2010年11月

2010年11月30日

善意の皮を被った無責任な人々

31008a9f.jpgぼくが仕事をやってて一番困るのは、善意の皮を被った無責任な人々(本人がそう思ってない事が一番困り事)がニュージーランドのイメージを結果的にマイナスにする事だ。

例えば不動産であればお客はニュージーランド不動産投資とかに興味を持つのだが、何故か日本での不動産成功体験があるから「おれ慣れてるから大丈夫」と安心している。

なのだが、結果的に自分で視察に来て現地の居酒屋あたりで知り合った日本人に「ほう、だったら地元のちゃんとした不動産会社を紹介しますよ~、日本人不動産業者なんて妙なのが多いですからね~」となる。

そしてその地元不動産屋にこてんぱんにやられてから駆け込みしてくる案件。不動産に関する法律の基本概念が日本とは根本的に違うし、地元の不動産屋は売ったら終わりで信用なんて関係ない。

何故なら彼ら不動産やは、当面やる仕事がないから不動産やってますってのが非常に多いし彼らは1年程度働いたらすぐ他の業界に行くのだから信用なんて必要ない。目先の手数料が入りさえすれば良いのだ。

ところがそのような基本的知識を教えもしないまま「え~、何でも自分で出来るよ~」なんてやってしまい不動産物件の鑑定も周辺価格調査もやらずに、買った後でトラブルになる。

紹介した日本人もよく言えば先が読めないだけだし悪く言えば無責任な間抜けなのだが、がちがちに作られた契約で買ってしまった後にはどうしようもない。そしてこの日本人も「おれ、紹介しただけで、よく知らないんだよね、あの会社のこと」なんて平気で言いのける。

悪気はないんだろうけど、人が良いだけなのだろうけど、同胞をお手伝いしようと考えているのだろうけど、結果的に善意の皮を被って無責任な発言をして他人をトラブルに追い込んでる。

ビザも同じだ。当社は日本の一般住宅の郵便受けに一枚一枚「移住しませんか」なんてビラを撒いてるわけではないし、どちらかと言えばお断りするケースの方が多い。

だから僕らとしても誰かれなく「移住しませんか~」なんて営業が出来るわけがない。当社に営業チームがいないのもそれが一番の理由だ。

移住できそうな可能性がある方にはきちんと方向性とか考え方とか将来性とかを説明するが、そうでない人には「日本にいた方がいいですよ」と伝える。

もちろん誰でも移住できる可能性はある。だから「私は出来るんですか出来ないんですか!」と聞かれれば、可能性として出来ると答える事は出来る。

ただこれはすべてにおいて比較論の問題であり、移住することにかかる手間と費用と時間と移住した後に構築できる生活を考えれば、このまま日本にいた方が幸せと言う人はたくさんいる。

日本にいれば少なくとも家族や親戚や同級生や、誰かが何かの時に守ってくれる。しかしニュージーランドに来たらそんなのないわけで、誰を頼りに出来るわけでもない。

だから、出来る出来ないではなく、移住の将来像を考えた時に果たして移住が正解なのかを考えてもらいたいということだ。

ところが当事者意識のない無責任な連中は平気で「移住?いいんじゃないの~、誰でも夢あるもんね、やってみれば~」なんて気軽に言う。もちろん責任を取るつもりはないのでイウダケ星人なのだが、言われた方は背中押された気持ちで移住計画を作る。

ところが善意の皮を被った無責任な人々は何も考えずに「え~、自分が正しいと思うこと、すれば~、人生は一回だけなんだし~」などと平気で無責任にけしかける。口当たりの良い言葉と耳に心地よく響く言葉、すべてが飾り物だと気付くのは移住した一年後である。

結局そうやって移住してきた人は現実の壁にぶち当たり「こんなはずじゃなかった・・・」と言うのだが、時すでに遅し。時計の針は反対側には回らないのです。

美辞麗句で立派なことを言って自分にうっとりしている人に対して言っておきたい。当事者能力も当事者意識もないままに無責任な発言をする事で人が不幸になっていく現実を知っているのか。

移住を希望する方に予め言っておきたいのは、移住はあくまでも比較の問題であるってことだ。移住は出来るかもしれないが、それよりも今の日本にいた方が幸せな人はたくさんいる。

よく考えて欲しい。移住とは幸せになるためのステップであり、移住を実現する為に苦労する事と移住した後に実現するであろう生活を考えてみて、それと今の日本の生活を比較してみて、ほんとうに移住した方が良いのかどうか。

地獄への道は善意で敷き詰められていると言う諺がある。今の日本のように、皆が目先のことだけ見て善意でどうのこうのやってるうちに国家自体が沈み始めている。

個人でも同じである。一番怖いのは自分が正しい事をしていると思い込んで他人を不幸に巻き込むことだ。



tom_eastwind at 12:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2010年11月29日

砲撃教育

f951540b.jpgりょうまと朝ごはんを食べてたらニュースで北朝鮮の砲撃の件をやってた。りょうまは「あれ?お父さん、共産党って中国だけじゃないの?」と聞いてきた。

そんな話したっけ?とか思いながら共産主義が何なのか、北朝鮮は共産主義なのか、中国は共産主義なのかってのを朝ごはん食べながら簡単に教える。

「共産主義ってのは皆で作った料理を皆で食べようって考え方で、誰がたくさん作ったとか関係なく誰でも平等に幸せに生きていけるような生活を目指している」

「例えば家の家族は4人だけど実際に働いているのはお父さんだよね、けどお父さんのお金は皆で使うよね。お母さんは料理が得意だから料理をして、皆がそれぞれ家庭内で自分の役割を果たしているよね。りょうまくんの役割は学校に行ってちゃんと勉強することだよ」

「うん、わかる」そう答えるりょうまに次の質問をする。じゃあもしAさんが作った食べ物を何もしないBさんが全部持っていたら、駄目だよね?「もちろん駄目だよ」。

だったら北朝鮮や中国は共産主義じゃないよ。彼らの国では多くの人々が働いて作った食べ物を一部の政治家が全部横取りして、逆らったら撃ち殺すわけだから、ああいうのは独裁主義国家と言うんだよ。だから彼らが自分たちの事をなんと呼ぼうと関係ない、共産主義と呼ぼうと実際にやってる事は独裁主義だよ。

「そんなん、駄目じゃん」そう、駄目。けれどりょうまくんは友達の家庭で友達のお父さんが働きもせずに威張るだけでお母さんが働いて持って帰った食べ物を全部盗ったとしても、そのお父さんに何かをいう事は出来ないよね。「うん、そうだね、他のうちの事だもんね」

中国も北朝鮮もそれと同じで、僕らは彼らのやり方を良くないと思っててもあんまり口を出すと「家のことはお前に関係ないだろ」ってなるでしょ。今回の砲撃は「うちの事に口を出すな」って怒った他人の家庭のお父さんが手を出したってことだよ。

「それって良くないよね、手を出すってのは」けれど挑発した方も責任があるのかもしれないよ。あんな国、回りで鉄壁作って一切お付き合いしない、一切口も出さないし取引もしないってすればよかったかもしれないね。

「じゃお父さんさ、共産主義国家ってあるの?」
「あるよ」
「どこ?」
「日本」

「中国人が日本に留学するのは共産主義の勉強に来るんだよ」これを言い出すとお母さんが笑いながら”いい加減にしなさい、早く学校に行く準備しなさい”とストップが入る。

子供の頭ってのは良く出来たもので、乾いた布が水を吸うように入っていく。今くらいの年齢でも共産主義のおおざっぱなところが分かれば良いわけで、もし問題があるとすればその度に教えていけば良い。

朝ごはんで話を出来るのはこれくらいで、もちっと詳しく教える場合は夕食の時間だ。家は部屋の壁に世界地図を2枚貼ってて、それを使って地理と歴史を教える事が出来る。

実はこの地図を買ったのはりょうまくんがある日突然「お父さん、日本人って人をたくさん殺して女をレイプするんだよね」とぼそっと言い出したからだ。

なんじゃそりゃ?と思って聞くと、どうやら南京大虐殺の話である。まだこんな与太話やってるのかと思いながらも、あれ?りょうまって中国人の友達は殆どいないからどこから聞いたんだろう。

するとどうやら学校の歴史教育の時間にわざわざ南京大虐殺に関して書かれた嘘本をネタに先生がまことしやかに「日本は~」って教えているのだ。

これにはさすがに頭に来たが、りょうまくんの問題ではない。なのでりょうまくんには「じゃあさ、考えてみようか、30万人を殺したって言ってるけど、人口が20万人もいない街でどうやって30万人を殺す事が出来るの?」


「第一この数字って最初は英国人が本国へ報告を出した際でもそんな事書いてないし戦後すぐの東京裁判でだって30万人なんて数字は一度も出てこない。ところが中国が反日教育を行うようになってから急に数が増えたんだよね、これっておかしくない?」

そう言われるとりょうまくんも少し考えるように頭を傾げてたが、やっぱり「けど先生が~」となる。結局子供の頭に最初に刷り込んだことが一番残ってて、後から来る考え方はたとえ正しくても受け入れにくいんだろうな。

なので、いいや、じゃあこれからはお父さんが歴史や政治の事を教えようってんで買ってきたのが世界地図だ。

今朝はとりあえず北朝鮮の砲撃の話だったが、学校で北朝鮮の話を聞く前でよかった。実はニュージーランドは北朝鮮と外交があるので、またも学校で「北朝鮮は自国の土地を守る為に専守防衛で砲撃をしたのだ」なんて教えられたらたまったものではない。

歴史や政治は学校から学ぶと歪曲される場合がある。子供の頭は何でもすぐ吸収するし、最初に学んだ事が頭から抜けないだろうから、こうなったら学校の先生とぼくとの競争だ。


tom_eastwind at 14:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月28日

学歴、職歴、ジョブオファー、関連性について

871a3833.jpg永住権を申請する際のポイントに関連性がある。よく聞かれるのが、学歴と職歴とジョブオファーの関連性である。移民局のサイトを読んでもよく分からないとかメールで問い合わせても担当者によっていう事が違うとかだ。

これね~、どう説明していいやら、非常に難しい。日本の法律や決まりだけが正しいと思ってる人にどれだけ外国の法律や決まりを説明しても理解しようとしないからだ。

関連性について一言で言えば、そんなもんの明確な定義は存在しないと言うことだ。移民局担当者が関連があると思えばあるし、ないと思えばないのである。

例えば中国の山奥で生まれ育って共産党のコネでやっとNZに来られて移民局で働くようになった人間には理解出来ない世界があり、学歴と職歴とジョブオファーの関連性について日本と言う社会では全く違った考え方をするという事を肝心の中国出身移民局職員が理解出来ないのだからどうしようもない。

だから彼らは日本人が関連性について(職員にとって)わけのわからん説明をしてくれば、何故そうなるのかとそれをきちんと調べる事よりもとっととNOの返事を書いて早く家に帰って家族とご飯を食べたほうが良いのだ。

こんな事書くと、「え~、だってNZの国策で移民を必要としているなら、優秀な移民は移民局にとって大事なお客でしょ」なんて言うのは、あなたはとっても幸せな世界で生きてきた証拠です。

彼らはやっと移民局の仕事にあり付き彼らの上司が彼らにとって最も大事な給料を保証してくれる「顧客」であり、移民局に申請してくる日本人は顧客ではない。

自分がどれだけNZの為に役立つかより、自分の上司がどれだけ自分を評価して高い給料をくれるかがすべてである。自分の為にしか働いていないのだ。

その意味で日本で日教組に所属して出来るだけ子供に教える時間を短くして夏休みを思い切りたくさん取って民間よりも恵まれた労働条件で退職後も安定した所得が得られる連中が子供に何かを教える事よりも組合にこびって赤旗振って自分の脳みそで考えたこともない社会主義がどーのこーのと”のたくってる”ようなものだ。

もちろんあなたが移民局に聞けば移民局の公式見解は「いやいや、当局の職員は皆真面目で一生懸命で云々~」と言うだろうが、現実は違うのである。

だからこれを簡単に証明する方法がある。4年制大学を出て民間企業に就職した学歴と職歴を持つ申請者の履歴書を用意しよう。そしてこれを10人の移民局担当官に同時にテスト形式で出してみよう。彼らの答は十人十色になる。

うっそ!なんて思わないで欲しいが、それほどに判断基準は担当官の裁量によるのだ。そしてこの裁量は山だしの中国人であろうが難民ビザでやってきたパキスタン人であろうが働くという観念がほとんどないようなパシフィックアイランダーであろうが一つだけ共通している事がある。

それは、仕事を出来るだけ省いて楽にしようという事であり、日本のような複雑かつ精密な国家における労働形態がいかなるものであるかを理解しようなんてせずに、最初からNOなのだ。

今までもこの説明をすると本気で怒り出す日本人がいた。「どうしてそうなるんですか!おかしいじゃないですか!何で人によって判断が違うんですか!」だって。

そういう人は今までよほど悩まずにすむ世界で生きてきたのがよく分かるが、あのね、お父さんね、あなたもある意味彼ら移民局担当官と同じですよ、他人の世界を理解しようとしないって意味で。

僕らの仕事は何が真実かを突き止めることではないしそれを顧客と議論することでもない。あくまでもニュージーランドにある考え方を説明する事である。

だから関連性については「あるのかないのか」ではなく、申請者がどうやって「あるように見せるか」がポイントとなる。

けどなー、これ、日本的優秀脳みその男性には、ほんとに説明しづらいんだよね。何でかって言うと、相手が本気になってカッカと怒って「どうしてなんですか!」となる。

大の大人を人前で侮辱するのは趣味ではないしやりたくもないが、聞かれれば正確なことを答えるしかないし、その結果として相手の無知蒙昧=他人の常識を理解しようとしない、自分だけが正しいと思ってる、を曝すことになるから、あまり言いたくないのだ。

自分に自信を持つのは良いけど、それはどうぞ自分がお住まいの地域社会で家族相手に威張ったり飲み屋で女の子相手に威張ったりする時だけにしてくださいって感じ。

「日本国内で昭和中期に作られた仕組みだけが正しくてそれ以外はすべておかしくてニュージーランドの仕組みなんて更におかしくて、おれだけが正しくて、おれはそうやって日本社会で優秀と言われてきたんだ~!」

その気持ち、よく分かりますよ。けど、だからと言ってニュージーランドのルールが変わるわけではないでしょ。だいいち日本の仕組みが正しいのであればなんで今の日本はこんなに大不況になって中国に追い抜かれて韓国に笑われて諸外国からは日本Nothingと無視されているの?

