2013年09月

2013年09月30日

大阪秋の陣、橋下氏敗戦

***記事開始***

堺市長選で日本維新の会傘下の大阪維新の会の候補が敗れたことについて、野党各党の幹部らは29日、維新の弱体化が進むとの見方を示した。

 今回、現職市長を推薦した民主党は、維新主導による野党再編を警戒しており、幹部の一人は「維新は今後、分裂含みになるだろう」と指摘。別の幹部も「維新が自民党との距離を縮めれば、反自民票を維新から取り戻せる」と述べた。

 現職を支援した共産党の市田忠義書記局長は党本部で記者会見し、「選挙結果は大阪都構想の破綻を示すものだ。自民党より右翼的な維新への審判でもあり、意義は大きい」と強調した。同じく現職を推した社民党の福島瑞穂前党首は「大阪における維新の不敗神話は崩壊し、党解体の危機を迎えた」とコメントした。

 市長選で中立だったみんなの党の幹部も「維新はもう自民党の補完勢力。衰退していくだけだ」と語った。(2013/09/30-00:11

***記事終了***


民主党からすれば選挙負けのお友達が出来てうれしいわけだ。共産党の「維新は自民党より右翼」のコメントはそれなりに当たっている面もあるので素直に聞ける。ただそれが敗因とは思わない。


笑えるのはみずほちゃんのコメントであり「ほとんど国会議員のいない党解体の危機」になっても救ってくれる他の党がないから残骸だけが残っている「北朝鮮の拉致なんてあり得ないし慰安婦問題では日本人は恥を知らないと騒ぎ中国の利権拡大に頑張ることが大好きな党」が言うことかっつーの。もちっとまともに歴史学べば何が史実か分かるだろうに、一体誰から金もらってるんだって聞きたい。


話は逸れる。上記のような政治的悪口書くとまたも筆禍になるかもしれないが、けどぼくはビジネスマンである以前に人間であり日本人だ。ビジネスに不利益な事を書いて売上が落ちてもそれは「覚悟する痛み」である。金のためにおべんちゃらや思ってもない事を言うつもりはない。だって自分の子供が拉致されたらどうする?自分の国の領土が不当に奪われて黙っていろと言うのか?


ぼくはビジネスマンである以前に人の親であり日本という生まれ育った故郷を大好きだ。だから拉致事件が起こった当時に「北朝鮮がそんな事するわけないじゃないですか、あそこは地球の楽園ですよ」とほざいたバカどもだけは一生許すつもりはない。これだけは、はっきりしておく。

                                                                                                                     

話を戻して、ぼくは橋下氏を好きでも嫌いでもない。感情的にはあの戦う姿勢は嫌いではないがビジネス的には戦い方が下手になったなと思っている。自分の出自に関する戦いは実に上手だったのになー。自分の欠点部分を見事に利用して逆転したあの時の戦いは大したものだったと評価している。


またも話はそれるがうちがTV1(日本で言えばNHKのニュース)とNZヘラルド(読売と朝日が一緒になったような全国紙)の共同ですんげー会社バッシング、メディア攻撃を受けた事がある。


あの時はよく戦って全く売上を落とさないままに結果的に移民局と労働局を味方にして全面勝利したが、戦ってる最中は本当に苦しかった。だってこっちはアジア移民で相手はNZ生まれの白人で日本で言えばNHKのニュース司会者や全国紙の編集委員相手の喧嘩なんだから普通に考えれば勝ち目はゼロだ。


当時は記事に出た時すぐに現地に飛び事実関係をチェックして誰が喧嘩相手で誰が味方に付いてくれるのかをすぐ確認して戦略を立てて戦術を検討して戦闘した。まさに弱い奴の戦い方を実行した結果として成功した。自分が弱い奴として喧嘩をしてきたから、だからこそ戦い方の大事さが分かるのだ。


話は戻って橋下氏、彼は本来政治的には思いっきり少数派であり弱い奴の戦いをせねばならない。なのにいつの間にか自分を強いと勘違いしたのではないか、強い奴の戦い方をやっていると感じた。


少数派の戦いはゲリラ方式である。敵を10人殺してもこっちが1人殺されたら負けである。だから常に自分を守りつつ負ける喧嘩は歯を食いしばって恥をかいても絶対にやらず、大きく勝てる時だけ勝負に出る。


グレーター大阪構想は政治的にはありだと思う。しかしそれは維新の会がもっと経済的に大阪を発展させた上でやれねばならない。政治的理想だけでは一般市民は動かない。


日本の政治が三流なのは国民が三流だからだ(おれは口悪いなー、だからいつも文句言われるんだなーって思いつつ、このくだり書いてます、けど事実は事実です。ちっちゃいけど政治的には一流なNZでグレーターオークランド計画を成功させたオークランドを自分の目で見てますから)。


三流国民に対して「こうすれば議員も減らせる、二重行政のお金のムダも省ける、何より東京と対決出来る」なんて言っても、彼らは足元のぬかるみしか見ていない。遠い明日は誰も見てないのだ。


彼ら選挙民が見ているのは自分の経営するうどん屋の目の前にある堺市役所の職員が減ったら自分の店のうどんの売上が減るって心配である。


議員が減れば議員歳費も減るし行政が一本化すれば職員も合理化出来る、ひいては行政経費が大幅に削減されるって言えば、じゃあ自分の子供をコネで市役所に入れたのにあいつは首になるのかと考えてしまう。


これが例えば堺市民に一般論として「ある会社に3つの異なるシステムがありそれぞれに毎年の経費が1億円かかってます。合計で3億円ですね。けれどシステムの内容はすべて同じです。このシステムを統合すれば毎年の経費が1億円で済みます。もしあなたが社長ならシステム統合しますか?」と聞いてみれば良い。


人は理では動かず利で動く。「竜馬が行く」でも同様の場面があった。坂本龍馬が諸藩を協力させようとした際に仲間の一人が「そんなの、各藩を回るだけでも大変だ」と言った時に竜馬は「そんなの簡単だ、相手に来らせれば良い、理屈で言っても人は動かんが利益があれば人は飛んでくる」と言った。


その通りである。だから堺市民に対して、てか大阪地域全体の選挙民に対して理屈で話しかけることが「強い奴の戦い方だ」と思うのだ。強いやつとは自民党である。


自民党が地域の選挙民全部に対して「統合すれば地方税を半額にします!」と訴えれば、選挙民は今までの自民党の経済的実力を知っているからこれは結構本気で考えるだろう。自民党くらい力があれば理屈も利益もまとめて提案出来る。


しかし、維新の会にはまだそこまでの実績がない。つまり伊丹の、じゃなかった成田、でもないや、痛みのある改革を実行するには、まだまだ弱いやつなのだ。


だから今の時点で大阪都構想を選挙の焦点に持ってくるのはきつい。もう少し大阪の人々の利益を目に見える形で示してから、つまりうどん屋のおやじの売上を伸ばしてから「あのさ、グレーター大阪やるとな、おっちゃんの店、もっと儲かるんやで。」と説得スべきであろう。


そういう細かい現実的な利益を三流国民に見せもせずに理屈ばかり述べてそれで選挙で負けて「維新の会の主張が市民に届かなかった」なんて言っても、そりゃグレーター大阪を戦いの場所にした戦略的失敗であり、戦闘でどんなに踏ん張っても勝てない、準備不足で負けるべくして負けた試合である。


今回の敗戦が橋下氏の勉強になればと思う。孤軍奮闘する彼が自分の戦い方を今回の選挙で学び、政治的にもっと体力を付けてくれればと期待する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 20:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月29日

弾丸出張

日曜日は朝5時に起きて5時45分に羽田空港に向かい7時30分の飛行機で福岡空港に飛ぶ。弾丸出張の始まりだ。

 

今日は移動が多いのでお客様には申し訳ないのだが空港まで出向いて頂き空港内のカフェで面談を行う。福岡空港内のカフェで9時30分から1時間半ほど面談。ご家族で早い時期にニュージーランドに移住して現地で起業家ビザを申請することをお考えだ。

 

予めお客様のお仕事を聞いておいたので話は早い。英語力、学歴、職歴を重ねあわせていくつかの起業アイデアを提案する。

 

ぼくはお客様の無料診断書(履歴書)から頂く文面とは別に一度は直接お会いして話すようにしている。ご本人の思考回路がニュージーランド生活に合うかどうかを直接確認する必要があるからだ。

 

ニュージーランド生活に“合う”とはどういう事か?それは端的に言えば

「他人の価値観を理解出来て」

*他人の価値観を尊重せずほんのちょっとした違いですぐ他人を攻撃する人は多い。

「自分の生き方だけが絶対正しいと思わず」

*おまえのやってるのはー、ぜーったい間違いなんだよ!と他人を批判する人が多い。

「自分の価値観の基本は守りつつ」

*他人にすぐ振り回されて疲れる人のいかに多いことか。

「環境に合わせて変化出来る部分は堂々と受け入れて変化する」

*環境が違えば習慣が変わる。今までの自分のスタイルにこだわり変化を恐れる人のいかに多いことか。

上記のことが出来るかどうかである。

 

もちろんキーウィの価値観を理解しなくても生きてはいける。堂々と札束で人の顔を引っ叩けばキーウィも商売だから動く。ただこの方式はサプライヤーが限られているニュージーランドではいずれ限界が来て最後には誰も仕事を受けなくなるし友達も出来ないのでその時点でOUTであるが。

 

福岡空港で仕事を終えてその足で次の搭乗口に移動して(何と搭乗口から小型バスで飛行機に横付け!)伊丹空港にプロペラ機で飛ぶ。福岡から伊丹は大体1時間だが、小型機なだけに風の影響を受けやすく、よく揺れるわー。

 

伊丹空港ってどうも疑問。一時期は騒音問題で伊丹を閉鎖して関空を作ったのに、いざ関空を作ったら今度は地域のビジネスがなくなるからって伊丹を継続させて、その代わりプロペラにしろとか。でもってすぐ隣に神戸空港を作ってしまい同じ空に3箇所も空港を作ってしまってる。

 

関西に限らず成田空港だって政治利権で作った空港であり、日本全体から集めた税金を使うのだから国益を考えるべき時に地元の利益ばかり考えているから山の中の不便な場所に空港を作ってしまい三里塚闘争なんてやってしまい今でも片手落ちな空港になってアジアのハブにさえなれない。第一空港入口の警備員なんてあんなの地元の雇用対策にしか過ぎない、バカな話である。

 

成田を国益で作ったってんなら天皇陛下でも総理大臣でも成田空港から発着してみろっつーの。自分たちだきゃ羽田で発着しておいて、それってずるくねーかって話だ。日本人ってどこまで国益を考えることが出来ない民族なのかと思う。

 

そんな事を考えつつ伊丹に着くとこれまたタラップから滑走路にそのまま降りる。中には記念写真撮ってる人もいたくらいの小型機でした。59名乗り、かな。

 

伊丹空港もさすがに昭和の匂いがそのままで、到着口にあるカウンターだけの喫茶店はどう見ても昭和50年代建築にしか見えない。もしかしたらその時代に作ったカレーソースとスパゲッティソースを今でも使っているんじゃないかと思わせたりするから大したものだ。

 

狭い到着口から一旦一階に降りて更に出発口のある2階に上がり、ここもカフェの硬い椅子に座って2件続けて面談。結局伊丹には3時間滞在して夕方6時のB777と呼ばれる新型の飛行機に乗り羽田へ1時間後に到着。

 

そう言えば今日のフライトはどの便もほぼ満席だったな。羽田は東京のほぼ隣にあって都心から近いし福岡空港は街のど真ん中の博多駅まで地下鉄で2駅の近さだし伊丹空港も住宅地のどまんなかにある。

 

飛行機は常に新幹線と競合にあるが、福岡から伊丹であれば飛行機に競争力があるし伊丹から羽田も同様だ。特に現在のようにチェックイン手続きが簡素化されて飛行機に乗り込むのが10分前で良いって条件ならこの路線は十分に戦える。

 

個人的には移動は新幹線が好きだが今日のような弾丸出張の場合はちょときつい。空港でミーティング出来るって条件であれば日本人も今後は空港で会議をするってケースが増えるのではないかと感じた。

 

実際に米国など自家用ジェット機が普及しているような国では移動先の空港でミーティングしてから次の空港に飛びそこでまたミーティングってのはよくある。だから地方空港でも空港に併設されたホテルの会議室がそのような利用のされ方をしている。

 

羽田空港に到着して夜8時に恵比寿の定宿に戻る。朝6時に出て夜20時に戻りだから合計で14時間の出張で2千キロを移動した事になる。

 

さてっと、部屋に戻ってシャワーを浴びてバーでいっぱい飲んで寝ます。一杯?いっぱい?どっちでもいいや。



tom_eastwind at 19:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月28日

第68回移住説明会無事終了。

そっかー、もう68回もやったんだなー。

 

昔の説明会は40名くらいの大人数を集めて広い会議室でやってたが、結局これでは話が分散してまとまりのない説明会になるなと思い、6年くらい前から少人数制にした。

 

恵比寿のウエスティンホテルの会議室を利用して12名限定にしてからは話が伝わるようになり、これの方がいいなと思ってる。

 

日本的スタイルからすれば大人数を一箇所に集めてどっかーんとノリでやったほうが儲かって良いのだろうが、僕は移住してきた人たちと十年以上にわたって付き合うわけで、話がうまく伝わらないままに来られて「話が違う!」となった方が問題である。

 

そう言えば大人数を集めて「ノリ」で不動産購入ツアーとかして結局不動産購入は出来たものの、自分が望むことは全く叶わずにうちに駆け込んで来たお客様が縷々といるしそんなお客様と10年の付き合いにもなった。

 

今年の面白い現象としては口座閉鎖ツアーである。これも「ノリ」で海外口座開設をしたものの結果的に税務署に眼を付けられて担当税理士から「変なことをやらないほうがいいですよ、海外口座は閉鎖してください」と言われて、忙しいお医者さんがわざわざ海外口座を閉鎖するために閉鎖ツアーに出かけてくるって話だ。

 

こういう、短期で目先のお金だけでビジネスをするってのはどうなんかなー、いつも思う。これから一緒に住むんでしょ、恥ずかしいことは出来ないでしょって思うのだが、何故か目先の金で大人数を扱ってガサーって地引網をするのだろうが、その結果として何が残るのか。

 

もうちっとお客の為に考えてみればと思うのだが、今の日本ではそんな事も望むべくもないのだろうな。

 

けどぼくはやっぱり自分の考えを大事にしたい。「それは人の為になるのか?」「至誠にもとりしかや?」と常に疑問を持ちながら仕事をしたい。企業が社会に必要なければ素直に撤退すべきだ。自分が生き残る為だけにお客に悪いものを売るっての、それ違うでしょ。

 

百貨店のビジネスモデルに「先義後利」という言葉がある。近江商人には「三方一両得」という言葉がある。資本主義なんて難しい言葉や理論がなくても商売を長続きさせるやり方は、江戸時代も現在も同じである。お客様の信頼、これがすべてである。

 

その為には目先の自分の利益ではなくお客様の利益や希望や目標をまず叶える、その為に最大の努力をして叶える。その結果としてお客様が満足してくれれば、そこから初めて商売が成り立つ。

 

ところが今の日本ではどうもそこが壊れている感じがする。バブル期に人々の心が壊れてしまい、バブル崩壊でますます日本人の心が壊れてしまい、本来日本人が持つ「信頼を大事にする」気持ちがすごく薄れてきた気がする。

 

まあいいや、ぼくがやることは愚直に説明会を開いてニュージーランドの良いこと悪いことを説明した上でニュージーランド移住がその人にとって正解なのかどうかをきちんと伝えることだ。

 

正しい情報を伝えた結果として移住をやめても良いと思う。日本にいるほうが幸せな人もたくさんいる。ぼくの仕事は最新で正確な情報を提供することだ。嘘を言うことではない。

 

うちの仕事は毎年後半になると無茶苦茶忙しくなる。今回の出張もかなり弾丸ツアーであるが、まあいいや、自分が生きてきたって記録を残してみよう。

 

うちの子供が10年後に知り合った日本人に「あ、tomさん、知ってるよ、うちの家族の移住を成功させてくれた人だよ、お父さんとお母さんにいつも聞いてる!」と言われるようになろう。

 

ぼくの為ではなくぼくの子供が将来ニュージーランドで生活をする中で親のやってた事にそれなりの誇りを持てるようにしよう。

 

さ、明日も弾丸出張だ。早く寝よっと。



tom_eastwind at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月27日

本を焼く国は、いずれ人を焼く

焚書という言葉がある。古くの中国や独裁国家が時々行った、国民をバカなままに放置する政策である。それほどに本は人に影響を与えるし、良い本は良い影響を与える。社会契約論や権利のための闘争などは人を根本的に変えて英雄にも大悪党にもすることが出来る。

 

***ウィキペディア

秦の始皇帝は紀元前213年に李斯の提案にしたがって、焚書を行った。その内容は、次の通りであった。

1.秦以外の諸国の歴史書の焼却。

2.民間人は、医学・占い・農業以外の書物を守尉に渡し、守尉はそれを焼却する。

3.30日以内に、守尉に渡さなかったならば、入墨の刑に処する。

4.法律は、官吏がこれを教える(民間の独自解釈による教育を禁じると言うこと)。

始皇帝の焚書により、様々な書物の原典が失われた。しかし、壁の中に書物を隠す[ 1]などして書物を守った人もおり、それが、秦の滅亡後再発見され学問の研究に役立った。また、儒教の書物が狙われたと考えられがちであるが、他の諸子百家の書物も燃やされた。

***ウィキペディア終了、あ、ちなみにぼくは定期的にウィキに寄付をしている。

 

香港に向かう機内で見た映画が「図書館戦争」だった。岡田准一と榮倉奈々が主人公として出演しているが、おお、二人とも思ってたより演技うまいではないか。V6出身だからと食わず嫌いは良くないな、反省。

 

それにしても最近の日本映画は随分と出来が良くなった。ぼくが子供だった1970年代頃は日本映画が散々なことになってて、小津安二郎やクロサワ監督がいなくなってから映画の品質が急激に低下して、おりからのポセイドン・アドベンチャーあたりから始まる大作と呼ばれる洋画が一大勢力、それもフランスやイタリアの名作を凌ぐ米国ハリウッド発洋画が一大ブームだった。

 

図書館戦争の発想は日本図書館協会が1954年に採択した「図書館の自由に関する宣言」である。

***

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。

 

1. 日本国憲法は主権が国民に存するとの原理にもとづいており、この国民主権の原理を維持し発展させるためには、国民ひとりひとりが思想・意見を自由に発表し交換すること、すなわち表現の自由の保障が不可欠である。

 

知る自由は、表現の送り手に対して保障されるべき自由と表裏一体をなすものであり、知る自由の保障があってこそ表現の自由は成立する。

 

知る自由は、また、思想・良心の自由をはじめとして、いっさいの基本的人権と密接にかかわり、それらの保障を実現するための基礎的な要件である。それは、憲法が示すように、国民の不断の努力によって保持されなければならない。

 

2. すべての国民は、いつでもその必要とする資料を入手し利用する権利を有する。この権利を社会的に保障することは、すなわち知る自由を保障することである。図書館は、まさにこのことに責任を負う機関である。

 

3. 図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき、図書館間の相互協力をふくむ図書館の総力をあげて、収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである。

 

4. わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。

 

5. すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。

外国人も、その権利は保障される。

 

6. ここに掲げる「図書館の自由」に関する原則は、国民の知る自由を保障するためであって、すべての図書館に基本的に妥当するものである。

***

 

表現の自由がある。国民が自由に読む権利がある。そして政府は国民の自由を奪う権利はない。しかしそれもすべて国民がその権利を主張してこそ実現出来る。国民が政府の言うがままに「へへー、お上さま、ご無理ごもっともー!」とやってしまえば権利は消滅する。

 

その意味でイエーリングの言うように「権利は戦ってでも守らねばならない」のだ。戦いを面倒くさいとか争いは嫌だなどと見かけ格好良さそうな耳障りの良い言葉を放つ連中は民主主義を守ることは出来ない。

 

「図書館戦争」では国民の知る権利を守るために図書館所員が武装し政府による焚書に対して徹底的に戦う。一つ間違えば単なるドンパチ映画に陥ったところだが、原作者のテーマに関する基本的認識がしっかりしているから非常に良い出来上がりになっている。こういう映画こそ大陸中国人に見せたいものだ。

 

最後までしっかり楽しませてくれた「図書館戦争」の余韻が残る中、よっしゃ、もう一本日本映画を観ようと思って選んだのが綾瀬はるかの「REAL〜完全なる首長竜の日〜」で、これまた良質のスペキュレーションファンタジーである。最後までどんでん返しの連続で楽しませてくれた。

 

Speculation Fantasyとは略してSF,元々SFはサイエンス・フィクションと呼ばれていたが科学小説の時代から次第にハインラインの「夏の扉」とか「月を売った男」という作品が出てきてファンタジー的要素が強くなったので使われるようになった言葉だ。

 

「図書館戦争」の作者は有川浩。女性です。ぼくは彼女のこの映画を見る前に自衛隊シリーズ「空の中」と「海の底」を読んで途中で投げ出した記憶がある。あまり合わんな、そう思ってたのだが、この映画は面白かった。

 

それにしても最初に映画で検閲を受けた「オオガタショテン」と聞いた時は、本屋にも血液型があるのかと思ってしまった。O型書店

 

笠原が最後に放った銃弾、彼女の顔を見て思い出したセリフが「カイカーン!」だった。薬師丸ひろ子。

 

幸いにして今の日本はまだ読書の自由が認められている。検閲の禁止は民主主義の最低の要諦である。よっほい、今日は幸せだ。



tom_eastwind at 02:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月26日

中国は自分たちの歴史を誇れるか?

