2010年04月

2010年04月30日

日本人で在り続けると言うこと

874ca01e.jpgちょっと旧聞だけど、ソフトバンクの第三四半期決算説明会を動画配信サイトUStreamで中継したとの事。

個人的に孫さんに興味があるのは、彼が10年近く前、まだ周囲にぼこぼこにされてたあたりの話だ。

彼は会社での会議中に自転車漕ぎ機械でトレーニングしながら参加者と議論していたと言う話だ。


その時の記者は「こんなのがまともな企業か!社長ならネクタイしてびしっとして!」みたいなことを書いていた。

その記事を当時の僕は会社の机の足の端っこにスニーカーを引っ掛けて、坐っている椅子を梃子の支点にて腹筋しながら読んでいた。

会議中の自転車と仕事時間中の腹筋とどっちがひどいのかよく分からないが、合理的に考えればそうなるってのは合理的に考えない人には理解できない事なんだなって、その時に本気で思った。

あ、彼ら「一般常識のある社会人」と僕の間に共通な言語はないんだな、そんな疎外感、てか、しょせんが一般常識しかなくて一般常識の範囲外で発生するような事には全く対応出来ない人、てか世の中にはいつも一般常識じゃ理解出来ないことがしょっちゅう起こっていることを理解出来ないんだな、みたいな気持ちを受けたのを覚えている。

時代は変わり僕はジーンズもトレーナーもスニーカーも止めて(長い髪は切ってない、もともとないから)最近はすっかりスーツ姿で仕事をするようになった僕だが、それでもスーツの中に一つの合理性を見つけて結構気に入っている。

話は飛んだが、そのソフトバンクの決算発表の中で出てきたデータが面白いので下記に抜粋。

★抜粋開始
そのなかで、とくに重要な視点だと思われるのは、これまではインターネットの世界は、アメリカが中心でした。それはインターネット人口の半数がアメリカに占めていたからで、しかし、2015年位はインターネット人口の半数をアジアが占め、アメリカは12%に過ぎなくなるということです。孫さんが高々と宣言したように、「アジアを制するものが世界を制する」ようになるだろうということです。

中国はネットの検閲問題があり、グーグルも撤退を表明しました。しかしソフトバンクの資料によると、中国最大のネット通販のタオバオは、取扱高が3兆円で、楽天の8千億円をはるかに上回る規模です。おそらく日本のように小売業が発展していないので、一挙に伸びてきたのでしょう。
さらにソフトバンクが約35%を出資しているOPIのSNSは、会員数が2009年12月に1.2億人を突破しており、mixiの1800万人をはるかに超える規模です。やはり人口規模の違いを感じます。
しかも、大学生の95%が登録していて、みんな本名と実際の顔写真を堂々と掲載しているというのは、日本のネットがほとんどが匿名文化だというのとの違いを感じさせられます。
抜粋終了

元ネタ
http://news.livedoor.com/article/detail/4584789/

楽天は日本でもトップクラスの成長企業で経団連の覚えも良いおまじめちゃん集団だが、そんな政府保証が何年もかかって築き上げた組織よりも3倍以上大きな組織が、お隣の中国であっと言う間に出来上がった。

Mixiでぺちゃくちゃやってる間に、これまたお隣の中国ではその10倍近いSNSが出来上がっている。

まさに筆者が書くように「人口規模の違い」である。そして今、僕らはまさにその「隣人」とどう付き合うかを考える時代に来ている。

ところが今の日本では中国脅威論ばかり出回ってて、その中国とどう立ち向かうかと言う議論が前に出てこない。

1800年代に中国がウイグルを支配した時、漢民族は2%だった。現在は90%近くが漢民族と言われている。けど別にウイグル人を皆殺しにしたわけではない、たくさんの漢族を移住させただけである。ただ、その漢民族と言っても満族は含まれるのか?中国の場合、どこで人種の国境を引けば良いのかよく分からない。

千年単位で考えてみよう。元々日本にいた縄文人がいつの間にか渡来人と混在する事で現在の日本人の基本が出来上がった。

渡来人とは中国や朝鮮から来た人々である。天皇家でさえいわゆる「日本人」ではないと認めており、自分たちはユーラシア大陸から来たとはっきり言ってるし彼らの歴史教科書にもそう書いている。つまり千年単位で考えれば天皇でさえ日本人ではないのである。

だったら一体誰が日本人なのだ?何が日本人として絶対要件なのか?

日本と言う土地で生まれたこと?それだったら米国人の両親を持ってても子供が日本生まれなら日本人なのか?

それとも先祖代々日本を根城にして生活をしている人々?だったらその先祖はどこまで遡れば日本人なの?天皇の例を出したけど、2千年前は彼らは日本人ではなかった。

そう考えると2千年前から縄文人として住んでいた人だけが日本人と呼べることになる。けどこれは現実的ではないし確認のしようもない。

だったら料理、文化、言語。それとも肌の色?そういう事を考えて突き詰めていくと、日本と中国だって元々は同じ人種じゃないかという事になる。

なのに日本国内では一方的に中国に脅えてしまい、騙されるのではないかうそをつかれるのではないか乗っ取られるのではないかなどと受身でびびってる。兄貴に殴られる心配をしている弟のようなものだ。

だったら逆に日本の10倍の人口がいる“あの国”に行って、あいつらの市場で稼いでやれ、そういう気持ちにはならないものか?どうせ同じ人種なんだ、兄弟げんかは強い者勝ちである。

これが肌の色の違うよその家に喧嘩売りにいくんなら宗教とか価値観とかを考慮して「手加減して」ぼこぼこにしないといけないけど、同じ宗教観で漢字文化で肌の色も同じなんだから手加減の必要もない。何か言われたら「ふざけんな、うちんちの一番えらいのはオマエんとこから来た人なんだ!」と言い返せばいい。

一般常識とか世間の常識とか、そういうくその役にもたたないようなきれいごとを並べて何もしないことの言い訳なんかやめて、こっちから中国に進出して、高品質のサービスを要求する中国人に日本で磨かれた高品質のサービスを提供して稼いでみようよ。

そうやって、日本人というのは肌や宗教や地域ではなく、常に世界最高のサービスを提供する人々の事をいうんだって言う新しい日本人観を作ってみればどうだ。

白人だって優秀なら日本人と名乗れる。そういう意味では日本人でも役立たずはプアイエローと言えばよい。同じ地域に住んでても同じ肌の色でも同じ宗教であっても日本人じゃない奴はたくさんいると言える。

そんな「日本人もどき」が振り回す下らない「一般常識」なんて叩き捨てて、そんな役立たずの連中なんて放置して、日本人なら外に出て行こう。

写真は土曜の夜のアンガスステーキハウス。店のコンセプトは非常に良いのだが、今のマネージメントは誰がやってるんだ?

英語がネイティブとしてしゃべれるだけで優等中国人と思い込んでる役立たずの中国人ウエイトレスとマネージメントの意味が全く理解出来ない何人かよく分からない中年女性とあきらかにキーウィではない肉を焼くのが上手そうなんだけどあまりのマネージメントの下手さに鉄板さえ焦がしてしまう肉焼き担当が土曜の夜のアンガスの混雑をますます混乱させてました。

やっぱり人種じゃないね、個性ですね。自分で自分を日本人と胸を張っていえる様にがんがろっと。




tom_eastwind at 15:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月29日

年齢違反でメダル剥奪

e093fe4c.jpg年齢違反でシドニー五輪「銅」剥奪 

体操女子団体の中国国際オリンピック委員会(IOC)は28日、ドバイ(アラブ首長国連邦)で開いた理事会で、2000年シドニー五輪の体操女子団体総合で銅メダルを獲得した中国選手に年齢違反があったとして、メダルを剥奪(はくだつ)することを決めた。4位だった米国が繰り上がる。AP通信が報じた。

 選手は16歳に達していなければならない規定だが、団体メンバーの1人が当時14歳だったことがわかった。疑惑は08年北京五輪の時に浮上。国際体操連盟(FIG)は、五輪チーム役員として参加した際の資格証明が「1986年1月23日生まれ」と記されていることから、シドニー五輪当時は14歳だったと断定した。2月にIOCにメダル剥奪を勧告した。

 中国の女子選手については北京五輪の金メダルメンバーにも年齢詐称疑惑が持ち上がったが、FIGは疑惑を否定する結論を出している。
★記事終了★


この記事は日本の新聞からの転載であるが、実はこの体操選手、現在はニュージーランドのハントレーと言うちいちゃな炭鉱町で能力のある体操選手を指導中である。

つい最近までハミルトンと言う人口15万人くらいの街でトレーナーとして活動していたが最近こちらに移った。

年齢詐称については否定していないが、地元新聞(NZHelard)の取材によれば「今はその事を答える時期ではないと思う」と回答をしなかった。

中国では伝統的に経歴詐称が普通である。何せこの国は4千年前から革命が起こって国家が転覆、新しい国家が出来るとその国王は必ず自分の都合の良い「家系」と「系図」をばら撒いたものである。

上が“これ”なんだから下も当然“これ”である。日本でも戦国時代は随分と誤魔化しのある系図を作ってたのと同じだよね。

だから経歴なんて嘘があるという事を前提に社会が成立しているから大学の卒業証明証書とか職歴証明書類なんてのはトイレの紙程度の価値もない。堅くて使えないもん。

嘘のような本当の話だ。

ある日オークランドの移住専門弁護士の事務所に中国人が訪ねてきた。弁護士は彼の永住権についてポイント計算をする為に中国人に聞いた。
「どちらの大学を卒業されましたか?卒業証書はありますか?」
「卒業証書は明日用意するよ、で、どこの大学が一番良いんだね?」

そんな国に育ってちっちゃな子供の頃から親元を離れて北京の体操専門学校で訓練を受けてきた彼女たちはおそらく普通の人々と話す機会も殆どなかったろう。

14歳であればどれだけ体操が出来ても社会常識を理解出来ているとは言えない。ましてや周りのオトナが「年の事など気にせずに堂々とやってこい!」と言われたら、それは激励だと思い込む年齢である。

そんな彼女も海外に出てみて自分のやった事がオリンピックのルール違反であるって事を知ったときはショックだったろうか、それとも「これが中国だ」と意に介さなかっただろうか。

ただ、今の彼女はこの問題を充分に理解しており、西洋型社会では経歴を含めて「嘘をつく」のは良くないと言うことを後悔と共に感じているだろう。

とくにニュージーランドのような「真面目な国」で生きていこうとすれば今までの自分の経歴違反が将来にわたっても白眼視される要素の一つとなることは今回の事件が地元の新聞にも掲載されたことで充分に分かっただろう。

今まではごく一部の大陸中国人しか外国に出ておらず多くの中国人華僑は香港人などの西洋社会ルールに慣れている人々だったから今日のようなルール違反とかが大きな問題とはならなかった。彼らは中華と西洋の使い分けが出来るだけの分別があるからだ。

だから大陸中国人の悪さ、てか彼らのルールを他人に押し付けるのも数が少なかったのでそれほど目立たなかったし、「まあ田舎もんだからな〜」と言う気持ちもあったのだろう。

けどこれだけ移民が増えてくればそうはいかない。どこの国でもその国のルールがあるし、約束した事を守るってのは社会生活の基本である。

このニュースは彼女個人の責任に帰すると言うよりも中国全体の問題である。ローカルルールを守らずに自分のルールで生きていこうとする大陸中国スタイルがそろそろ通用しなくなっているのは事実である。

逆に言えば何で日本人が西洋社会で他のアジア人と比較して高い評価を受けている理由の一つが「日本人は嘘をつかない、ルールを破らない」と言うことがその国の人にしっかり伝わっているからだろう。

有難い評価であり、僕らのような現役の海外移住組も先達の誇りを持って真面目に生きていかねばと感じるニュースであった。


tom_eastwind at 10:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2010年04月28日

有料宿泊所

991edc0d.jpg毎年2万5千人の歩けないほどの酔っ払いが警察に補導されて自宅に送り返されたり警察のトラ箱(留置場)で朝を迎えたりしている。

警察は今回このような「ただ乗り」連中を相手に250ドルを徴収することとした。

当初は病院委員会がこれに対して反発するかと考えていたが、逆に委員会から「カネ取れよ」と言う意見が出てきたので今回の法制化に繋がりそうだ。

とにかくちっちゃな国なので変化が激しい。日本の感覚で言えば県条例がしょっちゅう変化するのと同じくらい国政レベルで変化がある。

ついこの間までは「キーウィ文化〜!」とか言って、「ビールやワインは酒じゃないから飲酒運転ではな〜い!」なんて言ってた国が突然急ブレーキをかけて180度転換をしたような勢いであるが、こういうのをやってくれると楽しい。

警察だってその活動費用は税金で賄われている。警察の費用を住民全体が負担しているわけだが、そのお金の使われ方が市民のごく一部である金曜の夜の酔っ払い連中のタクシー代やホテル代になるのでは、お酒を飲まない人だけでなく多くの一般市民からしても「そりゃどうなん?」と言うことになる。

頭を押さえつけられて押し込まれる、おまけに内側からドアの開かないタクシーの乗り心地は決して気持ちよくはないが、無料で運ばれるなら文句もないか。

ホテルと言っても堅くて狭いベッドだし便器がベッドの真横だったり、個室ならまだしも大部屋になったら他人のトイレの音やイビキを聞きながら寝る(まあ酔ってたら気にならんか)わけであり、決して気持ちの良いものではないが、いずれにしても無料。

しかし納税者から見れば結局は警察の手を煩わせているわけで「おいおい、お前ら家に帰ってから他人の迷惑にならんように飲めよ」と言う話である。

日本だとこういう酔っ払いから金を徴収するぞって言うとすぐに反対派が出てきたり法律が複雑に絡んでて面倒になりなかなか制度の導入が出来なかったりするが、この国の法律の仕組みが簡単なためにすぐに法律で整備しようと言う話になる。

このシステムでは酔っ払いに250ドルの請求書を渡しておいて28日以内に支払いをしない場合は取立てやさんに伝票を回すんだと。酒飲むカネがあるんだったらこのカネも払ってねってことだ。

ええこっちゃ。日本でも酔っ払って留置場に入ったら宿泊費用を貰うようにすればどうだろう。政府からしても導入しやすい制度だし国民の理解も納得も得やすい。


tom_eastwind at 13:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2010年04月27日

感染地図 スティーブン・ジョンソン

ミステリーではなくアクションでもなくホラーでもないノンフィクション。

これは普通の医学調査書なんだけど、読み進むにつれて一体犯人は誰だ?とか名探偵はどう活躍するのかとか次に出てくるお化けはどんなだ?とか、そんなミステリーとアクションとホラーの要素を含んだノンフィクションって、やっぱり「事実は小説よりも奇なり」を地でいく話なんだろう。

舞台は1850年代のロンドン、ソーホー地区である。ハードカバーの表紙に使われている当時のソーホーの地図を見たとき、どき!ものすんごい既視感に囚われてしまった。

あれ?この地図、どこかで見たことあるぞ。それも最近だ・・、なんだこりゃ・・・記憶の端をめくってみると、おお、この場所って、あそこじゃんか!ブロードストリート!

