2011年08月

2011年08月31日

Okinawa 2

それにしても沖縄の人は明るい。何てかいつも楽しそうな顔で暑さも高い失業率もうざい本土の人間との付き合いもなんのその、けろっとしたもので毎日楽しそうに泡盛飲んで歌ってる。

 

今回泊まったホテルは現在ではANAハーバービュークラウンプラザホテルとカタカナでカクト長くなるが元々は「ハーバービューホテル」であり地元のライオンズクラブやロータリーの会合に使われている地元名門ホテルである。

 

1975年に建設されさすがに設備の古さや部屋の狭さはあるものの、サービスは「沖縄の老舗最高級ホテル」としてプライドを持ってて、それが全然生意気さではなくちょいと古いけど良い雰囲気を出している。

 

大型の2週間用のスーツケースで移動する旅行客が少なかった時代に作られたが入り口には大きなクロークがあり天井は高く部屋は狭いと言いながらもスーツケースを広げる場所を確保しているのは良い。東海道新幹線もスーツケースで旅行をする人の事を考えて欲しいものだ、とくに新大阪駅の外国人に対して不作法とまで思える作りには怒りがこみ上げてくるほどだ。

 

このホテルの最上階にあるバーでは真正面に県庁が見える。初日の夜の早い時間にバーに行きカウンターで飲んでいると地元のビジネスマンらしい60歳前後の男性がバーテンダー相手に一人で泡盛を飲んでた。

 

たまたまだろう、その日のバーテンダーは若い女性であり60歳前後のおじいちゃんビジネスマンは「このホテルではさ、昔はほんとに仲間でいろんな話をしたものだよ。いろんな人がさ、沖縄はどうあるべきか、本土復帰は正解だったのかさ、基地はどうあるべきかさ、皆、親戚や家族の誰かが戦争で死んでいる人たちばかりだから真剣だよね。そんな事をロータリーやライオンズクラブの会合で話したものさ」と語っていた。

 

沖縄返還が行われた年、多くの人々は本土復帰への夢を語り本土並みの生活を夢見て「日本に帰れるんだ!」と喜んでいた。しかし地元の政治家やビジネスマンは日本がどういう国かをよく理解していた。

 

琉球王朝の時代に中国と日本の両方に朝貢政治を行っていたがそのどちらにも属さずに独立していたが中国の国力が落ちて関ヶ原の戦いで負けた薩摩藩が抜け荷貿易の場所として利用する為に侵略を行い、日本はその本性を現した。

 

当時の世界政治の中では日本の南の端っこにある琉球民族などは超少数民族であり乗っ取られても誰も助けはしない。そんな歴史を自分の肌で学んだ沖縄の人々は超少数民族としてどのように生きていくかを経験した。支配されるふりをして自分たちの国を守り自分たちの文化と言葉を守った。日本民族に味方する人々と日本民族に敵対心を持つ人々がいたわけではない。両方とも沖縄人であり日本政府を騙すために「悪役と友達ゲーム」を演じてただけだ。

 

日本政府が何か言えば味方チームは「そうですね、それはやるべきですね、増税とか土地収奪とか」と言いながらその情報を敵対心チームに流して彼らに大反対デモをやらせて「けどね日本人さん、地元では反対が強いんですよ、何か彼らに渡せるものはないですかね?」と、まるで香港人が北京政府に対して行うような粘り強い交渉を行い結果的に日本政府から大きな妥協を得てきた。

 

つまり日本政府と戦争しても勝たない、だったら譲歩するふりをして名を捨てて実を取る作戦に出たのだ。

 

それは結果的に成功したと言って良いかどうかはどの時代の話かによる。第二次世界大戦末期は沖縄人が判断を誤ったのかもしれない。それとも襲ってくる「鉄の暴風」の中に放り込まれてどうしようもなかったのかもしれない。

 

しかしその後沖縄は侵略してきた米軍を相手に商売をして金儲けを行い、支配権が日本に移ってからはしたたかに日本と交渉して駆け引きの中で自分たちの取り分を少しでも増えるようにした。しかしいつの時代も彼らが気を付けたのは必ず自分たちを「被害者の位置」に置くことであった。

 

その結果として東京で生まれたお人好しであんぽんたんな官僚連中は「沖縄は戦争で被害を蒙った、可哀そうだ、米軍基地もある、だからたくさんお金を出そう」と言う事になった。

 

しかし現実的に沖縄の今を見ればどちら勝ち組なのかよく分かる。

 

那覇空港はぼくの知ってた時代の古い建物からすべて作り替えられ那覇市内までの地下トンネルが作られ往時のイメージは全くない近代的な空港となっている。

 

モノレールが走り地下鉄が走り、人々の顔は明るく、楽しく酒を飲んで、国際通りでは観光客を相手に若者が楽しそうにいろんなものを売っている。新都心では大きなショッピングモールに素敵なお店が入り元気で働いている。机の上で失業率を見て沖縄がどうこう言うような話ではない。まさに事件は現場で起こっており現実は机の上では分からない場面だ。

 

そんな大型モールでオリオンビールを飲みとんかつを食いその後は仲間のオフィスを冷やかしに行き、沖縄の今の実態を感じる。

 

ぼくと沖縄の付き合いが長いとはいえ所詮ぼくはヤマトンチューである。ウチナンチューである沖縄人の内部の人間ではない。どれだけ仲良くなってもガイジンなのだ。彼らは独特な組織を持ち、小さいけれど仲間内の結束は固い。ちっちゃな民族が生き残るための手段をよく知っている。現実をよく知っている。だから現実に合った戦い方をしている。

 

バーのおっちゃん、泡盛と煙草を楽しみながらバーテンダーの若い女の子相手に「これからも沖縄は変わるさ、けど沖縄の人は変わらないさ」としみじみと言ってた。民族性だよな。

 

翌日は仲間の集まりで飲み会。「ここって結局、日本語の通じる外国だよね」そう言った仲間の言葉がまさに心を打った。そう、ここって日本じゃないんだよ、たまたま国境の内側にあるけど1972年までは沖縄に行くのに旅券が必要だったんだ、そんな国なんだ。

 

20数年ぶりに訪れた波の上、桜坂がほとんど消滅して、ジャッキーステーキハウスが落ちぶれて、松山が人気スポットになってた。

 

どこまで経っても所詮ぼくは日本人だ。彼らと仲良くしたくたって所詮は薄い膜で区別された別の人間であり、日本に原子爆弾を落とした側の米国白人が日本に移住するったって、ふーんと言う感じしかしないのと同じように、沖縄の人々にとってぼくは異邦人なのである。

 

ハーバービューホテルでの最終日にはまたバーにのみに行った。ボトルに三分の一ほど残ったウイスキーを片付けるためだが、結局その酒を片付けて次のボトルを入れてしまった。ああ、またやられた日本人(笑)。かうたんーの隣の席では県庁の役人が二人、次にどういう風に日本政府をひっかけてやるかのおしゃべりしてた。おれって日本人に見えないのか(笑)?

 

ボトルはとりあえず一年間は有効と言う事だし仲間もこちらに移住したので次の出張作ろうっと。



tom_eastwind at 00:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月30日

おきなわ

沖縄、燃えるサンゴ礁


ぼくが最後に沖縄を訪問したのはたぶん1987年の終わりころだと思う。1980年代にはほぼ毎月仕事で沖縄を訪問して現地で様々な仕事を手掛けてきた。主に基地問題や沖縄における第二次世界大戦がテーマであった。


当時の僕からすれば沖縄はまさに異国であり南国であり透明な海と青い空の国であった。沖縄から離れてからも個人的に基地問題や戦争問題は情報収集をしていたのでおそらく普通の日本人よりはいくらか沖縄問題については理解している積りだ。


当時の仕事を通じて基地出てけと行動する人々とその基地で生活を成り立てている人とアジアの要で嘉手納基地を必要とする米軍と彼らすべてを巻き込んで動く日本政府との駆け引きを表から裏から見ることが出来た。現実と理想と悲劇と喜劇がこもごもに混じり合う中を沖縄の人々は灼熱の太陽の下で毎日働いてきた。


働くと言っても彼らは基本的に大和民族ではないから労働観も価値観も全く違う。仏教精神よりも八百万の神に近い信仰を持ち先祖崇拝と家族の絆の強さが沖縄の人々の価値観を作り上げた。


そんな場所に大日本帝国陸軍は軍隊を送り込み地元の言葉を使用することを禁止したり無理やり徴兵したり最後には大和民族を守るために太平洋の最後の石垣として利用して捨てた。


都合の良い時には「お前らもオソレオオクモ天皇陛下の赤子である」とか言いながら都合が悪くなると「お前ら二級民族だから日本の大和民族魂が持てないのだ」とののしってみたり。


挙句の果てには沖縄人の戦争ではない戦争の波をもろにかぶる事になり1945年の春に沖縄戦が始まった。米軍の上陸は圧倒的な物量で沖縄のど真ん中に艦砲射撃を加えて米軍の沖縄上陸が始まる。沖縄を現在の嘉手納基地あたりから南北に二分して県庁のある那覇市に向けて米軍は南下していく。


日本帝国陸軍は鬼畜米英から逃げ回る途中で民間人が避難していた自然の壕に入り込み民間人を追い出して自分たちが立て籠もった。民間人を追い出す理由は「一級民族である大和民族がわざわざ沖縄までやってきてお前ら二級民族である琉球民族を守ろうとしているのだ、だからお前らは俺らに壕を渡さねばならない」と言う理屈だ。


では壕から追い出された民間人は誰が守ってくれるのだと聞けば「お前らは自分の身は自分で守れ、おれたちは戦いに忙しいのだ」となる。


そんなわけの分からない理屈と武器を振り回して民間人は追い出されてしまい鬼畜米英であるはずの米軍に保護されて水と食料を与えれ助かった。


1970年代、沖縄返還で佐藤栄作首相が「沖縄が返還されない限り日本の戦後はない」と言って対米交渉に臨み遂に返還が叶うがその背後には様々な条件があった。


あの頃返還を望んでいた人々は結局返還後に失望を感じたのではないかと思う。自分たちを壕から追い出した日本が果たして自分たちの帰るべき場所なのか?むしろ避難民である自分たちに水と食料を与えてくれた米軍の方が正解だったのではないか?


1980年代の沖縄を訪れながら僕の頭の中には常にその疑問があった。沖縄にとって帰るべき場所は日本なのか?


ぼくが個人的に思うのは沖縄の独立である。それは米国からの返還だけではなく日本からの独立でもある。たまたま歴史的に日本語が通じる場所であっても沖縄は日本ではない。


今回の沖縄の仕事では20数年ぶりにあちこちを見て回ったが、やはり琉球民族は強い。柳の根っこのように、どれだけ外国人に振り回されても生き残る力を感じた。沖縄の事、もっと書きたいけど書き出したらきりがない。



tom_eastwind at 11:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月29日

日本債券信用銀行


今日の差し戻し審で日債銀の元頭取ら3名に無罪判決が下された。無罪は当然として政府や時の権力者の捨て駒にされてしまった3名の怒りはどのようなものであろうか。

 

とくに元頭取の東郷重興氏はぼくが個人的に知っている人でありバブル時代の前後に香港で日銀支店長として務めた人物だ。

 

ぼくが1991年から96年までの香港日通旅行での仕事がうまくいった大きな理由の一つに日銀香港支店の出張手配を任されたことが大きい。ぼくが入社した当時の香港日通旅行アウトバウンド部門は総勢5名程度の所帯で、総勢30名のインバウンド部門のお荷物としてぶら下がっていた。

 

当時はバブルの名残で日本から香港に旅行してくる団体旅行を扱うインバウンド部門が絶好調であり、香港に在住する日系企業や駐在員をマーケットとしたアウトバウンド部門は郵船旅行など他の日系企業数社に独占されていた。そんな市場で何故日通旅行がアウトバウンド部門を運営していたかと言うと単純にメンツである。

 

そんな組織に何も知らずに飛び込んだものだからスタート時点での顧客は殆どゼロ。今でも思い出すが1991年に香港で初めて販売された呼び寄せチケット(当時は違法か合法かの判断が出てなかった航空券)の販売会議で日本航空のオフィスに出向いた時、当時の販売部長のNさんに「ほう?日通さんも旅行をやってるのですか?」と笑われた記憶が今でも明確に思い出されてくる。人はバカにされると一生忘れないものだ(笑)。

 

それでかなり、てか本気で頭に来て在香港日系企業の営業に回ったのだが数カ月もすると広東語にも慣れてきて現地習慣が見えてきて「ああ、なるほどな、これをこうすればこうなるんだな」ってのが分かり、それからは「営業しない営業」に切り替えた。

 

日系企業の日本人はこちらが営業に行くと「他社はいくらですよ、で御社はいくらにしてくれるの?」である。サービス業はサービスそのものに付加価値があるのに航空券とかホテルの価格だけで営業している旅行会社ばかりだったから自然とこのような過当値引きで利益が出せずに結果的に下等サービスになり顧客を失う。

 

日本感覚で現地旅行会社を使えば必ずトラブルになる。これは当時の日系旅行会社も同様で(おそらく現在も中国や香港に進出している日系企業にとっては永遠の課題であろう)、ボスが日本人でも香港人部下をしっかりと把握して管理してないと必ず彼らは手を抜きトラブルを起こしても言い訳ばかりして更に手を抜こうとする。

 

そういう市場が見えて来たからぼくは敢えて自分からは営業をせずに顧客が他社でトラブルを起こしてから当社に電話をしてきて、その時に「サービスそのものが旅行業でありサービスが付加価値である」事を体験してもらい仕事を増やすようになった。

 

その頃飛び込みでかかってきた電話が日銀香港支店の総務担当のKさんだった。非常に丁寧でまるで悪く言えば公家さんのような物腰の方であったが理知的で実に理解力があり、やっぱり日本の真ん中日銀だなって思わせる方であった。1980年代最後の官僚組織がまだまだ十分に活躍していた時代の最後の人々であろう(当時すでに民間金融産業は知性や能力でかなり不良化していたのでその比較で考えれば官僚の方がずっとましだった)。

 

この最初の電話を偶然に取ったのがぼくでありそれがその後の日通旅行の流れを大きく変化させた。東郷氏の南アジア出張を当社が手配し無事に終了させた事で在香港日系金融機関が「え?日銀の仕事を請け負っているのが日通旅行?だったらうちも日通旅行を使いなさい」と言うことになった。

 

インターネットもない時代にパキスタンあたりの手配をするというのはそれなりに時間も手間もかかる作業であり日本金融界代表として現地を訪問する日銀香港支店長が滞在するホテルも選ばねばならない。

 

そういう事情でぼくが入社した翌年から営業成績が急上昇、日本航空の取り扱いも増えて当時の営業部長が苦笑いしながら挨拶してきたのも忘れ難い記憶である。なめんなっちゅうの(笑)。

 

けれどそれも東郷氏のような鷹揚でおおらかなお客様やその担当者であるK氏のような方がいらっしゃったからである。ある意味ぼくはいろんな国を回ってきたが常にお客様や仲間には恵まれていたと本当に感謝するのもそのような理由があるからだ。

 

前置きがいつの間にか香港労働市場の話になったが日銀香港支店長だった彼が香港での仕事を終えて東京に戻った頃、ぼくもニュージーランドに戻る事になった。

 

1997年は香港が中国に返還される。そうなると香港に住んでいる香港人も出国許可が出なくなる、NZ永住権もはく奪されると真剣に思い込んでたうちの奥さんは「お父さん、ニュージーランドに戻るよ、次はクイーンズタウンみたいな中国食品も売ってない田舎じゃなくて香港から直行便が飛んでて中国食材が買えるオークランドじゃないとダメだよ」といきなり宣言んしてきたのである。

