2012年11月

2012年11月30日

有給休暇とか転職とか

日本人は休みベタという記事があった。

http://www.expedia.co.jp/corporate/holiday-deprivation2012.aspx

 

ネット旅行サイト大手のエクスペディアが毎年調査しているのだがこの調査によると日本の年休は13日で消化されているのは5日のみ、消化率38%という世界最悪の結果となっている。てかその席は日本の指定席だし(笑)。お隣の韓国でさえ70%、台湾に至っては100%であるから、いかに日本の消化率が低いか分かる。

 

ぼくが日本で生活していた1970年代でも年休消化率は低く、あの頃は企業戦士と呼ばれほんとに戦士のような人が多かった。「明日の午後半休ください」ってからどうしてかと聞くと申し訳なさそうに「いや、すいません、結婚式なもので・・・」誰の?「自分です・・・」

 

誰もが競争するように夜遅くまで働き神聖な職場の夜8時に自宅から電話がかかってくる社員は「妻のしつけが足りんな」と上司に皮肉られる。

 

けどそれでも毎年給料は10%くらいUPしてたしボーナスは毎年2回、合計で5〜6ヶ月分くらい出てた。当時はまだ現金払いだったからボーナスもらって封筒が縦に立つと「お、すげーなお前!」なんて言い合ってたものだ。

 

今の時代のように振込がなかったからこんな「お遊び」も出来たが、封筒が縦に立つとはそれだけ分厚い札束、約100万円が入ってたって事だ。当時の証券会社などは更に景気良く、年に4回ボーナスが支給されてたものだ。

 

当時の日本社会は年休も少なく消化率は低く土曜日も仕事だった。週休二日制が導入されたのが1970年代だけどまだまだ全面施行されているわけではなかった。それだけ働いたけど、今のように引きこもりとかうつ病になる人とかいなかったなー。

 

風邪を引けば気合が足りんと言われるし私鉄ストの影響で遅刻すると「何でそれを予測してもっと早い電車で来ないのか!」と怒られ、クーラーのない事業所では夏の暑い夜に水を入れたバケツに足を突っ込みデスクワーク。

 

その割にどこの麻雀屋も繁盛してて夕方になると4人揃ったサラリーマンがどんどん入ってきてた。要するにONOFFが結構明確で、ある程度忙しく連続して働くと「おい、今日はもう終わりだ、麻雀行くぞ!」と上司が声をかけて、部下も仕事を適当に終わらせて「はーい!」」と嬉しそうに付いて行く。麻雀しながら男性サラリーマンの常事で人事の話や情事の話、よく笑いよく飲んだものだ。

 

時代に勢いがあったし誰もが明日は今日より良い日になると信じることが出来た。そりゃそうだ、あれだけ分厚い札束もらって仲間意識が強く来年も昇給するからってんで30年ローンとかで住宅を購入していた。

 

だからかな、年休がなくてもあまり気にならなかったのが正直なところだった。金もある、仲間もいる、それ以上に何が必要かって感じだった。人によって1970年代の日本に対する認識は違うだろうけど、僕らの同世代についてはほぼ同じ認識だ。

 

時代は変わって2012年の現在。職場は暗く責任のなすりつけ合い、給料は毎年下がりボーナスなんて1ヶ月もあればいい方で、何時首になるか分からない怖さで土日の休みもまともに取れない。やらされている仕事も、本当にそれが効率的なのか?って思うような内容だったりしても一生懸命やらなきゃ職場放棄とか上司の命令に違反したとかで左遷されたり「日勤教育」受けさせられたりする。

 

冗談じゃねーぞ、給料は下がりボーナスも殆どなく年休も取れずやらされ仕事感満点なのに、一体これって何だ?と思うが、そこがサラリーマンの悲しい性で、それでも首になることの恐怖が自分の体を無理矢理にでも会社に向かわせてしまう。

 

その結果としてうつ病になったり引きこもりになる社会人の多さ=病気という事実が証明しているのは社会全体がおかしな方向に向かっているって事だ。

 

ニュージーランドの年休は一ヶ月、つまり30日となっている。正確には土日の休みを入れて30日連続で休むことが出来るので実質的な年休部分は22日で残りの8日は土日。もちろん消化率は100%だし病気休暇もしっかり取る。

 

こちらの言葉でブルーマンデイってのがあって、これは土日にしっかり遊んで月曜日の朝になって会社に行くのが億劫になる症状だ。これが更に進むと月曜日の朝に会社に電話して苦しそうな声で「今日は調子が悪いので休ませてください」と説明しているが、後ろで「おーい、早く来い、お前の竿に魚が引っかかったぞ!」という声が聞こえたりする。上司も「明日魚持ってこいよ〜」お笑いである。

 

そして金曜日ともなると午後は冷蔵庫のビールを引っ張りだしてわいわい酒飲んでお喋りして適当に夕方に三々五々自宅に帰る。うちの会社はさすがに金曜午後のビールはないが、あんまり根を詰めて仕事をした時などは「市場調査」を行うために街のパブに繰り出したりする(笑)。

 

年休も基本は完全消化。うちの会社は毎年クリスマス前から正月明けまでオフィスを3週間程度お休みにしている。取引先がどこも12月15日から1月15日頃まで休暇に入るのでぼくらだけ会社を開けてても相手がいないのでやることもないので長期休暇を取るのだが、うちの会社もこの時期に3週間休むことで全員がまとめて年休を取って日本に里帰りしたりフィジーに行ったりのんびりと過ごす事が出来る。

 

そのかわり毎年のことではあるが11月後半からシティは急激に忙しくなり、ぼくらも含めて今年中に仕事を全部終わらせようとバタバタと働くことになり、ほんとに街はヒートアップしていく。

 

そしてやってくるクリスマスイブ。この日キーウィは教会に行き賑やかなミサを受けて「これで今年も終わり」とばかり自宅へ帰る。そしてクリスマスとボクシングデイ、この日を境に街が変化して、まるでゴーストタウンのように人がいなくなる。近年はシティのアパートが増えたので昔ほどではなく少しは人が出るようになったが、基本は翌年1月末まで長期の人口減少が発生する。

 

日本から来られるお客様は毎年この時期になると当社の長期休暇にびっくりする。「そ、そんなに長い休みがあるんですか?」って感じだろうけど、ニュージーランドではこれが普通なのです。

 

ニュージーランドに移住してくる皆さんにはそれぞれ目的があるんだけど、到着した誰もが実感するのはこの国の休みの長さとゆったりさだ。土日はもちろんお休みだし残業は基本的にしない。(日系企業の現地支店は別、旅行のJ社なんて残業の連続〜苦笑)

 

それに年休はまるまる一ヶ月取れるわけで、とにかく休みの日に携帯が鳴らないし昼間から家族で海辺の公園でバーベキューを楽しんで子供はきゃっきゃと言いながら海に飛び込み、ほんとに心から落ち着いて休める。

 

だからかな、この国ではうつ病をあまり聞くことはない。そりゃそうだ、これだけのんびりしてておまけに嫌なら転職すればいいだけだし適当な転職先がなければ失業手当もらって暫くのんびりすればいいわけで、社会全体が個人の幸せのために存在していることを実感する。

 

日本では転職というと今もあまり良いイメージがないだろうが、ニュージーランドではジョブホッピング(仕事を飛び回る)と言って転職はごく普通のことだ。嫌なら辞めるだけじゃなくてそろそろ飽きてきたから目先の違う仕事をしようって軽い感じで転職をする。だから転職する時はみんなが「おめでとー!また新しい道を見つけたんだよね!」と喜んでくれる。

 

日本とニュージーランドを行ったり来たりする生活をしていると、有給休暇とか転職とか、日本とは全く正反対の環境にあるのがニュージーランドだと実感する。

 



tom_eastwind at 13:54|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月29日

人種差別について ニュージーランドの現状

ニュージーランドの現在の差別状況に引き戻してみよう。NZは英語圏5カ国の中で一番人種差別の少ない国であるのは事実だ。差別の多い順番では、米国、豪州、英国、カナダ、NZだろう。しかしだからと言ってNZに全く差別がないわけではない。

 

NZでは人種差別が一番目立つのはクライストチャーチだろう。この街では昼間から仕事をしてない若者がビールやワインを飲んで町中でぎゃーすか騒ぎ警察と喧嘩している場面に遭遇した事もある。

 

多いのは車から卵を投げつけるだとかくそったれアジア人帰りやがれ!だとか、夜になるとアジア人を捕まえて集団暴行するだとか。ぼくが直接関わった件では日本人学生が夜中に集団暴行されて河に放り込まれて死亡した事件がある。

 

このような事件は人種差別というよりも、誰でもいい、近くにいるやつを殴って憂さ晴らししたい糞ガキが起こしている。中卒で仕事もなくやることもなく生活保護を受けながら自分の自我も確立出来ずに周りに当たり散らし、暇つぶしにスプレーで落書きしやることなくてバス停を叩き壊したり仲間とつるんで弱っちそうなアジア人を見つけては殴りかかってくる。

 

このような事件はクイーンズタウンでは殆ど起こらない。あの街は人口1万5千人だが流動人口が5千人くらいあり観光客は世界中からやってくるから肌の色の違いとか英語能力の優劣なんて関係ない。

 

そして大事な点は、クイーンズタウンは実はほんの一握りの賢い白人がコントロールしており、彼らが町長になり警察署長になり裁判所判事になり行政を決定してクイーンズタウンの治安を守っている。彼らは人種差別を絶対に認めない、なぜなら世界中から観光客が来ることで街が成り立っており、そんなところで人種差別事件が起こったら大変なことだ。

 

よく言えば治安が安定して生活がしやすい街、悪く言えば全く民主主義の働いてない街、である。ぼくは個人的にはこの街に4年住んでたのでリーダーがしっかりしてればこういう独裁もありだなと思ってる。ちなみにぼくは民主主義絶対信奉者ではない。それ以外の政治形態も期間限定なあrありだと思ってる。

 

そしてオークランド。この街も白人国家の中では比較的治安が良い。もちろん喧嘩もこそ泥も時には猟銃を使った事件も発生するが、それでも正しい時間に正しい場所にいればまず危険な目に遭うこともないし人種差別にまきこまれる事もない。

 

この街も移民の街であり白人率は6割程度、シティに来るとたぶん5割ではないか。仕事相手の人種なんていちいち気にしてられない。目の前に座った人間の英語力とビジネス能力のみで「こいつ、つっかえねーな」と判断するくらいだ。

 

ただしオークランド南部、空港周辺の街に行くと様相は一変して、とくに地方裁判所のある街の中心部はオークランドに十数年住んでるぼくでも車から降りたくない雰囲気だ。この街を夜一人歩きしてたら、それはもう追い剥ぎしてください、暴行してくださいってプラカードを持って歩いてるようなものだ。

 

警察も「こんな時間にこの街を歩いてれば追い剥ぎされるのは当たり前だろ」とは言うだろうな、ただしバカなアジア人とは言わないけど。

 

オークランドのシティは昼間はまず問題ないが、それも夜の9時を過ぎると少し様相が変わる。シティの飲み屋街があるフォートストリートやKロードあたりは危険地帯になる。数名で固まって歩いてたり酔ってなければそれほどでもないが夜中の12時を回るとまず殴り合いがいつ起こっても不思議でな地帯になる。つい最近も若者同士がナイフを使った喧嘩に巻き込まれていた。

 

ノースショアに行けば基本的に治安は良い。ただしこれが不思議なのだが、道路一本隔てるだけで少し治安の悪い場所もある。基本的にはマオリやアイランダーが集団で生活している地域は近寄らないほうがいい。ただノースは基本的に白人の街であり治安は北東に向かうほど良くなり南西に向かうほど悪くなると考えたほうがいい。

 

じゃあ何でニュージーランドが他の英語諸国と比較して治安が良いか?てか人種差別が少ないのか?

 

それはこの国を最初に創った白人たちがすんごい真面目なクリスチャンであり英国の中流知識階級(大学の先生とか医者とか資格保持者)が集団で移住してきてまず最初に無料の学校を作り無料の病院を作り、古き良き英国の伝統と道徳を持込みそれを普遍させ法律に落としこみ(女性参政権、労働法、老齢年金等など)社会の安定を図ったからだ。

 

その結果として先住民であるマオリと白人の共同生活が始まり二カ国語が公用語となり、国民は助け合い差別などしちゃいけないと学校で徹底的に教えこまれた結果として今のニュージーランドがある。

 

1900年代初頭は清朝中国からやってきた砂金掘りの子孫が増えてそのために移民政策を変更してアジアからの人々の受け入れは止めたものの、住み着いた中国人に対しては寛容であったし中国人が白人に同化するという珍しい現象が起こった。

 

ニュージーランドは1980年代(始まりは1984年の労働党の政権獲得とそれに続く市場の自由化)に明治維新のような国家政策の変更がありアジア人移民を受け入れるようになったが、これも表面は受け入れて裏面であっかんべーをするってのではなく、受け入れるとなればきちんと礼儀正しくお迎えするという考え方だった。

 

ところがまあ、最初にやってきたのが中国人なもんでさすがにキーウィも「うーん、これでいいの?」と言うのがあったが、その後日本人がやってきてかなり良いムードになった。続いて韓国からも移民がやってくるようになり、韓国人の場合は軒先と母屋の区別が出来るのでまあOKかな、とくにクリスチャン多いしって事で受け入れた。今でもノースショアの多くの教会は英語と韓国語で案内看板をかけてる。

 

歓迎度で言えば一番評価が高いのが日本人。これはダントツだ。次にかなり離れてインド人とフィリピン人。後を追うように韓国人。一番評価が低いのが中国人。日本人を100とすれば中国人はゼロに近い。インド人とフィリピン人は、ぼくの個人的感想だが50くらいか。韓国人は英語ができない分、インド人より少し評価が下がる。

 

インド人は元々英国植民地仲間だから評価が下がるってのはどうかと思うかもしれないが、僕から見てもあの人種はうざい。朝のTVONE(日本のNHKニュースみたいなもの)で司会者がちょっと次期総督について英国風皮肉冗談を言った時に異常に反応してそれはインド本国まで巻き込んで、ぼくも外国人ながら本当にうざいなインド人と思ったものだ。

 

フィリピン人はきれいな英語を話すし性格が丸いしクリスチャンが多いし喧嘩を嫌う人種でいつもにこにこして地元に溶け込むから、その意味では受けが良い。ただやっぱり国家としては後進国に近いものがあるためにどうしても評価は低い。

 

中国人?こりゃもうどうしようもない。数だけは多いが、なぜこのような人種を神は地上にもたらしたのかと疑問に思うくらいだ。こりゃ試練か(苦笑)?うちの奥さんも娘もとにかく中国人大嫌いであるのは事実。

 

ぼくは昔冗談で、うちの会社でJバッチを売ろうと言ったことがある。一時期中国人に対する叱責が強くなった時、白人には日本人と中国人の区別がつかない、だから胸と背中に大きく「J」と刺繍したバッジを貼るって案だ。

 

現実、キーウィと初対面で話してて最初は普通に会話しているのだが、話の途中でぼくが「おれは日本から来た」とぽろっと言うと相手は「おいおい、早く言えよ!なんだよそりゃ、だったら話は早い、これはこうでこれはこうしよう、おれたち同じだよ!」と急に態度を変えるのが実際だ。

 

キーウィにとって日本人は一種尊敬の対象である。第一次世界大戦では日本海軍駆逐艦がキーウィの兵隊を守って欧州戦線まで護衛した4年の歴史があるし第二次世界大戦では直接組織戦闘がなく、キーウィの大嫌いな米国相手に4年も戦争して、日本敗戦後も同じような小さな島国である日本が工業化して大成長した事実を目の前に見ている。

 

そうやって先進国の仲間入りをした日本であるが決して中国人のように威張らず謙遜して、観光客も可愛らしく値切らずに買い物をして道で肩がぶつかれば下手な英語でもSorryと言い、いつもニコニコして相手の気持を思いやる人々だったからキーウィにとってはまさに「おれたちと同じじゃん」となる。

 

移住してきた英国人の道徳レベルが高く、日本人がニュージーランド人とよく似た高い道徳を持っている事を知ったキーウィは日本人歓迎でありそれは今も全く変わっていない。豪州のように「ふん、白人が一番だけど日本人も一応名誉白人にしてあげるわよ」なんてバカで低能な人種とは全く違う。

 

ずいぶん長くなったのでこのへんで一旦筆を置くが、僕自身が貧乏人として差別される側で少年時代を過ごしてきた、特に自分の責任でもないことを差別の対象とされた怒りは一生忘れない記憶である。

 

今ではそのような連中を許せるが忘れることは一生有り得ない。差別とはそこまで奥深く人の心に突き刺さった針のようにいつまでも人の心の血を流し続けるものだ。

 

幸いにぼくの子供二人はニュージーランドに生まれ育ったからそういうことは全く知らない中で生きてるので、この怒りはぼくの代で終わらせたいと思っている。しかし差別が持つ問題だけは、二人の子供にしっかり教えて、ひとの痛みをわかる大人になってほしいと思っている、切実に思っている。

 



tom_eastwind at 10:27|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月28日

人種差別について

★抜粋開始

「アジア人は愚か」? 豪州で韓国人暴行事件…アジア系人種差別犯罪に拡大か

201211270832[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] comment42hatena0

今年、オーストラリア内で起きたアジア系暴力事件   豪州で韓国人を対象にする無差別暴行事件が25日また発生した。今年に入って4件目だ。こうした暴行事件は中国人や日本人も例外ではなく、人種差別犯罪に広がる雰囲気だ。

 