既視感どころか、この場所は僕がロンドンにいる間ほぼ毎日歩いた道なのだ。ゴールデンスクエアもよく覚えてる、周りの建物も全部見覚えがある。

1854年の9月最初の木曜日の深夜。

ゴールデンスクエアに住む住人がたったの数時間で次々と倒れ、数十人がその日のうちに死亡した。

家族全員が暗く窒息しそうな部屋で同時に衰弱していき、家族全員が数日のうちに全員死亡してしまったケースもあった。

この病気の怖い点は、死ぬその瞬間まで脳は普通に活動しており、自分がどんどん衰弱してやせ細って真っ黒になっていく姿を見つめながら死んでいくってことだ。

家族全員が衰弱してお互いに助ける事も出来ず、お互いに死ぬその瞬間まで見つめあっている・・・。

こわ。ソーホーのようなこんな狭い地区で1854年の8月から9月のたった10日間で500人以上の死者が発生したのだ。と言うことはぼくが歩いてたあの道沿いの建物の殆どすべてで死者が発生してたのだ。

ブロードストリート40番地から始まったコレラのアウトブレークはまさにパンデミックである。インフルエンザどころの騒ぎではない。

しかし世界の歴史を見てみると当時の500人など実はあまり大した数字ではない事が分かる。

イギリスだけでも1848年の大流行時は2年後に収束するまで5万人の命が奪われた。つまり当時の都市では公衆衛生に関する考えが全く発達しておらず、コレラは世界中の都市で猛威を振るっていたのだ。

そして何よりもこのノンフィクションに登場する二人の主人公が一体どうやってコレラを見つけ出して対決して最終的には封じ込めたか、そこから世界の公衆衛生に対する考え方が歴史的転換点を迎えたかがよく分かる。

今ぼくらは当たり前のようにきれいな水と空気と都市の便利さと心地よさを体感しているが、それは19世紀に都市化したロンドンで都市の為に戦った人々がいたからだというのがよく分かる本である。

都会に住む人には必読。読みやすく専門的な知識も不要。とくにロンドンの歴史を知りたい人にはばっちりだ。ただし食事前後に読むのは避けるのをお勧めする、確実に。

感染地図―歴史を変えた未知の病原体感染地図―歴史を変えた未知の病原体
著者:スティーヴン・ジョンソン
販売元:河出書房新社
発売日:2007-12-11
おすすめ度:5.0
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tom_eastwind at 11:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)最近読んだ本  

2010年04月26日

One for ALL, ALL for One

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昨日とはちょっと切り口が変わるんだけど、西洋人でも本当に現場で戦っていれば仲間の大切さは分かってくる。

米国海兵隊の伝統としてOne for All, All for One と言う言葉がある。一人は皆のため、皆は一人のために助け合うと言う考え方だ。

メルギブソン主演のベトナム戦争映画“We were soldiers”でも、主人公の大佐が「オレが最初にこのヘリから地面に足を付ける。オレが最後にこの地面からヘリに乗る」と言う場面がある。

海兵隊は一人の仲間も後に残さない、そして司令官はそれを自らが実行する、そうやる事で組織を強く出来ることを、海兵隊はその激しい戦いの中で学んできた。

その意味で西洋人と言えど本当にきちんと突き詰めていけば、競走よりも協走、競合よりも共同の強さを理解するのだ。

そしてこの教えは基本的に東洋では理解されている。特に日本人の間では助け合いが当たり前であり、何故助け合わねばいけないのかとか、助けたら俺はいくら儲かるのかなんて聞く事自体が“はしたない”となるのだ。

だがこれを壊しているのが米国の学校で子供の頃から教えている「自分の夢“だけ”をひたすら追求する」とか「弱肉強食」とか「キリストは正しい」の理論であろう。

自分の夢“だけ”をひたすら追求するともしその夢が金持ちになることであれば出来る限り早く簡単に自分だけが金持ちになれば良いわけだから他人を蹴落とし騙しが「当然の行為」となり倫理的に批判される事もない。

そして弱肉強食がABBAの歌にある“Winner takes ALL”である。

子供の頃かそう教えられて大学まで行く頃には競争に馴染み、更に大学のMBAクラスでは徹底的に相手を叩き潰す議論術を教えられる。勝者が全てを取るのだから、2位じゃ駄目なんだってことになる。

そしてキリストは自分以外の神を認めないから異教徒はすべて“間違っている、可哀相な道に迷う子羊”と言うことになる。

そんな価値観で米国の教育を受けた人が企業のトップとして活動するのだから、その下にいる社員も当然同じような行動を取るわけで、長期的には共同作業の方が利益が出ると分かっていても、今年のボーナスや昇給を考えているから長期的な利益なんて見てる暇も権利もないって事になる。

世界がどうなってもいい、自分だけが勝てば良いのだ。相手を潰した結果として本来は相手によって発明されるはずだった、生活がもっと豊かになる道具を作れる人々を潰して結局自分が本来得られるはずだった発明の果実を得られなくても良いのだ。

でもって政府も企業の思考回路を理解している(自分も同じ思考回路だから)から企業を最初から性悪説で捉えていて、悪い奴を捕まえる為の法律を作る。

けど米国人も上にいけばバカではないから、政府が政策を作れば民間は対策を作る、そうやっていたちごっこをやってる訳であるが、そのバチを被るのが何も知らずに真面目に商売をやっている日本企業である。

元々性善説で作られた共同社会の倫理観で生きているのに、突然人殺し用の鉄砲を持ってきて外国から法律がやってきた、そんな感じがするのが国際会計基準の導入だし新しい金融商品取引法だし銀行に対する各種規制だろう。

日本のやり方だけが良いというのではないが、キリスト教+米国と言う組み合わせをやってしまうとその答が破壊となってしまうのは、ある意味それぞれの持つDNAである。

勿論現場でキリスト教を信じている人は真面目な敬虔な信者だが、その教えそのものに世の中の正常な発達を阻止する要素があるわけで、その時点で時限爆弾を抱えているようなものだ。

一番分かり易い要素は、一神教と言う点である。もちろん多くのキリスト教信者は他人が何を信じようが気にしない、自分が聖書と向かい合って生きていければ良いのだが、総本山ローマや米国の原理主義者の中ではそういう事にならずに「異教徒を潰せ」となり、そういう連中が常に権力を持っているから困ったちゃんである。

でもって米国ではこれにユダヤ戦略が入ってくるから実はユダヤ教がやりたい事をキリスト教を表に出しながら実行するって政策になったりする。

米国も1960年代まではそれほどユダヤ被害もひどくなかったのだが、栄光への脱出エクソダスでイスラエルが建国されてそれが周囲のイスラム国家と喧嘩するようになり、同時にベトナム戦争という泥沼で大失敗した米国をうまく利用して世界の悪者に仕立て上げたのがユダヤ戦略である。

ユダヤ人にとっては自分たちにとって敵性国家であるイスラム教国を米国が攻めてくれれば自分たちの国家を守る手段も出てくる。

テキサスの大地で石油を採掘して売ってた石油メジャーからすれば世界が石油をエネルギーとして利用している限り自分のビジネスは儲かる。だから電池自動車とか代替エネルギーが出てきてもパパブッシュなどを使って次々と叩き潰してきた。

こういう最悪の組み合わせが米国をして中東の戦争戦略を起こさせて、大体石油なんてわざわざ相手の国をぶっ潰してまで取りに行かなくても、もっと早い時代、例えば1980年代にエネルギー革命を起こして国家プロジェクトで電池自動車を開発しておけばよかったのにそれをせずに戦争を起こし、これでペンタゴンを中心とする軍需産業も儲かり、ほ〜ら支配層は何時までも幸せと言う図式になったのだ。

こういう、オレだけがよければ良いってのは日本人には苦手である。日本人は元来全員が団結して自然と共生して生きてきた。それが結果的に一番文明を進歩させて戦いを起こさない平和な方法だと知っていたからだ。

ところがそんな事されたら困る米国の支配層は日本の価値観を吹っ飛ばすために戦争を仕掛けた。けどその戦争に生かされるのは黒人とプアホワイトである。

米国人でも現場に行けば一致団結協力して戦う事の強さをよく理解している。つまり殆どの米国人は悪くない奴らなのに、一部の悪賢い奴に振り回されているってのが不幸な話なのだ。

それがここ数年で変化を見せているのは、米国を使って世界の金を充分に搾り取った連中が、21世紀を今までの支配方法から新しい支配方法、つまり世界をそれぞれの地域に分散させてその上に地球政府を作る、そこを支配する事で結果的に世界を安定させて戦争なしで皆が文明の進歩を享受出来る仕組みにしようってのが最近の流れである。

だから電気自動車の開発もOKになったし日本だって敗戦以来禁止されてきた航空機生産もOKになりイスラエルはその存在が脅かされてそろそろ周囲のイスラム国家と仲良くしていかざるを得なくなっている。

これは何もキリスト教の教是が変化したわけではなく、今までキリスト教を操ってきた連中がキリスト教と言う武器を捨てて次の世代に変化した事を示す。つまりこれからは誰が何を信じても良い時代になりますよってことだ。その代わり彼らは常に支配権を持ち続けるだろう、今度は世界を平和にするためにってお題目で。

結果的に誰が21世紀を押さえる事になるかは不明だが(中国の可能性もある)、日本人が大きな組織の一番ちっちゃな歯車になって毎日きつい思いをしても一番美味しいところは彼らに取られたままの搾取構造は決して公平とは言えない。

一番良いのは世界中に散らばる被支配層と日本人が団結して現在の支配層をひっくり返す事なんだけど、でもそれを本気でやると日本人はすぐ付け上がって「五国協和」とかやり出すから、これまた世界支配をさせるには足元がおぼつかない。

やっぱり中国人や現在の支配層にそのまま任せておいて、配分交渉の時に「公平に配分しろよ、でないと次に人を幸せにする道具は作らないぞ」と言ってみるか。

写真は山水で出しているデザートの「龍の卵」。ブランデーをかけて火をつけるとキャラメルがきれいに溶けてブランデーの香りとばっちりです。このメニューのせいでもないんだろうけど、最近の山水はいつも満席です。てかどこのレストランもお客が増えてて、おう、いよいよ皆さんお金使い始めたか、本格的な景気回復かなって感じます。



tom_eastwind at 13:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月25日

ANZAC DAY 2010

cca87c68.jpgニュージーランドに限らずだが西洋社会でビジネスをやっていると、今の日本人が個人として国際社会で生き残るのは本当に難しいと感じる毎日である。

その1:
いろんな人がニュージーランドにビジネスプランを持ち込んでくるが、そのうちの約半分は日本国内でしか通用しないビジネスモデル、つまり“大量生産”“大幅割引”“大量購入”“正確迅速な物流”と“生産管理”を前提としており、人口400万人が日本の本土並みの広さの土地に広がっていて失敗を受け入れて適正価格販売しかしない市場に合わないものである。

残りの約半分はモデルは良いのだがここが西洋であるという事を無視して組み立てられている。つまりビジネスとは参加者全員が利益を得られると言う合理的期待があれば全員が動くと思い込んでいるモデルである。

なので実際にきちんとビジネスとして立ち上げが出来て継続出来るプランは、10のうち1くらいなのが現実である。

西洋型ビジネスと言うのは、皆で利益を得ようという発想をしないと言う意味である。自分だけが最後の一人になっていれば良いと考えるのが基本である。とくに米国ではこれは顕著である。

ニュージーランドは西洋社会の中でも珍しく皆が利益を分けようとしているのだけど、それでも最後はやはり「オレかオマエか」的なところはある。

こういうのは経済学やその社会の基礎数字とかを見ても絶対に出てこないし、机の上でビジネスモデルを書いている時にも絶対に感じることはない。そしてビジネスをお互いの看板を背中に背負って看板同士がビジネスをやっている時にもあまり出てこない。

けど、現場に行けば「オレかオマエか」ビジネスが根底に流れているのだ。これは日本で成功すればするほど成功体験に囚われてしまい分からなくなるので、日本で成功した人に説明するのは難しい。

ある意味相手の今までやってきた努力を根っこからぶっ壊してしまう事になるから彼らは受け入れがたいのだ。

同じ西洋諸国でも本当にビジネスを長続きさせようと考える人は「オレもオマエも同期の桜、同じ釜の飯を食っているんだ」と理解しているから相手の利益を考える。欧州大陸や一部英国ではこの感覚が残っている。

けどこれは少数派であり、そうでないのが大多数だって事を理解していないから、日本から来た人は取引相手や市場の「次の動き」の予測に失敗する。

「おいおい、こうくれば相手はこうくるだろう、だからこうなって〜」と、言ってることはきちんと筋が通っているのだけど、肝心の「相手」が「こうこない」んだからどうしようもない。

なんでこういうずれが起きるかって言うと、それは日本人が和魂和才で商売をしようとするからだ。

日本国内では「全員でパイを拡大しよう」の理屈で全く問題ないんだけど、海外でビジネスをやるんだったら和魂洋才でないと通用しない。

つまり自分の基本的な考え方は「皆で儲けて皆で良い社会を作ろう」だけど、それを実行する際には“浪花節”や“言わなくても分かるだろ”的な感情論ではなく西洋型の合理性、すべての企画書に数字を入れてその理由を合理的に説明して駄目だった場合の最大被害とか撤退路の確保だとか、まさに戦争をする時のような緻密な理論が必要なのである。

こうする事で初めて洋才となり西洋型ビジネスマンも自分の取り分が見えるから納得して付いてくる。この「配分」が彼らとの交渉の要点である。

大事なのは絶対に相手に主導権を取らせない事。彼らに主導権を取らせたら彼らは全体の利益の増加よりも目先の自分の利益の極端な増加のみに目標を置いてしまうから、あっと言う間に良い関係がぶっ壊れてしまう。

(いつも書くことだけど、キーウィでも長期視点を持てる人はいるし米国人でもいる。けどここで書いているのはその土台、つまり彼らのOSの話であり、基本の話をしている時に例外を持ってきて“ほら、こんなのもある”なんてのは無意味有害)

全体の利益とか長期的な利益の増大を理解出来る和魂でビジネスモデル全体は日本人が管理してそれぞれのパーツは地元のビジネス参加者に任せて利益を得てもらう、彼らの利害が衝突した場合は日本人が中心となって全員が納得出来る配分を行い、どうしても難しい場合はモデル全体で出てくる余剰利益を不満者に特配して公平を取る。

こういう風に持っていけば話はかなり円滑に進むはずである。現実にそういう事を出来る日本人の数は限られているけど。

その2:

ところが時にはこれが行きすぎて、今度はその反対の事が起こったりする。

外国であまり長いこと商売をしていると日本の感覚がなくなって、いつの間にか目先だけで利益を出して「後は知らん」で結果的に日本人相手のビジネスに年中失敗している奴もいるのだ。

けど本人はいつまで経っても何が悪いか分かってないからずれたままでお客を失っても「あ、ありゃあいつが悪いんだ、おれは悪くない」って思い込んで、また次の獲物を探すようになる。

