2012年07月

2012年07月31日

Life is Competition ! (人生は競争だ!)

今朝はりょうまくんと一緒に学校主催の「父親と息子の朝食会」に参加する。一年に4〜5回くらいあるのかな、朝6時45分に学校の講堂に集合してお父さんと子供は三々五々テーブルに付き、隣り合ったお父さんと子供たちで軽く会話しながら朝食を取りに行く仕組みだ。

 

食事はキーウィブレックファースト、つまりベーコンとソーセージと豆とパン、今日は遂にヘインズの缶詰スパゲッティが出てたのにびっくり。それを食べてる人を見てや@@ぱりここはニュージーランドなんだって再認識。ヘインズの缶詰入りスパゲッティは日本なら罰ゲーム用の食い物ですぜ(苦笑)。

 

テーブルは8人掛けで元気の良さそうなお父さんが最初に自己紹介、順々に名前を言ってから世間話になる。ぼくらのテーブルではオリンピックの話になった。「自宅にテレビ2台並べて片方を一時停止したりするんだけど、テレビってすごいよね」ふむふむ、いかにも良きキーウィです。

 

「あんたも昨日のオリンピック見たかい?」声をかけられて「いや、あまり見ないんだよね、とくに柔道とかオリンピックになってからすっかり変わったからね。ぼくらの伝統的柔道ってのは柔よく剛を制す、小さい者が大きい者を投げる事がポイントなわけで、今の鶏のつつき合いのようなえりを取りにいくのはね〜」

 

と、ここまで言ってしまって彼らのSorryな顔を見て“しまった、西洋社会では勝つか負けるかであり日本的な話をしても仕方ないよな、ネタ、間違い”と気づいたがすぐに他のおじさんがフォローしてくれて、そうそう、柔道ってのは高く投げるのがいいんだよねと言ってくれた。

 

今回は学校の講堂を使っており、二百数十名が集まっていた。前回と同様にアジア人はぼく以外には2組くらい。アジア人にとってはあまり意味のない集まりなのかな〜。

 

今日は現在ANBLで活躍するトム・アーバークロンビーというバスケット選手と1980年代のボート競技でNZに銅メダルをもたらし今もNZボート界でリーダー的存在であるバリー・マボット氏。

 

ふたりとも今日がオリンピックの最中だから今回の朝食会に選ばれたのだろう。バスケット選手のトムは「ぼくは偶然背が高くてね、ラグビーとかクリケットとかやったけど結局自分の一番得意なバスケットを選んでこれで生計を立ててるよ」

 

彼はあまり話し上手ではないが、言いたい事はスポーツにおいて勝つためには自分の得意とする分野で戦うべきだって事。これは当然で背の低い水泳が得意な選手がバスケで勝とうとするのは無理がある。水泳で戦うべきでしょ。

 

人間は生まれた時から身体的に不平等である。その事実を理解した上で、じゃあ自分の得意とする分野は勉強なのかスポーツなのか、スポーツならどのスポーツなのか、そうやって自分の得意な分野で競争して勝つ。競争したくないと言えばそういう選択肢もあるだろうけど、人生って競争なんだよね。

 

とつとつと語る彼は、自分の夢を持ってそれを実現するために競争に参加した。そして自分の持つ身体的特徴を生かして今のポジションを勝ち取った。考えてみれば孫氏の兵法でも自分の得意な場所を選んで戦えと言ってる。今も昔も変わらないという事だ。

 

次に話してくれたバリーさんはさすがに公演慣れしており時々ジョークを入れながら自分たちがボートを始めた理由、海外遠征、1980年代の雰囲気、コモンウェールズ大会で銀メダルを獲得した時の話をしてくれた。

 

ちなみに彼が学生の頃の昔のニュージーランドは誰もが平等な国だった。金持ちも貧乏人もいない、タクシーの運転手の助手席にテレコムの社長が普通に乗り込んでおしゃべりをする、そんな環境だった。

 

「学校が終わって両親が迎えに来るまでは皆でラグビーやったりランニングしたり、とにかく子供の頃からスポーツしていたよ。ぼくはそのうちボートを選んで友達と練習するようになった」

(当時の写真をスライドで拡大して見せてくれるのだが、まさに1970年代の長髪ヒッピー姿!)

 

「ぼくはスポーツをすることで友達が出来たし今も仲良くして楽しい生活を送っている。スポーツでは時には相手が勝ちこちらが負けることもある。いつも金ってわけじゃない。それでも、好きなスポーツで負けても何度も挑戦出来て信頼出来る友達が出来て、そんな素晴らしい人生がスポーツにはある」

 

そして彼は言った「Life is Competition ! 」 人生は常に戦いの連続だ。勝つことも負けることもある。それでも戦いを拒否して生きていくことは出来ない。それなら強く生きていこうじゃないか。他人と競争する中で自分の中で眠っていた能力を高めていくのだ。自分を磨く、それが競争だ。

 

社会主義国日本では機会の平等と結果の平等を要求して運動会で「誰でも一等」みたいな事をやってるが、その結果として自分を磨く、自分を高める競争さえしなくなる。

 

努力をせずに政府から何かをもらうことばかり考えて他人が努力した結果として自分より少しでも多くのものを持っていると不平等だと騒ぎ他人の足を引っ張り全員が下向きの平等、つまり貧しい平等に成り下がってしまう。その副次的作用として心も貧しくさもしくなり他人の動向ばかり気にするようになる。

 

同じ社会主義国ニュージーランドでは1960年代まで機会と結果の平等を実現しながら皆がスポーツを通じて競争をすることで自分を高める努力をした。その結果として上向きの平等が実現した。副次作用として心が豊かになり顔が明るくなり誰もが見知らぬ他人にも優しくなり試合で負けた友達には「明日があるさ、頑張ろうよ」と言える社会になった。

 

2012年の国民幸福度調査でニュージーランドは9位、日本は21位という結果が出ている。正直、一般的な日本国民からすればこれだけ働いても21位か?という感じだろう。ニュージーランドは残業をしない、年休は一ヶ月すべて消化する、土日は家族とずっといっしょに過ごす、国家財政が厳しいと言ってもそれは欧州危機などに巻き込まれた為でプライマリーバランスは実質黒字。

 

けどこのような状況は国民一人ひとりが努力することで作り上げた環境であり神様や国から恵んでもらったものではない。社会全体が上向きの平等になる仕組みがあり、経済生活においては失業保険、老齢年金、無料医療などのセーフティネットが整備されている、それは国民一人ひとりが他人と競争をすることで自分を磨く、不断の努力で作られたものである。

 

今日もりょうまくんは満足そうに話を聞いていた、手元のデザートケーキをパクパク食いながら。朝食会が終わりテーブルの向かいに座っていたおじさんたちとがっちり握手して、じゃね!と言って8時過ぎに会場を出る。

 

駐車場は信じられないだろうがテニスコートである。誰が案内するでもなく皆きれいに4列に駐めてて、出口は車一台分しかないのだけど、皆が相手の車の位置を見て譲り合いながら出ていくので効率的だ。日本だと「何で警備員がいないんだ!」とか「どういう順番になってんだよ!不公平だろ!」とかなるのだろうが、この学校ではそのような「日本的措置」はまだ不要である。

 

りょうまくんの勉強は大変そうだけど気持ちの良い学校に通ってもらってうれしい。さあ、ぼくもニュージーランド社会に貢献するためにシティに出て働こう。



tom_eastwind at 12:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月30日

原発とオスプレイと古賀茂明氏と

古賀茂明氏は大阪の橋下氏の頭脳の一人として動いている。もう一人の原発反対の飯田氏は山口県の選挙に出た(落選)。

 

ぼくは古賀茂明氏の有料ブログを取っているが、これは即役に立つ情報と言うよりも観測気球の意味がある。つまり彼が書くことと書かないことを通じその時の経産省の望みとか官僚の希望することとかを比較してみれば彼がやりたい事とか、そういうのを何となく感じることが出来るからだ。

 

TPP反対でバカ晒してる経産省出身の裏声キーキーがヒステリックにテレビで何を吠えても、ありゃすぐに「やらせ」と分かるかなり程度の低いバカであるからいちいち観測対象にしない。

 

しかし古賀茂明氏の場合はそうではなく、かなり高いレベルのダブルエージェントであるかもしれないと思う。

 

というのが、例えばオスプレイ問題については例えばこれ↓

★野田政権は、日米安保条約と日米地位協定上、日本政府には止める権限はないと言っている。しかし、外交とは、条約を杓子定規に解釈することではない。もし、仮に野田政権が安保条約と地位協定を盾に、オスプレイ配備を正当化するのであれば、条約を見直せということになる。現状では、安保条約と地位協定には不備な点があることは否めない。この際、真剣に見直しの議論を始めるべきだろう。★

 

条約の見直しがどれだけ時間がかかるか分かった上で書いているわけだから、こりゃオスプレイについてはガス抜きだわな。それに条約を結んだ背景に日本敗戦があるわけで、喧嘩に負けてから不公平なんて言っても仕方ない、相手に負けたのだ。その事実を認識した上で不平等条約を改正するためには日本全体の意見が必要。その意味で彼はしっかり政府(経産省)の要望を担って国民に対して「そろそろ条約見直しですよ、対米従属では将来がないですよ」と書いている。

 

原発問題について彼は↓

★毎週金曜日の官邸前のデモ。先週は何とか参加できた。まだ2回目だ。いつも仕事の関係で行けないことが多い。今週も地方に行っているため行けない。来週は行けるかもしれない。行きたい。★

と語っている。

 

これも、万が一国民戦線が本気で原発即停止という意見になった場合に国民戦線側に送り込む間者としては良い位置に立てる行動だ。つまり彼は政府による危機管理のためのエージェントとして考えれば非常に良い立場にいる。

 

政治は決して簡単ではなく、内政と外交を噛みあわせながら中国のように上手にやるのもあれば米国のように力づくでやって失敗連続ってのもある。英国のように内側をしっかり固めて常に外で戦う外交もある。

 

日本が外交下手なのはその民族性ではなく外交を担う人々が風見鶏であり自分のメンツを大事にするってところがOUTだからだ。死んでも国家を守る、そういう発想は今の外務省にはない。「死んでも、え?死にたくないです、ぼ、ぼくのちっちゃな名誉も守りたいです」それが外務省の大筋の本音だから、そこを見透かされていつも足元をすくわれている。

 

結果、いつも国民に無理を押し付けて国民が難題を片付けているのがこの国の近代の歴史である。ヘータイは馬鹿な大本営に振り回されてそれでも何とか現場力で片付けてきた。それが今の日本である。

 

まあいい。古賀茂明氏の意見も十分参考になるのだから、脳みそを自宅の神棚に置き忘れた人々には程よい刺激になると思うので是非とも読んで欲しい。最初から裏読みする必要はない。表だけで十分立派なことを書いているのだ。

 

彼が現在ダブルエージェントではないかと思えるのは文章から読み取れるが以前出した本が「あの当時から」ダブルエージェントを狙っていたとは思えない。出した後に経産省の先輩から「おい、お前良いよ使えるよ、本当の仲間になってくれよ」と説得されたのではないかと思う。

 

何故なら今の政府官僚にとって最も動きの見えないのが大阪維新の会だからである。この会には既存の政治家も官僚も入り込めてない。唯一、古賀茂明氏だけが内部を見える立場にいる。その立場を利用して様々なコメントを維新の会に発信することが出来る。

 

ちなみにぼくは、ダブルエージェントが悪いとは思っていない。政治の世界では騙し合いもあるしそれが結果的に日本を良い方向に導くなら良いと思っている。官僚だって彼らなりに日本社会を考えている(日本人ではなく日本社会)。このような動きは時にむだな戦いを避ける事ができる。平和の為にも間者は必要なのだ。

 

次回の衆議院選挙では何が起こるか誰も読めない。どことどこがくっつくかも読めない。一番恐いのは大阪維新の会が本当に衆院で一定の力を持った時だ。ダブルエージェントと言いながらも大阪維新の会と経産省を結ぶ立場で古賀茂明氏自身の考えを積極的に持ち出す機会でもある。



tom_eastwind at 17:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月29日

私の英語、ちゃんと相手に伝わってます?

ぼくのブログは毎月少額ながらお金を払って登録しているのだが最近は頻繁にウェブ広告が入るようになった。アフィリエートをやってるわけでもないのだが、サーバー側の判断で自動的にブログ内容に合致した広告が掲載される仕組みなのだろう。

 

http://www.fruitfulenglish.com/customers_public/index.html

 

このウェブ広告は添削会社が英語添削をするって事で、ほー、面白いビジネスだ。「文章は常に書く訓練をしておかないといけない」のは、そうだと思う。単語もそうだ、

 

考えてみればパソコンのキーボードも同じで、いつの間にか忘れてしまった漢字の多いこと多いこと。時々意識してメモ紙に漢字を書いて訓練するのだが、ほんっと、忘れてる。

 

日本のビジネスマンが外国と取引をする時に英文メールを発信するが、英語の意味を取り違えてたりすると笑えない話になる。古い話だがある会社が宣伝である歌を取り上げた。歌詞のど真ん中にMakeLoveってのがあって、担当者は「恋をしようよ」って意味だと思ったのだろうが世間に流れるや大変な騒ぎですぐに回収された。だから正確な言い回しは理解しておく必要がある。

 

ただし添削のしようがない英語翻訳があるのも事実だ。ぼくは仕事柄よく通訳をするが、日本のビジネスマンが話す内容は時にはキーウィには意味不明であり、何故そういう理屈になるのか分からない。このような時は直訳ではなく意訳をする必要がある。

 

笑い話でこんなのがある。日本人と中国人ビジネスマンがお互いの通訳を入れて国際会議を行った。最初日本人ビジネスマンがずっと話し続けた。ところが中国側の通訳は全く訳そうとしない。中国人ビジネスマンが通訳に「おい、どうしたんだ、彼は何か喋ってるようだが?」通訳は一言「彼は何も喋ってません、少なくとも意味のある事は」

 

日本人の言葉には美辞麗句や季語やなんやらかんやら、とにかく西洋的なビジネスには全く関係のない話が出てくる。

 

日本人同士ならそれでも理解出来るのだが、ビジネスとはビジー(忙しい)という意味であり、機関銃使って戦場で戦っている時に武士が飛び出してきて「我こそは明智末裔の武士である斉藤どらえもんである〜!どいつか戦う奴はいらっしゃいませんか〜!」と言ってるようなものだ。そんなもん機関銃の一掃射で打ち倒されて終わりである。

 

だから最初から話が噛まないままにお互いにだんだん白けてきて「おい、今日はなんでここにいるんだっけ?」という話になる。

 

例えば不動産の交渉であれば相手方から「こんな物件はすごくいいぞ、どうよ」と聞かれてただ単純に相手の意見を否定するのは良くないと思い「はい、そうですねOh,it’s good」とだけ言ってしまうと、それはもう「興味がありますI’m Intresting 」という意味になってしまう。

 

だからさらに突っ込まれて物件の説明が長々と続き、最後に「けどこれは結構です」というと相手の顔色がさっと変わって「おい、ここまで言わせといて今更なんだ!」という事になる。この場合は最初から「はい、そうですね」は「ふーん、で、次は?Fm, What next ?」と通訳するのが正しい通訳となる。

 

そして更に難しいのが、英語以前の問題で日本語がおかしい、つまり思考回路そのものがおかしい場合である。これはもう英語が通じるとかどうとか以前の問題である。

 

