2012年08月

2012年08月31日

「こころの免疫学」 藤田紘一郎

不健康という言葉がある。ぼくが子供の頃に日本では「ほうれんそうは鉄分がたっぷり入ってるから食べなさい」とか、おとなになってすぐの頃はコレステロールのとりすぎは死にやすくなるから卵は良くないとか結構本気で言ってた健康オタクがいた。

 

何時の時代も同じであるが、彼らは正式には健康オタクではなく洗脳免疫低下症候群、つまり本に書いてる事は常に正しく12時になるからお昼ごはんを食べる、米国の言ってることは何でも正しい、とにかく自分の頭脳で思考することが出来ず本や権威にしがみつき彼らに同調することで自分の存在価値を見出すという自己価値評価の出来ない洗脳に弱い人間の集団であった。

 

ところが後になって調べてみるとほうれん草の鉄分なんて戦後すぐから比較すると数十分の一に低下しておりその代わり人間の体にとってどうしても良くないだろうって農薬まみれになっていた事実。

 

卵を食べずにコレステロールを減らした〜と喜んでたらコレステロール低下で免疫低下してガンの発症率が劇的に増加したとか笑い話にもならない事実。

 

ぼくは小学校の頃から野菜が大嫌いであった。それは単純に“不味い”からだ。人間の舌は本来よく出来た食料感知器であり、腐ったモノを口に入れると不味いと感じて吐き出す能力があった。鼻も同じで匂いで有益か無益かを判断できた。

 

昭和30年代の日本は経済成長に忙しくお昼ごはんを作る時間もない、そんな時に出てきた加工食品がチキンラーメンだった。あれは美味かったな〜、農薬まみれになった栄養価のない野菜を食べるくらいなら白ご飯とラーメンで十分だった。

 

この本で最初に取り上げるテーマが人間の腸である。腸内細菌は実は人間の第二の脳である。脳が司令塔のように考えられているが動物の進化の過程を見れば原始生物は脳や脊髄がなくても腸だけは存在したわけで、身体が発達するに連れ脳が第一の司令塔になったが、脳を動かしているのはあいも変わらず第二の司令塔である腸だ。

 

そして腸の中にある細菌は例えばビフィズス菌のような善玉があり、体外から摂取された栄養素を分解しながらそれぞれの用途に使う。その一つがドーパミン造成作用である。笑ったり人を幸せにする気分を作るドーパミンは脳そのものからは作り出せない。脳にドーパミンの元となる物質を送り込んで初めて人は笑ったり喜んだり出来る。

 

そしてそのような物質は体外から食事という形で取り入れるしかなく、食事が正しい形で取り込まれなければ人は正しい感情を維持することは出来ず、これが人間に免疫低下を招き各種精神疾患になる。

 

1960年代になって日本人にうつ病と花粉症などのアレルギーが発症するようになった。これはまさに日本人の食生活の変化と同時期に起こった。食事の西洋化と伝統的和食の減少が人間の免疫を低下させた。

 

作者は学者としての実体験やデータから様々な接近方法を用いて食事療法の効用を説明している。もちろん世の中食事だけがすべてではない。人は他にも様々な要素で病気になる。しかし人生70年を生きていこうと思って認知症になることを気にするなら、少なくとも食事療法で防げるものがあるならそれはそれで実行する価値がある。

 

ここからはぼくの個人的な感想だが、医療は基本的に統計の世界であり統計では説明出来ない例外が常に存在することは事実である。ぼくのように子供の頃からほとんど野菜を口にせずほぼ毎日インスタントラーメンを食べて若い頃は朝ごはんはコーヒーのみって生活を送っても生きてるような例外がいるのも事実である。

 

なのですべての人間を例外なく枠に押し込めるような食料原理主義者には賛成出来ない。それでもこの本は押し付けるわけでなく「こんな考え方もあるよ、こんな事実もあるよ」とわかり易く説明してくれるのが好感度たかしである。

 

日本では未だ持って牛肉の霜降り信仰があるがあの霜降りは飽和脂肪酸であり常温では溶けない。つまり熱して体内に摂取された状態では溶けているがすぐに体内温度=常温に戻って塊になりこれが血管にそのまま付着して脳梗塞の原因となる。

 

マグロの大トロの霜降りは不飽和脂肪酸で海中のような冷たい場所でも固まらないから人間が食べても体温で固まることはなく血中でサラサラと流れてくれる。西洋では青魚などに含まれる脂肪酸をオメガ3とかオメガ6で区別したりしているが、この脂肪酸の供給(血液による供給)が安定していないと脳の作用に影響をおよぼす。

 

つまり何のことはない、西洋式の肉の脂身をがっつく生活では血液どろどろになり血管に詰まりが出ていずれ脳梗塞になるよと言っており実際にNZでも死亡率のトップに脳梗塞がある。

 

食用油の話がある。油は元々生鮮食品、魚と同じ生物なのだがそれが何故家庭の厨房で長期保管出来るかといえばそれは酸化を防ぐために熱処理をされてその結果として不飽和脂肪酸がなくなりトランス脂肪酸に変化して体内の免疫障害を起こしている。この油を大量に使って提供されるのがファストフードである。ジュースなどの飲み物にも25%くらいの砂糖が混ざっているが、普通の水に25%の砂糖を入れると甘すぎて飲めないという子供でもそこに添加物を加えると甘みがなくなり美味しいと感じて「また食べたい」というようになる。その結果は糖尿病と子供の頃からの異様な肥満に繋がる。

 

コーラとフレンチフライを手にした子供を見て泣きながらひっぱたく親もヒステリックであるが飲ませすぎる親も基地外である。

 

それにしても日本の食料品業界、タバコ訴訟と同じでいつの日か事実が表面化されたら消費者による集団訴訟、絶対ありでしょうね。

 

いずれにしても宗教としての食い物や肉体ではなく科学として肉体を分析して冷静に怖がりながら文明をバランスよく享受する姿勢が必要な人には必読の一冊です。

こころの免疫学 (新潮選書)
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tom_eastwind at 14:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月30日

家庭菜園 家計の安全保障に向けて

先日会員の奥様と雑談をしていたら「お野菜が高くなって、なすはもう自宅で作らなくちゃね」と冗談交じりに言ってた。

 

オークランドの物価は毎年平均5%程度上昇している。公共交通機関や公共料金の値上げは3%程度でも公共インフラを利用してサービスを提供している場合、インフラコストの値上がりに人件費情報を加えて更に自社の利益をスライドさせていくと5%以上の値上がりをするビジネスもたくさんある。

 

日本だと毎年の賃上げとか物価上昇とか「一体何処の国の話ですか?」と思うだろうが、それはニュージーランドの話です、はい。

 

ただ食料自給率300%のニュージーランドでも食料品価格が上昇するとはどういうことか?例えば魚を例にすると、陸揚げされた魚は最初にまず海外市場で販売されて一定価格まで下がった時点で国内市場に販売する仕組みだ。だから海外市場で高値が付けばそちらに大量の魚が流出することになり残った魚は品薄、その結果NZ国内でも高値に張り付いて取引される。

 

野菜も同様で現在のような北半球の干魃による影響が続けばNZで作った食料品や野菜が北半球に高値で売却されることになる。おかげでNZの貿易収支は今年は黒字になりそうだが(輸出の5割が農産物だから)その分とばっちりを食らうのがNZ自国民である。

 

そこで冒頭に書いたような「自宅菜園」となるのだが、土地だけはたっぷりあるこの国だし一軒家の庭は広く菜園を作る余裕は十分にある。ガーデニングショップに行けば日本の猫の額用のガーデニング用品ではなく本格的な道具まで揃った商品がある。そこに売られている各種の種を買い込んで自宅の裏庭に植えておけばとりあえず野菜には不自由しなくなる。

 

うちも裏庭にバジルと玄関横に白い菊の花を植えている。バジルはパスタやリゾット用、菊の花はジャスミンティー用である。

 

日本の食料自給は昔から問題とされているが、ぼくが見る限り日本の農業政策は米国によって制限されており、日本人は食い物は米国から買え、自分で作るな政策の結果ではないかと思ってる。

 

21世紀は食料とエネルギーと水の時代である。いずれも自前で補給出来れば強いしそうでなければ食料安全保障政策が必要な分野である。シンガポールは建国以来水の補給はすべてマレーシアに頼ってきておりリー・クワンユーにとっても頭の痛い問題だった。マレーシアともめる度に「水止めるぞ」と脅かされてしまえばまともな交渉も出来ない。

 

そこでシンガポールは日本の最新技術を導入して海水を真水に変える大型浄水システムを導入、どうやらこれで水問題から離れされそうだ。

 

ところが日本では今も食料が安全保障に関連してないと思う学者が目立つ。食べるものがなければ外国から買えばいいではないか、金を払えば売らない国などないと思い込んでる。しかし現実的に食糧危機になればニュージーランドのような食料輸出国であってもまずは自前の食料の確保と価格安定に励むのは当然である。

 

ましてや自分の嫌いな国から「食料売ってくれ」と言われても「お前に売るものはないよ」という事になるのは当然であろう。21世紀に人口は更に増加していく。その時によほどの食料生産改良技術が発達していなければ、いくら金があっても食料が入手出来なくなる。

 

日本は工業化に邁進して先進諸国の一員として肩を並べているが食料安全保障面から見ればかなり危険な位置にいるのは間違いない。中国はすでにアフリカの土地を買って自国の農場にしようとしている。中東のドバイも同様の政策で海外に土地を買い求めている。

 

中国はニュージーランドでも農場を大量に買い占めようとしているが、今のところ地元民の反対で買い占めに至っていない。同じ事をフランス企業がやった時は即Okだったが、相手が中国となると品質管理面で非常に不安が残るのは当然だろう。

 

日本人はニュージーランドでは嫌われていないしむしろ勤勉な日本人が農業に従事してくれるのは歓迎である。日本の本土程度しかない国土ではあるが土地はまだ十分余っており、日本企業が今の円高を利用してNZの農業に進出すれば、お互いにとって利益のある関係が構築されるだろう。

 

キリンやアサヒビールなど飲料メーカーはすでにオセアニアに進出してきておりすでに一定の地位を得ている。円高、食料安保、海外進出、小さくても毎年人口が増加している親日国家との取引を増やしていくのは将来的に見てもお勧めなんだけどな。



tom_eastwind at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月29日

「楽園の夢破れて」 関貴星

初版は1962年発行。在日朝鮮人団体である朝鮮総連の幹部であった作者が平壌に視察団の一員として渡り北朝鮮帰国事業の実態を見る。

 

今まで自分が取り組んできた帰国事業が実は金日成による日本からの労働力の大量移住であり着るものも食べるものさえもない山奥の鉱山や農場で強制労働させられ、逆らうものや知識層はスパイ容疑で銃殺されている現実を目の当たりにして悩んだ末に一般に公表する事を決めた。

 

その日から総連と作者の間で様々な葛藤があり遂には作者は自分の子供とも縁を切って北朝鮮の真実を人々に伝えようとこの本の発行に至る。

 

今の時代からは信じられないだろうが1950年代に北朝鮮は「地上の楽園」と呼ばれていた。食べるものに不自由はなく生活と仕事は政府が保障して社会主義が大成功した国家であると喧伝され、多くの日本人左翼が北朝鮮を礼賛していた。

 

日本で差別されて仕事もない人々は朝鮮総連の宣伝を信じて「地上の楽園=北朝鮮」へと渡っていった。大きな荷物は持っていく必要はない、身の回り品だけ持っていけばあとは現地で北朝鮮政府が用意してくれる、そう聞いた人々は荷物を日本に残したまま新潟から帰国船に乗って渡った。

 

残された荷物は朝鮮総連が没収してしまい船が港に着いた時に現実に気づいても時すでに遅し、屠殺場に引っ張っていかれる羊のように引き立てられてそれぞれの居住地へ追い込まれた。

 

北朝鮮は当時は金日成に支配された独裁国家でありその支配下で多くの帰国者が死亡した。その息子の代の1990年代にも多くの餓死者を出した。結局朝鮮戦争が終了して以来北朝鮮の一般市民生活が向上することは一度もなかった。

 

本書は旅行記の形を取って読みやすく描かれているが作者の知性と見識があちらこちらにそれとなく書き込まれており告発本としても読み応えがある。当時の朝鮮総連の様子や帰国者が日本の親類に向けた送った手紙の記録も興味深い。

 

作者が朝鮮総連の幹部に「何故帰国事業の事実を伝えないのだ?!伝えた上でいちから国家建設に参加しようと言えばいいではないか」と訴えると幹部は「そんな事言ったら誰も帰国しなくなるではないか」と答えた。

 

総連幹部でさえも北朝鮮の実態は知っていたが金日成から指示のあった「在日朝鮮人を労働者として北朝鮮に送り返す事業」の成功にのみ注力し自分の総連内での出世のみを考えていた事がよく分かる。

 

そして当時作者と一緒に北朝鮮に渡った視察団参加者も実態を見て帰国事業がどのようなものか分かった上でそれでも北朝鮮を「楽園」と称していた。文中にある視察団参加者の名簿を見てもらえば分かるが、社会党、左翼評論家、労働組合である。

 

結局はこれが現在まで続く「サヨク」の実態である。北朝鮮や中国から金をもらい日本人の魂を奪いとり日本人を奴隷化させて子供たちに偏向教育を押し付けて自分だけは労働貴族として特権階級にしがみつく。

 

北朝鮮には今でも日本から渡った日本人妻が残っている。日本国籍でありながら日本に帰国することが許されていない人々がいる。さらに拉致被害者も残っている。このような実態を見れば、政府は北朝鮮であれ韓国であれ日本であれ、権力者の言うことを真に受けてはいけない、政府は国民を守ってくれない、自分の身は自分で守るしか無いという事がよく分かる。

 



tom_eastwind at 20:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月28日

虎は死して皮を残す、人は死して名を残す

他人に認められない、他人が認めてくれない自分がいることを自覚すると辛い。けど、だからと言って今更突っ張ってきた生き方を変えることも出来ない。それは今までの自分を否定することになるからだ。

 

過去を否定することから新しい自分が生まれるという事がどうしても理解出来ない。何故なら基礎的学習能力が欠けているからだ。本を読むとか良い映画を観るとかで主人公の追体験をすればいつかそれを信じることが出来るのだが、学ぼうとしなかった自分がいる。

 

そうかと言えばその正反対に

★記事抜粋開始

他人と同じようにしようと苦労してる自分の前で、他人や自分と違うこと、しかもより楽そうなことして、しかもしかもハッピーなんて、じゃあ自分の苦労はどうなるのかと。違うことする勇気のない自分はさておいて、「不公平だ!」みたいになる。

★記事抜粋終了

 

こういうのってあるよね。突っ張って生きてきた人も他人と同じように生きてきた人も壁にぶつかる。その壁がどうしても乗り越えられない。その理由は実は自分の中にあるんだけど、それを認めてしまえば怠惰で努力をせずにいた自分とかひたすら流されてきた自分を認めるしかないから嫌だ。

 

けどさ、今のような「100年に一度の世界的コペルニクス的転回」と「50年に一度の日本の大変化」を迎えてる今、そんな事言ってたら、あんた化石になるよ。そして20年くらい経ったら博物館の中に放り込まれて子供たちが「へー、昔のサラリーマンってほんとにこんな格好してたんだ〜」とか言われることになるだろう、ちょうど今の子供がちょんまげ見て「うわー!ピストルヘッド!」って言うように。

 

要するに自分に甘えているのだ。明日はたぶんどうにかなるだろう、世の中は自分にとって良い方向に向かっているだろう、そう思って結局何もせずにまた一日無駄な怠惰な生活をおくる。

 

★記事抜粋開始

「誰それのせいだ」といってる自分が一番無責任なのですが、本人は責任感に満ちてる(から他人の責任も追求するんだって)つもり。自分の考えを言葉にできて、何でも自分で決められて、他人のせいにする習慣のない人と、他人と違ったことする勇気もなく、いつも誰かのせいにしようと怯えて生きてる人の間には、大きな溝がありますね。

★抜粋終了

 

何で突然こんな事を書くのかっていうとこれから移住しようと考えてる方の中には、すでに移住した人を「移住に成功した人」と考える向きがあるが、それは決して正しくないって言いたいからだ。

 

移住者の中でも長い間この国に住んでいると、最初にこの国に来た目的を忘れてしまい何故自分がここにいるのだろう、今自分は何をしているのだろうと疑問を感じているのだが、それを毎日の生活の中で見えないふりをしてまた一日を過ごすという、まるで日本にいた時と同じような生活をする人がいる。

 

彼らは飛び出すことには成功した、一つの社会や組織から「えいや!」と飛び出して、何とびっくり私でも成功したじゃん!その成功体験と周囲に取り巻く同じように飛び出しに成功した連中とのつるみの気持ちよさ。その後に来た新移住者に対しての威張った態度が取れる快感。

 

お互いに日本を飛び出した、そして何とかビギナーズラックで成功した、そんな連中が毎晩集まってはお互いに褒めあって、さ、今日はおれが君を褒めるから明日はぼくを褒めてね、あ、後から移住した人は次のランクね、みたいな、またはそこにさえ至らない傷の舐め合いと慰め合い。

 

移住さえ出来れば成功か?そんな事はない。移住はあくまでも次の人生への第一歩であり成功でも失敗でもない。野球ゲームが9回まであるとすれば3回裏で相手に5点くらい取られて何じゃこりゃ!と思って頑張って4回表で8点くらい取り返したくらいの感覚だが、人生はまだ長い。

 

常にあなたの上に乗っかっている運命はあなたに挑戦を求め続けるし努力を要求する。移住さえすれば成功なんて、そんな神話はないのだ。

 

今までいろんな国を回り移住した日本人ビジネスマンを見ながら感じたのは、例え移住の一回目表でホームスチールで成功してもそれを継続してリードを守りきれるかというとこれは全く別問題。

 

周囲に振り回されず天皇陛下のバッジ貰いに走らず名誉市民も望まず自分が望んだ道を誰に支持されなくても自分の思想を持って維持していく、これはかなり大変だ。けど、そうでなければ自分で第一歩を切り開いた移住に何の意味があるのだろう?

 

自分の生きたい道は、誰もが自由に生きていける世界を望んだからだろう。それなのに自分が先に来たからという理由だけで後から来た移民を差別してみたり「あんた、努力不足よね」みたいな事を言い出したら、それこそ「動物農場の豚」と同じである。

 

シンガポール、ロンドン、香港、ニューヨーク、シドニー、結局どこの街に移住出来たからどうのではない、移住は手段であり目的は個人や家族の幸せ、そうやって考えてみれば、幸せなんて死ぬまで結果の出ないことである。

 

ならば父親にとっても母親にとっても独身男女にとっても、毎日はより良い生活(お金だけでなく精神面で)を送るための手段であることに気づく。そのような毎日の積み重ねが初めて自分の人生に少しづつ明かりを灯してくれると思う。

 

虎は死して皮を残す、人は死して名を残す、

 

人は多くの場合自分の家族や友達の中に自分の名前を残すが彫りの深さは金ではない。それだけは間違いない。



tom_eastwind at 19:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月27日

仕事ありますか?能力ありますか?

今年卒業した大学生56万人のうち安定した正規雇用は33万人、約60%とのニュース。ニュージーランド人に理解し難いのは正規雇用。正規雇用という考え方がないニュージーランドでは同一労働同一賃金でありどのような形であれ雇用されている限り労働法によって誰もが平等に権利を保障される。

 

その為この国ではジョブホッピングと呼ばれる、その時の環境に合わせて仕事を渡り歩くのも普通である。有期雇用であればそのあいだに実績を出さなければ契約延長せずとなるし不定期雇用であれば首にはならないものの賃金は上がらず労働強化に繋がるので、結局自発的に退職となる。

 

この国での雇用は雇用者と被雇用者の平等な間柄の「労働契約」であり、労働者は会社の利益に貢献する代わりに会社が安定した給与と机を提供することになる。

 

どちらかが一方的に契約違反をすれば、つまり労働者が会社に損害を与えた場合は雇用契約破棄となり解雇だ。もし会社が一方的に契約を破棄する場合は退職に関する各種手当(リダンダンシーパック)を用意して労働者に納得してもらう必要がある。

 

では会社側が各種手当なしで解雇した場合、労働者が不当と思えば証拠書類を持って労働調停署に訴えて調停が開始される。調停は双方に平等に行われるが一般的に雇用する側が負ける事が多い。

 

これはNZ労働法を理解せずに自分の解釈で採用したり解雇したりするからだ。この国の労働法を理解していれば「やってはいけない」と分かるはずだが、経営者によってはそのような事を全く無視して「俺がボスだ!」みたいなのもいる。

 

その意味で法的には労働者はよく守られているしサービス残業なんてやったら一発OUTである。ただし、だからこそ雇用する側も最初に慎重になる。雇用しても実績を出してくれるか?働きが悪いのに首にする時に問題とならないか?