関連性は、明確な規定はない。何が正しいかではなく、どう正しく説明するかがポイントだ。自分で関連性を証明する為に自分の今までの人生で何をやってきたか、きちんとそれを形にして目の前にいない移民局担当官に納得させるしかない。


tom_eastwind at 12:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

2010年11月27日

職歴

da00cde3.jpg日本と言う国では大手企業の場合は会社勤めの初日から社長を目指すような業務体系を取る。

例えば最初は現場で修行を積んで、それから少し営業をして、ちょっと経理の部署にも行って、地方だけど総務課長とかやって人事を勉強して、本社に戻ってから違う分野の仕事をしてとか。

要するに会社全体を理解させて社長と言う一個しかない椅子目指して昇進するような仕組みである。もちろん中小企業とかだとそんな事はなく、いわゆる職人肌と言うやつで一つの仕事をずっと続ける事になるが、世間では大企業で昇進をする人の方が偉く思われている。

「あたしはそんなことありませんよ、どんな人でも立派な仕事を~」なんてのたくってる人もいるが、殆どの場合それは飾り付けであり、本心からそう言える人は少ない。

けれどニュージーランドではこれが結構本心である。農場でバイクで羊を追っかけてる若者もオークランドのシティのど真ん中で金融やってる若者も、社会的地位にはあまり違いがない。

もちろん金融やってる若者の方が年収7万ドルくらいで素敵なスーツを着ているのに対して農家の若者は年収4万ドルくらいでいつも藁だらけのセーターとジーンズに泥に汚れたブーツ姿であるが、それでも日本で感じるような「格差」はない。

社長の椅子は一個しかないんだしそんなもん目指して家庭を不幸にするくらいなら会社勤めは仕事と割り切ってれば良いのだが、そんな姿を社内で見せると昇進出来ないので、やっぱりそこそこに頑張るしかない。

でもって周囲の無責任暇人どもは「ま~、xxさんちのご主人は、ほんとに素晴らしいですわね~、xx会社にお勤めで~」となる。そういうばかどもの無責任発言が結果的に競争社会を作ってしまうのだが、やってる本人は無意識に何も考えずに発言しているだけだからより性質が悪い。

ここで書く職歴には二つの意味がある。それは永住権取得の際の「職歴」と現地就職の際の「職歴」だ。

就職の場合にニュージーランドで職歴と言うとかなり具体的である。金融であればどこのファイナンス会社かどこの銀行か、部署はどこで何を担当していたのかとなる。

いわゆる専門性と即戦力となる能力を図る意味で職歴を問われる事になるのだが、日本社会で言われる「優秀な人々」の職歴はキーウィにとっては「無茶苦茶」である。何が専門なのかが理解出来ないからだ。

「で、あなたは結局何が出来るのですか?」
日本の大手企業で働いた人の殆どがこの質問にどう答えて良いか分からないだろう。何故なら彼らは会社の昇進の為に様々な部署を渡り歩いて勉強しているが、逆に言うと専門性がないし即戦力にならないからだ。

大手企業の社内向け稟議書では立派な事を書けるだろうが、じゃあそれはその企業を離れた場合に役立つのか_?、、ならない。トイレットペーパーにさえ、ならない。

ところが日本社会では企業の名前だけで世間の皆様が「ははー!」と頭を下げてくれるから、それが職歴と思ってしまう。

説明会で職歴についていつも強調するのはこの点である。日本でずっと生活をするのであれば「ははー!」な職歴で良いのだが、ニュージーランドでは誰も「ははー!」をしてくれない。どんな立派な企業名を出しても「で、それであなたは何が出来るの?」と聞かれるだけである。

移住するつもりで移民局に書類出して、自分はxx会社のxx課長補佐で、とか言われても、「で?」で終わり。もちろん職歴としてはちゃんと点数計算をされる。ただそれは10年くらい毎年きちんと給料を貰ってたと言う意味の職歴であり、パン焼き職人でもxx銀行の課長補佐でも同じ10年なのである。

でもって実際に役立つ技術と言えば、パン焼き職人の方がずっと優秀である。大手銀行で社内向けの稟議書書いたり中小企業に威張り散らすようなのは、ニュージーランドでは技術とは言わないしましてや専門性はゼロである。威張るだけならサルでも出来る。

金融と言うならばネイティブ並みの英語を基本にして国際協調融資などのプロジェクトファイナンスをやってたとか債権とか為替のトレーダーをやってたとか、そういうのを専門性という。

だもんで説明会で職歴を話すときには、「一応永住権申請の際には職歴はポイントになりますが、実際の現場では専門性を重視されます。なのでもし稟議書書くのが本職の方でしたら、今からでも遅くないので東京寿司アカデミーで短期集中型の寿司職人コースを学んでください」と言ってる。

こんな事言うもんだから東京丸の内あたりで金融関連の仕事をしてて綺麗なネクタイしている課長補佐あたりからは嫌われるのだが、ぼくの仕事は事実を伝える事であり「ははー!」はぼくの仕事ではないのだ。

皆さんに1万円払って参加していただく説明会は、最新で正確な情報を提供する事であり、「ははー!」して欲しければ六本木あたりのお店に早い時間に行って60分坐ってればよいのだ。

話はそれたが、永住権を取得する為の職歴は、実はあまり難しく考える必要がない。

永住権を取得する為に必要なのは学歴、職歴、ジョブオファー、そしてそれらとの関連性であるが、これはまた次に書くとして職歴の部分と言うのはどこの企業で働いたかではなく、何年きちんと誰かから給料を貰って仕事をしたかという意味である。

10年も仕事をしていれば、そりゃあきちんと社会に根付いてる善き市民と判断される基準の一つになる。失業10年!なんてのはやっぱり駄目だよな、その反対の意味での職歴であり、内容にはあまり大きな意味はないと思ったほうが良い。

ここまで書くと書きすぎかなとも思うし職歴の定義を誤解される可能性もある。しかし一般的な書き方をしたら更に誤解、それも自分に良いように解釈して、後になって「あいつの言ってること、違うじゃん」とならないようにちょっときつめに書いているのでそのあたりはご理解を。

ぼくらは永住権申請の際の無料診断というのをやっている。ご本人の経歴をニュージーランド移民局の点数計算にあわせて場合に何点になるかという奴だ。

通常は140点以上あれば永住権申請が可能であるが、100点以上でも申請は受け付けてくれる(プールと呼ぶ)。なんじゃこの書き方?と言う感じであるが、分かりやすく言えば140点以上あれば合格、100点以下なら補欠で、合格者が予定数に達しなかった時に不足分だけ補欠から選抜されるという意味である。

でもって、4年生大学を卒業して8年くらい給料を貰ってて(派遣とか正社員とかの違いはない。あんな差別をしているのは日本の習慣でしかない)、健康であり犯罪歴がなければ大体の場合100点くらいまではいける。

学歴については移民局がどう判断するかはケースバイケースだが、職歴の場合はきちんと給料さえ貰ってれば問題なく点数に加算される。

つい数ヶ月前までは失業率の高まりを受けて技能移民枠の永住権申請は取りにくかったが、なんだかここ2ヶ月くらいは”緩んできたかな?”と言う感じがする。これは景気が戻ってきて失業率も下がり、経済に勢いをつけようとする政府の施策なのかなと思ったりもする。移民局の連中は口が固いから余計な事は一切言わないけど、技能移民の道も最近再開されたか、なんて感じを受ける。

まあいずれにしても職歴は普通に日本人やってて普通に給料を貰ってれば「永住権申請の場合は」問題ないが、実際の就職では全く違った見方をされるという事をよく理解しておいて欲しい。


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2010年11月26日

学歴

309f6bfc.jpg大卒と言う学歴は、大学に「入学」した事で取れる資格試験である。これは子供の頃から競争社会に順応してますよ、だから御社でも役に立ちますよって意味の「証明」でもある。

いきなりこう書くとびっくりするかもしれないが、もし卒業時点の資格、修士とか博士の肩書きで就職活動を行うのであれば、何故卒業前に内定と言う制度があるのか?何故入学して勉強中の学生の青田刈りをするのか?

これは要するに大学に入学できた事ですでに「当社に入社出来る資格がある」と看做された証拠なのだ。だから大学でどれだけの事を学んでどれだけ素晴らしい論文を書いたかなんて殆ど意味もない。ありゃ卒業する為の最後の「社会への忠誠心の表明」である。

ところがNZでは高等教育(大学)は本当の意味で学歴である。どこの大学かも大事だが学部がもっと大事でありBAとかBBLとか、どのような専門高等教育を受けて資格を取ったのかを聞いてくる。この「専門領域」と雇用者が希望する「職務内容」が一致した場合に採用となる。

彼らと話をするとびっくりされるのが、日本では東大法学部を卒業して外務省で働いたりするというと、それは国際法をクリアーする為の専門職かと聞かれる。

「違う。彼らはキャリアと呼ばれる総合職であり将来的に外務省の高い地位の管理職になる予定で採用されている」

そう言うとみな一様に「きょとん??」とした顔をする。なんじゃそりゃ?東大は置いておくとしても、法学部は法律に興味があって弁護士や裁判官や検察を希望しているからでしょ、少なくとも企業弁護士として働くのが当然ではないの?

いや違う。日本の大学は資格試験であり、どこの大学のどこの学部に入ったかが大事であり、入学後に専門領域を勉強したかどうかは重視されない。そりゃそうだ、だって卒業、入社してからやる仕事は大学の専門領域とは全く関係のない部署だからね。

だったら何で大学で4年間も過ごすのか?資格試験なら18歳で資格を取ってから会社の入社試験を受ければ良いではないか??

真面目な答=それが日本の決まりだ。決まってるんです。

ふざけた答=いやいや、青春は二度と帰ってこないし、一旦日本の会社に入れば休暇も休日もなく残業だらけだ、それを知ってる若者は入社する前の4年間の長期休暇を先取しているんだ。

いつの間にか本来の意味の学歴と日本における学歴の定義がずれているので、これが諸外国の皆さんに理解出来ない。当然であろう、諸外国には60歳定年まで永久就職とか年功序列なんて制度がないので、一人の人間が一生同じ会社で働くという意味が分からない。

さらに、大学は入学する事が大事であり、卒業は簡単なのだから、入学して次にやるべきことは大企業の内定を早く貰う事だ、内定さえ取れれば後は勉強しなくても良いのだなんていうと、ますます???????である。

さて、ここからが仕事の話になる・

ぼくらはお客様が移住可能かどうかの無料診断をする際に必ず学校名だけでなく具体的に何の勉強をしたのか、すべて列記してもらう。そしてどの学歴のどの部分が現在の職歴と関連があるかを見つけるのだ。

お客様からすれば都内の一流大学の工学部のIT関連の学科を卒業した後に金融機関に就職、配置されたのは地方のxx支店の営業なんてのは普通の話。ところがこれを移民局に持っていくと「お前はふざけているのか、それとも彼は何か問題があるのか?いずれにしても職歴と学歴が関連してないので技能移民の学歴ポイントにはならない」となる。

ここで永住権の技能移民のポイント制度を書くと長くなるので当社のサイトを見てもらえば良いが、要するにニュージーランドの常識では工学部のIT関連の学科であれば彼が就職する先はどこの企業でも良いがIT関連の職場であるはずだとなる。

僕らはその度に日本のような終身雇用制度を弁護士を通じて説明する(何故ならぼくらは移住コンサルタントではないので直接説明する事も手続きをする事も出来ない)のだが、これがほんっと大変。

まずは難関である肝心の弁護士に日本の雇用制度や社会構造を、A3くらいの大きな紙に図を描きながら説明していくのだが、彼らは日本の社会が何故そうなるのか理解出来ない。

けれど現実にそうなのだからどうしようもない。ひたすらに説明をして理解させる。どうしても分からない時には「よし。現実にそんな世界があると思うな。空想しろ、そういう世界があるとひたすらに空想しろ。まるでSF小説の1984年のように」と言う。そうやって彼ら弁護士が移民局に文章で説明出来るように「振り付け」を仕込むのだ。

いずれにしても日本では会社に入社するという仕組みではなく、日本株式会社の本社=役所か、どこの部門=大手企業に配置されるかと言うことなので、そして一旦入社すれば60歳まで仕事が保証されているので自然と誰もが技術を必要とする専門職ではなくマネージメントの出来る一般職として仕事をするようになるわけだが、この事実がまずニュージーランドの移民局のスタッフには理解出来ない。

だからその部分は出来るだけ触れないようにする。説明し始めると、西洋社会の南洋の小島で農業を営んでいる人々には理解出来ない世界を、丸々一個、その生い立ちから始まって説明する必要があるし、そうなればそれだけで歴史の授業になってしまう。

ぼくの目的はキーウィ向けの日本史の教育ではないので、あくまでもお客様の学歴と職歴をいかに関連付けることが出来るかを考える。

皆さんも自分の学歴を振り返ってみてください。自分の学歴と職歴がどれだけ関連性があるのか?移民局が判断する際に大事なのは、ウェブサイト上では学歴と簡単に書いていますが、実は何を学んだかが一番重視されます。逆に言えば、一般職として働いていれば、その中のどこかには多分学生時代に専攻した内容とかぶるものがあるはず。ここを強調する事が大事です。


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2010年11月25日

そうだ、仕事のことを書こう

3db90a32.jpg北半球では内政で民主党の変節問題、外交では北朝鮮、経済では下向きの平等と社会主義化、教育はバカ化、右を見ても左を見てもあまり楽しい話がない。

そういやこのブログはニュージーランド起業家日誌である。北半球の話ばかりだけではなく、実際の移住について学べる実務ネタや役立ちネタも掲載していこうと思う。


最近の3週間はぼくの頭の中で団子状態になってて、先週シドニーにいたことがHadHadの大過去。はるか以前の出張のような感覚だ。忙しいのは良いことだしこれは12月17日の今年最後の営業日まで続きそうだ。

