2009年07月

2009年07月31日

クイーンズタウン二日目 医療通訳

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ニュージーランドで医療通訳サービスを始めてもう10年くらいになる。

 

最初はガイドの仕事をしている時に思いついたサービスだ。

 

日本から来たお客様が現地で病気になったり怪我をするのは決して良い事ではないけどよくある事ではある。

 

そんな時に生半可な英語では医療通訳等出来ない。ましてや僕は自分の英語レベルは良く理解しているので、そんな冒険なんてできやしない。

 

かと言って当時病院で手配されていた日本語通訳ってのはとんでもないもので、ありゃ一体何じゃ!?戦争花嫁か!?と思うくらいのおばさんたちが、いかにも面倒くさそうに「あんた、何処悪いの?え?よく分からない?そんなん通訳出来るわけないじゃん!」てなものである。

 

それも医者と一緒にいる数十分だけ付き添うだけで、その前の病院のどこで待てば良いのか、薬はどうするのかなど、何の話もなしでまさに放置である。

 

それでも彼らは医者に対しては媚びる様な英語でべちゃべちゃとパングリッシュを使い、受付のねーちゃんとはどうでもいいような世間話をしてから高い通訳費用だけ貰って帰ってた。

 

当時、医療通訳の時給と言うのは1時間で300ドル!とか、まるで弁護士並みの値段を請求してて、それを保険会社が何も知らずに払ってたのだ。

 

その仕組みにかなり頭に来て、お前らそれでも日本人か!と憤ったことがあるくらいだけど、けどそうは言っても僕は医療英語が出来ない。

 

そこでまずは英語の出来る日本人看護婦を探しながら同時にで保険会社と契約を締結してサービスを提供するようになったのだ。

 

そうやって始めて見ると医療通訳は確実に需要があった。けどそれをビジネスとして成立させるには、今度は旅行業の知識、つまりツアーがどのように成り立っているのかを知る必要がある。

 

つまり、旅行業+保険業+医療体制+看護婦と言ういろんな要素が一つになって初めてビジネスとして成立するのだが、これ全部を知識として持っている人なんて滅多にいやしない。

 

当社は偶然そういう知識を一つにまとめて持ってたのでこのビジネスを成立させることが出来たのだ。

 

他社でも最近は似た様なことはやってるけど、どう見ても「ありゃ素人仕事ですね」というのがばればれだ。

 

元々クイーンズタウンでは地元病院と提携しているキーウィの医療通訳がいて彼がこのビジネスを独占していた。

 

なので別に地元の人間に喧嘩売ってまでこっちがビジネスを広げる気がなかったので今まではクイーンズタウンは当社としては触ってこなかった。

 

けど今回はその通訳さんが撤退するって事で無医療通訳地になったクイーンズタウンなので、ましてや冬場のスキー場では怪我人が良く発生するので、ここにオークランドから看護師を送り込んで冬場の医療通訳に対応するようになったのだ。

 

けどこの仕事だけは、患者を増やす為の営業努力はやっちゃいけないしあるわけもないので、やはり地元の人にサービスの内容を理解してもらって何かあった時に思い出してもらう程度にしか出来ない。

 

けどこの、患者を作るってのは以前オーストラリアでは頻発していた。あそこ、21世紀初頭、つまり2000年頃はワーホリも非常に柄が悪く、医療保険や旅行保険を使ってバンバン詐欺を働いてた。

 

ある大手の保険会社は詐欺の手口を発見するためにわざわざプロの探偵を雇って調査して、見つけ出した連中からカネを取り返していたほどだ。

 

ところが見つかったほうも「ごめんなさい!もう二度としません!」なんて態度じゃない。「ナンだ、ばれたのかよ、じゃあ金返すよ、それでいいんだろ!」と全く反省の色なし。

 

あんまり酷い奴はそのまま警察に連れて行くのだけど、そうなって初めて自分が犯罪を犯して海外で逮捕されるという怖さに直面してビビリだすのだ。

 

全くもうどうしようもない連中だったが、当時はオトナにも馬鹿が多く、医療通訳が商売になると分かった途端、日本人が宿泊するホテルに無料バスを回して「どこか具合は悪くないですか?どんなことでも面倒見ますよ、費用は無料ですよ、ついでにレストランまでご案内しましょうか」等と宣伝を始めたのだ。

 

これにも保険会社は頭に来て「患者を作るのは何事だ!」と喧嘩になったこともある。

 

どんなビジネスをするにしても、関連する全員の利益がなければやってはいけない。「金がある、そりゃ獲りに行け」ではビジネスなど長続きするわけがない。

 

だから僕がビジネスを立ち上げる時は基本的に参加者全員が利益を得られることが前提である。

 

これから立ち上げようとするいくつかのビジネスも、かなり色々と紆余曲折しながらも、それでも参加者全員の利益になるような仕組み作りを行っている。

  

今回のクイーンズタウンの医療通訳はとりあえず全員の利益になると思うのでトライアルで冬場だけの派遣である。これから約一ヶ月。まずは無事に終わりますように。

 



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2009年07月30日

クイーンズタウン出張初日

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今日からクイーンズタウン入り。今年の冬から新たにクイーンズタウンで医療通訳サービスを提供するにあたって関係各社へのご挨拶。

 

中には顔を見た瞬間に「あれ〜!あんた、何してんの!」とびっくりされたり。そう、この業界は僕の古巣であり、20年経ってもまだ業界で働いている人がいるのだ。

 

各旅行会社のオフィスは以前と変わらないけど、それでもガイドさんとかはさすがに昔の人は殆どいない。

 

今年は雪もよくスキーヤーがオーストラリアを中心にしてどんどんやってきてる。街は賑わいホテルは賑わい、あれれ、けど日本の旅行会社はそうでもないか。

 

スキーと言えばバブル期の「私をスキーに連れてって」の原田知世の何とも可愛い「ばっきゅ〜ん!」であるが、ありゃ1987年の作品。

 

あの頃はそれこそ日本人が大挙してクイーンズタウンにやって来てた。とにかく山を見ると日本人スキーヤー、街のレストランを見れば日本語メニューだらけで、一人700ドルのヘリスキーがバンバン売れてた時代だ。

 

ところが時代が変わってしまい、スキーヤーが激減したし更に年齢が高齢化した。要するに若者がスキー自体に興味を持たなくなったのだ。

 

あんな寒いところ、誰が行くかよ。ケータイあってコタツに入ってりゃそれでいいじゃん。

 

スノーボード離れが進んでいるというけど、スノーボードだって所詮は若者が流行の一つとしてやってただけであり昔からのコアスキーヤーは皆スノーボードなんて乗らない。だからスノーボードの問題ではなくスキーと今の若者世代の問題なのだ。

 

海外旅行が対前年で30%以上の落ち込みを見せているけど、これは別にインフルエンザとかじゃなくて、単純に日本人が海外旅行に行かなくなったからだ。スキー客が激減しているのも同じで、日本のスキー場がどこも日本人スキーヤーがいなくなって困っているのと同じ。

 

クイーンズタウンは最近ではコロネットピークのスノーマシンやNZの寒冷化が進んでいるせいで非常に雪が良くて、オーストラリアからじゃんじゃん飛行機が乗り入れてる。友人の中華レストランも、お客は殆どがオージーか欧州の白人って感じ。

 

「川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」とはよく言ったものだ。

 

クイーンズタウンと言う町は夏は観光客、冬はスキーヤーを集めて常に賑やかではあるが、訪れる人々の層にどんどん変化が出ているのだ。

 

だから日本人に特化した旅行会社はどこも苦戦の真っ最中。NZ大手の日系旅行会社も次々とクイーンズタウンオフィスを閉鎖している。

 

あ〜あ、1980年代のあの景気を知ってる僕からすれば、全く残念である。

 

けど仕方ない、旅行を国民に定着させるような仕組み作りをしなかった業界自体の問題だもんね。

 

結局一番の原因は旅行会社自身にある。1970年代にジャンボ機が就航するようになってからは、お客の代わりに旅の楽しみを発見するのではなくとにかく飛行機にたくさん人を押し込んでしまうのが優秀な社員と言われた。

 

そうなってしまうと野菜のたたき売りと同じで、あっちがいくらならこっちはいくら!みたいな競争になってしまい、一番大事な「何故旅に行くのか?」と言う点が忘れられてしまった。

 

その結果として旅そのものが楽しくない、面倒くさいという風潮になってしまった。ましてや旅行会社なんかを使ったらお土産屋とまずい団体向けレストランにしか行かないのだから使うわけもない。

 

それに比べればオーストラリアからやってくる連中は遊びをよく理解している。山でガンガンスキーして街でガンガンビール飲んでレストランでガンガン飯食って、とにかく一日中騒ぎながら楽しんでる。

 

最近ではロードオブザリングスのおかげで米国人も増えており、クイーンズタウンの活気はあいも変わらずである。

 

雪をかぶって真っ白な山の景色が空の青さに映えて、湖の青さが街を光り出している。

 

会う人皆が心優しくなれる街。

 

まさに「クイーンズタウン、今宵会う人皆美しき」である。

 



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2009年07月29日

思えば遠くに来たもんだ

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今日は仕事の関係でニュージーランドでコンサートなどの興行をやっている会社と打ち合わせ。

 

部屋にはAC/DCの弩派手なポスターとか、壁中に色んなコンサートのポスターが貼っていた。

 

けどこういう人たちって、何故かポンソンビーとかパーネルに多い。やっぱりげーじゅつの街なのか?それともシティじゃ煩すぎて創造力が働かないのか。

 

実際ポンソンビーのお洒落なカフェは夕暮れともなるとこういう人たちで一杯だもんね。

 

さて、この会社とは全く面識のない状態であり、まずは何故僕がここにいて貴方と話をしているのかの説明から入る。

 

アジア人向けのショービジネスを考えている。娯楽の少ないオークランドで本場からショーを持ってくれば、オークランドのアジア人人口25万人に対して売れるのではないか?

 

その為には地元の興行会社と組む必要がある。その為にぼくは今ここにいる。

 

もちろんオークランドだけでは予算が赤字になるから当然シドニー等の大都市を組み合わせたツアーが良いとは思う。

 

などなど。たまたま今回の担当者の女性は銀行で長く働いており、アジア人の口座のことは「良く知ってるわよ〜」と、にやっと笑ってた。

 

でもって最後に彼女、「ところで御宅自身は何やなの?」

 

これが最も困る質問。なんでも屋って言うと疑問に思われるが、実際に何でも屋である。今年の5月には教会を借り切ってのクラシックコンサートをやったし、レストランビジネスの売買もやってるし、住宅の修理も請け負っているし、病人が出れば医療通訳もするし、携帯電話のレンタルもやってるし、両替もやってる。

 

最近ではシステム決済取引と言う新しいビジネスや、ニュージーランド農業に関連した仕事もやっている。あ、そうだそうだ、レストランだって経営しているではないか。

 

これに今抱えている未決案件ビジネスだけでもすでに5件ほどあり、これの落としどころを探さねばと考えている。

 

そしてその5件がすべて違う産業なんだから、おれは何やだ?と言うことにもなる。

 

ましてや今ここに坐っているのはアジア人向けのショービジネス、コンサートやショーのプロモーター企画。

 

結局最後に両手を広げて言ったのが、「うち?うちは求められれば水爆からコンサートまで何でも用意、企画手配する会社です(笑)」

 

実はこのせりふ、さいとうたかをが彼の劇画の中で使ってたせりふの改造版で、オリジナルは美女から水爆までである。しかしまさにこの通りとしか言いようがない。

 

結局産業分類とか「あなた何やってるの?」と聞くほうは、それによって相手を分類してどこかのハコに入れたいのは良く分かる。

 

ただ、そういう産業分類は実際にはあまり意味のないような職種も存在する。それがぼくのような職種である。一言で言えば、ニュージーランドに絡むビジネスなら百貨店のように何でも扱いますとなる。

 

百貨店は何やですか?惣菜から絵画まで何でも扱ってますとなる。

 

なので最近は、相手によって自分のどこの部分を切り出すか、予め考えておくようにしている。いろんな面があるけど、どこを見せるかは相手に合わせておかないと、理解してもらえないもんね。

 

ましてや、魚ビジネスの話をしている相手に「いや〜、うちは両替してまして〜」なんて言っても変な顔されるだけだ。

 

それにしても、思えば遠くに来たもんだ。九州の田舎で社会人を始めたときは、日本航空が発行してたニュージーランドの大型ポスターを見ながら「こんな綺麗なところもあるんだな〜、けど一生行くこともないんだろうな」とぼんやりと思っていた。

 

それが今ニュージーランドで生活をしてビジネスをして子供二人はこの国で生まれて教育を受けている。今日なんてアジア人ショービジネスの話である。

 

時代と言う波に乗っていつの間にかこれだけいろんなことをやってるんだなと思う。

 

けど、今日このキーウィの担当者に言って見て気づいたこと。あ、しまった、ニュージーランドには核がないのだ・・・。北朝鮮まで行かなくちゃ。



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2009年07月28日

卵はどこへ?

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日曜日はStLukesの電気店をのぞいて見る。今の洗濯機が古くなって調子悪いので、新しいのが欲しいなと言ってる奥さんの同伴である。

 

この電気店にはパソコンからテレビ、洗濯機、冷蔵庫等が並んでいる。すごいすごい。そういえば日本では両開きの冷蔵庫とかも出来てるんだよね。すいごいすいごい。

 

サムソン、ウエスティングハウス、などなど。

 

けど、、、、卵入れがない!冷蔵庫の上の棚にも下の棚にも、卵を入れる丸い穴の付いた卵入れがない!

