2013年12月

2013年12月31日

苦しくても前へ


決してあきらめない。どんなに苦しくても前へ。それが今年のぼくの言葉だったなー。ほんとに今年は前を向いて進んだ。

「出来ない」とか「常識でしょ〜」とかに全く拘らず「本質は何なのか?」、「誰の為の仕事か?」を突き詰めて動いた。


そう考えるときには政府が自分の権益や役人の利益ためだけに作った省令や通達など関係ない。立法、民主主義における法の精神、個人の財産の自由とか人間としての権利の保全を優先するのだ。


ぼくは法を守る、だがぼくが守るのは法の精神であり条項や通達ではない。法の精神を守るためには相手が役人でも戦う。彼らが法の精神を持ちだして正面から議論するなら話しあおう。その結果として彼らの理論が正解であればぼくも従おう。


しかし、そうではなく政府権力だけを使い通達一本で人を押しこむようなことをするならば、戦う。


ぼくは暴力による規制は嫌いだ。話し合いによる規制は従う、それは社会が維持継続するために必要な規制だからだ。しかし相手が暴力をふるってきたら?相手が誰であっても戦う。普通の人々にはまず想像出来ないような方法で。


ちょっと話は逸れるが社会の規制を守りつつ自由を最大限に享受するのは本当にバランス感覚の必要な作業だが、これを可能にするのが読書だと思っている。


今更読書?って思うかも知れないが、とにかく本を読んで欲しい。そこには人間の英知が込められている。本を読むだけで一段階進化する、それほどの内容を、良い本は持っている。田山花袋とか谷崎潤一郎とか野坂昭如とかのエロ本哲学でもOK,とにかく活字に慣れる所から始めて欲しい、そうすれば次第に良い本がわかってくる。


僕自身、本を読むことでたくさんの事を学べた。最終学歴は高卒でしかないが本を読むことで論陣を張ることも戦略を立てることも学び、実際にそれを25年の海外生活で実行してどんな戦の時も攻めと守りと退却を学び生き残ってきた。


だから一部社員の中でも「こいつ、今年はおかしくないか?」なんて思った人もいるだろう。けど、今やるしかないのだ。後2年ですべての新しい体制が出来上がる。そうなってしまえばもうやり直しも出来ないし後戻りも出来ない。だから去年までのように自分の速度でゆっくりやることは出来ないのだ。


江戸時代の近江商人が三方全て良しと、顧客、取引先、自社にとってすべてが良くなるようにビジネス・モデルを作ったと言われているがぼくもまさにその気持である。


海外で、何の縁もない場所でゼロからビジネス・モデルを作り上げた。何の信用もないところからとにかくひたすら顧客の利益と取引先の利益を考えて一番最後に自社の利益を得て、しかし多くの場合は自社の利益さえ取り崩して顧客と取引先の利益を優先してきた。


その結果として何とか今の信用を作り上げ、尚且つ自社の利益を確保してきた。そんなぼくにとって唯一あるのは「信用」だけだ。


その信用を守り顧客のために戦うには、これから来る2年が勝負だ。誰しも目の前に来るまでは見たくない事がたくさんある。しかし何の備えもせずにいざ津波が来たら流されて終わりである。

僕には二年後の波が見える。


あなたは終わりたいのか?生き残りたいのか?


生き残りたいなら戦え、頭を使え、常識を疑え、苦しくても前へ進め!



tom_eastwind at 12:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月30日

ニュージーランドのリタイアメントビザに関して

これもまた年末のNHKのニュースで見つけたのがリタイアメントビザに関して。4100万円で2年間滞在出来て、65歳以上ならOKという簡単な内容だった。

 

オーストラリアとか他の国との比較の中で出てきたが、実際に必要な投資額は75万ドルであり現在の為替レートだと約6500万円になる。為替レートを古いデータで検索したのだろう。

 

1ドル55円の頃の相場で計算しているのだろうが、分かりやすいようにって日本円で表示をしたのだろうが逆に誤解を招く。これで当社に問い合わせが来て「4100万円でいいんですよね?NHKで言ってたんですから」なんて言われても投資額はNZドルで75万ドルであるのは変わり様がない。

 

実際他にも健康診断や資金の投資先など様々な条件はあるのだが、NHKからすればそこまで書いてたらきりがないってのもあると思う。それでも天下のNHKが放映してくれただけでいくらか興味を持つ人が出てくればニュージーランドにとっては有難い話である。

 

ただこのビザ、実際に申し込みをしているのはいまだ3組という状態である。ちなみにそのうちの2組は当社からの申し込みだ。このビザって実際には適応する対象者が意外と少なく申込者が実際にビザを検討していくうちに様々な選択肢があるのが分かり、だったらこっちでいいやとビザの方向性を変える人が多いからだ。

 

もちろんうちのように日本人を顧客とする者からすればこの枠は使い勝手がありそれなりに有難いのでこのまま維持しておいてもらいたいビザだが世界的にはあまり人気がないのがよく分かる。

 

そうそう、話は逸れるが沖縄の思いやり予算の数字を書いたら「あのね、いつも誤解が多いようだが、思いやり予算は貴方が考えているほど小さなものではなく、地主への基地賃貸料や沖縄住民の雇い入れ費用をあわせると膨大なものになる。」という書き込みが来た。

 

「あのね、いつも」なんて、そんなこと言われなくても知ってるっちゅうに。沖縄に関して日本政府が払っているお金は多岐にわたっている。僕自身多少ながら1980年代から沖縄の米軍に関して関わりを持っており実態は理解している。だから予算は実際はもっと多い。

 

最初は5千億円と実態に近い数字を書こうかとも思った。しかし5千億円と書くと「いや、それは多すぎる、クソ左翼め!」と言われるし、かと言って「国防費ですから少ないくらいです」と書くと「クソ右翼め!」と言われる。ぼくは右翼でも左翼でもなく中道。だから分かりやすくウィキに書かれている「一応公式数字」を使ったに過ぎない。

 

他にも農業関連の数字を持ってきても良かったのだが、あの文脈はそこがポイントではない。文脈のポイントは「首都高修理の予算が高いか安いか」であり、その脈絡の一つとして思いやり予算や医療費を比較対象として計上した。

 

思いやり予算をどこまで組み入れるか計上するかについてはそこが議論のポイントではないので誰もが分かりやすいウィキから引っ張ってきた。だから数字が1881億円なのか5千億円なのかはこの際ポイントではないのだ。

 

しかしこういう文章の脈絡って分からないんだろうな、実名も書けず匿名で赤の他人に命令口調で文章を書くって程度の脳味噌にはなー。自分で文章書く訓練すればすぐ分かる事なんだけどなー。他人の話に匿名で書き込み生産性ゼロの無意味な書き込みをするより「もうちょっと」自分でブログ書いて生産的な仕事して頑張れって言いたい。

 

話を戻すとリタイアメントビザだが、このビザは2年間滞在出来てそれ以降も投資を継続すれば延長出来る。とここまで書いたが、これ書くと「嘘!」って思うかもしれないが、このビザ、まだ運用方針が明確ではない。

 

というのもこの国の基本方針として「まずやってみよう、ダメだったら訂正すれば良い」って発想で動いてるから、様々なケースを想定せずにいきなり開始したのがこのビザだ。もちろん取得する方からすれば有難い話だ。カネさえ払えば住めるのならそれに越したことはない。

 

このビザ枠について延長を問い合わせを入れたら移民局「はあー?延長?」みたいな感じで、要するに延長を想定してない事が分かった。だもんで「延長、出来るよね?」って確認すると「う、うん、できるよね、規定には延長出来ないなんて書いてないから・・」って役人言葉で返事が来た。

 

ニュージーランドはのんびりした国であり良い点なのだが日本のような「きっちりさ」とか「想定の範囲を広げる能力」には乏しい部分があるのも事実だ。

 

今年は起業家ビザが大幅に締め付けが広がり年末オークランドに残ってた移住チームは大騒ぎだったようだ。ほんとに3ヶ月単位でビザルールが変更されるのは大変だ、日本では理解出来ない話だろうが。

 

ぼくは1214日にオークランドを出たのでそのドタバタ現場を見ることはなかったが、ほんとにビザってのはややこしい。紙に書いてる部分と実態の乖離、キーウィらしいおおまかさ、やってみて考えようって気楽さ、どれを取っても日本と根本的に正反対の場所からモノを見てる。

 

来年は投資家ビザまたは労働ビザから入るのがいいかなー、この仕事、ほんとに生き馬の目を射抜く瞬発力が必要だなー、そんな事を考えつつ今年も残るとこあと一日となった。

 

東京は今日も快晴。

 

来る2014年を考えるとぼくの仕事は「天気晴朗なれど波高し」である。波の高さは相手次第なのでまだ分からないが、乗り越える自信はある。相手よりも機動的で瞬発力があるからだ。どんな高い波もリップカールの手前で乗り切れば飛び越せる。

さあ、戦うぞ(にこ)



tom_eastwind at 12:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月29日

ココイチ

今日は夜の面談まで少し時間があったので目黒駅まで10分ほど歩いてココイチのカレーを食べてユニクロの下着を買いに行った。これって旅の中で唯一楽しめる出来事です。

 

普通の人には理解出来ないでしょうけど、ぼくはどうも頭の作りがおかしいのか、ややこしい事はすぐわかるけど簡単なことが全然わからないという変わった性格があるのです。

 

ココイチのカレーを食うとかユニクロで服を買うとかなんて普通の人には空気を吸う感覚のようなものでしょうが、ぼくにとってはまるで東大の試験を受けて、おまけにいつも失敗することなのです。

 

でもって今日はガーデンプレイスを歩いて出てまずは権之助坂にあるココイチをかなり苦労して見つける。ラッキー!ところが問題は椅子に座ってからだ。めにゅーが思い切りややこしい。具を選びソースを決めて量を選び付け合せ・・・結局全部決めるのに約10分。

 

選んだ牡蠣カレーは美味しくて良かったのだがソースの中に入ってるあさりはカレーには合わないかなって思った。

 

お勘定を払ってアトレに向かい、ここはAB館があるんだなって思いつつユニクロを探す。正面にあるのがA館でユニクロはB館で、だから反対側から入れば良いのだな、でもって4階に上がるのだな、お、調子いいじゃんなんて思いつつ狭いエスカレーターを登る。

 

登ったところの標識にユニクロはこっちって書いてて、見ると服がたくさん並んでいる。おまけに小物もある、へー、ユニクロはビジネス広げてるんだ。ところが下着を買おうと思って探すとユニクロらしくない商品しかなくて、何だやっぱりちっちゃい店では品揃え悪いなーなんて思いつつ、それでも下着買い替えが必要なので取り敢えず靴下とかシャツとかを選んだ。

 

次にレジに行くと横に袋ラーメンが売ってる・・・。あれ、ユニクロってラーメンも手がけてるんだ、そう言えば昔食材ビジネスをやってたもんねー、またも新しいビジネスを始めたのかー、そんな事を思いつつレジでお金を払う。

 

するとショッピングバッグが出てきたのだが、そこには無印良品と印刷されている。

 

ほー、なるほど、ユニクロは無印良品と提携しているんだ、競合部分もあるけど提携する利益もあるんだな、たいしたもんだ日本のビジネス!なんて思いつつお金を払って領収書を見ると、そこには明確に「無印良品」と書かれていた・・・・。

 

つーことは、ぼくは今までユニクロで買い物していると思ってたその根底が全く違ってて、店を間違って無印良品をユニクロと信じて買い物してたのだ・・・。

 

ここまでくればまさにバカの極みであるが、実はぼくはこの手の一般社会での勘違いが多いのだ。僕の脳味噌はどうやらそういう作りになってるようで、複雑になればなるほど答を見つける事が出来るのだが、普通の人が日常で常識として知っている事が全く理解出来ないのだ。

 

何故なら彼らの理解は「お互いに言わなくてもわかってるよね」が前提であり毎日通って慣れてるから何の疑問もない。ところがぼくの場合はどうしても理詰めで考えてしまうからココイチカレーの注文にしても自分が正しい答を出しているのかどうかさえ分からないのだ。

 

たぶんこういうのって世間では「かたわ」とか言うんじゃないかな(苦笑)。普通の人には普通に理解出来るのに、ぼくはどうしても理解出来ない。その代わり普通の人には絶対に理解出来ない様々なビジネス・モデルや節税対策を作ることが出来る。山手線を逆に乗る程バカであるが10億円単位のお金を合法的に節税出来るのは得意なのだ。

 

これって本当に何なのか?おれは数学の先生でもやった方が良かったのかって思ったりするほどであるが現実は現実。この3日間、東京でずいぶんと濃い会議を持ち提案を行いお客様に実現可能性及び利益と不利益を説明する。

 

あのさー、そんな俺が日本のケータイ電話使えないからって怒るなy−。ほんとに分からないんだからさー。適材適所、おれは難しいことは出来るけど簡単にケータイをアクティベートにするなんてのは俺にとってはちょー大変なの!→ これは個人的な社内的愚痴です・・・(苦笑)。

 

適材適所です、ぼくにケータイの使い方とか目黒アトレの買い物の仕方とか聞かないで下さい(苦笑)、その代わり家族の為にお金を残したいのなら聴いて下さい。あなたの思いもつかない提案が出来ます。あとはあなたがその提案を実行するだけの腹があるかどうかです。

 

じゃ、ばいっす!



tom_eastwind at 14:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月28日

東京の空。


NHK
の番組は最近良いものが目立つ。食わず嫌いは趣味ではないのでどんなクズでも一定期間に一度は食ってみる、テレビで言えば民放がクズ化してると描くだけではなく実際に時々見て評価する。がしかし背景音楽としてもあまりな雑音で10分持たずテレビを消してしまう。それに比べるとNHKは時々点けて偶然目に入る特集番組などが見飽きない。

 

首都高速を51歳の老人に例えてオリンピックに向けた修理をテーマに特集をやってた。修理費用合計9100億円かかるとの事。前回の東京オリンピックに向けて短期間で作ったため土地買収などがうまく進まず、川の上に橋を架けたりした結果として江戸時代から続く日本橋をかぶさるように作られて、今の時代からすれば見苦しい様相がある。

 

しかしそれでも当時は「早いことは良いことだ」と高速道路に期待が寄せられ実際に大活躍して今も利用されている。

 

51年経過して今は老朽化して全面修理の必要が出てきて、そこにオリンピックであるから、これを機会に大改装することになるだろう。とくに都内の意見の中には「日本橋の上の部分を移動出来ないのか?」という案が出ている。何となくだが、これを機会に日本橋のあたりはルート変更するのではないかと思う。

 

9100億円は高いと思うかどうかは費用対効果の問題である。日本が米軍に払っている思いやり予算は毎年1881億円である。これなど国防に繋がっているからある意味必要経費といえるかもしれない。

 

しかし仕事もせずに不摂生を続けて飯を食い過ぎタバコを吸い酒を飲み運動もせず糖尿病になり現在は毎年31兆円かかっている医療費などはまさにだらしない一部国民の無責任から発生している無駄金である。

 

毎年31兆円を医療費に使っているがそのうち数兆円を遣った対象者は5年以内に死んでたりするならホスピスたくさん作って「最後の日々」を医療ではなく「なぐさめ」にして痛み止めだけ用意して後は安楽のまま死を迎えるくらいにすればそれで医療費は抑えられる。

 

抑制した医療費分を首都高対策費にすれば東京のインフラとして次の50年にわたって長期に使える首都高速への9100億円は十分に費用対効果が合っていると思う。

 

特集では1960年代の高速道路建設の様子や街をすっ飛ばす車、超満員電車で乗客の背中を押し込む場面などが流された。1960年代には「早いことは良いことだ」みたいにタクシーまで超特急で飛ばす「カミナリタクシー」などもあった。

 

が、今の時代少し立ち止まってゆっくりと周囲を見渡してみれば東京の違った景色が見えてくる。しかし現実は今も人々が忙しく走り回り他人にかまってる余裕もなく自分の利益のみを追求して共栄しようと言う発想がない。

 

首都高速の改修と合わせて人々が少しゆっくり出来る仕組みに変えていけば、それだけで東京は人に優しく生きられる街に変わることも出来ると思うのだがな。急ぐ必要はない。立ち止まって考えてみる必要があるのではないか?今の生活だけが選択肢なのか?首都高速の改修と合わせて21世紀の人の生き方をもう少しゆっくり、選択肢を広げることは出来ないものか。

 

などと思ってたら、昨日も今日も山手線ダイブがあったようだ。昨日はバーのカウンターで飲みながらパソコンで仕事していたら隣りに座った客が友達と「今日人身事故でさー、参ったよ、予定が大幅に狂っちゃってさー」との事。今日は今日で面談予定だった方から突然メールがあり「山手線で人身事故がありました」との事。

 

年末の今、電車に飛び込んで自殺しなければならない人は目の前の現実から逃げられて幸せだったのか?飛び込む前に少し立ち止まってゆっくり考えてみる余裕はなかったのか?他に解決策はなかったのか?なかったんだろうな。他人の死で自分の予定が変更になった人の事情よりも飛び込むしか選択肢のなかった人の事情に心を傾けてしまう。

 

ニュージーランドではお金のために自殺をしたというケースはない。そのような状況になる前に政府や自治体や周囲が何らかの救いや解決策を提供してくれるからだ。

 

早いことが良いことだ、急ぐだけでまわりに気を使うことも出来ず、気を使っていたら自分が取り残される街。これだけ忙しい街で生活の質をどう維持していくのだろうか?それが結論として他人の自殺を無視出来るようになり新聞のニュースにも載らない世の中に慣れるという事だろうかな。

 

ぼくが以前よく使ってた言葉が「日本はマネーリッチ、ニュージーランドはマインドリッチです」だった。本当にニュージーランドはカネはないけどゆっくりと周囲を見渡して他人に気を使う余裕があって人々は常に笑顔を浮かべ道行く人々が譲りあう、はるか昔のような日本であった。

 

1980年代までは日本人はマネーリッチで豊かだった。早いことが良いことだ、忙しさの代償としてお金が得られた。

 

しかし21世紀になり為替の変動や物価変動の為に日本の最低賃金はニュージーランドの最低賃金を下回ってしまった。平均賃金でさえも日本とニュージーランドに大きな違いはない。すでにマネーリッチとさえ言えなくなったのに仕事の苦しさだけは以前以上である。

 

かたや残業もなく土日は完全にお休みで家族と過ごし年休1ヶ月は完全消化、人々は今も笑顔で他人に気遣いが出来る。かたやブラック企業などと言う言葉が出てきて人々は仕事に苦痛を感じつつ働きストレスを溜めていらいらしながら毎日を過ごしている、ただ生きるためだけに。

 

智恵子は東京には本当の空がないという。そうかもしれない、今も昔も。



tom_eastwind at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月27日

生きる

「死に至る病」というタイトルの本を見かけた。癌とか何とか官とかの傾向と対策本である。これからこういう手合の「いかに長生きするか本」が出てくるのだろう。死に至る病気の種類と傾向と対策本が出てきて、病気に関するたくさんの質問に対していかに早く正確に答えられるかのクイズ番組とかが出てきたりして。

 

しかしいつも思うことだが、人はいずれ死ぬのだ。死に至る病はたくさんあるが死ぬことは間違いないのだ。それに誰も自分の運命なんて知るわけがない。長生きするためだけに生きるってのは人生を楽しむのではなく一日でも長く生きる事を楽しむだけでしかないが、それって本当に楽しいのかな?なんて思ったりする。

 

ちょっと話はそれるが、今日はあるお客様と話す機会がありその際に出てきた話であるが、医療を考える時に一般的な日本人が欠けている視点があることで意見が一致した。それは健康保険を払う時はブツブツ文句を言うくせに自分が治療を受ける時は最高のレベルを要求するって事だ。

 

これは僕がオークランドで実際に経験した事であるが。数年前にちょっとした検査で手の平に注射を打つことになった。ところがお医者さんは大学を出たばかりのようで慣れておらず3回ほど挿しても血管を見つけられず申し訳無さそうな顔で「ごめん、まだあまり慣れてないんだ」と素直に謝ってくれた。

 

ぼくは彼に「大丈夫、どんな名医でも最初はビギナーさ、おれで良ければ練習台にしてくれ、けど5会までね」と言った。患者が医者を育て医者が患者により良いサービスを提供する、そういう土台なしにどうやって公共医療が維持されるのだろうか?

