2014年01月

2014年01月31日

仕事ありますか?能力ありますか?



冒頭のタイトルは13年ほど前、まだ当社が紙の月刊誌を発行してた頃に書いた記事のタイトルだ。

 

当時はワーキングホリデイ全盛期で1年間に約4千人の若者がニュージーランドを訪れていた。その時に比べれば現在の訪問者数は2千人程度、それも以前は一年まるまる滞在していたのが現在では観光ビザの延長みたいな感覚で滞在期間も半年程度と、そう考えれば75%の減少である。

 

その当時の日本人ワーホリの問題の一つが雇用であった。「あたし、働きたいんです!一生懸命がんばります!」なんて言うけど、英語も出来ないしレストラン勤務の経験もない。だから当然断られる。それなのに「なぜ私を雇ってくれないんですか!がんばるって言ってるじゃないですか!」と的外れな思い込みで発言する。頑張ればそれだけで良いのか?店の売上はどうでもよいのか?どこから給料が出てるのか?

 

こればかりは世間を学ばずに世間に出た人々の痛ましい実態であるが、そうは言っても大人になれば自己責任だ。雇用者からすれば自社の売上に貢献してくれるからこそ採用するわけで日本人ワーホリの「頑張ります!」を支援するボランティアではないのだ。

 

「仕事ありますか?」と聞かれれば「能力ありますか?」と聞き返すという話になるのは当然である。だから当時からぼくは「君らは日本でのみ有効な日本在住で日本人という特権を失ってしまえば自分を国際的労働市場価値で計算するしかなくその時に要求される能力が何なのかを知らねばならない」と記事でも主張してきた。

 

いずれ日本と外国の国境はなくなる。ニュージーランド生まれの中国人学生が北京大学を卒業して米国でBMA取得して日本から仕事を外注するようになったら日本の中間層は全滅だよとも話したが当時は誰も信じなかった。

 

「え?日本の中間層、例えば給与計算とか書類統合とかバックオフィス的な仕事を“うち”が外注するわけないじゃん!」

 

しかし現実はインターネットの発達と企業の変化によって多くの業務が汎用品となり「安くて同じ品質ならどこでも良い、社内に残す必要はない」と判断した企業によって日本だけでなく世界中の先進国で「中途半端な能力=母国語を話して上司にゴマすれて電話での話し方も知ってるし電車のノリ方も知っている」だけの能力では生きていけない時代が来た。

 

すでに12年前から国境の壁が下がり始めていた。その事実に気づかないのは、はっきり言ってこれはもう自己責任である。企業にとって利益になる行動をしないわけがない。長距離電話代が安くなりコールセンターは東京から沖縄に引っ越して東京にはコールセンター業務がなくなった。次にネットが発達してコールセンターを海外に持っていくことが当然になった。

 

そうやってコスト業務は経費の安い方に流れていくのは当然である。そんな時代に生き残るのは自分しか出来ない「能力」である。ところが未だ持ってその現実を無視する人々は「仕事がないのは政府の責任!」という。

 

ふざけるな、その代わりに政府は国民の生存権に基づいて生活保護や医療費負担を行っている。更に公共住宅も準備している。あなたがアフリカで生まれていれば20歳になる前に殺されているだろう、そんな甘いことしか思いつかなければ。米国に比べれば教育もまだしっかりしているし医療も治安もある。それ以上、自己責任で何かせずに文句ばかり言うのかってかんじだ。

 

世界は広く世の中は甘くなく国境はますます低くなっているのに、それでもまだ政府に守ってもらおうとするのか、自助努力なしで?

 

社会はすでに変化を始めた。この流れを止めることは出来ない。ならば、波に乗るために自分を磨き鍛えるか、波の下で一生ごぼごぼやっていくか、どちらかしかない。

 

仕事ありますか?能力、ありますか?



tom_eastwind at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月30日

数字は嘘をつかない



僕のブログは基本的に書き散らしである。仕事の合間にたった今自分の眼に見えた事やこれから起こるであろう事にピンと来た時とか過去の記事を読んでこれってどの地域のどの時代の話と合致するかなって考えておー!あれか、なんて思いついた時に書く。


だからいつも言う事だがあまり細かい数字は書かずにやってる。ブログを書くのはあくまでも僕の個人的な意見であり会社とは直接関係ない(関係あったらこんな事書けるかっちゅうの)から、書く為に調べ事を毎回やってたら本業に影響が出る。


一回あたりの書く時間は大体15分から長い時で30分だ。短い時は昼間書いてる場合で全く校正かけずにUPする。で、長い時は大体夜書いてて酒が入ってるからちょっと長めに書いてその夜は何もせず翌朝しっかり校正してUPする。


これ、誰かも書いてたけどネットの書き込みは一生残るわけであり一度口から(手から)出た言霊は引っ込めることは出来ない。酒を飲んでると感情の起伏が激しくなるわけで、だから「飲んだら書くな(UPするな)」となる。


だから書くときは頭の中に入ってるデータを適当に引っ張りだして前後関係や数字の誤謬がないかだけをささっと頭のなかでまとめてそれで文章に落とす。頭の中であれ?って思う時は数字を入れない。その結果数字の表示の少ないブログとなる。


けど実際は毎日様々な数字を見つめつつ本業の移住仕事をしている。例えば当社のファイナンス部門が定期的に発行しているニュージーランド経済リポートはすでに128回発行されているが、ここはまさに数字を基礎とした分析を掲載しており、目次はこんな感じだ。


イーストウィンド ファイナンス

各指標データ

NZ経済の堅調に推移、隣国豪州を抜く

NZ銀行、住宅ローン例外措置の対応未定

NZ12月食品価格は小幅下落するも、消費者物価指数は上昇

NZの年末商戦が活況、12月の支出7.5%

オークランド港コンテナ処理量、最高水準に

英蘭シェルや三井物産など、NZ沖の探鉱井掘削へ

アジアの粉ミルク買占めブーム、NZサケも巻き添えに

クック山、30メートル縮むが、「NZ最高峰」は維持

世界いろいろランキングでのNZの位置付け

世界遺産の森にモノレールに反対の声


ここから続いて

NZ関連主要経済指標発表

11/29     住宅建設許可前月比(10)            1.4%       1.7%       -0.6%

12/12     RBNZオフィシャルキャッシュレート発表            2.5%       2.5%       2.5%

12/19     GDP 前期比第3四半期 季調済     0.2%       1.1%       1.4%

12/19     GDP 前年比第3四半期 季調済     2.5%       3.3%       3.5%

1/9        住宅建設許可前月比(11)            -0.6%      -            11.1%

1/21      消費者物価指数前期比 第4四半期              0.9%       -0.1%      0.1%

1/21      消費者物価指数前年比 第4四半期              1.4%       1.5%       1.6%


こんな数字が続く、まさに数字祭りの状態である。上記の数字は当社ファイナンス部門をご利用頂いている顧客向けに送る有料情報である。


よく言うことだが数字は嘘をつかない。ただしこれだけを取り出せばYESだが、数字は嘘を付かなくても人間は嘘をつく。自分の都合の良いように数字を調整する。例えば日本や米国の雇用統計などは調整後の数字であることはこの数字を利用して仕事をしている人たちの中では既成事実である。


ちなみにその調整技術で言うと、米国の1月の雇用統計が「雇用は回復した」と言ってるけど、ありゃ嘘だ。失業率の計算をする時はまず現在就職している人数と現在求職中の数が分母となる。例えば90人が働いてて10人が求職中であれば分母が100でありそれに対して10人が求職者がであれば失業率10%となる。


ところが政府は求職者に対して「もう1年も探して仕事がないんだから諦めな、失業手当も間もなく打ち切りになるから生活保護、フードスタンプにしたほうが良い、今なら特別割増しまっせ」みたいな事を現場でやって求職者を減らしているのだ。


だから数字で言えば分母がちっちゃくなるから、例えば90人が仕事してて5人が求職者であれば分母は95、でもって雇用者が90なら失業率は約5%となる。


そして更に隠された要素がある。それは雇用者が増えたという表面的な事実、つまり分子の雇用者の部分を増やす方法である。


米国は国民皆保険を目指して一定規模の企業に対して保険加入を義務付けた。すると企業は一旦フルタイムの社員を一人解雇してパートタイムを二人再雇用するのだ。こうすればパートタイムは保険料支払の対象とならず更に雇用者数では1が2になったから雇用者総数が増加する。そして更に失業率は低くなる。


この事実を知りたければ同じ雇用統計の中の一人あたり給与総額を見れば分かる。2年前と比べて減額されている。業種によっては1980年代と同様かそれ以下となっているのだ。


数字は嘘を付かない。けれど人間は嘘を付く。


だから大事なのは目先の大本営発表の数字を鵜呑みにして「おお、米国も景気回復しているのか、雇用統計も良くなってるなー」なんて思わないことだ。


こういう数字は最初はとっつきにくいかもしれないが、慣れてくれば不自然な数字は自然と目につくようになる。あそこの数字がこうなのにここの数字がこう、こりゃおかしいって気づく。


数字が見えるようになると今度は数字に基づいた政府発表や経済政策が何故発動されたのか矛盾が見えてくる。そして初めてそこで各国政府の狙っている政治経済目標に気づく。そこが見えてくるようになれば世の中が逆転して、白が黒に、黒が白に見えてくる。


ネット上に限らず世間を飛び回る意見を見ていると、何かの事象が起こった時の反応はまず感情で反応して次に周囲を見渡しどうやら問題なさそうだと思えば自分の感情をベースにして他人の書き込みをコピーしてまるで自分の意見のように書き込みをする。


そして反対意見が出ると自分の感情論だけで徹底的に反対したり賛成意見を見つけると自分の感情だけで徹底的に賛成して、挙句に今まで味方と思ってたのが転向したりすると気違いみたいに相手を攻撃する。


そこには理論もなければ数字的分析もなくほかに比較対象となる事象と全く比較もしようとしない、とにかく子供の感情論である。


最近の例であれば「明日まま」であろうし過去の例で言えば日本赤軍派が仲間内で総括という名前で大量虐殺を行った例であろう。大学の優秀な連中でさえ数字を忘れ理論を忘れ感情だけに走った時、そこに残るのは原始人の憎しみでしかない。


ぼくらは果たして生まれた時から人間だろうか?そうは思わない。人間と呼ぶからには理性があり知性があり自分の感情を制御出来る能力がなければいけないと思う。


その意味で感情だけのバカがあまりに多く理性で自分を制御する人間の少ない社会のことをこう語った人がいる。


「天下最も多きは人なり、最も少なきも人なり」


但しその人も巷間の噂によると時々理性を失うことがあったそうだ(苦笑)。やはり人間は完璧ではない。けど少なくとも完璧に近づく努力はすべきだと思う。その為の第一歩。現実を知るために数字を読む勉強をしてみてはどうだろうかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月29日

どんな苦境でも笑って戦う



あなたはどんな苦境でも笑っていられるか?

 

昨晩は「タワーリング・インフェルノ」、でもって「大脱走」を続けて観る。目的はスティーブ・マックイーンの“あの”不敵な笑いを観るためだ。

 

***ウィキ***

インディアナ州インディアナポリス近郊のビーチグローブ出身。父親は曲芸飛行士、母は家出娘であった。生後6ヶ月の頃に両親が離婚。母親の再婚とともに各地を転々とするなど環境に恵まれず、14歳の頃カリフォルニア州立少年院に入れられる。1年半後に出所し、17歳で海兵隊へ入隊。後に映画『大脱走』や『パピヨン』で脱走を企てる役を演じているが、実際に海兵隊の兵役中も数多く脱走しており、全て失敗に終わっていた。除隊後はバーテンダーやタクシードライバー、用心棒などで生計を立てる。

***ウィキ***

 

今話題になっている「明日ママがいない」に限らず子供時代に貧しい生活を過ごした人は世の中にごまんといる。まずしさにはいろんな程度があるだろう。しかし現代の日本で環境に恵まれない子供でもどこかに引き取られれば食べるものはある。

 

ところがアフリカに行くと今も毎日多くの子供が餓死したり軍隊によって襲撃され母親共々手足を切り落とされて虐殺されている。

 

ぼくが中国の深センに仕事で通ってた1990年代などは、中国の田舎で誘拐された幼児が医師によって手や足などを切断されて手当を受けた後に深センで乞食に出されてたものだ。駅舎を出た目の前に手や足を失った子どもたちが何百メートルも並び、ぼくらが歩道橋を渡って入る高級ホテル(シャングリラ)の近くまで、足のない子はイザリの車で追っかけてくる。

 

同じ列車に乗り合わせた米国人ビジネスマンはその耐え難さに目を伏せて走ってホテルに向かっていった。後日談であるがこの子たちは病気に罹ると治療なしで深セン川に捨てられ身体が大きくなる前に次の人買いに売られていったものだ。

 

香港が文明社会とは言え激しい競争社会であることは当然だ。その競争は社会の最底辺にいる中国大陸からの密入国者に過酷な生活を押し付ける。

 

ある香港映画の話である。お腹を空かせた5歳位の男の子を連れた密入国者の父親が香港の裏町で何とか食料を調達しようとするが、10円のカネさえない。

 

彼らのうずくまる道端の横を大型のベンツが飛び去って行き若い女を連れたオヤジ連中が我が物顔で道を歩いている。父親はお腹を空かせた子供の顔を見つめて「ここで待ってな」と無理矢理に笑顔を作り近くのコンビニに入る。1分後、店から飛び出してくる父親の手には一切れのパンが握られていた。追いかけてくる店員から逃げるため道路に飛び出した父親を大型高級車が跳ね飛ばす。

 

すべての場面が子供の頭の中に記憶されていく。その時たまたま近くを通りかかっった通行人が「ぼうず、苦しいだろ、けど世の中って所詮不公平なんだ。不公平だからそこ自分の力で公平を勝ち取らなきゃいけないんだ、頑張れ」と声をかけた・・・。

 

「明日ママがいない」では、少なくとも子どもたちの命は保証されている。子どもたちは本人の責任でもないのに苦労をして心に傷を負っているけど、頑張れる余地があるじゃないか。学校で差別されれば相手のグループを分断しろ。個別排除しろ。戦え!自己主張しろ!少なくとも今の日本でそのような理由で殺されることは滅多にないのだから。てか、殺されるリスクを背負っても戦って強くなるだけの価値はある。

 

そっか、可哀想か・・・。生まれた時から平等じゃないから可哀想か?親の愛がないから可哀想か?そういうのって生まれた時から全人類に一様に平等に与えられるべきであり、受けられないのは社会が悪いってか?

 

じゃその社会を良くする為の選挙の投票率が50%を切るってどういう事だ?批判する人々は選挙に行ったのか?次の選挙の争点を可哀想な子供の児童福祉と提案したのか?誰かやったのか?

 

第一人間や人権に国境はないと言いながら、で?それじゃアフリカの虐殺された子供は可哀想じゃないのか?親元から誘拐されて手足をぶった切られて乞食をさせられて挙句に病気になると川に放り込まれた中国の子供は可哀想じゃないのか?香港の貧しい孤児は可哀想じゃないのか?

 

こんな可哀想な「ドラマ」をテレビで放映すると「子どもたちの傷ついた心が更に傷つく」か?

 

「ドラマであるから現実とは〜」とか「時間帯が〜」とか「今生きてる孤児院出身の子供が〜」とか言ってるが、現実を知っているのか?目の前で悲しい物語さえなくなれば後はどうでもよいのか?

 

アフリカは遠く離れた大陸だし中国や香港だって関係ないもん、目先の日本の自分の街にもあるかもしれない施設の、飯も食えて着るものもある子供だけが可哀想なのか?選挙に行きもせず日頃何かの活動もせずに自分がだらーって部屋に腰掛けてる時に目の前に映った画面だけがあなたの全世界なのか?

 

このドラマで傷つく子供もいるだろう、しかし全然気にしない子供もいるだろう。すでに施設を出て働いている若者もいるだろう。彼らにもいろんな意見があると思う。しかし、世の中とは生まれた時から自動的に平等、ではないのだ。平等も公平も自由も、今手元になければ戦って勝ち取るものなのだ。それなのに戦うことをせずに臭い物に蓋をかけるのが問題解決か?

 

放映中止を求める意見がテレビの意見表明を強制的に停止させる権力はないしそんなことをやれば民衆が自分を救う憲法を自分で放棄するようなものだ。じゃあ反対意見を言ってる人々を強制的にネットから排除して強要罪で逮捕してもよいのか?

 

日本では昔からこの問題は続いている。原水禁と原水協、部落解放同盟問題、常に臭いものに蓋をして自分の目の前からだけ外に押しやれればよいって感覚で、その感覚にオブラートをかけて善意という砂糖をまぶして自分を正義の味方にして無記名でわいわい騒いでいるだけなのだ。

 

ぼくは「赤ちゃんポスト」が設置された頃の議論を今も覚えている。病院側は「今失われそうな命を救うにはこれしかない」と言い、良い格好しーな無記名の連中は「そんなの、おっかしーと、おっもいまーす!」と相変わらず紋切り型の、自分の手に泥がかからないところで偉そうな事ばかりいう連中だった。

 

結果的に赤ちゃんポストは子供を救うことが出来た。ならば本来は子供を守るために日本中で同じような取り組みをすればよいのに、当時反対していた連中は何の行動も起こさず知らん振りである。

 

それが今度は赤ちゃんポストをテーマにした「ドラマ」で問題提起をすると病院側が「子供が傷つく」と言いそれに乗っかった無記名連中が「そーだ!そーだ!」といかにも人権派の面をして偉そうなことを言う。

 

病院側の対応がなぜこのようになったのか不明であるがその尻馬に乗って騒いでる連中は確実に「なんてあたしは素敵で優しくておもいやりがあるんだろう!!」ってナルシストでしかない。バカと言った方が早いか。

 

冒頭に紹介したスティーブ・マックイーンだが、彼はその後あの不敵な笑顔で映画界にデビューして世界でトップクラスの俳優となる。あの不敵な笑顔の裏には子供時代の苦労があった。だからこそどんな苦しい状況になっても自分の置かれた場所で戦う、必要なら逃げる、けど最後は絶対に勝ってやるぜ、そういう根性を感じる。

 

だからこの記事を書く時に確認の意味でまずスティーブ・マックイーンの笑顔を見たかったのだ。

 

ぼくはいい加減日本人に理解して欲しい、人は戦って強くなるってことを。どんな境遇に置かれても強く生きていくことを学ぶのが人生だってことを。テレビに出てくる子どもたちを可哀想だと言うけど自分がやってることはテレビのチャンネルを変えることだけな、社会に無責任な人々。

 

これが社会の現実だ!どんな環境に生まれてもその環境を理由に逃げることをせずに戦うのが人生だ。

 

しかしこのように戦う連中は強いよ。

 

偶然恵まれた環境に生まれて何の努力もせずに偶然成長して普通の会社に入れて普通に結婚したような人間には到底ないような戦闘力を持っている、それが貧しい環境で生まれた人々だ。そんな彼らを怖がって存在しなかったようにチャンネルを変えても現実の世の中は変わらないよ。だってそれが現実だもん。

 

脚本はどこまで出来上がっているのか分からないが、「どんな苦境でも子供なりに一生懸命戦い自分を見捨てた人にさえ優しくなれる、そんな若者に成長していく姿」を見てみたいものだと思う。

 



tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月28日

ニュージーランドにおけるTPP問題



ニュージーランドのTPPに関するお問い合わせを頂いた。こりゃ近接遭遇戦だな(苦笑)。こんなところでこんにちは!って感じだ。

 

TPPNZが終わる!みたいな記事を見つけました。本当にNZTPPで危機に陥るのでしょうか?」

The TPP – The End of NZ as a Sovereign Nation

http://www.scoop.co.nz/stories/PO1401/S00088/the-tpp-the-end-of-nz-as-a-sovereign-nation.htm

 

答は一言。陥りません。

 

英語記事をよく読めば答は分かるが文中に「陥る必然性」について語った具体的指摘がなく、米国発のサンモント社の種苗問題、遺伝子組み換え問題は以前から指摘されているが、いくらニュージーランドの人間が書いたからってそれが「陥る事に決定した事実」とは限らない。

 

作者が自分なりに社会に対して問題提起をするのは良い手段であるが、これはあくまでも問題提起記事である。「受け入れたら終わるよー!だから反対しようねー!」って文意なのだ。

 

TPPは非常に複雑で不透明な問題があるが、どこの国も自国に不利になる契約を黙って結ぶことはあり得ない。ニュージーランド政府としてまずTPP全体を見渡して総合的に利益があれば不利益な部分も受け入れるだろうがそこにキーウィ国民にとっての核心的利益が阻害されるようであれば国民が受け入れない(日本のことは含めない)。

 

どれだけTPPが重要であっても条約であってもそれを国家が批准して初めて効果を発するわけであり、それまでは効力を発しない。

 

TPPの結果がニュージーランドにとって負の部分が多ければ国民が受け入れないしそれはつまり国民の代表である政治家が時刻の議会でTPPを受け入れるような議論をするわけがない。ニュージーランドでは政治家はいても政治屋はいない。利権で飯を食ってる政治屋と根本的に立ち位置が違うのだ。

 

遺伝子組み換え、モンサント、そのような食物を自然と健康を最も重要視するキーウィが受け入れないのは自明の理である。それが彼らの寄って立つ価値観だからだ。

 

例えば1970年代、世界では核攻撃や核爆弾が国家の当然の権益と考えられてた時代からニュージーランドは反核国家であった。

 

フランスが南太平洋で核実験を行おうとしたらニュージーランドの「虹の戦士号」が投下予定地点の真下に行って「落とせるもんなら落としてみろ!」とやったような国である。

 

その後この船がオークランド港に戻った時にフランス軍諜報部によって撃沈され、ニュージーランドはフランスの公式謝罪があるまで国交を断絶した。また米国籍の核ミサイル搭載艦が共同訓練のためにオークランドに寄港しようとした時も核を搭載していることを理由に米国艦を追い返して実質的に米国と約8年国交を閉ざした。

 

このようにニュージーランドは小国でありながらそれなりに独自路線を築いている。今回のTPPについても、もし米国が大国の力を借りて無理押しするようならニュージーランドはすぐに離脱する。米国追従ではない国家なのだ。

 

「離脱なんて出来ないよー、だって紙に書いてるもん」なんて言っても国内で批准されない限り条約は効力を持たないのだから「すでに決まっては」いないのである。とくに現在のジョン・キー首相は長く米国で働いており米国人の発想がよく分かる。

 

そしてジョン・キーは同時にキーウィであるから自然を守るキーウィの考え方が理解出来る。キーウィは少々不便でも自然を大事にするのだ。そんな国家が「米国様」だからって素直に従うと思うだろうか?

