2012年12月

2012年12月31日

2012

今年も今日で終わり。日本に出張する時の儀式として毎回の出張で一回は必ず吉野家で牛丼を食べる事にしている。今年は家族と一緒に朝から恵比寿駅前の吉野家に行く。

 

それにしても吉野家、メニューが広がったな。今ではカレーも扱ってて、やはりすき家との戦いに負けているので価格競争やメニュー競争に巻き込まれていくしかないのだろう。

 

1990年代の吉野家はまだまだ根強いファンを持っていた。狂牛病の時も他社が豪州牛肉を使ったりする中で吉野家だけは味に関する拘りを持ち続けてきた。当時の経営者は学生時代からアルバイトで働いていた安部社長だったがあの危機を何とか満身創痍になりながらも生き残ってきた。

 

しかしその後、ここ3年くらいで社会的構造が一気に変わった。今まで吉野家の信奉者だった若者や労働者が次第に熱情を失ってしまい、安くてメニュー豊富なすき家に流れるようになったのだ。

 

相手が政府や病原菌であれば戦うことも出来るが肝心の顧客である一般の人々が世の中のデフレ化に流され目先の金に流され吉野家をサポートする価値を見出さなくなった。1990年代のように少々苦しくてもまだどうにかなると思えてた時代は自分の支持する対象に熱情を傾けることも出来た。

 

しかし2005年頃、小泉首相が退陣したあたりからまた経済は音を立てて崩落していく。そこに更に民主党が政権を取って世の中を無茶苦茶にして、その合間を利用した官僚が自分たちの権力を盤石なものにしていった。

 

国民はもう政治ゲームで捨て駒にされる自分の立場をひしひしと感じてとにかく義理人情なんて言ってられない、一円でも多く自分の利益になるのなら今までの取引も支持もあったものではないとばかりに節約に走った。

 

これが更にデフレを進めてしまい消費不足による物価下落、その結果としてサラリーが下がり労働者でもあり同時に消費者でもある社会人は益々お金を遣わなくなり、ますます世間は世知辛くなっていった。

 

吉野家はある意味確信的に自社の顧客を信用して自社の方針を守りぬいた。しかしそのストイックなまでの方針に次第に「バカじゃねえのか吉野家?」と思う不信心者が増えたのだろう、彼らは皆牛丼原理主義者である吉野家から次第に何でもありのすき家にシフトして生ぬるい空気と怠惰に共感を抱くようになった。

 

このあたり今回同発音の安倍首相はどのように見ているのか?ぼくが思うに今まさに安倍首相がやろうとしている事は政治家にとって一番大事な票田を取り込むために原理主義など一切言わず現世利益を与える役割を担っていくだろうって事だ。

 

安倍さんは理想を持って首相になったがたった一年で引きずり降ろされた。その後麻生さんも総選挙で負けて退陣した。ヤル気も能力もある血筋もしっかりした二人は今回の政権奪取で今までの臥薪嘗胆を一気に取り戻そうとしている。

 

彼らの目指す道は日本原理主義ではない。戦後の吉田、岸が進めてきた独立出来る日本である。戦後は米国の傘の下で経済成長を徹底し安保闘争の若者を叩き潰して見事に1970年代以降の日本の平和と繁栄を築き上げた。

 

その後田中角栄が日中国交を結ぶが米国によって追い落とされる。日本百年の計を考えれば中国とは対等に付き合って互恵関係にいるべきだ。米国とも等距離外交でいるがいつまでも米軍の傘の下に入ってはいられない。

 

今は米国が日本から撤退してグアムまで引き上げることも決まった。防衛庁を防衛省に格上げして自己防衛出来る日本軍を作り米中と対等の付き合いが出来る日本を作らねばならない。

 

その為にはとにかく安定した半独裁政治を構築しなければならない。野党対策で妥協などしておられないのだ。その為には来年の参議院選挙で圧倒的勝利を納めて衆参両院で絶対多数を取らねば憲法改正も出来ない。憲法改正が出来れば後は安倍首相の描く新しくて古くて良き日本を作ることが出来る。

 

その為には来年の参議院選挙までにどんなカンフル注射を打っても良いから一時的にでも景気を回復させ雇用を創出し人々、特に選挙に感心を持つ団塊世代とその前後の票田を取りに行くしかない。

 

これは組織票も大事だが浮動票の取り込みが何よりも大事である。浮動票の取り込みがこれからの選挙のポイントであるのは小泉首相や民主党政権奪取の際に痛いほど肌で感じた安倍麻生組はこれからこうなると思う。

 

1・社会的弱者である約200万人の生活保護受給者を叩いて真面目に働いている一般労働者の共感を得る。

 

2・社会の5%以下しかいない富裕層から相続税や所得税強化で金をむしり取ることで毎日の生活に四苦八苦している一般労働者の支持を得る。

 

3・後期高齢者は社会保障の大きな問題になっているが彼らに自己負担を「お願い」することで団塊の世代にそれなりの納得感を感じてもらう。何故なら団塊世代はまだ健康でありチューブに繋がってるだけの寝たきりに対して公金を使うのはどうかという認識を持っているからだ。

 

4・そして民主党時代に決定した消費税値上げを「痛みを伴う改革」として一般労働者に受け入れてもらい、更にその際も食料関連には値上げをしない等と飴を付けて労働者の支持を得られやすいようにする。

 

5・最後の仕上げが日銀による企業の株や社債の直接引き受けをやる事で実質的に企業を救う。これで経団連も喜んでくれる。直接引き受けをして日銀がお金を刷ってそのお金を企業の口座に直接入れて上げれば企業は借金をしたわけではないので投資欲が出てきて、それが日本全体の企業活動を活性化させる。

 

6・活性化したからと言ってすぐに給料が上がるわけではない。けれどバブルってのはそんなもので、最初にまずリスクを取って金を借りた(集めた)人間が再投資をすることで周りも次第に「え?そんなもんか?景気が戻っているのか?」と思い込み、次第に人々が投資を始める。

 

7・その結果として株は上がり経済は活発化して、これは推測だが団塊世代退職組が独立して社会起業家に発展していくのではないかと思ってる。彼ら団塊世代は厳しい同世代の競争を生き残って来たという自信があるし、60歳まで無事に生き残った、残りの人生は自分のやりたいことをして過ごしたいと思ってる人が多い。彼らを中心とした起業ブームが経産省の隠れた指導の下に活発化するだろう。

 

8・ここまではすべて予定通りに進むだろう。日本にはまだ体力があるから後一年くらいはこういう政府から企業や起業家への直接貸付が出来る。問題はそこから先だ。シナリオ通りにいけば来年の参院選挙で安倍首相は勝つ。おそらくこれで衆参ともに絶対多数を取れるだろう。

 

9・問題はここからだ。安倍首相のやってることは綱渡りでありこの一年でちょっとでも外交などでバランスを壊したら日中戦争が起こる可能性がある。

 

10・経済面でも日銀が金を企業にばらまいた場合、それが企業を活性化するにしても市場にじゃぶじゃぶと流し込んだ金はどこかに滞留していつの日か必ずバブルになり実態のない経済はいつの日か必ず弾ける。バブルは人の欲望が生み出してひとの理性が破壊するのだ。

 

11・しかしその時にはすでに絶対安定政権を持っている安倍独裁内閣は逆にその騒動を利用して次々と治安維持法、大政翼賛会、公安警察が一般市民を取り締まる特高警察化していくだろう。これは今まで何度も歴史が繰り返してきた事であり、それは日本だけの特性ではなく世界で常に起こっている人間という動物が持つ宿命なのだ。

 

12・このような宿命を一番良く知っているのは民衆による近代民主主義を作った英国である。彼らは知っていた。政治は腐る。長期政権は確実に腐る。魚は頭から腐る。そう言う繰り返しの歴史を目前で見てきた英国人は政治が暴走しないような仕組みを作った。

 

その仕組みの根幹にあるのは民衆が政治に興味を持ち意識を持ち主張を持てるようにするための教育を初等教育から授業の中に組込み、大人になっても常に自分の政治意見を持ち堂々と発言出来る自由を担保しながらも個人が社会に成員として奉仕することも要求する、ほんとうの意味での民主主義を作ったのだ。

 

13・問題は日本人が未だ民主主義を知らず民主主義を実行する方法も知らず実行する気もないという事だ。江戸時代から長いものに巻かれてお上のやることに意義を唱えず「そんなもんだよ、仕方ないんだよ」と呟いてきた。山本周五郎の「長い坂」の冒頭に下級武士がある日突然渡れなくなった橋を子供に対して「ここは前からダメだったんだよ」と言い聞かせるようなものである。そして賢い子供は親の言うことを理解して自分も「長いものに巻かれよう」と思う。

 

14・その結果として日本中にまず広がるのは尖閣諸島での限定戦争で中国に対して勝利してはしゃぐちんどん屋的狂騒である。そして調子に乗った日本人は自民党を賞賛してつつ大政翼賛会に逆らう人々を逮捕する政府に共感して、絶対に勝ち目のない日中全面戦争に突入することになる。第二次世界大戦前夜と全く同じことが起こるだろう。

 

なんで年末にこんな事を書いたか?別に年末だから書いたわけではない。いつも歴史の勉強をしていれば世界中でチューリップバブルから南海バブル、世界大恐慌、日本の土地バブル崩壊、リーマンショック、すべては原因と結果が明確であり、歴史は繰り返すという教訓が繰り返し証明されただけっていう冷徹な事実しかないからだ。

 

ぼくは個人的に日本人の移住が可能なのはあと1年から2年、つまり2014年が最後の年になるだろうと思っている。

 

現在すでに海外送金に関する規制が厳しくなっており2百万円送るだけでその理由を聞かれて拒否されることもある。そして海外資産の報告義務も決まった。次に来るのは海外資産の把握と課税であり、海外に持って行ってもかえって税金が取られるだけだよ、だから日本で黙って納税しなさいって状況を政府が作るだろうと思っている。

 

そりゃそうだ、日本政府からすれば資産家に逃げられては困るのだ、タカる相手がいなくなってしまえば課税も出来ない。国内で生きるしかない一般サラリーマンは彼らの知らない間にボーナスから税金取ったり消費税増やしたりして「生かさず殺さず」で上手く操っていられる。

 

「生かさず殺さず層」にはテレビでAKB48の無邪気で熱心な笑顔や踊り、吉本の芸人からは人間性下品な人の頭を叩く芸でもない芸や意味のない動作を繰り返させて日本は楽しいんだって「低能層」を洗脳出来る。世の中の90%はこういう「低脳層」であるし彼らは小学生の頃から政府に与えられた教育に洗脳されているから仕上げは楽なものだ。

 

ジャニーズも使える。彼らは計算してジャニーズに入り、芸能界で成長する事で同年代の若者がどれだけ欲しても与えられない特権的な立場を得ることが出来る、その彼らが親分の意向によって仕掛けられたスキャンダルで破滅するその日まで・・・。

 

日本という国は表層的に見れば実に良い国だ。治安は良く人々は親切で物価も安く品質も素晴らしい。日本人は嘘を言わず常に他人の利益を考えて行動するからガイジンからすれば何て素晴らしい国だ!となる。

 

けれど、ちょっとジョージ・オーウェルやウェルダス・ハックスリーの事を思い出して欲しい。自由とは何か?何が自分の命を賭けてでも護るべきものか。

 

それは歴史の中にしっかり刻み込まれている。

 

1231日。今日は東京を楽しんだ。恵比寿駅前の吉野家で美味しい牛丼と豚汁の朝食、家族は牛焼肉定食皆生卵付きで満喫しで堪能した。駅では列車の入ってきたタイミングで今の時間が分かるほど正確な運行表、時計不要だ。

 

新宿で降りて伊勢丹でくたびれた靴を買い換えた時の店員さんのサービスの質の良さ、ビックロで買った19千円の龍馬くん用の電子手帳の性能の良さ、奥さん用の手鏡の完成度の高さ、とにかく日本の品質の完成度は益々磨きがかかっている。

 

2013年.言うべき言葉が見つからない時になった。



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2012年12月30日

山中湖にて

バスが山中湖に近づくと「なんだこりゃー?こんな出来上がった観光地ってなんだー?」っとびっくりする。まさにここは昭和である。

 

東京で仕事をするサラリーマンと女性社員が互いの結婚相手を探すために大型バスで慰安旅行に参加してバスの中でのお喋りの上手さや大宴会場での8トラカラオケ(1970年代はまだ現在のようなビデオ付きカラオケがあまり普及してなかった)を使い、日頃は助けあって働いている同期の仲間の足を引っ張るべく競争する姿はオスの生き残り競争を実感させる。

 

そして翌日は運良く狙った星を獲得したオスたちが可愛らしさをまとうメスと二人、小型の足こぎボートで山中湖をすいすいとボート遊びを楽しみ、ゲームに負けた連中は朝ごはんからビールを飲んで風呂に入り男同士で麻雀に耽るといういつものパターンが出てくる。

 

山中湖に浮かぶ大きな白鳥船を見た龍馬くんはびっくりしたように「お父さん、見てみて、おっきい鴨が浮かんでるよ!」だって。湖の近くには昭和のレトロ雰囲気たっぷりの「スナックらん」とか「スナックあすなろ」とか、二階建ての外壁の薄汚れた雰囲気がまさに昭和のイメージのお店が並んでいる。

 

道路沿いには昭和からやっているような食堂や旅館が並んでおり、右手に広がる山中湖の桟橋は鴨ボートや手漕ぎボートが寂しそうに漂っている。今の時代、もうカップルが遊びに来る場所ではなくなっているのをひしひしと感じさせる。

 

湖を右手に見ながら途中まで進むといきなりファナック通りってのが出てきた。なんだこりゃ?と思ってると左手に黄色い大きな工場が見えてきた。少し進むと左右にファナックの工場が連なるようになる。そしてもう少し進むと左手にはファナックの受付門がある。

 

そっか、ここは町が企業誘致をしたんだろうな、だから道路にもファナックの名前を付けているのかな。けどこんな環境で仕事をする労働者からすればうれしい話だろう。昭和の観光地としてはもう生きていけない、それなら空気の綺麗さを利用して精密機械企業を呼び込むって事もありだなと思ってたら、後で調べてみるとファナックは1980年代初頭に富士通から独立して以来富士山麓に工場を持っていたようだ。

 

山中湖畔とファナック、なんかバランス的には違和感があるけど、昭和をずるずると引きずって潰れたしまったような伊豆の大旅館に比べればずっと健全ではある。

 

時代が変われば生き方も変わる。どんな大旅館でも百年営業している恐竜のような大型旅館でも変化に対応しなければ潰れてしまう。時代に応じて変化出来た者だけが生き残ることができる。

 

それは伊豆だけではない。全国の大きな旅館はバブル時代に大宴会場を作り大型バス数台を連ねてやって来る慰安旅行団体を獲得してきた。しかしバブル崩壊後に会社組織は一気にその姿を変えてしまい、慰安旅行に行くよりは都会のホテルの宴会場でパーティだけやって後は自由行動となった。

 

そして更にパーティどころか勤務時間以降に社員を拘束するパーティって、残業手当付くんですかって質問が出るようになると、大型旅館の巨大宴会場はまさに単なる箱になってしまった。

 

その時点で変化に気づいた経営者は旅行客の個室化に対応して宴会場を潰して個人客向けに客室内に露天風呂を入れてみたり個室食事の豪華化を図ってみたりしてカップルや家族客向けにシフトした。

 

そうやって生き残った経営者はほんの一部で危機感を持っていた人々だが、伊豆でもその他歴史的に有名な観光地の旅館でも二代目経営者に危機感はなく「バブルよもう一度」と願うだけで何の努力もせずに、銀行から金を借りて設備の作り変えをする最後の機会を失って旅館をたたむことになった、借金まみれのまま。

 

結局二代目の彼らに足りなかったのは生き残る努力であり目を開いて次の時代を読み取る力であり変化をする勇気がなかった事だろう。

 

山中湖は東京の人々の休息の地として成長してきた。別荘地としても有名である。素晴らしい景色と豊かな自然が人々を呼び込み、年間で400万人の観光客が訪れる。

 

しかし現実としてこの町に生きる人々は「川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」である。人々は変化していく。変化出来ない人々はどれだけ巨大であっても流されてしまい、いつの間にか歴史のかけらとなっていく。変化する者だけが生き残れる。

 

このブログを読んでいる方にはいつも感謝しています。けど、読むだけで実行しなければあなたはあなたの家族を守ることができますか?10年先の事を考えて決断出来ますか?

 

バブル以前とバブルど真ん中、そしてバブル崩壊と失われた20年を、その前半は日本で、後半は外国から見てきた元日本人として21世紀に入って山中湖を回る。なんとも感慨のある旅。一年の締めくくりにはちょうど良いかもと思う旅は、まだまだ続きます。

 



tom_eastwind at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月29日

御殿場にて

箱根湯本を出てタクシーで富士急ハイランドに行く積りが周囲の「お前ばっかじゃない?」指摘でバス乗り継ぎになった事は一昨日書いた通り。でもって家族旅行団は御殿場アウトレットモールでバスを乗りかえて御殿場駅に行きそこから富士急ハイランド行きのバスに乗るようになった。

 

噂やニュースでは聞いていた御殿場アウトレットモールだが到着して時刻表を良く見てみると、なんだここで2時間の乗り継ぎで御殿場アウトレットモール発で富士急ハイランドまで行く直行バスがあるではないか。

 

だったら乗り継ぎがひとつ少なくなるしモールで昼ご飯食べられるよね、ちょうど良かった良かったと喜んでパスタレストランにテーブルを見つけて座っていたら奥さんと娘が二人して「ちょっと出てくる」と。

 

この店は店内にトイレがなく通りの向かい側がトイレなのでそこに行ったのかなと思って龍馬くんと二人でぼけーっと帰ってくるのを待ってた。そしたら15分ほどして二人で帰ってくるなり娘が突然ぼくに怒り出す。

 

「お父さん、いつも不公平だよね、龍馬くんのお土産ばかり買って私に何もないじゃん!」娘の高い学費や生活費やamazonでの買い物を誰が負担しているのかはこの際関係ないようでひたすら文句を言う。料理が出てきてもぶちぶち文句言ってる。

 

何事かと思ってよく聞いてみるとモールの中にあるお店でかなりお得な値引き商品を見つけたらしいが、定価の7割引きで10万円ちょっと。てーことは定価っていくらだ?考えるだけでぞっとするが7割引いてもまだ10万円以上する商品ってなんだ?

 

そうやってついつい話を聞いてしまったのが運の尽き、娘の声色が突然ネコナデ声になりあのねーこれがねーすてきでねー、要するにドレスだ・・・。話を聞いて「ばっかじゃないの?たかが服一枚が10万円以上?お父さんが仕事で使ってるスーツだって10万円以下だよ」というと又声が変わりドスの利いた低音で「いつもりょうまくんには!」とか「お父さんだってお酒飲んでるじゃん!」と関係ないところに飛び火。

 

「お父さんのお酒代なんて飲んで消えるだけじゃん、私の服は(もうすっかり自分の服と決めている)ずっと残るのよ、こんな素敵なドレスで大学のパーティに出れる娘を持てるって幸せがなんで分からないの!バカ!」

 

奥さんは隣でクックと笑うだけ、私には関係ないもんね〜って顔してペコちゃん人形のような笑顔で笑っている。

 

うーん、誰だ、バスで移動するほうが安いなんて言ったのは!こうなったらもう勝ち目はない。娘の戦略構築はいつどこでどう覚えたのか分からないが生き残る道だけはしっかり身に付けたな、うれしいやら腹が立つやら(笑)。

 

ぼくは人間の人生における男の役割は外に出て狩りをして家に食べ物を持って帰る事だと考えている。男が家庭の財布の紐を握ると言う発想はない。極端に言えば男は女を食わせるためだけの存在だと思っている。

 

だからいつもそうだが、僕は基本自分の為に労働をするという発想がない。だからほっとくといつもダラダラと本ばかり読んでいる。しかし奥さんに言われてノルマを設定されれば必ずノルマを達成するために外に出て暴れまわってエサを見つけて狩りをして必ず持ち帰る。

 

だから今回の娘の提案(脅迫?)も言われたからには受け入れるしかない。後はクレジットカードの支払をどうするか、これがぼくに与えられたノルマである(笑)。

 

それにしても絶叫ものだ、女性の買い物は。偶然立ち寄ってトイレと昼食だけのはずが、娘は目の前に来た自分のパスタを早々にかけこんでいそいそと立ち上がると「じゃ行ってくるね」と、にこっと笑顔を残して立ち去っていった、ぼけーっとしてる龍馬くんと僕を残して。

 

バスの出発時間だけ確認して奥さんと娘が出ていくと、ぼくと龍馬くんは他にもいろんなお店があったのでぶらぶらと見て回ったが買い物に興味がないので早々とバス停に戻って龍馬くんはPSP,ぼくはバックパックの中に入れてたIphoneでニュースやブロゴス記事を読む。

 

そしてふとIphoneで時間を見るとバスの出発まであと10分。まだ二人は戻ってこない。あれれ?と思ってるうちに出発時間の2分前。まだバスは到着していない。あ、バスが来た!けど二人はまだ戻ってこない。

 

どきどきして電話しなけりゃと思った時、娘がフーフー言いながら戻ってきた、両手に抱えた紙バッグを持って。そしてその一分後に奥さんもふーふー言いながら戻ってきた、これもまた両手に大きな紙バッグを持って。

 

「間に合ったー、良かったー」とか無邪気な顔して笑っているが、どうも最初に話をしていたのと違う紙袋の数である。恐る恐る「あの、服一枚じゃなかった?」と聞くと「そうだよ、一枚だよ、あれはね」とさらっと返された。

 

ちょっと待て、ぼくが聞いてたのは馬鹿高い基地外みたいな服一枚の話だぞ、布っきれに色着けて鋏でチョキチョキと切っただけの合成繊維にあり得んくらいの金額を付けて恥ずかしいとも思わないお店から買い付けるはずの服だけのはずだぞ。

 

そう言って主張するぼくに対してすでに支払いを終わった二人は「ああ楽しかった!」だってさ・・・。そして口を開くと「これがこんなに安くてね、これがこんなに素敵でね、オークランドじゃ絶対にお金を払っても買うことができないのがいっぱいあってね、日本って本当に素敵な国ね^」だって・・・。

 

ぼくは上にも書いたが男の役目は女のために生きることだと本気で思ってる。けれどその為に紐なしバンジーをするかって言われると、もちろんするしかないのだがその度に心の中で絶叫!している。

 

「あり得―――ん!」

 

だから僕には富士急ハイランドの絶叫マシーンなど不要なのだ、ガク・・・。



tom_eastwind at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月28日

絶叫!

