2013年03月

2013年03月31日

女子会と中年おやじ

***抜粋開始***

女子会は「痛々しい!?」男子の本音5

「女子」の当事者である私たちも、「女子」に含まれる年代の範囲の広さに疑問を覚えるほどですが、「女子会」という言葉は気軽に使ってしまいがち。そんな女子たちを、男性たちはどのように見ているのでしょうか?

●その1:痛々しくて見ていられない

●その2:傷の舐め合いをしているだけ

●その3SNSでの女子会報告は晒し者のよう

「週に数回ペースでSNSに『××ちゃんと△△ちゃんと女子会』『今日は○○女子会』などとアップする女性がいるのですが、自ら『私はデートに行く相手のいない寂しい女です!』とアピールしているようなものなのでは。自分で自分を晒し者にして、何が楽しいのでしょうか? 僕にはよく分かりません」(31歳/マーケティング)

●その4:一生独身女予備軍にしか見えない

●その5:もう女子じゃないだろ

「そもそも論ですが、女子っていえる年齢じゃないですよね。女子会というのも、メディアが作り出した言葉だと思いますが、もう聞き飽きました」(27歳/エンジニア)

 

まとめ:女子会はこっそりと。辛辣な本音が並びますが、多くの男性は「女子会」を好意的に受け取っていないことが分かります。女子会はしてもいいですが、こっそり行う方が正解のようですね。

******抜粋終了*********

この記事興味が持てた。その1とその2なんてまさに世間一般の中年男性の新橋の居酒屋での飲み会の話ではないか。

 

「男子の本音」と書いているしアンケートに回答している男性の年齢が30歳前後なのであまりお酒を飲まない静かな人々を想像するのだが、あんたさー、自分の会社の50歳代の先輩見てみなよ、まともな生産性のある仕事も能力的に出来ず職場では上司の顔色ばかり伺いケータイでは出会いサイトばかり覗きこんでいずれ定年退職しても退職金は雀の涙、年金も老後の生活には役立たない、そんな連中が一杯飲み屋で愚痴を溢しているのを見ると女子会のほうが名前あるだけまだましだと言うのがよく分かるから。

 

その3なんて中年男が職場での憂さ晴らしをキャバクラでねーちゃん相手にくだをまくようなものと同じじゃんか。その4とかその5とかも、40歳過ぎて結婚してない男性数が急増しているのは知ってますかって感じ。

 

確かに女子会という言葉をメディアが創造したのは事実だしその手合いのリテラシーの低い「くくり言葉」が流行りであるのは事実だが、別にそんなくくり言葉が出てくる前から普通にキャリアウーマンが仲間内だけで気取らずに気兼ねなしに美味しいものを食べながら言いたい事言ってたのは歴史的事実ですぜ。

 

それで男子がどうこう言うくらいならその男子の戸籍上の父親に対して「おやじだせーよ、うぜーよ、みっともねーよ」と言ってるのとほぼ同じだ、女子会がどうこう言うよりも「おやじー、みっともねーぜ、自分の能力の無さを棚に上げてさー」と弱気になっている父親を叱咤激励してもらいたいものだ。

 

見てて痛々しいとか傷の舐め合いとかはまさにバブル景気で本人の能力とはあまり関係なく昭和の最後に運良く大企業に就職出来て「これで一丁上がり!」と思い込んだ男子たちの父親の話である。

 

大学時代はまともに勉強もせずにBMW3シリーズとかデートカーのシルヴィアとかで女子大の門の前に乗り付けて彼女を待ってクリスマスのディナーとその席で渡す高級ホテルの鍵を用意するのに半年前から予約をするとか当然だった若者たち。

 

ところが平成に入り一気にバブルの崩壊で見事に日本経済右肩下がりに下がりまくり、それに合わせて労働条件と給与とボーナスも下がりマックリ、人によっては「一丁上がり」は1997年の銀行倒産で全然思いもしない「一丁上がり」になってしまい見事に人生計画を崩壊させられた。

 

そこから先はバブル後期に買ったマンションのローン支払いに頭を痛めつつ新橋の居酒屋で終電を来にしつつワンコインの焼酎をちびちびと飲み憂さ晴らしに電車で盗撮、女子会とさえ名付けられない中年オヤジ集団になってしまった、あなた達のお父さんの話ですよ。

 

女子会もピンきりなんだろうが僕はオークランドの日本人社会をベースにしていろんな国で働く日本人女性やその飲み会の話を聞く機会も多いが、少なくともこのアンケートに出てくるような飲み会ってのはあまり、てか殆ど見かけないな。

 

時々オークランドの地元の日本人がよく出入りする居酒屋「源太」あたりで仕事帰りの日本人女性が少し顔を赤らめながら会社の愚痴っぽい事を言ってるのを耳にすることはあるが、それも新橋の一杯飲み屋の「人生後が無い」中年オヤジに比べれば海外に出てアウェイで戦ってる分だけよほど生産的な話である。

 

女子会はこっそりなんてやらずに堂々とやれば良いだけの事。自分に自信があって自分の金で友だちと飲む、それが何が悪いかって感じ。飲み屋経済にも酒飲まない若者よりよほど貢献しているわけで痛いとか舐め合いって言うんなら一杯飲み屋で焼酎ひっかけている自分たちの父親の将来の心配をしてろよってくらいだ。なんかこう、他人の足をひっぱる系の他人ごとみたいな批評は好きになれない。どうせ批評するなら「もっと飲め!もっと高い酒のんで日本経済に貢献しろ!それと帰りは終電なんてしけた事言わずにタクシー使えよ、横浜までねー」くらいの方が余程気持ち良い。

 

なんかこの記事自体が「やらせ」の感もあるので「釣られたか?」という気もするが何も知らない(てゆーか酒を飲まなくなった)日本の純粋無垢な若者がこの記事を読んで女子会がバカの集まりくらいに思われると世間を狭めてしまうと思ったのでついつい余計なこととは思いつつ今日のネタにしました。



tom_eastwind at 17:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月30日

預金課税

キプロスではどうも本当にやりそうな様子だ。収入に対する課税ではなく資産に対する課税であるってのがすごいね、財産の私有制の否定の第一歩か。これが一般化すると地球にある国家の在り方が根本から変わっていくぞ。

 

日本では去年から霞ヶ関のど真ん中で囁かれている預金課税であるが、霞ヶ関の連中は皆大阪出身なのか、一粒で二度も三度も美味しいグリコでバンザイマークってとこだ。一生懸命働いて得た収入には所得税や住民税をかけて誰かにお金を上げたら贈与税をかけて死んだら相続税をかけて、さらに将来の生活のために貯金したらその金にさえ課税するわけだから江崎さんもびっくりグリコだ。

 

もちろん政府だって言い分はある。「国民は皆平等であるべきだ、一部の資産家だけがお金を持っているのはおかしい、皆平等にすべきだからたくさんの財産を持っている人はきちんと吐き出しなさい、その金はきちんと政府が管理して「再配分」するから」。

 

「え、なに?再配分の分配率はどうなのかだって?へ、野暮なことを聞くんじゃないよ、あたしゃ東大卒だよ、あんたら三流大学とはオツムの出来が違うんだから心配しなくていいよ、あたしに任せときな、あーははは!」と言ってグリコのように大きなバンザイマークを見せてくれる。

 

じゃあいいさ、貯金するのにも税金取るんだったらもの買うよと考えて家を買ったら今度は固定資産税が毎年取られるが、固定資産税も来年から特例措置を見直す事で実質値上げされる。じゃあ仕方ねーな、飯でも食って買い物でもするかとなると「はい頂き!消費税!」何をするにも税金だ。

 

つまり最終的に政府が目指すのは完璧な国家社会主義、実態として毛沢東やスターリンの目指した共産党の思想と非常に近いものだ。すべての財産は国家が管理して国民は一切の私有財産を持たずひたすら働くのみ。

 

国民とはひたすら働かされ納税して今後一切財産を持つなという事ですね、こりゃ素晴らしき新世界、オルダス・ハクスリーが聞いたら「素晴らしい!東洋の小国で世界が望むような完璧な世界を作ってくれたものだ!」と涙を流して喜んでくれますね。

 

毛沢東方式の共産主義を徹底させてすべての知識層や富裕層から一切の財産を没収して挙げ句の果てには通貨まで廃止したカンボジアのポル・ポトも羨ましがるだろうな、だってこれだけ国民を働かせてその付加価値はすべて国家が没収して国民はひたすら毎日働くだけで誰も文句を言わずに「持続する国家運営」が出来るんだから(苦笑)。

 

それにしてもここ2年くらいの間に一気に財務省が本気を出し始めてこれで参院選が終わって自公同盟が勝利すればこれから4年間はどんな法律でも通せるわけで、長い間赤字財政で世界の金融界から「ばーか」と言われてた日本の財政もこれで一気に黒字化出来る。

 

何?国家の財政赤字は1000兆円だと!心配するな、国民の私有財産はもっとある。それはすでに政府のものなのだ。ちょちょっと税金かけて付け替えすれば国家の赤字は消滅、国民の私有財産も消滅、両方同時にぱっと消えちゃいます!素晴らしき新世界!

 

けどなー、キプロスとかギリシアのような働くの大嫌いで美味しいものばかり食べてたのんびり屋さんと違って日本人って一生懸命働いている。それなのに預金課税か・・・。何かガクってくる話だろうな。

 

今まで昭和の時代から一生懸命長時間労働、ブラック企業なんて思いもせずに夜遅くまで企業戦士として個人的な用事を後回しにして来て何とか財産を作った人たちや日本でリスクを取って一生懸命頑張って経営をして来た人たちにとっては。

 

けれど毎日リスクを取らず会社の業績なんて他人ごとみたいな顔をしてしたり顔で大した仕事もせずに給料だけ貰ってちょっと余分に脳みそを使う仕事をさせられると何時まで経っても終わらずに腹いせに“うちの会社ブラック”とか言ってる人達からすれば預金税でガクっと来た人たちが面白おかしいに違いない。他人の不幸は蜜の味ってとこだろう。

 

それにしてもこれはもう時代という大きな流れの変化で発生した大きな潮流の変化だ。

 

昭和の終わりまでの良き日本、一生懸命働けばきちんと個人の財産が作れてそれを子どもに渡せた時代、個人資産が法律によって守られていた時代だった。もちろん税金もそれなりに高かったけど、それ以上にお金が残ってた。毎年の給与賃上(定期昇給にベースアップとか)があってボーナスが年6ヶ月あってローンを組んでも定年前には払い終われる時代だった。

 

あ〜あ、時代は変わったな。個人がリスクを背負って資産を作る。作った資産に対して全くリスクを負わない東大卒が法律変えて資産をかっぱらって行く。たしかに賢いな、けどそのゲームから抜け出す方法だって民間もわかってる。

 

ゲームに誰も参加しなかったらどうなるか?



tom_eastwind at 14:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月28日

積善之巻  愛回家〜香港のテレビ番組より

うちでは家族全員が広東語を理解出来る(龍馬は漢字をまだ読めないが発音が分かる、ぼくは発音は弱いが漢字を読める、奥さんと娘は両方共完璧)ので、夕食時などは香港のテレビ番組を観たりする。

 

うちは家族全員で夕飯を食べるのは大好きだが、それはテレビを観ないとか大声を出さないとか神に祈るとかそういうのはなくて、家族それぞれが今日一日外に出て色んな事があってそれを皆が適当に話しながらワイガヤで楽しむ。

 

皆の一日、例えば龍馬くんは今日はネクタイ(まだ自分でうまく出来ないのでお父さんがお手伝い)して学校に行ってクラブ活動でコーラスやってきて、お姉ちゃんは部屋に缶詰で大学のテストに備えた勉強やってて奥さんは皆の送り迎えや夕食の支度、そして僕はと言えば会社で幾つもの会議をこなしてあーでもないこーでもないと言いつつ落とし所を探す毎日だ。

 

けどまあそんな事言いながらも毎日の飯が食えるだけで幸せだよね、それがうちの一家の最終的な落とし所、かな。

 

それはやはり龍馬くんを除く他の三人が香港時代にかなりシビアに生きてきた経験から言える事で、当時の香港は本当に自由主義(レッセ・フェール)で、強くなければ生きていけない時代だった。けど同時に何でかな、優しくなければ生きる資格のない街でもあった。

 

香港に駐在している日本人には香港人の強さと冷たさしか見えないから理解し難いだろうけど、彼らは助け合いの大切さをよく分かっている。政府に頼らず直接仲間同士で助け合いをするのだ。

 

強さと優しさは両立するのか?する。絶対に両立する。何故なら優しさとは「NOと言えない気の弱さ」ではなくあえてその人のために「NO」という強さだからだ。それをぼくは香港で学んだ。

 

政府を抜きにして同じ社会に共生する人々が、今日お金を稼いだ人はそのうちのいくらかを今お金のない人に直接配分(寄付)して出来るだけ皆が幸せになろうとしている。政府なんていちいち相手にしてられるか、中抜きされるだけさ、それなら自分が直接納得出来るように再配分するさ。

 

番組の冒頭の場面、湾仔の裏道の歩道で5歳くらいの女の子が薄い布を広げてその上に髪留めを置いて「一個5ドル!(50円くらい)、3個で12ドルだよ!安いよ、奥さんや彼女に買って行ってくださいな!」と通り過ぎる人に声をかけている。

 

番組の設定はビジネスに成功した大家族が皆毎日外に出て仕事をしながら道端で巡りあう様々な事件に心を温めたり苦しくなったり、けど最後はちゃんちゃんと収まる筋書きだ。

 

ある日この家族の一人の若いデザイナー志望の男の子が湾仔の道を歩いていると上記の5歳くらいの女の子に声を掛けられた。びっくりした彼は「お母さんはどこにいるの?」と聞くと、その時に駆け足で戻って来た母親が「ああ、済みません、このあたりは公衆トイレがないものでね、近くの百貨店まで行ってました、ところでこれ安いですよ、買いませんか?」と声をかける。

 

「20ドル分(約2千円)買うよ」そう言って若者は財布からお金を出す。嬉しそうにお金を受け取った5歳くらいの女の子は母親に向かって「今日は二百四十五ドル売れたね、千ドルまで売れたらあそこのお店に置いてある69ドルの服、買ってくれるよね!」と近くのお店の入口に飾ってある可愛らしいワンピースを指さしてお母さんにねだってた。

 

69ドル・・・。香港の簡単な飲茶でさえ一人80ドルくらいする。ましてや日本食レストランで簡単なうどん一杯が120ドルだ。この若者からすれば彼のお昼ごはん一回以下の値段である。けれど今でも香港では最近大陸から入ってきた人々が底辺の生活をしていて、彼らには社会保障もない、何故なら不法入国であるからだ。

 

大家族の一人である若い娘は職場の女友達と近くの定食屋に行き鶏ももとフライドチキンの定食を注文しながら皆でわいわいきゃーきゃーと笑っている。その時急に空気が固まった。

 

食事を終えてテーブルを立った客が食い残したフレンチフライ、マックにあるようなあれだ、客が席を立ってそれを店の外から見ていた貧しい身なりのお母さんと5歳くらいの子どもがすかさず店に入ってきて、テーブルを片付けようとする店員に「ちょっと待って、まだ終わってないのよ!」と無理やりテーブルに座りちっちゃな子どもの為にまだケチャップの付いてないフライドポテトを選り分けて与える母親。

 

子どもは一心不乱に美味しいポテトを食べる。若い娘はそれを見て「ねえ、あれって何?」と聞くと、女友達は「ああ、あの親子ね、最近よく来るのよ」と嘆きそうな言い方。一旦食事を終わって席を立った彼女たちはそれぞれの職場に戻るのだが、この若い娘だけは忘れ物をして自分の席に戻る。

 

するとそこでも母子がフライドポテトを食べてた。若い娘は恥ずかしそうに「あ、ごめんなさい、忘れ物があって・・・」と置き忘れた鞄を椅子から取り出した。その間母親の顔はつましく何も言わず下を向いていた。子どもがその時つぶやいた・・・「ねえお母さん、ぼくたち、いつになったら鶏もも食べられるのかなー」母親は更に下を向き何も言えず、若い娘は喉仏を抑えながら店員に小さな声で「鶏ももとフライドポテト、もう一皿持ってきて」と注文した。

 

暫くして出てきた鶏ももとフライドポテト、ちっちゃな男の子は眼を光らせて「うわ!お母さん、すごい!鶏ももだ!食べていい?」と聞く。お母さんは困ったように若い娘の顔をじっと見つめながら「こんな事をしてもらう義理はありません、私はあなたを知りませんから」と言う。

 

若い娘は言う。「大丈夫です、これだけのことですから」母親はほっとしたような、生き地獄のような生活の中で本当に久しぶりに他人からの温かな優しさ、それも何の代償も求めない心に触れて小さく頭を下げながら「ほら、お姉さんにありがとうって言いなさい」と若い娘の好意を受け入れた。

 

プライドがあるってのは時に人を生き辛くさせる。けれどそのプライドを傷つけずに素直に何の見返りも求めずに、ただ単純にその子に何かしてあげたいな、そういう気持ちが若い娘の中に生まれたのは、母親の一生懸命子どもに何か食べさせたい、その気持に打たれたからだろう。

 

実はこの子たちの父親は若いころから一生懸命まじめに働き何とか成功してきた。立派なアパートに住み一族を食わせるようになった。けれど今でも一生懸命働き、店の前の下水溝の近くに落ちてた一銭のお金を拾い上げて洗って自宅のガラス瓶に入れて大事に貯金している。子どもたちはそういう親の背中を見て育った。

 

お金は大事だよ、けどそれは自分だけの為に使うんじゃなくて世間の皆が幸せになるために使うんだよ、今はこうやって俺達の家庭は幸せに飯を食えてるけど、いつ世の中が変わるかもしれない。その時でもお互いに助け合いが出来るように、今お金がある人が今困っている人に直接お金を渡して彼らにも「頑張れ、次があるさ、それまで頑張れよ、世の中悪いことばかりじゃないんだからね」そうメッセージを伝えている。

 

ドラマの終盤、冒頭に出てきた若者は湾仔でアクセサリーを売ってた女の子のために、仕事で使って残った布地で可愛らしい黄色のドレスを作り彼女の仕事をしている道端に持って行って渡した。嬉しそうにはにかむ女の子はそれでもお母さんに「ねえ、お母さん、これ、貰っていいの?」と聞く。

 

ホントはとっても欲しいのだけど、お母さんに聞かないとダメなんだ、お母さんのプライドが大事なんだ、そんな事をほんとうによく分かっている。もしここで私がお母さんの許可なしに「お兄ちゃん、ありがとう!」と言ってしまえば、服を買うことが出来なかった母親への侮辱になる。そんな事は絶対にしたくない、だから母親に聞く、その子供心が切ない。

 

母親は若者の顔を見て本心から「ありがとうね、ごめんなさい、子どもは喜んでます」と言うだけで精一杯だ。

 

その晩、大家族はまた一緒に夕食のテーブルを囲む。若い娘と若者は何だかニコニコとしている。父親は何が起こったか分からずきょとんとしてて、母親は「何かいい事あったのかな?」くらいに軽く流している。

 

香港のテレビ番組、結構泣かせてくれます。



tom_eastwind at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月27日

まほろば

「殺風景」という歌がある。
「あなたが嫌いになったわけではありません、
あなたより好きな人が出来ただけのことです」

さだまさしがグレープだった時代の歌。結構ファンが多い。

 

最近の移住問い合わせで目立つのが「私と子どもは何としてでもニュージーランドに移住したいんです。けど、主人がどうも乗り気じゃなくて」である。こういうケースは結構多い。
 

「遠い明日しか見えない僕と足元のぬかるみを気に病む君と」

これもさだまさしの「まほろば」の一節だ。

 

本来なら男のほうが未来を語り女の方が目先のことを気にするのだから移住を先に考えるのが男であり「そんな危ないことを!」と止めるのが女性である。

 

5年くらい前までは移住説明会でご夫婦で参加されてる時も旦那さんによく言われた。

「うちの嫁はどうも腰が引けててですね、説明会の時は学校の話とか良い話をお願いしますよ」と言われても嘘を言うわけにはいかない、困ったものだと思った記憶がある。

 

そういうご夫婦が子どもを連れて下見に来るのだが、いざ来てみるとほぼ100%の確率で奥さんが乗り気になる。「ねえ見て!学校に芝生があるじゃない!すごい!子どもたちが楽しそうに遊んでる!」

 

そして下見後の個人面談で話すと今度は奥さんがすっかり乗り気になって、旦那は今までは格好良い夢みたいに「おれってさー」的なノリだったのが、いざ本当に移住となると急に現実的問題、今の仕事辞めるのか?現地で仕事見つかるのか?おれって裸一貫になって本当に会社の看板なしで自分の力だけで食っていけるのか?と急に不安になる。

 

ところが奥さんからすれば実際にニュージーランドに行って現地を見てみると、将来のない日本で子育てをするよりは今のうちにニュージーランドに渡って子どもをバイリンガルに育ててオークランド大学に入ってもらい国際人になってもらいたい、そういう現実的な夢=足元の事が見えてくる。

 

ここで夫婦間の葛藤が始まる。日頃は偉そうに立派なことを言ってるだんなが急にチキンになって守りになる旦那。何だこの人、結局この程度の人だったんだと奥さん悟る。そして奥さんは一人でとっとと移住支度を始める、旦那を放置したまま。

 

ここから道が二つに別れる。旦那が黙って付いて来るなら良し、そうでなければ別れましょ、けどこれ以上こちらから付いてきなよって言わないよ、だ。

 

旦那は悩む。どうしよーかな、今の生活は適当にサラリーマンやって黙ってても業績悪くても給料もらえるし社内でも夢語って偉そうにしてれば若い女子社員なんて「きゃー、係長、素敵!」とか言ってくれる。

 

「しっかしなー、ここで離婚すると社内の評価下がるし、かと言ってニュージーランドに付いて言って食える自信ないしなー、あーどうしよー」って事になる。

 

結果的に日本を離れる前に離婚するケース、とりあえず一緒にニュージーランドに行ってやっぱりうまくいかないからってオークランド離婚するケース、様々なケースを見てきた。

 

ところがここ1~2年で特徴的なのは、旦那は一切夢を語らず今の日本の生活を頑なに守り奥さんが子どもと一緒に行くと言っても「じゃあ行けば?おれ、イカないよ。金は適当に送金するからね」ってケースが目立つ。

 

つまり今の男は最初から夢など見なくなったのだ。日本という現実があまりにも大きく、一旦この国を出てしまえばニュージーランドでうまくいかなかったからって戻る場所がない、それが無茶苦茶現実的になっているからだ。

 

最近自民党が「正社員雇用解雇緩和」についてワーキンググループを作って検討を始めた。今まで大手企業では正社員は定年までほぼ無条件に守られていたから役立たずでも「追い出し部屋」にしがみついていれば給料だけはもらえた。

 

しかしそれは雇用の硬直化を生みゾンビー企業でゾンビー社員=社内失業を生み企業に無駄な人件費を抱え込ませることになった。

 

このムダを解消して解雇緩和して解雇された人は人材を必要としている成長産業にシフトさせる、これが安倍自民党の戦略だ。もちろん反対意見も多い。「解雇しても40過ぎの能力のない男に次の仕事と言えば介護、警備員、コンビニくらいしかないではないか!」

 

ちょっと殺風景と話はそれるが、これはぼくがいつもいう自己責任だと思う。会社に入っただけで一生が保証されると「思い込んだ」人たちがその後自分の労働価値を高めるために何か努力をしたのか?自分が労働商品であることを認識して労働市場で高く売れるように自分を磨いたのか?

