2013年08月

2013年08月30日

金曜日の昼、スターバックスにて

金曜日だからってわけではないが、会社の入ってるビルの一階のスターバックスにパソコンを持ちこんで軽く仕事をする。目的は店内で誰がどんな顔をして何を飲んでるかを見ること。


うちのオフィスはオークランドの中心の中のど真ん中で、ここでオフィスを構えてもう14年になるが、街の変遷を見るには一番分かりやすい。


学生の顔も毎年毎年変化しており、最近目立つのは中東系の学生だ。中には頭に白いターバンを付けて孫悟空の頭の輪を乗っけてたりする。


スターバックスの店内はアジア系の学生が多く、二人で座ってて英語で話したり韓国語で話したり、つまり完璧バイリンガルがお互いのIpadを並べて楽しそうにおしゃべりしてたりする。


ぼくが頼んだ紅茶はGrande(中)サイズで4ドル50セント。約400円だ。Venti(大)サイズでも同じ価格だ。この値段が高いか安いかは比較の問題である。価格が下がり続けている日本から見たら高いだろうしロンドンに比べれば安い。


ニュージーランドは通貨の流通量が圧倒的に少ないので為替がしょっちゅう大幅に動く。1ドルが40円の時もあればその1年後には1ドルが90円になってたりする。だから住宅価格も日本円で見れば2千万円だったのが一年後に4千万円になる。


学生の顔も変わる。1990年代後半は韓国の学生が多かったがアジア通貨危機の時に彼らは一気に本国に戻ってしまった。その後2000年代に入って中国からの学生が激増してその時は騒々しかったが今よりもうちょっと大人しくしていたものだ。


ところが2003年に学生ビザ発給ルールが厳しくなると中国人学生も音を立てて引いていった。当時は英語学校も200校近くあったが中国人学生の激減で100校くらいに一気に減った。


そして2005年頃から日本人学生も減少を始めてワーキングホリデイで来る日本人も最盛期の2002年の4,000人から減少を始めて現在は2,000人以下である。


韓国の学生は通貨危機を乗り越えて金大中政権時代の政策が成功してまた力を付けて子どもたちを連れたお母さんが親子留学でやって来るようになった。韓国の場合は徴兵制度があるので子供の頃から海外に送り出して永住権を取得させて徴兵逃れをさせたいという親の気持ちもある。


そして現在はニュージーランドが国策として留学生と教育ビジネスに力をかけており、中国からの留学生も増えた(こいつらが一番傍若無人!)。受け入れる側も今までの単純な英語勉強だけではなく、英語を使って専門教育を受ける仕組みに変わった。


IT,ホスピタリティ、料理学校、建築、様々な科目でコースを作っており、2年程度通ったらジョブサーチングビザという就職先を探すことの出来るビザが発給される。このビザを持って就職出来ると就職先で働けるワークビザに切り替わる。


でもってワークビザを持って2年程度働くと通常は永住権申請が可能になる。英語テストは地元の専門学校を卒業しているので問題なし。そう言えば「英語出来なくてもレストランのウエイトレスでも永住権取れるよ」なんてバカな案内している会社があるが、信用して痛い目に遭うのは自由だがもし本当に永住権欲しければ最初からきちんとプランニングすること。


それで言えば大きな変化はオークランドで日本食レストランや持ち帰り寿司がどんどん増えた事と現地で発行されてる無料雑誌「月刊ニュージーランド」の宣伝でここ一年で急激に自称ビザサポートや自称投資コンサルタントが増えた事かな。


表現の自由は民主主義国家の基本なので何を表現しても自由なのだが、どう見てもジョークでしょって広告を見ると仕事時間中なのに笑い出してしまい、周囲のスタッフに変な顔をされるので困ったものだ(笑)。


「あのさ君、去年まで不動産屋だったよね、でもってそっちの君はこの前まで英語学校で受付やってたよね、でもってどうして投資コンサル歴10年なんて書くのかなー?」である(笑)。


そう言えばレストランの広告も書きたい放題言いたい放題なので、これも笑える。閉鎖された社会で閉鎖された人々が延々と同じメンツで過ごすものだから日本語の正確な意味がいつの間にか方言になってしまうのか、笑えてしまう。


すべてのレストランが「うちが最高!」で「うちが本家!」で「一番人気!」でと、じゃあ結局どこが一番なの?と笑いながら聞きたくなる。


なにもないような一日。晴れ渡った空の下、実際には毎日が戦争なんだけどまるでBanf of Brothers の休息時間のように、なにもないような青空。久しぶりにゆっくりと紅茶を飲みながらゆっくりと街を眺めてた時間でした。



tom_eastwind at 14:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月29日

ニュージーランド経済レポート

当社では投資家やファイナンスにご興味のある方向けにニュージーランド経済レポートを毎月発表している。

 

ぼくは日頃自分のブログではあまり数字を多用せずに肌感覚で書いているが仕事では数字を重視している。常に数字を見ながら感情ではなく勘定、データによる検証も肌感覚と合わせて行っている。でもって数字と肌感覚が合わない時は必ず数字側に問題があると推測して数字の出所と根拠を確認する。

 

例えば失業率。8月07日に発表された失業率は前回の6.2%よりも0.2%増えて6.4%になった。予測を0.1%上回ったが、同時に失業率は悪化したものの就業者数は増えたとの記事。普通なら違和感がある。失業率が悪化するのは失業者した人が増えたって事で、だったら就業者は減るのでは?

8/7

失 業率 第2四半期

6.2%

6.3%

6.4%

4月から6月までの失業率は、その前の3ヶ月間が6.2パーセントだったのに比較して6.4パーセントに増加した。しかし同期間で、職に就いた人は8,000人増加した

http://www.nzdaisuki.com/news/news.php?id=5569

NZ大好きより

 

これは何を意味するか?実はここにニュージーランドのからくりがある。失業率とは仕事を探している人の数であり、これは今まで仕事を探さなかった、つまり生活保護を受けてるだけの人が最近になって仕事を積極的に探し始めたという意味であり同時に学生が単位を取得して就職先を探し始めた結果だ(ニュージーランドは日本のような新卒一括採用はない。随時採用が基本)。

 

要するに首になった人が増えたわけではなく就職したい人の数が増えて実際に就職出来た人が8,000人増加したわけで合計労働者数は増えており、日本のように首になって失業者が増える不景気型の雇用状況ではないという事だ。

 

特にこの国は徹底した社会保障で国民が守られており一生に一度も働かなくても食っていける環境があるのに、それでも働こうとする人々がいるって事だ。

 

このような状況判断は毎日現場で仕事をしていないと理解しづらい。机上で数字だけを見てても分からない。ぼくは毎日現場の最前線に出て仕事をして様々な業界の人々と話をするので、今のニュージーランド、特にオークランドの景気の良さは肌で感じる。

 

人々が「今この街は景気が良い、なら今のうちに仕事を見つけて生活保護ではなく、より豊かな生活を送ろう」としている気持ちが現場にいるから伝わってくるのだ。これは本当に現場で仕事をしていないと分からない。

 

7月のNZ企業景況感、14年 来の最高水準

7月のNZ企 業の景況感が、19994月以降で最高の水準に達したことが、ANZ銀行の調査で分かった。同国の景況感は昨年半ばから上昇傾向に ある。ANZ銀行の調査によれば、回答企業の53%が、今後1年 間の事業環境が改善すると予想。6月の50%と比べて3ポ イント改善した。自社の業績については、44%が上向くと回 答しており、前月調査を1ポイント上回った。

 

業界別の景況感の格差も縮小。最高は建設部門で、農業部門が最も低かった。クライストチャーチ地震の復興事業に伴い、建設業の景況感は、住宅部門、非住宅部門ともに4年 来で最高の水準に達している。建設市場の好況を受け、製造業の景況感も5ポ イント上昇した。

 

ANZ銀のチーフエコノミストのバグリー氏は、NZ経 済が成長していることを示していると分析。今後1年間の経済 成長率が3%超となり、向こう2年間は豪州経済の成長率を上回ると予想している。一方で、回答企業 の30%が今後1年 間で価格の引き上げを検討していることが明らかになっている。

 

各指標データ

7月のNZ企業景況感、14年来の最高水準

NZ失業率は悪化するも、就業者数は拡 大

NZ国営電力、10月末にも上場

NZ小売売上高、第2四半期は1.7%

NZ 7月食品価格0.5%上昇、野菜が貢献

NZ新車販売12.4%

NZの住宅販売数上昇、過去6年間で最多

住宅市場過熱抑制へ10月から融資規制導入

NZ野党、外国人の住宅購入の制限を計 画

***

上記の「経済成長率が3%であり来年度は国家財政が黒字化される予測であり公定歩合は2.5%、企業の30%が今後の価格引き上げ」とあるが賃金はあまり賃上げされていない状況は、労働市場に参加する未熟練労働者が増えたので給料を大幅に上げなくても労働者が集まるからだ。

 

それでもNZでは毎年最低賃金の見直しが行われており現在の最低賃金は13.75ドル、毎年大体2%程度の賃上げがされている。実際の熟練労働市場では毎年3~5%くらい上昇している。ちなみに当社も毎年5%以上の賃上げを行っている。

 

これから労働需要が増えていけば失業率は一年後には3%程度に下がるだろう、そうなると労働現場では人員不足になるので賃上げと外国人労働者の確保が必要となる。つまり一年後は今よりもワークビザ取得が容易になるって事だ。しかしそれは労働ビザ保持者が永住権を取得する事の容易さには繋がらない。

 

どこの国も発展時は永住権を大量発行して国民の数を増やそうとするが一定数が増加した後は質の高い労働者のみが永住権を取得出来るようになる。今がまさにその時期である。これから永住権を取得するなら「だれでも出来るような仕事」で「英語もろくに出来ない」で「安い給料しか貰えない」仕事は避けたほうが良い。

 

僕のブログは基本的に殴り書きだが例えば「5年先が見える」って時は上記のように数字に裏付けられた経済事情と国家のインフラの動きと肌感覚を足し合わせて書いている。色んな要素を合計すれば今ニュージーランドが置かれている現状が見えてくる。

 

その現状と同じ状況が何時の時代に存在したかをかぶせればそれと同じような未来が次に来ると分かる。歴史は本当に繰り返す。ある意味多くの人間はそれほどに歴史に学べない人々なのである。だから地震などの突発事件は別としてある程度の未来予測が可能なのだ。

 

ところでぼくがこういうようにものを考えることになったきっかけは実は中学生の頃だったかに読んだ一冊のSF小説が始まりだ。それは1950年代に発表されたアイザック・アシモフの「ファウンデーションシリーズ」だ。この作品中に出てくる「心理歴史学」である。(てゆーか、個人的にSFって凄いんだぞとも言いたい(苦笑))

***

膨大な数の人間集団の行動を予測するための数学的手法。社会的、経済的な刺激への人間の感情や反応に一定の規則を見いだすことで、未来の人類の行動をも予測しうる。

心理歴史学による未来予測が可能かどうかは、以下の3点が重要視される。

個人ではなく膨大な集団を扱うこと

人間が気体分子のようにランダムに行動すること(心理歴史学による予測について知らないまま行動していること)

扱う集団が人類のみで構成されていること

ファウンデーションシリーズの根幹をなす架空の理論である。名称自体は1930年代にも実際に用いられたことがあるものだが、作品で使われているものはそれとは関係ない架空のものである。アシモフは気体分子運動論をヒントに作り出しており、個々の分子の運動は予測できないが、集団の気体ということなら平均の運動は計算できるということについて、分子を人間に、気体を人間の集団に置き換えている。アシモフは後に、人間集団の行動はこのようなものではなくカオス的なものではないかと考えている。

***

勿論この理論は架空であるが将来どっかの学者によって証明されるかもしれない。今はぼくは集団がランダムに行動することを前提に数字と市場の定点観測により自分なりに今の時代を読み取りそれに合わせて未来予測を行っている。

 

経済レポートにはランダムに行動する人々の集大成が数字として現れてくる。街を歩く人の無意識の表情に街の勢いが現れてくる。あとはそれを正しく読み取れるかどうかである。



tom_eastwind at 22:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月28日

こんなのスパゲッティじゃねー!

「こんなのスパゲッティじゃねえ、ケチャップ付きヌードルだ」

ニュージーランドには缶詰に入った「スパゲッティと自称する食い物」がある。英語でMessという言葉は汚すとか散らかすという意味があるが「食い物」という意味もある。缶詰に入ったケチャップヌードルはまさにこのMessという言葉がピッタリである。

 

タスマン海を渡ったオーストラリアにも同様のモノがあり、これはあるアルコール飲料だがあんまり「ソレ」らしくなくてメーカーは作った後に恥ずかしいものだからラベルに伏せ文字で「XXXX」と書いた。もちろんこの意味はBEER、ビールである。(テーブルジョークです、マジ受けしないように・笑)

 

どこの国にも他国人には理解出来ない食い物がある。1980年代の香港では生魚を食う習慣がなく日本人が寿司を食うのを見て「あり得ん!」という顔で香港人が眺めていたものだ。当時の中国人の習慣では火を通さずに魚を食うのは衛生観念上「あり得ん」食い方だったのだ。

 

今ではもちろん寿司も市民権を得て普通に食べられているが、時代かわれば・・・である。

 

そう言えばぼくが香港にいる時に郵便で送る封筒に切手を貼ることがあり、その時手元に水がなかったので何気なく切手をペロって舐めて貼ってたら奥さんが「あり得ん・・・」という顔で僕を見つめてた。

 

そう、香港では切手は汚れたものでありそれを舌で舐めるなどあり得なかったのだ。

 

他にも香港では定食屋などに行くと皆が普通におしゃべりをしながら手元にある食器とお箸をテーブルに置いたお茶を使って洗う。食事前にテーブルに置かれた食器を洗うのは、お店もお客も事前承認した作法である。日本じゃ「あり得ん」わけだが、これは「所変われば」の好例である。

 

冒頭のスパゲッティのセリフは実は元ネタがあり、「Band of Brotheres」という人気テレビ番組のある場面で使われた。米空挺団に所属するイタリア系の兵士が昼食で出されたスパゲッティを食って最初につぶやいた言葉だ。

 

今もし普通のキーウィに「こんなの、xxじゃねえ!」と言わせるとしたら、

1・夕方6時以降も外来者が入れるオフィスビルなんてオフィスじゃねえ!(残業がないオフィス街)

2・夜9時になって12歳くらいの子供がひとり歩きしている街なんてありえねえ!(塾通いしない国、子供が14歳になるまでは一人歩きをさせると子供の虐待となり親が逮捕される)

3・週末にお客とゴルフに行くなんてありえねえ!(接待が存在しない国)

 

けど多分最も多いキーウィの意見は朝から晩まで働き続けて休みも殆どなくて税金ばかり取られてる日本人の生活を見て「こんなの人間の生活じゃねー!」ていうところだろう。



tom_eastwind at 17:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月27日

創造する力 中村天風について

ぼくは時々中村天風の話を書く。ぼくが初めて彼の名前を知ったのはもう10年くらい前になるか、日本の右翼の歴史を自分なりに調べてみた時の事だ。

 

九州の福岡に江戸末期から昭和初期まで生きた頭山満という男がいた。彼は国士である。今の言葉で言えば右翼と呼ぶのかもしれないが、彼は自由民権と天皇制を同一のものと捉えることが出来た、ほんとうの意味での国士である。

 

中村三郎、後の名前「天風」は頭山満の検索をしているうちに出てきた。頭山満の周りに集まる途轍もなく大胆かつ乱暴な弟子の中で更に特別に一人とてつもなく凶暴で手の早い若者がいてあまりの無謀さに頭山満の弟子に送り込まれたのが中村天風である。

 

最初は頭山満の経歴が面白くて色々と調べていたのだが、ある程度調べがつくに連れて明治の日本の立ち位置が見えるようになってきて、それから今度は日本の昭和に影響を与えた中村天風に興味が出てきて彼の本を買った。

 

そこから先は昭和の時代にスウェーデンボルグを学んだのと同じ要領で最初の数冊を徹底的に読み込んでそこにある「何か」を探りだす勉強に移った。

 

今回はある方が「天風先生、好きなんでよね、良ければこれどうぞ」とお貸ししてくれた2冊が手元にある。この本は天風の直弟子の方が天風について語っている。その中に「創造」について書いており、これは非常に共感を得たのでここに書いておきたい。

 

中村天風の言葉で「創造とは過去の経験知識の解体と結合に因る」がある。人は生まれて様々な経験を経て知識を増やして行く。この増やした知識を一旦原素レベルまで砕いてしまい(解体)、普遍的な原理原則だけを取り出してその原素をレゴのように再構築(結合)して今までに存在しなかった形に造り替える事が創造である。

 

創造とは言っても基本的に人間はどこかにある何かを持ってきて再創造しているわけで、例えば日本人は日本人に対して意思表示をするのだがこの時には日本語を使っている。その日本語は自分がゼロから創造した言葉ではない。

 

例えばIphoneがわかりやすい例であり、あれは部品レベルまで下ってみればどこにもある技術で創造ではないが今まで誰もあーいうものを一個にまとめて造らなかったという意味でIphoneは再創造であり市場を創造した。

 

であれば本来創造を得意とするのは長年にわたって経験知識を積み重ねてきて年齢を重ねた老人であればあるほど有利なはずだ。何故なら彼らは例えば70年生きた長い人生の間に様々な経験を重ねているのだから5歳の子供よりもその経験に基づいて新しいものを創造出来るはずだ。

 

しかし現実にはそうはなっていない。そこでこれは何故だろうかと考えてみる。

 

するとまず思いつくのが年寄りの頑固さ、つまり一旦覚えた事を砕くなんて事を考えたこともない変化を嫌う体質だ。変化を嫌うってのは年齢に関係なく誰もが自分の人生で手抜きをしたい、つまり一度覚えたグリコキャラメルで何度も美味しい思いをしたいという「挑戦人生からの逃げ」である。

 

人生を楽しく生きるのは一度の人生で何度でも新しいことに挑戦することだ。今の日本なら失敗しても殺されることはめったにないってのに失敗を恐れて面倒を嫌がり学ぶことに面倒さを感じて、一度覚えた事をバカの繰り返しで死ぬまで怠惰な人生をだらだらと過ごす。

 

そのくせそういう連中に限って常に何か受け身の変化を求めて何か楽しい事はないかと夜の街を歩いてみたり毎日テレビの前に座ってポテチでも食いつつ三流サスペンステレビを見て喜んでいる。バカじゃないかと思う。

 

こういう生きそびれはいつも「他人が悪い、環境が悪い、おれは悪くない」そう言い訳をしつつ実は自分が何の変化もしようとしない、つまり自分の経験知識を解体しようとする努力をしない。言い訳はいつも同じ「だって忙しいんだもんー、それにさー、やること多くてさー」と、だらしなく突き出た腹の上にビールを乗せてタバコをぷか〜っと吹かしているだけだ。

 

つまり本来創造を得意とするはずの大人が実は自分の怠惰な生活に逃げて、その分社会経験のない若者が全く新しい視点から新しいものを創造していくのだ、非常に高いリスクで。

 

もし大人がその経験を活かして予め若者の代わりに新しいものを創造すればその分だけ若者や子供はより高い位置、つまりその大人が築き上げた位置から高みに登ることが出来るのに。

 

創造を出来る人間は大きな人間ではなく高い地位にいる人間ではなくいたずらに年だけ重ねた生まれっぱなしのおやじではなく、常にひたすら変化を恐れずに進化出来る人間だけである。

 

変化出来る人間は常に自分に起こったことを何故かと考える。

 

もちろん最初は勉強の連続で大変であるが、次第にそういう思考方法に慣れてきて答えを見つけ出すことが出来るようになるから自分の経験の中に含まれる原素を取り出してその中にある普遍的な真実を見つけ出すことが出来る。

 

そうやって集めた普遍的な「真実のかけら」を自分の経験で再構築して今までになかったものを創りだす、それが社会の成長に繋がる。このような作業は自分の利益だけを考えていては決して実行出来ない。

 

その行為が自分の精神にとって楽しいか?人と一緒に笑えるか?世の中の成長に繋がるか?そういう気持ちがあるからこそ毎日が楽しいし、それが顔にも出て生き生きとして充実した人生を送れる。

 

では生き生きとした人生とは何であろうか?それは生命力を感じる時である。これは酒や煙草では決して得ることが出来ない精神的な喜びだ。

 

「あの人オーラがあるよね」って話をする時のオーラとは何か?

 

オーラの光とは生命力である。生命力とは体力、胆力、精力、能力、判断力、決断力の6つの力を言う。この6つの要素が十分に機能し全体としてまとまった時に生命力は最大となる。体力、胆力、精力は身体に関わるもので、次の3つ、能力、判断力、決断力は精神、心に関わるものである。

 

つまり人間が人生を一生懸命に生きようとすれば6つの要素をそれぞれ最大限に高める必要がある。そしてこの6つが最高に高まった時、人はオーラを放つ。それはAKB48の女の子が単体では決してすんごい美人ではないのにオーラを放ってその舞台の観衆を魅力で殺すのと同様だ。

 

そしてここポイントだが、最大限に高めるとは他人との相対的な比較で他人より多いという意味ではない、それは自分が予め設定した目標、一般的に夢と呼ばれるものに近くなればなるほど最大限に近づいていき、オーラは自分が目標に達成した瞬間に本人も気付かないままに現れてくる。

 

つまり大島やコジハルのように大した美人でなくてもオーラがあればセンターに立てる、そのオーラは誰もが自分で創りだすことが出来るという事実だ。

 

さあ、あなたにも出来る!生命力を持とう!自分の人生を無条件に素晴らしいものだと信じよう!