 

雇用均等法もあるので採用の際に個人の宗教など「聞いてはいけない」事もたくさんある。何気ない一言が後日大きな問題になったりする。

 

またニュージーランドでは企業のサイズの割に雇用者の権利が強く、人をたくさん雇用してトラブルになるよりは気軽に身内でやったほうがいいやと考える経営者も多い。経営者もそれほどあくせくして働きたくないのだ。

 

さて、そんな国で外国から来た労働ビザもない外国人がたどたどしい英語で「雇って下さい、頑張ります」と言われても採用される確率は非常に低い。そこで外国人は、まず英語学校に通い次に専門学校に通い例えば会計士の資格などを取得してオープンワークビザ(ジョブサーチビザ)で勤務先を探すことになる。しかしこれも資格と労働需要がマッチングしていなかったらOUTだ。

 

なので仕事は専門化するほど募集は少なく、大企業が少ないために一旦誰かが仕事を開始すれば次の人は最初の人が辞めるまで他の仕事をしながら待つしかない。このように小さな労働市場であり多様な業種がないからこそニュージーランドでは多くの若者が大学を卒業して少し社会経験を積むとすぐに海外に働きに出る。

 

このような労働市場であるが北半球から見れば住みやすい国という印象がありこの国にやってくる移民は毎年約5万人いる。その中で目立つのが就職に対する考え方の違いだ。日本人はとにかく「正規雇用!」と言うが正規雇用という考え方がない国なので理解されにくい。

 

さらに日本人はどうも正規雇用で就職したらそれでゲームは終了、自分は勝ち組だと思い込む癖があり正社員同士でつるんで「おれたちラッキー」くらいに思ってそれ以上の努力も成長もしない。

 

だが、この国の就職とは「就職してからが勝負」であり実績が出せなければ負けであり契約は切られる。中国人や韓国人にとっては就職は金を貰って勉強する場所である。そのような環境で日本人がどれほど「他人よりも優秀な」能力を持っているだろうか?

 

「ニュージーランドで仕事ありますか?」と聞く前に自分に聞くべきことがある。「わたし、働く能力ありますか?」



tom_eastwind at 15:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月26日

「地球の論点」 スチュワート・ブラント

「現実主義的な環境主義者のマニュフェスト」と副題の付いた434ページの単行本。テーマを地球温暖化、原子力、遺伝子組み換え植物、人間が地球に与える影響、などなど地球が抱える基本的な問題を科学的な姿勢で捉えている。

 

作者は1968年から雑誌の編集人として活躍しており、スティーブ・ジョブズ氏が「自分が若い頃にハマった本だ」と2005年のスタンフォード大学の卒業式で述べている。

 

1968年と言えば米国では泥沼となったベトナム戦争にケネディ大統領の暗殺とヒッピーの台頭と米国にとっては暗い時代であり、その頃に人間はどうあるべきか、地球とどう折り合いをつけながら生きていくのかというテーマが語られた。

 

一つ一つのテーマの取り上げ方は科学的であり興味深い。とくに彼が反原発から原発容認の立場になった経過を見れば「正しく怖がる」ということがどういうことが分かりやすい。福島原発事故の後でも十分に通用する考え方だ。

 

感情論ではなく理論として、人間は自然とどう折り合いをつけながら生きていくべきかという視点から見れば、人間は随分矛盾した生き方をしている。時には喧嘩したり時には無用な程に気を使ったり、けどそれは自然からすればどうでもいいようなアプローチでしかない。

 

その姿はまるで一人の美女を巡って自分を何とかよく見せようとする哀れな中年男の様相をしている。「地球を救う」という言い方で美女にアプローチするが、地球からすればどうでも良い話である。

 

読んでて最後まで疑問に感じたのが「人類はこれまで“地球殺し”の役割を演じてきた。自分たちが生き延びるために近視眼的な自己都合しか眼中になかった〜後略p352」という文章が表すように、作者はすべてにおいて米国人の視点からしかモノを見てないという事だ。

 

持続する環境、それは日本が2千年前から取り組んでいる事である。この本を読んで感じるのは西洋人独特の「自分だけが正しくて自分だけが知っている」という傲慢さである。一つ一つの問題に対する取り組みはそれなりに理解出来るが合計した際の全体の誤謬(ごびゅう)については理解が及んでいない。

 

但し一つ一つの問題に対する分析は、すべてに対して感情論でしか対応出来ない一部の日本人にとっては学ぶべき点がある。

 

それにしてもこの手の独善的な西洋本を読むと反面教師的な感があり、いかに日本という国が歴史的に自然と持続する文化を守ってきたかがよく分かる。

 

動物愛護を語りながら自分の都合の良い時には鯨を殺して油を取り不要になったら捕鯨禁止にしてカーギル社の食料を売りつける、遺伝子組み換えが儲かると分かればモンサント社が世界中の種苗会社に圧力をかけて売り込む、とにかく西洋人というのはよく言えばドラグマティック(実質的)であり、何が正義かではなく正義をどう使えば金になるかを熟知している。

 

日本人が一番不得意とする分野である。しかしこれから西洋人と付き合うからにはぜひとも理解しておくべき分野である。正義はいくつもある。自分だけが正義と信じるのは自由だがその発想の狭さが自分を追い込んでしまう事には十分に注意すべきだ。

良い本である。敵を知るという意味で読んでおくべき一冊である。 

 

Stay hungry, Stay foolish 裏表紙に書かれたこの言葉は、現代の日本人にもそのまま通用する。


地球の論点 ―― 現実的な環境主義者のマニフェスト
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tom_eastwind at 17:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月25日

グンビ岬に敵上陸

今、手元に2冊の本がある。一つは前回ご案内した「日本古代史と朝鮮」。虫殺しと教えられた645年の大化の改新前後200年くらいの日本と韓国の交流を記録に基づいて分析している。

 

「双方が好むと好まざるとにかかわらず、日本古代史は古代朝鮮との関係史である。(p287参照)」

 

「顧みれば貴国と我が国とは一衣帯水の隣国であり、その間には、古くより様様な分野において密接な交流が行われて参りました〜(p291後略)」1984年9月6日に天皇が全斗煥首相訪日の際に述べられた言葉である。

 

普通に歴史を読めば日本の弥生文化あたりから半島及び大陸から多くの人々が渡ってきて彼らが今の日本朝廷を作ったのは明確である。今聞きたいな、自分の血液に一滴の大陸や半島の血が混じってないって人が何人いるのか?

 

そして今「嫌なら半島に帰れ」発言をする君たち自身も同じ血統である可能性は80%以上だと思う。5世紀から7世紀の人種分布に関する資料を見ると、日本古来の縄文人は20%程度で殆どは大陸と半島人であったと推測出来る。だから「帰れ!」というならまずは自分の血統を調べてみればよい、もしかしたら帰らないといけないのはあなたかもしれないから。

 

ただその上に日本という列島が持つ独特の「気」が日本人を醸成することになった。ここが人間の面白いところで、血液だけでなく居住する環境がいつの間にか人間の中に人種ではなく民族を生み出す。つまり同じ血統人種であるが違う民族だと考えた方が良い。

 

その意味において日本民族と半島・大陸民族がそれぞれ個性を持って存在するのなら、半島から渡って来た人は何世代目に日本民族と呼べるんか?血液だけで出自を決めるなら上述のように80%近くの「日本に住む人々」は船に乗って帰ってもらうしかない。

 

もしそれが生活環境で日本民族になるとするならば、それは何世代目なのか?よく東京では三世代でやっと江戸の人間、てな言い方がある。では日本と大陸半島は?何世代目で日本民族になるのだ?

 

例えばりょうまくんは移民二世だがすでに脳みそはキーウィになってる。キーウィ社会で生きてるりょうまくんだが肌の色の違いで差別されることは今のところ全くない。ところが日本では肌の色が同じなのにそれでも差別が存在するのだ。

 

もういい加減にそのような、本人が責任を取りようがない部分で差別をするのは止めよう。どこで生まれたかではなく、その人が誰であり何を考えているかで判断しよう。そんな組織の分断をやって喜ぶのは支配者でしかない。

 

もう一つは本でなくてワード文書だ。ニューギニアの戦記である。今国境問題で騒ぐのは良いが、ネットで過激に騒ぐのはやめてほしいのでこの文書をコピーする。文責は僕にある。

 

殺しあうって、こういうことですよ。下記はニューギニアで戦った日本帝国陸軍の兵士の手記である。

 

★抜粋開始

グンビ岬に敵上陸

 昭和十八年十二月下旬、安達軍司令官は第十八軍の主力第二十師団、第五十一師団の全将兵をシオ、ガリ、キアリの沿岸に集結させた。

 転進に次ぐ転進駐留で、体力の回復をはかるいとまもない将兵は、栄養不足に重なる疲労、体力の低下と並行してマラリア患者も続発してきた。二十師団、五十一師団の傷病兵も目につくようになってきた。

 時には異様な臭気がブッシュに漂よっているのに出合う。マラリア熱帯熱、アメーバー赤痢あるいは負傷で、歩けぬ重傷者は死を宣告されたも同様であり、歩行の止まった所が墓場であった。酷暑のニューギニアでは、死後三日もすれば、頬の肉が腐り骨が出てくる。腸は膨張して小指大のウジ虫がうごめいているのがよく見える。棒でつつくと、ブスリと音がしてガスが吹き出し、異様な悪臭である。

 貴重な生命を路傍に捨てなければならない無念さ、祖国日本の勝利と繁栄を信じた彼らが、妻子に思いを残し、内地からの糧秣に見離され、栄養失調で倒れるとは考えてもみなかったろう。それは飢えとの戦いに敗れた姿であった。道行く将兵も、この頃になると自分の身をかばうのが精いっぱいであった。戦友にまで力を貸してやることは出来なかったろう。

★抜粋終了

 

ニューギニアに渡った日本兵は約12万人とも言われている。その中で生き残って本土の土地を踏めたのは約5千人。小学校のクラスで言えば45人のうち生き残ったのは3人くらいって計算かな。あなたが今働いている会社が30人のスタッフがいるとすれば、生き残るのは2^3名程度、後は全員死亡だ。

 

ぼくの父親はニューギニアで戦い戦後に捕虜になりボルネオ経由で日本に帰国したが、生きてた頃は夏になるとマラリアが再発して体中にマックのフライドポテトのような腫れ上がりが出てきて大変だった事を覚えている。

 

★抜粋開始

ある日私は、原住民の廃農園に掘っ立て小屋を建て、五、六人の目付の怪しく光った異様な風体をした病兵を見た。なにやら飯盒に入れて炊さんの仕度をしていた。彼等がどんな食料を食べるのかと、そっと中をのぞいて見た。そこにくり広げられている異様な光景に私は身震した。メスで死体の太股の肉を切り取って、飯盒に入れているではないか。白い骨が見えている。外の物音に気付いたのか、病兵の手が小銃にかかったような気がした。同僚の肉を食ったのを見つかった病兵が、発作的に何をするか知れたものではない。私は廃農園を転げる様にして走って出た。

★抜粋終了

 

戦争は飢餓を生み出す。ニューギニアで人肉を食ったという記録が公式に残っているかどうかは知らないが、ぼくの記憶する限りぼくの父親は人肉を食って生き延びた。そのおかげでぼくが生まれた。

 

戦争とはそれほど悲惨であり、ネットウヨクが匿名で煽っていいような話ではない。君等は一時の気晴らしで書いているのかもしれない、人に読んでもらえるから自分を認めてもらいたいから書いてるかもしれない、けれどそれは戦前の朝日新聞のようなものであり、結局戦争に大義という武器を与え自国民を道義的に殺人者に仕立て最後は外地の戦場で蛆にタカられて食われながら故郷を思いつつ死ぬような事態を作った。

 

やりたいならお前らがやれ!ただし無責任はダメだ。名を名乗り自己責任で戦え。他人に頼るな。

 

最初はお前のカーチャンでべそ程度の子供の喧嘩でも、それが武器を持った大人が始めたら子供の遊びでは済まない。本気でやるか?やるとなったら誰が戦地に向かうのか?蛇を食うか?

 

抜粋したものは下記のウェブサイトで読むことが出来る。ぜひとも読んで欲しい、その上で隣国とどう付き合っていくか考えて欲しい。

 

http://ikotu.org/old/firipin/n-senki.html

 

他にもたくさんのサイトがある。自分だけ壁の後ろに隠れながら石を投げるような弱虫どもにぜひとも読んで欲しい、殺しあうというのがどういうことか。

 

 



tom_eastwind at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月24日

白バラ

慰安婦問題で日韓の論戦が激化している。どう見ても韓国側が議論で負けてるのだがそこは理屈の世界ではなく感情の世界で気の向くまま思いつくままに無責任に何でもかんでも言ってやれ、愛国無罪である、そういう意識が一般民衆にあるからではないだろうか。

 

だから韓国では「慰安婦問題は最初から存在しなかった捏造事件である」などと大学教授が主張すると世間の吊し上げを喰らいお詫び発言を要求される。ようするに言論の自由がすでに一般民衆によって封じられているのだ。

 

そして一般民衆の感情を操ることで自分の政治的立場を守ろうとする政治家は、その時点ですでに何が正しくて何が間違いかの歴史的理論的な検証を放棄して一般民衆に迎合しようとする。その時点で政治家としては国際社会ではすでに相手にされなくなるのだが、そんな正当な理論や外国政府のことなどどうでも良い。

 

とにかく韓国では大統領から引退した者の多くがその後横領とかで刑事訴追されて逮捕されたり自殺に追い込まれたり、あまり幸せな「引退後の生活」送ってない。実の兄がすでに訴えられており彼も今年の引退後にどうなるか分からないので今のうちに何とか一般大衆の支持を少しでも勝ち取ろうと言ったところだろう。

 

なので対韓国に対しては日本が被害者であり正当に意見を主張するのみであるが、ぼくが気になるのは日本で最近急激に発生しているネトウヨ問題だ。ネットを使って匿名で書き込むのだが皆が愛国者として感情的な書き込みばかりしているのが多くの特徴である。

 

ネットがなかった時代にはこんなにたくさんの愛国者はいなかったろう(笑)と思うくらいだが、この愛国者集団、自分は影に隠れて遠くから石をぶつけるような連中であるが、愛国をテーマにしている限り何を書いてもいいくらいのまるで中国人感覚である。

 

バカが騒ぐ背景は、日本社会全体に巣食う閉塞感であろう。仕事でお客に怒られてご無理ごもっとものと頭を下げて、けど腹の中は煮えくり返って、どこかで誰かに仕返しをしてやらないと気が済まない。

 

社会全体にある言論統制も同様である。以前ならもっと自由に発言出来たのが、いつの間にか発言が制限されて使う言葉も選ぶようになり下手な事を言えばネット周囲から吊し上げをくらう。

 

いくら働いてもあまり収入は増えず今日も夕食はワンコインで済ませて後はケータイでかちゃかちゃするだけの生活。おれって、結婚出来るんかな〜、そんな未来のない自分の人生、誰かに鬱憤を晴らしたい。

 

だからケータイでアクセス出来るサイトでとりあえず何か気に食わないワードを見つけたら文脈なんて理解しようともせずに感情的に攻撃を仕掛ける。相手がそれに乗ってくれればしめたものだ、こんな自分でもまだ誰かこの社会で相手にしてくれる人がいる、心が温かなきもちになって更に過激な文章を書き込む。

 

自分を持たないネトウヨは何を書いていいか分からない。だから誰かが愛国って書くとどうやら誰も反論しないことが分かって自分も愛国者になろうとする。そうすることで自分も仲間に入れた気持ちになる。

 

ただ、ここで愛国をテーマにしてしまうと大きな問題に繋がることがある。それは、そのような愛国ネトウヨを操縦して自分の都合の良い方向に引っ張ろうとする人々だ。このような人々は世論を作ろうとする。その為に一部ネトウヨを利用する。ネトウヨ過激派は自分たちが社会に認められたと思って調子に乗ってどんどん書き込む。

 

そうなるといずれ世の中全体に何となく社会的合意が出来上がる。その合意がどこに向かうのか?愛国って言葉に上塗りされているが実際はルサンチマン的な僻みで一部の人々に「お前らは平等ではない!間違っている!」と言い出すと、それが社会の空気になってしまう。

 

この空気は第二次大戦前夜の日本やドイツと似たようなものがある。まともな意見が次第に通らなくなる。ドイツでは白バラ党がナチに反対しても誰も守るものもなく殺された、それが当時の社会の空気だったのだろう。

 

人々は最初は何の気なしに無責任に言いたいことを言う。そのうちそれが世論になっていく。そうなるとマスコミはそれが正論であると主張しだして最終的には政府もその意見を取り入れるを得ざくなくなる。

 

しかしそれが最初から一部政府内の人々の狙いであったとしたら??今の日本の流れがまさにそれを感じる時だ。一旦舞い上がった炎は、最初は自分に関係ない場所で燃えているからそれほど気にしないが、ある日突然自分の足元で燃え上がる。そうなった時にはすでに遅い。

 

非国民、愛国、国のため、そのような言葉が出始めたらその時は足元に火が付き始めた時である。その炎は韓国にも中国にも、そして他人ごとではなく日本にいる一部の人間にも向かう。



tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月23日

「富裕層の新納税術 海外タックスプランニング」 古橋隆之

日本で生活する人の中には旅券さえ持ったことがないという人もいるわけで、今までは相続対策は日本国内で相続に詳しい税理士にお願いするのが一般的だった。

 

しかし相続税の増税から始まった財務省の税務大改革に対応するには日本国内で行える節税に限度がある。そこで最近出てきたのが海外を利用した相続対策である。

 

もちろん「節税なんてダメだ!税務署に言われる通りに全額納税するのだ!」と思ってる「愛政府」の方はどんどん納税すれば良いと思う。ただ、今の日本の税法が国際税法の大原則である「一つの収入に対して一回しか課税しない」というルールを破っているのは事実だ。

 

例えば中小企業の社長が自社株を持っていたとする。会社が利益を出せば法人税を支払う。法人税は実効税率で約40%としよう。会社が納税した後に個人が受取る配当に対して課税される。これが約50%(所得税40%住民税10%)。

 

つまり企業が100万円の利益を出した場合40万円を法人税として支払い個人が60万円を受け取りそこから30万円を納税すると、手元に残るのは30万円である。このお金に対して相続税が現行最高税率50%だから最終的に残るのは15万円。一つの収入に対して3回課税しているのだから大した確信犯である。

 

一生懸命働いて赤字の時は自分が補填して運営した会社も、利益が出ればその殆どを税金として持っていかれる。じゃあ金を払った相手、つまり政府はそのカネを何に使っているかというと自分たちの給料や天下り先に配分して、要するに役人になれば一生保証されて退職後も天下りという全くリスクのない奴らのためにこっちがリスクを取って稼いだ金を渡しているわけだ。

 

もっと大変なのは東京でサラリーマンをやってて土地を購入して自宅を建ててあまり現金を持っていない家庭である。例えば頑張って働いて昭和の中期に東京の土地が安い時に購入してローンの支払も終わり現在の価値が数億円になってる場合。

 

こうなると納税の為に自宅を売却しなくちゃいけなくなる。様々な免除手段があるにせよ現金が手元にない場合はどうしようもない、物納となる。しかしそれでは残されたお母さんはどこに住むのか?同居していた子供たちは?そんな「個人的な問題」は政府は考えてくれない。

 

そこで日本国内では相続専門の税理士がそれぞれのケースを考えて対策を作ってくれるのだがそれでも最初に書いたように国内での節税には限度がある。

 

かと言って海外相続って、親子が5年海外に住むって話でしょ、それは現実的に無理ですよってなるが、実は海外相続は海外に居住地を移さなくても可能である。

 

要するに日本での「課税の根拠」をなくしてしまえば良いのだ。その為に海外を利用するだけで、実際に海外で生活をする必要はない。「相続が発生するから税金が発生する」。相続が発生しない限り相続税は発生しない。本書ではその方法も含めて様々なケースを検証している。