 

その隣にある三菱電機の冷蔵庫では12個入りとか16個入りの卵入れがあるのに、外国製の冷蔵庫には卵入れがないのだ。

 

そう、ニュージーランドでは卵を冷蔵庫で保存するって考えがないのだ。常温で放置しておいても2週間程度は保存が効く食べ物と思われているから、あえて冷蔵庫に卵を入れないし、だから卵入れもないのだ。

 

キーウィの生活の中で卵は朝から大活躍するので1ダースなんて家族によっては一日で消費してしまうかもしれない。

 

今日買ってきた卵は有機卵だけど賞味期限は2週間以上ある。けどやっぱり常温保存。

 

だけどこの国では生卵を食べる習慣がないから、レストランでも生卵を提供することは出来ない。

 

何でも卵の殻にばい菌が付いてるからって事らしいけど、それ以前に本音の事を言えば、要するに生卵を食べるなんて気持ち悪いってところだろう。

 

そう言えばシドニーでも数々の賞を取った寿司レストランである「よしい」のオーナーがこの前ぼやいてた。

 

「いや〜、参りましたよ。前回保険署が視察に来た時に、どこの人ですかね、寿司を握るのに衛生面の問題があるから、必ずビニールの手袋をしろなんて言われましたよ。うちゃあ寿司やですよ、衛生基準でも最高のグレード貰ってるのに、何でしょうかねあの無理解さ」

 

そう、ある人種にとっては自分が食べないのにぐちゃぐちゃと横槍を入れて、それで正義面をするのだから困ったものだ。

 

鯨問題もしかり。ぼくは犬は食べないが、犬を食べる中国や韓国の文化を否定するつもりはない。日本人だって戦後すぐは犬も兎も食っていた。ちなみに香港に長く住んでいたけど、結局蛇のスープも飲まなかったな。

 

けど、ふと思った。もし東京で蛇の肉や犬の肉を食わせるレストランがあったら、どうする?衛生署に訴えて店を潰すか?それとも共存共栄するか?このあたり、きれいごとでは片付かない部分ですね。

 

けどっまあ卵。ニュージーランドで冷蔵庫を買う際は、卵をどうやって使うか考えておく必要ありですね。

 

写真は一人で書類を見ながら昼食を食べてるキーウィです。

 

こればっかりは人種を問わず。一人飯って背中が辛くてどうしても書類に眼を通したくなりますね。



tom_eastwind at 19:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年07月27日

言葉狩り

「きりひと讃歌」を久々に読み返す。手塚治虫の1970年代後半の作品である。

 

手塚治虫はそれまではどちらかと言うと子供を対象に「漫画」を描いていたのだが、さいとうたかをなどが劇画と言う分野を開き、ビッグコミックと言うオトナが電車の中で読んでも恥ずかしくない雑誌が出始めた頃の作品である。

 

医師免許を持つ手塚治虫がその得意分野である医療問題に取り組んで、そこから更に深く掘り進んで行って人間とは何なのだ、幸せとは何なのだと追求していく。

 

こういう作品に同時代で接することが出来たのは本当に幸せとしか言いようがない。

 

何故なら僕はその時代を知っているから、その時代を知らない今の人がどのように作品を批評や批判しようと、いくらでも反論出来るからだ。

 

歴史ってのはそんなもんだろうな。日本軍の南京虐殺だって当事者がいなくなってから物語が作られるんだもんね。そして誰もが事実を無視して自分の好きな物語を作り出して自分の言葉に酔ってしまい、自分だけが真実を語ってるような顔で言いたいことを言う。

 

この作品でも偏見や差別なしに書かれた内容が、時代を越えてしまうと、世間知らずの役立たずの歴史知らずで教育ヒステリーになってるPTAの連中等によって「さべ〜つ!」とか言い出される始末なのだ。

 

そしてお上からすれば言論の自由なんて、あるように見せかけておいて潰すのが一番だから、こういう連中を煽てて言葉狩りに走るのだ。

 

だったらさ、自分の魅力がなくなった連中が一番嫌う旦那の浮気を防ぐ為にも「源氏物語」の発禁処分でも訴えたらどうだ。

 

あれなんてエロ小説の代表作ではないか。誰かれとなくやりまくるプレイボーイが主人公なんて、野坂昭如もびっくりの四畳半ふすまのした張りだ。

 

それともそういうのは「とっても素敵な歴史小説〜」とでも言うのだろうか。

 

要するに馬鹿がまともな知識もないままに大衆心理と数の力でムリを押し通しているのが言葉狩りである。まさに共産主義時代の文化大革命並みの無秩序的暴走である。

 

最近の漫画を読んでいると、特に古典漫画においては必ず編集者注で「この作品が作られた時代は〜」と言ういいわけがあって、出来るだけ原典のままで再発行していますとなる。

 

商売とは言え、そんな事を書かないとやっていけないのか?辛い時代ですな、全く。

 

人権とか差別反対とかの響の良さそうな美名の下で世の中の真実が次々と隠されていき、次第に人は現実から離れてしまう。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月26日

60プラスに乾杯を!

麻生首相、高齢者は「働くことしか才能がない」

 

 麻生首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所の会合であいさつし、「日本は65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人たちは8割を超えている」としたうえで、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは働くことしか才能がない。働くということに絶対の能力がある。80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」と語った。

 高齢者に働いてもらい、活力ある高齢化社会を目指す考えを示したものだが、高齢者をやゆしたともとれる表現に批判が出る可能性もある。

20097251327  読売新聞)

 

これは読売新聞だけど、内容は昨日の朝日新聞と同じ程度の知性である。

 

「高齢者をやゆしたともとれる表現に批判が出る可能性もある」

 

だってさ。あふぉくさ。批判をするのはマスコミ自身であるくせに、それを一般大衆の意見としようとしている。要するに自分は後ろに引っ込んで、「あ、あれね、あれ、オレじゃないよ、大衆の意見だよ」って逃げるんでしょ。

 

以前に鶏インフルエンザで老夫婦を自殺に追いやったのと同じで、「世間に対してどう考えているんですか!」とか「世間が許しませんよ!」とか、嘘ばっかり。自分が記事書いて金が欲しいだけの為に善人を自殺に追い込んでおいて、自分たちは知らん振りだもんね。よーやるわ。恥ずかしくないのか、全く。

 

今時こんな手口に引っ掛かるのは中高年過ぎの、新聞やテレビが絶対的に正しいと思い込んでる一般国民や大衆だけですよ。

 

けどま、今でも電車に乗ると新聞を折りたたみながら読んでる若者もおっちゃんも多いから、この手口に引っ掛かって本気で「おれたちゃ60過ぎても遊ぶことだって出来るんだ!」ってど素人が焼けどするような遊びに手を出したり「麻生は駄目だ!」なんて思ってる人が大勢かもしれない。

 

それにしてもこんなに書かれてしまうと、かえって麻生さんがかわいそうになる。こんな低俗ブンヤに付き合わされてたら、まともな国政もできやしない。

 

普通に読めば麻生さんの言ってる事くらい分かるでしょ。てか、政治家が発言することをいちいち面白おかしく書くのは、何を書いても相手が抵抗しないと思ってるからでしょ。

 

もしこれが現役警察やメディアの取締役である総務省の担当者の悪口だったらこんな風に書けますか?

 

要するに一種の弱いものいじめ、一人で叩くのは怖いけど皆で叩くなら怖くないって言う、ホームレス老人への集団虐めと同じだ。

 

本当に程度が低くて呆れるばかりである。

 

政治がワイドショーのネタになったりスポーツ新聞の三面でお笑いになる程度なら良いが、一応自分たちは一流と思ってるんでしょ、もうちょっと脳みそ使ってみればどうなのか?

 

麻生さんが言いたかったのは60歳定年で社会から切り離すのではなく、生涯現役で老人にも働いてもらい常に社会参加してもらえばという提案だ。

 

その一つの利点として働いて納税とかあるけど、他にも多くの利点がある。全体的に見ればごく普通の政治家としての提案である。これには当然60歳プラスの人々も「おお、そうだよね、おれらもまだまだいけるもんね!」と喜ぶような話ではないか。

 

実際に今の60プラスは仕事ばかりの人生を送ってきて今の日本の繁栄を築いて来た。彼らがゼロから手習いをするよりも今まで身につけた社会経験で再度社会に参加してもらうほうが余程プラスではないか。60プラスに乾杯だ!

 

そんな意見が間違っているか?自分が正しいと思った政見を語って何が悪いのか?

 

間違った場所で間違った時に間違ったことを言ったということか?

 

「麻生さん、言ってる事は分かりますけど、もうちょっと場所を選びましょうよ〜」てか?

 

それならそんなもんぶち壊せ!である。

 

言いたいことも言えず周囲に気を使い始めれば、その時から政治に妥協が入り込んでしまうのだ。出来るだけ言いたいことを言える環境を作り、その政治家の発言を聞いて選挙民が「お、こいつは良いな」とか自由に判断すれば良いだけのこと。

 

マスコミはその為に不偏不党の中立な記事を常に書くべきであり、老齢化社会に突入する日本の今後のあり方について麻生さんにもっと突っ込んで質問すべきであろう。

 

「首相!それでは大企業などの60歳定年は廃止ですか?」

「年金と賃金の関係はどのようにお考えですか?」

「企業だけでなく広く社会に60プラスの力を生かせるシステムを作ればどうですか?」

 

なのに聞くことは、まるで他人事のように「あんな発言は世間が許さない」である。

 

バカも休み休みやれ。二日続けてやるほどのネタではないだろう。

 

全く戦前の、戦争に突入する前夜の日本のようになってしまった。

 

自分の自由な意見も言えず国家すべてが何も言わないことが一番良いような雰囲気の中で、マスコミが作った雰囲気の中ですべてが誰にも直接痛みを感じないように、表面的な格好良さだけで流れていく。

 

流れの行き着く先が濁流でありその先にはイグアスの滝が待ち構えているとも知らずに、とりあえず今日だけを眼をつぶって生きていく。

 

今度の選挙で自民党が負けるにせよ、一番怖いのはこれから先、言葉狩りがもっと過激化していくことだ。

 

何せ現役首相でさえ、どうせあいつは仕返し出来ないだろうとなめてるピアスに茶髪のヤンキーのようなちんぴらに集団で言葉狩りをされてしまう現状だ。

 

多くの人は自分が攻撃の対象になったことがないからぴんとこないだろうけど、一旦攻撃の対象になれば恐らく多くの一般市民には耐えられないような環境に追い込まれるだろうし、それまでの人生が一気に音を立てて壊れていき、神経まで破壊されてしまうだろう。

 

自由な発言も出来ない中でマスコミのみがのさばるのが早いか、インターネット等で発信される情報によってきちんとした市民社会が出来上がるのが早いか。



tom_eastwind at 19:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月25日

日本国の程度

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抜粋開始

 

自民党の細田博之幹事長は24日、党本部で朝日新聞などのインタビューに応じ、党役員人事をめぐる麻生首相の姿勢を問題視したマスコミの報道について、「大したことない。役員人事だろうが閣僚人事だろうが、そんなことどうでもよい」と批判した。

 

そのうえで「それが国民の程度かもしれない」と矛先を国民にも向けた。その後、細田氏は「誤解を招く表現だった」と記者団に発言を撤回した。

 

 細田氏はインタビューで、麻生政権に関する報道について、「何が正しくて、どういう方向に行くべきかの座標を失ってウロウロ、(マスコミの)皆さんが磁石を失ってウロウロしているというのが私の分析だ」といらだちをあらわにし、「(首相が)字が読めないらしい、ブレたらしいと言って楽しんでいる。それは日本国の程度を表している」とも語った。

 

朝日新聞7月24日からの引用。

 

いやいや細田さん、遠慮することはない、その通りですよ。

 

今だもって「新聞に書かれているから正しい」とか「テレビで言ってたから正しい」と思い込んで「お上がやることなら」と素直に従う連中がこの日本の中心にいるんだから、国民の程度、まさにその通りですよ。

 

遠慮せずに堂々と言えばよい。どうせ今回の選挙で負けるんだから、今のうちに言いたいこと言ったほうが気が楽になりますよ。

 

細田さんのマスコミ批判も当然。国民をバカにしてるのは実はマスコミでありながら、自分が一番バカってことに気づいてないんだから。

 

だって自分の存在が無益であるどころか害毒である事を知りながら記事を書いているなら単なる小銭稼ぎの悪人だけど、殆どの新聞記者なんてのは自分が利口であるとか賢いとか本気で思い込んでいるんだからどうしようもないバカである。

 

けど忘れないで下さいね、そういうバカを創り出したのは日本の教育であり、「失敗は悪であり失敗しないのが良い」と教え込んで一般大衆が何もしない事を良しとする環境を作ったのはお上ですからね。

 

江戸時代から国民を洗脳してロボットにしてお上に逆らわず言われたことは何でも黙ってやるし、普通の国なら革命でも暴動でも起こるようなことでも「お上のする事だから」とはいはいと従う奴隷を作ったのは、何よりもお上そのものですからね。

 

「挑戦」とか「変化しなくちゃ!」とか言いながら、失敗したら周囲が水に落ちた犬を叩くように非難しまくるしビジネスにおいては二度と浮かび上がれないように潰されてしまう現実。

 

変化をしようとすれば必ず「でも失敗したらどうするの?」と聞く連中。

 

言葉では立派なことを言ってても実際は全然違う。

 

「挑戦する」とか「失敗を恐れない」とかが悪いことになってしまい、誰かが何かをしようとすると「本当に出来るの?失敗したらどうするの?」って周りが聞く様な世間になってしまった。

 

そして周囲が「親戚」とか「世間体」とかを使って圧力かけて結局誰にも何も特別なことはさせないようにしてきたのが今の日本。

 

冗談じゃない、最初から100%成功することなんてあり得やしない。常に失敗のリスクを考えながらそれでも進んでいくのが人生でしょう。だから失敗しても許す認める、そういう環境がなければ誰も挑戦なんて出来やしない。

 

けど国民がそんなに元気になられたらお上の役目がなくなってしまうから国民の弱体化とバカ化を図るためにマスコミを使い教育システムを作り上げたのだ。

 

だからそのバカに向って「お前ら国民は何でバカなんだ、何できちんと政治の事や世の中の事が判らないのか?」と言ったって、そりゃあなた達のやったことが成功したからでしょう。

 

細田さんもやっと今になって国民がバカであるよりは自分の頭で何が良いかを考えるほうが良いと気づいたのかもしれませんがね、そりゃあんた、江戸時代から作り上げたシステムをそんな簡単に変えることは出来ませんぜ。



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2009年07月24日

デキる弁護士

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★引用開始

デキる弁護士とそうでない弁護士を分ける能力は何でしょうか。それは、「問題点を的確に見抜く能力」です。

依頼者の話を聞き、「どこに問題があるのか、依頼者のニーズは何なのか、強みと弱みは何なのか、相手はどのようにこの件を見ているのか。」などを的確に把握することが重要なのです。

