2012年01月

2012年01月31日

木曽路はすべて山の中である。

だから無線LANが繋がらない(笑)。携帯モデムも全然つながらない。それも二晩とも全く同じ状況。木曽駒高原、開田高原、ともにOUT。けどケータイで自分宛だけのメールは拾える。それと面白いのは、テキストはニュージーランドから直接つながる。SimNZのものを使っているけど今は日本のドコモやソフトバンクに回線がつながっているのに、どうしてテキストだけ繋がるのか不思議。

 

まあいいや、大事なのはテキストなら繋がるってわかったのでNZとのやり取りはテキストで行う。

 

木曽は今年で3回目かな。昔この開田高原はほとんど誰も住んでいない地域だったらしい。御嶽山が噴火する度に灰が降り国有地も多かったのだろう。それが終戦後の満州からの引揚者が入植して開拓したそうだ。

 

「ぼくも行くから君も来い、狭い日本にゃ住み飽きた」そういう掛け声の下多くの民間人が満州に移殖した。そこで満州の厳しい寒さと戦いながら街を作りやっと落ち着いてきた頃に終戦、ロシアに攻め込まれて土地はすべて奪われて着の身着のままで逃げてきた開拓団は、今度は開田高原の厳しい冬に直面する事となった。

 

今なら名古屋から車で3時間程度だが当時は道路もトンネルもなく聳え立つ山の尾根を乗り越えて街に出るしかない、一日がかりの旅であった。このあたりは日本海側と太平洋側の中間点にあたり、日本海側は大雪が降るが中津川あたりまで来ればそれほど雪もない。

 

それにしても御嶽山、木曽駒、峻厳たる山が次々と姿を現すのは気が洗われるようだ。この地域を開発した人は大変だったろうが、その努力と山の中に作ったスキー場がその後地元の人々の雇用と経済に貢献するようになる。1970年代の事である。

 

けれど1990年代に入ってスキー人口が減り若者が減少しケータイ遊びに市場を奪われ、寒くて疲れるスキーは人気が凋落してしまいこの地域でもたくさんのスキー場が閉鎖になった。

 

そんな中で木曽駒高原スキー場はスキーヤー専門としてニッチ市場を取りに行き結果的にスキーヤーの評価を得て現在は黒字経営になっている。開田高原のMIA(マイア)スキー場とは共同経営らしいがボードもスキーも出来る開田は赤字経営だ。

 

今思えばスキー場にボーダーを入山させるかどうかが大きな境目だったのかもしれない。ボーダーの礼儀知らずな行動が大人の不愉快を呼び「ボーダーのいるあんな山なら行かない」となったのかもしれない。ボーダーからすれば1990年代は「かっちょいい〜!」だけで始めたボードも彼らがワーキングプアになるにつれて一気にその人気は凋落した。もともとがうつろいやすい市場である事をしっかり理解すべきだったのはスキー場経営者たちである。

 

その点スキーヤーは確信犯的にスキーが好きだ。年齢層もしっかりした収入のある層だ。つまりこの層を取り込む努力をどれだけしたか?が問題だった。ボーダーをノーズロで受け入れるのではなく戦略を持つべきだった。

 

1990年代後半の時点ですでにスキー人気に陰りが出ていたのは分かっていた。スキーヤー減少と言う状態を解決すべく取ったのがボーダーの受け入れだったが、結果的にこれがスキー場の価値を下げてしまった。

 

ではあの時どうするべきだったか?それは一つの選択肢としてはコア層が安定した収入を得る人々であれば彼らに焦点を絞って高級化すべきだったと言える。お粗末なリフトではなくゴンドラを導入し民宿ではなくリゾート化して夏場にも客が入る仕組みを作る。しかし決して大きい設備導入はしない。つまり同じような価値観と収入を持った人だけを対象に彼らが満足する良質のサービスを提供する事だ。

 

実はこれを日本で最初にやったのは堤率いる苗場プリンスホテルである。しかし図体をでかくし過ぎた為に今は大変なことになっているが、方向性は間違っていなかった。もし今堤がいれば大胆なビジネスモデルの入れ替えをしただろうな。

 

「後出しじゃんけんなら何とでも言える」のは事実だが、当時のデータを読み政府の方向性を読み社会が二極化する事を予測し、そういう社会で歴史的にどのようなビジネスモデルが成功したのかをしっかり学ぶべきだった。

 

ぼく自身が自分のビジネスモデルを構築する時は常に一番大きな要素から考える。世界の歴史、現在の世界情勢、現在の日本社会、日本政府、日本経済、現場の人々の声、そういうものを総合した上でこれらと同じような現象が歴史上いつどこで起こったかが分かれば対応策は作れる。

 

熱海の旅館がバブル崩壊後もビジネスモデルの変換が出来ずに次々に淘汰されていったのと全く同じである。自分の手掛けている仕事が何なのか?それは大衆を相手なのか一部富裕層を相手なのか、人種は限定されているのか、世界中で売れるのか?そして新しく導入するビジネスモデルの寿命は何年なのか?このように一つ一つに数字を入れていけば最後に答えは出てくる。

 

だいいちそれなら何故ニセコに外人客があれだけ集まって土地を買いスキーを楽しんでいるのだろう?ぼくはニセコでさえまだ日本側の戦略不足だと感じている。あれはオージーが自分たちで見つけてきて自分たちで開発したビジネスであり日本側からの仕掛けではない。

 

これはスキー場経営だけでなく人生経営においても全く同じである。何か起こってから考え始めても遅い。今何とか食えているうちに次の戦略を作る。その為には一般市民であればこれから個人生活にどのように政府が介入してくるのか、その為の対策を今から作っておく必要がある。

 

テレビでは政府がばかだとか失敗ばかりするという。しかし彼らキャリア官僚は日本の最高学府を卒業した日本で最優秀の頭脳集団である。テレビレベルで言うバカではない。逆に彼らがテレビや一般市民をバカにしているから何も言わないだけだ。彼らが政策を発表する前に彼らの政策を読み取り自分の生活にどう影響を与えるかを理解して5年先の対策を作る、これが本来あるべき「個人としての市民」のあるべき姿である。

 

しかし対策を作っても行動しなければ意味はない。そして多くの人々は変化を嫌う。その結果としていつの時代も同じように「まだいいかな」と思って多くの茹でガエルが発生してしまうのだ。父親は子供に「変化を恐れるな、リスクを取って失敗を恐れるな」と立派な事を言う。では父親は実行しているか?

 

今後の将来はすでに見えている。これから10年は日本沈没などの大自然災害(関東直下型地震は想定内である、死ぬのは所詮数万人、東京にはまだ1千万人以上残ってるさ!これが政府の考え)や北朝鮮との全面戦争などがない限り答えは出た。消費税増税、累進所得課税強化、相続税増税、社会保障費の切り捨て、政府の日本株式会社完全復活、スマートグリッドシティ、賃金が中国並みになるまでのデフレーション、そのような「すでに目に見えている要素」が時系列をばらばらにしながら、でも確実にやってくる。

 

あなたの個人生活においてはどの要素が影響が出るのか?子供の教育の為には何をすれば良いのか?給料が下がり続ける中で自宅ローンが残っている場合どうすればよいのか?自分はこのまま雇用され続けるのか?

 

ほんとに世の中は問題だらけだ。まるでパズルのようだ。けれど最初から完璧にこなせないからと言って何もやらなければあなたは確実に沈没する。最初から完璧に出来なくても良い、一歩づつでもよいから「要因」が「現象」となって現れる前に出来るだけ準備をしておくことだろう。

 

そういう努力を怠った多くの日本のスキー場は衰退したし熱海の旅館も変化しなかったところは倒産した。時代の変化はすべての日本人に及ぶ。第二次世界大戦の敗戦時、日本人に何が起こったか?自分だけ何かの偶然で逃げ切れると思わない方が良い。

 

木曽路はすべて山の中である。人生はすべて闇の中である。闇の中を照らす光は自分の変化エネルギーでしか作れない。



tom_eastwind at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月30日

Nick in "the Bar"

説明会終了後、かなりくたびれた体をバーに運びそこで何とか夕食代わりのフルーツをのみ込む。固形物は喉を通りそうもないので夕食はこれで終わり。

 

説明会や個人面談はお客様の気を吸う仕事だ。彼らの真剣な依頼を受けてどのような方法で実現可能かを考えるのだが、この時は非常に高いテンションで頭を回転させる。テニスで言えば打ちこまれたボールすべてを相手コートの狙った場所に正確に打ち返す能力が要求される。

 

その為に面談が一つ終了すると体は激しいテニスをフルセットしたようにぐったりとなるのだがそれを数回繰り返すから最後は脳みそは完ぺきにオーバーテンションで、体は眠たいと言ってるのだが脳みそは完ぺきに開きまくって目を閉じることさえ出来ない。

 

そんな時は仕方ないのでバーのカウンターの端っこのスツールに腰かけ、脳みその温度が下がってしまうまで待つしかない。

 

そんな真夜中の12時過ぎ、ほとんどお客も帰ったカウンターで一人でパソコンを叩きながら水割りを飲んでいるとふらっと一人のお客がカウンターに座ってウイスキーロックを注文した。

 

まだ若い白人だがしっかりした顔をしており服装もスリーピースの上着を脱いだようなすっきりした格好だ。遅い時間にも関わらず酔った様子もないのは白人にしては珍しいな、などと思ってると彼はこちらの視線に気づいたのか、にこっと笑って“Hi!”と話しかけてきた。

 

どうせ眠れない夜だし“Hi”と返すと「どこから来たんだい?」とざっくばらんに話しかけてくる。「ニュージーランドからだよ」と返すと、ちょっとびっくりしたようでそこから話が始まった。

 

彼は沖縄から休暇で来たんど言い僕がすぐ「Armyかい?」と聞くとほうと言った感じで「AirForeceだよ、沖縄で空中給油訓練を日本自衛隊の戦闘機乗りに教えているんだよ」だと。ほほ=、じゃあF15だねって返すとまたもびっくりした顔で「そうそう、他の機種もやってるよ、F22とかね」。冗談で「じゃF33はどうよ?」と聞くと、にやっと笑って「ありゃ屑だ」だって。思わず笑った。

 

2年沖縄にいるんだけど東京に来るのは初めてで、たまたま兄弟が旅行で日本に来たので帰りに送りがてら東京観光に来たんだと。そこから話は普天間空港、グアム、第二国境線の話になり、さすが現場で戦闘機に乗ってるだけあって実にいろんな事を知っている。

 

「沖縄には3種類の人間がいる。米軍兵士と日本防衛族と米ペンタゴンだよ。沖縄人はいつも誰かの弾除けかカネ目当てに利用されるだけで、あいつら3種類の連中からすると人間のうちに入ってないな」皮肉っぽく普天間問題を話す。

 

「結局第二国境線に落ち着くよ。けどそれまでに誰がどれだけ儲けるかがいつ移転するかに繋がるね。オーストラリアもAAラインを作って中国の閉じ込めが狙いだね。と言うより米軍はもうアジアの事はアジアでやってくれって感じになってるよ」

「やっぱりそうかい、現場ではすでにそういう感じなんだね。日本では今だ多くの人が中国の軍事台頭を信じておらず、今度買った空母がぼろだぼろだって言って喜んでるけど、じゃあ次に最新空母を買ったらどうするのかね?」

 

だんだん話が面白い方向に向いていき、彼は「実はね、ぼくは沖縄の前にはアフガニスタンにいたんだ。あそこはすごかったぜ」と話し出した。

「バカブッシュの時代だね」

「そうそう、自分の右手が何やってるか左手が知らないような奴だよ」

「それにしてもあんな馬鹿、よく大統領にしたもんだよね」

「あいつはPupettだよ、裏にいる連中がほんとの大統領だよ」

 

彼も日本でこういう話をすることは滅多にないらしく「おれたちは基地を出る時は絶対に私服なんだよ、海軍は伝統的に軍服だし一般市民も見慣れているけど、おれたちの服はちょっと刺激的だからね〜。派遣先の国での行動は相当制限されてるよ、下手に正体を現地の民間人にばらしてしまったら帰りに襲われるかもしれないしね」

「じゃあおれが裏庭にジャパニーズマフィアを整列させておくよ」

「全員にウイスキーのボトルを持たせておいてくれたら喜んでマーチの下をくぐるよ(笑)」

 

お酒が入っていたせいもあるけど、お互いにかなり突っ込んだ話になった。米空軍現役パイロットと戦争オタクだから話が合うというよりも、どうやら彼の考え方がかなり現実に基づいた軍人として自分なりの思想を持っていて、それがぼくの考え方と近いってのが分かったからだようだ。

 

彼が実際に話した内容は下手をすれば国際問題発言であるがぼくが彼に伝えた「ある日本人から見た米軍の話」は、彼が実は日本人から聞きたかった本音であり沖縄で聴こうと思っても政治的な問題もあり聞けなかった話である。

 

それにしても彼は公平だった。米軍の悪さも良さもよく理解して、米軍が今後どうあるべきかも公平に判断しており、アメリカ一番!なんて馬鹿ではなかった。

 

そう言えば第二次世界大戦における話にも花が咲いた。

Pacific、観た?」と彼が振るとぼくは「もちろんさ、ありゃあ日本人から見てもかなり公平だと思うよ。トムハンクス以前にはなかった視点だよね。硫黄島からの手紙もそうだしね。実はおれのおやじはニューギニアで爆撃機の機銃手でP38ライトニングに撃墜されて、それからニューギニア中を逃げ回り終戦は西ニューギニア、ボルネオで捕虜になってマラリアが持病になって日本に帰って来たよ。あの時親父が死んでたらおれがここで酒を飲むことはなかったね」

 

「そっか、君の親父も飛行機に乗ってたのか、けどさ、おれがあの番組でどうも分からないのは、何が起こったかはよく描かれているけど、何故?ってのが描かれてないんだ。なぜ日本と米国は戦争を始めたのか?何故沖縄で戦争が終わったのか?そういう何故って部分の作りこみが弱かったように思う。もし良ければ君の意見を教えてくれないか?何故米国は日本と戦争を始めたんだ?」

 

ぼく「華麗なるギャツビーって映画知ってるかい?1920年代に栄華を極めた当時の米国の映画だよね、けどその後に大恐慌が起こり軍事産業で経済を復活させるためには、悪者が必要だったのさ。そしてそれに日本がのこのこ引っ掛ったのさ。一時は東アジアの殆どの国に進出した日本軍だけど、兵站ってのが分からないバカな戦略が大失敗したのさ。当時は竹槍でB29を落とそうとしてたくらいだからね」

 

「そんなバカが「やってみなきゃわからん」と米国に対して戦争を始めた。日本と言う国は「空気を読む」のが得意でボスが何か始めたら彼の空気を理解することが大事であり現実的に鉄砲の数や米国の兵站の強さ、とくに工場の生産性の高さをあえて無視した。目の前に見えていても見てない事にするのさ」

 

「その結果として米産業は復活しその費用は戦争に負けた日本が戦費負担して米国はまたも平和と繁栄を享受したのさ、ベトナム戦争まではね」実際はもっと具体的に例を挙げて説明した。

 

「やっぱりそんなところなんだな、一応俺も歴史の勉強したらそうだって書いてるんだけど、そこまで軍隊のトップがバカでいられるその精神構造がよく分からないよ」

「言っておくけど日本人がバカなんじゃないよ、長い間戦争を経験しなかった歴史的日本社会はその構造上、上に行けばいくほどバカになる仕組みがある。平時においての出世、上に行く競争過程の中で正しい話をする人間はボスに煙たがられごますりが出世する。何故なら部下が正論を語るとボスもルールを守らねばならず自分の我儘が通らないからだ。そして出世したごますりが次のボスになって時、正論を語る部下が欲しいかい?だから現場は利口だし小回りが利くし戦闘には強いよ。問題はいつもトップにあるんだ。これが米国みたいに年がら年中戦争してたらそんな事はないよな」

 

これ以外にもかなり話し込んだ。気づいたら時計の針は1時30分を回っておりお店も閉店してた。「あ、すみません、遅くなりましたね、そろそろ帰らなきゃ」

お店の人は「大丈夫ですよ、いつもご利用ありがとうございます」と笑顔で答えてくれた。いいな日本の店は・・・。

 

「あ、そうだ、おれNick

Tomだ、また地球のどこかで会えたらいいね」

そう言ってぼくらは分かれてぼくはそのまま部屋に戻った。

 

いつの間にか疲れた体がほぐされて脳みそがクールダウンして部屋に戻るとそのままベッドに飛び込んで、なんだか久しぶりにぐっすり出来た夜だった。

 



tom_eastwind at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月29日

帰って来たハゲタカ

ぼくの泊まっているホテルは隣の棟に外資大手投資銀行(今はもう投資銀行とは呼ばないがこの方が理解しやすい)が入居しておりこのホテルも米系なので自然と出張者がこのホテルを使う、つまり「ガイジン」が多い。昨晩のバーでは舌をぐるぐる巻きにした連中が大声であーだこーだ言ってて(あんまり良い話ではない)、ところがその席に後から日本人サラリーマンが数名やってくると「おー、xxサン、コンニーチワ!」と嬉しそうに握手してる。

 

あ〜あ、また始まったな禿鷹の骨しゃぶり。大体彼らがこのように使い慣れない日本語を使う時はディナータイム、これからたっぷり食らいますよって時だ。食らわれる方の日本人はいつの時代もにこにこ笑って首を差し出す。

 

ちょっと考えれば分かるようなバカ話でも白人が立派な名刺を持ってやってくると「oh〜、yesyes!」と喜んでサインするのが彼らの業界の習慣なのか、とにかく何だかまたも邦銀が大事故を起こしそうな前触れを感じる今日この頃だ。ガイジンもどうやら日本の市場でまたも稼げそうだ、火傷の痛みを1年で忘れる日本人金融業界ならまたも引っ掛るのではと考えているのだろう。

 

翌朝の朝食レストランではスーツ姿のガイジンが朝食を兼ねたミーティングをあちこちでやってる。そう言えば大阪から品川への新幹線でも今までは名古屋で乗降する外人が多かったのに今回は殆ど皆品川まで乗ってたのも偶然の一致か?