 

国の大きさと個人の戦闘力は全く別物である。ニュージーランドはちっちゃな国家であるが個人的な戦闘力は非常に高い。だって「人は何でも出来る」って学校で学んでいるからそう簡単に諦めはしない。ただこれが悪い面に出てくるとあふぉーのグリーンピスなんて犯罪行動に出てしまうのだが・・・。

 

TPP問題は様々な利権が絡んでおり日本の農協のように「おのれのカネ目当て」で発言する連中が多い。そのような雑音が多すぎる上にこの問題は何が問題かって言えば「何も決まってないしだれも方向性が分からない」って事だ。

 

何も決まってない時点で多くの人間が自分の利権の為に遣って議論している。もう少し人類全体を考えた議論は出来ないのだろうか?と思う。

 

いずれにせよニュージーランドにとって農業は基幹産業であり輸出総額の3割以上を占めている。また自然を大事にする価値観の国である。基幹産業を滅ぼし国民の価値観を否定するような条約が、どうやれば国内で批准されるのか?

 

もちろん問題提起の方法としてキーウィ国民にもっと問題を理解してもらう為に記事を書くことはあるが、それはアジテーションであり「はいはい!今観ないと一生の後悔だよー!ほらそこのお兄さん、行ってらっしゃい観てらっしゃい!」と限定商品を売るようなものだ。

 

元ネタを当たるときは字面の英文だけでなく健全に疑問を持ちつつ「あれ?だってそんな事なったらどうなるの?」と二段階や三段階思考を使って読み取ればこの記事もその意味するところが見えてくる。



tom_eastwind at 18:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月27日

国境ではなく価値観で

オークランドは今日が休日である。他の街は普通に仕事をしているのだがオークランドは地域休日なのだ。全国一律の日本からすれば変わった法律だなって思うけど地元の人に抵抗はない。だって、休めるんだもんね(笑)!何よりも家族との時間と休日を大事にするキーウィにとって三連休は有難いものだ。

 

この国の年間の休日数は日本と殆ど変わらないのだが、ニュージーランドではシティの通常の企業では残業がなく、また土日が完全に休みである。さらに毎年一ヶ月の年休は完全に消化してそれでも不足な時は「病欠」という手段もある(笑)。

 

だからニュージーランドで生活をすると日本より休みが多い気持ちになるのは事実だし休日の自宅からランギトト島を眺めつつソファに座っていると「休み」を感じることが出来る。

 

日本の休みだとどうしても残業の合間と週末出勤の間をすり抜けて何とか休みを集中させてGWって名目で家族旅行をするが今度は旅行のそのものがきつい日程になり旅行に行ってかえって疲れたりする。

 

フィリピンにボラカイ(ボラケイ?)という離島がある。ここで素晴らしく透き通った海と砂浜を目の前にしてビーチパラソルとビーチチェアの日陰の下で日がな一日中本を読んでる白人男性を見かけることがよくあった。

 

気ぜわしくビーチに行き気ぜわしく遊び最短時間で最大の享楽を得ようとする日本人と比較すれば遊び方が全く違うなって感じであるが、こりゃもう民族性の違いとしか言いようがないのだろうか?

 

別にどっちが良いってことではない。両方の生活をほぼ同年数経験している立場からすれば英米系の平日のビジネスの厳しさは日本の比較ではなく本当に殺し合いである。お前か俺かの喰い合いをしつつ、けどその分休暇で思いっきり体を休める。

 

日本の場合は馴れ合いである。じゃれあいと言っても良いかもしれない。会社という組織の中でみな頑張ってるふりをしつつ個人の生産性ではなく仲間内のすり寄せの上手さを時間を貢献することだけで競う。長くいれば立派なのだ・・・。

 

だから休暇もある意味家族への食材?違った、贖罪であり(笑)会社内で出世しようとするけど家族の事も大事に思っているよ、その言い訳だから出来るだけぎちぎちの旅程を組んで家族との会話の時間を減らそうとする(思い込み過ぎか?苦笑)。

 

個人同士で殺し合いをする英米系と組織を一枚岩にしつつ個人生活を犠牲にする日本式とどっちが良いか?それは本人の持つ個性の問題であろう。僕の場合は両方経験して言えるのは僕には英米系が合っていると感じることだ。まさに人によるのだ、国籍ではなく。

 

日本で28年、海外で28年、もうすぐしたら海外生活のほうが長くなる日本生まれの日本人でありつつ国籍はニュージーランドだが、ぼくはぼくだ。

 

自分でこういう生活を送り様々な人々と会って話をしていくと、21世紀の国境って本当に低くなったと感じる。1800年代の日本の国境(こっきょう)とは国境(くにざかい)であり諸藩が「くにざかい」を持ち農民は関所を越える事が「出国」であった。昭和の後半までは田舎では普通の挨拶で「お国はどちらですか?」なんて会話もあった。

 

ところが明治維新でくにざかいはなくなり人々に移動の自由が認められた。これはお上から与えられた施しであり民衆が努力して勝ち取ったものではないとは言えそれでも一定の進化があった。

 

そして第二次世界大戦の敗戦後日本に導入された米国式憲法において更に国民の権利が明確になった、外圧という形で。しかし現実には海外居住が難しい時代が長く続いた。1970年代に海外生活を経験した人々は商社などに限定されていた。

 

ところが1980年代にワーキングホリデイ制度が導入されて20代の若者が海外に出ることが自由になり海外留学も増えていき日本も次第に西洋化されていった。同時に日本にも多くの外国人が生活するようになった。

 

国境の壁はますます低くなり、人々はその気になれば西側社会ならどこでも住めるようになった。日本円が強くなり生活に苦労せず海外で暮らせるようになった。

 

その結果として現在は約100万人の日本人が日本人として海外で生活を送っている。彼らは当然日本の旅券を保持しつつ海外の永住権を取得したのだろうから海外在住日本人となる。

 

同じような現象のもっとでかい版は中国と韓国である。この両国は2000年前から日本と貿易を行っており多くの中韓の人々が海を渡って日本にやって来た。

 

天皇陛下の由来だって渡来民族である。だから歴史的に純粋な日本人と言えば縄文民族あたりだろうが、それでも海洋民族として太平洋からやって来た可能性があるわけで、その意味で現在の国境と国民があまり意味を成さないのは論を待つまでもない。

 

しかし現実には人々は国境によって遮られ国境の隣の人は外国人として扱われた。在日韓国人も在日中国人も同様だ。人はいつの間にかその国籍に関係なく自分の住みたい国を選ぶようになっているのだが人の意識は未だもって「国籍どこか?お国はどこか?」なのである。

 

だからここで考えるべきが、人々をその国籍や住んでいる場所だけで判断することが正解か?ということである。21世紀なのだ、もういい加減に国境とか国籍で人間を判断するのは止めよう。その出自は韓国でもすでに日本で数百年過ごして外務省の重鎮となった東郷さんだっているのだ。彼を在日と差別するか?

 

人間は自由なのだ。どこの国で生きるか、それは本人の価値観と受け入れてくれる国の価値観で決めれば良いのだ。自分の価値観と合う国で生きる。子供は他の国に行くかもしれないが、世界は庭である。どこで住もうが本人の自由だ、本人にその能力がある限り。

 

一番馬鹿なのは自分が日本で生まれたって偶然の事実だけを根拠として全く個人的能力もないのに外人をバカにする馬鹿だ。自分が海外に出るだけの力もないくせに偉そうに匿名でどーのこーのとネットで書くバカ。最も軽蔑される人間である。

 

これからの時代、せっかく21世紀を過ごしているのだ、これからは国籍とか人種とかではなく価値観、大事にするものを同じ価値と思える人々が同じグループを作って助けあう、そういうことって出来ないだろうか?

 

国籍とか国境ではなく同じ価値観を持つもの。日本人って意味で縦割りにすると、相当に酷い人生観を持った連中と一緒くたにされるよ。それよりは国籍が違っても家族を大事にするとか自己責任で一生懸命働くとか、同じ価値観を持てる人々がグループを作った方が肌の色や国籍で区別するよりも余程良いと思う。

 

仕事は自己責任でガンガン働く、けど家族を大事にして家族と一緒にいる時間を作る。そういう価値観を持てる人同士が仲良くなればよいのだ。白黒黄色、肌の色でもなければ仏教キリスト教イスラム教でもない、違う価値観を21世紀に作り出せないものか?

 

ぼくはこれは人が国境を越えて交流することで実現出来ると思う。

 

時間は100年くらいかかるだろう。日系移民が米国に渡り100年近くかけてダニエル・イノウエが上院議員になったように、時間はかかると思う。けど、時間さえかければ出来ると思う。だから21世紀は国境を無くす時代にすればと、本気で思ってる。

 

バカはバカ同士、生まれた場所から離れることも出来ずにネットでたむろってろ。ぼくらは忙しいのだ、バカに付き合ってるヒマはない。国境とかそんな後付のルールに縛られるほどヒマでもバカでもない。新しいルール、それは個人としての価値観の共有だ。



tom_eastwind at 13:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月25日

ジョニー・ウォーカー

僕の好きな酒はジョニー・ウォーカーのブラック、それも去年末から日本で発売され始めた(ニュージーランドでは1年前くらいから販売されている)ダブルブラックだ。オークの香りが強くて米の飯には合わないがステーキなどには良く合う。

 

でもってジョニー・ウォーカーでは2年ほど前からボトルの口のところにキャップが付いてそこに入ってるちっちゃな玉がいつもラムネの玉のようにカラカラと鳴るようになった。

 

最初は韓国系のお店でよく見かけたのでウイスキー好きの韓国人が一杯ずつショットが出来るように作ったのかな、なんて思ってた。口がそのまま開いてるとイッキ飲みされるからなんだろうなんて勝手に空想していた。

 

ところがそれからキーウィ系の店でもカラカラボトルが出回るようになった。え?キーウィもラッパ飲み?それはないよねー、なんだろなこのカラカラって思ってた。

 

その謎が解けたのは去年末の東京のホテルの行きつけのバーであった。

 

ぼくはこのバーのカウンターで飲むのが大好きで、仕事が終わったら必ずこのカウンターにパソコンを持ちこんでずっと仕事をしつつサンドイッチやフルーツやハムをツマミにしてジョニー・ウォーカーブラックを飲んでいる。ここで飲んでるとほんとに一日の疲れがとれるから不思議なものだ。

 

だから僕を知ってる人は僕に会うときはとにかくこのバーに来ればいいって知ってるのである意味面倒がない(笑)。

 

でもって本題だが、去年の10月ころにこのバーのスタッフに「ダブルブラックないんすか?」て聞いたら逆にびっくりされて「それ、ナンスカ?」と返された。ニュージーランドでは普通に売ってたので日本でも普通に売ってるんだろうと思った僕の浅はかさである。

 

その後スタッフが気を利かせて調べてくれたら日本での販売は12月からとのことが分かり彼も「へー、こんな酒があるんすね、てーか日本より先に販売してるなんてのがあるんだー」と珍しがっていた。

 

でもって年末の日本出張でバーに行くと(バーに出張に行ったのではなく出張のついでにバーに寄ったってのが正確です・・・ははは)そこにボトルを置いてあり「あ、これこれ!」という事で飲ませてもらい「ところでこのラムネの玉のようなカラカラ、一体ナンスカねー?」と聞くと「あ、あれっすね、混ぜ物入らせないようにするためですよ」と、あっけらかんと答えられた。

 

え?混ぜ物?正直全くの想定外。てーことは口を開けたブラックを客が注文して飲むとその度に違う酒を混ぜてるって事?あり得―ん!

 

けどこれって日本人だから感じる事なんだなー、他の国では普通に混ぜ物をするんだなー、結構びっくり。酒に混ぜ物を作る日本人っているのか?けどおれの主義じゃないな。発想が違う。生きている意味をわかっているのかって聞きたい。

 

生きるって、長い時間をこの世で過ごすだけじゃないよなーって思う。



tom_eastwind at 14:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月24日

家族?政府?国家?

***記事開始***

【北京=五十嵐文】英紙ガーディアン(電子版)などは21日、中国の習近平(シージンピン)国家主席や温家宝(ウェンジアバオ)前首相ら有力政治家の親族十数人が、租税回避地として知られる英領バージン諸島の会社を通じて資産を運用していると伝えた。

 

 同紙記者らが参加する団体(本部・米ワシントン)が入手した関係書類を分析したところ、習主席の義兄や温前首相の娘婿と息子、李鵬(リーポン)・元首相の娘らは、欧米の金融大手や会計事務所の支援で、バージン諸島に資産運用のための会社を設立。2000年以降だけでも推計1兆〜4兆ドルの資産が中国から流出したという。

 

 中国外務省の秦剛(チンガン)報道局長は22日の定例記者会見で、「記事の論理には納得がいかず、背後の意図に疑念を抱かずにはいられない」と述べた。

***記事終了***

 

背後の意図に疑念って、そりゃそうだろう。去年は温家宝元首相の隠し口座がバラされて今回は習近平の裏金なんだから、やってるのは英米政府の牽制である。

 

「お前らのカネは握ってるぞ、米国債売却とかガタガタ言うならお前らの個人資産凍結するぞ、だから仲良くやろうや、にこ♪」ってメッセージであろう。

 

地方政府の汚職を取り締まるって中央政府がどれだけ叫んでも、彼らが地方政府から中央政府に出世するまでの間に地方政府で思いっきり賄賂を溜め込んでるんだから全然説得力がない。

 

ただそんな中国の政治ではあるが僕ら日本人彼らから学ぶものはある。

 

それは政府を信用するなって事だ。

 

中国では自分たちが中央政府の中枢にいながら(だからこそ)政府の汚さを知っているから自分の家族を守るために外国の法治国家に資産を移転させてリスク回避を行っているのだ。

 

では日本政府はどうであろうか?賄賂という部分ではニュージーランドの政治の清廉さに比べれば足元にも及ぼないが、それでも日本は中国より「まし」である。日本政府は中国に比較すれば相当にキレイなのだ。

 

問題は「まし」であるだけは解決しないという事だ。何故なら日本政府は中国政府ほどに個人が儲かる仕組みは作らない風土があるが政府自体がカネを民衆から奪うって仕組みは中国よりも徹底しているからだ。中国なら地方政府が反発できるが日本ではすべてを中央政府が握っている。

 

これはある意味中国より怖い。何故なら日本の場合は「おれの金儲けじゃなくてお国の為に税金を取っているのだ」と大義名分が立つから恥ずかしくもなく堂々と厳しく取り立てる。だって自分が儲けようってんじゃないもんね、である。もちろんそのカネを原資にして天下りややったり「自分たちだけ年金」作ったりは別問題。

 

なので取り立てる税務署からすれば堂々と「お上の命令であーる、カネを差し出せー!」となる。自分の懐に直接入れるわけではないから正義の味方となって国民から強制的に取り立てが出来る。

 

では日本国民はどうすべきか?黙って言われるままに税金払うのか?

 

そこで考えるべきが中国中央政府の要人の発想である。自分は中国の中で重鎮である。しかしいつ政治的に抹殺されるかもしれない。ならばまだ個人資産のあるうちにカネと家族を法治国家に脱出させよう。そういう発想が出来れば家族を守り自分を守ることが出来る。

 

日本ではビジネスの機会が多く、ビジネスの入口は広い。中国のようにコネがなければビジネスが出来ないわけではない。誰もがやる気さえあれば成功の機会がある。そして成功すれば地域社会の中で成長する事が出来る。

 

しかしそれは入口戦略である。ビジネスを成功させることはできるが、ではその次はどうするのか?出口戦略をどう作るか?ここが一番大事なのだ。独身の頃は何も考える事がないだろう。しかし結婚して奥さんを抱えて子供が出来れば、次に考えるのはいかにこの家族を守るかである。

 

自分が稼いでいるカネの50%を所得税で取られて、さらに相続税で50%(2015年から55%)取られて、要するに江戸時代や明治時代の五公五民以上の税金を要求しているのだ。

 

もちろんそれだけ払っても社会保障がしっかりしているなら納得出来る。しかし現実はどうか?医療費負担は個人に向けてきつくなり生活保護は役所の水際作戦で却下され公教育では十分な教育が受けられず塾というビジネスが存在する。

 

ここで考えてみよう、もちろん塾があるのはOKだ。教育に力をかけるのは親の気持ちである。医療費が個人負担?それもOKだろう、自己責任なのだから。生活保護がない?それもOKだろう、個人責任なのだから・・・。

 

じゃあ国家は何をしてるの?すべて個人責任なら国家なんて不要だ。自分で家族を守るし自分で保険を買うし。じゃあ何で税金払うの?税金は何に使っているの?って話だ。自己責任と言うなら税金取るなって話である。

 

税金取るならやることやれって話であり、一般的に見て日本政府のやり方は税金の取り方と国民への歳出が不公平であるとしか言いようがない。だったら中国のように海外の法治国家に自分の資金を預けようって気持ちになるのは当然ではないか?

 

国家とは中途半端な言葉である。時の政府なのか故郷なのか?中国人は国籍を捨てて米国に移住したが、成功したビジネスマンは自分の生まれ育った田舎の村に病院や学校を作った。僕ら日本人は今の中国を尖閣諸島とかで批判するが、あれは中国政府のやってることであり中国人個人とは全く別問題だ。

 

今回の記事は、中国のボスでさえも中國を信じておらず法治国家を望んでいる現実が見える。日本は良い国だ。しかしすべて日本政府に頼りきってそれ以外の話を聞かないってのはどうなのか?

