2014年03月

2014年03月31日

傷つけ、それでも死ぬよりマシだろ。


 

ぼくはパソコンのファイル上に「失敗した仕事」のフォルダーを残している。もう10年以上前のファイルだったり5年前のファイルだったりするが、最近はその数が少なくなって少しだけほっとしている。

 

何で古いファイルをフォルダーのまま残しているのか?それは自分の失敗を忘れない為だ。「ビジネスをしている限り失敗は付き物でありビジネスマンは失敗から学ぶ」のは事実であるが、それは常に目の前に失敗した過去を置いておき何か新しいビジネスが出来そうな時に目の前の過去の失敗を見つつ「ほんとにこれで良いのか?」と考えるためだ。

 

正直気持ちのよいものではない。過去のファイルの中には距離的にも業務的にも遠征をして全面撤退をした案件もあれば、こっちが手を抜いている時に不意打ちを喰らって思いもよらない打撃を受けた案件もある。

 

そのようなビジネス体験から様々な知識を学んだ。遠征で戦うことの危険性、離れれば離れるほど戦う対象を具体的に絞りこまないと絶対に失敗すること。自分の得意分野は何なのか?

 

近接遭遇戦で戦う方法も覚えた。それもほんとに突然に起こった時にどう理解して最初に反応して、反応しつつ次に起こることを予想して先に手を打つ。この時は本当に時間勝負であり一気に頭のなかで全体図を書き上げて状況に応じて変化させつつ最終的にダメージ・コントロールを最小限にする。

 

さらに出来ればその場で相手に反撃することがどこまで可能か、反撃する際にこちらがリスクにさらされる部分はどこか、最大の被害予想をしつつ最大の効果を出すために過去の失敗を思い出しつつ戦略を練るのである。

 

もちろんそんなファイル見てて酒が旨い訳でもないのだけど、それでもそうやって失敗したファイルを目の前に置くことで酒は不味くなっても仕事がマズくならなければそのほうがマシだ。

 

その逆に成功した仕事のことは殆どフォルダーに入れてなくて過去帳の中に放り込んでいる。時々偶然フォルダーを開いて「へー、あの時おれってこんな事したてんだ^」くらいである。過去は過去であり成功体験にしがみつくようになればそれは滅びる時だ。

 

今週末は少し時間があるので「バーン・ノーティス(Burn Notice)」を楽しむ。敵地で活動する雇われスパイがある日突然首を言い渡されてなんの援助もなく敵国から逃げ帰り本国である米国でも預金は凍結されまさに道路に放り出される、そんなところから話は始まる。

 

けれどこの主人公マイク・ウエストンは底抜けに陽気でありながら目の前で起こることすべてを一ミリ単位で計算して自分が生き残る道を探しつつマイアミの街で雇われ探偵稼業で生活を再構築していく、その間もいったい誰が自分に解雇通知を送り届けたのかを調べつつ。

 

マイクは実に狡猾で時には荒業を使い街の様々な問題を解決してくが、その解決方法が独創的で実に面白い。もちろんこれはテレビ映画であり脚本家がいるのは分かってるが、けどまー面白い。そっかー、そういう戦い方があるよね、力を持たない人間は知恵を使って戦うしかないよねー、いつもそうやって感心しながら見ている。

 

けどいつも物語の最後に感じるのは、このマイクってのは本当に最悪のケースを常に想定して準備しつつ最高の結果を狙ってるなーってことだ。単なるテレビ娯楽番組として楽しむ事もできるが僕からすればこの番組から学ぶことが多い。なのでシーズン3はリビングルームで見てシーズン1や2は寝室に置いて見てる。

 

今年から来年は日本が激動する時だ。まさにビフォーアフターだが2年位経って振り向いて「あー、あの時こうやってればなー、今こんなに苦労しなくて済んだのになー」と後悔している大多数の人々と「あー、あの時こうやったから今生き残れたんだー」と思う少数の人々が出てくる。

 

誰も変化を嫌うし成功体験にしがみつきたい。傷つきたくない。けどその気持ちすべてが実は間違った方向性だという事実に気づいてほしいと思う。変化を嫌う言い訳ばかり並べるのではなくあなたの目の前少しのところに大きくて深い滝があり、言い訳ばかりしてたらそのまま滝壺に叩きこまれて終わりとなる。

 

失敗を思い出せ、変化しろ、成功体験を捨てろ、傷つけ、それでも死ぬよりマシだろう。



tom_eastwind at 14:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月30日

汝あれこれ規則を作るなかれ

奥さんが「ショムニ」を見て時々笑いながら僕に聞く、「ねえお父さん、ニホンってこんなの?」(笑)。

 

誇張の部分やお笑いの部分もあるが日本らしさも混ざっているので切り離して説明するのが難しくて、だんだん自分でも日本の意味不明さの説明に言葉が詰まったりする。

 

もっともそれは香港でも同じことで奥さんが見てる香港の番組、例えば今日見ている香港の弁護士事務所を舞台にしたコメディ番組も僕が途中で「香港の弁護士ってこんな事やってんのー?」とからかいながら聞くと、途中までは真面目に話そうとするのだがどうしてもある一線よりあっちは説明不能となり近くにある鉛筆とかティッシュボックスを投げつけられて終わり(苦笑)。

 

そんな時偶然だが日本番組「ショムニ」と香港番組「愛・回家」で同じテーマがあった。「会社内の業務用コンピューターを私用で使った場合は違法か?」というネタ。

 

国が変わってもコンピューター私用の問題は同様なようで(笑)、日本では社員がアダルトサイトを見ててウィルスに感染されたってネタ。香港の番組では社員がフェイスブックにアクセスして友達や家族と会話してたってネタ。

 

それに対して管理職が「なんたることだ!会社のパソコンは公器(この漢字は日本も香港も同じ)である!、君たちがこの一ヶ月アクセスしたページはすべて会社が把握している!これは業務怠慢であり私用であり許されることではない!」と怒鳴る。

 

会社の意見に対して社員は「たしかにそう言われればそうだけど、なんかそれって正しいの?」って疑問を持つ。

 

疑問の内容は2つであり、公器を使って私用するのは何となく悪いと思うけど、じゃタバコ休憩はOKなのか?それならパソコンを私用してなくても何も考えずにぼけーっとしてたら就業規則違反でしょ?って事。そして公器といえど個人の情報まで会社が管理するのかって事。

 

これが例えばトヨタの自動車製造工場の現場であればパソコンを持ち込むことはあり得ないし決まった時間に決まった場所に立って決まった仕事をするだけなのでフェイスブックやエロサイトにアクセスすることなどあり得ない。

 

けどなー、21世紀になると朝から夕方までパソコンを叩く仕事が増えてるわけで、そういう職場で「公器である!」とか「私用である!」とかが通じるのだろうか?

 

パソコンを前に音声やメールで相手とやり取りをする仕事は工場作業のような単純作業ではない。時には息抜きに数分くらいファイルに入れてる子供の写真を見たりあいつどうしてるかなーなんて古い友だちのフェイスブックにアクセスしたりするのもありである。

 

工場のように時間で縛る業務と弁護士のように知識と実績で図る業務は違う。ましてや自分が使ってるパソコンが常に会社によって監視されていると思うとどんな気持ちになるだろう。

 

どちらの番組でも出てくるのが「就業規則」である。就業規則があることが当然と考える人も多いだろうが、もともと就業規則とは価値観の違うものが一箇所で働く場合の共通した守りごとである。

 

しかし価値観が一致している職場であれば就業規則がなくても「何となく、それ、だめだよねー」というのが一致する。紙に書かなくても全員が何となく納得するようになる。

 

例えば仕事の途中にタバコを一本吸いに行くのも半日に一回程度ならありだろうけど1時間毎に20分も席を離れればそりゃだめでしょ。接客商売なのに昼間から酒のんじゃダメでしょ。業務時間中に彼氏とずーっと私用電話してたら、例え個人のケータイとしてもダメでしょ。

 

例えば会社の食事会でずーっとケータイでチャットばかりやって職場の仲間の話に入らないのはダメでしょ。日曜日の社員同士の遊びの最中に宗教の勧誘しちゃダメでしょ。

 

等など、価値観が近ければ何となく共有するルールがあるものだ。そこに就業規則を持ち込むと逆に肩苦しくなり社員全体としては「ありでしょ」と思うことでも就業規則がこうなっているからって言われると「それ、おっかしくない?」となる。

 

古代中国ではある王様が自国の中で3つしかルールを作らなかったという。しかしその国は平和で国民同士のトラブルもなかったという。その3つが何なのかぼくは知らないけど、多分「汝殺すなかれ」「汝姦淫するなかれ」「汝盗むなかれ」とかそんな簡単なルールだったのだろうと推測する。

 

21世紀の現代、多くの職場ではパソコンを使うわけであり就業規則で私用禁止などとやるよりも「好き勝手に使ってもらって結構、けど与えられた仕事はきちんとこなして周囲の仲間に“それは駄目っしょ”と言われることのないようにね」という決まりだけにしておいた方が良いと思った夜でした。



tom_eastwind at 14:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月28日

国籍について 技術論

日本からニュージーランドに移住した人々でも永住権のままNZ国籍を取得しない人は多い。てか殆どではないかな、NZ国籍にしない人が圧倒的に多いと推測する。だって僕の回りにいるNZ在住20年以上の人々でもNZ国籍という話は殆ど聞かないからだ。

 

ニュージーランドの永住権があれば滞在に問題はない、仕事は自由に選べるし子供が地元扱いで学校に行けるし医療も福祉も受けられる。なのでNZではあえて国籍を取る必要がない。

 

そしてもう一つの理由が、これは手続き上の問題というよりも感情的な問題だろう、誰しも自分が日本人でいたいと思うからだ。今元気のよいうちはNZで生活を楽しむけどいずれ体が弱れば日本に帰って先祖の墓に入るって感じではないか。実際にうちのお客様でNZで骨を埋めるという話はまだ聞いたことがない。

 

しかし今後は国籍取得を検討する人が増える、てかNZに移住してくる可能性が非常に高い。それは日本の増税である。日本国籍を保持している限り世界のどこにいても課税するよってなったら?という近い将来の問題だ。

 

ただこういうのは具体的にどうすればよいのか、やったほうが良いのかやらないほうが良いのか、やってしまったらどうなるのか?等など、なかなか人に聞けない話である。

 

そりゃ外務省かどっかに行けばやり方は教えてくれるだろうがそれが自分の生活にどう影響が出るのかまでは教えてくれない。

 

そこで今日は簡単に国籍離脱の話。

 

まず基礎的な知識として日本人=日本国籍ではない。日本人とは一般的に日本で生まれ育ち日本語を母国語とする人々である。国籍が日本である必要はない。感情的に日本人=日本国籍と考えている人もいるだろうがそれは感情論であり技術論ではない。

 

従って日本以外の国で国籍を取りさえすれば離脱が可能である。他国の国籍を取らないままに離脱をすると無国籍になるからどこの国も受け入れはしてくれないのでその時点で例えばNZに住んでいたとしても無国籍者となり発見されしだい追放になる可能性もある。

 

ではまずどうやればNZ国籍を取得出来るか?

 

まず第一に必要なのは永住権を取得すること。永住権を保持したままそこから5年間NZに滞在すること。5年間の総滞在日数が1,350日でありかつ毎年の滞在日数が240日を超すこと。そして所定の審査を受けて問題ないと判断された場合にのみ国籍が発行される。申請書は統一の形式があるけど審査の内容は人によって異なる。

 

またこの担当は移民局ではなく内務省である。Internal Affairsと呼ばれている。オークランドの内務省オフィスはクイーンストリートのすぐ近く。

 

通常は3ヶ月から6ヶ月程度の審査がありその後に内務省から問い合わせがある。例えば僕の場合は内務省に呼び出されて個室で面談を受けた。どうやら英語能力の審査だったようだ。

 

最初に小部屋に入った時はずいぶん厳しい顔をしてた白人のおじさんだったけど最初の5分位話したらあとは雑談である。ジョン・キー首相が頑張ってるよねーとかだ。

 

面談は20分程度で終了した。帰る前に担当官に「で、何か問題ありました?」とそれとなく聞いたら笑って「ははは、全然問題なし!もうすぐ手紙が届くよ」だって。

 

でもって実際にそれから2週間くらいで内務省から弁護士宛に書類が届いた。「おめでとう!あなたは市民権を得ました!つきましては市民権取得セレモニーをするのでx月x日x時にどこそこに来てください」という内容だ。

 

会場は広く一回のセレモニーで200人位集まる。一人ひとり名前を呼ばれると壇上に上がり賞状サイズの賞状みたいな厚紙をもらう。そこには「あんたは国民」と書いてある。これで市民権取得である。

 

後日その紙を持ってもう一度内務省に行き今度はNZ旅券申請を行う。これはわりかし簡単で一週間程度で旅券が発給された。

 

今度はその旅券と日本旅券を持ってオークランド日本領事館に行き窓口で「国籍離脱申請」を行う。これまたあっさりしたもので「あ、そうですか、じゃこことここに署名してください。えっと、旅券はどうしますか?記念でお持ちになりたいのでしたらVOIDの穴を開けてお返ししますけど」と、ごく淡々と手続きは進む。

 

約30分後、穴の空いた日本旅券と穴の空いてないNZ旅券を持って領事館を出る。ほー、これで終わりかって感じだ。けど後日ぼくの本籍のある市役所から戸籍を取り寄せたら、ぼくが手続きをした一週間後くらいの日付で戸籍主である僕の名前の上に「除籍」とはっきり書かれてた。

 

さあ、これで国籍離脱は終了だ。さらば日本国籍よ、である。ただし元日本人は日本国籍は離脱しているが精神的には日本人であり日本人のメンタリティを理解して実行しているからその意味では日本国籍ではないけど日本人である。ジャパニーズキーウィ、日系ニュージーランド人とも呼べる。

 

例えばカナダで生まれ育った日本人を親に持つ子供は自分たちをジャパカナと呼んでおりそれは蔑視する言い方ではない。日系米国人という言葉も同様だ。

 

それよりもどっかの党の議員のように日本国籍を持ちつつ私欲で中国あたりから金を貰ってスパイしているような人間であれば、それが日本人と呼べるのか?そのほうが疑問である。

 

それなら日本国籍を持たずに現地に定住しているけれど世界に誇れる日本人として活動する人間の方がよほど日本人ではないだろうか?ダニエル・イノウエ氏はハワイ移住2世であるが母国である米国のために欧州戦線で戦い祖国である日本人の為に尽くした。

 

話はそれたが、次は子供の話だ。NZの永住権を持つ親がNZで子供を産んだ場合、子供はNZ国籍を取得する。これは病院で出生証明書を発行してくれるからそれを持って政府の登録所に行き両親が共に書類に必要事項を書き込み提出すれば子供がニュージーランド人として登録されて書類がもらえる。

 

さあ次はNZの証明書を持ってお近くの領事館へ。子供が生まれた事を伝えて必要な書類に書き込めば日本の国籍に子供の名前が書き加えられる。ただしこれは出生後一定期間内に行わないと権利喪失する。ぼくの場合クイーンズタウンに住んでいたのでクライストチャーチの領事館に郵送で手続きを行った。

 

さあこれで子供の日本国籍は取得出来たのでこの時点で子供は二重国籍になる。それから親は

国籍離脱をすれば良い。親が国籍離脱をしても子供は日本国籍のままである。父親を戸籍主とする戸籍謄本では父親は除籍しているが子どもたちはそのまま日本国籍を持ち戸籍を保持している。

 

子供は21歳の終わりまでに日本国籍を取得するかNZ国籍を取得するか決める必要がある。日本では二重国籍(正式には重国籍というけど一般的にわかりやすく二重国籍と書いた)がまだ認められてないのだ。ちなみにNZでは二重国籍を認めているのでNZでの法的制限はない。

 

ただ21歳以降もそのまま日本国籍を持ち続けても罰則はないのでカナダや米国で生まれた子どもたちは結構気軽に二重国籍にしている。最近は日本でも二重国籍を認めようと河野太郎議員などが活動している。

 

このあたりでよく言われるのが、一度国籍を離脱するともう日本国籍に戻れないのでは?という質問だが、戻れる。何故なら戸籍に名前が残っているからだ。あまり難しい手続きではない。その代わりNZ国籍を離脱する必要がある。早いとこ日本も重国籍を認めてくれればいいのになー。

 

ということで一連の永住権取得から市民権取得、そして子供の国籍の話でした。



tom_eastwind at 17:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月26日

ビザ!が取れた!

今日はうれしいニュースが二件飛び込んできた。一件は去年から起業家ビザを申請していたお客様のビザがやっと発給されたこと。これは移民局のルール変更のビザ洗濯機の脱水槽の中に放り込まれ、まさにど真ん中にハマってしまい移住チームが四苦八苦しながら何とか「もぎ取った」感じである。

 

もう一つは約3年前に起業家ビザ取得のお手伝いをしたお客様がこの度永住権を取得したとのメール。これも移住チームがビジネスモデル構築にもずいぶん悩んだが何とか現実性のあるモデルを構築しお客様もそのモデルに従ってこの3年近く頑張って頂いたおかげだ。

 

実は今、移住チームはビザ自動洗濯機(選択機?)の中の水槽の中を超高速でグルグルと回されている状態でまともに昼飯を食う時間も取れず移民局とがっぷり四ツの大格闘である。移民局、弁護士、移住チーム、毎時間ごとにメール弾が飛び交い撃ち返しの繰り返しで神経戦でもあり実弾の飛ばないベトナム戦争じゃないかって思うくらい忙しい。

 

そんな中でビザが取れたって話は本当に朗報である。

 

移民局は日本人には好意的でありながらもルール遵守という意味では公務員でありとにかくガチガチだ。自分が作ったルールそのものが誰が考えてもNZに損害を与えるでしょって事でもルールがある限りそれに従い「法の精神」ではなく「法の条項」だけを見て不合理な要求をしてくる。

 

そういう時に正面突破するか回り込むか技術論で戦うかってのはまさに戦闘である。そして戦闘は戦闘兵が一番理解している。そんな時に僕が中途半端な意見を出しても無意味どころか戦闘員に迷惑でしかない。

 

移民局も起業家部門のビザ申請に対する新しいルールを作り上げて自分の抱えているファイルに戻ることが出来たようで、今まで全然連絡がなかった案件で次々に質問が来るようになった。それ自体は有難いのだがまるで大型ダムが満杯の水を突然排水口を開けて一気に放水したような状態である。

 

今日はパソコンをMACに変更して第一回目のブログだ、ははは。けどマックはずいぶん使いやすいな、初日でかなり慣れた。少しブログの更新が遅れてるけど、明日からはまた普通の速度に戻れそうな感じです。

 

さよならウィンドウ、こんにちはMACですね(笑)。これでうちは全員MACになりました(にこ)



tom_eastwind at 18:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月25日

ニュージーランドから工場操作

日経ビジネスで中国企業の特集があった。「ハイアール」は中国の家電メーカーで売上35千億円利益率で5%台。ここ10年で売上を二倍に伸ばし白物分野では世界一の規模である。日本では三洋電機の部門を買収してAQUAブランドで冷蔵庫を販売している。

 

社長は1984年大学を卒業し(この時期に大学に入学出来たのはほんの一握りの超エリートのみ)当時の国営企業だったこの会社に入社して徹底的な品質管理を行い現在のハイアールを作り上げた。

 

ちょっと話はそれるが張CEOのインタビューに興味があった。彼がインタビューで徹底的に主張するのは「常に変化しろ」である。これは古代から言われている事なのに多くの人はいつまで経っても変化を恐れて逃げる。

 

ところが朝令暮改を「悪いこと」と学ぶ日本では「変化」を悪いことと捉える。それも速度の早い変化になればなるほど「とても悪いこと」と主張する。

 

このハイアールは組織図を持たない。その理由は二つあり、一つは過去に数年間で約40回も組織改編をした経験もあり組織図が出来上がる頃にはすでに次の組織になっているので作っても意味がない。もう一つは張CEOが語る「成功した企業は存在しない。あるのはただ、時代に適合した企業だ」である。組織図を作ると組織のあり方を規定してしまいそれ以降変化ができなくなるからという事だ。

 

規模ではなく変化が必要だ、これは本当にぼくが自分の仕事をしつつ毎日感じることだ。しかし多くの人はいつも「え?この前言ってた事と違うー」と言う。それは結局変化を嫌うだけであり周囲の状況を見ずに変化しなくてよい「言い訳」として使われる。

 

本題に戻ると今日の話「ニュージーランドから工場操作」は労働力がますます国際化していくぞ、中国人が青島でやってた仕事でさえニュージーランドに移管されキーウィに奪われてしまうし雇用そのものが世界でどんどん少なくなっていくぞって具体例である。

 

ニュージーランドには「フィッシャー&パイカル」という古くからの老舗家電メーカーであったが、2012年にハイアールが買収して傘下に入った。脱水槽の優れた生産ラインを持ち、1km離れた中国の青島工場のラインをネット経由で遠隔操作している。

 

元々青島の洗濯機工場では20-45人の作業員が管理をしていたが現在は遠隔操作でニュージーランドに作業を集中することで作業員がほぼいなくなった。今まで彼らがやっていた作業はラインに取り付けたセンサーやカメラでNZに情報が送られNZの管理者が常に管理して不具合などがあれば青島に常駐するフィッシャー&パイカルのメンテナンス作業員が対応する。複雑な場合はテレビ電話で青島とNZを結ぶ。これにより不良発生率は10分の1に改善。人件費だけでなく歩留まりも大幅に向上した。

 

青島市では2010年に法廷最低月額賃金が920元(約15千円)だったのが2013年には1380元(約22千円)に上昇した。3年で約50%の賃上げである。今後も人件費が上昇する中国では工場の現場の作業員でさえコンピューターに仕事を奪われることになる。

 

日本では賃金が安いと言うがフルタイムで月収2万円という事にはならないだろう。そうなれば日本の工場もずいぶんと作業員がロボットに置き換えられているが、そのロボットの管理でさえNZから遠隔操作が出来るようになれば人間が行う管理作業はますます減少していく。

 

今までは雇用が日本から中国に流れていた。今後は中国でも単純作業の雇用は減少し、その代わりニュージーランドでコンピューター技術者が仕事を得るという事になる。もちろんこの技術者の技術が低ければインドあたりの更に給与の安い会社と技術者に仕事は移るだろう。

 

こうなれば雇用や労働が世界中をグルグル回るようになり企業にとっての経済的国境はますます低くなる。企業の工場やオフィスを掃除するのも「お掃除ロボット」が出来てしまえば人間の仕事は減る。

 

さあ、そうなるとあなたの子供がこれから将来の人生設計をするのにどこに基軸を置きますか?中学卒業即生活保護?コンビニ店員?けど、コンビニも物品の受け渡しだけならロボットに置き換わるだろう。少なくとも高い授業料を何とかやりくりして子供に大学を卒業させても、そもそも大卒が要求される仕事がない状態で人生設計をどうするのだろう?

