2010年09月

2010年09月30日

初めて会った人、隣に長く住んでいる人

8fda1ca8.jpg初めて会った人に「あ、お久しぶりです〜、オークランドはどうですか?」と聞かれたら当然びっくりする。香港でお客様と合流してディナーミーティング、お互いに仕事が無事終了したお祝いにと言うことで香港の街に飲みに出る。

お客様はシンセンで数日夜中まで会議をしていてお疲れ、香港に出て来れてやっとほっとした感じで「じゃあ飲みましょうか!」という雰囲気である。香港とシンセンは隣町ではあるが一応違う国であり街の雰囲気もかなり違う。どうしても緊張してしまうのはよく分かる。

シンセンは今でこそかなり近代化されたが、僕が仕事でしょっちゅう行ってた頃は、シンセン駅前の広場には何日も風呂に入らず垢だらけで薄汚いボロ服をまとって、手や足を叩ききられた子供たちが物乞いをしていたものだ。

街ではマンホールの蓋がしょっちゅう盗まれて、夜に友達と一緒に道を歩いてたら隣の友達が突然いなくなって、下を見たら下水道に落ちてたなどと笑えない話ばかりだった。

今でこそ中国国家の威信をかけて街を綺麗にしているが、基本的に中国は中国だ。普通に生活をしていてもその緊張感は生半可なものではない。

そういう事もあるのだろう、お店に入ると楽しそうに飲み始めたのだが、そこに付いた女の子がぼくの顔を見て突然「あ、tomさん、お久しぶりです〜、オークランドはどうですか?」と、にこっと笑って聞かれると、一気に酒が醒める。

え、あの、えっと、こういう無防備なときが一番やばい。笑おうかそれとも泣いてみようか、答が出ない。

「もー、覚えてないんですか、カラカラですよ」

そう聞いてやっと思い出す、あ〜、約5年前の話。オークランドにあるカラカラと言うお店で働いていた子だ。そこから話がはずみ、あの人どうしたこの人どうしたと昔話に花が咲く。

それにしても地球レベルで狭いな〜全く。下手なことは出来んぞなんて言うと下手な事をしようと思ってたんですかと突っ込まれるわけで結局何も言わないのが一番だって事を再認識。

そんなこんなしながら皆で楽しくわいわい騒ぎ、香港の夜を過ごす。

一夜明けると新聞では尖閣諸島の問題が遂に北方領土まで飛び火したようで、ロシア大統領も四島はおれのもんだと騒ぎ始めている。

これに対して日本は尖閣諸島については「領土問題は存在しない」と宣言して北方領土は「四島返還」の姿勢を崩さない。

見る限り香港人で尖閣諸島がどこにあるのかをしってるのは数百人くらいだろう、そこから主要政治家と共産党幹部を除けばおそらく数十人くらいだろう。

北方領土にしても、もともとモスクワから見れば流刑地のシベリアの更に向こうにある小島であり経済的な問題ではない。

ただ、中国について言えば彼らは領土問題については日本人が考えも及ばないほどに強烈に領土意識を持っている。

尖閣諸島は元々日本の領土である。そんな事は中国だって百も承知だ。中国が本気で歴史的認識として尖閣を自国の領土と思っているならトウ小平が「この問題は50年ほど保留しておきましょう」なんて言う訳がない。

じゃあ何で領土問題でここまで強引に他国の島を自国の領土と主張するのか?それは、中国が一旦領土問題について髪の毛一筋でも妥協してしまえば、まずチベット問題に火がつくし台湾返還も問題になるからだ。

もともと中国は無理スジで国を作っている。中原と呼ばれる中国の中心部から北部へ領土を広げて西はチベットを合併させてマカオ、香港を返還させて台湾も手中に収めようとしているのは、国家にとって最も重要なものは土地と人々だという事を肌で理解しているからだ。

そして彼らは民主主義が最高の社会運営体ではない事も知っているから当然独裁国家として皇帝のような共産党の下に全員が従わねばならない。

基本的に飴と鞭の政策であるから、少しでも甘いところを見せてしまえば一つの地方くらい平気で独立されてしまう。チベットなどまさに独立の機会を常に狙っているのだ。

民主主義の世の中で生活をしていると国家崩壊の危機感はなかなか理解出来ないと思うが、中国共産党本部が一番心配しているのは反乱と独立である。一旦一つの国が中国から離脱すれば1980年代のロシアのように国家の力は一気に落ちてしまい21世紀の覇者となるべき道は閉ざされる。

今回の領土問題で相手にするのは外交素人の日本である。思いっきりやれ、どうせ外交手腕なんてないんだから引きずり回して必要なら海軍を出してでもいい、中国が領土についてはどれくらい真剣かを見せ付けて他国をびびらせてやれ、そんな計算も働いていると思う。

ただ領土問題は日中だけの問題ではない。世界を見渡せばパレスチナとイスラエルの領土問題はお互いに血で血を洗う殺し合いになっている。クルド民族等はトルコやイラクから攻められて今では土地なき民としてゲリラ活動をするしかないくらいで、それでも世界は相手にしてくれない。

このような世界の状況に比べたら日中の尖閣問題は外交で話を付けられる、軽度の領土問題である。

問題は二つある。一つはまさに領土問題。もう一つは衝突問題である。領土で言えばトウ小平との話し合いで50年間は保留にしようとお互いに合意しているのに、自分の領土だから国内法で裁くと言えば中国だって「話が違うだろ」って事になるのは当然だろう。

衝突問題で言えば、もしこれが公海上で発生していればどうなるか。その場合は国際海事裁判の対象であり、やはり日本国内法の問題ではない。

もちろん一般的な現代の常識からすれば尖閣諸島が日本の領土であるのは明らかだ。が、それは「正しい事を正しいと主張するのは、どんな時でもどんな場所でも許される」と考えている人が、隣の家の女の子を松島奈々子より可愛くないとか男の子を木村拓哉よりかっこよくないって大声で言うようなものだ。お互いに言い分もあるだろうし主観的に見れば意見は違うだろう。

そりゃたしかに世間にアンケートをすればキムタクとナナコに軍配が上がるだろうが、それを公の場所で言っちゃあお終いでしょ。例え事実であっても侮辱罪は成立する。親同士の殴り合いになって、それこそ一生傷が残る結果になる。

隣の家の人とはお互いに仲良くしながらも一定の範囲内で目をつぶる事も必要だ。もちろん限度もある。時には本気で喧嘩をする必要もある。

けど、それならそれらしく当家の意見を一致させて隣の家に正式に抗議をすべきであり、たまたま操業中の船を追い出そうとしたら相手が頭に来て突っかかって来た程度の偶発事件でいきなり相手の一番嫌がるような領土問題を持ち出す必要があるだろうか?

これについては書き始めればきりがないが、日本の多くの評論家は今回はマスコミや日本政府と言う衝立の後ろから時々顔を覗かせながら「こら、中国め!」とか言ってるが、それで中国が怒って海軍を仕向けたら、さあどうする?

こっちは立場上海上自衛隊を出動させる事になる。今なら海軍力では日本が上だから勝つだろうが、それは戦争である。そうなった場合に衝立の向こうでわーわー言って日本国民を煽ってた連中は日中戦争が起こって若者が死んだ時に責任が取れるだけの覚悟があるのか?

1982年に英国とアルゼンチンがフォークランド諸島の領有権を巡って3ヶ月にわたって戦争をしてアルゼンチン側は645名、英国側は256名の死者を出した。英国とアルゼンチンはお互いに長い間領土問題を抱えており、外交交渉を通じて解決を図ろうとしていた。

ところがアルゼンチン側が国内で抱える多くの問題から国民の眼を逸らす為にフォークランド諸島に軍隊を上陸させて領有権を主張、3月に始まった小競り合いはあっと言う間にお互いの全面戦争に繋がって6月まで戦いが続き、結果的に英国が勝利したものの両軍に大きな被害をだした、この何の価値もない島の為に。

尖閣諸島については天然ガスなどの資源問題があるのでお互いに何とか自分の取り分を増やしたいのだから、そこは外交と政治で話を付けるべきであり、これを愛国問題に絡めてしまえば問題は全然違うところに行ってしまいフォークランド紛争のような無意味な戦いになってしまう。

ここはオレんち、なんて主張が出来るのは、そこに自分が最初から住んでいて占有しているからである。ではいつから住み始めたら「オレんち」と主張出来るのか?そしていつになったらその権利は消滅するのか?

そういう事をきっちりと整理して、明治以降に日本政府がアイヌから奪った土地を返還して薩摩藩時代に強制的に合併させた沖縄を自決権を提案して、それから海外の諸国と語らねば、相手が尖閣でわーわー言って来てこっちがチベットでわーわー言ってても問題は進展しない。

お互いに21世紀の世界に生きているのだ、もうちょっと考えて行動しよう。

いずれにしても今回の事件の対応は外務省内部の中国嫌いが民主党に「やっちゃえば?」と仕掛けたのではないかって気もするから、一部の利権の為に愛国精神を悪利用して国家を間違った方向に動かすようなことだけは注意をして欲しいし愛国=戦争となってしまって誰が責任を取るのかってテレビ評論家には聞きたいものだ。

少なくともぼくは中国人の妻と彼女の間に生まれた二人の子供がいてまさに今回の事件のど真ん中にいるのだ、決して他人事ではないのだ。衝立の向こうで囃すだけ囃しておいて後は知らんなんてのが通ると思うなよって感じだ。

写真はフォークランド紛争の最中に撃沈されたアルゼンチン海軍巡洋艦ヘネラルベルグラノ。この沈没で383名の若者が南大西洋の海に命を散らした。


tom_eastwind at 17:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月29日

ソウルな人々

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一泊二日のソウル出張だったけど、ほんとこの街の雰囲気は、やばいっすよ日本、雰囲気はもう追い抜かれてますよって感じ。

「そんなもんふざけんな、たかがソウルじゃん」と思いたい気持ちは分かるけど、そんな風に考えていた多くの近代国家は、後から出てくる国家に追い抜かれていった。

1950年代の米国で、誰がその10年後に日本が米国の技術に追いつき、更にその10年後には米国の家電メーカーが全滅してテレビメーカーもすべて外国になるなんて想像しただろう。

米国はそれでも製造業から金融やITを成長戦略に据えて1980年代から一気に伸びて再度世界を睥睨するに至った。けど日本にそれだけの産業があるだろうか。

韓国がビルを作ってそれが傾くたびに「ほら、日本製が優秀だろ」なんてほくそ笑んでいても、いつか彼らの技術は日本を手本にして学んでいく。そうなった時に日本から技術を奪ったら何が残るのか?

結局は失敗を恐れて何も新しい事をせずだらだらと毎日を過ごしている間に世界はどんどん進んでいって、気付けば日本はいつの間にかポルトガルやスペインみたいに「昔はすごかった」国になってしまい、世界のお荷物になるだけだ。

最近北海道の夕張で人気のあるツアーがある。それは夕張にある廃墟となったいろんなテーマパークを回るツアーだ。

韓国や中国から能率協会とかが主催して見学に来るのだが、石炭博物館や何とか観光施設とか何とかパークとか、とにかく鉄は錆びてコンクリートの床の間から雑草がそこかしこに生えて天井にはくもの巣が張り着いているハコモノ行政の夢のあとを見ながら、「ほら、今が景気良いからって無責任に国民の税金や国からの補助金を遣ってしまえば、いずれ街全体が滅びてしまうんですよ、我らの町がこうならないように気をつけましょう。その為には〜」とやっている。

夕張炭鉱は一時期は北海道を支える一大産業だった。それが米国による「石油戦略」によって炭鉱が廃止される事になった時、国家から多くの補助金が出て、その補助金を遣って観光のど素人連中が自分の金じゃないからと無意味にコンサルタントに言われるままにハコモノを作り、運営の方法も分からないまま赤字化して、更にこのままじゃつぶれるからと市の予算=市民の税金を突っ込んだ結果として夕張は倒産した。

その結果、街には病院が殆どなくなり学校は閉鎖され企業は倒産して、残ったものは廃墟と老人と滅多に走らない路線バスだけになった。

何度も何度も言いたいことだけど、今の日本はこのままいけば間違いなく夕張化する。今ならまだ間に合う。国に蓄えがあるうちに国家や社会そのものを全部見直して作り直す事が出来る。政府は目先の政治闘争やってる場合じゃないし国民はばかお笑い芸人ばっかり見てる場合じゃない。

海外から見た日本は、すでに相手にされていない過去の遺物である。今回会った韓国のビジネスマンも、聞けば日本には一度も行ったことがないと言う。けれど将来性のあるドバイやシンガポール、アフリカ、英国等に積極的に出張して自分のビジネスを拡大させようとしている。

コップの中のお湯は今は居心地が良いだろうが、間違いなくそのお湯は熱湯に変わりのんびりとオンセン気分でいた蛙は煮えたぎった熱湯の中で死んでしまう。

香港に向う飛行機は昼過ぎの便という事もありネクタイをしたビジネスマンが多い。皆パソコンを引っ張り出して仕事をしてたり各国の経済新聞を読んだりしている。

日本−香港間くらいのものだろう、ビジネスマンがビール飲みながらスポーツ新聞の「今日のお勧めソープ」とかを堂々と広げて読んでいるのは。

こういう、ちょっとしたところから国の違い、てか、人々の意識の違いを感じる。

Tomorrow never comes , 少なくとも自分だけは常に危機感を持ちながら生きていこう。




tom_eastwind at 00:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月28日

Jazz in Soul

610401cc.jpg僕が初めてソウルを訪れたときはポニーと言う韓国製の小型車で街が一杯だったのを覚えている。
今はそれが現代自動車の中型から大型の随分とかっこよい車に変わっていて、こんなところにも時代の流れを感じる。変わっていないのはソウルっ子の運転の乱暴さくらいか。

ソウルでのミーティングは昼過ぎから夕方まで喋りっぱなしで、途中から本当に酸素不足になるんじゃないかってくらい細かい点をぎしぎしと詰めていく。

お互いに英語がネイティブではないわけで更に彼らは韓国ビジネス独特の言い回しをそのまま英語にして話すから、途中から「この人、何言ってるんだろう?」とほんとに分からなくなることがある。

真剣に議論している最中に段々相手が何を言ってるのか分からなくなるもんだから頭の中で相手の言いたいことはこうなんだろうとまとめていると突然相手が「あの、わたしの英語分かってますか?」

「いやいや、分かってないんですよ、けどそれはあなたの英語が分からないのもあるけど、それ以上にあなたの理論と話している内容が矛盾するから悩んでいるんですよ」なんて言えるわけもないから失礼にならないように問題点をもう一度整理してから次に話を持っていく。

韓国で生まれ育ち韓国の法律でビジネスをしている人からすれば常識のような事でも、ニュージーランドからすれば常識ではない。ここでもやはり、「子供には旅をさせろ」ってのを感じた。

それでも彼らは終始友好な笑顔でいろいろと話しかけてくるので次第にお互いの抱えている問題点が見えてきて、そうなると後は着地点をどこに置くかだけなので話は早い。

話をまとめてホテルに戻るタクシーに乗ると、ソウル市内はすごい交通量だね、車で溢れている。聞くところによると人の数より車の数が多いという。

それにしても皆がケンチャナヨ精神、つまりどうにかなるさと明るい。道を歩いている人でもよく笑うし人懐っこいし、屋台の物売りの人々も楽しそうに汗を拭きながら仕事をしている。

ちょうど昭和後期の日本のようだな、明日は今日より必ずよくなるって感じている。

韓国は1990年代に通貨危機を経てそれまでの財閥が解体され社会の上部にいた(いるだけだった)50代の役職者が次々と首切りに遭い、その結果として若者に出世の道が開かれた。