 

変化を恐れずに常に新しい今日を生きよう。毎日寝る時には自分の心の中にある創造主に対して「今日も生かしてくれてありがと!」と伝えて、翌朝起きる時は創造主に対して「今日も起きることが出来てありがとう、さあ、もっと進化するぞ!」と伝えよう!

 

人生は戦って勝ち取るものだが、それは他人から奪うものではなく自分との戦いで何かを創りあげて世の中を少しでもよくすることだ。皆がそうすれば社会は必然的に上向きになるし人々の貧困は減少して皆が精神的にも肉体的にも豊かになれる。

 

自分のためだけに欲張るな。しかし世の中の為に欲張れ!変化を恐れずに生きていこう!



tom_eastwind at 12:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月26日

MONSTER 浦沢直樹と子どもたち

日曜日の朝から夜遅くまでかけて久しぶりに浦沢直樹のMOSTERを読み返す。本当に重厚でありしかし決して明るさを忘れずに世の中における正義とは何か、人はどうあるべきかを追求している素晴らしい作品である。

 

「僕は漫画を読んでいます」と言っても堂々としていられるのは僕が読んでる漫画はその多くが普通の小説以上に出来が良いからだ。表現方法に違いはあれど何かを創作して他人に影響を与えるのは音楽であれ小説であれ漫画であれすべて同様に素晴らしい。

 

さてモンスターの中で子供の教育について語られる部分がある。

 

公教育というものを少し角度を変えて見てみよう。一般的に公教育とは子供をその所属する社会で大人になるにふさわしい人格と知識を持たさせる作業であり、言語、科学知識など社会人として生きるための知識を与える。同時に情操教育として社会が何故存在するのか、家族を大事にするとは何か、自分が社会の中でどのように活動していくかを教える。

 

逆に言えば子供にどのように教育を与えれば正しく社会を崩壊させることが出来るかとか子供に社会に対する憎しみを教え込みおとなになっても誰も信用せず見るものすべてに憎悪を感じるようにすれば社会は自然と崩壊するだろう。モンスターの一つのテーマは子供の憎悪である。

 

だから公教育の主眼は子どもたちが所属する社会で従順に働いて納税してもらう事であり外国と戦争があれば銃を持って戦いに行くことであり産めよ増やせよで社会の構成人員を増やして行くこととなる。

 

つまり公教育の目的は専門学校や大学で教えるような哲学や物理学や人生の真実を追っかける作業で世の中の真実に目を向けさせる事ではなく世の中の多くの子供を疑問を持たずに社会に送り込み自分の頭で考えることをさせずに支配層に従順に盲従していく事だとすれば、これは今の日本の公教育はまさに大成功していると言えるのではないか?

 

子供の頃に持ってたひとりひとり違う個性をところてん製造機に押し込んで全員を同じ形にしてしまい、どこを折っても金太郎飴にしてしまう。

 

高校生になった頃は自分の頭で何か考える訓練なんて出来なくなっているから人生におけるちょっとむずかしい問題は先生に答えを聞いて自分の頭の中でちかちか光る「そ、それ違うよ」光線は無視してどんどん立派な社会人となっていく。

 

社会人になって「ぼ、ぼくは何をすればいいんでしょう?」と本気で悩む子どもたちは、けれど自分で結論を出す思考回路を失っているからどうして良いか分からない。そんな子供を工場に連れて行ってスパナを持たせれば両隣の子どもと同じ行動をする、何を教えなくても。

 

日本の大人子供を工場に連れて行ってネジを回せと言えば皆一斉に右回せ右!できっちりと集団作業をこなす、まるで北朝鮮のマスゲームのように。そこに個性はなく全員が同じ動きを無意識に行うから支配する側からすれば実に使いやすい。

 

東南アジアに戦争に連れて行っても、これからアラカン山脈を乗り越えてインドのインパールの敵陣に突入するというのに殆ど食料も弾薬もなく重い大砲を担いで行くことに「まあ、仕方ね〜や」と何の疑問も持たない兵士たち。

 

自分たちは確実に死ぬであろう、それも全く間違った戦略に基づいて作られた作戦の為になんて考えようともしない。これほど政府にとって扱いやすい兵隊はいない、理不尽でも黙って死んでくれるんだから。

 

そう考えれば現在の日本の公教育は戦前も戦後も素晴らしく良く出来たところてん生み出し装置であり、教育委員会が良くないとか子供の自立や個性が育たないなど訴える親のほうが間違っていると何故普通の家庭の奥さんは分からないのだろうか(皮肉です、マジではありませんよ)。子供に自由とか自発的に考える能力を持たせようとするから社会が乱れるのだ(これも皮肉ですよ、マジ受けしないでくださいな)。

 

見ろ、今の日本社会を!落ちこぼれは黙って社会の影に引込み政府批判をすることはない。住むところがなくなれば河川敷でブルーシートを敷いて社会の迷惑にならないようにひっそりと隠れて生活をしている。(これも皮肉ですよ、逆説です、ふー、最近はまともに文章読めない人が文句行ってくるから大変だ)

 

何とか社会で給料を貰える者は「おれは正しいんだ!言われた通りの事をやっているんだ!だから子供にも同じことを教えるんだ!」といつ自分が河川敷に送り込まれるか半分恐怖に陥りながらも既存社会の味方をしている、社会から追い出されて河川敷に送り込まれるその日まで。

 

世の中のほんの一部の東大法学部を卒業出来る人々のみが支配層を継いで更に強烈な洗脳を先輩から薫陶を受けつつ肥大化して日本の支配層はその素晴らしい知能で日本の公教育に磨きをかけていよいよ子どもたちを奴隷化していく。

 

文部科学省は正しい公教育の為に教科書を作り、日教組にしたって今の自分の既得権益が守られて労働貴族でいられるから別に本気で子供の教育をどうこうしようなんて考えない。政府と労働組合がお互い子供をダシにして美味いことをやってるだけだ。

 

どうせ自分たちが死んだ後に世の中がどうなろうと関係ない、なるようになるさ、黙って言うことを聞く「良い子」がたくさん生まれてきて、それでいいじゃないか。

 

ニュージーランドで子育てをすれば、この国がいかに子供の自由な発想を大事にしているかよく分かる。この国では子供は失敗を経験させて成長させる。だからこそ失敗をしても叱らない。

 

ところが日本では子供に自由な発想をと何かやらせて失敗するとすぐに大声で怒鳴り二度とするなと指摘して、結局子供は自由な発想をすれば失敗して怒られる事を理解してそれ以降は大人の言うことを黙って聞くようになり、失敗を恐れて何も挑戦しなくなり・・・・これでトコロテン金太郎飴の出来上がりである。

 

勿論ニュージーランドの子育てが最高というわけではない。失敗を許す社会なので時には大人になっても普通に失敗を繰り返す風潮はある。乗合バスは道を間違えてバックするし銀行窓口では1千ドル入金したら100ドルしか入ってなかったなんて事もある。

 

それでもそれが社会全体に与える影響と、子供が伸び伸びと自分の頭で考えて動ける大人になるのとどちらが良いか?

 

MONSTERを読みつつ思った。手塚治虫ってこんな世の中が来るって思っただろうか?

 

今の日本では多くの母親が子供の為と言いながら子供をところてんに押し込む政府の作業に協力している。もちろんそうやって個性を潰した方が今の日本では生活しやすいのだろう、それはよく分かる。ただ、それで出てきたトコロテンモンスターを見ても後悔することのないように、ただそれだけ感じた。



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2013年08月25日

洪水で「ワニ数千匹が脱走」「死者3千人」… 

日本では大雨の様子で大阪駅あたりの冠水した写真や九州の大雨の写真など事実を見ることが出来るが、同じようにお隣の中国でも大雨で大変な騒ぎになっている。

 

ただし中国の場合は虚実入り乱れた情報が錯綜しており、表題のようにとんでもネットネタから政府の嘘ネタまで国を挙げてのデマゴーグ戦争になっているようだ。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130825/chn13082512000002-n1.htm

 

産経の書くことなので全てを真に受けているわけではないが、中国が政府に因る情報操作と民間のインターネットを利用した「事実情報の操作」が中国全体の情報を相当に乱しているのも事実である。

 

高速鉄道事故の時などは先頭車両を土の中に埋めてしまうという荒唐無稽な行動を取る中国政府であるが、民衆がデマを流し始めると突然コントロールを失うのも笑える話である。

 

何せ政府がいつも嘘情報を出すわけだから民衆だって嘘を流す。

「ネットがデマを飛ばしたと言ってるが、ならばお前たちは事実を公表しているのか?朝から晩まで耳障りのいい話だけ報じてもダメだ。お天道さまは怒っているぞ」

 

少なくとも1980年代の中国では民衆が操れるメディアが存在せず政府の管理が全てであり天安門事件の時に初めて外国人記者が中国で起こった真実をニュースにしたがそれさえも中国国内で報道されることはなかった。

 

当時の中国の地方部ではめしを食うのが精一杯で中央政府に逆らうって事があり得なかった。あの時天安門広場に集まった学生たちは少なくとも皆が穴の開いてないシャツを着てズボンを止めるベルトさえあった。

 

同時期の農村戸籍の若者は農村でぎりぎりの生活を強いられてシャツの袖に穴が開いても縫うだけの糸も針もなければベルト代わりに縄でズボンを縛っていたような状況だった。だから当時は都市戸籍の学生の行動に対してそれほど共感を得ることが出来なかった。

 

しかし現在は中国でもお金持ちが増えておりインターネットは社会基盤の一つとなっており国民の意見を吸収するための有効な装置でありつつも同時に自由を求める人々のはけ口となっている。

 

つまり国民が国民としての権利を主張してその意見が遠く離れた中国の隅々まで行き渡るようになり、それを中央政府がどう抑えこむか、または政府に都合の良い方向に導くか、それとも共産党一党支配をいつの日か終わらせることで新しい民主的な中国・・・・と、ここまで書いて思わず笑い出した。

 

だって中国は何時の時代にも民主主義は存在せず多くの貧しくて学のない労働者を一部の支配者が制御する仕組みだったからだ。

 

中国4千年の歴史は常に皇帝と側近と彼らに対して武力革命を起こす挑戦者との戦いであった。そこに民主主義が入り込む余裕はないし民衆のために働く政治家が出てくることはなかった。何故ならそのように民衆のために働く皇帝は自らが民衆を成長させて結果的に自分が皇帝の座から引き釣り降ろされる事を熟知していたからだ。

 

だから本当に賢い中国人は決して皇帝の座を狙わずいつも民衆の中で人々と共にあった。中国人からすれば民主主義なんてどうでも良い、とにかく今おれが持ってるお椀の中に飯を入れてくれるのかがすべてだ。

 

指導者が皇帝であろうと大統領であろうと共産党であろうと中国人にとっては飯を食わせてくれるボスが良いボスである。

 

その意味で今のように民衆が堂々と発言するようになったのは中央政府にとっては相当な打撃である。しかしネットがこれだけ発達した時代で一方的に情報を制御してしまえば思わぬ所からクーデターが起こる可能性もある。

 

そう、中央政府にとって最も怖いのは民衆によるクーデターであり、1980年代であればまだ諸外国の監視もなく民衆を力で押さえ込むことも出来たが21世紀の現在中国が大国になるにつれ外国の監視も厳しくなり暴力による民衆の抑えこみはますます難しくなった。

 

中国の舵取りは100年単位でありその意味で小平が死ぬ前に次の指導者に「当分はじっとしておけ、体力を温存しておけ」とはまさにこの意味だったと思う。

 

つまり民衆が飯を食えるようになれば次に必ず権利を要求する、それは表面的には民主主義を求めるなんて言いつつも実は次世代の皇帝を狙っているに過ぎない。

 

だからあまり性急に強くなりすぎて外国を敵に回し外国に監視の目を付けられて外国に呼応する国内民主化勢力が中国一党支配に影響を与えて国家が崩壊することになっては元も子もないという事なのだ。

 

中国のような多民族国家で周辺国を抑えつつ領土拡大をするためには民主主義では通用しない事は支配されている側だって分かっている。国家の事は民主で決めるとなればどこの周辺国も地域の独立を主張して「中国出てけ!」となる。

 

“洪水で「ワニ数千匹が脱走」「死者3千人」…” は、日本人はその字面だけをそのまま受けて「中国怖いなー」と思うのではなく、中国人民がネットの効果を理解し始めて今は政府がどこまで本気に言論統制をするかを見極めているところだと考えたほうが良い。



tom_eastwind at 13:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月24日

セラードア・リンガ

前回の出張で書き忘れてたワイン・バーの話。
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前回は中洲の隣にある春吉の川沿いのお店を訪問した。お洒落でいて尖っていずにおしゃれな客が楽しく食事をする、女性の多いお店である。


僕の場合もこの夜は男性一人に妙齢の女性二人という幸運な組み合わせで間違いなくこの店への貢献度高し(笑)。その後中洲に戻る前に「あ、そう言えばこの近くにニュージーランドワインを飲ませてくれるお店があった」と思い出し、三人でふらりと夏風に揺れながら路地裏を歩くこと何と2分でその店を発見!


それがこの店「セラー・ドア・リンガ」である。

http://ringa.jp/

http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400103/40031960/


福岡ってのは日本中でも珍しく勢いのある街である。特に中洲から春吉にかけては楽しい店が多い。勢いがあるからこそニュージーランドワインしか置かないニッチなお店でもやっていける。


食い物も美味い。ニュージーランド産のワインに合うニュージーランドのラム肉は実に美味い。羊って言うと臭いってイメージを持ってる日本人が多いが、そりゃそうだ、今まで札幌ビール園のジンギスカンとか九州人なら城島高原ジンギスカンとかで出されていた羊肉は、あれはラムではなくマトンである。


ラムとマトンがどれだけ違うかって言うとニュージーランドではラム肉は人間様の食べる食肉棚に牛肉や豚肉と並んで置かれているがマトン肉は犬の餌用の棚に置かれているくらい違う。


同じ羊なのにそんなに違うのか?と思うかもしれないが、それは言い換えれば同じ女なのに5歳の子供の元気さと21歳の女の子の可愛らしさが全く違うのと同様であり28歳の女性だけが持つ賢さと綺麗さが多くの場合50歳の女性には残されていないのと同様である。


女性を男性に置き換えても良いのだがその場合は5歳の男の子の馬鹿さ加減が30歳になっても50歳になっても変わらない子供っぽい馬鹿さ加減となるので変化を表現しにくい場合にしか通用しない。


人間様から話は戻って羊のことだが、ニュージーランドでは羊に3種類ある。生まれてから一年以内の羊はラムと呼ばれてこれがラム肉で全く臭みがない。ところが一年を越したあたりで羊に歯が生えてくるとこれをホゲットと呼び肉に臭みが出てくる。そして3年目になると人間様の食い物に値しないような臭さが出てくるので犬の餌となる、これがマトンである。


最近では札幌のジンギスカンでもマトン肉からラム肉に変化したようだが城島高原の最近復活したジンギスカンはラム肉なのか?いずれにしても多くの日本人は未だもってマトン肉を羊肉と記憶しているから羊は臭いと言い先入観念がある。


なので羊は臭い、そのように思っている方は是非とも春吉にあるRingaでワインと合わせて羊肉を食べてもらいたい、そうすればラムは臭くないということが簡単に証明出来る。


ラム肉は脂っぽい牛肉と比較しても脂身ではなく赤身が多くて噛んでしっかり歯ごたえがあるのに柔らかいという特徴を持つ。ついでに言うとニュージーランドでは鹿肉(Venison)も有名だ。


何だか食い物の話になってしまったが、この店の売りはワインである。店主自らニュージーランドでワイン造りを手伝っており実に様々なワインを置いている。ちなみにニュージーランドでは日本人ワインメーカーもいて、KOYAMAワインやKUSUDAワインなどが有名である。


ちなみにどっちもすんごい高級品であり、KUSUDAワインはうちも直接セラーから直接買い付けた時でも一本当たり100ドル近くする。レストランで飲むとなれば一本3万円くらいの値付けをしないと合わない。しかしその価格に合う味である。


チリ産の安いワインや古くからのワインが大好きな人が好むフランスワインでもなくカリフォルニアワインとも違うが、世界中のワイン愛好家が世界中の良い種を持って新しいワインを作ろうとしてやってきたのがニュージーランドである。


欧州でワイン造りを学び新天地であるニュージーランドでワインを造り、ワインを理解出来る世界中のワイン愛好家に少量であるが優秀なワインを届ける、そんな届け先の一つがこの店「セラードア・リンガ」である。


ここはちっちゃなお店でカウンターしかなく店主とシェフが交代で休んでいるので恋人同士のディナーにはちょっと合わないと思うが、これからニュージーランドを知りたいとかニュージーランドワインを飲んでみたいという個人客にはお勧めだ。


もしあなたが九州に住んでいてニュージーランドにちょっとした興味を持っているか、それとも福岡に出張する機会があってニュージーランドに興味があるかすれば、そして夜にちょっとした時間があってそれが彼女とのデートの二次会だったりするとこういう隠れ家はお勧めだ。唯一ニュージーランドから来た僕としてきついのはタバコの匂いだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 15:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月23日

Beggars Ban passed

最近のオークランド・シティのちっちゃいけど大きな悩みがクイーンストリートに座り込む薄汚い格好の連中であった。道行く人に小銭をせびったり歩道の真ん中で踊ったり歩行者を無意味に怖がらせたりする薄汚い連中の存在はまさにゴミであった。

 

ぼくもこの件は去年からビルのオーナーを通じて市議会に抗議を申し入れてたが当時は社会主義の残骸があったのか「人々は公道で自由である」みたいな返事をもらってた。そんなんじゃ観光客も街を歩かないぞ、外国から来たビジネスマンだってこういうのを許す民度の低さにオークランドを相手にしてくれなくなるぞと思ってた。

 

それが今週木曜日のオークランド市議会でやっと乞食取り締まり法案として法案変更なしに議会を通過した。大変良いことである。

 

ぼくは基本的に貧しい人の立場にいる。世の中みんなが上向きの平等になれば良いと思う。

 

しかしこの薄汚い連中はこれだけ社会保障がしっかりしてて仕事のない人でもその気になればいつでも働ける環境なのに自分は何もせずに他人の足を引っ張りあいだらしない連中がまじめに働く誰かに頼りきって自分で何もしない下向きの平等=誰もが働かず結局経済が崩壊する、そういう方向に進む貧乏人は社会貢献をしない金持ちよりも大嫌いだ。

 

現実にニュージーランドは行き過ぎた社会主義の為に1980年代初頭に国家破産した経緯がある。その時も誰もが何もせずに誰かに頼りきって自己努力もせずに「おれは正しいのに世間が間違っているのに」と愚痴ばかりこぼしていた。そんな過去があるのに彼ら薄汚い連中は過去に学ばずひたすら目先の暇つぶしに街をぶらぶらして他人にたかり人に迷惑をかけているだけだ。

 

積極的に質の悪い連中などは信号停止の車にいきなりペットボトルに入れた汚れた水をぶっかけてこれまたぼろっちいブラシでごしごしやって、それで運転者が無視したり金を払わなかったらワイパーを折るとか、とにかくバカの極みである。

 

こういうバカどもは自分たちの住む村にいても政府から金がもらえるわけだが、結局自分の存在を確認したいのだろう、いちいち遠い道をクイーンストリートまで出てきて人通りの多い道で騒いで他人に振り返ってもらってはしゃいでる。脳みそ、まさに三歳児である。

 

このクイーンストリートはアルコールバンという法律で夜の路上立ち飲みや歩き飲みが禁止されている。またシティそのものがビル内や公共施設でタバコを吸うことが出来ないためにこれまた薄汚い連中が歩道で歩きタバコをしていて吸い終わるとピュって火の付いたまま道端にポイ捨てして、これが臭いやら汚いやら道路を汚すやらでさんざんである。ましてやこれが子供の眼にでも当たったらこりゃ立派な傷害事件だ。

 

なので市議会でも道路上での歩きタバコを禁止するような方向に向かっていたが、それより先に実害の多い浮浪者取り締まりに入ったわけだ。この法律に反対する意見は今時点では出ていないし人々の評判も良い。

 

この国は400万人の人口しかおらずオークランド市議会の管轄する人口は150万人、日本の福岡市と同じサイズの街だ。だからというわけではないが何かあればすぐに法律を変更して対応する。この速さは日本の地方都市では考えられない速さである。

 

酒、タバコ、浮浪者を街中から取り除くというのは人によっては「優生論だ!」というかも知れないが、酒だって別に禁酒法を作ったわけではなく、自宅やバーで飲む分には問題ない。タバコだって自宅で吸う分には文句を言わない。ただ一軒家の貸家とかアパートやホテルなどでは思い切り部屋を借りにくいし条件が悪くなるってだけだ。

 

浮浪者だって自分のやってることに自信があって何かしたけりゃ自分で自宅の周りの庭をぐるぐる回ってれば良いだけのこと。なのに自分が何のやる気もなくだらしないだけなのにクイーンストリートを忙しく歩く人々が羨ましいからってそこに入ろうとするが、そんなの単なる逃げだ。まじめに働いて納税している人々がいるからこそゴミのような連中でも社会保障を受けられる。

 

それが世間に出て目立とうなんてするから人々の邪魔にされるのだ。こういうのを福島みずほが見たら何と言うのだろうか?ゴキブリが道端をちょろちょろしているのを見て「これこそ社民党の目指す未来!」とでも言うのだろうか?