オークランドから香港に向かうキャセイ航空では登場の際の乗客整理が大変である。とにかく大陸中国人は並ばない。割り込む。座席が決まっているのに勝手に自分の好きな椅子に座って後から来た乗客に向かって「おれここに座ってるんだ、お前がどっか他に行け」と平気で言う。全くと言って良いほど恥を知らないし世界の常識がない。

 

もし中国人が「俺様は偉いんだ!中国が世界で一番優秀なんだ!」と大中華4千年の歴史を誇るのであれば4千年前から現在まで中国の歴史はつながっておらねばならない。しかし1949年にそれまでの歴史をすべて否定して正しくて新しい共産中国が創立されたというならそれまでの中国人が築き上げた栄誉ある歴史もすべて否定する必要がある。

 

中国がすでに世界の中の強大国となった現在、中国には他国に対して自国を誇るための何らかの「プライド」が必要となる。大きくなったからこそ他人の目を気にするようになるからだ。

 

日本人も敗戦後、最初にまず飯を食うために金を作った。その時にはなりふり構わず他人の眼など気にせずにがむしゃらに働きまくった、まるで改革開放時代の中国人のように。

 

しかしそれである程度飯が食えるようになると自然と周囲が見えてきて自分の地位を高く見せようとする。会社のしゃちょーとか肩書が欲しくなり、次第と他人の視線を気にするようになる。だから似合わないスーツやブランド品を持つようになる。これが1970年代の日本であり現在の中国人だ。

 

現在の中国人も似合いもしない高級ブランド製品を買いまくり、けど金は払いたくないからコピー製品で満足する。見かけは本物に見せたいのでショッピングバッグだけは本物を買い自宅の居間に置いてさり気なく本物に見せかける。日本人はこれはないな。

 

しかしそれで金がたまりブランド製品が揃うと次に欲しくなるのが勲章である。金→地位→名誉である。

 

自分に自信が持てない日本人は勲章大好きであり皇居でやってるお祭りに集まるのが大好き、祭りに参加できたことを周囲に威張り胸に貼り付けた色つきの金属が嬉しくて仕方ないから飾ってみてはしゃいでいる。これでおれの人生一丁上がりってな事である。

 

中国人と言えば日本人以上に勲章が大好きであり、胸にがちゃがちゃと付けまくって喜ぶ。何にでもすぐVIPと付ければ単純に大喜びする。カラオケボックスのVIPカードを貰っても喜んで他人に自慢する。つまりそれほど他人に認めてもらわなければ自分に自信がないのは日本人でも中国人も同様である。

 

ただ問題は、いくら勲章をたくさんぶら下げてもそれは先進国ではあまり評価されていない共産国家が発行したものであり、米国のパープルハートのような重みはない。

 

だから中国人が国威発揚として世界に通用させる事が出来る歴史や人物はシルクロードを渡って欧州に送り込まれた古代中国の技術や鄭和の大航海、孫子や孔子や孟子であり、それは「共産党」でも「毛沢東」でもないのだ。

 

しかしそのためには中国の過去4千年の歴史を認めるしかなく、そうなると孫子や孔子の教えを守らねばならない。例えば中国では「衣食足って礼節を知る」ということわざがある。だから衣食が足りてる現在は中国人なら礼節を知れという事になる。

 

ところが実際には衣食が足っているのに脳味噌が不足しているのか物欲から逃れられないのか、中国4千年の歴史から学ぶことが出来ない。てか、もしかしたら彼らは文化大革命の影響を受けて過去の歴史や人物を学ぶ機会がなかったのかもしれない。

 

今の中国人の礼節のなさは共産党本部から海外旅行の際に恥をさらすなと指示が出るほどであり、現状のまま先進国に入って先進国国民と同様の「俺様は中国人だ!中国人個人に対する尊敬を払え!」なんて言っても礼儀を知らないのだから通用しない。

 

礼節に限らず古代中国が誇ってきたものをこれから世界に示そうとすれば現在の中国人が取っている態度のほとんどを改める必要がある。そして改める基準、それは古代中国の本にすべて記されたものであるから、やろうと思えば難しい事ではない。世界から認められる勲章をもらうためには世界標準で礼節を知る必要が出てくるのだ。

 

北京オリンピックの際も警備にあたる警察官に「期間中はにんにくとニラは食うな」という笑えるような指示が出た時は本当に笑ったものだ。

 

日本人も過去に海外旅行に出た際に皆がドブネズミ色の背広を着て首からカメラをぶら下げてパリのお店に札束握りしめてずかずかと乗り込んだ際にどれだけ批判を受けたか覚えているだろうか?

 

高級ホテルに泊りバスタブのお湯を溢れさせて部屋を水浸しにしたりバスタブの外で身体を洗ってみたり洋式トイレに飛び乗ってまたがってみたり、随分マナーを理解出来なかったものである。

 

いま中国は次第に世界の中の自国の立場を認識し始めている。世の中カネだけではどうしようもない、尊敬は受けられないと分かり始めている。だからこれから中国が世界に誇る冠たる国になるためにはやはり世界の常識を理解する必要がある。

 

もしあなたが日本人であり中国語が話せず中国人の不愉快な行動を見て文句を言いたかったらまず漢文や漢詩を学び4文字熟語でも良いからいろんなパターンを覚えてケータイにでもメモっておき、機会があれば狼藉を働く中国人に、にこっと笑ってケータイの4文字熟語を見せてあげれば良い。

 

★過ちを改めざるこれを過ちという。

★性(せい)相(あい)近し、習い相遠し

★貧しくして怨むこと無きは難く、富みて驕(おご)ること無きは易し。

★己(おのれ)の欲せざるところは人に施すことなかれ。



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2013年09月25日

雨のち晴れ!

今日のオークランドは朝から大雨だ。普段なら降り抜けて青空が広がるのだが、昨日からずっと雨雲が停滞しているようだ。

 

今日から日本出張。9月は殆どオークランドにいて東奔西走して今年初頭から考えていた企画がやっと出来上がり日本側パートナーに提出出来たので出張前に少し肩の荷が降りた。

 

ここ数年は毎年そうだが、これから年末にかけて忙しくなる。去年もほんとに「無事にクリスマスは来るのか?」と結構まじで思ったくらいだ。

 

今日からの日本出張は別名「弾丸特急」だ。とにかく毎日移動しまくって、一番弾丸な日は2千キロを移動するようになっている。あ、てか、オークランドから東京まで片道は一日で7千マイルの移動だから、そのほうがもっと長いか。

 

7千マイルって言えば大体11千キロで、地球一周が約4万キロなのでオークランドから東京を2回往復すれば地球一周回る計算になる。でもって僕の場合は年間で約15万マイル、約20万キロ移動して回っているので毎年地球を5回回っている計算になる。

 

それでも日本国内をあちこち飛び回るのは結構大変だ。その街の空港まで飛び空港でミーティングしてその足で次の空港に移動してまたも空港でミーティングするってのは、もう旅とか出張でなく単なる移動会議だ。

 

それでもお客様が呼んでくれる限りは有難い話なので飛び回る。今年はもしかすれば10月と11月が連続で日本出張、そして12月はクリスマス休暇でまた日本なのでまたも地球一周になりそうだ。

 

そんな事を考えつつ荷物を車のトランクに入れ始めると、すこしづつ雨が引いていってる。晴れは、まだかな、けど、雨の次は必ず晴天になる。生きている限り人生は上り坂、楽になるなんてのはないが、大雨の後は真っ青な晴天が来ることだけは学んだ。

 

今回の出張にも中村天風の本を一冊入れておく。何かあれば取り出して積極人生の熱源とする。さ、行こう、飛行機に乗る時間だ。



tom_eastwind at 09:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月24日

旅の味 その2 当社はビザ屋ではない、旅行屋である。

例えば吉野家に行って「とんこつラーメン頂戴」と言っても苦笑いされて追い返されるのが関の山だろう。実際にぼくは中洲近くに吉野家が出来た1980年代に吉野家に行って「とんこつラーメンありますか?」と聞いて追い返された記憶がある(苦笑)。


当社はビザ屋ではない。どう違うかと言えばJTB東京と六本木グランドハイアットホテルくらいに違う。または近畿日本ツーリストとはとバスくらいに違う。もっと言えばHISと横浜崎陽軒くらいにも違う。

 

旅行屋はルービックキューブ(顎=崎陽軒、足=はとバス、枕=グランドハイアット)をどう組み合わせるかが勝負であり、その組み合わせをすることで手配料を頂く。

 

この意味はニュージーランドでは誰が誰のために働くのかが明確にされており、顧客のために働く人が崎陽軒の焼売弁当を常に手配して他の食い物、例えば東京ばな奈を買わせないと顧客の不利益になるようなものだ(かえって分かりにくいか?)。

 

例えばニュージーランドでは不動産売買をする不動産屋は売却側の立場で不動産を売っている。これをVenderAgent(ベンダー・エージェント)と呼ぶ。つまり購入する側の利益は最初から無視しており出来るだけ高値で売れるようにする。これは言い換えれば購入する側(Buyer)の最大の不利益のために働いているのだ。

 

だから顧客の最大限の利益になる為に働くというのは組み合わせの最大の利益を出すためには供給側に回ってはいけない、あくまでBuyers Agentとして働くという事だ。

 

何故ならその一、旅行会社がホテルを経営してしまえば本来顧客の利益の為に働くべき立場が自社のホテルの部屋を売るためにビジネスをする、利益相反取引になってしまうからだ。

 

またちょっと話は逸れるがお付き合い頂きたい。今回はいくつかのテーマを混在させているが、逆に言うと同時進行で語らないと片手落ちの文章になってしまいかえって誤解を与えてしまうからだ。その代わり分かりやすく例を付けて書いてみる。

 

移住の目的はビザを取ることと本気で思い込む人がいるが、あれは多くの方が陥る間違い。移住は幸せになることが目的でありビザを取得することは手段にしか過ぎない。ビザを取り渡航しても不幸せになれば意味はない。

 

ところが単品を売っている人、例えば移民弁護士やコンサルタントはビザの取得が目的であり不動産屋は土地建物を売るのが目的でありその後にその人がどうなろうが関係ない。

 

多くの方が陥りやすい罠を紹介してみよう。

 

例えば夫婦で久しぶりに週末を楽しむ為にグランドハイアットホテルに泊まって夫婦喧嘩をしたとしてもそれはホテルの責任ではないよね。それは同じホテルに彼女を呼んだ旦那の方が悪いのだから。

 

しかし同じホテルに・・・例えが悪いので少し言い方を変えれば夫婦で高級レストランに行ったら旦那のいきつけの店のお姉ちゃんが他の客と同伴で飯食ってて旦那が不機嫌になりそれが原因で夫婦喧嘩になったとしてもレストランが悪いのか?・・・・やっぱりどうも現実に走り過ぎだな・・・。

 

旅行屋とはその人が言いたい事(夢)を叶える事でありその人が言ってる事をそのまま実行して言ってない部分を理解せずに失敗すればそれは旅行屋ではない。

 

例えばお客が「おい、週末のグランドハイアット一部屋取っておいてよ、夫婦でたまにゆっくり過ごしたいんだ」と言えば旅行屋はこう答える。すかさず「あ、あのホテル良いですよね、何せスタッフ全員口が固い、うん。奥さんがフロントデスクに電話してxxさんって女性今日泊まってるわよねとカマをかけられても“いいえ奥様、そのような方は泊まっておりません”と言ってくれますもんね、けど中には頭の良い奥様もいらっしゃいますよね、気をつけなくちゃいけない怖い世の中ですねー」と牽制しておく。これが旅行屋の仕事だ。

 

・・・・・・・・やっぱり変な方向に流れる・・・・今日があまりに晴天で空が青かったからだってカフカみたいな事でも言ってみるか(苦笑)。

 

けど、ここまで具体的に書けば世のご主人はご理解頂けるか?(苦笑)。

 

そしてここからが本題なのだが、この高級ホテルや高級レストランがまさに移民弁護士や税理士にあたるのだ。彼らは自分の出来る範囲内で一生懸命仕事をしてくれる。しかし彼らは想定外の対応は出来ないのだ。

 

だから彼ら移民弁護士や税理士に想定外のケースも予想させた上で正確な指示を出して司令塔として動ける人であれば当社は不要である。自分で料理出来る人があえて毎晩料理人を呼んだりレストランに行く必要がないのと同じ事だ。

 

例えば税理士の仕事。お金を誰の名前でどう送金するか、どの名目(番号)で動かすか、何時の時点で納税申告するか、どちらの国で先に納税してどちらの国で還付申請をするのか?

 

NZの税制ではクリアーしても反対側の日本の税制に引っかかれば恐ろしいほどの税金が没収されるし場合によっては罰則が適用されて大変な騒ぎになる。

 

海外収入、租税協定、相続税、予めクリアーすべき法律は山ほどあるし両国の税理士は自国のルールは知っていてもそれが相手国のルールにどう影響を及ぼすか分からないので彼らに答を求めても答はない。

 

法的側面も大事であり日本の法律上問題がなくてもNZの法律上認められないケースが出てくるが最初に移住計画を立てる時にそういう点をしっかり法律チェックをしてなかった為に手続きそのものが無効になり今まで払った費用が没収されて、またゼロから手続きを再開したケースもある。

 

とくにハーグ条約などの国際条約と国内法のすり合わせが非常に大事だ。同じことをしていても日本では合法、NZでは違法になるケースが実際にあるのだ。しかしこのことも両国の弁護士は自国の法律は知っていても相手国の法律は分からないから答を出しようがない。

 

しかし弁護士が言われた事はビザの取得であり、その意味では彼らは言われた仕事はちゃんとこなしている。言われた事はやっているが顧客の言いたい事は把握していないから蓋を開いてしませば全然意味のない手続きをして、はいゼロからやり直しである。

 

やりなおしで通れば良いが手続きミスによってはやりなおしが効かないこともある。費用対効果どころの問題ではない。

 

お客様の移住という長い旅の要素として参加するメンバー全員、つまり弁護士、税理士、日本側関係者、移民局、取引先、投資先、起業内容などは各自ばらばらには自分の守備位置を知ってはいるものの肝心の司令塔となるお客様が司令塔にならずに野球をしても勝つわけが無いという話だ。

 

ぼくの立ち位置は全体を見渡して添乗員として各プレイヤーに指示を出すことだ。ここに旅行会社としの位置づけがある。

 

うちの仕事がビザ屋と思ってる方には申し訳ないが、ビザは大切な要素であるがそれはあくまで要素であり、その要素だけ欲しい方は単品として直接弁護士に依頼してもらいたい。もし目的が移住、長い旅を楽しむことであれば当社にご連絡を頂きたい。




tom_eastwind at 08:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月23日

ソフト・ターゲット

ケニアのナイロビのモールで起こったテロリスト襲撃事件は、数年前に読んだアクション小説ボブ・リー・スワガーシリーズの「ソフトターゲット」とまさに同様であった。

 

***

感謝祭明けの金曜日午後。ミネソタ州郊外の巨大ショッピングモール“アメリカ・ザ・モール”がテロリストに襲われた。まずサンタクロースに扮した男が射殺。続いて、銃声が立て続けに轟き、モールを訪れていた客がパニックに陥った。直後、モールのセキュリティ・システムがテロリストに乗っ取られ、モールの内外を結ぶ有線回路は全て遮断された。連絡手段は携帯電話と無線機のみとなる。その現場に、たまたま、レイ・クルーズとフィアンセのモリー・チェンが買い物客として訪れていた…。

***

 

レイ・クルーズはボブ・リー・スワガーシリーズの新しいメンバーであるが、彼がまさに何の気なしに婚約者と訪れたショッピング・モールで突然テロリストの襲撃に遭う話である。

 

これに限らず米国の小説では結構ショッピングモールがソフトターゲットとして狙われる案件が増えた。そりゃそうだ、米軍基地に攻撃を仕掛けるのは準備だけで大変だしハード・ターゲットは相手の反撃も半端なく厳しい。そう考えればソフトターゲットである一般市民が歩くモールや学校を狙った方がよほど効果的だ。

 

つーことで最近はアフリカのアルジェリアで日本の日揮社員が襲われたような(あれはソフトターゲットか?という話もあるが)事件もあり、ソフトターゲットを狙ったテロがこれからますます増えていくだろう。一般市民が普通に歩く場所がテロの対象となるのだ。

 

以前のテロは暗殺者が生き残って脱出することが大前提であったから狙撃場所もある程度絞られた。しかし現在のテロは自爆テロであり死んだら天国に行って遊び放題という愉快な宗教であれば死ぬことも怖くなくなるわな。

 

これはぼくがもしテロリストのリーダーなら当然考える事であり、そうなると例えば米国の資本主義のおかげで大成功して大儲けしたビジネスマンでも週末に家族とモールを歩いてたらテロリストに捕まって殺される可能性がある。

 

こればかりは読みようがない事態でありどれだけお金があっても防げるものではない。どんな事言ったって人間は24時間自分を守ることは出来ない。

 

ソフトターゲットではモール内にはレイ・クルーズという戦闘のプロがおりモールの外にはボブ・リー・スワガーがいて運良く多くの人が助かったが現実の世界ではそうはいかない。

 

その意味でビジネスマンが自分の家族を守るために出来る有効な方法は「君子危うきに近寄らず」しかない。つまりテロの起こりうる場所には住まないという事だ。

 

幸いこれだけインターネットが発達して高速長距離飛行機が空を飛ぶようになったので、あえて危険な地区に住む必要はない。

 

だもんで最近の2年は米国からの投資居住者が激増している。一昔前なら米国の金持ちが田舎のニュージーランドで住むなんて考えられなかったのだが、これだけイスラムとの戦いが激しくなるとそういうわけにもいかないのだろう。

 

元々ニュージーランドに移住する人の半数は英国人であった。英国人は薄暗く雨の多いロンドンから、青空とたなびく白い雲がどこまでも伸びているニュージーランドに未来を観てやってきた。

 

しかし今はお金のある米国人が自分たちの避難場所として自家用ジェットを飛ばしてニュージーランドにやってくる。飛行機を駐機場に入れてシティの弁護士事務所に足を運び、そこで小切手を置いて「じゃあビザよろしく、ちょっと南島に観光に行くからその間にビザを取っておいてくれ」って感じだ。

 

金があっても撃ち殺される。金があるから撃ち殺される。それなら少しでも治安の良い国を目指すのは当然の行動である。

 

ではニュージーランドにテロはないのかという話だが、現時点ではテロは発生していない。政治的仕組みとして発生しない。それはニュージーランドが白人国家では珍しくテロ紛争地域の人々を政治亡命として受け入れているからだ。

 

ニュージーランドには難民ビザという枠があり、毎年アフリカ大陸、例えばナイジェリアの内戦を逃れて来た人々がマウントロスキル地区に集まって生活している。インドやパキスタンからの難民も多く、その意味で宗教や肌の色に関係なく世界中の人々が集まっている。

 

そしてキーウィは白人国家の中では最も人種差別意識が低い。これは歴史的背景があるのだが歴史を学んでない人は目先の個人的感情で語るから話にならない。

 

例えば白人が植民地にした国家、例えば米国や豪州では先住民族を同じ人間として認めず殺しまくった歴史があるがニュージーランドでは初代総督から始まり先住民族であるマオリ語も公用語としてマオリと白人の融和を計った。

 

1860年代には政府の融和政策に従わない一部豪州から渡ってきた貿易商人が土地争いを起こしてマオリ戦争が起こったがそれはあくまでも戦争であり1900年に起こったボーア戦争では白人(パケハ)とマオリが肩を並べてキーウィとして南アフリカで英国軍に協力して戦争に参加した。皮肉なのはボーア戦争自体は英国による侵略戦争であったが。

 

現在は世界中からやって来た人々が自国の文化や習慣を守りつつ現地の生活に同調して安全な生活を送っている。だからと言ってもちろん全く人種問題がないわけではない、他の白人国家と比べて少ないと言ってるだけだが、それでも人種問題で殺し合いが起こった事はない。

 

それはニュージーランドの上流階層の人々の道徳教育水準の高さがある。だからモスリムもロンドンで爆弾を仕掛けることがあってもオークランドで爆弾を仕掛けることはしない。だって差別されてないし母国がニュージーランド軍によって侵攻されてないし、居住者がホウリツで守られて基本的権利が平等なんだからテロを起こす理由がない。

 

ニュージーランドは海外派兵も行っているがそれはあくまでも国連主導の下においてのみであり単独で米国に付き合って戦争はしていないのもテロがない大きな理由の一つである。

 

ぼくは別にニュージーランドを天国として描こうとしているわけではない。悪いことはたくさんある。コンビニは発達しないしカラオケも殆どないしパチンコ屋は存在しないし銀行の窓口でもお金の計算間違う。けれどテロが起こるほど悪い国ではない。田舎である。けど地政学的に外国軍が羊のバーベキューをするために攻めて来ることはない。

 

反戦デモはあるけれど、少なくとも日本のように在特会が昼間から新大久保で警察に守られて嫌韓デモをやるような国ではない。

 

ケニアのモール襲撃事件は起こるべくして起こった事件である。この事件、日本で起こることは1年はないだろう。では1年後は?

 

偶然だが韓国人の若者が靖国神社に放火しようとして逮捕された記事があった。日本がイスラムに襲撃されることはないだろう。しかし隣国からの可能性を全く無視して「おれたち、平和だもんねー」といえる状況に無いのも事実である。

 

それは何も今の日中韓が危険という意味ではなく、だれか政治的思考を持った人間が操るにはまさに使いやすい状況だということだ。

 

第一次世界大戦も所詮一人の王族が殺されただけであんなでかい戦争に成ったのか、何故起こったのか分からない部分が多い(てか実際には裏は見えているが)。

 

これが今の日本で起こっても全くおかしくないのは現実である。例えばあなたが御殿場のアウトレットで商品を選んでいる時に「殺すぞ!」と銃を頭に突き付けられたらどうする?

 

ケニアのナイロビのモールで起こった事件は、まさにイスラム勢力にとってソフトターゲットが明確になった案件である。これが広がらないとか、これが例外案件と思うことは誰にでも出来る。それは「大丈夫、すぐに助けが来るよ」ってあり得ない援助を期待する気持ちのようなものだ。

 

問題はそれが世間、テロリストには通用しないってことだ。今の日本では日本政府に期待するか自分が自己防衛して家族を守るか、二択じゃないかなって思っている。

 

どなたかもしこの記事に興味があれば、ぜひとも「ソフトターゲット」を読んで頂ければと思う。



tom_eastwind at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月22日

半沢直樹はこう観る。

半沢シリーズ第一弾が終了。最後の終わり方が納得できんという人もいれば何が面白いかよく分からんという人もいる。しかし視聴率は40%超え。立派なものである、これはやはり役者の力と原作の力の融合ではないかと思う。

 

けど、水戸黄門の時は最後に印籠が出てきて勝つのに何で現代の日本の銀行組織ではそうならないのか?こんなん勧善懲悪になってないじゃん、やる気なくすよー、みたいな意見も多いのは分かる。

 

逆に藤沢数希という金融マンや池田信夫のようなNHK時代にバブル崩壊特集をやった、金融界の現実を熟知している人からすれば「何を茶番な!」と感じているだろう。「こんなもんのどこが面白いのだ、現実はもっと複雑で生々しいのだ!」

 

じゃあ一般の人々、つまり金融も知らないし組織も知らない人はどう観るべきか?ここから先は番組に対する感情論ではなくこのドラマを楽しむ技術論として理解してもらいたいのだが、こういう手合の原作が優秀な小説でドラマ化された場合、原作を読むことで内容の理解が深まる。

 

テレビだと視聴者の理解度に関係なく話がどんどん進んでいって「臨店」とか「金融庁検査」とか言われてざっとナレーションが出ても基礎知識がなければ意味が分からないままに筋書きが進んでいく。

 

銀行員にとって金融庁からの検査がどれほど大変なものか、また自分が責任取らされる事になったら今まで苦労して高校から大学に通って大変な就職試験まで頑張り、入行してからも上司に頭を下げ続けた苦労がすべて吹き飛んでしまう。

 

そんな苦しみはまず原作を読んで分からない部分を何度も読み返したり辞書を引っ張って読めば、何故金融庁という役所の調査に対して資料を「疎開」させるなどという検査忌避行為、もう違法行為であるが優秀な銀行員がやってしまう背景が分かる。

 

本を読む利点の一つが、読み返せるって事だろう。分からない部分を繰り返し読むことで知識として覚える事が出来る。

 

ぼくは偶然だがこの番組が放映される事を知らなかった頃に池井戸潤の原作を読んだ。他の作品、例えば「空飛ぶタイヤ」とか「鉄の骨」とかの間に「俺達バブル入社組」を読み、ほー、すげーな、あのテーマでここまで書けるか、大したもんだなと感じた記憶がある。

 

原作はあくまでも池井戸潤の人生観に基いて書かれたものであり原作には彼が銀行時代に感じた問題点や矛盾点を指摘しており、最後に読者をすっきりさせるのは、それが読み物であると理解しているからだ。

 

原作では次作に「ロスジェネの逆襲」が出てくる。予め原作を読んでいれば半沢がこれで終わりではないと分かっているから次を期待する。原作を読んでないとこれで終わりかと思って「話が違うじゃんか!」となる。

 

池井戸潤の小説は現代の勧善懲悪を基本にしている。それは水戸黄門のような隠れた実力者が最後に印籠を出すのではなく現場のサラリーマンが自分の置かれた立場で一生懸命現実と理想の間で苦しみつつ権力と戦うって発想だ。だから命がけだ。

 

その意味で水戸黄門は上級権力者が下級権力者をやっつけて民衆をやんやと拍手させる筋書きであり半沢のような権力と戦う筋書きとは根本的に違う。そこに池井戸潤の主張があると思う。

 

こんな、権力だらけの世間ではあるが、それでも前を向いて生きていこうよ、夢を捨てずに怖がらずに戦っていけば必ず機会はある、バブル期に社会に出てバブル崩壊で「話がちがうじゃねーか!」と腐るだけではなく、それでも自分の人生なのだから切り開いていこうとするその姿勢を番組では半沢が近藤と剣道の練習をする中で見せてくれる。

 

この本はあくまでも現実をベースにしたものではなく、さらに番組は原作を思い切り甘くして柔らかくして作ったものでありこれまた現実ではない。だから最後の場面で起こった事も現実ではなく、現実でないことに対して良い悪いの話をしても仕方ない。

 

金融界に住む人々からすればまだ甘い認識の半沢であろう。金融界に住まない人からすれば金融界って何て酷い世界だって思うかもしれない。

 

どっちを取るかはその人の生まれたっている位置によるだろうが、少し視点を変えて見ればどうだろう。例えばぼくが今観てるプリズンブレークなどはもっと酷い政治ゲームである。あくまでも番組の中の話であるが、よほど現実に近いのは自分なりの勉強で理解している。

 

政治の世界は金融などが思いもつかない、もっと汚くて大胆な世界である。そこでは普通に人が殺される。特に世界の基準で見てみれば人の生き死になどは日常茶飯事だ。

 

それに比べれば半沢物語では誰も殺されないし誰も行方不明にならない。みんなが粋がって「倍返し!」とか「10倍返し!」とか、ほぼ武器を持たない日本の喧嘩である。

 

けどこのテレビを娯楽としてみればどうであろうか?