これができる弁護士は、事件を適切に解決し、できない弁護士は、事件を混乱へと導きます。
★ 引用終了

これは谷原誠弁護士がブログで書いてたこと。

こういう、弁護士の能力ってか資格は日本もニュージーランドも同じである

そして残念なことに「問題点を的確に見抜く能力」を持った弁護士は少ないのが事実である。特に多いのが「自分は知らない」ってことが理解出来ない弁護士である。


仕事柄年中弁護士と話しているのだけど、元々「大げさな自己主張」と「自分は悪くない」を繰り返す国民性の上にそれを理論で武装しているので弁護士は実に手ごわい。

てか、彼らを正面切ってバカにして失敗を指摘すると本気で拗ねてしまうので、適当におだてて使うというのが実に難しい。

けどその事と今から書くことは別の話。

最近も僕のところに日本人から「弁護士に騙された!」なんて相談が来た。けどよく話を聞くと騙されたのではなく日本人が正しい質問をしなかったとかきちんと押さえるべきところを押さえなかったというケースである。

つまり一般的日本人の持つ先入観念である「士行(士の資格を持ってる、例えば弁護士とか会計士とかです、武士ではありません)はエライ!」「一流大卒法学部はエライ!」、だから一流大学を出て弁護士をやってる人間を見ると、それだけで「エライ!」と思い込んで何でも言いなりになるからだ。


てか、そう言ってしまうと弁護士の皆さんに申し訳ないのでもうちょっと付け加えて言うと、殆どの弁護士にとって日本人は未知なる生命体なのだ。

だから日本人が何を考えて何故今ここで僕の前に坐っているのか、何を依頼しようとしているのか読み取りようがないのだ。

日本人は彼らからすれば自分の腹の中で何を考えているのか分からない、何を言ってるのが論理不明、勝手に期待されて勝手に失望してしまう、ある意味どうしようもない人種なのだ。

その原因は至って簡単で、文化の違いである。

日本では弁護士は「センセー」であり正義の味方だ。けどこの国では自分の意見を代弁してもらうだけの存在にしか過ぎない。

つまりこの国の弁護士にとっては正義が何かなんて議論はどうでもよい、依頼主の期待に応えるかどうかが問題で、応えた分だけ費用がもらえるかどうかが大事なのだ。

頭の中で蝶が跳んでるような日本人には理解不能かもしれないが、この世の中では真実が何かなんて、あなたの考えてる真実だけが真実でも正義でもないのだ。100人いれば、100の真実や正義があるのだ。

それを理解もせずに認めもせずに無理やり自分のやり方をこの国に持ってくるからトラブルになり、その結果として「あ〜ん、あったし〜、弁護士にだまされちゃった〜!」となる。

騙されても何でもない、お互いに美しき誤解で始まった取引が冷然たる現実にぶつかって理解して、悲しい結末を迎えただけだ。

恋愛も弁護士への依頼も似たようなものだ。お互いに相手が何なのかをよく理解して付き合う必要がある。

けど他人任せが大好きな日本人は、弁護士と聞いただけで「ま、偉い人〜!」となってしまうから、弁護士としても「意味不明???」になるのだ。

だからこちらの事を「理解デキない弁護士」を「理解デキる弁護士」にするには、相手の分かる言葉で説明して相手を誘導してあげることが肝要となる。

けど日本人は、こっちが正しいんだから相手はわかるはずだと思い込む。そして裁判所は正義を裁く所だと思い込んでる。もしかして一番悪いのは戦後の映画で「まだ最高裁判所がある!」なんて言った主人公なのかもしれない。

これからニュージーランドに住むような方には是非ともこの理屈は理解してもらいたい。

いずれにしても裁判所は正義を捌く場所ではないし弁護士は正義の味方ではない。依頼者の権利を代弁して主張するだけの「商売」なのだ。

商売人には上手な人もいれば下手な人もいるように、また得意や不得意があるように、弁護士も同じなのだ。

だから後は、いかに彼らに自分の考えていることを伝えることが出来るか、いかにうまく付き合っていくかが大事なのだ。

恋愛や結婚と同じなのだ。過度の期待をしないで欲しいし、頼り切らないで欲しい。

 

 

 


 



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2009年07月23日

二人は奔放な生活を送っていた

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ちょっとした小話

大学で二人は奔放な生活を送った。
人目もはばからずに毎日キャンパスを歩いて週末には海に行ったりして4年間を過ごした。

春。卒業。

一人は地元の銀行に就職し、もう一人は都会の大手系銀行に就職した。

その後も時々連絡を取り合っていたが、当時は今と違いeメールもなく電話代も高く、時々の手紙も日常の忙しさの中でついつい遅れがちになっていき、互いに忙しいままに次第に連絡も取らなくなってしまって月日は過ぎていった。

その後お互いに銀行の中で頭角を顕して二人とも20代後半で銀行の中枢ポジションを担当することになった。

お互いに幸せな結婚もして将来を約束されていた二つの家族に、ある日突然・・・。

バブル崩壊後の日本の銀行業界ではビッグバンが起こり、金融の嵐の中で次々に合併が始まった。

そしてある日大手銀行と地方銀行が合併をして出来た新しい部署に行くと、そこには彼の姿が。

数年ぶりに逢う二人。見つめ合う二人。

それからは同じ職場と言うこともあり、二人肩を並べて仕事をこなしていった。お互いに仕事が出来るからという事で周囲からも期待をされていた。

そんなある日、合併した職場を親睦させるために、課長の計らいでスタッフ全員が集まる懇親会が開催された。

「え?あなた達同じ大学だったの〜?やっだ〜、何で言ってくれなかったの〜!(笑)」

何にも知らない妻は明るく皆に挨拶をしながら両家族は楽しい一時を過ごした。

それから数ヶ月。職場でも「お、お前ら同じ大学出身なのか」と公認になり「おいおい、お前らあんまり遅くまで仕事するんじゃね〜ぞ」とか冷やかされながらも、二人は楽しいときを過ごした。

けれど二人は毎日を過ごすうちに、どうしてもお互いの事を忘れらなくなってしまい、たった一瞬でも他の人間と過ごすことに耐えられなくなった。

ある日彼は突然打ち明けた。

「ねえ、二人で誰も知らないどこかに行こうよ」

そして二人はある朝、手に手をとって飛行機に乗って誰も見知らぬ土地に旅立っていった。

あとに残された彼ら二人の奥さんは、お互いに顔を見合わせるばかりであった。


まあ、世の中いろんなことがありますね。

 



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2009年07月22日

香港ビジネス

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オークランドに戻ると(本当は戻る時にいろいろあったのだが、こりゃ長すぎて書けない)気温は12度。う〜ん、14度のオークランドから33度の香港、そして32度の日本を南から北へ移動、でもってトンボ返りで0度のクイーンズタウン、がんがんスキーしてオークランドに戻ったら10度だから、この間の気温差はかなり体に・・・・こたえてないな。

 

あれ?全然影響出てないぞ。超元気。戻ってきた初日から色んな打ち合わせしているけど、頭スッキリだし、快調。

 

けど睡眠はすんごい。やっぱり体はくたくたなのだろう、17時に夕ごはん食べてそのままベッドに入って、眼が覚めたら朝の10時である。でもってこの間の夢がすんごい!もう夢のオンパレードで、一体何日分の夢を見たのか?テーマが多すぎて思い出せないけど、なんだか昭和の紅白歌合戦みたいだ。

 

さて香港ビジネス

 

出社初日の夜は香港系中国人と食事しながらの打ち合わせ。

 

彼は古くからこの街に住むOld Fashioned Boy である、よくも悪くも。頭の回転も速いし人は良いのだけど、どこかビジネスに香港の古さを感じることがある。

 

彼らの発想は奇抜と言うか超現実的というべきか、僕らのビジネスセンスとは根本的に違う。どちらが良いか悪いかではなく、日本人はどちらかと言うと観念や概念から入るけど香港人の場合は常に現実から入るという点。

 

今から書くのは一つの例です。もちろん今の香港人はこういうことはもうない。てか、今でも下町の街角に行けばこういう人もいるだろうけど、さすがに表通りを歩いているビジネスマンの中ではいない。それじゃ生き残っていけないもんね。

 

ある香港人が5日後の仕事を1千ドルで引き受けた。通常香港で一人を使えば700ドルくらいが相場である。

 

するとこの香港人、1千ドルで引き受けた仕事を他の人間に900ドルで下請けに出した。そりゃそうだ、自分で働かなくても100ドル儲かるほうが利口だもんね。

 

900ドルで請けた中国人、仕事の日まであと3日となってこの仕事を700ドルで孫請けに出した。「元請のばかめ、たった100ドルしか抜いていない、おれは200ドルも抜いたぞ!」

 

孫請けはさて当日になって人の手配が必要となった。よっしゃと思って知り合いに電話して「おい、今日ひまかい?」

 

ひまだよと答えた知り合いに対して孫請けは「今日ちょっとした仕事があるんだけどさ、お前500ドルでやらないか?」と問いかけた。

 

するとこの知り合い、「ああいいよ、相場より安いけど、どうせ今日はヒマだもんね」と快諾。

 

そしてこの知り合い、「ちょっとしたその仕事」の現場に来て見ると、それは5日前に自分が下請けにだした仕事だった。

 

写真はクイーンストリートとビクトリアストリート交差点でデモ隊と車を誘導する警察。

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 12:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月21日

南北戦争

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世の中どこも、北と南では相性が合わないのかな?

クイーンズタウンとオークランドの一番の違いは、その白人の割合の違いである。オークランドではシティで白人率は50%程度だろう。

 

けどクイーンズタウンに来ると白人率が80%以上ではないか。欧州や米国からの旅行客が多いのもその理由の一つだろう。

 

この街ではオークランドと違い、アジア人が観光客である事を認識するしMAORIやアイランダーを殆ど見かけないのが特徴だ。彼らには寒いところは苦手なんだろな。

 

二番目に違うのは同じ白人でもその顔つきである。クイーンズタウンで見かける人々の殆どはきちんとしたラフな?格好をしており、この街ではたった一人も道に座り込んでお金を欲しがる輩もいなければ数日風呂に入ってないような汚い人もいない。

 

この街では誰もがそれなりに裕福なのだ。しっかりした顔つきに自信を漂わせて生きているのだ。それが出来るだけの自然の恵みがあるのがこの街である。

 

これは他の街とクイーンズタウンの大きな違いであると思う。とにかくこの街は豊かであり、世界中の観光客を相手にしており、同じ南島でもラムズデンやセントラルオタゴと違う点である。

 

観光の中心となるのは冬場はコロネットピークスキー場、夏場は涼しい空気と美しいワカティプ湖、ミルフォードサウンドである。それにしてもよくもこれだけ自然の観光要素がこんな狭い街にぎゅっと凝縮したものだ。

 

高級レストランやホテルの数、食材の豊富さ、ビジネスの多さ、交通の便、サービス、物価、朝まで楽しめる街、とにかくほんの30分走れば行けるような隣町とこんなに違うのかって感じ。

 

ただこんな国際的な街でも面白いのが、オプショナルツアーのオペレーターやタクシーの運転手など地元出身の白人の態度。

 

彼らが僕らアジア人を見てBigSmileでうれしそうに「Hi,どこから来たの!」と聞いて、彼らが期待する答えは「香港!」とか「韓国!」とかで、その一番期待する答えは「日本!」なんだけど、こっちが「Auckland〜!」って言うと、まるで風船がしぼむような顔で「あ、そ・・・」になる。

 

同じように白人に対して「HI!どこから来たの!」と声を掛ける運転手が期待している答えは、まずは「オーストラリア!」であり「アメリカ!」であり、一番うれしいのは「イングランド!」だろう。「アイルランド」だと返事もしないし笑いもしないからね。

 

でもって同じ白人でもやっぱり「Auckland!」となると、あ〜あって顔になる。次の言葉が見つからないって感じである。

 

boat今回は家族でボートに乗ったのだが、アジア人1組白人2組で、全員が「Auckland!」と答えたときのボート運転手の顔、「あ〜〜〜、そ!」だった。

 

これほどに南島の人がオークランドに対して感じる印象が良くないのはいろいろ理由があるのだろうけど、どうしてもオークランドの奴は手に汗かいて仕事をしてないって思われてるからだろう。

 

実際君らも週に3日しか働いてないよねなんて言ったとしても、それでも彼らの3日はきちんとした労働である、オークランドの君らはネクタイしてヒーターの効いた部屋の中で書類をいじくり回してるだけじゃないかってイメージなんだろう。

 

三番目に違うのはネクタイをした人の数だろう。クイーンズタウンでビジネスをする人の基本的な格好は襟付きのポロシャツにジーンズかチノパン、それに運動靴である。

 

もしあなたがクイーンズタウンでネクタイをしている人を見れば、それは弁護士か不動産のセールスパーソン、または日本からの団体添乗員と思って、ほぼ間違いない。

 



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2009年07月20日

雪の華

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ニュージーランドのことばかり書いている。というのも日本ネタで書き出すときりがないからだ。

 

自民党の迷走、役所の横暴、いよいよ戦前の官僚政治体制が現代の日本に出来上がった感がするわけで、いよいよ今読んでいる満州本と同じような様相を描いているのが日本だ。

 

日本は敗戦で全てを失いゼロから国造りが始まった。そしてある程度形が出来上がった時点で官僚による産業ごとのより分けが行われ、生き残る企業と去っていく企業が決められた。

 

失われた10年の後にゼロから日本を作り直し始めた日本は、戦後すぐと同じようにまずは誰にでも何でも自由にやらせた。

 

そしてある程度産業ごとに形が整った時点で一気に法整備、政府による管理統制が導入、官僚による日本株式会社の復活である。戦後の日本は昭和30年代から60年代まで30年間、官僚による統制経済が行われ、これが日本の活力の源泉となった。

 

本当に歴史は繰り返すとしか言いようがないけど、戦前の日本で革新官僚と呼ばれた中の代表格が岸元首相で安倍元首相のお爺さんである。

 

岸さんの懐刀が椎名悦三郎であり、彼らが満州で出来なかったことを戦後日本の中枢に入り込んで実現させたのだからたいしたもんだ。

 

要するに戦前の日本と戦後の日本は表向きの政治体制は完璧に異なっているのだけど、それを運営する人々や思考方法は全く変わってなかったということなのだ。もっと簡単に言えば社会主義であろうが資本主義であろうが、運営方法はそれほど変わらないということだ。

 