 

とにかく今回のオークランド市議会の決定には全面的に賛成である。ぼくは酒を飲むがクイーンストリートの路上で暴れようとは思わないのでアルコールバンにも賛成である。街中が煙草臭くなり道路がポイ捨てのタバコだらけになるのでタバコバンにも賛成、そして今回の乞食取り締まりにも賛成である。

 

皆が住みやすい社会を作る、上向きの平等を目指す、その為に行われる結果がある程度他人の行動を縛ることになってもそれが社会である。人間が社会で生きていく限りお互いに助け合う事が必要であり他人の自由を最大限に認めるためには最小限の規制が必要である。

 

Beggars who are deemed intimidating or causing a nuisance will be banished from Auckland's streets under a bylaw, passed today by Auckland Council.

 

The bylaw was passed without amendment.

 

It will be policed by Council officers who will be able to refer individuals to other State agencies for help, Radio New Zealand reported.

 



tom_eastwind at 14:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月22日

人々が助けあって生きる、夏空

昨日のアメックスに早速ご質問を頂いた。「NZでは、カード手数料は顧客負担の契約が主流なのですか?」


ここで言うカードはクレジットカードだろうかデビットカード(エフトポス)だろうか?デビットカードならニュージーランドでは顧客負担が原則である。


クレジットカードは基本的に店側負担だがちっちゃな店はそのまま契約してクレジットカード手数料を顧客に2~3%請求するお店もあるし何軒かが集まって最初に銀行と交渉して手数料を下げる店もある。しかしちっちゃな店ではやはりアメックスは最初から使えない。やっぱり人気のないカードなんですね、アメックス。


ところで今日は昨晩までの自宅の天井を叩きつける大雨から一転青空が広がり、この曇って夏空のもくもくと盛り上がってくるような雲の白さとその上の透き通った青空のコントラストがすごいきれい。


朝一番の弁護士事務所の会議室はワイテマタ湾を正面に見下ろす素晴らしい景色で、向かいに座った弁護士と思わず「おい、仕事よりもっと大事なことがあるよなー」って思わず馬鹿話をしていた。


相続に関する案件は日本側の税法変更がスピードアップしており、いくらニュージーランド側で無税に出来ても日本側での投網がますます広がってくるから、徹底的に本気に相続を考えるならやはり最終的には国籍取得も視野に入れて、それもできるだけ早くが正答である。


それからもう一つ注意すべき問題点は、同じルールが何時までも続くと思うなという点だ。時々「このルールでやりたいんですけど」と3年くらい前の日本の税法を持ちだして話を持ってくる人がいるが、それは2年前の税制改正ですでに変更されており使えない。


今ルールがあってそれを使いたいなら今すぐそのルールに則って動くべきだ。3年後に移住するからって今のルールを後生大事に記憶に取って守っておいてもいざ3年後にはすでにルールが変わっている。そうなれば今までの努力も水の泡だ。


移住したいという格好付けを周囲に見せたいなら泡で終わらせても良いが、本当に子供の将来や家族の事を考えて移住計画を作るなら、今考えたら今行動を起こせという事である。


日本人は「ルールは普遍」という錯覚があるようで、例えば2017年に移住するからその時点から準備すれば良いと考えている。しかし実際はビザの種類にもよるが、手続き開始から弁護士との面談、書類集め開始、弁護士による書類作成、移民局の審査期間、許可が出てから実際に一回目の渡航をするまでの期間、渡航後の余裕期間などを合計すれば4年程度は稼げる。つまり4年後のどうなっているか分からない法律には対応出来ないが今のうちに申請しておけば今のルールでプランを作れるし今のルールで点数計算も出来るという事だ。


こういう行動を英語では”Now or Never”という。今やらねばいつ出来る?


今日の昼休みを利用してクイーンストリートのヘアサロン、日本で言う理容室、ぼくの語彙では散髪屋に行ってきた。ちっちゃいながら日本人チームで固めており日本から最新の機材を持ってきてお客様も多くが日本人のお店だ。


今日髪を切ってくれたこの店のオーナーは日本で美容室を経営する当社のお客様でもある。2年くらい前に説明会に参加されてそれから下見に来て街の様子を気に入り子育てを考えて移住を決心した。


それからすぐに当社の市場調査と実現性調査を行い価格的に手頃な現在の美容室を購入、起業家ビザを申請して約3ヶ月でビザ取得、近いうちに永住権申請へとなる。このスムーズさは結局彼の決断力にすべてかかっていた。


彼は当時当社に費用を支払い当社を利用してスムーズにビザを取得して開店して、今はうちのスタッフの半数近くが彼のお店でお金を払って髪を切ってもらってる。


お金ってこうやって回っていくんだろ思う。社会に必要な人が入ってきて色んなものやサービスが増えて皆がどんどん社会を成長させるようにアイデアを出し合って便利な社会を作る。


その意味で今まで当社はオークランドにおいてお客様とハブ&スポークの関係でいた。ハブとは自転車の中心にある大きな円盤、スポークはハブから伸びる縦の鋼線である。だからハブ同士のつながりはあまりなかった。


しかし今は結構ハブ同士が外側のタイヤ部分、つまりリムで結びつくようになった。ある会員の家族が旅行に来て他の会員の経営するB&Bに宿泊する。他の会員は宿泊費で得たお金で市内の和食レストランに行く、ここも勿論他の他の会員の経営だ。


でもって他の他の会員はレストランで得たお金で自分の車の修理のために修理工場に持っていく。この工場も他の他の他の会員の経営する工場だ。


てな感じで段々オークランドの中で会員同士の付き合いで日本の人々が直接つながり始めている。ぼくらがいない場所でも皆がお茶をしたり子どもたち同士で遊ばせたりしている。


これからは会員同士の助け合い、例えば同じ学校なら子供を学校に送る手間を省くため母親が交代で子供を集団登校させるとか英語がまで出来ない子供同士を集めて英会話教室を開くとか、色んなまちづくりが出来る。


段々大きくなっていく積乱雲が青空をどんどん埋めて真っ白にしていくが、それでも太陽の光は衰えを見せずにやがて空全体が輝くような明るい真っ白に染まっていく。


今はまだちっちゃな雲だけど、これから勢い良く伸びていこうとしているのが今のオークランド日本人社会だ。その中には良い人もいれば悪い人もいる。しかし少なくても最初から同じ価値観でやって来た人同士は仲良くなれる。


日本人だからってだけで信用するんじゃなくて、日本人じゃなくても勤勉で嘘をつかずまじめに生きる同じ価値観を持っている人々ならだれでも付き合いそこから互いの信用を創り上げる、そこさえ理解していれば地元キーウィ社会とも仲良く共同生活をしつつ日本人全体の品格を守っていけると思う。
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tom_eastwind at 16:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月21日

アメックスが使えない!

AMEXが使えない!

 

涙の出る料理がある。思い出の料理だ。八重の桜で斗南藩として再建することになったお祝いに八重たちが作った料理、大人たち皆が「うまいな、こんなにうまかったんだな」と涙を流して喜んでいる場面で、ぼくも何だか胸が詰まってしまった。

 

思い出の料理が素晴らしいのは誰にも美味しいとかではなくて、個人が昔の懐かしかった時代の思い出を呼び出してくれるから素晴らしく美味しいのだ。若い頃から海外に飛び出した僕からすれば色んな土地の思い出料理がある。

 

斗南を目指して移住する人々の心は如何ばかりだったろうが、それでも会津を再興するために雪の降る荒野を歩いて行った。

 

ぼくがはまっているのは綾瀬はるかのきりっとした顔に惚れているのか、それとも会津の常軌を逸した武士道に感激しているのか、本当にまだ分からない。

 

このような明治維新前後の武士の行動規範は白人にはまず意味不明な思考回路であろう。理解しようとして筋書きは追えるだろうが、じゃあ自分で日本人風に行動出来るかって言えばまずあり得ない。

 

同じ白人同士でも随分と思考回路が違うのがキーウィとAMEXの発祥地に住むアメリカ人であろう。

 

ぼくは仕事のない週末はジーンズのポケットに入りやすいように折りたたみ財布を使っている。財布を入れ替えた際には免許証、クレジットカードも移すのだがたまたまこの日はAMEXVISAのみを入れてた。

 

でもって先週日曜日の話であるがタカプナに行って買い物をしてた時にふと気づいた。やば、財布に現金が100ドルくらいしかない。かと言ってビザカードは殆ど残高がない・・。やばし、けどまあいいや、アメックスがあるからと思ってた。

 

このカードはつい最近作ったのだが、特に日本に出張する時に役立つからだ。というのもニュージーランドの銀行が発行するBNZANZのビザカードは使えない時がよくあるからだ。一体どんな契約になってるのかよく分からないが見知らぬ外国では現金か使えるカードが頼りである。

 

でもってタカプナのレストランに行って支払いをアメックスでしようとするとDECLINE,つまりカード受取拒否された。えー?まだ残高あるはずなんだけどと思って聞くと「あ、うちはアメックス扱ってないよ」だって。

 

次に大手ガソリンスタンドでガソリン入れて(ちなみにNZではガソリンという単語は存在せずペトロールとなる)アメックスで払おうとするとここも受取拒否。

 

そう、この時点でぼくはやっと思い出した、そう、ニュージーランドのちっちゃな店ではアメックスを受け付けてないのだって事を。

 

その理由は手数料が高いからなのだがアメックスが平均5%程度の手数料を取るのに対してビザは平均3%、そして小売店の場合はカード手数料は顧客負担である。

 

そう、NZの一般的なちっちゃいお店は利益が薄いからアメックスのように手数料の高いカードは最初から受付ないのだ。でもってビザで払う場合も手数料を請求する。当社の場合でも商品によっては手数料が数%しかないのでカード手数料を頂いている。

 

ちなみに今はどうか知らないが日本の旅行会社は手数料が非常に薄いのでクレジットカード会社と契約をして手数料をゼロにしていた。

 

一応の基準を言えば、大手のホテルチェーンやカウントダウン以上の大手スーパーでは手数料なしでアメックスも受け付けている。モーテルの場合は個人経営が多いのでアメックスは受けるか受けないか半々だろうがそれでも手数料を請求されても文句は言えない。

 

チェーン店の酒屋はアメックスを使えるが個人経営の酒屋の場合アメックスは使えない。個人経営のパン屋の場合はレジのところに「カードは手数料を2~3%取ります」と張り紙をしている場合が多い。

 

中には食料品店などエフトポスマシン(カード対応の支払い装置)があってそこにはCASHCHEQUECREDITと書いてるがCREDITにシールを貼って使えないようにしている。CASHというのはエフトポスと言って銀行引き落としのデビットカードの事でこれは使用した側、つまりお客負担となるのでお店からすれば現金をもらったのと同じ事になる。

 

多分アメリカ人が来たら困る、つーか腹を立てるだろうし「おれはアメリカ人だ、そしてこのカードはアメックスだ!何で使えないんだ!」と怒りだすだろう。

 

しかしいくら怒ったところでここはニュージーランド、キーウィの方が物を売る立場であり買いたければ近くのウエストパック銀行のキャッシュマシンを使って現金を引き出してこいって話になる。ちなみにANZBNZもキャッシュマシンでアメックスは使えない。

 

こうなるともうアメックスいじめかって話になるが、まさにそうである。

 

ところでアメックスの話は店が契約するかどうかだけの問題であるが、ではビザカードで手数料を請求するのはどうなのかという話が残る。実はこれがキーウィの面白い発想なのだが、彼らは民族発祥の時から手に汗をして稼ぐ人々が一番上に来る、つまり労働者階級が一番上に来るという考え方を持っている。

 

例えば1900年代初頭に作られた「不在地主法」では、地主が小作人に土地を貸して得た収入に対しては100%の税金を取るなんて決まりだった。つまり自分が働かずに他人に働かせて財を成すことは認めませんという事だ。

 

それから時代は流れて自由市場になっているが、やはり国民全体の底辺に流れる意識としてはカード会社が何もせずに(実際はそれなりに設備投資をしているのだが)一生懸命働いている俺の稼ぎからカスリを取っていくのか?という事になる。

 

この国は基本的に社会主義であり労働者を最高位に持っていく傾向がある。ある広告などは南島の牧場に営業に行った北島の銀行員がバカにされて追い返される場面がある。古いキーウィの好きな広告は南島ビールのスパイツ(SPEIGHT)で、南島の農場で働くカウボーイがぼそっとビールを飲む場面だったりする。

http://www.youtube.com/watch?v=1lR1sEn8nMI

 

勿論この国は契約社会であるが同時にキーウィ社会でもある。だから時々ルールより優先する何かが出てくる。これからこの国で生活を始める人からすれば理解しづらい場面もあるだろうが、それは勿論個人の個性の問題もあるが、それと同時に彼ら全体に共通する思考回路や感情回路の回り方も、つまり自分の考えを押し通すのではなく相手の思考回路を勘定にいれておかねば理解出来ないという事もある。

 

今日はちょっと地元ネタで取り留めの無い「書きの種」になってしまった。実は月曜日から自宅でまたまた色んな笑える事件があってバタバタしてて「カキのタネ」に時間が取れなかった。笑える事件はもう少し続きそうです。



tom_eastwind at 21:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月18日

中原の国と回族カフェにて

photo土曜日のお昼は家族でドミニオンロードにある回族カフェに行く。家族と言っても今奥さんは香港に戻っており(まだ離婚されたわけではない、ははは)娘の運転する車でりょうまとぼくが借り物の猫のようにぽけーっと座っているだけの3人旅だ。

 

「お店には11時には到着しなくちゃ座るとこないからね」と言うので中国料理の激戦区でレベルの高い「評判店」になっているのだろう。

 

この店、最近奥さんと娘が見つけた店で一階はテーブル席が20人分くらいしかなくてすんごい狭い。ぱっと見れば持ち帰り専用の店みたいだが、到着した時点ですでにおもちゃみたいなテーブルに座って飯を食ってる人で半分以上埋まっている。

 

店に座って北京語堪能な娘が注文する。そう、同じ中国と言えどぼくらが住んでた香港や広州は広東語、北京の北の東北地方では北京語であり言語が全く違う。どれくらい違うかと言えば日本人に分かりやすく大雑把に言えば日本語と朝鮮語くらい違うと思ってもらえば良い。

 

香港人が使う香港広東語は話し言葉に応じた書き言葉がない場合が多く(例えば「午前」と「午後」は話し言葉と書き言葉が違う、お近くの香港人に聞いてみれば喜んで説明してくれる)更に広東語は繁体字を使うが北京語は現在は簡体字を使うので北京語圏の人々は広東語を読むことが出来ない。

 

ちなみに簡体字は毛沢東の時代に人々の識字率を上昇させるために発明した崩し文字であり日本人の平仮名と思うとわかりやすい。広東語で使う繁体字は日本語の漢字に当たり、だからいくら平仮名が書けても漢字が読めないのと同じだ。

 

注文をし終えてふとカウンターの方を見ると、シェフが両手で麺を引っ張ってまな板にたたきつける場面に遭遇、うわ、本格的じゃんかって感じで、今時ここまで手の込んだ事をこのサイズの店でやるかってくらいびっくりした。

 

こりゃウマそうだと思ってぼくはついでに「ビールあるかい?」と聞くと最初は、おおって感じだったおっさん、おそらく店主であろうが「何でも受けるぜ」って顔でちょっと席を外すと2分くらいでよく冷えた南島の缶ビールを持ってきた。いかにも今隣の酒屋で買ってきた雰囲気が楽しい。

 

ちなみにお店のメニューにビールはない。意外に思うかもしれないが中国人はあまり酒を飲まない。宴会や結婚式の時はがばがば飲むが普段はご飯をしっかり食べておかずをがばがば食ってお茶を飲むだけだ。お店では北京語の下手な香港人のふりをしていたので「こいつ、昼間から料理の出る前にビールを注文する、なんて変な中国人だ」と思われたのだろう(苦笑)。

 

それから最初に鉄串に挿した軟骨鶏肉のスパイシーケバブが15本出てきた。おいおい、ケバブって君んちの料理かいと思うが、考えてみれば回族はたしかにケバブだ。1cm角くらいにちいさく切った脂っぽいコリコリの鶏肉に思いっきり辛い真っ赤な香辛料をかけて、うわ!って感じだがこれは美味しい!まさにビールのつまみに最高である。

 

その時突然、何か突然、頭の中に20年近く前に大連に出張して大和ホテルに泊まって大連駅前の路地裏で焼き台の上に乗ってた焼き鳥ケバブと同じ味を思い出した。ガーン、なっつかしーな、うわ、なつかしーな、そんな言葉が頭のなかを回りだした。

 

それから出てきた刀削麺、これがまた頭をガーン、実はこの味、1970年代終わりに文革が終了して小平の改革開放が始まった初期の真冬に北京へ行った時に王府井(わんふーちん)で食った立ち食い刀削麺の味なのだ。

 

当時の王府井は今では思いもつかないほど田舎の商店街だった。道路もまともに整地されておらず料理人は赤土の地べたにうんこ座りして真四角包丁を振り落として肉を叩ききってたり、隣ではでっかい寸胴にぐつぐつと煮こまれた食い物があったり羊のしゃぶしゃぶ専門店があちこちに出回っており、猥雑だが活気のある賑やかな通りであった。真冬の寒さの中で寸胴から湧き上がる湯気が心地よい暖かさを感じさせた。

 

天安門の刀削麺店では職人が自分の手で打った麺をぎゅーっと引っ張って太い棒状の団子状態に伸ばして端っこから包丁で削ってそのままぐつぐつ煮えた大鍋の中に落としこんでこしのある麺に仕上げてあまりお汁のない状態で食わせてくれる。

 

店の中は整地もされてない土だらけで店自体が地べたにテントを張ったようなものだったが、今でも懐かしく覚えている。

 

つまり今日の昼ごはんで食べた骨付き鶏ケバブと刀削麺はぼくの香港時代の中国東北部に出張した思い出と初めての北京の思い出がそのまま再現したような料理だったのだ。

 

うわ、懐かしいな、それにしてもうちの娘、よくもまあ色んな店知ってるな、本当に感心した。子供の成長って早いなー、親として神様に感謝した瞬間でもある。

 

ドミニオンロードのこのあたりは、今ではすっかりチャイナタウンだ。娘がうまい事表現してたが、ドミニオンロードは東北中国、ホーウィックは香港人を中心とする南部中国、ノースショアは北京や上海などの中原中国だと。

 

なるほど、こんなに狭いオークランドにいる中国人でもノースショア、ドミニオン、ホーウィックとそれぞれ住み分けがあるのだなーって実感した。確かに街を歩く人々の言葉を聞くと、こりゃ同じ北京語でもちょっと違うなってのが分かる。

 

北京語はある意味東京弁と同じで巻き舌がすんごい強いが、東北の発音はもっとべったりしてて巻かない。もちろん最初に断っておくがぼくは北京語を話せる程度ではないが、香港時代に中国出張で行く先のホテルや空港やレストランでお願いした事を伝える程度の片言話は出来る。ちなみにこの店でビールを注文した時は北京語を使った。かろうじて通じた。

 

広東語と北京語で一番面倒くさいのは、広東語で言う2と北京語の1が同じ発音だ。広東語の1、2は、ヤッt、イー、で北京語の1,2はイー、アーlr、となり、広東語で数え方を覚えてしまうと1と2の区別がつかなくなる。

 

店で出てきた餃子も実に素朴で美味しい。こんな具材の少ない材料で分厚い皮なんだけど、皮そのものが出来たてなので美味い。皮を食わせる餃子、大したもんだ粋なもんだ、ほんとに素朴なんだけど美味しい。ビールに実によく合うのでもう一本追加で注文した。

 

刀削麺の上に乗っかったハーブの、嗅いだ瞬間に鼻を突き抜けて夏の東北地方の青空を思い出させるようなツーンとした味はりょうまくんにはきつそうでいちいち取り出していたが、そうだなー、このハーブは東北の人からすれば命のハーブであり日本人の干物、フランス人のトリュフ、ギリシア人のタコみたいなものか。南部中国では八角をよく使うしインドではカレースパイスになるクミンみたいなものかなと思う。

 

つまりその土地に生まれた人にとっては堪らなく美味いしソウルフードでありそれがなかったら体力出ないし疲れるし、けど他の土地の人からすれば匂いが強すぎたり臭すぎたりするものだ。

 

ぼくらが大体食事の終了した12時頃には次から次へと人が入ってきてあっという間に一階席は埋まりどんどん2階席に案内されてた。働く人たちはまさしく着る物に拘らない人々でのどかな雰囲気が漂ってた。

 

お勘定の為にレジに行くとしっかり「クレジットカードは手数料3%」と書いており3人で100ドル60セント。20ドル札5枚と10ドル札一枚を出すとお店の女の子はちょっと困ったような顔で、おそらく9ドル40セントのお釣りをこんな早い時間から出したくないんだろうなって雰囲気だったから「ちょっと待ってて」と言ってテーブルに座ってる娘に「あのさー、1ドルある?」って聞いて受け取って振り返ると、女の子はにこっと笑って「いいよ、負けとく!」だって。中国人に負けてもらったのはあまり記憶にないぞ、そうか、てか彼らは回族だから漢民族ではないもんな、なんて思いつつ「ありがと!」と北京語で返した。