  豪州警察によると、ブリスベンに居住するチョさん(28)はこの日0時30分ごろ、家で通話状態がよくないため外で電話をしているところ襲われた。2人の白人青年が電話機を貸してほしいと言ってこれを持っていこうとした。返すよう要求すると、2人は暴力を振るってチョさんの頭と顔を集中的に攻撃した。チョさんが反撃する姿勢を見せると、2人は駐車していた車に乗って逃げた。チョさんは昨年7月、ワーキングホリデービザで豪州に行き、肉工場で清掃の仕事をしていた。

 

  先月、豪シドニー・ウルティモのある住宅街で30歳代の会社員キムさん(33)が男4、5人から暴行を受けた。ゴルフクラブなどで殴られて頭蓋骨にひびが入り、肋骨2本が折れる重傷を負った。9月にはメルボルンで30歳代の留学生チャンさんが10代の白人青少年およそ10人から人種差別的な集団暴行を受け、凶器で子指を切られる事件が発生した。3月には韓国人留学生キムさん(34、女性)が路地で会った男から放火にあい、上半身の皮膚の40%にやけどを負った。一連の事件はすべてアジア人密集地域で起きた。

 

  チョさんは調査中に警察から「夜遅く出歩けば危険なのに、アジア人はなぜそうするのか分からない。アジア人は愚かだ」と言われたと明らかにした。

 

  豪州の人種差別犯罪は日本人・中国人も例外でない。4月にはシドニーで白人の10代6人が中国人留学生2人に「アジアの犬」と言って暴行を加えた。同じ月、20代の日本人女性観光客が白人の男に監禁されて性暴行を受けた後、かろうじて脱出するという事件があった。09年にはインド人留学生がパーティー中に白人の男に刃物で腹部を刺されるなど、インド人を対象にした暴行事件が相次いだ。この事件は豪州全域で大規模デモに広まり、3年でインド人留学生は30%水準に減った。中国人留学生も20万人から16万人に減少するなど下落傾向にある。現地韓国人は留学生3万人、ワーキングホリデー滞在者3万人を含めて約14万人。

 

  09年177億ドルだった豪州の留学収入は2010年は172億ドル、2011年は139億ドルと急減している。留学・観光産業は豪州国内総生産(GDP)の20%を占める3大産業。豪州の人種差別犯罪は、1973年に廃棄されたもののまだ一部の国民の間で残っている白豪主義(白人優先政策)情緒が原因と指定される。教育熱が高いアジア系住民の子どもが医師や弁護士など専門職に就くケースが急増しているのも要因に挙げられる。

 

  キャンベラ駐在韓国大使館のカン・ヨンフン政務担当公使は「アジア人が急増しているので、相対的にアジア人を対象にした犯罪が増えるおそれもある」とし「しかし豪州政府が主力事業である留学分野の減少傾向に敏感に反応しているだけに、円満に解決されるだろう」と説明した。

★抜粋終了

 

円満に解決するわけないんだけど韓国大使館としては公式発表としてはこうしか言いようがないのか、もしくは本当にバカなら円満に解決すると思っているのかもしれない。

 

今の豪州で稼いでいるのは地下資源であり言葉を変えれば先祖代々何の能力もないままぼやーっと百姓をやってたのが突然の地上げで土地が高く売れて家を建て替えて高級車買ってカジノに行って結局すっからかんになるまでやりっぱなしというのが今の豪州である。

 

仕事柄シドニーによく行くが、本当にあの街って成金ばかりだなって感じを受ける。立派なスーツを着ているが着こなしてない。バーに行けば札束が飛び交うがそこに品がない。高級ホテルやレストランが立ち並ぶが味も雰囲気も理解出来てない。高けりゃいいやって感じ。

 

別にシドニーがオークランドより大きな街だからってわけではない。大きな街なら東京や香港のほうがよほど大きい。サイズは関係無い。街の成り立ちの問題だ。

 

抜粋と前置きが長くなったが移住する人にとって人種差別は切実な問題なので記事にしておく。人種差別は人間が持つ本能的な防御行動である。だから人間が人間である限り少なくなり弱まることはあるにしても、なくなることは決してない。

 

それは学校においてはイジメであり大人になっては在日差別や部落差別に繋がり、同じ民族同士でさえ金持ちと貧乏人、美女と醜女、とにかく徹底的に何か理由を付けて自分と他人の違いを見つけて自分の優位性を主張しようとする。

 

大手商社の奥様会でも奥様個人の能力とは関係なく旦那の社内での地位で奥様会の立場が変わり、支店長クラスの奥様は優位的発言をして自分がいかに偉いかを自慢する。馬鹿の極みである。

 

もちろんこのような差別は、全ては無知と能なしと低学歴などが重なりあって起こる現象だ。全ての人間が賢く知恵があり高学歴であれば、それはその中で妬みや僻みが出てきて自分の優越感を守るために目くそと鼻くそくらいの違いしかないのに針小棒大にして他人を差別しようとする。

 

差別とは、言い換えれば全く自分に自信を持てずに不安である能なし連中の最後の拠り所であるということだ。だからバカや能なしの多い地域では差別が多発する。

 

本当に自分に自信があれば他人のことなど眼に入るはずもなく自分の大好きな人生を自分で謳歌するだけであり他人が幸せなら素直に喜べる人間である。

 

あなたがもし他人の幸せを聞いて少しでも反感を抱いたりいらっとするようなら、それはあなたが自分の劣等感から逃れていない証拠だ。ほんとうに自分のココロが豊かで自由を理解してて自分の人生を自分なりに満足して生きている人は、ほんとうに他人の幸福を笑顔で受け入れられる。

 

しかし世の中の現実は決してそうではない。何も出来ない自分、何もやりたくない自分、逃げたい自分、バカな自分、努力したくない自分、そういったネガティブな心が何とかして他人より優越感を得たいから最後には暴力に走ってまで自己満足を得ようとする、実はとっても寂しい心なのだ。

 

そして世の中に寂しいバカがいる限り差別や暴力は必ずつきまとう。それが人間の持つ原点としての弱さの一つでありそれを乗り越えられない人間にとってはトラウマのように現れ暴力に繋がり、日本ではそれが弱者に向いて浮浪者狩りが行われるようになる。

 

まさに社会の鏡のような差別暴力行為であるが、これこそ神様がぼくら人間に与えた最初の試練である。差別によって得られる優越感と暴力によって得られるエクスタシー、それがいびつに混じって薄汚い人間を作り出すのだが、それが神様が与えた試練である。この薄汚い蛆虫の棲む泥沼から自分が抜け出して他人と比較しない自分を持てるかどうか、そこが第一の試練である。

 

そしてこの試練をクリアーした人だけが次の段階にいける。自分との競争だ。思い描く自分と現実の自分の溝を埋めようとして努力する。それがどこまで出来るかが神様の、次に与えた試練だ。

 

この段階でもかなりの人が追試を受けまくっている状況だが、それでも第一の試練を乗り越えられないサル並みの連中よりはずっと人間である。

長くなるので一般論はここまで。明日の記事でニュージーランドの現実を書きます。 



tom_eastwind at 10:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月27日

世界最低、日本人のやる気?

ブログに頂いたコメントの中で、ぼくが福岡からシンガポールに向かう飛行機が偶然一緒だったんですねというのがあった。その方はシンガポール在住だそうで前日に福岡でラーメン食べてたそうだ、そこも同じ!海外生活でうれしいのは誰かと交差した時で「世界は狭いですねー。」と言える時だから思わずうれしくて笑ってしまった。

 

海外で生活をしていると日本をより強く意識するようになる。日本で生活をしていると毎日のちっちゃな変化に気づかないまま大きな変化を何の意識もなく受け入れているのだが、海外で生活をしていると日本の毎日のちっちゃな変化を感じないから大きな変化が見える。

 

特に今のシンガポールと日本を比較すると隔世の感がする。1970年代のシンガポールは未開発の土地だらけでセントサ島に渡ってピューターのお買い物をするくらいが精一杯。当時のツアーで定盤コースは「シンバンホン」と呼ばれていた。まずシンガポールに飛び次にバンコクに行き最後に香港に入るのだが、3カ国を比較して香港が一番賑やかだった。

 

もちろん当時の日本はアジアの中で突出していて「LOOKEAST」日本をお手本にしようとすべての東南アジア諸国が日本を向いていた。

 

ぼくは1970年代終わり、文化大革命終了後の中国に行ったことがある。当時の中国では全員が粗末な人民服を着て上海の街なかでも人々は自転車通勤をしていて、第一百貨店という一番大きなデパートでも品が少なく百貨店内のトイレなのに個室のドアがなく、北京のワンフーチンは舗装もされていない路地でちっちゃな屋台で刀削麺を作りお客は地べたに座り込んでそれを食い、全てが日本と比較にならないほどだった。

 

ところが今ではGDPで日本は中国に抜かれシンガポールがアジアのハブとなり、日本の経済規模は中国に次いで3位だが気分的にはアジア主要国から「すっかり抜き去られた国家」になってしまった。もちろん今だ日本はアニメやコスプレ、綺麗な国、正直な人々という文化的側面は評価されているが経済的には「オワタ」と見られている。日本の企業でさえシンガポールに本社機能を移し始めている。

 

けれどそのような大きな変化は日本国内で毎日仕事をしていては感じることはなく海外と日本を比較することもなく今眼の前にある毎日を一生懸命生きてくだけで一日が終わり、その一日が365日続いて一年が終わり、また次の一年が来るって感じだ。

 

日経ビジネスの11月19日号で世界経済フォーラムの国際競争力ランキングが発表されているが2007年時点でシンガポールは7位、日本は8位。2012年時点でシンガポールは2位、日本は10位である。

 

更にエンゲージメント指数、これは国別のやる気度で「社員が自身の仕事と組織に誇りと満足感を持ち責任感を持って現在の仕事を続け組織を支持すること」と定義されているが、この調査によると日本は31%で世界最低。世界最高はインドの77%。米国は59%で4位。

 

この調査は世界の大手企業を対象としているが日本の企業でしか働いてない人は他国の企業と比較することは出来ない。しかし外から世界を国別に比較してみると日本のエンゲージメント指数が低いのはよく分かる。

 

社員のエンゲージメントを高める要因は、目指す未来の姿に対して自信を持って示す経営者、部下を尊重し信頼出来る上司、社員にとっての成長機会、社会善を重んじる組織文化。要は、社員が自分の成長と将来を託すことができるリーダーと組織であることが、社員の力を引き出す鍵になる。

 

日本の場合は仕事を「やらされている」気持ちが強く、目指す未来が見えず経営者に自信がなく上司は部下を尊重も信頼も出来ず社員にとっての成長機会がなく、社会善よりも企業ルールを重んじる組織文化であるから、このエンゲージメント指数は日本が最低になるように作られた数字かと思ってしまう。

 

久しぶりに福岡のキャナルシティ内の一蘭ラーメンを食べた。前回来たときは店内改装中で食べられなかったので福岡に着くとそのまま飛び込んで食ったのだが、「あれ?」ここってお持ち帰り用のラーメンとか売ってた?

 

てかラーメン丼が箱弁当になったのは知ってたけど、麺は生煮えでスープに鋭さがなく以前のような尖った主張がなくなってた。元々カウンターがブロイラー形式の食べさせ方で賛否両論の中でも自分の主張を貫いてたのに、随分変わったなー。

 

毎日同じ物を食べているとそれほど疑問を感じないのだろうが、1年に1回くらいしか食べる機会のない人間としてはどうしても期待感が高くなってよりよい物が出てくると思ってるからか、残念感が強い。

 

日本を好きでいるから期待し過ぎて今の日本に残念感があるのかな。経済的に良かった時代の日本とその頃の日本人の元気の良さを知っているだけに今の日本の閉塞感は残念。


けど、少なくとも僕は元気の良かった日本を体験した日本人として、そして海外に生きる日本人として誇りを持って前向きに、地元キーウィがびっくりするくらい日本人の存在感を出していくぞ。移民が溢れるオークランドではあるが、絶対に彼らの背後に沈没なんてしないぞ、数は少なくても常にすべての人種の中で最良の存在感を見せていくぞ。

 

 



tom_eastwind at 17:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月26日

特別相続税を創設

★抜粋開始

日本維新の会(石原慎太郎代表)は、衆院選に向けた政権公約「骨太2013〜2016」の原案をまとめた。維新の目玉政策である消費税の地方税化を踏まえ、自治体間の調整のため「地方共有税」を設ける。さらに社会保障制度の財源として、年金目的の特別相続税の創設も明記する。29日に石原氏と橋下徹代表代行が東京都内で発表する予定だ。

 

 公約は「日本を賢く強くする〜したたかな日本〜」と銘打ち、「グレート・リセットを実現する」として改革色を強く打ち出す。

 

 公約原案では消費税収が地方に回る分、「地方共有税」で新たに財政調整の仕組みを設ける。年金など社会保障制度を維持する財源は減るため、「広く薄い年金目的の特別相続税を創設」と記した。社会保険料を公正に徴収するとともに、「税金投入を低所得層の負担軽減や最低生活保障目的に限定する」ことで歳出増を抑える考えだ。

★抜粋終了

 

「年金目的の特別相続税」を導入するってのは以前から橋下氏が主張していた事だがこれは多分財務省あたりから知恵をもらったのだろう。来年早々にも相続税の増税方針は決まっているがそれを更に強化しようって事だ。

 

橋下氏は元々が貧しい家庭に生まれたわけで税による富の再配分には個人的にも賛成なのだろう。そして世の中の95%の人々にとっては相続税など縁がないわけで当然彼らは自分の腹が痛まずに年金目的の増税をやってくれるなら万々歳だ、維新の会に一票!って事になる。

 

見事な民主主義である。リスクを取って起業を興し苦しい中で社員を雇い企業を成長させた人々からすれば、リスクも取らず努力もせずに俺が稼いだ金をかっぱらっていくのか?!という話である。これが民主主義なら誰も働かずに政府から金が降ってくるのを待つよって棚ボタ話だ。

 

ぼくも貧しい家庭の生まれだから世の中の不合理さは誰よりも分かっているつもりだ。出来れば誰もが平等になってほしい。ただ僕の考える平等は上向きの平等であり、成功した人の背中を見て、よし俺も頑張るぞって言って成功して社会全体を上向きに豊かにする環境である。

 

ただ、リスクを取って失敗した人たちやその家族向けの生活サポート、つまり社会保障だけ十分厚くしておけば誰もが起業に向けて努力をすることが出来る。

 

ところが相続税の強化は働く人のやる気を奪う税制である。いくら頑張って働いても自分の子供に残すことが出来ない税制である。自分が稼いだ金が自分が残したい子供にではなく政府に取られて、政府はその金を年金のためとか言っても実際には何に使われるかわかったものではない。去年の復興予算がまさに良い例である。政府は一度金を握ったらすぐに約束を破るのだ、どうせ国民はすぐに忘れるからだと思ってる。

 

誰だって墓場に金は持っていけない、けれど自分が働いてきちんと納税した後の金をどう使おうが本人の自由ではないか。これは例えば寄付と同じである。自分の金をあしながおじさんに寄付するのかタイガーマスクみたいに寄付するのかは自分で決める。

 

ちなみに日本では寄付と言っても税金の対象になったりする。その理由はお金の使い方は政府が決める、バカな国民が寄付という名目で無駄なお金を使わないようにするためだ。米国では寄付をしやすい仕組みになっているのと正反対だ。

 

これも、国民が日本から逃げるわけがないからと無理やりむしりとる政策だ。まったく国民もなめられたものである。

 

国家が目指す税制度とは、国民を等しく貧乏にして生きていくのにぎりぎりの金しか持たせずこき使っていく下向きの平等だ。この制度では誰もが貧しくなり一部支配層の力がますます強くなるだけである。

 

結果的に人々はリスクを取って事業を起こさず苦しみの中で雇用を生まず努力をせずに毎日をだらだらと働くことになる。

 

政府の考えていることは「それでも良い、なぜなら政府が事業を起こすからだ。日本株式会社の各部門で諸君がサービス残業して働いてくれればよろしい」って事だ。政府はリスクは不要である、なぜなら起業資金は国民の税金で賄うから自分の腹が痛むことはない。

 

自分がリスクを取らず起業して、失敗しても何の責任も取らない、役所を退職したら天下りで退職金を貰い放題、でもって子供はよいとこの嬢ちゃんと結婚させて支配層の固定化を進める。

 

第一リスクを取って起業するなんてなったら、そんなやる気のある連中はいつか世の中の仕組みに気づいて我々支配層をぶち壊しにかかるだろう、そんな事、されてたまるか。国民全員が自分の頭で考えずにやる気も出さずにぬるま湯に漬かってもらうのが一番良い支配方法なのだ。

 

今回の相続税強化には上記のような背景がある。



tom_eastwind at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月25日

一衣帯水の国、現代中国と日本

★抜粋開始

まず、格差は全てが悪いというわけではなく、多くの場合良いことである。一定程度格差があるのが、正常な社会である。しかしメディアは富の格差は全てが悪で、全面的に否定しなければならないとしている。これは誤った考えで、民衆に現実的でない期待を持たせている。

 

 社会の進歩は、「独断的平均主義」を打ち破り、市場競争を取り入れたことで、市場競争を通じて、資源の合理的配分を目指すものだ。市場競争では、必ず一定程度の貧富の差が生じる。平等なルールでの競争では必ず不平等が生まれる。

 

 計画経済と平等主義により、「均等の豊かさ」を追求するのは、人間性、社会の活力を扼殺することだ。発展は、すべて「差を認めた」ことによるものだ。

 

  当然、市場に高い価値を与えるべきでなく、格差は一定の限度で抑えるべきだ。しかし、メディアは格差を議ずる時、「均等の豊かさ」といった思想に迎合し、あらゆる格差が許せない様だ。結果、「富」を敵のように、思う者も出てきている。

 

 次に、格差の問題を論ずる時、その原因を考えなくてはならない。まじめに頑張っても豊かになることができず、家を買うことができない、一方、無学無能な人が両親の資産のおかげで、豊かな暮らしを送る。これらは社会の恥で、批判されるべきだ。