 

そういう努力をせずに結果的にリストラに遭った場合、それが企業の責任か?社会の責任か?自己責任だろう、ぼくはそう思っている。

 

僕自身日本にいた頃は夜の時間を使って自分で英語の勉強をしたりコンピューターが本格的に仕事に必要になれば使いこなすために苦労もした。香港に落下傘降下した時は一切学校に行かずに仕事しながら広東語を学んだ。

 

その当時に学んだ英語や広東語やコンピューター技術が今生かされている。ぼくはどちらかと言えば女に近いのか、遠い夢など観もせずに足元のぬかるみばかり見て今やるべき事を考えぬいて実行してきた。その結果としていろんな国を渡り歩くことになったのは運命のめぐり合わせか不思議な気がするが(苦笑)。

 

香港人は学校で様々な専門的知識を身につけてどこかの会社に就職するとすぐに次の転職を狙って新しい専門知識を夜の時間を使って自分のお金で学ぶのが普通だ。うちの奥さんやその友達は御飯食べるのが大好きだけど、一緒に夕食の予定が合うのは週に一回もなかった。皆それぞれ夜間学校に通っていたからだ。

 

おかげで奥さんの友達は厳しい香港の状況でも自宅を購入して、とくにある女友達は結婚もせずにローンの終わったアパートに住み独身生活を楽しみ毎日ばりばりと仕事を楽しんでいる。

 

結局アリとキリギリスみたいなものだ。常に努力をして前進する人と、会社に就職したらそれがゴールと思って毎日遊び耽る人との違いだ。

 

話をもとに戻すと、彼ら男性は今の社会が10年前の社会と、いやおそらく5年前の社会とも決定的に変化した事を直感で分かったのではないだろうか?だから変な夢など追わずに現実にすがりついて生きていくことを選んだのではないかな。

 

今の時代、遠い明日を見る女と足元のぬかるみを気に病む男の時代になった。まほろばの意味は「素晴らしい場所」「住みやすい場所」って事で昔は美しい日本の国土とそこに住む人々の心を讃えた古語だとのこと。

 

今の時代、まほろばが日本ではないことに気づいた女性は外国でまほろばを見つけてそこに移り住もうとしている。まほろばなど考えもしない男たちは、いずみやしげるの“春夏秋冬”のように「何でもやります、贅沢は言いません」と今日の飯と酒を与えてくれる飯場の追い出し部屋を選ぶ。

 

うちの会社の社員は約20名。殆どが女性だ。別に女性を優先的に選んだわけではない、大体ぼくには人事権はない(苦笑)。結果として能力を追求したら女性しか残らなくなったというだけだ。

 

「あなたが嫌いになったわけではありません、あなたより好きな人が出来ただけのことです」そう、結婚した時はあなたが好きだった。けどあなたはそこで立ち止まってしまった。わたしは前に進んでいった、そして新しい世界を見つけた・・・さようなら、あなた。

 



tom_eastwind at 14:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月26日

Kロードとかフォートストリートとか

 

「政府の借金を国の借金と見ているて時点で終わってます。」というご指摘を頂いた。「国債は円建てで発行されており返還不能には成り得ない」「破綻とは何を意味するのか?」とも。一つ一つの理屈はご指摘の通りに見えるがしかし全体を見れば何が問題になるかは自然と明瞭に見えてくる。破綻の意味は?それもこのネタをきちんと書きだすときりがないので良ければこの本を読んでみたらいかがだろうか。

http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A0%B4%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%A1%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%93%E3%81%A8-%E5%90%89%E7%94%B0%E7%B9%81%E6%B2%BB/dp/4569802214/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1364259574&sr=1-2

 

この本「国家破産」の著者吉田繁晴氏は、その内容が濃いことでビジネスマンの支持を集めているメールマガジン「ビジネス知識源」の発行人である。

[この明白な事実を、政府・財務省・マスコミは必死で隠している。日本経済への悲観論にも楽観論にも引導を渡す決定版」とamazonで紹介されている。

 

自分で考えることは大事だ。けどわからない部分はやはり納得するまで他人の脳みそを借りて勉強するしかない。そうして相手の知識が自分の言葉できちんと吸収出来ればそれは一つのステップを上がったと言える。

 

さて今日のネタ。これなんかニュージーランドらしいなって思うのだが。

***記事開始***

325 AFP2003年に売春が合法化されたニュージーランドでこのほど、外国人留学生が売春ビジネスに携わることが禁止された。

 

 ニュージーランド移民局は25日、ウェブサイト「www.nzstudywork.com」で、外国人留学生ができない仕事のリストを公表。「(外国人留学生は)商用の性的なサービスを提供することができない。言い換えると、売春を仕事にすること、ニュージーランドの売春事業を経営すること、売春事業に投資することができない」とした。一方、学生がマッサージ療法士として働くことについては禁止されていないと、ニュージーランド移民局のスティーブン・ダンスタン(Stephen Dunstan)局長は付け加えた。

 

 ニュージーランドには現在、約7万人の外国人留学生が滞在しており、その多くは学費や生活費を捻出するためにパート労働に従事している。25日のニュージーランド・ヘラルド(New Zealand Herald)紙によると、オークランド(Auckland)の性労働者1700人のうち約3分の1が中国人だという。そのうち何人が学生ビザで滞在しているかは分かっていない。

***記事終了***

 

普通の日本人が読めば「留学に来て売春で生活費に充てるんかい?」と思うかもしれないが、普通の中国人の感覚で言えば「カネになるじゃん!」という理屈であり不思議でも何でもない。

 

ニュージーランドでは売春は合法化されており一定の条件さえクリアーすれば売春宿も経営出来る。僕自身は売春にはあまり興味がないが仕事柄お客を連れていった事はある。

 

なのでお店では普通にクレジットカード払いが出来るしお店で働いているキーウィの女の子は「わたし、スキーのインストラクターなの、ナガノにも行った事あるよ。今はオフシーズンだからここでアルバイトしているの」と、けろっとしたものである。

 

この話は今はなくなった売春宿(郊外にある2階建てのお屋敷を改造して1階の広大なラウンジのソファに座ってビールを飲みながら待ってると、若い女の子が隣部屋からぞろぞろと入ってくる仕組みだ)で、ぼくがビールを飲みながら直接聞いた話だ。

 

一部の日本人はどーも白人崇拝があるようで、その時は会社の団体旅行で来てたツアーのお客に「連れてけー」と言われて添乗員さんからも「あの人幹事さんなんですよ、お願いしますよー」と言われて断るわけにもいかないので案内したのだが、あのけろっとした開放感は日本では馴染みのない感覚だった。

 

最近のオークランドでは中国人ビジネスが盛んでありその一つがやはり売春ビジネスだ。以前は町外れにありタクシーで行くような場所だったのに最近はシティの中心部にけっこー堂々としたお店を構えてたりする。こっちの方が「あ、すみません」とアタマを下げて通り過ぎたくなるような、イメージで言えば博多中洲の南新地の様相である。

 

最近の移民局からのレポートで「起業家ビザで申請しても落とされやすい職種」というのが出ていた。いろいろあるのだが「小規模農家」「ネイルサロン」「ヘアサロン」などいかにも中国人が喜んでやりそうなビジネスモデルに加えて「資金の出所を証明出来ない」があった(ちなみにうちは去年ヘアサロンで起業家ビザを取得したが)。

 

例えて言えば起業家ビザで申請して起業資金の源泉は売春で稼ぎましたと言っても「顔写真と3サイズ持って来い」で出所不明資金としてはねられるだろう(苦笑)。

 

10年くらい昔のフォートストリートはまさに売春宿が軒を並べてタイから観光ビザや学生ビザで来た女の子が山盛りで働いていた。中には斡旋業者から前借りして航空券を買って来る女の子もいたりした。それは結局警察の一斉取締りであっという間に衰退してしまい、現在ではその辺りがオシャレなカフェやステーキレストラン、高層ホテルなどにすっかり姿を変えてしまい往時を偲ぶ店は通りの隅っこにぽつんと薄汚れた壁看板を寂しそうな薄いピンクの照明が照らしているだけだ。

 

素敵でお洒落で清潔な街のイメージが強いオークランドではあるが、現場ではこのような現実の世界も存在している。

 

最近は下見ツアーの連続で視察担当者のみなさんは毎日予定を入れながらてんてこ舞いである。地元の小学校の校長先生やカウンセラーとアポイントを取りキッチン付きのホテルを手配し当日まわる日本食料品店やスーパーの営業時間を確認し、全部の手配が確認出来たら空港にネームボードを持って迎えに行き下見ツアーが始まる。

 

「いやー、オークランドって綺麗ですねー」と言ってくれるのはうれしい。とくにここ数日は毎日がオークランドらしい青空が広がっており下見で来るには良すぎて勘違いされてしまいそうな良い天気である。

 

けれどもうしばらくすると5月頃からは冬の天気に変わっていく。それはまるで昼間のクイーンストリートのビジネスマンの賑やかな喧騒が夕方5時を過ぎると次第に減って、それに代わってフォートストリートやKロードあたりが一人で歩くのに少し気を使うようになるようなものだ。

 

いつも言うことだけどオークランドもニュージーランドも天国ではない。そこでは生身の人間が生活をしている。夜になれば夜の似あう地域では酔っぱらいの喧嘩が起こり何の罪もない通行人が巻き込まれて背中をナイフで刺されたりする。

 

真夜中を過ぎてKロードを歩いてて突然殴りかかられたら、そりゃ無防備に歩いている方の間違いだ。道端では身長180cmのオカマの売春婦が堂々としたひらひらドレスで「カモン・ベイビー!」と待ち構えて、断るとそのまま路地に連れ込まれてぼこぼこにされて財布とケータイ電話をかっぱらわれる。

 

いくら昼間観ても決してわからない夜の顔が、オークランドの街にはある。もちろん観光客が知る必要もないし居住者だってそんな時間にそんな所に行きさえしなければ何も問題はない。ただ、そこにそういう場所が存在することだけは危機意識の一貫として知っておいた方が良いと思う。



tom_eastwind at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月25日

2015

***ブログ抜粋***

ちなみに、以下の3つの条件のうちどれか一つが発生した場合(或いはすべてが同時に進んだ場合は)、日本は財政破綻する可能性が一気に高くなり、日本国債は暴落する。

1)稼ぐ力が回復せず、過去の遺産からの収入も底をついた時(経常赤字、財政赤字)

2)銀行や保険会社などの国債の買い手の資金が底を付いた時(貯蓄の国外流出)

3)円安が止まらず、インフレが止まらなくなった時(インフレリスク)

***ブログ抜粋終了***

元ネタ http://blogos.com/article/58695/

 

今やBlogosはアベノミクスに対する梁山泊の様相を見せているが、どれだけ読み込んでリフレ派の主張を聞いても、これって単純に博打の問題と言うことが分かる。ルーレットで赤白の赤に賭けて3回連続赤が来ればすごいよね。けど、もし次が白だったらどうするの?その時にはハイパーインフレーションが起こる。

 

いつまでも勝ち続ける博打などない。政府は胴元だから勝てば税収増加、負ければハイパーインフレーションで国家の借金棒引き、紙切れになった1400兆円の個人資産は、持ってた人たちの負け。てか個人資産保有者は自分たちの金で政府が胴元になって博打をやっていることさえ知らない。お金が少しでも貯まれば銀行に持って行ってそれを博打の手元資金に提供しているだけだ。

 

人々は合理的に動こうとして不合理を選択してそれがバブルを生みそして大崩壊にたどり着く。その時になって手元に残ったものが単なる紙切れでありそれでは一粒の米も買えなくなったと知って初めて後悔する。

 

この点中国人は何度も国家の崩壊を体験しているから彼らの血の中には常に「逃げろ!」という原則が渦巻いている。日頃お金が貯まれば金を買って鎖にして身に付ける、逃げる時に邪魔にならないように、また逃げた先で現地通貨を買えるように。

 

今の中国も同様に、自分の仕事の結果として賄賂であれ何であれ、ある程度お金が貯まれば子どもを海外留学させて奥さんを一緒に送り込む。その国で大学を卒業させて子どもと奥さんに永住権を取得させて少なくとも家族の血脈だけは引き継がれるようにする。

 

そして奥さんのいない間にイーライ(二号さん))とカラオケを歌い美味しいものを食べて適当に楽しみ昼間は毎日せっせと仕事に励み金を貯めては海外に送金する。

 

うまく行けば自分に逮捕命令が出た情報を一足先に掴んで、もし内陸部ならすぐに自家用車で隣の省まで逃げてそこから偽造パスポートを使って香港に高飛びするか、沿岸部であれば外国航空会社の飛行機に飛び乗って米国あたりに逃げ込み、時期を見て家族が永住権を持っている国へ移動する。

 

中国の怖さは中国人が一番よく知っている。日本では考えられないような事が日常的に起こる。だからリスク管理が個人レベルで徹底している。国家など一切信用せず家族がすべてである。家族を守り血統を残す、それが夫に与えられた最も大事な仕事である。

 

こんな事を書いても多くの日本人には何のことか肌で理解することは無理だろう。だって日本でそういう社会がちゃぶ台返しされるような事ってのは70年に1回だけであり残りの59年はとってもぬくぬくと幸せに生きていけるのだから。1868、1945、2015と並べてみれば分かる。

 

つまり1858年に生まれて普通に維新社会で生活をして1930年代までに死亡した人は敗戦の乱世を見ることなく勝ち逃げのままに死ぬことが出来た。日清日露戦争、第一次大戦があったもののいずれも勝ち戦だった。

 

1950年頃に生まれて2010年頃に死んだ人は早死と言われてもずっと幸せだ。戦後の悲惨な始末、東京は大空襲で焼け野原になり広島長崎に原爆の被害が残り都会では子どもたちが次々と餓死して、はだしのゲン、火垂るの墓などが現実に起こっていた時代を知らずに済んだのだから。そして来たり来る2015年を知らずに済むのだから。

 

何かがピッタリ2015年に起るのではない。これから世界の三極化が起こり中国や北朝鮮を取り囲む東北アジア情勢が激動し、日本国内では爆発的事象?がこれから発生してきて、偶発的にせよ意識的にせよ一気に日本を囲む状況が大変化する。

 

そして最後に来るのが2015年だ。これも今まで何度もブログで書いた事だが、日本国内の様々な法律が意識的に2015年に向かって施行されたり実施されたりする。

 

例えば消費税が10%になるとか国民総背番号制になるのは周知の通りだが、出国税というのが検討されているのはご存知だろうか?これは日本の非居住者になるために日本人が出国した場合はその人の持つ総資産に対して課税するという法律だ。

 

これはまだ俎上に上がっているだけだが今年自民党が参院選で勝利すれば実質的にどのような法律でも通せるので、年末の国会で上程審議して来年くらいには法律が制定、2015年から施行というのが十分有り得る。

 

そうなれば日本を出るも地獄残るも地獄、どっちにしても自分が持っている財産が根こそぎ政府に把握され様々な形で持っていかれるのだ。昔から貧乏な生活をしていたらなまだしも、ある程度資産のある家庭で生活をしていた人が突然その財産を税金で持っていかれたら?

 

それこそ戦後すぐの食料品のなかった時代に「あら困ったわどうしましょ?」と悩んでタンスの中の和服を一枚づつ抱えて田舎の農家に行き食料と交換するしかなくなる。

 

そんな生活を自分の妻や子どもに味あわせたいか?

 

このような時代の大変節点ではすべての既存の価値観が崩壊して生活が根底からひっくり返る。戦後で言えば農地改革で地主は土地を奪われた。ハイパーインフレーションが起こり普通の人が持っていたお金が紙切れになり日銀はすべての銀行を閉鎖して新札に切り替えた。その結果普通のお金持ちがある朝気づいたらすべての財産を失っていたという事態を迎えた。

 

ぼくの母方のおじいさんにあたる人は戦前釜山で造船所を経営して敗戦前に大金を持って日本に戻り「この金で一生食える」と言ってたのが戦後の新円切替でそれまで持っていたお金がすべてパーになった。

 

それからは田舎に残った土地や畑や漁業で何とか食いつなぐことができたので戦後の引き上げで都会に戻った人にはそれさえ出来なかった。うちは九州の田舎だったぶん、彼らよりはいくらか幸せだったと言える。

 

ここ数日北朝鮮や中国のきな臭い話もたくさん出てきている。これは偶発的事件に繋がるが、これから3年間、何が起こってもおかしくない状態に一気に高まっている。

 

室町時代の終わりから1600までの日本は応仁の乱から明応の政変あたり1400年代後半から約100年近く戦国時代だったので毎日が生き残りのための戦いであったと言える。江戸時代の日本は幸せが268年続いたと言える、歴史の中で最も安定していた時期であった。

 

しかし誰も生まれる時代と場所を選ぶことは出来ない。この時代に生まれたのは事実であり今さら母親のお腹に避難することは出来ないのだ。この時代の中で戦っていくしかないのだ。

 

江戸時代を振り返ってみたり昭和の後半を懐かしがっても幸せだった過去を思い出してもどうしようもない、起こった事を懐かしむのではなくこれから起る事にどう対処するかが父親であり夫である男の仕事なのだ。

あと3年しかない。君は家族のために何が出来るか?

