2013年06月

2013年06月29日

脱税資産?

移住を希望されるお客様の目的は様々だが、中には本当に日本政府に愛想を尽かした人もいらっしゃる。所得税を毎年50%納税をした挙句に次は相続税で50%持っていかれれば残ったお金は当初の25%、ところがその25%を得るために倒産するかもしれないビジネスリスクを取って頑張って働いてを考えれば到底費用対効果に合わない。

 

もちろん目先の数字だけで言えば25%でも世間から観たら大きな金だろうかもしれないが、そこに至るまでに本人が受けたストレスは半端なものではない。

 

一般世間で言えば精神分裂症(古いか?統合失調症の方が良いか?)になってもおかしくないストレスを受けながらビジネスを成長させ、その間も赤字は本人負担、倒産も本人や親族負担なのに、儲かった時だけ政府が金を獲っていく。どういうことよ?誰もが疑問に思うが誰もがそういう立場に立つまで気付かないのが現実だ。

 

出来れば調子の良いうちにいくらかでも個人資産を作っておけばよいのだが、現役のビジネスマンに限ってなかなかそういう事を思いつかない。そしていざ年を取ってそろそろ相続でもと考え始めた時にはもう時間が限られている。

 

おまけに相続税は毎年条件が厳しくなりとにかく税務署は取れるところから取ろうとするから真面目に働いてきちんと納税していた人たちが真っ先に狙われることになる。彼らは下手に真面目に納税しているから「あ、もっと取れそう」と思った税務署に狙い撃ちにされるのだ。

 

でもって合法的に節税をしようとすると「あなたがやっている事は節税ではなくて租税回避行為です、あなたの持っている資産は脱税して作った資産、脱税資産です、なので追徴課税を取ります」となる。

 

これが本当に合理的な社会なのか?働けば働くほどバカを見る仕組みの社会で自分がリスクを取って起業したら税務署に狙い撃ちされるのでは働く意欲も出ないってものだ。

 

ところが日本人は真面目だし明治以来会社は社会の公器という位置づけにされているから政府の代わりに新社会人の礼儀作法の教育を施し年を取って使い物にならなくなった50代を政府の代わりに雇用し続け社会福祉を提供し続けている。

 

実にバカな話である。企業とは本来独立した法的人格であり政府の意向を忖度して礼儀教育や老齢年金を払うなど有り得ないことだ。そんな事したら株主から会社の利益を積極的に削減したと経営責任を取らされて社長解雇である。

 

つまり元々日本で起業をするという事自体にリスクがあり更に利益が出れば政府に持っていかれ政府の代わりに福利厚生を提供して頑張って働いた最後には相続税でどかっと金を持っていかれるのだから馬鹿らしいことおびただしいわけだ。

 

けどそうは言っても実際に起業して経営を開始してしまい利益が出てしまえばどうしようもない、後はどのように対策を講じるかしかない。上に政策あれば下に対策ありだ。

 

ではどのような方法があるか。

 

ここでよく例に出るのが例えばユニクロの柳井氏が行ったように自分の財産を海外の持ち株資産管理会社に移すという方法だ。これだと海外の会社に売却した際の株式売却益や不動産を売却した際の譲渡益だけ納税すれば良い。通常は源泉分離課税の20%が適用される。相続税の50%と比べれば30%以上の節税になるのがこの方法である。

 

上記の方法は現在の法律の範囲内であるが、政府は身内に対しては非常に甘い、というか違法行為を教えている。例えば西武の堤康次郎が税務署の署長から教えてもらってやったような(詳細は略すが)社員の印鑑を使って上場会社を保ちながら実質的に息子にすべての株を集める仕組みを作ったり、株を譲渡する際に会社を赤字にさせて株価を下げたり脱税行為を繰り返した。

 

それにしても日本政府はすごい、堤康次郎という政府の身内に対しては堂々と脱税指南をしていながら一般庶民の合法的な節税に対しては厳罰で処するのだから。

 

これを日本語では自分勝手とかわがままとか卑怯者とか身贔屓とか脱法とか違法とか犯罪と呼ぶが法律を作っている者には犯罪行為を犯している感覚はない。

 

何故なら彼らは法律を作っているのだから自分たちは常に法律の範囲外にいると思っている。もし違法と認識した場合は法律を変えて自分の行為を合法にするし脱法を節税にする。

 

身贔屓を相互扶助と呼ぶし東大法学部卒しか知り合いがいないから一般社会の東大卒以外の民衆の目が気にならないから恥ずかしい行為だ卑怯者と言われても耳に入らないし、耳に入ったとしても「悔しかったら東大を卒業しろ!」で終わりだ。これは政府のわがままではなく支配者側の財政的組織防衛なのだから一から十まで「正しい行為」なのだ。

 

ともあれどうしても自分の稼いだお金を一文も残さずに日本政府に献上したいのであれば何も言うことはない。ただ日本政府のお金の使い方に健全な疑問を持ち現在の納税システムに対して納得出来ないのであれば法律の認めた範囲内で戦うべきだと考えるのは僕だけではないだろう。



tom_eastwind at 17:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月28日

リニアが日本を変える  望む力の大事さ

日経ビジネス617日記事でJR東海旅客鉄道社長のインタビュー「リニアで日本を変える」というのがあった。2014年から本格的に工事が始まるリニア中央新幹線が2027年に完成すると東京〜名古屋間は約40分で行き来出来るようになる。

 

40分という距離は地下鉄丸ノ内線で言えば東京駅から荻窪駅の少し先、JR中央線では東京駅から三鷹駅に行くのと同じような時間で名古屋に移動出来る。そうなると名古屋が首都圏の西の端になるわけだから「名古屋に出張する」なんて観念もなくなる。

 

19世紀初頭に電話という概念はなかったが20世紀には驚異的発達をした。20世紀初頭にはインターネットという概念はなかったが21世紀の現在は生まれた時からネットに囲まれた世代が世の中に輩出し始めている。

 

いつも書くことだが、これから皆さんの子供が大人になる20年後でさえ今からは思いもつかないような技術が発達して世界がより住みやすくなっていくだろう。

 

昔だと東京から名古屋が出張だったのがリニアが走りだせば首都圏内になってしまう。空を見上げれば成層圏に飛行機を飛ばしてロンドン-東京を2時間くらいで結ぼうかなんて話もある。

 

オフコースに「地球は狭くなりました」という歌があるが、まさに地球は狭くなっていく。飛行機の飛行機の長距離化と高速化が進めば東京からニュージーランドなんて東京から沖縄くらいの感覚になるのではないか。

 

ましてや多くの現場労働、例えば車組立工場が次々とコンピューターによる自動操縦に代わってくれば工場労働者の多くは不要となる。

 

すでにコマツでは2001年からコムトラックスというブルドーザーのIT操縦技術を開発してすでに実用化段階に来ておりブルドーザーに組み込んだGPSを利用しての操作が可能になっている。日立建機でも無人ダンプを豪州の石炭鉱山で走らせている。そうなると専門職と思われてきた特殊車両運転まで人間不要になる。

 

「このように100年間で旅客機に限っても航続距離はおよそ4万倍、速度はコンコルドで150倍と飛躍的な進歩を遂げたことになります」とはJAXA技術者のサイトで見つけて来た言葉だがこれからも技術革新で水素をエネルギーとした推進力、高速飛行の摩擦に耐えうる金属の発明により飛行機は高速化、長距離化していくだろう。

 

とりあえず東京から名古屋が首都圏内移動という概念になった21世紀、自動車が自動操縦されるようになった時代、次に何が来るかをしっかり想像しながら次の世代に向けた準備を今から始めていかねばあっという間に時代に取り残されていく。

 

インターネットの発達、人間が瞬時にホログラムで地球の反対側に行ける、世界中の人々がバーチャルに一箇所で会議が出来るなんてのはもう目先に見えている技術だ。

 

ではそういう創造力を養うにはどうすれば良いのか?逆に言えば何故ぼくがいつもそういう事ばかり考えて生きてこれたか、これは僕の感じ方だろうが原点はSF、サイエンス・フィクションにあると思っている。科学小説である。

 

しかしその後はSFの持つ創造性に着眼した人々がSFはスペキュレーティブ・フィクション(思索的小説)またはスペキュレーション・ファンタジーの略だ」と呼ぶようになった。

 

例えばアイザック・アシモフが発明?したのはロボット三原則。ハインラインの「夏の扉」で繰り広げられるタイム・マシンというファンタジー、どれも当時は普通の人に話をしたら呆れられて黙り込まれて怪しいと思われたものだが、今ではどれも普通に市民権を得ている。

 

これは何を意味するか?人間は創造力の塊であり望んだものを実現する能力を持っているという事だ。すべては創造力であり夢をみる力だ。夢を見ることができるからこそ未来が見える。てか、未来を自分で作り出していくのだ。

 

だから子供の教育に一番必要なのは創造力を持たせる事であり大きな夢を見せることだと思う。何もSF讃歌ではないがぼくが思うに子供の頃の創造力を広げさせるのにSFというのは力強い武器だと思う。

 

リニアが日本を変える。飛行機が成層圏を飛ぶようになる。さて次は何があるか?地上から月まで届く大型エレベーターを作るか?自動車が完全自動運転になるか?両方共グーグルでは本気で考えてそのための研究施設があるほどだ。

 

そして大事なことはこれから世の中が次々と便利になり機械化されていけば人間のやることはますます少なくなる。その時にあなたの子供はどうやって飯を食って生活をしていくのだろうか?そのためにも社会が生身の人間に対して永久的に要求する技術が何なのかを今から考えて子供の人生設計をしていく必要があると思う。

 

いずれ火星への移住も視野に入るだろうし深海で海底都市を作ることもあるだろう。出来ないと思えば一生出来ない。大事なのは想像して望むことだ。望めばだいたいのことは叶うと信じる力を持つことだ。

 

 



tom_eastwind at 11:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月27日

死亡消費税

それにしても国民会議という名前のもとでいろんな事考えるものだ。高額所得者への増税(所得税増税、相続税増税、基礎控除枠削減、海外資産報告義務などなど)はひと通り今年中の国会で通るだろうから、次はすべての所得者向けに消費税とは別に課税しようという事だ。

 

***記事開始***

記事によれば「死亡消費税」とは、国民が死亡した際に、その財産から一定の税率で税金を徴収するというもの。記事には、こんな恐ろしい事例が書かれている。

 

「これが実際に導入されるとこんなケースが必ず起きる。長年、介護してきた父が亡くなった。息子は介護のために会社を早期退職し、妻のパートで食べている。貯金も底を尽いた。遺産として同居していた家が残ったものの、評価額は3000万円。そこに『死亡消費税』の請求が届く。消費税並みの5%なら150万円、消費税引き上げ後の税率10%なら300万円になる。とても支払えず、家を手放すことになった──」(NEWSポストセブンより引用)

 

ただ、現状では、あくまでも社会保障制度改革国民会議で、識者による「資料」というかたちで話題が出ただけ。特に具体的な法案として進んでいるわけではないが、ネットユーザーたちは敏感に反応。この記事を受けて立てられた、2ちゃんねるニュース速報板の「【税制度】全国民対象 死亡消費税 首相官邸の会議で提案される」というスレッドでは、以下のような意見が寄せられていた。

 

「まーた庶民イジメが始まったか

それなら年代別貯蓄制限にして、老後は給付で安定して暮らせる代わりに

貯め込んでる金を市場に回させるような法案でも作れや」

「まさしく取りやすい所から取る」

「庶民レベルでは誰も不動産持たなくなるわ。

現金で持ってたほうがどうにでもなるだろ」

 

具体的に法案化されたわけではないので、それぞれ解釈に違いがあるものの、「死亡消費税」によって庶民への税負担が増えると予想し、不公平だと不満を漏らす声が多かった。

 

果たして本当にこのような「死亡消費税」が導入される動きがあるのかは不明だが、ネットユーザーたちは不安を抱いているようだ。

R25編集部)

***記事終了***

 

ぼくは学校で「二重課税の禁止」という税の大原則を学んだ積りだがどうもそれが現在は全く通用しないようだ。給与所得者であれば誰でも源泉徴収で納税しているし別途市民税も払っている。それでも更に税金払えってのは一回の収入に対して二回課税をする二重課税であり租税法律主義から完全に外れた考えだ。

 

最近は海外に居住地を移す人が日本を出国する際にその総財産に対して課税する「出国税」も検討されており、つまり海外に行きますといえば課税されあの世に行きますといっても課税されるという、とにかく何が何でも国民から税金を取り立てようとする。国民の移動の自由を認める日本国憲法違反ではないか??

 

てーことは何だ、要するに取れるところから理屈は何であれ取るという事だ。日本の税法は政府が勝手に名目を作って税金を取らないように租税法律主義という規制を政府側に対して行なっているわけであり本来法律で禁止しているのは政府の勝手な徴税である。

 

それを政府は何かと言えば「税金を払うのは税法で決まっているのだから払え!」と言い、いかにも払わない一般市民が悪いように言う。しかし、まさにそのような権力の濫用で一般市民から合理的な理由もなくお金を取り立てる行為を取り締まるのが税法の趣旨である。

 

1980年代は政府も税源が豊かであり日本の企業はよく働きよく納税した。政府はそれに応えて高速道路を作り新幹線など鉄道網を整備し国内飛行機網を整備して日本の地方都市のどこからでも東京の日帰り会議に参加出来る交通網を作り上げた。

 

例えば1987年の政府予算は54兆円で法人税収は33%の18兆円。1988年の政府予算が56.8兆円で法人税収は33%で19兆円。この年の法人税率42%で消費税はゼロであった。このあたりまでは企業も活発であり海外に本社を移すなど考えもしなかった。

 

ところが2010年度の支出は約90兆円であるのに対して法人税収は9兆円。約10%である。これに対して消費税は10兆円。つまり企業から得られる税収と消費税が同額になったのだ。つまりこれより先、変動率の幅が大きい企業からの税金に頼るよりも安定した収入源である個人から税金を直接取ろうという方向になっているのだ。

 

企業は儲かれば税金を払うが赤字では税金は払わない。ところが個人の場合は赤字黒字に関係なく消費する度に税金をとられるのだから国民数x一人あたり平均消費額=総消費額の5%が確実に国庫に入る。いちいち大企業に監査に入ることもなく取れる税金である。

 

これこそまさに「取りやすいところから取る」であり英国では「どんな泥棒でも飯は食うから泥棒からでも取れる税金」として評価されている。

 

だから諸外国では消費税を導入して安定した税収としておりニュージーランドもそれは同様でこの国の消費税は国税として15%である。地方税はない。但し実際は内税であり消費者は消費税を肌で感じることはあまりない。

 

消費税は15%だが源泉徴収は15%(平均額)でありこの中に所得税、地方税、厚生年金、失業保険などすべての支出が含まれており、なおかつ税金の使われ方が世界でも第一に透明性が高いため、市民の間ではそれほど文句は出ない。むしろオレは今年国家にこれだけ納税したぞ、どうだ、偉いだろう!的なビジネスマンが多いのが特徴だ。

 

ところが日本ではどうだろう?誰も税金を払いたくない、その理由は自分の払った税金が何に使われているのか全く不明であり国民から集めた税金が車の走らない道路や片方の穴しか空いてないトンネルとなれば馬鹿らしくて払う気になれないのは当然だろう。

 

今後もなんちゃら委員会やなんちゃら会議では財務省が予め筋を付けた新しい税金の集め方をするのだろうが本当に税金を欲しいなら国民が働きたくなる国造りをするのが一番の早道だといつ日本で最も優秀と呼ばれる大学の最高学部を卒業した人々は気づくのだろうか?



tom_eastwind at 16:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月24日

釣りか?

ニュージーランド移住に関する記事が転送されてきたのでさっと目を通した。201365日付けの記事なので最新と言える。ただこの手の記事で困るのは読者に「間違い」と「勘違い」を植え込み、妙にその気にさせるという点だ。

 

例えば成田関空からニュージーランド航空が直行便を毎日運行・・・してないって。それに関空便は今年で運行停止するし。。。

 

ニュージーランド移民局に話を聞いたというが、

「移住には、永住権を取得する必要があるのですが、この権利を得ると様々なメリットがあります。たとえば、公立病院での医療費は原則無料だし、10年以上居住しているだけで年金受給権が付与されるのです 」ニュージーランド移民局より。

 

いやさ、それは事実ですが、そのためのビザ取得手段として

「まずは2年間、ニュージーランド国内の企業に勤務し、その後申請を行って面接をクリアすれば大丈夫。欧米の国と比べても、難易度は高くありません」なんて事を本当に移民局が言うのか?

 

ちょっと有り得ないぞ、てかそんな事を政府の役人が発言したのならそれだけで責任問題ですぜ。通常移民局は絶対にそのような発言はしません。もしニュージーランド国内でこんな話が移民局の耳に入ったら日本の担当者、相当やばいよ。

 

2年働いて申請を行なって面接をクリアすれば」〜ってそんな簡単じゃないんですけどね(苦笑)。実際には英語能力、雇用の際の給与、必要とされている業種か、その会社はスポンサーになれるだけの規模や売上があるのか??等など突っ込みどころ満載なんですけどね。

 

ましてや、

「実際に、ニュージーランドへの移住を成功させ、現地で日本語を教えているxxxさんの場合は、次のような流れだったという」などと書いたらこの時点で移住を全く理解出来てないことが分かる。というのは移住するための永住権が取得出来たというのは手段でありその先、つまり幸せな生活が構築できるかが大事な目的なのに「移住を成功」なんて書かれると困ったものです。完全に手段と目的を履き違えてますね。

 

又その人のコメントとして「「ニュージーランド国籍を持っている方と結婚するのもひとつの手。1年以上の同居を証明できれば申請可能です。ちなみに、こちらでは出産にかかる費用は国が負担してくれるので無償。公立の学校であれば学費は免除されるなど、子育てをするには優遇された環境が整っているんです」なんて、結婚が目的ではなくビザ取得のために結婚するって文意ですっよね。

 

これ、下手したら中国人のやってる結婚詐欺をお勧めしているのと同様になりますよ。キーウィと結婚することで出産も学費も無償、学費も免除なんて移民局への聴きこみと同じ文章の中で並列するやばさに何も感じないのか?