けどこれはどうやらオークランドの他の会社も同じような状態で、12月18日から一斉にいろんなビジネス活動がOFFにハイってしまうので、皆ばたばたとしている。

日頃はゆっくり仕事をしているような弁護士も今週は1日に数件アポ入れてるが、彼らもその後は約3週間のクリスマスホリデイ休暇に入るので、それまでに色んな案件を整理しておかねばならない。

ぼくらの会社は1月10日再開だが弁護士や政治家連中はその次の週までが休みなので、うちも年明けは会社開いても最初の一週間くらいはシャドーボクシングしかないな。

何はともあれ、先週もまた一件、起業家ビザがさらっと取得出来た。今年になって何件起業家申請やったかな、今度からメモしとこう。

今はリーマンショック後の失業率の高まり(ショック前は3%、ショック後は7%、現在は5%)で技能移民は2年前に比較して取得しにくくなっているが、逆に起業家ビザは取得が楽になっている。ニュージーランドに職と資金を持ってきてくれる外国人は歓迎なのである。

当社はおそらくニュージーランドにある日系企業では最も多くの、また複雑なビザを扱っている企業である。しかしビザコンサルタントではない。

ビザコンサルタントと呼べるのはNZ政府の認可を得た個人や弁護士だけである。当社は移住弁護士と組んでビザ取得までの道のり整備をやっているのだが、殆どの方はご存知ないだろうが、実は本当にビザで難しいのはそこに至るまでの道のり、道路整備である。

ビザコンサルタントは道路整備は出来ない。彼らは法律によって「出来る事」が限られており、元々移住までの全行程を管理するノウハウがないからだ。つまり、ビザは取れても生活設計が出来ないのだ。

実は移住にとって何よりも大事なのがこの道路整備である。ここを理解せずにパーツばかり、つまりビザ、不動産、就職、起業、などなどの細部をどれだけ詰めても全体図と言うカバンに入らないパーツは外すしかない。

カバンのサイズは決まっているのに色んなものを詰め込もうとしても入るものではないのは誰でも分かる。

ところが殆どの移住を希望する家族は、具体的に自分たちが何を望んでいるのか明確でないままに計画を作る。つまりカバンのサイズを考えずにデパートに立ち寄ってパーツばかり買ってしまい、後になって「あれ?これなんで買ったんだろう?」となる。

このカバンが「家族の生活」であり、一つ一つの家族の状態と今後求めるものを把握して、彼らが望む事が叶うような土台を作り彼らが何を望むのかによってパーツを選びながら全体図を作る。この全体図作りが僕の担当業務である。土台と全体図が出来れば、そこから先はパーツになる。

ビザはあくまでもパーツの一つであるが、ビザ屋からすればビザがすべてであるから、それが起業や不動産とどう関連付けるかなんて考えてもない。

逆に不動産屋からすればお客のビザの事なんてどうでも良いわけで、選んだ物件が実はビザ面で不利になると想像することも出来ない。

今のニュージーランドの問題はパーツがそれぞれ言いたいこと言って無知なお客を振り回して、お客の財布から自分の取り分だけ取ったら「カバンの中に入ろうが入るまいが」後は知らん、となることだ。

それぞれのパーツ屋も見かけは立派で偉そうに数字を並べたり法律の条項を並べたりしていろんな事言うのだが、彼らは自分の言ってることの半分も理解していないし、後の半分はその場の思いつきで言ってるからその言葉がお客にどのような影響を与えるかなんて考えもしない。

ところがパーツ屋の話を聞いたお客は自分に情報がないからどうしても相手の話に付き合うしかない。その結果として相手の話に無意味に従って不要なものを買わされたりムダに時間を失ってしまったり、挙句の果てにはビザさえ取れなくなるケースもある。

だから、ぼくの仕事は移住と言う長期の旅の全体の企画とパーツの調整を行う、まさにその意味で旅行屋である。

ある時はこんなケースがあった。オークランドのレストラン経営者の「一年働いたらワークビザ申請するよ」を信じて一年、家族を日本に置いて一生懸命働いたのに、いざビザ申請となったら「ああ、あれね。やだよ、取らないよ、だって君はね〜、能力的にどうかな〜」なんて事が本当に起こる。

真っ青な顔で駆け込み寺的に当社に訪れたそのご家族の相談に乗りワークビザを取得出来る方法を提案して実際にそれでビザが取得出来て現在はニュージーランドでご家族で楽しく生活をされているが、何よりも最初に叩いた窓口が間違っているだけで大変なことになる。

今の時点で世界中を見渡しても当社のようなビジネスモデルはまだ存在していない。誰もが自分の得意分野、例えばファイナンスならファイナンス、ビザならビザと言う自分の産業や業界からしかお客を見てないからだ。けれどそれでは日本人が納得してくれるサービスは提供出来ないし結果的に誰もが不満を持つようなことになる。

それぞれ専門の業界を横断的に横串を刺すのが実は旅行屋の一番得意とするところである。旅行は元々情報産業である。あご(食事手配)、あし(移動手段手配)、まくら(宿泊手配)は、それぞれのパーツにかかる費用や時間や効率性を考えて組み立てる。

「あし」は「まくら」の状態がわからないから、何時にホテルに迎えに行けば良いか、何時にホテルに着けば良いか、最善の判断をする事は出来ない。

「あご」も同様に、美味しい料理を提供するがお客様の到着時間と滞在時間と食べたいものを的確に把握しておく必要があるのだが、その情報は彼らの側にはない。何故ならその日の「あし」の動きによって細かに変化するからだ。

そういう、旅の全体図を把握して必要な時に必要な場所にコンサートの指揮者のように指示を出して動いてもらうのが旅行屋である。

今でも日本で会う人に時々聞かれるのが「結局あなたはどんなビジネスをされているのですか?」だ。

今週からクリスマスまではオークランドにいる予定なので、時間を見つけては移住ネタやビジネス内容や生活設計をテーマ別にして書いてみようと思う。



tom_eastwind at 08:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月24日

対岸の火事

北朝鮮が遂に韓国に砲撃を仕掛けてきて死傷者発生、民間人にまで怪我人が出たのだから、これは普通に戦争再開である。

韓国と北朝鮮は休戦状態にあり、板門店で「さあ、これからどうする、射ち合うか手を握るか」って状態が50年以上続いている。

韓国としては今年3月に起こった自国哨戒艦の沈没事件で米国に乗っかって北朝鮮の仕業だと訴えたが「ほんとは自沈、味方同士の相撃ちじゃん」と言う世論も出てきてちょっとやばい状態だったが、今回の砲撃は明確に北朝鮮からの攻撃であり、疑問の余地はない。

であれば誰が何故韓国に砲撃を行ったか?誰にとって利益になるのか?少なくとも韓国側に何の利益もないわけで、そうなると北朝鮮側の誰が利益を得るかである。

中国と言う重石を頭に載せてる北朝鮮政府としては政権交代もあり、今あんまり派手な事も出来ないはずだ。

ところが北朝鮮の核開発疑惑が一昨日持ち上がり、そして昨日のこの砲撃であるからその背景にあるのは北朝鮮軍部だと考えるのが一番分かり易い。

政権交代をしても軍隊が結局一番強いんだぞ、金ちゃんとこの息子がばかな事やって北朝鮮の軍事力を低下させるようなことしたら、政府を無視してでも韓国に攻め入るぞ、今回は砲撃だが次回は侵略だぞって事ではないか。

要するに米国と言う本来交渉をしたい相手を引っ張り出すのに、弱い場所から順番に叩くってことだろう。その順番として最初が北朝鮮の国境沿いであり、次は半島本土か。それでも駄目ならまた日本の上にミサイルを飛ばすのだろう。

けどそうやって火遊びをやっているうちにどれか一つが本当に火薬庫に飛び込んで大爆発、そうなると朝鮮戦争の再開である。

北朝鮮は韓国のソウルに向って戦車で攻め込めば3時間で占領出来る。米軍は地上部隊が少ないから止める事は難しい。日本に向っては北朝鮮特殊部隊を送り込んでインフラテロを行ったりして経済をかき回して自衛隊とも市街戦くらいやるだろうな。

狙われるところはやっぱり新潟とか福井とか、北朝鮮から侵入しやすくてソフトターゲットのある場所です。そして北朝鮮に対して唯一対抗して防衛出来るのが日本の自衛隊である。さて、今まで鬼の首を獲ったようにはしゃいでた自民党の何とか議員さん、どう思いますか、これでも自衛隊は暴力装置ではないですか?

それとも、「いえ、自衛隊は暴力装置ではなく暴力対抗装置です」とでも言いますか??どっちにしたってこうやって外国が攻め込んでくれば、暴力を持って対抗してくれる組織は自衛隊しかいない。

まあこれもニュージーランドから見れば対岸の火事であり、今この国では北半球の東アジアのちっちゃな地域で起こりそうな戦争よりも、南島のパイクリバー鉱山の炭鉱事故で閉じ込められた炭鉱労働者29名の命の話を週末からずっとやっている。

この「重大ニュース」の合間に時々「北朝鮮が大砲撃ったよ」とやってる。彼らの感覚的にはイラクやアフガニスタンよりも遥かに遠い国の話であり、むしろ東ティモールに派遣されたキーウィ兵士に関するニュースの方が大きく扱われる。

これは当然の事で、ニュージーランドからすれば地理的にも離れて政治的に巻き込まれることもなく、自国民及び自国への経済的影響に与える影響が低い地域での限定戦争なのだ。それよりも目の前で起こった落盤事故の方が大ニュースである。

日本の上層部では「やば。今回はマジに日本もやられるかも」と思って、今までは対岸の火事だったのが両岸の火事になる可能性を少しは感じ出している。

一般国民は、まさか自分が住んでる街にある日突然ミサイルが撃ちこまれるなんて誰も真剣には考えていない。

が、いざ北朝鮮のミサイルが日本を向いたと言う報道が発表されて、それが日本のどこに落ちるか分からないとなれば「まっさかね〜」とは思うが、それが「どうやら目標は新潟市です」と発表されたら新潟市民はまさに「ひえあ!逃げろ!」となるのと同じである。

こういうのが「どこの街に住むのか」と言う問題である。ニュージーランドはイスラムもクリスチャンも仏教も仲良く共同生活をしているからテロが起こる可能性は殆どゼロに近いし、どの国も羊を食べる為だけにニュージーランドに侵略してくる事もない。

自分の住んでいる街はコンビニがあって地下鉄が発達してて朝まで電車に乗れて食事が美味しくて、けどそこにミサイルが撃ち込まれる可能性があるとなったら、それでもその便利な街に住み続けるだろうか。

いくら「言葉が通じて」、「昔からの友達がたくさんいて住みやすくて」、「そこそこに食っていけて」、「親戚もいるから生活に困る事もないし」とは言え、ミサイル撃ち込まれたらそれで終わりなのだ。

一生懸命作り上げた家族生活も、ローンで買ったマンションも、働いている会社も、親戚のうち数人かは、友達も数人か、亡くなるだろう。

ニュージーランドの今の大きな問題は29名の炭鉱夫の命だが、日本の今の大きな問題は北朝鮮と原子力発電所である。

ニュージーランドでは石炭を自前で賄っているから探鉱爆発と言うリスクは常に抱えているから今回の事故もある意味「想定の範囲内」である。NoRisk,NoGain,だ。

ニュージーランドの良い点は、国民がリスクをゼロにする事は出来ないが、リスクを最小化させることは出来ると知っている事だ。現実に軸足を乗せて考えるから、出てくる答も非常に理性的である。

実は先週金曜日に第一回目の爆発が起きてからすぐに救助隊は結成されたが、炭鉱内部は粉塵とガスで充満しており、もしそんな所に飛び込んだらほぼ確実に二回目の爆発が起きて二次災害が起こっただろう。

だから今日のニュースでも誰一人として救助隊がいるのに内部に入ろうとしない事に非難する声はなかった。日本だとこれが感情的に「中には誰かまだ残っているかもしれないのに、何故救助隊は救出に行かないのだ!」と非難ごうごうであろう。

これが日本とニュージーランドの最も違う点であり、日本は平和ボケしてリスクを取る事を忘れてきれいごとばかり言うが、ニュージーランドでは平和な国でありながら今も世界中にキーウィ兵士を送り出して平和の為に暴力装置を最大限に活用し、リスクを理解してどう最小化するかを考え、きれいごとは言わずに現実的に二次災害を出さないほうが大事と判断するだけの知恵がある。

日本で「おれ、安全だもんね」と思ってる人の住んでる町の原子力発電所が北朝鮮のテロリストに襲撃されたり地震で吹っ飛んで核爆弾になるリスクをどれだけの人が自分の事として覚悟しているか。

ここ数年、北朝鮮特殊部隊侵入や原子力発電所の爆発等を取り扱った小説が売れている。読んでいるうちは対岸の火事であろうがそれが実際に目の前で起こったなら、ボウリョクソウチって言ってた議員はどうするか?