 

 

 



tom_eastwind at 16:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月24日

観光客に優しい国ニュージーランド

***記事開始***

(CNN) 世界経済フォーラムはこのほど、世界140カ国の旅行業界の競争力を比較したランキングをまとめた。中でも「外国人旅行者に対する国民の態度」のランキングでは、外国人観光客に最も優しい国はアイスランドとニュージーランド、最も優しくない国はボリビアという結果が出た。

 

この調査は各国の観光インフラや施設の整備状況、自然資産や文化資産の充実度、治安状況などの項目を点数化して、さまざまなランキングに分類した。相対評価ではスイス、ドイツ、オーストリアを筆頭に、欧州の5カ国が上位を独占した。

 

項目別に見ると、もてなし度を7段階で評価した「外国人旅行者に対する国民の態度」のランキングでは、アイスランドとニュージーランドが共に6.8ポイントを獲得して首位だった。日本は6.2点で74位だった。

 

一方、南米のボリビアは4.1ポイントで最下位。多くの観光客が訪れる韓国と中国も、モンゴルなどと並ぶ5.5ポイントで下位にとどまった。各国のスコアと順位は次の通り。

観光客に優しい国ベスト10

1.アイスランド 6.8点

2.ニュージーランド 6.8点

3、モロッコ 6.7点

4.マケドニア 6.7点

5.オーストリア 6.7点

6.セネガル 6.7点

7.ポルトガル 6.6点

8.ボスニア・ヘルツェゴビナ 6.6点

9.アイルランド 6.6点

10.ブルキナファソ 6.6点

観光客に優しくない国ワースト10

1.ボリビア 4.1点

2.ベネズエラ 4.5点

3.ロシア 5.0点

4.クウェート 5.2点

5.ラトビア 5.2点

6.イラン 5.2点

7.パキスタン 5.3点

8.スロバキア 5.5点

9.ブルガリア 5.5点

10.モンゴル 5.5点

***記事終了***

 

ニュージーランドにないもの:文化資産、観光インフラ、施設の整備状況。

ニュージーランドにあるもの:自然資産、治安、かな。

 

文化と言っても植民地として西洋社会に参加したのは1840年のワイタンギ条約からなので173年の歴史しかない。マオリ文化はあるのだが、彼らは書き言葉を持たず自然と共生していたのでどのような歴史だったのかがわからない。

 

なので文化と言い出したら1万5千年くらいまえのマオリの先祖であるムー大陸まで遡る必要がある。その頃なら反重力装置を使った建設機械とか宇宙船とか楽しそうな文化や文明が出てくるのだろうが、そんなもんはすべて太平洋の海面下に沈んでおり世界中に散らばったムー大陸の末裔は西に行けば台湾や沖縄、北海道、東に行けばインカ帝国、南に行って初めてマオリ族となるくらいだ。

 

とここまで書いたがムー大陸伝説は個人的な興味で書いているだけであり、まあ間違いはないだろうけど今の時代に発見される様々な証拠(沖縄の海中神殿とか)も体系付けられてないので普通の歴史学者からは無視されるだけだ。

 

歴史学者と言っても自分で壺を埋めといて後で掘り返して「おりゃー!歴史的大発見!」なんてやったりある特定の団体に都合の良いように歴史を捏造して金をもらって好きな事をやっているだけの「能なし権威あり」だけで、それを有難がってしがみついてもぼく個人としては全く意味を持たない。

 

観光インフラが整ってないのは言葉を変えれば自然をそのままに残しているからクイーンズタウンから直線距離100kmくらいのミルフォードサウンドに行くのに片道4時間もかかったりするからだ。

 

北半球ならスーパートンネル作って1時間で行けるようにするんだろうが、そうやって自然を壊してしまっては何の意味もない。長生きしようとして自殺するようなものだ。

 

このあたり後発国家であるニュージーランドは自分の売り物をよく理解しているし北半球の諸先輩たちがやったバカを繰り返す程バカではないから、諸先輩が築いてきた反面教師的な教育をしっかりと勉強している。

 

観光施設の整備。これはド派手なものをイメージしているのなら、そりゃニュージーランドには不要でしょ。そんなもんがないから喜ばれるわけでありどこにでもあるようなものを揃えたら田舎の良さが無くなる。日本の駅前が日本中どこに行っても同じようになって、それで施設整備と言うのならこの国には不要なものである。

 

もてなし度。たしかにこれは良い。20数年住んでいる僕が今でも感じるのはこの国の人々の心の豊かさだ。もちろん個人的にはどうかなと思う連中もいるが、それは日本が全体的に良い国でも一部に問題を抱えている人々がいるのと同じだ。ただ問題を抱えている人の数が日本と比較すれば圧倒的に少ないと言うのが特徴だろう。

 

とにかく仕事をしていても誰かを騙すという考え方が存在しない。これは昔も今も同様である。子供の頃から親や学校ではしっかりと自立した道徳を教えるから騙すとかがない。

 

以前も書いたがこの国のスーパーでは時々ちっちゃな子どもを連れた母親がスーパーのアイスっバーの包を開いて子どもにアイスバーを食べさせる習慣がある。

 

それを見た日本人のお母さんが興奮気味に「スーパーで親がどろぼうしている!」と書き込みがあった。けれどそのお母さんはレジに行くと包を見せてちゃんとお金を払うのだ。人間性善説であり泥棒という認識が最初からないからこのような「レジ前アイス食い」が出来るし通用するのだ。

 

逆に言えば日本人のお母さんの周囲では人間性悪説、泥棒が多いのだろうと思ってしまう。

 

だからと言ってこの国が天国なわけはない。中には悪い奴もいる。子供同士でも他人の物を盗ったりするのもいる。キラキラ光るのでついつい手を出してしまうのか分からないが、地域に限らずこの手のトラブルは日本人に起こりやすい。

 

けどそれは一番の原因は日本人の親が日本人感覚のままで子どもにキャラ弁当持たせて同級生に珍しそうに観られて中には手を出して食う奴も出てくる、子どもは好奇心のかたまりなのだ。弁当食われても主張せずに自宅に帰って親に話をするだけ、他人とトラブルを起こさないことを良いことと思い、きちんと主張する能力に欠けているからそういう事が起こるのも事実である。

 

宋文洲の最近のブログでも中国人と日本人の違いについて書いてたが、あれはキーウィと日本人の間でも当てはまる内容だ。

 

日本人的に、つまり悪い意味で日本人的であるとこの国で生活するのはきついかもしれない。何かあれば「うちのこどもがー」とか言うけど、やってる相手には大して意味のない行為だったりするのが実際だ。

 

だから彼らは大人になれば殆どの人々はまじめに働き毎日家族で夕ごはんを食べて週末は家族でバーベキューを楽しむ。近くに誰かが引っ越して来たらちゃんと挨拶もする。うちのお客様でも皆が一様にびっくりするのがキーウィの人の良さである。

 

「何かこれ、私達騙されてるんじゃないかと思うんですけど」という質問を時々受けるが、いやいやそれがキーウィなんですよと説明すると「あー、これがそうなんですね」と納得してもらえる。

 

何度も書くが、だからと言って彼ら全員が好意的なわけではない。とくに不動産を買う時などは人種に関係なくトラブルがよく起こる。「けどそれは買った方の自己責任」と不動産業者に逃げられて終わりだ。

 

スーパーのレジで騙された!という人もたまに見かけるが、あれは騙しているんじゃなくて単純に計算に弱いだけ。どうしても嫌なら自動レジに行けば良い。どうも日本人はすぐに騙された騙されたという癖なのかな、大声で言うけど、お国が違えば習慣が違う。

 

ぼくらは長くこの国に住んでいるから、何が騙しで何が間違いで何が親切かの区別はすぐに分かる。初めて来た人には理解不能な事が多いだろうが、それをサポートするのも僕らの仕事だ。

 

ただ全体的に言えば、本当にお人好しの国である。もてなしの国であり治安は良い。世界全体でも同様の評価という事が今回の調査からよく分かる。

 

日本も昭和後半はこうだったんだけどなー、いつからおかしくなったのか?てか、元に戻るのに後何年かかるんだろって感じがする。清涼な大気。オークランドの涼しい夏の終わりの日曜日。

 



tom_eastwind at 14:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月23日

ジョークの効用

たっぷりとした小切手帳を持つ上品そうな女性が銀行の支店窓口で「何で私の小切手が使えないのよ!」と銀行の窓口の若い女性行員に対して怒っていた。行員は呆れたように済まなそうにこう言った。「奥様、済みませんがいくら小切手帳があっても残高がなければ使えないのですよ」

 

小切手社会ではよく使われるジョークだ。日本では普通の人はあまり触れる機会のないジョークでもある。

 

いろんな事にアイデアの出る彼が今回はなかなかいいアイデアが思いつかない。そんな時彼が言った。

「よっしゃ思いついたぞ!次のアイデアだ」

すると相棒が聞いた。「さすがだぜ、で、今回はどんなアイデアだ?」

「神に頼むのさ」

 

これはぼくが思いついたジョークだ。日本にいればおかしくも何ともないジョークだが西洋社会では結構使える。

 

ディバイン・ガイダンス(divine guidance)  という英語がある。意味は「神の導き」だ。オークランドの真ん中にあるスカイシティカジノは隣が古い石造りの教会になっている。

 

スカイシティカジノは他のもっと良い場所でなく何故ここに作られたか?それはカネに目が眩んだ連中がまずこの教会に来ていくらか寄付をして神のお告げを聞いてカジノに向かう為だ。そして欲に眩んだ奴のお約束通りカジノですってんてんになった連中が懺悔をする時の告解室もあるからだ(笑)。

 

このジョークはオークランドからロトルアに向かう乗合観光バスの中でよく使われるジョークだ。これなら日本人は何となく笑えるがキリスト教信者であるアメリカやオーストラリアから来た白人たちは腹を抱えて笑う。

 

おかげでつかみに成功したその日のガイドは一日楽しく働けてロトルアの羊の毛刈りショーの後でお土産を買ってくれた陽気なアメリカ人の払ったお金のうちのいくらかが自分のポケットに入ってあんまり買い物をしないオーストラリア人はウールーなんとかって自分の住んでる田舎町に戻って自分がNZツアーを申し込んだ旅行会社のスタッフに「オークランドでは楽しいガイドが付いてくれてよかったよ」って一言いうだけでその言葉は旅行会社からオークランドのオプショナルツアー運営会社のオペレーターにメールされ、オペレーターはまたそのガイドを次のツアーに指名するって算段で、ちょっとしたジョークが幸せな輪を作ることになる。

 

事このように、白人と仕事をしているとその場に合った気の利いたジョークが飛ばせなければ「面白くない奴」と逆にネタにされる。

 

道を歩いて犬の糞を踏んでしまって「Shit!」と言ってる友達に「君の悲劇は僕の喜劇さ(Your  tragedy  is my Comedy)」くらいの事をさらっと言えば相手も犬の糞を道にこすりつけながら笑って「次はお前の番だよ!」くらいの事を言えるだろう。

 

随分長くなったが事このようにジョークはその場を和ませてくれるし相手の機転の利き方が分かるから知能テストにもなる。

 

木曜日は朝から4時間くらい弁護士事務所に詰めて3件の会議を続けて行った。1時間半で最初の一つ、次の30分で新規案件の打ち合わせ、残りの2時間で外部を入れた一番でかい案件だ。途中の休憩はなく水だけ飲みながら喋りっぱなしだった。

 

今回の担当弁護士はフィリピン系の親を持ちオークランド大学法学部を卒業しておりまだ若いがうちの案件を年に相当(去年だけで20件くらいかな)こなしてもらっているので場数を踏んでいる成長株の一人だ。

 

いかにもフィリピン系らしく底抜けに陽気な奴で、親も資産家なのだろう「のんびり顔」で結構ミッキーマウス顔で時間があればキックボクシングの練習をやっており(それもうちの仕事でかなり練習時間は削られているが・・・すまぬ“笑”)去年は国際試合でどっかの国にチームで出場してた。

 

最後の2時間の会議はこの会議のためにウェリントンから出張してきた二人の投資銀行家との会議。うちの会社が移住を手掛けており特に投資家ビザ申請において今年はうちが業界トップに立つと聞いて、弁護士事務所経由で連絡があり、ビザ取得のための商業用不動産の提案をしたいとの事で会うことになった。

 

この投資銀行はウェリントンベースでもう30年近くやってて、日本での位置づけだと三菱地所みたいなものかな、ニュージーランドで様々な案件を取り扱っている業界大手である。今回は投資銀行のダイレクター(取締役)二人が出張ってきて日本で言う匿名投資組合のスキームを提案される。

 

作りは日本のスキームとほぼ同様で最初にSPCを作りGPBoardManagerを任命してVehicleを作ってそいつを一台づつ走らせる。Vehicleに載せるのはすべてニュージーランド国内の商業不動産物件で年利ベンチマーケット6%と3年後のキャピタルゲインが20%以上見込める物件だ。(この辺り専門用語で申し訳ない、わからない人は別途ウィキペディアでお問い合わせ下さい、さっき50ドル寄付しましたので)

 

ニュージーランドはキャピタルゲイン課税がないので例えば投資家が投資家ビザでビザを取得してニュージーランドに居住を始めてこのSPCに投資をして得たキャピタルゲインはその時点でニュージーランド居住なので日本での納税の義務はない。つまり丸儲けである。

 

この案件は去年の後半から話が始まり弁護士を間に入れて随分やり取りをして少しづつスキームを固めていって、やっと今回の会議で初めてお互いに顔見せをしたという、普通のキーウィビジネスではあまり考えられない手法だ。

 

つまりお互いに初めての取引相手なのでいつでも逃げられるように弁護士を間にかませた状態でやり取りをしながらお互いの知識程度の確認、何を知ってて何を知らないからの探りだ。

 

こっちは北半球の不動産ファンド組成ビジネスを十分理解しているし南半球の不動産ビジネスがいかに遅れているかは熟知しているので、ウェリントンベースの連中がどこまでこのスキームを分かっているのかを知るのが今までのポイントだった。

 

実際に会って話をしてみると、彼らはウェリントンベースであるが実際には北半球、アメリカやイギリスなど金融中心地で15年とか20年とか働いてきた連中であり為替、商業用不動産、ファンド設立と運営など、見事なまでにプロだった。

 

こいつら、金ピカだな。まさにニュージーランドの政府と直結して常に法律の内側にいながら最高の情報とコネクションを使って、どこの物件にどの政府機関が何年のリースで契約するかを早い時期から把握してファインドを組成して見事なまでに法律の細部まで理解して決して一線を越さないぎりぎりのところで仕事をやっている。

 

いやー、それにしても細部と現場を知っているな、こいつら完璧に現場の殺し屋だな、そこに転がっている石ころ一個まで把握して狙撃をするような連中だ。この国でこれくらい精密な狙撃ができるやつって少ないぞ。

 

だから話している内容は相当に高度であり精密でありお互いに、ぼくは日本の法律を引っ張りだして問題点を提起して彼らはニュージーランドの法律を持ってきて問題点を提起して、お互いにどこが落とし所かをその場で判断して「よし、こいつはこうしよう、これならいける」と決定して次のステップに上がっていく。

 

正直、ここまで来るとミッキー・マウス弁護士はついてこれない。彼は法律は知っているが金融のプロではないので僕らの間で交わされている単語さえ(例えばFireWallとか)が何を意味するか正確に理解できないので聞き役に徹しているしかない。大丈夫、君は若いのだ、今はこうやって人の話を聞いて勉強しようぜ。

 

なのでお互いに自己紹介をした後の会話の90%はぼくとテーブルを挟んでぼくの正面に座った「ウォーキング・デッド」の主人公の警察官のような柔らかい笑顔の裏に殺し屋の眼を持つ二人だけで話しまくりになった。

 

お互いにピストルを構えながらそれぞれの責任の部分を押し付け合い利益の部分を取り合い・・・となるのが普通のこの手の会議だのだが、今回は彼らがかなり肩透かしを食らったようだ。自分が銃を構えて相手を見ると、相手の銃はホルスターの中で座っておりボタンさえ外しもしていない。

 

「こりゃ何だ、新手の詐欺か?」彼は最初はびっくりした顔をして本気でそう思っただろう、「うちはこのファンド設立自体で利益を取るつもりはない、そりゃ全部そっちで取ってくれ、うちは顧客のために働いて顧客から手数料を貰っている、もしうちが設立で利益を取れば、それは利益相反行為になるから出来ないんだよ」というと、「え?そんなんありか?・・・そりゃ理屈はそうだけどさ・・・」と、彼からすればクリスマスのびっくり箱を開けたら全然欲しくなかったおもちゃが入ってた小学生のような顔になった。

 

今回の会議で一番ぼくが笑えたのがこの点だ。やっぱりニュージーランドは英国圏ビジネスだ、契約は徹底的に重んじているが利益はできるだけ自分に吸い上げるって発想の彼らからすればぼくの東洋的な「信用を重んじて50年単位の長期取引をする」やり方は理解不能だったようだ。

 

彼らにすれば最初の契約の時点で出来るだけ沢山の利益が取れるように仕組む、ここが肝心であり、しかし一旦仕事が始まれば契約順守に徹するし、その結果契約上自分がマイナスになるとわかっても決して契約を放棄しない、その時は清く負けを認めて金を払う、または相手の取り分が多くなっても決して文句は言わない。

 

そうやって失敗したり成功したりしながら長い人間関係を作り、それが次のビジネスの時に「お、これならあいつを入れておこうぜ」って話になる。これが結局この国でのビジネスの真髄なんだなってわかる。結局最後は人脈だ。人脈構成の中で次第にバカは弾かれていき、それなりの階層が出来上がっていく。

 

木曜日の会議は思った以上に得るものが多かった。最初はお互いに軽いビジネスジャブを打ちながらその一つ一つで必ずポイントにジョークを噛ませて相手がどう反応するかを見て相手の瞬発力を計る。

 

そして話を決して違う方向に逸らさない。これ結構難しい。お互いに進む方向を理解していないと、話の途中で違う方向に船が進んでしまう。担当弁護士、最初の10分ですぐ彼の知ってる範囲内の話を持ってきて船を止めようとか違う方向に進めようとするから、ぼくも正面に座ってる投資銀行家も偶然ながらタッグを組んで柔らかく「おいバカ、ガキは黙っとけ」と命令した。

 

ぼくと彼は話を進めたい、弁護士がバカ事を話し始めた時点でお互いにその暗黙の理解が得られた。お、こいつは本気で船を進めようとしているぞって。

 

会議はそれからもずっと殆どぼくと対面の二人だけの話になり、細部まで詰めて投資案件の最終的なリスク、例えば地震とか火災とかをどうやって一次引受保険会社がカバー出来るかまで突っ込んで、ならばロイズを再保険としてかませる事で問題がクリアーして投資家ビザが取得出来て投資家が損をする事が絶対にないようなスキームに組成することが出来た。

 

利益の部分はどう確保するのか?テナントは入るのか?実はここが出来レースで、政府機関がいつどこに移転するとか組織の再編成がどうなるかってのはまさに内部情報だが、ウェリントンで二人のビジネスマンがどこのレストランで昼飯食ってたらあそこの組織がどこに行くかってのはすぐ分かる。

 

これをインサイダーと言うかもしれないが、何だかこの法律徹底順守の国でも、それは何となく違うのだ。この感覚を日本在住の日本人に説明するのは難しいが、なんてかな、内側に入って初めて分かることがたくさんあるのだ。

 

日本の常識は日本では常識だが世界では非常識のように、言葉では説明のしようがない部分であり、知りたければ住んで下さい、そしてどっぷりと内側の世界に入ってきてくださいとしか言いようがない。

 

法律よりも秩序、競争よりも協働、喧嘩よりも平和、そういう空気がこのニュージーランドに存在しており、それがニュージーランドの穏やかな空気を醸成しており、それでいながら必要があれば国連軍に参加して毎年3~4名の戦死者を出しても決して引かない姿勢を貫いている、この国はそういう国だ。

 

今日は土曜日の午後、日当たりの良いソファに座っているとついつい文章が長くなった。真っ青の空にふかふかとたっぷりに膨らんだ雲がプカプカと浮いている。

今日もこの国はなべてこともなし。さ、新しいジョークの一つでも勉強しようっと。



tom_eastwind at 17:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月22日

長いものに巻かれるか?