富士急ハイランドのジェットコースターはギネス認定の凄まじい絶叫マシーンが並んでいる。冬休みに入っており高校生や大学生のグループがたくさん遊びに来てて、男子高校生たちはまだ顔もしっかり整わない中で格好だ。一人前に現代風に決めているのだが精神年齢の違いというか、一緒に歩いている女子高生たちの方がむしろ年上に感じさせる。

 

そっか、おれも年を取ったんだなってふと感じる。彼らを見ている自分の視点が完全に父親目線になっているから思わず「お前ら帰りの電車賃持ってきてるか?」と聞きたくなる。「うぜえよ、スイカでもパスモでもあるしおサイフケータイだってあるんだよ」と言い返されそうな雰囲気(笑)。

 

ぼくが高校生の頃はまだ黒電話でじーこじーこ(監督ではない)とダイヤル回して公衆電話ボックスから胸ドキさせながら彼女の家に電話してた時代だ。最初に相手の親父とかが出ると都合悪くて「あのー、同級生の〜」てな感じで言うと相手の親父はぶっきらぼうに「そんなヤツいたっけ?」と電話の向こうで胸ドキしながら電話を代わってくれるのを待ってる娘に聞いている。

 

ケータイもなければポケベルもない時代で、一体どんなふうに待ち合わせしてたんだっけと思わず振り返って考えてしまう。郵便局を使った手紙の束が積み重なるのがうれしい時代でもあった。

 

偶然なのだがぼくの20代の頃の手紙の束が今も手元にある。そーか、あの頃はこうやって連絡を取り合っていたんだな、懐かしいやら申し訳ないやら、随分人様に迷惑をかけて生きてきたのがよく分かる(苦笑)。

 

そんな遠い目で過去を思い出しながら現代を生きる高校生のグループを見つめていると思わず「がんがれ!人生は長い、けど一回しかない、出来る時にデキることをやれよ!」と声をかけたくなる。それがすでにオヤジになった証拠なんだけど。

 

自分のパスポート年令とこれからの医療の進歩を考えればまだ人生の折り返し地点にしか過ぎないが、それでも今まで長かった。おそらく感覚的には普通の人の人生3回分くらいを生きてきた気がする。

 

誰にも頭を下げずに流れに流されず自分の正しいと思う道を歩いて来た代償はとても大きかったが、そのひとつひとつが自分の勉強になったのも事実である。とくに一番大きかったのは2004年に今はなきクライストチャーチオフィスで起こったインターンシップ事件だ。

 

当時は夕方6時のTV1で最初に取り上げられその後も夜10時のニュース、翌朝の7時のトップニュースで取り上げられ全国紙の1面でも写真付きで取り上げれられ、あの時だけはさすがに舵取りに100%かかりっきりになった。結果的に事件はクライストチャーチの労働組合が仕組んだ罠だったのが分かり政府労働局、移民局が「お前が悪いんじゃない、間違った場所に間違った時間にいたから獲物にされただけさ」と言われて終わった。おれ、無罪じゃん。

 

仕掛けた方からすれば完勝でこっちはボコボコにされて結果的にこっちがすべて正しかったにも関わらずメディア的にはネタにされ労組に食い物にされた事件だった。その後こっちはインターンシップ関連の記事を出す時は必ず「当社のインターンシップ・プログラムはニュージーランド政府労働局および移民局のお墨付きです!」と書くようになった。

 

その時に身にしみて分かったのは、結局自分のポケットからお金を出す消費者を味方に付けていたから生き残ったって現実だ。結局ビジネスの最後は顧客からの信用である。これなしには何も出来ない。いかに信用を得ることが出来たか?これがすべてあり逆に言えば信用を理解せずにビジネスをすればそれは泡沫のように消えてしまうという事だ。

 

今ではインターンシップは下火になって当社も殆ど扱っていないが、当時はいろんな会社が扱っていた。ぼくがテレビで取材された瞬間にどこの会社もウェブサイトからインターンシップを削除した時は「お、こいつらも身の危険を感じてるな」というのは伝わった。

 

うちが結果的に勝利を得てからは同業他社も次々とサイトに復活させたのは結構受けた。世の中って多くの人は洞ヶ峠、そんなもんだなと思った瞬間でもあった。

 

そういう経験が今の自分を作っているのでぼくには絶叫マシーンは不要だなって思う。生きてるだけで毎日が絶叫なのだ、なぜいまさらお金を払って絶叫をしたいのか(苦笑)?バンジージャンプしかり、富士急のええじゃないかローラーコースターしかり、所詮は怪我しないように作られてるんでしょ。海外でたった一人で紐なしバンジーを生きてきた人間からすれば絶叫ゲームにお金を払う意味が見つけられないのだ。

 

そうそう、絶叫ゲームに全く参加しない僕を奥さんが「じゃあお化け屋敷くらい行こうよ」って誘われて奥さんと二人で手を握って入ってみたのが運の尽き。

 

入り口から約40分かけて怖いもの巡りをするのだが、お化けが出てくるたびにぼくが大声で絶叫するものだから奥さん途中から笑い出してしまう。ぼくはこういう一方的なゲームが大嫌いだ。

 

お化けは怖い。しかしもっと怖いのは殴り返せない恐怖である。何故ならお化け屋敷のルールで最初に何度も「お化けに触れるな!」と約束させられているからだ。これは言い返せばどれだけ脅かされても決してお化けを殴ってはいけないという事だ。こんな不公平なルールはおかしい、なんて言ってる間にゲームが始まったものだから今更引き返しも出来ない、仕方ないからギャーギャー絶叫しながら逃げるしかないのだ(笑)。

 

クライストチャーチ事件では完全に相手に先手を取られて相手のルールで喧嘩して大負けした。お化け屋敷も同様だ、相手のルールで戦えば勝つわけがない。絶叫しながら逃げまわるしかない。

 

あれ?今日はもう一つの絶叫ゲームを書くつもりだったけど本題が飛んでしまった。なのでこれは翌日に持ち越します。旅日記は続きます。



tom_eastwind at 21:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月27日

箱根の山は天下の険

冗談のような本当の話であるが、昭和後半、日本航空で働く職員に福岡勤務を命じたら「箱根を越えて西へ行く事は当家の規則で認められておりませんので退職致します」という事があった。もちろんその辞令を出した上司はその後日の当たらない道に追いやられたことは想像に難くない。

 

当時の日本航空と言えばお役人航空であり政府管理下にある組織で就職のために最も必要なのは個人の能力ではなく学歴でもなく血統、血筋であった。今の電通の公務員版と思えば分かりやす。

 

彼ら若者は親の血筋で日本航空に就職し東京銀座資生堂パーラーでお昼ごはんを食べて彼らの親は日本橋三越の外商から必要な物を取り寄せる身分であった。「え?三越に行ったこと?この前行ったのはいつかしらねー、あれは確かお父様の時に〜」くらいの感覚である。

 

それほどに東京の人々からすれば九州は山猿の住む辺境の地であり、花のお江戸の日本航空に就職したのに「九州?あり得んし!」の世界だ。

 

箱根湯本に泊まり水着で利用出来るユネッサンスを楽しんだ。ここはぼくら家族のような山猿庶民が利用出来るように手頃な値段で様々な遊びが用意されており、水着で遊べるお風呂、ファミリーカラオケ、豪華バイキング、等などが東京に住む人々のお休みを癒してくれる。

 

翌日は実に長旅だった。そして箱根が元々は東京のセレブのために作られた街であるというのを実感した。ホテルからルートS、観光地巡りのバスに乗り御殿場のアウトレットモールまで約1時間30分のバスの旅なのだが、途中で見かけるポーラ美術館、星の王子さま、ガラスのなんちゃら、その合間に並ぶ一流企業の保養所やお金持ちなんだろうな別荘が連なっている。

 

バスの離合が大変で転車場があるくらい細い路地をくねくねと器用に曲がりながらぼくら家族を載せたバスは箱根の観光名所をぐるぐると回っていく。湯元、強羅、仙石、なんちゃら、最後はアタマの中がぐちゃぐちゃになってしまったが、このあたりってまさに文化の集積地だなって感じ。

 

10年近く前に生まれて初めて訪れた大磯小磯のあたりでは明治時代あたりのきりっと和服を着こなしたお嬢様がバアやの捧げ持つ傘の下をそそと歩く感じだったが、ここ箱根は文豪とか芸術家とか資産家が私財を投じて美術のまちにしたって言うか、温泉町というよりも芸術の森って感じだ。

 

何だかなー、こんな箱根で生活をするってのはある意味超贅沢だ。思わず自分の生まれた環境と比較してみると、箱根のオシャレな強羅温泉に対してこっちゃあ浴衣で飲みに出かける別府温泉、箱根から遠くに眺める富士山に対してこっちゃあ猿の集まる高崎山、どう見ても文化の違いでっせ(苦笑)。

 

こりゃほんと、東京の人は文化税を払ってもらわなくちゃね(笑)。これじゃ確かに箱根を越えた転勤は有り得ないって日本航空職員の気持ちもよく分かるぜベイベーである。

 

この日、箱根湯本の旅館で「今から富士急ハイランドに行くんですけどタクシーだとどれくらの時間がかかりますか?」と聞いたらびっくりしたような顔で「タクシー!ですかあ!2時間以上かかりますよ」と、まるで今から銀河鉄道で月に行くんですけどと言われたような顔をされた。

 

実際に距離と時間を計算してみると、どうやら箱根から河口湖まで行くのは気違い沙汰である。それは東京出身のうちのスタッフにも「あり得ないですね」と一言で断ち切られてしまってたのでやっぱりソーカって感じ。

 

それにしてもこれだけ年輪を重ねた文化を目の前に見せつけられるとやっぱり東京って凄いよなって思う。こりゃやっぱり文化税を払ってもらわなきゃと思う。山猿の住む九州では有り得ないような文化である。

 

けど、ここでふと思った。文化の古さと言えば京都はもっと長いわけであり大阪だって東京より圧倒的に長い。京都で「この前の戦ではー」と言われて「第二次大戦ですか?」と聞くと「ちゃいます、応仁の乱の頃ですわ」と普通に返された。

 

第二次大戦前後に多くの韓国人が日本にやって来たり戦災を逃れて来た人々が大阪を選ぶのも当時の文化の成熟度や仕事の多さから考えれば当然であると言える。

 

その意味で江戸が日本の中心となったのは太田道灌のすぐ後であり京都と比べてもたった400年ちょいくらいしかない。東京になってからも大阪と比較すれば戦前は完全に経済的に負けていたが戦後、とくに1980年代初頭あたりから東京シフトが始まり「大阪で生まれた女が今日大阪を後に」して東京に向かい、東京の決定的な勝利が決まった。

 

京都や大阪に比べて最後発で成長した江戸→東京であるが、今ではぼくのような九州の山猿からすればしっかりとした歴史を持った街である。

 

ちょうど僕らの世代ではないかな、大阪から東京に主導権が移ったのは。というのがうちの長兄は大阪(正確には兵庫だが九州から見たら同じようなものだ)に就職してて沖縄出身の集団就職先も大阪が多かった。けどぼくの時代は日本の真ん中は東京だった。思えば1980年がひとつの時代の区切りだったのかもしれない。

 

その後新幹線が高速化し飛行機があちこち飛ぶようになり東京本社がひとつあれば支社が不要な時代になった。それは21世紀になってインターネットと国際線が飛躍的に成長する中でますます一極集中を招くようになり、日本に二極が不要になった。

 

今日も旅日記。子どもたちの旅先リクエストがなければまず来ることがなかったような箱根と富士山の旅、まだまだ続きます。

 

ところで箱根から富士の河口湖近くの富士急ハイランドまでの移動、タクシーでは基地外呼ばわりされて仕方ないのでバスの乗り方を聞いたのだがバスの移動は御殿場経由で合計4時間近く移動にかかる。

 

仕方ねーか、途中のアウトレットで昼飯でも食って行くかー、まあタクシーより安んだろうなと思ってた。結局タクシーの方が圧倒的に安かったって分かるのは後の祭り、それはまた明日。



tom_eastwind at 22:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月26日

小田急ロマンスカーに乗りながらロマンスでない事を考える。

小田急ロマンスカーは新宿を出て途中で町田を通りすぎて小田原経由箱根湯本まで走る。全区間で1時間30分程度の旅であるがうちの奥さんからすれば今まで見たことがない東京郊外の街の景色にびっくりしていた。

 

「ねえねえお父さん、この町田あたりの人はどこで仕事しているの?」

「地元で働いている人もいれば都心で仕事をしている人もいるだろうね」

「だって電車で1時間くらいかかるでしょ、仕事出来ないんじゃないの?」

 

そうか、香港のような職住接近のちっちゃな国で生まれ育ちオークランドで生活をしていると日本の距離感が全く理解しづらいのだなと思う。

 

まず香港には都道府県が存在しない。国のすぐ下部組織が区なのだ。香港の南端である赤柱から北にある中国との国境まで電車で1時間もかからない。

 

日本では想像もつかないほど職住接近しているわけだが、それでも一つ一つの区が独立していて日常は自分の住む区で映画買い物食事行政手続すべてが終了するので、区をまたぐ事さえないくらいだから無茶苦茶に生活圏が狭い。

 

オークランドも職住接近している。うちの家族の住むグレンフィールドからシティのオフィスまで朝方8時過ぎのラッシュアワー時でさえ自宅のガレージに通じる内ドアから無料の高速に乗りシティで降りて会社の1ブロック隣の駐車場に車を駐めて会社のドアに到着するまでに必要な時間は40分。平日の昼間ならドアからドアで20分もあれば楽勝だ。

 

通勤に1時間かかればそれはもう「痛勤」であり普通のキーウィなら我慢出来ないから会社を辞めるくらいの距離感である。ましてや町田から都内となればドアからドアなんて1時間30分くらいになるのではないか?

 

東京では通勤1時間がざらだと言うが、それに我慢できる日本人が凄いってかマゾなのか(笑)少なくともうちの奥さんが今まで経験してきた人生からすれば「やっぱり日本人ってすごいな」である。

 

日本全体が不景気であり就職もないと言う中、可愛らしい女子大生5名が隣の席できらきらな化粧をしてわいわいと楽しそうにお喋りをして、うち2人は町田から乗り込んで来たのだが、この娘たちは将来に何の不安もないきらきら顔である。

 

東京でクリスマスイブを迎えた。ぼくが知っている日本は1988年が最後である。当時は12月24日と言えば半年前からレストランの予約を入れてホテルの部屋を取るのが一苦労な時代だった。

 

それから20年経って日本は大きく変わったが、その変化の過程を全く知らない僕としては、東京の恵比寿という地域は今も当時とあまり変わらないのではないかと思わせてしまう。

 

何故なら24日の午後にはホテルチェックインの行列が出来てレストランはすべて満席でホテル内を行き交うカップルやご夫婦家族、誰もが明るくしょうゆ顔ですっきりと楽しそうに何の苦労のシワもなくこれからも時代はぼくらの周りで楽しく過ぎていきますって雰囲気なのだ。

 

そう、日本全体が不況と言いながらこのあたりは昔と何も変わっていないのだ。

 

最近は相続税増税の話や金持ち冷遇政策が幅をきかせているが、一体このような話に出てくる攻撃対象の金持ちって誰のことかと思う。

 

ウォーレン・バフェットが1%の金持ちは99%の人々に対して責任を負うべきだと発言したと言われている。本当かどうか僕は直接聞いてないので分からない。

 

ただバフェット氏の言う意味はぼくら日本人が感じるのとはちょっと違うのではないかと思う。世の中を支配する1%の人々は99%の人々に対して責任を負うべきだ、それが正確な解釈ではないかと思う。

 

つまり本来は日本を支配する人々が得られる利益を考えれば現在偶然にも資産を作った人々ではなく古来から日本を支配する人々が努力して成功した人も含めた下々の生活に配慮すべきであるという意味だ。

 

世間で時々名前の出るような成功者や金持ちや成金は一時のバブルであり本当の支配層ではない。ベネッセの福武さんがどれだけ金があろうがユニクロの柳井さんがフォーブスに載ろうがそれは本当の意味での1%ではない。

 

というのも日本の支配層は全てが東京に集中しており1億2千万人の1%としても120万人であるが実際に日本を支配しているのは決して表に姿を表さない4万人の高級官僚と数百人の政治家と工業クラブなどに加盟している超一流企業の高級役員数百人、そして政財官の間で利益を得ているフィクサーと呼ばれる人々であり、全部を合わせても10万人もいないだろう。

 

たとえ東京でそれなりの給料を取って仕事をしていて住んでいる街は埼玉県だったり千葉県だったり町田市あたりであり通勤1時間圏以上の人々は支配層に入っているとは到底言えない。しかし支配層の怖さを知っていて決して彼ら支配層に逆らうことはなく彼らに取り入ることで何とか箱庭の生活を守っているのだ。

 

そしてこの恵比寿という地域で常に感じるのは、千葉や埼玉や町田に住んで上っ面に付けている「オレって勝ち組〜」的な一時の華飾の仮面の下に本当は自分のバブルのような箱庭を壊されることに常に恐怖を感じている人が感じる恐怖心が全くないという点だ。

 

恐怖心がない人々が見せる顔には一種独特の空気がある。それは絶対的な安定感である。先々代から続く支配層は彼らだけが分かる隠語で暮らし自分の孫子の代も幸せが続くと考えているし疑いもしない。だから困った人がいれば本当に無邪気に手を差し伸べる、なぜ彼ら非支配者が困っているかを考えもせずに出来るだけの無垢さがあるのだ。

 

イノセントという英語を最初に聞いた時に如何にも英語らしい言い回しだと思ったものだ。Innocentは無垢であり白痴でもある。お嬢さんたちはなぜ世の中に貧乏人がいるのか、それが誰の責任かを考えもせずに目先の困った人たちを助ける事に本気で心を痛ませているのだ!

 

本当のお嬢さんたちが「御機嫌よう♪」と軽く小首を傾けて会釈してすれ違うような街、若い奥さんはベビーカーに子供を二人乗せて代々続く血統の良さでみな美人である。これは僕のヒガミではなく本当にこの街に住人には美人が多い。

 

東京在住者なら知っているだろうが、西高東低、東京駅から始まるブスカ現象は神田、上野あたりでも最高値を示す。西側にあたる新宿から渋谷、恵比寿あたりになるとビジョカ現象が起こる。西側の最後が銀座である。

 

何だかまた散漫な文章になってしまったが、今の日本で目立つようになった金持ち叩きの意見が一代で成功した資産家に対して狙い撃ちをしようとしているが、ぼくから見ればそれは社会の底辺の連中が少し成功した仲間の足を引っ張るだけの無意味どころか有害な行動であり、本来やるべきは日本を昔から支配している彼らの権力を奪う事ではないかと思う。

 

もちろん彼ら支配層もそれなりに日本の将来を考えて行動している。しかし問題なのは平和が長続きすると支配層で発言権を持つことが出来るのは将来を読めずに目先のご主人の太鼓持ちをすることに長けた人々が権力を握ることであり、支配にとって最もやばい状況、つまりやる気のあるバカが社会を支配するようになるという事だ。

 

やる気のあるバカが現在の日本を作り上げたのは間違いない、だから本来日本の被支配者はもっと怒って良いのだ、この社会が悪いのはお前ら支配層がやるべき事をやってないからだ!ところがここでも支配層にこびを売る下級官僚がお上の意思を忖度して話をそらして一時的な資産家叩きにすり替えて本来の支配層を守ろうとしている。

 

日本にはほんとうの意味でもう一回ガラガラポンが必要だなと小田急ロマンスカーに乗りながらロマンちっくでない事を考えた電車の旅であった。

 

この話には後日談ありです((^^)

 



tom_eastwind at 22:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月25日

The Band of Brothers

湾仔と言えば映画「スージーウォンの世界」で有名になった舞台である。1960年にウイリアム・ホールデン主演で発表された映画はたちまちブームとなり主題歌と合わせて魅惑的な湾仔の夜や香港のエキゾチックさを世界に知らしめた。

 

1960年代当時の猥雑さは米国による一方的な宣戦布告なきベトナム戦争によって更にその過激さを増し、ベトナム戦争で狂気に放り込まれた兵隊たちが香港に休暇でやってきては暴れまくったものだ。

 

その猥雑さと過激さは今でも猥雑な部分だけは残っており、陽が落ちると次第にその猥雑さが更に過激になる。最近はミニスカ(死語)のフィリピン娘が道を歩く白人の酔っぱらいに声をかけて道端でゴーゴーダンス(これも死語)を踊り、あけっぴろげの店内では激しいビートに酔った白人とフィリピン娘が絡みながら腰を振ってダンスを踊っている。

 

更に輪をかけるのが店の入口に座っているおばさん連中だ。彼ら亀の甲羅を被ったような百戦錬磨の客引きババーは、けだるそうに指の間に挟んだタバコをオーケストラの指揮者のように振り回しながら「ヘイ!、イックシュキューズミイ!」と道を歩く男たちに声をかけてる。

 

たまに酔っ払った白人の親父が椅子に座った客引きババーの膝にに乗っかって椅子でゴーゴー(それにしても死語だ・・)やったりしてて風営法はどこにあるのかと悩ませるが、ここも九龍城砦と同じような、ある意味香港の特別区なのかもしれない。

 

「この街に足を踏み入れるなら覚悟しなよ」って事なのかもしれない。昔はこのあたりを日本人も歩いていたがあまりに危険であり最近の日本人もっと大人しく遊べるコーズウェイベイ側のフィリピンカラオケに移動している。ここはスージーの世界から50年かけてまたも白人の街に戻ったようである。

 

さてそんな街のど真ん中にあるのがスージーの時代から営業を続けているような北京料理レストランがある。その名もずばり「メリケンクラブ(美利堅・京菜)」!これも死語ですな、最初りょうまくんにメリケンはアメリカンの訛りだよと説明したら不思議そうな顔をしていた。

 

タイルの床に低い天井、エアコンは木枠で吹き出し口が付いており、時折息を吹き返したかのように冷たい空気を送り込んではまた暫くゲホゲホとお休みに入る。

 

料理はまさに1960年代に西洋人にとっての常識「こうあるべきな中国世界」であった濃い味付けの大皿ドッカーン料理であり北京鴨が名物料理であるが鴨の突き合わせの野菜はきゅうりだったりして笑える。レタスを使った生菜包は本来は鴨の皮を剥いだ残りの肉を使って作るはずが、なぜか北京かもが出る前に生菜包が先に出てきて「この鴨肉は何処から来たの?」と笑わせる。知らぬが花とは良く言ったものだ(笑)。

 

ここで集まったメンバーは奥さん方の小学生時代からの友達2人とその家族。3人のうち一人は未だ妙齢の美人(見かけはどう見ても30代前半、10歳以上得してます)なのだが結婚もせずに20代で自分が秘書として働いていた銀行でローンを組んでアパートを購入し払い終わり今でも仕事をしながら悠々自適な独身生活を楽しんでいる。

 

一般的に香港人女性で可愛いとか綺麗ってのは少ないが、その部類に入る人々の特徴としては殆どすっぴん生活をしており年を取っても若い頃の肌ツヤとか可愛らしさがそのまま残っているケースが多い。

 

今回集まった3人もまさにその範疇に入る(奥さん、褒めてますよ!)ので「デスペラートワイフを地で行くような3人だね」とからかったら「あんなアメリカのダサいのと一緒にしないでよ、脳の作りが違うんだから!」と笑って返された。あいも変わらずこの3人は大したものだなと再度認識した瞬間。

 

この店に置いてあるビールは青島が中心だ。香港ではサン・ミゲルがよく売れるのだがこの店では香港に住み着いてしまった白人酔っぱらい客や今でも第二のスージー・ウオンが生きていると思ってる夢見る白人に果てない夢を見せるための小道具なのかもしれない。

 

この店の特徴は料理が古いだけではない。働いている従業員も京劇「ちゃらちゃらちゃらちゃらちゃっちゃんちゃん」のノリに出てくるような典型的な古い香港人も雰囲気に輪をかけている。

 

背景に流れる雰囲気は1960年代、それもローラースケートで料理を持ってくるわけでもなく腰が曲がったおじいちゃん達が襟の汚れたろくにアイロンもかかってない白シャツに冷房よけの為にしわくちゃの紺色のVネックセーターを不器用に着て首を前に突き出して料理を運んでくる姿が米国人にとって「あるべき中国人の姿」なのだ。

 

スティーブ・マックイーン演じる「砲艦サンパブロ」という映画を観たことがある人がいると分かりやすいが、まさに「東洋の世界」であり「あるべきところにあるべきものがある」お店なのだ。

 

これは言葉を返せばメリケンが騙されているわけであり本当の香港はそんなところにはない。けれど商売になるのなら相手の希望するどんなものにでも化けてやれるのが香港人である。

 

清朝の時代には広州の端っこにある漁村でしかなかった香港が英国の侵略により植民地化されて東洋の真珠とまでなれたのは、まさに生き馬の目を射抜く香港人の商才にあった。

 

幸運とは中国では目の前を一瞬で走り抜ける後ろ髪のない子供だとされていた。通り過ぎる頃に掴もうとしても禿頭は滑り抜ける。唯一目の前に来た瞬間に幸運かどうかを判断して正面から掴むことしか出来ない。

 

その為に必要な技術を日頃から磨いておく。どのような機会が来るか分からないから、とりあえずどんな事でも学ぶ。そして一定の学びが6割方終了したらすぐに次の科目を勉強する。この繰り返しで香港人は基礎学力を高めていくのだ。

 

そうやってアヘン戦争で侵略してきた英国人からすぐに様々な知識を吸収し彼らが望むものを用意して彼らを喜ばせることで香港という土地を金儲けのカジノに変身させて誰もが集まる情報センターに作り変えて、何もないところから無限の付加価値を持つ土地にした。

 

これは、日本人が生育する環境とは全く正反対である。日本人の場合は一箇所にじっと留まってどのようなことがあってもその場所を死守し絶対に家業を変えずに次の世代に引き継ぐ。環境が変わろうと世界が変わろうと百年同じ事を繰り返すのが日本人である。

 

ところがそれは元々付加価値のある家業だし土地だから有効なのであって、生まれ落ちて何もない香港の人々からすれば自分の土地に付加価値を付けるために手を変え品を変え家業さえ変えてとにかくどんな事があっても生き残ることに専念していくしかなかった。

 

ある意味日本人ってのは幸せである。先祖の土地に乗っかって何も考えずに毎日働いて入れば飯が食える土地に生まれたのだから。

 

同じ時にアフリカの田舎の乾ききった土地で生まれて独裁者の支配の下で極限まで追い詰められて最後には集団虐殺されるしかなかった子どもたちと比較すればどれだけ幸せであろうか?