 

 勉強もろくにせず、努力して働かないが故に、生活できない者の貧困は批判されるべきだ。権力の独占により豊かになった者は批判されるべきだが、同時に努力せずに貧しいものは「敵視」されるべきだ。

 

 こうしたことを考えずに、一概に貧富の差を論ずべきではない。こうした場合分けもしない大雑把な議論が、努力して豊かになった者を傷つけ、怠け者に口実を与えることとなっている。

★抜粋終了

 

まさに現代日本の格差を批評しているように見えるが、実はこれ中国共産党青年団の機関誌である「中国青年報」の記事の抜粋だ。

http://blogos.com/article/50960/

 

原文では中国の〜という言葉があるのでその言葉だけ削ってみたらまるで日本の社会を批判するような上記の記事のようになる。今の中国社会の格差に対する批判を批判しているのだが、実際に中国市民の間っでくすぶっている社会格差とは一部共産党幹部による農地売却と農民追い出しなどを行う、固定化された中国富裕層への不満である。

 

この記事は格差を認めているが同時に格差が共産党批判に繋がらないように問題を逸らすのが目的ではないかと読まれている。

 

では共産党一党支配である中国で起こっている現象と民主主義である日本で起こっている格差の固定化がなぜここまで似ているのか?それは日本が実質的に法治国家でなく裁量政治であり人治国家であり共産党に当たるものが高級官僚であるからというものだ。

 

日本では政党はあくまでも官僚の振り付けに従って踊るだけのものであり中国共産党のような力を持っていない。そして官僚の息子は官僚となり他の優秀な官僚の娘と結婚して閨閥を作り、時にこれが政治家や財閥の子供とも結婚して政財官の鉄のトライアングルを作り、ここに格差が固定化することになる。

 

つまり日本では明治の昔から格差は固定していた。一部の選ばれた人々のみが支配層に入ることを許され、それ以外の人間はすべて被支配層であったという事実は何も変わらないのだ。

 

日本が平等だという夢を信じている人は幸せだが、ぼくは香港に住んで「力がなければ自由はない、金の量に応じて人々は平等である」を体感してニュージーランドでは英国から引き継がれてきた「国民が守る民主主義」を体感してみると、日本はとことん中国と同じ国であるのを感じる。

 

民主主義の生みの親と言われるアテネでも投票権は納税者に限られていた。日本も明治時代初期は同様であった。つまり民主主義でさえ参加者には対価を要求したのだ。その結果として実際に労働の価値を理解している人々のみが選挙権を持ち選挙に参加する人々はきちんとした価値観を持つことが出来て結果的に良い社会の成立に向けて動くことが出来た。

 

ニュージーランドでは今でもたくさんの納税をしているビジネスマンは堂々と「おれは今年これだけ納税した、社会のために貢献したんだ」と大きな声で話す。社会に貢献したものはその貢献度に応じて大きな声で話す権利があると理解しているからだ。

 

これに対して現在の日本では成人になれば誰でも選挙権を持てるようにした。その結果として政治を全く学んだことのない人々が選挙に参加してタレントやお笑い芸人がシロウトでありながら知名度のために政治家になり、これが結果的に人々にとって悪い社会=支配者にとっては操りやすい社会を作ることになった。

 

つまり支配者が大好きな民主主義とは砂糖に包まれた毒のようなもので支配者にとっては本当の意味でのニュージーランドのような民主主義が実現されたら困るから官僚は支配権が決して多数の人々に散らばらないように閨閥政治を行い権力を東京の中に集中させて国家の安定=支配層の固定化を計った。その計画は見事に成功して現在のような格差が固定化した社会が出来上がったのである。

 

つまり現在失業中の若者や低賃金でこき使われている若者は最初から狙い撃ちにされていた使い捨て層でありまさに奴隷の位置に配置される運命にあったのだ。

 

それは中国も同様であり共産党幹部の子供に生まれればそれで人生は「上がり」、一生の生活の安定が得られるがそうでない普通の人々はこき使われ土地を奪われ使い捨てにされる運命にあったのだ。

 

だから格差の固定化に疑問を持てば「それは努力不足だから」と切り捨てられ平等を要求すれば今の世の中は平等であると返され何を言っても通用しない社会になってしまった。

 

これが現在の日本と中国の実態である。一衣帯水の国とは良く言ったもので、どちらの国でも支配層のやってることは同じであり苦しめられる人々も同様である。格差はすでに固定化されている。それは小泉元首相がやったことでもなく胡錦濤がやった事でもなく、その社会を認めてしまった国民自体にある。



tom_eastwind at 16:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月24日

「悪の教典」貴志祐介

水曜日の夜、帰りの飛行機の機内で上巻を読み終わり、木曜日の昼過ぎに奥さんと空港で会って奥さんの車を運転して自宅に戻る。オークランドに戻ってきて最初の儀式が車を運転すること。これで気分はかなりオークランドに帰ってきたようになる。

 

べつに自分で運転しなくても良いのだが、出張先で車を運転することはなくすべてが電車とかタクシーとか新幹線とか飛行機とか、他人に乗せられての移動なので、気分的に自分が自分の人生のハンドルを握っているって気持ちになるのだろう。

 

そんな自分分析をしても仕方ないのだが、自宅に帰るなり10日分の荷物を所定位置に戻して夏だというのにお風呂に入り半身浴で悪の教典下巻を読み始める。

 

止まらない。全然止まらない。ふだんなら夜の9時にはベッドに入ってるはずなのだが、この本、ぜんぜん寝かせてくれない。結局12時頃になって奥さんに「明日は仕事でしょ、早く寝なさい」とせかされてベッドに入る。

 

翌朝の金曜日、出社する時のビジネスバッグにパソコンなどを詰め込みながら思わず悪の教典の下巻をバッグの端っこに押しこむ。どうせ読む時間なんてあるはず無いのに、もしかして読む機会があればとバッグに押しこむその気持は、朝のバス停でもしかして隣の高校に通うあの娘に会えるかなと薄淡い期待(笑)。

 

それほどにこの本は、即死状態に追い込む可能性ありの作品だ。結局金曜日は薄淡い期待は成就せずに土曜日の昼に再会できたのだが、今度は下巻の残りページが少なくなるのに辛くなり、大好きな彼女と神社の裏の石段に座り込んでおしゃべりをするデートの終わりの時間を少しでも先延ばしにしようと思わず今回日本で買ってきたブルーレイ「戦国自衛隊」を観ようかな、時間稼ぎ。

 

けど結局「戦国自衛隊」は「悪の教典」の代役ではなく本を読み進む手は止まらず最後まで一気に読了する。

 

読後感が自分でも恐い。読み終わってもう逢えないって感じがしない。また読みたい。次の作品を読みたい。この男、次になにをやるのか、それが知りたい。

 

この小説を買う機会になったのは、三池祟司が監督となって映画化された広告を何気なしに見たからだ。最初はフーンと思った。けど三池監督であれば相当良い仕上がりになっているだろう、だったら原作は先に読んでおこう、でもって映画と原作を比べてみようと思っただけだった。

 

一般論として原作を乗り越える映画を作るのは難しい。だからまずは原作を読んでおくと映画の出来がより良く分かる。そう思ってamazonで買って東京のホテルに送ってもらったのだが、その前に読む本が数冊溜まってたのでそれらを読了して帰路の飛行機でやっと読み始めたのだが、うーん、これほどエンターテイメント性が高く内容の濃い作品を上品な筆でここまで書ける日本人が出てきたってことが本当にうれしい。

 

次は映画だな。年末に日本に行く時に見られることが出来なければamazonDVDを買うことは決定。久しぶりに素晴らしい読後感を与えてくれた本だ。

 

ただしここまで褒めておいて悪いが、普通の常識を持ってたり殺人事件が嫌いな女性は読まないほうが良い。苦しい人生に立ち向かうためには下らん日本の常識はかえって足かせになるということを理解出来ない人、平和を守るために武器を持つって意味が理解出来ない社民党大好きさんには向かない本だ。



tom_eastwind at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2012年11月23日

総選挙について

僕の最近の記事を読んでる方は、僕は政治にあまり興味がないのではないか、ニュージーランドのことばかり書いているとお考えかもしれないが、以前は随分政治記事を書いてきた。

 

その経験として最近はもう記事を書かなくなった。結局何を書いても社会全体の進む方向は変わらず個人ができることは自分の周囲を変化させることではなく自分の住む環境を変化させるしかないと感じたからだ。

 

山上たつひこの「光る風」について以前書いたが、自民党の安倍総裁が「国防軍」の話を始めた。今回の選挙では「元の濁りの田沼恋しき」で自民党回帰が起こっている。民主党が馬脚を表した失望の結果として濁りの塊である自民党に票が戻り始めている。

 

維新の会にも票が集まるが、これは彼らが何かを変えることが出来ると希望している人々の票だろう。その気持はわかる。しかし現実問題として政治を進めていくには日本独特の「表面的民主主義」、つまり政治が決断を出来ず村社会的「おらが村だけ良けりゃええ」的な偽善民主主義が邪魔をして結果的に方向性が定まらないまま実質的に法律と制度を作る官僚の言いなりになるしかない。

 

政治は八百屋や肉屋と同じで毎日の生活に密着しており「今週は政治、おやすみします」は通用しない。毎日の実務としての政治を動かせるのは政策と実行のプロである官僚にしか出来ない。官僚排除を主張すれば官僚は「じゃあどうぞ、あなた達素人政治家がやってみて下さい、八百屋がおやすみして困るのは国民、文句の矢先は政治家に向きますよ」次の選挙で負けないためには官僚の言いなりになるしかないのだ。

 

今回の衆院選でも単独与党が出てくる可能性はほぼゼロであり自公連立に維新が個別政策で合流、程度であろう。そうなると自民党が要求する国防軍は将来的に「通る可能性」が高い。官僚としては自分たちの権力拡大のために防衛庁を防衛省に格上げした。

 

次は国防省にしたいわけでそうなると自衛隊ではなく国防軍となり軍備を強化して空母を建造して日本の海を守るという理屈が通る(すでに日本は実質的に空母を一隻保有している)。空母とは自国を守る平気ではなく他国を攻撃するものであるから国防の意味では本来不要。日本の海を守るにしても離島に航空自衛隊基地を作れば対応出来る。

 

米軍が最新鋭戦闘機を売ってくれなくても自国の製造業を集めて戦闘機を作る技術はある。ここまで揃ってお隣の中国が仮想敵国となれば防衛費は格段に上昇して官僚の扱う分野と予算は拡大する。

 

他にも維新の会は相続税の増税を要求している。これも財務省からすれば有難い話だ。自民党が反対しても「国民皆平等、金持ち不要、全員下向きに貧乏人にしてお上に逆らえない社会にしたい」財務省が要求すれば、次の選挙で負けたくない自民党としても飲まざるを得ない。

 

つまり政策提携とか連立とか言う寄せ集めはお互いの政策が違っている場合、政権存続をするために妥協セざるを得ないがその妥協の時に官僚の操作が有効となるのだ。誰しも官僚を敵に回して冤罪事件や陸山会事件に巻き込まれたくない、この5年で官僚が本気で牙を向いたら一政治家がどう戦っても勝ち目がないことがはっきりした。

 

つまり次の総選挙でも何も決定できない政府が成立して官僚が望む社会がこれからますます明確になるという事だけが見えているのだ。そんな総選挙に何の意味があるのか?自分の家族を守るために選挙に参加しても今の日本でできることはあまりない。

 

ぼくは旧いお客様とは結構本音の話をする。5年ほど前かな、お客様のご自宅にお伺いして政治談義になった時にぼくはこういった。「今の日本を変えるにはクーデターしか無い。一部政治家が市ヶ谷の自衛隊を指揮して横田基地の米軍が出動する前に国会議事堂とNHKを乗っ取り革命宣言を行い衆参同時総選挙を発表する、これしか今の日本を正しい道に戻す方法はない」

 

これは今でもそう思っている。今の日本の社会構造は明治時代から続く官僚支配にますます磨きがかかっており国民が足元だけ見てお笑い番組だけ見てみのもんたが息抜きをするのだけを見て一部政治家が叩かれるのを見てそれだけで明日も同じ世の中が来ると思っている。

 

この社会の仕組みは建前民主主義という隠れ蓑をまとっているから、民主主義の中で何をしても勝ち目がない。それは小学生の子供がたった一人で学校教育の矛盾に立ち向かっても現実的勝ち目がないのと同じだ。

 

ぼくは小学生の頃、先生たちからすればどうしようもない糞ガキだった。

 

ある時ホームルームで教室の掃除の問題で先生と議論になった。当時の教室には一番後ろに清掃箱がありそこにほうきとはたきと雑巾があった。冬場の雑巾がけは手が冷たくなる。授業が終わって最初に掃除箱に行くのは一番後ろの席に座ってる子供だ。

 

そうなると彼ら一番後ろに座っている子供が自己防衛的に取るのは一番ラクなはたきである。一番まえに座っている子供はいつも最後に残った雑巾になる。これは不公平だ、少なくとも雑巾、ほうき、はたきと3組をローテーションにすべきだ、そう主張した僕に対して当時の先生は「お前は集団責任を理解出来ない無責任な奴だ!」と言ってきた。

 

ぼくは聞いた。「先生、集団責任って何ですか?責任はあくまでも個人の問題であり他人が何かやった事を僕の責任にするなんてどう考えてもおかしな話ですよ。じゃあもしある日本人が人を殺したら先生も同じ日本人として裁かれても文句を言わないってことですか?」

 

この理屈はちょっと考えてみればわかることで南京虐殺とかが事実では有り得ない事を別としてもそれが俺の責任か?だったら中国は元寇の責任を取って習近平以下全員が鎌倉幕府に対してお詫びと賠償をすべきだろう。ばっかじゃねーか、言われっぱなしで脳停止状態の連中め。

 

「無責任というが平等を担保しない掃除の仕組みの方法がよほど無責任でしょう、先生は自分の仕事を減らしたいから僕らに不平等を押し付けるけど、それが先生の教育ですか?」

 

当時は日教組の強い時代であり(僕は小学校時代を大分で過ごした)、先生は何かと言えば自習時間を作って先生たちはすぐにデモに行きそこで女性先生と仲良くしてたものだ。それでいながら教師は聖職など矛盾した事を言っていて、ぼくは子供心に「こいつらの言うことをまともに聞いてたらこっちが殺されるぞ」と思ったものだ。

 

結局先生がとった手法は分離支配だ。ぼく一人に文句を言った挙句他の生徒に向かって「おい、皆はどう思う?こいつの言ってる事は自分だけはたきで楽をシたいというワガママじゃないか?こんなワガママで集団責任を理解しない奴の言ってることが正しいと思ってるなら手を上げて発言してみろ」

 

まさに支配者の理論である。当然センセに睨まれたくない同級生は誰も手を挙げず僕一人が撃墜された。誰しも自分の身が可愛い。関係ない他人の喧嘩に巻き込まれたくない。自分可愛さに自分を奴隷に追い込んでいるなんて考えもせずに保身に走る。

 

そして先生は勝ち誇ったように僕に向かって宣言する。「民主主義だろ、多数がお前の言ってる事に共感しないって事は、お前が間違っているのだ!」

 

ぼくは保身に走る子どもたちの気持ちはわかる。だから彼らを責めるつもりはなかっ。けれどこんな状況で権力者に支配された「民主主義」が作られる日本という社会には疑問を抱いた。掃除箱事件以外にも小学生の頃は様々な事件を起こした。そのどれもが「多数の意見に対する少数意見」という事で排除されたケースだ。

 

議論も理論も無視されてそれが民主主義という綺麗事のケープをまとっただけで絶対的正義になる国って、一体何だ?結局中国と同じ一党支配の共産主義国家ではないか?

 

今回の総選挙でも結果は見えている。官僚の勝ちだ。ぼくの見立てではこれは2017年までに日本の一般市民はドツボに落とされていく。増税、社会保障の削減、相続税の強化、日本株式会社がまた出来上がり民間企業はすべて政府官僚の支配下で法律には存在しない「通達」によって経営権を奪われていく。

 

2017年は最悪の年になるだろう。下手をすれば中国と戦争になっているかもしれない。そうなれば実質的徴兵制度も出てくる。国民が自発的に「日本国を守るために」戦争に駆り出される。本当はいやだけど兵隊に行かなければ周囲に村八分にされて実質的に死刑宣告である。

 

それよりは家族のために俺だけ死ねばいいんだろ、いいよ戦争に行くよって話になり若者は駆り出される。たった10年前(2007年)には想像もつかなかった事が現実となるかもしれない。

 

戦争に向かう足音は軍靴の響きとも呼ばれているが、何時の時代のどの国でも戦争に突入する前日まで誰も自分の子供が戦争に駆り出されるなんて思いもよらなかった。赤紙が来て初めて現実を見ることになる。

 

ほんとうの意味での民主主義が存在しない社会主義国家では民主主義さえ官僚操作の一手段として操作される。

 

2001年頃に僕は2010年頃の現在の日本はこうなるだろうなと予測した。そして世の中はまさにそのとおりになっている。日本の2017年が上記のような見立てになる可能性は非常に高い。その時になって子供に「ごめんな、お父ちゃんが先のことを考えることが出来なくてさ」と後悔しても遅い。

 

自分の家族の身を守るのは自分しかいない。民主主義とか総選挙とかを信用して無批判に日本社会で過ごすという事は自分の家族を守る義務を放棄したようなものだ。

 

 



tom_eastwind at 16:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月22日

十勝五敗

シンガポールから夜中の飛行機でオークランド到着。搭乗時間は約10時間だけど夜の9時に出発して翌日のお昼、12:10に着く。今は時差5時間。「呪い唄」を読了して続けて「悪の教典」の上巻をほぼ読みきった状態で寝る。

 

ついでに機内で韓国映画「MyWay」を観る。日本統治時代の韓国で第二次世界大戦を迎え、日本軍兵士として従軍するもソビエト軍の捕虜となりソビエト軍兵士として戦い、次は何とドイツ軍に逮捕されてノルマンディで陣地構築を行いD/Dayを戦うことになる。

 

かなり荒唐無稽な筋書きであるが韓国らしい「ケンチャナヨ精神」に満ちてて退屈しない。映画では日本人俳優も出演しており憎らしい軍人姿がほんとにニックたらしい。あれ?この俳優、テレビで観たことあるぞ。演技じゃなくて本当に韓国人をバカにしているのか?