 

そりゃ結果的にキーウィと結婚することがあるかもしれないが、それを「一つの手」と文章でコメントする日本人ってどうなのか?これも最近ツイッターなんかでよくある「え〜?私のコメント、誰でも読めるの?」な話である。

 

第一良いことばかり書いてるが実際問題として英語があまり上手でない日本人を現地人並の給与でいきなり雇ってくれるケースなど本当に少ない。永住権取得が出来てもその後の経済生活をどうやって構築するのか?親が生活費を全額出してくれるならまだしも、自分の腕だけで稼いでいこうとすればそれはかなりきつい。実際に多くの人が永住権を取得した後に経済生活が成り立たずに日本へ帰国するケースもよくある。

 

ぼくのブログが辛口と云われるが、人生は決して甘くないのだ。ましてや自分の生まれ育った国を出てアウェイで生きていこうとすれば生半可な気持ちではやっていけない。それなのにこのような記事が出てしまい移住を軽い気持ちで考えるようになってしまってはその人のためにならない。

 

元ネタを読んだことのある方なら「ああ、あの記事だな」とお分かりでしょうし原文には個人名が入っているのでリンク先は貼り付けません。それともこれ、釣りか??



tom_eastwind at 13:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月23日

「朝鮮民族を読み解く」 古田博司

この記事は*こう読む

 

【北京時事】中朝戦略対話出席のため訪中した北朝鮮の金桂冠第1外務次官は21日、北京で王毅外相、楊潔※(※=タケカンムリに褫のつくり)国務委員と相次いで会談した。

*習近平に呼び出された北朝鮮の外務次官は中国外相に続いて国務委員にも小突きまわされた*

 

中国外務省によると、王外相と金次官は現在の朝鮮半島情勢や、核問題に関する6カ国協議再開について、突っ込んだ意見交換を行い「対話が有益かつ建設的」との認識で一致した。

*中国外務省によると、王外相は金ちゃんに「北朝鮮はもっと経済安定せんかい!いつまでも独裁ばかりだと経済支援せんぞ!」とか「核開発続けるならオレを敵に回すぞ!早いとこ六カ国協議に戻ってまともな話をせんかい!」と突っ込んで怒鳴りつけた。

 

 また、楊国務委員は、中朝戦略対話が「積極的な成果を得た」とした上で「現在の朝鮮半島情勢に、緊張緩和に向けた勢いが出てきた」と評価。ただ「依然として複雑な情勢だ」とも指摘し「情勢が好転し続けるよう押し進め、早期の6カ国協議再開を勝ち取ることを望む」と訴えた。

*国務委員は「北朝鮮がやっと言うことを聞くようになった」と積極的な成果を得た上で「核開発をやらせないって話を聞く耳を持つようになった」と評価。ただ「依然として金正恩の複雑な気持ちが理解出来ない情勢だ」とも指摘し「金正恩にうまくメッセージが伝わるように推し進め、早いとこ核開発をやめさせる事を望む」とテレビを通じて金正恩にメッセージを送った。

 

 これに対し、金次官は「朝鮮半島情勢(の緊張)を緩和し、対話を通じた問題解決を堅持するよう望んでおり、6カ国協議を含め各種形式の対話に参加したい」と前向きな姿勢を示した。

*これに対し金ちゃんは「はいはいわかりました、けどオレだけじゃ決められないよ、外国との交渉をしたいけど金正恩が何て言うかまだわからんよー」と自分に権限がないことを表明した。

 

 王外相は中朝戦略対話終了直後の19日夜、ケリー米国務長官と電話会談し、双方は「朝鮮半島情勢での前向きな変化」(中国外務省)について協議した。王外相は21日の会談で金次官に対し、ケリー長官との電話会談の内容を伝えたとみられる。(2013/06/21-23:46

*王外相はふるぼっこの後すぐにケリー米国務長官に電話して「うちの習近平がオタクのオバマに会った時に言われた事はちゃんと実行しましたぜ、北朝鮮は今度こそ話を聞きそうですぜ、どうですか、このあたりで北朝鮮と交渉始めてくれませんか?」と伝えた。

 

オバマと習近平がノーネクタイで膝詰めで行った話し合いは相当に深いものだと思う。世界三極体制を中国が望むなら手を取って一緒にやっていこう、そうすれば来る中国のバブル崩壊でも援助するがもし中国が軍部中心で北朝鮮とバカやる積りなら米国も黙っちゃいないぞ、そのようなメッセージを明確に習近平に伝えたのだろう。その結果として中国は北朝鮮の幹部を北京に呼びつけて「ばっきゃろー!」とやったのだと推測される。

 

さて本文。

 

歴史的に北朝鮮は800年近く中国の庇護を受けている。高麗朝鮮時代以降李氏朝鮮まで続く時代、朝鮮は完全に中国をコピーした小中華であり明朝文化を儒教文化として位置づけ朱子学を国家の中心に置いて仏教を完全否定して僧侶を下位のナラと位置づけて徹底的に排除した。

 

話は逸れるがある意味その当時の仏教と韓国の寺を守ったのは日本と言える。仏教を否定した韓国の仏像を日本が守ってたら突然韓国の泥棒が日本にやって来て「おい、この仏像はおれのもんだ、返せ、返さないと仏像!」なんてのは笑い話だ。勝手に持って帰れ、お前らナラがなにしようが知ったこっちゃないって話だが、その代わりに李承晩が掻っ払った竹島は返せよなって話である。

 

韓国における朱子学を基礎とした儒教文化は中国から持ち込まれたものであるがそれを中国追従と認めたくない現代韓国(朝鮮)としては何かにつけて中国反発して「漢字は朝鮮で発明された」とか「孔子は朝鮮人である」とか言って毎回中国にバカにされている。

 

1995年に発刊されて2012年には第四刷された「朝鮮民族を読み解く*キタとミナミに共通するもの」は若い頃に韓国留学の経験をして東アジア政治思想専攻を主とする古田博司教授による著書である。

 

自分の若いころの留学経験を基礎として「なぜ彼ら朝鮮民族はこのように考えるのか?」を自分なりに主体的に研究しつつ客観的視座を外さずに、朝鮮の良い点も悪い点も捉えて彼なりの考えを述べている。

 

嫌韓という軽々しい言葉があるがぼくには決して納得出来ない一部日本人の主張である。要するに一時的な感情で他人を自分の倭小な思考枠の中で相手を型をはめて後付の理屈でどうこう言うバカの集まりだ。

 

この本を読んでいると朝鮮(韓国および北朝鮮を合わせた地域)に住む人々もそのような「一時的感情」でのみ行動し理屈を後付する人がいるようで、要するに嫌韓というのは自分の出自の血液をそのまま残している人々の行動なのだなとよく分かる。要するにバカの子孫がバカをやっている、てな事だろう。


どこの国にもバカがいるわけで、馬鹿同士の喧嘩であれば勝手にやっておけって話だが、それが一般民に影響するのであれば問題である。
 

北朝鮮と米国の話し合いというのは話し合いとして成立するのだろうか?間に中国が入り北朝鮮の頭をぽかっと殴って初めて会話が成立するのだろうな、そう思った中朝会議であった。

 

少なくとも一般常識を備えた日本人と思うなら近くて遠い国「朝鮮」という隣国の人々の思考回路を「読み解く」だけの常識を持っていた方が良いと思う。

 

何故ならどれだけ感情的に嫌韓になっても憎しみ以外に何も得られることはないし朝鮮半島がアフリカのソマリアあたりに移動することもないわけで、ある意味兄弟げんかでしかないのだ。

 

日本の先祖は間違いなく朝鮮半島から来ており天皇陛下の出自においても朝鮮半島から渡ってきたわけであり九州で発生したわけでないのは古事記など歴史書を読めば歴然としている。

 

ぼくらが今考えることは祖先を同じくする隣国のウリの思考回路を理解して良い時も悪い時も兄弟げんかをせずに手を組んで東洋文明と本質的に違う存在である西洋文明と対峙することだと思う。



tom_eastwind at 16:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

2013年06月22日

藁の楯

前回の出張の際に福岡で何とか時間を作ってホテルの隣の映画館に仕事終わりのスーツ姿のままぎりぎりの時間で飛び込み何とか最初から観ることが出来た。

大沢たかおの演技がすごいとか松嶋菜々子がいいとか退屈とかのマイナス評価もあったりとかで何かと話題が多そうだったので何年ぶりかで映画館に足を踏み入れた。

 

幕が開き映画が始まる。

 

舞台はまるでジャズバンドのウッドベースのように常に底辺を暗いブルースが流れている。そして続いて激しいドラムが叩きつけるように描写していく、画面の中で法を守る為に戦う者達と正義を守る者達、そして目先の金に釣られた人々との間の銃撃戦を。

 

舞台の上でサックスが吹き鳴らす激しい感情の燃え上がりとその後に流れる切ない音が人々の本音の部分を少しづつ切り出していく。

 

この舞台の参加者皆がそれぞれ少しづついろんな本音と建前を並べつつ前半のミステリー部分が進んでいく。中盤あたりから次第に一人ひとりの本音が見えてくるが、まだ誰が本音で語っているのか分からない。

 

この映画は結局「守るとは何なのか?」を徹底的に視聴者に問いかけてくる映画である。君は法を守り家族を殺すのか?君は家族を守り法を破るのか?君は職務に忠実であれば人間としてのルールを破っても良いのか?

 

映画は様々な場面をくぐり抜けながら、一体社会における法って何だ?人間が守るべきルールって何だ?と徹底して聞いてくる。それに答えずにいくら映画を観ていてもそれは観ている事にならない。

 

だから映画の主題をあまり理解出来ない、デートで来ている若い女の子は途中で完全にアタマを倒して寝てた。たぶん彼女にとっては「ばっかじゃーん、みんなでバンバン鉄砲撃ってさー、平和第一じゃーん、ぐーぐー」てなところだろう。

 

この映画を観る時のポイントは次から次へと問いかけてくる「あなたならどうする?」の質問に対して自分なりにきちんと法と秩序と社会の成り立ちを理解した上で問題整理をしながら順々にそれらの映画の問いかけをテーマごとに仕分けして最終的に「おれならこうする」という結論を出すことだろう。

 

答えはいくつあっても構わない、まず自分なりに答を出すことが何よりも大事だ。

 

この映画では最初の主題は「警察が守るべき法とは何か?その法とは人間が根源的に持っているものよりも優先するのか?」である。この答えは実は日本の警察の在り方にも根源的な問題を提起している。

 

それは法と秩序の問題である。警察は法と秩序を守ると言いつつ、では法と秩序が対立した場合どちらが優先されるのか?という点である。

 

ではどのような状況で法と秩序がぶつかるか?例えば違法捜査によって犯罪者を見つけ出して逮捕することで未然に大規模テロ事件を防げるとする場合、違法捜査を認めるのか?これは潜入捜査やおとり捜査があるしもっと言えば司法取引も違法と判断することも出来る。

 

米国などでは大きな悪を捕まえるために小さな犯罪を見逃す司法取引という習慣がある。日本では小さくても悪は悪という考え方がある。国民の財産と生命を守るために違法捜査をすることが正当か?法を破っても秩序安寧を守ることに正当性があるのか?

 

そして予防逮捕という考え方は正しいのか?まだ犯罪を犯していないが危険性がある場合に予防的に逮捕拘置するという考え方だ。

 

日本の警察は戦前は法を守るために予防逮捕という考えがあった。まだ悪いことはしていない、しかしいずれこいつは悪いことをするだろう、だから今のうちに逮捕しろって考え方だ。逮捕後に警察署で拷問にかけて犯罪の意志があった事を認めさせて有罪にして形式的な裁判の後に刑務所に放り込む。

 

この場合の良い点は例えば少女強姦を繰り返すような男が出所後少しでもおかしな動きをしたらすぐに刑務所に放り込める点だ。ストーカー事件でも同様だが、もし潜在的被害者である女性が警察に訴えでたら警察がすぐに動きストーカーを逮捕して刑務所に放り込める。

 

ただこの方法は国民のために法律が回っている間は良いが、一旦これが権力の手中に陥るとある日突然政府に反対意見を述べただけで刑務所に放り込まれるような事態が発生するという事だ。戦前では蟹工船事件などが有名だ。

 

戦後はこの予防逮捕の反省に基づき事後逮捕に切り替えた。実際に犯罪を犯さない限り警察は民事と判断して「民事不介入」のルールの元、警察は事件が実際に起こるまでは手を出さなくなった。つまりストーカーが実際に犯罪を起こさない限り警察が取り締まれないという状況を創りだしてしまった。

 

だからストーカー殺人事件が発生してそれ以降も同じような事件が発生しそうになっても予防することが出来なかったのだ。

 

そこでストーカーに関しては別に法律を作り対応するようになった。これで予防的にストーカーを排除出来るようになった。もちろんこの法律が完璧に運用されているわけではなく常に失敗はあるが、それでも法律がなかった時に比べればずっとましだ。

 

いたいけな女の子を強姦殺人した元殺人犯といえども刑務所で一定期間過ごしたら罪は終了でありそれ以上裁くことは出来ない。しかし強姦殺人犯が出所してまたも同様の事件を犯したら誰が責任を取るのだ?米国では少女強姦犯については出所後もその男の居住地を常に公開して周囲に喚起を呼びかける制度がある。

 

これは個人のプライバシーの侵害であるのか社会全体で社会の宝である子どもを守る正しい措置なのか?自分の子どもや孫を殺された時に親が取るべき正しい態度とは?正義とは何か?

 

この映画に対する評価が「期待はずれ・・・もっと激しい銃撃戦を期待してたのに」というのもあれば「考えさせられた、真剣に・・・」という評価もある。ぐーぐーと寝てた子には期待はずれであっただろうが、ぼくは日本が良い映画を作り始めたなとうれしくなった。

 

映画を見終わって下のフロアにあるラーメン階で久しぶりにこってりしたとんこつラーメンを食べる。うむむ、これも相変わらず旨いっす。



tom_eastwind at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画

2013年06月21日

どこであれ

「日本の近未来、アメリカや中国の未来、そしてニュージーランドの未来の世界はどうなっていると思いますか?」というご質問を東京在住のお客様から頂いた。

 

この方の予測では「日本経済はインフレ後に破綻、中国バブル崩壊、アメリカはしぶとく生き残り第二次朝鮮戦争。ニュージーランドは独自のアメリカ排除の強気政策と豪州との連携でしぶとく生き抜く」となっている

 

まず日本経済のインフレ予測と破綻については僕もその筋書きは頭の中にある。かなり以前にも書いたが安倍+麻生政権の目指すところは国家の借金返済でありそれが経済成長成功による税収増加でもよし、通貨政策に失敗した結果としてのハイパーインフレを起こして国家の借金がすべて紙切れになったとしても良し、である。

 

ハイパーインフレになって円の価値が1,000分の1になってしまえば今の1千兆円の国家の借金は1兆円くらいになり借金は簡単に返済出来る。その結果として国家の富裕層の資産も同じように吹っ飛ぶのだが政府からすればそんな事はどうでもよい些末事だ。「

政府あっての国民であり、国民あっての政府ではないのだー!(苦笑)」

 

ハイパーインフレは既に1945年から1946年の日本で実際に起こった事であり多くの資産家がそれまでに作り上げた財産があっという間に紙切れになってしまった。銀行は閉鎖され新円切り替えが行われ農地改革が行われ戦前の名家が次々と没落していった。

 

過去に起こった事が今の日本で起こるはずがないと思えるほど僕はお人好しにはなれないので今のアベノミクスの狙いに選択肢の一つとして公言はしないがハイパーインフレーションが含まれているのは間違いないと思っている。もちろんそうなる前に海外送金禁止令とか海外移住する人へ出国税を課税するとか逃げ切らせないための予防線は当然張ってくるだろう。

 

中国のバブル崩壊はすでに始まっている。地方都市ではインフラ過剰投資と焦げ付きで犬も走らない道路や人の住まないゴーストタウン、誰も立ち寄らない巨大ショッピングセンターなど死屍累々である。

 

中国の実際の景気を計るバロメーターとして使われるのが鉄道貨物輸送実績であるが、これによるとすでに中国ではモノを作っても誰も買わず工場に放置されたまま売上だけ計上する水増しが急増して表面的には経済成長7%とか言ってるが実際にはすでにマイナス成長に転じたと言われている。

 

そして人民の銀行からの借入で買ったアパート群が転売しようにも誰も買わずまさにバブルが崩壊して最後の引き金は銀行の不良債権積み上げが表面化するのを待つだけという状況である。

 

世界との貿易取引量が増加しているというが実は香港を利用した循環取引であることがつい数日前に暴露されて中国政府もついに開き直って「対香港貿易は対前年で1%しか伸びてない」ことを発表した。1%も本当かどうか怪しいところだが中国の出してくる数字をまともに受け取る関係者はもういない。

 

中国でバブルが崩壊すれば次に起こりえるのは人民の反乱であり地方の少数民族独立の動きである。どちらも中国政府にとっては致命的な問題となるが、そうなると天安門事件のように解放軍を表に出して徹底的に人民を攻撃することになるだろう。ヘタをすれば習近平体制が吹っ飛ぶどころか1900年代初頭のような政府不在で地方軍閥が割拠することになるだろう。民主化など消え去ってしまい、古い、昔の中国に戻ってしまうだろう。

 

そうなれば日本敵視政策が強化されるし北朝鮮が独自の軍事行動を取る可能性もある。北朝鮮が核武装して独自の軍事運動を取れば米国は自国安全保障のために何らかの理由を付けて北朝鮮に攻撃を加えるだろう、日本という不沈空母を使って。

 

また経済面から見ても日本が中国から東南アジアにシフトを始めているが、もしこれが間に合わずに中国バブル崩壊による大津波に飲み込まれた場合、多くの日系企業が倒産するだろう。

 

米国は19世紀からの英国の外交を引き継いで20世紀は世界の警察としての位置を確保していた。しかし21世紀になって英国→米国の世界体制を三極体制(米欧中)に移行させようとする方向性があった。

 

しかしそれも中国が力を付けてくれたらという話であり習近平体制が古い共産中国に戻るのであればこれ以上中国に協力することは三極世界体制を不安定にすることでありアジアが不安定になるくらいなら政策変更して中国ではなくアセアンを中心とした体制に切り替えるほうがましである。

 

このように北半球は常に政治的リスク、経済的リスク、戦争リスクを抱えた半球である。どこであれ何らかの危険があるのだ。自国で起こってない対岸の危機があっという間に自国を国家的危機に追い込むのはアジア危機が韓国を巻き込み経済を崩壊させリーマン・ショックが世界中の経済をめちゃくちゃに破壊し最近のギリシア危機が欧州危機に広がり日本にも飛び火したりだ。

 

日本人は一般的に平和ボケしているから今日の平和が明日も続くと思い込んでいるがそんなことは有り得ない。自国民を誘拐されても戦争一つ仕掛けることが出来ずそれでも日本は平和だと思い込んでいるだけだ。

 

隣国では日本の原発を相手のテロ計画まで持っている。本気になれば日本の原発などあっという間に破壊されるのだ。日本海側のつるが原発、玄海原発、新潟原発、どれも隣国の目標になりうる。それでも平和と思えるほど僕は勇気がない。

 

多くのサラリーパーソンは今日の仕事が明日も出来るだろう、まさか自分がリストラに遭うわけがないと思い込んでいる。しかし企業の論理は日に日に厳しくなり創造性のない人間は次々と解雇されていく。

 

北半球にいる以上、そして今の日本にいる以上何らかの危機は常に存在している。それは個人が個人レベルで防ぐことの出来ない危機である。日本がハイパーインフレになったら?増税が強化されたら?隣国が攻めてきたら?中国が崩壊したら?