 

日本では大学を卒業して現場に出る医者は最初から最高の名医なのだろうか?そんなのあり得ないわけで誰だってたくさんの患者を診察しつつ腕を上げていくわけで、彼らは一万回に一回の失敗をしないために必死で勉強をしている。

 

ニュージーランドでは「人は失敗するものだ」という厳正な事実を前提にシステムが出来上がっている。だから努力した結果として失敗してもそれはある程度容認される。だって失敗するたびに告訴されてたら誰も医者なんてしないよ。

 

ところが日本では「失敗は許さない」という前提がある。そんな状況で医者なんてやってられるか?現実にミスの起きそうな専門科や訴えられそうな地域では医者が働かなくなっている。結果的にその場所では医師不足になっているが、これこそまさにバカの自業自得である。

 

話を戻すと、幸せになりたいと言ってる人が幸せになるような生き方をしているのだろうか?長生きしたいと思ってる人が長生きするための生き方をしているのだろうか?もっと根源的に言えば生きる意味を成すような生き方をしているのだろうか?

 

この世に生きることは手段であり目的は幸せな生活を送り子どもたちのためにより良い社会を構築することである。しかし現実は体中チューブだらけにされても自分の肉体だけは保存しておこうとするのが目的となっておりそこに精神的な「生きる」という本来の意味は全く含まれていない。

 

子どもたちの将来のために何かするって事が無視されているだけではなく、自分が何故生きているのかが全く考慮されているのが現実だ。

 

別件で調べてて、一日三食は食べ過ぎというデータを見つけた。要するに現代人は運動せずに食べ過ぎでタバコ吸ってそれで糖尿病になりバカ高い医療費を健康保険から払っている、どうしようもない脳なしのクズってことだ。

 

これじゃ禁煙して運動して食事に気をつけてる人が払ってる健康保険料がクズのために消費されてるって事である。これって公平か?

 

自分たちが不摂生をしていながら長生きしたいとか、自分たちが子どもたちの為に良い社会を作らずに自分たちだけ逃げ切って長生きしたいとか、けど長生きして何をしたいのか?あなたは何故存在しているのか?

 

存在価値がなければとっとと海の中に潜ってお魚さんの餌になってほしい・・・あ、けどそんな魚は食いたくないから樹海あたりで潜ってほしい。。。あ、けどそうなると死体の養分が木に染み込み河川に毒を流すから・・・うむむむ、難しいな、焼いてしまえば大気を汚すしなー。

 

こうなるともう「褒めればのぼせてけなせば怒る、殺してしまえば化けて出る」みたいなもので社会のセシウムゴミである。

 

生きるってことは何だろう?長生きすることか?違うよね、この世に生きたって記録を残し、その記録が人々を幸せにする一助になった、そう感じることだよね。だから水難に遭った人を助けて自分が死ねば年齢に関係なく讃えられるし社会に貢献して雇用を生み出したり納税すればそれが満足と生き甲斐につながったりする。

 

「死に至る病」の傾向と対策を考えることは健康管理として大事ではあるが、その前にあなたの人生って生きるに値する生き方をしているのか、胸に手を当てて考えて欲しいって感じだった。



tom_eastwind at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月26日

世はなべて事もなし、なのかなー。

唐津と長崎など九州各地を回る家族旅行を終えて福岡に戻り、翌朝の飛行機で東京に戻ってきた。さすがに師走であり羽田空港から大きな荷物を抱えてタクシーに乗ると恵比寿までたっぷり1時間かかった。道路は混み合い人は出回り大変な騒ぎである。それにしても東京は人が多いなー、改めて実感した。九州で約一週間滞在した後だけに東京の混み合いはすごいなーと違いを感じる。


クリスマスにしても東京の浮かれ方と九州のゆったりしたクリスマスはずいぶん違う。クリスマスは九州の大きな温泉旅館で家族でゆっくり過ごせたので取り敢えず父親としての役目は終了、今朝のキャセイ航空で家族を香港に送り出すとその足でぼくは国内線に移動、日本航空の機内ではひたすらぐっすり寝て午後からの仕事に備える。


ところが冒頭に書いたように都内の移動に時間がかかったものだからホテルに予め送ってあったスーツに着替えて東京駅付近でお客様と待ち合わせするのがほとんどギリギリ、いやまー師走ですね。


仕事を無事終わらせて街に出ると、何と夕刻の東京駅前のイルミネーションにすんごい大行列が出来てて警備員が大勢出て交通整理をやっており、おちおちタクシーも拾えない程の混み具合だ。


しかしこんな景色だけ見て「日本は景気良いねー」なんて言うガイジンもいるのだろうが、地方に行けば今もシャッター街が続いており歩くのは老人しかいないなんて地方都市があるのだ。このあたり、東京では賑やかで高級時計が売れているのに田舎に行けばあいも変わらず月給12万円なんて仕事も存在するのだ。


そう言えば昔の話だがある地方都市の駅で次の電車を待っていた夕刻。どこかからおばさんがいそいそと近づいてきて僕が地元の人と思ったのだろう、いきなり警察はどこですか?と聞かれた。場所を知ってたので駅前交番の場所を案内すると「警察はまだ開いてますかね?何時に閉まるんですかね?」との質問・・・。そうだなー、警察って営業時間あったのか(笑)?


田舎はそれほど素朴であり特に田舎の村に行けば皆が顔見知りで犯罪など考えられもしない。その代わり娯楽といえば盆踊り。都会は賑やかで娯楽に満ちているが犯罪にも満ちている。


安倍首相がいよいよ靖国神社参拝をした。経済も上昇、普天間問題も進展あり、中韓とは当面仲良くする必要もなし、政府支持率も50%超え、この状況は安部首相にとって最も自分の主張が出来る時期だった。


朝日新聞が部屋に届き久しぶりに天声人語を読むと「自分の思いのためなら国益を失っても構わないというのか」と書いているが、では朝日新聞の思う国益とは何か?新聞の消費税免除か(笑)?


安倍首相の思いは間違いなく国益である。自分の私益ではなく日本を独立した良い国にしたいと考えている。朝日新聞の主張することだけが国益ではなく安倍首相の信じるところも国益なのだ。ただその方向性が違うだけだ。


ただ僕個人は安倍首相の進む道が間違いなく日本人一般個人からすれば茨の道になると思っている。何故なら彼の目指す道は戦前の日本のように一部のエリートがすべてを支配する国だからだ。「日本」を守ることがすべてでありその為に「日本人が死ぬ」ことは当然という考え方だ。


死に方にもいろいろある。医療費を削減して国民が病気になっても医療にかかれずに病死。仕事が見つからずに生活保護を申請しても水際排除で山手線ダイブ。仕事を見つけてもストレスと長時間労働で過労死。給料が安くて家庭も持てず将来への不安から自殺。もしくは自衛隊として戦争に生き戦って命を失うか(この死に方が一番きれいかもしれない)。


生き残るのは人の良心を忘れて会社のためにご無理ごもっとも、会社の常識は人間の非常識と納得して社会に適合する人々だけだ。そうやって社会を、まず東大を出た官僚が日本株式会社の役員として最高の位置に配してその下に現場部隊として大企業の社長や重役を並べる。


第三番目に来るのが大企業の社員で、そこから下、中小企業などはいつでも切り替えが出来て捨てられる存在でありサービス業も同様の、社会の最も低位の層となる。


来年の税制大綱では大企業優遇、一般国民向け増税が明確になった。法人税減税の代わりに一般国民に大増税をする。そして富裕層が外国に逃げられないように法整備した上で世の中の一握りの富裕層を叩き潰して庶民と同じ生活に落とす。これは靖国と違い外国に文句を言われる筋合いはないのでやりたい放題である。


そう、こうやって社会は皆全て平等、資産は死ぬ時にすべて政府にお返しして政府が自由裁量で使い国民すべてが総中流となるのだ、トップクラスの官僚や支配層だけ除いて。


こうやって「世はなべて事もなし」、かくして日本社会は安定していくのだ(苦笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 16:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月23日

諫早、開門せず。

ちょうどこの日、ぼくは唐津から佐賀経由で長崎に向かう途中だった。「あ、あれが諫早水門か・・・」と見つつ長崎に着くと、ニュースで流れたのが「諫早開門せず」だ。

 

日本政府は確信犯的に裁判所命令に逆らい、開門すべき諫早の水門を開門しなかった。勿論そこには地元の確執問題がある。福岡高裁と地裁の判決が違っており国としても答が出せないのだろう。

 

しかし高裁の判決が確定している以上、本来であれば法律を順守して開門すべきである。司法が明確に開門しなさいと命令したのだ、それに逆らい実行しないのであれば行政府が法律に従わないのであり、どう考えてもこれは法治国家ではない。

 

議会で作られた法律で決まった事を実行するのが行政府の仕事であり行政府が間違った場合司法が訂正し行政府はそれに従う。それが三権分立である。

 

諫早開門は佐賀県と長崎県の間の引っ張り合いであるが、一番の問題は漁民の政治的知識のなさに突っ込まれて団結の弱さに突っ込まれて政府に利権を奪われたことである。

 

しかしそれはケースバイケースの問題である、大事なのはその根底に流れる下々の自己防衛感覚である。あまりに自分の危機感がなさ過ぎる。

 

僕らはもっと政治的認識を持って自分の置かれた立場を考えるべきではないだろうか?おりゃ学のない百姓だと言って成田闘争で田んぼを潰され、おりゃ頭の悪い漁民だからと言って諫早の海を奪われ、おりゃお上の言うことを信じるからって水俣病を発生させ、常に下々の頭の悪い連中はお上に各個撃破されてきた。

 

お上は下々を潰す時は常に法律を持ってくる。法律がなければ法律を変えて来る。そんなお上を「わしゃ頭が悪いから」とか「おりゃ学がないから」と逃げてばかりで自分の家族や自分の村が守れるか?!

 

一番ダメなのは世の中が民主主義というシステムになっているのに自分を変化させようとしない下々である。理屈とか俺はどうかなんてどうでも良い。人生は戦いだ、その場に踏みとどまって戦うなら法律や政治知識を身に付けろ。

 

それなしに毎日脳内蝶々で生きてきて「おりゃ漁師じゃー!」とか粋がっているだけで自分がやってることのデータも取らず政府が喧嘩売ってきた時に戦う武器も持たず、かと行って他の街に行って生き残る能力もなく、結局政府のいうママに従うか、勝ち目のない負け戦を行うことになる。

 

日本政府は必要に応じて平気で法律を変えるし法律を破る。そんな連中を相手に股を開いたままでいていいのか?

 

生き残るためには戦え!学べ!法律とは本来政府を縛るものである。政府は絶対的権力を持つからそれを縛るために作られたのが法律である。法律は本来国民を縛るものではなく政府の権力を制限するために作られたのだ。

 

だから法律は常に「この犯罪を犯したら最高xx年、罰金最高xx円」と決めている。これは「政府及び司法はそれ以上国民に対して懲罰を与えてはいけない」という意味である。政府に対する牽制なのだ。

 

なのに国民は法律は国民を縛るものだと勘違いしている。根本的に民主主義を理解していないのだ。それなのに何かあればすぐ「民主主義最高!」って騒いで結果的に政府に利用されている。馬鹿の極みである。

 

ぼくは諫早水門については現在の国交省のバカな仕事であり八ッ場ダムと同じようなものだと考えている。自分の利益だけ考えている東大卒の役人が作ったものだ。しかしそのような政治システムを政治を通じて変えようとしない国民が実は一番の問題であるのだ。

 

政府は国民一人一人が生まれる度にバカになるように教育制度を作り自由な発想をする子供をすりつぶす教育をしている。考えてみればよい、あなたは子供の頃に「あなたの頭で夢を語りなさい」と言われて、けど失敗したら「だから言ったでしょ!失敗したらダメ!」って言われ、失敗しつつ学ぶことの大事さを見事なまでに奪われて、とにかく安全第一とか失敗をしちゃダメだとか、国民自身が国民を監視する江戸時代の「五人組制度」が平成の現在も続いている。

 

諫早開門だけでなく選挙の一票の格差是正もやってない。政府は都合の良い時は法律を盾にして国民に強制して都合の悪い時は司法命令を無視して、そんな政府が国民の為に行動している、正しいと思うのか??

 

諫早の問題は地方のちっちゃな問題である。だから他の地方の国民は無視している。しかしそうやって政府は各個撃破するのだ。国民すべてが同時にすべての地方の問題を提出して国民デモを起こせば、警察でさえその総数で一般民を上まっておらず戦うことは可能である。

 

戦うなら組織を作れ!組織を作れないなら戦う場所を変えろ!

 

1800年代のイタリア人がイタリアの窮乏に嫌気を差してニューヨークに移住してコーザノストラを作ったように、自分の戦う場所を選び勝つための戦をしろ。

 

その為にこそ自分が一人でどうこうするのではなく組織を作り政治的発言力を持つことが最高の生き残り戦術なのだ。

 

諫早を通り過ぎ長崎に着き、駅から歩いて5分程度のホテルに到着した。坂の上にある亀山社中を再訪した。りょうまのぶーつがあるところだ。

 

りょうまくんはこの場所を覚えていたようで「え!ここ知ってる!りょうまのでしょ!」と喜んでくれた。

 

坂本龍馬は土佐藩の下級武士商家に生まれたが彼の頭に上下関係はなく人々はすべて平等であり政府なんて見下げた連中の集まりだと考えていた。お上とは政府であり政府は自己満足の為や自己保身のために生きる、そういう事をよく理解していたから亀山社中でビジネスとしての仲間を作った。

 

もし龍馬が諫早水門を見たらどう思うだろうか?甘えた農民、目先の利益に走る政府、構造的に変化出来ない官僚、もしかして真夜中にもぐり込み水門を無理やり開けて「うらー!これが真実だ!」とテロリズム的に訴えるだろうか?それともバカを放置して新天地を求めるだろうか?

 

この国が法治国家なのか?この点では明確に言える、中国よりも北朝鮮よりも良く出来上がった全体社会主義国家=共産主義国家であり、法律や警察は権力のために動いているって事を。



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2013年12月22日

唐津 洋々閣

「ねえお父さん、唐津の津って“港”って意味があるの?」

ちょっとびっくりしたように娘が聴いてきた。花山の翌日、地下鉄を利用して約80分、学生服姿の若者をたくさん見つつ博多駅から唐津駅に移動して駅内の様々な資料を観ていた時のことだ。

 

駅内には簡単ではあるが案内所もありそこには日本語で「唐津は日本が唐と貿易をしていた時代から日本側の港、津として使われていました」と書いている。1400年くらい前から中国と貿易をしていた街はさすがに歴史がある。江戸、てか東京がまだぺんぺん草しかなかった時代に既に中国の最先端の文化を取り入れて発展した街、それが唐津だ。

 

むすめからすれば今の日本と中国の喧嘩は少しは気になるが、それよりは毎1時間ごとに喧嘩して毎30分毎に冗談を言って毎15分毎にきゃっきゃと笑ってる両親の方が余程気になるのだろう、こういう中国と日本が1000年以上も貿易をしていた事実、米国よりも英国よりも古い付き合いのある国ってのがわかって「ああ、だからうちの両親もしょっちゅう喧嘩したり笑い合ったりしているんだー」なんて納得しているのかもしれない(苦笑)。

 

日本と中国は現在非常にやばい関係になっているが、1400年くらい前から付き合っている国である。時には貿易をして時には元寇で攻め込まれ神風に救われて相手を撃退し、それから数百年は仲良しの貿易関係が続き沖縄を通じて仲良くしてきた。

 

その後明治時代になり中国の清朝に反対する中国の若者は日本に留学して勉強して政治を学んだ。日本でも長崎や福岡の国士が孫文や魯迅を応援して資金的スポンサーにもなった。中国でそれまで存在しなかった欧米の考え方を漢字で導入もさせた。中華人民共和国のうち人民と共和国は両方共日本生まれである。

 

孫文が中華民国を作るが国内の派閥闘争で失脚したり地方の軍閥が台頭して中国がめちゃくちゃになると日本が乗り出して、その頃から日本側でもスケベ心を出した連中が国士とは違う動きを見せて中国侵略をした。

 

しかし侵略と言っても当時は世界中でどこの国もが行っていた行為でありある意味乱れた隣国を救うための方法であったと言える。少なくともその当時の中国人に任せたままでは人民の虐殺の被害は更に広がったであろう、その意味で欧州の侵略に比べればずっと「まし」であるし、第一当時の価値観を現在の物差しで計ることは出来ない。

 

もし現在の価値観で過去を語るとすれば明治の元勲などはスケベオヤジばかりであり不倫で訴えられてもおかしくない話である。

 

なんて事をつらつらと考えつつ、今日は時間があるので旅館まで歩くことにした。歩いても1時間はかからないようだし。でもって駅前からバスセンターまで歩くと、途中に城下町や町家の案内などがありその歴史の長さが良く分かる。

 

ただ、途中で通り過ぎる人の多くが人殆ど老人だ。シャッターを閉めたままの店も目立つ。老人は背中を丸めて杖をつきゆっくりと歩いてきてバスを待っている。センター内の喫茶店に行き昼食を取るが、その時も後から入ってきた背中を丸めたお婆ちゃんが隣のテーブルにチョコンと座る。

 

ところが注文したのはサイコロステーキランチで、料理が出てくるなりばくばく食ってた。なるほど体力はしっかりではないですか。

 

そのうち奥さんがこそっと聴いてきた。「ねえお父さん、この街って老人しかいないけど、若い人ってどこに行ってるの?途中で学生さん見かけたけど、彼らってみんな福岡に行ってたよね」

 

この唐津でも福岡を中心としたストロー現象が起こっている。何も変化しない唐津。老人が支配する唐津。そこでは何も変化せず変化を嫌う老人が街を支配している。そんな街に抵抗を覚える若者は自由にやりたい事が出来る福岡を目指す。

 

それから美しい天守閣を持つ唐津城を眺めつつ舞鶴橋を渡り、今日は子どもたちに日本の旅館と畳部屋と布団で寝ることを知ってもらいたくてあえて大正時代から続く古い旅館、洋々閣を選んだ。和室の畳にびっくりしつつふすまを開けると奥に布団が入ってるので子どもたちはびっくり(笑)!