 

そんなこんなで機内ではほぼ寝る時間もなくオークランドに到着する。「呪い唄」が期待にそぐわず、うーん、前作「長い腕」で感じた恐怖感が全くない。「悪の教典」は相当いけてる。機内での食事はソテーから始まりどれも美味しい。映画は五分五分だったので今日は結局十勝五敗という感じ。

 

今回の出張そのものを全体的に振り返ってみても十勝五敗って感じかな。うまくいった事もあればうまくいかなかった事もある。けど全勝しなくてもあまり気にならなくなった分だけ心が落ち着くようになった。

 

昔は全線全勝でなければ納得できず、99の成功があってもたった1つの失敗に怒り成功した部分は全く振り返らずに失敗した部分だけに意識が行ってしまい全然楽しくない一日になったりした。

 

だから結局毎日が楽しくないし、時にその日全線全勝したらばかみたいにハッピーになったりしてハメを外して結局また何か失敗をしたりして結局後悔することになる。

 

何だか失敗するまで成功し続けて最後に後悔するってバカのような人生を送るよりは、今あるものに満足を感じて楽しめる方がいい。

 

ケータイのメッセージを消したりメールのメッセージを整理したりしながらオークランド空港に向かう。早くオークランドに着きたいと思ったら飛行機の中で走ればいいのかな(苦笑)などと バカな事を考えながら、やっぱり今回の出張はいつもより短い期間だったけど相当に重かったのがわかる。早いとこオークランドに戻りたい気持ちが強いからだ。

 

失敗も多いけど何とか今まで生きてきたし、ないものに怒るのではなく今あるものに満足を感じることが出来るようになっただけ有難い。

 

オークランドに戻ったら早速移住チームと今回の説明会及び個人面談の報告だ。そして担当者を決めてからは仕事は僕の手を離れてプロチームが受け取ることになる。そうすれば来週の月曜日から僕はまた企画担当に戻ることになる。

 

今回の日本でもいろんなアイデアが湧いてきた。やっぱり日本に行く事が一番刺激的であり脳みそが活性化する、それにシンガポールも今年3回目だが、この街も学ぶものが多い。当社は今年は1220日からクリスマス休暇に入り年明け111日から再開だ。あと一ヶ月、後悔のないように出来るだけの事をしよう。

 

 



tom_eastwind at 15:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月21日

なんだこりゃ?

ジョン・ル・カレの本をなくした。沖縄から福岡に向かう飛行機の中で途中まで読んだまま座席前の物入れに入れて忘れた・・・残念、せっかくなのにな。

 

誰かが紹介してくれたのか、昨日は急にブログのアクセスが増えてた。増やすことを目的に書いているわけではなく、あくまでも言いたいことを言うために書いている。客引きのための文章も書けるけど書かない。

 

こういう我がままなのはおやじの血を引いたのかなって思ったりする。あいつが生きてた頃は殺してやろうとまで思ってた親父だが、いつの間にか自分がその血を引き継いでいるのを感じて「あーあ、やってらんねーな」と思ったりする(苦笑)。

 

シンガポールのホテルで夜の飛行機までの時間があるのでカフェでゆっくりする。そのあいだもパソコンと本を手元に置いて過ごす。ぼくにとって文字を書いたり文字を読んだりするのは、どうやら血の流れかな。

 

以前も少し書いたがぼくの先祖は17世紀の名古屋の木曽川の筏下り支配の役人だったようだ。よく言えば武士、悪く言っても武士、かな。けど所詮は1600年頃から名前が出ただけの人間であり、明治維新前夜あたりに九州にやってきた禅寺の住職が実質的にぼくの血液に近いのかなって感じがする。

 

遺伝というか何かは分からないが、元々反骨精神だけはあるようで、常に何かに逆らいながら生きている。だから生きづらいけど、生きてるって実感はある。親父も相当な反骨精神で共産党で徳球のボディーガードをやるくらいの根性があったがニューギニアの地獄の戦場からたった5%以下の確率で生き残ってきた力もある。

 

過去約150年の家族の経験からわかることは、自分を売り込もうとか何かを偉そうにはったりかますとかは、結果的に物事を失うことになる。人生で日が浅い連中はそのあたりが分からずに失敗をする。

 

幸運なことにいつも人生と言う刑務所の塀で外側に落ちてきたから何とかまだ生き残っているが、さすがにこの年になると外側に落ちる技術だけは身に着けてきたようだと感じる。

 

シンガポールにいると元気な日本人を見かける機会が多い。誰もが絶対に自分の人生を「勝つ!」とだけ思い込み、負けたらどうするかって引き際をあまりわきまえてないんじゃないかと感じる。

 

自分が今までいろんな戦場で戦ってきて覚えたのは、負けた時の引き際である。これってほんとにつらいものがあるけど、引き際が分からなくて突っ張しればそこには引き返しのきかない地獄しかない。

 

ぼくは世の中で生きてる皆が戦って生き残って欲しいと思ってる。けど現実的にそうはいかないってのもわかる。だから香港のような地獄の戦場で戦って生き残る連中は大したものだと思うが、同時にシンガポールでビジネスごっこをやってる連中のあふぉさ加減も感じる。日本は、更にひどい。ビジネスですらない。

 

今晩のシンガポール発の飛行機でオークランドに出発する。ふいー、今回は短い期間だったけどぎっしりだったな、とくに福岡から昭南(シンガポール)の時間は2日ではなく48時間が一日になった感覚。

 

ブログが一時的にアクセス増えたのは嬉しいがこれがずっと続くとも思っていない。世の中、ぼくがやってるような仕事は人口の5%以下だと割り切っている。読む人を増やす為の書き方も分かっているが、けどやんない。好きなことを商売にシないほうがいいと思っている。

 

さてっと、とっとと飛行機に乗ろう。ぐっすり眠って明日に備えようっと。



tom_eastwind at 19:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月20日

もうすぐ旅も終了♪

Say Thank you !

 

昨日は中洲で屋台で軽く飯を食う。とは言ってもホテル近くの観光客向け屋台。地元民向けの屋台に行きたいが今の立場はどう見ても外国人、旅券も外国人だから、何か地元向けの屋台には行きづらい。

 

このあたりは感覚の問題なので時間があって心に余裕があれば地元向けの屋台にいけるが、今朝の便で沖縄から福岡に来て午後仕事をして明日の飛行機でシンガポールに飛びますってのはどう見ても地元ではない。なのでついつい観光客向けの屋台に行ってしまう。

 

もしこれから福岡博多を楽しもうと思って屋台を考えている人なら中洲川端沿いの観光客向けの屋台が良いと思う。お店の連中は会話もうまいし、オレオレ詐欺のような賑やかな連中である。ただ本当に博多の屋台を知りたいなら昭和通りの屋台のほうがいい、どっちがよいかは本人の趣味の問題。

 

でもって今朝の福岡空港。空港のチェックインはとても気持ち良いサービスだったが、出国管理の連中の態度が悪い。おいおい、お前ら、おれが乗るから飯が食えるんだよね、理解してる?お前のボスは上司じゃなくて顧客なんだよね。

 

彼ら出国管理官はニキビの吹き出た子供顔で「どーぞ」と言う。けれど人の顔を見ずに、お前さー、役人になって生き残れたってだけで喜んでたら、奴隷だぜって感じ。

 

思わず頭に来て「Say Thanks !」 と言ってしまった。こんなちっちゃな場所にすっぽりと収まってこれで勝ったと思ってるような低レベルなフクオカン、やってられないな。

 

シンガポール行きのフライトは朝10時出発、約7時間の飛行時間。地図を見るとシンガポールって近い感じがするが、オークランドからシンガポールも、オークランドから東京も同じ時間、10時間ちょっとかかる。

 

福岡からシンガポールに移動して48時間が始まる。ほんとうに偶然だけど、泊まってるバーで軽くいっぱい飲んでると、どーも見慣れた顔があった。あれ?あれれ?ほんとかい?びっくりしたけど馴染みの顔。あり得んなー、こんな広い世界なのにこんなちっちゃなバーで会うこともあるんだなー。ぼんとびっくりしてお互いに顔を見合わせてしまった。

 

今回のロードショーでは随分たくさんの人と会った。でもってシンガポールのホテルのバーでの巡り合いもびっくり。福岡空港のあふぉんだらにもびっくり。

旅はあと一日で終わり、10日程度の出張なのに今回は重いなー、けど何だか楽しいなー、あと24時間でオークランドに戻ります。



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2012年11月19日

遊ぶべき時に遊ばず

遊ぶべき時に遊ばず、学ぶという意味の勉強すべき時に受験勉強をして、結局何時まで経っても何も学ばなかった人々なのに、子供を産んで親になると突然聖人君子みたいになり、夜になると意味もなく理由もわからないまま、他人がやってるように自分の子供に寝なさいと言ってみたりする大人たち。

 

子供の「何故?」という質問に答えられずにすぐに怒鳴って言葉の暴力で子供を支配しようとするバカ親。怒鳴った時点で自分の負けであるという事さえ理解出来ずに子育てに悩むあふぉ親。

 

自分がバカであるという事、説明能力が無いという事、自分の知識不足であること、そういうすべての自分の責任になるべきことを理解できずに自分は悪くないと思う親たち。子供が可哀想だぜ。

 

ニュージーランドではシュタイナー教育とか人気があり、子供の成長段階に応じて「その時に学ぶこと」をかなり明確にして教えている。情操教育と道徳教育と数学などの教育と、それぞれ子供が一番受け入れやすい時期に教えてる。

 

先日の就職記事でも少し書いたが日本人(特に男)は正社員としての就職がゴールと思ってるフシがあり、一旦就職するとそこから先に学ぶことは社内力学であり誰にゴマするかとか社内での稟議書の書き方とか常に内向きの勉強にひた走るが、自分を個人として労働市場に置いた時にどれだけの市場価値が付けられるかを考えて勉強するという事があまりない。

 

本来子供、例えば小学生などはひたすらに校庭を駈けまくり友達とワーワー言って、時には怪我をしながら「あ、これ以上やったらダメなんだ」という事を理解しつつ、お昼ごはんをどこで食べるかとか意見がぶつかった時に、お互いの座りたい場所を主張してては結論が出ないから「じゃあいいや、遊びながら食べよう」みたいな、お互いにとって何が正義かではなく秩序を維持しながらどうやって解決策を導くかを考える。

 

そうやって子供たちは自分が今やりたいことを理解するし社会における他人との距離感も理解出来るようになる。もちろん時には事故も起こるがそれは人間が社会を運営する時に完璧がないのと同じだ。むしろ子供たちの頃にちっちゃな事故を通じて学ぶことが出来る。

 

ところが日本では子供の頃に一番大事な感受性を擂り潰して「決まりだから」と子供を鋳型に押し込んで誰も彼も同じような形にしてしまう。本来は校庭を走り回って学ぶべき時期に暗記教育で個性を潰される。

 

本来なら古典や歴史を勉強すべき10代には大学に合格するためだけの詰め込み教育を行い、何故学ぶのかではなくどうすれば簡単に答にたどり着けるかだけを考えるようになるから、そこで人間に大きな欠陥が出てくる、いわゆる他人の痛みが理解出来ない人間になる。

 

そうやって苦労して入学した大学では、本来の入学目的が「良い企業に入って安定した生活を送ること」であり、大学と学部が決まった時点で将来の就職先も限定されてしまうからそれ以上勉強しようとしない。

 

何故なら大手企業の採用担当者が見るのは「どこの大学」の「何の学部か」であり、入学の時点でシグナルが発信されており、大学でスポーツをやろうがボランティアをやろうが、所詮は決まった範囲内での上下運動でしかない。

 

そして本人もいつの間にかそのような社会に慣らされてしまうから、一旦就職したらそこが終の棲家みたいな事になり、それ以上に自分を上昇させようとか何かの資格を取って次のステージに挑戦しようという事もなくなる。

 

ただこれは比較の問題であり、ぼくが1980年代に見てきた日本人サラリーマンは90%以上が永久就職感覚であり社外で役立つ技術よりも社内で役立つごますり術を学んでいたが、今の時代であれば社外で役立つ技術を学ぶ人は30%くらいに増えたのではないかと思う。

 

それはそれで良いことであるが、けど社会の中心にいる70%の人々は今も一旦社会に出れば新しいことを学ぶのではなく今ある組織に馴染んで組織内での出世を一生懸命考えるようになる。その結果として上を向いて胡麻をする人間が出世をする。社長の耳に痛い諫言をする者は遠ざけられる。

 

そういう日本の組織に同化出来ない人々は新天地に飛び立ち、自分が望む生活を叶えられる土地に移住した。

 

今までニュージーランドに移住しようとする人々は、元々が社会の中でかなり変わった人々だった。1990年代には日本社会で通用しない人々がやってきた。親の金で食ってきてニュージーランドにやってきてもまともに英語の勉強もしようとせずに仲間内で傷の舐め合いと違いの褒め合いをして痛い所には触れずにだらだらと生活をしていた。ドロップアウト、落ちこぼれである。

 

2000年代初頭には日本社会で何とかやってきたけどそろそろ自分のほんとうの夢を叶えたいと考える人がやってきた。そして2005年頃からは日本の将来を考えてみた時に「居住地を2つ持つ」選択肢を選ぶ人が増えてきた。かなり優秀で日本社会に収まれないスピンアウトな人々である。

 

そこへ去年の3・11の原発問題である。それまでニュージーランドを選ぶ人はある意味「日本の組織が合わない確信犯」としてやってきたのだが、3・11以降は日本組織に当てはまるけど今は原発が危ないと、NZを避難場所として選ぶ人が増えてきたことだ。

 

もちろん彼らは行動出来るだけ良いと思う。ただここで問題となるのは、単純に原発避難場所としてNZを選んだ人の中にはドロップアウトでもなくスピンアウトでもなく、日本的常識のまま日本の「遊ぶべき時に遊ばず」に生きてきた人々がいるという点だ。

 

何が問題か?それは、彼らは自分たちの常識が世界の常識と思い込み自分たちの正義がすべて正しく他の人間が何を言おうとそれを一切認めずに相手が悪いと非難することだ。

 

正義と秩序は全く異なる。正義は100人いれば100個ある。お互いが正義と言う名の下に喧嘩をすれば世界中が戦争になるよ。だから他人の価値観を認めてお互いに争いにならないように秩序を保つ。秩序は何が正しいかを裁くものではなく、他人とどれだけ問題を起こさずに共同生活をするかを追求するものだ。

 

原発に賛成の国もある。放射能の問題もたくさんの視点がある。ところが原発でやってきた避難民はそこが理解出来ない。子供の頃から他人と接することもなくマイワールドで生きてきた人々は他人と共同生活をすることがどういうことかと理解出来ない。だから自分の理屈を正義と思い込み相手の事情も環境も考えずに勝手に相手の土地に非難してきて相手のやり方が悪いと文句を言う。

 

ばっかじゃないか。土地が変わればルールは変わる。変わらないのは唯一秩序を守るという点だけだ。その意味で先住者のいる土地では先住者の意見を尊重することが当然であり彼らの考え方が何故そうなのかを理解するべきである。

 

ニュージーランドは良い国だ。平和で政治が安定していて法治国家である。けどコンビニは少ないし品物は少ない。バスに乗るときも要領が悪くて時間がかかる。銀行で入金しても平気で金額を間違う。

 

それでもそこにはきちんとした合理的な理由があるのだ。その国の成り立ちに至る合理的な説明が出来るのだ。けれどそれを理解しようともせずにひたすら日本の常識をニュージーランド人に押し付けようとする行為は、まさに「遊ぶべき時に遊ばなかった人々」の愚弄な行為でしかない。

 

ぼくの仕事は移住である。ただしキースと同じで、ぼくは仕事をする時には自分のプライドを持ってニュージーランドの為に働きニュージーランドに住む日本人の為にできる限りの事をしたいと思っている。

 

なので僕は仕事を選ぶ。偉そうな事を言うなと非難されるのを承知で、けど敢えて言いたい、ぼくは同じ価値観を持てない人とは仕事をしない。

 

価値観と言っても何も難しい事はない、他人の価値観を認めて学んで受け入れるだけの度量と教養を持つという事だ。それさえ出来れば後は僕は何も気にしない。誰がどこで何をしようが、それは社会秩序を守っている限り自由だと思っている。

 

他人の価値観を認めることは子供が遊ぶべき時に遊び集団生活から学ぶことである。それなしにひたすら自分の意見ばかり主張して、他国に行ってその国の制度がどーだとか仕組みがどーだとか、まさに要らん世話、だったら来るなである。

 

遊ぶべき時に遊ばずひたすら個性を擂り潰して素直な疑問を持つ心や他人の気持ちを理解しようとする気持ちが持てなくなった大人たちが子供に無理を強制し周囲に自分だけの正義を主張して相手にされなくなり更に周囲を非難するようになる。

 

少なくとも軒を借りて生活している時に母屋の主人に文句を言うような真似はやめよう。自分の常識だからと他人に強制するのはやめよう。親がバカなら子もバカになる。せっかくの海外生活だ、少しこの機会を利用して世の中をゆっくりと見回して胸に手を当てて考えて欲しい。

 



tom_eastwind at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月18日

タクシーの運転手

 

「ビルの名前で言われても分からないんですよー」

ホテルからタクシーに乗り込んで東銀座の演舞場の隣の時事通信社ビルまでと伝えたらこんな返事が来た。

 

東京のタクシーの運転手ってそんなもんか?そう思いながら今度は住所を言うと震える手(アル中なのか老衰なのか不明)でナビのボタンを押しながら

「えーっと、どこでしたっけー?」

「東銀座です」

「それって何区ですかねー」

切れるぞ正直

「あの、私は仕事で来ているので東京のことはよく分からないんですよ、けど住所とビルの名前で分かるんじゃないですか、そこにナビ付いてますよね?」

「ああ、ボタンがうまく押せないなー」

知るか=!

