戻ってきた

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やっとオークランドに戻ってきた。今回の出張は長かったな〜。3週間も日本にいると毎日が日本語の生活だし毎日日本人と会ってるし、だんだん自分が日本で生活をしている気持ちになる。

 

でもって実際は出張なので土日関係なく予定を入れるわけで、結局どうなるかって言うと3週間が一つの団子になってしまい、普段のオークランド生活のような、一週間を月曜日から金曜日までが仕事で、土日はお休みと言うひとつの区切りとして考えることが出来なくなる。

 

つまり21日が一つに繋がってしまい土日が休日でなくなるために、まず最初はオークランドの休日を忘れてしまう。次に日本での休日を思い出すことが出来なくなる。

 

不思議なもので、そうなるとそれはそれで体が動くのだけど、やっぱり基本は土日休みで出来上がっているので、いつの間にか体調が壊れてくる。

 

そういうのが後半になって体にしこりが溜まるんだけど、何故か今回は一番最後の日に一番たくさんのアポが集中したので最後の方は頭が団子になってしまいがっちがち。飛行機の中ではとにかくパソコンを開くのも本を読むのも嫌になって、ひたすら寝てた。

 

けど今回の出張では随分たくさんの企画が出来た。ワイナリー、牧場、農業企画、新しい顧客層を取り込んでNZの新しい滞在の仕方の提案。そのほかにも今年はやることが多い。楽しみな一年になりそうだ。

 

明日からこのブログで、今回日本で企画したビジネスモデルを適宜掲載していこうと考えてます。

 



tom_eastwind at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2009年04月02日

ワルキューレ 真夜中の会議

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僕が英語を学び始めて真っ先に感じたのは、英語では欧州の地元の発音や言葉でも一切お構いなく綴りに合わせて英語で発音するって事だ。

 

最初に感じたのはMunich。英語ではミューニック。僕らは学校ではミュンヘンと習った。これはやっぱり開国した日本が最初に欧州に使節団を送り込み、その国の言葉で発音を覚えたからだろう。

 

ワルキューレは第二次世界大戦当時のヒトラー暗殺に関する実話をベースとした物語でトムクルーズ主演の映画であるが、社会派映画ではない。

 

・ヒトラーがどうやって台頭したかとか

・ヒトラーがどうやってドイツ国民を困らせたかとか、

・ヒトラーがどれだけ多くのユダヤ人を虐殺したかとか

・実はヒトラーはローマカソリック教会の後押しを受けてたとか

・大恐慌で大変だった米国資本家連中から資金供与を受けて戦争に進んだとか、

そんな歴史の表や裏の話をしているのではない。

 

単純にトムクルーズが英雄の役目を見事にこなして、それに最新の実写映像技術を取り入れて大金を投じて製作された対策映画である、じゃなかった、大作映画である。

 

今の米国の悪者探しの目をそらすために、「ほーら、ドイツのヒトラーはこんなに酷かったんだよ、ね、これに比べれば今のアメリカなんて大したことないじゃん」対策ではないと思う。

 

けど米国で映画を作るときは大体において、特にこういう系の戦争とかテーマ性のある奴に関しては、映画業界だけで作るわけではなく、必ず政府や軍との話し合いがある。

 

このあたり、ロードオブザリングスだったら人々を幸福にするんだから問題なし。

 

だけど、内容がアメリカの恥を晒すような映画、例えば「DeerHunter」なんてのは、米国がベトナム戦争を最終的に総括して「よし、謝ろう。そしてこれで終わりにしよう、これからは関係修復に動こう」と判断したから出来た映画だ。

 

今回のワルキューレは、言語ではWalkure(ワルキューレ)で、英語ではValkylie(ヴァルキール、みたいな発音)となる。

 

渋谷の映画館に入ったのが夜の18:00丁度。窓口でチケットを買い、すぐに近くの立ち食いうどんに飛び込んで簡単な夕飯を済ませて座席に坐ったのが18:20。ふ〜、ぎりぎりセーフと思いきや、なんとそれから20分ばかり色んな映画の宣伝をやるのだ。おお、これって変わってないな。

 

人気のある映画だし18時過ぎなのだから人が多いかと思ったら、これがスカンスカン。嫌いと言う意味ではない、ガラガラと言う意味。

 

この日僕は午後は投資家のお客様(最近増えてます)と会議を行い、次が夜の22:00から仕事の打ち合わせが入っており、それまで酒を飲むわけにはいかない。

 

ならば強制的に自分を酒から隔離しようと思って映画館に篭ったのが事実。それにしても日本人、よく働きますね。夜の10時から会議なんて、何年ぶりだ?