けどま、こんな魑魅魍魎みたいな頭の切れる連中と戦って素人政治家が勝つわけもない。結局満州では日本本土のような政治家が存在せずにすべてが軍部と一部官僚の手によって国造りが行われた。

 

外は手ぬぐいが凍るような寒さのクイーンズタウン。朝はスノーダストみたいな空中にきらきら光る雪の華が舞い散り、夜ともなるとしんしんと音がするような寒さの帳がすべての家々の屋根にかぶさっていく。

 

そんな街のホテルの一室で満州国演義を読む。現在は第4部。それにしてもこの部屋の中は暖房完備なのでTシャツで過ごせる、まるで北海道のようだ。

 

けどこんな静かな環境でしんしんと冷え込む外の空気の音を聞きながら過ごしていると、僕が初めて読んだ満州もの「人間の条件」の梶をどうしても思い出す。

 

零下40度の中で井戸の水も凍り、ほんのちょっとした間違いがすぐに死に繋がる世界で人間は人間であろうとして生きてきた。

 

満州で人間らしく生きようとした人々の群像を読むと一番悲しいのは、結局体制についていった人が幸せになっていく現実。

 

多くの日本人にとっては官僚にきちんと管理された中で生きるのが幸せなんだろうと思う。

 

ここは中国じゃないし何かあれば移動の自由もあるけど、それを行使するほどには苦しくないし、ほどほどに生きていけるからいいじゃないか、これ以上やれば苦しみもセットでやってくるなら、やらないほうがいいよね。素直にお上とうまいこと妥協しながらやってるほうが楽だよね。

 

それにしても満州の歴史は面白い。戦前の満州にはある一瞬にすべての人間的要素が凝縮されて出来上がったようなスピード感と、多くの夢がぶつかり合っていく人間の波動と、それが外部世界とぶつかり合いながら昇華していく様が手に取るように見えてくるから不思議なものだ。

 

それにしても歴史は繰り返す。学ぶべきは古典であり、今の問題の答えは常に過去にあるんだなと、ひしひしと感じる。

 

 



tom_eastwind at 09:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)最近読んだ本  

2009年07月19日

相と相機

 

天堂「ねえお父さん、カメラはカバンの中に入れておいてね」

 

そう言われたと思った僕は「え?今日外で使うでしょ?」と聞き返した。

 

 

 

すると奥さん笑いながら「違う違う、カメラじゃなくて印刷した写真のことよ」

 

これだけだと大きな違いに聞こえるが、実は広東語ではカメラ=相機、写真=相と、一文字違いである。

 

だから文章として相の後に次の言葉の頭の文字に機が来たら、相だけなのか相機なのか判断不明になることがある。

 

結婚して20年だけど、今だもって正確な発音を使えないぼくの広東語ではここまでが理解力の限界かな。

 

けどまあ普通の会話は出来るし、何よりお互いに分かり合おうとする気持ちがあるから楽しい。

 

結婚について言葉の問題を取り上げる人は多い。それは事実。一般的にキーウィの離婚率は50%、国際結婚の10年以内の離婚率は80%と言われている。いろんな統計の取り方があるから異論もあると思うけど、僕自身の肌感覚ではこの数字は「そんなもんでしょ」と言うところ。

 

国際結婚の離婚率が高いのは離婚しやすいからだ。日本人同士の離婚率が低いのは、お互いに本人だけではなく家族同士、職場、様々な社会的しがらみがあるから離婚出来ないだけだ。

 

キーウィの場合は、愛が冷めれば離婚は当然と考えている。家同士の付き合いよりも本人の気持ちが優先しているのだ。

 

だから結婚した当時に相手の言葉が100%理解出来ないのに、そんなの本当の結婚じゃないって言う人もいるけど、けど日本人同士だってお互いに誤解して結婚するのが殆どではないか。

 

結婚して誤解に気づいて、けど離婚も出来ないから少しづつ妥協して、それで熟年になったら離婚する、そんな夫婦もたくさんいる。

 

だから言葉だけを原因にして国際結婚を否定するのもどうかと思う。

 

けど同時に言葉はとても大事で、相手の育った文化や背景を理解するためには、やっぱり言葉が分からないと駄目。その意味で、国際結婚したのにパートナーの国の言葉を覚えようともせずに自分の文化だけを押し付けてしまえば、そんなのうまくいくわけがない。

 

少なくとも学ぶ努力をすれば、その姿勢だけでも結婚は続く。

 

クイーンズタウンで僕のニュージーランド生活が始まったのだけど、あれからどれだけの夫婦が離婚しただろう。

 

「愛があれば年の差なんて」なんて言葉もあるが、「カネがあれば愛の差なんて」のもある。「たまたま好きになった人が白人だった」なんて言い方もある。

 

いずれにしても結婚するときはお互いにかなり誤解している部分があると思う。それは国際結婚であろうがなかろうが、常に誤解はつきまとうと思う。

 

クイーンズタウンの街を歩いていても多くの国際カップルを見かける。若くて楽しそうに笑い声をあげているカップルたち。20年前の僕もああだったんだろうなと思う。

 

今回も宿泊はミルブルックホテル。実に静かで過ごしやすいホテルだ。天の川を見ながら静かな夜は更けていきます。

 

 



tom_eastwind at 22:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月18日

冷えた便座

天堂コロ美的感覚のついでに言うと、今泊まってるホテルの部屋は床暖房が入ってて実に温かくて、こりゃすばらしい。

 

けれどなぜかトイレの便座は冷たい。あれはやっぱりキーウィにとってはまだまだ「それでOK」なんだろうな。

 

 

日本人だって戦前は殆ど和式だし、洋式トイレを使い始めたのも戦後のことだし、昭和の終わりに水洗トイレが出てきてから急にトイレ周りが良くなったからって他所の国のことをどうこう言うんじゃないよって気持ちもある。

 

ただ思うのは、いずれ西洋人の世界でも水洗トイレは本格的に流行っていくだろうし、ニュージーランドは一番最後の一番小さな市場として一般市民の間にしぶしぶ水洗トイレが導入されて、それから5年もすれば「え?水洗トイレってニュージーランドの発明でしょ?」って言い出すキーウィが出てくるかもしれないって事。

 

つまり人間は快適を求めるものであり、水洗トイレの導入は原子力と違ってYesかNoかではなく早いか遅いかだと思う。

 

ファーグバーガーや床暖房、水洗トイレなどを通じて今キーウィが何を考えているのかを考えて見ると楽しい。

 

日本が良いとかニュージーランドが良いとかではなく、それぞれに違う文化を持っているのであるからその部分は変化しないと思う。けど、人間なら誰でも思うような普遍性を見つけることが出来れば楽しい。

 

人は快適を求める。人は家族を大切にする。人は誰かを愛する。このあたりってのは人種の違いはなく、気づくのに早いか遅いかだけではないか。

 

それに対して人種に根付いた特性や学校教育で作られた特性があるのも事実。

 

この国では「誰でも失敗してから覚えるんだから失敗を恐れるな」と教えられる。これは問題ない。けどこの裏返しが「だから失敗しても文句を言うな」なのである。

 

だから銀行の窓口係が入金額を間違っても文句を言ってはいけないしバスの運転手が道を間違ってもOKなのだ。

 

それに比べて日本では、人の失敗を叱る日本人は失敗することが悪い、駄目だと学んでいる。だから失敗しないように何もしないのが良いとされる。

 

「違う」と言う日本語には「悪い」と言う意味が含まれるけど、英語のDifferenceには「悪い」と言う意味はない。

 

いつもいう事だけど、どこか他の場所に行けば天国が待ってるなんてそんなことは絶対にない。大事なのは自分の気持ちに合った場所に住むことで、それからその場所を更に自分に住みやすいように改善してくことだとおもう。

 

だから日本のように「失敗は悪い。だから失敗しないように何もしないのが良い」となる文化と「人は失敗するものだ。だから失敗を恐れるな、失敗を叱るな」となる文化と、どっちが自分に合っているかだけの問題である。

 

どっちが良いなどと比較することはない、それぞれに良い点も不満な点もあるのだ。大事なのは自分の文化だけが正しいと思い込まないことである。

 

ところで日本の墓に入るのはぼくではない、一般的な移住者の話。ぼくはあくまでも「人生到る処青山あり」なので、どこの青山でもOKです。



tom_eastwind at 22:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月17日

Ferg Burger

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今年のクイーンズタウンはよく冷え込んでて雪も多く、街全体がお祭り気分である。

 

有名なFergBurgerではあいも変わらず大行列で白人の若者が中心になって、手に持ったビールで顔を真っ赤にしながらグループごとに大声で笑い楽しんでる。

 

ファーグバーガーを食べたことがあるが、ここまで行列をしてどんちゃん騒ぎするほど特別に美味いか?

 

けどまあこれは東洋人のセンスの問題であろうからあんまり気にしても仕方ない。

 

僕はどうしても食べ物のソースが持った手の間から滴り落ちたり具がバンの間から転げ落ちるような作りもどうかと個人的には思う。けど要するに美観が違うんだからそこを突っ込んでも仕方ない。

 

それに味の感覚は民族によって違うのだから彼らが楽しければそれで良い。濃い目の味付けでBBQソースが入ってればそれだけで喜ぶわけなんだから日本人が何にでも醤油を使うのと同じかもしれない。

 

あ、かと言ってファーグの評価が低いのではないですよ、Mac等に比べればダントツで美味しいし、第一注文が入ってから目の前で焼かれる自分オリジナルのバーガーを見るのも楽しい。

 

10ドル前後でお腹が膨れて、何よりも国民食ですからね。そんな国民食でありながら高い評価を得ているのはこりゃ立派です。

 

毎日食べるし旅先でも食べるし観光地でも食べるうどんやカレーがどれほど美味しいかと白人に聞かれても「うまいもんはうまい」としか応えようがないかも。

 

なのでクイーンズタウンに行く機会があってもしこの店の行列がない時間帯(昼過ぎから夕方前)だったら一度はトライしてみれば良いのでは。

 

けど、多くのお店が挑戦しては失敗するこの街においては最近数年の中で超ヒットと言える。

 

味、雰囲気、サービス、場所、そして評判。こういうのがいくつもの変数として組み合わさった結果で成功したのだろけど、数学者がこういうのを数値化して「絶対儲かるレストラン作り理論」なんて発表したら、ノーベル平和賞を取れるかもしれない。

 

 



tom_eastwind at 23:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月16日

温度差は30度

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クイーンズタウンで暖炉の前に坐っている。本当の木を本当の火で燃やしてて、最近流行のガスと模造木ではないのだ。

 

昨日の香港からオークランドはまたも幸運でビジネスクラス。新機種なので一人ひとりがカイコみたいなところに入る奴。それにしてもこの路線、満席が多いな。

 

火曜日の昼にオークランドに戻り自宅で荷物をとく。そして中身を翌日からのクイーンズタウン行きに入れ替えるとすぐにインスタントラーメンを作る。

 

正確には焼きソバ的な作り方。出前一丁を普通に煮るのだけどスープは丼に放り込んでおく。麺と牛肉スライスと卵を一緒に煮て出来上がったところでお湯だけ捨てて麺を丼に放り込む。

 

焼くのも煮るのも材料を柔らかくするという意味では同じだ。ラーメンはスープと一緒に食べるものと思い込んでた僕の常識を砕いたこの作り方は香港出身の奥さんのアイデア。それにしても彼らは自由闊達ですね、まける。

 

この作り方は労麺と言うのだけど美味いですよ。

 

でもって夜の7時から次のアポだ。このアポは新規のM&Aで結局それから2時間くらい会議。ナンで夜にやるのかって、だって翌朝の飛行機でぼくがクイーンズタウンに行くわけだし、早くしないと「命短し恋せよ乙女」なのだ。

 

翌日は朝6時に起きて車に荷物を積み込んでクイーンズタウンへ。

 

1時間半で雲がかかった薄暗いクイーンズタウン空港に着くと、、、さぶ!まだ山の上では雪降ってんじゃんかよ。さっさと空港で車を借りてミルブルックに向いチェックイン、そして街に出てやっと一息つく。

 

ふと考える。えっと、香港が32度でクイーンズタウンが2度だから、え〜っと、温度差30度!ですな。

 

買い物に行きたい家族と一旦別れて僕は近くのバーで一息つく。ふ〜。

 

暖炉の火が暖かいな、2メートルくらい離れているのに、目の前に置いたレッツノートの天板がどんどん熱くなっていく。

 

けど本当に温度差を感じるのは、やっぱり日本とニュージーランドと香港を比較したときだろう。

 

平和とか安全とかにおいての危機意識は日本の温度が低いのにびっくりである。つまり平和も安全も無料の国だし、そんなもんはお上が無料で提供してくれると思い込んでいるのだ。

 

けど香港では平和も安全もすべて有料である。だから彼ら香港人は「みかじめ料」が高くてもそれで安全が買えるなら安いと考える。

 

ニュージーランドでは国民全体が一定程度の安全を守る意識を持っているから、もちろん平和な国であり安全なんだけどそれでも一人ひとりがそれを守ろうとする。

 

その反対に仕事をさせればキーウィはどうしても日本に比べて速度が遅い。もちろん日本人の仕事がすべて効率的とは言わないけど、それでも業務処理量を比べれば圧倒的に日本の方が上である。

 

このあたりの温度差は平和+安全とは正反対に位置している。今回の出張でも一体どれだけ夜働いたことか。

 

この二つの文化がうまいこと結びついたらと思うのだけど、なかなかうまくいかないな。

 

けどま、いいや。方向性はきちんとしているし間違ってない。とくに最近の仕事の幅の広がりは、これはやっぱり自分が頭を切り替えたからだろう、望む方向に向っている。

 

今やってること、それはニュージーランドの実力者と日本人とアジアの人々を結びつけることだ。これはかなり速いペースで進んでる。そうは言ってもぼくがやってる仕事は今日やって明日利益の出ることではないので、そこが少しいらいらする点かな。

 

今までのぼくの仕事では企画立案から利益までの期間がもっと短い。こんな長いのが出来るようになったのは、やっぱりぼくが年齢を重ねて我慢度が強くなったからだろうか。

 

望む方向、それはもっと多くの人々に日本人を知ってもらうことだ。誰もが日本人は知っているが実際に日本人と対面して仕事をしているケースは、日本人対日本人に比べて思いっきり少ない。

 

ニュージーランドに来てまで日本人は日本人の中で固まっているのだからどうしようもない。

 