おそらくきゃーきゃー言ってその辺をぐるぐる走り回るだけだろう、誰を助ける事も出来ず、自分が今まで何も備えをしてなかった事に後悔しながら。

なので、いつ、どこに住むのかはとても大事だし、何か起こったら逃げ場所を作っておく事も大事なのは当然である。それがリスクを最小化することである。リスクをゼロにする事は絶対に出来ないが、リスクを減らす事は出来る。それをせずに決定的な状況に自分を追い込んだ場合、それを自己責任という。


tom_eastwind at 18:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月23日

幼児教育

35af37b3.jpgりょうまがまっすぐにこちらの顔を見て考えてから話をするようになった。奥さんはすんごいびっくりしている。坂本龍馬がおねしょばかりしてたのが、ある日突然目が覚めた、あの感覚だろうか。

本人からすれば何の違和感もないのだろうが、今まで目の前に霞がかかっていのが、相手の言う事を聞き取れるようになり自分が何を言うべきかを分かるようになった。すんごいよね、この成長。元々香港及びニュージーランド政府認定の自閉症ですぜ、この子。

少しづつ成長するって感じじゃなくて、ほんとにここ2ヶ月程度で急激に変わった。ついこの間までとんちんかんな話しか出来なかったのが嘘のような進歩である。

たぶん子供の頭の中には自分を守る為の薄い皮が何枚も重なっており、それが少しづつ剥げ落ちてきて、最後の一枚が今やっと取れて殻から出てきたという感じだ。

自閉症のことをきちんと勉強してるわけではないが、あれってやっぱり環境が大きく影響しているんじゃないかと思う。もちろん生まれつきの部分もあるだろうけど、生まれてからすぐにストレスだらけの社会に晒されてしまうと、感受性の強い子供は自分の脳みその回りに防護膜を張ってますます引き篭もってしまうのではないかと思う。

ある教育者によると、生まれたばかりの子供が実は一番目も耳も開いてて外部の様々な現象を理解して吸収していくのだと言う。つまり大事なのは頭の固くなった小学校あたりで何かを教えるよりも、生まれたばかりの時から教育プログラムを作ってあげることがずっと効率的だと言ってる。

今の日本では幼稚園と保育所をどうするかが議論になっているが、保育所とは子供を預かる場所と言う解釈から議論が始まってるが、実はこれ自体正しい出発点なのかってことを考える必要がある。

子供が一番成長するのは三歳児までである。だから昔からの諺で「三つ子の魂百まで」となる。三歳までの教育は親が中心となるので、もし子供の性格や素行が悪ければそりゃ親の真似をしただけであり、親の責任と考えたほうが良いであろう。

日本では無責任なバカ親が学校に過大な要求をして学校は責任逃れの為に出来るだけ何もせずにいて、その被害者が子供と言う構図になっている。だから無理やり学校に行かされたりテストで良い点を取るように強制されたり、なのにきちんとした教育を与えてはくれないから可哀想なものだ。

ニュージーランドはこの点は随分日本よりも進んでいる感じがする。子供の個性を大事にする教育だし、何よりも子供を社会の宝と位置づけているのが良い。

自閉症は子供の頭の中に何十枚もの薄い膜がかかっている状態と考えてみればどうだろうか。子供は薄い膜を自分を保護する為に作り上げているが、周囲に問題がないことを理解すれば、長い時間をかけて次第に膜を一枚づつ剥がしていって、最後はある日突然ぱっと目が覚めたようになるのではないか。

その為に大事なのは親が子供にストレスを与えない環境で育てる事だろう。他人と比較せず、常に話を聞いてあげて、決して怒りに任せてどならない(このあたりかなりぼくは自己反省)。それに環境も大事だろう。ストレスを感じさせない環境でのんびりと生活をさせてあげる事。

けれどりょうまくんにとって何よりも幸運だったのは素晴らしい母親の存在であろう。彼女はりょうまくんが生まれた時から教育を与え、自閉症と診断されても特別扱いせず、けれど間違ったことは間違いときちんと教えて、いつも優しく包み込んでいた。

ぼくが奥さんを一番尊敬する点は、まさにこの教育である。彼女の教育者としての方法は見事としかいいようがない。

今からでも学校の先生になればいいでしょ、せっかく大学で幼児教育の勉強もしたんだからと言うと彼女は「あんたたち3人で充分に疲れたよ、もう充分。それによその子を学校で教えたとしても家に帰ったら親がそれをひっくり返すんだから時間の無駄」と言ってた。なるほど、家庭教育の大事さですな、学校だけでは砂上の楼閣か賽の河原ですな。

それにしても幼児教育の大事さは、大人になってから何を教えてもムダになるって事を考えると、大学教育よりもよほど大事な基礎教育である。

親はどこまでいっても教育には素人であり教育能力がないのなら生まれてからすぐ預かってくれてきちんとした幼児教育を提供してくれる公立の保育園を作り、ここで5歳までしっかり基礎教育を教えてみればどうだろうか。子供の数に合わせた保育園だから入園出来ないって事はないし、そうすればお母さんは出産後に職場復帰出来て社会戦力となる。

頭の固くなった若者に大学に行かせても費用対効果は低いわけで、それならゼロ歳児教育にお金を傾斜投資してみれば、20年後には確実に効果が出ると思うのだがどうだろう。

なんて事を書いててふと思い出した。そう言えば生まれたばかりの子供はすべて親元から手放して国家教育相で管理して徹底的に”教育”をするって政策があった。あれって一応SFだけど共産主義の行き着くところだったような。

行き過ぎは困るが今の日本の素人教育で子供が親に殺されたり学校に擂り潰されて自殺したり自分が制御出来ずに病気になったり他人に無関心な大人になったりするくらいなら、政府による無料ゼロ歳児教育を導入させてお母さんの社会参加を促しながら教育はある程度はプロに任せていくのも良いのではないかと思う。


tom_eastwind at 10:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月22日

抵抗権

af28b375.jpg今の日本の政治の流れを見ていると随分いらいらさせられる。尖閣問題、社会保障切り下げ、金持ち増税、相続税課税強化、それでもって閣僚発言のばかさ加減には呆れるばかりだ。

国民が民主党に期待したのは、国家を社会主義(=官僚と政治家だけが威張ってて国民は搾られるだけ)にして全員を下向きの平等=(貧乏にして世界の三流国に落す事)じゃないよね。

少なくとも民主党が選挙のときにコミットした国家公務員改革をやってくれる、自民党には官僚との長いしがらみがあるから無理だろう、だったら民主党に任せてみようという国民の意思ではなかったか?

現在の国家システムの根本にある問題である国家公務員改革を進めてくれるコミットメントを平気で破り、天下りを認め、結局日常業務は官僚に任せて政治家はせっせと日本を社会主義にする為に制度改革を行っている。

日本国民が一票を投じたのは民主党のつもりだったのに、実は社会党左派だったという現状。こりゃあんた、選挙の時と話が違うでしょ。こうなれば国民本来の権利として抵抗権を使うぞって感じだ。

抵抗権とは昔々、アメリカがイギリスから独立するときに使われた考え方のひとつ。

イギリスからすれば自分の領土の一部分の反乱であり、民衆が選んだ議会が決めた事を民衆が否定して反乱を起こすのは自己矛盾ではないかと主張した。

例えば今の日本で言えば沖縄がある日突然「私たち沖縄は独立します。日本の指示は受けません。米軍基地問題も直接米軍と交渉します。外交も自分でやります」と言い出したようなものだ。

そんなん、駄目じゃんと言っても沖縄国民が独立を宣言しているのだから日本に残された道は多くない。インフラをぶった切って兵糧攻めにするか、自衛隊を派遣して沖縄政府を占拠するか、である。

けれどインフラを切られても沖縄には昔のように中国の属国となる方法があるし台湾と提携しても良い。日本に頼る必要はないのだ。

けれどやはり民主主義の中で沖縄からも日本国会に議員を派遣しており、もし問題があるならそこで語るべきであり一方的な独立はおかしいではないかといわれるだろう。

そこで出てくるのがこの「抵抗権」である。つまり民意に従わない行動を取る政府であれば民衆が直接否定しても正しいという考え方だ。沖縄と言う地域の民意は米軍基地の撤退であり、それを長い間訴えてきた。もし米軍の駐留を日本が受け入れなければいけないならば、他の県も協力すべきだ。

ところが他の県は米軍の受け入れは拒否して、つまり嫌な部分は沖縄に押し付けておいて米国との良い関係で発生する利益は自分の懐に入れるという話である。

まさに人を小ばかにした話であり、民意と言う美名の下に多数の人間が一人の子供を虐めているようなものだ。

普通のちっちゃい事であれば話し合いの余地もあるのだが、これだけ長い期間一方的に日本ルールを押し付けられてそれが民主主義であるというなら、そんな民主義は不要である。沖縄国民の民意に添わないことを行う政府に対しては抵抗権を使用するってことになる。

現在の政権はまさに船頭多くして船丘に上がるの良い例であり、民主党の中でさえばらばらであり、誰も沖縄問題なんて対応出来てない。

同じような問題は実は北朝鮮の拉致事件でも言える。ふつう自国民が誘拐されたら政府としてどう対応するか?誘拐した相手が国家であればふつうに戦争起こすでしょ。ところが当時の社会党は北朝鮮べったりだったから「そんな事件などあり得ない!北朝鮮様が日本人を誘拐するなんて、あり得ない!」とほざいてた。

ぼくはたまたまこの事件に直接の関わりをもっていないが、もしこれが家族に起こった事件であれば、民主主義とか社会党とか国会とか関係無しに、自分で北朝鮮の人間を誘拐して人質交換交渉をするだろう。それが法的にどうのこうのとか手続きがどうのこうのとか、そんなもん、知らん。

ぼくは自分の意思でこの社会に参加して国家に軍事と外交と治安の役目を任せて家庭の安全を求めた。その代償としてぼくは法律を守る事にした。ところが国家が家庭を守ってくれないなら、なぜぼくが法律を守る必要があるのか?

契約社会とはそういう事である。ぼくは社会に自分の意思で参加した。その社会から出て行くのも僕の意志だ。だから抵抗権と言うよりもむしろ自由と安全を守る為の基本的人権なのではないかと思う。

だから今の日本で国民が委託した項目を政府が実行しないだけでなく、自分たちが約束した事さえ守らないなら、こりゃもう抵抗するしかないでしょ。

ニュージーランドでは日本と比較すればこの人権が守られているし尊重もされていると思う。何もない田舎の国ではあるが、何よりも議員がまともであり官僚が自分のやるべき事をわきまえているから政治と言う意味では本当に一流であると感心する。

これはニュージーランドがちっちゃいからやっていけるんだ、400万人だからいけるけど1億2千万人の国家では通用しないよと言うなら、日本も本格的に道州制を導入する事を考えるべきだろう。クーデターを起こすよりは余程簡単に世の中を変える事が可能になる。



tom_eastwind at 14:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月21日

世紀の空売り The Big Short

サブプライム問題を扱った分かり易い解説本として、そして何より小説として読みやすいのが良い。

五味川純平も戦後すぐに発行された小難しい何とか派の作家に対して「お前らの本は本当に面白いのか?」みたいな質問を婉曲に行っていたが、まさにこれである。

サブプライム問題は金融知識がないと理解不能だし、その金融知識とは地方支店の営業担当者が自転車でお客のお店に行ってお金を回収して、その残高を支店で計算して合った合わないをやっている程度の知識では到底不可能である。

もちろんぼくも入り口程度しかこの問題の理解は出来てないが、ただ確実に言えるのはサブプライム問題は法的に言えば「未必の故意」と言う犯罪である。

つまり投資銀行はこの債権を売れば次に何が起こるかを知った上で金融界に債権を売りまくり(日本では農協やみずほ銀行などが引っ掛かった)その結果として世界中を巻き込む一大金融不況を作り出し、多くの人が住む家を失い職を失った。他人の財産を奪う結果になったという意味では犯罪の要件は充分に満たしているということだ。

しかし実際には書類も全部揃っており契約も成立しており、財産を失った人間の方がバカだったと看做されている。

サブプライム問題は突き詰めて言えば政府を巻き込んで一般国民を不幸に落とし込む詐欺であるが、詐欺に至るすべての段階で契約書とか政府認可とか格付けをもらっているから結果的には「買った奴がばか」ということになる。

政府が一部大手投資銀行だけを守って一般大衆を餌にして食い尽くすのは日本でもおなじみなので珍しくはないが、ここまで大仕掛けでやられるとあきれるしかない。

問題は、サブプライムと言う名前の詐欺は今回はこれで終わりだが、次の詐欺はまた違う名前で表面化してくるという事だ。格付けだけに頼り切って自分の頭で考えようとしなかった連中は、次の詐欺でも確実に引っ掛かるだろう。

日本ではぴんと来ないかもしれないが、実は今はサブプライムローン処理の為に政府で印刷された米ドルが世界中に飛び回っている。これはすぐに次のバブルを産むのは間違いない。

その時に自分が食い物にされないようにある程度の金融知識を身に付けることは、白ご飯をお箸で食べる技術を学ぶようなものだ。好きとか嫌いではない。覚えるしかないのだ。

その意味でこういうハウツウ本は役立つ。技術的な部分は理解出来なくてもノンフィクションとして読むだけで充分勉強になる。かなり分厚いが、最初は本に出てくる人々の名前と筋書きだけを覚えて、二回目に金融の基本をゆっくり勉強すれば良いのではないかと思う。

お勧め。

世紀の空売り世紀の空売り
著者:マイケル・ルイス
文藝春秋(2010-09-14)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


tom_eastwind at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2010年11月20日

暴力装置 平和ボケの行き着く墓場

1ef3dca3.jpg 菅直人首相は18日午後の参院予算委員会で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現したことについて、「内閣全体の責任者として、自衛隊の皆さんのプライドを傷つけることになったことは私からもおわびしたい」と陳謝した。

同時に「改めて注意したい」と、直接注意する考えを示した。北沢俊美防衛相も「誠に残念なことだ」と述べた。

 いずれも自民党の丸川珠代氏への答弁。丸川氏は「謝罪では済まない」として、「仙谷長官の問責決議案を求めていく」と表明した。 
 仙谷長官は同日午前の質疑で、「暴力装置でもある自衛隊」と発言。自民党の抗議を受け、直ちに撤回、謝罪した。(2010/11/18-15:51)


いやいや、自衛隊は暴力装置でしょ。プライドを傷つけたってのはどういう意味?自衛隊は国家災害救助隊とでも思ってるのか?ばかか?

普通に使っている言葉ですぜ。自衛隊は武器を持ち戦車を走らせて戦闘機を飛ばして他国を威嚇する為の暴力装置ですぜ。

この丸川って人が何を考えているのか分からないが、こういう風に正しい表現を公の場で否定することが結果的に喋りにくい世の中を作ってことが分からないのか???