 

香川照之の演技が実に良い。この人の品の良さは生まれた時から父親の演技を見て学んだものであり並の人間が出来るものではない。

 

水戸黄門を見たい人々には最高の配役陣ではないだろうか?誰もが良い演技をして半沢を引き立てて番組そのものを高視聴率に引っ張りあげているのは実に大したものである。

 

だから半沢を観る時に感じるのは、金融を知っている人はこの番組を演劇として見てなくて現実と違うって言ってるだけであり、金融を知らない人はこの番組を演劇として観ており、だからこそ最後に水戸黄門が出てこないなから文句を言っているのだ。

 

けど金融を知らなくても原作を先に読んでいれば続きがあるのはすぐ分かること。半沢の倍返しは次があるのだ。

 

こうやって半沢が有名になったのだから、ぼくからすればお勧めなのはこれを機会にもっと本を読もうって事だ。少なくとも原作を読んでいれば今回の終わり方に怒る人はいないし原作を読んでいれば漢字の勉強にもなる。

 

こういう良い番組が少しでも人々に得るものがあれば良いし、これを機会に無料テレビや宣伝本でダマされるのではなく、テレビはお金を払って情報収集するって発想に切り替えてくれればと思ったりする。



tom_eastwind at 18:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月21日

道程


何で最近は時事ネタを書かないのか?と聞かれた。ほんとだ、最近は少ないな。どうも今後の日本が見えている中ではついついそれよりこれから起こるであろうニュージーランド生活の変化を自分の頭の中で整理して今後の方向性を定める意味で「街の色」とか「旅の味」とか書いてた。ちょっと意味分かりにくいな。

 

日本ではこれから来る日本の未来に備えて塹壕掘ってたっぷりの食料を用意して5年くらい外に出なくても生きていける準備をすることが先だと思う。今下手に外に出れば(社会的な意味も含めて)石ぶつけられて突然の怪我をするかもしれないからだ。今の日本ではじっと頭を下げて置くほうが良い。

 

そして次の5年は日本政府から一切の福利厚生や社会保障を受けなくても生きていけるだけの金銭的余裕を持つことだ。政府は間違いなく財政健全化の為に次々と社会保障を削減してくる。貰えると思ってた金が入らなくなるのだから、最初から自前で自分の生活を賄うだけのお金を用意しておくことだ。

 

多くの人はまだ毎日の仕事に忙しいと思うが、自分が大きな川の流れに浮かんで川下に向かって流されているのをどこまで理解しているのだろうか?

 

川は水源地から発して海に向かって真っ直ぐ下っていく。川は決して海から山に流れない。それと同様に人の運命はその人の住む国の政府から逃れることは出来ないし過去の良かった時代に遡ることもあり得ない。

 

前を見て進むしか無い、例え目の前に大きな滝があったとしても、その滝に自分から突っ込んで生き残る道を探すしか無い、だって海に向かって行くだけが残された道だからだ。

 

全ては安倍政権が出来上がった頃からの話である。彼は非常に優秀だ、とくに前回の首相退任時に苦しい思いをしたのだろう、すべての政策が実によく現場を踏まえた上で彼が望む理想に向かって進んでいる。

 

だから安倍さんがやっている事はひとつの国家が再生する方向性としては正しい。何よりもダメなのは誰も方向性を決められず政治的に大衆に媚を売り続けてだらだらと流されたここ20年の日本だ。

 

その意味で安倍さんの登場は評価出来る。しかし問題はその方向性だ。その目指す所は全体社会主義国家でありそれは国家がすべての権限を持ちすべての国民を法ではなく賢い政府が裁き知能の低い独立心のない民衆を政府が正しく導くという方向性である。

 

彼ら全体主義者の望むことは世の中の安定でありその為に強い国家が税金を国民から取り政府の判断で国民に社会保障を提供する。その徴税方法と社会保障は政府が決定する。何せ東大出てるんだから一般市民より頭は良いのだ。

 

その結果として国が豊かになれば国民全体が自然と豊かになるという理論であり実際に日本は戦前も戦後もまず国家を優先することで豊かな国家を創り上げてきた。安倍さんのおじいちゃんが戦前の満州で、そして戦後の日本本土で作り上げたのがまさにそのような全体主義国家であった。

 

だから政府は国民に対して常に「まず全体の事を考えろ、自分の事ばかり考える奴はワガママだ、政府の言うことをどうやれば守り実行出来るかを考えろ!」と教育する。政府は本当にそう信じているから国民が国家に奉仕をするのは当然であると考える。

 

このような全体主義と社会主義の融合は第二次世界大戦時にはファシズムと呼ばれてファシズムを否定する共産主義ソ連と戦った。人々を平等にするという意味ではファシズムも共産主義思想と同様の根底を持っているからドイツとソ連の戦争など兄弟げんかみたいなものだが、本人たちは「おれはあいつと違う!」と言ってるから歴史は面白い。

 

しかし現実の全体社会主義においても共産主義においても、政府の強権がないと体制そのものが維持できず、結果的に権力の強化が最も重要になり権力維持が存在目的となってしまうため世の中を変革させようとか自由な発想で新しい事をしようとする人々は反体制派とレッテルを貼られ虐待され自由な発想は自分勝手とかワガママと呼ばれ社会から隔離されるようになる。

 

これは自然の流れでありファシズムや全体主義や共産主義は自分たちが完璧であるから変化は不要と考えているからいずれ変化する社会に押し流されるのは自明の理であるが、そのことを認めようとしない。だからこの組織は最初から崩壊する種を内包している。組織が壊れるかどうかではなく、いつ壊れるかだけの問題だ。

 

そして更に権力が一部に集中するから支配層は固定化され既存の組織を守ることがいつの間にか再優先するようになり、これがますます組織の腐敗を進めることになる。

 

何故なら彼らは完璧な社会を創りあげたらそれ以上の変化を受け入れようとせず既存体制の維持のみに執心して社会の変化についていけず自己崩壊するからだ。だからこそ日本は50年単位で崩壊してはまた新しく全体社会主義を繰り返している。

 

「組織は絶対に腐る、長期にわたる組織は必ず腐る」ということわざを知っているだけ英国人社会や米国社会の方が変化に強く組織が常に変化出来る仕組みを内包している。変化を認めて自由な発想を許す文化がその政治体制の中に組み込まれているのだ。

 

では何故日本は崩壊した後にまた同じような全体主義を繰り返すのだろうか?それは結局日本人がそれを一番喜ぶからではないだろうか?

 

変化のない、常に誰かに命令されて動く生活は楽である。自分の頭で考えなくても良い生活は、少しの自由を手放すだけで楽な生活が得られるのだ、そんな生活が得られるなら自由なんて不要だ、そう考えるのが日本人の本質にあるのではないだろうか?

 

てか、安倍さんがやる事は多くの日本人が望んでいることなのかもしれない。本当の民主主義とは実は日本人の多くが求めていない事なのだと思う。人々は力強い領主を求めており自分で考えなくてもだれか引っ張ってくれる人がいればよいのだと思う。問題はその「多く」の中にぼくが入ってないという事だ。

 

日本人の中で「ぼくのような存在」が超少数派であるのは十分に理解している。だから「多くの人々」が望む政権が出来たのは全体の為には喜ぶべきだと思う。

 

時事ネタか・・・。例えば安倍さんが福島原発の一部を廃炉にしろと命令したことかな。これは政治判断としては正解だし票にも直結する。今の日本で原発は必要なのか?費用対効果を考えれば合わない。

 

例えば原発推進派は原発が再稼働しない限り毎年数千億円のエネルギー費用がかかるという。しかしそれを国民全体で計算すれば一家族あたり数千円の値上げである。数千円で原発なしなら、それは政治的に正しい判断ではないか?

 

原発を廃棄するにしても金はかかる。しかしその方向が国民の望む道であるのなら実行すべきである。原発反対、けど費用負担はしないなんてワガママは通じない。

 

そして国民自身も今のように田舎の町まで不夜城のように照らしだすのを止めて、時には停電を楽しみロウソクの夜を家族で楽しめるようになれば良いだけだ。

 

現実にニュージーランドは風の強い日などよく停電するがそんな夜は家族でキャンドルディナーを楽しむ。それで政府に文句をいう人などあまりいないし電車が止まってもそれで駅員と喧嘩するようなあふぉーはいない。

 

予め日本の流れが決まっていても心とお金の準備だけしていれば自分の生活を守ることは出来る。世の中がどのように動こうと家族の生活を守ることは出来る。



tom_eastwind at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月20日

街の色

今日は数年ぶりにシティの免税店DutyFreeShoppersに立ち寄った。そこはすでに中国城だった・・・お客の9割が中国人で店員の9割が中国人で上品な免税品店内で大声で聞こえるのは中国語である。1990年代の免税店はお客の8割が日本人で店員の8割が日本人だった時代はまさに「昭和は過去になりにけり」である。

 

この免税店は元々カスタムハウスと呼ばれる税関があった場所で1900年代初頭の有名な首相リチャード・せドンが鍬入れ?をした4階建ての由緒ある建物だ。歴史建造物に指定されており外観を造り替えることは一切認められず、免税店が入居した当時も窓枠一つ改造することが出来ず随分内装に苦労したものだ。

 

けどそれから15年くらい経った今の視点で見てみると、なるほど古人の知恵というのか古い建物には歴史と重みがあり街の色を感じる。建物の中を闊歩する人種は変わっても建物は歴史の流れの高みからじっと人々を見つめているのを感じる。

 

シティには他にもバルカンレーンという50メートル程の歩道があり両側には1800年代のホテル跡などが残っており、ここも風情がある。特にオキシデンタルバーは当時のホテルのカウンターバーの雰囲気を残しており、ここで食べるマッスルバケットの美味いことと言えば旅行や下見に来たお客様の90%以上が「次に来たらまた食べたい!」と絶賛の料理である。

 

1840年にニュージーランドという国が成立して同時に英国の植民地として活動を開始した。当時のロンドンと言えばテームズ川が汚染の塊であり国会を開こうにも臭くてやってられず開催場所を変更するほとであり、ロンドンの街のど真ん中で浄水と下水が混ざってペストが発生してソーホーで多くの住民が病死した事を考えれば、ニュージーランドがどれほどきれいな国だったかが分かる。

 

そんな国から約100日かけて多くの英国人が集団としてニュージーランドに移住してきた。村一つ、約100人単位でニュージーランドにやってきた。今でもニューマーケットに行けば100年前に造られたオレンジ郡の公民館を見ることが出来る。

 

彼らは青空ときれいな水と自然を求めてやってきた。彼らは英国を故郷と思ってはいるが当時の英国の環境は決して人が住める場所ではなかった。たとえ女王でさえも国会の開催場所を変えるほどに汚かったのだ。

 

街の色を見ればその街の歴史が見える。オークランドにも随分古くなった建物があるが、そこには歴史がある。

 

1990年代には街で浮浪者を見かけることは殆どなかった。たまに浮浪者がいれば身なりの良いお婆ちゃんが道端に立って座り込んでる浮浪者にとくとくと説教を垂れてたものだ。

 

それから10年以上経った現在、ついに法律で取り締まらねばならないような状況になったが、これは決して不景気になったからではない。単純に、自分を制御出来ないだらし無い連中が増えただけである。

 

歴史から見ればニュージーランドもやはりどんどん汚くなっている。それは世の中が汚くなっているからである。しかしそれでも世界平均から見ればまだ十分にきれいな国である。

 

この国で生まれ育った人からすれば腹が立つかもしれない、一生懸命働く人の中で汚い連中が増えてしまったのは決して嬉しい事ではない。これはぼくがいつも酒を飲んで帰る時にお願いするキースという70歳過ぎのおじいちゃん運転手と話すことだ。

 

彼は現実を受け入れている。街はどんどん変化している。自分も変化せねばならない、常に変化しなければいけない、その事を受け入れている。ただ、食べ物などはどうしても自分が子供の頃に食べていたサンドイッチ以外は受け付けることが出来ないようだ。

 

ぼくが70歳になったら何をしているだろう?うどんやラーメンしか食べない人間になっているだろうか?

 

ぼくは個人的な感想としてこの街は綺麗なままに生き残っていくと思う。何故ならそれが国民全体の希望だからだ。これは日本にはないな。良い意味でも悪い意味でも日本は変化し続けている。だからこそ日本は成長しているのだが同時に街の色をなくしている。

 

ニュージーランドでは有難い事に国民が目先の金ではなく子どもたちの将来の為に自然を残そうとしている。それが国民全体の望みだ。

 

街の色、それは街のど真ん中から少し下がれば見えてくる。けど街のど真ん中で起こっている事も知らねばならない。顕微鏡で目の前で起こっていることをしっかり見つめ、望遠鏡で街全体を把握して、そして自分がどこにいるべきかを考える。

 

街の色、それは国民の希望が染めた色ではないかと思う。



tom_eastwind at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月19日

「心の奴隷となるな、心の主人となれ」

中村天風 絶対積極で生き抜く言葉 清水榮一

 

一人の人間があるときには天使にもなりある時は悪魔にもなるのは誰もが経験していることだ。

 

悪魔は自分の事を悪魔と思ってない、自分は正しい事をしていると思い込んでる。だって悪魔には反省という鏡がないから。

 

では天使は自分の事をどう思っているのだろう?たぶん天使は自分が天使であるって認識はないだろう、けどいつも自分を振り返り、夜寝る前には今日あった事を思い出して自分に問題がなかったかを考え、反省という鏡に照らして、今日の事は終わったことと割りきって、明日はもっと自分に出来る事を積極的にやろうって思うだろう。

 

天使はいつも「自分はまだ足りないな、不足しているな、明日はもっと勉強しよう」って思う。だからいつも眼が生き生きしている。天使はいつも積極的思考をして肯定的な言い方をするから自然と可愛らしい笑顔が生まれる。

 

じゃあ悪魔は?悪魔はいつも「自分は悪くない、周りが悪い、勉強?めんどくせーな」って思うから眼がどろっと腐っている。悪魔はいつもマイナス思考だからすぐに「そんなん無理だよ、無駄だよ、できるわけねーじゃん、おれの仕事じゃないし、お前がダメなんだよ」とネガティブな言葉ばかり連発してるから眉間にしわ寄せ若いのに鬼婆みたいな顔つきになっている。

 

さあどっちになりたい?

 

もし天使になりたいなら?常に自分の心の主人となることだ。自分のこころは、ころころと変わる。そして人間である限りどうしても欲望が出てくる。自分の事を先にしようとする。「思った事をやっただけじゃんか、自由だろ!」そう言うのは言い訳といい自由とは違う。

 

やりたくてもやれる、けどやらない。自分を制御する。心は放っておくとすぐに光を失いそのうちに欲望の塊と化してどろどろとしたものになる。そうならない為に常に心を磨くために自制をする。自分を制御出来れば内側から輝いてくる。

 

そして時に弱くなりそうな心を「弱くなりそうな自分」を素直に認めて「完璧な人なんていない、けどそれは完璧を目指すべきではないという意味ではない」と自分で自分を鼓舞する。人間なんて弱いものだ、そう理解した上で自分を助けて高みに持ち上げてあげる。それが自分の心の主人となることだ。

 

自分の心が折れそうな時、中村天風は効果ありです。実行出来れば更によし、天の風、まだまだ続きます。



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2013年09月18日

Unit

今日は「旅の味」の続きでニュージーランドの弁護士の裏話を書こうと思ったのだが、旅の味1では予定より随分長くなり旅の味2で弁護士の話を書き始めるとあちこちに散らばりすぎて整理がつかず、ちょっと別のネタを上げます。

 

Unitという米国のテレビドラマの話です。

約一ヶ月かけてCBS製作のUnitを全部見直す。ここ数ヶ月は自宅に戻ると読書と仕事の合間に30分時間があれば米国発のテレビを見ている。今回の目標で残るはPrisonBreakだ。大作だし来週から出張だし、クリスマスまでくらいかかるかも。

 

連ドラを見ていればその時その場所にいる視聴者が何を感じて何を好み何を嫌がるかがわかるからだ。連ドラの基本は視聴率と広告主でありUnitをやってた時期はまさにバカブッシュが中東でドンパチをやってた真っ最中でありブッシュが降りてオバマが大統領になった2009年に終了した。笑えるくらいのタイミングだ。

 

Unitは結局米国人の祖国に対する愛国心を高揚する内容であり特に英雄として犠牲になることを誇りと思えって出来上がりだが、テレビ映画としての出来上がりは素晴らしい。

 

米国人がホームランドを守るために戦う筋書きだが一瞬でも見逃すと話が次に行ってて大変だ。勿論そこには「こらブッシュ!どっちが先に仕掛けたんじゃ!」という根本的な問題は無視されている。米国は常に正しいのだ。

 

この番組をずっと観ながら何故この人達は夜遅くまで人を騙して人を殺して働いてるのかなと思った。そしてアメリカンドリームってのを考えてみた。米国では黒人の子供でも大統領になれる、誰にでもアメリカンドリームが用意されている。けれど実際にその夢を叶える事が出来るのはほんの一握りの、真夜中まで働き苦労した人々だけである。

 

だからこそ米国のエリート階級は40歳代の若いうちにリタイア出来るくらいの金を稼ぐために土日返上で真夜中まで働く、ほんの一握りのアメリカンドリームを掴むために。それはデルタフォースでも金融マフィアでも政府機関でも同じだ。

 

ただなー、こんな映画を観てデルタフォースだけでない、金儲けの為に人を騙すとか殺すとかその反対に騙されたり殺される可能性があるとか、それってどうなん?と正直に思った。

 

僕自身が日本にいる時は確かに夜遅くまで働いてたし仕事で出張する時は24時間労働x長い時は2週間だから仕事の苦労は知っている。ただ何てか金だけが目標じゃなかった。達成感と成功の歓があって、同時に自分の達成感の為に他人を陥れるとかの発想だけはなかった。

 

単純に目標がある時は苦痛に思わなかったのも間違いない、働いている事が経験であり勉強であったからだが、それはあくまでも社会の中でルールを守る、社会を成長させる方向で努力することが楽しかったからだ。

 

今は日本でブラック企業なんて言葉が使われているが、ぼくからすれば労働量で見れば「それでブラック?チェリーの間違いじゃないの?」と笑えるほどの業務内容であるが、それでも夢のない子どもたちには重みなのだろう。

 

ここでニュージーランドと米国や現在の日本と比較してみた。今の僕の労働量で言えばそりゃ日本や米国で働いたほうが収入は多いだろう、けどぼくはやはりニュージーランドを選ぶ。

 

だって自分と家族がご飯を食べていくのにいくら必要なのか?