例えば22歳地方大学卒業で英語が殆ど話せない女学生が

「わたし、ニュージーランドに移住したいんです!」

「そうですか、それではまず英語力と職務経験と〜」

「そんなの何もありません!けど頑張ります!何でもやります!」

「では何が出来るのですか?」

「何でも出来ます!」

「けど英語力も職務経験もなくて何が出来るのですか?」

「だから何でも出来るって言ってるじゃないですか!」

「けど、英語出来ないんですよね」

(無言で睨み)「何で分かってくれないんですか!?」

 

西洋社会では論理性を大事にするし、数字を常に出して具体的に何がどうなのかを説明する必要がある。けれど日本では今でも「頑張る!」で話が通るし周囲のアンポンも無責任に「がんがれ!」と言って後になって「おれ、知らんし」で終わる。

 

現地の弁護士からすれば「私の英語、伝わってますか?」以前の問題である。日本的な泣き落しやお涙頂戴は全く通用しないのだ。英語が伝わってないのではなく日本的なご無理ごもっともな泣き落し戦法が相手に伝わってないだけなのだ。

 

「私の英語、伝わってますか?」以前に「私の論理、合ってますか?」と考えるべきなのだ。相手側に立ってみれば、英語も出来ない職歴もない小娘が移住したいと言っても、それがニュージーランドの利益に繋がるかどうかがすべてである。どうせやるなら

「わたしに永住権を発行すればこの国は毎年100万ドルの外貨を稼ぐことが出来ます」とか具体的な数字を提案することだ。

 

いずれにしても3・11からこっち、移住する日本人が激増した。去年までは楽勝で永住権取れてたケースでも色々とチェックが入るようになった。それはNZ政府として緊縮財政を採用して教育や医療についてタダ乗りを防ごうとする方向に向かっていることを意味する。

 

キーウィ自身の医療と教育の削減をしている時に外国人に永住権を発給する場合は自国民を納得させる理由が必要となる。あなたが今すべきなのは、彼らの立場に立っていかに自分に永住権を発行することでNZ経済及び雇用に貢献出来るかを西洋的論理で説明することなのだ。

 

私の英語、通じてますか?と聞く前に、英語の論理性を理解して相手の立場に立って考えてみるほうがずっっと実践的である。



tom_eastwind at 17:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月28日

攻めのワーキングホリデイ

★抜粋開始

現在の最低賃金(時給)は、北海道705円、東京837円、愛知750円、大阪786円、沖縄645円などとなっており、全国平均で737円です。これを7円引き上げて全国平均で744円にするというのが、今回の答申です。

 時給744円で週40時間、年2000時間働く場合、年収は1488000円にしかなりません。時給837円の東京でも1674000円にすぎず、200万円を下回ってしまいます。

 これから税金や社会保険料が引かれ、電気代を含む水光熱費や家賃がかかります。実際に使える可処分所得はずっと少なくなるでしょう。

★抜粋終了

 

ニュージーランドの最低賃金は今年も値上がりして現在は13ドル50セントだ。現在の為替レート1NZドル=65円で計算すれば877円50銭。NZの為替はたった1年で1ドル40円から100円まで激動するので今日の肌感覚レート1NZドル=80円で計算すれば1,080円だ。

 

なのでこれだけ見れば単純にマックで働くならNZで働いた方が収入が多いという事に気づく。但しNZでは交通費も住居手当も支給されないので、もし交通費を給与とみなすなら日本の方が良いかもしれない。

 

マックで働くのは多くは自分の家の近くで働くし移動は車なので交通費は安い。住居手当と言っても親元に住んでいればそれも不要だ。親元を離れてシティでフラットシェアをする場合、一人当たりの一ヶ月の家賃は600ドル、約4万円である。シティのマックなら徒歩圏内なので交通費不要。

 

食費はまとめ買いして友達と一緒に料理を作れば一ヶ月で200ドル程度、約13千円だ。あとは電話代(ひと月50ドル程度)とビール代が中心だろう。医療は無料なので貯金の必要はない。

 

年に2000時間働けば1755千円だ。ここから税金として引かれるのは約15%なので残りを12ヶ月で割ると一ヶ月手取りは約124千円となる。マックを卒業?してから専門学校に行こうと思えば政府から学費を借りることが出来るし学生期間中は学生手当が出る。医療は基本無料だし失業手当、老齢年金も充実している。

 

となれば将来をあまり大きな夢を描かずにこじんまりと生活するのであればニュージーランドの方が良いのかも、なんて思うのもひとつの夢だろう。

 

日本はホームグランドだし言葉の不自由もないし人種差別もない、けれど経済面だけを考えたら、うむむ、大学出ても正社員になれずパートばかり繰り返してきて、今更日本で上に行けそうにないし、それならいっちょう若いうちに羽ばたいてみますか!

 

実はこれがワーキングホリデイビザの枠にぴったり収まる。年齢は31歳以下で一生に一回一年しか取れないけど、その一年で頑張って働いて現地でワークビザを取得、数年後に永住権申請ってパターンだ。

 

この道で永住権を取得した人は多い。技能移民部門で申請するのだが、ただしこのビザは景気に影響される。失業率が現在のように6%を超した場合は審査が厳しくなる。6年前くらいなら失業率3%だったので取得しやすかった。8年前ならワークビザを持っている人に「永住権申請しませんか、すぐ通しますよ」という招待が来てた。

 

ただしこの枠で来ることの問題点がある。それは永住権が取得出来て結婚も出来て子供も作れて、ここまではわりかし円滑に進むのだが、その先、40歳くらいになると「自宅を購入するほどの給料がもらえない」とか「日本に里帰りが出来るほどの収入がない」となる。

 

ここで彼らの両親にお金があり子供の移住に前向きであれば資金送金をしてくれるだろう、航空券を買ってくれて可愛い孫の為に小遣いをどーんと渡すだろう。しかし両親が子供に「戻ってきてもらいたい、家業を継いでもらいたい」となると、これはもう兵糧攻め、金が欲しければ日本に帰って来いである。

 

なのでワーキングホリデイから始まり永住権取得、40歳までは何とか楽しくいけるが、その先を両親のお金に頼らずにやっていこうとなると相当高い能力を要求されるか苦しい生活を余儀なくされる。

 

永住権取得出来たらまず専門学校に行きなおして高等学問を身に付けて資格が生かせる、自宅を購入出来る、具体的には年収10万ドルを目標と出来るような業種を探す必要がある。

 

そう、こう考えてみれば実はワーホリ取得してくる前に、日本で学べるものがあればマックで掛け持ちバイトでもしながら将来の専門学校で学ぶ際の何らかの予備資格を取っておくと、将来がかなり楽になるのが分かる。

 

具体的にはIT,看護師など移民局のリストに掲載されている職種を見ればイメージがわくと思う。ただリストにあっても意外と仕事が見つからないのが会計士だったりするのは皮肉、このあたりは公式データと実態の比較をして自分が渡航する時期にその実態がどのように変化するか分析しておく必要が有る。もちろん英語力は必須だ。

 

こうやって見ると、今までどちらかと言うとワーキングホリデイは「ホリデイ」の部分が強調されて日本ビジネス社会では評価されなかったが、最初から海外に住む、その為の第一歩と考えれば攻めのワーホリと言える。

 

いやいや、攻めをするくらいならすでに日本国内のビジネス社会で頑張ってますよとなるのかもしれない。そうだろうね、今の日本が合う人はそれもOKだろう。ただ日本人の価値観が合わず年齢的に31歳以下であれば、まだ若いのだ、失敗しても楽しかったと言えるうちに挑戦してみればどうだろう。

 

ちなみに今のNZの環境大臣のTimGloserの親父はミュージシャンで、1960年代に戦争で荒廃して経済が疲弊した英国を出てその頃世界で三本指に入るほど豊かだったニュージーランドに移住した。今では考えられないが、英国から経済的事情で移住先がニュージーランドという時代もあったのだ。

 

今までの日本なら確実に日本の生活のほうが豊かで収入も多く安定していた。けれど10年後も同じと言えるか?てか、一箇所に張り付いて一所懸命に苦労することだけが立派なのか?日本人も中国人のように世界をまたにかけてその時一番未来のありそうな国に移住する、10年単位で次の国に移住する、そういう大胆な発想があっても良いと思う。



tom_eastwind at 13:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月27日

望めば叶うというけれど

原発事故が起こるまでは周辺の人々は原発関連手当で潤っていた。電力会社が地元懐柔の為に様々なお金を落としてくれて、一部の地元住民は古くからの苦しいけど独立していた生活を捨ててすっかり「原発依存」になってた。

 

その頃は電力会社の「愛してるよ、一生安全だよ」と言う言葉を信じて「原発は一生安全、わたしの人生も一生安泰」と思っていたのが、いざ大地震が起こってみると原発は吹っ飛び自分たちの住めない村になった。

 

人間は何か嫌な事に対しては、そういう事は起こらないと思うようになる。それは当然の脊髄反射だろうが、これが昂じると「そんな事は絶対に起こらない」から「何も対策をしないし何も考えない」となってしまう。望めば叶うってのは事故や災厄には当てはまらない。

 

特に政府が「原発は絶対安全です、爆発しません!」と言えば、おおそうかと信じて自分で原発の勉強もせずに政府の話を鵜呑みにする。

 

だから原発が吹っ飛んだ時に多くの人々はびっくりした「あれ?原発って安全じゃなかったの?爆発しないんじゃなかったの?」けど現実的に原発は爆発した。次に大きな地震が福島で起こり使用済燃料が地上に放り出されたらどうなるか?

 

こんな事を書くと「いやだな〜、そんな事言わないでくださいよ」と返答が来るのだが、「そんな事」を言おうが言いまいが災厄は来る時は来る、なのに目をつぶって砂場に頭を突っ込んで何もないふりをしているだけでは実際に災厄が来た時に被害が拡大する。

 

でもってここがコツなのだが、世の中で生きている限り原発以外でも様々なリスクが世の中には存在している。自分では交通事故を起こさないと思ってても事故に巻き込まれることもある。絶対安全なんてのは存在しない。

 

ぼくは車を運転する時は青信号の交差点でも軽くブレーキに足を乗せて、万が一赤信号で突っ込んでくる車があっても被害を最小化出来るようにしている。信号待ちをする時も前の車との車間距離は広めに取っている。りょうまくんが「お父さん、なんでお父さんは車間距離を一杯取るの?」って聞かれて「前の車が火を吹いた時に横に逃げるためだよ」って言ったら少し呆れてた。

 

まあ普通に考えれば呆れるだろうが、交差点でブレーキに軽く足を載せたり車間距離を取る事で何か損をするわけでもないし余分な費用がかかるわけでもない。けれど万が一の事故が起こった時にそれで被害を軽減出来るなら注意一秒怪我一生、「コストのかからない危機管理」をすべきである。

 

他にも例えば金曜日の夜9時以降にクイーンストリートを歩かないとかは日常習慣の一部である。それから常に前を見て歩くとか結構当たり前の事なのだが日本人は結構前を見て歩いていない。

 

オークランドでも日本人と中国人の違いはその目の位置ですぐ分かる。日本人は殆どの場合眼が泳いでいるから隙だらけ。だからしょっちゅうマオリやアイランダーからひったくりに遭う。

 

ところが中国という激戦区を生き残ってきた中国人はどんな格好をしていても常に前を見ているから荷物を斜交いに持って離さない。あるときなど大きなモールの駐車場でひったくりに遭いそうになったが絶対手放さずに最後は轢き殺された、、これはこれでどうかとも思うが、それほど危機管理は徹底している。

 

とくに日本に出張した時に最近目立つのが、都会のど真ん中で道を歩きながら耳を閉じて目を塞ぎ自転車を漕いでる人、つまり携帯音楽端末で耳にイヤフォンしてスマートフォンでテキストしながら自転車を漕いでる状態の人だ。自分がどれだけ危険なことをやってるのか、理解しているのだろうか?あなたがぶつかる相手が転倒したら犯罪ですよ。

 

モールを歩いててもとにかく他人を見てない。隣の友達と喋りながらケータイちゃかちゃかやって音楽聴いてるんだから、そりゃ肩がぶつかるでしょうよ。それで喧嘩になったり頭に来てナイフを取り出したり、これで安全とか平和とか言ってるんだから脳内ちょうちょかいと思ってしまう。

 

他にも痴漢冤罪事件だってある。電車に乗る時は絶対に端っこで男性と固まって座るとか両手を常に上げておくとかも必要だ。

 

原発から自動車、自転車から携帯音楽端末から痴漢まで、世の中は常に危険が潜んでいる。絶対安全は存在しない、他人の言う事を鵜呑みにしない、そう考えて出来る範囲内で備えをすべきだろう。

 

望めば叶うというのは希望を持って前進する時に使う言葉だ。砂に頭を突っ込んで何も見えないふりをして逃げても、そんな望みは叶わない。



tom_eastwind at 16:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月26日

すき家の卵かけご飯が200円!

すき家が200円の卵かけごはん朝食を始めたってのを先週クイーンズタウンで聞いた。調べてみると確かに朝食時間帯のみだし店舗限定だし5月から始めてるし、、やっすーい!

 

ぼくは吉野家専門ですき家に行く事はなかった。出張で香港に行くときも吉野家だ。朝飯や昼飯で九龍側の吉野家に足を運んでいる。香港の吉野家の朝食にはインスタントラーメンの上に牛皿が乗っかってくるのが標準で、ラーメンの代わりに米粉(ビーフン)を使うこともある。

 

値段は19香港ドル〜20香港ドル(約200円)でお茶が付いている、、、ん?。てことはすき家の卵かけご飯は香港の吉野家の朝食と同じ価格ではないか!!