 

映画館に入るのは、これこそまたも二十年ぶりくらいではないだろうか。あ、けど香港では映画館に行ってたから、日本の映画館に入るのが二十年ぶりって感じだ。

 

ここは昨日のマンションと正反対で、正直言って「なんにも変わってな〜い!」だった。半円型のアクリル窓と売り子の口元のマイク、たくさん乗れるだけが取り柄の古いエレベーター、そしてエレベーターを降りると待ち受けてる「もぎり」のお兄ちゃん。

 

映画館はだあだっぴろく、最近よくあるようなプレミアシートなんて存在しない。ひたすら10数名が横一列、殆どブロイラー状態で並んで雁首並べて映画を見る奴だ。

 

変わったのは働いている人だけで、箱は何も変わってないし仕組みも全く変化してないんだな〜。これにもある意味感動。

 

この日に入った映画館は渋谷109前の「渋東シネタワー」4階。あれだけのサイズになると、あれだけお客が入らないと、いつも取り壊しの危機に晒されているのではないだろうか。何せ渋谷109の真正面で、思い切り広い敷地である。今時アレだけの一等地ではあんな出物は滅多にないのでは?

 

けど映画館の名誉の為に言っておくと、サービスは問題ないし椅子もふかふかで広いし、良い映画館でしたよ。僕が30年前に見てた映画館に比べれば、ずっと改装が進んでいる。椅子にはドリンクカップも付いてるし傘立てもあるしね。

 

いつも思うことだけど、毎日同じ場所で一生懸命働いていると、なかなか大きな変化に気がつかない。むしろ外から時々来るほうがその変化がわかるのだ。

 

さて長くなったがワルキューレ。よく引き締まった作品だ。無駄がない。無駄がなさ過ぎるくらいだけど、それはトムクルーズの演技ですべてが引き締まっている。この人、どんな場面でも全員を食ってしまい、彼の作りたい空気にしてしまいますね。

 

彼が笑えば太陽が光るし、彼が唇を引き締めれば周囲はきりっと引き締まる。そして彼が怒れば、周囲は「こいつ、本気で怒ってるんじゃないの?」と思わせるくらいの怒りを体中から発している。

 

映画の内容は、思い切りはしょっていると言えば言いすぎだけど、戦争を知らない人が見たら少し意味不明かもしれない。

 

何より笑ったのが、映画を見終わってトイレに行った時に隣にいた二人組みの若い男の子が「残念だな〜、トムクルーズ失敗したんだね〜」と言ったこと。

 

これはネタばれになるかもしれないけど、けど歴史的事実の基本だけは押さえておきましょうね。でないと映画全編に流れるあのど〜んとした暗さやトムクルーズの怒りは理解できませんぜ。

 

それにしても演技は良かった。やっぱりトムクルーズは英雄役をやらせたらすばらしいですね。

 

周囲の脇役も優秀なのが勢ぞろいで、実に重厚で雰囲気のある仕上げになっている。

 

テレンス・スタンプは「シシリアン」や「ウォール街」でも素晴らしい演技を見せた名優(どっちも名作、はい勿論僕もOntimeで観ました)、フルモンティでペーソスな演技を見せたトム・ウイルキンソン、王立演劇学校を主席で卒業し「ヘンリー五世」では多くの賞を総なめし、米国でも監督や俳優を兼務するなど素晴らしい実績を残すケネス・ブラナーなどなど、すべてが大舞台で俳優をやったり映画に出たりして大きな賞を取っている連中ばかりだ。

 

彼ら脇役グループとトムクルーズの演技の息のぴったりさには、これだけでもう充分観る価値あり。だからあんまり筋書きに拘らず、演技と演出を楽しむだけで充分に満足できる作品だ。

 

これは120分モノに仕上げてるけど、180分でも良かったのではないかと思う。

 

ワグナーの名曲ワルキューレに合わせてストーリーは進行していく。答えは分かっていても、すべての場面で「あ、あの事件の背景はこうだったのか!」とか「そうか、あそこでこうしておけば!」とか、軍事作戦としてこの事件を捉えるか政治的クーデターとして捉えるかで答えは変わるが、とにかく見ごたえのある一作だった。



tom_eastwind at 01:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画

2009年04月01日

過剰包装とリサイクル

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昭和の時代のアパートしか知らない僕は、平成の今になって東京に来て「新築マンション」と言う物件を見てびっくり。

 

自分はホテル住まいなので、久しぶりに見る東京の新築アパートは新鮮だった。

 

何?宅配BOX?何?エレベーター用監視テレビ?何?インターフォンテレビ?