 

いつの時代も中国人の外交は日本人を上回る。結果的に奥さんの要求が100%通り、1996年に僕にとってはまさに第三回目の海外移住となった。当時のオークランドには殆ど知り合いもおらず仕事の様子も分からずだから暗闇で敵地への落下傘降下みたいなものである。

 

それから暫くはとにかくばたばたで日本のニュースを見る事もほとんどなかったし今ほどネットも発達しておらず、時事通信がファックスで送る速報版みたいなのだけが情報源だった。

 

そんなところに日本経済崩壊のニュースが伝わってきた。日本の巨大銀行が次々と倒産して山一證券まで廃業と言う戦後日本の歴史の中でおそらく最大の事件が起きたのだ。

 

そしてその時偶然見かけた名前が東郷氏であり日債銀の頭取として発表された時には本当にびっくりした。彼が日債銀の事とかそれまでの不祥事とか知ってるわけないじゃん。第一日銀の理事だったわけでそれが何で日債銀にいるの?と思った。

 

その後は優秀で真面目で責任感のあった東郷氏が(日銀や大蔵省あたりから騙されたのか脅かされたのか大丈夫背中は守るからと言われたのか不明だが)組織命令で日債銀に出向して最後のスケープゴートにさせられたのが分かった。

 

それからは裁判になり金融行政の無策のツケの責任を全部被せられ彼は表舞台から永遠に外された。もしかして彼が裁判になど持ち込まず「私が悪くありました!私一人の責任でございます」とでも言ってればその後に次の銀行の頭取の席は用意されていたと思う。ホリエモン事件みたいなものだ、「悪くもないのに何で謝るんだ?」と検察相手に本気で喧嘩を仕掛けたら悪くもないのに有罪判決を食らってしまったようなものだ。

 

しかし彼に限らず当時の金融業界と銀行業界はバブルの崩壊で今までの秩序のすべてが破壊されてそれまでエリートコースと思われていた人々が次々と逮捕されたりバブル期の不良貸し出しで銀行担当者が失踪したり殺されたりした。

 

当時は不良融資の実態を知っていた担当者はマニラ行きの切符を渡されて「しばらくマニラにいろ、心配するなすぐに戻れる、空港に着いたら出迎えの連中がいるから安心しろ」と言われてマニラ空港に着き出迎えの連中の車に乗ってそのまま薄暗い山の中に連れて行かれて帰ってこなかったというまことしやかな本当のような話もある。

 

1970年代に銀行に入行した人たちはそれだけで社会のエリートコースに乗った、地元のトップクラス入りした、家族の誇りになったくらいに感じていたし実際にそうだった。日本のシステム自体が崩壊するまでは。

 

いつの時代も変化する。変化して欲しくなくても変化する。ならば生き残るためには自分も常に変化し続けねばならない。それでも時には時代の波にどうしようもなく飲み込まれるかもしれない。今あなたの働いている職場は10年後も存在するかもしれない。けれどあなたがそこに存在し続けられるかどうかはわからない。そこに絶対などあり得ない。

 

福岡空港で買った週刊東洋経済、今週8月27日号のタイトルは「10年後に食える仕事食えない仕事」。小題に「中国人に奪われる仕事奪われない仕事」とかある。面白そうだ。

 

 



tom_eastwind at 11:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月28日

人事を尽くす

香港から福岡に向かうキャセイ航空510便のビジネスクラスは半分くらい日本人ビジネスマンで埋まっている。昔は残りの半分が香港から日本に向かう香港人で埋まっていたが震災と原発事故以来もともと影が薄くなっていた日本への渡航が減少しているのだろう。

 

そう言えば日本とニュージーランド間の飛行機の間引きの事も書いておきたい。1980年代に成田からオークランドまでジャンボを飛ばしていた日本航空はその後最盛期には福岡、関空、中部からもオークランド便を運航した。

 

ところが日本航空自体の不況により政治的に運航されていた路線は次々と減便され、福岡は廃止、名古屋中部空港も廃止、関空は成田からオークランドに行く途中にお立ち寄りとなった。

 

挙句の果てに日本航空本体がオークランドから撤退、ニュージーランド航空に運航を全部任せることになり、更にニュージーランド航空も減少する搭乗客対策で去年までは新型機種で飛ばしていたのを今年からボーイング767に小型化した。

 

ただでさえ機内サービスの評判が悪いニュージーランド航空(これは社会主義時代の考えが残っているのが理由。つまり労働者と搭乗者は同じ同志であり仲間であり上下関係は存在しないのだから乗客は機内労働者に気を遣うべし、つまり水一杯飲むのにいちいち呼び出すな、労働者が疲れて寝ているときはお前ら邪魔するな、労働者が楽しくおしゃべりをしている間はお前ら口出すな、ちなみにおしゃべりは基本的に飛行機出発から到着までである)で日本人労働者は白人とおしゃべりするのが楽しくて仕方ないから日本語で話しかけてくる乗客などは迷惑でしかない、何か話しかけられても知らんふりだから、飛行機はちっちゃくなるわ日本航空のスチュワーデス的な上質なサービスはなくなるわである。

 

そうやって日本便をリストラして余った飛行機を北京や上海や広州に飛ばす。この方がずっと儲かる、つまり日本Nothing状態になっているのだが、その事に肝心の日本人が気づいていない。

 

そんなある時ある人が僕にこう言った。「私が乗った飛行機は満席でしたよ、いやー、日本とニュージーランドはNZ航空にはドル箱路線でしょ!」僕は「あのですね、日本便はどんどん減便されているんです、実際に飛ばす便が満席になるようにね、だからあなたの乗った便も減便して機体をちっちゃくしたから満席だったんです。これで乗客がさらに減ったら次は直行便廃止、福岡⇒上海⇒オークランド路線になりますよ」と言った。

 

NZ航空からすれば当然の措置である、搭乗客がいないのだから福岡から上海まで同じスターアライアンスである全日空で来てもらい、そこでメインの搭乗客である中国人と一緒に詰め込むのが正解となるのは理路整然である。

 

とにかく僕が嫌いなのがこういう日本人の危機感のなさである。日本と言う人口1億2千万人の穴倉に閉じこもっていると毎日は何とか回っているからまだ大丈夫とかおれくらいは大丈夫とか思い込んで周りで起こっていることを見ようともしない。

 

以前も書いた事があるが香港から日本に行く午後便のフライトのビジネスクラスに乗っている乗客の行動パターンは面白いほどに人種別違いを見せる。

 

白人ビジネスマンの場合は飛行機で移動しているのは仕事の一部であると考えているので機内でも飛行機が出発したらすぐにPCを立ち上げてみたり分厚いファイルを持ち出して計算を始めたり一般知識を蓄えるためにファイナンシャルタイムズやル・モンドを読む。

 

中国人は手元に経済週刊誌を広げて次はどうやって金儲けしようか、どこにビジネスチャンスが転がっているかを鵜の目鷹の目で探している。

 

日本人の場合は殆どが同じだがスポーツ新聞をだらーっと広げて缶ビールを飲みながら吉原で最近人気のお店チェックをしたり巨人が勝ったとかの記事ばかり読んで過ごしている。

 

今回のフライトでも香港から福岡に行く機上では日本人ビジネスマンはたどたどしい英語でスポーツ新聞頂戴と言い相手が日本人スチュワーデスと分かった瞬間にビール持ってこいとか日本語であれこれ注文しまくり、香港人スチュワーデスの目の前でスポーツ新聞のえろ記事コーナーの写真付きのページを開いてにやにやしている。

 

結局彼らからすれば子供の頃から仲間内の競争で戦ってきて有名大学に滑り込んで社会人になりビジネスクラスで出張出来るほどになれば「俺の地位は一生安泰、会社も永遠だもんね、あとはいかに社内で生き残るかだけ、その為には小難しい経済雑誌よりも巨人が好きな先輩と話を合わせるためにスポーツ新聞読むんだもんね、何せおれも巨人好きだしエロ雑誌も好きなんだもんね」となる。

 

その危機感のなさは僕が1990年代に香港で見かけた北海道拓殖銀行職員の横柄さや長期信用銀行のでたらめなオフィス運営にぴったり重なる。あの当時の彼らも自分たちを「勝ち抜いた」と思い込み会社内のルールだけがすべてであり社会で何が起こっているかなんて考える必要もなかったのだ。

 

しかし現実はそれほどに甘くはなく1997年に日本を未曾有の経営危機が襲う。そうなって初めて彼らは自分たちのバカさ加減を知る事になるのだがその時は手遅れだ。

 

もちろん僕は彼らにスポーツに興味を持つなとか吉原の記事を読むなとは言わない。誰にも休憩は必要だしスポーツだって楽しいし吉原だって・・・けれど「それしか読まない」ってのと「それも読む」のではかなりの違いがある。

 

西洋人だって休暇は一か月近く取るしその時はパタヤビーチのプールで何もせずにただクライブカッスラーやジョン・ル・カレを楽しむ。夜は美味しいタイ料理を食うしもしかしたらちょろんなんてのもある。

 

けれどそれはまず危機感を持ち自分が今どういう立場にいるかを理解してやるべきことをやってからリラックスする事である。

 

今回のフライトでも日本人ビジネスマンが堂々とスポーツ新聞を広げているのでだんだん自分が日本人であるのが恥ずかしくなり途中から言葉を広東語に切り替えようかと思ったくらいだが、時すでに遅しぼくは機内では日本人とばれている。あとは自分くらいは少しは身に付く内容のものを読んでPC開いて乗務員の皆さんにも「おや、日本人でもスポーツ新聞読まない人もいるんだね」と思ってもらうくらいだ。

 

それにしても危機感と言うのは一体日本人にとってどのような位置づけになったのだろうか?誰もが自分は交通事故に遭わないけど宝くじには当たると思ってるのだろうか?会社に入りさえすればそれで「上がり」と思っているのだろうか?

 

人事を尽くして天命を待つという言葉がある。どこまで努力をしてもダメな場合は、それはある。しかし出来ることはまずやっておく、その上で「やることはやったんだから後は天に運を任せてのんびりとプールで過ごそう」と言う気持ちを今の日本のビジネスマンには持ってもらいたいと思う。

ただし気を付けてほしい、やることをやるというのはちっちゃな日本企業のちっちゃな社内ルールを学んで「人事を尽くした」と思う事ではない、社内の下らん人事ではなく世間の常識を覚えてって事だ。



tom_eastwind at 01:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月27日

胡同

香港でお会いした方に連れて行って頂いたレストラン胡同(フートン)は最近出来たばかりの高層ビルの28階にある高級北京料理だ。それにしても香港のレストランビジネスの最近の進化にはもうびっくりするしかない。

 

僕が住んでた1990年代でも高級レストランと言えば限られており味は素晴らしいのだが景色なんて関係ない、名店と言われた店でも地下の穴倉みたいな場所だったりましてや料理の飾りつけも一皿の量にしても最低4人以上でなければ食いきれない。

 

予約に至っては電話して時間を決めて席を取ってもらっててもその時間に行くと誰か他の人がまだ食事をしているテーブルの後ろで立って待つ、つまり予約なんてあってなきが如し、レストランに文句を言うと怒ったような顔でぼくの名前を書いた名札をまだ先客が食事中のテーブルの上にぽんと置く。先客も気にしたふりもない。

 

ところがこのレストラン、まず何よりも素晴らしい借景である。28階から見る香港側の夜景と毎晩夜8時から始まるレーザーイルミネーションが高層ビルを照らしあげて、床から天井までガラス張りの窓一面に広がる香港の夜景はそれだけで一つのエンターテイメントであるが、店の作りも北京の下町である胡同をテーマにしており秀逸だ。

 

更に出てくる料理がお客が二人で来ることを想定した作りであり実にこぎれいに作りこまれてお皿も端っこが欠けているのなんてない。味はもちろん素晴らしく一皿一皿に昔の職人のような乱雑さがなく気遣いがされている。言っては悪いがシェフの中には自分のスタイルを変える事を嫌う人間が多く経営者からすれば料理をいじるというのは結構大変だ。それがここまでシェフをハンドルしているのだから進化したもんだ。

 

そして予約。時間通りに行くと時間通りにテーブルが用意されており名前まで間違えずに書かれている。

 

まあぼくが過ごした1990年代初期の香港の下町レストランとこんな高級かつ現代的な経営をするレストランを比較すること自体失礼な話ではあるが、最初に聞いたレストラン名のイメージが強すぎてどうしても「あの頃」と比較してしまったのだ。

 

ちなみにぼくが初めて北京の「胡同」を見たのは(観光ではない)1980年だったと記憶している。真冬の北京で天安門と故宮を回った後にぶらぶらと街歩きしていると胡同に迷い込んだのだ。

 

当時は文化大革命が終了して小平が実権を取り改革開放の初期であり、人々はまだ「過去の暮らし」をそのまま引き継いでいた。今ではすっかり「過去」になってしまった胡同だがあの頃彼らの生活を見ることが出来たのは本当に幸運だったと思う。1980年当時の北京を知る日本人はどれだけいるのだろうか、それにしてもぼくと中国の付き合いの長さは当時から始まり、思いもよらなかった香港人との国際結婚と香港生活を通じてもうすぐ30年。

 

お客様は金融関係でありニュージーランドで最近施行されたFSPRの話をしながらニュージーランドにおけるファイナンス会社の立ち位置を簡単にお話させて頂く。FSPRの話は後日詳細を書くつもりだ。

 

世間は民主党代表選と小沢ネタで盛り上がっているが僕的にはすでに「終わった話」であり誰が代表になろうが政治的混沌はこれからも続くだろうし官僚の自己保身も彼ら自身が自浄能力を持てない構造になっているから正直もう暫くはネタにもしたくない。

 

それよりは本日読了した「大仏破壊」とイスラム教のネタや、アグネスチャンが「香港もソウルもみんな元気なのに日本では電気を消して皆が暗くなってる」と言うと猛烈に反発があったって事についても書きたいが、とにかく移動移動の繰り返しなのでこれも後日。



tom_eastwind at 01:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月26日

理論で考えるくせを身に付けるってこと

◆「ヘキサゴン」当面休止

  上地をはじめ、“おバカタレント”を多数、輩出した「クイズ!ヘキサゴン2」(水曜・後7時)について、フジテレビは25日、24日の放送に引き続き、31日も「世界おもしろ珍メダル!バカデミービデオ大賞」に差し替えると発表した。「当面の間休止いたします」と同局はコメントしている。

★記事抜粋終了

 

どう番組を差し替えるかはテレビ局の判断だが、バカな番組をもっとばかっぽい番組にして何の意味があるのか?国民総白痴化を狙っているなら大した腹の括りようだし何も考えずにやったならテレビ局自身がすでに自己白痴化に大成功したようなものだ。

 

昨日の夜遅くに香港に到着、気温は30度で冷房もよく効いてて過ごしやすい。てかホテルの部屋の冷房、17度に設定されてた。

 

機内では「戦争広告代理店」を読了。こういう代理店が良いか悪いかなんて考えるのはあまり意味がない。日本人は何かというと良い悪いで感情論で判断することが多いから外国人から見たら「意味不明、理路不整全」となる。

人間が自己追及をする過程で他人と関わりを持つ場合は自分の意思を伝える必要があるし相手がいう事を聞かねば話し合いが必要だしその最終的な行為が戦争である限りクラウゼウィッツの言ってることは正しいわけで、良いか悪いかの二元論で決めることは出来ない。