 

例えば簡単な例で言えばリバースモゲージという東京スター銀行とかが出している商品がある。これは自宅を担保に銀行から現金を借りて本人が死亡した時点で銀行が資産売却をして清算、終了となる。この時点で本人の財産はなくなっているので相続すべき資産はなくなっている。

 

借りたお金の使用使途は一応決められているが一旦資金を入手してきちんとローン利息返済さえしていればあとは銀行担当者との話し合い次第だ。この本では「財産の所在地を変える」と表現しているが、要するに住宅という財産を自分が居住したまま現金化してその現金で海外で不動産を購入する。

 

この際にポイントなのは海外の法律でその国に相続税や不動産売買にかかる税金がどうなっているかだ。本書でも各国ごとに相続税があるかないかも含めて説明している。

 

例えばニュージーランドは相続税がない。そして不動産売買に税金がかからない。1億円で不動産を買って10年後に1億5千万円になっていれば5千万円は非課税の利益となる。

 

海外で不動産を購入したとしてもそれは相続の際には海外資産として財産目録に繰り入れられるではないかと思うだろう。ここで出てくるのがニュージーランドの家族信託会社である。

 

現在の日本の税法では日本国籍を持たない人に海外資産を贈与した場合は無税である。なので購入した不動産をニュージーランドの弁護士に贈与する。その後弁護士に家族信託を設立してもらいその後は家族信託を弁護士に管理してもらう。

 

これで東京の自分の持ち家に住みながら海外に資産を移し本人が亡くなった時でも資産がないから財産目録への繰入が不要となり財産がないので相続税が発生しないという事になる。

 

自宅に住みながら住居を現金化して財産の所在地を変えることはリバースモゲージ以外にもリースバックという方法がある。ほかにも様々な方法がある。この本には一般的な海外を利用したプランニングという事で米国やオランダ、シンガポールの利用方法を書いている。

 

但しこれは日本の国内法と海外の税法、両国が締結している租税協定の内容、条文と実際に運用されてる状況などを把握した上で個別具体的なスキームを作る必要がある。これは相当に難しい。普通に日本で税理士をやってる人に聞いても分からない。

 

何故なら日本の税法が全く予測もしなかった方法でスキームを作るわけで、誰に聞いても「間違いないない解決策」という答はない。

 

けれどこの点では裁判所は税法に関してはきちんと対応してくれており、本書内でも武富士、ユニマット、一条工務店のケースを個別具体的にスキームと裁判の流れ、そしていかに税務署が「課税出来ないか」の説明をしている。

 

相続税は今までは富裕層のみの話であり日本全体でも相続税を支払っているのは全体の4%程度だった。けど東京都内で言えば6%以上、更に五区であれば10%近くに増える。相続の控除額も減額されており、普通のサラリーマンでも都内に自宅を持っている場合は今から対策をうっておく必要がある。

 

縁起でもないっていうのは分かるが、何もしなくて結果的に困るのは残された奥さんや子供たちであり、相続が「争族」となるケースは後を絶たない。人生の対処方法として、出来るうちにやれることをやる、これもひとつのリスクマネージメントだ。



tom_eastwind at 15:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月22日

移住の目標

今日はぼくの本業の話。

 

今から数年前かな、ニュージーランドに移住したのだけど34年で日本に帰る家族が目立った時期がある。

 

この理由は明快で、ニュージーランドにやってきた日本人がビジネスマンとして中の上に行くためには、余程世界で通用する専門能力がない限り起業独立するしかないわけで、独立しても成功する確率は思い切り低く1年で市場から消え去る新規企業が8割という状況では到底冒険のしようもない。

 

けれど英語能力、現地のコネクション、どれを取ってもNZ生まれのキーウィには敵わないわけであり、相当の努力をしなければ結果的にいつまで経ってもニュージーランド社会の中では中の下に位置するわけであり、努力するためにこの国に来たんじゃないって考えてると、いつの間にか「何だかせっかく来たニュージーランドだけど、何だか何時まで経っても中の下じゃな〜、日本に帰れば友達もいて中の上くらいの生活が出来るのにな」ってことになる。

 

そこで彼らは永住権取得後2年経過、無期限永住権に切り替わった頃に日本、東京に帰る。自分の故郷では子供の頃からの同級生がいて大学時代の仲間が立派な企業に就職してて、週末の友達パーティではお互いの仲間意識が確認出来て彼らが何かと助けてくれる。

 

海外で数年働き英語力も身に付けて海外での現場の仕事の流れも分かっている30代後半であれば日本の現場でもすぐ使える。

 

最近のオークランドでは家族で帰るというケースは目立たない。これは日本がやばいと感じているからだろう。今の日本に戻るよりもオークランドでちょいと努力して中の中くらいを目指していこうとする傾向だろう。

 

ただ、その中に長期目標のない人々が増えているのも事実。とりあえず良さそうな国だからやって来ました、あまりあくせくして働きたくはない、家族は大事にしたい、けどなんとか中の中くらいには位置したい。現地で就職先を見つけて〜と、そこまでは良いのだが、肝心の「何故家族でニュージーランドに来たのか?」という部分を考えてみよう。幸せな家族生活を構築しようと思ったんだよね。

 

日本ならあなたたちを守ってくれる両親も親戚も友達もいるだろう。言葉だって通じるし法律も少しは分かる。けれどニュージーランドに来たら誰もあなたやあなたの家族を守ってくれない。ましてや中の中で生き残ろうとすれば競争相手は地元キーウィだけでなく地元大学を卒業した優秀な中国人や韓国人の若者とイス取りゲームをするのだ。

 

そのような状況であくせくせずに家族を大事にというのはかなり両立が難しい話である。働く場所が日本であれば勝ち目もあるだろうが、旅先の土地で中の中、月給で言えば8千ドルくらいを稼ごうと思ったら並大抵の苦労では済まない。

 

独身でありフラットシェアしてます程度なら月給2千ドルでも食っていけるが、家族を連れてきてでは到底ムリだ。このような場合はいかにして金融資産を運用するかがポイントになる。高い給料だけを取りにいくのではなく日本の親から借りてでもニュージーランドで資金運用をする。

 

一番良いのは親から金を借りて不動産を購入して生活費の家賃部分を削減することだ。これで月に2千ドルは節約できる。

 

けれどそのようなファイナンシャルプランを作るにはかなりあくせくして勉強が必要であり、もしプランの原資となる資金が入手出来なければ、普通に就職するだけで中の中という生活はまず不可能である。

 

「ワナビー族」というのは日本語で言えば「なりたい族」だろうか、移住したい永住権欲しい、NZに住みたい、自分が望んでいるのだから叶うはずではないかと思う。そこは間違いではない、しかしその為の努力はしないのか?努力もせずにNZに渡ってきていきなり現地生まれのキーウィと同等の生活を望むのなら、何かを捨てなければいけない。

 

家族を大事にするのは自分を甘やかすという事ではない。自分が少々犠牲になってでも一生懸命働き家族を楽にさせてあげる事が先ではないか。

 

そう、この国で家族を守りながら中の中の生活を維持しようと思えば「あくせく働き」「あくせく学び」「常に上昇の機会を狙い」という努力が必要なのだ。中国人や韓国人移民は常に機会を狙いながら上昇志向を持って生きている。

 

それでも社会全体がのんびりしているから「あくせく」と言っても家族で食事をする時間は取れるし朝ごはんを子どもと一緒に食べて学校に送るくらいの余裕はある。休みもしっかり取れる。日本に比べればずいぶんのんびりしたものである。

 

せっかく移住して仕事も見つけたけどいつまで経っても中の下では、やはり40歳前後になった時に思わず自分の人生を振り返って、今の社会で自分の存在の薄さを感じてしまう。

 

これは友達の数とも比例しているが、現地にしっかり溶け込み週末はバービー(BBQ)を友達と楽しみ一緒にラグビー観戦して子供同士が庭で遊んでて奥さん同士はキッチンでお喋りを楽しみ、くらいになれば収入がそれほど多くなくても社会に参加している存在感で中の上と言えるだろうからそれなりに満足した生活を送れる。

 

これから移住を考える30代のご家族は、きちんとファイナンシャルプランを作り10年単位での生活の拠点をどうするか、しっかり決めた上で渡航することをお勧めする。

 

一か八かでやってきても出来ないものは出来ないし、就職就職と目先のことにばかり拘っているが、日本人はどうも一旦就職できればあとは安泰くらいに思っているが、キーウィ社会では就職が機会の第一歩でありそこからどう自分の生活を作り上げていくかが大事である。

 

永住権取得にしても、それは手段であり目的ではない。移住の目標が永住権を取得することではないという事をしっかり認識しておこう。



tom_eastwind at 10:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月21日

朋有り遠方より来たる

>知識と愛国精神と、出来れば愛国から更に昇華して愛亜細亜を考えることが出来る人々が

 

僕の上記文章について下記のコメントを頂いた。

そんな中国人は文革で死んだか海外に脱出してます。

それ以前に中国共産党は自分たち以外の権威も道理も認めません。

いつまでも夢みたいなことを考えて東アジア友好を叫ぶより、

インドや東南アジアに目を向けて中国を牽制する方向に持っていく方がよほど建設的です。

 

この意見は納得出来る。たしかに多くのまともな中国人は文革前夜に脱出している。香港に上海出身の人が多いのは共産党の国家支配を嫌った人々が逃げてきたからだ。中国共産党は自分たち以外の権威も道理も認めないのも事実、そうでなければ中国はあっという間に崩壊するだろう。

 

インドや東南アジアに目を向けていくのは僕も同意見である。てか、ぼくの2012年4月23日のブログ「地ひらく」で対中国包囲網の件について積極的に進めるべきだとも書いていてコメント者に同意見だ。

 

中国相手に丸腰で話し合いしようなんてのは時間の無駄、なめられて踏み潰されるだけだ。だから東アジアの真珠のネックレスのようにアセアン(つまり中国と国境を隣接していて中国を歴史的に嫌いな国や華僑に悩まされている国)+日本でチームを作り、膨張する中国に対して発言権を持とうという新しい東南アジア共栄圏思想は良いことだと思う。

 

しかしそれは中国を全く相手にしないという話ではない。現実的に中華民族に対して「出てけ!アフリカにでも行って22世紀まで戻ってくるな!」といえるか?中国人に「もいっかいやるか?言っとくけど俺達はお前らに負けたんじゃねーぞ」とでも言うか?それころ非現実的である。

 

2千年の歴史を振り返ってみれば、中国が移住者として日本に来た事はあっても戦争による直接支配を行った事は一度もなかった。元寇でさえ敵国退散の神風に追い返された。

 

対して日本は鎖国から開国に切り替えてほんの数十年後に清國を破りその後も中国に長期にわたって影響を与えてきた。

 

戦争の勝ち星で言えばこっちの方が多いわけだが、僕らが使っている漢字は中国から来ており四書五経も古代中国から学んだものであり文化的には彼らの勝ち星の方が多いわけだ。

 

近代中国も孫文の時代にはそのことに気付き魯迅などの優秀な学生が日本で西洋文化を学んだ(1905年に中国からやってきた留学生は8千人との記録がある)しその文化に巻き込まれずに独立を維持している日本の政治に学んだ。とくに西洋的概念を学ぶのに、日本人が作った日本語をそのまま中国語とした。例えば人権、互恵、投資などは日本語が語源である。解放とか社会主義も語源は日本語ってのが笑える。

 

日本と中国がお互いに年中喧嘩をしていると言っても1930年代の日中戦争時代よりはまだ「話が通じる」わけだ。共産党だって自分たちが滅びるくらいなら日本人と手を組むって話になる。

 

問題は僕らが彼らにとって手を組みたくなるほどの魅力を持っているかだ。ぼくらが真珠のネックレスを持っていれば彼らにとって魅力的だろうし、もしぼくらが平和ボケして「憲法9条、ばんざい〜」とかやってたら、あっという間に属国にされる。

 

それでもその延長線上にあるのは平和な関係であり、それが実利によって作られたものであっても平和であることが最も大事である。

 

夢みたいな事考えずにというが、夢なしに現実の行動の方向性規範は出来ない。現実ばかり見て中国を無視してそれで毎日新聞見ていらいらして挙句にお互いが無駄な戦いに陥ってしまえば、それこそ最悪だ。

 

目の前に現実がある。それをどのように処理して次に繋げるか、そこに必要なのは自分の見る夢であり、いますぐその夢が叶わないから馬鹿らしいと思うのではなく、今は無理でもそちらの方向を見て判断基準としようよって事だ。

 

もちろん僕だって日頃の生活で中国人と喧嘩することはあるが、その先にある目標は離婚でなくお互いに解り合おうとする気持ちだ(笑)。

 

互いに言いたいことを主張する、彼らにも弱点はある、そこをうまく突きながら、組んで戦った方がお互いで喧嘩するより得だぜって現実的な判断をさせれば良いのだ。これはぼくが20数年の中国人奥さんと付き合って学んだ事である(苦笑)。個人的には、家の中では、喧嘩してもいいけど捨てられないようにする、これ結構大事(大笑)。

 

それからこれは技術面であるが、お互いに相手の言葉を勉強してみると良いと思う。江戸時代や明治初期の日本人は普通に漢語が出来たし漢詩が書けた。うちの自宅では英語と日本語と広東語が普通に飛び回ってて、そこに時々北京語も入ってくる。そうなるとお互いの違いよりも共通点の方が目立ってくる。

 

朋有り遠方より来たる、寒山寺、間違いなく英語圏よりも近い文化がそこにある。毛嫌いするのではなく現実的に考えてみればと思う。



tom_eastwind at 18:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月20日

キムチとニラと納豆と

うちの奥さんは香港人であり飛行機と机以外は大体何でも食べる人種なので(笑)毎日の食材に困ることはない。むしろ福岡発の豚骨スープにご飯を放り込んででお粥にしてみたり面白い食べ方を教えてくれるので楽しい。

 

その奥さんがあまりキムチを食べない。「美味しくないの?」って聞くと「まあまあかな」つまり彼女の感覚ではあえて食う必要なしって事だ。けど焼肉はdaisukiで、近くの食材店で買ったオーガニックの牛肉を綺麗に捌いてから韓国ショップで買った無煙バーベキュー台を使って屋内で料理している。

 

これさ、部屋が油っぽくなるんだよね、おまけに着てる服とかもさ、そう思っても家庭内の力関係で月に2〜3回は焼肉を要求される(苦笑)、家庭では弱いな日本人って感じだ。

 

焼肉は週末に限定しているのは唯一の僕の抵抗。平日からにんにく臭い息をして接客が出来るわけもないのだが、このあたりは奥さんは何とか納得してくれる。

 

そんな奥さんがどうしても耐えられない味があるのが納豆だ。ぼくが健康に良いからと納豆を買って朝ごはんで食べたりすると、最初は何もない顔をしているが、そのうち本当に鼻を押さえて「ねえ、お父さん、それってどうしても食べなくちゃいけないの?」と聞いいてくる。

 

「いや、絶対とは言わないけどそんなに臭くもないしいいじゃん」というと奥さんほぼ我慢の限界を通り越した顔で「死人の頭!(広東語の怒声です)」と怒り出す。

 

ましてやぼくが家族のいない時に納豆食ってパックをゴミ袋に入れてると、家に帰った奥さんがまさにカウンターパンチを食らったような顔で鼻を押さえて「お願いっだから二重のパックにして捨ててよね」という。そんなに臭いか〜。

 

ところがその奥さん、自分ではしょっちゅう“韮=にら”を買って来て料理している。この匂いが、あ、うちはダイニングキッチンなのでキッチンの匂いがそのままテーブルとリビングに届く、こりゃ臭い!そう言うと奥さんはけろっとした顔で「匂いなんかしないじゃない〜」って答える。

 

同じ東北アジアの地域で生活しながら、食い物の匂いの感じ方とか好き嫌いだけでもこれだけ違うのかと思う毎日。ここにりょうまが入ってくると、あいつはキーウィ生活が染み付いてるから「芋持って来い!ステーキはどこだ〜!」となる。国際家庭の面白い一面である。

 

あなたは何処の国の人ですか?

★抜粋開始

沖縄出身の思想家、友利雅人は少年時代に「あなたは何処の国の人ですか?」と問われると困惑して声が出なかったという。「そのときにまず最初にあらわれてくるのは、よくわからない、という意識であった。わたしたちにとって質問じたいの意味が、非常に不明ようで漠然としていたことはたしかである」(新沖縄文学28号1975年4月29日)

★抜粋終了・日経ビジネス8月6−13日合併号より

 

沖縄は多くの日本人が「日本固有の領土」と思うかもしれないが、歴史的に見ると元々は独立国であり薩摩藩の時代に併合して現在に至っている。だから沖縄人が自らの意志で日本から離れて独立することもあり得る。

 

沖縄返還の際には沖縄人が「これで日本に戻れる」と言ったが実際に返還されてみると本土の食い物にされた。基地は沖縄に集約されて海洋博では本土の土建会社だけが儲けて祭りの後の海洋博記念公園近くには廃墟となった宿泊施設が並んでいた。

 

古い話であるが沖縄から集団就職で大阪の工場で働き始めた若者たちが寮生活をしている時、朝食の味噌汁に味気がないためにバターを溶かしていれた。すると料理を作ってたおばさんたちが「またオキナワが汚い食べ方している」と文句を言った。片方では日本の領土に組み入れようとして片方では沖縄人を差別していた日本。

 

当時は社会党も強くて日本を振り回すために沖縄問題を取り上げて政府から裏金を受け取り、結局儲けたのは労働貴族、つまり組合幹部だけであった。

 

沖縄問題に取り組んでいた作家が沖縄に住んでいた頃の話だ。ある時いつも届くはずのヤクルトが玄関の箱に入ってなかった。翌日やってきたヤクルトおばさんに「昨日入ってなかったよ」というとふーっとため息をついて「何本欲しいんですか?」と聞いて翌日からは配達に来なくなった。

 

本土人が自分たちの儲けだけの為に沖縄を利用して補助金漬けにして補助金で作る建物は本土企業が請負い結果的に金は東京に還流して沖縄は日本で最も貧しい県の一つになっていた。

 

それでも沖縄の人々の幸せ度は高い。これからの沖縄は成長していく。もし沖縄が「こんな日本とは付き合いきれん」と独立するとなったら日本政府は軍隊を送り込んで阻止するだろうか?

 

もちろん何処の国もそれぞれに歴史的な民族問題がある。朝鮮半島は南北に分断されているし韓国の中でも光州や済州島は差別されている。中国などはチベットなど火種だらけである。

 

現在の国境線は様々な歴史の中で移動しており、戦前の韓国や台湾は日本領土であった。それは欧州でも同様であり特に陸続きの東欧では王様が年中戦争をしてその度に国境線が変わったし第一次世界大戦後も「領土返還」とかで、要するに勝った方が土地を自分のものにしていた。

 

だから東欧の人々は自分の出自を説明する時におじいちゃんの代まで戻れば数カ国の血統が続いているなんてごく普通だ。偶然にも日本は純血主義が連綿として続いてきたが、それでも過去を辿れば半島や中国からやってきた人間の方が縄文人よりも圧倒的に多いだろう。

 

現在の国境がどうなっているかを国家として考える事は国益として大事だが、国境や国籍や人種を混ぜこぜにした議論になってしまえば話は全然違う方向にいってしまい「おまえの母さんでーべそ!」レベルのガキの喧嘩に成り下がる。

 

りょうまくんのような立場の人間からすれば「国境?それって食えるのか?」程度だと思う。いろんな先祖の血と環境が混ざって出来上がったのが今のりょうまくんであり、彼は日本人でも中国人でも香港人でもなくアジアンキーウィだ。だから「あなたは何処の人ですか?」と聞かれればアジアンキーウィと答えるだろう。

 

国籍や出生地は「ついで」の話であり日本人が他人の血液型を聞くよりも「大したことのない話」になっていく時代が来ている。小さな話に拘泥して大局を見なければ将来苦労するのはあなたの子供だ。



tom_eastwind at 13:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月19日

「日本古代史と朝鮮」 金達寿

この本は元々1970年代に発行された作者の本を再編集して1985年に発刊されたものである。作者は1919年朝鮮系周南道で生まれ1930年に渡日。東京都品川区源氏前小学校に編入学し日本大学芸術家を卒業した作家である。

 

彼の名前は元日本共産党赤旗記者であり北朝鮮の実態を描いた萩原遼の作品から知ることになった。まさに恐るべきAmazonだが、こんなマイナーな本でも数日で入手することが出来た。それも日本で発行された日本語の本でありながらオークランドの我が家まで、注文してから配送まで一週間かからず。便利な世の中になりました。

 

しかし世の中が便利になったからと言って歴史が変わることはない。史実に対する解釈は変化することはあれ、史実そのものは変わらない。

 

作者の追求する点は帰化人という言葉である。日本がまだ国家として中央集権体制が出来上がってなかった時代に自発的に朝鮮半島や中国からやってきた人々が帰化人であるのか?という点を問題にしている。

 

日本という国が出来上がった後に来れば帰化人も分かるが、日本の国造りをした人々を帰化人と呼ぶのなら現在の関西地区のほとんどの人は帰化人となるだろう。

 

つまり戦前から戦後にかけて日本に渡ってきた半島人を差別したのは実は過去に同じ半島からやってきた人々という理屈になる。仲間同士の食い合いではないか。ではいつまでに来れば「立派な日本人」でありいつ以降なら差別されるべき「朝鮮人」となるのか?早い者勝ちか?