同時に当時の金大中大統領の下に韓国映画の振興やスポーツへの取り組み強化などが行われ、あのあたりから急激に韓国が変わり始めた。

ぼくが始めて訪れた頃のソウルはどこに行っても古くて細い石畳の路地と背の低い瓦屋根が続く街並みだったが、今ではまるで昭和後期の東京以上に街並みは整備されている。ちょっと路地に入るとあいも変わらぬ風景が続くが、これは感覚で言うと新宿駅前の裏に行くと上野や日暮里の商店街にぶつかるって感じかな。

それにしても社会に何よりも大事なのは、明日は今日より絶対に良くなるって言う人々の思い込みである。本当にそうなるかどうかなんて明日の事は誰も分からない。けれどそうやって明日を信じて今日を一生懸命生きれば、こんな楽しい事はない。そうしてその楽しさが段々と周囲に転移していき、町全体の活気に繋がる。

とにかく今の日本の閉塞感は、日本国内にいては感じる事は出来ない。今の日本はゆで蛙状態で、昔の財産を少しづつ食い潰しながら生活をしているようなものだ。

まだ暫くはいける、自分は何とか逃げ切り出来る、そう考えている上層部の人々が出来るだけこの状態を変化させずに長続きさせようとする為に、若者の起業は法律を変えてでも叩き潰し、長いものに巻かれる若者だけが何とか生きながらえるんだと信じ込ませ、政治や社会なんかの事を一切考えさせずにバカなテレビの下らない低俗お笑い番組を見せて、職場の話題はお笑い芸人と俳優のスキャンダルと周囲の人事の話題ばかりで一日をおわらさせる。

既存の業界で若者が台頭しようとすると既得権益者たちが昔なじみの政治家を使って法律を変えたり役人を使って行政指導をしたりしてよってたかって叩き潰し、それではと若者が全く新しい産業を作ろうとすると今度は役人が自分たちの既得権益を守る為に役人による役人の為のxx財団やxx協会を作って彼らを取り込もうとして、それが駄目だとなると法律を変更してでもそのようなビジネスを叩き潰そうとする。

まさに地下数百メートルの洞窟に閉じ込められた連中が残り少ない食べ物と水を少しでも自分の取り分を増やそうとして相手を爛々とした目で睨みつけ、若者が何とか穴を掘って地上に出ようとすると、そんな事して今のこの空間が潰れてしまったら困るから若者の足を引っ張ってじっとしておけと怒鳴る。

その結果としていつか食料も水も尽きるのは分かりきっているのに、自分たちだけが老衰で死ぬまでこの穴が保てればよいと思ってる連中は、これからさきの将来がある若者の事など考えようともしていない。

韓国にもいろんな規制があって大変だという話を聞いた。例えば投資一つするにしても小さな会社に身の丈以上の資金を投入するとそれは税金の対象になるとかだ。

だから韓国の若者は海外に出て自由なビジネスをしようとしている。その為にまずは国内の資金をどうやって海外に持ち出すかが最初の関門である。

今回は彼らに資金の持ち出し方や海外での運用方法、将来的には家族信託を設立する事で韓国内の各種税金を逃れる方法もついでに説明をしたら、彼らは目を丸くして「ほー!そんな事も出来るのか、てか、何であなたはこんな事をわたしたちに無料で教えてくれるんですか?」と聞かれてしまった。

いやいや、特別な話ではないしニュージーランドでは普通に会社を経営している人なら誰でも知っているような話ですよと言うと、ますます彼ら同士で顔を見合わせていた。

仕事が終わりホテルに戻ってシャワーをすると、時間はもう8時過ぎていた。外に出るのも面倒だなと思ってホテルのレストランを探すと、何とコンパスローズというバーがある。これ、東京の定宿のバーと同じ名前だべさ。服を着替えて本を一冊持ってコンパスローズに行くと、そこはバーと言うよりも食事も出来るしカウンターでお酒だけ飲んでも良いレストランだ。

メニューを見るとそこには「クラブハウスサンドイッチ」が21000ウォン、だから大体2100円。おいおい、メニューまで同じかよと思って注文して、出てきたものにまたびっくり。お皿のサイズからサンドイッチの数、横に添えたフレンチフライの形、そして味までが殆ど同じなのだ。

なんじゃこのホテルチェーン、もしかして世界でメニューまで統一をしているんかいなって本気で思った。

サンドイッチを食べながら20:30から始まるジャズ演奏を楽しむ。ピアノとベース、サックスにボーカルの4人編成でスタンダードジャズを楽しそうに演奏しているのを眺めながらソウルの夜は更けていきました。


tom_eastwind at 00:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月27日

どこの国でも

bf25450d.jpgみゆきが学校の休暇でオークランドに帰ってきた。今日から2週間のお休みだ。彼女も久しぶりにテストや宿題から解放されてゆっくり出来そうだ。

夕食は皆でつつける寄せ鍋。前の晩から作っておいた鳥ガラスープを使ってニュージーランドの野菜と肉、塩は日本で買ってきた「やくやもしお」の天然塩なので、スープも材料もとても自然な味。

卵は勿論ゲージフリーの有機卵。1個が1ドルだから65円するけど、これが本来の価格でしょう、生産者の事を考えれば当然の価格でしょ、今の日本の価格が安すぎなんだもんね。

結局日本は皆が競って値段を下げて皆が平等貧乏になり、ニュージーランドでは皆が競って価格を上げて皆が少し生活に余裕がある平等になってる。

これはゲーム理論で考えれば、ニュージーランドでは皆が同じ価値観、つまり徒なりが価格を上げれば自分も上げるし他人が稼げば自分も同じだけ稼ぐ、ダンピングをする会社が出てきたら関係者全員で叩き潰して元の価格に戻す、そういう意味で平等になってる。生活をした事がない人には分かりにくいだろうが、生活をする人間からすればよほど合理的である。

そう言えば日本って、塩一つ取ってみても昔は専売公社が全部国営で作ってたんだよね、独占企業として。民間企業には独占禁止法なんて作って縛っておきながら国が独占するのはOKなんだから、今考えてみれば実にうまい仕組みを作ってたものだ。

あの頃は塩化ナトリウムの塊だったから塩が美味しくない。美味しくない人工塩と形だけ整えて栄養価がすっかり抜け落ちた農薬漬けの大量生産野菜を「美味しいし栄養があるんだから」なんて、よくもまあ昭和の時代の人は我慢強かったよね。

こうやってオークランドで家族が皆揃って自然の美味しいご飯を食べてると、要らん世話ではあるが日本で化学調味料と中国製農薬にまみれたコンビニ弁当を買ってアパートに戻って一人で食べてる独身って、ちょいと可哀相だなと思ったりする。

食事の最中に奥さんが今日あった事をちょっと不愉快そうに話し始めた。

「今日ね、中国人の友達とマヌカウシティのカフェでお茶飲んでたらさ、キーウィのおばさんが通り過ぎながら”ここはニュージーランドよ、何で英語で話さないの?”って言われたのよね。まだこんなレベルのおばさんがいるんだよね、シティの南では」

まだそういうレベルの人がいるんだよね。日本で生活をする白人は仲間内では当然のように英語で話をする。ではそのおばさん、日本に住んでるキーウィに向って「あんた、ここは日本よ、日本語で話しなさいよ」なんて言うか?

キーウィは悪い連中ではない。ただきちんと教育を受けて物事を順序だてて考える事が出来る人は良いのだが、そうでない連中は何も聞く耳を持とうとしないどうしようもない頑固なのである。

まあどこの国にもこういう連中はいるものだ。自分の狭い世界しか知らず自分の知ってることが世の中のすべてだと思い込んで自分は間違ってないと思い込む。物事を置き換えて考えるとかが出来ないんだよね。

そんなことがあってもうちの家庭は楽しく笑っていられるし、年がいくつのおばさんであっても脳みそは5歳児程度なのだから気にもならない。

まあもし次にそんなおばさんが「ここはニュージーランド、英語を話せよ」と言うんだったらその場で「おいおい、ここはニュージーランド、あんたはMAORI語で話せよ」と言い返してみたら面白いかもしれない。

写真は香港の街角にある新聞スタンド。おい、ここは香港なんだ、何語で喋ればいいんだ(笑)?




tom_eastwind at 03:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月26日

サマータイムブルース

875284e4.jpg日曜の朝、いつものようにベッドの横の時計を見ると7時30分。今日は日曜なのでベッドを出る時間が少しくらい遅くても問題ない。

パソコンを立ち上げお湯を沸かして、ウーロン茶飲んで一息ついて、さてっと龍馬くんの朝ごはん作りだ。とは言っても一年のうち半分以上は出前一丁とかマルタイ棒ラーメンなのであまり手間はかからない。むしろラーメンに入れるゆで卵の方が作るのに時間がかかったりする。

飛行機は14:20分発なので12:20に空港に着けば良い。てーことは自宅を出るのが11:45で間に合うな。えーと、今が8時だからまだたっぷりと時間があるなとか考えながら、僕は朝から卵とじそばだ。

蕎麦を食べながらネットで記事検索、「押尾の逃げ切り」とか言うけど、これは立件は無理スジでしょ、感情論としては分かるが二人で麻薬やってる最中の出来事でしょ。

女性が薬で苦しみ始めたからと言って、今電話したら助かるとか今電話しても助かるわけがないとか、彼に判断出来るだけの知能がないのは分かりきったことだ。

彼女を放置して逃げた事は道義的に問題があるとしても、それを言い出したら自殺しそうな友達を放置したからって自殺幇助になるのか?カネがなくて山手線に飛び込んだ人はおそらくその前に周囲に相談していたはずだが誰も救わなかった。政府でさえも困っている人を救わずに自殺に追い込んだのだからまさに政府による放置である。

もっと言うなら例えば子供が虐待されている家庭の隣人が警察に通報もしないし児童相談所が相談を受けたまま放置して子供が親に殺されているんだから、隣人も児童相談所も未必の故意か殺人幇助でしょ。

だから本気でやるんだったら児童相談所も警察も「これは個人の過程の問題だから」とか「民事に警察は不介入」とか言って逃げるのではなく、ニュージーランドのように予防に力を入れて冗談でも親が子供の頭を叩いたらその場で逮捕されて留置場に放り込まれるくらいの厳しさが必要である。

しょせんみんな責任逃ればかりで本気で他人の事や社会のシステムを良くしようなんて考えてなくて、自分の事は棚に置いといてマスコミに押尾の記事が出れば、そしてその場の感情が盛り上がれば自分が正義の味方になった気分で言いたいことを言い、十日もすればすっかり忘れているのだろう。

これも所詮はマスコミ取材に対して押尾が生意気だからマスコミは「へ、おれたちに逆らうのかよ、ぼろくそに書いてやる!」となり、マスコミ記事に義憤を感じた一般大衆が引きづられて、逮捕実績を増やしたい検察が乗っかっただけのケースであり、まさに大東亜戦争で誰も責任を取らないままに戦局を拡大させて日本を破滅に追い込んだ図式である。

そんなこんなと記事を読みながらパソコンとIPhoneを何気なく見ると、あれれ?時間が違ってる。ぼくの目の前にある時計は9時30分を指しているのにパソコンとIphoneは10時30分・・・・・サマータイムじゃんか!

やばし!今日からサマータイムが始まったんだ。そういえばそんな事もちらっと聞いてたが、いつもだと10月から始まるのに、今年は9月からですかい。

ぼくはたまたまインターネットに繋げてたから分かったんだけど、家族はまだ誰も知らない様子。みんなのんびりとゲームをしたりテレビを観てたりしている。ちなみにうちはスカイTVも契約していないし普通のテレビもアンテナが壊れてから映らないので外界との繋がりはインターネットのみ。

ぼくは少し慌てて「おーい、今日からサマータイムだよ」と言うとお母さんとみゆきは「え?今年はそんなに早いの?」とびっくりした様子。

ところがりょうまくんはいつものとぼけた様子で「おとうさん、今はSpringだよ、Summerじゃないよ〜」と言ってから「あ、おとうさん、分かった、Day Time Saving の事を言ってるんだね、な〜んだ」

ちぇ、いよいよ子供に英語の間違いを指摘されるようになったか(笑)。

早めに朝ごはんを切り上げて荷物を準備して、いざ空港へ。今日はピーカンです。

ところでサマータイムブルースと書いて清四郎よりもWHOを思い出すのは僕の年代までですかね。




tom_eastwind at 03:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月25日

ソウル

日曜からソウル出張だ。日本出張時、急な案件で北海道に飛んだので出張が2週間くらいに伸びて、さらにオークランドに戻って4日で家族とはなれて北半球である。

今年は本当に忙しい年だな、とくに移住は今月と来月は視察ツアーが目白押しである。


移住と言えば当然永住権をどうやって取得するかって事になるのだが、ちょうど3年くらい前に取組んでた英語学校⇒専門学校⇒永住権というコースが最近次々と永住権取得している。

最近の流れは起業家部門だろう、これもこれからどんどん永住権取得に繋がっていく。今年になって視察に来られるご家族は学校コースを選んだり起業家コースを選んだりされているが、これも今年年末か来年初めには渡航、2年後を目処に永住権取得である。

そんな忙しい移住業務ではあるが、ぼく自身は最近むしろ移住よりも投資、ファイナンス関連の仕事が増えている。

ぼくの仕事の進め方は、まず何もないところに市場を作り、市場を安定的に拡大して担当部門に昇格させたらその部門に仕事を全部任せて、また何もないところに市場を作ることの繰り返しだ。

もともと10年前に移住の仕事をするって言った時は誰もが「あんた馬鹿じゃない?」と言われた。当時はワーホリビジネスの全盛期であり、その仕事を他人に任せてぼくが自ら移住の仕事を始めたのだから、そりゃ馬鹿と呼ばれても仕方ない。

移住部門の立ち上げ後は生活資金の送金などお金が動く機会が多い。その時に日本とNZ、英国とNZなどを比較して世界のファイナンスのルールを比較していくとニュージーランドが自由度が高いのが分かり、それを誰もビジネスにしていないのが分かった。

相続、生前贈与、海外投資、海外運用、様々な方法があるが、なぜニュージーランドの自由度が高いのかと言えば政府による規制が非常に少なかったからだ。

では何故誰もこの市場を活用しなかったかと言えばこれはまた笑い話なのだが、外国人からすれば南半球の羊がのんびり歩き回ってるニュージーランドのようなちっちゃな国は最初から視野になく香港やシンガポール、オランダを使ったスキームを考える。

同時にニュージーランドに住んで羊を育てている人からすればそんな北半球の金融の事なんて意味不明、分かるような連中は皆海外に出てビジネスをしてて国内に残った人々はそんな新しい手法があると想像も出来ない。

そこで発生したのが差異、つまり一物二価である。この国を利用したファイナンススキームは、実はかなり自由度が高いのだ。

元々商社は江戸時代後期に発達したが、彼らは北海道のニシンなどの産地の価格と消費地である大阪との価格差を見つけることで利益を出していた。つまり一物二価には常にアービトラージ、差異が発生して、そこにはビジネスの発生する余地があるのだ。

ニュージーランドをベースにした三カ国取引にすると、北半球で感じるようないろんな障害がすーっと抜けていく。この感覚は日本でファイナンスをやっている人たちには理解し難いだろうが、とにかく高速でコーナーを曲がる時の切れが無茶苦茶良いのだ。

リーマンショック後の金融政策でニュージーランドも段々ルールが厳しくなって言ってるが、それでも北半球に比べればまだまだ緩い。

ソウルの案件もファイナンス関連であり2泊4日の短期出張。機内に2泊してソウルと香港に1泊づつ。

NZの出国カードに「あなたは今回の旅行でどちらの国に最も長く滞在しますか?」と言う項目がある。今回は「機内」と書いてみようか。

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2010年09月23日

時限爆弾

51760fb7.jpg★抜粋開始
“次に、いわゆる「検察の裏金作り」のお話です。私は高知地検次席検事3年、それから高松地検次席検事3年、通算6年間それを実際に経験しました。