 

お客様も「こりゃ価格破壊ですね」と言ってたが、だってコンビニ弁当より安いんだから価格破壊ですぜ。もちろん利益率はある程度確保して上で勝負をしているのだろうが、それにしても安い。

 

これじゃあライバルも様々な攻勢をかけてくるだろうけど、色んなメニューがでるだろうけど、例えばふりかけご飯、醤油掛けご飯 ソースかけご飯 塩かけご飯(笑)とか、明確なのは日本は更に価格下落が進んでいるという事だ。

 

以前も書いた事があるが、これは世界が一つになり実質的に国境がなくなり仕事がどこでも出来るようになる構造的な変化である。だから日本人の平均的な食事価格が中国と同じになるまで下がるだろう。

 

すでに香港人の朝食と日本人の朝食の値段が釣り合い始めているわけだ。日本の朝食と香港の朝食が同額になれば同じ仕事をしている日本人と香港人の給与格差がなくなるわけで、次に起こるのは経営者が「同じ給料払うなら英語も中国語も広東語も3ヶ国語を話して積極的で国際感覚を持っている香港人を使おう」という事になる。

 

そうなるとなまじっか有名大学出て世界で戦おうなんて考えている若者は、もろに香港大学を卒業した若者と競合になるわけで、残念ながら今の日本人の若者に勝ち目は少ない。日本人が唯一人種的に優秀なのは仲間を信じて団結出来るって部分だけどその必要がない仕事においては、日本人、キツイな。

 

それならむしろ海外に持ち出しようのない仕事、例えばコンビニの店員とか大工とかを職として選んだほうが正解であり、それならわざわざ大学まで出る必要はないのだ。高校卒業したらすぐに就職して収入を得たほうが正解である。

 

それにしてもすき家の卵かけごはん、安いな〜。けど考えてみれば昭和初期なら卵かけご飯が100円とかもあったわけで、日本が高度成長に入り人件費が高騰し土地が値上がりして現在の物価があるわけで、これからゆるやかに右肩下りで更に物価が下がっていけば卵かけご飯が100円の時代も近いのかもしれない。

 

ちなみに自分で作ってみたらどうなんだろと思って検索してみたら、やっぱ調べてる人がいた。

★どう考えても自炊した方がトクだろ。1回買い物行けば家で何回も食えるんだから。

ごはん 精米5キロ2000円のを買って、大盛り1杯30円

大根おろし 200円を1本買って、1回分20円

しょうゆ 1本200円のを買ってきて 1回分1円

たまご 1パック200円で1個 20円

味噌汁 200円の具入りインスタントで 1回分40円

しらす 50g200円のを買ってきて 1回分 40円

 

これらを買いに行き、つくり、調理する手間

それに食い終わった食器を洗う手間

電気代水道代等々含め   50円

 

うん、すき屋いくわ★

 

最後の一言が笑えたが、他にも都内で働くプログラマーは「家帰っても冷蔵庫何も入ってないし、第一家に帰れない日があるわけで、200円卵かけご飯は有難い」という評価もあった。

 

確かに忙しいサラリーマンには料理の準備をしたり洗い物したりする時間がもったいない。すき家、面白い仕掛けをしたものだ。

 

ちなみに今の日本の食事値段感覚でニュージーランドに来たら「こんなに高いのか!」とびっくり、とんでもないことになる。

 

バーガーキングの朝食でも420円(7ドル)前後、クイーンズタウンのカフェで朝食を食べれば600円、第一スターバックスのコーヒーは240円(4〜5ドル)。たまごかけご飯の200円はNZドルで計算したらたったの3ドルだからスタバのコーヒーさえ飲めない事になる。

 

ニュージーランドは国民数が少ないし安くしてお客を集めるという発想があまりないし仕入れをする時もけっこう随時契約で相見積もりという発想もないので、てか相見積もりしたら「何を失礼な!」と思われるお国柄だ。

 

物価は毎年3%程度上昇しており、バス代とか電気代とか公共料金も上がっているので、肌感覚で言うと毎年5〜6%くらい上昇している感じだ。

 

なのでこれからニュージーランドに渡航を考えている人は、しっかりと現地価格を事前調査して自分が望む生活をするには毎月いくらかかるかを計算して行く事が必要だ。すでに到着して2年程度経つお客様は「ほんっと、毎年値上がりしてますよねこの国」とあきれるように言ってた。

 

この国では毎年物価は上がる。土地は毎年値上がりする、その事実をしっかり理解した上でおいでください。



tom_eastwind at 15:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月25日

オスプレイ社説で思うこと

河北新報の7月25日付けの社説で「オスプレイ上陸/「飛行ありき」は認められぬ」と書いている。

 

何で最近になって突然オスプレイがこれほど新聞を賑やかにさせてるか、それは誰が一番得をするかを考えれば答えが分かる。それは政府。マスコミがわーわー言って騒いでる間に原発や消費税をとっとと片付けてしまおうということだ。

 

地方県知事もオスプレイ配備を止める事は出来ないとわかっててワーワー言ってる。昔の社会党今の社民党と同じで、どうせ通らないから無責任に言いたい事を言う。米軍からすれば「何だこりゃ?」って事だがそこはすでに外務省あたりが裏から手を回して「大丈夫です、これは日本の無責任野党の一時的なガス抜きですよ」と言ってるのだろう。

 

何故なら第一に米軍がどのような飛行機を持ってこようが日本側は条約に違反していなければNOと言えない。第一米国追従の日本は米国が核爆弾を持ち込んで来た時だって「見て見ぬふり」をしたのだからNOと言うはずもはい。

 

反対派が責任ある市民として自己責任を理解した上でオスプレイを反対するのなら良いだろうが、今の反対論はあまりに幼稚で無責任で単なるガス抜きであり、政府に裏から金もらって労働貴族していた旧社会党の馬鹿並としか言いようがない。

 

まずオスプレイであれ何であれ戦闘行為に使う航空機は常に墜落する可能性があるという事が基本であり「絶対安全」などあり得ない。なのに野田首相は「安全が確認できない限り飛ばさない」って、そりゃ一生飛ばすなって事だ。

 

次にオスプレイを導入するのは自衛隊ではなく米軍海兵隊であることをしっかり理解しよう。海兵隊は敵前上陸という最も危険な戦場で突撃するのだがその場所に兵員や武器を送り込むのに滑走路なしで離着陸出来て一旦水平飛行に移ればヘリよりずっと早い輸送機があれば、それだけ米軍海兵隊の勝利率は高まりその分だけ戦死者を減らすことが出来る。

 

つまり操縦が難しい航空機ではあるが無事に操縦出来れば現在のヘリコプターよりも高い攻撃成功率を獲得出来る。操縦ミスで発生する死者と戦場に投入することで減らせる死者を比較してオスプレイに効果があるのなら、それは導入すべきだ。

 

次に出てくるのが、オスプレイは構造的に欠陥のある航空機だからダメって話だが、冷たいようだがオスプレイを運用するのは米軍であり日本人操縦士ではない。構造的欠陥で墜落する確率と戦闘に投入して戦死者を減らせる確率を比較して米軍が「効果あり」とするならこれもOKだ。

 

もちろん米軍だって馬鹿じゃないから操縦士の命を守るために何とか改良を重ねていくしそこに費用もかかるが、それが軍産複合体の陰謀説みたいな話に結びつくからうざい、海兵隊が垂直離着陸機を持つという利点はそのような瑣末な部分を無視しても十分に利益がある。

 

オスプレイは「エイリアン2」で使われた人員輸送機みたいなもので非常に便利な航空機だ。思想は正解なのだ、後はどう安全性を向上させるかであり「安全を確認するまで飛ばさない」って、できもしない事をほざくのは脳みそ猿か?と思ってしまう。

 

そして僕が一番アタマに来る部分は「オスプレイが日本国内で訓練時に墜落したらどうする?」という議論だ。おいおい、戦後の日本は米軍の核の傘で守られてきたのだ、米軍操縦士が自分の命を賭けて飛ばしているのだ、なのに日本人は「きゃー恐い、わたしのところで飛ばないでね、けど戦争があったら守ってね」って、操縦士からすれば「俺だって命賭けているんだ、ふざけんな!」って話である。

 

ここが実に無責任であるとぼくが思う理由だ。オスプレイの危険率は米軍が考える問題でありその計算が費用対効果をクリアーしていれば導入するのに何の問題があるのか?日本が問題とすべきは費用対効果であり安全性ではないのだ。

 

オスプレイが嫌なら今すぐ米軍に撤退してもらい不十分な装備と法律不整備の日本自衛隊が北朝鮮や中国との盾になってくれればいい。しかしそれさえも「国内世論が〜」などとやってる。これではあまりにも議論が無責任ではないか?

 

当事者として痛みを抱えながらも政策を進めていく、その気持がなくて無責任な言いっぱなしはダメだ。ちなみにこの河北って新聞社のボス、現在は家賃未払いで告訴されているが住んでる人は元愛人、家主は東北を仕切る権力者なので未払いについても約3年、言い出せなかったらしい。オスプレイがどうのこうのよりも、自分のオス・プレイを反省してみればどうだろうか。




 



tom_eastwind at 20:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月24日

大津事件の加害者がニュージーランドへ?

大津いじめ自殺事件ではしばらく前に思うことを書いたが、数日前にNZdaisukiというウェブサイトで「いじめた加害者がNZに留学に来る!おかしくないか?!」という話があった。

 

加害者がNZに留学に来るという「噂」がある。それが事実かどうか僕は知らないし事実としても実行されるかどうかも分からない。

 

ぼくの個人的な意見としては被害者が被った悲劇と同様の悲劇を体験させていくべきが社会の下の平等だと考えている。つまり多くの人々と同じように加害者に対しては怒りを感じているし贖罪しろと考えている。だって自分の子供がもしそんないじめに遭ったらどうする?

 

しかし「噂」の主の話はどうも「そんな学生に来てほしくない」でありその意見に賛同する在NZ日本人も「そうよね〜、そんな人に来てもらいたくないわよね」である。つまり他人ごとであり自分が裁判する側に回ったような無責任な正義感を振り回すだけの阿波踊りな連中である。

 

ぼくが一番キライなのは、自分に利害関係のあるところではかなりの不正でも眼をつぶっているのに、自分の利害に関係ない所ではまるで正義感ぶって裁判所の裁判官みたいに本来の法律が結論を出す前に床屋談義かおばさんたちの暇ランチで勝手に議論を作り挙句の果てには集団無責任で個人をリンチにかける連中だ。

 

彼らは無責任に言いたい事を言い「こんな人間を入国させることはダメだ!」と、まるであんたは移民局長官のような話かい?

 

ぼくらは法治国家に生きている。誰かを裁く権利を国家組織に委ねて彼らプロフェッショナルが出来る限りの結果として正当な結論を出せば「基本的には」受け入れるべきだ。基本的にという意味は後述するが法律は正確に作動するわけではないので常にアピールの必要があることを許容するという意味だ。

 

ぼくらには意見を表明する自由があるが、同時にそこには自己責任が発生する。都合の良い時だけ自分が裁判官みたいに偉そうな事言っておいて都合が悪くなれば「だって〜、そんな事知らないんだもん」と逃げる連中のいかに多いことか。

 

加害者がNZの法律に基づいて学生ビザを取得して渡航すれば、それに対してどーのこーの言うのは間違いだ。それはNZ政府の仕事である。もちろん必要に応じて学校に状況を説明する事は良いと思うが、誰か全く利害関係のない暇人が訴える話ではない。

 

加害者がこちらで学校生活を始めたら?もしその子供がりょうまくんと同じ学校に来たとしても僕はこちらから何かをすることはしない。出てけとも言わない。ただし言論の自由はあるのでもし周囲に聞かれたらぼくの知っている事実を伝えて彼らに判断を任せる。

 

もし加害者が「どうすりゃいいっすかね?」と聞いてくれば「自分で考えれば〜?おれなら被害者と同じようにマンションから飛び降りてみるね」と言うだろう。

 

しかし、ぼくが絶対にやらないだろう事は、まだ犯罪事実も確定してない状態で集団が無責任に個人をリンチにするような事だ。

 

ぼくは加害者がやった行為を許す気持ちには一生なれない。けれど、だからと言って法治国家のルールを破って私的制裁を加えることにも加担しない。自分の意見はある、けれど示威行為は法治国家の認めた内側でしかやりたくない。

 

現時点で加害者は犯罪者とは認定されていない。そのような人物の入国に対して意見を述べるのならまだしも強制的な意見として「出て行け!」となれば私的制裁、リンチのような気がする。ぼくは法律はそれほど好きではないが、世の中では人間同士が生きていく上でルールが必要だ。

 

ただ、ここから先は前半と少し違う話になるが、もし僕が被害者の直接関係者であり彼を許せないとするならば、おそらく法律を犯すことを明確に意識した上で加害者に罰を与えるだろう。少年法がどうのこうの、関係ねーよ、お前に被害者と同じような痛みを与えて自分のやった事を反省させるよ、その結果として俺自身が裁かれるようになろうと気にしない、これは仇討ちなんだ。

 

要するに腹をくくるとか自己責任とかはこういう意味だ。自分だけ高みにいて無責任に他人をリンチするのは、加害者がやったいじめと同じである。本当にやりたいなら自分の命を賭けてでも相手に罰を与えるべきだろう。しかしその気持がない人間がどうこう言うのは「あ〜ん、あたしって立派!最高!法を守る守護神!」みたいな、ゲロの出るような自己陶酔以外の何物でもない。

 

繰り返すがこの加害者がNZに来るかどうかは噂の段階であり例え事実としてもそれが表面化されたら来ないと思う。ただこの問題については、無責任に調子ぶっこきの正義感ぶりのくそったれ連中が裁判官ぶって自分の都合の良い時だけ法律を無視する、その態度が無茶苦茶腹が立つだけだ。



tom_eastwind at 20:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月23日

自助自立を基本に

「社会保障の目的である国民の生活の安定等は自らの生活を自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助・自立を基本」とすると明記されています。つまりこの点に関して、民・自・公3党のコンセンサスは取れています。

最近は民主党がすっかり自民党化してそこに公明党が入って一大国会勢力となり、それぞれに官僚が裏で台本を作成して「はい、ここで民主党が強硬主張、そこで自民党が反対する、両方が間を取って出来た妥協点が最初から官僚の目指した落とし所〜!」となっている。東電の値上げ幅など最初から落とし所を決めて東電に高めに言わせて政府が値切ったという猿芝居だ。

 

上記の社会保障の文章だが、この意味するところはお分かりだろう。国民は自分たちで家族を養い自分たちで食い分を用意して不足分は親戚から金借りてでも自腹で面倒を見なさい、国家は面倒見ないよという事だ。

 

つまり政府は社会保障の削減について「社会保障の削減」と言わずに「自助自立」という言葉で実質的に削減をする。あれ?じゃあ増税した分は?社会保障に使うんじゃないの?官僚は答える「ふおっふおっ!それは政府が抱えるプライマリーバランスの黒字化に使うわけで国家予算が必要なのじゃよ、国民に配る金などないのじゃ、おわかりか若いの」となる。

 

これから政党が入り乱れて当分は絶対過半数をとれる政権が出てこないしその間は官僚が裏から支配出来るので、法律を作る責任は政治家に取らせて法律を作って得る利益は自分たちが取るという「権利はあれど義務はなし」という官僚にとって最高の状態が当分続く。

 

この期間に国民総背番号制が導入されて国民資産が把握され増税され社会保障が削減され国家は一気に黒字経済に向かうだろう、国民全てに今までの責任を押し付けたまま。

 

この原因は何か?それは官僚が「国民は放っておいても次々に湧き出る使い捨ての資源」と考えているからだ。

 

国民は放っておいてもそのうち結婚するし子供を作る。結婚するだけの資金力も生活力もない若者は子供も作らずに消え去って悪い遺伝子は淘汰されるから良い国民=納税して国家のために働く国民が残ることになる、

 

これから少々人口が減っても2025年の時点でも1億人はいるわけで国内需要で十分に食っていけるし国民は小学校の頃からおとなしく国家の言うことを聞き、自分が働けないと分かれば自ら電車に飛び込んでくれるのだからこんな楽な事はない、それが官僚感覚だ。

 

ふざけるな、こっちはお前らの奴隷として生まれたんじゃないんだ、自由な人間として生まれて自分の望む生活をするために自分の能力を身に付けて生きようとしているんだ。

 

社会保障を削減するなら結構、自分たちで自分の生活を守る、けれどおれたちが自分の努力で稼いだ金に手を付けるんじゃねえよ!ましてや自分が自分の家族のために貯金しておいたお金は家族のものであり政府に納税するために稼いだんじゃない。

 

もし僕らが最初から政府に取られると分かっているのだったら誰もこんなに一生懸命に働きはしない。政府の必要性は理解しているがそれはあくまでも国民の間の資産の再配分によって安定した社会を構築するためであり、政府が好き勝手に自分たちの金儲けに使わせる為に働いているわけではない。

 

三週間の旅ですっかり脳みそが旅人頭になってたが、土曜日の午後からやっとオークランド頭になった。今回の旅で多くの学びがあった。戦いの方向性が更に明確に見えてきた。

 

もう一度言う、ぼくらは使い捨ての資源ではない。

 

