2017年01月

2017年01月31日

トランプの国造り3 あなたは神を信じますか?

中東諸国の一部を狙い撃ちにしてイランなどから入国ビザを正式に取得している旅行客を空港で追い返しに出ているのも選挙中からトランプが主張していた事である。

 

普通の敬虔なイスラム教徒からすれば「何じゃこりゃ?」と主張するかもしれないが普通のイスラム教徒以外からすれば現在世界で起こっているテロは間違いなくイスラム教徒過激派であり誰が過激派か区別がつかない以上予防措置として立入禁止入国禁止もありだ。

 

何でテロが起こったのかを起源までたどれば悪いのは勿論いつも英米であり仕掛けられた国からすれば当然の仕返しとなるがそれを言い出したらもう韓国の仏像みたいな話になるわけで、今これから両国がどうするかをきちんと話し合いが出来れば良いのだが、そんな状況ではない。

 

今回の入国禁止を観ていて思い出したのが1998年に製作された映画“Siege”日本題名はマーシャル・ローである。デンゼル・ワシントンとブルース・ウィリスが出演する映画だが内容はまさに中東テロがテーマでありイスラム教徒やアラブの人々を一括りにしてとっ捕まえてしまえって話だ。

 

ニューヨークの911テロが起こる前に作られた作品であり今はなきニューヨークのツインタワーが映っている。

 

トランプの行動を行き過ぎとか人権侵害と訴える報道が多いが自国内でテロをやられて怒らない人もいないだろう。

 

僕がふと思ったのは第2次大戦で米国ハワイやカリフォルニアに住む日系人が強制収容所に強制的に送り込まれた事件である。

 

この時日系二世の若者は母国米国への忠誠と両親の為に欧州戦線に戦いに出て米陸軍の中で最も勇敢な部隊となった。

 

今多くのイスラム教徒が住む米国でイスラム教徒自身が自分の潔白を証明する為に何か具体的な行動を起こすことは出来ないのだろうか。

 

あなたの神は信じないけどあなたが神を信じることは誰にもある権利だ。けれどその権利をきちんと主張するのならツイッターでぐちゃぐちゃ書くのではなく、やはりそれなりに具体的な行動を起こす時ではないだろうか?



tom_eastwind at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年01月30日

トランプの国造り2 アラモ 国境警備

メキシコとの会談を取り消ししたトランプはメキシコとの国境の壁を作るのに「お前(メキシコ)が金を払え」と主張している。

 

テキサス、ニューメキシコあたりは元々メキシコ領土であった。それを戦争大好きな米国軍がメキシコと何度も戦いつつ時にはアラモ砦を死守しつつ領土を拡張した。

 

昔のメキシコはそれなりに強かったがメキシコ国内では各地の派閥が目先の賄賂ばかり追っていたので結果的にいつも対外的には一丸となれる米国が勝利を得た。

 

それからはメキシコとの格差が広がり遂にはメキシコから不法移民が米国にやって来て、すでにカリフォルニアでは「おい、ここはアメリカのカリフォルニアだぞ、スペイン語を話せ」というジョークが出てくるほどになった。

 

時は流れいつの間にかメキシコ人が富裕層米国人の使用人になったり安い労働者としてレストランや現場労働の仕事を得るようになった。

 

彼らは不法移民であって正規労働することが出来ないにも関わらず何時の間にかメキシコ人がいなければ仕事が回らない状況が出来てしまった。

 

しかし今、米国人の雇用が大幅に減少している時に何で不法移民を取り締まらないのだ、またメキシコ国境から今もやって来る不法移民を取り締まるのは当然の事ではないか。

 

その為に米国南部でメキシコと国境を接する場所に国境の壁を作って物理的に締め出してしまえという話になるのも当然である。

 

そんなの人権侵害とか言うけど違法移民の人権(泥棒に人権あるのか?)と米国市民の雇用とどちらが大事だ?という議論になればこれは米国に理がある。

 

「えー?そんな、国が国境の壁作るなんてー!」という人はよく思い出して欲しい。昔はベルリンの壁があり乗り越えようとする人々はその場で射殺されたものだ。

 

古くを言えば中国の万里の長城も敵の侵入を防ぐために作った防壁である。現在のイスラエルが国境地帯に高い防壁を作っているのも隣国からの侵入防止である。

 

つまり国境の壁は何時の時代も存在しており現在も存在しているのだ、何も珍しい事ではないのだ。

 