それにしても1970年代後半から中国と縁があるなー。ニュージーランドに来ても中国と縁がある。

元々は中原の国だったのが周囲の蛮夷を自国に飲み込みたくさんの宗教と民族を飲み込み彼らをまとめて「中華料理」してしまった。その結果同じ国の中にこれだけたくさんの言葉があり民族があり、共産党を大好きな人もいれば大嫌いな人もいて香港もすでに中国領土に入っており、そのうち北朝鮮も中国東北部の一部に繰り込まれるだろうから21世紀になっても中国の領土拡大の本性は何一つ変わらずだ。

 

土曜日の昼下がり、楽しい食事でした。






tom_eastwind at 12:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月17日

ニュージーランドは天国じゃない

ニュージーランドは日本に比べても治安は良いし平和であるのは統計的にも現れているが、だからと言っていつも言うことだがここは天国ではないし所詮人間世界の中で他国より平和というだけで、殺人事件も時々あれば地震も時々起こる。

 

殺人事件はこちら。2011年1月14日にオークランドのマウントアルバートにある2百万ドルの豪邸にパジャマ姿で寛いでいた中年中国人男性ビジネスマンの居間で事件は起きた。この居間に交渉にやってきた二人の中国人がビジネスマンに刺殺されたのだが、ビジネスマンは正当防衛を主張して警察は殺人罪で起訴した。

 

今朝オークランド高等裁判所で出た判決は、殺された一人についてはナイフを持っていたために正当防衛が認められて無罪、しかしもう一人は武器を持っておらず有罪と認められ4年の実刑となった。

 

一人殺して4年。けど普通二人で夜に自宅に押しかけて一人がナイフを持っていれば、ほっとけば二人に押し倒されて殺された可能性もあるわけで、このあたり襲われた側(法的には加害者だけど実態は被害者)に対して厳しい裁判所の態度ってのが今も残ってますね。

http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10913323

 

日本では信じられないかもしれないが、この国では泥棒に入られて抵抗して相手を怪我させたら傷害罪で告訴される。目の前で泥棒が行われた場合は泥棒を説得して止めさせるしか被害者に認められてないのだ。

 

泥棒に向かって「そんな事を何故するのだ?冷静に考えようよ」と相手を説得している最中に殴られても殴り返したあなたが暴行罪で訴えられる。喧嘩両成敗というわけである・・・。ついでに言えば泥棒に入ろうとして塀から落ちたらACC保険が適用されて治療費は無料である。

 

裁判所は犯罪人に対して甘いのがこの国の特徴で、こそ泥や車上荒らしなどはまず逮捕されない、てか捜査もしない。子供のいたずらじゃないか、そんな感覚であり、泥棒をする人にも止むを得ない経済事情があったのだ、悪いのはそのような差別を生む国家政策であり政府が悪いのだ、という理屈になる。

 

ただ直接それを言うとさすがにお前ら法律家ってフラワーチルドレン時代の勘違い左翼のアフォばかりじゃんかってバレる。なので表面的には「泥棒くらい許しましょうよ、保険が適用されるんだしー、第一犯罪捜査の為に警官雇うと税金高くなりますよ、源泉徴収を増税してもいいですかー?税金払いますか自己治安しますか?」である。

 

だから今回の殺人事件でも日本や米国であれば両方共正当防衛が成立したかもしれない。ある意味よく二人を返り討ちにしたものだ、自分が殺されなくて良かったねくらいの話である。

 

これからニュージーランドに移住を考える人は、「ここは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない」という事をしっかり認識して欲しい。この国では犯罪者の人権が時に被害者の被害よりも重いのだ。

 

もう一個の地震のニュースは前回のウェリントンが北島の南端であったのに対して今日は南島の北端で起こった。

http://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=10913422

 

M6.5との発表があったがウェリントンの証券取引所が一時閉鎖されたとのことだが、地震が起こって消防車が出てビルから追い出されたから、じゃあいいや、ついでにお休みにして飯でも食いに行こうぜって感じだったのだろう。

 

このあたり地震時やビル警報機が鳴り出した時は日本のような「あ、やばい、仕事が置きっぱなしだ、早く戻らなくちゃ!」という焦りがなく、これを機会に少し休憩しようってのがキーウィでもある。

 

オークランドでもよくビルの警報機が鳴る。一週間に45回はシティで消防車が出てきてあちこちのビルの入り口に集まってきてて、土日が休みなのでつまりほぼ毎日狭いシティのどこかで警報機がなっている計算だ。

 

その度にビルの中で働いているビジネスマンは楽しそうに道路に出てきて三々五々お茶を飲みにいったりする「どうせしばらくは閉鎖だからいいじゃん」てな感じである。

 

それにしてもこの殺人事件とウェリントン及び南島、クライストチャーチの地震に共通するものがある。ちなみにオークランド・シティでも同様だが、危険な場所や危険な人と付き合えばそれだけ危険が増すというごく当然な事実だ。

 

地震の活断層は太平洋側からウェリントンの真下をくぐって南島北端、そしてクライストチャーチと伸びて、その後西海岸を抜けて南太平洋に沈んでいく。グーグルで検索すればすぐ分かる。ちなみにロトルアで起こるのは地震ではなく噴火である。

 

そう、ニュージーランドだって火山国であり地震も発生する国なのだ。ただ日本に比べて圧倒的に人口が少なく昔は高いビルもなかったから今まで世界の中で比較すればあまり大きな被害がなかっただけだ。

 

ロトルア付近にはちょうどイタリアのポンペイのように火山噴火で埋もれたしまった村もある。古くはネイピアの地震から最近のクライストチャーチ、そしてウェリントンの地震と、自然現象は正確に起こるべき場所で起こっている。だから地震の起きない地域に住むのも安全を確保するための一つの手段なのだ。

 

今回のウェリントンの地震では鉄道が止まり空港は動き携帯電話はテキストに切り替わっている。国民が地震の際に備えを持つことは当然でありこれからウェリントンでは防災キットが売れるだろう。

 

そう、レンガを積み上げただけの建物は地震に弱い、そんな家を買うか?地盤が液状化する元沼地の土地と家を買うか?地震で水がなくなったら人は簡単に死ぬ。電気がなければ寒く電波を拾うラジオや携帯電話などの道具がなければどこに避難して良いかも分からない。自分の身を守るのは自分のみである。

 

殺人事件も同様だ。オークランドに長く住んでいると色んな犯罪を見る機会があるが、犯罪発生率は南高北低である。ギャングが主に住む地域もオークランド南部である。

 

ギャングが人権を持って堂々と薄汚れた街を昼間から麻薬でラリった顔つきでよたよた歩きした挙句に近くのスーパーの駐車場で車に乗り込もうとする女性を襲う。その地域では注意書きとして「車に乗ったらまずドアロックをして下さい」と言われてるほど犯罪が多い。

 

南部の裁判所では毎週月曜日になると多くの犯罪者とその家族や仲間が集まり、無罪が出る度に大声で騒ぎ有罪になると大声で判事に文句を言い退廷を命じられ、一旦裁判室を出ると裁判所の待合室を周りを圧倒するようにのっしのっしと刺青だらけの体を肩で風切りながら歩いている。

 

そのような連中に人権を認めて何か犯罪を犯せばそれは社会カウンセラーが悪い政府が悪いと反省するような裁判官がニュージーランドの司法制度を支えているのだからバカをつけあがらせる事になる。

 

裁判官の現状には長い背景があるので今回は割愛するがニュージーランドの裁判が日本のような「真実を追求する場所」ではないことだけは肝に銘じて欲しい。

 

では一般市民はどうやって警察なしに治安を確保するか?それは治安の良い地区に住むことである。ニューヨークでも昔JJタウンと呼ばれる地域があった。ユダヤ人”Juish”と日本人”Japanese“が住むことで付けられた治安の良い地域を指す。

 

今、白人はお金ができれば昔住み慣れた南部の街を出てノースショアなど北部に引越す。家族の治安を考えて引っ越した結果として子どもたちはノースショアの高い教育を受けることができるし良い友だちも出来る。

 

南部ではその結果として櫛の歯のように抜けた白人の家が公共住宅になったりしてそこにますますアイランダーやマオリが住み着くようになる。

 

つまり自分なりに治安を良くしようと思えば治安の良い地域に住む、これがまず最善の防御手段なのである。

 

そして同時に間違った時間に間違った場所に行かず間違った友達と付き合わないのも重要だ。金曜日の夜遅くにシティのKロードを歩くのは「僕を殴って下さい」と宣言するのも同然である。時々頭の悪いワーホリが粋がって「何言ってんだい」とか言うが、君さ、殺されてから後悔しても遅いんだよ。

 

僕はたまたまだがイラクに渡航して首を刎ねられた若者を間接的に、しかしかなり近い立場で知っている。他にもクライストチャーチで夜中に不良グループに巻き込まれてぼこぼこにされた挙句に川に落とされて殺された件もぼくが直接関わった件だ。

 

他にも例を上げれば枚挙にいとまがない。多くの事件は若者が海外で生活することを何か勘違いして、無責任と自由の区別がつかず、危険と奔放の区別がつかず起こった事件である。

 

ついでに言うとニュージーランドは豪州に比べれば幸運であり中国人マフィアの入り込みはシドニーほどではない。中国人マフィアも中国人以外には絶対に手を出さないだけの理性はある。だから中国人社会に入り込まない限り自分の身を危険に晒すことはないし中国人社会と言っても客として中華料理を食うぶんには問題はない。

 

ただし彼らとビジネス利権の絡んだ案件をやる時は十分に注意することだ。彼らはこちらが客でいる間、つまり彼らに儲けさせる立場にいる限りはこちらを王様扱いしてくれるが、いざこちらが彼らのビジネスに損害を与える、つまりこちらが彼らと競合するビジネスをやろうとした瞬間すべての空気は凍り付き相手はいきなり席を立つか引きつった笑顔で「お前、本気かよ」という態度になる。

 

これは香港時代に何度も何十度も見てきた中国ビジネスの実態である。実際に起こった事件では、香港にビジネスを拡大したある旅行会社の現地駐在員が現地事情を知らないままにピーク山の夜景の写真を撮って売る仕事を止めさせたものだから、その仕事を請け負ってたマフィアがある日オフィスに殴りこみ机やコンピューターを全部叩き壊した挙句に駐在員の腕に斧を叩き込んだ。

 

いつの時代もどこの街でも同じだ、平和は自分で勝ち取るものでありその為には平和ボケせず常に周囲にアンテナを張り自分が今どこにいてどのような状況であるかを把握することである。



tom_eastwind at 13:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月16日

リタ?利他? 

お盆の時期はいろんな事が止まってるので、時事ネタではなく最近オークランドで感じることを書いてみた。

 

僕の座右の銘ってか、何故ぼくが日本を離れて全く知り合いもない海外で何度も移住を繰り返して誰の助けもない土地でたった一人で今まで生き残ってこれた理由はいつの時代でもどこの場所でも”My Word is My Bond”=「私の言葉は私の約束」 を実行してきたからだと思う。

 

ぼくがどんなに苦しくても約束したことは必ず守ってきたからこそ行く街行く街で何とか誰かが「ちっちゃなアジア人が何かやってるが、まあきちんとやってるから付き合ってやるか」ってとこから始まり、そこから信頼関係を築き上げた。

 

その結果、今でも香港やクイーンズタウンで信頼関係を築き上げた仲間とはぶっちゃけ話が出来る。今はそれがオークランドでもやっと根付き、今朝も地元の移住と投資をする弁護士事務所の所長を含めたスタッフ弁護士ともかなり突っ込んだ話が出来るようになった。

 

所長いわく、最近になって急に日本から「ビザコンサルタント」とか「不動産投資プロフェッショナル」という自称専門家が彼のオフィスのドアを叩くようになったとのこと。彼は元ニュージーランド移民投資協会の会長であり外国人の扱いには慣れている。

 

だから「なんだこりゃ?」って思う案件も結構見かけるようで、一応オフレコで具体名を出して僕に「なんだこりゃ?」って聞いてくるので、ぼくは案件ごとに「そりゃ、こうでないの?」と背景説明をすると「あ、そうか!」と状況を理解して、弁護士である自分が騙されているのかそれとも単純にこき使われているかを見抜きその後の判断材料としている。

 

でもって彼ら弁護士はニュージーランドの法律は熟知しているが日本の法律を知らない。なので案件を見てぼくから日本の法的な問題も説明することがあるのだが、日本から持ってくるスキームの雑さというか、最初からこれ法律違反じゃんってのが目立つ。

 

ちょっと話は逸れるがこういう案件って日本の法律違反だけでなくニュージーランドの税制を理解していないからそのスキームやるとお客様がNZ側で納税する必要が出てきてその場合どう見ても赤字にしかならないよってのがある。日本でどれほど良い説明を受けたとしてもNZ側での納税義務があるのだからその税金を含めたスキームでなくては意味がない。

 

去年末に締結された日本とニュージーランドの租税協定では今まで協定の範疇外だったものが協定に含まれておりその租税協定に基づいて日本居住者は日本とニュージーランドの両方で納税をする必要がある。

 

納税する場合もいくつかの選択肢があるが、その為には予めお客様がその事を承知した上でないと選択が出来なくなる。一番やばいのはニュージーランドでの納税義務を知らないままに放置をしておくことだ。これをやると納税義務違反であり更に納税してなかった期間中ずっと延滞利息が発生する。この国の延滞利息は高く場合によっては15%以上になる。

 

でもって本人がそんな事を知らないままある時観光旅行でオークランド空港で入国しようとしたら「あらま、ちょっとこちらへどうぞ」なんて事になるかもしれない。

 

“My word is my Bond” を自分の名刺に印刷している詐欺師に会った事もある。相手はこっちが相手の事を先に調査しているって事を知らないから真面目な顔で名刺を渡してくるのだが、笑いをこらえるのに結構必死だった事を覚えている。

 

話は戻ってこの弁護士、「なんだ、やっぱりそういう事かー、そういやプロとか言ってるけど実際には何も知らなかったもんなーあのやろ」って事になる。そうなれば彼らの事務所では門前払いになる。

 

でもってこのような自称「不動産投資専門家」の特徴は今の目先の利益しか考えずそれも自分の利益しか考えず顧客が儲かろうと損しようと知らないという姿勢だ。ぼくはオークランドで会社を設立してもう17年になるが、その間このような泡沫ビジネスパーソンはこのオークランドでもしょっちゅう見かけてきた。

 

有名ドコロでは日本で本を出版したって事で箔を付けて投資説明会やって「これが買いです!」と海外投資を煽るのだが、最初の頃はそれこそ「いやー、現地で会社作ってですねー、それからこうやってビザを取ってですねー、でもってこうやって資産を守ってですねー」と立派な事は言うのだが、いざ不動産が売れたら後は知らんぷり。

 

投資家が「あの、会社作る件は?」とか聞いてきたら「あ、それね、どっかそのへんに弁護士いるから聞いてみれば?」で終わりである。彼らにとっては”My word is for Sale”=「僕の言葉は売るためのもの」なのである。

 

だからこういう輩は大体23年で市場から自然淘汰されて退出することになる。ところがひとつの泡沫が消えたと思ったらまた次の泡沫が浮かび出てくる。

 

本当に不思議なのは、彼らはビジネス社会に入って仕事をしようとするのだがその社会で一番大切な点を理解していない。それはまず相手に稼いでもらいその為に一生懸命に働くという事だ。1970年代まではそのような常識、というか意識が社会全体にあったような気がする。その結果としてお互いを認め合い長い付き合いをするようになった。どちらか片方だけの目先の利益ではなく互恵的な長期的利益である。

 

ぼくが新人ビジネスマンに「仕事のコツ」を聞かれてよく言うのが「あなたは今日会社を作って明日儲ければ来月閉鎖してもよいのか?もしそうなら会社を作るよりもっと簡単な事がある。ちっちゃな消費者金融事務所に行って強盗しなさい。あなたが逮捕される率は高いがそれでもあなたが会社を潰す率より低いから。そして稼いだ全額が収益で費用としては強盗に使う包丁くらいだし何より納税しなくてよいから」

 

勿論冗談なのだがビジネスとはそれくらい大変だ。ニュージーランドだって一年目を生残る会社など20%以下である。2年目を生き残る会社は更に少なく、企業の形態を保ったまま10年以上生き残るのは全体の2~3%である。

 

10年越せばそれはビジネスモデルがしっかりしている証拠でありまず市場退出になることはない。ただそこまで行くのに企業が辿る道どりは、ひたすら毎日朴訥に信用を勝ち取ることだけだ。それ以外の何者でもないと言える。

 

もちろん経営者の才覚とか運のよさとかもあるだろうが、それは一時的な大波を乗り越える時に役立つだけであり日常の経営では「信用」がすべてである。

 

ところが本当にバブル期以降の人々がこれが全く理解出来ない。東京千代田区で立派なスーツを着てても中身はビジネスの根本を踏み外した素人ばかりである。常に自己利益のみを考え社会とはなにかなんて理解しようとしない。

 

こういう連中が独立すると、とにかく今まで覚えた知識だけを活かしてひたすら老人や情弱者に商品を売りつけて後は知らぬ存ぜぬである。

 

だからだろう、彼らは好んで「利他」とか言ったりする。最初に聞いた時など飲み屋のねーちゃんの名前じゃねーかって思っただろう、それほど彼らから一番遠い場所にある言葉だからだ。ところが調べてみるとその意味は他人を利するである。今まで彼らが一度も考えたことのない言葉である。

更に周囲にいる悪仲間に聞くとやはりだれも知らないのに初めて聞いて喜んでる、おお、素晴らしい営業文句だ!まさに"My word is for Sale" である。

「利他」は盛和塾などでよく使われている言葉だが素人さんからすれば生まれてこの方一度も聞いたことのない言葉なので新鮮に聞こえるから連発するのだろうが、ビジネス社会の根本を理解している人々からすれば連発すること自体が本人がその言葉の意味を分かってないってのを見ぬく。

 

国が変わろうが最後に生き残るビジネスモデルは信用である。



tom_eastwind at 13:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月15日

フェイスブック利用調査 生活における満足度を読んで

米ミシガン大学(University of Michigan)の調査チームは、スマートフォン(多機能携帯電話)を所有しフェイスブックのアカウントを持っている若者82人を募り、2週間にわたって毎日、15回不定時に、テキストメッセージを送る方法で彼らの主観的な幸福感を測定した。

 チームによると、幸福感や生活の満足感にフェイスブックが及ぼす影響を測る調査は、今回が初めてだという。調査では、被験者たちにどんな気分か、不安や孤独を感じるか、フェイスブックの利用頻度、人との「直接」交流の頻度などをテキストメッセージで尋ねた。

 その結果、ある時点でフェイスブックを同時に利用する人数が増えると、次にテキストメッセージを送信するまでに被験者の気分は低下していたという。また、2週間の調査期間中、フェイスブックの利用頻度が増えるほど、生活における満足感は下がっていったという。

 これとは対照的に、個人的な交流があると、被験者の気分は良くなっていったという。

http://news.livedoor.com/article/detail/7955756/

*********

 

フェイスブックはニュージーランドでも子供同士のツールとして活躍している。会社でもプライベートの交流でよく使われているが知り合い同士がおしゃべりをするには良いツールである。

 

ただこれは所詮ツールでありこれがあれば人間関係が円滑にいくというものではない。逆にフェイスブックの広がりを理解せずに炎上することもある。上記のアンケートのように一対一でつながってればほっとするのに仲間が増えるといつの間にか自分が大勢の中の一人にしか過ぎなくなるのだろう。

 

これは現実生活でも同様で一対一でおしゃべりをする時は楽しくてもそこに第三者が入ってきて話に加わるといつの間にか自分の発言機会が減って少し暗くなる人もいる。もちろんどんな場所でも話上手な人ならそういう事もないだろうが一般的に話し上手の聞き上手はそんなにたくさんいない。

 

ましてやこれがネットとなるとお互いに短文でやり取りするからどうしても表情や声の抑揚がわからないので勘違いしやすい。人間の会話は言葉だけでなく表情や抑揚が大事なのは誰もが知っている事だが、その表現能力の多くを占める表情や抑揚が出せないのだから難しいコミュニケーションマシンだと言える。

 

バカ発見器として有名になったツイッターであるがそれは皆が短文でつぶやくだけでは真意が伝わらないまま伝言ゲームで最後に受け取った人は「何だこのやろー!」という事になる。

 

人は生まれも育ちも違えば歴史の理解も人種問題も理解度が全く違う。日本にいるだけでは分からない世界レベルの常識が理解出来ないことがよくある。

 

外国で生活をするだけでなく外国人の思考方法や何故そうなったのかという歴史的社会的背景を考えれば、そこに「人間の持つ普遍的に変化しないもの」と「地域性や時代性で変化するもの」の区別をすることが出来る。

 

そうすれば日本人が自分たちの中で普遍的だと思っていることが意外と単なる地域性であったりするのが分かるから自分が怒っている事が無意味であることに気づくが、多くの日本人は違う文化習慣と比較して考えることが出来ない。そういう訓練をしていないからである。

 

これが長じてというか短じてというか、フェイスブックやツイッターで繋がる向こう側の相手があなたと同じ日本生まれの日本人でありながら全く違う思考回路を持っていた場合、あなたの書き込みを勝手に誤解したり異常な反応を起こすことがある。

 