 

少なくともオークランドにいる間は朝起きて家族の顔を見てご飯を食べたり毎日930分に出勤して1500分過ぎには仕事を終わって自宅に帰って毎晩家族でご飯を食べて今日あった事をわいわいとやりながら一緒に過ごせる。

 

土日は基本的に休みだしりょうまくんを連れてゲームセンターに行き、りょうまくんが遊んでる間に近くのフリーマーケットを覗いたりカフェで美味しい紅茶を飲みつつネットで調べ物とか出来る。

 

年に一回くらいは家族で海外旅行も出来るし子どもたちの学費もかなりの部分を政府がまかなってくれるし寄付もちゃんと出来てるし、社員の給与も毎年賃上げ出来ている。

 

お金がたくさんあって大きな家を買ってとか、ぼくはあんまり考えた事がない。今住んでる家だってオークランドではごく平均的な中級価格でありながらリビングの大きな窓からは遠くにランギトト島が見えるし子どもたちのベッドルームもそれぞれある。

 

人間は座って半畳寝て一畳、コメを食うと言っても一人で五合炊き全部を食うことは出来ない。所詮人間の体に必要なものには限界がある。それを超して何かを欲しがればそれから先は欲望でしかない。

 

この国に移住してきたキム・ドットコムというドイツ系移民がいる。オークランド北部に超豪華な邸宅を持つスーパーリッチだが、彼は今米国FBIによって訴追されておりいつ犯人引き渡しされるか分からない状態である。リスクの計算方法が彼とぼくとでは違うのだろうが、基本的にニュージーランドを移住先とする人は僕のように家族生活が好きって人が多いと思う。だってこの国はガツガツ働くのは合わないし第一最初に書いたけどガツガツ働くなら北半球で働けば良いだけ、家庭を犠牲にして。

 

ぼくは出張中は基本的に24時間働いてる。今回の出張も毎日数百キロ、長い場合は8千キロくらいを移動しつつ毎日あちこちの街でいろんなお客様と会う。それが仕事だ。もちろんその期間は水泳で言えば50メートル潜水をしているようなもので一度も息は出来ないが、50メートル潜水が終わった後は楽しいオークランドの自宅に戻れる。

 

ニューヨークや東京で働くことに比べたら金はたまらないし、10億円の豪邸も買えないし自家用ジェットで世界中を飛び回ることも出来ない。

 

けれど、それって絶対必要なんか?ぼくは普通の人々に比べればいわゆる赤貧の生活を送ってきた経験があるが、それはとてもよい勉強になったが、だからと言って反抗の為の銭ゲバになろうと言う発想がどうしても出てこない。

 

自分が苦しかったから頑張るのは良い、けどそれは自分が大人になって工場を作り排気ガスや廃液を垂れ流して貧しい人を苦しめることとは違う。それはジョージ秋山の「銭ゲバ」の主人公の内心を描いた部分を読めばよくわかる筈だ。

 

人は社会に対する復讐だけで行きていけるほどエネルギーはない。他人を幸せにしよう、他人と一緒に生きていこう、その時こそエネルギーが出てくるのである。

 

その意味で今の米国や日本のビジネスの進め方を見ると「死ぬのは俺かお前か」であり「お互いに手を組んで成長しようよ」ってのが全く見えない。丸の内に立ってみても新宿に立ってみても全く同じ感覚だ・・・。

 

昔こんな話を聞いたことがある。桟橋の魚釣りの事だ。南太平洋の素晴らしく青い海でおじさんが桟橋から釣り糸を垂らしていた。

 

するとそこに米国人がやってきておじさんに聞いた

「君は何をしているんだ?」

おじさんは答えた

「今日の夕ごはんの魚を釣っているのさ」

米国人は言った

「なんて勿体無い時間を使っているんだ!」

そう言って米国人はそこに大型船が入る港を作り大型漁船で魚をトロールで釣り上げ冷凍倉庫でどんどん加工して世界中に売って大金持ちになった。

その間にかかった時間は10年、米国人は老人になっていた。

 

そしてある日、引退した米国人は古い桟橋に行って釣り糸を垂らした。

隣にいたおじさんが「あんた見た事あるよね?昔ここに来なかったかい?」と聞いた。

米国人は「そうだよ、昔ここに来たよ。あの時のように魚釣りをしたかったからおれはあれから一生懸働いて金持ちになったんだ!みろよ、おれはもう仕事に振り回されずにこうやってのんびり釣りが出来るんだ!」

おじさんは単純に嬉しそうに言った

「そっか、よかったな、おれは10年前から今も何も変わらないぜ」。



tom_eastwind at 21:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月17日

旅の味 その1

最初の枕。

中国では自分が絞首台に引き連れられていく間も「さあ、俺の肉をいくらで買うか?」と叫ぶという話がある。ほんとかどうかは中国の銃殺の際にそんな話をしているのを見かけないからほんとうじゃないと思うが。

 

次の枕

当社の仕事はぼくのブログをお読み頂いている方はご理解されていると思うが、旅行会社である。中には当社がビザを取得する会社と思ってる人がいるがそうではない。

 

旅行会社の仕事の中でも僕の会社の位置づけは手配個人旅行を専門として予め扱い可能な旅の商材をウェブサイトで提示しておき、お客様の希望に応じてツアー(短くて5年、永ければ20年)の工程表を作成する。業界では日程表と呼ばれるがぼくらの場合は途中でステージが変わるためにあえて工程表と呼んでいる。

 

お客様に言われたコースを作るだけでは猿でも出来るパッケージツアーか単品手配でしかなく、それは当社の業務ではない。旅の要素は明治の昔から言われているが顎足枕だ。顎とは食事手配、足は移動手段、枕は寝る場所である。

 

それぞれ単品であれば現在はネットも発達しており飛行機だって新幹線だってホテルだってすべてネットで検索出来るから、自分のほしいものが明確であれば旅行会社を通す意味はない。

 

なのでぼくはお客様が単品で希望される際はご紹介をするが自分で取り扱わない。つまり弁護士や税理士、建築士、学校などなど旅の単品素材となる部分である。

 

では旅行屋って単品素材の組み合わせではないのか?とお思いだろうし、実際にそのようなツアーもある。よく言われるパッケージツアーだが、あれは参加者個人の意見の最大公約数を格安で提供しているだけであり、最大公約数を狙った結果として旅の幸せの総量はどうしても減少する。

 

だから本当に旅の満足度を最大化するには、お客様の言ってることではなくお客様の言いたいことを聞き取り、頭のなかにある旅に関する引き出しを全部思い出しつつまるで漢方薬のようにどれとどれを組み合わせる事が何より必要なのだ。

 

つまり旅の要素は相手の情報と要望を聞き出すこと(素質)、そして自分の頭の引き出しの中にある情報(経験)を再構築して旅を作ることなのだ。

 

ちなみに話は逸れるが、ぼくは最も贅沢な旅行はプロの旅行屋である旦那と一緒に家族旅行をすることだろうと感じている。旦那は家族の事を理解しているから何が必要か分かっている。

 

予めどこをどう予約するかでツアーも利用しつつ共同購入の要素可能な部分は費用を節約して最大効果を狙う為に時にホテルの部屋を別料金でアップグレードしたり旅の節目に他のツアー客では参加出来ないような個人旅行の要素を加えて、特に食事は地元の旬を狙って美味しいものを食べる。勿論家族だけで旅行をするにしても要領は全く同じだ。

 

しかしこういう事をするためには常に最新で正確な旅行情報を正しく読み取る力が必要である。旅先の街の気候は?治安は?最近の人気は?そしてそのような情報のすべての裏取りをする技術は、ネットを読むだけでは絶対に分からない。プロはそこに書いてあるものではなく書いてないものを読むからだ。

 

ここで必ず出てくるのが旅行業における「情報格差」であり、実は旅行会社がこの世に成立出来る唯一の理由がこの情報格差なのである。これなしに旅行会社の違いなんて言ってもそんなもんダイエーとイオンの野菜の叩き売り違い以下である。

 

昔ダイエーが旅行業に乗り込んできた時も多くの旅行屋は「うわ、本格的な競争になる!」と驚いて逆に「ダイエーは野菜の安売りのノウハウしかありません、けれど旅行業はプロなのです!」と言いつつ安いパッケージツアーを値下げしてたのをぼくは今でも覚えている。

 

1970年代後半から旅行業は他産業に先駆けてコンピューターを導入した。すると何が起こったか?旅行カウンターでハワイのハネムーンを申し込もうとした若いカップルに対してカウンターに座る若い女性社員が「ハワイでございますか・・・あらま、売り切れでございます」。

 

ハネムーンが売り切れなんてあるわけないだろ、いくらでも手配可能なのだ。ところがコンピューターを導入した結果、営業社員でさえもコンピューターの中の在庫を売ることが仕事だと思うようになり安売りを始めた。

 

その代表的なものが香港3459,800円!である。冗談じゃない、ホテルだけで一泊2万円、二人で割っても3泊で3万円、食事とバス代を入れれば4日の滞在費用で2万円はかかる。それじゃ飛行機代はどこから出るんだ??

 

こういうのは当時「赤字発進」と呼ばれており出発時点で一人3万円くらいの赤字が出ることを見込んでいる。しかし一般的にお客様は現地に行けばおみやげを買いオプショナルツアーを申し込みその利益は思い切り嵩上げされているから結果的に一人頭1万円程度の利益が出て、ジャンボ一機飛ばせば数百万円の利益が出たのだ。まさに安かろう悪かろうのツアーを売ることで結果的に旅行業界は自分で自分の首を締めて存在価値を失っていったのだ。

 

何度も書くが旅行屋の社会における存在価値の一つは常に最新で正確な情報を頭の引き出しに入れて内容が変わればつめ替えて常に情報を吸収し続ける事である。そしてもう一つ、一番大事なのは相手の言ってることではなく言いたいことを読み取って棚の引き出しからその人にとって最高の価値になるものを提供することだ。それなしに安売りだけに走るから旅行業の地位はどんどん低下していくばかりであり賃金も下がり続けるわけだ。

と、ここまで長い枕詞は初めてかも。やはり長く働いた古巣業界の事はどうしても略して書けないな・・。長くなりすぎたのでここで前半を終わりにして後半は明日書きます。

続く。



tom_eastwind at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月16日

テレビがバカ製造機でツイッターがバカ発見器なわけ。

テレビを作ったのが誰であれ当初の目的は公共に最速で情報を提供することであったろう、つまり高尚で現代的な技術を大衆に提供したのだからそれ以降のテレビの発達は自然の流れであった。

 

しかしこじはる、じゃなくて好事魔多し、折角うまく使えば国民啓蒙に最高の効果があるのに政府はこの機械を使って国民をバカなままにするためにバカな番組ばかり作ったりして仕事に疲れた人々を笑わせ一時のくつろぎを与えて、そして何も考えないようにした。

 

その結果として1980年代にはテレビを通じてバカを製造してしまったから1985年の三里塚闘争はその意義も知られることなく単なる警察機動隊と全学連のガチ集団闘争として楽しむことが出来た。

 

人間は目先の欲望に弱い。何もしなくても座ってるだけで目の前の画面が勝手に動いて笑わせてくれるのだから前頭葉を切除したような生活を楽しめる。

 

おかげで日本は2004年当時の調査で世界で最もテレビを見る(平均5時間)国民になった。現在でも一日4時間見るそうだが若者のテレビ離れは急激で約20%はテレビそのものを見ないという調査結果もある。

 

若者のテレビ離れが進む中、当然中高年層はますますテレビを見るようになりテレビを通じてでしか世の中の情報に触れることがなくテレビの言う事はすべて正しいと思い込み、それ以外の考え方を「反社会的」と拒否する。

 

面白い調査結果が出ている。↓

オーストラリア、メルボルンのベーカーIDI心臓・糖尿病研究所のデビッド・ダンスタンによると、テレビの視聴が12時間未満の人と比べて、4時間以上の人は、あらゆる要因によって死亡する危険性が46%高い[9]。また、心疾患にかかる危険性は80%高い。また、小型モニターの長時間視聴は心臓の負担になる。調査は8800人を対象に6年間にわたって行った。年齢や性別、喫煙、体重、運動などの影響は除かれている。

米国Harvard公衆衛生大学栄養学部のフランク・B・ルー(Frank B. Lu)らの研究グループが5万人以上の女性看護師を対象に行った2004年の調査によると、テレビの視聴時間が多いほど、肥満と糖尿病のリスクが高い[11]。一日の視聴時間が2時間増えるごとに、肥満の相対リスクは23%2型糖尿病の発症は14%、統計的に有意に増える(95%信頼区間)。調査において、年齢、喫煙、飲酒、食事の影響は調整している。

 

これは勿論テレビの前に座り込んで何もせずにポリポリとお菓子をかじりコーラを飲んでしまう結果だろうし日本で放映されている番組の多くは「それ観てるなら確かに自分を制御出来てないよね、そういう人が上記のような結果になるのも納得だよね」と思える程度である。

 

だからと言って禁欲的に「見るな聞くな」と主張しているわけではないし中には良い番組もある。ただ良い番組は見るがそれ以外は前頭葉を使ってスイッチを切る動作が必要だ、それがテレビをバカ製造機にしない為の手段だ。だってテレビという機械自体がバカなのではなくてそこで放映される時のメディアでしかないのだから。

 

1900年代、特に1960年代からテレビが次第に普及し始めて人々はますます政治から離れて日本人の持つ信条とか歴史とかを忘れて目先の生活に躍起になった。その結果としてバカになった連中の子どもたちは今度は必然的にツイッターで大馬鹿を晒すようになった。

 

今ツイッターでバカをやっている人々は平均的に20歳前後であるからその親は平均的に50歳前後、つまり1960年代に生まれてテレビにどっぷり浸かりその後はまさにバブル時代を経験して、つまり生まれて一度もまともに人生を考える機会が一番少なかった世代が産んだ子供である。

 

子供に対して家庭の教育を与えることも出来ずただ怒ったり威張ったりするしかない父親と周囲の眼ばかり気にする母親に育てられた子供は大学でアルバイトをしつつ他人に見てもらいたいからバカをする。どれほどバカか自分では分からない、何せ親にも教えてもらってないのだし自分で学ぶ力がないのだから。

 

ツイッターがバカ発見器になっている現象はテレビで製造されたバカが自分の子にツイッターでバカを晒された、つまりバカ製造機で創りだされたバカの子供がツイッターで発見された、親子二代にわたる人生の遍歴であると思えば当たらずとも遠からずではないのか。

 

冷蔵庫に入って「だって、たけしの番組でやってたんだもーん!」とか他人のアタマをひっぱたいて「だって紳助だってやってたんだもーん!」と言うようなものだ。

 

ツイッターがなかった時代、親は会社の宴会で仲間内でバカをやっていた、真っ裸になってアタマにネクタイ結んで踊ってたものだ、あれの現代版と考えればまだ子供の方が冷蔵庫くらいだから可愛いものかもしれない。

 



tom_eastwind at 11:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月15日

人はいつか死ぬ

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厚生労働省は14日、特別養護老人ホーム(特養)の入居条件を2015年度から厳しくする方針を固めた。新たに入居できる高齢者を、5段階の要介護区分のうち中度の「要介護3」以上に限定する方向で検討を進める。18日に開催する社会保障審議会(厚労相の諮問機関)介護保険部会に提案し、年内の正式決定を目指す。

***


すべてがやっぱり2015年を目指しているな・・・。消費税の最終増税も2015年だ。これは偶然ではない。自民党が政権を取り次の総選挙までに官僚が狙う政策を実現させようとするには一番の時期である。


財務省が目指しているのは黒字財政である。今のような赤字財政は東大法学部を卒業したエリートにとっては許せない現状であり、強い日本を作るためには民から厳しく金を吸い上げていくことが目標であり、そのためには余命いくばくの爺さん婆さんに無駄金を使いたくない。それはよく分かる。


本来は国民自身が生命とは何かを考えるべきである。長生きに何の意味があるのか?すでに脳死しているのに心臓が動いているってだけで延命装置を付けて国家のお金、つまり税金を使って活かす事に何の意味があるのか?考えるべきである。


命とは何か?見栄で親戚に格好付けて自分の親を延命させて長生きさせて、そのすべての行動が要するに自分勝手でしかない。社会本来のあるべき姿を考えるべきだ。管をつけたまま長生きさせて苦しませるのが残ったものの役目か?そんなもん、見栄でしかない。もっと人生を学ぶべきだ。


ところが政府官僚としては国民に賢くなってもらいたくない、てか賢くなってしまわれたら彼らが苦労して灯台(東大?)を卒業した意味が無い、「だってぼくら苦労したんだもん!」


だからこのような中途半端な2015年に要介護の定義変更のような政策が出てくる。はっきり言えば良い、長生きするだけ、肉体だけを生存させる為に国民の財産を使うのか?それは相互扶助で家族間で賄うべきでは?って言うべきでは?


国民の財産で彼らを養うならその金を幼児教育に使う方が有効ではないか?今生きている人よりもこれから大人になる人を大切にすることで国家の財産が有効活用できるのではないか?

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 13:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月14日

9・11 自由とは?

アメリカ人の「自由」という理解は「何かをする自由」らしく、ヨーロッパ人の「自由」の理解は「何かからの自由」らしい。アメリカ人が「どんな宗教活動をしてもいい自由」を自慢する一方で、ヨーロッパでは「どんな宗教もしなくていい自由」を主張すると聞いた。

 

では日本人にとって自由とは何だろうか?それはどう見ても本来の意味である「自らに由る」ではなくワガママという事になるようだ。もともと自由は明治時代になって西洋からやって来た新しい言葉であるが江戸時代からお上に自分が自然個別に持つ人権を与えてしまってたから西洋の自由という考え方は馴染まなかったようだ。

 

ルソーの社会契約論は明治時代に中江兆民によって「民約論」として翻訳されたが、あれがもし江戸時代に日本で発表されたらどうだったろうか?それは実際に明治時代に発表されたが自由であるべき人々の心を変えることが出来なかったのだし戦後の昭和の時代でさえもガッコーのセンセーのようなアタマのイイ自由と権利の大好きなロードーシャでも理解出来なかったのだから江戸時代の武士の脳味噌を入れ替えることは不可能だったろうと推測出来る。

 

「自由=ワガママ」思想は戦後の、少なくともぼくが小学生時代までは続いていた。ぼくが小学5年生の時に学校の先生が授業中に子どもたちにこう質問してきた。「おいみんな、自由って意味を知ってるか?」ぼくはすかさず挙手して「はい、自由とは自己責任、自らに由るです」と答えた。

 

するとその先生、今もその時の顔を覚えているが、じろっと僕を見つめてから「お前、何言ってんだ!自由ってのはな、わがままって意味なんだよ!」と怒るような大声で言い放った。

 

そしてすぐに他の生徒を見回して確認するように「おい、皆、そうだな、自由ってのはワガママなんだよな、知ってるよな!」と睨めつけるように言った。すると・・・。

 

次の瞬間周りの子供達はまるで何かに鞭打たれたように「そうです、そうです!」と言い出した。ぼくはその時今まで学校や社会で聞いてきた民主主義がぼくの頭の中でぶっ壊れるのを感じた。

 

当時ぼくの住んでいた県は日教組の組織率が非常に高くて教師がしょっちゅうデモに出ていた。その度ぼくらに「俺達労働者は自分たちの待遇改善をする自由があるんだ!これは俺達労働者の権利なんだ!」とほざいてたのも覚えてる。

 

しょせん日本人ってそんなもんだろう。今の時代の日本の自由は無責任と同意義になっていると感じる。人に何か注意しても「うっせーよ!おれのジユーだろうがよ!」と言い返されるだけ。

 

昭和の時代まで続いた自由=ワガママが現代では自由=無責任となっている。

 

まあいいや、ここまでは枕で、じゃあその米国が自由を使って何をやったかってところだが、まさに米国がやったのは「何でも出来る自由」、911である。

 

本当は911日に書こうと思ってたが、ちょいずれた。諸説があるがぼくは9・11に関しては米国政府の仕掛けた罠であると思っている。それは僕自身が体験した911の朝、成田空港近くのホテルで「さあ、オークランドに帰ろう」と荷造りをしている時のテレビの画面だった。

 

清々しく広がった青空の中、大型旅客機がニューヨークの貿易センタービルに突っ込み突き刺さりもくもくと白い煙を上げる場面だった。

 

ビルに飛行機が突き刺さる?あり得ない場面に最初は映画かと思ったが、そのうち飛行機が突き刺さったままビルそのものが最上階から内側に向けて順々に崩れ落ちてくる光景を眼にして真っ先に思ったのは「ビルの解体工事だ」という事だった。

 

ぼくは本当に偶然だが予定していたキャセイ航空に乗り込み成田を出発したが、それはその日に成田を飛び立った最後の便だった。話は逸れるが日本の東北大震災の時にぼくは名古屋駅にいて14:45発の新幹線を待っててグラっときた。駅内のアナウンスで「静岡以北で大きな地震が起こりました、切符を持ってないお客様もこの新幹線にお乗り下さい、次は・・・ありません」。

 

あの時に感じた直感はその後もずっと脳から離れず、アフガニスタンの侵略、イラク攻撃と続く米軍の行動とパールハーバーの歴史が見事に一致した。

 

こんな事書くと僕は「とんでも!」人間に思われるだろうが、歴史を勉強していればこのような国威高揚の方法を使った例がたくさんあることは周知の事実である。

 

真珠湾攻撃、パールハーバーでの日本軍の行動は事前に米国諜報部によって察知されていた。何故なら日本軍の使う無線はすべて米国によって傍受されていたからだ。しかしその事実を明かすことなくあえて日本軍に真珠湾攻撃を成功させた。

 

日本人の思考回路からすれば普通には「あり得ん!」話であるが、これは政治の世界ではいくらでも「あり得る」話である。

 

ワシントンから数千キロも西に離れたハワイのパールハーバーでどれだけ人が死のうと所詮は数千人、それに対して米国が参戦することで救われる生命と財産が数万人であればこれは計算が成り立つ。

 

このような事は戦後も何度もあった事である。有名な事件はフォード・ピント車事件だが当時アイアコッカが率先した小型車ピントは欠陥車であった。ところが費用対効果を考えれば成立する車であった。

 

話は逸れるが、簡単に言えば安物を買えば壊れる、けど人は自分だけは怪我をしないという信念によって「安いから」買う。その結果として自分が怪我をする。その時になって「何で壊れるんだ!」と文句をいうが、だったら最初から保証の付いた良い物を買うべきなのだ。自分や家族の命をお金で計算した人間には当然のように神は同じ理屈で回答する。

 

戦時中も同様の事件は起こった。英国はドイツ軍の秘密情報「エニグマ」の傍受に成功していたがその事実を隠すためにコベントリーの街が爆撃を受けることを知っていてあえて何の避難命令も出さずに市民を見殺しにした。

 

まさにこのような歴史的事実を基礎としてニューヨークの911テロが起こったとぼくは今も思っている。

 

アフガニスタンという国は地政学的に微妙な位置にある。古くは英国が支配しようとして結局地元ゲリラに勝てずに撤退した。その後当時のソ連が攻めこんで来た時は米国が武器を供与して最終的にソ連が撤退した。この時の雰囲気を知りたければ映画「ランボー3」を見ればよく分かる。

 

ところがソ連が撤退した後に何故か米国はアフガニスタンを無視する。その結果としてタリバンというイスラム原理主義国家が創立された。彼らは異教徒排除のためにバーミアン石窟を破壊して力を付けていた。彼らの異教徒排除の先にあるのは全世界イスラム化である。

 

米国からすれば面白くない話である。自分たちが(本当は自分の都合なのだが)助けた国がいつの間にか自分たちの潜在的な異教徒となり自分たちの反対側、敵国になってしまったのだ。

 

じゃあこいつらを叩きたい、けど何の問題もない現状ではアフガニスタンを叩くことは出来ない。ではその解は?

 

そこで出てきたのがパールハーバー、コベントリー、ピントに続く9・11である。

 

9・11を最初に計画したのはイスラム原理主義者だとぼくは思っている。ただそれを傍受した米国はあえてその行動に機会を感じ取り少数の市民の犠牲で国家としての利益を得ようとした。結果的に4千人以上の被害者を出したもののアフガニスタンに侵攻する理由を作れた。

 

世の中の表象的な現象を見ても意味はない。その背景に何があるのか?その為に自分はどうするべきか?世の中の大きな部分から目の前で起こる現実的な部分を噛み砕いて見てみれば、そえだけでかなり自分の家族が生き残れる可能性は高まると思う。

 

もちろんどれだけ危機管理をしてもいつか人は死ぬ。しかし無意味に生きてたり死ぬ時に後悔しないように生きることは出来る。そのためにも911は良い題材であるし自分の生きる場所を真剣に考える機会でもあると思っている。



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2013年09月13日

統治の基本は分断とあめむち?