日本がたまたま周囲を海という自然の防壁に囲まれているから日本人が意識することはないがもし日本が朝鮮半島のように中国と陸続きだった場合は大変な騒ぎである。

 

元寇の時だって中国と日本の間に海がありそいつが荒れてくれたから日本侵入が防げたわけだ。

 

そう考えれば今回のメキシコ国境もそれなりに通る話だ。「えー?けどすごいおカネかかるでしょ」。けどいいじゃないか建設業界で雇用が生まれるぞ、それにカネはメキシコに払えとも言ってるんだから実際払うかどうかは別にして米国の雇用にとって損はない話である。

 

すでにメキシコから輸入する自動車は国境税をかけると言ってるわけでその意味ではトランプの「国防」という姿勢はそれなりに一貫しているのだ。

 

今になってメキシコがあらもーと訴えても遅い、嫌ならまず国内の賄賂や汚職や麻薬をどうにかしてアメリカに負けないように国を強くしろって話なのだろう。



tom_eastwind at 18:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月29日

トランプの国造り1 グローバリズムからのお別れ

僕が常に主張しているのは社会に参加する人々全員の「上向きの平等」である。

 

現在の日本のような能力のある者を皆が足を引っ張り合って結局誰もが貧しいままの「下向きの平等」な国ではなく、出来るものが先に上に駆け上り他の人々を引き上げていく社会である。

 

これに対してグローバリズムとはよく言えば国境を越えた平等を要求する仕組みであるがそこに参加する(させられる)全員の平等を保証する仕組みではない。

 

悪く言えばグローバリズムというのはほんの一部の人々が国境を越えて長期的に利益を独り占めしていく社会である。

 

もっと分かりやすく言えば植民地時代のスペイン、英國、フランス等が行った世界のほんの一部の白人諸国の人々(支配国)によるそれ以外の人々(植民地)からの恒久的搾取である。

 

それが21世紀になってインターネットが発達して飛行機の高速化が進み国境の枠を越えてバーチャルリアリティとして世界に広がりこの「搾取の仕組み」が独り立ちして植民地時代の支配国家の代わりになっていくのだ。

 

うまく波に乗れた20%の人々にとっては人生は素晴らしき新世界であるが残りの80%の普通の人々にとっては何故か知らない間に生活が貧しくなっていき個人の努力ではどうも是正のしようがなくなる新世界でもある。

 

そんな時に国民全体の利益調整を出来るのは現在の仕組みでは各国政府である。しかし米国では自由主義の下各人の努力に任せた。その結果として世の中が二極化した。

 

そしてトランプ大統領が出現した。彼は米国の代表なのだから米国の一部の人々だけが儲かる仕組みではなく米国民全体が利益を享受出来るような仕組みに戻そうと主張している。

 

このために必要なのは今までのような自由主義ではない。高い車でも地元産を買うことで雇用と経済が維持出来る。外国から輸入される車には高率の税金をかける。米国民の賃金で米国で車を作り米国人が買う。地産地消であり皆が豊かになれる。

 

メキシコから買えば安いがそれは米国の雇用を奪い購買力を無くすわけで結果的に米国の国力を低下させ国民の80%は不満を感じる。

 

労働者は消費者である。だからメキシコから買うより高くても国内産の車を買うことで米国の国力を維持することが何より大事である。

 

米国民が強い米国を望み豊かな社会を望むならそれなりの費用負担をしなさいという事である。

 

こう書くと何だか斬新に観えるけど要するに昔の貿易保護主義である。自国の経済を自国で完結させる。技術革新は少ないかもしれないけど国は安定する。国民は安い買い物だけを求める消費者ではなく同時に労働者でもあるのだ。

 

これは日本がやってる米の聖域を守るための高率関税とは根本的に違う。米は働かない農家を食わせ米を作らないことでお金を渡し一部の選挙票を確保するためのせせこましい話であるが今トランプがやろうとしているのはそれを国家全体に拡大していくことである。

 

以前も書いたがこれも間違いなく一つの国造りの形である。今まで米国はどっかの奥の院が描いた筋書きで「政治的に正しい」事ばかりをやったもんだから一部の人々は利益を得たが多くの米国人にとっては単なる疫病神にしか過ぎなかった。

 

人々は仕事を得ることで誇りを持ち収入を得ることで家族で美味しいご飯を食べて自分の家に住み自分の車に乗ることが出来る。そんなお金持ちでもないけど近所の人達と同じような楽しい生活が出来ている。それもトランプが上手くやってくれれば、だ。