 

そんな事を考えながら朝一番の会議を赤坂のビルの相手先オフィスで行う。今商品化の準備に入っているのは海外積立投資で10年から25年かけて運用して自分年金を作るビジネスモデルだ。

 

日本の年金などとっくに崩壊しており毎月払ってても何歳になったらもらえるのか、金額もいくらなのか、それで老後を支えられるのか分からない。年金を払うのも投資、どうせ投資をするなら何をやるか分からないし利回りが確実にマイナスになる日本政府の年金よりも、一応利回り目標3〜9%をうたっている海外の年金商品の方がまだましだ、そう考えて投資をする30台が急増している。

 

ただ法律上の問題で日本国内でこの個人年金を購入することは出来ない。また海外の会社と言ってもその会社のスタッフがその国の永住権を持たずに日本との間を行ったり来たりの場合もOUT。そこで当社のような純粋の海外企業がこれからニュージーランドで生活を始める人々にとっては必要な保険を販売となり、最低でも10年から最大25年で老後生活設計をする予定。

 

あと2か月程度で販売開始の予定であるが今回は具体的な販売方法についての打ち合わせ。これも3カ国をまたぐビジネスモデルなので法律チェックが大変だ。細目を一つ一つチェックして「こっちはOKだけどそっちはどうよ?」と詰めていく。

 

移住をすると現地でどのような保険、年金など生活基盤をきちんと安定させておく必要がある。移住を扱えば次に出てくるのが保険と年金であるから今のうちから商品化しておく必要がある。こうやって一つづつまとめていけばいずれは日本人が日本語しか出来なくても安心して住める場所を提供出来ると考えている。

 

午後は海外相続の相談だが、お客様が持参された週刊エコノミスト1月31日号を頂いた。特集はまさに「相続が変わる!2012年」だって。新しく導入される相続税について、今までは相続税は富裕税と言われていたがこれからは庶民も対象になる「庶民税」であるから今から対策をしておかないと資産を受け取るべき相続が家族間の「争続」になるぞとか。ふーん、面白いな、いよいよ日本でも「上に政策あれば下に対策あり」の時代になったんだなって実感した。

 

日本人ってのは我慢強いし真面目だし時には税金を払うためだけに働いているような人も見かける。けれどそれは全体として日本がきちんと回っていればの話であり、普段は政治に全く興味を持たない人々でも「こりゃおかしいぞ」と考え始めると一気に対策を考えはじめる。今がまさに動き出す時期になったのではないかと感じる。

 

そして冒頭に述べたガイジンの動きも、まさに個人資産1400兆円が動きだした事を感じて東京に集まっているのではないか。日本の個人資産が1400兆円と言ってもその資産の多くは東京や神奈川など都会に集中している。それも港区など一部に集中しているから禿鷹もそこに一点集中で集まっているのだろう。

 

これに対して日本政府も黙ってはいない。金融庁が海外商品を扱う日本企業に対して検査に入っている。A社も随分日本で海外商品を宣伝しているが現在は金融庁検査を受けている最中である。あそこは同級生が金融庁だから手心は加えてくれるだろうが、それでも日本政府は本腰を入れ始めている。武富士裁判で歴史上初めてある税務署が赤字にされたのだから、こりゃもう徹底的にやるでしょうね。

 

いよいよ日本も戦国時代に突入した感がある。1990年のバブル崩壊から2000年前後の官僚崩壊、そして小泉政権が何とか日本を浮上させたが2006年から官僚復活、日本株式会社が力強く活動を始めた。

 

しかし時代はすでに国際化に向けて大きく舵を切っており現在の官僚の内政向け舵取りは国際化の中では間違いなく通用しなくなる。国内で何を決めても米国などの反対があればすぐに潰される。そして長期的には日本円は下がる。そうなれば今のうちに米国政府を味方につけた米国金融界が日本相手に最後の大勝負、1400兆円の分捕り合戦となるのも当然である。最近シティバンクが叩かれて営業停止を食らったが、これからは金融庁対英米金融界の戦いとなる。

 

ここで全く目立たないのが日本国内金融市場であり邦銀である。彼らは政府に守ってもらいながらも海外で販売されている商品のような魅力的な商品作りが出来ず活動的な資産家からは無視されている。国内銀行が集めたお金は長期国債で運用されているが、それこそ数年以内に円安が起こり国際が暴落すると邦銀は多額の負債を抱える事になる。それでも金融庁の指示に逆らえない邦銀は外資のような活動的なことは出来ない。

 

近いうちに海外の禿鷹と日本金融庁が大喧嘩になる。これがおそらく最後の大戦争でありこの戦争に勝ちさえすれば外資からすればこれ以上大きなビジネス機会はもう日本では出てこないので、少々無理をやって将来的に撤退を食らっても安いもんだと計算しているかもしれない。国内の金融市場が1400兆円市場を巡って戦い始めた。さあ、これからどうなるかはまだ見えないが派手なチキンレースの開始である。



tom_eastwind at 01:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月28日

1月説明会終了

説明会無事終了。今回も満席で2時間じっくりと移住に関する話をさせて頂く。その後は個人面談で終わったのが夜の7時ちょい過ぎ。明日もまた個人面談をこなしてから名古屋へ移動だ。

 

それにしてもこの説明会は非常に神経を使う。最新で正確な情報と言いながらもぼくが今日話した内容は明日には古いものになっている。だから「これは今日時点で正確ですが明日以降も最新で正確とは言えません」というのを常に付け加えておかないと、お客様は今日聞いた事を半年先も変わらないものと考えていろんな行動に出る。

 

半年経って「あの時話を聞いた通りに行動していますが、次は何をすれば良いですか?」と聞かれると非常に困った事になる。何故ならその話はすでに過去の事であり現在は法律が変更になっている可能性が高いからだ。

 

日本で法律がそんなにころころ変化するなんて理解しづらいが人口400万人の小さな国家では法律や解釈がよく変わる。このあたり肌感覚が違うので説明会では常にお客様の質問を聞いてその背景にある「その人の常識」を考えながら「その人にとって分かる説明」をしなければならない。

 

社内では「到達主義」と言ってるが、こちらがいくら日本語で説明しても相手が英語しか分からなければ伝わらない。当然の事であるがこれがうまく出来ない人も多い。「だって、ぼく、伝えました」は当社では通用しない。伝えたかどうかではなく伝わったかどうかが大事なのだ。

 

だから質問の内容によっては相手の真意を理解した上であえて相手に分からなくても正確な内容を伝えるしかない。例えば「ニュージーランドは良い国って聞きますけど本当ですか?」と言う質問は比較対象となる国をどこに置いているのか本人も考えていないから、つまり自分の質問が比較質問である事に気づかないまま質問をしてくる場合「どこと比較していますか?何を比較していますか?それが分からない限り回答のしようがありません」と答えることになる。

 

ちょっと意地悪い答えかたではあるが勘違いされては後で問題となるのでこのように答えるしかない。その結果として相手は自分が比較質問をしているのに気づくが本人はそのつもりはなかった為に回答に詰まる事になる。

 

それにしても説明会参加から実際に移住するまでの期間が一気に短くなった。以前は説明会に初めて参加してから実際の渡航までに2年程度かかったものだが最近は1年以下というのがざらである。それぞれ様々な個人的問題を持ち問題解決の手段として移住と言う道を選択する。以前であればもう少し時間をかけて進めて行くという選択肢もあったが最近は時間との勝負みたいな感じもする。

 

出張もまだ前半である。後半戦で体力を落としてまたも痩せるなんて事になったらやばい。「私より細くなったら離婚するわよ」と奥さんに言われてる(笑)ので、朝食を毎日写真に撮って奥さんに送って「しっかり食ってます」と報告する。ははは、移住と言う人を幸せにする仕事をしている本人が不幸せになってしまえば洒落にならない、気を付けねば(笑)。



tom_eastwind at 01:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月27日

海外相続

先週は会計士と海外相続について打ち合わせ。それにしても3カ国をまたぐ海外相続はそれぞれの国の法律をクリアーした上で整合性を持たせて、それぞれの国の税率を確認した上でどのような方法が合法的で一番節約になるかを計算するのだから大変だ。

 

まるでルービックキューブをやってるようで、あっちがぴったしになればこっちがずれるという事の繰り返し。どこかに正解があるのか?と聞かれると、正直言って正解はない、正解は自分で作り出すしかないとしか言いようがない部分がある。

 

もしこれが一国だけで納税をするなら税務署の通達や法律を見ればある程度の正解は出てくる。それでも時々武富士みたいに裁判になって税務署が負ける案件もあるくらいだ。それが3カ国ともなると、各国とも一円でも余分に税金を取りたいのだから自分の国に都合の良いように法律を作ってる。

 

ところがNZと日本の間には租税協定があり、両方がそれぞれ税金を取ることは出来ない。払う税金の上限は決まっておりどちらかで払い過ぎたらどちらかの国が翌年に払い戻しをしなければいけない。

 

例えばNZに居住を始めて183日以上経過した時点で通常はNZ納税者となるが、日本の税務署が「いやいや、あんたは日本人だし半年以上海外に住んでると言っても自宅は日本にあるし固定電話も残っている。あなたは日本居住者だから日本で納税をしなさい」と言ってくるかもしれない。

 

これに対しNZ税務署は「いやいや、この人はNZ183日以上滞在している。だからNZ納税者なのでNZで納税する事になります」となる。つまり「あの子が欲しい〜」と言う国際的「花一もんめ」が発生するのだ。

 

そこで納税者は両方の国に一旦納税をしておいて租税協定に基づき翌年どちらかの国に払い戻し請求をする。それでもし日本の税務署が払い戻しとなるとこれは悔しいから何らかの嫌がらせをしてくるかもしれない。

 

国際協定ではNZで納税するのみで正解のはずなのだが、実態は国同士の税金の取り合いなのでこれが絶対正解と言うのがない。その時その時の国同士の力関係で微妙に答えが変わるのが現実だ。

 

NZでも税法は毎年変わるから「何だよ、去年話を聞いた時には無税だって言ってたのに何で今年になって税金が発生するんだよ」と言われてもどうしようもない。法律が変わる前に手続きをしなかったのが問題なのだ。

 

打合せの中ではいろんなケースを説明してそれぞれについてNZ側の税法の説明を受ける。とは言っても会計士も自分が言ってる事が現時点で問題ないかどうかは迂闊に回答出来ないからいくつかの件については持ち帰り検討と言う事になる。場合によっては名前を隠して税務署に問い合わせる事もあるそうだ。

 

今年なってすでに多くのお問い合わせを頂いている。順法精神をしっかり守りながら出来るだけ節約する方法はたくさんあるのだが法を守るとは二つの面があり、法の条文を言葉通りに守るのか、それとも法立案時の法の目指した精神を守るのかである。このどちらを適用するかで答えは随分変わる。どう判断して何故そう判断したのかしっかりと理論武装していく必要がある。

 

今年は、本当に忙しい年になりそうだ。



tom_eastwind at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月26日

M

1月24日午後、気温20度のオークランドを14:40に出発して香港へ向かう。飛行時間は約11時間。時差があるので到着すると香港はまだ21時ちょっと前だ。香港に到着して次のフライトまで4時間半あるのでコーズウェイベイに出る。電車を乗り継いで30分程度なので実に快適。とくにこの空港では入国して荷物を受けとり税関を抜けるとそこは市内直通電車のホームだから殆ど無駄な移動がない。このあたりよく出来てるよね。

 

ところがここで大きなミス!実はコーズウェイベイの殆どの日本人向けレストランは旧正月の間約一週間お休みなのだ。甘かった=、仕方ないので近くの店で軽く麺を食べてから、旧正月の人混みで賑わうコーズウェイベイからセントラルまで移動、そこで電車を乗り換えて空港に戻る。この時点で香港時間の真夜中ちょっと前。空港に着いたのは12時30分でニュージーランド時間で見ると朝の5時30分だ。

 

01:35に香港を出発して約4時間かけて関空に向かう。関空到着は朝の6時。機内では食事は出らずひたすら寝てくださいモードだ。乗務員もこんなフライトなら楽と言うべきか真夜中なのできついと言うべきか?

 

関空到着時間をNZ時間に戻せば朝の10時だ。と言うことはぼくは約20時間かけて南半球から北半球に飛んで来て香港でちょろっと街に出て麺を食い更に移動をして気温5度の大阪に着いた事になる。

 

気温差、時差、移動距離、おまけにあまり食べないという食習慣でよくもまあ疲れませんねとよく言われるが疲れないのがぼくの特技であろうか。身長165cmはここ数十年替わってないのが当然だが体重は59kg、これもここ数十年変化がない。おかげで25年前に買ったスーツが今でも着られるので経済的な体である(笑)。

 

運動は適宜やっており自宅でも風呂上りにウイスキーの水割りを飲みながらストレッチングやってるので血の巡りは良いはずだ。歩くのも普通の人の競歩くらいに早い。生活の組み立てが健康的に出来てるんだと思いますよ。

 

それでも日本を離れて25年経ってみると、日本の方が変わっていた。古い知り合いから25年ぶりの連絡メールが飛び込んできてびっくりしたのは出発の10日前だ。日本を離れる頃はメールも存在せず、お互いに引越しや生活環境が変わるたびに次第に疎通になり、気づいた時はお互いに相手の住所が分からない状態になっていた。去年もそんな事があったな。

 

25年経っても変わらないのは身長と体重だが、髪の毛はすっかり落ちてしまったし(苦笑)顔はもう日本で生きてた頃のような甘ちゃん顔ではなく、おそらく道ですれ違っても気づかれないくらいに変わった。一個一個のパーツが変わったわけではない、全体が海外仕様になったとでも言うかな、とにかく事前に言われてなければ分からないほどの変わりようだ。そう言えば去年偶然30年前の自分の写真を見る機会があったけど、何か遠い日々を望遠鏡、それも天体望遠鏡で見るような感じだった。

 

いくら元気と言っても20時間以上眠ってないのでさすがにくたびれてホテルに朝7時過ぎに着くとすぐに朝ごはん(厚切りベーコン、パン、フルーツ、卵料理、たっぷりのオレンジジュースに暖かい紅茶)食ってから爆睡。予め前の晩から部屋を押さえておいたのが良かった、こういうのはメンバー特典って有難い。

 

昼過ぎに目が覚めるともう約束の時間まで30分もない!やばし、すぐにスーツに着替えて待ち合わせの場所に行く。バーの入り口近くの席で待つ事10分。

 

話すことはたくさんある。古い友達ってのはそういうものだろう。お互いに今までの事をゆっくり話をする。懐かしいな、あの頃が戻ってきたような気分でずっと話をする。お互いに年を取ったようでも意外と昔のまんまじゃんかとか思ったり。結局生き方に妥協がないんだよね、変わってないな〜と思ったり。いろいろ、いろいろ考えたり。

 

「大阪はあんまり好きじゃないんだ」と言って夕暮れの中を地下鉄に向かう古い友達。生きるってのは楽しかった事や恥ずかしかったこと、そういう事を思い出して繰り返しを積み重ねていくことなんだろうな。

今まで一生懸命生きてきた。これからも同じだ。とにかく自分のプリンシパルをしっかり持って生きて、時々懐かしい友達と会って昔を思い出して、それが心のページの一枚になる。そうやって僕の本は次第にページを増やしていく。

 

さ、明日から仕事モードだ。



tom_eastwind at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月25日

歩きたばこ

先週の地元新聞でいよいよクイーンストリートを含むシティエリアが歩行禁煙禁止になりそうだとの事。そう言えば最近は歩きたばこが急増してて、その理由がオフィスやレストランで吸えないからだそうだ。

 

うちの入居しているビルもオーナーはタバコ吸わず、ビルの入り口に以前は灰皿を置いていたが今ではそれさえ取っ払い敷地内では玄関の外側と言えども禁煙にした。おかげでヤニ民族は道路側に大移動、だもんで今度は道路側の交差点で歩きたばこが急増。

 

歩きタバコを禁止する理由としては「子供がタバコの火で火傷するから」となっているが、実際はもっと単純に、健康に悪いしケムイし道路がポイ捨てで汚れるから、ってあたりで、禁煙推進派が市議会で大多数を占めているからだろう。

 

実際にこの国の喫煙率は低く20%に満たない。そしてこう書くと語弊があるかもしれないが、この国では煙草を吸う人は自己制御の出来ない底辺層の人に多いのも事実。ストレスの多い仕事でたばこを吸う人も多いだろうが、この国でストレスのある仕事ってあったか(笑)?

 

だいいち多くのタバコを吸わない普通の人々でも歩きたばこは危険と思ってるし子供が怪我でもしたら大問題だ。そして道路に吸殻が落ちているのが目立つが、とにかく最近タバコのポイ捨てが多い。教養のない底辺層の人々のやりそうな事である。吸いたかったら自宅で吸えって事だが、新聞のアンケートで喫煙者に「自宅や自分の車の中で吸えますよ」と質問すると「家にいる子供の健康はどうするのだ?」とか「車内が臭くなる」とか、さすがに底辺層は考えることが一段階しかないのがよく分かりますね。

 

禁煙は時代の流れとか他国がどうかとか関係なく単純に自分や周囲の健康を害することが科学的に証明されたから止めようよと言う事だ。

 

しかしこれを科学的ではなく一種の宗教として捉えると次に出てくるのは禁酒でしょう。もともとニュージーランドは1900年代初頭に禁酒法案が国会に提出された。多くの人々はお酒を飲まない実に敬虔なクリスチャンであり、お父さんは外で農作業を終わらせたらまっすぐ自宅に帰り、草履のような硬くてまずいステーキと潰した芋を食べたらとっとと寝ろって時代。

 

とにかくくそまじめで道徳心の高い団体が移住してきたわけで、美味しいものを食べるのは贅沢であり清貧に反するって考えがこの国の食い物をまずくしてきた歴史がある。1980年代に中華料理がこの国で広がった時地元民は「魔法の鍋だ〜!」と言ってびっくりした。今でもフードコート内によく見かける中華料理店に「MagicWok」と言う名前が付くのはそれが理由。

 

1980年代は日曜は酒を売ってはいけないって法律があり、週末に酒が切れると友達の家にもらい酒に行くほどだった。当時僕が住んでいたクイーンズタウンは観光地と言うことで例外的に日曜日の酒場(バー)は営業出来たのだがテイクアウェイは出来ず、とにかくお酒についてはうるさい国だった。そうそう、あの頃は日曜日にバーでビールを買うと必ずジョッキで出てくるか缶の場合はプルトップを開けてから出された。自宅持ち帰りを禁止にする為だ。

 

オークランドに今もある昔ながらのパブ(例えばシェークスピアタバーンとかアルビオンホテル)には2階に宿泊施設がある。これは当時の法律で宿泊施設はバーを併設して良い事になっており、主な目的は人を泊める事じゃなくてバー営業目当てじゃないのかなんてよく言われてた(半分以上ほんとの話)。

 

つい数年前まではオークランドのスーパーマーケットで酒を売る事は禁止されていたがビールとワインの売り上げの魅力はついにスーパーも動かして、法律を変更してスーパーが酒を売る事を認めるようになった。今ではスーパーのビールの売り上げはそれまでの売り上げNo1だった牛乳と肩を並べるほどになった。

 

酒もたばこも美味しいものも一切メーダ(ダメ)と言う人々は宗教観から来ているのでお酒の効用など訴えても全く関係ない。個人的には恋を語るのに酒飲まずにしらふって想像つかないのだがうちの奥さんは全くお酒を飲まないけど、奥さん、もしかしておれの事好きで結婚したんじゃないかも??どきどき、聞きだせないなそんな事(笑)。

 

賛成はしないが禁酒法が導入されれば守るべき立場にいるのでこれは守ろうと思ってる。喫煙派のようにじたばたと「自宅じゃ子供がいる」とか「車の中が臭くなる」とか自分勝手な言い訳をするほどみっともない事はしたくない。ちなみにぼくは飲酒運転は例えコップ一杯のビールでも絶対にしない。だから外で飲む日は朝奥さんに送ってもらい帰りはタクシーだ。キーウィは普通に「ビール、ああ、あれはアルコールじゃないよ〜ははは!」とか言ってるが、苦笑するしかない。

 

導入時期はまだ新聞発表はされてないけど、ここまで新聞で書かれたら市議会での根回しは終わっているのだろうから近い将来、半年以内くらいではないか。いずれにしてもニュージーランド、世界でトップクラスに平和な国で自然環境は素晴らしいものがありますが、酒とタバコに縁が切れないお父さんは移住する前に考えてみる必要ありです。原発推進とか原発反対ってのとはかなりレベルの違う話で、比較すると何だか笑えてきますが、狙ってお母さんがお父さんをけしかけて移住してくるかもしれませんね(笑)。



tom_eastwind at 22:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月24日

ステマが私刑になるってこと

ステルスマーケティングについてはあちこちから意見を頂いた。発信者本人を突きとめられないようにする方法、これ、ありですよね。よく分かります。けれど、どの端末から発信したかではなく、その書き込みで誰が得をするのかと言う視点から見ると、匿名で書き込みをした内容で意外と犯人は簡単に見つかるかもしれません。

 

今回の書き込みでは役者は大雑把3パターン、現時点でも給料を払わない社長に怒りを感じて書き込みをする人、社長側の書き込み防衛隊、給料未払をネタにこの事態を利用して他社を叩こうとする(つまりいつも他社に出し抜かれて悔しい思いをしているけど正面から向かっても勝ち目がない可哀想な人々)タダ乗り組、それぞれに思いがあるのですね。

 

話を関係のない会社に振るってのは防衛軍の常とう手段ですね。けどそこは本気で他社を叩くのが目的じゃないし、そこが本気で怒ったら水爆問題になるの知ってるからほどほどに書き込む。

 

けど最初から関係のない会社を巻き込んでそこを日頃の恨み、赤穂浪士!みたいにやりたい人は確信犯、最初から関係ない事を書き込み自分のネタに引っ張ろうとする。けどいきなり本ネタを書くと晒しがばれるからこそこそと書く。けど文章力がないから客を引っ張れない。ネタがどれだけ給料未払に軸足ずらしても再度自分のネタに持っていこうとする。これはネタが離れれば離れるほどいらいらと発狂してくるので2~3回でばれますね。

 

こういうのは分かりやすいから良いのですが、この手の書き込みで一番気を付けるべきは、自分は常に正義の味方であり悪い奴を懲らしめるのだ〜と本気で考えている人々です。彼らは一種の宗教ですから理屈が通らない。利害関係が存在しないから行きずり殺人とでも言うか、因果関係が見つからないから探すのが大変。

 

だから自分大好き教裁判官部門を見つけ出すにはこちらからネタを撃ち込む必要があります。ある特定の団体名を出してみて反応を見る。反応がなければ今度は業種を特定して見込み射撃。それでもダメなら地域攻撃。こうやって相手の反応や次の書き込みを見ながら少しづつ絞り込んでいくしかないですね。

 

しかしまあ、何たる時間の無駄使いかと思います。実はぼくが「このステマがビジネスとして成立しているかどうか」について最初に「こんなんビジネスじゃにゃー」と書いた意味は、ビジネスは社会に役立つべきであり他人をだますような事をビジネスネタにすれば長期で見てそのビジネスが潰れるだけでなく社会が無駄な時間と費用を使ってしまう、だからやるべきではないって意味でこんなんビジネスじゃないと書いた次第です。

 

けど冷静に考えれば確かにビジネスとしては成立するんですよね、てか情報戦と言うのはまさにステマであり大英帝国の時代から続いてるから継続性もあるんですよね。だから「ビジネスじゃにゃ〜」ではなく「もっとうまくやれ〜」と書くべきでしたかね。読めば一発でステマとばれるようなんじゃジェームスボンドに笑われるぞとか、失敗したらアラビアのロレンスみたいな目に遭うから気を付けろとか(笑)。しかし情報戦は、ほんとに怖いです。

 

ところで書き込みをしている正義の味方軍団ですが、彼らは実は正義の味方の仮面をかぶったリンチ集団になっていると気づいているのでしょうか?じつは彼らは赤軍派が仲間を総括して殴り殺しオウム教がサリンを撒くように、自分たちは正しいから何をやっても良いと思ってるのですね。

 

今回の一連の書き込みで一番問題にしないといけないのは、一般人がいつの間にか正義の味方になり自分が警察であり裁判官であり法の執行官になっている怖さです。

 

これは芸能人がネットで殺人犯人に仕立て上げられた構図と全く同じです。法治国家においては「疑わしきは罰せず」が原則です。それもまずは警察による捜査があり容疑者が見つかったとしてもその時点ではどれだけ黒に近い灰色でも容疑者であり新聞でも決して実名報道はしません。

 

裁判になってお互いに論点を争って裁判官が最終的に判決を出す、それが有罪で確定した場合にのみ初めて罰する事が出来るのです。その時点で個人情報が公開される。

 

ところがネットではそのような手続きがすべて省かれて最初から罪人扱い、個人情報保護は一切行われていません。給料未払と言いながら、具体的に誰がいつからいつまで仕事をしていくらの未払いがあるのかが全く特定されていません。それでいきなり晒し者?それは違うくないか?