 

彼は戦前の国定教科書を学んだために三韓征伐や天照大御神を授業で受けたのだが、理屈的にどうも納得出来ない。それは自分が韓国の出自だからではなく時間軸や常識から言っても「有り得ない」からだ。

 

そこで彼なりに日本中の古文書を調査しながら帰化人を調査してみた。するとどうも日本の古代史を読み解く限り中央集権国家の出来上がる以前から日本にやってきた人々が自国のやり方を持ち込んで日本という国造りをしたのではないかと思える。

 

具体的には78世紀当時の北九州豊前国の戸籍台帳に「住民の85%は渡来人である」とか吉備郡誌には「大和の如きは事実上漢人の国」などの表記があり、つまり大和朝廷は事実上は大陸や半島からやってきた人々が作った国であると言うことだ。

 

では豊前国の住民の残り15%は?これはおそらく土着の縄文人であろう。稲と一緒にやってきた大陸人や半島人が土着民である縄文人を破りながらが自分たちの領域を広げていったと考えていけば辻褄があう。

 

北米大陸に置き換えて見れば分かりやすいかもしれない。部族同士が独立して生活をしていたインディアン(縄文人)の土地に、ある日大陸から馬に乗ってやってきた(イギリス移民)弥生人が戦争を仕掛けてきた。その結果北米大陸はイギリス移民の領土となりイギリス移民は自分たちをアメリカ人と呼ぶようになった。

 

日本と中国を表現する時に「一衣帯水の国」という言い方がある。日本人が持つ道徳や倫理観も中国から学んだものも多い。今の日本人が見ている「尖閣諸島問題で暴れるヤンキー」中国人と2千年前の中国人を同等に語るから話がずれるわけである。

 

例えば唐や隋の時代に科挙試験に取り組み四書五経を通読した学生と、三国志も水滸伝も読んだことがない、文化大革命時に子供時代を過ごしてるからまともに漢字も書けない、その後も反日教育しか受けてない洗脳中国人を同等に扱うことに無理がある。

 

それはぼくらも同様であり、同じ日本で生まれたのに何故ここまで教育程度も理解力も低いかと嘆きを通り越して呆れるようなネット・ウヨクもいるわけだ。

 

どうせなら日本のネット・ウヨクと中国の洗脳中国人を尖閣諸島に上陸させて死ぬまで一本勝負でもやらせながら、まともに会話の出来る日本人と中国人が東京や北京でお茶を飲みつつお互いの将来を考えながら「これ、どうするべ?」と冷静に議論をしてみればどうだろうか。

 

つまり尖閣諸島問題を議論する時には日本対中国と国籍と左右で区別して考えるのではなく知識や見識という上下で区別するって事だ。中国にも問題を理解出来る人はたくさんいるし日本も同様だ。国籍なんて中国4千年の歴史から見たらつい最近の話であり大した意味はない。

 

小平は香港返還問題を一国二制度という考え方で「50年間そのままに」しておくことで当面の解決を図った。日本という国が韓国や中国の流れを汲んで出来上がった国であることを考えればお互いに同じ価値観を持っているわけで(ネトウヨや洗脳人は別にして)あり、知識と愛国精神と、出来れば愛国から更に昇華して愛亜細亜を考えることが出来る人々がこの問題解決にあたってくれればと思う。

 

帰化人にせよ渡来人にせよ縄文人にせよ、ぼくら北東アジアは長い歴史の中で交差しながら生きてきた。僕らが争って喜ぶのは欧米でしかない。僕らがやるべきは無意味なアジテーションではなく冷静な会話である。

 

話はそれるが、その意味で今回の韓国大統領の失敗は大きい。日本の天皇に謝罪って、あんたそれ、一国のリーダーが言っていいわけないよね。それだけは絶対にやっちゃいけない話だよ。他の事なら普通に議論が出来ても天皇だけはダメだ。

 

昨日も書いたが、戦争は外交の延長であり損得の計算が出来る。しかし日本人にとって天皇だけは損得を通り越した立場にいるわけで、そこを侮辱するような真似は冗談や外交では済まないのだ。

 

ぼくは右翼ほどには天皇制を支持していないが昭和天皇から続く天皇家の個人的な努力や活動は一国の象徴として実によく頑張ってると思う。彼らのような立派な人間を「謝れ!」では、ぼくも個人的に「喧嘩上等!」と言いたくなる。

 

いま韓国の大統領が日本人に襲われたとしてもぼくは不思議ではないしそれが原因で局地戦争が起こっても当然だろうと思う。

 

だからそういう事のないように外交で十分な議論を冷静に行なって領土問題を片付けていくべきであり、一国のリーダーが自分から火薬に火を付けるような事をすればどうしようもない。

 

韓国の大統領は竹島送りで日本から送り込まれたネトウヨと互いに包丁持って膝つき合わせてゆっくりと議論でもしてもらおう。

 



tom_eastwind at 17:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月18日

「日米開戦の真実」 佐藤優

元外務省でロシア情報分析を担当していた著者は国策捜査を受けて一時期鈴木宗男と共に収監されていた。彼が大川周明の「米英東亜侵略史」を基に欧米外交とその延長である戦争について分析をしている。

 

クラウゼヴィッツの戦争論を読めば戦争は自国の利益を外交によって守る、又は勝ち取る為の手段であり外交の延長線に戦争があると理解出来る。

 

だから国益の最大利益幅が戦争における自国の想定最大被害を下回るようでは戦争はしないにこした事はない。核武装がこれにあたり、こちらが核爆弾を撃ち込むぞと相手を脅しても相手が核爆弾を持ってたら撃った瞬間にお互いが滅びるわけで、だから核を持つ国家同士では正面切っての戦争は起こらない。

 

やっても損やらなくても損であれば被害の少ない方を選択するのが外交である。「損」には直接的な経済的損失と長期的に見て国家が「なめられてしまう」間接的な損失、そして国民の国家に対する自信喪失と言ったことも含まれる。

 

日米開戦については、どちらかと言うと軍部には「やってもやらなくても米国に負ける」から「やってみようじゃないか、神風が吹くかもしれないし、やらなければ国威失墜である」くらいの感覚があったのだろうと思ってる。

 

日本は良い意味でお人よしだし悪い意味で諜報を利用して相手を騙すという事が苦手である。これは当時の日本人が道徳として学んだ中国の四書五経によるものだと考えて良い。

 

しかし本気で諜報を重要視していれば米国の戦争遂行力を比較して日本が戦えば焦土となるのは分かりきった事でそれが米国のオレンジ計画(対日本戦争遂行策:1920年代に立案)にも「全面降伏するまで本土に爆弾を落とし続ける」と書いているわけで、「恐れ多くも天皇が〜」と言っても竹槍でB29が墜ちないのも分かりきった事で、だから戦争は何としてでも避けるべきであった。

 

ところが当時の軍部もまともな思考回路を持っている人間は次々と媚を売って出世するれんちゅうから足を引っ張られて結果的にたけやり精神の人間ばかりが残り、外交の原則を無視して戦争に突入した。

 

佐藤優氏は戦争に突入した方が正解だったかもしれないと書いているが、どうかな、その場にいなくて後知恵で言いたくはないが、ぼくはどれだけ相手に突っ込まれても戦争には突入せずに引いただろう。

 

玉砕は格好良いと思えるほど脳みそが単細胞に出来てないし、ここで我慢すれば必ず次の機会があるって考える方なので、もしぼくが東條の立場であれば中国戦線(もともと泥沼になっていて勝ち目のない戦だった)から撤退して満州の権益を米国と分け合う政策を取ったのではないかと思う。

 

戦争は一時の問題であるが日本という国家は永遠に続く。国家を永続させるためには名誉なき撤退でも仕方ない、文句を言うならなぜもっと早い時期に東南アジア共栄圏を構築しなかったのか、そこが反省点である。

 

それにしても地政学という考え方は大事だ。何故日本が開国後に続けて国際戦争に巻き込まれたか。それは西に中国という大国、北にロシア、海を渡った東に米国と囲まれて日本の地理的位置が守るための盾、攻めるための矛となるからだ。

 

かと言って今更日本という土地をニュージーランドのような敵国のない位置に動かすことも出来合い限り、周辺国家とできる限りうまくやっていくしかない。でなければ外交を間違えてまたも日本は焦土化する。

 

自分の子供に「ねえお父さん、昔、アメリカと日本は戦争したの?どうして?」って聞かれて、子供でも分かる歴史を教えるためには日頃から自分が意識して歴史を考える必要がある。戦前から戦後の日本の思考回路がどうであったか、客観的に分析する為の一冊である。

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
クチコミを見る
 

 



tom_eastwind at 15:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月17日

子供でも分かる歴史教育

現在日本国内では竹島、尖閣諸島、北方領土と近隣諸国と領土問題を抱えている。けどそれは欧州のトルコとギリシアのキプロス紛争のような戦争にまで発展するケースではない。

 

この領土問題、実はオークランドでも時々問題となる。それは子供が通う学校で韓国から来た子供が日本人の子供と付き合いをやめるとか中国人の子供が日本人の子供に文句を言うとかである。

 

日本の子供は学校できちんとした歴史教育を受けていないから、相手に言われても言い返す事が出来ない。相手は国家を挙げて日本を悪者にして自国内の不満のガス抜きに使うわけだが、中韓の子供たちはそんな大人の事情など知らないから本気で「日本人は盗人!」と信じてしまう。

 

歴史教育の問題点は、日本国内であれば「うるせー、嫌なら出てけ!」とすぐ単純な口論になるのだが、海外における日本人の歴史認識、とくに子供への早期の教育の必要性を感じるのは僕だけではないだろう。

 

うちの自宅では夕食を食べながら6時のニュースや7時のニュース特集を見るのだが、アフリカ問題などが出てくるとりょうまくんは最初何か分からず「アフリカって野蛮だよね」と言う。

 

そんな時にぼくは奥さんのIpadを借りてりょうまくんにアフリカの地図を見せる。そして「りょうまくんさ、普通の国同士の国境は山とか川とか海とかで曲がりくねってるよね。じゃあどうしてアフリカの国境ってこんなまっすぐになってるの?」と聞くと、当然分からない。

 

そこで英国などの欧州がアフリカから撤退する際に国境をわざと違う部族や宗教や宗派が一緒になって国内紛争が仕向けたのだと説明する。

 

国内紛争に明け暮れてる限り国家は絶対に成長しない。そして体制派と反体制派を争わせて兵器を売りつけて鉱山の権利を奪って彼らは争うままに放置しておけば欧州は美味しいところだけ持っていける。

 

中東でも国境が一本の線のようになってるのを説明して、けどこの地域はイスラム教という同じ価値観を持っているから現在はムスリム同胞団などが中心となって大イスラム圏の復活をしようとしている。

 

こういう世界の歴史や情勢を、目に見える事実をベースにして説明していけば、子供はスポンジが水を吸うように覚えてくれるし歴史の背景を理解してくれる。そうなれば世の中の不平等や不条理も分かるし白人だけが正しいのではないってのもわかってくる。

 

これと同じ理屈で、日本も対外的に「子供でも分かる日本の問題集」を作れば良いのになと思う。

 

中国が抗議する度に死者数が増える南京事件、沖縄も中国領だと騒ぐ国境問題、ありもしなかった女子挺身隊事件、どれもこれも日本は明確に事実に基づいて説明出来るのに、それをきちんとして来なかったから海外に出た子供たちが学校で中韓の子供たちと議論しても勝てない要素となっている。

 

以前も書いたが国境問題はどこの国家間でもほぼ抱えている。だから国境問題が激化すると戦争の火種になるわけであり最初はジャブみたいにやってたのがそのうち本気になり銃や大砲を持ちだしてくると死人が出る。

 

一旦死人が出てしまえば領土問題は戦争に拡大してお互いに無意味なまま血を流すことになる。そんな無意味な争いの後に残るのは憎しみのみだ。

 

そうならないように紛争当事者の両国家は歴史の認識を一致させて是々非々で議論できる場所を用意して置く必要がある。そして政府レベルだけでなく国民レベルで紛争の原因と事実と日本の考え方を常に教えておく必要がある。

 

そして何よりも必要なのは、このような紛争が戦争に発展した時に何が起こったか、最近の例で言えばユーゴスラヴィアの崩壊に伴ったサラエボなどが良い例だ。

 

例え価値観が違っても自分の価値観を感情的になって相手に無理に押し付けるのではなく、歴史的事実のみで議論をして、少なくとも相手が子供レベルであれば言い返せないくらいの歴史教育を小学校低学年から行う必要があると思う。とくに海外で生活をする子供は日本がどんな国なのかを体系的にしっかり学ぶ必要がある。

 

はっきり言えば中韓の子供たちの言ってることなんて「親や周囲に吹きこまれた」レベルである。歴史認識はほぼない。彼らには事実を持って話しをすれば良い。

 

南京事件で戦時中に中国が主張していた死者が戦後増え続けるという理論的に有り得ない話、南京事件当時に30万人も住んでなかった街でどうやったら30万人殺せるのか理論的矛盾、突っ込みどころは満載である。

 

挺身隊事件だって、あれは福島みずほがでっち上げて日本から賠償金を取ろうとした捏造事件である。戦時の日本軍を少しでも勉強した人間であれば常識以前のレベルであるが、戦争に蓋をして子供に歴史を教えなかった日本政府の失態である。

 

いずれにしてもオークランドにも日本の子供が増えてきた。小学生でも分かる歴史教育をそろそろ考える時期に来ている。

 



tom_eastwind at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月16日

枕でも銃でも

りょうまくんは水曜日からウェリントンに行ってる。戻るのは日曜日。以前ここでも書いたがりょうまくんの参加しているウエストレイクボーイズのコーラスチームが入賞したようで、ウェリントンの全国大会に参加することになった。

 

コーラスチームは30名くらいで全員男の子であるが、へー、旅費かかるでしょって奥さんに聞くと一人740ドル、すでに学校にはカードで支払い済み、あんたの仕事は私の口座にお金を振り込むことだけよと、軽く笑っていなされた・・・。

 

コーラスで入賞するのは良いが30名もいると中には突然の出費が払えない子供もいるのではないかいと聞くと、今回は学校でファンドライジングという一種の寄付を募るらしい。

 

この仕組は面白い。学校で活動をする時にお金が必要な場合は、先生がチョコレート会社とかと契約して通常より安く仕入れてそれを子供に持たせて近所に売りまくる。稼いだお金で必要な費用を捻出するのだ。

 

子供がチョコを持って帰ってくれば親としてもいくつか買うし、うちでは近くの子供が売りに来た場合は箱単位で買うようにしている。

 

こんなのは社民党あたりからすれば「そんな、子供に物売りをさせるなんて何事!」とか「もし子供がお金を落としたら誰の責任なのよ〜!」とか、絶対に文句が出るだろうな。

 

だって先生の労働強化に繋がりますからね、出来るだけ働かずにお金がもらえる仕組みを作るのが日教組の仕事だし子供がそんな事をして自立精神を持ってしまうと日本国民が強くなって中国も韓国も北朝鮮も困った事になってしまう。

 

「やだ〜、また日本に支配されちゃうの?」てな事だろうが、困るのは支配層だけであり一般民衆からすれば共産党より余程マシと思うのではないか(笑)。ファンドライジングも出来ずに修学旅行に参加出来ない日本の子供の気持ちなど考えようともしない日教組よりはNZのように現実的対応策を作り出す方が、ありもしないくそったれ平等とか出来もしない非武装国家とかよりずっとましだ。

 

りょうまくんは出発の2日くらい前からせっせと旅行かばんに荷物を積めては出したりして持っていくものを確認している。コーラスでは服装に決まりがあるのでお父さんの黒いTシャツを寸借している。しかしそれ以外の荷物についてはあまり決まりがないので好きなモノをカバンに詰め込んでる、もちろんdaisukiなアポロチョコも含めてだ。

 

これも日本だと持っていくものすべてに規定があって、鉛筆の長さまで先生が定規で測って寸法を決めるのだろうが、ニュージーランドではこのあたりかなり自由である。

 

逆に自由過ぎて日本から来たばかりの親からすると「ちゃんと決まりを作って下さい!私たちは自由にするって事に慣れてないし自由な教育なんて受けてないし誰かに縛られて定規で測ったようなことしか出来ないんです〜!」とか言い出すのだろう。

 

学校は規律を教える場所、その意味ではニュージーランドの学校の方が規律が厳しくてもおかしくはないのだが、同時に社会とは自由な場所であり自由に考える能力が要求されることを知っている教育者は、子供たちに自分で考えるようにさせている。

 

持ち物は自由とは言えどアーミーナイフをカバンに入れてはいけないとか他人に迷惑をかけてはいけないとかを団体教育の中で教えていく。何故ナイフを持ってきてはダメなのか?ダメだからダメではなく、そこに常に合理的な理由を考えさせて子供たちに思考能力を付けさせる。

 

14歳前後の男の子たちが30名も勢揃いして飛行機に乗るんだから随分うるさいどんちゃん騒ぎになるんだろうな。宿泊先を見ると普通のホテルであり、ほー、こいつら枕投げとかしながら先生に怒られるまで徹底的に遊び倒すんだろうなと思うと、ついつい笑えてしまう。

 

そんな事を思いつつニュースを見ると社民党の福島みずほ氏が大阪維新の会の選挙公約「憲法9条改正の是非についての国民投票」についていちゃもんをつけてる。この人どこから金をもらっているのかなんてどうでも良いが、いい加減に現実を見ようよ。

 

すでに自衛隊を持ち対米従属から離れて独り立ちしようとしている日本は東北アジアに中国、韓国、北朝鮮、ロシアとヤバ筋の隣国に囲まれている。これからの日本は普通の独立国家として周囲と付き合う必要がある。そんな時に現実問題として武器なしで何が出来るか?食い物にされるだけだ。

 

非武装国家がどーのこーの言う前に北朝鮮が日本人を誘拐した事実さえ認めようとせずに「き、北朝鮮さまがそのような事をするはずはありません!」とほざいてたんは誰なのかしっかり思い出して欲しい。

 

武器を持たずに自衛は出来ない。武器を手放したから北朝鮮がバカな事をやった。自分や家族が誘拐されたらどうする?政府にすがって泣きまくるか?それとも戦うか?

 

ニュージーランドは平和な国であるが、平和を守るためのコストもしっかり理解して国連に兵士を派遣している。彼らが戦闘で死亡することがあっても怯むことはない。りょうまくんたちの友達も軍隊に入ったり警察に入ったりするだろう。もしかしてりょうまくんも軍隊に入るかもしれない。けど今のニュージーランドの軍隊であれば親としても背中を押してあげたい。

 

誰かがやらねばならない、それなら枕を投げて遊んでる男の子でも枕を銃に持ち替えてアフガニスタンに行くだろう。無責任に平和を騒ぎ子供に何も考えさせずにロボットに仕立上げて北朝鮮に自国民を誘拐されて黙ってるよりは、ニュージーランドのようにちっちゃな国家でも国際平和を守るために戦う姿勢を見せる、そのほうがずっと国を守る=国民を守るって意味で正解であろう。



tom_eastwind at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月15日

幸福記念日?