もうどっぷりと裏金には浸かってきました。検察庁には「調査活動費」の予算があるんです。調査活動費というのは、情報提供者に対して謝礼を払うことを本来の目的として設けられた予算なんです。

公安労働事件に関する情報提供に対する謝礼、それが出発点だったようです。そういうお金が裏金として使われるようになったのがいつ頃からなのか、私には分かりません。誰がこういう仕組みを考えたのかも分かりません。少なくとも、私が任官した昭和47(1972)年当時、裏金作りはなされていました。

どういうかたちでやるのかと言いますと、まず、架空の情報提供者を3、4人でっち上げるんです。例えばAという情報提供者を作ります。架空ですから実名ではありません。住所についても、もちろん実際にはそこにはいません。そして、その架空の人間に対して、原則5万円を謝礼として支払うんです。

例えば、ある右翼団体がいつ街宣するという情報をもらったという名目をでっち上げて5万円渡すことにする、そして、本来はその人から領収書をもらわなければいけないわけですが、架空の人物ですからもらえません。

領収書は、その架空の人物の名義で検察事務官が作成します。そうやって5万円の現金を浮かせるんです。中小の地検であれば調査活動費の年間予算は400万円です。

大阪地検であれば年間2000万円、東京地検では年間3000万円、そして、中小の地検で考えてみますと、1件5万円とすると年間80通の領収書を作らなければならないんです。それは事務官が全部作るんです、領収書だけではありません。
★抜粋終了

これが2002年に起きた三井環氏の告発の内容である。村木事件での無罪判決、鈴木ムネオの有罪判決、陸山会事情聴取と立て続けに検察関連の問題が出てきたが、こうなると次に出てくるのは元大阪高検検事である三井環氏であろう。

検察の裏金問題を告発しようとする寸前に別件逮捕され超微罪でありながら1年8ヶ月の実刑判決を受けて最高裁まで上訴したがすべて控訴棄却されて今年1月まで収監されていた。

彼が検察の裏金作りの実態を再度告発してそれを小沢一郎が検察を叩く為に利用すれば、これは検察が総崩れになる事は明らかである。

元々検察と言う組織はいわゆる官僚組織から切り離された独立した存在であり、彼らの上にいるのは検事総長と法務大臣だけだが、法務大臣だって独立した検察官の案件に直接口を出す事は法律上禁止されている。

つまり、政治家からの不当な干渉を避ける為に作ったバリアーが今度は検察そのものを告訴する組織がないと言う自衛バリアーに変化したのだ。そしてこれをうまく利用して官僚や政治家がその時その時に自分たちの都合よいように利用してきた結果として、誰も手を出せない怪物になってしまった。

昨日も書いたが、組織は腐る。長くなればなるほど腐る。必ず変化を続けていかねば健全な体として生き残っていく事は出来ない。

ある時は官僚と組み、ある時は政治家と組み、けれど一度も国民と組むことのなかったぬえのような組織と言われても仕方ないだろう。

今までも修正する機会はいくらでもあった。自分たちが変わろうとすれば国民の為の検察になることが出来た。けれど結局、外部の暴力的な力によってしか変化出来ない組織。

★記事抜粋-朝日新聞より
小林検事正は22日までの朝日新聞の取材に対して「書き換えられた疑いがあると報告を受けたのであれば覚えているはずだが、そういう言葉は覚えていない」と説明している。
大坪部長らは地検トップの小林検事正と当時の玉井英章・次席検事(現・大阪高検次席検事)に「前田検事がFDのデータを書き換えたといううわさがあるが、意図的に変更した事実は考えられず問題ない」などと報告したという。
★記事抜粋終了

「そういう言葉は覚えていない」と言うのは、「書き換えられたと言ううわさがある」とは聞いたが「書き換えられたと言う疑いがある」と聞いてないって意味の言葉遊びだ。逃げ切れると思っているのか?

書き換えたのならば元に戻せば良い。戻した時点で証拠価値がなければ利用しなければ良い。意図的に変更したかどうかではなく、証拠に手を加えた時点で証拠価値が無くなるのは捜査の基本中の基本であるのに、それでも何とか言葉尻を合わせて逃げまくろうとする選良たちの後姿の醜さ。

“もったいないから”と国民の税金で集めた領収証不要の5億円以上のお金を自分たちの麻雀やゴルフや飲み会に使った連中は、“みっともない”と言う日本語を知っているかと聞きたい。

ここで勘違いして欲しくないのは、カネを使うなと言ってるのではない。毎日大変な業務であり国民に見られているというプレッシャーもあるだろうから時には麻雀やゴルフも行きたいだろうし酒も飲みたいだろう。

しかし問題は、飲みたいからと言って手を突っ込んだ先が国民の米びつであったと言うことだ。飲み代が欲しければ堂々と昇給を要求すれば良い。自分ら並みに頑張っている民間の部長クラスの給料をくれよ、でなきゃ働かないぞと訴えれば良い。それがスジである。

なのに盗り易い所からだけカネを盗るというのであれば、あなた達が毎日逮捕している泥棒とどこが違うのかと聞きたい。

多くの日本人がどれほどくそ真面目に、ある意味他の国の人から見たら理解出来ないほどに法律を守ろうとしているか理解しているのだろうか?

苦しくてもスジを通そう。例え一杯の水でも盗泉の水は飲まない、その気迫が要求される職場だからこそ、日頃の世間からの賛辞を得られるのではないか。



tom_eastwind at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月22日

ソフト革命

郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件をめぐり、大阪地検特捜部の主任検事が押収品のフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんした疑いがある問題で、最高検は21日、証拠隠滅容疑で捜査を始めたことを明らかにした。最高検の検事を主任として数人のチームをつくったという。最高検が自ら捜査に乗り出すのは極めて異例。大阪地検も事件の捜査を指揮した前特捜部長の大坪弘道・京都地検次席検事らから一斉に事情を聴き、FDのデータが書き換えられた経緯や押収品の当時の管理状況を把握する方針。


 朝日新聞の取材などによると、主任検事は前田恒彦検事(43)。FD内には、厚生労働省元係長の上村(かみむら)勉被告(41)=虚偽有印公文書作成・同行使罪で公判中=が2004年6月に自称障害者団体に発行したとされる偽の証明書や文書の作成データなどが入っていた。「04年6月1日」とされていた証明書の文書の最終的な更新日時が、特捜部がFD保管中の昨年7月13日に専用ソフトで「04年6月8日」に書き換えられていた。

 現場の捜査を取り仕切った主任検事は地検の聴取に「上村被告によるデータの改ざんの有無を確認する際にインターネットで(専用の)ソフトをダウンロードした。データを書き換えて遊んでいるうちに更新日時が変わった可能性があったが、そのままFDを(被告側に)返却した」と説明。しかし、朝日新聞が上村被告の弁護団の承諾を得てFDの解析を依頼した大手情報セキュリティー会社の担当者によると、このソフトはデータを書き換える際に使われるもので、改ざんの有無をチェックする機能はない。

 地検はこうした主任検事の説明が事実かどうかを確認するため、主任検事の上司だった大坪前部長ら当時の特捜部の検事や検察事務官から事情を聴く必要があると判断。特捜部の検事11人のうち主任検事を除く10人が今春の人事異動で他の部署に移っており、21日から地検に呼び出すなどして説明を求める。

9月21日朝日新聞より

やってくれましたね、小沢さんの宣戦布告ですな。

今までは特捜がどんな国策捜査をやってデータ改ざんしても一切罪に問われる事はなく検察側のやりたい放題、反対に言えば一度検察に睨まれてしまえばたとえ無罪でも罪から逃れられる事は出来ない検察国家という事実だった。

今でも「お上が間違った事をするはずがない、彼らが告訴する連中は何か悪い事をしているんだ」と無邪気に信じ込んでいた人は多いだろう。

特に高齢者で知識欲がなくて長いものに巻かれるのがdaisukiで物事に疑問を感じないまま先生の言う事を素直に正しいと思い込んで、時を空けて前後で矛盾する話があっても過去の事は一切思い出さないままにお上が正しいと言ってた人たち、今回の事件をどう思いますか?

ところでこのように検察が検察を裁くという事は今まで絶対にあり得なかった。それは検察や警察が絶対に間違いを犯さない、犯罪を起こさないと言う伝説が連綿として続いていたからだ。

しかしどのような組織も新陳代謝がない限り、絶対に腐る。古い組織であればあるほどとっても腐る。これは歴史的事実であり、自分たちは選ばれた選良であると言ってもこの「組織は腐る」と言う真実から逃れる事は出来ない。

だからその真実に従い検察組織は腐敗していった。それは、社会秩序を保つと言う治安機関がいつの間にか「自分たちの社会だけが生き残る」ための組織に変貌してしまい、検察内部や警察内部で裏金作り告発が起こるまで続いた。

このような事件が起こるのは「検察の人間でもミスをする」と言うことではない。今回の事件はいち検察官のミスではなく組織が必要に応じて自分たちの都合に良い処理を「いつものように行った」だけであり、検察が行う作業であるが、それを今までは表に出さなかったと言うだけだ。

つまり自分が作った筋書きに合わなければ現実のほうを訂正してしまう検察の思考方法である。これはある意味戦前の日本の軍隊の考え方と良く似ている。

戦前の日本の軍隊は300万人の大組織であった。そこでは兵隊に支給される靴のサイズが合わなければ足を合わせろという考え方で、本当にそんな考え方でこの巨大な組織が動いていたのだ。

だから合理的発想で戦争を仕掛けてくる連合軍に対しても、現場では靴に足を合わせる涙ぐましい努力で互角に戦いながらも、軍部の上層部では「自分たち選良に間違いはない」という、まるで宗教のような思い込みで組織を動かした結果としておお負けに負けた。

検察の偽造事件が今回表に出るようになったのは、検察に対して政治が強く挑戦を仕掛けたと言うことである。それも決して正義感からではなくあくまでも誰かの利益の為に。では誰が?

今の政治状況から見てそれが小沢一郎であることは殆ど間違いないだろう。彼クラスの政治家でない限りこのような事を実行できるわけがない。

今までは官僚と検察が手を組むことで国家警察体制を敷いていた日本では「選良は間違わない神話」で自分たちが絶対に潰されない自己防衛能力を持った組織を作り上げて政治家よりも上の位置から自分たちの利益確保に走った。

今回の事件は「たまたま個人が証拠を偽造した」のではないし「たまたま正義が働いて悪い奴が見つかった」わけでもない。

大きな政治と大きな官僚の真っ向の対決である。

ここで官僚のピストル役である検察を崩壊させてシステムとして国策捜査や証拠偽造を出来ないようにすれば、それで官僚体制の外堀を埋めた事になる。

まだ始まったばかりであるが、このソフト革命が起動に乗り、官僚が国民の為に政策を検討して政治家が国民の為に最も良い政策を選択実行する、そういう当たり前の世の中になってもらいたいものである。

国鉄がJRに変わるとき、多くの人間が「今まで労働組合でストライキやったり横暴な口でいかにも乗せてやってるんだ的な感覚で乗客に接してた国鉄の連中が民間のようなサービスが出来るわけがない、ましてや民営化なんて」と言ってた。

しかし今、国鉄は見事なまでにJRに変化してソフト面では乗務員の礼儀態度や車内販売からエキナカ、ホテル経営までこなしており、ハード面では鉄道技術を海外で売り込もうとしている。

人は、トップが変われば変われる。トップが優秀であればあるほど、変化出来る。ましてや官僚、優秀な能力は持っているのだ。今必要なのは腐った組織をゼロベースで再構築して、これから100年続く国民の為の治安維持組織を作ることだろう。

その為には地域警察の署長や交番クラスの警官については地域で公募や募集をするとか、もっと外部の血を入れるべきであろう。

今回の偽造事件の摘発の動機が正義から来るものではないのは分かりきったことだが、それでも今ここで誰かが検察と正面から戦わねば、またも長いものに巻かれろお上の言う事はご無理ご最もが続くのだ。

ここでとって加えたように「多くの検察官は真面目であり」などと書く気が失せているのは事実である。

ここで一気に検察と言う官僚の暴力装置を無力化して、真に国民の為の治安維持装置に戻ってもらいたいものである。


tom_eastwind at 07:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月21日

同じ記録でも

b5a85744.jpgイチローが大リーグでまたも大記録を更新しようとしている。

大リーグに行った日本人選手が全員成功しているわけではなく、すでに解雇されて日本に帰った選手もいるわけで、あれだけ長く現役をやりながら更に記録を伸ばせると言う意味でイチローはすごい。


などとスポーツニュースを見てたら相撲でどっかの選手が何十連勝ですごーいってのがあった。けどこれにはどうも疑問がつきまとう。元々相撲は娯楽でありプロレス等と同じで見世物だ。それが野球のように「記録」と呼んでよいものか?

江戸時代の終わりから東京で呉服屋を営み日本橋三越とかとも長い取引をしているような、本当の江戸っ子のおじいさんが一時期オークランドに滞在していた。ちょうどその時に相撲のやらせ問題、つまり八百長問題が新聞記事を賑わしてた。

古くから続く呉服屋でもあり谷町でもある彼は苦笑いしながら「何もこんな事書かなくてもいいでしょうに、ねえ」と言ってた。

「相撲は元々勝ち負けよりも谷町が連れて歩いて楽しむもので、自分の贔屓の力士と相手の贔屓の力士が相撲をして、どっちが勝ってもそりゃあまあ真剣な時もあれば周囲を楽しませる時もあるよね。大体相撲が全部真剣勝負ってなら、小学校なんかで相撲選手が子供相手に教えながら時々はこけてあげてるじゃん、あんなのが負けになると思う?」

「だからね、相撲で勝った負けたを言うのは分かるけど、楽しみでやってる相撲までそこまで八百長なんて言われても野暮だわね、勝ったら素直に勝った勝ったと喜べばいいのよ」

大体このような趣旨であったが、どうやらこの娯楽性は相撲の世界では常識のようだ。勝負自体が最初から「やらせ」なのだから記録と呼ぶには無理があるのではないか。

相撲協会としては賭博事件とか折檻で殺すとかとかく不祥事の多い相撲であるから何とか明るいニュースが欲しいのだろう。

ただ賭博やっちゃいかんと言うなら、じゃあ競輪競馬は賭博ではないのか?いやいや、相撲選手がやるのがどうかと、なんて言うなら政治家や官僚が今でも普通にゴルフで金賭けたりしてるのはOKなのか?