 

最初に書き込みをした人は出来るだけ情報を隠しているのですから周囲からすれば事実かどうか確認しようがない、それでは何故このようなトピックを立ち上げたのでしょうか?相手を晒したい気持ちと未払をやめさせたいという気持ちに加えて「わたしは正義だ」と言う独善的な考え方がそこにあるのではないでしょうか?

 

しかし自分で書き込みをすれば何が起こるか想像する事は出来るでしょう、その結果としてこの社長の名誉は棄損されます。それ自体がすでに犯罪行為であることは書きましたが、その被告人が最初に書き込みをした人になるのです。

 

書き込みをした内容が正しいかどうか、客観的に検証可能でしょうか?不可能ですよね?「わたしは知ってるんです!」なんて言うのは、そりゃ赤軍派だってオウムだって世の中の真実を「知っている」から確信犯として人殺しを行った、その行為と全く同じなのです。

 

だからここで行うべきはまず自分の主張が正しいかどうかを公共確認する事です。それはDOL(労基署みたいなところ)に調査してもらえば分かります。ただしここで問題となるのは、それがあなた本人ではないという点です。事実の確認をどうやって行うのか?友人が再度ニュージーランドに渡航でもしない限り確認は出来ないでしょう。

 

航空券代がかかってでもその社長を訴えたいのならだれが航空券代を払うのですか?あなたですか?「え〜、そんな、わたしもおカネないし」だったら最初から口出すなって事です。

 

一応手続きとしては本人が働いた時間を紙に書くなり仕事内容を紙に書くなりして労基署に調査依頼をする。具体的にいくらの未払なのか?も伝える。そしたら労基署がその会社に手紙で問い合わせをします。問い合わせがあった会社は無視すると強制調査が入りますので当然回答をします。このやり取りが1〜2か月。

 

事実関係をお互いに確認出来た時点で未払いがあれば労働調停所に双方が出席して話し合いがもたれます。未払の状況によって未払い賃金の支払い、性質の悪い内容だと罰金が科せられる事があります。

 

それでもその社長は日本人の感覚で言う「有罪」ではありません。お金を払えば解決する問題だからです。日本人はこのあたりの法律感覚が甘すぎるから赤穂浪士か大岡越前みたいに正義を訴えるけど、起訴事実が本当に存在するのかどうか、それを判断するのが当局であり裁判所なのです。

 

このようにネット社会で一番問題となるのは、普段は世の中でひっそりとしているような人々がこういうネタになると田舎のネットからでも即接続して自分の意見を書き込み、反応があると嬉しくて仕方ない。反論されると異常なまでに怒り出す。要するに日頃は社会の中で存在感がない人なのですよ。それが誰かが反応してくれるとそれで自分の社会における自分の存在を感じてうれしくなるのです。

 

普通にニュージーランド社会で生活をしていれば忙しいはずですしまともな常識があればこのようなケースで書き込むことの危険性は分かっています。

 

もし僕が賃金未払の立場になったら、このような場合は自分の氏名と住所を公表した上で公開質問状をNZ大好きを使って送るでしょう。自分の名前や立場は隠して相手だけ晒すのは卑怯ですが、こちらが情報公開した上で質問するなら、これはアリでしょうね。

 

いずれにしても今回の騒動はまさにネットの初心者が起こした、複数段階を理解出来ない人々(先読み出来ない)の問題ですが、いろんなネタが満ちてて楽しかったです。



tom_eastwind at 13:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月23日

情報弱者にならないための方法 その3

さて今度は最近のネタで分析してみよう。911に関しては、あれは米国による自作自演だったというのは自分の頭の中で整理出来ている。これはすでに多くの意見が出ており具体的にどうビルを破壊したかとかはそこから読み解くことが出来るので、ここではビル崩壊とその後に起こった侵略戦争を歴史視点から見てみよう。

 

日本海軍が宣戦布告もせずにハワイのパールハーバーを奇襲攻撃をした結果たくさんの米軍人が死んだ、これがあったから当時の米国民は卑怯な不意打ちに怒り失った兵士の命に責任を感じて太平洋戦争に踏み切って兵隊はやる気を出し人々は日本を攻撃する事に疑問を持たなくなり最終的には日本の都市爆撃まで行った。

 

しかし当時日本軍の暗号はすべて米側に解読されており太平洋を横断する艦隊の動きは早いうちから米軍によって感知されていた。このことは歴史的事実である。では何故当時の米国大統領ルーズベルトはあえてその事実を国民に伝えずに2338人(民間人48名)の死者を出したのか?それは当時の米国ではモンロー主義と言う「孤立主義」が支配的であり他国との戦争など無意味だという空気があった。

 

それを何とか参戦に持っていくのにパールハーバーと言うトリックは最高の仕掛けとなる。当時の米国人は自国の大統領がこんな自国民を見殺しにするような戦略を考えているなどと思いはしなかった。ルーズベルトからすれば兵隊は戦争に行けば死ぬのだし数千人の命で米国が開戦出来るなら安いものだと計算した。だいいちルーズベルトの属する階級で戦争の現場に行く仲間はいない。死ぬのは貧乏白人やインディアンや黒人なのだ。

 

実際に米国では人間も統計で扱われることが多い。有名な話だが、ビッグ3のある社長は新しい車を作る際にガソリンタンクを後輪の上に置くかトランク側に置くかで判断を迫られた。後輪の上に置いた方が費用が安い。そこでこの社長はガソリンタンクが発火して死傷者が出て訴えられた場合の賠償費用とトランク側に置く事で発生する追加費用を比較計算したら賠償費用を払った方が安いと分かった。だもんでガソリンタンクを後輪の上に置いた。

 

その後の発火死亡事故で裁判になりこの事実が明らかになると社長は「当然の判断だと思った」だって。米国人は現実的であるが人の命の重さもお金に換算する事が出来る。とくに移民社会であり安い車に乗るのは貧乏人、自分や自分が所属する階層の人々が乗ることはないと判断したのだ。

 

第二次世界大戦の開戦の際も最初に死者を出させて国民を戦争に追い込む、車を作るときも訴訟費用対追加工事費用で考える、このような人々が米軍の軍事費削減であえぐ軍産複合体(当時はクリントン政権により軍事費が大幅に削られていた)がアフガニスタンに攻め込み占領状態を作る事で半永久的に軍事予算を獲得できるとなれば911で発生する死者の数など大した事はないと判断する「合理的」な理由が存在する。(この背景にはもう一つの勢力の動きもあるが長くなるのでそれは割愛します)。戦争で死ぬのは「奴ら」であり「おれたち」ではないのだ。

 

このように「911は自作自演だ」と訴える人々に対して反対する人たちの理由に「自国民を殺すような事を米国政府がするわけないじゃないか」と言う理屈は成り立たなくなる。そしてそれ以外の「自作自演ではない」理由は何が残るのか?反対にビルの崩壊現場ビデオを見ればあれが建築現場で使われるビルの破壊工事と全く同じだった事に気づくはずだ。

 

真実は新聞に書かれている事だけではないというのは多くの人が知っている。しかし911のような大きな嘘はあまりに大きすぎて突拍子もないので最初はそのまま大本営新聞発表を受け入れるしかない。問題はそこからで、ビル崩壊現場を見て暫く時間をあけてゆっくりして考えてみれば疑問が出てくる、そこから踏み込んで調査するのか、それとも何もせずに一番楽だから情報の検証もせずに自分の意見としてしまうのか、これが強者と弱者の分かれ目だ。そして、その手抜きこそが情報弱者となる第一歩なのである。

 

新聞に書いている事や他人の言ってる事をそのまま真に受けるのではなく、自分が常に自発的に行動する。日頃からクロスチェック訓練をしていれば、最初は難しいけどしばらくすれば要領も分かり、自分の中の試金石となる情報が増えれば増えるほど新しい情報を短時間に分析することが可能になる。そのうち話を聞いただけで荒唐無稽だけど「あり得る」とか、ありそうだけど「あり得ないね」と言う判断が出来るようになる。

 

情報強者に突然なる事は出来ない。日頃の訓練を積み重ねるしかない。それでも空手の帯のようにだんだん強くなっていく。黒帯取るのに一年くらいかかるかもしれないが、その知識は誰にも盗まれないし自分を強くする。何かあった時に他人に振り回されず自分で能動的に判断出来る。自分を強くするかどうかはすべて自分にかかっている。



tom_eastwind at 16:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月22日

情報弱者にならないための方法 その2

情報強者と言うのは情報の怖さを理解して偽計業務妨害罪や風説の流布や名誉棄損罪などを理解した上で更にどのような情報をどの角度から見て判断することが自分にとってプラスなのかを知っている人々です。

 

情報弱者と言うのはネットを使いこなせず理解出来ない人々の事です。それは年齢は関係ありません。ではどうやれば情報弱者から逃れられるのか?実は答えはネットの中にあります。それは常にいろんな物事に興味を持って突き詰めて考える癖を付けるという、ごく簡単な事なのです。ネットがあれば机に座って世界中の過去の歴史から現代の経済や政治までほとんどすべての情報を入手する事が出来ます。

 

昔はこれを本でやってました。出来るだけたくさん様々なジャンルの本を読みそこから知識を身に付ける方法ですね。

 

でもって大事なのはこれからですが、情報は必ずクロスチェックが基本で、更にテーマを一つ決めたら自分が理解納得出来るまで徹底的に突き詰めて調べるくせを身に付ける事。一つの情報だけで納得満足して自分の意見として対外発表するのは「洗脳されやすいバカ」と呼ばれています。忙しい単細胞のサラリーマンはキオスクで買った週刊誌を自分の意見として飲み屋で立派な意見表明をしますが、あれは最も明快な自己バカ表明でしょう。だからちょっと突っ込むとおたおたします。

 

出来るだけたくさんの情報源を探し出す。そしてそれぞれに書いてある事を突き合わせると必ず矛盾が出てきます。そこで更に情報源を深く広げていくうちに「物理学的にあり得るとか絶対的に正しい」と言う一つの試金石が発見できます。大事なのはこの試金石であり試金石が多ければ多いほど情報強者と言えます。

 

例えば誰かが「石は水に浮く」と言えば、普通に考れば「お前、ばか?」で終わりです。けれどもし軽石を死海に置けば?石にもいろんな種類があるし、もしかしたら浮くかも?

 

例えば「昨日サイパン島で日本航空が墜落したんだけど米国政府と日本政府の共謀で事故がなかった事にした」なんて言われると、自分は全くそのような情報を持ってないので当然ネットで検索する。しかし墜落事故情報はない。その事を伝えると「当然だろう、情報統制が敷かれているのだから。ないってんならないって証拠を出せよ」と言い返される。つまりこの時点で相手の情報が事実かどうかを確認することは不可能になる。

 

「事件があった」と言う彼の主張に対してこちらは「事件はなかった」と言う悪魔の証明をする必要があるわけだ。ないものは証明のしようがないから反論のしようもない。

 

ここから大事なのが「科学的に推測をする能力」や「常識的に判断する能力」である。普通、民間航空機が空を飛んで墜落すれば世界中のどの空を飛んでいても飛行機を管制するシステムが常に把握しているはずである。太平洋のど真ん中でも航空機は常に把握されているから突然レーダーから消えれば墜落が分かる。つまり隠そうとしても世界の誰かが知っているわけだ。その管制官まで殺せばあり得るけど墜落場所がサイパン空港ならば地上の目撃者がいるはず、だから隠滅不可能である。

 

また常識的に考えて一般市民を突然飛行機ごと消すなどまず不可能。成田出発記録は紙に残るし乗客名簿もある。彼らには皆家族もいる。だから「飛んでなかった事にしようという陰謀」と言う話はまず嘘と分かる。そのような事を総合的に判断していけば「サイパンで飛行機が落ちた」と言うことはほぼ間違いと分かる。そして何よりも大事なのは、これが事実であろうとなかろうと自分の利害に影響しないという点である。このような場合はあえて反論せずに「あ、そう、よかったね、おめでと、次は電話してこないでね」と言って立ち去れば良い。だって自分に何のプラスにもならない事で時間を使う事が何よりも無駄。

 

ところが同じ墜落情報でも「あの飛行機は本当は撃墜されたのだ」と、ある墜落した飛行機の件を話されると突然闇の中になる。例えば日航御巣鷹山事件。20年以上経った今でも様々な憶測が飛び交っている。ぼくは当時福岡に住んでてまさにこの事件に旅行やとして一般の人々よりは深くかかわった記憶がある。けど当時は単純に「はー、落ちたんだ」としか思ってなかったがネットが発達した現在では民間で様々な情報がデータ付で発表されている。

http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

 

墜落したという事実は争わず何故墜落したかについて政府発表や航空機メーカー発表、そして一般市民の意見表明など様々な矛盾した意見がある。このような状態の場合はどうすれば良いのか?一番良いのは分かるまで意見保留をする事だ。そして出来るだけ耳を澄まして様々な情報を入手してクロスチェックする事である。

 

政府の公式発表も信じられないけど例えばこういう筋書きはどうだろうか?

★抜粋開始

1985812日午後612分に羽田を離陸した日航機123便は、その後、相模湾上空に差し掛かったところで、海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、垂直尾翼が破損してしまう。

そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、さらには、墜落事故が起きたことだけでも、日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、御巣鷹山に午後656分に墜落。

アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍はその墜落場所を正確に把握していて、日本側に救援も申し出た。また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。

しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながったということを恐れた中曽根政権は、時間稼ぎのために、当日の捜索を行わなかった。それどころか、義憤にかられ、捜索をしようとした自衛隊員を射殺した、という情報さえある。

墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、多くの人の命がまだ助かっていた。

★おわり

 

御巣鷹山事故が実は米軍による撃墜であったとなれば大変な問題だ。しかし一つ一つの事実を積み重ねていけばそういう答えもあり得ることが分かる。サイパン墜落と比べてみればこちらはかなり真実性がある。

 

こういう疑問を持てば、次に行うべきなのがクロスチェックである。関連のある情報を2ちゃんねるから公的機関の公的サイトまであちこちで収集してすべての客観的事実と様々な位置から見た場合に一つの事実がどれほど変化するかはそれだけでも興味深い。今まで真実と思っていたことが実は違ってたなんてのを自分で調べることが出来た時はびっくりと到達感があるからそれ以降もテーマ決定、調査、クロスチェック、結論とやっていく作業が楽しくなる。

 

ちなみにぼくはこのネタの為に偶然日航機事故を取り上げてみて「こんなでかい話になっている」のに気づいただけでまだ自分の案はない。かなりありそうで当日起こった、公に知られている事実と突き合わせても矛盾はない。さあ、あなたは日航機事故、どう判断しますか?


またも長くなったので残りは明日に回します。



tom_eastwind at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月21日

情報弱者にならない為の方法 1

今日は情報弱者について書こうと思ってたらほんとに偶然だが116日付「後悔情報」及び120日付「ステルスマーケティング」の記事を書いたのに時期を合わせたように、まさにその典型例とでも言うべき掲示板の書き込みがあったのでネタとして使わせて頂く。

書き込みの主はニュージーランドにある日本企業で「現在行われている繰り返されているワーホリに対する賃金未払」をどうにか出来ないかと言った内容だ。主は慎重に企業名を隠した上で一般論としてどのような事が可能かを公衆に質問している。


ところがそれに対して帰ってくる答えは「日系企業は非道である」とか「日本人ワーホリは食い物にされてる!」とかいつもの通り。そして最後は「どうしようもないよ」で終わり。これで回答になってると思ってるのかな〜。未払い賃金を請求する方法はある。しかし誰もその「方法」を知らないのかあえて提案しないのか?

http://www.nzdaisuki.com/bbs/detail.php?parent_id=138849&pagelist_latest=0


ところがこういうネタが出てくると必ず関係のない内容を書いて憂さ晴らしをしようとする輩が出てくる。とくに今回はこれが面白い事に当社に対する妄言なので、これを参考にして情報弱者について書いてみる。

★開始

138901 2012-01-20 10:22:12 投稿者/イースト(#14045)(エリア指定なし)

私も何となくではなくかなりあの人臭いと思うけど。「社長がNZ在住10年以上」と書かれていたけど、10年くらいなのか10年以上なのかでどちらかの方と解れます。でもあの二人はつるんでいますしね。

「ジャパレスじゃない」とありましたが、どちらかの人はジャ○レスにも絡んでいませんか? 色々手を出して逃げ道を作っている方ですよね?「彼の情報網は凄いのでまんまと切りぬけて行くでしょう。」「何回か裁判沙汰になってると思いますよ。」これを読んでそれを思いました。

「釣りとか言って居るのはその社長さんかその実行グループの方だと思います。つまり悟れないように上手く反らす作戦の工作員だと思います。」

じゃあこの方が「漁師(#4061)? いつもワーホリさんとか被害にあうと必ず出てきて、逆に雇われる方が悪いと言う方ですよね。しかしなんで人をだましてまで自分が得をする事を平気でやるのですかね? それに相手の弱み?をついて、それで手数料を高く取って違法と解っていてやるのですかね?逆にその会社を使って学費を払わないという例もあるそうですしびっくりしますよね。手数料を払うよりお得だから、お互いに得をして万々歳って事ですか?