今日は日本からお見えになったお客さま家族、オークランド戦争記念博物館を訪問して頂いた。元々は第一次世界大戦の欧州戦線で亡くなった兵士の記念で作られた博物館。

 

現在は数年前の大改装を経てニュージーランドの古代の歴史からマオリの上陸、イギリス人の移住、1840年のワイタンギ条約などの貴重な資料がある。

 

同時に自然博物館としても見所があり、太古に恐竜がいたとかモアのレプリカとか南太平洋に生息する動物の生態とかも勉強になる。

 

建物は1920年代に作られた大理石のどっしりとした作りであり、3階に上がると大理石に直接彫り込んだ戦争の死者の名前を見ることが出来る。マオリ戦争、ボーア戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経てマレー戦争、ベトナム戦争、国連派遣軍と、今も海外派兵をしている。

 

先週もアフガニスタンでキーウィ兵士が2名戦死して6名が負傷する事件があったが、それで国内世論が「何故キーウィがアフガニスタンで死なねばならないのか?」という議論にはならず、それは国連の一員として当然の責務であると考えている。ただし国連主導でない場合は米国が戦争に行くからと言って一緒に付き合うような真似はしない。

 

ニュージーランドは基本的に回りが海に囲まれて領土紛争もなく一番近い豪州とは仲良い関係であり国内にテロリストもいない。すべての宗教を受け入れておりイスラム対キリスト教のような争いもない。

 

とくに第二次世界大戦の戦争資料はいわゆる連合軍からの視点で日本軍やドイツ軍の資料を並べているが、それは「憎き敵」という感じではなく戦争で敵となったが相手に一定の敬意を払っている。第二次世界大戦の部屋の入口には当時の各国の首相や大統領の写真と彼らの肉声があり、東条英機の声を聞くことも出来る。

 

ニューギニアで戦後確保されたゼロ戦も復元されており資料としても一級である。そこには原爆で傷ついた子供たちの写真もある。そして部屋の一番最後には日本の降伏文書(コピー)がある。戦艦ミズーリ艦上で書かれた各国代表の署名を見ることもできる。日本ではなかなか見ることの出来ない資料だ。

 

8月15日は終戦記念日。長い戦争が終わり日本に平和が訪れた日でもある。その後米国による占領政策がどうであったかとは今日のテーマではない。あくまでも殺し合いが終わったという意味で平和記念日でもある。あと数ヶ月遅かったら親父はニューギニアで死んでたかもしれないし、そう考えれば幸福記念日だ。

 

マッカーサー連合国軍最高司令官の演説はよく出来た内容だと思う。戦勝国だと威張らず相手の尊厳を守りながら、昨日の敵を今日の友としてこれからは仲良くしていこうという内容だ。

 

せっかくの平和記念日なのでマッカーサーの演説を下記にコピーしておこう。降伏文書に署名した一員にニュージーランドもある。お前に負けたわけではないぞと言いたい中華民国の署名もある(苦笑)。

 主要交戦国の代表たるわれわれは、平和を回復すべき厳粛なる協定を締結するためこの場所に集まった。相異なる理想とイデオロギーとをめぐる相剋は、世界の戦場においてすでに決定されたのである。従っていまさら改めて議論し討議する必要はない。更にまた全地球上民衆の大部分を代表するわれわれは、相互不信、悪意或いは憎悪の精神をもってここに集まったのでもなく、むしろ戦勝国もまた敗戦国もともに、われわれが関与せんとしている神聖なる目的に添い得るただ一つのより高き威厳に向かって立ち到ることこそ、われわれの意図するところである。

 われわれ各国民のすべては、この場所で正式に引き受けようとする事業の責任をなんらの留保もなく忠実に担当する。この厳粛なる式典を機会として、過去の流血と蛮行からよりよき世界一一信頼と諒解との上に築かれる世界一一、人類の尊厳並びに人類の最も希求する願い、すなわち自由、寛容及び正義の実現のために捧げられた世界が打ち樹(た)てられることこそ、余の最大の望みであり、まさにこれこそ人類の望みである。

 

 日本帝国軍隊の降伏の決定さるべき条項並びに条件は、諸君の前にいま提示された降伏文書の中に含まれている。連合国の最高司令官としての資格をもって、余が代表する諸国の伝統のもとに正義と寛容とをもって余の責任を果たし、一方降伏条件が完全急速かつ忠実に遵守されるようあらゆる必要な処置をとることこそ、余の固き意図であることをここに声明するものである。

 

 余はここに日本天皇陛下、日本政府並びに日本帝国大本営の代表に対して、降伏文書の所定の箇所に調印することを求めるものである。(194593日・毎日新聞)

★終了



tom_eastwind at 12:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月14日

虹とスニーカーの頃

通り雨が続くオークランドでは、時折の晴れ間に見える虹が綺麗だ。虹の端っこがどこに消えているのかな。

 

行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。けどこれってぐるぐると回ってるんだよね。オークランドの海に潮の匂いがしないのは19世紀の乱伐のせいであるが、かろうじて山のミネラルと川と海のバランスが取れており雨でさえもミネラルウォーターですかって言うくらい綺麗だ。

 

冬と言いながらもオークランドはコートの必要もなく、キーウィに至っては半袖のTシャツで歩いてる人もいるくらい、気温は昼間なら15度くらい。

 

そんなのんびりした温暖な気候のオークランドで何を一人バタバタしているのかと思うがとにかくばたついてる。去年からお客様が激増したのは良いが受け入れがどこまで対応出来るか?

 

今日の夕方6時のテレビニュースでは中国からやってきた新移民が時給8ドルで働いてるって。この国の最低時給は13ドル50セントなんですよ。けど給料がゼロか8ドルかって選択肢であれば、中国人は8ドルでも仕事をする。

 

キーウィからすれば信じられない状況であるが中国人からすればなんとか大陸から逃げることが出来たので8ドルでも悪くないって発想だろう。

 

日本人がこの国に来てしょっちゅう文句を言うのは労働条件の問題だ。休みがないとか休憩時間が不足とか時給が安いとかいろいろ言うのだが、ぼくから見るとどうしても「それってどうなのか?」と言いたい案件が多い。自分の実力知ってるのか?

 

中国人のように法律を無視して働けとは言わない、けれど給料分の仕事もせずに金ばかり要求する人間にもなってほしくない。真面目に働いてきちんと給料を貰ってきちんとした生活を送ってもらいたい。

 

けどその為には能力が必要である。「仕事ありますか?」と聞くあなたに「能力ありますか?」と質問したい。あなたはこの国で役立つ能力を持っているのでしょうか?役に立たない大手企業の稟議書の書き方を知ってても意味はない、使い物にならない技能を持っててもこの国では訴求出来ない。

 

ますますこの国に住む条件が厳しくなっているのを感じる。ニュージーランドの条件がどうこう言うよりも、インドや中国のライバルと肩を並べているのだ。彼らよりも優秀であることを見せなければこの国は受け入れてくれない。

 

虹とスニーカーの頃、誰もが日本を立派な国家と思っていた。米国にNOと言える国だと思っていた。けど結局21世紀になって今の現状がある。個人レベルではインドや中国の優秀な青年と比べてまだまだ勝ち目がないのが現実である。

 

移住は個人の活動であり個人の能力がすべてであり、その能力は「なんでもやります頑張ります」ではない。今、何が出来るのか?今どんな能力を持っているのかがすべてだ。「頑張る」という言葉が面接の際には実に無駄な言葉であることをしっかり理解しよう。



tom_eastwind at 12:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月13日

おみやげ屋さん

昼飯を食いながら久しぶりに旅行業の話になった。ニュージーランドに渡航する日本人数は減少しており、2000年初頭は16万人がやってきたが現在は7万人前後。これに対して中国からの渡航客はすでに16万人を越している。

 

身内の業界なのでおみやげ屋の話になった。「最近さ、ドミニオンロードにすんごい価格破壊のおみやげ屋が出来てさ、中国の客が全部そっちに流れてるんだって」「コンビタの中身全部入れ替えて安モンのクリームにしてるんだよ」

 

こういうのはキーウィの発想では理解しがたいが中国人からすれば「そんなもん常識」である。買う方もニセモンだと分かってても自分が使うわけではなくお土産に配るだけなので安いほうがいいに決まってる。

 

シティでの話。あるアパートで事件が起こって警察が初動捜査開始。隣の部屋のドアをノックしたキーウィ警察官↓

警察「ねえ、隣の部屋に住んでる人の事なんだけどさ」。

住民「は?知らねえよ」

「そんな事ないだろう、君はこの部屋に引っ越してきたばかりかい?」

「いや、もう1年以上住んでるけどさ、ここシティだよ」

「おかしい、そんな事はない、本当に知らないんか?」

「・・・・・(こいつ、シティの意味分かってねーな)」

キーウィにとって見れば1年以上も住んでて隣人を知らないなどあり得ないのだが、その有り得ない状況がオークランドで発生している。これを一般的に都市化(笑)と言うのだが、そんなもんを見たことも聞いたこともないキーウィからすればびっくりものであろう。

 

また中国市場に行くと南オークランドの畑で作られた大根や白菜が出回っているが、あれなんて凄まじいほどの成長促進剤を使ってるから農薬バリバリ。「あそこの中国市場、安くて商品がたくさんあっていいわね〜、カウントダウン(中級スーパー)だとなかなか手に入らないのよね」、そりゃ入らんさ、普通に作ってたら収穫量がたかが知れてるから。

 

化粧品の中身を詰め替える、隣人を知らない、農薬野菜くらいならまだしも、道に唾を吐く、バスの行列に割り込む、けれどこれはこの国に居住する中国人の話であり旅行客として来てくれる分には悪くない。

 

彼らは団体としてやってくる分には決してたくさんお金を使ってくれるわけではない。というのが中国系旅行会社は徹底的に値段のみで勝負するから一番安いホテルと一番安い大型バスと一番安い中華料理と一番たくさん手数料をくれるおみやげ屋さんしか使わない。

 

けれど彼らは自由時間では結構派手に金を使ってくれる。中国内では怖くて買えないヴィトンなどのブランド品もオークランドならホンモンが買えるから自分が使う品物にはお金を使う。支払いは連銀カードだ。

 

レストランも個人で行けばクレイフィッシュやアワビをバンバン注文してくれるので、その意味ではよくお金を落としてくれる客と言える。

 

しかしここで悩ましいのが、旅行客としての中国人は欲しいが居住者としての中国人は欲しくないってところだ。良い国であると理解してお金を落としてくれるのは良いのだが、良い国である=住む、となると「ちょ、ちょっと待って!」という事になる。道路に唾を吐かれては困るのだ。

 

そこで移民局と政府観光局の対応が正反対になる。旅行客に来て欲しい観光局と居住者としての中国人は出来るだけ絞りたい移民局。そして政府は口を開けば「金、持ってこんかい!」と各部署のケツを叩いている。

 

とくに今年は各部門が売上競争をやっているのだが、それぞれに狙いが違うのでそのとばっちりがこっちにまで来ている。今までは問題なく通ってた案件でも「あ、これさ、最近中国人がやり始めててさ、今まで通りのやり方じゃダメなんだよね」ということになる。

 

こちらからすれば「ふざけんな、そんなもん今までOKだっただろうが、何で中国人のとばっちりを受けないといけないのさ!」というと、彼らは「いやいや、今でも日本人は最優恵国だよ、君らのビザの取りやすさは中国人には言えないくらいだぜ」。

 

その意味でいま一番とばっちりを食らっているのが技能移民部門だろう。審査内容がまるで「落すためのあら探し」になっているのだ。全く同じ条件またはもっと悪い条件でも1年前なら永住権が取れたような案件でも今年はダメなのである。

 

失業率が上昇しているのもあるが、これ以上やると明確に中国人との差別が見えるからかもしれない。さすがに移民局内でダブルスタンダードをやると移民局内の中国人スタッフから「チクられる」可能性もあるからだ。チクったって地元の笑いものになるだけと思うのだけどな。

 

ビザ申請は本当に運の要素が大きい。全く同じ条件でも担当者によって全然違った結果になるし時期によってYESNOになる。自分が原因でなくてもビザが取れなかったりする。それは「その日その時」の現地事情をしっかり理解しておかないと難しい。

 

けれど日本と違う大きな点は、ダメでも何度も再申請出来るという点だ。永住権がダメでもワークビザを延長する方法もある。待てば海路の日和あり、目的は楽しい人生を生きることであり永住権はその為の手段、そう割り切っていけば気持ちはずいぶん楽になる。あなたが悪いのではない、今いる場所と時間が悪かったのだ。

 

少なくとも日本人に対してはかなり優遇してくれてるのは間違いない、潮の流れを待つことだろう。



tom_eastwind at 17:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月12日

男の花道 国家社会主義について

★朝日新聞より抜粋開始

勝栄二郎・財務事務次官退任へ 後任、真砂主計局長が軸

 財務省の勝栄二郎・事務次官(62)が近く退任する方向となった。後任次官について財務省は、真砂(まなご)靖・主計局長(58)の昇格を軸に調整している。消費増税法が10日に成立したことから、来年度の予算編成に向け、省内の態勢をあらためる。

 勝氏は1975年に旧大蔵省(現財務省)に入り、官房長や主計局長を経て、10年7月に事務次官に就いた。政界や財界に幅広い人脈を持つ実力者として知られている。

 安住淳財務相は首相官邸と、後任人事の調整に入っている。財務省は、8月中旬にも人事を決める方向で調整している。

★抜粋終了

 

ここ1年で勝さん率いる財務省は素晴らしい働きをした。消費増税、社会保障改革、つまり国家財政の健全化に向けて国民から金を集めてその財源は社会保障として国民に再配分するのではな、く今まで自分たち支配層が支配層の為にのみ使ってきた“つけまわし”を精算するって大事業を行った勝さんの評価は高いだろう。天下り先がどこかは知らないが、いっそ政治家でもやれば良いと本気で思う。

 

皆さんも学校で習ったと思うが民主主義の一つに三権分立という考え方があり日本は三権分立であると教えられてきた。しかしここ数年の財務相を中心とした官僚の動きを見てみると、そんな事はない、司法、行政、立法、この三つの権利すべてを官僚組織が統括していた事が分かる。

 

司法とは警察と裁判所だが両方共官僚組織の中にある。官僚に困った事があれば警察庁の同期に連絡をして「あのさ、あいつさ、ちょっとやばいんだよね、風呂場で時計盗んだとかなんかでっち上げしてよ」となる。

 

立法は法律を作る仕組みであるが、これも官僚が作った法律を政治家がどーこー言って国会で可決するように持っていく。言うことを聞かない政治家は「お痛」を食らわせて潰す。結局官僚の決めた法律が通る、今回の消費増税法案のように。

 

ごめんと謝るのは選挙で選ばれた政治家、つまり野田さんであり、舞台裏でしめしめと喜ぶのは官僚である。

 

行政はまさに官僚組織そのものであるから自分たちが決めた法案を立法府で可決させてそれを実行して逆らう連中は司法を使って叩く、だからその意味で日本は三権分立していない国家である。

 

いつもいうことだが、そのような国家体制もありだと思う。社会のすべてをほんの一握りの支配層が制御して国民に自分で考える能力を持たせず個人財産を持たせず国家がすべて管理する。この思想の延長線上にあるのは原始共産制である。通貨の廃止、国民の財産の奪取、国家による出産管理と子供はすべて国家が教育する体制である。

 

この仕組は実際にカンボジアで共産主義を信奉するポルポトによって一時期実行された。ポルポト政権が1975年頃から実行してカンボジア社会は崩壊した、経済どころではなく社会そのものが崩壊したのだ。

 

街はゴーストタウンになり人々はすべて農村に追いやられ食料はすべて配給制となり国民に等級が付けられて都会出身の人々は差別され食料は少なく餓死する人が続出した。逆らうものは次々と虐殺されて、映画「キリングフィールド」ではそのような場面が次々と現れる。

 

ちなみにポルポトはベトナム軍の侵攻で崩壊したが国家経済体制から政治からすべてが完全に瓦解されてしまっておりカンボジアは21世紀になるまで立ち直ることが出来なかった。

 

日本官僚が目指す国家体制は、東大法学部を卒業した試験に強い選良が、国民による選挙という禊を受けずに支配する体制である。その目指すところは「多くのバカを一握りの選良が支配する」体制である。

 

選挙などという一時の人気投票ではなく、小学生の時代から競争競争を重ねて長い間の試験の連続を繰り返して、まるで中国の科挙のような仕組みの中で東大法学部に入学したものだけが本当の官僚となり国家を支配するのである。能力がなくて一時的に人気があるだけの政治家よりもよほど優秀であり大学を出て定年になるまでの約40年を息切れせずに走る実力がある。

 

このような体制は国家を支配する者にとっては実に便利である。自分は選挙で選ばれないから民衆に媚を得る必要もなく、三権は官僚が押さえているから自分の思うがままに法律を作り自分は法律で縛られず、逆らう人間は法律で縛り自分たちの望む国家社会主義をつくり上げることが出来るからだ。

 

国家社会主義〜?個人財産の国家管理〜?そんな事あるのか〜?と思うかもしれない。けれどこれを逆の立場から見てみよう。一番わかり易い例が相続税である。最高税率50%の相続税は近いうちに55%に増税される。この考え方は、個人が努力して作ったお金は政府のものであり子供に引き継ぐのは間違いという考え方だ。

 

そう、国家社会主義においてはお金を持つのは支配層のみであり国民が努力して稼いだお金も国家のものである、国家が有効活用するのだから馬鹿息子に渡すのはダメよってことだ。

 

そしてこの考えを実行するために法律も自分たちで作り税務署や警察を使って実行して国民の財産を没収することが官僚の目指す道なのである。

 

日本国憲法で個人の財産は保障されてるいると書かれているがそれは法律を変更して税金という形で個人から財産を吸い上げれば合法である。民主主義なんてそんな西洋から押し付けられた憲法なんてむーし無視。日本は昔から国家社会主義なんだから、黙って資産を差し出しなさいって事だ。

 

勝さんは影の総理として野田さんを見事制御して一気に官僚が望む体制に作り替えた。民主党が総選挙当時にコミットしていたコンクリートから人は、またも人からダムへコンクリートへと戻り、消費税増税、社会保障の切り捨て、すべて官僚の望む道が綺麗に引き直された。自民党時代でもこんなにうまくいく事はなかったぞって感じだ。

 

子供の頃から東大一直線で法学部に入りそのまま官僚、選挙民によって選ばれない人々が政治を決め、仕事と給料は一生保障されてる仕組みは、ある意味完璧な永遠格差であるが官僚にも言い分はあるだろう「だってそれ、東大法学部を選ばなかったお前の自己責任でしょ。世の中を動かしているのが誰かなんて今まで知らなかった?今頃遅いよ、自己責任だよ」。

 

独裁体制であるがそれなりに彼らの言い分も通ってる、それを納得して住める人であればそれはそれで良いと思う、中途半端な改革をして国家が崩壊するくらいなら彼らに箸の上げ下げまでいちいち指導されながらでも国家として生き残るほうがましだ。

 

しかしそれを民主主義と思い込んではならない。日本にある仕組みはお上の意向を汲み取って(忖度=そんたく)して彼らが「愛い奴め」と思うような行動をして(しっぽを振って)決して彼らに逆らわず、間違った事をした時は「代官様〜、もうこのような事は二度としません、お許し下さい〜」としっぽを巻けば温情を与えて許してくれるものである。

 

例えお上が間違っていても高知のバスの運転手のように逆らうことは許されず、逆らうこと自体が国家に対する反逆罪となり刑務所入りとなるのが日本なのである。

 

日本では民が主となって国を動かす仕組みはない。民が寄り集まりそれをお上が温情を持って導く「民衆主義」なのである。

 

今回の勝さんの退陣は実に見事な引き際であり消費増税と社会保障改革、国民総背番号制度と素晴らしい花道を作った・・・。

今日はかつサンドでも食ってみるか・・・。



tom_eastwind at 17:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月11日

南半球の週末

“京の五条のOntheBridge,Long刀の弁慶が、ComeHere,ComeHereHand叩く〜”

 

日本の学校で昔から教えている歌の一つに「京の五条の橋の上〜」という弁慶と義経の歌がある。それをもじったのが上記の歌だが、笑わないで欲しい、ぼくの高校時代、本当に英語の先生がこんな歌を歌って英語の授業をやってたのだ。

 