 

***記事開始***

政府・与党が消費増税による景気腰折れを回避するため9月中に策定する経済対策の素案が12日、明らかになった。

2020年の東京五輪開催に向けた公共事業や増税時の低所得者向け現金給付などを盛り込んだ。対策の規模は消費税収2%分に相当する5兆円を設定。さらに法人実効税率の引き下げを強く求める経済界に配慮し、素案には「近い将来に法人税を5〜10%軽減」と明記した。

 デフレ脱却を最重要課題に掲げる安倍政権は、消費増税で新たに生じる国民負担が回復傾向にある日本経済を萎縮させかねないと判断。消費税率3%引き上げによる景気への悪影響を実質1%程度に抑え込むため、財務省が想定していた「2兆円」を上回る規模の対策を打ち出す方針を固めた。

 対策の素案は、企業の設備投資を促すため今後3年間に導入した設備を対象に固定資産税を5年間軽減することや、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を活用した再生医療など革新的な研究開発支援に予算を重点配分することなども列挙した。(2013/09/13-00:35

***

自民党税制調査会(野田毅会長)は12日、経済対策の一環として検討中の設備投資促進税制について、企業が施設の耐震化や省エネ改修などを行わない場合の課税強化は見送る方向で調整に入った。

 政府・与党は、企業に対する耐震化や省エネに関する規制を強化すると同時に、法人税などを減税し、設備投資を促す意向。党税調は今月中に税制面の具体策を取りまとめる。

 これに関連し、国土交通省は党税調に対し、規制強化に応じた対策を取らず、病院、ホテルの耐震化や、オフィスビルの省エネ改修を行わない企業には課税を強化する案を提示していた。

 ただ、経済界は「(課税強化した場合)つぶれるところも出かねない」と反発。税調内でも、新規の設備投資を行う経営状態にない企業の課税を強化するのは負担感が強いとの見方が出ていることから、今回の対策では、課税強化は見送り、規制をクリアした場合の減税策を中心に打ち出すことにした。(2013/09/12-21:26

***記事2本終了***

 

この記事はこう読む。

★今回も政府与党は国民の分断統治と飴むち政策によるお上の力の強さを見せつけるために素案を国民に見せつけた。

 

2020年の東京五輪開催に向けた公共事業は約3兆円の波及効果があり一時期付き合いが悪くなってた土建建設業界向けの大ボーナス、これで仲良くしましょ、次の選挙の献金と選挙ボランティア派遣もよろしくね。公明党向けの飴としては増税時の低所得者向け現金給付、低所得者層の定義は公明さんの支持が増えるようにそちらで適当にやって下さい。さあ国民の皆さん、対策の規模は消費税収2%分に相当する5兆円なので大盤振る舞いでしょ!政府の力があるのがよくわかったでしょ。逆らっちゃだーめよ。

 

さらに経済界全体を味方に付けて選挙協力と企業献金をしてもらう為に法人実効税率の「近い将来に法人税を5〜10%軽減」と明記したからよろしくね、近い将来がどれくらい近いかは、生意気な米倉さんの次をどれだけ早く決められるかですよ、安倍ちゃんは米倉さん嫌いだからね。

 

長期政権を安定させたい安倍さんとしては国民のうち「うるさい少数派」の口を塞ぐために消費税3%のうち2%を原資として税金のバラマキを行いつつ「静かな多数派」は選挙に来ないし影響出ないのでそのまま消費税3%を食らってもらう。

 

しかし、ばら撒く税金の原資は国民自身から出ていることは教えない。あくまでもお上の言うことをよく聞く民にのみご褒美を上げてその代わり政府のやることに口出すなよ、出したら今度はムチで叩くぞって脅かしているのは下記を見れば明確だ。

 

「設備投資をすれば固定資産税を5年間軽減してやる」けど、もし経済界が何か政策にケチを付けるようならこんなもんすぐ齟齬にするからね。

「耐震化や省エネ改修をしなかったら増税するぞ」って脅かしておいて、今回はお上が官僚を押さえ込んだんだから恩を感じてこれからも一所懸命お上の有り難みを感じながら死ぬまで働くのだぞ。

 

大体こんな感じであろうか。

 

分断統治は元々英国が本家で歴史的に一番長い。インドやパキスタンからアフガニスタンあたりを支配する時はその地域に2つ以上の勢力、政治的対立や宗教的対立が発生するようにして少数民族が多数民族を支配する形を取り英国政府は自分から絶対に直接統治をしない。これによって常に国民同士がいがみ合い槍の先が英国に向かう事はない。

 

英国政府だって無制限に兵隊がいるわけではないし植民地国民全体が一枚岩になれば全面戦争になり、勝てるってのはその地域の人々全員を皆殺しにして新しい植民を入れるしかなく、そんな非効率な植民地経営をやってれば無能総督としてロンドン送還されてキャリアは終わりだ。

 

だからこそ少数で多数を支配出来る分断統治に経済的効果があるのだ。しかしその結果は国民相互の不信感につながるし最後はお互いに殺し合いを始める国家崩壊を招く。

 

特に20世紀のアフリカや中東や西アジアでは2つの民族や2つの異なる宗教グループを一つの国家にしてしまい、今でも宗教戦争が止まらない状態にしてしまった。例えばクルド人問題などは、彼らを3つの国家に分断させて更に主流派に対するクルド人少数派という対立を創りあげて何時までたっても解決できない問題を創りあげてから本国に戻っていった。

 

アフリカや西アジアの国境線を見て欲しい。どこも一直線の国境が存在するのはまさに政治的意図によって対立を狙ったからだ。

 

では今の日本政府はどのように国民を分断しているか?それはまず政府の言うことを聞く団体に金を渡して彼らを優遇する。すると優遇された団体は政府の代わりに反政府団体に「お前ら愛国心あるのか!」と叫ばせる。

 

でもって「ありまーす!」ってキリスト教の踏み絵を踏めばそいつらは一本釣りで政府系に入って美味しい汁を吸える。それでも「そんなのおかしい、自分で考える自由はないのか!」と自分の主張を変えずに踏み絵を踏まなかったらいつまで経っても差別が続き、それは本人だけでなく家族まで被害を及ぼす。

 

今回も経済団体は発言力があるから彼らに喜ぶ飴を食わせて、けどもし反政府に走るなら速攻でムチ打ちするぜって脅かしている。

 

公明党も背後に創価学会が付いているからこいつは味方に付けておきたいのだ弱者の団体が受け入れられる低所得者向けの給付をやった。今はまだ公明党とは離れられないからムチはまだ出さない。

 

しかし横のつながりが全くなく国民全体のたった5%しかいない資産を持つ人々に対しては次々と増税を突きつけて、その度に95%の国民に大岡越前裁判を見せつけて国民をすっきりさせる。

 

そしてそれを残りの95%の人々は溜飲が下がったように喜ぶが、次に政府が出す刃は「普通の人々」から「平等」の名のもとにすべてを奪い取る。

 

ここが問題なのだ。奪いとった資産はどこにいくのか?

 

その資産は平等の名のもとに支配層が自分の金にするのだ。

 

消費税3%上がります、それは3兆円です、けどその苦しさなんて高級官僚には関係ない。彼らは目先の給料は安くても利権で食えるのだから。

 

ぼくは官僚という組織には抵抗はない。組織としては実に効率的である。しかし日本の場合は仕組みが悪い。こずるいバカだけが自己保身のために出世出来る仕組みになって、本当に時代に合った優秀な人間が上に行ける仕組みがない。

 

今回の自民党の勝利宣言、経済対策素案は「内向き」には大したものだ。たぶん大学の試験で言えばトップレベルの回答であり十分に評価する。ただ、実際の社会ではたったひとつの正しい回答は存在しない。バカな役人が書いた答案は「内向き」には素晴らしいものだが、現在の日本が置かれた状況でこれから世界と戦っていくには、あまりに馬鹿げた回答だとしか言いようがない。


世の中を活性化させようとする市民から金を奪い取りやる気をなくさせ、利権だけで飯を食うような連中を可愛がってて、それで世の中が回ると思っているのか?
 

統治の基本は統治せず自治させることであり、そのためには多くの法律を作るのではなく人としての基本的な道徳を学ぶべきであり、そのためにこそ人民を学ばせて賢くさせること、実はそれこそが統治の基本なのだ。



tom_eastwind at 11:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月12日

新 バブルを知らない子どもたち

オリンピックが日本に決定したって事で、200612月に書いた記事を思い出して引っ張りだしてみた。

 

タイトルは「バブルを知らない子どもたち」、昔流行った「戦争を知らない子供たち」というフォークソングをコピーしたものだ。

http://tom.livedoor.biz/archives/50480862.html

音楽に乗せて歌詞だけ書き換えたので覚えている人がいればフレーズに乗せてみて下さい。即興だったので何も手入れしてませんが、そこそこ歌えるはず(笑)です。

 

***

バブルが終わって 僕等は生まれた

  バブルを知らずに 僕等は育った

  大学出たら 就職氷河期

  年金、医療費 僕らはもらえない

  僕等の名前を 覚えてほしい

  バブルを知らない 子供たちさ

 

  背伸びをするのが 許されないなら

  ITバブルが 許されないなら

  不況の時代に 残っているのは

  涙をこらえて サービス残業

  セクハラパワハラ 毎晩終電

  夢を知らない 子供たちさ

 

バブルの時代に バブルで稼いで

  退職金満額 もらった世代は

  僕ら子供に  借金押し付け

  君らだけが 逃げ切ってしまった

  君らの子供の 時代は悲惨さ

  借金だらけの 日本経済

  お先が真っ暗 日本社会

今日の東京は、晴れているけど星が見えない。どこまで行けば星が見えるのだろうか。

***

 

ちょうどライブドアが日本政府によって潰されてそれまで起業家精神を持った若者たちが叩き潰されて世間を上げて若者が国家公務員を就職先に選び始めた時でもある。

 

この時はバブルを知らずに育ちIT時代も潰されて夢も何も持てずにひたすら大企業、日本の最大企業である日本政府へ逃げこむしか生き残る道がなくなった、今日だけを生き残り飯を食う事だけを目標にするようになった若者を見つつ描いたものだ。

 

今回のオリンピックで日本人の間に少しずつ明るい空気が流れ始めた感触がある。直接的経済効果が3兆円とか周辺も含めれば5兆円とか、具体的な数字も少しづつ出始めている。

 

良いことである。石原さんにはこんな夢のある日本が見えていたのかな、けど彼の場合はちょっと時期尚早だったのだろう。

 

物事は本当にタイミングがある。「天の時、地の利、人の和」とは古くから中国で伝わることわざであるがこれは歴史的事実である。同じ内容でもいつ言うかどこで言うかいつ言うかで全然結果が違う。

 

そこで1964年のオリンピックを時系列で見てみた。日本オリンピックが決定したのは1959年。1945年が敗戦の年でありそこから14年後にオリンピックが決定した。そして敗戦19年後にオリンピックが開催されて日本はオリンピックブームで盛り上がった。

1945年 敗戦

1945年+14年でオリンピック決定

1945年+19年でオリンピック開催

1945年+40年でバブル突入

1991年バブル崩壊、緩やかに不景気に陥る。

 

これを今の時間で比較してみると

1997年 バブル完全崩壊の年

(長銀倒産、日債銀倒産、拓銀倒産、山一廃業等・正確には1997年から98年にかけて)

1997年+16年でオリンピック決定

1997年+23年でオリンピック開催

1997年+40年が景気最高潮期とすると2033年前後頃、つまり今から20年後だ。

 

じゃあもひとつ大きな過去である戦前を見てみると

1945年が敗戦の年。じゃあその40年前の1905年はっていうと日露戦争に勝利した年である。極東の山猿が西洋の白人を破って、まさに「NOと言えるアジア」を世界に見せつけたのは1853年日本に黒船が来て52年後、1867年に明治維新が起こってから38年めである。

 

1905年からアジアの盟主となり大東亜共栄圏の設立を目指してまずは中国に進出を開始する。当時の中国は無政府状態で欧州各国も列挙して来たが地理的な問題もあり日本は次々と当時の中国の地方軍閥と組んで精力を広げて1925年には孫文が病没、その後日本軍は蒋介石軍と本格的に戦いを開始して彼らを次々と中国奥地に追い込んでいく、まさに日の出の勢いの軍隊であった。

 

そして1932年には満州事変を起こして満州国を建国させた。まさに絶頂期である。1937年には遂には盧溝橋事件が起こり、いつの間にか侵略軍になってしまった日本軍と中共合作軍との全面戦争になる。

 

ここまでが日本の絶頂期であった。中国相手の戦争は泥沼であったが相手が中国だけなら負けることはなかっただろう。ところが米国が参戦した事で日本のバブルは一気に弾け散ってしまい1945年の敗戦を迎えることになる。

 

こう描いてみるとやはり景気の50周年説ってのがあると思う。勿論時代によってそれぞれに変動要素があるが基本的要素はやはりその時代の国民が持つ精神の在り方だと思う。人間は望めば叶う。それが全国民の願いになればそれは更に強く確実になる。しかし民族全体が持つ民族性はなかなか変化しない。

 

つまり敗戦という国民全体の苦労をばねにして日本人本来の、

1・石にしがみついてでも坂の上の雲に向かってひたすら我慢して登り続ける→1960年代

2・登り続けて坂の上に到着するとどっちに行って良いか分からない→1980年代

3・その頃には敗戦を知ってた人は現役を引退した→1980年代前半

4・現場にいる苦労知らずの若者が目先の拝金主義に走る滅びの序章→1980年代半ば

5・拝金主義が社会全体にはびこりまともな人々をも巻き込んで暴走に陥る→1980年代後半

6・最後はいつもの通り精神論肥大主義になり中身のない命令を国家が発して滅びる→1991

 

上記のような歴史の流れがあるのだと思えてしまう。今の日本はバブル崩壊後の長い停滞からやっと少しづつ登り始めようとしている。しかしその為には毎回リセット費用として今まで抱えてきた負の遺産を国民全体が負担して解消せねばならないという我慢が要求される。

 

それが明治維新においては徳川時代以上の増税、農村の若者の徴兵、野麦峠のような国民の多大な負担となり日露戦争では多くの戦死者を要求した。昭和に入って敗戦、この時は300万人の死者を出してやっと戦争が終わったが戦後も銀行封鎖、ハイパーインフレなどで国民の財産は強制没収された。バブル崩壊では多くの自殺者を出し多くの住宅ローンを持つサラリーマンまで巻き込み家庭崩壊を起こしその後は間違った成果主義などでそれまでの終身雇用をふっ飛ばして社内の人々の擬似社会的連帯感をふっ飛ばして日本全体を寒空の下に放り出した。

 

今回はバブルから立ち直るためにまず消費税増税や医療負担増やその他多くの真綿を締めるような増税策という形で国民全体から資金を吸い上げると同時に資産家の資産を所得税相続税増税などで奪いすべての国民を貧しく平等な立場に置く。こうやって国民の資産を政府に移動させてその資金をバネとしてオリンピックの成功に向かって発展することになった、ばんざいばんざい・・・。

 

いつの時代も同様だが何のエネルギー資源も持たない国家の発展期は必ず国民にしわ寄せが来る。これは歴史的必然としかいいようがない。まず2015年に向けてすべての増税システムが完成する。おそらくその時には海外に移住しようとすれば「出国税」が待ち構えているだろう。海外居住を目的として資産を移す場合はその総資産の50%を課税するって方法だ。すでに世界ではいくつかの国で実施されている法律である。

 

これから生まれてくる子どもたちが大人になる頃はもしかして運が良ければバブルを享受することが出来るかもしれない。しかしバブルのすぐ先はまた長い不況であることも忘れてはいけない。

 

今回のオリンピック決定はぼくの中で何かがごとりと音を立てた時代の転換点、例えば鉄道の操車場で列車を載せた円形の台がそれまでどっちに行こうかなとくるくると回っていたのを、やっと方向性が決まって出発線に送り込まれたような感じだ。



tom_eastwind at 16:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月11日

若者よ旅に出よう

ライフネット生命創業者である出口治明氏のインタビュー記事で面白い言葉があった。

http://blogos.com/article/69836/


本来はマネージメントの素養で「マネージメントは人間と社会を知ること」と語っているが、これはまさに同意見である。人間という凸凹した個人を理解して、彼らを組織化する際にその時点での社会の様相を理解して最適の位置にはめ込む作業は、まさに江戸時代の凸凹な石で石垣を組むようなものである。


その中で語られた言葉で更に面白いのが下記↓

**

人間は「人に会う」「本を読む」「旅をする」という3つでしか学べないと、僕は常々言っています。この3つから人と社会を学ばないと、マネジメントの力は身につきませんよ。赤ちゃんにマネジメントはできませんよね。

**


これも同意見。マネージメントは学問であるが、それは机上の空論だけでは学べない。自分と違った価値観を持つ人に会うってのは自分の人生観を二倍にすることに繋がる。価値観を広げないまま年を取ってしまうと単なる「人の意見を聞かないバカ」になってしまう。


ネットの書き込みでも多用な価値観を持っている人は冷静かつ具体的な書き込みをするがそうでない人が書く時はとにかく他人を感情論で罵倒する事しか出来ない。自分の頭のなかに一つの価値観しかないから怒りや感情以外で表現出来ない。


本を読むのも同様であり、まだ見ぬ世の人の語りを聞くことが出来る点で、現代だけの価値観に偏らず四千年の歴史を通して人間の価値観を多様化出来る。


そして「旅に出ること」。ぼくは旅行屋としてもう30年以上働いているが本当に世界各地の風土や習慣を見ることは楽しく学ぶことが多い。同じ地域に住むたくさんの人に会うのも勉強になるが、全く違う風土や習慣の国に行くと、まさに頭を叩かれたようなコペルニクス的転回な発想を学べる。


1980年代初頭に中国へ行ったその翌月にインドを回った事がある。最初の中国では当然の事ながらトイレが異常に汚い。それに仕切りがないからプライバシーが全く存在しない事に驚いた。


ところがその翌月にインド東部、カルカッタを中心として仏跡巡りをした際に更に驚いたのは、途中のトイレ休憩が大きな石切り場みたいなところで、ガイドが右手の石を指さして「男性用!」左手の石を指さして「女性用!」。つまり汚いどころではなくトイレ自体が存在しなかったのだ。


カルカッタの街中でもサリーを着た女性が道端に股を開いて座り込み暫くして立ち上がると地面がもやっと湯気が出てたり・・・。


とにかく日本という国がどこまで清潔かを本当に体感させてくれるのが「旅に出ること」である。


最近は海外旅行に行く人が減ったと言われて久しい。ニュージーランドでも日本からの渡航客は毎年減少しており、2000年代初頭までは年間16万人くらいが旅行に来てて当時のニュージーランド観光業界では日本人が大得意様だった。


ところが現在では年間旅行客が7万人以下にまで減少しており市場はすっかり中国人がメインターゲットになってしまった。2000年当時は中国からの観光客は年間で4万人程度だったのが、現在では17万人を超しているのだから自然と商品も中国人向けになってしまう。


つまり言葉をかえせば今の中国人は海外に出ることで自分たちを見直し学ぶ機会が得られているのだ。


今でも覚えているが1970年代初頭に日本の農協ツアーがお百姓さんたちを連れてパリに旅行に行った時など、地元の新聞で日本人に関する記事が掲載された。それは「分厚い黒メガネを掛けて首からカメラをぶら下げてドブネズミ色のスーツと白いシャツを着ていつも団体できょろきょろと歩きまわる日本人」であった。


それでもパリの人々は田舎者をきちんと相手にして礼儀を教えてくれて、今では日本人はパリでお店に入る時は店員さんに「こんにちわー」と挨拶することを学んだ。


てーことは、今の中国人は世界に出てつばを吐いたりバスに割り込んだりするが、世界ではそれが通用しないって事を学んでいけば、いつの間にか世界に出ても恥をかかなくなるかもしれない。つまり人は誰でも人に会ったり本を読んだり旅に出たりすれば、それが中国人でも成長する可能性はあるって事だ。


え?中国人に限ってはあり得ないって?けどそれじゃあ何で香港人は中国人なのに礼儀を理解しているの?


香港は長い間英国に統治されて中国人本来の考え方も持ちつつ西洋社会で振る舞うべき礼儀を覚えた。面白い話であるが、香港の中心地であるセントラルの高層ビル街は世界各国の銀行が支店を持っている。そのビルのエレベーターでは香港人男性が女性を必ず先に乗せるし女性も当然のように先に乗る。ごく自然な英国風の習慣である。


ところがその香港人男性が自分の住む「官糖」のアパートのエレベーターに乗る時は女性がいても必ず自分が先に乗る。女性は後からだ。何故か?それは地元のルールでは女性の乗ったエレベーターに男性が後から乗り込むのは強盗または痴漢の意志があると見做されるからだ。


同じ香港内の香港人でも場所によってきちんとルールを使い分けているのは、彼が香港にいながら全く違う2つの文化を理解しているからだ。
まさにWest meets East である。


世の中はどれだけ携帯電話が発達してもやはり自分の手で直接触ってみたり自分の目で直接見ないと伝わらないことが多い。てか、ケータイは所詮机上の空論である。電話機だから、機上の空論か。


1970年代の日本の若者は当時の空気もあったのだろう、よく旅に出てた。学生時代にカイバル峠を越えてアジアとヨーロッパを自分の足で回ってみたり、シベリア鉄道で凍てつくロシアを横断したりしたものだ。


何を学ぶかはその人次第にしても旅にでなければ学べない事は多い。頭が硬くなって旅に出ても眼に見えるものを見ようとしなくなるし目の前で起こることを自分の都合の良いようにしか解釈出来なくなる。


もしあなたがマネージメント志望であるなら旅に出て人に会い日常とは違った景色を見てみよう。そうすればいつか上司になった時に部下一人ひとりが違うんだって事が理解できるようになるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月10日

満月の夜は一夜限り

面白い調査があった。

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「国が豊かであれば豊かであるほど、国民がチップを支払う確率は低くなる?」

 これは、クレジットカードのマスターカードがアジアの消費者のレストランでの食事への支出について行った新たな調査から導き出せる結論の1つかもしれない。

 

アジアの16の国・地域に住む7678人を対象に行われたこの調査によると、アジアで最もチップを支払わないのは日本人で、食事後にチップを置いていくのはわずか3%だった(日本ではチップを払うと店員の感情を害する場合があるだけに、この結果は当然と言える)。

 

このほかにチップをあまり支払わないのは台湾人(9%)で、韓国人とニュージーランド人(ともに13%)が続いた。反対に、バングラデシュ人の88%、タイ人の79%が店員にチップを支払うと答えた。(この調査は価格にサービス料が含まれているかどうかについて言及していない)

***

外人(この場合は主に米国人だが)が日本に来てびっくりすることは日本の高級レストランで食事をした後にチップを置いて出て行くとすぐ後からお店の店員が飛び出して来て「お客様、お金を忘れてますよー!」と言われることだ。

 

さすがに東京で外人慣れしていればそういう事もないだろうが、それでも受け取る方は少し気恥ずかしい気分になるだろう。

 

ニュージーランドの場合は上記の調査で分かるように、チップを払う習慣は米国ほどではなく日本よりも少し機会が多い程度だ。だからこの13%という数字はそれなりに納得がいく。

 

ただこれは店の形態によっても違いはある。いわゆるオークランドなど都会の高級店では普通に軽くびっくりしてニコって笑って素直に受け取ってくれるが、ちょっと田舎のお店に行くとチップを渡すとびっくりされて「いえこんな・・・私は普通に仕事をしただけですから・・」と照れるケースが多い。

 

このように日本人はチップの習慣がなくニュージーランドでもあまり無いのでそれは調査にも現れているが、面白いのはその調査分析で「国が豊かであればあるほどチップを払わない」という結論である。

 

国が豊かかどうかではなくチップの習慣があるかないかだけであるのに表面的な数字だけ見ればこのようなトンチンカンな分析になる。

 

そしてもう一つ、これは移住する人々にも理解してもらいたいのだが「事実をもって欺かれるという事」が外国にはあるって事だ。「欺かれる」とは通常は嘘を言われて信じるケースだが、中には事実をもって欺かれる、てゆうか事実を見て間違った答を出すってことがある。

 

それはチップの件も同様であり目先に見えるものだけを自分の常識の範囲内や体験の範囲内で判断しようとする事の危険さだ。

 

「オークランドはタバコを吸う人が多いですね」これはクイーンストリートを初めて歩いたあるお客様の感想だ。そう、最近歩道を歩きながらタバコを吸う輩が増えて随分と迷惑だ。特に目立つのは英語学校のビルの外で授業の合間にたむろってぶかぶかと煙突のようにタバコを吹かす連中だ。けむいって言ったらありゃしない。

 

