2013年05月

2013年05月28日

子どもたちに罪はない

今日は今年一番の冷え込みだ。南極から吹き込んできた凍るような風で南島では昨晩から降った雪が次々と道路を閉鎖して凍った道路沿いの雪溜まりに放棄された車や立ち往生した車列が並んでいる。クイーンズタウンは今晩マイナス6度、今年のスキーが期待出来ます!

 

オークランドでも夕方から今年最初の雹がバババッ!とまるで機関銃のような音を立てて降ってきた、ひょー!

 

雪だるまを作ったりスノーボードを出してきて短い距離を滑降して楽しんでる子どもたちの映像が写っている場面が終わると、次はフリーフードのニュース。

 

小学校などに通う子どもたちがお腹を空かせたまま授業に参加しても学ぶ気持ちになれるか?だから食い物をくれという政府主導のプログラムだ。

 

今年はデサイル(Decile)1−4を対象として政府及びフォンテラとサニタリウムという民間食料会社が参加して行うことになった。このデサイルというのは政府が作った学校評価の目安である。10点満点で点数が高ければ高いほど全体的に良いと言われている。つまり1とは最低という意味である。

 

教育の専門家に言わせればデサイルだけが判断基準ではないと言われているが、アジアからの移民は教育を重視する傾向にあるのでデサイルは重要な判断基準である。

 

学校の設備などの費用はかなりの部分が地域住民からの寄付で成り立っており、学校の設備が良ければそこは寄付が多いという事になり、寄付が集まればIPADを使った授業も出来るし運動設備も良質の道具が揃う。

 

その為かデサイルの高い学校は全国テストでも常に上位に位置するし大学進学率も高い。隣の席の子どもが一生懸命勉強していれば自然と自分も勉強するようになり、それが学校全体の学力を高めているのはひとつの事実である。

 

逆に言えばデサイルが低くなる理由の一つがその地域の貧困度合いである。子どもたちの親は失業割合が高く、それも二世代三世代と続く場合もある。オークランド南部に多いのも事実である。

 

デサイル1−4というのは様々な要素があるものの、移住したての普通の日本人の子どもが通うにはちょいと厳しいものがある。というのも子どもたちの殆どはマオリかパシフィカであり彼らは独自の文化を持ち主張しておりそれは初めてオークランドの小学校に通う日本人の子どもにとっては「わたし、どこに来たの?」となるからだ。

 

それにやはり良い中学校や高校、大学に行こうとなるとデサイルの低い学校からの進学が難しいのは現実だ。これは統計であり優秀な子どもはどこの学校で学んでもオークランド大学の医学部や法学部に行けるだろうが、あくまでも統計的に言えば低いのが事実だ。

 

今日のニュースはこのようなオークランド南部の貧困地帯にある小学校では子どもたちがまともな飯(英語ではスクエア・ミールという俗語がある)が食えてないので無料でサンドイッチや牛乳やシリアルとかマフィンとか色んな物を配ろうと言う趣旨であり、実際に無料昼食を配っている映像があった。

 

映像を見ればすぐに分かるがこの「貧困地帯」に住む子どもたちはほぼ全員がパシフィカかマオリである。映像に映る白人はすべて食事を配るボランティアである。

 

この場面を観たオークランド市民のうち70%以上がプログラムに賛成して反対は20数%であった。何故賛成するのか?子どもが貧困なんでしょ?だったら食わせるべきでしょ、政府の金でという理屈だ。

 

しかしまず考えて欲しい。ニュージーランドは社会保障が世界でもトップクラスの国でありお金がなくて自殺した人はいない。つまり貧困と呼ばれている地区では必要な人は全員が生活保護を受けることが出来てシングルマザーは一生働かなくても食っていける。

 

この地区に住む人々は、仕事をせずに勉強もせずに子どもに勉強もさせずに何もせずに毎日ぶらぶらして政府から金をもらったらすぐに酒や麻薬を買って、子供の教育や食事にお金を回そうとしない。

 

つまり両親の無駄使いの為に子どもの食べる食事が買えないのだ。つまり今ニュージーランド政府がやろうとしている無料昼食プログラムは、底の抜けたバケツに一生懸命水を入れてるようなものだ。

 

政府の補助や社会保障に慣れた人々にとっては政府が子どものために水を入れれば入れるほど親は子どもの生活の質に構わなくなり、政府に「もっと出せ、朝飯も出せ、夕飯も出せ、おやつもよこせ、ついでに両親も腹すかしているので持ち帰りの食事も用意しろ」と言い出すことだろう。

 

つまりここで本当に必要なのは親に対する社会的教育であり、彼らが働く気持ちを持ち子どものために美味しい食事を作ってあげて自分が少々我慢をしてでも子どもの為に何かしようとする考え方の醸成である。もちろん彼らに対する社会教育も行なっているが、大人というのはみなさん実感するように考え方を変えることにはすごい時間がかかるし、どれだけ時間を賭けても耳に入れようとしない人もいる。

 

このような親に対する教育は一朝一夕では出来るわけもなく時間がかかるが、その間に子どもは大きくなる。親をいくら矯正してもその間に大きくなった子どもが親の真似をしてしまえばどうしようもない。

 

この点本当に感じるのが幼児教育である。すこしぐらい親がダメでも幼児教育を強化することで10年先の国家を少しでも良いものにすることは可能である。

 

この「無料昼食」という企画を観た時に最初はむかっと来た。そんな事したら親がますますだらしなくなるじゃないか!けれどよく考えてみれば今しっかりと社会が助けるべき子どもを救わねば、結局困るのはこの国の未来の社会なのだ。

 



tom_eastwind at 19:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月26日

正しい平等って何だろう?国民って何だろう?

長いお取引を頂いてるお客様から問い合わせを頂いた。ご家族に相続が発生した為に書類を相当年数分用意しなければいけないとの事。

 

人にとって相続とは一生に何回もあるものではないから実体験として認識しづらく、その為にどうしても準備が行き届かない事が多いのは当然のことだ。だからこそ本来は税金を取る側が出来るだけ払う側の手間を省いてあげるのが常識ではないかと思うが、現実は税務署が「アレ出せこれ出せ!いつまで出せ、出さないと追徴課税するぞ、ルールで決まってんだから文句言うな!」って、一体お前らなんじゃ!って感じだ。

 

結果的に相続が発生してから手続きを開始すると、あれもこれも、続々と問題が出てくる。一生懸命働いた人に限って問題が発生する。これじゃあ何のために働いたのかってくらい面倒くさい手続きが出てくる。

 

それだけならまだしも、人によっては結果的に相続税を現金で用意出来ないために親の代から住んでいた自宅を手放すしかなくなる。

 

納税の義務は当然だ。社会が維持されることで無法状態を避けて個人の生命と財産を保障されるのだから、社会を維持するための費用を参加者が負担するのは当然である。

 

が、しかしじゃあいくらの税金が公平かという事になると、もし生命の重さが全員平等であれば税金も同額であるべきだ。財産の保障と言っても相続税でほぼ全部持っていかれたり自宅を売却なんて話になれば、何のための財産の保障か?そう考えると今の日本の税制というのは自己責任で自分でリスクを取って起業することがとてもバカらしくなるシステムでしかない。

 

つまりこれは入口も出口も平等にする間違ったエセ共産主義の発想でしかない。ここ大事。

 

ぼくは社会主義者の発想に近いので本来なら日本のような共産主義は認めるはずだが、日本の場合は共産主義ではなく寡占全体社会主義という一部の支配層だけが豪華な生活を出来る仕組みにしている点が頭にくることだ。

 

働けるものはしっかり働いて高額納税をして更に死んだら相続税を取られて真っ裸になるが、働かない人々は政府の補助を受けて何もせずに相続税も払わず死んだら真っ裸、結果的に平等ってか?

 

そうなれば誰もが働かなくなるのは分かりきった事ではないか。人間は神さまではないのだ、人間の能力を高めようとすれば何らかの「やる気の出るネタ」が必要だ。

 

それは人によっては現金だろうし現金のある人にとっては政治家などの権力者に成る事だし、そうなれば(少し頭の弱い奴は)次に欲しいのはてんのーからもらうクンショーだろーしクンショーも色んな色のヤツがあるからゲーム感覚で「全部ゲト!」でも良いかと思う。

 

要するに何かのネタを渡さずにビジネスをしろ、一生懸命働け、けど何の見返りもないぞなんて言われても馬鹿らしくてやってられない、自己責任で自国民の為に自分だけがリスクを背負って起業など誰がするか?おれたちゃ神様ではないのだ、やりたけりゃお前ら官僚が自己責任自己リスクでやれって話だ。

 

ロシアのジョークにこんなのがある。

「君は働いたふりをしてくれ、僕は給料を払ったふりをする」

 

納税は国家の基礎であり政府を維持するために納税をするのは、ガラの悪い地区で飲み屋を経営するのにヤクザがみかじめ料として治安維持をするのと同等である。しかしヤクザの出入りで店が潰れてしまえば元も子もないではないか。

 

だったら自分でリスクを取って店なんて経営しないぞ、そんなのより毎日パチンコ行って飲んだくれて社会保障で生活保護もらったほうが余程ましだ。

 

政府は公僕であり一般市民が経営者なのだ。その事実をよくわきまえて上下関係を明確に理解すべき公務員が偉そうにアレだせこれ出せって言って、じゃあこっちが今までリスク抱えて商売してきて、それで失敗したら政府が責任とってくれるのか?

 

政府からしたらそんなの知った事か、自己責任だとなるだろう。だったらこっちも同じ、政府には収入が発生した時にきちんと納税したんだからその予算でやれなかったら自分たちの給与を削減しろよって話だ。

 

そういえば今年は国家公務員の給与を期限を決めて賃下げする事になるが、国公労は当然のごとく反対している。けれど自分たちが国民から税金を集めて無駄な出費をしているのはどうなのか?

 

大体お前ら、誰の金で飯食ってんだって話である。焦らず気取らず働かずの役人が自己責任を取らず首にならず事務作業ばかりして60歳まで働いたふりをして、たっぷりとした退職金と年金を貰える連中が何でご主人様に偉そうな事言うんだって話である。

 

しかし現実に日本という社会で生きている以上、法律を決める側にいる連中がすべてを決定するわけであり非支配者としては逆らうことは出来ない。だから相続税なんておかしな税金がまかり通るわけだ。

 

考えてほしい、相続税というのは一度所得税なりで課税したお金にもう一回課税するって事だ。世界中の税制の基本は二重課税なしである。なのに相続税とはまさに二重課税のど真ん中だ。だからニュージーランドでは相続税もないし生前贈与も無税である。

 

ニュージーランドでは消費税は去年125%から15%に上げた。けれど国民からは殆ど異論は出なかった。何故なら国家に収入が必要であり国家予算の透明性が高いからだ。政府は同時に源泉徴収を195%から15%に下げた。働いた人にはそれなりにお金が残る仕組みにしたのだ。勤労意欲を高める税制にして更に国民の福祉はしっかり守る、そういう制度は実際にニュージーランドで実現しているのだ、夢物語ではなく。

 

ニュージーランドでは消費税を高める事で国家予算を確保するのだが、その為には人々に消費してもらわねばならない。経営者に消費させる一番良い方法は、企業の利益に対する税金を低めにして経営者が手元に残った金で「今日は何を買おうかな?」と思わせることだ。

 

税金で持っていかれると思えば経営者はいかに税金を安くするか、いかに節約するかを考える。それは社会全体では納税額が減少することを意味する。またNZで稼いだ金を節税対策として海外に持ちだされて困るのはNZ政府だ。

 

だから非上場企業の場合はあまり課税を厳しくせず経営者の手取りを増やして喜んでNZ国内で消費したくなるような環境つくりをする。その結果として経営者は車を買い自宅を改修してお金を使ってくれて、その15%が消費税として政府に入ってくる。うまいやり方だと思う。

 

国民を大人として扱い国民がお金を使いたくなるような方向に仕向けている。大人の政府というべきだろう。

 

では日本に居住する人々の場合はどうであろうか?まるで国民を信用せず「とにかくバカが金持ってても仕方ないしくだらんことにしか使わない。だから政府に渡せ、政府が正しく使ってやる」と言って誰も泊まらないグリーンピアとか馬と鹿だけが走る高速道路作って政治家の財源としているのが現状ではないか。どっちが馬でどっちが鹿だ?

 

では下々の人間が子どもにいくらかでも財産を残そうと思えばどうすればよいのか?つまり相続税を発生させない方法はあるのか。

 

ある。自分が生きている間はお金が遣えて、自分が死ぬ時に全額を子どもなり誰かに残す方法はある。リバースモーゲージと呼ばれる商品だが、これは今の時点では東京等一部の地域で不動産を所有している人にしか適用出来ない。

 

財産が殆ど不動産という場合は予め死亡予定時期(?)を予測してそれまで定期的に銀行から金を借りて例えば孫の教育費に充てれば今年は無税で生前贈与が可能である。または豪華客船で世界一周でも良いだろう。

 

被相続人、つまり本人が亡くなれば銀行が残った自宅を清算して借金を帳消しにして残ったお金を相続人、つまり奥さんや子どもに渡す。相続税の対象とならない3千万円程度の現金だけが子どもに残るようにすれば良い。

 

他にもすでに海外では生命保険を担保としてリバースモーゲージを組む商品が出まわっており、日本でも最近少しづつ出回るようになっている。せっかく今まで一生懸命働いたのだ、最後はざーっと気持ちよく使ってしまえ、それが自分へのご褒美だ。

 

ただそうは思えない、やはり十分なお金を子どもに残してあげたい、自分は大して使いたくないし、親から譲り受けたものを子どもに渡すのが自分の仕事と思っているのなら他の方法もある。

 

それは海外へ資産を移すという方法だ。これは現時点では完璧に合法である。まず民法における契約自由の原則に基づいて日本国籍を持たない海外居住者と何らかの契約を結ぶ。

 

次にこの契約をする際に相手国の法律を準拠法とする。ここがミソだが、民法の適用通則というのがあって、二カ国間にまたがる契約についてはどちらの国の法律を使うかは契約者同士で決めて良いという大原則がある。

 

こうやって、例えばこれは一種のジョークだがこんな契約を結ぶことが出来る。「コインの表が出たらお前の勝ち、コインの裏が出たらオレの負け」。これは賭博禁止条例があれば出来ないのであくまでも一種のジョークだが、要するに契約の形態さえ両国の公序良俗を守ってさえいればどのような資産移転契約も可能だという事である。

 

契約を締結して相手側(実際には弁護士や会計士になる)に一旦資産を譲渡しておく。

 

譲渡した資産は相手が代表者となる家族信託を設立してそこに入れる。その資産はその国の信託法によって守られて、子どもたちは必要があればそこからお金を「借りる」ことが出来る。

 

これが現実的な手法か?と聞かれればぼくは「はい現実的です、ただし本気で腹をくくって下さいよ」と常に言うことにしている。つまり法的には合法であるが税務署通達により否認される可能性がある。その場合には裁判をして通達よりも法律が上位であり優先するというごく当然の判決を得る必要がある。

 

「腹をくくる」とはつまり裁判で喧嘩するくらいの気持ちがないと出来ませんよって意味だ。ただし今までこの手の裁判でぼくが知る限り税務署通達を根拠とした否認を法律違反として告訴した案件ではすべて告訴した側が勝訴している。武富士事件、中央出版事件などが代表的な判例である。

 

それから外国の個人への寄付も可能だ。日本の民法では海外にある資産を日本国籍を持たず日本に居住していない、いわゆる外国人に贈与した場合は無税である。これも利用価値がある。

 

そこまで書いて委員会だが、ぼくは今の日本の間違った共産主義に対しては怒りを感じている。

 

何度も書くことだが僕は個人的に社会主義を望んでいる。誰もがきちんと飯を食えて身体が弱い人は世の中全体で守り、働ける若者が一生懸命働いて老人と子どもを支える、そういう仕組を。

 

今頑張っている若者は何時の日か老人の仲間入りをする。その時には若い人に助けてもらうが老人は子どもに教育を与えることが出来る、忙しい父親に代わって。子どもは今のうちは学ぶことばかりで何も生み出せないが、若者になった時に老人や子どもを助けながら生産活動を行う。

 

そうやって社会を構成する全員が何らかの形で社会に貢献して一つの世代から次の世代へ生を受け継ぎ、まるでリレー競走のように社会を持続させる。そして誰もが豊かになれるように皆が協力して豊かな社会を作り上げる。それこそがぼくの希望する上向きの平等だ。

 

実はこれって昔の日本の田舎の漁村などには存在していた。村がひとつの共同体であり、ちっちゃな子どもは浜の小石を拾って船が出るのを手伝う。若者が漁で獲ってきた魚をさばくのはお年寄りの仕事である。

 

老人が魚を干物にしたりしている間、漁を終えた若者は風呂に入り身体を横たえる。その間漁師の奥さんたちは料理の準備にかかる。そして夕方になると老人も若者も子どもも集まって皆で楽しく御飯を食べる。

 

本来なら正しい社会主義が通用していた日本だが、何故か明治時代あたりから官僚という新しい階級が出来上がり、アタマが良いというだけで世襲制のような国家支配が始まった。彼らの子どもは親のやることを真似て東大に入り優秀な官僚となりいつの間にか政治の世界にも入り込み世襲政治家となり、結果的に閨閥という支配層を構築した。

 

そして彼ら支配層は法律を作る側になり自分たちの都合の良い法律を作り、官僚や公務員は何をやっても免責なのに一般人はちょっとでも自己責任で努力したらたいーほ!となった。