こんなんで英語が身につくわけないってのは今になって分かる事だが、当時は本当に先生が歌っていた。教育、それも子供時代の教育ってのは本当に大したもので、子供をバカにでも利口にでもさせる。

 

幸か不幸かうちに金がなくて専門高等教育、つまり大学には行けなかったが、同じような事を更に4年もやってたらどうなってたのだろうと本気で思う。

 

韓国大統領の竹島訪問、消費増税、オリンピック、ここ暫くネタがつきない日本であるが、少し気持ちのよい話もある。今年の長崎の原爆平和式典での話。

 

★記事抜粋開始

日本被団協顧問の山口仙二さん(81)はこの日、雲仙市小浜町のケアハウスの一室で過ごした。午前11時2分、サイレンが響くと「何年たっても鮮明に思い出す」とぽつり。「(米国)大使は覚悟の上で来たんだろう。声に耳を傾けようという姿勢の表れだろうから気持ち良く迎えてあげるべきだ。被爆者の声をちゃんと伝えればいい」と優しく話した。

★抜粋終了:長崎新聞

 

なんかうれしいな、こういうの、日本人のお家芸だよね。他人を許せる。相手が一歩引けばさらに譲歩を要求するとかじゃなくて、ごめんと言えば「うん、もういいよ」と言ってまた仲良く遊べる性格。

 

なでしこジャパンがフランスに勝利した後、フランスチームがグラウンドに座り込んで泣いているのをなでしこチームの一人が近づいて一緒にグラウンドに座って、膝を抱えて彼女を慰めていた写真がある。その二人は一時期同じチーム仲間だったとのこと。

 

上記のような例を引き出すまでもなく日本の礼儀正しさや他人に対する思いやりは世界に認められている。国家としてどうこうはあるにせよ、一個人としての日本人は常に尊敬の対象である。

 

キーウィの場合はどうだろうかと考えてみた。

 

例を出して考えてみよう。米海軍が核搭載艦をニュージーランドに寄港させようとした際にニュージーランドは非核三原則を貫いて米海軍を追い返した。その後約5年、ニュージーランドと米国は実質的に外交断絶したが国民は政府を評価した。

 

しかしその後国民党に政権が移り当時の首相が米国で「手打ち式」を行い外交は再開された。それ以降キーウィがこの事件を蒸し返して「米軍は悪い!いつも謝れ!」などと言うことはない。

 

フランスの南太平洋での核実験に反対してニュージーランドの民間団体がレインボーウォリアーという船を仕立てて核爆弾を落とすまさにその真下に船を留めて「落とすもんなら落としてみろ!」とやって核実験を止めさせた。

 

ところがニュージーランドの行動に対して怒り狂ったフランス政府は自国のスパイをオークランドに送り込み、船を爆発させて沈めてしまった。当然この行為も非難され、どころか国際問題になりフランス政府も正式に謝罪した。そして当然暫くの間は外交断絶。

 

それからしばらくしてニュージーランドの土地がワインに合うと知ったフランスから多くのワイン醸造家がやってきてニュージーランドワインの品質向上に努めている。誰も彼らフランス人に「謝れ!いつも謝れ!」など言わず、肩を並べて一緒にワインを収穫して一緒にワインを飲んでキーウィライフを楽しんでいる。

 

この点、キーウィは「許す」気持ちがある。ところがお隣のオーストラリアでは今も第二次世界大戦で日本軍がやった事をどうこうと言って人種差別をしたりする。自分たちが先住民であるアボリジニを虐殺した事を棚に上げて、である。

 

これはつまるところ人種とか国民性の違いではなく家庭や学校で学んだ道徳の違いではないかと思う。京の五条のOntheBrideが今も僕の頭に染み込んでいるのは悲しい(笑)事実である。

 

ニュージーランドと豪州は同じ英国からの移民国家ではないかと思うのは表面的な見方である。

 

実際は豪州は流刑地であり英国で犯罪を犯した囚人が永遠に英国に戻れないように流された場所であり、その後の豪州移民も荒っぽい連中が一攫千金を夢見てやってきて、アボリジニを人間として認めず狩猟の対象としてたくらいだ。

 

少数の良い人もいたのだろうが、社会全体の仕組みが「悪貨は良貨を駆逐する」となっているため、少数のまともな意見が通らない。

 

1800年代のマオリと白人の戦いが起こったのも、元を質せば豪州商人がクジラ漁をするために寄港地としてマオリの土地を奪おうとした結果である。

 

現在のニュージーランド人の基礎となるのは英国の中産階級であり彼らが集団でニュージーランドに移住して当時豪州商人とマオリが争ってたのを「ワイタンギ条約」によってマオリの権利を守り同時に経済発展のために土地の個人所有を導入した。

 

彼らは経済的には決して豊かではなかったが道徳的には十分過ぎるほど高いものを持ち、他人の持ち物に手を付けることなどあり得なかった。建国当時の法律は今も残っているが、この国の法の精神は性善説である。

 

最初に書いた英語授業の洗脳、子供の頃の教育はその後の人生の多くを占める。キーウィがすべて道徳的に偉いなどとは決して言わないが、親が子供にきちんと道徳を教えて学校ではきちんと規律を教えて大人になればこの国の仕組みが真面目にやってる人間に有利に働くようになってるのに気づけば、自然と「良民」になっていく。

 

英語は出来なくても謝りの姿勢を見せた米国人を許す心、サッカーで負けた相手を思いやる気持ち、そういう気持ちを持てる日本人であることがうれしい。

 

話は原爆から離れるが、オリンピックについて、日本は今回のオリンピックで金が少なかったと言う人もいるが、何も試合結果だけが国威発揚ではない。

 

礼儀で「金」、思いやりで「金」、世界に日本の精神性の高さを見せることが出来たのだ。少なくとも僕らは、金の数の多さではなく「参加すること、ルールを守って正しくオリンピック精神で戦うこと、」そういう気持ちでロンドンオリンピックを総括してみればどうだろうか。

 

日本から遠く離れたオークランドで青空を眺めたり粗大ごみを家族全員で出したりジャパンマートで買い物したり、オリンピックや原爆記念日や無気力試合や韓国大統領の挑発的行為を見ながら、いろいろと考えてみた。

 



tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月10日

とんこつ 受信者責任について

数日前の夕食で娘に「ねえお父さん、今日は美味しい豚肉があるから“とんこつ”作ろうよ」と言われた。肉なのに豚骨?と思ってると「あ、違う違う、“とんかつ”だ〜」と言い直された(笑)。

 

自分が日頃何気なく使ってる日本語でも、それなりに難しい発音を使い分けてるんだなって思ったが「そんなの当然だろ、ヴぉけ!状況見れば“とんかつ”って分かるだろ!」と言われてもね〜、この場合やはり発言者責任ではないか(笑)?

 

とか思ってたら最近のツイッターやフェイスブックなどの流行で随分たくさんの「にわか」が誤報を前提にして議論してそのあとで誤報に気付き自分の情報力のなさに「あ〜あ、残念」って感じだ。

 

これなどは完全に受信者責任だ。ツイッターなどは特に短文でありそれが伝言ゲームでいつのまにかたばこがたまごになっててたまごをポイントにして議論しているから無意味である。

 

例えば産経の誤報記事があったが、産経などは基本的にダブルチェックが必要だ。ひとつのマスコミが書いてることが絶対正しい事を前提にネットで議論するのがすでに情報弱者、ネット議論に参加する前に勉強しましょってところか。

 

発言者は自分の発言に責任を持つべきだ。しかしそれとは別に、書いた内容を理解出来ない「情弱」が間違った認識を前提に反論されてもどうしようもない。ちゃんと読んでよと言うしかない。

 

ところが最近は受信者責任が減って発言者責任のみが目立つようになった。

http://blogos.com/article/44591/?axis=p:0

 

日本ではこのあたり、どうも責任の所在が「消費者がバカでも絶対正しい論」みたいのがあって、「書いた方が悪い」なんて話になったりするが自己責任が明確なニュージーランドではまず考えれないし英国圏でも考えられないし「騙された方が悪い主義」の香港でも中国でもあり得ないし、つまり地球の多くの地域では有り得ない現象である。

 

発言者には発言責任があるし受信者は理解責任がある。これは読書に引き直して考えれば分かることで、作者は文責がある。社会的に問題のあるテーマだと物議を醸し出すことがある。テンカンで抗議を受けて断筆!と怒ったのは筒井康隆だ。

 

けど受信者責任、または消費者責任というか、最低の文章解読能力とか常識がなければ「猫を電子レンジに入れてチンしたら死んじゃった、そんな事、説明書に書いてない!」と訴える事になる。

 

文章には読み方も決まりもある。それをすべて無視して自分勝手に文章読んで「これはおかしい!」と言われてもね〜。例えば「きょうはオークランドでミッドクリスマスがあります」と書いてるのを、すべての単語をバラバラにして置き換えて「お前は“きおくがあります”と書いてる!」と言われてもね〜。

 

6÷2(1+2)= という数式を見せられて9と答えた場合、それを正しいとするなら1+1=11という答も正しいとなるだろう。

 

これと同じように文章をどのように楽しんで読むかは読み手の自由であるが読み方に決まりがあることを理解するだけの知識がなければ、結局他人の言葉や文章に振り回されて大騒ぎして、気がついたら髪の毛を振り乱して周囲にギャーギャー吠えまくってハーハー息切れする野良犬のようになる。

 

そういう基本的なところに加えて筒井康隆のようなジョークを連発していると、意味の分からない情弱がますます本気で受け取って返信してくる。

 

銀だこ値上げの不買運動について:買(ばい)というのは元々英語のBUYが語源で、それに不(ふ、否定)が付くから買わないという意味になる。

 

ROADの語源は日本語である。江戸末期の日本で道のことを「どーろ」と言ってたらそれを聞きつけたイギリス人が使いやすいからってメモって自分の国に持ち帰る途中船が沈んでしまいメモった紙を失ってしまった。帰国後彼は記憶をたどってこう言った「ろーど!」

 

最初に断っておくがどちらも冗談である、しかし今の時代、まともな大人なら分かりそうなことだが、まともじゃない大人が増えてきたのだろう、平気で「そ、それは違うと思うんです」みたいな事を言ってくる。

 

こうなるともう、生きてる世界が違うのだからこちらに来ないで下さいってことだ。原発もダイオキシンも久米さんもみのもんたも、まずは自分がしっかり勉強してから取り組むべきだろう。

 



tom_eastwind at 12:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月09日

原発のそばで住むって事

今日はりょうまくんの学校でいろんなグループが音楽を披露するGALACONCERTだった。今時の高校生、上手だな、とくにお隣のウエストレイクガールズハイスクール(WGHS)からやってきた4人組の女性コーラスなど、お金はらっていいレベルですぜ。

 

夕方の5時30分から始まり2分に分かれて最後のグループは夜の9時30分に終了するのだが、りょうまくんのコーラスグループ(30人くらいか)は最後から3番目だった。あいも変わらず楽しそうに歌うりょうまくんの顔は、見てるだけでこっちも楽しくなる。

 

たいしてうまくはないのだが楽しさが伝わるよねって奥さんと話しながら演目が終了。りょうまくんは「さ、片付けだ」と立ち上がって先生のところに行き、椅子や机の片付けを始めた。ぼくと奥さんは車に戻りしばらくすると戻ってきたりょうまくん、開口一番で「ね、みんなぼくが自閉症だったって言うとびっくりするんだよね」と言い出した。

 

何の話?と思って聞いてみると、コーラスのメンバーもりょうまくんが人一倍歌を楽しんでるのを見ていろいろと聴いたそうだ。その時に「おれさ、政府補償付きの自閉症だったんだよね」と話したらしい。

 

今のりょうまくんを見れば想像もつかないが、生まれてから5歳くらいまでは全く言葉を離さず、幼稚園に通う頃は香港で、小学校ではニュージーランドで両方の政府から補助を受けて特殊学級に通い、2年くらい前に何とか頭の中の霧が消えたようになり人と話すときも視線が合うし会話が出来るようになった。

 

話を聞いてるとりょうまくんのコーラス・グループは来週ウェリントンで開催される全国大会に参加して歌うとのこと。え?日帰りじゃないよね?って聞くと「4泊5日だよ」だって。おいおい、14歳の男の子にしては大旅行ではないか。

 

男の子ばっかりの団体で飛行機に乗ってウェリントンに行き、どこかのユースホステルに泊まるのだろうが、まあ楽しんでもらいたいな。

 

今晩のコンサートのチケットは一人15ドル、うちは夫婦で買ったので30ドル。他にも学校としていろんなイベントをやるので寄付よろしく!って張り紙がある。けど気持ち良いな、自分の子供が学校に満足して楽しんで時にはウェリントンにまで遠征に行くわけで、親からしたら寄付もしたくなる。

 

学校運営がうまいって思う。「ほら、あなたの子供がこうやって学校を楽しんでクラブ活動で頑張ってますよ。ところで学校ではクラブ活動を伸ばすためにこんな施設を作ろうと思うのですが、もし寄付をお考えでしたら校長までどうぞ」と、よく出来てる。ここ、公立ですぜ。

 

今日のコンサートは奥さんいわく「黒頭」ばかり。つまりアジア人が70%くらいを占めている。りょうまくんもアジア系キーウィなので70%に入ってるのだが、普段参加する活動の殆どはスポーツでそこは90%以上が白人の世界。どうもりょうまくんにとっては金髪も黒髪も関係無いようだ、これは自閉症の良い部分かな。

 

ウェリントンの大会でも楽しんでね、スポーツ楽しんでるのはわかってるからいい、宿題する時に寝るくせだけはやめようね、あはは、いずれにしても学校生活を満喫しているりょうまくんだ。

 

本題。今日たまたま原発関連の記事を読んだ。

 

この双葉高校の同窓会長でもあった田中清太郎元町長が、町への原発誘致を推進した。

http://news.livedoor.com/article/detail/6834237/

 

一つの高校が原発の為に閉鎖になり今は遠く離れた臨時のプレハブ校舎で勉強をしているとのこと。優秀な高校だったらしい。町を活性化させるために原発を誘致したとのこと。けれどその結果として誰も住めない町を作ってしまった。

 

町の人はおそらく町長の言う「原発は安全です!」をそのまま鵜呑みにしたのだろう。けどなー、言葉は悪いがそれは知らないうちに参加させられてた「ロシアンルーレット」みたいなものだ。

 

大変に言葉は悪いが原発とは何かを自分の頭で冷静に考えればどれほど危険なものかが分かったはずだ。町に住めなくなるリスクを取ってつかの間のお金をもらった。その結果としてロシアンルーレットの弾が飛び出した、バッキューン!

 

原発のそばで住むってのはそういうことだ。もちろん世の中には様々なリスクがある。交通事故、病気、飛行機事故、火事、けれど人々はそのリスクは快適な生活をおくる上での必要なリスクと理解した上で生活をしている。

 

原発だって最初から人々がリスクを理解していればここまでもめることもなかったかもしれない。原発の危険性を理解した上でそれでも原発の隣で畑を耕して学校に通わせることが合理的であると判断していれば自分たちの住む街がなくなっても文句をいうことはなかっただろう。

 

経済性と危険性をきちんと伝えずに良いことばかりを言う支配者。危険性を理解しようとせず自分でリスク評価しようとせずただ諾々と支配者に従う民。

 

ニュージーランドには原発はない。これからも作る予定はない。天からの恵みの水と石炭と地熱でやっていける。ニュージーランドだって良いことばかりではない。頭にくることはたくさんある。てか、ここ3週間くらい頭に来ることばかりで僕は個人的にすでに「切れて」いる。

 

けれど全体を見れば、やはり良い国だ。原発はないし子供を大事にしてくれるし子供に夢を与えてくれるし、もしりょうまくんが日本で生活をしていたら、おそらく今も自閉症のままだったろうと思ってる。その意味でこの国には本気で感謝している。

 

あなたは子供をどのような環境で育てたいだろうか?原発のそばで生活をして毎晩塾に通わせて家族で食事をする機会は週一って環境で、勉強ばかりしているけどその目標ってどこだ?良い大学に入り大手企業に入ることか?そして「ぼく、何すればいいんすか?」と先輩に聞くサラリーマンにしたいのか?

 

そんな夢でさえも隣にある原発が吹っ飛んだらどうするのか?ふとんが、ふっとんだー!では済まない話である。

 

 



tom_eastwind at 10:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月08日

バトルロワイヤル

オリンピックでニュージーランドが獲得した金メダルが三個、国家のサイズを考えれば大したもんだ、てか他国のような潤沢なスポーツ振興予算がない中で、参加している選手は好きでやってるだけで強くなったって感じだろう。そして参加した選手はメダルの色に関係なく皆が楽しそうに試合をしている。まさに参加することに意義があるオリンピックだ。

 

ところがロンドンから15千キロ離れたオークランドでは暗い雨雲の下、先週から今週にかけて重い会議が続いている。移民局のルール変更はしょっちゅうであり、現行ルールで申請していても申請途中にルールが変更になれば新しいルールで最初からやり直しになる。

 

健康診断一つをとってもしょっちゅうルールが変わり、申請途中にルールが変わったもんだから先週取得した健康診断が無効になったりする。

 

家族枠にしても同様で、今までは比較的呼び寄せやすかった両親が突然のルール変更でダメになったりして、その度にこちらとしては次の手を考える必要がある。

 

何より困るのは、移民局の連中が自分たちの世界や常識しか知らなくて、それで日本人の申請を審査するものだから「それって関係ないよね?」ってところで突っ込みが来る。

 

そりゃ気に入らないのも分かるよ、インドや中国から苦労して移住して移民局で働いている連中は、日本人がさくさくとビザを取得していくのは気に入らないだろう。けどだからと言って日本からの申請を、まるでパキスタンとアフガニスタンの無国家地帯あたりから提出された書類と同じに判断されても困る。

 

とかく人は自分の常識でモノを判断するが、常識ではなく今そこにあるルールで判断しようぜ、お前の薄っぺらいクソみたいな常識なんて持ちだすんじゃねーよと頭にきてる。

 

けどまあそんな事を言ってても話しは前に進まないわけであり、ルールが変われば変わったルールに対応して申請書類の訂正を行う必要がある。

 

そして何よりも、ビザはあくまでこの国の生活の入り口であり、この国で住み始めた人にどのようなサービスを提供してこの国の居心地を良くしていくかが大事だ。

 

ぼくの描いているオークランドの日本人社会とは、両隣に住んでるキーウィやアジア人と仲良く英語生活しながら自宅のお風呂が詰まったりトイレが壊れたら日本語で日本人の修理屋さんを呼んで彼らが時間通りに来て日本品質のサービスを提供することだ。

 

日本食、お米や味噌やカレーや調味料が手頃な価格で入手できて食材は地元スーパーで新鮮で美味しい肉や野菜を使う。

 

家を建てる時は日本人経営の工務店にお願いして日本品質で作ってもらう。壁の内側にはきちんと斜交いを使い屋根瓦の下には防水シートを敷いて(そんなの当然だろと思うがNZではまだやってない)もらう。

 

病院に行けば日本人の医師や看護婦がいて言葉の不自由なく医療を受けることが出来るし入院も出来る。

 

日本人人口が5万人くらいになれば、上記のような循環型日本人バーチャル社会が構築可能である。日頃は日本人同士でつるんで他人の悪口言ったり愚痴をこぼしたりベタベタしないけど、何かあればスープの冷めない距離にある助け合える日本人社会。

 

今ニュージーランドに集まりつつある日本人家族は、価値観やものの考え方が近い。日本では、彼らは彼らの住む街では超少数民族であり日頃は人前で発言出来ずに苦しい思いをしている。

 

原発反対といっても自分の住んでいる街には大手企業の支店がありその会社は電力会社に資材を納入している。その会社は自分が経営しているレストランをよく利用してくれる。結局あれだけでかい利権だと、直接間接に繋がっているから大きな声で自分の思ってる事を話すことが出来ない。

 

けどこちらに来るとそのような「しがらみ」がなく自由に自分の意見を語ることが出来て、おまけに周囲の人々が環境や教育などについて同じような価値観を持っていることにびっくり、良い意味での友達の輪が広がる。

 

結局、言葉を変えて言えばニュージーランドを移住先として選ぶ人は価値観が同じという事だ。平和的で仕事よりも家族を大事にして自分が住む環境だけでなく子供たちの将来の環境を考えていきたい人々だ。

 

1990年代にやってきた日本人移住者は、どちらかというと日本社会で通用せずにスピンアウトした人々が目立つ。彼らはあまり英語も出来ないのでいつも日本人ばかりでつるんでる。ところが彼らは考えていることがてんでバラバラで(てか、まじめに考えてないかも)、唯一共通する価値観は他人の足を引っ張って喜ぶことだけだ。

 

もちろん1990年代に普通にまともに移住してきた人もたくさんいるが、あの時代に移住してうまくやってきた人は最初から日本人社会に参加していない。地元のキーウィ社会に溶け込んで楽しくやってるから、移住したばかりの日本人とも接点はない。

 

ぼくのやるべき仕事は21世紀に移住してきた人々が助け合い社会を構築することだ。その為の第一歩がビザ取得。だからここで移民局がバトルロワイヤル的にあちこちから殴りかかって来るが、その度に倍返しで殴り返して時間をかけて交渉する。それにしても道は長いのだ、バトルマラソン感覚でがんばろっと。



tom_eastwind at 16:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月07日

トンガリロ火山が噴火した〜!