 

ではニュージーランドの将来は?世界をこうやって見回してみるとニュージーランドは非常に安定した位置にある。小国であり周囲を海に囲まれており仮想敵国が存在せず戦争の危険もない。食料自給率は300%、原発はなくエネルギーは水力と石炭火力という自前のエネルギーですべて賄っている。水はもちろん豊富であり大気汚染が全くない。

 

そう考えて見れば個人が出来る危機回避策はまさに地政学的リスクが少ない国で居住する権利を持つことである。何かあればいつでも逃げることの出来る回避地(Haven)が必要なのである。

 

最近は米国からの投資移民が急増している。彼らは十分に危機意識を持ち何かあった時の為に自家用ジェット機でオークランドに飛んできて投資家ビザで永住権を取得して広々とした農家などの自宅を購入しておき米国とニュージーランドを行き来するのだ。

 

その代表格が映画監督で有名なジェームス・キャメロンである。彼は家族を連れてウェエリントン南部の牧場を買い子どもたちは地元の学校に通い本人は仕事があればハリウッドに飛んでいく生活を送っている。

 

インターネットが発達して飛行機が高速化して世界中を一日で飛びまわれる時代になれば、自分がどこで働いて家族がどこで生活をするかなんてのは大きな問題ではなくなる。であれば米国人のように仕事は米国で生活はニュージーランドで、日頃の連絡はeメールでという生活が可能になる。

 

自分が工場で働いててそんな事出来ませんと言うなら仕事を変えれば良い、それが出来ないなら地政学的リスクを抱えたまま生きていくしかない。

 

心配するのは電車が時間通りに来るかとか子供がちゃんと塾にかよって良い成績を取って大学くらいにはいけるかなんて事を悩んでいればよい、頭の上に馬の毛一本でぶら下がっているダモクレスの大きな剣など無視してじっと下だけを見つめて心配していれば良い、審判の日が来るまで。

 

ご質問を頂いたお客様はすでにニュージーランドの永住権を保持しておりご本人も日本の仕事を片づけ次第すぐにニュージーランドに渡航する予定だ。もし何かあれば家族だけ先に送り出すこともある。

 

日本人はとかく不安がっていつも不安不安と言ってるがそれって目先の足元の不安だけではないか?大地が揺らぐような大きな問題は大きすぎて現実感がないから富士山噴火も東海大地震も不安を感じないまま生活をしているのだが、実際は世の中がひっくり返るような大騒ぎになるのであるのは東北大震災を見れば一目瞭然である。

 

本当に世の中を冷静に見てしっかり事実関係を押さえていけば何よりも危険なのは何もしないことだというのが分かるだろう。

 

人間はどこであれ生きていく個人的な体力を持たねばならない。今の時代を生き抜く能力を持っていなければならない。それを何だかんだと理由を付けて平和の上にあぐらをかいて中年太りに言い訳をしていても現実は襲ってくるのだから、常にどこであれ戦って生き残る能力を持たねばならない。

 

だが大地が揺らぐようなときには個人がどう頑張っても勝ち目はない。その時はひたすら逃げるしかない、だからこそ逃げ込める場所を確保しておくことが必要なのだ。国家にしがみついて家族と共に倒れるか、自分の家族のために一生懸命生きるか?

 

いろんな予測が成り立つ。どこにいても危険は存在する。しかしそれは何もしないことの言い訳にはならない。

 



tom_eastwind at 21:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月20日

多文化主義は失敗した

★抜粋開始

メルケル独首相は自らのキリスト教民主同盟(CDU)の集会で「多文化社会を築こうという取り組みは失敗した。完全に失敗した」と述べ、党員から喝采を浴びた。多文化主義を支持してきたイギリスのキャメロン首相も「イギリス政府による多文化主義政策は失敗した」と発言した。

 

ノルウェーの首相を務めたことがある欧州会議のヤーグラン事務局長は「政治指導者は私たちの社会がより多様化している事実を擁護しなければならない」と述べ、EU主要国首脳が多文化主義に否定的な姿勢を示したことを批判した。

 

イスラムの拡大にたじろぐ欧州で極右は不気味なクモの巣を張り巡らしている。

http://blogos.com/article/63054/

★抜粋終了

 

多文化主義というのはおとなりの豪州でも主張されてきた考え方であるが、それは結局シドニーやメルボルンで中東やアジアから避難民としてやってきた移民集団と地元白人集団の集団暴力事件で分かったように、移民政策はきちんと政府管理されないままに人情や感情だけで受け入れをしても移民先の社会に根付くことが出来ないまま社会の最底辺にへばりついて世の中が悪いと言い続けてそれを言い訳に犯罪を起こすという事を明確にした。

 

そして地元白人は暴力や犯罪に走る外国からの移民に対して異常なまでの敵対心を持ち「お前ら帰れ!」とかやってるが、だいたいこのような白人は失業者であり低能であり日頃から暴力癖を持ち、もし移民がいなければ同じ白人に対して劣等感をいだき暴力を働いたり犯罪を起こしているだろうと思える連中が中心だ。

 

これは日本でも同様で現在新宿で行われている在日韓国人向けの「在特会デモ」など、まさにそうだ。新宿に住んでいる在日韓国人からすれば結構身近な恐怖ではないだろうか。満州からの帰国者の子どもたちが東京でギャング団を作って暴れているのも同様だ。

 

米国ではダイバーシティ(多様化)という考えがある。それは民族がひとつだけの思考回路にはまってしまうと進歩がなくなったり変化についていけなくなるし新しいことを創造する力が社会から薄なわれるという考えだ。

 

米国は元々が移民社会であり社会全体の宗教的合意、同一の価値観などが存在しない。一応キリスト教国家であるが人々は他人に迷惑をかけない限り何を信じても良い。だから価値観の違う人々を規制するために最低限の法律を作り居住者に強制するのだ。

 

ところが豪州や欧州の多文化主義は、今既に主要民族がいて彼らの言わなくても通じる価値観が完全に社会に根を張っている場所に全く違う価値観の人々を押し込んだものだから既成の価値観と新しい価値観がぶつかり合ってそれが人種問題、ひいては暴動に発達した。

 

僕自身がニュージーランド移民でありつつこのような事を言うのもおかしいかもしれないが、ぼくは日本が欧州や豪州のように単純に移民を受け入れることは賛成ではない。日本の価値観の違いは世界の中でも本当に特殊である。

 

別に日本人だから日本を特殊に見るという意味ではなく、いろんな国を渡り歩きいろんな人種の人々と様々なビジネスをしてきた結果として「本当に日本人は特殊だ」という結論に至ったのだ。それは文化が遅れてるとかなら特殊ではなく単なる成長過程なのだがそうではなくて異次元という意味で特殊なのだ。

 

これを書き始めると長くなるので割愛するが、そのような特殊な価値観が日本の社会の隅々にまで染み込んでいる日本に、全く価値観の違う人々が大挙してやってきたらどうなるだろう?

 

現在は労働者ビザを発行するにしてもかなり絞り込んでいるし永住権取得は非常に難しい。だからこそ選ばれた少数の外人は何とか日本人の習慣を学び馴染もうとしている。少なくとも母国に帰った時に日本の文化を説明出来る程度には。

 

しかしそれも彼らの数が少ないから彼らが溶け込んでくれるだけであり一つの地域から一気に違う価値観の人々を送り込んでしまえばそれこそ今の東京の残留孤児の子どもたちのように同じ価値観を持つ集まりのギャング団になってしまう。

 

人口減少というがそれでも日本は12千万人いる。これが2050年に減少すると言っても8千万人いるのである。それに比べてニュージーランドはたったの400万人である。横浜市くらいの人口しかいない。それでもニュージーランドは経済的にもうまく回っているのだ。

 

だから人口が減少するという点だけを問題にして多文化主義などと言って制限を緩めて移民を受け入れるのは拙速にすぎる考えだと思っている。優秀であれば受け入れればよい、そうでなければ数合わせで移民を受け入れた場合、とんでもない騒ぎを抱えることになる。

 

ぼくは日本が強い国家であるのは経済力もあるがやはり産業開発力や技術開発力など実は人口に関係のない部分が多いと思っている。

 

一度受け入れた移民は簡単に追い返すことは出来ないのだ。多文化主義と聞こえは良いが、やたら外人の真似をする前にそれらの諸国で移民を受け入れた結果がどのようになったかを再度検討してみれば良いと思う。

 

追加で申し上げれば、日本の価値観が合わない日本人、例えば社民党の皆さんや民主党の左巻きさんはどうぞ遠慮なく中国の永住権でも取得してとっとと渡航してくれれば良いと思ってる。

 



tom_eastwind at 21:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月19日

レストラン カワゴエ

 

***記事抜粋開始***

川越シェフが神妙な表情で謝罪した。17日の「とくダネ!」で、一連の騒動について「ボクが生意気でした。誤解をまねいてしまったようで本当に申し訳なく思っています」と頭を下げた。

 

 騒ぎの発端は5月19日に公開されたウェブ雑誌でのインタビュー。東京・代官山で経営するイタリア料理店「タツヤ・カワゴエ」が、飲食店評価サイトで「注文していないのに水代として800円取られた」などと批判されたことに反論した。

 

 「くだらない。人を年収で判断してはいけませんが、年収300万−400万円の人が高級店の批判を書き込むこともある」と持論を展開。さらに「そういうお店に行ったことがないから『800円取られた』という感覚になる」と、過激な言葉を並べた。

 

 この発言をめぐって、ネット上では川越氏への批判の声が相次いだ。「低所得者は店に来るなということか」「差別」「上から目線過ぎる」などの内容の書き込みが飲食店評価サイトのブログに数百件寄せられ、炎上する事態に発展した。

***抜粋終了***

 

この手の日本国内記事はあまりネタにしなかったのだが、今回のは少し論点整理が必要では?と思ったし僕自身香港で本当の地元店にもしょっちゅう通ってたので、その時の食事体験を思い出しつつちょっと香港やニュージーランドの状況を含めて考えを整理してみた。

 

それは人々が認識を共有している社会通念とはいかなるものか、もう一点はお店は客を断る権利はないのか?という二点である。

 

まず最初は注文してない料理でも何も言わずに食べてしまえばそれは請求されるということだ。食べたのだから払うのが当然、もし違うと思ったらその場で指摘すべきである。指摘せずに食べたらそれはOUTです。

 

これは香港でもニュージーランドでも同様だ。店が間違って料理をだすことはある。しかし自分が注文したものは自分が理解しているのが社会通念であるからビーフステーキを注文してサーモン照り焼きが出てきたら、そりゃ違うって指摘すべきでしょ、それが顧客の社会常識であるべきだ。

 

ではそれが水だった場合?これも社会通念の問題だ。椅子に座り何も云わないで通常出される水は水道水(タップウォーター)である。ミネラル水やスパークリング水(しゅわしゅわしている炭酸水で欧州系は大好き)の場合は有料であり注文しない限り出てこない。イタリアの水などは500mlで800円くらいする。

 

それが社会通念上例えばとんこつラーメン屋のテーブルにおいてある水は無料だと誰も認識しているので、ラーメン屋でバケットの水を飲んでらーめん代金払おうと思ったら更に水代請求されたようなもので、そりゃま怒るわな。800円が高いか安いかの議論ではない。

 

ではカワゴエの場合の社会通念は水は有料ということだろうか?しかしそれは社会通念上は一般市民の認識が共有されているとは思えない。

 

そう。ここがポイントだと思う。一般市民は社会通念上注文していない水は無料という認識を持っているがそれがカワゴエの場合に適用されるかどうかだ。

 

この場合ニュージーランドではFaithという原則が適用される。誠意という意味でありビジネスを行う際に適用される最も大事な原則だ。この場合で言えば「お店と社会通念の異なるお客」を受け入れている以上、有料であることを伝えなかった店側の責任となる。

 

社会通念の異なる客を受け入れたくないなら最初からそう表記すべきである。例えば高級レストランでは食事を楽しむお客様に雰囲気も楽しんで頂きたいと「お子様お断り」としている店がある。間違ってそういう店に行った場合、「お子様はドギーバッグ(持ち帰り用包)をご用意します」と言われて帰らされる。

 

またドレスコードと言ってお店によっては男性はジャケット着用と表示されておりジーンズ禁止というのもある。ドレスコードとは店に来る客が店と同じ価値観を持ってもらうための手段である。

 

社会通念の異なるお客を受け入れるなら、そして水が有料ならメニューにそう明記すれば良い。「当店ではお客様の食事を最大限お楽しみ頂く為に水は名産地のものを使っております。本日の水はxx産で価格は800円です。不要の場合は予めお申し付け下さい、水は一切だしませんから」

 

最初からそうしておけばこの問題は発生しなかっただろう。それでも「水が有料とはおかっしいい!」というなら予約をお断りすれば良い。

 

カワゴエの水、ぼくの場合はディナーの出来上がりが良くて喧嘩が面倒なら「それくらい良いですよ」と払うし喧嘩したければどんちゃん騒ぎをする、どっちになるかはその夜のお店のディナーの出来上がり全体による。

 

次に年収の件だが「貧乏人は来るなってことか?!」なんて書き込みがあったが、まさにそうだろう。日本人ビジネスパーソンが現在忘れている一番大事な認識がある。それは店には客を断る権利があるということだ。

 

ぼくは個人的にこのような発言をするシェフの店で食事をしたいとは思わない。しかしそれでも自分が高級店であるいう認識を持っている人が高級店でありたいと発言する権利だけは認めたいと思う。

 

何時の時代からか、日本人はすぐに「お客様は神様です」という習慣が染み付いてしまい、神様と呼ばれたバカな消費者は自分の事を本当に神様と思い込み初めて行った店の料理に匿名で偉そうにケチを付けるようになった。それが更に食べログなどで炎上するようになり、そうなるとお客様を神様と呼ばない店のほうが悪者になってしまった。

 

料理といえば塾帰りの仲間とウンコ座りしてコンビニ飯しか知らない貧しい舌の若者が高級フレンチで鴨のテリーヌを食って「まずうい!」というようなものだ。子供に理解出来ない味は存在する。子供がまともな食事もせず温かい家庭料理も食べたこともなく成長したような大人子供に評価して貰う必要はない、そう思っている店も多いのではないだろうか。

 

初めての客がお店の値付けに口を出すのは基本的にご法度だ。法律違反ではないが社会通念上お互いが平等である限り客は「二度と行かない」ことで自己決着するしかないし店は「客が来なくて経営やばし」で値段下げるかそれともその値段でも飲む客がいてその後も経営めでたしめでたしで終わるかどうかだ。

 

ぼくは基本的に自分の考えとして他人が付けた値札を尊重するしその値札には相手がそれだけの価値があると見出したと思っているのでその値札を値引きするなどという事は思いもよらない。その値段で買うかそれとも立ち去るかだけが選択肢である。

 

それなのに原価も知らない客があーだこーだと口をだすのは行き過ぎではないか。まさにカワゴエの主張する通り「うちの店は高級なのだ、だから年収の低い人は来るな」が正解なのだ。ただそれを最初から堂々と店のポリシーとしてウェブサイトやパンフレットや店の入口に表示しておくべきなのだ。

 

え?表示したら潜在顧客の取りこぼしがーとか表示したらそれをネタに叩かれるのでは?と思うなら店の社会通念を客の社会通念に合わせれば良い。水を無料にしてジーンズOKにしてちっちゃな子連れOKにして全席終日喫煙OKにして安い値段でも利益の出るような食材に切り替えればよい。そうすれば確実に上客は消えていくから。

 

要するにお店が自信を持って自分の経営方針を明確にして潜在顧客に媚びずに商売をすれば良いだけなのだ。自分のポリシーを貫くつもりなら失うものもあるが得られるものも多いはずだ。もし料理が旨くてサービスが良くて雰囲気が良ければ上客が集まる筈だ。

 

社会通念を大事にしつつ誠意を持ってお客に対応して自分の責任で尚且つ自分の店のポリシーを貫く、日本の高級レストランであってもらいたいと思う。

 

ちなみにぼくはこの店に行った事がないので「美味しい」から流行っているのかシェフがハンサムだから流行っているのかテレビに出てるから流行っているのか分からないので現在の客層がどこを目指しているのかは分からない。あくまでカワゴエという店を例題にしつつ本来の高級レストランのあるべき形を書いたものだ。



tom_eastwind at 15:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月18日

タスマン雷雨

先週末はタスマン雷雨がニュージーんど全土を攻撃して、オークランドの日曜はまさにバケツの底が抜けたような土砂降りの雨と強風に覆われた。おかげでお客様ご自宅の太い木の枝が裂けたり地区によっては停電も発生、ぼくはこの日は外に出る用事がなかったので自宅でじーっと本読んでた。

 

さて小学校のお子様の学校に関するお問い合わせを頂いた。ニュージーランドに移住した家族でも子供を毎年日本の小学校に一定期間入れる人がいる。問い合わせの方は毎年1学期を日本で過ごし残りをニュージーランドという事だ。

 

でもってご質問は「二つの国の学校に通わせることが良いのか?中途半端になるのかそれとも両方の教育が受けられて良いのか?」だった。

 

結論から言えば「その子次第」だと思う。「これが絶対正しい」という答えはないと思う。

 

小学校の役割は個性を伸ばすことよりも社会で生きていくのに必要な最低限の基礎教育を身に付けさせる事であり小学校にいる間は両方の経験をすることで両方の良さと悪さが理解できる。その意味で両方の学校に行かせる事が出来る環境ならそれも良いと思う。例えば日本の学校では他の科目が弱くても英語の達人と人に評価されて成功体験を学べるかもしれない。

 

ただそれもその子の受入能力がどれだけあるかなのがポイントだ。あまり受け入れ能力の広くない子供が親の押し付けで両方の国で学ばせようとすると反発して、どっちの学校も得るものがなくなるどころか心が曲がってしまう可能性がる。英語が出来ると言ってもそれを威張るようでは日本の学校で友達から「威張るんじゃねーよ」と反発を食らって登校拒否になるかもしれない。

 

個性を伸ばすのは小学校を終了して中学に入る頃になってやっと進路とかやりたい事を考えるようになるのでそれまでの成長の素地をニュージーランドで構築して基礎学力は日本で学ぶ、くらいの感覚で良いのではないだろうか。ただそれも何度も書くが子供次第であり絶対これが良いなんてのは存在しない。

 

それと付け加えて言えば小学校の頃に日本語、とくに簡単な文章と簡単な漢字を覚えておくと、後日日本語を再度きちんと勉強する時の読み書きに役立つ。これは親から習う日本語と根本的に違うので小学校の勉強とその後の親との会話を日本語でこなすとやるだけでかなり有利だ。

 

だから小学校の間ってのはいろんな経験を積むのも良いと思う。ただ中学に入ればあちこちの国の学校に行くことはお勧めしない。好きな事を一箇所でじっくりと時間をかけて学べば良いと思う、少なくともそれはTVゲームではないが・・・。

 

ただ本当に親が押し付けをするのだけは止めておいた方が良い。感受性の強い子供は行きたくもない学校だと腹痛を起こすわけで、それが子供のためと思うのは自分の出来なかった夢を子供に押し付けるバカな親のわがままにしか過ぎない。

 

ぼくが見てきたある日本人の家庭では子供は毎日厳しい授業の後にバイオリンやピアノやなんやらかんやら楽器ばかりやらされてしょっちゅう泣いていた。結果、その子は親にも周囲にも心を開かずに悪い女友達と毎晩遅くまでパーティに行くことだけが慰めになったようだ。それはこの国では身を持ち崩す事につながる可能性が高いのも事実だ。一体何の為の子育てなのだろうか?