 

人々の期待はトランプに集まるだろう。その効果が何時まで続くかは先の話、まずは目の前のパンとステーキの話である。



tom_eastwind at 17:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月28日

中国新年

殆どの日本人にとって関係のない事だが今日は日本のお正月にあたる中華圏における新年である。今日は「初一」であり一年の始まりを祝う。

 

日本人がキリスト教国のニュージーランドに住んでて何で中国新年かと言うとうちの奥さんが香港生まれの香港人だからだ。だもんで家ではクリスマス、お正月、旧正月と賑やかになる。

 

昨晩は大晦日で家族でテーブルを囲んでの7皿程度を並べるご馳走を食べる。香港ならお正月の花火がビクトリアハーバーを輝かせる夜でもある。

 

オークランドでは夜の花火はないので夜は香港の正月特集などを観て寝ることになるが時差が5時間あるので夜7時ころの香港の特集を観てから寝ることになる。

 

そして今日は奥さんはすべての通信手段で香港の家族や友達とメッセージのやりとりをする事になる。竜馬君は奥さんからお年玉をもらい広東語で正月の挨拶の練習をしている。

 

何のことはない、昔の日本で暮らしていた時のような古い習慣が南半球のキリスト教国で行われているのだ。

 

けどよく考えてみればこの国は移民の国であり最近では中国のランタン祭り、ジャパンデー、パシフィックアイランダーの祭り、等などそれぞれの文化を持つ人々たちがそれぞれに自分たちの文化を周囲に伝えつつ楽しんでいる。

 

移民が集まる社会はいずれ時間をかけてお互いに溶け込む分野もあるがそれでも親から伝えられた伝承行事や民族文化は残っている。

 

オークランドはこれからも変化が続く。それは200万人の国際都市を目指していく都市としては通過地点である。これから10年後にはニュージーランドにも自給自足できる日本人社会が出来上がる。

 

あいも変わらず北半球に比べれば遅れてる都市ではあるがそれなりに緩く過ごせるのも事実であり、オークランドで生活して東京で働く時代が間もなく普通になるだろう。ちょうど日本でも東京付近に住んで新幹線通勤する人が増えたように。



tom_eastwind at 17:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月27日

1月も終わり

オークランドに戻ってみると、今年が始まってまだ12分の1も終わってないがまるでお正月がはるか彼方の大過去だったような感じがする。

 

カレンダーを観てみると去年末から長期クリスマス休暇に入ったが今年は自宅にずっといてこれから2年で起こる日本の社会変化に合わせて戦略と戦術を組み立ててた。

 

細かい事象や突発事故は読めないが逆に言えばそのレベルの問題は世の中を5年単位で変化させることはない。その上の、全人類の望む方向と選択肢の中で「次はどれが来るか?」が読みである。

 

世界はどう多極化するのか、いつの歴史が次は繰り返されるのか?日本は戦前に戻るのは観えている。米国は孤立主義に戻る。そうなると中国と日本の関係は?

 

まだ中国の不確定要素は大きいが、けどこれをある程度でもやっておかないと毎日の仕事に小突き回されるように流されるだけで正しい方向に進むことが出来ないからだ。

 

111日に会社再開して4営業日後には香港行きの飛行機に乗っていた。

 

119日からは東京滞在で個人面談を行い125日の飛行機でオークランドに戻り自宅に到着したのが26日の夕方。出張時の荷物をカバンから取り出して整理して寝る頃には時計の針は11時過ぎだ。

 

127日金曜日に通常通りに出社して机の上の書類整理や出張の件で内部打ち合わせ、メール対応などで一日が終わりこれで1月最後の仕事が終わる。

 

そしてやっと明日からオークランドは三連休に入るがこれも2月以降に続く案件があり休んでいられない。なので感覚的には1月は「お正月が大過去」になってしまったようである。

 

そうは言っても明日は中国の旧正月。これもこれで個人的にやることがあるので今週末は公私共に忙しくなりそうだ。

 

さあ、今年は日本人雇用を創り出すぞ。



tom_eastwind at 17:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月26日

ニュージーランドは今年も最低賃金上昇

昼過ぎにオークランド空港に1時間遅れで到着したのでオークランド南部の交通渋滞に巻き込まれ2時間近く運転して自宅に着いた時は午後5時くらいになった。

 