丸川って人が野党として与党に喧嘩を売りたいのは分かるが、いくら目先のネタとしても、それを使ってしまえば最終的に誰もが本当のことを言えなくなって、正しいことを言う人が犯罪人になってしまう、その危険性をよく理解して欲しい。

まあ丸変わって人のことは放置するとし本題の「自衛隊は暴力装置か」であるが、何度も書くが自衛隊は暴力装置である。日本の周辺国に対する威嚇によって他国が日本に攻め込まないようにする為の装置である。

じゃあ逆に自衛隊が暴力装置でなければ何なのだ?国家災害防衛隊とでも呼ぶか?どこの国でもごく当然のように日本の自衛隊は軍隊の一種として理解しているのに、肝心の日本人だけがそれを理解しようとしないのか?

それは平和憲法という無意味なたわごとor呪文をうまく使って日本を弱体化させたい一部の外国と、その提灯担ぎをやってる左翼連中がそうやって無知な国民に対して扇情的な感情を煽り立てている結果である。

日本は前回の戦争で負けてから国家戦略を寸断されて、ある時は左翼に振り回されある時は右翼に振り回され、またある時は米国軍産複合体に操られ、またある時は同じ米国でも経済重視派に操られ、その合間に中国の工作により国民全体を平和ボケに追い込ませたり、とにかく他国のやりたい放題の状況だった。

そんな中で自衛隊は右にもヒダリにも寄らずに政治に近寄らずに国家防衛と言う観点から訓練を重ねてきた。しかしその訓練とは戦う為の訓練であり大洪水で溢れた河川の修復の為ではない。

実は今の日本を一発で良い国、つまり活気があって将来が見えて人々が毎日坂の上の雲を追いかけていける国にする方法がある。

それは一部の知識とやる気と死ぬことを恐れない政治家連中と自衛隊が組んで国会議事堂と霞ヶ関とNHKを占領して日本を一時的に軍事国家にすることだ。

まずはこうやって既存の利権をすべてぶっ壊して米国支配からも逃れて一時的に独裁政権を作り出す。その頭になるのは河野太郎でも小泉の息子でもよい。

そして既存のくびきをすべて一旦のがれてから再度民主選挙を行えばよい。そうすれば日本は良い方向に向える。

そのためにも自衛隊と言う暴力装置は必要である。暴力装置だからこそ出来る最大の日本と言う国への貢献である。

丸山って人が何を言いたいのか分からないが、逆に聞きたい。自衛隊が暴力装置でなければ一体なんという装置なのか、なんと言う組織なのか。


tom_eastwind at 18:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2010年11月19日

シドニー 潮目の変わり

「潮目が変わった」という言葉はぼくの頭の中にときどき出てくる。

それまで全く駄目だと思ってたことが急激に反対側に、まるで今まで高速で走ってた車が急にスピンしてギアをトップに入れて正反対の方向に走り出すような感覚だ。

潮の目が変わるというのは、ビジネスに置いても個人の運命においても存在するようで、やってる人間は何を変えたこともないけど世の中が変わってしまっていつの間にか自分がその波の上に乗っかっている感じだ。

今回のシドニー出張は一泊二日と短かったけど、シドニーと言う街の潮目の変わりを感じた。この街は数年前までは鉄鉱石等の地下資源で潤っていたが、どことなく田舎臭さの残った、まるで田舎のカウボーイが着慣れないスーツに裾のはみ出したYシャツで街を闊歩していたのだが、今回は彼らの顔がいくらか引き締まってきていた感じである。

リーマンショックを受けて世の中の厳しさを理解して、ぽっと出の方言丸出しのお人よしの田舎モノではもう通用しない事を体感したのだろう、学ぶ連中はしっかりその事実を学び、そこから自分を成長させた。

今までのシドニー、オーストラリアってのは田舎のカウボーイが牛追いをしてた寂れた赤土の大地に急に時代の最先端を行く稀金属が埋まってる事に気付いて、ここ掘れわんわんであぶく銭を稼いで、まるで日本の田舎の百姓が新幹線が走るってんで自分の田んぼを売ってそのカネでバカ騒ぎをするような程度だった。

ところがあぶく銭は身に付かない。稼いだ金を今のうちにしっかり運用してどうやって利益を出していくかを考えるようになった。稀金属を売るにしても出来るだけ長く稼げるように、頭を使うようになった。

けれどこうやって大きな変化の中で自分を変化させることが出来る人間は決して多くない。昔と同じように何も変わらず何も変えずにいる人々は世の中の変化についていけずにどんどん沈んでいく。

やってる本人は別に沈んでいるという感じはしないのだが、「何でかね、最近は物価が高くてさ」とか「どうもさ、商売うまくいかないよね、何かしなくちゃと思うけど、それもどうなのかね」みたいに愚痴るだけだ。

そして時代に取り残された、つまり潮目が変わったのにそれについていこうとしない人たちは次第に格差を感じるようになる。

「隣の家の息子がさ、親父は大した事なかったのに何か結構良い大学出て今では稼いでさ、なんなんだろうね、うちはあいも変わらずなのにさ」みたいな事を言い出す。

リーマンショックは南半球の田舎であるシドニーでさえ大きな潮目の変化を与えた。潮目を読み取って流れに乗った人々はまるで大きな気球の紐をしっかりと握って高い空にぎゅーんと上っていったのに、読取れなかった人々はあいも変わらず赤土の大地の上で毎日地面を見つめて「今日も何も変わらないな」とつぶやいている。

格差と言う言葉がまるで悪を裁く大岡越前のように日本中を徘徊しているが、変化を認めずに努力もせずに何も考えようとしない人々が大地にしがみ付いてる間に、変化に応じて学び、努力して一生懸命頭を使って考える人々は大きな気球の紐を握って空の高みに飛び出していく。それが格差なら、それは当然の格差ではないか。

今の日本は大地にしがみ付いて何もしない連中が空に浮かんだ気球を鉄砲で打ち落とそうとしているようなものだ。そして大地に落ちてきた彼らを見て「ほら、これが平等だ」なんて平気で言う。

今まではシドニーは定点観測の場所として定期的に視察をしてきたが、もしかしたら来年はシドニーで何かの仕事を手掛けているかもしれんな。そんな感じがした今回のシドニーでした。



tom_eastwind at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月18日

シドニー出張

490c30ae.jpg今日から一泊二日でシドニー出張。今回は定点観測ではなくご挨拶だけなのでほんとに短期出張。おかげでどんな服装で行くか、どのカバンを使うか迷った。

結局いつもと同じ2週間用のキャリーケース(ガラガラ)とブリーフケースにして、3時間のフライトなのでスーツを着たままで行く事にした。

ぼくがいつも使っているスーツはJALと三陽商会が提携して作ってて、飛行機移動の多い人向けなのでかなり便利。3時間程度のフライトならまずシワにならないし、一日中着てても夜ハンガーに掛けておけばかなりのシワは消えてくれるので、いちいち自分でアイロンプレスする必要もない。

それに旅先で雨に降られても5分程度ならオフィスに戻ってバンバンと”はたけば”撥水加工なので殆ど水が吹っ飛んでくれる、これなら傘不要で荷物も楽チン。なんか一昔前のビニール製のレインコートをバタバタとはたいてる感じである。

繊維一つ取っても全く便利なの世の中になったものだ。

オークランド空港も現在来年のワールドカップに向けて大改装中であるが、トイレも昔の奴に比べれば格段の進化をしている。

とくに男子トイレの坐る奴は、立ち上がると自動的にFlush,つまりボタンを押さなくても水が流れて出てくる。これはたぶん中国人対策だろう、ここまではよく出来ました、なんだけどな。

問題はここからで、人が坐ったり立ったりする時のセンサーがかなりいい加減なので、坐っててちょっと⇒半分でも腰を浮かそうものならすかさず「お前は立ち上がった」と判断されて、冷たい水がFlushするのだが、これがとにかく勢いが強い。その時の”おつり”がぼくのNakedをビシャって濡らしてくれる、それも戻ってきた内容物付きだ。

このあたり、ハードはしっかりしてても本当にソフトはしっかりしていない。使う人の視点がなくて作る人がどうすれば良いかしか考えてないのだ。おい、製作担当者、自分で坐ってみろ、すごく気持ち良いぞ、と言いたい。

そしてシドニー行きの飛行機に乗り込むのだが、ここでも最初はなかなか立派なサービス。エコノミークラスなんだけどOneWorld会員なので優先搭乗、そして機内で最初に受け取ったのがExpressInwardsと言うカード。これがあると外国人でも優先入国させてくれるのだから、おお、大したものだぜQantasと思ったのもつかの間、同時に渡された入国カードの記入欄。

なんじゃこの書き込む欄のちっちゃさ!滞在先を書き込む欄は長さも幅もマッチ棒3本ぶんしかないぜ。こうなると米粒に細工をする技術が必要になる。

おまけにこのフォームは全部書き込めってなってるけど、滞在先の下にあるStateの横の3個の3ミリ四方のちっちゃなマス、これどういう事?オーストラリアは各州ごとに3桁のαベッドがあり、例えばシドニーだとNewSouthWalesなのでNSWとなるが、そんな事を知らない観光客はどうすりゃ良いのか?

この入国カードを見て真っ先に思い出したのが香港から中国に行くときの国境で書く入国書類である。壊れたコピーマシンで何百回も印刷したような、縦横が歪んでる10センチ程度のちっちゃな紙に書き込むのだが、住所欄などマッチ一本ですぜ。

この入国書類を作った担当者は自分が海外旅行が出来ない怒りをこの書類にぶつけたのかといいたくなるくらいだ。

こうやって見ると世の中の便利さがまだらに進歩してるような感じがするが、感覚的に言うと役人が無視しているちっちゃい業界や規制のない業界は発展速度が速く、役人が関連している規制のある業界は歪んだ方向で発展も遅く、役人が自らやっている作業は殆ど進歩がないか失敗してるって感じだ。

顧客視点という意味では、本当に日本のサービスは世界一である。日本人だけが気付いてないけど世界一の水準にある。だからこういうサービスをこれから世界中に提供していけば面白いビジネスモデルになると思うんだけどな。

品質やサービス管理を顧客視点から行うマネージャーみたいなポジションが出来れば日本人が世界でそうなめだろう。あれは本当に日本人にしか理解出来ない感覚だもんな。

半導体や液晶ディスプレーとか役人が”かむ”ビジネスはろくな結果にならないが、日本のサービスは役人の関係のない分野であるから、こういうのをどんどん輸出していけば日本は小粒でも優良な国として生き残っていける。

そう言えば青色LEDを世界で初めて開発して現在はカリフォルニア大学の教授を務める中村修二氏が日経ビジネスの対談の中で言ってたことがちょっと面白かった。

★抜粋開始
日本企業はとにかくスピードが遅い。決断する為に大量の資料を作らせて会議を開いても発言は要領を得ず、だらだらとやっている。韓国や台湾の企業はすぐに決める。米企業は資料など作らずに電話会議でどんどん進めていく。これでは世界との競争に勝てない。

日本の技術者は英語を勉強すべきだ。技術の世界は英語が標準であり技術者を目指すなら英語は必須。そうでないとせっかく良い技術を持っていても世界に売込みが出来ない、グローバル化の波に置いていかれる。
★抜粋終了

中村さん、日本企業が遅いのは政府が遅いからですよ。日本企業は日本株式会社の一部門にしか過ぎません。大企業の社長が役所の課長クラスに叱られる国ですからいくら企業に変化を求めてもむだ、遅いのは政府であり、遅いことで役人の年金が減る事はないからです。逆に改革なんかしようものなら周囲から「無駄な仕事を作りやがって」とか「先輩の決めたルールを破りやがって」となり、天下り先はないぞと脅かされるだけです。

そして日本の技術者の英語が駄目なのは、下手に英語を覚えられて政府の頭越しに外国と直接取引をされると困るから、書けるけど話せない英語教育を施した政府の国策ですよ。

ついでに何で政府がやる国策ビジネスが立て続けに失敗するかってのは、権限あって責任なし、リスクを取らない人間が一番てっぺんで各企業の社長を呼びつけてビジネスの判断をしているからうまくいくわけがないのです。

繊維の話から空港のトイレ、入国カードからLEDや半導体まで話が飛びまくったけど、間もなくシドニー到着。


tom_eastwind at 19:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月17日

放置国家

★抜粋開始
柳田法相は14日、広島市内で開かれた地元の集会で「法相はいいですよ。(答弁は)2つだけ考えておけばいい。『個別事案についてはお答えを差し控えます』。分からなかったらこれを言う。これで大分切り抜けてきた。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっている』」などと述べ、16日の衆院法務委員会で陳謝し発言を撤回していた。しかし、野党は国会軽視の発言として追及している
★抜粋終了

移住の話をすると必ず出てくる反論が「お前は国を捨てるのか!?」である。日本が駄目と思うなら、日本を良くすべきではないかと言われる。

冗談ではない。国を捨てるのではなく今のバカ政党や政治家や自分の住む街にいる多くのバカを捨てるのだ。

私の人生はわたしのものだ、日本と言う故郷は大好きだけど、今の日本の政党は嫌いだし自分の住む街にいる口うざったい、自分で何もしないけど他人の足を引っ張ってプライベートを覗き込むような連中を嫌いなだけだ。

まさにその典型的な例が上記の発言であろう。

別に難しい話ではない、まさに法相の言うとおり、みこしに乗っかって官僚が作った答弁で返答して、分からないことは上記2つで対応すれば良いのだから、嘘でも何でもない。

謝るにしても何を謝るのだろうか?自分が苦節20年、何とか閣僚の座を取れてほっとしたところで「落語で笑いを取るように」冗談を国政報告会の場で言ったとすればかなりな空気を読めないうすらばかであり、いつも思ってることを本音を喋ったのならそりゃ法相、正直でよろしいってことでしょ。

本音で言ったことを謝るのならおかしな話だし、思ってもいなかったことを喋ったならうすらばか、どっちにしても日本で法律を統括する人間の行いとしては到底あり得ないあふぉーな話である。

ただ問題は、ほんとにこの程度の連中が政治家になれて閣僚になれる現在の政治システムであろう。

中国でも太子党と呼ばれる2世ばか連中が地方で人心を乱すことをやっているが(我是父李剛!事件とか)、中央政府にはそんなバカはいない。バカでは中国のようなでっかい国を運営出来ないからだ。

ところが日本ではこの程度のバカでも閣僚になれる。ただ、このバカには一つ大事な素質が必要である。

それは政治においては自分の意見を殺して先輩議員の意見を受け入れて一緒に大騒ぎをして時には国会内で暴れて、時にはテレビのクイズダービーに出て政治家以外の能力を発揮して世間を笑わせて、要するに太鼓持ち(古い言葉かな、ウィキで引いてみてください)であることが必須である。

下手に自分の日頃考えている政治意見などを述べてはいけない。すぐに政党政治によって潰される。とにかく仙石さんのいう事を聞いて彼の考えているだろうことを実行しておくのが一番。

ある意味、まさに日本のサラリーパーソンである。上司の顔色ばかり伺ってゴマすりしておいて、仲間内の飲み会では「おれさ〜、今度ちょいと出世したんだよね〜、けどさ、これがまた楽な仕事でさ、権限あって責任なしってやつなのよ、あ〜はっははは」てな感じであろう。

日本を出て移住するって話になると真っ先に言われるのが「この国を捨てるのか!」である。「この国に問題があるなら、この国に残って良くすべきではないか!」とも言われる。

冗談ではない。この国を良くするためには政治家になるしかない。政治家になっても自分の意見を言えるようになるまでは10年以上かかる。やっと発言権を得ても上司のお気に入りになれねば国会の委員会にも入れない。

そうして苦節何十年やって、その間に理想や夢はとっくに砕けてしまって、大臣になる頃には漫才やるか上司のゴマすりやるかしかない。

そうやっている間にも家族との生活は疲れたものになり、自分が望む生活ではなくなる。

「堂々と発言すれば良いではないか!」と言うあなた、じゃああなたは選挙のときに彼に一票入れますか?