 上の方が書かれていますが、悪い事は駄目ですよね。中国人が悪い事をと良く言われますが、日本企業も負けてないのでは?人口が少ないから件数が少ないだけだし、泣き寝入りや共同作業で表に出ないだけかと。悪い事は無くなって欲しい。「ちょっとやそっとじゃ応じる訳じゃない」うん本当ですね。今頃このトピ見てニヤニヤしてたりしてね

★終了


どうですか?面白いでしょ、ぼくが後悔情報で書いた内容をそのまま地でいって見事にバカを晒しているのですね。名誉棄損は事実であるかどうかに関わらず成立するという第一の原則を全く理解出来てない。特定の企業名を書いてないと言っても関係者が読めば分かる場合は通用しません。それが理解出来てないのがよく分かります。なので最初の罪名は名誉棄損罪。日本では3年以下の懲役か50万円の罰金。


次に成立するのが偽計業務妨害、一般的に言う営業妨害ですね。「あのふたりはつるんでますしね」と言うのは第一に事実でないし元社員だから今も連絡があるはずという理屈も成立しない。何よりも「つるんでる」証拠がない。実際につるんでないのでこれが虚偽の風説を流布した事になる。


そしてこの書き込みは「現在のワーホリの賃金未払」ですが当社はここ数年ワーホリは採用していませんよ(笑)。そりゃ10年前にワーホリ情報センターをやってた頃はワーホリ採用してましたがその頃でも賃金でもめた事はなし、ましてや数年前からスタッフは殆どが永住権保持者ですぜ。そういう基本的事実くらいは確認した上で書きましょうぜ。


もちろんワーホリを採用していた時期でも賃金未払は発生しておらずましてや裁判沙汰??笑うしかないですが、これも知らない人が見たら信じるかもしれないので書いた人には残念ですが「風説の流布」成立。日本国内で告訴されれば3年以下の懲役か50万円の罰金。


二つの罪名がそのまま加重されて2倍、つまり最高6年以下って計算になるのか併合罪で割引してくれるのかぼくは分かりませんが「ちょっとした憂さ晴らし」が後悔情報で書いたように刑法上の犯罪者を作り出したのです。


そこから下の感情ぶちまけ文章は単なるうさ晴らしですが、例え冗談でもこのような事を書くと最低でも二つの罪名で告訴されます。ネットは国境を越えますので日本でもニュージーランドでも告訴可能ですね。「匿名だから」とか「みんなが言ってた」は通用しない時代になったのです。


インターネットが出来る以前の情報と言えばテレビと新聞でしたからメディアは情報強者、自由に情報を操れます。嘘をほんとに出来るのです。そして彼らがつるむ相手は警察ですから、警察がある情報を流したいと思えばメディアにちくればよい、メディアも阿吽の呼吸が分かるので嘘と分かってても掲載する、そして嘘が真実になる。今まではこうやって世の中が操られていました。つまり我々一般大衆が情報弱者で居続けるしかなかった。


しかしインターネットが発達してくると警察が今までのようにやりたい放題が出来なくなった。事件が起こって警察が情報操作をしようとしてもネットで公開情報が一般大衆に共有される時代になったからだ。例えば高知白バイ事故事件。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%9F%A5%E7%99%BD%E3%83%90%E3%82%A4%E8%A1%9D%E7%AA%81%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E6%95%85

これは結局既存組織が団結して有罪判決が出され「お前らお上に逆らうとは何事か!」と手打ちにしたものの、その後は警察もネットの威力を知り情報の怖さを理解してネット専従班を作ったりして情報収集を行い迂闊な事は出来なくなった。つまり一般大衆も情報と言う武器を持つ事が出来たのです。


だから戦い方と引き際さえ間違えなければ相手が公権力であれかなり良い戦いをする事が可能になりました。つまりネットは一般大衆の味方なのです。


ところが本来は自分を守るために使うべきネットでわざわざ自分の首を絞めるのが情報弱者です。彼らは自分がやっている書き込みがすでに犯罪行為でありいつ告訴されてもおかしくないという事実に気づかない。だから続けてこんな書き込みをしています。


★開始

138921 2012-01-20 23:44:53 投稿者/イースト(#14045)(エリア指定なし)

「一見、出版業界という華やかな業界なので、求人を見て応募する人が後を絶たないのでしょう。」あれ?私の思っていた社長と違う?でも思ってた人も一昔前は○リーペーパーやってたね。それは違法行為してばれてそれ以降やらなくなった。と言う事は、あの会社だね。クリー○ングの給料支払いは?

DVDコピーの売買は違法(#6708)」お帰りなさい、久しぶりに出てきましたね。その社長の元で働かれたんでしたっけ?今は日本で満喫中なんですよね。昨年掲示板を賑わせたジャ○レスを訴える件は無事に終わったのかな?詳しく知りたいので宜しくお願いします。しかし色々な社長が悪い事されてますな。日本人は誠実と思われているのがなんか申し訳ない。

★終了

フリーペーパーで違法行為ね〜、ふ=ん、是非とも知りたいですね、どんな事やったのか?当社がフリーペーパーからネットに移行したのはもう8年くらい前かな、時代はすでにインターネットに移行しており紙を媒体とした情報よりもネットを媒体とした情報の方が有効であると判断してネット移行を決定した。けど同時にビジネスの一番難しいのは今までやってた事を止める事、つまいr発行停止のタイミングです。下手なタイミングで止めたら「あそこ、景気悪いの?」なんて言われてしまいます。


その意味でまずウェブサイトを出来るだけ作りこみ(当時は今ほどソフトがなく大変でした)ネット移行発表の時期を見計らいベストのタイミングを狙って何とかうまく移行にも成功しました。当時紙媒体を持ってた他社からすればうれしかったと思いますが今となってはどっちが良かったのか答えに苦しんでいるところでしょう。


まあ業界内部情報は別にして上記程度の事さえ知らずにバカを晒してこの書き込みで「フリーペーパーで違法行為」ですからこれまた3年または50万円!ですね〜。しっかり貯金しておいてくださいね。


長くなりすぎたので一旦ここで切ります。情報強者になる方法は明日「情報弱者にならないため・その2」で書きます。



tom_eastwind at 14:06|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月20日

ステルスマーケティング

後悔情報を書いてから「ステマですか?」と言う言葉を耳にするようになった。ステルスマーケットと呼ばれて口コミのふりをしたやらせ広告宣伝である。何だかテレビでも特集を組んでやってるそうで認識不足でした。

 

後悔情報の場合は「ネットは公開情報であり名誉棄損は事実であるかどうかに関係なく適用される」と言う趣旨で書いたがステマの場合は少し違う。ネットで書き込んである口コミ情報をそのまま信用する人も情報弱者で問題だけどステマとして書き込みをする場合はニュージーランドでは明らかに違法行為となる。

 

何故ならNZでは会社活動をする際に必要な関連するすべての法律の上に更にもう一個、FAITHと言う基本概念があるからだ。これは誠実義務と言う翻訳で良いと思うが、企業は顧客に対して誠実に対応しなければいけないと規定されている。具体的にどの産業のどのような行為と限定しておらず、すべての商業行為に対して適用される。

 

法律の条項すべてをクリアーしていたとしても誠実でなければ違法となり場合によっては監督官庁から直接指導が発されて強制的にでも誠実義務の遂行を要求される。それでも誠実でない場合は監督官庁による告訴となる。

 

どういうこっちゃ、法律の条文を全部守っても違法かよ?はい、そうなんです、誠実で公正である事がニュージーランドの企業のあるべき姿であり、この考え方でいけばステルスマーケティングは企業がお金を渡して第三者または広告会社に自分のお店の書き込みをさせているのだから誠実でない。

 

じゃあ実際に食べたら誠実なのかと言えばそうではない。法律の穴ぬけの為に書き込み担当者が実際に一回食べてみてそれで褒め記事を書いたとしても違法。問題は食べたか食べてないかでなく、美味しいのが事実であるかどうかも関係なく、正体を隠して提灯記事を書いた時点で不誠実でありOUTなのだ。

 

これが例えばレストランのオーナーが自分の名前を出した上で「うちのレストランは美味い!」と書くなら問題ない。読んでる方は誰が書いたか分かっているからステマは成立せず、褒め言葉に釣られて食事したらげろますだったとしても、これは個人責任。

 

じゃあオーナーの友達がオーナーに依頼されて褒め言葉を書いたら?これも書き込みをする時点で自分と店の関係を正確に表明していれば問題なしだがそうでなければステマだ。カネ貰ってないよなんて関係ない、読者に不誠実な行為かどうかがポイントなのだ。ステルスとは「見えない」から問題という意味であり広告だと「見え」さえすれば単なるマーケティングだからあとは個人の責任だ。

 

ニュージーランドでも在住日本人はこのあたりの法的線引きが緩い人が多い。「NZ大好き」の掲示板を利用してステマやってるのをよく見かけるけど、悪口を書いたら名誉棄損だし良い事を書いてもそれがステマであれば違法行為となる。

 

じゃあ何も書けないじゃないかって、そんな事はない。あなたがお店との利害関係がない状態で正直に自分の感想を書くのであれば問題ない。実際に食べてみて書くも書かないも自分で決定出来る状態でほめる内容の書き込みをするのなら、それは口コミである。但しまずいと書くときは注意しよう、名誉棄損が成立する可能性があるから、ほんとにまずくても(笑)。

 

よく見かけるのが「オークランドで美味しいお店を教えてください」と自分で書き込み、2〜3件ほど間を置いてから自分で「xxレストランが素晴らしかったですう、また行ってみたいですう」と言うやつだ。こんなの見え見えちゃんなんだけど読者からすればステマかどうか分からない。

 

NZ大好きでは書き込みをする場合は事前登録が必要であり、このような場合は管理者が読めばステマかどうか分かるので削除すればよい「この記事はステマ、名誉棄損なので削除しました」って。ところがよくある日本人の言い分は「管理人が“勝手”に記事を削除した」とか言い回る奴。

 

あのですよ、掲示板は個人が管理しているわけであり自分の掲示板を広告版に使われたり名誉棄損に使われたら営業妨害でしょ。広告なら広告として有料記事にすればよい。無料で広告載せるなら詐欺だ。それに「お客を騙すような行為や名誉棄損を見過ごした場合、当社も不正行為を幇助したとして告訴される可能性がありますから削除しないといけないのです」と言う理屈が理解出来ないのだろうか。

 

実際に2ちゃんねるでは名誉棄損を受けた被害者が2ちゃんの管理人に削除要求を出したが削除されずに次々と告訴され殆どの案件で敗訴して賠償金を払うように命令が出た。自分が書き込みをしている掲示板が誰に運営されているのかを理解すれば答えは分かりきっているのだが。

 

21世紀はネットの時代であるからネットリテラシーを理解するかしないかで相当の個人差が出てくる。内緒の写真を勝手にウェブにうpしたり他人のプライバシーを本人に確認を取らずにブログに書いたりしたらそれだけで犯罪行為になるのだ。

 

これが有名人であれば微妙な部分もあるが公人として以外の部分はやはり違法である。例えばキムタクの写真をブログに貼って「かっこいい!大好き!」と書くなら良いが、キムタクの個人用の携帯電話番号や自宅の住所を晒した場合は私人の部分となるのでOUT

 

日本でこれからステマがどのような扱いになるのかは不明である。そのまま定着するのかネット業界団体が自主規制をするのか、違法になるのか合法になるのか?ただしネットはすでに国境を越えた活動を行っている。

 

NZの掲示板に日本からステマをやった場合も日本にいる人間がNZから告訴される可能性は十分にある。てか告訴は可能である。国が違うからって甘く考えてはいけない。裁判では被告が十分な理由もないままに法廷に出廷しない場合は原告の主張が100%認められて罰金や削除命令が出る。

 

支払わなければ?日本にいる限り無視しても逃げ切りは可能だろう。しかしニュージーランドや豪州に旅行に来ることは出来ないですぜ、空港の入国管理局には犯罪情報がデータとして入ってるので入国する瞬間に別室に連れていかれば強制的に罰金及び未払い期間の金利を支払わされてそのまま国外退去。カネがない場合はおそらくだが逮捕されて刑務所に放り込まれて強制労働となり受け取る日当から支払いをするようになる。いつ払い終わるのかって感じだが、払っても払わなくても強制退去なので最低でも2年はNZと豪州には入国出来ない。

 

おそらく他の国でも質問事項に「あなたはどこかの国で国外退去処分を受けた事がありますか?」と言う項目があればまずOUT。つまり入国拒否される可能性が高い。昔なら国外退去を受けた時のパスポートを捨てて新しいパスポートと旅券番号を取り直すって荒業もあったが現在ではチップが埋め込まれておりスタンプがなくてもチップに記録が残されている可能性が高いからこれも無理。

 

ほら、「ほんのちょっとした気持ち」の書き込みが最終的にどれだけ多くの問題を起こすか分かりますか?日本国内にいればこのような状況は理解出来ないかもしれないが、ぼくはちょっとした事で入国拒否が発令されたケースを山のようにじかに見て来たし対処もしてきたから「ちょっとした事」の結果がとんでもない事件に発展したケースが「ちょっとした事」から始まる事も知っている。

 

しかしまあ、ステルスマーケティングなんてやばい事をビジネスにするなんてその時点で順法意識の低さやネットリテラシーのなさを晒しているようなものですな。



tom_eastwind at 11:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月19日

抜糸

今日の午後はりょうまくんの抜糸の日だ。そうか、ナイフで刺されて(笑)もう7日目なんだ、今週は時間がたつのが早いな。ほんっと、早い。来週からまた日本出張だからオークランドで仕事をしたのは実質10日もなかった。10日の間に正月に来たメールの整理とそれぞれの業務担当決定、今年の方向性についての会議、お客様との面談、新規案件の対応、それに今年一番のテーマである海外相続について会計士と打ち合わせなど、かなりばたついて仕事をした。

 

僕の仕事の場合は営業時間と言うのがないから基本的に起きてる間はずっと仕事をしているようなものだ。オフィスに行かなくてもメールは読むし返信を書くしチャットで簡単な打ち合わせも出来る。てか、オフィスはぼくがいない事を前提に作業システムが出来上がってるので「いると邪魔!」と言う声をよく聞く(笑)。まあそうだろうなと思う。会社にいるとついつい皆にあれこれ質問したり仕事の指示したりするから、僕のいない生活に慣れているスタッフからすれば仕事の邪魔をされるわけで「いると邪魔!てか、いるな!」くらいなのかもしれないな、ははは。

 

りょうまくんは2針縫っただけで大した怪我でもないのだがそれでも怪我には変わりなくニュージーランドのACCが適用されてすべての医療行為や絆創膏代は無料だ。ACCと言うのは国が作ってる保険会社で彼らがりょうまくんの代わりに病院に費用を支払ってくれる。

 

ホワイトクロスクリニックはちっちゃな民間診療所であるが待ち時間はほぼ毎回ゼロですぐに診察室に入れてくれる。待ち時間ゼロと言うのは有難い。そう言えば当社メディケアチームが入ってるクリニックビルも殆ど待ち時間がない。公立病院で長々と待たされるのに比べると全然違うな。

 

ニュージーランドの医療については政府は将来的には公立病院を減らして私立病院を増やして品質の高い治療サービスを提供しようとしている。もちろん民間なので個人が負担することになるがそれは個人が保険に入ってもらえばよい、その分税金を安くするよってイメージだ。

 

つまり公立病院ではまさしく「公」の為に民間のようなサービスが提供出来ず、そんなところに税金を使うくらいなら税金を安くしてその分で国民に保険に入ってもらい民間病院に行ってもらえば良い、民間医療機関は競争原理が働くし保険会社は商売が出来るから国家全体としてもこの方が良いと考える。

 

ニュージーランドの当局が日本の厚生労働省の実態を見たら呆れるだろうな「何だこりゃ、役人天国じゃないか、患者視点もなければ医療現場の厳しい実態を理解しようともせずひたすら自分たちの天下り先ばかり探している」って。

 

NZの場合は国が出来るだけ関わらないようにすることで役人の数を減らして税金を安くして民間活力を利用しようとする。その代わり日本と違って医療にはかなり自己責任が要求される。例えばトリアージュと言う考え方が導入されていて、救急などのケースでは患者は誰でも順番通りに見るのではなく緊急度合いに応じて治療を受けるから治療を受けても助かる見込みのない患者は一番最後に後回しになる。その事を病院の待合室や診療室の壁に張り紙で説明している。

 

ホスピスがあるので治療をしても治る見込みのない患者はホスピスに入り人生の最後を落ち着いて迎える。日本のように植物人間状態でもチューブを付けて少しでも儲ける、じゃなかった長生きをさせるという考え方はない。そこでは家族の納得が必要となるが、この国では殆どの場合は「彼はもう十分治療して苦労した、もうこれで十分だ、ゆっくりさせてやって欲しい」と医者に訴える。

 

日本でこんな事やったら殺人罪か殺人ほう助になるから医者は手助け出来ない。医療費はかさみ健康保険から高額の費用が出ていく。寝たきりの患者を介護する家族は介護疲れでくたくた。それでも誰も「生命維持装置を止めて下さい」と言い出せない。

 

結果的に医療費がかさみ健康保険が財政難に陥ると税金を上げるしかないが、そうすると選挙民が「増税反対!」と言う。政治家は選挙で落ちたくないから「増税反対!国民生活を考えろ!」と叫ぶ。あふぉかい全く。

 

ニュージーランドではこのような無責任で無自覚な国民では「あふぉ」呼ばわりされて終わりだ。前回の総選挙でもジョン・キー首相は野党党首テレビ対談でも無責任な事ばかり言う労働党党首に「そうかい、それじゃお金はどこから出るんだい?税金上げますか?医療の質を下げますか?」と言った。無責任な発言はその場その場ではいかにも人道主義者に聞こえて心地よいが、実はそれは破滅への道をひた走るでしかない。地獄への道は善意で溢れているとはよく言ったモノだ。

 

ベッドに横になったりょうまくんに看護婦さんがささっとテープをはがして傷口をチェックする。その場でPCにりょうまくんのデータを入力すると次の流れを説明してくれる。「これからドクターが来て傷口を見ます。問題なければ次の看護師が来て抜糸します。再度大型絆創膏を貼ってそれで終わり。もし傷口が痛くなったりしたら戻って来てね。何もなければ今日で治療は終わりですよ」

 

なぬ?看護師が抜糸?日本なら看護師が医療行為なんてあり得んと言う話だがこちらの看護師は学校で取得する資格によって簡単な医療行為を行う事が出来る。だから抜糸はもちろん注射も出来る。

 

医者は忙しいのだ、抜糸や注射や検査など簡単な事をいちいち医師がやってたら時間とお金の無駄である。なので簡単な医療行為であれば看護師が行うという理屈。ごくごく当然の理屈であり日本でも看護師の方が新米の医者よりいろんな事が出来る。しかしやっちゃいけないって法律があるから目の前に簡単に治療出来る患者がいても看護師は手を出せない。痛がる患者、見守るしかない看護師、忙しくて来れない医者、誰もがバカを見ている。これは高いお金を払って医者になったのに看護師に仕事を奪われたくない医者の陰謀か厚労省の役人は本気で「看護師が医療なんて出来るわけがない!」と思い込んでいるのか。いずれにしても無駄の塊だ。

 

りょうまくんの傷口はきれいになっており前回と同じマイケル先生が今日もラフな私服でやって来て「ハイ!調子はどう、見せてごらん、おお、きれいになってるね、じゃあ今から看護師を呼ぶよ、何か質問はあるかい?状況はちゃんと理解しているよね?」と確認してくれる。没問題、そしてすぐに看護師がトレイに手術道具を乗せてやって来る。

 

抜糸はあっと言う間に終わり(実際には、あ、ではなく大体2分程度だ、2分続けて“ああああああ”なんて言ってたら酸素不足で死んでしまう)新しい防水絆創膏を貼ってもらいすべて終了。「ありがとう」と言ってぼくらは病院を出てりょうまくんは塗りかけの模型の為にゲームショップに戻る。

 

人はいつか死ぬ。家族もいつか死ぬ。その現実を受け入れて現実的な対応をするだけで日本の医療現場は随分と変わるのだが、変わる事が出来ないのは厚労省か日本人か?



tom_eastwind at 19:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月18日

りょうまくんはもう年長組だ

今日は個人的な日誌なので興味のない方は無視してください。

 

りょうまくんはもう年長組だ。14歳になり一人で自宅にいてもOKな状態。NZでは13歳までは子供を一人で放置すると親が逮捕される。このあたり、日本ではちょっと信じられないくらい社会が子供を守るという発想が徹底されている。

 

父親が10歳の娘と一緒にお風呂に入って写真を撮ったら「幼児虐待及びポルノ規制」で速攻たい〜ほだし、10歳の男の子がやんちゃしてその子の父親が頭を叩いたらDVたい〜ほの国だ。夫婦喧嘩で大声出してたら隣家が警察に通報して親父逮捕なんてのも珍しくない。

 

日本における子供の虐待とかは、キーウィからすれば信じられないだろうな。毎晩子供が親に殴られて泣いてるのに「家庭内の問題」として何もしない警察や自治体などNZではあり得ない。ぼくはかなりNZの価値観を身に付けてはいるが基本的に日本人なので子育てについてはかなり意識しておかないとやばい。

 