 

香港人の場合はアフリカ人ほど酷くはなかったが日本人ほど幸せではなかった。その真中辺あたりで何とか生き残る努力の余地があった。そして本今時はその余地を目一杯に梃子を使って押し上げた。

 

その結果として今の香港がある。常に体制に寄り添うようにしながらいつの間にか体制から金を吸い取り自分が膨らんでいく、そういう戦い方で生き残ってきた。

 

寄生虫?呼びたかったら何とでも呼べ、所詮は飯が食えてなんぼである。政治が食えるか?政治が寝れるか?政治が抱けるか?とにかく今日を生き残ることに一生懸命な人間からすれば日本人のような甘ちゃんと寝言を話しているヒマはない、今日の飯を食うために出来る事をする、家族を守るために能力を最大限に高めて戦う、それしかないのが香港だ。

 

英国人が支配した19世紀、米国ビジネスが広がった20世紀、共産党中国が乗り込んできた21世紀、香港は3世代に渡ってワガママな独裁者の下でしたたかに生き残ってきた。乗り込んでくる支配者から血を吸いながら自分を膨らませていった。

 

ただ香港人の大きな特徴として言えるのは、誰もが自分だけの利益を考えずに常に家族全体を考えながら生きているって事だろう。それから毎日を楽しむ性格だ。お金を貯めるってのではなく、今日稼いだお金はパーっと使って周囲を潤しながら翌朝に空っぽになった財布をどうやってまた膨らませるかを考える。

 

旅行では派手に金を使い経済を回す原動力となり、更に何もない土地に出来るだけ付加価値を付けて、今誰が何を考えているのかを考えて、最大限に付加価値を高める商品を提供する。最終的にその商品は「夢」と呼ばれる。

 

それは一夜の夢であろうしもしかしたら一年くらい続く夢かもしれない。しかし最後に立っているガンマンは香港に根ざした香港人なのだ。

 

そんな事を考えながら、この義兄妹3人組を見ている。

 

まさに生まれ育ちは違うが死ぬ時は一緒の小学生からの付き合いだ。すごく濃い。実はぼくが初めて香港に住み始めた時、最初の1か月は仕事がなかったのと転がり込んだ奥さんの実家(全部で畳5枚くらい)であってもある程度家財道具を少しは揃える必要があった時、奥さんは真面目な顔で義兄妹に電話をして「ごめん、ちょっと金貸して」と平気で言った。彼らの間での貸し借りは日常茶飯事、夕方の料理時に味噌醤油が不足した時にちょっと借りに行く、そんな感じだ。

 

決して誰もが貧しい訳ではない(てか彼らみなしっかり仕事している)けど時々急な物入りの時の助けあいだ。彼女は心良く「いくら?」と聞いてきた。いつ返すかなんて決して聞きはしない。

 

それから10年後くらいだったかな、今度は義兄妹からメールが来た。英国の大学に入学することが決まった子供がビザを取るために学費を振込のは自費で当然だが、突然のルール変更で生活費まで資金証明が必要となった時、彼女が「ごめん、今すぐに現金がないけど2年以内に利息を付けてこうこうやっ返済するからお金貸して」である。

 

うちの奥さんは一切余計な事を聞かずに「いつ、いくら、どこに振り込めばいいの?それだけ教えて」そして後日、義兄妹は正確なまでに予定通りに返済してくれた、もちろんうちの奥さんは利息は絶対に受け取らなかった。「あんたバカ?あたしは金貸しじゃないよ」。

 

100年単位での貸し借り、ゴッドマザー、うちの子供の名付け親たち、家庭と家族の繋がりの大切さ。

 

ちょっと話は逸れるが家族を破壊して国家に従順させようとしているのが共産主義である。彼らは家族の繋がりを破壊して核家族化を進めて更に教育で子どもたちを家族ではなく国家に従順化させようとしている。「1984」のビッグブラザーだ

 

そして今この政策で世界で一番成功しているのが共産国家日本である。

 

あなたは友達の借金申込みに平気で「ああ、いいよ、いくら?」と言えるか?友達に死んでくれと言われて死ねるか?友達のためなら金も命も死ねるのも香港人の付き合いだ。フェイスブックで「義理良いね!」の空想世界ではないのだ。

 

家族(ファミリー)とは違った意味で親密な付き合いをしている義侠妹3人組との食事。おまけに場所が湾仔。食事が終わってMTR(地下鉄)に向かう途上、彼らより一足先に歩いていた僕は独り者と思われたのだろう、歯の抜けたババーに「イクシュキューズミー!」と声を掛けられた。

 

娘に「お父さん、他の男の人には声かかってないのにさ、脇甘くない?」ってからかわれた。一瞬むかっと来た。これでもお父さん、日本では強いんだぞ、そう思った瞬間に「けどまあ香港じゃまだ子供かな」と思い返した。

 

湾仔の夜、メリケンクラブでは「あるべき中国人」が「あるべき姿」を演技してメリケンに料理を食わせ、通りではゴーゴーダンスとスージーウォンの世界が繰り広げられメリケンからボッタクリ、ぼくは喧騒の合間で道端のババーに声をかけられ、日本と香港とニュージーランドのハイブリッドであるうちの娘は相手に合わせて四ヶ国語を使い分けて対応しながら、たった三ヶ国語、そのうち2か国語はネイティブでさえない親父をからかってクリスマスの夜は過ぎる、サイレントではない湾仔の夜でした。



tom_eastwind at 19:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月24日

ゴッドファーザー 香港旅日記その2

昨日はパーティのダブルヘッダー、昼食は九龍湾の中華料理店に親戚で集まり飲茶だった。親戚の子供はどれも20歳過ぎでうちの龍馬くんが最年少。皆生まれた時から知っている顔ばかりだから誰も何も気にせずにワイワイやる。つまり子供同士は掴み合いで暴れまくり大人たちは他人さまの前では言えない内輪の話に花が咲く。

 

そのうちぼくの奥さんのお父さんの弟の息子(現在25歳くらい?)が富士フィルムのインスタントカメラを持ちだして皆の写真を撮り始める。そう言えば記事で最近はまたインスタントカメラが流行しているって聞いてたが、本当なんだね。

 

三々五々顔を揃えてピースマークで写真に収まる姿は日本人と全く同じ。ただ家族という範囲の広さの違いはひしひしと感じる。香港では家族と言えば親戚一同からその遠戚関係まですべて含むので一度も会ったことのない親戚がゴロゴロしているが、家族というだけでその繋がりは日本では考えられないほど強い。分かりやすく言えば大家族の財布はひとつの感覚。

 

うちも今は親戚の子供を一人預っている。17歳の男の子で彼が生まれた時から知っているが、家族の一員という事で食費、学費、生活費、すべて無料である。親戚から金を貰って預かるなんて発想は全くない。

 

これは何もうちの奥さんが単なるお人好しだから(本当に単なるお人好しなのだが)という意味ではなく家庭同士の長期互恵戦略、頼母子講のようなものなのだ。世の中他人は信用出来ない、その分血の繋がった家族がお互いに信用度チェックが不要の状態で助け合う。ぼくの世代で親戚の子供を預かって大学出るまで面倒をみる。

 

するとその子の子供が大きくなった時にうちの孫が大学に行きたい、けどうちに金がないとなったら無償で援助することになる。まさに長計100年単位の助けあいなのだ。家族は何も言わずに助ける、助け合わない家族は勘当されて子々孫々まで家族に戻れない。

 

勘当されて子々孫々まで誰も助けてくれないリスクを考えれば自分が今出来るうちに出来る事をやっておく。自分は世界中の誰に助けて貰う必要もなくても子供は将来どうなるか分からない、その為の保険なのだ。

 

さてっと飲茶パーティに戻ると、りょうまくんは香港をベースにする家族からすれば「バナナ」である。外は黄色いだけど中身は白い。だもんでりょうまくんは久しぶりに会うファミリーの関連性がよく分からず敬語で相手の地位だけを呼ぶべきところを(例えばお姉さん、2番めの叔父さんとか)キーウィ風にいきなり相手の名前で「せんち!」とか「ラムラム!」とか呼ぶものだから呼ばれた方はびっくりである(笑)。例えば日本で言うとりょうまくんがお父さんに向かって「ハイ、トム!」って言うようなものだ。

 

14歳の子供に自分の名前を呼び捨てにされるから普通なら怒鳴り返されてもおかしくないのだが、皆はりょうまくんがニュージーランド生まれってわかってるからかえって笑いの種になる。

 

「おいりょうま、このお兄ちゃんは何て呼ぶの?」

「3番目の兄ちゃん、名前?知らない!」

龍馬くんはお母さんのお父さんの弟の息子を何て読んだらいいか分からずに真面目に答えるものだから皆大受けだ。

 

実際に香港で家族関係を説明するのは非常に難しい。ぼくも今でも殆ど理解出来ていない。所謂直系家族の傘が無茶苦茶に広いのだ。そして家族間の繋がりが非常に強い。さらに家族を取り巻く村や地域の繋がりも日本では考えられない程に強い。

 

龍馬くんはこの状況で「ぼく分かるよ。お父さんお母さんとお姉ちゃんと僕が一個の家庭(がーてん)で、ここに来てる皆は家族(がーちょ)でしょ、ファミリー・ツリーだ!」と言ってキャッキャと喜んでる。

 

これに更に乗っかるのが義兄弟だ。これは「生まれ育ちは違っても死ぬ時死ぬ場所は一緒だぜ」というくらい熱い付き合いとなる。こうなると深い親友同士がお互いの子供の名付け親になり、家族とは一味違った一生の付き合いが始まる。

 

日本のような何となくフェイスブックで気軽に友達登録とか義理良いね♪などは有り得ない深い付き合いであり、時にはこれが金だけでなく命の貸し借りまで発展することがある。今の日本では考えられない深い契りとなるのだ。

 

お昼の飲茶では約2時間、延々と食べながらお茶を飲みお喋りを徹底的に楽しむ。男性も普通に参加してよく喋るのだが、香港ではあまりお酒を飲む週間はないのでずーっとお茶だ。もちろん僕もお茶。

 

その際に結構ファミリーの中で暗黙のうちに目利きをするようになる。子どもたちの生育状況に応じて次の世代のファミリーのリーダーはどいつだ?てな事である。きちんとした受け答え、礼儀、さらに取りまとめ能力などをそれぞれの親がお喋りしながら見ているのだ。

 

うちの娘もりょうまくんもどっちも直系なのでいつの間にやら本人たちが知らないままにゲームに参加しているわけだが、このファミリーの中でぼくの位置づけはあくまで外部のお客さんである。礼儀も敬語も葬式の時の遺影への拝み方も少々知らなくても良いがファミリーのリーダーになることは有り得ない。

 

映画ゴッドファーザーでもイタリア人でないとファミリーには入れずユダヤ人で優秀な連中は「コンシェルジェ」と呼ばれてファミリー直系の中の競争には入れない。けれど能力に応じて外交を担当するコンシェルジェという技術職に付いていると考えた方が分かりやすいだろう。

 

このファミリーは祭(草冠に祭り)一族であり、元々はうちの奥さんのお父さんが仕切っていた。その後お父さんが病気で亡くなりお父さんの弟がしばらく仕切っていたがこれも病死。なので今は弟の奥さんが何となくとりまとめ役になっているが、奥さんは元々が他のファミリーから来ている為、そろそろ次の直系世代に頑張ってもらいたいなというのが今の一族全体の希望のようである。

 

だからこのような集まりでは20歳過ぎた子供が自然と主役となる。ファミリーから嫁に出ていってもファミリーの一員であるのでそれなりの発言権はある。本来はファミリー仕切り役の長男が仕切るのが自然であるが、厳しい香港の生活環境では単なる順番で長男に仕切らせて長男に能力がなければファミリー自体の力が弱まる。そこでファミリー全体の中の直系の男子でどいつが一番優秀なのか、次代を任せるに匹敵しているかが問われる。

 

次世代の人々はぼくから見て「たぶんこいつかな」ってのが2人くらいいる。どちらも誠実で子供の頃から苦労しているが決して問題から逃げようとせず安易に手助けを求めない。今はまだ若くあまり将来性のある仕事に付いているとは言えないが、仕事ではなく人格で将来性が発揮できそうだ。

 

彼らと笑って別れた後は一旦ホテルに戻り次のパーティに備えてシャワーを浴びて今年一番の冷え込みの夕方の湾仔に向かう。



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2012年12月23日

お茶漬け 香港旅日記は続く1

もしお茶漬けを注文して出てきたのが出汁に浸したトーストパンだったらあなたは何と言うだろう?まず聞くだろう、これは何ですか?って。するとウエイターがびっくりしたような顔で答える。「これはあなたが注文したお茶漬けですよ」

 

最近出てくる創作料理くらい始末に悪いものはない。創作という名前さえあれば芯に火が通ってない生焼けの魚臭い銀鱈をスロークックだとか言えるんだから素晴らしい。

 

それと同様で普通のお茶漬けじゃ面白く無いと言っても、生の牛肉のミンチを白ご飯の上に直接高さ3cmくらいの山盛りにして横にたっぷりとネギを敷いてその上にトリュフをかけて創作お茶漬けとか、殆ど尋常ではないのだが皆さんどう思いますか(笑)?

 

北京道1号29階にある高級レストラン「アクア東京・アクアローマ」というのは面白い仕組みで、ひとつの店なのだが雰囲気は完全に高級洋食で床から天井まで全面窓ガラスになって香港島の夜景が素晴らしい事で有名なのだが、メニューは和食とイタリアンから選ぶようになっている。

 

一冊のメニューにアクアローマが最初に出てきて後半がアクア東京なのだが、ウエイターは殆ど全員がNON香港人。白人やフィリピンやとにかくすべてが英語ベースで話が進む。

 

フレンドリーに接客している積もりなのだろうがどこか浮いているサービスは鈍感な白人には調度良いのかもしれないが僕にはあまり好みではない。

 

でもって料理の中に件のお茶漬けがあり娘が興味あって注文した。「和牛とトリュフを使っております」との表示。まさかお茶漬けにネギがどっさりなんて思いもしない。

 

何でもかんでもネギをかけるってのは料理にまともな味が出せない人間が選択する最後の誤魔化し手段であるのはイタチの最後っ屁みたいで自分勝手にやってもらって良いのだが、トリュフまで書くならお茶漬けの上全面にどかっと乗ってるネギも書いてくれって感じだ。

 

でもって普通の白ご飯の上に生の和牛ミンチを積み上げておいてテーブルに置いてからそこに熱いお茶をかけるのだが、これで牛肉の生臭さがすべてご飯に染みこんで見事に腐った飯の出来上がりだ。

 

そこにトリュフとネギだから臭さの三層重ねとでも言うか、もうここまで来てもお茶漬けと呼ぶのなら下水の水に腐った飯を放り込んで生煮えにして「創作お茶漬け」でもありだなって本気で思う。

 

おかげで娘はすっかり怒ってしまい、お茶漬けというメニューを昔々に草案した日本人の子孫であるぼくにまで八つ当たり的文句をつける始末だ(苦笑)、この店のメニューにオレが責任あるのかい(苦笑苦笑)。

 

話は逸れるが最近僕は新しい店を見つけて行くときは、例えばフルーツ盛り合わせを注文するときでも「ネギなし」って言うようにしている。お店の人にどう思われようが世界中を回ってとんでもない創作食い物を出された際に自分の身を守る唯一の手段だからだ(苦笑)。

 

去年もこの店の系列店で中華料理を食ったのだが、その時は僕にはOKだった料理でも奥さんからすれば相当に怒りマークで「こんなもん出して何考えてんのよ、恥を知りなさい!」と、店を選んだ僕にとばっちりが来た。2年続けてとんでもない騒ぎだ。

 

どう考えても悪いのは僕とは思えないのだがどうやら我が家では何か悪いことがあればすべての罪を受けるのは僕の担当なようである(苦笑)。

 

最近はミシュランが香港までやって来ていろんな事をやってるようだが、本当に料理って難しいな。ひとりひとりの感覚が違うから100人いれば100個の答えがあるわけだ。西洋人が美味しいと思っても本場日本の日本人からすれば「ざっけんじゃねーよ!」って茶漬け話もあるわけで、香港で美味しい中華をと思っても肝心の香港人が「何じゃこの西洋崩れのハンバーガーみたいな豚の角肉は!」って美味しいって思わなければどうなのかって事だ。

 

翌日の朝、香港に来るといつも通ってるお粥屋に行こうと思ってりょうまくんとホテルを出るとちょうど朝食から戻ってきた奥さんと娘に遭遇。そう、彼らは朝ご飯を食べに僕等を放置して街に出ていったのだが、何だか美味しい店を発見したようだ。

 

新しい店はネイザン通りの一本裏側にある「池記」というお粥屋で、香港でこの手のお店は日本の定食屋と同様に粥麺を置いている。この店は何と一切英語メニューがない。勿論日本語もない。朝9時過ぎでほぼ満席、賑やかな店内にはお客が溢れているが2割くらいは大陸中国人客だ。

 

東京に出てきた九州の田舎もんのような大陸中国人は大きな荷物をちっちゃなテーブルの下にどう隠そうかと一生懸命格闘している。あんたの荷物なんて誰も取らないよ。

 

そっかー、一昔前はこのあたりと言えば香港人にとって普通に出勤前の朝ごはんを食べる定食屋であり日本のるるぶあたりが「隠れ家香港名店!」とか言って記事にしてたりしたものだが、最近はすっかり大陸人にシフトしているんだな。けど繁体字を使っているのが唯一地元の店であることを主張している。

 

牛筋麺ととんかつのセット料理でHK58ドル(約600円)だったかな、これが両方共抜群に美味しい。この値段でこれだけの料理を出すのは一体どんな秘密があるのか知りたくくらいだ。そう考えれば高級であるかどうかよりも美味しいかどうかを徹底的に見極める香港人にとって美味しい店とはこういう場所を言うのだろう。

 

夜はミシュランの★一つさえないし29階の夜景も全くないけど素晴らしく美味しい「星宴」というW香港ホテル内のレストランに行く。ここも抜群に美味い。W香港に泊まるようになって何度か行ったが、いつ行っても絶対に失望させないレストランがここだ。

 

味、サービス、スタッフのプロ教育のレベルの高さ、いずれを取ってもガイドブックに名店なしと思わせる内容である。料理を注文する前に出る突き出しからびっくりさせる。原味にひと味加えたフルーツトマト、牛内蔵、カシューナッツのノリ味、どれも手抜きがない。

 

そして注文した料理、鶏肉は黄油鶏だから素晴らしく脂が乗っててそれをかりっと焼いて余分な油を落としているその見極めが素晴らしい。トンポーローが縦に薄く切ってありそれを巻いて段差を作って食わせてくれるのだが、どうすればこんな風な形を思いつくのか、最近の創作料理の下らなさと比較することさえ失礼に当たりそうな一品だ。

 

その他に出てきた料理もソースと素材の組み合わせがまるでフレンチのようであり、今までの中華料理では思いつかない味の組み合わせを実現している。こういうのを食ってしまうと、いかにオークランドのレベルが低いかをまたも実感悲観、情けなくなるばかりだ。

 

香港は古くから沖縄との食材貿易が盛んで東北産のフカヒレやあわびが干されて香港に送られて広東料理や潮州料理に使われてきた。東北の海から博多港、台湾を経由して香港にやってきた食材が最高の海鮮料理とされて食卓を賑わせて来た。

 

しかし彼らが決して輸入しなかった食材、それが日本のコメである。

 

中国大陸は広大で魚を生で食べることは物理的に不可能だった時代、彼らは魚を干すことによって内陸部に届けることを学んだ。そして干した魚を戻して更に料理にするために煮えたぎった湯や油を使う。その付け合せとして食べるコメに必要なのは、油を吸ってくれるコメであり日本のような水分をいっぱい蓄えたコメではなかったのだ。

 

更に中国でも北部に行けばコメではなくパン(包)が主食になる。この点でも日本のコメが中国に広がらなかった原因の一つだろう。

 

中国では魚を生で食べる習慣は1980年代まではなくて、1990年代に入ってやっと日本に出張した香港人が刺身を食うようになり、日本人の生鮮食品の保存レベルの高さを知り、最初はレストランのメニューにエビや鯛に味を付けて生で出すようになり、少しこなれて来たところで健康に良い食品として作りおきの寿司をスーパーで売るようになった。

 

しかし当時の感覚では人間が素手で触ったコメや魚を出すことは汚いとされて禁じられており寿司を握る時は必ず手袋を使うようにしていた。これは今でも同様で素手で寿司を握るのは日本食レストランだけだ。

 

そう言えば以前シドニーの超有名なお寿司屋に行った時の事。オーナーさん曰く「ある日突然衛生局の人が来て、魚を素手で触るなんて不潔だ、ちゃんと手袋をしなさい」とのこと。肌の色からは中東あたりの出身と思わせるが、これなぞ多文化主義などと言いながら相手の文化を理解しようともせず自分の国が汚いから他の国も汚いなんて勝手な思い込みの押し付けにしか過ぎない。

 

もう一つ思い出した、1990年代の香港で仕事をしていた時。ぼくはお客に出す請求書を封筒に入れて机の中に常備している切手をぺろっと舐めて貼ろうとしていた。するとその場面を見た香港人スタッフが気絶しそうな顔で「あ、あの、今何やった?もしかして舐めた?」

 

香港人は地元のレストランに行けばまずテーブルの上の箸と湯呑みとお皿を器用に洗う。洗うためのボールがあり、そこにまず熱い烏龍茶をかけてボールの中に皆の食器を入れて順々に洗うのだ、普通に世間話をしながら。

 

つまり香港人にとってはテーブルに置いてある食器類は汚れていることが前提であり切手などを自分の舌で直接舐めるなんて殆ど「便器を舐めている」状態に見えるようなのだ。

 

もちろんいまの時代はさすがにそこまで不潔ではないし普通のホテルのレストランで洗うことは有り得ない。って書こうと思ったら次のパーティで古くからの友達とワンチャイの旧い北京料理の店で会ったら、やはり皆まず最初にお皿を洗い始めた。店員のおじさんも慣れたものですかさずカラのボールを差し出していた。21世紀もまだまだ香港の伝統は続いているようです、はは。



tom_eastwind at 21:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月22日

落人村調景嶺(チウケイレン)と将軍奥(ツエンクワンオ)

僕が香港時代に住んでた秀茂秤(サウマウピン)団地は九竜半島東部の山頂近くの高台にあり、眺めだけは最高に良かった。夜、部屋の電気を消してウイスキーグラスを手に眼下に見えるカイタック空港から飛び立つ飛行機がまさに城達也の音楽を思い出させる、香港の夜を繰り広げる一大夜景であった。

 

時には滑走路からオーバーランして機体の半分を海に沈めてる旅客機が見えたりなんて経験もあった。自宅からチムトンのオフィスまで直行バスに乗るとまさに空港の真下のトンネルをくぐって反対側に出るのだが、出たすぐのバス停はまさに着陸態勢に入って足を出している飛行機の真下。手を伸ばせば触れられるくらいな感じに近い。

 

1991年当時のぼくは出勤時は常に破れたジーンズに荒い晒しのTシャツに頭陀袋。会社に到着してからロッカーのスーツを引っ張りだして革靴に履き替えカップヌードルを食ってから机に向かったものだ。

 