だがニュージーランドの喫煙率は17%程度でありブカブカと吹かしているのは大概中国人や韓国人、そして中東人、それにマオリやアイランダーと言った、文化的に喫煙率が高い国から来た居住者や数世代に渡り近親相姦を繰り返して他人のものと自分のものの区別をせずに自分では何もせずいいつも街をぶらぶらして乞食を繰り返しているような文明度の低いゴキブリである。

 

街を歩いていると目立つのはそのような歩きタバコ組でありオークランド・シティではオフィスビルの中でも喫茶店でもタバコを吸うことが出来ない、だから彼らはニコチン中毒で公道や歩道上で我慢できずに道端で立ちションする感覚でタバコを吸っているのだ。

 

だから日本に比べればよほど喫煙率は低いが、それがクイーンストリートに集中しているから目立つだけだ。

 

タバコの例を出したが、これが示すものは彼がクイーンストリートで見ている立ちション、じゃなかった歩きタバコの連中を見て「ぼくは自分の目で見た、オークランドでは多くの人がタバコを吸っている、ニュージーランドは喫煙率が高い」という結論は事実を見ていながらその裏にあるものが見えてないって事である。

 

他の例を出そう。ある時関西空港からボーイング767に乗ってオークランドにやって来たお客様が「いやー、飛行機は満席でしたよ、ニュージーランドはすごい繁盛ぶりですな」と言った。

 

確かに彼の乗った飛行機はその時満席だったろう。しかし次の便の乗客が50%だった場合、全体を通しての搭乗率は75%になるから常に満席とは言いがたい。

 

そしてもう一つ大事な要素が、この路線は以前はボーイング747777が毎日飛んでいたのに客が少ないから飛行機を767に小型化して週3便程度に減便した結果やっと彼の搭乗した便が満席になったのたのだという時間軸的な事実が抜けているという事だ。

 

これからも多くの人がニュージーランドを訪問して移住のための下見に来たり旅行に来たりするだろう。ただその時に常に注意すべき点は自分の目に見えている事だけでなく必ず地元の説明や助言をセカンドオピニオンも含めて聞いて分析することである。

 

つまり鎌倉時代の日本人吉田兼好が言ってたことわざ「何事も先達のあらまほしき事なり」である。

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/tsuredure/turedure050_099/turedure052.htm

 

満月の夜は一夜しかない。今晩満月を見たからと言って明日も同じ月が見えるわけではないのだ。



tom_eastwind at 19:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月09日

民主主義と民衆主義の違い

名古屋地方気象台は東海地方の今夏(6〜8月の3カ月間)の天候まとめを発表した。平均気温は名古屋市27.0度、津市26.9度を記録し、いずれも観測史上最高だった。名古屋市では、猛暑日が27日を数え、観測史上3位の多さだった。

 

てか、8月の名古屋では気温38度なんて記録がある。

そうかと思えば31.74て数字が出てきた。

 

任期満了に伴う茨城県知事選は8日投開票され、現職の橋本昌氏(67)が前茨城大副学長の田中重博氏(66)=共産推薦=を破り、現職知事最多の6選を果たした。投票率は31.74%で衆院選と同日だった前回(67.97%)を大きく下回った。

 

名古屋の最高気温38度の方が茨城県の投票率31.74%より大幅に高いってのは、民主主義が究極まで発達して誰も選挙行かなくても日本って国は平常通り運営されるからそれよりは熱波の方を気にしろって事なのかな。

 

確かに今年の日本はすんごい暑さだったから真冬でも雪の降らないオークランドで15度前後の涼しい空気の街で生活しているのが申し訳ないくらいだ。

 

オークランドでは1012日にオークランド市議会選挙が行われる。主要道路沿いには候補者の看板が立ち皆が大きな笑顔で「おれに入れろ!」と主張しているが、日本のような街宣車が走り回ることがないので非常に静かに行われている。投票日が近づくとボランティアのお兄さんたちが道路脇に立って楽しそうに看板ふってるくらいか。

 

勿論主張に興味のある人は各候補者のウェブサイトや各党のサイトを見れば「これからのオークランドをどうしようか?」って議題が並んでいる。

 

ニュージーランドの選挙において投票率は高く、2011年に行われた総選挙では74.21%1996年に現在のMMP制度(小選挙区比例代表制)に変わった後も常に投票率は70%を超しており一度も下回った事はない。

 

これはやはり英国から引き継いだ民主国家の考えが徹底しているからだ。イエーリングの「権利の闘争」、ルソーの「社会契約論」、そしてミルの「自由論」などをしっかり学んだ英国貴族や中流階級の厳格なキリスト教信者たちが集団移住してきて今のニュージーランドの基本を作った。

 


ミルの『自由論』は個人にとって自由とは何か、また社会(国家)が個人に対して行使する権力の道徳的に正当な限界について述べている。『自由論』の中でも取り分け有名なものに、彼の提案した「危害の原理」がある。「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。


 

ニュージーランドの人々は自分の生まれ持っての人間としての権利を理解し(社会契約論)、自由を主張し(自由論)、自由を守るために戦うことを覚え(権利の闘争)、その権利の行使のために選挙という民主主義の根幹となる制度を作り国民が選挙によって自分の意思表示を行えるようにした。

 

だからこの国では選挙に行かない事は個人の自由を守る権利に対する侵害=「悪」であると捉えて政府自らが国民が選挙に参加出来るように仕組みを作り、同時に国民に対して「選挙に行きなさい」と啓蒙をした。

 

例えば茨城県の31.74%という投票率を考えてみよう。茨城県の有権者数は約200万人である。ということは選挙に行った人は60万人程度である。創価学会の会員数は正確なところは分からないが500万人くらいはいるだろう。

 

ということはもし選挙の1年くらい前に創価学会の信者を60万人茨城県に移住させれば公明党一党支配の県が出来上がるってことだ。けど、そんな県や街に住みたいか?

 

もちろん日本全体で創価学会信者が8千万人くらいになれば彼らが大多数の意見となるから日本における少数派は文句を言う事は出来ない。極端な話、信教の自由や政教分離の原則を無視して憲法を変えて創価学会を国教とするかもしれない。けど、いくら自分が少数派だからと言って信教の自由を制限するような考えは納得出来ないし今更宗教を持ったり創価学会に加入する積りもない。

 

例えばイスラム国家のようにイスラム教信者ばかりの国では「民主的に」イスラム式道徳が導入されており、酒も飲めないし子供同士の喧嘩で勝った方が負けた男の子にマウントしたりするような国である。そんな国に住みたいとも思わない。

 

法律よりも土着習慣が優先されて女は手当たり次第に強姦されるようなインドに家族で移住しようとも思わない。

 

自分が民主主義を価値のあるものと思って生きるなら国民の大多数が民主主義の価値観を共有して民主主義が根付いている国家に住むしかない。そうでない、例えばイスラム国家やインドに行って「酒飲ませろ!」とか「女を強姦するな!」なんて言っても大多数の人間がそれを認めているのだから少数派の自分が民主的に多数派の意見を変えることは出来ない。

 

そして常に自分が民主主義に価値があると思ってる人々が民主主義を継続して守るためにも民主主義の根幹である選挙に積極的に参加して投票するしか無い。それ以外の方法で自分の信じることを世の中に納得させ実行させようと思ったらクーデターを起こすしか無いが、それとても仲間がいなければ出来ないし多数の人々が支持してくれないと継続することは出来ない。

 

振り返って日本。日本人は何かあればすぐに「民主主義国家である日本は〜」というが、それではこの日本の投票率は何故いつも低いのだろう。はっきり言って国民がきちんと民主主義を学んでいるとは思われない数字である。民主主義とは国民が主体となって参加するものであり、そうでなければ本来の民主主義は稼働しない。

 

しかしそれでも日本という社会が回っているのは、これはもう何か民主主義によく似た別の主義があるとしか思えない。

それはおそらく日本に江戸時代から残る「民衆主義」であろう。

 

日本の民衆は無責任に政治家や企業など自分の利害に関係ないことは何でも他人の努力をけなしたりちょっとでも失敗する蜂の巣をつついたように大騒ぎするが、けど自分の利害に関係があると突如として態度を変える。

 

まるで正義の味方大衆の代表としてそれまでは他人に向かってすぐ「道徳が!」とか「人々のためにー!」とか言ってた言葉が消え去り冷静に口を拭ってしらんふりをして現実に逃避する「仕方ないんだよなー、組織だもんな、仲間を守らなくちゃね」という言い訳を残して。

 

これはおそらく江戸時代から続く風習でお上が何でも決めて下々は「長いものには巻かれろ」と行政責任はすべてお上にお任せで自分たちは言われた事はするけど自分で責任を取りたくないからそれ以上は何もしない。

 

それでいて床屋に行っては仲間内で無責任に誰それがどうだとか自分では出来もしないのに他人の噂や組織の愚痴をこぼすのが習慣になり、それが現在でも新橋ガード下の焼き鳥屋のオヤジ談義にまで連綿と続いてる民衆文化なのだろう。

 

江戸時代は武士の中でも一部の優秀な人々が持ち回りで政治を決めて代々決められた武士がそれなりに下々を支配してきた歴史がある。武士の役目は自分の属する藩を運営することで武士以外の人々は農工商どこを取っても政治に関係なくお上の決めた事に「へへー!」と従うしかなかった。

 

だから明治時代になってお上に「普通選挙」とか言われても民衆にはピンと来ない。自分が自分の人生の主体になった事が一度もないのに今更民主主義で自己責任でって言われてもねーである。

 

ましてや戦後に米国から持ち込まれた民主主義なんて民衆には意味不明、だいたい若くて頭の柔らかいはずの大学卒業したての若者が会社に入社して第一声が「ぼく、何やればいいんすか?誰か教えてください」なんだから。

 

結局常に誰かに引っ張られてないと居心地悪くて自分で考えることも出来なくてどうしようもなくなる「自分で考えて決定すること」を放棄したのが民衆なのだ。

 

だから日本の場合は表面的に民主主義というが、民主主義が何かさえ理解せずに「場の空気」ですべて決めてしまうから西洋型の理論が通じない。だから明確なリーダーのいない組織の場合(つまり殆どの日本企業)全員が何となく互いに顔を見合わせて何が何故そう決まったかも分からずに何かを決めて最後には全員の責任ですと言って誰も責任を取らない集団無責任主義に陥る。

 

これは普通にニュージーランドで語られる自己責任と主体性を持って行動する「民主主義」とは違う、ひとつの日本独特の政治形態である。でもって下々が責任を持って民主主義を維持しないのだからお上だって民衆に迎合する政治をやりつつ裏でうまいこと美味しい利権を取り母屋では民衆に粗食を食わせておいて本人たちは離れですき焼き食べるような政治がまかり通るようになる。

 

しかし国民の大多数が民衆主義で納得しているのだから日本の選挙の参加者が少ないなんて文句を言う僕のような少数派がおかしいのだ。政治がおかしいなんてのは僕のような少数派が言うことではないのだ。

 

少なくとも日本では名古屋の気温の38の方が大きな問題であり茨城県の投票率31は世の中がうまく回っている証拠なのだ。



tom_eastwind at 18:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月08日

結婚の規定・

***記事開始***

結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を結婚した夫婦の子の半分とした民法の規定について、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は4日の決定で、「法の下の平等」を保障した憲法14条に違反し、違憲・無効とする初判断を示した。

 

 ただ、過去に決着済みの相続には、今回の判断は適用されないとした。この裁判の決定を受け、政府は規定を削除する民法改正案を秋の臨時国会にも提出する方針を固めた。

 

 審理に参加した14人の裁判官全員一致の意見。大法廷が法律の規定を違憲とするのは戦後9例目で、民法については初めて。1995年の大法廷決定では「法律婚の尊重と、婚外子の保護の目的があり、著しく不合理とは言えない」として規定を合憲としていた。

 

 今回の決定はまず、「立法府の裁量権を考慮しても、相続格差に合理的な理由がなければ違憲となる」との判断基準を示した。その上で、婚外子の出生数が増え、家族形態も多様化し、国民の意識も変化したと指摘。欧米諸国に格差規定を設けている国はなく、国連などから再三、格差是正を勧告されてきた経緯も踏まえ、「家族の中で子を個人として尊重すべきという考えが確立されてきた」と述べた。

 

 決定は「父母が結婚していないという、子どもにとって選択の余地がないことを理由に不利益を及ぼすことは許されない」と指摘。遅くとも今回の裁判の対象となった相続が始まった2001年7月の時点では、規定の合理的根拠は失われており、違憲だと結論づけた。

****記事終了****

 

ニュージーランドでは「デ・ファクト」DeFact という言葉がある。フランス生まれで現在は英語としても普通に使われているが、実質婚の事である。結婚してない男女(男男叉は女女でもよい)カップルが一緒に住んでる状態である。

 

この場合は女性に対して「ねえ、あの人旦那?」と聞けば「パートナーよ、まだ結婚してないけど、もう10年一緒」みたいな返事が返ってくる。

 

多くの日本人は結婚というと恋愛の行き着く先、みたいなイメージがあるが実際には社会的な規則であり財産分与の為に存在するのみであり愛や恋など関係ない。あくまでも財産権をどのように位置づけるかだけの社会規則なのに、結婚が何だか特別なものと思い込む人々。

 

戦前はお金持ちが愛人を囲うのはごく普通の事であり明治の元勲などと呼ばれたオヤジどもは同じ敷地内に本妻と妾を一緒に住まわせたツワモノもいたのだ。

 

戦前は親の財産は長男がすべて相続して長男が一家を仕切るのが普通であった。そのような社会だったのだ。それが戦後米国式民主主義が中途半端に日本の社会規則をぶっ壊して、その時に結婚とか相続と言った新しい規則に生まれ変わった。

 

ただその規則は仏作って魂入れず、米国式民主主義の表面だけ真似をしているが実際は古くからの日本のしきたりの上に表面だけ貼り付けたハリボテ民主主義であった。だからキリスト教のように一夫一婦制度が根っこの所にないし外で「遊んでくる」のに抵抗のない日本的文化が残ってたからそれに合わせた変な法律が出来たのだ。

 

ちょっと話はそれるがこのハリボテに調子こいて女性をおだてて戦後に日本で大儲けをしたのがユダヤ資本のデ・ビアス、世界最大のダイアモンド会社だ。ぼくは日本に住んでた時からデ・ビアスの宣伝に釣られてダイアモンドを買う女性や買わされる男性の顔を見る度に「どこまでバカ?たかが光る石ころでしょ」とげんなりしたものだ。

 

何で戦争で負けた挙句に勝ち組に更に騙されて給料の何ヶ月分も勝ち組の店にわざわざ訪れてお金を払う必要があるのだ?「結婚するなら給料の何ヶ月分のダイアモンドを買うのよ」と言われて素直にかねはらう連中など、まさにおれおれ詐欺に引っかかる典型的なタイプであろう。

 

第一その石ころはアフリカでブラック・ダイアモンドと呼ばれて独裁政権が己の利益だけの為に黒人奴隷を使って採取しているものだ。そんなものを買うこと自体がアフリカを暗黒大陸に貶めているのに気づこうともしないのか単純にダイアモンドの光に眼が眩んでいるのか?

 

ハリボテ民主主義で結婚が愛ではなく財産権の確定するだけの規則であると理解せずに結婚する時はダイアモンドを買うものだと思い込み、その間違いを指摘する男に「あなた、何も分かってないわね」という女。

 

結婚した女は出来る限り自分の財産を取りたいし他の女に一円たりとも金を渡したくない、ましてや他の女が産んだ子供に金が行くなんて!という事で戦後日本では世界でも珍しい「婚外子の財産贈与制限」を生み出したのだ。

 

結局は女のわがまま、愛だ恋だと言いつつ結婚すれば財産を分捕りに来るではないか。愛だと言うなら旦那が自分からすべての財産を奥さんにあげるって言わせれば良いのだ。それなしに法律で相手を縛って財産を取ろうとするその行為の一体どこに愛があるのだ?


好きな相手がたまたま金持ちだった?こういうのはニュージーランドで言い換えれば日本人女性が「たまたま好きになった人が白人だったのよ」というようなものだ。
 

ニュージーランドの事を書くと、まずこの国は婚外子であろうが相続は平等である。また通常は元気なうちに家族信託を設立して家族全体の財産として代々引き継ぐのが一般的である。てか、元々相続税がないからあまり面倒くさい事にならない仕組みだ。

 

そしてここが日本と大きく違う点だが、ニュージーランドは破綻主義である。日本のような有責主義ではない。だから愛がなくなればそれが離婚の理由になるし財産はその時点でお互いに半分こしてそれで終わりだ。

 

その後奥さんが他の男と結婚したら何とそれが自分の親友だったなんてのも狭いニュージーランドではよくある話だ。

 

いずれにしてもこの法改正を機会に日本人も自分がやってる結婚ってのが実態は何であり法的にどう規定されているのか、そういう事を真剣に考えてみればどうだろうか?



tom_eastwind at 13:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月07日

何てか、夢

何てか、現実に妥協したものは夢って言わないし、夢でなければ誰も買わない。映画を見ながらいつも思うことだ。

 

金曜日の仕事と飲み会を終えて久しぶりにゆっくりと週末を「ゴッドファーザー」で楽しむ。良い映画は何度観ても良い。毎回少しづつ場面が細かく観えてきて、映画人の仕事の良さに惚れ惚れする。

 

アル・パチーノはぼくの大好きな俳優でスカー・フェイスやセルピコあたりからずっと観てる。とくにセルピコは絶品である。彼が役者として出てるってのは彼が出たいからでありそれは良い作品という事だ。

 

その一つの集大成が「ゴッドファーザー」であると思う。その後も様々な映画で活躍をするアル・パチーノであるが、ほんとこの人、ダスティン・ホフマンみたいに何でも出来る。

 

ダスティン・ホフマンと言えば真夜中のカウボーイでジョン・ボイト(アンジェリーナ・ジョリーの実の父親)と共演して歴史に残る仕事をしたが、今ではこの二人が渋目の役者として頑張っているのはうれしくて仕方ない。

 

夢っていつも考える事だが、誰もが持つ必要はないと思う。夢なしでも生きていけるしそのほうが楽なのも現実だ。誰か教えてくれる人がいてその人に付いていく、その人に言われた事をやっていく、そんな人生もありだと思う。

 

人生は大きな舞台でありその中で役者にはそれぞれふりがながついていて、やるべきことが決まっている。

 

「幸せ」なのは自分の役割が分からない時でありそれを探しに旅に出て自分のやるべきことを見つけたらそれは「もっと幸せ」であり、それが世の中の為になる事だったら「すごい幸せ」になる。

 

ぼくの夢はニュージーランドで5万人の日本人が、住む場所は別にしてもネットで繋がっている状況である。「そんな事出来るわけないじゃん!今でも17千人くらいしか住んでないのに、日本人が英語しか通用しない国に来るわけないじゃん!」

 

そりゃ現状だけ見ればそうかもしれない。けど一人づつ人口が増えていけばいつの間にか5万人になるんだよね。そして今、そういう状況が起こっている。

 

そしたら早い者勝ち、安いうちに自宅を買って競争相手が少ない間に仕事を見つけて社会保障がしっかりしている間に子どもたちを学校にやって・・・別に優位に立つためにやるってわけじゃないけど、結局先に動いた人間に先行者利益があるのは現実なんだよね。

 

今、目の前に1910年代のゴッドファーザーのニューヨークの景色が広がっている。低層住宅の茶色のレンガ壁が並び地面からは蒸気が吹き出しアイルランド系ビジネスマンが帽子をかぶり街を歩いている。

 

ロバート・デ・ニーロが演じるイタリアからカバン一つでやってきたドン・コルレオーネがやせ細った身体で新天地で働こうとしている。彼には頼るものもなければ戦う武器もなく、路上で繰り広げられる毎日のビジネスに何とか付いていこうとしている。

 

一体彼の頭の中では何が見えたのだろうか?

 

ぼくは自分の小さな、けど組織の中で生きていかなかった経験の中から一つだけ言えることがある。

 

それは世の中にまぐれ当たりはあるが、ほんとに生き残れるのは正しく狙って正しく当てた人間だけだって事だ。

 

まぐれで当てた人間はビギナーズ・ラックと言われて二回目の成功はない。このような人は過去の栄光ばかり追いかけて酒の中に埋もれる。生き残れる人間は過去を語らない。明日をどうするか、常にそれだけを考えているから昨日の事を振り返る余裕なんてない。ましてや成功の思い出に浸ってる暇なんてない。

 

もしあなたの周りで過去を語っている人がいれば、信用するな。それは終わった話であり時代は常に進んでいる。あなたが聞くべき話は未来でありまだ存在しない何かを見つめる事だ。

 

ドン・コルレオーネは生きていくためにシシリーを離れてニューヨークに渡った。自分の夢が何かわからない子供のままニューヨークのイタリア人社会に飛び込み戦った。そして自分が望む社会を創るために戦った。それはイタリア人特有の家族を守るための行動であり、冬のニューヨークで厚手のコートを着てフェルトの帽子をかぶり時には銃を使いつつ人々をまとめてきた。

 

何の手助けもなく自分一人の力で生きていくって、ほんとうにほんとうに大変だ。ゴッドファーザーでは様々な場面で社会的には強いのに個人的には弱い人々が出てくる。強いってのはほんとうに大変だ。けれど、強くなければ生きていけないし、やさしくなければ生きる資格はない。

 

何てか夢のような話ではあるが、誰もが持とうと思えば持てる夢である。夢なんて不要と思ってる人には不要だろう。与えられた場所で楽しく過ごせば良いと思うし、それだって立派な人生だと思う。

 

ただ、夢を持つって決めたなら、今目の前にいる誰かを目標にするのではなく、今は誰にも見えてないけど自分だけが見えている世界を創り上げる、そういう目標を持った方が楽しいと思う。



tom_eastwind at 17:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

いましかないかも・・・

あまちゃんの133話で東北大震災の舞台に移る。311の津波の時に小学生が取るものも取らずチームを組んで山の高台に逃げて助かった話がある。たしかNHK特集で見た記憶があるが、何故子どもたちだけでこんなに機敏に動けたのか?