相手は自分が普遍的真実だと思っていることは古代日本民族の発祥から現代まで連綿と続いている日本全体に広がる習慣であると思いこむ事もよくある。けれどそれは単なる自分の生まれた地域の最近の習慣であるのにそれが気づかないってのがある。

 

わかりやすい例で言えば当社は日本中から社員が集まっており時間のある時に自分の住んでる地域の話をすることがある。例えば10年くらい前の話であるが節分の日になって「豆まきだね」とか言ってたら大阪出身のスタッフが「恵方巻きやなー、今年はどっち向くんやろ」と言い出した。

 

周囲は意味不明で「なにそれ?」と聞き返すと大阪人はびっくりしたように「えー!あんたんとこ、恵方巻きやっとらんのー?おかっしいちゃう!?」。恵方巻きは元々大阪地方で流行った文化であるから巻頭や北海道の人が知らなくて当然なのだが、大阪の人からすれば昔から日本中でやってるものと思い込んだものだ。

 

他にもこのような例は枚挙に暇がないが、人間は自分が置かれた環境や考え方は他人も同様であるという錯覚をすることがよくある。その時に正面向いて話しているとお互いその場で誤解に気づいて「ああ、なんだー」で終わるが、これがネットの向こうにいる相手だとこちらの気持ちが通じないまま喧嘩になる。

 

ぼくは自分の書いている事が短い文章で表現出来ないのは理解しているし人によっては理解しづらい内容になるからあえてツイッターもフェイスブックもやらない。

 

いずれ世の中がこのようなSNSに慣れて来ればトラブルも減少するとは思うが、それでも現実世界での人間同士のトラブルより減少することはあり得ない。つまり当分は常に誤解を生みやすい道具であるって事だ。

 

電話が出てきて100年になるが、最初は声だけのやりとりでも抑揚で相手の気持ちが分かった。それでもやはりうまく伝わらない時は「ねえ、会って話をしない?」となった。21世紀にテレビ電話が出来ても、それでも何かを伝えるときの最高のコミュニケーション手段は直接会って話をすることだ。

 

逆に言えば直接会って話すことで相手が誠意を持って話しているのか、それともこちらに何か言い含めようとしているかが分かる。

 

フェイスブックもツイッターもうまく使えば良いツールだが使い方をしらないままではトラブルメーカーになってしまう。分からずに使えばまさにバカ発見器となるだろうしうまく使えばあなたを表現する有効な道具となる。

 

うまく使うとはリテラシーを持つことであり、リテラシーを持つために最も有効な手段は自分が信じていることや今考えていることが自分の住んでる地域の常識なのか日本の常識なのか世界では常識なのかを検証していき、世の中には普遍的な真実と時間や地域に左右される真実があることに気づくことである。



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2013年08月14日

5年後に世の中がどうなるかって事で

昨日書いた事で5年後の日本はどうなるかとご質問を頂いた。日本はお盆の時期でもあるしちょっと長くなるが様々な要素を書き散らしてみる。

 

まず世界の大きい所から見ていけば政治と経済であろう。世界経済に大きな影響を与える中国の失速が今年になって著しい。

 

データを「選択8月号」から抜き出してみよう。ところで前置きだがこの月刊誌は質が高く殆ど広告を取らない。8月号でも3つだけ、巻頭のスイス航空のビジネスクラスの宣伝と裏表紙のサントリーの「水と生きる」と、も一個だけだ。

 

これだけ辛口の記事を書いてたらそりゃ嫌われるわなと思いつつ中国のデータを見てみると中国市場は世界の鉄鋼製品の35%、セメントの45%、冷蔵庫から薄型テレビまで家電製品の30~40%、自動車の23%の需要を握っている。

 

中国は今年になって成長率が落ちておりここ2年程度の水増し疑惑も出ている。実態はリーマン・ショック時に3セクあたりにばらまいたお金やシャドーバンキング経由のお金が不良債権になっておりハードランディングの場合は三セクが倒産して貸しつけてた銀行が連鎖倒産する。ソフトランディングであれば人民銀行がお札を刷りまくり三セクの負債をすべてカバーするがそうなるとますますお金が中国中に溢れて更にバブルを拡大してしまう。

 

そうなると世界の需要が蒸発する。それでも製造業はものを作り続けるから激しいダンピング競争が起こり世界の企業はダンピングに巻き込まれて、価格でのみ勝負をしている企業は確実に淘汰される。

 

これはNZのお隣の豪州など鉱工業資源国家の経営に大きな影響が出る。例えば豪州は中国の鉄鋼製品の供給元であるから中国が買わなくなったら今までシドニーで己の春を享受していたカントリービジネスマンは為す術もなく牧場で牛追いをするしかなくなるだろうし炭鉱夫は生まれ育ったニュージーランドに戻って漁業をやるしかない。

 

ニュージーランドは幸か不幸か常に上昇気流に乗り遅れており金融バブルのジェット機が空高く飛び上がってた時に馬車で地上を移動していた。おかげで殆ど世界の好景気に乗れなかったが、バブルジェット機が墜落した時に大きな被害は受けずに済んだ。

 

しかし資源国や中国の製造業と同様の商品を提供している企業は間違いなく大波をかぶる。当然米国での自動車販売も落ち込み人々はものを買わなくなり「需要の蒸発」が起こりサラリーマンを直撃する。これは間違いない。

 

お隣の韓国も同様である。乗り遅れた中国出資を一気に取り返すように中国にのめり込んでいる現状であるがウォン高の波を食らっただけでサムソンやヒュンダイが苦戦してしまえば韓国の銀行システムは非常に弱いので、中国に投資をした韓国企業が倒産すればその影響はもろに韓国の銀行を連鎖倒産に巻き込む。1990年代終わりのIMF管理になるだろう。

 

IMF管理になった時のテレビ番組では街頭で多くのソウル市民が自分たちの持っている金を政府に寄付する場面が観られたが、あれがまた繰り返すだろう。

 

勿論大波は日本にも襲いかかってくるが、これが一昨年でなくてよかったと言えるのは、多くの日系企業が政府主導のもとに東南アジアに製造業シフトをしているからだ。

 

すでに東南アジア諸国では緊急時の資金貸付協定があり中国発バブル崩壊の際には助け合う準備は出来ている。残念だが韓国を救うかどうかは日本財務省の腹次第である。

 

そのような韓国の状況を把握している外資系銀行はすでに沈む船から逃れるように今年7月に入ってHSBCが韓国国内支店11箇所のうち10箇所を閉鎖、個人向け金融事業から完全撤退を決めた。オランダ保険大手のINGも撤退に向けた子会社売却準備に入り、昨年11月には米ゴールドマン・サックスが撤退して米保険大手AIGがアジア太平洋本部を置く予定だったのも白紙になった。

 

米国は賃金上昇と労働条件の強化で旨味のなくなった中国から撤退して米国内やメキシコに向上シフトをしている。しかし中国のダンピング競争に巻き込まれたらこれも生き残りに相当な苦労を強いられるだろう。

 

ではロシアはどうか?ロシアは元々天然ガスなどの資源で大ロシアプーチン帝国を復活させたわけだがシェールガス革命の影響で今までのように強気なビジネスが出来るのか?

 

欧州はドイツ以外は体力がなく中国発金融恐慌に巻き込まれないようにするために全速力で中国と距離を置くだろう。

 

では肝心の中国はどうするのか?実は今中国で起こっているのは習近平をトップとした保守派と改革派の争いである。争いの中でポー・チライの汚職事件が問題になりそれ以外にも胡錦濤や胡耀邦など過去の共産党トップの血筋(太子党)が争っており、彼らがこのような経済情勢をも自分の味方につけて相手を失脚させて中国をハードランディングしようとするのは容易に想像できる。

 

ぼくはその意味で、日本はいつ中国発のバブル崩壊が来てもよいように自分の貯金をしっかり持って流動性の高い預金などにしておけと思う。またはバブルが弾ければ必ず起こる現象が一時的なたたき売りであるのでこれを利用してこの時に思い切り安く仕入れるだけのキャッシュフローが手元にあれば波を逆に利用出来るだろう。

 

しかしそうでなくぎりぎりの生活で勤めてる先が価格競争で勝ち残ってきた企業であれば突然の解雇もあり得る。その場合次の仕事を見つけるまでは相当の苦労だが、見つかるだけ御の字だろう。今のうちに手に職を付けることをお勧めする。

 

では政治はどうか?政治的には現在中ロが接近しており対米包囲網を構築しているが、これは自然の流れである。何故なら英国系世界支配層は21世紀は三極化にすると決めており、例え米国の軍産複合体が短期、例えば10年単位で戦争ビジネスを世界で展開するにしても大勢はすでに経済主導である。

 

これからは米国が世界警察の座を降りて欧州、アジア、米南北大陸と三極化することが既定方針だと思った方が良い。米国は太平洋においてはグアム、豪州までの第二国境(第二列島線)に陣を張り、中国が第一国境(第一列島線=台湾、日本などの諸島)から出てこないようにする戦略である。

 

このような戦略を考えれば米軍が沖縄の海兵隊を自国領土であるグアムに引越しさせるのは当然の判断であるし、後は日本政府がいくら金を出してくれるかだけの問題、辺野古など米軍にとっては交渉のネタにしか過ぎない。

 

それは沖縄地元政界だって分かってるから辺野古をネタに日本政府からどれだけ金を取るかを考えており、日本政府はいかにも沖縄の為や米軍の為と言いつつ毎年数千億円のお金をばら撒いて自分たちの利権にしているのが現状だ。

 

いずれにせよ遅かれ早かれ米軍は第二国境に撤退する。その時日本が独自の軍隊を持っていなければ確実に中国に支配される。そのことを考えれば今安倍さんがやってる憲法改正は正解であり、逆に平時の今にやっておかなければ有事になってどたばたしても追いつかない。

 

オスプレイがどうのこうのと中国に金をもらった連中(ハニートラップか過去の殺人事件の隠滅か分からんが)が騒いでるが、ヘリの安全性で言えばオスプレイの方がずっと高いしその飛行力は上海まで直接飛べるのだから邦人保護救出にも使える。現在のヘリと比較すれば格段と防衛力が高いのだ。

 

でもってそんなもんを持たれて困るのが中国だから日本のエセ左翼を使って騒いでるだけだ。

 

結論が出てないのが中ロ関係である。ロシアは歴史的に「俺たち西洋人だもんね」と思っていたが、最近ではユーラシア大陸の一員でありトルコ以東で支配権が取れれば冬になっても凍らない港が確保出来るからいいや、けどそれをどうやって中国と住み分け出来るかが問題である。もちろんイスラム主義者との住み分けの問題もある。

 

お互いに我が強いから、もしかしたらまた中ロ国境で戦争が起こる可能性も高い。南に目を向けると中国を大嫌いなインドがいるわけで、インドからしたら戦前から付き合いのある日本の方がよほど心情的に仲良くなりたい。

 

それはASEAN諸国も同様で、自国だけでは絶対に中国に勝てないので日本と提携しようとしている。最近はフィリピンが対中姿勢を強めており、米軍スピック基地など一時は出て行った米軍を再度駐留させる話もあるし日本から監視船を提供してもらうようにもしている。

 

豪州は自国内に米軍の駐留を認めて完全に太平洋側の米国寄り姿勢を明確にしている。それに対してニュージーランドは英国側に立ち米国とは距離を置きアジアの一員ではあるがアジア内で唯一の白人法治国家という強みを活かす考えを持っている。

 

それぞれにお国事情や経済事情、国民感情など様々な要素が絡みつつ現実の生活は一日一日日めくりのように進んでいく。歴史は決して後戻りはしないが10年単位の未来を見れば決して突拍子もなく変化することはない。

 

TPP交渉でサンモントのGMOをどうするかって問題はあるが、門戸を開放しても日本人が買わなければ良いだけだ。1960年代から今まで水俣病などの公害に苦しんだ日本人は、いくら安いからといって毒入りの食い物を口にするほど馬鹿ではないし、それなら自分で畑を耕して野菜を作るだろう。

 

一般国民までが農業の既得権益を応援している今の状況は一時的な感情と小銭のために日本の国益を失うような事である。どうも一般日本人は「外国から安いものが入ってくるだろう、そしたら国民は安いものを買うだろう、そうなると日本の農業が〜」なんて言ってるが、すでに農業は老齢化が進み現時点で潰れかけているではないか。

 

戦後の農地改革とその後の農協を中心とした政治的産物として農家は自分で自分をダメにしてきた。それに対して改革を訴えるものは農協の回し者となった農水省や族議員が潰してきた。日本の農業が潰れたのは外国のせいではなく日本人自身の努力不足でしかない。

 

世界はこれから激動する。それこそが今まで苦労してきた日本の成長する機会である。この機会を使って世界にうち出て行けば良いのだ。

 

と、ここまで書くと「まるで日本が良くなるじゃないかって書き方ですね」と思われるかもしれないが、いや、その通り。日本は2020年あたりをドツボとして2050年あたりには世界でもトップクラスの国家に戻りそこで働く人々は楽しい毎日を送れるようになる、ちょうど1980年代の日本のように。

 

ただしぼくが書いている2050年の未来像の主人公は日本という国家でありそこでそれまで生きていた人々、つまり今現在の日本に住む日本人ではない。ここ肝心。

 

これから2015年に向けて起こるのは富裕層を徹底的に潰して個人財産を政府が管理するようになり毛沢東もレーニンもびっくりするような社会主義国家が甦る。その時の国家の主人公は霞ヶ関の官僚と一部政治家であり国民は全員が下向きの平等で一律に貧しくなる。

 

国民が働いて得た利益はシステム的に政府が回収してすべて大日本株式会社の利益になり政府はそのかねを使って成長していくが、その過程で個人はますますサービス残業を迫られ馬車馬のようにこき使われ、同時に年金は削られ医療も個人負担が導入され人々は将来のためにますます預貯金を増やすがその金は銀行経由で国庫に入り国の政策のために使われるがその政策は日本を良くすることであっても今生活している日本人を救うわけではないのだ。

 

国が成長する時に国家は常に国民に以前の支配体制よりも厳しい納税や労働や明治維新時には富国強兵として徴兵制度も導入した。そうやって日本国家はいつも生き残ってきた。

 

1945年の敗戦後、日本人個人が持っている財産は殆ど奪われた。銀行閉鎖、新札切り替え、大増税、激しいインフレーションなどで個人はすべて丸裸にされた。

 

バブル崩壊時も多くのサラリーマンは高い住宅ローンを抱えて勤めていた大手銀行や企業が倒産して永久雇用神話が吹っ飛び多くの人々が家庭崩壊、路頭に迷ったり公園で野宿をしたり自殺したりした。

 

つまりこれから先を読む時は常にマクロの眼が必要で大きな視点から研究することが必要だが、それが自分の個人生活視点に落としこむ時には必ず「自分はどうなるのか?」と様々な推測をしてどのような状態になろうとも何とか生き残れるだけの準備をしておく必要があるのだ。

 

と、ここまで書き散らしたが世の中には様々な要素がありそれがすべて有機的に絡み合っている。そしてこれ以外にも技術の進歩が世の中を変化させていく。今のあなたの仕事がロボットやコンピューターやインターネットに取って代わられれば世界の仕事はますます少なくなり「普通の子供が普通な国立大学を卒業した」だけでは仕事が見つからない状態になるだろう。

 

昨日のご質問の回答になったかどうか分からないし、元々ネタがとてもでかい話なのでブログでまとめるのは雑駁になる。他にもイスラエルとパレスチナ問題や環境汚染や様々な要素がある。

 

ぼくがいつも何かする時に考えるのは、常に一番大きなところから物事を見て一番下の自分の個人生活に落としこむ事だ。こういう作業は最初は大変である。世界に転がっている様々な要素を一つ一つ検討して、それがどこと直接リンクしててどこに波及効果が出るかを読み取る必要があるからだ。けど半年もすれば要領が分かって慣れてきて、そうすると世界が全然違って見えてくる。

 

お盆なのでちょっと長めに書いてみました。写真はクイーンズタウンのコロネットピークから見たリマーカブル山脈です。
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tom_eastwind at 13:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月13日

国籍を取得するっていうこと

エイベックスの松浦氏が増税について反論をしたらさあすが2ちゃんねる、反応が早い。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1376127681/-100


ほとんどが批判であり「嫌なら出てけ!」という書き込みが多い中「てか、金持ちが全員出てって老人と子供だけになったら誰が税金払うの?」というまともな内容もある。


普通に考えれば国家が行う再配分システムって国民が負担している税金で賄われているわけで、国民と国民の間にはできるだけ何もないのが良いわけで、その意味で言えば役人なんてのは必要悪だから最低最小にすべきである。


ところが人間は完全ではないためにやはりどこかの組織が統治する必要がある。その統治権限を国民が選挙によって政治家に委任して、政治家の為にプロの行政マンとして役人が政策立案をすることになる。


ところが仲介者である役人が自分たちの私腹を肥やして自分たち行政マンだけが儲かる仕組みを作り自分たちの為の共済年金は分厚くして給料高くして責任取らずそれを労働組合までが後押しするのだから、再配分の中抜きがデカすぎ。税金払う方からすれば馬鹿らしくて腹立たしいばかりである。


しかしそんな事言っても日本に居住する限り政府はあなたに課税する権利を「合法的」に持っているのだから税金を払わなければたいーほである。だって法律を作るのは役人だからだ。


ならば日本居住者が自分の意見を持ち正しい納税だけしかしないと言えないので最後の決断は日本から出ることになる。ここまでは当然だ。


シンガポールの国父と呼ばれるリー・クアンユー元首相(90)が今月6日に出版された英語版の自叙伝『ある男の世界観』で日本について下記のように書かれている。


日本については「非常に悲観的」との評価だ。リー元首相は「日本経済が長期不況の泥沼に陥った最大の要因は人口の急激な減少だ。日本はそうした状況でも『人種の純粋性』にこだわり、これに反する対策を公に議論しにくいのが実情だ」と分析。その上で「移民の門戸を閉ざしている限り、日本の未来は非常に暗い。今後1015年は下り坂が続く」と予想した。リー元首相は「シンガポールも少子化問題を経験したが、われわれは移民を受け入れている。私がもし英語の分かる日本の若者だったとすれば、移民として出ていくことを選択する」と語った。


ただ日本国籍を保持する限り世界中どこに行っても逃れられない税金がある。それが相続税である。今年の税制改正で海外資産を日本国籍を持たない人に譲渡しても相続税の対象になったしこれからますます税金はあなたの背中を追っかけて来るだろう。


ならば最終的に完全に徹底的に縁を断ち切るのは日本国籍を捨てることである。


しかし国籍を捨てた人はそんなたくさんいないから実際にどうなるのかはイメージが湧かないだろう。そこでニュージーランドを例にとって説明すると。


まず最初にニュージーランドで生活をするために永住権を取得する必要がある。これは当社のウェブサイトでも掲載しているのでそちらを見てもらうとしてその後の流れは、まず永住権取得後に5年間ニュージーランドに居住していることが要件となる。


この5年間は毎年最低でも10ヶ月以上滞在することが要求される。これはどこかの法律に書いているわけではなく、法律上は「ニュージーランドに居住していること」となっているが、ニュージーランド内務省の内規で大体10ヶ月を目処にしている。


この5年間はきちんと納税してて犯罪歴がなくて、要するに真面目に生活していれば良い。ぼくが申請した時も半年くらいかかったが、前世紀に交通違反で逮捕された記録くらいしかなかった為にたくさんの追加書類は不要だった。


申請後半年した頃に内務省から「書類審査は終わったから内務省に来て」と手紙が来た。僕はクイーンストリート沿いにある内務省オフィスを訪問して手紙を見せると、メガネを鼻に載せたおじさんが出てきて上目使いでこっちを見てたが「じゃこっちにどうぞ」って言われて3人くらい座ればいっぱいになるミーティングルームで英語テストだ。


最初にファイルを見て「お、日本人か」と言うような顔つきで英語で話しかけてきたが、こっちは適当にバカっぽく英語で返していたら2分もせずに雑談の開始だ。天気の話や最近の日本はどうだいみたいな話をして合計で10分もかからず終了。


それから一週間くらいしてまた内務省からの手紙。今回は招待状が来て「タカプナのブルースメイソンセンターにおいで」との事で当日スーツ姿で行くと500名くらい入る講堂ではほぼ全員が私服で、Tシャツとかポロシャツとかそんなもんである。


順番に台上に上がり国民証明書を受け取る。それで最後はニュージーランド国家を全員で歌って終了、約1時間のセレモニーは終わりだ。


翌週に証明書を持って再度内務省に行きニュージーランドの旅券を申請すると約一週間で旅券取得が終了。


その次の週には在オークランド日本領事館に赴き「パスポートの返納と国籍離脱」の依頼を出す。これが実にあっさりと受理されて「はい、これで終了です」と言われるとあっけにとられるくらい簡単に終わった。


ああ、これでおれは日本の国籍から離脱して正式にニュージーランドの国籍に移ったんだなって感傷さえ湧かなかったくらいあっけらかんである。


結局ぼくはニュージーランド国籍になり日本国籍は喪失したが、全然喪失感がない。何故ならぼくがどこの国のパスポートを取ろうとぼくはぼくであり日本で生まれ育ち日本語で生活をして今も生まれ故郷の海や山を大好きだからだ。


日本国籍を離脱するということと日本人であることを止めるとは全く別問題だ。人によっては「日本を捨てるのか!裏切り者!」みたいな連中もいるだろう。ぼくは思いっきり言いたい、「勘違いするな、おれが捨てるのは日本政府であり日本ではない、おれはいつまで経っても日本人であることに何の変わりもないし変えようもないんだ!」