 

教育に関しては様々な考えがあるが、1つだけ明確な点があるとすれば、子供は親の所有物ではなく、あくまでも神様から授かって社会と本人のために親が犠牲になってでも育てる社会の宝だという事だ。

 

日本では子供は親の所有物と周りにぎゃーぎゃー言いながら自宅で虐待して殴り殺したり、炎天下の車の中に赤ちゃんを放り込んだままパチンコ狂いをする母親がいる。病気なら子供を手放せと言いたいが、それを言うと「子供はあたしのよ!」と狂いだす。

 

止めることの出来ない周囲。結局すべての虐待は子供に向かい命を失ったり一生の病気に罹ってしまったりする。それはすべてにおいて子供が親の所有物という事を社会全体がなんとなく認識しているからだ。

 

ニュージーランドでは子供は社会全体が守るという考え方が徹底しており、親に扶養能力がないと周囲が判断すれば親から取り上げて施設へ移す。13歳までは子供の一人歩きは許されず、もし子供が一人歩きしていたり自宅で一人でいたりすれば親が子供の養育を怠ったとして逮捕される。

 

日本からすればお節介に見えるかもしれないが、こちらからすれば「じゃあ放置しておいて親が子供を殺したら、お前さん、責任取れるのかね?」となるのだ。

 

これは子供が社会の宝、社会共有の大事な宝と認識されているからだ。社会保障が充実していて、あまりの充実ぶりに時々僕ら納税者として腹も立つが、それでもその子供を放置しておくことなんて出来ない。それが人間であろう。

 

話はそれたが子供の環境つくりは親の仕事でありある程度の年齢までは親が導く必要があるが、嫌だという事を無理やりやらせても嫌な思い出しか残らない。子供は何よりも親と自由が好きなのだから。

 

さ、オークランドを襲った雷雨も月曜日の午後には抜けたようで次第に青空が見えてきた。けど南島は今週一杯は雪と大雨に打たれそうだ。

 

水曜日から南島のクイーンズタウンに3日間の出張だ。この街はすでに5組のお客様をご案内している。皆さん永住権を取得出来た。これから取得しようとするお客様は3組。今回はこの方達の戦略作りである。

 

地元のコネクション、ご本人の経歴、周囲の受け入れ体制、ビザ上の問題、そういうのを一つづつパズルをはめるように組み立てていく。すると僕の頭の中でいつの間にか一つの家が見えてくる。立体的に浮き上がったその家が見えてくる。

 

こんな話がある。ある彫刻家が自分の身長よりも大きな石をノミで削っている。ある人が聞いた「あなたは何をしているのですか?」すると彼は答えた「わたしは石の中にいる美女を掘り出しているのです」彼には石を掘る前からすでに完成後の姿が見えているのだ。

 

僕の場合相手は美女ではないし大きな石でもない。夢の組立て工である。移住するための様々な部品は、学歴、職歴、特技、英語力、趣味、家族構成など、そして最後の仕上げに何よりも家族の希望する生活スタイルなどがあり、その各部品を手にとって見てから組み立てを始める、仕上げを最終目標としながら。

 

この、各部品を組み立てては壊してまた組み立てて、同時にご本人に何度か面談を繰り返しているうちに次第にその人の未来が見えてくる。この人はたぶんこうなるだろうな、これでご本人は良いのかな、途中で何度も会話をしながら頭の中で完成品を作っていく。

 

こうやって出来上がった素敵な自宅の立体絵は僕の頭の中にしかない。これはもう今まで長い間他人の話を聞きイメージを作り見えないものを作ってきた経験によるとしか言えないが、完成形はぼくの頭の中にはあるが他の人が見ることは出来ない。

 

この家を建てるために愚弟的に部品を組み立てる手順を書いた設計書が時系列で出来上がる。まず最初にこれをやって次にこれをやってと、ぼくはこれを勝手に移住工程表と呼んでいるがこの工程表に従って一つ一つ作業を順々にこなしていく。

 

お客様は最初は何がなんだから分からず付いてきながら、途中で「本当にこれでいいの?」と思う時もあるが、その都度状況を説明して継続する。そのうち周囲の環境が変わってそのままの組立ではダメになる時があるがそういう時は今ある部品を幾つか取り除いたりほかの部品を新たに加えたりしながら当初の目標に向かって進んでいく。

 

途中で環境が変わった場合、大体において弁護士はギブアップしたりするが、ぼくはこれがない。何故なら弁護士がやっているのは単なる書類仕事であり方向性が見えてないから周囲の環境が変化した場合対応出来ないが、ぼくは方向性も完成形も見えているから対応出来る。

 

長い旅であり時には苦しい時もあるが、移住とは出口の見えない暗い森を力強い意思でくぐり抜けた人だけが見える青い海である。

 



tom_eastwind at 15:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月17日

そうだ、地球に納税しよう!

 

 

***記事引用開始***

英国の北アイルランド・ロックアーンで17、18両日に開かれる主要国首脳会議(サミット)では、国境を越えて活動する企業の課税逃れ阻止が主要議題の一つになる。各国が財政難に苦しむ中、財源不足に拍車をかける租税回避は深刻な問題だ。サミットに参加する主要8カ国(G8)は、経済協力開発機構(OECD)を通じた新たなルール作りなどで合意する見通し。ただ、対策の具体化には2〜3年を要するとみられる。

 海外では、米アップルやインターネット小売り大手アマゾン・ドット・コム、コーヒーチェーン大手のスターバックスなどが課税逃れとの批判を浴びている。

2013/06/15)時事通信より

***記事引用終了***

 

国境を越えて活動する企業への課税逃れというが、そのような企業はすべての国の法律は順守しているわけで法律の認められた範囲内での作業であるから本来各国にどうこう言われる筋合いはない。

 

各国政府もそれが分かっているから現時点で課税のしようがない。だから課税逃れなんて書いているが本来その国のルールに従っており納税の必要がないわけであり逃れているわけでもない。

 

課税とは国家が行う国内活動でありその効力は国家をまたいだ他国に影響を与えることは出来ない。だから自国から出て行ったお金を追っかけていくために「国際的なルールを作る」というが、受け入れをする国はその会社が払う税金で儲かるわけであり、受け入れた国が不利になるような条約に合意するわけなどない。

 

21世紀になり実質的に国際企業にとっては国境が無くなっておりどこでも自由に移動出来る時代になった。なのに法律は国家が国境という壁で隣国と阻まれていた時代に作ったものをそのまま使おうとするから問題が出てくる。

 

だから本来なら社会の実態に合わせて納税の方法も構造変換すべきである。例えば世界をまたぐ国際企業に関しては本社の場所に関係なく課税できるように地球税務署を作る。ここが一括して国際企業に課税して各国の実質的活動に応じて配分するなどの国をまたいだ政策である。

 

その先にあるのは地球全体の利益を考える思想だ。地球政府を作り各国政府は今の米国の州のような位置づけにして、納税や防衛は地球政府とするくらいの事を考えて行かないと国家の未来はない。

 

政府と企業の位置づけが21世紀になって思いっきり変容しているのに税法が20世紀のままで政府もそのことを知っているから法律を変えようと言うことだろうが、けど一番大事な点を書いてない。それは、21世紀の現代においては企業にとって国境など意味はなく、どこに本社を置くかというのは企業の最大限の利益を考えた時に当然の行動だという事だ。

 

課税逃れという前に自国の法制度をもっと企業にとって魅力的にすれば良いだけだ。高い税金を取ってもそれに見合う国家サービスを提供してくれれば良い。ところが現状は税金だけ高くてサービスは低く、企業に対してまるで奴隷のような扱いで税金をかっぱらって行く。

 

お前ら政府が何やったって言うんだよ。どれだけサービスを提供しているんだよ、何を偉そうな顔で納税納税なんて言ってんだ。まずお前らは国民の税金で雇われた公僕であるという認識をしっかり持った上でまず国民に何が出来るかを考えるのが先だろう。

 

スターバックスの租税回避行為が悪いという前になぜ彼らが租税回避をするのかよく考えて欲しい。企業とは利益追求をする組織だ。もし企業にとって利益だと思えば租税回避をするしもし租税回避をするよりも税金を収めた方が理に適うと思えるなら当然そうする。

 

つまり今の法人税などの税制は企業からすれば費用対効果が合わないのである。合理的でないのだ。国家が本来すべきは個人や法人に対するサービス向上である。それが出来てないから面倒くさいけど租税回避行為を行うのだ。

 

そんなもん、腹をすかせた野良猫の前に鰹節を置いて「食うな!」って言ってるようなものだ。相手の習性をよく理解して対応するのが一番問題のない処理方法であろうに、彼らが一番反発したがる方法で課税をするから逃げるのだ。

 

猫も生き物だ、自分のプライドもあるし企業だって税金を払って飼っている役人に手を噛まれたら怒るよ、普通。さらに言えば、指摘されたような国際企業は実際の業務を行い人々に食べ物や幸せを提供している。そうして実際に一定の納税も行なっている。

 

ところがそうやって納税した金がなぜ大手銀行の救済の為に使われるのだ?彼らは儲かる時はしこたまボーナスを取り一旦企業が危機に陥ると国が救済する。ではスターバックスは米国政府が救済するのか?頑張って稼いだお金の使われ先が政府の産軍共同体への無駄金とか銀行救済ではバカらしくて税金払う気がしないのも当然であろう。

 

このあたりそんな事やっても国民が大人しく付いてくるなんて考えている政治的センスがないのが官僚である。そしてもういっこ大事な問題がある。それは各国政府が今回やろうとしているのは企業の利益をどこの国がいくら取るかの分捕り合戦でしかないという事だ。

 

自分は何の努力もせずにリスクを取って働いて利益を出した企業から各国政府がリスクを取らずに金だけ持って行こうって行為はビジネスマンにとって有り得ない選択肢である。

 

企業は活動を通じて利益を得るが、それは一つのパイでしかない。その多国籍企業から各国が自分の取り分を出来るだけ増やして税金を取ろうとしてサイズの決まったピザを奪い合うような行為が汚いと思わないのか?まさに恥を知れと言いたい。

 

それよりも各国政府が考えるべき事は、いかにすればパイを大きく出来るかだろう。サイズの同じパイを奪い合うよりもまずパイそのものを大きくすれば政府が受け取る報酬も自然に増加する。つまりパイを大きくする政策をまず考えるべきではないか。

 

パイを大きくする作業は考えずにパイを奪う作業を国際的に税金使ってやるってのも、何とも非生産的な話である。

 

だったらいいよ、お前の国でリスク取ってお前の国の国民の雇用を生んで商売して、それで儲かったらばっかみたいな税金払わされて損したらこっちが全額負担なんてくらいなら最初からお前の国なんて進出しないよって話である。



tom_eastwind at 13:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月16日

創造力と椀力と

面白い記事を見つけた。最近将棋の棋士とコンピューターが対戦してコンピューターの方が優勢だったというネタを元にいろんな人がいろんな意見を述べている。

 

中には「機械は敵だ」みたいなアメリカのクリスチャンもいれば機械と人間の働く場所を住み分ければ良いという考えもある。

 

ITを導入してもそれだけでは役に立たない、結局それを解釈し運用するのは人間なのだ、創造性を担うのは結局人間なのだ」という意見を読んで思わず受けた。というのはこの方の書いていることはまさに正論スリランカであり、同時にそれって今の日本の教育を完璧に否定しているってことなのだ。

 

だって日本の教育とは子どもたちを箱に押し込めて皆同じような形に押し出して創造性を潰すことであり受験勉強を通じて「答えは一つしかない」と決めて子どもが自由に解釈することを拒み機械の部品のような人間を創りだすのが教育だからだ。

 

だからこそ殆どの日本の子どもは大人になって自由を与えられても自由にものを考えることが出来ずにいつまで経っても「会社が何も教えてくれない」とか「ぼく、何をやったらいいか分からない」ということになる。

 

20世紀の人間部品時代はまさにチャップリンの映画に出てくるような時代だった。それが21世紀になると機械のような仕事はそのままに機械が出来るようになった。将棋の世界でもチェスの世界でも機械が出来るようになった。

 

その好例がコンピューターとインターネットである。郵便配達の仕事が少なくなったのも各種手続きがオンラインで出来たりお正月の年賀状もeメールで送れるようになったり通販がいちいちカタログを郵送しなくなったからだ。

 

他にも自動計算能力が発達すると通常の経理職員は不要となり書類整理係も不要となり多くの作業が機械にとって代われるようになった。

 

では残された人間の仕事とは?それは他の人も指摘するように創造性である。機械を使ってどのような事を実現させられるか、そういう事を考えるときには創造性が必要となる。

 

では今の日本の子供達はどうだろうか?創造性など自分勝手な事を一般市民に考えられては困る人々、つまり一般市民を無知無気力なままにしておきたい支配層は子どもをちっちゃい時から箱詰め教育に浸しておき自分で考える能力を奪い企業が労働者を使いやすいように毎年3月に卒業させて4月から入社、そして最終的に会社研修を通じて完全に社畜化することで「会社に役立つ会社員」の一丁上がりである。

 

しかし日本国内でそんなことをしても一度世界に出てしまえば全く通用しない。

 

何故なら欧米企業は合理的な考え方をするから多くの仕事は文句を言わないし賃上げを要求しない黙って働く機械に取って代わられた。

 

人間に要求される仕事はどうやったらもっと仕事を増やせるかとかどうやったら合理的に仕事を組み立てるかとか創造性が必要とされる仕事であり合理的な社会では合理的に給料を払う代償として創造性によって仕事を創りだす人材が必要とされるが、その能力を欠いたまま社会人になった日本人は日本国内以外では全く通用しないのだ。

 

子どもの教育を考える親は多い。しかしその親自身が自由に考えたり想像したりする能力がなければ子どもに言うのは「もっとたくさん勉強しろ!」しかない。

 

創造性がない親は子どもに教えることが出来ない、「なぜ勉強が必要なのか?子どもが将来社会に出た時の競争相手は誰なのか?競争相手が日本人だけではない世界がネットを通じて広がる中で世界で必要とされる教養とは何か?競争の必要としない想像力を伸ばすためにどうすべきか?」。

 

結果的に口を開けば「勉強しろ!親の言うことを聞け!」しか言えないからそのうち子どもも親をバカにするようになり結局バカはバカを作り出すことになる。

 

それでも日本国内であれば仕事があるじゃないかと思うかもしれないが、それは20世紀の発想である。21世紀の現代は国境の壁がますます低くなり今まで中流階級社会人が手作業で行なってきた「作業」は次々と機械に取って代わられるし人間しか出来ない仕事でも賃金の安い中国や印度に外注することで国内の労働は海外に出て行ってしまった。

 

日本の賃金は能力の割に高すぎるから外国に仕事が流れていくのだ。自分が低賃金と思っている人でも中国や印度から見ればまだ高いのだ。そして中国の次に続くのが更に賃金の安いベトナムやミャンマー、カンボジアである。

 

そうなると日本国内に残る仕事はコンビニのレジ係りとか車の運転手とか映画館でポップコーンを売るようなサービス産業か創造力で仕事を作り上げる高級管理職しかいなくなる。

 

そのような社会で果たして創造力もなければ労働力もなく腕力もない人間がどのような仕事に就けるだろうか?そして自分の子どもがそのような立場に追い込まれないと誰が保証出来るだろうか?

 

ではコンピューター社会の中で子どもが生き残れるようにするにはどうすれば良いか?それは機械に取って代わられない仕事力を身に付けることしかない。例えば一流レストランの一流シェフ、映画俳優、高級理髪店の理容師?美容師?、ホテルマン、弁護士、医者、国際税理士等など専門職であろう。

 

しかしそのような仕事はすべて創造力が要求されるしプロ職人として知識が必要である。さあ、あなたの子どもは将来何になれるか?

 

創造力と椀力。あえてお椀の椀という字を書いたのは飯を食える力、つまり実務作業能力全般を含めた意味だ。

 



tom_eastwind at 16:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月14日

ヤマザキ、天皇を撃て!

http://www.visionofhumanity.org/pdf/gpi/2013_Global_Peace_Index_Report.pdfの5ページ参照) 間違いないと思います。オーストラリアがスイスやフィンランドより平和というのも少し違和感がありましたし、個人的には納得のいく順位です。ちなみにオーストラリアは16位でした。

***

 

読者の方よりご指摘を頂いた。オーストラリアの順位に関してである。ぼくは中央日報の記事から引用して他にもひとつの新聞記事を見た時もオーストラリアと書いてたし元ネタが豪州シドニー発なので身びいきなのかな、まあいいやと思ってたが、ご指摘の元ネタではオーストリア、そうだな、冷静に考えれば豪州がそんな上位に来るものおかしいなと思って検索したら、確かにオーストリア。失礼しました、お詫びと訂正をしておきます。

 

ところで「ゆきゆきて、進軍」というドキュメンタリー映画を観た。日本でも普通のお店には売ってない、かなり希少な作品である。Amazonで購入して東京の定宿に送ってもらいやっと入手出来た。

 

主人公は奥崎謙三というどこまでも自分勝手でアナーキー気取りでありながらその行動は無茶苦茶に社会に頼って生きている人物だ。激戦地のニューギニアで生き残ることが出来た、たった5%の人々の一人である。それくらい自分勝手でないとあの戦場で生き残ることは出来なかったのだろう。

 

ぼくの父もニューギニア東部から西部の戦いで有り得ない状態で生き残ってきた。例えばあなたが周りに100人の友達がいたとして5人しか生き残れない状態で、あなたはその5人になれるだろうか?うちの父親も自分勝手でわがままという点ではこの奥崎という人物と似ており、同時にどのような状況になっても生き残る数少ない能力を持っている。

 

元ウエワク残留隊隊長との対面の場面でも相手を怒鳴り殴りかかりまさに殺さんとする勢いであった、それもカメラが回っている中でしっかりと相手を押し倒して馬乗りになって殴りつけた、周囲に押さえ込まれるまで。

 

ウエワクはぼくの父親も暫く駐留していた場所であり、その後の撤収コースも殆ど同じだ。当時の兵隊からすれば今でも殺したい程に憎かったのだろう。多くの兵隊はそんな事を考えることもせずに考えようともせずに敵兵の弾で撃ち殺されたり前人未到の山の中で飢え死にしたり仲間によって銃殺されたりした。

 

そんな中で何とか生き残って来た奥崎謙三は戦後会社を立ち上げて商売をしていたが1965年に商売上のトラブルが元で不動産業者を刺し殺して懲役10年。

 

出所後の1969年正月、天皇陛下一般参賀の日に15m先にいた昭和天皇に向かって「ヤマザキ、天皇を撃て!」とパチンコ玉を発射した罪で16ヶ月の懲役。玉は天皇の足元にも届かなかったが彼の行動は日本中の人々の胸に様々な形で届いたと思う。ちなみにこの当時バルコニーには防弾ガラスがなくこの事件後防弾ガラスを付けるようになった。

 

その後は天皇の顔をポルノビラにコラージュした「皇室ポルノビラ事件」でも逮捕され懲役12ヶ月。こうなるともうどんな事でも罪が成立する。

 

その後も参議院選挙に立候補した後に(当然落選)ニューギニアの生き残りである上官の元中隊長が自分の仲間を銃殺した事を知って元部隊長宅に押しかけて本人が不在で対応した息子に改造拳銃を発射して殺人未遂で懲役12年。

 

ここまでいけば並の反逆者ではない、まさにアナーキストでも呼ぶか革命家と呼ぶか、それとも以上精神を持つキチガイというか、表現に困るほどだ。

 

2005年に死去。どうやら畳の上で死んだようだ。

 

昭和はすでに大過去になり昭和を知らない世代が次第に社会に増えてきたが、日本が経験した戦争とその被害者、それは戦死したり病死したり空襲で焼け出された人々、原爆で亡くなった人々、そのような人々が戦後の繁栄と何とか折り合いをつけながら生きていた時に、いつまでも徹底的に戦争に拘り自分の力のみで解決しようと平和な社会の生み出した文明の利器を使って戦った男がいた。