 

税金は取る、けど福祉はない。

 

それって正解なのか?



tom_eastwind at 14:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月23日

楽天なれど間抜けでなし

よく人に「おまえって本当に超楽天でスーパーポジティブだなー」と言われる。キーウィからも「Outgoing、日本人じゃないみたい」と言われたりする。よほど普通の日本人と違って見えるのだろうが、ごくごく普通の日本人である(苦笑)。

 

ただ、いつもどこでも誰にも助けてもらえない人生の中では頼るべき人もモノもなくすべて自分で決断するしかなく、そこで学んだのが「たとえ結果的に失敗したとしても、やらなかった後悔よりもやった後悔の方が納得できて人生が楽しい」である。

 

何事もやってみなければ分からないし、だいいち自分でやるから失敗してもその経験が血となり肉となり知識となるのだ。やらなければいつまで経っても何の経験も身に付かず「こいつはやばいぞ」って直感も活動しなくなる。挙句の果てに他人の言うことに振り回されてしまうだけだ。自分でやるから他人の言ってることがほんとかどうか分かるのだ。

 

しかし超楽天は決して「まぬけ」で「あほう」という事と同意義ではない。

 

結果を全く考えずに何の準備もせずにいきなり無謀な行動を取るのは、例えば全く泳げないのに準備体操もせずに荒海に飛び込むのは、こりゃ単なる「まぬけ」で「あほう」だ。しかし「超楽天」はやるからにはその時点で可能な限り最大の準備をする。

 

まず最初に計算するのは失敗した時の最大被害だ。自分が殺されるのか死ぬのか、家族の身に危険があるのか、失敗の被害総額の最大限を計算して思いつく要素はすべて計算の根拠にする。この計算能力の基礎が実は「自分でやった経験が血となり肉となり知識となり」学んだものである。

 

そして実際に行動を始めた場合のシュミレーション、模擬行動を頭のなかで想像して時系列的に組み立ててみる。そしてすべての時間軸を輪切りにしてそれぞれの時点での危険度の高さを計算する。時系列に組み立てていくことで不足しているものが見えてくる。それをどう補うかを考える。

 

この時に最も大事なのは「次に何が起こるか起こりえるか?」を想像する力である。実はこれも現場を経験して自分で失敗してみないと絶対に思いつかない。子供がストーブに手を突っ込んで火傷して初めてストーブの危険性に気づくようなものだし扇風機に手を突っ込んでバババババ!と羽根に叩かれて痛みを感じるようなものだ・・・あ、けどダイソンの羽根なし扇風機だと気づかないな(笑)。

 

いずれにしても危険度を数値化して計算する能力、次に起こることを想像する能力、これは素質だけでは補えず、やはり現場で経験して身につくものである。だからこそ死なない程度ならいろんな事を出来るだけ早い内に経験すべきなのだ。

 

そしてこの経験が積み重なっていけば今度は、100%成功はあり得なくても60%の確率ならいけるってような勘が働くようになる。

 

ぼくの場合は60%いけると思ったら危険度に致命性がない限り実行する。失敗しても勉強になるからだ。同時にぼくの個人的な感想だが、60%いければ次の20%は本人のとっさの瞬発力で乗り越えられるし残りの20%は、頑張ってれば神様が味方してくれるって感じている。

 

でもってここからが本題なのだけど、十分で思いつく限り万全な準備をすれば後は実行あるのみだ。そして何度か痛い目に遭いつつも「やるしかないしー」と思いつつ「何だ、あれだけ大騒ぎになったのに誰も死んでないしー」などと感じ始めるとそのうち失敗も成功のうちと思えるようになり、何か新しい案件が出てくると面白くてしようがなくなる。

 

そうこうしていると段々人生が楽しいものに見えてきてほんとうに楽しくなってくる。その結果として人生を肯定的に捉えることが出来るようになりどんな事でもやってみようって気持ちになる。すると不思議なことに次第に運が良くなりいつも笑顔でいられてどんなことがあっても「あ、こりゃ良いことだ!」と思えるようになり、このあたりから超楽天、スーパーポジティブになっていく。

 

だから超楽天の基本は本気で悩んで真剣に考えて前向きに失敗することであり、そこを乗り越えると何でも楽しく超楽天になれるのだ。まず第一歩。その踏み出しが出来れば、それが失敗であろうと成功であろうと自分で決断して実行する能力を身に付けた事により少しづつ自分に自信が付いてくる。

 

そして超楽天になると何が良いかって、とにかく他人のことや他人の目が気にならなくなる。自分の気持ちに素直に従って生きていくことが出来る。その心地よさはとにかくこれ、出来れば対人関係で悩んでたり他人の噂話がいつも気になったりする人に是非ともおすそ分けしたいくらいだが(笑)、え、不要ですって(大笑)?

 

そう、確かに視点を変えればこれはずいぶんワガママで自分勝手な話かもしれない。しかし自分の人生は誰のために生きているのだろう?少なくとも僕は今、毎日が楽しい。何が起こるか分からない映画を見てるようで楽しい。だから朝起きるのだって楽しい。

 

他人に迷惑をかけない限りにおいては他人の目を気にせずのびのびと楽しく生活をした方が良いのではないかと思うぼくはやはりワガママで自分勝手なのだろうか(苦笑)。少なくとも「楽天なれど間抜けでなし」である(ははは)。



tom_eastwind at 17:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月22日

ソチとか日銀とか

去年後半の記事で書いたが、今年のソチでプーチンがテロを阻止できる確率は低い。何故ならあまりにソフトターゲットが多いからだ。

 

世界からたくさんの観光客に来てもらいたい、その為には彼らが自由に行動出来たり円滑な各種手続きを提供しなくてはいけない、その裏返しが警備の手薄につながるのである。

 

テロリストにとっては警備の厳重なハードターゲットを狙って失敗するよりも、確実に襲撃・確保・拉出来る一般観光客の方が成功確率が高い。彼らはハードでもソフトでもいいからとにかく誰かを襲撃して自分たちの主張と存在を世界に伝えられれば良いのだから。

 

チベット独立運動の場合は中国人以外の外人を相手にテロは起こせない。チベットは世界に仲間を求めており敵は中国人だけだからだ。

 

しかしチェチェンなどは米露など世界から見捨てられた民族であり世界全体が敵であるから世界に対して復讐するのは何の抵抗もない。あえて言えば「日本人はちょとやめておこうか」、つまり積極的に自分たちの復讐の対象にはしない、くらいである。これはぼくがテロリストの立場になり自分たちにとって最大の効果を出すためにどうすべきかと考えた結果であるが、世界でもそう考えている人は多いだろう。

 

米国首脳が参加にぐずってるのも本音は同性愛とかではなく本格的テロを未然に避けるためではないかとぼくは思っている。米国首脳が相手ならチェチェンの怒りに燃えた人々は対戦車ミサイルや地対空ミサイル攻撃をする可能性があり、近距離でこれをやられたらさすがに勝ち目はない。人質に取るのではなく殺す事が目的なら十分にいける。

 

だからオリンピックゲームそのものに参加する選手たちはハード・ターゲットとして厳重に守られているから、むしろ今回はソフトターゲットである試合見学に来る観光客だと考えている。

 

観光客であればバスごとハイジャックして捕虜にすることが出来る。そしてロシアがスペツナズで奇襲をかければ捕虜を皆殺しにしてロシアの非道な行為を世界に訴えることができるし、もし交渉に乗ればそれはプーチンの弱体化につながる。どちらに転んでも損のない話なのだ。

 

話は変わるが日本では日銀が景気の良いことを言ってるが現場の実態は違う。それはぼくの旅日記でも何度か触れたが、物価上昇の原因は円安による輸入製品の価格上昇であり特に原発停止による発電用石油やガス価格の上昇が原因である。

 

企業実績が伸びたところもあるが苦しくなったところも多い。特に大田区の町工場などは電気代が値上がりしているのに発注はそんなに増えてない。だって業績を伸ばしている業界だってすでに工場は海外移転しており、大量発注なんてあり得ないわけで、その結果として物価は上昇するが給料は上昇せずスタグフレーションが起こりかけている。

 

けど政府と官僚からすればとにかく2015年まで何とか騙し騙し景気が良さそうに持って行きさえすれば次の選挙で自民党が過半数を取り長期安定政権の出来上がりで政府と官僚全体で「やりたい事が出来る」環境が整う。

 

その為にはメディアを手なづけて数字の欺瞞性を紙面で語らせず大本営発表のみを新聞に書かせて、新聞しか読まず現場の仕事から離れた大票田世代の票を取りにいくのだ。

 

天下の日銀が「景気良くなってるよー!」って書けば新聞を読む人は普通に信じる。それは昔、戦後すぐの日銀を舞台にして書かれた城山三郎の「小説日本銀行」に書かれた普通の人々のように。勿論これで儲かる人もいる。しかしこりゃ乱高下相場であるから、目利きのない人がやればいつかどこかで潰れるのは確実で、結局胴元だけが利益を得ることになる。

 

インフレが一旦始まれば制御は難しい。1886年に生まれ戦前から(ヒトラーに追放された6年間を除き)ドイツ中央金融界に身を置き「世界の偉大なる中央銀行総裁の一人」と呼ばれたフォッケ博士が戦後の日銀との懇談会で語った事は中央銀行の真髄である。

 

「中央銀行の任務は通貨価値の安定を維持することである。そしてもし通貨価値の安定が失われた場合にはそれを回復するということである。通貨価値の安定とは国内的には購買力の維持であり、対外的には金平価を維持することである」

 

「しかし実際になると多くの人が、たとえば旧ライヒスバンクの重役会のメンバーさえも、しばしば人気を得るため、あるいは政府の高官連を喜ばすために、中央銀行に不当な重荷を負わせようとしてきた〜当時ライヒスバンクはヒットラーからドイツの再軍備のために資金を供給するよう要請され、これを実行したのであった〜我々はあくまで健全な通貨の維持という氏名に踏みとどまるべきであったのであり、これ以上は何もする必要はなかったのである。」

 

「制御されたインフレーションの下では、価格は人為的に安定を保つが、商品の質は低下し、需要は増大し、重要な商品は市場から姿を消すなどの現象が生じる。どんなインフレーションでも固有に内在する力学に支配されており、若干の人々が好意的に緩慢なインフレーションと呼ぶものでも、本質的には詐欺であり危険なものである。 フォッケ:健全通貨より」

 

フォッケが遥か昔に指摘したヒットラーの無理筋で資金出させたのがアベノミクスであり、それを人気取りの為に黒田バズーカという名前で異次元緩和をやって政府の為に資金を市場に流し込んだ日銀、これはまさに戦前のドイツ金融界と酷似しているのではないだろうか?

 

歴史は繰り返す。確実に言えることは、現在の日銀政策を真に受けて彼らの推奨することをやってれば「小説日本銀行」のように自分のお金が国庫に吸い取られ丸裸にされた挙句、何とか食っていけるだけの貯蓄を持った人々のお金が紙切れになり、国民すべてが平等に資産ゼロになり政府のみが生き残る状況が来るという事だ。

 

上記の僕の意見はどこかの「なんちゃら陰謀論」でもなければ「心配させてうちのNISAを買ってもらう」なんて話ではなく、単純に歴史を紐解いているだけだ。歴史を学び今の日本の状況と同じような状況の時代と地域を見つける訓練をしたら誰でも理解出来る話だ。

 

ソチと言い日銀と言い、ますます焦げ臭くなってきた。

 



tom_eastwind at 13:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月21日

肥満大国ニュージーランド?


ニュージー大好きは日本人向けの情報サイトでおそらくいちばん情報が多い。地元ネタを見るときにもよく利用させてもらってるが、今日も面白い記事を見つけた。


***記事開始***

 Oxfamの調査で、ニュージーランドは世界でも最も肥満の多い国の一つにランクづけられた。この調査は、国民が何を食べたかを含む、Oxfamの最初の食物事情調査で、125カ国を対象に行われた。


 この調査は、国民に充分食べ物があるか、買える範囲にあるか、食べ物の品質、不健康な食物の度合い、の4つのカテゴリーに分類される。ニュージーランドは国民に行き渡る充分な食べ物はあるが、値段的にはそれほどよくはない。


 肥満に関しては、アメリカ合衆国や南アフリカよりはマシだが、悪い方にランクづけられる。これは、食物価格がやや高めであり、多くの国民が健康な食品を買わないことに一因があると思われている。

生活   2014120

***記事終了***


こういう記事は思考訓練として役立つ。つまり書かれたものをそのまま真に受けて「へー、ニュージーランドって肥満が多いんだ」って思うのではなく「あれ?シティを歩いててもそんなに肥満が多いとは感じなかったような?」と健全な疑問を持つ訓練だ。実際にニュージーランドを訪れた事がない人には判断が難しいだろうが、今ニュージーランドで生活をしている人には役立つ訓練である。


ニュージーランド全体で捉えると対象がぼやけるのでオークランドで考えてみよう。この街は世界でも有名なLes Millsと呼ばれるスポーツジムがありシティのオフィスビルでも空き室を利用したスポーツジムが盛んである。


そのようなスポーツジムは朝の6時位から賑やかになる。ビジネスパーソンは朝早く起きてオフィス近くの駐車場に車を駐めてジムに行きランニングとかストレッチングで一汗流してから8時30分ころにオフィスに出勤する。


朝6時、日の出前から自宅近くを走る人もたくさん見かけるし昼食時間を利用してスーツと革靴ををロッカーに放り込んでTシャツに短パン、運動靴でシティを走る人々もよく見かける。


そのような人々は細身とまではいかなくてもきりっとした体型を保っているし女性などはそうとうに磨き上げた体型をしている。これのどこが肥満なの?と不思議に思うくらいだ。


ところが同じシティでも身体に悪そうなジャンクフードを腹一杯に食った挙句に運動もせずにジムにも通わずだぶだぶと太ってまるで西洋ナシのようになった人々もたくさん見かける。


両方を足して2で割れば、確かにオークランドに肥満が多いとも言える。たぶん彼らの頭のなかでは自由と無責任の区別がつかないのだろう。


「この国は自由なんだ!何を食べてもいいんだ、何をしてもいいんだ!」くらいに開き直ってバクバク食う人もいるだろうが、多くの人々はそういう事さえ考えずにとにかく安くて腹をふくらませる食い物ばかりを選んで食っているのだろう、それが自分の身体にどのような影響を与えるかも考えずに。


高級スーパーマーケットに行けばオーガニック食品が売られているが低価格を中心とする店ではコーラやチップスがよく売れている。


統計で見ればニュージーランドやオークランドは肥満の国や街といえるかもしれないが、今起こっている現象は二極化である。これを一つの国家統計として捉えようとするから無理がある。



シティで働き収入もありオーガニックフードをシティの高級スーパー「ニューワールド」で購入してジムの年間会員に入って毎日運動しているような人か、または上記に書いたように低い収入または定収がなく全く運動もせずにコーラの1リットルボトルをがぶ飲みしジャンクフードばかり食べてディスカウントショップで大量のチップスを買い込んで値段だけは高いタバコをブカブカとふかしている人々か、どちらかなのだ。


だから統計で言えば米国より「まし」であっても肥満層は米国並みに肥満である。ただそれを補ってあまりあるLes Mills教徒(このジムに熱心に通う人々は時々宗教団体と間違えられる→半分冗談、半分ほんと笑♪)やスポーツ習慣を身につけた人が多いという事だ。


一般的には一定以上の収入がある親の助けで子供が十分な教育を受けて食育の大事さを理解して出来るだけ自然な食品を購入する両親を見ている子どもたちは、自分の健康の大事さを理解してタバコは吸わず常に運動をして健康な身体を維持しようとしている。


もちろん太る体質の人がいることは理解している。そういう人は知性があっても太めの身体になるが、それなりにきちんとしている。だらだらではないのだ。


「国民に充分食べ物があるか、買える範囲にあるか、食べ物の品質、不健康な食物の度合い、の4つのカテゴリーに分類される」とあるが、「ニュージーランドは国民に行き渡る充分な食べ物はあるが、値段的にはそれほどよくはない」と言っても食糧価格は買える範囲に安くて良い物がたくさんある。


値段的によくないって意味が何なのかよく分からないがニュージーランドのタバコは世界的に見ても非常に高いのに低所得層の喫煙率が高い、つまりタバコを買うカネやビールを買うカネはあっても良い品質の食べ物を買うカネはないという現実は無視出来ないはずだ。


不健康な食べ物、これはコカ・コーラやチップスが世界中で売られてるわけで度合いの問題ではなくそれを買う人の個人的問題である。ちなみにぼくは週に2回くらいはコーラを飲む。砂糖が不足していると感じる時に昼食時にちょこっとである。


ただ肥満の問題、ぼくは価格とか以前の問題で個人の資質、つまり労働に価値を置かず人のものを盗んでゲラゲラと笑うようなバカ親を持った子供が親の真似をして仕事もせずに万引きや置き引きを遊び感覚でやって、毎日ブラブラしてコーラとチップスばかりの生活の挙句にタバコと酒を覚えて全く自分を尊重しようとしない、ひいては人間の尊厳を無視するような生活環境に問題があると考えている。


今のところ政府は様々な施策を取ってはいるが肝心の肥満層が自分自身にも自分の子供の教育にも何の関心も持たずにいる限りは手のうちようがないのが現状だろう。


数カ月前のオークランドのニュースで、朝ごはんを食べてない子どもたちが授業に集中出来ず問題になり企業が無償で子どもたちに朝食を配るという記事があった。その時に出た批判は主に「親が生活保護で十分なカネを貰っているのにそのカネを酒やタバコや博打に遣っている現状が問題であろう、朝食を無償提供すれば親はますますタバコや博打にカネをつぎ込むだけで意味がない」と指摘があった。


単純に肥満だけの調査を見てもその原因を食べ物だけの一面を見ていては答は出てこない。まず机上の数字を知ることは大事だが健全な疑問を持ってその裏にある全体図を読み取る訓練をしていれば、簡単に数字に惑わされることは少なくなるだろう。



tom_eastwind at 20:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月20日

今年は、走る。

今月が始まったと思ったらあと一週間でまた日本出張だ。今回も2月ほぼ全期間オークランド不在となる。「もう、机要らないんじゃないですかー?」などと言われたが、ほんと、これだけ不在だと机なくてもいいかもって感じだ(笑)。

 

年末年始で日本を見てまわり今年の日本の動向が大体見えてきて、オークランドに戻って頭のなかを整理して今年の行動方針が決定した。

 

長期戦略は日本人5万人移住計画だ。戦術は2年程度の中期間で調整していく。何せ相手のある事だ、アベノミクスがどう動くか、世界経済がどう変化するか、中東の戦争がニュージーランドにどのような影響を与えるか、移民局の今年の方針はどうなるのか?様々な要素を常に組み入れつつの調整が一番舵取りの難しい点である。

 

ただ変数はあるものの戦略を構築した時点でやることはわかっているので、後はそれをいつやるかが戦術の時間軸である。この時期はこれやろう、この時期はあれやんなきゃって感じで全体の時系列を埋めていく。

 

そして戦闘、これが僕の一番得意とする分野であるが、関係各機関、取引先、顧客を常に同じ温度で護送船団のようにして誰一人落伍せずに一つの単位集団として調整しつつ遠い海の彼方のニュージーランドへ無事に送り込む。

 

この3年程度で予定して来た事は完璧ではないが大体予定通りに進んだ。3年前は日本に居住する人をニュージーランドに移住させること、それから移住してきた人たちの緩やかな横の相互連携組織を作る事だった。

 

今年はそろそろ仕上げの段階が近づいており、今までは身柄ごと移住する人だったのが今年と来年は身柄は移せなくても生活の拠点をオークランドに持ってこようとする人々へのサポートである。この2年がぼくにとって一番の勝負時になるだろう。いつも書くことだが2015年が日本にとって大きな変化を迎える年になる。

 

そしてこの年を過ぎてしまえば2016年以降のプランニングは全然具体的な様相が見えず非常に難しくなる。だから今年と来年の重要性を日本を行脚して各地で現状説明をして行く予定だ。

 

次の第70回説明会は2月8日(土曜日)の午後、東京で行う。

 

この説明会は顧客から費用を頂き顧客側に立った情報提供を行うので中立的な情報を望む方にはお勧めである。不動産を売ったりとかのセミナーではないのでご安心を(笑)。

 

ニュージーランドという国は日本向情報発信はまだまだ乏しい。テレビなどでは良いところばかり見せるが現実はそんなに甘くない。良い所もあれば悪いところもある。うまく使いこなせば天国のような国だけどそうでなければ退屈で苦しいだけの国である。

 

海外移住の目的とはビザを取得することではない。幸せな生活を構築することだ。その順番を間違ってしまうといずれ撤収という事になる。身柄は移さずとも生活の根拠地を移すことは可能であるが、その為には一人ひとりに合った計画作りが肝要である。

 

オークランドに戻り最初の一週間を過ごして調整も終了。次に向けた方向性は見えた。時間軸における戦術も見えた。

 

今年は、走る。今まで以上に。



tom_eastwind at 20:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月19日

土曜日の午後

年明けで最初の一週間は仕事の感覚を取り戻す為の試走期間だった。

今年の日本はどの程度動くのか?ニュージーランドはどのような意識なのか?オークランドのビジネス社会は今年どのような期待を持っているのか? 日本には12月中旬から滞在して、一般的な感覚は掴めた。オークランドに戻って街の話をあちこちで聴いて、これも大体イメージが掴めた。

なるほどなーって事ばかりだ。 まず日本。アベノミクス効果で東京の人々は「まだいけるんじゃない?もっと伸びるかもー」って印象だろう。地方では国勢とか世界情勢は何も考えずに、若者は如何にこの街を成長させるかを毎日考え既得権益層はめんどくさい事やだなー、だっておれ、死ぬ時までのカネあるしーである。

ただ、出口論が語られてないのが問題。入口論としてあーせーこーせーと言い、ある程度成功した者にはどーせーこーせーと語るが、では出口論は?という視点で見てみると、殆ど出口論を見かけない。 例えば京セラの稲盛さんが主催する盛和塾などは結構出口論が語られていると思う。

目先のカネではなく、なぜ人生を生きているのか、そういう事をしっかり語っていると思う。問題はそれを聴くほうが受け止めるだけの器があるかどうかだが。 出口論とは自分の死後をどうするかって事である。子供に財産を残すのか、それとも自分で使いきるのか、血族を守り自分の血筋を守るのか?