けど彼や彼女のビジネスモデルは日本的なやり方だからいつまで経ってもローカル市場にも食い込めないでいる。

こうなると洋魂和才で最低となる。短視眼でしかモノを見られず、かと言って西洋的な合理性を持ち合わせずに感情論で商売をしようとする。

こうなるともう周りの意見を聞こうともしないし誰も意見をしなくなるからどんどんずれていって結局は両方の社会のオチこぼれになってしまう。

ここまでいくと、ぱっと見は自律神経失調症みたいな外見になるので、しゃべっているとすぐ分かる。時々眼が飛んだりしているのだ。

だから海外でビジネスをするには和魂和才でも通用しないし洋魂和才だと使い物にならないし、その真ん中、和魂洋才で行く事が求められるのだ。

その3:

ただここで言う和魂とは、戦後の日本の一億総無責任体制の中で最近出てきた魂ではない。

1200年代から小型の船でアジア全体に貿易を広げてシャムにまで日本人村を作った人々のような自分でリスクを取り積極的に前に出て行き失敗を恐れず、海洋国家で明るく開放的でありながら日本人としての責任と誇りを持った人々の魂のことである。

日本ではその昔、士魂商才と言われて武士も商売の才覚を持たねば食っていけないが、武士の魂を忘れてしまっては駄目だと学んだ。

今、日本人が学ぶべきはこれからの国際化に向けてまずは和魂をしっかり思い出して洋才をしっかりと学校で学び、根性と理論で重武装して世界に打ち出していくべきだ。

失敗を恐れて何もせず長いものに巻かれて知らんふりをして子供時代から隣の子供を蹴落とす教育を受けて恋もまともに出来ずに目標も持てずにどっかの会社に入って、生まれた子供にも同じような生活を押し付けて結果的に奴隷のような生活を送っていながら、自分たちは世界で二番目の国家だと思い込まされている、年間3万人が自殺して毎年給料は下がって仕事はきつくなり責任は重くなり休みも取れず狭いマンションを買ってやっと我が家としても帰宅できるのは終電ぎりぎりと言う社会に住むのも結局リスクを取らない生き方を選んだからだ。


その4:本題

話は変わるけど今日4月25日はアンザックデイ。

この日は第一次世界大戦でオーストラリアニュージーランド連合軍(ANZAC)が連合国の一員として祖国から1万キロ以上遠くはなれた欧州の端っこのトルコのガリポリに遠征して、そこで枢軸軍を相手に勝ち目のない戦いを挑んだ日である。

結果的にこの日から約6ヶ月の戦いでニュージーランド軍は8千人以上の死傷者を出して負け戦になったが、その日を今でも両国ではANZAC−DAYと呼んで国家の記念日にしている。

結果的にその戦いには負けたが、100年経った今でも、戦争で命を失った若者の家族は彼らを誇りに思い国家は彼らを今でも最高の兵隊として戦争記念館の石壁にその名前を刻み永遠に讃えている。

人生は一回しかない。No Pain, No Gain, 誰かの為に一時の痛みを覚悟で永遠の何かを得るために戦ってみてはどうだろうか。
ANZ FLAG

tom_eastwind at 13:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2010年04月24日

監視カメラと自由

4c6950f1.jpg今日はオークランドや他の都市で監視カメラ導入法案についての反対でもが行われる予定だ。

元々ニュージーランドと言うお国柄で「人は嘘をつかない」性善説を採用しており、例えばクルマで言えば「スピード違反の取り締まりに道路の端っこに隠れてネズミ捕りをするなんてみっともない!」と怒る国民であった。

一昔前までは、他人が駐車している車をぶつけたりこすったりしたらワイパーに名刺を差し込んで「すみませんごめんなさい、ぶつけちゃった。名刺の住所に連絡下さい」と言うお国柄だった。

しかし時代は変わり、マオリやアイランダーやプアホワイトのガキども“若者=ばかもの”と呼ばれているバカ連中が金曜の夜に酒を飲んで高速道路をすっ飛ばしては死亡事故を起こすようになり、交通事故の90%以上がこのような25歳以下のガキで占められるようになって道路交通法が改正された。

その為まともなオトナが会社の帰りに社交でビールを軽くひっかけて自宅に帰るだけで逮捕される時代になった。一回目の逮捕で半年の免停、二回目で二年、三回目で三振アウト、免許取り消しである。罰金も数十倍に跳ね上がった。

えらい迷惑ではあるが、確かに飲酒運転は危険であるから、これを機会にクルマが凶器だという事を再認識して、「飲んだら飲まない」と言う当然のルールを導入した際はそれほど批判は出なかった。(お前が言うなと言われるが、ぼくは今世紀に入って以来たった一滴のアルコールでも飲酒運転は一切していない)

つまり社会が乱れてくれば秩序を守る為に厳しい取締りが必要になるのは当然の流れである。犯罪に甘いニュージーランドではあるがルールを変えるのも早い。監視カメラを導入して犯罪を未然に防ぐ。当然のことである。

すでに繁華街(そんなもんNZにあるのかとは突っ込まないで欲しいvv)では監視カメラが導入されているしシティでは週末の夜に立ち飲み禁止と言うルールも出来てる。

今回は監視カメラの導入効果があった為に台数を増やしてもっと市民の安全を守ろうって事である。

これに対して反対派は「そんな事したら自由がなくなるじゃんか」とか「政府による覗きじゃねーか、独裁国家になるじゃねーか」と、どこの国でも出てくるような反対理由を挙げている。

ぼくは今回の監視カメラ導入には賛成である。

自由がなくなるなんて以前に、カメラに撮られてまずいような事をするなって事でしょ。

プライバシーがどうのって、政府が本気になったら個人のプライバシーなんてあっと言う間にすべて晒されますよ。

だいいち政府による監視だなんていってもそれをどう制御するかは政府を支える国民の選挙で決められるでしょ、導入しただけで独裁国家になるってのはあまりに短絡的、選挙民がバカな証拠でしかない。

もうちょっと自分に自信を持ってほしいし、この法案のプラス面を理解して欲しい。

断っておくがぼくはむちゃくちゃに自由主義(リベラリスト)であり、自分の生活のどういう点でも少しでも他人に触られるといきなり叩かれた猫のように過激な反動を起こすくらいである。

ただそれでも、てかそれくらい子供の頃から自由について考えねばいけない生活を送ってきたおかげで、今では自由の意味を普通の人よりもかなりよく理解していると思う。

それは「完璧な自由は完璧な管理の下にしか存在しない」と言うことだ。だから今回のカメラ導入は理解出来るし、秩序を守る為にある程度の自由が制限されるのは当然のことだ。

誰にも等しく自由があるとして、それを皆が自分の価値観の視点から「自由な事」をし始めれば社会が分裂してしまう。

だからその社会に参加する大多数が選んだ方向性に合わせた幅の中で「自由な事」をすれば良いのだが、この方向性を決めるのが選挙民であり方向性の管理をするのが政府の仕事であり、それがあるからこそ国民も「あ、これはやっちゃいけない、当然だよな」と思えるようになる。

もし当然と思えなければ政治に参加して選挙で反対票を入れて意思表明をするか、またはその国=社会を出て自分の価値観に合った社会=国に参加するしかない。何故なら誰にでも社会に参加するかどうかを選択する権利があるからだ。

そのどちらもせずに単純に社会秩序を壊すような「ガキの遊び」をするようなら、それはちっちゃな内に芽を摘まねばならない。それが「管理」である。社会に参加するにはそれなりの費用を負担しないといけないのだ。

今のニュージーランドはあまりに性善説が行き過ぎてしまい、真面目に生きてる大人が「ガキの遊び」に付き合わされて振り回されていると多くの人が感じ始めた、それが今回の法案導入の根幹にあるのだ。

駐車場のクルマの窓ガラスを割って中のものをかっぱらっても初犯なら無罪だし、だいいち警察が調べもしない。空き巣なんて犯罪とも思われていない。

今までは「まあガキのする事だから」と見逃してたけど、これからはそうはいかないよ、厳しく対処するよって政府の宣言であると考えればよい。

写真はオークランド郊外でバイクを楽しむツーリスト。こちらには日本のような暴走族はいません。バイクに乗るのは純粋に風を切るのが好きな人たちです。


tom_eastwind at 16:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース

2010年04月23日

人作りなくして改革なし?

人作りなくして改革なし

それにしても昨日に引き続きだけど、こんなのが記事になるようじゃ、日本社会がやばいのかこの程度の内容を記事にしてしまう日経ビジネス記者の能力がやばいのか、遠くはなれた海外にいる僕には判別がつかないが、どっちか又は両方がやばいのは間違いない。

これは日経ビジネス4月12日号の「実践の奥義」と言う記事。

富士ゼロックス流構造改革という副題が付いてるんだからよっぽど立派なことをやったんだろう、ふむふむナンだろうと読み進んでいくと・・・・

今の社員は「指示待ち型」で自分で考える事が出来ないから、「問題解決型」の自分で考える事の出来る社員を育てたいぃぃぃぃ?????

そんな事を超一流企業の社長が自ら実践して、それが奥義といってんのか?

本気か〜〜〜〜〜!

記事にしたのもバカなら記事にされたのもバカ、見事なバカコンビに思わず途中まで記事を“ふんふん”と読まされて、こっちまでバカになったバカクアルテットになるとこだったぜ〜、ふゅー。

何がバカかって言うと、元々そういう指示待ちしか出来ない社員を雇うってその会社の人事部、一体何をやっているのかって事。

ところが同じ号では就職戦線は大氷河期だってえのに、一流企業に入るのは超難関、採用する側も長い時間をかけて優秀な社員を選抜していると言う。

これ、矛盾ではないのか?優秀ってのは自分で問題解決出来る人のことでしょ。

つまりこの記事が示すのは、日本の学生は非常に優秀であっても問題解決能力はゼロに近いわけで、ではそれ以下の優秀ではない普通の学生はそれ以下か?ってことになる。つまり日本の学校教育は社会人として全く役立たない人を育成しているということになる。

てか、一番情けないのは、ああ、そりゃそうだ、こんな人材しかいないんだったらこれから日本が一体どうやって国際化出来るのか?どうやって海外で戦って生き抜けるのかって事。

会社は即戦力を求めているのに送り出すほうは社会に役に立たないガキを送り出し、会社が高いお金を払って教育を与える?それだったら学校で教えてくださいって事でしょ。

ニュージーランドだけではなく香港でも、子供たちは生まれた時から問題解決能力を身に付けている。そうしなければ生きていけないからだ。ちっちゃな赤ちゃんがお母さんのおっぱいを探すのも生き残る為の能力であり問題解決能力と同義語である。

そしてニュージーランドでは小学校からこの「問題解決能力」を更に引き伸ばす為の教育を受ける。

生きていく為には呼吸が必要だし食事が必要だし運動が必要だし働く事が必要だ。そういう当然の事を実行する為の基本的な感情である「生きていく」と言う活力を教え込む。

だから算数も国語も弱いけど生き残るって意味では実に強いのがキーウィだし香港人だ。(ちなみに香港人は算数も国語も無茶苦茶強い)

そういう当たり前の「生きる技術」を子供の頃から学んでいる彼らと、22歳になって社会人になってから初めて「問題解決能力」を会社に教えてもらうガキが喧嘩するとどうなるのか?

日本人が海外に出て通用しない大きな理由の一つは、やはり日本における学校教育のあり方である。

日本ではガキが意味のない勉強をして、例えば1192年に鎌倉幕府が出来たって学ぶ事を暗記するだけである。ところがそれが最近は「おい、あれってどうも1192じゃねえよな」なんてなると、今まで学んだ事は全く意味を成さなくなる。

だから大事なのは、何故この時期に彼ら武士が荘園制度のボディーガードから政権の中枢を握るようになったのか、そのシステム変化を学ぶべきであり、その外見、つまり誰がとかいつかとか、そんなのはどうでも良いのだ。

そんな事はコンピューターに覚えこませ、必要に応じてデータとして取り出せばよい。そんな数字をたくさん知ってるからって社会の実戦では全く役に立たない。

だからこの富士ゼロックスのように、役立たずのガキをゼロから教えていく必要があるのだ。これって恥ずかしい話でしょ。

これで「人作りなくして改革なし」なんて、そんなのは汲み取り式便所に落ちた子供を頑張って救いましたって程度の話であり、どうやって便所に落ちないかを教えていればそんな無駄な改革なんて必要ないでしょ。

社員に自ら考える事を徹底しただって?じゃあ今まで社員は自ら考える事をしなかったのか?あふぉちゃう?

まったく、これでいながら就職氷河期とか言ってるし、一体日本の教育システムはどこまでぶっ壊れているのか、情けなくなる。

こういうよわっちい連中が海外に出ても全く使い物にならないのだけは保証してあげよう。これならうちで働いているスタッフのほうが100倍優秀である。

一流企業に就職した若者と彼らを採用した人事担当者にいっぺん言っておきたい、死んでおけって。生まれ変わって学ぶつもりがあれば、海外に武者修行にでてみればいかに自分が弱いか分かるぞ。看板で働くのではなく個人の力を身に付けないと、21世紀は確実に沈没しますよ。


tom_eastwind at 18:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月22日

障害者

「障害に関係なく社員を活かすのが人事の鉄則だ」

なんてタイトルの日経ビジネスネット記事を読む。マイクロソフトが障害者を活用してる内容だけど、最初にタイトルを見た瞬間から非常に変な感じを受けたのは僕だけか。

障害をどういう基準で設定しているのか分からんが、少なくとも人間は人間である限り全員何らかの障害者である。普通の人にはどうもこの認識がないようだ。

一般的に「まとも」と呼ばれる人は自分が障害者ではないと思い込んでる。まあ精神的な話を書くとややこしいので簡単な例でいこう。

うちの会社はオークランドにあり取引先は日中韓NZでスタッフの多くは日本人である。

お客様の送迎や移住視察ツアーとかでスタッフが社用車を運転して案内する事がある。そういう時に運転免許を持ってないスタッフや免許はあるけど運転の出来ないスタッフがいれば、運転手からすれば彼らは役に立たない障害者である。

仕事柄当然英語を駆使しないといけないけど、中には英語が上手じゃないスタッフもいる。こういうのは外部で交渉をする時などは通訳をつけねばならない。これはもう経費が二倍かかるわけで会社からすれば「英語も出来ない役立たず」となる。

もっと言えば、相手が中国人や韓国人の場合は当社の中国人スタッフや韓国人スタッフが間に入ってもらわないと話が通じない時がある。そんな時、当社の中国人スタッフからすれば「余計な仕事だな〜、なんでこの人、中国語くらい出来ないのか、使えねーな」となる。

そう、中国人と中国語で取引が出来ない時はこちらの方が「言語障害者」なのである。

そんなの、何もかも出来なくちゃいけないなんて、そんなの出来るわけないでしょて返事が戻ってきそうだ。

最低5ヶ国語(英語、日本語、韓国語、北京語、広東語)が出来て車の運転が上手で経理も出来てパソコンも自分でソフト組めるほどばりばり使えて周囲と調和出来て営業もうまく顧客に評判もよくて売上も自分で作り出せて・・・etcetc、なんて人、あまりいませんぜ。