 

そのような歴史の生々しさを理解する、理解不能かもしれないが、日本が通り抜けてきた忘れられた歴史をふと垣間見るだけでも興味のある作品である。天皇の悪口をいう人はいるが天皇本人に向かってパチンコを発射した人物は過去におらず、おそらくこれからも出てこないだろう。月曜日から会社の本棚に仲間入りだ。



tom_eastwind at 16:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月13日

至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか

“平和な国”の順位、日本は6位、韓国は… 中央日報より

***記事開始***

世界で最も平和な国にアイスランドが選ばれた。豪州シドニーにある経済・平和研究所(IEP)は11日(豪州時間)、2013年世界平和指数(GPI)でアイスランドが1.162点を記録したと明らかにした。調査対象162カ国のうち韓国は1.822点で、昨年の42位から5つ順位を落とし47位となった。報告書は「韓国の場合、北朝鮮や日本など周辺国との緊張関係が、低い順位の要因」と説明した。

 

アイスランドに続きデンマーク(1.207)、ニュージーランド(1.237)、豪州(1.250)、スイス(1.272)、日本(1.293)、フィンランド(1.297)、カナダ(1.306)、スウェーデン(1.319)、ベルギー(1.339)が上位10位圏に名前を連ねた。

アフガニスタン(3.440)が最下位を記録し、ソマリア(3.394)が161位、シリア(3.193)が160位、イラク(3.192)が159位にとどまった。北朝鮮は3.044点で前年から2つ順位を落として154位となった。

***記事終了***

 

今週火曜日の午後自宅にたどり着き、水曜日から早速お客様を連れて弁護士事務所を訪問して投資家ビザ方向性会議、同じ事務所で別件の投資家ビザで打ち合わせ。木曜日は朝から社内会議やって外部と面談、昼飯は卵かけご飯を5分でかけこんですぐに国際税理士法人を訪ねて家族信託について2件続けて会議。

 

まったく、どこが平和な国家じゃい、もちっと時間くれやと言いたくなるがこれがぼくの仕事であり文句を言っても始まらない(苦笑)。

 

たまたま日本にいる間にある日本の税理士が「ニュージーランドでの相続効果はない」みたいな事を書いててちらっと読んだ。なるほどな、ぼくのやってるスキームの周辺だけコピー&ペーストした人が似て非なるモノを案内してて、そこにこの税理士からツッコミ入ってるんだなー。

 

習わぬお経を読むみたいなところが可愛いものだ。そのスキームやってみればよい、絶対に失敗するから(笑)。税理士さんは「この人日本の税務を全くわかってない」と書いてるが僕も税理士の説明するそのスキームを見た時に思わず笑った、そりゃだめっしょ税理さんも笑うよ、現実分かってない。

 

事このように、見かけの良い連中を人は信用するが君ら実際にそういうスキームを実行した事あるのか?やってみて税務調査入られたらどうするの?お客の代わりに税務署に行くのかい?

 

根性無しが目先の金儲けやろうとして失敗するのは今までもニュージーランドで見かけてきたが、せっかく海外に出たのだから日本人らしく「五省」で生きてみればどうだろう?

 

海外で生きるとは海外の人間の生活を物真似することではない。嘘をつく人種と一緒に住むからと言って自分も嘘をつくようでは日本人としての誇りが許さない、そう思わないのだろうか?仕事は手抜きをする人種と一緒にいるからと言って自分が手を抜いてしまえば楽だろうが恥ずかしいと思わないのだろうか?

 

「五省」

一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか

真心に反する点はなかったか

一、言行に恥づる勿かりしか

言行不一致な点はなかったか

一、気力に缺(か)くる勿かりしか

精神力は十分であったか

一、努力に憾(うら)み勿かりしか

十分に努力したか

一、不精に亘(わた)る勿かりしか

最後まで十分に取り組んだか

 

最初のヒントはもちろんひとの猿真似で良いと思う。けどそこから自分なりに改良したり試作品を作って試してみて問題点がないかを調べて耐久度調査もやって初めて人様に商品として提供出来る。その為には思いつきではなく最低でも1年くらい時間かけて調査すべきだ。

 

戦後のモノのなかった時代でも日本人はそうやって生きてきた。海外に出たら突然嘘つきや手抜きをするようになるのなら海外に出るなと言いたい。少なくとも日本人と名乗ることはやめてもらいたいものだ。

 

今回の出張でもオークランドに戻る機内で途中からまた小説の文章が全然頭に入らなくなった。思考回路が自動停止したようなのでずっと映画を見続けて、自宅に戻っても小説は一切開かず今回日本で買ってきた「現代柔侠伝」をひたすら読み続ける。

 

バロン吉元の柔侠伝は明治から大正の第一作、大正から終戦までの第二作、そして戦後の昭和を描く現代柔侠伝と続く。どれも連作であり日本の歴史を庶民の視点から政治テーマを繰り入れながら紐解く、当時大人気を博した作品である。

 

今の時代に置き換えればワンピースとかスラムダンクとかの感じだろう。明治以降の日本の歴史をさらっと読み返して俯瞰したい人にはおすすめな作品である。

 

あ、そう考えて見れば大の大人が出張から帰ったその晩から家族と夕食を毎日食えて食後に漫画を読めるなんて、やっぱり平和な国かもと思った。

 

 



tom_eastwind at 17:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月12日

子供の人権を守るハーグ条約まもなく発効

オークランドに到着すると真っ先に目に飛び込んできた記事が「ハーグ条約の国内手続き法成立」である。これで今年中には日本人女性による日本国内への子ども連れ戻し事件対応は一定の変化を見せるであろう。

 

国際結婚の離婚率が同国人同士に比べて高い理由は、まずお互いの両親や友達にあまり歓迎されないという原因があるだろう。けどこれを書くといつもの事で「うちは両親に歓迎されてます!」とか「皆に祝福されてー!」とか書き込みをする人が出てくる。

 

だがこれまたいつもの事だがこちらが統計で話をしている時に個別例外的なケースを持ってきて「お前は間違っている」というのは議論の基本を理解しない「」自分が自分が族」である。

 

他にも原因はある。まず結婚すればどちらが異国に移住するわけだが、例えばキーウィ男性が日本に移住した場合友達ができなくてけど積極的に日本語の勉強もせずに妻に対していつも甘えて「君はなぜ僕の寂しさを分かってくれないんだ、君一人だけ楽しそうにしている」などと泣き言を言う。

 

これはニュージーランドに移住した女性も同様であり、いつまで経っても地元社会に入り込めず異国で一人で寂しく不安になるのに、旦那はいつも男友達と遊びに出たり他のアジア人の女性としょっちゅうご飯食べに行ったりと、結局わたしって単なるはけ口だったの?という現実に気づいたりもする。

 

これはお互いがお互いの文化を理解しようとせず「私が私が族」になってしまい、私をかまってよ、私を大事にしてよ、あなたが私を理解してよとなりもともとお互いに自分勝手だったと気づき結果的にお互い思いやりを持たなくなり、それが離婚へ加速するエネルギーとなる。

 

本来なら相手の国の文化言語を理解する努力をすべきである。そうすれば何故その人がそんな行動を取るのかそんな習慣があるのかが理解できる。納得出来るかどうかは別次元だが少なくともなぜそういう事をするかが分かるだけで随分違う。そのような自助努力を怠りつつ相手が悪い自分が自分がと言っても自分勝手というものだろう。

 

それから目立つのがキーウィ男性による暴行、DVだ。この話もよく聞く。結局日頃ストレスに晒された事のないキーウィが生まれて始めて外国人妻と結婚してストレスを抱え、子どもが生まれてストレスを抱え、仕事がうまくいかずストレスを抱え、それが酒に流されてついつい手をあげるという事になる。ついでによくあるのが奥さんの友達に手を出すってのも離婚を加速させる原因の一つである。

 

これからもニュージーランドにやって来て白人と結婚する女性が増えるだろう。彼らが口をそろえて言うのが「たまたま好きになった彼がキーウィだったのー」である。疑問符が湧く。本当に将来を考えているのか?経済生活は?愛だけでは食っていけない。子どもの国籍は?両親がどこまでサポートしてくれるのか?

 

色々と考えることがあるはずなのに、なぜか勢いだけで結婚して子どもを作ってからとっとと別れて裁判所の手続きもせずに子どもを連れて日本に帰ってしまう。

 

もちろんこのハーグ条約がアジア人の家庭文化や考え方に馴染まないという基本的な問題はあるものの米国に押し切られたとはいえ決めた規則は守るしかない。

 

本題から逸れるが新聞は守るべき理由を「先進国でハーグ条約に加盟していないのは日本だけ」とか書いてるが「他がやってるからお前もやんなきゃ」という理論は日本人の同質化を訴求、つまり他人と同じ事をしなさいってロボット思考でしかない。

 

これで「おおそうか、白人もやってるのか、じゃあオレもやらなくちゃ」と思った人はかなり思考回路が一段階しかなく薄い証拠である。G8が白人社会であるわけでなぜ日本が文化的違いを乗り越えてそこまで同化する必要があるのか?そういう事を考えてみようとしないまま一段階で思考停止している。

 

本題に戻るとこれからキーウィ男性と付き合って出産まで考えるようになれば、万が一の事を考えて「お互いに愛し合っているうちに」やれるべき法律手続きは済ませておくべきだろう。

 

***記事開始***

国際結婚が破綻した夫婦間の子の扱いを定めた「ハーグ条約」に加盟するための国内手続き法が12日午前、参院本会議で全会一致により可決、成立した。条約自体は5月の参院本会議で承認されており、早ければ今年度内に加盟が実現する。主要8カ国(G8)では日本だけが未加盟で、欧米諸国から早期加盟を強く求められていた。

 

【日本人夫婦同士でも適用の対象となる】具体例元に解説

 

 条約は、片方の親が16歳未満の子を国外に連れ去った場合、原則として子をいったん元の国に戻し、両親が子の養育にどう関わっていくかを決める国際ルール。国内手続き法では、日本人の親が子を日本に連れ帰った際に、外国に残された親が子を元いた国に戻すよう求められる手続きを定めた。

 

 子を元の国に戻すかどうかは、裁判所(1審は東京と大阪の2家裁)で判断される。(1)残された親が子に暴力を振るったり、子の目の前で他方の親に暴行したりする恐れがある(2)親が元の国で子を養育することが困難−−のケースでは、返還を拒否できるとしている。

 

 返還命令が確定しても子を戻さない場合、裁判所は連れ帰った親に対し、子を返還するまで金銭の支払いを命じることができ、2週間たっても子を戻さなければ、執行官を派遣して強制的に子を引き離せることとした。

 

 政府は今後、条約事務局のあるオランダに加盟を申請。その約3カ月後に発効し、同時に国内手続き法が施行される。【伊藤一郎】

 

 ◇ハーグ条約国内手続き法の骨子

 

 ・片方の親に子を不法に日本に連れ去られた外国(条約加盟国)の親は、日本の外務省を通じて子の返還を求められる

 

 ・日本の親が自主的に子を元の国に戻さない場合、外国の親は日本で返還を求める裁判を起こせる

 

 ・1審は東京と大阪の2家裁で非公開で行われ、3審制

 

 ・子を元の国に戻すと、子や日本の親が外国の親から暴力を振るわれる恐れがある場合などは、裁判所が返還を拒否できる

***記事終了***

 

 



tom_eastwind at 16:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月11日

コハダの詩

こはだ

 

羽田空港でチェックイン後にレストラン街で寿司を食う。ガタガタと揺れる飛行機の中で飯を食うのはどうにも面倒くさいので香港までの約4時間とオークランドまでの約12時間、何も食べなくて良いように寿司屋を選んだ。

 

他にもすき焼きとかおでんとか蕎麦屋とか美味そうなのが軒並みで迷った挙句にこの店の前を三回くらい行き来して一回トイレに行ってゆっくり考えて結局寿司にした。すき焼きや蕎麦ならオークランドでも食えるもんなーとか適当に自分自身への言い訳だが実際のところ何の意味もない、要するに身体が魚を求めていたのだ。

 

入った寿司屋は見たところ普通の寿司屋なのだが何故かカウンターの手前にベルトコンベアがある。。。回転寿司?どうもそのようだ。しかしベルトは全く回っておらずすべてひと品づつの注文。この店、本店は銀座五丁目。

 

そういえば最近は注文で寿司を出す寿司屋が増えたって記事を読んだ。けど寿司ってもともと注文ベースではなかったか?などとしょうもない疑問を持ちつつオークランドでは食えそうにないネタを次々と注文。

 

んー、やっぱ旨い!日本だなーって感激だ。ただ寿司が来る度にお皿に盛りつけて来るのだが「すいません、うちは回転寿司なものでお皿で計算しているんですよー」と職人さんに言われ「あ、やっぱ回転寿司なんだ」と妙に納得。

 

それからもパクパクと食い続け、普段のぼくの食生活を知っている人間からすれば「嘘でしょ!」というくらい寿司を食った。お皿は最終的に15枚くらいになった。なんてか、これから飛行機で約16時間の断食に入るのでその前に餌を腹に詰め込んでおけみたいな食い方になった。

 

それにしても羽田空港、いいよなー。今日だって恵比寿からタクシーで30分かからなかったし空港内もお洒落だしレストラン街は江戸小路みたいに洒落てるし入ってるお店もどこも旨そうだ。

 

千葉県にあるくそったれ空港、どっかの田舎議員が自分の票欲しさに地元警察と機動隊使ってどっかのど田舎の他人の土地を無理やり奪って作った百姓空港(これが民主主義か?)到着口で地元野菜を売ってるなど世界でもまともな国際空港ではあり得ないようなバカ晒しているし今は全く不必要な過激派対策として空港入口にバリケード張って地元民の雇用対策やってるくそったれ空港とは全然違う。

 

羽田空港は空港が飛行場と呼ばれていた戦前から存在する空港であり国益のために風の流れや離発着のしやすさを考えて作られた。このような空港は他に伊丹、板付福岡空港などがある。どこも街に近くて使い易い空港だ。

 

伊丹の場合は空港が出来た後にあふぉ住民が空港の近くに引っ越してきて「飛行機うるさいねん、夜間飛んだらあかんねん!」と文句を言って政府から金をもらい、でもってじゃあ空港を移しますよ、関空作りますよってやったら今度は「何で伊丹を失くすんや、地元の仕事を奪うんか!」と文句を言って結局伊丹は中途半端なまま今でも空港やってる。

 

成田といい伊丹といい、まさに下品な話である。自分の目先の金を政府から奪うことしか考えていないど汚い連中のやってるクソ百姓仕事だ。言っとくが僕は百姓という仕事を差別しているのではなく、その心構えを差別しているのだ。

 

長いものには巻かれろ、強いものには頭を下げろ、弱いものは叩け、池に落ちた犬を叩け、戦で負けて逃げてきた落ち武者をへっぴり腰の百姓どもが竹槍で突き殺す、そんなみみっちいみすぼらしい、自分の人生に誇りも無ければ生きがいもない、ひたすら飯を食って寝るだけの薄汚い態度を持って百姓と呼んでいるのだ。

 

話はころころ変わるが、でもってコハダ。

 

何でこれだけネタが有ってコハダなのかと言うと、午後3時ころって寿司屋の暇な時間だったので入ってるお客は4組だけ。そのうち3組はアジア人。一組は韓国の若い女性カップルで片言の日本語で写真付きのメニューを観ながら注文書に色々と書き込んでいた。

 

面白かったのは中国から来てた中年カップルで、親父さんが片言の英語で「Anything Fresh!,なんでもいいから新鮮なものをくれ」と注文すると職人さんが日本語で「へい、わかりやした!」と答える。会話、成立。

 

彼らのテーブルには岩牡蠣やカンパチ、北海道産のうになどが次々と並ぶ。カップルは時々お茶を飲みながら料理を次々と食べて実に満足そう。親父さんはそのうち日本語で「これ、うに、ホッカイドー?」と聞く。職人さんは日本語で「へー、これは根室の紫です」と答えて、親父さんは満足そうな顔をする。

 

面白いなー、お互いに違う言語なのになぜかお互いに通じている。それなら親父さん、最初から中国語を使えばいいんじゃないのって思ったりした。

 

ただ一つ気づいたのが、彼らカップルが中国語を喋ってる時は周囲に気付かれないように小声にしてた事だ。普段の中国人と言えばすっぱー大声て喋ってるのだが、やはり今の日中関係があるので少し気にしているのかもしれない。思わず「大丈夫だよ、おれたち日本人は中国人排斥デモなんてやんねーよ、ゆっくり寿司楽しんでくれ」と言いたくなった。

 

また話がそれた・・・。

 

今日言いたかったのは、コハダを2貫注文して、あまりに美味しくてまたも2貫注文したのだが、コハダを食べながらいくら中国人が寿司を好きでもコハダは理解できないだろうなって感じたこと。

 

これは中国人だけではなく白人も同様だろう。かなり特殊な人は食えるかもしれないが、殆どの外人はコハダを「生臭い腐った魚」と認識するだろう。

 

日本で生まれ育った外人で子どもの頃から日本食を食べてたならコハダも理解出来るだろうが、全く食文化の違う国の人にはなかなか理解できない味だと思う。

 

それで言えば例えば干物。それもくさやの干物をフランス人に食べさせたら鼻が曲がるような臭さとしか理解出来ず、日本食しか知らない日本人にトリュフを食わせたら「豚の食い物か!」と言うだろう。

 

それほどに食文化は民族文化と密接に繋がっている。うちの家族は平均的な家族と比較すれば三カ国の文化が混ざっておりわりかし国際的とは思うが、それでも食文化となるとりょうまくんは普通にパイを食べるしお姉ちゃんは白ご飯がないと食事したくないわけで、うちの3人に「コハダ食べて」と言えばおそらく「今お腹一杯」と丁寧に断られるだろう。

 

白人の場合、魚については赤身の魚と白身の魚くらいしか区別がつかない。鯛と平目の味が同じって感じだ。両方食わせてどう違うかって聞いても、漁師とか魚の仕事をしている人以外は区別が難しいだろう。

 

そんな事を考えながら美味しい日本酒と一緒にコハダを食べる。パクパク食べる。お店の人が不思議そうな顔をしても、ぱくぱく食べる。だって美味しいんだもん。あんたら毎日食えるだろうけど、おれニュージーランドに戻ったらまず食えないんだぜ、ぱくぱく。

 

回転寿司では結局1万円ぶん食った。普通一人でそこまでくえんでしょって思われるくらい食った。だって、腹減ってたしこれからの長旅を考えてしっかり食っておかねばと思ったから。

 

コハダ。いつまでも日本独自の食い物であり本当に日本文化を理解しようとすればコハダを食うだけでなくコハダが旨いと言える気持ちがないと難しいだろうなとか思いつつコハダを食う。

 

コハダコハダ、酸いか甘いか美味しいか。

 

機内では殆ど眠り続けた。乗務員も「ほんとに何も食べなくていいんですか?」って聞かれたけど、とにかく寝かせて下さいと眠り続けた。

 

そして今日のお昼にオークランド到着。

 