社会にすべて貢献するのか?どれも良し、本人次第であるが一番いかんのは何も考えないことである。 なぜ生きているのか? 何も考えず時代に流されてカネが入ったり出たりするだけでは、これだけは間違いなく言えるが、死ぬ時に後悔するよ。 サラリーマンの時であれば言い訳をして誤魔化してそれなりに見繕いをすれば目の前の問題から逃れられるが、定年退職して自分の人生を取り戻した時に振り返ってみればそこに何があったのか?

人生の出口とは次の世界への入口である。人によっては死んだらそれですべて終わりと思う人がいるしそれはそれで良いのだが、もし少しでも次の世界に対して疑問を感じるようだったら出口論を考えた方が良いと思う。

あはは、べつにぼくは宗教屋ではないし土曜の午後にゆっくりとニーナ・シモンとかアズナブールとかユーミンとかチューリップを聴きつついろんな事を考えてるだけだが、やはり今年は出口論を考えてしまう。 .「今だから/松任谷由実・小田和正・財津和夫 」.この組み合わせ、今ではあり得んだろうなー。

冗談で作った歌だろうが、まさに1980年代の日本の楽しさをそのまま表してる歌だ。 しかし、どんな楽しい人生にも終りがある。出口。そこを考えない人生は線香花火のようなもので、もちろんそれで良いと思うなら何も言う事はないが、もし何か自分が死んだ後に誰かに何かを残したいと思うなら、出口論を考えた方が良いと思う。

今日は最高の晴れ!財津和夫の「サボテンの花」を聴きながら、いかにこの人が天才でビートルズの影響を受けてそれを真に受けて東京に行って最後に成功していったかを考える。 期待せず、自慢せず、満足せず。 出口論を、今年は考える。

tom_eastwind at 08:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年01月17日

空母と東京都知事選

海上自衛隊がひゅうがに続いてヘリ空母「出雲」の就航だ。日本も少しづつではあるが自国の領土を守るための道具について現実化している。日本は海に囲まれた島であり海が国境なのに、今まではその海を守るための道具(自衛艦、兵器)が少なく陸上自衛隊にその分の力を割いていた。

 

日本の仮想敵国は太平洋側ではなく日本海側である。大陸との境界線に空母を浮かべ対潜哨戒機と空中管制機を飛ばしておけば敵上陸部隊の牽制にも繋がる。

 

固定翼戦闘機は当面搭載出来ないが(VTOLは可能性あり)少なくとも日本海で国土防衛行動を取るには十分である。オスプレイも導入されているので万が一の事態になれば上海在住日本人を沖縄まで戻すことが出来る。洋上のプラットフォームになり作戦活動の幅が大きく広がるのだ。

 

ヘリ空母ってのはこの出雲の実態に一番近い名称であるが揚陸強襲艦という呼称もある。ただ、いずれにしても世界標準で言えば護衛艦ではない。ただ今の自衛隊では護衛艦という呼称しか正式に存在しないので仕方なく護衛艦と呼んでいるだけだ。

 

「自称軍事専門家」同士がマジで無意味なガチバトルやってる。あれは空母ではないってのとあれはどう見ても空母でしょって議論だが、どっちかって言うと「あれは空母ではない、だって自衛隊自ら護衛艦って呼んでるんだもん」って言ってるほうが夢物語である。じゃあ狼を見て「あれは羊だ、何故なら俺の国ではあれを羊と呼ぶからだ」というようなものだ。

 

なんかなー、第二次世界大戦中に戦術で失敗して戦闘で負ける度に撤退することを「転進だ、撤退ではない、皇軍は撤退などしないのだー!」的な印象を受けるのは僕だけではないだろう。興味のある方はブロゴスで出雲と検索したら出てくるのでどうぞ。ただ内容がかなり軍事専門的な内容なので戦争オタクでなければあまり読む意味はないし意味が分からないと思う。

 

事これに限らず、日本人はほんと無意味な議論が好きであり現実を無視した答を導き出してそれを実行して最後にはどおんとドボンである。第二次世界大戦の敗戦がまさにそれであった。

 

なんかさ、どっかの宗教団体が大怪我をした子供に輸血をしようとする医者の診断を断って子供が失血死したような話である。生き残ることより大事なことがあるのは知ってる。しかしメンツや無意味な議論に殉死することくらいバカな事はない。

 

まったく子供は親だけのものじゃないっつうに。自分の教義を自分が守るのは結構だが子供に押し付けるんじゃないよって感じだ。が、日本人の議論も意味のないことに熱くなって他人に強制させてそれで結局もっと大きなコストを抱える事になるってのがよくある。先にフランスの話から入ろう。

 

「フランスのオランド大統領が14日の記者会見で、女優のジュリー・ガイエさんとの密会報道に関連し、事実婚の相手、バレリー・トリユルバイレールさんとの関係が「痛みをともなう状態になっている」と説明し、「不倫」関係を否定しなかったとのことです。」

 

フランスの大統領に期待されるのは大統領としての手腕であり個人生活がどうだってそりゃ別問題でしょ。実際にフランスでは「そんなの問題ないもんねー」という意見が8割であり「てかさ、そんなの問題にしたら明日は我が身でしょ」なんて政治家の発言も飛び出したりしている(笑)。

 

そう、政治家に求めるべきはその政治手腕である。(個人的にオランドが何か大した事やったって実績は今のところあまりない、せいぜい旧宗主国のアフリカ大陸で治安行動に乗り出したくらい)ところが日本では女問題になるとすぐ辞職だとかギャースカ騒ぐ奴がいる。

 

ほんっとそういう人間って歴史学んでるのかと聞きたい。明治の元勲たちがたくさんの女を囲ってたのは歴史的事実であり、しかし元勲は良く働き日清日露戦争で勝ちアジアにおける富国強兵国家を作り上げた。

 

ではその時誰か日本国民が「おいおいおやっさんよ、女遊びしたら辞職だぜ」なんて言ったか?誰も言ってない。ではなぜ今になって橋下さんが女遊びしたら「辞職しろー!」って言うのか?

 

それは自分の政敵を追い落とすために彼本来の仕事とは関係ない個人生活をマスコミ等の外部にチクって自分に有利になるように政治利用する根っから薄汚い連中が薄汚い事をやり、そしてそれに乗っかった福島みずほ系のような戦後の民主主義を歪めて政治利用するクソババアどもがタダ乗りしただけの話である。

 

つまり実態がどうこうよりも自分の財産を守る、その為に民主主義を利用する、そんなところではないかって感じである。もちろん橋下さんが辞職するかどうかは個人生活と関係ないわけで全然整合性のない話だ。

 

奥さんから三行半を突き付けられるかもしれないがそれは政治とは別問題、勝手にやってくれ、賠償金たっぷり払わされてもそりゃ橋下さんの自己責任。どうぞ払ってね、ただ税金は遣わないでねって話だ。

 

しかしまあ、大体こういう他人のシモネタ話を持ち出す連中は実力のない連中である。正面からやっても勝たないから裏で足を引っ張るしか出来ない。

 

英米では現実を見た考え方がある。デ・カプリオの ”Catch me If you can”って映画があったのを覚えている人は多いだろうが、最後の場面では詐欺師のデカプリがFBIで働き詐欺師を捕まえる仕事を得た話など、詐欺師を捕まえるのは詐欺師が最高って考え方が浸透している証拠だ。

 

これはニュージーランドでも受け継がれており、例えば2008年のリーマン・ショック後最初の総選挙でジョン・キーが首相として選ばれたが、彼は元々メリルリンチ証券の副社長まで務めた人物で、まさにCDS商品とか金融危機を巻き起こした当時の一員であったのだ。

 

ところが総選挙になったら彼が「おれがリーマン・ショックを巻き起こしたのだ、だから俺はどうやったらこのショックから逃れるか方法を知ってる!」ってんで国民の評価を得て選挙に勝利して首相になり、今も頑張っている。

 

事このように、誰が誰に何を求めるのかが英米の場合は明快なのだ。政治家に求めるのは政治の手腕、旦那に求めるのは不倫をしない誠実さ、求めるものが違うのに政治家に誠実さを求め旦那に立派な政治家になってくれと求めるか?

 

ところが日本では訳の分からん道徳観とか、本筋の話と全然関係ない話を持ってきて議論しようとするからそもそも現実議論が成立しない。日本人の場合はその場に集まったメンツの軽重で均衡を計り誰もが阿吽の呼吸でこの場はこういう結論にしようという雰囲気がある。それは全く理論的ではないのだが何故か日本ではそれがまかり通る。

 

でもって本題になるのだが、東京都知事選だ。ぼくはこのネタはあまりにもバカらしいのでずっと無視してきたが、5,000万円の選挙資金を受け取ったってだけでマスコミに総叩きされ議会でもケチョンケチョンに叩かれて辞職に追い込まれた猪瀬知事であるが、

 

都知事選 3年間で3回目 費用、血税から計130億円

www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013122002000246.html

 

猪瀬知事の政治家としての資質がどうなのか僕は知らない。しかしその結果として東京は知事を辞職させ新たに知事を選ぶというが出てきたメンツが左翼崩れの頭のなか真っ赤な弁護士とか1億円の裏金をもらった元首相ってんだからアフォ化?と言いたい。

 

東京都民のやった事は裏金の5,000万円を問題にして40億円の税金を遣うって判断だった。それで政治浄化というなら良い。けどその結果もっと悪い政治家が出てきたら?40億円を溝に捨てたようなものではないか?第一猪瀬知事を追い落とした都議会の連中だってその東京都議会で選ばれた議員さん、あんたらも相当実弾選挙やっているよね。それは無視なのか?

 

もちろん猪瀬知事のやった事は良くない。きちんと申告してりゃ良かった、または知事にならなけりゃよかっただけの話であるが、あまりに費用対効果が悪く無いか?

 

必要としているのはオリンピックを引っ張り込む強運と(これはどっちかと言えば安倍首相だが)東京を整備する具体的方針と(これは日本の建設力や設計力、構想力の高さであるが)、そっか、オリンピックをネタにしても猪瀬知事は大した事ないか・・・だったら何がある?あれ?ないか?だったら首の挿げ替えも仕方ないか(苦笑)?

 

だったらいっその事、東京都は日本政府内閣の直轄領にしてしまえばどうだろう?これが今日のお題である。

 

これだけの巨大都市を制御するのなら強権発動出来る内閣か総務省あたりに東京総督府を作り選挙ではなく東大試験で選ばれて更にエリート教育を受けた優秀な官僚を東京都総督にすればどうだろうか?東京のように複雑に利権が絡み日本政府に直結しているような街に民主主義を理解しない人々によっての選挙を導入するからバカが増える。

 

例えば戦前の満州でものすごく頭のキレる官僚が満州国の運営にあたり敗戦で滅びるまでは日本人にとって挑戦できる住みやすい国であり支配された満州の人々もそれなりに清朝崩壊後の無政府状態で盗賊が襲って来た頃よりも余程安全であった。

 

こんな事書くと「いや、日本支配は酷かった!」という連中が必ず出てくる。そりゃそうだ、政治やってるんだから時にはババ引く奴も出てくる、それは日本でも同様だ。しかし少なくともじゃあんたらは以前のように盗賊匪賊に襲われて殺されてた方が良かったのか?

 

だから東京都民だってこの際思い切り割りきって日本政府直轄を認めればどうだろうか?日本政府も酷いけど東京都民が直接選挙で赤や裏金1億円を選ぶよりもまだ「まし」だと思う。

 

ぼくは英国植民地時代の香港に6年間住んでたわけで当時の最後の総督パッテンは悪いやつではなかった。きちんと香港を成長させてそれまで無名の漁村だった香港を東洋の真珠にまで仕立てあげた。独裁でもやってる奴がシンガポールのようにきちんとしてればそれほど悪くはないものだ。

 

またもニュージーランドの話であるが、10年ほど前にオークランドの著名なビジネスマンが麻薬所持で逮捕された。本来ならそのまま刑務所に放り込まれる予定だったのが、このビジネスマンが「おれを刑務所に放り込めばおれの会社の売上が下がる、そしたら納税出来なくなる、すると政府の収入が減少して麻薬取り締まりの予算が取れなくなる。それよりおれを釈放して働かせてくれ、しっかり納税するから」と言ったらその意見が通ったことがある。

 

日本からすればあり得ない理屈かも知れないが現実という視点から見れば正解である。冒頭に書いたが、出雲の名前が空母であろうが護衛艦であろうが、実態はヘリ空母でありヘリ空母として国土防衛をしてもらえば良い、フランス大統領が女を作ろうがそれは個人の問題、政治をしっかりやってくれればよい、橋下さんが浮気をしようが大阪の市政がちゃんと回ってれば良い(個人的にはあまりうまく回ってるとは思えないが)。

 

建前と本音、自分に関係ないことは立派な建前を並べて偉そうな事を他人に押し付けるが、いざ自分の利害関係になれば本音が出てきて逃げまわる、そういう薄汚い日本人を山ほど見てきた。

 

だからそろそろこのあたりで日本人も現実の視点からものを観る、なんて抽象的な事を書くよりも、東京都を日本政府直轄にすればまだ「まし」なのではないかと思う。

 



tom_eastwind at 12:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月16日

Someday

 “街の唄が聴こえてきて

真夜中に恋を抱きしめた あの頃

踊り続けていた

夜のフラッシュライト浴びながら

時の流れも感じないまま“

 

佐野元春の「Someday」、ぼくは白井貴子の1982年カバーの方が好きだ。女好きって意味ではない(苦笑)この歌には白井貴子のちょっと細くて芯のあるボーカルの方が共感出来るからだ。

 

お正月のスキーに行った時に「スキー場に客が戻り始めてる。それもバブル時代にスキーを楽しんだ若者が今家庭を持ち子供を連れてきている」と書いたが、これ昨日読んだ日経の記事でも偶然取り上げられてて「スキー客が戻り始めた。スキー場は設備投資をして子どもたちがスキーを楽しめる環境を作り、子どもたちが大きくなってまたその子供を連れて来れるようにする最後の機会だと頑張っている」とのこと。

 

そっかー、スキー客が増えるといいな、素直にそう思う。ユーミンは今も苗場で毎年ライブをやっているが、数年前に聴きに行った時は聴くほうがずいぶん高齢化してて「あーあ、この世代、間もなく引退だよね、次の世代が育たないとやばいなー」なんて思ってた。

 

スキーがまた流行になるのなら、そうなると1980年代に活躍した歌手たちにまた光が当たるようになればいいなー。最近の歌手はありゃ盆踊りしながらミキサーの腕でなんとか声に聞こえるだけの下手くそガキばかりだ。

 

谷村新司、松任谷由実、井上陽水、さだまさし等など当時はほんとに生活を賭けて歌に取り組んだシンガーソングライターが最近また特別ライブなんかで頑張ってるし、更に白井貴子や小比類巻かおり、葛城ユキなど第二世代に光が当たってほしいものだ。

 

日経では他にも2014年の100人のヒーロー、ヒロインって特集をやってた。裏表紙にサントリープレミアムモルツを楽しむ矢沢永吉の姿があり、これまたうれしくなる。やっぱり「あの、日本が光ってた時代」にリスクを取って努力して成功したシンガーソングライターは誰もが魅力的だ。

 

ところが!である。この特集、100名の写真があって紹介文を書くのは別の人、例えば菅官房長官の紹介文を書くのが竹中平蔵だったりして面白くパラパラとめくってて「ほー、この人はYESだね、あれ、この人誰?」と思う中、丁度50番目に紹介されたのが連合の古賀伸明。はあ〜、あの、何もせずに偉そうな顔してる労働貴族が何でここにいるのよ?いつから「日本を壊した100人特集」になったんだ?でもって紹介文を読むとこれまた気持ち悪い。そこで紹介者を見ると何と福島みずほ!

 

こんな悪趣味、わざとか?って思うくらいだ。いや、これはわざとでしょ。日経ビジネスの読者がこれを読んで非常に気分が悪くなるのを狙ってるとしか思えない。

 

連合なんて自分たちだけの利益を守るために組合員以外の日本人を排除して労働者格差を作り出し既得権益を主張するだけの薄汚い集団でしか過ぎないのにそれを応援するのが「あの」ありもしない慰安婦問題を国際問題に捏造した福島みずほなんだから、もう笑うしかない。

 

「今年の消費増税で国民の生活は〜」とか書いてるが、ふざけんな、連合がやってるのは組合員の生活だけではないか。一般国民の事など全く考えてもいないくせによう言うわ。

 

第一「賃上げの為に安倍政権と対峙して」だと?バカ言うな、今労働者の賃金を上げようとしているのはまさに安倍首相であり、それは連合がどれだけ頑張っても(ほんとは頑張ってもいないけど)全然出来なかった事を政府側からやろうとしている訳で、こんなんなら労働組合不要でしょ。

 

第一組合費なんて毎月給料の3〜5%取られてるけど、そのうち役員がオルグとか大会経費とか言って飲み歩いてるカネがいくらかかってるのか報告書で発表しろっつうの。組合脱退したらそれだけで給料が3〜5%上昇するのだから組合なんて廃止してしまえって感じだ。

 

ぼくは安倍首相の政治の方向性は個人的に好きではないがその手腕や根性は認める。言葉は悪いがあっぱれだと思う。ぼくが一番嫌いなのは偉そうな顔していかにも労働者の味方みたいな顔して実は何もせずに一般組合員の組合費で酒ばかり飲んで理屈だけ並べて週末には葉山でヨット遊びをやってる御用組合の幹部連中である。こういうのをダラ幹(幹部、患部とも言う)という。ダラ菅(元首相)ではない。あ、似たようなものか(笑)。

 

しかしその後体操の白井とかサッカーの柿谷とか女子スキージャンプの高梨とか陸上短距離の桐生とかの紹介を読むと一服の清涼剤を飲んだ感じがして、ソチや2020年オリンピックガンガレ!と応援したくなる。(それにしてもソチの治安は大丈夫か?それで言えばブラジルのワールドカップも開催までに会場完成するのか?)