企業税で神奈川県が逆転敗訴 最高裁が「適法」の2審破棄、19億円返還命令

2013.3.21 13:52

 法律が過去の企業赤字の課税を減免しているのに、法律より下位の条例が赤字相当額に課税したのは適法か、違法か−。そんな争点が審理された行政訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は21日、神奈川県が独自制定した臨時特例企業税条例は適法とした東京高裁判決を破棄し、同条例は地方税法に違反し無効として、原告のいすゞ自動車が納税した約19億円と還付加算金などの支払いを県に命じた。

 

 自治体の法定外税をめぐり最高裁が違法・無効と判断するのは初とみられる。大阪府泉佐野市が30日から関西国際空港と市を結ぶ空港連絡橋利用税を導入するなど景気低迷で税収不足にあえぐ自治体が知恵を絞って法定外税を独自制定する動きがあるが、最高裁は自治体に対し法律との整合性の順守を厳しく要求した形になる。

 

 神奈川県は税収安定化に向け、資本金や売上金を基準に課税額を定める外形標準課税の導入までの臨時措置として平成13年、資本金5億円以上の企業を対象に企業税を導入。地方税法は過去5年間に赤字がある場合、欠損金として繰り越すことで法人事業税を減免していたが、企業税は欠損金相当額に課税。企業税が地方税法に違反するかどうかが争点だった。

 

 県は21年3月の条例失効までに約1700法人から計約480億円を徴収。いすゞ側は15〜16年度の納税額と還付加算金などの支払いを求めていた。

 

 20年3月の1審横浜地裁判決は「企業税の課税は欠損金繰り越し控除を定めた地方税法の趣旨に反し違法」といすゞ側の訴えを認め、県側に全額支払いを命じた。

 

 2審東京高裁(22年2月)は「企業税は欠損金の繰り越し控除をする前の所得に課税するもので、法人事業税とは別の税目として併存し得る」と判断。1審判決を取り消し、県側逆転勝訴を宣告。いすゞ側が上告していた。

**記事終了**

 

「これ、次の試験にでるからな、しっかり覚えておけよ!」そんな感じの最高裁判決だ。武富士事件、中央出版事件、どれも法に基づいて行った行為を「脱税」と見做して訴えた税務署。結局税務署は全面敗訴した。

 

当然だ、租税法律主義という考え方は、国民にどうやって課税するかではなく政府という暴力装置を持つ団体が勝手に国民から税金を取らないようにするための「国家の手足を縛る法律」なのだ。

 

ところが昨今の税務署は民法の大原則である租税法律主義とか契約自由の原則とか適用通則とかを完全に無視して通達一本で課税してくる。これこそ国家の暴力である。日本が本当に法治国家であれば有り得ない脱法行為を行なっているのは政府の側である。

 

日本人は長い間法律というものを直接意識する事なくお上の言われた通りに納税してその課税額が高過ぎるかとか法律的に課税根拠がない、つまり正しくないかなんて考えることはなかった。とにかく言われるままにお金を払ってきた、身銭を削り生活を倹しくしてでも納税をしてきた。

 

ところが1990年代の政府の散財で財布が空っぽになったからって本来政府の自己責任であるべきところで国民につけ回しをしてきた。全く馬鹿な話であるが、国民はそれでも黙って納税してきた、首を吊るその日まで。

 

ぼくだってニュージーランドに来るまでは普通の日本人として納税してきた。高いか安いかなんて考えたこともなかった。けれどこの国に来て納税者の意識の高さを知り、自分たちが政府を支えているんだ、だからきちんと納税するけど、その金の使い方は徹底的に公表しろ、国民の側にそういう意識が徹底して根付いていた。

 

さすがに国王の権利を限定させることに成功した権利の章典、マグナカルタを作った英国である。

「自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされないとした第38条」とは、簡単に言えば租税法律主義の事だ。課税の根拠がなければ課税してはいけないと明確に記している。ところが日本の役所は国民の無知につけ込みどんどんつけあがり「通達」だけで課税出来ると勘違いした。

 

「そんなもん、法律のどこにも書いてねーだろが!」というと「いいえ、通達にどーのこーの」。おいおい、ふざけるのもいい加減にせい「通達に法的根拠はなく課税根拠もない以上課税は出来ないんだよ、がきんちゃ!」である。

 

ここまで来るとバカも極まれりだが、世の中の良い人達は未だもって税務署に言われたら言われたままの金額を払うことを義務と考えている。あーあ、全くである。

 

本当に不思議なのは普通の日本人に「日本って民主主義国家ですかー?」と聞けば誰もが「そーでーす、日本は民主主義国家ですー」と答える。そこで次に「では日本って法治国家ですか?つまり法律によって運営されている国家ですかー?」と聞くと、これまたYES!

 

ところが現実は日本は民主主義ではなく選挙で選ばれなかった官僚が国家を実質的に支配して法律に書いてない事を税務署が通達一本で課税をする、とっても独裁主義的な北朝鮮的国家なのだ。

 

そのことを誰も意識していないのがどうしても意味不明だが、要するに「長いものには巻かれろ」的な意識が徹底的に脳みそに渦巻いているのだろう。

 

しかし本当の民主主義とは個人が自分の意見の代表を選び一票を入れて彼に政治を託して法に基づいて様々な法律行為を行うことを委託しているだけであり、彼に自分のすべての人生を手渡したわけではないって事だ。

 

だから裁判では未だもって少しは法律主義が守られているから、まともに裁判をやれば市民の方が勝つ。

 

すると次に起こるのは裁判に勝った人間のすべての一挙手一投足を税務署と警察が見張り、少しでも問題があれば別件逮捕するって話だ。

 

けどさ、これって完璧にマネーマフィアじゃないの?そんなところで法律の通用しないところで生活することに何の意味があるのか?国民が法律に則って行った合法的行為を国家が違法として訴えるってのはどういう事だ?

 

どの国で生きるかを選択するのは自分だ。他人の意見に振り回される必要はない。ちょうちんは自分で持てば良い。しかしその結果は自己責任である。家族を守れなければあなたの負けだ。そのことをよく認識して自己責任で判断をして欲しい、裁判してでも喧嘩するか、それとも不合理で財産巻き上げられても長いものに巻かれて黙っているか。



tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月21日

鷹の目

「最近の日本っておかしくなってますね」とは日本がまだ平和だった7年前にお子さんを連れて移住してきたひとの語った話だ。「あの駅でこんな事件が起こるなんて、あそこ、わたしがいつも通勤に使ってた駅なんですよ・・・」

 

やっている本人よりも傍で観ているひとの方が物事がよく見えるって意味で傍目八目という諺がある。彼女は日本から遠く離れたオークランドの街で毎日日本のニュースに接しながら大きな視点から日本を俯瞰出来る。

 

要するに細かいところを見たり考えたりする必要がないから三次元、鷹の視点で地上を見ることが出来るのだ。実際に地上にいる人は二次元、蟻の視点みたいなものだ。

 

日本にいると普通の家庭の主婦はいつも目先の事、例えば子どもの朝ごはんとお弁当を朝早くから用意して学校に送ってすぐに自宅に戻って掃除して選択して片付けて、それでやっと一息ついて自分のささっとしたお昼ごはんを食べたら銀行や市役所や離れたところに行って所用を片付けた頃には子どもが帰ってきて塾に行く為の弁当を持たせて送り出し、自分はそれから夕食の支度をして御飯を食べてお皿を洗う頃には塾から子どもが帰ってくるから今日の復習と明日の予習のために12時ころまで子どもに付き添って勉強を手伝ってあげて、夜中すぎにやっとお風呂に入って就寝。そして翌朝早くにお弁当を作り・・・。

 

おまけに嫁ぎ先には気を使い時には用事もないのに「ご挨拶」で姑の家に立ち寄りしょーもない駄話を数時間聞かなければ「うちの嫁はねー、全く最近の嫁はねー」と、姑の友達に言いふらされるのが落ちだ。そんなことにも気を遣わねばならない。

 

当然そんな事ばかりやってたらゆっくりと日本の方向性を見るなんて暇は絶対にない。時間の隙間にみのもんたを見て世の中を分かったつもりになりNHKのニュースを観て「まあ怖いわ、あそこの駅で人殺しなんて、さ、夕食の準備しなくちゃ」となるだけだ。

 

まさに蟻の視点である。

 

二次元的にしかモノが見えないから今ナニが周囲で起こっているのかがわからない。これから襲ってくるだろう近い将来の現実が見えない。だから「まだ大丈夫」なんて軽い危機感どころではなく、明日も又今日と同じ日が来ると何の疑問も持たずにいるだけだ。

 

鷹の視点は三次元的に地上を観るから蟻の大群のすぐ向こうに大きな津波が近づいているのが見える。もうすぐあそこは高さ20メーターの大津波が襲う、太平洋で起こった大津波が見えているのだ。だから逃げる準備も出来る。

 

日本にいても鷹の視点でモノが見えるひとがいる。それは成功している投資家だ。彼らは先を読んで多くの人の逆を張って生計を営んでいる。

 

ぼくは仕事柄そのような投資家とお会いする機会は多い。おそらく普通の証券会社の営業マンよりも多いのではないかと思う。そして彼らはニュージーランドを投資家としての視点ではなく「サンクチュアリ」として観ているからその国に住む僕の話を聞いて結構本音で話してくれる。

 

どの成功している投資家の方とお話をしても共通しているのは「ちょうちんは自分で持つ」という姿勢だ。大勢の他人の提灯にぶら下がっていたらとっくに潰されている。彼らが生き残ってきたのはひとえに自分でちょうちんを持ち大名行列の旗持ちや棹持ちなどを持たない「One Man Army(一人の軍隊)」だったからだ。

 

そんな彼らが去年の初頭から激増した。まるで船がいつ沈むか分かっているかのように。もちろん彼ら同士の横の連絡があるわけではない、だって住んでる地域が数百キロくらい離れている人ばかりだし。

 

けど横の連絡がない人が同じ時期に同様な危機意識を持ち始めたというその現実は、受け皿であるぼくの仕事がある日突然忙しくなった=まさに成功した投資家こそ今が逃げ時だと感じている証拠であろう。

 

これは大きな意味がある。日本のそれぞれ離れた地域に住む人々がある日せきを切ったようにほぼ同時のタイミングでうちに問い合わせをしてくるのだ。これこそ船が沈むサインではないか。

 

単なるビビリンだったら投資で成功などしない。十分考えぬいて日本が好きでもし可能ならこのまま日本で住んでいたいけど、けど今出ないと絶対に逃げる機会を失って大津波に巻き込まれる、それが「見えている」から決断をするのだ。彼らも鷹の目を持っているのだ。

 

ぼくが今の日本を外から観ながら感じるのは、今はちょうど日本の1930年代の日本あたりではないかってことだ。1923年に起こった関東大震災は3・11をイメージすれば良い。東京を焼き尽くしてそこから日本は少しづつおかしな方向にずれ始めていった。

 

そして1932年に515事件が起こった。これなどは内乱だが同じ時期に関東軍による満州建国、つまり日本軍による中国国家侵略が起こり、それから13年間、1945年までの短い独立だが日本傀儡国家として存在した。当時の日本は1936年の226事件、1937年の蘆溝橋事件、そして第二次世界大戦と巻き込まれていく。

 

今から5年以内に国内外で軍事的な確執、簡単に言えば限定的戦争くらい起こるだろう・・・。

 

あれ、、、合ってる・・・鷹の目だ・・・。

 

ぼくはブログを書く時に自宅で夕食を終わらせてオットーマン付きの長椅子ソファに座って軽く飲みながら思いつくままに書く癖があり、今はまさにそうしている。こうやってると勝手に指が動くことがある。自動筆記か?って感じだ。

 

今年の参院選挙で安倍政権が衆参両院の三分の二を確保してこれから4年、つまり2017年までは安定して「何でも決められる政権」になる。

 

安倍政権の間に中国が領土主権、国内不動産バブル崩壊、チベット独立問題などを解決するために尖閣諸島で日本に限定戦争を仕掛けてくることは十分可能性がある。またその時には北朝鮮を利用するかもしれない。米国と長期的には手を握りたい中国だが、とりあえず目先の問題として北朝鮮を仲間につけてミサイルの一発とか敦賀や柏崎を狙った攻撃の可能性もある。

 

思いきりドンパチやって最後に米中でまとめてって筋書きもありかなー。その時の日本は1945年当時の終戦国家のようになっている可能性高いな・・・。この自動書記、気になるな・・。

 

水晶の夜事件というのがある。映画「シンドラーリスト」でもテーマになった事件だ。第二次世界大戦開戦前夜のドイツに住んでいたユダヤ人がヒトラー率いるドイツ軍(SS親衛隊)に強制連行されてアウシュビッツで強制労働の挙句多くがガス室で家族ごと虐殺された事件だ。

 

あの時も危機を感じたユダヤ人は早いうちに逃げ出した。

 

ところが店を経営してて動けないとか子どもたちが小さいからとかまだ大丈夫だろうと言うことで他国に逃げ出さなかったユダヤの人々は次々と逮捕され財産はすべてドイツ軍に没収されまさに丸裸にされて最後には収容所のガス室で家族ごと皆殺しにされた。

 

「災害は忘れた頃にやってくる」とは政府の標語だが、それはまさに事実であり政府は人々が忘れるように忙しくさせておいて災害を起こす。資産を持つ国民の財産を巻き上げて国庫に入れて「はい一丁上がり、次は庶民から消費税ね!」となる。

 

アベノミズムについてもぼくは以前にも書いたが、あの政策でハイパーインフレーションが起こっても政府は自分の借金が減るので問題ないのだ。困るのは一般庶民であり政府官僚ではないのだ。政府官僚はハイパーインフレになりそうなら準備をして資産を移し替えておく。ハイパーインフレーションで財産を失くすのは毎日の仕事に忙しい蟻の眼の視点しかない一般庶民である。



tom_eastwind at 17:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月20日

そして僕は途方に暮れる

昨日のニュースで江東区でまた無差別傷害事件があったようだ。大阪でも「神降臨」みたいなおかしな傷害事件発生。真昼間の午後2時頃、29歳の女性が外で遊んでた10歳くらいの男の子を刃物で襲ったとか。

 

最近こんな事件多すぎやしないかと思う。少なくとも昭和の時代は、無意味に人を殺すよりは一生懸命働いて得られる利益のほうが多く、誰もが一生懸命に法律を守って働いていた。

 

今日の事件は両方共「覚せい剤と思われる」というふうに書いているが、それってマスコミが話をそっちに持って行きたいだけではないかって思わず健全な疑問を抱いてしまうくらいだ。

 

秋葉原の無差別殺人、マツダ工場への突っ込み、その他多くの無差別事件がアタマのはっきりした状態で実行されている。それはもう安全だった社会がだんだん壊れ始めている証拠でもある。

 

これは何も日本だけの特徴ではなく、世界中どこでも起こっている、人間が持つ根本的な「平等にしたい、でなければ破壊したい」という本能が実行されているだけだと思う。

 

これは社会の中での格差の固定化がありそれがもたらす将来の貧困の固定化による自分の未来の無さであり、だったら生きてても仕方ねーや、いっそ“ぐさっ”とやっちまえ、それで死刑ならそれでもいいさ。

 

どうせこのまま生きてても一生結婚も出来ずコンビニのレジで毎日九官鳥のように「ありがとーござーいます、お箸はなんぜんに致しますか、あ、申し訳ござあいません!」と、誰も自分の個性としての存在に気づいてもらえずまともに話も聞いてくれない社会の底辺で周りに聴こえるように大声で声をかけても誰にも気付かれずにいるよりはましだ、刑務所に入れば仲間も出来るかもしれない、そんな感覚だと思う。

 

昭和30年代なかば、ぼくの三才の頃の写真を見ると母親が路地裏の整地もされていない地べたでぼくを背中に背負って同じ長屋の奥さんとたらいで洗濯をしている写真がある。洗濯機もクーラーもない時代だ。

 

うちにお金はなかったけどあの頃には夢があった。誰でも頑張れば生活出来る、そういう夢があった。少なくともあの頃は良かった、安倍首相のおじいちゃんや佐藤首相の時代である。

 

頭にくることもあった。小学校の低学年の頃、消費は美徳だと言った政治家に本気で腹が立った、ふざけんな、おれの靴には穴が合いててセーターは虫食いでそれでも足を守って体を温めてくれる、これを捨てて新しいものを買う金なんてどこにあるんだ!子ども心に本気で怒り最後には悔しくて涙さえ出た。

 

今の時代は違うねー。

 

モノが豊かで300円で弁当が食えてクーラーも冷蔵庫も自動洗濯機もあり電車も発達し公衆トイレに行けばケツを洗ってくれる機械まで付いてて至れり尽くせりだ。

 

けど夢はなくなった。今の時代、毎日サビ残しても将来の夢が持てずにボスに逆らえばすぐ首で、いずれこの会社を首になったらアパートを追い出されて浮浪者になるしかない若者からすれば、自分は個人能力に関係なく最初から社会から排斥されたようなものだ。

 

夢がないのだ。夢がないならないなりに一生サラリーマンが出来れば良いが、その道さえ最近はリストラで塞がれていつ解雇されるか分からない不安がある。

 

キモいと言われてコンビニを首になってやることなくて山手線に乗っても、自分の住んでた上野では見かけないような美人が乗り込む品川から新宿あたりまでは綺麗な服装のおねーちゃんがいるのに誰もオレの存在を眼にしない。あいつら仲間同士で楽しく喋っている、おれはここに座っているのにここに存在しない、自分の無存在を感じた瞬間、人は思いっきり怒りを感じて誰かを攻撃したくなる。

 

攻撃したくなる自分を誤魔化すために色んな言い訳をするが、結局突き詰めれば社会から自己の存在を無視をされて排除されて奴隷化して固定化した自己の地位をナイフを刺される程に痛みを感じて、かと言ってこの状況に対する抵抗もできない一生が待っているとすれば、そこには原始的人間として不公平を感じるどうしようもない怒りが込み上がってくる。

 

勿論殺人者や襲撃者を擁護するつもりはない。ましてやその理不尽で身勝手な刃が自分の大切にする人たちに襲い掛かればその理由を問わずぼくは相手を殺す。それが結果的に刑務所に入ることでも気にしない。ぼくは法律を破るかもしれないが人間でありたいから相手を殺すのだ。

 

しかし出来ればそんな事はしたくない。彼らがキチガイとなって襲撃しなくても良い社会へ、そして僕が仕返しをしなくても済む社会、それを構築出来るのが唯一、政府という存在である。

 

民主主義という美しい皮を被りつつ中身は国家社会主義であり精神は江戸時代から続くお上独裁の国家ではそのような存在は望むべくもない。

 

そして僕は途方に暮れる。



tom_eastwind at 17:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

考えて考えて考え抜け!

NHK「八重の桜」で今晩は新撰組が初めて出る回を観ている。最初は壬生浪士と名乗る20名程度の田舎出身のちっちゃなグループだったのがよく分かる。今の僕の目から見るとまるでビジネス戦乱の世の中に出てきたちっちゃなIT企業マイクロソフト(新撰組)が社員一貫となってIBM(会津藩)という大企業の懐に飛び込み大手が開発出来ない画期的ソフトを提供して、京の都でそのソフトが爆発的な能力を見せて一気に世の中の正面舞台に現れる、そんな感じだ。違いはそれが剣技なのかOSなのかってくらいかな。

 

たぶんあの場面の新撰組を見てIBMに乗り込んだマイクロソフトのビル・ゲイツを想像する人は少ないだろうが、ぼくはそう感じた。だって近藤勇は隊員を食わせねばならない。それは坂本龍馬が亀山社中で苦労したのと全く同じ理屈だと感じるからだ。

 

誰もが創立初期には突っ張るしかない時がある。壬生浪士にしても最初は無理をしてでもきつい戦いをする必要がある。一生無理ばかりやってればそれは単なるバカだが創立初期には必要だ。京都守護の初期に会津藩から「お、こいつは強いぞ」と認められて引き立てられるまで思いっきり戦いその実力を周囲に見せるしかなかったと思う。

 

ぼくは会社を設立して最初の3年くらいは一日3時間くらいしか寝なかった。朝の5時から市内のホテルに向かい顧客のピックアップと空港への送りを数回繰り返し午後は空港から市内観光して夕方からディナートランスファーをやって夜10時過ぎに自宅に戻ってから次の企画書作りの毎日だった。

 

最近でこそやっとそんな無理をする必要はなくなったので仕事の内容をシフトしているがそれでも人は生きていく限り戦うしかない。前を向いて前に進んで戦うしかない、それが自分の夢を叶えるためか家族を食わせるためか人によって理由は違うだろうが、とにかく前を向いて進むしかない。

 

その時に、つまり人生のスタート時点で会津藩藩主に生まれた人と西東京の片隅に生まれた田舎郷士のスタート地点の違いは大きいが、その不公平を調整する方法がある。それが「考えて考えて考え抜け!」だ。考えぬくこと、それだけが弱者に残された唯一の武器、戦闘方法なのである。

 

世の中が平等であるべきだなんて夢物語は信じるな!世の中は不平等に出来上がっている。まずそれを認めた上でどうやれば平等になるか、それも上向きの平等になるかを真剣に考えよう。

 

上向きの平等を考えるのは弱者の権利であり自分で解決するために努力した経験は何者にも代えがたい強い自分を作る。

 

決して誰かにすがったりお情けを乞うたりしてはならない。ましてや政府になどに頼って金持ちから金を再配分してもらって喜んでいてはいけない。それは長期的には努力して働く人の心をポキっと折って国家を弱くしていくことに繋がり自分自身は政府に生殺与奪権を渡してしまい奴隷になるだけだ。

 

自分の牙で餌を探して攻撃して、どんな小さな戦いでも全力で戦って生き抜くことだ。そうでなければ負け犬になりそこからの人生なんて死ぬその日までめしを食って排泄するだけの政府に首輪をつけられたポチと同じだ。

 

昔ある米国の大統領がこんな事を言った。「国家があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何が出来るかを考えよう」当時の僕はまだあまり意味が分からなかったが今はよく分かる。

 

国家が強くなり国民全体が豊かになるために必要なのは、いかに中間層=弱者がその立場から努力して成長するかであり、彼らの上向きの自己努力による成長なしには国家が成長しないという事だ。

 