とにかく昼間は日本人ビジネスマンの格好をしていないと取引先の日系銀行に行っても入り口さえ辿り着けない。かと言ってそのままの格好でバスに乗ると確実に強盗の対象となる路線である。

 

なので毎日ワンダフォーな自宅に帰る時は広東語しか使わず二階建てバスの二階の一番まえの座席に座って足を前に投げ出して缶ビールを飲みながら帰ったものだ。今考えたら随分柄の悪い話であるが当時は生き残ることに一生懸命だった。

 

ところがそんなワンダフォーな団地だけど、その山の反対側にもっとワンダフォーな村があると知ったのは香港生活を始めて2年目頃だった。

 

大型バスさえ入れない山の反対側の細い道を降りるとそこには調景嶺(チウケイレン)と呼ばれる村がひっそりと佇んでいる。香港人でも滅多な用事がない限り絶対に訪れることのない漁村。ここは国民党政権が中国から追い出された1949年以降に出来た国民党出身の人々が作った村である。

 

そこでは当時も北京語が標準語で村中のあばら屋には青天白日旗が掲げられていた。ぼくが住んでた団地のすぐ裏であったにも関わらず最初はその存在さえ知らず、たまたま読んだ本にこの「落人の村」の話があり、ある日奥さんと一緒にミニバスでやってきた。

 

するとそこにはまさに本の中で紹介された写真そのままの落人村が広がっており、人々は北京語を話し、港では小型船が行き交い、村の中はコンクリートむき出しの家が軒を挟むようにして並び荷車でさえ通れないほどの狭い路地では人々が階段上の地べたに座り込み、何時来ることさえ分からない国民党の大陸反攻の機会を待っていた(苦笑)。

 

この村は香港が共産党に返還される1997年までに取り壊される事が決定しており、共産党との揉め事の種を残さないためにすぐ近くのゴミ処理場であった将軍奥に一大ニュータウンを作りその中にひっそりと移り住むようになった。

 

ぼくが香港に住んでいた頃が落人村の最後の時代であり僕が香港を出た1996年にはすでに取り壊しが開始され当時のゴミ捨て場であった将軍奥が一大ニュータウンとして発展したのはそのすぐ後である。

 

ぼくは香港を離れてからサウマウピンに行く事もなくましてや将軍奥などというゴミ捨て場に興味もなく、ましてや地下鉄(MTR)がここまで延伸してくることなど思いもせずに、今回奥さんの中学校時代からの友達を将軍奥まで訪問することになり初めてこのニュータウンにやってきた。

 

すると、こりゃ広い広い、確かにニュータウンだ、1980年代のシャティンの発達以上にでっかい街になっており、一体どこにこんな土地があったのかと思って聞いてみると、ゴミ捨て場の上に街を作り更にそれでも足りないからってんで碗を埋め立てて何もないところに巨大な街を作ったとの事。だから古い建物が一切なくすべては最新式のアパートとショッピングセンターになっており、まさに人口の街である。そこにMTRまで通して学校も作りシティまで出かける必要がない巨大な自己完結型の街になっている。

 

この街で生活していれば香港島のセントラルに行く必要もないしチムシャツイに買い物に出かける必要も全くない。子どもたちは塀に守られた小学校で友達と机を並べて学び午後3時に授業が終わったら担任の先生達と中庭で並んで待機しながら親が来るのを待っている。

 

親と言っても働きに出ている場合はおじいちゃんやお祖母ちゃん、またはアマさん(フィリピン人お手伝いさん)が迎えに来てくれて、子どもたちは楽しそうに今日学校であった事をお喋りしながら道路沿いのエスカレーターですぐ隣りのクーラーの効いたショッピングモールに入り、あとはモールとモールを渡り歩きながら途中の麺屋とかクレープ屋とかで軽食を楽しむ。

 

ここには日本の飲食店も沢山出店ししている。森の巻ってバームクーヘン、イタリアントマト、ラーメン屋などが出店しているだけでなくユニクロの大型店もあり日本漢字が堂々と市民権を持って看板に使われており、てか子どもたちはラーメンとかユニクロを日本製と意識せずに食べたり着たりしているのではないかと思う。

 

友達の下の子供はまだ10歳だが彼女の正面にいる僕を日本人と認識しているような様子は全くなく、普通にお母さんの海外に住んでいる友達の旦那さん、一緒にいる子は香港人と思い込んでいるようだ。

 

反日デモの時は日本にいる日本人が「おい中国は大丈夫か?」と香港に住む日本人に心配そうに電話をしたとか聞いたことがある。去年のニュージーランドのクライストチャーチの地震の時もオークランドに住む友達に連絡があったそうだ「おい、お前んとこ大丈夫か?」って。

 

クライストチャーチで地震があってもそこから1000km以上離れているオークランドに影響が出るわけがないのは北海道の礼文島で地震が起きたからって沖縄の豊見城あたりの心配をするようなもので現実的ではない。

 

それと同じように反日という感覚は香港人には全くなく、むしろ彼ら香港人からすれば本音では反大陸であり大陸中国人こそ出てけって感覚がある。できるなら英国統治領時代のように沢山の日本人に来て欲しいし住んで欲しいと思ってる。だって日本人の方が信頼出来るしぼったくりやすいからね(笑)。

 

将軍奥で地元の麺屋に寄って香港風のゴムのような固い麺を食べる。懐かしい味だ、色んなものが変化していく香港だけどこの麺だけは1970年代から何も変わらない味だ。

 

当時のネイザン・ロードには沢山の行き止まりの路地があり、通りはゴミだらけで薄暗く、細い路地に2階部分が飛び出して雨宿りが出来るようになった場所に3段折りたたみ式の細いビニール材で作った簡易ベッドがあり、3人が交代に寝るようになってるベッドの横を歩いて通り、行き止まりの場所にある屋台式の麺屋に良く行ったものだ。

 

「ラーメンネギなし、ビールを一本ね、それに炒め物!」仕事帰りのサラリーマンが夜中に普通に夜食代わりに食って、近くのミニバス(当時は今ほどMTRが整備されていなかった)に乗り込んで自宅のある団地まで帰る。

 

ちなみにミニバスは実に融通無碍な乗り物であり一旦要領が分かるとバスのように安くタクシーのように便利な乗り物として利用していた。「有落!」と言えば好きなところで降りられる、乗り合いタクシーのようなものだ。

 

もちろんぼったくりなどはない、きちんと地域ごとのヤクザに自主管理されているから一般市民に迷惑をかけて警察でも出てこようものならその運転手はすぐに近くの海に沈められるのだから下手なことは出来ない。

 

海ならまだしも当時次々と作られていた団地の基礎工事のコンクリートの中に放り込まれた場合は基本的にそのアパートが取り壊される築50年を越さない限り死体は発見されない。

 

当時はヤクザが一番怖がっていたのが警察であった。何故ならミニバスで一般市民に迷惑がかかり警察が出てくると大量の賄賂が必要となりせっかく稼いだ大事な資金源がパーになる。

 

1990年代でも警察は普通に賄賂を貰っていた。不良警官粛清の為に監察組織も出来たのだが何せ警察の上層部が元祖賄賂貰いの警察官だから長年の取引先を無碍にすべて潰して自分の手取りを減らすことなど考えるわけもない。だから粛清運動があっても警察とヤクザは地下で繋がり続けていた。

 

話が逸れるが僕がなぜこんな事をリアルに書くかというとうちの奥さんは一時期警察のアルバイトをしていた事があるからだ。香港では警察にもアルバイトがありうちの奥さんは一定の試験を受けて週末だけミニスカポリスをやっていた。

 

その時に知り合った女性警察官とかの旦那が結構羽振りがよい。いつも奢ってくれる。聞いてるみると自分の担当地区で様々な「臨時収入」があるそうだ。ミニスカポリスを辞めてからも警察時代の友達に会うと「あそこの何々さんの旦那さんね、最近調子が悪いのよ、どうも取引先(ヤクザ)と仲がよろしくなくなってきたようでね」などと普通に話している。

 

当時の香港では警察だけでなく税関など一定の権限を持つ現場の人々は常に一生懸命に働いていた、そのポジションを得るために使ったお金を考えれば自分が担当の間にしっかりと稼がないと元が取れないからだ。

 

今もミニバスは市民の足として利用されている。MTRがこれだけ発展してもやはりドアからドアの最後の部分はミニバスが最も有効である。最近の香港の癒着事情は全く知らない。うちの奥さんの友達の旦那さんがヤクザ絡みの博打で身を滅ぼして警察官を退職してからは会うこともなくなったので最近の様子を聞く機会がない。

 

将軍奥で麺を食べてMTRに乗って香港島経由でチムシャツイのホテルに戻る。夕方5時は満員電車、これは昔の香港と変わらないな、他人を無視して押しこみ乗り込み乗り換え駅では誰もがドアの近くに集まりドアが開いたらピンポンダッシュで反対側のホームに走りだす。

 

この路線で乗換え駅は金鐘(ガムチョン、アドミラルティとも呼ぶ)。ここで走っても飛行機の中で走るのと同じで到着予定時刻が変わるわけでもないし始発駅でもないから座席に座れるなんてのもあり得ないんだけど、なぜか皆憑かれたようにピンポンダッシュ。

 

久しぶりの香港の喧騒を味わいながらぼくらはのんびりと次の電車を待って歩く。いやー、今日はよく歩いたな、オークランドでこんなに歩くなんてのはランニングしたりする時くらいだろう。

 

香港二日目の夕方でした。



tom_eastwind at 19:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月21日

香港初日

ぼくが初めて香港という土地を知ることになったのはブライアン・フリーマントルの「チャーリー・マフィンシリーズ」の「呼び出された男(初版1982年)」からだ。冷戦時代の英国スパイとして抜群の腕を持ちながらも古巣である英国情報部に裏切られ逆襲するのが第一作「消されかけた男」で第三作がこの「呼び出された男」だ。

 

香港を舞台にチャーリー・マフィンがCIA、英国情報部、中国北京政府のスパイを相手に七転跋扈の活躍をする。マンダリンホテルのロビー、バー、ペニンシュラホテル、当時の香港の猥雑さと喧騒、夜景が美しいスターフェリーの船体水面ギリギリの位置には紐でくくられてかろうじて首だけ出さされて溺死リンチに遭っている中国人。

 

まだシンセン国境がなくてローウーから歩いて中国側に渡っていた時代の香港の雰囲気がよく分かる。今の香港やシンセンを知っている人からすれば驚くほどの田舎ぶりであるが、当時からすれば今のシンセンの発展など誰も思いつきもしなかったし過去に戻って話をしても誰も信じなかっただろう、様々な歴史の偶然で作られた人口の街シンセン。

 

同じ頃に原作が作られたジョン・ル・カレのスマイリーシリーズ「スクールボーイ閣下(初版1977年)」では、今から40年以上前、まだ世界が冷戦と呼ばれた時代の香港で、当時の香港を統治していた英国の諜報部で働くスマイリーがソビエトの見えないスパイ「カーラ」探知して捕捉し更に中国政府情報部も巻き込んで戦う、スマイリー三部作の中で一番の傑作だ。

 

重厚でいながら言い回しの妙はジョン・ル・カレの腕の良さで実に上品かつ機微に富んだ作品だった。小説の冒頭の舞台となるセントラルの記者クラブから香港島頂上の高級官僚が住む住宅に押しかけていく場面、そこが将来ぼくのお客様となったヤオハン会長の住む住宅になるとは、いやはや歴史とは面白いものだ。

 

さあさ皆さんいらっしゃい!1970年代の香港に来る人は、観光客なら財布の底まで、ビジネスマンなら会社を潰すまで絞り上げて見せましょうぜ、いやいやご心配なさるな、お金を盗むは一瞬で、痛くも痒くもないですぜ!

 

当時の香港は英国の最後の植民地として自由放任主義の下、片方では北京に睨まれながら片方では英国人をボスとして二人の支配者の間でバランスを取る人間だけが生き残れた。

 

香港で生き残ること、それはスピードと決断力である。誰もが自分の運命の主人公であり、馬の目を射抜くものだけが生き残ることが出来た。そんな芸当が出来るのは1千人に一人もいないが、生き残った者が得られる利益は半端なものではなかった。

 

人口あたりのベンツの普及率は香港が世界最高であるという話を聞いたことがあるが、街を歩くとそれは実感する。1970年代の香港と言えば、高級車に乗った金持ちが道端をふらふらと歩く貧乏人にぶつかって怪我をさせると札束を渡して走り去ったものだ。

 

香港で常にフォーブス誌に載るお金持ちと言えばレイ・カーセンだが、彼は白手起家の代表格である。貧しい家庭に生まれ子供時代から丁稚奉公で朝早くから夜中まで働き一生懸命に貯めた小金で自分の会社を作り、最初はビギナーズ・ラックで当てたが、それ以降は堅実に不動産投資を繰り返して大きな資産を作った。日本で言えば豊臣秀吉かな。

 

「さあさあ皆さん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、金とはこうやって作るものですぜ」当時香港はチューリッヒの小鬼と呼ばれたスイス金融界の向こうを張って東南アジアで金融の中心地となり次いで発展する中国の西洋への窓口として貿易窓口となり、1980年代の香港は急激に栄えて次々と競うように高層ビルが建築され、日本のバブルのお金がこの街に流れ込んできた。

 

東南アジアの中心地として日銀香港支店が西はパキスタンから東はインドネシアまでを範囲として配下に日系銀行を揃えて協調融資(シンジケートローン)を行い発電所やダムを作り、足元の香港では日本語学校が次々と開校して日本語ブームが大流行した。

 

ぼくが香港に落下傘降下したのは、まさにそんなバブル景気ど真ん中の1991年後半だった。

 

あの頃香港に行くと云えば「ケツの毛を抜かれてスカスカにされて道端に放り出される」事を意味していた。「あんな街に英語もろくに出来ない、ましてや広東語も全然出来ない人間が放り出されて一年間生き残れたら大したもんだぜ」

 

そう言われながら飛び込んだ街が九竜半島の東端にある官糖のサウマウピンという集合団地だった。住人の半分は体中に紋々を入れて上半身裸で歩きまわる現役のやっちゃん、残り半分はこれから紋々をいれるか現役を引退したやっちゃんという、おそらく20世紀最後に残されたわんだふぉーな場所だった。

 

21世紀の今、あの頃の香港を振り返ってみると「あんな博打、一生に二回はうてないな」とは思うが、普通に日本で生きていれば絶対に出来ない経験だったとも思う。

 

もっとすごかったのはカイタック空港の近くにある無法地帯「九龍城砦」だ。清王朝時代の名残で香港警察が入ることの出来ない、恐ろしいほどに古くてぼろっちい違法建築ビルの壁に穴を開けて隣のビルと合体して、まるで迷路のような城砦である。

 

都会伝説もあり新婚旅行で買い物に来たご夫婦、奥さんが試着室に入ったきり出てこない。さっき対応してれくれた店員に聞くと「そんな人、知らない」という。世界中で同様の話があるけど香港の場合は「も、もしかしてほんと?」と思わせる雰囲気があった。

 

1997年返還で香港が中国の特別行政区になるとそれまでの景気は一気に冷え込み人々は香港から脱出し始めた。だが21世紀に入ると少しづつ中国からの観光客が増えて来てお金を落すようになり香港人はこれはビジネスチャンスだと割りきって標準語を勉強して免税店で手ぐすね引いて大陸中国人を見つけてはカモるようになった(苦笑)。

 

何時の時代も香港人は香港人だ。現実を最優先して理屈は言わず目先の金の為に全精力を使い、夜は家族で楽しく食事をして麻雀して夜更かしして、中秋の名月になれば月を愛でてお正月ともなれば花火と爆竹で騒ぎまくり遊びまくる。ほんとに疲れを知らず明日のことは明日のことと割りきって今を一生懸命に楽しむ。

 

モウマンタイ、問題ないって意味の広東語は今では日本人の間でも結構知られている。一時期の香港映画ブーム時に有名になった言葉だ。

 

香港に降り立ったのは夜の9時過ぎ。それからホテルに向かい親戚に連れられてシウイエ(夜食)を食べに近くの火鍋屋に行く。真夜中過ぎでも賑やかなお店ではワインの品数が増えている。90年代の香港でワインを飲む人間など全然いなかったのに、誰が仕掛けたのだろうかこのブーム。

 

味もわからないのにわかったような顔をして仲間でワイワイ言って「おれたちゃ昔からワインをさー」なんて話している香港人を見ると「お前ら、厚かましさだけはほんとに変わんないなー」と笑えてくる。

 

香港到着初日、気温20度。天気晴朗、半月が香港の街を照らしてました。



tom_eastwind at 19:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月20日

休暇開始

今日のフライトで香港に向かう。家族でチェックインカウンターに行くと受け付けの女性がうちの娘に向かって「えっと未成年の方は〜」娘笑いながら「22歳です」というと女性はびっくり、彼女の目から見ると15歳くらいの子供に見えてたようだ。

 

奥さんも30歳くらいに見えますねーとか、ぼくに至っては42歳くらい?ハゲの42歳って珍しくねーか?てか何が目的じゃ?と思わず聞きたくなった。ニュージーランドでは確かにアジア人の顔は子供っぽく見えるからいちいち喜んでもしょうもないのだが、あ、そうか、これが新サービスか!褒め殺し。

 

空港に向かう途中の道路は結構混んでおりおまけに脇道から飛び出したりとか皆が焦っている感じ。普段より相当に運転が荒くなっている。誰しも早く用事を済ませてうちに帰りたいのだろう、家族の待つ自宅へ。

 

当社は本日からクリスマス休暇、1月10日が再開です。その間ブログの更新が遅れるか旅日記になるかと思います。

 



tom_eastwind at 13:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月19日

ドパルデュー氏、仏国籍の返上宣言=ベルギー移住への批判に反発

★抜粋開始

フランスの俳優ジェラール・ドパルデュー氏=2010年12月、ベルリン(AFP=時事)

 【パリ時事】フランスを代表する人気俳優ジェラール・ドパルデュー氏(63)は16日付の日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュに掲載したエロー首相宛ての公開書簡で、仏国籍を返上する意思を表明した。高額課税回避が目的とみられるドパルデュー氏のベルギー移住に対し、首相が「情けない」などと批判したことにレストラン経営など事業家としても知られるドパルデュー氏は、首相宛ての書簡で、自身が過去45年間に1億4500万ユーロ(約160億円)を国庫に納めてきたと主張。「私が国を離れるのは、あなたが成功、創造、才能などは罰せられるべきだと考えるからだ」と訴えた。(2012/12/16-23:19

★抜粋終了

 

「国家よ、お前は泥棒か!」そう怒鳴っているドパルデュー氏の顔が目に浮かぶ。てか記事は写真付きで、その写真が怒鳴っている。そりゃそうだ、真面目に働いて創意工夫で雇用を生み出し多額の納税をしたら「もっと払え」だってさ。

 

俺の払った税金は働かない若者に配分される。しかしその前に聞きたい、彼らは働こうと努力したのか?機会があっても何もせずキツイ仕事は避けて夜勤仕事も嫌がり休みは欲しがり売上責任を回避してその結果仕事をせずにいて、俺の金で飯を食おうというのか!?

 

そりゃ誰でも怒るわな。

 

フランスに限らずだが人はどこの国に生まれようが出ていく権利がある。自分が生まれた街が自分の考え方に合わなけれ当然出ていく。地方出身の若者がもっと稼ぐために東京に出るようなものだ。

 

日本国内でも自治体によって税制が違うから例えば東京でも港区は福祉が充実しているから他の区から引越しで編入してくる家族もいる。彼らはやすい税制と手厚い福祉を提供してくれる区に移住しているのだ。

 

国内移住組がOKであれば何故それが海外ではダメなのか?第一今の時代、国家とは一軒の病院付きホテルである。そのホテルで生まれたからと言ってなぜずっとそのホテルで住まなければいけないのだ?

 

今までホテル代はきちんと払ってきた。ところが最近になると戦後作られたホテルは設備が古くなりトンネルは壊れるわフロントスタッフはしょっちゅう喧嘩してまともにお客の相手も出来ない。挙句にホテル代を値上げだと!ふざけるな、いくら付き合いの長いホテルだからって、お前んとこの内輪の事情を押し付けるんじゃねーよ。

 

だからおれは最新設備を持っている、値段が安くてサービスの良いホテルに移るんだ、それのどこが問題なのだ??

 

こんなのは普通に考えればわかりきった事であり、それは日本でも同様だ。今まで一生懸命に働いて日本に納税したのに、更に増税しようとしている状況ではこれ以上生活することは出来ない。第一その増税した金を何に遣うのだ?お役人のお手盛りではないか。

 

そんな不透明な使い方をされて黙ってろって言うのか?おかしな話である。日本の場合は出て行こうとする人々に対して直接は何も言わないが、今はすでに実質的送金規制に入っている。銀行窓口で海外送金しようとする人にいろんな理由を付けて断っているのだ。

 

挙句に今度は海外国と租税協定を次々と締結、又は改定して実質的に世界中どこにいても日本国籍がある限り課税しようとしている。これが毎日現場で移住のしごとをしている僕が見た現実だ。

 

出る気があって出られる状況であれば早くした方が良い。出られなくなってからではもう遅い。



tom_eastwind at 20:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)NZの不動産および起業 

2012年12月18日

二世部隊物語

★抜粋開始

【ワシントン=伊藤宏】米上院歳出委員長で、知日派の重鎮ダニエル・イノウエ上院議員(民主党、ハワイ州選出)が17日、呼吸器合併症のため、ワシントンDC近郊の病院で死去した。88歳だった。イノウエ氏の事務所が発表した。

 

 1924年、福岡県八女地方からハワイに移住した日本人の両親の間に生まれた日系2世。第2次大戦中、米陸軍の日系人部隊に参加し、欧州戦線で右腕を失った。日系人部隊での功績は、偏見を受けていた日系人の存在を米国内で高め、米軍人最高の「名誉勲章」を受けた。

 

 59年、日系人として初めて連邦議会議員(下院)に当選。63年からは連続9期、上院議員を務めた。在任期間は約50年間にわたり史上2位。

★抜粋終了

 

ダニエル・イノウエ氏の名前を初めて知ったのはぼくが小学生高学年の時に望月三起也の漫画「二世部隊物語」を読んでからだ。へー、戦前はハワイに移住した日本人がたくさんいたんだ、そして彼らの子どもたちは母国と祖国の間で悩みながらも米国内で敵性国民収容所に入れられた自分たちの親の無実と米国への忠誠心を示すために442部隊に志願し欧州の最前線でドイツ軍やイタリア軍と戦ったんだという事を初めて知った。

 

その当時は自分が移民になるなって思いもしなかったけれど、それでも世界には凄い日本人が住んでいるんだとびっくりするやら感心するやら。山崎豊子の「大地の子」は勿論まだ世の中に出てない時代の漫画であるが、事実はまさに小説より奇なりを地でいくような実話である。

 

そしてその実話の442部隊で戦い右腕を失くして英雄として戦後はハワイで政治家となり遂には上院議員として戦後の日本政界と米国政界の橋渡しをした。「トラは死んで皮を残す、人は死んで名を残す」とはまさにダニエル・イノウエ氏の為にあるような言葉だ。

 

その後海外に出た為に日本の書籍を入手出来ず、amazonもなければネットもない時代が続いて、ダニエル・イノウエ氏が従軍した442部隊がどのような戦いをしたかを調べるヒマはなかった。

 

ネットがサクサクと利用出来るようになった21世紀に入ってから昔の記憶を呼び出して検索してみたら、本当にこの部隊の戦いはすごく、米軍で最も強い部隊であり最も脱走の少ない部隊であり最も多くの勲章を得た部隊でもあるという事が分かった。

 

その時のブログをちょっと長いが下に添付しておく。記事は2011年だが元記事の初稿は2003年だが実際にニューヨークに現地視察に行ったのは9・11の翌年2002年の冬だ。移住を検討している方には拙筆だが是非一度読んでもらえればと思う。

http://tom.livedoor.biz/archives/51971731.html

 

実際に海外に移住して移住先の国家で生活をするとは要するにこれだけ腹を括って生きていく事なんだな、こんな事が俺にできるだろうか?自分で常に胸に手を当てて考えることだし、実際にニュージーランド移住の受け入れをする際も僕自身の心構えとして「こんな時ダニエル・イノウエ氏だったらどうするだろうか?」と考える癖が身についた。

 

これから移住を考える皆さんにも是非とも知ってもらいたい人物であり、移住することは良いことばかりではない、時には移住先の国家から忠誠を求められる事もありそれが命を賭してでもやりぬかねばならない時があると知ってほしい。

 

命は賭けられない、けど自由と平和だけは欲しいなんてのは通らない。権利と義務は常に表裏一体である。

 

第二次世界大戦当時、米国ハワイ州にダニエル・イノウエという将来を期待された若者がいた。祖国と母国の間に挟まれて、彼は誰に強制されたわけでもなく自分の決断で武器を取って家族のために欧州の最前線に戦いに行った。そして右腕を失くして母国である米国に帰還した、英雄として。

 

人は死して名を残す。ダニエル・イノウエ、大往生。



tom_eastwind at 19:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月17日

人からコンクリートへ!