 

小泉首相の時代にタクシーの規制緩和が行われて道を知らない運転手が激増した。それまではプロの運転手が東京中の道を知ってて、大雑把な説明でも一発で目的地まで着けてくれたが、本当にここ数年の運転手の程度の低さには呆れるしかない。

 

自分がプロでありお客からお金をもらっているという認識が乏しい。ナビを会社から支給してもらってもキーボードを押せない。道を知らない。自分を恥ずかしいと思わない。こう言っては言いすぎかもしれないが、やはり他の業種でリストラを食らうような人種なのではないかと、思わず怒りと共に考えてしまう。

 

そんな事情を東京に詳しい人に言うと彼女は「そんな事はない、あなたの説明不足だし態度が悪いからだ」と言い返された。たしかにぼくは説明が下手だし地図を読めないし態度は、、自分なりに公平だと思っているが世間では相当にガラが悪いと思われているのも事実だ。

 

けどその後に彼女と一緒にホテルからタクシーに乗って虎ノ門に向かった時、またも運転手が「虎ノ門ってどこでしたっけ?」

 

ほら見ろ、おれの問題じゃなくて東京のタクシー運転手の質が下がっているだけじゃんか。

 

ぼくがオークランドにいる時にいつもお願いするタクシー運転手のキースは夕方6時から仕事をはじめる人だ。もう70歳過ぎだが矍鑠としておしゃれで針金のように細い体で器用にタクシーを運転しているが、何よりも自分に自信を持っているしプライドを持っている。金のためだけに働いているのではなく楽しい友人と会話を楽しむために運転している。

 

彼はスナックで働いている日本人の女の子たちを送る時は、必ず彼女らがアパートの鍵を開けてホールに入るまできちんと見届けている。それは彼の責任感でありプライドだ。彼は人に道を聞かない。人に道を教える。

 

独身生活を楽しみサンドイッチ以外は食べることを得意とせず、時に日本食に誘ってもサンドイッチ以外を子供の頃から食べたことがないから恥ずかしそうに断るのだが、けれどそれは彼のプライドを傷つけるものではない。

 

彼に比べれば東京のタクシーの運転手の質の低下、というか人間力の低下には呆れるしか無い。日本が世界の中で追いぬかれたとか中国に負けたとか、それも当然ではないかと思ったりする東京での出来事だった。



tom_eastwind at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月17日

朝食の風景

今朝は6時にすっきりと目覚めた。昨日の疲れはすっかり消え去り、こめかみに軽く残る痛みは割合は不明だが一昨日シンガポールで飲んだフローズンマルガリータと昨日のウイスキーの両方が混ざったものであり、起きてすぐの軽い痛みは背伸びをしてストレッチングして顔を洗って10分もすればすっきり感になることを知っているので良い兆候だ。

 

ぼくの場合仕事の具合にもよるが時々一日が48時間になることがある。両日とも夜にお酒が入ってるのだが、一日の始まりが飲んでる夜で翌日の昼に仕事して夜が来て飲む、これがワンセットになって一日48時間の生活が構築される。

 

今朝はそのワンセットの48時間が終わったタ時の爽快感で、更にうれしい事にカーテンを開けると遠くに見事な曲線と白雪をまとった富士山が見事くっきり見えるではないか!これが冬の東京のうれしいとこで、ニュージーランドがどれだけ綺麗でも富士の神影にはかなわない。

 

ニュージーランドにも素晴らしく綺麗なマウントクックやマウントタラナキがあるのだけど、そこには「気」がないのだ。富士山から多摩を抜けて東京湾に流れ込むような霊気がないのだ。

 

日本では山と水と海と空気のバランスが非常に繊細に組み合わさって霊気を生み出してそれが東京の繁栄を支えているが、ニュージーランドの場合、一つ一つの要素、つまり山とか空とか川とか海とかは良いのだが、組み合わせがどうもバランスが悪い。

 

だからNZは人のよい優しい国ではあるが気が集まることがないので経済的にはイマイチ、日光の手前で終わってしまうのだ(分かる人には分かる冗談)。

 

コメのご飯と味噌汁と焼き魚に海苔と卵の朝食を食べるためにロビーに降りていく。朝食会場のレストランではたくさんの人が食事をしているが、シンガポールのホテルの朝食会場と一番違うのが紙の新聞を読んでる人が目立つことだ。

 

シンガポールでは肌の色に関係なく食事をしている人の8割がIpadかパソコンか、要するに電子デバイスの画面を眺めている。大きな新聞をがばーっと広げている人はほとんどいない。

 

ところがこのホテルでは未だもってガバーッと新聞を広げて、まるで僕は知識人ですみたいな顔で新聞を読んでいるのだがなんか違和感。それはもちろん滞在している人々が昭和の時代の人々だってのもあるだろうが、顔の十倍以上広い新聞を広げて読んでどこまで知識が入るのが分からないが、大体新聞が事実を書いているってことを前提の発想ですよね。

 

はっきり言えば今の紙新聞は紙芝居のレベルでありよほど文化芸術欄に興味がある人々であるか私の何とか記録を読んでネタを仕入れようとする人々には良いだろうが本当の意味での社会情報を得ようと思う人には合わない媒体だ。

 

媒体とは一つの事象をその場にいなかった人に伝えるための道具であるがその媒体が嘘をついているか大本営発表をやっている現在は、まさに読む人を騙すための道具にしか過ぎない。なぜ自分が騙されるために新聞を読むのか、全く意味不明である。

 

けどなんかな、今日本の真ん中東京でもこうやって新聞を広げて記事を読んで「おれっていけてる〜」って思う人種がまだ多いんだろうな。

 

ぼくは旅先のホテルで「明日の新聞は何をお入れしましょうか?」と聞かれる。それは香港でもシンガポールでも同じだがぼくはその度に紙の無駄ですからと断る。必要な情報はネットで取れるし文化欄で書いていることは専門書を買って読んでるので新聞は不要。するとどちらのホテルでも「はいわかりました」と新聞不要のメッセージを入れるのだが、東京のホテルだけは違う。

 

「新聞はいつもの日経でよろしいでしょうか?」

「いつも同じ事を言ってるけど、不要です」

「はあ?」

 

時間の無駄なのかなー、日本人は朝は新聞を読むものと学校で教えられてるのかな、それともお客がいつもそんなことばっかり言ってるのかな、どれが原因か分からないが、これはほぼ病気に近い思い込みだと思う。

 

でもって結果的にぼくの部屋のドアに毎朝新聞が届けられる、つまり言い換えればぼくの個人的なささやかな希望は断られたという事だ。

 

時代がこれだけ変化してネットですべての情報を読むことが出来るようになった。世間ではCO2がどーのこーのとか見かけだけ「わたしはー、マイ箸でー、すこしでもー、森林を守ってー」と言うなら紙の新聞は購入するなってことだ。

 

まさかマイ箸さんは紙の新聞が最初から紙っていう材料が存在していると思ってるのだろうか?まるで魚の切り身が最初から存在してスーパーに並んでいるとか思っているのだろうか?

 

まあそれは良いとして確信犯的に悪いのは新聞社だ。毎日山の木を切ってパルプにしてそれにインクをベタベタ付けて山ほど印刷して貴重な資源を無駄使いしている。

 

それもすべて既存の宅配システムと印刷所と設備を守るためだ。偉そうに地球がどーのなんて記事を配信しているがやってることは単純に既存の権益とシステムを時代の変化を無視して守ろうとしているだけの確信犯的な環境テロである。

 

日本人を大本営発表で振り回し鬼畜米英と騒ぎ300万人の命を奪った太平洋戦争に追い込んだくそったれメディアは、インターネットというグーテンベルグ並みのコペテルニクス的転回で終末に追い込まれているのに何とかその印刷設備を持つ会社と配送会社を生き残らせる為だけに四苦八苦しているが、ビジネスモデル事態がすでに崩壊しているのだからとっとと新しいモデルに移行するしかない。

 

自分を時代に合わせて変化しようとせずに本来のメディアの義務である真実報道をせずに大本営発表ばかり掲載している紙芝居、それを読んで拝んでる人をこのホテルでたくさん見かけるたびに「それでいいんだな?」と感じてしまう。

 

泊まっている客層が前世代の人々ということもあるのだろうが、そして紙も電波の飛ばない場所では有効な媒体であるが、媒体という観念そのものがすでに変化している現在、Wifiが都会で使えるような時代と場所において今でも既得権益と旧い習慣を変えることが出来ない人々は、まるで今の時代にちょんまげを付けたおやじのようなものだ。

 



tom_eastwind at 18:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月16日

戦闘初日 

戦闘開始

シンガポールのホテルを夕方チェックアウトして空港に向かい朝01:10(つまり真夜中過ぎ)に出発して7時間後に名古屋セントレア空港に到着。飛行機の中はひたすら毛布を被って4時間程度寝てたので機内食なし。朝食は空港のプロントで半切れのハムエッグトースト一切れをミルクティーで飲み込んで、そこから名鉄特急に乗って名古屋駅に出る。

 

名古屋で昼食ミーティングを行い14時過ぎの新幹線で品川へ向かう。1時間半の列車の旅で恵比寿に到着、すぐにコンビニで緊急食料(どん兵衛とカップヌードルとパンと水)を買い込んでから次のアポの銀座へ向かう。

 

ホテルのいつものバーに戻ったらもう9時を大きく回ってて、さすがに眠しきつしでそれが顔に出たのか、いつものバースタッフに「今日はお疲れのようですね〜」と言われた。あんまりそんな事言われたことないのでちょとは疲れた顔をしていたのだろう。

 

それでもパソコンを立ちあげてウイスキーの水割り片手にカタカタと仕事をする。11時過ぎに眠気がやっと出てきたので退散、12時に部屋に戻って一日が終わる・・・てか、丸一日動きまわってたのか、うーむ、戦闘初日から結構大変でした。

 

ってのが15日の行動、今日はしょうもない旅日記になりました・・・頭が働いてない証拠・・昨日は偉そうなこと書いたけど、体は何とか動くけど、やっぱり24時間やると思考回路、止まりますね、あはは。



tom_eastwind at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月15日

資産防衛のための脱出

米国から資産家が脱出を始めている。オバマはブッシュ時代の金持ち減税法案を延長する気はさらさらなく今年年末をもって廃案にして来年からはしっかり「以前のように公平に、庶民と同じ負担をしてもらう」事にした。

 

この事件だけでなく、リーマン・ショック後に自由経済の名の下に金融ビジネスで大儲けした連中が自分たちだけはたっぷりとしたボーナスを貰い退職しておいて、金融界に与えた損害はすべて国民の税金で処理するという事態になった。

 

だもんで金融のモラルハザードという事で問題になり、米当局はここ1年くらいで米国民がケイマン諸島あたりに作ったペーパーカンパニーの取引内容の提示を要求し更にスイスにある米国人の口座データを米当局に提出することが決まった。

 

この結果米国人が蓄財の為に使っていたスイス口座のデータは米当局の知る所となり資産家に対する徹底的な財産の洗いなおしと追徴納税を請求出来る事態になった。

 

けど何で海外の独立した国家スイスに対して米国が請求出来るのか?その根拠は口座保持者が米国籍であるという点だ。米当局と言えどスイスの銀行に対して日本国籍の口座を請求することはどうしても無理筋だ。

 

しかし米国籍であればスイスに対していくらでも理屈を並べて後は恫喝することで出させることが出来る。米国は財政危機に陥っており金持ち減税などというブッシュの大盤振る舞いをやったものだから世の中がますます二極化してこの状態をどうにか是正するために米当局による米国籍資産家への税務調査が激化したのだ。

 

この話はたまたまシンガポールに移住して米国籍を捨てる米国籍保持者が急激に増えたという話から出てきた。シンガポールは現在は永住権の発給が厳しくなっているが今年の3月まではお金さえあれば永住権取得が容易であった。そして市民権を取得してしまえば米国籍から離脱出来て、米当局が追求する根拠がなくなる。

 

これは米国人だけではなくシンガポール人でも米国籍を取得していた人が今回の一連の米当局の措置を見て「あらま、じゃあいいや、アメリカのパスポートを捨ててしまえ」という動きに繋がっている。

 

他にもスイスの銀行からの情報としては、彼らは現在米国籍の顧客に対して資金移動や受け入れについて非常に過敏になっており、米国籍の口座の場合は例えば日本人顧客なら1cm程度の書類にサインが必要だが米国籍顧客の場合はこれが3cmになるとのこと。今回の口座開示請求がどれほどスイスの銀行に影響を与えたかがよく分かる事態だ。

 

これはニュージーランドでも影響が出ており、去年の投資家プラス枠で永住権を取得したベスト3の中に米国が入っているのだ。他には中国と英国。

 

普通の感覚で言えば世界で最も豊かで自由でモノが手に入る国で他国の憧れである米国籍を捨ててわざわざニュージーランドのような田舎に来るとは?と思うだろうが、普通の感覚ではない彼らは自分たち家族の資産を守るためには米国籍を捨てるのが一番と考えている。

 

課税の根拠を無くすこと、これが資産を守る基本であれば米国籍を捨ててNZ国籍を取得するという理屈になる。米国籍を捨てても今まで通り自家用ジェット機でいつでも米国に旅行することが出来るし、今の時代仕事はネットがあれば出来る。

 

そのような人々からすれば生活はNZ、仕事は米国、作業はNZという事が出来る。これはぼくが随分前から指摘していた事だが、21世紀になり航空機が発達して長距離移動が可能になりインターネットが発達して殆どの作業が自宅で出来るようになればどこか一箇所の国家に縛り付けられる必要はなくなる。

 

今まさに米国でそのような動きが起こっているのだ。それが米国から見て良いことか?そんなの、国家の意思と個人の意志は全く別物である。21世紀になったら国家とは一つの街であり、誰も住みやすい街を選ぶのは当然だ。



tom_eastwind at 01:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月14日

24時間働けますか?

昔ふとある取引先から聞かれた事を思い出した。「tomさんは一日何時間を自分のための勉強に使っているんですか?」え?仕事=勉強だし、寝てる間も仕事って24時間するもんじゃなかったの?

 

「24時間ずっと働けますか?」って昔の栄養ドリンクの宣伝にあったけど、実際自分はそうしているのでてっきり他の人もそうしているものと思ってましたよ(笑)。

 

ぼくは平日夜の9時過ぎにベッドに入る場合は大体朝の3時に起きる。その場合ベッドの中で色んな仕事の組立作業をする。ワードとエクセルを脳内に大きな絵の中に描いてそこでスキームの組立てをする。

 

これで2時間程度絵描きをしたらそれから1時間程度寝て6時過ぎに起きる。起きてからは龍馬くんの朝ごはんを作り一緒に食べながらTV1のメインキャスター?ジョン・キーの「首相が語る今日のNZネタ」を観る。

 

もちろんその間に反対側の隣に置いたパソコンでメールチェックと日本のニュースも同時に目を通している。それから会社に行き実務としての仕事を開始するわけだ。

 

でもって午前中は主に内部打ち合わせと外部との会議を行う。午前中は何かを考えて組み立てたり人と話して新しいアイデアを作るのにちょうど良い時間だ。

 

でもって午後は事務仕事をしてノースショアの交通渋滞の起こる前にとっとと家に帰る。でもって半身浴をしながら読書の時間開始。ここからは読書や映画やウェブサイトで系統だって情報を時系列やテーマ別に仕入れる。この時間帯がデータ収集としては一番まとまりがあるかな。

 

夕食の間は家族と団欒するがそれが終わればまたパソコンを開いて今度は散漫なテーマだけど少し広がりをつけてネットサーフィン、ちょっと興味のあることを探ってみる。ここで出てきたおもしろネタはとりあえず頭の中に仕舞っておいて寝かせておく。

 

こういうネタが大体一週間か一ヶ月くらいで花を咲かせて何かの形になる。それがブログネタなのかビジネスモデルなのか経営に関する方向性なのか分からないがとにかく何かの形になるので面白い。

 

つまり朝起きてから寝るまで基本的にすべて仕事である。もちろん料理の手伝いや皿洗いはするが、それ以外の仕事は奥さんや娘が自発的にやってるのでぼくの自宅内の立場は濡れない程度の落ち葉か(苦笑)?