 

その間まともな意識を持つ日本国民は一生懸命働いて自分の家族にいくらかでもお金を残そうとした。しかしそれさえ官僚は許さない。国民の金は国家の金であり自分は国家を代表しているのだから金は俺たち支配層によこせって事だろう。

 

今日は長いブログになった。けど、まじめに働いている人だけが馬鹿を見るような税制がまかり通るような国に未来はない。日本政府も国民をバカにするのではなく国民を成長させる政策に切り替えるべきだろう。



tom_eastwind at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月25日

空飛ぶバス

うちはなんちゃらという機械と契約して毎月いくらかのお金を払って香港のテレビをほぼオンタイムで見ることが出来る。日本でも色んなサービスが出まわって著作権なんちゃらで細かなところで揉めているが香港のような著作権に対して大らかな場所ではテレビ局自体が海外に住む香港人相手に自分とこの番組を売っている。

 

日本のNHKも一応外国居住日本人向けに番組を売ってるが、すぐに「P!」が出て「著作権上この部分は報道できません」となる。スポーツ番組に多い。

 

あ、そうだ、ついでに言っておけばこれから移住しようとする人たちへの情報としては「NHKの番組を観ることは出来るがかなり限定されてる」と思った方が良い。他の民放を観たい場合は著作権の問題があるので予めきちんと調べてから申し込みしたほうが良い。詳しくはまねきテレビの判例参照がお勧めです。

 

ほぼオンタイムなので土曜日の午後に香港のTVBニュースを観ていたら、北朝鮮の特使を習近平が人民大会堂で迎えて会議やってる場面がバンバン出てきた。勿論日本のニの字も出ずに六カ国協議の順守をして北朝鮮の非核化を要求したとのこと。

 

ニュースでは宗主国である中国の習近平主席が朝貢国である北朝鮮の使者を人民大会堂で謁見したという流れであり中国人の本音がよく分かる。いくら北朝鮮が日本に向かって偉そうな事言っても、所詮中国の前では米搗きバッタでしかない事がよく分かる。これなら北朝鮮と直接交渉など面倒くさい事はせずに北京と直接交渉して拉致被害者の解放へ向けた方が正解なのではないかと思ったりする。

 

いろんなニュースも英語で観るか中国語で観るか広東語で観るかで随分視点が変わる。それぞれの国が国策に合わせて記事を書いているからどこも「自国が正しい」という表現になるので結構笑える、日本も含めて(笑)。

 

つまり日本でニュースとして一般国民に放映される記事はかなり身びいきになっており、本人はすんごい大きな世界的な問題であり人生がひっくり返るような記事であっても、一つ国家を変えて違う視点から見れば「大した事ないじゃん」ってことになる。

 

だから日本国内で大問題になるような外国を絡めた問題で日本のニュースを観てはしゃいだり怒ったり笑ったりしてたら、実はそれってかなり外国人から嘲笑の的になると思ったほうが良い。

 

一般的にどこの国でも自国民が興味のあるものをニュースにするしそのニュースを他国民がどう観るかという視点は薄い。

 

最近韓国ではあるメディアが「日本の原爆は神様がどーのこーの」と言って問題作ってるが、彼らだって自国民受けするネタを書いてたら筆が滑った、要するに隣国民なんて視野に入ってない、今日の飯を食うために自国民に売文しているようなものだ。

 

それは日本も同様で、ニュージーランドという外国から日本のニュースをネットで観ていると、ほんとに自称ジャーナリストの知識の低下とバカな国民に阿る(おもねる)記事やニュースに呆れ返る。

 

ほんとにまともなジャーナリストであれば国民に媚びを売るのではなく国民の木鐸となって喚起を促すべき第四の権力になるべきだのだが、悲しい事に現代の多くのジャーナリストは自分の知識不足と教養の無さを視聴者へ媚びを売るという形でしか覆い隠す事が出来ず、それでしか生計をたてることが出来ない。心の貧困というか、若いころの人生の手抜きがそのまま今の人生に跳ね返っているようなものだ。

 

問題はそのような低い程度のニュースを真に受けていかにも自分の意見のような振りをして周囲に威張るバカ国民である。飲み屋で一席ぶって世の中を分かったような顔で「今の政権はなっちょらん!」とか「日本として国益はー!」とか、飲み屋の可愛い姉ちゃんの前で威張りたいのだろうが、あまりに知識レベルが低すぎ。

 

無知識で無教養のジャーナリストが書いた無能な記事を自分の意見として周囲にバカを振りまいているからどうしようもない。

 

外国に住む一つの利点としては、やはり様々な視点からものが見えるという事である。そしてそれはある意味怖い。今の日本が世界から見てどのような状態に置かれているか?中国から見た日本、英米から見た日本、日本から見た日本、すべての視点が乖離している場合は無茶苦茶怖い。

 

お互いに間違った情報の上に議論が始まり本来あるべきではない方向に議論が進みそれが結局戦争を招くような事になるんだろうな。

 

ニュースの中で英国のヒースロー空港でエアバス機が離陸後すぐにエンジンから煙が出て空港に戻り緊急着陸する事件があった。うちの奥さんが「ねえお父さん、へいしーろーってどこの空港?」って聞いてきた。広東語で表記されるため原語とは随分ずれた発音になる。

 

ああ、あの事件だ、今朝の日本語のニュースで見てたので「それはヒースロー空港、ロンドンには他にもいくつか空港があるけど、国際線で一番大きい空港だよ」と説明した。その後にやはり広東語で「この飛行機はエアバスで」という説明があったが、広東語だとエアバスは「空飛ぶ バス」となる。

 

うちの奥さん、とても怪訝そうな顔で僕に向かって聞いた。

 

「ねえお父さん、バスって飛べるの?」



tom_eastwind at 16:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月23日

純金+24

オークランドに留学している日本人学生同士の会話でこんなのがあった。昼食時間にクラスの仲間と御飯食べてて、「わたしの金のネックレスは18金よ〜、いいでしょ!」と女子学生が言うと隣に座ってた男性が「ほー、ぼくの時計は24金だけどちっちゃいな」と答える。

 

隣でそれを聞いていた金持ちそうな中国人が一瞬悔し気な顔を見せ、突然威張った様子でふんぞり返って自分のネックレスを周囲に見せて「ふん、お、おれのは、100金だー!」と大声で叫ぶ。今の大陸成金中国人の脳みそって、ほぼこのような状況であろう。

 

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純金のアクセサリによく「24K18K10K」や「24金、18金、10金」といった表示を見かけますが、これは純金と他の金属の配合比率のことです。日本では「純金」と名乗って良いのは、純度が99.99%以上のものに限られ、これを24Kとしています。

ジュエリやアクセサリには18Kが使われることが多く、この場合の純金の配合率は約75%になります。1K減った分、別の金属が混ぜられることになり、その配合により色味や強度が変わります。

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100金だか100円均一だか分からんが、とにかく人種別に見ると日本人の控えめさと中国人の押しの強さというか常識を無視して理想を追い求めるけど肝心の知識が全く追いついてないから、世界に出ると笑いもの、バカにされるって話だが、だからと言ってその姿勢はやはり日本人も学ぶべきだと思う、その5%程度は(笑)。

 

江戸時代末期の話だか明治初期の話だかちょっと忘れたが、ある欧州視察団に通訳として同行した武士がいた。ところが欧州に着いてさあ通訳をしようとすると「わたくし、日本語以外出来ませぬ」という話。

 

びっくりしてどういう事だと聞くと「通訳できるとでも言わなければ欧州まで来ることは出来ませぬ。学びたい気持ちがあっても今の自分の身の丈では到底欧州など行くことは叶いません。そこで一策案じて通訳が出来ると申しだ次第です。いや大丈夫、半年もすれば私は通訳になれますから」

 

これなど下級武士が成長するときにはもしかして必要な嘘なのかもしれない、てか、本人からすれば「通訳でしょ、だいじょーぶ、連れて行ってくれればオレは半年で通訳になれるからー」みたいな気持ちがあったのかなって思う。

 

てゆーか、知るは一時の恥、知らぬは一生の恥、今この機会を逃せば洋学を学ぶ機会はない、ならば恥をかいてでも学ぶべきだろ、そういう気持ちだったのかもしれない。

 

同じ武士でも他人に辱めを受ければ腹を切るくらいの時代に、腹を切らずに恥を飲み込み言い返し、大所高所に立って堂々と嘘を付く。けどその嘘は今の半年だけで、半年後には間違いなく嘘も本当になるって言ったら??

 

笑って良いのか怒って良いのか?さあ、あなたならどうする(美川憲一)?

 

これ、実は移住する際にかなり大事な点である。自分をどう見せるか?嘘はいけないけれど過小評価もいけない。じゃ過大評価はどこまで許せるか?

 

こんな時に日本人はとにかくくそ真面目に「私の身長体重はこうこうで」とやるし、英語となると「いえいえ、全然出来ません」という。けど喋らせると実に上手い。なんじゃこりゃって感じだ。

 

旅券を発行する際にこんな事があった。うちの娘がオークランドで旅券を更新する時に写真が必要になった。中国人の写真やがあったので飛び込んで「すみません、旅券用の写真撮ってください」というと、面倒くさそうな顔をした中国人が「ほら、こっち向いて、はい、カシャ!」てな感じで撮る。

 

どう見ても顔の中心線がずれてるしこれじゃ通らないでしょって言うと「大丈夫、これからこの写真フォトショップで調整するからさ」

 

????はあ???あり得んし。旅券用の写真を「調整する」だとー?それって旅券の意味ないじゃん。

 

ところが彼らの中の常識でいけば「汚い実顔晒すのは恥」とでも思ってるのか、写真はトリミングするのが当然と思ってる。こうなるともう、法の精神などあったのもではない。社会を形成する法律よりも自分のメンツの方が大事なのだから会話が成立しない(苦笑)。

 

ただニュージーランドの現実としては、控えめで賢い日本人よりもくそみてーに押し付けの強い脳みそ欠陥中国人の方が圧倒的に採用率が高いという事実だ。

 

純金ってのは24金までしかないのに、数さえ多ければ良いと思って100金(均?)と吠える中国人の方が、世界的には短期的に理解を得やすいのだ。

 

日本人にそこまで自分を貶めろとは言わないし、日本人が日本人であるのは、嘘をつかない、正直で勤勉であるって事が存在価値であり、だからこそ日本人は世界で高い評価を得ているわけだから、そのままでいてほしい。

 

しかし、就職活動をする時など、あまりに真面目すぎてもそりゃどうかって思う時がある。もうちょっと中国人の5%程度は学ぶべきではないかって事だ。実際にこちらの国で履歴書を書く時は大原則が「ふくらませる」である。

 

これは事実だ。この国では10しか出来ないことを100くらいできると膨らませて書く。彼らは就職してから学べるくらいの感覚だから面接担当者も履歴書を見てそれをまず十分の一に縮めてから作業に入る。

 

だから押しの強い中国人やインド人は思い切り履歴書を膨らませてそれを十分の一に縮められてやっと等身大の自分になるが、日本人は馬鹿正直にそのまま書いてそれを十分の一に縮められるから結局面接で落とされる。

 

さあ、どっちが結局正解だろうか?日本国内では膨らませることは決して褒められた事ではないが、海外、ニュージーランドのような社会では膨らませることが大前提にあるのだ。ならばその国のやり方に従うのが「郷に要らずんば郷に従え」ではないだろうか。

 



tom_eastwind at 11:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月21日

最近の南オークランドの治安がますます悪くなっている件について

ニュージーランドを移住先として選ぶ人々の中には自分の出身地独特の価値観を持ったままな人が多い。この国に来ても本国の礼儀作法を忘れない大陸中国人(笑)やこれはアジア人の話だけではなくマオリと同じ地域から来たパシフィカと呼ばれる人々の話でもある。

 

彼らは南太平洋の小島、一般的にパシフィックアイランドと呼ばれている島々からやって来て親戚や仲間のいる南オークランドに住み着く。彼らはニュージーランド統治領で生活したりしてアジア人に比べてビザが取りやすい。では彼らパシフィカはなぜ自分の生まれた島を出てオークランドに来たのか?

 

彼らの生まれ育った島であれば特に働かなくても食える。海に行けば魚が泳いでいるし山に行けば果物が豊富に採れる。アイランド政府も国民にうるさいことは言わない。

 

これらの国ではインド人以外はあまり一生懸命働こうとせずパシフィカは密造酒を仲間で回し飲みしてラグビーをやったりするくらいだ。彼らは常に食料が身の回りにあるから一生懸命労働するという感覚が非常に薄い。だが、それでも毎日が退屈で結局親戚や仲間のいる南オークランドに移住してくる。

 

なぜこの地域にインド人が多いか?それは当時この地域を統治していた英国人が、地元パシフィカがあまりに働かないものだから業を煮やして印度からインド人を連れてきたのが始まりだ、それほどパシフィカは働かない。

 

彼らは英語もあまり上手ではなく(もちろん平均的な中国人より格段にうまい)何より今まで労働した経験がない。第一労働したいと思ってない。遊びたいのだ。だから労働経験もなく働きたいとも思っておらず遊びたいと思っている若者がオークランドに来て就職出来る可能性は決して高くない。ある意味自分から就職出来ない状況に自分を追い込んでいるのだ。

 

政府からたっぷりの金を貰って毎日何もせずにぶらぶらして、先輩であるマオリと組んだりして一生懸命働いている人々のガソリンスタンドを襲って金を奪いモールに駐車している車に乗り込もうとした中年女性の鞄を奪った挙句に殴り殺しマオリ対パシフィカギャング同士が銃を持って抗争し仲間内では近親相姦や裏切りなどでの喧嘩を繰り返しその日暮らしをしている。

 

そしてこういうおかしな連中の予備軍みたいな連中がここ数ヶ月で一気にシティで目立つようになった。勿論街の中で暴れることはないが、道端に座り込み乞食の真似をしてみたり薄汚れて何日も風呂に入った事のないような格好で肩を振り回して歩きながら、何か面白いことはないかとぶらついている。彼らはそういう自分を恥ずかしいとも汚いとも思わない。

 

一般市民から見れば気味が悪いが、このような連中は一目観たらおかしいのは分かる。まず目が飛んでるし酒かドラッグかで大体酔ってふるふらしている。

 

警察も最近はシティの警備を強化しておかしな連中を見かけたらすぐに声をかけてそこにいる理由を聞いたりして退去させるようにしているが人権問題が絡み、実際に犯罪を起こすまでは難しい。これは最近のシティの大きな問題の一つだ。

 

これからオークランドに下見に来る人は、オークランドが太平洋で最大のパシフィカ居住区であることも知っておくべきだろう、でないと現実を見た時にびっくりするから。勿論一旦シティから出ればそういう連中はいない。これは一つにパシフィカや地方マオリは自分の居住区があまりに退屈で、テレビで観た都会に出てみたいだけなのだ、誰かにかまって貰いたいのだという面もある。

 

ところがこれからが問題なのだが、このような連中を一方的にかばう連中がいる。彼らは被害者であるとか本気かどうか知らないがテレビに出ては政府が悪いと言っている。ニュージーランドは今でも社会主義者が多く寄生しており彼らは何かあればとにかく政府を非難することを1970年代のフラワーチルドレン時代から叫び続けている。

 

南オークランドで若者数百人が真夜中に暴動を起こせば「彼らのせいじゃない、仕事を与えられない政府が悪いんだ!」と言う。実際は政府が就職補助カウンセリング等手厚くやっているが実際に本人が働く気がないのだからいつも言い訳しては逃げ回っているという現実を見ようとしない。

 

12歳の子どもがバットを持って日用品店を襲うと「彼らのせいじゃない、食料を満足に与えない政府が悪いんだ!」と訴える。政府が世界でもトップクラスの分厚い手当をしてもその金は親の麻薬や酒に消費されているという事実は見ようとしない。

 

仕事もせずに街をぶらぶらしているジャンキーを見ると「彼らのせいじゃない、彼らの精神面での健康を守れない政府が悪いんだ!」と政府批判する。じゃあ政府が彼らを強制的に隔離して良いのか?そうすると今度は人権侵害だというくせに。

 

こういう自称社会主義連中は自分はいつも自分の正義の中でだけ生きていて他人の意見は一切聞かず自分の目に見える範囲だけが自分の納得する形をしていれば良いという、実に子供じみた行動をとる。物事の一面だけしか見ずに自分の目先だけ良ければよく、それ以外の主張が出たらキチガイみたいに大声で怒鳴り出すのも特徴の一つだ。

 

話はそれるが、世間一般では社会主義者と呼ばれているが実は形を変えた自分勝手で無責任な、日本で言えば社民党のように「拉致などなかった!」と騒いでた金目的の連中が日本にいる。そう、福島みずほにとって拉致など存在しなかったのだ、選ばれた人々が北朝鮮という労働者天国に旅券なし旅費なしで招待されたのだ、それは本人の意思よりも高位の意思による導きであり、ありがたく思えってくらいだろう。

 

本当は自分の党内の立場を守り他人を蹴落とすのに北朝鮮に手伝ってもらい、彼らから金をもらい拉致など何も知らない無知な一般人を洗脳してきたのだ。彼らの支持団体が日教組であることを知れば答えは一目瞭然であろう。

 

彼らの特徴は物事を一面でしか見ることが出来ず社会全体としてどうあるべきか、それは持続可能なシステムなのか、世の中の参加者全員がそれなりに納得出来るシステムなのかという事は全く考えていない。

 

話がそれたが、ではNZの自称社会主義者が自分の経営するお店に12歳のガキが野球のバット持って泥棒に来たら「私が悪かった、店にある好きなもの全部持って行ってくれ」とでも言うのだろうか?自分の住む家に自分が日頃擁護している連中が泥棒に来て貴重品をカッパラッテ行ったら「おい、これも持ってけ」とでも言うのだろうか?