 

ニュージーランドと日本の労働者の一番の違いは、日本ではホワイトカラーが上でブルーカラーが下とされているが、NZではホワイトもブルーもあまり意識格差はない。更に言えば今のようなネットが発達した時代ではブルーカラーの仕事の方がよほど安定的であると言える。

 

例えば住宅設計施工、美容師、農業、ワイン醸造など人間でなければ理解出来ない感性を持つ仕事や看護婦、医師、教師など社会インフラを支える仕事は残るだろう。

 

しかし世界の人口が増える中で仕事と雇用に国境がなくなれば上記のような仕事でさえ職種内で競争が発生する。例えばフィリピンの看護婦が日本で労働ビザを取得して一ヶ月10万円で仕事をしてくれるなら一ヶ月20万円の日本人看護婦は不要となる。

 

勿論言葉の問題はあるだろうが、では視点を変えてフィリピン看護婦がニュージーランドで永住権を取って個人病院で安く働くとなれば?この場合英語なので言葉の問題はないし最低賃金以上であればいくらで契約しても合法である。

 

こうやって世界中で業種内競争が起こり世界で一番賃金の高い国では賃金低下が起こり世界で一番賃金の安い国は急速に賃金上昇が起こり結果的に一つの業種は世界で平均化される。

 

もちろん様々な要素があるので完璧にフラットになるわけではない、しかし日本で今までもらってた仕事と給与がこれからも保障されることはない。その一つの例が今回の「ニュージーランドから工場操作」の話でした。



tom_eastwind at 10:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月24日

辞めていいとも!

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21日、安倍首相がフジテレビ系「笑っていいとも!」内の「テレフォンショッキング」に生出演した。

 

「笑っていいとも!」同様、タモリさんが司会を務めていた「ボキャブラ天国(92年〜08年放送)」のファンだったという安倍首相。32年の長きにわたって番組の司会を続け、「やめたいと思ったことは一度も無い」というタモリさんに「重要無形文化財ですね」「一度お酒を飲みながら長続きの秘訣をお聞きしたい」と褒め称えた。

 

数々の著名人が出演してきた「笑っていいとも!」だが、現職総理の出演は初めて。今回の出演についてタモリさんに尋ねられると「(バラエティ番組への出演は)批判される可能性も伴うが、国民的な番組であり、政治番組で話すようなこと以外のお話もできる良い機会だ」と述べ、和やかな雰囲気の中、仕事の息抜きの方法などを語った。

 

一方、同番組の放送が行なわれている新宿のスタジオアルタ前では、午前11時頃からデモ隊が集結。「辞めていいとも!」などのプラカードを掲げ、「安倍晋三は退陣、退陣」「ファシスト内閣恥を知れ!」「再稼働反対!」などのシュプレヒコールを上げた。

 

1223分、靖国通りに停めた自動車から徒歩でスタジオアルタへ向かう安倍首相に対し、「恥を知れ!」「辞めろ!帰れ!」などの声が浴びせられたが、首相は周囲に手を振って応えた。また、1254分、放送を終えた安倍首相が出入口から現れると、デモ隊からは再び「辞めろ!」などの声があがった。

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これ、一体誰がこんなデモをやってるのだろうか?ネット動画で観る限りマイクを使って「恥を知れ!」と無教養なガナリ声を上げている男性の声はどう見ても安保世代の年齢ではなさそうだ。

 

ただ記事を読んで最初に感じたのは「卑怯者!」である。報道陣が大勢訪れている大観衆の中で首相相手にこれだけ汚い人格的に非難するような言い方はバカである。何の趣旨も論理もなくただがなりたてるだけでは山猿でしかない。

 

一体何を言いたいのか、とにかく何でも反対であり、自分の言うことだけが正しいと真剣に思い込んでいるというよりも単純に今の世の中で暴れたい、誰にも邪魔されずに騒ぎたいとしか思えない。

 

更に汚いのは公共の場で安倍首相が何かの反発が出来るのか?という点だ。相手が手を出せない状況の中で一方的にがなるという行為はどう見ても卑怯としか言いようがなく許されるものではない。

僕はアベノミクスは失敗であると思ってるが安倍首相の日本独立論は興味がある。更にこの混迷の社会を長期政権で乗り切ろうとする姿勢は正解であるし好感が持てるがその結果として出来上がる社会に住みたいとは思わない。

たった一点自分と違う意見を持っているからってだけで相手のすべてを否定してしまうような言論は間違っているし非生産的だ。ましてやそれが一方的な個人攻撃になってしまえばまさに民主主義の否定であり話し合いではない。デモ隊は安倍首相をファシストと呼ぶが、一体どっちが暴力的ファシストだって言いたい。


 

何でも反対!って言ってて話のポイントが分からないので、例えばこれが若者の格差固定化反対だとしよう。

 

このような場合本来あるべき姿はまず200名の若者が全員スーツまたは職場の作業着を着て手に持つプラカードには「僕らの話を聴いていいとも」と書き込み整然と列を作って安倍首相の到着を待つ。

 

安倍首相が到着次第代表者が冷静な声でスピーカーを通じて「安倍首相、タモリさんとゆっくり話をするのであれば同様の時間を取って我々若い現役世代の話も聞いてください」と堂々と主張することであろう。

 

主張しつつ報道陣の見守る中若者の代表で可愛らしいリクルートスーツ姿の女性(これで警備陣の気を逸らす)が笑顔で花束と一緒に首相に直訴状を手渡す。

 

内容は若者の社会負担の不公平、労働規制により若者の職場がいつまでも定年世代に居座られている現実等を要領よくまとめておく。そして最後には「安倍首相とお話出来れば若者は次の選挙に必ず参加します」と記しておく。

 

そして「いいとものお帰りの際に是非とも!」とにこっと笑って笑顔で送り出す。

 

この場合安倍首相が受け取らない可能性もあるがそうすればしめたもので「若者の意見を聞かない安倍首相!」と主張出来る。その後取材陣には直訴状のコピーを手渡して「これが若者の意見なんです」と冷静に主張しよう。

 

これくらい事前に策を練ってやるのが不当に差別された側の本来のデモである。

 

なのに今回のデモの汚さは見苦しいばかりであった。一体裏で仕切っているのはどこの団体なのか。

 

70年安保で学生闘争やった連中が自滅的に闘争に負けて長い髪を切り企業戦士として腹の底にあるものを忘れてエコノミックアニマルとして働いた。これから退職していく団塊世代の中でも多くの元安保闘士がいる。

 

彼らはこれから年金世代になる。政府から金をもらいつつ政府に頭を下げる必要はない。企業から年金をもらいつつも縛れることはない。そう、自由になるのだ!そして頭をもたげて来たのが安保時代ではないか。

 

越後湯沢駅で新幹線が終日運休した際に時間があったので駅構内の商店街でおみやげを探しつつ歩いてたら駅案内所の入口に置いてある休憩所のテーブルの上にツマミを並べて焼酎や日本酒のワンカップを飲んでお喋りしている傍若無人な雰囲気の60代男女グループが7名程度いた。

 

彼らが放っている雰囲気はまるで「おれたちゃいけてるんだ、お前らのような根性なしとは違うんだ、ほら、駅構内でも堂々と人前で酒が飲めるんだぞー!」である。

 

それはまるで安保世代で失った何かが今になって出てきて古い仲間と連絡を取り当時の人気スポーツの一つであったスキーを思い出して楽しみ有り余る時間を使い好きな事をしてそして最後は自分たちが安保の頃にやりたかった事を「あの頃の青春の思い出よ、夢よもう一度」と実行しているのかもしれない。

 

だからだろう、座ってる男女間に上下関係はなく女性が男性に「ね、xx君!」と明るく呼びかけている。まさに「あの頃」なのだろう。

 

「辞めていいとも」の街頭デモ、エキナカでのおじさんおばさん宴会、これから安保世代が組織や政府や会社のくびきから外されて自由に行動を始める。

 

何だかあちこちで自分勝手なデモが繰り広げられ、そのうち「珍デモ団」とか「老年暴走族」とかが時代の名物にでもなるのではないだろうか。思わず「君らこそ、辞めていいとも」と思った。



tom_eastwind at 17:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月23日

「赤い中国消滅」 陳破空

数日前に中国侵攻に関する事を書いたがその後にAmazonから届いて読んだのがこの本。


文化大革命、天安門事件、投獄、そして亡命、激動の中国を生き抜いて現在はニューヨーク在住の著者は白手起家(アメリカンドリーム)を叶えて今でも中国共産党に対して喧嘩を売っている数少ない中国人の一人である。


内容は実に詳細で実際に中国に生まれた者でなければ理解出来ない視点で中国を描いている。


「尖閣諸島について中国は現在「明朝の時代に発見された」と主張するが、日清戦争以降日本の領土であり1895年から1971年までの間に中国が主権を主張した事は一度もない。第二次大戦後に台湾が中国に返還された時も中国は尖閣諸島については何も触れないどころか中国共産党機関紙「人民日報」でも「琉球諸島は尖閣諸島を含む」と書いており〜後略〜」などは非常に具体的でありこれだけ知っていれば尖閣諸島についてはいくらでも議論が出来る。


20128月に香港の活動家が尖閣諸島に上陸した際には中華人民共和国と中華民国の旗を掲げたが中国共産党系のメディアでは中華民国の旗を消されている。やらせ大国の新たな傑作である」


ぼくが以前から疑問に思っていた事がある。北京で実力を持つのは国家主席であるが実際には軍隊が非常に強力な発言力を持っておりその軍隊では何故か中国北部出身者が多いという事実である。


「一般的に中国南部は商売が中心であり広州人などはビジネスに賢く狡猾であり北部出身の人間は真面目で竹を割ったような性格であると言われる。共産党解放軍は当初賢く狡猾な南部出身者で占められていて戦争に勝ったが世の中が平和になると解放軍幹部が必要なのは真面目で竹を割ったような、言い換えれば自分の地位を脅かさない北部出身者であり彼らが昇進した結果として北部出身者が増えたという事である(引用:途中省略して意訳しているので文責は我にあり)」


非常に明確。そっかー、だから愚直な軍部は戦うことを是として政府に対して常に戦争を要求しているのだな。メンツにこだわり南部出身者のように駆け引きを考えないから難しい事を考えずに「なに?小鬼子(日本人)が俺たちに逆らう?よし、ミサイル撃ちこめ!」となるのだ。


彼ら軍部は今だもって朝鮮戦争で米軍と戦い相手を打ち負かした記憶が忘れられず北朝鮮とよしみを維持しているのだ。


1989年天安門事件の後に解放軍の給与は非常に良くなった。まるで福利厚生の温床地のような待遇になった。


解放軍に入れば一生食いっぱぐれはなし。退役しても利権にあずかれる。これを中国語で鉄飯椀というが、ところがその軍隊に入るためには賄賂が必要である。農村男子で2万元が相場、日本円で32万円くらいだ。


そうやって賄賂を払えた人々は晴れて解放軍兵士となりそこからは昇進するためにまた賄賂を使い出世してそのうち賄賂がもらえる地位に付けると後は「ここほれワンワン」で解放軍入隊の為の募集活動で賄賂を受け取り更に出世していく。


日本では信じられないだろうが中国では軍隊が自分の給与を稼ぐために民間ビジネスを手がける。軍隊が暴力装置を持った状態で民間ビジネスを行い金を稼ぐのは清朝後半の時代からごく普通の事になっている。


要するに自分の金と家族の平和さえ守れればあとはどうでもよいのだ。軍隊は国民を守るためのものではなくて自分の稼ぎを保障するための仕組みでしかないのだ。


そんな軍隊に国民を守る気力があろうか?


「案の定2009年、ソマリアで中国船籍のタンカーが海賊に乗っ取られた。それまでは中国海軍がソマリアに遠征して「15世紀以来の中国海軍の遠征!」とはしゃいで「もしソマリア海賊が中国様の言うことを聞かなければソマリア本土を火の海にする!」くらいの勢いでいたが、中国船籍タンカー「徳新号」が乗っ取られ25名の中国人が拉致されると「えーと、これは各国が共同で解決すべき問題でー、国際協調の中〜」と逃げまくり結局自国民を保護しなかったのだ。その後中国は400万ドルの身代金を払って解放してもらう事になった〜意訳、文責はわれにあり〜」


「同じ頃米国籍タンカーが海賊に襲われ船員の命を守るため米国人船長が自ら人質となった事件がある。すぐさま駆けつけたネイビー・シールズが4人の海賊を相手にその場で3人を射殺し1人を生け捕りにした。米海軍の勇ましさに対して中国海軍は「役立たず」と呼ばざるを得ない」


他にも唐山大地震で何故新築の学校だけが倒壊して多くの子供が亡くなったか、食品偽装、様々な問題を取り上げている。


中国を批判する時にどうしても右か左かでしか語らない人がいるが、中国は広い。中国内でも共産党とそれ以外のグループがあり、共産党内でも常に権力闘争が行われている。中国は一つではないのだ、そこには共産党だけでなく反政府のウイグル族もいればチベット人も、権力に興味のない香港人もいる。そして軍隊もいれば天才的なスポーツ選手もいて、皆考え方が違うのだ。

だから自分で意見を整理する際はたった一つの情報だけで「中国がー」とひとくくりにせず複数の情報源とその信頼度を考えつつ今の中国を自分の頭の中で整理して自分の意見を持たないといけない。

人生は決して簡単ではないし簡単に考えようとする貴方を許してはくれないのだ。
 個人的には「読書」をして知識と教養を鍛えること、これがぼくらに残された唯一人間らしく生きて考える為の手段ではないかと思う。



tom_eastwind at 13:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月22日

春闘とサービス残業

今日は週末でもありヒマネタです(笑)。

今年の春闘は大手が賃上げを行い普通なら労働組合も「賃上げバンザイ!」となるところだが今年は一般職員が「安倍様バンザイ!」であろう。

 

何故なら今年の賃上げ闘争は政府が労働組合の代わりに賃上げを企業に要求したからなのだ。そして更に「賃上げしないと痛い目に遭わせるぞ!」とストライキ以上に怖い担当大臣の脅し付きでやるんだから一般的には強要、脅迫罪が成立するのではないかと思うが(苦笑)自分個人の儲けの為にやってるわけではないので政府が正義を要求するという視点から見ればこれも「あり」だと思う。

 

これに対して世間一般では「国が民間企業経営に口を出すのはおかしい」とか「国がやるべきは労働基準法の順守でありサービス残業の取り締まりであるべきだ」とかの意見を聞くことがある。

 

しかしぼくはこの点では民間側の視点がずれてると思う。

 

まず「国が民間企業を〜」と言うが日本政府(官僚)の視点では日本では国が日本株式会社であり会長は総理大臣で社長は官僚次官で取締役は各官庁だ。トヨタなどの自動車産業は製造部にしか過ぎない。だから社長が製造部長に「お前の部署の賃金を上げろ」というのは自然な作業である。

 

実際どこの産業においても対応する各省の官僚が通達や法律を通じて民間企業を支配しているのは明確だ。銀行業界、金融業界、建設業界、自動車業界、医療業界、どこもすべて政府の認可がでなければ手足も動かせないのが日本の民間業界である。日本株式会社から逃れて本当の意味での民間企業になるのであれば規制のゆるい外国に行くしか無い。

 

社長や会長は日本株式会社全体を見渡しており今回の消費増税で景気が腰砕けにならないように大手企業だけでも派手に賃上げをやって増税や政府赤字を隠したいのだから製造部の実働部隊(民間企業)に賃上げを要求する。今回の春闘の賃上げは日本という大きな地図の一部分にしか過ぎないことを「製造部」は理解すべきだ。

 

そして日本の労働組合はそろそろその寿命を理解して解散してストライキ用と称してがっぽり溜め込んだ組合費を返却して(もちろんその際は幹部連中が組合費で買ったヨットも没収ですね)組合員に対するボーナス支給として(このボーナスは税金の対象にならない、すでに納税した後のカネだから)更に今後は組合費を徴収しないのだからその分約3〜5%賃上げになる。こうすれば来る消費税増税に対応出来る。

 

実態としては今だ賃金が下がっており(世界の標準化)不景気感は抜けてないのだが東京だけは景気がよくなり高級時計が売れてマスコミは景気の良い記事を取り上げることで世間を「何となく」好景気に見せたいのだから今回の賃上げ要求も当然と言える。

 

そして労働基準法、特にサービス残業が問題になり「ブラック企業!」等という言葉が社会に飛び出して様々な企業が叩かれている。

 

だが21世紀の現在働き方が多様化しているのに1945年の工場作業感覚で作られた労基法が果たして今それほど順応するものだろうか?

 

もちろんこれは職種による。ただ多くの業務が次々とロボットに置き換わっている現在、長い時間をただ黙々と働くよりも一瞬のひらめきで新しいアイデアでビジネスを革新的に変化させるか又は今この世の中に存在しない製品をゼロから作り出す人間の方が余程効率的である。時間で計れない仕事が急増しているのだ。

 

それなのに「サービス残業は違法だ!法律だから絶対守らねば!」と言うならその労働効率をどう公平に評価するのだろうか?チャップリン時代の工場ではないのだ。

 

「サービス残業は違法だ!」という意見に対しては「給与はそもそも労働者の生みだす労働価値によって決定される。労働時間と関係のないマーケティング業務などの分野で時間内できちんと実績を出して残業しない人と、同じ職場でも要領が悪く手が遅くてだらだらとしか仕事出来ず長時間働いて残業手当を請求する人が公平と言えるだろうか?」

 

無思考に「法律だから!」と叫ぶ人に対しては、まず法律が時代に合っているかを考えて議論すべきではないかと思う。さらに「法律絶対遵守!」なんて言う人には今まで人生の中で一度も法律を破った事がないのか?と聴きたい。

 

労基法の一番の問題であるサービス残業であるが、例えばニュージーランドでは職種によって明確に残業手当がもらえる職種もあれば年収制度になっており残業手当が全くない職種もある。

 

例えばバスの運転手などは自己効率化をすることが出来ない職種だから決められたルートを決められた時間で回って労働時間を過ぎれば当然残業手当が請求出来るし未払いはまずあり得ない。未払いなんてそんな明確な労基法違反をすれば会社は速攻で訴えられて労基署がやって来て大変な騒ぎになる。

 

しかしこれがいわゆるマネージャー職だったり個人の創造力や企画力で業績が変化する職種であれば自分の力量でシステムを作り替えて効率的な活動で売上を伸ばすことも出来るし労働時間が長ければ良いという職種ではないので長時間労働しても意味はない。逆に長く働いても実績が出なければ「無能」となり次の人事で降格またはクビだ。これがホワイトカラーエグゼンプションである。

 

だから日本の硬直化した労基法など、本来は国会で議論して雇用のあり方や解雇のあり方すべてを含む「21世紀における労働とはどうあるべきか?」を決めるべきなのに肝心の国民が未だもって自分の都合の良い時だけ「労基法信仰」では国家も変わるわけがない。

 



tom_eastwind at 11:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月21日

米国離れ

ニュージーランドと中国がNZドル及び人民元で直接貿易が出来るようになったというニュースが入ってきた。現在北京を訪問中のジョン・キー首相が李克強首相と会談をした後に発表された。

 

今までのNZ中国間の貿易ではそれぞれの通貨を一度米ドルに両替してから決済を行っていたのだが今後は直接取引になり円滑な貿易決済になる。

 

ニュージーランドから輸出する主なものは粉ミルクなどを中心とする酪農製品、肉、羊毛、海産物、そして中国から受け入れる留学教育だ。ニュージーランドのような酪農王国にとって中国は言い値で買ってくれるありがたいお客様である。

 

実際に上海では2リットルの牛乳がNZ25ドルで販売されている。NZのスーパーマーケットでは5ドル程度で買えるものである。

 

中国の富裕層からすれば地元中国の商品なんて全く信用していない。数年前もヒ素ミルク事件で多くの新生児が死亡した。だから富裕層からすればどれだけ高くても信用出来るNZ製品が売れるのである。

 

なので今回の協定は両国にとって相互利益のある話である。では誰が損をするか?