第一それで離婚暦なくてノーマルセックスしかしなくて彼女彼氏は一人だけで、な〜んて、あるわけねーじゃん。

それでも、英語が苦手でもクルマの運転は上手だったり、中国語が出来なくても経理が上手で誰よりも早く経理処理が出来たり、要するに自分が苦手な部分は他人に助けてもらってるがその代わり自分の得意な部分では他人を助けてる。

人は誰でも問題を抱えて悩んでるし出来ないこともたくさんある、けどそれは障害ではなく「個性」と呼ぶ。

いやいや、マイクロソフトが言ってるのは障害者手帳を持つような人の事ですよ、なんていわれたら速攻で言い返したい。

「あ、そう、けどオークランドで経営してるたくさんの日本人を知ってるが、あいつらの殆どが目が見えてないぞ。だいいち足が動かない経営者だって山積みだ」

何を言われても聞こうともしない、その道行けば危ないって分かってるのに何も見ずにばかみたいにまっすぐ歩いてどつぼにはまる奴。

彼らはたまたま障害者手帳を持ってないだけの障害者である。手足があって目があるのに動けない見えないなんて、肉体障害者以下かもしれない。

要するに肉体的障害なんてのは実は大した事ではなく、それよりも大事なのが「生きていこうとする精神」であるって事なのだ。

そんな障害者ばかりのうちの会社でも回るってのは、お互いに自分の得意な分野を会社と言う一つの場に提供して、その代わりに自分の苦手とする運転や語学を助けてもらってる、つまり簡単に言えば適材適所で分業化が出来ているからだ。

なのでマイクロソフトのやってる事が何だか特別にすごいみたいな書き方をされると、どうもこいつら本当の意味での世の中の構造を分かっているのかと聞きたい。

究極を突き詰めれば、僕は男性であるから(おそらくゲンダイカガクにおいては)絶対に子供を産むことが出来ない。ほら、これだけで女性からすれば「何よ、子供も産めない障害者じゃないのよ」となる。

だから、誰かが誰かを差別したい時に使うのが「障害者」と言う言葉であり、実はそんな言葉を使う人間が「わたしは障害者のために頑張っているんですう」みたいな美名の下で実は相手を差別して自己満足しているだけってのがよく見かける構図。

まあこんな事でいちいち文句を言ってもしょうがないけど、実際に世間はすべて障害者が集まって作られているのは事実であり、だからこそ人間は集まってお互いに助け合って生きているのだ。

大事なのは本人の適正を見極めてその部分で社会に貢献してもらうことでありそれで社会を構成する一員として「大したもんだ!」と言うことになる。障害は個性なのだ。一番駄目なのはそういう社会にただ乗りして、やれるのに何もしないやつらですね。


tom_eastwind at 13:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月21日

日本語辞書によると

日本語辞書によると、遺産相続=亡くなった個人が持つ資産を国が受け取る事(もちろん国は無税)

なんて時代がいよいよ来た。

民主党がこの政策daisukiなのは、やっぱり社会主義がその前提にあるからだろう。

野田民主党議員も「出来れば個人資産を国が搾取するような事はしたくないが、他に税金を取れるところがないんだよね」と日経ビジネスのインタビューで答えてた。

偶然だけど週刊東洋経済と日経ビジネスが同時に相続問題を取り上げてたのは、どっちか一つが出したら政府に叩かれるのを警戒して、せーの、どん!で出したのだろう。

戦後の日本で一生懸命働いて資産を築き上げてきた60歳以上の人々が持つ資産が約900兆円。これがこれから20年かけて次の世代に引継ぎされるわけだが、政府からすれば「目の前にぶら下がる美味しい獲物」である。

今までは相続財産の5千万円までは無税だったし、相続人一人につき1千万円も非課税枠だった。そして相続税最高税率は50%!だった。(実は、これだけであり得ん!なのだ、NZでは無税である)

これをまず基礎控除の5千万円を減額して相続人枠も取っ払って、相続税率自体も70%くらいまで上昇させる積りだから、ほとんど丸はがしである。

個人の財産権に対して政府が堂々と喧嘩を売って巻き上げて行くと言う、まさに共産主義国家時代の中国でやってたような事がこれから日本で行われるのだ。

なにせこのような資産家は全人口の5%程度しかいないので政治的には非常に弱い。残り95%の普通の人々からすれば、「この金持ち野郎!今まで稼いだ金を吐き出しやがれ!」と言う話になり、選挙対策としても充分格好がつく。

週刊誌が何を書こうとも日刊紙を押さえ込んで政府の味方につければ、あとはもうひたすら相続税の増税である。

さあ、いよいよ来ましたぜ、相続の大航海時代。今までの日本では護送船団方式で誰もがオチこぼれせずに、政府の方向性だけを見て同じ道を行けばよかった。

けどこれからは確実に、政府の言う方向に向えば自分のお金は全て巻き上げられる。

そうなると、このまま日本港にいても財産は没収、かと言って日本政府の許認可を貰った金融商品を買っても結局は相続税で没収。

残った道は自分で大海原に出て自分で羅針盤を見ながら今だ見えぬ新しい島に向けて進んでいくしかない。選ぶのは自分。

さあ、闇夜の海へようこそ、井上陽水みたいに闇夜の国にあなたの船を漕ぎ出しましょう。


tom_eastwind at 11:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月20日

早寝早起き

今週からは純粋に仕事が忙しいので又も夜10時前就寝プランの導入。

これは実に効果的でここ数ヶ月実に重宝している。

これを思いついたのはサトナオブログで佐藤さんが一緒に酒飲んだ相手がどっかの学校の先生で、この先生が宴席の盛り上がってる最中の10時前に突然「じゃあ帰りますね、皆さんごゆっくり!」と爽やかに帰っていった場面を見たからだ。

彼は自分の脳みその最高率的活用をする為には10時就寝が最も良いと考えており、それを宴席で実行しただけなのだ。

だけど普通なら「おいおい、しらけるz」となるところだし、実際にサトナオさんとしては少し?だったみたいだが、ぼくから見ればなんちゃらメソッドを作って田舎の小学校だかの学力をぐーんと伸ばした「実績のある人」がやっている事だったので、よっしゃオレもやってみようと夜早く寝ることをやってみたわけだ。

するとこれが実に効果的!翌朝起きた時の脳みそは、まさに一点の曇りもない青空!すべてが見渡せる状態になる。何でもよく見えるし気持ちよい。

特にこれがぼくにとって良いのは夜にあんまり考え事をし過ぎない点だ。

余計な事をあーでもないこーでもないと考えずに、無理にでも自分の体を10時前にベッドに押し込めば翌朝の爽快感は、まさに、おおそうかい!(冗談にしてもおやじですね)

実は読みたい本もたくさんあるけど、考えたい事もたくさんあるけど、早寝モード時はあえて読まないし考えない。

10時過ぎも本を読みながらお酒を飲むってのは実に竹林の七厘、じゃなかった七賢みたいに贅沢だけど、現場で仕事をしているとそんな贅沢をしてはいけない。

ぼくにとっての優先順位は仕事が一番である。(あえて家族と言わない理由があるのでが後述)

ぼくしか出来ないことを通じて会社を運営する、その結果としてお客様が幸せになりお金を払ってもらい、そのお金でスタッフや関係者全体がやりがいとか給料とか勉強と言う点で更に幸せになる。

そして僕には出来ない税金の再配分と言う仕組みを、僕の会社が政府にPAYE(源泉徴収)やGST(消費税)を払うことで毎月何百万円かの税金が納入され、それが政府の再配分によってお金を必要とする人々に回っているのだ。

そして再配分の恩恵を蒙るのがうちの二人の可愛い子供であり奥さんであり、ぼくの家族全体が治安、医療、教育という面で安心していける点がこの国の一番良い点なのだ。

そう考えると付加価値を創造していく経営者の立場ってのは結構重いわけである。しかしこれで適正適所を考えて僕自身が

ヽ惺擦寮萓犬砲覆襪茲
共産党幹部になるより
1ν磴砲覆襪茲
ぅ汽薀蝓璽僉璽愁鵑砲覆襪茲

たぶん今の仕事が一番合っているのだし社会貢献出来るのだと思う。

だからこそ一年前のようなライフスタイル、つまり夜遅くまで本を読み、面白ければついつい夜更かしをしてお酒も飲んでるし翌朝は寝不足になるから結果的に頭が働かずに効率が下がるというONとOFFの区別がないのは僕的によくないのだ。

もちろんそういう生活が得意な人もいるだろう。作家やモノ作りをする人はONもOFFもないほうがいいのかもしれない。

けどぼくの仕事の内容からすればそうではないってだけの事。

もちろんその代わり、今日は休みと決めた日は朝6時からでも好きな本を開いてずっと読むし、翌日は仕事がないって夜は遅くまでゆっくりと古典を読みたい。

結局こういうONとOFFの切り替えさえ出来れば、かなり人間の効率は上がると実感している今日この頃である。

陰山先生、ありがとであると言わねば失礼に当たりますね。

珍しくガッコのセンセにモノを教えてもらいました。という事で今日も10時前には寝ます。

ちなみに陰山先生のほんちゃんの方のメソッドが良いかどうかは、やった事がないのでそのうち時間が出来たら考えて見ます。


tom_eastwind at 19:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)NZの不動産および起業 

2010年04月19日

東京で見るエゴとエコ 不動産編

エコビジネス、今回は東京の不動産での話。

日本人がエコと言いながら世間全体ではものすごい資源の乱用をしているのは良く分かる。

例えば東京では家具の問題。東京で家庭を持っている人たちはあまり関係ないかもしれないが、学生のように短期で引越しをする子からすればアパートに入居するときには新しい家具が必要となる。

何故なら日本では家具つきのアパートが殆ど存在しないからだ。

この理由の大きなものは、日本人が感情的に「人様の触ったものは触れません」と言う新品思考がある。

ところが単身の学生やサラリーパーソンが使うものなど人によって大きな違いがあるわけではない。机に椅子にシングルベッド、それにキッチン用品である。

ならばこれを綺麗にして備え付けた状態で用意すれば新しく入る人は新しく家具を買う必要もない。

ところが現状では家具付きで貸し出しをしても日本人が借りてくれる可能性は少ない。単なる感情に基づいた非合理的なエゴなのだけど、こんな人間でも他の場面では目先でエコエコなんて真面目な顔で言ってるのを聞くと笑うしかない。

こういう人たちの為にレンタル家具ビジネスや不用品家具引取りビジネスが都内では盛んであるのは良いことだ。

問題はこういうアイデアビジネスでさえも日本ではいちいち「お上の免許」を取らないとやっていけないと言う点だろう。

こういうビジネスってのは目先の利く人間がやるわけで、そのような人間は大概において「お上」の事など発想にない。だいいちそういう「縛りつけ」がやる気をなくさせるのだ。

これをニュージーランドのように事後規制型で対応すればこのようなビジネスなど事前許可が全く不要になるので非常に簡単に起業出来るようになる。

ただこれが出来ない一番の理由は、英国型社会は自己責任を徹底的に理解して成長しているが日本では自己無責任甘やかしで育っているから、いきなりそのような社会に制度を変更しても国民がついていけないって理由があるのだろう。

もう一つの不合理は一人が一つのアパートを占拠してしまう状態だろう。つまりニュージーランドのようなフラットシェアと言う発想がないから、都内のアパートの利用方法が非常にムダになっている点だ。

これも合理的に考えれば、3人の若者に玄関3つは不要だし3部屋あるアパートならゆったりと過ごせる。それでいて家賃が安ければ誰でも入りやすい。

こういう、東京に住む外国人にとっては当然のような習慣もやはり日本人には根付かない。

「知らない他人と一つ屋根の下にいるなんて!」などと怒る田舎のお母さんの顔が目に浮かぶようだが東京に住む外国人はヒラガナタイムスなどで情報交換をしながら積極的にルームシェアをしている。

ところがこれもお母さんの感情論だけでなく日本が戦時中に作った借家法という法律に縛られてなかなか制度として広げる事が出来ない。

多くの日本人が合理的な発想ではなく「きれい汚い」や「人様と!」なんて感情論で行動しているのは事実であり、その結果として社会全体にたくさんの不合理が生まれているのは事実である。

世の中にはあちこちに資源を無駄使いしている部分がある。そういう構造的なムダは「あれはいいのよ」と放置しておいて、ちっちゃな料理器具のちっちゃな節電で自分はエコした気分に浸っているだけはやめてほしいものだ。


tom_eastwind at 07:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月18日

コレステロールの悲劇

c4f2545c.jpg「わ、わたしは悪くないのよ〜、悪いのはあの人よ〜!」

長いこと人生を生きてれば、何度かこんなせりふに出くわす事もあるだろう。

自分が悪くないのに周囲から「お前が悪い!」と言われて冤罪。

一時期の卵なんてまさにそうだった。

「卵はコレステロールの摂り過ぎで血液がどろどろになって血管に油が詰まってコブが出来てそれが血液を止めてしまって、最後には血管が破裂するか脳みそに血が回らなくなって死ぬのよ〜!」なんてね。

心臓発作で死ぬとかになるから控えなさいと言われた時代には、あるアフォは「だったらわしゃぽっくりいきたいから卵たくさん食べよ」なんてのもいた。

当時コレステロールは体に悪いと言われ、血栓が詰まって動脈硬化を起こすとかすっかり悪者扱い。

ところが最近の医学研究ではコレステロールの5分の4は人間の体が自然に作り出すものであり、それ自体が良いとか悪いとかではないってのが主流だそうだ。

つまり今の時代においては卵を適量(一日一個とか)食べるのは栄養学的に見ても問題ないし、二個食べたとしてもその分体内の肝臓がコレステロールを作る量を減らすので問題ないんだってさ。

なんじゃそりゃ?である。ちょっと待てよ、主流ってナンだ?医学だろう?医学って普遍的なものじゃないのか?

血が出れば止血する。放置すると死ぬ。だから医療行為として止血する。

こういう当然の事の延長線上に、コレステロールは体に悪いと言われて、だから食べ物をどうのこうの健康がどうのこうのという医者の御託を信じてた人類がどれだけ無駄な時間を費やしたことか。

ところが今になってみれば「あ、それさ、医学が進歩したから卵食べていいよ」なんて軽く言うんじゃねえよ、ぼけ医者!

「医学の進歩」って証文さえ見せればお前らがどんなミスをしても何でもありなのか?

じゃあ卵が悪いって言われた時代にばかみたいにその教えを守って卵を食べなかった奴ってのは、ほんとにばかじゃんか。

一体今の医学がやってる事と、どっかの狐憑き宗教団体が信者の子供の体をぶっ叩いて「とりついた狐を払うのじゃ!」とやった挙句に殺すのと、どこが違うのだ?

一番の違いは、宗教団体の呪い婆は人を殺す免許を持ってないが、大学を出て医師免許を貰った人間は人を殺す権利があるという点だろう。

正確に言えば、人を殺しても罰せられないのが医師であり人を殺したら罰せられるのが民間治療とも言える。

けど、そのやってることにどれだけの違いがあるのか?