農家はおらが村の為だけに働く連中に一票入れる。
サラリーパーソンは難しい話は分かろうとせずに顔の良さそうな奴に一票入れるファン投票。
労働組合はおらが組合員の利益のためだけに働く奴に一票を入れる。

要するに選挙で選ぶ側自体に国家を考える知能が低下しているから選ばれるほうもそれにあわせて国家を考えずにおらがむらのカネだけ考える程度に低下しているのだ。

法相の地元の広島でも、国政報告会という名の飲み会で「裁判員制度は〜」とか言い出したら皆すぐにグーグー寝るだろうし、場を取り持つためにはバカの一つも言わねばならないのだろう。

それにしてもこの程度の「バカ」しか言えない奴が法相やってる日本って、本当に法治国家か?(もちろん違う。日本は人治国家であり、お上のいう事がすべてである)

結局腐ったりんごの中にいて周囲のりんごをきれいにしようとしてもそれは至難の業、何十年かかるか分からないしおそらく不可能だろうし、だいいちその間に家族は大変な思いをするわけだし閣僚に入ってもまともな事を言えば米国に潰されるし、一市民として自分と家族の生活を考えれば、正しい日本人として海外に住む、そういう選択しかない現状が存在する家族がある事を日本残留組には理解してほしい。

もちろん日本が住みやすいのも事実だ、長いものに巻かれることが気にならなければ。いろんな理由があって日本を離れられない人もいるだろう。それはそれで良い。日本に残留する選択をする人の判断もそれなりに正解。何を否定することもないが、だからと言って海外挑戦組の足を引っ張ることはやめてほしい。

ただ残留組は日本のシステムの中でこのような一国の法律を司るはずの法務大臣の発言も寛容に受け止めて「まあいいじゃない、ここは日本なんだから〜嘘も建前もお笑いも何でもありでしょ、ホーム大臣の発言なんてたいした事ないし〜そんなの放置しておけば〜」と考えて笑い飛ばすくらいの余裕でどうぞと言いたい。


tom_eastwind at 08:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月16日

投資の波

e1afc6b6.jpg*記事開始*
「日興アセット、豪・ニュージーランドの運用会社買収 65億円で」
 日興アセットマネジメントは16日、オーストラリアとニュージーランドの運用会社2社の買収を決めたと発表した。

買収金額は8000万オーストラリアドル(約65億円)。2011年2月に傘下に収め、オセアニア地域での投資・運用拠点を確立する。

 買収するのはティンダル・インベストメント・マネジメント(シドニー)とティンダル・インベストメント・マネジメント・ニュージーランド(オークランド)の2社。豪金融機関サンコープ・メットウェイから2社の株式をすべて取得する。2社の運用資産を合わせると255億オーストラリアドル(約2兆円)になる。
〔日経QUICKニュース〕2010/11/16 9:33
*記事終了*

今年の半ばくらいから日本企業とニュージーランド企業、特に金融関係が動いている。中心は日本企業によるオセアニア投資であり、オーストラリアの一部としてニュージーランドも一緒に買っておこうかみたいな感じだろう。

上記以外にも日本の中堅証券会社がニュージーランドのファイナンス会社と提携してNZ国債やトリプルA債を販売しようとしている。

米国で販売された腐れサブプライム商品に比べれば、国債や市債、水道局債などの方が余程堅実でありニュージーランドのインフラでトリプルAであれば安全な投資と言える。

長期的に見て日本円が凋落するのなら、今のうちに外貨預金をすれば良い。外貨預金よりも少し利率を良くしようと思えばインフラ関連の債権を買う方法もある。

意外と知られていないがニュージーランドの金融ルールは北半球に比べてかなり緩い。もちろん最近は昔に比べて厳しくなってはいるものの、それでも北半球に比べればずっと楽だ。

なので日本の金融機関であれば、今ならニュージーランドの金融機関を買収するってのは良い方法だと思うし、日本の個人投資家でも将来的なカントリーリスク分散の為にニュージーランドのインフラ関連の投資はお勧めだ。

日本で生活をしていると、ドルと言えば米ドルを指して、ドルが上がった下がったと毎日ニュースになっているが、ニュージーランドでは当然の如くキーウィドルがドルである。

面白いのは、今の日本のニュースでは円高円高と叫ばれていて80円前後で大変だ〜だけど、為替に詳しい人ならご存知の通りキーウィドルは豪ドルと合わせて対日本円でずっと上昇曲線を描いているのはお分かりだろう。

今の状態がある意味ニュージーランドにとって実体経済に近い為替に近づいているのではないかと肌感覚で思う。

肌感覚の1キーウィドルは85円だ。3年ほど前までは1キーウィドルは100円と感じていたが、日本のデフレの進行が進むに連れて現在では85円と訂正している。

という事は、例えば1キーウィドルが50円の時に100万円分のキーウィドルを買って外貨預金をした人は当時のレートで2万ドルの定期預金を組んだことになる。

1年後に2万ドルで5%の金利が付いて、税引き前で見れば2万1千ドルになる。これを現在の為替で日本円に戻すと、132万3千円。利回り32%!!!

けど何でかな、日本のニュースではニュージーランドは田舎だしちっちゃいから相手にされず、投資で言えば米国とかで福祉制度比較で言えば北欧が比較の対象となるが、実は金利も福祉も非常に優良な環境にある。

まあこんな事書いても、所詮は帯広の豚丼が美味しいですよと東京に住んでる人に言うようなものだ。まあ、無理して振り向いてもらうよりも、旅行に来てもらって本気で好きになってもらった方が良いので、まあこの程度でいいやと思っておこう。


tom_eastwind at 18:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月15日

君は羊

サンタの記事を書いてちょっと5年前のブログを読み返したら面白いのがあったのでちょっと校正して再掲。



漢字を左右に分割すると、面白い組み合わせがある。群れを左右に割ると、「君は羊」になる。羊の国ニュージーランドに住んでいると、確かに羊はリーダーを持たずにいつも群れている。そして肉食動物などに追いかけられると、群れのまま移動する。そして群れの最後を走るものが食われる。


これなんてまさに今の日本ではないだろうか。誰もがびりっけつにならないように一生懸命頑張るが、一旦中位グループに入ると安心して昼飯時に喫茶店でスポーツ新聞のエロ芸能ページを堂々と広げてげたげた笑っている。もう自分が食われる事はない、そう分かっているからだ。


こうなれば他人の不幸は自分の幸せだから、社会から落ちこぼれになる人に「ああ、可哀想ね〜」とか言いながら彼らに恵みを与えても自分と同じ地位に引き上げるような行動は取らない。


話は変わるが、ニュージーランドに住む人々ものんびりとしたお人好しと言われたりするが、実際にビジネスをやっていると、アングロサクソンの思想明確な「弱肉強食、やったもん勝ち」の国であると感じる。まさに、羊の皮を被った狼だろう。このあたり、彼らの生活と彼らのビジネスは絶対に混同してはいけない。


クイーンズタウンでビジネスをやっている人を見ると、結局最後に一番儲かっているのは、昔から街に住み、土地と法律を押えている、一握り(約3人)のエグゼクティブキーウィだけだ。

 

オークランドも同じような状況で、魅力的な国と自然を餌に移民を引っ張りこんでは利益を毟り取り、不要になればぴしゃりとドアを閉めたり、ビジネスでも常に「持っている人」に有利になるようなルールにしている。

 

中国人がちっちゃなレストランを作ってキーウィの食生活を豊かにするのはOK、でもそれでたくさん儲けようとすると、しっかり税金を取り立て、家賃を値上げさせて、その利益を自分の懐に、合法的に流し込もうとしている。

 

まあ、他人の家に入り込んで住まわせてもらおうと思ってる僕は、その程度の不公平さは仕方ないかなとも思うが、中国人はなかなかそうは思わないようで、クイーンズタウンの知合いの中国人は、しょっちゅう文句を言っている。

 

tom、白人は、表面は仲良くしなくちゃいけないし、彼らは個人的には良い奴だ。でも仕事となると、あいつが儲けるか俺が儲けるしか考えない奴らだから、十分注意しろよ」

 

人は一人で生きていくことは出来ない。しかし人の為だけに生きてては、この国では自分は生き残れない。この国ではこの国のルールがあるのだ。それをよく理解して生きていくか、または生まれ故郷に帰るか、選択肢は多くないのが事実である。

 



tom_eastwind at 18:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月14日

今年もサンタがやってきた

9cfa35b4.jpgこのネタ、もう何年書いているだろう。ブログを始めてから5年くらい経つが、ほぼ毎年このサンタの事を書いている。

基本的には「今年もサンタがやってきた」であるが、このサンタを見るたびにまた一年経ったんだと実感する。

ひょっとこに白いひげを付けて図体がデカイだけの大した取り柄もない人形ではあるが、数十年前のオークランド、娯楽のなかった時代に唯一クイーンストリートのクリスマスデコレーションとパレード、そしてそれを見下ろすクリスマスのサンタ人形が街ゆく人々の眼をなごませてたのだろう。

現代の日本人からすれば、サンタの右手の人差し指が万引きの合図のように”くいっくいっ”と内側に曲がるのはどうも違和感があって苦笑いさせるが、それでも地元の人々からしても、またクリスマスが来た!と言う感じだろう。

お正月を海外で過ごすようになって二十数年、ぼくにとって一年の終わりを感じさせるのはこの万引きサンタくんと12月になると飾りつけが始まる香港のイルミネーションだろう。

と言うことで、今年の当社の営業はは12月17日の金曜日が仕事納め。次にオフィスを再開するのは来年の1月10日。日本の感覚で言えば「おまえ、3週間もお休みかよ!」となるだろうが、ところがどっこい僕らの取引先である弁護士事務所や政府機関の連中は1月17日の再開だから4週間の長期休暇だ。

これは首相を初めとして国会議員の殆どが1ヶ月の休みを取るし、彼らがいなければ仕事が進まない官僚もそれに合わせて休み、彼らの判断がなければ動けない部長クラスも自然とお休みを取り、そういう連中と取引をしている弁護士も会計士も、オフィスを再開しても取引相手がいないからってんで自然と休むようになる。

要するに国家、社会の仕組み自体が「この期間は休もうね」となっているので、誰もが気兼ねなく休めるのだ。

日本からすればあり得ないような仕組みかもしれないが、日本だってその気になって社会構造を変革させれば皆がのんびりと休めるようになる。ただまあ、日本人のきぜわしい性格なのでそんな長期の休みと言ってもなかなか休めないだろうけど。

まあ何にしても、今年もサンタがやってきた!


tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月13日

メディア文学

5dad56ae.jpg相続税、控除引き下げへ=格差拡大を抑制−政府税調
 政府税制調査会は11日の全体会合で、相続税などの見直しの方向性を提示した。相続税は格差拡大を抑制するとの観点に立ち、遺産から差し引ける基礎控除額を引き下げるとともに、税率構造を見直して課税ベースを拡大する。一方、贈与税は相続税と比べ過度に厳しい構造を改め、消費意欲が強い若い世代への資産移転を促す。
 相続税をめぐっては、地価が高騰したバブル期に税負担が過大になるのを防ぐため、基礎控除額が引き上げられたほか、金額に応じて税率が上がる構造が緩和された。この結果、亡くなった人の中で課税対象となる遺産がある割合は4%程度に減っており、見直しが必要と判断した。現在の基礎控除額は「5000万円+法定相続人数×1000万円」だが、5000万円を3000万円台程度に下げ、1000万円の部分もそれに応じて減らす方向で検討する。
 贈与税は税率構造を緩和するほか、相続税額と精算できる「相続時精算課税」の対象に孫も加える方針。相続税、贈与税ともに最高税率は50%に据え置く。(2010/11/11-22:06)


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実に上手なメディア文学とでも言うか、相続税の引き上げをするのに「相続税、控除引き下げへ」と言う表現で読者の最初の目に付く視覚的抵抗を「お、税が引き下げか」と思わせて、次に「格差拡大抑制」と言う美的表現で格差の下側にいる人々に対して「ほら、政府は頑張っているよ」と思わせる。

そしてもう一度よく読むと相続税の引き上げであるが、バブル以前の相続税は基礎控除も低かったよ、だから見直し=元に戻すんだよというイメージを与えている。

これで一般市民から見れば今回の税制改正は大衆の立場に立った内容であり、さすが政府、見上げたもんだよ風呂やの煙突と言うことになる。(今では大衆浴場が少なくなったが昔は風呂屋の煙突は高かった。皆が仰ぎ見るように見上げてたものだ)