両手で布団を持ってるイメージ。それを左下から右上に向けて飛ばしながら言う。「ふとんが、ふっとんだ〜!」

(小笑)しょうもない冗談ですが、なんとなく「とんがりろが、ふっとんだー!」に語呂が似てて腹の中で笑ってしまいました。でもって本題。

北島中央にある活火山トンガリロが昨晩から噴火を続けており周囲の牧場はすべて灰色、道路はほぼ閉鎖、定期便も結構が出てる。オークランドから車で5時間程度かかる場所にある火山だ。

 

元々が人の殆ど住んでない地域であり避難指示などは出てないが、いかにもニュージーランドらしい噴火だ。

 

このあたりの山は元々活火山が多く政府調査機関が常に頂上や火口を調査して必要に応じて火口の蓋になっている部分に穴を空けてガス抜きもしていた。これはオークランド博物館に行けばディスプレイを見ることが出来る。

 

今回の噴火はほとんどのオークランダーからすれば「お、すげーな」程度の感覚であり実際の生活への影響はない。溶岩流が飛んでくるわけでもないし空が真っ暗になるほどでもなく、程よく噴いてくれてちょっと大きなガス抜きか〜って感じだ。

 

トンガリロから20km離れた場所にもルアペフ山という火山がある。ここが噴火するとオークランダーも困ったことになる。この山にはトロア、ワカパパという北島最大のスキー場があるからだ(笑)。ルアペフも数年に一回くらい噴火するが、これもかなり想定内なのでこの2つの山周辺は巨大な国立公園になっており大きな被害はあまりない。

 

もちろんブラック・スワンという話もあるわけでもしかしたらトンガリロとルアペフが同時に大爆発を起こして地震を引き起こし、活断層の真上にある「ウェリントン沈没!〜」とか、漫画なら面白いネタになるが、確率的には北半球で起こるテロ事件の方が高いだろう。

 

火山が爆発したとか地震が起こったとか、日本と同じような自然災害がある国です。それは忘れないで下さい。災害に対しても予め完璧に予防をするという発想がないのも事実。これは「人が作ったものは壊れる、絶対に壊れる」のが前提ですから。

 

ただ、東北の大震災が沖縄にまで地震の影響を与えることがなかったように、どのような大きな地震も噴火も必ず距離で測れます。国としての危険なのか地域としての危険なのか、距離的危険なのか政治的危険なのか、危険の種類をしっかりと自分で測って判断することが何より大事です。




tom_eastwind at 15:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月06日

君たちに明日はない4・勝ち逃げの女王

おなじみ垣根涼介の「君たちに明日はない」シリーズの第4巻。真介が随分大人っぽく脳みそを使って考え始めているのが興味ある。原発事故以降の作品であるが原発の事は書いてない。なのに何となく「会社にしがみつくだけでいいのか?」とか「自分にとってやりたい事は何か?」「人生って一度っきりでしょ」とか。

 

本来はリストラ、つまり依頼先企業の社員の首切り面接担当官として仕事をしているわけだが、今回はどれも何だか「吹っ切れた感じ」の面接が続く。首切り面接担当官と話をすることで自分がやりたかった事を再度発見する話とか後味がすごくすっきりしてて良い。

 

音楽会社の首切りを担当した時の話だ。

★抜粋開始

迷うのはいい。自信がないのも仕方がないのも許せる。だがコイツ・・・まだわかっていない。そしてこの言い方では何の答えにはなっていない。バンド活動をやめたにもかかわらず音楽活動に携わるこの会社に勤めている。

 

だからこそこの局面で揺れている。ブレている。自分を捨てきれていない。いや、捨てなくてもいい。だが、捨てないなら捨てないで、ある部分をわりきる勇気というものを持ってもいない。つまるところ、自分にとって本当に大切なことは、他人からは与えられない。自分自身が気づくしかないのだ。

 

実力と才能は違う。音楽はテクニックじゃない。次々と見せつけられる実力の差やセンスの差に、それでも挫けずにその行為をやり続ける情熱こそが、絶え間なく技術を支え、センスを磨き、実力を蓄えてくれる。それらの裏付けがあるからこそ、さらに情熱を持ってやり続けられる、それが、才能なんだ。

★抜粋終了

 

このあたり、今の移住希望者にも通じるものがある。迷うのは良い、自信がないのも当然、けれどいつまでも答えを出せずに前進出来ないのはどうなのか?かと言って踏み出す気持ちがなければ、それは捨てる勇気がないのだから割り切ってそのまま日本で生活をすべきだろう。

 

一番ダメなのは「見かけだけ、口だけ、新橋のガード下だけ」で、本当はやろうと思っていないことをいかにもやろうと見せかける人々であろう。

 

夢はあったのにいつの間にか日常生活に慣らされてその生活に浸っているうちに抜けられなくなって、けどそんな自分を認めたくないから飲みに行った居酒屋では後輩相手に「おれさー、昔はこんな夢があってこんな事やっててさー」と毎回同じ事を繰り返す。後輩も予定調和で「そうですよね〜」と相槌を打つ。決して「じゃあ何で今からでもやらいんすか、夢に向けて」とは聞かない。居酒屋の愚痴は結局お互いに傷を舐めあう場所であり夢を語る場所ではないのだから、そこでガチで質問したら「KY」になってしまう。

 

話は変わるが米国籍をあえて離脱する記事があった。

 

★抜粋開始

米財務省はこのほど、米国籍放棄者の最新四半期リストを公表、投資ファンドのカーライル・グループの買収専門家やイスラエルの最高裁判事など合計189人が名を連ねた。

189人は最近では非常に少ない人数で、専門家によれば米国の所得税率が低い間に(現行の低税率は2012末に失効する)国籍を放棄しようと思っていた人はすでに実行しているからではないかと分析している。

一方で、国籍離脱からリスト公表までにはおよそ6カ月間かかるので、今年終盤に離脱者リストは増加するとの見方もある。今年の最初のリストでは、交流サイト(SNS)最大手フェイスブックの共同創業者であるエドアルド・サベリン氏が国籍を放棄したことが明らかになっている

 今回リストに載ったのは、カーライル・グループの取締役で香港在住の買収専門家のグレゴリー・ゼラック氏や、金融大手JPモルガン・チェース(香港)のプライベートエクイティー・ファンドの責任者のマイロン・ズー氏など。

 80人超が中国系とみられ、所得税のため国籍を一つにしたのではないかとみられている。香港の最高所得税率は15%で、キャピタルゲインや配当、相続は課税されない。さらに米国と違い、外国での所得は本国に持ち込まない限り課税対象にならない。

 米国では、他の多くの国と違い、国外での所得も合算して課税される。一方で、中国はインドやロシアと同様に二重国籍は認めていない。イスラエルのダフィニー・バラウ・エフド氏は、同国の最高裁判事に任命されたため米国籍を離脱した。同氏は、イスラエル人の両親の下で米国に生まれ、米国籍を付与されたが、イスラエルでは判事になった場合二重国籍は認められないためやむなく米国籍を放棄した。

★抜粋終了

 

米国籍からの離脱、その理由は人それぞれのようだが共通する点は「自分のライフスタイルに合わせた国を選ぶ」というところだ。

 

中国系であれば高税率の米国籍を持つよりも香港籍のみにしてしまった方が税金がずっと安い。仕事といっても彼らのレベルになれば世界中どこでも作業が出来るし米国籍でなくても米国への短期の出入りに問題はない。

 

イスラエルのように二重国籍が認められない場合は自分の好きな国の国籍を取得する。日本人は何かと米国が素晴らしい国家だと思っているが、実際に米国で成功してみると生活しにくいと感じる人もいる。

 

ニュージーランドにも米国からの移民が毎年500人くらいやってくる。あんな豊かな国から何故?と思うだろうが、ロサンゼルスから自家用ジェット機でやってきて永住権申請をする彼らはニュージーランドにあって米国にないものを求めている。

 

それは「治安・安全」である。どれだけ仕事で成功してお金持ちになってもある日ニューヨーク5番街でテロに巻き込まれたら終わりである。また自分が直接巻き込まれなくても、テロが起きてからさあ逃げようとしてもその時にはニュージーランドの永住権のルールは変更されてビザが取得できなくなるかもしれない。だから最近やってくる米国人は予想される危機に対応して事前の措置を行なっているのだ。

 

米系中国人の場合は税金対策で米国籍を捨てるというのも分かりやすい話だ。ユダヤ人は何冊のパスポートといくつの名前を持っているのだろうか、個人的には興味のあるところだ(笑)。

 

彼ら全員に共通しているのは、状況判断の正確さと決定の速さだ。これは人間として生まれてきて誰でも持っている能力である。それを磨いて強化するかどうかは自己責任だ。そして米国籍を捨てるような人々は相当な決断と実行能力を持っている。これがあるかないかで、自分が自分の人生の主人公になれるかどうかが決まる。

 

今朝は朝食を何にするか?何時の電車で会社に行くか?出勤前にコーヒーを買うか?気に入らない上司をぶん殴って会社を辞めてロックンローラーになるか?海外に移住してみるか?国籍離脱してみるか?

 

大きい小さいの問題はあるにせよ、基本は情報収集と決定能力だ。少なくとも新橋のガード下で愚痴るだけで情報収集も決定もせずに毎日流されているだけでは、何かを成功させるなんて至難の業ですぜ。

 

「君たちに明日はない」の場合は首切り面接という一つの機会を通じて自分の人生を考える時間を持つことが出来た人がいた。

 

冒頭にも書いたが今回の小説では原発の話が出てこない。けれど「その衝撃」をすごく強く感じるのは、東日本全体に甚大な影響を与えた原発問題が、日本人一人ひとりにとって人生を根本から考え直す機会ではないかということだ。これでいいのか?このままでいいのか?そんな語りかけを感じた「君たちに明日はない第四巻」でした。



tom_eastwind at 13:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年08月05日

カレー屋での話 起業家ビザについて

今日は起業家ビザについての話です。

 

会社の近くにある古いアーケード内に最近ちっちゃなカレー屋さんがオープンした。椅子は10席程度で持ち帰り中心だろう、盛り付け用の器もプラスチックだ。チキンカレー、ビーフカレー、チーズカレーがそれぞれ5ドル(350円)でとんかつやおかずを追加で上乗せ出来る。

 

サブウェイみたいに端っこから最初にカレーソースを選んで次に具を決めて最後にお金を払って、その場で食べても良いし持ち帰りもOK。ぼくは一番野菜の少なそうなチキンスイートカレーを注文したら、ソースの下に長い細切りの玉ねぎが隠れてやがった。

 

みじん切りでなかったので取り分けられたが、全く最近のこの手のカレーは困ったもんだ。子供の頃に自宅で食べる野菜ごろごろのカレーをそのまま店に持ってくると、野菜好きなお客には良いだろうが僕のように野菜嫌いにはあまり好きになれない。

 

せっかく商売としてやるのだから野菜はすべて裏ごししてソースにして別にトッピングとして焼き野菜を用意するほうが売上も上がるのにな〜とか思いつつ、他人の店の食い物をどうこう言うんじゃねーよと突っ込まれそうだ(笑)。困ったもんなのはお前の野菜嫌いだよと言われたらそのとおり、すんません(苦笑)。

 

ただ、市内にラーメン屋もあるが実際に料理をするのが料理経験のない20歳代の学生で、彼らは子供の頃からラーメンと言えばカップヌードルしか食ってないからお店で出す商売としてのラーメンの味が分からない。分からないから「見かけだけはラーメン」になってしまう。

 

例えば沸騰してないお湯で麺をぐつぐつと生煮えして挙句に“だま”が残った状態では、それは店の個性とは言わず単純に美味しくないだけなのだが自分が出しているラーメンが美味しいと思ってるからどうしようもない。

 

とんこつラーメンを注文するとお客の目の前で業務用紙パックに入ったとんこつソースをどぼどぼと丼に注ぐ。分かりやすくて味も安定して、それはそれでいいのだが、客の前でやるか?う〜ん、おそるべし子供の頃の食体験。

 

チキンカレーは確かにスイートで美味しくて、食べ終わってからついでにスタッフ用に買って帰ろうかと思って笑顔の可愛い店員さんに聞いてみた。

「カレーパンはここに出てる10個で全部ですか?」

「はい、そうです!」はきはきとにこにこ、良い接客ですね。

カレーパンのカレーソースは何を使ってるんだろうと思って聞いた。

「このパン、ソースは何を使ってるんですか?」

彼女はにこっと笑って「カレーです!」。

 

カレーパンは1個1ドル50セント(約100円)でスタッフ向けに10個買って帰ったら「パン生地が美味しい」と喜んでた。

 

この店は以前は知り合いがカレー屋をやってて、そこを居抜きで購入したのだろう、改装も殆どやってないから買取費用と準備費用でおそらく7万ドル(約500万円)程度だ。

 

はい、これで立派な起業プランがいっちょう上がりである。

 

起業家ビザは現地の雇用の貢献(2名程度をフルタイムで採用)と2期連続で利益を出すことで法人税を納税すれば永住権が取得できる。

 

地元商店街の小さなアーケード内のちっちゃなお店を買い取ってカレー屋にして10席程度のイートインとテイクアウェイを経営するのは、普通にまともな食事体験があって常識があってビジネス経験のある日本人ならまず問題なくやれるだろう。

 

単価が安いので大きく儲けることはないけど、自分がお店に立ち長時間営業にしておけば従業員は雇用出来るし黒字幅は最初に計画した範囲内であれば問題ない。具体的にはこの程度の店なら年間利益で2〜3万ドル出せばOKだ。

 

カレーとかどんぶりものはキーウィでも喜んで食う。単価が安いしすぐ出来るしテイクアウェイでもいける。ラーメンは、きちんと作ればオークランドのアジア人学生3万人が市場なのでビジネスになる。

 

ここで大事なのは ̄塀燦△鮗萋世垢襪燭瓩豊起業家ビザを申請するという、優先順位を明確にすることだ。2年間はあまり利益が出てなくても日本から持ってきた資金で生活出来るようにする。永住権が取得できればそこからお店を売って他のビジネスを立ちあげても良いわけだ。

 

起業家ビザを考えているが何をして良いか分からないという場合、あなたの頭の中にある起業とニュージーランドで実際に行われている起業の間に大きなズレがある場合が多い。

 

こちらの国では社会が起業を「お、いいね!頑張れ!」というポジティブ思考で捉えており、例え一年でビジネスが失敗しても、また次の何かをすれば良いじゃないかって感覚だ。

 

ニュージーランドでは月刊NZという月刊無料情報誌があるのでその広告を見てみると良い。実にたくさんのビジネスが日本人相手に展開されている。レストラン、バックパッカー、理容店、カラオケ、ウォシュレット、無煙焼肉器、英語学校、旅行会社、これだけビジネスがあるのに何故あなたはビジネスが出来ないのか?

 

起業とは出来ない理由を探すことではなく、どうやったら出来るかを考えることだ。「私はずっとサラリーマンだったので、どうやっていいのか分からないんですよ」。けどサラリーマン時代に給料もらって仕事をしてたら何かの特技もあるでしょう。

 

まずは自分が出来ることが何なのかを考えてみよう。そして何も出来ないと思うのなら移住はせずに日本にずっと住んでいる方がよい。無理をして移住してもかえって生活が不安定になり家族が不幸になるだけだ。



tom_eastwind at 11:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月04日

Kazuya

金曜日は最近新しく出来たレストランKazuyaFeltonRoadの赤ワインと食事を楽しむ。出張から戻ってやってた仕事はどれも重くて精神的に結構疲れてしまってたが、この店の食事とワインで久しぶりに疲れが取れた。

 

Kazuyaは日本人シェフが経営してフロアスタッフもすべて超ベテランスタッフという洋風レストランだ。フロアに立っても客を見ない接客やボリューム多すぎの料理に疲れた人にはお勧めの店である。

 

何よりすべての細部にわたって日本人のきめ細かさと日本人品質が行き渡っているのがよい。料理が美味しいとか内装が奇抜とかなら他にもたくさんあるだろうが、レストランやホテルというビジネスは内装、雰囲気、サービス、料理、すべてがきちんと一つにまとまって初めてその本領を発揮する。

 

その意味でこのレストランはすべての方向性がきちっと一つにまとまっており、トータルでの心地よさが味わえる。そしてこのレストランの存在は現在のオークランダーの品質理解度バロメーターにもなる。つまり客であるキーウィにこのレストランのサービスの意味が分かるかどうかである。

 

例えばフロアサービス。もしこの品質の高さをキーウィが理解出来れば何がプロのサービスか、いかに自分たちがフロアをのしのしと歩きまわるだけの牛だったかが分かるだろう。

 

お店に行く前に英語のReviewを読んだがどれも非常に評価が高く「また行きたい」なのだから、もしかしたらこの店がやっていけるだけのレベルの高い客がオークランドには十分いるのかもしれない。

 

ぼくが考えている5万人日本人社会のイメージはまさにこのような日本的高品質をキーウイに提供して彼らの賛辞を勝ち取ると共に、決して安売りではないビジネスがオークランドでは成立するのだという事を日本にいる日本人にも理解してもらいたいという点だ。

 

どちらかと言うと口が悪い僕であるが、この店はぼくにとってもまさに「また行きたい」レストランである。



tom_eastwind at 12:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月03日

社会からイジメに遭った場合→そんな社会には参加しないという発想

★抜粋開始:6月の雇用状況について

先行指標の新規求人数は悪化したものの、失業率、有効求人倍率が改善し、雇用統計は全体として改善を示していると私は受け止めています。失業率の低下も雇用者数の増加にサポートされていて、いわゆる就職を諦めた層の労働市場からの退出ではありませんから、いい姿ということが出来ます。しかし、季節調整していない原系列の統計を用いて主な産業別就業者を前年同月と比べると、卸売業・小売業、運輸業・郵便業などが減少した一方で医療・福祉などが増加しており、正規雇用が増加しているようには見えません。医療や介護の現場の低賃金労働の需要が雇用をリードしているのではないかと私は想像しています。

★抜粋終了

http://economist.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3b9b.html

 

現在の政策は団塊世代をどのように対処するかが主目的となっている。彼らが60歳で定年になって65歳まで無収入状態にならないように、企業に対して65歳まで希望者全員雇用を要求している。

 

年金支給はもともと60歳だったのを予算がないから65歳に延期したけど雇用定年が対応してなかったので65歳定年に調整した。つまり本来政府が個人から毎月年金として25年以上受け取って満期になり配当するべきだったところを5年分の支払いを民間企業に押し付けたわけだ。

 

そうは言っても現在の60歳はまら気力充実している人も多いし、お金というよりも社会との繋がりとか働きがいといった部分で会社に残りたいだろう。会社としても賃金を下げることは出来るので今までより安く使えるから悪くない。

 

政府が「ずる」してるって部分を除けば、政府が法律で雇用定年を65歳まで希望者全員延長にするのは一見参加者全員が利益を得ているように見える。そう、参加者はそれで良いのだが、ここには「参加出来ない人々」の事は全く考えられてない。こういうのを発想の欠落とでも呼ぶのか、労働組合が組合員だけを守り非組合員を相手にしないのと同じ構図だ。

 

つまり企業、それも政府の指示に従い雇用延長をするような大企業では5年間延長をすれば新入社員の数をその分減らすという事に繋がる。イス取りゲームに参加してみたら、すべての椅子は埋まっており退出する筈だった人も出ていかない、結果自分の座る椅子がない・・・という事になる。