「ポチになるな!国家を強くしろ!考えて考えて考え抜け!」

但し一言だけ付く加えて言えば、考えて考えて考え抜けの中には、どこの土俵=国家で努力するかも含めて考え抜けという事だ。



tom_eastwind at 16:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月18日

オークランドで久しぶりの有感地震あり

昨日午後4時頃オークランドで地震があったそうだ。マグニチュード3.13.9。日本感覚で言えば震度1〜2の間くらいだけど、ぼくはその時間自宅にいたのだが全く気付かなかった。今朝のニュースで初めて知って会社に行くと皆が「昨日は久しぶりだよね、日本っぽい地震だったね」と楽しそうに話してた。

 

地震国の日本から来れば可愛らしいものだったようだけどキーウィからすればびっくりものである。今朝の新聞でもネタになってた。

 

そっかー、オークランドでも本当に地震とかあるんだね、風のうわさに聞いてたけどって感じ。けど少なくともここは地震帯の上ではない。今回の地震はオークランドの郊外の海にある小島モツタプ島が地震源でシティから15kmほど北にあるが、ちょうどランギトト島の裏側にあたる。あのへんは火山帯かな。

 

日頃ネタのないキーウィからすればじゃんじゃん書き込みが出てるが、日本人常駐のNZ大好きの掲示板ではトピが立たないくらいのネタのようだ。

 

さてNZ大好きのローカル記事翻訳から本チャンネタを一本。

 

***記事開始***

移民相対数マイナス、この10年で最大に

 20117月から20126月までの一年間で、海外からニュージーランドへ移住する人から、ニュージーランドから国外に出てゆく人を差し引くと、3,000人を超えるマイナス値となったが、これはこの10年間で最も大きな値となった。

 

 ビジネスと改革及び雇用省の移民傾向に関するレポートでは、流出の多くは、オーストラリアへ移住する人々だとのこの。オーストラリアへの流出数は、2011年には3500人であったのが、昨年は39,700人となっている。

 

ただし最近の傾向は逆で、2014年には増加すると見られている。技能移民のカテゴリでは、これまで最大だった英国からに代わって、インドからの移民者が最大となっている。これは、初めワークビザを取得し、その後永住権に切り替えているインド人留学生が増えたためとのこと。

 また、技能移民申請の数は、11パーセント減少している。

******記事終了***

元ネタとなる英語だと上記の表現だが現場から見ると少し違った印象だ。
 

まず相対数−って、この10年間で最も大きい値って、そりゃそうだ。だってこの100年で最も大きな地震があったんだから。2011222日位のクライストチャーチの大地震であの街を去った人の数を考えれば当然だろう。そしてまた2014年に増加をするのは安心と安全を求めて北半球からやってくる人々が増えるからこれも当然だろう。ただインド人が英国人を抜いての方が増えたってのは面白い。ワークから永住権は結構いけるんだよね。

 

技能移民が11%減ったというのは移住希望者が減ったのではなく技能移民の受付条件が厳しくなってきて申請出来なくなったからだ。技能ポイント計算がきびしくなり更に例えば中国からの申請だと職歴と学歴は点数としてカウントされなくなった。中国の職歴と学歴は基本的に嘘だと移民局は考えている証拠である。

 

日本人は世界の中では永住権を申請しやすいグループに入ってはいるがいかんせん英語力がない。こればっかりはどうしようもない。だから最初は入りやすいワークビザで入国して2年程度働いてから永住権申請をする方が現実的だ。

 

ワークビザったってそんな簡単じゃないよってぼくに言わないでほしい(苦笑)。世の中に楽なことなど何一つない。楽なだけで生きていけるほど世の中は甘くないのだ。けれどいきなり永住権申請をするよりはワークビザから入った方が少しは「楽」なのは間違いないですよってことだ。

 

求人広告をそのまま真に受けて申し込みしても返事がないとかあるけど、求人広告は二種類ある。一種類は本当に今すぐ働ける即戦力になる人材を募集する場合。日本人の場合は求人に応募してもすぐに働けないのが殆どなので実質的に無理である。

 

もう一種は労働市場調査のための移民局への書類作りで掲載されるケースだ。これは実質的には採用する人は決まっているのだが、その人のワークビザ申請の時に「地元労働市場も調査したけど誰も候補者がいなかった」とする言い訳作り。

 

じゃあどういう見分け方をすれば良いのかと聞かれてもケースバイケースなので実例がないと答えようがないけど、本当の募集はきちんと存在する。ただこの国の場合、基本的に田舎社会なのでコネが大きな影響を与えるのは事実だ。

 

特に雇用法が存在するので下手に募集広告を出して申し込みが来たらきちんと対応しないと雇用法違反で訴えられる可能性がある。

 

だもんで実際には社長同士が飯でも食いながら「ねえ、いい子いない?」となるわけだ。その時に「こんなのがいるよ」って紹介すればかなりの確率で就職が決まる。

 

じゃあどんな子がいい子なのか?非常にざっくばらんに言えば日本人らしい日本人であること。つまり、嘘をつかず一生懸命仕事をして上司に忠実で仕事で取引先とトラブルを起こさない人。

 

なんじゃん、そんなの普通じゃんと思うが、まさにその通り、普通で良いのだ。なにせ日本の普通とは世界標準ではトップクラスなのだ。

 

ただ問題がある。それは長く地元に住んでしまうと日本人の良さをどんどん失いキーウィの悪さをどんどん吸収して結果的に両方の悪い点だけが残りかすとして溜まってしまい全く使い物にならなくなるって事だ。

 

そうならないようにするには真面目で良い人と付き合い続けるべきなのだが、キーウィには日本人だからとあんまり真剣に相手にされず日本人には「変な人―」と思われ相手にされず結局は同病相憐れむ状態で「似たような人」ばかりが固まってしまい、そこにいない他人の悪口ばかり言って自分たちは何て素晴らしいんだろう、外国で一人で立派に生きてて!なんてことになる。

 

いつも言うことだが永住権取得が目的になってしまっては永住権取得後の目標がなくなってしまう。永住権取得は幸せな生活への手段であり異国に来てまで他人の悪口を言いながら毎日を過ごすのであれば、そりゃ違うっしょって感じだ。

 
ちょっと話があっち飛びこっち飛びになってしまったが、
学校に通いワークビザ取得からこの国の社会に溶けこみ始めて数年後に永住権を取得して自分が願っていた生活を作り上げる。そういう道筋を作って一歩一歩進むしかない。他人に見せるための人生ではなく自分のための人生作り、その為にはまず「良き日本人」であることが基本である。



tom_eastwind at 17:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月17日

絶対に実弾を撃ちこんではいけない!

土曜日の午後、映画「光州518」を観た。三回目かな。政治のことなど何も知らない民衆が求めるものは自由と平等であり難しい話ではない。実際にニュージーランドではそれが実現出来ている。

 

暴動とは殆どの場合政府の不合理からくる。おかしな話を押し付けられた民衆が「なんっでそうなるの?」と思うのが暴動だ。それを政府が暴力で押さえつければ更に問題を大きくさせるだけである。

 

政府とは世間をよくするだけの組織でありソレ以上になってはいけない、そんな当たり前の事が出来ないのは、政府はアタマがよくって立派で、バカな国民を支配しなければバカな国民同士が殺し合いをするのだくらいの猿の脳みそで組織されているからだ。

 

韓国で起こった光州事件、ぼくは当時の記事でリアルタイムでずっと見ていた。その後ぼくは1980年代に日本の子どもを連れて韓国に行きサッカーとか交流をしてたが、当時釜山のチョースンビーチで屋台を経営しながらギターを弾いてた若い人と話をした記憶がある。

 

屋台と言っても本当にちっちゃなもので干物と焼酎しかなくて、けど何故かギターを弾くちっちゃな場所があって、そこで長い髪をくくった若者が悲しげに歌っていた。

 

彼らは光州からやってきた、もう家には帰れないという話をしていた。少なくともこのチョースンビーチの屋台だけは取り締まらないという闇符があったのかもしれない。これ以上騒がなければ許す、そんなのがあったのかもしれない。やっと生き残れた、そんな幸運な連中までも殺すことは政府はやらない、そんな合意があったのかもしれない。

 

けれど、絶対に実弾を撃ちこんではならない。仲間に対しては、絶対に実弾を撃ちこんではならない。

 

国を作る時に大事なのは、国民の総意を得ることだ。戦後の日本が何よりも幸運だったのは自民党政府率いる連中が本当に日本を大事にしていたからだ。その代表が後藤田氏だろう。そして佐々淳行とかが後藤田の指示を受けて治安維持に務めた。

 

安保など国を割る戦争になってもおかしくない話だった。それをぎりぎりに納めて日本人同士が殺しあわなくて良い状況を作ったのは、後藤田氏のおかげだと思っている。これが正解かどうか分からないが、現時点でぼくは彼に感謝している。

 

自分の意見が通らなければ相手を殺すってのは思いっきり合理的であるが決して簡単に選んではいけない道である。必要に応じて出来る限り最小の被害で物事を治める。それが政治だ。

どれだけ政治的意見が違っても、絶対に殺しあってはいけない。それは国金の民度を貶めるだけだ。これは本当にぼくが毎日生きている中で感じることだ。絶対に殺しあうな。それこそが唯一日本人を日本人として誇れる理由だ。
 

 

ソウルに住む韓国人の友達にメールを送った。「何もない、意味のないメールですが、この映画を観ながらまた韓国に行きたいなと思った今日でした、では!」



tom_eastwind at 14:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月16日

さえ

ゆうべ眠れずに泣いていたんだろう、彼からの電話待ち続けて.

この週末の夜はおれにくれないか、たとえ最初で最後の夜でも


 

考えてみれば今日が日本出張から戻った最初の週末だ。やっと脳みそが周囲に鉄条網を張ってクレイトン地雷を仕掛けなくてもいいよって訴えかけている。戻った翌日から1時間単位で面談がすし詰めになってたのでまだ出張が続いている感覚だったが、金曜日の夜になってやっと鉄条網とクレイトン地雷から解放された。

 

日本と米国や欧州を毎月行き来している人は多いだろうが、ニュージーランドと日本の行き来を毎月年中繰り返しているのはそれほど多くないだろうな。

 

金曜日の午後は地元キーウィ弁護士と会議。こいつ、オークランドのいいとこの私立高校を出たんだろうな、まるで日本で言えば慶應幼稚舎出の感覚で「あいつはこーだよ、こいつはこーだよ、でもって世の中はこーなってるよ」という自分の知ってる世界がすべてと思い込んでるかわいい話。

 

こっちはそんな駄話に付き合ってる暇はないのだが彼らは子供っぽい自慢をしたいのだろう、いつも「いあつがこいつが」と誰かを引き合いに出す。そんなんよりも“お前“が今、何を出来るかを知りたいのですけどねー。

 

そういえば話はそれるが慶應幼稚舎って存在を知ったのはこの国に来て二十数年経った後であり更には去年末までずっと幼稚舎ってのは幼稚園のことだと思ってた。今年になって幼稚舎が実は小学校だと知った時は青天の大笑い霹靂だった(笑)。所詮人間の知っていることなどこの程度だと笑えた。

 

今年に入って投資家枠で永住権申請をする日本人が増えた。この弁護士事務所にもうち経由でなく直接投資家が入ってくることが増えた。彼ら弁護士もけっこうびっくりである。キーウィとして普通に生活していれば10Mの顧客と会うことなど年に一回もないだろう。

 

普通に彼らが接するのは田舎の村で交通事故を起こした若者が母親に連れられて「何とか罪を軽く出来ないか、年金生活なのであまり金がないのだが」って筋書きが中心だ。月曜日の朝10時にシティの地方裁判所に行けばキーウィの現場生活がよく分かる。

 

もちろんシティでオフィスを持ってればそんな仕事では家賃も払えないので食っていけないのだが、弁護士として大学を卒業してもシティで働ける弁護士はごく一部だ。慶應幼稚舎あたりは親からの付き合いの客がいるからやっていけるが、普通に苦学して卒業したのんびりキーウィには狭き門である。

 

ぼくらからすれば弁護士とはあくまでも顧客が永住権を取得するための必要手段でしかないが、彼らからすれば弁護士になることが目標なのでシティの弁護士事務所で働く場所を見つければ目的を達したようなもので、さらにそこのパートナーになればそこから先は同じ生活を繰り返すようになる。

 

だもんで次第に態度がでかくなってきて今までやってきた事を喋って喜んでいるのだが、去年あたりから日本の市場のでかさを理解し始めているようで、中国人と仕事するよりは日本の資産家と仕事した方がよっぽど気持ちも良いし金払いも良いしなにせ家族や友達に「おれのお客ってさ、日本人なんだよね」と自慢出来る。キーウィは日本人贔屓。

 

この弁護士、奥さんが韓国人でこの会議では後半は彼女も参加してビザに関してあーでもないこーでもないとやり取りをしたのだが、彼女の得意技は商業用不動産でこの時もビザ取得の為にどうやって不動産を利用するかの議論。

 

彼女も中国人に売るよりは日本人に売りたいなって意識みえみえ。実はこの物件、すでにある韓国の企業が興味を持っているのだが、どうも彼女からすれば韓国人に売るよりは日本人に売りたい様子。なんだこりゃ、甘く観られているのか褒められているのかよく分からんぞ。

 

現在市場に出ている商業物件ではおそらくいちばんでかい200M程度の物件を取り扱っていて、これを小分けにして10Mx10名でいこうって提案。それだけだと100Mにしかならないが残りは50%のANZのローンでいけるので買収可能。利回りは7%程度で永住権も取れて滞在は最初の一年は不要、次の二年だけ44日滞在すれば良いのでこれなら相当に有利な保険のような投資だって事だ。

 

ローンは何せキーウィ系幼稚舎だ、どこの誰がどこにいてってのがちゃんと頭のなかで整理されているから話が早い。面白いなこの世界、どのボタンを押さば何が出てくるかをよく分かっている。てかキーウィでもこのクラスになるとすべてがコネである。まさにインサイダーだらけで、よく言えば昭和の自民党、悪く言えばよそ者が入れない「ムラ社会」である。

 

金曜日の午後、まるで糊と糊を剥がすような終わらせ方で弁護士との会議をなんとか終わらせて「あとはまた来週ね」と彼らのオフィスから戻る。(戻ったら早速来週の会議の予定をメールされた・・・)

 

頭のなかでかかっていた音楽は何故か浜田省吾。

 

ロッキーかラストコンサートか?男は映画を観て本気で笑ったり泣いたりする。隣に座っている女は本気で泣いたり笑ったりする男をじっと見つめている、こいつとずっとつきあっていけるかと。

なんだか、日本出張の名残とオークランドでの会議と慶應幼稚舎とキーウィ弁護士と浜田省吾がぐちゃぐちゃに混ざった今週でした。今日はあまり意味のない話でごめんなさい。

 



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2013年03月15日

中庸、そして敦盛という生き方

「放射能に限っては鈍感は危険で敏感になると健康によくありません。鈍感と敏感の間に心を置いて折り合いをつけるのは人間にとってかなり難しい事ではありますが。」

日経ビジネスでチェルノブイリに取材に行った編集部記者の一言。

 

中庸、だろうな。右にも傾かず左にも傾かず、常に自分を真ん中に置いて。そのために必要な事は常に学び続けること、何かがあった時に自分の中でいくつもの試金石を持ってそれで測ってみることの出来る、安定した何かを持ち続けること。

 

以前も書いたと思うがぼくの発想はどうしても一般常識からかけ離れている。普通なら「こんな発言すれば引かれる」よなって分かるような事でもぼくは分からないのでそのまま言葉にして引かれてしまう。

 

以前社内でペットのニュージーランドの引越しの件で輸送費が高いねーという雑談話になった。その時僕は「だったら足一本だけ送れば?」と言われて、動物好きのスタッフにおもいっきり引かれた。それ以来ぼくは麻生副首相じゃないけど発言に「気をつける」ようにしている。

 

同時に時代が変わっても場所が変わっても変わらないものを試金石として持つことで人として言って良い事といけない事の区別をするように自己訓練している(苦笑、ガキかお前は!)。

 

原発も同様であり僕は科学的に考えろと思うが自分の試金石を「政府のみことば」に置き、政府が安全と言えば安全「神話」を科学と思い込んでいた人は福島以前は本気で政府の言うことを信じて「あんたバカ?」と思い込んでいた。

 

ところが実際に原発が爆発してみると自分が後生大事に抱えていた試金石が実はたんなる石ころどころか石でさえない嘘を書いた紙切れであることに気づいた。そしてパニックになった。そこから先は転げ落ちる石のように何も信じられず毎日不安な生活をおくることになった。

 

今回の日経ビジネスの原発記事はそのあたりをきちんと科学的かつチェルノブイリ取材で実証的に特集しており甲状腺癌が子どもに発症している事実を捉えながら、しかし全体的に見ればそれはどこまでの被害でありどれほどの被害なのかをきっちりと書き込んでいる。こういうのが良い記事なんだよなと想いつつ読了した。

 

日本では原発だけでなく多くの「安全神話」が独り歩きしている。何故か?それはお上が「安全である」と言い続けているからだ。国民はすべて安全であると信じているが世の中なんて実は程度の違いはあれ危険だらけである。

 

では何故政府は安全神話をばら撒くのか?

 

そうすれば国民は「世の中は、なべてこともなし、安全」と思い込んで自分で安全を維持することを考えようとせず、結果的に政府に従順な犬が出来上がるからだ。政府を信用するから政府の言うことを何の試金石も持たずに政府を試金石にして政府が言うから安全と思い込む。

 

つまり国民から自分で考える力を奪うのが安全神話なのだ。自分で考えないから目の前で人が殺されても政府が「気にするな、これは正しいのだ、お上がやっているから間違いないのだ」と言われれば真に受けてそーだそーだとそーだむらの村長さんになるのだ。

 

四国の白バイ事件など良い例だ。同胞が無実の罪で逮捕拘留の挙句実刑を食らっても自分のことと思えずぼやーっと眺めているだけなのだ。まるで映画「カッコーの巣の上で」でロボトミー手術を受けたような囚人のようなものだ、日本人の場合は手術ではなく学校で洗脳されているのだが。

 

しかしまともな民主主義国家では世の中は危険だときちんと本当の事を教えた上で、ではその危険に対処するにはどうするかと教える。税金は本来どう遣われるべきかをきちんと国民に教えて政府が間違った場合は国民が分かるようにしている。

 

中国のような独裁国家では政府の言うことを信用するのはバカだけだと家庭内で教えて政府の前では「御無理御尤も」という顔をして「飛べ!」と言われればどれほどに下らなくても「何故?」とは聞かずに「どれだけ高く?」と聞くのが「政治的正解」と教え、飛ぶのは馬鹿げているけど殺されるのはもっと馬鹿げているから飛ぶのだという世間の真理を教える。

 

そういうのが普通の国家であり普通の国民だ、それは民主主義国家でも独裁主義国家でも変わらない。唯一世界の中で非常に特別で常識と異なる、略して非常識な国家である日本だけは国民が政府の言うことをそのまま真に受けて信じて、あまつさえ時には自発的に政府の走狗となり大政翼賛会の下っ端として一般国民を取り締まったりするから始末におえない。

 

試金石を持つこと。それが本でも友達でもよい、とにかく「この石は必ず正しい答をくれる」そういうものを持つことが大事だ。そして試金石が「それ、おかしくない?」と言えば、そこには必ず何か問題がある、その時は妥協せずに徹底的に考えぬいて何が問題なのかを見つけ出す訓練が必要だ。

 

政府に脳みそを明け渡すのではなく、絶対安全神話なんて存在しないという前提で自分の頭に試金石を持って考えぬく。最初はきついけど一年もすればそういう思考方法に慣れてくる、つまり洗脳から解けていく。そこから後は自分の頭で考えることが出来るようになる、そうすれば学校で洗脳された脳も普通の脳になっているので何が試金石かわかってくる。

 

それから初めて世の中がバランスで成立しているのが分かり、極右も極左も脳みそを遣わなくて良いという意味では実は円の輪の一番反対側にいることが分かる。

 

円の輪の一番天辺に両手をあててみよう。それから右手は輪に沿って右に下ろす。左手も同じように輪にそって左におろす。最終的に極右も極左も輪の一番下、無知と暴力にたどり着く。

 

輪の天辺が実は中庸である。無知の知を知り天辺からどっちの端っこにも落ちないように常に心にコンパスやジャイロという試金石を持って測りバランスを取りながら、まるで綱渡りをするサーカスピエロのように生きていく。

 

そうやってこそ初めて落ち着いた心、動じない心、右にも左にも振り回されない自分を実現することが出来る。平時には常に危機を意識し危機時には決して動じすにたくさんの選択肢を持ち最高の選択肢を選ぶ。

 

試金石として良い物は、例えば日本なら中村天風、中国なら古代の老子、荘子、欧州であればルソー、イエーリング、ハイデッカーあたりか。人によって違うので世界の古典と呼ばれる本をひと通りぱらぱらっとでも良いから食いつきのよいものから入っていくことだろう。