賭博事件など、要するに相撲の全体像を理解しないまま目先だけで記事を作ろうとしているマスコミ連中が叩きやすい連中を叩くだけの事である。

落水叩狗と言う中国の言葉がある。水に落ちた犬を叩くという意味だ。弱い連中を弱いからと叩くのは虐めの基本でありマスコミがやっているのがまさにそれだ。

今は反対に相撲選手の何十連勝がまるで世界の大ニュースみたいに大騒ぎしている事も同様だ。

これは磨靴(ちゃっはい)と言うごますりである。

ルールも厳格でない相撲で勝った負けたと大声で騒ぐのも結局今日の記事を埋めたいだけの記者の都合とマスコミに載ることでいくらかでも相撲に興味を持ってもらおうとする相撲協会の都合であり、世の中にはこのような連勝記事よりも、もっと他に書くことがあるだろうって感じ。

自分の今日のニュースのノルマをこなす為に他人の靴を磨いてみたり水に落ちた犬を叩いてみたり、まさに貞操観念ゼロである。まあそうでないと生き残れないのがマスコミなのだろう。


tom_eastwind at 14:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月20日

礼儀、てかマナー、てか

自分自身を中国大陸の山の中から出てきたばかりで、道路に唾を吐くわバスの行列に割り込むわ大声を出すわなど、いかにも田舎者と周囲の人々に知ってもらいたかったら簡単な方法がある。

それは国際線フライトが着陸するなり乗務員を無視してシートベルトを外して一瞬でも早く立ち上がって廊下を押えて上の棚からでっかくて真っ黒なカバンを周囲で立ち上がる頭を無視して椅子とかにごとんとかぶつけながらごそごそと引っ張りおろす事だ。

それで通路の出来るだけ少しでも前に行こうと、前方で荷物を降ろしている人を押しのけでもすればもう立派な中国人だ。

それに加えていかにも自分が利口でしょ、スマートでしょと自己満足笑顔を出しながら結局飛行機を降りてトイレに行ったりゆっくり仲間と動く歩道を全部塞いでぎゃあぎゃあやってりゃ、もう完璧ですよ。

今回は国内線も乗る機会が多く、それに福岡からだと途中で台北と香港を経由するので乗り降りの回数が多かった。乗り降りで合計すると22回だ。いろんな人種がいたわけで地域性とかもあるんだろうけど、少なくとも国際線の飛行機であまり早く立ち上がっても預け荷物はすぐは出てこないし他の乗客に迷惑なんだよね。

それで台北で乗り継ぎをする時も僕は最低の荷物しかないので棚から取ると座席に戻って坐っていたんだけど、後ろのほうでは棚から大きな荷物を下ろした赤ら顔にラフな格好のおっちゃん二人が周りを押しのけて前へ前へと進んでくる。

うざいな、なんだこの〜って心の中で思ってたら、先に降りていながら動く補導に横並び、まったく〜、とか思ったたらこの二人突然話し出した。

「おー、今日はあれやね〜」とか「まったくね」とか。

まったく・・・。





tom_eastwind at 23:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月19日

南へ南へ

地球には磁気があって、それが赤道のあたりでぐるっと逆回転しているのかもしれないが、それが体に合う人もいれば合わない人もいるだろう。

ぼくはどっちでもない。てか、基本的に世界中どこにいこうが時差も寝不足もない。体力だけは人一倍なのかな、はとの餌程度にしか食事をしない、思いっきり小食なわけだが、たぶんエネルギー転換率が無茶苦茶高いのではないかな。

普通の人は食事をしてもエネルギーに変わっている率はかなり低いわけで、そういう意味ではぼくの場合効率的だと思う。

だから、普通の人の半分しかご飯食べないたって何が問題かいなって思う。普通の人って自分が普通と思ってるんだろうけど、実は科学的には普通の人の方がエネルギー効率は悪いんだから、普通を語られてもどうなんかなと思う。

昨晩は結局DJのどんちゃん騒ぎで途中で部屋に引き返したが、まあこんな機会でもないと自分からDJを聴きに行くこともないので良い勉強、かな。

見たこともないような服装の若い女性やあり得ない服装の男性が続々と集まってわいわいやってるんだけど、ふーん、こんな世界もあるんだねって感じ。

さてっと、今日の飛行機でオークランドに戻ります。到着は明日の昼。



tom_eastwind at 08:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月18日

もいちど、西へ西へ

翌日は札幌から東京に戻り、東京から香港経由でオークランドに戻ろうと予定を立ててまずは東京へ。ところがぼくの航空券は日程変更は出来るけど区間変更が出来るかどうかは不明。おまけに週末なので発券箇所のオークランドに問い合わせしても答は返ってこない。だいいち東京の定宿が「今晩!あり得ん!絶対に部屋とれん!」とNO CAN DO である。

そうだよな、割引航空券で区間変更はきついよな、第一ホテルも取れないよな、じゃあ仕方ない、元の予定通り福岡に戻ることにする。友達と一緒に東京に戻って羽田空港で昼飯食いながら今後の打ち合わせをして福岡に戻ろうとすると、何とここでも!飛行機ほとんど満席!あり得ん!空席待ちを入れてから福岡のホテルに電話すると、ここも「満室!」。

おいおい、一昨日泊まったではないですか、一部屋くらいどうにかならないのって聞いても「NO CAN DO”」である。それにしてもこの連休ってすさまじいほどの込み具合ですね。

とにかく飛行機だけは何とか取れて出発5分前にゲートに駆け込み福岡行きの飛行機に乗る事は出来た。しかし当然のことながら飛行機は満席。運よく通路側に座れたのだが、隣に坐ったおじさん、てかおにいちゃん、てか、年齢は多分30前後だろう、若そうなんだけどすでに脳内加齢が始まってるようで、飛行機に乗るとすぐに靴を投げ出して穴の空いた黒い靴下でゴーゴーと眠り始める。

座席の肘掛の取り合いなんて全く興味がないので僕はいつも肘掛の内側に腕を突っ込むのだが、この人、昭和の農協じゃあるまいし、座席から肘を思い切り突き出してこっちらに寄りかかって眠り始めているのには困りモノ。

機内ではいくつかメールを下処理してから、T・R・スミスのグラーグ56を読みふける。

福岡に着くと早速ホテルに電話しまくり、5件目でやっと部屋が取れる。ふい〜、これで一息だな。明日の飛行機は午前11時前に福岡空港を出発するので、今晩は中州に出ずにホテルのレストランで食事しようとPCを持って降りる。

静かなお店でカウンターもあるカジュアルなレストランバーである。今の気分には丁度良い、カレーとかパスタとかの料理にチーズとかのおつまみがあるくらいが今日のぼくの気分だ。静かな店って落ち着いていいんだよね。

そこで片手でパスタを食いながら片手でメール処理とかしてると、暫くするとお店の人がにこにこしながらやってきた。「あのですね、今晩は10時からですね、DJライブなんですよ」・・・・・。

ふ=、日本出張最後の夜はDJライブですかい。


tom_eastwind at 01:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月17日

東へ東へ

本来の予定では今朝の飛行機で香港経由オークランドに戻る予定だったのが緊急の案件が出てきて正反対の方角、札幌へ。ほんとに正反対の方角だな、直行便でも2時間かかる。

連休だと知らずに予定を入れてからびっくり、福岡から札幌に行く便が殆どどれも満席!おまけに予定していた現地のホテルまでもが満室でダブルパンチ!

飛行機は何とか最後の一席を空席待ちで取り、打ち合わせの街を急遽50kmほど変更してから会議に臨むことになる。東京から合流する友達と待ち合わせ時間を決めてなんとか準備OK。

福岡から札幌と言えば共通点としてはどちらも食い物が旨い、人情があるってとこだろう。けれど札幌空港に着いて真っ先に感じたのは戦闘機のうるささだ。

ここは航空自衛隊も共同で使っている空港で仮想敵国は現在北朝鮮。空港に到着するなり物凄い爆音でジェット戦闘機が飛び上がっていく。スクランブルかかったのだろう、腹の下にはミサイルを抱えている。

どこまでも明るい空の下をお客様の車に同乗させて頂きながら「それにしてもオークランドからロトルアに行く景色とよく似ているな」とびっくりする。

昔日本に住んでた頃はしょっちゅう北海道には出張していたのだが、あの頃はニュージーランドの田舎を知らなかったので比較することもないままだったが、今回はじっくりと両方の景色を比べる事が出来た。

今回の案件はかなり大型のプロジェクトファイナンスだ。3カ国をまたいだプロジェクトにする事で顧客企業や投資家に対して魅力的な提案が出来るように仕掛けを作る。

ぼくらからすれば日常的に組んでいる国際ファイナンスだが、同じ英語とは言え日常会話とファイナンス会話の違いは津軽のおじいさんに標準語で話せというようなものだから、まずは投資家側が希望している内容を日本語に戻すところから始まる。

ところがこの内容は日本の銀行側では理解不可能。驚く事に大手銀行の大きな支店でさえ英語を話せる人が殆どいないので海外の銀行をかませることで投資家側の問題を解決させていく事にする。

今後は3カ国をそれぞれうまく時間調整しながら進めていくことになるが、それにしても日本の様々な商習慣は非常に面倒で非論理的だから国際的には通用しないので、なんつか他国のファイナンス担当者に申し訳ないような感じである。ごめんね、日本が足を引っ張ってさ、けど日本はこうなんだよねって、何で日本の規則大嫌いのオレが日本の代わりに謝らんといかんのかって感じ。

投資契約の際の基本通貨、準拠法、言葉の意味、契約形態、資金の移動方法などを打ち合わせて日本側の全体像を作り上げて提案出来るように仕上げる。あとはオークランドに持って帰ってビークルを作るだけだ。

夜はお客様のご招待で地元の会席料理屋に行く。刺身、美味しいね。牛肉、んまい。ぼくが今回訪問した街はいわゆる地方都市だけど、イメージでいけばロトルアかな。食事を楽しんだ後は、そのお客様に紹介して頂いた地元の飲み屋街を案内してもらう。

とは言ってもお客様は地元では有名人なので飲みに出るわけにはいかない。飲みに出ると確実に翌朝はお子さんの通う学校で「ねえねえ、昨日xxちゃんのお父さん、xxちゃんのお母さんところで飲んでたよ」となるからだ(苦笑)。これ、オークランドに住んでるのでよく分かる痛し痒しだ。

この日本のロトルア、飲み屋街は結構充実している。夏とは言え夜になるとヒンヤリする大通りに地元出身の可愛い子がほんやかした雰囲気で立ってて、ぼくらにいらっしゃいって声を掛けるわけでもないのは、どうやら常連さんが歩いてたら「あら、どこ行くんですか〜」って引っ掛けてやろうって事だろう、完璧にアウェイの僕と友達には見向いてもくれない。

なので仕方ないからこっちから明るく「こんにちわ、飲めますか〜」って声をかける。一瞬胡散臭そうにこちらを見て、けど一応まともな格好をしているので心の中で”ま、いっか”って事でやっとお店に入ることが出来る。ふ〜、大変。

「どちらから来られたんですか〜」
「ニュージーランドです」
「あ、、、そうですか」

これが東京なら笑いながら「うっそ〜、だったら何か見せてよ」と来るのだろうが、最初からお客の嘘なんてどうでもいいって思ってるのか、全く無反応。

西へ西へでも書いたが、事実は小説よりも奇なり、なのですよ。本当にニュージーランドから来て本当にこの街で今日泊まってお酒を飲んでいるんですよって事を伝えることさえ出来ない辛さ。

彼女たちからすればニュージーランドなんてそんなのあり得ないわけであり、この町で生まれて毎年冬には雪かきをして中学の修学旅行で初めて青函トンネルを使って本州に渡り東北を観光して高校の修学旅行で生まれて初めてテレビで見るだけだった”あのシブヤ!”にいくのが人生の大冒険なのだ。

地元の信用金庫には就職出来なくて他に仕事もないからこうやって夜のお店で働いているけど、飲みに来る人だって地元の信用金庫の社員とか市役所の役人とか、要するに「あ〜、だれそれちゃんとこのお父さんやん」と、どこかで必ず繋がっていく。

逆に言えばその安心感があるから気軽に働けるのだろう、東京のような殺伐とした雰囲気がない。どこまでいってものんびりおっとりで、そんな中に外国からやってきた日本人なんてのは、もうあり得ないわけだ。

家に鍵をかける習慣もないような街では犯罪等あり得ないわけだし外国に住む日本人もあり得ないわけだ。

週末と言うこともありお店は八割がた満席で、地元の人々で賑わっている。今日ここにあるものが明日もそこにある、何も変わらない風景と人々。

何も起こらない安心さと何もないけど幸せな空気。ん〜、ここってほんとにニュージーランドみたいだなって思った北海道。


tom_eastwind at 01:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月16日

放生会

c1bc9b81.jpgほうじょうえ、とか、ほうじょうや、とか呼ばれている博多の三大祭の一つに偶然ぶつかった。

福岡に到着してから行きつけの屋台「花山」にタクシーで行くと、ナンだか「どう行きますか?」とか、ここまでですよって言われる。

なんじゃこりゃ、花山って道路の横にあるんだからお店の前まで行けばいいんだけど、そう思いながら近くまで行くと、何と今日はほうじょうえ。

物凄い人ごみで道路は途中で封鎖されてて、タクシーで途中で降ろされた。

けど、うわ、懐かしいな。昔ぼくがこの街に住んでいた頃はほうじょうえには歩いて通ったものだ。

今回は天気も良く空気もからっとしてて、久しぶりに日本の祭りを楽しむ。それにしても今でもおばけやしきってあるんですね。

tom_eastwind at 23:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月15日

西へ西へ

2e8b3ad3.jpg名古屋で新幹線を降りるとホームのエスカレーターで左側に立つ。いつもの事であるが全員が見事に左側に並んでいる。

そして新大阪駅に着いてホームのエスカレーターに乗ると、全員が見事に右に並んでいる。

最終目的地の博多駅では、またも皆エスカレーターのヒダリに並んでいる。文化の飛び火か?

なごやの味噌カツは大阪にはないし、日本の文化と言うのは丁度このあたりで東西に分かれている感じがする。そういえば天下分け目の大合戦は関が原だから場所的には納得しやすい。けれどエスカレーターの並び方は違うんだから面白いものだ。

新幹線で新横浜駅を出て名古屋に行き、それから新大阪に移動、さらに今日は福岡へ移動だ。飛行機だと感じる事が出来ないが、西へ西へと移動するにつれて文化や景色の違いが際立って見えるので楽しい。名古屋から京都の間は古墳みたいな丸っこい山がいっぱいあるし、山口あたりから博多駅までは瀬戸内海や玄界灘が見える。

昔は食堂車があったけど、あれって儲からないのかな?列車の旅で温かいシチューとか食えて旨かったのだがな、などと思いながら福岡到着。

こうやって日本を旅していると一番面白いのは、どこの街の人々も結構自分のやってる事は日本標準と思っていることだ。

味噌カツは名古屋の人でも名古屋名物と知っているが、じゃあソースカツ丼はどうなのかとなるとあれは日本標準、日本どこにでもあると思っている人が多い。

大阪の恵方巻きなどまさにその例で、あれは元々大阪など関西の一部地域に限定されてたのだが、肝心の大阪の人は日本のどこででもやっている「日本標準」と思い込んでいた。

旅することで日本の中でも違いが分かるのに、同じ街から全然出ない人はどこまでいっても自分のやっている事が正しいと思い込む。世界に出ればもっとたくさんの標準や常識や考え方がある。

インターネットで検索しても地域性の違いや常識の違いは分からない。旅に出よう。

tom_eastwind at 21:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月14日

小ネタ 新横浜駅にて

これまた仕事とは全然関係ないし菅さんが首相を続投するニュースの方が世間的には圧倒的に大きいが、ぼくの個人的生活の中では日本で触れるもの見るものの方が記憶に鮮明になったりする。


駅の切符売り場

初老の男性が切符売り場に立つ。
「いらっしゃいませ」とカウンターの若い女性が声をかける。
「あのさ〜、えっとさ〜、あれだよ、あれ、あのさ」
「・・はい・・・どちらまでご希望でしょうか?」不安な彼女の声。
「いやさ、どちらってんじゃなくてさ、あれだよ、あのさ、名古屋までだよ」
「・・・・はい、本日のご乗車ですか?お一人様でよろしいでしょうか?」
「いやさ、見りゃ分かるだろ、おれ一人だよ、えっへへへ」意味不明な照れ笑い。
「お煙草は吸われますか〜?」
「何〜?たばこ〜?そんなもん、吸うわけないだろうが!」
それから突如思いついたように大声で
「それでさ、あれだよ、あの、グリーンだよ!」