僕は日本から出ようとしない彼らに聞きたい、「君等は日本政府が好きなのか日本が好きなのか?」

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tom_eastwind at 19:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月12日

日曜日の朝、アルバニーにて

IMG_1823日曜日の朝8時30分にりょうま君と一緒に自宅を出て海軍候補生学校に送った。雨が降ってて今日のヨット訓練、古い言葉で言えば操艦訓練はどうなるのかなーと思いつつりその後に聞いたらあまりの暴風なので工場の中でロープ結びの勉強をしたとの事。


ロープ結びって結構奥が深くて、例えば長距離トラックの運転手が荷結びするところから大型客船が港に横付けする時に結ぶ方法まで学ぶものは多い。ちなみに今日はりょうま君は幸せそうだ、帰ってきて「お父さん、ぼく今日は楽しかったー」だって。今日も良かった。


りょうまくんを送った後ノースショアのアルバニーモールに行く。目的はぼくがキーウィブレックファーストを食べながらパソコンを開いて外の景色を見ながら頭を冷やしてゆっくり考えること。オフィスではこの気持ちよさはないぜよ(笑)。


モールに到着したのは9:30で、まだ屋根付きの駐車場に空きがあった。アルバニーモールの駐車場で屋根付きの場所に車を駐めて降りた時に、偶然通り過ぎたごつくて古い四駆に乗ってた60歳代の白人ご夫婦のうち旦那がこちらをチラッと見てニコって笑って僕のクルマのライトを指さした。ああ、ライトが点きっぱなしだよって教えてくれてんだ。まさに昨日のニューマーケットのコラムで書いたのがドリカムになった。


最近の車はライトが1分ほど点きっぱなしになるんですよってやぼな指摘はせずに大きな笑顔で「ありがと!」と言ったらおじさんはちょっと嬉しそうに通り過ぎていった。


モールのカフェで朝ごはんはベーコンエッグトースト、写真のような結構しょぼい麦芽入りパンとベーコン2枚と目玉焼き2個、これにイングリッシュブレックファースト紅茶が付いてお値段が21ドル、約1,600円です。日本で言えば、高くない?ホテルの朝食か?てな感じだがこれで商売が成り立つ、つまり雨が降ってるのに朝食のためにお客が来るんだから発展してる街はすごいね。


お店はColombusCafeってチェーンカフェで、働いているスタッフも色んな人種が混ざっているが彼ら全員に共通しているのが無駄口が多くて接客を理解出来ずぼくがベーコンエッグを注文していると隣でエスプレッソをぎこちなく作ってるアジア系の若い女の子が暇そうに大きな声で「ねえ、エッグ&ベーコンって注文していいんだよねー、あはh!」だって。


何が面白いんだろ、知性の低さが抜群であるがこれって容姿と正比例するんだなって思った瞬間。知性があれば自分の外貌に気を使うだろうし中身も磨くから今がその発言のバカどうかくらいわかる筈だ。悪いのは親か?と思った瞬間でもある。


また、人が食べてる最中のパンの乗った皿を「終わったんでしょ」と片付けて皿洗いに回して自分の業務の効率化を図ろうとする若いキーウィの女の子も接客よりもいかに勤務時間中に給料をもらっておしゃべりをしたいかが見え見えであるので、こうなればもう苦笑するしかない。


僕の苦笑を彼女はアジア人に珍しく英語を喋って笑顔を乗せられると思ったのだろう、まだまだ悪い意味のカントリーガールですな。馬鹿にされてるのを気づいてない。カントリーガールと言えば谷山浩子のヒット曲があるが、まさにあの世界だ。


でもってアルバニーのショッピングモールを意識的に人種別に区分けすると80%は富裕層白人であり15%くらいの黄色人種、マオリやアイランダー系らしき人々は3家族しか見かけなかった。


でもってJapanHomeCentreだっけかな、正確な名前は他のオークランドのブログを見れば出てくると思いますが、そこに入った時の印象。


ジャパンホームセンターだっけ、そこで商品を見て回って50ドル程度の買い物をしてかごに乗せてレジに行くと、中年の可愛らしい日本人の女性店員さんが最初は無口でその後お勘定の時にたどたどしく英語で「えーと、フィフィティだ、だらー、ぷりーず」日本語で良いですよって言ったら急に「あ、有難うございます!50ドルでございます、こちらになりますねー」。僕にはほんとに「ほんわか」した一瞬だった。


昼過ぎに買い物も終わり駐車場に戻ると雨の日の屋根付きの駐車場は皆がぐるぐると空きを探しているのを見るとここは日本かって感じ。


さ、楽しい週末は今日で終わり。アルバニーで食って笑って良い空気を吸ってで栄養補給も終わって明日からまた仕事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 10:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月11日

土曜日の昼 ニューマーケットで思うこと

土曜日は久々にニューマーケットのジャパンマートと中国人御用達の食料品店街を回って夕食の鍋の材料を買い揃える。

 

うちの場合最近は昆布とカツオを使って出汁を取る。うちのご家族いわくパックのスープも美味しいのだが一度昆布とカツオを試してみるとこれが新鮮で自然で柔らかくて美味い。調味料を多用するパックスープでは味が強すぎるので海鮮鍋の魚の味が壊れるとのこと。

 

でもってうちは海鮮鍋が大好きなので今日のメインはダイアモンドクラム、日本名は蛤かな、中華海鮮店の水槽にどさっと積まれてるのを網で取り出して1kg15ドルなので約1千円。高いか安いか分からないが買う。

 

けど今日はあまり新鮮な白身魚がない、てか昼過ぎなのにたくさん買い物客が来てて、とくに中国人の場合は魚をそのまま自分の指で押してみたり手にとって台に叩いてみたりするのでその時点でもうOUT,あのさ、あなた今日トイレに行って手を洗ってないでしょって感じだし叩かれた部分はもう皮が剥げておりまだらなのに、これでも商品ですかね。

 

他の食材はジャパンマートで「はんぺん」とか「揚げ」冷凍物を買って間に合わせたが、いつも思うことはもっと日本食がオークランド中に出まわって日本発の安全で安心して食える食材が増えないかなって事だ。日本人経営の魚やとか出来ないのかな、ほんとに思う。

 

けどなー、それでもジャパンマートのお客の半分以上は中国人で地元に住んでる日本人はいつも「日本食材の値段が高い!あんなに高いなんてぼったくりだ!」とか文句ばかり言って結局中国の食材店で購入しているからもう少し日本の消費者層のレベルが上がってくれないと日本人経営の魚屋は無理かなっても思う。

 

例えばジャパンマートで売っているインスタントラーメンのエースコックのワンタンメン袋入りは一袋2ドル50セント、つまり80円計算で200円だが楽天で買えば一袋50円である。約4倍。輸送費や賞味期限など厳しい制限がある上に購入者が少ないのだから仕方ないのだ。だから高いって言って肝心の日本人が買わなければいつまで経っても価格は下がらない。

 

日清のカップヌードルに至っては日本直送のは一個6ドル(480円)、ところがほとんど同じ香港製のカップヌードルは一個2ドル(160円)で売られてる。日本のコンビニのカップヌードルが一個160円前後であるのを考えると、この価格設定では売れないよなって思ってしまう。それなら日本に帰った時にまとめ買いして送ってもらうほうが郵送費用を払っても安いぞとなる。

 

けど結局その姿勢が食材屋さんと日本消費者のミスマッチなんだなって感じる。何かこのへんにビジネスチャンスを感じるのだが、答えは見えているのだが、誰かいないかな、この問に対する解を実行出来る人は。

 

ところで今日の本題は最近の中国人排撃運動だ。クライストチャーチからやってきた右翼団体がオークランドの中国人街で「お前ら中国に帰れ!」という帰還促進運動をやろうとしてあちこちでバチバチ揉めているとのこと。

 

僕はニューマーケットのジャパンマートで買い物する時は隣にある駐車場を昔は使っていたのだが最近一年はほんとーに面倒くさい。

 

元々はインド人経営だったのかな、普通に入り口で切符取って出口でレジのインド人の若いお兄ちゃんに2ドル程度渡して終わりだったのが、最近経営者が変わったのかレジが閉鎖されて誰もおらず、その代わりに自動券売機が置かれている。

 

最初の時は普通の感覚で車を駐めて券売機に行くと、そこには山ほど数字とアルファベッドが並んでて、チケット買うだけなのに車のナンバープレートを登録しろだとか何分駐めるのか決めてから金払えとか、おまけにシステムそのものの使い勝手の悪さに文句を言おうと周囲を見渡しても誰もいない。まさに持ってるもの天下みたいな態度の券売機である。

 

いちいち自分のナンバープレートなんて覚えていないし、第一お金を払う客に対してこりゃ何だ!と思ってここ半年以上使わなかった。

 

ところが今回は昼過ぎにニューマーケットに行って他が混み合ってて、その時偶然に以前は出口専用になってた道路に面した2本の通路が左はEntry,右はExitとなってて、ああ、またやり方変えてこっちからも入れるようにしたんだなって分かった。以前は出口と入口は反対側の道路に面していてそれぞれ出口と入口専用だったのだ。

 

そこでぼくは入り口のサインのある通路に車を入れて上の階に上がろうとすると向かいから降りてきた四駆に乗る白人キーウィ親父がすんごい顔でこっちを睨みつけて、親の敵みたいな態度で窓を開けて「ここは出口専用なんだぞ!」と怒鳴ってきた。

 

こっちも反射的に「お前は英語読めないのか?ここはEntryだ!」と言い返したらものすごく嫌そうな顔でこっちを見つつ出て行った。

 

これなど典型的な中国人嫌い現象だろうなと思う。おそらくこれがアルバニーあたりでいかにもレンタカーで来た日本人家族が困ったような顔で車を駐めてどこから車入れればいいんだろうって顔してたら、白人キーウィは車から降りて丁寧に話しかけてくるだろうな「Hai!どうしたんだい?」って。

 

これは最近のニューマーケットではよく感じる。白人がピリピリしているのだ。中華料理は美味いが中国人は嫌い。飲茶レストランは美味しいが中国人に順番待ちの行列に割り込まれるのは大嫌い。中国人は車を停めるのに前後も確認せずに突然止めて交通渋滞起こしたり、その意味でニューマーケットが今のオークランドで一番感情的になりやすい地域ではないかと思う。

 

これがホーウィックなら住んでる人の多くが1990年代に移住した香港人で英語も出来るし白人との付き合いも出来る。自宅ではつばを吐くが道路では吐かない使い分けが出来ている。

 

そしてドミニオンドーロ沿いの中国人街は圧倒的に中国人とインド人ばかりなので白人からすれば一種のアジア人租界だし別にこのあたりで何を買いたいって事もない。このあたりで買うしかない白人層は諦めモードの人が目立つからネタにもならない。

 

ところがニューマーケットと言えば白人でも成功者が多く自分の意志を貫いて仕事で頑張り家庭を大事にして地域の治安を考える人々だ。だから彼らからすれば道路でゲーゲーと音を立てて痰を吐き散らし鼻水を飛ばし散らして鼻くそをほじくり近くの椅子になすりつけるような中国人はすでに想定の範囲外、これが同じ人類かという感覚だろう。

 

同じ人類である証拠に車の免許は持っているが横暴で英語も出来ず汚い服装と顔といかにも知能の低そうな両目が広がった蛙の面は、かろうじて人類ギリギリって感じで、一つ間違ったら蛙に戻すぜって感じだろう。

 

けど人類のどまんなかにいて知性も理性もあるって自我自尊して自重する「知的白人(皮肉ですぜ、真に受けないでね)」からすれば自分に何か直接的な被害がない限り文句を言うのはおかしいと知っている。クライストチャーチから来たバカ右翼とは一緒にするなって気持ちはある。

 

けれど今日の僕のように彼からすればまるで一方通行を逆に進入してきたようなアジア人は許すことの出来ないわがままやろーと映るのだろう。

 

今日のような状況は2002年頃もあった。夜中にシティを歩く中国人留学生が殴られたりしたのだ。実際に彼らの態度は無礼でありいくら酒を日頃は飲まない人種といってもやはり「郷に入れば郷に従え」を学ぼうとしない大中華思想がにじみ出ている。

 

真夜中にガタイのいいマオリに囲まれて殴られた中国人はすぐに対策を作った。それは殴られそうになったら「私は日本人です!」って言うことだった。これで本当に被害を間逃れた実例をぼくは知っている。

 

その時ぼくは「そっか、間違って日本人がトラブルに巻き込まれるとまずいよな」と思い、社内で「ねえ、Jバッジ作って売ろうよ。胸の部分と背中に大きくJと刺繍して、これは日本人って意味だって新聞記事にしてもらえばいい」と言ったものだ。

 

その時は半分冗談だったが、もし今日いずれそのような事態がきつくなればもう一度本気で考えてもよいと思う。

 

というのがこの手の人種差別ニュースがあった時、つまり地元マオリ政治家のウィンストン・ピーターズが中国人に対して「出てけ!」とニュースでやった時に在オークランド中国人協会の責任者かな、中国人のおじちゃんが「アジア人に対する排斥は冷静に〜」って・・・。

 

おいおい、お前さ、排斥の対象は中国人なんだよね、知ってるからこそ問題を逸らそうと「アジア人排斥はー」なんて言葉をすり替えてるんだよね、全くもー自分のずるはいい加減にしろって感じだった。

 

君等中国人が本気でアジア人同士仲良くやろうよってんならまず君等のオークランドの地元民に対する横着無礼な態度を訂正したまえ。自分の文化を一方的に押しつけて相手の気持ちを忖度出来ない人が移住をしても、そんなもんが反発されるのは当然だろう。

 

一体いつになったら学ぶのかって感じだが、インドネシアで経済を支配して地元民をこき使う華僑は地元インドネシア人に何度暴動を起こされたかもう忘れたのか?

 

金持ち華僑の10歳の娘が集団暴動で自宅が襲われ両親の見てる前で何人もの男に強姦されて挙句に首を切られてそれを大通りに晒された事実はほんの15年ほど前だって忘れたのか?それも一人や二人ではなく何百人もが事件に巻き込まれた事実は今でもネット検索すれば写真が出てくる。

 

中華料理は世界の高級レストランでもあるし北京ダックやフカヒレスープや精進料理だって受けている。中国の古い文化は世界の人々の学びの対象となっている。素晴らしい食文化と高い文明を持っているのだ、大国の誇りを持ち文化をまとって同時に行く先々の人々の気持ちさえ忖度すれば決して嫌われるような理由はない。

 

中国人排斥運動に対して「アジアはひとつ!」って言い返したいなら日頃からアジア地域で中国がやってる横暴を止めて日本人がやっているような相手に対する礼儀を覚えましょうぜって思う。

 

いずれにしても今の大陸中国人の横暴は1980年代に移住した香港中国人や1850年代に移住した華僑も鼻を抓んで「あいつらと一緒にしないでくれ!」って悲鳴を呼び起こしている。毛沢東の文化大革命、その後の江沢民の反日教育、どれを取っても中国らしくない100年の計のない目先の政策である。その意味で小平が懐かしく思える日本人は僕だけではないだろうと思った土曜日の午後だった。



tom_eastwind at 17:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月10日

日進月歩のゲーム市場 今を生きるか博物館に飾られるか

昨日リビングのソファで日経ビジネス特集「ゲームをリセットせよ」を読みつつ読み応えを感じ、何で日経ビジネスって面白い週と面白くない週があるのかなって疑問を感じてた。もしかして編集長が二人いて上手な人とヘタな人が交代で編集しているのかなって思ったり。


特集では1983年に任天堂が発売開始したファミリーコンピューターの写真がある。上からカセットをはめ込むタイプの奴で「そっかー、パソコンゲームも栄枯盛衰、今は任天堂が2年連続赤字なのについ最近立ち上がったネット企業のガンホーが勢い良くてグリーでさえ新鋭企業なのにもうすでに落ち始めてるなー」とか思って読んでたら、いつの間にか後ろで記事を見ていたりょうま君。


たわむれにりょうま君に聞く、

「このゲーム機見た事ある?」

「見たことあるよ、博物館で」

聞かなきゃよかった・・・。


ゲームの世界の変化の速さってのは日本の重厚長大産業には絶対に理解不能だろうな。「空飛ぶタイヤ」の三菱自動車なんてからすればもう異星人だろう。


それでも世界の動きは早く、特にインターネットが発達してからは凄まじいまでの勢いで全てのものが変化している。今なら5年後の世界を予測出来れば宝くじのあたり番号を事前に知っているようなものだ。


けど面白い事に火事や地震などは予測が難しいが世の中の動きはある程度読める。細かい事象は別として常に地球の位置から世界を見て次に日本国内を見て次にそれを実証する統計や反証する現場の流れなどを見ていれば世の中の進む大きな流れは大体見える。


大事な事は世の中を見る時に「自分個人がこうであって欲しい」という視点から観ないことだ。あくまでも観察研究者として見るから公平な立場でものが見える。だから今まで常に変化しながら生き残ってきた。


夢は自分が望んで見えるものではないけど、昼間の世界で起きる5年後の事はある程度見える。それは世の中は多くの人間が望む方向に進むって事が理解出来るからだ。


ぼくは個人的に「人は望んで努力すれば叶う」と知っている。その個別の望みが多くの人びとに広がって気持ちを共有出来ればそれは強い力となって社会全体を動かす事が出来る。


それは悪く言えばヒトラーを生み出した第一次大戦後のドイツの苦境の集約であり一般大衆の情熱と政治が昇華した時に世の中は大きく変化した。これに技術的変化、つまりインターネットの広がりが世の中の変化の背中を強烈に押していく。中国の若者の変化を見ればいかに彼らがネットを使いこなしているかよく分かる。


つまり世の中の一般の人々が望んでいる大きな流れが掴めば、そこに新技術が入れば、そして国境がどう動くかが分かればある程度の社会の流れが見えるという事だ。世の中の先を読むのは決して魔術でも水晶球でもない。


話は変わるが久留米で水晶球的な面白い事があった。ぼくは半年くらいまえにある夢を観たのだが、それは天井の高い大きな部屋で若い人たちが床や畳部屋でごろごろしながらなにか見てる。それは大きな障子を開けた向こうに見える花火だ。


皆で三々五々飲んだり食ったりしながら花火を眺めているのだが僕はちょうど天井のあたりから45度の角度で下を見ている。何の夢かなって思ってたがどうも思いつくことがない。そのまま久留米に来たのだが、JR久留米駅に着くと「今日の花火大会は雨のため延長になりました」という案内が出てた。


ふーん、今年はどこも花火が大変だなと思いつつ会議に参加した。会議終了後福岡に戻って飲んでる時に仲間が「あ、そう言えば花火大会をあの人の部屋から見ようって話になってたんだよね、皆が集まってわいわい言ってってつもりだったけど、雨で延期なんだよね」と言った。


ぼくは何気なしに「そこってどんなとこ?」と聞いたら「マンションのペントハウス。窓の向こうに筑後川が見えて花火の最高の位置なんだ」・・・・。ぞぞぞぞ、それってもしかして俺が観た夢じゃないか?花火、ペントハウス、たくさんの若者、立ち食いの飲み会、すべて当てはまってる・・・。


うわー!思わず大きな声で夢の話をしてしまった。聴いてた仲間は「へー、そっかー」。こいつは付き合いが長いので僕の事をかなりよく知っているから、こんな事があってもそれほどびっくりしない。見た僕の方がびっくりである。


普通は夢を見てもだいたいどこかで当てはまるのがあって納得出来たのだがこの夢だけは半年経っても分からなかったので頭のなかのデスクトップにずっと残っていたのだ。けどこれで問題解決、あーよかった、安心してCに戻すことが出来る。


こういう夢の事に科学的興味がある方はぜひとも「スウェデンボルグ」を読んで欲しい。その理由の一端でも見えることが出来るかもしれない。

スウェーデンボルグの霊界日記―死後の世界の詳細報告書
エマヌエル スウェーデンボルグ
たま出版
1992-10




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 11:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月09日

仕事ありますか?能力ありますか?

NZ大好き」には色んな質問が寄せられる。ニュージーランドでは最もよく読まれているサイトだが下記のQ&Aは興味深いので転載しておく。文責は小生。質問者に対して言葉はきついけど回答者の答えに「ずれた夢の果ての真実」がある。

 

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2013-08-05 23:45:31

投稿者/QUEENSTOWNER!!(クィーンズタウン)

僕の友人は以前ワーホリでNZにいて、最近またNZに帰ってきたいと考えてます。

 

とりあえず、クイーンズタウンで3ヶ月間観光でいる間ホテルのハウスキーピング(ワーホリ時代に経験)などでワークのサポートをさがしてみるつもりですが、もし、3ヶ月で仕事が見つからず帰国しなければならない場合、その後の6ヶ月間はNZに帰ってくることができないと聞きました。

 

STUDENとして残る場合は学校にもよると思いますが、大体どれくらいの費用がかかるのかとか、どれくらいの期間NZにいれるのかなどもご存知の方がいらしたら教えていただけないでしょうか?