このあたりはぼくと他の日本人の温度差だろうな。誰もめんどくさいことはしたくない。よく分かる。けど、そこにしか明日は開けてないのだ。やるしかないのだ。

 

言っても無駄かな、そんな感じがすることもよくある。けどまあいいや、方向性は間違ってないのだ。やるぞ。

 

命短し恋せよ乙女、だ。



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2009年07月15日

夕暮香港

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夕暮れの香港、セントラルからの景色。流れるような車の群れと夕陽がバランスよく街を照らし出している。

 

飛行機の乗り継ぎ時間の間を利用して街に出て香港の友達と久しぶりにセントラル近くのランクワイフォンに顔を出す。

 

ここ、この細い坂道で十数年前の大晦日に東芝の駐在員がカウントダウンに遊びに来て群集に踏み殺された場所なんだよな、そんな事を思いながらすっかり景色の変わった街を眺める。

 

気温は32度、香港にしてはそれほど暑いと言えないし雨が降ってないだけまし。けど人間の体温からすればそりゃ暑い。道路に面したお店でよく冷やしたサンミゲルをごくごくと飲みながら最近の様子の情報交換。

 

何だか香港も一時期の金融ではなくて古くから得意とする中国を使ったもの作りに回帰しているような感じがする。

 

それにしても「感じ」ってことばを使いすぎるなとは思うが、街を歩いて空気を読むのがぼくの好きな市場調査だし、数字はインターネットでいくらでも探せるけど人々の顔に浮かんでいる表情だけは実際にそこに足を運ばないと分からない。

 

要するに今は世界全体が1980年代からの金融中心からモノ作りに戻り始めているのではないかと言う印象。

 

けどそうなると問題は米国だ。彼らはモノ作りを捨てて著作権とか金融とかに走った。だから世の中を動かすって意味での本来のモノ作り技術が失われているのだ。

 

車、映画、化学産業、テレビ、ラジオ、電話、たくさんの技術が米国で作られたけど、当時お人好しだった米国はそんな技術を次々と他国に公開することで真似されて追い越されてしまった。

 

そんな彼らが遂には東南アジアの片隅のベトナムでの戦争で多くの若者を死なせて国家としての名誉を失い何とか復活したのが1980年代だ。

 

善くも悪しくも米国の動きは世界に影響を与える。

 

著作権とITで力を取り戻した彼らは銃を突きつけて「オレのいう事を聞け」とグローバリズムの名の下に米国中心主義を世界に押し付けて企業原則や会計原則まで自分の都合の良いように改変させて世の中を操ってきた。

 

けど今回の香港滞在で感じたのは、おお、いよいよ中国が本気を出し始めてきたな、米国とは是々非々でやっていくんだなって感じ。

 

・・またも感じで申し訳ないけど、中国ってのは100年単位で国家運営をする国だから彼らからすればここ100年くらいの西洋の横暴は「ふん、図体がでかいだけのクソガキめ、ちょっと待ってろすぐに叩いてやるから」と言うところではないか。

 

中国では今すんごい勢いで内陸部を進化させている。湾岸部はもう充分に進歩した。上海等はすでに世界の中でも一流都市である。

 

つまり13億人の人口を使った国内消費で製造業を引っ張り上げて世界の中で王道を進めるという感じなのだ。

 

その窓口が三つある。一つは政府系で動くときのシンガポール、一つは上海等の大都市から直接外国企業に表立って動くときのケース、そして最後がどっちかってと裏だったり下だったり人に見せたくなかったり、要するに少し「香り」のする取引に利用する香港である。

 

香港では金融危機後に金融街が一気に冷え込んだ。けどそのまま街が沈むかと思ったらそんな事はない、この街ランクワイフォンでは今日も金融街の連中や色んなことしてる連中がぞろぞろと集まって午後の4時頃からあちこちの店で飲み始めて、なんつか礼儀正しい新宿歌舞伎町の雰囲気を見せる。

 

何やってるんだか分からないようなポロシャツにジーンズの西洋人、スーツを綺麗に着こなしてネクタイをしめた上品そうな香港人、てかこの街にこの時間にいるだけですでに怪しいんですけどね。

 

香港は元々中国と言う親が捨てた私生児みたいな雰囲気がある。拾って育てたのが英国である。

 

香港人はその事を肌で理解しているし、だからと言って日本人のように拗ねたり僻んだりせずに、逆にそれを餌にして「こっちの水は甘いよ〜」と世界中から蛍を取り込んでいる。

 

製造業が伸びると感じたのはうちの親戚の結婚式のときも同じだった。新郎はプラスティックを加工する会社を中国本土で経営しているが、顔や雰囲気から勢いを感じる。

 

同時に最近訪問したシドニーでも、中国からの鉄鉱石の発注が再開されて人々の足がスキップしてた。

 

まあいずれにしても日本人の頭の上を跳び越して、世界の二大大国となった米国と中国が21世紀前半においては大きな存在感を見せるだろう。

 

この波に乗り遅れないようにするためには、経営者自らが香港人と同じように現場に足を踏み込んでその雰囲気を感じ取って経営判断をすることだろう。数字だけでは絶対に分からない世界がここにある。

 

夕暮れの香港、飛行機を捕まえる為に空港に向う。夕陽が綺麗ですな。

 



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2009年07月14日

月餅 げっぺい

キリンとサントリーの合併が発表された。キリンは統制の取れた一流企業、かたやサントリーは大阪出身のオーナー企業で毛色は全然違うと思うけど、日本が強くなっていくには良いかなと思う。

 

「がっぺい」と言うとどうしても「げっぺい」と言う中国のお菓子を思い出してしまう。それほど僕が日本に住んでいた時代は合併などなかった。てか、大型合併がすでに終了して「戦後の繁栄」を謳歌して「NOと言える日本」になってた、国家として一番強い時期だった。

 

何故なら昭和30年代からの通産省による国家政策で、産業ごとに生き残る会社と潰される会社が決められて政府主導によって社会全体が社会国家主義に移行が終了していたからだ。

 

日本はバブル崩壊以降そのビジネスモデルが破壊されて新しいモデルを模索してきた。起業家を集めて新しい国造りを進めた。そしてある程度の市場になったところで、生き残る企業とそうでない企業を選択した。

 

生き残った企業は例えばソフトバンクと楽天であり潰されたのはライブドアと村上ファンドだ。

 

けどこんなのは今回が初めてではなく、戦争に負けた日本が昭和20年代に次々と新興企業に市場開放してソニーやホンダを輩出させ、昭和30年代から40年代にかけて産業の寡占化を進めたのと全く同じ構図である。

 

日本にいると気づかないだろうけど、10年前と今の銀行の数を数えて見れば良い。鉄鋼も保険も同様だ。ほら、大手がどんどん合併している。要するに国全体がどんどん産業の寡占化を進めているのだ。

 

もちろんこうする事によって企業は巨大化して外国資本とも戦っていけるし労働者も生活が安定していく。

 

つまりこれは昭和回帰である。それも一番良かった時代の昭和後期だ。

 

役人が狙っている落としどころはここではないかと思う。

 

日本を良くする、その具体的な方法はやっぱり国家による統制経済である。

 

勿論ぼくはこのことに反対しない。現代の日本人には合っている方法かなと思ったりする。

 

日本株式会社の元に基幹産業ごとの部門が存在して、その基幹産業を支える下請けがある、そんな昭和の良い時代への回帰だ。

 

このシステムの良い点は、国民があんまり頭を使わなくても生きていけるって事。

 

このシステムの悪い点は、目覚めてしまった人間には息苦しくって生きていけないって事。

 

何度も言うけど僕は今の日本の統制経済や社会主義を悪いと言ってるのではない。ただ、この社会が合わない人間には違う生活を選ぶ自由=移住する権利だけ残してもらえば、それで文句はないって事だろう。

 

日本にも行くよ。最高に楽しい国だし日本語は通じるし。けど日常生活ではやっぱり耐えられない。

 

故郷は遠くにありて思うもの、とまではいかないけど、日本人であることを誇りに思いながらニュージーランド生活を続けて生きたいと思う。

 

あ、ちなみに言えば、ぼくはお墓は世界中のどこでもOKです。香港?ニュージーランド?海の上?少なくとも日本で墓に入る気持ちがないのは事実です。

 

自分が住むことを拒否したのに、死ぬときになって「すいません、やっぱり入れてください」なんてのうのうと帰るようなみっともない真似は出来ないもんね。



tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月13日

上に能あれば下に力あり

都議選が終了、大方の予想通り民主党の圧勝に終わった。

 

ただ誰もが理解している通り自民党と民主党に大きな違いはない。NZで言えば国民党と労働党の違いよりも少ないくらいではないか。

 

要するに党政略があっても国家の政策がないし、国民不在の状態でお上同士の喧嘩なので結局明治維新で武士同士が喧嘩してたときに一般市民は普通の生活をしてたようなもんだ。投票率も70%にも届かない。

 

NZだと地方選挙でも国政選挙でも投票率は70%以上だし大体選挙に行かなければ法律違反ですよと役所が訴えるくらいだし、その意味では国民が国民を励起している。

 

「皆さん国民が賢くなって自分の意見を言わなければ国は乱れるんですよ、あなたにとって住みにくい国になるんですよ」と訴えている。

 

選挙のニュースには興味があったので何日かぶりに日曜の朝の政治家が入った討論会をやってる番組のスイッチを入れた。

 

月曜日に大勢が出てきて民主党の大勝利ではあるが、それでも選挙に参加した人は50数%でしょ。

 

けど今回の選挙期間中に感じた空気は今までとはちょっと違ってた。なんだかうれしい定点調査だ。

 

結局「誰が政治家になっても世の中は変わらない、もっと言えば誰がやってもあまりに酷いことはしないだろう」と言うある意味楽観的な発想が市民にあるのだろう。

 

これが中国ならあり得ない。政治が変われば虐殺も抹殺も強欲な納税も何でもありだ。だから市民が共同して自警団をつくり「お上」と戦う必要がある。

 

ウイグル自治区での闘争も同じだけど、中国人の場合は政治がそのまま命に関わってくる。だから農民が平気で命を賭けてお上に逆らって戦う。けど日本ではそういう事はない。

 

まあ誰がやってもそこそこ酷いことはしないでしょ、そういう認識が大前提にあるのだと思う。

 

これはある意味では見事な分業と言えるのかもしれない。政治はお前らに任せた、おれは商売をする、そんな感じかな。

 

これから出てくる本当の問題は、民主党と自民党の違いよりも、日本はこれから米国と中国の間のどこに立場を置くかである。

 

日本は良くも悪しくもその場所において大国に挟まれており、まさか土地ごとどこか南太平洋に引っ越すわけにはいかないので、どうしてもロシア・中国・米国の狭間で生き残る道を選ばねばならない。

 

ただ今回の選挙でも街を歩いてて感じたのは、まだ国民全体がバカになっているわけじゃないからいけるぞって感じ。中国と米国の間でバランスを取りながらやってくぞって感じ。

 

感じばかりで申し訳ないのだが、街の空気ってのは紙に書きようがない。ただ色んな危機感は持つものの、やっぱり日本の強さは一人一人の底力だろうと思う。

 

レストランでご飯を食べてもデパートで服を買っても電車に乗っても、やっぱり日本人の「お互いを無条件で信用する力」は凄いと思う。どこの国を歩いてても、これだけは感じられない凄さだ。

 

だから本当に問題が出てくれば、例えば北朝鮮がバカな真似をすれば日本は一つに固まって外に攻めていくことが出来る民族である。そうなれば日本は強い。たぶん、民衆レベルで言えば世界で最も強力な民族ではないか。

 

なぜならそれは、団結が出来るからだ。

 

米国では海兵隊が諺のように「One for All, All for One」と訴えてるが日本人の場合はそんな事を言う必要さえない。何故なら誰もがうまれ持ったDNAなのか分からないけど、全体を守らねば個人は潰される、全体を守る為には個人が犠牲になることも当然と言うことを無意識に理解しているからだ。

 

米国では英雄願望が多いという。日本では英雄はいない。だって当然のことをしているだけだから、もし誰か一人を英雄と言うならば全員が英雄だ。

 

民主党が勝利してこれからの舵取りがどうなるかは不明。ただ思ったのは、今回の選挙期間中の東京の空気を感じて、お、まだ日本人はいけるぞってこと。

 

「上に政策あれば下に対策あり」の上下が敵対関係の中国と違って「上に能あれば下に力あり」上下合わせれば「能力」として力を発揮出来る上下が仲間関係になってるんだな。

 

 



tom_eastwind at 17:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月12日

薄曇の空

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ちょっと薄曇りの東京の空。朝はどんべえきつねうどんと鮭おにぎりだ。

 

ホテルは朝食付きプランなんだからとは思うけど、どうしてもあの「インスタント食品」でないと元気が出ない日もある。

 

ソウルフードがインスタントってのも僕の時代を表しているのかもしれない。

 

ぼくらの子供の頃は鍵っ子世代の一つ手前、昭和30年代後期は誰もが元気良くてお昼ご飯もさっさと食わないと時間が勿体無いって感じであった。

 

健康に気を遣う?冗談じゃない、もう充分に健康である。そんなのより時間の方が大事だ、そんな時代の食い物。

 

今日の説明会は予定を一名オーバーした13名様のご出席。年齢層は20台半ばから40代後半まで幅広い。か?