 

それは米国である。

 

米国も自分の地位を20世紀の「世界の警察」から21世紀は「モンロー主義(孤立主義)」に移そうとして世界を三極(米大陸、アジア、欧州)に分離をしようとしていたが、それは米ドルが基軸通貨の座から降りることを意味しない。基軸通貨の一つに残りたいのだ。

 

しかし現在のようにBRICSが各国の通貨で直接取引をし始めると米国の基軸通貨体制が破壊されてしまう。これが意味することは欧州危機の際に各国の国債金利の急上昇や為替の激変で経済が振り回されたように、今後は米国債や金利が市場にモロに晒されてしまい米国債の金利が一気に上昇するかもしれない。

 

ニュージーランドからすれば英国連邦の一員であり米国の不利益になる事を推し進めるのはどうなのよって話もあるが現実的には米国はNZ産の牛乳も肉も買わない。むしろ米国が作るジェネリック作物の受け入れには絶対反対の姿勢を貫いておりその意味では中国と取引をするほうがずっと良い。

 

だから今回の交渉も無事成立して、中国からすれば人民元がそのまま貿易通貨として使えて、それは人民元が基軸通貨になる経済的可能性を意味するだけではなく「強い米ドルと米国」に対して「あっかんべー!」と出来る事だ(笑)。

 

ただ話は変わるが今回の声明発表の裏にはもちろん違うキーウィの顔が見える。それは、カネはもらうが移民は受け入れないという姿勢である。中国に製品は売るし留学生も受け入れるけど中国からの移民は実質受け入れは制限しますよって事だ。すでに起業家ビザは相当数が落とされる「予定」だ。おそらく中国からの申請の70%はこれからの3年でどこかの門に引っかかって落とされるだろう。

 

起業家ビザ部門ではまず今後申請する分については「厳格な審査」を行って足切りする。この関門をくぐり抜けたとしても1年後に延長申請する際に「ビジネスの実態調査」を厳格に行い(私立探偵を雇う等)基準に少しでも達してなければ落とす。

 

そして最後に3年後に永住権を申請する際もビジネスの実態調査、本人のキャラクター調査、雇用と利益と納税の確保、等など様々な視点から「厳格な調査」を行い、落とすことを前提に審査する。つまり3つの狭き門を設定して本当にNZに貢献出来る真面目な中国人だけを受け入れると表明したようなものだ。

 

ちなみに投資家ビザ部門でも中国からの申請受理数は3割でありそこから無制限永住権に繋がるのがどれだけあるのか、これも厳しいところである。

 

ただ同時に今ニュージーランドは日本人投資家に対しては期待しており、日本人であればかなりの確率で永住権から無制限永住権に切り替えが出来る。少なくとも当社で申請した案件は100%永住権につながっている。

 

話はまたニュージーランド経済に戻るが、リーマン・ショックも田舎のマジックバス効果(英米金融界は2005年頃からジェット機のように大空を駆け上がって墜落したがその頃NZはとろとろと田舎のバスのように地面にへばりついて走る金融だったので被害が少なかった)であまり大きな被害も受けずその後も実態経済が農業を中心に成長した。

 

とくに中国との農産物取引が急激に拡大して最大の取引先になっている。何よりも中国は言い値で買ってくれるし魚などサイズや形にこだわらない。これは結構大事だ。日本に魚を輸出する時はすべて同じサイズで同じ形でないと返品されるしすぐ値切るし金払いも悪い。

 

こうなればいくら個人的に日本が好きでもビジネスとしては誰でも中国と取引をするだろう。自然な結果として大量の食料が中国に送られて中国人の胃袋を満たすことになった。

 

今後もこの流れが大きく変わることはない。ニュージーランドは自国の繁栄と未来のためにUSドルを捨てて米国離れして経済は中国に近づいていく。

 

そう言えばニュージーランドは1967年にそれまで使っていたポンドを止めてNZドルに切り替えた。その背景は元々の宗主国である英国が第二次世界大戦後の疲弊とソビエト主導の労働組合による産業と社会へのダメージにより英国がEC加盟を決定したからだ。

当時は「さらば英国、こんにちわ太平洋」だった。今回は「さらば米国こんにちわアジア」である。


 

中国は大国であるが人民の胃袋を満たすためにニュージーランドから食料を買っている。日本も大国であるがやはり外国から食料を購入している。ニュージーランドは人口400万人のちっちゃな国であるが食べるものは満ちている。

 

21世紀になり世界の人口は増えてこれからの国家に必要なのは水と食料とエネルギーの時代となった。

 

食料自給率が300%を超すニュージーランドは同時に豊富で清潔な水と、その水を利用した水力発電ダムでエネルギーをまかなっている。更に政治と経済がうまくリンクして国民の信頼を得つつ農業の近代化や効率化に努めて外貨を稼ぎだしてる。外交では小柄さを利用して米中など大国の間でうまく立ちまわっている。どうやらこの国は後10年っくらいは大きな社会問題はなさそうだ。



tom_eastwind at 10:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月20日

故郷が占領されている −あるウイグル人の嘆き

***記事抜粋***

 「問題は事件そのものではなく、事件の背後に存在している」。少数民族問題に詳しい北京在住の作家、王力雄氏(60)は2日、ツイッターにこう書き込んだ。「新疆は目下、『パレスチナ化』の過程にある。新疆の漢民族は自覚しないまま、自らを弾圧者の位置に置いている」

 

 王氏は「ある忘れられないエピソード」を披(ひ)瀝(れき)する。知り合いのウイグル人青年に「メッカ巡礼に行きたくないのか」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきたのだという。「寝ているときでも行きたいと思うほどだが、コーランの教えでは、故郷が敵に占領されているときは巡礼にいくことはできない」

 

 王氏はこう警鐘を鳴らす。「少数のテロ勢力が最大の問題なのではない。新疆の(ウイグル)民族全体が敵対勢力となること、これこそが最大の危険である」

***抜粋終了***

 

ふと思った。ぼくらは中国による尖閣諸島及び沖縄の領土問題に振り回されてるけど、何故彼らの抱える領土問題を使って彼らを振り回さないのだろうかと。

 

中国は清朝末期から1949年の共産党のクーデター成功、中華人民共和国成立までまともな中央政府を持たない烏合の衆地域の集合体であった。蒋介石の作った中華民国でさえ地方を制御出来ず結果的に各地方に軍閥が支配者として存在し続けた。

 

アヘン戦争では英国に負けて香港を取られその後も欧州各国が次々と租借地をかっぱらう中、清朝政府の役人は何も出来ないどころから敵国と組んで自国の土地を売り渡すような真似をして個人で金儲けに勤しんだ。

 

アヘン戦争で有名な話は優秀な官僚で不正や賄賂の取り締まりを強化して善政を敷き国民に慕われた林則徐が解任された理由の一つとして、当時の清の官僚には広東の商人から賄賂を受け取っている者が多く、林則徐によりその金が絶たれた事を恨む者がいた事がある

 

中国人の一般的発想としては中央国家一致団結よりも自分の家族さえ稼げれば良いって発想だから日本からすれば共産党中央政府をバラしやすい。分解しやすい。元々民族が違うのが一つの国家内に同居しているのだから気持ち良いわけもない。

 

だったらこの際日本は米国の真似をして隣国に工作員を送り込みウイグル人に武器を配り軍資金を渡して暴動を起こさせれば良い。中国から何か言われても「知りません、何もやってません」と中国共産党のようにしらを切れば良いだけだ。

 

中国の政治はまず内政がありここが弱いから外交で隣国を叩き国民の目をそらせてるだけだ。その結果として日本が隣国干渉に巻き込まれて面倒くさい事になってるのだ。

 

だったら相手の外交の延長は内政なのでその内政を叩くことが日本の外交にとっても利益になるではないか。日中戦争やるよりは工作員送り込んで中国を分裂させた方が余程効率的だ。その最初の目的地がウイグルであり次は内蒙古だ。

 

今回のウイグル独立抗争はまさに日本政府が利用すべき「手段」でありその目的を「中国の民主化」とすれば西欧社会も納得する。中国を民族ごとに分離独立させてそれぞれの民族ごとに法律を持たせ中南海中央政府を機能不全に追い込み、次に台湾と香港も順次中国から切り離す作戦を作る。英米も喜ぶだろう、自分たちが支配出来る領土が増えるのだから。

 

今のように中国が国際社会でわーわーと言わせておくのは日本は何の利益もないどころか時間の利益さえ失って損失を出している状況だ。中国人だって共産党を好きなわけではなく党の幹部で金を作ったら妻と子供を海外に脱出させてるのがその良い例である。

 

米国にとって中国は大きな市場であり工場であったが、現在は賃上げ、違法コピーなど工場としての位置づけは薄くなっている。市場であり商品を売りつける相手として12億人を相手にするのに相手の国家が一つである必要はない。むしろバラバラになった小国家であるほうが米国にとって扱いやすく都合が良い。

 

この作戦を実行する一番のポイントは、中国人民と中国共産党を分離させることだ。中国人民は元々共産党を好きではない。共産党が権力を持っているから付き合ってるだけで腹の底では嫌っているのだから。

 

まずは辺境地域を独立させて中国側が本格的に戦争を仕掛けそうになればその時点で日本は「悪いのは共産党であり一般国民は日本の同胞である」と主張して中国内部を分裂させれば良い。中国人民は機を見るに敏であるから日本と西欧対中国共産党のどっちが強いかを見抜けばすぐに反共運動を起こす。

 

これは第二次大戦後の中国が「日本軍が悪いのであり日本国民は悪くない」と主張したのと同様である。中国人民と協力して共産党を中国から追い出せば良いのだ。その後の中国をどうするかは民族自決、彼らに任せれば良い。これをやれば広州などの華南、北京を含む華北、上海地方、それぞれに独立国家となって地元民族の特性に合わせた法整備と軍備を整える事になるだろう。

 

中国相手にいつまでも防戦一方では相手がますます体力を付けてしまい時間稼ぎされている間に中国の軍備が日本を上回っては戦えなくなる。

 

だから今まだ日本が交渉出来る間に外交として中国共産党を叩き民族自立の原則を徹底的に主張し、さらに実働部隊をウイグルとモンゴルに送り込む。今なら軍備においては優位に立っているし米軍も日米安保条約があるから協力してくれるだろう。

 

協力してもらわなくても日本が負けることはないので少なくとも邪魔をしなければ良い。てかこの政策なら米国も同調するのではないか、強い共産党よりも分裂した中国の方が操りやすいのだから。世界三極体制のアジアの中心を中国と考えていたが、それを親米である日本にすれば良いだけだ。ASEANは日本と協調出来るのでアジアの安定が出来る。

 

*追記:

このネタはここ数日の国際時事ネタの締めと思いつつ一連の記事として書いてたのだが、そしたら偶然であるが今朝のニュースでこんなのがあった。

 

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【台北共同】台湾の立法院(国会)に18日夜、中国と台湾が昨年6月に調印した「サービス貿易協定」の承認法案に反対する数百人の学生らがなだれ込み、議場を占拠した。この際に警官らと衝突し、当局によると警官側の1人が胸部を圧迫され呼吸困難になるなど計30人以上が負傷し、学生側数人を傷害などの疑いで逮捕した。

 

 学生らは「密室で決まった台湾に不利な協定だ」などと主張して19日も占拠を続け、立法院周辺にも千人超の支持者が集まり警官隊と対峙。野党、民主進歩党(民進党)も学生らへの支援を表明、次回審議が予定される21日までに馬英九総統が「善意」を示すよう求めた

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tom_eastwind at 10:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月19日

マイナンバー制度

***日経新聞より抜粋開始***

政府は銀行の預金口座に預金者の税と社会保障の共通番号(マイナンバー)の登録を義務付ける方向で、銀行界との調整を始めた。まず、2018年度から新たに開く口座を対象にし、その後、既存の口座にも拡大する。脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)を防ぎ、サラリーマンなど納税者に根強い不公平感の是正を図る。16年の通常国会に関連法の改正案を提出したい考えだ。

***抜粋終了***


マイナンバーは当初社会保障の一元化という位置づけであったがやはりと言うか自明の理というか個人の資産捕捉の手段となった。どうでもいいけど「マイナンバー」ってかっこ悪い名前、誰が名づけたのか親の顔を見たい感じだ。


番号制度はあるサイトでは下記のように説明されている。

***

番号制度は給付のために制度設計されますが、従来以上にきめ細やかな給付や負担の見直しのためには所得や資産の情報が必要です。所得を把握するには、(1)番号による所得把握の精度(正確で効率的な名寄せ・突合)と(2)法定調書の範囲の2つが関係しています。


国民の財産がどこまで把握されるかは、法定調書の範囲(取引の種類や提出を義務付ける取引額)をどこまで拡大するかの問題です。


番号は収集した法定調書を名寄せ・突合するだけですので、そもそも法定調書として提出されない所得は把握できません。


所得や資産の種類で見ると、例えば預貯金残高や投資残高、保有している不動産、貴金属、海外口座といった資産に関する情報は法定調書の対象ではありませんし、一般消費者に提出義務を課して個人事業主の事業所得を把握することも現実的ではありません。

***

「海外口座は法定調書の対象ではありません」と説明しつつ今年から法定調書の対象になってますね(にこ)。法定調書なんていつでもどうでもあっち側で勝手に書き換えられますからね。


個人の預金口座を名寄せするってか、すべての口座開設時にマイナンバーが必要になるので捕捉されますよね、普通に。以前に開設された口座だって「今後その口座で取引をする際はマイナンバー登録してください、登録しなきゃ口座凍結ですよ」って言えばすぐに資産総額わかるし。


ついでに言えば税務署は銀行口座を眺めつつ「ほー、このお金はいつどうやって作ったのですか?収入の申告はしましたか?」となって今まで申告してなかった過去の痛くもない腹を探られる。


不動産だって個人が持ち主ならマイナンバー登録を義務付ければすむこと、貴金属は購入する際にマイナンバーの提出を求めるようにすれば良い。


要するにどうのこうのと言いながらいつでも個人資産を捕捉出来るように税務署が動いているのだ。その第一弾が逃げ足の早い海外資産の捕捉である。国内の資産は逃げようがないので急ぐ必要はない、ゆっくりと締め付けてやるって感じがぷんぷんする。


ニュージーランドにも社会保障や納税を統合したIRD番号というのが存在するしこれは十分に機能している。ニュージーランド居住者が銀行口座の利息を納税する時にもこの番号を使い確定申告の際にもこの番号を基準にして手続きをする。


この制度は古くからあり個人の情報管理とかややこしい話になる以前から「便利で使いやすい」という理由で今も利用されているし実際に使いやすいものだ。


ニュージーランドは日本と比較すれば税制が透明であり国民への還元率が約80%(医療、教育、老齢年金、失業手当など)なので日本のように節税にこだわる必要がない。第一政治のクリーン度は世界一位であるから賄賂も汚職もほとんど存在しないから「抜かれる」なんて事を心配する必要がない。


もちろん居住者だって無駄な税金をあえて払うことはないしそれなりに節税も考えるが、誰かが税金を払わないと国家が成立しない事も理解しているので日本ほどに節税対策本が売られているかというとそういうことはない程度だ。


税金は透明性が高く国民に還元されていればそれほど文句を言うものでもないのは普通の日本人の感覚だろう。しかし現在の日本の税制はとにかく不透明であり一部支配層が利権という形で「抜いてる」から国民が納税を嫌う。


「お前ら何のリスクもなく自分たちだけネコババしやがって、そのカネはなー、おれがリスクを取って苦労して作ったカネなんだよ、何を勝手に遣ってるんだ!」という話になるのだ。


本来納税者番号というのは国民の利便のために存在しており適正な納税のためにも使われている「道具」である。ところが日本で何故これがもめるか?その背景は幾つかある。


まず過去に野党が反対した時は「個人ジョーホーがー!」とか言ってたが、あれは自分たちが古くはソ連、中国や北朝鮮から金をもらってた事が明白になり“やべえ事になる”のを防ぐためだった。


しかし今回は野党が反対というよりも一般国民が反対なのである。「個人情報保護」なんて言いつつ実際には自宅の前に表札置いて誰と誰がこの家に住んでるよって堂々と不特定多数の人々に開示している人々が反対しているのである。普通の人々にとって社会保障や引越し手続きが簡素化されるのはありがたい事である。


問題は自分の資産がすべて政府に把握されて、まるでこっちが悪人のような扱いの税務調査を受けて強制的に納税させられる、逆らったら口座凍結とか社会的制裁を受ける事がマイナンバー制度の導入で行われる、それを嫌がっているのだ。


その税金もきちんと使われるなら寄付とでも思えば良いが上に書いた通り「不透明な税金の使われ方」に国民の怒りが沸くのだ。


「サラリーマンなど納税者に根強い不公平感の是正を図る」なんてのは数日前に書いた「国民の分断統治」の言い訳である。サラリーマンをネタにして納税の公平感なんて言うが、そのサラリーマンだって両親がいるわけでその相続が発生したらバッチリ税務署に捕捉されるわけでこんな法律がうれしい訳がない。全くマスコミも御用新聞だ。


しかし制度としては世界でもごく普通に導入されており悪い筋ではない。悪いのはあくまでもその法律を運用する側である。「誰に対しても公平な政治」をやらないから国民が怒るのだ。


国民からは税金を強制的に取るが自分たちだけは内々で上手い事やって「離れですき焼き喰ってる」ような真似するから国民が怒るのだ。


そういう現実を分かった上で「どうせ民は逆らえないさ、俺達の言うとおりに納税するしかないんだから」と国民をなめてるから国民は何とか節税するのだ。


ちなみにニュージーランドのIRDInland Revenue Departmentの略であり訪問者でも納税義務が発生すれば番号を持つ必要がある。ただし銀行預金の金利などは銀行が非居住者として天引きしてくれるので番号を持つ必要はない。


そしてニュージーランドで昔から働いてる実直なビジネスマンは政治家と議論する時には堂々と「おれは納税者だ、これだけ納税しているんだ!だから話を聞け!」と言う。こういうビジネスマンをこちらの国では"Good Old Men"と呼ぶ。日本のように料亭の密室で政治家に向かって「おれはこれだけお前に賄賂を渡してるんだ、だから言うことを聞いて俺に利権をよこせ!」なんて事にはならない。

同じような規模の島国だが北半球と南半球では全く違う。

笑えないけど、おもしろいものだ。



tom_eastwind at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月18日

日本の全方面外交、お詫び外交ではなく独立国として

今回のウクライナ革命では世界中の国家がそれなりに「踏み絵」を要求されてそれなりに旗幟鮮明にした。それは日本も同様である。では今後の日本の進む方向はどうなるのか?外交、軍備、経済、10年単位の長期で考えてみた。

 

まず自民党が表面では対米従属と言いつつもロシアには制裁行為を加えるつもりはないと匂わせた事で今後は対米従属一本槍ではないですよという意志を表明した。敗戦後長い間対米従属し過ぎたので今後は少し距離を置く。

 

その延長線上に米軍基地のグアム移転がある。色んな人々が辺野古がどうのこうのと表面だけガリガリ掻いているが実際の流れはもう決まっているのだ。後は辺野古を使って沖縄がどれだけ日本政府から金をぶんどれるか、だけの問題だ。今まで散々沖縄に迷惑かけてきたんだから、ここでどかーっと払ってついでに独立国、少なくとも日本の主権が及ばない特区にすればと本気で思っている。

 

ロシアは今まで対米従属のためにあえて敵視してロシアが近づいてくると「北方領土四島全面返還しかない!」とロシアが実行出来ない条件を突き付けてたがこれを見なおして今後はロシアを隣国として協調関係に入る。何せ隣の中国と張り合うにはロシアを協調関係にしておいた方が何かと得だ。

 

北方領土を「半分こ」して決着をつける。残り半分は後日考えましょうって事でシベリア、サハリンを開発して石油やガスなどの資源を手に入れる。昔の戦争の事はお互いに忘れましょうよ、日露戦争で日本が勝ちノモンハン(その後の満州侵攻)で日本が負け、これで一対一、引き分けにしましょってことだ。

 

中国共産党は戦後日本がODAをやり技術供与もしたのに自国の都合で日本を敵に回すような国であるから今後も何をやるか分からず信用ならん。今後は玉虫色な話はせずにきちんと言うべきことを言う立場を取る。政治が不安定な共産中国は日本にとっての市場、工場という考え方は少しづつ減らしていく。さらば中国共産党!である。

 

ASEAN諸国とは中国包囲網及び将来的に日本を知識集約最新技術立国としてASEAN諸国をその工場として「低位技術移転」を行い同時にASEANを市場としても位置づけて販売先とする。ASEAN人口を合計すれば7億人くらいになる。すべて親日国家である。いざとなれば共産中国は市場とも工場とも見做さないぞって明確な意思表示である。

 

近い国とは戦い遠い国とは仲良くするのが外交の基本である。インドも親日国家であり反中国という立場を共有しているのでビジネスを拡大していく。戦争をする距離にはいないのが幸運である。パナソニックも今後はインドを強化していく。国策である。

 

欧州は遠く直接の領土利害関係はないのでどこの国とも仲良くする。どっちにしてもこれからはアジア経済であり成熟した欧州とは程々の距離感でってとこだ。逆に欧州と他国がもめた時は仲裁に入れるくらいの位置にいれば良い。

 

オセアニアではオーストラリアと友好な関係を持ち軍事協力を行い中国包囲網に加えると共に資源産出国として位置づける。

 

ニュージーランド?どこだっけ(笑)?