 

それから、STUDENT VISAで多少バイトなどできるのでしょうか?また、STUDENT VISAは申請からどれくらいでおりのでしょうか。英語力は多分準2級くらいだと考えられます。

 

2013-08-06 18:11:10

投稿者/同じく(その他の南島)

あなたのご友人に伝言です。ビザが下りる時間以外はネットで調べてば30分もあれば全部わかる事です。こんな事をいちいち質問してる時点であきらめた方がいいです。

 

英語がカタコトで、役立つスキルも無い人がしがみついても何も幸せな事はないです。10年ちょっと前には誰でも簡単に永住権が取れた時期がありましたが、運良くみやげ物屋やジャパレスなどで取れてしまった為にそのまま居残り、そういった収入的に底辺の職から脱出出来ずに貧困のうちに歳をかさね、日本へ帰りたくても帰れないという人も結構います。英語力と技能がもし将来身につく事があればその時改めて考えればいいと思いますよ

http://www.nzdaisuki.com/bbs/detail.php?parent_id=149949

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「土産物屋で居残り歳を重ね」なんてかなり具体的で想像出来る。「ニュージーランドを好きなんです!」それだけで移住出来るほど世の中は甘くない。

 

以前直接当社に問い合わせがあった時などは「私は苦しんでるんです、何でニュージーランド政府は助けてくれないんですか!私達を雇えばニュージーランドにとっても利益ではないですか!」と訴えられた。

 

では何故ニュージーランド政府が自国民でもなければ自国に住んでいるわけでもない外国人を救わねばならないのか?第一あなたに能力があるのなら技能移民でビザを申請すれば良いだけの事だ。第二にあなたはニュージーランドの失業事情を知っているのだろうか?そして何より自分の能力を知っているのだろうか?

 

ぼくは10年ほど前に発行してた紙新聞のコラムで「仕事ありますか?能力ありますか?」と書いた事がある。その時はまだあまりネットが発達してなかったが郵便で反応があったりeメールで感想が来たりした。

 

その頃と時代は変わっても労働事情は変わらない。役に立たない人材を採用する会社もなければ役に立たない移民など絶対に受け入れないのが国家である。ちょっと考えれば分かることだが自分で考えるとか自分の労働価値を客観的に判断するとかしないのだろう。

 

人間の能力はどこまでいっても相対的であり仕事が欲しければ他人よりも優秀な能力を持っていなければ仕事を得ることはできない。少なくともニュージーランドでは日本のような「何でもやります、頑張ります」が通用しないのが現実だ。

 

「仕事ありますか?」と尋ねて「能力ありますか?」と聞き返された。さあ、あなたは何と答えるだろうか?



tom_eastwind at 17:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月08日

今月の初出社

オークランド到着

 

久しぶりな感じのオークランドだが、空はあいも変わらず青くて冬なのに17度くらいで暖かい。ニュージーランド旅券にしてから入国がEパスポートなのですんごい簡単。係官不要である。

 

旅券を読み取り機に差し込み画面に出てくる2つくらいの質問にタッチパネルで答えて僕の名前が印刷されたカードを取ってゲートの出口に行き印刷されたカードを差し込み自動カメラによる照合をしたら手続きはすべて終了。

 

手続きは全部で5分もかからないので入国の行列も不要でとっても便利な仕組みだ。人口400万人の国でもこれだけ出来るんだから日本も積極的に導入すれば良いのにと思う。羽田空港にもEゲートはあるのだが、事前登録しろとかなんちゃら、おいおい何のためのIT化だよ、二重作業じゃないかってがっくりする瞬間である。

 

回転台の上に出てきた荷物をささっとカートに載せて税関に行き「こんちわー」って言ったら係官に「あっちだよ」と指を差されたゲートは荷物のX線チェックさえない通路だ。NZ国籍を持っていると信用度が高いんですね、永住権ではこの便利さは味わえません。

 

がらがらとカートを引っ張って9日前に車を停めた場所を思い出そうとしてたらふと奥さんが駐車場の紙に番号書いてたのを思い出して引っ張りだして車を見つける。奥さん、頭いいなって感心しつつ、空港駐車場も予めネット予約出来て普通に駐車するより4割くらい安くて、おーおー、文明はますます進化しますなーと一人で納得。

 

この国は人口が少ない分人口密度が薄い。だからネットが早い時期から発達した。昔の田舎では新聞配達は街と街を結ぶコーチの運転手がやっていた。どうやるかって言うと、大型バスが時速100kmくらいで飛ばしているのだが農家の近くに来ると運転手側の窓を開けて右手でバスの頭上を飛び越すように「ブン!」と放り投げる。

 

新聞は綺麗な放射線を描きつつ舞い上がり農家の前の柵の昨日の夜露で濡れた地面にベタ!っと着地する。キーウィがドロの付いた靴で他人の家に上がり込む理由がよく分かる・・・。

 

けれど、そんな人口密度が薄いから早い時期から通信販売は発達していた。何せ田舎の農家だと買い物に行くのも一日仕事であるしお店だって少人数のために多数の商品を用意することは出来ない。

 

だから人々は昔からカタログを見て通信販売する事を覚えた。それがネットの発達で注文をネットで行い新聞は有料ウェブサイトで情報を読むようになり最近では新聞を投げることも相当減ったのではないか。

 

政府の様々な手続きも思いっきりネット上で簡素化されて、何せ会社の登記書だってネット上にしか存在しない。時々日本から「会社の正式な登記書を用意〜」とか聞かれて「あの、ニュージーランドではすべてネット上にしかないので自分のプリンターで印刷すればそれが本物ですよ」と説明するしかない。

 

それに対して「そんな事あるわけない!君は嘘を言っている!」などと日本常識を持ちだされても困ったものだ、本当にネット上にしか存在しないのだから。

 

どうしても紙に書いたものを出せと言われた事が一度あったが、その時はネットで印刷したものをウェリントンの法務局に送り「これは真正な原本のコピーです(Certified Copy)」 を作ってもらいちっちゃなリボンと押印をしてもらうのだが、ああめんどくせー。

 

日本だってやろうと思えばすべてネット上で出来るはずなのに役人は自分の仕事をネットに奪われたくないのか、国民の税金で食ってるって認識もないままにあいも変わらず「神の仕事」を作り出している・・・。

 

この点ニュージーランドは本当に役人が出来るだけ自分の仕事を減らして更に職場そのものをネット化して自分の働く場所をなくしているが、それはその分だけ国民の税金が減るわけであり例え自分のしごとがなくなっても民間で働けば良いしもし仕事がすぐに見つからなかったら税金で生活保護をしてもらえる、そういう発想があるから無駄なお役所仕事は出来るだけ省こうとする思考回路になるのだ。

 

官と民の交流が当然であり実際に局長クラスになると常に新聞で民間から募集をするし必要に応じてリクルートエージェントが世界から人材を見つけて送り込んでくれる仕組みがある。

 

政治家に二世はおらず誰もがアマチュアリズムで半分ボランティアとして政治をしているから私腹を肥やすという発想が出てこないし選挙で金がかかるって事がないから利権団体と癒着することもない。

 

そういう、日本とはまさに正反対の位置に政治が置かれているのがニュージーランドである。

 

今回の説明会でも資料に入れてあるがこの国は政治家のクリーンさで世界一である。その理由は社会の仕組みにある。英国人は、組織は腐るという事をよく知っている。組織が長続きすればするほど組織は腐るという事を良く理解している。だから常に官民交流を行い血液の入れ替えをして政治は常に素人がアマチュアリズムで行なって交代することで変化をすることで腐る事を防いでいる。

 

南太平洋の小国ではあるがその仕組は実によく出来上がっておりさすがに政治一流の英国の方法をそのまま取り入れて成功した国だなって実感する。

 

今朝は10日ぶりのオフィス出社だ。いつものとおりに日本から定期的に郵送されてくる雑誌を開き「お、選択が来てる」と喜び、日経ビジネスが2週間分届いて「そろそろ週刊東洋経済に乗り換えるかなー」とか思ったりして一日が始まる。

 

朝から早速移住チームのミーティング、個別の打ち合わせ、お客様のご訪問、これでもうお昼になってしまい「紺のきつね」をささっと食ってペーパー、じゃなかったITワークでメール返信や今週と来週の予定作りと面談の詰め込みを行う。

 

明日も日本出張報告会をやって新規のお客様の担当をざざっと決めたら昼過ぎにはお客様との面談でほぼ一日が終了。その間に読むメールは約100通。

 

次の日本出張は928日、久しぶりにオークランドに一ヶ月以上滞在であるから、こういう時にしか出来ないことをまとめてやろっと。

 

じゃあ何やるのかって?企画です。うちの会社で僕の仕事は何もないところから何かを創りだすのが一番の仕事、すでに日本で何軒も引き合いが来ている案件があるので、それを弁護士や税理士を入れて具体化、商品化していく仕事です。

 

これもネット環境があるから一人でさくさくとやれるのだが、そう言えば昭和の昔にファックスさえまだ貴重品だった、ましてやネットなんてなかった時代はどうやって企画書作ってたのか、思い出せないくらいだ。

 

僕の仕事は情報を売ること、そのため常に最新の技術を学ぶ必要がある。今はIphoneの無線でレッツノートのネットを繋げているが「10年後にスマホがあるか?」とは今日読んでる日経ビジネス特集「ゲームをリセットせよ」でガンホーの社長がインタビューに答えて言った言葉だ。

 

ゲーム市場でさえ家庭用ゲーム機は2007年の約2兆円を最高にそこから2011年は9265億円と一気に半減した。今はスマホ向けゲームが流行っているがそれさえ後何年続くか分からない。クラウドがゲーム市場に参入してきており彼らはハードさえ必要ない技術を持ち込んできた。

 

これはゲームだけを取り出しての意味ではない。世の中すべてのものに栄枯盛衰がある。生き物のサイズや規模にはもう何の意味もない。生き残れるものはどんなにちっちゃくても変化出来るものだけだ。

 

「平家にあらずんば人にあらず」と呼ばれた時代もあっという間に「驕る平家は久しからず」と滅亡した。祗園精舎の鐘の声盛者必衰の理を表すである。

 

常に最新の技術を身につけ次に来るものを予測して何もないうちから十分な準備をして何かが起こった時にすぐに対応出来るだけの知識を身につけておく。それが生き残るという事だ。



tom_eastwind at 19:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月07日

福岡を出発する。

福岡の仕事を昼時に終わらせてタクシーで空港に向かう。荷物はいつものように3つ。スーツを入れるガーメントバッグと仕事道具や身の回り品を入れるキャリーバッグ、それにパソコンや資料を入れたビジネスバッグ。

 

僕の場合3週間の出張でも1週間の出張でもこの3つだけ持って移動する。特にキャリーバッグは機内持ち込み可能な小型サイズなので皆によく「え?これだけですか?」と聞かれるが、はいこれだけです。

 

考えてみれば18歳から旅行屋として旅をするのが本業であり今もお客様の移住という長い旅をアレンジする旅行屋として働いているので旅の荷物をまとめるのは随分慣れたものになった。忙しい時など荷物は当日の朝10分で必要な物をカバンに突っ込んで終わり。

 

季節が正反対の日本とニュージーランドを行ったり来たりするのでクローゼットには分厚いセーターから半袖シャツまでが同居している。荷物が少ない一番の理由は、僕がどこの街に出張するにせよ基本的に空港→タクシー→ホテル→タクシー→空港の繰り返しで一年中ほぼ同じ室温、約25度前後の状態で移動しているからだ。

 

今回の久留米の会議では宿泊は福岡で久留米までジャケットを着ていったので久しぶりに外を歩いて軽く汗をかいたがこういうのは稀なケースだ。

 

昨晩の余韻を残しつつ福岡空港に着くといつものバカ話。今時チェックインカウンターのずっと手前で預け荷物チェックやって300人以上の搭乗客をたったひとつのX線検査装置の前に並ばせるか???

 

荷物チェックなんてチェックイン後に流す時にX線検査できるのだ、それなのに多分「上に言われたままに」黙って思考停止してる係員って、馬鹿か?

 

いつものようにキャセイ航空のマネージャーに「いつになったらこれ変わるんですか?だってこんな場所で一時間も並ばせたら飛行機に乗り込む前の楽しいショッピングも出来ないですよね?レストランだって食う時間ないですよね?福岡空港全体の経営を考えればこんな馬鹿話、ないですよね?」と文句をいう。

 

「勿論キャセイさんの責任ではないのはよくわかってるし個人的にあなたに文句を言ってるのではなく利用者の意見を空港運営会社に上げて欲しいのでよろしくお願いします」と言っておいた。

 

空港管理会社はよほど親方日の丸なのだろうが世界の空港は競争に晒されている。常に気をつけて最新のサービスを導入しておかないと自然淘汰されるぞ。

 

成田空港だって昔はハブ空港だったのに今ではマムシ以下のトカゲレベルである。あんな使いづらい空港で誰が乗り継ぎとか空港会議とかするかっちゅうの。結局インチョン空港やチャンギ空港などにハブ機能を持っていかれても「ふん、ハブじゃ無きゃダメなの?」と国土交通省が開き直る程のバカだ。

 

いつまでも日本が世界のトップクラスにいられる、黙っても人が来るくらいに思い込んでいるのだろうが現場でいつも飛行機に乗ってる僕からすれば世界の空港を見ているから「ばっかじゃん、淘汰されてから取り返しはつかないぞ」って感じる。

 

それが福岡空港になると更に田舎のサービスなのだから、これで世界への窓なんて言ったら臍で茶を沸かしてやるぞ、びっくりするなよと言いたい。

 

福岡からオークランドって昔は直行便があったんだよね。けど今は福岡からインチョン経由でオークランドって路線が一般的になっている。何でインチョンからオークランドに直行便があるのに福岡からはないのって話だ。

 

逆に福岡−オークランドを活性化させて韓国各地から福岡に飛んでここで乗り継ぎをしてオークランドへって出来なかったのか?東北アジアのハブを福岡空港にすれば北京、大連、天津、ソウルあたりの客が取れたのにね。全く一事が万事の狭い発想と役人的発想と責任取らずで努力せずの発想がこの空港の力を弱めたんだろうな。

 

そんな事を思いつつ搭乗口に向かう途中の免税店で買い物。旅の途中では荷物になるので免税店で奥さんや子供用の小物のおみやげを買う。

 

そうそう、荷物が手軽なのはもうひとつ理由があって、ぼくはオークランドにいる間にAmazonを発注して東京のホテルで受け取り、その荷物をEMSでオークランドに送り返す、その時にほかの使い終わった荷物もパッキングしているから荷物が少なくて済む。

 

今回も大きなおみやげは久留米で買った。絣の作務衣や木製下駄、大砲ラーメンのパックなどはすべてそのお店でひとまとめにして友達に頼んで郵便局から送ってもらうようにしたので手荷物はほとんどなし。

 

久留米は決して大都会ではないのに、それもJRの駅なのにこんなにたくさんの商品が並んでおりどれも品質が良い。

 

日本に来て今回感じたこと。それはこの国って内需がすんごいデカイから海外に目を向けなくても食っていけるって事だ。駅弁一つをとっても品質の高さに圧倒されるし国内で様々な商品が売られておりそれを買う人がいるわけでかなりニッチなものでも売れるという特徴がある。

 

けれどそれは今は良いかもしれないが本当にどんどん国境の壁が低くなっていくこれからは、普通に韓国や中国のものが日本に入ってくるしインドネシアやタイランドあたりと価格競争が起こってきて国内需要でさえも外国製品に取って代わられる。

 

そうなった時に「外国なんか知らんもんね」で通用しなくなる、その時にどうやって生き残るか?日本の多くの製造業が低価格という切り口で中国に進出して逆に中国企業に技術を移転した結果として多くの日本の製造業が衰退していった。

 

それと同じ事が今度は日本国内で起こる。うちは海外に出ないからなんて関係ない。相手がこちらの土俵に乗り込んでくるのだ。パソコンやインターネットの技術は完全に米国に握られているのが現実ではないか。

 

そんな事を思いつつ今回の出張の最後の訪問先である福岡を出発した。


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tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月06日

中洲の夜

IMG_1815東京での仕事を終わらせて福岡に飛ぶ。博多駅からさくらに乗って久留米まで約20分。福岡県久留米市って言われてもピンと来ない人が多いだろうが、ここって一種異常な街である。


チェッカーズ、松田聖子、酒井法子、田中麗奈などの芸能人を排出しただけではなく大手仕出しチェーンのオーナーとかとにかく文化に不自由がない。


ぼくは日本人で奥さんが香港人、だからって意味ではないが風水は結構信じている。ぼくが奥さんと知り合う前に感じてた感覚が奥さんと出会って風水を知って「おお、こういう事か!」と納得した。


その後もスウェーデンボルグを読んだりして洋の東西を問わずにこういう「気」ってあるんだなと理解した。


そして久留米に来ると、ここ、ビンビンだ。うまくいってる人もいればそうでない人もいるが、街の程度がすんごい高い。


普通に他の街ならトップクラスにいける人々が普通に過ごしている。けど誰もが世の中で出来ないことはないってホンキで思ってる。


そのような彼らと2時間程度の会議を行い、その後彼らが経営しているお店で試食をさせて頂くが、当然程度の高さにびっくりである。


その後久留米から博多に戻りホテルに荷物を置いて中洲に出る。今回も行きつけのお店で、そこにはママさんの学校時代からの女友達がが集まってワイワイと騒ぎ、誰が結婚しただとか誰の店がどうなったとか楽しい地元ネタだ、


そのお店ってのが、中洲を川沿いに見ることが出来る場所で、今から30年近く前にぼくが独身時代にはすべてがラブホテルだった場所だ。


そのお店は素晴らしく綺麗なスパニッシュ料理で小皿が出てくるのだが、これは絶対に川沿いのオープンテーブルでしょって思わせるお店だ、


隣のちゃんこ料理屋で川に垂れ下がった釣竿を見つつお店を出て次はこの近くにあるニュージーランドワイン専門店で一杯飲む。歩いて5分だ。この店も雰囲気が良くて、仲間と楽しむ。


その後中洲に出て仲間の知り合いが経営しているお店でわいわいと歌ったり騒いだりで日本最後の夜を過ごす。


楽しいな、日本てすごいな、毎回そう思う。けど肝心の日本人はその事に気づいてないなー。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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2013年08月05日

モンスター

今回は結局出張中に2冊しか本が読めなかった。だんだん本を読む時間まで削減されてるなー、その分映画でカバーしているからまだいいけど、昔のように日本出張で本4冊ってのは、もう時間的に無理かも。

 

それでも僕の個人的な趣味の一つで一番楽しいのは出張前の「持っていく本選び」だ。リビングルームにある未読本コーナーの前に膝詰めで座り込み、一冊一冊目を通す。今回の出張はどれがあってるかなー?これは重いけど読みたいしこれは軽いからもっていこーとか思い、中村天風の文庫本も一冊入れておく。

 

この本は気付け薬みたいなもので自分がずれそうになった時に引っ張りだして「世のためか?」と考えるようにしている。

 

「永遠のゼロ」で評判を博して「海賊と呼ばれた男」で絶賛された百田氏の「モンスター」を読む。

 

うーん、このひと、何でも書けるなー。すんげえなー、うらやましいなー、そう思いつつページをめくるのだが、最後までしっかり引っ張ってくれてうれしかった。

 

本読みの気持ちって読まない人には分からないだろうが、素晴らしい作家にあたった時の喜びってのはウイスキーボトル10本分くらいかそれ以上だ。あはは、飲まない人には分からない感覚ですね(苦笑)。

 

もっと普遍的に言えば「仕事が終わった後の時間、約5時間くらいかな、趣味を持てる時間の何日分か」で評価するって感じだ。

 

誰にとっても一日が24時間しかないわけで、それをどう使うか、寝るか食うか読むか観るか悩むか考えるか、そのバランスが難しい。

 

その中で思いっきりバランスをぶっ壊してぼくに入ってくる作家もいる。それは例えば手塚治虫だし白土三平だし山本周平だし司馬遼太郎だし、ぼくが寝たいって言ってるのに最後まで読まされるのは拷問のような快気である。

 

他にも素晴らしい作者はいるが、この人、モンスターを書きながらも自分の色が全く変わってない。ゼロで見せた自分を、全く毛色の違うこの本でもきちんと守っている。熱いようで最後はきちんと冷静さが出てて、ああ、こりゃもう作者の程度の高さだなって思った瞬間にまさに快感を味わえる。

 

モンスターって作品を不愉快に思う人もいるだろうが、先入観を抜きにして読むべし。自分がブスだって思っても読むべし。世の中、誰でも美人になれる。それは整形だけではなく、心を落ちつければ誰でも美人になれる。

 

そのためのヒントがこの作品にある。

 

誰でも美人になれるのだ、信じて生きれば絶対に人はあなたを認めるのだ。この本を手にとって自分がどう生きるべきか考えてほしい、そう思った一冊だった。



tom_eastwind at 18:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月04日

東京

最近は日本で不動産投資セミナーを開催して「永住権も取れますよ!」なんて新規参入してくる自称移民アドバイザーも増えてきたがよく聞いてみると不動産を売りたいだけだったりする。時々お客様から「あのー、こんな助言を受けたんですけど」と聞いてくることがあるが、笑うしかないような助言である。

 

その会社、そんな「助言」を紙に書いて一般募集しても、後々証拠残ってやばいでしょって内容だ(笑)。もっと現実的に言えばその会社は日本とニュージーランドの両国で法律違反をしている証拠を残しているわけだから、表に出たらどうするんだろって感じ。

 

今回は東京で相続に詳しい税理士とお客様同行で会議を持つ。相続なんて一生に何回もするものではないからお客様からすれば分からない事だらけ。日本の税法は毎年変化するしニュージーランドの法律との整合性もしっかり作っておかないと意味がない。

 

だって日本で節税出来たってニュージーランドで二重納税になれば意味はないよね。租税協定をどのように解釈するか、それに両国で合法的な手続きをしないと、どっちかの国で合法でもどっちかの国で違法となればこれはOUTである。

 

意外と気づかれていないがニュージーランドも普通に税金かかるし外国での収入も申請する必要がある。決してタックスヘイブンではないのだからしっかりと手続きをしておく必要がある。

 

けどそのあたり、いくら文章を読んでも答は見えないしいつも言うことだが「闇夜の地雷原」である。一つ間違っても吹っ飛ばされるのだが、本人が飛ばされるまで自分が今どこを歩いているか分かっていないのが現実だ。

 

冒頭にも書いたが表面的な事だけを読んで理解したつもりで「あーでもこーでも」と述べる人たち、どれくらい実務をやっているのだろうかと思う。お客がふっとばされたらどうするのかな?