 

それから出張。「そんな毎月ニュージーランドからあちこちに出張して疲れませんか?」と聞かれるがぼくにとっては戦略、戦術、戦闘と3つの段階があり、出張は戦闘だ。だからオークランドで行う出張前の準備は戦術として何処でいつ誰に会って何を話すかを決める事になる。

 

一番要領よく回れるように飛行機を手配して戦闘の際に足かせにならないように予定を組む。戦闘をするのに刀振り回しすぎて「疲れた、ちょっと休むか」なんて思ったらバサっと斬られて終わりですよ。

 

実際に出張に行ってる間は一切難しい事は考えない。戦術で作った予定通りの戦いを現場で行うだけだ。戦闘の現場では来年の事なんて考えてたらナイフでぐさっとやられて終わり、現場は甘くないのだ。

 

じゃあ戦略は?というと、出張から帰ってきて移住チーム会議で報告と担当者決定と方向性決定を行い具体的なデータ整理をするのが大体一週間なので、戻った翌週くらいから戦略を練るようになる。

 

もちろん戦略が一番むずかしい。世界の動向を考え日本の動向を予測しニュージーランドの今後の動きを予測して、さて僕らはどこに向かってどのような戦略を組むかを考えるわけで、まさにこの時期は大きな決定が多い。

 

何しろ方向性を読み間違えたら終わりだ、スタッフ全員の努力が水の泡になる。スタッフが最低限の力で(つまり残業せずに昼飯食う時間がある)最高の仕事が出来るようにお膳立てするのも僕の仕事だ。

 

このあたり日本の経営者はどーもスタッフをこき使って残業させるが、その作業の何十%が本当に必要な作業だろうか?毎日残業で子供と一緒に夕食食べられない時点でビジネスモデル、やばくないか?って思う。

 

とにかくまあ戦略作り。これが出張と出張の合間に行われる。大体月に一回の出張なので出張前一週間は戦術的にどこをどう手当するか、どのような戦闘を行うかを練る。出張という約2週間の戦闘から戻って次の一週間は戦闘の結果分析と次の一手を考える。そして二週間目が戦略作り。そしてまた次の出張の為の戦術作りとなる。

 

ぼくがビジネスをしていて一番感じるのは、軍隊における戦闘、戦術、戦略決定と会社におけるビジネスモデル構築から実行まで、やってることは理論的には全く同じだって事だ。

 

戦争とビジネスを混同するなって言われそうだが、原理的には同じなのだから戦争という言葉を毛嫌いせずに戦争で勝つ論理を学べば良い。そうすれば浪花節的な経営が継続できないってのはすぐ分かる事だ。

 

まあこんな感じで、ぼくは基本一日中働いている。ただ僕は自分の家庭における立場はしっかり認識している。家庭がちっちゃな国家だとすれば国家の運営者は奥さんだ。毎日の食事から洗濯、掃除、住宅管理、家族の送り迎え、子どもの学校の問題など、とにかく家庭=国家における毎日の仕事を分析して判断して決断して実行している。

 

じゃあぼくの仕事はと言えば外交、その中で最も大事な部分、つまり国家が自分の意思を他国に強制する際に最終的に必要となる軍隊の役目である。戦争とは自国が他国に対して自国の要求を通すための最終的な外交手段であり、これが弱ければどんな交渉も相手の譲歩は望めない。

 

だからその意味でぼくは常に強くあらねばならない。戦いの舞台が北極であろうが南極であろうが砂漠だろうが香港だろうがニューヨークだろうが東京だろうが、常に勝ち続けなければならない。

 

その代わりぼくは家庭に戻れば奥さんの日常業務を手伝う必要はなく(手伝うとかえって邪魔になるとも言える・・・)、朝から晩までパソコンを叩いて次に起こるであろう戦争を予測して、どうやれば次の戦いに勝てるかを分析研究する。

 

奥さんも子どもたちもお父さんの役目ってのは自宅にいる時はテレビ番組でやってる世界の政治や経済ニュースに関して分からない時にぼくが説明役をすることであり、ぼくが出張中して不在時は「あ、また海外に行って戦争しているんだな、米国テレビのUNITみたいなもんだな」と認識している。

 

日本人サラリーマンでよく見かけるのは「女はバカだ、男が全部わかってるんだ」みたいな男尊女卑があるが、どの世の中で総理大臣より偉い軍人がいるものか?そんな組織だと一発で崩壊するよ。あ、そうか、だから最近の日本では家庭内別居とか濡れ落ち葉父さんが急増しているのかな?

 

それにしても我が家の総理大臣である奥さんは本当に偉い。ぼくが外に出てしっかり戦ってきたら、ちゃんと「GoodBoy!」と言って褒めてくれるんだから、それだけで幸せだ、あはは。

 

24時間戦えますか?」

戦えますよ、良い奥さんさえいてくれれば♪



tom_eastwind at 21:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月13日

風が吹けばユダ屋が損する。

今回の米国大統領選挙は大きな風であった。それは米国内政策だけでなく今後のイスラエル、イランなど中東の将来に大きな影響を与え、それが巡り巡って日本の対米追従政策にも大きな変化を与えそうだからだ。

 

日本国内に住む日本人は得てして目先の細かい事象に囚われて重箱の隅をつつくような意見を得意とするが世界はそんなに簡単ではない。

 

様々な事象が偶発的に世界中のあちこちで発生して、それはまるでチベットを源流として崑崙山脈を経由して流れだした細い川がいずれ長江の大きな流れになるようなものだ。

 

実際に古代中国の王様は治水を大きな仕事としてきた。話は少しそれるが宋文洲さんのメルマガにこんな文章があった。

「「漢字から考察しても「政治」の本来の意味が見えてきます。「政」は「正しい文人、文化」です。「治」は「台」を築き上げて水をおさめるという意味です。」」

 

だが、複雑な事を考えるのは面倒だし考えるとなると持論を持つ必要があるし持論を持つためには他人に簡単に論破されないような理論武装が必要だしその為には学習が必要で時には持論に責任を取る必要がある。

 

そんなのがメンドーだからいつも新聞の意見や週刊誌の記事を自分の意見のように周囲に吹くのだが、自分で考える人から見たら「で、あなたの意見はどうなの?」と突っ込みたくなる。

 

この話はイスラエルが今回の選挙でロムニー支持に回った事が発端だ。今まで数十年間イスラエルロビーは米政界を牛耳ってきたことは羞恥(周知?)であり今回もイスラエルを味方につけたロムニーが勝つと言われてきた。

 

しかし結果的にロムニーが負けてしまった今、オバマは堂々と米国の国益を語ることでイスラエルの勢力を米政界から追い出すことが出来るようになった。

 

米国はイランが核兵器を開発していると濡れ衣を着せてイランを攻撃するような強硬姿勢を採り続けて来たがその目的にはイランからミサイルを打ち込まれては困る(負けるかもしれない)イスラエルを保護するためであるのも周知(羞恥?)の事実だ。

 

実際にはイスラエルはすでに核兵器を保持しており国連の核拡散防止条約に違反しているのは疑惑のイランではなく確信犯のイスラエルである。ところがどの国もイスラエルの核兵器保有に対しては何も言わず、まるで何もなかったような顔をしている。それも米国の存在があるからだ。

 

だから本来なら米国の国益を守るために不拡散条約をきっちりやりたい米国としてはイスラエルこそ真っ先に非難して必要であれば戦争を仕掛けてもよいくらいだ。実際にイラクなど大量破壊兵器を持っていないにも関わらず濡れ衣を着せて戦争を仕掛けているのだから。

 

それをしないのは米政界を牛丼持った、じゃなくて牛耳ったイスラエル・ロビーがあったからだ。しかし今回オバマはイスラエルを相手に戦って勝利を得たのだから、イスラエルに残された道はオバマを暗殺するか敗北を認めて大幅に譲歩するかしかない。

 

ここで言う大幅な譲歩とはパレスチナ国家の成立を容認することでありかつて追い出したパレスチナを認めて彼らに領土を割譲するという屈辱的な内容である。しかしそうしなければ米国の保護を受けられないと悟ればイスラム社会全体を敵に回して一国だけで戦う必要があり、まず勝ち目はない。

 

オバマは外交政策の基本に中東和平を置いており中東から米兵を撤退させて軍事費を削減しようとしている。米国が中東から手を引けばイスラム同胞団あたりが大イスラム国家を作り上げる。大イスラム国家が出来上がればイスラエルは負け戦と分かってもイスラムと戦うかパレスチナと妥協するかオバマを暗殺するしか選択の余地はない。

 

ケネディの時にすでに一回やってるから次の一回(暗殺)が行われれば米国との正面戦争になる可能性もある。だから現実的政策としては妥協が一番良策となる。

 

さてそうなるとオバマは財政の崖に立っている米国経済を立て直すためにも世界に派遣している米軍を自国内に戻すことになる。ここで沖縄からグアムへの撤退がペンタゴンレベルの判断ではなく米国議会及び大統領の国策となる。

 

そうなれば米国追従で省益を得ている防衛省も外務省も「去っていく米国」を引き止めることは出来ず中国と正面切って対応する必要が出てくる。こうなるとバランスの問題でロシアとの付き合いも大事になるので北方4島をネタにしてロシアとの交渉を止めていたアメリカスクール派閥は一気に力を失いロシアスクールとチャイナスクールが力を持つようになる。

 

こうやって3スクールが駆け引きをするようになると日本の外交や政治が米国一辺倒ではなくなるので自主外交をする必要が出てくる。

 

そうなると北方領土問題を2島返還あたりから始めてサハリン共同開発を進める事になりロシアからガスや石油などのエネルギーを仕入れることになる。

 

中国とは尖閣諸島の棚上げ(共同所有)で海底資源開発の共同作業をすることになる。もしかしたら米国の権益がなくなってこれから日本政府をゆすって金を取れなくなった沖縄は昔のように琉球王国として独立するかもしれない。

 

そうなれば今まで外交について建前論だけで何も自己責任で考えることをしなかった連中の能力が問われるようになり実質的に日本国としての自己責任が問われるようになる。つまりどの国と距離を取るのかバランス感覚が要求される。どれか一つに盲従していれば良いという時代は終わるのだ。

 

そうなれば一般社会人や企業も今までの日本政府追従ではなく持論を持ち自分がどこの国とどのような取引をしていくのか自己責任で判断をする必要が出てくる。例えば三井や三菱などの大手は中東を含めたすべての国と等間隔で取引をする必要が出てくる。

 

中堅商社はどこかの国に特化する方が有利だが、さてどの国が良いのか?共産圏に特化する商社も出てくるだろう(丸一商事などは昔から共産圏に強い)。言葉にしても英語はこれからもビジネスの基本となるがもう一ヶ国語くらい出来た方が有利だ。それはロシア語なのか中国語なのか?

 

そしてこの流れは個人のレベルまで降りてくる。米国が去った後、日本はどのような外交をすべきか。どこの国とどう付き合うべきか。今までは米国と日本外務省の指示の下、とにかく中国批判をして米国礼賛をしてロシア無視をしてれば良かった。けれどこれからはそうはいかない。個人が自分の意見としてどのような外交を行うべきかをきちんと理論を持って考えて動く必要が出てくるのだ。

 

まさに明治維新で日本が門戸開放をした時、例えば福岡の頭山満は大東亜共栄圏を主唱して孫文を助けた。今で言えば右翼の親玉である頭山満だが当時は国士と呼ばれていた。「僕も行くから君も来い、狭い日本にゃ住み飽きた」そんな時代に中国に渡り遂には中国全土の馬賊の頭領として中国での生活を送り生涯を全うした小日向白郎は日本人でありながら中国人民の為に命を賭けて戦った。

 

北一輝、大川周明、出口王仁三郎、そして石原莞爾、戦前の日本では多くの国士が天下国家を自分の言葉で語っていた。日本人がところてんになったのは戦後の教育でところてんにされたから自分の言葉も自分の意見も持たなくなった。とにかく日本政府一辺倒でいれば意見など不要、日本政府は対米追従さえしていれば自己責任など不要、そんな時代が続いた。

 

しかし今回オバマが起こした風は巡り巡って大きな台風となり、戦後一貫として自己責任で判断することをしなかった日本人に対して「人生は決断と実行の連続であり自分の人生は自分で責任を取るしか無い」って当たり前の事実を見せつける事になるだろう。

 

誰かに盲従して崖から落ちるような事になれば以前は消費者は神様ですと無責任な消費者を日本政府が助けてくれた、けれどこれからはそうはいかない。



tom_eastwind at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月12日

Hague Convention

移住の仕事をしていると、時々とんでもない法律が出てきて邪魔をする。それが国際条約である場合は更に問題が悪化してくる。

 

Hague Conventionという単語がキーウィ弁護士の口から出てきた時は最初は「何でこのケースでその条約が出てくるの?」とびっくりした。日本語ではハーグ条約と呼ばれており彼の「へいぐこんべんしょん」という発音で最初に思いついたのが「へいぐ会議?」なんじゃそら?だった。

 

英語のネイティブでないぼくは「そんな会議知らんしー」と言ったが、紙に書かれた文章をよく読むと、おお、こりゃ子供の国際誘拐に関する条約だったのが分かった。日本ではまだ批准されてないがニュージーランドを含む西洋諸国ではすでに批准されており、国連三カ国の半分くらいは批准国だ。ただアジア、中東、アフリカでは西洋と違った価値観があり批准国は少ない。

 

でもって当社の顧客も西洋人とは違った家族価値観を持っているわけで、だったら何で西洋人と結婚するのかって思うけど、最初はそんな条約とか価値観の違いとかを思いつきもしなかったのだろう。

 

日本人の結婚形態でお見合いってのは、ぼくが20代の頃は主体性のないバカ同士がするものと思ってたが外国に住むようになって日本的お見合いってのも悪いものじゃないなと思うようになった。

 

殆どの日本人にとって結婚とは家と家の繋がりを強化するものであり家格が違うとか目くそが鼻くそをけなすような事態も起こるのだが、考えてみれば日本において殆どの個人は個人として自立しておらず家庭の中の位置づけがそのまま社会的位置づけになるから他人の家の「おとうさん」は「おとうさん」だ。

 

だから家族の中で社会常識があって家格が理解出来る立場の人が仲人さんを立ててお見合いをするってのは、日本の現実の中ではそれなりに安全な方法なのだ。

 

しかし例えばニュージーランドでは隣の家のおとうさんはおとうさんではない。だから「あなたのおとうさんはいますか?」と言わないと通じない。家庭内でも弟がお姉ちゃんを姉さんと呼ばすに個人名で呼んだりする。うちでりょうまくんがこれをやるとお姉ちゃんにしこたま怒鳴られる(苦笑)。

 

うちの場合は国際結婚ではあるが同じ漢字文化であり価値観が相当に近いので日頃ハーグ条約を意識することはないが、西洋人と結婚したアジア人の場合は確かに十分注意する必要がある。

 

ハーグ条約で問題になっている国際誘拐事件は実際に日米間だけで数百件あるしニュージーランドと日本の間でも当然のように問題となる。キーウィ男性と結婚した日本人女性が離婚して女性が子供を連れて日本に帰った場合はNZにおいては国際誘拐となり次に女性がNZに入国しようとすれば逮捕される。

 

ぼくの仕事でも時にこれと似たようなケースが出てくる。その度に新しい法律や条約や解釈を勉強して「じゃあこのケースはどうしよっかな、どう対策を練るかな」って脳みそをすり減らす事になる。

 

これからニュージーランド移住をお考えの方、とくに国際結婚をしているとか国際離婚をして自分が親権を持っている場合は十分に注意して予め自分の法的位置をしっかり確認してくださいね。でないとあなたが逮捕される可能性があります。

 

 ***

国際的な子の奪取の民事面に関する条約 [1] (英語: Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction / フランス語: Convention de La Haye sur les aspects civils de l'enlevement international d'enfants) とは、 子の利益の保護を目的 [2] [3] [4] [5]として、親権を侵害する[6] [7] 国境を越えた子どもの強制的な連れ去りや引き止めなどがあったときに、迅速かつ確実に子どもをもとの国(常居所地)に返還する国際協力の仕組み等を定める [8] [9] 多国間条約で、全45条からなる。

 

ハーグ国際私法会議にて19801025日に採択され1983121日に発効したハーグ条約のひとつである。未成年者が連れ出された国および連れ込まれた国両方が条約加入国である場合のみ効力を有する条約である。

 

2011728日現在の加入国は未だ国連加盟国192カ国の半数には満たないが86カ国[10] [11]であり、[12] [13] 批准国は増加しつつある[10]。近年、国際結婚後、欧米、特に米国に移住した日本人女性が結婚の破綻後に子供を日本に連れて戻った結果、子供を連れ去られた外国人の配偶者が長年に渡り(あるいは半永久的)子供から引き離されて救済手段がないという事態が過去の累計で数百件ほど起こっており、この理由から欧米加盟国から日本の加入が要求されていた。

 

一方、日本では家族法上子の親権者を夫婦のどちらか一方に決めておかなければ離婚は認められず、子の養育の権利・責任(親権)は母親が引き受ける文化が定着している(判例では、母親側によほどの問題がない限り、親権は母親に渡されるのが通例である。ただし10歳以上の子が自らの意思で父親を選ぶ場合は除く)。このような事情から、本条約は現在の日本の家族観に合致しない面があり、条約締結には国内法の改正が必要となるため加入には消極的であった。

 

しかし、国内外において国際離婚に伴う子の略取問題への関心が高っていることから20115月に政府は加盟方針をうち出し [14] [15]、 国内法制との整合性調整等の条約締結へ向けた準備を開始している [16] [17]



tom_eastwind at 08:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月11日

非核三原則

橋下氏、核廃絶「現実には無理」 日本は平和ぼけ

 

 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は10日、遊説先の広島市で核廃絶について「現実は無理ですよ。今の国際政治で。日本はちょっと平和ぼけしている。核廃絶を日本がやると言ったって、誰ができるのか」と述べ、実現は困難との認識を示した。

 

 また非核三原則が禁じる核持ち込みについて「アメリカの核に守られている以上、あり得るのではないか。現実にあるのであれば、国民に開示して議論をしなければならない」と容認する可能性に言及。記者団に答えた。

 

 橋下氏は「(非核三原則は)基本は堅持だが、『持ち込ませず』に関しては安全保障上、うそはつかないようにしないといけない」と強調した。

2012/11/11 00:13   共同通信より

http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012111001001926.html

 

この話はいくつもの話を一つにまとめているので興味深い。

 

まず彼は「維新の会は当面原発推進、少なくとも廃止は有り得ないですよ」と主張している点。これは選挙政策として原発に対する自己認識を明確にした。

 

表現はあくまでも核爆弾についての現実的評価をしているのだが実態はこの議論の延長が原発製造能力であり原子力発電技術の維持であり電力会社からすれば有難い指摘だ。これで潤沢な選挙資金が得られる。

 

次にこの話を原爆被害地の広島でやったという点だ。相当に刺激的な場所を選んでやったのはニュースとして取り上げて欲しいからで、ある程度の反発は覚悟しながらも自分の姿勢を明確にして原発推進派からの票の取り込みを狙っている。

 

核廃絶は現実的な国際政治の中では不可能という認識も正論だ。現実的に出来もしない事を何時まで経っても対案もなしにお題目だけ唱えるようでは平和ボケである。核廃絶をしたいなら遠回りでも国民全員がまず選挙に行き積極的に政治に参加するしかない。

 

その為には選挙を強制的に参加する仕組みに切り替えて少なくとも選挙に行かない場合は一定の罰則(例えば選挙非参加者の氏名を公表するとか)を与えるくらいの立法が必要だ。

 

その上で国際政治に参加して被爆国としての立場から議論を深めていく必要がある。しかし現実的には核爆弾でなくても大量に殺人を行う方法はある。一発でいけるのは細菌兵器であったり毒ガスであったり時間をかけてやるのは中国の黄砂で日本人を身体的に弱体化させて殺すとか。黄砂は一種の公害、毒ガスであるから長期にわたって体に染み付けば確実に日本人の体を蝕む。

 

だからやるべきは特定の兵器を限定して廃絶させるのではなく問題解決の手段として暴力を使用しない社会、人間を大事にする社会を作ることだ。

 

また非核三原則が実際には守られていないという現実を無視してお題目のように非核三原則を無批判に訴えるのではなく米国から核爆弾が持ち込まれている現実に目を向けて国民として議論すべきだと言うのも正論。

 

米国の安保条約があり核の傘にいるから中国が直接攻めて来ない現実があるのにも関わらずそこだけは目を背けて嘘を言うのなら子供に顔向けが出来ないでしょ。子供に「おとうさん、日本の米軍の基地に核兵器が保管されてるってホント?」と聞かれて何と答えるか?