いつもなら空港から自宅まで40分もあればいけるけど、ほんとにオークランド南部の交通渋滞は大変な騒ぎである。これも人口増加と景気上昇を目の当たりにする一つの証明である。

 

さて日本の安倍首相からすれば羨ましい限りであろうが今年もニュージーランドは最低賃金が上昇する。

 

最低賃金は毎年上昇しており物価上昇率に比例して計算されるが今年は約3%の上昇である。そしてこの最低時給はここ10年近くほぼ毎年上昇している。

 

今年4月から最低時給は15.75ドルになる。現在が15.25ドルなので1時間あたり50セントの上昇である。

 

ニュージーランドは物価上昇が毎年3%、オークランドだけで観れば5%程度でありこれが毎年続いているのだからフードコートの中国人やインド人を最低賃金でたくさん雇用している中国人やインド人経営者にとっては悲報であるが労働者からすれば朗報である。

 

何せNZの場合政府が決めたら民間企業が反対することはない。国民生活や労働者保護を第一にする国是があるから「そっか、賃金上げるからメニュー単価も上げようね」と平気で顧客に価格転嫁出来る。それは国民全体の社会合意があるからである。

 

特に数年前から祝日の賃金割増が導入されてから観光地のレストランでは「祝日追加料金」を導入する店が増えた。これは外国から来た観光客には意味不明であるがNZ国内では社会的同意が一般的でありあまり文句を言う人もいない。

 

社会全体で労働者を守ることが国の一つの国是であるからおかしな話ではない。

 

景気が良くなれば労働者の賃金を上昇させてそのお金が消費に回るようにすれば経済も回る。

 

これが安倍首相がやりたくてたまらない仕組みであり安倍首相は今年も官製春闘で賃上げを要求するのだろうが、 日本ではそこに経済界の利益が優先されておまけに非正規労働とか派遣とかが賃金抑制の原資となっている分を「同一労働同一賃金」にしてしまえば「財界の旨味」が減ってしまうから政府に対して面従腹背で対応することになる。

 

けどなー、労働者は消費者でもある。経済界が自分だけの利益のために労働者叩きをすればそれはそのまま消費の冷え込みにも繋がる。更に言えば国家全体に不安が広がりいつその反発が起こるか分からない。

 

そんな事態を招くよりも大所高所から考えて賃上げをすべきだろう、それが成功すれば1970年代の「国民総中流時代」が戻ってくる。国民皆保険、年金、3C(車と冷房とカラーテレビ)と人々を幸せにしていく。

 

アベノミクスは構造改革をしていないという部分で構造的に失敗であるが安倍首相が個人的にでも賃上げを要求していくことが日本全体の引き上げに繋がることは間違いない。



tom_eastwind at 20:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月25日

オークランドに戻る

今日のキャセイ航空で羽田から香港経由でオークランドに戻る。


今回の出張は激変していく日本をまさに目前で観た感覚である。「恵比寿が変化している」でも少し書いたが千住の山谷とか大阪の西成は基本的に浮浪者の街であるのは今も昔も変わらない。

 

そして彼らを必要とする建設業界の仕事の多くが公共事業であり1998年頃には約15兆円あった公共事業費が2014年には6兆円と激減している。

 

従って日雇い労働者は木賃宿に泊まることも少なく山谷では野宿かブルーシート、西成でも似たようなものだ。

 

仕事に使う作業着だけを持ち日本中どこでも働けるようにしているが彼ら雑工の給与は泊りがけなら1日で15,000円くらい。日帰りの仕事なら5千円程度だ。

 

ところが泊りがけの仕事になるとそこから家賃、食費、洗濯等で1万円くらい取られて手元に残るのは5千円。そこからカップ酒やジュースを買うとあまり残らない。だったら安くても日帰りの仕事の方が良い、ねぐらに戻れば仲間もいるからだ。

 

日雇いの仕事は1949年には東京都の失業対策からニコヨン(百円玉2個と十円玉4個)と呼ばれて安かったがその後時代が過ぎるに連れ憂歌団の歌にも出てくるおそうじオバチャンが「一日働いて二千円!」だった。

 

しかしそれでも当時は探せば仕事はあったし一生懸命働けばそれなりにお金も溜まっていたが今では週に5日の仕事が見つかることはない。それでも生きていくために毎日作業着を洗い道端に布団を敷いて寝る生活を続けている。

 

もう何年前か忘れたが渋谷駅ハチ公から右に行き線路をくぐってすぐ左の路地に入るとそこにはブルーシート村が線路沿いに広がっていた。

 