 

そうなれば自分たちのやってる事を社会に伝えるためにPRと言うビジネスが出てきても当然である。広告代理店にとっては依頼主がコカコーラであろうがボスニア共和国であろうがやることは同じだ。

 

ほんっと、このあたりの理論武装は白人特有と言うかきちんと理論家されているし日本人も学ぶべき点が多いと思う。長い事白人と付き合っていると彼らの良い点も悪い点もよく見えてくるが、少なくとも目的と手段を入れ替えるような「日本的」な発想がないのは良い。

 

日本の大手企業が米国でビジネス展開して毎年2%程度の営業利益を出した。するとある米国人が「そんな大金かけて工場作ってたった2%?銀行に貯金しておいた方がよほど利回りいいよね」と笑った。

 

確かにビジネスと言う観点から見れば利益を出すのが当然でありあえて外国で工場作ってややこしい雇用規制を守って従業員を採用するよりも初期の投資額を銀行に入れておくって発想は、これはこれで「あり」だ。

 

社会全体を見た中で企業がどうあるべきかと言う点を別にすれば白人の発想は面白いし学ぶべき点がある。ただ社会全体を見た中で企業がどうあるべきかを考えてみれば白人的発想は実に間違いの多い事がよく分かる。

 

しかしそんな事を言ってみても芸能人が辞めるとか下らんネタが新聞記事になるような国で企業が何故存在するかの議論もまともに出来ない経営者ばかりで高給を取るテレビ局がばかっぽい番組を垂れ流しているような社会から何を言ってもどうしようもないな。個人レベルでどう言おうとも白人から見れば「お前さ、12歳の子供だろ、あふぉ」と括られてはどうしようもない。

 

それでもまあ個人レベルでは何とかきっちりと戦争広告代理店の存在を理解して自分だけは目的と手段をはき違える日本的バカにならないように毎日頭を磨いていくしかないな。



tom_eastwind at 21:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月25日

戦争広告代理店


今日の午後のキャセイ航空で香港へ移動。1990年代は香港がアジア金融の中心地であったが1997年の中国返還以降はシンガポールが中国を上回る独裁政権として金融ビジネスを発達させて現在では香港は中国政府系金融の窓口、シンガポールはアジアと欧州と米国を繋げる役目の全般金融の窓口の様相を示している。

 

香港でもたくさんのビジネス機会があるのだが熱過ぎる。香港で金が動くときは中国政府がセットになり、うまくこっち側に付ければ何でもありだが敵に回したら大変な騒ぎである。ぼくはまだ中国の刑務所に放り込まれたり公開銃殺はされたくはないのでどっちにも付かずおとなしくしている。

 

ここ三カ月ばかり忙しくてゆっくりと本を読む時間がなかったが、今日のフライトは11時間あるのでたっぷりと読書にひたる予定。

 

「戦争広告代理店」はボスニア紛争を舞台にしたドキュメンタリー。第二次世界大戦の英雄であるチトーが死去後に彼の力で取りまとめてきたユーゴスラヴィアが崩壊して欧州の裏庭で20世紀最後の大紛争が始まる。

 

自分なりに数冊の本を読んでみたがどうもこのユーゴスラヴィアの当時の紛争の全体図が掴めずに少しいらいらしていたところ、この本がどうやら僕の理解を手伝ってくれそうだ。まだ読了していないが機内でじっくりと読む予定。

 

それにしても国家とか国境とか、くだらんものを作りやがってといつも思う。自由に動ける人間からすればこんなめんどくせーものはない。既得権益者や政府関係者からすればこんなおいしい商売はない。

 

結局突き詰めて言えば地域のルールは価値観の共有である。人種、肌の色、宗教、何にしても同じものを見て同じ感情を抱けるかどうか、それで国境を作る方がよほど合理的であると思うのだが。

 

まあいいや、今日は香港行きのフライトでゆっくりと本を楽しもう。



tom_eastwind at 12:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月24日

芸も能もない人間

関西弁の自称芸能人が引退発表をした。芸能人とは「芸しか能がない人」の事でありそれなりに芸に一途な人のような感じがある。その意味では歌舞伎役者などは世間の人気があるかどうかは別として一応芸の世界を持っている。

 

ところが他人の頭を人前で引っ叩いたり女性をぶん殴ったり、行列が出来る弁護士事務所と言いながら実態は法的に無意味なだぼら話を繰り返すような人間のどこが芸能人なのか昔から不思議だった。それでも世間は芸能人とか有名人とか褒めそやしていた。

 

「芸能」の中に人の頭を叩いてぼろくそにけなすのが現代の芸として含まれるならそれはもう時代の趨勢であろう。

 

実際にこの人間が出演すると視聴率が上がるってんだから時代はサディストを要求しており、一般市民は自分が実現できない「他人の頭を引っ叩く行為」を代行してくれる人間を見て喜ぶのであるから、そのような人間のテレビでの行為を絶対に認めることが出来ない少数派であるぼくはテレビを見ないという消極的選択肢しかないのが現実である。

 

そのような人間がテレビ業界で売れるってんだからテレビ業界の視聴率が下がりっぱなしなのも当然だと思うが、それでもこのような人間が生き残っていけたのは、それを見て喜ぶ連中が存在するからである。

 

元々テレビと言う媒体自体に色はない。どのような利用方法をするかによって価値は変わる。クーデターの時に真っ先に占拠されるのが国会とテレビ局と言うように情報を一斉に国民全体に伝えるという意味ではインターネットよりも実質的に効果がある。

 

ところがテレビの性質をよく知り尽くした賢い連中が70年安保を経験して「やば!国民を啓蒙して利口にさせるとまたも革命が起こるぞ、既存体制を守るためには国民をばかのまま放置しておくしかないぞ」となりテレビの時間配分で一般大衆がバカになるような下らん娯楽番組を次々と作り出した。下らん娯楽だから下落番組とでも呼べばよいのか。

 

そういう日本政府の方針に当時ぴったり当てはまったのが今回の引退表明をしたような連中であり結果的にその政策は成功してテレビはまさに「白痴製造機」となり下がった。

 

インターネットが出てきても多くの人々は昔の癖が抜けずに白痴箱をだらだらとつけっぱなしにして何の自覚もないままに意味のない番組を見て自分の貴重な時間を垂れ流しにして世の中の問題や自分がどうあるべきかと言う大事な問題から目をそらさせた。

 

今回のような引退報道がニュースになるのもそれが人気があったからでありそれを見る人間が存在したって事だからやはり今の日本の主流の風潮にぼくが合わないのはよく分かる。

 

そう言えば今の時代になっても朝からテレビを付けっぱなしで朝日新聞しか読まない人がたくさんいるわけで、そのような人と会話が成立するはずもない。

 

テレビは本来一方通行の公共放送としての利用価値は高いのだが肝心のコンテンツがテレビ自体をダメにしてしまい、ましてやテレビが自分の都合の悪いことは放送せずに情報操作をする事で結果的にインターネットでの情報収集が世界全体の中心となっている。

 

まあ人の頭を引っ叩いてテレビの前で恥ずかしい事をして何も気にせずにいるような人物を喜んで見る人がいるのだから「踊るあほうに見るあほう」である。しかし自分が自分である限り「同じあふぉ」でも「踊らにゃ損損」にはならないな。

 

それにしてもリビアのトリポリで起こっている事件よりも引退報道が賑やかに報道される日本は、まさに平和ボケと言うしかない。そのような状態に少しでも消極的にでもNOと示すのは、黙ってテレビのスイッチを切るだけである。



tom_eastwind at 17:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月22日

ニュージーランドの子供4人に1人が貧困??

「子供福祉サポートの為に設立されたEvery Child Countsの発表によるとニュージーランドの子供4人に1人が貧困生活をしており、OCED30カ国中28位という低いランクとなった。これは10代の出産率や自殺率の高さも影響している。

 

 特に マオリやパシフィック系の子供が最も影響を受けており、衣類、栄養、住居の面で恵まれない生活を強いられている現状だ。

 

 緑の党では貧困の子供に関連するこの結果に何も取り組まないことで、大体3%のGDP、年間にして60億ドルもの影響があるとして、10万人の子供を2014年までに貧困から救うプラン強化を打ち出している。」

NZ大好き記事より:社会   2011819

 

ニュージーランドを語る日本人を見る時、時に「この人は何でこんな現実離れした事しゃべってるんだろう??」と思う事がある。

 

この人現実を知ってるのかな?って思うくらいだが、その理由がこのような記事にある。この記事をさらりと読んで要約してしまうと「ニュージーランドの子供は貧困である」となるがこれは全くと言って良いほど実態を反映していないデータになってしまう。

 

こういうのを記事の独り歩きとか数字の独り歩きと言うのだが、現場を知らずに数字だけいじくり回したりすると伝言ゲームの結果として当初の話とは全然違った内容になる。

 

困るのはどっかの統計だけを偶然ネットか何かで見つけて出所がそれらしいからってんで丸ごと信用する。それとか統計の読み方が分からないからそこに書いている解説を鵜呑みにして話をする。聞いてるこちらからすれば「早くしゃべり終わってくれないかな」と思うだけ。

 

まず聞きたい。貧困とは何を示すのか?衣類、栄養、住居?

 

おいおい、まず衣類からいこうか、彼らは元々Tシャツに短パンに裸足で生活をしている人種だ。その事実を知っているのか?それともTシャツに裸足では貧困と言うならキーウィ全員が貧困になるぞ(笑)。

 

栄養?毎日コーラの2リットルボトルを朝から飲んでポテチを平気で二袋くらい食ってから近くのKFCでどでかいチキンバスケットをばくついて夜もフィッシュ&チップスを食べる彼らの習慣は誰が押し付けたものでもない、個人のくだらない動物並みの目先のものを食べる欲望が彼らの食習慣を作っているのだ。逆に言いたい、失業率が20%近いマオリや30%を超すアイランダーがそれでもコーラやKFCを食えるのはすべて政府の福祉があるからだ。栄養の貧困ではなく人間の理性の貧困が問題なのだ。

 

おまけに住居?は、何言ってるんだか、彼ら失業者は政府が用意した市営住宅に通常の家賃の10分の1以下で住むことが出来て家賃滞納しても追い出されない。国会でどれだけ議論になっても最後は「ま、いいか、仕方ないよね」で終わっている現実。普通に働いている連中が高い家賃を払ってるのに不公平じゃないかって意見は無視されている現実。

 

マオリやパシフィックアイランダーが貧困の影響を受けているのではない、彼らが自分たちを自分の望む状況に置き、近親相姦に近い乱交で10代の妊娠がごく普通、ところが育てることが出来ないから虐待に繋がりそれが繰り返される。刑務所に放り込まれる犯罪者の人種別比率がマオリ及びアイランダーで80%を占めているという現実を誰が発表するのだろうか?

 

しかしこのような記事だけを読むと自称人権主義者などはうれしくなってタップダンスを踊りながら「平和が大事よ〜、貧困はダメよ〜、政府はもっと手厚くして、教育も大事よ〜」と蝶花を歌って自己満足。

 

現実はそんなものではない。

 

田舎の、失業率が30%を超す村の事を書いた事があるが、彼らは車で30分も走れば働く場所はある。オークランドに来れば仕事も住むところも確実にある。ところが自分たちが住んでる場所でいつもと同じ仲間と傷を舐め合いながら政府のカネで食っていけるから何もしないだけだ。

 

そして時々仲間と群れて都会に出てきて昼日中のクイーンストリートで奇声を発して周囲に見られて自分の存在感を身に感じ近くの住宅に空き巣に入ってみたり駐車している車の窓ガラスをたたき割って車内のラジカセをカッパラッタり。

 

子供たちを貧困から救うプランと言っても、ニュージーランドで飢え死にした子供はいないわけだし学校に行きたくても行けない子供もいない。では何から救うというのだ??

 

実はこれ、突き詰めて言えばマオリ及びアイランダーの大人の教育と生活態度の改善にしか答えはない。だらしなく太ってそれが立派くらいに思って彼らの多くが肥満による病気で政府の医療費を使いまくる片方で健康な白人が毎日ジョギングをして医療費のお世話にならず毎月きちんと納税している。

 

だからこの記事は子供の貧困をネタにしているが本当の意味はここ数週間続けて発表されている政府によるマオリ及びアイランダー対策の一環であり、要するに彼らをどうにかしないとムダ金がどんどん垂れ流しになる、いい加減放置ではなくてそろそろ本気でどうにかしようぜってメッセージなのだ。

 

政府による貧困対策と言う名目でマオリ及びアイランダーの食生活から大人と子供の教育まで改造していこう、そうでないと政府の補助に乗っかったままで社会のお荷物になっていく。これをどのように改善していくかがニュージーランド社会での「真面目に働いて納税している人々」に公正感を与えるしこれから社会に参加しようと思う人々に安心を与えるし、そして何よりも福祉に頼り切っている人々に自立心を与える事になるのだ。



tom_eastwind at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月21日

Those were the days


木曜日からクイーンズタウン出張で全然ブログの更新出来ず。クイーンズタウンは僕のニュージーランド生活の第一歩を記した街であり今も多くの友達が現地でビジネスをしている。

 

1988年当時は人口が4千人と言われていたが現在では15千人だ。開発が進むものの基本的には観光だけが生き残りの手段であり自然を守り共生しながら発展させている。この街では良い意味で一部白人が土地と政治と経済を独裁しているので変な開発業者は入ってこれないし大資本が何かしようとしても地元の独裁者と組むしかない。

 

良い意味の独裁とは地元の白人がこの街は観光だけで成り立っているし持続する経済とは自然を絶対に破壊しない事だとよく分かっている点だ。僕の仲間もこの街では経済や雇用に貢献しようとするが独裁者に対して民主主義を訴えるようなことはしない。お互いに良い関係でいる。

 

もちろん街の発展はめまぐるしく、特にレストランの進化の速度は呆れるしかない程早い。ついこの前までド素人のサービスしか出来なかった店でプロ並みのサービスが出来るってのは教育の効果を感じる。

 

もともとキーウィはフレンドリーサービスにおいては素晴らしい素質を持っている。ただ時間感覚やプロとしての会話能力が極端なまでに乏しいものだから今までは世界の観光客からは「なんじゃこりゃ?」と思われていたのだがクイーンズタウンでホテルホスピタリティ学校を創りプロのサービスを提供する事でスイスの観光地のような世界の富裕層を相手に堂々と渡り合える市場にしようとしている。

 

この街にはQRCと言うホテルホスピタリティ学校があり卒業した生徒が地元レストランやホテルで働くことで地元雇用と経済に貢献しており今は実によく回っている。

 

多くの友達は1980年代後半にクイーンズタウンに移住して自分なりにビジネスを立ち上げて頑張っている。クイーンズタウンに来るとブログの更新が出来ない一番の理由は、20歳代から一緒に働いてきた仲間があちこちにいて彼らと会って飯食って酒を飲んであっと言う間に一日が過ぎてしまいパソコンに向かう時間が取れないからだ(苦笑?言い訳?)。

 

けれど当時の仲間でもだんだん時代から取り残されたり自分から立ち止まったりしている連中もいる。ちっちゃな街だからある程度食っていいけるようになると「もういいや」とか「おれも昔はさ〜」と過去の終わった話ばかりするようになる。

 

ちっちゃな街では誰も友達を傷つけるようなことは言わない。だから本人も誰にも指摘されないから「ああ、これでいいかな」なんて思ってしまう。けれど時代は間違いなくどんどん進んでいる。

 