 

SOMEDAY

この胸に SOMEDAY

ちかうよ SOMEDAY

信じる心いつまでも SOMEDAY!“

 

さあ、未来は必ず来る。信じる心さえ持っていれば。



tom_eastwind at 21:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月15日

「鳥の目」

日経ビジネスが全面的に紙面刷新をした。ここまで変化出来るとは大したものだと思いつつ読んでたら大丸の元社長奥田氏の経営塾コーナーで「鳥の目」が指摘されていた。

 

鳥の目の意味は自分の業界の中からだけでモノを見るのではなく外側、国内業界を越えたもっと高い位置から自分の生まれ育った業界を見直すという意味である。

 

大丸という老舗企業がそのような視点を持つことはなく、だからこそ百貨店業界は歴史だけは古いがバブル崩壊以降売上は急減し後ろ向きの合併や右往左往の営業戦略でますます苦境に陥っている。

 

奥田氏の鳥の目とは大丸が元気だった頃に米国勤務と1991年からオーストラリア大丸社長として「買い取り式」のビジネス・モデルを経験しつつ業態の変化の早さを目のあたりにして、外国から日本の百貨店業界を見た時いかにそれが遅れているかを肌で感じたからだ。

 

1970年代のニューヨークは百貨店黄金時代で当時は30店近くもあった百貨店が一気に失墜し34店になった。それは消費者のライフスタイルの変化であり郊外型モールやカテゴリー・キラーに市場を奪われてしまった。

 

ところが百貨店は業界内だけで競争相手は目の前にある百貨店だけと思い込み根本的に足元からすべてが変化していることに気付かなかった。もしこの時に消費者さえ気づかない消費形態の変化を鳥の目で見つけることが出来たなら危機意識を持って自己変革をしただろう。

 

しかし鳥の目を持たず大企業で一生食っていけると思い込んだビジネスは結局目の前で起きているちょっとした現象から問題の本質を読み取ることが出来ずに失墜した。これは日本の様々な業界で発生している。例えば出版不況、要するに状況を読めず時代の変化を理解出来ないままにいつの間にか体力切れで市場から退場となっている。

 

街角の本屋はamazonに押されて次々と廃業しているが、市場が変化したのにいつまでも街の本屋をやってる事自体が「あんた、ほんとに本屋か?」と思ってしまう。

 

では鳥の目はどのように持てばよいのか?これは決して異業種交流など「おれ、凄いんだぜ!ほら、こうやってさ夜も勉強しているんだぞ!」的マスタベーションでは作れない。

 

別にほんとに空を飛べと言ってるわけではない。が、とにかく自分の業界に関係ない本を読むこと。どんな本でも良い、ひたすら自分の利害と関係ない本を読みこむ事。哲学、文学、歴史、文化、業界紙、とにかく読書をしてさまざまな分野を網羅することで次第に世の中の全体像が見えてくる。

 

逆に言えば全く読書経験のない人がいきなり孫氏を読んでも役に立たない。けど読まなくてもよいわけではなく、読める時に読める本を読んでおくことだ。それが孫氏ならそれでもよい、その時は何か分からなくても後日武田信玄の本なんかを読んだ時にストンと腹に落ちるから。

 

印象としてはパズルをやっている感じと思ってもらえば良い。最初はわけの分からんパズルのピースがあるがとりあえず端っこから少しづつ埋め込んでいるうちにいつの間にかなんかの形が見えてきて、段々パズルの要領が良くなり速度が上がりそのうち全部が出来上がる、それが世間だ。

 

もし紙の本が重たいと思うならキンドル買って読んでも良い。大事なのは装丁ではなく内容である文章だから紙であろうが電気であろうが媒体は何でも構わない。大事なのは「本を読むこと」なのだ。

 

最初は面倒くさいかもしれない。けれど1年も続ければ段々頭の中で世の中全体が見えてきて自分が世の中を鳥の目で見ていることに気づく。そうなると自分のいる業界が現在どのような状態か見えてくるしそれは歴史上の違う時代違う場所で同じような事が起こっていたのが分かる。

 

そうすれば今自分がどれほど危険な状態にいるか、状況を挽回するためにどのような方法が良いのかを歴史の先達が教えてくれる。何せ先達は過去のある時代に同じような状況に陥り様々な手段で状況を挽回しようとして成功も失敗も経験してきたから、今自分が取るべき道が見える。

 

もちろん本を読むだけでなく旅に出ることも非常に役立つ。まさに奥田氏のように海外に出て日本を振り返るという方法も非常に有効だ。

 

ただしこの場合の旅はいわゆる観光三昧ではなく「今自分が旅先のこの街で生活するとしたら?」とか「何故この人は今このような無意識な行動をしているのか?」とか「何故このホテルにはこのような備品があるのか?」とか「何故このトイレにはこんな設備があるのか?」などを考えてみることが大事だ。

 

あ、トイレと言えば羽田空港国際線のレストラン街のトイレを見てみると普通の日本の生活ではまず見かけないものがあることに気づくが、それを見て何も気づかなければそれは単なるお遊び旅行になる。

 

目の前に起こっている現象を何気なく無視していたら鳥の目は身につかない。鳥の目を持つ、それは本を読むことでも旅をすることでも十分に可能なのだ。大事なのは意識して自分をそのように変化させることだ。



tom_eastwind at 20:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月14日

小切手帳があってもねー

米国の小話がある。銀行の支店長室でキーキーと文句を言ってるお金持ちそうな女性が「何でよ、あたしはまだこんなにたくさん小切手帳が残ってるのに、何で使えないのよ!」に対して申し訳なさそうに「奥様、小切手帳が御座いましても残高がなければ使えないのですよ」と説明する支店長。

 

こういう話は何も「小切手帳」に限った話ではない。一段階でしかモノを考えることが出来ない人は平気で小切手帳のような話をする。

 

例えば脱原発を訴える人が新東京タワーのキラキラをお祝いして同時に物価高に文句を言う。原発がなければ石油などを輸入して電気を作るしかなくその費用は原発よりも高くなる。なのに電気を節約しようとせずに原油輸入費用の高騰で値上がりした物価に文句を言う。全体像を見ようよ、目先の事だけ思いつきと安易な自分勝手正義論を振り回しても現実はそんなに甘くないから。

 

これに限らずだが移住の際も同様な話を聞くことがある。「あたしは移住したのよ?どうして幸せになれないのよー!」と言われても困る。だって移住は手段であるのにそれを目的と勘違いして移住するために一生懸命になるが、いくらビザが取れてもニュージーランドの生活が不幸であれば意味はないのだ。

 

それに目立つのが国際結婚目的の移住だ。たしかにニュージーランドの永住権保持者と結婚すれば永住権も取れて移住は出来る。けどその目的が「あったしー、白人の人と結婚して可愛い赤ちゃん欲しいのー」なんて本気で言う連中もいたりするが、国際結婚の離婚率って知ってるの?第一しっかり稼ぎのある白人男性が何でそんな程度の知能しかない人を選ぶと思ってるの?

 

NZ大好きによく書き込みがあるのが離婚事務手続きに関する問い合わせだ。「あたしは離婚するんです。相手はキーウィです。余計な事は聞きたくないので説教なら書き込まないで、手続きだけ教えてください」みたいな内容。ほんと、子供が可哀想じゃっつーに。

 

僕がニュージーランド移住を希望する方に最初に言う事は、移住は手段であり目的ではないってことだ。そして移住しただけでは幸せになれないって点だ。中には「おれは一流の大学出て一流企業で課長補佐やってんだ、おれの人生に失敗はない、だからビザの取り方だけ教えろ」みたいな人がいるが、そういう人は大体2~3年で日本に帰国することになる。何故なら自分の求めている環境がニュージーランドに存在しない事に2年かかって気づくからだ。

 

それだけならまだしも、オークランド離婚というのもある。夢を持ってやって来たカップルであるが現実は全然甘くない。ビザも取れない。お金も少なくなってくる。そのうち「お前が行くって言い出したんだろー」とか「あなたが最初に行こうよって言ったんじゃないのよー!」と口論が激発して最後には「こんな男と一緒にいるなんて耐えられない!」ってことで別れるが、大体の場合男性は日本に戻り再就職して女性はそのまま残ってオークランドで別の彼氏を見つけるってパターンが多い。

 

何せ日本人女性は人気がある、特に韓国や台湾などのアジア人男性はおしとやかで礼節を知る日本人女性を選びたがる。だから相手を選ばなければパートナーはわりかし簡単に見つかるしそのパートナーが永住権を持っていれば自分も永住権を取得出来る。

 

だから極端な話をすればもし女性で未婚ですらっとしててそこそこ愛嬌のある顔ならワーキングホリデイビザでやってきて一年以内に永住権を持つ彼氏を作ることはそれほど大変ではないだろう。

 

ただ冒頭に書いたように「小切手帳があってもねー」って話で、永住権を取得するってのはそれだけでは何の意味も無いわけでKFCのチキンにフレンチフライとグレービーがセットで来るように永住権には幸せがセットでないといけない。

 

でもってこれが問題なのだが、何が幸せなのかを自分で考えてみればどうだろうか?幸せに生きていくのに必要なのは?お金?パートナー?知識?容姿?若さ?けど若さはいずれ年を取るわけであり容姿にしても美容整形したっていつかは身体のラインも崩れる。

 

そんなときにあればよいのが年を取る度に素敵になる笑顔とか(ほら、可愛いおばあちゃんとかです)容姿は普通のおばさんでも脳味噌に磨きがかかって大人の発言や理解力のある人になるとかではないか?

 

幸せは100人いれば100個の形があると思う。だから持ち物すべてをなんちゃら教に寄付して自分が餓死してもそれで満足なら良いが、やはり一般的には愛を持てる生活ではないかと思う。

 

自分を愛するから一生かけて自分を毎日内面外面ともに磨く。そして他人を愛することで自分も幸せになれる。相手に感謝されて心が暖かくなる、そんな気持ちはお金ばかり考えてても絶対に出てこないからだ。

 

小切手帳と移住、全然関係ない話であるが米国の小話を聴いて「何か移住の話に似てるなー」って思った。



tom_eastwind at 20:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月13日

ビジネスと仕事の違い  2014初日

オークランド業務再開初日である。日本からすれば毎年年末に3週間も休む会社ってのが意味不明だろうがニュージーランドでは業種にもよるが3週間の休暇はごく普通であり取引先もまだ半分くらいしか戻ってきてない。

 

ニュージーランドのビジネス・モデルは日本と全く異なりキーウィ社会そのものが「家族との時間を大事にして」「長く休むために」仕事を出来るだけ簡素化して労働時間を短くするために社会的合意としてどこの会社もクリスマス休暇を取るために自社だけ開けてても意味はない状態にして休みを確保している。

 

ニュージーランドにおけるビジネスとはあくまでも如何に要領よく簡単に短時間に大量に利益を生み出すかであり、儲からねばすぐに撤退するし業務の見直しや業態変換も当然の如くおこなう。何故ならビジネスの目的は利益を得ることでその利益を持って家族と出来るだけ長い時間自由にいられるようにするのが最終目的だからだ。

 

例え建設会社として会社を興しても建設不況が来れば競合他社と価格競争するのではなく利益が確保出来てクリスマスに3週間休める他の業態に移る。それが船大工でも良いしリフォーム専門に成っても良いし、建設はあくまでもビジネスであり儲からないのにしがみついて赤字競争に陥ってしまうような考えはない。

 

このあたり日本の一般的な「仕事」や「家業」とは全く異なる。日本で仕事と言えば何かに「仕える事」であり利益という匂いはしない。

 

家業においては親から受け継いだ商売を自分が潰したり方向変換してはいけないとても大事にして子供に引き継ぐべきものである。それが例え時代に合わずにゾンビー化していても何とかその業態を守りつつ家を継続させるのが当主の仕事だ。利益ではなく継続継承が目的となっている。

 

その意味で英語の「ビジネス」に一番近い発想は中国の「戦略」であろう。出来るだけ戦を略して利益を最大化することを目的とする戦略は中国発祥であるが、その意味では英国系と中国人の意識は近いものがある。どちらも出来るだけ手間を省いて利益を最大化するからだ。

 

これに対してに日本の仕事は出来るだけ手間をかけて最高の品質を維持する。お客に言われたものではなくお客の言いたいものを作る、そして喜んでもらい正価で購入して頂きそこから長い信頼関係が構築されるとかんがえる。

 

良い物を作りあげることでその手間にかかる費用は通常は自分の勉強と考えられて自己負担である。丁稚奉公で技術を学んで一人前に成って暖簾分けしてもらいやっとまともなお金がもらえる、くらいの発想か。

 

ちなみにニュージーランドは全くのド素人を雇っても最低賃金が必要だし技術を覚えたらすぐ辞めてもっと給料の高い会社に行くことが多いので人を育てるという発想があまり出てこないから何をやらせてもアマチュア集団のままであるのも事実だ。

 

日本の場合はこの原因は推測でしかないが、江戸時代からとにかくお上や村長から言われた事を一生懸命やっていればとりあえず村の中で飯も食えるし村の中の地位も年齢と共に上がっていく仕組みがあった。

 

そういう仕組みの中では「楽をして飯を食うなどあり得ん!」であり先輩の言うことを聞かず自分で何か創りだすなんて「おこがましい!」であり、要するに自分の頭で考えることを否定して常にボスの言うことを聞く、聞いていれば飯は食える、聞かなければ組織から排除する村八分である。

 

だから戦略とか発明とか改良とかはお上や偉い様の仕事であり若者がそういう事を考えるDNAが社会全体から次第に失われていき現代に至るのではないか。

 

これに対して英国社会では早い時期から市民社会や自己責任文化が根付き「国王よ、あんたの権威は認めるが俺達民衆が何かを決める時は議会なんだ、その分自己責任だから文句ないでしょ」と、自分で智恵を使って稼ぐ必要があるビジネス文化も発達した。

 

西洋では年齢は判断の際の要素にならず若くても賢いものは何かを作り上げたしそれが正当に評価される社会であった。実際ニュージーランドで仕事してて年を聞かれることはまずないし聞くこともない。その代わり自己責任であるから稼ぐ能力のない者に食い物は与えられないし住む場所も確保できない、農奴として苦労するしかなかった。

 

中国は戦略という言葉を作った国でありつつも儒教文化がある。儒教文化は極端な話をすればバカでも年を取ればそれなりに尊敬される仕組みであるが、バカがボスになれば判断ミスで村は滅びる。

 

紀元前から中原諸国が争い覇を競った時代には能力がすべてである。そこでどこの国の王様も外部から優秀な軍師を雇うことになった、その出自に関係なく。そうすれば軍師はその国のしきたりにあまり深く関わる必要もなく地元ルールに縛られることもない。

 

だから優秀な若者は自分の村を出て戦の師を見つけて学び広い中国を渡り歩き様々な国で志願して軍師となり地元の儒教文化にはそれほど縛られず自由な発想が出来たのではないだろうか。古代の外人部隊のようなものだろう。

 

又その後隋の時代から唐の時代にかけては科挙制度が考案されて中国中の頭の良い若者が親の地位ではなく試験で選ばれるようになり、これも村社会ではなく実力主義で優れたものが頭角を表すことが出来た。

 

つまり日本の場合自分の所属する村社会から外に出ることが出来ず村の中ではボスの指示がすべてであり古いしきたりを守ること、ただそれだけが多くの若者の生きる道ではなかったかと思う。

 

それに対して中国や英国の場合は歴史の偶然もあるが、村を出て行く者には「苦労する自由」があった。生まれ育った村を出て何か新しいものを創りだす、今までの延長ではないものを創りだす土壌が出来たのだろうと推測する。

 

しかしそれでは日本は彼らに対して弱いばかりなのか?決してそうではない、社会の仕組みが違うだけなのだ。

 

今年2014年、日本ではすでに企業が再開した。今回も日本を回ってすごく感じたのは日本人の品質維持水準が世界最高であること。単純に創りだすだけでなくそれをどう使いどう品質を維持するかという点に意識が集中しており、だからこそ新幹線だけでなく運行システムをも輸出するという発想が出来るのだ。

 

残念ながら現在の中国にこの発想はない。彼らは鉄道を作らせれば橋から落とすし挙句に証拠隠しで埋めたりしようとする。橋を作れば出来て一ヶ月で崩落するしビルを建てれば倒れる。

 

これはビジネスを徹底的に追求した、つまり手抜きによる利益の最大化を狙った結果である。もちろんこれでバックに共産党が付いてなければそのまま銃殺刑もあり得る国だからこの戦略としてまずやるべきは後ろ盾を得る、そして究極のビジネスを展開する、そして平然とした顔でカネを持って海外に逃げるという筋書きだからそれなりに合理的ではある。             

 

だから逆に言えば日本はどのような産業製品であれ常に高品質と品質維持を武器に世界の富裕層という数少ない顧客層ではあるが高品質を徹底的に追求する少数の顧客を対象に量ではなく質で売るブランドビジネスを展開することを考えるべきなのだ。(実際に高級果物などはアジアの富裕層市場で高額で売れている、ならば世界の他の富裕層市場でも売れるのではないか)

 

日本人は村社会で集団活動を得意としてすり合わせの技術が世界一であった。それがデジタル化が進み多くの商品が汎用製品となり日本のお家芸は急激に活かす場所がなくなり台湾や韓国や中国が作る安い汎用品が市場を席巻するようになった。

 

そりゃ洗濯機や冷蔵庫にすり合わせは不要だが、時代がどれだけデジタル化しても汎用製品、つまり安かろう良かろうには陥らない市場が常に存在する。

 

品質維持を追求してこれから世界が二極化する中で富裕層のみを狙ったビジネス展開を考えれば市場はある。今までのような大量生産大量消費ではなくごく少量生産世界で消費出来るサービスを考えていけばよい。

 

すでに日本は新幹線をシステムとして売る能力を持っている。目先の価格が中国製が安くてもそれがすぐ事故ったら誰もかわんでしょ。ごみ処理プラントとか日本が持つ公害処理装置は自らの経験を元にしているから非常に優秀でありなおかつ品質管理がどこの国よりも良い。

 

最近は安倍首相が外国にトップ営業をかけているがああいう姿勢は大事だ。昔の自民党首相は「トランジスタラジオのセールスマン」と呼ばれて欧米で笑われたが何のことはない今トップセールスをやってるのはまさにその欧米ではないか。

 

今回も日本の田舎を回ってみて海辺で手作りにしている海産物とか素晴らしい物がたくさんあるのを見てきた。日本は村社会であるが、その反面すり合わせに強い。会社という村社会共同体ビジネスは日本の得意技なのである。

 

初日の朝から山積みの案件を一つ一つ検討して解を見つけて紐を解く作業をしながら、そんな事をついつい考えてみた。



tom_eastwind at 21:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月12日

オークランドの治安について

頂いたコメントを読み自分が書いた内容を再度読み返してみると、あれ?答は書いているではないか?