 

玄関から小上がり、靴を脱いで板張りの床はよく磨きこまれ部屋番号はあるものの実際は「小富士」など部屋ごとに素敵な名前を付けられており、部屋ごとに仲居さんがいて面倒を見てくれる。

 

りょうまと二人でお風呂に行くがこぶりながら静かで手足が伸ばせて二人でごろーっとする。奥さんと娘は部屋にある檜風呂に入ったのだが「すんごいねー、香りがいいねー」と喜ぶ。

 

料理は部屋食。仲居さんが最初に飲み物を持ってきて順々に料理が出てくるのだが、どの料理も新鮮な素材を旬に合わせた料理に仕上げており実に旨い。和食もこのレベルまで来ると和食を全く知らない人でも「なんじゃこりゃー!」ってびっくりするだろう。好き嫌いの問題ではなく旨い。和食を知らなくてもこれを食べさせれば絶対に納得出来るってレベルの味である。素晴らしい。

 

この旅館は伝統を守り、まるで時間が止まったような素晴らしいサービスを提供してくれる。まさに「おもてなし」である。

 

しかしこれは同時に変化をしていないという意味である。伝統を大事にしつつ変化をする、これは本当に難しいことだと感じるが、けど変化しなくちゃ街はどんどん古くなる寂れてくる。

 

洋々閣のフロントに置いてあったパンフレットを取る。こんな旅館にしては珍しく「クリスマスライブ・コンサート」のご案内がある。それも超一流スタジオプレイヤーによるギターである。こりゃずいぶん近代的だよなーって思いつつ内容を見ると、帳場の隣にある談話室を使って素晴らしい日本庭を背景にして最新機種のPAなどを置いている。毎年ここでコンサートをやっているとの事。

 

裏を見ると主催者は「唐津はこのまんまde委員会」で洋々閣が主導しているようだ。クリスマスコンサートを毎年企画しているのが伝統を引き継ぐ唐津の若者なのだろう。この名前がまさに今の唐津を表しているのではないだろうか。

 

唐津は貿易で利益を得た。昭和の時代には商店街も繁盛した時代があった。彼らは利益を得て財を成し引退した、後輩のことは考えずに。

 

自分の生まれた街を守るために頑張る若者と自分の夢を叶えるために都会に出る若者と、どちらも人生である。どちらが良いかなんて責任のない他人が評価する問題ではない、どちらも一生懸命やっている限り。

 

唐津での一晩、家族は初めて経験する古い日本旅館と食事に満足し、ぼくは日本の現在の凝縮版を見ているようで不思議な気持ちで過ごした一日だった。



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2013年12月21日

博多 花山2

博多では家族で福岡に来ると必ず一晩は夕食を花山で食べる。屋台であるが歴史は50年以上、ぼくも独身の頃からずっと通っている。

 

4年ほど前に初めて家族を連れてきたら家族全員にとにかくびっくりされて、屋台でこれほど美味しい焼き鳥や牛タンやサガリやラーメンが食えるなんてあり得ないって顔をしてた。

 

今回も福岡に到着した初日の晩に花山に行ったが、あいも変わらず旨い。けど今回一番面白かったのはりょうまくんのびっくりである。

 

それはラーメンを3杯も食って「ぼく、ラーメンは別腹みたい」って言った事ではなく(これはこれで十分面白いが(笑)。

 

早い時間から一人で来てた中年のおじさんが焼酎を飲んでると隣り合わせに30代の二人組のサラリーマンが座った。二人組はこの店が初めてなようで、最初は何を注文して良いか分からず適当にビールを頼んで焼き鳥を見てる。

 

すると中年のおじさん、気軽に「この店で最初に食うなら白がうまかよ」と声をかけた。そのうち二人組とおじさんがメニューを通じて楽しく話しだし、

「そう言えば何の仕事でこっちに来てるの?」

「ええ、この地区の建設業界さんへ色々とご挨拶を兼ねてですねー」

「ほー、じゃあxxとこはもう行ったと?」

「え、ご存知ですか?!あの方なかなか厳しそうでですねー」

「おれの後輩やん、俺から電話しとくけん、名刺ちょうだい」

「え?、、ほんとに・・・ですか?」

そしてこの二人組、突然丸椅子から立ち上がり直立して両手で名刺を差し出していた。

 

福岡で先輩後輩と言えばそれは個人の戦闘能力を越えて絶対的な上下関係を意味しており、先輩の顔を立てない後輩は、内容が何であれ「顔を立てない」その事自体が問題とされて、ハハハな話になる。ハハハの内容はあまりにハハらしくて具体的に書けないが「ハハハ、あいつバカやね、やっぱこうなったやん、ハハハ」となる。

 

それを観ていたりょうまくん、ぼくにそっと聞いてきた。「お父さん、ここって知らないビジネスマン同士が集まるフェイスブックみたいな場所なの?」

 

ははは、りょうまくん、そうじゃないんだけど博多で屋台ってのは知らない者同士が隣同士に座って軽いおしゃべりと食べ方を見ながらお互いの距離を見つつ、うまく話が合えば仕事の話にまで繋がるのが実際である。

 

これは僕自身昭和の後半に中洲や天神の屋台でしょっちゅう経験した事であり、確かに他の街から来た観光客やビジネスマンには理解し難いことであろう。何でそんなに知らないもの同士が仲良くなれるの?

 

けどよく考えてみれば知らない同士が肩擦り合うのも他生(多少?)の縁ってのもあるわけで、こういう文化があってもいいじゃないかって思う。こういうのをビジネスの技術として使わないのも福岡ビジネスの特徴であろう。

 

そう言えば山笠っていうみこしを担いで時間を争う祭りでも、担ぎ手は何人までとか重さは何トン以上なんて規制はない。けどそれを利用してズルをするって発想はこの街にはない。

 

もちろん山笠や屋台以外では中国相手に千年の貿易の歴史を持つ切磋琢磨の博多商人ではあるが、そこには何てかな、ビジネスやってるのに笑いがある。そして暗黙のルールがある。

 

今回の九州旅行は主にむすめとりょうまくんに日本の田舎を見てもらうことだ。旅は知識を増やしてくれる。

 

花山の食事が終わり国体道路あたりでタクシーを降りてホテルまで川沿いを歩いてると、りょうまくんが

「お父さん、川向うにキンキラしたホテルがあるよね、アレなに?」

「うーむ、正直に言おう、あれはラブホテルだ」

「ラブホテルって何?」

「うーん、彼氏が彼女を連れて泊まるホテルだよ」

「じゃあこっち側でお兄ちゃんたちがお店の前でいらっしゃいって言ってるのは?」

「ああ、正直に言おう、あれは売春宿、日本ではソープランドと呼ばれている」

「ふーん、どう違うの?」

少し考えてこう答えた。

「ラブホテルはBYO、ソープランドはフルライセンスだよ」

 

横で聴いてた奥さんと娘が大笑い!ははは、そんな九州旅行の始まりです。



tom_eastwind at 04:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月20日

911 at 福岡

福岡に到着、ホテルにチェックインすると部屋番号が911、思わず笑った。この部屋、米国人は泊まるのかな。ホテルによっては13階さえないようなのもある国の人々が911号室に泊まるのか(笑)?

 

いつものように新大阪駅で訳の分からん相手の都合を押し付けられつつ新幹線内では気持よく過ごし博多駅に到着。天気も良かったので駅からホテルまで軽い荷物を持って歩く。

 

博多駅から中洲まで歩くってのは僕がこの街で過ごした1980年代にはほぼ毎日の事だった。最近は移動の荷物が多くてついついタクシーを使う事になったが、やっぱ歩いてみると気持ち良い。

 

当時はなかったような建物が増えているかと思えば、当時は駐車場などだったところにビルが建ってて街の景色も変わっている。デイトスは全く変わったけど駅前の地下レストラン街の入口の細い階段は全く変わらずで、懐かしいやら楽しいやらである。

 

住吉って場所は元々は思いっきり安い売春宿が並び車が離合出来ないような狭い道とか川沿いにある木材貯蔵所とか、いまだも記憶に残っている。それが1980年代に超大型開発で周りの建物すべてをぶっ壊して作られたのがキャナルシティ、運河の街である。

 

今このホテルで働いている人々のほとんどは年齢的に当時の住吉を見た事がないと思う。当時のスラム街のような景色はすでに消え去り今では華やかなショッピングセンターとして成長している。

 

この街の6階にはラーメン街がある。6軒ほどのラーメンが競争しつつ時々入れ替わり客を集めている。楽しいな、この発想。横浜のラーメン博物館も楽しい。視点がお客を見ている。

 

今回は秀ちゃんラーメンにした。家族は大喜びで、旗か独特のちっちゃい餃子を合わせて食べながら「美味しいねー」を繰り返していた。

 

秀ちゃんラーメンだって元々はちっちゃな店が始まりだ。今では東京にも進出している赤のれんとかのとんこつラーメン屋にしても最初はほんとに博多の地元の食堂だった。ちなみに赤のれんはぼくがしょっちゅう通っていた。住んでたアパートから歩いて3分の場所にあったからだ。

 

けど当時ぼくは中洲で飲んで長浜ラーメンを食うか、または久留米に住む友達とタクシーで久留米まで行き屋台で焼酎とラーメンを楽しんでいた時間のほうが多い。ちなみに久留米まではタクシーで1時間位の距離である。そういう時代だった。

 

福岡から東京に初めて出店したとんこつラーメンは「なんでんかんでん」が有名であるが、その後次々と一風堂や一蘭が出店して東京だけでなく日本中でとんこつラーメンの文化を作り上げた。

 

とんこつラーメンは福岡っていうのは正解だけど、正確ではない。とんこつラーメンの本場は久留米であり博多のとんこつラーメンが長浜ラーメンのように魚を使っているのに対して久留米では魚は殆ど使わない。その分味が濃厚であるが決してベタベタしてなくて、このあたりが職人の腕である。

 

宣伝になるが、オークランドの元山水、今の「富士の金太郎」では本場のとんこつラーメンが食える。シェフが久留米から直接来てるからだ。もしご興味のある方は一度試してみて欲しい、ありゃ本物だ。

 

ラーメンとかキャナルシティとか住吉の売春宿とか話はあちこちに飛んだが、ふー、福岡に来るといつもほっとする。僕の生まれは大分であるがやはり18歳から28歳までの10年、バブルのど真ん中で過ごした福岡が僕の社会人としての原点を作っていると思う。

 

僕がこの時に学んだのはやはり日本が一番盛り上がってた時代の生き方である。天運を読み、引く時は傷を負っても引く、攻める時はどんどん行く、それは天運を掴むって事だった。

 

誰にも運命があり、盛り上がるときもあれば下がるときもある。その波をしっかり掴んで、いけると思ったお気には天運を信じてガーッと伸びる。しかし引く時は本当に鎧を脱ぎ捨ててでも走ってにげなければいけない。これが出来ずに潰れていった連中をたくさん知っている。

 

こうやって成長した連中に東京に進出したラーメン屋があり、やはり川原さん率いる一風堂が一番であった。一蘭は東京であるラーメンチェーンにビジネス・モデルをパクられて裁判になりずいぶん苦労した。一風堂はその後海外にも進出してラーメンブームを作った。ANAの長距離線の機内食にも提供されるようになった。

 

これもすべて運命であろうが、良い運命を引きこむのも自分の実力の内だ。ぼくはニュージーランドにその道を見つけた。そしていまは南半球の小島で移住の仕事をしている。これも運命であろう

 

さ、今日から九州をぐるっと廻ることになる。家族に楽しんでもらわなくては(笑)。



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2013年12月19日

無防備都市

国家安全保障戦略が出来た。今までのような米国の不沈空母として中ロからの第一次攻撃を押さえるための陸軍中心よりも海と空を守る方向に向かった。オスプレイ17機、無人偵察機の導入3機、戦闘車を導入などである。特にこの戦闘車はまだその実践能力は分からないが発想はすんごい良い。機動性を考え同時に目前の敵を叩くには最高の武器である。

 

このような行動は普通の日本人からすれば戦うための準備と思うかもしれない。そして僕が日頃から書いている平和主義からすればずれると思うかもしれない。

 

しかし僕は歴史的に戦争を見てて理解しているのは、戦争を止めるのは軍隊であると言うことだ。世の中は常にゲーム理論で動いている。

 

このあたり、社民党等の「武器を持たない事で相手が攻めてきませーん!」なんてどこの国からカネを貰っているのか分からない連中の言ってる事は実質的に日本を攻められやすい国にすることであり、それを真に受けた脳内蝶々が反応しているのを見るとぞっとする。もちっと歴史の勉強したら?って感じだ。

 

中国相手に戦争する根性なしで仲良くなれるか?なれるわけがない。大事な事は戦争することではなく戦争する気持ちと実力を持つことだ。気持ちも実力もなしに中国を相手にしても、そんなもん一蹴されて踏み潰されて終わりだ。

 

世界の情勢、東北アジアの情勢、これがどれだけ危険かは普通に見ていれば分かる。皆が刀を抜いて眼をギラギラさせてる時に日本だけが蝶よ花よって浴衣を着て踊ってれば、そんなもん真っ先に叩き切られる。

 

日本は経済が強いから大丈夫なんてのはあり得ない話である。例えば中国から攻め込まれたら中国とビジネスをしなければ良いなんて言う人もいるが、日本が中国に支配されたらビジネスは強制されるのだ。

 

勿論今の時代に国家間の直接全面戦争があるなんてーなんて言うのも自由だが、その言葉に責任を持てるのか?北朝鮮ではすでに相当やばい状態になっている。金ちゃんが自分の命を脅かされれば座して死ぬよりも韓国や日本を攻める。その時に戦える武器はあるのか?

 

経済を政治に置き換えることは不可能である。政治だけでは武器にならない。武器とはあくまでも相手を殺せる道具でなければいけない。

 

もちろん積極平和主義が危険であることは承知だ。しかしそれは料理を作るのに包丁が必要だけど包丁は危険なものであるってのと同じレベルだ。今の自民党に積極平和主義をもたせると戦争すると言う意見があるかもしれない。

 

けどだったら武器を持たない方がましなのか?自民党が判断ミスをするかもしれないが総合的に考えれば武器を持たないままに正しい判断をしても相手に踏み込まれたらこっちが潰されるのだ。

 

これは「どっちがましか」の議論であり最高善を追求しているのではないのだ。別に自民党政府を愛しているわけではないが、少なくとも武器は必要でありそれを有効に使えるのは自民党であるって事実だけは無視してはいけない。

 

我が国と国家を愛する気持ちはあるが、それは自民党政府を愛する気持ちではない。同じ土地で住む同じ意識を持つ人々が生き残るための手段として積極的平和主義を是認するのだ。

 

その結果としてインド洋で米国海軍と共同活動を行いお互いに助けあう事になっても、それは時代の整合性なのである。いつの日か武器がすべて不要になる日が来ればよい、しかし人間が人間でいる間は無理だと思っている。だから適正な武装をすることが実は唯一戦争の危険を減らす事なのだ。

 

このあたり似非平和教育で騙された連中には意味不明だと思うが、世界を見て欲しい。歴史を学んで欲しい。武装しなかった為に滅びた民族がどれだけいたか?

 

戦争をしたくない、だから武装して積極的に平和を守るのだ。その結果として戦いになったとしても武器を持たずに他国に侵略されるよりはましである。あくまでも比較の問題で「ましである」と言ってるだけで、何もこれが最善だと言ってるのでは無いことを理解して欲しい。

 

一時期「無防備都市」という表現が流行った。武装するから戦争を仕掛けられる、武装しなければ大丈夫という超アフォな考えであった。歴史はその超アフォに現実を見せつけた。その結果無防備都市は武装した軍隊によって叩き潰された。

 

いつも言うことだが選ぶのは自分だ。今の時代を読み今自分が何をすべきか考えて行動する。僕は今回の防衛大綱については賛成する。



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2013年12月18日

「気がつけば少し貧しく」

普段は全然読まない新聞であるが1217日日経の夕刊で「物価考」という特集があった。米国と日本の物価比較をテーマにしている。エコノミストの武者陵司氏の記事は好きだったので目を通してみた。

 

1993年当時ニューヨークに駐在していた武者陵司は1ドル110円で今とあまり変わらないのに5ドルも出せば朝食を食えた。今は10ドルでも足りないって現場の実感、現象から数字を検証している。ここから先は彼の記事の抜粋である。

 

1993年当時の日本の物価は世界一高かった。それから20年、米国の物価は60%近く上昇るが日本の物価は1%下がった。つまり日本が100だったのが99になりゼロだった米国が60になりその差は40にまで縮まった。

 

更に日本の名目賃金はこの20年で9%現象。米国は同期間に80%以上増えた。こうやって日本は世界の平均に落ち着いたのだ。

 

シンガポールから出張してきた若者が「TAG HEUERを買うなら日本の方が安いかも」なんて言われる時代になった。1980年にシンガポールや香港が買い物天国である時代を知っている僕から見ればまさに隔世の感であるが、しかしそれが時代の変化である。

 

日本は仕事がなくて給料が下がりなんて言ってそれは政治が悪いというが、これは政治の問題ではなく経済の問題であり国境の壁が下がり世界の労働力としての賃金が平準化しているのだとは今まで何度も書いた事である。そのことが今の日経新聞の特集になるってのはちょっと遅い気持ちも感じる。

 

この記事を読んで自分の経歴を振り返って「あれ?もう遅いかも?」って思う必要はない。まだ時間の余裕は3年くらいあると思う。その間に正しい判断で仕事を選択して自分を磨けば、まだ世界の若者と戦える。3年あれば世界で通用する資格が取れる。

 

しかし3年経っても変わらなければ、悪いが世界の労働者と直接比較されることは覚悟して欲しい。あなたの3分の1の給料であなた以上の優秀な仕事が出来る若者が出てくるとあなたの選択肢は給料を3分の1に下げるか日本国内のサービス業に転職するかしかないのだ。

 

あなたの給料は確実に下がり「気がつけば少し貧しくなっている」ようになる。頼れるのはあなたの両親の財産だけであるが、それでさえあなたが生活レベルを落とさないといつか使いきってそれで終わりだ。

 

この比較は日米であるが、平準化はまず中国と始まる。日本の若者の給与は中国の優秀な大卒に確実に抜かれる。日本の大学内同士の競争ではなく、世界の若者との競争なのだ。

 

今日は駅前の再開発地区を家族で歩きながら夕方に通り過ぎる若いカップルの顔つきが幸せそうだったり中年ビジネスマンがずっと携帯電話を手から離さずにしゃべり続けているが、あなたの3年後に自分の仕事が吹っ飛ばされるとすれば、そんな目先の事ばかりやってて良いのだろうか?

 

「気がつけば少し貧しく」

 

日本では労働組合とかが「安定した仕事をくれ!」とか言ってるが、じゃあ君らはアフリカや中国や印度の若者が貧しいままでも良いのか?彼らが安定した仕事を得られなくても自分さえ良ければいいのか?