 

日本でも良い物は沢山あるが、現実の世界を生きていく中で心を励ましてくれるのは相田みつをのような直感ものも良いがやはりきちんと最初から最後まで一つの筋書きのあるのが理論武装しやすく試金石にしやすい。

 

そしてこれは蛇足かもしれないが、人生の最後にはやっぱり日本人なら敦盛だろう。「人間五十年、化天(下天)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬ者の有るべきか」をしっかり心に刻みつけて、ましてや体にパイプを付けてまで生きるべきかを考えることだろう。



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2013年03月14日

TOMの撲滅

TOMを撲滅して“国民総健康度世界一”を実現したいものです。」

 

おれかよ?おれが撲滅されて皆が健康になるってなんじゃいと思ったらTOMとは怠慢・臆病・無知とのこと(あはは)。日経ビジネスの鼎談で「日本の食と健康を考える」がテーマで名古屋大学大学院生命能楽研究科教授の内田浩二氏が語った言葉だ。

 

こーいうの、日本語だとなんとも思わないかもしれないが世界で通用するようになると本名がTOMの場合、かなり怒らせる可能性高いぞー(笑)。ちなみに英語では一般的にtomは通称であり正式にはThomasだ。

 

英語圏で英語を略語にする時は当然周囲に配慮するのだが日本語圏で作る英語には時々笑わせるものがある。昔ある歌手が“裸足でMaking Love”なんて歌ってしまい、それをまたテレビが広告で使ったものだから速攻で放映中止になった(大笑)。

 

けど怠慢・臆病・無知ってのは良い例えである。ぼくの周囲でも年の近い連中でこういう人は多い。「おれも運動したいんだけど忙しくてさー」と腹はだらけて垂れ下がり、新しい仕事には「オレもいい年で今更ゼロからおいっちにーと新しい事なんて覚えてられないよ」って取り掛からず、そんなんじゃ自分がダメになるぜって言っても無知だから自分が病気になった時の事を考えようとしない。

 

ぼくもそうは言っても怠慢なところがある。今日出来ることは出来るだけ今日やってしまいたいが、時にはついつい「もういいや、今日は疲れたー」と逃げることがある。長く生きていると失敗の怖さがわかって臆病になるから本来突っ込むべき場面なのについつい守りに入ってしまう事もある。自分が無知であることだけはよく知っているので危機感を持って勉強することだけは常に心がけている。

 

だからTOMの撲滅ってのは大事だと思う。いくつになっても大事だと思う。死ぬまで気合を持って続けていくべきだと思う。ぼくが私淑する大先輩であり大事なお客様は高齢になった今も健康に気遣い決して引かず学びを忘れずにいらっしゃる。

 

怠慢・臆病・無知。TOM、か・・・。 それなら逆に無知・臆病・怠慢・I(これを何の略にするかはご自分で想像してください、はは)にすればMOTI(もち)、餅のようにそこにごろっと転がってるだけで何もせず無垢の白さ、あはは、今度同級生の仲間を捕まえたら餅野郎と言ってやろう。英語で言えば”Ministry of  Total Innocence” にも訳せるから英語圏でも十分通じる(笑)。

 

 

けどこのパネラーの指摘することはよく分かる。

 

生き残るってのは突き詰めて言えば変化することだ。怠慢で変化をしなければいずれ病気で死ぬ。臆病で何も挑戦しなければいずれ誰かに殺される。無知であれば確実に死ぬ。バカの増えたオークランドだがバカに付き合って傷の舐め合いをしている暇はないのだ。



tom_eastwind at 17:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月13日

いりょうけんさぎし

いりょうけんさぎし

この言葉を普通に文字変換すると「医療検査技師」となるが、「わたしはいりょうけんさぎしです」と言われた患者さんは文字変換能力がやばいのか「医療兼詐欺師ですか?」と聞かれているようだ(大笑)。昔は医者といえばひとつしか存在しなかった記憶だけど医療が高度細分化されていく中で検査を専門にする職が発生した。

 

確かに医療は厚生労働省が作り上げた偉大なる「詐欺」ではあるが、医療の現場で働いている人にとっては毎日がガチな戦争である。医療をぐちゃぐちゃにして出来るだけ自分たちがすべての権限を押さえて自分たちだけが儲かるようにしている厚労省を好きな現場の医師などいるわけがない。

 

ニュージーランドの医療現場もかなり忙しい。ぼくの掛り付けのお医者さんも毎日忙しそうに働いている。ニュージーランドの医療の仕組みとしては英国とよく似ているが社会主義時代の発想が残っており地域ごとのDHBDistrict Health Board)が支配している。GP(掛り付けの医者)は地域のDHBに所属して病院を回っている。

 

ぼくが最近取り組んでいるのが個人病院の買収だ。ニュージーランドに移住を希望する医師は多いが医師として働くには英語力(IELTS7.5)が必要でこれはネイティブ並を要求されているので現実的には日本の医師がニュージーランドで医師として働くのは難しい。

 

しかし病院を買い取れば?そうして地元の医師免許保持者を採用して実際の触診などは地元医師にやってもらい自分は経営者として日本人を専門のGP医院としてしまえばニュージーランドでも実態として医療に携われる。

 

治療行為などは出来ないが患者さんにセカンドオピニオンを伝えることは出来るし健康状態を自分の目で見る事が出来る。

 

オークランドの現在の日本人数は約1万5千人。毎年2千名づつ増加している。しかし日本人向け医療サービスは組織としては現在は当社が行なっている地元病院と提携した日本人看護師による医療通訳のみである。これでも患者さんからすれば日本人看護師が通訳してくれて更にプロとしての説明を日本語でやってくれるので有難い限りである。

 

しかしこれから必要なのは医療行為そのものである。欧米の大都市ではすでに日本語で診察が出来る病院がたくさんある。オークランドもこれから日本人人口が増えていくにつれ必要とされる。

 

今は歯の治療などはみなさん日本に一時帰国して治療をしている。ニュージーランドの医療技術が低いとよく言われるが当社の看護師に聞くと決してそうではない。ただ薬をむやみに出したり無駄な予防検診をやらないし何よりも公共医療の多くの場合は無料だがそれは国家の税金で賄われていると医師が理解しているからだ。

 

だから風邪程度なら「ぐっすり寝て下さい」で終わりなので薬を貰わないと気が済まない薬漬けの日本人には納得出来ず「腕が悪い」と自分のニュージーランド式医療システムに対する無知を棚に上げて他人を無責任に批判する。

 

もちろん高度先端医療などはニュージーランドで技術も機械もないのでシドニーや米国に行くことはある。しかしそれはこの国が人口400万人のちっちゃな国家であり殆ど発生しない病気のために人口1億2千万人の高齢化社会である日本と同じような設備を持っていてもコストが合わないからだ。

 

それでもMRIは専門病院がニューマーケットにあるしぼくも自分の健康診断の際にはそこで受けている。一回あたり1400ドル、だっけな、個人負担である。たっけーが健康には代えられない。

 

二晩機内泊をして今朝はまだ眠り足りないがオークランドに戻ってきて早速買収価格や免許や医療業界の仕組みなどを調査する取り組みを開始している。



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2013年03月12日

化学赤道

「赤道のあたりを越えると何か変わるんだよねー、やる気出るっつうかなー」という人が結構多い。まさか同じ地球なのに変わるわけないじゃんと普通は思うものだが、最近ぼくが見た面白い資料に「化学赤道」というのがあった。

 

北半球と南半球の空気が全く違うのは下記サイトで表されている。310日に東京で黄砂に見舞われた東京あたりは大気の汚染度がすんごく汚くて表示レベルのほぼ真っ黒に近いどす黒い暗色赤。

 

中国から黄砂が来る時期になると朝鮮半島から日本の九州、そして本土へと暗色赤が広がってきてついには東京まで暗色赤に染めてしまう。

 

東京に住む友達がその日たまたま天気が良くて窓を開けてたら突然黄砂に降られて部屋の中が砂だらけになった。すぐに窓を閉めて掃除をしたのだが、部屋の中に干していた洗濯物は全滅、再度洗濯である。

 

けれど面白い事にそれだけ汚い空気でもどうやら北半球は北半球の中だけで空気が回っていて、気流に乗って北半球をぐるぐると回るが、それが南半球に落ちて来ることはない。それがどうも化学赤道と呼ばれているものだ。

 

場所で言えばオーストラリアのちょっと上あたりに北半球と南半球を分離する空気層があり、これが大気を区別しているようだ。だから北半球の空気は南半球に来ないので南半球の空気は常に最高レベルの真っ青である。

 

水道のシンクに水を溜めて栓を抜くと、北半球と南半球では水の流れ方が逆になる。空気もそれと同様に北と南では反対に回っている。地球というコマの上半分と下半分が逆に回っているようなものだ。

 

冒頭に紹介した友人の言葉だが、これってある意味理屈ではなく肌感覚で理解しているのだろう、赤道を越えると何かが変わるってのは間違いないようだ。それを理性で「そんな事あるわけないじゃん!」と抑えこむと、せっかくの「良い気」の流れが悪いままになる。

 

これは実例だが花粉症に悩まされている人々がオークランド空港に降り立った瞬間に完全に花粉症が消えてしまう事はよく聞く話だ。それほどに大気は大切だ。毎秒ごとに吸い込む空気の中には様々な汚染物質が含まれている。肌に触れる空気も同様だ。

 

その汚染された空気の中には杉の花粉もあれば黄砂の中に含まれる有害物質もあるしとても人間の体を綺麗にしてくれるものではない。てか、公害で汚染された真っ黒でどんよりとしたドブ川でその水を飲みながら泳いでいる様を想像したら実感として分かると思う。

 

シンガポールを夜の930分に出発して機中泊でオークランドに戻る。機中泊2泊連続ってのもあんまり経験しない事だな。日曜日の夕方まで仕事して真夜中過ぎ、つまり月曜日の朝0:30分のフライトで羽田を出発して朝06:50にシンガポールに着きそのまま仕事をして月曜日の夜21:30のフライトでシンガポールを出発して翌日の12:30にオークランドに到着。

 

今回はかなりきつい日程であったがオークランドに着きさえすればそこでは化学赤道に守られた青い空気が待っている。

さあ、家に帰ろう。

空港の長期用の駐車場に停めてたオンボロ車を引っ張りだして、家に帰ろう。



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2013年03月11日

きみの朝

思わず、不覚にも涙が出た。

 

東京で仕事を終わらせ羽田発真夜中過ぎのフライトでシンガポールに飛び、早朝の空港のカフェで甘ったるい紅茶と甘ったるいチーズトーストの朝食を取りながらネットを開いたら東北大震災の記事を眼にしてしまった。

 

ちゃんと構えて読めばよかったのだが、朝の少しぼやっとした頭で読んだものだからそのまんまに脳みそに話が飛び込んでしまい、空港のカフェでみっともなく涙を流すことになってしまった。

 

多くの日本人が一瞬の津波で命を失った。誰もが10分前には「さ、お茶でも飲もうか」とか「ちょっと早いけど子どもを迎えに行こうか」とか思ってただろう、海辺の漁師は一杯飲みながら明日の天気を笑いながら語ってただろう、そんな普通の人々の生活を一瞬の津波が飲み込んでいった。

 

このブログはシンガポールのカフェで書いている。たぶん周りの人は何故この男が涙を流しながらキーを叩いているからわからないだろう。それは仕方ない、ぼくがこの街の近くでその前に起こった地震に対してそこまで気持ちがこもらないのと同じだと思う。

 

ただ、やっぱり日本人として、地震の前に家族と一緒に旅行にも行ったあの場所が一瞬にして崩壊してしまったというのは、悲しいとか悔しいじゃなく、なんてか自然の災害なんだから誰も何も言うことはないけど、なんだか涙がこぼれてしまうのは、理性ではなく心の奥底から湧き出てくる感情の問題だ。だからどうしても涙が止まらないのだ。

 

何だかな、あの時に多くの人の肉体から離脱した魂のいくつかがぼくの体の中に入り込んだような感じ。僕自身は誰も知り合いのいない東北なのに今も涙が出るのは、その魂が泣いているような感じ。

 

けれど。起こった事をどうこう言っても仕方ない、どうやって復元するかではなく、どうやって新しい街を創るかが大事だってくらいの理性は働く。ぼくはクライストチャーチで2・22の地震が起こった時に「むしろその場所を捨てて新しい街を作ろう、都市機能を周囲の街に移転させるべきだ」と書いたらごうごうと非難を浴びた。

 

「ひとでなし!人の気持ちが分からない!」かなり罵られたが、それでも今もその気持は変わらない。東北では街を高台に移す作業が始まっているがなかなかボタンの掛け違えというかうまく回っていないようだ。

 

ぼくはひとでなしかもしれないが、人として生きていくには苦しくても捨てることが必要な時があると思っている。その覚悟を持って生きていく、それが人であると思っている。勿論世の中には絶対に捨てられないものもあるしそのためには死ぬ覚悟もある。

 

けれどそれは、ぼくにとっては少なくとも生まれ育った街ではない。人々は仕事を探して、生まれ育った街を出て都会に向かう。それでもふるさとは常に心のなかにある。

 

室生犀星の詩です。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや

[小景異情ーその二] より

 

明るい夏空のシンガポール、クラークキーのスターバックスには米系の人々が行列を作って巻き舌英語でコーヒーを注文している。まだ早い時間なのに気温が上がってくるのをじわじわと感じる。短パンにTシャツの人もいればアイロンのかかった白いドレスシャツに綺麗な紺のネクタイを合わせたビジネスマンもいる。

 

誰もが普通の生活をこのシンガポールの街で送っている。いつもと同じ今日がまた繰り返してくると思っている。けれどそれは真実ではない。毎日が実は新鮮な変化であり、誰もが変化をしながら生きているが誰にもいつかは死が訪れる、東北の地震で亡くなった人々のように。

 

ならば、いつか死ぬのであれば今日を充実して生きよう。

 

多くの人びとは常に変化を恐れて昨日と同じ明日が来ることを望むし人と同じ事をしていればいいと思うが、結局それがストレスになり楽しい毎日を送ることが出来なくなりいつもストレスを抱えて生きていくことになる、死ぬその日まで人生の愚痴をこぼしながら。

 

それってあんまり楽しくないよね。

 

今日は3・11。たくさんの人が亡くなった。そんな人達が生きたかったあともう一日を「今日も退屈だねー、やることねーよな」と努力もせずに無駄に一日を過ごす人々もいる。

 

どうせ生きるんなら、火の出るような一日を生きてみようよ。そう思ったシンガポールの朝だった。 



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2013年03月10日

軒を貸してくれた人への感謝の気持ち〜日本人らしさ

今日は6件の個人面談してから真夜中過ぎの飛行機で羽田を出発してシンガポールに向かいクラークキーで個人面談を行い、またも夜中のフライトでオークランドへ。今回の日本出張は最近では最も短期間で、78日のうち3泊は機内である。

 

機内ではずっと映画を観たり本を読んだりしているがきっちりと眠れるわけではないし大阪でも東京でもお客様との夕食が入ってるので殆ど突っ走るような一週間の旅になった。何だか商社の出張みたい。

 

とにかく今年も忙しい。次々と問い合わせを頂くのだが回答が遅れており申し訳ありません。何が忙しいかというと、今までは移住を希望する人々の移住手続き、つまり生活作りの準備をすることだった。

 

けれど今はどちらかと言うと移住してきた人々の会員組織を運営して同じ価値観を持つ皆さんが互助組織としてお互いに助けあいながら新社会で生活出来るようにすることが増えている。この人々の数はどんどん増えるばかりであるから、これから来る人々の移住準備とすでに移住してきた人々の両方が膨れ上がる両輪のようになっている。

 

ぼくの仕事の最終目標はニュージーランドの中の日本人社会の構築だ。中国人は世界中どこの街に行っても華僑社会を構築して新移民の受け入れや助け合い、若者の起業への協力、地域社会での発言力の確保、などなどを行なっている。ぼくの考える日本人社会の中の相互互助組織も同様の内容だろうと思っている。

 

今回の説明会でも感じたが、去年の特徴は原発だったが今年は相続が特徴だ。両年に共通するのは子どもの教育だ。将来の子どもの為に今の両親は何を準備出来るか?自分の人生を削ってでも子どものために何かしたい、そう考えているご両親の気持ちは本当に素晴らしいと思う。

 

ただ最近目立つのが日本の常識だけを持ってきて日本の常識が通用しないと怒る人々だ。

 

例えば自分は原発の被害者なんだからニュージーランドに来ても可愛がって欲しい、私は被害者なんだからビザだって学校だってちゃんと配慮して欲しい、つまり自分だけ特別扱いして欲しい、そんな事を相手に押し付けて相手が「それって違うくない?郷に入れば郷に従えじゃなねーの?」と言うと「私は被害者なのよー」というが、違うよね、それ。

 

日本では何かあってもイノセントの消費者は神様であるがイノセントの意味は無垢だけじゃなく無知という意味もある。無知なまま消費者がお店の人を怒鳴りつけて気持ちはすっきりするだろうけど、そんなん電子レンジに濡れた猫入れて焼き殺しておいてお店の人に「なんで“猫を電子レンジに入れないで”と取説に書いてないのよ!」と怒るようなものだ。

 

じゃあ北朝鮮から脱出してきた人が日本海に辿り着き「おれは大変苦しい生活を送ってきたのだ、飯食わせろ酒飲ませろ生活費出せ!」なんて言ったらどうするよ?

 

ニュージーランドは世界的に見れば面倒見の良い国である。難民の受け入れは英国圏の中で最も多いし人道的見地で様々な「個別特別な配慮」を行なっている。余程どうしようもないケースは断るしかないが、僕自身の経験で言っても移民大臣に直接手紙を送って永住権を取得したケースも見てきている。

 

これからも日本人が世界の中で「好まれる人々」であるためには、日本人が昔から持つ「相手に対する思いやり」や「軒を貸してくれた人への感謝の気持ち」を忘れない事だ。中国人が嫌われるのは「相手に対する思いやり」も全くなく「軒を借りたら母屋に乗り込む」彼らの態度にある。

 

ぼくらが「好まれない人々」と同様の扱いをされないためには日本人が昔から持つ道徳をしっかりと身につけ、自分だけの都合で相手に無理を言うことはやめようと言うことだ。これからニュージーランドに移住を考えているう人たちには是非とも理解してもらいたいと思う。

 

次の説明会は420日を予定している。今回の面談でもかなり「眼からうろこ」の提案が出来たと思う。自分の持つ力が何なのかを自分自身が知らないケースが多い。一人で考えても結論は出ない。知らないことを考えても答えは出ない。一人で悩むだけでなく一度説明会にご参加されてみればどうだろうか?

 

さあ日曜日、今日一番の個人面談の準備に入ろう。



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2013年03月09日

本日説明会

日本で生活をする一般的サラリーマンだと起業とは非常にハードルが高くて自分には到底ムリだろうと最初から諦めているケースが多い。

 

今回も個人面談でお話をさせて頂いたが、肌感覚で言えばニュージーランドで起業するというのは日本の上場企業に社員として就職する程度だ。日本は社員として就職するために(成功するために)小学校の頃から大学に向けて勉強を開始しているわけでその準備期間は小学校5年からとしても約10年である。

 

起業家ビザは成功したと見做される最初の3年だけ頑張れば永住権は取得出来る。頑張るとは会社を黒字化して社員を採用することだ。(ただこの表現は精確ではなく大雑把にわかりやすく書いているのでご注意下さい、文意全体を読めば分かるはずなのだが一部分だけ切り取って「あなたこう書いたじゃないか」と言われても困るのだ)。

 

ぼくの得意技の一つは技能移民を起業家移民にする為のアドバイスだ。日本人は専門特化した業種が多いために実はそのままでは技能移民の要求をクリアー出来ない。しかし専門性を活かせば起業家ビザでいける場合がある。僕の仕事はその部分をいかに広げていけるかだ。

 

税務、特に国際税務がわかり米国で資格を取ったような人であれば、今のオークランドなら税務コンサルタントという仕事がある。これは現地の税理士事務所と提携して自分は広告をして日本人ビジネスのそれもスモールビジネスに特化して社長に直接税務提案をする。

 

実はこの分野ってのは結構手付かずで、キーウィは日本の税務を知らず日本の税理士はNZの税務を知らず、しかし日本国籍を持ちNZでビジネスを経営している社長からすれば両方が分からないと無駄な税金を払うことになる。

 

だから起業して広告して対象となる潜在顧客の需要を細かく読み取れば食えるビジネスになる。最初の1年程度は自分でやってある程度軌道に乗れば地元の税務コースを終了した若者を採用して補助業務をやらせれば更に新規顧客の獲得が可能になる。

 

他にも個々数年の日本人の増加で不動産を購入する日本人が増えている。しかし彼らは建設のプロではなくましてや外国の物件など想像もつかない。

 

そこで日本で一級建築士の免許を持ち海外の事業所で現場で働き監督をしていたような人であれば、これも起業が可能だ。

 

ニュージーランドの住宅事情は「完璧清潔無欠陥」を当然とする日本人には理解が難しいところがある。それを専門家の立場から説明してもらい更にそれをどうリフォームすれば日本人基準の住宅になるか、海外で働いた経験のある専門家であれば、日本品質、納期、予算、すべて日本感覚で対応出来る。

 

これも初期投資が少なくて済むコンサルティングビジネスだ。実際の作業は地元の建築士に依頼して自分はあくまでも購入者の代理として住宅建設の際の作業を管理するのだ。

 

他にも色んなケースがある。自分はサラリーマンだからと思い込むだけではなく、サラリーマンでも仕事の内容に応じては起業家で申請する可能性があるってのは考える時の要素に入れても良いのではないか?