ぼくはお一人様なので自動販売機で買えばよいのだが、日本の自動販売機はぼくの持っているNZ発行のクレジットカードを受け付けてくれない。なので仕方なく窓口に並ぶのだが、こういう人たちを最近良く見かける。

もともと自動販売機の使い方がよく分からない人もいるのだろうが、それよりもむしろ会話を楽しんでいるのではないかって雰囲気の人。

普段は一人暮らしなのか分からないが、切符売り場はキャバレーではない。買うのならさっさと要領よく買って順番待ちをしている行列に気を使ってもらいたいものだが。

「あ、そいでさあ、おれは明日、またここに戻ってくるわけよ、だからなんだ、あのさ、ほら、あれ」
「・・・・・往復切符で御座いますね・・・お帰りは何時頃の新幹線にされますか?」

「なに?帰り?、あ、そうか、帰りね〜、うーん、どうしようかな〜、おれさ、明日はまだあんまり予定が決まってないんだけどよ、ほら、あれだよね、暗くなる前には家に帰りたいでしょ、だからさ、あの、これか、この、20時新横浜着ってやつかな〜」
「あの〜、20時は夜の8時で御座いますが・・・・」
「え、あ、そうなん、なんだ、早く言ってよ、おれさ、そんな難しい書き方されてもわかんないじゃんかよ、ねえ」
「はあ・・・」
「じゃあさあ、えっと、何時にすっかな、えっと、この15:00到着ってのは午後3時だよな」
(わかってるじゃん・・・)
「はい、そうでございます」

行列は3名程度でぼくは一番後ろについたのだが、窓口が二つある中で右側を占領しているMrSilverは全然進まず、結局ぼくの前にいた3名は全部左側の窓口で片付いた。

窓口は両方とも若い女性だったのだが、ぼくも結局左側の窓口へ行く事になり「名古屋まで乗車券込みで一枚お願いします、空いていれば通路側をお願いします」と言って係りの若い女性にクレジットカードを渡しながら、彼女の視線がこっちを見た時にわざとちらっと右を見て、「大変ですね」と言うと、彼女も苦笑しながら「最近多いです」と言葉少なに笑ってた。

「あ、あのさ、おれさ、これがあるんだよ、これ」と言ってカバンの中からごそごそと取り出したのがたぶん高齢者用の割引証みたいなのだろう、パスポートサイズの赤い手帳を見せてた。

世間では民主党選挙と尖閣問題で大騒ぎだが、ぼくは個人的にこのネタの方がずっと面白かった。

日本が老齢化する中で寂しい人が増えているのかもしれない。これからの成長産業として「お話喫茶店」でもやったら儲かるのではないかな、なんてふと思った新横浜だった。


tom_eastwind at 22:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月13日

小ネタ


あんまり堅苦しいことばかり東京でやっているわけではない。異邦人が東京で感じたことも小ネタとして楽しく経験している。そのうちの一つ。


チーン、エレベーターのドアが開く。

僕は開いたドアと横に立っている若い女性を交互に見つめている。
彼女も開いたドアと僕の足元を見比べている。
その後エレベーターのドアは閉まり行き過ぎていく。

東京ではよくあることだ。

ニュージーランドでは通常はエレベーターのドアが開けば女性が先に乗り男性が後からと言うのが肌に染み付いた習慣だ。

ところが日本ではドアが開くと男性が堂々と最初に乗り込んで女性が後から「すみません」みたいな感じで乗り込む。女性が先に乗り込むなんて厚かましいとかみっともないとか考えているのだろう。

だから僕はいつもの習慣でエレベーターのドアが開くと女性が先に乗り込むのを待っているが、女性もなかなか乗り込もうとしない。そのうちエレベーターは通り過ぎてしまう事になる。

このあたりの「郷に入らずんば郷に従え」は難しいところである。日本人である僕がニュージーランドに移住してしまったのだから個人責任、エレベーターが開けば堂々と一番最初に乗る、くらいの気概?を持つべきなのだろうが、やはりそこはどうしても恥ずかしいと言う感覚がある。女性を押しのけて先に乗る?どう考えても恥ずかしいのである。

香港人はその点で実に現実的である。

香港でもセントラル地区は金融街で、ここの高層ビルは目を見張るほど背が高いがエレベーターもたくさんある。金融街の中でもxxビルやxxビルは英語が共通語で歩いている人も半分近くが白人などの外国人である。

こういう場所でエレベーターが開くと、誰もが普通に女性に先を譲るし、譲られる女性も当然のように先に乗りこむ。ところが同じ香港でもぼくが住んでいた地域(官糖)の住宅街にある居住者用アパートメントでは、エレベーターが開くとまず先に男性が乗り込む。それから女性が乗り込む。

この理由は、アパートのエレベーターは閉鎖空間であり男性がいつ強盗に早変わりするか分からない。だから男性を先に乗せておいて、女性がその籠に乗るかどうかはじっくりと安全性を見極めながら判断すると言うことになるのだ。

東京のホテルで強盗に早変わりする事はあまり考えられないが、二つの文化の狭間で行き過ぎるエレベーター。

さてあなたは次にエレベーターに乗る時に隣に異性、男性なら女性が、女性なら男性がいればどうしますか?


tom_eastwind at 21:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月12日

最近かなり込み合う移住相談室

0951e9b8.jpgうわ、随分薄暗い写真になったな。Iphoneでもフラッシュのない「古い機種」なので(笑)、あまりぱっとしないな。

それにしても忙しい。毎日いろんな問い合わせが入ってくる。「ぼくはニュージーランドに移住出来ますか?」から始まって「いくら払えば永住権もらえるんだ?」まで、たくさんの問い合わせが来る。

今日から東京で仕事開始、個人面談でこなしていくのだが、とにかく一件当たりが重い。お客様からすれば自分の人生を賭けているわけであるから真剣である。

なので説明会も限定12名にしているのだが、今回のように申し込みが集中した場合、同日に申し込みをしたお客様がいらっしゃればどうしても予約超過になる。

一時間で一組のご案内をして5組続くと5時間、これだけ続けて喋ると喉が渇く、とか喉が嗄れる、とかになるかとお思いだろうが、実はそれよりも相手の気を吸ってしまうことでぐったりしてしまう事が多い。

最近は気功の研究をされているドクターの書いた本を読んだりしているが、人間は間違いなく色んな気を発している。

気を感じれば気配になり、例えばドアの向こうに誰かがいる事を空気を通じて感じるように、相手と面談して話をしていると相手の気を吸い込んでしまい、これが自分の気を乱す事になりそれがぐったりの原因となる。

そして今日は説明会当日。12名の定員をオーバーして開始したのだが、参加の皆さんの気がこちらに流れ込んでくるのを思い切り感じる。

普段にも増してこの流れが強いのは、今回ご参加の皆さんの移住にかける真剣さが半端でなく強い証拠である。

添乗員をやってた時代から共通する事だが、ある共通の目的を持つ集団が講師であるぼくの話しに疑問を持った瞬間に流れる空気や、逆に全員が「え!そうなんだ」とびっくりしてこちらを見つめる時の空気の流れもびりびりと感じる。

説明会終了後は連続して個人面談だ。説明会では全体的な話を聞き、個人面談では「じゃあ私のケースの場合はどうなのでしょうか?」と言う疑問にお答えする。

移住における基本は3つある。まずはどのビザをどう取得するか、次に生活資金はどう運用するか、そして最後にどのような家族生活を構築したいかである。

この3つがそれぞれに複雑に絡み合っているのだが、誰にとっても移住など一生に一回の経験でありそんな事をやっている知り合いが居るわけでもないし、運よく知り合いがいたとしても彼や彼女から聞けるのは個人的経験であり自分のパターンに共通するわけではない。

だから3つの要素を少しづつ誤解して全部足してしまい彼らは「とんでもない絵」を自分で描いてしまうのだが、ぼくが最初にする事はその絡み合った間違った糸を全部ほぐしてその人に必要な絵に描き直す事だ。

しかし多くの方、とくに日本で成功した人生を送り失敗経験のない方は自分の頭の中でそれなりにまとめられた絵を否定されると非常に気分を害する。

気持ちはよく分かるが、だからと言って間違った事をやっているのを「はいはい、ご無理ごもっとも」と聞いていては僕の仕事は成立しない。ぼくの仕事は御用聞きやホストクラブのお兄ちゃんではないのだ。

けれどその人の持っている絵のどこがどう違うかを客観的にぶっ壊す為には、相手がたとえ気分的に納得したくなくても納得せざるを得ないだけの理論構成で迫るしかない。

これは結構冒険である。成功者を相手に喧嘩を売るような話し方をするのだからこっちが理論構成を中途半端にしたり細部の説明が出来なければたちまち相手の信頼を失い椅子を蹴っ飛ばして出て行ってしまうようになる。

幸い今まで椅子を蹴っ飛ばされた事はないが、それは相手が我慢強いというよりも出来るだけ事前に相手の資料を読み込んで資料請求から面談資料までメールに書かれていることや書かれていないこと、そして行間の眼に見えない文字を読み込むことがある程度成功しているからだろうと思う。

いずれにしてもこうやって過ごす土曜と日曜はまさに激戦の本番である。なので終了後は本当にもう、くたーっとしてしまう。

仕事が終わるとシャワーを浴びて吸い込んだ気を抜く。これはイメージとしてはグリーンマイルって映画で大男の黒人が口からピンク色の空気を吐き出す感じだ。

気を抜いた後は行きつけのバーのカウンターに坐って冷えた水割りを飲む。(話はそれるが最近の日本のバーに行って水割りと注文すると「どの焼酎ですか?」と聞かれる。あり得ん、水割りはウイスキーしかないっしょと思ってるぼくの常識はすでに日本では通用しない事をつくづく感じる瞬間である)

ふ〜、ほっと一息。早くオークランドに戻りたいなって思う一番の瞬間だ。

今日で説明会は終了、次回は11月7日だ。



tom_eastwind at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月11日

John とかね

Johnがさ、 Georgeとね、などと外人の名前を次々と並べていかにもたくさんの友達がいるんだよって日本人に半年後に会うと、JohnもGeorgeもいない。

あれ?どうしたんですか、共同で会社作るって言ってましたよね、そう声を掛けるとちょっとバツが悪そうに「あれね、結局よくわからない事になっててさ」と言う返事が返ってくる。

こういうガイジンは自分がNZ通でありなんでも知ってる出来ると言う雰囲気で日本人を騙す、よくある詐欺の手口である。

実際にニュージーランドに住んでみると英語名をたっぷりと覚える事になるが、それ自体は何の価値もない。隣のうちに住んでるJoanがうちの家の庭から流れ出てる水がうざいって文句を言うってレベルである。だから名前を知ってたりする事には何の意味もない。

なのにやっぱり白人に弱い日本人が海外に行って現地のキーウィ”JohnのGeorgeの”と言う人から話しかけられるとそれだけで結構舞い上がる。

何せ相手は白人様だ(当然だろう)、日本じゃまともに会話する事もないような人(当然だろう)だ、おまけに背は高くて(当然だろう)会社の社長(NZでは誰でも簡単に会社作れるという基本事実を知らない)で、いろんな事を教えてくれるんだ(悲しい事に殆どの英語は聞き取れていないんだけどね)、そんな彼と出会えたのは千載一遇の機会だ、是非とも彼と一緒に仕事をしようってなる。

さって、そこですかさず詐欺の話が舞い込むのである。金髪に碧眼の彼は優しい英語で話しかけてくれて、とっても儲かりそうなビジネスを提案してくれて、オークランドの現地視察をすると昼間の視察はさっさと切り上げて夕暮れの陽が沈むワイテマタ湾を眺める素敵なレストランで食事。

レストランには彼の奥さんも同席しており、二人とも英語で話してる!白人がにこやかに話しかけてくれる!

一丁上がり。

これほどに日本人はちょろい。この事実だけは、僕がオークランドで自分の眼で見てきただけでも山積みである。まあこれが戦後日本の白人至上主義の歩んで来た道なんだろうと思う。

生まれた時から自我を持たずに勉強して北朝鮮やポルポト政権下の国家のように生きてきた日本は、幸運なことに彼らの国家のように経済政策を失敗しなかったからまだ良かったと言えたものの、それも1980年代までである。

ビジネスはどこの国でも同じだが、わからない事はやらないのが基本である。相手の話していることが少しでも疑問があれば質問する。ましてや法律も習慣も違い海外で何も分からないままに相手を信じて商売をする危険性はむっちゃくちゃに高い。

キーウィのセールスは、「A is best, so you have to buy A」である。客がそれを欲しがっているかどうかなんて関係ない。自分の売上がすべてである。このことが日本人にはどうしても理解出来ないから素直に騙される。

どこの国に行こうが財布の紐はきっちりと締めましょう、それが基本です。



tom_eastwind at 02:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月10日

税金払いますか

66057107.jpg空き巣の話。オークランドに限らずだが、ニュージーランドでは空き巣が多い。大阪の自転車泥棒と同じで遊び半分にやっているのだろう。

逮捕される事もまずないし、逮捕されたとしても殆どの場合は無罪または週末の勤労(草むしり)10週間とかくらいなので、空き巣でうまいことPSPや高額のテレビをかっぱらって費用と効果を比較すれば、空き巣は決して悪いビジネスではない。

盗まれた方も警察に届けて保険会社に請求すれば被害は大体カバー出来るので、実際の損失はあまりない。むしろPSPよりも割られた窓ガラスの片付けとかが馬鹿らしいくらいだ。

なので地元の人はアラーム装置を付けたり警備シールを貼ったり犬を飼ったりして被害を防ぐようにしているが、あれってさ、何でか分からないが被害に遭う人はよく遭う。遭わない人は全く遭わない。

たぶん本人が出しているオーラの問題か?などと思ったりもするが、日本人がこのような空き巣に入られた場合、大体同じ反応をする。

まずは「警察が何もしてくれない!」であり、次は「誰かが触ったのかと思うと気持ち悪い」だ。

「警察が何もしてくれない」と言う点についてはYESだ。何故なら警察も空き巣のような犯罪は犯罪として認識をしててもそれを処理する為の費用を考えれば保険会社が処理するのが費用対効果が合っている。

こんな事書くとまた「何だあオマエは!犯罪を許すのか〜!」と言われそうだが、いやいや、費用対効果の問題で警察がこう判断しているのだから、それなりに理屈は通っていると言う事。

第一犯罪って何だ?大阪の自転車泥棒は犯罪ではないのか?新宿の夜の酔っ払いのたちしょんは犯罪ではないのか?赤信号を渡ったら犯罪か?駅前を裸で歩いたら犯罪か?あ、こりゃ犯罪だ。

書き出したらきりがないのだけど、自分たちが言ってることがおかしいって事を考えずに一段階論理で考えるから無理がある。

この場合、犯罪を許すかと言えば、では何が犯罪でありどの犯罪を罰するべきかと言うことになる。第一犯罪とは裁判所が判決を出してから初めて犯罪となるのであり、起訴されただけでは犯罪人ではない。

なのになんで一般市民が神様のように「あれは犯罪だ」と決定するのだろうか?

まあこれも書き出したらきりがないのでまとめると、要するに空き巣に入られたと言ってもその犯人を捕まえる為にかかる費用と捕まえた事による社会的利益を考えれば、保険会社に任せたほうがよいのだ、何故なら警察は税金で賄われているからだ。

空き巣の犯人を捕まえてくれと言う。ならばその為に警察がどれだけの手間をかけるだろうか?数名の専任捜査員を派遣して指紋を取り次に科学捜査を行ったり付近の聞き込みを行うだろう。そうやってかかる費用はいくらだ?