 

つまり今回の政策は確実に若者の新規雇用に影響を与えており、上記のブログにあるように医療や介護現場の仕事に就職することになる。まさに「大学は出たけれど」だ。何のために高等教育を受けてきたのかとなるが、これは日本全体を見れば本人の責任というよりも社会が団塊世代を中心に動いており雇用においてそのとばっちりを食らったのが若者世代という事だ。

 

ニュージーランドでは正社員とか非正社員という考え方はなく、同一労働同一賃金のみである。週に30時間働く人もいれば40時間働く人もいるし年収で契約をしている人もいるが、いずれにしても日本の正社員という考え方が存在しない。

 

なのでキーウィには「日本では一度正社員から外れると次の就職先を探すのが大変だ」という事が理解出来ない。

「自分に合う良い仕事がなければ大学に行って高等教育を受ければよいではないか」

「いやいや、すでに高等教育は受けている、使い物にならないだけだ」

「それなら他の資格を取るために専門学校に行けばよい、政府の補助があるのだろう?」

「いやそれが、学費の補助はないし学生やってる間の生活費も自己負担なのだよ」

「?それって政府が若者にバカのままでいろ生活保護にしがみつけと言ってるようなものだね」

「さすがに生活保護はダメだね、今の政府はどうやって支給額を減らそうかと一生懸命だよ」

「じゃあ皆、何の為に国に税金払っているんだい?」

「・・・」

 

上記は余談だが、今の世代間格差は若者に大きくしわ寄せが来ており、正社員として就職しても今度はその椅子を失う事を極端に恐れて会社の命令を合理的であるかどうかよりも上司に嫌われないかどうかが判断基準となる。その結果としてサービス残業や非合理的な業務を押し付けられることになる。

 

政府は当面社会保障を大きく改正していくわけだが、増税と保証削減はどちらも若者にとって暗い話ばかりだが、生まれた時から右肩下がりの社会で生きてきたから、今更苦労が一つ増えたからって、まあいいやって納得する人もいるのだろう。

 

ただ、もし若いあなたが人生を本気で自分の力で生きてみたいと思うのなら、海外にある日系企業に就職する方法がある。海外の日系企業は現地採用枠を持っている。日本から来た駐在員は英語の出来ないおじさんが多い。

 

彼らは自分の代わりに英語を話してくれて、地元レストランの予約もしてくれて、現地人にはお願いしづらい曖昧なことでもやってくれる若者がいるのはとても助かるのだ。そういう人材は昔は日本の本社から研修という形で社員をお手伝いとして派遣していたがそのような余裕がない企業からすれば現地採用で現地労働条件で働いてくれる人は貴重だ。

 

同時に日本で良い就職先がなかった若者にも、これは一つの機会となる。ぼくの経験では現地採用でも2〜3年一生懸命働けば業務内容は日本本社の正社員と同じくらい身につく。

 

日本から派遣された正社員は威張りまくるし「お前は現地採用だろ」的発言をするだろうが、そんなのは無視して仕事を頑張ってキーとなるポジションを押さえれば、そのうち日本から来た正社員もあなたを頼って仕事をお願いするしかなくなる。

 

そうこうしているうちに、もし本人に能力と運があれば現地採用だけど現地法人で上の方にいける。こうなると現地採用の強みは、日本の本社とのしがらみがないから東京を向いた仕事をしなくて良いし人間関係に縛られることもない。何かあっても「あ、週末は休みですから」と、さらっと言えるようになる。

 

日本に残って苦労して正社員になってもサービス残業やったり非合理的な仕事を押し付けられても文句も言えずこれから40年近くを社内抗争に明け暮れながら休日も家族との時間を取れず過ごすとか、正社員になれずに介護の仕事に就いても仕事は楽しくてもその給料じゃ到底結婚も出来ずにいたずらに年を取り、気づいたら40歳過ぎちっちゃなアパートに一人暮らし、いつもそばにあるのは台所に溜まったカップ麺の殻とタバコの吸い殻の溜まった灰皿と漫画雑誌だけという事になる。

 

これから日本の企業、とくに製造業は海外に出ていく。ならば彼らの進出する国の大学で製造業が必要とする現地会計、法律、機械工学など各種知識を学び日系企業に現地採用で入り、そこで楽しくやってみるのもありではないか。

 

例えばバンコクのタイ語学校に一年ほど通って現地の大学で会計や法律の勉強をして、これからやってくる日系企業の採用情報を得る。または地元の人材派遣会社に登録する。それだけでかなり強い武器になる。

 

そんな、外国なんて行った事ないし、タイ語なんて分からないし、なんて言うのであれば仕方ない、これからも続く若者イジメにしっかり耐えていくしかない。

 

今から70年以上前の第二次世界大戦以前の沖縄の若者の話を見つけた。若者は戦争前の沖縄の読谷村から「まだ見ぬ世界」へ飛び出した。生まれて初めて見る大阪、生まれて初めて見る東京、そして中国大陸と、次々と新しい経験をしてきた。

http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec05/cont00/docu186.htm

 

あなたの人生の主人公はあなたなのだから、日本政府のイジメに耐えるよりは「日本社会に参加しない」選択肢も考えてみればどうだろうか?



tom_eastwind at 14:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月02日

マイナンバーと消費税流用とオリンピックと

★抜粋開始

【ロンドン共同】世界バドミントン連盟(BWF)は1日、ロンドン五輪の女子ダブルス1次リーグで無気力試合があったとして、8強入りした中国、インドネシア各1組と韓国2組の計4ペアを失格処分にしたと発表した。準々決勝には藤井瑞希、垣岩令佳組が進出している。

 

 失格したのは第1シードの王暁理、于洋組(中国)、メイリアナ・ジャウハリ、グレイシア・ポリー組(インドネシア)、第3シードの河貞恩、金ミンジョン組、鄭景銀、金ハナ組(以上韓国)。代わりに1次リーグで敗退したロシア、カナダ、オーストラリア、南アフリカの各組が繰り上がりで準々決勝に進んだ。

★抜粋終了、続いて↓

中国や韓国などの4ペア8選手が1次リーグで「無気力試合」を行ったとして失格処分となった問題は、日本にも「飛び火」した。

 藤井、垣岩組が1次リーグ最終戦で敗れB組2位で決勝トーナメントに進んだことに対し、同組3位で敗退したインドペアのコーチが「2位になって中国との対戦を避けるため、日本は負けを望んだ」とコメント。この発言について外国メディアから質問を受けた藤井が「あり得ない。ショック」と気色ばむ場面があった。

 日本の枡田圭太コーチは「うちは純粋に戦って敗れた。世界バドミントン連盟も『日本は違う』とはっきり結論を出しているのを確認している」と強調した。準々決勝の直前に失格者が出たことを知ったという藤井は「スポーツでこういうことが起きて悲しい」と表情を曇らせていた。(時事)

2012820844  読売新聞)

★抜粋終了

 

韓国の記事によるとオリンピックはゴシンピックだと怒ってるとのこと。今回の韓国はフェンシングでは可哀想な誤審であり水泳では正しい抗議であり柔道ではルールを知らない勘違いとそれぞれ全く違うケースだ。

 

ただ、これがニュージーランドであればどうだっただろう?この国は一昨日のりょうまくんの朝食会でも書いたが、人生は競争だと認めた上で勝つことだけがすべてではないと考える。

 

だからラグビーなんてしょっちゅう誤審が起こるが、試合の途中で誤審が出る度にいちいちゲームを止めるのかとか、もともと審判とは絶対であり誤審であっても受け入れるという考え方がある。

 

なのでキーウィからすれば韓国や韓国が「誤審だ!」といちいち抗議をしてみたり勝つためにはわざとネットにボールをぶつけるようなゲームを見て「そこまでして勝ち負けにこだわりたいかな」と思うだろう。

 

かなり以前の話だがあるテニスの国際大会でゲーム中に対戦相手が偶然足を滑らせた。反対側に撃ちこめば確実に勝つ、その時にあえて対戦相手が撃ち返しやすい球を送った。試合終了後、観客から素晴らしい拍手が起こった。

 

こういうのがスポーツマンシップだし見てて綺麗だ。日本の野球でもそうだが、勝つためなら何でもありってなら見てて面白くないっていう、ゲームそのものの存在価値そのものに問題が広がることに気付こうぜって感じ。野球の凋落も「見てて面白くない」のが大きいのではないか?

 

ゲームの綺麗な勝ち方はある意味簡単で、自分が勝つようにルールを変えれば良い。スキージャンプでも柔道でも日本が勝てば必ずルールを変えてくるのが白人のやり口である。

 

剣道の場合は柔道のようにルールをいじられるのが嫌だから国内競技で留まっているが、それでいいと思う。日本の剣道にしても合気道にしても精神面を重視しており、勝ち負けの話ではないからだ。

 

それより気になるのは、日本中がオリンピック漬けになるのは4年に1回だから良いとしても、NHKまでもオリンピックニュースだけではダメっしょ、マイナンバー導入が3年後に導入ってのが今国会でほぼ決まりだってのに。

 

これは偶然だろうが、ぼくは以前自分の予測として「2015年が日本のどん底」と書いたら、ほんとにマイナンバーが2015年に導入なんだから、笑える。

 

マイナンバー制度とか横文字で言わなくても普通に国民総背番号制度と呼べば良いだけで、制度そのものは業務の効率化の為に有効であり、ぼくもニュージーランド政府から支給されたIRDInland Revenue Department) 番号を持っている。

 

銀行口座から給与受け取りからすべて一つに紐付けされているから非常に便利である。ニュージーランドという国は国民視点でシステムを運用している。このシステムがあるから税金はしっかり補足される反面様々な問い合わせでもすぐに回答をもらうことが出来る。

 

個人情報が漏れるとか言ってる国民が自宅の表札に家族構成まで丁寧に書いているのはどうなのか(苦笑)?とも思うが、日本でマイナンバーをやればその目的が国民管理になることは目に見えている。

 

映画で警察が犯人を追跡する時にクレジットカードの利用情報を把握する方法がある。あれと同じようにマイナンバーを政府が管理することで国民個人を補足していくわけで、これはもう否定しようのない事実である。

 

システム自体の問題ではなくシステムを運用する官僚と言う存在の問題であるのだから、システムのセキュリティが強固かどうかなんて関係ない。セキュリティを作る側の国家が国民の一挙手一投足を補足するのだから政府は合法的に反政府的な人間を一発OUTに出来る。

 

おれはまじめに生きているなんて言っても意味はない、人間は生きている限り必ず法律を犯すように法律が出来ているのだから。常にお上のお目こぼしで生きている社会ではお目こぼしをされなければ、または「御代官様、ご無理ごもっとも〜!」と言わなければそれは即時逮捕に繋がる。

 

ついでに言えば消費税も今国会で成立予定だが、成立以前から早速自民党が増税分の流用をしようとしている。消費税は社会福祉に充てるが今まで社会福祉のために発行していた国債部分を新たに作る「国土強靱化基本法」で建設業界に回そうとしている。これが「当初3年間で15兆円を投じる」とか「10年間で200兆円」とかぶちあげている。

 

消費税増税を訴える時は社会保障と言いながら、舌の根もかわかぬうちに政党同士が消費税の分捕りあいで建設業界に振り向けようとしている。ここでもいうが、ぼくは政府主導の景気対策もありだと思う。ただ、嘘を言って騙して金を奪うような真似はするなと言いたい。

 

堂々と国民に対して「このお金は景気復活に使います、日本の建設業のレベルは高く今のままでは技術が失われるので政府が積極的に消費税を流用して技術を守ります」と言えばよい。

 

要するに政府は国民にきちんと話をするつもりもなく教えるつもりもなく、あくまでも消費財の一部として扱っているわけで、なにかあれば政治家を表に出して「撃つならこの人ね、よろしく」とやっているのだ。

 

中国と韓国がオリンピックに燃えるのは分かる、彼らは出来るだけ早く先進国に入りたいのだ。しかし日本はすでにオリンピックの良い点も悪い点も十分に学び、明治以来のアジアの先進国として自国の政治に眼を向けるべきだろう。



tom_eastwind at 17:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年08月01日

情報強者になるために 夢とかトンデモ説とか

★抜粋開始

佐藤栄作政権が沖縄返還の対米交渉を本格化させる直前の1967年1月、沖縄駐在の米高官が外務省幹部に「日本の防衛ということなら沖縄は要らない。沖縄の基地を必要とするのは極東の安全のためだ」と言明、沖縄を日本防衛ではなく極東戦略の拠点に位置付ける姿勢を明確にしていたことが、31日公開の外交文書で分かった。

 日本政府は沖縄駐留米軍を「日本防衛に必要な抑止力」としてきたが、米側はむしろ極東全体をにらんだ安全保障上の地政学的役割を重視していた実態を物語っている。中国や朝鮮半島の動きを念頭に、新型輸送機オスプレイの沖縄配備計画を進める現在の米軍戦略にも 通じており、論争を呼びそうだ。

★抜粋終了

 

「外交文書で分かった」のは一般国民であり外務省及び政府は1967年から知ってたわけでしょ。これが政府のいつものやり口だ。もちろん外交であるから駆け引きであり裏交渉があっても当然だし国民に50年は発表出来ない文書だってある。そのことを僕は問題にしていない。

 

むしろ当時の政府はよく頑張って交渉したと思う。国内では安保デモでまさに国家がひっくり返るかのような騒ぎでありそこで沖縄問題を全面返還にしてしまえば米軍は本気で出ていく。軽武装主義の日本としては今米軍に出ていかれてはロシアや中国に対して困るから裏交渉となった。

 

つまり日本側から見れば「沖縄返還して欲しい」けど「米軍は日本防衛に必要な抑止力として残って欲しい」という何とも都合の良い話であり、ベトナム戦争真っ最中の米軍からすれば「紐付きの島なんていらねえ!」となった。

 

表面上は返還と基地継続として残すことに成功したが本土並みの部分だけは妥協して「好きにして・・・」とやったのだ。

 

日本はまだ自由がある、このような機密文書が一定の期間を超えれば出てくるのだから。ぼくは詳しくないが、外交機密は50年、当事者が皆死んでからみたいな規定があるようだ。チュウゴクではまず見ることの出来ない書類ですな。

 

天安門事件の全容さえ公式発表されず文化大革命に対する公式批判も調査発表もおこなっていないのだから、その意味で日本はまだマシだと思う。

 

付け加えて言えばお隣の韓国では歴代大統領は退任後に汚職で逮捕されたり自殺したり、あまり楽しい老後を過ごしているように見えない。それに比べれば日本は良い、森さんのようにたくさんのお友達とやりたい放題やった挙句に御引退ですからね、墓の下の息子に会う時はどんな顔するんだろうかって思う。

 

いずれにしても米国政府が「日本防衛のために」指先一本動かさない事は明確であり、今度は大丈夫、彼らは友達ですものなんて甘えた考えは捨てた方が良い。

 

東北大震災に関する夢を数カ月前に見た。映画のような夢だが相当に現実性があり、ああそうか、だからオペレーショントモダチとなったのかと、改めて米国の冷徹さを感じている次第。ぼくが見た夢はまさにSFチックで荒唐無稽ではあるが、地震爆弾も出てきている。

 

それは3・11の前日、つまり3月10日に米軍の宇宙兵器管制を制御するコンピューターオタクが何気なくボタンをいじってるうちに間違った指示を出してしまい、衛星に装備されていた中性子爆弾が福島に向けて発射されたという夢だ。

 

もちろん夢なので随分端折ってはいるし現実的にはあり得ないだろうが、中性子爆弾というのは人間だけ殺す爆弾であり、破裂して破片で人を殺すのではない。目的地上空で爆弾が破裂して中性子が地上に向けてばら撒かれる。

 

中性子は目に見えないしいわゆる爆弾ではないので攻撃を受けた側はその場では分からない。人間の体の中に染み込み体内から被曝して数日中に確実に死ぬ。建物や車両や鉄道などには一切影響を及ぼさないので数日もすればその地域を無抵抗で制圧出来る。

 

ボタンを押してしまった管制官はすぐ上司に報告するが、すでに福島では該当地域の人々の体が急激に放射性反応を見せている事が分かる。こんな事を世界に知られたら一大事である。何とか事故を隠蔽するために上司が考えたのが、ちょうどその頃太平洋福島沿岸地域に地震観測計を海底深く打ち込んでいた船だ。

 

この地震観測計は実は地震爆弾でもあり(夢ですからね、夢)、被曝した福島の人々が発症する前に地震を起こして原発をふっ飛ばしてしまえという事になった。こうすれば中性子爆弾と原発事故の区別はつかず誤魔化せそうだ。

 

そう考えた米軍上層部は、まず東京に住む米国人の退避計画をすぐに作成して原発の最大の被害距離を80kmとして、地震が起こり次第東京に住む米国人に避難命令を出す準備をした。そして東北沖に米軍艦艇を集結させる。

 

オペレーショントモダチの最終目的は地震の現場で福島原発が吹っ飛んだ様子と、必要であればトモダチが現地に行き、中性子爆弾にやられたけどまだ生きている人を処理することである(夢ですよ、夢)。

 

ところが米軍の予想と違い大津波が発生、中性子爆弾を投下した地域は見事に大津波で流されておそらく放射能被害に遭った人も津波に飲まれてしまった。それでも一応確認の為にオペレーショントモダチが発動されて米軍特殊部隊が現地入りした。

 

当初米軍上層部は地震爆弾だけで福島原発が吹っ飛ぶだろうと考えていたが、日本は想定外に頑丈に原発を作っており地震で吹っ飛ぶことはなかった。ところがその後の津波で何とか水素爆発したので、これで原爆症患者が出てもごまかしは効くと考えた。

 

米軍の名誉と安全を確保した後は、オペレーショントモダチを更に拡大させてこの機会に米軍がいかに優秀で日本人を大事にしているかを見せつける示威行動を連続して行う。もちろん現場の米兵はそんな事は全く知らない。

 

無垢で単純な米兵は本気で日本のトモダチを助けようと英雄的行為を行い、結果的に米軍の致命的失態は地震と津波で隠されて、彼らにとっては見事な勝利となった。

 

夢ですよ夢。この夢には前後があるのだけど、真ん中のネタの部分だけ書きました。全部書くと一冊の本になるくらい、かなり明瞭な夢でした。ちなみに舞台の最初は米国フロリダの老人ホームです。最後は真夜中の暗闇の島の崖から飛び降りて逃げる場面。まさに映画だわ。

 

 

ここでまた話は変わるけど、上述の話はあくまで夢だけど自分の情報勉強には役立ちます。「そんな事あり得るわけないじゃん」で片付けるのではなく、一つ一つの公表されている事実をつなぎながら自分なりに答えを探していくのが思考力に繋がります。そうすればこの夢のどの部分が間違いでどこの部分が正しくて何処の部分がまだ解明されていないかと、きちんと分析出来ます。

 

ほとんどの日本人は暗記教育を受けておりテストの質問に対して最短時間で答えを探す訓練をしているけど、人生にはそんな簡単に答えは転がっていない。答えのないものを自分で考えるのが思考訓練です。

 

例えば911だって勉強になるし、最近僕が個人的に勉強している日航御巣鷹山事故にしてもそうです。

 

そう考えれば沖縄の密約なんて実に可愛らしい話であり、本当の国際政治は恐ろしいものがあります。けれど情報はかなり出まわっており、その気になれば情報を繋げ合わせることが誰にでも出来ます。

 

そういう、情報を自分から取りにいって組み合わせをして矛盾を見つけて情報元の信頼度を考えて自分で答えを仮定する、そして仮定に対して反対意見をぶつけてそれでも仮定が成立するかどうかを検証する。

 

911の欺瞞を一般的な世間が問題とするようになったのはつい最近だしそれさえも公式には否定されている。調査にはまだまだ時間がかかるでしょう、たぶん後50年かそれ以上。その前にJFケネディを暗殺したのが誰かってのが機密情報指定が解けるかどうか。

 

いずれにしてもぼくら民間人が家族の生活を守るためには政府広報ばかりを聞いていてはどうしようもないのは間違いない。自分で自分を訓練して情報強者になる必要がある。こういう訓練を繰り返していけば、そのうちに情報強者になることが出来ます。お金は殆ど不要です。大事なのは感情的にならずに理論で考える能力を持つことです。

 

自分の人生の主人公になれるかどうか、それは情報を自分で処理出来るかどうかです。



tom_eastwind at 10:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