しかしぼくらは使い捨ての資源ではないが、使い捨ての資源とされない為にも自分たちを磨く必要がある。腹をくくる必要がある。自分を磨きもせずに腹もくくらずに楽な道ばかり探していても出口はない、政府の食い物にされるのを待つばかりだ。

 

政府は良いことを言ってくれた、「自助自立を基本に」、そう、他人に頼らず自分の足で立ち自分の力で家族を守り生き抜く、それこそまさにいまの日本人に要求されていることだ。



tom_eastwind at 19:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月22日

投資家枠永住権申請時の資金証明について

オークランドに戻り金曜日は机の上の書類と出張中の書類だけ片付けようと思ってたら弁護士から連絡があり「今日会議どうよ?」。う〜ん、案件は山ほどあるし一度会って会議は必要だけど、それが今日か?一時間で終わらないと怒り出しそうな自分に気づいたので最初に案件を整理して3件だけ持っていく。

 

その中で大きな進展があったのが投資家枠の永住権申請についてだ。これは日本出張前からNZ側弁護士に様々なシュミレーションを提供してどれがいけそうかを考えてもらい、彼から直接東京の国際税理士事務所と打ち合わせをしてもらい両国の法律を確認してもらってた。

 

すると出張中に両国でそれぞれ確認出来た内容が整理出来て今回の会議の結果、「資金証明」の道が大幅に広がった。弁護士に最終確認をして移民局からのOKも出たことも確認した。

 

非常に簡単に書くと、投資用の資金が投資時点で本人のNZ口座にありさえずれば永住権は取得出来る。つまり本人が自分で形成した財産以外のお金(例えば父親の資産)も利用可能という事だ。

 

ただここでいつも言うように、この条件をクリアするだけでは永住権は取得出来ない、他にも様々な条件がある。そしてこの「投資用資金」の準備についても非常に細かく一つ一つの資産を間違い無く正確に両国の法律を順守しながら用意して、次に移民局の要求する送金方法でNZ側の自分個人の口座に入金しなければならない。

 

手続きを一つでも間違えば日本で多額の納税が発生するし準備段階で投資用資金を集めるにも、その方法によっては移民局によって否認される可能性がある。

 

今回の手法は日本の税法の時限立法を利用したりNZ側にしか存在しない法律を利用したり最近変わったばかりのNZ側の法律を利用したりしているので普通に既存の両国の弁護士事務所で聞いても「そんな事出来ません」というだけだ。

 

なにせ今回担当してもらった両国の弁護士も「ほー、こんな方法があるんですね〜!」と驚いていた。しかしこの手法、特許が取れる性質のものではないのでここで手法を書くことは控えるが、これで今まで「投資用資金の準備」で頭を悩ませていた人々に対しては朗報である。

 

この手法は実際に周囲から資金を集めることが出来る人なら誰でも投資家枠で永住権が取得出来ることを意味している。しかし実行にあたっては非常に手続きが難しく現時点では日本人にしか適用させるつもりもないようだ。

 

金曜日は頭がくらくらしている状態でこの案件を整理して、よっしゃいっちょ上がりだ。これで投資家枠での申請を増やすことが出来るってことになった。もし今まで資金証明でお悩みの方がいらっしゃればぜひともご連絡下さい。



tom_eastwind at 13:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月21日

I’m Here

小比類巻かほるは1980年代後半のシンガーソングライターだが今でも現役で歌っている。考えてみれば50歳代の歌手って多いよね。今でも長渕剛なんて宗教的な人気だし映画で大損こいたさだまさしも本業の歌を歌って現役で借金返して頑張っている。

 

「今はもうだれも」とか「明日への讃歌」の谷村新司も、とにかく若いころから自分の歌を信じて歌って来た。あの頃って誰が当たるか本当に分からなかった。混沌とした時代の中で自分を信じて夢を見た連中が努力を続けて幸運に辿りつけたが、彼らが歩いてきた道はまさに「誰も知らない道」であり、小比類巻かほるもそのうちの一人であった。

 

だから彼らは強い。半端なく強い。どんなに苦しい状況に陥っても音楽を捨てずに生きてきたから、てか世の中の一番下で生きてきたからいつでもその場所に戻れる勇気がある。そして助けてくれる仲間がいる。

 

やっとオークランドに戻ってきた。約一ヶ月の出張で、真夏の香港の面談から始まり福岡、大阪、名古屋、そして東京で説明会を行い、折り返しの飛行機は羽田発香港行き(羽田では野菜は売っていない)を利用してオークランドへ。

 

オークランドに昼ごろに到着してそのまま国内線に移動してクイーンズタウンへ。気温差30度以上だ。零度のクイーンズタウンでまずはスクールホリデイで滞在している家族と合流、そして古い仲間と飯を食い約10日間を過ごす。

 

ぼくのニュージーランド生活はクイーンズタウンから始まっている。この街で観光ビザで滞在してそのうち他の国に行くつもりが、この街でワークビザを取得、どうやら他人のお役に立てるって事で滞在しているうちに数カ月後には永住権を取得、そして香港から来たペコちゃん人形のような可愛らしい奥さんと結婚。

 

そこから香港に移住してその6年後にはオークランドに落下傘移住して会社を作り16年間経営を続けているわけだが、実は頭の中では常にこの歌、I’m  Hereがかかっている。

 

結局人生なんて戦いの連続、男ってのはそれが仕事でしょ、外に出て戦って食い物を家に持って帰る、縄文時代から繰り返さえれてきた仕草であり、やることやったらとっとと酒呑んで寝る、川の流れに逆らわずに川の中で最も良い位置を選んで櫂を入れる、それが仕事でしょ。

 

オークランドに戻ってくると気温も違うし街の空気も違う。久しぶりに車のハンドル握ると「あれ?この道でよかったっけ?」と思ってしまう。けどまあ、道は未知。どうなるか誰も分からないところを歩いて誰もが今の人生を生きている。

 

最近の問い合わせで目立つのが、いかに楽をして移住するかって内容だけど、人生に楽はないですよ。どんな人生を選んでもそれなりの答がある。楽したいから来るってならニュージーランドは止めた方が良いです、ほんとに。

 

ぼくが17歳の頃、もしかしてギターで飯を食いたいかもって本気で思った時期があった。ところが目の前に天才的少女が現れて「あ、こらダメだな、歌は趣味にしておこう」と決めた。

 

とにかくどんな人生を選ぼうと楽な道なんてない。今日からオークランド復帰、厳しいけれど楽しい未知を歩いていこう。

 

 

 



tom_eastwind at 18:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月20日

財務省の夢

先日の返す刀の続きだが、では何故財務省は国家財政を黒字にしようとしているのか?彼らは聖人君主であり日本国民がdaisukiだからか?もちろん違う。

 

実はここだけは非常に感覚的な問題なのだが、財務省のエリートは子供時代から勉強で負けた事がなく自分が望むものをすべて叶えてきた。ところがいざ卒業して超一流組織に入ってみたら何とその組織は大赤字。自分が経営している会社が赤字ってのは諸外国に対しても自分に対しても恥ずかしい、だから黒字化したいのだ。

 

もちろん彼らの感情と国家の方向性が一致していれば別に問題はないのだが、彼らを理解する上で「財務省には夢がある。それは日本を黒字国家にして世界に冠たる国家で誰もが頭を下げる国家にする」事だ。

 

戦後の日本は米国に追いつき追い越せ政策で坂の上の雲が1980年代には見えてきた。日本製の高品質のラジオやテレビや冷蔵庫などで米国の家電業界を完膚なきまでに叩き潰して自動車も米国人をして「日本車の方が安くて高性能」と言わせるほどになり貿易摩擦まで生み出すほど日本は強かった。

 

ところがそうやって強い日本を作ってきたのは第二次世界大戦の完膚なき敗戦を知っている官僚たちであり彼らは1980年代に次々と引退して次に実権を握ったのは「戦争を知らない子供たち」だった。

 

失敗経験が全くなく親の財産に乗っかって世界から褒めそやされてしまった子供たちはバブルを生み出してしまいその崩壊の処理において更に傷を広げて遂に失われた20年を創りだしてしまった。

 

これには1995年の住専問題当時に大蔵省が政治スキャンダルにまみれて10年に1人の大物と言われた斎藤次郎次官が退官し大蔵省本来の力を発揮出来なかったとも言える。

 

その後は政治のバラマキで赤字国債は急増するが大蔵省にそれを止める力はなく、逆に財務省と金融庁に分離されてしまい、ALL大蔵の存在感は大きく薄れた。

 

小泉政権時代にやっと少しづつ財務省も体力を整え金融庁を再度足元に引き戻して他省庁にも影響力を発揮出来るようになり、小泉後の短命政権を利用してその力を発揮し始めた。

 

そして民主党政権が成立してその後ねじれ国会になったあたりで一気にその力量で民主党と自民党を天秤にかけて財務省にとって最も有利な政策を次々と打ち出すようになった。これが消費税から始まる一連の改革だ。

 

現在は自民党及び民主党議員がとにかく自分の議席を守るために官僚のご進講を受け入れている。結果的に国民がどうなるかよりも次の選挙で自分が勝つためには官僚という巨大組織を敵に回すわけにはいかない。

 

そしてその官僚組織の中で最も優秀な組織が財務省であり彼らはバブル崩壊後の大蔵省の凋落を見てきたから何とか今の赤字財政を黒字化して国家として対外的に「誇れる存在」になりたいのである。

 

明治時代初期を思い出してもらえば分かりやすい。江戸幕府を倒した明治政府はその優秀な官僚組織を持って富国強兵を掲げて短期間の間に強力な軍隊を作り上げて日清戦争にも日露戦争にも勝った。しかし実際に銃を撃ったのは地方出身の農家の息子であり彼らの犠牲の上に日本国家が海外に誇れる国となった。国を強くするために生糸を作り野麦峠の話などを生み出した日本は、要するに国民の犠牲の上に成立したのである。

 

今、財務省が描く夢はまさに当時と同じであり、財務強化の為に増税と社会福利の切り捨てを行い相続税の強化で個人資産を国家に移動させようとしている。これが最終的に国家社会主義の道を目指しているのは明確であり、問題は国民がそれを受け入れるかどうかだ。

 

ぼくはいつも思っているが日本的国家の作り方も「あり」だし一つの道だと思っている。国内で内紛を起こして海外から攻め込まれるよりは余程まじである。そしてこの方法はおそらく95%の日本人を25年間だけ幸せにするだろう、次のシステム崩壊が起こるまで。

 

ただしその仕組は法治国家でなく平等でなく公平でもない官僚国家であり「長いものに巻かれる」事を納得して「ご無理ごもっとも」を受け入れる事が出来る人々のみが納得して生活出来る国である。

 

財務省の夢と個人の夢が同じ方向性を向いていると思えば、それはそれで良いのではないか。ぼくの仕事は国民のうち5%の「どうも納得出来ない人々」がニュージーランド生活を過ごす為にお手伝いをすることだ。



tom_eastwind at 12:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月17日

クイーンズタウン

只今クイーンズタウン。今朝の日本のニュースだと東京で熱中症発生!37度を超す街も

出たようで、そうなるとこちらとの気温差は37度だ。

 

この時期は南半球は真冬で昨日の午後も強烈な風と雪。おかげさまでスキー客には朗報だ。寒さも暑さも自然が相手であり人間が制御できるものではない。ならば環境に対していかに共存するかを考えるしかない。

 

ある意味日本政府も同じで、民間団体がどれだけ集まって原発反対しても江戸城の天守閣では「村人が集まっておるが何事じゃ?」「何か生活がどうのこうのと言っております」「ふーん、じゃ次の議題いきましょ」としかならない。

 

原発再稼働は既定路線、民の言うことなどキクミミ持たず。自然現象のような相手にがっぷりと正面からヨツに組むってのは、警察と税務署を敵に回すことであり日本にいる限り勝ち目はない。

 

昨晩は日本の高級官僚の話を直接お伺いする機会があり、そうだろうだ、あっち側はまさにすべての権力握ってこっち側を法律で支配するけど彼らは法律を作る側だから自分たちが法律で裁かれることはない。法改正するまでもなく事実を消せば良い、捏造すればよい、高知白バイ衝突事故死のように。

 
 

ネタがあるが書く時間がなく、少し更新が遅れております、すみません。今週中はオークランドに戻っても3週間ぶりの職場復帰なのでたぶんやること多いだろうな。

それから、今後移住情報に関しては精神論よりもう少し具体的なプランを書いていこうと思います。どうすれば出来るのか編ですね。

 



tom_eastwind at 08:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月14日

返す刀で

★抜粋開始 橋下氏ツイッターより

社会保障は全世代で支えるのが公平

2012年の厚労省白書がまとまるらしい。「社会保障は全世代で支えていくべきだ」という厚労省調査の結果を踏まえて、社会保障の財源は消費税がふさわしいという結論。メディアの多くもこれに乗っかる。非常に危険だ。流れを大きく変えなければならない。国民は騙されてはいけない。

 

社会保障は大きく二つに分かれる。年金、生活保護など所得の再分配。保育施設、介護施設などの行政サービス。所得の再分配は、全世代で支えるものではない。裕福な者が支えるものだ。なぜ高額所得者の年金を、可処分所得の苦しい現役世代の消費税が支えなければならないのか。

 

生活保護も、基本は金に余裕のある人たちが支えるものだ。所得再分配はその名の通り、金のあるものが苦しいものを支える。全世代で支えるものではない。金があれば若者でも高齢者でも支える側。しかし金に苦しければ、若者でも高齢者でも支える側ではなく、支えられる側。

 

カネのあるなしにかかわらず全世代で支える側に回れとういのはおかしい。そもそも今の年金が、所得の再分配なのか、保険なのか貯金なのか不明瞭。低所得者には所得の再分配、中・高所得者には保険・貯蓄の意味合いが強い。そうであればなおさら、金のあるなしにかかわらず年金財源を支えるのはおかしい

★抜粋終了

 

まさに「返す刀」ですな。財務省と厚労省があちこち手回しをして世論を焚きたてようとしています。

 

何故今のタイミングで高齢者に課税強化の話になるのか?それは消費税増税がほぼ決まったからだ。だから返す刀で社会保障削減に踏み込もうとしているのだ。その為に橋本氏の耳に響きの良い話を財務省が伝えて橋下氏も「おおそうだ、おれだって子供の頃に苦労したんだから当然だろう!」と言わせる。立派な作戦ですわ。

 

どこの家計でも同じだが生活が苦しくなればまずは収入を増やすためにアルバイトをしたりするわけで、国からすればそれは増税である。増税するのに理由が必要だから社会保障に使いますと言う。こうすれば国民も何となく「あ、そうか、おれたちも社会保障が必要だしな、お年寄りでお金がない人も大変だしな」って思わせて法案を通す。

 

次に出てくるのは家計の切り詰め、つまり支払いを減らすことだ。これが国家支出の多くを占める社会保障である。特に医療は後期高齢者向けの医療費を個人払いにすれば、現在病院を利用する多くの老人が使わなくなる。今までは国が払ってくれたからお喋りしたくて病院に来てたが、そういう「適正でない使い方」をするのなら自腹でやって下さいって事だ。

 

次に年金制度を、支払い時期を65歳から67歳にしたり、そのうち70歳まで現役!みたいにして支払い時期を後ろにずらす。

 

更に年金を支給するにしても資産のある人には支給しませんとすれば60歳以上の人は持っている個人資産が700兆円とも言われているからその個人資産を自分の老後に充てることになる。え?個人資産をどうやって把握するのって?そんなの当然、マイナンバーですよね、国民総背番号制度。これで決まりです。

 