 

実際には持ち込まれているのだから非核三原則を見直すと言うよりも嘘を付かないという基本姿勢が大事だ。

 

世の中の現実から目を背けても核爆弾は消えないし中国との戦争の恐怖は去らないし黄砂が確実に日本人の体力や生命力を弱めているのも事実だ。現実に目を向けて現実と向い合ってどう生きていくか?それもただただ目先の長生きをするためだけではなくて人間らしく尊嚴を持って生きていく事をどう実現、または実現に向かって突き進んでいくか?

 

橋下氏の短いニュースだったが内容的には濃いものがあった。

 



tom_eastwind at 16:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月10日

国民の命を護るって事

なぜ米国が国民の命を守るのか?米国は他国から移民が集まってきた移民国家だから国民が国家の基礎と理解している。国民を守らない国家など誰が住むものか。そんな国からは人々が去っていく。

 

なぜ日本が国民の命を守らないか?支配者である政府にとって日本国民は奴隷だから切り捨ての対象だ、守るほどの事はない、1億人とたくさんいるしねと思っているからだ。

 

1979年に起こった米国のイラン大使館占拠事件では52名の米国人が人質にされたが米国は軍隊を送り込んで奪還しようとした。結果的に作戦は失敗したが米国は自国民を護るために戦いをも辞さないという明確な姿勢を見せた。

 

この事件以外でも米国旅券を持つ米国市民を護ると言う姿勢は徹底しており、だからこそ時には武力に訴えてでも米国人を護ることで知られている。米国人がテロの標的になるもテロリストと決して妥協せずに戦うことでも米国は知られている。

 

なんでこんな事を書いたかって言えばそれは北朝鮮による拉致問題に関する情報メールを読んだから。自分の国で生まれた人間、自分の国で国籍を取った人間を守ろうとしない国家って、一体どれほど個人をバカにしているのかと思う。

 

 



tom_eastwind at 16:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月09日

背番号

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国民に与える番号は、氏名・住所・性別・生年月日の4情報と関連づけた個人番号。桂枝雀「代書屋」がオッサンに聞く性別以外の3情報でんな。「生年月日言うとくんなはれ」「セイネンガッピ! 」は落語史上に残るシーンでんな。

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国民総背番号制度は増税と合わせて導入される予定だがこの制度くらい「制度の合理性」と「制度制作側の非合理性」が同居している案件は珍しい。

 

制度自体はすでにニュージーランドでも導入されており、各種手続きの合理化や検索の一元化等など役立っている。こちらではIRD番号、Inland Revenue Department numberと呼ばれてぼくも一つ持っている。

 

この番号があれば僕が払った税金から福利厚生を受けた金額など現在の状況が一発で分かるお役立ちグッズなのだが、なぜだかこれが日本で利用される場合、完全に資産家イジメの道具となり生活保護などを受ける貧乏人への締め付け強化グッズとなる大変面白い道具と変化する。

 

システムを構築するためにかかる費用は数百億円水増しされて役人の利権となり作ったシステムが壊れるようにして維持費に更に数百億円が毎年かかるようにしてそこも役人の利権漁りの場所となる。

 

ニュージーランドでは税務署(IRD)が元気に働き国民から税金を色んな名目付けて取ろうとしているが制度自体が明確であり国民は納得出来なければいつでも訴える事が出来る環境にあるから日本のように節税をするって発想はあまりない。全くない、のではなく日本ほどではないって意味。

 

というのも国民は髪との約束で労働の義務があるし納税の義務があるが、同時に国民が社会の主役であるってことを熟知しているから、真面目に働くビジネスマンからすれば納税は義務というよりも勲章に近いイメージがある。

 

もちろん役人の為に働くわけではなく社会全体を良くするために納税するって発想がある。だから全く納税しない事を威張るようなビジネスマンはあまり好まれない。しっかり働きしっかり納税する、これが基本である。

 

間違った課税をすれば喧嘩結構、しかし税務署だって利己主義的にやっているのではないって意識があるから個人的に喧嘩をするってことにはならない。このあたりがとても公平でビジネスライクで良い。

 

日本の官僚社会は本当に制度的に疲労している。しかし彼らは自分たちで自己治癒する方法を持っていない。制度的に自己治癒しようとするとそのような少数派は除外される仕組みになっているからだ。

 

コンピューターとインターネットが結びついて世の中は抜群に住みやすくなった。しかし日本ではそれが逆利用されて官僚が自分たちの都合の良いように使われて、警察は使い方も知らずに無実の人々を逮捕している馬鹿さ加減。

 

日本で背番号制が導入される日、それはいよいよ官僚がやりたい放題の官僚人治国家が完成する日だろうなって思ってしまった。



tom_eastwind at 16:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月08日

Forward !

Forward!

 

 

「前進しよう、僕らはどんなに貧しい家庭の子供でも学校の先生にも医者にもなれる、もちろん大統領にでもなれる!」

 

バラク・オバマの演説上手は有名だが、勝利スピーチは特段に力がこもっていた。昨晩19:30からのシカゴからのライブ中継で見ていたが、奥さんも娘も体を乗り出してまるで映画を見ている時のようにじっと聞いていた。

 

うちの奥さんは演説が始まるとすぐ録音を始めた。この場にいない龍馬くんに聞かせたいんだろうね。

 

最初に選挙のライバルであったロムニー候補に対して「立場は違うが同じ米国を良くしようとしている人だ、これからもお互いに意見交換しながら仲良くやって行きたい、彼は素晴らしい人物だ」と、きちんと戦った相手を立てている。きれいだよね、このあたりのスポーツマンシップとでも言うのか。

 

次に自分の陣営の仲間である副大統領の話をしてから「ぼくがここまで来れたのは20年前に僕のプロポーズを受けてそれから僕を支えてくれた人がいたからだ。ありがとう、そして賢すぎるくらいの二人の娘にも感謝している」と、きちんと家族愛を語る。

 

このあたりはいくら常連的セリフとは言え、やっぱり素晴らしいと思う。敵を褒め仲間を讃え家族に感謝して、人々を直接引き込んで自分の味方にして米国をリードしていこうとする気持ちを感じる。

 

移民に対して何度も言及しているのがとても目立った。世界からやってくる人々のために良い国家であろうとする姿勢を見せていた。

 

米国でも議会が与野党混戦で法案を通すのに大変でありオバマの手法を問う米国人も多い。しかし妥協せずに自分の信念を貫くからこそ議会で喧嘩になる。

 

ギリギリまで妥協せずにいるから法案が通らずに大変な思いをすることになるが、それでも自分の信念を曲げることをせずに土俵際まで踏ん張っていく姿勢は、金のためではなく信念のためだという気持ちが遠く離れた国の移民にまで伝わってくる。

 

ニュージーランドと米国は1985年のブキャナン号事件(核搭載疑惑の軍艦に入稿拒否をして1991年まで実質的に米国と断交した)以来、決して蜜月関係ではないが今年になって少しづつ雪解けをしているがそれでもまだ米国が希望するような状態になっていない。

 

ジョン・キー首相がオバマと仲が良いという話はあまり聞かないが英国のキャメロン首相とは仲が良いようだしいずれオバマも時間があればニュージーランド訪問という事もあるだろう。

 

しかしその時でもニュージーランドは核搭載艦を受け入れる事は有り得ない。しかしそれはオバマを嫌いだという事では決してない。オバマがやろうとしていることは実はニュージーランドが100年以上前から実行していることなのだからその意味では同志なのである。

 

これから4年、米国はオバマによって普通の国家として変化していくだろう。おそらく経済は、株価は下がり製造業が根付くまでに時間かかかり変化の過程では多くの痛みが出てくるだろう。これからの4年は米国もきつい事になりそうだ。

 

しかしオバマの方向性は間違っていない。米国が享受した20世紀の贅沢をオバマが清算することになるだろう。大変だと思うが個人的にオバマは応援していきたいと思う。Forward

 

 

 



tom_eastwind at 18:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月07日

どっち?

どっち?脳みそが乾いた・・・

 

家族の資産が奪われそうだって。

どうする>

 

「仕方ねー自家用ジェット機でオークランドに行って永住権取っておくか」

「オークランドってカリフォルニアでしょ、そんなとこ行ってどうすんのよ?」

「ばーか、ニュージーランドのオークランドだよ」

「ニュージーランドってニュージャージー州の隣でしょ、興味ないな〜」

 

何だかずれた会話が成立しそうだがニューヨークの豪邸に住んでいるニューヨーカーからすれば普通の会話かもしれない。

 

「オバマが再選されれば米国の株価は−13千四百七十三ドルになる。つまり株価はゼロになってしまう、とニコリともしないで言い放った」という話が月刊誌「選択」11月号に書かれていた。

 

オバマは富裕層や投資家向け時限立法であるブッシュ減税を今年12月末で失効させると主張していた。彼の主張が通れば来年多くの富裕層がニュージーランドに逃げてくるだろう。

 

米国はリバタリアン発祥の地であり自己責任が原則である。病気になれば自分の金で病院に行け、金がないのは働かないからだ、努力をしろ、上を向いて努力をしろ、アメリカンドリームは弱さの中には存在しない、弱ければ努力をしろ、上を目指して努力をしろ、こういう金科玉条を米国の強さとしてきた。

 

実際にはある程度の社会保障もあるし全員が努力出来るしても個性により成長出来ない人もいるので彼らに対しては最低限の社会保障があるが、それでも最低保障でしかない。

 

つまり米国は伝統的に弱者に対して厳しい目を向ける国なのだ。そのような状況でバラク・オバマは正反対の政策を導入した。弱者救済、社会保障、フードスタンプ、皆保険、多くの富裕層からの反対に遭いながらもシカゴの貧民生まれのオバマは皆が平等になれる国作りを行ったのだ。

 

幸運な事に21世紀の世界支配層は米国をアメリカ南北大陸を世界三極の一つにする政策を導入したから強いアメリカは不要となりそこでオバマの政策は認可された。

 

しかし米国で今までお金を稼いでいた富裕層からすれば「ふざけんな、ここは米国、自由の国だ。俺たちは自助努力でここまで成功してきたんだ、俺達の努力の結果で払った税金を、努力もせずに何もしないで酒ばかり飲んでる無責任な貧乏人の為に遣うなんておかしいじゃないか、ここはアメリカなんだ!」である。

 

しかし米国の方向性はすでに決定しており金持ちに対する取り締まりはケイマン諸島の脱税口座やスイスの個人口座にまで広がり、現実にスイスの銀行は米国人顧客リストを米国政府に提出する事態となり、米国居住者と取引をする時は他の国よりも厳しい契約書を結ぶしかなくなったくらいだ。

 

オバマが勝ったという事はこれから4年間は富裕層にとって増税の時代が来たって事になる。そうなると座して税金を取られて努力をしない貧乏人に渡すくらいなら、どうせ俺たちのご先祖様は移民なんだから立ち上がって自家用ジェットに乗ってニュージーランドに行き永住権を取ってしまえという話になる。

 

何せニュージーランドは税金が安いし法治国家であり誰に対しても平等である。ならば米国居住者であることを止めてニュージーランド居住者となり仕事で必要があれば自家用ジェットでニューヨークで仕事をして、仕事が終わり次第ニュージーランドに戻ればいいやって事になる。

 

実際に投資家プラスという移民枠でビザを取得したベスト3に米国人が入っている。他の2国は宗主国である英国とブラック金持ちが流出真っ最中の中国である。

 

ぼくは個人的にオバマ支持である。僕自身が田舎で貧乏な生まれを経験して自分の責任でもないのに他人に笑われた経験があり、その悔しさが努力する自分を作ったが、それでも自分ではどうしようもない事が世の中にあることは分かっている。

 

社会が弱者を切り捨ててすべての社会参加者に強さを要求する国は強くなるだろうが、決して優しい国家とは言えない。強くなければ生きていけないが、優しくなければ生きる資格はないし、優しい社会でなければ人は助け合いをしなくなり最終的に国家は崩壊する。

 

その意味でオバマの政策を評価するし今生きているニュージーランドは優しい国家だと思ってる。

 

同時に実生活では僕自身はリバタリアンである。税金はきちんと喜んで払うが働かずに政府の金=他人の税金で食っていこうなどとは全く思ってないしやった事もない。強くなければ生きていけないし仲間を守ることも出来ないからぼくが手抜きな人生を生きるって事は社会に対して裏切りになると思っている。

 

これから米国は変化していく、普通の国家に戻っていく。製造業を強くしていき世界の中の一つの地域になるだろう。オバマが再選されたというのは世界の支配層が「普通の米国」を作りたいからだ。

 

どっちがいいの?生まれた国?住みたい国?

 

それは個人の主義主張で選択すれば良いと思う。ただ、世界的な風潮として、強く戦っていくのなら自分が生まれたからって理由だけで無慈悲な国家に頼るのではなく自分の住みたい国家と提携して生きていくべきだという事はますます明白になっていく。

 



tom_eastwind at 19:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月05日

卒業

tomさん、こんな文章でいいっすかねー?」と若い男性社員が持ってきたお客様向け退職のご挨拶文。ぱっと見てやっぱりなと思った。日本のビジネス社会を経験していな人間としてはネットを駆使して立派に書いているが、一番大事な事を書いていない。

 

「お前さ、抜けてるぜ」と言っても見えない物を見ろと言うようなものなのですぐ説明に入った。「いいか、今の時代になっても日本社会では定年まで一つの会社で働き抜くのが正しいという考えを持つ人が多い。中途退職や転職なんてのは、そりゃ本人が使い込みやったとか先輩の女に手を出した責任と思われるかもしれないんだ。だから円満退職であることを文面に滲ませないと、お前がうちを辞めた後に連絡取ってくるお客が減るぞ」

 

日本での社会経験が殆ど無い彼はキーウィの転職社会を見ているから転職は自分の未来に向かってホップ・ステップ・ジャンプするものと思い普通に「この度退職〜」と書くが、それは今でも古い日本人にとっては良い印象を持たない。だから退職ではなく卒業。

 

この事もぼくは昔から言ってた。うちの会社はニュージーランド社会に入るための登竜門だ。うちの会社でNZで働くという事を学びながら仕事を通じてお客様と取引先の人脈を作る、そして次のステップに移った後も人脈を大事にしてそれを自分の成長に繋げる、それがこの国で生き残る戦い方だ。

 

なのでぼくは最初の時代は「当社で3年以上働くべからず」と言ってた。さすがに現在のような長期ビジネスモデルになるとそうはいかないので言わなくなったが、それでも20代の若い人たちにはどんどん外の社会に出て現実の空気に触れて欲しいと思う。

 

どんな事言っても当社は日本語が通じるし日本人の価値観の通用する会社だ。けれど外の社会では英語しか通じないし日本人の常識も通じない。けれどそのような英語一pん真剣勝負の他流試合が結果的に自分を強くするのだ。

 

そうやって強くなった人間が会社を起こす。そして日本からやってきた若い連中にNZ社会で働くという教育を与えてまた外に送り出す。これを繰り返すことで地域社会で日本人が一定の地位を獲得することが出来るし地域社会の尊敬を勝ち取ることができる。

 

戦前のハワイや南米に移住した日本人は、自治組織を作りお互いに助け合い日本人としての誇りを持って生きてきて、戦後それぞれの国で見事な日本人互助社会を作り上げ地元と融和してきた。

 

ぼく一人でどこまで出来るか分からないが今年から始めた移住日本人向け相互互助会員組織が出来るだけ早い時期に自立活動を開始してそれが教育、成長、卒業、起業、採用、教育を繰り返して循環的に子供の時代に継続して次第に大きくなる輪のような存在になればと思う。

 

「いいか、退職じゃないぞ、卒業だぜ」というと、まるでぼくがAKB48の真似をしているのかと思うかもしれないが、時期的にこちらのほうが10年以上早いし〜(笑)。

 