 

ただこのようなサラリーマンから起業の場合は相当に技が必要だ。まずは発想の自由さ、出来るか出来ないかではなくどうやったら出来るかを考える。次にそれを現実の市場が存在するのか調査が必要だ。更にそれを弁護士が理解出来るか?更に移民局が理解出来るかの現実性調査も必要だ。

 

実際に起業家で申請するとしたら起業家ビザ取得後に何をやらねばならないのか?どのように具体的なマーケティングをするのか?そして一番大事なのはご本人の粘り強いやる気である。これがなければどれだけ良い箱を作っても動かない。

 

今日の午後から説明会と個人面談が夕方まで続く。ぶっ通しでしゃべり続けることになるので今朝はしっかりと和朝食を食べた。米は腹持ちが良いので何とか夕方まで持ってくれれば良いがこのあたりの管理はぼくが一番苦手とするところだ(苦笑)。

起業家ビザの組立なら誰よりも得意とするが今日何をどれだけ食えば良いかが分からない。人には適材適所があるって事ですね、ははは。 

 

 

 



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2013年03月08日

海外相続という考え方

今回の出張では大阪及び東京で税理士の方とお話をする機会を得た。非常に興味深いのは両先生とも日本の税務の現場と現実をよくご存知で実際に現場で起こっている様々な事件をご存知だ。

 

日本は法治国家であるから租税も法律に従って課税の根拠がなければ課税は出来ないと決まっている。法律の定めることは要するに国家がやっちゃいけない事を羅列しているのだが日本だけはこの法律を逆手に取って国家が何でも出来るように仕組みを作っている。法律だけではなく通達も利用して絶対に自分たちが有利になるようにしている。

 

武富士裁判や中央出版事件では両方共法律に則って合法的に節税を行ったのだが、それでも税務署からすれば許せない話なので裁判を起こした、国民の税金を使って。

 

結果的に武富士では最高裁まで行って税務署が敗訴した。中央出版事件では地裁で税務署が敗訴して現在控訴を行なっている。だけど法律では課税に根拠がなければ課税出来ないとなっているから中央出版事件でも結果的には税務署が敗訴すると思っている。

 

本日お会いした税理士の先生は海外相続に詳しく僕が作った不動産相続スキームをご説明するとすぐに理解してくれて法的根拠を再確認してもらい「これならいけますね」とお墨付きを頂いた。

 

例えば東京都内に土地不動産を所有しているが現金がない為にもし相続が発生したら不動産を売却して納税するしかなくなる。せっかく今まで自宅として住んでいた家を手放すことになるのだから決して楽しい話ではない。一生懸命働いてきちんと納税もしてきたのに最後になれば自宅を取り上げられるのだから、一体何のために働いてきたのかって話だ。

 

ぼくの作ったスキームはそれほど複雑ではなくリースバック方式とよく似た手法である。相続税を払うほどの現金がなくても課税の根拠を譲渡益にすれば30%ほど安くなる。ただし様々なケースがあるので実際には不動産の状態、所有者、ローン残債など検討する要素は多く殆どの場合はオーダーメイドで構築する必要があるけど、基本は自宅にずっと住み続けることが出来るという点だ。

 

今回の訪問で感じたのは、日本がだんだん昔のようなおおやかさがなくなり人々はピリピリとして道端で他人同士がちょっとした事で言い争いをしたりしている。かと思うと自転車は人混みの中をギリギリで通りすぎて危なすぎるくらいだ。それが昂じて社会全体が不安定になっているような気がする。

 

それは納税の現場でも同じようなもので、そんな無体な税金かけたらせっかくの金の卵を生む鶏を絞め殺すようなものだと感じる。もっとゆっくりと大きくさせてから課税をすればお互いにパイが増えるのだから良いだろうに、いまその税金をかけるってのは、出てけって言ってるのと同じだ。

 

ニュージーランドでは納税の方法がもっと賢い。非上場の株式会社の経営者は給料に対する源泉徴収は累進課税になっており15%から始まるが上限は39%程度だ。程度というのはこれ計算の方式がややこしいので「程度」と書いているが実際にはPAYEタリフってのがあってそれを見れば自分の納税額はすぐに分かる。住民税も所得税も健康保険も老齢年金もすべてこの中に含まれている。

 

政府はその代わり消費税を15%にして、ここでしっかりと税金を取っている。つまり使った分だけはしっかり課税をするけどお金を作っている間はあまり派手に課税はせずゆっくりと太ってくれてからぱくっと行きますよって事だ。消費税は泥棒からでも取れる税金なので効率が良い。

 

1980年代後半は日本が「生まれたい国の6位」に入っていた。ニュージーランドは18位。2013年「生まれたい国」では日本は25位に下がっている。現在のニュージーランドは7位、北欧諸国と肩を並べている。



tom_eastwind at 02:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月07日

●「民主主義国家の憲法は、国家権力を制限するもの」

「法廷でメモする権利」に関する憲法訴訟の原告としても知られる法学者のローレンス・レペタ明治大学特任教授が2013221日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を行い、安倍晋三首相が実現に意欲をみせる「憲法改正」の問題点について語った。レペタ教授は、自民党の憲法改正案について「国民に対する国家権力がより強固になり、個人の権利保護が損なわれる」と懸念を示した。

 

憲法改正を党是としてきた自民党は政権交代前の昨年428日、「新たな日本にふさわしい」と位置付けた憲法改正案を発表した。改正案は、全体で11章、110カ条の構成。前文の全てが書き換えられており、主要な改正点として、国旗・国歌の規定、自衛権の明記や緊急事態条項の新設、憲法改正発議要件の緩和などがある。

 

レペタ教授は、この改正案に強い危機感を示している。改正案が「基本的人権の本質」を規定する憲法97条を削除している点に着目し、「国民に新たな義務を課すため」と指摘。具体例として、国旗や国歌、憲法を尊重する義務を盛り込んだ条文(改正案3条と102条)が新設されたことなどをあげた。また、「何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない」という文言が付け加えられた改正案19条の2について、「民主主義国家の憲法は、国家権力を制限するもので、国民の権利を制限するものではない」と批判した。

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このレペタ教授って誰だろうと思ったら米国生まれで日本在住でレペタ裁判なんて日本でやってて相当に日本通なのに、日本を民主主義???? あんた本当に日本に住んでるの?って聞きたくなる。

 

「日本が民主主義ではない」なんて日本人なら誰でも知っている。この国は江戸時代の昔から上意下達の国家社会主義である。

 

民は公に尽力し公は民にお情けを下すのだ。だから公を「お上」って呼ぶし完全に民法上の

契約観念を放棄した「徳政令」や「お触れ」があるし、お上は現在では「役所」と呼びお触れが「通達」と呼ばれているだけの事だ。

 

日本人が一番得意とするの「オレのためじゃない、世の為なんだ!」と言って公的正義を語れば誰もがYESと言うしかない。ところが「オレのためなんだ!」と言うと誰もが「ワガママだ!」と言い返す。

 

要するに国民自身が公を正義として私を自分勝手と認識している時点で民主主義ではないのだ。民主主義とは民が主である。人間は原始森の中で生活をしていた。しかしそれでは自然と闘っても負けるから個人がそれぞれ草原に出て砦を作り皆が力を合わせる事で強力な集団となったのだ。

 

つまり民主主義の根源は集団が生き残るためではなく個人が生き残るために作られた仕組みなのだ。国家を法律で縛り勝手に国民をコントロールすることを否定する根拠として法律を作ったのだ。

 

ところが実際には国家が法律を利用して見せかけは民主主義と言いつつ実はお上がすべてをコントロールしているのが現実だ。そしてそれを多くの国民は当然の事として納得して生活をしている。これのどこか民主主義だ?民衆主義とでも言い換えた方がいいのではないかと本気で思う。

 

欧州では権利の闘争という考え方が浸透している。権利があっても実行しなければ無意味だと考える。だから常に人々は議論をするし時には裁判を起こしたりする。

 

日本では争い事を好まない習慣なので何かあってすぐに権利を主張するのは「みっともない」と見做される。日本で民主主義を根付かせようとすれば小学校の時からイエーリングの「権利の闘争」を読ませて理解させるしかない。

 

大人になってあれ読んでも「言ってる事はわかるけどさ」となるのが落ちだ。民主主義はまだまだ先が遠い。てか永遠に来ないのかもしれない、それが国民性というものなのだろう。



tom_eastwind at 02:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月05日

水源 The Fountainhead

“マイナンバー法案”を閣議決定

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政府は、社会保障や税の情報を一元的に把握して年金の受け取りや納税などの手続きを簡略化するため、国民一人一人に番号を割りふる「共通番号制度」の導入に必要な、いわゆる「マイナンバー法案」を、1日の閣議で決定しました。

 

政府は、社会保障や税の情報を一元的に把握して年金の受け取りや納税などの手続きを簡略化するため、国民一人一人に番号を割りふる共通番号制度の運用を平成28年から始める方針で、1日の閣議で、制度の導入に必要ないわゆるマイナンバー法案を決定しました。

それによりますと、▽国民の申請に基づいて市区町村が一人一人に個人番号カードを交付し、年金の受け取りや納税などの手続きに利用してもらう、▽情報管理を徹底するため内閣府に有識者による委員会を設け、個人情報が適切に取り扱われているかを監視するなどとしています。

いわゆるマイナンバー法案は、去年、国会に提出されましたが、衆議院の解散に伴って廃案になっており、政府は今の国会での成立を目指すことにしています。

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これくらい理念と目的がずれた法案もないな。個人情報の一元化は便利な仕組みであるが各省庁をまたいだシステムになるため各省庁が自分の勝手でシステムを構築出来ないので本来なら「面白くない話」なのだが国民にとっては無駄な税金を払わなくて良いのでありがたいシステムだ。

 

ニュージーランドではIRD番号という名称で呼ばれており僕も一つ持っている。これがあれば税金、社会保障、銀行の利息(僕の場合殆どゼロだが)、いろんなサービスがワンストップで対応出来るので便利だ。

 

しかし日本ではそのような本来の便利さではなく国民監視の為の網として使われるので本当に不思議だ。理念は便利さの追求なのに政府の目的は国民監視なのだから全然便利じゃない。この法律は平成28年、2016年だ。

 

「▽情報管理を徹底するため内閣府に有識者による委員会を設け、個人情報が適切に取り扱われているかを監視するなどとしています」というニュースの意味は、個人情報を政府がきっちりとすべて監視して個人が資産を持っていれば政府の財布に税金として払ってもらい言論で政府に逆らう奴は金の使い道を徹底的に洗って逮捕して税金を使うような奴は無駄使いさせないように福祉申請を出来るだけ門前払いするって事だ。

 

ぼくの予想では2015年に向かって政府は国民をがんじがらめにする仕組みを構築してそれまでの2年で資産家の個人資産をすべて政府が把握して様々な形で税金として取り上げ、更に一般庶民からは消費税やその他の名目で絞り上げ、社会福祉は後期高齢者の医療費自己負担、生活保護の切り下げ、医療費の自己負担などで「あんたも政府に頼らずに自立しなさいよ」ってことになると思ってる。

 

何故政府はそこまでするのか?僕の考えは財務省のメンツではないかと思っている。彼らは日本の最高学府を卒業したエリート中のエリートである。ところがそのエリートが毎年赤字会社を運営してその借金が完全に債務超過になっている状態がプライドとして許さないのではないかって事だ。

 

二流大学を卒業して民間に就職した人々でも社長としてしっかり自分の会社を黒字にしているのと比べればいかに財務相にバカが揃っているかよく分かるし財務省自身もそこを指摘されると言い返せない、そんな状態を早く脱出したいのではないか?

 

国家を黒字化したいから国民の皆さん自立して下さい、いやさ、もちろん自立でいいよ、けどそれなら今までどーのコーノと理屈を並べてかっぱらってきた税金はどこに遣われたのか?

 

国民から何十年にもわたって集めて来た年金は箱物に化けて役人の天下り先に配られ残った金では年金の原資不足ですー、それじゃあ何でAIJの「消えた年金」なんて言ってられるのだ?

 

政府そのものが国民を騙しているような状態で更にこれから「政府を立て直すため」に「国民から個人資産を巻き上げる」って発想は、自分が間違ってたって事を一切認めない発想でしかない。

 

国民は結果的に選挙で政府を選んでいる、そういう認識があるかどうかは別として少なくとも政治家は選挙で選ばれている。けれど実質的に法律を作り国家を運営している官僚に対しては国民の選挙権もなく誰が実質的に国家運営をしているのか全くわからない状況が民主主義と言えるのか?

 

たかが東大法学部を卒業したとか実家の血筋が良いってだけで日本を支配する権利が自動的に付与されるのか?たった数万人の、国民によって選ばれたわけでもない人々が支配する国を何故民主主義国家と呼ぶのか?

 

1980年代、日本はNOと言える国家になったと人々は喜んだ。しかしそこから日本は真の独立という階段を踏み外して更に失敗経験のない官僚が日本を「問題の先送り」という逃げ、先輩のメンツ、自分の保身の為に追い込んだ。

 

その結果として日本は失われた20年を抱えて人々の雇用は不安定になり将来が不安になり怖くてお金も使えなくなった。日本の給料は下がり続けたが、それは日本のサラリーマンの能力が他国のサラリーマンと直接競争になる時代になったからだ。

 

そのような問題を無視してデフレがどーのこーのと問題をすり替えて今度はマイナンバー法案だ。やってることがあまりに国民をバカにした話だが、ソレに対して反抗する方法が取れないのが現在の日本的民主主義だ。

 

ぼくは自分の考え方は基本的に社会主義だと思っているが、それは上向きの平等である社会主義だ。誰もが平等に成長していく国家がぼくの目指している方向である。ところが日本では同じ社会主義でも誰もが他人の足を引っ張って引きずり下ろして一時の気の紛らわしをしているだけだ。

 

そうやって国民同士が江戸時代のような「五人組」で他人を監視して「連帯責任」という全く理論破綻した言葉だけを独り歩きさせて学校でもそんな言葉を使う事で相互足の引っ張り合いをする仕組みを社会に根付かせて、ほんの一部の顔も見えない支配層が日本を独裁しているのだ。

 

アイン・ランドという作家が書いた「水源」は1943年に米国で発表されて当時の米国人の思想に大きな影響を与えた。建築家を主人公にした大作であるがリバタリアニズム作品として評価されている。米国で最近伸びていr「ティーパーティ」にもこの作品の信奉者が多い。

 

彼らはすべてのものからの自由を主張して徹底的に政府からの保護を拒否して、自分の事は自分でする、自己責任だ、その代わり政府はオレのやることに口を出すなって考えだ。米国の独立戦争の時には「ボストン茶会事件」として知られたが「議席なき時に納税なし」と当時の英国の横暴ぶりに反抗して戦争を始めた。

 

納税が必要なら人の話を聞け。人の話を聞かずに納税だけ要求するのは泥棒に等しい。そのような人間とは徹底的に、命を賭けてでも喧嘩をするぞ、それが当時の米国人の考え方だった。

 

その意味でマイナンバー法案とはリバタリアンとは全く相容れない個人干渉の法案である。しかし社会がここまで構築されれば最低限必要な合理化システムであることも間違いない。だからこそ本来は納税者の負担減少の為に必要なシステムであるから米国でもニュージーランドでも導入されている。

 

しかしそれは民主主義が確立した国家での話であり、民主主義が存在せず選挙に依らない人々が政府運営をしている状態で導入されれば、それはお上の支配体制の強化にしか過ぎない。いよいよ道は狭まっている。



tom_eastwind at 09:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月04日

島耕作という生き方

「課長」の時代からずっと読んでる作品だが、弘兼作品としては人間交叉点の方が早い。すんげー漫画家だな、手塚系が全くない、新しい世界を作った人だと心服している。

 

前回の日本出張でamazonで注文して投宿した東京のホテルに「専務島耕作」送ってもらい、オークランドに戻って週末の午後、ランギトト山を自宅の居間から眺めつつゆっくりと読む。

 

調子の良い漫画だとかカッコばかりつけやがってとかいくらでも批判の出る作品ではあるが、ぼくは好きだ。彼が課長で離婚して娘と二人で生活しながら、地方転勤を経験したり出向したり、「いずれここにテーマパークが出来るんだ」と今のUSJの事を描いてみたり、とにかくほぼ同世代を生きているような気がする。

 

中国にも駐在してサラリーマンとして様々な経験をしながら、それがまさに当時の日本とかぶさっている。島耕作はある意味日本のバブル前からバブル後、失われた20年を過ごしながらもその中で常に精一杯の努力で最高の選択をして生き残ってきた。一人の人間の中に歴史を凝縮している。

 

そっかー、専務かー。すんごいな、アレだけの大組織でここまで上り詰めた島耕作は、もちろん創作の世界であると分かってても、同じ時代に日本国内で働きその後は海外に飛び出て大きな組織のバックを使わずに自分の個性だけで戦い、いつの間にか一匹狼で専務まで来たんだなー。

 

いくら創作と言ってもそこには何らかの現実があるわけで、パナソニック(旧松下)という組織の中で起こる様々な事件を一つにまとめてそれを一つの人間「島耕作」の人生に凝縮するって手法がフィクションだと思う。

 

そうでなければノンフィクションだけで書いていれば限界がある。小平、毛沢東、チャーチル、小泉、こういう連中は極めて稀であり、彼らをネタにすれば何冊も本を書けるだろうが、彼らはどこまでいっても一匹狼なのだ。

 

派閥に属さず派閥になびかず自分だけの力で動き、尚且つ組織に負けないだけの力量を持ってゲリラ戦略に強く何時の時代も冷や冷やのところで何とか生き残りつつも見かけはチャーチルのように葉巻をくゆらせてにこっとしている。これってもう芸の世界だなって思ってしまう。フィクションなのにハマっている。

 

僕が何故小平を最初に挙げたかと言うと、彼の政治力を香港に住んでいた時に目の前で見たからだ。当時はどうしょうもなく何もなく農地の端っこに豚小屋を飼うだけで精一杯だった田舎のシンセンを一気に特区として開発して大都市として生まれ返させた彼の実力は、当時の中国の政治環境を考えれば奇跡としか言いようがない。

 

ありゃもう、天才の上に秀才が乗っかり更に何度も失脚をしていつ殺されてもおかしくなかった環境で何とか努力で生き残り最後には毛沢東後の中国を見事に成長させた、ある意味奇跡な人材である。

 

僕の奥さんはそれでも小平を大嫌いだ(ちなみにこのブログ、いつも奥さんが読んでるので下手な事は書けない、あはは)。彼女からすれば自分のお母さんを苛めた共産党なんて大嫌いだしその親玉である小平も大嫌いって事でよくわかるが、僕からすればやはりこの人物がいたから今の中国があると思っている

 

尖閣諸島の問題も小平が「先送りしよう」って言ったのは勿論彼ら中国の国益であるが、ぼくはいずれ国益って言葉はなくなると思っている。地球益が21世紀の判断基準だと思っている。彼も同じ事を考えていたと思う。ただ彼の時代にそれを発言すれば「鳩山宇宙人」とおもわれるので言わなかっただけだと思う。

 

彼はおそらく100年先の世界が見えていたと思う。けれど、だからこそ発言は慎重に、チューヤンと思われないように穏便な事を言ってたと思う。

 

それでも南巡講話の時はかなり「はみ出した」発言をした。ある意味革命だ。当時の北京であれだけの発言をするってのは「オレを殺してくれ」ってのと同様の意味であった。

 

それでも小平は言いたいことを言った。ぼくからすると彼は、自分の命とか考えずに世界の平和を考えていたとおもう。究極的に平和が来るのは世界政府を作るしかないと思っていたと推測する。

 

すべての国家は地域になり自治体として活動するが、地球は一つの国家となり外交や軍事を考える必要がなくなる、そして人々は緩やかな連帯の中で生活をする、そういう社会を描いたのではないかと思う。

 

だからこそ彼、小平は自分の死んだ後の事も語り「これから20年は絶対に国際社会に顔をだすな、おとなしてくしておけ」と指示した。その、彼の気持ちをどれだけの今の中南海の連中が理解しているかだ。

 

また中国の話になったな、、、本当は島耕作の話をしたかったのに(苦笑)。けど、どっちも一匹狼の話だ。次は社長島耕作。

 

 

 



tom_eastwind at 21:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月03日

もう、花はいらない  byオフコース

日本という国は1945年の敗戦から立ち直り国家が一丸となって奇跡の成長を遂げた。それはぼくらの先輩方の果てしない努力の上に築かれた歴史である。

 

1980年代、優秀な先輩方が次々と退職して社会を去ってみると、残ったのは失敗体験のない甘えん坊の官僚だけになり遂にはバブルを起こして日本をカネだけの社会に成り下げてしまい、最後には日本を「失われた20年」に追い込んでしまった。

 

そして今、遂に日本政府は国民の最後に残った個人資産にまで手を付けようとしている。

 

日本国債を個人が買えるようになったのはいつからだ?銀行に預けた資金はどれくらいが日本国債購入に充てられているだの?どれだけのお金が企業に貸し付けられて経済の発展に回っているのか?