 

考えて見れば、広くはない。だって10代はいないし60代もいない。

 

つまり移住なんて考えることもない世代と移住なんて必要のない世代にとってこの説明会は存在意味がないのだ。

 

しかし参加する世代の方からすれば、実際に移住するかどうかは別として、わざわざ日曜日を半日使って参加するのだから真剣である。

 

という事で説明会開催。会議室のサイズの関係と参加者の話の通りやすさを考えて12名で設定しているけど、今回は予約+1名になった。結果的には12名で開催。

 

この説明会、これでもう何年やってるのか考えて見た。

 

大体6年くらいかな。

 

一生懸命メモを取ってくれる方や資料を読みながらこっちの話を聞いたりする人や、本当に皆さんの反応は千差万別である。あ、12人だから12差12別か。

 

説明会ってナンだか軽く喋っているようで実は全員の顔を見ながら僕の一言のどこに反応するかを見ながら次の話を作っていくので結構気を遣う。

 

さあ、今回はこの中から何人が視察に来るかな〜。多分3組くらいかな。

 

けど説明会が終了したら僕の頭はとりあえず白紙。てか、思考能力が思い切り減退する。実は本当に、5分前に話したことも完璧に忘れているんです。

 

たぶんこれって自分の脳みそを守る為に自動的に扉が閉まってるんだと思う。

 

たかが説明会と言うなかれ、しゃべる僕は全精力を傾けてやってるんだから。

 

そんなこんなを思いながら疲れた頭を整理する為にホテルのバーに顔を出す。

 

いつもの笑顔がそこにある。ほっとするね。

 

水割りを一杯貰って健康の為のシーザーサラダを注文する。

 

そうこうするうちに都議選の投票結果が少しづつ発表されていく。気分的には高村光太郎。ちえこが死んだ後、周りのことがどうでもよくなる、そんな感じ。

 

今回の日本出張は香港から始まって南から北へと登っていく方向性。

 

あちこちで会議やって議題が出てそれに対する宿題が出て、いつまでに何をするかを決めた。やらなくちゃいけない事は分かってるけど、役者は舞台で踊るだけ。

 

そこから次は頭が働かないぞう。やばし。一人仕事の限界を感じる。オークランドに戻る飛行機の中で調整しないとな。



tom_eastwind at 01:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2009年07月11日

東京定点

福岡を出て新大阪で会議してその足で品川に向かい新幹線の旅を楽しむ。

 

多くの人からすればこの距離で新幹線なんて「ばかじゃん!」なんだけど、なんでか僕は地上を走る電車の方が好きだ。

 

博多駅から新大阪まで約2時間、でもって新大阪から品川まで2時間半くらい。おうおう、福岡と東京は近くなったではないか、さすが技術の日本、ちゃちゃ!である。

 

そういえば今読んでる満州本でも、新幹線の基本モデルとなる「あじあ号」と言う弾丸列車が出てくる。時速100kmで大連と奉天を結んでいた。

 

大陸に沈む西日を見ながら食堂車でビーフシチュウにパンをひたして食べる風景が、ああ、あの頃の時代って良かったんだろうなって思わせる。

 

今の時代はもちっと進歩しているのか退歩しているのか分からないけど、新幹線では食堂車がなくなった代わりに車内販売でサンドイッチや飲み物が注文出来る。

 

朝飯を豚骨ラーメン、その1時間後に博多駅で皿うどん(堅い餡かけ焼きソバ)を食べただけで新大阪で会議だったのでかなりおなかが空いてて、普段なら食べないカツサンドを注文して、つけ合わせに飲み物を頼む。

 

品川で新幹線を降りてホテルにタクシーで向うと、もうその時点で夜の10時過ぎである。あ〜あ、今回は移動が多いなとか思う。移動って余計なことに神経使うから疲れるのだ。

 

俳優とマネージャーの存在が最近ますます良く分かる。

 

舞台で役者やってる人間はそこに思いっきり集中するから、それ以外の事を考える余裕がないし、第一そんな事を考えてたら役者なんて出来ない。

 

マネージャーだけでは舞台に立てないし、役者だけでは仕事にならない。お互いに助け合いながら生きていかなくては。

 

東京ではいくつか会議をこなして最後に説明会をやって、けど内容が多様性多すぎ。

 

魚の品質管理からIT関連のアービトラージ技術開発、ホリスティックに海外移住、おまけに不動産投資と、とにかく幅が広い。

 

話すだけで精一杯でそれをまとめるのは会議後の静かなバーで形にしていくしかないけど、あ〜あ、一人ではきついのだ。

 

とにかくいろんなところでいろんなものがからんでいるからまったくどうむすべばよいのかあいであがでてくるのだけど、ふい〜って感じ。

 

日本に住んでいる人よりも海外にいる日本人の方が日本の動きが良く見える。岡目八目とはよく言ったもので、いろんな結びつきを思いつくんだけど、何故だか日本人は「いや、それはやりたくない」と言う言葉が出てくる。

 

アイデアが否定されるのは良いのだけど、そういうアイデアを思いつくこと自体が「こいつはおかしい」となると、こりゃきついよな。

 

理論とか合理性で判断すれば答えは明確なのに、それが通らない国が日本だ。こだわりってのかな、仕事がビジネスになっていない。それでいて利益が欲しいというのだから、おいおい芸術家ビジネスマンの皆さん、本当に優先順位をしっかりつけてくださいと言いたい。

 

娘と一緒にホテルで飯を食ってると彼女が一言「日本って、ほんとに世界から隔離されてるよね」

 

日本は日本なんだな、なっとく、である。



tom_eastwind at 01:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月10日

福岡定点

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福岡は何ヶ月ぶりか。最近は東京単品出張が多かったので久しぶりの福岡は新鮮。どんな風に変わってるかな。定点調査なり。

 

香港を午後出発するキャセイ航空で台北経由福岡に入る。

 

普段なら台北で乗り継ぎの間にラウンジを使ったり免税品を買ったり出来るのだけど、この日は香港の出発が20分ほど遅れたこともあり、乗り継ぎ客は機内缶詰。トイレにも行くなってんだから大変だ。

 

台北のラウンジで食うラーメンとか美味いしサンドイッチも美味しいんだけど、残念なり。

 

けど機長さん、台北から思いっきり飛ばしてくれたので(神風タクシーか?)結果的には20:45到着予定が20:30には到着してしまった。

 

そう言えば一般的に飛行機って予定時刻以前には出発しないって思ってる乗客さんも多いだろうけど、ニュージーランドでは結構普通に予定より20分早く出発したりする。香港も同様であり、だって予定時刻が遅れることもあるんだったら早くなってもいいでしょって感じ。

 

福岡に着くとぼくの傷だらけのぼろキャリーバッグ、さっさと出てきました。ほんと、戦友ですなここまで来ると。

 

税関では相も変らぬ会話。

 

税関職員「お帰りなさいませ」お前はメイドか?

オレ「いえ、出張で来たんです」

税関職員「あ、そうですか、香港にお住まいですか〜」

お前の手元にある旅券を良く見ればどこの国に住んでるか分かるだろ=が。

オレ「いえ、住んでるのはニュージーランドで香港経由でこちらに来たんです」

すると職員うれしそうに

税関職員「あ、そうなんですか、ニュージーランドに駐在されている!」

それも違うから。

 

何だか福岡空港では毎回同じような会話であり、かまない。お願いっだから自分の幅で細かくまとめるんじゃなくて、他人の話聞こうよ、本当にそういいたい。けどまともに相手しても仕方ないし適当に放置して税関を抜けてタクシー乗り場へ。

 

昔は国際線専用ターミナルなんてなかったけど、今は隔世の感があるこの空港。

 

福岡空港は元々市内の外れにあったのだけど、どんどん街が広がるにつれて何時の間にか街の真ん中にある空港となった。

 

利用者からすれば昔の香港空港みたいなもので、仕事が終わってさっさと空港に向えば10分くらいで到着する便利さがある。

 

何でも今新しい空港を作るかみたいな話になっているようで、ハコモノですかいって感じ。誰か今の空港に対して困ってる人はいるのかい?

 

昔は板付飛行場と呼ばれてた米軍用だったんだから利用者からすればこりゃ使いやすい。

 

空港からホテルのある中洲までタクシーで15分程度。中洲に行くのが目的ではなく、たまたまホテルが中洲にあるってのは、「愛した人がたまたま白人だった」って言い訳と同じみたいな苦しさがある。

 

けどホテルの入ってるキャナルシティにはラーメン博物館もあるし僕の大好きなウエストうどんもあるし、マツキヨだって入ってる。結構便利なのだ。

 

今日はここで夜の10時から会議。お客様から問い合わせが来る。「朝の10時ですか?夜の10時ですか?」

 

気持ちは良く分かります、私もこんな時間に会議したいとは思わないのですが、どうしても飛行機の都合で、翌日は新大阪の会議が入ってるので、申し訳ないのですがこの時間でお願いします。

 

ホテルに着いてすぐにスーツに着替えてネクタイを締めてロビーへ。予め打ち合わせできそうなホテル内のカフェを見ると、どこも全部22:00で終わり・・・。ありゃりゃ。

 

キャナルシティ内のカフェもスターバックスもプロストも何もかんも終了。かと言ってこのメンバーでマクドナルドで打ち合わせもな〜。

 

大体何処も22:00で終わるとこが福岡じゃんか!なんて思いながら煙草を吸わないしお酒を全く飲まないお客様の到着に合わせて打ち合わせ場所をお伺いすると「あ、だったらバーでもOKですよ」。ほ。

 

それから12時、シンデレラタイムまで3件の議題を検討する。いけそうだ。売り方次第だな。お互いに宿題を決めて次回の会議までに進展させましょうという事で解散。いやあ、日本人は働き者だ。

 

会議終了後参加者の中のお一人が「tomさん、もし良ければ飯でも食いますか」とお声を掛けてくれた。飛行機の中で全然食ってなかったので丁度よい、久々の中洲に出る。

 

看板も掛かっていないお店で随分と美味しい食い物をご馳走になる。

 

「も〜今回の不景気だけは経験したことがなかですたい、一体なんがどうなっと〜か、よーわからんですよ」オーナーシェフがポツリと一言。

 

こういうお店は常連客で持っているのだけど、彼らが来なくなると絶対に飛び込みの入ってこない作り(看板がないのです)なので、突然大変になる。分かるな〜〜この苦しさ。

 

けど、夜明けの来ない夜はないですよ。聖子ちゃんもそう言ってます。

 

結局2時くらいまでお付き合いして「じゃこと豆腐」とか「こんにゃくのぴりから」とか、いかにも日本的な味を楽しませてもらいました。

 

お客様と別れた後は久しぶりの中洲ってことで、ちょっと先輩づらしながら川沿いの金魚すくいを片付けてる姉ちゃんとか仕事の合間に普段の顔に戻ってコンビニの前で胡坐坐りしてカップ麺食ってる茶髪の兄ちゃんとか見ながら街を歩く。

 

夜とは言えども少し汗っぽくなった頃に最近流行りと言われてるガールズバーに飛び込んでみて定点調査、市場調査。いやあ、市場調査って言葉の響き、いいですね。

 

カウタンー越しにお酒を作ってもらっておしゃべりを楽しむのだけど、なるほど、キャバクラとかみたいな働く女の子にとっても敷居が高くなくて気軽だしお客も安い価格で飲めるから、こりゃ需要と供給が一致していました。

 

お店でお酒を作ってくれた子はぼくが福岡を出た翌年に福岡で生まれた子であり、勿論通常の会話は不能。けど普通の子らしく、はきはきとおしゃべりを楽しんでて、ほ^、こりゃあ面白い形態のビジネスだなと感じる。

 

この市場を見つけたのが誰だか知らないけど、こりゃ良いのではないか。

 

気づいたらもう朝の4時。さって寝なくちゃ。明日は、てか今日は大阪で会議してそのっまま東京だ。



tom_eastwind at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月09日

diversity

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Diversity Programと言うことばが最近移民局で使われている。相違性とか多様性という意味だ。

 

実は先日の「マジョリティとマイノリティ」と言う話でいくつか意見を頂いた。

 

米国では国民に多様性を持たせるために「DV200x」なんてのがあって、グリーンカードだか永住権が抽選で当たったりする。DVとはDiversityの略です。

 

けどその条件は米国における少数民族であること。毎年人種別統計を取ってDVの対象となる国家を発表する。日本は常にDVの対象である。日本人はあまり外に出ませんからね。

 

色んな人々が集まることで新しい智恵や相乗効果が出てきて国家の活性化に繋がるという考え方であるが、ニュージーランドでもこの考え方が出てきてる。

 

え?色んな人種が集まったらかえって面倒じゃん。今なら同じ価値観をもつ人たちが「あうんの呼吸」で生活出来て楽だし、一から十まで説明するのって面倒だよ。

 

日本人は完璧なまでに周囲と同質化することを要求する社会であり、同質化することで共同生活が営まれてそこに伝統や文化が育まれてきたのも事実。

 

けどそれは日本という国が日本で閉鎖されてた時代の話であり、実質的に国境の壁がこれだけ低くなってしまうともうそういう理屈は通らなくなる。

 

合法的に移住した外国人が日本の生活に対して違う意見を持つことがある。そんな時にばっさりと「嫌なら出て行けば?」となるのが同質化社会である。

 

けど、他の価値観を認めた上で「おう、そういう考え方もあるな、学ぶものがあるよな」と自分の人間性を広げてに幅を持たせて自分自身の価値観をさらに磨く機会があっても良いのではないかと思う。

 

こういう考え方は日本人には理解が難しいかもしれない。移民社会で21世紀を生き残っていこうとする戦略は日本の純血主義とは正反対の道だからだ。

 

ぼくは純血主義を否定するものではないし鎖国だって国民全員が腹を括ってその気になってやるのであれば何もいう事はない。

 

ただ、他人の価値観を頭から否定することが純血主義と言うのは違うと思う。これは単純に何かを学ぼうとする姿勢が不足しているだけの、要するに「建前を並べて本音では現実からずる賢く逃げている」だけだと思う。

 

他人の価値観を理解するとか学ぶってのは、時には今まで自分が培ってきた価値観が根底からぶっ壊されることにも繋がる。

 

だから、折角一生懸命子供の頃からテストのたびに隣の席に坐る僕より頭の良い子が風邪をひかないかなと期待したり有名大学の名前だけで合コンに人が集まってくれて大会社の名刺を出すだけで周りがきゃあきゃあと騒いでくれる状態が心地よいのに「そんなのには何の意味もないよ、大事なのはあなたがどれだけ自分を磨いているかだよ」なんて言われると「ふざけんな!」と言いたくもなるだろう。

 

そりゃそうだ、だってこの居心地の良さを得るために小学校のお受験から始まって企業面接訓練までマニュアル使いまくってやってきたんだから、それを一発で否定されたら頭にも来るだろう。

 

けど、そんなこと言っても現実は現実である。殆どの日本人が日本国内で作り上げた自分なりの理屈や考え方や道理は、世界の様々な価値観の中ではOneOfThemである。だから常に新しい人と出会って新しい価値観を理解することで自分の価値観に幅が出てくるのだ。

 

こういうのが一般的には「自分の殻を破る」というのだけど、そういうのって年を取れば取るほど殻を破るのが面倒になるよね。

 

移民を受け入れるってのはそういう苦しみが必ず出てくるし、そりゃ日本人だけで固まる居心地の良さはない。

 