透き通った空気と青空に、久しぶりにほっとした。奥さんが迎えに来てくれて二人でいろんな事をおしゃべりした。ぼくがオークランドにいない間にあった事、龍馬くんが今日はコーラスでシティホールに行ってること、ぼくが今回の日本でやってきたこと、ずーっとおしゃべりしながら。ちなみにうちのおしゃべりは広東語ベースでそこに日本語が入り必要に応じて英語を使うって感じだ。

 

やっと出張も終わったぞ、さあ明日から仕事だ、日本人らしく真面目に真剣にお客様を見て働くぞ。

 

ちょっと思い出した。

 

さんま、さんま

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ、げにそは問はまほしくをかし。

 

佐藤春夫の詩だ。これをコハダと読み替える・・・これからも日本人としての矜持と誇りを持って生きていこうと思ったコハダだった。



tom_eastwind at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月10日

人間到処有青山

今日で約2週間の出張も終了。日曜は12時から個人面談を開始して午後5時にすべて終了、あーよく喋った。個人面談は約1時間かけて、すでに年間会員に加入している方はビザや渡航までの進捗状況チェックを行い、初回面談の場合は家族構成や移住目的の確認やこれから起こるであろうことを一つ一つ説明していく。

 

これは目の前のお客様に神経を集中させて相手の話している事ではなく話したい事を聞き出す必要があるので結構脳内翻訳が大変だ。

 

移住を考えている方は様々な気持ちを持っておりなかなか口に出せないこともあるから、それとなく聞き出すかそこに触れずにいくかそれとも「安心して下さい、他の人に言うような話ではないですから」と断った上で正面から聞き出すか、その時によって対応は違う。

 

このあたりの最初のつかみが難しい。どこまで聞けば仕事の必要上の用件を満たすか、出来る限り無用なプライベートな事には踏み込まずに「寸止め」する必要があるが、人によってはどうしても核となる部分をぼやかす場合があり、そこが核である場合にどのような形で質問するかが一番神経を使う部分である。

 

一番困るのは関係ない枝葉の話ばかりして肝心の核にいつまで経っても届かない場合だ。このような場合本人は良い気持ちで話しているのだがその話にずっと付き合っていると一時間なんてあっという間に終わってしまう。

 

こちらは1時間単位で料金を頂いており出来る限り効率的に進めて移住工程表が組み立てられるまでもっていきたいのだが、それが枝葉にそれるとせっかく高いお金をもらって面談しているのに結局茶飲み話になってしまう。

 

こんな時は無理やりでも相手の話の腰を途中で「パキン」と折ってしまうしかない。ちょっと気がひけるのだがパキンとやって具体的な話に戻すしかない。

 

こういう技術って旅行屋時代に覚えたものだが移住ってのも大きな視点で言えば「長い旅」でしかない。多くの人がニュージーランド移住を決めるが実際にニュージーランドのお墓に入るというケースは少なくともぼくが扱った案件では存在しない。

 

誰もがいろんな目的を持ってニュージーランドにやってくるが、身体が弱ってくれば最後は皆日本に帰り日本のお墓に入るようになる。つまり日本に生まれ日本で育ち、身体の元気なうちにニュージーランドの生活を楽しみ人生の最後は日本に戻りお墓に入るという「長い旅」なのだ。

 

「人間至る処に青山あり」という諺があるが、殆どの日本人は生まれ育った日本に帰るのだ。相続対策と言って海外に住んだとしても普通の日本人は一生海外に住み続けることに耐えるのは難しい。この点、海外相続をするにしても「いつかは自分は日本に帰る」事を前提に計画を作らねばならない。

 

ぼくは人生の最期がどこであろうと本音から全く気にしていない。実は以前住んでいた香港で日本人墓地を見に行ったことがある。明治期に多くの日本人が海外に出てその中では旅の途中に病気で命を失った人もいて彼らは外人墓地、つまり香港の墓地に埋葬されていた。

 

その時あるお墓に彫ってあった漢詩が「人間到処有青山」である。原文は幕末の詩僧・釈月性(しゃくげっしょう)の「将東遊題壁(まさにとうゆうせんとしてへきにだいす)」という漢詩。

 

男児志を立てて郷関を出(い)ず、学若(も)し成る無くんば復(また)還(かえ)らず。

骨を埋むること何ぞ墳墓(ふんぼ)の地を期せん、人間到る処青山有り。

 

僕の場合は川の流れに身を任せてニュージーランドに流れて来た。うちの菩提寺は禅宗で歴史を「関ヶ原の戦い」まで遡ることができる武士の出身だが、だからと言ってぼくが菩提寺の墓に入ることは全く考えていない。むしろ旅先で客死することが自分らしいのではないかと思ったりする。

 

昨日で日本の仕事はすべて終わった。今日は飛行機に乗るだけだ。羽田から出発して香港経由、オークランドに着くのは明後日の昼になる。戻ったらすぐにオークランドに下見に来たお客様のアテンドもあるし、その後すぐにクイーンズタウン出張も入ってるし、出張中に頂いた案件をあっちこっちの弁護士や会計士事務所を回って処理しないといけない。

 

さ、人生、至る処に青山ありだ。神様がぼくに与えた人生を粛々とこなしていこう、そして死ぬその日まで学んでいこう。



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2013年06月09日

Live for nothing, or Die for something(無意味に生きるか何かの為に死ぬか)

 

ランボーの最新作で使われた言葉。英語の場合、なんか直截な表現でわかりやすい。

 

ランボーは今も世の中に棲むフラワー・チルドレン(脳内蝶々)に対する警鐘である。戦場のど真ん中で銃も持たずに「あたくしたち、戦争は嫌いでごんす、平和が好きでごんすー」と踊ってバカを晒す連中への警鐘だ。

 

平和とは何もしなくても空から雨みたいに降ってくるものと思ってダラダラと生きる連中の何と多い事か。何かあればすぐに「安全第一!平和が大好き!」と言いながら、じゃあ何のために生きているのかと聞けば答えが出てこない。

 

結局肉体的な死を恐れて死後の世界を想像すると自分が地獄に落ちることが内心分かっているから死にたくないのだろう(笑)、だから「安全第一!」と言うのろうだが、では彼らに死の危険はないのか?

 

当然ある。人はいつか死ぬからだ。

 

死は病気だけではない。道を歩いてたら後ろから来た車にはねられるかもしれない。歩道をそろそろと歩いていたらビルから落ちてきた植木の壺でアタマをかち割るかもしれない。だからと言って安全を願って外出せずにいたらもしかしたら自宅に車が飛び込んでくるかもしれない。じゃあってんでアパートに引越ししたら、隣の家が天ぷら料理を作ってて油に引火してアパートが丸焼けになって自分も焼け死ぬかもしれない。

 

そして、そのような事が何もなかったから死なないかって言えば、答えはNOである。人はいつか死ぬのだ。人として生まれたからにはその運命を変えることはできない。

 

「火の鳥」という漫画がある。古代、中国や日本の高貴?な人々は金にあかせて不老不死の薬を見つける為に部下をあちこちに派遣した。その中には「火の鳥」の血を飲むと不老不死になると聞き火焔山の噴火口まで火の鳥を探しに行き逆に命を失った。

 

何のための生か?何のための死か?死とはそれほど身近なものでありながら多くの人はその問題を忌諱して話題を逸らそうとするが死は現実である。あなたもあなたのパートナーも子どもも、一定の時間を過ぎれば、間違いなく死ぬのだ。

 

ちょっと古い記事だけど↓

★抜粋開始

「感無量」涙ぐむ教員も…児童発見に学校歓喜

2013.5.28 15:19 [westピックアップ]

無事発見され下山した児童2人(リュックを背負った中央左が女児、右が男児)=28日午前11時55分、滋賀県高島市(志儀駒貴撮影) 「警察官と歩いて下山しました。無事です」

 

 滋賀県高島市の赤坂山で、野外学習の登山中に小学6年の男女の児童2人が行方不明になっていた大阪市中央区の城星学園小。不明から丸1日たった28日正午ごろ、現地にいる教頭から吉田登代子校長に電話で2人の無事発見を伝える一報が入ると、職員室は割れんばかりの大きな拍手と歓喜の涙に包まれた。

 

 同校はこの日、子供たちへの影響を考慮し、小学校を臨時休校に。緊急の保護者説明会を開き、野外学習も残りの日程を中止して、午前中に児童を学校へ戻していた。「2人無事」の知らせは保護者同伴で児童たちを帰宅させた直後に訪れた。

 

 正午ごろ、発見の一報が入ると森本直樹事務長が校舎から慌ただしく飛び出して学校に詰めかけた報道関係者に「発見です」と状況を報告。2人の無事を知らせる電話は教頭からあり、吉田校長が受けたという。

 

 知らせが伝わると職員室が歓喜に沸き、涙ぐむ教員もいたという。森本事務長は興奮した様子で「感無量ですね、時間がたって心配しましたが、職員室が歓声で、涙で…」と声を詰まらせた。

★抜粋終了

 

この記事を読んでぼくが真っ先に感じたのは「安全を尽くす事も大事だが同時にサバイバル技術を教えようよ」という事だった。山を歩く。危険を知る。この記事にはないが子どもなりに沢沿いに降りれば琵琶湖に着くかもと考えたようだ。

 

結果的に途中で滝があって行き止まりになったとの事だが、ぼくが気になったのはこういう記事が出ると「じゃあ山登りは危ないからやめましょう」という風潮になるのではないかという事だ。

 

人生とは常に危険との隣り合わせだ。生きるか死ぬかではなくいつか死ぬのだから早いか遅いかだけの問題である。ならば生きることを求めるなら、よく生きるための技術を身に付けることを教えるのが基礎教育ではないか?

 

ニュージーランドで生活をするようになってから感じるのは、キーウィという人種はリスクとの距離感を大事にしながら人生を最大限に楽しむコツをしっかり理解しているという事だ。子供の頃からナイフを使わせて指を切って痛みと危険を教える。木登りをして落ちて骨の一本でも折れて高い場所の危険性を理解する。もちろん中には不運にも一生残る怪我をするかもしれないし、もしかして打ちどころが悪くて死ぬかもしれない。それでもキーウィは子どもたちに危険と人生を楽しむバランスを教える。

 

子どもが遠足の途中に抜け駆けをしようとした事を問題にするのではなく、抜け駆けは良くないけど、もしそういう状況になったら生き残る技術を教えるってのが教育ではないかと思う。山を降りる時の基本や山の中で夜を過ごす場合の体温の維持の方法とかだ。

 

人はいつか死ぬ。けど死ぬ時に満足して死ねるか、それとも後悔しながら死ぬか?これは生き方の問題だ現在の日本は常に「リスクを取らない」事を自慢気に語り結果的に無駄生きしているようなものだ。

 

じゃあ長生きして何が残ったというのだ?結局他人より長く生きたという「他人との比較」でしかない。何とも情けない根性だと思う。一生懸命生きた結果として長生きするならよし、けれど単純に肉体だけを生き残らせることに何の意味があるのか?

 

日本航空で最近まで会長を務めていた稲盛和夫氏は現在81歳である。高齢でありながら現役で頑張っている。このような人は人間としての基本がぶれてない。何十年経ってもぶれない。それは自分自身を常に見なおして反省する意思があるからだ。周りに褒められようとけなされようと自分がぶれない。

 

オークランドでもたくさんの日本人経営者を見てきたが殆どの場合経営とは呼べない。少し儲かればすぐに調子に乗りちょっと赤字が出れば突然おたおたして、年下に威張り散らし年上にペコペコして、結局何のために生きているのだろうと思う。

 

今日はちょっと乱暴な記事になってしまったが、東京で6日間過ごしてバーで飲んでて隣の止まり木でぐーたらどーたらと若い女の子相手に威張り散らしてバカを晒している中年男を見て「こいつ、何のために生きてるんだろうな?」って、思わず本気で思ってしまった夜だった。



tom_eastwind at 15:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月08日

6月度説明会終了

今回は開催日近くになって急に参加取り消しが連続発生したので普段の半分程度の集まりになった。しかし説明会で話す内容は変わらずだ。

 

21世紀の国家を選ぶポイントである水、食料、エネルギー。ニュージーランドにおけるそれぞれの自給度合いや(南島のサザンアルプスに降り注ぐペットボトル状態の自然な水、食料自給率300%、原発不要で水力と石炭火力発電と地熱発電で国土すべてを賄う等)を説明。

 

そしてニュージーランドの手厚い社会保障があるから経済格差も少なく重大な経済犯罪もなく人々が平和に生きていける、それなのに平均的な税金は15%(市民税、所得税、失業保険、老齢年金、医療保険などすべてを含んで15%)と低額であり、これで医療と教育が無料、受験勉強不要な学校を卒業して社会人になることが出来る。

 

こんな低額で政府が運営できるのかと言えば、じゃあ説明会で渡すデータを見て下さいって感じである。実際に1994年から2008年度まで黒字経営。毎年の国会で話すことと言えば今回は何を減税するかって状況だった。

 

2008年度のリーマン・ショックで当時の民間金融機関すべての負債を政府保証して赤字になり2011年にはクライストチャーチ地震の復興債発行で赤字が続いたが、来年度は黒字化を予定している。つまり突発事項がない限りプライマリーバランスが黒字のニュージーランドは毎年黒字化が可能な国なのだ。

 

説明会ではもちろん悪い点も話をする。いわく、ニュージーランドにはパチンコも麻雀もないから(正確に言えば中国人社会で経営する雀荘はあるがごく少数、カウントするほどではない)超健全であるが逆に言えばアウトドアをしない人には退屈な国ではある。

 

カラオケもコンビニも映画館も数えるほどしかなく人々はいつも家族と一緒に週末のバーベキューを楽しんだりヨットで沖に出たりするくらいで、日本のような受け身の遊びがない。

 

日本だと、立てばパチンコ座れば麻雀、歩く姿は千鳥足という言葉があるくらいだが、ニュージーランドにはそのような遊び方がない。

 

そのような事を説明しつつ、じゃあそういう国に住むためにはどうすれば良いかを話す。永住権、ワークビザ、学生ビザ、様々な選択肢がある。それぞれに利点と不利な点を説明しつつ時間は過ぎていく。

 

2時間の説明会では良いことも悪いことも言う。その結果としてお客様が「なんだ、じゃニュージーランドやめとく」と言えばそれも選択肢の一つ。ぼくの仕事はお客様の代わりに情報を収集して提供してそれでお金をもらう仕事だ。だから情報自体に手を加えることはしない。

 

情報をどう判断するかはお客様の仕事である。僕らの仕事は正確な情報提供をすることだけなので、その結果として「やっぱやーめた」もアリだろう。実際にそうやって移住を止めた人もいるわけで、それは正解だと思う。ぼくの仕事は日本人をニュージーランドに移住させることではなく正確な情報を提供することだからだ。

 

そうやって今日も約2時間かけてニュージーランドの現状を説明した、良い点も悪い点も含めて。今回は永住権に繋がる学校選びの話も出てきて、おお、ひさしぶり〜とか懐かしく思った。僕自身15年前は自分で学校紹介をやっていたので思わず現場の空気を思い出した。

 

さあ、次の説明会はちょいと間があくが8月3日午後(土曜日)とした。

 

移住を考える方は是非とも自分の可能性を追求して貰いたいと思う。後悔って死んでからしても意味はない。今日第十巻まで読み終わった「進撃の巨人」でも何度か出てくる言葉だが、ぼくは今まで生きてきて本当に本当に実感した。後悔って死んでからしても意味はないって事を。

 

今生きてるうちに後悔しないだけの生き方をしよう、毎日を全力出して生きようよ、ほんとにそう思う。高い目標を持てばそれは叶う。どうせだめじゃん、そう思っていたら何も出来ない。

 

世の中、たいがいの事は実現可能だ。ほんのちょっと発想を変えればたいがいの事は出来る。日本人はどうしても発想が堅いというか一面的にしかモノを見ない習性がある。例えば柔道だってオリンピック種目に入ってからいつの間にか抱きつきダンスになってしまったが本来は柔よく剛を制す戦いの技である。

 

それを「ルールがこうだから」とか「あーしたらいかんこーしたらいかん」と言ってるが、そんなもん白人が勝つように彼らの都合でルールを変えただけじゃん。人生はお遊びゲームではないのだ、そんなもんに真面目に付き合って自分の可能性を失う必要はない。

 

ルールの中で戦うスポーツは普通の日本人には得意だろう。ただぼくが生きている世界は自分のいのちを守るための戦いであり他人のルールに従って可能性を奪われて結局自分の為に生きることが出来ず人生の最期に他人から「あの人良い人でしたねー」って言われて終わらせるつもりはない。ルールの中で戦うスポーツと生きるための戦いは次元が違うのだ。

 

今までに約300組のビザ取得を手掛けてきたし取るべきビザはすべて取ってきた。それはお客様が発想の転換と自分でルールを作ることが出来たからだ。もしご興味があれば一度説明会に参加してみたらいかがだろうか。



tom_eastwind at 17:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月07日

相続会議

金曜日は東京で相続専門の税理士と会議。日本の経営者が日頃付き合うのは税務署を退職した税理士とかで日常の書類仕事は詳しいのだが、これが相続となると一気に苦手になる人が増える。まして海外が絡むと全く動きが取れなくなる。

 

税理士というビジネスを選択する場合、どうしてもお堅い仕事なのでミスは許されない。かと言って今更得意でもない英語をおいっちにと始めて勉強して海外の税務事情の勉強などやるのも面倒くさい。

 

第一海外税務を勉強したとしても世界には何百カ国と国があるしそれぞれに税法が違う。お客といっても殆ど日本国内の税法で対応できるのに、海外なんていちいちやってられないというのが実態だろう。

 

だから結果として日頃使いの税理士は日頃の伝票整理をやってもらうしかないが、これから海外に資産を出したり海外で相続を考えている人からすれば相談出来る相手ではないという事になる。

 

僕が日本でビジネスを行う税理士は基本的に海外ビジネスに対応出来る税理士であり国際法に強く日本国内の税務も理解している人々だ。今回の相続会議では法論議ギと言うよりも実務面での実効税率や手続きに必要な書類を具体的にいつどのように手配するか等である。

 

相続といっても様々な形式がある。実際にニュージーランドに移住してそこで相続を行うのか?その場合の原資産の形成はどのように作ってきたか、家族の遺留分の手続きはどうするか、日本国籍所持の場合や居住の証明方法などを実際の案件に当てはめながら検討していく。

 

今回のケースはすでに移住したケースと今はまだ日本にいるが近い将来ニュージーランドに移住するだろうというケースだ。

 

相続の場合いくつか基本的な点を押さえておく必要がある。それは国籍、居住地、収入をどこで得たか?その収入はどこの国で納税したか、相続対象となる資産はいくらくらいかなどである。

 

予めお客様から上記の基本情報を頂いた上で具体的な金額を当てはめて実効税率を算出したり納税の有無により資産を海外に移せるのかどうかを確認したり。

 

意外と知られてないのが日本にある自宅や賃貸物件の所有権を海外に移せる手法である。手元に現金はないが都内に土地を持っている場合は親の相続が発生して納税の段階になると現金がないため賃貸物件や自宅の売却をする必要がある。

 

せっかく長く住んでいた自宅であっても現金がなければ売却して納税するしかない。また売却した場合でも譲渡益が発生すれば納税の必要がある。なんじゃこりゃ、親が一生懸命働いて作ったせっかくの財産も国が全部没収していくなんて、一体何の為に働いているのか意味ないじゃんかってことだ。