 

まあこの社会主義者たちがどのような行動を取ろうと構わない、所詮彼らは今のニュージーランドでは主流とは成り得ず多くのまじめに働くオークランダーからすれば過去の亡霊のような連中である。

 

それでも今でも一定の発言権を少数野党として持っているから時々お化けのように出てきて言いたい事言ってまたすぐにいなくなる。

 

2012年のパシフィカの失業率 16%

同時期のパシフィカの子どもの貧困率 40%

2007年に救世軍から食料を受け取っていたパシフィカは1140人、2012年は6429人。

 

確かにパシフィカの貧困が増加しているのは事実である。しかし何よりもこの問題を理解すべき点は、貧困とは単純に相対的な問題であると言うことだ。

 

今オークランドに住むパシフィカ数十万人のうち一部が貧困だと言うが、ではアフリカのマリやナイジェリア、ソマリアで生活をする人と比較してどちらが豊かで安全な生活をしているだろうか?

 

今オークランドに住むパシフィカ数十万人と二百数十年前のパシフィックアイランドで生活をしていた人とどちらが貧困であろうか?心の問題は話が変わるので触れない、物質的豊かさと安全さはどちらが相対的に高いかという設問だ。

 

この国NZではお金がなくて自殺をした人がいないのも事実である。更に仕事がなければ貰える生活保護も「国民が人間らしい生活を出来るよう」な仕組みになっておりそれは子どもたちを連れてマックにも行けるし昼間から親がビールを飲める金だ。

 

そしてその金は収入が発生しない限り65歳まで支給されて更に65歳からは老齢年金が受け取れる。つまり働く気がなければ一生働かなくても食っていける現実があるのだ。

 

貧困が進んでいるのも事実だがそれはニュージーランドだけでなく世界中で同時進行している問題でありこの国だけの特徴ではないことを一般の人々は学ぶべきだ。

 

そして世界の多くの国では働かなければ食っていけない事実があるにも関わらず、この国の人々はどれだけ恵まれているかを自覚させるべきだろう。彼らがどうしても今住んでいる南オークランドから出て仕事をしたくないならそれでよい。街全体を5メートルくらいの高い塀ですべて囲ってしまい、後は塀の中の内需だけで食っていけばよい。

 

働く気もないのにこの国に来て勉強もせず学校も行かず子供の頃から親がマリファナ吸ってルのを見て兄と一緒に子供の頃から強盗ばかり繰り返して、いつも親戚の誰かが裁判所で裁判にかかり、毎週月曜日は裁判を見にに行くのが習慣のようになっている人々・・。

 

勿論いつもの事でそんな連中ばかりではなくまじめに働いている人もいるが、刑務所の中に入ってる半数以上はパシフィカとマオリでありアジア人で一番多いのが中国人であるという現実だけは変わらない。

http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10884847

 

自分が置かれた現実はパシフィカだけでなく誰にとっても苦しい時があると思う。けれど、だからと言って今の自分の環境に甘えてるのが人間か?言い訳ばかりして毎日ヘラヘラと知らんふりをして現実を無視しようとしているだけだ。

 

今自分の出来る限りのことをしているか?パシフィカのように子供の頃から節制もせずに食事をしてぶくぶくに太り政府から貰うお金は子どもの食べ物ではなく親の麻薬と酒に使ってしまうようなのが、果たして人間とか人の親といえるのか?

 

世の中には逃げても逃げても追いかけてくる現実というものがある。その現実に立ち向かい、現実から逃げるのではなく人生に立ち向かって自分だけの力で切り開いていく、そのための戦闘能力として自分の教養を磨き勉強をして頭に知識を詰め込み勇気を持って智慧を使い世の中を生きていく、それは結果的に自分自身を強くしてくれるし皆が他人に優しく豊かな社会を構築していくようになる。

 

そういう事を全く考えようとせずに勉強もせず節制もせず働きもせず怠けてぶらぶらしてばかりいて一人前に権利ばかり主張するなと言いたい。

 

いつも言うことだが、ニュージーランドだって天国ではない。毎日生きてて嫌になる時もある。この国を逃げこむべき天国と勘違いした瞬間、あなたは確実にこの国に来て不幸になる。

 

何故この国に来るのか?それはこの国の方が自分にとって希望する生活を作るためのインフラが整っているからだ、だから栄光への脱出なのだ、脱出した先で苦しいことも理不尽な事もあるが家族のために乗り越えよう、そういう気持ちで移住した人間だけが移民社会の中で生き残っていける現実をよく理解しよう。

 

もう一度書くが、ココは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない。良い奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもないんだ By ブルーハーツ、でした。



tom_eastwind at 14:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月20日

月曜日の朝一番で弁護士からメールが届く。

月曜日の朝出社すると朝一番で弁護士から移住チーム宛にメールが届いていた。起業家部門で申請していたお客様のビザが発給されたとのこと。

 

移住チームは現在2チームに分けて運営されているが今回取得したのは起業家部門チームで、この案件は手間取った。

 

去年前半に申請準備をして全部揃えてさあ移民局に提出しようと思ったその矢先、移民局が起業家部門のマネージャーをすげ替えて殆ど移民法の経緯や実態を知らないマネージャーが起業家部門の申請を無茶苦茶にかき回してしまい、弁護士団体側でもすべてやり直し、おまけにルールが大きく変更されたのでビジネスモデル自体を作り直す必要が発生した。

 

こんなのありかよ!って感じであるが相手は発給する権限を持っておりこっちにあるのは相手の質問の意味を読み取り正確な回答をぶつけてお互いの理論の根拠を摺り合わせての議論をする権利のみある。もちろん彼らの判断に対して反訴を行うことが出来るし反訴を検討している間は滞在することも出来る。

 

反訴を何度も繰り返し最終的な判断を彼らが持ってきてその理由を並べて「3週間以内に返答がない場合はこの案件は移民局が決定する」という手紙が来る。これに対してぼくらは弁護士を数名入れてこちらも数名体制で会議室に篭って様々な対応策を検討する。

 

その中には極論として「移民大臣への直訴」も「マスコミを使って世論を動かす」などもある。今回の案件はそこまで行く必要がなく、ポイントは南太平洋の小島で生まれて北半球のビジネスサイズを全く理解出来ない人々、つまり目の見えない人に色を説明するような作業であり、最終的に彼らでも理解出来るビジネスモデルに変更することで起業家ビザ取得に繋がった。

 

結局この案件は準備期間を入れると約2年の大仕事となった。3年前なら半年で取得出来たカテゴリーだが、本当にここ一年はルール変更に振り回された一年だった。

 

しかしこれで現時点でも当社の起業家ビザ取得率は100%のままで推移しており、現在申請中の方やこれから申請するための準備期間中のお客様からしても少しは気持ちが楽になってくれると思う。

 

先ほど移住チームは2チームに分けたと書いたが、今後ぼくの担当するAチームは投資家部門、家族信託設立、商業用及び住居用不動産投資、投資先助言を専門に行う事になる。

 

今回の移民局の人事異動や内規変更などを通じてよく分かったのが、やはり移民局は日本のような国から移民が来て貰いたいと考えていることだ。今回の申請受理から発給までもそのあたりが加味されている思う。

 

ただしそれは日本人なら誰でも良いというわけではない。あくまでも移民局の規則に基づいてニュージーランドの国益になる人というのが前提である。この国にやって来て英語も満足に出来ず定職にも付かず政府から福祉手当を受け取るだけなんて人に来て貰いたいとは思っていない。

 

その意味で未だニュージーランドの移民の壁は英語を母国語としない日本人にはまず言葉が高い塀だ。移民してもそこから先、現地移民社会の中で先に来た中国人や韓国人移民、先住民族であるマオリやパケハ(白人)達と時には競争し時には提携してビジネスを展開していかねばならないセンスを要求される。

 

ビザの取得はあくまでも入り口にたってドアを開けてもらうための手段だ。厳しいのはこれからであり乗り越えるべき現実の壁は高い。ビザは手段、目的は幸せな生活だ。それでもこれで一つの長期案件がクリアーされたので、今朝のオークランドのような透き通った空の気持ちになれた。

 

しかしこれで終わりではない。現在準備中で6月に申請を移民局に提出したいお客様が続いている。投資家枠でこれから投資をするお客様も続いている。そして移住予備軍もたくさん問い合わせを頂いている。まだまだ道遠し、である。

 



tom_eastwind at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月19日

自分の価値を考えてみよう

★記事開始

賃上げで政労使協議の場設置を検討 経財相

2013/5/20 1:18

 甘利明経済財政・再生相は19日、企業の賃金引き上げを巡って政府、経済界、労働組合の3者による協議の場の設置を検討する考えを示した。安倍晋三首相も前向きだと明らかにしたうえで「賃上げだけでなく働く側の理解をもらい、企業側が抱えている悩みを率直に話し合って合意形成できるような場であればいい」と述べた。都内で記者団の質問に答えた。

 

 これに先立つNHK番組では、「一時金は上がっている。これから定昇やベアにどんどん跳ね返ってくる。企業の業績見通しに自信がつき次第その循環が始まっていく」と指摘。政労使の協議の場を通じて「賃金に跳ね返るタイムラグを早くする」と強調した。

 

 首相が6月5日に発表する成長戦略の第3弾に関しては、企業の設備投資を拡大する新たな施策を発表するとの見通しを示した。「設備投資の先行指標の機械受注は伸びている。ここをもう一段の政策効果で拡大していく」と語った。

★記事終了

 

今年の春闘ではローソンやセブン&アイなど非製造業のベア(ベース・アップ)賃上げが目立つ中、自動車業界は大幅な円安により利益の恩恵を受けることが出来てトヨタ自動車はボーナス満額回答して205万円となり定期昇給も予定どおり行われたがベアそのものは行われなかった。

 

トヨタ労組はその理由を「取り巻く環境が円安のほかに好転した材料はない」としている。これをどう理解するかは人によるだろうがサラリーパーソンの人々にはこれから社会で生き残るためにも是非とも理解してもらいたいキーワードである。

 

「円安の他に好転した材料はない」とはつまりトヨタ自動車で働く社員の「人並み外れた努力」や「画期的な業務改善」や「革命的発明」などは今年の利益増加にあまり貢献していないという事を労働組合役員でさえ認識しているという事だ。

 

それでもボーナス満額回答だったのはアベノミクスによる円安効果であり、今年のトヨタ自動車の利益の源泉は安倍首相にあると言える。

 

もちろんぼくはアベノミクスを手放しで褒めるほどスーポジ(スーパー・ポジティブ=超楽観主義)にはなれない。足元の国債を見ていると冷や冷やするものがある。しかしながら今年の円安効果で輸出産業は利益を確保出来たわけでありそれは間違いない。

 

問題は労働者の方にある。労働者が世界的に均質な素材となり企業にとってはどこの国で商品を作ろうと同じになれば製造原価の中に占める人件費は同じ能力なら安いほうが良いという事になる。

 

そしてここから本題である。現在の日本の景気は業種や地域によるが薄靄が少しづつ晴れかかっている様子に見えるがその晴れ間は大企業ではたらく社員全員に恩恵を与えるわけではないという事だ。

 

「設備投資の先行指標の機械受注は伸びている」が、今後はどこの企業も去年までの円高を受けて今の景気は一時的な円安と理解して、世界を視野にいれて適正な地域で適正な人材を使ってモノを作って地域に根ざした人材が販売をしていくようになる。

 

そうなると、企業にとっては本社は日本に置くとしても工場はメコンデルタ地帯の安くて若くて優秀な労働者がいるベトナムやタイなどに置いた方が当然有利となる。デザインは欧州のデザイナーに任せれば良い。販売は世界各地の売り方を理解している地元販売会社が行う。

 

そうなると同世代の中の上位10%に入ってれば将来的にも経営側に入れば管理者として企業活動に関わっていき高額の報酬を得ることが出来るだろう。しかしそうでない残りの普通のサラリーパーソン労働者はどうなるか?

 

彼らはいつでもどこでも入れ替え可能な、企業にとっては単なる部品でしかなくなる。そうなると企業がどれだけ成長しようが使い捨て可能な人材に未来はなく、いずれ肩たたきの対象となる。

 

入社して給料は毎年定昇するがそのうち入れ替え可能な他の部品よりも原価が高くなリ過ぎてその割りには自分を磨く勉強をせずに最後はベトナムの若者と比較されて最終的には日本の工場閉鎖などで希望退職、使い捨てになる運命にある。

 

勿論大企業の中で生き残るだけの根回し知識では他社で通用するわけもなく、結局40歳過ぎて専門能力もないままに無希望状態で社会に放り出される恐怖。その時になって「勉強しておけばよかった・・・」等と言っても始まらない。まさに自己責任である。

 

ぼくが初めてこのような現象を見たのは1980年代にHISという格安航空券販売会社が旅行業界に現れた時だ。当時の旅行業ではJTBという一大勢力が「奢る平家」のような勢いで旅行業を支配していた。

 

彼ら大手旅行会社からすればHISなどは所詮がゲリラ企業であり当時は勢いを見せ始めていたHISを「あんなのは旅行会社じゃない」と言って相手にしなかった。

 

けれど僕はその時に思った。「だって同じ航空券を買うなら安いほうがいいでしょ、値段が違っても飛行機内の座席の形が違うわけでなし機内サービスが同様であれば安いところから買うでしょ」。

 

旅行業における原価は多くが人件費である。同一労働で賃金が同様であればJTBKNTも利益率を確保している限り大きな価格の違いは出ない。だからどこで買っても航空券の値段は同じとなる。

 

ところがここでHISが出てくる。彼らは若い社員ばかりの会社であり平均賃金が大手と比べると半分以下である。同じ航空券を売るのに大卒のJTB社員が35歳なのに高卒でHISに入社した18歳の社員であれば人件費は二倍以上違う。

 

この場合JTBHISが価格競争をすればJTBに勝ち目はない。人件費が安いぶん航空券販売の原価である人件費が安いからHISJTBより安い価格で競争出来る。勿論利益率を削る必要はない。

 

例えば成田からハワイ行きの航空券がJTB20万円で売られているとしよう。販売にかかる時間が予約受付から発券まで合計して2時間かかったとしよう。この場合JTBの営業担当者は35歳。航空券の利益率は大体15%程度、3万円である。ここから自分の時給2時間分約4千円を稼がないといけないので直接利益は26千円。

 

営業担当者はバックオフィス分も稼ぐ必要があるから給料の三倍を稼ぐのがひとつの目安である。4千円の三倍で計算すると12千円。つまりこの営業担当者は2時間で実質的に得た純利益は14千円である。

 

ところがHIS1時間の人件費が大手と同じ給料としても平均年齢が低く20歳程度だから時給2時間分で2千円。三倍でも6千円なので同額で売れば純利益は24千円となる。JTBと同じ利益を確保しても販売額を19万円に設定することが出来る。

 

JTBで買ってもHISで買っても提供される航空会社のサービスが同一であれば誰もがHISで航空券を買うようになる。

 

もちろんこれには航空券の仕入れ価格が要素として入ってくる。初期のHISは仕入れ力はJTBほどに強くなかったからJTBが経営判断として格安航空券販売を開始していればHISはひとたまりもなかっただろう。

 

ところが当時のJTBは「格安航空券?個人旅行?そんなのは当社のすることではない。当社は団体旅行、就学旅行などを扱う本筋の旅行会社であり、個人相手に航空券を売るようなゲリラ会社ではない」と格安航空券ビジネスに参入しなかった。

 

その結果として現在はHISが企業の伸び率として業界一になりJTBを脅かす存在になった。これからも労働者の平均賃金が安い限りHISは得意の個人海外旅行分野で益々成長して後発組である旅行業大手を振りきって業界一の地位を守り続けるだろう。

 

つまり旅行業経営幹部における1980年代の「個人航空券など旅行業ではない」との経営判断ミスがHISの台頭を許し、その後も大手旅行業社員がHISを組織として追い抜けるだけの知識も持たずに単純に大手神話の上にあぐらを書いた結果、組織としてHISに負けてしまった。

 

その結果として大手旅行会社に就職したものの上位10%の経営幹部候補に入れない、営業があまり上手でなく内部でもあまり使い物にならないような連中は40代になり契約取引先の弁当屋とかホテルとかバス会社に移籍せざるを得なくなった。少し賢い連中は旅行業そのものの業態に構造的危機を感じて当時伸びていた外資系の保険会社に転職、営業を担当して生き残る道を選んだ人もいる。

 

つまり今もJTBKNTなどの大手は存在するが、そこで働く社員は中高年の多くが出向や移籍されて若年世代が残業手当もつかないままにこき使われている状態であり、ほんの一部の上位にいる社員のみが本体企業内で生き残ることが出来たのだ。

 

1980年代にぼくが旅行業で見てきた事が今日本と東南アジア労働者の間で起こっている。トヨタ自動車に就職したと言うだけで大手ヅラが出来るのは間違いないが、会社が日本人労働者を必要としなくなったら?その時にあなたは個人能力だけで他社に転職して高い給料を取れるだろうか?