 

全方面外交を進める上で一番大事な点はすべての周辺国から自立独立して独自判断が出来る国家になること。

 

その為にまず米軍は日本から静かに退去してもらう。次に必要なのは強い軍隊を持つ事。すでに海上自衛隊は「ひゅうが」と「いずも」の2隻をヘリコプター搭載護衛艦(一般的には空母と呼ぶ)として日本海及び東シナ海へ派遣する体制が出来上がっている。

 

周囲にイージス艦と護衛艦数隻に潜水艦で固めて空にはP3C哨戒機を飛ばせば立派な空母打撃群になる。この艦隊は海を守るだけではなく敵地へ自軍を送り込み上陸を援護する事が出来るため「強襲揚陸艦」という名称も使える。

 

航空自衛隊も十分な戦力と最新鋭の機体を持っており、現時点ではこの2軍で中国からの侵攻を防げる。今後中国が軍備増強をするにしても自前の開発技術を持ってない、これこそスパイ防止法で機密情報を盗まれないようにすることが肝要だ。

 

陸上自衛隊は日本の国土に敵が侵入した場合に動くがその為の法整備が必要である。ただ日本は海洋国であり上陸されるような事態になれば制空権と制海権を抑えられてる可能性が高いわけでそこからの戦いは近接戦闘になる。機動性の高い「機動戦闘車」が導入され始めたが正解だろう。

 

国防だけではなく今後は在外日本人救助の為の緊急行動部隊が必要となる。他国ではすでにそういう部隊を持っているが日本では陸上自衛隊レンジャーが米国の海兵隊のような機動性のある小規模チームとして戦闘地域に送り込まれて民間日本人救助にあたるようになる。

 

そして国際平和の維持のために海外派兵も行う。ここが出来なければ独立した一流国家とは呼ばれないし認めてもくれない。海外派兵についてはニュージーランドと同様にあくまでも国連主導であるが現実に戦闘が行われている地域に派遣されて自動小銃で武装して必要な警備にあたることになる。

 

もちろんこの場合は高い確率で死者が出る。ニュージーランドでも毎年2〜3名の兵士が派遣先で死傷している。「自衛隊員が殺されるんだったら送り込みません!」なんて非現実的福島瑞穂症候群な人間は何故自衛隊が存在するかちょっと現実的に世界を見渡して考えてもらった方がよい。

 

ただ、これらを本気でやろうと思えば大幅な法改正と軍備強化をする必要がある。今のような戦えない自衛隊ではダメだから軍備費の上限を引き上げる。次に兵士の確保が必要だ。その為に徴兵制度も視野に入れる。台湾も中国も韓国も徴兵制度があるのだから日本だけないのはおかしい。

 

軍備の強化と同時に必要とされるのがエネルギー資源の確保である。この両方を同時に備えるためにも中国を仮想敵国として同時に資源を持つASEANやオーストラリアと協調関係を常に維持しておくことが必要となる。

 

そして軍事強化をするためにも必要なのが金を持つこと、技術力を確保することだ。その為の経済強化だ。経済面ではまず先進技術大国としての位置づけを確立することだ。

 

元々がもの作り大国であり国民性がもの作りにピッタリなので適材適所、世界で最も最先端な技術を作れる環境を整えることだろう。同時にその技術は技官に任せ文官は徹底した技術の法的保護や作った技術を製品化してお金に変えることが出来るかを考える。

 

その為に必要なのは世界から優秀な人材を集める。一つは優秀な留学生を国費で世界からよびよせて日本ファンにしてしまう。もう一つは優秀な学者を高い給与で世界から集めて日本人には思いも付かない突拍子もない発想で日本の先端基礎技術を「使えるもの」にする。

 

付加価値の低い家電など価格競争に晒されやすい汎用製品はASEAN諸国に工場を移す。そうなると雇用問題が出てくるが雇用は本来企業が保証するものではなく政府の問題であるという原則に戻り社会保障を手厚くすることで手当すべきだ。もちろんこの場合社会保障には公共事業も含めて、例えば道路清掃とか公園整備とかの仕事をしてもらいその対価として給与を払うということでも良い。

 

優秀な技術者は70歳でも現役で働けば良い。定年制で無理やり一律に退職させる必要はない。実際に中小企業に行けば70歳現役なんてのは普通にいる。ここは国が口をだすべきではなく現場の判断に任せるべきだろう。

 

他にも経済政策はいくつもあるが、日本が得意とする分野を強化するのが肝心であり「今後の成長分野は介護、旅行」なんて言ってる場合じゃない。

 

介護などは一体どういう発想で成長分野なのか?老人が増えて介護が必要になる?その金を負担するのが政府の税金であればタコが自分の足を喰うようなもので何の付加価値も生まない。

 

観光分野はいくらか見込みがあるが全国統一でキャンペーンをやるのに民間でリスクを抱えてリーダーシップを取れるのはHISの澤田さんか星野リゾートの星野さんくらいだろう。だが役人が彼らに権限を与えられるか疑問である。

 

全方面外交の復活にはやるべきことが多いがその為には長期政権が必要である。その意味で今の安倍政権が2020年まで続けば日本は独立国として復活することは出来ると思う。僕の未来予想としては2020年のオリンピック開催から日本はまた発展していくと思う。

 

ただし、何度も書くことだが2020年に至るまでの過程において日本社会は大きく変革する。その過程で多くの人々がすり潰される。その一人があなたである可能性は常にあるのだ。

関東大震災や富士山噴火などは一時的で修復可能な災害であるが社会の変化は不可逆的であり過去を懐かしんでるヒマなどなくなる。



tom_eastwind at 10:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月17日

21世紀の国境と民族自決問題について

「民族自決の権利」は難しい問題である。ウクライナ問題ではクリミア独立を認めるロシア側と独立を認めない西欧側が対決している。クリミア住民が歴史的にロシア側であり住民もロシア人が多いわけで何となく理解出来る。

 

ところが西欧側がクリミア独立を反対するなら中国のウイグル自治区問題はどうなるのか?西欧側がウイグルを語るときにウイグル族は民族自決の権利があると認めて「独立させろ!」と言ってるわけで、だったらクリミア住民が自分の独立を訴えるのと何が違うのか?どっちも同じ民族自決ではないかって話になる。

 

民族自決を反対する意見の一つに「独立したら隣の大国に吸収される」というのがあるけど、クリミアって100年の歴史で見ればロシアの領土だったわけで、ロシアに「戻る」だけと言える。それより過去を言い出したらどこの国も何千年にわたる戦争で領土を取ったり取られたりしているわけで中国が「沖縄は中国領!」て言い出すようなもので「逝ってよし」である。

 

イスラエルがシナイ半島からパレスチナ人を追い出して自分たちの国家を作った時などは2千年前の自分だけの神様との契約書を持ちだして「うらー、俺のもんじゃー!」なんか本来通らんっつうの。あの時パレスチナ人がもちっと団結して武装してればもちっと違った結果になっただろう。

 

もうちょっと分かりやすい言い方をすれば、例えば今新宿駅西口の山手線のホームあたりの土地を「この土地はわしのもんじゃ、ほら見ろ、わしのご先祖様が徳川家康殿から直々に頂いたものである〜!」なんて言ってきたらJRどうするの?って話である。

 

実際には日本では民法で「二十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。」という決まりがあり、これを適用すればイスラエルなんて完全アウトだしクリミアもアウトである。ウクライナ自体は1990-1991年にかけて独立しており20年の時効でギリギリアウト、ロシアに主張する権利なしとなる。

 

しかしこれは日本の国内法なので国際的には通用しない。

 

歴史的に見ればウイグル自治区は古くから東トルキスタンだったり清朝の土地だったりして歴史的に「どこに帰属」ってのが難しい。そこで現在ウイグルに住む住民による民族自決の権利を認めればウイグル族として中央アジア寄りのウイグルスタンみたいな独立国になるのか?

 

いずれにしても過去の証文を持ち出し始めたらきりがないわけで、こういうのは時効に関する世界横断的な条約を作るしか無いだろうが現実問題としてそれは難しい。ではどうなるのか?

 

誰もが満足する完璧な答がない中で次善策として言えば今回のクリミア独立は民族自決の権利を認めて、今後も民族ごとに独立するとか同じ価値観を持つ人々が一つの国として独立するってのは個人的には「あり」だと思う。つまり今回のクリミアのように住民投票でウクライナから離脱するならそれも「あり」だと思う。

 

土地と人口が減ってウクライナが弱くなるって言うがそりゃウクライナの自己都合でしかない。もちろん離脱すればクリミアが単独で政府を持つコストは高いがそれは民族自決のためのコストと考えるべきだろう、自由のコストは高いのだ。

 

けど今の時代、土地と人口が国力と考えるのがどうなんかなって思う。とくに今後は国境などは国民にとってはあまり意味がなくなると思う。インターネットが発達して経済が国境を越えてグローバル化している時代、例えばクリミアが独立してもウクライナから野菜を買うだろうし今まででもロシアの海軍兵がセバストポリで買い物をしていたわけだから。

 

なので土地のサイズよりもどれだけ多くの人に共感を得られる国づくりが出来るかが大事ではないかと思う。良い国であれば外国から人が集まり自然と国は強くなるだろうし中国のような悪い国であれば人は出て行く。だから移動(出国)の自由だけを各国が大原則として認めてそこから先の受け入れは各国がそれぞれにルールを作れば良いと思う(中国、認めんだろうな、なにせ共産党幹部から真っ先に逃げ出しているような国だから)。

 

自分たちの宗教や習慣でくくってちっちゃな国をたくさん作り例えばお酒を飲まない人々は禁酒法を法律にすれば旦那の飲酒とDVに悩む奥さんが移住すればよいし奥さん4人まで貰ってOKって法律があれば世界中のカサノバがやってくるだろう。

 

また会社を作りやすくビジネスをしやすくビジネスに関する税金が安い国を作れば世界中のビジネスマンがその国に本社を置いてくれるだろう。自分たちの宗教や民族としての価値観は保護するけどビジネスは世界中どこの国とも世界共通ルールでやるわけだから国境とは別途にFTAとかの国際協定でルールを作ればよい。

 

だから酒が飲めない国でビジネスをしやすいのは嫌だとか、奥さん4人持てるけど税金高いのは嫌だとか、いくつかの要素で自分の住みたい国を決める。

 

例えば日本だって今のような東京一極集中でなく、価値観によって住み分けをすることも可能だ。例えば創価学会は公称800万世帯、これだけいれば日本全体に散らばらずに大阪や兵庫あたりに集中して独立して創価学会の価値観で国づくりをすれば良い。そうすれば創価学会を嫌っている人と接触をする必要もない。それとも、、も、もしかして創価学会は日本全体の支配を狙っているのか?そりゃ勘弁してくれって感じだが(苦笑)。

 

そうやって創価学会が独立国を作り沖縄は琉球国として再興し東北は陸奥の国として独立する。この状態で陸奥の国は電気や野菜を作って東京(日本)に売る。

 

のんびりした生活が好きな人たちが集まればニュージーランドのような国になるだろう。国境という概念自体がもう古いのだから。

 

いずれにしても支配者側の都合で民族自決権の解釈がころころ変わるようでは人々は理解し難いだろう。今回のクリミア独立でも日本のメディアで明確な「意見」を出しているところは少なく、これが良いのか悪いのか、結論が出しようがないのが実感ではないだろうか?

 

ただ、民族自決と移動の自由と21世紀の国境を意識してみると、世界が今までとは違った形で見えてくると思う。



tom_eastwind at 10:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月16日

大風のように

土曜日はサイクロンなのかすんごい大雨でおまけに大風が窓ガラスを叩き庭の樹木が屋根にかぶさりすんごい音で屋根を叩き、けど何となく空は明るくて何だか一日中自然にいるなーって楽しくなった。

 

こんな日は午前中早い時間にとっとと簡単な買い出しだけして昼過ぎからお風呂で本を楽しんでから買い出しの食料でゆっくりとお昼ご飯を食べながら普段観る機会のないリー・マーヴィン主演の3時間近い戦争大作「最前線物語」を楽しむ。

 

第一次世界大戦で欧州戦線を生き残った兵士(リー・マーヴィン)が第二次世界大戦で軍曹としてM1ガーランドライフルを担ぐ4人の若い狙撃兵を率いて北アフリカ戦線からイタリア上陸作戦、ノルマンディ、パリ解放、ベルギーでの戦いを経てドイツからチェコに入りユダヤ人収容所を発見して救助するまでの長い長い戦争物語だ。

 

もちろん実際にはこれだけの戦場に派遣された個人(部隊としては派遣されててもメンバーは入れ替わる)は少ないだろうが、フィクションを使ってノンフィクションに仕上げているのが素晴らしい作品に仕上がっている原因だろう。それにしてもリー・マーヴィンの演技が良い。

 

こーいう映画って奥さんや子供は全く興味がないので家族がいる時は観ることが出来ない、てか3時間もテレビを支配する力がないのである(なはは・)・・・。

 

映画を楽しみつつハリケーン、サイクロン、暴風雨?のような外を眺めるとふと高村光太郎を思いだして彼とは全く違った「大風」を観ることが出来る。

 

小鳥のように臆病で

大風のようにわがままな

あなたがお嫁にゆくなんて

 

いやなんです

あなたのいってしまうのが

 

軟弱なんだよお前さ、好きなら奪えよ、そうじゃなかったら黙ってろ、ましてや印刷して世間にばらまくなんて、お前ストーカー?って思わず笑ってしまった。嫌なら奪う、そういう基本が出来てないぞー(笑)。

 

ただあまりに雨が強いせいだろう、寝室に置いてある除湿機がものすごい勢いで朝から働いてて、6リットルのタンクを朝一で空っぽにしたのだが夕方には8割くらい水がたまってる。

 

日曜の昼でないと奥さんが帰ってこないので奥さんにテキストで「雨がすごいよー」って送ったら”God Bless”って返信があった。「あたしが家に帰るまで何もないように」って意味だが、彼女はもうクリスチャンじゃなかった筈。そこで「君はいつクリスチャンに戻ったの?」って聴くと「悪いことが起こって手が付けられない時に戻るの」って返事が来た。

 

男はこういう現実的な判断能力を持たないから選択肢が狭いんだなー。けど、だからこそこういう頭の良くて会話を楽しめる奥さんがいることが大事なんだよな、旦那のバカな部分を内助の功で助けてくれる。

 

って思いつつニューワールドで買った鶏肉を使ってクレアおばさんのクリームシチューを作って食卓で最前線物語の最後の場面を楽しみつつ食べる。そっかー、こういうオチもあったんだ、お互いに全く個人的に知らない敵同士なんだけど、へー、そうなんだ、ちょっとかっこいいよな。この映画、近代歴史や戦争好きな男性は必見です。

 

今週末はゆっくり考え事の出来る週末である。来週からは春休みに合わせて日本からお客様が次々と来られるのでその準備はあるがこれは基本的にオペレーション部門がやってくれる。

 

僕の仕事はマーケティングなので今まだ日本にいて漠然とした不安を持つ人に情報を提供することだ。ただ自分が情報を最新版にしてお客様向けに頭のなかで整理するのは平日はなかなか出来ない。なのでこういうゆっくりした週末に映画を楽しみつつ自分の頭の中で物語を作るのが一番効果的である。

 

その情報とは、ニュージーランドってのは日本に比べればカラオケもないしパチンコもないし自分でアウトドアスポーツを楽しめる人か海を観ながら思索を楽しむ人しか長続きしませんよって伝えることだ。

 

原発事故が起こってから緊急避難としてニュージーランドを選ぶ人もいるが、それだけが理由では生活の退屈さに耐えられるのだろうか?またニュージーランドは人口400万人であり殆どのビジネスはキーウィが押さえておりその次は中国人とインド人が押さえている。日本人が入り込む場所はなかなか見つからないのが現実であるからどうやって生活費を稼ぐのか?

 

もちろんスポーツ好きで本を読んだり思索好きで自然の中を歩くのが大好きで日本のうるさい生活や面倒な人付き合いが嫌いでのんびりとしたセミリタイアが好きでタバコも吸わないしパチンコもカラオケも麻雀も興味ないって人には楽しめる国である。

 

そんな事をどうやって相手に分かりやすく伝えるか、キーウィと結婚したからって理由だけでニュージーランドに来てもあまり幸せにならないぞ、金も稼げないぞ、恋愛と結婚を混同してませんか?ってのも助言の一つである。

 

これで日本に行けば2週間ぶっ続けで24時間いつでも関係なく移動か会議かセミナーか個人面談か又は待機時間しかないのでオークランドでゆっくり出来る時だけこういう事を考える。

 

日本に関するネタは、週末はあまり頭が働かない。不思議なものだがあれって平日に会社で日本のニュースを読みつつ反射的に出てくるようだ、→日本に関する一本の記事を読む→その裏を考える→ブログのネタにする。

 

そういう作業はオークランドの自宅で週末にするような仕事ではないなー、やっぱこういう週末は手足を伸ばしてサイクロンの向こうに見えるランギトト島の景色を楽しみつつ良質の映画を観て美味しいものを食べて人生の「なにもなさ」を楽しむのが一番だ。

 

あ、そうだ、以前何度か書いた事だけど南太平洋の小島で釣り糸を垂れている話。

 

小島である地元の男が釣り針を垂れてのんびりと魚釣りをしていた。そこに現れた米国人ビジネスマンが「おい、そんな方法じゃなくて大型漁船で大量に魚を獲り、ここに大型船が入る港を作り大型冷凍倉庫を作ったら大儲けするぞ!」と言った。

 

地元の男は「ああそうかい、じゃあ君がそうすればいいよ、ぼくはこうやって魚を釣って自分の食べる分があれば十分だから」と言った。

 

それから米国人ビジネスマンは週末も休まずに一生懸命働き大型漁船を購入して漁師を苦労して探し政府も動かして大型船が入る港と大型冷蔵倉庫を作るために汗水たらして頑張った。そして10年ほどしてやっと全部のシステムが稼働するようになった頃、米国人ビジネスマンはすでに老年に差し掛かっていた。

 

年を取った米国人ビジネスマンは成功してそのビジネスで得た収益で小島に別荘を買い魚釣りに行った。ところがそこには何と数十年も前に会った「地元の男」が今も幸せそうに魚釣りをしていたのだ。

 

米国人ビジネスマンはその男の横に座り何も言わず釣り針を海に放り込んだ。暫くして米国人ビジネスマンに気づいた地元の男は明るくニコッと笑って「よう、久しぶりだな、どうだよ、今日の釣れ具合は?」

 

米国人ビジネスマンは「ん、まあまあだよ」と苦笑いしながら言った。



tom_eastwind at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月15日

3月15日に生まれて

 

今年は317日が確定申告最終日であるが、今年度の確定申告はお済みですか(笑)?

 

今年も冗談では済まない人がざくざく出てきただろう。政府を信じて真面目に働いて納税してても「あんた、そりゃ違うよ」って否認されて追徴課税取られたりまるで犯罪人扱いされて初めて「日本政府及び税務署は庶民の敵であり庶民を奴隷状態にしてカネを取りやすい真面目な庶民から取り上げる仕組みである」と気づく。

 

今年は海外財産調書が加わり税理士も忙しい事だろう。何せ税務署としても初めての試みであり一体どのような形の「海外財産」が申告されるのかまたは申告されずにいくのか不明だろう。

 

5,000万円以上の資産の申告の際の申告が必要になったのは海外に財産を保有する日本人が増えたからだ。けどそんなもん、1999年の外国為替管理法を緩和して日本人が外国に送金したり外国で口座開設したり資産を購入出来るようになった時点で予測出来た事であり、何故今頃になって財産調書提出なんて話になったのか?

 

この背景の一つが英米の国策として金融開放ビッグバンを押し付けられた財務省(大蔵省)である。財務省は「ビッグバンで開放させられても日本人一般庶民(英語も出来ない怖がり連中)が海外で口座なんか開くものか、ましてや英語で書かれた全然ルールの分からない外国の金融商品を買うわけないさ」とタカをくくってた。

 

もう一つの原因は財務省(大蔵省)は当時ノーパンしゃぶしゃぶ事件で大スキャンダルに放り込まれて組織解体の危機に瀕しておりビッグバンに対応する時間が物理的になかったという事だろう。

 

ところが実際には資金が大量に海外に流出した。

 

ビッグバン解放後、日本国内では節税に限度があるし利回りが悪い事に気づいた一部の日本人が実際に香港など海外に行き口座開設を行いマン島ファンドやプロビデンスなどの保険商品を現地で購入するようになりこれが一般の間でもブームになってしまった。

 

当社は1999年の外為法改正時から15年間、日本とニュージーランド間の送金と両替を手掛けているが(金融免許も取得済み)当初はこの外為法の趣旨は金融ビッグバンで普通の人々が世界国際社会の金融商品に手が届くようにしたりする「改革開放」の印象が強かった。

 

金融ビッグバンは元々米英金融グループが政府を動かして日本人の財布に手を突っ込み自分たちのビジネスを拡大することが目的であった。表面的には「開放」なんて立派な事を言いつつも要するに外国人が日本居住者を顧客に取り込むことがその目的であった為、当然民族派の日系銀行や財務省からすれば面白く無い。

 

そこで財務省が体力を取り戻した2006年頃から外為法の方向性が「規制」に変化していった。外国に奪われた日本人の資産を取り戻すことを考え始めたのだ。ところが実務を行う税務署は外国の税法に全く疎くどのように対応すればよいか案がまとまらない。

 

だもんで税務署はまず香港に駐在員を送り込んで長い時間をかけて実態把握を行った。その時に見つけたのが香港とかに住む日本人口座開設業者である。

 

これは完璧に法律違反(法律をクリアーする方法がありながら手当をしてなかった)でありながら堂々と「当社はこれこれの口座開設をやってます!」などとシロウトを騙してやってたもんだから銀行法違反で次々と摘発して一網打尽にしたのがこの頃である。

 

この時口座開設業者に対しては税務署が「顧客リスト出せよ、そしたら今回は見逃してやる」とやったものだから口座開設をした日本人顧客のリスト(香港だけでなく他国の口座開設も含めて)が税務署に渡されて結局何の節税の意味もないどころか逆に脱税行為に認定される可能性が出てきた。

 

だから今では顧客リストが渡された事を最近になって知った税理士に「やばいっすよこれ、あなた、リストに載ってますよ」と指摘されて「あわてて香港に飛んで口座閉鎖」が大人気とのこと、皮肉な話だ。

 

その後税務署はまずは銀行に通達をして個人の外国送金をしづらくして(実際にやった人は皆さんよく知っている、その大変さ)更に外国から送ってきたお金に関しては一旦銀行で「凍結」して資金の出所を確認して(捕捉していつでも追跡できるようにして)から本人の口座に入金するようにした。

 

なので現在海外に送金する人は窓口で何かといちゃもんを付けられて送金が出来なかったり受け取り資金が凍結する事態が発生しているのだ。

 

資産凍結という手段は普通に生活をしている人からすれば聞き慣れないし自分にはあり得ないしそんな事される人って何か怪しいお金なんでしょ、そう思っているかもしれない。しかし現実はごくふつうに貴方の隣で働いてる真面目なサラリーパーソンに起こり得ることなのだ。

 

そして今年からは本格的に相続財産を捕捉するために海外財産調書が罰則入りで導入された。今まで黙って持ちだしたカネも、今回ここで正直に申告すれば良し、そうでなければ手打ちにいたす、バッサリと行くぞ!って気合が見え見えである。

 

しかし、上に政策あれば下に対策ありだ。本人が自分の子供に財産を残そうと思えば方法はある。財産を持って親子共に海外移住するか、または自分なりの海外相続を企画するかだ。やり方はある。後はそれを子供のために実行する勇気があるかどうかだ。



tom_eastwind at 11:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月14日

2020年のパラダイムシフト その2


昨日から続きであるが、ではこれからの「起業家が出てこない状態で官僚主導でパラダイムシフトする日本」で何が起こるか?それはこれから2020年までに向けた社会構造の根本的変革である。

 

2013年から2015年までのステージ1では富裕層向け増税強化による国民の下向きの平等の実現。富裕層すべてを一度文無しにさせて金持ちも貧乏人もすべて平等のスタートラインに並べる。戦後の農地改革で地主が没落した、あれだ。それから消費税の増税を確定させる。そして団塊世代の「一生一保守」が喜ぶ防衛力強化と中韓に対するナショナリズムの高揚である。これをやると票が集まる。

 

問題は2016年から2020年までのステージ2、社会保障の大改革であり、これが本丸だ。そしてこれが団塊世代を直撃してパラダイムシフトを起こすことになる。まず医療、介護、年金を殆どすべて自助(自分の事は自分でやれ、国に頼るな)互助(自分がダメなら家族や親戚を頼れ、国に頼るな)という名のもとに国民負担に戻して政府の支出を激減させる(または消費税を20%にする)。

 

同時に一定以上の資産に対して資産課税を導入する。団塊世代が自分の老後の為に銀行に預けている残高総額(マイナンバーなどで名寄せをして総資産を把握している)や土地不動産などの総額の5%を毎年課税する方式である。総資産が善念より5%以上減少していれば課税しないので必然的に消費に回るが老後の資金とはならない。