こうすれば収入は増えて(増税)支払いは減る(社会保障削減)から基本収支を黒字に持っていける。

 

ただしこれは正しいタイミングでやらなければ、消費税を議論している時に「あ、それと社会保障削減もやりますから〜」って言ってしまうと「おいおい、社会保障を安定させるために消費税やるんじゃないの?」とネタバレしてしまう。

 

だからタイミングを見計らって消費税がほぼ確定した時点で次に社会保障削減をやるための土台作りをやろうという事だ。

 

この国の政治は2017年頃までは絶対与党が出来る可能性は少ないが、その後になるとどのような政府が出来るか分からない。なのでここ5年間で一気にいろんな政策を通してしまおうという考えだ。

 

社会保障削減は1〜2年程度でやってしまうだろう。なので消費税増税分が社会保障に使われると思ってた人たち、お疲れ様でしたという感じだ。

 

ただし官僚が考えているのはこれだけではない。そろそろ出てくるのが金持ち叩きである。金持ちというのは社会の少数派でありサイレントマイノリティである。「あたし、お金持ちでございますよ」という人はいないし人口比で言っても5%以下である。

 

だから一般新聞あたりを焚きつけて「若者よ、いつまで老人と金持ちに搾取されるのか?社会は平等であるべきだろう!」とやって、財産税を導入する。個人の資産全額に対して毎年数%の課税を行うのだ。こうすれば資産は確実に政府の素敵なポケットに入る、若者のポケットではなく。つまりここでもまた若者をネタにして資産家から資産を没収して政府が「ごち!」となるのだ。

 

財産税を導入されることになって初めて資産家は「あ、やばい、どうしよ」となるけど、その時はもう遅い。すでにマイナンバーで総資産は把握されており、逃げも隠れもできない状態で少しづつ政府に取られていくのだ。

 

国が抱える約一千兆円の借金は個人資産で帳消しにしてプライマリーバランスは増税と社会保障削減で対応する。このすべてを2017年までにやってしまえばその後の政権をどこが取ろうが問題ない。

 

まさに国民は正面から抜き打ちの下から袈裟懸けでバサッと斬られて、更に返す刀で大上段に振り上げた刀が脳天に向かって打ち下ろされる、しびれるほどの作戦だ。

 



tom_eastwind at 23:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月13日

文章を読み解く力

★抜粋開始 古賀茂明メールより

 

■「野田総理よいしょ発言」をした橋下市長の真意は何か

先日、橋下市長が、突然野田総理をべた誉めした、という報道が流れた。確かに、決められる政治とか、ぶれないとか、誉め言葉が並んだ。多くの国民は混乱している。この前まで消費増税の決め方をあれだけ厳しく批判していたのに、今度はべた誉め。どうなっているのか。私も正直、驚いた。

 

私は、大阪府市統合本部の特別顧問を務めているが、大阪維新の会のメンバーではないし、橋下氏や松井氏の政治面での活動には一切関わっていない。唯一、政治塾の講師を2回務めるというだけである。従って、橋下氏の発言の政治的意図についてはまったく特別な情報を持っている訳ではない。ただ、府市統合本部顧問だからということで、多くのマスコミ関係者から、今回の橋下市長の発言の真意に関して問い合わせを受けた。そこで、その後考えたことも含め、私なりの見方を皆さんにもお伝えしたい。

 

まず感じたのは、ポイントは野田氏を誉めたということではないような気がする、ということである。新聞などでは政治部記者がいろいろと穿った見方をしていたが、見方によっては、橋下市長の発言を文字通り解釈しても実は、そんなに驚くことは言っていないように取れる。

 

ぶれないことがいいことだというのは、別に当たり前のことを言っただけ。決められる政治をやっていることは、首相の力量としては評価すべきだろう。自民党と公明党をうまく利用して、とにかく自分のやりたいことをやる。政治は結果だ。自分がやりたいことを実現しているという点では評価できる。

ただ、マニフェストに書いてないことを国民の信を問わずにやることについては、橋下氏は以前強く批判しているから、それと合わせて見れば、いいことはいい、悪いことは悪いと、客観的に評価している、と言える。つまり、是々非々だよ、ということを言っているのである。

★抜粋終了

 

以前橋下氏の上記に関する発言を見た時「なるほど、いいこと言うではないか、決められない政治家ばかりの中でどんどん決断をするのは政治家の本領だよね」と普通に同意見だった。

 

ところがその後におそらく組合関係者であろうか、橋下嫌いで一致している名無しのごんべえ連中が次々と「橋下は変節漢である」とか書き込みを始めた。ばかだなー、てか、本当にこういった連中は自分がやっている行為が結果的に議論の場を喪失して感情論だけになり最後はロミロとジュリエットが死なないと治らないバカなんだなと思ってた。

 

けどどうも古賀ブログでもわざわざ取り上げるくらいだから橋下賛成派の中にも意味不明と思った人々もいたのだろう。このあたり、文章を読み取る能力、問題点を見つける能力、整理する能力などが不足しているのは「橋下側」も「反対側」も同等にいるということなのだろう。

 

文章を読む、読み解く能力は本来の人間なら誰でも学校で学べるものであり、なにもニーチェやショーペンハウエルを理解しろと言ってるわけではなく日常会話の中で何がどこにかかるかを、話の趣旨を理解するだけの事だ。

 

読み解く力は訓練が必要だ。直感で問題点を見つけ出す人もいるが普通の場合はやはりきちんと基礎訓練を行う必要がある。それがゆっくり本を読み込むという事だ。分からなければ繰り返し読む。自分がすとんと納得するまで読む。そうすれば訓練になる。

 

ところが日本の学校では読み込みではなく暗記を教えて文章を読む時は「どこに感動したら正解か?」と言う視点であるから本来の意味を理解しないままに、つまり文章を読む訓練を受けないままに卒業してしまう。

 

だから社会に出てもまず日本語がまともに読めない。書けない。適切な言葉を選べない。「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んでみたり「きさまの夕食はどういたしましょうか?」と書いてみたりする。両方とも実例である。

 

その程度の日本語能力で橋下氏の文章を読むから最初の部分だけでまるで鬼の首を取ったように「へんせつか〜ん!と恥もなく書き込むが首を取られたのはあんたの方ですよって感じだ。これはブログやツイッタだからまだ時間差があって「いや、そんな意味じゃない」とか苦しいごまかしも効くが、もし公開討論会でこんな事やったら一発撃沈退場もの、次回から参加禁止、もう一回小学校行ってきなさい命令が出るだろう。

 

決められる政治をすることは政治家の姿勢として正解、しかしマニュフェストに書いてない事ばかりしてみたrマニュフェストと反対の事をするのは馬鹿の極み、だったら選挙やり直せとなるのは当然の理屈。

 

そのふたつの理屈を区別して解釈出来ない人々はほとんどの場合、相手にすべてを頼りきって「橋下さんがするなら何でも正しい」か、相手の自分に対する利害行為を取り上げて相手の全人格を否定するかしか出来ない。

 

だから今回のような橋下氏の2つの理屈が出てくるともうOUT!なのだ。つまり賛成派にしても反対派にしても理解力のない人がやっている人は江戸時代に百生がお上にひたすら「はは〜、御代官様〜白いカラスはおります!」と言ってるのと同様に無知蒙昧な人種なのだ。(付記すると白いカラスは存在すると小泉元首相の主席秘書官が本で書いてた。日本版ブラック・スワンですね)

 

つまり誰でもいいから自分の手を引っ張っていってくれる人が好きなのでありそこに理論が存在しないから自己矛盾を起こしてしまう。

 

文章を読み込むことは例えばこうなる。

「あるジャニーズの有名な若者が酔っ払ってツアー中に強姦事件を起こした!?」というスポーツ新聞記事が出た。するとファン達はヒステリックに「そんな事あるわけないじゃん、っx君に限って〜!」と感情的に騒ぐか「あいつ〜、やっぱり調子に乗ってこんな事して〜、もう二度とファンにならないしライブにも行かない!」となる。殆どの場合は中身を読み込まずに感情だけで判断する。

 

これはどういう意味かというと、ジャニーズが「酔っ払って」いたかどうかは、何をどの程度どれだけの時間をかけて飲んで誰が酔っ払ってと認定したのか、「酔っ払って」という酒気帯び運転じゃあるまいし定量で測れない問題を記者が「飲酒後に」とか「食後に」とかどのようにも書ける自由があることを読み取るべきだ。つまりこれは記者の恣意行為である。

 

次に「ツアー中に強姦事件」となれば随分破廉恥な話になってしまうが、これがもし「ツアー中のホテルで仲間との飲み会で知り合った女の子と意気投合して部屋に行った」のであれば強姦とは言わない。

 

第一強姦は親告罪であり、ならば告訴した人がいるはずだ。ちゃんと裏を取ったのか?話の筋に間違いないのか?ベッドの中で二人のピース写真があったりしても強姦って言うのか?実は彼とベッドインしたファンが仲間にピース写真を見せて「ねえ昨日さ!」などと言うのを聞いて感情的になった別のファンが記者に「強姦したんですよ、ある人を」とか嘘をついてるかもしれない。

 

もっと言えばよくあるやらせで、ジャニがたまたま事務所の女性スタッフと部屋に入って打ち合わせをした瞬間を見て、翌朝彼女が疲れた顔をしてたら上記の記事に恣意的に作ることも出来る。なぜか?だって突っ込まれた記者はこう言える「だって一番最後にクエスチョンマーク?が付いてるでしょ、読んでないの〜?」

 

もちろん女性が実際に訴えることが出来るかどうかは別にして、少なくとも事実認定の難しい問題をそのまま鵜呑みにしてはいけない。これまた記者の恣意行為であり、誰かに金をもらって書いたってこともあるのだ。

 

記事とは事実を書くことである。事実の存在する記事とは今日であれば「九州北部で大雨が降って避難勧告が出た」ということだ。つまりこのジャニ記事は事実関係だけを抜き出して言えば、事実の未だ存在するかしないかも確認出来ない単なる「ネタ」なのだ。

 

だからじゃにネタのような確認の取れない、そして自分が即時判断をしなければ自分に金銭的な直接利害が発生するような即時直接的なだんなの問題でない時はどうするか?答は「保留をすること」だ。感情的にならずに続報を待つ。それまではファンの友達に聞かれても「わたし、わかんない」で済ませる。

 

そして今まで彼を無条件に信じていた自分の馬鹿さ加減を嘆きながら頭の中でできるだけたくさんのIF?を作る。そしてIF=A, then, go to B, IF=C, then, go to D とたくさんの命題を作る。そして現実の世の中でIFが発生した場合に決してうろたえたりパニックになってしまわないように心の準備をする。

 

世の中とは自分が起こって欲しくないと思ってることはいつの間にか絶対に起こらないという確信に変化するが現実は甘くない。そのような消極的思い込みは現実という波にあっという間に流される。

 

これは橋下だけでなく原発も増税も社会保障も大雨も、世の中で起こるすべてのことについても同じだ。自分の時間が許す、出来る程度の予測をして自分の立ち位置を決める、そして情報を読み解く力を身に付けていればそれだけでこの世の中を生き残る確率はかなり上昇すると思う。



tom_eastwind at 16:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月12日

日米開戦の真実 大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く

作者の、というか編集者の佐藤優は元外務省でロシア担当だった。鈴木宗男と政界スキャンダルに巻き込まれて逮捕された。現在は作家として「国家の罠」などたくさんの作品を書いている。

 

彼は「国家の罠」でもプロフェッショナルらしく自分が逮捕された理由やその後の顛末、鈴木宗男に対して行われた「国家の罠」は国家が生き残るためには「あり」だとしている点が、さすがに腹の座った外務官僚だ。

 

日本国民が戦後米国の言いなりに間違った歴史教育を受けて日本外務省も対米追従の方が利益になるからあえて国民に事実を知らせず現在に至るのは江戸時代から続く「民は由らしむべし知らしむべからず」政策である。

 

外務省の感覚で言えば市井の日本人が本当の歴史を知ろうが知るまいがどうでも良い、それよりは日本の国体を護る為に俺たちが歴史を作るんだという感覚だろう。

 

大川周明の感覚は政府に近く彼のNHKラジオ番組で語った「戦争に至る経緯」の中で一般的な日本人の事をペリー艦隊が来航した際の騒ぎで「騒ぐときには血眼になって騒ぐが、止めればまるで忘れ果てて、外国船などは来ないもののように思う、これは今も昔も変わらず日本人の性分であります」と語っている。

 

本の中ではカリフォルニア州に渡った日本人移民に対する米国の排日運動は凄まじく、理論的でなくただひたすら暴力的でありその目的は米国が乗り遅れた中国利権を奪うためだったと語っている。

 

ぼくら日本人は性格的にお人好しで忘れやすいから「あの人のよい米国人がそんな悪いことをするわけがない」と言う。そう、米国人だってお人好しだ。お金持ちが公共団体に大金を寄付したり無償のボランティア活動もする。そんな人が悪いことをするわけがないと考える。

 

そう、米国人はまず最初に誰のものでもいいから全部奪い去った後に寄付としていくらか返すという習慣がある。そして米国人は個人としてはお人好しだろうが、自分が属する組織の利益が第一であり他人の利権も平気で奪う。

 

その属する組織が国家となった時、国家のために貢献するとは米国の国益を守る、つまり他国の利益を奪うことに執心することになる、それが彼らの価値観である。

 

北一輝から大川周明まで当時の思想家は実に論理的であり賢く大きな世界観を持っていた。石原莞爾なども当時からすでに西洋社会に特有な「奪い尽くす、理屈は後付けする」性格を理解しており西洋と東洋社会がいつかは全面対立する、その後本当の世界平和が来る事を予測していた。

 

ただ、日本人が「騒ぐときには血眼になって騒ぐが、止めればまるで忘れ果てて、外国船などは来ないもののように思う、これは今も昔も変わらず日本人の性分であります」というが、それは江戸時代から三百年かけて作り上げた庶民の生き残り哲学であり、長いものに巻かれて知らないふりをしていることがお上に不法逮捕されないための手段だと知っているからだろう。

 

現実に出る釘は打たれてホリエモンは塀の中、本書の作者である佐藤優氏も塀の中に入れられた。日本人はそれほど馬鹿な国民性ではないし、馬鹿ではこれほど規律正しい国家や社会は作れない。必要な時にバカのふりをする事をよく知っているだけだ。




tom_eastwind at 19:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月11日

ラブソング

“あなたの素晴らしい時が千年も続きますように、ぼくは川辺の小石が溶かされて一つの大きな岩になるまで君を守るよ”

 

こんなラブソングを聴かされたら恋に落ちませんか(笑)?君が代。ある人から偶然頂いた君が代に関する解釈本の中で、読んでるうちにこれってラブソングじゃないかなって思った。

 

「君」を天皇と考えるかそれとも自分の愛する人と考えるか?「きみ」という日本語は長い時間をかけて様々な意味を持つようになった。ぼくはきみが好きだ、けれどこれはぼくが天皇陛下を好きって意味ではないよね。

 

だったらきみの時代、つまり君の「代」がずっと続いて欲しいって思うのも当然の気持ちではないか。愛する人にずっと生きていて欲しい、もちろんそんな事は物理的に不可能と分かっていても、やっぱり愛する人に早く死ねって馬鹿が居ない限り、誰もが愛する人に長生きして欲しい。

 

民主党が労働組合と日経連の談合で出来上がった組織であり、その成り立ちが元々不純であったから現在のバラバラ状態に繋がったが、ぼくは個人的に天皇を嫌いではない。彼が日本という国家を実質的に仕切れる時代は300年間ずっとなかった。