 

昭和の時代にはどれ一つとしてなかったぞい。だって宅配なんてなかったし、エレベーターに悪い人が乗ることなかったし、インターフォンなんて不要だし〜。

 

とにかく驚くほど素晴らしい設備なのだが、今の東京の新築アパートではごく普通のようだ。てか、アパートって言っちゃいけないんですよね、マンションとかでしょ。

 

こういうサービス部分はやっぱり日本はすごいよなと感心する。

 

けどそれが逆方向に向いた時のまぬけさも、やっぱりあいも変わらずだ。

 

デパートで買い物をすると、例え食品売り場であっても実に丁寧に包装してくれる。品川のくいーんず伊勢丹で買い物をした時など、こりゃ包装にかかる総原価と食品自体の原価を比べたらどっちが高いのか、首を傾げるほどだ。

 

こうやって自分の手で持って帰った買い物でダンボールがどんどん増えてくると、おいおい、こんな過剰包装が本当に必要なのかと考えてしまう。

 

社会の上のほうでは総論賛成でリサイクル再生紙を活用しよう、環境第一!と言いながら、いざ自分が使う方に回ったら、つまり購入するほうになったら過剰包装を期待するし、そこまで過剰にやって初めて「そうよね、だから三越さんだもんね」となる消費者。

 

勿論工場から販売店までの輸送に手間がかかるのはよく分かるのだけど、販売店から先はそこまで必要なのか?短距離だぜ?

 

使い回しが可能な輸送器具はないものなんか?

 

日本通運では引越しの際に出来るだけゴミが出ないようにしているけど、おそらく現在の物流システムにおいては段ボール箱を使い捨てるのが一番費用が安いのだろう。

 

だから経済感覚で言えばダンボールを使い捨てにするのが有効で、片方ではそれをきちんと揃えて家庭のリサイクルとして再利用しようとする事で再生している。

 

けど、・・・・だったら最初から包装しなければ良いではないか。輸送途中に傷がつくとか、そりゃ分かるけど、それは新品信仰でしょ。買ったものはいつか傷がつく。遅いか早いかである。

 

最低必要な角っことかだけにパッドを入れておけば、それで充分ではないのか?僕は簡単包装の方がずっと好きだし、その方が資源を乱用してゴミを作っておいて、それを処理するのにカネを使うってのは、どうなんか。

 

大体再生紙なんて新しく紙を作るよりも原価が高いのだから、経済効率は悪い。それでも資源を大事にする為に経済効率を追求してはいけないとなるのなら、最初からダンボールなど使わなければ良いのだ。

 

そうすれば引越しの際に出る大きなゴミも出なくなるし、お三越のお商品のお不必要なお包装も不要になる。

 

ここがいつも感じる日本人の持つ自分勝手さと言うか、総論賛成各論反対現象である。

 

表向きは格好良く「リサイクル!」なんて言ってるが、どこかへの贈り物では「うちは三越使ってるんですよ」となるから包装に思い切り手間をかけて「ほら、この手間を感じますか?」となる。

 

「貴方の為に手間をかけたものをご用意しました」と訴求することで相手に対して自分の気持ちを伝える贈り物。

 

それはそれで素晴らしい文化だと思うんだけど、だったらリサイクルなんてどうなの?と思ってしまう・・・。

 

!けど! ここでよく考えてみたら、これってすんごいビジネスではないか!日本人、すんごい雇用創出をやっているんだ!

 

だってまずは個人が個人に自分の気持ちを伝える為に思いっきり包装した贈り物を届けるでしょ。この時点で商品価格+包装費用が発生している。

 

次にこの商品が受け取った側に届くと、収賄側は感謝の気持ちを感じながらたまねぎの皮を剥くように包装をはがしていく。

 

剥がされた包装は収賄側の時間と手間をかけてリサイクル袋に分別されて入る(これ、びっくりした!このリサイクル、日本ではすんごいね!)。

 

そしてリサイクルされたダンボールやペットボトルは、アパートの「ゴミ収納室」に収まり、毎週決まった日に回収に来る人がいる。

 

政府が行う一番効果的な財政対策は、トヨタ自動車から車を買ってそれを大手建設会社に発注して大きな穴を掘ってもらいそこに車を埋めることだと言う。

 

どうやらこの資源サイクルシステムは日本人が自己満足の為に作り上げた究極の穴掘りビジネスなのだろう。

 

 



tom_eastwind at 23:11|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本