 

少なくともトヨタ自動車労働組合が見る限り今のトヨタの利益を現場労働者が創りだしたとは判断していない。

 

勿論労働者本人は誰も自分をバカとか役立たずとかは思っていないだろう。それどころか自分は会社の為に一生懸命働いていると思うだろう。しかしそれはあくまでも自分の思い込みであり、実際に国際労働市場にあなたが売られた場合、一体いくらの価値が付くのか理解しているのかという事だ。これからの時代、大企業に入ったからと逃げ切った気持ちでいればその甘えは確実に自分の人生に跳ね返って来る。

 

しかしこれからは大手企業であっても経営陣は日本人の雇用に手をつけてくる。会社が生き残るためには労働者が日本であるかどうかは解雇基準には入らない。あくまでも会社が払った賃金に見合うだけの仕事をしているかどうかだ。これからは同一労働なら低賃金の社員に仕事は回されて高賃金労働者の仕事はなくなる。

 

本人が高賃金と思っているかどうかの感覚問題ではなく、具体的に今40歳のあなたのできる作業がメコン川沿いで生まれた20歳の若者に出来るとなったら?彼らの賃金はあなたの十分の一以下であれば、仕事は確実にアジアの若者に流れていく。

 

そのことを出来るだけ早く認識して自分の労働価値を客観的に高めていくしか、生き残る道はなくなる。



tom_eastwind at 10:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月16日

「民王」  池井戸潤

価格転嫁の話を書いたら日本の価格競争の厳しさと付加価値があるところだけが値上げ出来るってコメントを頂いた。そうだなー、自分の土俵で戦えてるか?と思った。

 

さて、橋本氏のツイッターを読みつつ、それに対して自分の意見を述べる日本維新の会所属衆院議員がいた。彼女は杉田水脈と書いて「すぎたみお」と読む女性がいる。水脈を「みお」と読ませるあたり面白いが、彼女がもし「じげ(地下)」さんと結婚したら地下水脈になる。

 

それでいけば武藤代議士が自分の男の子の名前を現代風に目標を持つって意味で「ひょう(標)」としたら、さすが政治家、無投票となる。

 

日本のように姓と名を組み合わせて本来とは違う意味の一つの熟語や単語になるってのは面白いものだ。

 

こんな事をふと思いついたのは、池井戸潤の「民王」を読んだ時だ。武藤首相の息子が翔(しょう)だった事から「一文字違えば超ウケルな・・・」と思ったからだ。

 

民王は総理大臣とその息子を中心に官房長官や優秀な秘書、ライバル政治家、公安警察が織りなす人間ドラマである。

 

政治に理想を持ち政治家の道を選んだものの、いつの間にか現実の政治に流されて来た首相武藤泰山と、そんなオヤジの背中を見て政治家にだけはなりたくねーなと考える息子の翔。

 

物語はミステリーをベースにして各所に笑える場面を配置して最後は政治や社会のあるべき姿、つまり理想を持とうよって結びになっている。

 

笑える場面では首相答弁の場でこんなのがある。

首相「我が国はいま、アメリカ発の金融、えーと、金融キキンによる」

息子「お、おい今なんて言った。金融キキン?造語か?」

秘書「なわけないじゃないですか、金融危機です、危機!」

首相「ミゾユーの危機にジカメンしており、景気は著しくその、テイマイしておるところでございます」

息子「ミ、ミゾユー?どんな原稿書いてるんだ、貝原(秘書)?」

秘書「未曾有ですよ、未曾有!ジカメンじゃなく直面だし、テイマイじゃなくて低迷・・・」

首相「〜一部の業界においては大型倒産がハンパツし、受注減によるハヤリ労働者切りの問題が〜」

息子「ハンパツ?ハヤリ労働者?」

秘書「頻発、派遣労働者です」

 

最後には

首相「ワカオキしておりまして、こうした事態をカイサケするため」

秘書「惹起に、回避です」」

息子「た、助けてくれ、オレはもう死にそうだ」と断末魔の叫びをあげそうであった。

 

しかしある就職試験の場面では面接を受けた息子が就職希望先のアグリカルチャー(農業流通)社員に対して

「売れないから、安いからと言って、金儲けのために(農薬だらけの)外国産に走れば、日本の食文化は将来的にとんでもないことになる。本物の味を日本人に伝えることなんじゃないですか?」

 

その通り。原理原則である。企業とは本来社会に役立つ事をするべきでその結果として利益が出るようなビジネスモデルでなければいけない。

 

この話など昭和後期の日本農協が自分の利益だけを考えて農家に農薬を買わせて農薬漬けの野菜を作らせてそれを日本人の食卓に出したものだから形が良くても味の不味い、苦い野菜が出回ったのだ。自分たちだけ金儲けをやった結果として農協は現在崩壊の際にある。

 

おかげで僕も当時は完全に野菜嫌いになった、ニュージーランドに来てやっと少しづつ野菜が食えるようになったものだ(苦笑・・野菜嫌いの言い訳か?)

 

最後は総理大臣が自分の理想を政治で実現しようとして政局を迎えて与党長老に諌められる。

「お前は総理である前に、民政党の総裁なんだぞ、泰山」

「それは違います。民政党の総裁である前に、私は日本の首相です。己の利益の前に、国民の利益を論ずるべきだと考えます」

「随分堅い事を言うじゃないか、それで政局を運営出来るか?」

「正しいことをして運営出来ない政局など、そもそも間違っています」

 

今の時代、もちろん理想だけで話が進むわけではない。けれど、理想なしに現実論ばかり語って自分の利益だけ考えて運営すれば結局理想のない金だけの為に生きる社会になり、それは最終的に社会そのものを滅ぼす。

 

だからぼくらはどれだけ苦しくても理想を忘れてはいけない。金だけに走っては、絶対にダメなのである。大義と理想の為に活動しながらも行動の中に利益の出るシステムを組み込む、それが本当の経営である。

 

天国のスプーンという話がある。これは元ネタが仏教なのか他の宗教なのか出所が不明であるが、ぼくが知っているのはキリスト教の話。

 

地獄では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理と取ろうとしている。ところがスプーンが自分の手より長すぎて、料理をとっても自分の口に入れることが出来ず誰もが料理を目の前にして空腹を抱えている。

 

その頃天国では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理をスプーンで取り、それを向かいの人の口に差し出して食べてもらってる。もちろんその人も他の人が口の前に差し出してくれた料理を食べている。そうして誰もが満腹で満足している。

 

自分だけが生き残ろうとする社会では結局社会が崩壊してしまう。この事は本当に誰もが理解する必要がある。今の日本のビジネスを見ていると、本当に自分だけが生き残れば良いと思ってる風潮がある。

 

ある時、あるビジネスマンが「私は他利を考えていましてー」と話した。ぼくはその時本当にびっくりした。そんなの当然じゃん、社会なんてのは人が一緒になって生活をしており、他人が死ねばこっちも生き残る危険が高まるわけで、最終的に自分以外のすべての人間が死に絶えたら社会は崩壊して人は原資生活に戻るしかなくなり、そうすると虎や狼などの野獣と戦っても勝てない。

 

そう考えれば他利なんてごく当然の話なのに、それがわかってないから平気で「私は多利をー」とまるで特別なことのように言う。それだけ日本社会がおかしくなっている証拠だ。

 

民王。政治家と官僚と民間人と、三者三様の人間ドラマとヒューマンユーモア溢れる作品でした。

 

 



tom_eastwind at 14:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2013年05月14日

「人間の条件」から読み取る戦時慰安婦の実態

今日はキーウィ地元ネタがあったのだが日本で橋下さんが吠えたので、これは是非とも今日同調すべき、時期を逃すべきとと思って日本ネタにする。

 

何故なら戦争における慰安婦問題は日本軍及び戦前の日本の歴史を歪めた問題であるだけでなく、世界中の誰もが自分たちのやった事には口を拭い、ただ戦争に負けたというだけで間違った歴史と悪役の烙印を押された根源的な部分の議論であり歴史認識であり日本政府の弱腰に対する怒りと韓国政府に対するあまりの理不尽さにどこの国よりも卑怯さを感じるからである。

 

まず、軍隊における売春という前に国際売春というビジネスがどうなのかを考えてみよう。

 

1930年代生まれの韓国人であれば確実に常識として知っていたのは、貧しい韓国の家庭は自分の娘を韓国人女衒に売り飛ばしてその冬の寒さをしのいだという現実だ。

 

これは何も韓国だけではなく、日本にも明治時代に飢饉などで農家の母親が自分の娘を日本人女衒に売り、子どもは行ったこともない東南アジアに売春に送り込まれ残った家族は自分の家族を売って自分の飯にしたという現実がある。

 

日本から東南アジアに送り込まれた女の子たちは「からゆきさん」と呼ばれた。「唐行きさん」とは当時の言葉で中国支配下の東南アジアに送り込まれるイメージだったのだろう。

 

九州の島原に行くと「島原の子守唄」が有名だ。

★4

 姉しゃんな 何処行たろかい 姉しゃんな 何処行たろかい  

 青煙突のバッタンフール

 唐(から)は 何処ん在所(にき) 唐は 何処ん在所

 海の涯(はて)ばよ しょうかいな

 はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい

 おろろん おろろん おろろんばい

★意味

姉さんはどこにいったんだろうなぁ・・・

青煙突の外国の石炭運搬船に乗せられて。

外国ってどのあたりなんだろう。

海の果てにあるらしいけど・・・

 

何のことはない、女衒に売られていく子どもたちと子どもを送り出す村の人々の歌だ。それほどに当時に日本は貧しかった。しかし日本は日清戦争後にからゆきさんの存在を「中華帝国によって誘拐陵辱された女性」とは決して呼ばなかった。

 

当時の日本人はそれなりの理性と常識と自己反省があった。「私たちは貧しかったのだ・・・島原の女の子が売られた、けどそれが現実なのだ、それは大国である中国のせいではなく小国である日本の問題であった」。

 

そう、日本人は自分の責任を他人に責任転嫁することなく自分の中で消化した。(今、中韓は自分たちの責任を日本に転嫁して恥を晒している)

 

その後も日本人、とくに今で言う左翼系(と言うか当時は中道、真実をフィルムに残そうとする人々)映画監督などは古い過去の記録をいつまでも忘れようとしないように当時の記録を映画で残したりして日本人は自己反省の材料として心のなかにかかえてきた。有名な映画では1974年制作の「サンダカン八番娼館」がある。

 

若いころに娼婦としてボルネオで過ごした女性を現代の女性がインタビューする形でつくられた映画。一体今の時代、韓国や外国の一部勢力や日本国内の白痴エセ左翼どもはどこまでこのような映画を観ているのだろうか?

 

日本人のプライドは、自分たちの苦しかった時代の歴史を他人に責任転嫁しない事だ。日本人女性が金のために中国人や金持ちアジア人に身を任せた。しかしそれは誰が強制したものでない歴史的現実だ。そのような現実を無視して日本エセ左翼が、慰安婦問題がまるで日本軍による拉致などと本気で思い込む脳みそであれば、そりゃあ脳内花畑か精神病院に逝ってもらって一生その中で過ごして欲しいと思う。

 

もし思い込みでなく単純に自分たちの勢力を広げて政府から補助金を得ようとするならば(どこの政府か分からないが・・嘲笑・・)日本人として最低だし。

 

次に軍隊による売春宿の利用について。

 

これは誰でも知っているが売春というビジネスはキリストの時代からある商売であり人間が存在する殆どすべての場所で行われていたのは常識だし日本でも江戸時代の吉原、その後の赤線地帯、現在は形を変えてソープランドとなっている。

 

そしてニュージーランドでは売春は合法なビジネスであり女性は自由意志で働いている。自分の体を売るなんて!と思う人はそう思えば良い、自分がしなければ良いだけだ。ただ他人が他人の価値観で行動している時に自分の価値観を強制することは出来ないのは自明の理である。だからそのビジネスが民間対象であろうが軍隊対象であろうが、合法である以上他人が「軍隊で売春など駄目だ!」という理屈は通らない。軍隊直属の売春宿が悪いと言ってるのか兵隊が売春婦を買うことが悪いと言ってるのか、このあたり定義が明確でないのも問題である。

 

そして最後に、軍隊が朝鮮人女性を強制連行した事実はあるのか?

 

日本軍による朝鮮統治時の問題であるが、当時日本政府が戦争に忙しい状況で本当に戦地から若い女性を組織的に誘拐とかしてきたと思うか?という単純な理屈である。

 

ジュネーブ条約で捕虜にした敵兵の面倒を見るだけで大変な作業でありその為に兵を取られたり食料を配給していくのは大変な作業だ。それなのにわざわざ軍隊が強制徴収をして彼らを管理して飯を食わせてなんてやったと思うか?ちょっとでも戦争のことを知ってれば分かるような簡単な話である。

 

第一、強制連行なんてのを証言した元日本兵が「あれは嘘でした」と言ってるし朝日新聞の捏造であることもすでにバレており、韓国人女性も最初は「え?あれは売られただけでしたよ」と言ってたのが、社会党の連中が金を握らせて嘘の証言をさせたのが事実だ。記録を見ればすぐ分かる事だ。

 

歴史的事実は「人間の条件」に詳しく書かれているが、韓国人や日本人の民間売春宿経営者が軍隊の移動に合わせて陣地の外れに宿を作り、そこで商売をしていた。日本軍は兵士が病気を移されないように定期健診をしたり休暇を取らせたりの健康管理をしていた。ただそれだけである。

 

それを戦後、日本が負けたという事実だけをネタにして自国の経営に失敗した連中が外国に眼を向けさせるために日本を対象に様々な国内洗脳を行い、だから今更引くことが出来なくなったというのが現状である。

 

さあ聞きたい、日本のエセ左翼に。君等は歴史を知らないのか?それとも知った上で自分だけの金欲しさに日本の名誉を傷つけているのか?どちらにしても答えは一つ、君はどうしようもないバカかクズだ。

 

それにしても橋下さんは喧嘩がうまい。見事な読みで米国軍まで巻き込んで一気に国内ニュースに持ってきて、衆目一致するところで頭を振り回して派手な鏡獅子をやったようなものだ、皆が注目するしかない。

 

慰安婦問題を正面から取り上げて沖縄米軍のボスに「兵士だって人間だよ、死ぬ前に性欲が出るのは当然、それは歴史的事実だ、そういう現実を無視してはいけない。米軍だって法律で認められた日本の売春宿を使うことだ」とのたまわった。

 

これは現実である。ぼくが沖縄に通っていた1980年代、Aサインバー(米兵のみ入れてHが出来る場所)はごく普通の街の景色であった。遡る1970年代前半、沖縄ではベトナム戦争に従軍した米国の若者がAサインバーで飲み歩き最後は「明日はどうせ死ぬんだ・・・」と売春宿に乗り込んだ。すべてのお店は民間経営である、そんな事はその当時常識であった。

 

サイゴンでは更に凄まじく、今日飲みに来た歩兵が45口径を振り回して暴れた彼ら若者は拳銃を持ったままベトナム人女性を抱き、ほんのひと時の心の休まりを得て翌朝戦いに出た、そして帰ってくる時は死体袋に包まれて・・・。

 

これが戦争の現実だ。

 

「人間の条件」では、梶という若者の人生を描く。大学で優秀な成績を残して満鉄に就職したにも関わらずその言動の反国民性で満鉄が経営する炭鉱現場に送り込まれ、まずは朝鮮人(当時の言葉だ)が経営する朝鮮人炭鉱夫向けの売春宿の管理を任された。

 

何とか彼らを纏めあげていくと次には主に中国人犯罪者(実際は政治犯罪、つまり日本政府に逆らった中韓人である)が炭鉱に送り込まれて、彼らは戦争捕虜でありながら何とか人間らしく扱おうと思った梶たちが出来るだけ良い労働条件を提案するが、なかなかお互いにうまくいかない。

 

その間にも朝鮮人売春宿のオヤジたちは自分たちのボッタクリがバレて宿から追い出されたりして梶に恨みを抱く。梶はそんな連中を相手にしながら何とか自分の信じる誠実を通そうとする。しかし現実はそうはいかない。

 

売春宿を経営する日本人や朝鮮人は次第に梶をうざく思うようになり追い出すための手段を色々と考える。最後は炭鉱に送り込まれた政治犯の脱走を機に、梶を危地に追い込む。梶は政治犯の命乞いをして売春宿の健全な存続を図り何とかその場をまとめようとする。しかし結局憲兵隊は梶の反日的な行動を許さず彼の首を切ろうとする・・・。

 

小説で6冊に及び映画は612時間、仲代達矢の素晴らしい演技と当時の映画製作者のレベルの高さがよく分かる作品である。

 

ただ、ぼくが今日書きたかったのは五味川純平の原作や仲代達矢の映画やの出来の良さではない。この小説は当時の左翼によって宣伝され作られており、当時の左翼はきちんと売春問題について理解しており、それはどこかの国家や軍隊が誘拐とか強制とかで集めた女性を強姦する手段でなく、国家が暴力装置として抱える若者をナグマせる大事な手段であり、それはすべて民間に委託していたという事実だ。

 

そのような事実を無視して最近のエセ左翼がどこから金を貰っているか知らんが歴史的事実をねじまげようとしている事態を座視している事は、結果的に未来の日本の子どもたちに間違った歴史と間違った恥辱感を持たせ祖国である日本を嫌いになったりすることに繋がるのだ。

 

橋下さんの発言は良いタイミングだった。これを機会に日本人は世界に向けて正しい歴史を説明していくべきだと考える。



tom_eastwind at 14:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月13日

価格転嫁

お客様同行でオークランド大手会計士事務所を訪問した時の事。最近のニュージーランドドル高で輸出産業は大変ではないですかとのお客様のご質問に、聞かれたキーウィ担当者は「ん?」と言った顔で一瞬戸惑いながら