2年前にレストランをオープンさせたような「新しい連中」はビジネスの基本をしっかり学びレストラン経営を技術として理解しておりきちんとしたオペレーションマニュアルに合わせて動いているから1980年代に見よう見まねで覚えたような連中とはかなり違う。

 

新しい連中からすれば過去の遺物のようなレストラン経営者は話をする必要もないってのかな、友達に聞くとほとんど交流がないようだ。

 

「お前らもさ、あそこのレストランに行ってみなよ、サービスとか勉強になるぜ」とぼくが言うと「tomちゃんさ、そんな事言うけどいいんだよ、皆うまく楽しくやってんだからさ、まあのもう飲もう」で終わりである。

 

だめっしょそれ!って酒の入ったグラスを振り回しながら怒るのだけど、皆悪い奴ではないし押し付ける事も出来ない。彼らなりに成功しているのだから文句の言いようもない。けれど僕の様に他の街から里帰りの様にしてクイーンズタウンに戻ってくる人間からすればやっぱり「だめっしょ!」と思ってしまう。

 

同じビジネスをずっと続けろとかそんな話ではない。時代に合わせてビジネスをどんどん変化させていけばいい。けれど、止まるな前に進めと言いたい。1980年代に誰もやってなかった時にビギナーズラックで少しの成功を勝ち取ったとはいえ時代はどんどん進化している。レストランビジネスがどんどん定型化していく中で「おれはいいんだよ、おれのスタイルがあるんだよ」って、そんなの時代の流れの中で通用するわけないだろ。

 

それでもクイーンズタウンは僕にとっては第二の故郷のような街だ。あの頃おれらは「俺らが負けるわけないじゃん!」っと何の合理性もなく自分を徹底的に信じて、やる気と知恵と体力と明日を信じる気持ちで夜中まで働き朝まで遊んだものだ。

 

Mary Hopkins の歌にこんなのがある。

“Those were the days my friend,
we’d live the life we choose
we’d fight and never lose,
For we were young , and sure to have our way “

 

“Those were the days”の歌詞の一部だが、まさにこの歌の通りの生活を送った当時。けれど21世紀になってもぼくはまだ何も終わってないし仲間にも止まってもらいたくない。生きている限り前に進む、とにかく逃げずに前に進む、時代が変化すれば言い訳せずに時代を追い抜く。

 

昔の仲間たちと飲みながら皆に発破をかけながら、結局これって自分で自分に発破をかけてるのかなって思ったりしたクイーンズタウン。さあ月曜日からやる事たっぷりだ、頑張るぞ。



tom_eastwind at 22:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月16日

あの時から40年

1971815日はニクソンショックの起こった日だった。世界中の通貨体制を決めたブレトンウッズ会議から世界では金本位制度を取ってきたが長引くベトナム戦争とばら撒きによる経済の悪化で苦しんでいた米国は自国通貨が世界の基軸通貨であることを利用して金本位制度から抜け出し、ベトナムの泥沼から抜け出した彼らは1980年代に弾丸の飛び出る銃火器兵器ではなくお金の形をした金融兵器を使って世界中で撃ちまくり遂には現在のような金融支配社会を作り上げてしまった。

 

1945年の敗戦で日本のあるべき姿を痛切に感じた優秀な官僚は日本を世界一の優秀な工業国家に作り上げたが彼ら戦中世代は1980年代に引退してしまい残されたのは成功体験しかない二世官僚たち。米国や中国によって実効支配されたまま踊らされて1985年のプラザ合意で未曾有の超円高バブルに突っ込み一時はニューヨークの一等地にあるビルを日本の企業が買収するまでになったが1991年の総量規制によってふくらみに膨らんだバブルの風船は大きく弾け飛んだ。

 

バブルが弾けて日本は大きく社会構造を変化させたがそれは米国にとって都合の良い変化であり日本にとっては大打撃で、それまで会社単位で作り上げられてきた隣り合った人間同士のつながりが破壊され、かと言って地域社会ではすでに「お隣に住んでいるのは誰かも知らない」無関心地域になってしまい、肝心の家族はすでに3世代が別々に住む核家族化が進行して日本人は見事に団結を破壊された。

 

その結果として一人一人が自分だけの目先の利益を得る為に日本全体の利益を考えずにばらばらになり、それが外国人からしたら攻め込みやすい国となり19世紀のアジアやアフリカの様に各個撃破されてしまう状況になった。

 

国家が右に行こうとすれば左翼が反対し国家が左に行こうとすれば今度は右翼が反対して結局はどっちつかずで同じ場所をうろちょろうろちょろしているだけで何の大きな政治的決断も出来ないまま日本は現在に至る。

 

考えてみれば金融だけでなく世の中がすべて変わってしまったのはあの時だなって思わせるのが1970年代初頭だ。それまでのお人好しのアングロサクソンは日本人技術者が米国にやってくると洗濯機や掃除機やトランジスタラジオの作り方を教えて次にはテレビの作り方や電話技術や車の作り方を教えてそのすべての産業で弟子である日本勢に負けて米国の産業は崩壊してしまった。

 

戦争で負けて技術力はあるものの近代的なモノづくりノウハウがなかった日本は1ドル360円と言う日本に圧倒的に有利な固定為替相場で米国に殴り込みをかけてMadeinJapanを米国中に売りまくったのだ。

 

米国は国家を支配する人々がそれまでのアングロサクソンからユダヤ系が表に出始めたのもちょうどこのころである。お人好しでは国家運営は出来ない、渡してしまった産業技術は今さらどうしようもないが高度な金融技術と知的所有権は今だ世界で誰も知らない。

 

よっしゃこれでいけってんで米国は80年代になって急に世界に向かって知的所有権を訴えるようになり所有権専門の弁護士が表れて世界を相手に告訴の嵐を起こし、何かのモノを作ったわけではないのに無理やり作った概念である知的所有権で世界の企業から金を巻き上げた。

 

次に高度なIT技術を生かした金融商品を作り上げて「夢のような利益の出る打ち出の小づち」とばかりに世界中のカネ余りの大手企業の財務部から銀行、保険会社、証券会社、とにかく地域で金を持って運用を必要としている素人集団にCDSなどを売りまくったのだ。

 

この技術は現在も生かされており今も欧州では英米系ファンドに毒団子を食わされたギリシアやポルトガルが財務危機に陥っている。

 

そして20世紀最後であり21世紀の世界を主導するようになった世界最大の発明であるインターネットですべての国を駆逐して遂にはITとネットで主導権を取り、世界のすべての情報をコントロールできるようになった。

 

しかし「あの時」から40年後の今、また次の動きが出てきている。それは国境の実質的崩壊である。もともとユダヤ人には国境と言う観念は薄く、20世紀は米国と言う舞台を使って世界を支配したがその前の19世紀は英国が舞台であった。そして21世紀は次の舞台に移り始めている。

 

あの時から40年で世界はめまぐるしく変化した。日本もジェットコースターのように急上昇して急降下した。アジアの次の舞台が中国であることは明確だ。アセアン+3(日中韓)を望む中国とそこに豪州及びニュージーランドを入れて中国の一国支配を避けようとする動きがある。

 

次の40年、さあ、あなたはどう生きていくか?



tom_eastwind at 10:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月15日

初雪と終戦記念日


オークランドでは雪が降りません。これがぼくが53回続く移住説明会で常に話してきたことだ。ところが次回からはこの説明はもう使えない。

 

何と今日、オークランドに雪が降ったのだ!いくら冬とは言えどもオークランドの平均気温が14度くらいだし年に一回くらいは冷たい風が吹き込んで雹がパラパラと降ることはあっても、本格的な粉雪が降るなんて初めてだ。

 

歴史的に見ると1930年代に一回だけ雪が降った日があるそうだが、約80年ぶりの雪だからオークランドの人々は空を見上げて「うわ〜!雪だ、ほんとかよ〜!」とはしゃいでいた。

 

オフィスの窓からも吹き付ける粉雪がきれいに見えて、暫くは仕事の手を止めて眺めていた。それにしてもクイーンズタウンでも大雪を楽しんだがオークランドでも雪が見られるとは思わなかった。

 

それにしても終戦記念日か・・・。うちの父親は軍隊に徴兵されてニューギニアで戦いながら逃げ回り終戦によって何とか命を生きながらえた。やっぱりこれって敗戦記念日だよな。

 

そんな事を思いながらある学校を訪問した。そこでは韓国の学校と姉妹学校にしているのか、学校の入り口に随分とたくさんの飾りつけをしていた。

 

韓国の旗や66って数字にハングル文字があったりして、Independent Day! と書いてる。ああそうか、韓国にとっては815日が独立記念日になってるんだなって少し複雑な気持ちで思い出した。

 

そうすると先生が楽しそうに「ね、韓国は今日が独立記念日なのよ!だから飾りつけもしたのよ、ねえ、ところで日本はNationalDayはいつなの?」って聞かれた。

 

建国記念日と言ったってありゃ時の権力者が勝手に作った日付だしな〜、かと言って今日は敗戦記念日じゃんか、何て答えようかって思わず考えて「今日は韓国の独立記念日でしょ、彼らは日本から独立したんだけど、今日は日本が戦争に負けた日なんですよね」って説明すると、この先生びっくりした顔で「あらま、そうなんだ・・・今日ってお祝いじゃないのね、、、」って済まなさそうな顔になった。

 

いやいや先生あなたの問題ではないですよ。けれどこういうのは結構微妙な問題だから先生と言う立場にあれば少しは歴史を勉強しておくと良いのではと心の中で思いながら身を切るような冬の風の中を車に戻った。

 

今回の雪を降らせた冷たい風は太陽黒点の影響だとか南極の風がそのままニュージーランドまで吹き込んで来たとかニュースでやってた。

 

かっこいいな、この冷たさは南極の風かよ、そういえば空気も一段と透き通っているよな、なんて思いつつも、ニューギニアの蒸し暑く森林に覆われた泥だらけの山道を歩き続けた日本軍の事も同時に思い出してしまった。



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2011年08月14日

子供は社会の宝だ、親の所有物じゃない!


今日はオークランドにある地元小学校を訪問した。ニュージーランドの教育制度の良さは試験の点数で測れないところである。とにかく子供の頃は社会の中で他人と一緒に生きるってのを教えてくれて、他人に対する思いやりと健康第一だし、とにかくよく遊ばせる。だからかもしれないが、ニュージーランドの人々は体感温度が2度から3度くらい違うのではないかって思うくらい体が頑丈である。

 

そしてもう一つ素晴らしいのは子供の個性を積極的に表に出させて自発力のある若者に成長させてくれる点だ。うちのりょうま君は幼稚園から小学校6年くらいまでずっと自閉症だったが長い教育のおかげであろう、去年から自発的に話が出来るようになった。

 

個性を伸ばすだけでなく障害のある子供を積極的に社会の中に出させていつの間にか普通に他人と話せるようにさせる教育ってのか、ちょいと説明しずらいが、言い方は極端かもしれないが親がまともでありさえすれば自閉症の子供でも早めにニュージーランドで基礎教育を受けさせれば、そのうちの半分以上は自閉症が回復して普通に社会で生活出来るのではないかと思う。

 

今日は障害児教育のプロであるこの学校の校長先生とうちのりょうま君のケースを話しながらこんな事を言ってみた。

 

「障害児はすべてのものは見えてます。ただあまりに精神的に優しいから世の中に渦巻くストレスを受け入れて自分が壊れてしまわないように卵の殻の中に閉じこもってしまってるだけです」素人が何を言うかと自分でも思いながら子供の体験談を話したのだ。

 

「だからうちの子供は小学校の頃の記憶は全部覚えています。嫌だった事も楽しかった事も。子供が何気なしに言った一言で親からすれば“え?そんな事まで覚えているの?”とびっくりするくらいです」

 

そうすると先生も「そうなのよね、子供たちは誰もが可能性を持っているのに結局は周囲がそれを潰しちゃってるのよね。わたしは絶対にそんな事、許せないし受け入れられないわ」

 

そう、この国では子供を社会の宝と考えているから社会が子供の教育に積極的に関与する。日本のように子供は親の所有物、だから周囲は口を出せないなんて事はあり得ない。

 

例えば父親が何気なしに子供の頭をぱこんって軽くたたいただけで警察がやってきて父親は逮捕される。13歳以下の子供を自宅に一人で残しているとこれも逮捕。とにかく日本のような環境でニュージーランドの考え方を導入してみたら逮捕者続出だろう。小学生の子供が夜に一人で塾に通うなんてあり得ないわけだし、だいいち家族が毎日夕食を一緒に食べないなんてそんなので何が家族??って事になる。

 

だから障害児教育についても日本では親が恥として子供を自宅に引きこもらせていくつになっても親が面倒を見てその子はもしかしたら成長する機会があったかもしれないのに症状を悪化させて結局は親子共に苦しい生活を送るようになるが、ニュージーランドでは自分の子供が他の子供と違うのは個性と考えて社会全体で支えようとする。

 

そういう空気が社会全体にあるからだろう、子供は敏感にそれを感じ取って「ここ、好き!」と言うことになる。今までも多くの子供たちが移住するのを見てきたが、ほんとに子供は素直だ。日本とニュージーランドの違いを肌で分かる。

 

そんな時にこんな日本のニュースを見るとますます広がる子供の虐待にがっかりして怒りが込み上げてくる。

「千葉県柏市で2歳の男の子が餓死して両親が逮捕された事件で、当初、容疑を否認していた父親が「食事の与え方が間違っていた」などと容疑を認める供述を始めていることが分かりました」

 

こういうのはもう両親ともに未必の故意で死刑を適用するしかないと思う。子供の未来を永遠に奪いその子供が生きていればどれだけ幸せになれて社会に貢献出来たか、そういう子供の無念さを晴らし同時に社会に対して「子供は社会の宝、個人の所有物ではない」とメッセージをきちんと伝えるべきだろう。

 

「そもそも、「未必の故意」というのは、確定的故意に対比される不確定的故意の一種であり、犯罪的結果の発生自体は確実でないが、発生するかもしれないことを表象しつつ、それが発生してもかまわないと認容している心理的状態のことである」と言う解釈がある。

 

殺人は故意に人を殺した場合に適用されるがこの「未必の故意」は「相手が死んでも構わない」と考えているのだ。子供が何も食べさせてくれなければ死ぬのは当然だ。ならば殺人罪を適用していくべきであろう。

 

このような虐待は、子供が自分で親から逃げることが出来ないという時点ですでに悲劇的であり子供は一生のトラウマとなる。そして自分が産んだ子供を虐待するという繰り返しの悲劇になる。更に虐待で子供を殺すとなればこれはもう取り返しがつかない悲劇である。

 

現在の法律ではこのような虐待死で死刑が適用される場合はないだろう。しかしそれは法律が間違っている、時代に追いついてないのである。人々は食物に含まれる様々な栄養素を体に溜めこむわけだが戦後日本の食糧事情はコンビニおにぎりや弁当に代表されるようにかなり偏った食事になっており「切れやすい子供」が増えたと言われている。

 

そのような子供たちが体だけ大人になっても脳みそは子供のままで自分が産んだ子供をだんだんと育児に面倒になりそれが憎しみに変わり自分が責任を取るべきことも分からずに子供を虐待することになる。ましてや育児に関心を持たないネグレクトと呼ばれる母親が赤ちゃんを炎天下のパチンコ屋の駐車場に放置して死なせるなど、もう人間としての感覚がないのではないかと思う。

 

もちろん食糧事情が子供虐待のすべての理由ではないし社会全体がストレスの塊になっているし様々な要素があるだろうがいずれにしても現在の子供に対する虐待は社会の仕組みそのものを変えられない限り虐待そのものを重罪として取り扱う事で少しでも被害を減らすべきであろう。