 

このダブルパンチが退職して老後を楽しもうと計画している団塊世代の財政を直撃する。これで十分と思っていた年金生活資金が社会保障の自己負担と資産税導入で完璧に枯渇する。ちょうど戦後すぐの日本で「何とか残りの人生を生きるだけのカネは確保した」と思っていた中年層を銀行封鎖、新円切り替え、ハイパーインフレーションが襲いその老後資産をすべて奪った時のようなものだ。



と、ここまでが2020年のパラダイムシフト第二弾で今日の話の骨子です。下記説明詳細は長くなるので省略して頂いても結構です。

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これはこれからの政治日程に大きく関わってくる。2013年から2015年までは自民党の黄金時代である。次の衆院選と参院選は2016年だからこの3年はやりたい放題に出来る。

 

しかし自民党と官僚が本当にやりたいことは3年では片付かない。次の2016年の選挙では何とか勝たねばならない。それからのオリンピックまでの4年が本当に日本の経済構造を根本的に作り変える事になる。

 

なのでこの3年でやることは消費税増税、日本の防衛力強化、ごく一部の声なき少数派である資産家向けに相続税の増税、所得税の増税を発動するのみで大票田である団塊世代が納得出来る政策のみにして彼らが2016年の選挙で自民党に投票することである・・・。

 

2015年までは消費税増税は「民主党がお決めになったこと」であり粛々と実施する。反対しそうな業界には「減免措置」で口封じをする、新聞業界のように「黙らせてこっちが鼻面を掴んで振り回す」のだ。

 

防衛力強化は「強い日本」が大好きで1980年代に「NOと言える日本」を思い出す団塊世代向けに「日本は独立国なんですよ!」と主張して票を確保する。

 

そして資産家向けの増税、これは一般国民にとっては溜飲の下がる思いであるから歓迎される、取られる方は声が出せないから結局法律が通って資産家向け増税が確定する。

 

ここまでが2015年までの流れであり、1億円程度の資産を持つ団塊世代は「あーよかった、また俺の頭の上を弾が通り過ぎていったな」と思って2016年の選挙で「よく頑張ってる」自民党に一票を投じる。

 

次に日本を取り巻く世界情勢である。

 

世界情勢は次々と変化している。新聞はカネを貰ってるから何も書かないから新聞とテレビしか情報源を持たない団塊世代が気づかないままに変化を遂げている。

 

まず今後のビジネスのグローバルな発展による富の集中。起業家問題にも絡むのだ。2014年から2015年にかけてすでに世界の三極化が起こっており、その変化に応じて今まで存在しなかったパラダイムシフト的なビジネス・モデルが次々と発生している。

 

それはグーグル、フェイスブックなど20年前は聞いた事も存在したこともなかった企業群が急激に発生した経緯を見れば分かる。これが更に広がるのだ。

 

米国などでリスクを取った時代を大きく変化させる新しいビジネス・モデルが起きるとそれが一気にグローバル化して世界が変わるがその時日本は常にそのサービスを利用する側となり決定権を持たず言われるがままにカネを払うしかなくなる。石油の輸入価格を日本が決定出来ないのと同様だ。

 

何故なら日本ではパラダイムシフト的なビジネスは官僚には絶対に思いつかないからだ。パラダイムシフトとは無を有にすることで既存の延長線にないものを創造する力だが、官僚教育ではそのような思想を持つことを禁じている。

 

既存のビジネスについても世界標準が次々と米国に移ってしまえばこれまた日本は決定権を失ってしまう。やがて変化の出来ない日本に見切りをつけた日本の企業が海外に出ていき日本は空洞化する(てか既に始まっている。パナソニックでさえ一部本社機能をシンガポールに移転している)。

 

そんなところにアベノミクスが日本の構造変革を実現出来ないままにゆっくりと崩壊する。貿易収支赤字は既に始まった。賃上げは中小企業では全く進まず、円安のために輸入代金が上昇してこれが物価高を招くが政府は「お、いいねー、物価が上昇しましたよ国民の皆さん、これで長いデフレ脱却ですよ」といかにも調子が良いように言うが、これは一般的には収入が増えない中の物価高と言うスタグフレーションと呼び不況を招く。

 

このような状況下では一部大企業は生き残れるがそれ以外の中小企業を直撃する。

 

雇用は海外に流出し若者の失業率の増加で成年になっても就職先もなく引きこもる子供の面倒を親が見ることになり、これが実質的に政府に代わって親が直接子供に生活保護費を提供している状態になるが親はそんな事に気づきもしない。

 

これはゆっくりと崩壊させるから実質的には来年からじわじわと発生するがマスコミは発表しないから多くの国民は自体の変化を知らないまま毎日の生活に明け暮れるしかない。

 

このような周囲の環境変化を利用して2016年は本丸である団塊世代の狙い撃ちだ。

 

このタイミングで日本は一気に大不況に陥る。若者に仕事はない、日本のビジネス主導権もない、そんな中で日本全体の賃金水準は更に下がっていく(大企業だけは減税の代わりに賃上げをすることで表面的には給与が上がっているように見せかける)。中小企業は廃業、消費は冷え込み税収は大幅に減少する。

 

現在でさえ「春闘で賃上げって言うけど、どこの話だい、うちみたいな中小企業はますます元請けに搾取されてどんどん苦しくなってくるばかりだよ」という声が聞こえる。これが更に加速するのだ。

 

そして財務省はこの状況を利用してそれまで賃上げを景気回復としていたのが今度は中小企業を取り上げて国民に危機を訴えて「このままでは日本の財政は崩壊する!」と訴える。そして政府が狙い撃ちにする最後の標的が国民の1400兆円の個人資産だ。

 

日本政府が抱える負債をすべて解消して積み上げた国債を返済するにはハイパーインフレーション(超円安)を起こして国債価格を実質的に減少させる。更に資産を老後のために維持している国民に対して銀行預金に課税する「資産税」を導入して毎年5%くらいの課税を行い資産ゼロになるまで追い込む。1億円の現預金があっても毎年5%づつ取っていけば単純計算で20年でなくなる。

 

こうやってバブル崩壊を生き残り何とか逃げ切ったと思ってる年金世代の資産をすべて没収してリタイアしてもカネなし状態にする。

 

こうやって国民すべてを一旦誰もがカネがない「下向きの平等」に押し込んでおいて政府は健康保険の自己負担、特に65歳以上の負担を増加させて病院に行きたくても自分のカネがなければ行けない状態を作り上げる、国民すべてが平等に負担するという名目の元に。病気になったら寿命なんだから尊厳死しなさい、大丈夫、あなたが使えたはずの医療費は子どもたちの教育に回すから(もちろん嘘)。

 

次は年金だ。ハイパーインフレーションが起こっても年金額は物価スライド制を導入せず固定額にしておけば政府からすれば支払額は実質的に減少する。家族の介護責任を表に出して政府による支出を出来るだけ減らしていく。

 

「親の面倒は子供が見なさい、何?年金?そんなものはとっくに崩壊してますから。何、親の面倒を見られない?なんという親不孝ものめ!みなさーん、ここに親不孝者がいますよー!」とマスコミを使ったキャンペーンを打ち、これで年金負担を解消する。

 

さあこれで年金医療改革の終了、あとは一般国民から消費税なり何なり巻き上げて政府の財政は100年安泰ですよ。

 

そんな法律が通るか?なんて思ったって選挙に行くのが組織票であり自民党が政権を保持している限りいつでも出来る。悪法でも逆らうことは出来ない、だって民主主義のルール通りに粛々と法改正をして成立したのだから国民には文句の言いようがないのだ。

 

ぼくは世の中の大きな流れが見える。それは「歴史は繰り返す」し「国民性はそれほど変化しない」からだ。今起こっている事が歴史の中のいつの時代にどこで起こったかを知ればその答も自然と出てくる。

 

勿論占い師ではないので地震とか突発的な自然災害は分からないが人間のやることであればだいたい予想出来る、だから今までやってこれた。

 

だから今回の流れもだいたい見えてくる。時期的に少しずれることはあっても大きな流れが変わることはない。何故なら官僚が作った道筋は必ず実行されるからだ。

 

偶然だがこの記事の骨子を大体書き終わった後にたまたま日経ビジネス33日号を読んでてビジネス鼎談(P48-51)というコラムがあった。そこではなかにし礼、白石真澄、東洋新薬代表取締役の服部利光3氏が社会保障を語る内容だが、これがどう見ても政府による「やらせ」である。

 

「高齢者に70%、子供には3~4%社会保障の遣われ方は不平等だー」てー意見は高齢者は社会保障を使うなって言ってるようなものだ。老人の数は多く子供の数は少子化で少ない。それに子供は一般的に健康であるし老齢年金も失業保険も受け取らないのだから少なくて当然である。バカな詐欺噺である。

 

「個人金融資産1600兆円の6割を保有しているのは高齢者です。高齢者の貯蓄をいかに世の中に役立てることが出来るのか、その施策も重要になっています」つまり高齢者はカネを吐きだせって言ってるのだ。

 

さらに「消費税は今の社会保障サービスのレベルを維持するには17%でも足りないとおっしゃいましたが増税は仕方ないのでしょうか?」という質問に対しては「そうだとしてもやるべきことはあります」って、おいおい、消費税17%への提灯記事かよ。やることたくさんって言いながら増税は仕方ないって書き方で誘導しようとしている。

 

まさにぼくの予測している2020年のパラダイムシフトとこの記事が一致しているのは何も偶然ではない。僕はもし僕が政府側であれば財政再建をどうするか、100年の安心財政をどう構築するか、起業家を育てず政府が日本株式会社を仕切り現在の官僚制度を維持するためにどうするかって言う政府側の視点で考えるから同じ答になるのだ。

 

日本政府は日本国民の性質や考え方をよく知っている。お上に忠実、嫌なこともすぐに忘れる、公の為にとか他人のためにという言葉に弱く、自分の利益を主張することを恥ずかしいと思う。そういう性質をうまく利用して国民を分断統治する。

 

具体的な分断統治とは、最初に一般庶民が喜ぶ「金持ち叩き」をやり、返す刀で「君らも痛みを共有してほしい」と貧乏人からも税金が取れる消費税を増税して更に最後の中間層である団塊世代には「若年層との平等を図る」視点から現在の不公平を理由として社会保障の切り捨てと財産税で老後の資金を巻き上げる。

 

2020年のパラダイムシフト第二弾でした。



tom_eastwind at 11:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月13日

国家衰退と改革の法則

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古代ローマから現代のアメリカに至る帝国と大国の衰退の共通法則があるとのこと。それは成功体験に縛られて平和が長く続き人々がリスクと損失への病的な忌諱を感じ始める時である。

 

例えば親が過保護だと子供は外界の動きに鈍感になり創造性が育ちにくくなり自分に自身が持てなくなる。リスクを取り、それを克服するのが苦手なリスク忌諱症候群の人間が生まれる。

 

国家も同様で政府が箸の上げ下げにまで口出しをする国はリスク忌諱国家となる。他国に競争相手が出てきて自分の優位性が脅かされても対抗策が出せない。政治的にもこれが抵抗勢力となり政治改革を押しとどめて現状維持を図ろうとする。

 

この壁を乗り越えるにはリスクを取って起業する「起業家資本主義」が必要であるが日本はそれに失敗した。あまりに長い現状維持がリスク恐怖症を生み自己変革が出来ない世の中になった。

***

 

何故日本で「起業家資本主義」が育たないのか?

 

それはまず第一に日本は日本そのものが会社であり経営者が官僚である。なのに指示を聞いて行動するだけの駒である社員=民間人が社内起業なんてあり得ない、それは判断権限を持つ官僚の専権であり「下々が余計な事をするんじゃねー」と本気で思っているからだ。

 

第二に日本の政治運営や決定の中心にいる官僚文化は失敗を認めず誤謬が起こりえない前提の減点主義であり失敗を容認する文化を持たない。起業を認めることは失敗することを容認することにつながるからだ。

 

日本の明治から続く官僚制度は元々は中国の科挙から来ている制度で特別に優秀な人間に徹底的に教育を植え付けて何度も試験を行い最後に残ったほんの一握りの超優秀な人間のみを政治に当たらせる。

 

この仕組みの中では過去の歴史の中で起こった事を学び書を読み前例から学びその道から外れずに出来るだけ減点されないように余計なことをせず失敗しないことが賢い行動なのだ。

 

答は常に一つであり出題者の希望する答でなければ例えそれが一つの別の正しい答だとしても認めない教育体制では塾に行くと優秀な講師であればあるほど「いいか、歴史的事実はこれだ、けど受験用の事実はこっちだ、間違えるな」と教えて、幼稚園のお受験では出題者や面談する先生の気持ちを忖度して相手の希望する行動を取ることが成功の階段を登る唯一の道だと学ぶ。

 

そのような教育を受けた人々が東大法学部に入り更に磨きをかけて法律を学び国家公務員試験を受けたり司法試験を受けたりするが、その教授や出題者はすべて上記のような「失敗を認めない」環境の中で純粋培養されておりこの時点で素晴らしく優秀ではあるが全く失敗をしない事を前提とした教育システムを作り上げ、そのルートに乗れる学生のみを受け入れる文化になっている。

 

つまり門外漢やとんでもない発想をする人間に門は開かれておらず、門が開かれるのは「与えられた質問には常に過去の前例を引用適用しつつ最高の答を提供するが過去に存在しない状況においては全く答えを出せない、何も想像も出来ず新たに創造する能力のない人間」のみという環境を作り上げているからだ。

 

そして霞ヶ関に就職すると毎日のように「いいか、お前らは日本の中でもエリート中のエリートだ、民間の大企業の社長でさえお前ら平官僚以下だ、あいつらの言うことなどに耳を貸すな、おれたち先輩が築き上げたこの体制のみが正解であり間違いはどこにもないのだ、わかったか!」と教えられる。

 

官僚は絶対に失敗せず、官僚が決めたことは必ず実行されねばならず、自分がその仕事を引き継げば完成させねばならない(だってそうしないと出世出来ないんだもん)。

 

ちなみにこの制度は清朝末期に廃止された。それは科挙は過去に学ぶ学問であり未来を過去の延長に置くものだが、当時清朝に攻め込んできた西洋の技術・制度は科挙の「過去」に存在せず前例主義教育の延長線上に存在しないものであり、科挙のような教育はざっくばらんに言うと洋の東西がぶつかった時代のパラダイムシフトには全く使い物にならないクズになったということだ。何かどっかの国と似てるな。

 

西洋における起業家精神はその全く正反対の位置に存在する。何か起こるまでは弱いが何か起こったらすぐに新鮮な発想で対応する。発想が常に現実的なのだ。

 

第二次世界大戦でも日本は万全の体制で戦ってゼロ戦を作り当初は米軍機は次々と撃ち落とされた。ありゃ一体なんじゃ?けどそんな今まで見たこともない「ブラック・スワン」が出現すれば現実的に捉え「ありゃ間違いなく存在する、おれらの世界にはなくても違う世界に存在するんだ」とすぐに対応した。

 

そうやってゼロ戦キラーを作り上げた米空軍に対して日本軍は「ゼロ戦が撃墜されるわけがない、精神力が弱いのだ!」とか全然意味のない妄想をして現実的な対応をしなかった、てか出来なかった為にゼロ戦は次々と撃墜され多くの優秀な操縦士を失ってもどう対応して良いか分からず挙句の果てに特攻しか思いつかなかった。

 

ニュージーランドを含む英国系社会が強いのは常に目の前に起こることに現実的対応が出来る事だ。日本人は一つ一つ先を読んでこうなったらこうなると段取りを付けて、だから失敗せずに仕事が進む。一見頭が良さそうに見える。

 

これに対して英国系は段取りなんて考えず取り敢えずやってみるからしょっちゅう失敗する。日本の技術者が米国人と働いていると米国人のばかみたいなミスを笑うしかなかった。ところがミスを繰り返すうちに段取りを重んじる日本人では絶対に思いつかないとんでもない技術を発明してしまう。これが彼らの強みである。まさにパラダイムシフトが出来るのが英国系の強みである。

 

彼らの文化では失敗をする事こそ大事と教えられる。失敗を繰り返すことでだんだん成長する。だから失敗は成功の母親なのだ。だから失敗を責めてはいけないし失敗を非難しては成長がないのだ。

 

人は失敗する。だから失敗することを前提としてシステムを作る。政治も同様であり、政治は腐敗する。長い政治は確実に腐敗する。それが人間の常と分かっているからシステムとして政治が交代する制度を導入する。

 

これは東洋にはない考え方で要するに人間をどのように観るかという視点の違いだ。西洋では人間は失敗したり腐ったりする事を前提にできるだけ失敗から学び腐らない仕組みを作り腐ったらどうするかを考える。

 

これに対して東洋では人間は学び進歩すると考える。だから腐るという考えがないので腐ったらどうするかという仕組みが存在しないのだ。つまりすべてが予定調和の世界でしか動いてないから予定調和しない事態が起こるとパニックになって右往左往するしかなくなるのだ、江戸末期の黒船を見た江戸幕府の高級官僚のように。

 

それでも東洋だって市井の賢人は人が腐ることを知っているがそういう賢人は政治の中心に入ることが出来ず決定権を持たないからいつの時代も「角のご隠居さん」としかならない。中国と日本を含む東洋的思想では「人は腐る」のは試験で間違った答を書くようなものなのだ。

 

つまり起業家を認めることは失敗を容認することになるから失敗したものは徹底的に叩かれ社会から排除され、それを見た周囲は「やっぱやめとこ、サラリーマンでいいや」って事になるのだ。こんな環境でどうやって起業家が輩出されるものか。

 

誰しも失敗する、しかしその事を責めず責任問題にせず常にまた市場に戻ってこれる仕組みを認めてしまうことは日本の官僚制度が持つ「無謬」という考え方を真っ向から否定する。平和な間はそれで良いのだが時代がパラダイムシフトを起こしてしまった時は前例主義では全く対応不可能になる。

 

西欧では元々の社会の成立が日本とは根本的に違い、民主主義と人間を完璧ではないと観る原則がある。時代を変えるような大きな変化が常に米国から来るのは何故か?それは起業家精神があるからだ。世の中は完璧ではない、ならば自分の理論を実現してこの世を更に良くしてみないか?教育にしても「失敗を恐れずにいけ!」と教える文化がある。だから起業家が育つのだ。



tom_eastwind at 10:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月12日

2020年のパラダイム・シフト 

 

「2020年のパラダイムを読む」というタイトルで「まとめ」があった。

 

まずはコンピューターの進化により2020年までに全就業者数の半数は情報・サービス系になる。製造・建設業は約400万人減少、情報・サービス業は270万人増えるとのこと。「プロ・職人の勘所もビッグ・データで管理されるようになる」ので、人間が必要とする技術が不要になる。

 

そして現場ではロボットと人間の競争だ。速度や正確性ではロボットに敵わない人間に残された仕事は、速度は競わないがロボットに要求したくないサービスを提供してくれる人間だ。

 

このような記事をあちこちで見かけるが、これってニュースじゃないよね?だってぼくらSFで育った人間からすれば40年前から知ってた事だし。

 

これからますます機械は進化してそこにコンピューターとインターネット技術が合流すれば、社会の中できちんと仕事を得られる職種でそれなりに食える職種となると本当に限定される。

 

コンピューターを使いこなして制御する人間か、ビジネスにコンピューターを取り入れる経営者か、またはコンピューターや機械にやらせるほうがコストがかかり過ぎる、例えばホテルの洗濯機からタオルを出して折りたたんで客室に運びタンスに入れる仕事などが人間に残された仕事になるだろう。

 

今あなたは自分の子供にどのような教育を与えているだろうか?その教育は既存の「中高教育で大学受験を学び大学に入ったら何の勉強もせずとりあえず卒業したらどっかの企業に就職して」〜って内容であれば、あなたの子供が不幸になる確率は8割だと思ったほうが良い。それは親であるあなたが未来を見てないからだ。

 

与謝野晶子が自分の弟の日露戦争旅順攻略戦に従軍した時に「君死にたもうことなかれ」と唄ったのは有名な話だが、彼らにとって住む場所を選べなかったから仕方ない話だろう。

 

けれど今の時代に生まれれば未来を読む自由もあるし住む場所を選ぶ自由もある。その中で親の無知のために子供の10年後の将来にとって最悪の選択肢を選ぶのが親の仕事であるなら、いかに親の自分勝手な話であり子供にとって迷惑な話であろうか。

 

日本でも最近は大学と専門学校の二つに通わせて手に職系とか理系を選ぶとか選択肢が増えてきたようだ。バブル時代のようなパーティ学部では就職先も将来もないってのに気付き始めた証拠だろう。

 

少し話はそれるが、移住先に必要な条件として大きく挙げられるものが「治安、医療、教育、言語」である。これに続いて「水、食料、空気、電気、法治」が続くだろう。ニュージーランドは現時点では日本人にとって言語以外の条件はトップクラスだと思う。

 

しかし移住したいと思っても能力がなければ移住できないのが実態である。移住先と思われても移住先としては「関係無いですね、うちは能力のある人材を求めてるだけですから」で終わりだ。

 

これと同じで就職先に求める条件として「十分な給料を払ってくれる、誇りや学びがある、助け合える仲間づくりが出来る」であろうか。

 

給料の面ではぼくのブログで何度も触れているが、今の日本人学生の競争相手はインドの山奥の英語が完璧で西洋文化を理解して二桁の暗算が優秀な学生だったり人口10億人の中で厳しい競争に生き残った中国の超優秀な学生であり、彼らよりも能力が低ければ確実に彼ら以下の給料しか手に入らない。つまり今の時代は競争相手が中国やインドである。

 

だが次に来る時代、子供が社会にでる頃には競争相手はもっととんでもないものになっている。それがロボットだ。

 

企業の社長側から見ればすべての労働者の労働価値は中国やインドの学生ではなく、なんとロボットと比較されるわけであり、ロボット以下の学生に給料を払う理由はない。社会保障の提供は政府の仕事であり民間企業の仕事ではないからだ。

 

「学びの場や仲間作りをするならそれはどうぞご自由に。会社が要求するのはあなたがロボットよりも優秀であることだけだ」となる。

 

つまり選ぶ方(企業と学生)も選ばれる方(企業と学生)もどんどん平等になりお互いの選択肢が狭まり、よほど優秀な一部の学生は引き抜きの対象になるがそれ以外の「普通の学生」は意識だけ高い系と見做されて面接の対象とさえならない。

 

何で文句ばかり言って仕事にムラのある人間を雇用して労働法とか面倒くさい規制を守る必要があるんか?ロボットなら何も文句は言わんぞって話だ。

 

ほんとに一部の優秀な人間だけがロボットと比較しても勝てる仕事をする時代にあなたはどう戦うか?