りょうまくんは今日もStLukesWarHammer(ゲームショップ)で楽しく遊んでいる。スクールホリデイは今月末までなのでこのお店は毎日20人以上の子供たちが集まり三々五々、ゲームをしたりプラモデルに塗装をしたりおしゃべりしたりで楽しんでる。これは子供同士のコミュニケーションの勉強の場として有効である。

 

つい2年前までは政府認定の自閉症だったりょうまくんも、今ではゲームショップの年長組で10歳くらいの子供たちを相手にゲームのルールを説明したりして楽しんでる。ほんと、自閉症ってのは治る病気であり環境さえ変われば子供が心を開いていく。

 

日本のようなストレスの多い社会では感受性の強い子供は殻に閉じこもってしまい出てこようとしない。それがいつまでも続くうちにいよいよ心が壊れていく。こうなるともう救いようがない。

 

りょうまくんの場合は生まれついての自閉症で、香港時代から政府認定の養護学校に通いNZに来てからもずっと養護学校通いだった。二か国の政府から自閉症認定されう子供なんてあんまりたくさんいないだろう。

 

NZでは子供を出来るだけ外に出して普通の生活をさせようとする。生卵の殻をぶつければそりゃ壊れるわな、けどゆっくりとゆで卵にすれば殻をむいても中身は壊れない。その、ゆっくりと実社会につけていく方法がNZでは実によく出来ていると思う。幼児教育を専門に勉強したプロが自分の仕事を金儲けの為ではなく社会の為に役立つだろうと考えて参加している。

 

そうやって今りょうまくんは毎日楽しく子供たち同士で遊んでいる。このWarHammerゲームのよい点は、算数と英語が同時に勉強出来る事だ。戦争ゲームなのだけど自分の部隊が相手の部隊とさいころを振って出た目で駒を進めるのだが、そこで足し算引き算を覚える事が出来る。

 

14歳で足し算引き算かよ?と思うかもしれないが2年前まではまともな言葉も話せなかった事を考えれば素晴らしい進歩だ。でもって英語の勉強とは、このゲームはかなり複雑であり駒の名前から始まって動かし方や戦い方について英語で学ぶ必要がある。この本が英語の構文や単語を覚えるという意味で役立つ。

 

りょうまくんは学校の教科書を開くと3分以内に寝るという特技を持っている(笑)。けれどゲームの本であれば一晩中でも寝ずに読むことが出来るし親が何を言わなくても一生懸命算数をやっている。

 

一体親が子供に求める事って何なのだろう?普通に育ってくれればいいと言いながら塾に送り出し夜中まで勉強させて、それで出来上がった子供が大学に行っても周囲は更に優秀な子供ばかりで結局まともに就職も出来ないなんてなったら、親が何の為に子供に教育を押し付けているのか意味不明である。

 

ちっちゃな子供は非常に感受性豊かだ。不登校になる子供の特徴は、心が優しいとか思いやりがあるとか、要するにまともな子供なのである。まともだから学校の授業の押し付けが理解出来ず、間違った事を教えられてる事に耐えられずに不登校になる。

 

そのような子供の感受性をすりつぶして箱に押し込んでところてん状態にしていくのが日本の教育だ。そのようなロボット製造装置にはめ込まれた子供は本当にかわいそうだ。大人になって海外と取引をするにしても全然ついていけない。感情がないから相手の言ってる事が理解出来ない。

 

南米のタンゴの先生が日本で暫く日本人向けに教えていたが、彼がいつも言ってたのは「君らは形だけは覚えるが感情がない!何故今その手を開くのか?何故いまそのあごを上にあげるのか?一つ一つが自分の思いを表現するための手段なのに、君らはビデオで見た形をまねしているだけじゃないか」と言った。

 

日本人のバレー教師が日本人に教える時も同じような悩みがある。「あなたたちは感情があるの?形じゃないでしょ、自分の内部にある気持ちを人に伝えるのが踊るって事でしょ?どうして分からないの?」

 

バリシニコフと言うバレーダンサーがいる。WhiteNightと言う映画の始まりの部分で見せる彼の踊りは、もう言葉を必要としない感情の発出であり、当時踊りなどをばかにしていた僕の頭を思いっきりぶん殴ってくれた。

 

それ以降も本当の踊りとは人々を感情の渦に巻き込んでくれるものだと思わせる作品に巡り合えた。最近で言えば去年観たBlackSwanだ。

 

りょうまくんは本当に心の優しい子供だ。親ばかではなく本当にこの子は人に対して優しい。りょうまくんは自分が自閉症時代だったころの事もちゃんと覚えている。ぼくがりょうまくんを怒鳴りつけて彼が傷ついても、それでも親を許してくれる。「仕方ないもん、ぼく、ばかだったからね」

 

親が子供を教育するという。けど教育の素人が、ましてや自分たちがところてん教育を受けて洗脳された状態で、何を子供に教えるというのだろうか。

 

りょうまくんの学校の成績はあまり良くないので教育熱心なお母さんは今からりょうまくんの将来の事をいろいろと考えている。ぼくはりょうまくんが心の優しいままで大人になってくれればそれで十分だと思っている。このあたりはコップに半分入ってる水を多いと思うか少ないと思うかの違いだろう。

 

ぼくはこのままで良いと思ってるがお母さんはもっともっとと考えている。いつもの事でお母さんの意見が通るのが当家の習わしであり(笑)、それはそれでお母さんの希望が叶うようにお父さんが一生懸命働くしかない。子供の為ならどれだけでも働けるもんね。



tom_eastwind at 16:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月17日

日本を見限る?

最近のBLOGOSは玉も石ころも同時に転がってる状態で、まあこういうのを多士済々と言うのなら多士の中には入りたくない気分。

 

ちきりんさんと言う有名なブロガーが「日本を見限る」ってテーマで書いたブログだけど、読んでてなるほどと思う部分とそうでない部分がある。当然だろう。誰かの意見に全面賛成なんてのは余程の事がない限りあり得ないし、こういう意見公表の場では良い意見や役立つ意見は取り入れてそれ以外の自分には役立たない意見は無視すれば良いと思ってる。

 

ところが日本の場合は「何を書いたか」ではなく「誰が書いたか」で話が違ってくる。ちきりんさんを嫌いな人は彼女の文章のすべてを否定するし彼女を好きな人はすべてを全面的に認めて彼女に反対する人を攻撃する。

 

日本は広いから色んな意見の人がいて当然だが書き込みを見ていると「色んな意見」ではなく単なる感情論で誰が書いたかがすべてで内容そのものの分析をしようとしてない、非常に子供っぽい書き込みになっているのが特徴だ。

 

議論に慣れてくれば相手の言ってる全体像と部分と事実とそれを捕捉するデータと主張とが一つ一つ区別されて見えてくる。けれどそういう訓練をしないままにいきなりネットの世界に飛び込むと「ひもなしバンジー」になってしまう。

 

でもって最近は妙な日教組系の書き込みが目立ってしまい、これはうざし。数名に限られているのだが、中国様様だからやってられない。

 

かと言って一般企業系がまともかと言うとそうでもない記事も目立つ。BLOGOSは投稿量は増えたものの全体に質の低下をしているのではないか。

 

その中のちきりんさんの「見限る」と言う言葉に色んな反応が出ているが「“日本を見限る”とは日本人としてどういう事か!?誰がこの国をよくするのだ?!」と言う意見が出てくる。これこそぼくからすれば競馬場の馬にんじん状態に見えて仕方がない。こういう人がいつも日本を間違った方向に導いて来たんだろうね。

 

まず日本とは何か?この議論をきちんと整理せずに次の段階に話を持って行ってもお互いに前提が違うのだからいつまで経っても平行線にしか過ぎない。日本人とは日本に住む事だけを意味するのではない。日本を見限るのではなく現在の日本政府と政府を支持する人々(既得権益がもらえる人たち、農協とか官公労ね)を見限るのだ。日本人であり日本を愛する事には変わりはない。ただ今の日本の政治や教育を構築した人々とそれを崇拝したり利用する人々とは自分の価値観とどうしても合わないから自分の価値観に合った国に引越しをするだけだ。

 

例え住む場所が違っても日本人であり続けることには何の変りもない。国籍がどこであれ日本人であるアイデンティティは何も変わっていない。むしろ海外で誇りを持って日本人である事を自慢したいくらいだ。

 

実際に海外に出てみれば日本人に対する評価が高いのがよく分かる。実直であり驕らず威張らず嘘をつかず真面目に一生懸命に仕事に取組みアジア人移民の中でも別格の評価を受けている。

 

ニュージーランドも例外ではなく、一時期アジア人バッシングがあった時にアジア人が暴力を振るわれることがあった。そんな時中国人は「ぼくは日本人だ!」と言ったら暴力の手が止まったとか、日本人が被害に遭いそうになって「ぼくは日本人だ!」と言ったら「何だ、早く言えよ、悪かったな〜、中国人と思ってたんだ」と言う話がある。その当時はうちの会社で大きくJのイニシャルの入ったバッジを作って売ろうかと本気で考えたものだ。

 

海外に出て生活をするという事は今までの社会的地位も給与も実績もすべて捨ててくるから相当の覚悟であり、その重さを分かった上で家族が一家で海外に出て苦労しながら生活基盤を作っていき、その町の人々にも認められて新たな社会基盤を作る、そういう個人レベルでの苦労が日本人を世界に広めていくことが出来る。

 

けれど今の日本にいたら何が出来る?結局政府の言いなりでしか生きていけないし逆らえば逮捕有罪である。日本の教育システムが歯車製造蔵置だと分かっていてもどうしようもない現実を受け入れろと言うのか?それが日本人なのか?

 

もちろん歯車になる事が好きならどうぞご勝手にである。世の中には自分の頭で考えるのが面倒な人もいるだろうしそういう人には歯車はお気軽で良い。しかしどうしても歯車が納得出来ず日本の仕組みも納得出来ない場合は出ていくという選択肢以外はない。

 

ここでちきりんさんの言葉が「見限る」という表現になるためにまるで後ろ足で砂をかけて出ていくような感じがするが現実はそうではない。海外組は日本が良くなって欲しいけどここ10年は無理だろう、残るも地獄出るも地獄、ならば海外に出るという行動に移してみようではないかと考える人々なのだ、かなりどきどきしながら実行しているのだ。それもこれもシステムが崩壊しているのに修正出来ない一部の既得権益者がバカな事を続けているからだ。ある意味こちらは被害者である。既得権益者が日本全体の事を考えて自分の利益を手放して他の人と同じスタートラインに立つという勇気を見せてくれたらこちらは海外に出なくても良いのだ。

 

時々書き込みで僕の事を似非日本人とか中国ダイスキ日本人とか書かれるが、人の文章まともに読めば理解出来る事が理解出来ないのは、やっぱり脳内劣化症か読解力なしなし症かカネ貰って仕事している連中であろう。

 

「日本を見限る」なんて略して書くから誤解を受ける。面倒くさくてもはっきりと「既存の支配者だけが法律を無視して寡占政治を行うシステムと一部既得権益者だけが永遠に利益を得る仕組みを変更しようと民主党に投票したりみんなの党に期待したりしたけどやっぱりどれも無理、現実的な自分たち家族の生活を守るためには今のシステムを見限るしかない、その現実的な選択とは海外移住しかない」と書くべきだろう。

 

もちろん日本国内で生活をして楽しい人も多いだろうからその人たちに海外どうのこうのと言う話をしているわけではない。彼らが今が幸せならいう事はない。ただこちらの選択肢に対して非国民とか日本を愛してないとか言うのなら、まずお前らが持ってる既得権益を全部捨ててから言えと言いたいだけだ。



tom_eastwind at 16:20|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月16日

食べログ 後悔情報について

ぼくが小学校の頃は携帯電話もないしeメールなんてのも当然なくて、好きな彼女に連絡を取るのは手紙か近くの公衆電話しかなかった。黒い電話でじーこじーことダイヤルを回す奴だ。

 

1970年代後半になってやっとファックスや普通紙コピー(当時はゼロックスと呼ばれていた)が世の中に出回るようになったが、ファックスは緊急事態用だから普通は往復はがきを使ったりとか、普通紙コピーは高いから昔の青コピー使ったりとか。

 

けど日本の発展と言う面から見たら実に楽しい時代だった。毎日がどんどん良くなっていき今日より明日の方が良くなるって世の中全体が本当にそう信じてたし実際に生活もどんどん向上していった。

 

そんな時代にたくさんの友達も出来たが当時はFACEBOOKもなく海外に出てしまえば連絡を取る事も簡単には出来なくなった。けれどインターネットがそれまでの社会を一気に変化させた。誰もが誰とも簡単に連絡が取れるようになった。そして懐かしい知り合いから連絡が入ったりするとほんとにびっくりする。こういうのはネットの良い面だと言える。

 

しかし最近はネット炎上とか個人的な情報を平気でネットに載せる人たちがいる。ブログやMIXIは閉鎖された空間だとでも思っているのだろうか、これはもうネットリテラシーの低さとしか言いようがないけど、情報は公開しても良いものと悪いものがある。

 

この辺の区別がつかないのは学校で教えてないからか(笑)それにしてもネット世代であるはずの20代の人々がこんな事件を起こすのは自分の持っているモノが実は爆弾になり得ると理解していないからだ。

 

世界では「情報戦」と言う言葉があるように情報は常に兵器になり得るしうまく使えば役立つが扱いを間違えれば非常に危険である。食べログ事件なども同様に店を潰すためにも使えるし繁盛させるツールにもなる。そこにある口コミと言う「媒体のルール」を理解しないまま行動を起こすと大変な事になる。

 

これも昔の話だが、ある団地の回覧板事件だ。1970年代はあちこちに団地が出来て地域住民が情報を共有したり周囲に広めたりするのに回覧板が利用された。A4サイズのベニヤ板に紙に書いた情報があり、これを団地住民が回し読みして読んだらサインしたりハンコ付いたりしてお隣に回す仕組みだ。

 

この掲示板に団地内にあるちっちゃなパン屋の不満を住民が書き込んだ。中傷にあたるような「美味しくないし材料何使ってるんだかね〜」みたいな内容だ。これを読んだ回覧板住民は「え、そうなんだ、じゃああそこで買うのは止めよう」と言うことになり、このパン屋やそれから3か月後に倒産してしまった。

 

パン屋はその後裁判所で争い「名誉棄損、営業妨害」にあたるとして住民が敗訴したのだが、店が潰れてしまった後で裁判で勝ってもどうしようもない。

 

ではこれが口コミだったらどうなるのか?この裁判では「もし口コミだったら敗訴しなかっただろう」と言われている。では回覧板と口コミはどう違うのか?それは文字に残したかどうか、全体に広まると分かっている媒体を使ったかの点だ。

 

口コミで一対一でやり取りする事ならば何を言っても秘密の話になるがネットに乗ればそうはいかない。現在食べログで起こっている口コミ事件はまさにこれだ。例えネットで口コミと言ってもそれはネットに乗った瞬間に口コミではなくなり全員が共有する情報となり得り、そのまま「営業妨害、偽計、名誉棄損」から証券会社などが恐れる「風説の流布」まで様々な犯罪を作り出すことになるという事に気づかなかった多くの人がいた。

 

インターネットはまさにこの「全体に広まる媒体」でありそこに個人情報を掲載すればそれは名誉棄損に当たるし内容によっては損害賠償も請求されかねない。2ちゃんなど匿名ならどうかと思う人もいるかもしれないが現在の警察のネット調査技術は非常に進化しており匿名であっても簡単に書き込みをした本人が特定される。

 

そして他人が書き込んだ内容を追加する場合も同様に規制の対象となる。例えば「AさんがBさんとxxでさ〜」と誰かが書き込みそれを読んだ人が「そう言えばこんな事もあったよね〜」と書くのもダメ。名誉棄損とは事実かどうかに関わらず公表してはいけない個人情報を公表する事なのだ。「事実だからいいじゃん」なんて通らないのだ。

 

こんな時に素人がすぐ使う言い訳が「だって火のないところに煙は立たないでしょ」ってわけの分からん理屈だ。誰かが誰かを中傷しようとすればまず煙を立ててそれから火をつける、こういうのがマッチポンプであり、煙が見えたからって言ってそれを真に受けるようではその時点でネットリテラシーなしだ。

 

古い話だが米国がイラクに侵攻したのは「大型破壊兵器を持っているから」だとした。戦後そんなものは最初から存在しない事が分かったが殺されたフセインからすれば後の祭りである。これは高度なマッチポンプで、イラクが「持っていない」と主張すると「持ってない事を証明しろ」と言い出して、持ってないことの証明など出来るわけもない(悪魔の証明と呼ばれる)から攻め込まれた。米国が「煙が見えたぞ、どこかに火があるんだろー、おいみんな、一緒に火消しをしようぜ」とやった結果が10年近いイラク駐留と多くの兵士を失う失敗と撤退と言うバカげた結末を生んだ。

 

他にもよくあるのがネットの仕組みも知らずに「あいつ、おれがコメントしたのにコメント欄に反応がでない、都合の悪い事は消して逃げるのか」と書き込み、それをまた他の人間が「そうだそうだ、そんな奴は悪い奴だ」と面白おかしく書くのだが、コメント欄は反応を出すも出さないもブロガー自身が設定できる事を知らないと言う事実をさらしている。ネットはブログであろうがFACEBOOKであろうがTwitterであろうがすべて媒体であるという事実をよく理解した上で書き込まないと大変なバカをさらす事になる。

 

ぼくの場合こういう媒体危険知識は当社で地元向けに無料新聞を発行している時にかなり身に付いた。新聞は媒体であり誰が読むか分からない。だから自分の書く記事は掲載前に四方八方からチェックして問題ないかどうかを確認した。

 

もちろん掲載記事が問題になる事はあるしそれは予め狙った効果であれば良い。何かの問題提起をしたい時に媒体を持っているというのは非常に強かった。

 

ある時ニュージーランドに移住して住宅を購入してそこで生活を開始しようとした人が日本人の車ディーラーに騙されてしまった事件があった。その時ぼくは内容をよく聴き相手側の情報も聞きその上で相手側にも実際に連絡を取り、どうも相手に全く誠意がなく交渉をやる気がなく、騙した事実を認めていながら無視したりだったので、新聞を使ってそこに公開質問状を掲載した事がある。

 

当然これは当社が告訴される可能性もあり相当に慎重に行ったが結果的にこれで話し合いのテーブルに乗るようになった。

 

媒体と言うのは使い方によっては非常に効果的であるがインターネットが媒体であるという事実をしっかり認識して利用しないと、とんでもないトラブルに巻き込まれる。ネットだから何を書いても良いとか知り合いだけの内部情報だからなどと思い込む前に今自分が使っている媒体が何なのかをよく理解しておこう。



tom_eastwind at 10:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月15日

成人の日

あれ?今日は成人の日ではなかったかな?115日でしょ、成人の日でしょ、朝起きてふとそう思ってニュースを見ると成人の日のニュースが全然出てこない。あ、そうか成人の日って移動式になったんだと思いだした。

 

けどさ、この祝日なんてまさに「私が知らない間に」変わってしまったものの一つである。調べてみると「1948年公布・施行の祝日法によって制定された。制定から1999年までは毎年115日だった。成人の日を115日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれている」だってさ。1999年、まさに「知らん間」のできごとだ。

 

1999年はまだインターネットが今ほどには流行しておらずファックス中心の時代で、オークランドでは共同ニュースが有料でファックス通信をしていた。その後ネットが一気に流行ったが日本で生活をしていないから成人の日が「ずれた」という認識がいつまで経っても頭に浮かばないのは困ったものである。

 

ついでに成人の日の成り立ちを見てみた。

「成人の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23720日法律第178号)第2条によれば「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としている」のだそうだ。

 

うむむ、何か違うな〜、今の20歳が「おとな」になった?自ら生き抜こうとする青年を祝う?ん〜、これさ、昭和20年代や30年代なら分かる。あの頃は大学に進学する若者は10%程度と少なく多くの若者は中卒が金の卵と呼ばれ集団列車で東京に出ていき都内の企業に就職していたから、15歳とか18歳で就職して社会に出て数年たっているので「おとな」と言えたが、今のように大学進学率50%の時代では「みずから生き抜こうとする青年」と呼べるかどうか。

 

そんな事を考えていたら赤木智弘氏の記事にたどり着いた。

http://blogos.com/article/29423/

 