 

殺人罪を適用するについてはいろんな考え方があるが、戦後でも殺人罪に関する法律の変化はあった。1963年に発生した吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件では死刑が適用された。それは当時増加していた幼児誘拐事件に対して厳罰で臨むべしと言う社会の意見があったからだ。司法統計年報によると1960年は53人、1961年は57人、1962年は67人、1963年は107人であった。

 

歴史的には殺人罪でもその重さが軽減されたケースもある。尊属殺人罪と言う法律だが戦前は目上の直系尊属や親族を殺す罪は重かったが戦後になり親を殺したからと言って罪が重くなるという考え方は時代に合わないとして1973年に適用停止になり1995年には廃止された。

 

つまり殺人罪の適用や死刑の適用は時代の価値観に合わせて変化をすべきなのである。

 

「小坂雄造容疑者(39)と里美容疑者(27)は今年5月、長男の蒼志ちゃん(当時2)に十分な食事を与えず、死なせた疑いが持たれています。母親の里美容疑者は容疑を認めていましたが、雄造容疑者はこれまで容疑を否認していました。その後の警察への取材で、「食事を与える努力はしたが、間違えたやり方だった」などと容疑を認める供述を始めたことが分かりました。死亡した際、蒼志ちゃんの体重は平均的な2歳児の半分以下で、警察は食事の与え方に問題があったとみて調べています」

 

このような犯罪はぼくは厳罰をもって対処すべきだと考えている。そこで具体的な死刑執行方法だが、これはもう餓死でしょう。薄暗い穴倉に放り込んで水も何も与えずに放置する。穴倉には亡くなった子供の写真を置いておく。死にながら反省しろって事だ。

 

子供は自分を守る事が出来ない。大人たちが守らずにどうするか?そして子供は個人の所有物ではない一個の人格であり子供の正しい成長は大人全体の役目である。それこそが健全に持続できる社会つくりの基本である。

 

ニュージーランドでも虐待死が問題になることがある。けれどそれは大体が一部の人種に偏っている。そしてそのような人種は社会全体でも最下層に存在する。ニュージーランドに死刑制度は現在存在しない。その代わり社会が子供を守る仕組みが出来上がっている。

 

日本では死刑制度がありながら「子供は親の所有物」として虐待を看過してその結果として子供が死んでも可罰性が低く死刑は適用にならない。大人たちは誰にも知られずに死んでいく子供の気持ちを一度でも自分の気持ちとして考えたことがあるだろうか?紙の上の死者の数の一つとしてしか考えてないのではないか?

 

ニュージーランドで生活をして子供二人を育てる中で今の日本を見ると虐待の異常さにぞっとする。社会全体が子供を守る仕組みと大人たちが子供の気持ちに敏感になる感性が結果的に幸せに持続する社会を作るのだと思う。



tom_eastwind at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月13日

官民平等の原則

★記事開始

十二日付で経済産業省を退任した松永和夫前事務次官(59)をはじめ、福島第一原発事故後の対応をめぐり更迭された三幹部の退職金は、自己都合での退職と比べ一千万円以上も多く支払われる見込みだ。

 

 更迭されたのはほかに、同日付で退任した寺坂信昭前原子力安全・保安院長(58)と、九月一日付で退任する細野哲弘資源エネルギー庁長官(58)。

 

 官僚の退職金は「国家公務員退職手当法」で定められており、今回の退任は本人の希望ではなく「組織上の都合」にあたるため、定年前の「早期勧奨退職」を適用された。このため、算出する際に基本となる俸給にかける支給倍率が自己都合より高く、高額になる。

 

 三幹部の場合、今回の退職金は自己都合と比べ約二割ほど高くなり、上積み額は勤続年数に応じて松永氏が約千百万円、寺坂、細野両氏が千三百万円弱となる計算。勧奨退職に伴う上積みとは別に、局長などの在任職位に応じて三人とも三百万〜四百万円が加算されるため、退職金の総額は松永氏が七千五百万円程度、寺坂、細野両氏が六千五百万円程度になるとみられる。

★記事終了

 

この記事を読んで開いた口が塞がらなかった人々はたくさんいただろう。とくに民間企業役員などで経営責任を取らされて詰め腹、つまり懲戒免職になったり解雇、形上は依願退職でも役員報酬や退職金は没収された人々からすれば。

 

なんで公務員だけは悪い事をしても首にならないのか?なんで公務員だけが仕事に失敗しても責任を取らなくて良いのか?JR西日本の福知山線事故では実際に電車を運転して速度超過で脱線転覆させたわけでもないのに歴代社長が業務上過失致死で強制起訴された。

 

ところが水俣病で多くの公害を作り出して裁判で「政府の責任」と判決が出ながらも公害を放置した当時の経産省や厚労省のトップは誰も起訴されておらず老後をたっぷりの退職金を受け取り優雅に過ごした。薬害エイズ事件でもキャリア官僚などのトップは誰一人告訴されず事件発生当時に健康政策局指導課長だった役人一人に全部責任をおっかぶせて事件を終わらせてしまった。

 

そして今回も原子力行政のど真ん中にいて原子力村の中で構造汚職を行っていた連中は責任を取って懲戒免職のはずなのに、なぜかのうのうと割増しの早期退職金をもらってご隠退、そんなのありか?「政府が悪い、政府の責任」などと言うが政府さんと言う人物がいるわけではなく判断をするのはその組織のトップの人物であり政府と言う訴えようのない組織にいくら責任を取らせたなんて言っても所詮は役人個人の責任逃れである。個人で判断して決定したことを政府の責任と押し付けて自分だけは口を拭って逃げる。それが許されるのか?

 

ホリエモンや村上事件などでは役人のいう事を聞かない民間経営者を無理やりに逮捕拘留、お上に対して頭を下げないホリエモンは犯してもいない事件で有罪判決、挙句の果てに刑務所に放り込み日本の若者の起業家精神を奪い取ってしまった。

 

悪くもない民間人は平気で逮捕させて威張りかえしてる役人が、自分たちが責任を取る番になったら「知らぬ存ぜぬ」から「政府が悪い」まで言いたい放題の無責任である。そして今回のような退職金割り増し。

 

明治以降の官僚制度では何を制度化するにしてもまずは役人の保身がありそれを制度化して自分たちだけは何をしても首にならないし責任を取らなくてよく民間企業のような目標ノルマもなく予算だけは分捕り合戦をやって挙句の果てに高額の退職金をがっぽり貰って辞めるのだからどうしようもない。

 

このような制度があるから役人は国民の為ではなく自分の属する省庁の為だけに働くようになり、結果的に公僕であるはずの役人が私利私欲に走ることになる。

 

みんなの党の渡辺さんにしても自民党や民主党の心ある政治家は、何よりも公務員改革が必要であると痛切に感じているが現実的に政治の駆け引きの中で実現出来ずにいる。そんなさなかの今回の退職金割り増しであるから本来怒るべきは自分の税金で彼らを食わしている一般国民であるはずだ。

 

本来は一般国民の意見を喚起する立場にある社会の木鐸であるマスコミを見ても腰の引けた記事ばかりでありこれまた自己保身である。

 

一般国民も自分ひとりだけが文句を言っても政府に苛められることを知っているから口を出すことも出来ない。けれど一人一人が本気で怒って政治家に文句を言えば、政治家だってそれを具体的な国民の声としてまとめて役人にぶつけることは出来る。そうして国民の声を政治に反映させて、例え役人であっても自分のやった事には責任を取るという民間ではごく当然の考え方を教えるのだ。

 

こっちが金を払って雇ってる連中が何で政治を自分たちだけの好き勝手にさせてよいものか?公(おおやけ)の僕(しもべ)として役人がやっているのは民衆が作り出したものを再配分したり調整したりするだけの作業であり作業のルールを作るのは政治家である。そしてその政治家を選ぶのは一般国民である。

 

公務員には人事院と言う組織があって自分たちの給料は自分たち役人がお手盛りで決める事が出来る。そして毎年の役人の給料は「官民同等の原則」により民間が景気の良い時は役人の給料も上がる。ところが民間の給料が下がっても役人の給料は実質的に下がらない仕組みになっている。更に退職時のボーナスは役人の方が圧倒的に多い。貰うものはたっぷりもらって出来るだけ仕事せずに責任は一切取らずに辞める時にまたもがっぽり貰って挙句の果てには天下りでこれまた二重三重の収入を得る仕組み・・・これで一体どこが官民同等と言えるか?



tom_eastwind at 21:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月12日

真の脅威は国産

★記事抜粋開始

「真の脅威」は国産 中国の空母試験航行 抑止へ日米連携カギ 防衛省・自衛隊

 防衛省・自衛隊は、ワリヤーグの試験航行を冷静に受け止めており、むしろ現在建造中の中国初の国産空母を「真の脅威」としてその動向を注視する。2015年ごろをメドに第1列島線(九州−台湾−フィリピン)内の制海権確保を狙う中国は、国産空母をその海洋戦略の中核に位置付けているからだ。

 「国産空母は早ければ14年ごろ就航するはずだ」

 海自幹部はこう打ち明ける。ワリヤーグは米軍の警戒網が薄い南シナ海と黄海で試験航行を続けるとみられるが、国産空母は就航直後から遠洋に出す公算が大きい。その時点でワリヤーグも作戦用に改め、空母2隻態勢で第1列島線内を「中国の海」とし、米空母戦闘群の「接近阻止」をもくろんでいるとされる。

★記事抜粋終了


最初は笑った、防衛相もユーモアを理解する人がいるんだなって。「中国の真の脅威は国産空母である」って、ぼくもまさにその通りと思った。現代の空母は電子機器の塊であり何千人もの技術者や建設者によって作られる。


ところが中国ではその技術者や建設者の技術水準に格段の違いがある。ましてや空母なんて生まれて一度も見たことがないような連中が作るのである。これが漁船や駆逐艦くらいならどうにかなるだろうが、最新技術を理解した上で全員が共同作業をするなんて現在の中国ではほとんど考えられない話である。


ちょうど高速鉄道を立派に作っても品質管理で大失敗したように、見かけは空母でも戦闘機を飛ばそうとしたら誰が飛行許可を出すのか分からずに飛び立てないとかお互いを敵味方に分けて戦おうとしたら敵味方識別表示器が全部敵に映ったとか、要するに今の世界の軍艦技術では考えられないようなミスが起こる。


その結果として「中国が真に脅威を感じるのは中国が純国産で作った時である」となる。

この記事を「中国が真に脅威になるのは国産空母を作った時である」と読む必要があるのは、まだまだ当分先の事である。まずは技術よりも人間性を変化させなければどうしようもない部分だからだ。


しかし国境線をいよいよ日本列島から沖縄、そして台湾まで自国領土だと空母を使って明確に表現しはじめたのは、これは間違いなく変化である。今まで小平の指示に従ってじっと寝たふりをして経済一辺倒だったのが、いよいよ世界デビューをしますよと宣言したのだ。


問題はこれを脅威ではなく変化として受け取り、小国ではありながら技術力があり世界に受けの良い日本人が柔よく剛を制すで中国と堂々と渡り合えるようになれば、この変化はむしろ「中国に一番近い隣人であり中国文化を一番よく理解している隣人」として諸外国よりも有利な立場に立てるだろう。


隣国が気に入らないからと言って引越しするなんてのが出来ない以上、戦争をせずにお互いに利益を得られる方法を練るのが政治だ。「中国の真の脅威は国産化」と言って冗談を言えるうちに交渉を進めるべきであろう。



tom_eastwind at 16:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月11日

世界中で熱い夏

首都圏は十一日も猛烈な残暑が続いた。東京都心では、明け方の気温が二八・二度までしか下がらず、午前七時には早くも三〇度に。正午に今夏最高の三五・二度に達し、六月二十九日に続いて今夏二回目の猛暑日(最高気温三五度以上)となった。

 

暑いのは天気だけではない、管首相もいよいよ政権を投げ出すのか、それとも最後の打っちゃりで三法案を通した後に「やっぱり辞めな〜い♪」と言うのか、ここが一番熱くて興味津々のところである。

 

政治家の言葉などこれだけ嘘が続けば信用するにも限度があるわけで、今の管首相には無くすものは何もないわけだから徹底的に日本の自民党時代の政治をぶっ壊してやれって気持ちがまだあるのかもしれない。

 

民主党は管首相おろしのために選挙公約の子ども手当を平気で引っ込めるわけだし自民党からしてもすでに宇宙人のようになった管首相は何をやるか怖くて仕方ない、早いとこ大連立や閣外協力出来る、言葉の通じる人間に政権を取ってもらいたいと思うのだろう、随分と民主党寄りの発言が目立つ。

 

管首相が元々は米帝国主義の傀儡政権である日帝打倒を叫んで第四列でゲバ棒振り回してたんだから彼の最終目的は資本主義の破壊である。それが実現できる今の立場を最大限に利用すると考えてもおかしくはない。

 

一応周囲には「辞めますよ、はいはい、辞めますよ」とは言ってるが、ぼくは個人的には彼はいつでも前言撤回する用意はしていると思う。

 

管首相の背後にちらちらと目立つのは米国である。ある情報によれば管首相は米国債を60兆円購入する事で9月に米国に呼んで首相会談してもらえて政権延長を狙ったとか、ある情報では米国債のうち100兆円の権利放棄をすれば9月に会うけど結局管首相が放棄しなかったのでガイトナーさんと小浜さんが怒って原発、じゃなかった爆発して「お前なんか後押ししない、米国に来るな!」と三行半を叩きつけたとか。

 

いずれにしても暑いのは東京都心だけでなく霞が関もしかり、福島もしかり、そして世界金融の中心街であるウォール街も同様である。米国債格下げの影響を何とか食い止めるために米国自身が株式市場の大暴落を呼び込み株式市場から米国債券市場に資金が流入するように仕掛けたって噂もある。

 

同時に欧州の債券市場を引っ掻き回すことで米国債券から目をそらす作戦も進んでるって噂もある。英米仏の国債格付け引き下げ、ギリシアなどのデフォルトを起こして「悪いのは米国だけじゃない!」なんて騒ぎ。噂ばかりの中で唯一政治が機能していない日本は、何もしていない事が世界から見れば安定しているように見えて円に資金が集まる。

 

同じような事がオセアニアでも発生しており、極マイナー通貨であるキーウィドルは対円であまり下がらないし豪ドルも同様だ。両国ともパニックは全く出てなく、むしろ英国の暴動に両国国民はテレビにくぎ付けって感じだ。

 

しかしまあ、今の北半球のマスコミで流れているのは政治から金融までどれも噂ばかりであり、一体どこに真面目に手に汗で働いている人がいるのかと思えるくらい。ところが実際には日本でもほとんどの人がこの炎天下で手に汗どころか額も背中も汗だくになって毎日の仕事をしている。この矛盾、一体なんだろうなって本気で思う。

 

自分でもある程度関わっているからよく分かるが、金融ってのは生活に必要な作業であるがこれが行き過ぎてすぐに虚業になる。では実業とは何か?それは手に汗をしてモノを作る事である。金融はあくまで血液であり実業で作ったものを常に体の中でぐるぐると回す必要がある。しかしその目的は体内を維持するためであり、血液が人間を殺すような事をしては本末転倒である。

 

この点血液癌に匹敵する金融爆弾を作った1980年代から金融界で働く人々の貞操観念と言うのは実業で生きる人間からすれば事業の永続性を完ぺきに否定する自殺系ではないかと思うくらいだ。

 

が、貞操観念など持っていて金融の世界で食っていけるわけもない、その意味で金融は弱肉強食で歴史に学ぶことなく自分だけは最後に立っている男と何の疑問もなく思い込める西洋白人に似合ったビジネスである。

 

この点で豪州とNZは白人社会でありながら手に汗系の人々が土地を開拓して牧場にして生計を立てて来たから商業銀行は一般庶民から預金として集めたお金を牧場開発支援に投資して彼らに成功してもらい利回りを得て一般庶民に配当するという本来あるべき当然なビジネスモデルで運営されてきた。

 

北半球のような投資銀行や証券技術がほとんど発達していないのはニュージーランドの特徴であり、例えば銀行に行って「南アフリカランド債を買いたい」なんて言うと「それってなんですか〜?」と本気で聞き返されるくらいだ。実際に売っていない。

 

だから北半球金融世界の人間からすれば世界でこんなに退屈な場所は南極か中央アフリカくらいじゃんって思われるだろう。けど、実体経済に関係なくお金が膨れ上がったり縮んだりする世界の方がおかしいって思わないか?