自分が健康を考えるようになり検査を受け始めるとどうしても気になるから自閉症君としてついつい休みの日などにまとめて検索してみる。

すると出て来る出てくる、医療過誤から始まって症状に対する考え方の違い、医師の能力、病院の受け入れ体制、そして医療業界全体で構築された旧体制。

こりゃもう、戦後初期に山の中の水力発電ダム工事のために「タコ部屋」に放り込まれた人夫もびっくりなくらいご無理ごもっとも、なんて旧体制な組織であることが分かる。

医者って、ほんとに無駄なことを何年もかかって勉強して最高学府を出て更に現場(大学病院とか)で意味のない徒弟制度を何年も繰り返して、けどその先に「独立開業」とか「医学部教授」の道がちらりと見えてるから、その道に向って走るのだろう。

けどさ、それって戦後のサラリーマンがやってた大量入社で社長と言うたった一つしかない席を巡って競争してた民間組織と何も変わらないし、ましてや奥深い山中の水力発電ダムのタコ部屋に放り込まれてその中で生存競争を戦った人夫と殆ど変わるところはないぜ。

要するに自分の寄って立つところがいつもふらふらしている状態でいながらも、組織の中で生きているという安心感が自分を守ってくれて、おまけに世間からは「センセー!」と言われて喜んでる。

「せんせーと 言われるほどに ばかでなし」と言う言葉もあるくらいで、呼ばれて喜んだらばかだし、かと言って呼ばれなくなったら寂しいわけだからどうしようもない行き止まりである。

そんな連中がコレステロールがどうの、なんちゃら菌がどうの、いい加減にせいっちゅうに。

君らは人間が持っている全体調和と言うことをどこまで理解しているのか?人間が持つ自己免疫機能の素晴らしさを知っているのか?ニンゲンンが自律する調整機能をどこまで分かっているのか?

そういう全体の事を分かろうとせずに目先のつぎはぎだけやってるから何時まで経っても世の中の事が分からずに、「悪いのは世の中だ〜」くらいの事を言い出す。

普通に人間やってれば、精神力の強さって分かるでしょ?火事場のバカ力なんて言葉もあるし、精神力の強さが人間の生存期間に大きな影響を与えるのも水難事故の後の漂流記録を見ればよく分かる。

要するに人間は肉体だけで生きているのではないのだ。むしろ精神力とか気合の方が人間を健康にして生かすための要素としてはずっと大きいのだ。

人間の体がロボットと同じであれば部品が壊れたりする寿命は誰でも同じはず。それなのに同じ環境で生活しているのに人によって寿命が違うのはまさに精神力のなす業である。

ならば医者が真っ先に勉強すべきは人間の持つ治癒力の根源にある精神力ではないか?症状そのものを顕微鏡で調べるのも大事だけど、それだけしか信用しない、それだけしか主流と認めないってのなら、そらもう狐憑き宗教と同じレベルだぜ。

中には実にたちの悪いセンセーもいるわけで、こういう全体世界に話を持っていくと「世の中にはまだまだ医学では実証出来ないことが〜」と偉そうに厭世的な顔で言うが、言うな!っちゅうに。お前らそれで金を貰ってるプロだろうがよ。知らんなら知らんといえ。

プロのくせに何を逃げているのだ。分からんならはっきりそういえよ、わたしバカですって。

普遍的なことを真実と言うわけであり、人間の体がそんなしょっちゅう変わることがない以上(例えば手が3本になるとか胃袋が犬歯になるとか)、「医学の進歩」のたびに問題点が変更されたり予防方法が変化するのはおかしな話である。なんて事を考える日曜日。


tom_eastwind at 16:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月17日

のがみと言う媒体

82879ae7.jpgのがみなんて言っても今時の人には理解出来ないと思うが、「上野(うえの」」の別名である。てか隠語。

上と野をひっくり返して読み替えるんだけど、戦後の東京では一時期よく使われていた言葉だ。

他にも今時の人でも想像出来る言葉で言うと「ジュク」と「ブクロ」がある。

どうも日本語の発音でいくと3文字が丁度ゴロが良いのだろうか、アキハバラがアキバになったりするのもそうで、だから渋谷はブヤにならないしビットバレーでもない、シブヤのままだ。

だったらニホンバシはポンバシかって言うとこれは4文字だからゴロが悪い。ニホンってやってしまうと完璧に意味不明なのだがンバシだと発音しずらい。

だからいいや、あれはニホンとハシだし歴史のある街だからそのままニホンバシでいいやってことなのかな。

英語の場合でも略して3文字にすることが多い。僕の働いているシティはCBDとかかれることが多い。これはCentral Business District の略称である。

JFKだったらアメリカの大統領だし(ちょっと違うか?)、FYIだとFor Your Informationだし、AKAなんてのは普通に日本人してたら見かけないだろうけど、これはAs Known As = 別名と言う意味になる。最近よく使うのはPOAだけど、Power Of Attorney なんてのもある。

3文字しかないから間違いやすかったりもするのだけど、ある小説で「お前、IMFって知ってるか?」と聴かれた主人公が「ああ、知ってるさ、International Monetary Fund だろう」って答えると、男はふっと笑って「違うよ、International Mustard Federation さ」って答える場面。

年を取ると頑固になるってのか、原語の発音を大事にしようよって話がよく出る。年の近い連中としゃべっていると「日本語を大事にしようよ」って言うのは分かる。

けど、この「ノガミ」って隠語が出来たのは今から60年くらい前である。古い日本語だよね。てか、おやじさん、あんたらも充分「でたらめな日本語」を使ってるよね。

普通に「ラ」抜き言葉を使ったり、江戸弁使ったり、要するにその時代に応じて使いやすい言葉を「発明」しているわけなんだけど、それが「賢い人々」には自分たちが学んだ言葉が使われなくなることによって既得権益が減少するから「日本語を大事にしようよ」って言ってるんじゃないかい?

結局ここでも「既得権益」に乗っかった連中が「既得権益」を守るのみで何も新しいものを作ろうとしない、そんな状況があるんではないか?

僕自身は出来るだけ今の日本語を大事にしたい、けど、うちの娘19歳いわく「シブヤ語、全くわかんない」ってのも分かるし、けどそれを使っている人たちもきちんとそれなりの理由があるんだと思う。

結局ぼくが日本語に拘るようにシブヤで生きてる彼らもシブヤ語に拘っているんだと思う。結局言葉って自分と文化の原点だからと思う。

日本で生きてると、日本って本当にでっかい国でありながら日本語だけで生きていけるからなかなかそういう「言語」を感じることはないと皆が思っているが、あれは結構大きな勘違い。

だから英語出来ますってだけで田舎なんかに行くと結構“ほ^!”って言われるし、ましてや広東語をしゃべり始めると“”ありえん!“みたいな顔をされるんだけど、けどさ、日本国内でも鹿児島の人と津軽の人が本気でしゃべったらお互いに通じないぜ。

だからぼくはよく冗談で「ぼく、4ヶ国語話せます」と言う。すると皆さん当然「え?何語が出来るんですか?」となる。そこで「えっと、日本語と英語と広東語と博多語です」と言うことにしている。

しょせん言葉なんてそんなもん、いくつの言葉を使えるかなんて殆どナンの意味もない。それよりもその言葉って言う“媒体”を使って何をしゃべるか、相手に何を伝えるかのほうが思いっきり大事である。

英語が話せない!なんて言ってる人に一つだけ助言をするとすれば、まずは日本語を覚えましょうってことだ。

キーウィ同士で放している事が聞き取れないって、そりゃそうだ、だって彼らは今キリスト教の話をしている。しかしあなたは自分の所属する宗教さえ明確でない状態であり、だから自分の頭の中にキリスト教の知識どころか仏教の知識さえないから、まずは仏教における日本語を知ることがない。

日本語を知らないから必然的にそれに相対するキリスト教の英語を覚えることもない。だから目の前でキーウィが話してる内容が理解出来ない、それが英語が分からないってことにすり替えているだけ。

多くの媒体を持って表現方法を広げるのは大事だけど、表現したい事自体が乏しければ、こりゃまずいでっせ。


tom_eastwind at 15:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月16日

捨てられ女の処方箋

[『捨てられ女の処方せん』著者インタビュー]

うえみ 「浮気をするなら、その事実を墓場までもっていく覚悟と度量が必要だ」って、まずは多くの男性に言いたいですね。するなら、もう徹底的に隠せ! まぁ、バレますけどね(笑)。女の子に言いたいのは、結婚相手とは一生恋愛状態ではいられないってこと。恋人から同志になり戦友になっていく感じですね。それが最終的には家族や夫婦って呼ばれるものになるんじゃないかと思っています。

これはウケタ。まさにそうなんだから笑うしかないけど、その笑いも乾いているからコワイ。大体において世間一般プラスぼくのようなバカ男がいつまで経ってもバカなのは、こういう世間の知識をきっちり学校時代に学ばなかった事にあるのではないかと思う。

学校で微分積分学んで良い大学出ても嫁に刺し殺されて体バラバラにされたらそれで終わりでしょ。楽しい人生を送るコツってのは、一生の伴侶である奥さんの気持ちを理解して子供の気持ちを理解して彼らと仲良くやっていく方法を覚えるってことだと思う。

やっぱり学校教育のあり方は根本から見直す必要あり‘(笑)ですね。


捨てられ女の処方せん捨てられ女の処方せん
著者:うえみ あゆみ
販売元:ワニブックス
発売日:2010-02-27
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カマかけたらクロでしたカマかけたらクロでした
著者:うえみあゆみ
販売元:メディアファクトリー
発売日:2008-10-29
おすすめ度:4.0
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tom_eastwind at 15:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)最近読んだ本  

2010年04月15日

Law abiding Citizen

08ea4da3.jpg強盗に家族を殺された父親は法の不備といき過ぎた公民権に正面から戦いを挑む、犯罪者となって。

この映画を観てどの位の数の日本人が反応するか分からないが、僕は間違いなく彼と同じ行動をとるだろう。

なぜなら契約を破ったのは政府であり体制だから。規則を提示されてこれを守ってくれれば安全ですといいながら、いざ事件が起こるとごめんなさいかいも言わない体制に何を期待しろと言うのだ。法律を作る立場なら責任を取れと言いたい。

あなたが契約を破ったのだからこちら側もこれ以上契約は守りません、これは普通に「あり」でしょ。ある意味、あだ討ちとか復讐が合法であった昔の方が社会に参加している人々の心情からすれば納得しやすいのではないか?と本気で思う。

僕がどうしても分からないのは家族を殺されたら(交通事故はべつにして加害者に殺意がある場合)残った家族は殺人者を殺す権利がありこれを司法が独占する権利はないと思うのに、多くの人々は今だ政府や法律が正しく稼働していると思い込んでいることだ。

これについては様々な意見があるだろうけど、復讐と言う行為が合法化されていた時代があり、それが過去だから古い、間違いなんて考えるよりも自分の心に手を当てて直感で考えて欲しい。むしろその方が正しい答えなのかもしれない。


tom_eastwind at 17:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)最近観た映画 

2010年04月14日

生命保険

8e4b8c87.jpg今回の出張では日本の帰路に香港で保険会社と生命保険の打ち合わせをする。

最近の日経ビジネスや週刊東洋経済でも特集になっているけど、これからの日本で大きな問題になるのは相続だ。

じぶんとこはお金少ないから関係ないなんて思ってても、普通の人なら何もしなくても自分のポケットに入る、目の前にぶら下がっている現金を欲しくないなんて思う人は少ない。

だから相続をきちんとするってのはすんごい合理的な考え方であり、その意味では戦前の日本は長男がすべて相続するって考え方だから相続の割合でもめることはなかった。

けど戦後の日本では民主主義が中途半端に導入されて、けど古い人や民主主義の都合の良い点だけ取って自己責任を取らない人が相続制度を悪用、てか、本来の目的以外に利用する事でたくさんの相続問題が発生したのも事実。

今回の相続問題についての方法をいろいろと考えてみると、相続税が50%と言う日本でそのまま生命保険に入っても国の一人勝ちであるから、香港で加入する手法を考えてみる。

香港でも最近は保険のルールが厳しくなり、以前なら加入できた大手でも現在は「だ〜め」となっている。相続対策の為に保険を使うのは難しくなっているのが世界の流れかもしれない。

結果的には相続対策に利用出来る保険会社があり、これで税率を大幅に下げる事も出来たのでばっちり。

税金の考え方にはいろんな側面がある。もちろん皆がお金を出し合ってお互いの為にそれをうまく使う原資となるのが税金だが、現在のように特定の層の特定の人々だけが儲かるような日本の税制ではまともに税金を払う価値がないのが事実である。

相続税を現在の50%から70%に上げるという話が出ているが、自分が一代で資産を築いた人からすれば“ふざけんな!”であろう。

その“ふざけんな!”と言う意味は、納税したくないってのでは全然ない。自分が作ったお金を世間に戻して世の中が良くなるんなら喜んでお支払いしましょう、しかし現在の政治のように一部の人間だけが儲かって貧しい人の生活に何の利益にもならないような使われ方なら、絶対に出しませんってことだ。

これはぼくがお付き合いしている殆ど全てのお客様に通じているが、皆さんこの社会を思いっきり苦労して戦い抜いてきた。その結果として残ったトロフィーを、今まで苦労した事もない人間の財産を増やす為に税金として支払うとか、ましてや受け取る側の政府がアンポンタンだったら、誰が払いたいと思うか?