 

それは以前ある地震対策関係者の大人がこの子どもたちのクラスにやってきて、地震がやってきたらそれから数十分後に津波が来るから、必ず高台に逃げるように、だから普段からどこに高台があってどうやって歩けば最も近道で行けるかを覚えておきなさいという事だった。もちろん何かを持って逃げるような事は絶対だめで、とにかく取るものも取らずに逃げなさいという話。

 

子どもたちは実際に大地震が来た時にすぐ大人の指示を思い出してチームを作り最初は低い避難場所に、そしてこれでも低すぎると思い更に高い山に逃げて一難を逃れた。

 

その同時刻、多くの大人が同じ地震を感じていながらやはり家に帰り何かいろいろなものを持ちだそうとして結局津波に巻き込まれて亡くなってしまった。

 

子どもたちと大人の判断の違いは何だったのだろうか?それは2つの理由があると思う。まず子どもたちは大人のようなしがらみがない。例えば亡くなった旦那の位牌とか預金通帳とかだ。だから何も持たずに逃げることが出来て結果的に時間の有利を得た。

 

そしてもう一つは、子どもたちは大人に教えられた事をそのまま信じて「津波は怖い、何を置いてもすぐ逃げろ」の指示を素直に実行したが、大人たちは長い人生経験の中で「まだ大丈夫だろう、自分だけは大丈夫だろう、だって今までも生き残ってきたんだから」と死の実感がないままにぎりぎりまでの余裕を狙って結局時間を読み違えて失敗した。

 

つまり大人たちは自分の命をゲームテーブルに投げ出して自分の経験値だけを理由に出来るだけハイリスクのギャンブルを行なって結局一番大事な自分の命を失ったのだ。

 

今読んでる本が橘玲の「資産防衛マニュアル」だ。冒頭の20XX年の近未来小説がとても面白かった。まさにこれからの日本に起こりうる一つの道筋であることは間違いない。

 

良い本ではある、ただこの本の本題と話はそれるが、唯一彼が間違っているとぼくが思う部分は、彼の話は「人間はすべて合理的であり一足す一は二である」という前提で話を進めている点だ。この点だけは僕の意見はちょっと神がかり的な話になるが、日本人は合理的ではないと思ってる。

 

学者と呼ばれる人々は誰もが過去の日本人の行動を振り返ってそれなりに分類して「日本人は時に想定外の反応を起こす」と定義付けをする。ところが彼ら学者はすべての日本人が未来においては合理的な行動をするという前提で将来の予測をするから結果を外す。

 

これは日本国内にいて学習する日本生まれの日本人にも、また外国人で日本を勉強する外人にも分からないと思う。おそらくぼくらのように日本で生まれ育ち日本を客観的に学ぶことが好きで、更に海外の全く違う価値観の国に居を移して違う価値観のフィルターを通して日本を見た時にしか見えてこない「日本人の特殊性」が存在する。

 

その特殊性とは一時の個人の利害に関係なく大義のために行動する事が出来る日本人が存在するという事だ。それは災害時に自分の命を捨ててでも他人の子供を救ったとかでだけでなくもっと大きな眼に見えないものの為に命を捨てた人々の話である。

 

これを神風と呼ぶか明治維新時の坂本龍馬と呼ぶか日露戦争時の西郷や児玉と呼ぶかは判断者の視点によって違うが日本人の中にはどうもそういう血を持つ人間が存在する。そして彼らは歴史の転回点の一瞬に歴史の波涛上に突如として現れ、大波が消えた瞬間に去りゆき、その後の平和な時代は市井の浮浪雲となってのんべんだらりと生きていく。

 

本題に戻って橘玲の見せる近未来は確かに実現可能性が高い。とんでも本として悪評高く有名なのは何度も日本の金融危機を具体的に時期を書いてはその度に外して、しばらくするとまた次の危機を具体的に日付を入れてまた外して、懲りもせずに繰り返し同じ事を書いてはニュージーランドの不動産を会員に売りつけて迷惑をかけている人とその仲間であるが、橘玲の場合はしっかりと現実に目を向け明晰な頭脳で先を見ている。

 

僕が彼を最初に評価したのは彼が香港の口座開設ビジネスを実態を含めて解説している小説だった。まさにぼくが香港にいた1990年代にぼくのに目の前で起こっていた事を彼がその後小説にして日本人が海外に口座を作る背景を説明して、更に税務署がそれにどう対抗するかも予測した内容であり、「おお、こりゃ現場を知らんと書けない」って思ったところから始まる。

 

普通の、上記に書いたとんでも本作者などは自分の商品を売るために本を書いては外してその度に投資家に迷惑をかけているが、橘玲の場合は商品ではなく本そのもの、つまり情報を売る仕事をしてるから情報精度が高く偏見が入ってないから良い。現場をしっかり見てきた人だから書ける内容になっている。

 

今回の「資産防衛マニュアル」もその一つである。少し煽るような部分はあるものの、金融知識のない人たちには役に立つ一冊である。

 

特にこの本の中でも繰り返し書かれているテーマが「恐れる必要はない、しかし備える必要はある」という帯のセリフである。これは「むやみに恐れるな、しかし正しく恐れろ」とか「焦るな、しかし急げ」とも通じるセリフだ。

 

本書では日本に迫る金融危機を本題として描いているが、前半は現在から近未来における経済実情と予測を掲げて後半ではその対策を書いている。

 

ぼくがこの本を読みながら思ったのは、たしかに今たくさんの経済予測本が書店で平積みにされて多くの人々の興味を誘っているが、それが現実の行動と結びついているかどうかだ。

 

ぼくの仕事は日本に行って飛び込み営業で見知らぬ他人のうちのドアをノックして「シロアリ検査ですー」とやることではない。日本では一切の営業もせず(これはオークランドでも同様だが)うちが出来る事をウェブサイトに掲載しているだけだ。

 

例えて言えば外商のいない三越百貨店みたいなもので、お客様は店頭に来てじっと眺めて説明を聞いて納得すれば買う、しかし決してこちらから相手の自宅に行って何かを売り込むことはなく、あくまでも相手がこちらの商品に興味を持ってやってきて現物を見て納得してもらってから商品説明をするだけだ。

 

だから当社のドアをノックする人は現実の行動にむけて第一歩を踏み出した人々だと言える。そんな人はもちろん日本全体の5%以下にしか過ぎない。本当に少数民族ではあるが、彼らの意志は固いからしっかりと現実の行動に結びついている。

 

こういう仕事をしていると本当に日本の旬を感じる。今月はこういう業界から問い合わせが多いなとかだ。

 

最近増えてきたのがサラリーパーソンである。普通の人々がすでに移住を視野に入れ始めた。すでに彼らの段階まで危機感が広まっている。とは言っても日本全体で言えばまだ人口の5%である。95%の人々は今日と同じ明日が来ると信じている。けれどそんなものは来ない。

 

今日の個人面談でも話をしていて、わざわざ高いお金を払って個人面談してるのに「僕は慎重だからこれからどうするか考えます」という。これなどまさに東北大震災の時に「まだまだ大丈夫」と思って結局津波で亡くなった人のようである。彼らも逃げる時間はあっただろうにと思う。

 

なのに前回大丈夫だったから今回も大丈夫だろうって思ったのだろう。

 

今しかないかも。そういう気持ちで生きていくことが大事ではないかと思う今日このごろ。



tom_eastwind at 16:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月06日

れんまく  許すって事。

じゃあまた枕詞から始まります。

三重県の話「ええっと、これ、さんじゅうけんだっけ?」

大分県の話「ええっと、この県はだいぶんけん、ってどこ?」

 

可愛らしい話である。しかし外国で育った日本の子供にとって漢字はかなり難しい。自分の出身地くらいは読み方を覚えているが全然行った事もない地方の県名など覚えろと言う方が無理あるかも。

 

今日は娘と話してる時に日本で今後土地や不動産の価格が上がるのはどこかって話になった。その時に娘は「やっぱり港区でしょ、文京区とかはダメだよね」とさらさらと日本語で言った後に「れんまくもぱっとしないよね」って言われて、あは、可愛いですね。練馬区はれんまくとも読めるもんな。

 

大人だって白紙の日本地図を持って来られて「県境書いて県名を入れろ」なんて言われると戸惑うことが多いではないだろうか?特に九州人が東北の地名、東北人が九州の地名を正確に記入出来るかと言えばかなり無理があるだろう。

 

もっと細かい地名でいけば、ぼくが日本の九州に住んでた頃に仕事で東京に行くことがあったが、僕の頭の日本地図には新宿駅西口の次はいきなり富士山しかなかった。途中にある地名すべてが抜けてたのだ。武蔵なんちゃらとか調布にお住まいの方には誠に申し訳ないのだが、その程度の知識しかなかった。

 

そう言えば911テロの後にニューヨークに視察に行った時、日本人相手のバーに行って「どっから来たんですかー?」と間延びした日本人の女の子に「ニュージーランドからだよ」って言ったら「あ、ニュージャージーの隣だ!」と言われてかなりずっこけた記憶がある。

 

米国がイラクやアフガニスタンで戦争してた時に米国のある学校で生徒に世界地図を広げてイラクとアフガニスタンを正確に示せた子供は半分もいなかったって笑い話もある。

 

地名など所詮そんなものであり正確に細部を理解する必要もない。まずは大雑把に自分の場所を確認して次第に世界を広めていけば良い。

 

さて本題。

その中でどこの国に住んでても常に最初に学ぶべきは隣国である。世界中どこの国もそうだが、隣国とは大体において喧嘩をしながら付き合っている。良い時代も悪い時代もあるが、隣国とは血を分けた兄弟のようなものである、例え相手が一時的に仲が悪くなってもこっちが自国の土地を持って南太平洋に移動出来ないように、兄弟の縁は切ることは出来ない。

 

最近ではトルコとギリシアが1974年にキプロス問題で大喧嘩をしており今日まで問題をひきづっている。

 

だから米国とカナダ、ニュージーランドとオーストラリアのように、隣の国と歴史的に仲良しってのがむしろ例外である。

 

日本も地図を開けばお隣に韓国があり、この国とは何度も攻め込んだり攻めこまれたりした歴史的経緯がある。だって韓国とはもう2千年以上の付き合いであり、中国とも同様である。ある意味、米国やニュージーランドのような「国家の歴史自体が200~300年程度しか無い」若い国とは根本的に歴史が違う。

 

一衣帯水の国家がまさに日中韓である。どんなに嫌いでも縁が切れないのは、これはもう英仏関係、独仏関係、東欧諸国などが好例であり、日本だけが「嫌だから出ていきます」となれないのは歴史、文化、民族性を共有しているからだ。だから否が応でもしっかりと対処していくしかない。

 

今日こんな事を書いたのは、新日鉄が韓国の裁判所から賠償金判決が出たからだ。

 

ここからが本題だ。

 

この事件、戦時中の日本の強制徴用事件に端を発するが、普通に法的側面から見ても歴史的側面から見てもあり得ない判決である。多くの識者が語っている通り、すでに日本は何度も倍賞を行っているのにその金が当時の韓国政府だけがポケットに入れて被害者にお金がわたらなかったという韓国国内事情を全く無視している。

 

当時の開発独裁時代の韓国大統領と現在の韓国大統領が親子であるってのもあるのだろう、最近の韓国の反日は完全に法の下の平等も国際法も無視した目先だけの行動である。

 

しかし同時に僕らが理解すべき点は、これは韓国国民の完全な同意のもとに行われているわけではないってところだ。韓国人だって組織がある、その中にいては言えない事もたくさんある。上下関係に厳しい韓国内では政治的に公平な判断は日本びいきと見做されて石をぶつけられ公職を剥奪されるような国だ。

 

じゃあこのような不当判決が出たらどうすればよいのか?もしぼくが新日鉄の社長なら即刻韓国からすべての事業を撤退させる。そして韓国の鉄工所が新日鉄から盗んで更にそれを中国に売った罪で日本の裁判所で韓国鉄工所を告訴する。

 

この問題はすでに裁判化されているが、韓国がいかに卑劣な国であるかを世界中に訴える。そして韓国政府の馬鹿さ加減を世界に知ってもらう。

 

何故ぼくがこのように書くか、普段は中韓びいきのくせにと思われるかもしれないが、ぼくは一衣帯水を大事にしたいし離れられない兄弟ならば、相手がバカをやった時はきちんと教えるべきだと考えているからだ。

 

ぼくだってバカだ。しょっちゅう失敗もしている。恥ずかしい事だってやってきた。けれど、だからと言って同じようなバカをしようとする兄弟がいれば、それは見逃したり無視したりするのではなく、きちんと相手に伝えるべきだ。恥をかかせるのではなく諫めるのだ。

 

これは対中国も同様であるが、やり方を変える必要がある。反日暴走で中国では日本のお店が破壊されたりしたが、日本に進出している中国企業に対しては一切そのような行為が行われてイないことを日本人自ら中国の民衆に向かって語りかけるのだ。そして相手のやっていることが如何に民度が低いかを理解させるのだ。

 

ぼくらが戦うべき戦略は相手によって使い分ける、時期によって使い分ける。今は韓国に対して彼らの裁判所がいかに馬鹿かを理解させるために日本で韓国企業を告訴するという方法を取る。中国に対してはいかに日本が悠揚迫らざる兄弟かを理解させる。

 

こうやることによって自然と彼らに物の道理を教えて、西洋社会と共同で成長するためには感情でなく理性で、目先の損得勘定ではなく長期的な判断でいかなければいつまで経っても脱亜入欧は出来ないぞって教えてあげることだ。

 

ぼくは決して欧州文化を手放しで褒める気持ちはなく、どちらかというと自分だけ正しいって思い込みのキリスト教にしがみついた「ばっかじゃない?」と思う部分が多いが、しかし素晴らしく成長した文化を持っており、アジアにはない学ぶべき現実的理性がある。

 

世界の歴史を紐解けば中国は大国であったが、それは文化大革命によって破壊された。しかしそれは4千年の歴史のうちのほんの20年であり、中国はその地勢的位置からしてまた世界の大国に戻る。

 

それは隣国である韓国にも影響を与えて小中華思想の韓国は中国に学び成長するだろう。そしてそれは日本にも成長の機会を与えてくれる。

 

その時に日本が残り物をもらいに行くような真似をしない為にも、今言うべきことをきちんと言う。小平のいない今の中国はたしかに扱いにくい。しかし、だからと言って中韓と縁を切るという話にはならない。

 

一時的に損をしても堂々と中韓ビジネスからは一旦手を引く。金儲けの為になにかやってると思わせない。その上で彼らに何が問題かを指摘する。それこそ今の日本がとるべき行動である。

 

おせっかいと言われても良い。多くの中韓の人々に理解されないかもしれない。けれど隣人であり一衣帯水の国なのだ。多少嫌いだと思っても、絶対に離れられない血の繋がった歴史があるのだ。

 

相手の地名が読めなくても良い、れんまくでもよい。相手の名前が読めなくても良い、大事なのは相手をまず同じ人間として認めることだ。今は読めなくてもこれから勉強すれば良い。そうして少しづつでも歴史の紐を解きながらお互いに成長すべきだ。

 

ぼくら日本人は血のつながった歴史を一時的な感情で壊してはいけない。日本人だって戦前の一時期は相当にひどい事をした。自己反省を含めて誰にも必要な言葉、それは「許す」である。

 

先に許すことが出来た人々は心が豊かになる。そのことを彼らに教えてあげよう、おせっかいと言われても。



tom_eastwind at 16:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月05日

正確に恐れるということ

正確に恐れるという事

 

タバコが体に悪い事はすでに明確であり米国のタバコ訴訟を読めば明確に意味が分かるがそれでもタバコを吸い続ける人々がいる。原発が決して安全ではない事も福島原発事故でやっと世間の常識になったが、それまでは原発安全神話がまかり通っていた。

 

タバコと原発のどちらにも共通しているのは正確に恐れること、科学的に恐れることである。原発と中国の石炭火力発電所ではどちらの危険度が高いか?タバコの発がん性と原発の発がん性のどっちが危険度が高いか?

 

少なくとも日本でよく見かけるような、父親がくわえタバコで子供を肩車して煙草の煙が子供にどばーってかぶさる状態で原発反対デモに参加と言っても現実的ではない。

 

つまり片手で自分の肺に毒を送り込みつつ子供に受動喫煙を強制しておきつつ平和や安全が欲しいというバカな作業をやってる父親に何を語る資格があるのかって事だ。

 

では石炭火力発電所はすべてダメなのかというとそうでもない。例えばニュージーランドでも自前の石炭を炊いて電気を作ってオークランドに送っているが、これは公害防止装置を装着しており操業中でもトンネルから出る煙は透明である。

 

中国では公害防止装置を付けずにガンガン石炭を炊いているからその煙が黄砂に乗って日本を汚染しているのだ。だから日本全体への被害と言えば実は原発の放射能よりも黄砂の方が大きい。日本で原発に対する抗議をするならその前に中国に対して日本政府として抗議しろ、が正論ではないか。

 

ただこう書いたからと言ってぼくは原発賛成派でも推進派でもない。他にエネルギー源がなければ注意して使うべきだろうがそれを安全神話にくるんで活断層の真上に作るなんてバカな事はするなってだけだ。ましてや他に安全なエネルギー源があるのに役所思考で国民の安全を無視してやるなんてバカじゃねーかってだけだ。

 

原発事故が起こる前から反対していたし浜岡は何度もブログで指摘してきた。原発事故前は多くの人に「ばっかじゃない?勘違い左翼じゃない?」と思われたが実際に原発爆発が起こった後は世の中が180度転換して、むしろぼくの意見は原発に積極的に賛成ではなくてもヒステリック気違いのような「反原発派」でないから賛成に近い穏健派と捉えられるようになった。

 

しかしぼくの考えとして当時も今も変わってないのは「科学的に正確に恐れる事」である。原発だから危ないと一段階思考で考えるのではなく危険=リスクという一つの科学において世の中にどれだけのリスクが存在しておりそれが常に自分の身体すれすれを通り抜けており自分が今真夜中の地雷原に灯りなしで歩いてるって事を意識するかどうかである。

 

世の中には危険な要素がたくさんあり車の交通事故もしかり飛行機の墜落、船の沈没、自宅にいればトラックが飛び込んでくる、窓を開ければ公害ばい煙が肺の中まで入り込んでくる。

 

それらのすべてを総合的に勘案して自分の人生の価値観がどこにあるかを見据えれば自ずと取れるリスクと取れないリスクが出てくる。例えば僕にとって取れるリスクは自動車を運転することであり取れないリスクは酒を飲んで自動車を運転するリスクだ。

 

自動車を運転することで移動の自由を得ることは出来るしそれによって万が一交通事故に巻き込まれてしまった場合でも事故が起きるまでに得られた累積利益よりも一時的に被った被害が大きくなる可能性はあるがそれは統計的に考えて得られる利益の方が大きい。万が一の事故の際も自動車保険をかける事でリスクの軽減が出来る。

 

しかしこれが飲酒運転で人をはねて殺した場合、事故を起こす前に得た利益「飲んだ時はタクシーで帰る」のタクシー代を飲酒運転することで節約出来た利益の合計はどう見ても人をはね殺して保険も適用されず刑務所に入り死んだ人への後悔や遺族への反省に一生責任を負う場合と比較しても「算盤勘定」が合わない。

 

ちょっと話はそれるが、飲酒運転による事故を防ぐ一つの方法は「飲んだら乗らない」為の仕組みを政府が作ることだと思う。例えばすべての街に「提灯タクシー」を普及させる。このタクシーを運転するのは地方公務員でありお酒を飲んだらだれでも無料で利用可能とする。シラフで乗ることは出来ず免許証がない人も乗ることは出来ない。

 

同時に飲酒運転に対する最高刑を殺人罪とする。これは酒を飲んで運転することが「未必の故意」であると認定すれば良い。過失致死ではなく殺人罪とすることで最高刑を死刑に出来る。さすがに死刑になるリスクを取って飲酒運転をするバカもいないだろうし、いれば死刑にすれば良いだけだ。

 

またも話がそれるが、これをやると一番困るのが田舎の村会議員とかだろう。彼らは口先では立派な事をいうが田舎の法事や結婚式では面倒くさいのもあってしょっちゅう自家用車で法事先に行って一杯飲んで自家用車で帰っている。彼らはいちいちタクシーを呼ぶのが面倒だし自分は法律の及ばない埒外にいると思っているからだ。

 

本来はそういう奴らこそ刑務所に叩きこむべきなのだが、そういう奴らを田舎の議員に選んでるのがその街の住民なんだから結局一番のリスクはバカの住む街に居住することであろう。このあたり「わらの犬」とも繋がるリスク管理である。

 

さて原発に話は戻るが現在の原発は軽水炉であり今後も爆発する可能性がある。エネルギーの作り方に原発以外の方法が全くなければ原子力も検討材料になるだろうが、他の作り方は技術的に可能であるにも関わらず経産省の鶴の一声で原発のみが唯一の手段だとされて他のエネルギーの開発をしなかったのがすべての原因だ。

 

ニュージーランドでは熱源の5%程度だが地熱エネルギーが利用されている。この技術は何と日本の九州大学の教授が1970年代に開発してニュージーランドで実現させた。他に主な熱源は水力発電と地元で取れる石炭火力発電だ。

 

ニュージーランドでは原子力発電は行っておらずこれから将来的にも行うことはないだろう、国民全員が日本人や中国人にならない限り。

 

そう、この国では少々電力が不自由で真冬の嵐で電気が止まってもキャンドルナイトだ!ってはしゃげる心の余裕があるし、シティのど真ん中で一ヶ月停電が続いてホテルのエレベーターさえ動かずビルのエレベーターも止まる中でも市民は普通に仕事をして、街の交差点の信号が全部止まっても交通渋滞は起こらず誰もクラクションを鳴らさずに普通に道を譲り合ってきた歴史がある。

 

電力の安定供給は大事だがその為に人の命が危険に晒されるのはおかしな話だ。近代化や文明化がどれだけ大事でも、その為に人命が危機にさらされるのでは本末転倒である。

 

だからこそぼくらは常にリスク管理、つまり正確に恐れることが必要なのであり、政府が言ってた「原発安全神話」に脳を閉じて飛び込むのでもなく、だからと言って目の前に見えるリスクである原発を脳を閉じて反対するのではなく、正確にリスクとリターンを自分の頭で考えて行動すべきなのだ。

 

今福島で汚染水問題が発生している。同時に「あまちゃん」も大人気だ。ぼくらが行うべきことは福島を同じ仲間、手の届く日本人同士で助ける事であるが、それは気違いみたいに反原発を唱えることでもなくあふぉみたいに政府の言うことを真に受けるのではなく、水俣のチッソが垂れ流した水銀を飲み込んだ魚を食って「イタイイタイ病」に罹病した悲しい歴史を持つ日本人として正確に原発を恐れて科学的に行動することだ。



tom_eastwind at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月04日

かきのたねはあるのだが・・・

今週は日本からのお客様が続き全然ブロク更新出来ず。カキのタネはたくさんあったがこれだけ忙しいと書く暇もないぞ。とは言っても本を読む時間だけは寸暇を惜しんで取った。

 

今週の僕の個人的なネタは「月間選択」からだ。まずはノバルティス社の医療不正、簡単に言えば詐欺についてだ。

 

降下剤ディオバンは製薬会社が組織として病院側に賄賂を渡して出てきたデータを捏造して厚労省の認可をとった薬であり、これは単なる詐欺事件でしょ。ならば不当に得た利益及びその期間の金利を徴収した上で詐欺事件の主導者をいつものように警察が一般人にするように逮捕すればよいだけのことだ。

 

それをやらないのはまたも政府の一部、つまり役人や政治家、公的医療機関など製薬業界にぶら下がる大物が絡んでいるからであり、要するに手前だけは不逮捕特権を持ってる連中ばかりの隠匿行為である。

 

一般人がやれば速攻でマスコミに叩かれるはずなのに、どの記事を読んでも腰の引けた記事ばかりだ。それで国民の税金が毎年約1千億円支出されていたのだから、これで怒らない国民も大したものである。

 

安倍晋三とパチンコ業界の繋がり

しんちゃんだって生まれた時からのお金持ちではない。血筋は良いが選挙の票は必要だし金も必要。そういう彼が選んだ金の出処がパチンコ業界ってのも、北朝鮮相手に大立ち回りしてるのにおいおいって感じだ。

 

このあたり、日本はまだ自由な国家だからかなりの情報が合法的に得ることが出来る。全国紙が出している記事が大体提灯記事であり、その記事は日経ビジネスでは三ヶ月くらい前に有料記事として出ており、更にその三ヶ月くらい前には選択あたりで掲載されており、もっと言えば世間に火が放たれる前に有料のメルマガで発表されている。

 

日本は良くも悪くも情報制御のない良い国だ。だれでもその気になれば公開情報が入手出来るしその精度はかなり高いのは、その情報掲載後半年くらいして全国紙が掲載している事でもよく分かる。