 

昭和の時代でも結局は皆が無責任なまま天皇陛下に責任を押し付けて戦争に走った。このあたりまだ議論のあるところだろうが、ぼくは天皇陛下に戦争責任を押し付けるのは、まるでどっかのバカ作家が「太陽が暑かったから人を殺したんだよ」という程度のガキの欺瞞であるとしか思えない。

 

今日やっと日本から飛行機で15時間以上、距離にして1万キロくらい離れたクイーンズタウンに到着した。東京の温度が30度でこちらがほぼゼロ度なので温度差が30度だ。

 

12日前にオークランドから真夏の香港へ移動、そして福岡、大阪、名古屋、東京と仕事をして折り返し、羽田から飛行機に乗って2回乗り換えてやっと昨日の夜家族に会えた。

 

クイーンズタウン空港からタクシーで街に向かう。インド系の運転手が「ハイ!どこから来たの?」と聞くが、あはは、君が生まれた頃にぼくはこの街で君のように車を運転していたんだよね。

 

ニュージーランドに生まれたぼくの子供たちは君が代を単なる日本の国家としか捉えておらず、香港で生まれた奥さんは何とかぼくのメンツを傷つけないように「君が代も悪くないよね〜」とか言ってる。

 

ありがたい事だ、日本と香港とニュージーランドと三カ国をまたがって生きてると、いろんな人と会う。直接利害関係がぶつかることもあれば政治的な障害もある。しかしぼくの生まれた国の歌を直接侮辱する人間はいない。

 

けれど日本では君が代を侮辱する人間がいる、金儲けのために。下部組織では間違った理屈を教えられて洗脳されている。それが日本の政府内部にいるのだから馬鹿な話である。

 

卒業式の歌で中島みゆきの「時代」が選ばれた時がある。森山良子の息子の歌が選ばれた時がある。君が代がラブソングであり、卒業する人々に「行きなさい。頑張ってね、見守っているよ」と唄う習慣は日本で長く続いてきた。

 

日教組のバカどもは、一体何をしようとしているのかな。日本から遠く離れたクイーンズタウンでふと思った。

ラブソング。家族を愛して恋人を愛して、そんな、人間が普通に思う気持ちを認めようとしないのかな、自分の目先の金の為に。薄汚い連中だ。



tom_eastwind at 13:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月10日

汝の隣人に話すな

これから移住を考える人にぜひとも知ってもらいたい。汝の隣人に話すな。この意味は、たぶんあなたが移住を考えるようになった時に古くからの友達とや価値観の近い友達と話をすることがあるだろう。

 

その時最初彼らは「ほう、そりゃいいな」とか「おれも行きたいな」とか相槌を打ってくれる。そしてあなたが説明会に参加して移住がだんだん本気だとなると「ほー、頑張れよ、俺も後から行くからな」となる。

 

ところがあなたが実際の移住の手続きに入り子供の学校の退学の時期を考えるようになると、その頃から彼らの行動がおかしくなる。少しづつあなたと距離をあけるようになる。

 

そして学校では子供が「あいつんとこおかしいぜ、海外に行くんだってよ」と変な目で見られるようになる。そして皆が「おい、逃げるのかよ!」から始まって「よわむし〜」と言ってみたり「おまえ、きも!」と言われたりだんだんいじめに近い状態になる。

 

これは当然である。日本人は12歳までにはしっかりと洗脳されており組織に従順でないと、つまり周囲と同じ行動をしないと異常とされていじめの対象になる。そして子供の将来を考えて本気で海外に移住しようとする、できる人間は世間の5%以下だ。

 

なので残りの95%は取り残されたような怒りと、お前だけ行きやがってという嫉妬と、あいつは卑怯だ、一緒に死のうとしないって妬みと、そんな様々な感情が複雑にからみ合ってしまう。彼らは最初の頃はかっこよく「おお、いいね」とか言ってるが、相手が本気であり時期も決まったとなるとその頃には複雑な感情が舞い上がりそれが原発の放射能と絡みあい、相手を本気で憎むようになる。

 

そうなってしまえば後はブレーキの効かない車で坂道を駆け落ちるようなもので、どんどんと人間関係が壊れていく。

 

それまではお互いに仲良くやっており友達と信じており週末には一緒に食事もしていた隣人が、いつの間にかこちらを憎悪の対象とするようになるのだ。自分が行けないから、自分が出来ないから、やるだけの勇気もないから結局その場に残るという選択肢しかないのだが、それが自分の責任であるとは思わずに相手を一方的に憎む。

 

これは移住に限らずだが、本来は自分の人生は自分で決めるべきであり海外では多くの人間がそうやっているのだが、日本だけは一所懸命という言葉に洗脳されて同じ場所でじっとしているのが良い、そこで何が起ころうともじっとしているのが良い、いつか良い時代が来るさ、それまで俺ら家族が生き残れるかどうかは考えないというのが一般的である。

 

それは江戸時代から長い時間をかけて日本の幼児教育から始まってすべての日本人の頭に刷り込まれており、例えば目の前に大津波が来れば逃げるような人々でも、目の前に大増税とか規制強化とか奴隷化政策とかならば何とか自分だけは助かるのではないか、または見て見ぬふりをする事で意識をそらそうとする。

 

しかし現実にそのような日本社会の問題から逃れようと海外に移住する人々を見ると彼らは異常なまでに嫉妬する。そして嫉妬を認めたくないから「お前だけ逃げるのか!」とか「卑怯者!」とか、思いつく限りの自分の負けを認めない範囲内での単語を選び公共の敵扱いにすることで何とか自分の嫉妬を抑えようとする。

 

けれど問題は、どれだけ嫉妬しようと現実は変わらず、彼らは移住して自分たちは残る。ダチョウのように頭を砂に突っ込んで何もないふりをしていてもいずれ大変な世の中になることは分かっている。

 

自分も子供もその中に巻き込まれて人間性をすり潰されて中国人並の給料で働かされて無理無法を押し付けられてそれでも今日の飯を食うために頭を下げるしかない状態に陥いる。そんな時に移住した隣人の事を考えればますます腹が立つだけだ。何故あの時に決断しなかったのだろう、何故これからの世の中が悪くなるから逃げようとしなかったのだろう、なぜ?なぜ?

 

答は簡単で、逃げる勇気がなかったからだ。しかし今から本気で逃げようと思っている人には言いたい。あなたの隣人を良い人と思うなかれ。あなたの隣人はあなたが社会の中にいる限り良い隣人であるが一緒に地獄に沈んでくれなければ嫌なのだ。

 

だからあなたの家族だけが逃げようとすると足を引っ張り学校でいじめてとにかく憂さ晴らしをしようとする。

 

考えても見よう、彼らが自分で選択した人生であれば他人がどうしようが関係ないはずだ。ところが現実には海外に移住しようとする人々を嫉妬の眼で見る。自分に出来ないから、羨ましいから、逃げていこうとする人々の足を何とか引っ張ろうとする、それが現実である。

 

だから本気で移住を決断するなら出来るだけ回りの人には言わない事だ。言っても言わなくても状況は同じである。気持ちを共有したいなどと甘えてはいけない、世の中の95%は移住しないのだ。そんな人に話をしても腹の空いた子供に「ぼくさ、ケーキとパンと、どっちを食べるか悩んでいるんだ」と聞くようなものだ。

 

最近の日本を見ていると原発の話も地震の話も日常会話の中では全く出てこない。ところがテレビや新聞では原発や地震の問題が毎日のように語られている。これは人々の間で問題にされてないのではなく、問題として語っても結局自分ではどうしようもないから頭を砂の中に突っ込んで何もないふりをするしかないからだ。

 

そんな時にぼくがうかつに「日本って地震多いし原発がもう一個吹っ飛んだら大変ですよね」というと「もうお願いだからそんな事言わないでくださいよ」と本音が出る。彼らだだって「出来れば。。。」という気持ちがあるのだ。

 

逃げる勇気の中には、他人にうかつに話さないという気持ちも必要だ。移住だけで結構大変な作業だ。理解してくれる家族がいればそれで十分、それ以上は贅沢を言わず口を閉じていることだ。



tom_eastwind at 21:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月09日

Homeward Bound

週末から随分と米国人が多いなと感じた投宿先のホテル。日本では週末くらいゆっくりと広い部屋で過ごしたいと考える日本人が都内のホテルに泊まるので週末の値段が高い。けれど家族を大事にする白人社会では週末はビジネスパーソンが全員自宅に戻るのでキャンペーンをやって値引きして客を集める。

 

ホテルをどう利用するかはそれぞれに違うが日本では週末に高くなり白人社会の都内のホテルでは週末に安くなるのはそれぞれの国民性と生活環境を表している。

 

なのに今週末に仕事でオークラに行くと米国人がグループでごろごろしている。投宿先のホテルでも日曜日なのに米国人ビジネスマンが三々五々ごろごろしている。

 

なんだこりゃって思ってたら、クリントン長官が来日しているんですね。彼女のチームが都内のあちこちのホテルに分宿しているんだな。だからメインであるオークラにもごろごろしてて、ぼくの泊まっているホテルも米国系外資なので週末に自宅に帰れないビジネスパーソンがごろごろしているのだ。

 

17階の景色の良いラウンジで子供たちと楽しく過ごしている日本人の家族連れがいる中、ポロシャツに着替えた米国人がちょっと手持ち無沙汰にしているのは、かるーくかわいそうでもある。

 

彼女に同行する多くのビジネスパーソンがあちこちでミーティングしていて、今朝の朝食でも隣の丸いテーブルで日本人ビジネスマンが米国人ビジネスパーソン(妙齢の女性)を相手にプレゼンやってた。

 

それにしてもよほど退屈なのだろう、彼女はきょろきょろとよそ見しながらご飯食べてる。プレゼンやってる中年の親父、見かけは立派で英語使っているのだけど、彼のスピーチから“Actually”と“you know”を削除すると何も残らない。ジョークの一つでも使えば和むのにな。

 

つまり英語を使ってはいるが中身が日本語なので「そうは言っても〜」とか「そこはこうですね〜」とか「まあまあ、このあたりが〜」とか、具体的な意味のある言葉を発していない。これじゃあ通じないわな。第一聞いてる方も楽しくない。

 

日本語特有の「言わなくても分かる」とか「腹芸」では、違う文化の人間同士が会話をすることは出来ない。ぼくも、隣の席に座っているので聞くつもりはないけど耳に入ってくるのだが、最初の20分くらいは彼が何を言ってるのか何を売りたいのか全く分からなかった。もしかして彼もわかってなかったのではないか。

 

最後のほうでやっと音楽関係の業界の話で東京と埼玉で何かやりたいってのがわかっただけ。彼女は食事も終わり立ち上がり普通に彼にハグをして出ようとしたら、彼はその仕草が理解出来なかったようで椅子に座ったまま反対側に座ってた日本人スタッフに「これで良かったかな〜」とか言ってた。

 

あ〜あ、ハグのタイミングを逃した彼女がぶすっとした顔で握手だけして出ていったけど、この先どうビジネスを進めるのか分からないが、国際化の道いまだ遠しだなと思った。右隣りで朝食を摂ってた香港人夫婦、日本人の英語を聴きながら「ほー、やっぷんちゃい(日本子)が英語喋ってる〜」と夫婦でくすくすやってた。はいはい、優しく見守って下さい(笑)。

 

面白かったのは、レストランに入ってきた米国人女性が「一人」と言ってる後ろに、にやっと笑った白人のおじさんが立ってて「二人!」と言い直す。彼女は驚き振り向き、まるで地獄で神様に会ったような破顔の笑顔で「OH!」とハグやって、彼氏は「良ければ朝食をいかがですか?」と笑ってた。知り合いだ。

 

あはは、こんな事もあるんだよね、太平洋を渡った東洋の島国のちっちゃな街で偶然に朝ごはんの場所で知り合いに出会える偶然の喜び。

 

地獄で仏って意味では白人も日本人も同じだろう。今日ここで仕事をしている人々は数日後に家族のもとへ帰る。その時はたぶん浅草で買ったおみやげとかわけの分からん日本語の書いた包に入ったお菓子とかを手に抱えて。自宅に戻った彼らは子供たちの「ねえ、お父さん、日本ってどんな国?アニメとか一杯あるの?」とか質問攻めにあっているだろう。

 

Homeward bound , I wish shall home, Homeward bound,   Simon&Garfunkle の曲が頭の中に流れてくる。

 

今日の飛行機でオークランドに戻る。HomewardBound、家に戻る飛行機だ。皆、自分の家を出て外で戦って、そしてまた家に帰るんだよね、家族の待つ家へ。



tom_eastwind at 12:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月08日

逃げる勇気

大津中2自殺、担任「いじめ相談された」証言

 大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が飛び降り自殺した問題で、担任の男性教諭が、男子生徒からいじめを受けていると電話で数回、相談を持ちかけられていたとの複数の証言があることが分かった。市教委の全校生徒アンケートでも「教師が見て見ぬふりをしていた」と複数の回答があった。市は近く設ける有識者による外部委員会で、これまでの経緯について調査する。

 

 生徒は昨年10月11日朝、自宅マンション(14階建て)の最上階の通路から飛び降り、死亡した。複数の関係者によると、この直後、学校で担任教諭が生徒数人に対し、「死亡した生徒から、いじめを受けていると電話で相談があった」などと話していたという。

 

 読売新聞の取材に対し、市教委は「担任教諭が、生徒から相談されていたとは聞いていない。そんなことはあり得ない」としている。

 

 生徒の死亡直後、市教委は「学校からいじめの情報は上がっていない」としていた。しかし、10月中旬、市教委が全校生徒約860人にアンケート(約330人が回答)をしたところ、67人が、自殺した生徒が暴力行為を受けているのを見たことがあると回答していたことが新たにわかった。

 

 このほか、「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」と4人が記名で、12人が無記名で回答。「教諭らが見て見ぬふりをしていた」「一度、先生は注意したが、その後は一緒に笑っていた」「男子生徒が自殺直前、いじめた同級生らに『死にます』とメールや電話をしていた」などの記入もあった。しかし、市教委は「自殺の練習」などについては公表せず、追加調査もしていなかった。

 

201277  読売新聞)

 

「逃げる勇気」という記事がある。小飼弾という人が大津市の中学生の自殺について取り上げている。てか、この人自身が引きこもりで何とか学生時代を生き残って来た。

http://blogos.com/article/42672/

 

彼は様々な機会に「逃げろ、学校なんて行く必要はない」と訴えている。世の中が間違っているのに何でそれに付き合って死ななければいけないのか?