今の学生って、大人であるかどうかは別にして「就活」で大変なんですな〜、現役の若者が実体験で書いているから説得力がある。普通にニュースを見る限り「日本ではその気になれば仕事はある」と書かれているが、一旦そのような仕事に就けば毎日食うだけが精いっぱいであり親に寄生するしかなくなるし、そうなると結婚も自立も出来なくなる、そんな生活が嫌だから授業そっちのけで誰もが就活に一生懸命になるのだと。

 

何だかこういう記事を見ると確かに日本の支配側は見た目だけの政策しか取ってないというのが分かる。僕は表面的な部分しか見えてないから「若者が仕事がないって言っても仕事はあるじゃんか」と思っていた。けどそういう仕事に一度就くとそこから抜け出すことが出来ないって社会の仕組みは知らなかったな。そっか、就職の現場ってそんな構造になっているんだ。それも正社員と非正規社員の違いがこんなに大きいなんてなー。

 

だってニュージーランドでは正社員も非正規もない、すべて社員である。若者は中学を出て親の牧場で数年働いてから大学に行きなおすことが出来る。20歳になれば誰でも大学に入れる仕組みがあるから、専門教育を受けたければ大学に入学して3~4年勉強すればよい、その期間の学費は国が貸与してくれるし生活費補助は国が無料で支給してくれる。

 

入社条件には正社員と言う表現さえ存在せず男女別も年齢も履歴書に書くこともない(書きたければ書いても良い)。大卒で新卒とか中途採用と言う考え方も存在しない。必要な時に必要な数だけ採用する。

 

会社が一旦正式雇用すると簡単に辞めさせることは出来ないが退職パッケージと言うのがあって(給料のxxか月分+いくらかの条件とか)これを出すと社員の方から喜んで辞めてくれる。パッケージをもらいながら次の就職先を探しても良いし給料がなくなったら社会保障で失業手当をもらえば食っていける。一般的なのはパッケージを受け取ったらその期間は有給休暇だ〜!って感じで捉える人の方が多い。

 

とにかく政府は企業に余分な事はさせない。挨拶や礼儀などの青少年教育を会社が提供するとか60歳まで雇用し続けるとかやってたら企業は若い人を採用しないよ。若者を雇うのにそんなリスクを背負うくらいなら給料が高くても能力の高いベテランを雇うしそうでなければ海外の企業に業務を丸投げする方が安くて済む。

 

ところがそれでは若者の労働市場を失ってしまい国家の安定と繁栄には繋がらない。企業にとって能力の未知な若者を採用する理由は、給料が安い事と言う事をよく聞くからだ。そこで政府側も若者を雇用しやすいように企業に対して90日ルール(90日以内であれば正式雇用語で絵も解雇出来る権利)を提供して若者の雇用増に努めているし最低賃金はお隣の豪州よりも安く設定している。豪州はだいたい17ドル程度、NZ14ドル程度。

 

また一旦失業した専門能力のない若者でも専門能力を付けるためにWINZ(日本のハローワークみたいな政府組織)のカウンセラーが企業に対して「ねえ、給料半額を政府が半年くらい負担するからこの子雇ってよ」と言った個別対応をする。

 

事このようにニュージーランドでは政府の若者雇用対策と企業のインセンティブが一致するように労働政策が作られている。だから雇用する側も大きすぎるリスクがない。NZの失業率は6%だが欧米社会の中ではかなり良い就職率と言える。その上高等専門教育システムもあり自分がやる気さえあれば何度も社会と学校を行ったり来たり出来るし社会がそのような人々を受け入れる仕組みが出来ている。その視点からすればよくできた仕組みである。

 

ニュージーランドで大学などの高等教育を受ける一番のメリットは英語で学ぶし欧米的思考能力が身に付く事だろう。オークランド大学を優秀な成績で卒業出来れば就職の幅は世界に広がる。選択肢の幅が桁違いに広がる。給与や休暇制度などは日本に比べれば格段に良い。仕事の厳しさは当然であるがそれは日本でも悪い意味で同じ(社畜として無意味な社内ルールを強制させられる)であろう。同じ厳しさなら転職に有利で実務的な技術や知識が身に付く欧米系の方が良いと言える。

 

日本で大学教育をほったらかして就活してそれで就職出来るところは日本国内企業、その後も一生日本国内の労働環境に抱え込まれたままで転職をするにも一企業のルールしか学んでないから他社では通用しない。

 

今の日本の就活は若者が個人的に解決のしようがない仕組みになっている。誰かが仕組みを変えようとしても当事者である若者は就活をせねばならず仕組みが良いとか悪いとか言ってられない。周囲は直接の利益がないので無理をしてまで仕組みを変えようとはしない。そうこうしているうちに日本独特の社会の中に取り込まれていく。

 

そして政府からすれば殆どの若者はそのようなところてん式の社会に入り込んで決まった場所でずっと黙って働いてもらう方がコントロールしやすいから良い。実によく出来た日本の就活システムである。



tom_eastwind at 19:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月14日

泥棒天国

ニュージーランドは治安の良い国と言われて実際に肌感覚でも同様である。とくに田舎町はまさに昭和時代の日本の田舎と同様であり街中お互いに顔を知っているから変な人間が来ればすぐに分かる。けれどオークランドとなるとさすがにそこまで治安が良いとは言えない。それでも日本の同様の都市、例えば東京、福岡などと比較すれば良い方だと言える。

 

ただしこれも本当に地域差があり、一番治安の悪いと言われるオークランド南部では車を降りて街を歩くことさえ躊躇いたくなる通りがたくさんある。ハーバーブリッジを渡ったノースショアは平均的に治安が良い。東海岸沿いには治安の良い地域や街が並ぶ。大雑把に言えば北と東が良くて南と西があまり良くない。

 

けれどどこの地域でも同じなのが警察の対応である。それは毎年クリスマス休暇明けになるとあちこちで言われる「自宅を留守にしている間に泥棒に入られたのよ〜」である。とくにオークランド東南部のホーウィックあたりの高級中国人住宅街からだ。

 

元々ホーウィックは地元キーウィのリタイアメントが生活をするのんびりした丘陵地帯だったが1990年代に香港の中国返還をひかえてNZに移住した香港人が多く住んでいる。彼らはすでにお金持ちであり今さら働く必要もないために(NZで働いても香港ほどには稼げない)カジノに行ったり友達とパーティやったりする。

 

彼らの住んでいるホーウィック地域はすぐ隣にパクランガと言う低所得住宅街がある。そしてこのあたりのガキんちょのコソ泥がヒマをあかしているついでに目を付けた中国人家庭の出入りを見張ってて、中国人が外国に旅行に出た間に大型トラックで乗り付けてまるで引越しのようなふりをして家財道具一切合財かっぱらっていくのである。

 

旅行から帰って来た中国人はびっくりして地元警察に届けるのだが警察が来るのは良くて翌日、週末が重なれば2~3日後なんてのは珍しくない。当然中国人は怒る「警察は何やってんだ!犯罪だぞこりゃ!」と文句を言う。

 

ところが警察は「ああそうですか、じゃあ報告書を書きますからその紙もって保険会社に行って請求してくださいよ、え?なに?保険に入ってない?そりゃどうしようもないな。まあとにかく調査しますけどあまり期待しないでくださいね、でっは〜」となる。

 

こうなると中国人はもう意味が分からない。いくら犯罪が多い香港でも警察はきちんと調べて指紋を取って足取り調査をしてくれる。何故治安の良いニュージーランドでそれが行われないのか?これは日本人でも同様で、この国の仕組みを理解出来ないと何故警察がコソ泥を捕まえないのかが理解出来ない。

 

この背景を理解するには国家の基礎となる税金とは何ぞや、左翼が考える「犯罪は何故起こるのか」、「少年の教育はどうあるべきか」などについてキーウィの考え方を理解する必要がある。これはキーウィ自身も気づいてない深層心理である。彼らは他の社会と比較する事がないからなぜこうなのかを考えようとしないから質問されても答えが分からない。

 

まず最初にあるのが、キーウィは社会主義から出発したので泥棒などの犯罪者がいない社会である。それでも泥棒をするのは社会構造に問題があるのであって泥棒の問題ではないと考える。

 

だから泥棒を許し社会が反省する。有名な話だが泥棒が自宅に入ってきて家主がバットで撃退したら家主が暴行罪で訴えられたという話だ。家主は素直に自宅にあるものを渡して後日なんちゃら委員会で社会の在り方を語るべきだという発想が今でも残っている。

 

これをそのままキーウィに聞くと「そんな事ないよ、泥棒が入ったらバットで撃退するよ」と殆どの人が言うだろう。ところが裁判所ではそのような判断はしない。何故なら裁判官は殆どが1970年代の社会主義者でありニュージーランドの裁判官は互選制、ちょっと説明は難しいが要するに試験に通れば誰でもなれるわけではなく「現役の裁判官が認めた法律家」だけがなれるのだ。そして現役裁判官は左翼なので裁判官になれるのは必然的に左翼的社会主義者と言うことになる。

 

そこでどうなるかと言うと、まずはコソ泥が自宅を荒らした場合は保険会社に請求して金銭的被害を補償する。犯人は捕まえない。何故なら捕まえるために新たに警察官を雇えば一人当たり年間10万ドルは費用がかかるのでそれを誰が負担するのかと言う話になる。

 

もちろんそれは税金で払う訳であり、そうなれば税金を上げても良いのかと言う議論になる。それなら金銭的被害は保険会社が払うのだから何もなかった事にして警察が動かない、これが誰にとっても一番の正解でしょと言うわけだ。

 

正義を実行する?泥棒を捕まえる?何の為に?実利を考えましょうよ。たかがコソ泥だし裁判所に連れて行っても初犯は無罪、二回目はPD(公益労働週1回3か月程度)、三回目以降でも刑務所に入れると監視費用がかかるので自宅軟禁(HomeDetention)で終わり。そんなんで警察がいちいち捕まえる意味がないから必然的にコソ泥は放置するのがニュージーランドである。

 

じゃあ警察は何をしているのか?交通違反の取り締まりと(これは儲かる!)週末の若者の酔っ払い取り締まりだ(これは腕試しに良い!)。警察が本気で取り組む捜査は、家庭内暴力とか殺人事件、麻薬などだ。

 

だから泥棒をあまり熱心に取り締まらないというのは、一つには社会主義的発想がありもう一つは現実的に増税してまで取り締まる必要があるのかという考え方だ。

 

もちろんこの考え方もこれから少しづつ変わっていくだろう。これから社会が二極化してくれば犯罪が悪質になっていく。そうなってくれば「割れ窓理論」が出て来て犯罪は小さなうちに摘み取れとなる。ただ国家の成り立ちが親である英国のような社会構造ではないし裁判所が劇的な変化をすることもあまり考えられないので、一般市民は当面は泥棒が入りづらい家の作りにするとかで対応していくしかないだろう。



tom_eastwind at 14:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月13日

渋谷LOFT土産

渋谷LOFT

 

今回の日本滞在中に渋谷LOFTで買い物を楽しんだ。ほんっと、楽しんだという言葉が一番ぴったりするくらい面白くて珍しくて役立つものが多い。今回の目玉はマッサージクッション7,800円。こんなすぐれたものが普通に売られている日本って、やっぱり文明大国ですよ。

 

これ、普通に考えれば電圧が違うから変圧器もって事になるしお店の人の説明も「外国では使えませんよ」だったが実際には使える。電源コードの端っこに付いてる黒ねずみがどうやら変圧器になっているようなのだ。

 

ちなみにパナソニックのレッツノートの電源コードも使える。穴のサイズがちょうど同じなのですね。だもんでうちではレッツノーツを使いながら電源コードはマッサージクッションに差し込むという事も出来る。こんなのは本当に海外に住んで電気製品を使ってみないと分からない事ですね。

 

他にもIphone用のお風呂で使える防水カバーも買いました。けどこれは意外と出番なし。何故なら家のお風呂は結構広く作ってて洗面台もトイレもある、でもってドアを少し開けてれば全然湿気がこもらないので、買ってはみたものの意外と利用価値ないなって感じ。

 

水洗トイレも売ってたので奥さんが「買って帰ろうよ」とは言ってみたものの、日本製と海外製の場合取り付ける穴の場所が違うとか聞いた事があるしオークランドで買えるのではこれはやめようという事になった。

 

それにしても東京は豊かだ。これだけ豊かな国は他にはないだろうね。ロンドン、ニューヨーク、香港、シンガポール、シドニー、世界で都会と言われる街と比べても東京は圧倒的に豊かだ。この街が戦前までは大阪より劣ってたなんて信じられないくらい。

 

ぼくが物心付いた時はすでに東京が日本の中心であり大阪なんて地方都市じゃん、なんであんなところに新幹線駅作るんだろって本気で思ってた。特に当時の新大阪駅は周りに何もなかったからそういう感じがした。

 

こんな日本からニュージーランドにやって来ると、その「モノのなさ」と「値段の高さ」と「品質の悪さ」にびっくりする。電球なんて5個買えば1個は最初から壊れている。テーブル買って組み立てたら部品が最初から不足しているとか、組み立てて一か月も使うとガタガタしだしたりとかが普通。

 

日本の品質管理の凄さと言うのは外国に出てみて初めて分かる事だし逆に言えばニュージーランドに住んでるキーウィからすれば日本の「普通に品質が良い」と言うのがどれほどすごい事か理解出来ない。日本に住んだキーウィでなければ本当に理解出来ない。

 

これからニュージーランドにやって来る人々、例えば英語学校行きながらホームステイするなんて場合は何をお土産にしようかと考える事も多いだろう。例えばこんなサイトがある。

http://www.h2.dion.ne.jp/~k-silk/

 

お土産で持って行って喜ばれるもの、ね〜。とにかくキーウィは古いものを大事に使うし中古品のやり取りなんて当たり前で生活は質素。だから派手なものや取り扱いの難しいものは控えた方がいいと思う。個人的に一番センスないなって思うのが日本人形を持ってくるケース。修学旅行の時に見かけるけど、あれ飾ってる家を見るとこっちが恥ずかしくなる。

 

上記のサイトにある寿司USBポートなんてのは面白いのでは?日頃ちょっとした事で使えるしアクセサリーにもなる。ゲームソフトや電化製品は電圧やリージョンがあるのでやめておいた方がいいけど、寿司USBやこのマッサージクッションはアリではないかと思ったり。

 

お菓子は空港の検疫で引っかかるとめんどくさい。一旦引っ掛ると他の品物も全部開けられてしまい、一時間くらい処理に時間がかかる。おかきとかは基本的には問題ないのだけど、食べ物ありにマルしたら基本的に荷物全部出されるしナシにしたら虚偽申告で更に面倒臭いことになる。

 

けどまあ無難なのは日本製のハンカチとかかな。いずれにしても相手のご家族がお金持ちかどうかなんてのは全く関係のない事で、キーウィはたいてい何を渡しても喜んでくれますよ。

 



tom_eastwind at 14:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月12日

2針

ニュージーランドで子育てを考える人は是非とも知ってもらいたい事がある。特にもしあなたが子供に対して非常に神経質であるならNZでの子育ては苦労するということを。

 

#ホリデー中の中学生がゲームセンターで昼日中に右腕をナイフで刺され緊急で病院に搬送、2針を縫う大けが!犯人はその場で「あ、ごめんね〜、わざとじゃなかったんだよ」と言いつつゲームを続行。#

 

日本だとこんな記事が出たらとんでもない騒ぎだろう。「ゲームセンターには警備員はいないのか?なぜ警察が逮捕しないんだ!一体どんな治安管理をしているんだ、センターにナイフを持ち込ませるなんて警備があま〜!すぐに犯人捕まえて賠償請求させろ!」云々云々

 

りょうまくんは現在スクールホリデイ中で今朝はSrLukesWarHammerGameで遊びたいって言い出して会社に行く前に送って行ったのだが、会社に着いて30分もしないうちにりょうまくんの携帯から電話がかかってきた。

 

どうしたんだろ、忘れ物かな?とか思いながら電話に出ると「お、お父さん、ぼくね、ちょっとね、ナイフがね、怪我がね、友達がね、」と、いつもの通りどれが主語で何が述語かよく分からない事をいきなり話し始めた。

 

もう一度よく聴くと、怪我+友達+ナイフと言う単語しかやっぱり汗ってるな、よく聞きだせない。まあいいやまだ生きてるんだし、誰かを怪我させたんなら謝るしかないなと思いつつ「20分でそっちに行くよ」と伝えて車に戻る。

 

WarHammerに行くと店員の若いお兄ちゃんがすぐに僕を見てにこっと笑い「あ、すみません、さっきりょうまくんと一緒にゲームモデル作ってたら、間違ってナイフでりょうまくんを切っちゃったんですよ〜」と言ってすぐ隣にあるメディカルセンターに連れて行ってくれた。行く途中に「すみません、ちょっとりょうまくんとじゃれてたらぼくが手に持ってたカッターで切っちゃったんですけど、彼ずっと笑ってたらか大したことじゃないと思いますけど」だって。ぼくは「事故でしょ、気にしないでいいよ、まだ彼は生きてるんだし」。

 

この国は子供にナイフを使わせて怪我をさせて怖さを教える。学校の放課後でも小学生の子供が工具置場で旋盤機械や電動のこぎりをスイッチ入れた状態で一人で遊んでたりする。木に登るのも自由、その代わり落ちたら本人の責任、木から落ちて初めて痛みを知る。

 

ぼくが子供の頃の日本はどちらかと言えば今のNZのような雰囲気だったから木にも登ったし小刀を使って竹を削ったり先生は木刀の頭で生徒の頭を叩いたり、かなり自由だった。高校生の頃は通学かばんにハンティングナイフが入ってて普通だし脅しに使う事はあっても本気で相手を刺すことはなかった、だって本気で刺したら相手が死ぬって知ってるからだ。どうしても使う時は横に振って相手の肩あたりを切りつけるだけだ。

 

病院に行くとお店の店長さんが付き添ってくれてて、病室に入るとりょうまくんがオットセイのような体をベッドに上向けに乗せて、にこっと笑って右腕の絆創膏を見せてくれた。実際には絆創膏で止まる傷ではなくかなり深く切れ込んでいる。看護婦さんが「お父さんですね、今からこの子の傷口を縫合します、たぶん2〜3針くらい縫う事になりますが良いですか?」と意思確認。

 

このあたり、宗教によっては縫うな触るなみたいな人もいるのだろう、多国籍国家であるから病院側もこのような注意は怠らない。「もちろん、すぐやってください、何分くらいかかりますか?」と聞くと30分程度だというのでその場で付き添う事にした。

 

「へへへ、お父さん、切られた〜」と笑うりょうまくん。ところで何でお父さんに電話して「お母さんには言わないで」って言ったのか聞いたら「だって、お母さんは本気で心配するからさ、この事もお母さんに言わないでね」おいおい、2針も縫うけがをしておいてお母さんにばれないと思ってるのか(笑)。

 

2〜3分で若いお医者さんがラフな格好で来ると「こんちわ、ぼくマイケルです、お父さんですね、今から縫合しますね」ほいほい、やってくれ。最初に局部麻酔注射を打たれるりょうまくん、この方が痛そうだ。針で四方を刺して傷口を再度消毒してからケースに入った釣り針のような針と糸を出してりょうまくんの切り口にぶすっと刺す。針をひっくり返してくるくると縫って一つ目終了。二つ目も手早く刺して巻いて、手際が良いですな。

 

そこで看護婦さんが大型の絆創膏を持ってきて「じゃあこれでOK,今日はシャワーは大丈夫だけど明日様子を見るためにもう一回来てね。それで問題なければ10日後に糸を抜きますから。激しい運動はダメよ」と、からっとした口調で言う。

 

「どうよりょうま、痛い?」と聞くとその時にはすでにいつもの調子に戻ってにこにこしながら「お父さん、早く戻るよ、次のゲームが始まるからさ」だって。

 

NZではこのような怪我の場合は費用は国家負担なので受付で何の手続きもせずに「じゃあ明日!」と言ってゲームセンターに戻る。そこでは子供たちがゲームをしながら戻って来たりょうまくんに「おう、はやくやろうぜ!」だって。2針縫う事故ってのが、どうも長いトイレから戻って来た程度の扱い、さすがキーウィ。

 

りょうまくんはにこにこしながらゲームに戻り再開。「お父さん、今日は1時間ムダにしたから1時間延長で遊んでいいよね」だって。はいはい、ビッグボーイ、どうぞお好きなように。

 