 

金融は血液であり実体経済と共に成長すべきであるが金融だけが実態を飛び越してしまえばそれは間違っている。それは道徳的に間違っている。法律的に正しいとかどうかではなく、道徳的な間違いだという事だ。

 

この、道徳的な間違いってのを北半球では理解出来ずに、最初にはビジネスルールがどうとか最後には法的にはどうとか、けれど南半球の小島から見れば答えは見える。土と空気と水を見ながら子供たちが幸せに生きていけるためにはどうするか、それさえ分かれば良い。

 

ただ金融の問題の道徳的間違いってのは、かなり技術的で専門的な分野でありここまでの商品ならOKだけどここから先はダメよってのがあるのだが絶対に素人には理解出来ないって事だ。当然の事だが、だから何もしないってのが前回及び今回の金融危機では明白になったというべきだろう。

 

それにしてもこっちでは北半球の金融危機よりも明日の天気や英国暴動の方が大きな問題になっているのは、それだけ社会が健全な証拠であろう。今日のオークランドは14度。空は晴れて日本の秋晴れのような気持ちの良い天気である。



tom_eastwind at 21:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月09日

「我々は米国でもないし欧州でもない」

米国債が格下げされた影響を受けて北半球では大変なことになっている。「これは米国の終わりの始まり」と言う人もいれば米国債を大量に持つ日本や中国への影響を心配する人もいるが、これで米国が良くなると思っている人は全然いないようだ。

 

今回の国債格付けでジョン・キー首相が真っ先に国民に向けて宣言した言葉が「我々は米国でも欧州でもない」である。

 

ニュージーランドのジョン・キー首相はオークランド生まれで子供の頃に父親を病気で亡くしてクライストチャーチに引越し、カンタベリー大学で会計学を学び卒業後ニュージーランド国内において約10年間、投資銀行家として経験を積む。その後、投資銀行メリルリンチ社に勤務し、シンガポール、ロンドン、シドニーにて駐在。その間、ニューヨーク連邦準備銀行外国為替委員会委員も務める。

 

2001年にニュージーランドに戻り政治家の道を歩き始めてたった5年で国民党党首、2008年には首相となり、これで政治は政治屋や政治のプロでなくても出来る事が証明された。

 

てか運がいいよね、911までの米国の一番良かった時代を米国で過ごし為替ディーラーとして大儲け、その後に安全なニュージーランドに戻ってきて政治家となりあっと言う間に党首、そして首相、現在まだ49歳の若さである。

 

南半球の小島出身のキーウィがニューヨーク連銀の委員まで務め上げたのだから大したものであるが2008年の金融危機の際も、まさに金融のプロとしてニュージーランドの金融危機を乗り越えて北半球の大激震を南半球のちょっとした揺れで納めてしまい、ここ1年は景気を復活させて国を引っ張っていく実力を見せた。

 

その彼が今回の米国債格下げの際に真っ先に言った言葉が「我々は米国でもないし欧州でもない」だ。白人の彼が言うのだから面白いものだが、どうやらここに至ってオセアニア、つまり豪州とNZの世界的な位置づけがだんだんと見えてきはじめた。

 

これはまさにジョンキー首相の言うとおり、北半球とは距離的にも政治的にも離れており経済的にはまさに北半球から大きく離れて両国とも資源国として安定した位置にソフトランディングしたという感じである。

 

豪州は豊富な地下資源で地べたに座り込んでても世界中からお金が転がり込む仕組みが出来上がっておりニュージーランドは豊富な食料(食料自給率は400%以上)と南島の山を利用した水力発電でエネルギーの多くを賄っておりどちらも原子力発電所は持たず自給自足出来る国力を持っている。

 

21世紀はまさに食料とエネルギーの時代であるが豪州、NZともに食料とエネルギーは他国に売れるほど豊富に持っており世界的にも治安の良い場所にある。てか他国が戦争仕掛けてくることはまずあり得ない地政学的な位置である。

 

今回のジョンキー首相の発言「おれたちは英国や欧州から来たが英国人でも欧州人でもないしましてや米国でもない、キーウィだ」は元々は米国債格下げによるリスクはニュージーランドでは限定的であるという意味だったが、期せずして「おれたちはオセアニアの国家だ、もう植民地じゃない」と宣言したような印象を受けた。

 

もちろん政治的には英国に近くエリザベスが女王を務めている。米国人が使うのによく似た英語を話している。けれどやはりおれたちゃキーウィだ、おれたちのアイデンティティは欧州でも米国でもないんだ、北半球のような暴動もなければテロもない人々が安心して生活できる、人生を楽しめる、そんな着実な国作りをしているんだ。

要するに今までは北半球の白人社会からすれば「ほほほ、田舎ものね」とキーウィアクセントを笑われていたのが、少し自信がついてきた、ほら、派手なことはやってないけどリーマンショックの時も堅実に切り抜けたし今回だって切り抜けられる、田舎者かもしれないけど地道で着実だぜ、そう、そんな感じの為替変動の一日だった。



tom_eastwind at 19:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月08日

知らないことの幸せ

知らないことの幸せ

 

僕の書き込み

自分の子供が狭い日本でやる気のない連中に挟まれてそれが普通と思って世界を見ないまま大人になって世界の勝ち組の為にこき使われる下請け国家で使い捨て要員となってしまっても良いのか?

 

これに対して下記のコメント

「日本で世界を知らぬまま使い捨て要員でいいのか? 個人的にはそれもありでいいと思います。大多数は世界を見ないで自分の世界を持ち、そこで幸せに暮らしているのに、強引に外に目を向けさせることがより幸せになる方法かと問われれば、"No" といいます。」

 

上記の方のコメントは、ぼくも「個人的にはそれもあり」だと思っている。まさに同意見だ。何も知らない方が幸せなんだってのは、言葉を変えて言えば見えてしまうから不幸になることがたくさんあるからだ。知らなければよかったのに。

 

強制的に外を見せることはより幸せになれる方法ではない。1990年代の豪州では日本の親から見捨てられて島流しに遭った日本の子供たちが群れてまともに高校にも通わずにマリファナパーティ、中学卒業前に日本を出てるから日本の正しい言葉も歴史も知らない、けれど英語の基礎もキリスト教の基礎もないから豪州社会で正しい言葉使いも知らないから、まさにLostGenerationとなってしまった。友達が警察に捕まって裁判所に行くとなっても日本でも法律体系を知らず豪州でも法律英語を分からないから何を言っても通じない。まさに言葉の隙間に落ち込んだ子供たちになる。

 

子供を見捨てた親とは中央高級官僚や田舎議員、親は幼児教育を放置した挙句にまともに子供との会話もせずに子供がぐれてしまい学校中退、そんなみっともない子供を同じ家に置いておけずに金を払って海外に追い出したわけだ。

 

そんな状況で海外に出て何を学べるわけでもない、逆効果なのだが自分の身分や地位保全に汲々とするバカ親からすればとにかく子供に金を渡して自分の目の前からいなくなさせたわけだ。

 

シドニーで1990年代の終わりに留学事業を提携することがあり自社オフィスもありかなと思った時期があった。しかし視察に行くとそこはもう動物の山。まともな日本語も出来ない若者が親からもらった金で留学会社や旅行会社、そのほかいろんなビジネスを始めるのだが利益計算も知らないままにひたすら野菜のたたき売りみたいな事やって市場は崩壊しており参加者全員が赤字のチキンゲームだった。

 

何でこんな事やってるんだろうと思って事情通に聞くと「ああ、ありゃ親がやらせてんだよ、バカのまま親の地元に戻しても使い物にならんからまずは“うちの愚息は海外留学して現地で会社設立をして若い社長として頑張っておりま^す!”と威張りたいのさ、地元で」

 

聞くとxx県議会議長の息子だったりxx省の局長の息子だったり、当時はそうそうたるものだった。こうなると子供の人生なんてぼろぼろになってしまい子供は自分が誰なのか何をしていいか分からずに毎晩「若い実業家の集まり!」みたいな飲み会をやって乱痴気騒ぎを起こして地元社会からスピンアウトしてしまう。

 

森元首相の愚息も有名な自民党三バカ息子の一人であるが最近40代で病死した。親の威光で銀座や六本木で暴れまわり地元石川県で議員になったと思ったら朝から酔っ払い運転でコンビニに突っ込み議員辞職。

 

こうなるともう、子供は親を選べないわけであり親の犠牲になった子供としか言いようがない。

 

教育について一つの極論を書けば教育の素人である親は子供だけ産んだら政府教育部が0歳から寄宿舎?に入れて三つ子の魂百までの精神で5歳までに徹底的に幼児教育を提供する。そして基本的な知識を身に付けてから4歳になって親元に帰すという方法だ。

 

これは究極であり共産主義者はこういう事を実行する事もあったが、島流しに遭った子供たちを見ると「あ〜あ、あんな親でさえなければこの子も普通の子供に成長出来たのにな、こいつら資本主義者の子供は共産主義幼児教育を施してあげればよかったのに」と思ったりする。

 

日本の東北の田舎の県議会議長ではなく普通の百姓の息子であればこんな事はなかったろう。親の威光に負けたなんてんじゃなくて親が教育バカだから子供が潰された典型的な例である。

 

英語が出来ればすべてではなく英語は手段であり英語を使って語れる何かを持たせることが教育だし、そんな教育よりも何よりも大事なのは親の愛なんだけど、自己愛だけでは子供は理解しない。それどころか下手に子供に金を与えてダメにしてしまう。

 

何も知らずに東北の田舎の川でお父さんと魚を釣りお母さんが作った美味しいご飯を食べてランドセル背負って片道4kmの道を学校に通う。周囲にあるものは山と綺麗な空気だけ。物価?高いか安いかなんてわからない。忙しい?そうだけど、田植えの時は村全員で総出で働くから自分の事だけ忙しいなんて言ってられない。ああ、田舎っていいなあ、そういう幸せも間違いなく存在する。

 

幸せが自己満足であり他人を見ないでいれば幸せであり、、、そういう一つの典型はフィジーやサモアの島々で生きてる人々かもしれない。。。。。

 

何も知らない幸せと知ってしまう不幸と、どちらが人間にとって良い状態なのか???正直分からない。世の中が変化しなければ何も知らない幸せがあるし変化したって本人が気づかなければそれでも幸せだ。ただぼくは知ってしまう不幸を選んでしまった。その結果として今がある。

 

うーん、子供の顔を見て直観的にこちらの心は躍ってしまい超幸せになるのだけど、理論的には幸せって、ほんとに時々分からなくなる。結局幸せって、理論じゃないんだもんな。コメントさん、ありがとうございました。



tom_eastwind at 20:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月07日

国際教養大学


2004年に秋田で開学した大学で特徴は授業をすべて英語で行う事と1年間の海外留学を義務付けている事。教育内容はリベラルアーツ、いわゆる教養学部。ふむふむ、そうかって事でちょっと調べてみるとここ3年の就職率の高さ(ほぼ100%)で去年あたりから急激に人気が出てきて、高校生を持つ親が秋田までやってくるとの事。


ほー、そんな大学があるなんて知らなかったな。

ふむふむ、最初の疑問は「就職率が高いから入学したいのか?大学ってのは本来高等な学問を学びたい人々のための学問の場ではないのか?って事だったが、いかんいかん、あまりにニュージーランドに染まってしまってる(笑)。

 

日本の大学は就職予備校であり大学に入学した時点でその後の人生の勝負がついてるから何としても優秀な大学に入れねばならない(その大学が何を教えるかなんてのはどうでも良い)そう思う親からすれば国際教養大学ってのは東大や京大ほどに試験は厳しくないので狙い目ってとこなんだろう。

 

ぼくは元々旅行屋として18歳から仕事をしてきた。大学なぞ行こうなんて全く考えていなかったし大学で4年も過ごすより社会に出た方が楽しそうだって思ってた。だからいまだもって大学の仕組みもよく分からないので大学教育をどうこう言える立場ではない。

 

ただ旅行の延長として留学を仕事として15年扱ってきた体験からすると、日本の大学もやっと海外1年留学を導入するようになったか、良かったなと言うのが素直な感想だ。実はこれ、20世紀から商売抜きで言い続けてきたことである。

 

その当時に提携していた留学会社の日本のオフィスに出張に行くたびに「なんで日本の留学業界が一致団結して文科省に提案しないんですか!自分の会社の利益だけじゃなく日本を支える人材養成の為に必須じゃないですか」と言ったものだ。当時は「大学?留学必須?あり得ません」と鼻にもかけてくれなかった留学会社だが大学の方から先に留学を必須としたのだから大したものだ。

 

ぼくが留学を勧めるのは一つには僕自身が世界を見ているからである。誰しも自分の子供を幸せにしたいと思うから子供に学問を身に付けさせるのだが親の目標が日本の大手企業に就職させて一生安泰と考えている時点ですでに世界から見れば負け組である。世界は広い。ばっかみたいに広い。先進国だけで見ても狭い日本では思いもつかないくらい様々な人生や価値観がある。

 

そして世界が現状は英語圏の連中に支配されているのも事実だ。そんな中で東洋の端っこのちっちゃな島国で減り続ける人口を相手にその地域でしか通用しない言語だけでまさに過労死するほど努力して休みも取れず同じ仕事をする他国の人間よりもはるかに安い給料で働かされて、そういう日本の苦しい生活を勝ち組と思っている人々が外国で生活をしてると見えてくるのだ。

 

親は自分の生きてきた時代がこれから50年後も存在するって事を前提に子供の将来設計を考えてるようだが、普通に考えてほしい、1950年代に今のような社会になると誰が想像出来たか?だから子供に必要なのはいつの時代でもどこの国でも通用する「理論的に考えてコミュニケーションする能力」を持つ事である。

 

しかし日本の大学お受験勉強では「理屈なんて言うな、答えはこれだ!」と教え込まれるからまず理論的に考える力が削除されるし議論して答えを出すなんてのはあり得ないからコミュニケーションも出来ない。

 

海外留学で役に立つのは、まだ若いうちに自分がどれほど理論的思考もコミュニケーション能力もなくガイジン相手にひたすら“へらへら”と笑うしかない事に気づかされることだ。

 

英語が出来ないから言いたい事も言えず独自の意見なんて持ってないから言いたい事もなく相手からクジラや仏教や歴史の質問されても何も知らないから何も言えずにじっと下を向くかへらへらと笑う、そういう恥ずかしさを若いうちに理解することで自分の成長に繋がるのだ。

 

そしてこれから世界はますます収斂して小さな一つの社会になりその社会では現実的にこれからも英語が公用語となるのはほぼ間違いない。中国語も重要だがその前にまずは英語である。それは自分たちを世界の皇帝と信じている中国人でさえ海外で英語を学ぶのを見ればよく分かる。

 

世界が日本の村だけで構成されていた時代なら日本の小学校から大学まで日本社会に適応出来る能力をつける既存の教育でも問題はなかったが今の5歳くらいの子供が22歳で社会に出る頃はお隣の日本の10倍以上の人口を持つ中国が完ぺきに近代化して世界トップクラスの経済力を持ち中国よりも大きな人口を持つインドが台頭して欧米は依然として社会の中心を握っている状態で日本がどのような位置にいるだろうか?