 

これは企業だけではなく世界全体の流れである。現在すでに世界レベルで人材獲得合戦が始まっている。例えば最近世界トップクラスの大学がネットを利用した双方向の大学講座を世界に公開しているが、あれはお情けでも世界に教養を広げようというのでもなく、世界にいる優秀な学生をいち早く発見して奨学金を出して大学に入ってもらい大学のレベルを高めようって作戦である。

 

こうなると人間が出来る仕事はどんどん狭まっていくのが分かる。人間にしか出来ない仕事、例えば映画製作(創造性の高いもの)、映画俳優(CGやられるとOUTだな)、歌手(初ミク以上に上手い事が前提)、医者(RC技術により全体数は減少するかも)、看護婦(人間性勝負)、政治家(ロボットにやらせたほうがマシな場合もある?多い?かなり多い?)、都市工学、設計家、ラグビーなどスポーツ選手、かなり限定的であり世界に競合相手がいることが分かる。つまり世界に飛び出て戦える実力が要求される仕事になる。

 

ではそういう競合を避けてあなたが自分の生まれた街で人間しか出来ない仕事ってどれだけあるのだろうか?映画館の切符切り?コンビニ店員?ガソリンスタンドの誘導と給油?バスの運転手?マックのアルバイト?介護士?どうも、どれもロボットに置き換えられそうだぞ。

 

そうなると人間相手の警備員(これも暴動鎮圧用ならロボットで十分)、ホテルのフロント(清掃はすでに機械化されつつある)、麻雀やの代打ち(これもロボットになり得るかも)、キャバクラの姉ちゃん(すでに南極もあるからなー笑^^;)、工事現場の作業員(かなりの部分がパッケージ化されてそれはロボット仕事だろう)・・・。

 

もし生まれた街で仕事がなければ世界に出て戦うしか無い。しかし世界に出て中国人やインド人相手に勝てるか?更に、ロボットにも勝てるか?



tom_eastwind at 09:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月11日

NOTHING TOO LATE

1980年代の海外駐在していた日本人商社マンとかは英語力もあり個人としての外国人相手の交渉力もあってタフだったんだけどなー、そんな事を思いつつ昨日は地元最大手銀行のMigrantDep(移住部門)とシティのど真ん中で午前中たっぷりと初会議を行った。

 

いかにも本社部門の優秀そうな白人メンバー4人が向こうに座り、こっちがアジア人チーム3人であるがお互いの利害関係は事前会議でだいたい方向性を付けているので今日はお互いのチーム同士の自己紹介と日付を入れた具体的な方向性を自由討論の形で意見交換することだ。

 

同じクイーンストリートで仕事をしていながら直接会うこともなかったので、話の合間にお互いの背景をメッセージとして伝える。これが難しい。まさに平和外交である。

 

ハイ!こんにちは、うちはここ15年ほどこんな事をBNZ支店で今までやってきてね(ほら、はったりじゃねーだろうがよ、すでにお前んとこの支店にこれだけ仕事出してんだぞ)。そちらの部門は移民部門と名前を付けてるけど実際にはプライベートバンク部門だよね(いくら預けりゃプライベート管理に移れて、どんなサービスがあるんだ?)、どんなサービスを顧客に提供しているの?(ポートフォリオ、FA、このあたりもきちんと出来るの?)。

 

これに対してまるで役人のような話し方でボス(男性)が「うちは顧客向けに正確で緻密な仕事を提供して(お前に言われなくてもうちは出来てるんだよ)、ぼく自身FA免許持ってるし(俺も個人的にゆーしゅーだし)現場では」と隣に座る3名の女性スタッフを指さして「彼ら優秀なメンバーがそれぞれ顧客を対応しているんだ(スタッフの一人はキーウィらしい仕草で両手を持ち上げてにこっとする)から問題ない(心配すんな山猿、客連れてこいよ)」

 

てゆーふーな応酬である。もちろんこのすべてがお互いに素敵な笑顔と考える格好で机に両肘を置き顎の前に軽く手を組む姿勢で真摯に聴いてる雰囲気を醸し出し、笑顔の裏の前頭葉で「次にどんな質問をぶつけてやろうか?」という狙撃者の雰囲気などちらっとも見せない。

 

会議の途中からは段々質問(狙撃者)と会話(交戦)をする人が限られてきて誰がリーダーで誰が実務やってて誰がアドバイザーで誰が質問者の後ろに黙って座ってスナイパーの隣に座るスポッターのようにこっちの話に矛盾がないかどうかをチェックしているのが分かる。

 

今回が第一回ミーティングでありこの偵察部隊同士の威力偵察業務戦闘で相手の実力を測り合う。来週くらいにはまたミーティングを持ってお互いにどこまで何を出し合えるのか、何を言っちゃいけないか、何が相手から取れるのか等などを紳士淑女的な笑顔と握手の裏に隠しつつ交渉に臨むことになる。

 

こんなふうに書くとまるでマフィアの抗争ですか?なんて思うかもしれないが、基本的に西洋人のビジネスは「俺かお前か」であり日本人のように最初から「仲良く半分づつ」なんて発想は全くない。すべては勝者が総取りをしてしまう。だから最初の交渉で甘いことを言ってみたり相手に都合の良い事を言って間違ったメッセージを送ってしまうと後で大変なことになる。

 

西洋人の交渉は厳しい反面きちんとルールを守って戦えば最後は押し切られても“Fair Enough”と答えてくれる。その後も良い関係を保持することが出来てそれが次第に信用につながっていくのだ。

 

一旦彼らの内側に入ってローカルルールだけきちんと守っていればそれなりにビジネス仲間が増えてくる。それも実務的に協力して役立ってくれるチームが出来上がる。そしてこうなると強い。街に流れるビジネス話の裏情報を聞くことも出来るし様々な情報を裏で確認取ることも出来る。

 

電話一本やメール一本で様々な問い合わせも出来るわけで、もちろん相手からこちらに情報が流れてくることもある。

「おい、こんな日本人が来てるんだけど知ってるかい?」

「ふーん、直接はしらねえな、いいよ、裏取ってやるからそいつの事も少し教えてくれ」

そうやってこちら側の日本のパイプを通じて情報を取ってこっちの仲間に

「おい、そりゃヤバ筋だぞ」等などを伝えることになる。

 

逆に言えばきちんとした信頼関係を作るというのはこっちが相手のルールを理解して相手と同じくらいの交渉力があることをきちんとメッセージとして伝える事が出来て初めて構築出来るものである。

 

今日こんな事を書いたのは、最近日本の企業から派遣されてニュージーランドにやって来るビジネスマンの中で時々英語は出来るけど会社の看板外しては全く駆け引きが出来ないビジネスマンを観る機会が増えたからだ。

 

ほんっと、昔の海外駐在の商社マンなんてのは駆け引きも英語も出来る奴らが多かったんだけどなー。ぼくが1991年から6年間香港にいた頃の最初の2年くらいは住友商事のオフィスの一部を間借りして入居して彼らの仕事を請け負ってたから彼らの現場でやってる話をいつも聞いてたしイラクや中東、中国の山奥にまで入り込んでビジネスをやるのをずっと観てた。

 

それに比べると現在のビジネスマンは学生のようなぼさぼさの髪型から始まりスーツ姿なのに背中にバックパックを担いでみたり靴も磨いてない。僕は個人的には人は見た目が9割と思ってないが世間がそうなのだから世間に合わせるのも社会人の第一歩である。

 

そして会社の期待を背負って気負ってるのがよく分かるのだけど話に相手に通じるロジックが存在せずただ会社に言われたことをそのまま伝えるだけのメッセンジャーに過ぎず交渉にさえならない。聞かれた事の裏側を理解も出来ず「それでは持ち帰って検討します」たって、じゃああなたはここまで何の為に来たのかって話である。

 

だから現場で行われている会議や交渉がどういうものか、ここがニュージーランドという田舎のお人好しの国であってもビジネス現場はちょっと違うよってことを知ってもらいたかったので、ちょっと最近の会議の様子を書いてみた。

 

勿論こういう交渉は日本人の得意とするところではないが、だからと言ってこの街で使われているルールを守らずに日本式のルールを押し付けても通らないどころか話の通じない変な事ばかり言うビジネスマンだと思われてその後は話もできなくなる。ましてや看板を外したら誰も相手にしてくれなくなる。

 

蛇足だが、ぼくがこんな事を書くとまるで英語が出来るようだが、実際の僕の英語力はうちの社内で見ても下から数えたほうが早いくらい発音悪いし文法なんて年中間違ってるしその意味では使いものにならない。

 

ただ何故か伝達能力だけはあるようで相手に「おれは英語は上手じゃないけどお前の言ってる意味と言いたいことは理解しているしお前のロジックで考えているよ」ってメッセージだけはいつも確実に送っている。

 

そして例えここがニュージーランドで田舎の農業国とは言えどビジネスのロジックは英国に近いものがありそのロジックの根本にあるのが「死ぬのは奴らだ」なのだ。だから西洋的に「お前に殺されるほど甘くはねえよ」ってメッセージを送りさらに「それより俺と組んだ方が得じゃねーのか?」という東洋的メッセージを送ってこそユニークな交渉力になるのであって会社の看板などは最終的に役立たない場合が多い。

 

Winner takes all の英語圏ビジネス社会の中でそれでも相手と分前を共有しようよ、組んでパイを大きくしようよ、そういう姿勢を伝えること。20世紀後半の日本人ビジネスマンは何もないところからそうやって世界に広がっていってトランジスタラジオを売りウォークマンを開発してきた。

 

これからの日本はインフラと環境を世界に売り込むことが出来る。その時に外人との交渉が苦手とかやった事ないしーなんて言わず”Nothing too late” 何事も決して遅すぎることはないんだから。



tom_eastwind at 14:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月10日

知的生産訓練のすすめ

「結婚とは治りかけの風邪のようなものだ。熱が覚めてもセキは残る」

これ、うまい!一票です。週末にちょっと笑えるおもしろいサイトを見てたらこういう一文があった。何か西洋の古典みたいな文体だけど「セキ」は日本語なので語源は日本語にあるのだろう。またはオリジナル?だとすると大したものです。なんか派生でいろいろと思いつきそうだ(笑)。

 

それからこんなのもあった。お題を出されて回答する形式だが、

問:長くフッて短くオトしてください。

答:ごめんね、もう君のことを恋人として見られないんだ。

今までみたいな付き合いは出来ない。

・・・・・・・・・だから結婚しよう。

 

こういうのを読んでると日本人のジョークも楽しいものだと思う。自由な発想があればこういう面白い視点から物が見える。

 

梅棹 忠夫の「知的生産の技術」を読むともっと自由に人生を楽しめる、それも出来るだけ若いうちに読めば長く楽しめる、何故なら人の時間は限られているから。

 

この本は1969年に書かれているがその内容は現在も遜色がない。知的生産の技術なんて言うとコピーマシンが出来てファックスが発明されてパソコンやインターネットがほぼ自由に使えてデジタルデバイドなんて言葉が出てきた現在は「知的生産の技術」が十分に揃っているじゃないかと言える。

 

ただ結局コピーマシンもファックスもパソコンもインターネットも道具であり、道具をどう使うかが一番大事な知的生産作業なのだ。

 

人間の思考回路を入力→演算(認識と理解と解釈と整理)→記憶(必要な領域に同様の情報と合わせて保存)→出力(文章や言葉にする)と分けると分かりやすい。

 

すべての事象が眼や耳から入ってくるからそれをどう演算するかが大事である。最初は演算技術がないからどう処理してよいか分からないがメモを取ったりカードごとに分類しているうちに次第に事象の関連性が理解出来るようになる。

 

この「カード」であるがぼくも1970年代に利用してて、不思議なくらいに簡単な作りなのに電気不要のコンピューター並みに役立ってた記憶がある。

 

僕の場合はA5サイズハード紙の右上に領域を書きその下に5W1Hで内容を記入しておく。新聞記事などはそのまま貼り付けたりもした。大体100枚位の容姿を準備しておきA5がぴったり入るサイズのカードホルダーに入れておく。

 

次に上耳付きカラーハード紙を領域ごとに分けて耳の部分に領域名を書いておく。あとはA5サイズハード紙に必要な事をどんどん書き込んでは領域ごとに放り込んでいく。領域がダブる際は同じものを2枚作りA1,A2と言った具体にコピーがあることを記しておく。そしてカードホルダーも次第に増えていくが常に筆写しているので記憶に残っているから忘れることがない。

 

これを繰り返していくうちに領域の区別が自分好みになっていき(学習効果)、記事をA5サイズに要領よくまとめる筆記能力が身に付いて他人に簡潔に物事を伝える技術が学べる。

 

これ実はすべてコンピューターの動きと同じである。入力→演算→記憶→出力はコンピューターの基本であり学習効果もまさに最近のソフトと同様の動きをする。

 

つまりぼくが1970年代にやってた作業は実はコンピューターと同じ動きだったのだ。だからコンピューターが本格的に業務に導入されるようになっても全く抵抗なく使えるようになった。

 

そしてここがミソなのだが、こういう風に様々な視点から事象を眺めつつ考えていると普通の生活では思いもつかない答が次々と出てくる。

 

こういう時に大事なのは常識を捨てる訓練であるがカードで様々な地域の様々な生活体験を見たり聴いたり日本に存在しない常識や視点から観る訓練をすれば自然と「あ、これは地域の常識」とか「あ、これは世界の普遍的な常識」とか「あ、これは期間限定で政府が作って人々に押し付けてる常識」とかがわかるようになる。

 

そして普通の人には思いもつかないような発想で新しい考え方や商品が「出力」されてくるのである。ここまで来て初めて実社会で役立つ知識となるのだ。

 

世の中にはいろんな知識を身に付けてるように見えて実は何の役にも立たないトリビアだったりその日の新聞や雑誌に書いてた記事とそれに対する認識を棒読みして自分の知識として語る人が多いが、それは学びではなく暗記でありその延長線上に独創性は全く出てこず逆に反論されると自分が論旨をしっかり把握していないから言い返せなくなる。

 

いくらたくさんの言葉を知っててもそれを使えなければ学ぶことの意味がない。まさに無駄な時間を消費しただけである。

 

パソコンネタをも一つ書いておくと、生まれた時にはパソコンなんてなかった世代が仕事でパソコン使うようになり使用時間がどんどん長くなるとだいたい問題になるのが充電とか停電である。

 

会社でデスクトップ形式のパソコン使ってて突然停電したり(今の日本では少ないが東南アジアに行けば普通にある)ラップトップの電源がほぼゼロになって充電器が無い時にものすごく怒って「一体なんでよ、この忙しい時に限ってー!」と叫ぶ人がいる。

 

あれ、やってる本人は仕事充実感から叫ぶのだろうが、あれはあまり格好良くないから止めた方が良い。電気が無い時は電気がなくても出来る仕事、考えるとか思索するとか料理の準備に時間をかけるとか、普段はパソコン使ってて出来ないことをするのが本当にパソコンを使いこなすって事だ。

 

そんな事言うと「だってさー、今すぐ送らないといけない書類だったのにー」なんて言われるが、それなら何故余裕を持って昨日のうちに送らなかったのかと聴きたい。「いやさ、ほんのついさっき頼まれて今すぐ送るように言われたんだよー!」であれば近くにファックスはないのか?てか電源チェックして切れかかってたら先にすることがあっただろう。

 

世の中、突発事件なんてのはそんなにたくさん起こることではない。大体において準備が不足しているからギリギリになって無理して事故を起こしているだけだ。そう、パソコンはあくまでも自分の作業の手段の一つである。パソコンがダメなら代替手段を常に持っておく、そういう思考回路を養うのが知的生産訓練である。だから、機械に振り回されて騒ぐな、みっともないから。

 

実は冒頭の言葉にはお題の前振りがある。

問:「ハゲは商売が下手である。何故ならもうけがないからだ」みたいな事を言ってください。

答:「結婚とは治りかけの風邪のようなものだ。熱が覚めてもセキは残る」



tom_eastwind at 17:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月09日

日本に長く居すぎた外国人?

日曜日は朝4時に目が覚めて「ぐっすり寝たなー、よっしゃまた空想の世界に入るぞ」とばかりにもう一夢観る。ほんとにこの夢って面白い。どう考えてもタイムスリップしたかパラレルワールドに飛んだかってしか思えないくらい色んな夢を観る。

 

そのうち小説にしてやろう、そう思いつつ夜明けの7時にベッドを出て今日やることをまとめつつ(ガソリンを入れる、季節のフルーツと牛乳と牛肉と洗濯機用の潜在を買う、冷蔵庫の片付けをする等などそれなりに一仕事だ)適当に「まとめ」を読んでて「外国人が日本に長く居すぎた…と実感するとき」てネタを読む。

 

ぼくからすれば外国に長く住む日本人・・・と実感する時に共通するものがあったので、面白いものを幾つか拾ってみる。*が僕のコメントです。

 

1. 山手線のホームで人波を左右に押し分けながらかいくぐり電車に飛び乗りドアが閉まらないように手で押さえ、その間にかばんを電車に引っ張りこむ。その理由が少なくともあと2分は電車が来ないためだとわかっているとき。

(外国では1時間にたった1本の電車が平気で遅れてくる。ひどいときは数日 遅れる。)

*ニュージーランドの首都であるウェリントンと商都のオークランドを結ぶ電車は11本で自宅から会社までドアtoドアで15分の生活をしていると東京の人の多さと生きる大変さに疲れます・・。

 

3. 自動販売機で、何のためらいもなく紙幣を入れるとき。

(海外の自動販売機はお釣りがきっちり出てくる可能性は10分の1以下で、 壊れている可能性は何十倍もあることから勇気がいる)

*もう一つ言えば日本のように田んぼの端っこに自動販売機を置いてればほぼ10日以内にトラックでかっぱらわれる国があることを知っている事を賢いというべきか寂しいと言うべきか(苦笑)

 

4. 外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき。

*これを感じ始めるとほんとに「お、染まったかも」と思う時です。

 

6. 選挙車のスピーカーから騒音・爆音をたれ流されても、「ショーガナイ」と思うとき。

(欧米ではあれほどの騒音は違法なところが大半)

*これを聴くと懐かしくなる俺ってまだ日本人かも〜って感じる瞬間ですね(笑)

 

7. テレビ番組で一番いいのはコマーシャルだなと思うとき。

*そう、本ちゃんの番組の下らなさと比較すれば余程レベルが高いが肝心のテレビを見なくなった今はコマーシャルさえも見ないなー。

 

9. 信号の色のことで青か緑か揉めはじめ、あれは青だと思い始めるとき。

(日本人は青と緑の区別がつかないと思っている人もいる)

*グリーンライトがGO SIGNだと肌で感じ始めて日本で青信号って言われて違和感を感じ始めた時。

 

12. 自分の国に帰ってから、みんなと飲みに行って、全員のビールを注ぎ始めるとき。

(ビールを注いであげるなんてことはない)

*これ、ほんとに難しい。日本から来たお客を迎える際に一番困る場面だ。特に地元レストランで相手がワインをこちらのグラスに注ぐ時に周囲の目が妙に気になるしグラスを捧げ持たずにテーブルに置いたままでは申し訳ないと思いつつけどここでグラス持ったら地元では礼儀知らずだしけど今目の前にいるのが日本人だと持たないと失礼だと思いつつ悩む瞬間がきつい。

 

13. 家が10平方メートルでも広いと思うとき。

(ほっとけ)

*まさに「ほっとけ」ですな(笑)。それにしても品川から恵比寿に向かう住宅街で道路すれすれまで住宅があるのを見るとびっくりするのはニュージーランドに慣れすぎたせいか(笑)?