ニュージーランドでは事故があった場合、よほどの不注意がない限り本人責任である。クイーンズタウン近くの道路は崖の横を走ってるが「落石注意」の看板が出てる。国家の義務は看板を置くだけで実際に落石にぶつかったら本人の不幸で終わり。

 

「だったら安全用のネット張れよ」なんて言い出したらニュージーランド中ネットだらけになるし、ほんとこの国は自然をそのままにしたい人が多いから余計な事はしたくない。「どうしてもネット張れってんならやるけど、あんたの税金でやるぜ。さ、金払ってくれ」となる。

 

そう、安全を言い出したらきりがない。外を歩けばアパートの窓から植木鉢や看板が落ちて怪我するのが香港。特に台風の後がやばい。NZでは道路の舗装状況が悪いからスリップしやすい。ぼくが直接知っているだけでもクイーンズタウンで4人が大けがをして不幸な事に亡くなった人もいる。

 

家にいれば車が飛び込んでくるかもしれない。水を飲めば毒が混ざっているかもしれない。牛肉を食えば狂牛病、鶏肉を食えば鳥インフルエンザ、野菜を食えばダイオキシン、言い出したらきりがない。

 

ましてや安心なんて誰の人生にも存在しない。エジプトのムバラクだって自分が死ぬまで大統領するって思ってたろうが、あっと言う間の革命で政権から引きずりおろされ犯罪者扱いである。世の中には何があるか分からない。

 

キーウィに限らず英国系の人間はそういう現実を知っている。完全な安全は存在しないから危機管理に正面から立ち向かい少しでも危機を減らそうとする。人はいずれナイフを使わなければいけない。それなら子供のうちからナイフを使わせて木に登らせて小さな痛みを知る事で致命的なトラブルを避けるようにする方が良い。

 

その結果として時々大けがをする子供が出ても子供全体からすれば被害は少ない。ナイフの使い方も知らずに大人になって秋葉原で暴れられる方がよほど危険なのだ。

 

けれどニュージーランドに来る日本人は当然のように「日本並み」かそれ以上の安全を求める。それは間違いない。けれど安全を求める方法が日本とは基本的に違うのだ。多くの子供は無事に大きくなる。その中でもしかしたら不幸な事にあなたの子供がけがをするかもしれない。しかしそれは社会全体からすれば許容範囲の怪我なのだ。だからそのような事があっても「あ、そうか、これがキーウィスタイルなんだ」と思って理解してほしい。



tom_eastwind at 20:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月11日

2012仕事初日 移住するということ

今朝は案の定シティに向かう車が通常の半分くらいで、普段の朝なら40分程度かかる自宅のドアから会社のドアまで18分で移動出来た。これは日曜日の午前中の交通量に匹敵する少なさだ。これが少なくともあと一週間、本格的にラッシュが始まるのは2月になってスクールホリデイが終了してからとなる。

 

会社から1ブロック離れた駐車場も今日はガラガラで、街の半分はまだお休み状態だ。それでも今日出社してスタッフがメールチェック、その後のメールごとの対応を決めるスタッフミーティングが終了したのは、メールを取り始めてから1時間後。打ち合わせが終わったのはそれから更に45分後。

 

本当に結構な量のお問い合わせを頂く。有難い事である。ただこれから先ぼくらがお客様に訴えて行かねばならないのは、彼らが期待している言葉ではなく聞きたくない言葉だ。

 

つまり「移住は出来ます、けど何のためですか?日本の生活が厳しくてNZに来れば生活が楽になると思っているのなら、それは大きな勘違いですよ。NZは天国ではなく、誰でも一生懸命働く必要があるし、軽犯罪をまともに取り締まらない警察(これについては後日説明します)、きつい取り立てをする税務署、道を間違えても気にしないバス運転手、千ドル入金したはずが百ドルしか記載されてないミスだらけの銀行窓口担当者、日本よりも安い給料、仕事もあちこちで失敗が当然でむしろ問題なく仕事が進めば拍手喝采の国ですよ、いらいらしますよ」だ。

 

日本から移住してくる第一世代の苦労は結構なものである。彼らは子供たちの将来を考え日本の教育や将来の不安と子供に英語圏で英語を学ばせたい、その為にはNZは教育も無料で医療も基本無料で家族が毎日食卓で夕食食べられて週末は家族でBBQやったりして家族第一に生活したいと考える。

 

それは基本的に間違いはない。そのすべてはNZに存在する。しかしそれは数世代前に移住しておじいさんの世代から一生懸命働いてきた人々の子供たちの話である。今の時代であっても移住第一世代は辛いのだ。

 

英語は分からない、習慣は違う、給料は安い、たまに日本に帰りたくてもお金がない、それでも子供の前では泣き言を言いたくないから歯を食いしばって頑張る。それでも毎日がいつまで経っても社会の中で上に向かって成長している気がしない。これが事実である。

 

ある程度の生活資金を持ってくることが出来て金利収入で基本生活を賄えるような人ならこの国は本当にのんびりと生活出来る国ではある。普通の日本人家庭(親子4人)が一年間生活をすれば年間で7万ドル程度必要である。7万ドルの金利収入を得ようとすれば少なくとも100万ドル、つまり6千万円程度の資金がないと無理である。

 

そうでなければ地元の人に混じって地元の人たちの給与水準、つまり4万ドル程度で生活をするしかない。そうすると日本に帰る航空券代は捻出出来ない。実際に今NZで生活をしている40代半ばの日本人家庭でも自分の子供を餌に日本の両親に「お孫さんの顔は見たくないですか〜?」と航空券代をせしめて、じゃなかった、仕送りをしてもらい家族で日本に里帰りするケースが目立つ。

 

自分の能力に自信を持っている人も多いがそれは組織内分担能力である、余程個人的能力のある人なら別だが普通に組織内で優秀な日本人はNZではあまり使い物にならない。

 

この言い方は誤解を招きやすいが、簡単に言えば一つの仕事を自分ひとりで最初から企画して利益計算をして実際に販売して利益を出して売り上げを回収して会社に入金するまでを出来なければNZでは食っていくのは難しい。ところが日本で教えている仕事の仕組みは自分に与えられた歯車の一つを集中的にこなすことであり仕事全体を把握する事は殆どない。だから日本でどれだけ優秀でもNZでは使い物にならないのである。

 

習慣の違い、言語の違い、どれをとっても移住第一世代は辛い。とくにお父さんは辛い、相談する相手もおらず家族を支える責任があるからだ。第二世代は大丈夫だ。この国で小学生から過ごせばこの国の仕組みを理解して馴染んでもちろん英語もネイティブだから問題ないし学校には友達もたくさんいる。別に無理してお金を工面して日本に帰る必要もない。だってぼくの国はNZなんだもんね。

 

ちなみに言えばお母さんも大丈夫だ。彼女たちは非常に現実的でお父さんたちよりも広い目でモノが見えるからお父さんほどには苦労しない。むしろ最初に移住しようと言い出したのに実際に移住すると現実に馴染めずに一人でカリカリしているお父さんに「何でこの人と結婚したんだろう?」と思えるくらい心の余裕がある。

 

だからニュージーランドに移住しようとお考えの方に最初に言うべき言葉は「ここは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない、ほんの少し日本より家族優先の生活が出来る国だ」であり同時に「父親は、強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」と言う現実である。

 

ぼくの目標はニュージーランド5万人移住計画である。計画は始まったばかりでありまだ1千人程度しか移住出来てない。今年はかなり増えると思うが、それでもNZ移住のハードルは高い。この国は日本と相性の良い国である。本来なら国家間で移住協定の話し合いをしてくれればもっと良いのだが国家は他の事に忙しそうだ。だからどうしても移住希望者本人が自分でハードルを乗り越える必要がある。

 

明治時代に日本から多くの人々が南米やハワイに移住し苦労して第一世代が地元の人々とたどたどしい英語で馴染みながら生活の基盤を作り彼ら第一世代が移住先で「おお、日本人はよく働くし真面目だし嘘はつかないし良いよな」と評価されるまでに長い時間をかけ、そして二世時代になってやっと移住先国家に認められるようになった。

 

ハワイでは日系二世のダニエル井上が上院議員として有名である。彼らは第二次世界大戦当時日系人だけの442部隊を作り欧州戦線で勇壮果敢に戦い多くの死傷者を出した。それはすべて収容所に閉じ込められた自分たちの両親の米国に対する忠誠を見せるためだった。彼らは米国陸軍史上最も多くの勲章を授与された。

 

★ウィキ抜粋

現在のアメリカ陸軍では、442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は必修課程となっている。なお、同団が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として最高の殊勲を上げたことに対して、1946年にトルーマン大統領は、'You fought not only the enemy, you fought prejudice---and you won.(諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。)'と言及し讃えている。201010月にオバマ大統領は、442連隊戦闘団と陸軍情報部にアメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名した。

★ウィキ抜粋終了

 

今の時代に移住において戦前の死ぬような苦労をする必要がないのは、戦後の日本をゼロから構築してきた先代たちの絶え間ない苦労があったからだ。ぼくらは今日本人として幸せと言うべきだろう。しかしそれでも移住は簡単ではない。深く遠い暗闇の中、いつ明かりが見えるかも分からないまま家族の手を引いて自分を信じてまっすぐ歩くしかない。

 

それでも、それだけ苦しくても子供の為に頑張ろうとする気持ちはあるか?職場が楽しくなくても家庭に文句を持ち込まない自信はあるか?奥さんに「お前が移住しようと言ったんだろ!お前の責任だよ!」と他人に責任転嫁しない自信はあるか?食っていける自信はあるか?

 

移住とはそれだけ大変な決断である。はっきり言おう、移住は殆どの日本人にとって物理的に可能である、しかしそれを失敗させる原因の一番は移住する父親本人の心の弱さにある。出来ないなら無理をせずに日本で何とか今の仕事を一生懸命こなしながら時間外や週末に自分磨きをして転職しながら徐々に給料を上げていくことをお勧めする。



tom_eastwind at 21:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月10日

戦闘開始!

今年から海外規制強化が始まる。今年4月からの税法改正では海外資産5千万円以上ある場合は税務署に届け出となる。これは今年から始まる相続税強化と合わせて導入されるが主な目的は資産家の資産を海外も含めて把握して相続税が発生する際に55%持っていこうとする案だ。これならどんな資産家でも三代で普通の人々に戻る。武富士の仕返し始まる、と言ったところか。担当者も法整備で寝る時間もなかったろーな。

 

この方向性は非常に明確であり官僚たちは日本を以前のような「実態としての社会主義国家」に戻して資産を持たない人々からは消費税、資産を持つ人からは相続税で取り国民をもう一度「全員中流」に押し戻そうという動きである。金持ちも貧乏人もいない、誰もが平等になる。誰もが平等に公団住宅に住む、一軒家を持つ事を夢にして皆がアパートから自転車や歩きで近くの駅に向かい満員電車に揺られながら仕事に向かう。今回は昭和30年代よりは少し衛生環境が発達している、少なくとも自宅に風呂と水洗トイレが付いてるからだ。

 

これから大人になる人々は金持ちの生活を知らないから「平等にアパートに住む」生活が出来れば十分だし資産家は住宅などの資産を税金で持っていかれても数において圧倒的に少ないから社会への発言権もないし文句も言えない。

 

もちろんこれだけでは不足だから社会保障の削減も同時に行う。去年末にも書いたがこれから増え続ける老人対策である。

 

まずは後期高齢者対策として健康保険の自己負担をしてもらう。この一番の理由はお金を負担する事よりも少額であってもお金を負担する事を嫌がり病院に行く回数を減らす事だ。要するに病院は年寄りの集会所ではないしありもしない「安心」の為に高額の医療費を無駄使いするなと言うメッセージである。

 

そして郊外に一人住まいの老人を中核都市に集中させる事で公共サービスの一か所集中を行い効率的に提供できるようにする。この費用は政府が負担する。田舎の限界集落を支える費用に比べたら安いものだ。老人専用のバリアフリーの団地を作り団地の中に老人病院、郵便局、コンビニ、銀行の出張所を置く。これはNZのリタイアメントビレッジに近いイメージだろう。

 

この際「生まれた家で死にたい」と言うなら公共サービスは「不便」になる事を文句言わないでね、だって街に集まっている若者は自宅を買う事すら出来ないままにあなたたちの生活の為に高い税金を払ってるのに、生まれた家で死にたいと贅沢を言うのならその費用は家族で負担してねって事だ。

 

このような事を政府が実行出来るのは何故か?それは政府を支える東大法学部を卒業した人々は自力で東大に進み自力で公務員試験を受けて自力で政府のキャリア官僚になったという自信があるからだ。他の子供と同じように小学校に通っていてもそこから先はお金ではなく(ある程度は必要だが)自力で成長して競争を勝ち抜いてきた自信がある。そして政府に入り優秀な先輩から様々な薫陶を受けて学んだ。世間にごろごろしている、子供とテレビゲームを楽しむハッピーパパではないのだ。

 

早い時期から他の子供が遊んでいる間も勉強をして明確な目標を持って東大法学部に入った。他人に頼らずに生きてきた自信があるから彼らは常に一般大衆に「お前らだって機会はあったんだよ、その機会を選ばなかったのはお前の自己責任だよ、この国は貧乏人の子供でも小学校卒業でも首相でも知事にでもなれる機会があるし官僚になる事が出来る国だ、その国でお前らは楽に生きる事を選んだのだから社会の「中流」でいる事に納得すべきだよね」と言う意識を持っている。

 

更に親が高級官僚だった場合はすでに一般大衆は視野になく、あるのは国家天下と自分がどこまで富士山のような支配階級の中で上に登れば上るほど少なくなる椅子を目指して成長の階段を駆け上っていけるかと言う事で、最初から民の住む富士の裾野など見てやしない。彼らからすればすべての人々はあるべき場所におりあるべき生活をしている。

 

こういう人々が日本のど真ん中で集団となって明確な目標を持って進んでいるのだから一般大衆がちょっと逆らったくらいで勝てるわけがない。それは政治家も同様で、とくに今のように与党も野党も決定的な力を持っていない状態ではどちら側も官僚の実務能力が必要であり彼らの意見を取り入れていくしかない。

 

これを政治的に変化させるためには再度総選挙でどこかの党が衆院で三分の二以上、出来れば参院でも安定過半数の議席を持つ事だがそれも現状の選挙日程では2年は無理だろう。そうなると結果的にますます官僚主導の政治が進んでいくわけだ。

 

前回は小沢氏率いる民主党が衆議院で自民党を破り政治家が主導する方向性も見えたがそれも国策捜査による小沢氏裁判で小沢の引き落とし、その後の民主党も主導性を取れる人材がなく右往左往で潰れてしまい、当分政治主導は見えてこない。てゆうか、次に政治家が出て来ても優秀で能力のありそうな、そして官僚に逆らいそうな場合は早い時期に潰されるだろう。

 

政治家に政治主導を諦めさせて「昔の自民党時代のようにやりましょうや、あんたは表の顔、ぼくらは裏で仕切って、名誉はあんた、実利はうちらがもらいますよ、それで選挙に勝てるんだからいいでしょ、これでいきましょうぜ」そういう官僚の甘いささやきが聞こえてくるようだ。

 

いずれにしても2012年からの日本の方向性は決まった。国民もこの10年で十分に政治を知る機会があった。日本と言う世の中は収まるように納まった。これは1997年の官僚崩壊あたりから2000年代に入って起業家ブーム、そして2005年あたりから官僚が力を取り戻し始めて2010年あたりから今に至る必然の流れである。

 

そしてこのような社会主義は、それはそれで間違いないのだ。ただ個人としてそのような社会を好きかどうか、自分と同じ価値観として受け入れられるかどうかである。飛行機もインターネットもなかった昔ならいざ知らず、これからの30年間を自分の子供も含めてどう生きていくのか、それは一人一人が自分の頭で判断する事である。

 

年末から2012年以降に起きるであろう日本社会の変化を今日まで海外に住む日本人の立場から考えてみた。自分なりに答えも明確になってきた。明日からの仕事の準備も終わった。これからの5年はよほどの突発事件がない限り対応する戦略も見えてきた。本当に2012年は大きな変化の年になる。思いっきり気力、知力、体力、そして決断力を全開にしていこう。

 

よっしゃ、明日からエンジン全開で今年を駆け抜けよう。



tom_eastwind at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月09日

戦闘準備開始

やっとオークランドに戻ってきた。移動につぐ移動でなかなかブログ更新出来ず。東京から翌朝のフライトが早いので前泊として夕方に成田のメルキュールホテルに移動投宿する。高速道路を下りると片道一車線の細い道、道路ぎりぎりまで建てられている住宅、途中にたくさん見かける畑や田圃、それにしても成田市って、、、こんなとこなんだなー。成田空港は世界の国際空港でも珍しく到着ロビーで地元の野菜売ってるが成田市も負けてないぞ。

 

ホテル内にあるチェーン店のような豆腐と鶏肉料理を食べるが「地元の食材」を使った料理はどれも安くて美味しい。この値段でこれだけの料理、どうやって作ってるんだろう。相当に努力していますね、少なくともニュージーランドでこれだけのものをこの値段で出してたら商売にならないよねって価格設定だ。

 

てか食材も地元なら働いている若いスタッフも地元の若者で、この店では新人店員さんが若葉マークを付けているのだが何か聞くたびに「はい、すぐに確認してまいります」きびきびとしている。最後に料理の感想を聞かれたので素直に「安くておいしくて良かったですよ、けど鳥の半身の丸焼き料理だけは少しジューシーさがなくてソースに頼るのが残念でした」と言うと素直な顔で「有難うございます、さっそくキッチンにも伝えておきます」とこれもまたきびきびしていて好感度高い。てか、若葉マークなのによくいろんな店内マニュアルを短期間で覚えましたねって感心する。この点は日本人だけが持つ優秀さであろう。この若者は楽しそうに働いている。

 

聞いたら親元から通っているらしい、優しい家族に囲まれて仕事も見つかり一安心、あとは頑張ってお客様にサービスしなくっちゃ、給料は親元から通うからそれほど苦労もないし、成田も格段と生活費が安そうだ。

 

翌日は成田空港で失業者対策ゲート、一般的には空港保安検査場と呼ばれている場所で検査要員からパスポートチェックを受けながら、寒い中でよくもまあこんな無駄な作業をするよなって感心する。これやるくらいなら成田周辺の一人暮らしのおじいさんやおばあさんの持ってる休耕中の田圃や畑を代わりに耕してあげた方が生産性上がるのではないかと思ってしまった。

 

今時過激派が成田なんて狙うわけないし狙うにしてもこんなゲートは通らないぞとは誰もが思う事だろうが、関係者からすればせっかく保安対策で確保出来た雇用枠だから仕事に意味があるかないかよりも枠の確保の方が大事なんでしょうね。

 

それにしても日本は平和だ、そして東京では人々の心がだんだん壊れかけ始めて今までのような他人に対する思いやりがぐっと減少してきているのを感じる。誰もが自分が生きるのに一生懸命で他人に気遣いするヒマなどないって感じだ。

 

JR駅の電車のホームには次々と安全柵が作られているが安全柵のない場所から電車に飛び込む人が後を絶たない。恵比寿駅で電車を待っている時も「ただいまxx線は人身事故の為xx分遅れております」と言うアナウンスが普通に流れて聞く方も自分の予定だけを気にして、飛び込んで死んだ人の事など誰も考えようとしない。

 

つまり安定した仕事を得ている人は物価が下がり続ける東京で安くて良い品物を買って平和を享受出来るし将来も安心だ、けどそうでない人々は明日の生活さえも不安であり少しでも安いものを買って何とかお金を貯めようとする。

 

電車の中で若者が友達にケータイ見せながら「お、これ、たっけ〜」と言ってるのを聞くともなしに聞いているとどこかのファミレスで出している650円のカレーライスの話だ。彼らの頭の中では昼食の予算は500円を切っている。つまり150円の違いが消費者の購入意識を決定している。

 

ところがその夜のジャズクラブでは入場料だけで結構な値段なのに満席で、集まっているのは身なりの良い人々ばかりである。テーブルにはワイングラスや食事が並んでいる。皆がいかにも寛いでジャズを楽しみ「僕らはこちら側だよね」と言う雰囲気を醸し出している。こういうのを見ると日本の二極化と言うのが肌で感じてしまう。

 

けれど今「こちら側」にいる人々でも、ちょっと間違えばすぐに「あっち側」に行ってしまい、片道切符では二度と戻ってくることが出来ない。誰もがその恐怖を知っているからこそより一層今の安定した場所を確保する為に長いものに巻かれ上司に頭を下げ言われるままに働くのである。