捜査員だけの費用ではない、彼らが動く為には兵站が必要であり、警察署にはその為の総務課や人事課やさまざまな組織がある。

そういう費用を全部合わせれば、そして捜査期間が一ヶ月くらいかかれば一つの空き巣を調べるだけで数万ドルの費用がかかるのは自明の理であろう。

さて、空き巣はいくらのものを持っていったのだ?てか、被害者が徹底的に犯人を捜してくれというならその費用を被害者は負担するのか?

普段は税金が高いとか納税の文句を言ってるのにいざ自分が被害に遭ったらその税金で働いている警察を目一杯利用して「犯罪人を捕まえるのだ〜」と言うのはどうなのか。

結局そこで費用対効果の問題が出てくる。もちろん重罪の場合は警察はすぐ動く。このあたりはぼくもいろいろと経験したのでよく分かる。

しかし警察にとって空き巣はそのような重罪ではないし、費用対効果が合わない。どうしてもやって欲しければ、じゃあ警察の増員をしますよ、税金上がりますよ、それでも良いですか?と言うことになる。

そして「気持ち悪い」と言うことばは恐らく世界でも日本でしか使われない感覚ではないだろうか。あまりによわっちく無意味な言葉である。

気持ち悪いって英語では何と言うのか?そのまま英語にしたら、じゃあ病院に行けば?となる。

いずれにしてもニュージーランドにいながら日本の感覚だけで生きていこうとするのが無理があるわけだし、警察のあり方、税金とは何か、では自分はこの国で選挙に参加して政治を理解しているのか、このあたりの部分までしっかり自分の意見を昇華させて話をしないと、いつまで経ってもこの国の生活は楽しくならないと思う。

かなり乱暴な書き方になったけど、まともに書けばA4何十枚になるか分からないので荒っぽいままにUPします。


tom_eastwind at 11:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月09日

対外的心理武装と理論武装と知識武装

8c308bcf.jpg西洋、特に欧州の若者は大学を出ると1年程度海外に出て見聞を広めてくる。当社の入居するビルでも10階に欧州の若者向け情報センターがあり、エレベーターには周囲のビジネスマンの中でちょっと場違いな雰囲気でバックパッカーを背負った若者が出入りしている。

彼らは外国で生活をして、よくフラットシェアなどで他国の若者と議論をしたりする事がある。例えば韓国人や中国人、もちろん多くの国から来た西洋人などなどと意見交換をしながら色んな事を学んでいく。

ところが悲しい事に殆どの場合日本人はこの環の中に入れない。それは英語が出来ないからではなく会話が出来ない、つまり話すべき内容がないからだ。

歴史を学ぶとか地理を学ぶとか政治の基本を学ぶとか宗教の基本部分だけでも学ぶとかを日本を出る前にやっておけば、これだけでもずいぶんと他人と話をする時のベースになる。

ところが何も学ばないまま外国に出て逆に外国人に日本の歴史を教えられてそれで日本を嫌いになるというお馬鹿も多い。こういうのは大体反捕鯨論者の女性が目立つ。

基本的に頭が良い為相手の話を素直に聞き、その一つ一つの理屈を納得してしまう。そして「ええ!そうだったの?日本ってそんなに悪い民族だったんだ、ゴメンなさい。私がこれから皆さんと一緒に悪いニッポンをやっつけえますう」となる。何故なら理屈の一つ一つは単体としては一つの考え方や理論として成立するからだ。

実は全体では矛盾したり崩壊してたりするのだが、全体を組み合わせて俯瞰してみると言う訓練を受けていないので矛盾に気付かずに大声で人前で「鯨を食べるのは野蛮だ!」と平気で言えるようになる。

勿論こんなのは日本政府の教育システムの問題なのだが、この女性の場合も中国で愛国心を持って日本人打倒!なんて叫んでる若者も、基本は同じである。要するに国か誰かに騙されているだけなのだ。

中国人と第二次大戦や歴史の話をする事が時々ある。ニュージーランドだけでなく日本でもだ。彼らの最初の姿勢は大体において「この小日本鬼め、何を知ってるんだ」みたいな斜に構えた雰囲気でこっちの顔を見ながらふんふんと頷き、さてどこから切り込んでやろうか、この小日本鬼め」と言う感じだ。

けれど大体最初の10分で雰囲気は全然変わり「へえオマエ、よく中国の事をそこまで知ってるなあ、どこで勉強したんだい?」と聞かれる始末だ。

けれどこれは大した知識ではない、実際にぼくの持ってる知識等、書店に売られている本で集めただけの基本的な知識でしかない、その気になれば2〜3日で学べる程度のものである。本当の中国の歴史は井上靖ではないが本気でやっても何十年かかってもその一片しか理解出来るわけはない。

じゃあ何で日本人の若者がフラットで中国人の若者と話してて「すぐに馬鹿にされたとか日本人に対して歴史的批判をされて、何だか謝らなくちゃいけない雰囲気になりました」となるのか。

それは学ぶべき基本的な知識さえ持たず、学校でセンセーのいう事に何の疑問も抱かずに信じ込んでしまい、授業で教える事以外の、人間として学ぶべきものや日本人として理解しておくべきことを学んでいないからだ。

そして何よりも大事なのは、相手と話をする時は相手の思考回路を理解して、相手にわかるネタから説明をすると言う点だ。つまり日本的情緒で「言わなくても分かるでしょ」的な説明では話にならんという事。

例えば南京の虐殺事件がある。あんなもんを持ち出してくる時点でそいつの程度の低さが分かるが、何を言われようといくらでも反論は可能である。ただ一点、間違いなくその時期に日本の軍隊が南京で戦争をしてその結果として中国人が死んだと言う点を除いては。

南京虐殺事件を例としよう。彼らは日本人が南京で30万人を虐殺したと主張する。ぼくはそれに対して一旦話を聞いてから冷静に返答する「ほう、面白い主張ですね。人口が20万人もいない街でどうやったら30万人を殺すことが出来るのですか?」殆どの中国人はこの時点で黙り込む。

何故なら彼らの学んだのは「日本人が南京で30万人虐殺した」と言う「話」だけでありその裏づけとなるデータ等は一切学んでないからだ。

中には頭の良い奴もいて「いや、それは当時の統計が誤魔化されているんだ、本当は〜」と主張するが、「ほう、では正しい統計の数字が当時の中国政府によって作成された以外にあるのですか?だったらそのデータを見せてください」これで撃墜。

又追加で「ところで南京虐殺って英語はmasacreですよね。ところが奇妙なことに当時南京に在住していた英国人外交官が本国に電報をした際はそのような言葉は一切使われていないですよ、これが唯一確認出来る当時の外国人による情報です」これも効果的。

もちろん反論のしようはいくらでもあるが、問題は彼ら中国人はこの事件をプロパガンダとして学んでおり歴史的証明と言う洗礼を受けていないから、つまりきちんと勉強していないからこちらから提出する事実(主張)に対して反証のしようがないと言う点だ。

実際に南京で殺人があったのは確実だ。ただそれは戦争中はどこでも存在したわけだし、第一中国人を一番たくさん虐殺しているのは当の中国人である。

こういう事実を一つ一つ冷静に、目の前に居る中国人を責める様な言い方ではなくお互いに正しい歴史を知りましょうよって姿勢で話せば相手もそのうちこちらの話を聞いて納得するようになる。

最後は中国の歌でも歌って笑えば、次の機会は必ず良い友達になれる。こういうのが本来の「お付き合い」であろう。

だから外国人と日本ネタで話をする時はある程度理論武装をする事が必要だし相手に主張されたら必ず反論、反証するための基礎知識を持つべきだし、更に何を言われてもすぐに判然と言い返す、例えばテニスでボールを打ち込まれたら何も考えずに反射的に打ち返すなどの心理武装が必要だ。

これからもたくさんの日本人が海外に出て生活をするようになるだろうが、とにかく知ってもらいたいのは「学ぶべきはまず日本の歴史であり同時に近隣諸国、つまり中国や韓国との歴史的知識」であると思う。

時間があれば中央アジアの歴史を学んだりアフリカのマリの勉強でも良いだろうが、皆さんが外国に出て最初に近しくなるのはやはり肌の色もありどうしてもアジア人、それも中国人や韓国人である。彼らと堂々と対等に付き合うためにも知識武装は是非とも学んでもらいたいと思う。

ほんとうは早いうちに国家なんて意識を捨てて、それぞれが地球の中の一つの村って感覚になってくれれば良いのだが。ぼくは「廃国置球」がこれから100年後には実現するのではないかと思っている。

写真は龍馬くんのクライミング教室の一場面。ロープを支える相方は真面目そうなキーウィ少年。ここはすでに国際交流していますね。


tom_eastwind at 15:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月08日

安全と進歩

aa32eb18.jpgクライストチャーチで今朝また5.1の地震。今度はクライストチャーチから南西10kmくらいの所が震源だったので縦揺れが強かったそうだ。ビルなどの建物で弱ってたところが二次災害で倒壊する可能性が増えたとの事。

考えてみればこの地震、土曜日の朝5時前で誰もが寝てたからよかったものの、もしランチタイムに地震が発生していたら煉瓦の落下による人的被害はもっと増えただろう。

しかしいつ地震が起こるかなんて誰にも分からないから、どこに住んでたら「絶対安全」と言うことはない。

ぼくらは地球上の表面にへばりついて生きている動物の一種なのだから、地球の何十億年の歴史から見ればほんの一瞬地表に現れただけの生き物であり、恐竜でさえ一時期は地上を支配しててもあっという間に絶滅したし、地球からすればぼくら人間を特別扱いする義理もない。

だから地震などの天災に至ってはどこにいるから安全なんて事はあり得ない。津波を避けるなら高台に住めば良いが雷に打たれるかもしれない、じゃあってんで山の中腹に住んだら雪崩が起きて家ごと押し流されるかもしれない、じゃあってんで低地で海のない場所に住んだら土砂降りで川が氾濫してニューオーリンズみたいな騒ぎになる。

第一天災だけじゃあなくて隣の家の火事がこっちに飛び火するかもしれない。集合住宅で高層階で「まあ景色が素敵」なんて言ってたら一階から出火、逃げ場所ないままに焼け死ぬかもしれない。

こういう人災で言えば、一番怖いのは人間だろう。「まあ素敵、お安いわ」と言って買った家は、隣に引っ越してきた少し怪しい、毎日バットを持って歩き回りそのあたりの猫を叩き殺すかもしれない。

だから結論として「絶対安全」は絶対あり得ない。西洋人が日本人より確実に優れているのは現実を理解して「絶対安全はあり得ない、比較安全を考えるしかない」と判断出来る点である。

日本人の一番の問題点は安全神話の中で生活をして無菌状態でいるのが普通と思っているから、ちょっとした事で大騒ぎする。牛肉が危険だって言うけど、それより危険なのは隣家の引き篭もりさんかもしれない。

だから安全は本来その対極にある危険と合わせて数値で判断すべきなのだ。ふぐを食って死ぬ確率とふぐの旨味で舌と心を満足させる度合いを比較すべきであり、米国の牛肉を食って自分がプリオン食ってヤコブ病になって、更にそれが発症して自分の脳みそがすかすかになって死ぬ確率と、毎日安くて美味しいものを食べる事が出来る生活の楽しさとを比較すべきなのだ。

そういう当然の現実を無視して「毒入りの牛肉を食べさせる米国政府なんて!」と言っても、彼らからすれば「はあ?私たち毎日食べてますけど何か?」の世界である。

もちろんどこで狂牛病が発生したか、現状はどうなのかは情報を強制的に収集出来る政府がすべきだろう、個人では不可能だから。けれど情報を国民に提供したら、その後は国民の判断である。

政府による積極的な情報公開とそれを冷静に理解出来る教育の提供は政府の役目だが、そこから先は自己責任、政府は努力しようとしない人間までは救えないのだ。

100g1000円の和牛を食うのか、100g200円の米牛を食うのか、それは危険度を勘案しながら家庭の主婦が決めることだ。

そしてすべて安全でなければいけない等と言ったらそんなもん現実を無視した夢物語、寝てからお話してくださいって事以上の大きな問題を含んでいる事を知って欲しい。

それは、安全だけを語っていれば誰も高層建築に挑戦はしないし宇宙にロケットを飛ばさないし深海に潜って新しいエネルギー探しもしないし、第一北の海に行って蟹を獲ってくる事もなくなるだろう。

つまり安全と危険は常に背中合わせだが、リスクを取らなければ世の中は進化していかないって言う現実があるのだ。雷を集めて電気を発明するのも、一発間違えば自分の体にズドーンでお仕舞い。

爆薬を発明した人だって指の何本かは吹っ飛ばしただろう、しかしニトログリセリンが高度に発達したおかげで心臓病患者が長生き出来る様になった。

ところが今の日本人がいう事は、爆薬を作るのは危ないからだめ、雷に打たれたら危ないから駄目、けどそうやってリスクを取って作られた文明の利器は利用させてねっていうこずるい発想である。

いるでしょあなたの周囲でも、リスクは取らないのに後になって「おれにも寄越せ」ってのが。

結局そうやって日本人がリスクを取らないものだから世界の重要な基礎的技術や産業の一番美味しいところは西洋人に取られて、リスクを取って狩に出た彼らは仲間内だけで暖かい焚き火を囲み美味しい肉を食べて、彼らの環に入れない日本人は冷たい地面に座り込んで、時々輪の外に放り投げられる食べ残しの骨の端っこをしゃぶっているだけしかなくなるのだ。

クライストチャーチでは地震の最中でも21歳のBIG誕生日パーティが開催され、朝からマラソンをしている人もいたそうだ。どんなリスクに曝されても自分らしく生きていく、常にリスクを取って生きていく、そういう人間が結果的に社会を成長させているのだ。

そういえば思い出した、今年クイーンズタウンのスキー場でレースの最中に転倒して亡くなった80歳の日本人スキーヤーに対する評価。

キーウィは「ああやって死ねれば最高だな、おれもああやって死にたいな」と。
日本人は「何でそんな危険なことをするんだ!こんな危険だから人が死ぬんだ!」と。

「何て日本は豊かで安全でコンビニがたくさんあってモノが安くて阿吽の呼吸が分かってくれて素晴らしいんだ!」と思う人、その意見の半分、日本は素晴らしい国だって部分だけは同意しよう、これ以上いう事はないが、最後に現在シドニーに在住するある漫画原作家の文章を紹介しよう。

★抜粋開始
人類は、今亡びつつあると思う。だって、あなた、この狭い日本だけで50基以上有る原子力発電所が、地震か何かで二つ、あるいは三つ壊れてご覧なさい。日本だけじゃない。世界中が、大変な被害を受けます。中国も、どんどん新しく、原子力発電所を作るという。

チェルノブイリ一つであれだけの騒ぎになったんだ。世界中の原子力発電所が四つか五つ壊れてご覧なさい。お終いですよ。どうして、みんな、こんな危険な物を安全だ、安全だと言い張るんだろう。

原子力工学を学んだ者は、特別に頭が良い訳ではありませんよ。原子力のことをよく分かってもいない。(私は、色々な原子力工学関係者から話を聞いて、彼らは、たんに希望的予想に全てを賭けているに過ぎないと確信するに至った。安全について確信を持っている関係者は一人もいなかった)

 工学部で、他に行くところがないから仕方なく原子力工学部に行ったと言う人間も多い。要するに、原子力発電に対して、自らの全てを献身するなんて気持ちはさらさら無い人達が少なくないのだ。

原子力発電所の研究員も、事故が起こる前に、自分の定年が来るようにと、それだけ願っている人々が少なくない。実際の、危険な作業は自分たちでせず、契約社員にさせている研究員が、反論出来るか。


tom_eastwind at 11:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月07日

長い腕

5ad2e3a6.jpg★抜粋開始
9月1日(ブルームバーグ):英銀グループ最大手のHSBCは日本の個人富裕層向け業務で新たに大阪と名古屋に支店を開設する計画が明らかになった。