 

この事件についてはすでに多くのブロガーが詳細を取り上げており事件そのものに触れるつもりはない。ただ外国、ニュージーランドで生活をする人間から見れば、まさに「逃げろ」と言いたい。

 

ニュージーランドも15歳までが義務教育であり親が子供を学校に通わせる義務がある。ここが大事だが「子供が学校に通う義務」ではなく親が子供を学校に通わせる環境を作る事が義務なのだ。だから不登校の子供に対しては学校と親が共同して対処する。

 

その際に子供の様子に合わせて「じゃあしばらく来なくていいよ」って判断することがある。これは実際にぼくが直接知っている日本人ではない子供の話だが、ぼくから見たらどうも大人をからかって自閉症のふりをしているだけの糞ガキだ。

 

それでも学校からすれば無理をして通わせても良いことはないので、しばらく自宅でゆっくりしなさい、そのうち学校に来たくなったらおいでという事で済ませている。

 

ニュージーランドは天国ではない。学校でもいじめがあるし自殺もある。けれど学校に行かないという選択肢も選べる。

 

日本では子供が自分で判断して学校に行かない自由が「確保されてない」のではないか?普通に生活出来る子供は学校に通う事が普通であり通わないことは普通ではないからやっちゃいけない、その結果として例えイジメに遭って自殺するとしても。

 

このあたり、日本の親はどう考えているのだろうか?自分の子供は草食獣の群れの真ん中へんだから大丈夫と思っているのだろうか。

 

学校に通わせるのは親の義務である。子供が学校に行かないのは子供の選択の自由である。学校が子供にとって自殺の場となるのであれば選択の自由が優先する。

 

そんな簡単なことが分からない世の中になったということなのかな。とにかく死を選んだ子供には言いたい、何で逃げなかったのかと。そして親に言いたい、子供の事をどれだけ理解していたのかを、そして加害者である子供たちには言いたい、君らのやった事は一線を越えた、殺人に対しては死刑で対応すると。子供だから許せるという少年法を改正してでも死刑で対応すべきだと。



tom_eastwind at 18:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月05日

世界の終わりと始まり

東京に着いてすぐに馴染みの散髪屋さんに行く。髪を伸ばすようになってから毎月一回は通っているが、通ったからと言ってテッペンの薄さがカバー出来るわけではない(笑)。

 

けどなんてか、最近の日本人は余裕がないのかぼくが馬鹿なのか多分後半だろと思うけど、冗談があまり通じなくなってる。ホテルから散髪屋さんまでは賑やかなアーケードの下を歩いて5分程度。予約を入れる。

 

「じゃあ今から20分後にお店に行きますね」

「お気をつけてお越しください」

「え?狼でも出るんですか?」

「はああ?」

「・・・冗談です」

 

お店の中で腕の良さそうな30過ぎの女性に髪を切ってもらう。この店は昔の床屋のイメージを残しながら近代的なガーデンプレイスという場所で生き残るサービスと技術を持っている。

 

髪を綺麗に切り揃えてもらい、次に頭をポンポン叩くマッサージは床屋の得意技だ。

「今から頭をマッサージしますね〜」

「頭、良くなりますかね?」

「はあああ?」

またもびっくりされた。

「すみません、冗談です」

ところがどうもこれがツボに嵌ったようで、彼女はそれから約1分、震える手を止めることが出来ずに体を屈めて笑い続けてしまい、2つ離れた椅子ではオーナーさんが常連さんの髪切ってるのに、こりゃやばいな、おれ、出入り禁止になるかなって思ったり。

 

「あのですね、ふつうに外国では冗談を言うんですよね、お客と散髪する人は平等ですからね」と言うとびっくりしたように「へー、それで良いのですか?」と聞き返す。

 

「そうですよ、あっちの散髪屋では顔に当てたタオルが熱いと言えば、良くてSorry,悪ければ熱く感じるお前が悪い、おれはプロだから分かっているんだ、お前が悪いとくる」

 

「そういえば私、数年前にグアムに行った時に海を見ながら“あれ?国境線がないな、どこに線引いてるんだろうな?”と本気で思ったんですよね」

ソッチのほうがよほどオモロイし(笑)。

 

「お客様、いつもこんな冗談ばかり言ってるんですか?」と聞かれて「必要最小限にしています」と言うと、またも体を曲げて笑い始めた。

 

「髭剃りの時だけは絶対冗談言わないでくださいよ〜」というご本人の手が震えている、あは、冗談じゃないのはこっちですな。

 

「ところで今おいくつですか?23くらい?」とぼくが聞くと顔がぱっと開いた大輪の花のように「ええ?そんな事ないですよ〜、も〜、うまいんですね!」と返してくる。

「いえ、靴のサイズなんですけど」というと、一瞬固まった次の瞬間にまた呼吸出来ないくらい笑い始める。

 

やば、笑い上戸を相手にしてしまったか、これで俺の喉もカミソリで切られて終わりだな、そんな一瞬の恐怖がよぎりながらも何とか綺麗に禿頭をまとめてくれる。

 

「それにしても冗談好きですね、お客さん」と言われた。笑いは大事な通信手段だと思うんだけど、今の日本は本当に冗談も通じない時代になったな〜、実感する。

 

その後ホテルのバーに戻りいつものように止まり木に座ってパソコン使ってると、周囲の客は30前後の男性が目立つ。

 

ある客は小柄な体に髪を染めて派手なシャツの胸ボタンを5つ、つまりほぼ全部開いて足をだーっと前に出して大砲のような大型時計を腕に嵌めてケータイが賑やかになって「え?なに?リンクが切れた〜?そのサイトさ、人気なのに何やってんだよばか!今はせいこちゃんのビデオが売れてるのはおめーだってわかってるだろうがよ!」と電話に向かって怒鳴ってる。

 

アダルトサイトですね。ここは1920年代の上海か(笑)?魔都。片方では地道に真面目に働く人々、片方では乱れた世の中を一気に駆け上がろうとする連中。ほんとに世の中が二極化している感じ。

 

日本のバブルは崩壊したが、その後21世紀に入って世界が次々にはじけだした。そして米国のQE,欧州の銀行救済、そこでは多くの資金が市場に送り込まれる。その金は更に次の市場に流れ込み、しかし銀行は怪しいところには貸せないから金が世界を駆け巡り始めている。

 

香港、シンガポール、シドニー、オークランド、そして東京と回ってみると、資金の動きがいよいよ流動化を始めたのではないか、つまり世界レベルのバブルが醸成され始めているのではないかと感じる。今回の流動性の高い資金は今は日本円に集中しているが、これからどうなるか。「世の中でお金が動く時は国家が成立する時と崩壊する時」と言うことわざがある。今の世界はまさに崩壊と成立、つまり再構築の真っ最中なんだろうな。



tom_eastwind at 16:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月04日

TOUCH ME IN THE MEMORY

今日は中洲の昔話です、興味がない人は無視して下さい。

 

“雨のしずく払いながら、店のドアを開けた、貴方を見た時は”

by水越けいこ

 

深く垂れ下がる雲が雨の予想を裏付けるかのようだ。夕方ホテルのスタッフに傘を借りて西中洲まで足を運ぶ。このあたりは1980年代は裏中洲として知られて、いわゆる通とかDEEPな人々が足を運んでいた。

 

当時の中洲は九州一の繁華街と言われたが、地元ではむしろ西中洲の方がランクが上、という意識があった。ぼくのようなガキは紹介なしでは入れなかった時代である。

 

西中洲にある和食のお店はちっちゃんくてカウンター8席と座敷が8名くらい、完全予約制となっている。つまりご主人が十分に目の行き届く範囲で仕事をしている。日本の美味しいものを手頃な価格で仕入れながら、ご主人と昔話をする。

 

彼が数十年前からに働いていた店がぼくがいつも行くお昼や夜の食事場所に近く、たぶんその店にも通った事があるはず。ご主人は当時は追い回しなので表に出ることがなかった。

 

十分に美味しい食事を堪能した後、この近くにニュージーランドワイン専門のバーがあると聞いてたので探しながら行ってみる。春吉の交差点の近くの住宅街のビルの一階にそのお店はひっそりとあった。中は、、、25年前の博多が展開されていた。

 

「すいませんこんにちは、ニュージーランドから来ました」と自己紹介すると、全体的に落ち着いたトーンのカウンター8席くらいしかないお店すべてを光り返すようなママさんの存在感!おお、久しぶりに見たぜ、気合の入った博多の女!

 

「あ〜ら、いらっしゃい、何飲みますか?白?赤?」ママとシェフの二人でお客のワインの減り具合を見ながら椅子に座ったぼくに声をかけてくる。

 

ん〜?既視感があるぞ。ここどこだ?今はいつだ?どうしてだ?目の前にいるママはどう見ても30歳前後、ぼくと時代が違いすぎる。おっかしーなーと思いながら初対面の他のお客さんともお喋りをしている自分。あれ?何だこのノリ?

 

あ、そうだ!これは1980年代の中洲や天神の屋台じゃんか!

 

当時の福岡はあっけらかんとしたもので、10名も座れば満席になる屋台を、仕事帰りのサラリーマンが三々五々集まって勝手に飲んで店の「お母さん」とお喋りを楽しむ。そのうちお母さんは人物判断をして、適当に隣同士で会話を始めさせる。

 

一人で飲んでる若い女性客、最近屋台デビューしたような若いサラリーマン、ネクタイをばしっと付けたおじさんたち、彼らがお母さんの許可を得て若い人同士だとお見合い屋台になりおじさんどうしだと「異業種交流会名刺交換会」になる。

 

けどいずれも拠点となる屋台のお母さんがポイントであり、彼女に嫌われては出入り禁止になるから自然と彼女に人事権が集まる、つまり客を選ぶという事になる。選ばれた人々は安心して自己紹介出来るし、あとでうまくいかなくなればお母さんが振られた側が一人で来た時にそれとなく伝える。

 

決して閉鎖された社会ではなく次々と新しいお客が来る。すみません今ちょっと満席ですなんですよーって断ろうとすると常連は慣れたもので「あ、おれたちあっちの席でよかぜ」と移動する。あっちの席とは屋台の横、材料置き場のビール箱をひっくり返して厚いベニヤ板を敷いてちっちゃな背もたれさえない丸椅子の場所だ。座って星を眺めながら飲み始める。

 

「あ、すみませーん、ありがとうございます」店の中で見知らぬ同士が助けあって会話を楽しみ、けれど決して一線を越えて喧嘩になることはない。この新入りが次に来る時は席を譲る心の余裕が出来ているだろう。

 

春吉のお店はまさにその雰囲気であり、上品そうな雰囲気なのに初対面のぼくに普通に話しかけてくる、会話に入ってくる、そしていつの間にか会話の環が伸びたり枝分かれしたりしながら夜は更けていく。

 

しばらくして何となく「ママ、昔西通りで仕事しよらんかった?」って聞くと一瞬手が止まった彼女はこっちの顔をじっくり見なおして「あったよ〜、あっちでもしばらく働きよってさ、楽しかったね」

 

「あんみつ姫、ちょうど俺たちの時代に始まったんよ」というと懐かしそうに「そうやねー、あそこも昔はねー。ママが死んでからいろいろあったやね」。え?ママが死んだ事件知ってるの?年代的に合わないよねって聞くと、彼女はどうやらかなり若いころから中洲や親不孝で働いてたらしく、親不孝の古い店の話をすると「マリファナ天国やったね」みたいな、ははは、裏まで知ってる。

 

そっか、このママさんは当時から中洲を見てきた、中洲ん良いところも汚いところも全部見てきた、誰がどこで何したかも知ってた、けどずっとこの街で生活をしてきた人なんだってのがよくわかった、だからこの「既視感」があったのだ。

 

飲み始めてしばらくすると新しいサラリーマン二人と女性一人のグループが入ってきた。がっちりした体格の先輩格と、同輩格の女性、それに少し若い男性はすでに楽しく飲んで来たようでここは2軒目かな。

 

最初ぼくは経営における弁護士と税理士の運用方法について話をしていた。税理士と言っても初対面の場合こちらがどのようなビジネスをしているか正確に把握することは難しい。

 

だから彼らも空想でこちらのビジネスを推測して組み立てるから、こちらの欲しい答えと違う答えが出ることがある。だからこそこちらの言い分を相手にわかる言葉で正確に、さらにこちらが欲しい答を引き出すための材料をしっかり用意せねばなんて話してた。

 

すると隣に座っていた後輩格の男性が突然大きな声で「そうなんっすよ!そこなんすよ!」と言い出した。ん?この人さっきは黙って飲んでたよね、誰と話しているの?と思うとぼくに向かって話しかけているのだ。

 

ちょっと待て!ここは屋台か(笑)?屋台であった、はは。それで仕事の話になると、何と彼は税理士事務所で働く税理士の卵でありこれから頑張って資格を取っていく予定との事。

 

そこでぼくは、税理士の本文とは何か?代書屋なのか助言業なのか、助言業であれば豊富な社会知識が必要でありその為には毎日の自己研鑚が必要だ、あなたやってますか?思わずこっちも調子にのって聞き始めた。こんなの東京でいきなりやったら喧嘩だろうな、とか思いながら。

 

けどそれから話ははずみ、先輩格の税理士も議論に参入してきた。彼の場合はどちらかと言うと、「ほら、おれが日頃からいいよろうが、お前がきかんけどさ、ほら、よその会社の社長さんだってこげん思うとってわかろうが」

 

この先輩格とは後でIFRSの導入に関して日本の現場ではどうなのか話を聞いてみた。やはり現場では抵抗が強い。これは日本の株式会社と西洋の株式会社の存在意義が全く異なる体。

 

西洋の会社では会社は個人の延長であり投資家に利益を配分するんが仕事。雇用を守るとか社会貢献するのは政府やボランティアの役目、お互いに役目が明確である。

 

ところが日本では会社が擬似社会であり社長は首相であり民間会社でありながらも自分の所属する社会全体を幸せにすぐ義務がある。だから会社は公器であり株主だけのものではない。株主はお金を払って社会に参加して経営者は能力を持って参加して労働者は肉体労働をもって社会に参加する。

 

労働者にまず賃金を保障するが決して多くはない。経営者への報酬も欧米と比べれば破格に低い。相対的に一番儲かるのは働かずに配当を受ける株主だ。だから会社の景気が悪くなればまず株主が配当を減らしていくのが当然という理屈だ。

 

ところがIFRSは日本的経営を認めてないから企業経営が根本から変化する可能性がある。ここに気づいて反対意見を出している税理士や会計士が多いのである。

 

中洲の夜は更けていく。初対面の人とかなり突っ込んだ話をしながら意見交換はするが喧嘩にはならない一線を守りつつ、素晴らしく美味しいニュージーランドワインを素晴らしいワイングラスで飲む至福。やはり中洲は良い。

 

“向い合って語らうその後の出来事に私一人が苦く懐かしんでたの”

久しぶりに水越けいこの歌が頭をよぎってる。

 

このお店、もしお店側が問題なければぜひとも紹介したい。ニュージーランドに移住したい人がニュージーランドのワイナリーで働いた経験のある人(ママ)から直接話を聞いてもらえばニュージーランドの近さが感じられると思う。

 

ただしここは中洲、1980年代の中洲なのでそのつもりで笑いを忘れないように!



tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月03日

あなたが愛しているのは?