 

今の日本は、まさにタコが自分の足を食っているようなものだ。

 

そして今日、あるお客様から国際税務に関する情報を頂いた。東京は確実にOUTだ。すでに税務署は東京都在住の人々の外堀を埋めている。

 

一体今の日本はどうなったのだ?個人の努力で一生懸命働いてリスクを取って戦ってきた人々が自分の子供達にお金を残そうとしたら「そんなもん、日本政府がお前らを守ってきたんだから、死んだら全部政府のものだよ」とかっぱらっていく。

 

じゃあお前らが個人としてリスクを取って何かの努力をしたのか?正しい政治を行ったんか?すべてはお前らがお手盛りで庶民から金巻き上げただけじゃないか!

 

全く、ふざけるのもいいかげんにしろと言いたい。世界標準で見れば日本人ほどおとなしい人種はいない。これだけ民衆が弾圧されても暴動一つ起こさずお上の言うことを唯々諾々と聞いて従っているのだから。

 

しかし、ここまで来ると正直「もう花はいらない」と言いたい。日本という看板なんて抱えていても何の良いこともない、逆に苦しめられるだけならそんなもん捨ててしまえって話になる。

 

ぼくは日本で生まれ育った日本人だが現在はニュージーランド国籍を取得して日本国籍を捨てた。何も不自由はない。ニュージーランド国籍を取得したからって肌の色が白くなるわけではないし日本に入国する時は毎回「上陸許可」を取得しているが、だからと言って僕の日本人として生きてきた歴史が変わるわけではない。

 

子供の頃の田舎でゆったりと流れる川の記憶やセミがないてる青い夏空や遠くに見える山の景色や近くの広場で開かれた市場での思い出や、高校を卒業して社会人になってから経験した大人の世界で初めてお酒を知り中洲という社会を知りいつの間にかその社会で人との付き合いを覚えて義理とか人情とか人を立てるとか恥を知るとか、いろんな日本文化を学ぶことが出来た。これはほんとうに僕の貴重な経験であり歴史だ。

 

ぼくは今でも日本人であることに誇りを持っている。しかしそれは日本国籍を持つという事とは全く関係ない話だ。今の日本政府に与えられた国籍など、ぼったくりの対象とされると認定されるだけの無意味で有害な話である。

 

中国で生まれ育った中国人が海外に出て海外の国籍を取得するが、彼らの心の中では今でも中国人だ、誇りを持って生きているが、それは共産党中国政府の支配下に置かれた奴隷ではないと明確に認識している。

 

海外に出て金を稼いだ彼らが真っ先にやることは、自分の生まれ育った田舎の村に学校や病院を建てて寄付することだ。その学校や病院には自分の名前を付けて「お前らも頑張れ!そうすれば自由が得られるんだ!」と訴えている。

 

ぼくらはいつから共産党政府や社会主義国家の奴隷になったのか?

 

もう花はいらない。ぼくらは自分の人生を自分の責任で生きていく。例えその結果として路傍の花として枯れていくにしろ、少なくとも自分で選んだ人生だ。

 

もう花はいらない。ぼくらは日本政府のために奴隷として生まれたのではない。働けば働くだけ、働かずに他人から金をむしり取る連中のために生まれたのではない!

 

もう花はいらない。日本国籍も不要。日本政府のために生きているのではない。日本という山河と国土と故郷と日本の優しい人々を愛しているが、それは今の日本政府に奴隷として仕えて日本政府に自分の個人資産を収奪されているだけの存在ではない。ぼくらは時代も時も越えて自由に生きているのだ。

 

一体今の日本政府は何をしたいのか?これは政府というよりも官僚に対しての言葉だ。ぼくは安倍首相を嫌いではない。彼のやってることにはきちんと筋があるので好きだ。たぶんぼくのやってる仕事に安倍さんとしては文句も言いたいだろうがそれはお互いの立場があるから当然だと思う。

 

但しリスクを取って戦ってる安倍さんと、そこに他人の金でのんべんだらりと職を録するくそったれ官僚が出てきたら「ざけんな!お前らリスクを取ってみろ!」って話だ。

 

もし出来るなら、今一歩立ち止まって考えて欲しい。日本人として生きるってのは日本政府のために奴隷になり納税するって事なのか?国民が拉致されても国民を守らない政府って、一体何なのだ?そんな政府に国籍を貰ってありがたがって何の意味があるのか?

 

自由を求める、自由を求める。自由を求める!

 

自分が生きる場所は自分で決める。その結果としてどのような人生になろうと、少なくとも自分で選んだ人生だ。誰かに型をはめられて奴隷のように自由意志もなく生かされている人生なんて、人の生の気持ちではない!

 

ぼくは日本国籍を捨てた。もう花はいらない。国籍だけで日本人と呼ばれる必要はない、今はニュージーランド国籍だが僕はしっかりと自分を日本人として認識して子どもたちにも日本の道徳を教えている(成功しているとは言い難いが・・苦笑)。

 

キーウィージャパニーズ、ニュージーランド国籍を持ちニュージーランドに住みながら、日本人としてニュージーランドと日本の為に生きて行きたい。

 

今日も爽快な青空の日曜日の午後、近くでまるで日本の故郷のようにセミのなく声を聴きながら暗く沈んでいく日本を見つつ、りょうまくんにぼくのお下がりのジャケットを渡して何とかボタンが吹き飛ばずにサイズがあうのをははっと笑って喜んで過ごす一日。

 

幸せって、誰に与えられるものではなく、結局自分で勝ち取るしかないんだよな、そんなことを思った日曜日の午後でした。



tom_eastwind at 13:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月02日

13ドル75セント

**記事開始**NZdaisukiより

最低時給25セントアップ

 昨年2012年、最低時給は13ドルから13ドル50セントに上がったばかりだが、今年4月から、また25セント上がり、最低時給は13ドル75セントとなる。トレーニング期間や就業開始直後の賃金も、4月からは20セント上がり、時給11ドルとなる。労働相のSimon Bridgesは、労働者と雇用主をうまく両立することが必要と説く。

 

「この改正は低取得者を守ることに繋がると思う。ここ何年も賃金の値上げを行ってきた」と大臣。しかし、サービスと食品の労働者協会の幹部John Ryall氏は、たった25セントの値上げは侮辱で、失意にしか繋がらない、と不満を訴えている。

 

 「勤勉なニュージーランド人に対する侮辱で、不名誉なことだ。政府は浮世離れしていて、低収入者とその家族の現実的な暮らしを見ていない」他の組合からも、最低時給は少なくとも15ドルは必要、と言う声が上がっている。労働党とみどりの党も、最低時給の更なるアップを訴えている。

***記事終了**NZdaisukiより

 

「勤勉なニュージーランド人」に対する侮辱は労働組合費を取って役人風を吹かせて何も作らず他人の金を頼りに働きもしない労働貴族であるお前らだろーが!って感じだ。

 

最低賃金を上げたら「もっとあげろ」と言う労働組合ってのは自分が働く会社と自分の金の分捕り合いだと考えている中世のバカ連中だ。労働分配率を増やすとか言う前にまず一緒に生産性を上げようと言えば「それは会社の考えること」と知らんぷり、パイを大きくするって事さえ考えようとしない。

 

幸いなことにニュージーランドではすでに労働組合は過去の存在となり「勤勉なニュージーランド人」は自由主義の中で自分たちの賃金を増やすには自分が一生懸命働いて労働者としての価値を高めることが大事だと理解している。労働組合にしがみついて能力もないのに高い給料だけ要求するようでは誰も雇ってくれないという事を知っている。

 

1984年の総選挙で労働党を率いるデヴィッド・ロンギが勝利して首相になってから行った劇的な経済改革によりニュージーランドは民営化と自由市場を作り上げたがその時でもまだ労働組合が残ってろくに働きもしない公務員を5万人くらいクビ切ったら(首になっても一生保障の年金がある)「首切り人だ!」と騒ぎ民営化した事業を海外資本に売却したら「売国奴だ!」と怒鳴り散らすだけの労働組合だったが、それも1989年の総選挙で経営視点の国民党が勝利すると真っ先に労働組合を実質的に解体した。

 

労働組合のプロが会社に入って団体交渉することを禁止したり組合に加入することが会社に入社するための条件みたいなユニオンショップ協定などを次々と廃止してニュージーランドのビジネスは一気に花開いた。

 

それまでの社会主義下では経営者が社員を雇用するリスクがあまりに高いため誰も雇用リスクを背負って会社を成長させようとせず殆どのビジネスはパパママ商店ばかりで、土日に労働者を使うと給料が2倍とか3倍であまりにバカらしい、けど自分で働くのも嫌なのでどこのお店も土日はおやすみって状態が何十年も続いていた。

 

今でも覚えているが1970年代に初めてオークランドに来た日曜日は、Kロードからまっすぐ降りるクイーンストリートの終わりのカスタムストリートまで全く車が通っておらずスケボーでノーブレーキで一気に駆け下りることが出来た。その時通りの商店街はすべて外側から分厚いチェーンでドアを縛り上げていた。

 

働くことが馬鹿らしい、人を雇って経営することがリスク高すぎるとなれば誰が働くものか。結果的に失業率は高まり若者の仕事はなく政府の保障にぶら下がり今度は政府の社会保障予算がなくなり最終的にニュージーランドがデフォルトを起こしたのは1980年の事だ。

 

1984年の経済改革により起業家が続々と登場して成功者が現れ彼らが牽引車となってオークランド経済を一気に活性化させて、土日のダブルペイやトリプルペイがなくなったおかげで土日営業の店が一気に増えて人々は終末に街で買い物をするようになった。

 

そして今では国民党主導の中で安定した経済政策により人々は次々と新しいビジネスを作り上げている。だいたい街の発展の基準の一つにレストラン、車、住宅の発展度合いがある。人々は金を稼ぐとまず車を買い自宅を購入して高級レストランで食事するようになる。

 

今のオークランドやクイーンズタウンがまさにその象徴であり、ベンツ、アウディ、BMWなどの高級車が走りレストランの客単価は100ドルを超すようになり住宅建設が盛んになった。

 

以前であれば車のドアとボンネットの色が違うなどごく日常であり食事といえばテイクアウェイのフィッシ&チップスが主流であり住宅などは冬ともなると隙間風が吹き込み雨が降ればざーざーの雨漏りがしてた。

 

ぼくのように社会主義時代と自由主義時代の両方を見てきた人間からすればまさに隔世の感がある。

 

今回の労働組合役人の発言を聞くと非常にむかつくのが2004年にクライストチャーチで起こった「インターンシップ事件」である。クライストチャーチは今も昔も労働組合の強い街であり、だから企業や工場は次々とクライストチャーチから去っていったのだが当時当社で取り扱っていたホテル研修である研修生を騙してうちが事件のやり玉にされた事がある。

 

あの時は本当に腹が立って周囲と喧嘩しまくって最終的には移民局も労基署もメディアも「おまえは悪い時に悪い場所にいただけだよ、大丈夫、おまえのやってることは間違ってないよ」と言ってくれたものだ。その時ぼくがTVONE(日本のNHKみたいなもの)の夕方6時のニュースで報道された場面、今でもDVDに残している、あの時の記憶を忘れないためにも。

 

週末の金曜日は久しぶりにお客様とシティの海の見えるレストランで食事。埠頭の最先端にあるお店の最先端にあるテーブルが取れたので、ワイテマタ湾をはさんで正面にベイズウォーター、タカプナの景色を楽しみながら新鮮な魚料理と白ワイン(最高のシャドニー)を楽しむ。

 

こんな場面、20年前のオークランドではあり得なかった。素晴らしいワインは世界中のワイン屋がやってきて最高の土壌を使って最高のワインを作る。日本人のワイナリーも今は3つくらいある。その土地だって社会主義だった頃は単なる乾いた土でしかなかった。魚でさえ白人は食べずマオリは干物にする習慣しかなかったので鮮度を確保する方法さえ誰も知らなかった。

 

それが、乾いた土地がワインに合ってるとか南太平洋の魚は美味しいとか「売り物」になるという事を思いついたのは、まさに明治時代には邪魔者でしかなかった東北の地吹雪や雪山が昭和になってスキー場になり平成になって地吹雪見学ツアーが売れるようになったのと同様である。

 

人々は誰もが心の幸せを求め口福を楽しみ豊かなユビキタスな生活を望んでいる。自分の生活を自分の腕で向上させると同時にニュージーランドでは誰もが幸せになれるように手厚い社会保障を構築して社会全体がマネーリッチ(金福)ではなくマインドリッチ(心福)になっている。

 

これから次の10年は、この国は幸せでいられる。その次の10年は分からない。ちっちゃな国だから変化が早い。もし悪い変化が出れば、それがぼくがこの国を去る時になるだろう、もしくは国会議員か首相を目指すことになるだろう。

 

週末の暮れゆくワイテマタ湾の美しい夜景を見ながらニュージーランドの来し方を思い出しつつ、いつものようにキースの運転で自宅に帰る週末だった。



tom_eastwind at 14:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年03月01日

黄砂

 

原発の放射能で日本は大金を遣って意味のない溝さらいをやり土建屋とそれに繋がる地元利権屋だけが儲けている現状であるが、感情論でこり固まった連中はひたすら除染だとか言って自己満足に浸っている毎日。

 

そりゃ自己満足でもこっちに迷惑をかけてこなければ良いのだが、出来れば黄砂の問題についてもっと考えて欲しい。

 

ぼくが日本の政治家であればこの機会は絶対に逃さない。日本の花粉症がどんどん酷くなっているのは誰もが認めるところだがその原因を花粉だけで終わらせて良いのだろうか?

 

日本の大気がどのようになっているかは大気汚染の現状を見れば分かる。

http://emigration-atlas.net/environment/air-pollution.html

 

北京で死者も…中国覆う大気汚染が悪化

2013.1.14 19:58 1/2ページ)[環境・エコ]

 【北京=川越一】北京を含む中国各地で11日ごろから大気汚染が悪化し、当局が市民に外出を控えるよう“警報”を出す事態になっている。場所によっては200メートル先も茶色にかすむほどで、北京では死者も出た。今後数日間は続くとみられ、市民は不安を募らせている。

 

 国営新華社通信などによると、北京などでは晴天が続いて放射冷却現象が起き、地表近くの高湿度の空気が飽和状態となった。風も止まって濃霧が発生。空気中に汚染物質が滞留し大気汚染が悪化した。

 

 車の排ガスなどに含まれ、肺がんなどを引き起こすとされる直径2・5マイクロメートル以下の超微粒子物質「PM2・5」の濃度が国際基準の3倍近くまで上昇。6段階ある国内の基準でも最悪の水準に達した。

 

 専門家は「新しい現象ではない」と冷静を装うが、北京大学と環境保護団体グリーンピースの調査によると、北京、上海、広州、西安の4都市では昨年、PM2・5が原因で約8600人が死亡している。今回も各地の病院で呼吸器の不調を訴える患者が急増。北京ではぜんそくの持病を持つ60代の女性が外出後、発作を起こし急死した。

 

 また、各地で高速道路が封鎖され、空の便でも欠航や遅延といった影響が出ている。同大などの調査では昨年、PM2・5がもたらした経済的損失は10億ドル(約890億円)に上る。

★記事終了

 

中国の黄砂は古代からの現象であるが、ここ30年の中国の発展の為に発生した公害が国を越えて日本に襲いかかっている。そしてこれは原発の放射能よりも広い地域で日本全体を汚染物質で埋めていき、越境公害の被害は相当に広がっているだろう。

 

奇妙なのは、未だ持って黄砂被害についてきちんとした認識と被害規模の確認が学界レベルで行われていないことだ。まるで中国で発生しているから日本には問題ないとか中国の事なので仕方ないと言うことだろうか?

 

目に見えない放射能の被害よりも目に見える中国からの公害の方がよっぽど被害が大きいという事に気づかないのか?何だかニュースを見てても日本人は当事者被害者意識がないのかな?それとも日本政府=お上が「これは被害であーる、日本人は被害者であーる!」といつものように宣言しないと自分の健康被害に気づかず当事者意識を持たないのだろうか?

 

勿論黄砂自体は中国政府が止めることは出来ないが公害は政府が本気になれば止めることは出来る。ならば日本は今こそ中国に対して「お前んとこの公害が日本で健康被害を起こしている、金払え!工場をすぐ停めろ!」と訴えて裁判を起こせば良いのだ。

 

日本人はお人好し過ぎるってか、相手に何か喧嘩売られてから初めておどおどと対応してひたすら謝り悪くもないのに大声に巻き込まれてついつい譲歩する。馬鹿の極みである。

 

裁判して勝つか勝たないか、なんてのはどうでも良い。毅然とした態度を見せることが肝要なのだ。

 

こんなのはイジメと同じレベルの問題だ。ぼくはいじめに対していつも疑問を持つのだが、学校で集団にイジメられたと言っても彼らは同じ学区に住んでるし住所だって分かるだろ?だったら夕方過ぎにそいつらが自宅に帰った頃を見計らって木刀持ってそいつの自宅に押し込んでその家のものを全部ぶっ壊して本人をぼこぼこにして、それを集団全員の自宅で繰り返せば良いだけだ。

 

そいつらは集団になるといじめをするが個人では大したことは出来ない、ましてや仕返しに来た人間を殺す度胸などない。こちらはイジメられたのだ、やり返す権利がある。イジメで自殺させられるよりはよほどましではないか。

 

相手を殺す覚悟でいけば大体の事はかたがつく。それで警察呼ばれたら逮捕されればよい、自殺するよりよほどマシだし世間にきっちりと何があったかを訴えれば味方も増える。

 

中国を相手にするのも同様である。彼らには「機会があればいつでも襲いかかるぞ、こちらは守りが基本だけど攻めこんでくるような事をすればいつでもお前の自宅を襲うぞ」それくらいの気概が必要だ。

 

はっきり言うが、中国人相手に本気で友達になろうと思ったらこちらが本気であり生半可ではないぞって意思を明確に表明することだ。

 

今回の黄砂被害はまさに中国の問題でありそれが国境を超えて日本に健康被害を引き起こしているのだから堂々と主張すればよい「ゴミを持ってくるな!」と。マンションに住んでない人がマンション専用のゴミ箱にゴミを捨てればマンション住民は当然文句を言うだろう、それと同じ事だ。

 

日本人の付き合い下手も大概にしておかないと徹底的に馬鹿にされるだけだ。中国で生きるというのは、上に行けば行くほどいつ逮捕されるか分からない社会であり一度逮捕されれば死刑はいつでも有り得る国だってことだ。だからと言って上に行かなければ他人に頭を押さえつけられて一生奴隷として貧しくなるばかりだ。

 

昨日はぼくが見た大連駅の光景を書いたが、本当に中国で生きるってのは生きるか死ぬかである。ツルハシ一本だけ持って大連駅に降り立っていつまでも仕事を待ち続ける。そんなのが1990年代の日本にあったか?と考えてみれば良い。

 

飽食の時代に生きてクーラーの効いたオフィスでネクタイをして仕事をしているサラリーマンには絶対に理解できないだろうが、人間が生きていく原点という意味では中国人は強い。強くなければ生きていけないのだ。

 

そういう人々を相手に日本のような「なあなあ」が通用する事など有り得ないという現実を理解することが必要であり、更にそれを行動にまで昇華させてこそ初めて相手はこちらの存在を理解してくれる。

 

とくに海外に住んでいると日本人と中国人は両方共アジア人でしかなく、中国人の存在感の圧倒さに負けてしまえば日本人など「あらま、良い人ね」で終わりだ。良い人ね=バカって事だ。

 

日本人に悪くなれと言ってるのではないが、国際社会で生きるってのは常に自分の身を守るために戦う事だ。「いいもんね、一生日本から出るつもりはないもんね」なんて言っても世の中がこれだけ国際化すれば相手があなたの街にやってくる。そういう連中が来たらあなたはどこに逃げるのか?

 



tom_eastwind at 14:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