 

ただちょっと歴史的な視点を追加で書き込んでおく。前提として言っておくと、オークランド南部とはマヌカウからパパトエトエまでであり、更に南のボンベイヒルズ付近は治安は問題ない。コメントされた方がどの地域を指しているか分からないので最初に区別しておく。

 

何故南部は治安が悪いか?それは歴史的な問題であるが、1950年代に第二次世界大戦から復員してきた兵士のために政府が公共住宅を建てた。兵士は一生懸命働き農場を買いワイカト地方などに移住して公共住宅が空き家になった。

 

ちょうどその頃ニュージーランドは景気が良くて労働者が不足した。そこでサモアなどパシフィックアイランダーと呼ばれる人々を移住させて労働力にするために空き家となっていた公共住宅に住まわせた。

 

アイランダーは初日に働いてカネを得るとそのカネがなくなるまで工場に戻ってこず、戻ってきてもだらだらとしてけど終業時刻になると「ヘイ、ボス、おれは今日ここで働いたんだ、カネをくれ!」と言い始めた。

 

そこで工場主は彼らを解雇したが当時のニュージーランドは永住権保持者は一生の生活を国家が支える仕組み、つまり失業手当、生活保護、医療保障、老齢年金、そして更に一般家庭の10分の1とも言われる住宅費で、要するに全く働かなくても生まれてから死ぬまですべて政府のカネで生活出来た。

 

何故彼らが働かないか?それはNZ政府が彼らが本国や本島でどのような生活をしていたか全く考慮しなかったからだ。彼らは生まれてから働くことはないし税金を納める事もない。

 

毎朝起きたら地酒を飲み友だちの家に行きラグビーしたりパーティしたりして豊富な果物を食べて海で釣れた魚を食べ、一年中暑いから着てるものも簡素な薄着で住宅は政府に支給されてて(または無居住地に小屋を建てる)それで一生を過ごす人が多いのだ。

 

つまり元々働く習慣がない人々を連れてきたのが移住政策ミスなのだ。

 

オークランドにおいてはその生活レベルは毎日昼間からビールを飲んで子どもや奥さんをぶん殴り近所の白人の家に昼間から乗り込んでモノを盗り車を奪い市中を走り回った挙句に交通事故で人を怪我させる。(このあたりNZ映画でもその実態をそのままフィルムにしたものがある。有名な映画だ)

 

ところがそれを「偶然の事故であり本人は悪くない、悪いのは社会だー」と叫ぶ気違い左翼裁判官が無罪にしてた。言っておくがこの意見はぼくだけではない。現在のニュージーランド社会を支える多くの人々に聞いて欲しい。誰もが同意見である、裁判官を除いては。

 

何故裁判官だけが気違いを守るのか、それは裁判官選出システムに問題があるのだがこれを書くと長くなりすぎるので一つだけ言うと、ぼくは何度も仕事で裁判所に行きそこで現実をいやという程見せつけられた。

 

公共財をぶっ壊してもそれは政治的主張があるから無罪とか、人のものを盗ってもそれは教育が悪い、ひいては社会や政府が悪いという。実際にこの国では万引きや車上荒らしや留守宅狙いの泥棒などは犯罪と見做されず警察も動かない。だって捕まえて裁判所に連れてってもそのまま釈放されるだけだからだ。

 

このような状態は今も同様だ。類は友を呼ぶ。親類は親類を呼び、家族ビザ枠を使って南部の政府公共住宅に住む人々は増え続けて彼らはいつの間にか街全体を覆うようになったのだ。不良は不良で固まるのだ。その結果として南部はギャングや暴走族や泥棒の集う街となった・・・。

 

だからその半面として、ある程度資産に余裕がある人は自然と仲間を求めてノースショアに集まりその地域の学校は大学に行く子供が多くなり更に豊かになる。そして彼らは自分たちの地域社会を創りだしたのだ。

 

では何故南部の彼らがノースショアに来ないか?来ると浮くからだ。その場で通報されるだろうし第一住み慣れて生活に困らない南部を離れて、何で妙に小奇麗な街に行く必要があるか?ガソリン代がないしバスに乗ると乗客が変な目で見るし。

 

このあたり実は世界中どこでもあまり変わりはない。ニューヨークでも治安の良さを求める人は高い家賃を払っても治安の良い地域に集中するし、そうでない人は家賃を払う必要のないスラムに集中する。

 

言っておくが僕自身は貧乏な家庭に生まれた。だからお金がなく教育がない家庭の子供がどれほど精神的にも貧しくなるかは分かる。ただ一つ聞きたい、それは自分が与えられた環境に正面から向かう気持ちがあったのかと。

 

ただ、南部の薄汚い連中はここ数年シティに乞食として現れている。何日も風呂に入ってない薄汚れた格好で道端に座り込み汚い歯をむき出しにしてまるで原始人のような顔で、すでに麻薬でラリってる連中はよだれを垂らしてニヤニヤしてまだラリってない連中は仲間と吊るんで道端にたむろっている。

 

すでにシティカウンシルが彼らを排除する命令を出したのだが、まだ徹底されてないようだ。では何故彼らがシティに来るか?それは数年前、最初数人がシティに来ても警察に排除されなかったから調子をぶっこいただけだ。

 

ぶっこいた連中は次第に数が増え、昼間からオフィスビルに入り込みエレベーターに乗り各階で止めてとりあえず掻っ払えるものを掻っ払っていくような行為を行って、さすがにこれは警察の逮捕の対象となった。

 

それから彼らは道端に座って乞食をするようになったがほんとの目的は乞食ではなく、自分の街が退屈でシティに大きな声を出すと若いアジア人女性がびっくりするからそれを見るのが楽しくてやってるのだ。

 

つまり街の秩序を崩壊させる気違いであり本来「割れ窓理論」を開発した欧米人なら真っ先に取り締まるべきところを司法のバカ、つまり裁判官がまともな判決を出さないからここに矛盾が出てきている。

 

しかし彼らが大挙してハーバーブリッジを渡ってくることはないだろう、何故なら橋の向こうに住むのはオークランドを支えるビジネスマン家庭でありたっぷりの納税をしている人々でありもし彼らの家族が危険に晒されるようになったら、その時の警察の動きは早い。

 

何故なら裁判官の家族がノースショアに住み彼らは日頃は調子の良い左翼ぶっててもいざ自分の家族が襲われたらあっと言う間に態度を豹変させるからだ。(裁判官の豹変も何度法廷で見たことか・・・くそばかめ!)

 

オークランドは北から南に長くその地域ごとに全く色が違う。オークランドに住みきちんと仕事をしている人に聞いてみればよい、オークランドで一番治安の悪い場所はどこですか?と。

 

ただ冒頭に書いたように、オークランドもボンベイヒルズ近くまで行けば治安は良いしノースショアと言っても地域によっては少し?な場所もある。

 

自分が安心できて静かで良いと思えばそこを選べば良いと思う。ただ一つだけ助言するとすれば、不動産屋は売り手から手数料を取っているし更に自分が持っている物件は市場価格よりも高く販売する傾向がある。その点を十分理解した上で夜の9時に自分の足でその街や近郊を歩いてみて不安がないのであればそれで良いかと思う。

 

ただ僕が南部の家を買うかと聞かれれば、僕には子供が二人と大好きな奥さんがいるので、まずあり得ないと答える。不動産投資にどうかと聞かれても断る。テナントとのトラブルを考えれば少々高くてもノースの家を買う。

 

治安については統計がたくさんある。オークランド市役所や新聞のデータを見れば先週の犯罪率が分かる。肌感覚と数字の統計両方を突き合わせて、そこで事件や事故に遭っても「しゃーないか」と思える地域を選ぶことをお勧めする。



tom_eastwind at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月11日

川の流れに棹差さず

オークランド南部の治安の件でコメントを頂いたが、今日は別件をネタにしてたので治安の件は明日に回します。

 

中国の気球男と言い韓国の新年記者会見と言い、2014年は「出だし」から冴えない中韓である。

***記事抜粋***

 朴大統領は、「私は今まで韓日首脳会談をしないと言ったことはない」と強調し、「事前の十分な準備の下で推進されなければいけない」と意欲もにじませた。

 対日批判を抑制した背景について韓国政府関係者は6日、「日韓は来年、国交正常化50周年を迎えるため、年内に関係を改善させる必要がある。非難の応酬で関係を一層悪化させることは避けなければならなかった」と説明した。

***記事終了***

事前の十分な準備って、あといくらカネが欲しいのか?非難の応酬って、こっちは相手にしてないんだけど?って感じだ、勝手にツバ吐きかけておいて何を言うかって話である。

 

中国の気球男など、気球で尖閣に着地しようとして失敗して海に落ちて遭難サインを出して日本の海保に救われて本来なら不法入国のところを目こぼししてもらいそのまま中国側に渡されたなんて、中国人自身も「恥ずかしい」思いであろう(笑)。

 

それに対して新年からアフリカ諸国を回ってる安倍首相は石油輸入確保のためのペルシャ湾国家訪問、その後の西アフリカ訪問など、商社や建設会社の重役を従えて思いっきり手土産を抱えて回っている。こっちの方が今までの日本に比べて余程建設的である。

 

僕のブログに批判的な人は多いがその多くが嫌中嫌韓でありぼくが親中親韓であると思って批判してくるが、ぼくには政治的な意味で中韓を包括的に好き嫌いしてはいない。

 

中韓の行うバカな行為はバカと言うし孫氏を生んだ中国の歴史は素晴らしいと思ってるし現実主義的な小平は彼の行った経済改革を目の前で見て深センの劇的な変化を同時進行的に見て来たぼくからすれば「凄いやつだ!」の一言である。

 

ちなみにうちの奥さんは小平を大嫌いだ、どうも生理的に共産党を嫌いなようで自宅では小平の話は出来ない(苦笑)、奥さんはある意味僕より余程政治的である(笑笑)。

 

中国だから何でも悪いとか韓国だから何でもダメとか言う現実を無視した批判にぼくは全く興味はない。家族が生き残る→公平な社会を作る→皆が幸せになれる、こういう順番で世の中が良くなればよい、その視点からいつも世界を見るようにしている。

 

世界の中でぼくの関心のある分野が北東アジアである。ぼくは日本で生まれた。ぼくの母親は戦前の日本に併合された韓国で日本人として生まれた。ぼくの父親は日中戦争にも参加したようだ。

 

あらゆる意味でぼくの個人的な歴史は北東アジアに集中している。だからこの地域をオセアニアで生活する今も重視している。なんつか、すでに僕の頭の中では日中韓の国境がなくなっているのだ。

 

白人社会の中に住んでいると「どいつもこいつもイエローなアジア人」でしかない。よくいう言葉だが目糞が鼻糞を笑う程度の違いしかない。てか東北アジア人を白人とかアフリカ人とかインド人と比較すればアジア人としての共通点のほうが多すぎるくらいだ。

 

だからぼくの頭のなかでは東京人が関西人をバカにして関西人がそれに対して反発したり東北人は東京を羨望しつつ故郷を愛しつつ九州人はどこも我関せず、海外に目を向けてみたりって図式がそのまま東北アジアにかぶさっているだけだ。

 

日本が作っているヘリ空母「いずも型護衛艦」が2015年に竣工予定である。中国もすでに(練習用の)空母を導入しているが実力的には即戦力になる日本の空母のほうが強い。すでに竣工されている「ひゅうが型ヘリ空母」は11機の攻撃型ヘリを搭載出来るし運用能力もある。

 

尖閣でドンパチが始まり上陸作戦となれば緒戦は間違いなく日本の勝ちだろう、防衛省が制服組の意見をしっかり取りいれてくれれば。政治的にどうなるのかは分からない、政治はまさに「一寸先は闇」だからだ。

 

ただ日本と中韓が全面戦争をすることはない。政治と経済と人民がこれほど深く結びついてる中では兄弟喧嘩にしかならない。兄弟喧嘩は殴りあっても殺しあうことはない。

 

それにしても去年から始まった中韓の日本非難は天に唾するようなもので見事に中韓に自分が吐いた唾が落ちたようなもので、あ〜あ、へたっくそって感じだ。同じアジアン・ブラザーズとしてはちょっと情けないな(苦笑)、安倍ちゃんの全面勝利って感じで始まった2014年だ。

 

ちなみにニュージーランドの大都市であるオークランドでは日中韓のアジア人が同居している。中韓の人々が個人的に友達としたいのは日本人である。何故と聞くと「だって自国民は信用出来ないもん」って答が圧倒的である。このあたり、国民とか国家とか大きい括りでなく人間を個人として見てみると現在のような嫌中嫌韓とは違った視点があることに気づくと思う。

 

さて2014年、今年が1914年と同じような大きな変化の初年度となる。宋文洲の最新メルマガでも

2014年は中国にとっても日本にとっても不確定要素の多い一年になるに違いありません。人間社会は株式市場と同様、欲望と恐怖心で不合理な方向に急速に流れることはあります。抵抗してもバカバカしいので両方とも距離を置くこともよいかと思うこの頃です。」とある。

 

これ、実感である。



tom_eastwind at 14:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月10日

2014・業務再開(個人的に:会社再開は1月13日からです)

昨晩は日本から来られてたお客様と「高級居酒屋・富士の金太郎」で会食。てか、元山水(笑)なので今年初日の出勤(笑)。やっぱりここ、飯旨―、である。この価格でこんな料理、嬉しくなる(にこ)し、お客様をご招待出来る(にこにこ)。

 

さあ、仕事の始まりだ。米国で長く働き現在は日本でバリバリ働く現役経営者のお客様と今後の東南アジアの経済・政治情勢について意見交換したりお互いの業界の情報交換で楽しい一晩を過ごした。

 

やっぱり現場で働いている人に聴かないと分からない事がたくさんある。机上の空論とまでは言わないが机上の数字だけでは見えないものがある。現場の第一線で仕事をしている人がどう感じるか、そしてそれを数字に置き換えるとどうなるか、こういうことはやはりある程度の訓練が必要だ。

 

しかし殆どの人間は生まれた街で学校に通いそのまま社会に出るか、または大都市に行くけど今度は大都市の中だけの情報で生活をするからいつまで経っても地球全体のイメージが出来ない。

 

地球をどう捉えるか?それは簡単ではないし多くの人はあくまでも自分の住んでいる街の空気だけがすべてでありそこが日本とか世界の中心でありすべての価値判断はそこから発すると思っている、世界中の多くの人のように。

 

しかし現実は違う。地球に住む人々は皆自分からベクトルを発信するから地球全体がエゴの固まりになる。そんなことやったら動物社会であり何の成長もなく殺し合いになるだけだ。

 

世の中には普遍的な真実と地域問題と時系列という三つの秤がある。これをどこまで客観的に見られるか?実はここが理解出来てなければ、なぜ法治主義の女神が片手に剣片手に天秤、そして目隠しをしているかが理解出来ない。

 

じぶんちだけを贔屓目にしないように目隠しがあるのに、何かあるとすぐ日本基準で「それ」を良いとか悪いとか「日本じゃさー」って言い方になってしまい現実から目をそらすことになる。

 

法と秩序、これが両立できない場合にどっちを優先するか?そういう現実にぶち当たった経験がなければ結局靖国への思い入れとか故郷への懐旧とかに陥るか机上の空論で大東亜戦争に負けた秀才連中が「おれは間違ってなかった、時代が間違っていたんだ」と言うだけで終わりだ。

 

安倍首相が靖国に行った、それに対して様々な意見が出るがその政治的背景をどこまで理解して発言しているのか?

 

靖国は辺野古に繋がってるし中国や尖閣諸島にも繋がり米国の中でも軍産複合体の意見と世界の警察から降りようとする3極主義者の意見は全く異なり、米国内でさえ一枚岩ではない現実をどう理解して発言しているのだろうか?

 

大事なのはやはり政府発表や民間シンクタンクの数字を見つつ自分の足で外国を回り定点観測をして何がどう変化しているのか、時代の変化を読み取ることだ。その中で自分と家族をどう守っていくか、それを読み取ることだ。

 

それにしても日本社会は変化しないなー、ほんっとに変化しない。ぼくは革命家ではないし人殺しでもない。だから日本が今のまま良くなってくれればと思うが、現実はそう甘くない。伝統を守るために変化しなければいけないのだが、多くの人は僕の発言を聞いて「こいつは気違いか人殺しかアジテーターの革命家気取りか?」なんて言われる。

 

そうじゃないんだけどなー、ただたまたま旅行屋という仕事を偶然することになりそれからいろんな街や国を訪れてみたりいろんな政治団体や宗教団体の仕事をしてみたりする中で自然と覚えてきた「経験」による判断をしているだけだ。

 

それも別に誰かに喧嘩を売ろうとする判断ではなく、あくまでもうちの家族を守る、それだけである。ぼくは日露戦争で勝利した時に多くの日本人が旗を振ってニッポンバンザイとやった影で自分の子供を失った地方の農家のお母さんの事を考えたい。

 

安倍首相は強い。頑張って欲しい。世の中の95%の人は安倍首相についていけば間違いなく幸せな気持ちになれる。

 

ただぼくはどうしても残りの5%、これから苦労する人々、日露戦争で子供を失った母親、そして第二次世界大戦、大東亜戦争とも言うが、300万人の日本人が死んだその事実だけは頭においておきたい。その引き金を誰が引いたか、それは政治的決断であるから何も言わない。選んだのは95%の国民なのだから。

 

しかしその後の戦略のまずさ、能力のなさだけは本当に批判したい。君らは一度でも兵隊が砲弾に吹っ飛ばされて身体がバラバラになった状態を見たことがあるのか?と問いたい。

 

安倍首相、政治的判断は良し、ただそこに国民のためという意志があるのかと聞きたいだけだ。

 

今日は散文的になったが、一個一個の事象の詳細を出してたらあまりに長くなるのでこのあたりで終わりにしておきます。2014年、今年もよろしくお願いします。



tom_eastwind at 11:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月08日

さあ、情報武装をしよう。

ふー、やっとオークランドに戻ってきた。羽田を出て香港で家族と合流してりょうまくんと一緒にオークランド行きの飛行機に乗り込む。


今回は24日間の旅で13都市を回った計算になる。その中には東京のような大都会もあれば大阪や福岡などの地方都市、そして唐津、長崎、新潟などの田舎もあり日本の年末年始をいろんな街で経験した。


今回の旅でぼくが感じたことは、経済アベノミクス効果は東京のみであり大阪や福岡では目端の利く一部の人だけがその恩恵にあずかっているが多くの場合は円安のおかげで輸入価格が上昇して価格転嫁が出来ず苦しんでいる現状だ。


これは当然と言えば当然である。アベノミクスは偽薬であり「飲めば治りますよ!」とは言ってるが薬効はない。ただ人は面白いもので治りますと言われると信じて治ったような気持ちになる。そして薬効がなくても自浄効果で実際に治ったりするものだ。


ガンが消えるようなものであるがそれが薬のおかげと思って周囲に「おい、おれ、この薬でガンが治ったよ!」と言うようなものである。


アベノミクスの狙いは日本を再浮上させることだ。それは経済を立てなおして次に戦える強い普通の大国になることだ。


その為にまず最初に経済の立て直しを計ったが、これが円安による輸出産業の黒字化である。もちろんここには欺瞞がある。日本はすでに輸出が円安で得られる利益よりも輸入が円安で受ける損失のほうが大きいのである。


そんな事は政府系の経済学者も分かっている事だが、アベノミクスはまず宣伝効果の高いトヨタやキャノンなどの大企業に利益を上げさせてマスコミがそれを「リーマン・ショック以前の利益!」と取り上げて強い日本経済の復活という花火を打ち上げさせたのだ。


その影では輸入代金つまり仕入れ価格が上昇した電力会社が値上げを行い小麦粉を輸入する製パンメーカーなども値上げをせざるを得なくなる。しかしそれはマスコミはあまり大きく取り上げず電力会社の値上げは原発停止が原因としたり小麦粉は季節要因が大きいから値上げとか、要するに政府の言われるままにキャンペーンをしているようなものだ。


目先では大本営発表は声高にアベノミクスを評価して株価の上昇を評価している。しかしこれも上場している大企業や株を持っている人にとっては素晴らしい事であるが地方の一般市民で株を持ってない人には何の関係もないことである。


アベノミクスにおいては大企業の企業価値を更に増大させることが大事でありその為に今年始まったNISAにしても少額投資家に「ほら、株が上昇しますよ〜!あなたも乗り遅れないでねー」と株投資を始めさせる簡単な手段を導入したのである。


これなど今まで政府が直接手を付けることが出来なかった個人資産を企業や銀行や証券会社など政府が直接命令出来る場所に移させる手段にしか過ぎない。


これでNISAを始めるにしても一般のシロウトは何が良くて何が悪いか分からないから金融機関に言われるままに投資信託などを購入することになるが、これって今から20年前に一般人に株を買わせたり特金を買わせてバブル崩壊した時と同じビジネス・モデルではないか?