別れの予感 テレサ・テンからの言葉

 

 

「奥さん、彼が殺したかったのは本当に犬でしたか?」

探偵フィリップ・マーロウの事務所を訪れた女性が隣に住む男性老人がしきりに毒の入った食べ物をばら撒いている、どうしても私の犬を殺したいようだ、そう相談を受けた彼は女性のクドすぎるほどの話を聞いて最後にこのセリフを語る。

 

いや、なんとも粋ですね、読書をしていて本当に良かったと思える瞬間だ。しかし現実世界ではこの話と同じような事が起こっている。

 

この仕事をやっていると時に男性の行動にこういうのを見かける。

「おれは家族のために一生懸命頑張っているのにあいつら何も分かってくれない、会社で遅くまでサービス残業したり接待で飲み会に出るのも週末の接待ゴルフをするのも、全部家族の為なのに何で分かってくれないんだ?」と訴える。

僕は聞く。「ご主人、あなたが働いているのは本当に家族のためなんですか?」

 

いきなりこんな切り口で申し訳ないが、最近の問い合わせで目立つのがご主人の無理解だ。奥さんが子供の将来の生活を考えて日本から離れようとしている、けれどご主人からすれば毎日楽しいわけで、何で移住なんてするの?気にし過ぎだよ」となる。

 

そりゃそうだ、ご主人からすれば毎日会社で背中を掻いてくれる同僚がいて傷の舐め合いと仲間意識の中で埋もれてしまい夜の浮かれ街にも出ていける、仕事を理由にゴルフにも行ける、要するに人生上がり、うまくいったのだ、何でいまさら生活をゼロにリセットしてやり直す必要があるか、ああめんどくせー。

 

けど、そんな旦那を抱えていては前に進めないんだし、だったら別れるしかないでしょ。子供を抱えて英語もできずお金もないしと言っても、30代であれば十分にやり直しがきく。移住とは何かを捨てて何かを得る道程なのです。何も捨てられない、けどどうにか出来ないかではどうしようもありません。

 

良い話ばかり書いて間違った夢を見させたくはないが、実際には女性で子供を連れてでも移住は可能である。前回も書いたが一番良いのは日本食の料理人になることだ。どっちの国で料理を学ぶかは別として(出来れば日本が良い、子供を実家に預けるとか送り迎えをおばあちゃんにお願いするとか、NZに比較すればお金がかからない)料理人であればとりあえずビザは取れる。

 

子供がいるから育児担当が必要になるが、出来ればお母さんに同行してもらえば良い。ここで、母も協力してくれません、料理人も嫌です、貯金が全くありません、英語も話したくありません、あれもダメですこれも出来ませんと言ったらどうしようもない。問題は解決するためにある。

 

現地でワークビザを取得するためには運も必要だが、この点ぼくらは今までの経験があるので方法があることは分かっている。これ、日本にいながら考えていると大変なハードルに思えるが現地で生活をしているぼくからすればそれほど難しい問題ではない。

 

正しい鍵を正しい鍵穴に入れるだけだ。ここが難しいと言われればそうだろう。英語ができない人が英語で話しかけれても意味が分からないが英語が分かる人は全然問題ない、そういう違いだ。

 

ただしここではっきり書いておくが、ぼくは白馬の騎士ではないし頼られてもどうしようもない。ただ自分の経験の中でシェフ→ワークは正しいボタンを押しさえすればそれほど難しくないと「知っている」だけだ。

 

そうしてニュージーランドに合法的に渡航すれば、次にやるべきは新しい環境で一緒に生活してくれる(生活力のある)伴侶探しである。いきなりこんな事書いていいのか?とぼくも思うが、最近の問い合わせを見るとこの点を明確にしておいた方が良いと思うのであえて現地の実情を書く。

 

オークランドで一番もてる女性の国籍は?日本人女性だと思う。この街では大和撫子はしとやかで従順でお掃除daisukiで料理も上手で、とにかくキーウィ男性からすればいうことなしの最高級ブランドである。

 

あたし、あんまり可愛くないんですけど?と心配する人もいるだろうが、大丈夫、キーウィは美人と醜女の判断がつかない(苦笑)のが多いので顔にお面又はバケツをかぶせた気分で安心してもらえば良い。

 

表現、ひどいかな・・・けどこれは現地の実情であり、これをもって女性差別とかどうこうとかコメントはやめてもらいたい、本当はぼくもあんまりストレートに書きたくないのだけど、ある程度の事はここで書いておかないと正確な情報が伝わらないと思うから書いているのだ、もし批判をされるようだと現地事情が書けなくなる。

 

最近の日本の美容技術は進んでいる。ニュージーランドではお酒を買う時に成人である事を証明するために年齢確認を求められることがあるが、30代の女性がうれしそうに「あたし〜、この前もお酒買ったら免許証見せろって言われちゃったのよ〜」となる。

 

それくらい日本人女性は幼く見えるから年齢を気にする必要はない。これもかなり暴言だが、30歳代なら楽勝で40歳代で真剣勝負くらいで構えてもらって良い。実際に子連れで渡航してすぐに伴侶を見つけた人も知っている。

 

ワークビザを取得してからよく働きちゃんと固定収入があり相手方のご両親がしっかりしている離婚歴がある(結婚の苦労を理解している)キーウィの伴侶を見つけて結婚、永住権取得、

 

今日はかなり乱暴な書き方になった。これで誤解を生んで誰でも来られると思われても、英語力、健康診断、無犯罪証明、いくらかの渡航資金、専門学校で学ぶか寿司屋に就職している間、実家のお母さんの手助け、いろいろと必要だ。

 

ただ現実にはこのルートで入国して結婚して無事に永住権を取れている人がいるのも事実なのだ。これが主流になるとは思わないがこういう方法もあるという事だ。

 

今日の話はぼくの仕事とは全く関係なく、ブログに頂いたコメントに対してぼく個人が日本にいる女性に発信したメッセージと思って下さい。なのでこのルートで道を切り開こうと考えても当社へのお問い合せはご遠慮ください、当社は結婚紹介所ではないのです(笑)。

 

 



tom_eastwind at 22:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月02日

時計

香港のホテルの雑誌で「男性にとって、自分の個性をアピールできる重要なアイテムの腕時計」と書いてる宣伝文句を見た。お隣のモールの時計屋の出店応援ですな。

 

最近の日経ビジネスでも高級時計の宣伝が増加している。話を聞くとどうやら高級時計の売上が調子良いようだ。たしかに今回香港のELEMENTSを回ってもこれだけ高い時計を誰が買うのかい?って感じだったが、日本でも時計が成功者のステイタスになっているのだろう。

 

仕事がうまくいった、そのご褒美に自分用の時計を買う、それは経済を回す効果があるし本人も満足感を持てるだろう。時計を見る度に成功した時の事を思い出してまたがんばろうという気持ちになるだろう。

 

そこまでは良い。しかし時計はあなたの中身を変えてはくれない。「時計はあなたの個性をアピール出来る重要なアイテム」かもしれないが、個性がない人間の個性をアピールすることは出来ない。だって最初からないんだもん。

 

それは時計に限らず服装や髪型も同様で、個性のない人間が外見だけ他人と違うようにするのは「ずれたかつら」を付けているようなもので、はたから見れば滑稽なものである。

 

内面は誰も彼も同じようなもので個性が存在しないとわかってる時計屋とか洋服屋は外見の違いを見せる宣伝をする「これであなただけの個性が主張できます!」と言って世の中の男性に売り込んだ結果として皆が同じ服を着ることになる。

 

室内犬に洋服を着せて他の犬と区別させるのと大差はない。

 

けれど大陸から来たばかりの成金中国人にはこのあたりの感覚が理解出来ない。だから短パンにサンダルと太った体を揺さぶりながら一個300万円の時計を買っていく。

 

彼らは自分の所属する国家で成功した他人がするように賄賂を配りごまをすって役人になり、成功した役人がするように村の土地をある日突然没収して賠償金も雀の涙で追い出して、そこを工業団地にして日本や韓国の企業に高値で売りつける。

 

そして成功した金持ちのように時計を買いあさり高級ブランドを身につける、短パンにサンダルを履いたまま。一体何処に個性があるのだ?単なる金の亡者ではないか?亡者が亡者向けに作られた地獄への一本道をまっすぐ歩いているだけではないか?などと言ってもムダだろう、「金があるんだ、何で個性なんて必要なんだ?」と言い返されたら終わりだ。

 

何でいきなりこんな事を書くのかというと、今回香港で過ごしていると何となく香港人の価値観の多様化を感じるようになったからだ。以前の香港であれば年寄りを立てて話を聞き古くからのしきたりを大事にして云々という文化があった。

 

今もその文化は十分に引き継がれているのだが、最近移住先の海外から香港に戻ってきた若者がそのような価値観に少し違和感を感じている。

 

テレビで出てくる俳優さんでも今では英語、北京語、広東語とトライリンガルが普通であり多様な価値観を背景に持っている。だから老人を大事にする文化は理解できるのだが、その老人の言うことが理不尽であった場合、香港で生まれ育った若者であれば「はいはい」とうまく聞き流すのだが外国で育った若者は「それって違うくありません?」とやってしまうのだ。

 

以前はこのようなアジア人の若者はバナナと呼ばれた。外側は黄色だけど一皮剥けば真っ白。

 

彼らは東洋文化の香港でバナナをあまり表に出すと嫌われると知ってるから一応抑えてるんだけど、集まった友達が皆西洋帰りだとなると突然嬉しそうに英語に切り替わってワイワイおしゃべりしている。

 

そして香港生まれのの若者は昔の若者ほどお金の主張をしなくなった。それよりも自分の生活スタイルを大事にするようになった。豊かになったって事かな、全体的に街が豊かになっているって事だよね。

 

香港人の場合はもともと個性を持っているから外見が誰かと同じであろうがどうでも良い、中身が違うって考えているからだ。そして実際に皆個性がある。大陸中国人も実は個性がある。けれどまだまだ貧しい。

 

中国大陸の田舎で成功するためには大変な苦労と運が必要だ。それを乗り越えて金持ちになったのだ、何が悪いのかって事だろう。

 

大陸中国では文化大革命時に多くの知識人が殺された。その為に道徳思想がかなり低下してしまった。香港の場合は英国領であり古い四書五経の文化が守られた。その結果として大陸中国人と香港人の文化程度格差が発生しているのだと思う。〜と、ちょっとまとまりのない文章になったけど、香港で短パンで大陸人が時計買ってるのを見て感じた事でした。

 

振り返って日本。日本でも高級時計が売れているが、やっぱり「自分の個性を主張出来るアイテム」って宣伝でやってるのかな?まさかね?日本で時計の宣伝で訴求する点はただ一つ。「他の人も持ってますよ」。



tom_eastwind at 20:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年07月01日

生まれ来る子供たちのために

★池田ブログより抜粋

日本がいま直面している最大の危機は、明日は今日より貧しくなるということである。労働人口は毎年1%ずつ減り、政府債務は50兆円ずつ増えてゆく。昨年の名目GDP20年前と同じだったが、これから名目成長率はマイナスに転じるかもしれない。そしてきょう生まれる赤ん坊の生涯の可処分所得は、きょう退職する老人より1億円以上も少なくなる。

★抜粋終了

 

最近の池田ブログは原発記事で相当やばいことになっている(笑)。話の噛み合わない者同士がいくら議論をしても答えは出ないわけで、その意味ではかなりむだな電気を使っている。

 

池田氏の主張はあくまでも数字の計算である。世の中のどのようなものにもリスクがある中で出来るだけリスクを減らしながら最大限の経済効果を得るという考え方が基本にある。

 

彼からすれば原発はすでに何十年も運転されていたのにその時には何の意見も言わずに受け入れた人々が、実際に原発が一つ吹っ飛んだら突然感情論だけで原発反対というのは、あまりにもどうなのか?という気持ちがあると思う。

 

だから彼が納得するように今後の原発リスクを数値化して提示すれば彼も議論に乗るだろう。けれど彼に反発する反原発派は感情論でしか書き込みをしないから池田氏には理解できない。こういうのは議論の訓練をある程度しておかないといつまで経っても話はスレ違いのままだ。

 

原発反対と言って多くの人々が首相官邸前に集まったとのニュースを見た。反原発と訴えるのは良い、誰にも主張する権利がある。けれど現実的にそれで電気代が上がっても良いのかという議論は出てこない。ここが反対派の問題点である。

 

現実的な対案を出すのか?国民全体が値上がりする電気代を受け入れてあとは個人的に節電することで対応するのか?では電気と水を大量に使う工場は?工場が出ていって仕事がなくなったら今度は国に対して「仕事よこせ!」とデモをするのか?

 

原発のリスクは大きく、だからこそぼくもずっと以前から原発に反対してきた。その頃ぼくの意見に耳を貸す人はいなかった。実際に原発が事故を起こしたら突然反原発派が現れてとにかく原発停止と訴える。けどそれは自分たちがしっかりとエネルギーを考えて社会全体のバランスを考えた上での意見か?

 

ぼくは原発のない国で生活をすることを選んだ。その分不自由も多い。年に数回の停電もする。それでも僕は原発のない社会を選んだ。

 

原発停止は良いのだ、けどその先にあるものを受け入れる理性的な感覚はあるのか?原発を使わずに電気をどのように作るかを国民全体が議論して痛みを分担して全員の合意を得ることが出来るのか?

 

このあたり、デモに集まった人々が「単なる憂さ晴らし」ではなくきちんと全体で議論する場所を作って建設的な提案を作り上げれば原発廃止の道も出来るだろう。そういう話であればぼくも大賛成だ、国民がいつまでも政府に騙されずに自分の国のことを自分で考えるようになれば良いと思う。

 

けど今日の話は原発ではなく、もっと強烈に確実にこれからの日本を襲ってくる話だ。原発は地震でも壊れず北朝鮮も襲ってこないならリスクは低いが日本経済が衰退していくってのは、これは100%確実な現実だ。

 

これから日本で子供を産むって事は確実に衰退していく国家で老人と政府のために朝から晩まで働いて、それでいて生涯収入が1億円減少するって現実だ。そんな世界に自分の生まれ来る子供を送り込みたいか?

 

自分の子供だけは大丈夫、何とかやっていける、そう思う親はいるだろう。しかし社会全体が沈む中で一人だけ浮かんでいることが出来るのか?そんな社会で子供が「ねえお母さん、何で僕をこんな世の中で生んだの?」と聞かれたら何と答えるだろう?「いやさ、知らなかったんだよね」とでも言うか。

 

今日退職する老人は団塊世代でありバブルを楽しみお立ち台で踊っていた人々である。彼らが20歳の時にはすでに新幹線が走っていた。給料は毎年上がるものだと思い実際に毎年5%程度は上昇した。ボーナスは年間6ヶ月支給された。

 

1980年代に30歳になっていた彼らは「NOと言える日本」、アメリカの土地を買い占める日本に代表されるように世界でトップクラス国家の一員として栄華を誇っていたのである。バブル崩壊後も正社員であった彼らは守られて無事に退職、これから年金生活にはいる。

 

ところがこれから生まれてくる子供たちはそのような人々の生活を賄うために消費税を払い所得税を払い公務員の給料を払って行かねばならない。そう考えてみれば今の日本で子供を生むという選択がどれほど「勝負事」になるか、想像がつくだろうか。

 

それともこれも想像がつかず「まさかそんな事ないよね、だって政府は大丈夫って言ってるんだもん」とか思って子育てをしたところ、その子は大学を出ても仕事はコンビニしかなくサービス残業と低賃金と高い税金を払うことになる。

 

そんなときになって今回の原発反対デモのように政府に文句を言っても「今になって言うか?感情論だけで言うか?わかってた事だろう」って話にしかならない。原発が作られた頃、六ケ所村が出来た頃、原発について考えることはなかったのか?24時間いつも電気が使えて文明だね〜よかったね〜そう思ってなかったか?

 

自分の人生は自己責任だ、自分の頭で考えて結論を出して行動するしかない。その場の感情論だけで行動していれば結局は政府に騙されて更にたくさんの税金をむしり取られるようなものだ。

 

政府をなめてはいけない、彼らはとてつもなく賢いのだ。感情論だけで立ちあがっても、それをあわせ技で柔道みたいに投げ飛ばされてかえってたかくつくってことになるのは戦後の歴史を見れば分かることだ。日本が抱える問題は原子力だけではない。社会構造の変革をしないと次の20年も失われていくというのにそのことに何の対応も準備もしないことだ。

 

生まれ来る子供たちのために今何が出来るか、考えてみよう。



tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