昨日読み終わった封神演義、ちょっと気になるのは最後の場面が最近のエイリアン映画「プロメテウス」の最初の場面によく似ているってことだ。いくつもの大きな滝が流れ命を大地に送り込む部分。どっちが先か偶然かは分からんが、日本では少年が読むようなマンガのネタでも米国では大人に見せるネタになるのだから、日本のレベルの高さが分かる。

さて本題。

 民主党が政権奪取後に主張していた「コンクリートから人へ」がいつの間にか「人からコンクリートへ」と戻った。民主党政権は公約を破り3年前の国民が否定した自民党政権の小型版になった。遂には本家本元の自民党が「国土強靭化計画」という建設業が聞いたら嬉し泣きをするような政策を掲げて総選挙で圧勝してコンクリート自民党が戻ってきた。

 

それにしても民主党の末期はまさに3年前の自民党の末期と重なるような失策の連続でありなにをやってもうまくいかなかった。ぼくが言うのもおかしいがあまりの失策の連続で周囲の空気を読めなくなった「受験には強いお兄ちゃんたち」の最後って感じがする。

 

ぼくはオークランドで15年ビジネスをしている。それも団体旅行という「集団」のその場の空気を読む仕事だ。数人から数十人、多い時は数百人を前にあっち行けこっち行けと指示を出す時は相手がお客様であり絶対に怒らせてはいけないが、けれどぼくの誘導に従ってもらわなければこの団体はげレミングみたいに海に向かって一直線なんて場面もしょっちゅうだった。

 

人前で行うすべての小さな仕草、その時の一般市民の目に浮かぶ反応、そういうのを現場で肌で覚えてきた。だから感じるのだが民主党の優秀なリーダーたちは机上のリーダーであり自分たちがどう見られているかという一番大事な点が理解出来ない。だから大事な時に取り返しのつかない失敗をする。

 

そして失敗を繰り返した政治家は今の多くの国民を映す鏡であることがよく分かった。日頃現場で場数を踏んでない人間は一度追い詰められるとうろたえてしまい対抗手段を失い選択肢を無くし、目をつぶって目の前の毒団子に飛びついてしまう。それが官僚の用意したものだと本能で分かっていても学校で学んだ「正解は一つ、そして目の前の答はいかにも正解じゃないか」と理性で判断して飛びつくのだ。

 

なぜあれだけ優秀な人々が失敗をするのか?それは僕が思うに彼らに本当の意味での信念がないことだと思う。本当に信念があれば言葉強く自分の思想を語れるし反論に対しても受け入れながら自分の意見を述べることが出来る。自分の信念を持ち相手にも同様の信念があると分かれば「和せど同ぜず」という心境に辿り着ける。

 

そして自分の信念で自分は例え一人でも生きていく、付いて来る人は付いてくればよいし反対の人は別の道を歩けば良い、世の中にはいくつもの正解があると知っているから他の人が別行動をすることを自分に対する批判とは感じない。しかし話し合いの場所は常に用意されておりいつでも話し合いに参加する気持ちはある。

 

今の日本では信念を持つためにゆっくりと落ち着いて考える時間もなければ読むべき本が何かも分からず、結局手近の本屋で入手できる雑誌や新聞で書いていることを「自分の信念」として人に伝える。ところが他人がそれに対して論理的に矛盾を指摘するとまるで自分個人が侮辱されたかのように怒りだしてすぐに感情論になる。

 

それはテレビ討論などを見ていてもよく分かる。言い合いの最後は大体相手の個人的な問題をあげつらい感情論で罵り合いになったりする。それは自分が信念を持ってないから「他人の意見を尊重することや正解が一つでない」って事を理解出来ないからだ。

 

彼ら政治家はまさに一般的な日本人の鏡であり、つまり日本人は政治に得意でなく(元々自分で政策を作るだけの自分の信念がない、他人から貰うものだと思ってる)現場での政治戦略における駆け引きが苦手で(敵が攻めてくるまでは戦略も考えず机上の空論並べるか大ぼら吹いてばかり、けどいざ敵が目の前に来るとパニックになり思考停止して「全員着剣!トツゲーキ!」とやってしまう。

 

日本の大手企業は社員を育てるって意味でいろんな職場を経験させるが、それが結果的にプロを作らないので誰もが中途半端に全体業務を知っているけどプロじゃないから使いこなせない。知ってるだけだ。

 

日本社会が閉鎖されたままならそれも最上階の最後の一席を狙うために皆が派閥を作り上司を選んで実務は現場がするので会社も回っていた。けれどその結果日の丸企業は次々と外国企業にやられて倒れた。

 

それもこれもぼくは日本人に信念がないからだと考えている。結局は人間対人間の際の交渉力なのだが、その源泉となるのが自分のプロとしての能力とそれを支える信念であるとぼくは思っている。

 

信念さえあれば土壇場に追い込まれても何とか踏み留まって対案も思いつく。信念とは金で計算出来るような何かではなく、いくらお金を積まれても自分が絶対に曲げられないものだ。長い人生を生きている間に信念は少しづつ育っていく。成長の過程で少しづつ細部は変化していくが信念を持っていれば強い。何を考えるにしても作るにしても信念がひとつの基準となる。

 

基準とは例えば民主党が「コンクリートから人へ」と主張した時に明確な信念として公表したのであれば、それは費用対効果は基準ではなく豊かな自然を守るために「作らない」が基準なのだ。例え100年に1度の洪水が発生して被害者が出たとしても残りの99年はダムのない自然な生活を享受することが出来る。

 

では人が死んでも良いのかという話になるが、それが信念であり価値観の問題であり価値観を基準としてコンクリートか人かを選ぶ場合、コンクリートを選んで数百人の命と財産を守ったとしてもコンクリートの為に自然が破壊されて人間らしい生活ができなくなればその方が問題であるという考え方だ。

 

ここまで来るとある意味宗教なのだ。どのような議論も信念や価値観の為に死ねる宗教論にたどり着く場合がある。何を大切に生きていくかだ。例えば今のニュージーランドには殆どトンネルがない。道路を作るにしても湖水地方では湖の畔ぞいに道路を作り出来るだけ自然を大切にしている。

 

自然との共生は費用対効果ではないのだ。交通が不便であっても自然と共生しよう、その代わりに緊急事態の場合はヘリコプターを飛ばして救出しようという発想である。

 

人はいずれ死ぬ。河川事故で死ななくても老衰で死ぬ。または病気で死ぬ。いずれにしても死ぬものだ。ならば時には災害で死者を出しながらも人間全体の歴史の中では自然と共生することで多くのものを得ることが出来るという考え方だ。

 

それは目先の利益とかではない。損益計算の出来るものではない。自然を取るかコンクリートを取るかという選択の問題なのだ。

 

今回民主党は信念らしき言い方をして「人に」と公表したが結局目先の金の為に損益計算に巻き込まれて信念を持っていなかった事を暴露してしまった。

 

自民党は「もう一回国土をコンクリートだらけにする、自然の景観とかどうでも良い、まずは国民が食えるようにすることだ!」と主張した。その主張もひとつの信念、自分の生まれ故郷をコンクリート漬けにして気にならないのだろう価値観だけは明確に伝わってくる。

 

自民党を選んだ有権者も自分の土地がコンクリートだらけになっても土方仕事が得られて発電所のタコ部屋半年でもビル工事の出稼ぎでもいい、なんとか仕事さえあれば良いのだろう。その結果として子供世代に残るのはビルばかりになった無機質な街でさえも、自分たちには関係ない世代の話なのだから。

 

ぼくは自民党が一度下野して反省をしていると感じるし安倍さんもリターンマッチは慎重になっているから半年程度は経済も上向きになると思う。その頃から本格的な問題になるのは外交だ。日本が周辺諸国とどう組んでいくのか?

 

ぼくの価値観と多くの日本人の価値観がすでに大きくずれている以上、ぼくの住みたい国ではないしすでにその選択は民主党時代に自分で判断して行動した。そしてニュージーランドはぼくの価値観に近い「コンクリートよりも人間」を選ぶ国であり「人はいずれ死ぬ、ならば無駄な延命治療でお金を使うよりも子どもたちの基礎教育に国庫のお金を遣おう」という発想も好きだ。

 

これからの日本、まずは自民党が国民を一つにまとめて良い方向に引っ張っていってもらいたいとこれは本気で思っている。それはぼくの考え方だけが正しいとは思っていないからだ。一番ダメなのは右と左がお互いに足を引っ張り合って何も出来ない状態だ。

 

今回は自公の圧勝でありかなり政治に自由度がある。安倍さんの考える日本も悪くない、進めて行けば良い。常に日本国民に正しい行先を見せてあげれば次の総選挙でも圧勝するだろう。多くの日本人にとっては自民党が一番付き合いやすい党なのだ。何故なら自民党は常にあなたに信念を与えてくれるのだから。



tom_eastwind at 20:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月16日

封神演義♪

木曜日は山水レストランの新マネージャー紹介のパーティ。20年以上の付き合いがあるオークランド旅行業界の重鎮から食材仕入れ会社、その他様々な業界からお集まり頂き賑わった。

 

金曜日は会社のクリスマスパーティで日頃あまりお会いする機会のないスタッフの家族にも一年の感謝の意味でご参加頂いた。もう皆さん年末って事ですっかりパーティパーティな気分。

 

あと3日で会社もクリスマス休暇に入り約3週間のお休みになるので、その前にやるべき事をやって置かなくてはと、各自相当パニックなのだけど、パーティになれば頭はすっかりパーティモードになれるのが素晴らしい。

 

うちの会社はONOFFがかなり明確で、どんなに仕事が忙しくても自分の予定を動かす人はあまりいない。地域のクラブ活動、コーラス、飲み会、子供の迎え、まず自分の予定をしっかりまとめて、それに合わせて仕事の速度や量を自己調整している。

 

うちの仕事はネットに繋がったパソコンさえあれば世界中どこでも出来るので、子供の迎えに午後早めに帰り子どもたちの食事が終わってから自分の部屋でネットを繋げて昼間やり残した分をさっさと片付ける。

 

うちの場合、会社の行事で夜とか終末に何かを入れることはない。みんな昼間はそれぞれ自分たちの部門で仕事をしていても、夜や終末になると気の合う仲間たちと楽しくやっているようだ。「ようだ」ってのは、ぼくもONOFFは使い分けるべきだと思ってるしOFFに会社を関連付けさせてもらいたくない為にあえて何も聞かないからだ。

 

20世紀の工場じゃあるまいしぼくらは部品ではなく一個の人間なんだから会社に依存心を持つのではなく、自分が生活のための収入を得ながら仕事を通じて様々な事を学びつつ地域社会で人脈を作りそれが次の成長につながれば良いと思っている。

 

今年はうちを卒業して他社に移籍した若者がいるし日本に帰国して他社で働いていたのがまた当社に戻ってきたり、うちは出戻りの多い会社である。出戻り回数4回目なんて人もいる。

 

日本じゃあちょっと考えられない出戻り組の多さであるが、他社で学んでまたうちに戻ってきて新しい仕事に飛び込んでいけるのも、会社に依存しない生き方が出来るからだ。日本社会も早いうちに個人の自立が進んでいけば自己責任も理解出来るようになり、現在の日本のような無責任で他人任せで何かあれば自分の事を棚に上げて他人を批判することもなくなるだろう。

 

日本では今日が総選挙なんだけどこちらでは全然盛り上がりないっすね。今回の総選挙で日本国籍を持つ永住者がどれくらい事前海外投票をやったのかは聞いてないしパーティの時も選挙の話は全くなし。

 

結局こちらに永住してしまえばこちらの社会の政治の方が大事だし日本の首相が誰かってよりもジョン・キー首相の次の一手の方がずっと気になる。こちらで生きていくというのは多くの場合日本旅券を除けば日本政府に頼るものはなく自己責任で解決するしかない。

 

依存出来る組織はないのだし自己責任で生きるって道を自分で選択したのだから太平洋の赤道を渡って北半球にある離れた祖国の選挙よりもまず自分って事になるのだろう。

 

現在オークランドに在住している日本人は大体1万5千人くらいだろう。そのうちワーキングホリデイビザが約2千名、ワークビザが1千名、学生が数百名、その他は永住権保持者だと推測している。何人くらいが在外投票をやったのかな。

 

ぼくは基本的に在外日本人でも日本国籍がある限り選挙に参加すべきだと考えている。政治はまさに自分と天の間くらいに離れているがそれでも自分で住みやすい国を作るための第一歩が選挙だからだ。

 

けれど現実的には外国に住む日本人は選挙に参加するためにいろんな手続きが必要で、日頃あまりお世話になってない日本国の選挙に参加するためのハードルは高く設定されている。

 

これは民衆に出来るだけ選挙から離れてもらいたい政府=官僚の基本方針だ。「民は依らしむべし知るべからず」は徳川時代から続く日本支配層の基本方針であり彼らの分厚い壁をぶち破ってまで参加しても、あんまり良いことないよって言うメッセージである。

 

明日には選挙の結果でどこの政党が与党になるか分かる。それから連立の話が出てくるのだろう。自民党と公明党はまたも連立でいくのだろうか?最近の動きを見る限り池田党ではなく庶民のための公明党に近づいているからその意味で自民党とも政策が近くなるのかもしれない。

 

ぼくは今の自民党はそれなりに評価している。一応支配層に属してはいるが民衆のことは結構配慮していると感じる。野党になって民衆の大事さを理解した自民党政治家と1年で交代した安倍さんが今回はしっかりと与党として舵取りをするだろうと思う。おかげで円が急落してニュージーランドに送金する人からすればありがた迷惑ではあるが(苦笑)。

 

いずれにしても来年は移住の仕事が更に輪をかけて忙しくなりそうだ。日本中から問い合わせの数が半端ではなくなっている。移住スタッフを増員して来年に対応する予定。移住が増えるって事は自己責任でものを考える日本人が増えるという事だから良いことだと思う。

 

さてっと、木曜と金曜の連チャンパーティで疲れた体を土日に「封神演義」読んで復活させよっと。



tom_eastwind at 15:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月13日

パーティパーティ!

師走に入り2ヶ月分の仕事を半月でやってる感覚。ニュージーランドでは12月15日頃から1月15日頃までが休暇なので、必要最低限のインフラ(バスとか飛行機とか電力会社とか止めちゃまずい部分etc・・・)だけは動かしてそれ以外(事務作業、交渉作業、ある程度日程管理が可能なもの・ちなみに総理大臣もハワイの別荘で一ヶ月休む。彼の今年の最後の仕事はオークランドで開催されているTPP関連だ)は休む。

 

その代わり普段はのんびりしているキーウィでも11月後半から12月15日頃まではまさに走りまくる。日本から見ればそれでものんびりしているが、ぼくらのような日系企業でキーウィと同じような休みを取る会社はほんとに一ヶ月で二ヶ月分の仕事をするような圧迫感がある。

 

ただでさえ忙しいのにそれがダブルになるのだからこりゃ相当きついのは事実である。業務処理能力無いだけと言われればそれまでだが、緊張感でTODOLIST(箇条書きの指示書)をきちんと書いておかないとすぐ忘れるから恐い。

 

そうは言っても日本は一年中忙しいので、この忙しさの意味は理解しづらいと思う。日頃抱えたことのないストレスを抱えるのだから、この時期のクリスマスパーティはどこもハチャメチャである。ビールやシャンパンが飛び交いパーティ会場はすっぱ賑やか!一年のうちの3分の1近くの消費がこの一ヶ月に行われるという調査もあるくらい、この時期だけはキーウィの財布の紐も緩む。

 

そんなキリスト教国であるニュージーランドでは、政治もすでにほぼおやすみ状態に入り、キムドットコムも凧の糸が切れたようにニュースにならず、じゃあね、次は来年2月からやろうねって雰囲気がたっぷり。それにしてもTPPのオークランド開催、ジョン・キー首相は「おれたちしっかりやってるよ!」と周囲の国家に意識付けたかったのだろう。

 

それはそれで良いこと、そしてTPP終了後すぐに休みに入って一ヶ月頭を冷やすのも良いこと。仕事にはONOFFが必要。日本では仕事のONOFFが明確でないから、ついついだらだらと仕事が続くことがある。これはあまり生産性がないのではと思う。

 

もう一ついえば、ぼくが昔日本で過ごしていた頃から今ニュージーランドに来ても疑問なのが、日本人って会議中は発言しないのに会議が終わってからの立ち話が長い長い。それだけ話すことがあるなら会議中に話そうよ。

 

会議中に「何か質問や意見はありませんか?」と聞いても、その場では答えない。会議が終わって席を立ち、テーブルの上のお茶を片づけながらあちこちで三々五々お喋りが始まる。おいおい、それってまさに会議の中で聞きたかったことだよね。

 

日本人は会議という場所での発言をしないというのは世界会議を主催する人たちの中では有名な話である。しかしそれは決して日本人として誇りを持って語れることではない。

 

会議というのは意見を発言する場でありその後は自分のパソコンに戻って仕事を再開するのが本筋でしょ。それなのになぜか会議の最中ではなく会議の前後で根回しみたいなことをするのが良いと思ってる文化がある。

 

日本人が民族として世界で評価を受けているのは知っている。しかし現場で日本人(国籍は日本ではないが)として生きていると、民族性だけじゃなくて日本ビジネスマンとしてもっと何か評価されようよって気になる。嘘をつかない、騙さない、相手の利益も考える、全員が利益を得られる仕組みを作れる、そんな特性をもっと表に出して他民族と交渉して戦おうよって気になる。

 

これはもちろん僕が割り切り過ぎの部分もあるのだろうが、ビジネスは英語でありそれなら西洋スタイルでドライにやるべきだと思う。だから今の日本人が実際に毎日やっているウェットな経済行為はビジネスではなく浪花節の家業(稼業)ではないかと思う。

 

職人肌とか気質とか、それってビジネスの世界で語られる話ではなく現場の話である。現場のすり合わせの話と数字で語られるべきビジネスがごっちゃになっているから問題がある。

 

日本人はビジネスというと忙しく働いて稼ぐことが良いと考えているフシがある。英国系は出来るだけ忙しくなくスマートにさっと稼ぐのが良いと考えている。ビジネス(Business)はビジー(Busy)、忙しいという言葉が語源である。

 

だからビジーじゃなくて稼げるのが効率の良いビジネスなのだ。「金に働かせているのさ」という言葉が英国系のビジネスに一番ぴたっと来る。

 

まあそんな事を言っても師走だ。この時期ばかりは誰もビジーで普段は静かな街もこの時期だけはバタバタしている。今日も近くの弁護士事務所や会計士事務所からクリスマスのお歳暮のワインや詰め合わせが若い配達のお兄ちゃんたちの手で届けられてくる。

 

さあ、パニックのような今年後半の忙しさも後一週間で終わりだ。来週の木曜から3週間の休暇で次の仕事開始は年明けである。

 

てか、ここ数日はパーティパーティ、どこの会社もクリスマスパーティで大忙し♪ ラストスパート。



tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月12日

権利あって義務なしっておかしくないか?

北陸電力は7日、志賀原子力発電所(石川県)の原子炉建屋直下にある破砕帯が活断層かどうかを確認する自社調査で、「活断層であることを示す結果はない」とする中間報告を原子力規制委員会に提出した。

 志賀原発は、原子力規制委員会が現地調査を行う対象の一つ。北陸電は1号機原子炉建屋の地下にある破砕帯「S―1」の延長部分を調べ、地下深くまで達していないことや、上側にある新しい地層に活動を示す変形がないことなどを報告した。

同社は今後、1号機原子炉建屋直下まで掘削し、この破砕帯を目視で確認する方針だ。

20121272156  読売新聞)

 

これはもう、泥棒に犯人探しをさせるようなものだな。話にならん調査だ。

 

原発再稼働ありきでその筋書きに合わない事実は一切受け付けないのだろう。役人は自分がた担当の時には何も起こりませんようにって頭をタオルでくるんで下を向いているのだろうが、そして何か起こったら民間の責任に転嫁出来るように民間企業に調査させたのだろうが、ここらあたりで日本の法律を変更して公務員も職務責任を問うべき時期ではないかと思う。

 

「いやいや、調べたのは民間企業である北陸電力であり公務員は関係ない」など今更子供っぽい言い訳をしても国民は大体のところは把握している。経産省と財界が支配する原子力村が「活断層はないことにしろ」と言えば北陸電力だってNOとは言えない。けれど責任は被りたくないから「活断層であることを示す結果はない」という玉虫色の回答を作ってきた。

 

これならいざ大型地震が発生して原発が吹っ飛んでも「調査時には見つからなかった」とか「原発が吹っ飛んだのは活断層が原因ではない」と言い訳出来る。しかしどんな言い訳をしようが活断層が再度ずれれば地盤そのものが崩壊してその上に建っている建物=原発が吹っ飛ぶのは常識で考えれば分かることだ。

 

ぼくは3・11以前から原発に関しては何度も反対記事を書いてきた。それは原発の構造が結局は弱い者を苦しめる仕組みでしかないと思ったからだ。数年前に外人記者が山谷や釜ヶ崎あたりで調査を行い、当時の原発の定期点検時の釜を洗う仕事などは身寄りのない浮浪者を集めてやらせていたという特集記事を作った。

 

その頃からすでに日本の原発の構造的問題は指摘されており、核燃料の最終処理方法も結局ゴミ捨て場所が作れないどころかゴミをリサイクルする仕組みさえ作れないことが分かっていた。浜岡原発が非常に危険な位置にあり大地震が来れば東京に死の灰が降る事も指摘されていた。

 

ところが経産省はまともな地震対策もせず原子炉の掃除は下請けの下請けに丸投げして当然現場に派遣された浮浪者たちは身寄りがいないから放射能によって病死しても事件になることもないままに、自分たちは霞が関のビルの中でひたすら原子力村の利権だけを守っていた。

 

今の原発は安全であると言われて「はー、そうですか」と無邪気に信用出来る日本人はもういない。危ないけど引越しも出来ないから知らんふり、ないふりをしているだけだ。

 

同時に行われた反原発団体は新潟大学名誉教授(地質学)の立石雅昭氏にお願いして調査してもらい「活断層の存在が強く疑われる」という結果を発表する予定だ。ここまでやっても、それでも政府は「その調査には調査内容が疑問であり〜」とか言うのだろう。

 

このような状況を改善させるにはやはり法律を変更して公務員の刑事責任及び民事責任を問えるような条文を導入すべきだろう。そして刑事及び民事責任については調査時点での責任者まで何十年でも遡って氏名を公表し全員を告訴する。更に公務員による犯罪が確定した場合は使用者責任を問う。つまり該当公務員の上司及び最終的には担当大臣もすべてを調査の対象とする。

 

実はこのような責任の取らせ方はすでに暴力団対策として行なっており、組員が事件を起こしたら直接関係のない組長が逮捕される仕組みになっているので「法的に出来ない」などとは言わせない。

 

また大阪の電車脱線事件では事件当時だけでなく遡ってJR西日本の元社長まで告訴されているのだから遡って当時の責任者を犯人として告訴することは出来ないなどとも言わせない。

 

法的強制力を持たせる、それくらいしないと公務員は自分たちの責任を絶対に取ろうとしない。このような法律であれば国民も賛同する。てか、今、原発で被害が出て自分の街に戻れない住民がたくさんいて国民全体が熱くなっている現在しか公務員法改正の動きには繋がらない。

 

選挙まで残る所後少しだがどこかの政党が公務員法改正を政権公約に入れれば随分と票は取れるのではないかと思う。

 

などと書いてたら敦賀原発はどうやら廃炉の様子。よほど隠しようのない状態だったのかな。けどその方が日本の百年の計には合ってる。やばい場所にある原発は即刻停止廃炉にして緩やかに原発から離れていくべきだろう。とおもってたら続報で「おいこら、活断層の存在がほんとかどうか証明しろ」って政府からいちゃもんがついたようだ。まったくなー。

 

ニュージーランドで実用化されている地熱発電は九州大学が作った技術だ。大分の八丁原という地域でも実用化が進んでいる。日本では原発ありきの「自然エネルギーはコストが高い」という理屈がまかり通っていたが、一旦原子炉が崩壊した場合の被害の大きさを考えると到底コストが合うものではない。

 

自分たちの子どもたちに何を残すのか?そのためには政府に要求し政府が間違えば厳罰に処すという姿勢を国民全体が共有することであろう。政府はちょっとした事で一般市民を厳罰に処すし自分たちの都合で冤罪まで捏造する。

 

ところが自分たちがやる犯罪については一切責任を取らないのであれば権利あって義務なしという殺せない化物を生み出したようなものだ。

 

日本国籍を持つ人々はこの際原発をキーワードにして行政すべてに関して民間オンブズマン制度を導入し行政責任を取らせる法改正を行うべきではないだろうか。



tom_eastwind at 11:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月11日

1009

今日はちょっと軽いネタ。

 

沖縄のホテルでの事。投宿した那覇ヒルトンホテルはモノレール旭橋駅のすぐ下で大通りに面した小奇麗でこじんまりしたホテル。ホテルのガラス張りの会議室で外からじろじろ見られながら個人面談を行い、夕方からホテル内レストランで取引先ご夫婦と一緒に食事をする。

 

こことも付き合い長いなー、珍しく一緒に飲んで食って波長の合う人たちと話は大賑わいに盛り上がり、盛り上がりついでに料理を持ってきた若くて明るいウエイトレスに僕がにこっと笑って「ワンサウザンドナイン!(One thousand nine)」というと、鳩が豆鉄砲食らったような顔できょとんとされた。

 

ぼくは笑いながら「英語で言ってみたら?」と言うと彼女素直にちょっと頭を上に向けて考えるようにして「せん・・・きゅう・・・・・」!大笑い!