 

東京の暑さはほんとにもう基地外並ですな、普通にスーツ着て街を歩けない事がおかっしいいぜ。ホテルからタクシーで税理士事務所まで移動するが、そうでなければ新橋の事務所に辿り着くまでに汗と脱水で僕は抜け殻になっていただろう。

 

集まったみなさんは猛暑の中それなりに元気で税理士と1時間超の打ち合わせを行いお互いに問題点を明確にしながら次の行動について決めていく。やはり実務レベルでやっていくと大筋では思いもつかなかった点がどんどん出てくる。

 

日本側の税理士はプロでありこちらもUSCPAのプロを連れての打ち合わせなので問題点がどんどん明確になっていき実務面で具体的な処理の方法に入ると、あとはやることリストを作成して終了。ふー、これでひと仕事終了。

 

その後東京出身のスタッフに連れられて事務所近くの老舗の蕎麦屋で昼食。江戸時代からこの街で生きてるんじゃないかってくらいの地元っ子なので黙って連れて行かれるだけで、まさに「ドナドナ」の気分だが、美味しい蕎麦とおかずでやっと一息つく。

 

お店は大阪が本店なのだが、今の時代は本当に大阪の様々な良い物が東京に移って来たなって思う。食い物、ビジネススタイル・・・、1970年代は大阪が文化の中心地だったが、東京の霞ヶ関の連中がそれをすべて東京に集中させて「悲しい色やね」とか「大阪で生まれた女」が出来た。

 

ぼくの兄と姉は今も大阪に住んでいる。正確には神戸なので神戸人からすると「大阪と一緒にすな!」と怒られる(笑)。ぼくからすれば「同じじゃん」であるが、東京に対する横浜の絶対的な優位性、福岡市に対して久留米人が一段下に扱う文化、それが大阪に対する神戸であろう。

 

ただなー、ほんとに時間は街を変える。時代は更に街を変える。僕らは常に変化に対応しなければいけない。大きい事に何の意味もない、いかに変化出来るか、それだけがすべてだと思っている。

 

今の世界はどう変化しているのか?その中で日本はどうなのか?そうやって大きな場所から見ていけば今の日本で生きる危険性と世界に飛び出す危険性の違いが分かる。

 

さてっと、ホテルに戻ってオークランドにいるスタッフ向けの報告書作成だ、働くぞー!



tom_eastwind at 18:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月03日

ますます厳しくなる税規制

平成25年度税制改正大綱外国籍親族の相続

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6その他(国 税)(1)日本国内に住所を有しない個人で日本国籍を有しないものが、日本国内に住所を有する者から相続若しくは遺贈又は贈与により取得した国外財産を、相続税又は贈与税の課税対象に加える。

(注)上記の改正は、平成2541日以後に相続若しくは遺贈又は贈与により取得する国外財産に係る相続税又は贈与税について適用する。

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上記の改正は名古屋の中央出版事件の影響である。名古屋の資産家が自分の娘が出産する際に米国に渡航させて子供を米国で出産、その後米国籍を取得して日本国籍を取得しなかったのでこの子供は

1・日本国内に住所を有しない個人。

2・日本国籍を有しない。

となった為に去年までは課税対象ではなかった。

 

その為資産家は自分の孫に財産を贈与して課税を免れたわけだ。税務署は裁判を起こしたが地裁で敗訴。そこで法律そのものを改定して今年の401日以降は1および2の条件を満たしていても課税することになったのだ。

 

ここで少し注意してもらいたいのは、相続税は受け取った者が払うと思っている場合だ。基本的には相続税は受け取った者が払うのが常識に見えるが相続税や贈与税は受け取った者か贈与した者が払う事になる。

 

つまり名古屋の案件においてはおじいちゃんが孫に贈与した資産について孫が払わなければおじいちゃんが払う必要が出てくるのだ。

 

税務署はいろいろと通達を出して納税者を縛ろうとするがそれでも通達より法律が上位であることは最近立て続けの裁判で負けた事を踏まえて通達だけではなく法律そのものを変更することで対応している。

 

ただ上記の案件ではまだ完全に防げたとは言えない。何故ならまずニュージーランド国籍を有する個人が実際に日本人でなかった場合、彼または彼女が一生日本を訪問しなければどうなるか?

 

税務署は日本で裁判を起こすことは出来るだろうが裁判の通達そのものが確認出来ない。欠席裁判をすることは出来るが判決を実行、つまり取り立て、強制執行をしようとしても本人がニュージーランドに居住している場合にはどこまで強制力があるのか?

 

日本とニュージーランドは租税協定があるが、ニュージーランド人が日本の税金を払わなかったからと言ってニュージーランドの税務署が否応なしに強制執行をする法的根拠はどこまで認められるのか?

 

これはおそらくニュージーランドで裁判を起こしてニュージーランド裁判所の判断によるだろうが、ニュージーランドには相続税や贈与税が存在しないのだから外国(日本)の法律でニュージーランド国内に居住する者を裁くことは出来るのか?

 

一旦そんな事を認めてしまえば、例えば中国の政治犯がニュージーランドに居住している場合に中国政府がニュージーランド政府に対して「逮捕してくれ」なんて言っても通用するわけがない。だってニュージーランドで犯罪を犯したわけではなく中国の裁判所が適正であると認定なんかしてしまえば人権問題である。

 

従って一般的には生前贈与ならば贈与した側がまだ生きているから日本国内で課税出来るが死亡した後に発生する相続の場合は贈与した者は死亡しており贈与を受けた者が「払わん」と言えばそれまでである。

 

そしてこの法律は「日本国内に住所を有しない個人」となっているが、では「日本国内に住所を有しない法人」であれば今回の改定の対象とならない。

 

つまりいくら法律で拘束をしようとしたところで必ずそこには「世間の常識」がありあまりに理不尽な法律は法律そのものが否定されるため、そこには常に一定の隙間があるという事だ。

 

それは何故なら民主主義において法律とは政府を縛るものであり国民を縛るものではないという法の大原則があるからだ。だから政府の非道な行為は常に法によって規制されることになるのだ。

 

日本の国内法は国内の枠を越えて海外に適用することは出来ない。

 

ただ、今回の改定で政府がますます規制を強めているのは明白である。1990年代に外国を使って節税した人々は救われたがこれから節税をするのはますます厳しくなる。いつも書くことだが2015年までが節税の限界ではないかとの感じがますます明確になってきた。



tom_eastwind at 12:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月02日

銀行狐 

まだまだ続く池井戸潤シリーズで今読んでいるのは「銀行狐」。短篇集だがミステリーあり殺人事件あり大手銀行の支店現場の様々な様相ありどれも面白い。

 

特にこの短編「銀行狐」は「俺達花のバブル組〜」のテーマが近いが「俺たち花の〜」が当時や現在の銀行のあり方を批判しており、内部から何とか自分を貫きつつ出来る限り修正しようとするのに対して「銀行狐」ではもっと明確に「銀行を良くしようなんて所詮無理だ。10年働いてきたが銀行で働いて何か人に感謝されたとか自分が何か成し遂げたという気持ちになれない。むしろ自分の出世の為に顧客を食い物にしているだけだ」と銀行を退職する優秀な素質を持った行員を描いている。

 

本筋とは全く外れてしまうのだが、この銀行狐を読んで作者の意図と全く違う事を感じたので書いておく。それは小説としては「俺たちバブル」の半沢の方がずっと面白い。しかし現実としてはぼくは銀行狐に心が傾いてしまう。さらに言えば「おい銀行狐よ、この程度で終わらせるのか?」と言いたい。

 

大銀行は偉いのだ。社員数が多いし財閥系銀行のトップは支配階級に組み込まれており何をやっても許される、それが銀行本来のあるべき姿でなくても。そう、ぼくがこの作品に惹かれたのは「辞めた」つまりその安住の地を拒否したという事だ。他人任せではなく自分で自分の生活を作る、その判断をしたというところだ。

 

日本のお偉い作家がどっか外国の演説で「高い壁にぶつかって壊れる卵の方にシンパシーを感じる」なんて馬鹿な事を言ってたが、そんな非現実的な夢物語をべちゃくれるのも所詮自分が守られた立場にいるからだけだ。

 

高い壁にぶつかって卵が割れても自分の命は奪われず、一応世間的には格好つけて「おれってさー、言ってんだよね、反対してんだよね、けど壁が高くてさ」と言い訳ばかりしている。

 

壁を嫌いで壁にぶつかるけど僕は卵だから壊れてって、ばかか。だったらそんな壁のない世界に行けよ。壁の前でも飯を食えるから言い訳してるだけじゃん。この銀行員のように清く出てけよ。

 

本当に高い壁に四方を取り囲まれている人々は自分が望みもしないのに生まれた時から差別されて迫害されてる。住み慣れた家を強制退去させられてゲットーに追い込まれた人々が怒りを感じないわけがない。そして彼らは自分たちの奪われた権利を取り返すために戦っている。

 

そんな彼らの行動を「割れた卵」と呼ぶことが絶対優越的立場からの傲慢な視点である事は歴然としている。差別され迫害された人々が卵であってみろ、いつまで経っても壊れてばかりで状況を変化させることは出来ないじゃないか。

 

相手が高い壁であれば乗り越えるためのハシゴを作れ!分厚い壁であればふっとばすだけの火薬を用意しろ。そして相手の土地に安住している、結果的に体制側に付いている人々をも巻き込んで世の中で今何が起こっているかを教えてやれ!割れた卵の自己満足なんてゆで卵にさえならず食うことも出来ない役立たずじゃないか。

 

高い壁も財閥系大銀行も全く同じだ。「空飛ぶタイヤ」で描かれたような街場の運送会社の親父みたいにナニクソと歯を食いしばって戦い、どうやれば勝つかを考えるのが本当の戦いだ。

 

勝たない戦いなど無意味どころか有害である。日本の老害作家が悲劇のヒロインを演じるのは良いが自分だけにしてくれ、こっちは生き残るために精一杯ちっちゃいなりに戦略を考えて勝つために戦っているのだ。

 

組織の中にいて自分の常識を持ち出すことは映画やテレビの舞台では格好良いかもしれないが、それはほんとうの意味での抵抗ではない。片手で給料もらいながら片手で反抗するか?

 

会社や組織はその大多数が納得する、またはせざるを得ないルールを持っている。そのルールが自分の規範と違うから組織を変えようなんて、マイナーな君、それはおかしくないか?あなたの常識やあなたの規範を組織の多くが受け入れないって言ってるのにどうして彼らに押し付けようとするのか?

 

あなたがその組織の在り方がおかしいと思えばその組織から離れるのが本来の姿ではないか?そして自分で自分の規範と同じ価値観を持っている人たちが集まって自分たちの望む組織を作れば良いではないか。

 

実際に戦後の焼け野原から立ち上がった多くの戦後企業はその企業に参加した人々が喧々諤々とやりながら企業の価値観を創り上げてきた。そしてそれは今もずっと引き継がれている。それが企業の規範である。

 

それを後から入ってきた社員が自分の規範だけ持ちだして「それ、おかしいと思いまーす」というならその組織からとっとと出ることが本当の公平だ。以前日本電産のトップが「休みたければ辞めろ」と本音で言ったら問題になりネットで叩かれたという記事があった。

 

が、日本電産は元々がそのような厳しい会社であり、だからこそここまで成長出来たのだし一生懸命働くことで給料が貰えてその金で家族を養うことが出来る、そう考えた人々がたくさんいるから成長したわけであり、その会社の社員でもない無関係な人間がまるで正義の味方のように偉そうにどうこう言うのはいかがなものか。

 

こうやって書くとぼくの意見は一体大企業支援なのか個人礼賛なのか分からんと思われるかもしれないが、ぼくの立つところはいつも同じで、自己責任と他人に自分の価値観を押し付けない、ただこれだけである。

 

だから大企業が好きでその企業の理論で生きる人がいればそれはその人の自由だ、ただ僕はそのような生き方が出来ないって言ってるだけだしそれは日頃も自分の意見として述べる。ただそれを理由として大企業を否定することはないしそこで働く人に「辞めろ!」なんて言うつもりもない。

 

彼らには彼らの考え方があるわけでそれを否定してしまえば僕の生き方さえ否定されるわけだから、こりゃダメだ。ただ、大企業で働く多くの人々が持つ価値観を大企業の中で給料をもらいつつ批判するのはどうなのかって事だ。

 

自分の属する組織を批判しつつ給料をもらい外に出ないまま内部で自分だけ正論言って立派なんて顔してても、彼らはどんな理屈を言おうと常に差別する側にいるわけであるから大企業反対派に対して「いやー、おれもおかしいって思ってるんだよね、だけどさ、何とか中から変えるから待っててよ」なんてて、それで今までずっと差別されてた側が待つと思うか?ユダヤ人の頭に銃を突きつけて一言「おせえんだよ、ボケ!」と引き金を引くだろう。

 

ちょっと感情的になってしまった。

 

ここで僕が言いたいのは、まず会社に就職するってのはその組織の規範に則って行動するって事であり周囲の価値観と自分が違うからと「あ、それいやです」とか「それ、おかしいです」と言って澄ましているのは自分勝手であり自分の価値観だけで行動する組織破壊者であるって事だ。

 

半沢の行動をよく見ると分かるが、彼はきちんと組織の価値観も規範も理解してそれに合わせた行動をした上で何とか自分でバランスをとっている。しかし多くの連中は口だけ星人である。

 

大組織で働く人々は内部規範に納得しており彼ら大多数の人間の望む生活を壊そうとするならあなたは自分勝手なテロリストである。だから大組織から排除されて当然であり、むしろ自分からどこかにある新しい約束の土地に去っていくべきだろう。去らない彼が外部の批判に対して言うことは「おれだってさー、ほんとはさー」って言い訳だ。

 

ここで去らないのはこずるいサラリーマンに多い。

 

同時に自分の価値観を貫いて生きていくなら高い壁にぶつかって割れた卵で自己満足なんてするな、いかにも気持ち悪いにやにや顔で「おれだってさー」なんて言い訳すんな。所詮何も変えることが出来ず本気で変えようとせず周りを巻き込んで行動を起こそうともせず世間を斜めから見てひねくれて喜んでるなと言いたいのだ。

 

こういうのを似非(エセ)社会主義者という。戦時中はスフ入の赤と読んでいた。赤く染まっているようで実は染み込んでない連中だ。

 

では、ちっちゃな卵はどうあるべきか?

 

それは卵の中で強い人間を育てあげ自分の価値観をきっちりと作り上げ他人の価値観を尊重しつつも自分の価値観の方がもっと社会をよく出来るんじゃないか、自分個人の利益ではなく社会全体を見渡した時に自分の考えてることの方が良いのではないか、そう周囲に話して一人でも多くの仲間を作り、常に組織を拡大しつつその中で発言をしていくことではないだろうか。

 

世の中はこれを理想家とか空想家とか呼ぶが、結果的にそのような人々が社会を変えてきた。結局残ろうが去ろうが個人レベルの道徳規範や自分が知っている世界だけの常識で生きること自体が手抜きの生き方なのだ。

 

常に学べ!他人の行動に学べ!歴史に学べ!他人が何をやっているのか?何故やっているのか?それは私心なのか世のためなのか?そして自分がやろうとしていることは世のためになるのか?

 

ここからは冒頭に書いた「銀行狐もまだ甘い」の話。

 

銀行狐の中で元銀行員が語る。

「銀行に10年勤めていて辞めようと思った時、愕然としたんです。給料以外何も得るものがなかったじゃないかって。社宅を出てスーツを着なくなったらぼくが働いていた証なんて何も残らない。せめて自分がそこで生きてきたという証が欲しい、そう思いました」(詳細意訳)

 

普通のサラリーマンがこのセリフを聞いたらほろっと来るだろうし同情や同感するだろう。

 

けどぼくからすれば何て甘くてずるい話だろうと思う。ぼくからすれば「給料と社宅があるだけいいじゃないか、今まで餓死せず殺されもせず何とか住む家もあった、それが君の10年間食っていけた証だよ」と言いたい。

 

きつい言い方かもしれないが、安全な世の中で給料を貰えて寝るところが与えられることがどれだけ幸せかを全く理解していない。

 

 

・・・やっぱり今日は頭が意味不明・・・何か3つのテーマが無茶苦茶にごっちゃになってる。

今日はとっとと寝よっと。



tom_eastwind at 02:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年08月01日

夢を持つ、現実を見つめる

週末にかけてたくさんコメントを頂いた。代表的なのを3つ載せておきたい。

なぜか?それは僕のブログをお読み頂いている方たちの多くは、自分の住む街ではあまり大声で発言しづらい環境にいると思うからだ。

リアル環境では言えない事でもネット環境なら言える。本当ならリアル環境で発言出来れば良いのだが、それが許されない事情の方もいる。

オークランドで作った会員互助組織「砦=シタデル」では毎回イベントをする度に50名程度のご家族が集まっていただき、その半数は子供だ。

彼らは遠く離れたニュージーランドで生活に馴染もうと努力して、時にこのようなイベントに集まれば終了後もずっといろんな話が尽きない。

子育て、学校、仕事、悩むことはたくさんある。

けれど悩まなくて良い事もある。

原発がない。空気が清潔で透き通ってる、水道の水が飲める、とにかく何かあれば政府が助けてくれるし周囲のキーウィも助けてくれる。

そして会員同士の価値観が近いから、言いたいことが言える。日本にいる時は会うことが出来なかった少数民族なのに、ここに来ると皆の価値観が近いから言いたいことが言える。

今日はそんなコメントを転記してみた。真ん中の一つは本当にキーウィが書いたのかどうか不明だけど、笑えるので晒しておく(ははは)。

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夢を持つ、将来に希望を持つ、っていうのは重要ですね。

 日本でもソフトバンクの孫正義さんの弟の孫泰蔵さんが、福岡―東京周辺でベンチャー支援をやっていて、それがどんどん盛り上がっているそうなのです。

 若い起業家が次々誕生して、都市部などではそうした人たちが活躍しているという事実もあります。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20120627/1041678/


 一方で、将来に希望を持てない人というのは、こうした夢を持てない人とも言えるかもしれません。

 日本の社会はすべてある程度の収入があることを前提に成り立っていますから、年金や健康保険社会保険も全部受益者負担で、その上保険が負担してくれる額は全部ではないですから、場合によっては結構が金額を個人で支払わなければならなくなります。

 それができないような貧困層は、年金が払えないばかりか、健康保険すらないので病気になっても病院に行けないという、医療を受けられないアメリカ人を笑えない状態になっているのも事実です。


 そういえば、生活保護を削るために生活困窮者自立支援法という新しい制度が施行されるそうです。

これは働き口がないということで生活保護を受けざるを得ない人などをボランティアとして農業や介護などの業界に送り込む制度だそうで、ネットでは「ワタミ法」として揶揄されています。


 仕事をこなす代わりに衣食住を提供する江戸時代の丁稚がそのまま現代にスライドしたような形式ですが、これを生活保護の代わりにしちゃうのはなんだかなぁ…と思わなくもないですね。下手すると奴隷禁止条約なんかに抵触しそうな気もしますし。


 トリクルダウン理論が成功して皆豊かになることができるのか、それとも失敗するのかはわかりませんが、いろ
いろな方向で二極化が進んでいるのは確かなようです。


Posted by キーウィ

猿の分際で、ニュージーランドの人間を十把一絡げに「キーウィ」呼ばわりしやがって。また原発吹き飛ばされたいのか、ジャップは w

Posted by (´・ω・`)



email:

日本でも解雇自由化が進んでいますね。政治家は口先では「セーフティネットは重要」を連呼していますが、具体的なものは何も用意せず、ただなし崩し的に解雇自由化だけを先行的に実施しようとしています。


こういった話題でニュージーランドや北欧のような国の例が出てくると「そういう国は人口が少ないから」「人口密度が低いから」「外貨収入があるから」「資源があるから」それができる。一方日本は「人口が多いから」「少子高齢化が進んでいるから」「輸出すべき資源もないから」だから社会民主主義的な政策は絶対に成立しない、という反論が出てきます。


新自由主義的な政策は「バスに乗り遅れるな」で半ば強迫観念と共にすぐ成立するのに、社会民主主義的な政策は「日本には合わない」「日本は特殊だから」などという理由で撥ねられてしまうのです。

片や「日本は特殊だから変えなくてはいけない」片や「日本は特殊だから外国のようには上手く運ばない」。

この2つの言葉は正しく使えば日本を良くできるはずなのですが、現状ではボタンを掛け違えてしまったかのように、使ってはいけない場面で使われているような気がします。

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tom_eastwind at 12:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