しかしこの法案のマイナス面に触れていないのはいつもの事であり、書いてないことに答がある。

それはこの法案が個人財産から資産を強制的に奪う事で社会全体を低きに集めて国民を一度全員貧乏にさせておいて、その過程で発生する納税部分は政府が今まで無駄遣いしてきたハコモノ行政や農業補助とかの穴埋めに使うわけだ。(これはすでに日本では1945年に一度実行されて無事成功して国民はすべて丸裸になった)

何度も書くが、ぼくは社会主義的に格差を縮小させる事に異議はない。しかしその方向は本来上向きの平等であるはずだ。その為に社会の中で成功者を作り、皆がそこに向って頑張る過程で社会全体に活気を生み出すべきだと考えている。

この法案と同時に法人税の引き下げも検討に入ったが、これは他国と比較して高い法人税を下げる事で国内企業の国際競争力を付けさせる事が目的だ。

だからこの二つだけを取り上げてみると、世間のサラリーマンからすればぱちぱち拍手ものであろう。しかし次の問題がある。

それはどんな大企業であれ社会的必要性がなくなればそれは消え去るのみであり、競争力のなさを税金を下げる事で生き残らせようとする、つまり企業自体が持つ社会的不要=ごみとなっているのに、そのような企業さえも救おうとするのがこの法案の裏に透けて見えるということだ。

テレビ業界は果たしてこんなにたくさん必要か?電機業界は?考えてみれば世界の中で競争をしている業界であっても税金とは関係のない部分で構造的に存続不能になっている場合がある。今回の法人税引き下げも実施に当たってはどうせ様々なルールを付けて、政府に覚えの良い大企業だけを対象にゾンビ企業の生き残りに利用しようとしているのがよく分かる。

今回の税制改正はボクシングの15回戦の第1ラウンドの開始の鐘が鳴っただけだ。これから長い戦い、それも一方的に弱いところ、少ないところから各個撃破されていき、これに消費税導入とインフレーションの人為的導入で、数年後にはびっくりするほど変化しているのは間違いない。

その、数年後の姿を描ききれる人だけがこれからの自分の人生を守っていける人であるし、家庭を持つ男には家庭の為にも将来を読む、それが自己責任だと思う。



tom_eastwind at 00:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

2010年11月12日

香港交易広場

9ceabacf.jpg香港で二日間の予定も無事終了。

今回のアポの一つは相手側のオフィス、ExchangeSquare(交易広場)ビルを訪問する。このビルも懐かしい記憶がある。

20年前に香港で働いていた事、このビルには金融関係のお客様がたくさんいて、香港金融のメッカであるこのビルには打ち合わせでしょっちゅう通ったものだ。

さすがに20年経って周囲にどんどん新しいビルが出てくるとその中に埋まってしまうような雰囲気だが、それでも老舗の金融業界の集まってるこのビルで働く連中の顔つきはたくましい。

今回のミーティングは香港ベースのファイナンスカンパニーの日本進出に関するアドバイザリー業務である。とは言ってもぼくは日本の金融実務はアドバイスできるほど詳しくなく、あくまでも日本人の考え方とか仕事の進め方に関する部分が中心である。

この会社との付き合いも長く、社長は元々オークランドでファイナンスビジネスを行っており、当社は1999年の日本の外為法改正でファイナンスビジネスを始めたときからの付き合いである。

その後彼の会社は順調に成長して本社を香港に移して世界各地に支店を作るほどになったが、今でも香港に行けばメシを食う仲である。

今、世界中の金融屋が日本、特に国債に目をつけている。いつか吹っ飛ぶのは分かってるが、いつ誰が引き金を引くのかが問題で、金融屋同士がお互いに(日本ではなく)相手の顔を見つめながら「その時」が来るのを待っており、「その時」に乗り遅れないようにと準備にかかっているのだ。

それにしてもこの世界は怖い。ファンド業界を禿たかと呼んだりするが、あれは誇張でも何でもなく、まさにこの業界を知れば知るほど「禿たか」だけでなく、最初に相手を一撃で倒すライオンもいれば、襲われて凝らされた獲物の骨に残った死肉までもしゃぶるハイエナまで、いろんな連中が虎視眈々と機会を狙っているのが分かる。

日本国内にいてはまず感じることもないような問題だが、そうなるとお金の流れが一気に加速する。この時に起きる資金移動などの様々なビジネスチャンスを狙ってこうやって香港の会社が日本に出て行こうとするのを見ると、実感として「お、もうすぐか」と思ったりもする。

日本円は短期的に対米ドルに強くなってはいるが、これは実体経済ではなく為替操作の結果であり、だからNZドルや豪ドルは円に対してじわじわと上昇している。これは実体経済を現している。

実は彼も日本進出については「あの国って、一体どこが頭でどこが尻尾だ?わけわからん」と思ってた一人であり、今回の進出についてもとにかくゆっくりと(それでも日本人から比べれば非常に敏速だが)動いて、石橋を叩きながら前に進めている。

中国大陸出身の彼はオークランドでも非常に苦労しながら努力して成功してきた。長い付き合いなのでお互いに気楽に言いたい事も言える。だから彼が「日本はよく分からん」と言うのを聞いて、以前NZのティム・グローサー大臣が同じように「日本は、分からん」と言ったのを思い出し、う〜ん、申し訳ないな、けど説明しようにも彼らが理解不能なのだから仕方ないと言う気持ちについついなってしまう。

思うに、日本が世界の常識を理解して国際化する為にまず最初に必要なのは日本政府の転覆である。

江戸時代から政府の方針である「民は寄らしむべし、知らしむべからず」が鎖国につながり、戦後も実態として鎖国を続けてきた日本。これを良しとするかどうなのか、なんとも答えられないが、片方では国際化を唱えながら片方では実態として鎖国をするという、本音と建前をここまで使い分けていながら精神的安定を保っていられる日本人ってのは彼らからすれば理解不能な人種であるのは間違いない。

話は変わるが、昼飯をビル内の中華レストランでおごってもらい(この店の飲茶がまた随分美味しい)、ぼくと彼は英語で、彼と店のスタッフは北京語で、ぼくと店のスタッフは広東語で、3ヶ国語が飛び交うのに何の違和感もない香港でのランチを楽しみながら、母国を振り返ってちょっとさびしくもある。

なぜなら日本だとすぐに「え?英語出来るんですか、すっごーい!」とか「広東語も出来るんですか、すっごーい!」と言われるが、言葉はしょせん手段であり目的ではないにもかかわらず、ぼくが何故そこで何を話していたのかを質問する人は、非常に少ないのが悲しい。

このような世界では三ヶ国語くらい話すのはごく普通であり、一ヶ国語しか出来ないのは米国人くらいである。何語が出来るかよりも何を話せるかの方が非常に重要だというのをゲームのプレイヤーは誰でも理解している。

来年の展開はもしかすれば日本か?そんな事も考えながらオークランドへの帰途に着く。







tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月11日

TPP

高額所得者医療費上限値上げ記事を読んで嫌がる人は世間の5%である。残りの95%からすれば「お前ら金があるんだろ、だったら払えよ」と言う発想になる。これはぼくがいつも書いてる下向きの平等の一つであり、95%の人々にとっては非常に分かり易い発想である。

政治が国民の大多数の意見を反映する組織であるとすれば、95%の国民が望んでいる事を実行するのなら誰も政府に文句は言わない。むしろ、「やれ〜!」って事になるだろう。

今の政権の支持率が35%に下がったからと言って何が問題だ?その時は政権が交代すればよいだけであり、要するに今の日本なんて誰が首相になっても関係ない、事実上国家を動かしているのは官僚であり、彼らには権限あって責任なしの素晴らしい地位にいるのだからどんな帽子をかぶってても問題はないのだ。

ただしこの弊害は外交に現れる。それは外国にとって、一体誰と話をしたら良いのかという問題である。

今回はジョンキー首相に同行してティムグローサー大臣が参加する。彼とは去年夕食をしたことがあるが、その時にもため息をつきながら「日本と言う国はほんとうにわからん」と言ってたのを思い出す。

ニュージーランドのようなまっすぐな政治家にとっては、日本の外務大臣と話をして決まったと思ったら全然関係のない農水省から反対が出ておじゃんになり、じゃあってんで農水省と話をしたら、今度はもっと関係のない国交省から反対が出たり、要するに現在の日本の政治は、一体誰が何を仕切っているのか分からない、まさに鎖国末期の江戸時代の幕府のような状態なのである。

だから外国からすれば「もういいや、あいつらにせっかく環太平洋で仲良くやろうと言ってるのに誰も知らんぷりなんだから、ほっておこう」となる。

実はこの環太平洋のFTA交渉は日本にとっては大きな利点があるのだが、その利点は日本全体に影響を及ぼす。ところが不利益(実際は不利益ではないのだが、既得権益に乗っかって働かずにカネだけもらいたいくそバカ田舎どん百姓議員が不利益と言ってるだけだ)は農業関係者という一箇所に集中する。

なので大海に落した小石のさざなみが少ないのに対してコップの中に落した小石は大きな波を作る為に、反対勢力がぎゃんすか文句言ってるわけだ。

要するに村の利益あって国家の利益なし、おらがむらの百姓が自分の生きてる間だけ飯が食えればええってのが反対の理由である。たこが自分の足を食って生きてるようなもので、次の世代の事なんて何も考えてない。

いいのか、それで??


tom_eastwind at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月10日

今日は良い話

db4ad0fb.jpg日本語を話せない13歳の男の子「りょうまくん」がJR恵比寿駅であのわけの分からん駅名表示から目的地を見つけてたった一人できちんとお金を入れて切符を買って山手線に乗ってアキハバラに行き、そこでdaisukiなガンダムを見つけて狙い撃ち、両手に大きな獲物を抱えて歩き、帰りにお腹が空いたからと近くのうどん屋で海老天うどんを注文できるほど日本とは平和で安全な国である。

ただこれは政府がそのように仕向けたのではなく、国民性として平和なのである。

日本ではアキハバラで残虐な事件も起こっているしニュージーランドに比べれば治安が悪いと思うが、それでもニュージーランドでは自己責任を子供の頃から叩き込ませてるから、そんなこどもからすれば日本は充分に平和な国である。

道が分からなければ誰かに聞けば一生懸命答えてくれるし、買い物をしてもだまされる事も(殆ど)ない。これは日本人が根本的に持つ持続社会の概念、つまり助け合いが徹底しているのだ。

ましてやアキハバラであれば、下手にガイジンを一回騙して小銭を儲けても、後でガイジンに訴えられてしまえばショバは取り上げになるわけで費用対効果は絶対に合わないので無駄な事はやらない。

そんなこんなで結果的に日本は平和で安全な国となっており、これはぼくも全く否定しない。むしろ奥さんや娘からも時々「日本人はバカなところもいっぱいあるけど、日本って平和で良い国だよね」と言ってもらえてうれしい。

ぼくら家族は平均的なキーウィ家族よりもかなり海外旅行に行く機会が多いと思うし、日本人家族と比較すれば確実に多い。それは香港と日本とニュージーランドと言う三カ国にまたがった国民性(?)にもあるが、やっぱり世界を回って感じるのは日本の平和さである。

りょうまくんを送り出してホテルで個人面談や説明会をしながらも、もしかしてりょうまくんにトラブルがあって彼に持たせてる連絡先の携帯電話がなるのではないかと少し緊張はする。

けれど結果的には3日とも、夕方に部屋に戻ってドアを開けるといつもの「にか!」と笑った可愛い顔のでぶちゃんがベッドで転がってゲームをしている。ある日は、聞くと部屋に鍵を忘れたまま出掛けてしまいフロントの方に「すみません、鍵は中、僕は外」と説明して部屋に入れてもらったらしい。

こんな平和で豊かな国、政府には山ほど問題はあるけど国民は実によくやってるよなって改めて感心した東京滞在でした。


tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月09日

風俗?風俗

54bb3c4a.jpgりょうまくんと一緒にいるのでテレビを見る機会が増える。今朝のNHKのニュースを点けていたらサラ金問題、今では消費者金融問題特集をやってて、これが非常に興味深かった。

テーマは消費者金融に関する法改正で発生したサラ金難民、とくに住宅ローンを抱える家庭の主婦が結果的に家族に内緒で風俗に走り生活費に充当するという話である。もちろん後半では闇金も出てきてこんにちわ、てな感じの作りで、時間がなくて途中までしか見なかったが、ほう、NHKが朝からこのテーマをやるほどに問題が広がっているんだなと感じた。

ところでこんな図式を考えた事がある人は少ないだろう。

バブル崩壊⇒給料減額⇒住宅ローン返済苦⇒サラ金⇒風俗⇒闇金=わかってやってる政府の仕業

しかし現実は上記そのものである。書き出せばきりがないけど、日本がデフレに陥って一般サラリーマン家庭が住宅ローンを支払えないのは承知で、さらに一時の立替手段として利用していた消費者金融をつぶす事で結果的に普通の家庭の主婦が風俗に走るようになるのは政府にとっても既定の予想として分かっていた。

1年ほど前には「消費者金融をつぶす事でサラ金被害はもっと大変なことになる、それよりも市場を健全化することで対応すべきだ」と言ったまともな意見はすべて無視されて強引に法律改正されて、その時に多くの声なき人々は「政府はばかじゃないか」と言ってたが、政府はばかじゃない。

消費者金融をつぶす事で家庭が崩壊の道を辿る事を重々承知の上で、役人の家庭だけはそういう事のないようにした上で民間企業で働く普通の家庭を風俗に追い込む。

この目的は、政府の役人が安いお金で素人を集めた風俗で遊びたいから考えたわけではなくて、日本人が借金をせずに身の丈を知った生活をさせる事で「低い平等」を実現させる、まさに人々を幸せにする社会主義を実現させる手法である。(これはこれで正解な政治手法である)

この手法を全部書き始めるときりがないけど、政府が何も分からずにサラ金規制法案を作ったのではないってのが理解すべき点であり、政府批判をする人が注意をしないといけないのはまさにここである。