 

14. 会社の窓の外の景色が「一面コンクリートだらけ!」の代わりに、「意外と緑もある」とか思いはじめるとき。

*これはないな。むしろ高層ビルの高さと窓から見えるビル街が新鮮で、いかにも都会を感じさせる。2月の出張時も三越本店を見下ろすビルのオフィスから景色を楽しんでたら受付の女性に変な顔をされた。

 

17. 自分の国に帰って、喫茶店で「アメリカン・コーヒー」を注文してしまうとき。

*コーヒーではないけどクレジットカードで支払をする時に毎回「一回払いでよろしいですかー?」と明るく聞かれて「それ以外に払い方あるんか?」と思いつつ「はい、お願いします」と言いつつ、あ、そうか、日本ではまだリボ払いが一般的ではないんだと毎回思う事。

 

20. トラックがバックするときに、童謡を流していてもおかしいと思わないとき。

*これ、むしろオークランドで日本から輸入されたトラックが「バックします」とか「右に曲がります」とか日本語でアナウンスしているのを聴いて「キーウィって気にしないのかな?」って思う時。

 

23. 英文学専攻がバカ女を形容するときのオブラートに包んだ言い方だと思うとき。

(英文学というと欧米ではシェークスピアなどの古典にも強く才女のイメージ であるが、こちらで英文学科というとシェークスピアの一節も言える女が居ないらしい)

*ニュージーランドにはパーティ学部というのがあるってのを知って笑えた時。

 

28. 赤の反対は白なんだと思うとき。

*実際は何なんだ?知ってるキーウィって少ないと思う。

 

31. 大事な年を平成や昭和の年号で覚え始めるとき。

*これ逆に、平成の年号が全く分からなくなっている現在「おい、西暦で書けよ」と言いたくなる自分がいる。

 

他にも面白いのが続く。日曜日の午後を楽しんでください♪

 

45. 「ノー」を伝えるとき、鼻の上で手を左右に振るとき。

 

46. 店でクリスマスソングを聞いてもセンチメンタルな気分にならないとき。

 

47. 趣味は「ドライブ」と言い始めるとき。

 

48. 濡れた傘には店の入り口で配布しているコンドームが必要だと思うとき。

 

49. 12月の日曜日は全て忘年会の二日酔いの回復のために用意されていると思うとき。

 

50. クリスマスイブにケーキを買い始めるようになったとき。

(欧米ではケーキではなくクリスマス・プディングが主流)

 

51. 吐くまで飲むのを楽しむとき。

 

52. 胸の谷間を見て、うわっとか思うとき。

 

53. お昼の弁当は昨日の残りで、器がハローキティでも普通と思うとき。

 

54. ビール1缶の値段が1ケースの値段と同じことがあっても不思議に思わないとき。

(初めて知らない飲み屋に行くとショックを受けるのだと思われます)

 

55. 一つの会話につき3回ずつ謝罪している自分に気付くとき。

 

56. どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき。

 

57. 片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき。

 

58. 買い物している間の30分間、車のエンジンをつけっぱなしにし始めるとき。

 

59. 外人の知り合いにまで血液型を聞き出すとき。

 

60. 「英語」と「英会話」の細かい差を見出すとき。

 

61. 自国に帰ったときにタクシーのドアが開くまで待ってしまうとき。

 

62. 阪神タイガースの試合チケットを買って六甲おろしの練習をするとき。

 

63. 外人だけが集まるパーティで、誰かが乾杯を言うのを待ってしまうとき。

 

64. 本屋に雑誌を読むために行き、読むだけ読んだら棚に戻しても疑問に思わないとき。

(海外の本屋は買うところで、立ち読みし放題ということがないのが普通)

 

65. 1個だけの袋詰めされたジャガイモを買い始めたとき。

 

66. 旅行のスーツケースの半分をお土産のスペースに使い始めるとき。

 

67. 外人がいっぱいのバーに行って危険を感じるとき。

 

68. 単語にアンダーラインを引くのに定規を出すとき。

 

69. 日本の何もかもがノーマルに思えるとき。

 

Will's Home page:You've Been In Japan Too Long When...,ThinRope.net:You know you've been in Japan too long when...,gadling.com: 33 Reasons Why You've Been in Japan Too Long より抜粋、意訳、改変、その他記憶より



tom_eastwind at 14:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月08日

WAKANUI BEEF

土曜日だからというわけでもなく普段であれば日の出とともに目を覚ますのだが今日は太陽と蝉の鳴き声に目が覚めたのは日の出の30分後。

 

金曜の夜を楽しんだせいだろうなとか思いつつ軽く朝のストレッチングをやってから汗を流すためにお風呂に入り(これだけは日本人の習性だなーって思う、シャワーじゃ満足出来ない)iPhoneで音楽を聴きつつ読書。

 

半身浴なんて言葉が存在しない時代から風呂に入って本を読むのが趣味だったぼくとしてはどのような住居を選ぶにしても風呂(バスタブ)がなければ家ではない。だって、何のための人生だ?

 

ゆっくりとお風呂につかり今日はトム・クランシーの荒唐無稽なけど結構ありそうな小説「米中開戦」を広げて楽しむ。彼は最近共著が多く初期の頃のような重厚な筋書きはなくなったがそれでも疲れた頭をマッサージしてくれる。

 

本を楽しんでいるとiPhoneから流れてきた歌がシャルル・アズナブールの”Yesterday When I was Young”

 

聴いてると、やっぱり好きな人に好きと言えるって、それが蛮勇なのか情熱なのか分からないけど、生きている間、限られた時間を人間らしく生きるのに、好きって言える気持ちが欲しいなー、なんて思う。

 

風呂から上がって窓から流れる清々しい風とセミの鳴き声が聞こえる中、音楽はビートルズの”Yesterday”に変わってて、それにしてもiPhoneなんてソニーが作れたのに一体ソニーの「あの時代」はどこにいったのかって思う。

 

ぼくが直接ソニーを知ったのは1990年代の香港でソニー香港の旅行の仕事を引き受けてた時だ。あの人、和田さんだったかな、とにかく明るくて前向きで楽しい人だった印象がある。これがソニーなんだな、そう思って「いいよなーこの社風」って記憶している。

 

音楽は”Too Far Away” に変わる。キャロル・キングの名曲だ。まさに「あの頃」を思い出させてくれる。20代の人には申し訳ないが、長く生きて苦労した分だけ「あの頃」の思い出を楽しむことが出来るのが50代の特権だと納得してほしい。

 

頑張れ20代!思い出作りに頑張れ!人生は一度しかない、後悔しないようにやれること全部やれ!若い時に突拍子もないような事をやって年を取ればそういう思い出に生きていくことが出来る、思い出のない人生なんて楽しくないぞ、そう言いたい。

 

“Time After time” が流れてくると少し悲しくなる。思い出の中にも苦いものがある。思わず電話を取って誰かに電話したくなるけど、そうすると音楽を切らなくちゃいけない。あー矛盾だ。

 

うちの居間に置いてるスピーカーはiPhone対応のオレンジと薄緑の円形のやつで音はよく拾ってくれる。ぼくはこの方面のセンスは全くなくて、娘と奥さんが選んだものだが、こんなちっちゃな電話機からよくここまだ低音から高音まで拾えるなってびっくりものである。

 

音楽はニーナ・シモンに変わる。この人の歌の上手さは、なんてか天才が正しい教育を受けて洗練された音にして人々の心を揺さぶるって感じだ。白人で生まれた生まれつきの良さとか聖子ちゃん的な明るさで勝負とかじゃなくて、黒人として類まれな能力を生かしてしっかり学びそれを音楽として表現して、その奥深さには感銘しかない。

 

ゲイリーUSボンズは素晴らしい歌い手なのに生まれた時代が悪かったのか、「米国債を買え」」なんて変な芸名を付けられた運の悪い歌手だろう。歌はオーティス・レディングより上だ。ドック・オブ・ザ・ベイを歌わせたら確実にゲイリーが勝つ。ちなみにオーティス・クレイもレディングより上である。このあたり、音楽業界は実力だけじゃないんだなーってほんとに思う。

 

なんて事を思いつつ今日のお昼はWAKANUI BEEFを塩と胡椒だけでステーキにして喰う。これがほんとに簡単だけど旨い。次回東京に行くときは「ワカヌイ」に行ってみようかと思ってぐるなびを見ると、写真に出てくる牛肉が違う?

 

これ、スコッチフィレットじゃないかな?書き込んだ人はオーシャンビーフリブアイと書いてるけど違うな。肉の断面がぱさついてるのは僕から見れば「こりゃスコッチでしょ」と思うがウェルダンで焼けばこういうこともあるかもしれない。けど確実なのは肉の枝分かれした部分に本来ステーキを焼くために使うような脂肪が多すぎる。

 

ニュージーランドの牛肉を売り込むならニューワールドで売ってるWAKANUI BEEFをそのまま持っていけばいいのにな、直球勝負で真っ赤で脂のないリブアイを日本人に食べさせてそろそろ霜降り信仰から解放してあげれば良いのにな、なんて思う。

 

何だかいろんな事を思ったり考えたりする土曜日。ステーキ喰って昼から軽くワイン飲んで夕方にはベッドに入る。あ、結局今日は日本語も英語も一言も話してないなー、なんて思いつつこういう一日って頭が休まって助かります、そんなのんびりした週末の土曜日でした。



tom_eastwind at 14:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月07日

今日からキックオフ

そろそろ秋が近づくオークランド。朝7時過ぎに太陽登る頃の気温は14度位で太陽とともに温度が22度位まで上昇して夜7時頃に太陽が沈むとまたひんやりしてくる。

 

太陽の日差しは相変わらず強いのに風がひんやりしているから車やオフィスの中にいると暑いが外に出るとひんやりするという面白い天気だ。

 

2月末にオークランドに戻り先週末にやっと今年全体の具体的日程表も作成出来た。クリスマス期間の約1ヶ月と2月に3週間日本に滞在していたので12月から2月末まで殆どオークランド不在で長期戦略もなかなか作れずだったがこれで一段落、ここまでがビジネス戦略構築でありここからはビジネス戦略期間と範囲決定に入る。そして4月に日本に行けばまた実務である。

 

この戦略構築は元々ストラテジー”Strategy”と言われてたが戦後はマーケティングと呼びかたが変わった。名前は何であれやってることは全く同様だ。ビジネスにおいては市場調査を行いビジネスをする場所を設定して期間と範囲を設定する作業である。ちなみにマーケティングさえきちんと出来ればセールスなんて不要ってのが僕の持論である。

 

人にとって今は存在せず、だけど潜在的に必要な物やサービスを見つけ出して提供するのがマーケティングであり、平時のビジネスマーケティングも戦時の戦略もその理論展開は同様である。

 

それにしても孫氏が本書いててくれてよかったぞ、基本的な動きや考え方を逐次適切に教えてくれるので基本の部分で右か左かを悩む必要がない。戦争は外交の延長であり一つの選択肢、外交は政治的意志の実行手段の一つであり政治的意志とは結局自分のやりたい事を実現する事だって教えてくれたのはクラウゼヴィッツである。洋の東西を問わず優秀な人々から学ぶことは多い。

 

次の説明会は4月中旬だ。4月の出張は通常の移住説明会に加えて別枠で投資家ビザ・海外相続・家族信託に特化した個人面談を組み込んだ。

 

この海外相続個人面談は特に去年から急増している「いかに家族の資産を守るか」がテーマで、早いうちに相続や贈与税に節税対策をしておかないと納税額があまりに高額過ぎて現金で納税出来なくなる層が対象である。

 

海外相続対策が必要なのは大体2億円前後の資産家である。1億円の総資産であれば基礎控除の3千万円と子供2人や奥さんを入れた控除が1800万円で4800万円の控除、そうすると課税対象額は5千万円程度で20%(約1千万円)が納税額となる。日本国内に不動産があればこれも控除の対象となり納税額は更に減少する。

 

ところがこれが2億円程度となると約5千万円の控除をした後でも40%(約6千万円)課税される。これだけの現金を用意するのは簡単なことではない。

 

勿論自分の資産が例えば高層タワーマンションなら大幅な評価減が出来る。一軒家でも子どもと同居してたりすると同様だ。だから国内で節税をする方法もたくさんある。しかしそのような方法には限界があり結局日本国内にいる限り代々相続は続くわけだ。

 

相続税を払うためだけに現金資産を増やす方法を考えて実行しても、例えば原資産2億円を使って2千万円の利益を得てもまず増やした時点で所得税と地方税合わせて55%持っていかれる。そして現金を銀行に預けても金利は1%いかないのに物価上昇が2%になると現金資産は毎年1%づつ減少していくことになる。

 

ということはお父さんが頑張って2千万円の現金を作っても10年後に子供に渡せるのは10年で700万円しかないって事になる。何のためにリスクを取って資産運用したのだ、結局政府の懐を膨らませるためだけに働いたようなものではないか。

 

つまり財産はそれなりに守る方法を考えておかないとどんどん減っていくというごく当たり前の理屈が存在するのだ。そして国内に居住している限り日本国の法律が適用されるので節税方法には限界があり、何もしなければ三世代で家族の財産はすべて国庫入りという事になる。

 

もちろん滅私奉公で自分が努力してリスクを取って作った財産を、何の努力もせずリスクも取らない政府に全額献上して政府が自分個人の腹をふくらませるのを見てうっとりするのが趣味であれば何も言う事はない。

 

しかしそうではなく、出来れば自分がリスクを取って頑張って稼いだお金は国民として社会インフラを維持するために必要な納税はするがそれ以外は子供に残したい、そう考える人にはやはり資産を守るという意味での運用は必要である。増やすのではなく出来るだけリスク無しで資産を減らさない、これが実現出来る方法の一つが海外相続である。

 

ところがこれ、日本とニュージーランドの税法や租税協定、ビジネス関連の法律、例えば日本の民放の原理原則から最近の移転価格税制など様々な知識が必要であり更にそれを机上の空論でなく実際に実行してその理論的整合性をきちんと検証した上でどれだけ手間がかかるのかを知った上で実績を積み重ねていく必要がある。

 

ただ単純に事実として捉えて言えるのは、日本とNZ両国に様々な専門家、例えば弁護士や会計士や経営コンサルタントはいるが彼ら専門家は「自分の領域」しか知らず相手国の法律やビジネス実態を把握出来ず、彼らの知識だけでは顧客の望むことに対応できない。これはぼく自身が業界トップと言われた様々な専門家と会って実際に話をした今までの経験で分かってる。

 

彼らは自分たちが学んだ分野、つまりあちら側から顧客の問題を解決しようとするが肝心の顧客視点は「こちら」から観て顧客の生活全体を把握することが必要である。彼らは自分が学んだ知識の延長線上に解を求めるがその視点からだけでは顧客が求める解を提供出来ないのだ。

 

税務的にクリアーしても法的にクリアー出来ず、法的にクリアーしてもそれじゃやってる意味がない、法的にも税務的にクリアーしてもそれじゃあ幸せな生活が送れない、そのようなすべての状況をどうやってクリアーするか?

 

ぼくのやってる仕事はまさにその解を探すことでありすべての専門家から離れた場所、つまり顧客の側に座って顧客視点から見た問題点を発掘してそれを解決する仕事をしてきたので専門家のように「あちら側の事情」でこだわる事がない。

 

どこに問題がありどこに解があるかを全体図を見ながら判断して戦略を作り、どこにどのような専門家を配置して戦術を組み立て、現場の作業としては必要なら戦力の一時投入や迂回作戦などで問題解決を計る。

 

専門家は戦術(理論)や戦闘(実務)には強いが、一番肝心な顧客視点に立った戦略(幸せ作り)に弱いのだ。そして僕の一番得意とするところがこの戦略(幸せ)作りなのである。なのでぼくは専門家集団を束ねて彼らにポジションを与えて活動させるがその全体の仕切りはあくまでも顧客視点でモノが見えるぼくが統括している。

 

今回の海外相続個人面談は東京、名古屋、大阪、福岡と4都市を毎日移動しながら開催する。個人面談は14組までで先着順に受け付けており満席になり次第締め切りだ。さあ、今日からキックオフ。



tom_eastwind at 10:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月06日

起業家ビザ新基準発表。

起業家ビザ部門の新制度がニュージーランド移民局から発表された。ただしまだ完成版ではなく今後実際に施行しつつその都度改定を加えていく方式だ。

 

日本では法律が発表されればそれは完成版と考えるがニュージーランドでは「まず発表して」それから必要に応じて改定していくのがよくあることだ。

 

今回の移民局の発表の表題は AMENDMENTS TO THE IMMIGRATION NEW ZEALAND OPERATIONAL MANUAL”である。

 

BB Entrepreneur Work Visa Categoryについてはかなり詳細なものになっており今までは移民局担当審査官の知能指数に応じて難易度合いが決まっていたが(担当者がバカだと北半球のビジネス・モデルが理解出来ず説明に無駄な時間がかかる)、今後はポイント制度(120ポイント)が明確になっているので分かりやすい。

 

昨日の夕方発表された内容はこれから移住チームビザ部門で頭を突き合わせて読み込むことになるが、これで去年から言語明瞭意味不明瞭になっていた移民局の起業家ビザ部門が前進したことになる。

 

今すでに申請して審査中の人たちへの影響は出ないがこれから申請する人たちにとっては大事な内容となる。NZ移民局が発表している主な改正点は下記の通りである。

 

The  Long Term Business Visa Category, which was closed in December 2013, has been replaced with the Entrepreneur Work Visa Category.

The Entrepreneur Work Visa Category has incorporated requirements to attract high value businesses from experienced business people: a minimum capital investment requirement and requirement for applications to score points across a range of factors in order to be approved.

The Entrepreneur Plus category is now closed, with the extra requirements included as an option in the new Entrepreneur Residence Category.

Venture capital investments are now deemed to be acceptable investments under the Investor 1 and Investor 2 categories.

 

全部で141ページの分厚い資料であり起業家ビザの不足職種の変更も大幅に行われているが中には「ジンバブエのモガべ大統領に協力していた人の入国拒否リストから155名が外れました」なんて具体的な文章もある。そーか、ジンバブエに対しては入国規制があったんだ。

 

重婚が認められてる場合でもパートナーと指定できるのは一人だけよなんてのも日本人の常識からすれば???であるが、たしかに世界中からの移民を受け入れるのだからそのようなケースも予想しておく必要があるな。

 

でもって起業家ビザ申請に必要なポイントの主なものは

1・関連職種での経験年数→5年で30点とか10年で40点とか。

2・自営業経験年数→5年で15点、10年で20点とか。

3・雇用人数→三人で30点、5人で50点とか。

4・輸出額→年間100万ドルで80点とか。

5・投資額→初期投資で50万ドルなら50点とか。

6・年齢が25歳以上49歳までは20点とか。

7・地域加算点が20点とか

点数は幅広いけど主な部分だけ書き出してみた。

 

おいおい、よく見たらこれから始めるビジネスなのに雇用とか投資額とかが要求されるのか?そう、最低投資額は10万ドルでありそれさえ点数には加算されない。雇用だってやってみないと産まれるかどうか分からない。けどNZ基準で言えばビジネス・モデルの時点で雇用数が明確でなければそれはビジネス・モデルではないと判断されるってことだ。

 

特に今回はビジネス・モデルと言いつつ実際に細かな内容まで作りこんだビジネスそのものの企画書が必要であり今までのように「まあこんな事やってみる予定です」は通用しない。またビジネス・モデルを途中で変更することは1回しか出来ずそれも最小限度の範囲内でないと認められない。一昨年まではそんなの全然なかった項目だ。

 

起業家は直近5年以内に倒産経験があれば申請出来ない。申請して最初に発給されるビザはスタートアップビザで1年間有効。その間に起業してビジネスを開始して実際に経理もやって銀行口座の売上も出て、1年後に延長する際には消費税、源泉徴収記録が必要で取引先に発行した請求書も提出して会計監査を受けて初めて延長申請が出来る。

 

延長申請が出来ても移民局担当官が納得しなければ延長は出来ない。ここがミソですね。でもって延長で2年間ビザが取得出来て合計3年だが、今後はこのビザを延長するにしても1回のみに限定された。今までは特に規定がなかった分野が明確になった。

 

また起業家ビザで永住権を申請する場合も2年以上ビジネスを継続していてNZ経済と雇用に貢献していることを証明しなければいけない。

 

今までは起業家プラスという枠があったがこれが今回廃止された。このビザは申請して認可されればすぐに永住権につながるビザだったが今後はこの枠を廃止してその代わりに起業家で永住権を申請する場合で6ヶ月以上2年以下のビジネスであれば3名の新規雇用と50万ドル以上の純粋な投資をしていれば「申請は可能」となった。起業家プラス、厳しくなりましたね、実質的に廃止だ。


ほんとうに偶然だがこのブログを書いてる時に起業家ビザで永住権を取得されたお客様が来社されて無制限永住権になったとご連絡を頂いた。実にラッキーなタイミングでビザを取得された方だ。そういえば起業家プラスもギリギリで申請に間に合った。うちっていつも紙一重でつながってるなーって感じだ。
 

これだけ厳しくなれば実際に自分自身がビジネスを起業して実態としてビジネスを継続しなければならず、今までのように店だけ作って店員に働かせておくって方法は通用しなくなった。

 

もちろん起業家ビザ自体は残っており誰でも真面目に3年働いて雇用と納税をしてくれれば問題はないわけである。

 

最近カナダでも中国からの移民の受け入れ禁止を発表したが、今回のニュージーランド移民局の判断もそれに近いものがあるのだろう。

 

今後起業家ビザが締め付けされ、中国人の場合投資家ビザを申請しても審査で落とされる確率が50%以上である。何故なら自分の資金の出所が明確でない場合が50%以上だからだ。起業家部門で締め付け投資家部門では申請時点で却下し技能移民部門ではポイントそのものを認めない事で受付さえせず実質的に中国からの窓口閉鎖である。

 

今回の発表で中国系のビザエージェントは急激な方向変換を要求されるだろう。とくに顧客に対して以前の起業家ルールで案内していたところは全滅だ。

 

去年は中国からの申請が1年で1千件を超すという異常事態になった。それまでは全世界からの年間申し込みが200-300件程度の申請だっただけに去年は移民局がパンクしてた。今年は中国系エージェントがパンクする年になるぞ。



tom_eastwind at 12:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月05日

ソイレント・グリーン

ソイレント・グリーン 特別版 [DVD]
チャールトン・ヘストン
ワーナー・ホーム・ビデオ
2009-09-09



1973年製作、チャールトン・ヘストンとエドワード・G・ロビンソンの名作。今回この映画を日本のAmazonで購入した。2022年、薄汚れた近未来でそのストーリーが始まる。


この映画は日本に住んでた時に何度も観たがニュージーランドで観る機会がなくずっとご無沙汰していたので久しぶりに今回の日本出張の際に購入することにしてた。本はAmazonで国際郵送してくれるのだが映画は著作権の問題があるのだろう、海外発送は出来ない。


でもってこの映画、買った時にはあまり意識していなかったがオークランドに戻って自宅で映画を観た時に、これってまさに近未来の環境問題を訴えたSF映画なんだって気づいた。


ぼくはチャールトン・ヘストンが好きで最初にこの映画を観た30年以上前にはあまり意識していなかった。けれどこの40年前の映画に描かれた未来が、まさに今食料、エネルギー、水、天候、人口増加、様々な問題がすべて顕在化された。


近未来、環境汚染の進んだ地球ではすで動物が走り鳥が空を飛ぶ自然の景色を失い、今では映画の中でしか観ることが出来なくなっている。食べ物もない。肉や野菜を見ることはほとんどなく人々が食べるものはソイレント・グリーンと呼ばれるまるでビスケットのような固形食料だけになっている。


どの役者の演技も素晴らしく見応えがあるが、今こうやって見なおしてみるとこの映画のすごい点は1973年の時点で地球環境問題を訴えていたことだろう。


世界の大気の観測地図を見ればすぐに分かることだが、世界で最も汚い空気は中国から日本である。汚染度は最も汚い方が真っ黒でその次は毒々しい赤、最も綺麗なのは真っ青であるが、日本と中国はほとんど黒に近い赤である。


日本の隣に中国がある限りこの環境汚染は続くであろうしその影響は長い時間をかけて子どもたちの健康を蝕む。PM2.5に含まれる有害物質は子供の肺に直接入り込んで気管支炎、喘息などを引き起こす原因となる。


実際に1960年代の四日市ぜんそく訴訟ではコンビナートから出る煤煙が公害を引き起こして裁判沙汰となった。もっともひどい例で言えば水俣病だ。工場の廃液に混ざった水銀を海に流しその海に住む魚に水銀が溜まりその魚を食った地元の人々が全身の骨に激痛が走るイタイイタイ病にかかり多くの人が命を失いお腹の中の赤ちゃんまでが汚染されて生まれて一生の疾患を抱えて生きることになった。


中国の大気汚染の中にどのような害毒が含まれているか完全に解明はされていないが少なくとも石油や工場廃液などを含むことは間違いなく、原発の被害が限定的なのに恐怖に思って沖縄に移住する人がいるのに、何故もっと直接的に健康に影響が出る中国の大気汚染を気にかけないのか、この点は本当に意味不明である。


話は映画に戻ってソイレント・グリーンではひしめき合って寝場所を確保し毎日食べ物を探して歩きまわるボロ布に包まれたような人々がいるかと思えば、ほんの一握りの支配層は美味しい自然な食事を楽しみ酒を飲み豪華なマンションで生活をしている。なにも社会の全員が貧しいわけでないのがよく描かれている。


チャールトン・ヘストン演じるソーン刑事を通じて描かれている近未来の世界は生々しくそして希望もない。映画の最後に支配者たちが行っている人々の支配とソイレント・グリーンの事実が露わになるがそれで希望が出てくるわけでもない。


最後の最後まで暗い、しかし見なければいけない映画の一本である。だってこのような未来がまさに今近づいているのだから。映画を観てぼくらが個人レベルで出来る事を考えてみる必要があるのだから。



tom_eastwind at 14:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近観た映画

2014年03月04日

ダンベル上げてる熊とか。


人生の質
 

***記事開始***

長寿遺伝子が中年太りを抑制 群馬大、メタボ対策に

2013.12.26 18:42

 加齢に伴い脳にある特定の遺伝子が減り、体重増加につながることを群馬大の佐々木努准教授らの研究チームが突き止め、26日付の欧州糖尿病学会誌電子版に発表した。


 研究チームによると、この遺伝子は、細胞の老化を防ぐため、長寿遺伝子とも呼ばれる「サーチュイン」。加齢とともに減少することは知られていたが、いわゆる中年太りとの関係は明らかになっていなかった。


 佐々木准教授は「サーチュインが減るメカニズムを詳しく解明し、肥満やメタボリック症候群の治療法開発に役立てたい」と話している。


 研究では、体重を制御する脳の視床下部にあるサーチュインを、人工的に増やしたマウスを使用。普通のマウスと比べて食欲が抑制されたほか、エネルギー消費が増加する傾向がみられ、加齢後の体重増が抑えられた。

***記事終了***


これ、サーチュインで検索するとすぐ出てくるがサーチュインという因子に起因して現代人が糖尿病になったりするのは過食であるとのこと。


ところが民間では「毎日三食きちんと食べる」とか「出されたものは全部食べる」とか言われており、食べ残しとか野菜をきちんと食べないとダメよって言ってるがそれってどうなん?と思ってしまう。


例えば農薬まみれで舌が痺れるためにほうれん草を食べない子供に対して親が無理やり「ほうれんそうは鉄分があって体に良いから食べなさい!」ってのは本能的に自分の体を守ろうとする子供の口に無理やり毒素を押しこむようなものではないか?