株の収益に対する課税はしないと言っても所詮1年で100万円、5年で500万円だ。これで例えば20%の利益が出ても20万円、株の収入に対して課税額が以前なら10%、原則が20%なので所詮は2万円から4万円である。


そんなもの取らなくても利益を引き出して家族旅行に消費してくれれば消費税が5%取れるのだしカネが回れば経済が繁栄する。そう、合計で見れば無税にしても消費税で取れるし経済が活性化すれば企業の利益に課税出来るのだからそのほうが余程利益が大きい。


銀行や証券会社にしても手数料が入れば有難いわけで無税という小さな餌をばら撒いてシロウトを株式市場に参入させ400万口座も開設させているが、政府からすればこれで経済は活性化して株価上昇という素晴らしい宣伝文句が使えるのだから言うことない完璧な戦略である。


こうやって経済は浮上を開始したが冒頭に書いたようにそれはあくまでも東京にいて感じることであり地方は今も高齢化の中、生き残りを賭けた戦いを個人商店や地方企業は続けているのだ。また経済浮上と言っても中身が伴わないがそれがバブル時期と同じ偽薬であっても2015年まで維持出来れば良いのだからという考えが透けている。


勿論正しい政策も打ち出している。それが国内設備投資と賃上げである。利益の出た大企業から国内設備を作りなさい賃上げをしなさいとかなり強行に企業に向かってメッセージを発しているがこれが民間企業にどこまで押し付けることが出来るかは疑問である。


何故なら国内設備は研究開発用には作るにしても往時のような製造設備はすでに海外に持ちだしており賃上げをした場合もし不況が来ても正社員の首は切れない。だから政府が賃上げを要求するなら正社員を切りやすい法律整備をして下さいってことだろうが、これが裁判所が認めるかどうかである。


アベノミクスの次のポイントは「戦える日本」にすることで、大きなところでは中国や北朝鮮を仮想敵国として法整備を行い小さいところでは自衛隊の装備変更で実際に使える戦闘態勢を作り米国の撤退する様子を見つつ普通に戦える北東アジアの大国とする。


今回の靖国神社についても沖縄問題に一定の決着をみせての判断であろう。


仲井真知事も東京で相当に脅かされて辺野古を進めることになったが、このあたり日本政府が本当に辺野古を必要としているわけでもなく米軍がグアムに移転することが規定の方針となった場合に誰も使わない米軍基地が出来てしまうが、そんなもの所詮は国民の税金であり自分たちは防衛予算から甘い汁が吸えるのだからどうでもよい。


靖国は今では日本側としても中韓と喧嘩をするための武器となった。中韓が仲良くしようとすれば靖国に行けば良いのだ。今の時点で日本が中韓に頭を下げる必要はない、強い日本を見せつけるのだ、そうして日本の今までの自虐史観を払拭していくのだ。


これからは安倍首相自らが広告塔となり米国との調整をしつつ日本の独立を次第に強めていくだろう。安倍首相が唯一気をつけねばならないのは本気で米国を怒らせて田中角栄のように失脚させられないように自分の本心を出来るだけ長く隠し続けることだ、米国が気づいても手を出せない時がくるまで。


しかしそのような強い国になってもそれが地方の活性化に繋がることはない。これは全く別問題、例えば日露戦争で勝利した時も国威発揚になったがその為に黒溝台とかで死んだ田舎出身の兵士の実家が豊かになることはない。


つまり今の安倍首相の頭の中にあるのは地方の問題でも不安定な社会でもなく「日本国」をいかに強くすることかなのだ。僕らはこのことだけは明確に理解しておかねばならない。


政府の方針に従って自分の利益になるのか?その利益は短期的なのか長期安定的なのか?もし不利益が発生するとした場合それを最小化するためにやるべきことは?


都会にいれば目先の景気の良さについつい去年までの不安を忘れて「お、何か景気いいじゃん」と思うだろうし田舎にいれば都会の景気の良さなど全く感じないまま今日も500円以下の弁当を買い田舎のバスに揺られて病院に通っている。


今年は愛国の年になるだろう。「日本を愛しているのですか?愛しているなら中韓に対して堂々と歴史の議論をしましょう、それが愛国精神です」とか「日本の学校で正しい歴史を教えましょう、今年から歴史は必須教科にします」とかである。もちろん本音は愛国の名に姿を隠した愛政府であるが。


新聞も読者が激減する中で生き残りのために今までの政府批判を方向転換して愛国心を訴える内容になるだろう。政府も必要であれば新聞に軽減課税を導入したりその他助成策を作るだろう、新聞を自分の部下にするために。


今の日本で新聞を読むのは殆どが60代以上であるが彼らが選挙票の中心となっており殆ど新聞を読まない10代や20代は今もこれからも選挙票の中心となることはない。ならば新聞を抑え込み選挙で勝てる体制を作り、愛国心発揚と大本営発表をじゃんじゃん流してもらえば良い。


そこまでいけば次に来るのは官僚の米国依存を諦めさせて自民党政府の配下になるようにして手下になれば出世、逆らえばクビと人事権を奪えば彼ら官僚は簡単に寝返る。官僚が寝返ってしまえばその時点で米国から独立することが出来るし米国が首相の首の挿げ替えをすることは出来なくなる。


さあ、これで政治主導の日本国が復活である。


今から100年前の1914年、旧東京駅が開業した。宝塚歌劇団の第一回公演が開かれた。そして東欧州のちっちゃな国で発射された弾丸が誰も予想しなかった第一次世界大戦を招き、人々の望まなかった5年間の悲惨な戦争となった。


2014年のアベノミクス、今年から来年にかけて大きく世の中が動く。他人の言うことを真に受けてたらあっという間に大波に飲み込まれてしまう。まだ遅くない、歴史を学び本を読み情報武装をしよう、それがこの大波を生き残る唯一の手段である。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 01:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月05日

雪ん子

土産、みやげ、土に産まれるものがみやげ。普段何気なく使ってる日本語だけど、自分ちの土で産まれたものを届ける。考えてみれば日本語は実に良くできてる。

 

朝、越後湯沢駅に乗合バスで到着すると前から興味のあった研ぎ物を買う。日本は本当に素晴らしい技術がある。なのに売り方が下手。製造業は「良い物を作れば言わなくても売れる」という認識が今も残っているのかなーって思ってたりしたが今回は違った。

 

エキナカの研ぎ物売店に何となく浮き上がってた真面目そうで細面の中年のおじさん、ぼくが家飲み用のステンレスカップを探していると、ちょっとぎこちなくけど真面目な日本語で何かお探しですかと聞いてきた。

 

最初にびっくりしたのはその人の爪だ。爪の下が真っ黒で長い間職人として機械をいじって来たんだなって分かる爪だ。本人は若い頃にこの業界に何も知らずに入ってきて、けど作るだけじゃダメだ、売らなきゃうけない、そうして今観光客がやって来るエキナカに販売員として出てきているのだろう。

 

新潟県は刃物が有名であったが安い外国製品に押されて販売が激減した。このままじゃダメだ、そう考えた地元の二代目社長たちや市役所が手を組んで世界中に自分たちの存在を告知し始めた。もちろん日本国内でも広告宣伝が必要だ。

 

その一環として冬の越後にやって来る都会のスキーヤーに向けて「100円ショップの爪切りも良いけど、ほんとの日本の爪切りってこうだよ」と5千円の爪切りを売る。その姿勢や良しである。ちょっと高い爪切りだけど奥さんに一つ買った。今年最初のお土産だ、あはは、まさに土から産まれたものですね(笑)。

 

この販売員のおじさん、よく見ると胸に自分が所属する会社のバッジを付けてて「販売員ではないけど説明担当です」って意味のことを書いている。だから知識は豊富である。「このカップはビールの泡にやわらかみを与えてですね、このグラスはハイボールに口当たりが良くてですね」きちんと説明してくれる。美味しいお酒が飲めるのであれば是非ともという事で自分用にカップを買う。カップ?グラス?まあいいや、美味しければ(はは)。

 

他にもお土産を探していると利酒コーナーがある。ほー、何だろ、ちょっと見てみよう。なるほど、500円払って5回おちょこで試飲が出来るんだな。てーことでおちょこ5杯分で米どころ新潟の美味しい日本酒を楽しむ。

 

んめー!新潟の日本酒はうめーや。お酒は元々国税局のお膝元であり蔵元がたっぷり税金を払えば美味しくなくても一級酒なんて言われてたがここ10年は市場の変化、つまり日本酒が国内で全然売れなくなり日本酒愛好家向けのコアな酒だけが伸びるようになった。

 

特に外国で日本食と日本酒が評価されるようになり、それまで役人とつるんでた酒造メーカーもこれじゃいかん、「焼く人」ぶら下がりじゃ食っていけないってんでメーカーの社員が直接海外に日本酒を売り込みに行くようになった。その意気込みや良し、「焼く人」などに頼らず自分で市場を切り拓く、それこそ日本人である。

 

足元ではこうやって旅行客に向けて新潟の日本酒の良さを知ってもらおうとおちょこ一杯100円で味わってもらい、お土産として買って帰ってもらおう、そしてまた日本人が日本酒を飲むようになってもらいたい、そういう気持ちが伝わってくる。

 

全部で50種類以上あるのだろう、これだけたくさんのメーカーを一堂に揃えるのは相当な苦労だったろう、皆ある意味では競合会社なのにそこで品評会やられてしまえば面白く無い連中だって出てくるだろう、それでも新潟そのものを再生させるという意味では絶対に必要な手続きである。それにしてもよくやったものだ。


ただ一つだけ言えば、何故人は失敗して初めて真剣に考えだすのかって事だ。転ばぬ先の杖、常に調子の良い時こそ危機感を覚えて真剣に5年後を考える、常にいくつもの選択肢を持っている間に最良の道を選ぶ、その方が追い詰められて選択肢がなくなってから何かを考えるよりも余程ましなのだがなーって事。
 

新幹線に乗る前に昼飯を食うこと、てかそれを理由に日本酒を飲もうと思いエキナカの定食屋に行く。美味しい地元産の薄い豚カツと牛すじ煮込みをアテにして八海山ビール飲むと、これが料理によく合って旨い。たぶんこのへんからもう越後ドリームの中に入ったのかもしれない(苦笑)。

 

それから初めて顔を上げてふと店員さんの顔を見ると、これは能年玲奈ばりの透明な笑顔のお嬢さん!名札に「アルバイト」って書いてるので多分高校生が年末年始のスキー客を相手に短期での仕事だろうなんて勝手に思うが、とにかく客が入店する度にじっと見つめる顔が実に素直。都会のマックとは違いますな(笑)。

 

日本のこけしって、あれはおかっぱの黒髪の色白な女の子だが、まさにそのこけし通りだ。何だか「そうか、こけしは雪ん子なんだ」って思わせた。

 

しかしまあ、人々の素朴なこと、暖かいこと、ここも同じ日本ですかって感じだ。こんな街で生まれ育ったら都会なんて嫌だよね、まさに「東京砂漠」だろう。人間はいても人はおらず、食料はあっても食べ物ではなく、空は暗く人は騙し合い、そんな街で生きていると次第に田舎が懐かしくなるだろうな。

 

東京に向かう新幹線は日曜日の東京行きでもありかなり混み合っていたが、関東平野に入り振り向くと雪をかぶる雄大な山が並んでいる。

 

さあこれで今回の旅行も終了だ。今晩は山のようになった荷物を片付けてとっとと寝よう。



tom_eastwind at 09:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月04日

旅の宿

上越に到着して3日目、夕方ゆっくりと温泉に入りいつもの大好きなバーに行き大きな窓越しにスキーヤーを見ながら旅行業の変遷をふと思いおこす。


僕は出張の際のホテルは基本的にすべてインターネットで予約している。ネットであれば僕のパソコンに記録が残るので電話のように言った言わないにならないし自分で確認出来るからだ。


ただ最近気づいた事がある。それはネット上では満室でも電話をすれば部屋が空いているケースだ。なるほど、ホテル業界もやっとここまで進化して来たかと思った。この意味は旅行業界の根本的な問題に繋がるのだがその前にまず今までのホテル・旅館業界と旅行業界の流れをざっとおさらいしておく。


旅館ビジネスは江戸時代から龍馬が新婚旅行に行った温泉宿から武士や商人が移動時に利用する伏見の船宿などが存在した。ただこのようなビジネスは限られた顧客を相手にしており旅館チェーンなど勿論存在せずすべてが単体で商売をしていたしましてや旅行会社など存在しなかった。


時代は下り昭和になると旅館業が発展してきた。伊豆箱根熱海あたりでは大箱の旅館が建設されたが旅館業の問題は人を惹きつける温泉開発とか美味しい料理を創るとかのマーケティングは出来てもそれを日本中に告知する情報提供システムを持たなかった事だ。


勿論ラジオや戦後発達したテレビを使えば宣伝は出来るがその費用は当時の旅館としては莫大なものになり当たるか当たらないか分からない前払式の広告には躊躇せざるを得なかった。


どんなに良いモノを作っても告知する方法が費用的に高すぎる。日本中にいる潜在顧客にどうやってメッセージを流すか?そこで旅館業界はお隣の業界である旅行業界と全面的に手を組むことになった。


旅行業界に自分の旅館の特徴や価格帯、料理内容などを伝えると旅行業界は日本中の旅館のデータを一つにまとめて比較出来る「旅館タリフ」を作った。現在の言葉で言う「比較サイト」の出来上がりである。


旅館業界からすればデータ提供は無料であるし送客された分だけ10%程度の手数料を払えば良いだけなので実績ベースの手数料で済む。旅館の宿泊料金なんてのはいくらでも調整出来るから最初から10%を加えて原価計算すれば良いだけなので実質負担はゼロである。


顧客は日本中の旅館を比較する術がない。旅行業界は比較サイト=情報を持っている。旅館は箱を持っている。実は昭和の旅行業はまさにサプライヤーとコンシューマーを結びつけるYahooやグーグルなどのネットビジネスの草分けだったのである。(これは商社や広告代理店にも言えるが少し違う。書くと長くなるので詳細略)


このビジネス・モデルにおいて最も優位に立つのは情報を制御出来る旅行業であった。顧客は旅館情報がないから旅行会社に話を聞くしか無いしそれを事前に検証する方法(口コミサイト)も存在しない。


旅館からすればどこに顧客がいるか分からない。とくに団体旅行などは毎年同じ旅館に泊まるわけではないのでひとつの企業にベッタリと張り付いても一度大きな団体が来れば次は何年先になるのかわからないのに営業を継続するわけにはいかない。そこで旅行会社にベタッと張り付いて自社への送客を確保する為の努力が必要であり有効となった。


もちろん旅館でも旅行業に頼らない完全に口コミで顧客を獲得出来るところもあった。例えば昭和のハネムーンや慰安旅行のメッカであった別府の杉乃井ホテル旅館は直接予約率が60%を超しており、別に旅行会社に頼まなくても自分でやれるもんねって姿勢が明確だった。


こうなると弱いのは旅行会社の方である。何故なら旅行会社は箱を持たない。顧客が直接杉の井ホテルを予約してしまえば情報産業である旅行会社の存在は全く不要になるからだ。


しかし世の中全体の流れとしてはこのような旅館は少なく、やはり旅行業が全体的な市場の支配者であった。


1970年代あたりは旅行業の天下であり観光産業の頂点に立ったが、そのあたりから旅行業の勘違いが始まった。自分たちの寄って立つ運命共同体である箱を持つ旅館に対して横暴になり各旅行会社が作る旅館連盟参加旅館に対して高額な欧州視察旅行などを押し付け販売するようになったのだ。


本来はリスクを取って巨大な箱を作る旅館の方が優越的地位を取るべきで、何の資本投下もしていない電話と机だけの手数料商売である旅行業の方が従となるべきであったのに、旅館は旅行業の狡賢い社員に各個撃破されてしまった。


旅館の主人は忙しい時に旅行に行きたくないから旅行会社に「私が参加することで御社はいくら儲かるのですか?その利益は払いますので参加は勘弁してください、旅館が回らなくなります」という話もあったくらいだ。


同時に旅行会社は顧客の顔を見なくなり彼らの旅行データを収集分析することなくとにかく企業に飛び込み慰安旅行を獲得して、当時はどこの企業も終身雇用制であり週末でありながら絶対参加が原則であり都心の企業前に大型観光バスを10台くらい連ねて熱海や箱根に行くのが常識になっていた。


旅館に対しては「これからは団体客が激増するから部屋食ではなく大型宴会場をたくさん作りなさい、夕御飯を食べ終わったら宴会場を片付けて翌朝の朝食セットを並べなさい」とアドバイスしつつ、旅館の改装や設備備品の購入は旅行会社の子会社であるなんとか商事に一手に発注させて更に利益を出した。


ところが1990年代にバブルが崩壊して世相は激変した。大手企業の成果主義の導入とインターネットの出現である。実は旅行会社は銀行と同様にインターネットに非常に相性が良く1970年代に導入したシステムを1980年代には次々とシステムをバージョンアップして馬鹿高いカネを払って買っていた。


ハネムーンのハワイ海外旅行とかでさえもシステムの中に組み込まれて、お客が「あのー、ハワイに行きたいんですけど」というと若い担当者が機械を叩いてその場で「あ、ハワイは満席ですね」と答えるようになった。


この意味は2つあり、ハネムーンと言えど航空券とホテルの手配をすれば取れない事はないのにシステムの中にないから売り切れという結論を出した風潮とそれまでは一つの手配に数日かかっていたがのがたった一回の入力で答が出る近代化も出来たということだ。


そのようなシステムは導入したもののバブルの崩壊は予想出来ずその後の成果主義導入時に「あ、やっべーぞ、これから団体慰安旅行は消えるぞ」と顧客に目を向けて情報収集していれば想定出来た事を予測した責任者はおらず、結果的に旅行業界は大打撃を喰らい宴会場を増設した熱海あたりの旅館などは軒並み倒産した。


しかし本当に大きな波はインターネットの発達であった。旅行業のビジネス・モデルはまさにネットによる情報提供と全く同じでありながら大企業の経営者はその事実に全く気づかず自分自身パソコンさえ扱えずネット移行を勧める若い部下に「そんな事あるかい、新しいもんかぶれが!」と吠えたが現実は違った。


インターネットが急激に発達して1996年に「旅の窓口」が創業して日本中のビジネスマンを相手に日本中のビジネスホテルの提供を開始すると、これが当たりに当たった。この会社は元々旅行業ではなく旅行業のノウハウがゼロでありながら、自社の社員が出張する際にいちいち電話で手配してたのを見てこの予約システムを思いついた。


「このシステムなら顧客と旅館・ホテルを直結させられる。間にある旅行会社を通すことは不要だ」と次第に理解すると、後は一気呵成にシステム構築と全国の旅館・ホテルとの契約を進めた。


最初は旅館業界も戸惑ったが、実際にシステムに加盟してみると既存の旅行会社よりずっと安い手数料でお客と直接繋がることが出来てリピートも取れてよい、そこで雪崩を打つように全国のホテル・旅館がこのシステムに乗っかった。


その結果として起こったのが顧客の旅行業離れである。今や何でもネットで情報検索出来て自分で予約できるのに、何で間に旅行会社を入れる必要があるの?こうして旅行業の長い間繁栄していたビジネス・モデルは完全に崩壊した。


もちろん完全崩壊と書くには無理がある、何故ならネットがどれだけ発展しても国際会議や医学学会、招待旅行などの団体旅行には絶対にオーガナイザーが必要でありそのビジネスは残っていたからだ。


けれどこういうMICEと呼ばれるビジネスは顧客特性を知る必要があり日頃の情報収集が欠かせないのに1980年代の旅行業ではそういう情報収集を怠った為にこのビジネスが広告代理店や医学学会を専門に手配する舞台装置会社などにとられてしまった。ある意味当然の帰結である。日頃の努力なしに業態変換出来るほど世の中は甘くないのだ。


そして立ちすくむ旅行業界を尻目にネット業界が次々と予約システムビジネスや比較サイトビジネスに参入して来て、じゃらん、楽天などが業績を伸ばして、遂には顧客が全く旅行会社を通さずに海外旅行に必要なすべての手配を自分で出来るようになったのだ。