 

日本がどのような位置にいるにせよ世界は不可逆的に収斂されていく。その社会の公用語は英語になり議論の仕方は必然的に欧米や中国のような論理思考能力になるので彼らを相手に戦うには語学力と思考回路と言う彼らと同じ武器を持つ必要があるのだ。

 

これは別に日本人の倫理とか良さを捨てろと言ってるのではない。日本人の心を持ち日本の価値観を大事にしながらも外に出れば西洋思考で彼らと対等に戦う、和魂洋才を持てと言ってるのだ。その意味において海外留学が役立つし現在の日本経済界の上層部がそのような能力を持たないから世界に出ても負け続けているのだ。

 

こんな統計がある。

「世界25カ国の中で日本は「あきらめ派」(既存の価値に執着し、時代の変化に適応できず、社会参加をあきらめている層)の比率が最も多く、「苦闘派」(疎外感やフラストレーションなど社会における苦悩から逃避する層)も第3位であり、さらに、これまでの消費を牽引してきたとも言える「上昇志向派」(社会の中で自分が周りからどう見られているかを重視し、ステイタスを志向する層)と、「成功者」(目標意識と達成への自信をもち、大衆からの分離がモチベーションとなっている層)が、逆に25カ国中最低であることを示した」

 

「時系列で見ると「あきらめ派」と「苦闘派」は1997年の調査では両方足して14%だったのが2010年では32%と倍以上に増え、なんと日本人の3人に1人がこのどちらかの層となってしまった。それと対極を示すのが「上昇志向派」と「成功者」で、これらはそれぞれ17%から6%、9%から7%へ減少し、両方を合計するとちょうど半減してしまっている。特に、「上昇志向派」は3分の1に激減してしまった。」(ヤング&ルビカム社の統計、プレジデントロイター社から抜粋)

 

自分の子供が狭い日本でやる気のない連中に挟まれてそれが普通と思って世界を見ないまま大人になって世界の勝ち組の為にこき使われる下請け国家で使い捨て要員となってしまっても良いのか?

 

本当なら幼児教育の時点で子供の主体性を伸ばす為に母親と子供だけでも海外留学をすべきだと思っている。大学で学ぶ英語は悪くはないが所詮ネイティブではない。自発的思考回路を大学に行くまでに破壊されてしまえば大人になってもまともな考えを持つ事も出来ない。その意味で小学生くらいの時期に欧米の教育システムを体験させる事が大事だと思っている。2年づつ日本の学校と欧米の学校を行ったり来たりもありだろう。

 

それでも秋田の国際教養大学が人気が出て来たというのは良い事だ。目先は就職率だろうが長い目で見れば本当の意味での和魂洋才を身に付ける機会となるだろう。



tom_eastwind at 19:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月06日

40年という壮大な無駄

★記事開始

 成田空港用地内に残されていた空港反対派の団結小屋の強制撤去が6日早朝に始まった。空港建設が閣議決定された1966年に建設された最初の団結小屋とされる。40年以上続く「成田闘争」は、運動の象徴的な建物の撤去により一つの節目を迎えた。

 

 小屋は「天神峰現地闘争本部」(鉄骨トタン張り3階建て)。三里塚・芝山連合空港反対同盟北原派の建物で、B滑走路の脇の誘導路が「ヘ」の字に曲がっている一因となっている。

 

 成田国際空港会社が小屋の撤去などを求めた訴訟で、東京高裁が判決確定前に撤去できる「仮執行」を認めたことから、千葉地裁が強制執行した。6日午前5時前に重機による撤去が始まり、反対派が抗議活動を行った。

★記事終了

 

この記事はこう読む。

 

自分の私有地である田圃や家屋を守るために国を相手に抗議行動を起こし自分の土地に自分で3階建ての小屋を建てて戦った人々は周囲をすべて成田田舎空港会社に買収されて孤立していた。そして最後に残った自分の土地と小屋も結局政府は自分の都合の良いように法律を作り替えて裁判所を味方に付けて強制撤去が行われた。

 

1966年から政府と戦ってきた成田闘争は40年以上続くと言いながら実質的には収束に向かい、結局長いものに巻かれる人々だけが利益を得て公平や平等や私有財産を守る人々が潰された。これで政府は人々に対して十分な「見せしめ」をすることが出来た。政府に逆らうってのは潰されることだよって。

 

小屋は「天神峰現地闘争本部」(鉄骨トタン張り3階建て)。三里塚・芝山連合空港反対同盟北原派の建物で、成田空港が千葉の百姓の土地をおらが村のボスと田舎議員が結託して奪い取りそれに抵抗した農民が実力行使で戦った結果として空港は「へ」の字に曲がって滑走路の延長も追加も出来ず世界の中で一番高い着陸料を取る空港となった。

 

どうせやるんなら中国みたいに徹底的に人権など無視してそこに住む住民全員を国家反逆罪で逮捕して死刑にして残った土地を強制収容すりゃよかったものを、中途半端に農民の言い分を認めたものだから40年にわたって問題を残し成田のアジアハブ化が阻まれた。

 

 成田田舎の野菜売り空港会社が小屋の撤去などを求めた訴訟で、政府と“つーかー”の東京高裁が判決確定前に撤去できる「仮執行」を認めたことから、何の罪もない、ただ単純に自分の住む土地と自由を守ろうとした人々の土地と建物を奪い取るために千葉地裁が強制執行した。6日午前5時前に重機による撤去が始まり、反対派が抗議活動を行ったがしょせん暴力組織には敵わない事を象徴した事件であった。

 

成田闘争はいくらでも解決方法があったにも関わらず政府と役人はメンツを守るためだけに農民をバカにしてなめてかかってとんでもない国家闘争にまで発展させてしまった。

 

水俣のイタイイタイ病では何十年もかかる裁判闘争と地元の人々を分断する大きな十字架を背負わせたが政府側担当者は知らぬ存ぜぬで終わりだ。

 

もちろん当時の日本に国際空港が必要だったのも、チッソと言う企業が戦争で破壊された日本経済復興の為に大きな位置にあったのも事実だ。積水化学や積水ハウス、旭化成などはすべてチッソのグループ会社である。

 

国策なのだから仕方ない部分は分かる。しかしやりようがあるだろう。あまりに国民をばかにした当時の政府のやり口は、まさに「お前らバカは黙っておけ」であった。これは今も基本的に変わっていない。今のまともな日本人に残された道は、日本を離れて日本人として生きてくことだろう。

 

それにしても今回の闘争小屋撤去で成田空港検問所の失業者対策事業がどうなるのか見ものだ。これで安全になりました、失業対策小屋は撤去しますとなるのか。あ、それとG8の「国際」空港で唯一の地元直産野菜売り場も。



tom_eastwind at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月05日

独島

★記事開始

いまは冷静に中間計算書を出してみよう。独島問題話だ。日本の国会議員3人が鬱陵島(ウルルンド)を“視察”するとして金浦(キンポ)空港に降り立った。韓国は出入国管理法を掲げ入国自体を拒否した。議員は「われわれがテロリストにでもなったというのか」として9時間にわたり空港でデモを行った。ツイッターで自国民を扇動し、「われわれを拘置所に閉じ込めようとしている」という虚偽の主張までした。帰国した彼らは一躍有名人になった。

 

  政治的に利益が出る商売ということを直感した同僚議員が相次ぎ「われわれも鬱陵島に行く」と言い出した。当初は右翼産経新聞を除き静かだった日本のメディアも大きく報道し始めた。国際的にも注目された。米国務省副報道官が「韓日両国が平和的で外交的に解決策を用意することを期待する」とコメントしたこと自体が独島を紛争地域と認めるものであるから日本としては満足なことだ。いったい誰がこのように事態を広げたのか。もちろん日本の議員が先に挑発した。彼らの突出した行動は韓国の国民感情にだけ照らしてみるなら“テロリスト”に匹敵する。少なくとも当たり屋級だ。それでは当たり屋に巻き込まれた間抜けたちはうまくやったという話なのか? 全く違う。

(中略)

  戦争でも行うのではないならば現段階で独島問題は「解決」ではなく「管理」に重点を置かなければならない。実効支配を確かめながら日本が主張を引き下げる時まで30年でも50年でも待ち、この間に国力をより一層育てなければならない。幸い韓日協定(1965年)には独島問題が言及されていない。日本の執拗な要求を振り払ったおかげだ。反面日ソ国交正常化宣言(55年)ではクリル諸島4島(日本名・北方領土)が紛争地域だ。日中も国交正常化(78年)する際に「尖閣諸島(中国名・釣魚島)は後日解決する」ことで合意した。やはり紛争地域だ。独島が韓日関係のすべてではない。もう冷静を取り戻す時だ。12日に独島で国会特別委を開くという計画から取り下げることを望む。

★記事終了

 

おとなり韓国のノ・ジェヒョン論説委員・文化専門記者が竹島、韓国名「独島」の件で自己反省ともいうべき記事を書いている。政治家の入国阻止で大騒ぎをしたのは最初は韓国マスコミであり大騒ぎの結果として市民団体が「入国拒否!」と言い出してついには政府まで出てきてこんにちは、皆さん一緒に騒ぎましょって事になった。

 

それにしても韓国人も外交が下手ですな。自国を棚に上げて何言うかと言われるかもしれないが、いやいや日本人の半分以上は朝鮮半島の人々なのだから似たような外交下手性格なのだろう。

 

日本の政治家が島にやってくるとなったら自分たちから見てどうかではなく諸外国から見てどうかと考えるのが政治家である。そのまま放置して勝手に見させて勝手に帰らせればよい、ただし現地でデモなど過激な事をするようなら警察に粛々と取締りをさせればよい。騒ぐからこれが領土問題であるという事を世界に知らせるようになる。

 

自国の国境の島に隣国の政治家が視察に来た。はい、これでおしまいである。実際にはこの島は韓国が実効支配しており日本にとって戦争を仕掛けてまで取り返すほどの価値はないのだから騒ぐことの方が損が大きい。

 

それなのに韓国内で一気に感情問題にしてしまい、韓国からすればかなり冷静であった日本の方が結果的に目立つことになり日本の政治家に得点をされてしまった。

 

それも得点されたことに気づいてから今度は「騒ぐのは止めよう、冷静になろう」って、最初から最後まで騒いでいたのはマスコミである。

 

まあそれにしても日本と韓国は世界中の隣国関係から見れば仲良し国家である。その事に両国民が気づくことはあまりなく、とにかく「あいつらとは違うんだ」と違いを強調したがるが、同じ肌の色で同じような宗教観で同じようなコメを食い、むしろあごの骨が高いとか違いを探してそれをキーウィに「ほら、日本人と韓国人はこんなに違うんだ!」とか言ったらくすくす笑って「違うってのはこんなだよ、ほら!」と言って欧州から来た白人と現地土着のマオリを引っ張り出すことだろう。

 

隣国が仲悪いってのは例えばトルコとギリシアみたいな国であり彼らはキプロスと言う島の領有権を巡ってジェット戦闘機を飛ばしてーの、海軍が上陸作戦をしてーのと派手に戦争をしていまだもって同じ島にトルコ系住民とギリシア系住民が敵対しながら生活をしている。

 

もっと酷いのはイスラエルとその隣国たちだ。第二次世界大戦後にイスラエル国家が出来てから派手な戦争だけで4回、日常の殺し合いを入れれば建国後ただの一度も平和な時期がなかった隣国関係だってあるのだ。

 

日本と韓国が最後に本格的な戦争をしたのは今から400年も前の豊臣秀吉の韓国侵攻でありその400年前には元寇で中韓軍が福岡に侵攻している。古い戦争の話を持ち出すなら縄文九州人として半島からやってきた渡来人の「日の本の国」侵攻を持ち出して、「俺ら縄文人の国を侵略しやがったな、お前ら全員半島に帰れ!」と言い出すぞ(笑)。

 

あ、ちなみに思いっきり話はそれるけど小学生の頃に半島系(渡来人)と南方系(縄文人)の肉体的違いってので右手のひじの関節内側のくぼみから5cmほど手首の方向に横一本の線があれば南方系だと言われて自分の手を見たら本当にあった。

 

韓国ではユニクロが流行り日本風のカレーが好まれ日本では韓国映画が流行りビビンバやキムチ料理が好まれ世界のテレビなど家電業界では日本がぼろ負けしているけど新幹線を走らせたら日本が世界一安全だ。お互いに相手だけをじっと見つめてどうこう言うよりもアジアから見た世界でどうやって一緒に戦っていけるかを考える方がよほど生産的である。

 

この島の領土問題の一番の解決策は「お互いに何も言わない」ことである。両国政府がきちんと文書で「この島の領有問題は今後50年語らない。50年経った時に次の50年どうするかを考えよう」として封印してしまえば良い。50年後の政治家に次のバトンを渡せばよい、その時の政治家が冷静で利口である事を望むだけだ。



tom_eastwind at 11:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月04日

とかげのしっぽでも切れば上出来

海江田万里経済産業相は同省の事務次官、原子力安全・保安院長、資源エネルギー庁長官の3人を更迭する方針を明らかにした。

 

要するにトカゲのしっぽ切りですな。次官が辞めれば順番待ちしているなんちゃら局長とかなんちゃら官が順繰りに出世するだけ、彼ら3人は官庁最後のポストが終わって次は天下りでしょ。この3人を更迭と言っても天下りの時期が早くなっただけ。

 

こういう時は中国をうらやましく感じる。中国ならこういう場合は高級官僚でも即刻首、そして最低でも刑務所入りで財産没収か、即刻死刑になるところだ。役人の汚職は死刑ってすれば国民の財産も随分守られるんだけど、日本の役人だけは悪さやっても身内でかばって仕事も財産も保障するわけだからどうしようもない。

 

ただこれはもう日本政治の仕組みの問題であり役所役人構造そのものが今の日本に合わなくなっているのに、あまりに長く使い過ぎたから役人が自分で制度変更が出来ない構造になってしまった。

 

だから本来やるべきは「みんなの党」が訴えているような公務員改革であり官民交流と言うごく当然の仕組みを導入することだ。ニュージーランドでも役人と民間人の交流は当然であり官庁の高級ポストは一般公募で民間から選ぶわけで、昨日まで民間人だったのが今日から役人として働くから仕事の内容は透明性が高い。

 

では何故公務員制度改革が進まないか?この問題はどこの新聞も読者確保の為に書けないが、要するに有権者がバカだからだ。有権者全員がバカとは言わない。バカでない証拠にみんなの党が票を取れる。しかしそれでも多くの有権者は自民党を選び自分の利権だけを守ってくれる政治家や労働組合や農協を選ぶ。

 