「ニュージーランドの輸出産業は酪農品など農業製品が多く特に中国向け輸出が伸びていて売上も好調です」

「けど為替がNZドル高だから利益が減っているでしょう?」

(??)「いえ、為替が上がってもNZドル建てですので利益率は変化しませんよ」

 

これ、実は価格転嫁である。中国で買い物をする中国人消費者は元建てで支払うのでNZドルが強くなった現在、中国人消費者は同じ商品を為替高値価格で買うしかないのだ。けどそんなもん当然だろう、キーウィドルが強くなれば元が弱くなった中国の輸入価格が上昇するのは世の常だ。

 

ところがぼくもすでにキーウィ化しているので日本が簡単には価格転嫁出来ない国であることをすっかり忘れてしまってた。輸入価格が上昇しても何とか自社企業努力(賃下げ、不正規社員の増加)や協力企業の更なる協力(つまり仕入れ価格の値下げ=協力企業の賃下げetc)で価格を以前のままに抑えるのが日本企業であることをすっかり忘れていた。

 

そろそろ消費税の問題が表面化してきた。政府は民間企業が消費税増税を利用した下請けイジメや消費税還元セールなどで小売価格の凍結を図ろうとする様々な販売戦略を次々と駄目だししている。政府に因る“BIG NO! NO!”(絶対ダメダメ!)だ。

 

政府の目的はまず物価を2%程度上昇させて次に賃金上昇を2%程度行い、それが次第に中小企業に広がることを期待している。円安により輸出産業が息を吹き返して設備投資につながり物価上昇により世の中に好景気が戻るのが狙いだ。

 

ただ問題は、今まで20年間常に価格下げ競争を行い自分の賃金と企業利益を削減することに一生懸命だった民間企業が値上げを行えるだけの気合があるかどうか?自社だけ値上げして売上が落ちれば社長である自分の責任になる。

 

ならば値上げは先送りして自分の代だけは何とか売上が落ちないようにして次の社長の代で検討してもらえば良いだろう、そう思う社長が増えてしまっては政府の望む方向に景気は進まない。

 

ただ冒頭にも書いたようにキーウィ化している僕の発想からすれば、税金が上がったのだ、販売価格が上昇しても良いではないかと思ってしまう。

 

では何故日本ではそうならないんか?「消費税が増税されるのに価格転嫁出来ずに〜」なんて記事を見かけると、何故?という素朴な疑問が出てくるのがキーウィだ。

 

原価が上がったのだ、当然販売価格も原価上昇に合わせて値上げするのが普通では?それとも自社の利益を削ってまで商売しろ?少なくともニュージーランドでは有り得ない発想である。

 

この国ではビジネスとは利益が出ることが当然であり起業は利益のために働いている。だから利益がでなければ当然誰もそのような仕事はしない。これはNZに限った事ではなく英国系の発想ではどこの国もインボイスベースでしか仕事をしない。

 

つまり日頃長い取引をしていても一回当たりの利益が出なければ「済みません、今回はこの価格では取引出来ません」となる。だから中国が粉ミルクなどの乳製品をNZから買いたければNZの価格を支払ってもらうし、それで高いと思うなら他所から買えば良い。

 

その結果として自社の商品が売れなければ商売代えをするのみである。利益の出ないビジネスをいつまでもつづける意味はない。日本でそんな事言うと「企業責任がー!」と表向き大声で正論を語り、裏では本音で「親のやってきたことをオレの代で潰すわけにはいかんしなー」とつぶやく。

 

しかし常に国際化にさらされているNZは、そんな事言っても同様の品質のものが他国にあれば当然中国は他国で買ってしまいNZはお手上げになる。そこでNZの主製品であり豊かな土地と南半球という端境期を利用出来る季節の利益を有効活用し、更に自然で純粋なニュージーランドという付加価値を付けて農産品を北半球に売るビジネスを成立させた。

 

NZの農業産品や粉ミルクはそれ自体に付加価値があるので他所で買うという事が出来ない。だから為替高で実質値上がりをしても消費者は文句なく買う。

 

つまりNZ製品は常に付加価値を付けて高く売ることを目指しており汎用品を値引きしてバラまくって大量生産安売り発想はないのだ。これは現在も同様であり常に品種改良を行いつつ世界に付加価値の高いNZ製品を販売していく。

 

赤字になるようなビジネスをだらだらと続けるような事はせずすぐに会社や工場を閉鎖して撤退する。

 

そんなことを書くと「企業は大事な雇用確保をすべきだ」とか「企業は社会の公器でありー!」とか言われそうだが、それは単なる日本政府の都合による社会習慣に過ぎない。

 

日本では企業が社会の公器であり雇用を守るって言うのが習慣だが、それは政府が政府責任で雇用を守らずに雇用を企業に押し付け、更に赤字ゾンビー企業を国民の血税を使って補助金漬けにして官僚のいうことを聞かせるという異常な社会体系を作っているからだ。

 

その点ニュージーランドでは企業は私企業であり自分の企業の利益を確保して納税する。雇用を守るのは政府の役目であり企業から集めた税金で失業者の生活を守るのだ。

 

つまり会社と政府の役目をきっちりと区別しており会社の役目は利益を出して納税すること、社員は働いた分だけ納税すること、政府はそうやって集めたお金で安心で安全な社会構築をするために予算の適性配分を行う。

 

だからNZでは私企業に対して政府が小切手を切るって発想は全くない(金融機関などインフラ系は別、これは産業の血液なので守る)。その代わり私企業が倒産した場合は失業者に対して政府が厚い保護をする。NZの失業手当は18歳から始まり65歳まで受給資格がある。失業保険を一度も払わなくても資格がある。

 

65歳になれば老齢年金が支払われる。これも日本のように25年以上払えなんて決まりはなく、キーウィとして生活していれば誰でも受給資格がある。健康保険も同様で公的医療は無料である。つまり政府は労働者及び企業から集めたお金で政府の責任で国民の雇用と財産と生命を守っているのだ。

 

話はそれたが結局ニュージーランドが価格転嫁の出来る社会でありそれが社会合意を得られているのがこの国の強みである。いろんなビジネスをやるけど、ダメならすぐに撤退する。そして自分が得意とする分野に資源を集中させる事で付加価値を作って売ることを実行している。

 

NZでは下手な精神論や理論の裏付けのない「やればどうにかなる」なんてビジネスモデルは有り得ない。しかし日本では未だ精神論がまかり通りまともな理屈が引っ込んでしまう環境だ。

 

何で他社と競合出来る特徴を持った商品を作らないのだ?何で寺社をブランド化出来ないのか?何で他社と同じようなものばかり作って価格競争するのだ?何で自社に有利な条件で戦える市場を選ばないのか?何故衰退市場でいつまでも無理な戦いをして体力を失って挙げ句の果てには大リストラやってんだ?

 

まるで大東亜戦争当時の大本営と同じで、先輩のやった事は否定出来ないとか、一度始めた戦いを途中で撤退すれば作戦ミスを晒すようなもので撤退できないとか他社がやってれば自社もやらねば上司に叱られるからとか、全く経済合理性のない話ばかりである。

 

しかしいつまでもこんなおかしなことをして倒産しかかったゾンビー企業を政府の金で延命させたり雇用を企業に押し付けて企業が体力を失ってしまえば企業はもっと安い雇用を求めて外国企業に外注するようになり結果的に日本国内雇用は減少するだけだ。

 

間違った習慣、時代にそぐわない倫理を持ちだして精神論でいくら話をしても国際化の前では無意味である。それよりも他社で買えない付加価値を創造しよう。他社では買えないブランドを構築しよう。消費税が乗っかれば堂々とお客に転嫁しよう。だって他で買えない商品なのだ。消費税を負担するのは最終消費者であり中間にいる企業ではないのだから。

 

 



tom_eastwind at 14:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月12日

日本を支配しているもの、てか日本を形作っているもの

池井戸潤の本がamazonから届いた。日本からニュージーランドに発送してもらうのだが1万5千円の本代に対して郵送料は7千円くらい。まとめ買いをする方が得であり、もっと言えば日本の滞在先ホテルで受け取って個人の荷物でNZに持って帰った方が余程得なのだが、出来れば早く読みたい、だって人生って一回しかないしって思っているので30日を一つの基準として日本に送るかオークランドの自宅に送るかを決めている。

 

今回の作品、まずは「ロスジェネの逆襲」ではおなじみ半沢部長が暴れまくる!団塊世代は自分たちの消費も含めて大日本を作った。けどその後の新人類からバブル世代入社にいたっては、社会に出た時はバブル崩壊で「え?話、違うじゃん?」というところから始まる。

 

就職氷河期の時代に運良く希望の会社に就職出来たものは少ないだろう、今でもフリーターとして生活をしている者も多いだろう。そんな、団塊の世代に食われてしまった元若者たちが社会で現役で仕事をしながら、それでも「潰れてたまるか!」と思い、会社は助けてくれない、自分で生き残るしか無いと割り切り、自分のために戦う。自分の、何か言葉にしづらいが名誉とかプライドのために、生きている証のために。

 

ブログのコメントで質問を頂いた。「誰が実際に日本を動かしているのか?官僚はあくまでも実行している人間でありほんとうの意味で高級官僚を動かしているのはどういう人たちなのでしょうか?」

 

これなど半沢部長が聞いたらどう答えるだろうか?何故なら彼らバブル世代が日本の本当の支配層に振り回されているわけであり、彼らからしても一体誰が俺たちバブル世代が団塊逃げ切り世代の付け払いをしなくちゃいけないのか、ましてやロストジェネレーション世代で就職氷河期を経験して何とか生き残った若者も「 何で俺達が?」という疑問があるだろう。

 

この答、僕が答えられる立場にあるのか、正しい答えを知っているかどうかは自分で判断することではないと思うが、あえて答えるとすれば日本という国を支配している支配層、それは誰か普遍的にこの世に存在する個人ではなく、西洋のような具体的にロスチャイルドとかユダヤとかではなく、日本を覆う空気だと思う。

 

日本を形作る大気、水、大地、草花、海岸、そういったすべてのものが日本を支配しているのだと思っている。だから日本の特徴的な点は誰もが長期的な視点を持たずその場の空気で状況を判断してその場の思いつきで物事を動かしている。

 

例えば英米ではそれぞれ100年単位で国家の方向性を決定する組織がありそのような組織は国民の選挙を受けることなく能動的に秘密組織のような活動を行なっている。彼らは国家が存続するための活動を行なっている。そうしなければ国家という組織が崩壊することを理解しているからだ。

 

しかし日本では自然と一体となった国家があり、それは何もしなくてもそのまま維持できる組織となっている。だから民主主義も必要なければ暴力的革命も必要がない。人々はその場に流れる空気を理解して生きているだけなのだ。

 

だから長期的視点を持つことが出来ないのが日本人の特徴であるしいつも「その場」に流されているわけだがそれが長期的に見ると結局日本という国を常に一流の国、道徳的に見ても隣国の人々より世界的に高い評価を受けているし、技術面でも常に世界のトップに位置づけているし、勤勉であり嘘をつかないという、国を成長させる大事なものを持っている。

 

バブル世代は苦労したというが、団塊世代もそれなりに戦後の日本を引っ張り上げる苦労をしてきた。真夏の熱い事務所でクーラーも効かない部屋でバケツに水を入れてそこに足を突っ込んで夜中まで働いてた世代である。

 

商社はトランジスタラジオを鞄に入れて米国に売りにまわり佐藤栄作首相が欧州を訪問すると「トランジスタラジオのセールスマン」と嘲笑された。それでも日本人は言葉の通じない、それも戦争で負けた立場でありながら米国に物売りにいって今の日本を築いて来た。彼らは誰に背中を押されたのか?

 

ぼくはそれが日本を覆う空気ではないかと思っている。負けると分かっていた大東亜戦争に日本を追い立てたのも空気であり日露戦争で勝てるはずのないロシアを相手に勝てたのも空気だと思っている。だって、それ以外の何物を持ってきても、これ以上に正しい答えが見つからないからだ。

 

この、ぼくの推論はあくまでも実社会を下から眺めただけの考えであり学者の研究ではない。もし本当に日本の支配者が誰かを知ろうと思うなら、やはり山本七平や丸山眞男を読むべきだろう。とくに丸山眞男は学者として日本とは何かを分析している。山本七平は世俗の日本社会から普遍的な日本を見つけ出そうとしている。

 

どちらも良いと思う。学術的に学ぶものが多いと思う。ただ、出来れば学説ではなく自分の肌感覚を大事にして欲しいとも思う。ぼくは少しは本を読んできたと思っているが読書量で言えば上には上がいるわけであり、だから読書の多少ではなく直感を大事にする、肌感覚を大事にする、それが出来れば大学の教授とでも普通に議論が出来るのではないかと思う。



tom_eastwind at 14:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月11日

ジャパンマート

オークランドで生活をしている日本人ならニューマーケットの日本食材店「ジャパンマート」に一度くらいは訪問したことがあるだろう。けれどお客の多くは中国人という現実・・・。

 

土曜日に久しぶりに買い物に行くとあいも変わらず中国人の山であった。必要な食材を買ってレジに並んでいると、陽気でアフォで周りを見てない若い中国人カップルがいつものように割り込み。

 

思わずその場で「お前はメクラか?それとも中国人か?“Are you blind, or , Are you Chinese?”」と聞きそうになったが店員さんが機転を利かせて「こちらのお客様が先です」となったので問題発生せず(笑)。しかしどうしてあの人種ってこうなのか?家に帰ってその話をすると奥さんも乾いた笑い。いくら香港人と大陸中国人は違うと言えどもやっぱり楽しい話ではないのだろう。

 

せっかくなので今日は少し現実的な話をしよう。日本の食材の値段だ。これから移住をしようとする人には結構役に立つのではないか?

 

冷凍薄切り牛肉500グラムで12.40

冷凍油揚げ 3枚で4.30

グリコそぼろ丼の素 3.50

ハチ食品カレーソース 3.50

イナバのサバ味噌缶 3.90

マルタイラーメン(2本入り)7.30

ダイショーの両国ちゃんこ鍋スープ 10.80

東洋水産インスタントそば(5袋入り)16.00

今日の1NZドルは大体90円で計算してもらうとわかりやすい。もっと言えば肌感覚では1NZドルは100円だ。

 

などなどがあり上記はすべて定価で表示しているが、実際には賞味期限切れ近くでほぼ半額。日本製品なら賞味期限の2倍は長持ちするってのは日本人消費者の常識である。だが、そこは日本の農水省がどういう戦略か分からんが食品の賞味期限は思い切り厳しくしている。

 

ぼくの大好きな出前一丁などジャパンマートで定価で買えば4ドルくらいするが、香港製の出前一丁は99セント、つまり四分の一の値段で買える。洒落にもならないが袋の中に入ってる乾燥スープは日本製であり日本語で表記されている。麺だけが香港のタイポで揚げられてるってだけだ。

 

でもって賞味期限などあってないようなもので、一年くらいが普通である。即席麺だから実際には1年以上保存出来るはずだが、日本製は半年くらいしかない。こりゃ値段も高くなるわな。

 

お店の人も腹立たしいのではないか、せっかく日本から日本の美味しいものを持ち込んで売ろうと思うのに、商品を日本で仕入れて船に乗せてオークランドに着く頃は賞味期限の半分くらい過ぎている。

 

短い期間で売り尽くさないと赤字になるが現実良い物がすぐに売れるわけではない。何故ならオークランドに住む日本人があまり買わないからだ。その結果として廃棄物寸前になった、まだ十分食える食材を捨て値で売るしかない。

 

捨て値で売ることで本来得られる利益が失われるので賞味期限の残った商品を高値で売るしか利益を確保する方法はない。

 

その結果として賞味期限の長い、人口の多い中国人市場では日本発祥で中国産の安い即席麺や醤油やマヨネーズが売れることになる。高くて賞味期限の短い日本食材は買わず多くの日本人は中国や韓国マーケットで買い物をすることになる。

 

結局はこの繰り返しで日本製品はますます高値で肝心の日本人は中国市場で買い物をして一部金持ちの中国人が日本のジャパンマートで安心と安全を求めて買い物をするという妙な現象が発生する。

 

別に日本人に対して「ジャパンマートで日本食材を買え」と言ってるわけではない。ただ現実として「良い品物」というだけで売れる市場など存在しないってことを理解して欲しいという事だ。世界の中で日本以外に住む日本人は100人に1人くらいであり日本を出たいと本気で思う人は100人のうち5人くらいだろう。

 

だから日本食の流通市場などはすべて日本居住の日本人が対象になっており海外に住む少数民族の日本人に対して効率的な流通や格安の商品提供など日本の食材ビジネスに関わる人は考えることはないのだろう。

 

今、欧州で粉ミルクが次々と中国人によって買い占められている。ニュージーランドや豪州ではすでに中国向けの輸出制限に入っている。中国人は自分の国で作られた食材は毒が入ってると理解している。だからニュージーランドに来ても安心して食える日本食材を買うのだ。

 

なんかなー、なんとも言えんななー、日本ってどこまで良い国なんだ?そして良い国ってのは他国に食い物にされやすいって現実もなー。

 

土曜日の昼過ぎ、ジャパンマートでの雑感でした。



tom_eastwind at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月10日

焼肉焼いても旗焼くな

なんか大阪のテレビ広告を思い出した。「焼肉焼いても家焼くな」。」

 

安倍首相の言うようにぼくらの誇りは隣国人が日本の旗を焼こうと彼らの旗を焼かない事であり、ぼくらは彼らと同じ知識レベルまでは自分たちを決して貶めないところにある。

 

大所高所に立って相手がガキっぽい騒ぎを起こしてもいちいち相手にしない。やればやるほど世界に恥を晒すのは君たちだよってことを今回徹底的に教えて上げれば良い。

 

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「日本国旗焼かれても、その国の国旗を焼かない」 首相、排外的書き込みに呼び掛け

2013.5.7 20:35 [安倍首相]

 

参院予算委員会で民主党の鈴木寛氏の質問に答える安倍晋三首相=7日午後、国会・参院第1委員会室(酒巻俊介撮影)

 

 安倍晋三首相は7日の参院予算委員会で、首相のフェイスブック(FB)に排外的な書き込みをしないよう自身のFBで呼びかける意向を示した。民主党の鈴木寛氏が「首相のFBで(首相以外から)ヘイトスピーチ(憎悪表現)的書き込みが増えている」と指摘したのを受け、「『止めるべきだ』とコメントしたい」と述べた。

 

 首相は「他国を誹謗(ひぼう)中傷することでわれわれが優れているという認識を持つのは間違っている。日本の国旗が焼かれても、その国の国旗を焼くべきではない。それが私たちの誇りだ」と訴えた。その上で「私のFBでは、私への誹謗中傷も随分書き込まれている」とし、自身の考えとは無関係だと強調した。

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大体において心の弱い人間に限って強ぶって大声で吠えるが、他人と比較しなければ不安で仕方がなく更に他人と比較して自分が弱いと思えば更に大声で騒ぐ。

 

おまけに韓国の大統領は米国でオバマに会った時も「日本は正しい歴史認識を」と訴えたそうだが、そうでも言わなければ韓国大統領は選挙で勝たないのだろうか、それとも暗殺されるのだろうか?