 

日本では一度落ちると二度と這い上がってこれないのを誰もが知っている。セーフティネットも正社員の仕事もマンションも、一度手放してしまえば復活戦はないのだ。ここがニュージーランドと日本の構造的根本的な違いである。

 

人が社会の中心にいてセーフティネットを構築してお金がなくて働かなくても自殺する必要がない社会では、社会全体の仕事がうまく回らなくても個人生活を優先するから、誰もが週末は友達とバーベキューを楽しみ道に倒れている人がいれば当然のように手を貸して助ける。

 

このような社会では見知らぬ他人に対しても優しい。何故なら個人の心に余裕があるからだ。何故余裕があるか?働かなくても食っていける社会があり人助けをすることで得られる心の喜びを得る方が、道で倒れている人を無視して急いで出社して夜中まで働かなければいけなくて得られるおカネよりも幸福感が高いからだ。

 

当然だろう、金がなければ政府が助けてくれるのだ、ならば人助けをして心の満足を得た方が良い。その結果として自分の仕事が少々遅れても社会的に寛容される環境がある。つまり人々の意識付けの中に「他人に優しく生きる方が結局個人も社会全体も生活しやすくなる」と言うシステムを導入している結果だ。

 

このシステムを最初に導入したのは1840年代の第三代総督ジョージグレイの時代で後に続く首相が法制化したりすることで1900年代頃に今のニュージーランド社会の基礎が出来上がった。

 

もちろんニュージーランドは天国ではない。コソ泥は多いし時には殺人事件もあるし一生懸命働けば当然の如く疲れる。人々は出来る限り働くし、最近は二極化が進んでいる。20%の豊かな人々と80%の貧しい人々に分かれ始めている。能力を生かして一生懸命働かないと20%どころか中流の下から抜け出すのは大変だ。それでも電車に飛び込む必要もなければ人を殺してまでカネを奪う必要もない、なにせ政府が助けてくれるのだ、やばい犯罪に手を染める必要はない。

 

そして新卒採用とか中途入社と言う考え方が存在せずに起業して失敗してもまた立ち上がる仕組みがある。だから人々が明るい。他人を思いやる気持ちを持てるだけの余裕を持てる仕組みがある。

 

オークランド空港に着いて山ほどの荷物をトロリーに乗せ税関を抜けて駐車場に泊めてあった車に積み込む。時々雨の降る、けれどそれ以外は晴れ間の広がるオークランド特有の天気の下でゆっくりと車を走らせながら自宅に戻る。オークランドの空気は日本のような優しさはないがそれでもきりっと引き締まった気持ち良さを感じさせてくれる。

 

明日はクリスマス休暇最終日だ、荷物をカバンから出して会社に持っていくものを分けて、いよいよ戦闘準備に入る。



tom_eastwind at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月08日

プリンシパルの「必要が」ない日本人

このタイトルは白洲次郎の「プリンシパルのない日本」とよく似ているが、ぼくは多くの日本人はプリンシパルは不要だと考えている。それは殆どの日本人がプリンシパルを必要としない生活を長い間送ってきたからだ。

 

プリンシパルと言う英語を日本に持ち込んでみるとなかなかそれらしい単語が出てこないのだが「最初」とか「主だった」とかがある。けど多くの日本人は最初に前に出る事を控えるし主だった人になる事を遠慮して後ろの方に座る。

 

またはプリンシパルを「自由な個人である自分」とでも訳せば良いのか、個人の権利と義務を明確に区別して自分の権利をどんな小さな事でも主張する代わりにその権利に関与する義務はきちんと守るしルールに則った話であれば合理的に判断する能力とでも言うか。

 

自由と言う概念が本来は「自らに由る=自己責任」であったのがいつの間にか無責任と言う概念に抱合されるようになったが自由とは自分の権利と義務を明確にするという事である。社会で生活をするからには社会の決まりを守る、その代わり決まりを守った中では何をやろうと自分の判断で決める、他人に従う事はない。これが日本では何故か他人と同じことをしないと「空気読めない」とか「あの人自分勝手」となってしまう。

 

と言うか、日本の風土にはプリンシパルと言う概念が合わないのかもしれない。ほとんどの日本人にとっては個人主義の代表のようなプリンシパルとかの為にいちいち細かい事で自分の権利を主張したりころころ変わる政治の代表を選ぶ選挙に行く義務など面倒くさいのではないかと思う。

 

どこかの集団の中で自分に与えられた位置と役付けを素直にこなしてくだけで生きていける、その集団の中ではまず集団の維持と持続が要求されるので時には個人の権利が規制されるがそれでも自分の自己責任で生きるよりは楽だ。集団のボスは適材適所で配置してくれるしそれなりに能力に応じて分け前もくれる。法律やルールとかいちいち知らなくても生きていける、だって村長がいるんだから。

 

イエーリングが「権利の為の闘争」で主張した個人の闘争は逆を言えば個人が社会に参加する為の義務の実行や責任を参加した個人に要求される。日本ではその必要がない。「そんなんめんどいじゃん、重そうだし〜」。選挙だっていちいち決められた日に参加なんかしなくても、何となくみんなで「あの人、良さそうよね」って決めればいいじゃん、誰がなってもそんなに変わらないんだからさ。

 

てか政治や法律とか権利とか義務とかなんて小難しい事は誰かやりたい人に任せておいて自分は小人として悩みもなく責任もなく駐車違反とか飲酒運転とか困った事があれば政治家の秘書にお願いして助けてもらう、その代わり次の選挙では出来るなりにお手伝いをする、適当に貸し借りのある世の中、そんな生活の方がよっぽど楽じゃん。

 

実際に日本人はもめごとがあっても米国人のように裁判にすることは少ないしもめごとを起こすこと自体を嫌う。契約書を作るってのが何だか相手を信用してないと思ってしまう国民性だ。例えば都内の外資系ホテルではチェックインの際にクレジットカードを提出するのは当然の習慣だが日本の田舎から来た人からすれば侮辱された感じを受けるだろう「おれが金払わずに逃げると思ってるのか?!」

 

つまり長期間の付き合いを一か所で行い相手を信用する事を前提にすべての取引が成立しているから契約書や裁判などの信用コストが低くてすんでいる。西洋ではこのコストが高い。だけどそれが自分個人の権利を守るコストだから当然だという発想だ。

 

政治を他人に任せて自分は黙って働き国民としての義務を果たすが働く内容の生産性は会社が決めるので自分に責任はない。責任を取らない生き方をすればこんな楽な事はない。だからプリンシパルを持つ必要がない。自分の人生の時系列の中で貸し借りがあり法律ではなく付き合いが大事となる。

 

日本では法律的には飲酒運転が厳しく取り締まられているのに田舎ではいつまで経っても違反がなくならないのは、結婚式やお葬式などの冠婚葬祭に自分の車で参加して、飲まずにいようと思っても自分より立場が上の人に勧められたら断るわけにはいかない。第一田舎じゃタクシーなんてあまりないし不便だし高いしね、それよりちょっと飲むくらいだったら「社会常識の許容範囲内でしょ」と考える習慣が残っている。そう、日頃は法律法律と言ってどんな意味のない法律でも守るべきだと言っててもいざ自分の番になれば法律よりも地域の習慣が優先するのだ。そのような人々にプリンシパルと言う概念が必要であろうか?

 

官僚は国民の人気投票のような選挙ではなく入省後30年かけて競争してその中で生き残った最後の一人がその実力で政治の頂点に立つのだからその判断はかなり実務的で正確であると国民が判断して、彼らにプリンシパルを持ってもらおうと考えるのも間違いとは言えない。

 

だったらいっそ個人に高い参加資格(自立心、法治を理解する能力、自分の自己責任で判断する能力など)を要求する民主主義なんて日本の風土に合わない制度は早い事捨てて江戸の昔のように世襲制のお殿様と互選の老中や若年寄制度に戻してしまえばよい。

 

そう、もしかして日本には民主主義が合わないのかもしれない。民が集まってなんだかんだとやってるうちに物事が決まっていく「なあなあ主義」の方が日本と言う風土には合っているのかもしれない。選挙に頼らず法律に囚われず村長や長老が村のしきたりに従って過去の前例を参考にしながら民が納得するように処理していく。そこには常に貸し借りがあって長い正解の中で必ずバランスが取られるから今は一時的に損をしても我慢できる。次の機会には良い事があるからだ。

 

これは建設業界の談合に代表されるような日本的習慣だが、ある意味プリンシパルの不要な「民衆主義」とでも言えば良いのか、いずれにしてもプリンシパルを持たなくても生きていける社会はそれなりに閉鎖されて自己完結していれば楽しいのかもしれない。



tom_eastwind at 23:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月04日

行け特高隊!

日本は1990年代のバブル崩壊と大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件あたりから官僚が急に力を失っていった。その理由の一つは「あらかじめ用意された正解が存在しない社会」に突入したからだ。

 

50年単位の歴史で考えれば見えてくるのだが1945年に日本が敗戦した時、多くの優秀な官僚が生き残った。彼らは戦前の帝大を卒業しており大日本帝国を率いて東南アジアに版図を広げたのだが結果的に軍部の戦下手の為に版図の多くを失った。

 

つまり彼ら優秀な官僚は自分たちが作り上げた国家を日本軍部と米国と言う狼藉モノによって潰されてしまい、その為にゼロから日本を再興する事になったのだ。例えば満州国を作り上げた官僚の一人である岸信介は戦後に首相を務めたが彼は1896年生まれである。岡田茂は更に古く明治11年。

 

彼らが直接指導した旧帝大卒の若手官僚は1910~20年代生まれだ。敗戦の苦しさを身を持って知り自分たちの上司に負けず劣らず日本と言う国をもう一度欧米に追いつき追い越せと言う強い意志と危機感を持って国家を引っ張ってきた。

 

彼らの目標は明快であり正しい答は「欧米に追い付くこと」なので、その為に国内産業を保護して欧米の人の好さに付け込んで技術をもらい更には彼らの国にトランジスタラジオを売り込みに行き、そのすべてに見事成功した。

 

ところが彼ら官僚も人間であるから当然定年が来る。1970年代頃から次々と優秀で危機感を持ち日本の敗北を経験した人々が国策現場から離れて行った。その結果として残ったのが戦争を知らない若者であり更にその次の世代、つまり日本の繁栄しか知らない世代に至るにつれて日本の繁栄に驕る事になり先輩が積み上げてきた資産をまるで自分が作ったかのように勘違いしてわが世の春にふけった。これは民間でも同じで、一代で財産を作り上げた起業家の息子が会社をつぶすようなものだ。

 

その結果としてプラザ合意、そして土地バブルが崩壊して日本は長い失われた時代と言う深淵に落ち込み始めた。戦後世代の官僚は敗戦の苦労も知らず危機感もなくいつも必ず正解のある問題に回答を見つける事を得意としていたが、欧米に追い付いた後の日本をどうするのかと言う答えのない問題については答えを出すことが出来なかった。

 

そしてバブルは崩壊して何をどう処理してよいか分からない、敗戦を知らない世代は次々と「間違った政策」を打ち出した。住専問題におけるバブル処理の失敗、信用組合倒産、山一證券廃業、長期信用銀行、拓殖銀行倒産などはどれも問題を先送りしたりヤバ筋を整理できなかった、要するに肝っ玉の据わった連中がトップにいなかった為に発生した問題である。

 

やる事なす事すべてが裏目に出た結果として官僚は自分たちの今までの世界が崩壊する大音響を聞き、その音に恐れをなして、更にマスコミから官僚の不祥事叩きをやられて右往左往、完全に方向性を見失ってしまったのだ。

 

その為に2000年頃から完全に自信を失い、そこに金融ビッグバンなどの各種自由化と言う民間活性ビジネスが出て来た時に抵抗する事が出来なかった。そして小泉政権が成立して官僚がますます弱体化することになった。この時は竹中平蔵率いる政府が官僚と喧嘩しながらも世の中の自由化を進めて一定の成果を出した。小泉政権が唯一失敗した政策は官僚改革である。

 

小泉がおそらく利用したであろう「国策捜査」と言う言葉がその頃から表に出てくる。植草事件は小泉時代だったがその後同じような状況で次々と逮捕者が出た。佐藤優と鈴木宗雄事件も同様である。

 

この長い官僚雌伏の時代に彼らは法務省と検察を利用する「国策捜査」の効果をしっかりと理解して、それまでの長い敗戦時代を乗り越えて再度官僚国家を構築する体制を作った。そして小泉政権が終了するとそれ以降の自民党首相をおもちゃのように振り回し安倍、福田、麻生と次々と短命政権が出て来て彼らも官僚の力が必要だから協力を求め官僚はその代わりに政権運営の実権を政府から奪い返した。

 

このあたりから官僚政権が本格的に始動して、最初は甘い言葉で政財界を動かし、言う事を聞かない連中は政治家でも民間人でも身内の官僚でさえ東京地検を使って逮捕させた。容疑は何でも良い、とにかく自分たちが作ろうとしている社会を否定する人物はすべて逮捕して社会から消し去るのだ。その後の民主党政権では小沢と言う政治家が出て来て一時期官僚を脅かしたが陸山会事件で潰した。

 

1980年代までは一応法治国家と呼べる状況があったが2000年代に入ってからはすっかり時代が様変わりして、法律なんてどうでも良い、官僚に逆らえば逮捕、御免と謝れば執行猶予付き判決、徹底的に否定を貫けば実刑となった。

 

こうなれば完全に官僚独裁国家でありこの状況が固定化してしまえば日本は法治国家でなくなる。中国と同様の一党支配による独裁となるのだ。法律は官僚が作り逆らう者は警察がしょっぴくのである。そしてそのような法律無視の状態を放置しているのが法務省である。

 

つまり今の法務省や検察は完全に官僚組織の一員として行動しており政策立案は財務省で政策実行は各省、彼らの下請けをやっているのが法務省と検察となったのだ。この流れは来年以降も続くだろう。現在の財務省次官の勝栄次郎のような実行力のある人間が本気で一致団結して動けば彼ら官僚に逆らえる組織はない。(いや、実はすでに存在するし逆らう事もできるのだがまだその時期に来ていない)。

 

国家が他のすべての組織と全く違う点は合法的な暴力装置を持っている事だ。反社会的団体が暴力を行使すれば違法であるが国家が暴力を行使する事は合法である。それは国家が自分で自分の暴力装置を合法としているからだ。要するに自分で自分だけ正しいしそれは合法だと決めている、実にわがままな話なのである。

 

そのわがままな権利は国民から委託されているのだが実態としては天から当然のように国家に賦与された権利と言う感覚であろう。それは賭博でも同様である。国家が経営するばくち=競艇、競輪、競馬は合法であると自分で決めていて民間が行うカジノなどのばくちは違法であると決めつける。そして民間がやっているばくちでもパチンコは黙認である。大量の天下りを受け入れてくれるからだろう。だったらカジノバーも天下りを受け入れてみればどうだろう(笑)。

 

現在捜査中のオリンパス事件も予め落としどころを作ってからその線に合わせて捜査をする。つまり法務省や検察とは最初に政治的落としどころを決めておいてその線で進める組織であり、法律に基づいて厳正に判断する捜査などすでに今の日本では存在しないと思った方が良い。すべては政治的判断に基づいて法律を合法的(笑)に援用解釈して決定する。

 

その意味で現在の法務省は戦前の特高警察と同じような位置づけになったと思った方が良い。普通に生きていれば真面目に生きていれば警察と関わる事などないなどと甘い事を考える時代はもう終わった。これから自分に素直に生きて行こうとすれば国家と対決しながら生きていくしかない。

 

よく考えてみれば分かる事だが、検察とか法務省と言うのは治安を守る組織である。そして政府から見た治安とは政府のいう事に国家参加者全員が従う事であり国家の決定事項に逆らえばそれは法的に正しいかどうかなど関係なく「秩序維持への挑戦」となりその暴力装置を発動させるのだ。

 

多くの日本人は今だもって「まだ最高裁がある」と正義を信じているが、現実の治安維持の中では正義はすべて国家の側にあり彼らに逆らう事は正義に逆らう事になるのだ。法律の解釈は彼らの手にゆだねられており僕ら側にはないのだ。

 

バブル崩壊後に政府がその治安維持機能を失い国民に自由勝手にやらせてしまった。その為社会が乱れたのでこれからは治安を乱す悪い連中は取り締まろうというのが現在の政府(官僚)の方向性である。

 

自分が生み出した公僕と言う子供がいつの間にか大きな怪物になって自分を襲う、そういう時代になったのは結局多くの一般大衆が政治的に手抜き生活を送っていたからなのが事実であるから自己責任である。その意味において今の日本を作り出したのは一般大衆である。



tom_eastwind at 02:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年01月03日

日本株式会社取締役社長 経産省

財務省に対して唯一本気で刃向える省が経済産業省と言う噂を聞いたことがある。財務省の懐に法人税を送り込む立場なのだから少しは喧嘩したって財務省もあまり文句は言えないってのがあるのかも。

 

日本政府は戦後日本の牽引エンジンとなって経産省を頂点とする国策会社組織を作った。つまりすべての指示は経産省から出てすべての民間企業は部下としてその指示に従い行動する。その際に例えば保護船団方式を取る業界で一匹狼をすると行政指導と言う注意が行われそれでもいう事を聞かなければ廃業に追い込み他社と合併させる、その際の社長人事は経産省の判断で決めるという、完全に上意下達な組織となった。

 

1980年代までは追いつけ追い越せで方向性も明確であり国内で保護すべき産業を決めて日産自動車とプリンスを合併させたり新日鉄を作ったり万博を成功させて、海外販売に向けては総合商社部門を有効活用して日本国内メーカーの商品が海外で販売出来るようにもなった。

 

ところがこの省も1980年代の世代交代の波でバブル崩壊の頃から危機感を持って働く官僚が次第に引退、苦労知らずの若い世代は勢いを無くしていき方向性を見失った。そこで多くの自由化が進められていき通産省はいつの間にか民間企業から反抗されたり時には若き起業家が堂々と刃向うようになった。

 

民営化などを国家が認めてしまえば日本株式会社の社長の席を失ってしまい日本経済はばらばらになる。

 

これではまずいと言う事で日本社会が再度経済産業省の下にしっかり集まるように各産業の締め付けが始まった。分かりやすい例が東京電力の国有化であり、東電の発注力は凄まじいものがあるので当然他の企業も逆らう事は出来ない。こうして世の中を社会主義化、と言うか日本株式会社体制に戻すのが現在のポイントであろう。

 

つまり民間から見れば「お上に逆らえば潰される、お上に従っていれば何も考えなくても仕事は配分される、思考停止で社長のいう事だけを聞いていればよい」となる。だから若者が生意気に起業などするのなら必ずどこかの傘下に入るか経産省の覚え良き筋の良い起業をしなさいよと言うことだろう。

 

経産省の話を書き始めればどこまでも長くなるけど、2012年の方向性としては1960年代あたりの日本民間企業の動きを見れば参考になるのではないかと思う。今経産省がやろうとしている事はまさに当時の歴史を再度繰り返す事なのだから。

 

でもって常に付け加える事だが経産省の進む社会主義が悪いと批判しているのではない。その方向性も間違いなく一つの解である。正解である。今まで何もせずに時間だけを無駄にしてきた事を考えれば社会主義の方向性も正解である。

 

とくに日本の90%の人々はそのような生き方に慣れている。残りの10%のうち5%の人々は支配者側に付いている。ぼくのような人間は最後の5%であり苦しくても自己責任で自分の頭で考えていきたいと思っているがそれが正解かと言えば、ぼくには正解であろうが他の人に正解であるとは限らない。

 

だから自分の性格や価値観に合った場所で生活する、それが社会主義化する日本でも毎日が楽しければそれもありだと思っている。いたずらに政府の批判をするよりも何が自分にとって正解であるかを長期的に考えてみれば違う視点もあると思う。難しい事は考えずに毎日働いて飯が食えるという生活も良いものだと思う。

 

これから起こる事は大きな産業構造の変化である。銀行はすでにメガバンクに集約された。商社も合併で数は減ったもののそれぞれが強い筋肉質になった。今回の大地震を機会に電力業界を解体して経産省が直接指導することになる。残された大きな業界はどこか?テレビや新聞などのメディア業界、建設業界、彼らを直接管轄する総務省や国交省などと経産省が日本再編=日本株式会社復活に向けて動くのは間違いない。



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