規模の大きな大都市圏に営業拠点を構えることで、個人金融資産を取り込む狙いだ。一方で3店舗を閉鎖し、顧客資産や従業員を他店に統合するなど効率化を進める。

HSBCは、2008年に預かり資産1000万円以上の個人向けにサービスを開始。現在は丸の内、赤坂、広尾の都内や横浜、神戸など7拠点を構える。広報担当のポール・アレン氏によれば、大阪支店などを新設する一方で、神戸、銀座、池袋支店を閉鎖。顧客資産などは近隣の支店が引き継ぐ。人員削減は行わない。店舗数はこれで6となる。

  HSBC、シティグループ、バンク・オブ・アメリカなどの欧米の金融機関の間では1453兆円に上る日本の個人金融資産の獲得を目指し商品開発や店舗・広告展開などでの競争が激しくなっている。

  HSBCのアレン氏は、ブルームバーグ・ニュースの取材に対し、「大阪と名古屋という戦略的に重要な地域拠点にプレゼンスを確立することで、増加傾向にある富裕層に直接触れることができるだろう」と述べた。金融庁から認可を受け次第、新たな店舗での業務を開始するという。
更新日時: 2010/09/01 18:29 JST
★記事終了

これ、記事にしようと思ってたがクライストチャーチの地震などがありのびのびになってた。

HSBCに限らずだが世界中の銀行が日本の個人資産、とくにこれから盛んになる相続ビジネスに焦点を合わせている。

ある意味これは一過性の特需であり、団塊世代が去ってしまえばそこから先の日本には魅力がなくなる。だから今のうちに取り込んでおけってのは当然であろう。

2008年から個人向けサービスを開始して、どこに顧客がいるのかを理解し始めて支店の再構築を行ったのだろう。

たしかに池袋に作るセンスは理解出来ないな。銀座が駄目ってのは、銀座に居住する資産家が少ないって意味だろう。銀座に出てくるけど住んでいるのは広尾や成城ってことか。

神戸をやめて大阪に移す、名古屋に新設するって戦略もありですな。実際に名古屋には資産家が多いが目立たないからHSBCとしては当初計画には入れてなかったのだろう。

HSBCが日本の資産家向けに日本で営業をするのは全く問題ない。むしろ邦銀の手が出せないエリアに進出する事で邦銀もいつまで経っても自転車で金集めるだけが営業じゃないって分かるだろう。

ただ日本国内で銀行を利用する限り、そのデータが100%税務署に行くのは当然の事として、日本に支店を作る外資系銀行は国税庁とも取引をしている。

実はこの取引がこれから影響が出てくるのが、HSBC香港で開設された口座のデータ提出である。

2000年代になって一時期流行した「香港のHSBCでの口座開設」は、金融庁がHSBCに対して「日本人に口座開設をする事は駄目!」と通知を出した事で下火になった。

ところがすでに香港に流出した資金は取り戻しようがない。香港やシンガポールの口座は外国にある銀行なので日本の金融庁も国税局も、よほどの事がない限り資料提出は要求できない。

2008年になってHSBCが日本にプライベートバンク支店を開設するようになったのは日本の資産家を対象としたビジネスの拡大である。

これに対して許認可権を持つ金融庁などは当然見返りを要求した。それが日本人が外国で開設した口座のデータ提出である。

これには税務署のやり方を知っておく必要があるが、彼らは時間があると銀行に行って毎日の取引内容をざーっと目を通して、不審な動きがある場合に行員に対して「この入金は何?」と聞くが、実は本当に知りたいのはそのデータではなく、その隣のデータだったりする。

横見とかちら見とでも言うか、行員と一緒にパソコンの画面をスクロールしながら本当に欲しい情報を探すのだ。

ところが海外の口座については全く触れることが出来ないために今まではどうしようもなかったが、日本国内に支店を作ってしまえば国税庁のものだ。どうにでも出来る。あることない事理由を付けて、自分たちが追跡している口座の詳細を出すように暗黙の要求が出来る。

海外で作られた口座とは言えHSBC内部にある限り役付き権限者であればアクセス出来る。「この人のさ、何かちょっと動き知りたいんだけど、あの、ほら、日本以外でも口座あるんじゃないの?」って聞かれた方は、その顧客の重要度とここで国税庁の担当者を怒らせて受ける損害を比較しながら、自分から漏れたという事が分からないようにする。

例えばパソコンの画面を開いたまま「あ、この資料は地下倉庫だな、ちょっと取って来ますので、“10分”お待ち下さい」とやる。

この時間内に誰がどこのデータにアクセスしたにせよ、権限者は「わたしは知りません」と言えるのだから自分は傷付かないで済むし相手も「いえ、10分ほどお茶飲んでました」と言える。こうして顧客データは外部に流出する。

だからHSBCが日本で支店を開設するって事は、それだけ海外のHSBCで口座を開設した人のデータが日本に戻ってしまうって事だ。

日本の税制がどうかとか外国が有利だとかはあるものの、日本に居住して日本国籍を持っている限り“国税の長い腕”からは逃れられない。

日本にいながら海外で口座を作り節税と言っても簡単ではない。消費者金融の広告ではないが、計画は慎重に、ご利用も慎重に、である。

本題とは全く関係ないけど、与那国島の海底に沈んでいる”海中神殿”の写真。いつの日かムー大陸とニュージーランドと日本の関係がはっきりするんだろうな。


tom_eastwind at 14:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月06日

領事館 子供の真剣を巡る問題について

4fce53f8.jpg“多くの人は、初めての体験で驚いていますが、行動は至って冷静です。流石に、昨日朝、10時ごろいつものようにマラソンの練習をしている人を目撃したときは、こっちが驚きましたけど”

現地の方からの最新情報だが、いかにもキーウィらしい。地震慣れしてなくてびっくりだけど、基本的にワイルドマンだからどんな環境でも生きていける力強さがあるのでしょう。

クライストチャーチの地震についてニュージーランド大使館から情報が出ていると聞いたので早速見てみると、ちゃんと現地情報を書いている。どこの国の日本大使館でもこういう風に対応してくれると政府の信用も上がるんだけどな、そう思いながらついでに他の情報を見てみた。
http://www.nz.emb-japan.go.jp/index_j.htm
すると面白い情報発見。


子供の親権をめぐる問題について

近年の国際交流の進展に伴い、外国に移住し、外国人と国際結婚して家庭を築かれる日本人の方々が増加しています。日本とNZの間も同様の状況で、NZ人やNZに居住するその他の外国人との婚姻届や出生届提出のために当館領事窓口に来訪される方が年々増えています。

その一方で、これら国際結婚された方々の一部について、不幸にして結婚生活が破綻してしまった場合に、一方の親が他方の親に無断で子供を国外に連れ出すことが問題となる場合があります。

NZでは、父母のいずれもが共同で親権を有している場合に、一方の親の同意を得ることなく、他方の親が国外に子供を連れ去ることは刑罰の対象となる可能性があります。また、連れ去り行為は連れ去った親や残された親のみならず、子供にも大きな影響を与えることとなりますので、十分ご注意ください。

親権に関する問題について、以下のとおりご留意いただきたい点をとりまとめましたので、参考としていただけば幸いです。なお、親権に関わる具体的な問題をお持ちの方は、弁護士などの専門家にご相談ください。

1.子の居所の移動が犯罪になる場合
NZの法令(Care of Children Act 2004 )では、18歳未満の子に対する保護責任(監護養育権)は通常、子の懐胎から出産までの何れかの期間、婚姻または事実婚関係にあった場合、両親双方が共同で有していますが、何らかの事情により家庭裁判所等において子の養育権に関する手続きが審理中、あるいは、監護養育権が他方の親に与えられている等の場合には、日本人親が他方の親の同意や裁判所の許可を得ずに、16歳未満の子をNZ国外に連れ出したり、連れ出そうとすると、NZにおいては犯罪となり、2500ドル以下の罰金あるいは3ヶ月以下の拘禁刑に処せられる可能性があります。

また、NZと刑事司法上の共助関係を有する第三国への入国の際に、子を誘拐した犯罪被疑者として逮捕される可能性もありますのでご注意ください。

2.未成年の子供の旅券申請
未成年の子供に係る日本国旅券の発給申請については、親権者である両親のいずれか一方の申請書裏面の「法定代理人署名」欄への署名により手続きを行っています。

ただし、旅券申請に際し、もう一方の親権者から子供の旅券申請に同意しない旨の意思表示があらかじめ在外公館に対してなされているときは、旅券の発給は、通常、当該申請が両親の合意によるものとなったことが確認されてからとなります。その確認のため、在外公館では、通常、子供の旅券申請についてあらかじめ不同意の意思表示を行っていた側の親権者に対し、同人が作成(自署)した「旅券申請同意書」の提出をお願いしています。

また、NZにおいては、父母の双方が親権を有する場合に、一方の親権者が、16歳未満の子を他方の親権者の同意を得ずに国外に連れ出すことは刑罰の対象となる可能性があります。

他国においては、居住していた国への再入国に際し、子を誘拐した犯罪被疑者として逮捕されたり、ICPO(国際刑事警察機構)を通じて国際手配される事案も生じており、当館では、在留邦人の皆様がこのような不利益を被ることを予防する観点から、16歳未満の子の旅券申請の際には、他方の親権者の不同意の意思表示がない場合であっても、旅券申請に関する両親権者の同意の有無を口頭にて確認させて頂いておりますので、あらかじめご承知ください。
★記事終了

大使館がニュージーランド在住の日本人向けに書いた内容なのでぼくが転用しても問題はないだろうと思うので、丸々写した。

そうだよね、子供は親の所有物と本気で思いこんでる日本人からすれば、子供は自分のものだからどこに連れて行こうとあたしの勝手と思い込むのも当然である。でもって夫婦が日本人同士なら同じ感覚で破たん処理が出来るけど、結婚した相手がキーウィだったらそうはいかない。

子供を自分の所有物と考えて、夏の暑いパチンコ屋の駐車場に赤ちゃんを残して平気で何時間もパチンコしたり、親の言う事を聞かないからと親としての馬鹿さ加減を棚に上げて子供を叩いて虐待しておいて児童相談所には「あんた何よ!あたしの子供のこと、あんたに関係ないでしょ!」と逆切れするような親と、子供は親の所有物だから他人が口出ししちゃいけない、面倒な事には巻き込まれたくないと勘違いしている学校や警察が存在するような国で生まれ育った人々にはこちらの社会の子供に対する考え方が理解出来ないのも無理はない。

けれど子供を社会の宝と考えて子供を社会全体で守ろうとする考え方のあるこの国では、大使館が言うように子供を連れて日本に帰ると「誘拐」になるのだ。

恋が錯覚である事はある意味どうしようもないが法律まで錯覚して日本感覚で対応するとやばいことになる、現実問題として法律を理解しておかないと、下手をすると刑務所に放り込まれる事になる。刑務所はあまり居心地の良い場所ではないので、愛を語る前に「さあ、これから法律の勉強をしよう」って感じでした。

大使館としても相次ぐ駆け込みにいちいち説明するのが面倒くさくてサイトで情報を提供するって考えたのだろうが、それでも大進歩ですよ。代議士にはペコペコして民間人には門前払いしてた昔に比べれば、こうやって少しでも効率を考えるようになっただけで立派。頑張ってください、一般市民の視線に近づくのは後一歩ですよ。


tom_eastwind at 13:53|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月05日

クライストチャーチ大地震 続報

93e730ed.jpg日本の読売新聞の記事を見るとこんな風に書かれている。

NZ地震被害1千億円超すか、死者はゼロ
 【シンガポール=岡崎哲】ニュージーランド政府は4日、南島で同日未明に起きたマグニチュード(M)7・0の地震による推定被害総額が同国史上最悪の10億〜20億ニュージーランド・ドル(約605億〜1211億円)になると発表した。

地元警察によると、被害が大きかった同国第2の都市クライストチャーチ(人口約38万人)では、レンガ造りなどの複数の建物が倒壊した。

M4〜5の余震にも断続的に襲われ、ガス漏れに伴う火災や水道管の破裂による道路の冠水も起きた。略奪被害も相次いだため、市中心部には夜間外出禁止令が敷かれた。ただ、地元警察によると、大きな人的被害はなく、重傷者は2人だけで、死者も出なかった。
(2010年9月4日20時07分 読売新聞)

ん?確かに被害は大きかった。橋がぐにゃっと曲がったこんな写真の感じで、他にも古い煉瓦つくりの建物が倒壊して壁の煉瓦がタクシーに降りかかったりしているのもある。

けど、略奪被害?どこの事?って感じだ。たしかにテレビでは逮捕された映像もあるけど、なんかな、あれってクライストチャーチでは別に地震関係無しに起こることだしオークランドのマヌカウ地区だと毎日のように警察と泥棒がおっかけっこしている。

逆に地元ニュースでは、デイリー(コンビニ)の店主が店を開けて牛乳を無料で配ったりバッテリーを仕入れ価格より安く売ったりしている。

ガス漏れと言ってもニュージーランドの家庭は殆どが電気だ。なので地震が起こった瞬間に電気が止まるのだからガス漏れで火事なんていう日本的発想はない。

もちろん地元レストランでガスを使っているお店なんかが朝からパン焼いてて店焼いてしまったみたいなのはあるだろうが、それは本当に例外。

なんだかNZの事を知らない人が聞きかじりで最初から「地震ってこんなものでしょ」と決め打ちのような書き方だ。

下記はクライストチャーチ在住の日本人の方から頂いたメールです。ご本人が「皆さんの役に立つなら」との趣旨で書かれていたので、間違った情報が日本で流布されないように、有難くこの情報を転載いたします。


(地震は)サバーブ(地域)により、かなりの被害の格差があります。Fendaltonでは、ブロック塀や煙突が倒壊した家がある程度です。うちのご近所は、21歳の娘さんの盛大な誕生日会を決行しました。近辺では、セントオ−バンスや、エイボンサイドはひどいようです。

あの辺りは、昔は沼地だったそうで、土壌がゆるく不動産の購入時には気をつけなければならない場所だそうで、地震の際も被害がでるのでしょう。朝空港に行った人が、今日は閉鎖だから帰れと言われたそうです。

スーパーは、軒並み閉店しており、その逆に韓国、中国系はすべてオープンしており、朝10時に韓国系のお店に行ったら、大繁盛で、菓子パンなどはすでに売り切れており、みなさん水を6本単位で買い込んでいました。お客さんは、アジア系や中東系とローカルが少々。お店にはどんどん水が搬入されていました。あと、カセットコンロも、、、。

信号は、9時の時点で、メモリアルロードとクレイドの大きい交差点でもまだ復旧していませんでしたが、ラウンドアバウトの要領でみんな譲り合って走行していました。

電気は、順番に復旧したようで、うちは11時を過ぎてからでしたが、みんなもっと早かったようです。補習校は、お休み。電話がかかってきて、家族の安否の確認があり、領事館に報告をするそうです。


こんな地元からの情報です。

やっぱり家を選ぶときは地盤も気にした方がいいですね。ラウンドアバウトってのは信号のない四つ角では右側の車を優先するって言う古くからのルールがあり、交差点に入る前に右を見て車がなければそのまま進入、車があれば流れが途切れるまで停止ってお約束事。

これくらいでかい大地震が来ても、怪我人は二人だけ死者いませんってのはどんな田舎だと思うかもしれないけど、何てか街にいろんな意味での余裕があるんだろうと思う。

一軒家を作っても隣とのスペースは必ず3メートル以上空けるサイドバウンダリーって規則とか前庭は6メートル以上空けるフロントバウンダリーって規則がきちっと守られているし、街中に大きな木が生えているがその根っこがしっかりと土地を支えている。

ビルを作るにしても折れそうなペンシルビルではない。今回崩壊した築80年以上の古い煉瓦造りの2階建てのビルの写真を見たときも、失礼ながら「あれ、ここって以前からこうじゃなかった?」って思ったくらいだ。

むしろこれだけの地震が起こっても交通渋滞が発生せずに皆が道を譲り合う事が出来る、デイリーの店主が店を開けて牛乳を無料で配るなどの心の余裕がこの街で地震以上の被害を出さなかった大きな要因ではないかな。

オークランドで大停電が起きてシティが約一ヶ月電気が止まり交通信号がすべて消えてしまった事がある。その時に世界から取材に来た人々が一番びっくりしたのは、信号もないし警察官もいないのに普通に皆が交通ルールを守って交通渋滞が起こらなかったことだ。

もちろんキーウィからすればごく当然のように「困った時はお互い様」で助け合っているのだから自分たちのとっている行動が特別な事だとは思ってない。

だから外国でこんな記事が書かれているのを見たらどう思うだろうか。

読売新聞と言ってもシンガポール支局でしょ、記事書く前にクライストチャーチに電話一本くらいしたのかな?




tom_eastwind at 12:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月04日

クライストチャーチで地震!