毎日出されたものを全部食べてそれで肥満になれば誰の責任だ?じゃあ運動しろってか?じゃあ適正な運動量ってどうやったらわかるのか?


「奇跡のランニング」というベストセラーを出したアメリカのジェームズ・フィックス氏が52歳の若さでジョギング中に心臓発作で急死」なんて話もある。マラソンは「未病」と書いてる人もいた。これは、今は健康だけどマラソンをすることで心臓発作の原因になる、つまり病気になるって意味だ。


適度の食事と適度な運動が大事なのはわかるが、じゃあそれはどの程度の量を示すのか?他人の標準なんて考えても自分に合わなければ意味はないのに他人の統計でこっちを測られても困ったものである。右に心臓が付いてる人に対して左側に心臓と持っている人と同様の治療法を施すことはあり得ないわけだ。


例えばすべての動物の中で運動するのは人間だけって話がある。あなたは今までダンベル上げてるクマとか腕立て伏せするライオンとか、見た事ありますか?彼らは食っては眠りの普通の生活を送ってて、それなのに彼らは必要に応じて自分で餌を捕るために走るし腕を振り回すし時には木にも登るし何より一撃で人間を殺せる力を持ってる。


これだと食べ過ぎて健康を壊し運動して心臓を痛め結果的に病気になったり早い死を迎えたりしたら、一体何のための健康管理かって話だ。


がんに関する一般的な知識だって実は人間の生活にマイナス効果を与えているのかもしれない。


「ガンは治療しない」という本がある。大学の医師が書いた本でありあまり知られてないが、どうやらガンは予防診断で見つかるもののうち「ガンモドキ」なるものがあり、細胞が変化はしているけど悪性ではなく放置しておけば自然と治癒する。ところがそれを無理やりガンと診察して治療を行ったり外科手術をするものだからそれが本当の悪いがんを発病させることになるという理屈だ。


また本当のガンに罹っても血液系のガンではなく固形ガン?であればそれだけが理由ですぐに死ぬことはなく、50歳過ぎてガンが見つかってもガンと一緒に長生きすれば良い。人はいつか死ぬのだ、ガンを治療するために体中にチューブを付けてみたり放射線を浴びてみたり外科手術をして身体を傷つける方が余程悪い。


こんな風に書くと「え?お前医者?」と聞かれるかもしれないが、ぼくが今書いていることは専門書籍からの転載であるが、今の時代の日本人の健康神話や病気神話についてはどうも常に何らかの疑問を感じるからこのようなテーマにしてみた。


要するに日本人って権威や他人の話にすぐ引っかかり本来健康なものを不健康にしてしまってないかって思うのだ。なのでもちっと自分の身体が話しかけてくる自然の声に耳を傾けてみると良いのではないだろうか。


ぼくは小学生の頃から「腹が空いたから飯を食う、12時になったから飯を食うのではない」という考え方を持っている。なのでお腹が空かなければ一日中食べないこともある。おかげで健康だし体重は高校生の頃と全く同じで20代に買ったスーツを今も着ている。効率的だ(笑)。そんなぼくを小食と言うが、それを太った人に言われてもねーって感じだ。


運動も食事も大切だが他人にその量を測ってもらう必要はないだろうと思う。


がん検診ついては個人の死生観の問題だろうが、いつもどこかにガンがないかと探しまくる毎日が楽しいと思えないし見つからないと不安になり見つかったら不安になりそれで抗癌剤飲んだり外科手術したりするよりは上記の「ガンは治療しない」って言ってるお医者さんの主張するQOL”Quality of Life” 「人生の質」を大事にしてガンと共存しながら人生を楽しみたいと思う。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



tom_eastwind at 11:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月03日

帰ってきたヒトラー

帰ってきたヒトラー 上
ティムール ヴェルメシュ
河出書房新社
2014-01-21


出張後初めての週末は一切外出せずに自宅で過ごす。買いためた食料を食いつつ日本で買った本を読む。今回は「帰ってきたヒトラー」上下巻だ。

 

ヒトラーが現代に甦った。その記憶や思想をすべてそのまま残したままに現代に甦った彼は当初コメディアンとしてデビューするが戦前のように素晴らしい演説を連発して、いつの間にか政治家の仲間入りをするようになるのだ。

 

なぜ現代にヒトラーが甦ったか?その原因はこの本では全く問題にされてない。何故ならSF小説ではないのでタイムスリップのことをどうこう書いても本筋の鋭い文体を冗漫にするだけだからだ。

 

大事なのはもし今の時代にヒトラーが甦ったら「どうなるか?」という事だ。戦後60年過ぎた現在のドイツは今でもヒトラーに関する多くの禁忌があり法律で規制されている。まるでヒトラーが狂気の人物でありドイツ人すべてが騙されていたかのように。しかし事実はどうなのだろうか?

 

過去のヒトラーの足跡を辿りつつその演説を現在に移し替えてみて違和感があるだろうか?実は、あまりない。過去のヒトラーの時代も今の時代も本質的な部分は何も変わっていないのだ。

 

ヒトラーは人種に関するジョークを連発する。その中でも秀逸なのが下記である。

問「スペイン人とギリシア人が売春宿に行きました。さてカネを払ったのは?」

答「ドイツ人」

この意味は欧州の日常から離れた日本ではピンと来ないだろうからちょっと言い方を変えてみよう。

 

問「中国人が米国の新聞に慰安婦問題の全面広告を掲載して、韓国人が米国に像を建てました。さて金を払ったのは?」

答「日本人」

こうなると少しわかりやすくなる。戦後中国は日本の巨額なODAで工業を作り日本の技術移転で発展して今では日本を抜いて経済大国になっているが、その元金の出処は日本である。

 

慰安婦問題を捏造して新聞広告までやってるのにその国に今も経済援助を続けている日本。日本人が持つ日本政府に対する単純な疑問は、「なぜ日本を侮辱する国にカネを払い続けるのか?」である。

 

ドイツ人の心情も同様で上記のジョークはドイツ人からすればいつの時代も欧州の中でまともに働かず他国からの援助で遊び呆けている国を何故支援しないといけないのだ?という単純なドイツ人の疑問なのである。

 

敗戦後長い間遠慮していたが、ドイツもそろそろいうことを言うべきである、そういう空気が醸成されてそこに演説上手のヒトラーが国民の本音を代言するようになれば?

 

彼が戦前に使っていた情報媒体はラジオ、テレビ、新聞、そして演説であった。現代に甦ったヒトラーは最初はテレビを使いすぐにYoutubeを利用して自分の演説を放映して雑誌を活用して多くの議論を挑んだ。そしてウェブサイトを開設して常時ヒトラーの意見を述べるようになった。

 

「ルールは60年前も今も同じだ。ルール自体はけっして変わらない。」

 

そう、変わったのは媒体だが訴えることや訴え方そのものは何も変わっていないのだ。これはまさに時代がどれだけ変化しようが政治の本質は民衆の心を掴むことであり掴むためには民衆の本心を理解して彼らの望む方向へ国を導くことだ。

 

では?となる。ヒトラーが戦前の政治体制で彼だけが「例外的に異常」で「狂気の独裁体制」で「すべてを支配して国民を操った」と言えるのか?

 

現代ドイツではヒトラーに関する様々な制限がありこの本も他の形で発行するのは難しかったのだろう。唯一SF的にヒトラーを甦らせ、コメディアンとして出演させて、ジョークという形で少しづつその本音を出させていき、最後にはドイツ人自身の心に「おい、ほんとはどうなんだ?」という疑問を投げつける。

 

本日より会社文庫に掲載。



tom_eastwind at 14:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月02日

おー、ごめん、明日はテロなんだんよー



ウクライナが激動している。シリア内戦もまだ集結していない。中東や東欧、世の中が激動した結果としての新しい新世界秩序がどうなるか。ここに焦点を絞りその場所から眺めて見れば21世紀である今世紀の世界の動きはまさに誰かが書いた台本通りに動いている、そう感じる。

 

事の起こりは2000年頃から中東で次々に民主指導で発生したカラー革命である。その後この炎は東欧に広がったが、その意味することろは全く正反対である。

 

まず中東のカラー革命だが米国が考える外交方針とは何か?それは中東でカラー革命を起こして民主政権を転覆させてイスラム主義同胞団などを中心とした国境をまたぐ活動団体に「イスラムを信仰する連帯国家」を作らせることであった。

 

この最大の目的は米国が中東から撤退して今後は中東に手を出さない、君ら内部で勝手にやってくれって事だ。こうすれば中東に対して攻撃を仕掛けることもないから仕返しとしての米国向けのテロも起こる確率は低くなる。

 

21世紀の米国の基本方針は自国と北米大陸を守ることであり中東はイスラム教に任せる、そうすることで米軍派遣団の予算を大幅に縮小出来る。世界の警察の立場から降りる、その為に中東にたくさんあった民主国家を次々とカラー革命で崩壊させたのだ。

 

イスラム連帯国家群が構築された後にスンニ派とシーア派が内部抗争をするのは勝手にやらせれば良い、もうアメリカは関係ないのだ。

 

これに対して東欧の場合はプーチンにより台頭して来たロシアを東欧の向こうに封じ込む事だった。ロシアは膨大な地下資源を武器にして欧州に攻め込む準備があるが、例えばガスを送るパイプは途中で東欧を経由しており東欧が欧州側につけばロシアができることは限られてくる。

 

このようなカラー革命の流れは当初はCIAなどから要員を送り込み庶民を焚き付けて革命を起こさせていたがそんな時にあるニュースが流れた。2009年オバマが初当選すると、彼は錚々たるネット企業の経営者を集めて昼食会を開いた。その時には報道官は「オバマはネット企業を応援する」だったが、ほんとうの意味は違っていたのだ。

 

それはこの会議で米国の外交基本方針が語られネット企業経営者に全員賛同を求めてその会議は成功に終わったのだが、その内容はネットを最大限に活用した米国主導によるカネのかからない革命運動の推進である。

 

テキスト、ツイッター、フェイスブック、ブログ、SNSの中にプロパガンダを混ぜて人々を扇動する。短い文章でも人を操るには十分である。誰かの死亡写真をUPして「これが体制側に虐殺された人々だ!」なんてやってしまえば事実検証のないままに瞬時に情報は拡散する。

 

一つの有名な事例を出してみよう。中国で南京事件の虐殺現場として使われている写真がある。ある女性が横たわっておりその身体をぎろっとした目の男が切り刻んでいる場面だ。

 

日本軍が南京で行った蛮行と描かれているし今でも多くの中国人がそう信じているが、その写真の本当の出所は通州事件で中国人保安隊(正確には日本側にいた中国人武装隊が寝返った)が民間日本人女性に対して行った写真である。まさに正反対であるが、こういうことが出来る、これがメディアの怖さである。

 

この写真は検索すればすぐに出てくるがあまりに生々しいので特にその趣味の無い限り見ない方が良い、夜眠れなくなる。

 

この写真などは女性が履いている白足袋やその他の部分を見ればすぐに分かる事だがそのような「客観的事実」は誰も考えようとしない。その時の「楽しい踊り」に酔いしれて「これが日本人の蛮行である!」とやれば、後は事実なんてどうでもよいのだ。

 

すこし長くなるが日本人としては通州事件を知っておいてほしい。

 

***ウィキペディア抜粋***

「通州事件もまた、ひとえに国民政府が抗日教育を普及し、抗日意識を植え付け、抗日感情を煽った結果である」

「支那の抗日読本にも日本人の鼻に針金を通せと書いてあるわけではない。しかし、人間の一皮下にかくれている鬼畜を排外主義と国民感情で煽動すると、鼻の孔に針金を通させることになる」

 

日本人の平均的倫理観から見て尋常ならざる殺害の状況(強姦され陰部にほうきを刺された女性の遺体、テーブルの上に並べられていた喫茶店の女子店員の生首、斬首後死姦された女性の遺体、腹から腸を取り出された遺体、針金で鼻輪を通された子供など)を生存者であった同盟通信記者安藤利男が「通州の日本人大虐殺」文藝春秋昭和30年(1955年)8月号で発表し、日本で反中感情が強まった。

 

日本人居留民への暴虐行為[編集]中村粲は冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し略奪、暴行、強姦などを行なったとしている[1]

 

730日午後通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、飲食店の旭軒では40から178歳までの女78名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち45名は陰部を銃剣で刺殺されていた[1]。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった[1]

 

2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた[1]。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた[1]。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった[1]。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた[1]。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた[1]

 

当時、同盟通信特派員の安藤利男はこの近水楼に宿泊していたが脱走に成功した[1]

 

また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言によれば、守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた[1]。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた[1]145歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった[1]。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。

***ウィキペディア***

 

上記が事実であるが、中国メディアは自分のやった蛮行を完全にすり替えて「日本軍がー」とやってのけたのだ。

 

これが情報戦の力である。武器ではなく言葉で人を動かす。ペンは剣よりも強し、たった一枚の写真をうまく使うことで世論を誘導出来る。ある意味恐怖である。事実が事実でなくなる。日本人には理解出来ない話だが、世界ではこのような事でさえ通用するのだ。

 

話を戻すと、戦い方は変わった。戦争のゲームは変わったのだ。これからはメディアを使う戦いになった。

 

米国は今後武器を持たず派遣兵を送り込まずインターネットを使った情報操作を行い自国に不利な情勢は叩き潰し自国の安全は保たれて21世紀はモンロー主義でやっていける。

 

欧州と米国は大西洋を挟んだ同盟国として活動出来る。では他の地域は?東アジアだ。台頭する中国とグアムを境にして西側をアジア圏に、東側を米国圏に分割していくようになる。

 

さあ、中東や東欧は直接日本に関係なくても北東アジアは直接の利害に係る大きな問題だ。米国はここで何をしようとしているのか?

 

第一の基本戦略はアジア圏が世界三極化の一つとなってもらい米国の膨大な軍事費を削減することだ。なので中國が主権を取ろうが日本が台湾、フィリピン、ベトナムなどASEAN諸国によって中国を東洋の真珠のように抑えこもうがどっちでも良い。大きな戦争にならなければそれで良い。

 

だから新聞をにぎわす辺野古問題なんて実は今の日本が抱える根本的問題ではなく瑣末な問題なのであり米軍の第二国境線のグアム移転や一部を豪州に移転など大筋は決まっているのだ。辺野古を議題にしたいのはそれで利益を得られる土建屋と辺野古に反対していろんな筋から金をもらう日本社会党の末裔くらいなのでこういう瑣末な問題を考えるだけ時間の無駄だ。

 

オスプレイだって同様で、ギャーギャー騒いでたらいつの間にか日本自衛隊もオスプレイ導入を決めてたって話だから、こんなもんに脳味噌の思考回路を使うだけでこれまた時間の無駄。

 

大事なことは日本がこれから米軍従属が出来なくなり直接の支援を受けられない状態でどうやって中国と付き合っていくかである。米軍の核の傘がなく海兵隊が撤退した後の日本は自国の軍備を強化して「戦える普通の大国」となるべきだろう。

 

その為に必要なのは情報を収集して理解して決断する能力である。これ以外に何があるか?ウクライナで起こっていることは単発な事件ではない。

 

すべてが繋がっているのだ。世の中が大きく動いているのだ。大河の中に浮かんでいる自分がどこに向かって流されているのか、しっかり見極めていなければ、家族ともどもに沈んでしまうぞ!



tom_eastwind at 14:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2014年03月01日

土曜日の朝



金曜日は朝からそれなりに重くて面倒くさい案件を一つ一つぐさぐさと片付ける。午前中の案件でビザ関連の話をして方向性を見つけて地元銀行から提案があった分についても道筋をつけて、その合間に週末の個人的な大作業である洗濯機の使用方法の仕様手引をネットで見つけて「よあっしゃ!これで週末に洗濯出来るぞ!」とわかり、たぶんこれが一番嬉しかった(ははは)。

 

ぼくが初めて炊飯器を使ったのは今から5年位前ではないだろうか。洗濯機に至っては海外生活開始以来おそらく明日が人生初デビューである。人には誰も適材適所があり、ぼくはどうも電気を使った家事が得意でないようだ。

 

何故ならいつも家電メーカーの話を真剣に聞いて結果バカを観ることの繰り返し。だって彼らは全自動洗濯機だってのに出来上がったものはしわくちゃのシャツだ。どこにもアイロンがかかってないし折りたたんでないしタンスにも入ってくれない。一体どこが全自動だ、単なる電動たらいじゃんか。

 

「この掃除機はほーら!何でも吸い取りまーす!」なんて漫画の猫が吸い込まれるが実際には猫が吸い込まれることはあり得ない。嘘つきめ。

 

トースターだって彼らが焼いたら綺麗なきつね色になるのに同じように僕がやると焦げる。

 

たぶんぼくは他人の言うことを真面目に受け止め過ぎるのだろう、それが営業トークだなんて言われても僕には理解出来なかった。営業トークと言えば嘘をついて良いのか?

 

その頃からだろう僕の仕事スタイルは「良いこともわるい事も含めて本当の事を、相手に分かる言葉で言う」ようになった。

 

仲間には「それさ、格好良く聞こえるが大変だよー」って皮肉そうにからかわれながら言われたが、じゃあ他人に嘘言ってモノ売って、それで次にその人にどんな顔をして会えるのか?ぼくはそのほうが大変だ。

 

結局ぼくが料理で唯一覚えたのは小鍋でラーメン作って卵落として食べることだけだったが、それは今でも良い思い出だ。洗濯に関しては今でも出張中、例えば今回のように24日の旅をしても下着は3日分しか持ってない。毎日ホテルのお風呂に入る前に手水で一つ一つ手洗いしてハンガーにかけてこまめに乾かして使いまわすから3日分でも余裕だ。

 

それ以降ぼくが電気の通ったものを使って何かをすることよりもその道のプロに仕事をしてもらい、ぼくは昼間働いて納税して残ったカネでそういう店で飯を食ったり服を洗ってもらう方が効率的と思ってそう実行している。

 

ぼくの考えが実現されている国で住んだことがある。それが香港だ。あの国では1960年代から70年代の公共アパートに台所はなく、食事は毎朝階段かエレベータで一階に降りて飲茶をするのが朝食であり、昼は仕事場の近く、夜はアパートの敷地内の大きな中華レストランと相場が決まっていた。

 

そりゃそうだ、お粥なんて少人数をちょこちょこ炊くよりも何十人分を一度に炊いた方が美味しいに決まっている。夕食にしたって同様で、家族5人で食える量は決まってるしそれならレストランで食ったほうが良いとなる。

 

問題は価格だが、こういう公共住宅は台所がないのでアパートの一階のレストランは確実に客が確保できるから価格競争がしっかり働き、結果的に住民は栄養があって美味しいものが食える。

 

その結果として香港の一般家庭では家事の時間から開放されて夫婦や家族生活を楽しむためにフィリピン人のアマさんを雇う習慣が出来上がった。

 

日本でもこれはありじゃないかと思う。戦前の日本では家政婦がいたわけだし、ただ日本人だと価格が合わないからってことでフィリピン人のアマさんを雇うってのもよいと思う。

 

ニュージーランドではまだすべてが自分でやる文化だ。たぶんこの国でそれが変わることはないだろう。お隣では今日もガーデニングしてて、窓越しに草いきれな香りが飛んでくる。何もかもが手作りの国。

 

そんな国で洗濯機の回し方を考えつつ、やっぱり正しく、人の為に仕事をするからこそ今まで約20年生きてこれたんだよな、やっぱ愚直が一番だよなーって思った今日でした。



tom_eastwind at 13:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