それよりは税制を思いっきり変更すれば問題は解決する。例えば消費税が分かり易い例であり、これは誰がいくら相続したかに関係なく、誰かがお金を使えば自動的に課税されるのだから分かり易い。

つまり1億円の相続を受け取ってもその時点では税金ゼロ。けどそのお金でご飯を食べれば課税、クルマを買っても課税、映画を見に行っても課税、なんだけど課税されてるほうからすれば消費している時点で12.5%の税金を獲られていてもそれは内税だからあんまり気にならない。

ところがこれを最初の相続の時点で課税しようとするから誰もが「カチン」ときてしまい、上に政策あれば下に対策ありになるのだ。

相続税のような政治的にムダなことは止めて他の税金を考えて、さらに政府が国民にとって税金を払うに値する組織になってくれれば良いのだが、現状はそうではない。だからぼくの仕事の一つとして節税対策を検討していくことになる。

どっちかって言うとこういう「今あるお金を守る」ビジネスよりもこれからどんどん付加価値を増やして社会に貢献する移住の方がぼくの好きな仕事なんだけど、そうは言っても目の前で50%の無意味な税金を払っている人を見るとこれはやっぱり
“今の日本の税制の中で”
“日本政府が立派であり税金が公正に使われている”
と思ってる人以外の中でなんとかしたいと思っている人の為の対策もあるべきだと思う今日。

と言うことで香港。あいも変わらず刺激的な街です。


tom_eastwind at 17:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月13日

オークランドに戻っても

よくも悪くもオークランドは田舎である。静かに過ごせて楽しいけど、都会のような刺激もない。

都会は刺激がある代わりに仕事の面でも厳しさが求められる。オークランドのような田舎では刺激もない代わりに仕事の面でも緩いから楽。

けどこれが、オークランドのような刺激のない田舎でありながら東京や香港並みの仕事の忙しさとなったら、こりゃこの街に住む意味がなくなるではないか、なんて自分で自分に愚痴ってる。

僕のメールアドレスはいくつかあるけど、その中でスパムが来ないように設定している隠れアドレスが一つある。普段は一日10件くらいしかそのアドレスに連絡は来ないんだけど、今日に限っては処理しても処理しても立て続けにメールが入ってきて、結局この一日で40件くらいのメール処理。

それがまた、娘の東京のアパートの手続きとか区役所への届けとか、オークランドにいてもどうしようもない問題から始まり、夜の6時を過ぎればビジネスが停止して処理のしようのないオークランドの問題まで実に幅広く展開してくれるから結構大変。

けどこのアドレスに来るメールはすぐ確実に処理しておかないとまずいので片手に鶏のから揚げを持ち片手にパソコンのキーをいじり、時には夜の8時過ぎに仲間に電話して「ごめん、これ調べてもらえる?」とお願いしたり、やる事マウンテン。

それにしても、オークランドに戻った初日くらいはもうちっとゆっくり出来ないかと思うけど、まあそれは駄目。自分が選んだ仕事なんだから、思いっきりの土田舎の中で何の刺激もない街で思いっきり夜遅くまで忙しく働くしかない。

てな事で過ごした一夜。週末まではアパート暮らしです。


tom_eastwind at 17:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月12日

ミステリーと機内

香港からオークランドに戻る機内は、久しぶりに自分のポイントを使ってビジネスにアップグレードした。

実際には30%くらいの確率でアップグレードしてくれるのだけど、さすがに今回はあまりに毛色の違う事を毎日続けてやりすぎたのでちょっと頭がオーバーヒート、機内では一切メシも食わず酒も飲まず、ひたすら水だけ飲んでました。

周囲を見るとけっこう僕のように頭から毛布を被って飯を食わない、そういう人は多い。ビジネスクラスなんだからご飯たくさん食べなきゃなんてのはビジネスクラスよりもエコノミークラスに坐ってメシだけ空港で大きなお持ち帰り弁当を買って食べればいいのにな、なんて思ったりする。

実際にオークランドから香港に行くときは、ぼくは大体オークランド空港内の「葉山」でお弁当とかおにぎりを買って機内で堂々と食べてる。機内食は、さすがにもういいやって感じ。

エアニュージーランドに比べると横幅の狭いビジネスクラスだけど、新型なので一人ひとりが個室になってて有難い。

機内で読んだ本が2001年横溝正史ミステリー賞を取った作品で、これが怖かった・・・。機内にたくさん人がいてよかったな、そうでなきゃ、怖くて夜も眠れなかったところだ。

それにしても人間を恐怖に陥れて人間を狂わせる方法って、たくさんありますね。ましてやそれが代々続く怨念となれば、こりゃもう怖いとしか言いようがない。それにしてもよくもこんな作品を思いついたものだ。ガクガクブルブルでした。

「長い腕」。最初はちょっと退屈するかもしれないけど、後半からの盛り上がりがもう半端ではありません。



長い腕 (文芸シリーズ)長い腕 (文芸シリーズ)
著者:川崎 草志
販売元:角川書店
発売日:2001-05
おすすめ度:3.5
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tom_eastwind at 17:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)最近読んだ本  

2010年04月11日

本日の説明会も無事終了

本日の移住説明会も無事終了。その中で一つ面白い質問があった。それは「これだけ福祉、つまりセーフティネットがしっかりしててそれだけ税金を使っているのに何で10年以上も国家財政が黒字なのか?」である。

普通に旅行会社や留学会社は人を集めるために“留学セミナー!今なら手続き無料!”とか“xxツアー代発表会、参加者に抽選でハワイ旅行!”とかやって、出来るだけたくさんの人を無料で集める。

ところが当社の説明会はお客様に1万円を頂いて説明会を行っている。同じようなビジネスなのにこの違いは何かって言うと、彼ら留学会社や旅行会社が販売しているのはツアーや留学と言う商品であるが、当社は正しく正確な情報を提供する事自体が仕事なので、説明会そのものでお金を頂くビジネスモデルとなる。

なのでお客様の側に立って情報を提供するわけで、時には彼らの耳に痛い話もする。

この時の説明も、日本政府からすればあまり面白い話ではないだろうが、ニュージーランドにおける輸出の半分近くを占めているのが農業輸出であるという事を中心に説明した。

でも、もう一つ大きな点は、国家経営と言えども入る金を出来るだけ増やして出るお金を出来るだけ節約すると言う当然のことをしているから黒字になるのであるということ。

毎年赤字で赤字が当たり前な国に住んでると、いつの間にか赤字国債を発行する額をいくらにするかって話が中心になって、赤字になること自体の議論がなくなってしまう。

じゃあ何で日本は毎年赤字なのか?答えは簡単で入ってくる金よりも出て行く金が多いからだ。その支出の中でも最もムダなのが人件費である。他の費用、例えばコピーマシンを買いましたとかだったらその費用対効果は明確に分かる。

ところが人間の経費だけはその給与と労働内容が一致しているかどうか測るのが難しい、てか公務員の場合は測ろうとしないところに問題がある。

ニュージーランドも1970年代までは実質的な社会主義国であり(あまり知られていないが)、8万人の国家公務員が一生安定した立場で飛行機を飛ばしたりガソリンを売ったり果物を輸出したりしてた。

その結果として固定費が莫大に増加し、1960年代から70年代にかけてニュージーランド経済が南半球の国際化により大幅な売り上げ減少となった時にこの人件費=固定費が強烈なボディブローとして政府の赤字を増大させ、ついには国家財政破綻を招いたのだ。

そこで1984年に登場した労働党のデイビッド・ロンギ政権は財務省のロジャー・ダグラスと組んで徹底的な経済改革を行い、当時の8万人の国家公務員を3万人近くまで減少させた。今まで国家が非効率的に運営していたxx公社とかxx財団とかを全て民営化させ、公務員を民営化した組織に移してそれぞれのビジネスの効率化を図ったわけだ。

そして更に民営化された組織を上場させて海外の投資家に売却、これによって得られた利益で今までの負債を償還、更に外国の血を導入する事で経済を活性化させ、国民に活力を与えたのだ。

この時デイビッドロンギは首切り大臣とか売国奴とか呼ばれたが、今の経済の発展を見れば誰も何も言えないだろう。

1980年代から続いた経済改革はその後政権が国民党に移った後も継続され(これってすごいよね、労働党の反対政党でありながら政権を取った瞬間に見事に労働党の政策を継続したんだから)、さらに労働党時代には難しかった労働法の改正(労働党の支持団体は主に組合)を行い、プロフェッショナル労働活動家を会社から排除して経営者の自由を勝ち取った。

結果的にニュージーランドは本当の意味で自由になり起業したい人は安心して起業出来るし、政府は事後規制しかしないので皆がどんどん働くようになった。

その結果として消費が増えて、そこで消費税を12.5%に値上げしたもんだから消費税が国家収入の半分近くを占めるようになった。ところがこれは最初から内税だから誰も消費税の存在を感じないので文句も出ない。

そうやって国家の経営を立て直し、1993年には単年度黒字になり、それから14年間連続で黒字化を続けた。さすがにリーマンショックで去年は赤字決算になりそうだが、それでもまた来年からは黒字経済に戻るだろう。

けど黒字化の一番のポイントが何かって言えば、ごく当たり前のことを国家が行った、つまり収入以上にお金は使わない、無駄なカネは使わないって事を徹底しただけだ。

まずは税収を増やす為に人々が起業しやすい環境を作る。そこで得た税収は出来るだけ効率的に国民にセーフティネットと言う形で再配分する。税金と再配分の間に位置する政府は出来るだけ運営コストを削減する事で、少しでも多くのお金が再配分に回るようにする。

こうする事で国民は、自分の払った税金の行き場所が無料で学校に行けるし無料で医療を受けられるし65歳になれば誰でも一度も掛け金を払わなくても貰える老齢年金になると見えるので税金の不公平感がなくなる。

そりゃそうだら、忙しい仕事の合間に市役所に行ってなんちゃら手続きに並ばされてるってのに、だらだあらと市役所の職員がしてたりすぐに昼休み取っていなくなったりなんて、そりゃ〜おこるだな。こいつらの為にオレの税金使われているのか!怒るのは当然である。

だからムダに見える公務員はバシバシと削減、仕事を見える化して、その後に新しく出てくる仕事はすべて民間委託することで公務員は増やさずに現在まで来ている。

このような事が可能なのか?なんて聞かれたら、じゃあ10年前に民主党が政権取るなんて誰が想像したのか?である。要するに国民全体が本気で望めばどんな事でも叶うのである。問題は国民が本気で自分たちの為に良い社会を作ろうと取組んでいるかどうかである。

1990年代までの日本は正直言えば国民は存在せずに村民のみが存在して“おらが村”の利益だけの為に行動をする事で国家全体のバランスを壊してしまった。その為にアフリカ諸国のようにみんながみんなの足を引っ張って結果的に国全体が衰退すると言う道を辿った。

今の民主党を批判する事や自民党がどうのと批判するのは容易だが、京都府の選挙で投票率が41%だったと言う現実を見れば、日本が“おらが村”から脱却して自分の手で国家を作るためにはまだまだ過激な刺激が必要かなと思う。


tom_eastwind at 09:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月10日

電波開国

今日の池田信夫ブログでいよいよ総務省が電波を解放する方針を発表したとの事。

電波と言うのは通信や放送の要となる物質であるが、これは自然界に存在する電磁波の一部であり光と同じようなもので波長の長いものである(ウィキ)。

この自然界にある電波がなければどれだけ東京電力が原子力使って電力を作ってその電力でどっかの家庭や会社に電気を送りその電気で携帯電話を充電させても、遠くに離れた人と話をしようと思っても出来ない。

テレビもまさに電波の塊であり、東京タワーから遠く離れた人々の家庭の受像機だってテレビ局とケーブルで繋がっているわけではないので、やっぱり電波がなければテレビも見れない。

つまり電波とは元々が空気や光とか、その国家の持っている国民全体の資産であり、これは誰かが個人で所有するようなものではないから、本来誰に所属するものではない。

ところが普段は国民が直接この電波を利用する事は出来ず、そこで電波を発信する塔、東京タワーを作る必要がある。でもってタワーを作るのは民間であり電波を利用するのだが、誰かが自分の利益の為に国民全体の資産を利用するなら利用料を払わねばならない。

それが今までは“なあなあ”の中でテレビ局やラジオ局が安いお金で使っており、後から出てきた携帯電話利用者が電波利用料の殆どを負担してきてた。

これって携帯電話利用者の殆どは気付いてないけど、水で考えると分かり易い。国民全体の資産である水は、その利用量に応じて国民が水道局にお金を払っている。大企業で工場を持ってれば大量の水を使うので利用料金は莫大なものになる。

ところがもしどっかの大企業が利根川の上流に大工場を作って川の水の80%を工場の為に使って汚くして川に排出したのにぜんぜんお金を払わない、けど下流の人はその汚れた水を高い浄水料金を払って高い水を買っているとなったら、こりゃ不公平でしょ。

その不公平を糾してたのが池田信夫の著書「電波利権」である。

今回の原口総務相の発言は下記の総務省ウェブサイトで読むことが出来る。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/02koho01_000102.html

電波規制を開放すると何が起こるか?それは今まで使えなかった電波を誰もが有効活用出来る様になり、とくに日本の携帯電話端末を作っている企業にとって世界と同じ周波数で戦える、つまり世界に出て行ける環境作りが出来ると言うことだ。

こりゃ画期的である。世界で最も優れた性能を持ちながらもNTTの通信規格に合わせた為に、そして“おいしい”周波数をテレビ局に取られてしまった為に、あげくにシムロックの為に世界に出て行けず日本で“ガラパゴス状態”だった端末メーカーが、これで海外に出て行けるのだ。

この記事を読みながら先日のシムロック解除を合わせて考えてみると一つの方向性が見える。つまり政府がやっと既得権益企業だけを守る姿勢から、誰でも自分の技術で世界に出て行けるような環境を整えてくれたってことだ。

そう。政府は余計なことさえせずに民間が動きやすいように規制を減らしてくれれば良いのだ。今回の電波のように国民全員に開放してくれれば、後は国民が一生懸命頭を使って金の稼ぎ方を考えるのだ。

日本の携帯電話端末のすごい点は、例えばお財布ケータイである。こんな技術、世界のどこにもないぜ。ピっとかざせばちゃりんと落ちる、これで小銭も不要である。

ところがこの技術、海外の携帯電話には搭載されてない。もちろん僕の重宝しているIphoneにも搭載されてないソフトである。

この技術はもちろん日本製であり、香港ではオクトパスカードと言う名称で香港人のほぼ全員が持っているプリペイドカードである。つまり彼らは携帯電話とオクトパスカードをそれぞれ持っているのだけど、これを携帯電話の中に組み込む技術はまだ持ってないのだ。

僕のIphoneは皮製のケースと本体の間に一万円、そして裏側のカードホルダーにクレジットカードを入れることで実質的お財布ケータイにしているんだけど、もし日本のお財布ケータイ技術が出来ればこんなめんどくさい事しなくてもすむのだ。

普段携帯電話を使ってても自分たちが電波利用料の殆どを負担しているとか、お財布ケータイが世界最高の技術であるとか知らなくても、やっぱり日本の技術が世界に出て行って北欧や韓国に圧倒的に負けている携帯電話端末市場であっと言う間に市場を席巻して一番になったら気持ちいいでしょ。

日本が技術立国として世界に出て行くために必要なのは、実はこのような規制緩和と開国政策なのである。

ぼくは海外生活が20年を越してしまったが、それだけ日本から離れていても今も間違いなく言えるのは日本の技術力はいつの時代も常に世界最高であるってこと。これは日本から離れているからよく分かる事であり、日本にいては気付かない。

けどあまりに技術力に偏り過ぎて、販売するためのノウハウとか戦略が乏しすぎるから“ケータイガラパゴス”現象が起きたのだ。そしてその元凶は殆どの場合既得権益に乗っかっている一部特権連中であるのも事実。

今回の原口総務相の発表は総務省をひっくり返すようなパニック状態になったそうだが、それくらいやれや!って感じである。

日本人はとてつもない能力を持っているが、その事に気づかないまま自分で自分の首を絞めるような安売りばかりやっている。

このあたりで世界をパニックに落し入れる位の“びっくりさせてやるような”ことを是非ともやりたいものである。

思い出してほしい、ウォークマンが世界に激震を走らせたとき、ソニーだけでなく日本人全員が自国民を誇らしく思ったことを。

日本が再生する一つの機会として今回の原口総務相の発言と今後の電波開国に期待したい。


tom_eastwind at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2010年04月09日

煙が目に染みる

920e2e63.jpg名曲なんだけど、実際にその場面にいるとタバコの臭さが耐えられないのも事実。タバコは目に染みるだけでなく、喉に痛みを感じるしごほごほやるし、全くこりゃなんじゃって感じ。