けどさ、そうやって日本人だけが固まって日本特有の言葉しか使わずに人口が減少して技術が他国に追いつかれたとき、日本が世界の中のマイノリティになる。

 

内弁慶で威張っているうちは良いが外を向いた瞬間にマイノリティになるってのは、それだけで社会の競争のスタートラインから大きく後ろになることを意味する。そしてマイノリティを恐れる日本人は日本人であることをやめてマジョリティ民族と融合しようとする。

 

今マジョリティで生きている人々は、たぶん彼らの時代まではOKなんだろうけど、子供の時代になれば日本がなくなる、子供に残すものがなくなってしまう、そんな恐怖は感じないのだろうか。

 

日本を出てから常にマイノリティとして香港とクイーンズタウンとオークランドの生活をしている僕より。

 

★抜粋開始

比較文化学者によると「日本は同質を重んじる文化」であるという。現に日本社会で働く米国人は、日本語の「違う」という言葉は、different(異なる)の意味とwrong(正しくない)の両方の意味があり、すなわち「異なるのは悪いことだ」という価値観が根底にあると主張する。とすれば、種々雑多なものを受け入れるというダイバーシティを、日本人が真に理解、賛同し、推進するのは簡単ではないといえよう。

★抜粋終了

 



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2009年07月08日

空気in香港

乗り継ぎで香港に一泊する。

夏場だとほぼ毎日オークランドから東京に乗り継ぎ出来るのだが冬場は乗り継ぎ便が週に3日しかない。なので割り切って香港に一泊する。

主な理由は空気を吸う事?かな。

朱に交われば赤くなると言うが、ずっとニュージーランドにいるとこの空気に染まってしまい、日本での仕事では使い物にならない。

かと言ってずっと東京にいると刺激があって楽しいし仕事のアイデアもどんどん浮かぶが、何か大事なものを忘れてしまいそうになる。

空気、てかその原因の一番は、そこに住む人々とその土地が発する「気」だろうと思う。

香港には何だか「明日は絶対今日より幸せになるさ」って言う空気がある。

この街では人々の挨拶は「ご飯食べましたか?」だ。

人は食わねば死ぬ。そういう原点が挨拶にこもっているから面白い。

格好付けの日本、原点の香港、のんびりなニュージーランド、それぞれ流れている空気が違う。

どの空気が好きなのか、それこそ相性である。だから自分の好きな空気を吸えば良い。

ただ一箇所にずっと住み続けて何でもかんでも「うちが一番!」というのはどうかと思う。適度に違う空気を吸ってみると人生観広がるかも。

 



tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月07日

ばかでなければ生きていけない

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ばかでなければ生きていけない、周りと合わせなければ(その村では)生きていく資格はない。

 

なんつーか頭に来るのがメディアの連中であることはしょっちゅう書いている。

 

 

新聞やテレビで働く連中は高収入を保証されているのでその立場を守る為には何でもする。

 

一流の大学を出て高い給料を貰ってやることが政府の手先となって国民を騙すことだってのは、実に皮肉な話である。

 

一体何のために一生懸命勉強をして一流大学を卒業したのか?ただ安心して飯を食う為だけに自分のプライドも仕事の誇りも他人を騙すことの恥ずかしさも捨てて、そこまでして生きてたいのか?

 

勿論ここできちんとフォローはする。

 

一般社員に向っては「いやいや、皆がそんなだとは思いませんよ、あなたのようにちゃんとやってる人が殆どだと思いますよ、けどね、やっぱり上司が悪いんですよね」

 

上司に向っては「いやいや、政治家との付き合いがあるから大変ですよね、よく分かりますよ、世の中きれいごとではやってられないですからね」

 

けど下記のコメントを読んで欲しい。

 

「今の日本のマスコミには、世界的視野で分析できる記者が少ない。政府の説明をそのまま報じない報道機関は意地悪されるので、馬鹿のふりをしないとやっていけない。知的水準を高めない方がうまくいく。この状態は、かつてのソ連や中国と同じだ。ソ連や中国を嫌う日本人が、ソ連や中国と同質というのも皮肉だ」

 

上記は田中宇と言う人の最近のブログの引用だ。イラン問題や核問題での発言の一部である。

 

こういう世界的な影響を与える国際政治の世界の微妙な問題でもメディアが取り上げるときは政府の広報機関でしかなく、まさに大本営発表だ。

 

それが結果的に日本という国にどれだけ悪影響を与えようが彼らには関係ない、自分の生活さえ良ければ満足なのだ。

 

彼くらいに大人になれば腹が立つこともないのだろうけど、僕の場合はまだまだ精進が不足のようで、すぐに怒りがこみ上げてくる。

 

マスコミやテレビが政府と結託して国民をバカ漬けにしておいて、裏で自分たちが儲かるように仕組んでいる。

 

要するに言ってる事とやってる事が違うから嫌いなのだ。最初から開き直って「ふざけんじゃあねえよ、マスコミってのは世間を操る道具なんだよ、そして俺らはその手先なんだよ、騙されるお前らが悪いんだよ」と言ってくれれば、何もいう事はない。

 

幸いニュージーランドは「まだまし」である。

 

新聞は嘘を書くことが多いとまともな国民は理解しているし、テレビの記事なんてまともな取材も確認もせずに垂れ流しってのはやってる局の連中が一番理解している。

 

要するに新聞やテレビは一種の娯楽であり本当の意味での「正確な情報をすばやく提供する媒体」ではないと、見る側も作る側も理解しているからバランスが取れているのだ。

 

日本で問題なのは、作る側は「馬鹿を作り出せ、騙しまくれ!」と理解して作っているのに、見る側は無邪気に映像や記事を信じてしまうところに悲劇がある。

 

それで更に輪をかけた悲喜劇が、優秀な成績で学校を出た若者が理想をそのまま信じて本当に自分は良いものを国民の為に作っているのだと思い込んで、それが実際には事実ではないし長い時間をかけて洗脳された結果だと思いもせずに、涙を流しながら番組作りの素晴らしさを語ったりするときだろう。

 

これなどまさに中国共産党の紅衛兵が喜び勇んで自分の親戚を殴り殺したりするのやヒトラーユーゲントがユダヤ人を収容所に放り込んでその死体で石鹸を作ったり肌でランプシェードを作ったりするようなものだ。

 

まあ信じる側からすれば悲劇だが騙しているほうからすれば喜劇である。

 

テレビにのせられて納豆を買いまくってる平均的市民を見ながらテレビ局の中では「お、こいつらまた騙された!」と腹を抱えて笑ってるのだろう。

 

納豆ダイエットとか癌を予防するなんとかとか、何を言ってもテレビに映れば見る側は信用してしまうのだから、まさに喜劇でしかない。

 

世の中を楽しく生きていこうと思えば、ばかになりきることが大事なんだろうな。素直にメディアに踊らされて何も考えずに納豆買ってれば良いのだろうな、だからばかになれない人間には生きるのが辛い世の中になるのだろうな。

 

この次は健康ダイエットとか言う番組を作って「皆さん、裸で街を走りましょう、元気になるし癌の予防にもなりますよ!」とでもやってみればどうだろう。

  

 



tom_eastwind at 00:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月06日

サミット&7月12日

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あれ?うちの移住説明会が7月12日なんだけど、これと7月12日の東京都議選と説明会が同日かいな。

 

という事は東京在住のお客様は選挙に参加したその足で当社の説明会にご参加いただくという日程になるのか。

 

7月8日~10日がイタリアで開催されるサミットだ。そして今年中(8月か)総選挙がある。

 

それにしてもサミット参加国で一国の指導者がこれだけコロコロと変わる国も珍しい。他の国では一度選ばれた人って満期まで続くのが一般的ですぜ。

 

日本人からすれば「いつもの事」かもしれないけど外国人から見ればどうなのか?

 

実際に日本が無責任な国でいう事がショッチュウ変化していればこれはどこの国も日本のいう事を信用しなくなる。

 

けど今も大国として他の国家とやりあっている以上、どこかで信頼を得ているはずだ。どこかで一貫性があるはずだ。たぶんそれが日本独特の官僚政治ではないかと思う。

 

官僚政治とは要するに「首相が誰になろうが政治の一貫性は終身雇用制と先例重視の官僚によって保たれる」であろう。だから官僚が政策を作り政治家が国民に説明する。

 

この説明役は誰でも良い、要するに官僚のスポークスマン(操り人形)であってくれれば良いのだから、官僚のいう事を聞かなければ適当な理由をつけて失職させれば良いだけだ。

 

ニュージーランドでは一度首相が決まれば大体3年から6年程度は同じ政権の中で同じ政策が続く。官僚はあくまでもいろんな選択肢を提供する黒子である。

 

国家運営のプロである官僚が提案した選択肢を、国民の選挙で選ばれた政治素人の政治家が国民の要望に合わせて選択する、これがNZの政治である。

 

素人、例えば今のジョン・キー首相は元々証券会社メリルリンチで豪腕を振るった人間であるし、経済改革を行ったデビッド・ロンギ元首相はマヌカウの弁護士、90年代の繁栄を引っ張ったジム・ボルジャー首相はウェリントンの北部で牛を飼育してた農家のおっちゃんである。

 

ヘレン・クラークだけは民間企業の経験がないが、日曜ともなると護衛もなしで普通にモールで買い物をする気さくな人である。

 

だから政治家と一般市民の距離がとっても近い。要するにその辺にいるおっちゃんやおばちゃんが政治家をしているのだ。

 

だもんで要するに本業があるから政治家辞めても生活に苦労はしないし、元々キーウィの気質もあるから賄賂で飯を食うとか票を買うといった発想がない。

 

もちろんそういうものがゼロってわけではなくやっぱり政治家の汚職ってのは事件になったりするけど、内容を見てみると汚職事件の本場である日本から見れば「それの何処が問題?」と思ってしまうようなケースばかりである。

 

これだけ政治の素人がニュージーランドの首相として舵を取っているのだけど、生活している僕らからすれば全く問題を感じさせない。

 

てか、日本であれだけカネを貰いプロとか立派なことを言ってる政治家がこの体たらくでは、むしろ政治家など居ないほうがましかと思ってしまうほどだ。

 

他にも随分無駄な国の仕事とか役所(やくしょとは、やくにたたないっしょって意味か?)が存在しているのだから、こうなったら国民が一切税金を払わない代わりに地域ごとの自治体だけにした方が余程公平ではないかと思ったりする。

 

最近は不況対策なのか環境に配慮した車の税金を免除したり安くしたりする政策でハイブリッドカーが売れてるけど、あれだって自動車産業、それもトヨタとホンダだけが儲かる仕組みでしかない。

 

本気で日本全体の事を考えるならもっと将来を見据えた集中投資を行うべきだが、予算をもらった役所は自分たちの天下り先の確保とか政治家に恩を売るとかいろんな面で“配慮”をしているから天下国家で考えるなんて思いもしない。

 

大体車の税金が安くなったと言っても、それは元々国民の金である。自分で払った金が自分に返ってきて喜んでも仕方ないだろう。

 

大体税金の「免除」と言う言葉も気に食わない。おまえら人の金で飯食ってるくせに、「免れる」って上から目線、どういう事だ?ばかも休み休み言えって感じ。

 

次の都議選でどのような結果になるのかまだ分からない。そして今年中に行われる総選挙で自民党と民主党の戦いがどうなるか、これもまだ読めない。今は自民党が最後の手段として組織を挙げて役所や警察を使って民主党のあら捜しをやってる。これに迎合するマスコミも同様だ。

 

政治家は選挙と言う禊を受けるからまだましだが、官僚のずるさには腹が立つしマスコミのずるさに至っては、何時の日か天罰が下る日があるぞと言いたい。

 

結局日本ってのはほんの一部の権力者たちが自分たちが生き残る為だけに政治を私物化しているわけで、こんなんじゃどっちが勝ってもお先真っ暗である。

 

有権者と言う言葉は結局多くの日本人には一生縁のないものなのかもしれない。



tom_eastwind at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月05日

知らない悪魔といるよりは

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「知らない悪魔といるよりは知っている悪魔と一緒にいるほうが良い」

 

英語の諺だけど、言い得て妙。

 

これって結婚した夫婦の多くが常に感じていることではないかいな。

 

「あ〜あ、こんなはずじゃなかったのにね〜、どうしてこうなったのかな〜、けどまあ、今からゼロから新しくってのも面倒だし、まあ相手の手口は分かってるんだからこのままでいいか」

 

でも男女間だけではなくいろんな場面でも使えるだろう。

 

ここ数年でずいぶんたくさんの中国系の若者がフードタウンやホテル、カフェなどで働くようになった。ホスピタリティの専門学校が増えているせいもあるだろう。

 

けど彼ら中国系の若者からすれば親と一緒にニュージーランドに移住して、親とは違って英語も出来て地元の大学を優秀な成績で卒業しても働き先が限られているという事実もある。

 

キーウィからすればやはり白人中心社会であるし、どれだけ優秀に見えるアジア系の若者よりは少しあんぽんたんぽんな雰囲気がしてもやはり白人の若者の方が安心して雇えるということがある。

 

「いやいや、優秀であればそれで問題ないんだよ、けどね、いくら彼や彼女が優秀でも、やっぱりなんてか、、ね」となるのは人の気持ちだろう。

 

日本だって同じ事で、少しくらい(かなり)能力が劣っていても同じ日本人を採用してしまうだろう。知らない人種を採用して本人がいくら優秀でも、その家庭に問題があったりとか彼の友達が問題あったりとかしたら、会社までトラブルに巻き込まれる。

 

それよりはやっぱり身元のはっきりしている日本人の方が良いとなる。

 

日本国内だって古い例で言えば、部落出身者や在日韓国人が採用されないなどごく普通だった。何せ昔は部落地図みたいのがあって大手企業の総務課では必ず一冊持ってて就職希望者の本籍や現住所を調べたものだ。

 

在日韓国人の場合等は明確に差別されていたから必然的に彼らは団結してパチンコ屋とか焼肉屋とか限られた職業に集中した。

 

「いやいや、差別なんてする積りもないんですけどね」どこの国でも主流派はそういう。けど腹の中までは分からない。結果的にMAORIやアジア系の人々の失業率が高くても、それは「結果的に」「当社ではOverQualifyで」「公平平等に判断した」結果なのである。

 

まあ主流派ってのは何処の国でも同じなのだしその事をどうこう言う積りはない。

 