 

そうであれば悪いがよほど韓国民の民意は低いと言わざるを得ない。特に今の韓国大統領の父親は戦前から戦中戦後まですべて知り尽くしており、竹島が誰のものか、戦争中に何があったかを一番良く知っている人物である。

 

そうでなくて大統領が本気で「日本の歴史認識が間違っている」と思っているならこれは病気、それも重症だし、そのような大統領を選んだのであればやはり国民の問題である。

 

結局のところ中韓ともに自国政治運営の失敗のガス抜きに外交を持ちだして戦争に負けた日本を悪者にするという安易な方法を選んだために今更「あれは間違いでした」と引き返せないところまで国民を間違った方向に引っ張っていき、その結果として反日しか大統領になれない国家にしてしまったのであれば、これはもう哀れを通り越して滑稽である。その程度の政治家しかいないのかって感じだ。

 

国民を洗脳をした結果として韓国大統領が米国に行きオバマと会った時まで世界に向けてバカを晒すしかなかったという悲しい物語である。

 

しかし、だからこそ僕らは決して隣国の下らない挑発や日本の国旗を焼くような程度の低い示威行動に乗ってはいけないのだ。

 

まさに、焼肉焼いても家焼くな、である(笑)。常に冷静に、しかし相手が武力で仕掛けて来たらきちんと武力で対応する。つまり「礼は尽くすが戦を辞さず」の心持ちで対応すべきだ。

 

その意味で安倍さんがコリアンタウンでバカがやってるデモに批判をするのは当然である。世界の目は日本と中国と韓国だけではない。米国だけでもない。世界中の決定権層が、日本人が世界で通用する民族かどうか、こういうデモの時に民度を計っている。今のところ日本人の民度の高さは世界で評価されている。

 

あと出来れば世界に対してもっと日本の立場を発信してもらえればと思う。最近は米国の新聞広告で日本の立場を主張したりしているが、あれは良い。今や日本人でさえまともな歴史を知らずに外国人に間違った歴史を教えられて自分が日本人であることを恥ずかしく思ったりさせられてる。

 

実力がなくても大声を出した方が得をするなんてのは間違っている。お互いに歴史的認識を史実に基づいてしっかり議論して歴史を共有しようよ、きちんと理路整然と議論しようよと主張して、そういう主張をしていることを世界に伝えるべきであろう。

 

てな事を書いて、さてブログにUPしようと思ったら非常に芳しい最新記事が出た。韓国大統領府報道官が韓国大統領訪米時の在米韓国大使館で23歳の米国籍インターン女性にセクハラを働き電撃更迭、ソウルに送り返されたとのこと。

 

ははは、である。こういうの、日本政府としてはもう少し高尚なレベルで戦いたかったが、相手がサッカーではオウンゴールと言うのかな、その「低度」だったという事だろう。



tom_eastwind at 17:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月09日

「さっきのメールは着いたかと、確認メール送るバカ」 ”殺気!”雫井脩介

昨日観た夢は寝てるのか起きてるのかわからない状態で薄っすらと3本立てで観たのだが、そのうちの一本は筋書きのない単発の一発芸みたいな夢だった。

週刊プレイボーイという良い子が見ない雑誌があって、そこのPlayBoyという文字が急に縦に並んでその横にいきなりこんな感じで英単語が並んだ。

Precious

Lovely

Able

Young

BOY

これでプレイボーイ。日本語も自動翻訳で出てきて「貴重で可愛くって出来る若いやつ」ってなった。なんじゃこの夢とか思いつつも結構鮮明だったので、朝の3時過ぎなんだけどすかさずメモってまた寝た。

 

こういうのって何なんだろう?本当によく分からん。いわゆるレム睡眠とノンレム睡眠とは違って寝てるのと起きてるのの合間にしょっちゅう起こるので面白くもあるが、とっても不思議だ。他の2本の夢もかなり現実的な形で筋書きがあって、起きた後もずっと思い出す。

 

丁度読了した雫井脩介の「殺気!」もそんな、変な感覚が主役に来ている。20歳の大学生ましろは、ある時自分に特殊な能力があるのに気づく。それは周囲に誰か殺気を発していると少しくらい遠くても感じ取ることが出来る能力だ。

 

「犯人に告ぐ」で一躍大人気作家になった雫井脩介だが、この作品はミステリーでありながらむしろ東京郊外の多摩が丘という田舎で育った小学校からの同級生達の物語でもある。

 

20歳の学生、高卒で地元の建設会社で働く同級生、アルバイト仲間、近くのモールで開かれるファッションショー、自然公園での探検ごっこ、おとなになって母親の経営するスナックではたらく娘、様々な20歳の人生が繰り広げられて、ミステリーというよりも青春小説とでも呼んだほうが良いような作品である。

 

スマッシュヒット、かな。大当たりではないけど確実に読者をほっとさせてくれるし最後の最後まで読みやすい軽妙な語り口と大人たちの現実と、社会の入口に立ってさあこれからどうしようかと悩んでいる20歳の子どもたちの物語だ。

 

20歳の成人式で再会する同級生、近くの居酒屋で開いた同窓会、18歳で社会に出て仕事をしてる仲間は「やっぱ俺たち負け組かなー、高校の頃は粋がってたけどさ、その点お前はいいよ、国立大学に受かってさ」とつぶやく。その仲間に「いや、オレだって勝ち組に入らないよ、行ってる大学だって本当に目指してたとこじゃないしさ・・・けっこう忸怩たるものがあるよ」と答える生徒会長をしていた仲間・・・。2次会は町田に出ようとかいいじゃんこのあたりでカラオケ行こうよとか。

 

ある時ましろは知り合いの先輩からファッションショーの素人モデルにならないかと声をかけられた。地元に新しくオープンするモールでのショーだ。優勝すれば賞金とハワイ旅行が貰える。父親を去年病気で失くして普通の学生なら冬休みは旅行に行ったりするのだがましろは近くのちっちゃなお店でアルバイト生活。

 

そんな時に賞金付きのモデルだったら出てみたい。友達の女の子に電話すると彼女は

「ぷはは!ましろがファッションモデル?!どうしたの、インフルエンザで熱出してんの!?」

「平熱だよ!」

こんな楽しい日常会話。しかしだんだん迫り来る過去の事実が一気にミステリーに引きこむ。

 

まるで甘いアイスクリームと香りの強いシングルモルトウイスキー、それもアイラ産の強い奴を繰り返し食べたり飲んだりするような「行ったり来たりする」ちょっと不思議な感覚。

 

「さっきのメールは着いたかと、確認メール送るバカ」そんな感じの軽いノリでありながら次の瞬間には「不意に背中を圧迫する殺気が鋭角に変化し、運動エネルギーとして自分に向かってくるのが分かった。背中の肩甲骨付近が焼けるように熱くなった。その瞬間ましろの身体が動いた。」とスピード感のあるアクション。

 

難しい本はどうも、けど何か読みたいなって時には丁度お勧めの内容だ。

今日の写真はぼくの座っている席から西に見えるスカイタワーと抜けるような透明さの青空です。
シティでもこれだけの青空です。
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tom_eastwind at 14:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2013年05月08日

キャンドルナイト

西オークランドの停電の事を書いてたら、夜の7時過ぎ、まさにこれからキッチンで夕食の材料でも焼こうかと言うタイミングで見事に停電!

 

年中行事なのでいつものごとく慣れた手口でそそくさとろうそくを出して懐中電灯のスイッチを入れて家の周囲を見渡す。切れているのは家を含めて3軒くらいか。

 

まずは危険を避けるためにガスオーブンの火を消して火を付けた蝋燭を燭台に安定させてから携帯電話でうちの電力会社に電話する。1分ほど待たされた後に娘が話を聞くと、どうやら隣の家が最近電力会社を変更したようで以前の電力会社は供給を停止した、その時に家と周囲の家も全部巻き込まれて電気を停止されたようだ。

 

「あら、お宅まで切れたの、じゃ後2時間くらいで復活させるわね、じゃあーねえー」てな感じの接客は、いかにもキーウィである。どっちの自己責任じゃ!(苦笑)

 

家としても年中行事なので、こんな時は遠くに光るシティの明かりや星の光を楽しみながら蝋燭をリビングルームのあちこちに並べて、奥さんとお姉ちゃんは近くの料理屋にテイクアウェイを買い出しに行く。

 

今日は本当は鶏肉のマッシュルームの蒸し煮だったが、解凍が終わった鶏肉は明日の朝ごはんだな。

 

ぼくはと言えば雫井脩介の「殺気!」を“これって今回どっちなの?ハード?ホラー?恋愛?”と心を振り回されながら石造りのキッチンテーブルのハイチェアに座り蛍光窓雪じゃなくて蝋燭を両側に置いて全く音のしないリビングでドキドキしながら読んでいる。この人、本当に突然爆弾をぶつけるような文体だから怖いなー。

 

こうやって書いてる間にもバッテリーはパナソニックのレッツノートで良かったなって感じで、あと5時間以上は十分いけるだろう。ケータイも5時間は大丈夫。けど逆に言えば5時間で文明から完全に切り離されることになる。

 

こうやって考えてみると人間ってかなり電気に頼っているのは間違いない。キャンドルナイトが楽しめるのは間違いないが、同時にこれがずっと続くとさすがにシティのエレベーターも動かないわけで、ある程度のインフラは欲しいかな、けど今回のは人災かな?とか思ったり・・・。

 

けどたまにはこういう生活もニュージーランドらしくて良いと思う。自分が不完全な人間であり何かこれといったモノにだけ頼った生活をしてはいけないというのを分からせてくれる。

 

ふと思った。原発反対っていう人がどんなふうに電気使っているのかな。停電多くてもキーウィは絶対に原発反対だもんな、要するに反対するならご都合主義ではなくちゃんと筋を通して日本でも電気のない生活をしてみれば面白いのではないかと思ったり。

 

ところでそろそろ昔のブログのように写真をUPしてみようと思います。今のオークランドやニュージーランドらしい写真が撮れたら随時掲載、ですね。
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今回の写真はオークランドシティのど真ん中で10年以上かけて再開発がほぼ終了したブリトマート地区から。クイーンズトリートを下りきったカスタムストリートとキーストリートの間の、以前は何もなかった場所に新たに作られたオシャレな街です。

 

この角度からだとオークランドシティが高層ビルだらけの大都会に見えますが、いや、そのとおりです(笑)。けど同時に車で10分も走れば素敵なビーチもあるし羊が群がる丘もあります。



tom_eastwind at 14:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月07日

人生は心ひとつの置きどころ。

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お前の頭の中に、何が描かれているか当ててみようか?

それはお前が失敗して、しょんぼりしている哀れな姿だろう。

そんな絵は消してしまいな!

おまえが、堂々と相手を説得して「大成功」

というシーンを描くのだよ、そうすれば仕事もきっとうまくいく

***

その一語一語、その言葉のすべてが、人生に直接的に影響する暗示となる。

***

自分の心の中に何か悩みがあるならば、先ずそれは「取越し苦労」か或いは、「消極的思考」かの何れかである。故に入念に省察すべし

***

やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらない。

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健康や運命というものは、それを消極的に考えない人々にのみ恵与されるよう、宇宙心理ができている。

***

 

上記は中村天風が語った言葉のうち名言集として取り上げられているものだ。しかし彼の場合は何を語ったかよりも何を実行したかの方が余程重要である。少し長くなるがウィキペディアから引用する。

 

「玄洋社の豹」 [編集]

1876年(明治9年)、大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として豊島郡王子村(現東京都北区王子)で出生[1]。父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。

 

王子村や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現・修猷館高校)に入学。また立花家伝の六歳の時より家伝の隋変流の修業を始める。隋変流は立花宗茂を流祖とし[2]戦国時代に成立した流派で、剣術と抜刀術をもつ。天風は後に随変流を極めることとなる。ちなみに、「天風」という号は天風が最も得意とした随変流抜刀術の「天風」(あまつかぜ)という型からとられたものである[1]

 

幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能となり、また柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で出刃包丁を抜いて飛びかかってきた生徒を刺殺してしまう[3]。この件で正当防衛は認められたものの、修猷館を退学となった。その後、1892年(明治25年)に玄洋社の頭山満のもとに預けられる[4]

 

天風は玄洋社で頭角を現し、気性の荒さから「玄洋社の豹」と恐れられた[5]16歳の時に頭山満の紹介で帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)となり満州へ赴き、大連から遼東半島に潜入し錦州城、九連城の偵察を行う[4]。日露戦争が迫った1902年(明治35年)には再度満州に潜入し、松花江の鉄橋を爆破したり、仕込杖で青竜刀を持った馬賊と斬り合いを演じるなどの活躍を見せ「人斬り天風」と呼ばれたという。

 

1904年(明治37年)321日にはコサック兵に囚われ、銃殺刑に処せられるところであったが、すんでのところで部下に救出された[6] 。その後天風は様々な危険を乗り越え、無事目的地の大連に到着した。日露戦争に備えて参謀本部が放った軍事探偵は合わせて113名いたが、そのうち生きて大連に到着したのはわずか9名であった[6]

***

 

どうだろうか?自分がこんな生き方が出来るだろうか?天風ならこう言うだろう。「お前が出来ないと思ったら絶対にできないよ。人は思うことがそのまま現実になる。出来ないと思っているのだから保証してやる。お前には絶対に出来ないよ」

 

今の時代の人々は言葉を軽く考えている。けれど言葉はもともと言霊として扱われ、口から出た瞬間に一つの生き物として独り立ちをして歩き出す。弱気を吐く人、つまらないという人、健康や病気を異常に気にしていつもネガティブを周囲に振りまいている人、それはすべて現実になる。

 

中村天風は何の奇跡も起こさなかった。歩けない老人に手を当てて歩き出させることもしなかったし誰かの頭に手を当てて病気を治すこともしなかった。現世利益を説いて他の宗教を一切否定して折伏させることもなかった。

 

要するに天風は決して神頼みをしない人であったし自分の事は自分でやれ、その代わり心身統一をすれば世の中のことは大体何でも出来るようになる、人々にそう教えた。

 

移住も同様だ。「ぼくは移住なんて出来るかな?」なんて悩んで行動に移さなかったら最初から出来るわけがない。かと言って移住の目的をただ単に現実から逃避するだけとか逃げるだけとかの消極的な心がけでやったって、これまたうまくいくわけがない。

 

自分の人生は心をどこに置くかである。積極的に自分の人生に立ち向かう。その際に「僕は今積極的に生きているか?単なる逃げではないか?」とか「これは世のためか人のためか?」と自分個人の利害と切り離して考える。そうやって出てきた答えが正しければ実行するのみ。

 

日本人は小学校に上る前から徹底的に周囲の親や親戚、学校に入れば先生から「とにかく失敗するな」と教えこまれ、100%安全でないと何もしないのが正しいと思ってる。

 

しかし移住は誰でも絶対100%の確立で出来るなんてものではないが、前に一歩踏み出さなければ絶対に出来ないわけで、前に一歩踏み出す勇気があれば次の一歩を踏み出すことが出来る。

 

最初は胸がドキドキして喉がカラカラになるだろうが、移住先のベッドルームで毎朝起きて今日は何をすべきか悩むが、それを繰り返していくうちに次第に強くなっていく自分の姿勢や考え方を感じるようになる。

 

そう、そうやって自分を強くしていく、すると本当にある日突然、強くなった自分を感じていくと、今まで思いもよらなかった人生の選択肢が見えてくる。これは本当にやってみないと分からないが、まるで大雨の後の晴れ間から虹が輝いて現れるような感じになり、自分が今抱えている様々な問題がうそのように消えていき、解決方法が見えてきて、それ以降は悩みがどんどん薄れていって最後にはどのような人生も怖くなくなる。

 

中村天風が人々に教えているのは神頼みになり自分を弱くするなという事だ。神でなく自分を強くする、そうやることで例え神が不在でも自分で苦難を乗り越えていくことが出来ると教えているのだ。