ここまでは旅行業界を知っている人なら分かるだろうが、今起こっているのはその先のビジネス・モデルだ。冒頭にも書いたように旅行業は情報産業である。ところがインターネットの発達でどこの旅館やホテルもウェブサイトを持つようになった。


こうなれば旅館業のネックであった「まだ見ぬ潜在顧客への情報伝達」が供給者である旅館から消費者である個人客に直接提供することが出来る。その間にあるシステムは不要になるのだ。


つまり楽天やじゃらんなどは一回使えばもう十分、2回め以降は自分でお気に入りの旅館を直接予約するしねーってなる。旅館からしてもここまでネットが発達して自社で直接予約を取れるようになれば旅行会社に払う手数料は無駄な経費である。


楽天に8%とかJTB10%払うくらいならウェブサイトを自社で作って直接顧客に営業した方が良い。ところがここで問題がある。それは彼らがネット上で自社の空室状況にアクセス出来るという事だ。


こうなると休前日などの売れる日でさえネット予約会社に先取りされてしまう。それなら売れ行きの良いと予想出来る日は最初からシステムから抜いておき電話で受付をすれば良い、ネット予約会社には売れ行きの良くない日を売ってもらおうって発想になる。それが冒頭に書いた杉の井旅館のビジネス・モデルである。


本来、旅館業と旅行業は共栄の立場にあった。ところが旅館業が販売の弱みを旅行業に握られ旅行業が横暴を振るうようになった。勝者の驕りである。まさに戦前の日本が崇高な精神で始めた五国共栄や大東亜共栄圏をいつの間にか実務屋が骨抜きにしてしまい最終的にすべてを失ってしまったのと同様である。


商社の口銭ビジネスは情報格差であったが各企業が強くなるにつれ「さようなら商社、あとは自分でやります」となった。結局情報産業は投資リスクを取らないから弱い。その現実に気づいた商社はリスクを取って資源ビジネスに転換して成功した。


旅館だってそうだ、彼らは多額の投資をして改装するが客が来ないリスクを常に背負っている。それに対して旅行業者は送客しなくても何の損もないリスクのないビジネスである。その両者が平等またはリスクを取らない方が優位であるなんてビジネス・モデルとしてあり得ない。


そうして現在、リスクを取って経営するホテル・旅館業界はインターネットというすさまじい武器を手に入れて旅行業界を無視または「あ、お日柄の悪い時だけ売ってね」と言えるようになった。


この動きは原則的な動きであり一時の流動的な現象ではない。常にリスクを取った者だけが高いリターンを得られるのだ。その原則を無視してリスクを取らずに威張る立場の者は「驕れる者は久しからず」となる。


源氏平家の時代から現代へも続く人間の真実、それは「諸行無常の響きあり、盛者必衰の理をあらわす」であろう。平家にあらざれば人にあらず、ならば平家が滅びれば平安の世が滅びるのか?そんな事はない、平家全盛の時代には誰も想像しなかった源氏という新しい人々による新しい世の中が来るのである。(この部分、昨日は酔っ払って勘違い入力したので訂正しました。無常の意味は変化する、でした・・・飲み過ぎに反省)


 

目の前では柔らかい綿のような粉雪の中を滑るナイタースキーヤーが楽しんでるのが見える。こんな素晴らしい発想のホテルを作った人はすごいなー。彼が政治的にどうこうは別にして発想はでかくてすごい。


旅の宿。今日のブログは自分が属する業界だってこともあり久しぶりに長くなった。けどこれ、どこの業界でもいつの時代でも同じだ、常に変化しろってことだ。


さて、そろそろパソコンを閉じて本を読もう。旅の宿、最終日でした。



tom_eastwind at 19:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月03日

あんたー!雪国での叫び(笑)

「あんたー、何考えてんのよー!あったま、おっかっしいんじゃないのー、あたしをこんなとこに連れてきてさ!あたし帰る、あっち行くー!」

 

若い女性のすさまじい大声が聞こえてきたのはぼくがスキー場の中腹まで降りてきて中級コースに作られた軽いコブ斜面の入口であった。

 

どうやらスキー上手の男とスキーデートに来たんだろうけど、ここにやっとボーゲン程度の若い女性を連れてくれば、そりゃその斜面を見た女性はまるで今から逃げ場のないどっかに連れ込まれるような恐怖を覚えて叫んだのだろう。

 

この二人がこれからどうなるか分からないが、何とかなだめても賠償金は高いものにつくだろう、彼氏が定職と高給料を貰っていることを期待する(苦笑)。それにしてもこの女性、すごい声出してたな、それからいそいで板を水平にして階段登りして他のコースに移動してた、ははは。

 

スキーではカップルの不釣合いがよく見られるがこれは何も日本だけではない。今日は偶然リフトに乗り合わせた米国人4人家族の話を聞くともなく聴いてた。この家族、けっこう長く日本に駐在しているか、もしかしたらすでにこちらでビジネスをしているのかもしれない、日本慣れした様子でいろんなスキー場の話をしてた。

 

その家庭では10歳前後の女の子が二人いて、一人はわりかし自信家でスキー大好きーって言ってて、もう一人は「お父さん、あなたひどい、なんで苗場に連れてきたの?あたしが下手って知ってるじゃん、第一お腹すいたしー」とすねて文句を言ってる。奥さんがなだめるもおねえちゃんらしき方が話を聞かず妹らしき方が「おねえーちゃん、スキーって簡単だよー」とかちゃちゃ入れしてるし。

 

そのうちお父さんも段々腹がたったようで妹に「ねえ、今から始めて欲しいことがあるんだよ」というと妹はにこっと笑って「なに?お父さん?」と聞く。父さんは「黙って欲しいんだよ、これ以上口を開かないでもらいたいんだ」これにはぼくも思わず腹の中で笑った。外国人も来てますね。

 

今年のこの時期のこのスキー場の特徴としては、やはりちっちゃな子供連れの40代の元スキーを楽しんでた両親が子どもたちを連れて戻ってきた事だろう。

 

日本がバブル崩壊して長い期間真っ暗なトンネルを歩いてきたが、アベノミクスになり大手企業の社員はどうやら一息つけそうだ、これから大手企業は給料も少しは上がるだろうし何より企業業績が良くなれば俺の部署も仕事が受注出来るだろう、何より周囲の眼もありお金も使えなかったけど、今年なら正月のスキー旅行くらい、いいよね。

 

そう、大手企業は一息つくしあなたの仕事もうまくいけばリストラなしで他の仕事を取れるだろう、けど国境の長いトンネルの向こうは決して「私をスキーに連れてって」の時代ではない、そのことだけは肝に銘じておいた方が良いだろう。

 

それでも一昨年までは正月といえどここまで日本人滞在客は見かけなかった。正月と言えど安い夜行バスで朝4時に到着してバス内で仮眠、朝一番から滑ってお昼ごはんだけ食べて夕方にはバスで帰るようなツアーが目立った。

 

その時このホテルに泊まっていたお客の3割くらいはアジア人を含む外国人であった。ところが今年は、もちろん外国人も来ているがそれよりも数日宿泊する日本人スキーヤー家族の姿が目立つのだ。

 

久しぶりに見るスキーロッカーに「おお、ずいぶん変わったなー、おれが学生だった頃はさー」とか「え〜?こんなゴンドラ、あの時あったかなーお父さん?」とか、それなりに皆「ここ、まだ頑張ってるなー」って懐かしい感銘だろうか。

 

お風呂に行っても今まで殆ど見かけることのなかった5歳児くらいの子供のはしゃぎ声が聞こえる。お父さんもお母さんも何となく先行き良さそうで、二人が知りあうきっかけとなったスキーを子供にも教えてあげたいって気持ちなのかな。

 

今年は連休が長いってのも一つの要素である。15日まで休んでいる人は今日と明日はスキーを楽しみ日曜日、5日の午前中滑って午後の新幹線で東京に戻るのだろう。

 

だから彼らの場合意外と軽装である。ブーツとスキージャケットは持参するが面倒くさい板とポールは現地調達。これでレンタルショップは利益が出るし客は面倒くさい荷物を持ってくる必要がなくなり子供にもっと集中出来る。

 

16日以降はまたいつものように退職した老人たちがスキー全盛時代の思い出を胸に3種の神器(板、ブーツ、ウエア)を持参して仲間と数本滑っては昔話を楽しむのだろう。

 

それでもお正月に両親と楽しい思い出を作った子どもたちの中には「ねえお父さん、また連れてってー」というのが出てくるだろう。冒頭のような「あんたー!」がどうなるのかは、神のみぞ知るであるが(苦笑)。

 

ぼくは日本が好きである。長期的には決して悲観していない。日本人の強さはその国土にあり国民にある。しかし一時的にどうしようもない不幸に陥れられる人がいるのも事実である。それは無作為に、しかし確実に一部の日本人を拾い上げて政府のための人身御供にする。

 

それは1945年の時点では300万人の日本人が殺されたという事実である。バブル崩壊では死者の数量は銀行員がフィリピンで行方不明になるとか射殺されるとか程度で決して数万人単位でさえないが、世の中の様相を完全に変化させ不動産経営者が破綻して関連産業の社長から社員まで皆ブルーシート生活に陥り家庭崩壊とかが起こり日本社会そのものが完全にそれまでの日本と変わってしまった。

 

自分だけはそうならないと信じるのは自由である。しかしそうならないように準備した方がもっとましではないだろうか?とも思う。

 

けど正月3日の今日、こうやってたくさんの日本人家族を見るのは心情的にとてもうれしい。この、子供をスキーに連れてきてる父親も東京に戻ればずいぶん冷徹に戦ってるだろうしそんな時の彼に会いたいとは思わないが、こういうリゾートでは少し顔が緩んでいるのがうれしい。

 

子供にとって何よりの宝は親が自分に気持ちを注いでくれるその笑顔、その思い出は一生忘れない。これを機会に、スキー、また日本でブームになってくれないかなーって、今日は単純に一人の親として、そしてスキーヤーとして思った。

 

あはは、今日は単なる旅日記になりました(笑)。



tom_eastwind at 17:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月02日

雪国

国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。川端康成の雪国の舞台である。関東平野の群馬から新潟に抜けた瞬間に一気に降雪量が変化して、国境のこっち側はしっかり大雪であった。

 

川端康成は上越線のことは良く知ってて1931年に完成した清水トンネルをテーマに「雪国」の冒頭部分が書かれたので、いまぼくが見ている「国境の長いトンネルを出たら、そこは雪国」という景色と良く似たような景色を何十年も前に川端康成も見てたんだなって思う。

 

関東平野と新潟県は新幹線で1時間30分程度であるが清水トンネルが出来て関東と新潟の距離が大幅に縮まり次に新清水トンネル、そして大清水トンネルが出来て上越新幹線が走るようになった。

 

この間新潟の人が都心に集中するストロー現象と都会の人が便利になった新潟方面を旅行するようになったのと、どっちが多かったのかな?

 

少なくともバブル崩壊までは苗場スキー場は都会の若者で賑わいお昼ごはんを食べるだけでもフードコートで椅子に座って食べてる人の後ろで立ちんぼして順番待ちをするほどだった。

 

ホテルの部屋はスキーシーズンは満室で全然取れずクリスマスやお正月を苗場で過ごす都会人が多く近くに高層マンションが建設され誰もがマンションの価格はずっと上がり続ける、そう思って買った。

 

新幹線が開通したのが1982年、まだ世の中が景気良く人々が謳歌していた時代だった。ガーラ湯沢なんて新幹線駅とスキー場が直結してるなんてのもあった。

 

そして1987年「私をスキーに連れてって」がホイチョイプロによって大成功、ユーミンの「恋人がサンタクロース」が大ブームとなりスキーが一大トレンディスポーツとなる。

 

その3年後にバブルが崩壊する。誰も予想しなかったバブル崩壊は全国各地のスキー場をじわじわと痛めつけ始めた。しかし当時のスキー場オーナーやホテルや旅館経営者は誰もそんな事を信じず強気で設備投資に金をかけてしまった。そして同時に「二本板で滑るのがスキーだ、ボーダーなど薄汚い連中は立入禁止!」と大失敗してしまった。

 

1997年、遂に大手銀行が倒産するようになると、人々はスキーなどで遊ぶ余裕はなくなった。若者はすでに結婚して家族を持ち世は成果主義になりいつ自分の首が切られるか分からない時にスキーなどしておれない。スキー場もここに来て時代の変化の波をもろにかぶるようになった。客がいなくなったのだ。

 

こうなっては背に腹は替えられない、ボーダーも滑れるようにしたり一部の旅館は今まで相手にしてなかった外国人スキー客も取るようになった。

 

しかしどれも手遅れ、小さなスキー場はどんどん廃業していきスキー場近くのマンションは価格が激落して、保有していると冬場の電気代の維持費などでお金が出て行くだけ、かと言って売ろうにも誰も買ってくれない状況になった。

 

そしてスキー場の「冬の時代」が始まった、全く、洒落にならんな、スキー場の冬って。変化を予測して実行した者だけが生き残る。規模は関係ないのだ。

 

12日の新潟から東京に上る新幹線指定席はすべて満席、てーことは観光客というより里帰りの人々なんだろうな、新潟から東京が近くなり高校を卒業してそのまま東京に出てきて働いたり大学に進学してそのまま都会に残って家族を作ったのだろうか?

 

今回投宿するホテルも、今の時期だけレストランやホテル棟をオープンしているが、ちょっとでも季節が外れるとすぐに閉館する。良い設備なんだけどな、仕方ないなー。それでもこのホテルはまだ幸運だ、何とか生き残ることで他の小さいところが倒産して残存者利益を得ることが出来たからだ。しかしそれもいつまで続くか?日本にスキーブームは戻ってくるのか?

 

今では傍若無人なスノーボーダーがコースのど真ん中にケツをどーんと据えてみたり廊下にうんこ座りしてみたり、結局最初から受け入れた上でその代わり道徳を教えるって選択肢を捨ててしまい、今は彼らのカネが欲しいから文句をいうことも出来ない。あーあ、である。

 

変化を読み取り変化出来る内に積極的に変化してボーダーの性格を読み取り積極的に取り入れて相手を変化させる、それくらいのことをやっていればまだ違った未来があっただろうな。または早い時期から外国人を取り込んでいく施策。けど当時の日本は膨大なるスキー国内消費で湧いていた。そんなときにちっちゃな市場であったボーダーや外国人などを育てることなど思いもよらなかったのだろう。



tom_eastwind at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年01月01日

常識を捨てる。

今までの延長線上にない全く新技術を創造して開発した責任者達の言う事はほぼ同じで「今までの常識を捨てろ、捨てたところに変化や進化がありそこから新技術が開発される」だ。

 

デジタルカメラが作られた時、富士フィルムのフィルムビジネスそのものが根本からひっくり返された富士フィルムは今までの常識をすべて捨てて会社をゼロから作りなおして改革に成功したが同時期に変化が出来なかったコダックは遂に倒産した。

 

日立製作所は各部門ごとに独立していたが経営難に陥った時に65歳過ぎの子会社に出向していたOBを呼び戻し彼は見事に大役を果たした。

 

このように苦境を逃れて成功に導いたリーダーの多くは「とにかく変化しなければと思った、だから今までの常識を捨てろ」と言ってる。それも待ったなしの状況で大企業を変革させて改革して本も出版していかに常識をすてて変化すべきかを訴えた。

 

彼らが素晴らしいリーダーであるのは間違いないし多くの人はその言葉を耳にしているし本や雑誌で読んでいる。しかしその読者の多くは決して自分では常識を捨てて変化しようとしない。

 

何故なら第一に本を読んだ人は文字を眺めただけで文章を理解していないのだ。第二に文章を理解出来たとしても自分が変化する必要がないと思っている。第三に変化をすることは怖い。だから第一に戻り眺めるだけにするか自分は変化する必要がないほど安定していると思うことにするのだ。

 

そう、常識を捨てて変化するのは怖い。今の安定した場所から不安定な場所に向けて一歩前に踏み出すのだから。しかし、常識とは何だろうか今一度考えてみよう。

 

常識とは世の中の80%が言ったり信じたりする話であり物理的法則や理論とは全く関係のない事が多い。例えば最近の医学研究では毎日三食食べて腹一杯になると老化が進み腹七分で時には空腹を感じるくらいが若返りに良いという結果も出ている。

 

出されたものは全部食べなさいとは、では出す量が適正なのかという大前提が抜けている。親が子供に言うことを聞きなさいってのは、あなたの言ってることが証明出来ない限り聞けない。

 

だから常識に従って人と同じことをやって変化をしないってのは何も物理的理論的正解ではないのだ。もし常識が物理的正解であればそこには世界に通じる普遍性が存在するわけで普遍性があれば日本中どころか世界中どこにいっても同じ答が出るはずだ。

 

ところが世界中で答が違うどころか日本国内でさえでも「常識」が違う原因は、常識とはある一時期にある地域でのみしか役に立たないおばけ話みたいなものだ。そんなものにつきあって自分が変化出来ずに取り残されたらどうする?

 

こういう、変化するって事を怖がらないのが子供だ。木から落ちてもせいぜい骨折だし失敗してもそれほど失うことはないからだ。

 

しかし学校や親がとにかく口を開くと「失敗するな!」「余計なことするな!」と怒鳴りつけ、いざ失敗したら鬼のように怒り子供が失敗に対して無意識に恐怖を覚えるように仕込むからだ。

 

ニュージーランドの教師は子供を褒めて成長させる。失敗は罪ではなく、むしろ何かを生み出すための成功の母親なのだと教える。だからニュージーランドの教育では甘えた子どもやバカな親たちや周囲に悪い友達がいる場合すぐに堕落しやすい。

 

しかしきちんとした教育を学校で受けて努力や挑戦の意味を理解している親がいる場合は子供が成長しても常に努力して挑戦を楽しみ失敗を怖がらない大人になっていく。

 

勿論日本の場合は教育システム自体がトコロテン式であるから個性の強い子供よりも工場で歯車として働ける労働者作りが優先される。

 

このシステムの場合社会支配層に優秀な指導者がいてその指導者自身が変化出来れば強い国になるが、このシステムの最大の欠陥は変化を作り成功した指導者の次に来るのは大体において守りの指導者、失敗しない指導者が選ばれるシステムになっているから必ず50年単位で内部調整に強い指導者が出てきて時代の変化についていけずすべての国民を連れてドボンといくって事だ。

 

変化に強い指導者は調整型組織では主流にはなれず周囲が「ねえ、あの人ってちょっとおかしいよね?私達と違うよね」って事で外に出される。これが日立製作所など民間企業であれば赤字になれば会社が潰れるので真剣度合いが違うから非主流の変化に強い指導者が出てくる必然性がある。

 

が、日本政府の場合売上も存在せず利益も存在せずドボンと行くその日まで誰もが「自分は東大卒である、財務省の優秀なリーダーである、だから失敗しない」と本気で思い込んでるから国民一斉ダイブとなるのである。

 

賢人は失敗しないという理屈ではなく、失敗しないのが賢人というべきだろう。その意味で社会制度そのものが一定期間ごとに失敗する要素を組み込んでいるのが一種の日本人遺伝子である。

 

では何故英国、米国などがここ数百年世界の盟主であるのか?それは彼らが「人は失敗する」と知っているからだ。民族感情は皆違い、そこに共通する常識や価値観は少ないと理解しているからだ。

 

失敗することを前提に制度を作り失敗したら致命傷になる前に引き返す仕組みを内包しているから決定的な負けをしないのだ。一時的に失敗してもそれを素直に認めて次の手段を見つけることが出来る、これが英国系の強みである。

 

それはニュージーランドでも同じだ。人口400万人の小国であるが北半球の大国を相手に健闘しているのは、この国も「政治は腐る、長期政権は確実に腐る」と分かっているからだ。

 

日本はその内部に崩壊する要素を常に持っている。それを個人で止めることは出来ない。しかし予測はできる。だから個人として津波が来る前に変化して崩壊の準備をするだけでも個人は生き残れる。どんな大波も予め予測して高台にいれば波に巻き込まれることはない。

 

今年、次の大波に向けてどう準備するか、どこまで実行出来るか、それが誰ものテーマであろう。だってある種の人にとっては、「その次」はもうないのだから。



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