誰だって知らない悪魔と居るよりは知ってる悪魔の方がいいのである。

 

けど主流派だって国が変わればマイノリティになる。日本で生活をする白人は、いくら日本人が白人崇拝しててもやっぱりマイノリティだ。

 

だから日本に住む彼らと話をしていると基本的に「マイノリティとしての怯え」を感じているのが分かる。またこっちが英語を話し始めた瞬間の「安堵感」もよく伝わってくる。

 

「自分にされたら嫌なことは人にしてはいけませんよ」

 

日本人は殆どの人がその一生をマジョリティとして自分の村社会の中で生活をしていくのだろう。

 

けど、自分が主流派、マジョリティで居る限り絶対に理解出来ないだろうけど、一度くらい自分の立場をマイノリティに置いてみればその苦しみが分かる。

 

そうしてこそ初めて「平等」と言う言葉が実感としての重みを持って生きてくると思うのだ。



tom_eastwind at 18:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月04日

路地裏

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オークランドは1840年頃から作られた街で日本に比較すれば街の歴史は浅いが、それでも煉瓦作りの街路や路地裏にはそれなりの味がある。

 

5月から僕の利用しているテレコムの電話システムが全面変更になり、僕の持っている電話はそのまま日本で使えるようになった。

 

今使っている電話は Sony Ericsson walkman だっけな、あんまりよくわからんがズリズリ型。

 

ニュージーランドで登録している電話を日本国内で発信する分には良いのだけど、じゃあこの電話からニュージーランドに発信しようと思うと001では駄目。提携先がソフトバンクなのでそこに問い合わせないといけない。

 

ニュージーランドで電話を受け取るときに「日本でも使えるよね?」と聞くと、戸惑ったように「う、うん、使えるよ・・・って書いてるよ」程度。

 

まあそんなもんだろう、駄目もとで日本で使ってみると何とか電波を拾って使える。けど日本のソフトバンクに問い合わせると「日本から海外発信をする方法は当社ではわかりございません」だって。

 

古い建物結局仕方ないから前回の出張ではNZに電話するのはホテルの部屋からにしたんだけど、あれって無茶苦茶高いんだよね。

 

来週からまた日本。今の電話がそのまま日本で使えるのは有難いのだから、Better than Nothing と言うことでOK。前向きにいかなくちゃ。

 

けど次回はもうちっとソフトバンクに突っ込んで聞いてみよう。それと一番大事なのは、どう見てもこの充電器に変圧器機能があると思えないんですけど、普通に日本のホテルで充電出来るのか?

 

ということでこの写真は街角を撮ったシャメです。古い言葉か?



tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月03日

スピーチ

そうそう、今回の魚試食会では、参加者が集まったところでパートナーであるMAORIが全員を前にご挨拶をしたのだけど、その時の記憶。

 

堂々とした体格の彼は、最初は英語だったんだけどすぐにMAORI語に切り替えたから話の内容は全く意味不明。けど力強い声で喋ってたからずいぶんと立派なことを話してたんだと思う。周りの人もうんうんと頷いてた。

 

それから再度英語に切り替えて一通りの説明をした後、「ところで今回のビジネスの日本側代表であるTomにも挨拶をしてもらおう、Tom、よろしく!」といきなり振られた。

 

ええ!そんなん考えたこともなかったぞい!

 

英語でしょうが。元閣僚とか弁護士を前にしてのスピーチなんて出来るわけないじゃんか!

 

その瞬間頭の中をよぎったのは20数年前、初めてクイーンズタウンで仕事をしたその冬の事。

 

お客様の搭乗予定の飛行機が満席で次の飛行機に振り替えをされた。それを降機地であるクライストチャーチのガイドに電話で伝えなければいけない。

 

対面で話すならまだしも、それとか同じ街に住んでいるクイーンズタウンの住人なら何とか僕の英語も通じるとは思ったが、違う街で全く知らない人に電話をするんだからどきどき。

 

ガイドさんの自宅に電話をする。どきどき。電話をとる音がした。「Hello」若い女性の声だった。ぼくは自分の名前を伝えガイドさんの名前を伝え用件を伝えた。

 

ほ〜、これで一仕事終わったぞと思ってた翌朝、事務所のマネージャーに呼び出されてお叱りを食らいました。

 

「お前さ、ちゃんとクライストチャーチのガイドに変更連絡しろってあれほど言っただろ!」

「え〜、おれ、ちゃんと伝えましたよ、相手にもOK?ときちんと確認取りましたよ。そしたら相手もo,okと言いましたよ」

「ばかやろ〜!お前が喋った相手はガイドの子供で、まだ3歳だよ!」

 

が〜ん!

 

外国に住んでガイドやってるから英語が出来るってわけじゃないのは、これでお分かり頂けますか(笑)?

 

そんな記憶が一瞬頭の中をよぎったけど、そんなこと言ってる余裕もない。

 

速攻でまずみんなの顔をぐるりと見渡しながら大きく笑顔。まるで一年前からスピーチを依頼されていたような顔で

 

「本日は皆様お集まりいただきまして有難う御座います」とか、「日本人は生まれた時から僕らは魚を食ってきた人種なので魚の事をよく知ってます」とか「日本の最先端技術とニュージーランドの素晴らしい自然の恵みである魚を全員で大きく育てていきましょう」だとか、よくもまあ思いつきでぺらぺら出るもんだなとか思いながら何とか無事にこなした。

 

面白いのは脳みその動きってか、頭の中の左側で0.2秒後に話す内容を組み立ててそれが右側にパスされて口から言葉として出て行く、でもって後ろの方では別の脳みそが「こいつけったいなやっちゃ」とか苦笑いしている感じ。

 

英語は広東語と違い少々アクセントを外しても話が通じるので、全体像をしっかりまとめて論理的に組み立てていれば聞いてもらえる。

 

英語学校に通ったこともないし日本でも最終学歴高卒の僕だけど論理と言うのは理解出来るので、英語会話でも「こういう言い方はだめっしょ」とか「ここはこうでしょ」というのだけは分かる。

 

もちろん文法もでたらめだしアクセントも酷いけど、それでも何とか相手に通じるのは、論理に一貫性があるからだと思う。

 

スピーチは全員の顔を見ながら話すので、相手の顔を見ているとこっちの話が通じているかどうかはすぐ分かる。どうやらこっちの言いたいことは通じたようで、皆さんそれなりに「ふむふむ、新参の日本人、これからどうやるかお手並み拝見」と言う雰囲気。

 

同じ日本人同士で日本語で喋っても会話が成立しない連中も山ほどいる。そう考えれば、こりゃもう言語発音能力の問題ではなく会話能力、一般的に言うコミュニケーション能力の問題かって思ったりしたスピーチだった。

 

一番最後に真っ赤なコートとサングラスをした上品そうなMAORIの高齢の御婆さんが指名されると、彼女はそれほど通る声でもないしましてやMAORI語!で何かを語り始めたのだけど、すると周囲にいる全員がまるでお葬式に参加して牧師の言葉に耳を傾けるように両手を重ねて腰の前に置き、軽く頭を頷くような姿勢になった。

 

MAORI語でっせ!ナンで白人まで全員そんなの?と思ってたら、彼女は最後に「アーメン」と英語、そして全員が唱和したのだ、「アーメン」。

 

あれにはびっくりしたな。一つの言葉だけで生活をしている日本国家では理解出来ないけど、ニュージーランドでは英語とMAORI語を両方とも公用語として学校で教えている。

 

だからMAORI語を話せない白人でも、最初の数行の言い回しと雰囲気で「お、こりゃ学校で教えられたあれジャンか」ってな感じで自然に体が反応するのだろう。

 

戦前の日本で言えば「恐れ多くも!」と言えば飯食ってる最中でも軍人が起立する「天皇陛下!」みたいなものか。けどその時にそれを見てた白人がどんな態度をしてたのか、そのほうに興味がある。

 

戦後の日本人が何かの言葉に自然に反応するとすれば何がある?

 

「地震だ!」

「サリンだ!」

「キムタクだ!」

 



tom_eastwind at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月02日

FISH!2

試食会1オークランドの地元で漁業に関係する業界の大御所の皆さんに足を運んでいただき本日「魚の試食会」は無事終了。

 

名刺交換をしてみると元閣僚やNZ最大の水産会社の社長、大手弁護士事務所のパートナーなど、随分大物ですね。

 

今回彼らに提案しているのは、流通改革システム。Quality Management System と一般的に呼ばれているけど、それの魚版である。

 

お魚社会である日本では江戸時代から魚を寿司で食べる等、漁法から始まって移動管理、血抜き、保存、そして食卓や魚屋さんへの提供まで様々な技術を持っている。

 

でも面白いことに多くの日本人は昔から魚に馴染んでいるので誰でもある程度までの魚の管理は理解出来てるし、知らない間にいろんな技術を構築している。それが各漁港や釣り宿、研究所などにばらばらにデータがある状態だ。

 

このようにあちこちに散らばっている「その地域の方法」を色々と組み合わせていけば、魚の一気通貫流通システムが出来上がる。

 

後はそれをいかにニュージーランドの流通システムに合わせるかである。漁法、保管方法、水温管理、配達、店での保存展示方法など、日本の方法はそのままでは通用しない。この国が持つ社会システムに合致するようにせねばならない。

 

特にニュージーランドでは国民の大多数を占める白人がつい最近まで生魚を食べる習慣が少なく、MAORIは生食ではなく燻製が中心だった為、管理とか保存と言う観念がまだ薄い。

 

非常に乱暴な言い方をすれば、彼らからすれば見たことも聞いたこともないし意味不明なことをこっちがやって、その結果美味しい魚がテーブルに出てくるのだから、「何じゃこりゃ?!」だ。

 

僕ら日本人からすれば子供の頃からやっていることの延長なのだけど、じゃあ何故今までこんな方法がニュージーランドで広まらなかったのか?

 

それには色んな理由があるけど、自分でやってみてその理由がよく分かったし、分かって見れば後はやり方次第だ。障壁の高いほうが参入者が少ないから競争も少ない。なるほどね〜って感じ。

 

試食会

 

とにかく21世紀は食料とエネルギーの世紀。そして食料が豊富なのがニュージーランドでエネルギーと国地下資源が豊富なのがオーストラリア。

伸びるじゃんか、この二つの国は。

 

間違いなく言えることは景気の良い街や上り坂の産業でビジネスをやっていれば食うに困ることはなく結構言いたいことも言えるし、とにかく楽しいということだ。

 

下り坂の斜陽産業業界、例えば日本の旅行業などでここ数年賃上げがあるか?次々と廃業が続くような業界で明るい明日が見えるか?

 

ニュージーランドではここ8年近く毎年賃上げがあって、今年はさすがに世界不況だからきついにしても、毎年10%近く賃上げがあった。

 

ここで新しいビジネスを起こすたびに、何だか明るい明日が見えるのだから、これは楽しい。だいいち仕事をしている連中(ビジネスのカウンターパーティ、提携先ってのかな、毎日顔を合わせる連中)の顔も、皆明るい。

 

「最近どうよ?」

「もう大変、どうしていいか分からん」

 

そんな言葉が繰り返される日本とは随分違うのが実態である。

 

もちろんこの波に乗り切れてない人もいるけど、そんな時でも社会がしっかりしているから彼らはセーフティネットで救われているからたいしたものである。

 

ちほえりっく試食会ではスタッフの努力の甲斐あって参加した皆さんから高い評価を頂いた。次はこれを具体的なビジネスとして企画に落とし込む作業だ。

 

このビジネスが面白いのは、魚がいけば次は肉、そして野菜、とにかく農業全体に同じビジネスモデルが持ち込めることだ。

 

更に何より良いのはこういう品質管理は日本人が一番得意とする分野であり、これからニュージーランドに移住を考える人がこのビジネスに参加することにより永住権も取得出来るし経済的にも自立できるという点だ。

 

もうちょっと時間はかかるけど、一年後の自分が見えるのがとても楽しいぞ。



tom_eastwind at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2009年07月01日

お粥

出張から戻り、鶏肉の骨を市場で買う。

 

キーウィのスーパーでは確実に買えると言えないのでノースコートの太平市場に行く。中国人市場なら必ず処理仕立ての骨があるから。

 

けど問題は、太平市場の鶏肉の骨は肉が本当にぎりぎりまで削がれているからだろうか、それとも他の理由か、何故か味がない。てかあんまり美味しくない。もしかして生まれてから死ぬまでかごの中って奴か?それとも発育促進剤でも食わされているのか?

 

ぼくがいつも買い物に行くシティ近くのスーパーだと鶏肉の骨が見つかるのは3度に1度くらいだけど、あの骨から摂ったスープは実に甘くて、お粥を作る時に最高なんだよね。

 

鶏肉に限らず中国市場では色んなものが出回ってるけど、中国daisukiなうちの奥さんでさえ野菜は必ず買ってから洗うし中国製品は一切信用していない。

 

スーパーで美味しい鶏肉が見つかれば幸せなので、その日はスープをどうやって使って料理しようかと考える。

 

という事で今日買ってきた鶏肉の骨は、骨が二つ分(つまり二羽分)。一旦熱湯で洗って汚れを取り、深鍋で煮込む。

 

よっしゃ、今日はスープが美味しいからこれを使って何でも出来るぞ!

 

そう、こんなことやりながら思うのが子供の食事。

 

朝ごはんは基本にお粥がある。美味しい鶏肉スープでご飯を煮込んで、そこにその日のおかずを入れる。楽しいな。今の日本では子供とお父さんが一週間に何回一緒に食事をしているんだろうね。

 

もちろんぼくだって毎日忙しい。けど、子供のためのスープくらい作ろうよって思う。それは親として、やって悪くはないと思いますぜ。

 

少なくとも自分の体験でいえば、ぼくは自分の子供の幼年時の顔を全く知らない父親なのでこのあたりで9回裏大きなヒットを打てるだけで幸せ。本人はヒットと思ってるけど子供たちはどうなんかな。

 

鍋で煮えてるスープを見ながらりょうまくんに今日作る料理を想像する。いや〜、これだけで楽しいぞ。

 

親子丼、クリームシチュー、などなどレパートリーは狭いが鶏肉のスープさえ美味しければどうにでもなるぞ・・・。 それにしてもレパートリー狭いな。あはは、もっと料理に興味を持たなくてはね。



tom_eastwind at 21:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