 

労働組合運動が既得権益を守るのは、それは彼らの判断であろう、自分たちが組合員から貰っている組合費の分は仕事をしないといけないだろう。しかしだからと言って全然理屈の通らない主張をして「安定した仕事!」とかバカを言うんじゃない。

 

素直に「俺達の生活を守れ、中国人やアフリカ人など、どうでも良い!あいつらが優秀で給料が安いのなら外国に仕事を外注することを禁止しろ!」とでも訴えれば良い。「俺達は日本人なんだ、だから守れ!」と言えば良い。

 

しかしそうなると同じ日本人で非正規社員の扱いはどうする?今度は「俺達は組合員なんだ、だから組合員だけ守れ!」と訴えれば良い。

 

それで今度は非正規社員が組合を作ったら「俺達は正社員なんだ、正社員だけ守れ!」と言えば良い、それでバカがバレるから。何故ならあなたの給料は能力に合致していないのだ。労働者とは労働力であり市場で価値計算の出来るものなのだ。

 

結局労働者なんて立派な事を言っても時代の変化に対応せずに目先の既得権益にしがみついてるだけの油虫である。踏み潰されるその瞬間まで逃げようとも変化しようともしない。いつまで経っても古い頭で終身雇用とか年功序列とか甘い事言ってるから時代に踏み潰されるのだ。

 

「気がつけば少し貧しく」くらいならまだ良い。一生食っていける大企業に就職したと思ったら、今になって住宅ローンがたっぷり残った状態で追い出し部屋に放り込まれ退職を強制され再就職も能力がないから出来ずに1年くらいで貯金は底をつき、後は家族の離散と本人はブルーシート生活を送るようになるが、それだって自己責任だ。

 

危機感を持ち目を開き今の世の中に何が起こっているかしっかり把握して対応しなければ時代はあなたを踏みつぶしていく。飲み込んでいく、進撃の巨人のように。



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2013年12月17日

大阪で生まれた女

BOROという男性歌手が80年代に歌った「大阪で生まれた女」は歌詞が18番までありまともに歌うと33分かかる。ショーケンが歌ったのは4番と6番を中心としているが全体を一度聴いてもらいたい。

 

「悲しい色やね」と「大阪で生まれた女」はどちらも同じ時期に作られて当時の大阪の若者に大人気だった。

 

江戸時代には江戸が消費地でしかなかったが大阪は商都としてビジネスが盛んに行われていた。戦前の大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれてまさに栄華を極めた。繊維を中心として次々と海外輸出にも積極的に動き世界に向けて発展してきた。

 

しかし戦後はオリンピックや新幹線と続き、良く言えば東京の一極集中、悪く言えば東京が大阪の力を奪っていった。大阪に経済はあったが政治力がなかったのが一番の原因である。ある意味長い間のビジネスの成功に満足して中央政治をなめていたと言えるだろう。

 

東京は政治力を使って東京が一極集中するように様々な権限を東京に集めた。その結果としてビジネスをするなら東京の方が便利という事になり大阪の企業も東京本社を作るようになり、より政治に近い立場の社員の方が昇進するようになった。

 

関西発祥の商社でもビジネスを獲得する時には政治に近い方が有利であり、その結果として本社を東京に移し次第に大阪が支店となっていった。

 

新幹線が発達すると人々が次々と東京で仕事をするようになった。実は移動手段の発達によって地方の人々は都会から地方に人が向かうと思っていたら実際に起こったのはその正反対、地方の優秀な若者が都会に移動したのである。

 

こういう一箇所だけに人が集まるのをストロー効果というらしいが、例えば大分の田舎に仕事はなく戦後夜行フェリーの発達した瀬戸内海を使って夕方小倉を出て翌朝大阪に移住して仕事をするようになった。

 

そして大阪から東京の間に新幹線が走るようになると今度は大阪から東京に人が移動するようになった。つまり移動手段の発達とは田舎から都会に流れる道なのだ。九州でも高速道路が発達した事で今までは地方の百貨店で買い物をしていた消費者が福岡の三越に日帰りで買い物に行くようになった。

 

ある意味大阪から東京に人が移動したのは自然の流れである。その結果として起こったのは何だろうか?それはエース級の人材が東京に移動し大阪に残ったのはB級の人材になってしまい、B級が悪い意味で街の変化をさせないって方針になって結果的に街の発展を阻害したのだ。

 

これは何も大阪に特有の現象ではない。ニュージーランドでも1930年代は世界でもベスト3に入る幸せな国家であり、今では信じられないかもしれないがその当時は英国からニュージーランドに移住する人がたくさんいたのだ。

 

ところが戦前の繁栄にあぐらをかいたニュージーランドは政治と経済政策に失敗した。その時には逆に多くのキーウィが豪州や英国に移住した。その為ニュージーランドに残ったのはB級の、つまり海外移住を出来る能力とかやる気のない人々だけが残り政府に甘えて税金を食いつぶすだけの存在となり1980年にニュージーランド経済は崩壊した。

 

この危機的状況をデビッド・ロンギ労働党党首が首相となり経済自由化政策を取り入れて1994年にやっとプライマリーバランスを黒字に戻すことが出来た。今の首相はエース級のジョン・キーであるが、彼は若い頃から海外に出て金融界で活躍して1990年代にニュージーランドに戻って首相になった事で現在は景気が上昇している。

 

例えばデトロイトがある。自動車産業が発達したモータウン当時は米国でもトップクラスであった都市だが今では廃墟となりシティ内には貧困層だけが住み着いてしまった。

 

このように都市の変遷とは30年単位で動いていると考えるべきだ。今が発展しているからと言って手抜きをしていては次の30年で落ちぶれてしまうのだ。今が良いからって甘えて現状維持をしてしまえば、変化を嫌がる人々が増えれば自然と街は落ちぶれるのだ。

 

もちろん自分が生まれた街で成長して就職して結婚してしまえば他の街と比べることが出来ないから今の自分の街が沈んでいるかどうかなんて分からない。ゆでガエルの原理である。

 

そして今の大阪がまさにゆでガエルではないかと感じるのは、僕がいつも日本や他の国を定点調査しているからだ。大阪にはたしかにたくさんの人口がいるし人々は忙しくしている。けどその内容がずれているのだ。

 

今の日本を見ると本当にきちんと成長している街は、東京、名古屋、福岡、沖縄であろう。他の街は正直沈む方向に向かっているか、すでに沈んでいる。

 

何故東京がいつまでも成長しているか?それは日本で最も頭の良い連中が運営しているからだ。では名古屋は?質実剛健の文化があるからだ。

 

福岡は?ここは面白い。元々が商人の街であり江戸時代から明治にかけて九州の中心が熊本であったのが、政治力を使って少しづつ力を奪っていき九州の窓口となった。

 

沖縄は?これこそまさに政治力だ、米軍基地を利用して中央政府から金を巻き上げて琉球を発展させたのだから大したものである。

 

今回大阪に滞在して家族の眼からも大阪を見て「何かずれてない?」と感じるのであるから、何も僕だけの感想ではないと思う。ただ多くの人が認めなくないだけだろう。気持ちは分かるが現状を見て客観的に判断して政治として変化をしなければ、これから大阪はますます政治的に沈下をしていきそれが経済に影響を与え、1980年代に起こったようなパラダイムシフトが再度起こるだろう。

 

けど、それでも地元の人々がその痛みを直接感じるようになるまでは時間がかかる。たぶん2020年のオリンピックが一つの節目になるだろう、今のままの政治では。

 

大阪で生まれた女が東京に行き大阪に残った人々が彼ら移住者が戻ってきた時に明るく受け入れることが出来ない現状が嫉妬であることを理解して、戻ってきた優秀な人々にその経験を尊重して政治を任せてみれば変化出来ると思う。

 

大阪に3日間滞在して色々と感じた事を書いてみた。もちろん僕の個人的印象でしかない書き殴りだ。これが正しい判断であるかどうかは分からない。ただ一つだけ言えるのは、危機意識のないままに変化せずに生きていれば街であろうが個人であろうがいつかは潰れてしまうって事だ。



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2013年12月16日

譲りあいと秩序

夕方駅からホテルに向かう地下道を歩く。地下道と言っても大きな防空壕並みに幅があり多くの人が自転車や徒歩で利用しているのだが、どうもこの地下道、違和感がある。駅前の再開発で超高層ビルとデパートとレストラン街は非常に清潔に作られているのだが、その再開発地を結ぶ一番近い地下通路が下水で臭いのである。

 

途中は何もなくひたすらコンクリートの固まりの下を臭気の中歩くのだが、更にびっくりするのは誰もが周囲に目もくれず、後ろから相手の靴を踏んづけてもすみませんのヒトコトもなく黙って通り過ぎて行くその不気味さだ。

 

今の日本はこんなものなんかなーと思いつつ、ニュージーランドではあり得ないなーと思いつつ、つまりオークランドでさえも他人の靴を踏みつけるほど距離感は近くないし「個人空間」が尊重されている街から来たから違和感を覚えるのであろう。

 

再開発された地域のハードのレベルは高いが何故か禁煙のトイレにメビウスってタバコの空箱と吸い殻が転がってて、2時間後にまた行くと今度はワンダって缶コーヒーが放り出されている。

 

そこから10分ほど歩くと老舗の商店街がありそこでは昭和のまんまの店がそのまま営業してて、食堂街はどこも喫煙当然!である。

 

この、人の個人空間の狭さって印度や中国に行くと感じた事だ。彼らは行列を作っても30cmの隙間があれば割り込む。てゆーか、30cmの隙間があればそれは行列をしてないと見なすのだ。

 

もちろん他人の靴の後ろを踏むのも普通だ。以前中国の都会を歩いてても靴がすぐに痰を踏んづけるが誰も気にしない。初めてインドに行った時は道端で用便をする人々の多さに、いかに踏んづけずに行くかが一苦労だった。

 

1990年代、日系企業が大連に進出した時などは立派な駅やホテルの間の道端に田舎から出てきた労働者が手に手にくわの柄の折れたのやのこぎりの歯がかけたのを抱えて手配師が来るのを待っていたものだ。このあたりの独特の感覚は昨日歩いた街に近い。

 

一緒に歩いてた奥さんも古い駅前を歩きながら段々呆れ始めて「ねえお父さん、何でこの街こんなに雑然としているの?」から始まり「何で新幹線駅が何もない野原に立ってて中心街から離れてるの?」「何でこんな狭い場所に空港が3つもあるの?」まで、実に様々な質問。

 

僕なりに理解しているのは、政治が自分の権益拡大や利権確保に動くと人には住みにくくなるって事、つまり都市計画がないまま皆が目先の自分の利益だけに走った結果として昭和の時代に街全体で貯蓄した資産をどんどん食いつぶしているのが現状ではないかって事。

 

政治と行政と民間がきちっと住み分けしてまずは街全体を考える、そういう仕組みがある街ってのは歩いてても整備されているのがよく分かる。公園、ビルの高さ、道の広さ、人々の礼儀、いろんなものがきちんとお互いに利益相反したり矛盾しないように作られている。

 

だから都市計画がしっかりした街では人々の心に余裕がある。交通ラッシュも少なく人に追いぬかれてもバスに乗り遅れるわけではなくすべてに余裕を持って作られてる。だから人々の笑顔が明るいし人に道を譲れる。不安がないから治安の悪化にも繋がらない。

 

そのような都市計画がないままに地元の利権のみが優先した街では人々は生き残るため最後のバスに乗るために常に走り回り他人を押しのけ生きていくしか無い。本来公共計画として整備されるべき地下通路は誰の利権もないから誰も手を出さす放置されたまま、利権がらみの再開発だけに群がる仕組み。

 

これってバブルの時に経験したでしょー、またやってんのかって感じだが、すでに駅前のデパート群は過剰設備で全体の売上は伸びてても店舗ごとに見れば目標売上を落としている。これも単なる食い合い、需要の読み違い、てか関空や神戸空港のようにわざと最初から予測を「読み違えて」事業者から金だけ取り後は知らんってことかもしれない。進出して来た企業は大変だろうな。

 

駅前を歩きながら「ほら、ここがBlackRainの舞台になった街だよ、マイケル・ダグラスとアンディ・ガルシアの映画」って話すと彼女も思い出して「あー、あれか」と頷くが、あの頃1980年代はこの街はまるで近未来のように輝いておりマイケル・ダグラスのやって来た米国の町のほうが余程遅れていた。

 

そういえば当時はブレード・ランナーなんかもあったなー、なんて思いながら駅前のお店をぶらぶら歩いてるとダスティン・ホフマンのRainManの宣伝ポスターなんか貼ってあって、奥さんもびっくり。

 

地下道を抜けて横断歩道の歩行者信号が青になった瞬間、何十人もの信号待ちの歩行者の前をものすごい勢いでちっちゃな子供を載せた二人乗り自転車が突っ切っていった。おいおい、誰かほんのちょっとでも前に出てたら確実に事故だぜ、てか子供、怪我するぜとホンキで思った。

 

この場面はまさに中国や印度やベトナムなどの後進国の交通事情そのままである。とにかく他人を見てない。自分だけがにげきれば良い、全体の交通事情なんてあたしの知ったことじゃない、そう考えているのだろう、けど普通子供を産んだ若い母親がこんな乱暴な運転、するか??

 

まったく疑問であるが、国民の社会性はまさに国家の社会制度に正比例する。制度が悪ければ自給自足するしかない。衣食立って礼節を知るのが民であり衣食も仕事も給料も不足してまともに稼ぐ道もなければ人は礼節を忘れるのだろう。

 

だから礼節を忘れるのは生きていくために必要であるが本来人間はきれいなものが好きであり他人に喜んでもらうのが好きだ。自分が満足した時は腹いっぱいになるが、他人を満足させた時は胸がいっぱいになる。

 

だから政治家が行うべきは民が幸せになる為の制度設計であり自分の財産を増やすことではないのだ。それが出来てない国は確実に民度が落ちて国民の幸福度が低下して次第に治安も悪くなる。

 

昭和の利権構造の上に無理やり平成の制度を貼り付けてどう動けば良いのか分からない店員さんや商店主や南部の警察襲撃地帯の人々を見ながら、こりゃもしかして政府の偉大なる実験なのかって思ったりした。

 

政治の語源は中国にあり、政は正しい、治は水を治める、つまり治水が仕事であった。それほどに古代の中国では川が氾濫しており治水をするのが正しい政治家であった。

 

川の街と呼ばれるこの街では長い間ほんとうの意味での政治が行われていないのかもしれない。



tom_eastwind at 01:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月15日

悲しい色やね Part2

●年末年始休業のお知らせ

 ***

 イーストウィンドは、1221日から2014112日まで、クリスマスおよびお正月休暇となっております。この期間中にいただいたメールへのお返事は、基本的に113日以降となります。あしからずご了承くださいませ。

***

 

という事で今年も会社は間もなく終了、約3週間のお休みにはいる。日本で3週間も会社がおやすみしたら、そりゃ永遠のお休みでしょー、二度と起き上がることないよねーって話だが、ニュージーランドでは3週間のお休みがない職場の方が「あんたかわいそうだねー」って話になる。

 

日本人って会社に入る時の条件に給料ばかり見てるけどそれ以外の労働条件はあまり考えないんだろうね、特に年休とか残業とか。

 

日本ではブラック企業なんて言い方が最近出てるけど、ニュージーランドじゃあり得ない表現である。もしブラックなんてあれば労働者によって速攻訴えられる。

 

日本だと給料いくらって考えるけど、それ時給に変換したらいくらなのか?年収制度の場合も同様であり残業手当はないものの実質的に労働している時間を計算してみればどうなのって話だ。ましてや年休、祝日、週末などを時間計算してみたらどうなることやらである。

 

これ以外にも労働条件で大事なのは福利厚生である。米国のように給料が高くても医療保険が高ければ意味はない。オバマケアで現場は相当に混乱しているが米国の医療費が高いという事実は変わらない。

 

その点ニュージーランドの医療は基本的に無料であり有料の部分でも会社負担とか安い医療保険で賄える利点がある。

 

また日本では休暇があってもカネがなくてどこにも行けないなんて話も聞くが、例えば当社の場合は勤続年数に応じて里帰り航空券を会社で負担してる。もちろん社員が日本に帰れば当然ニュージーランドの話になるわけで、これはニュージーランドプロモーションの一つになるし社員にとっても大きな出費が不要なわけで安心して日本に戻れる。

 

だから給料の額面だけ見ててもあまり意味はない。ニュージーランドの労働条件であれば日本の税込み給料の3割少なくてもやっていける。

 

ところが最近のNZドル高でどうなったか?ニュージーランドの最低時給は13.75セント、これは1ドルを90円と計算すれば時給1,237円である。地域別もなければ業種別もない、すべての労働者に適用される賃金であり、簡単に言えば田舎のマクドナルドでも適用されるわけだ。

 

ニュージーランドの労働者の賃金はフルタイムで働けば高校を出たばかりのシロウトでも245万円が額面だ。ここから15%の源泉徴収を払って約210万円が手取りだ。手取り月額で17万5千円。これがニュージーランド国内のどこの高卒でも得られる最低給与である。

 

もちろんこれに残業なし、一ヶ月の有給休暇、基本無料の医療保険、65歳のキーウィであれば誰にでも支給される老齢年金(掛け金不要)が付いてくるのである、それも働いてる時にたった15%を納税するだけで企業及び政府から得られるのである。

 

話は変わるが今回日本に来て串かつの有名な街を歩いてみた。昭和の時代はいつも警察署を襲撃していた地域ではタクシーの運転手さんでさえ結構マジな顔で「あまりこの辺を歩きたくはないですねー」と言ってた。

 

タクシーを降りて「背中に目をつけながら」大正時代から続く遊郭を歩いてみる。

 

ちょっと話は逸れるが背中に目を付けて歩くやり方っていつから覚えたのかもう忘れたが、僕はいろんな街を一人で歩いているがいまだ怪我をしたり事故に巻き込まれたことはない。

 

これは誰かが近づくのを感じるというよりも相手に近寄らせない気配の方が強い。例えば捕食者にとって目の前にのろのろと集団で歩く草食獣がいるのに敢えて単独行動をしている肉食獣を選ぶ必要もない。実は集団で行動する連中のほうが捕食しやすいのである。

 

この街、たしかに建物はどれも風情がある。午前中だったのでどこも閉店状態だったが、道をうろうろと歩くジャンパー姿の人々や道端でぼやっと立ってる人のうちどれくらいが覚せい剤の売人かなって考えたりしつつ道路の左側を歩く。

 

左側を歩くのは、僕の利き腕は右腕なので左側を塀で安全確保しつつ右手を自由に使えるようにするためだ。そんな事考えながら歩かなくてもいいでしょっ、危険って思うなら歩かなければって思う人が多いだろうが、人生は所詮危険なものである。

 

危険を完全に回避して歩くことなど出来ないし自宅にいても車が飛び込んでくるかもしれない。だからと言って何も考えずに街を歩いていたら危険にぶつかる可能性がある。もちろん最後は運であるが、それでも少しの技術を使うだけで危険の度合いを下げることは出来る。それがぼくが海外生活をしながら学んだ事だ。

 

話を戻して串かつの街。確かに危険だなー、時々背中がチクチクする。大正時代は栄えてたとの事だけど、今はもうほんとに「ひったクリーン作戦推進中」なんて看板が出てるが、これはひったくりを推進しているのか(苦笑)って思うくらいだ。

 

「お運びさん募集中」とか、これは麻薬の運び人なのか客と自由恋愛をする人なのか、それにしても独特の文化である。

 

街を南から北にゆっくり歩きながらそれとなく周囲を見るとほんとにずらーっと並んだ同じようなサイズの店が続く。大正の時代はこのあたりが賑やかで、大正の時代はこの街が日本のマンチェスターとして工業都市として栄えて東京を抜いてた。

 

けど新幹線が走るようになり1980年代に超円高で繊維産業が次々と衰退していく中で地元の優秀な若者と文化は次々と東京を目指すようになった。大正の建物と古い脳味噌の人々は残され東京の一極集中が始まった。

 

東京には世界のカネが集まり日本の中心地として一気に成長していったがその半面残された人々は今までの発展の夢に囚われて何が起こっているかわからないまま古い生活スタイルを維持した。その結果現在では東京との格差を完全に付けられて名古屋、福岡など勢いのある都市が背中を追っかけている状況になった。

 

それでもこの街に住む人達は昔からの生活スタイルを維持し続けた。その結果として大正時代の町並みを残す街が出現した。周りが変わる中自分たちが変わらない事で結果的に過去の遺産を創りだしたのだ。

 

ここで生きている人々は何も変わっていない。変わらないことで何かを守ろうとしているのか、単純に変化を嫌がっているだけなのか?もう少しこの街を歩いてみないと分からない。



tom_eastwind at 04:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月14日

2014日本

 

週末に日本に入る。香港経由だが乗り継ぎが1時間ちょっとで真夜中だった為、ひたすら寝ながら移動だ。朝6時に空港に着くと外国人の列に並び英語で話しかけられるが、この部門の人、折角なら英語が出来て人当たりのよい担当者を置けばそれだけで日本の印象ずいぶん良くなるのになーって思う。

 

日本に来る人も空港で働いているのは平均的な日本人ではないと分かっているのかどこの国でも役人は屑だと諦めているのか、あまり気にしている様子もない。

 

それにしても空港で働いているってだけで、何をこんなに偉そうになるのかなー?余程脳味噌に想像力がないのか、何も考えずに動物的に行動しているのか?