とくに、一口吸っただけでそのまま灰皿にぽんと置いて燃えるに任せる状態って、まさに”ばかですか”と聞きたくなる。

まあ多分同じ事を彼らは僕に対して思ってるのだろう、お酒を飲んで「ばかですか〜」って。

ふう、お客様の面談時間に合わせて話すべきことを予習して面談で話をして終了後に更に復習してから次の対策を検討する、こういう移住相談をするから、一日三件もやると結構ぐったりする。

部屋に戻って、スクールホリデイで一緒に東京に来てる竜馬くんの顔を見るのが疲れ取りかな、ほんとにこの子の顔を見るとほっとする、まだ世界に将来はあるなって。

なんか、日本の将来のあるべき姿の一部をこの子を通じて感じることが出来る。

適正な原価で適正な利益を載せて適正な商売をする。そういう当然のことを松下幸之助が言ってたような気がする。いつの時代から安売りが主流になったのか。

大きくある必要はない、社会に貢献する技術を提供するのがソニーだと言ってた創業者、今の巨大化したソニーをどう思うか。


日本が矛盾している今、直すべき部分は政治である。ただその政治の方向性が見えてない。参院選が終わってないからだ。

今の民主党の公約など参院選が終われば大きく変わるぞ。

もうちょっと日本を長い目で見ないと分からない。

高村光太郎の長いライフルのような気がする今日。やばし。







tom_eastwind at 02:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月08日

細身のスーツ

25698734.jpg素敵な細身のスーツを着た若い男性と、同じく素敵な白いコートを羽織った綺麗な女性とがバーの片隅で喧嘩してる。

他所様のことに口出すんじゃないよって言われそうだけど、別に口は出してない、ぼくの坐ってるところから2メートルも離れてないから、押さえたような彼らの声でも自然にここまで聞こえてくるのだ。文句があるならぼくの耳の製造責任者に言って貰いたいものだ、はは。

「あんたがさ、なんであんなときにこんな事言うのよ!」
女性がかなり強気。色白な美人なんだけど、飲んでるカップを叩きつけるようにテーブルに置くその迫力はたいしたものだ。

大体において修羅場になると女性は強い。優秀なサラリーマンであるご主人を瓶で殴り殺して死体をばらばらにするくらいのことは平気でやる。

ましてやこの二人、たぶん普段は「素敵なカップル〜」で通っているのだろう、どちらもLooksNiceである。けど今の状況を見るとどうも男性が負けている。

女性の強気な発言に対してひたすら守勢に回って、彼女が「怒りマシンガン」の合間に手にするタバコにさっと火をつける姿は愛らしい。

けどまあどうも勝ち目はないようで、スーツ君は機会を見つけては目をそらしてバーマンに「すみませ〜ん、水ください」とか言ってる。きっついな、勝ち目なし。

女「話にならないわね、まったく!」突き飛ばす怒り!
男「ふ・・、何でそんな事言うの?おかしくない?」びびってる笑い・・
女「はあ?!あなたが今の言葉、よく言うわよね!」お、来たね核攻撃。
女「おかしいのはあんたでしょ、今の状況、分かってるの!?」さあ連続技。
女「大体あなたが始めたことでしょ、わかってんの!」
男「お、おお、お、おまえさ、ちょっとまあ分かるけどさ・・・」おどおど下から目線
女「何言ってんのよ、わかってんの、ほんとに」ぷかーってタバコ吸う。
男「だからさ、わかるけどさ・・・」びびってるな。
女「じゃあ謝れよ!」おお、核爆弾!

こういう男性でも昼間は都内の立派な高級オフィスの高層階で「おれ、勝ったもんね〜」と過信して下っ端業者をこき使い、それで自分がすんごい偉くなったと思って威張ってるんだけど、実際の修羅場では学校で学んだ暗記技術は役に立たない。

こういう場所ではむしろ喧嘩慣れして開き直った女性の方が圧倒的に強い。
女「さんざん説明してきたのに、まだワカラナイノ!」
こりゃもう、かなりの痴話喧嘩。

そうだよな、東京で仕事をしていると一番感じるのが、大企業とか立派な肩書きを持ってる若者男性が弱くなってるってこと。

とくにお洒落な細身のスーツを着こなしてる若い男の子は打たれ弱い。てか、状況の変化についていけてないなあって思う。

子供の頃から親の決めた軌道に乗って言われたとおりの事をやってきて立派な高校や大学出て予定通り大企業に就職出来て、そこでも先輩に言われたことならそつなくこなしてきたのに、どうしてオンナだけは予定通りの行動をしてくれないのか、全然意味不明。

それに比べて女性の場合は、親が教育するにしても「いいとこのオヨメさんになってね」くらいだからわりかし期待度が低い。その分冷静に社会を見ることが出来るから自分を待ってる将来がどんなものかが見えてくる。

そんな型にはまった生活を望まない女性は、自分の価値を理解して高く売るためにあの手この手の攻撃を覚えていく。

おとこに攻撃あればおんなに反撃あり、またはおとこに政策あればおんなに対策ありとでも言うか。

それにしてもバー。人間交差点として実に楽しいものである。しらふで他人の劇を見られればドラマティック、自分が酔っ払ってしまえば・・・地獄。


tom_eastwind at 01:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月07日

単純な話

90b8352c.jpg

老齢化社会が進んでいくと福祉ビジネスが成長すると言う。よっしゃこれからは福祉だ!と言うビジネスマンも多い。

そりゃまあ老人が増えていけば老齢向け医療や老人ホームや介護等が必要となるのだからこの理屈は単純に考えてみれば分かる。

なのだけど、その老人が得ている収入ってのは社会福祉であり、その財源は結局政府からの再配分によって老人層に配られてるわけで、その政府のお金ってのは税金なわけだから、税金を払う人が少なくなれば当然老人一人当たりの支給額を減らすか、現役労働者の税金を上げるしかない。

もしある日現役労働者が稼ぐ給料が払うべき税金を下回った場合はどうなるのか?つまり今までは3人の現役が1人の老人を支えてたのが、1人の労働者が3人の老人を支えるとなった場合、どう見ても給料全部が税金で吹っ飛んでしまうのではないか。

つまり福祉ビジネスが成長するとかどうかよりも、社会全体で考えればこりゃ大変なことになるってのが先に考えるべき問題になる。

だから本来は現在の形の福祉政策が本当にこのままで良いのかどうかを考えるべきである。

つまり、子供が親を必ず介護するシステムは歴史的正解であるとしても、それは三世代同居が前提であった。しかし昭和中期から核家族化が始まり大前提が崩壊した中で「子供が親を介護する」ことが社会的に無理になっているのが現実ではないか。

だからこれから考えるべきは子供による介護を元気な老人が同世代の老人を助け合いながら生きていくシステム、すなわち“リタイアメントヴィレッジ”という発想を導入するほうがこれからの社会に適応しているのではないかと思う。

日本人はどうしても「親父、よそにいきなよ」とか「おい、ちゃんと遺言書いておいてよ」なんて言えない風潮があるけど、そこを乗り越えてかないと、単純な話、日本って次の世代にはやばい負の遺産を残す事になると思う。



tom_eastwind at 01:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月06日

人生は最後まで上り坂

b0451416.jpg昨日打ち合わせをしている時にふと思いついた言葉。
何かを読んで記憶していたわけではないので多分自分で作った造語になると思う。

良い意味で考えれば“明日は今日よりも上に行く”、つまり常に今日より良い明日があるってことだけど、反対に考えれば“毎日が登りなのできつい”とも言える。

要するに人生をどっち側から見るかであって、どうせ生きていくなら毎日ぶつぶつと文句を言ったり愚痴をこぼしたりしてネガティブに生きてくよりも、どんな苦労でもそれを乗り越えたらもっと人生を楽しめるんだと思うほうが良い。

笑っててもどうしようもないときもあるけど、じゃあ泣き叫んでたら物事は解決するのか?なんてことを、“人生は最後まで上り坂”と思いついたせりふと共に頭の中でくるくると回してみる。


tom_eastwind at 01:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月05日

エコとエゴとiPad

c0dd3df7.png香港から東京へ向う飛行機は幸運なことにビジネスにUpgradeだった。古い機体なのでビジネスクラスと言っても個室席ではなく乗客全員の顔が見えるんだけど、殆どが日本人ビジネスマンである。

スーツをばしっと決めてるビジネスマンやいかにも芸能関係みたいな人まで様々だけど、何故かほとんどの人が日本の新聞を広げている。

そのうち半分くらいはスポーツ新聞で、そこには大きな赤い文字で「xx地帯潜入記!」みたいな、新聞と言いながら新しい記事ではないんだけど何故か短い服装を着た女性が載ってるページを開いてて、「ほ〜、あまり恥ずかしくないんだな、この人たち」とか思わせる。

ちょっとかっこいい新聞だと民間企業がエコの取り組みをやってます、みたいな記事が載っている。

けどさ、本気でエコを考えるならまずは森林を大事にするってのがあるんではないか。つまり新聞が山ほど使っている紙は木から出来ているんだし、しょうもないエロ写真を印刷するくらいなら印刷しないほうがよほどエコではないか。

おまけに新聞って10分も持っていると指にインクが付いて汚くなるでしょ。紙質悪いわけだし。

そんなことを思ってたら遂にIPAD発売のニュース。いわゆる電子書籍であるが、近い将来はこれで新聞を読むことが出来る。

サイズはA4よりちょっとちっちゃいけど新聞をそのままの形で読めるようになるしIphoneと同じような使い方が出来るし、だいいちこれなら紙を必要としないし自宅へ配達をする必要もなくなる。

こうすればまずは新聞販売店が不要となる。そして何よりも紙を使わないので木を切る必要がない。

新聞を読みたい人は事前に登録したクレジットカードを使って一日分30円くらいで買えば良い。自宅で朝起きたら自分の好きな新聞にアクセスしてダウンロードしておいて、電車やバスの中で読めば良い。

そうすれば狭い電車内で新聞を折りたたんでがさごそとやる必要もない。第一画面にちょっと手入れすれば自分が見てるのがエロ新聞だなんてのが周囲に分からなくなるんだから良いではないか。

結局新聞を読むか読まないかではなく、今の形の新聞を読むか?である。情報はすべてPCで読める時代に、わざわざ指をインクで汚して、がさがさのでかい紙を満員電車の中で開くか?という事でIPADを考えてみれば面白いと思う。

エコエコって皆が自分のモノを売るためだけに偉そうに言うくらいなら、まずは新聞の印刷を止めて全部をインターネットで配信すればいいではないか。

こんな事を言うと必ず反対派が出てくる。彼らは既得権益を守りたいだけなのだが、たぶん最初に言う事は「子供たちの大事なアルバイトが新聞配達であ〜る」とかだろう。

それとか情緒的に「紙をめくる喜び」とか「本を棚に並べる楽しみ」とか言い出すかもしれない。

けど本音は紙を作る会社は利益を守りたいし新聞配達店は今までの商権を守りたいし、その為には紙が存在しないといけないから、とにかく反対反対となるのだろう。

だから電子書籍問題については出来るだけ新聞記事にしないし自分たちの既得権益を守る為に著作権とかわーわーやってるけど、世の中の流れを考えてみようよ。あなた達だけの利益の為に社会全体の利益を無視していいのか?

ぼくは今のエコの流れはエコビジネスで儲けようとする連中と自分がエコをやってる〜って自己満足に浸る連中のランデブーだと思ってるけど、紙をあまり使わないってのは良い事だと思うし、更にそれがインターネットで実現するんならそれこそ科学が人間生活を向上させたといえる。

実はすでにIphoneで日本の記事は読める。ただサイズが小さいから読みづらいという点があるのも事実。そこで通常のPCとIphoneの中間に位置する存在としてIpadが出てきたのだ。

日本でIpadが受け入れられるかどうかは不明である。まずは読める雑誌がなければ、つまりコンテンツがないと最初から話にならない。そして新聞を読めるという点がクリアーできるか。

けどもしこういう電子書籍が日本に根付いたら、その時は情報伝達手段の一大革命となるだろうし、そうなると皆が今携帯電話を持っているようにビジネスマンは誰もが自分のブリーフケースに電子書籍を一冊入れておくようになるだろう。

そうすると電子書籍で販売される本がどんどん増えてきて、第一印刷や配達が不要となるから本を発行する原価が思いっきり安くなるから、今のようにプロの作家と書店が独占している書籍発行と言うビジネスが根底から引っくり返るだろうし、一般の人々が誰も情報を発行して販売することが出来るようになるだろう。

いずれにせよこうやって新しい時代とエコを追求する為にはエゴを捨てなければならない。立派な大学を卒業して立派な新聞社に入った人々が立派な判断を出来るかどうか。




tom_eastwind at 01:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月04日

シムロック解除

SIMLOCK解除

いよいよ日本の携帯電話もシムロック解除になると発表された。これでぼくのように色んな国をまたがって利用している人間からすると非常に使い勝手がよくなっていく。

今回総務省が強力に進めている一般市民向けの携帯電話緩和政策は、携帯電話の番号は変えずに通信会社を変更する事が出来るMNPに継いで携帯電話の自由化を促すだろう。

だから逆に言えば今まで参入規制の壁に守られてた既存の通信会社は反対であるが、今回の反対の理由はおそらく日本国内で今まで通信会社が携帯電話事業で持っていた業界主導権を取られるからってのが本音ではなかろうか。

多くの日本人は日本以外で携帯電話を使うことがないからシムカードが元々なぜ存在するかを深く考える事もなかっただろう。もっと言えば、携帯電話ってのはドコモやソフトバンクで購入するものと思ってただろう。

けどシムカードが作られた理由は欧州で国を移動しながら携帯電話を利用する人は、ローミングが発達していなかった時代にはいちいちその国で利用出来る携帯電話が必要となった。

けどそれじゃあ5カ国をまたいで旅をする人は5個の携帯電話が必要になる。それで利用者の利便を図る為に

1・欧州の通信会社は共同規格を構築しておいて顧客にあくまでも「通信設備」のみをシムカードを通じて提供する。
2・携帯電話端末を作る会社はどこの国のシムカードでも使える携帯電話を販売する。

と言う風に住み分けをした。こうしておけば利用者はその国に入ったらシムカードを入れ替えるだけで同じ電話が使えることになる。もちろん国内利用なので後日発達した海外ローミングで高額の請求(詳細は後述)が発生することもなくなる。

つまり通信会社は政府から一定の周波数帯を貰って安定した通信インフラを整えればOKな、例えば東京電力みたいな位置付けになる。電気代は利用方法と使用量によって決まる。

そして端末会社はシム規格に合わせて様々な利用方法を提供するが、これは明確に価格とサービスが比較出来るので顧客からしても分かり易い。

簡単に言えば、例えばあなたがテレビを買う時にはヤマダ電器に行くけど、そのテレビは東京電力と契約をしないと使えない。そしてテレビの性能と電気代に関連性はない。

例えば東京電力で電力の2年契約をするとテレビが半額になるって言ったら、「はあ?」と思うでしょ。けど携帯電話の世界ではソフトバンクがIphoneの携帯電話を売っているし、ソフトバンクと新規契約をすれば本来は8万円のIphoneがほぼ無料になるという、電気製品の世界ではありえない状況になっているのだ。