 

ところが不動産だから海外に持っていくこともできない、仕方ない、やはり自宅は手放すしかないなって普通は考える。

 

しかしやり方はある。それは親名義の自宅を親が健在なうちに子どもがニュージーランドに会社を設立してその会社に売却する方法だ。この場合は様々な法的知識が必要だし手続きも一つ間違えば無効になってしまうが、逆に言えば手続きを間違わずに行えば売却は可能である。

 

ニュージーランドに設立した会社に自宅を売却をして今後はその自宅に自分が賃貸で借りて家賃を払い続ける方法だ。これは商業物件ではリースバックという方式で知られているが一般住宅でリースバックをする方式は殆ど知られていないので有名ではないがすべて合法で行なえる。てかリースバック自体がすでに商業物件の世界では常識となりつつある。

 

土地建物を売却した先が国内企業であろうが海外企業であろうが売却の際の譲渡益さえ支払えば現在の日本の法律では契約可能である。売却代金は数十年単位のローン契約にしておき毎年一回払うローン返済は売却した自宅に住む家族が払う家賃を原資として返済に回す。

 

ポイントは売買時の譲渡益が発生すればきちんと納税すること、毎年の家賃を受け取る際には日本の税務署に源泉徴収として20%を納税すること、会社がきちんと返済を続ける事、適切な金利を払う事、必要な契約書をすべて英語を準拠法として作成することなどだ。

 

事簡単にさらさらと書いたがこのスキームの理論自体は実に簡単である。民法の契約自由の原則、適用通則、租税回避行為でない、等の組み合わせ理論である。ただし実行するとなると両国の税法をしっかりと把握してすべての必要な書類手続きを行なっておかねば日本の税務署に否認されてしまう。

 

このスキームの面白い点は、相続が発生するはるか以前から手続きが可能であり実際に相続が発生した時点ではすべての手続が税務署によって認定され納税もされて時計の針を遡って手続きを訂正することが出来ない点だ。

 

梅雨だというのに雨が全然降らない東京で恵比寿から新橋までタクシーで移動する途中、今日は六本木通りが混み合ってるからって理由で普段通らない道を走った。途中オーストラリア大使館の前を通り「おお、ここかー^」とか一人で感激したり広尾の高級住宅街を抜けたりしてなかなかに楽しい移動だった。

 

普通なら電車使えよっって感覚だが、ぼくはとにかくとてつもない方向音痴で、大体狙ったのと反対側に行く特技を持っている。山手線を反対に乗るなど日常茶飯事、地下鉄銀座駅などに行くと地上も見えずに発狂しそうになる(苦笑)。

 

なので結局どれだけ余裕を持ってホテルを出てもほぼ確実に遅刻するし、それでも電車の乗り換えで「次で降りなきゃ」とか神経を使うから仕事に向かう時の心の準備が全く出来ない。だもんで結局タクシーのほうが全体的に見ると費用対効果が優れているとなるのだが、今回のように会議の内容が濃いケースだとまさにタクシーのほうが正解となる(僕の場合・・・普通の東京の人からしたらあり得ん話)。

 

そう言えば今年の正月旅行を家族と組んでた時に箱根古湧園から富士急ハイランドに一日で移動する予定を作ったのだが、地図で見ると乗り換えが多そうなので「じゃあタクシーで行こうか?」と家族と話していた。もちろん家族も距離感がないので「はい、どーぞ、添乗員さん」であった。

 

でもって東京出身の人に何気なくその話をするとまるで地球で火星人に遭遇したようなびっくりした顔をされて「ほ、本気ですかー?」と言われてしまった。そうなのです、地理という部分だけを取り出してみると、ぼくはリーガルエイリアン・イン・東京(Legal Alien in Tokyo)なのです。

 

それでもニュージーランドと日本をまたいだ税法とか海外相続とかになると大得意であり、どちらの国の税理も思いつかないような大胆なスキームを作ることは出来る。結局、餅は餅屋なんだよな、タクシーの運転手さんは東京の道を知ってるけど国際税務の知識はない。ぼくは国際税務知識があっっても東京の道をまともに歩くことさえ出来ない。

 

世の中ってうまいこと分業出来てるよね、てか近代社会ってのは思い切り簡単に言えば分業と専門家により効率を高め付加価値を作り出すことだ。帰りのタクシーに乗りながら自分の馬鹿さ加減に嘆息するやら苦笑するやらの一日でした。



tom_eastwind at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月06日

進撃の巨人

これこそ2ちゃんねるふうに言えば「キター!」だろう。

 

国税庁 大量のタックスヘイブン資料入手

NHK NEWS WEB 2013/06/01/ 17:23

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130601/k10015004501000.html

国税庁は、カリブ海のケイマン諸島などタックスヘイブンと呼ばれる国や地域に財産を持つ日本人のリストを大量に入手し、脱税が疑われるケースなどがないか調査していくことを明らかにしました。

この資料は、タックスヘイブンにある信託財産やペーパーカンパニーの所有者のリストで、資料を入手したオーストラリアの税務当局から日本に関係するとみられる部分にかぎって、先週、提供を受けたということです。

国税庁のこれまでの分析では、シンガポールのほか、ケイマン諸島や英領バージン諸島、南太平洋のクック諸島に財産や会社を持っている日本人の氏名や住所が確認できたということです。資料は大量にあり、今後、順次送られてくるということで、国税庁は詳しく分析して、脱税が疑われるケースなどがないか調査することにしています。

こうした情報を明らかにしたことについて、国税庁は「積極的に公表することで国際的な税逃れに断固として対抗する姿勢を見せるためだ」としています。

来年からは海外に5000万円を超える財産がある場合、税務署への申告を義務づける制度も始まることになっていて、国税庁は適正な申告を呼びかけています。

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そうなんですよ、実はこれ以外にもスイスの大手銀行が自社顧客名簿を米国に渡したり行員が名簿を売りに出したりとかなり大変な騒ぎになってます。スイスの大手銀行の行員の名簿売買は英語版のニュースでしか出てないかもしれないですね。スイスの安全神話はすでに崩壊した模様。

 

どれもこれもここ数ヶ月の出来事ですが火種はかなり以前から存在していました。それは米国を代表する国々が税収減に悩む中、国内の資産家が海外、スイスやタックスヘイブンに資産を移して隠蔽するという「租税回避行為」を行なっていたからです。

 

税金は国家の基礎でありこれがしっかり出来ないと国家運営が不可能になる大事な話。だから日本では財務省が一番力を持っている。いつの時代も金を握っている部署が一番強いのです。

 

ところがその、官僚の中の官僚である財務省の目の前でぶら下がっている「オレの獲物」を外国に持っていかれて怒らない奴はいませんよねー。

 

でもって彼らは国家の中のエリート中のエリート意識を持っていますが、そのエリートが毎年大赤字を出しているなんてみっともないではありませんか。もちろん赤字を彼らが責任とって負担するわけではありませんが、なにせメンツが立たない、だって同期で民間企業に入社してしっかり稼ぎ納税している連中と同窓会で会った時に「お前んとこは毎年絶対赤字だよねー」なんて皮肉られたら、それこそプライドボッロボロですぜ。

 

いやさ、赤字分は国際発行で賄うしその金は結局国民が負担するのだから自分の懐は痛まないが、とにかく同窓会で恥をかきたくない。税務署は金を集めるための実働部隊、だから検察と同じような権力を持って国民からいかにして税金を集めるかを常に考えている。

 

ぼくの立場から見れば、それにしても海外に出しただけで日本の国税から逃げられると思う甘さはどうなのか?という点だ。もちろん100年前なら通っただろう。しかし現代において税務調査から簡単に逃げられるほど相手は甘くない。

 

だからこそこちらもしっかり理論構成をして日本国内で裁判になっても負けないだけの材料を用意して払うものは払い、払わなくて良いものは払わない、そういう組立をする。つまり資料が国税に流れようが「それがなんじゃ!」くらいの武装をしておくのだ。

 

今日は東京で相続に詳しい税理士と会議を行い、具体的な案件の対応策を組んだ。払うものは払う。しかし法律の想定内での節税は行う。このあたりのバランスはかなり難しい。二国をまたいだ法律をクリアーするためには、法律の条文だけでなく適用範囲や租税条約などを頭に入れた上で更に税務署がどこまで喧嘩する気なのかも読まねばならない。

 

はっきり言えば法律の条文だけで喧嘩出来るほど税務署は甘くないという事だ。彼らのメンツを守りつつしかしできるだけ節税する、そのバランスというのは現場にいないと分からない。

 

ぼくは上記のニュースを見た時に真っ先に感じたのは「来るものが来たな、よっしゃ!」という感覚だ。いずれ来ると思って準備していたものがやってきた。

 

進撃の巨人、十分準備した。さあ行くぞ、戦わなければ勝てるわけがない、壁の外に出るのだ、戦うのだ。やる気満点の今日でした。

 

 



tom_eastwind at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月05日

肉親による介護疲れはこれから続く社会問題

 

ホテルを出発する日の朝、NHK特集で介護問題を扱っていた。日本では長男の嫁が長男の親を介護することが「常識」であると信じている人々と「そういう無思考の決めつけって違うくない?少なくとも時代は変化して三世代生活が消失した中で古い仕組みだけ残したために介護で子どもが仕事を失い離婚をして挙句の果てに介護疲れで親殺しとか自殺したらどうするの?」の間の葛藤である。

 

ニュージーランドの介護社会は日本とは全く違う。社会構造が違うのだから当然だろうが、まず老人介護はすべてリタイアメントビレッジという老人だけの村が対応している。この村は現在では主に民間企業が経営して品質を維持している。この村では子どもが親を介護することはない。プロの介護士、看護婦、医師、そして多くのボランティが支えている。

 

郊外の大きな老人村であるセルウィンビレッジなどは敷地内に病院を中心として教会や郵便局、雑貨店など日常生活に必要な設備があり、そこからバリアフリー歩道が広がり老人向け住宅が並んでいる。季節ごとに違った彩りを添える花と木と美しい自然に囲まれた村の中では老人たちが自分のペースでのびのびと老後の生活を楽しんでいる。

 

老人たちは平日は村の中で元気な老人が弱った老人を助けて毎日レクリエーションを開催して、外部からも様々なボランティアがやってきては昼間のおしゃべりをしたりイベントを行なっている。

 

キーウィの老人たちは日本では想像しづらいが結構ピンピンコロリである。かなりの高齢でも自分の足で歩きある朝ベッドの上で亡くなっていたとか、昨日までヨットやゴルフを楽しんでいた老人が食事の最中に脳溢血や心臓停止でそのまま亡くなったりである。

 

もちろん介護の必要な方もいるので、彼らに対してはきちんと鍵の掛かる部屋でプロの介護士が手厚い介護を行なっており少し気分の良い時は庭に出て太陽を浴びて楽しんでいる。

 

では子どもたちはどうしているのか?ここがニュージーランドの特徴で、この国では子どもは一般的に18歳ころから親元を離れてひとり暮らしを始める。週末は自宅に戻ることもあるが基本的にひとり暮らし。

 

第一この国では子どもが生まれたらすぐに一部屋に子供ベッドを入れて親と別の部屋で寝るのが普通だ。日本のように家族三人川の字になんて情緒はない。川の字が良いか別部屋が良いかはいろいろ議論もあるだろうが、少なくとも根本的な子どもに対する考え方が違う。

 

子どもは生まれた時から一つの人格として扱われており、ちっちゃな子どもが自分の親の名前を普通に呼び捨てにしたりもする。うちのりょうまくんもお姉ちゃんに向かって本名を呼び捨てにするからアジア文化の当家ではその度にりょうまくんはお姉ちゃんにぼこぼこにされる。

 

白人社会では子どもも社会に参加する一人の人間であり、成員の役目は自分が生産活動を行う事で、老人の面倒を見るのは老人、つまり老々介護と政府に因る介護が基本である。当然であろう、本来労働して社会に食料を提供する立場にいる人間が介護で自宅に篭ってしまっては収入もなく納税も出来ず結果的に親も子どもも苦労して結果的に家庭は崩壊し、家庭の集約された組織である社会そのものもいずれ崩壊する。

 

社会の成員にはそれぞれの役目があるのだ。だから健康で社会で生産活動を行い子育てをする世代は昼間は会社で働き夕方からは子どもと一緒に家庭生活を行う。毎週末に両親を村に迎えに行き週末は一緒に過ごしたりすればよい。

 

つまり子どもが自分の人生を棒に振って親の介護を行うことで両倒れにならないように、子どもは労働と納税を通じて政府に金を渡し政府はその金で老齢年金財源を作り介護士費用などを賄いプロの介護士が面倒を見て、最後はホスピスで穏やかな死を看取るまでの仕組みが出来上がっている。

 

ちなみにニュージーランドの介護では、単に肉体が生きているからという理由で寝たきりで意識のない老人の体中にチューブを付けて無理やり生かすなどという発想はない。

 

すでに魂は昇天しているのだ、ならば老いさらばえた抜け殻である肉体だけを維持するために莫大な費用をいつまでも垂れ流すのではなく、そのお金はこれから良い社会を作っていく子どもたちの幼児教育などに使おうという発想だ。

 

これは白人の合理性による。自分を育ててくれた親のために自分が介護疲れで自殺してそれが普通の社会か?子どもは社会で生産活動を行い老人は彼ら同士で楽しく生活をする、それが現実的で合理的ではないだろうか?

 

子どもは社会で働き収入を得て自分の子育てをする。自分が年を取ればリタイアメントビレッジに入居して老後の豊かな生活を楽しむ。その原資は国家がすべての国民に掛け金無しで支払う老齢年金である。そうやって世代交代が円滑に行われていくのが本来あるべき「持続できる社会」ではないか?

 

老齢年金は平均賃金の65%が保障されており夫婦二人で年金を担保にすればすぐに入居出来る。以前はこの老人村は教会などのボランティアによって運営されていたが、サービス内容を高度化するために民間企業の参入を認めて進めてきた結果として非常に優れた設備を持つビレッジが次々と出来上がっている。

 

現実にちょっと考え方を変えるだけで社会全体を不幸から救うことが出来るのに何故出来ないのか?それは日本の社会構造ておいうか、実は単純なことだと思う。

 

それは間違った「思いやり」である。

 

日本で生まれ育てば誰もが感じるように独特の空気が流れており常に空気を読まないといけない。日本では他人と違うことが出来ないし会社の上司や老人が無理を言えば御無理御尤もという文化があり、そこに更に社会全体が「他人の足を引っ張る下向きの平等」があるからだ。「あたしだって苦労したんだからあなたもやりなさいよ、それが老人に対する思いやりでしょ!」である。

 

思いやり、それ自体は何も間違っていない。しかし今の時代、この言葉の本来意味するべき点を無視して自分に都合の良い錦の御旗として利用しているのが事実ではないだろうか?社会構造がすでに変化して三世代は失われ個人が独立した生活を過ごすようになっているのに介護の考え方を変えようとしない。

 

思いやりとは相手の気持ちを考える事であり、自分を思いやってくれってのは単なるわがままでしかない。介護を嫁の責任として決めつけた挙句にあそこが痛いここが痛いと文句を言い、ちょっと何かあれば「うちの嫁がさー、何にもやってくれなくてさー」などと周囲に言いふらす。まさに「くれない族」である。

 

自分が社会構造の矛盾に苦労したからこそ自分の世代で止めるべき間違った習慣、いや間違ったと一概に言い切るのは良くないだろう。昔はその仕組が良かった時代もあった、だが時代はすでに大きく社会構造を変化させており、その為に仕組みを変化させねばならない。

 

ところが変化を嫌う老人や既得権益者が既存の仕組みに乗っかって次世代に苦労をバトンタッチしてしまう、そんな事やったらいつかは構造的崩壊を招くというのに、自分だけ良ければいいって考えで他人に苦労を押し付けてサディスティックに満足しているだけなのだ。

 

自分がやられたから子どもがやられて当然という間違った悪い血の流れを続けようとしている。てゆーかもっと簡単に言えば昔の高校3年生が1年生を殴っていたらその1年生が3年生になった時に一年生を何も考えずに習慣的チンピラ発想で自分より弱いものを殴るようなものだ。

 

自分が苦労したのだ、他人が苦労するのは当然だと考える人々がいる限り日本の介護問題は終わらない。現実を見つめてよりよい社会にするためには国民、とくに今他人の上に立って発言出来る人々が変化するしかないのだ。

 



tom_eastwind at 11:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月04日

空飛ぶトイレ

以前自動車メーカーの技術者から聞いた話だ。車は必ずシートベルト着用義務があり着用しなければ罰金である。その理由は自動車は時速50km以上のスピードが出ると危険が発生するからだという。

 

それでは時速50km以上の速度を保つ乗り物はすべてシートベルト着用が義務付けられているか?飛行機はシートベルト着用がうるさいのはよく知られた話で、もし搭乗客がどうしてもシートベルトを着用しない場合、機長は乗客を下ろす権利を持っているし実際にそういう事件は多い。

 

では時速300kmの速度で移動する乗り物なのに最初からシートベルトが付いてない乗り物があるとすれば?