 

多分日頃は日本社会で上司に頭を下げまくり日本人客の横暴に辟易しており、外国人、それもアジア人だけは唯一自分の方が偉いしあいつらは日本語も出来ずに文句も言わないと思っているのだろう、社会の底辺に住む者が更に弱いものを叩く、単なるいじめだ。寂しいばかりだ。

 

まあいいや、どうせこういう連中もいずれ人生の分岐点に立ったら実は自分がとんでもない場所に立っていたって気づくのだろう。

 

権力に寄り添い自分で努力せず人は本質的に平等だと理解も出来ず最後になって土壇場に追い込まれて、残った道はブルーシートか山手線ダイビングって状態になって後悔して泣き叫んでも、そんなもん自己責任だぞって感じ。

 

とりあえず理性の範囲内で相手に英語で怒鳴りつけてまだ眠気の残った脳味噌を抱えつつホテルに向かう。朝早いので当然だが部屋の準備も出来てないので「この辺にサウナでもありませんか?」と聞くとホテルのスタッフが気を利かせてくれてホテル内のスパを案内してくれた。

 

やっぱり日本人、お風呂に入ると一気に疲れが抜けて少し頭がすっきりした。池井戸潤の「最終退行」を全部読み終わったのが昼前、すると時間を計ったように家族がホテルに到着した。

 

そう、今日から日本出張と正月休みの掛け合わせで長期日本滞在の開始である。先に日本に来ていた家族と合流しつつ離れつつ、更に仕事もしつつそのうち家族は日本を離れぼくは残って仕事という変則的な移動。

 

日本に来ると色んな問題があるなー。猪瀬都知事の資金問題とか北朝鮮のクーデター騒ぎとか中韓の猛烈な日本たたきとかそれに対して安部首相が一挙手一投足で切った張ったをやってて、これに比べればやっぱりニュージーランドって平和だなーって思わせる。

 

日本のようなでかい国家であり経済も発達してておまけに人口もぎっしりって国だと、良い悪いは別にして忙しくなる。

 

日本は地理的にも中韓ロシアに挟まれており太平洋を渡った反対側に米国もあり、米国からすれば日本は北東アジアを押さえる「不沈空母」であり中ロからすれば日本を抑えれば米国からの直接攻撃の第一波は防ぐことが出来る「太平洋の盾」である。

 

だから日本は自分がどのように考えようが関係なく北半球の地政学に巻き込まれている。北朝鮮が今回ナンバー2を銃殺したがその為に世界中に散らばっていた北朝鮮の当局者が次々に潜伏をしている。ここで金正恩が狙われて中国に守られていいる金正男が解放軍と共に北朝鮮に乗り込めば?

 

中国は軍部の台頭が強力であり習近平からすれば彼らに擦り寄るしかなく尖閣諸島でいつ偶発的戦争が起こるか分からない。火種ばかりな北東アジアである。

 

おまけに僕が到着したその日も地震があり、それに台風もやって来て、まさに「地震雷火事親父」であるが、親父だけは社会的地位が低下しているのでこの際関係ないか。

 

ニュージーランドは南太平洋の小島であり周囲2,000kmは海ばかりで日本並みの海洋領土を持つ。一番近い国家がオーストラリアであり姉妹国である。石油が取れるわけでないし特定の思想を持っているわけでもない、英国連邦の一員としてちっちゃな国家であるが政治的に防御されている。

 

勿論自前の軍隊も1万人くらい戦闘要員がいるがいわゆるジェット戦闘機は持ってない。必要であれば豪州軍からジェット戦闘機が飛んでくる。

 

第一ニュージーランドを攻めたって手に入るのはせいぜい羊の丸焼きである。羊の丸焼きの為に戦争仕掛ける国もない。

 

領土問題も抱えていない。周囲の島はすべてニュージーランドの所有権がありどこの国家も所有権を主張していない。むしろ所有権を主張してくれてクックアイランドとか持ってってもらい、ついでにニュージーランドに寄生しているアイランダーも一所に持ってってくれって感じだろう。

 

経済的には毎年3〜5%の賃上げがあり住宅価格は毎年上昇しており、オークランドは昭和40年代の東京のような景気になっている。ただしまだバブルってわけではなく毎年5万人程度の人口が増えてその為に実需としての不動産景気が上昇している。

 

12月の前半は実に頭を使った。移民局の突然のルール変更、IRD(税務署)対応、年末の予定調整、けど実際にこうやって日本に来てみると、やっぱり日本の方が「ただ生きるだけで」十分に忙しいなって実感した。

 

ニュージーランドだと普通に生活をしていてストレスの溜まることがない。普通に給料稼いで時間になれば自宅に帰り土日は友達とバーベキューを楽しみ悩むことがない。だから人々の顔がとても明るい。

 

日本だと普通に生きるだけで苦労するが、苦労しても失敗すればそのままブルーシート行きである。空港から駅に向かう途中で雑誌を売ってるおじさんを見た。路上生活になったけど、何とかもう一度アパートに住めるように、冬空の中頑張って雑誌を売っている。

 

きっついなー、こんな場面を観るのは・・・。けど行き過ぎる人は誰も彼を振り返ろうともしない。自分がそうならないように、または自分がそうなるわけはないと思い込んでいる人々・・・。

 

まもなく2014年の税制大綱が発表される。来年はますますきつくなる。すでに去年作ったスキームは今年は使えない。今年作ったスキームが来年使えるか?正直まだ分からない。たぶん出方を見れば対応は出来ると思う、今までの経験で言えば。

 

2014日本。さてどうなることか、である。



tom_eastwind at 02:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月13日

世界最大の悪は善意と共にやってくる

「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪である。自分には悪意もなく上司に言われた事を実行するのみでその原因や結果を全く考えようとしない。自分がやっている事が理解出来てないから冷静かつ堂々と恥ずかしくもなく行えるのだ」。

 

これはハンナ・アーレントの語った言葉の意訳である。

 

日本で最近流行っているビジネスがサービサー業である。簡単に言えば債権回収会社である。これはニュージーランドにも存在する極普通の業種であるが、日本の場合この回収業務が政府の回収業務の代行をする可能性があるという事だ。

 

例えば車の罰金から始まり年金未納、健康保険未納、市税滞納などが対象となり得る。役人のやることは所詮取れる所から取るという低姿勢である。

 

自分がリスクを背負って売掛金を回収するなんて発想は全くない。彼らは一番取りやすい奴隷から絞りとるがヤクザや政治家からはカネを取れない。だから一番まじめに税金払っている人が最大の納税者であり殆ど何の利益も受けられない被害者になるのだ。

 

これからの日本、きつくなるぞーって思った瞬間だ。政府は法律を作り「合法的に」市民からカネを巻き上げる仕組みを作る。しかしそのカネを回収するのはサラ金屋である。もしあなたが年金未納にした場合であなたの家の周囲に「カネ返せー!」って張り紙されたらどうするか?

 

世界最大の悪は常に笑顔でやってくる、法律を背中に負って。

 

アンナ・ハーレントはナチがユダヤ人虐殺を実行する前にドイツから国外に逃れて残りの人生を西側世界で過ごした。いつも思うことは、行動しなければ負けるってことだ。



tom_eastwind at 13:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月12日

縦軸の教育

今の日本では古い言葉であるが「地主」という存在がある。江戸時代であれば何か農民から取り立てをするような印象があったかもしれないが、最近は地元の名士という感覚のほうが強いと思う。

 

彼らの発想は自分の生まれ育った「場所」をいかに繁栄させるかというところから始まっている。自分の村のために日本をどうするか。

 

実際に日本の多くの地方では今もそのような形態が普通であるようだ。仕事柄地主さんと話すことがあるが、彼らは本当に「いかに自分の資産を子どもたちに残して家族を繁栄させるか」という点に集中してる。

 

「移住?そんなこと出来るわけがないでしょ、この街を守るのが私の義務です」そういう彼らの姿勢は好感を持てる。彼ら自身は自分の村を守るために移住なんて出来るわけがない。しかし自分の財産を子孫に残すためには今の日本の税制ではどうしようもない。

 

三代続けば家産は全滅する今の税法では地主の仕事はいかに資産を継承するかが大事だ。だからそのお手伝いをすることが僕の仕事の一つでもある。

 

だから時々マジで思う、「あなたの今までの人生を全部リセットして新しく生き直してみたら?」

 

どのような人生を生きるか?それはすべて本人が決めることである。ただぼくが彼ら地主の縦軸教育を観る時はどうしても「あなた、宇宙人ですか?」という視点になることも事実だ。

 

何故ならぼくは横軸で生きているからだ。

 

横軸とは世界が自分の庭だという発想であり「ここしかない」という発想はない。いつでもどこでも好きな場所で生きれば良い、そう考えると一箇所で「一所懸命生きる」という事を貫いてる人々は大変だなって思う、ただそれだけだ。

 

どっちがいいのかな、たぶんどっちもいいんだな、そう思う。

 

一箇所で生きる何となくした安心とそれに伴う義務を守るか、いつでもどこでも行けるけどいつも戦っている不安と自由、どっちを取るかだ。

 

しかし少なくとも一箇所にしがみついて生きつつその義務を放棄して何の勉強もリスクを取る気持ちもなく「あったしー、外国に行きたーい」なんて甘えている連中にはあまりよい席は与えれれないだろう、いつどこの国にいたとしても。そういう連中は自民党以下である。けど社民党や民主党より、ましか(苦笑)。

 

縦軸の教育を享受しつつ横軸の人生を狙うなんて甘えた道は存在しない。横軸にも十分な危険があるのだ、良いとこ取りなんて道はない。リスクを取って喧嘩するか、リスクから離れてじわじわと死んでいくか。

 

縦軸の教育はそれなりに気持ちが良い。だって居心地良いもんね。だから政治家のやるべきことは縦軸の教育を提供してその「場所」で長生きさせることだが、今の日本がやってるのは義務感のある地主の首を絞めて責任を取らず自分の脳みそを持たないバカを増長させてその結果として誰もが政府のやってることを「バンザーイ!」と言わせることである。

 

縦軸の教育とは本来は伝統の継承である。それがいつの間にか奴隷制度の引き継ぎであるようになればそこに自由はない。自由がないままに一箇所にしがみつくならそれはそれでよい、そのように自由を不要として誰かに引っ張ってもらう事が好きなら。

 

選ぶのは本人だ。

 



tom_eastwind at 12:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月11日

この男、共謀につき共謀罪で逮捕

遂にまた出てきました「共謀罪」今回は可決しそうですね。

 

現在の日本の警察は事後取り締まりが基本である。だからストーカー事件なんかでは犯罪が起こらない限り手を出せないために被害が広がった経緯がある。そこでストーカーについては事件が起こる前でも危険性を予知出来れば警察が行動を起こせるようにした。

 

しかしこれは本来例外規定である。日本は戦前特高警察が存在して彼らが犯罪予防と称して一般市民が集まったりするとスパイを放ち怪しいと思えば予防的に逮捕出来て「自白」を強要することで犯罪を実際に犯してなくても有罪として刑務所に放り込めるようにした。

 

その為多くの人権活動家や共産党員が逮捕され警察署で拷問を受けて強制的に自白させられたり蟹工船の小林多喜二のように警察署内で殺害目的で殴り殺された者もいる。ところが特高警察で実際に手を下して彼を殺した連中は皆「立派な仕事をした」わけであり「日本のため」に働いたのだから戦後も日本で堂々と大手を振って歩くことが出来たのだ。

 

それは政府からすれば国体の安定であるが国民からすれば完全に一部支配者による独裁政治にしか過ぎず政府が特高という暴力装置を持ち裁判を必要とせず一般市民を殺しまくったわけだ。

 

***ウィキペディアより***

日本の共謀罪[編集]意義[編集]組織的な犯罪の共謀罪(そしきてきなはんざいのきょうぼうざい)は、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(以下「本法」)案6条の2所定の、一定の重大な犯罪の共謀を構成要件とする犯罪をいう。

 

日本の刑法は、未遂罪は「犯罪の実行に着手」することを構成要件としており(同法43条本文)、共同正犯(共謀共同正犯)も「犯罪を実行」することを構成要件としているために、組織的かつ重大な犯罪が計画段階で発覚しても、内乱陰謀(同法78条)などの個別の構成要件に該当しない限り処罰することができず、したがって強制捜査をすることもできない。しかし、2000(平成12)年11月に国際連合総会で採択された国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)が、重大な犯罪の共謀、資金洗浄(マネー・ロンダリング)、司法妨害などを犯罪とすることを締約国に義務づけたため、同条約の義務を履行しこれを締結するための法整備の一環として、本法を改正して組織的な犯罪の共謀罪を創設する提案がなされた(日本国政府の説明による)。

***ウィキペディア終了***

 

政府は今でも強力な暴力装置である警察を持ち違法捜査や国策捜査など平気でやってるが、それでもまだまだ手ぬるいと考えているのだろう。共謀罪は何度も法案化されたが、1990年代以降政治が落ち着かず法案として通過しなかった。小泉首相の時代には首相自身が法案通過を止めた経緯がある。

 

国連で批准されたから守らなくっちゃ法整備しなきゃって言ってるが、この条約は「国際組織犯罪」を防止するための条約であり欧州で酷かった「人身取引」や「密入国」「銃器」に関する三議定書が目的である。現在の組織犯罪対策法で十分に対応出来る。

 

ところが日本の共謀罪は国際組織犯罪などに限定されておらず犯罪を起こしてない自国民を国内で逮捕するための法律である。これが昨日も書いたが官僚による換骨奪胎の典型例である。

 

政府がどれだけ「大丈夫です!」なんて言ってもそりゃあんた、目を血走らせた男が包丁を振り回してこっちの目の前に突き付けて「大丈夫です!これは野菜を切るための道具です、人間は切りません」なんて言って誰が信用出来るものか。切られりゃおしまいじゃあねえか。

 

安倍晋三首相は2006年当時から共謀罪、防衛省格上げを積極的に推し進めており非常に確信を持って自分の行動を進めている。彼は信念を持って「こうやれば日本は良くなる!」と考えており、今回の自民党大勝利をもって今回の共謀罪も通す積りだ。

 

この法律の怖さは2006年当時から様々な例題が出されて批判されているが、安部首相からすれば「政府に逆らうほうがおかしい」のだ。何故なら政府は日本で最も優秀な人々が集まって出来ており市井の一般人の寅さん熊さんに理解出来るわけがないのに何故逆らうのかって話だ。

 

昨日も書いたが安部首相は善意を持って行動をしているのだ、無知な国民を正しく誘導していく牧羊犬のような気持ちなのだ。

 

この法律は菅官房長官は「政府としてはまだ決定しておりません」という。その通り、閣議で通ってないのだから。しかしこれは時間稼ぎに過ぎず来年の国会で提出される。2014年に法案が通り2015年から施行ということになるのだろう。

 

この法案が通れば2006年当時どころの発達ではないインターネット取り締まりが行われる。ネット警察が創設されて毎日毎晩様々な検閲が行われ、誰かがちょっとでも「安倍さん逝ってよし」なんて書いてそれに他の人が「良いねボタン」を押したら速攻で全員が殺人未遂罪で逮捕だ。

 

例え「逝ってよし」ではなく「今の政府のやり方はおかしい!」なんて書いて誰かが「良いね」ボタンを押しただけども「政府の安定を脅かす」煽動罪あたりで全員たいーほである。これ、笑い事ではない。今のネット環境ではすべての情報が筒抜けになってしまうからだ。

 

しかしなー、これも2015年、、、ますます「光る風」と同じ道を進んでいる。「逝ってよし」という事で、ほんとにいくしかなさそうだ(苦笑)。



tom_eastwind at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月10日

換骨奪胎政治

***記事開始***

9日夜、臨時国会の閉会にあわせ、安倍首相が会見を行った。冒頭の発言は以下の通り。

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昨日、55日間にわたる臨時国会が閉会をいたしました。

「この国会は、成長戦略の実行力が問われる国会である」、国会の冒頭、私はそのように申し上げました。

 

民間投資を喚起するための産業競争力強化法、規制改革の突破口となる国家戦略特区法、電力自由化のための、改正電気事業法、再生医療充実のための法律、農業の構造を変える農地集積バンク法。成長戦略の柱であるこれらの法案の成立が、回復しつつある経済が力強く成長する礎となると確信しています。特定秘密保護法案がばかりが注目されましたが、「成長戦略実行国会」と呼ぶに相応しい国会となったと思います。

 

与党のみならず、野党の皆様にも広範な協力をいただくことができました。特に産業競争力強化法、国家戦略特区法、そして農地集積バンク法は、国会審議を通じて、与野党で協議をし、法案の修正を行い、合意した上で、成立しました。国家・国民のために、与野党の違いを超え、成長戦略を実現する強い意志を内外に示すことができた国会だと思います。

 

これは成長戦略の関連法案だけではありません。

***後略***

 

今年は安部首相の当たり年だったなー、それにしてもよく頑張ったと思う。前政権時と比べれば格段の成果である。こういうのって「天の時、地の利、人の和」がうまく噛み合ったのだろう。

 

人間は面白いもので実力は同じでも運が違えば結果が変わる。実力が低くてもやる気があって前進する人間は一気に成長して自分より実力のある人を追い抜く事が出来る。

 