 

まず心を強くする。その後体を鍛えていく。心身統一する過程で自分の心も体も健康になっていく。酒を呑むなタバコを吸うな、そういうレベルの話ではない。口から発する言葉からまず積極的になるのだ。

 

「どうせ駄目だし」とか「所詮無駄だし」とか「いつも忙しくて」とか消極的でネガティブな言霊を発している限り良い人生など来るわけがない。だって自分で自分を不幸に陥れてるのだから。

 

まずは積極的に生きるために言霊から変えていこう。

 

「雨がふるね、嫌だね」ではなく「ああ慈雨だ、これで草花も生き返るし大地に栄養が付く、良いことだ!」と言ってみる。

 

「あーあ、仕事がうまくいかないな、オレには所詮無理なんだよね、なのにこんなこと押し付けやがって」と他人に責任転嫁するのではなく「あー、オレが与えられて仕事ってこれだけオレが成長出来る仕事なんだ、ありがたないな、どうやったら成功するか、成功するまで考えて考えて考え抜こう、そう、成功するまで続ければ失敗なんて有り得ない、こんな機会を与えられて幸運だ!」と考える。

 

他にも自分を自分だけの力で幸せにする方法はある。中村天風の教えはネットで検索すればたくさん出てくる。彼は何も難しい事は言ってない。積極的に生きろと言ってるだけだ。

 

移住をお考えの皆さん、周りに移住する人なんていないし他人に相談も出来ないし家族には反対されそうだしと悩んでいる皆さん、悩んでいるだけでは解決しません、良ければ天風を読んでみて下さい。

 

今日は偶然にも天風に関するコメントを頂いたが、このコメントというのは書き込んだ人に直接返信が出来ないのでこの場を借りて今日は天風をテーマにしました。コメント、ありがとう御座います。



tom_eastwind at 16:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月06日

家族移住は家族全員の総力戦だ。

昨日の夜中からオークランドは豪雨に見舞われている。朝のニュースを見ると西オークランドでは倒木により停電が起こったり道路閉鎖になったりして、オークランドの冬を初めて迎える家族にとってはびっくりしただろう。

 

「今時電気が停まる?冠水で道路が埋まる?どんな田舎なのよ!」はは、こんな田舎なのです。ぼくは以前のブログでも「キャンドルナイト」の事を書いたが、うちの地区でも一年に数回、約数時間から長い時は一晩停電する。

 

そんな時は「イエー!今日はキャンドルナイトだね、久しぶりにろうそくでご飯食べようよ」となる。冷凍庫が停まっており内容物で一晩で溶けてやばそうなのが今晩の食材料となる。

 

うちは調理用にはプロパンガスを使っているので料理に不自由はしないしキャンドルがあれば十分明るい。てか、東京に住んでて自宅でキャンドルディナーするなんて、まずないよね。テレビをけして電気も消して静かに家族で御飯をゆっくり食べる。今日一日あった事を話す。それもまた楽しや、です。

 

日本では、特に都会から来た人には信じられない話だが、けれどニュージーランドでは電気が来ない日も生活の中の一日であり、田舎に行けば家庭用水は雨水のみが頼りだとかもある。1997年かな、オークランドの大停電の時は約一ヶ月シティ内の電気がすべて止まった事があるくらいだ。それでも街は機能した。

 

けれど考えてみれば今から100年前の人々は一般家庭で電気を使う機会は少なく200年前の人々の家庭には確実に電気は存在しなかった。

 

つまり今の時代に停電が起こることが異常だと思っても時代を遡ればそれほど不思議なことではなく、じゃあ西オークランドの生活を楽しむためにどうするかとなれば、家族全員がキャンドルナイトを楽しみ、電気のない生活を見なおしてみる機会となると積極的に考えることが出来るかどうかだ。

 

もし停電が起こった時に奥さんが「何でよ!どうしてこんな田舎なのよ!」と怒ってしまえば、せっかくの学びの機会を失ってしまうし移住という積極的な挑戦に対して水をさすことになる。

 

移住が与えてくれる豊かな生活が電気一つよりも下位に来るのかな?生活とは医療、教育、環境、仕事、経済、治安、隣人、様々な要素で出来上がっている。

 

移住とはその意味で家族の総力戦である。だから家族全員の意思が固まってそれぞれ自分担当の分野で一生懸命頑張る。

 

例えば子どもは学校に行って頑張って英語で授業を受ける。昼休みに少しばかり置いてけぼりにされても泣かない。家に帰ったら「お母さん、学校苦しいけど大丈夫だよ!」と笑ってあげる。

 

父親は外に出て慣れない職場で一生懸命働きいくらかでもお金を作って家計に入れるが、その苦労を奥さんに押し付けない。決して「お前のせいでこうなった!」などとは言わない事だ。

 

母親は毎日の英語に疲れて買い物一つも釣り銭を投げられるように渡されて「あたし、嫌われてるのかな・・・?」なんて思わずに「これがこの国さ!」と、違う文化を楽しむ心の余裕を持つ。

 

だって、それしかないじゃん。移住した先ですべての問題が解決するなんて有り得ないわけで、嫌なことだってある。けど、日本に残るよりも移住する道を選んだ時にいろんな事を比較検討したわけだし、一旦選んだなら何とか成功に持ち込むまで家族が一丸となって総力戦で戦うしかない。

 

皆がそれぞれ苦労している時にうちの中で家族同士が言い合いするようになったらダメでしょ、出来るものもできなくなる。助けあってこその家族だし、そのうち晴れ間は見えてくる。一生降り続く雨なんてないんだから。
 

 

ぼくは誰も知り合いのいない街への落下傘移住を人生ですでに3回経験している。4回めがいつになるか分からない。

 

1回めは日本からクイーンズタウンへ。独身だったとは言え1980年代にクイーンズタウンに住んでた日本人なんて10名もいなかった。英語だけの世界で飛び込んで何とか仕事も得て永住権も得て今の奥さんと知り合い結婚もして二人で働いて貯めた金で家を買うことも出来た。

 

2回めはクイーンズタウンから香港へ。1991年の事だ。英語でさえアップアプなのに今度は広東語だ。同じ漢字であることが唯一の救いであったが、身分証明書を貰い就職が決まってから職場で働きながら広東語を覚えるというOJTの繰り返しだった。この時は奥さんと僕と共働きで頑張ってお金を貯めて九龍半島側のアパートを一つ買うことが出来た。

 

3回めはやっと慣れてきた香港生活をすべて捨てて中国返還前年にオークランドに移住した。当時のオークランドには殆ど知り合いもおらずこれまた落下傘降下である。

先住日本人は威張りくさり「お前なんかの居場所なんてないよ」的に相手にされず。この時は最初から会社を起こして旅行市場をよく研究して隙間を見つけて後発でありながら成功することが出来た。そして今の会社がある。

 

一生で3回も落下傘降下をするなんて思いもしなかったが、どうやらどの落下傘降下でも何とか生き残る事が出来た。けど僕は最終学歴高卒で何の身寄りもない一個人である。

 

今移住を考える人はみなさんそれなりに学問もあり大学を出て両親がしっかりしており経済援助も必要があれば望める環境である。僕から見れば羨ましい限りである。

 

ぼくが唯一、他人と比較は出来ないが本当に良かったのは、いつどこに行く時でも何をする時でも常に奥さんが支えてくれた事だ。家族の支えがあったからこそどの国に移住しても戦うこと、そして生き残ることが出来た。

 

だから今すでにオークランドに移住したご家族に必要なのは、家族が全員でお互いを支え合うことだ。常に積極的に生きること。前向きに生きること、決して愚痴やネガを言わないことだ。

 

海外移住というとすぐに英語力がーと言うが、実は英語などは最終的にはどうでもなる。大事なのは成功するまで続ける努力と家族の助けあいである。

 

今日のニュージーランドは全土にわたって大雨だ。けれどたった一ヶ月前にはオークランドの水源地の水が不足しているとニュースで言ってた。禍福は糾える縄の如し、人生ってそんなもんだ。良いことがあれば悪いことがあるし悪いことがあれば良いことがある。

 

安定した人生など日本政府が下々をうまく使うための幻想であり、そんなもんはない。人生は自分で選んだジェットコースターに乗るだけだと考えれば、あとは絶叫ゲームをどう楽しむかだけである。だってそのゲームは自分で選んだのだから。



tom_eastwind at 13:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月05日

恥と学びと

英国の大学に留学していた大陸中国人学生が試験で落第しそうになり、担当教授の部屋を訪れて目の前に5,000ポンドの現金を積んで「これを取ってオレを通すか、取らずにオレを落とすか?」と恫喝?交渉?したニュースが入ってきた。英国では大問題になって大手メディアに取り上げられている。

 

(ここであえて大陸中国人と書くのは同じ中国人でも台湾、香港、マカオ、シンガポールなど非大陸系中国人と峻別するためだ。彼らは歴史的に中華民族の血を受け継ぎながらも共産党が支配する大陸系中国人とは全く違った道徳観や社会習慣を保持している)

 

かと言えばお隣の韓国では今年の米国の大学受験センター(SAT)が開催する大学進学適性試験で受験内容が事前流失した疑惑が出て試験を中止にして予備校教師など教育関係者を出国停止にして事件を調査している。このような事件は過去にも繰り返されている。

 

これは価値観の違いというか、彼らの場合は恥を重んじるから試験に落ちるなどの恥を受けるよりは不正を行なってそれを隠蔽する偽装工作の方が正しい判断だと考えているのだろう。

 

つまり不正を行う事は彼らにとって恥ではない、何故なら不正行為はそれより上位にある価値観である恥を守る為に正しい行為、となるのだろう。

 

これは中韓の儒教文化から来るものであり彼らの国内では一般常識として広がっているから恥をかかない為には嘘をつく事が暗黙の了解となっており国内問題としては大丈夫なのだろう。

 

しかし一旦西洋諸国などに出るとこのような理屈は全く通用しない。西洋諸国では正義を行うこと、正しい事を行う事、その結果として恥をかいたとしてもそれは一時の事であり不正は一生心の傷として残るし神様に隠すことは出来ないと捉えている。

 

これは社会の成り立ちにも違いがあるのだろうが、西洋諸国ではルソーの「社会契約論」にあるように個人が森の中から出てきて城市を作り人々は協働して森の中にいる動物と戦いお互いを助け合った。

 

その中で最も大事なのは社会全体を守り成長させることであり、その為に仲間同士の信頼が大事であり全体の公平性を確保するために男女平等であり生まれてきた子どもの両親が誰であろうと平等に成長する機会を与えられ、その社会を守るために選挙が行われ全員で議論をして決断をすれば皆が同じ方向へ動くことが出来た。

 

逆に言えば他人を裏切るような行為や嘘をついて組織全体を乱す行為は最も悪いこととなり、価値観の中で恥をかくことは低位であり信頼と公平と正義が価値観の上位に来ることになった。

 

英国と米国は普段は相手の悪口を言ったりするがいざ戦争が起こると必ず手を組んで敵と戦った歴史を見れば分かるように、共通の敵に対しては常に団結をして戦うことでより強くなる、その時に仲間を裏切ってはいけない事を十分に理解しているのだ。

 

ところが東北アジアでは昔から選挙制度は存在せず人間が自然と同居しており世界で一番エライ皇帝が生まれた時から世の中を支配していた。皇帝一族以外は皇帝の私有地で土地を借りて働く農奴や領民であり子どもだって生まれた時から領主の財産でしかなく人々はその生まれで差別されて育つしかなかった。

 

だから仲間同士が信頼する必要がない。何故なら領収だけを信頼していれば良いのだから、それが生き残る道なのだから。正義を実行するのは領主の問題であり領民が正義を実行する機会などなく、だから守る機会もない。

 

社会を守るのは皇帝の仕事、農奴や領民にとっては家族だけが守るべき唯一の組織となり組織を恥に晒すことが社会全体から家族のメンツを失うことになるから絶対に許せない、恥が最も上位の価値観となる。

 

これは中国と国境を接する北部インドやスタン地域(国名の後ろにスタン(場所)が付く国家)でも同様であり、イスラム教やカースト制度があり、女性は常に男性より低位であり女性は男性に絶対服従して強姦されても黙っていろ、少しでも他人に色目を使ったら家族に殺される、不倫でもしようものなら集団の見守る中で石をぶつけて殺される習慣が今でも厳然と存在している。

 

つまり中韓印を一言で言えば(良いか悪いかは別にして)そこには西洋的民主主義が存在しないのだ。

 

日本も本来なら恥を上位に置く文化であったが同時に正義を大事にする文化も存在した。明治時代になって欧米文化を学ぶ中で次第に民主主義らしきものも導入されて本来の日本文化の上に公平という西洋的概念が導入された。

 

結果的に日本では東北アジアで珍しく西洋文化に近いものが醸成されて、勿論完璧な西洋的民主主義とは呼べないがそれでも個人の人権や人格を守り男女平等の概念は東洋社会の中ではかなり西洋に近くなった。

 

「知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」という言葉が日本人にはわかりやすいだろう。知識を学ぶために恥をかくことなど気にすることではないという思想はスタン人には理解不能だろう。彼らは移住先の国家で英語を満足に使えず教育も高くなくなかなか安定した仕事がないからタクシー運転手をする。

 

移民社会のオークランドでも彼らはニューヨークに住む同胞同様にタクシーの運転手をするが、彼らは恥を重んじるために道を知らなくても知ったふりをしてしょっちゅう行先を間違える。乗客が間違っている事を指摘すると彼らは激昂して「悪いのはオレじゃない、お前の教え方が悪いのだ!」と開き直り相手をバカにしたような顔でせせら笑う。そうやって勝った気持ちになる。

 

しかしそれなら普段から道路地図を見て道を勉強すれば良いのに面倒くさいからそんな事をしないし、勉強するって事は知らないって事を認めることになり恥だからしない。こうやって彼ら恥を重んじる民族はますます移民社会の中で低位になる。民族がバカにされるよりも自分の恥を守る、だって民族や国家は自分が作ったものではないから気にしないのだろう。

 

僕の個人的体験であるが以前オークランドのスタンフォードプラザホテルの前で客待ちをしているタクシーに乗ってニューマーケットのレストランまで行ってもらおうと乗り込んだら中東系の運転手は酷い英語で「そんな近くなら歩いていけ、お前に足はないのか!」と言われた。頭にキタので100ドル札をそいつの頭に投げつけて怒鳴りつけて車を降りた経験がある(他にも数回ある“苦笑”)。だから今ではタクシーに乗る時は待ってでも良いからキースにお願いしている。

 

日本人は学ぶことを恥と思わず学ぶために頭を下げることをも恥と思わず印度に行き頭を下げて仏教を学んだが仏教発祥の地である印度では仏教が一般民に広がることはなく現世利益のヒンズー教が広がった。

 

中国からは漢字を学び四書五経を学び江戸時代の文化はまさに中国発祥の教えを学び漢文を書きそれが武家階級の教養となり一般市民にも伝わり明治時代の1800年後半の日本人の識字率は90%を超えていた。

 

明治時代、横浜や品川あたりで客待ちをしている人力車の車夫が普通に新聞を読んでいるのを、日本を訪問した西洋人がそれを見て驚いたものだ。ところが肝心の漢字発祥の中国では戦争ばかり繰り返し四書五経は読まれず識字率も低かった。

 

仏教発祥の地で仏教は一般市民に広がらず漢字発祥の地で一般市民は漢字を書けず、文化教育においてすべてが印度や中国より劣っていた東の果ての小国日本が追いつけ追い越せで漢字と仏教を学び、明治時代には追いつけ追い越せで西洋文化と文明を吸収して1900年には西洋の大国ロシアを打ち破るほどの艦船と軍隊を持ち、1914年からの第一次世界大戦では日本の駆逐艦がニュージーランドの兵士を守って欧州戦線に送り込んだ。

 

今日のブログは感情的に彼ら中韓印の人々を攻めたり日本人だけが優れているという事を指摘したいのではないし一国の文化を他国と比較して良い悪いとは決して言うことは出来ない。文化はその地域の固有のものであり生活環境も全く違う他国と比較しても意味はない。

 

第一日本人だって大学でカンニングをする学生もいれば親の七光りだけで威張り腐ってる連中も山ほどいる。他にも沢山の問題を抱えているし指摘し始めればきりがない。

 

ただ少なくとも他国、例えばオークランドで他民族と協働で生活していく上ではマオリやパケハの価値観を理解する必要があるし少なくとも軒を貸してもらってる状態で母屋を無視したりバカにしたりすることは控えねばならないくらいの常識は必要だ。

 

勉強という努力もせずに他人をせせら笑い、歩道に痰を吐いたりバスに割り込みをして指摘されたら発狂したように騒ぎまくるだけではいつまで経っても移民民族の中では国民としても個人としても地元の人々の信頼を得ることは出来ない。そのような国家からやって来て一生懸命真面目に働いてきちんとした家庭を築いている人々からすれば迷惑以外の何物でもないだろう。

 

今回の移民法改正でも何故日本人が比較的に優遇されるのか、冷静になってよく考えてみれば分かることだ。つまり移民社会では長い目で見て自分の文化だけを押し通そうとする民族であるというだけで損をするという事実を理解してもらいたいだけだ。

 

もちろん「西洋社会でも自国の文化を押し通す事が正しいとか信頼を得る必要はない、軒を借りてる状態でも母屋をバカにしたり無視したりしてよい、いずれ母屋を乗っ取ってやる」と考える文化であれば、これはもう何も言いようがない、どうぞご自由に。ただそれならその国家からの移民はますますしづらくなるという結果は受け入れるべきだろう。