 

渋谷に109があってトウキュウなんだから1009でセンキュウもありでしょと思ったのだが、周囲の友達は「tomさん、ここ日本だから〜!」とたしなめられた。ちなみに最近はマルキュウが一般的なようだ。

 

そうそう、ここは日本なのだ、冗談ばっかり言っても通るオークランドではないのだ、はは、ぼくは今自分がどこにいるかすぐ忘れるくせがあって、一緒にいる人がすぐフォローに入って「あ、この人、無視してください。おかしい人ですから。日本人じゃないですから」ときっぱり言われる(笑)。

 

昔ニューヨークに行った時に日本人学生が「じゃあ“ごあべ”行こか?」って言われて意味不明。これって五番街(ごばんがい)とフィフスアベニューを掛けあわせた造語だが聞いててけっこー受けた。

 

これに比べると全然芸がないのが「くらちゃ」クライストチャーチの略語だが、使わんし、使いたくもない。造語のセンスの無さをひしひしと感じて寂しくなるから。

 

この例でいくと昨日読んだインフレターゲットの記事で書き込みした人は「インフレターゲットは略してインタゲと言われている」って、ほんとか?誰が言ってんだ?どんなセンスしているんだ?と思う。ひねりもなければ笑いもない。

 

インフラストラクチャーが長いからインフラでってのは、これは理解出来る。元がインフラとストラクチャー(構造、組織)の二つの単語を一つにしているからだ。けどリストラクチャーをリストラで切ってしまうと本来の英語の意味から大きく逸脱してしまう。

 

リスケってのも元々がリスケジュールだから英語を日常的に使っている人からすればおかしな英語だ。利助がリスケジュールなら佐助は何だ?って突っ込みたくなる(笑)。

 

それから聞いてて耳に心地良くない音、例えばアラフォーとかアラサーとか。アラウンドフォーティの略というが、何回聞いても盆踊りの囃子言葉にしか聞こえない。英語の出来ない頭の悪い日本人が思いついた筋の悪い言葉だと感じる。

 

それで言うと日本語なんだけど「アタクシ」とか「思ふ」とかを連発するのも初心者のはまる罠、ネットが出来て初めて自分の文章を書くのに他人と差別化しようとするのだが、皆が日頃使わない言葉を選ぶから結果的に街を歩く誰もがヴィトンを持ち歩くようなもので低位同質化してしまう。

 

「何事も先達のあらまほしきことなりよ」兼好法師の徒然草に出てくる一文だが文字を書くならまず良書を読むところから入った方が良い。若いころの読書経験がある人は言葉選びが上手だ。日頃から文章に触れる生活をしていれば、その言葉にセンスがあるかないはすぐ分かる。日頃触れてない人に限ってひどい選択をする。


 
言葉はそれぞれ状況に応じて適切な言い回しがあるわけで「きさまはどちらにお住まいですか?」なんて言ってると頭がぐらぐらくる。英語も同様だがせっかく表現豊かな日本語を使っているのだから「アタクシ」が「思ふ」には少なくとも他人が使っているからってだけの理由で一度も語源も意味も考えずに使うのは止めた方が良い。

 

落語なんかを聞くだけでも随分日本語の勉強になる(人の頭をひっぱたく外道漫才ではない)。昔、大阪落語にまだ品があった時代の有名な小話がある。司法書士とお客さんの会話だ。

 

「じゃあお名前教えてもらえまっか?」

「はい、佐藤xxですー」

「じゃあ次は現住所ですな、どちらでっしゃろ?」

「梅田x丁目x番ですー」

「ほな、生年月日、言ってもらえまっか?」

「セイネンガッピー」



tom_eastwind at 09:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月10日

現代の狐憑き 発達障害について

「発達障害:小中学生61万4000人 文科省調査・推計」という毎日新聞12月05日付けの記事に興味があった。目的はどうやら文科省が教員の増員を図る事らしい。自分たちの都合に合わせて都合の良い記事を新聞に書かせて、でもって何とか委員会で「新聞にもありますように〜」などと言って予算を取るのだろう。

 

しかしこのネタ、筋が悪い。発達障害だと〜!って感じだ。普通に人間らしく生活している子供を金儲けのネタに使うのかって感じ。学校ってのは子供を型にはめて誰もが集団生活の中で心をすり減らす教育だろうが、そんなもん、まともな神経持っててやれるわけないだろ、自殺しろって言ってるようなもんだ。

 

発達障害なのは学校の教師の方だよ、自分たちが昔学校で洗脳されたように今の子どもたちの感性を擂り潰して箱モノ教育に押し込んでおいて、すり潰されない強い子を発達障害なんて呼んで病人扱いする学校の神経の方がよっぽど発達障害、親と教師にすり潰されて洗脳されて大学出る頃には「ぼく、何すればいいんでしょう?」って子供を作るだけだ。

 

義務教育とは子供が学校にいける環境を親と教師が用意することだ。ところが現在は学校に行かないと子供が悪いように言うしイジメに遭えばイジメに遭った子供の方が転校させらる状況だ。世の中の子供で本当に楽しいことを嫌がる子供はいない。なぜ学校に行かないのか?学校に行けば自分の持ってる個性がすり潰されるってわかってるからだ。

 

そして嫌々学校に行っていじめに遭って自殺でもすれば学校側は「イジメとは認識していない」と言い親は「学校といじめた子供に責任があるー!」と、子供を守るべき学校と親がそれぞれ自分の義務を果たさず義務教育で学校に行く義務だけ背負わせておいて当事者責任を放棄しておいて他人を責めている。

 

ニュージーランドには毎年日本から子供がやってきて入学するが、親が口をそろえて言うのが教育システムの自由さと伸びやかな環境である。日本で不登校だった子がこっちの学校に通うようになって急に元気になり学校が大好きになるってケースはしょっちゅうだ。

 

ちっちゃな子供の頃は教科書もなくバックパックには鉛筆とノートとお弁当だけ持って行って毎日校庭を走り回りお昼ごはんの時間もお弁当を食べるのも忘れて遊び回っている。そして木登りをして落ちて木のぼりの楽しさと同時に危険性を覚えさせ、授業でナイフを使って工作をして指切ったりしてナイフの怖さを覚えていく。

 

小学校低学年のうちは自主性、主体性、他人との会話が教育の中心に置かれている。もちろん人間世界だから中にはイジメもある。しかし多くの子供はそれを乗り越えていくし、何よりも子どもたちが学校に通うとどんどん力強くなっていくのが特徴だ。

 

塾もほとんど存在しないし子供は夜9時には寝てしまうようなニュージーランドだが子どもたちの学力は日本の子どもと比べて遜色ないレベルだ。日本では学校が終わって塾に通って夕食はお弁当を塾で食べて夜遅くに帰ってきてと子供の頃から勉強漬けなのに結果がニュージーランドと同程度というのは一体何を勉強しているのかと思う。

 

以前も何度か書いたが発達障害なんてのはいつから病気になったのだ?ぼくらの子供時代は変な子供は沢山いたがそれは「個性」だった。ぼく自身も今の時代であれば確実に病気扱いなんだろうな。

 

発達の方向性が違うだけで障害として病気にしてしまい違う方向に伸びようとする個性を認めようとしない日本の教育はまさに洗脳でしかなく、そんな場所に子供を無責任に放り込むのが親の責任だと思ってるのは親としてかなりやばいのではないか?

 

現代の日本で田舎に行くと子供の体に狐が乗り移ったと言って皆で叩いて殴り殺す事件が時々あるが、親と教師がグルになって子供を学校に押し込んで洗脳されて型に嵌められるなんてのは、まさに現代の狐憑きのようだ。



tom_eastwind at 11:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月09日

2033年地図で読む未来世界

 ★記事抜粋開始

マーサー「2012年世界生活環境調査‐都市ランキング」を発表

マーサー ジャパン株式会社

2012/12/04 15:00 [ マーサー ジャパン株式会社のプレスリリース一覧 ]
 

マーサーは「2012年世界生活環境調査‐都市ランキング」を発表した。調査結果によると、世界で生活環境水準が最も高い都市は、前回に引き続きウィーンとなった。チューリッヒが2位、オークランドが3位と続き、4位にミュンヘン、5位にバンクーバーが入った。デュッセルドルフはひとつ順位を落として6位となり、7位にフランクフルト、8位にジュネーブ、9位にコペンハーゲン、そしてベルンとシドニーが10位となっている。

***抜粋終了

 

どのような基準で「生活環境を調査」したのか興味があったので最悪の都市を見てみると最下位のイラクのバグダッド(221)だったので、死亡度数かな、それなら納得がいく。決してニュージーランドで一年に一件の殺人事件がないってわけではない。毎年殺人事件は発生している。だた他の都市に比べれば治安の良さは肌感覚として分かる。

 

ちなみに都市インフラサービスの項目では「電気の供給、水の利用性、電話・メールサービス、公共交通機関、交通渋滞、現地空港からの国際線運航路線数」等が要素となりシンガポールが首位。当然ながらしょっちゅう停電が起こるオークランドのインフラはあまり優秀ではない(苦笑)。

 

生活環境調査でアジアの都市では、シンガポールが25位で最高位となり、日本の東京(44)、神戸(48)、横浜(49)、大阪(57)が続いている。その他上位100位に入ったアジアの都市は、香港(70)、ソウル(75)、クアラルンプール(80)、台北(85)、上海(95)となっている。

 

中国が入ってないのは当然だろう。普通に生きていくだけで大変な上に政府レベルではハニー・トラップから始まって民間レベルでは贈賄と、違法行為なしではまともに仕事も出来ない上に、かと言って違法行為をすれば共産党支配下でいつ逮捕されてもおかしくない。その上に黄砂で汚染され空気を吸うだけで喘息になりそうな環境は、素敵な環境とは言い難いだろう。

 

東京が44位というのは政治の乱れやそれに起因する外資企業への無法な取り締まり、最近の無差別殺人などが影響しているのかもしれない。

 

公共サービスではロンドンの評価が高く6位となっている。ロンドンの都市インフラは、空港、地下鉄、バス、および鉄道などの広範囲に及ぶ公共交通システムを含む、高水準の公共サービスの提供が反映された結果、高順位となっている。ただ生活環境評価では38位だ。家賃の高さ、時々のテロ事件、シティの交通渋滞などが影響しているのか。

 

ロンドンといえば1800年代後半、日本の明治時代でさえもテームズ川に流れる生活汚水の為に夏場はあまりにも臭くなり国会開催が不可能になったり、ソーホーでは井戸水に染み込んだ汚水の為にコレラが発生して多くの死者を出した。

 

歴史的に見ればソーホーという街はロンドンという大都会を支える不浄の地区であったから屠殺場や肉屋などが並びかなり不衛生な場所であったのだろう。今でもロンドンのシティを歩くとソーホーの入り口はまるで城壁の門のようになっておりすぐ隣りの高級住宅街から見れば地域全体が城壁に囲まれたような雰囲気になっている。

 

こうやって見ると現代のオークランドは田舎でありながらもかなりバランス良く成長した都市であると言える。人口140万人だが都市が南北に長く伸びているせいで人口密度は薄い。

 

シティから車で10分も走れば羊や牛が放牧されておりバーベキューを楽しめるコーンウォール公園があり同じくシティから車で15分も走れば海沿いの無料駐車場付きのミッションベイビーチがある。

 

人々は騒々しいシティに住むよりも船で通える離島に住むのを好み(当然だ、残業もなく休みも多く会社にいる時間は人生の3分の1なのだから)、庭がなければ家じゃないと思ってる。

 

そう考えてみれば生活のクオリティ、品質の高さって意味では現在のオークランドはそれなりに良い街なのだろうと思う。

 

2033年地図で読む未来世界」という本をamazonで購入した。3,800円とずいぶん高い専門書だが、これからの未来に起こるであろう様々な減少を分析している。人口爆発、経済成長、資源枯渇、エネルギー、食糧危機、農業、国際紛争、移民、自然災害など様々な要素を通じて2033年の世界がどう変わっていくかを科学的に分析している。

 

とくに2033年、世界の人口が85億人を突破して水と食料とエネルギーが国家や地域の生き残りの要素となる時今からほんの21年後、今10歳の子供が大人になって自分の子供が生まれるような時代になると、まさにどの国家、地域で生活しているかが自分たち家族の運命を決めることになるだろう。

 

「今の生活が良ければ」なんて考えるのは、年金で子供の借金を増やし次世代につけまわしをするだけに過ぎない。自分たちの住む国がどうなっていくのか、自分で責任を持って家族を支えていくしかない。

2033年 地図で読む未来世界
2033年 地図で読む未来世界
 



tom_eastwind at 16:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月08日

携帯は不携帯

「けーたい、持って歩くの面倒なんですよね、だから私は不携帯なんです」との意見もうなずける。日本で仕事をしていると時々「ケータイに電話しているのになぜ出ない?」というバカな質問をする人がいる。他人の気持ちを理解出来ず自分の気持だけを大事にする連中だ。

 

何で僕が君の電話に出なければいけないのか?君はぼくに何かを強制する権利はあるのか?電話に出るかどうかは僕の権利であり、電話に出ない事によって起こるいかなる問題も承知した上で電話に出ないのだから、それ以上ガタガタ言うな。

 

とくにNZの銀行とかは仕事という理由で忙しいこちらのケータイに電話を入れてくる。実に下らん問い合わせである。「海外でクレジットカードを使ったようだが、それはあなたが使ったのですか?毎日違う国にいるなんておかしくないですか?」

 

だからぼくのクレジットカードが盗難に遭って使われていると思ってるらしいが、ぼくの過去のカード利用記録を見れば毎月2週間は海外出張しているのはすぐわかるしそういう事をせずに手抜き仕事をして上司に言われた事だけをやるために毎回電話をかけてくるバカども。

 

自分たちの仕事だけ優先して相手に迷惑がかかるのかなんて考えてもいない。せめてメールであれば後で処理も出来るが、なぜ電話でなければいけないのか実に頭が悪い。だいいちケータイなど他人が代わりに電話に出て「はい、使いましたよ」と言ってしまえば本人確認など出来るわけない。

 

電話の応対義務など存在しない。他人がいきなり自宅の居間に乗り込んで話をするような無礼な行為をなぜ受け入れる必要があるのか?

 

そんな事を思いつつ面白い記事を見つけた。ケータイで最も利用するコミュニケーションツールは?という質問に対して60代以上は「通話」が50%近い。ところが29歳以下で通話を最も利用するってのは18%、たぶん14歳くらいが親との連絡をするのに通話機能を使っているのだろう(笑)。

 

通話機能に関しては年代が上に行けば行くほど増えていく。あなたの通話利用率はどうだろうか?それで年代がわかるかもしれない。

 

ちなみにすべての年代で最もよく使われているのはキャリアメールだ。やはり相手が読みたい時に読めるというのはお互いにとって大きなメリットだ。そう、こっちが仕事をしている時に突然電話してこられて相手にしてたら今までやってた仕事がパーになってしまう。ちなみにぼくの個人的体験だが、ぼくのNZのケータイからシンガポールでも日本でもテキストが送れる。メールと同じ感覚で送れるし、人によってはメールは1日1回しか読まない人もいるしぼくのメールがすぐジャンクメール扱いでゴミ箱に放り込まれてしまう場合もある。その点、急ぎならテキストが早い。

 

相手のことを考えればメールを送るのが実は一番思いやりがあると言える。きちんとした内容でメールを送ってくればこちらも初対面の人でもきちんと返そうと思う。しかし電話では即答を求められるからどうしてもきつい言葉でしか返しようがない。こっちが飯食ってる時に電話が来るとか風呂に入ってる時に電話来るとか、「え?こんな時間に風呂はいってるんですか?」って、なんであんたの生活基準をこっちに当て嵌めるのか?

 

29歳以下でもひとつ面白いのは、LINEを利用する率が20%近いという事だ。LINEは2011年6月から開始されたサービスでありながらすでに3600万人が日本国内で利用しており、統計を見れば29歳以下の人々の利用率が高いのもよく分かる。

 

ここまで書いてふと自分のIphoneSの通話記録を見ると、最終通話が火曜日の17:00、仲間からかかってきた電話で約10分話してた。今日は土曜日なので4日間は全然通話していない。まだ若いってことか(笑)?単純に自分勝手ってことか(笑笑)?ちなみにぼくは会社の電話も使ってないし自宅の電話も入居以来一度も取ったことがない。

 

今の日本で一番勢いのあるのがLINEだが、ほんの数年前まではmixiだったのは皆さん記憶にあるだろうか?今ではmixiはまるで過去の遺物のようである。こうなるとフェイスブックも今は物珍しさに皆さん乗っているが、いずれ人と人とを繋ぐ媒体が劇的に変化していく中でどの媒体がOver The Topになるのか全く読めない状況だ。

 

ぼくとしては急いでどこかの媒体に乗っかる必要もないので当面は様子見である。フェイスブックのメリットは自分の過去に戻れることであり未来ではないから僕向きではない。Mixiは子供のおもちゃ。知り合いの書き込みを読むために数年前にアカウントは作ったが結局一度も使っていない。

 

LINEは日本にいれば役立つかもしれないが日本に住んでないし。他にも韓国からカカオトークとかディーエヌエーのCOMMとかサイバーエージェントのDECOLINKとかいろいろ出てきている。急いで飛び乗る必要もないので岡目八目の立場から時代がものすごい音を立ててゴキ!っと大きく変化する現場でじっくりと見て自分の検証が当たるのか、世界がどう変わるのかを見てみたいと思ってる。

 

いずれにしてもケータイ。20年前には殆ど見かけることがなく、1990年代に香港で使っていたケータイ電話はまさに大型トランシーバーで5kgのダンベルみたいなサイズだった。喧嘩の時には役立つ武器で、香港ヤクザは普段は取り巻きに重いケータイを持たせて喧嘩になるとこいつを持ちだして相手をガンガン殴る。もちろん修理代は相手持ちだ(笑)。

 

2000年に入ってぼくがケータイレンタルビジネスを始めた当時ではモトローラが主流だったが、それがいつの間にかノキアに変わったと思えば、最近はあっという間にスマートフォン。

 

時代の流れは早く、よほど気をつけていないとすぐに時代に追いつけなくなるし、けれど波に乗ったつもりで新しいメディアに飛び乗っても振り回されるだけだし、21世紀が始まってから変化の速度はますます早くなってきた。

 

なぜ自分に他者とのコミュニケーションが必要なのか?そう考えてみると寂しさを紛らわすためならぼくには不要だ。読書を通じてまだ見ぬ過去の人と会話するほうがよほど知的で楽しい。仕事で実用的にコミュニケーションが必要ならおもちゃのようなSNSは全く利用価値なし。

 

仕事であれば言いたいことを理論的にまとめてメールするか面談して話すのが一番だ。面談の場合は後で言った言わんでもめないように必ず第三者にも入ってもらう。

 

通話機能は殆ど使わないけどLINEFACEBOOKも使わない、その真中あたりで様子見をしている現状でした。

 

 



tom_eastwind at 15:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月07日

重国籍

移住下見ツアーが最近増えている。行ったこともない国へいきなり本渡航はさすがにきつい。その場合は日本の連休などを利用してやってくる。視察先としては小学校、不動産、日本食食料品店、スーパーなどが中心だが、起業や投資をお考えの方は地元経営者との面談、地元移民弁護士との面談も組み込んでいる。

 

その中で最近希望が多いのが当社のサポートで既に移住して永住権を取得したご家族訪問だ。やはりいくら様々なメディア経由で情報を仕入れるにしても、実際に移住したご家族から話を聞くのが一番分かりやすい。

 

ニュージーランドの生活の良い点、困った点、教育の実情、こういう部分の生の声を直接聞ける事は大きなポイントだ。

 

ところで最近オークランドで知り合いに続けて聞かれたことがある。「お前さ、日本のパスポート、まだ持ってんの?」これは誰もが興味あるところで、実際に重国籍で生活をしている日本人もたくさんいる。

 

ぼくはすでに日本国籍を離脱してパスポートはオークランド領事館に持ってって返納している。返納と言っても記念品として持っておきたかったので、パスポートに「無効・VOID」の穴を開けて使えなくしてから返してもらった。

 

つまりぼくは重国籍ではないニュージーランド人だ。もちろん生まれは日本なのであえて言えば日系キーウィだろう。なので日本に入出国する時はガイジンの窓口に並ぶことになる。これはこれでそれなりに楽しいものだ。入管職員に文句も言えるし何かあったら「Speak English !!」と言い返せる。入管の日本人の英語程度なら絶対言い負かせるし(苦笑)。

 

日本人のままでいると役人と喧嘩したら全然違うところで仕返しされるが日本人でなければ仕返しされることもない、日本国領土内で問題が起これば渋谷のニュージーランド大使館に駆け込めるし(笑)。

 

すでに日本を離れて25年だし日本に戻るつもりもないので日本国籍を持っててもあまり意味はない。かと言って重国籍は法律には違反しているのでいくら罰則がないとは言え違法行為を行うのは嫌だ、だったら残された選択肢は日本国籍離脱という事になる。

 

カナダに出張してた時期もバンクーバーの日本人の間ではよく重国籍の話が出てた。主にカナダ生まれの日本人の子供(俗称ジャパカナ)は重国籍で、理由を聞くと「罰則ないし、いいじゃん皆そうしているんだもん」という感覚。

 

これはニュージーランドでも同様だろう。親がニュージーランドに移住して永住権を取得して、生まれた子供はニュージーランド国籍が取得できる。

 

多くの場合はキーウィ男性と日本人女性の組み合わせで、この場合お母さんは永住権のままで「いつかは日本へ戻る」つもりがあるから国籍を取得することはしない。しかし子供はあまり抵抗がないから普通に重国籍のままでいる。

 

これもよく聞かれるのが重国籍の場合旅行の時どうやって旅券を使い分けるのかって質問。これは例えばうちの奥さんの場合はオークランド空港を出発する時はNZ旅券を提出する。でもって香港に入国する時は香港IDカード(身分証)で入国する。帰りも同様なので、NZ旅券で出国したけど、何処の国に行ったかは旅券のページのスタンプだけではわからない事になる。