政府の発想を理解する為には、彼らの発想の根本=日本社会主義を理解する必要がある。


戦前から戦後の社会主義思想をしっかりと学んだ彼らの頭の中では、「社会主義社会においては誰もが平等であり平和であり犯罪もなく格差もなく、そこには本来通貨さえなくてもよい、サラ金なんて浮いた金が存在するのがおかしいし、ましてやカネがなくて売春に走るなんてあり得ない」が大前提にあるので、「社会主義の実現に反するものは一切排除する、その過程において数年程度は一般家庭が崩壊する事もあるだろうが、それは自己責任である」と考えている。

この官僚の発想は現在の民主党の発想に非常に近く、特に現在の政権ど真ん中にいる仙石さんあたりとはぴったりの意見なので、ここ数ヶ月の政官コンビによる立て続けの法案改正や省令発動を見ると、まさに水を得た魚の勢いで今まで官僚がやりたくても出来なかった国家作りが一気に進んでいるのがわかる。

ここでまた何度も同じ話で申し訳ないが、ぼくは社会主義を否定してはいないし日本人には社会主義は合っていると思う。だから今の政府がやっている事は大きな舵取りの意味では充分に正解である。

右に行くのか左に行くのか分からない政権よりも、はっきりとヒダリに行きますよと宣言してもらい実行してもらったほうが、国家としての成長速度は速まるのだから問題はない。

ただしそれを一般国民に言わずにやるってのが、こいつら実に利口だなって思うだけだ。一般市民は隅田川のほとりで「た〜ま〜や〜」とか言いながら花火を楽しんでる最中に政府は暗い足元で民衆に気付かせぬように法律改正をやって、翌朝になると民衆が「あれ?法律って変わったんだ、まあいいや」で終わらせる技術。こりゃたいしたもんである。

けれどぼくのようなひねくれ的日本人、世界では普通の人間(笑?)と呼ばれているような人種からすると、このような「たまや詐欺」と言う手口は嫌いだし、社会主義は好きだけど僕の目指すのは上向きの平等であるから、これもまたどうしても納得出来ないし、だから結果的に上向き社会主義のニュージーランドに住むってことになってる。

サラ金問題から随分と離れたネタになってしまったが、こういう日常で発生する現実を、その現実だけで見ると大きな間違いになるし、大事なのはこのような結果を起こした原因がどこにあるのか、そしてその原因を納得出来るのかどうかという点だ。

納得出来る人が集まって国家を作れば同じ価値観の人々同士なので無駄な軋轢も余分な弁護士も不要である。それが日本の望む姿であればそれも良いと思う。

自分の奥さんが知らぬ間に風俗でアルバイトしてたなんてのはご主人が知ったらどうなんかとは思うが、それは大きな時の流れから見れば大きな川の中の小さな小石であり、流れさってみれば歴史の中のひとつの時代のページの”風俗”として語られるに過ぎないだろう。

写真は自宅の庭に最近よく遊びに来る野生化されたインコです。


tom_eastwind at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月08日

ちがうっちゅうに、第三

からかっているのか面白がっているのか、週刊誌の記者が日刊紙、つまり読売、朝日、日経などの新聞笑いを始めている。

あんたら、何の為に存在しているの?新聞記事は速報であり、インターネットに速報性があれば誰が新聞を毎日読むの?と言う切り口。

実際に、「記者さん、あんたの給料が半分になっても木鐸の意志で記者をしますか」って感じ。結局政府に巻き込まれて目先のカネに振り回されてるぶんやをバカにしている。

情報は大雑把に二つに分かれる。それは収拾と分析である。

こんなのは1600年代の英国が一番分かってて、欧州の北のちっちゃな島が何で世界のトップになったかって言えば、実はこの情報力である。

これが未だ持って理解出来ず、「まじめにやってればよい」なんて個人の段階では美徳で通るけど国家レベルではキチガイとしてしか扱われないって事を理解しようとしない連中は情報の大事さを分からない。


世間では情報収拾の部分を今までは新聞が対応してきて、テレビが出てきてからはテレビ網を新聞が予め支配する状態で情報のコントロールをしてきた。

ところで誰も何故不思議に思わないのか、新聞社がテレビ局を支配している状況とか。それ以上に田舎のテレビ局は何であんなにたくさんあるのか、とか、なんで東京の電波をそのまま田舎で見れないのか?とか。

まあそれは別スジ。今日のネタはこれも分かり易いが、安全地域である分析を得意とする週刊誌は食っていける、だから情報収集が出来なくなった新聞をからかってやろうってのが見え見えなので笑うしかないが正解でもある。

情報の収集は一次情報をインターネットニュースが対応して、週刊誌はその記事に対する分析をする、これでバランスが取れる。

つまり既存の印刷メディアは不要と言うこと。ご本人もそれは分かっているが、長年の付き合いで国民に迷惑をかけても、一部の切れナイ付き合いがあるんだと。

だったら君らが新聞で叩いてきた「長年の付き合いがある」人々への攻撃で多くの人々が被害を受けた、そういう人々の切れない付き合いは違法だが、自分の付き合いは合法なのか>>>>>>

まったくいい加減にしてほしい。昨日も書いたが、日本が本気で社会主義を目指すならそれもありだと思うが、平等にやってもらいたい。

ただ、くそったれじじいどもが皇居で胸にバッジを付けてもらって喜んでる間にも人々は苦労しているのだ、おまえらもいい加減にけじめをつけろと言いたい。




新聞崩壊。しかし週刊誌は比較的びびってない。
ニュースは早さと正確さが大事だが、
速さではすでにインターネットに負けているし
正確さにおいては政府や官僚のリーク報道を
事実確認もせずに掲載するから嘘ばかりになる。

週刊誌は時間に余裕があるので記事の裏づけが
取れるし分析も出来るので、読むほうとしても
分かり易いし納得出来る有料雑誌になる可能性が
ある。


tom_eastwind at 03:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月07日

ちがうっちゅうに、第二

日銀がJリートの資産を12月から購入との事。東京のtutayaで龍馬くんと一緒にDVDを見てて、でもって選んだのがラストサムライ。

明治維新後は廃藩置県から始まり帯刀禁止、ちょんまげ狩り、武士と言う層が百年の歴史で言えば一瞬んにして消え去った時代である。

その時代の変化の中で変わろうとした人々と変われないモノを持った人々が内戦状態になるのがラストサムライだが、まさに今はその時代である。

10年前に自分のコラムで書いた「長いトンネルの向こうは違う国だった」と言う事実が今、まさに目の前に出てきている。

例えば20年前に日銀が民間企業の不動産資産を購入しただろうか?あり得ん。日銀は国債購入も行っており、実はこれを行う事で近いうちに円の大幅な下落、つまりハイパーインフレーションを起こすことが出来る。

つまり日本政府はまさに今の民主党を遣ってお互いが望む社会を作ろうとしているのだ。

その社会とは、まさに共産主義国家である。皆がすべて平等であるが、それは低きに合わせた平等であり余剰利益はすべて政府が回収して「計画的に」国民に再配分するのだ。

なんでJリートが?と思うかもしれないが、これはインフレ政策の引き金の一つ。同時に相続税の控除をゼロにして一円でも相続があれば最高70%の課税をするシステムを導入するのもまじかである。

そして儲かっている中小企業には減税はせずに、大企業には日本から出て行かせるような税制を作っている。

わかって欲しいのは、日本国中央政府に集まっている連中は、ある一定の方向さえ定まれば無茶苦茶頭が良くて確実に仕事を仕上げる連中であり、マスゴミが無駄な紙を使って批評するようなバカなことは何もやってないと言うことである。

江戸幕府が大政奉還して明治政府が出来てから一気にいろんなことが変わった。ところが現場で毎日生活している人は、意外と気付かない。ぼくのように外国から見ているとその変化がよく分かる。

何度も書くけど日銀がJリートを買うってのは、国家がすべての資産を持つ状態の社会主義に移動している大きな証拠である。

言っとくけどそれが悪いのではない。社会主義はぼくは個人的には素晴らしい思想だと思うし、今の民主党の仙石さんの頭の中にも理想の世界があると思うし、もともと共産主義のぼくからすれば分かり易い。

ただ、いま、それを日本でやるのか????本気で日本国民の為になると思ってやるのか?ぼくが気になるのはただその点である。

本気で国益を考えて社会主義を導入して民間企業の資産や株を日銀が持つなら、それはそれで良い。豆腐の値段やネギが安いかな、なんて考えてる人々にはむしろ社会主義の方が安定してて良いかとは思う。

この方向変換を国民に教えてしまうと”もめる”から、黙ってやってしまおうってのも良い、それが国益を考えているなら。

ただ、自民党には自由な世界を作ろうと考えている政治家もいる。そういう連中と民主党の社会主義がぶつかって議論するのも良い、それが国益ならば。

なんだか明治維新が本当に近づいているような気がする。現代の明治維新とは、日本を鎖国のままにするか、それとも苦しくても世界に開けた国にするか、それとも第三の選択として日本に道州制を導入して各地域の活力で生き残るか、だ。

ぼくは個人的には社会主義でも良いと思う、日本は。それは世界でも珍しくこの日本と言う風土に合ってる政治制度だからだ。

じゃあオマエの会社も社会主義で良いのかと聞かれたら、やっぱりYESだろうな、その前提が人々を平等に評価する仕組みがあれば、である。ただ同時に聞き返したい、だったらオマエの社会主義ってどんなのを考えているのかってとこ。

東京では毎日山ほど新聞やテレビの情報が発信されてるけど、田舎ではそれが標準と思ってる現実を見ながら、その現実を国益ではなく私益で操作する連中の多さには呆れるものだ。

J−リート問題は、今はちっちゃく取り扱われているし、どこの商業メディアも書けないネタだろうが、5年くらい後には誰もが「あの時の日銀の判断が〜!」ってやるのは目に見えてる。


tom_eastwind at 03:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月06日

ちがうっちゅうに、第一

「実は凄い日本の底力」

週刊現代11月13日号の数ページの特集記事。何書いているんだろうってぱらぱらってめくると、世界の最先端技術をたくさん持ってるとか人当たりが良いとか他人に優しいとか。

最後まで読まされて一番頭に来る記事は、なんか最初に「すごいぞー」と書いて引っ張っておいて難しい資料とかを並べて次に哲学的な表現をたくさん使って、そして最後の結論になると誰でも普通に知っているようなことを特別な記事のように書いてる場合だ。

例えば、「すごいぞー」とやって宇宙の生い立ちから銀河系の中の太陽の役割とかスイキンチカモクドテンカイメイを並べておいて、米ソによる宇宙調査競争のデータを並べ、次に宮沢賢治とかサンテグジュペリを持ってきて、次には古代文明と宇宙の関連を文化的に比較して、人類が宇宙に対して描いただろう意識の時代別変化を読者に読ませる。そして結論は!なんと地球は素晴らしい星で月に移住することで住む場所が増えますね〜みたいな落ち。

底力記事もまさにそうで、日本人が現場では世界一の能力を持っているけど上に行けば行くほどバカになり、一番てっぺんにいるのが一番オオバカなもんだから日本は外国に対して弱いけど、でも現場は強いんだ〜、だから安心しろ〜だって。

そんなの知ってる、大東亜戦争の時から分かってる。問題は兵隊は優秀でも将軍がバカで使いこなせないこと。それをわざわざ記事にするか?

そんなもん、日露戦争でも優秀な将軍の下で戦う兵隊は敵兵が驚くほどに異常な強さを示し、無能力な将軍の下で働く兵隊は何とか上をごまかしながら現場力で生き残り、無能なくせに有能と思い込んでる将軍の下で戦う兵隊は真っ先に死を決意した。

そして日本は戦争で負けて、米国の支配下、つまり下請けに入った。実質的に米国従属の下で行われている現状を見て米国人と日本人の生活の豊かさの違いを見れば分かる(ただしこれは支配層米国人のこと)。

日本の本当の凄さは、戦争で負けて政府は米国支配を受け入れ、経済的には完璧に米国の下請工場であり、同時に米国産牛肉や小麦など食料の消費地となり、外交的にはロシア向けには北方領土、中国向けには尖閣問題を声高に主張することで彼らが日本に友好的にならないように仕向けるような外交的重圧の下で、日本政府に邪魔されながらも、それでも民間の力で次々と新しい技術を開発してきた事だ。

つまり日本人は政府がよけいな事さえしなければ勝手に技術を開発するのだ。よけいなのは政府の存在なのだ。

どうせ下請けになるなら日本政府からの3次下請けとかではなく元請けの方が条件良いに決まってる。だったら日本は最初から中央政府を持たずに各地域が緩やかな独立組織として地域に合った活動をすれば自然と世界の企業から直接仕事が来る。

今のように途中に中央政府が入ってどうのこうのと民間に制限を加えるから折角の技術も海外で売れなくて困ってるのが現状である。

そうなると中央政府が言うのが「じゃあ軍事や外交はどうするのだ?」であるが、元々軍事は外交の一手段であり別に分けて語ることは出来ない。そして現在すでに中央政府は米国従属を選択している、国民の直接同意なしに。

だったら外交だって各地域で自分の好きな国を選べば良い。日本にとって相性の良い国は中国であり、彼らと分業して高級な仕事を日本で受注すれば今の日本人の何でも安売り生活よりも随分と楽になる。

いずれにしても問題は、今のままにバカな中央政府に従っていては国家自体の力が衰えるという事であり、これこそが国益の問題である。

だからこそ日本の底力云々よりも今考えるべきことは、いかに日本政府からの干渉を逃れるか、である。


tom_eastwind at 02:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2010年11月05日

書きたいことは山ほどあるが

日本出張中。

書きたいことは山ほどあるのだが、毎日がほぼ移動の連続で全然書く暇なしの状態。明日こそまとめて書こうと思うが、どうしても移動の時間とぶつかったり、おまけに今はケータイ電話が全く使えない状態なのでPCでメールチェックをしたりすると、時間が取れない。

いや〜、今回もいろいろあったし、これからもかなりの詰めた日程で移動なので、またまたいろいろあるんだろうな。

これが今年最後の日本出張(の筈)なのでもう一頑張り。明日こそまとめて書こうっと。

tom_eastwind at 03:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