 

それは新幹線である。飛行機の場合大型の翼があるから時速90kmを超すあたりから空に飛び上がることが出来る。もちろん新幹線は構造が違うから100kmを超しても飛び上がることはないが、それはカモノハシのようなくちばしが向かい風を利用して地面に押さえつけられるような構造になっているからだ。

 

もちろん新幹線は他にも様々な工夫をして空を飛ばないように作ってはいるが、それなりの羽根さえつければ空を飛ぶ。それほど高速の乗り物なのに新幹線の運転手がシートベルトを着用しなくても、乗客に着用させなくても罰金刑なしってのは、新幹線は脱線転倒しても乗客は絶対に座席から跳ね飛ばされないという自信があるのだろう、物理的に可能かどうか分からないが(笑)。

 

ただまあ自分の経験で言えば新幹線は世界で最も安全性が高く最も安定かつ快適で社内販売や各種日本的サービスが充実した高速鉄道であるとは思う。

 

欧州のTGVなどの高速鉄道も韓国の高速鉄道も、実際に乗車してみるとそれほど気持ちのよいものではない。中国に行けば普通に事故るし、これなら昔香港に住んでた頃によく乗ってた広九鉄道の方が余程安全で安心であった。

 

これから鉄道技術が発展途上国のインフラビジネスとして採用されていくだろうが、インフラビジネスとはハードだけでなく運行ソフトも必要だ。最近台湾の高速鉄道が原因不明のまま運行停止することがあり日本側に調査依頼が来た。

 

日本製は世界で最もハードとソフト、さらにおもてなし(ホスピタリティ)技術が優れている。途上国の政治家がもし国民の事だけを考えれば目先の価格ではなく将来にわたって故障せず更新可能で快適で定刻サービスというソフトサービスも提供可能な日本製新幹線を選ぶであろう。

 

今日は新幹線で博多駅から名古屋駅まで約3時間30分で移動。博多駅から名古屋駅までの移動を考えると飛行機の移動時間と殆ど変わらない。飛行機の場合は泊まってる中洲のホテルから福岡空港まで約30分、1時間前の空港到着、名古屋小牧空港までの飛行時間が1時間30分、荷物を受け取って小松から名古屋駅まで更に40分程度。

 

それならば最初から最後まで座ったまま集中して仕事が出来る新幹線の座席の方が効率が良い。飛行機のように乗り換え乗り換えの意識に振り回されずに新幹線の座席でずっとパソコンを開き集中していられる。このブログも新幹線の中で書いている。

 

新幹線も性能が良くなりどんどん速度も早くなり、福岡からであれば名古屋までは飛行機とどっこいの勝負が可能だ。座席も広いし歩き回れるし気流の悪いところで座席にもどれといわれるコトもない。ましてや行きたい時にトイレに行けるのは、こりゃ気軽である。

 

しかし久しぶりに新幹線に乗ってトイレに行ってみると、やはり揺れる。結構揺れる。気を抜いて支え銃を忘れると思わず攻撃目標を外しかねない。ヘタをすれば壁に激突後の破片による自爆の可能性もある。とても危険な乗り物である事は再認識した(笑)。

 

それにしても空飛ぶトイレ、日本の総合技術は大したものだと改めて感心した。基礎技術の豊富さとそれを支える真面目で勤勉な日本人。この二つがある限り中国や韓国がどれだけコピー&貼り付けを繰り返して表面だけ同じように見えるがそこから先の技術にはつながらない。

 

日本が半導体や家電で負けたのは、あれはすり合わせ技術が不要な汎用技術だからだ。しかし新幹線のようなインフラ系ですり合わせが必要な技術はまだまだ圧倒的に日本の方が上質である。

 

最近の日本では株価の急激な値下がりで一喜一憂している。アベノミクスマジックで急激に上昇した株価が下がると急激に不安になることもあるだろうが、ぼくは日本全体を素人目で見ると安倍首相の最近の活動はアフリカ諸国との繋がりを強化する作戦にしても良い方向に向いていると思う。

 

民主党時代に各省がバラバラに活動していたってか、まるで民主党が官邸にいる限り放置だ、みたいなフンイキだったのがここ数ヶ月は安倍首相によって与えられた明確な「国の進む道」とその日付入り具体的方策が次々に実行に移されていると感じる。

 

久しぶりに乗った新幹線でその技術の高さを再確認して、やはり日本の技術は最近の株価の一喜一憂と違い安心して頼れるし世界に誇れるものだと思う。あとはとにかく金融で失敗しない事だ。ここがコケると安倍首相の失策に繋がり大胆な政策が打ちづらくなる。

 

ぼくは3年ほど前は結構マジで「このまま日本が討ち死にをして技術まで失うような事があるくらいなら、東南アジア外交は中国に任せて日本は完全な技術立国でのみ生き残るほうが良い」と本気で考えていた。

 

しかしもし安倍政権で技術輸出をやり中国包囲網が作れるならそれに越した事はない。その為に肝要なのが7月後半に行われる参議院選挙で自民党が三分の二を確保することだ。

 

日本に住んでいるとどれだけ日本の技術力が世界の中でずば抜けているかを実感することはない。しかし日本が全体として構築したインフラ技術、スマートシティ運営などは、世界の中でずば抜けている。それは日本の生活と外国の生活両方を経験した日本人にしか理解出来ないものである。

 

一つ一つの部品のみを取り出せばニューヨークやロンドンや香港には素晴らしいものがある。しかしすべてを一つに合成した場合、日本ほど調和されてレベルの高い国家はない。

 

新幹線に乗りながら途中の高層ビルや街並み、関門トンネルを掘った技術、様々な景色を観ながら日本の良さを再度実感している移動日でした。


タイトルは御存知の通り池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」のパクリですが日本のメーカーが今後も唯一注意することは品質管理とすり合わせ。これさえきちんと継続出来ればタイヤは空を飛ばないし新幹線も空を飛ぶことはなくこれからも世界中に日本の総合技術を提供していくことが出来るでしょう。

 



tom_eastwind at 09:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月03日

無宗教、無関心、それって無知?

 

英国ロンドン郊外で若い兵士がアフリカ系イスラム教徒二人によって平日の午後、英軍兵舎の近くの道路で刺殺された。その後もこのイスラム教徒は死体を道路中央に引き出し通行人に写真を撮らせるなどロンドンのど真ん中で聖戦でもやっている積りだったのだろうが、結果的にそれはキリスト教徒対イスラム教徒という、開けてはいけないパンドラの箱を開いたようなものだった。

 

キリスト教とイスラム教は元々兄弟宗教であり同じ神様「ヤファエ」を敬っている。初期は彼らの関係も悪くなかった。ところがお互いの土地戦争になりそこからは兄弟だけに他人より憎しみもきつくなったのであろうか、十字軍などの戦いが続く。

 

ここ30年の歴史で見ればロシアに侵攻されたアフガニスタンを守るために後にアルカイーダとなるサウジアラビア出身のムジャヒディーン戦士達がジハード(聖戦)を戦い、その後ろ盾になり携帯地対空ロケット等の最新兵器を渡して使い方を教えたのが米国CIAだ。

 

それがロシア撤退と共に米国がアフガニスタンに興味を失ってたところにイスラム原理主義が台頭してきていつの間にか米国を敵視するようになりイスラム対キリスト教の、異教徒同士の戦いとなった。詳細はウィキペディアを見れば分かるが、この争い、正直ぼくにはこれが宗教戦争には思えない。

 

キリスト教対イスラム教というよりも、どっちの宗教にも存在する、暴力でしか物事を解決出来ないバカ同士の喧嘩と考えるべきだろう。多くの人びとは暴力で解決することの無意味さを理解しているが、一部の人間がビジネスに利用したり単細胞で鬱憤晴らしをやってるだけのことであり、良識のある人を巻き込んで全面戦争にすべきではないと思ってる。

 

これは何も宗教に限らず日中韓の争いも同様だ。多くの良識ある人は暴力やデモは望んでいない。一部の政治家や団体が人種差別を自分のビジネスネタに利用しているだけだ。

 

ただそんな事を言っても事件は現場で起こっている。ぼくらはこのような状況にどう対応すべきだろうか?ニュージーランドでは宗教差別は起こっていない。実際にこの国に来た移民、特に難民としてやって来た異教徒同士がこの国ではお互いに揉めることなくそれなりに仲良くやっている。

 

もしオークランドで偶然知り合ったモスリム(イスラム教徒)が話の流れで「キリスト教のくそったれ!そう思わないか兄弟!」と言われた場合、何と答えるべきか?

 

それは逆の立場でも同じであり、もし白人酔っぱらい低能エセクリスチャンがオークランドの夜中の飲み屋のバーで英国ロンドンの若者のイスラムヘイトデモを観ながら「おい兄弟!おまえんとこは仏教だろうが、仏教は人を殺さねーよな、イスラムって最低だぜ!おい、そうだろ!」と言われたらどうすれば良いだろうか?

 

これは僕個人の方法なのでキリスト教かイスラム教を信じる日本人が使えるかどうか分からないが、まず最初に言うことは「ごめんな!おれは酒を飲んでる時や飯を食ってる時に宗教の話はしない。宗教ってのは自分と神様の直接対話なのだから他人にどうこう言う話じゃないと思ってる」とまず言う。

 

その上で「オレは民主主義と言論の自由こそがおれの生きる社会の大原則だと思ってる。だからもし誰かがスピーカーズコーナーに立ってどれだけ社会から外れた発言をしようがそれを暴力で止めることがあれば、そういう暴力に対しては徹底的に抵抗する。それが言論の自由を守ることだと思ってる。そして自分の意見を他人に押し付けるために暴力を振るう人間に対しても抵抗する。人はだれも信仰の自由がある。言論の自由がある。それを守ってこそあるべき社会だと思う」

 

そして最後に言う「だから君の意見は尊重する。ただ悪いが君、君がおれに同意を求める事はやめてくれ、それは酒を飲んで話すことではないよな!」である。問題はモスリムが酒を飲まない場合が多いので、その時には「飯食ったりお茶飲んだりする時に政治の話や宗教の話を押し付けるな」ってことくらいか。

 

ぼくは昔から添乗員の仕事をしている時に一番気をつけたのがお客様との話のネタである。相手の考えとか趣味が分かるまでは絶対に触れてはならないネタが3つある。1つ目は政治、2つ目は宗教、3つ目野球である。1と2は誰もわかりやすいだろう。けど3番目の野球については、これがトラブルのもとになることがある。

 

かなり昔の話だが旅行屋同士でシティの回転寿司屋でわいわいと飯を食ってた時のことだ。ぼくが何の気なしに「今年は福岡と名古屋のチームで決勝ですね、どちらも地方チームってのが面白いですね」と言った。

 

するとその場にいた近畿日本ツーリストの支店長が真っ赤な顔になって怒りだした。「ふざけんな!名古屋は日本の中心だぞ!」笑うに笑えず堪えるのに苦しかったが、そんな事だってある。誰しも自分が大事なものがあるのだ、それを十把一絡げに略して話をするのはとても危険である。

 

これからニュージーランドに来る人はいろんな不安があるだろうが同時に思いもよらない状況に接する機会もあるかと思う。今からでも良いから国際ニュースを見る事を身に付けて外国ではどのような問題があってそれぞれの国民性がどうなのか、それに対してぼくらが英語でどう回答するのか、考えてみる必要がある。「あったしー、よく分かりません、無宗教だもん」なんて言うと宗教色の強い国の人々からすれば「じゃあなたの道徳や価値観は存在しないのか?」と聞かれてなんと答えるか?

 

宗教に命を賭ける人々がいる国では宗教に対する無関心だけではやっていけないという現実を理解すべきだろう。



tom_eastwind at 01:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月02日

8割は首の時代

***抜粋開始

【化学】昔は会社に対する貢献度が低い、人事評価が真ん中以下の人から切った。今は真ん中以上の人も対象だ。AE5段階評価で言えば、C評価、B評価の人も対象になっている。

 

【金融】正直言ってC評価以下の人はすでに切っているから、残っているのはABクラスしかいない。細かく言えばBマイナスから切ることになる。また、年齢で言えば、能力が同じ30代と40代の人間なら間違いなく40代を切る。うちの会社で言えば、8割の社員がリストラの対象になっていると言ってもいいね。

 

IT】本人も会社もリストラの対象ではないと思っていても、経営環境の変化でいつの間にかリストラの対象になってしまう。そんなリストラが日常茶飯事に起きている。ましてや中国、インドが台頭し、国際競争力が低下するとますます進む。リストラされないと安心できる人なんて誰もいない。

 

リストラ対象になる働き方とは

 

【流通】ただリストラで注意しなければいけないのは、残った社員のモチベーションが下がらないようにすることだ。彼は辞めさせられてもしょうがないなと思う人間をピックアップする。あるいは、仕事がずば抜けてできる社員がいれば、その人を切る。なぜならできる社員には敵が多いから、周りの人間はああよかったと思うし、職場風土のマイナスにはならない。そのために周囲にそれとなくヒアリングする。

 

【電機】低いパフォーマンスしか出せない社員が真っ先に切られるのは当然。それ以外で言えば「真面目で無能な人」だ。じつはこんな社員ほどやっかいで迷惑な存在はない。これはドイツのワイマール共和国の参謀総長だったハンス・フォン・ゼークトが言っているのだが、彼は軍人を有能か無能か、勤勉か怠惰かの4タイプに分け、有能で勤勉な人は参謀タイプ、有能で怠惰な人は司令官タイプであり、無能で怠惰な人は連絡将校タイプ、そして無能で勤勉な人は「銃殺」すべきと言っている。会社で言えば、真面目で無能な人は、上司が言ったことを自分で加工し、余計な味付けをして職場を混乱させる。

 

IT】うちは海外公募制度があるが、大事なのは海外で仕事をしてみたいと思う人間じゃないとだめだということ。それから何事にも細かいやつはだめ。むしろ大雑把なやつのほうがいい。たとえば、海外赴任が決まったとすると「現地にスーパーはありますか」「水は飲めるんですか」などと、事細かく聞いてくるやつ。こんな社員が赴任しても大概は失敗して戻ってくる。

 

【流通】語学よりも大事なのはやはり胆力がある人間だよ。語学だけできても現地に行ってつぶれるやつはつぶれるし、英語バカはいらないね。語学の能力と仕事の能力はまったく違う。何より、ビジネスで使う英語は、単に英語ができますというレベルとは違う。実際に、外国人と英語で切った張ったの勝負ができる人ってそんなにいない。

http://president.jp/articles/-/9270?page=7

***抜粋終了

 

ある雑誌でリストラ特集をして大手企業の人事担当者の意見を聞いたところ上記のような話になった。あまりに現実的過ぎて、長文だがついついそのまま掲載した。みなさんはこれを読まれてどう思うだろう?

 

ぼくはこれ、かなり納得した。社会人の80%がリストラ対象という現実は、多くのサラリーパーソンにとって目を覆いたくなる話だろう。現実を受け入れることは自分がリストラされるかもしれないと「首という現実」に正面から向き合って今までの人生でどこまで努力してきたか?どれだけ自分で考えて決断して行動してきたか?そのような自分の過去の反省をするから辛いだろう。

 

80%がリストラ対象という状況を「見て見ぬふり」をして新橋の焼き鳥屋でワイワイと他人の人事の話をしている方が余程目の前の現実から逃げる事が出来る。しかしいつまでも逃げられるのか?逃げ切りが出来るのか?

 

年を取れば取るほど競争力が落ちる人々にとっては不安が広がる話だし、けれど振り返ってみれば労働力として自分個人の価値向上に努力しなかった結果としての今があるわけだ。

 

しかし他人に指摘されたくないし、ましてや妻や子どもに指摘されることくらい腹が立つ事はない。お前らのために働いているんだと思っている父親からすれば自分の存在価値そのものが揺らいでいる事を知っているからこそ指摘されたくないのだ。

 

じゃあニュージーランドではこのあたりどうなのだろう?8割は首の時代か?答えはYESに近い。この国ではテレビでしょっちゅう「炭鉱会社が採石不振の為に炭鉱労働者を数十名解雇しました」とか「大手銀行がコールセンターサービスを豪州に移して数百人単位の合理化を行いました」とか比較的冷静にやっている。

 

ニュージーランドでは解雇要件があるし政府調停機関もしっかり活動している。この機関では解雇だけでなく残業手当未払いや休暇の取り扱いなども取り扱っている。では解雇の際に社会問題になっているか?これが意外と問題となってない。

 

何故なら国民の側に自分たちは労働者という商品であることを認識しており企業はお情けでやってるわけじゃなくてやすい原価で高いものを作って売る組織だと理解されているからだ。その代わり解雇を受ける時は退職パッケージというのがあり、解雇一時金、特別有給休暇、再就職の斡旋などが含まれている。

 

例えば炭鉱労働者であれば豪州の炭鉱に斡旋することもあるしコールセンターはNZ国内の近似業種を人材紹介会社に登録して再就職斡旋を行う。

 

更に大事なのはこの国では再就職に年齢制限がなく再就職までの間は実質無期限で失業手当が出る(日本で言う生活保護だがイメージは失業手当が近い)。自分が従事している業務がすでに時代遅れになっていれば生活保護を受けながら専門学校で数年勉強をして(学費は奨学金、別途返済不要の学生手当が出る)新しい領域で仕事をする。

 

このような仕組みがあるからこそ8割はリストラ対象と言われても「ふむ、そうだろう」くらいで話が終わるのだ。このような社会保障システムや転職しやすいシステムが実質的に人々の生活を守り再雇用が出来る仕組みになっているのだ。

 

事このように国が違えば常識からすべて変わるのだ。だから日本で働く人々は日本国内常識だけで問題を解決しようとしたりするから袋小路に入り込んでしまうのだ。

 

ちょっと発想を変えれば今の日本の雇用形態は個人の労働者としての付加価値を持たせない仕組みであり一生上司に怯えながら黙ってサービス残業するしかない状態に追い込まれている事が分かる。

 

しかし自分が8割に入っているのなら、頭を下げてわびを入れて8割に参加するか、または独立して8割以外の道を選ぶしか、自分の人生を生きていくことは出来ない。

 

8割以外、つまり独立するとなった場合、コンビニ店主などがあるが、これは社長でありながら労働条件はきつい。大工の仕事は?給料下がってるし年取ってまで出来そうにないし。税理士とか行政書士。学んでいる間の生活費をどうするか、独立後も仕事は取れるのか?これも壁は高い。

 

どのような道を選んでも人生の折り返し地点に立っている状態ではきついだろう。しかしそれが現実だ。今更学生に戻れない以上、残された道のどれかを選ぶしかない。

 

けど発想を変えてみれば比較するのもおかしな話だが、アフリカの戦争地域で生まれ育った人々は教育もなく文字も書けず下手をすれば子供の頃から兵士として鍛えられてしまい普通の生活に戻れられなくなっている。

 

それに比べれば日本でサラリーパーソンやってるってのはまだ幸せだし転進する道も残されているのだから本気になればまだいけると思う。

 

8割は首の時代、けれど残りの2割に入るか独立する道を選ぶか。いずれにしても、深くて真っ暗な下を見ながら何もしないのではなく頭の上に見える一筋の細い光を頼りに自分のために何かをやって登っていこう。



tom_eastwind at 13:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年06月01日

ICC 今香港

今、香港

 

昨日の夜遅くに香港到着。11時間の移動が長いかどうかは人によるだろうが、何故かぼくは飛行機の移動はあまり気にならない。むしろメールやネットが繋がらないのでほっとしているくらいだ。

 

香港では馴染みのお店に顔を出して」「よ、ひさしぶりー!」とかやって楽しんだ。久しぶりーって声かけたのは香港人のマスターで、言葉は当然広東語、だからなんかいきなりどっぷりと地元に浸かる。

 

生き馬の目を射抜く香港ではあるが、このあたりオンとオフが明確だ。仕事はバリバリやるが仕事が終わればあとはしっかり休む。馴染みの店でゆっくりとバカ話をして酒を飲んであれこれと話をするうちに長い夜が過ぎる。

 

帰りのタクシーで1000ドル札(約13千円)を出すと「そんな金、釣りがあるわけねーだろうが!」と運転手さんに怒られた。この街は人々すべて平等である。乗せる権利もあれば断る権利もある。しかしそうは言っても手元には1000ドル札しかないので、ホテルで小銭に両替してもらって難を過ごす。

 

泊まってるホテルはW香港という最近開発された地区のセンスの良いホテルで向かいにはICCという香港で一番背の高いビルがある。古くからの知り合いが働いているオフィスでもある。

 

ビルの手前にはオフィス内でタバコを吸えない連中が固まってパコパコやってる。世界はどこも同じだなーって感じ。

 

ホテルの朝食は結構お洒落で、カウンター形式のテーブルに様々な料理が並び(日本食はない)目玉焼きとかささっと作ってくれて気楽だ。

 

崩れたクッキーを口にしながらフルーツを食べていると多分となりのビルに出張に来たビジネスパーソンだろう、が朝食会議をやっている。日本だと夜に飲み会で情報共有や交換をするがこっちでは朝ごはんが中心である。

 

日本人のように夕食を一緒にするって習慣がない白人の場合、外部との打ち合わせはワイン付きのビジネスランチ、内部の打ち合わせはパワーブレックファーストとなる。

 

ぼくはいつもの通り一人で黙々と朝ごはんを食べている。頭の中で今回の出張予定を確認したりあれこれ入れ替えたりしながら。さ、今回も長い出張が始まった。説明会は68日東京で行う。体力勝負で乗り切ろっと。



tom_eastwind at 17:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