 

しかし不思議なのは、それなら表題にあるように集団でカンニングをしてまで米語を学び米国の大学を目指す事や勉強もせずに英国の大学に留学して金で成績を買ってまで英国に残ろうとする矛盾を彼ら独立不遜の民族が恥と思わないのか?どう捉えているのか?是非とも知りたいところだ。



tom_eastwind at 15:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月04日

中国36.6%、英国14.6%、米国10%

 

表題の数字はニュージーランドの起業家ビザ部門申請で却下された割合である。いかに中国からの申請が却下されやすいか分かる数字だ。同時に移民局にあり今審査開始を待っている約1,000件のファイルの内半分が中国からの申請である。

 

言い換えれば中国人の申請は移民局の業務渋滞の原因の大きな一つとなっており却下されるだけの申請内容しかないわけだがそれでも移民局は審査をせねばならず業務が渋滞しているのがよく分かる。ビジネスモデル、資金証明、英語力など、どれを取っても却下される原因満々である。

 

最近中国人が経営するちっちゃな店が増えたがあれなどはまさにビザショップ、ビザを取得するために無理奴立ち上げたってのが見え見え。

 

今日は先週行われた移民局のワークショップ(セミナー)から戻ってきた、うちを担当している移民弁護士がセミナーの内容を報告するための会議だ。

 

このセミナーはかなり内輪のものであり移民弁護士はたくさんいるが招待状の来た弁護士しか参加できない。つまり弁護士と言いながら起業家ビザを一年に数件しか扱わないレベルでは参加できないという事。それは勿論投資家ビザ部門や技能移民部門でも同様である。実際にこのセミナーに参加した弁護士事務所はニュージーランド全体で7社程度である。つまりこの仕事は肩書きだけでは現場では通用しない証拠だ。

 

最近は月刊NZで「私はビザが出来ます!」とか広告を掲載する会社もあるが「その人」が実際に年間何件を何年にわたって取り扱ってきたか聞いてみれば実力の程が分かる。ついでに成功率も聞いてみれば良い。

 

話はそれたが報告の中で何故ここ数ヶ月移民局の審査が渋滞していたり審査内容が随分的外れになるのかが良く分かった。結局中国人の審査をしていると様々な虚偽報告があり、そうなると他国からの申請書類も同様に審査せねばならず、それが結局日本人の申請にまで影響してしまい日本人にとっては不可解で理解不能な質問が飛び出すようになった理由だ。

 

移民局から出てきた様々なデータは、どこの国からどのような人種、年代、業務内容の人々がどのような部門で何のビザを申請して何件が審査の上却下されたか何件が受理されてビザ発給に繋がったかが一目で分かる。

 

起業家部門で申請する人の平均年齢は44歳だとかIT系(ウェブサイト構築)とかの申請は却下されやすいとか、最低投資金額はいくらくらいとかが分かるので、こちらの戦略も立てやすい。

 

更に今年中に改正されるだろう新移民審査基準も内々に発表があり、今後の申請を作成する際の有効な材料になった。

 

移民局に申請をする場合は英語で提出するのだが、所謂普通の英語ではなく移民局用語で書かねばならない。これは英単語自体が違うという意味ではなく、移民局相手に言って良いこと悪い事、書いて良いこと悪いことがあり、自分が綺麗に書き上げた申請書だから大丈夫と思っても、それが移民局の見えない地雷に引っかかったら一発で吹っ飛ばされる。

 

つまり新移民審査基準はどこに地雷を仕掛けたかを描いてる地雷地図なのだ。何でもかんでも思ったままに正直に書けば良いというわけではないのだ。

 

このあたり日本人には理解し難い論理だが、それをどれだけ日本人の論理がこうだと言っても意味はない、ニュージーランドに移住するならこの国の論理構成を理解するしかないからだ。

 

全体的な変更点としては、今まで以上に規制強化するという方向性だが、それならむしろうちにとっては追い風だ。何故なら家のやり方は今まであった規制を更に強化して絶対間違いなくビザが取れる状態で申請してきたからであり、強化されれば中国人からの申請も減ってきて審査が短期化される。

 

今週はほんとに1時間単位で動いていたが、なんだかこの報告を聞いて少しほっとした。

 

来週は来客も少ないので先月から残していた宿題、10件くらいの企画書作りに専念する予定。そして今後強化される移民局の規制を更に先取りしてニュージーランドにとって喜ばれる人材を移住の軌道に載せて行きたい。

 

裏話ではあるが、会議の中で弁護士が「おいtom、おれはラッキーだぞ、日本人が担当出来て。実はさ、新しい移民局の局長が“一番欲しいのは日本人のような移民だよ、もっと頑張ってくれ”と言われたんだ!今年中にはお前のセミナーに移民局担当者も参加出来るって言ってたよ、その時はオレも行くからトーキョーを楽しませてくれよ!」と興奮気味に話していた。

 

だーから、5年も前から言ってただろうが、日本人は世界で最高の品質だって。外国に行って礼儀をわきまえ他人に迷惑をかけず自立自存で勤勉に働き子供の教育に熱心で自分の生活している社会に常に貢献する、それが日本人だって。

 

まさにいまさらであるが、それでもやっと移民局も日本人の存在を認めてくれて有難い。ただそうは言っても日本人移民の割合は全体の1.9%にしか過ぎない。中国人の50%と比較すると圧倒的に少ない。まだまだ道遠し、である。



tom_eastwind at 13:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月03日

長財布の面白さ リテラシーについて

今日はちょっとした暇ネタ。今週はゴールデンウイークで忙しくて時事ネタが書けないので、書き留めておいたネタです。

 

最近ある税理士が「長財布」の考察を文章にしたところ、結構見当違いなコメントが入り、なるほど、リテラシーの低い人が読むとこうなるのかと笑わせてくれた。

 

「長財布」の趣旨は僕が読む限り面白おかしい動物占いの一種でありそれ自体は一服の清涼剤的な内容、つまりちょっと笑ってちょっと興味深いけど大した内容はない。

 

作者は仕事柄お客様の財布を見る機会が多く、今まで見てきた経営者で持続して成功している人は皆長財布を使っていると書きだす。そして長財布はお札を曲げないからお札がのびのび出来てお札がお札に「こっちおいでよ気持ちいいよ」と呼び寄せるとか、他にも似たような事が書いてあり、要するにおまじないである。

 

ところがそれに対して「お金持ちは長財布を使っているのは長財布を使えばお金持ちになれるのとイコールではない」などとマジで返答する人がいたり「お金に振り回される人生なんておかしいと思いまーす」みたいな福島みずほがいたり、笑える。

 

そういえば筒井康隆の「乱調文学大辞典」という昭和46年に発行されたお笑い本がある。タイトル見ればジョークって分かるだろうって普通に思うのだがこの文中でも彼が「欠陥大百科が辞典類の棚で広辞苑や類語辞典と並んでいたし「心狸学・社怪学」は社会科学の棚に置かれていた」と書いている。

 

真面目な人、ふざけたことが嫌いな人、笑わされると怒る人、書物に教養を求める人、文章には思想がなければならぬと思っている人、そういう人には無縁の本やネタも存在するってのが理解できないらしい。

 

この「乱調文学大辞典」でもこんなのがある。

 

・アガペー:ギリシャ語で、神の愛のこと。すなわち髪が罪人たる人間に向けるあかんべえのこと。

・回顧録:惜しまれながら世を去る機会のなかった人が、それに気がついてあわてて書く本。

・解体新書:我が国最初の新書版の文庫。蔵本が粗末でよく解体した。

・蜻蛉日記:トンボの生態観察記録。
・内憂外患:女房の浮気と彼女の子宮外妊娠が重なること。 

 

上記などは一般常識がないと本当に信じるかもしれない(笑)。けどこんなわかりやすいのもある。

・鏡獅子:舞台劇。鏡餅を盗み喰いしてのどに詰めた腰元が、息ができず、のたうちまわるうちに髪がざんばらになって獅子のたてがみのようになるという筋。

・グラマー:英文法の女教師

・ゲラ刷り:校正者が、誤植のあまりの多さにゲラゲラ笑うこと。

・セミ・ファイナル:蝉の優勝戦

 

まだまだおもしろいのがあるけど、amazonで1円で中古本が出ているので興味のある方は読んでみるとよい、自分の常識を飛び越えて笑わせてくれる。またこの本の内容に怒りや疑問を覚えたら自分の脳味噌が相当固いかリテラシーが低いかよく分かる。

 

何時の時代もリテラシーのない人物は一定数以上存在する。哀れというか、そのままそうやって文字バカ状態で過ごすのかなと思うと結構怖い。ましてやそのレベルの人間が市会議員とかになると超ヤバイ(実際にいる)。

 

ちなみにぼくはここ数年愛用していた折りたたみ式財布がかなり傷んできたので買い換えようと思ってた時にこの「長財布」の話を聞いて、日本から帰る時、羽田空港の免税店で長財布買いました、ははは。



tom_eastwind at 11:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月02日

傷痍軍人・・・「永遠のゼロ」を読んで

僕の子供の頃は何かのお祭りに行くとその端っこでアコーディオンを弾いたりする数人の人々がいた。白い病院用の衣をまといある者は右手がなかったりある者は左足がなかったりしていたが、皆おとなしく目の前を通り過ぎる祭りに参加した人の流れを見ていた。

 

見つめていたのではない、ただ単に見ていたのだ。目の前を楽しそうに歩く家族や夫婦を、まるで自分が亡霊になったかのように見ていた。

 

昭和40年代の話だ。日本では奇跡の経済復興とか東京オリンピックとか新幹線とかで皆が繁栄を享受したいた時代、まるで取り残されたような彼らがお祭りの端っこでアコーディオンを弾いたりじっと立ったまま人々を見ながら、時々目の前に入れてもらういくばくかのお金に丁寧に頭を下げていた。

 

今では殆どの人が死に絶えた第二次世界大戦の軍人である。傷痍軍人と呼ばれていた。

 

戦争がどこまで人の心に大きな傷を与えるのか?これだけは本当に経験した人でないと絶対に分からない。そして戦争に従事した人々は、それもきつい戦争に参加した人は殆ど戦争について語らなかった。

幸運というか不幸というか分からないが、ぼくの父親は中国戦線からニューギニアに転戦した人で、彼が生前に残した「忘れたる記録」という戦記を読む機会があった。ニューギニア戦線に従軍した兵隊が生き残って日本の土を踏めたのは5%以下であった。約15万人(計算方法によって異なるが最低でも12万人、最高で20万人とも言われている)がニューギニアに渡り、無事に帰れたのは7,500人だった。あなたはその5%に入ることが出来るだろうか?

多くの兵士は戦闘ではなく食糧不足で飢え死にしたり逃げる途中で渡った川でワニに食われたり原住民の襲撃を受けて首狩りされて彼らの村の入口に首を晒されたりスタンレー山脈を越える事が出来ずに凍死したり崖から落ちて死んだりした。 

 

もちろん草稿の段階であり出来上がっておらず本人は平和そうに死んだのでこれを製本にすることは出来ないが、昭和40年代の紙切れを使って、時にはチラシの裏に太い鉛筆で字を書いており、当時の当家の貧しさを実感させられる(苦笑)。

 

その父親は殆ど戦争の話をしなかった。子供ごころに覚えていたのは、何故お父さんは鶏肉を食べないのだろうかという事だった。普通に文字が理解出来るようになった小学2年ころから本を読むようになった。図書館にある戦記を相当読んだ。

 

たぶんあの時代にあの年齢で戦記を読んでいた子どもは少ないと思うが、それ以降も20歳くらいまではかなり戦記を読んだ。なので当時の戦記で書かれていることは大体覚えているし、中国大陸戦線、ラバウル、ニューギニア、ガダルカナル、インパール、レイテ、そして沖縄戦と、戦争に関しては大体読み込んだ。

 

「永遠の0」という作品は2012年に随分取り上げられた作品であり、良く売れたという事だ。単純に、正直に嬉しい、このような作品が戦後70年近く経って戦争を知らない人々が読んでくれて、あの時代に何が起こったのか何があったのかを考えてもらうのは素直にとても嬉しい。

 

この本は様々な評価があるようだ。もちろん感動したとか息が詰まった人が多い中で、どうも「これって引用ばかりじゃん」という意見もある。

 

けどさ、これは基本ノンフィクションであり様々な人々の体験を元に作られた本であれば引用は当然ではないか?まして言えば、「引用」と批判をする人はどれだけ戦記を読み込んだのだろうかと疑問がある。誰かがちょっと無責任に発言した言葉をまるで自分が知っているかのように「引用」しているのではないだろうか?

 

それほど当時の戦記は読まれてなかった。何故なら大人は誰も思い出したくなかったし子どもは「戦前の日本は悪魔だった」と、くそったれ日教組に洗脳されていたからだ。

 

ぼくはたまたま本好きなのと父親がニューギニアで戦った事があり、興味があって読んだ。本当にしっかりした戦記はたくさんある。古くは大岡昇平の「野火」から名作「人間の条件」、その後は本当に戦争で生き残った元軍人達が残した戦記と呼べる作品も随分読んだ。あの臨場感は今でも覚えている。

 

永遠の0がどのように評価されるか?もちろん歴史的な評価がどう下されるか今の時点では分からない。しかしたぶん戦争世代を直接自分の父親として知っているぼくからすれば、この本は「読むべし」だろうし、読まねばならない。

 
とくにこの本の特徴は、一体誰が戦争を始めたのか?なぜ始まったのか?誰に、どのような組織に責任があるのかを、離れた距離から冷静に見つめていたことだ。これは今までの戦記とは全く違う。今までの戦記は個人的視点から戦場で何が起こったのかとか左翼からすれば軍国主義が悪いとかの内容だった。けれど一歩引いて見ると日本が構造的に抱える問題が見えてくる。その意味で良い作品だ。

 

ただ一つ気になるのは、このような「本当の事を書いた本」が戦争大好きな連中に利用されて次の戦争に突き進むことだ。戦時は誰もが平和を望んだ、陸軍や海軍大学校を卒業した連中を除いて。

 

そして今彼らは官僚という形に名前を変えて今も日本を支配している。そして彼らにこびを売り国民を騙している朝日新聞も現存する。このような戦前と何も変わらない状態でこの本が彼ら支配層に利用されないか、それが一番気になる所である。

 

 



tom_eastwind at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年05月01日

ゴールデンウィークの繁忙

ゴールデンウィークに入り日本からのお客様の千客万来で有難いのだが、同時に「観光じゃなくて本気で」ニュージーランドを下見、移住、訪問するってのが今の日本の置かれた危機的な立場を感じる。

 

月曜日からほぼ1時間単位でお客様と面談したり弁護士事務所や会計事務所を同行訪問して夜は食事をしながらゆっくりニュージーランドの現状を話す。出来る限りお客様の分かる言語で話そうとするが、全く制度も慣習もビジネスモデルもビジネス習慣も違う国の事をすべて説明するのはかなりきつい。

 

そりゃそうだろう、一つの国を1時間ですべて語ることなど出来ない。しかし出来るだけ理解してもらい、特に大事な点は期待度をあまり高めずにけれど希望を失わずにという説明だ。

 

ぼくの仕事は嘘をついてはいけないがすべて本当のことを言って逆にお客様が無駄な不安を抱くことをも避けねばならない。例えばオークランドに泥棒はいますか?と質問されて「いません」とは言えないし実際に毎日のように犯罪は発生している。ただそのケタが思い切り子供っぽくてちっちゃいだけだ。

 

それをどう説明するか?これは相手によってすべて使い分けるしかない。なぜなら同じ日本語と言いながらも捉え方が人によって十人十色であり、相手個人に分かる言葉で話す必要があるからだ。

 

だからAさんに話したこととBさんに話した事が違っていても、それは相手に分かる為に使っている言い分け方であり、AさんとBさんが突き合わせて「言ってることが違うじゃない!」と言われても、それはAさんとBさんの個性の違いである。

 

最近ニュージーランド移住を考える方は日本が危険だからというが、それは事実であるが、だからと言ってニュージーランドが天国のような国でないのも事実だ。この国にも泥棒もいれば事件もある。ただその発生件数や犯罪度が低いだけだ。

 

ただぼくが個人的に言えるのは、ぼくはニュージーランドに来て25年以上住んでいてそのうち6年間は香港で生活をしたが、間違いなく日本より安全な国であるという事だ。

 

実際にぼくは自宅に内ドアで繋がったガレージのシャッターを上げたまま会社に行き、夕方に自宅に戻って「あれ?あいたままま?」と笑うことがあるが、泥棒は来ない。一応警報機も付けているし防犯ライトも昼間から付けている、主要道路から20メートルほど奥まった場所、などなど、ある程度の防犯意識があれば事件に結びつかないという事だ。

 

しかしその為にはやはり常に「世の中に絶対の安全はない、あるのは危険度の高低だけだ」という事を理解してダメージコントロールをしっかり理解することだと思う。

 

このあたりのバランスをどこまで理解出来るか?どれほどの許容度があるか?これが移住を成功させるコツだと思う。

 

今週は訪問のお客様が多く殆どブログ更新出来ず。書きたい書評「永遠のゼロ」とか書きたいネタ「アベノミクス」とか時事ネタも含めてたくさんあるのだが、さすがに今週は全然脳みそが回らない。とりあえず睡。Zzzzzzz

来週にはもうちょっとまともなネタが書けると思います、ごめんなさい。

by tom
 



tom_eastwind at 19:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