そういう目先のカネしか理解出来ないあふぉーどもが国の真ん中に居座ってるわけで彼らが選挙で目先政治家に一票を投じて目先政治家は選挙に勝つために官僚と談合して官僚は政治家を助ける代わりに自分たちの制度には手を付けさせず(手を付ける政治家は次の選挙で落とす)結果的に日本の官僚制度を守っているわけだ。そしてその官僚は自分たちの身分を未来永劫保障する為に仲間内の互助会制度を作り上げて原子力で金儲けする。そして原子力が吹っ飛んだら国民につけ回して「おい、来月からの電気代、ちゃんと払ってくれよな」で終わりである。

 

結局これはおらが村社会の構造であり突き詰めて言えば日本人自体が自己改革して村社会から国家に視点を移す必要があり、本来ならその先にある地球まで視点を移して地球人として今後も地球で生きていくために国家と社会はどうあるべきかを考える時期に来ている。そうしなければ出来もしない民主主義を建前にしながら一部の特権階級にうまく操られて終わりである。

 

ぼくは世界の中で大きな視点を持てるのは日本人が一番得意だと思っている。いろんな人種を見てきたが、地球で生きていく人種として一番まともな発想を出来るのが日本人である。精神的に弱い部分があるが根本的な発想は中華民族よりも西洋人よりも高尚である。政治的に中国人よりも下手だし理論的発想は西洋人に追いつかないが彼らには絶対に出来ない地球人としての発想が出来る。つまり自然と調和して人々が争わない仕組みだ。

 

実はこの日本人だけが持つ独特の思考回路が西洋的論理思考や民主主義に合わないし中国のような皇帝政治にも合わないのだが日本人は政治下手なのでその主義がなんなのか自分でも説明出来ずにいる。しかしそれは間違いなく存在する。

 

話はそれたが今回のとかげのしっぽ切りは本質的な問題解決には何ら寄与しない。管首相と海江田大臣の人気取りにしか過ぎない。ただ前日も書いたがここで管首相が本気で長期でやるならそれもありだ。誰がやっても泥沼状態の政治だが少なくとも管首相は官僚と戦う能力を身に付けている。

 

どうせ政治家が嘘をつくのは仕事の一つなんだから、それに民主党は選挙マニュフェストをバンバン破ってるし小泉さんだって国債発行で「そんなこともあるさ」と約束を破った。大事なのは約束を破ったかではなく何を国民に提供出来たかである。

 

ここでまた政争を再紛させて政治の空白状態が続くことの方がよほど国民にとってマイナスである。今政争が再紛すれば首相の席争いで政治家が官僚と結託することになりそこで借りを作れば公務員改革はまた後れを取る。そしてそれは日本民族の劣化に繋がる。現在のような国家緊急事態を利用して役人の首をたたっきり弱体化させて官民交流と給与体系と出世の道を思い切り変革してしまえ。

 



tom_eastwind at 15:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月03日

東電救済法案可決

★記事抜粋開始

東京電力福島第一原発事故の賠償を進めるための原子力損害賠償支援機構法が3日の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。みんな、共産、社民各党などは反対した。原子力事業者(原発を持つ電力会社など計11社)が出資して設立した支援機構が、被災者の賠償にあたる東電の資金繰りを支援する仕組み。政府は2兆円分の交付国債を発行し、機構の運営を支える。

★記事終了

 

東電支援機構を見て真っ先に思い出すのは2007年から続いた米国金融崩壊の際の米国の処理だ。簡単に言えば金儲けをする時は自分が真っ先に一番美味しいところを取り損をしたら全額他人に押し付けてしまうという事だ。

 

今回の仕組みについては多くの識者が説明しているように「資本主義の根本である自己責任の崩壊」である。東電を倒産させないのは社会インフラであるから電気を止めるわけにはいかないからっていうのはあくまでも言い訳、実際は東電株を持っていたり東電に融資をしている大手銀行が損失をかぶりたくないだけだ。

 

その結果として最初に責任を取るべき東電が全く痛みもなく今まで得て来た利益を返還する必要さえなく次に責任を取るべき役所が彼らも天下りの利益を返還することさえなく、すべての責任を国民個人に押し付けて国民個人の会計から「電気代値上げ」と言う形で徴収しようとしている。

 

米国のリーマンショックの際も銀行はそれまでの利益はしっかり自分たちがボーナスや給料などの報酬として受け取っておりながら損失はすべて国民にかぶせてしまった。

 

この二つに共通するのは「大きすぎてつぶせない」と言う理屈であり、それなら最初から100%政府保証を受けている企業なので私企業と呼ぶことは出来ず資本主義の中で存在すること自体が問題である。

 

実はこのあたりから見えてくるのが「社会主義の方が良いんでないか?」と言うことだ。一部の連中が自分たちの利益を守るときには自由主義とか市場原理主義とか言いながら銀行にしても電気にしても他者の参入を実質的に不可能にしておいて内輪で利益をふんだくる。値段をいくらにするかなんて役人を巻き込んでお手盛りにしているからどうでもなる。天下りもバンバン受け入れて会社も組合員も美味しい思いをする。

 

それでいて赤字になったら政府に全額負担させるんだから、それだったら最初から政府がすべての事業を直轄する公社公団方式にすればいいのだ。社会主義方式であれば基本的には特定の誰かが儲かることはなく国民全員で公平に負担することになる。もちろん汚職はあるだろうがそれは特定して逮捕すればよい事である。

 

今回の件で国民が一番頭に来る点は「不公平じゃんか!」である。最初にルール作ってやらずぼったくりでいっつもエラそうにしている奴だけが儲けて損が出たら日頃あくせく働いている一般労働者にかぶせて知らん顔しているのが「自由な資本主義」であれば、そんな資本主義よりも社会主義の方がましである。

 

大きすぎてつぶせないという理屈は「根本的な不公平感」と言う感情には敵わない。その感情を多くの国民が持ってしまえば理屈など関係ない、東電など叩き潰してしまえ、全部国有化して社員を全員一旦首にして、けどそうなるともともと役所体質だった東電が今度は本当に役所になってしまうからまずいじゃん。。。くっそー、堂々巡りだ、なんじゃこりゃ!と頭に来てしまうのだ。

 

管首相が原子力は国家が国有化するって考えてるようだがこれなど社会主義者からすれば当然の発想であろう。出来れば東電も国有化したいくらいだろう。社会主義者はこうやって仕組みを作って幹部だけが儲かる。

 

同じことを自民党がやれば「あくまでも自由民主主義の元、市場経済を追求して私企業が経営するのだ」と言って自分たち幹部だけが儲かる。

 

どっちにしても腐った権力機構の中にいる連中だけがうまい汁を吸って何も知らない一般市民に泥をかぶせてしまう東電救済機構だ。そしてその根本の原因が政治にある。

 

英国では「権力は腐敗する、長期権力は必ず腐敗する」と言うことわざがある。こうなったらもう政治で飯を食っていけるような仕組みそのものをぶっ壊してニュージーランドのようなボランティア政治に切り替えていくしかないのだが、、、、それもなー、、、結局政治家ってのは国民の代表であり国民に優る政治制度はないわけで、今の日本がダメなのは政治ではなく国民性の問題なのだとしたら、この不公平制度は選挙をやろうがどうしようが変わらないのかな、、、。やっぱりこの国は外圧ぶつけてガラガラポンでひっくり返すしかないんだろうな。



tom_eastwind at 15:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2011年08月01日

市民派ゲリラ

首相、9月以降の続投を示唆 公債法不成立なら

 菅直人首相が7月31日に江田五月法相ら民主党の菅グループ議員と公邸で懇談した際、2011年度予算の執行に不可欠な公債発行特例法案が今国会で成立しない場合、9月以降も続投する意向を示唆していたことが分かった。民主党関係者が1日、明らかにした。

 

 関係者によると、首相は野党の協力が得られず公債法案成立の見通しが立っていないことに関し「公債法案を積み残せば、次の首相も苦労する」と8月31日までの今国会で成立させる必要性を指摘。「公債法案が今国会で成立しなければ、9月になったからといってすぐに投げ出さない」と述べた。

★47ニュースより

 

なーるほど、やる気だな、この人。

 

まずはメディアを集めて保安院のやらせを薬害エイズに見立てて大きな刀を振り回し「おー、あれかー」と世間を唸らせておいて返す刀で経産省率いる不滅不動の砦であった原子力村を叩き切る。ずばー、ばっしゃー!ほら市民の皆さん、見事にみなさんの仇を打ち取りましたぞ!いよ、大喝采!

 

でもって8月6日と9日には広島と長崎で世界を相手に大演説だ!日本が脱原発を宣言することで原爆と原発をごっちゃにして世界に向けて「おれってかっこいいでしょ!平和第一なんだよ、環境派なんだよ!市民派なんだよ、世界の波に乗ってるでしょ、グリーン万歳!」と訴える。

 

そして民主も自民もみんなも乗り越えて市民派ゲリラ党を国会内に作って市民目線で受けの良い法律をバンバン通す。後の事?お前らおれに辞めろって言ったろ、だからおりゃもう辞めるんだぜ、知るかよである。

 

今の手口を見ていると、なんだかこの人、若き日を思い出して国会内でゲリラ闘争しているんじゃないかって思わせる。こういう市民ゲリラ的な事は管首相のお得意である。もともと安保闘争当時の歴戦の勇士であり(実は第四列の男と言われ逃げ足の速さも有名だったという話もある、政治家に必要なセンスだ、あはは)でアジ演説は得意中の得意である。

 

なるほどな、どうやら東北大震災で一度はぽっきり折れた心がここ数週間で急激に復活してやる気になったわけか。南米のサプリでも飲んだか(笑)?もうこうなったら何でも管でもぶっ壊してやろうって事だな。

 

薬害エイズを持ち出したことは今の時期の殺し言葉としてほぼ最高だろう。これで流れが変わる。このキーワードで今まで政治家が手を付けることが出来なかった原子力行政に堂々と乗り込んでいける。

 

一度は「へ、辞めるよ、辞めりゃいいんでしょ!」と開き直ったから結構捨てるものなしの強さがある。でもって文句あるならいつでも首相辞めてやるよ、おらおら、お前らびびってんじゃねえぞって開き直りが出来る。

 

今突然政権渡されても学級崩壊して実務能力のない民主党じゃまたも官僚に振り回されるだけでどうしようもないし自民党だってぼろぼろになった政治状態でバトンタッチされても民主のけつふきなんて馬鹿らしくてやりたくない。てか、けつふきってのは国民に痛みが出るわけでそれやったら次の次の選挙で負けるし。

 

その意味で管首相は実にうまいところに管を蹴りこんだようなものだ。

 

原子力行政をどうするにせよ災害からの復興をどうするにせよ最も必要なのはリーダーシップであるが、現在のようなあらゆる面で利権や既得権益が絡まってしまいどん底にある日本では調整型の政治家では務まらない。

 

嘘つき管と言われようがどうでも良い、こうなったら徹底的に既存のシステムをぶっ壊してみればよい。

 

311以前の管首相は組織の代表者であり意見取りまとめをしながらだったから実に弱気に見えた。そして311後は初動のこけが大きく影響して振り回されて大失敗。けれど辞任発言後しばらくしてから急に開き直ったかのように元気に活動しており、これはこれで政治家としてリーダーシップを発揮していると言ってよい。これには辞任劇の際に管首相が米国に助けを求めたという話も聞いているが、手口や方向性が良いかどうかの話ではない、あくまでリーダーシップの話だ。

 

こんな事書くと「何だ?お前は管の味方か!」と言われるかもしれないが、政治に永遠の敵もなければ永遠の味方もない。日本が良くなるなら何でも管でもOKだ。日本のようなどうしようもな状態になった国を少しでも助け上げることが出来るのは既存のルールに縛られない喧嘩で道を開いていくリーダーである。その意味で彼は今面白い場所にいる。

 

政治の方向性が違ってればダメじゃん、原発とか国歌反対とかあいつ北朝鮮寄り〜とか思うだろうが日本のようなサイズの国であればどちらに向かって進んでもよい、それなりに一定の進化があるしまたすぐに方向転換出来る。北朝鮮政策などいつでも変更出来るし逆に言えば管一人で恒久的な政策など出来る筈はない、最後はまともな国民の意思で日本は正しい方向に向かう。

 

日本のような底力のある国であればどっちに進んでも間違いと言うのはない、必ず何かを生み出していく。一番いけないのは動かない事なのだ。その意味で止まってしまった日本丸を動かすために管を利用すべきなのだ。

 

要するに管でも河野でも誰でも良いのだ、喧嘩が出来る奴なら。国が明確な方向さえ出していければ国民は安心するし、しょせん国家なんてお互いの信頼の上にのみ成立しているのだから信頼さえ勝ち取れば後は政策なんてどうでも付けたし出来る、それはマニュフェストや公約がころころ変わるのを見てればよくわかる。

 

原子力停めたら日本の電気高くなって企業が海外に脱出するぞって不安も、10年単位の国家運営と言う視点から見れば実にちっちゃな問題だ。このあたり経済学者は数字の合理性で今年の決算書のみで答えを出そうとするからずれた答になるのだ。

 

意外とこの「日本企業が海外に進出する」ことの方が長い国家運営では正解なのかもしれない。ぼくは個人的には海外進出は正解だと考えている。

 

これから日本の進むべき道はMade in Japan (日本製)ではなくMade by Japanese(日本人製)だと考えている。日本と言う国内で作ったから優秀なのではない、日本人が作ったから優秀なのだという事を世界に訴える機会でもある。

 

いつまでも国内にとどまる必要などない。やる気のある奴はどんどん海外に出て、例えばシンガポールでもベトナムでも、日本人が作るからこの製品はすごいんだってのを教えていけば彼らが日本の本当の凄さを世界に伝えてくれる。

 

実際に日本人の一番の強さは品質管理である。中国高速鉄道の例を出すまでもなく、最高技術は品質管理なしには存在しえないし品質管理においては世界で日本人以上の品質管理能力を持つ民族はいない(政治とか経済とか他の事は全然ダメだけどね、、苦笑)。

 

原子力停めるたって今まで築き上げた技術力がある日突然ゼロになるわけではない。数年は研究開発だけやってればよい。

 

原子力は突発的な問題だが日本の本当の問題はこれからの貧困化である。将来世代の為に今やるべきことは実は厚労省の年金改革であり雇用の自由化であり規制緩和である。そしてその先にあるのが霞が関改革だ。これはどの政策も誰かが痛みを感じるわけで調整型の政治家には絶対に実現不可能だ。

 

そこで今、一度は死んだ菅さんなんだから二度殺されることもない、泥の中をまっすぐ突き進んでいけばよい。もともとは市民活動家として市川房江氏の薫陶を受けてきたわけだ(市川氏を踏み台にしたという話もある)し政治屋として飯を食ってきたわけでもないのだから捨てるものも少ない。

 

ここはひとつ腹をくくって清水の舞台を飛び降りた気持ちで一気に政治改革まで持っていけばどうだろう。そうすれば第二の小泉くらいに後世の人に評価されるだろう。

 

最後にもう一度誤解のないように書いておくけど、僕は管首相を個人的に好きでも嫌いでもない。誰が首相であろうが構わない、方向性さえ出して障害物を除去してくれる政治家ならだれでも良いのだ。

 

管がダメって人は次の首相にもまた「あれがだめだからどうのこうの」と重箱の隅をつつきだして結果的に何も生まなくなる。管の何がダメかではなく管なら何がどこまで出来るかを見極めてやらせて、ダメになった時点で排除すればよい。「感動した管どうした」とか「宰相不幸社会」とかで管蹴りやっても誰も得はしないのだ。

 

国民を一つにすれば、後は国民が自発的に何でもやる、日本人はそういう民族なのだから政治に多くの美徳や道徳を求めるべきではない、かれらを使いこなすのだ。



tom_eastwind at 18:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