結果的に端末の本来価格は消費者に見えず(一応単品価格は出しているものの不明朗)、2年契約でどれだけ自分が得をしているのか、通信料金の仕組みがあまりに複雑すぎて分からなくなる。

このカラクリが分かるのは契約期間途中で自分の電話を無くしたり壊した場合に電話機だけ買おうとすると「数万円!」と言われたときだろう。

でもって以前は携帯電話の番号を変えてしまうってのは大変な作業だったから、「あんまり好きではないけれど、ドコモ」と言う利用者が多かった。

ところが番号を持ち歩き出来るようになると好きな会社を使うことが出来て、それに合わせて携帯電話番号が一種の個人認証番号になってきた。

今回のシムカード入れ替え自由になったことでシムを使っている利用者はずいぶんと選択肢が増える事になるし、携帯電話を作る会社かあすれば参入障壁が思い切り下がるので、日本市場から一度は撤退した欧州の会社も再進出してくる可能性がある。

こうすれば日本が「携帯ガラパゴス」と呼ばれて世界から無視されてた状態が一気に変化して、1億台の携帯電話が売れる市場として海外の端末会社が日本市場に目を向けてくれるだろう。

そしてこのような競争は国内企業を切磋琢磨してくれる。ただこれは国内企業を弱くすると言う意味ではなく、むしろその反対である。

何より大きいのはこうやって海外勢と戦う中で日本の端末企業が世界の潮流を理解して世界に向けてその最高のサービスを提供していく事で、今まで世界の端末の10%程度しかなかったALL−JAPANがノキアやサムソンを抑えて世界のトップに出られる可能性が一気に高まると言うことである。

今のままではいくら作っても儲からず、国内標準と違うから海外で販売する事も出来ず通信会社の言いなりになって赤字ばかり作ってた端末会社が、これで一気に世界標準に近づけていけるのだから、総務省よくやったと思う。

ちなみに僕はソフトバンクと2年契約をしてIphoneをほぼ無料で購入した。勿論毎月パケット料金を支払っているが、その端末のシムロックはIphoneが英語で世界にばら撒いていると思われる説明書を使って解除してもらった。

解除費用はNZ80ドル(約6千円)、ニュージーランドの端末会社で普通にサービスとして提供している。

なので今は2枚のシムカードを使い分けているが、通信会社側の言うような「不都合」は出ていない。てか、ある程度の不都合ってのはコンピューターの世界の中ではどうしても起こるものであり、「全然使えない!」と言う話ではない。

実は今回も香港でIphoneを取り出してみると、NZのvodafoneでは全然繋がらない。空港到着後何時間経っても「圏外」。ところがそこに日本のソフトバンクのシムを挿すと一発でsmartvodaにアクセスできた。

ただこのやり方だと日本で課金されるので大変な騒ぎになる。なので香港ではメール受信の瞬間だけローミングサービスを開いて、後はすぐに「機内モード」に切り替えて使用している。

ちなみに先月のロンドン出張で4日間使用した際の請求書は約7万円!あり得ん!普通に日本で使うような使い方しかしてないのに、とてつもない事になる。

最近は日本から来る人も殆ど日本の電話をそのまま持ち込むようになったし、見てると普通に日本に発信するだけでなく受信もデータ通信もばりばりやっている。

ありゃあ通信料金、あとで大変なことになってるぞと思う。

個人的なことだが今回シムロック解除になると日本の携帯電話を持ってきたお客が空港でvodafoneのシムだけレンタルするってことになり、今まで大儲けしてた海外ローミング利用に影響が出るからではないか、なんて勘ぐってみたくなりもする。

それにしてもこういう形で政治が民間ビジネスの競争を促進する土台を作ってくれるのは当然とは言え今までの日本ではあり得なかったわけで、その意味で総務省ありがとうですね。

追加で書いておくと、シムロック解除だけではなく周波数の問題があるので今回の解除で日本の市場が全面的に開放されるわけではない。けれど問題は解決していけばよいわけで、方向性としはプラスに向いていると思う。


tom_eastwind at 15:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2010年04月03日

イースター二日目

今はオークランドを出て香港に向う機内。

イースターのせいだろうオークランド空港も随分混雑してて荷物検査は行列で通り抜けるのに20分ほどかかった。

イースターホリデイは人種や宗教に関係なく国家の祝日なので堂々と休めば良いのだが、その理由がキリスト復活のお祝いってのはかる〜く引っ掛かるとこもある。

けどまあ日本に住む米国人がお盆休みを取るようなものだから、世界全体で考えればプラマイゼロってとこか。拘るよりも気にせずにお休みを取ればよいものだ。

だからってわけでもないんだろうが香港に向うキャセイ航空も満席で、キリスト教信者はどの程度か分からないが隣に坐ってる白人のおばさんは持ち物からしてクリスチャンだろう。

香港で乗り換えてインドに行く雰囲気の人々はヒンズー教かな。でもって半分くらいは中国人なので、これは仏教徒か共産党か拝金教であろう。

じゃあ日本人はどうなのかって話なのだが、一般的に日本人は「私は無宗教です」と言う場合が多い。けどそんな事を米国人に言えば「え!君は宗教がなくても生きていけるのか?」と思われるだろう。

けど殆どの日本人は無宗教ではなく実際にはどんな宗教でも受け入れる雑教だと言うのが正解ではないか。これは元々八百万の神を信心してるから神様が何百人いても気にしないし、その場で相手に合わせることが出来る。

山に行けば山の神、海に行けば海の神を敬う事で1万2千5百年まの縄文時代から生きてきたんだから、たかが2千年前に出来たキリスト教なんて軽いものだ、クリスマスに利用させてもらいますぜ。

お寺の墓参りでは仏教徒になり神社で結婚するときは神道に永遠の愛を誓い(後で離婚したら笑ってすませる)、お盆休みは海外旅行を楽しむことが出来る日本人てのは実に融通無碍で、宗教に縛られる事がないから楽っちゃ楽ちんですな。

その分これと言った宗教を持っていないから心の拠り所がないって時でも大丈夫。

寂しければ新宿に行けば朝まで誰かが相手にしてくれるし会社に行けば仲間がたくさんいる。まあ会社は過去の事だけど。

ニュージーランド人がそれほど宗教色が強くないのはやはり本国である英国がカソリックやめて国教会とかプロテスタントになったりで、同じキリスト教でも様々な信心の方法があると認めているから日本の不信心をあまり気にはしていないようだ。

それと追加で言えば英国からニュージーランドに移住してきた人々は英国内でも中流階級にあたるし教養もあるので、米国の一部のキリスト教原理主義者に“わたしの神を信じろ、疑いを持つな”と言われて「あ、はいそうですか」と素直に納得することもないのだろう。

色んな宗教が乗り合わせているキャセイ航空だから食事も一切の肉を食べないベジタリアンから鶏肉ならOKってのとか、麺を大好きな中国人のためにカップヌードルも用意してある。

とくにインド系の食事はベーガンくらいに激しく肉製品が一切受け付けない人も多く、彼らの食事は予約の際に予め注文を受けておいて、他の料理よりも一足先に出てくる。

まあ誰が何を信じるかとか何を食べるかってのは本人の自由だし誰も彼らの趣味を僕に押し付ける事はないので気にはならない。

ただ唯一、これって宗教の問題じゃないかなってのはニュージーランドの料理のまずさである。

何故ニュージーランドの料理が1980年代までまずくて、何故英国の料理が今も不味いかってのは、彼らプロテスタント系の人々は神様との契約で労働の義務があるのと欲望を抑えて贅沢はしないのが根底にあるからではないかと思う。

肉はがちがちになるまで焼いて塩と胡椒を振るだけ、芋をふかしてせいぜいがグレービーソースをかけるくらい。メシが食えるのだ、これ以上の贅沢はないんだからこれ以上贅沢にする為の料理方法を考える事がすでに神様に対する冒涜である、みたいな感じ。

しかし1990年代になって中華料理や日本料理が取り入れられるようになってニュージーランドも随分食生活が豊かになったと思う。

最近のレストランは和洋中の味を取り入れた料理が流行りであるし、食事を楽しむってのがOKになって宗教と同じくあんまり一つの形に拘らない融通無碍な多文化社会が発達しているのだと思う。



tom_eastwind at 15:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)NZの不動産および起業 

2010年04月02日

イースター初日

イースター初日

今日はイエスキリストが死んだ日とされている。でもって3日後に復活してこれでイースターの終了である。

つまりキリストは死んでいないのだ。

そしてもう一つ。

救世軍の創立者ウイリアム・ブースの言葉に「聖書は、読め、信ぜよ、従え、そして勝て」というのがある。まさにこれこそキリスト教の基本であろう。

つまり聖書に書いているキリストの復活は信じなさいと言ってるのだ。

実際にキリスト教原理主義者は聖書に書いていることを一字一句信じているわけで、だからこそ今でも米国の地方に行けばダーウィンの進化論は神様とエデンの園を否定しているからってんで教科書に掲載しないとか授業で教えないといった状況が発生している。

ところが同時に、聖書ってのは3世紀から5世紀にかけて創作された「本」であると言うのも、誰だってウィキで調べてみれば分かる事実である。

つまり当時の支配者が武力だけでなく宗教も利用して国民を制御するために原始キリスト教が全く新しく(換骨奪胎とも言う)「創造」されたのも事実である。もちろんその過程では支配者に都合のいいようにキリストの話を作り替えている。

皆さんはトム・ハンクスの最近の映画「天使と悪魔」とか「ダヴィンチコード」を見てお気づきだったと思うが、主人公の教授が教会で神に仕える人々たちと議論になり「わたしは科学者として神を信じない」と苦しげに言い切る場面がある。

米国ではキリストを信じない白人はそれだけ心に引け目があるという意味だろう。他に宗教があるとかならまだ許せるが、キリスト教自体を否定するような科学者なんて!と言うところだろう。

または映画を作る際にバチカンの許可が必要で、そこでむりやっこダンブラウンが妥協して付け加えたせりふなのかもしれない。

いずれにしても面白いのは、世界で一番強いとか賢いとか思い込んでる米国人が、そのよって立つ宗教であるキリスト教に関しては「何も考えずに、疑問を持たずに」信じて従うってのだから北朝鮮のことをどうこう言ってられないんじゃないか。

法廷の証言とかでも聖書に手を載せて「わたしゃ嘘は言いませんよ」と宣言するわけだが、その聖書自体が偽造、とまではいかなくてもキリストが本来考えた目的とは全く違ったことの為に「創作」されたのだから、それをそのまま信じるってのもどうかな(笑)と思ったりする。

日本で生活をしてたら気付かないキリスト教の問題、ある意味運よく西洋社会でキリスト教を信じる人々が造った社会で彼らの無意識の行動の底にあるものが見えてきて、学ぶものとしては大変勉強になる。日本にいたら気付かなかったろうな。

結局世界の人々の平等とか調和を真っ先にぶち壊して混沌の世界に放り込んで、皆が争う状態にして自分だけが漁夫の利を得るシステムにしたのがキリスト教だとすれば、徳川家康もびっくりな程の見事な世界統治法だと言える。

イースター初日。皆さんは「キリストは死んでない」って言われて「ほう、そうなんだ」と思えるほど幸せな金曜日を過ごしていますか(笑)。


tom_eastwind at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2010年04月01日

イースター

3f4e6d8f.jpg今日はイースター前日と言うこともあり、朝の渋滞はいつもの三分の二程度、つまり自宅を出てから会社の駐車場までほとんど停止なしだったので20分程度で会社に到着。

オークランドの良い点はとにかく通勤時間が短くてすむという点だろう。けれどじゃあ週末はシティまでもっと早く行けるかって言うと、これが意外にもそうではない。

週末ドライバーっていう平日ルールを知らずにクルマの本来の目的を理解しようともしない、ましてや周囲のドライバーの事など全く視界に入らない人々がたまの週末にクルマに乗って街に出てくるものだからこっちの勘が狂ってしまう。

平日ならこの交差点はこう曲がるでしょ、この信号は最初に右折が出るでしょ、ここは左折出来ないでしょ、そういうのは平日ドライバーの間では共有された知識だが、数百キロ離れた信号のない田舎の村から出てきたおじちゃんたちはのんびりと楽しそうに運転をして、シティのビルの高さにハンドルを持つ両手を上げて「おー!」なんて喜んでる。

楽しんでもらうのは良いのだけど、この交差点は左折信号が青なんだから早いとこは知ってくれませんかねなんて思ってしまうが、こんな時に平日感覚で後ろから追っかけてしまったらそのまま追突してしまう。

なので、こっちも相手に合わせて「今日はお休みモード!」とのんびり走るしかないので、結局週末でクルマが少ないからと言ってもそれほど早く移動できないってのはある。

ただオークランドのような移民社会では、各民族ごとに運転に性格が表れるのかもしれないが、アジア系ドライバーの運転はどうもキーウィの運転と比べると「下手」である。

キーウィの場合は民主主義をよく理解して社会の中での自分の立ち位置を把握しているのだろうか、運転をするときも基本的に前後左右をちゃんと確認しながら飛ばしている。だから身勝手な割り込みとか黄色信号での突っ込みとか信号の見落としとかもそれほどない。

けどこのようなスムーズな状態も、インド系やアジア(主に中国)系ドライバーが出てくるまでの事だ。

大体の場合、道の真ん中を一切よそ見せずにまっすぐ走り、周囲の速度とか誰かが車線変更しようとしているとか全く意に介さずにひたすらまっすぐ走り続けてたらインド系である。

方向指示器を出さずにいきなり車線変更するんだけどその車線の前後の車なんて視界に入ってないからこっちは思わず急ブレーキ踏んでクラクションならすんだけど、そいつは知らんふりで勝手にこっちの車線に入り込んで周囲の迷惑等一切お構いなし、てのがアジア系の若い男性。

アジア系女性の場合で目立つのは韓国人のおばさんドライバー。小奇麗に身作りをして(化粧と着てるもので大体見当がつく)小奇麗なクルマ(この前見たのは、KIAの運転席の左に30cmくらいの十字架置いてた!)に乗っているのだけど、前後を見ないままに右折左折、スピード出したり遅くなったり、あまり走り慣れてないのはよく分かるし道も知らないのだろう。

でもって韓国の奥さんたちはよく謝る。運転してて横を見ないまま急にこっちの車線に割り込んできて、こっちが「キっ!」て顔をすると気配を感じるのかぴょこんと頭を下げたりする。それはうれしいのだけれど、こわいから前を見て運転に集中してくださいな。てか、だったら最初から端っこを走ってくれれば良いのだが。

何年前に洗車したかも分からないような古いワンボックスカーでのんびりと走らせてたら、だいたいがアイランダー家族だ。

ちっちゃい子供たちは後ろ向きに坐ってこっちに手を振って、ハンドルを握るのはまるまると太って“どうやったらそのドアを開けて運転席に座れることが出来たの?”と思うくらいだけど、おかあさんもまたにこにこしながら楽しそうに運転してる。

日本でも地域によって随分運転マナーは違うけど、移民社会で運転すればもっと違いが分かります。

ということで西洋社会では明日からイースター、4連休、当社もお休みです。



tom_eastwind at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