しかしそれよりも大事なのが古代中国から言われている「天の時、地の利、人の和」である。これが揃わないままに何かやっても大体うまくいかない。話は逸れるがオークランド日本人社会を観てていつも感じる違和感がこれである。人は不和を繰り返すくらいなら付き合わない方がましだ。

 

話は戻るが第二次安倍政権は今年一年好調であった。この事は素直に評価したい。ただその進む方向についてはどう考えても僕の考え方に合わない。

 

安部首相のやっていることは善意であり信念があるが、問題は「地獄への道は善意で舗装されている」という事だ。

 

これは日本と西洋社会の根本的な違いだが、日本では歴史的に常に「国家が先」にあり「人民は国家のために働き」最後に国家も国民も幸せになるという発想である。富国強兵、国が豊かでなくて国民が豊かになれるわけがないではないか(そんな事も分からないから国民は愚民なのだ)という考え方が根本にある。

 

だから日本の場合歴史的に国家が大きな会社でありその取締役会(意志決定機関)のメンバーが官僚と政治家である。(この取締役会は玉石混交である)実行部隊として金融業、製造業、サービス業などが存在する。

 

それぞれの業界の代表(例えば日経連会長とか自動車製造業団体とか)は日本会社の部長クラスだ。取締役に言われた事を黙ってやるのみで、自分で何か新しい事を考えるなどおこがましいとなるのだ。

 

そしてその業界にサラリーパーソンとして就職するのが一般民である。常に上意下達、言われた事を機械部品の歯車のようにこなして自分の頭では何も考えずに毎日自宅と会社を往復する。日本型階級社会の最底辺に属するってことだ。

 

特に昭和後半では民間企業が擬似社会になっておりその中では家族も含めて例えば運動会に参加したり奥様会が出来たりして会社の階級がそのまま個人生活に持ち込まれる。その代わり終身雇用で年功序列で馴染めればそれなりに住みやすく頑張って働けば給料も上がった。

 

つまり国民に対して「お前らは黙って言うことを聞いて働け!そしたら飯と安全だけは保証してやる」なのだ。国家の舵取りをするのは社会のごく一握りの優秀な頭脳を持つ人々で十分だ、愚民に任せれば失敗するだけだ。

 

日本で一般的に男性が自己紹介する時は「xx会社のxxです」となるがキーウィ社会では「僕はxxだ」で終わり、仕事でない限り自分の会社名を紹介することもないし初対面で聞くこともない。

 

さて西洋の歴史を見るとまず「個人と家族」が先にあり、彼ら家族と個人が幸せになれば自然と国家も幸せになれるという考え方であるように感じる。

 

個人に報酬を与えやる気を出させてどんどん社会を改革していく。改革の指揮者は個人であり政府の仕事は国民間の調整が中心である。その結果として能力のある者や努力をする者がまず豊かになり、そこから税金を取って働けない人々を救う社会保障システムを構築する。(これ、実は小平の目指した中国に近いものがある、途中で変質したが)

 

また頑張って成功した人は個人的に社会に寄付したりボランティアで働いたりして社会に報いる習慣がある。だから西洋では個人の寄付は個人の自由であり納税の際の税負担の軽減も出来る。つまり個人に対して大きく権限を与えて「あなたの望む場所で社会貢献しなさい」と言ってるのだ。

 

ところが日本では個人の寄付など全く税負担の軽減の対象とならず、むしろ「余計な事をするな!どこにいくら配分するかは国家の決定事項である。愚民が考えるな、納税だけしておけ!」なのだ。

 

ついでに民間企業の存在の意義も西洋と日本は全く違う。西洋では株主が個人でリスクを取ってビジネスとして投資をして最大限の利益を求める。企業に社会貢献とか雇用確保とか給与支払いを要求しないのだ。そのような作業は国家及び社会保障システムの中で賄うという発想だ。

 

これに対して日本の民間企業は社会貢献や雇用確保や給与支払いが業務の中に入っており、それは政府機関の出先機関みたいな存在になっている。だから社内失業してても首を切れず給料を支払い続けるが、それは社会保障の代替システムなのだ。

 

勿論こういう事が出来るのは大企業に限られている。政府にとって中小企業などは最初から視野に入っておらず「その他大勢」にしか過ぎず、自己責任でやれ、所詮は中小企業にしか就職できないんだろって理屈だ。

 

日本の仕組みは確かに最終的には国民全体の水準を引き上げて一億総中流になれる。西洋型(主に米国)ではその仕組に「社会格差」が最初から内包されている為に誰もが豊かになれるわけではない。努力した者は成長し豊かになれるが努力しない人は豊かになれず社会保障の世話になるしかない。

 

ただしニュージーランドは米国とは少し違って社会主義に近く社会保障は厚く個人主義でありながら日本のようにあまり格差が少なく人々が平等である。つまり両国の良い点を導入している珍しい制度である。

 

ここまで長くなったが、今回安倍政権で実行された様々な政策そのものは表面的にどれも良く出来ている。しかし問題は上記に書いたような日本の社会構造だ。どのような法律を作っても結果的に国民を苦しめる方向にしか向かわない。

 

ある程度の資産がある60歳以上の人々は社会経験もあり仕事仲間もいるし何とか自立してやっていける。しかしこれからこの過渡期に一番苦しむのは日本の若者である。カネも教育も社会知識もなく労働経験もなく何もない無業者が社会に出て苦しむのである。安部首相がどれだけ理想を語っても現実は戦前の日本と同様なのだ。

 

ぼくは安部首相の地元で生コン会社が政治力で仕事を独占して儲けようが自分の手下が散々悪いことをしながら捕まらずに議員になろうが構わないと思ってる、それが日本の仕組みだからだ。

 

ただなー、これから無業者となるしかない若者を救えない国家は、いつか若者に反撃されるよ、それがソフトターゲットになった時、確実に霞ヶ関の役人はその対象になる。

 

日本独特の官僚支配の社会構造の仕組みの中では見かけ国民の為に良く出来た法案が官僚の裁量や現場での運用で法律の趣旨とは全く違った解釈をされて、結果的に日本社会の階級構造に巻き込まれて最終的には日本国民の利益ではなく国家及び官僚の利益にしかならなくなるという現実だ。

 

官僚は法律を解釈する。民間に解釈の権利は存在しない。法律で白と書いてても官僚が黒と言えば黒になる。時には法律さえいじらずに通達一枚で法律を無効にしてしまう。

 

例えば昨日のニュースで「産業競争力強化法」を施行するにあたり高額の年収を得る人はホワイトエグゼンプション、残業手当が付かないと決まりそうという話だった。基本的概念はぼくも賛成だ。当社も年収制であり与えられた仕事をどれだけの時間をかけてこなすかは本人が決めることだと思っている。

 

しかし日本の場合はこの「最初の一歩」がすぐに勝手に走り始めてすべての階層において残業代支給なしになる環境があるってことだ。何故なら財界は最近の労基署駆け込み残業代請求で相当に頭に来てる。こいつを潰してほしい、そうしたら産業競争力強化が可能になるではないかって理屈だ。官僚からしても自分の財布の話じゃないから「はい、どーぞどーぞ」ってな話である。

 

もちろん僕は残業という発想は無いから根本的な部分では賛成なのだが、それをすぐに悪用流用私用する社会構造が嫌いなのだってことだ。世の中には残業代込みで働いている人がいる。そのような人が残業代を受け取れないような賃金カットに繋がる仕組みを法的に導入しようって話なのだ。

 

そのような社会で安部首相がどう頑張ろうと時代の大きな流れは変わらない。世界の中での日本は時流に合わせて変化するし日本国内では最下級にいる若者にすべてのしわ寄せが集まり毎日が生きにくくなり、

「はたらけどはたらけどなお我がくらし楽にならざりじっと手を見る」

となる。そして能力がありながら仕事を得ることが出来なかった無業者の若者はその怒りをどこかの向けて吐き出す。

 

日本人が小銭のために働くようになる。それが現実となりつつある。これから社会に出る20代の若者はおそらくとてつもない現実にぶつかり、それが現実だと理解して馴染もうとするだろう。1980年代の日本なんてHADHADの大過去だし言っても仕方ない、今を生きるしか無いよね。

 

そうやって中国の農村のちょっと頭の良いレベルの人間と年収150万円の仕事を競争して得るようになる。もちろん世界が平準化する中で外国の若者と競争するのは当然である。

 

けれどそのうち「あれ?何かおかしいよね、だって外国の若者は貧しいなりに夢もあるし楽しんでるのに、何で僕だけ夢がないの?」と考え始め、日本の社会構造が階級社会でありそれを受け入れているのに何故か外国の若者と競争する時は平等に競争させられる矛盾に気づく。階級社会を受け入れた代わりに安定雇用があるはずなのに。(このくだり、ちょっと説明しづらい)

 

人が本気で怒れば社会はひっくり返る。今までの長い日本の歴史でそれは何度も起こった。今回だけ起こらない理由ってあるのだろうか?



tom_eastwind at 12:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月09日

真夏のクリスマス

オークランドではそろそろ人々が浮足立ってバタバタと最後の仕事を片付け始めたり旅行の準備をしたりで賑やかである。隣のビルに進撃の巨人みたいに立っている高さ20m近くのサンタクロースもその口をにやけながら人々の最後の買い物を眺めているのだろう(笑)。

 

どこでもクリスマスパーティが開かれて今週はクリスマスプレゼントが会社間で飛び回り、来週になれば親しい仲間とのパーティ、そして週末の1221日は最後のクリスマスプレゼントの買い物、でもって誰もが家族でクリスマスを迎えて今年を終える。

 

僕の場合は出張とクリスマス休暇が混合しており、今週末から日本だ。日曜日に大阪に入り数日仕事をしてクリスマス前後は東京にいる家族と合流して九州をぐるっと回る。先祖の墓があり子どもたちは日本の墓を自分の祖先として意識して見た事がないので、今回は墓参りである。

 

クリスマス明けに奥さんは香港へ3週間ほど半分仕事に行き子どもたちも同行、僕は一人で東京へ仕事に行く。年末ではあるが東京で面談予約が入っている。それから元旦まで東京に滞在して1月上旬にオークランドに戻る。

 

今回は25日間の長旅である。荷物を最低限に出来るようにあれこれ考えて日本では旅先の予約が確実に入ってるか、お客様との面談予定は確認できているか、確認するのはすべて僕の作業である。元々が旅行屋なのでこういう日程調整や手配は慣れている。

 

問題は来年である。

 

今年は様々なお客様の個人的な要望に対応出来たけど来年は日本とニュージーランドの法律がどうなるのかまだ見えない。年度末の3月末までは多分いけるだろう。問題はその後である。

 

来年発行される本などを読んで実際に自分の立場に置き換えてみて「あれ?これほんとにやばくね?」と思い始めた人たちが一気に動く。しかし法律はそのような人たちの手足を縛って動けないように次々と施行されていく。まさにイタチごっこだ。

 

今まで準備をしてきた人は大洪水に対して方舟で対応出来た。しかし大洪水が来てから方舟を作っても間に合わない。

 

ぼくが出来る事は「上に政策あれば下に対策あり」だが、その政策がまだ明快でない部分が多いので方舟作ろうにもどんどん材料が失われていきどんな材料なら合法なのか、その答が出てこれない。

 

来年施行されるDTA、日本の税制大綱、NZの税法改定、家族信託のルール変更、こういうのって法律の条文だけ見ても分からない。大手会計士事務所あたりの「これはこう読む」が出ないと対策が作れないのだ。

 

だから出来るだけのことは今年中にガーッと終わらせた。少しホッとしているが来年は初頭から新規で一気に動く案件があり、さあどうしたもんかと検討中。カレンダーが12月に終わったからと言って僕の仕事が12月で終わるわけではない。仕事はこれからも続く。

 

などと思ってたら高額所得者に対する増税案が早速一つ確定しそうだ。1200万円以上の年収がある所得者向けには所得控除を減額することで実質的に増税に持っていく。但し来年は消費税が増税、再来年も増税されるので高額所得者に対する増税は2016年から実施との事。

 

いやいや、政府もさすがに大したものだ。消費税で全国民から一気にガサーッって税金を取ると同時に世間の大半の消費者に対しては「ほら、金持ちを血祭りに上げましたよ、だからあなたも納税してね」って平等感を煽ってる。

 

ところが自分たちの給与削減は今年で終わらせ離れでしゃぶしゃぶを食える状態を作っている。これでは優秀な大学を卒業すれば誰もが国家公務員を目指したくなるだろう(苦笑)。

 

「大学は出たけれど」って戦前の映画が流行った時もマスコミは調子の良いことを書き政府は勢い良く国家の成功を誇っていたが、世間一般では当時の大学を卒業してさえも仕事が見つからない状態が続いた。

 

現在の日本はまさにパラダイムシフトであろう。つい10年前までは間違いなく常識であった中間層の仕事が次々とネットやコンピューターに取って代わられ、それまで大学で一生懸命勉強した技術が全く通用しなくなった。

 

国境が常識として存在していた時代はすでに過去のものとなりインターネットが国境を下げてしまった。その結果として多くの人々と資金が海外をぐるぐると回り始めている。これは現場にいないと理解しがたいだろうが、すでに日本は金融ガラパゴスになっている。

 

国際税法はおそらくこれからパラダイムシフトに移るだろう。何故ならそれぞれの国家が誰を国民や居住者と認定するのか、その基準が世界的に確定していないからだ。またその認定の国際法的根拠は?居住者とは誰だ?課税の根拠は?

 

こういった問題が今までは日本の税務署が勝手に決めることが出来たが国境が下がり居住の規定が変化すれば税務署が相手にするのは日本国籍保持者ではなくその人が住んでいる国の国税局である。

 

これから両者バチバチのガチな戦いが始まる、てかすでに始まってる。今までは前哨戦だったが来年からは本格的に各国の国税局が「こいつは俺の金だー!手を出すんじゃねー!」って状況が発生する。

 

実はここに弱者の戦いの狙い目が出てくる。国家という強者同士が戦争するのだ、その間にいる豆粒のような人間は機動力さえあればどちらが良いか、もしくは第三の道を選ぶことが出来る。機動力がなければ・・・残念な結果になる。

 

どこの国も税金が欲しいから「こっちの国は安いよ」と納税者にラブコールを送ってくる。こうなると国税だってバーゲンだ、納税者に逃げられるくらいなら税金下げて居住者のままでいさせるって事になる。

 

ただとにかく今はまだ次のステージが読めない状態だが、来年の租税協定を視野に入れつついくつかの作戦を検討している最中。特にここ一週間はオークランドがクリスマスモードで誰もがアクセル全開で「今の仕事」をやっつけてるから来年の話をする余裕がない。

 

今週に入って僕もピリピリして金曜日にすべてを終わらせて土曜日から日本出張だから気を抜いていられないが、さーて街はクリスマス、僕は来年の絵描きだ。



tom_eastwind at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月08日

ハエの人生

窓開けてんのになー、何でガラスの面だけにぶつかってその横に大きく開いてる窓から出ないのかなー、広い世界に。

 

日曜日の午後、大きく窓を開けて涼しい風が吹き込んでいる真夏のオークランドでの事。真夏と言っても20度前後だろう、太陽の光はあまり強くないけど、とにかく空が青い。

 

涼しい風に乗ってどこまでも飛んで行けそうな青い空、緑の樹木が広がる大地。それにしてもオークランド郊外の住宅地はどこも緑が多い。公園もたくさんあるが住宅地を囲むようにたくさんの木が集まり林や森を作り上げている。

 

ランギトトに向かって大きく広げた窓から見える景色はほんとに気持ち良いのだが、時々ハエが舞い込む。ごきぶりも殆どいないしシドニーほどにハエがいるわけではないが、それでも時々大きく開けた窓からハエが舞い込んでくる。

 

突然舞い込んで来て暫くあっち行ったりこっち行ったりしてて、別にうざくもないので放っとくのだけど、時々窓ガラスにぶつかって何とか外に出ようと努力しているのは分かる。

 

ならば入口が開いてるのだからそこから出れば良いし叉は窓ガラスの端っこには高さ1メートル、幅30cmの窓が開いてるのだからそこから出ればよいのにと思うのだが、どうしても目の前の透明なガラスの壁に激突を繰り返すばかりだ。

 

こういうのって、なんつーか昔聞いた「蟻の話」を思い出す。本当かどうか知らないけど、蟻の目の前に折った紙をV字に立てると蟻は紙の壁を乗り越えようと上に行こうとするけど紙がつるつるで登れない。

 

だったら右なり左なり方向転換すれば良いのに戻るという選択肢はないのか?激突を繰り返すハエを見ていると蟻の話を思い出し、そしてそれは今の日本社会の様相とダブってくる。

 

キツければ辞めればいいじゃん。おかしいと思ったら方向転換すればいいじゃん。前ばかり見て進むけど、それってどんどん体力失って年取るだけで、どんどん選択肢狭くなっていくよね。

 

そして最後には疲れ果てて家庭での会話もなくお互いに相手を責めて、本当なら責める相手は別にいるってのにお互いの問題と思いこんで透明な壁にぶつかっていく。

 

少し視点を変えて見れば日本なんて全然違った国に見える。こんなに平和で殆どの人々は平等であり、中国やアフリカで生まれ育つことを考えれば、何て機会のたくさんある国だろうと思う、家族が生きていくのには。

 

なのに毎日のちょっとしたことでくよくよしたり悩んでみたり。人は努力している限り悩むに決まったものだが悩みの内容を客観的に見てみれば、決断力とそこに至る思考能力と思考を構成する基礎知識があればどれも対応可能なものだ。

 

なのに日頃時間のある時に人生の基礎知識を学ぼうとせず三段階思考を鍛えようとせず、更にいつも他人に決めてもらう癖がついているから何かあった時に自分で判断することを恐れる。自分で判断した結果の「万が一の失敗」を恐れて「何もしない確実な失敗」をするのだ。そしてハエは透明な窓にぶつかり続けいつかは力尽きて床に落ちてしまう。

 

ハエも人間も永遠の人生を生きることは出来ない、いつか死ぬ。けれど死ぬその時に「よっしゃ!悪くなかったぞ!」そう言えるかどうか?目の前の透明な壁にぶつかって落ちるだけの人生と、ちょいと視点を変えて窓から広い世界へ飛び出して自由に飛び回る人生と、どちらが楽しいか?

 

選ぶのは自分であり他人ではない。文句を言っても誰も助けてくれない。自分の脳味噌で戦って何かを勝ち取るか、他人の言うことに盲従して敗戦必死な透明の壁激突を繰り返すか?

 

今日はりょうまくんが「進撃の巨人」を英語版で楽しんでいる。てか、かなりのめり込んで観ている。「進撃の巨人」は人種に関係なく心を打つようだ。

 

自分の人生を戦い、戦略を考えて前に進むか。それとも誰か他人に、政府とか会社とかに任せたまま自分で考えず決断せずに生きていくか。それを決めるのはあなた自身だ。

 

日曜日の午後、壁にぶつかるハエを見ながら何となくぼんやりと、そう思った。



tom_eastwind at 18:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月07日

クリスマス!