ニュージーランドは日本と同じような火山国なので地震があり得る。けど今まで大きな地震がなかったのであまり気にしてなかったら、今朝クライストチャーチで大地震が発生!


発言:
家はたんすが倒れてきてワインラックからワインがふってきました

友達の家は8階なんですけど40インチのTVが落ちてきて画面割れて、食器棚の皿が全部ふってきて90%割れたそうです

今次々とスタッフから電話かかってきて、シティセンターには徒歩ですら入ってはいけないそうです。私たち、知らない間に、隔離されているようですね。これは開けてもだめかもしれませんね

との事。お客様には怪我がない事は確認できたのでこれはOKだ、後はその事実を日本側に伝えるのみだ。

それにしても地震国の日本からすると他人事ではないのだろう、心配なメールが続々。

オークランドは全く影響なしです。クライストチャーチはワインが割れて大変みたいだけど、関東大震災のような状態ではないのでご心配なくです。

tom_eastwind at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月03日

英語が出来るからと言って

英語が出来なければ外人と直接会話が出来ない。交渉では直接会話の方が話が通じやすい。しかし英語が出来るからと言って外国人ときちんと交渉出来るわけではないのも事実。江戸末期の日本人は通訳を使ってきちんと外人と交渉する事が出来た。ややこしい切り口だな。

言葉が通じすぎて困った経験をお持ちの方もあるだろう。自分の英語が下手で相手がガイジンならこっちの下手な間の取り方でも間違って相手を困らせる単語を使っても理解してくれるが、ネイティブ同士の会話ではでは言い訳がきかない。

つまり日本人同士が日本語で会話をしているのに“ずれている”場合だ。オークランドの日本人でもおかしなのがたくさんいる。日本語が出来る日本人だと言うだけで日本人とビジネスが出来ると考えている。

宋文州のメルマガでこんな記事があった。
★抜粋開始
トップは日本人ですが、そのトップの彦坂さんは中国人社員からあたかも中国人のように接されています。14年以上の滞在経験と24年にわたる中国ビジネス経験を通じて言葉の問題はもちろんありませんが、何よりも中国人幹部との感覚の融合です。その感覚を持っているからこそ、中国の各種医学会、著名大学、地方政府の中にも入り、その存在感をいっそう大きくしています。
★抜粋終了

“何よりも中国人幹部との感覚の融合”と言う部分が、まさにそうだなと思わせられた部分だ。中国人と交渉する時は彼らの感覚を理解しなければならない。西洋人と英語で交渉する時には、同じように彼らの感覚を理解して言葉を選ぶ必要がある。

これは同時に、日本人がニュージーランドで働いて日常的に英語を使っていても顧客が日本人であれば顧客からお金をもらって仕事をしている限り日本的感覚で会話をする必要がある。

ところがパンパン連中はあごを突き上げて右手でタバコをくゆらせながら、「あ、それは違いますよ、こちらの国では〜」などと平気で言う。顧客からカネを貰いながら平気で「何でそんな私に負担のかかる面倒くさい事を言うんですか?」と言う。

まさに、バカかオマエはと言いたいが、現実にそういう連中が地元情報誌に堂々と「あたしゃxxのプロでっせ」と広告を載せているのだからどうしようもない。

片方では「ここはニュージーランドですよ、日本の理屈は通用しません」と言いながら、何かあれば「お互い日本人じゃないですか〜」と誤魔化しに入る。

一体どれくらいこういうケースを見てきたかな、結果的にうちの会社が駆け込み寺になって処理してケース、数知れずだ。

これを書き始めれば、これだけで一冊の本になるくらいだが、今日は問題を一つだけに絞ると、馬鹿にも色々居るが、自分は賢いと思い尚且つ売上を気にしなくて良い仕事をしている「〜士業」は、端にも棒にもかからないお馬鹿ってこと。

ほんとにこの一週間、うちの会社の担当でもない〜士から連絡が来るが、馬鹿死んでおけって感じである。

日本人対日本人で話をしたいならそうする。自分をキーウィと思い英語で話したいなら英語でやる。一番いやなのは自分の都合の良い時には日本人になりめんどくさい時はキーウィとして逃げる連中である。そういう人間に限って自分は賢いと考えているが、僕からすれば単なる鵺(ぬえ)だ。

外国に住む日本人の何が気に入らないかって、やっぱり一番はじぶんの都合で白人精神になったり日本人になったりする卑怯者であるだろう。オマエ、プライドあるの?って聞きたい。

何だか今日はちょっとした愚痴になったが、それにしてもバカな日本人を見るとどうしても腹が立つ。こういう連中が偉そうに「NZでは〜」なんて語ってるのか思うと哀しくなる。正しい事を正しく伝える事の難しさを感じた今日だった。


tom_eastwind at 15:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年09月02日

停波

記事開始
★チャリティー番組「24時間テレビ」を放映したばかりの日本テレビの労働組合が、賃金制度改革をめぐり、1日正午から全職場で24時間のストライキを決行する見通しだ。日本テレビ労組には社員約1200人の過半数が加入しているが、アナウンサーなど一部の組合員についてはスト参加を除外し、放送への影響は最小限にとどめたいとしている。

 日本テレビでは今年3月、新たな賃金制度を会社側が組合に提示。昇給ペースの抑制や残業単価の切り下げなど、「不利益変更」と見られる内容が盛り込まれていたため、労組は受け入れを拒否し、5月には2時間の時限ストを実施した。会社側は当初予定していた7月の導入を見送り、協議が続いてきたが、8月31日の交渉でも合意に至らなかった。

 労組幹部は「社員の努力で2009年は増益を実現した。将来への備えという理由だけで、さらに賃金を抑制するのは不当だ」としている。
★記事終了
ソース:アサヒ・ドットコム 2010年9月1日4時17分
http://www.asahi.com/national/update/0901/TKY201008310548.html

今時日本の企業でストライキなんてやるんだと思ってたら、テレビ局じゃんかこれ。「不利益変更」と言うけれど、日本中のテレビ局が青息吐息で、とくに地方テレビ局などは政府から補助金もらって地デジ変更を進めている。

地デジは本当に必要なのかって議論も整理されていないのに総務省の見切り発車で始まり、識者が数年前から指摘してきたように案の定税金の投入である。

その地方局を救うために今度はキー局が地方局の株主になれるように法律変更したりして、とにかくやりたい放題の放送業界であるのに、何を今更給料上げろになるのか?

他にする事たくさんあるでしょ、報道すべき事はたくさんあるでしょ、なのに国営大本営放送に成り下がってバカな番組しか作らずに、それさえも自前で作らずに番組制作会社への下請けでしょ。

そして電波利権の問題もある。
平成18年度のデータによると↓

   営業収益        電波利用料 
NHK       6756億円      12億円
フジテレビ   3779億円      3億1800万円
日本テレビ   2886億円      3億1700万円
東京放送    2774億円      3億1800万円
テレビ朝日   2277億円      3億1800万円
テレビ東京   1112億円      3億1700万円        
朝日放送    741億円       1000万円
関西テレビ   724億円       1000万円
毎日放送    695億円       1000万円 
読売テレビ   669億円       1000万円 (以下、地方局省略)

テレビ局の電波利用料負担は、ここにあげなかった局を含めて総計で34億4700万円にしかならない。 一方で営業収益は3兆1150億8200万円。電波を独占して上げる収益に対して利用料がたったの千分の一。少なすぎませんか?

電波を独占と言う意味は、実は電波は空気と同じで有限の資産であるが電波はどこの国でも国家管理になっており、政府が電波を希望者に貸し出しをしてその利用料を国庫収入としている。

テレビ局の営業収益に対して多いか少ないかよりも違う面から見てみると、電波利用料の総額は約658億円。ではテレビ局以外で誰が負担しているのかと言うと、実は携帯電話利用者である。そう、皆さんが毎日利用する携帯電話から500億円以上が支払われているのだ。

ところが電波の利用帯はテレビ局が一番良い周波数を押えておりこれが携帯電話サービスの発展を妨げているのは業界では常識である。

つまり政府によって放送利権を独占的に保持して尚且つそれに対する利用料は低く設定されており、全く濡れ手に粟の商売を何十年も続けてきたのだ。

テレビ局内部では営業の位置付けにあたる広告は電通や博報堂に丸投げ、そして手間のかかる番組は自社製作はせずに番組制作会社に安く丸投げ、要するに自分たちは電波を無事に飛ばすだけの保守要員であった。

ところがその保守要員が日本のサラリーパーソンの中で最も高い平均年収を取っている。

そしてテレビでは「お金を支払っているお客様の悪口は絶対に言えない」が電通、テレビ局、出版社の本音だ。

“テレビ局や出版社がもし韓国ブームに対して批判を行った場合、電通から相当なペナルティがかせられます。それはいわゆる「広告ストライキ」であります。これを行われてはたまったものではありません”と言う書き込みを見かけた。

他にも、
“日テレがAKB48をゴリ押しする理由は金儲けだからな。何も知らない女の子100人を使って低賃金でCD売らせて楽曲権利をピンハネ”とか“日テレの労働組合って、他人に貧困押しつけて自分達は優雅な生活送るための特権階級だな”とか。

労働組合が自分だけの利権を考えた結果として一般国民とずれが発生して、結果的に大変な目を見たのは、例えば日本航空、昔で言う国鉄労働組合を見てもよく分かる話だ。

労働組合の役割は20世紀においては賃金上昇であったが、これからは少し立ち位置を変えて会社を正しく成長させる為に会社に対する社会からの声や常識を提案していくべきではないだろうか。

ただしテレビ局にどれだけの時間が残っているか分からない。すでに構造的に存在価値が不要となった媒体であり、10年後の日本を考えて「放送はどうあるべきか」をまさに今、会社と労働組合が話し合いをして方向性を決めていくべきであろう。

てか、誰かが書いてたが、こんなにたくさんテレビ局って必要なのか?日テレは放送免許を返上して停波しても良いのではないかって本気で思う。


tom_eastwind at 11:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2010年09月01日

SFC 急遽差し替えネタ

4652de03.jpg本当は日テレのストライキ記事を書く予定だったが、今朝になってサウスカンタベリーファイナンス(以下SFC)と言う、南島の大都市人口約35万人のクライストチャーチから更に南に数時間下った場所にあるオアマルという人口数万人の町を本社にする不動産投資会社が清算になったニュースが出たので、そっちの記事を先にする。

ニュージーランドは基本的に自己責任というのはいつも書くことだが、金融に関しては2008年に政府によってすべての預金が保護される事になりこの法律は2011年末まで適用される。

その為この不動産投資会社も保護されて、17億ドル(約1000億円)の投資家の資金も政府によって保護される事になった。これで投資家保護は終了。

とにかく判断が早いのがニュージーランド政治の特徴だが、会社清算の発表と同時に政府が声明を出して「国民へのお約束通り全額保護いたします」とビル・イングリッシュ大臣が明言したのだ。

ちなみにビル・イングリッシュ大臣は現在の総理大臣であるジョンキー首相の一代前の党首でありベテランでもある。

元々ニュージーランドのファイナンス会社と銀行は免許が違う。銀行はNZには17行しか存在せず、それ以外の会社はすべてファイナンスカンパニーであり、こういうのが全国で約160社くらいある。

業務の内容は良く似ており、顧客が不動産を購入したい時に一般市民から集めた資金を貸し付けて、受け取り金利と支払い金利の差額約2%を利益とする非常に単純なビジネスだ。

今回のSFCの清算については政府はタイミングを見計らっていたと言う面が強く、財務内容は把握していたものの、政府の小切手を発行して助けると言う選択肢はないよと言っていた(内部情報です)。

1000億円の負債についても、実は全額が政府負担ではない。このうち中心となる株主たちが出した約100億円の資金については政府は保護しない。一般投資家の投資分の900億円だけを保護して、その代わりに投資先であるすべての不動産を政府管理にする方針だ。

つまりこの会社は負債が1000億円あるけど不動産と言う形で債権が900億円残っている。これを政府の資産にしようという事である。

政府は余裕があるので5年くらい不動産購入者からローンの返済を受けながら、不動産市場が復活した頃に1200億円で売れば300億円の儲け、もし5年であれば一年で約6%の利益を出したことになるので悪くはない。

最初に会社を設立して株式を保持して投資した人は経営責任って事で財産全部吐き出させて、残りの部分は一般投資家だから全額保護という、とっても責任明確な処理である。

などと今日の朝のネタとして書いてたら、ジョン・キー首相は午後の声明で「ふざけんな、こんなのすぐに叩きうる、政府がそんなもんを管理するよりもどっかの民間に1200億円で売り飛ばして政府は速攻で丸儲け、そっから後5年間で投資をした会社がどれだけ儲けるかはその会社の手腕ですね、あとは知らん」。

うっわー、さすがメリルリンチ本社副社長までのし上がった人物である、判断が早いし大胆だし、徹底的に国益を計算しているなってびっくりした。

ビル・イングリッシュ大臣の判断でさえ充分に早く、投資家の不安を抑えることに見事に成功したと思ったら、ジョン・キー首相はすでに出口戦略を描いていたのだ。

与えられた同じ時間の中でどちらも政党の党首となるような優秀な人間でありながら、やはり民間で殴り合いをしてきたジョン・キーの判断の早さにはびっくりする。

一般投資家は全額保護する、最初のスキームを作った奴は自己責任、政府は両者の間に入って安値で担保を買い取って高値で短期に売り飛ばす。まさに投資銀行の手口である。

結果的にどのような落しどころになるかは未定だが、間違いなく彼ら蜂の巣(国会議事堂)にいる連中はこの事件を個人の利益とか利権とかに一切関係なくビジネスベースで捌いている。これが何よりも大事なんだし今の日本に欠けているところなんだよね。

午後はシティでアジア系ファイナンス会社の連中と会議があったのが、その後の雑談でこの話が出た。いや〜、それにしてもこういう金融危機の時に金融のプロが首相としてリーダーシップを取っているこの国、ちっちゃいけど本当に幸運としか言いようがない。

今は日本の為替に振り回されているが、国の舵取りは大胆でありながらも常に国民保護であり、真面目に働いている人を大事にする方針は一切揺るがない。

これからもSCF問題はあと一ヶ月くらいはバタバタするだろうが、国民からすれば何よりも信頼して任せることの出来る政府が一番である。細かい事を言い出したらきりがないが、ぼくから見たらこの問題をたった一日で捌いた政府には、かなり評価をしたいと思う。

写真はオアマルから車で2時間の場所にあるクイーンズタウン、コロネットピークのリフト乗り場です。オークランドもまだまだ寒いです、朝は10度!



tom_eastwind at 18:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZニュース