2014年02月

2014年02月28日

政治とは人々を食わせる事、ビジネスとは豊かな生活を提供する事。

ちょっと古い話であるが、ある日曜日の午後、今晩は娘が豚カツ作ってくれるというのでラッキーと思い「どこで肉買うの?」って聞いたら「Farroだよ、お父さんの車で10分もあれば行けるよ」と言われてiPhoneで地図を探してお店を見つけた。

 

あ、そうだ、実はぼくは相当の方向音痴で、道が二つに分かれていたらほぼ90%の確率で反対側に行ってしまう。確率が50%であれば理解も出来るが積極的方向音痴とはこれ如何に?である。

 

山手線などは何で同じ場所を反対側に走る電車があるのかその存在理由を考えている反対側に乗るし地下鉄で銀座駅に潜った時などは出口が分からずに20分近く歩きまわりあんまり腹が立ったからその場で携帯電話を取り出してオークランドオフィスに電話して東京出身のスタッフに今見えるものを説明してやっと地上に出られたくらいだ。あの時は閉鎖恐怖症に陥るかと思ったぞ。

 

まあいいや、でもってこのお店に入って最初の一言、「ほー、すごいな」それが第一印象。ニューワールドが高級スーパーマーケットとすれば、ここは更にひと味違ったオーガニック・フリーレンジ(電子レンジを使わないという意味ではありません・・)・マーケットというか、それぞれのコーナーごとに実に良い品物を置いている。でもって買い物をする人と商品を置いてる売り場の人が食材についてきちんと会話をしている。

 

入り口では野菜、果物、鮮魚、それに合わせた調理器具などが並んでおり、僕の目標であった豚肉スコッチフィレットを見つけるまでに随分と眼を巡らせてしまい買い物かごにはすでに美味しそうな果物がたっぷり入っていた。

 

でもってこの豚肉、包装が普通のスーパーと違い、つまりプラスチック製のタッパーにビニールで巻かれるタイプではなく強化ビニールで肉を包み真空包装しているのだ。だから随分血がふき出ているが、それが逆に新鮮さを感じさせる。

 

もちろん高い。この豚肉1kgで30ドル(約2,400円)くらいする。

 

けれど、この豚肉を豚カツにして食えば新宿サボテンもびっくり、何の化学調味料も使ってないのに厚さ約1cmのフィレットをお箸で切れて、それでいて旨みの凝縮してがっちりとした肉質を楽しめるのだ!

 

これって一体何だ?てか、こんな田舎の国で何でこんな凄い食材が入手できるの?これなら俺、オークランドで豚カツレストランやろうかな、なんて素人ながら考えてしまうほどだった(笑)。

 

けど考えてみればこの店、今までのオークランドの常識を飛び越して市場のないところに市場を創造したわけであり、この起業家は何もなかった場所に何かを描いてこういう高級店を作りそれが時代と一致したのだ。

 

同じような例は週末の夜のナイトマーケットもある。東南アジアを渡り歩いたキーウィが夜市を見て「これイイじゃん、オークランドでやろうよ!」と思い立って苦心惨憺して作り上げたのが、あっという間にオークランドのモールに広がって今では普通の風景になっている。そこが凄い。

 

こういうのってのが本当の起業だな。何もないところから夢を見て何かを創りだす。けど起業家には見えている。自分の見えているものを形作るだけなので、普通の人が思うほど苦しい物ではない。難しいのは夢を形にする技術論だけだ。夢がゼロを1にすることであれば、技術は後から追い付いてきて1を10に出来る。

 

もちろんそれは何かに縛られては決して思いつかない発想だし、真面目で前例が大好きな人からすれば「それって何すか?」と拒否られるのが関の山だが、前例のない場所にこそ実は社会を成長させるネタがあるのだ。

 

但し大事なのはそこから先。成功したビジネスをいかに社会の為に貢献出来るか?起業をすればおそらく2割の確率で一年後も生き残れるだろう。しかしそれはビギナーズラック Beginners  luck“であり二年目に発展させることは難しい。ましてや10年続けてやってる企業は1割を完全に切っており更にその殆どは企業登録はしているが休眠状態である。

 

そこまでやって生き残った。なんとか今も売上がある。起業家として成功した。ならば次にやることは?

 

これが今日のお題なのだが、それは後輩を引っ張ることである。やる気を持ち夢を持ち上に向かって進む気持ちと能力を持つ後輩を引張り上げる、それが先輩の仕事である。

 

但し中には上司にスリよりゴマすりをして技術だけを盗んで自分が偉そうな顔して「うちが、老舗ででございますー!」みたいな連中もいる。香港では生き馬の目を射抜くビジネス街でそういうのをしょっちゅう見てきた。

 

中国ではもっと酷い、誰かが成功したら横から来て株を全部奪って創業者を追い出して自分が後釜に据わって企業を分割売却して現金だけ持って逃げる。

 

海外ではそういう現実がたくさんある。だから多くの人々は表面はにこやかにしながらも自分の狭いビジネスを何とか必死に守ろうとしてゴマすりをしていつか機会があればこいつのビジネスを盗んでやろうとする。

 

確かにそういう現実もある。しかしそれが人間の現実であるとしてもそれは一側面であり、その側面だけで諦めることはないと思う。

 

「上向きの平等」それは皆が努力をして良い国家を作ることであり、それでいながら社会から落ちこぼれる人を救う仕組みを作る事である。落ちこぼれた人を救う為には再配分するための金が必要だ。だからこそ努力して稼げる人にはどんどん働いてもらい金持ちになれる仕組みを用意する。

 

その中でズルをするひとはいるだろう。しかしそのような負の面ばかりを見て全体を見なければ、その社会は成長しないと思う。ただその際に学ぶべき立場にいる後輩にも伝えたいものがある。それは、自分が成功したら必ず後輩にそのノウハウを継承しろって事だ。

 

自分だけが自分だけが、そんな事やって世の中が中国みたいになってみろ、そんな事嫌だろ。経営者の素質を持つなら成功させるだけでなく継続させることを考えようよ。

 

人には適材適所がある。経営が得意な人もいれば物を作るのが得意な人もいるし医療や科学など学術研究が得意な人もいる。このような人々を適所に配置して世の中が最適に回るようにする、それが政治の役目であり、これは資本主義でも共産主義でも同様なのだ。

 

頑張れる立場にいる人が稼いで納税または社会に寄付することでそのお金を原資として社会的弱者を救う。社会的弱者と言ってもいつかは社会を助けるために何か出来るだろうし本人の時代に出来なくても子供の時代には親が社会に助けられた恩義を感じて社会のために働いてくれるだろう。

 

性善主義と思うかも知れないが、ぼくは人間を信用している。人間は、どんな事を言っても信用するだけの価値のあるものだと思っている。

 

でなけりゃぼくははるか昔からもっと違うビジネスモデルを構築しただろう。自分だけが儲かり他人が潰れるビジネスモデル。けどそれって結局他人が潰れていく度に文明というか都市のサイズがちっちゃくなり、最後は自分しかいなくなり、文明の基本である、てか都市文明の基本である分業が不可能になって結局集めたお金も使う場所がなくなり単なる紙切れになってしまい自分自身が貧しくなる。

 

マルクスが考えた事を実行した連中、近代資本主義を創りあげた自由経済主義の連中が実行したビジネスモデル、どっちもよくよく深くみれば狙ってることは同じであり人々の豊かな生活と幸せだ。

 

この点、小平はよく理解していた。だから南巡講話でも「儲かる地域、稼げる地域からまず豊かになれ」と訴えた。彼は共産主義者でありながら現実主義者であり資本主義の良い点も理解していたのだ。

 

中国では小平が人々を豊かにした。国民にとっては自分を豊かにしてくれるのであれば「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫である」なのだ。

 

それに対して北朝鮮は政治に失敗し人々は飢えているのだ。飢えている人に食い物を出せなければ主義主張なんて意味はない。政治とは最終的に人民に飯を食わせることだ。何故日本で国家社会主義が成功したか?それは日本国民に飯を食わせることが出来たからだ。

 

政治の主義主張なんてそれ自体には何の意味もない空疎なものである。

 

政治が抱けるか?政治が食えるか?

 

ぼくの主義は、ぼくに関係あるすべての人々に安心してご飯を食べてもらう事だ。だから名前が資本主義であろうと共産主義であろうと何でも構わない、とにかく子どもたちに安心してご飯を食べさせられる世の中を作ることだ、何故なら僕自身が自分で責任を取れない子供の頃に貧乏で苦しい思いをしたからだ。

 

こんな思いは絶対に子供世代に残してはいけない、だから僕は働き、無茶苦茶もずいぶんやった。けど同時に絶対に道徳だけは守った。子どもたちに何か聞かれた時にきちんと「お父さんはこうやって仕事をしているよ」と言いたかったからだ。人はパンのみにて生きるにあらずなのだ。

 

ぼくは考える時に常識は捨てる。けれど人間としてやって良いこと悪い事は常に最後の判断基準として「自分の子供に言えるか?」に置いている。

 

もちろんこのような表現が多くの日本人の反感を買うことは十分に理解している。しかしぼくは今までクイーンズタウンや香港やオークランドでゼロからスタートして世の中を底辺から見てきた。中途半端なかっこつけの蝶よ花よでどうこう言ってるわけではない。

 

当時知り合った人々の中には三井三池争議で腹に電話帳を巻いてヤクザ相手に闘争をして来た人々がいた。暖かいオフィスの中でアロエの葉をナイフで削り口に入れてにこっと笑い「これ、健康に良いんですよ」と優しい声で当時の闘争の話をしてた彼の言葉を今もその情景と共に覚えている。

 

最近の日本のビジネスを見ていると、まさに殺し合いか?としか思えない事をよく見かける。金になるならすぐに下手に出るが自分の利益に関係ないとなると一気にそれまでの態度を翻して明後日の方向を向いてすぐに退出する。

 

日本の状況は本当に複雑でありニュージーランドのような単純な組織ではないからそれなりに大変だと思う。けど原則に立ち返って見れば上向きの平等って意味ではニュージーランドは良くできてるし自由があると思う。

 

日本で起業に成功した人からすれば「何を甘い事を!」と思うだろうし、ぼくのような「上向きの平等」なんて不平等だ、人は引っ張りあげてもらうのではなく自分で登って行くべきだし登れない人間はいつまでも地獄に残ってろ、蜘蛛の糸を頑張って登れるやつだけが生き残るのだ、そう思うだろう。

 

4月が次の東京での説明会と個人面談だ。周囲を見回せば無料で説明会やってるところもあるが、当社のポリシーはお客様からお金を頂いてお客様の側に立ってお客様の為に情報提供をする事である。

 

うちは不動産を売りたいから無料で説明会をやってるわけではないし、不動産屋から手数料をもらってるわけでもない。無料説明会ってのは回り回ってお客に高いものを買わせてるわけであるから結果的にお客に損をさせているのだ。そんなもんのどこが無料だ?

 

上向きの平等とビジネスを成立させるのは難しい。けれど、だからこそ仕事として楽しいのではないか?ルービックキューブを綺麗につくり上げるまでの苦労はきついけど、安きに流れたくもない。 



tom_eastwind at 17:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月27日

賃上げ3.5%

日本では例年の賃金交渉が始まり安倍総理が連合の代わりに経済団体へ賃上げ要請を行っている。国民生活を守るのが政府の仕事だから賃上げ交渉も政府の仕事と言えるかもしれない。

 

だったらいっそのこと労働組合すべてを解散させて組合費を天引きされてたのを本人の給料に繰り込めばこれで毎年組合費を払わくて良いからベア5%くらいになる。

 

春闘やっても賃上げも出来ず逆に毎年賃下げされて、その間だら幹(だらけた幹部)がオルグ費用と称して酒ばかり飲んで週末の葉山でヨットを楽しむくらいなら、21世紀の労働組合もそろそろ自分の存在価値の無価値さを理解して解散してその仕事を政府に任せれば良い。

 

さて、ニュージーランドでは今年も政府主導の下、例年通り最低賃金の引き上げが行われる。今年の41日より現行の13.75ドルを14.25ドル(約1300円)に上げる。率で言えば約3.5%だ。ニュージーランドには産業別最低保証賃金とか地域別最低保証賃金ってのは存在せず、業種、地域に関わらずすべて一率である。

 

この時給は優秀なビジネスマンからすればあまり関係ない数字だけど都内のマックで働く18歳の若者と比較するとかなり良い。ましてや地方で比較すれば、すごく良い。更に良いのはこの国では働いた分きっちりとお金が貰えるという点だ。

 

この国にも労働組合があるが1984年以前と違い今は思い切り弱体化している。だからというわけではないが賃上げも政府主導という事なのだろうか(笑)約3.5%の賃上げに対して労働組合は数字を並べて「低すぎる!」と言ってるが政府は相手にしていない。

 

政府の仕事は資産の再配分でありその意味で労働者も資本家も平等に守られねばならない。労働者の配分を増やしすぎれば資本家はオーストラリアに逃げるしそうなれば雇用を失う。賃金が安いままでは労働者はニュージーランドを逃げ出してオーストラリアで働くようになる。だから豪州の経済状態を見つつ適正に賃金を上げたり税制調整をして再配分作業をしているのだ。

 

労働組合のようにまともに働かなくても誰でも最高の賃金を払えなんて要求をして会社が倒産したり海外に脱出したらどうするつもりか?

 

20世紀の西洋的な労働組合とは企業との交渉の際に組合員の労働力を担保にして交渉してた。「あのさー社長さんよ、あんたが賃上げしないなら俺たちスト打つぞ、あんた労働力失えば工場閉じるしかないんだぞ、それでも良いのか!?」って話だが、そんなの20世紀の話だ。

 

普通の能力しかない労働者のやってる工場作業などはロボットに入れ替わりオフィス事務の殆どはすでにパソコン処理されている現在、ほんとに会社にとって重要な人は給料を上げて管理職にしてしまえば良い。

 

企業はそうやって常に時代を読みつつ最適な手段を考えて変化し続ける。けど労働組合は自己生存本能が強すぎて自分たちの存在価値がひたすらゼロに近づいているのに数年先の未来も見えずに目先の椅子にしがみついている。

 

世界がこれだけ狭くなってきたのだ。必要なら労働力も工場も海外に転出する。そのことを理解した上で国内市場を最適な状態に保つのが政府の仕事である。これは決して簡単なことではない。

 

ニュージーランドが地政学的に恵まれている点の一つにアングロサクソン5カ国の中で最も小さく最も出遅れた国であるとのが挙げられる。つまり先輩4カ国のやってる政策の成功も失敗例も観た上で自国の取るべき方向性を決める「時間的余裕」があるという事だ。

 

ニュージーランドは元々が社会主義経済であり国家主導で国民を計画経済で導いてきた。その意味で現在のような賃金決定システムは、最低生活保障は政府が決める社会主義であるが上限は青天井なので誰にも機会はあるという自由主義も取り入れた、それなりに良いとこ取りの仕組みである。

 

その意味で振り返って日本を見れば、安倍首相のやってることも自由主義経済からすれば「最低時給なんて不要!」となるが、そんな声を跳ね返して政府として賃上げを要求しているから腹の据わった国家社会主義者である。

 

よく働けるものが同胞を助けて上向きの平等を目指していく。自民党であり自由経済を標榜する安倍さんのやってる政治に僕がよく共感を抱くのは、このあたりであろう。



tom_eastwind at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月26日

2014年生活環境ランキング



***抜粋開始***

マーサーは「2014年世界生活環境調査−都市ランキング」を発表した。

調査結果によると、ヨーロッパの都市が世界生活環境ランキング上位を占める中で、ウィーンが前年と同じく、世界で最も生活環境水準が高い都市となった。チューリッヒが2位、オークランドが3位と続き、4位にミュンヘン、5位に北米で最も生活環境水準が高いバンクーバーという結果となった。この5都市の順位は2011年以来変わっていない。

 

アジアではシンガポール(25)のみがトップ30位に入り、アジアの2-5位は日本の4都市が占めた:東京(43)、神戸 (47)、横浜(49)、大阪 (57)

 

マーサーは、多国籍企業やその他の組織が駐在員を海外に出向させる際の報酬を公平に決定する基準となる「世界生活環境調査」を毎年実施している。一般的なインセンティブとして、ハードシップ手当と海外勤務手当(モビリティープレミアム)がある。

 

ハードシップ手当は、派遣元と派遣先の生活環境差に対する補償として支払われる。一方、海外勤務手当(モビリティープレミアム)は、本国を離れて海外で勤務することに対する奨励として支払われる。この調査に基づいて発行されるマーサーの世界生活環境レポートは、世界460都市以上のハードシップ手当に関する有益な情報を提供している。

 

その他では、3位のオークランド、10位のシドニーのように、ニュージーランドやオーストラリアの都市が、世界生活環境ランキングの上位となっている。

***抜粋終了***

 

ぼくも毎年参考にしている統計だが、これは一般的な移住者の話ではなく、世界的な企業から派遣されるエリート社員にとってどこの国が生活環境が良いかを示すデータである。だから生活環境を理解するのに役立つが、果たして自分がその生活環境に入れるかと言えばそれは全く別である。

 

派遣元大企業に給料と住む場所を提供されて海外赴任に伴う様々な手当を貰えることを前提に住んでいるのなら、そりゃあんたオークランド方がシドニーより住みやすいでしょ(苦笑)。

 

日本人駐在員の場合家族で赴任してもシティの会社への通勤時間が30分程度であり田舎の田舎だからシドニーのような難しい案件が来ることはなく農業や林業関係はすでにレールが敷かれているから毎日やることは本社向け現地事情調査である。そして時々日本からやってくる政治家や高級官僚に付き添ってあちこち案内して「うい奴」と思われればそれで業務終了なのだ。

 

会社には残業がないからローカルスタッフは定刻に帰るし自分も何もなければ定刻に帰る事が出来る。もちろん超緊急なら残って対応するだろうが、土日のお休み時に緊急連絡があっても取引先が全部閉まっており連絡が取れないから、いつの日か「あ、オークランドかー、じゃあ連絡は翌朝か月曜日だな、メールだけ入れておこう」って事になり駐在員の休日は保証される。

 

つまり派手な実力は社内で発揮出来ないが家族と楽しい生活を送るに素晴らしい環境であり部長や取締役を目指すことは出来なくてもそれなりに給料をもらって老後を迎えることが出来れば企業年金も貰える、大都会のような重い責任はなく長時間残業もなく日本人社会の中では対外的には「おれ、駐在です」って事で肩書もある。

 

そうなるとたしかにオークランド赴任は家族を大事にしたい駐在員には良いと思う、この調査の通りだ。

 

ただ、ここからが本番であるが、このデータはあくまでも企業に給料と住むところを提供されている場合でありそうでなければオークランドは大変である。

 

この調査でオークランドが世界第三位!と夢を持ってやってきても、初代移民は家族4人であれば生活費は東京都とほぼ同じ。住居費が毎月20万円、生活費が毎月20万円、これ以外に渡航時には航空券、保険、引越し荷物、自家用車がかかる。ニュージーランドで生活をするには自宅不動産を購入して尚且つ労働サービス及び金融資産資産収入が毎年1千万円近くないときつい。

 

公立学校が無料と言ってもそれは永住権やワークビザを取れた時の話であり親子留学ビザや学生ビザで到着した場合の生活費はきつい。

 

更にきついのが、初めての移住で誰にも頼るものがなく子供に何か聞かれて「しらねーよ」とも言えない。だからあっちこっち調査するのだが、得た情報が正しいかどうか分かるわけがない。結局あまりのプレッシャーに押されて姉妹日本に帰国してしまう事になる。

 

この街で夢を持ちやってきても、普通に技能移民で永住権を取得しただけではキーウィのような「中の上」の生活は遠い。永住権取れて地元企業に就職しても、結局はいつまで経っても「中の中、または中の下」である。

 

生きてはいける。何とか食っていける。しかし、それが自分の望んだ事だろうか?

 

データには様々な見方がある。都合の良い事を言って移住させるがその後のフォローを何も考えていない企業が必ず大問題を起こして訴訟されたりするが新しく移住をする人は情報収集が出来ないから甘言に乗ってしまう。

 

オークランドに戻って初日の夜にこの記事を読みつつ「断ることも大事なんだけどなー」って思った。今回日本を回りつつ一般の人々にぼくの移住の話をしても殆どの人が眼を丸くして「嘘でしょ!」とか「えー、あり得ない!」と言われる。東京のパーティでも「ニュージーランドから来ました」というとほぼ皆が眼を丸くさせる。

 

驚きを乗り越えて「夢を見たい」と思いつつ僕の説明会に参加して頂くが実際に移住出来るのはその内の30%程度だ。移住とはそれほどハードルの高い仕事である。断ることも大切なんだけどなー、そう思いつつ日本でのスキーの筋肉疲れの身体をとっととベッドに放り込む。



tom_eastwind at 13:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月25日

金曜日から月曜日まで、団子。

オークランドに無事到着。けど何だか、金曜日から月曜日までが一個の団子のようになった気分だ。区別がつかない。金曜日は日帰り名古屋出張で夕方に東京に戻り家族と合流、最後の晩餐である。

 

土曜日の朝8時にホテルを出発して羽田空港に向かいキャセイ航空で香港へ。やっぱ羽田は便利だわ、品川で新幹線に乗る感覚で国際線に乗れるもんね。今後は羽田がますます重用されるだろう。だって羽田に国際線が殆どなかった時代でさえ天皇や首相は羽田発の政府特別便を使ってたのが良い証拠だ。

 

香港では一昨日も書いたように馴染みの店で飲んだのだが、いつもと全く同じ行動パターンなので区切りがない。まずは金曜日の夜から東京のホテルで寝て翌朝早く起きていつものように羽田で飛行機に乗り香港の空港からホテルに向かいまずは土曜日の夜までが一つの団子になっている。

 

今回は更に日曜日のオークランド行きを昼過ぎの便にした為朝早くシャワーを浴びて荷物を詰めてホテルを早めに出て空港に向かい空港でささっと昼ご飯を食べて飛行機に乗る。あとはひたすら寝るだけである。

 

てーことは土曜日は昼ご飯をささっと食べただけで昼過ぎの飛行機に乗り込み機内では全く飯を食わずひたすら寝て、翌朝のオークランド到着の30分前までユニクロの部屋着で過ごしているわけで約12時間水だけの生活であるが、何故かそれほど空腹を感じない。

 

オークランドに到着すると朝日の眩しさに眼が痛くなるようで駐車場の料金支払い機械の画面が全然見えない。適当に長年の経験の勘でカードを突っ込んで支払をしてから「あれ?おれって駐車場の出口で直接カード払いじゃなかったっけ?」と長年の勘の役立たずさを呪いつつ車に向かう。

 

ぼくが一番不思議なのは自宅からオークランド空港に到着してゲートに移動する時と日本からオークランド空港に戻ってきた時に雨に降られた記憶がないって事だ。ほんとに雨が降ってなかったのだと思うけど、もしかしたら楽しくない記憶は自動的に削除する機能が付いてて実は降られてるのかも・・・けど、記憶に無いな、やっぱり降られてない。

 

駐車場の出口でカードを差し込んで駐車料金を払って空港を出てニューワールドに寄り、ほぼ空っぽのはずの(そりゃそうだ、24日も不在だったのだから)冷蔵庫に食料を詰めるべく買い物をする。

 

昼前には自宅に着いてゆっくりと風呂に入り(うちはバスタブがある)手足を伸ばして日本で買ってきた本を読み(仕事帰りの風呂で本を読むことが最高のリラックス)、風呂を出てからこれまた日本で買ってきた映画をリビングルーム(うちはキッチンとリビングが共用)で見ながらニューワールドで買ってきた300グラムのステーキを焼く。ご飯を炊くのは面倒くさいのでステーキのみだ。

 

映画を見終わった頃に今度はマルタイ棒ラーメンを卵と海苔入りで作って食べる。これを食うとやっと人心地が付く、人類が麺類かどうかは別にして僕は確実に麺類だ。

 

やっとこのあたりで気持ちよくなりもう一本映画を観て(つまりぼくの個人生活の中心にあるのは映画と本である)今度はステーキパイを電子レンジで温めて食う。つまり短時間の間に三食食った計算になる(不思議なことに満腹感はない)。

 

これでやっと金曜日の朝から始まった団子のような長い一日が終わった。実際には金曜日から月曜日まで4日間だけど僕にはこれは長い一日でしかない。

 

早い時間にベッドに入りベッドルームに置いてるちっちゃなテレビで最後の映画「オリバー・クロムウェル」を観る。リチャード・ハリス版だから見応えがある。英語の勉強にもなる。そして英国の民主主義ってのは本当に勉強になる。

 

国民が自分たちの国作りをするために世界中のどこにもいた世襲制の国王を葬って議会派が政治を主導したってのは大したものである。この時にクロムウェルは重商主義も導入して現在の英国の礎を作った。

 

民主主義の本場である英国ではクロムウェルの評価が定まってないという話を聞くが、リチャード・ハリス演じるクロムウェルとアレック・ギネス演じるチャールズ一世の戦いや議会での裁判の様子を見つつ、ふーん、やっぱり日本よりも圧倒的に政治一流だよなって実感する。王様がいても議会に力がありお互いに納得出来なければ戦争までするんだから大したものだ。

 

さあ、明日は早い。とっとと寝ようっと。



tom_eastwind at 21:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月24日

Those were the days




またも宋文洲のメルマガの話である。彼が北京で過ごした正月の事を少し書いててその内容の彼の子供時代の貧しさが心の琴線に触れたのでつい思い出した事を書く。良ければ彼のメルマガを読んで欲しい。


ぼくが

小学校五年生の頃かな、今でも鮮明に記憶しているお弁当に入ってた一切れの鶏肉がある。たった一切れの鶏肉だが、今も忘れられない。

 

ある時学級の全員で先生の自宅訪問が決まった。それぞれ弁当を持ってきて先生の古い自宅と裏庭にある洞窟?を訪ねるのである。

 

ぼくはあまり乗り気でなかった記憶がある。何故ならうちは貧乏でお弁当と言っても他の子どもと並んで食べられるようなものではないと思ってたからだ。

 

当日の朝、母親が作ってくれたお弁当はいつものように温かくて美味しそうだった。お弁当の中にある一切れの白いものを見た時母親に聴いた。「ねえ、これなに?」すると母親は面倒くさそうな声で「かまぼこ」とだけ言った。

 

この先生は僕の長い義務教育時代ではかなりまともな先生だったと記憶している。あまり日教組に染まらず、日教組に逆らう力もないけど子供の事を考えている、そんな先生だった。だから子供を自宅にも呼んでくれたのだろう。

 

母親の作ってくれた弁当を持ち先生の自宅を訪問した僕はいつもの通りの行動(世間で言う奇行)をして、お昼時になると皆で弁当を広げて食べることになった。

 

「肉の入ってない弁当なんてあんまり人に見せたくないなー」とか思いつつ弁当を開きそこにあるかまぼこを見た時、あれ?これ鶏肉だと気づいた。母親からすればたった一切れしか鶏肉を入れる事が出来なかった事を恥ずかしいと思ったのかなあ。

 

ただ言えることは母親に感謝である。

 

ここから先は貧乏を体験していれば書かなくても分かる筋書きだし貧乏を体験してない人には分からない筋書きである。別に金持ちを差別しようとか思ってはいないが、ほんと、食べる苦労をした事がない人に理解してもらおうというのが無理だってのは今までの人生でよくわかっている。

 

80年代の香港。夜中、雨の降る香港の裏道で歩道に置かれた三段折のプラスチックベッドを8時間づつ3人で共有して寝ている労働者、昼間に寝ている人は周囲の喧騒を全く無視してひたすら寝ている、生き残るために。

 

貧しさというのは暴力である。場合によっては人を殺し場合によっては人を悪の道に引き込む。それに耐えて強くなるのは半端なく大変である。それでも人は耐えていかねばならない。

 

鶏肉を食べた子供の頃、その味はもう忘れた。ただ、愛情だけが胸いっぱいになった記憶だけがある。



tom_eastwind at 13:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月23日

幸せって、勝ち取るものなんだな・・。

宋文洲のブログを読みつつ、何が幸せかと考えた。中国で生まれた子供が文革を経験して日本に移住して、そして今また中国に住みつつ様々な事を考えている。

 

ぼくの頭にあるのは彼が子供の頃の中国の旧正月の花火とかについて語った内容ではなく、彼の生まれた時代の少し前、ほぼ無政府状態だった中国をロシアと欧米が虎視眈々と狙ってた時代の中国の事だ。

 

当時の中国は政府は崩壊状態であったにも関わらず庶民は貧しくとも過去から継承された文化があり歴史があり「我らは中国人である」“我門(にんべんにもん)中国人”という誇りがあった。

 

誇りがあれば貧しくてもそれなりに自身を持って幸せに生きていける。しかし毛沢東の文化大革命でそれがすべて失われた。今の中国にあるのは拝金主義だけであり、拝金主義でなければ生きていけない世の中になった。では日本が戦前に中国でやったこと?それは中国の表面を軽く掻いたようなものであり中国の本質は何も変わらなかった。

 

僕が初めて中国に入ったのはもう30年以上前の1980年、文化大革命が終了して小平が改革開放に大きくかじを切り外国からの観光客を受け入れ始めた初期である。今では考えられないが北京では殆どの人々が人民服を纏い整然と街を歩き上海では殆どの人々が自転車に乗り第一百貨店ではトイレのドアがなかった時代だ。

 

その頃の人々は長い文革から解放されて明るい顔をして外国人を迎え入れてくれた。おみやげ屋に並ぶ商品の数は少なかったがそれなりに質が良く中国文化を感じさせてくれた。特に蘇州を訪れた時はその刺繍の素晴らしさに目を奪われて、ついでに刺繍をする若い女性たちの眼のマッサージを見て見よう見まねで覚えて自分でマッサージをするようになり(あんまり関係ないかもしれないが:笑)今でも眼鏡なしだ。

 

幸せってのはカネじゃないなー、やっぱ、思い出とか仲間とか誇りとか家族とか、だって文革が終了した中国では人々は就職の自由さえなかったけどそれなりに人生を楽しんでいたのだ。

 

少し話は飛ぶけど今日はW香港ホテルに泊まっている。ここはぼくの香港での定宿だ。働いているスタッフは頭が良くてとても気が利いて普通の香港人ではないって感じを受ける。採用試験も厳しいんだろうな、とにかく視線が合っただけで相手の欲しい事が分かるって感じ。

 

隣には香港で一番背の高い高層ビル「ICC」が見える。金融関係の企業がぎっしり詰まってるビルだ。このビルにジェット機で突っ込めば世界の株式市場は間違いなく1日くらいは動かなくなるだろう。けど2日ではないな(笑)。

 

このホテルのモチーフの一つに毛沢東が右手にかざすWと書いた本がある。皮肉なのか冗談なのか、けどよく出来てる。分かる人にはわかるし分からない人には意味不明の内容だ。

 

隣のテーブルでは中国系の女性がゆっくりと椅子に座りコーヒーを楽しみつつ完璧な英語で友達と会話を交わしている。

 

いま、ぼくの脳味噌は1800年代の中国から2010年の中国までぐるっと回って何かを感じている、幸せって何だろうってお題で。

 

この、香港のうす青い空に浮かぶ白い流れるような雲を見つつ、海の中からいきなり聳え立つような山を見つつ、幸せって何だろうって考える。この街で、昨日は古くからの馴染みの店で酒を飲み、そこで笑い楽しみ結構本音で会話をしたりして過ごした。

 

中国って結局歴史の流れが100年単位どころではないなって、ふと感じた。多分彼らの頭は1千年単位ではないかって思う。その幅の中で、つまり1千年単位で幸せを捉えているんじゃないかな。

 

宋文洲は文革の中国から日本に来た。ぼくはバブル時代の日本からニュージーランドに来た・・・。中国かー。でっかいなー。香港で夜を過ごしながら、中国の一番端っこの香港で一晩を過ごしつつ、いろんな事を考えている。

 

何か特別な事を書くのではなく、何だか普通の一日を普通に過ごした。宋文洲の文を読みつつ「一番大切なことは特別なのことではなくありふれた旅の中で君に伝えておきたいこと」だろうな。

 

ただ、この賑やかな香港でも資本主義を感じた。人間は基本的に不公平であり不平等だ。だからこそ戦って強くならればならない。人は公平で平等であるべきだ、そんなごまかしをまともに信じていれば、この街では食われるだけだ。

 

コーズウェイベイで友達と酒を飲み(ほんと、久しぶりに会った!)夜遅くにホテルに戻り、昼過ぎのオークランド行きの飛行機に乗るために睡眠を取る。

 

少なくとも幸せって空から誰にも平等に降ってくるもんじゃないな、戦って勝ち取るしかないな、そう思った夜だった。



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2014年02月22日

格差の固定化が始まった。


 

今回は富裕層向けパーティでニュージーランドブース参加が2回。それにしても二晩続けて数百名が集まるのだから東京はすごい。いくら日本が失った20年と言っても彼らは何も失ってないのだろう。デフレが進めば進むほど物価が下がり彼らの現金に価値が出てきて彼らはますます豊かになっているのかもしれない。

 

1980年代に一億総中流と言ってたがそれはあくまでも一時的に下流層が60歳まで続く毎年の昇給と退職した後もついてくる社会福祉や企業年金などの恩恵で中流に留まることが出来たからだ。それが失われた20年で昔いた場所に戻っただけだとも言える。

 

この会場で「皆さん知ってますか?あなた達がこうやってパーティを楽しんでいる間に、所持金数十円しかなくアパートを追い出された家族が、ホテルの一室で父親が妻と子供を包丁で刺し殺して自分も農薬を飲んで悲惨な自殺をしているんですよ、お金がないだけで!」なんてやったらドッチラケである。当然であろう、彼らが生きている世界ではお金の話などみっともなくてしないからだ。

 

イベントに参加する方は基本的に賢そうだし美しく上品な奥様を連れてくる。何故こうなるのか?それは上流家庭に育った男の子はハンサムでなくても品があり、そういう男性のもとには高い確率で品があり綺麗な女性が嫁ぐ。上流家庭の子供が通う学校では小学校時代からの同級生や先輩後輩の間で結婚するから二人の間に生まれた子供がおとなになってまたも同じような環境の女性と結婚してこれが繰り返されて男女ともに上品で綺麗な夫婦になるのだ。

 

こんな事書いたら上流層の人々も「好きでこの家庭に生まれたんじゃねー、これでも悩みは一杯あるんだ」という反論があるだろう。

 

それは当然だ、どんな家庭にも悩みはある。それはロシア革命時に貴族の息子が共産主義者になろうとすると労働者に追い出されたその時に「ぼくは貴族の息子に生まれた事が悔しい」と言うのと同じである。

 

しかしそれは「食えない悩み」と根本的に違う。たいした違いはないかもしれないが、人はパンのみにて生くるにあらずだが、それでもカネがなく食い物がなくなれば人は確実に死ぬ。

 

貴族と言えどフランス革命が起これば殺されるしロシア革命では貴族は皆欧州に逃げてその後は故国を失った流浪の民となった。しかしそんなことは100年に1回もないわけだし目端が利けば戦前のドイツから米国へ逃れたユダヤ人のように生き残る機会もある。

 

それに対して貧しさが人を襲う可能性は日常的であり一旦その罠に陥ると逃げきれず、貧しさは常に地球のどこかで起こっており現在の日本でも発生している。そしてそれはいつも家族道連れの一家自殺とか電車飛び込みとか路上生活者となり浮浪者狩りに遭って殺されるかヤクザに誘われて原発掃除をするか、いずれにしても明るい未来はない。

 

そして今回の日本出張で特別に感じたのが、今回の格差問題は固定化するという事だ。例外はあるにしても多くの家庭で格差は固定する。

 

今までは中流層が下流層に落ちていくだけだったが、これから起こるのは一旦下流層に落ちてしまえばそこから上がることは出来ず、更にその親の子は親以上の仕事を得る機会は無いだろうという事実だ。

 

何故ならこれからの教育はカネがかかるが親にはそのカネを払う余裕がない。そして、何とか無理をして子供を大学に奨学金で行かせることが出来て無事に卒業したとしても普通の大卒にはもう社会が必要とする仕事は残っていない。

 

普通の仕事などすべてコンピューターとインターネットが奪っており更に工場や介護の仕事でさえロボットに代わっていく。

 

こんな時代に必要なものはよほどに強い生き残る能力か親のコネであり血筋であり機械やインターネットで代替出来ない特別な能力だ。例えば歌舞伎役者、ホテルのマネージメント、医者、経営者など、機械やインターネットを使いこなして仕事をする人々だが、そのようなポジションはコネも血筋もなく学費も出せない“普通の”学生には用意されていない。

 

そのような仕事は上流階級の人々の中で整然かつ黙々と彼らの中で仕事を回し合い助けあうのであり何の縁もコネもない人々には回らないのだ。

 

学閥、閨閥のない見知らぬ優秀そうな若者よりも子供の頃からよく知ってる学閥や閨閥のある普通の若者を選ぶのが経営者の常だ。

 

「何で俺がダメなんだ!学力も高いしやる気もあるのに!」とどんなに怒っても、その若者が部落出身者と分かれば採用されなかった時代だってあったのだ。

 

「橋のない川」はぼくが20代の頃に読んだので不覚にも何度も涙したが、あれは現実だ。カネのない貧しさはあの本を読めばよく分かる。あの本を読んで涙が出ない人は貧しさを経験した事がない人であり怒りを感じない人は差別を理解出来ない側にいる人である。

 

そして今の日本でそのような状況が起ころうとしている。貧しい家の子供は貧しいまま大人になり貧しいままに結婚して子供を産みその子供はまた貧しいままに・・・という貧困の環が回り始める・・・・。

 

今晩のイベントでほんとに上品そうな人々を見ながら、数年前に個人的に経験したある事を思い出した。あれが二極化の固定の始まりだったのかな・・・。

 

いつも書くことだが僕のブログは基本的に書き殴りだ。思った事や感じたことをさっと書くだけで、社会学者のようにデータを並べることはしてない。

 

頭のなかには基礎データを入れている。数字で判断するのが僕の仕事だから数字はあるけど、それよりも今までの人生体験の方が大きい。何かを観た瞬間に頭のなかの数字と様々なデータがぶつかり合い即時に答が出るのだ。

 

その直感が今日はっきりぼくに言ったのはセレブのパーティにNZブースを出して彼らと次々に話すうちに感じた「これから格差は固定する」である。

 

これは、これから子供を産もうとか今ちっちゃな子供を持っている普通の人々にはかなり怖い話だと思うが、僕の直感は数字を基礎にした上で飛び出してくるので殆ど外すことはない。間違いなくこれから格差は固定する。そしてそれは少なくとも20年は続く。

 

華やかなパーティでとびきり美味しいニュージーランドワインをニコニコと笑顔を見せてお客様に振る舞いニュージーランドの事など思いも浮かばなかったお客様に何故ここにニュージーランドブースがあるかをご案内して、素晴らしい自然や高級ロッジや自然の栄養に満ちた食材、優しい人々、原発のない国、そんな事を説明して素直に喜んで頂ける人々の顔を見つつ、何故かこれからの日本を考えて、心の中で涙が出てきた。



tom_eastwind at 13:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月21日

伝統と現代と。

今日は名古屋の日帰り出張だ。日本は便利だな、だって東京と名古屋は342kmも離れているのに飛行機にも乗らずたった1時間30分で到着するのだから。江戸時代だと数日かかるぞ。駅には10分前に到着してその場でクレジットカードで切符を買って(とは言ってもNZ発行の田舎クレジットカードは使えないのでアメックスを使うしかないが)新幹線に飛び乗れるのだからほんとに便利だ。

 

日本に住む人からすれば至極当然のサービスだろうがニュージーランドのような田舎に住んでればあり得ない考えられないインフラサービスである。NZでこれだけ離れてればオークランドからロトルアに行くようなもので、自宅から遠い空港に行きそこから飛行機で移動して到着した空港が街中から離れてて空港で借りたレンタカーで移動するか、または自宅から自家用車で3時間くらい走るしか無い。

 

日本はなんだかんだ言っても技術大国、戦争で負けてもこれだけのモノを作れるのだからやはり「国力」と呼べる。

 

そんな事を考えつつふと前の座席を見ると前の座席に京都の舞妓さんだか何と呼べば正確なのかよく分からないが、とにかく素敵で派手で立派な帯付きの着物をきちんと着こなして髪をきちんと結った若い女性が5名座ってた。

 

彼らは着物の膝の上に和風のハンカチ?手ぬぐい?とにかく田舎者の僕にはよく分からない上品そうな布を敷き、名古屋駅あたりで買ったのだろう味噌カツ弁当を上品に食べていた。食べ終わった頃に更に上品そうな和服を着た中年の、昔はずいぶん可愛かったのだろう宮崎美子のようなくりっとした眼の女性が大きな紙袋を持って舞妓さんの食べ終わった弁当を回収していた。

 

そうか、彼らはこれから東京で夕方から仕事なんだろうな、どっかの大きなお座敷に呼ばれて与謝野晶子みたいに「今宵会う人皆美しき」って事になるんだろうな、そんな日本の伝統とかいいなー、けど日帰りなのか?出来ないこともないよなーとか勝手に思ってた。

 

ところが上品に食事を終わった舞妓さん、いきなりヤッホーって感じで耳にイアフォン付けてiPhoneを取り出してケータイゲームを始めた!文明の進化ですなーとか思ってたら隣の舞妓さんは通りかかった客室販売でコーヒーを買ってぐいぐい飲んでるしー(笑)。

 

てか舞妓さん、そのうち音楽聴いたりたぶんLINEだろうねテキストしたり、あはは、こりゃもー楽しい♪やっぱ若いなー、時代は進んでるなー、てか、舞妓さんが新幹線に乗って東京に出張しつつiPhoneで音楽やゲームを楽しみ左手には富士山が見えて、まさに伝統と現代の融合ですねー。

 

東京を出る時は道端に積もってた雪も名古屋では全然見当たらずタクシーの運転手さんも「一応スタッドレス履いてますけどね」って感じであまり気にした様子もない。狭い日本と言いつつも雪はこれだけ街の様相に変化を見せる。

 

時代は舞妓さんにiPhoneを持たせてLINEで友達と繋がりつつも富士山の場所は変わらず彼女らの素敵な着物の美しさは変わらず、日本の伝統と技術を楽しませてくれた名古屋ひがえり出張でした。



tom_eastwind at 12:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月20日

ビザは、取れる時に取る。



ビザは、取れる時に取る。これが原則である。移住と言ってもまだ先の話だなんて言ってたらビザ枠なんてすぐ変更になり自分が予定していたビザが半年後に廃止なんてのはざらにある話だ。

 

去年末も起業家ビザが突然募集中止になりそれまで旧ルールで準備していた人たちが殆ど皆一旦手続き停止になった。今年の2月に新ポリシーが発表されるって事だけど、どうなる事やらである。

 

今までも技能移民はしょっちゅうルールが変更になっている。ビザは一生モノであるのに皆はけっこう「いやー、渡航時期がまだ2年先だもんなー、今だと滞在日数稼げそうにないしなー」なんて考えて手続きを後回しにするが、これは間違い。準備が整った頃にはそのビザはもう存在しないなんて事がしょっちゅうある。

 

例えば投資家ビザ部門で日程を計算してみよう。

 

まず最初に説明会などでニュージーランド情報を仕入れて「よっしゃ、現地に視察に行って話を聴いてみよう」と下見ツアーに行く。気に入った。よっしゃ、じゃあ次は?

 

まず日付を201431日としてみて、この日に移民弁護士と面談をしてビザ取得契約を結ぶ。ここから実務開始で、まず申請に必要な書類を日本で集める期間が平均3ヶ月だ。

 

弁護士に必要な書類を渡すのが6月となりそこから書類作成を開始して問題なければ3ヶ月程度で移民局に提出することができる。つまり提出は9月となる。

 

9月に書類が受理されても移民局の忙しさ度合いで担当官が決まるのが遅くなったりする。ひどい時は半年待ちなんてのもある。ここでは平均的な予定でいけば担当審査官決定は約1ヶ月なので10月から審査開始となる。

 

審査は通常半年程度かかるが、10月ってのがやばい。なぜなら移民局の投資家部門は12月中旬から1月中旬までほぼ審査が停止されるからだ。何故か?それは審査官レベルはこの時期になると一ヶ月のクリスマス休暇に入るからだ。

 

10月から約2ヶ月の審査、でもって20151月中旬から再開されるから結局ビザが発給されるのは20155月頃になる。

 

この時点で取得したビザはAIP(Approved In Principal)と呼ばれる事前許可である。ここから実際に投資を終了した時点で正式に永住権が発給されるが、投資をする期間は1年程度の猶予がある。つまり20165月までに投資を完了すれば良いのだ。そこまで長期渡航をする必要はない。ただ手続きのために一度だけオークランドに来て頂く必要はある。

 

でもって20165月に投資を完了して永住権が取得出来た。この時から最初の1年は渡航する必要はない。つまり20175月までは渡航不要なのである。そして20175月から一年間に投資家プラスであれば44日、投資家2であれば146日滞在することになる。

 

さあ、こうやって計算してみれば20143月に手続きを開始して永住権取得まで約2年かかるのが分かる。そして実際に渡航をするのは20175月以降なので3年間の余裕があると分かる。

 

渡航がずいぶん先の事だからーと言っても、ビザが取れるのもずいぶん先の事なのだ。今から準備を開始しても遅いという事はない。ビザ枠がなくなってしまえばどうしようもないのだから。

 

ビザは取れる時に取っておく。これが基本である。



tom_eastwind at 11:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月19日

二極化

総支給 208,000

健康保険 16,700円  5%

厚生年金保険 28,900円 8

厚生年金基金 8,800

雇用保険1,250円 0.5%

所得税 3,000円  5%

住民税 8,000円  10%

 

上記のデータは日本に住んでいる20代の方の平均的な月収だとの事。ぼくは日本を離れて長く税金や保険に関する細かいデータを知る機会がなかったが、自分の給与を公開していた元経産省キャリアのブログでも「大体こんなもんだろう」と書かれていた。

 

人によって税率が異なるけど平均的な税率をALLABOUTから引っ張ってきて金額の横に置いてみた。厚生年金保険は少し高いような気がするが、住民税は安めである。

 

月収208,000円で手取りが14万円弱ってことはお上の取り分が30%である。それにしても高いなー!税金と保険って言い方を変えているけど実質的にすべて税金である。

 

ニュージーランドは一般的な税率は15%であり高所得者は最高税率33%であるが、給与から支払う税金と保険がすべて込みである。

 

働いて収入を得た時だけ15%をPAYEPay As You Earn)と言う名目で納税するだけで医療と教育は無料になり18歳から65歳まで失業保険が受けられ65歳から老齢年金が支給される。

 

医療保険も失業保険も老齢年金(厚生年金)もすべて込みで15%であり、働かない場合はもちろん支払わないけどそれでも国民の権利として医療、教育、年金すべて無料で受けられる。日本の厚生年金のように25年掛けるとかも不要なのだ。(但し医療については制度上の問題があり個人で医療保険を購入する人が多い)

 

ところが日本では若者世代でも30%の税金を払いつつ尚且つ受けられる社会保障はニュージーランドよりずっと少ない。

 

こんなに社会保障が充実していると北欧型のように税金が高いんじゃないかと思われるが実際には15%である。消費税が15%かかるがこれは内税であり価格が例えば99セントとか9ドル99セントのような表示なので消費税を意識することはあまりない。

 

じゃあ国家財政が赤字かと言えば、1994年から2008年のリーマン・ショックまでは毎年国家財政は黒字である。リーマン・ショックの金融機関救済とその後のクライストチャーチ地震復興の為に一時的に赤字になっているがジョン・キー首相は来年度には黒字化すると公言している。

 

もちろん良いことばかりではない。平均的日本人からすれば腹が立つほどサービスの程度は低いしカラオケも麻雀も殆ど存在せずパチンコもない。それでも生きていくインフラが整っている。原発もない。水と食料とエネルギーはすべて国内で賄っており輸入は不要だ。

 

つまり安心安全という意味では現在の日本と比較してみるとずっと良いのだ。日本も昭和後期は恵まれた国家であったがバブル崩壊後の「失われた20年」で社会保障が削減されて現在のようになってしまった。

 

これじゃあ本当に20代の人々は将来に不安を持って当然であろう。

 

そんな事を思いつつ今日は夕方から夜遅くまで仕事だ。今晩は富裕層向けイベントにニュージーランドブースを出してワインや高級個人旅行など、ニュージーランドそのもののプロモーションである。参加される方々はいわゆるセレブであり様々な年代層の方だ。

 

他のブースには競走馬オーナーの案内、沖縄軍事用地購入、ハリウッドのセレブが使ってる金純度99.99%の10万円以上する超高級化粧品が紹介されてたり、とにかく超豪華な雰囲気を醸し出している。

 

幸いニュージーランドワインは珍しいようでブースを通る方は全員試飲して頂く。そのイベントで交わされる会話は洗練度が高くさらりとした水のような雰囲気である。

 

ほんとに日本は二極化しているなーって感じた夜だった。



tom_eastwind at 20:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月18日

日本橋

今日はよく晴れてるが風が思い切り冷たい東京。恵比寿から日本橋移動しての仕事だ。それにしてもこの街は広くてよく整備されてて一つ一つの建物に風格があるなー。

 

訪問先の建物も最新の設備と伝統の雰囲気の両方を兼備しており、ついでにオフィス部分とレストラン部分もバランス良くどちらも嫌味なくきちんとした雰囲気を醸し出している。

 

素晴らしく整備されたオフィスで洗練された服装で働く人々が素晴らしくお洒落で洗練されたレストランで昼食を食べて、九州の田舎猿からすると居場所がなくてトイレに逃げ込みたくなるくらい「ケツがかゆくなる」のだが、この街で生まれこの街で働く人々にとっては普通の空気なのだろう(笑)。

 

やはり日本橋、それも三越がある地区ってのは日本の中でも超特別であり東京の中でも更に特別でありオフィスから見える日本銀行の円形(丸いって意味ではないですよ、ご注意)が「おい、おれは円の番人なんだ、ここは日本の真ん中なんだ、田舎もんがおちおちのこのこおっかなびっくりやって来るようなところじゃねーんだよ」って無言で語りかけてくるのがよく分かる。

 

三越には「お」車寄せがあり制服を着た人々が「お」車寄せに「お」寄せしてくる「お」高級車の「お」ドアを「お」開けして「お」客様の「お」手伝いをしつつ「お」買い上げの「お」品物は後日「お」客様の「お」邸宅に「お」届けと「お」なりになるのだから「お」田舎モノの存在など空気以下であり視界に入ってても空気のように目に見えないのだから存在しないのも同然、ははは、見えないのもまた楽し、この街で暫く透明人間を楽しんでみようっと(笑)。

 

それにしてもこの街、高速道路の下に日本橋がありここが日本の街道の起点となる。まさに日本の真ん中お江戸ですって感じだ。江戸三百年、ここが日本の政治の中心地であったことは間違いない。

 

そういえば今回の旅の最初に妻籠を回ったがここは中山道の木曽路にあたる。ということは僕はまず木曽路を歩きそれから新幹線で東海道を行ったり来たりあちこち移動した挙句にすべての街道の始点である日本橋に今立っているんだなー。うーん、ある意味感激だ。

 

ほんと、日本に住んでた時より日本をグルグル回っている。それだけ日本人が次第に移住を本気で考えて具体的な行動につなげているわけだ。

 

寒風の中、日本橋を渡るとそこには高島屋があった。あれは本店か?重厚で豪華な石造りの建物に最新の設備が入っておりおトイレは当然ウォシュレットだ(笑)。高島屋に入ったのは旅行中に使ってた洗面用具の一つを使い終わってしまいここで多分買えるだろうと思ったから。

 

フロアに入るとぐるぐる探したが中心地には存在しない。案の定だが端っこの方にいかにも付け足しみたいなコーナーに置かれてたがぼくはこのブランドで十分。必要な物を買い足して横のドアから出ると、ここもまた「お車寄せ」があり黒塗りの高級車がずらっと並んでおり運転手がドアマンとお喋りしつつご主人様が出てくるのを待っている。

 

ドアマンがちらっとこちらを見て一瞬で山猿と見抜き最初は視線を外らせて無視しようとしたが僕の手にいくら付け足しコーナーの商品であっても一応紙袋を持っているのを見るとこちらに気付かれないようにすーっと顔色をお客様仕様にした上で意識的に声色をお客様仕様にして「お客様、こちらでございます」とタクシーに案内してもらい「こちら、段差がございますのでお気をつけください」ですって。

 

人間扱いしてもらってありがとーございますだ(苦笑)、ぼくは紙袋一枚で空気よりは少しましな扱いになったな(大笑)、次に来る時はこの紙袋に弁当でも積めて来ようかな(笑)。

 

ははは、空気以下の山猿でも買い物袋を持つと少しは出世するんだなー、なるほどこれが明治維新で九州の山猿が東京に出て受けたカルチャーショックなんだろうな、でもってこの魅力に取り憑かれた人々が明治の元勲とか呼ばれて舞い上がったのだろうな、ははは、けど東京ってのはそういう魅力を持つ街でもあるなーなんて、いろいろと思って歴史の日常を楽しむ。

 

大山巌がでこぼこの顔に小判を貼り付けて芸妓の気を引いたなんて話があるが、九州の山猿がこのあたりを偉そうに歩き都会の肌の白い女を妾にして(何せ自分の故郷では芋しか食ったことの無い真っ黒に日焼けした女ばかりだ)「勝利とはこういう事だー!」と吠えたのが目に浮かぶようだ(笑)。

 

ぼくは別に九州出身であることを卑下してるわけで全くないし明治時代にこの街に現れた猿どもをバカにするわけでもなく日本橋で生活している人を特別扱いするわけではない。誰にも皆それなりに苦労も喜びもあるわけだ。

 

家柄が良すぎて苦労した女性もたくさんいるし家柄の重さに潰された若者がいることを考えれば人生の幸せなんてかなり個人的な資質と運命と、その運命に立ち向かう強い気持ちが決定するんだなーって思う。

 

日本橋を出て恵比寿に戻ると、ここはここでまた違った街が広がっている。本当に東京の顔はたくさんある。日本橋、銀座、恵比寿、渋谷、新宿、池袋、上野、その他ちっちゃな街もたくさんあり、すべての街が独立してて一箇所にぎゅっと凝縮されてる。

 

隣の街に行かずとも生活が出来るのが東京のすごいところだ。こんなのオークランドでは考えられないけど、比べることが大間違い!田舎者、手打ちにするぞ!くらいの話であろう(笑)。

 

忙中閑ありではないが、さあ、今日も仕事をしつつ東京の街の景色を楽しんだ一日だった。



tom_eastwind at 19:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月17日

上りとか下りとか

日本の古い歴史では京都に上るのが上京であった。明治時代になって天皇が東京に来て東京から全国に向かう列車はすべて「下り」となり東京に行く列車はすべて「上り」となった。京都は古都ではあるが天皇不在の「途中通過駅」または「観光地」となった。

 

うーん、上京ってどんな扱いなんだろう?いずれにしても九州からすれば京都までは「上る」で良いわけでそこから先をどう表現するか、だな。京都から東京へ「下る」のか?

 

何度か書いた話だが、20世紀最後の頃にオークランドの回転寿司屋で日系旅行会社の支店長連中の飲み会(ほぼ毎晩)があった。その年は中日とどっかの田舎球団が日本一を争うことになり、新聞では「ローカル球団同士の日本一決戦!」と書いてた。

 

ぼくは何気なく「今年はローカル同士ですねー」というと、名古屋生まれの近ツーの支店長がマジで怒って「バカヤロー!名古屋は日本の真ん中だー!」と大声で怒鳴ったのを今でも覚えている(苦笑)。

 

名古屋の人からすれば日本の中心は名古屋であり「東京なんてのは東京の事しか知らない田舎もん!」なんて言う人もいる(笑)。誰も自分の故郷が自分の中心地なんだな・・・いいなー。けどそうなると僕はどうなんだろう?

 

日本の九州で生まれニュージーランドの生活がすでに30年近く香港でも6年過ごしており、すでに3回も移住体験をしている旅行屋である僕からすれば一体どこが故郷なんだって話だが、どこの街にも愛情がある。自分が一時期を過ごした街ってのは誰でもそうだろうが楽しい思い出がある。

 

楽しい思い出がないのは「ふるさとは遠きにありて思うもの」とうたった室生犀星くらいのものかと思いつつも彼の詩を読むとやはり彼も故郷を愛してるし、石川啄木の「故郷の訛り懐かし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」なんてのも故郷を愛する詩だ。

 

これから新しい生活をニュージーランドで構築していく人々も考えることが多くなるだろう。一体僕の生活拠点はどこなのか?子供にとって故郷ってどこなのか?

 

ぼくがその答の中の一つの選択肢であると感じるのは中国人のような「地球は僕の庭」って発想である。何も、日本に生まれたからって日本で生活する義務はないわけだから、自分にとって今一番生活しやすい国に行こう、それで良いのではないかという発想だ。

 

国籍がどこであろうが旅券がどこであろうが自分は中国人、世界のどこで住んでも自分は中国系、それをしっかり認識して自分の根本を明確にした上で現在住んでる国で中国系として生きる、そういうのが中国人の強みだなって思う。

 

日本人のように一箇所で動かずに一所懸命にやってしまうと陣地戦になり機動性を失ってしまい戦いには不利になる。

 

だから、今は日本での生活があまり楽しくないならニュージーランドで生活をして、10年か20年位経って日本が良くなればその時に日本に戻れば良い、だって地球は一つの庭なんだもん、そういう発想もありではないかと思う。



tom_eastwind at 19:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月16日

豪雪



土曜日に苗場を出て東京に戻る予定でいた。それまでの3日は家族で気持ち良くふかふかな新雪を楽しんだ。僕は堅い斜面も好きだし程よい新雪も好き、要するにスキーが好きなんだなーって実感する。

 

冬場の出張にスキーブーツとスキーウエアーを持っていく人間も珍しいだろうが、滑っている時だけはすべての仕事を忘れられるのでほんとにうれしい。30度の斜度を滑ってる時にふと「あ、あの仕事はー?」なんて考えたら斜面にぶっ飛ばされる(大笑)。

 

普段は殆ど食事をしない僕だけどスキーをしてる日の夕食だけはドカ食いする。普段なら炭水化物ダイエットってわけでもないがお茶碗一杯分のご飯も食べず適当におかずだけを食っているがスキー時の夕飯はどんぶり飯を食うので奥さんいつもびっくりしている。

 

それでも体重は全く変わらずだ。食おうと食わずとここ40年近く体重が変わらないのだから服を買い換える必要もなく今でも28歳の時に買ったスーツを持っている。

 

今回も金曜日までスキーを楽しみ、それにしてもよく雪が降るなーって思いつつ土曜日の朝を迎える。今日の朝ごはんはホテルの隣のスキーセンター内にあるカレー屋さん。

 

ここのカレー美味しい。肉がゴロゴロして贅沢な感じで、子供の頃からカレーが大好きで、けどこんな高級なものを食べられなかったので今更ながらとても幸せになれる。

 

カレーでお腹いっぱいになって前日に予約しておいた越後湯沢駅まで戻るシャトルバスの予定を確認するためにロビーに行くと、ほー、大雪なんだ、越後湯沢駅までの道が閉鎖。でもって新幹線も「確実に」13:00まで運休。

 

なるほどね、けど13:00以降は運行する可能性もあるのか、元々予定を1日予備に取っておいたのであまり焦ることもなく、じゃあま、奥さんが買い物したがってた越後湯沢駅まで出て、そこで新幹線が運休になったり、乗っても途中で動かなくなっても楽しくないので駅近くのNASPAでも予約してもう一泊楽しもうと家族で話して決める。

 

そしてバスがホテルを出る11:00には再度アナウンスがあり道路は再開したけど越後湯沢駅まで行ってもそこから先新幹線が動かない可能性があるので、その覚悟の上で乗車してくださいだって。豪雪慣れしているのだろう、危険性を伝えつつもお客の自由に任せるバランス感覚の良いアナウンスだ。

 

バスは1時間以上かかるかもと言われてたが多くの車が外出を控えていたおかげだろう、40分で駅に着く。でもってみどりの窓口に5分ほど並んで窓口で聞くと「今日はもうすべて運休です」との事。なので「じゃあ明日の11:04の新幹線指定席を予約してください」と切符を人数分買ってまずはNASPAの予約を入れる。混み合ってるかなと思ったが意外とあっけらかんと「はい、部屋ありますよ」って事で押さえてもらう。

 

それから東京の今晩のホテルを事情を説明して取り消ししてもらい、後はホテルにチェックイン出来る午後3時までりょうまくんの大好きな駅構内の屋台焼き鳥をぱくつきついでに立ち食い蕎麦やうどんを食う。楽しいねー、まるで縁日の屋台♪、そしておみやげの買い物をして楽しく時間を過ごす。

 

ところがその頃からみどりの窓口の行列が一気に伸び始めて100メートル程になり窓口が二つしかないものだから全然進まない。そして駅観光案内所でも行列が出来る。ホテルの予約のためだ。

 

みどりの窓口よりも観光案内所の方が切迫感があり「何で俺の必要とするホテルを普段のように安く予約出来ないんだー!」と怒ると案内所側では「済みませんが値段を決めるのは彼らの宿泊約款に基づいてましてー」としか言いようがない。

 

ぼくらはどうやら30分の差で新幹線の切符を予約してホテルを予約したようだ、その頃やっと理解した。でもって3時になって送迎バスに乗ってホテルに入るとすぐチェックイン出来たのだが、その時隣のカウンターでは少し逆上気味の女性が「今すぐ部屋を取ってください、けどもし新幹線が動いたらキャンセルしますけどキャンセル料かかりませんよね!」と理屈にもならない自分勝手な理屈を並べていた。

 

ホテル側としてはもう相手にしてられないのだろう、「では予約をされないでください、今予約をして当日キャンセルですと50%のキャンセル料がかかります」と返答。彼女は困った顔で「けど、ひどいじゃないですかー、だって私の責任じゃないんですよー」とは言ってもホテルの責任でもないのだ。

 

結局この人、予約をせずに窓口を去ったのだがホテルスタッフの受け付けた時間の給料は誰が払うのだろうか?もう少し理論的になれないのだろうか?

 

部屋の鍵をもらい隣接するスキーヤー専用のスキー場に降る雪を見つつりょうまくんとお風呂に行く。ここが広い!大浴場も露天風呂もサウナも広くて、うわ!って感じである。このホテルは通常の宿泊者だけでなくホテルの部屋を購入して過ごすシステムもあり「居住者専用」スペースもある。

 

僕の泊まったタワー側が居住者のいる部分でありオークランドではよくある仕組みだからすぐに概念が理解出来て、あ、こうすりゃいいんだなってのは分かった。

 

夕食はホテル内の和食を頂くが、これが旨い!苗場で食った飯と比較しても段違いに旨い、カレーを除いて(苦笑)。値段と質を比較すると、さすがにオータニ系列だなって納得出来る。家族全員納得で、よし、スキー場もスキーヤー専用だから楽しめそうだ、今年はもう一回ここに来ようって話になるほどだった。

 

夕食を終えてぼくは一人でバーに行き僕一人しかいないバーでバーテンダーさんにいろいろと地元ネタを聴き楽しむ。ふーむ、同じ越後湯沢にニューオータニが二軒あるのか、でも人事交流が全くないんかー、しかしサービスは良いねー、そんな事を思いつつラフロイグをロックで飲む。

 

普段はダブルジョニ黒一本だがそれはボトルを入れてるお店に限るのでこのようなアウェイの一晩限りのバーではラフロイグを楽しむことにしている。

 

越後湯沢に関するネタを仕入れて部屋に戻ったのが夜10時過ぎで、テレビを観てた家族と合流してそのうちコテンと寝る。

 

翌日もぐっすり眠りすでに朝食バイキングの時間も過ぎてたのでさっさとシャトルバスで駅に行きまたも焼き鳥を食う(笑)。

 

上越新幹線が新潟駅を出発するのが30分ほど遅れたので当駅到着も30分ほど遅れますというアナウンスがあり、時間に合わせてバクダンおにぎり食ったりして楽しく時間を過ごし、予定時刻にホームに上がりすんごい行列の中を昨日予約しておいたところに並び、ほとんど待つこともなく座席に座って荷物を棚の上に置きのんびりする。

 

列車は途中の遅延もなく東京駅に着きそのまま八重洲口にあるタクシーを拾って品川へ。先週の日曜日のタクシー消失も予測したのだが問題なし。これも幸運かも。

 

でもってその後ぼくは恵比寿のホテルに戻りいつものようにバーで飲み部屋に帰り月曜日の朝からミーティングを行い、その合間に新聞を読んだのだが、何とこの豪雪、上越から東京までまさに「災害!」と言われる程の被害を及ぼしていたのだという事に気づく。

 

ミーティングのメンバーが「トムさんさ、知らなかったの?」と呆れられたが、ぼくからすれば素直に一日越後湯沢で過ごしただけで何の苦労もない、りょうまくんからしても「ねえお父さん、ここ楽しいよねー」と笑って喜んでくれる事象であっただけに、その段差にびっくり。

 

この時奥さんと話したのは中国語の格言である「備えあれば憂いなし」であった。予備日を一日取っておいた、新幹線が運行出来るか分からない中で下手な希望を持たず最初から最悪の場合を予想して翌日の切符をとった、午前中のうちにホテルを押さえた。つまり戦力の逐次投入ではなく一気に一時投入をしたって事である。

 

誰しも予想もしないトラブルに巻き込まれることがある。その時に大原則として知るべきは「戦力の逐次投入をしない」である。移住も同様。目先の細かい事に囚われて細かく計算してみても現実はそんなものではない。結局は大胆に一時投入をした人が合理的にビザを取得出来る、これが現場の感覚である。

 

ただ唯一奥さんに笑われたのは、この「備えあれば憂いなし」は中国語では「憂」ではなく「患」だって事(笑)。



tom_eastwind at 19:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月15日

浜岡



静岡・浜岡原発:4号機の再稼働申請 毎日新聞 20140214日 東京夕刊

 

 中部電力は14日、政府要請で運転を停止した浜岡原発(静岡県御前崎市)4号機の再稼働に向けた安全審査を原子力規制委員会に申請した。浜岡停止で経営が悪化する中、安全対策が完了する2015年9月以降の早期再稼働を目指す。

 

 浜岡原発は11年5月、当時の菅直人首相の要請で3〜5号機が停止した。規制委は近く審査に入るが、東海地震の想定震源域に立地しているため、審査は厳格を期すとみられる。また、再稼働には地元自治体の同意が必要だが、反対の声が根強く、再稼働が実現するかは見通せない。

 

 東京電力福島第1原発事故を踏まえた原発の新規制基準が昨年7月に施行された後、これで電力8社が10原発17基の安全審査を申請した。福島第1原発と同じ「沸騰水型(BWR)」では5基目となる。

 

 新規制基準に対応するため、想定する地震の揺れや津波の高さを引き上げ、安全対策を強化。安全対策の前提となる「基準地震動」は、旧基準で07年に策定した最大800ガル(ガルは加速度の単位)から、敷地内の大半で最大1200ガルに引き上げた。取水槽付近など一部区域では、09年の駿河湾地震で局所的に揺れが増幅したことを考慮し、最大2000ガルとした。

 

 また、敷地付近に到達する津波の高さの想定は07年時点の8・3メートルから21・1メートルに見直した。

 

 こうした想定に基づき、海抜22メートルの防波壁の建設や、新基準が義務付けているフィルター付きベント(排気)装置の設置など総額3000億円規模の安全対策工事の計画(着工済みも含む)を盛り込んだ。

 

 中部電は3号機の安全審査も14年度中に申請する方針。3号機は、安全対策が完了する16年9月以降の再稼働を目指す。運転停止作業中に海水流入トラブルが発生した5号機の申請時期は未定。

 

 申請を受け、菅義偉官房長官は記者会見で、再稼働について「規制委員会の厳正な審査に委ねるべきだ」と話し、政治的な判断はすべきでないとした。【和田憲二、岡田英】

***記事終了***

 

そっかー、浜岡やるのかー・・・。首都の喉首にナイフ突き付けるようなもんだけど、そこまでも凄まじい気力でやる経産省ってのもある意味官僚の無謬神話を信じてるテロリストだな。自分たちにも子供がいるだろうに、そりゃ他の原発だって危ないと言えば危ないけど、東京は日本の真ん中でっせ。

 

そんな無責任な事すれば外国企業の日本離れが益々進むよ、それで良いのか?と思う。問題はすでに科学の範囲を越えて恐怖心に移っているのだ、安全安全と言われてもどれだけの外人がそれを信じるだろうか?日本に義理を持たない人々は日本政府の言い分を真に受けて無理して東京で働くよりもシンガポールで仕事をするだろう。

 

このあたり日本国民から科学を忘れさせ精神論にすり替えて竹槍でB29を落とそうとする発想を持たせようとする役人だから外人の思考回路はわからないかもしれないけど、世界に生きる普通のビジネスマンは自分や家族の命が第一でありいつ原発が吹っ飛ぶかもしれない街に子どもと一緒に住むなんて考えない。

 

実際に福島原発ではどれだけたくさんの外人さんが香港やシンガポールに脱出してあちらでビザを取得して働くようになったか。言いたいことは山ほどあるが、まずこの面から浜岡のマイナス点を指摘しておきたい。

 

浜岡原発はぼくは311以前からずっと反対して来た。理由を書くと長くなり過ぎるし原発に詳しい方であればあの形式の原発の危険性は理解しているだろう、おまけに立地が最悪である。

 

ところがさすがに官僚のやることは違う、津波の危険性があるからと馬鹿高い堤防を作り安全策と言って何千億円も税金をつぎ込んで特定企業に利益提供をしてその代わり天下りを押しこむ事になる、まさに焼け太りである。

 

原発に関しては日本で生活をする日本人が決定すべきものであり外国に住む元日本人が口を出すものではないだろう。地震や津波など災害王国のような日本であるが、わざわざそれに追加するように官僚無謬神話である原発にしがみついていくことはどうなのか。



tom_eastwind at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月14日

偏見と正見の間にて

きそふくしまスキー場はスキーヤー専用のスキー場でありスキーヤーの価値観が非常に近いから誰もが楽しくお互いに譲り合いの気持ちを持って安心して滑ることが出来る。スキー場が当時増加していたスノーボーダーをあえて受け入れずという価値判断をしたから軒並みスキー場が倒産する中、ここは生き残ってきたし一昨年あたりからスキー客が戻り始めている。

 

今回もスノーボーダーに対する僕の批判的意見を読んで「ボーダーに対する偏見と悪意しかない。オリンピックでメダルを取ったんだぞ」と言われても、メダルを取ったら何してもよいのか、ルールを守らなくても良いのかって話にしかならないと書いたらどう思うだろう。

 

悪いがぼくが感じている偏見と悪意は日本で僕一人が感じているわけではなく自由と無責任の違いを理解する多くの一般スキーヤーが感じている私見と意識であると思う。

 

その数を多いと取り正見と取るか少ないから偏見と取るかは僕の判断する分野ではなく誰か第三者にお任せするしかないだろう。少なくともぼくは数の問題で「こっちが多いぞ!」と主張しているのではなく自分の目で見て様々な視点から検討してやはりこれは問題だと思うからこうやって発信しているのだ。

 

先日に付け加えてもう一度ぼくの趣旨を書いておく。断っておくが僕は自由が空気と同じくらい必要な人間であり自己責任で生きようとする人々すべてをその実現度合いに関わらず常に尊敬している事を前提にこの文章を書いていることを最初に知っておいて欲しい。

 

まず、自由と無責任やワガママの区別がつかない人々は違うのだからそこはきちんと指摘しておきたい。最初に言っておくがすべてのスキーヤーが立派でないのと同様すべてのボーダーが礼儀知らずだって言ってるわけではないのでそのような底辺な話は遠慮してもらいたい、ゼロか100でなければ会話も議論も成立しないとすればすべての議論は不可能になるからだ。

 

自由とは他人に迷惑をかけずに自己責任で生きる事である。同じ社会を共有して生きているのだから場合によってはどうしても他人に最小限の迷惑をかけることがあるがそれはお互いに譲り合っていく優しさを持って生きるしかない。

 

スキー場内施設の通路は人が歩くところであり座るところ用に設計されてない。歩行者の通行に迷惑だとも考えずに床に座り込み周囲の迷惑を無視するふりをして仲間内で「俺たちイケてるよねー、ほら、みんな俺たちを見てるよ!」ってのは子供の無意味ないたずらにしか過ぎない。他人が困っているのだ、自由を追求するためにうんこ座りしているわけでもないのに他人に迷惑をかけるなと言いたい。

 

子供ならまだしもそれをおとなになってもやってるのであれば本来はリフトパスを取り上げて施設外に追い出すべきなのだ。多くの責任はその親と少しの責任はそのスキー場経営者の経営姿勢の事なかれ主義にある。

 

スキー場のやり方が間違っていると思うならいかなければ良いだけの事。民間施設は個人の所有でありその所有地に入るには所有者の許可を得ねばならない。そのルールを守らなければ追い出されて当然なのだ。

 

つい最近も全日空のニューヨーク行きで酔っ払った乗客が機内で機長の命令に従わずアンカレッジで降ろされる事件があったが、ルールを守るとは破った場合に罰則が存在することを知らねばならないのにそういう基本を親が教えてなければ子供が行った先でバカな事もするわけだ。

 

この国は形式上は未だ資本主義でありビジネスの判断権限は経営者にあり利用者にはないというごく当然な常識さえ身に付けてない人間だけが他人に自分のルールを押し付けてみたりルールを無視したりする。

 

そして自分が責任を持った経営者であることを忘れてその場の雰囲気で適当に流されてしまう資本主義下の経営者がいることも問題なのである。ルールを決めても例外はあるだろう。しかしルールを作って守られない状態が継続することはこれは経営責任である。

 

同時に利用者は、経営者の判断をそれが良いかどうかを判断したり批判するのは客の自由であるが経営者の判断が間違っているから訂正しろって強制するのは個人の自由に対する冒涜である。あなたは経営に対する責任を取らないままに判断する権利だけ要求するのか?

 

民間企業の経営者は常にリスクと向き合って判断をしている。その判断に対して何の権限も義務もない人間が数を頼りにルール変更を押し付けるのか?それこそ共産主義であり無法国家である。

 

自由とはそういうものではない。椅子があるのに床に座りたかったら自分たちが自由に床に座れるスキー場を作れば良い。椅子があるのに床に座りたいんでしょ、だったらどうぞ誰も見てない場所に床を作ってそこに座れば良い。自由とはそうやって自分で勝ち取るものだし他人に見せつけてそれに快感するようなものではない。

 

何故既存のルールのある場所にあえて行きそこで他人に迷惑をかけてルールを破るのだ?例えばゴルフ場に行ってゴルフボールを手で投げて仲間内でスコアを競って「だってゴルフ場に迷惑をかけてないじゃん」って言うようなものだ。

 

スキー場のゲレンデの真ん中で横一列にうんこ座りして「俺たちイケてるよねー!」ってのは単純に迷惑にしか過ぎない。

 

自由とはゲレンデを人の少ない場所を選んでスノーボードで空高く飛ぶ自由である。クイーンズタウンのリマーカブルスキー場にもリフトのすぐ横にジャンプ台があるしそこで格好良いジャンプをすればリフト客がスキーヤーボーダー問わず拍手してくれる。

 

スノーボードを持って世界中旅をしても良い、格好良いではないか、自分の一度きりの人生を大好きなボードで楽しみたいなんて。そんな生き方なら尊敬される。何故そのように自由を謳歌しないのだ?

 

実はスキー場側にも問題があった。1980年代にスノーボードが流行りだした頃はボーダーと言ってもスキーヤーから転向した極普通の若者だった。僕自身1980年代にクイーンズタウンでたくさんの日本人ボーダーと飲みかつ話したものだ。

 

ところが当時の日本のスキー場の多くはボーダーの立入禁止をした。それは「あんなもんスキーじゃねえ」という偉そうな偏見からだった。もしこの時にボーダーを新しい形のスノースポーツとしてスキーヤーに同化させておけば現在のような状況にならなかったと思う。

 

ところがボーダーが大人たちによって立入禁止になった為にいつの間にか既存体制に対する反発みたいな空気が流れだしそこにフリーターが合流して正社員じゃなくて自由に働く俺達ってサラリーマン族じゃなくて格好良いよねーって風潮が出てきた。これがうんこ座り族につながっていった。

 

冒頭にも書いたがスキーヤーの全員が礼儀正しくてボーダーの全員が礼儀知らずのルール破りと言ってるわけではない。しかし毎年クイーンズタウンや北海道や新潟や木曽福島などを回って感じることは「あんまり変わってないな」って事だ。

 

スノーボード競技の後の公開記者質問であるボーダーの礼儀ない発言がマイクに拾われた事件があったが、あれがボーダーの平均的知能である。

 

去年辺りからいくつかの要因が複合してスキーヤーは増加し始めている。彼らは可処分所得もあり昔の思い出もあり子供がスキーを出来る年齢になり世の中がなんとなく明るくなったような気がしてスキーに戻ってきている。何よりもスキーが好きで楽しいからだ。

 

けどおそらくボーダーは競技をやりたいコア層を除いてもう増えないだろうな。だってケータイとゲームに可処分所得と時間を奪われたからだ。

 

ケータイ料金とゲームに使う時間はスノーボードでやんちゃやって他人に見つめてもらう喜びよりも余程大きいのだ。寒いところに重いものを担いできつい思いをしてカネを使うくらいなら自宅でこたつに入ってカチャカチャやってうす〜い縁の他人とつながってたい、ボードってのは元々彼らにとってはそれだけの価値しかなかったものなのだと思う。

 

上記が僕の考えている事だ。いろんな反対意見があると思う。議論があってよいと思う。その結果スキー場で楽しむすべての人々の礼儀が向上して結果的にスキーヤーとボーダーが同じ場所で仲良く楽しめるようになれば。



tom_eastwind at 16:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月13日

連帯責任と自己責任と無責任の違い



「あなたは日本を嫌いなんですか?」時々聞かれるが、冗談ではない、ぼくは日本を大好きである、ただ日本政府の基本方針「民は寄(由)らしむべし知らせるべからず」を嫌いなだけだ。

 

そりゃ独占体制の方が効率的ではあるが日本はすでに成熟しており時間さえかければ民主主義に移行出来る。更に決定的に問題なのは独占体制が効率的ではあっても定期的に取り返しのつかない大失敗をするって事だ。

 

だからぼくは自己責任で生きていく、他人の失敗で足を引っ張られても嫌だから日本政府を頼ることはしない代わりに日本政府も僕から自由を奪うな、ただこれだけである。僕は荒野で一人どれだけリスクがあっても一人で生きる自由を選ぶ。

 

ところが日本政府は個人の自由を認めようとしない。そうなれば、上に政策あれば下に対策ありであるが。もし他人に規制されたり生き方を指示されて言われたままに生活をすることが好きな人ならそれはそれで良い、生き方は自由なのだから。

 

日本では子供の頃から自由とは「自分勝手で無責任」だと教えられる。そうすれば国民は自分勝手なことをせずに政府の言うことを良く聴いて行動してくれるからだ。

 

幼児教育時にしっかりと「自由はワガママ、他人に迷惑をかけちゃいけない、どれが自由でどれが無責任なのかを決めるのは政府と親だ」と信じて育った大人は、ある人のワガママと見える(実は自由を行使しているだけかもしれない)行動に対して何も考えずにメディアや政府などの意見に馬乗りして批判をする。

 

そこには正義ぶった多くの賛同者が集まるのがよくある話で彼らの特徴は自由とワガママと無責任の区別が付かないまますべてを十把一絡げにして白黒付けないと気が済まないという事である。

 

これはやはり親や学校から受けた情操教育の違いである。生まれてすぐの子供は親の言うがままに行動して親の教育規範は「他人に迷惑をかけるな」であり、それはそれで正解なのだがその裏にあるのは「政府の言うことを黙って聞け、お前が逆らったら五人組、連帯責任としてお前の身内を痛めつけるぞ」なのだ。

 

だから日本式教育を受けても読書することで日本社会の洗脳に気づくと次第に日本社会で生活するのが息苦しくなる。何故五人組なのだ?何故他人の問題を自分が責任とらなくてはいけないのか?

 

また人々の中には読書をしなくても自分の心の底から溢れ出る感情で映画「マトリックス」の主人公のように現実に気づく人もいる。

 

そして実は洗脳教育を受けた人々でも日常生活の中でどんどん周囲に同化されていくのだが、時々ふと身体の中にある「自由が欲しい」という人間としての欲求を思い出す。

 

そんな時には夜の街に繰り出してカネさえ払えば何でも言うことを聴く人々に無責任で無茶な事を言って「おれは自由なんだー何を言ってもいいんだ、自由なんだー!がおー!」ってやりほんの一瞬の無意味で無責任で自分勝手な時間を過ごす。

 

僕のブログの内容は自由と無責任を区別することも一つのテーマになっている。ただ区別がつかない人には「何でそうなるの?いつもと言ってる事違うじゃん」と理解不能になってしまう。

 

また僕の書いてる内容がそのまま相手の生きてきた人生の価値観を砕いてしまう事もあり、その場合は怒りさえ感じて反発するだろう「おれは間違ってない!」と。特にこれは中年に多い。「そんな事言われても今更戻れないだろうが・・・今更気づかせるな!」である。



tom_eastwind at 15:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月12日

Please leave the bath and wipe the body

 

苗場でスキー初日を楽しむ。天気がよくゲレンデが視界良好。

 

事故らないように気をつけて飛ばして滑りつつ太陽が沈んで斜面が暗くなる前に上がり、おもいっきり筋肉を使った身体を大浴場に持って行き、お風呂の中で筋肉をほぐす方法をりょうまくんに教える。その時に目に付いたのが表題の英語である。

 

りょうまくんに見せると「へー、けど、あれ?」と言う。そう、何かおかしいのだ。ぼくは「あれは、本当に言いたいことは脱衣場に行く前に身体を拭いてください”Please leave the bath after wipe the body”って意味なんだよ」と説明すると「うん、分かるよ、けど・・」。

 

これにかぎらず日本に来るとほんとに面白い英語にぶつかることがある。ぼくも英語のネイティブではないが読んでて???と思うことがあるくらいで、りょうまとお姉ちゃんにとっては英語のサインを見る度に毎回「???」な生活である。

 

ただ英語のネイティブである彼らも間違った英語のサインでも気持ちは伝わるようでおそらく東京に住む多くの英語ネイティブも「それなりに」理解して行動出来ているから言葉とは面白いものだ。

 

ところで、このような書き方をすると「英語が出来るだけで何を上から目線!」なんて思う人もいるだろうが、ぼくの視線は「上」ではなく「横」だ。

 

ぼくと同世代の人々と若くて元気の良かった時代を日本で過ごし一人は海外へ、一人は日本に生活の拠点を持つ。

 

同じ地球の上で日本から離れた「横」からかつての日本を知る世代として現在の日本を見て感じることは日本にもっと頑張ってもらいたいって気持ちの方が強いのである。ぼくはNZ国籍を取得して日本国籍を離脱したが心は日本人である。

 

日本は今も世界に誇る様々なものがある。それはぼくがニュージーランドに住んでて英語を話せることなんて何の意味もないくらい素晴らしい文化である。そんな素晴らしい文化を持つ国に対してどうやったら「上から目線」で語れるだろうか?

 

ただ、長い失われた20年で縮こまらずにもっと外向きに頑張ってもらいたい、だからこそ外国で生活をする日本人の「横から」視点を理解してもらいそれを日本復活の一つの材料としてもらいたいと思っている。

 

ただぼくは日本を愛するが日本を愛しすぎて贔屓の引き倒しはしたくない。日本がやってても、間違ったことは間違っていると指摘するべきだと思う。例えば悪い例で言えば米国籍の韓国人が慰安婦問題で米国内の政治まで動かすことは大きな間違いであり、ああ言う愚挙は絶対に反対である、あんなのは逆に韓国を弱くバカなままに時代に取り残されるだけの愚行である。

 

そしてぼくは今ニュージーランドに住んでいるが、だからと言ってクジラ漁やイルカ漁を批判するキーウィが喧嘩を売ってくれば冷静に「自分たちの価値観だけが正しいと思い込むあまりの脊髄反射は子供と同じだよ、君はまだ他国の文化を理解できないこどもだよ、これが間違いと思うなら今日本で生活をしているキーウィ100人に聴きましたってやってみれば良いと思う」と言って様々な客観的証拠を提出するだろう。

 

二つの国で生活をしているが、どちらかを在米韓国人のように韓国だけを無条件にべた褒めしたり日本を無理性状態で批判したり行動を起こしたりすることはしたくない。

 

日本以外で生活をする日本生まれの日本育ちの現在国籍が日本じゃないって人は現地で生活をして二つの文化や言語や価値観を経験しているわけで、だから日本に行くと違和感を持つことがあるのが現実だ。それを「上から」として使う人もいるが僕は常に「横から視線」で見ている。

 

実はぼくもニュージーランドではブロークンイングリッシュで文法なんてしょっちゅう間違っているがそれでも相手に伝わるのだから面白い。例えば「おれは何も知らないんだ!」と言う時に“I don’t know nothing !(俺は知らないことは何もない!)”と言ってみたり「絶対に触るんじゃない!」って時に “Never touch nothing(日本語に翻訳が難しいけど何でも触れ!みたいな意味)になったり(苦笑)するが、相手は雰囲気で理解してくれる。

 

でもって今回は更におくさんまで不思議に思ってぼくに聞いてきたのは「ねえお父さん、道路工事してるところに全身防寒服で身を包んだおじさんたちが明るい警棒を振って車にサインを送ってるけど、あれって単純作業なんだし、何で機械でやらないの?」とかスキー場でも「ねえお父さん、ゲレンデの下で“特別警戒中”って旗を持ってる完全防寒服のおじさんがいるけど、あれって必要なの?普通に旗を刺しておけばいいだけじゃないの?」と聞いてくる。

 

ぼくは「あれは特別警戒中ではなく特別雇用対策なんだよ、日本ではリストラされて仕事がない人がたくさんいて、彼らが転職できる市場価値がない場合、彼らの生活を安定させる為にも政府が失業保険や生活保護を支給するのではなく実際に働いてもらい雇用を生み出すんだよ、これを公共雇用対策と言って、見るからに意味のない仕事だけど彼らに失業手当や生活保護を払うよりは仕事をさせて少しでも社会に貢献してもらう為なんだ」と説明する。

 

すると奥さんは「まあ、そうなんだかわいそう、あんな寒いところに立たせるなんてPunish(刑罰)だよね」と妙に納得する。おいおい奥さん、ここは中国ではないし別に刑罰ではないんだよと思うが香港育ちの彼女からすればこんな非合理な仕事に生身の人間を配置する無駄をどうしても理解出来ないのだ。

 

これが中国なら「仕事もないし労働市場に出しても価値がないんなら臓器売れよ」って話だろう(苦笑)。思わず昔観たチャールトン・ヘストン主演のSF映画「ソイレント・グリーン」を思い出してしまった。

 

やはりお国が違えば考え方も違うんだよね。夕食前に奥さんと一緒にラウンジに行きナイターを楽しむ人々を見る。奥さんは「ねえ、もう外は寒いし暗いのに何でナイトスキーをするの?」って聞く。

 

日本人はいつも忙しくて時間がないから雪が降っても夜になってもスキーをしたいんだよね。楽しむってよりは訓練、みたいに考えている人も多い。早く上達したい人にとっては夕食を食べるよりもスキーが大事なんだよね」

 

「たしかにねー、夜にライトの光だけで滑ればいろんなテクニックが身に付くんでしょうね・・・」

 

クイーンズタウンでは毎年7月から9月中旬にかけて北半球のスキー大好き家族がやって来る。子供の夏休みだしせっかく南半球まで飛行機で20時間以上かけて来るんだからたっぷり楽しまなきゃと一週間から二週間くらい滞在していく。

 

特にヨーロッパから来るスキー大好き家族はクリスマスシーズンはツェルマットやドロミテあたりで長期休暇を楽しむ。

 

彼らにとってスキーはリゾートの要素の一つではあっても競技のための練習に来てるわけではない。だからスキーリゾートはアフタースキーを楽しめるように高級レストランや素敵なバーが連なり高級ブランドショップが立ち並び客は高級なコートに身を包んで買い物や食事を楽しむ。

 

しかし日本ではプリンス系列スキーリゾートが建設されてからも野沢や白馬のようにスキー合宿が盛んであり食事は食堂、部屋は雑魚寝、バーがなくて部屋に酒を持ち込んで今日一日のスキーの反省会?をやってとっとと就寝。

 

日本人はスポーツをする時でも道を極める精神性とかどっちかと言うとすごくまじめに取り組む習慣がある。当社のお客様に話をお伺いすると「スキーに行くときは夜行列車で床に新聞引いて寝てましたなー、特訓の時などは板を担いで何十分もかけて山の頂上まで行き滑ってましたなー」とおっしゃる。

 

しかしそのようなスキーの準指導員まで取得された方がヨーロッパにスキーに行くとスキーに対する思想の違いに文化の違いを感じて今でも新しい物事を取り入れる勉強している。頭の下がる思いである。

 

結局文化はそれぞれの民族に固有なものであり無批判にべた褒めするものでもなければ無条件に否定するものではない。

 

まさにどちらが良いとかではなく文化の違いなのだ。

 

今日は朝から雪が斜めに吹き付けてくる天気だ。高校生の修学旅行らしき団体が来てグループを作って雪の降る中スキーの練習をしている。この世代の子どもたちがスキーを楽しいと思ってくれればまた新しいスキー世代が生まれてスキー場は復活出来るだろう。去年から今年にかけてスキー客が増えている。

 

みんながんばれ、こければ痛いが、だからと言ってスキーをしなければスキーを楽しむことも出来なくて生活の選択肢が狭まるだけだ。自分を信じて、無条件に信じて努力をすれば絶対に結果は付いてくる。これだけは彼らの3倍近い人生を生きてきた先輩として「上から目線」で言えることだ。



tom_eastwind at 17:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月11日

SURF&SNOW

今日は東京から新潟に家族で移動。昨日で長期出張の前半の仕事が一段落したので東京に来てる家族と合流して短いながら家族サービスで苗場スキー。

 

そうそう、家族を持つ世の男性には是非とも伝えておきたいことだが、人は完璧でないので必ずいつかどこかでミスをする。

 

それが致命的であればどうしようも修復は出来ないにしても、奥さんや子供に「ま、いいか、こいつもバカで仕方ない奴だけどそれなりにがんがってるし家族サービスも気を使ってるもんなー」と見逃してくれる余裕のあるミスであれば(はっははは・・)その時に大事なのはそれまでに積み上げたクレジットの数である。

 

つまり時間があるなら自分の遊びに使うのではなく、まず家族の為にサービスをする。少しでも良いからまず相手の為に時間を提供してクレジットを積み上げておく。

 

そうすればのっぴきならない用事で急に飲みに出る時とかでもわりかし笑って送り出してくれるし、例えばシャツの襟に付いたルージュとかヤバメの案件でも苦笑いで片付くかも、かも、しれない、あっくまでも、かも、ですよ(笑)。

 

どうしようーもない決定的なのは完璧OUTとしても、クレジットを積み上げておくことはほんとに大事ですよ、経験者語るですから(大笑)。

 

東京を昼前に出て新幹線で越後湯沢に行くのは今年2回めだな、1月に来た時にバーにキープしておいたシーバスリーガルはまだ残ってるかな、なんて思いつつ越後湯沢駅に到着。

 

この駅、大好きだなー、以前も書いたが村おこしの気持ちを感じる。りょうまくんに苗場って話をすると「あ、焼き鳥のあるとこでしょ!」と満面の笑み。そう、この駅には構内に屋台がありそこで特大の焼き鳥を売ってて鶏皮とか最高に旨いのだ。

 

他にも寒い時に心温まる立ち食いうどんやそば、豚汁、座って食える海鮮寿司、とにかく駅が楽しめる。苗場行きのバスが出発するまでの20分で奥さんとりょうまくんは鶏皮やイカ、モンゴウイカ、つぶ貝など立て続けに注文して焼いてもらい、バクバクと食う。あはは、こういうの、旅の楽しみですね。

 

でもってバスの出発時間になったのでターミナルに降りて行くと、なんとそこには大行列!何じゃこりゃ?平日でもこんなにたくさんスキーヤーいたっけ?と思いつつ客層を見ると、こりゃ何だ、40代なかばの、けど皆いけてる素敵な女性たちではないか。ちゃんとした服を着てすらっとした体型できちんとした風格があって、今もまだまだバリバリ恋愛出来そうな雰囲気を醸し出している、80年代を楽しく過ごした事がひと目で分かる「いけてる40‘s」である。

 

まさに「金曜日の妻たちへ」世代の大集会であるが、何が起こったのかとふと見てみると、何とユーミンのSURF&SNOWではないですか!

 

そっか、今は2月だ、ブリザーディウムでユーミンがミニライブをやる季節なのです!

 

現在30代の人達には当時のユーミンの「いけてる」感じとか「ワンレン・ボディコン」なんて全く意味不明だろうが80年代というのは日本が最高に「いけてた」時期なのだ。あの当時の感覚を一番よく表しているのはやっぱり映画「私をスキーに連れてって」だろう。

 

誰もが若くジュリアナのお立ち台で踊り明日は今日より素晴らしい一日が来るぞ!そう信じて仕事も一生懸命働き夜や週末になれば徹底的に遊びまくる時代だった。

 

21世紀になり時代は変わり失われた20年と言いつつも80‘sを過ごした40’sはその気持を変えないまま現在を生きてて、自分たちの青春の証をユーミンの「ブリザード」に求める。あの頃の歌、映画、彼氏との思い出、すべてが凝縮してるユーミンのライブを観てあの頃の思い出にひたるためだけにツアーを組んで苗場にやってくるのだ。

 

苗場といえば今ではもちろんソチオリンピックで頑張って4位になった上村愛子選手も滑ってる普通の場所だが、そう、ここは今の40‘sな女性が80’sを過ごした思い出の聖地なのである。

 

だからこそ「あの時自分が過ごした青春」を確認するためにもこの場所にこの時に来てユーミンの歌を聴き周囲にも同じ仲間がいることを確認してやっと「ああよかった、楽しかったあの時代は間違いじゃなかったんだ」って再確認するのだろう。

 

結局ぼくらはツアー客で満載になった定期バス2台を乗り過ごして3台目にやってきたスポットチャーターのバスで苗場に向かう。バスの中で奥さんに「今何が起こってるのか」を説明すると彼女も80年代に五輪真弓とか聴いてた世代でユーミンの事も知ってて「へー、今でも歌っててこれだけお客さん集めてるんだ、すごいねー、ホテルも幸せだよねー」と喜んでた。

 

バスの中では途中に見える送電線のバカデカさとか昔の発電所跡とかをりょうまくんに説明する。「このあたりの山の中では昔多くの人が「タコ部屋」と呼ばれる工事現場で半年とか一年泊まりこんでこんな発電設備を作って都会の電力を支えてきたんだよ、こういうインフラストラクチャーが日本の戦後を発展させる大事な設備になったんだよ」と言うと「へー、すごいね〜日本人」と納得する。

 

新潟のような豪雪地域は江戸時代まではコメを作って江戸や大阪に送るだけだったが昭和になり電気を作って送り都会のコメや野菜や肉などを供給する地域となり都会が一生懸命働き外国貿易とかで得た収入を使って地方の鉄道やバスなどのインフラを整備して80年代にはスキー場を作り都会の多くの若者が関越自動車道を使って週末を楽しめるようになった。

 

つまり都会と田舎はそれなりに互恵関係にあり、こういうバランスをきちんと作ったのはやっぱり日本の東大法学部卒の高級官僚であることを考えると、あんまり彼らの事を悪くも言えなくなる。

 

田舎の豪雪地帯の山奥に住むお婆ちゃんの住所に郵便が届くのも都会で働く息子のマンションに田舎の美味しい野菜や肉や米が送られてくるのも日本全体のインフラが整っているからである。

 

そうなると敗戦後の焼土となった日本をここまで先進国にしたのはやはり安倍首相のおじいさんや名も無き優秀な官僚に感謝かな、とも思ったり。

 

さて載ってる人数が少ないからってバスが早く着くわけはない、急いでる時に電車の中で走っても早く着かないのと同じ理屈であるが何故か普段は50分かかるのにこの日は30分ちょっとで到着した。熱気か?(笑)

 

ホテルの入口にはユーミンへの花束贈呈がフロアーの窓際に端から端までずらーっと並んでてすんごい賑やかな騒ぎである。ツアー専用の受付では長い行列ができてて、ぼくら泊客の方はスカスカですぐチェックイン出来たのだが、ツアーの勢いは凄いですね。

 

それから大浴場に入ったのだが男性用はごく普通の夕食前の込み方だったが奥さんが後で「もう芋洗い状態」と驚いてた。

 

苗場の楽しみはスキーとお風呂だけではない、やっぱり越後の素晴らしい食材を使った夕御飯ですよ♪って事で今晩は鍋料理を楽しむことにする。



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2014年02月10日

大阪日帰り出張



今日は東京から大阪への日帰り出張だ。大きな荷物は東京のホテルに置きビジネスバッグ一つで大阪に向かう。便利な時代になったものだ、たった2時間30分で大阪に着くのだから。ただ面倒なのは新大阪駅から大阪駅が離れていること。


どこの利権でこんな事になったのかと思うが成田空港も同様であることを考えると田舎の「おらが村」だけ儲かれば良いなんて考える村は成長も進歩もなく、それは今の時代では滅びるって言う事をよく示している。


でもって月曜日の成田からオークランドに行く予定の飛行機が欠航だって。軟弱なのか乗客が少なくて大雪を理由にあえて間引きしたのかは知らんが、運行本数だけで言えばすっかり中国に抜き去られている日本だ。


日曜日の都知事選ではずいぶんと散々な投票率である。誰を選んで良いか分からないってのが都民の印象なのか、誰もバカばかりだから選挙なんてもういいやって思ったのかな。


そんな事を考えつつ新幹線でパソコンをネットにつなげてメールチェックしてたらこんなのがあった。


「不動産買ったら永住権に有利?」


あのさー、いつも言うことだけど、不動産屋は自分の不動産を売りたいだけで適当な嘘を言うってのはニュージーランドでは常識でっせ。不動産買う前にチェックして問題点を購入契約の署名前に不動産屋に指摘して「こことここ、直してもらえますか?」と聞くと100%の確率で「YESSIR!」と言うが購入契約書にサインをした後には95%の確率で直してくれず「FUCK YOU SIR!」となるのがこの国の不動産の常識だ。不動産業界だけは信用とか常識が通用しないのだ。


ましてや実情を知らない日本人には30万ドルの評価しかない住宅を「おお、これは40万ドルです、けどあなたの為に特別に37万ドル、いえ、あなたは良い人だから35万ドルにしましょう!」なんてのも普通である。不動産屋は売り手の口座に入ったカネから差額を受け取りにやっと笑う。買った方は後で調べて「はあ?」って話になる。


確かに不動産で永住権という方法はある。しかしそれは投資家ビザ部門で申請して更にいくつかの条件をクリアーした場合のみで、買えば何でもOKなんてものではない。そして問い合わせの内容では完全にOUT!である。この場合、不動産は使いもんにならない。


不動産屋ってのは大体が本人は移住したけど昼間のまともな仕事に就職出来る能力がない連中が全額コミッション制で不動産会社と契約をして後から移住して来る同国民を食い物にするビジネス・モデルである。


中国語で「売豚」とも言うが、売られる豚は後から移住してきてこの国の習慣を分からない人々の事である。あなたが豚として売られたいならご自由に、けど後悔だけはしないでねって事だ。


そんな事を思いつつ新大阪に到着。しかし文明の進歩はすごいですね、ぼくはひかりとこだま時代を知っているのでのぞみの早さには感激である。ちなみにひかりとこだましかなかった1970年代に流行ったクイズがある。


「新幹線ひかりは男か女か?」


答は「男」であるがその理由をここで書いてしまうと放送法とか倫理規定とか子供の人権を守るなんちゃら組織からの大ブーイングとかありそうなのでやめとく(苦笑)。まったく1970年代は素晴らしくも馬鹿げたジョークの流行った時代だった。


新大阪駅に着くと乗り換えで大阪駅に移動するのだが「女性専用車両」って昼間からやってるんですねー、あのピンク色にちょっとびっくり。しかしこの地域は確かに気違い男がJR乗務員女性を襲って車両内トイレに連れ込んでみたり一般乗客を座席で襲ったりして回りの人は見て見ぬふりだから昼間からでも女性専用車両が必要なのだろう。


しかしこんなの、今のオークランドでは絶対にあり得んし過去のオークランドでは間違いなくあり得んな、そしてこれからもあり得んな。もちろん酔っぱらいが女性と二人っきりになったら何が起こるかわからんのは世界共通であるが、少なくとも公衆の面前ではあり得んな。


キーウィの人々は男女関係なく見て見ぬふりをするほど弱くないし男性は女性を守るのが義務であり勝つか負けるかではなく自分の存在意義として男をぶん殴って警察につき出す前に更に何発もブン殴って「貴様、おとこの恥晒しめ!」となるだろう。


そう考えるとこの地域って気違い男には優しいのだろう・・・。けど、うーむ、この街に本来的男性に存在するはずの普遍の意識「いつも女性を守る為に生きる男」っているのか?


大阪駅に移動してレストラン街に到着、時間があったのでお店を見て回る。串カツ屋、和食店、あちこちに行列がありカウンターだけのラーメン屋さんにも店外行列があるが、うーむ、串カツや和食は当然旨いのでわかるが、このラーメンやはどうなのか?


店主自ら表に貼り紙に「既存のラーメンにないものを作った」と書いているように、これはラーメンではない。既存のラーメンにないものを作ろうとした努力は認めるが、それならラーメン屋という看板は外せばどうだろう?


例えば東京にはジローって店があるが、ここは多くのコアなファンを持ち誰もが「これはラーメンじゃない、ジローって食い物だ」と認識している。一般的な日本人が想像するラーメンとは全く違うのだから「これはジローだ、もしお前が既存の常識のラーメンを期待するなら、これは違う」で正解だ。


なのに大阪で一番美味しいラーメン屋とか東京にも進出しましたとか、無垢な少女を騙すような売り方にはいささか疑問を覚える(苦笑)。素直に「大した事ないぬるいスープにふやけた太麺を放り込みキャベツで甘味を付けてトッピングで適当にごまかしたので最初に食べたら不味いと思いますが2回めは舌が慣れて“ブスも3日見れば慣れる”的になり3回めはまずくても何故か美味しく感じるように適当に習慣性麻薬をいれてる食い物です」と言えば良いと思うのだ。


コカ・コーラがコカと言う習慣性を持つ麻薬で世界を制覇しているのだから(ははは、大笑)この食い物も「おれたちゃ中毒麺だー!」とか開き直って商売した方が楽しくて良いのではないかと思うが(苦笑)。


ちなみにぼくはジローのラーメンの写真は何百枚も見たけどあの野菜はどう見ても食えないしジローに行って食い残しをするとコアなファンにラリアートを食らわされそうなので行かない。大阪のラーメンは「こんな事嘘でありますよーに」と祈りつつ3回食ってその売り言葉に騙された自分が無垢なバカ少女になってしまった気分で本気で自分に腹がたったのでここ数年行ってない。


大阪にはたこ焼きでもお好み焼きでも焼き肉でもうどんでもいくらでも美味しいものがあるのに何でラーメンだけは文化が育たないのかなーっていつも疑問に思う。もしかして硬い麺ってのは大阪人の好みではないのかなー、それとも日頃美味しいものを食べてるからたまにゲテモノでも食ってみるかーって事か(苦笑)?


そう言えば土曜日の夜のホテルのバーに大声で騒いでる大阪のおっちゃんがいたが、彼が店全体に響くような(どうもあえて東京人に宣戦布告するように)大声で「東京のラーメンなんて食えたもんやないで!やっぱ大阪が一番やねん!」みたいな事を叫んでた。周囲の誰も相手にもしてなかったが。


大阪からすれば東京がライバルと思ってるかもしれないが東京からすればライバルはニューヨークやロンドンであり田舎の地方都市は眼中にない。おっちゃんがどこか哀れに感じた瞬間だった。


大阪ではお客様に美味しい食事をご馳走して頂き更にお気遣いを頂いた、感謝。ほんっと、地域性じゃないな、個性だな、そう思った。


夕方に仕事を終わらせて新大阪駅で新幹線に乗る。この駅、売ってるお弁当だけは美味しいんだよねー。数軒の駅弁屋を回り、寿司にするか牛肉にするか迷った挙句に680円のとんかつサンドにした、ぶたー!じゃなかった、旨―!。


新幹線ではパソコンでネットにつなげてさくさくと仕事をする。もちろん太陽が落ちたのでかつサンドの横には硬い飲み物♪ちょっと急ぎの仕事でテキストとメールと電話でやり取りをして一息つく。


間もなく品川に着く、さあ、残りの仕事は明日やろう。


あ、ところで「ひかりは男」の答は「ひみつ」でしたー(大笑)。ほんとの答書いたら映倫にOUT喰らいます!



tom_eastwind at 21:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月09日

雪国の日曜日の夜思うこと

「雪が降り積もっております。もう、地下鉄を出るとそこは雪国だった!の世界でした」

「そうですかー、こちらはホテルの庭園がまるで冬の金沢兼六園の雪景色ですぜ」

 

東京はとにかくすさまじい雪である。7日の夜は冷え込み始めて零度以下の渋谷でミーティング、そして8日の説明会はまさに雪景色のど真ん中での説明会、雪は夜になっても止まず9日の朝は「ここって札幌だよね・・・」と言いたくなるほどの景色が目の前に広がってた。

 

今日は日曜日の夜というせいもあるのだろう、ホテルのバーに来る客は米国から出張に来て明日から隣のオフィスビルで仕事をするだろう米国人グループか中高年の男性一人客が目立つ。平日とはずいぶん客層が違う。

 

普段だとカップルが目立つ大人っぽい静かなバーなのだが騒がしい米国人の大声と誰かにかまってもらいたい中高年男性がバーテンダー相手に偉そうに下品に自分の話をして威張る姿が目立つ。

 

一人でお酒だけ飲みに来る中高年ってのは家に帰っても奥さんに相手にされないのか子供に無視されるから居づらいのか、いずれにしてもたぶん同じ話を毎回初めて話すように毎回同じバーテンダーに面白そうに話してバーテンダーも慣れたものだから初めて聴くようなふりをして愛想笑いを浮かべている。

 

米国人グループは隣のビルに入ってる投資銀行の連中なのだろう、いきなりガタイのでかい白人と黒人が入ってきてカウンターに椅子があるのに座らず立ちっぱなしでビールを注文するやいなやいきなり早口の英語でケンカのような雰囲気で怒鳴り始める。

 

“おまえのくそったれ取引先でお前がどんなミスをしたからってそれが俺のディールに何の関係があるんだ!いいか、お前と俺は友達だが仕事は仕事だ、お前がヘマな注文をしたから俺が反対取引をして結果おれが儲かってお前の客が損をした、それだけの事だろうがよ!お前んとこの100万ドルがおれんとこのアカウントに入っただけさ!”

 

って、結構真剣な話ではないか?なんて近くで聴いててちょっとはらはらするような怒鳴り合いが続いてる。

 

説明会後の個人面談でもお客様の静かな怒りを感じる。こちらは日本の税制に対してだ。ほんと、日本の税制ってのは能力とかやる気のある個人を潰すための仕組みである。

 

「判断や決定をするのはおれたち東大法学部を出て家族の血筋の良い高級官僚のやる仕事、お前ら下々が何を偉そうに起業とか独立とかすんのか?文句があるなら東大法学部を卒業してから言え、もちろんそれで役人になったら俺たち先輩の言うことを聞け、文句は言わせんからな!」てな感じだ。

 

「日本株式会社の下級下請け部門である民間人は黙って言われた通りに働け、それでも独立とか起業なんて言うんだったらおもいっきり税金とってやるぞ、起業してリスクを取って働いてもサラリーパーソンとして見かけだけ働いてるふりをして無責任でいても手取りは同じにしてやるぞ、それでも独立したいのか?!」てな税制である。

 

米国あたりでは個人が寄付をすることで節税も出来る。個人が頑張って稼いだお金を個人が自由意志で寄付先を決めて政府もそれに応じた税制を作ってる。ところが日本では「民間の下々が寄付!?ふざけるな、お前のカネは俺のカネ、どこに再配分するかは俺が決めるんだ、勝手に俺のカネを寄付するんじゃねーよ!」てな税制である。

 

東大にあれねば人にあらず、本来の民主主義である西洋的な個人が集まり社会を作ると言ったルソー時代からの個人の生い立ちを全く無視して一党独裁政治を取りつつとりあえず自分たちの責任逃れのために神輿に載せるバン系一党だっけ?あ、違うか、いっとうばんけい?でもないな、あ、ばんえい競馬?これも違うな・・・。

 

まあいいや、要するに江戸時代になって全く政治から切り離されて300年間蹴鞠してた連中を明治時代に神輿に載せて東京さ連れてって江戸城に放り込んで「義務はあれど権利なし」の状態に追い込んだのは当時の明治の「権利はあれど責任なし」元勲たちの手法だ。だから戦争で負けても誰も責任を取らない。

 

戦後は官僚が元勲手法を引き継いで政府という名前で本来の民主主義を無視して好き勝手なことをやり水俣病事件やエイズ薬害事件などを起こしても一切責任を取らないで年取ったら適当に“甘下り”してる連中の仲間入りをしなければこの国ではほんとうの自由や働いたら相応の報酬を受ける権利がないって事だ。

 

そう言えばニュージーランドから来てた移民局や日本の事情をよく知る大使館の人達も「ほんとにこの国は不思議だ、理解不能だ」とNZから来てこの国のことを理解しようとしている弁護士連中に言ってた。

 

どれだけ日本語が話せようと意味はない、思考回路が全く違うしアジアの中でも更に変わった発想を持つ日本人を理解することは、まるで地球人が火星人と交流をしようとするようなものだろう。

 

戦争に負けて「米国式民主主義を取り入れました」って言いながら実は換骨奪胎して下々がまともに選挙に行かない状況を作ってみたり、下々が真面目に民主政治を考えて選んだ反体制の政治家は官僚がアメリカ様を上手く使って潰されて、結局選挙で選ばれない官僚だけが民主主義という毛皮をかぶって政治を取り仕切っている。

 

平和第一と言いつつ米国の核の傘に入って軍備費を節約してその分重工業に予算を回して製造業を強化して米国でトランジスタラジオや冷蔵庫や車を売りまくって米国の製造業を破壊してみたりする発想は「お前らー、この前負けたのに、また戦争仕掛けるんか!」と思わせるほどだ。

 

ただそういう戦略を作ってるのは高級官僚であり一般市民は殆ど何も考えてない。毎日思考回路を停止して言われた事を朝早くからクソ真面目にやり子供が寝てしまった夜遅くに疲れて家に帰ったら後は酒のんでバカテレビ見て風呂入って寝るだけの生活である。

 

そして数少ない独立して働く人々は疑問を持ちつつも何せ日本という胴元が高級官僚なのだから彼らと本気でガチケンカをすることも出来ない。下手に逆らえば無実でも刑務所に放り込まれてしまう。だから仕方なく言われるままに税金を納めることになる。

 

しかし、普通に考えてみるとよい。自分でリスクを取って起業して成功すると所得税が50%取られる。更に死んだら相続税で55%取られる。じゃあ100円稼いでも50円が所得税、残りの50円から更に27円取られて、最終的に子供に残せるのは23円、なんとリスクを取って稼いでも政府に77%取られて子供に残せるのは僅か23%しかないってのが現実だ。

 

江戸時代でさえ五公五民と言われてたのに現在の税制はまさにリスクを取って働くだけバカを見て何のリスクも取らない胴元である政府だけが儲かる仕組みである。てかそういう方向性の税制なのだ。「来たれ起業家」なんてのは大嘘で本音は「日本株式会社の下請けよ、もっと増えろ!」なのである。

 

それでも納税した分だけ福利厚生があれば良いが現実には医療費の自己負担が増えて教育が有料になり年金は削られ生活保護は窓際で排除され、これって何なの?普通の国ならクーデターでしょって状況にいながらも、真面目な日本人は「これっでいいのだー!」とばかりに天才バカボンやってる、こんな国は西洋人からすれば全く意味不明であろう。

 

それでも殆どの日本人は文句を言いつつも体制に従って生きている。

 

お上の言うこと聞いてりゃとりあえず飯は食っていける、パチンコもカラオケもあるし夜になれば新橋のガード下で政府に無責任な文句を言っても中国のようには逮捕されない、たまに捕まる奴がいてもそりゃ運がないだけだ。

 

日本人1億人いるんだから俺がドツボにハマる確率なんて無茶苦茶低い、だったらリスクを取らずにお上の言うこと聞いて黙って真面目に働いてるふりをするのが一番、なのかな??

 

日曜日の夜、ホテルのバーのカウンターでクラブハウスサンドイッチを食いつつ(以前も書いたがSPG系列のホテルは世界中どこでも同じ作りのクラブハウスサンドイッチだ、面白いな)土曜日と日曜日を振り返ってみた夜でした。




tom_eastwind at 18:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月08日

雪が降る日に

すんげえ大雪だ!朝から降り始めた雪はどんどん勢いを増していき、ホテルの前の道路がどんどん白くなり「ここって木曽福島のMIAスキー場?」って思うくらいの雪が積り始めた。

でもってこの雪を見てるとかぐや姫の「雪の降る日に」が突然頭の中で演奏が始まった。

 

去年の説明会ではPM2.5のおもいっきり濃ゆい黒雲を見たり今日は大雪を見たり、けど両方共直接影響が出るわけではなくいつも紙一重だ。今日は一日中ホテルの中にいたのでそれほど寒さの影響を受けずPM2.5の時も終日ホテル内で仕事をしてた。

 

そう言えば911テロの時は成田空港のホテルで部屋を出る間際に飛行機が貿易センタービルに突っ込む瞬間を見て空港に行くと飛行機が次々と欠航になる中、僕の乗る香港行きのキャセイ航空だけが無事に時間通り飛び立ち香港空港に到着、そこからオークランド行きのフライトも予定通りだった。ほんとに「かすったー」って感じだった。

 

311の時も実は前日まで東京に滞在してて名古屋に移動してお客様と昼食を頂き、さて新幹線に乗って博多に行くぞって名古屋駅で新幹線を待ってたらプラットフォームが突然ぐらっと揺れた。

 

何だろう、酒も飲んでねーのにと思ってたらいきなりアナウンスで「全員今から来る新幹線に乗ってください、これが最後の列車になります、乗車券がなくてもいいからとにかく乗ってください!」との事。

 

一体何だ?と思いつつ飛び込みで予約しておいた指定席に座ってしばらくすると東北大地震の第一報が入ってきた。もちろん僕の乗った新幹線が最後に一本になった。博多に無事到着して地震の大きさを知りぞっとした。一日違ってたら今頃東京で立ち往生していただろう。

 

そして今日は十数年ぶりの大雪をホテルの部屋の窓から見ていた。こんなんでお客さんは説明会に参加出来るのかなーと思っていたが殆どの参加者は東京や神奈川だったため予定通り来られてほっとした。

 

今回の説明会は70回目である。ほんと長くやってるなー、そう思いつつ2時間の説明会を開始する。今回参加した方は全員が3040代と現役のビジネスマンである。そっか、じゃあ切り口はこれでいこう、頭のなかで3040代の人々の希望する情報を中心に筋書きを作り2時間みっちりと話す。

 

当社の説明会が何故12名限定かと言うと、あまり大人数になった場合話の焦点が絞れないからだ。12名程度までなら少し年齢層が広くても対応出来る。それ以上になるとどうしても焦点がぼやけてしまい折角参加してもらったお客様に満足感が伝わらない。

 

説明会ではNZの不動産投資の話や日本の不動産の取り扱いなどに広がり様々なご質問をいただく。日本に住んでいては分からないNZの不動産の実情や実務をやってないと分からない税務対策などをご案内しつつ質疑応答する。

 

その後すぐに個人面談を3件続けて行い、終わった時は約5時間喋りっぱなしでおまけにこの寒気で空気が乾燥しているから喉カラカラ。部屋に戻ってさっとシャワーを浴びて後はいつものように一人で静かになれるバーのカウンターにこもって夕食だ。今晩はリングイーネ。

 

前半は木曽福島、中盤は説明会と個人面談。そして今回は後半戦で再来週に東京で仕事が入ってる。何だかまるで日本人並に働いてるぞ(苦笑)。まあいいや、それが僕の仕事だ。さて、飯食ったら頭を冷やすためにもスティーブン・ハンターの小説を読もうっと。



tom_eastwind at 20:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月07日

なんだかでこぼこ感

ここ一年程度でニュージーランドへの移住を扱うと自称する会社が増えたが、どこも何がこの仕事のポイントなのかを全く理解してない、全然掴んでないなって感じだ。

 

移住ってのはその国に住むことであり日本とは全く状況が違うのに、ビザを取ることだけが移住の仕事って思ってる連中とか不動産売りたさになんでもかんでもOKOK!の連発をして結果的に大失敗したりして訴訟になるケースとかも見てきた。

 

移住とはビザを取得することではなく、移住した先で楽しい生活が出来るかどうかが問題なのだ。そのことを全く理解せず何だか移住が盛り上がっているからってビジネスを見よう見まねでやってるが、それでお客様が移住してその後に「話が違うじゃないか、あなたが言ったことと違った」ってなったら皆すぐ逃げる。

 

「いえ、そんな事言った覚えはありません!」とか「それはあなたの勘違いです」とか、とにかく相手を放置するのである。

 

今回もそういう話をたくさん聴いた。

 

今回はNZ移民局とNZ大使館がオークランドの弁護士事務所連中を引き連れて日本人投資家向けにセミナーを行った。そのスタッフに会う機会があったので日本人投資移住者の現状を説明して日本の経済状況を説明して「だから今ニュージーランドに皆が眼を向けている、けどプロモーションの方法はよほどきちんとしないと日本人投資家は納得しないよ、逆に評判を落とす」と柔らかく話をした。

 

特に今回は当社の提携先の弁護士事務所から所長と日本人担当弁護士が来ており、彼らはぼくのビジネス・モデルを理解しているから「そうなんだよ、日本人を相手にするのは英国人や米国人のようにはいかない、中国人とも違うんだ」と説明。

 

そういう彼らも今回が初めての日本プロモーションでココイチのカレーに感激して10日間の出張で5回位食べたり時速300kmの新幹線が揺れないのにびっくりしたりホテルのトイレからお湯が出るのにびっくりしたりしながらの旅だったようだ(笑)。

 

その話の合間に弁護士事務所所長から十年ほど前にオークランドの日本人不動産セールスマンでお客に訴訟されそうになったケースの話が出てきたのだ。「だーから、こんな売り方じゃダメなんだよ」

 

何だか印象的に「目の前にでこぼこが浮かんだなー」と思いつつ、大使館のスタッフと意見交換をしたり移民局スタッフの初めての日本の印象に説明を加えつつ今後の話に広げる。

 

移民局としてはどうやらやっと中国のような数ではなく日本のように質が良い投資顧客が大事だと気づいたようだ。今回の面談でも「日本人はお金についてもキレイだよね」と言ってくれた。

 

去年前半までは中国をターゲットにしていたが実際にやってきた中国人は結果的に地元民の反発を受けた。

 

その後当社の扱いで投資家顧客が立て続けに永住権取得をしたのだが移民局や弁護士事務所が「こりゃいい、日本人ってほんとにお金がキレイで仕事も正確で、これなら100人の中国人投資家を取って将来に禍根を残すくらいなら10人の日本人投資家を取るべきだ」って事に去年後半くらいに気づいたようで今回のセミナーの話になったのだが、初めてのプロモーションでありつつも手応えは良かったようだ。

 

ただ今回のプロモーションは募集方法に問題があった。セミナーやってニュージーランドの宣伝をするのは良いのだが、では渡航した後どうするのか?という一番大事な部分が抜けてる。

 

ニュージーランドは良いですよー、ビザ取れますよーなんて宣伝しても生活が楽しくなければ日本人は日本に戻ってしまうのだ。これは今シンガポールでも同様の問題が起きている。

 

節税対策でシンガポールに移住したのは良いが現地の会社がするのはビザ取得だけで生活は自分で勝手にやってくれだから、言葉も通じないし一年中暑いしやることもないしって事で結局生活に飽きて日本に戻るはめになってしまう。

 

移住とは突き詰めれば長い旅なのだ。そして長い旅に必要なのは腕の良い添乗員である。例えば現在人気のあるJR九州の「ななつ星」にしても単純に列車を豪華にするだけならあそこまで人気は出ない。

 

大事なのは箱だけではなくソフト、つまり同乗するスタッフがいかに乗客を楽しませるか?それぞれの希望をくみ取りベストを尽くす、その姿勢が評価されてお客が旅を楽しみ喜ぶのである。

 

そこを理解しないままに目先の節税対策とかビザ取得とかだけを強調しても無意味どころか、かえってNZの評判を落とすだけである。

 

ほんとにプロフェッショナルのいない業界だな、たぶんその印象が上に書いた「でこぼこ感」なのだろう。

 

そんな事を思いつつミーティングが終わり恵比寿のホテルに戻るともう夜10時過ぎだ。寒くなりそうだし明日は説明会だ、とっとと部屋に帰って寝よう。



tom_eastwind at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月06日

白人かぶれ

ちょっとした用事で東京のインターナショナルスクールを訪問した。いわゆる学校参観である。もちろん学校内ではすべて英語であり、うちの家族もみな英語で質問したりして学校の雰囲気を見てきた。

 

先生はすべてネイティブ英語で授業の雰囲気も見ててプロフェッショナルな感じを受ける。生徒の70%くらいは英国や英国圏から来ており親が日本で仕事をしている数年の期間を日本で過ごすが、最終目的は英国のケンブリッジに入る為の勉強ってイメージだ。

 

そこには日本人生徒もいるが基本的にこういう学校は自国民の為の教育であり日本人はあまり受け入れない方針である。

 

うちの家族は全員ニュージーランド国籍なので学校からすれば「おお、ニュージーランドか、元植民地から来たな」って感じで見てくれる。学校参観に参加してたもう一組の家族は英国人ご夫婦で、彼らも元宗主国の余裕でか、柔らかい笑顔を見せてくれた(ははは・・・)。

 

学校の教育方針を説明する副校長とかクラス巡りをしてくれる中国系英国人などは非常にプロフェッショナルで良かったのだが、うちの家族のりょうまを除いた全員の意見が一致したのが、この学校で働く日本人スタッフの問題だ。

 

まさに白人かぶれとしか言いようがないのだ。あたしはそこらの日本人とは違うのよ、白人様と一緒に仕事をしているのよ、英語話せるんだもん、けど責任あることはしたくないし適当に受付あたりで「私に聞かないで、私の仕事じゃないし、私は英語を話して白人と一緒に仕事をするけどあなた達の為に何かするってあり得ないから」って空気をバンバン発しているのだ。

 

「お前バカか?」と思ったが、こっちは訪問者の身分であり相手に指摘することもないわけで、てか最初からこっちも英語で話しかけてたから彼女もこっちを日本人と思わなかったようで、彼女が電話で日本語で「ねえ、今さ、4人来てんだけどー、えっと、xx子さん、いないよねー、あったし、よく分かんないしー」だって。

 

おいおい、もうちっと配慮ってものを学ぼうぜ。相手が英語で話しかけたからって相手が英語しか出来ないわけではないって事を理解しようぜ。

 

君の話している日本語は僕も奥さんも娘も全員100%理解している。だからこそ参観後の帰路のタクシーの中で娘の怒りが爆発、「何よ、あのバカ!白人に囲まれて浮かれてんじゃないの!?」となったのだ。

 

僕も全く同じ印象を感じた。先生たちのプロフェッショナルな雰囲気と比較してあまりに大きな落差ってのか、馬鹿だなーとしか思えない態度にはがっかりである。

 

白人と国際結婚をする日本人女性がよく使う言葉に「たまたま好きになった人が白人だったの」てのがある。けど彼女らが仲間内で話をする時はいつも「あたし、ハーフの子供が欲しいの」なんて事を言う。一体どっちがほんとなのか?

 

いや、ハーフの子供が欲しいならそれはそれで良い。けど、だからと言って無責任な仕事をしたり自分が仕事に努力をしないことの言い訳にはならないでしょ。全く違う話なんだから。

 

学校参観の最後に副校長が出てきて30分ほど話をする。彼は教育に関して明確な意見を持っており日本で生活する英国人が子供の教育に困らないように配慮をする姿勢がよく分かった。

 

じゃあ何であんな無責任日本人スタッフを雇用しているのか聞こうと思ったが、ちょっと失礼かなと思って言葉を飲み込んだ。

 

結局彼ら英国人からすれば英語の出来る日本人スタッフが重宝出来る訳でそのスタッフの資質などはあまり考えてないのだろうなって思う。

 

こういうの、渋谷にあるニュージーランド大使館でも同じような現象があったんだよね。英語だけ出来て自分が似非白人と思いこんで日本人をバカにして同僚の英語スタッフの側に立って反対側にいる英語の出来ない日本人をバカにする、それなのに本人の事務能力はゼロに近いってバカ。

 

全くやだな、こういう白人かぶれ。バカにつける薬はないって言うけど、就職選択の自由も分かるけど、もうちょっと脳味噌磨いてもらえないかな〜って思った学校参観であった。



tom_eastwind at 23:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月05日

木曽路 最終日

今日は開田高原のMIAスキー場に向かう。この高原は御嶽山の中って言うべきなのか、とにかく周囲を高い山に囲まれた、けれど広々とした高原である。一昨年かな、このスキー場で一日だけ滑った事がある。


リフトを降りてすぐのコースが最大斜度30度くらいあり一気に滑降したら勢いでスキー帽が吹っ飛んでしまい頭に寒風が直撃、その時はあまりの寒さに吐き気がするほどだったのを覚えている。


木曽福島を出る時は快晴だったのに開田高原に近づくにつれどんどん天気が悪くなってしまい粉雪がどんどん降りだして風が強くなりそのうち粉雪が巻き上げるような強風になりスキー場に到着した時には「こりゃダメだ」状態になってた。


スキーは大好きだがゴーグル使うような天気は気に入らないし強風で体感温度が下がるのも苦手、ということでまたも木曽福島スキー場に引き返す。面白い事に開田高原を出たらまたも快晴が続き、山の天気ってほんとに不思議だなと思う。


ということで2日続けて木曽福島スキー場を楽しむ。結局二日間飛ばしに飛ばして怪我もせずに無事終了、名古屋に戻る。



帰路の車中では日本の税金の話になる。2015年に向けて大増税が予定されているがその使い途が非常に不明朗な状態で「税金払え!」は納得出来ない。理由があって増税するなら分かるけどその理由が本当かどうかも検証のしようがない。


要するに国家が必要とするなら高くても税金は払う、けどそりゃ国家のためじゃなくて役人の為になら、バカらしくて払えないって話だ。民間経営者は多大なリスクを背負って苦しい思いをしてやっと収入を得ているのに、何の努力もせずリスクも取らない役人の腹を膨らませるために税金だ〜?ふざけんじゃねえって話である。


これがニュージーランドだと税金の使途が非常に明確である。英語でTransparencyというがとにかく税金の使われ方が透明なのだ。例えば道路工事をすれば現場の張り紙に「この工事はこういう目的でこれにかかる費用はx万ドルでそれはみなさんの税金で賄われてます」と表示されるしネットで検索すればさらなる詳細が分かるようになっている。


だから当社のお客様もニュージーランドであれば納税も納得出来ると言い、実際にニュージーランドで納税をしている。


ニュージーランドの税率も社会主義時代は無茶苦茶高くて源泉徴収が最高70%という時もあった。その時は多くのキーウィが税金の安い豪州に移住したものだ。今は税金が安くなり(ちなみにニュージーランドでは所得税とか失業保険とか地方税とかに税金名が分かれておらず、働いたら源泉徴収を払うのみだ)一般的なサラリーパーソンの場合は15%である。


ニュージーランドと日本は租税協定を結んでいるのでどちらかの国で税金を払えば他方の国の税金が減額される。合計で見れば同じ額だけど100%を日本のみで払うよりも50%をニュージーランド、残りを日本とすれば少しは気持ちも収まるって感じだ。


日本って国、てか政府は、日本人が絶対に海外に移住しないって前提で税制を作っている。たしかに多くの日本人は移住を考えることはないだろう。しかしリスクを取って一生懸命働いて仕事で英語を使う環境にいるような人々が考えることは結構大胆である。


場合によっては日本国籍を捨ててニュージーランド国籍にするって事も現実味を帯びているのが現状だ。日本に生まれたからって死ぬまで日本国籍を維持せねばならないって決まりはない。


ニュージーランド国籍でも生活に全く支障が出ない仕事であれば日本国籍を放棄するほうが自分の納得出来る生活に近づくのであれば、国籍放棄も一つの手段である。


今回のお客様は常にユーモアを忘れずに常に自分に厳しくある時は政治に対して厳しい発言をする。


最初にお会いした頃に「今の日本はどうですか?」と聞かれた僕はこう答えた。「クーデターを起こすべきですね。一部の真面目な政治家と日本を憂う陸上自衛隊幹部を仲間に引き込む。そして彼らが一気に国会議事堂とNHKを襲撃して米軍横田基地から治安維持部隊が襲ってくる前にNHKを通じて日本全土に非常事態宣言を公布して新しい日本を作る」


しかしそれから現実を見るにつれ、日本人の殆どは自分で考えて自分の運命を決定する自由など必要とせず、むしろ誰かに道を決めてもらいそれに従う事を好むことがわかった。


そこでぼくは方針を変換した。クーデターを起こすのではなく、自分で考えて自分の運命を決定する自由を必要とする人々をニュージーランドに集めて5万人の日本人バーチャル社会を作ることにしたのだ。この場合のバーチャルとは日本人が各地にバラバラに住みお隣はキーウィって環境だけどネットを通じて繋がっている社会共同体の概念だ。


車の中では昔のクーデターの話をしたり名古屋に戻る途中の木曽川の歴史を話したり白いイチゴの話をしたり話題に事欠かなかった。


夕方、名古屋駅に到着する。そこから新幹線で東京だ。日の沈んだ品川駅で先に来ていた家族と合流して久しぶりに全員で夕食。オークランド、香港、東京、生活の拠点が増えてきた。


さあ、明日から東京で仕事だ。



tom_eastwind at 22:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月04日

木曽路二日目

晴天。ほんとに不思議な事に関東も新潟も長野北部も大雪とかすんげー天気悪いってのに、この木曽駒あたりだけは晴天。朝の8時過ぎにはゲレンデに出て滑走開始。


木曽福島スキー場もお客が戻り始めている。やはりここも好景気の影響が出ているのだろう。やはり今感じるのは、日本で景気が上昇しているのは東京、名古屋、福岡、沖縄である。沖縄の場合は基地問題という特殊事情があるが名古屋の場合は分かりやすい、トヨタが儲かっているからその傘下にある企業群が恩恵を蒙っているからだ。


東京の場合はもちろん株価の上昇による資産の増加でありこれが苗場にスキー客を呼び戻す誘い水となっている。けど福岡は?あの街はどうも何てか何の理由もなく無条件に「明日は幸せになる!」と思い込んでいる節があるが、とにかく何があっても賑やかでその空元気が結局本物になってるって感じだ。


きそふくしまスキー場はスノーボーダーが入れない。立入禁止だ。これはビジネスをする上での大事な(結果が良いか悪いかは別にして)一つの選択肢である。そして結果的に成功した。


初めてこのスキー場に来た人たちが「ここ、いいよねー」と喜ぶのもうなずける。何てか、品があるのだ。同じ価値観を持つスキーヤーたちがお互いにルールとエチケットを守りリフト係に「お早うございます」とか「有難うございます」と声をかけ、同じリフトに乗り合わせたら「今日は寒いですねー、どちらからですか?」と軽く話しかけている。


自分の存在価値を自分で見つけられず髪の毛を白人かぶれみたいに染めたりゲレンデの真ん中に仲間とうんこ座りして存在感を模索したり休憩室などの廊下でうんこ座りすることが人に見られてそれが格好良いと思ったりする寂しい連中がスノーボーダーであるとしたら、その対極にいるのが黒髪のスキーヤーだ。


ぼくはウインドサーフィンも好きでハワイにまで行った事もあるが、これは偶然なのだが、ウィンドサーファーとサーフィンライダー、つまりサーファーは全く人種が違う。ウインドサーファーがスキーヤーであればサーファーはスノーボーダーである。


自分の存在感がなくて周囲に認めてもらいたくて何か反発行動を取る馬鹿者がスノーボーダーとかサーファーであるとすれば(あくまでも仮定ですよ、ははは)、きちんと世の中のルールを守った上で自分の好きな事を自分の為にするのがウインドサーファーやスキーヤーである。


そして反発行動とは所詮寄生虫である。体制があってこそ初めての反体制が存在する。要するに自分が何も生み出さないまま周囲に自分を評価してもらいたくて体制に迷惑をかけるが、その体制を壊して何かを作ろうなんて気持ちも能力も力もないのが反体制、昔の社会党、今の社民党のようなものである。


だからこの木曽福島スキー場はあえて「スキーヤー専用」とすることで同じ価値観の客だけを集める事が出来た。所詮一つのちっちゃなスキー場が日本全体を相手に営業しても仕方ない、そんな事やったら「二兎を追う者は一兎をも得ず」スキーヤーには軽蔑されてスノーボーダーには引っ掻き回されて結局何も得られないままにスキー場閉鎖となるしかない。


この発想はぼくは納得出来る。ぼくも同じビジネス・モデルだからだ。


日本人が12千万人いるからって万人に受けるような商品作りは余程の大企業出ない限り難しい。また商品が誰にも受けるようなものになればそれは妥協の産物であり最終的には汎用品となり価格競争となる。


トイレット・ペーパーや牛乳やパンなども汎用品になった瞬間に価格競争が起こり結局どこの企業も利益が出ない、お互いに食い合い血を流す赤い海となる。


けれど発想を変えて他社が持たない商品、自社でしか販売出来ない商品を作り、日本人が12千万人いても自社の顧客はその1%、120万人の価値観を共有出来れば良いと考えればニッチだけど共存共栄出来る市場が作れる。


長生きする企業ってそうじゃないかな。他社がやらないことをやり決して価格競争に陥らず潜在顧客の希望を読み取り商品化する。そうやって知らないうちに市場が出来上がる。


そうして市場が顕在化するとすぐに後追いの「ぞろぞろ会社」が出てくるが、長生き出来る企業はその頃にはすでに次のビジネスを開始している。こうやることでいつも青い海で誰もいない市場で十分な利益を出すことが出来る。


一般的に利益なんて言うと「金儲け」みたいな印象があるが、利益とは完璧に社会還元であることは経営者であれば誰でも知っている。取引先に売上と利益を提供して社員に給料を払い国に納税して社会を活性化させる、それが企業の役目である。


ならばその正反対にある取引先に赤字を押し付けて納品価格を下げて社員の給料や福利厚生を削って出来るだけ納税しなくてよいように税務対策を元税務署上がりの税理士に依頼する経営者って何なんだと思う。


皆が苦しむだけじゃないか、楽しいことなんて何もない、一体何のために生まれ育ったのか?そう思う。


そんな、周囲を苦しめるだけのビジネスをするくらいならとっとと止めて南洋の小島で自給自足で生活しろって言いたい。少なくとも僕は、同じ価値観を持つ人だけを自分の顧客として20年単位の長いお付き合いをしたい。


今回のお客様とも12年のお付き合いである。このスキー場も今年で5回目だ。木曽駒、乗鞍、白山、そして御嶽山と続く景色が素晴らしい。青い空、白い雪、足元を包むような雪がスキー板を回転させる度に舞い上がる。快感だ。


木曽路、続く。



tom_eastwind at 15:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月03日

木曽路はすべて山の中である。

今回は香港から名古屋に入りお客様と合流、そのまま木曽路へ向かう。日本に住んでた時よりも本州に行く回数が多いなーなんて思いつつ、まずはお客様のご案内で修復工事を開始して一部見学可能な名古屋城の本丸を参観する。

 

ヒノキの香りが満ちたお城は、これはもう戦うためのお城よりも日本の西を支配するための要である。

 

名古屋城は1945年の名古屋大空襲の際に大部分が消失した。こんな現代的戦闘能力のない城を焼く白人もバカである、もしかしてB29の爆撃手はほんとにこれが戦闘に使う城とでも思っていたのだろうか?それとも間違って落としたか?今となってはどっちか分からないが、一つだけはっきりしているのは戦災により歴史的名城が焼失したという事だ。

 

名古屋城本丸は広々とした敷地に木曽の山の中のヒノキをふんだんに使い素晴らしい襖絵が飾られているのだが、それよりも素晴らしいのはこの本丸修復はこれから時間をかけて少しづつやっていくとの事。その理由が建築技術の継承であると言うのが実に良い。こういう、文化を守る姿勢が本当の意味での民族性を維持するものだ。

 

それにしてもこの時期、中国の春節であり中国や香港からたくさんの観光客が訪れているが、彼らも楽しそうにおしゃべりしつつこの城の素晴らしさを素直に喜んでいて写真バチバチ撮ってた。

 

嬉しいな、政府間ではケンカやってるが個人レベルでは全然問題なし。お客様とも話をしたが、日中問題は突き詰めれば中国共産党「だけ」の自己都合な問題である。

 

日本はケンカする積りはないし中国人民だって日本の良さをよくわかってるのに共産党だけが自分の生き残りのために日本を敵に回している。バカな話である。実際日本に来た中国人は多くが日本人の礼儀正しさや落としものが戻ってくることにびっくりして日本贔屓になっているのに。

 

ぼくらはヒノキの香りを十分に楽しんだ後、名古屋の平野から日本アルプスに向かい木曽路を抜けて木曽福島へ。

 

ぼくのご先祖様は木曽川沿いに住む田舎侍だったようだが関ヶ原の戦で東軍に付きその後は尾張藩に仕官して木曽川のヒノキを尾張藩に送るいかだ役人となった。

 

ご先祖様が明治時代になって禅寺の住職として九州にやって来るまでの約300年を過ごした木曽川を見つつ「ほー、こんなところに住んでたのかー」って結構それなりに感慨あり。

 

名古屋から日本海側に抜けるルートはいくつかあるが、このルートは大型トラックがバンバン走っており時間によっては前後左右を大型トラックに挟まれる。高速はあるのだが通行料金が高いから平道を使っているのだろう。

 

名古屋から日本アルプスを越えると一気に日本海の天気となり、道行く途中に積雪が目立つ。木曽川の深い谷を流れる水流は白浪を立てつつ海に向かって下っている。

 

名古屋を出て約3時間ほどで木曽福島に着くが、木曽駒高原って夏の避暑地なのは分かるけど何でこんなにたくさん名古屋企業の保養地があるのってくらい並んでいる。名古屋銀行、ノリタケなどそうそうたる企業が木曽駒高原に保養地を持つって、何か家族で箱根を回った時に見た東京のそうそうたる企業が保養所を構えていた景色を思い出させた。

 

それにしても木曽路は山の中、木曽川沿いの細い土地を何とか利用して古い家が並んでいる。中山道の宿場町として栄えて木曽のヒノキを伐採して送り出す出発地でもあった。

 

現在名古屋城本丸の改築に使っているヒノキ、実はこれも木曽福島から切り出したヒノキである。名古屋城を作るために使われるヒノキは江戸時代からこのあたりの山から切りだされて木曽川を下って尾張に届く。

 

当時の木曽川は中山道の経路として利用され尾張藩の水資源として利用され更に川の流れを利用してヒノキを下流に送る重要な輸送路であった。

 

もうすぐ日も暮れる頃やっとホテルに到着するが、このあたりすべて「圏外」である。幸いこのホテルはWIFIが飛んでおり何とかメール環境は確保したが、去年はダメだったのですんごい苦労した。

 

夜の内に必要なメール送信や返信文章を書いて保留にしておき、昼間にスキー場にパソコン持ちこんで昼食休憩の時間にパソコン立ち上げてネットにアクセスして一気に送信。でもって返事を受信するのが翌日の午前中のスキー場という状況だったから、それに比べれば今年は便利になった。

 

日本の山奥までネットが繋がる環境になったのは大したものである、しかしそこに働く人々は100年前も今も変わらない。

 

家族は山の木を切り家族総出で農作業をする。子供は生まれた土地で子供らしい純真な心で小学校に通い中学になれば制服を着て肩掛けカバンを持ち狭い通学路を歩き成長する。地元で林業大学校に通う子供もいれば名古屋の大学に出る子供もいるだろう。

 

けどなんつか、家族は実家にいるし最後はやっぱり地元に戻って家族の畑を耕したり山に入って木を切ったりしていくのかなー、とか思ったりする。

 

けど彼らからすれば先祖が名古屋で九州に移住してそれからニュージーランドに移住して香港に移住してその後日本にキーウィとして訪問する人間の方が意味不明だろう。よくある話が、明治時代にハワイに移住した家族が平成になって突然帰ってくるって話だ。

 

それにしても、木曽路はすべて山の中である。ここに来る度に日本を感じる。



tom_eastwind at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月02日

次世代を育てる 継承について

「成功した者が次世代を育てる。シリコンバレーの暗黙の了解」という記事を読んだ。んーむ、何か複雑な気持ちである。

 

というのも日本は1970年代あたりは企業の中で先輩が後輩を助け学ばせ時には叱り育ててきた。本人の能力よりもいかに周囲が支えて伸ばしてあげるかの方が成功の要素として大きかった。

 

僕自身の経験であるが、1970年代後半、先輩たちに「おい、今晩行くぞ!」と繁華街に連れられて飲みに行ってた。そんな時、先輩たちはぼくを頭数に入れずに先輩だけで割り勘にしたり誰かが今日払ったら次回はあいつがって暗黙の了解があった。

 

ある時ぼくは先輩に聴いた。「何でぼくにおごってくれるんですか?」すると先輩は「おれは先輩からおごられた。その時おれは先輩にお前と同じ質問をした。すると先輩は“おれがお前におごるのは、俺が先輩からおごられたからだ。お前は俺に払わんでいい、後輩におごれ”と答えたんだ」

 

先輩はそうやってぼくに酒の飲み方を教え、人脈を作る手伝いをしてくれた。

 

ぼくは今でも僕より年下の人間と飲む時は全額ぼくが払っている。それがぼくが先輩から教えられた文化だからだしその文化を良いものと思っているからだ。

 

先輩世代が後輩世代を助け、後輩がそのうち先輩になればまた後輩を助け、そうやって日本社会は継続的進化と強い組織を作っていった。

 

シリコンバレーでは社員食堂や社員用のスポーツ施設もある。これって日本も昔はあったよね。バブル崩壊後日本社会は激変したが、一番の変化はやはり功績主義になり先輩から後輩への文化の伝承がなくなり福利厚生が急激に縮小したことだろう。その結果として社員の結束は弱まり日本人が一番得意とする「すりあわせ」が出来なくなった。

 

そして西洋的な功績主義も結局は完璧には吸収出来ず(前提となる文化が違うから出来るわけがないのに)結局中途半端に「組織は崩壊したが何も生まれなかった」状態になってしまった。

 

何も過去を振り返って「あの頃よもう一度」と言ってるわけではない。ぼくは常に前を見て生きてる。しかし同時に歴史から学ぶものがあると考えている。

 

その意味で今の日本を見ていると1970年代の「良かった部分」を失い、その代わりに得たものが仲間意識の喪失では、あまりに寂しいではないか。

 

ましてや日本が捨て去った良き文化がシリコンバレーで復活してそれがあの街の原動力となっているとすれば、こんな皮肉はない。

 

うちの会社は元々は「3年働いたら辞めろ」が原則だった。この国の玄関口としてうちの会社に就職してワークビザを取得して3年働く間に自分の実力で人脈を作り永住権が取れたらとっとと地元企業に就職しろって言ってた。

 

それだと企業への忠誠心ややる気が出ないではないか?ましてや日本的なやり方ではない、そう思う人もいるだろう。だが僕が考えたのは当社だけの問題ではなくオークランドに日本人社会を作るって事だった。

 

だからうちの会社を卒業して地元社会に飛び込んで自分を鍛えて日本人の実力を地元に見せつける、そしてある日彼らを採用した地元企業の社長が「おい、お前が以前働いてた会社で働いてるって日本人がお得意先にいるぞ、知り合いか?」って言われるようにしたいと思った。

 

こんな事いう経営者も少ないだろうが結果的に元当社の社員というのがオークランドの様々な地元企業で働いてたり独立起業したりしながら、皆が横一列の繋がりを持ってぼくの全く預かり知らぬところで(笑)飲み会やったり情報交換やったり、時には就職の手伝いをしたり、ある意味大学の同窓生みたいな感覚で助け合いの組織になっている。

 

こういうのが僕の考えるオークランドにおける日本人社会の在り方だった。

 

それまでは誰もが誰もの足を引っ張り自分は努力をせずに他人をけなすかお互いの傷を舐め合うだけの日本人社会だったが、そうではなく仲間がそれぞれ努力をして成功した仲間がうまくいかない仲間を救う日本人同士の組織、そういうものが僕の目指す目標だった。

 

だからぼくのやってること会社で毎年利益を出してそれでどうこうと言うよりは、どちらかと言えば政治的な活動に近いと思う。日本人社会をオークランドに作り上げる。彼らは真面目で勤勉で嘘をつかず仲間を大事にする、そして地元社会に溶け込み地元社会の為に努力する、そういうのが僕の考える組織だ。その為の踏み台が僕の会社だ。

 

その意味でぼくはまだ成功者ではないが、それでも少なくとも自分のやりたい道を進んでいる。それは時代を継承するってことだし、それがぼくが若い頃に先輩から教えられた事だからだ。

 

オークランドがシリコンバレーのように発展することはないだろうが、少なくともこの街に住む日本人の仲間は手を組んで助け合える、そんな日本人社会を作りたいと思う。



tom_eastwind at 16:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2014年02月01日

電話にでんわ

「ねえ、何故あなたは電話にでないの?」

 

銀行あたりからしょーもない営業電話がぼくの携帯電話にかかってきたりインドあたりからセールスコールがかかってきたりするのはこの国ではごく普通である。

 

嫌なら断れば良いという発想だろうが、ぼくは自分の時間を無駄にさせられ必要もないサービスを押し付けられる、それだけで不愉快になるので基本的に僕の携帯電話に登録してない番号からの電話は出ない事にしている。

 

すると時々A銀行あたりからしょーもない電話がかかってくる。けど僕は取らない。すると留守番メッセージに「この番号に電話しなさい」と吹き込まれる。勿論無視する。必要なら用件を留守番電話に残せば良い。留守番電話に残せないような内容ならかけてくるな。

 

何のためにメールがあるのか?ネットバンキングでは頻繁にメールを使っているのにまさか電話で話すような内容をメールではセキュリティがどうのこうのって言ってるんじゃないだろうなって感じ。

 

でもって留守番電話に残す内容はいつも「A銀行です、xx番に折り返し電話下さい」だけだ。ばっかじゃない?自分のこと神様か税務署か警察署長か何かと勘違いしてない?

 

何で俺が何かをあなたに強制されなければいけないの?用事があればメッセージを残せばよい。理由も言わずに折り返し電話がかかってくると思うほど君は花畑脳なのか?

 

気に食わないならぼくの口座を解約してくれ。そして残高を小切手で送ってくれれば、ぼくは他にもっとサービスの良いK銀行辺りに移し替えるから。ニュージーランドには銀行が17ある。それ以外にも銀行とほぼ同様の業務を行う金融機関が100以上ある。何が悲しくて君の電話の相手をしなくちゃいけないのだ?

 

応対義務という言葉は接客用語として使われることはあっても、それは電話にでなければならないという意味ではない。電話に出るか出ないか、それは僕が判断することでありその結果として僕が損をするとしてもそれは僕の問題であり相手の問題ではない。

 

日本はいつの時代からか、相手が誰かも知らないのに電話を取るようになったのだろう?これが手紙なら相手を知らなくても時間のある時に読んで不要なら捨てれば良いわけだから手紙と電話の重みはずいぶん違う。だから相手のことを気遣うなら突然不意打ちの電話ではなくメールでやり取りしようよってのが僕のやり方なのだが、あまり通じない事が多い。

 

これは日本でもニュージーランドでも一般的な人々は電話が鳴れば相手が誰かを確認せずに取るような仕組みになっているからだろう。キーウィの不動産業者は自分の名前と会社名と携帯電話番号を売り不動産の看板に堂々と書いてるが、あれって気にならないのかな?普段は個人情報がどうのこうのと言ってるのに。

 

電話の発明は1876年であり100年前は殆ど普及していなかったわけで200年前は存在さえしてなかった。電話がなくても徳川家康は日本統一を出来たわけでありアレクサンダーはマケドニアからインドまで攻めこみ勝利し、アッチラ大王だってアジアから草原を駆け抜けてイタリアまで侵入したが電話がなくても困ることはなかった。

 

電話はあくまでも一つのメディア、人と人を繋げる媒介手段であり手段そのものとしては電話は便利な道具という意味で有効と認めるが常に相手を確認もせずに電話を取るほどに必須となれば、これはもしかして情弱となりアッチラ大王に殺されるのではないか?

 

むしろ電話がなくても組織や軍隊を動かす方法はあるわけで、無条件反射みたいに電話を取ってずっと話し続けるってのはちょっとどうかなと思っている。

 

自動車、電話、テレビ、洗濯機、クーラー、計算機、時代は次々と新しいものを発明していくが、その中には使い方を間違えると凶器になるものもある。

 

その一つがテキストが出来る携帯電話だ。

 

ある時ある職場で昼間から若くてイケメンの男性新入社員が机の上に両肘を突いて頭を抱えつつ指先の間から上目越しに近づいてくる上司を見ていた・・・。

 

“「今日は寝かせないぜー」と彼女にメッセージを送ったつもりが、相手を間違えて誤送信で上司の男性部長に届いてしまった・・・。部長が嬉し恥ずかしそうな顔をしつつこっちに近づいてくる・・・・ああ、どうしよう。”

 

なんて悲惨な話だー!(爆笑)!

 

これはあるまとめサイトで拾った笑いネタであるが、電話は時にこのような形で凶器になり君の人生を滅ぼす・・・くくく!

 

まあこれは冗談であるが、冗談が冗談で済まなくなった人はたくさんいるだろう。そう言えば昔のテレビ広告で禁煙パイポをやってた。最初の男性は「わたしはこれでタバコを辞めました」とパイポを挟んだ指を見せる。次の男性は「わたしはこれで会社を辞めました」と右手の小指を立てる・・・。これを見て冷やっとした男性も多いのではないだろうか(笑)?

 

いずれにせよ電話にでんわ、電話を取らないという考え方も、それは一つの自己防衛策だということは考えても良いのではないだろうか?今日は軽いネタでした、はは。

 

ところでこんなネタ書いてるけど、今日からまた日本出張だ。今回の第70回説明会は208日東京で開催する。最近は大阪や福岡でやってくれませんかというメールも来ている。そろそろ説明会の開催方法も開催場所も変えたほうがよいかもしれないなと思いつつ、これから飛行機に乗ります。



tom_eastwind at 08:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