金曜日は会社のクリスマスパーティ!いやー、よく笑った。スタッフ全員とその家族で約40名が参加してくれて、歌あり踊りありの大騒ぎ!


一年中働いているが、なんつーかここで一区切り、一息ついた感じだ。

よっしゃ、これで来年も頑張るぞ、けど時間軸から見れば年末年始なんて何の意味もない、単なる区切りにしか過ぎないが、けどいいや、そうでもしなけりゃ身体を休めるタイミングが見つからない。


クリスマス・・・。一体人間の人生って何なんだろうなーって考えるときでもある。今年の前半は5年後の日本に備えて企画を作り、後半はひたすら走りまくりだったなー。


2015年に日本は変質する。今見ているのはその後だ。今の日本は歴史で言えば大正時代の終わりから昭和前期である。まだ言いたい事が言える。しかしこれから日本は急激に変化する。


これは何も予言ではない。「歴史は繰り返す」だけの話だ。今の日本を大正後期に置けば分かることだ。


何故歴史は繰り返すか?それは何故人間の手が二本から三本にならないのかってのと同じ疑問だ。

人間はどこまでいっても限界がある、人間である限り。人が神になれない以上、人の世界でどうやって戦いつつ生きていくかを学ぶしか無い。そこに共産主義の限界がある。


クリスマス。

英国人もキーウィも台湾人も中国人も日本人も集まっての大騒ぎだ!

料理も素晴らしく誰もが「うわー!」って言ってくれる。皆が集まってくれて年末を迎えられたねー、わーい美味しい楽しい!そんな一晩でした。

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 11:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月06日

中庸 自分を真ん中に置くこと

秘密保護法案が参議院で可決された。これは強行採決と朝日新聞あたりが批判しているが、ここが僕にはよく分からない。

 

国会議員は国民によって選挙で選ばれており、その過半数が秘密保護法案を賛成したのであるから、それは間接的に国民がこの法案を認めた事である。そのどこが「強行」であろうか?これこそ民主主義である。

 

民主主義の原則は多数決であり、議論をした後に結論を出すのは当然だ。野党が「議論を尽くしてない」というだけで議論がどこまでも続けば結論が出ないではないか。その結果として廃案になってしまえば多数の意見が無視されることになる。

 

だったら国会なんて最初から「全員一致」にするしかない。そうすれば耳辺りの良い法案だけ通って国は破産するし本当に国家の為になる耳に痛い法案は永遠に通らない事になる。

 

僕はこの法案に賛成していない。何故ならこの法案は10年単位で見れば間違いなく戦争するための法案だからだ。最初に言っておくが僕は戦争をしない国なんてあり得ないと思ってる。だから今の「戦えない」法律を変更するのは良い。

 

ただこの方向が間違いなく一部の支配者の為に利用される、そこだけが嫌なのだ。

 

国家公務員に対する制約条項と表面的に繕っているが実態は戦前の特高警察と同様に使える法律だ。でもってこういう法律ができると、いつもと同じ法理バカが出てきて「法律にこう書いてるんだから守りなさい」となる。法律が間違ってても人間を縛るのだ。一体法律ってなんだ?人には常識があるだろ?

 

国民の多数が選んだ国会議員の多数がこの法案に賛成であれば、それこそ民意を尊重して可決すべきだ。それに対し「強行採決だ!」なんて叫ぶ新聞の方がよほど民主主義を無視した発言である。

 

この問題は二つある。ひとつは民主主義の原則でありもう一つは秘密保護法案そのものの目的である。

 

民主主義は形式上は日本に存在している。しかし権利を与えられた人民は自分の権利を理解していない。その結果としてお笑い芸人に一票を投じて紅白歌合戦レベルの選挙になっている。

 

これは愚民政策とでも呼ぶべきか、とにかく上手く作った仕組みである。さすがに旧帝大や現東大を出た連中のやることは凄い。バカな国民をバカのままでいさせて自分が奴隷であることに気づかせないのだから。

 

しかし民主主義の原則としては多くの人が自民党を選んでいるのだから何も間違っていない。何故なら国民は自分の権利を行使して自民党を選んでいるのだから。朝日のように「全会一致」を求める社説などまさに民主主義を否定しているようなものだ。

 

100人いれば100の意見がある。しかし社会は進歩せねばならない。だから多数決という事になる。この法案が正しいかどうか、それはめくらの国で目明きが異常なのと同じ理屈だ。

 

いつも書くことだが、ぼくが好きなのは日本であって自民党政府ではない。安倍さんはよく頑張っているしその立ち位置は悪くないが、もう少しおじいちゃんと違う視点からこの法案を見てみればその怖さがわかると思う。

 

もちろん、石破氏の言うように今の安保崩れの暇人左翼が拡声器でギャーギャー言うのは僕も全く同感であり不愉快である。どいつもこいつもなよなよした根性なしだなーって感じ。

 

世の中がこんな右に左に分かれている時に真ん中にいるのは本当に難しいと思う。それでも今の時代、自分を真ん中に置いて歴史の中の試金石を一つ持って生きていかねば、あっと言う間に時代の波に押し流されるなーって思ったこの法案である。



tom_eastwind at 10:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月05日

ビザがない!

ある移住したお客様の笑い話。ニュージーランドは重国籍を認めており、だからこの国では例えば英国とニュージーランド両方の国籍とパスポートを持つ人が普通にいるが、日本の場合は重国籍を認めておらず、何だか数年前までは河野太郎さんあたりが重国籍OKにしようぜって言ってたが最近は下火。

 

それでも21歳になるまでは重国籍が認められている。つまり永住権を持つ両親の元でニュージーランドで生まれればその子はニュージーランド国籍を持てる。同時に日本の国籍も持てる。つまりパスポートを2冊持てるのだ。

 

これはうちのりょうまくんも同じで、彼の場合現在は3つの国籍を持っている。ひとつはお父さんの日本国籍。これ面白いのだが、お父さんはすでに国籍離脱をしているが子供はそのまま日本国籍を21歳の誕生日までは保持出来る。

 

そしてお母さんは香港生まれなのでりょうまくんは香港の身分証、パスポート代わりの証明書が持てて香港の市民権がある。同時にニュージーランドで永住権を保持していた両親の元で生まれたのでニュージーランド国籍もある。

 

ここを正確に言うと、りょうまくんが生まれた時は両親の国籍や永住権に関係なく国籍が与えられた。出生地主義である。それが数年前にバカな日本人がバカな事をしてそれ以降ダメになった。

 

さて冒頭の子供が日本に留学することになった。中学校は日本で過ごさせたいとの親の気持ちだ。でもってこの子が空港に行き出国手続きの為航空会社のカウンターにニュージーランドのパスポートを提出すると、そこには日本で長期に滞在するためのビザがない!

 

係員びっくりして「あなた、ビザなくて3ヶ月以上の滞在は出来ませんよ!」という事になった。そこでその子「あのですね、私は日本国籍も持ってるんです」と説明して日本旅券も見せたが、係員、ますますパニックになって「どうして一人が二つの国籍があるんですか!大体あなたは日本国籍があってもビザが無いじゃないですか!」となった(大笑!)。

 

こうなるとほんとにバカとしか言いようがないが、あのさー、日本国籍がある人に日本の入国ビザが必要って、ほんとうに思ってるの?

 

こういうのってまさに教条主義というか地頭がくそってか、だったらNZ国籍を持ってる君が日本に行った帰りにニュージーランドに入国するビザがないですからニュージーランド旅券を持っててもニュージーランドに行けませんって成田北関東国際空港で日本人スタッフに言われたら?な話で、アフォーとしか言いようがない。

 

でも現場では本当に「あんた、一体どんな教育を受けてきたの?」って聞きたくなるような連中が多い。それは年齢に関係なく、どの世代にも常に一定量の地頭の悪いバカがいるってことだ。

 

柔らかく考えることが出来ない。これは決して真面目という意味ではない。ここで好意的に真面目と言ってしまうと問題の本質を見失う。はっきりすべきは、要するにアフォーって事だ。物事の本質を理解してその理論を読み取り応用させる、それが出来ないって事だ。

 

これは移住においても同様である。ぼくがお客様とお会いして5分で「この人移住できる」って判断する基準がこの「柔らかさ」である。物事の本質を理解出来て応用が出来る人は移住は大きなハードルではない。そこから先、経済的にどう食っていくかを考えれば良いだけだ。

 

しかし頭の固い人は国籍は国籍、ビザはビザと別物として考えてしまい、両方の関連性が理解出来ない。その結果としてオークランド空港職員のように「日本の旅券があっても日本のビザがない!」って言い出すのだ。

 

「悪いのは親」って言い切ってしまいたいところである。

 

ほんと、子供の知識は親に準ずる。親がバカなら子供もほぼ9割の確率でバカになる。けどこれは芸能人や政治家の子供のような、親に反発するって意味ではない。あくまでも純粋に市井のバカ親の下に生まれた子供は自然にバカになるって意味だ。

 

ある時小学校で子供にアンケートを取った。「おとなになったら何になりたい?」て質問したら、マオリ系かパシフィックアイランダー系か分からないが「お父さんのように失業者になりたい。毎日政府からお金をもらってのんびり暮らしたい」と、小学生の子供が書いたのだ。

 

まさに普通の文明社会ではあり得ん話であるが、実際に南太平洋の民族には労働をしない人々がたくさんいる。彼らはお腹が空けば海で魚を捕り山で果実を採り生きてきた。だから継続的な労働とかが根本的に理解出来ない。

 

そういう家庭に生まれた子供は親の背中を見ているから、今住んでいるニュージーランドではそれ通用しないよって事が理解出来ない。

 

「私の何が悪いの?私の両親は全然働かずに立派に生きて私を育ててくれたわ、油っぽい食事で私の体重は100キロ超してお母さん並に立派になったわ、だからいつも病院に行って医療費漬かってるけど、でも私の何が悪いの?」

 

日本では思いもよらない話だがこれが現実である。ニュージーランドは片方では優れた組織を持ちながら反対側では1950年代の移民政策の失敗を今も引きずっているのだ。

 

でもって政府も親のバカは仕方ないにしても子供だけはどうにかしようとして空港職員に一定枠でバカの子を突っ込むのだが、子供の頃にきちんとした教育を受けてないから冒頭のビザのようなバカ話になる。

 

これでサービス業務まるの?ってレベルだが、じゃあ彼らをパン屋に就職させると「えー?朝早いから嫌だー、だってパーティに行けないしー」なんて素っ頓狂な答が返ってくる。

 

お前さー、何でそうやって政府にぶら下がってんのって話だが、バカにはこれが理解出来ない。バカは自分がバカであることを理解出来ないのだ。

 

しかしこの話、何もニュージーランドに限ったことではないので要注意。日本でも全く無意味な仕事をして失業者対策をやってる成田北関東田舎空港のチェックゲートとか、まさに無駄金。あれなど日本がまだお金に余裕があるから出来る失業者対策であるが、働いてる人はどのような気持ちなのだろうか?

 

金さえもらえりゃいいや、そんなもん生産性とか働く喜びとか知らんしってんなら良いよ。それならマオリやアイランダーと同じ程度だねって言って終わりだ。

 

今日ウェブサイトを少し改定するつもりで今まで扱って来た移住家族の数を数えたら、すでに300組を超えてた。

 

少なくとも僕がご案内したご家族でこのような「ぶら下がり」で「役立たず」な日本人は出ていない。皆現地で一生懸命馴染もうとしているし子どもたちは大学を目指しその後は世界に向けた就職活動を考えている。

 

少なくともこの子たちの時代になれば「ビザが無い!」と喚く低能グループとは一線を画した向上心旺盛な社会が出来るだろう、ちょうど在米日本人会のように。



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2013年12月04日

移住に成功???

 

時々こんなセリフを見かける。とくにそれがどっかの国の不動産を売りたい連中が移住を餌にして「xxさんが移住に成功されましたー!」なんてやってるが、こういうの見るとドシロウトってすぐ分かる。

 

何故なら移住そのものには成功も失敗も無いからだ。移住とは幸せになる手段でありそれも移住した時の一瞬ではなくその後の現地での生活が経済的にも家族としても幸せを維持できたかどうかがポイントである。

 

そして人は死ぬその日を迎えて「まあ、俺の人生悪くなかったかも」と思うことが出来て初めて幸せであり、その時点であえて言えば「移住に成功した」といえるのだ。けどそれは人生に成功したってことと同じくらい重いことである。

 

最近の釣り広告はほんとにあからさまにバカを対象にしてるなとしか思えないのだが、上記の件もビザを取得することが移住に成功と勘違いしている釣りだ。

 

順番から言えば、まず移住をするために必要な手段としてのビザが存在して、次に移住をするのは幸せになるための手段として存在して、最終目標は幸せになることなのだ。この順番が分からない人が良い部分ばかり見て移住するから1年も経つと「ぼく、もう帰りたい〜」なんて話になる。

 

最近はシンガポールやフィリピン、タイあたりに移住した人たちが「日本に帰りたいー」って言ってるそうだが、そりゃそうだろう。元々が「夢見隊」なんだから現実の生活を知れば「ええ?話、違うじゃん」となる。

 

ところが親戚やご近所に見栄を張って出てきたから今更のこのこと戻るのもみっともない。だから「どーしよ?」って話になるのだ。

 

とくに酷いのが中年のおっさんが日本のフィリピンパブで働く可愛いフィリピン女性にのぼせた挙句に甘い言葉に乗せられて移住してみると、そこには女性の家族親戚が山ほどいて様々な理由をつけてカネを無心される。

 

それを無視すると今まで可愛かったフィリピン女性が態度を豹変させ泣き喚き「あなたは私をもう愛してないのね!」となる。さあ大変だ、こうなれば底なし沼の蟻地獄であり、もがけばもがくほど深く沈んでしまい、気がついた時には一文無しで地元の教会に寝泊まりをして施しで飯を食う始末になる。

 

これは最近起こった長野県の年金運用で失敗してタイに逃亡して女に貢いだ挙句にすっからかんになった男も同様である。可哀想だが自業自得だ。彼の場合最後は日本の警察が国費で日本に戻してくれて三食昼寝付きの護衛付き宿舎を与えられたのだから、本当にほっとしているだろう。

 

話は逸れるが香港では刑務所の飯の事を皇家飯と呼ぶ。陛下に与えられた食事って意味である。

 

ぼくは説明会を少人数で開催している。何故ならこちらの気持ちが集中出来て直接参加者に語ることが出来るからだ。一人ひとりに「移住って良いとこもあるけどわるいとこもあります。特に日本のような超先進国から来た人にとっては耐えられない事も多いです」と説明をするときは、大人数では伝わらないからだ。

 

そう、ぼくは移住の話をするときには必ず悪い部分を説明する。良いとこばかり説明するのは目先の手数料しか考えてないシロウト営業マンだ。移住とは最低でも10年以上そのお客様と同じ国同じ街で生活を共にするわけでありそんなときに口先営業なんて出来るわけがない。

 

もっと言えば営業という言葉さえおかしい。移住とは人生そのものを決めることであり、それを他人の家のドアをノックして「こんちわー、移住しませんかー?」などと出来るものではない。テレビや冷蔵庫やリフォームではないのだ。「お宅白蟻いますよー」なんて話ではないのだ。

 

だからうちの会社には営業担当は誰もいない。ほぼ全員が移住カウンセラーで、問い合わせがあれば初めてビザや生活の構築の話を説明するだけであり、また移住後の生活サポート担当者であるが、移住に興味のない人間にメールを送りつける事などない。

 

ニュージーランドでもせっかく移住してきたのに、数年して日本に帰る人がいる。それは年齢的に親の介護が必要となる40代の方は仕方ないだろう。けれどそれが夢見る夢子ちゃんが白人のハーフの子供が欲しいからってやってきてほんとに作ってしまって挙句の果てに旦那のDVで耐え切れなくて日本に帰るとかの例である。

 

言葉はきついが、ワーホリでニュージーランドにやって来て白人を探しても、彼女らが白人と知り合える場所などバーとかクラブとか、本当に限られている。そしてそういう場所に集まるのは大体失業中でバツイチでアジア人好きで白人エリート女性に相手にされない連中だけである。

 

キーウィは働かないって言われるが、全然そんな事はない。僕自身が経験で知っているが、シティの中心部で働く連中は若くてもほんとによく働く。ただ時間内に片付けるためにすごく忙しくて飲みに出る時間がなくておまけに家庭がしっかりしてて定時に自宅に帰るからワーホリの女の子とバーやクラブで出会う機会がないだけだ。

 

つまりキーウィが働かないと思ってる人は、働かないキーウィとしか会う機会がないからそう思うだけだ。まともに昼間シティのオフィスでガンガン働いているエリートビジネスマンはそういう場所にはまず行かないし、行くときもすでにキーウィの彼女と行くのでアジア人の目に触れることもない。

 

移住を考えている方には是非とも理解してもらいたい、移住とは新しい長い旅の一歩を踏み出すだけであり移住とは今まで歩いてて道から他の道に移ることであり、それ自体は何の幸せも生まないって事を。

 

本当に大事なのは自分のライフスタイルとその国のライフスタイルが一致しててその国で生活をすれば幸せになれるって確証を持てるかどうかだ。

 

ぼくはこの仕事を手がけて10年を越したが、今までに約300組の家族の移住をお手伝いしてきた。浅く関わった件もあれば思いっきりどっぷりと漬かった件もある。どっぷりの件はどれも今でも思い出すくらい強烈である。

 

移住を目的としてやって来てハシゴを外されて真っ青な顔で当社に飛び込んでこられたご家族、移住してきたのは良いが現地で思わぬ事故に遭遇した方、ほんとに様々であるが、人生かかってるなーって本当に思う。

 

こんな仕事をやってるのだ、こっちから移住なんて勧められるものではない。だからこそ営業ゼロ、逆にこちらがお客様を見て「この方とは長いお付き合いが出来るかどうか」を見極めた上でお付き合いを開始する。

 

今日のオークランドは雨。奥さんと娘は今日から日本だ。りょうまくんと僕だけ自宅に残って、お互いに顔を見合わせ「ヘイ!今日からほんとの休暇だぜ、うるせー連中はいなくなったぞ!」って笑ってる。

 

ぼくの移住もすでに25年たっているが、まだ道半ば、移住に成功したなんて言えない。りょうまくんが海軍に無事入れて安定するまでは戦いの連続だ。子供二人が無事就職して生活が安定して、お父さんお母さん、ニュージランドを選んでくれてありがとうってくらいになって初めて「まあ、人生悪くなかったかな」って思えるくらいだ。

 

移住が良かったか悪かったか。そんなもん、答は30年後ですよ。



tom_eastwind at 23:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月03日

虎の尾が踏まれた時

「ねえトラちゃん、きみってお金あるんだねー。ぼくってさ、いまはせいじかってしごとしてるから病院を県の金で作ったりとか都内で6億円とか国民の税金、ぼく出せるよ。お手伝いしよーか?」

「ああセンセー、ありがとー!じゃ、どうやってお礼すればいいのかな?」

「トラちゃん気にしないで、ただ次の選挙があるときにちょっと「気持ち」を見せてくれれば良いだけだよー。」

「気持ちって何、何すればいいの?」

「ねえトラちゃん、そんな事おとなは正面から聞くことじゃないんだよ、め!いけない子ねー、まったくもう・・・。大丈夫、ぼくの秘書にちゃんと話しておくからさ、秘書の話聞いてね、ぼくは知らないから〜!」