「またダメッスか!」普通の日本ビジネス社会ではまず勤務中に使わないような言葉を連発しながら、よくこれがお客様の前では「いかがでしょうか?」ときちんと標準語で使い分けてるな、まるでバイリンガルだぞと思わず心のなかで笑った。

 

結局4回校正を行い、まだまだ更生の余地はあるけど自分の言葉でお客様に向け発信させることにした。お客様から様々な反応があるだろう。お客様に育ててもらい社内スタッフの指導を受けて、ぼくが見てきた日本人の中で一番伸び代の高い奴だったな(笑)。伸び代が高いとはスタート地点が低いということでもある(笑笑)

 

「ぼくはこれ(小指)で会社を辞めました_||○」。文字は人を殺しもするし笑わせもするし生かしもする。そのような文化を伝えていくのも僕ら先達の仕事だと思っている。



tom_eastwind at 19:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月04日

月を見つけた子供

 

最近のブロゴスで目立つのが何つーかシロウトの投稿。立ち上がった当初はアゴラと同様ある程度専門知識を持った人々が自分の専門の業界について時事意見を述べたり業界外の人では入手できない情報を使って業界情報分析をしてみたものだ。

http://blogos.com/article/49515/

 

だが最近ではすっかり玉石混交、その上読者にもシロウトが増えてきて作者の意図することが読み取れないまま感情で書き込みをしているから、何だか高級情報誌「選択」がいつの間にか週刊現代になったようなものだ。

http://www.sentaku.co.jp/

 

週刊現代は買わなければ読む事もないのに対しブロゴスは毎日無料でアクセス出来るのでタイトルが面白そうだとつい開いてしまい読了後の虚しさ、時間返せ、てかタイトルに釣られた俺がバカ?的な悲しい気持ちになる。

 

誰を読者として記事を書いているのか、不特定多数に向けているのか、一定の知識水準にある人々を対象に専門知識を提供しているのか、猿に対してバナナを提供しているのか、記事を書く側の程度が一定の知識や常識を身に着けているのか、このあたりが週刊現代化している。

 

そこでタイトルとなるのだが、子供がある日夜空を見上げて「ねえおとうさん、ぼく、月を発見したよ!見てみて、あそこだよ!」というような状況を考えてみて欲しい。

 

外国での赤ちゃんの育て方が違うってのはちょっと調べればすぐに分かることであり今までそういう事を調べもせずに興味も持たず、偶然大学の友だちから聞いて書き込みをするくらいなら自分のツイッターあたりでやってくれ、ブロゴスにリンクしてると友達少なくなるぞって感じ。

 

何かブロゴスに書き込みをすることで自分が偉くなったような気分になるのかな、高学歴低能層にこのような人が目立つ。彼らは子供の頃から他人に興味を持たず勉強ばかりして普通の常識を無くしているから受験に役立つ特定の暗記情報には強いが情報を評価する能力が全く育っていない。

 

何故なら彼らが学校で得る知識は絶対的に正しい答でありその答を記憶しておけば試験に合格するのだから嘘のはずがないと思い込む為、自分が今日知り得た情報は実は世間的には誰もが知っている情報だということに気づかない。

 

勿論この記事を読んで初めて外国での子供の育て方が違うという事を学んだ人もいるだろう。それは日頃少年ジャンプとガラゲーを専門にしていた若者がとちくるってブロゴスにアクセスした場合に起こる。

 

現実の人生もこれに限らずだが、ある日突然学歴優秀、立派な過程に育った人がやってきて「ねえねえ凄い話があるんだけどさ、これ誰にいっちゃダメだよ、あなた何だかすぐ他人に言いそうだけど〜」などと小声で話しかけてくる。

 

よく聞くとなにかの投資の話。内容聞くと実に馬鹿げてて、アフリカの金鉱山の権利が安く買えるとかその理由がすごい。にやっと笑って“ぼくは特別な国際的会に所属している友達がいて絶対間違いないって紹介してくれて〜”。

 

もうその時点で彼は僕の純粋な研究対象となり彼の心理や行動を研究しながらそこに普遍性はあるのか、あるとすれば何がポイントかとかを学びにかかるのみとなる。

 

月を見つけた子供にならない為には常に情報収集を行い分析能力を高めることだ。その為に必要な知恵は常にまず素朴な疑問を持つこと。そうして情報をダブルチェックして行く事で少しづつ真実に近づく事ができる。

 

そうして得られた真実を積み重ねていけば世の中を立体的に眺めることが出来るようになり、ある程度の自分の将来予測を立てることも可能になる。



tom_eastwind at 12:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月03日

金曜日の夜 反日が中国を潰す

金曜日は久しぶりに地元のお店に顔をだす。まずは居酒屋からだ。最近のオークランド、どんな感じかなって情報収集だ。居酒屋から始まって友達の店を数件回る。どこも元気にやってるのは人口増加のせいだろうなって思う。

 

それと全体的にサラリーパーソンの給料が上がっているせいだろう、地元白人のお客が目立つ。手頃な値段でわいわい楽しめるお店って、白人系のカフェやレストランではやりにくいし、かと言ってバーだと食い物がない。飲めて騒げてしっかり食える居酒屋はちょうど良いポイントを突いているような感じがした。

 

ただこの国では毎年5%程度の賃上げがあるし労働組合もそれなりに強いからストを打ってでも金よこせって風潮はある。日本の労働組合と随分違うなって思うが、この国は本当に俺かお前かって感じで会社と社員の共存共栄って発想はないのかが疑問。西洋式発想の限界だろうなってのは僕が外国人だから見えてくる視点だと思う。

 

2軒めはカラオケバーで、このお店では日本人は3分の1以下、殆どは韓国人と中国人がプライド維持の為に日本人のお店に来て英語で話をするのだが、彼らは言葉の不自由をモノともせずにわいわい騒ぎながら日本人女性にアタック!って感じ(笑)。殆ど撃沈だが、彼らのプライドからすればアジアで最高の女性は日本人であるって発想は今も現実ってのがよく分かる。

 

目先では尖閣諸島とか竹島とか言ってるが、あんなのは政治的発表であり中韓の人々も個人的には日本を好きである、とくに知能指数と親日度は正比例していると思って良い。

 

尖閣では愛国バカが騒いでそれが大人数だから今は問題になってるが、こっちがバカに程度を合わせてわーわー言う必要はない。きちっと事実だけを関係各国に伝えて絶対に感情的にならず冷静に問題に対処すればよいだけだ。そして状況に応じて中国からASEAN諸国に工場を移せば良いだけの事だ。中国の経済繁栄を終わらせてやるのだ。

 

キプロス紛争ではトルコとギリシアが殺し合いになったし領土問題は世界中どこでもある。むしろ東北アジアでは殺し合いになってない分まだましと考えるべきだ。

 

一番アフォなのはこれを機会と中国韓国に程度の低い険悪度を見せる連中だ。まさにあふぉーの極みであるが、それは日本海の東西を問わず同様であり自分が愛国者であることを表現することで他人に認められたい欲求を持つ人々を政府が扇動した結果である。

 

つまり両国政府に騙されて操られているだけの人々なのだが、困った事に彼らは国を問わず愛国無罪的な感覚を持っているから自分の気晴らしや売名行為が自国に対する不利に働いている事を理解しようとしない。

 

愛国の困った点は誰もが単純に主張出来るし感情論であるから議論にならないとこだ。本人も何度も愛国と言ってるうちに更に感情的になり最後には冷静な思考が出来ず立体的外交が理解出来なくなり遂には「やってしまえ!」となる。

 

現在中国は経済危機的状況に近づいている。リーマン・ショック後のインフラ投資が結果的に地方空港や巨大な橋を作り上げたが肝心の実態経済が動いておらずトラックは走らず飛行機は飛ばずの状態で建設現場での仕事を失った単純労働者が金もなく住む場所もなくはけ口を求めている。

 

そのような時に国家が取る手段が外愛国心を煽ることと責任を外国に被せて国民の目を逸らす手法でありその手法が現在尖閣諸島で使われている。

 

しかし反日デモが結果的に中国に進出した外国企業をドン引きさせ米国は国内に工場を戻し日本はアセアンに工場を移し中国はますます崖っぷちに近づいている事に中国は気づいた。国内対策をやってたら世界から相手にされなくなったのである。

 

すでに中国向け投資では欧米からの資金は一気に低下している。日本国民も単純な自己満足的愛国ごっこは早くやめて冷静に事態に対処してこれを機に日本離れをした欧米をもう一度こちらに引き寄せる返し技を打つべきである。

 

 



tom_eastwind at 12:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月02日

信に対して信で答えるという事

時々変な質問をされる。「あなたは何故そんなお金にもならない約束を一生懸命守ろうとするのですか?」

 

どうもある種の人から見ればぼくは日本人らしくなくビジネス論理だけで仕事をしているようだと思われてるらしい。だから金にもならないちっちゃな約束を何故守ろうとするのかが理解出来ないようだ。

 

ただそれは、ぼくをどの角度から観るかによるだけだと思う。

 

ぼくは海外に飛び出て誰の助けもなく25年間生きてきた。その中では様々な体験をした。そして一つだけ自覚したのは、どうやらぼくは状況に応じていかにも変化が可能な能力を持っているという事だ。

 

それはニュージーランドにおいては冷徹なまでのビジネス論理でなければ理解もされないし生き残ることも出来ない、「感情論」とか「やればどうにかなるさ」とか戦前陸軍の体育会系の発想では、1回の戦争はまぐれで勝つことがあっても100年を生き残ることは出来ないということだ。

 

そして香港では他人に騙された方が悪いという短視的な直感で判断する能力が要求される。西洋的な理論でやってたら中国人の博打的判断の速さに負けるし日本的に「上司に聞きます」理論でやってたら全線全敗である。その場その時に自分が全責任を負って即答して実行して相手の信頼を得て始めてビジネスは成功する。

 

しかし日本では最初から信頼が全てだ。言ったことは守る。それはビジネスとしてのお金の多寡ではなく約束を守る事自体が社会を守る大事な要素だからだ。

 

日本のビジネスモデルは世界で最も進化した形態であり長期的契約を前提とした信頼で成立している。お互いを騙さないという事が原則として存在し、その上にビジネスが存在する。

 

勿論西洋人でも信頼を守るという姿勢があれば日本人との間でビジネスは成立する。だから日英は割合相性が合う。しかし西洋人の理屈はもっぱら狩猟民族であるから「俺かお前か」の二者択一であり最終的には契約社会の中で日本人が食い物にされる事がある。それは1990年代から騒がれるようになった著作権や知的所有権問題で如実に現れた。

 

このことを書くと長くなるので割愛するが、信頼に重きを置きすぎて不断の努力を忘れた甘すぎる日本人ビジネスパーソンの論理構成に対して冷徹な論理で戦う英国系(つまり欧米)が見事に隙を突いて食い込んで来たわけだ。それは最近の地球温暖化ビジネスでも同様である。まさにタコが踊らされているような状態だ。

 

ただ、ぼくは日本人である。いろんな国でいろんなビジネスを見てきた。自分で毎回現場に飛び込んで戦場視察をしてきた。戦場視察とは一つ間違えば自分の乗ってる船も沈んでしまうような状況だ。

 

そうやって学んだのが、結局地球を一つの生命体として見れば信頼を基礎とした日本的ビジネスが最適であるという事だ。誰か一人だけが生き残るという英国的なビジネスではなく誰もが食い合うという中国的ビジネスでもなく、実は古代中国の歴史を自己に取り込んだ「誰もが助けあい皆が生き残る」日本的相互援助組織的ビジネスが最も持続可能で強いのだ。

 

面白いものだが中国の古典的教養は日本で花開き中国は日本を中国の領土と認識しなかった為に文化は伝わったが領土問題にはならなかった。ある意味美味しいとこ取りをしたようなものだ。

 

僕は日本的ビジネスをこのニュージーランドでも実現させたい。そしてそれは可能である。ただしそれには不断の努力と忍耐が必要である。体育会的な「ノリ」だけでは絶対に解決しない。日本人チャチャチャ!でも解決しない。

 

酒を飲んで仲間意識を高めて内輪で煽るだけでも解決しない。つまり忍耐力も理論力も持続力もないビジネスマンにはやっていけない世界だという事だ。

 

しかし、だからと言って西洋論理に巻き込まれてしまえば金持ちと貧乏人が生まれる格差社会が固定化するし、中国論理に巻き込まれてしまえば信頼をする方がバカだという刹那的で非人間的な社会が構築される。

 

かなり中庸的な立場を守る事が必要であるが、それこそが持続成長する社会を維持する方法である。

 

だからこそ日本的な信頼を基本にした社会を作り上げて誰もが平等に平和に過ごせる社会が出来るためには少々裏切られても最終的にはこちらが生き残り相手に恥ずかしいと思わせるような体力と、こいつは本物だと思わせる努力をして信頼を作れば誰でも夢を持って起業出来る素地がある。

 

そのためにこそニュージーランドではビジネス論理を持って冷徹に戦う必要がある。しかしそれは信を失う方向での冷徹さではなく日本的な長期互助会を守るためでなければ成立しない。だからこそ僕は信を守る。随分昔のお金にならない約束、けれど、どんな約束でも守る、それが約束である限り。その気持が持続する社会を作る絆である。

 

信頼を基礎とした仕事をする。時間はかかると思うが、それでも目標を持って生きていきたい。強くなければ生きていけないが、信を失っては日本人として生きる資格はない。



tom_eastwind at 17:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2012年11月01日

ドン・キホーテ!

今朝ケータイを見ると僕の掛かり付けのお医者さんからテキストが届いており「良かったね、君の定期健診の血液検査で尿酸値は低かったよ、これなら問題なし大丈夫」だって。ひゅー、ほっとした♪。

 

何せ仕事柄(苦笑)お酒を飲まねばならないこと(笑笑)があるので生活習慣病を気をつけねばならない。その上痛風の気もあるので食材も甲殻類は駄目だし野菜は嫌いだしで即席ラーメンの粉末スープの中のネギも茶こしで濾しているくらいで、かなり限定された食事しかしていない。

 

お酒と言っても飲むのはウィスキーか焼酎だけで、この二つは痛風の元となるプリン体がほぼゼロなので、食事の際もこのどちらかにしている。けど長生きをするのが目的ではなく人生を楽しむのが目的なので、ワイン好きなお客様との食事では2ヶ月に1回くらいはハメを外してワインを飲む。

 

こういう時のワインは美味い。ちゃんとした店(Kazuyaのようなお店)でちゃんとしたニュージーランド産のワインを、きちんとシェフが手を入れて作ってくれた、量を少なめにしてくれたきちんとした美味しい料理と一緒にすると、こりゃもう極楽だ。こんな楽しいことはない。

 

けどそれも健康な体があってこそ食事を楽しめるので常に健康を考えて食事内容や飲酒量とストレッチングのバランスを取るようにしている。お陰様でこの年になっても身長165cm体重59kgのバランスで27歳の頃に買ったスリーピースのスーツが今でも着られて、腹は出ていない証拠♪

 

そうやってバランス取ってるからこの尿酸値♪と思ったら、こりゃ正直うれしいもんですぜ♪。音符を3つも並べてバカみたいですが、やっぱり健康第一です。

 

そして今日は朝一番から移住チーム全体会議。全部集まると10人を超すメンバーで顧客担当者が現在担当している移住会員や顧客のスクリーニングを行い、担当者別の進行状況を確認。これが5万人計画の基本となる会議だ。

 

5万人にはまだ当分至らないだろうが千里の道も一歩からである。

 

それにしても増えたな、会員の数。子供の数でいけばちっちゃい小学校作れるくらいになった。10年前に移住の波が来るぞって僕が騒いでたら周囲のスタッフは「ぼけ?ちゃう?」みたいにドン引きされたしその為に日本で説明会をするとまさに風車と戦うドン・キホーテみたいな扱いだったが、今となっては「夢は叶う」である。あはは、やっぱり夢って大事ですね(^^)

 

この会議を1時間で終わらせて軽く昼食(家から持ってきた白ご飯に休憩室常備の卵とふりかけ、味噌汁もあるのだが僕はお茶の方が好き、主食はスタッフ持参で副食は会社で買ってます、生卵、ふりかけ、味噌汁、アイスクリーム等)を済ませて次の面談に参加。

 

この面談ではとてもうれしい話で、10名を超すご家族(お爺ちゃんお祖母ちゃんからお孫さんまで)が一族でやってくることになった。これこそ盆と正月だ。これからいろいろと大変な事もあるだろうが、家族全員で一緒に来れば力強いし団結すれば力は相乗的に高まる。子供の笑顔はお爺ちゃんも動かす。

 

そしてこの密度の濃い会議が終わってさあ自宅で次の仕事と片付けをしてたら、今日最高の嬉しいニュース!3年近く頑張って挑戦してきた技能移民枠での永住権取得ニュース!

 

ほんっとこのケースでは勝ち目のないマラソンを100回走ってたような感じで、とにかく引っ張る、絶対にこのままでは終わらせない、そうやっておもいっきり力をかけてたケースで、今回もどうかなって思いつつ次の手をと考えていたところ、いきなり「取れました〜」。

 

なんだか、やった〜って感じではなく、今まで肩に乗っかってたものすごく重いものがここですーっと抜けた気持ちになり、逆にぐた〜っとくたびれた感じで、何だか体から魂が遊離した感じ。幽遊白書ですね(笑)。

 

でもって自宅に戻りメールをチェックすると、おおお、これまた、やっぱりそこか!ってのが届いてて、あー、やっぱり気持ちは届くんだな、繋がってんだなって歓び。これまた音符にしたいほどの個人的なうれしさ。

 

まさに今日は盆と正月のようなうれしさでした。始まりはドン・キホーテでもいい、結果的に自分が描いたニュージーランド日本人社会5万人計画、まさに進行中です!



tom_eastwind at 17:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