 

世界では重国籍を認めている国がある。例えば英国とニュージーランドの旅券を二つ持っている英国人もいる。てか、ニュージーランドに移住する英国人は年間2万人以上いるので彼らは英国の国籍を捨てる意味もないので持ち続けている。

 

このあたり、日本人は重国籍は違反違反、法律法律と口を尖らせて言うが、別に法律が理論的に正しいわけではなくその国の実情に合わせて作ってるだけの文章であり理論的に正しいってわけじゃない。だから法律をあまり信奉していると教条主義者になっていつかは理論的に矛盾して脳みそ思考停止になりますぜ。

 

これから移住してくる人々は、まずは永住権取得を考えて行動するわけだが、実際に永住権を取得して5年経過すればニュージーランド国籍を申請出来る。申請にかかる審査期間は約半年。審査が終わったら「何月何日にどこそこの会場に来て下さい、そこで今回国籍取得した人たちに国籍取得証明書をお渡しします」という手紙が来る。

 

でもって僕の場合はノースショアに住んでいるので一応スーツ着てブルースメイソンセンターというイベント会場に行ったのだが、集まった人はTシャツにジーンズとかそれなりにラフな格好だし、第一ロビーでは普通にビール売ってるし〜。お祭りかこれは?と思いながら一人浮いた格好のスーツで壇上に上がって証明書を受け取った。

 

そして証明書を持って内務省旅券課に行き旅券申請、大体一週間かからずに呼び出されて係官が面接審査。ひとのよさそうな白人キーウィおじさんがにこっともせずに最初は慎重にいろんな質問をしてくる。英語テストか?と思いながらジョークで返していると、5分もせずにおじさん笑い出して「はは、もういいよ、おまえは立派なキーウィだよ」と言って旅券を渡してくれた。

 

思えばあそこで落とされる人もいるって事だろうな。中国人がニセの写真を貼り付けて国籍申請をする姿が目に浮かぶ(笑)。

 

ここで考えてみる。ぼくはなぜ日本国籍を離脱することが出来たのだろう?なぜ外国に住むことが出来たのだろう。それは日本国憲法で日本国籍保持者は何処に住むかを選ぶ移動の自由があり国籍を離脱する権利が保障されているからだ。

 

なぜこのような権利が認められているのか?それは個人の自由を保障するというおおまかな概念の問題ではなく、もっと現実的な判断からくるものだ。

 

世界中すべての国はそれなりに国内法を持っている。法律がないと秩序が保てないから国=社会の総意をまとめて刑法を作り、個人間の契約で無茶やらないように民法を作っている。

 

そして法律とはすべてが複雑に絡まったスパゲティ状態であり、一つの法律を作るためには関連の法律すべてを訂正する必要がある。つまり法律とはひとつの条文だけで解釈するのではなく一つの体系として理解して順守する必要があるのだ。

 

法律には義務と権利がありそれは1セットなので、権利だけもらって義務は果たしませんってのは認めない。

 

憲法は勤労の義務を国民に課しているが同時に国民生活を守るために生活保護を提供している。だから仕事が出来るのに働かず生活保護をもらうことは、どちらか一つだけを抜き出してみれば薄汚く生きてるけど問題ないように見えるが、権利を得ながら義務を果たさない「法律のつまみ食い」は法体系を守らないという意味では、すでに実態として違法なのだ。

 

だから日本人が日本の法律が納得出来ない気に入らないなら反対意見を述べることは出来るがそれが全て認められるわけではない。その場合に気に食わない法律は守らないけどそれ以外は守りますよってのもダメ。

 

例えば「君が代起立」が教職員に義務付けられていればそれは守る必要がある。起立は反対ですが公務員の地位保障は法律で守られているので当然ですというワガママは許されないのだ。

 

すべての法律を守るかすべてを否定するか、どちらかである。どうしても納得できない法律があるのならば、その社会から出ていけば良いという選択肢を与えることが実は国籍離脱の自由なのだ。「この法律は俺が国民の総意を得て作った、嫌なら出て行け」の理屈なのだ。「嫌なら出ていく」って権利が認めてなければ日本政府が日本国内で居住者に日本の法律を守らせる権利は発生しない。もし出国する権利を認めなければ日本国内で法律と戦う権利も認められなければいけない。

 

だから法律は出国する自由を認めることにより法律を強制する権利を留保しているのだ。言葉を変えれば日本国民は日本から亡命する自由を認められているのだ。政府によってそこまで権利が与えられていながら権利(海外移住)を行使せずに日本国内に留まり法律を守らずに政府に文句を言うというのは権利ばかり要求して義務を果たさない無責任人間なのだ。

 

法律が気に食わないなら数を集めて味方を増やして選挙で仲間を国会に送り込み法律改正を要求すべきだ。そして要求が通らなければ「悪法でも法は法なり」で従うしかない、それが民主主義なのだ。

 

多くの日本人は日本に留まりながら政府に言いたい放題言ってるが、それは政府がまさかそこまで権利を行使しない、つまり逮捕されないと思い込んでいるだけだ。しかし政府は常に逮捕する権利を持っているしあなたが裁判で戦う権利も担保されている。しかし最初の段階で出国の権利を放棄しておきながら法律を破った場合、あなたのほうが圧倒的に立場が弱い。

 

これから日本政府はますます締め付けをしていく。今までのように権利留保などしてくれると思わない方が良い。憲法で保障された出国の自由を今のうちに行使するか、それとも政府の言われる通りに法律に従って生きていくか、選択肢は限られている。



tom_eastwind at 12:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月06日

相続から逃げられない日本人 続き

最近は海外相続に関するお問い合わせが多い。相続税増税の新聞発表や維新の会のさらなる増税主張などで皆さんもそろそろ現実問題として検討されるようになったのだろう。その中でとくに目立つのは地主さんからだ。

 

代々引き継いだ土地とその上に建てたマンションやアパートを資産として持つが、土地は先祖代々のものであり他人に売却などしたら周囲の人々に「まあ、あの方、先祖代々の土地を売るんですって、なんて罰当たり!」と言われ、まるで当主の代で家を潰してしまったみたいに言われる。

 

第一家族や親戚がそんな事認めてくれない。バチ当たりめ!と言われて「押し込み」に遭い座敷牢に放り込まれてしまうかもしれない。

 

しかし現実的に土地をたくさん持っている当主が亡くなれば相続は発生するわけであり、いくら地主と言っても現金をたくさん持っている家は少なく結果的に持っている土地のどれかを売却して納税するしかない。

 

そうなれば結局先祖代々の手放さざるを得ないわけで、ある地主さんは「あそこの建売住宅の土地は昔当家のものだったのよね〜、お父さんが亡くなった時に相続税対策で売ったんだけどね〜」と、のんびりしたことを言っている。実際に豪農の当社が亡くなると相続税を払うために近くの土地を売り、そこに住宅販売会社が一戸建ての建売住宅を作って売りに出るという案件がよくあると聞いた。

 

そんなのんびりした事言ってるとどんなお金持ちでも財産なんて孫の代で全部なくなるよって思うのだが先祖代々の地主さんは村の日常生活のお付き合いだけで結婚や法事など冠婚葬祭でほぼ毎週どこかに出てるとかで忙しい。

 

ただでさえ近所付き合いで忙しいのに、そんな難しい相続の事なんて馴染みの税理士さんと銀行にお願いするしかない。そして税理士さんは税務署にとって最高の支払方法を考えて税務署のお褒めにあずかり他の案件でお目こぼしをしてもらう。銀行はいかに自分の支店、つまり自分の成績になるようにという視点から最高の方法を考える。

 

そして彼らが作ったスキームが名付けて「プロジェクト・三代目で没落よ」である(冗談です)。

 

銀行と税理士に任せて没落するわけにはいかない。そうなると自分の資産を防衛するためにはもっと有効な対策を自分で検討する必要がある。しかし現実的には相続なんて数十年に一度しかないわけで有効な対策なんてなかなか思いつかない。

 

そこで相続対策を専門とする税理士さんを探すことになる。しかしそれでも日本国内で行える合法的な手続きには限界がある。そこで次に出てくるのが海外を利用した合法的な節税スキームの構築となる。

 

国内だけでは限度があっても海外を利用すればスキームは広がる。実際にユニクロの柳井氏も某大手教育産業の社長も海外を利用した相続対策を行なっている。これは税金を払わないという事ではなく税の適用項目を変更する方法だ。

 

一般的には相続税の場合は最高50%が適用されるがこれを売却という形にすれば売却益に対する課税(一般的に20%前後)になる。当然だが取得原価が高ければ売却益は低くなる。

 

先祖代々の土地を例に取れば、自分名義になっている土地や建物をニュージーランドに設立した会社に売却してしまう。売却時に利益が出ればきちんと納税する。少なくとも相続税を払うより安い(但しこの際は非常に技術的な手続きが必要)。売却後、自分が土地建物をニュージーランドの会社から管理を引き受ける。

 

こうすれば外見は今までと何も変わらずに土地建物が自分の所有物に見えるので周囲から後ろ指をさされることもないし法的に所有者はNZの会社なので自分が死んだ時の相続税の対象にならない。売却時点で納税は終了しているので納税の心配も不要である。

 

だからある程度の資産があり相続に関して危機感がある人は海外に会社を設立して自分の資産を海外会社に売却して日本で納税して次代へ引き継ぐという事になる。

 

ぼくの経験で言えば開始から終了までに、一つ一つの取引や会社設立や契約書の作成などで手続きを始めてから半年程度かかる。

 

事務処理は英語と日本語を両方使い関係各国の法律上の問題をすべて事前に洗い出してクリアーにして一点の瑕疵もないように書類を作ることになるので非常に面倒であるし関係各国の関連する法律を事前にすべて理解してなければ何かの法律にぶつかった時点でほぼ失敗する。

 

なので現場の実務を知らなければどこに地雷があるか探すのは不可能、地雷を踏んでしまったらそれで終わりであり、紙の上でどれだけ完璧に見えても実際の作業を開始すると様々な壁にぶつかるので現実的には実務を知る司令塔がいなければほぼ地雷を踏んでOUT,となる。

 

更にこの作業は関係各国の弁護士、税理士、税務当局、関連企業、関連当局すべてをこちらが司令塔としてコントロールしながら全体図を工程表通りに進めていかねばならないのでそれぞれの進め方の時間管理が必要である。日本で住宅を建設する時の現場監督のようなものだ。

 

これもすべての国で労働に対する考え方の違いから休日の違いまで含めて管理しないと仕事はどんどん遅れてしまう。日本人は自分のビジネス感覚で予定を考えるが現場ではそれでは回らない。どこで「余裕」を持たせておくかも大事なポイント。だからなんだかんだで半年くらいかかるわけだ。

 

当社の相続スキームは元々海外に5年以上親子で居住という事を前提にして作っていたが、去年あたりからのお問い合せで「移住は出来ないけど相続対策はしておきたい」というご希望を頂いて上記のようなスキームを作った。ちなみにこのスキームは当社独自のノウハウ(当然ですがブラックボックス入り)で作られてすでに実行しているので検証済である。

 

なので海外を利用した節税スキームはいろいろとあるが当社が提供している海外相続スキームは相続に特化したものであり、スキームの詳細については関係諸国の弁護士や税理士経由で税務当局に予め照会を入れて法的な問題がないかを常にチェックしている。

 

そしてここが一番大事な点だが、相続に関する法務的な面は最初からすべてオープンにして税務当局に確認を取り法令遵守をした上で行う必要がある。こちらの都合の良い理屈を並べるのではなく税務署の理屈でスキームを組み立てるので後で否認される可能性は低い。

 

もし問題にされればこちらの法的根拠、税務当局の見解のコピー、税理士や弁護士のリーガルオピニオンを用意して主張することになるが実はそれでも何が起こるか分からないので二の手三の手を用意しておくことで最終的にこちらの主張を通すことが出来るようにはしている。

 

しかし現実的にパスポートを取ったこともない人が海外なんて怖くて怖くて利用出来るわけもない。どんな罠が潜んでいるかわからない。まさに闇夜の地雷原を歩くようなもので、そんな恐い思いをするくらいなら日本で納税をしたほうがいいよって事になる。

 

だけど中には海外生活を経験した地主さんもいるだろうし駐在経験もあって英語が話せたりする人もいる。そのような人には提案が出来るが、自分が読んでスキームを理解出来ない場合は正直止めた方が良い。

 

それにしても本来は日本で稼いだお金であるから日本で子供に渡して子供が日本の為にお金を遣ってくれればいいだけの事なのだが、政府はよほど一般国民を信用していないのだろう、お金の遣い方までいちいち指示して「だーから、お前じゃなくて俺が遣ってやるよ、おれの方が東大卒で頭いいんだから!」と言って自分の懐に入れるような真似をするから国民も節税を考えるのだ。

 

上に政策あれば下に対策ありだが、本来なら下が対策考えずに安心して納税したくなるような国家を作るのが本筋ではないかと思うが、そうでない現実があるから対策を考える必要があるのだ。



tom_eastwind at 11:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月05日

相続税から逃げられない日本人−

カナダ在住の日本人がブロゴスで「相続税から逃げられない日本人」というテーマで投稿している。

http://blogos.com/article/51692/

 

内容はごくありがちで相続税を増税すると起業家が海外に脱出するぞ→だから日本政府は増税はしない方が良いぞって趣旨。面白いのはこの意見に対するコメント欄で「ふざけんな金持ち野郎、金払え!」的な批判が8割以上あることだ。そうだろう、相続税の対象となる人々は現在4%程度であり80%以上の人にとっては自分に関係ない税金だから言いたいこと言ってる。

 

けれど払う立場の人からすればすでに毎年50%の所得税も払ってて更に50%の相続税なんて二重課税じゃないか、これで法治国家ですか!という主張がある。

 

ぼくは相続税のない国に住んでいるが、日本とニュージーランドを比較して考えるとわかるが、大事な点は相続税だけでなく全体として国民一人あたりいくらの税金負担になっているかではないかと思ってる。だから相続税を単体で切り出して議論してもあまり意味はない。

 

ニュージーランドの消費税は15%だが内税なので税金として認識することはあまりない。酒を飲む時に「このうち何%が税金か?」なんて考えないのと同様だし、野菜だって季節によって値段は大幅に変わるから内税にしてしまえばいちいち消費税など認識することはない。

 

これ以外の税金は働いた時に払う源泉徴収のみで平均15%。累進課税で7万1ドル以上の収入に対しては33%だが、それ以外の日本で言うなら市民税とか厚生年金とか失業保険とかが何もない。なので国民が払う税金は消費税と源泉徴収のみ。両方あわせて平均的に30%が払われている計算だ。

 

それに対して受け取れる再配分は無料出産、無料教育、無料医療(正確には完全無料ではない)、65歳まで貰える失業手当、65歳からもらえる老齢年金(掛金不要で平均賃金の65%支給)などがある。国家の支出の74%(社会保障31%医療20%教育17%治安秩序5%)が直接国民に再配分されているので税に対する不公平感はない。相続税がないのも個人の努力を促す国策からすれば当然だと思われている。

 

だから日本で相続税を考えるときも国民一人がいくら払っていくら戻ってきてるかを議論すべきだ。「何の努力もせずに財産を受取るのが不平等だ」から相続税を払って子どもたちの「スタートラインを平等に」なんて言うなら本人が何の努力もせずに美人に生まれたら美人税払えってのと同じ理屈になる(笑)。個別の案件をいちいち取り出して言い出したらきりがない。

 

春闘が盛んで毎年賃上げをしてた時期の労働組合の全国大会での話だ。当時は全国一律給与だったので北海道でも東京でも沖縄でも給与は同額であった。そこで北海道選出の労組役員が「北海道は寒い。薪を買ったり雪かきで余分な費用がかかる。だから北海道では冬場に薪手当を支給して欲しい」と主張した。

 

すると沖縄選出の労組役員は「沖縄は暑い。クーラー手当が欲しい」と言い出した。すると次に九州の役員が「九州は文化が遅れている。東京のように演劇や文化に触れる機会がない。だから賠償として地方手当を払うべきだ」と言い出した(笑、けど事実)。最後に東京の役員が「東京は物価が高い。家賃補助を出して欲しい」と言い出した。

 

結論は?こうやって遠目で見ると分かるが、お互いに自分の事ばかり主張してても話はまとまらない、個別の事情を言い出したらきりがないって事だ。結果的に全国一律賃金、地域手当は出さないって事になった。地域の事情を言うのなら引越しすれって意見もあった。

 

生まれつきの美人、生まれつきの金持ち、生まれつきのスポーツ才能などは「プラスの相続だから税金を払え」ならじゃあ生まれつきの肢体不自由、生まれつきの精神障害、生まれつきの心臓病は「スタートラインを平等にするために」全員が健康な体になるまで国費で全て賄えという理屈も成り立つ。

 

そこで医療の国費負担とか障害者手当とかが存在するのだが、そう考えてみると日本の税法はそれなりにプラスの人間に課税してマイナスの人間に補助を出す仕組みであり皆を平等にするように作られている。

 

その「国民全員を平等に」というのであれば相続税が導入されるのもアリだろう。美人税が導入されるかどうかは不明だが、払いたい女性はたくさんいるだろう(笑)。

 

ちょっと話は一般国民の相続税からそれるが現在の税制では平等の名のもとに支配層だけは特別扱いをされていることが実は一番の問題である。国民から集めた金のうち中抜される部分が多すぎるし再配分が少ないと国民が感じているから苦情が出る。

 

西武の堤康次郎が税務署長の手助けを得て派手に相続税を脱税したのが暴露されたのは最近だ。役人が脱税指南をする国家ってそりゃなんだ?

 

だいいち自民党には二世議員が四人に一人くらいいるそうだが、なぜあれだけの地盤看板カバンを親や親戚から引き継ぎながら相続税を払わなくて良いのか?地盤看板カバンは評価額が計算出来ないなんて言うが、それならその地区で選挙に出る時にかかる費用を計算根拠にすれば良い。国政であれば数億円単位の費用がかかるから選挙参加回数x数億円=と計算すれば相続財産が計算できる。それをしないのは役人と政治家の持ちつ持たれつではないか。

 

そう考えていけば国民が本来文句を言う相手は現在相続税を全く払ってない二世議員が先だろう。また支配層の脱税こそ真っ先に取り組むべき問題である。なのに相続税に国民の目をいかせて支配層が目立たないようにしているのが現実である。騙されていることにまず気付こう。

 

話は戻るがもう一度相続税を考えてみると、国民皆平等の共産国家思想である日本では全員が同じラインから再スタートという「制度」としては共産主義国家を認めるなら理解出来るが、最初に書いたように毎年所得税だけで50%払っててそれ以外にも各種税金を負担して人生の最期に更に相続税を50%払うとなれば、それに見合う何かを受け取っているかという事だ。

 

例えば勲章授与とか(要らんだろうが)、「あんたはえらい!」と総理大臣賞状もらうとか(これも要らんだろう)、何かがなければ働く意欲もなくなるのが当然だ。たぶん一番現実的なのは、納税額に応じて投票権を増加出来る仕組みだ。1年に1千万円納税した人は選挙権が10票あるとか累進投票権制度を作れば良い。そうすれば税金は払うけどその分政府に対して要求出来るわけだ。

 

同時に10万円以下しか納税をしなかった人には一切の選挙権を持たせない。さらに全く納税していない人は週末の公共掃除など強制労働をしてもらうとか。もちろん肉体的に無理な人は免除される。

 

こうすることで他人の金を使うばかりなのに文句を言って選挙に参加するような人は排除出来るからお金を払ってこの国を支えている人たちが法律を作ることが出来る。これなら納得感はある。日本でも明治維新初期は納税者にのみ選挙権があった時代がある。

 

他には高額納税者は納税の際にいくつかの選択肢を持つことが出来るとか、又は子供に残す資産くらいは課税してくれるなって考えも有り得る。子供のために残したいからこそ労働意欲が湧き納税もするようになる、金の卵を産む鶏を共産理論で絞め殺すなってことだ。

 

こんな風に考えていけば、やはり一番感じるのが一般国民が日頃どれだけ税金や政府の仕組みや世の中の仕組みについて考えていないかである。日頃は何も考えずにだらだらと働くふりをして他人を叩く機会があれば何も考えずに憂さ晴らし的に少数派を叩きまくる、それも匿名で。

 

共産主義国家は嫌いだし弱いもの叩きをする国民とは同じ国で生活したくない、そう考える人は英語が大変でもいきなり感情論だけで何やらかすか分からない切れる連中と付き合うよりはましだと海外脱出する可能性がある。

 

当社ではたくさんの移住者がすでに現地で共同生活を始めているが、彼らの大きな特徴は「皆の価値観が近い」という点だ。教育、自己責任、勤労精神、自由、そういう概念が皆さんが近いからひとつの組織として活動することが出来る。

 

彼らは自分たちの住む街では希少人種であり迂闊に発言は出来なかったが、実は同じように生きづらい気持ちでいる人が他の街にもいた。それが移住をきっかけにオークランドに住むようになりお互いに「ああ、やっとまともに話が出来る人と知り合えた」と喜べるのだ。

 

相続税増税は方向性として決まっている。あとはいつその法律が施行されるかだ。長くなったので明日に続きます。



tom_eastwind at 13:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月04日

オークランド就職情報 〜雑感〜

一昨日の記事で最低賃金の話を書いたが、付け加えておくと今のオークランドではまさに大学を出た日本人と中国人とインド人が職を競い合っているが、日本人が就職戦線で勝つ場合は少ない。OverQualify(優秀すぎる)という断り文句が常套手段として使われるが要するに当社には不要ですと言われているのだ。

 

この国では白人キーウィを除く皆が就職戦線では平等だ。履歴書に肌の色や国籍や年齢を書く欄はない。日本人だからと言って人種的に優位に立てない。だから肌の色ではなく能力で比較される。

 

銀行で働く人はキーウィか中国人かインド人が中心で日本人は殆どいない。思考能力(どう売れば買ってくれるかな?)、論理構成(相手が納得するにはどういう順番で話せばいいかな)、発言力(どんな単語をどんな声音で言えばいいかな)、読解力(お客が言ってる事といいたい事の違いを聞き分ける)、解決方法探索能力(どうやったらお客が納得してくれるか満足してくれるか)、すべての分野において、悪いが殆どの場合日本人は負けている。

 

日本人が学校で学ぶのは試験に合格するための技術であり社会で自分が生き残るための技術ではない。社会にでて「あ、それ習ってません、知りません。だってまだ習ってないし」は通用しないし、答は一つではないという事が理解出来ないからスタートダッシュで出遅れている。

 

いくら「キーウィより勝ってます!」と言ってもオークランドは日本人にとってアウェイである。キーウィにとってはホームだ。普通の経営者ならキーウィの能力が少しくらい劣っててもホームの人間を採用する。

 

IT分野でも選ばれる多くはインド人でありその次が中国人だ。ぼくは毎日シティ手前のファンショー通りにあるボーダフォンの前を通るが書類抱えてラフな格好で大通りを信号無視して渡るのはインド人が中心だ。

 

日本人はIT分野でも少数派だ。ただ最近の傾向としては日本でIT業界を長く経験して35歳前で(この意味が分かる人は業界知ってる人)オークランドのIT専門学校に入学して地元で必要とされる知識と仕事の進め方を身に付けてた場合は強い。インド人の場合は下流分野は強いが上流だとまだ日本人の方が優秀だ。個人の実力でインド人を押しのけてIT仕事を勝ち取る強者が増えているのはうれしい分野だ。

 

不動産売買市場は移住して自分の気に入った仕事が見つからなかった移住者が最初に就く仕事だ。とくにやる気のある、腕次第でいくらでも稼げる仕事は中国人に好まれるから不動産業を始める中国人は多い。彼らの言葉で自国の人間にクズを売りつける事を「売豚(まいちー)」というが、そんな事お構いなしにブロークンイングリッシュでキーウィと交渉してニュージーランドに来たばかりの中国人相手にもガンガン売りまくっている。だからクレームも後を絶たない(苦笑)。

 

日本人の場合も同じ状況で、移住したばかりの街でなかなか就職も見つからず自分が住む家を探した苦労がそのままビジネスになると思って不動産会社の完全歩合制セールスマンになるのが一般的なパターンだ。彼らはいろんな肩書きを言うが突き詰めれば仕事が取れなければ収入ゼロの歩合制なのでとにかく売ることに執着する。