 

その後・・・・・・・選挙。

秘書「トラちゃんさー、5本くらい出来る?」

とら「ご、ごほんってごぼうの友達ですか?」

秘書「ぼけてんじゃねーよ、5千万円だよ!」

とら「あ、はい、分かりました!それが自分の目標のためなら!」

 

そうやって始まったトラと政治家の付き合いであったが、いつの間にか徳洲会病院が大きくなるに連れて力関係も変わっていった。

 

ハト「とらさん、最近どうですか?もう、党は解散するんですか?」

トラ「そうなんだよ、衆院議員いない期間長すぎてねー、もーおれは政治下手かもしれんよ」

ハト「そうですか、だったらボクがトラさんのやりたい医療政策、叶えますよ」

トラ「おおそうか、じゃあおれの秘書んところに来てくれ、いくら欲しいか言ってくれよ。おれはさ、子供の頃に貧しかった・・。だから人の命だけは平等って思ってるんだよ」

ハト「もちろんボクもですよ、人の命はふびょうどう、石橋に生まれれば勝ったも同然ですよねー!」

トラ「黙然・・・・・こいつ、やっぱりアフォだ・・・・」

 

時は経ちトラの牙は少しづつ抜けていった。体の筋肉が動かなくなり次第に活動範囲が狭くなったけど、そこは家族の助けで何とか日本の政界でも力を付けていった。

 

そんな矢先である、自分が作ったワンマン政党だった「自由連合」の選挙とその後の政党解散による巨額負債の発生、その返済を求めて今年1月に事件が起こった。

 

**ウィキペディア抜粋**

20132月、同党の解散時の借入債務が約77億円残っていることが報道された。徳田虎雄は「自分の責任で返済する」と清算人に伝えていたが、その後連絡がとれず、政党の清算手続きが頓挫している[12]。 同党は、徳田氏が理事長を務め徳洲会のグループ企業より無担保で約102億円を借りており、利息を含め約77億円が未返済で債務超過であるとされ[12]、清算人が破産回避[13]のために徳洲会と徳田虎雄に連絡を求めているが、徳田虎雄の親族らが返済反対の意向を表明したのを境に、徳田虎雄も返済に対する対応を保留するようになったとされた[12]。一方で、返済を主張する病院職員や側近が次々と解雇され[14]、政治資金規正法を踏みにじる行為と報道された[14]

**ウィキペディア抜粋終了**

 

ここで解雇された側近の一人が能宗氏であり彼は選挙用の裏帳簿を捻出していた張本人である。そしておそらく彼は徳洲会と刺し違える気持ちでこのメモを東京地検特捜部に持ち込んだ・・・。

 

ここから先は僕の推理だが、おそらく徳田氏からすれば自分の配下の病院から金を出してワンマン選挙を行い負債を作ったが、それは元々自分のポケットから出したものであり、何で俺が選挙に使った金を「俺が個人的に」返済しないといけないんだと考えたのであろう。

 

彼やその家族の理論からすれば日本一の大病院とは言え徳田虎雄氏が一代で作った個人会社であり、その金をどう使おうとトラオの勝手でしょってわけだ。大企業を経営し政治家にまで上り詰めたが法律知識や政治の闇の深さには疎かったと言うべきだろう。

 

てか、事件は今年2月に東洋経済の特集ですでに公になっていた。ところが大手マスコミは一切記事にしなかった。何でいまになって突然発表するのか?結局大手マスコミは政治の手先にしか過ぎず政治の風見鶏であるってのがよく分かる話である。

 

トラ「ねえ、これっておかしくない?俺の金を俺が使ったわけでしょ?収入を得た時に納税もしたんだよー、なんで自分の金を勝手に使ってはいけないのー?」

 

***

選挙違反事件で捜査を受ける医療グループ「徳洲会」の元事務総長で会社顧問の能宗(のうそう)克行容疑者(57)(東京都世田谷区)がグループの資金3000万円を着服していた疑いが強まったとして、警視庁は3日、業務上横領の疑いで逮捕した。

 

 能宗容疑者は徳洲会による違法な選挙運動を告発した事件のキーマン。昨年まで事務方トップを務めており、警視庁などは徳洲会を巡る資金の流れも追及する。

20131231208  読売新聞)

**記事終了**

 

徳洲会のような政界中の有力政治家に金をばら撒き成長しそうな政治家にも選挙資金を渡して政界全体に対して政治力を持っていて石原氏と盟友であるような巨大組織がなぜ公職選挙法違反で捜査されるだろうか?それも何故今になって猪瀬氏の5千万円問題が出てきたか?

 

ここに出てくるのが今回逮捕された能宗氏が事務総長時代に記録した「能宗メモ(A4版84枚)」の記載だ。このメモは能宗氏が内部告発のために作成したものであり、それは彼が今年1月に解雇されるに至るまでの徳洲会内の内紛の結果として表出したものである。

 

ねえみんなさ、ぼくさ、今は田舎のお医者さんなんだけど日本の医療を良くしたいと思ってるんだー、みんなよかったら手伝いしてくれない?実はさー、仕事がうまくいって鹿児島の田舎から東京にまで病院広げちゃったんだー!

 

徳田氏は他にも民主党設立の際に鳩山氏と面談して億単位の現金を提供した噂があり、同様に石原慎太郎知事にも資金提供をしたと言われている。

 

東京地検特捜部と言えば最近はポカばかりやりすっかり影が薄くなってしまってた。証拠偽造の大阪特捜地検事件で一般人にまで「特捜は個人の出世のために婿の人物を身内であっても追い込む」事実がバレた。それまでもいかに多くの冤罪事件があったか?そして最後は小沢一郎の陸山会事件である。

 

そんな彼らに今年2月、最高のギフトが来た。それが「能宗メモ」である。特捜では一般的に政治家の首を獲ったら高く評価される。一般人と違い政治家は様々な圧力や手腕を用いて抵抗する、その圧力をはねのけて起訴有罪に持ち込めば表彰ものなのだ。

 

今回の事件はまさに徳洲会の身から出た錆であるが特捜部にとってもお日柄も最高であり、誰を逮捕して誰を見逃すか、どう転んでも特捜部にとって利権に繋がるのは目に見えている。

 

徳州会側の問題は、これが西武王国を支配した堤の転落のようになるかどうかだ。戦前は議員まで務めたピストル堤がその子孫に残した西武王国は本来なら子々孫々まで続くはずであった。しかし時代の政治に乗りきれなかったのか、遂に最後は西武から追放されてしまった。

 

政治家にしても美味しい餌をくれる実業家は常に谷町として扱い様々な便宜を図る。しかしいつまでも腐れ縁を持ってれば何かあった時に自分まで巻き込まれる。カネは欲しいが一蓮托生は嫌なのだ。

 

そこで前回も「堤」防の決壊に巻き込まれて流された政治家は残念!だが、生き残った政治家は結局カネだけ貰って最後は堤をポイと捨てて特捜の手に任せたのだ。その結果特捜部は政治的圧力がなくなった。生き残った政治家は自分の政治資金規正法違反を見逃してもらって借りを作り政治家は金を飲み込みお互いにはっぴーである、堤家以外は。これっておやじの女癖の呪いか(苦笑)?

 

今回も似たような匂いがしてきた。どうやら政治家たちは今まで稼がせてもらった徳洲会を徳田虎雄の年齢と後継者が実質的に政治力のない状態を見て見限り始めたのではないか?

 

崩壊寸前の大組織、そこからカネを貰っていた政治家はスケープゴートを立てて自分は舞台からそろりと降りて何もなかったように口をぬぐい、すべての罪は徳洲会の内部問題として能宗氏やその他関係者と一部のスケープゴートになるであろう政治家を仕立ててこの一件は終了。

 

問題はそれが猪瀬氏にまでとばっちりが来るかである。ただおそらく今のオリンピック効果を見れば辞職には追い込むマイナス効果の方が高いし、辞職になっても再選挙で東京都知事は猪瀬氏が勝つ可能性が高いとなれば、勝たれて国政に逆らう状況を作ればあまりよろしくない。

 

石原氏も同様であり今彼を追い込んでしまうよりも罪を背負わせ発言をコントロール出来る状態にした方が良い、そう考える自民党上層部もいるだろう。だからこそ今日のニュースでは鹿児島や沖縄の政治家がスケープゴートとして写真撮られてた。てーことはこれ、田舎の病院の一事件で終わらせようって判断ではないかと感じた。

 

いずれにしても政治は一寸先は闇である。これは大手民間企業内でも政治があり、いつ足を引っ張られるのか分からないのと同様だ。

 

民間企業で入社の時は同期でも、社長の椅子はたった一つ。同期の中で派閥を作り一人がドジをこけばそいつを切ることで少しでも上に行こうとする。しかし所詮自分の能力とあいつの能力を比べれば勝たない。ならば早い内にあいつの仲間になっておこう、そういう社内力学が働くものだ。

 

馬鹿みたいに真面目に生きててもダメ。騙すよりも騙される方がいいってのは社会の食料にしかならない。自分から喧嘩は売らないが、売られた喧嘩は買う。そして絶対に負けない実績を作る。そうやって初めて誰も喧嘩を売らなくなり安定した自分の地盤が出来る。これが生き残る基本だと思う。

 

いままで戦ってずっと勝ってきた徳洲会ではあるが、やはり徳田虎雄氏が作った組織の継続力が弱かったのかなー。今回の徳洲会事件のように、天の時、地の利、人の和のバランスを失ったのは徳田虎雄氏がしっかりした跡継ぎを作らず年を取ったことであろうか。

 

人がどこまで自分の主張を守っていけるかが生きていくための智恵であろう。出来なければ?素直に舞台から引くべきだろう。諸行無常の響きあり、まさにそんなことを感じる今回の事件である。ただ一つだけ言えるのは、本来徳田氏自身が受けるべきより重いものがかかったという気持ちである。



tom_eastwind at 10:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月02日

ラスト・リゾート

先週末はとにかく熱くなった頭を冷やすためにバロン吉元の名作マンガ「柔侠伝」を読む。初版は1970年だから昭和45年。21世紀で仕事をしていると、どうしても自分の原則を忘れるし世の中に流されてしまう。だから時々こういう古い漫画を読んで原則を思い出しつつ頭を冷やすことにしている。

 

先週も頭を使う仕事ばかりでほんとに(笑)。けどそれがお客様の為になるならそれで良い、ただ週末だけはとにかく脳味噌を冷やす時間が欲しい。

 

海外相続案件は一人ひとり家庭環境が違うので完全にオーダーメイドになる。日本およびニュージーランドの相続弁護士+国際会計が理解出来る税理士とでまず基本プランを突き合わせつつ家族ごとの家庭環境に合わせて各部品の組み換えを行う。

 

家族それぞれのお考えを尊重しつつどうやれば最もトラブルなく相続出来るか、これもルービックキューブの感覚でありすべての面でピタッと色が合わなければならない。つまりニュージーランド側ですべて合法でも日本側で違法なら実行できない。ニュージーランド側では相続税ゼロでも日本側で余分に課税されてしまえばこれまたやる意味がない。

 

すべての面をピタッと合わせる。そしてお客様に常に進行状況を説明しつつ条件変更がどこまでなら認めるのかを聞きつつ最大限の効果が出るように設計図を書いている。

 

この作業は「出来るか出来ないか?」の二元的な発想では絶対に不可能。常に多元的な視点で事象を三次元的に眺めて一つづつを「どうやれば出来るか?どの技術を使えば出来るか?」と考える必要がある。

 

最初にやるのは数人のチームでブレーンストーミングをやることだ。この時点では常識も法律も一切考えない。とにかくどんな事でもいいから思いついたことを話させる。話している内にお互いの言ってることが段々見えてきてそれがある程度の形になる。

 

この形作りの時に法律などを持ち出すとその解釈でもめてしまい話は進まない。常識も同様であり人の数だけ常識があるからプランを創るのとは全く違うところに論点が進んでしまう。

 

ブレーンストーミングでいくつか可能性のある選択肢を作り出したら、そこから弁護士に提案して法的側面のチェックをしてもらう。この時点で選択肢のいくつかが訂正されたり却下されてしまう。次に今度は国際会計の分かる税理士に持ちこんで税法の側面からチェックをしてもらう。この時に必ず知っておかねばならないのがDTAだ。

 

話は逸れるが時々お客様に「ねえ、あるところからこんな話聞いたんだけどさー、これってどうなんかな?」って質問される時は、その内容をザーッと見て問題点をいくつか見つけ出して逆にお客様に「その人にこれとこれを聞いて下さい、そしたらそれが本当かどうか分かります」と答えることにしている。

 

すると大体の場合、穴だらけである。ルービックキューブを理解せずに一面だけを見て作ってるからだ。かと言って両国の法律と税務の実務の基本を理解するのは簡単ではないから本人はどこに問題点があるか分からない。

 

話を戻すと、ブレーンストーミング→弁護士→税理士まで進み全体図が整理出来た時点でまず頭の中で全体図を一回描き上げて何度かひっくり返したりしつつ問題点を探してみる。どうやら問題点がないと分かった時点でこれをA4の紙にシャープペンで書き込む。

 

この時に大事なのは一枚ですべて収まることだ。二枚になると大体複雑すぎて実行段階で齟齬が出たりしてうまくいかないからだ。

 

一枚の図を描きながら問題点をちっちゃくメモにして書き込む。あっちに線を引っ張ったりこっちに線を引っ張ったりしつつ、すべての内容を両国の法律だけでなくビジネス習慣に照らし合わせて付きあわせて、出来上がったものを再度弁護士から見ても健全なモデルかどうか確認してもらう。

 

この時点では常に法の精神と条項の両方から見ていく。条項はクリアーしてても法の精神からずれていればダメだ。日本は大陸法でありニュージーランドはコモン・ローと適用される法の原則から全然違うのだからそのすり合わせは大変だ。

 

片方からすれば全く問題ないのに反対側に持って行くとダメなんてのはしょっちゅうで、一番困るのは片方にある概念が反対側に存在しない為に説明のしようがなく言葉に詰まる時である。

 

またプランを作ってもその後の法律はどんどん変化する。だからいくらプランを作っても実際に実行しなければ意味はない。だから本当は出来るだけ早い内に相続対策を作って実行しておく必要がある。

 

例えば去年まで通用した方法が今年はすでに規制対象になってるってのもよくある話だがこれも常に法律チェックをやっておかないと分からない。このあたり鮮魚を扱う「なまものビジネス」みたいなものだ。

 

そうやってすべての面をクリアーしてからやっとパソコンで企画書として描き上げてお客様に提出出来るのだが、この作業をやってる間はとにかく頭の中に絵を入れた状態、つまりデスクトップに巨大なサイズのファイルを置いてるようなもので他のソフトの動きが遅くなり、話しかけられても全然耳に入らなくなる。

 

自宅でこの作業をやってると顔がテンパッてパソコンバタバタと叩いてるので、自然と家族も話しかけてこなくなる。そのうち僕の頭に「DON’T DISTURB!」と書いた帽子をそっとかぶせてくれる(苦笑)。

 

ほんとはもっと具体的に書ければ読んでる方も理解しやすいとは思うが、この国ではプライベートアクト(顧客情報保護法)があり具体例は表に出せない。具体的な話を書くことが法律で禁止されている。だもんでお読み頂いた皆さんに想像してもらうしかないが、日本で情報管理をしてたり個人を対象としたビジネスを行っている方なら意味がわかると思う。

 

平日で頭がパンパンになった週末の午後に熱いお風呂に入って30分くらい半身浴を楽しみ思いっきり血液を回すと疲れがすっと取れて、その時に眼から入れる内容を明治から昭和にかけての近代日本史を基礎とした任侠物語を読んでいると、そのうちすーっと頭がすっきりしてくる。

 

リゾートって言葉がある。元々の言葉はRESORT、これはRESORTで分ける。SORTとは整理するって意味で、REが付くから再整理。何でヨーロピアンが休日の旅先のホテルのプールで何もせずにサングラスをかけてじっと本を読み時々横のテーブルに置いてる冷えたカクテルを楽しむのかよく分かる。

 

ちなみにLAST RESORT(ラスト・リゾート)と言えば最後の切り札という意味だ。つまり頭の切り替えの最終機会って事か。じゃそこ逃したらヤバイじゃん。

 

ニュージーランドが段々ラスト・リゾートになり始めている気がするのはぼくだけだろうか。



tom_eastwind at 16:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2013年12月01日

MASU と 八つ墓村



金曜日は最近開店したMASUという日本食レストランに行く。スカイシティグランドホテル内のレストランでありかなり高級で、あまり興味はなかった。ただ来週弁護士チームの昼食に呼ばれておりどんなもんか取り敢えず様子見で予約した。

 

値段と料理の内容を見ると「え?これで委員会!」って感じであるが、来客は皆幸せそうな顔をしている。あ、そーか、彼らはこの場所の雰囲気を楽しみに来ているわけであり食べ物そのものに何か期待をしているわけではないのだ。

 

ふーむ、結局レストランって、客が客を呼ぶんだよね。美味しいとかだけの単品の要素ではない、総和の中にビジネスが存在するなって思った。空気をどう作るか?これは自分のレストランの要素でもある。ただ単純に安ければ良いってものではない。

 

いかに人を呼ぶ空気を創るか?これって考えなくちゃねー。日本人にお茶を出して1ドル請求出来るか?てか、してしまったらその瞬間に日本人オーナーって意義がなくなるよね。これはうちのビジネスにも繋がるな、この発想を逃したら仕事成功しないなって思った。

 

そんな事考えつつ土曜日の朝は10年使ってるおんぼろ車にガソリン入れて窓を少し洗って午後から「八つ墓村」を観る。

 

んーん、やっぱ良く出来てるなこの作品。1970年代に作られた映画であるが実に滑らかに良く出来てる。映像美ってか、実に綺麗だ。やっぱり日本人だけしか出来ない仕事があるよなーって感じた瞬間。

 

けれど同時に感じるのは、この世界観が示す閉鎖的な田舎ってのは理屈や世界観が通じない。広島とか岡山とか、男だけが偉くて女はバカだとか、多治見家がどーしたこーしたとか、東屋とか西屋とか、馬鹿ばっかり満載のくだらねーアフォーどものの連発である。

 

横溝正史の八つ墓村の元ネタは津山大量殺人事件であるが、21世紀の都会からすれば信じられない事件である。夜這い、本家、それが一体どーしたっちゅうんか、本当に僕からすれば意味不明な世界である。

 

けどその村で生まれ育った人は生まれた時から洗脳されており自分が抱える問題に一切心を傾けることなく信じきって生活しているんだろうなー。

 

人間が自分の生まれ育った迷信とか洗脳から解き放された時、どれだけの力を発揮出来るか?多分世界のGDPは2倍伸びるだろうな。

 

今の世の中はあまりに迷信と盲信と洗脳がはびこりすぎている。おいおい21世紀だぜ、もういい加減に止めようよって言いたいが、やってる本人は至って真面目だからどうしようもない。バカが自分の馬鹿さ加減を気づかないのと同様である。

 

週末、そんな事を考えてた日でした。



tom_eastwind at 17:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