 

誰もが毎日の生活に忙しいのは当然であるが、常に一定の情報を入手しておけば何かあった時の対応が出来る。情報なしで何かあった時に即時対応をするのはとても大変だ。

 

ちょっと例は悪いが、東北大地震の際に自衛隊基地にいたレンジャーも津波に流されたが彼らのほとんどは立泳ぎをしたり危険な場所から逃れつつ避難した。日頃の訓練の結果である。じゃあぼくら民間人はどのような日頃の訓練をすべきか?それは、常日頃から本を読み学び正しい時に正しい場所にいることである。



tom_eastwind at 16:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月03日

今は政府しか愛せない 勘違いの愛国心について

ネットで検索してて楽しいのは思いもよらない楽しいネタを見つけることだ。

 

「通常、民衆は戦争を望まないが、人々を指導者の言いなりにするのは簡単です。国が攻撃にさらされてると国民を煽りなさい。平和主義者のことを、国に危機をもたらし、愛国心がないと公然と非難しなさい。どの国でも同じように効果があります」 −ゲーリング−

 

・「愛国心と言うのは幼児の病気のようである。いわば人間社会のはしかである」 ― アインシュタイン−

 

上記2つが実際に彼らの言葉であったかよりも、言葉そのものが世の中の真実を掴んでいる。自分の愛国心を高らかに宣言して誇るような場合、政府と故郷を混同している勘違いか、子供が大声を出して「ほら、ぼくはここにいるよ!」と騒いで周囲の大人に迷惑をかけている事にさえ気づかない幼児の場合が殆どである。

 

しかし国を愛するのはまさに政府とその支配体制に従属する自分に快感を覚えて自分に権力があると思い込んでいる間だけである。こういうバカは低能層に多い。自分で考えることが出来ずに自分の行動に健全な疑問を持つ能力がなく、ほんとに周囲にハマり込んで興奮して新宿のコリアンタウンでギャーギャーと、自分がすべての正義であるかのような顔をして騒ぐのだから。

 

愛国という言葉を連発する代表国としてはまず中国であるがこの国の人々は歯槽膿漏が脳を侵している場合は別にして愛国と愛銭の共通点をしっかり把握しているものだ。

 

中国政府が金さえ払ってくれれば愛国でも反日でもやるし日本企業が金さえ払ってくれれば「今は貴方しか愛せなーい」と日本語で歌う。元重慶の大物政治家ポー・チライが日本企業進出の際にこの歌を歌ったのは有名な話である。

 

日本にとって困るのは、政府の言うプロパガンダに乗せられて反日無罪的バカをする連中だが彼らからしても他にすることがないからバカな事をするだけだ。もし他に金になる仕事が中国政府に対する反政府運動ならそれだってやる。

 

ただ反政府をやってもらえるお金、費用対効果、つまりもらった金という効果と反政府運動をして殺される費用とを比較すると自分が殺されることを前提に、その代償として家族全員に米国籍が貰えることくらいでないと割に合わない。

 

それに比べると反日愛国無罪は中国内では罪にならないし金は貰えるし費用対効果が良いのである。だから中国の反日運動はまじめに捉えない方が良い。

 

しかし韓国の場合は少し様子が違ってて、個人や民間レベルでは日本と仲が良いのだが一旦国家対国家となるとそれまでとは打って変わった対応になり急に愛国心で胸一杯になって反日デモをやって大勢のデモ隊の面前で白衣を着て座り込んで反日を叫びながら指の一本くらい包丁で切り落とすという、何の利益にも誰の為にもならない行動を取る。

 

そして怖いのは日本にもこの血があり、何の利益にもならないのに愛国を訴えて、訴える自分に熱くなって日本政府がやりたくても出来ない「国民の自発的愛国心の高揚」を他人に押し付ける。こうなると日本人はもう止まらない。

 

日ごろ真面目なだけに、バカが付くほど真面目なだけに何かどうしても自分が納得出来無い事が起こった場合、異常なまでに感情的に反発する。

 

歴史に「もし?」はないとしても、第二次世界大戦前にもしマスコミが世間を煽らなければ日本政府は戦争に出なかったかもしれない。日露戦争はぎりぎりのところでポーツマス講和に持ち込んだが日本が得たものが少ないとマスコミに焚き付けられた民衆が政府に対して抗議運動に出た、「こんなんじゃ元が取れないだろうがよ!」と。

 

しかしあのまま戦い続けて戦線が伸びきってしまえば、ロシアの奥深くに踏み込んでしまえば、それこそナポレオンやヒトラーが冒した大失敗、冬将軍を味方につけたロシア軍に完膚なきまでに叩かれていただろう。

 

要するに真面目で熱くなりやすいからマスコミに乗せられて踊るのだがマスコミが間違っているのでは?という健全な疑問を持つということが出来ない脳味噌だから簡単に騙される。

 

マスコミはそれで新聞が売れれば良いわけで、実はマスコミこそ自分の社会的立ち位置を理解しようとせずに自分だけが良ければって金儲け主義なのだが、そういう汚い大人の真理を思いつきもしない一般市民は「人は嘘をつかない、だっておれは嘘をつかないもん」とマスコミの書く事を信じこんで踊らされる。

 

さっきの中国の話だが、彼らの思考回路はアジアにありながらも白人の思考回路に近い。物事を現実的に判断出来る。

 

例えばグリーンピースというくそのようなチンピラがいるが、あれなどは明確に米国のカーギルから金を貰って世界中で暴れまくっている雇われ暴力団である。それが正義面をどれだけやろうが理論破綻しておりまともに考えれば分かるような理屈さえ通じない。

 

けどグリーンピースからすればこれは仕事、それもどっかの国で納税しなくていい金だし世界で最も喧嘩が強い米国が後ろ盾なのだから怖いものはない、誰か逆らう奴がいたら暴力で攻撃だー!

 

でもって世界にいる低能層は一段階理論しか理解出来ないからグリーンピースの言う表面上の小奇麗さだけに目を奪われまともな思考回路も健全な疑問も持てずに追従してしまう。

 

つまり表面的な綺麗さをまとった暴力集団の幹部は自分たちがやっているのが法律を無視した金儲けと理解している時点で中国人と同じである。冷静に熱い主張をしているのだ。

 

中国人はグリーンピースのやってることなどとっくにお見通しで、それが自国の役に立つ間は利用する。第一金を払ってるのはカーギルで中国の腹は傷まないから、どうぞ日本叩きに励んで下さいってところだ。

 

冒頭に書いたが、愛国心とは本当に危険な代物である。真面目で熱くなりやすい日本人がお気軽に扱ってはいけないものである。だから頭の良い政府が愛国心を使って人々を煽るようになれば、それは国家として相当危険な判断をしようとしていることであり、その先には断崖絶壁が待っていると思ったほうが良い。

 

今の日本は消費税議論が激しいが、その次に何が来るのか?国民は「その先」を常に考え続けて中国人のように常に危機意識を持ちつつ現実的な判断をして行動に移す必要がある。

 

勿論その結果が「今は政府しか愛せない」なら、それはそれで良い。家族よりも政府が好きならそれは本人の判断だ。ただその判断の結果起こることには「ぼ、ぼく知らなかったんだもん」なんて言い訳は通用しないってことだ。



tom_eastwind at 11:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月02日

徒然草

僕には悪い癖がたくさんある。まず第一に口が悪い。仕事中は丁寧な話し方を心掛けているのだが、仕事を離れて個人的な時間になると、そりゃもうお化けが井戸から出てくるようにポンポンと、言われた本人が自分が笑っていいのか、それともからかわれてるのか、それともマジで言われてるのか迷うくらいに強烈な発言をしてしまう。だから相手がポカーンとしてしまう。

 

特に苦手なのが予定調和的な意味のない会話であり、そういうのが出るとどうしても無条件反射をしてしまう。

「化粧水買ってきてー」って言われたら「化け水ですね?」と確認を入れてみたり。

「頑張りまーす!」なんて言ってるのを聞いたら「いいよねー、自己申告で済むんだから・・・」

「お疲れ様でーす!」と言われると50%以上の確率で「疲れてないしー」

 

どうしても事前予定調和的な会話が納得出来ずに、やんなくてもいいのに毎回返してしまう。これが個人的な事ならまだ笑いで誤魔化せるが出張中だとそうもいかない事がある。

 

空港や駅で係員に「あ、それ、出来ません、決まってるんです」なんて言われるともうOUTだ。どうしてですか?あなたの発言の真意は何ですか?あなたはその「決まってる事」がどうして正しいと信じられるんですか?何を根拠としているのですか?

 

これはいつもその場にぼくと一緒にいる人たちをヒヤヒヤさせて申し訳ないので出来るだけ控えるようにはしているのだが、どうも我慢できない時などはついついやってしまう。ぼくが発言を開始するといつも一緒にいる人が「あ、すみません、この人の事、、無視してください、少しおかしいんです、大丈夫ですから」と間に入る。申し訳ないなって思う、ごめんね。

 

困った事にこれが時々仕事でも出てくることがある。話を聞いててあまりの理路整然としない、てか理路崩壊した話を聞いてると思わず「で?さっきの話はこうですね、今の話はこうですね、この2つは矛盾しているわけで、私は今この場に座った貴方の漫才を聞いてただ笑っていればいいのか、それともあなたの理路がどこで崩壊しているのか指摘を要求しているのか、そのあたりご教授頂ければどちらでも出来ますよ、にこ!」って返すと、相手はどう反応して良いか分からずに固まってしまう事がある。

 

枕詞はここまでにして、日経BPコンサルティングが全国規模でLTE/4Gスマートフォンの接続調査ってのをやってNTTドコモ、au iPhone、ソフトバンクモバイルの比較をしていた。

 

こういうのって日本人大好きだよね。電話のつながり具合はどこがいいかなんて話しだしたらオタクがやってきて「徹底検証!」みたいな話になる。実に細かく地区ごとに繋がりを検証しましたー!なんてやってるし、10円単位で費用対効果を説明している。

 

でもってなんでこの記事に眼が行ったかと言うと、大の大人がわざわざこんな細かい調査して一体何のプラスになるんだろって素朴な疑問を感じたからだ。

 

というのがどれだけつながりの良いネットがあったとしても調べる中身が下らないお笑い芸人のニュースとか暇つぶしのまとめサイトだったりしたら、わざわざ大の大人がそんな事急いで調べて「どこが一番はやい!」なんて、、、価値あるのかな?

 

このあたり、本当に日本人が手段と目的の区別を苦手にするのを一番感じるところである。ネットをどう利用するかってのは手段の問題でありネットの繋がりが良いからってそれが何の意味があるのか?調べることが下らないのに調べる手段が優れているって言われても疑問。手段(ネットの速度)が目的(暇サイトの検索)を正当化する理由になどならない、自明の理である。

 

そしてもう一つ、今ネットを使ってるあなたはネットが「手段」だと理解しているのだろうか?ネットにアクセスしているからって理由だけで自分が社会の内側にいると勘違いしているのではないか?

 

寂しい人々がお互いにネットで繋がっているからって理由だけで安心を感じるようでは、「わたし、いつでも新興宗教に騙されちゃいます!」って高らかに宣伝しているようなものだ。

 

誰の言葉だったっけな、「孤独に孤高を見つける諦念こそ人間が持つべき自由である」??あれ?これ今俺が奥さんが香港で子どもたち二人とも遊びに出てるオークランドの自宅で日曜日の午後にすっきりした青空を観ながら思いついた言葉だって気づいた。

 

けど文節に違いはあるにせよ、こんなのは大昔から言われてきた話であり、今の日本人に必要なのは孤独を恐れない勇気ではないかと思う。

 

フェイスブックで実名でつながってれば幸せったって、そりゃ自分の意見を殺して他人に追従するだけでしょ。そこで自分の本音を書き込んだら他人に嫌われる。だからフェイスブックでは「義理いいね」を押すが匿名の2ちゃんねるでは人が変わったように汚い言葉を書き込み他人を誹謗中傷する。

 

ネットはそんな事の為にあるんじゃない。スピードの速さは目的を正当化しない。速さよりもネットを使ってどのような情報を他人と共有するか、そこが目的である。

 

男が寂しさを紛らわせたいならネットでなくリアルな飲み屋にいって姉ちゃんに褒められてのぼせてろ。女ならホストクラブか、どっちでも良いがそのほうがよほど満足感は高いぞ。

 

そうじゃないんだ、もっと心の繋がりがって言うのなら、ネットでなくて本屋に行って吉田兼好の「徒然草」を買って自宅でゆっくり読めば良い、そうすれば自分がこれからどう生きていけば良いか分かる。

 

***

「秋ほど素敵な季節はない」という人は多い。確かにそうかもしれないが、春の景色を見るときの感動はそれ以上だとわたしは思う。

 

と、秋を最高とする世の中の一般的な意見に対して、自分なりの発見を伝えようとしている。このように、兼好は『徒然草』の中でいつも自分なりの答えを示す。そして、物事に対する一般的な物の見方、よくありがちな見方に対して、それとは逆の見方、それとはまったく違った見方をつねに提示して、物事には常に複数の見方があることを提示してやまない。

 

 たとえば、第215段では最明寺入道(北条時頼)の質素さを示すエピソードを紹介したかと思うと、次の第216段ではその同じ時頼が家臣の家を訪ねて、アワビに海老におはぎにとまるで祭りのような豪華な接待を受け、毎年六十反分の着物の贈り物まで要求していたことを描いて、その贅沢ぶりを伝えている(何と、これを質素だとする解釈がある!)

 

 だから、この時代の人間としても、日本人としても珍しいことだが、兼好は「確かに〜であるが、しかし〜」という言い方、英語でいうindeed- butの構文を多用している。

 

 兼好は『エセー』を書いたフランスのモンテーニュに似ているという人がいる。両者の類似点は、第142段の法律に対する批判にも見ることが出来る。人が守れないような法律を作っておきながら、それを破ったといって罪人にするのが政治の仕事かという批判である。

 

 また、常に死を眼前に意識してこそ人生は楽しめるという意見はモンテーニュそのものだ。兼好は僧侶であるから、仏教的な無常観に支配されている。しかし、彼はその無常を楽しんだ。兼好の『徒然草』にはどこにも悲壮感がない。彼は人生をエンジョイしているのだ。先に挙げた第19段も季節の無常を讃えたものだった。

 

 いっぽう、第107段の女についての兼好の観察もずばり正鵠を射ている。

 「女というものは、こちらから尋ねるともったいぶって何も言わないくせに、聞かれもしないうちから、とんでもないことをぺらぺらとしゃべり出したりする。女なんて底が知れているのだ。そんな女に男がよく思われようとして緊張するなんて馬鹿げたことだ」

http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_kenkou_intro.html

*****

文責我にあり。

 

「まだ見ぬ世の人を友として語る」この意味は自分が生まれていなかった時代の本を現代になって読んですでに死んでしまった作者と心を通わせるという意味である。

 

良書は会話が出来る。会話の出来ぬ本など言いっぱなしのアジ作品でしかない。本当に良質な本は会話が出来て、議論がひとつ上に昇華すると次の疑問が沸き起こり、そうやって何度も本を読み返すと自分を昇華して高めてくれる。一回読んで終わりではない。読み返して違う面が見えてきたその時の歓びはネットがどうのとか繋がりが早いとかの低層の話とは全く違った世界である。

 

正直、吉田兼好もかなり口が悪い。「何事も先立ちのあらま欲しけり」など、まさに「お前何も考えないで行動して、馬鹿か?」と言ってるようなものだ。

 

ネットの繋がりがどうのこうの言う前に、自分がネットを使ってどのような知識を求めているのか、その求道は愚ではないか?自分は本当に自分を高めようとしているのか?そういう事を考えて欲しい。

 

日曜日の午後、透き通ってひんやりした空気と青空を見つめつつネットで徒然草をぱらぱらと読みながら考えた事でした。



tom_eastwind at 10:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年09月01日

Band of Brothers

このテレビ番組を観ながら痛切に感じたのは、米国は個人を大切にする国ではなくて、個人を大切にしなければ国家として成立しない国なのだって事だ。

 

何故なら移民国家は世界中から移民を受け入れる時に「うちはええでっせー!誰もが法律で守られて発言も自由で誰でも金持ちになる機会があってー」と宣伝せねばならない。勿論「ただね、能力ないとダメでっせ」ということはあまり表に出さないが。

 

それに対して日本は個人を大切にしなくても国家としてまとまるからやっていける。何故なら日本で生まれた黄色人種であればそりゃ日本人、誰もが生まれた時から「日本人」であり純血主義を貫いているから国民に対して国家への誠実を求めるのは当然であり黄色で日本生まれなら国家の為に死ぬのは当然って話になる。だから宣伝しなくても食って行ける国って話になる。

 

ただ正確に言えば人種問題については天皇陛下でさえも元々は朝鮮半島出身でありながらも何世代か経てば日本人という非常に定義不明な民族史観ではあるが結果的に北東アジアの島国で非常に変わった、中国や韓国とは違った歴史を持つ国家となった。脱亜入欧もその一つである。

 

力道山が北朝鮮生まれであるのは史実でありながらも日本人的英雄として扱われてきた。外務省の優秀な血筋である東郷さんちだって元々は朝鮮半島から拉致されて九州で焼き物を作ってた半島人である。

 

話はそれたが、日露戦争、大東亜戦争、国家は国民に対して死を要求した。国民はそれに黙って従い従軍して死んでいった。その数、兵隊が約220万人、民間が80万人くらいか・・・。統計によっては数字に誤差があるが、大雑把こんなところだろう。

 

ただ僕がいつも感じることは、日本は支配側の理屈で社会全体の変化に対応出来た事はないって事だ。

 

日本は何度も危機的状況を迎えて破滅したがいつもその状況から復活したのは優秀な個人であった。結局日本を支えたのは市井の市民であり明治維新においては地方の武士、1945年においては民間の起業家であり、彼らが自分の命を賭けて戦ってきた。役人がやることはそれらの人々の努力を取り上げて自分のものにして国民に服従を強いる事だけだった。

 

Band of brothers」は長編なので週末の休みにまとめて観ないと筋書きが分からない。ノルマンディ上陸からマーケット・ガーデン作戦、そしてアルデンヌの森の戦いと続く場面は、どれもがプライベート・ライアン、遠すぎた橋、バルジ大作戦等など単独で映画になった程の激烈な戦いであった。

 

ぼくがその画面を観ながらいつも思うのは、米軍の物資の豊富さである。戦争のさなかにアイスクリームを食べる時間がありそれを当然とする仕組みがあり、戦いに出れば必ず休暇が取れて、それに代わる兵隊を送り込める仕組みがあった。人を大事にする仕組みがあって戦争をしていた。

 

つまり戦いをする時に人の気持ちを最大限に考慮した上で戦う仕組みを作る、そういう論理性があった。逆に言えばそういう理屈がなければ国家が成立しなかった。一人ひとりの国民を大事にしつつそれでも国家のために戦争に送り込む。その代わり人間として休暇も与えるし食べ物を補給する。

 

だからこの番組を見つつ、ずっと悔しい思いを感じていた。何故同じような仕組みを日本帝国陸軍は作れなかったのか?それは結局陸軍大学校を卒業したエリートが一般市民を使い捨ての道具にしか過ぎないって思ってたからだ。本当の力は国民にあるのに自分たち選ばれたエリートだけが優秀と思い込んでいたからだ。

 

米軍が仕組みを作る同時期に太平洋を挟んだ反対側にある日本の兵隊は「滅私奉公」で休みも取らず死ぬまで戦争をして休みを取ることは国家に対する反逆であるみたいな空気があり、銃後の人々、つまり内地で戦争のために働く人々も「欲しがりません勝つまでは」とモンペを履いて軍事工場で働いていた。

 

ただひとつ日本と米国が違ったのは、日本では陸軍大学を優秀な成績で卒業した支配層の連中は労働者階級を無視して自分だけは美味いものを食い女遊びをして兵隊を最前線に送り出して、戦で負けては部下の責任にして戦に勝てば部下の手柄を取り上げて、まるで半沢の世界を作り上げていた事だ。

 

少なくとも当時の米国では個人の例外は別にして戦時の組織として官僚的支配層が存在せず平時は変わり者と言われた叩き上げ軍服組がトップを占めて常に兵隊の事を考えて最大限の効果を考えた。

 

ぼくは個人的にバカが血統だけで入れる日本の支配層だけは許すことは出来ない。バカがいつも日本のトップで身内の出世争いばかりしているから日本という国はいつまで経っても準一流にしかなれず、せっかく世界でトップクラスの優秀な国民がいるのに全然使いこなせていない。

 

個人的には大嫌いだが今の日本にはシンガポールのリー・クワンユーのような優秀で独創的な支配者が10年くらいいてもらった方が良いと思ってる。但し期間限定、10年、彼は優秀過ぎるからそれ以上やると日本が独裁国家になってしまう。

 

番組に戻ると欧州戦線では出征した多くの若者が死んだ。さっきまで馬鹿話をしていた仲間がたった一発の弾丸で頭を撃ち抜かれて死んだ。

 

勇敢な者から死んでいくのが戦場だ。生き残ったものは誰もが思う、おれは英雄じゃない、英雄は死んでいった仲間だって。

 

バンドオブ・ザフラザースではまさに血で血を洗うような戦いが展開される。ノルマンディー上陸では砂浜に着く前からドイツ軍による機関銃に遭いマーケット・ガーデン作戦では行き過ぎた戦線の先っぽで集中攻撃を受け、アルデンヌの森ではドイツ軍による大型戦車の砲撃に晒され、101空挺師団E部隊は殆ど全滅の状態になった。

 

生き残ったほんの一握りのベテラン、戦争経験者が番組の最初にインタビューを受ける場面が印象的だ。誰もが涙ぐみながら60年前の戦いの記憶を思い出している。

 

しかし彼らはまだしも幸運だ、だって勝ったんだもの・・・。

 

日本は負けた。バカな指揮者と支配層の為に300万人の優秀な多くの人々が死んでしまった。戦争の記憶さえ封印された・・・。

 

それでも敗戦後、日本は復活した。何故か?

 

それは日本に根源的な生命力があるからだ。それは決して支配層からは生まれない力であり、生きている人々一人ひとりが持つ力なのだ。日本人はいい加減に気づいて欲しい、一体日本の何が良くてここまで世界で戦ってくることが出来たのか。それが分かれば次に何をすべきかは自然と見えてくる。

 

それは少なくとも固定的になっている日本の支配者が自分たちの地位を守るために一般国民に日本人が優秀であるという真実を教えず支配層に従って生きることが成功する唯一の生き方であり失敗すれば世の中から捨てられてしまうという嘘を刷り込んだ教育そのものが間違っているという事だから、その正反対の事をすれば日本は世界で冠たる一流国に戻れる。

 

番組を見終わって感じた。戦争中にアイスクリームを食べる連中と戦っても勝つわけはない。竹槍でB29を撃墜することは出来ない。精神力で日本は米国を相手に戦い続けたが、それは一般の無名兵士の努力であり戦時中の大本営は兵士の邪魔ばかりして死地に送り込んだ。そんな戦いにも限界がある。そして日本は負けるべくして負けた。

 

日本の構造はいつも同じであり上に行けば行くほどがバカが増えて一般の人々の邪魔ばかりして日本を滅ぼしてしまう。そして支配層がすべて滅びて初めて日本は再生をする。いつの時代も同じことの繰り返しである。



tom_eastwind at 13:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