 

不動産購入を希望する日本人は日本並のサービスと品質と長期の取引を希望する。ところが現実的にニュージーランドで販売されている不動産は日本と比べて品質が悪い。家を売るというのは長い付き合いになるのだ、だから最初から正直に「ニュージーランドの品質はこうです」いえば良いのだがそれを言うと客は逃げると恐れてる。

 

だから問題点は適当に誤魔化して「これは素晴らしい!私もめったにこんな物件を見ませんよ!」と客を踊らせておいて「なんでもやります、あれも直しときます、ここも修理しときます」と言って売りぬけ、いざ契約書にサインしたら後は「え?そんな事言ってませんよ〜、契約書に書いてますか〜?」と、知らぬ存ぜぬの一点張りである(その結果として当社はオークランドの駆け込み寺になっている)。

 

この結果としてニュージーランドで最も嫌われる職種に不動産業界が挙げられるようになり海外不動産に興味を持ったお客でも「ニュージーランドはこの前騙されたからもういいや」って事になる。

 

結局日本人が一番就職しやすいのは人種的に一番得意とする日本食レストランのホールやキッチンスタッフだ。印度カレーを東洋人が作ってたらキーウィとしては見かけ「それ、どうなん?」という事になり、日本食であればやはりフロントに立つのは日本人の方が受けが良い。

 

そこで日本食レストラン市場では日本人が強いのだが、これとてオーナーは韓国人や中国人だったりする。そのような日本食レストランでは多くの日本人が安月給(アンダー、つまり最低賃金以下)で中韓経営者にフロアでこき使われるという現状がある。

 

ある程度英語が出来てちゃんとしたキーウィオーナーのカフェであれば働きやすく英語の勉強にもなり西洋社会で働く要領も学ぶことが出来る。

 

なので最近目立つのは料理学校やホスピタリティ学校に2年程度通って現地事情を理解しながら日本人が得意とするホスピタリティを生かして就職する若者だ。これは将来性がある。日本人は日本という風土の中で自然とホスピタリティを肌で理解しているからきちんとキーウィロジックで学び直せば素晴らしいサービスを提供出来る。なのでここも期待出来る分野だ。

 

接客能力が高くオークランドの専門学校を2年くらいかけて卒業する我慢が出来る日本人なら、組織への忠誠心や溶け込みやすい性格が地元キーウィ社長に気に入られて採用されることもある。この場合は日本人とキーウィのお互いの相性が良いので雇用も長続きする。そうでなければ、つまり採用時に採用担当者員がインド人だったりして落とされるケースもある。

 

韓国人の場合は先に来た韓国人が独立して小さな店舗を経営したりして、若者でも韓国人であるというメリットを生かして採用されることもある。縁故採用ですな。ただしこの仕事は給料が安く仕事を通じて学べるものが殆どないために将来的にキャリアを積むという事が出来ない。

 

なので韓国人の若者も、若くして起業するか大学に入りなおして専門知識を身に付けねば今のオークランドのような小さな社会で上に登っていくことは出来ない。韓国人の若者にとっては日本人以上に狭き門である。

 

最近中韓市場で目立つ仕事の需要ギャップは会計士と弁護士だ。中韓の学生からすれば社会で相当に上級レベルの仕事であり大学でも一生懸命勉強して何とか卒業資格を得るのだが、いざ就職活動の蓋を開けてみるとそこはすでに満席状態。

 

確かに弁護士会計士は良い仕事であるが、この仕事には体力的な引退も無ければ年齢的な引退もない。つまり先に上に行った人が既存顧客を抱えてしまい、下の、後から来た若者には仕事がないのだ。これはキーウィ市場の小ささから来る構造的問題だけにここ数年は解決しないだろう。

 

てか、このあたり法律がうまく出来てて、士業の一番美味しいところは地元キーウィの手元に残る様なしくみになっている。だからアジア系は周辺の仕事を開拓するかアジアに居住する顧客の仕事を取りに行くしかない。

 

大学で難しい法律は学んだけど未知の顧客を取りに行く方法を知らない若者からすれば、一生懸命大学で学んで大学の門を出た瞬間に叩き落されたようなものだ。

 

その意味では今人材難なのは看護婦、薬剤師、医師である。ただこれは日本人にとって英語のハードルが高いので現実的には難しい。それよりは手先を使い段取りを考える大工、つまり建設関係の仕事はありではないかと思う。

 

オークランドの人口は現在140万人であるが近い将来に200万人まで増加する。そうなると商業物件も居住物件も新規発注が見込める。きつい仕事ではあるが収入は悪くないし高学歴も要求されない。英語もFワードを連発していれば大体通じる(笑)。

 

つらつらとオークランドの若者の就職事情をぼくなりの視点で書いてみた。統計数字を調査した結果ではなくぼくなりの肌感覚なのでかなり乱暴ではあるが、ぼくは毎日現場で仕事をしているのであまり外してもいないと思う。

 

NZの民間市場は投資家、起業家、社員の3種類がいろんな形で組み合わさりながら構成されており、あなたがニュージーランドに移住する時、どこが自分にとって一番得意なのかをよく考えた方がいい。

 

僕が見る限り優秀な日本人なら今までサラリーマンの経験しかなかった人でもむしろ起業した方が正解な人が多い。言葉は悪いがNZで起業をするのは日本で優秀なサラリーマンをするのとほぼ同意義である。日本で優秀なサラリーマンが自分のチームを統率して顧客に解決策を提案するのがNZにおいては起業なのである。

 

解決能力低しと思うなら基本的にブルーカラー、手に職系だ。NZでは手に職系が尊敬される。オークランドで日頃紙切れ(契約書)をあーだこーだと言ってる色白(労働焼けしてない?)のビジネスマンがクイーンズタウンにスキーに行くと、大体タクシーの運転手が口を聞いてくれない。「こいつら、外に出て手に汗して働かねえ奴らだ」と思われるのだ。だから遠慮なしにブルーカラーを選べば良い。

 

投資家?そりゃまあ、お金があれば投資家になるにこした事はない。平日の昼日中からカフェでラテ飲んでるおじさんたちはだいたい投資家である。彼らに「何で働かないの?」って聞くと「ああ、金に働かせてるんだよ」と答が返ってくる。

 

どの道を選ぶかはその人の自由である。ただ、日本人は個人的な戦闘能力は世界の中で低いと思った方が良い。自分の得意分野をしっかりと見定めてそこで成功に向かって挑戦すべきだろう。

 

夢を追い過ぎても失敗する、現実ばかり考えても楽しくない、日本ならその真中辺に落とし所があるのだろうが、移住した国NZではそれはない。最初に現実を理解して楽しくなくても最低5年程度は生活基盤を作る、そしてそれまでに作った余裕資金で将来の夢を追う。それくらいの慎重な気持ちで第一歩を踏み出していくのが成功への王道だ。

 

自分にとってどのような道が良いのか?これは正直自分で判断するのは難しい。オークランドという街は日本の大都会とは全く違うし社会構造も違うから、自分の見えなかった部分が役に立ったりするし、いけると思ったど真ん中のストライクが実はビーンボールだったりする。興味のある方は当社の無料診断を利用してみれば良いと思う。そうすれば結構「目からウロコ」になることもある。自分の知らなかった自分の違う面を見ながら来年の自分を想像してみるのも楽しいものだと思う。



tom_eastwind at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月03日

2013年に生まれたい国

イギリスの経済紙・エコノミストが21日発売した年末特集企画本『2013年の世界』では、「2013年に生まれた子供が幸せな国ランキング」が掲載されている。

 

この調査では、裕福さが最も重要な条件になっているが、他にも犯罪率、社会信頼度、家族関係、文化、人口、地域、気候・環境、政治といった項目を評価に反映し、2013年に生まれた子供が18歳になる2030年の状況を予測した。

 

1位となったスイスを筆頭に、上位10国の殆どはヨーロッパ諸国だが、ユーロ圏の国はオランダが唯一で、北欧諸国やオーストラリア(2位)など経済規模の小さい国が名を連ねている。

 

一方、1988年に行われた調査では上位10国を占めていた経済規模の大きい国を見ると、アメリカがドイツと同スコアで16位。日本は25位、フランスは26位、イギリスは27位。その他にも、経済成長中のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)は好景気にもかかわらず、30位外という評価となった。

http://news.livedoor.com/article/detail/7189108/

 

ニュージーランドは7位になっている。やはり裕福度がオーストラリアに比べて低い。世界で売れる地下資源がないし人口は400万人、それに周囲から隔絶された南太平洋の小島だから経済圏がおもいっきりちっちゃい。

 

それでもマインドリッチが実現出来る国としてこの地位になったのなら納得できる結果だ。日本がマネーリッチであった時代は昨日のブログにも書いたが、これから確実に終わる。要するに金がなく人々の心まで貧しくなった国よりは、最初から金はないけどマインドリッチの国に生まれた方が子供にとっては良いって事だろう。

 

日本国内では格差が発生するがそれは日本国内だけの上下格差ではなく世界で通用しない人々が世界の都会の吹き溜まりに同時に残るような下流になっていく。太陽の照らす場所は世界のどこにもあるが同時に太陽の照らさないくらい吹き溜まりが先進国とか国家規模とは関係なく発生してくるだろう。

 

それはニューヨークにも東京にもロンドンにも同様に発生するが、今までと一番違う特徴はそれが世界共通の現象になるという事だ。今までは先進国に生まれればそれだけである程度の生活が出来たが今後は後進地域である中国の山の中で生まれようと東京の山手線の内側で生まれようと、格差は同じように襲ってきて個人の生活を直撃していくって事だ。

 

それなら、どうせ住むなら人々が優しくて助け合いの文化が残っている地域の方が良い。しかし日本国内でそのような余裕が許される地域がどれだけ残るだろうか?地方は疲弊して他人、ましてや他所の街から来た人を救う余裕など無い。

 

とくにこれから生まれてくる子どもたちの為には、どれだけしっかりとした教育を子供に与えられるかが格差の決定的な部分を作り上げるだろう。世の中はお金だけではない、けどお金がないと生きていけない、子供に渡しても騙されて人に盗られる現金よりも人に盗まれることのない知識をみにつけさせる、格差の時代を生き残るための技術を、あなた方両親は子供に与えられるだろうか?

 

ぼくが常々考えているのは、大体において親がバカなら子供はバカになるっていう事だ。「とんびが鷹を生む」ってのは視点を変えればそういう事はめったに起こらないって意味だ。寺が檀家にってのと同じである。

 

だから子供を賢く育てたいならまずは親が学ぶべきだ。今更勉強なんて嫌だよできねえよって言うのは子供に対する無責任ではないかと思う。

 

日本で出生率が下がっている。ニュージーランドの特殊出生率は約2.1人、東京都の2倍以上である。それは子供を生みやすい環境があるからだ。それに対して今の日本で子供を産んで、本当に幸せに育てる自信があるだろうか?

 

自分一人ではどうしようもない環境で子供を産んでも、旦那は役立たずだし自分一人で子供を育てる自信がないとなれば、そりゃもう産めないですよね。

 

2013年に生まれたい国家が、まさにその事実を示している。西郷隆盛の「子孫のために美田を残さず」とは、子供のためには財産を残すのではなく教育を与えろという意味だとぼくは考えている。

 

昨日の最低賃金のところで少し触れたが、最低賃金廃止に反対する人々は天に向かって唾を吐き、その唾が自分の顔にべったりと落ちてくる事に気づかない程度の教育レベルである。少し理屈を考えれば分かることなのに考えようとせず思考停止に陥っているだけだ。

 

砂に頭を突っ込んでも問題は解決しない。子供の事を考えるならまず親が自分をもう一度磨くしかなかない。そうでなくて単純に親になりたいとか遊んだ結果できちゃったでは、子供が可哀想だ。

 

確かに日本にバカ親が急増しているのも事実である。20世紀であればそのような彼らも社会が守る余裕があった。しかし21世紀の日本にはそのような落ちこぼれを守る余裕は、もうない。

 

来年からは本当に正念場になる。自分を守るのは自分だけ、自分を救うのは自分がどれだけ自分を磨くかによる、それしかなくなる。前に進んで戦うか、子供と共に都会の吹き溜まりに吹きこまれて一生社会の下流で生き続けるか?決めるのはあなた自身だ。

 



tom_eastwind at 07:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月02日

最低賃金廃止について

維新の会が主張する最低賃金廃止への反対論があっちこっちから噴き出している。代表的なのが内田樹氏の主張だ。

http://blogos.com/article/51462/

彼の主張は最低賃金を下げたら日本全体の賃金がどんどん下がって地域経済は崩壊するという理屈である。

 

彼の文章を読むといつも違和感を感じる。まるで村上春樹を聴かされているようで、なんだか社会を斜めから見て一人孤高に立ってます、あたしゃ何でも知ってる片隅のいぶし銀だよみたいな雰囲気を漂わせながら結局生産性のない話でしかなく社会の当事者としての責任感が見えないから好きになれないのだろうと思う。

 

しかし好悪は別として彼が「日本の賃金が中国並になっていいのか?」と質問しているが、このブログで以前から何度も指摘していることだが、世界はネット社会になって中国は日本に近づき日本は中国に近づき、賃金も含めすべてのものが平準化していってる現実に気づくべきだ。

 

ぼくは最低賃金廃止案には賛成であるというと不思議に思う人もいるだろう。けれどそれは日経連や経営者の為ではなく肝心の労働者の雇用を守るためだからだ。

 

まず今の世界の中で日本人は能力の割に給料を貰い過ぎている事に気付こう。

 

世界が平準化する中で低賃金国家の中国は一気に賃金が上昇して内田氏の指摘するようにインドネシアもいずれ上昇する。そうして日本の賃金は少しづつ下がっていき最終的に世界の賃金は平準化していくのだ。つまりそれは日本で能力の低い学生は賃金が下がっていくという事だ。そうでなければ誰も同じ商品を高く買うことはないから賃金の高い日本から雇用そのものが失われていく時代になったのだ。

 

ネットのなかった時代、国境が明確にあって移動が大変で他国で工場を作ることが難しかった時代には日本発の商品がよく売れて給料は上がり続けた。しかしネットが発達して経理総務などの後方業務をインドや中国に移管するようになり国境の壁が低くなり他国で工場を作ることが簡単になると企業は次々と海外に移転する。

 

なぜなら世界の何処で仕事をやっても影響はなく他国で安い賃金で雇用が出来るのになぜ高い日本人を使う必要があるのだ?そんな低賃金じゃやらないよと言えば本当に仕事はない。

 

1980年代であればアジアの金融の中心地は東京だったが今ではシンガポールに完全に奪われている。それはバブルが弾けたとかだけじゃなくシンガポール人の方が英語が出来て西洋式業務が出来てなおかつ中国語も出来て、それでいて給料は日本人ほど高くないやる気のある優秀な社員だからだ。

 

内田氏に賛成する日本の大卒の人々は自分たちの能力が中国の精華大学や復旦大学卒業の中国人学生やインドの一流大学を出た若者と比べて優秀だと本気で思っているのだろうか?

 

仕事が中国やインドに流れる、何故なら彼らのほうが優秀だからだ、それほどに日本人の個人的労働能力は下がっているのだ。なぜ自分たちが国際化に晒されて世界中の若者が平準化されて比較されていることに気付こうとしないのか?

 

能力が下がっているのに賃金が守られているから仕事は次々と外国に向かう。その結果として国内に雇用がなくなる。失業者は増加して街は死に絶える、それを防ぐには最低賃金制度を廃止するしかないのだ。

 

そんなんじゃ給料下がるじゃねーかと叫ぶ若者に聞きたい、そんなら中国の若者に勝つだけの能力があるのかって。

 

今の日本が考えるべきはいかに国内で雇用を生み出すかである。その為にまずは法律改正して最低賃金制度を廃止して、能力に応じた賃金制度にする。それでも同世代の世界の若者と比較して優秀なら高い賃金が貰えるし更に個人競争力があればもっと高い賃金が貰えるのだ。

 

じゃあ賃金が下がったら街が崩壊する?するわけがない。現実に中国やインドは安い賃金の地域でもそれなりに生活をしている。賃金が下がればそれに合わせて自然と家賃は下がるし食費も下がる、そして質を下げずに生活コストを下げる方法を思いつくものだ。

 

今の日本では住居費が高い。何故なら一人暮らしをするからだ。ニュージーランドのフラット共同生活なら入退去も簡単だし引越しにかかる莫大な手数料も不要だ。デパートやスーパーの惣菜も一人向けの小型サイズが売れるわけで食べ残しの無駄がなくなる。

 

日本では非常に厳しい賞味期限規制をしてまだ十分食えるのに捨てるしかないような基準だ。日本で作った出前一丁がなぜ海外では高いか?それは仕入れコストだけでなく賞味期限が短いから売れる期間が短く一個あたりの利益率を高めないと商売にならないからだ。

 

ところが同じ出前一丁でも日本製が一袋5ドルなのに対し香港製の出前一丁は一袋1ドルである。面白いことに内蔵されているスープは日本製である。それでもこの値段差が出るのは、もちろん中国市場が大量消費という要素もあるが賞味期限が日本の3倍以上あるという部分も大きいからだ。

 

今までの日本の常識で物価が設定されていたが世界の現実を見ながら組み替えていけばまだ安くなる。それが良いかどうかではなく、物価も世界並みに下げなければ下がっていく給料に対応出来ないから自然と下がっていくようになる。その時に日本の過去の常識が少しづつ変化していく。

 

何でも新しいもの信仰が、例えばまだ十分使える中古住宅が売れるようになる。車はしっかり20年乗るようになる。服は、自分で作るようになる。賃金に応じて社会は変化していくのだから社会は決して崩壊しない。だって戦後の焼け野原の東京からぼくらは生活を再構築して世界最高の水準に持っていったのだ。水準を上げることが出来たのだから、今度はゆっくり下げていけば良い。

 

今の日本の賃金に残された道は二つ。世界中の同世代の若本と比較しても絶対優位に立てる能力を持つ国際的に優秀な学生を生み出すか、日本社会を世界平準化の中で低賃金対応社会に作り変えるかだ。内田氏の勤務する大学の学生が余程優秀であることを祈る。

 

いずれにしても、どちらも選ばず現実を無視して砂の中に頭を突っ込み「社会が崩壊してもいいのか!最低賃金を守れ!」と叫ぶのは現在高賃金で雇用されている無責任で当事者意識のない今の大人達の自己擁護にしか過ぎない。 



tom_eastwind at 11:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2012年12月01日

スナイパーバレー

土曜日の午後は久しぶりにゆっくりと自宅で映画を観る。平日は家族がいて観ることが出来ないような映画は、りょうまくんを子どもたちの遊び場に送って奥さんと娘が買い物にいってる間に観るしかない。

 

何せテーマは暗くて、1990年代のユーゴ紛争をテーマにしたコソボだとか1970年代のソビエトのアフガン侵攻とか、まだ彼らには理解しづらいつい最近の歴史だから、彼らから見れば単に「気持ち悪い」映画でしかない。

 

こういう分野の映画はニュージーランドで入手することが難しい。政治的テーマが強いので映画館もやらないしビデオショップでも置いていない。仕方ないので日本のamazonで買って東京に出張した時にまとめてホテルに送ってもらいオークランドに手荷物で持って帰って自宅でゆっくり観るしかない。

 

「スナイパーバレー」の舞台は1999年のコソボ。セルビア人兵士によってアルバニア人の父親を処刑され母親は地雷で吹き飛ばされた12歳の子供が銃を持ち、セルビア人女性看護婦ミリアナを狙撃しようとする。

 

銃弾は彼女の肩を撃ち抜き、さらに彼女を助けようとした国連平和維持軍から派遣されたドイツ軍兵士も撃たれる。彼ら二人を救おうとした仲間の兵士は命がけで狙撃者を追跡してその背中に軍用銃を向ける。振り向いた少年はまだたった12歳のあどけない子供だった。

 

次第にコソボ戦争の実態が明らかになっていく。一体誰が誰を殺したのか?それはなぜ?

「もう何を信じたらいいかわからない!」

ミリアナの悲痛な叫び。父親に裏切られて許せない気持ちの彼女は自分を狙撃した子供に会いに行くが、その子の父親が自分の父親の命令で殺されたことを知った彼女は、子供の家から持ちだした子供の人形を置いていくしかなかった。

 

ある晩、留置場の中で12歳の子供は自分が殺そうとした娘に届けられた人形を抱いて泣きじゃくる。セルビア人によって処刑された父親とその墓参りで地雷を踏んで殺された母親の姿を思い出し、そして家族で幸せに過ごしていた子供時代を思い出し、泣きじゃくる。一体誰がこの幸せな生活を永遠に崩壊させたのか?

 

ミリアナと12歳の子供は何度かの訪問のうちにお互いが抱えている問題を理解し始める。無駄な殺し合い、意味のない殺し合い、政治に振り回されてお互いに憎しみを持ちついには殺しあうが、実は一般市民は皆仲間なのだという事に気づく。

 

日本、韓国、中国、これもまた同じだ。民衆はいつも政治に振り回されるが政治を除けば実はお互いに非常に近い民族である。ぼくはニュージーランドに住んで白人と英語で生活をしてその性格や人柄の良さに毎日幸せに過ごせているが、彼らの感性とぼくの持つアジア人の感性は全く違う。

 

全く感性が違うのに仲良く出来るキーウィと日本人。ところが民族的に近いものを持つ東北アジアの中ではぼくらは常に政治に振り回されて尖閣諸島だの竹島など、政治家の煽動に踊らされて最後に武器を持たされるのは一般庶民であり、ぼくら一般庶民が被害者になり政治家はしらんふりである。

 

よく似たもの同士がちょっとした違いを理由に仲違いし、全然違う者同士がちょっとした共通点を理由に仲良くなり、世の中不思議なものだ。

 

舞台となったバルカン半島は第二次世界大戦でもドイツとセルビアが戦った場所であり双方ともに様々な言い分がある。けれど間違いないのは、戦争で死ぬのは一般庶民であり政治家や支配者たちは常に高みの見物をしているって事だ。

 

「ミリアナ、君を守りたいんだ」

ドイツから派遣された国際安全保障部隊の若い兵士、これが実にかっこいい。ドイツのテレビや映画界で活躍する若い俳優がしっかり演技を固めている。

 

任務で派遣されたコソボでセルビア系住民とアルバニア系住民を分離して平和を維持しようとするが、上から降りてくる命令は「観察しろ、しかし何もするな」である。結局殺されそうな民衆さえ救えないのに、なぜ国連軍が派遣されるのか?

 

セルビア軍はどこから武器を手に入れるのか?その金はどこから出てくるのか?一体誰が武器を作っているのか?そして彼らに対抗するのようにアルバニア人も武装するが、その武器はどこから手に入れて誰がカネを払うのか?

 

世界の矛盾が少しづつ暴露されながら筋書きは進んでいく。

 

「くたばれセルビア人!」何の罪もない一般大衆同士が政治に踊らされて殺しあう現実、セルビア半島でつい10年ほど前に起こった戦争を、ぼくらは忘れていいのか?

 

フィクションとは実際には起こらなかった事を筋書きにしているが、じつはフィクションでなければ描けない歴史の事実がある。様々な事実を一つづつ繋ぎあわせて一つの物語を作る。それによって初めて歴史が見えてくる。

 

最後の場面では恩讐の彼方の人々が何とか昔の平和だった時代を取り戻そうとする。こうなって欲しい、こうあるべきだ、そんな筋書きがそこには残されている。

 

ほんの一握りの、どこまで救いがあるかわからないけど、それでもまだ明日に少しだけでも期待出来る未来があるはずだ、ほんの少しだけど希望と未来があるはずだ、そういうエンディングで終わったこの映画だった。

 

ドイツの作品、非常に出来の良い秀作だった。おしむらくはドイツ語で日本語字幕しか無いためにりょうまくんにはまだ理解出来ない。他の何本かもそうなのだが、なぜかこのような秀作で日本語字幕だけってのは何でかなーと思う。

 

このDVDも来週から会社文庫に仲間入りである。移住会員の皆さんもよかったら御覧ください。

 

 



tom_eastwind at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画