けれど彼らのブルーシートが渋谷で生活してる人々の目に入ることは決してない。ちょうどあべのハルカスという大阪の新名所があるけどそこから歩いて15分の西成には誰も行かないのと同じだ。西成のすぐ隣には飛田遊郭がある。

 

不可触賤民と不可触賤民地区は今も現実に存在する。そして今回は何故かそれを強く意識する事になった旅であった。

 

さて。やっぱり空港は近くて使いやすいのが有り難い。

 

羽田空港も都内に近い、てかもう東京都内である。戦前からの空港は風の流れや地形を計算して作っているから政治の流れや金の形を計算して利権の塊として作っている戦後の空港のように不便でない。

 

8時過ぎにホテルを出てタクシーで30分で羽田空港到着。チェックインして荷物を預けて通関を抜けたゲート近くにある屋台形式「フードコート?」のお店で軽く朝食を食べながら通路を足早に歩く人達を観ていると大きな時代の変化を感じる。

 

羽田空港は成田開港に伴い基本的に国内線専用空港になったが現実問題として成田空港は東京から車で2時間離れた山の中にあり空港に向かう道の途中では次々と山の中に切り開いたラブホテルが並び外国から来た観光客が「何故このような不便な山の中にホテルがあるのか?」と疑問に思われたものだ。

 

ましてや国際空港と標榜しつつ空港内のサービスは田舎丸出しであり到着ターミナル1階では地元の野菜直売なんかもしている(今はどうなのか、成田を利用していた時代の話)。

 

空港職員向けなのだと思うがそれにしても世界トップクラスの街の国際線空港のどこで地元野菜売ってるか?

 

近年になり羽田空港の滑走路が拡張されて国際線の受け入れが始まるとそれまでの鬱憤を晴らすように一気に外国航空会社が羽田路線を確保、いかに成田が外国航空会社にとって不便だったがよく分かる話である。

 

機内では新しい映画積ん読してた本の読書、こんな場所でなければどちらもゆっくりと楽しむことが出来ない。

 

まもなく中国の旧正月が始まるので機内は混み合っており羽田から香港までは約4時間であるが出発してすぐ右手に富士山がきれいに観えた。今回はホテルの部屋からも観ることが出来て幸運である。

 

香港では乗り継ぎ時間があるのでシャワーしてからゆっくりと夕食して夜9時の飛行機に乗り込む。ところが全員乗り込んでいるのに出発が20分ほど遅れるとの機長からの案内。ニューイヤーで何時もより多くの飛行機が離発着しているのだとの事。

 

さあ、オークランドに戻ろう。



tom_eastwind at 20:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月24日

沈黙 踏み絵

遠藤周作原作の「沈黙」は去年ブログで書いたが今年日本でも上映される。ちょうどニュースでやっていて「おー、そっか、しんゴジラ抜けるかな?」と思いたかったが実際にはムリだろうな。テーマが重すぎるのだ。

 

欧州のキリスト教国であれば世界にミッションを送り出して様々な国で宗教の為に命を落とした宣教師がいるわけで前提となる理解力がある。

 

例えば1750年ころの南米を舞台とした宣教師の戦いを描く映画「ミッション」ではロバート・デ・ニーロ役の主人公の葛藤を描いている。

 

けれど現在の日本ではキリスト教は結婚する場所だったりクリスマスパーティだったりするだけの象徴的存在でありそこに過去の宣教師たちの苦労など全く存在しない。

 

ましてやキリスト教がその美名の元に世界に植民地を増やしていく政治的傭兵部隊であったり組織の頂点に行けば汚職と性的スキャンダルの集まりであり下々からの集金組織であったりしているのは現在では知られ始めている。

 

けれどそんな汚い現実は多くの日本人にとっては知ることも観ることもなく耳に入ってもすぐ抜けていき心は彼女と過ごすクリスマスパーティをどこでするかが一番大事になっているのだ。

 

そんな日本でキリスト教の信じることの苦しさを追求する映画がどこまで真面目に捉えられるのか?

 

精々が「ふみえ!」と言われて「え?おれの友達に史絵っていたっけ?」くらいかもしれない。



tom_eastwind at 11:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月23日

恵比寿が変化している

古い仲間と恵比寿で夕食。渋谷でも感じたがおしゃれな店が増えている。昔のように「美味しければお客が来る」という時代ではなく、お客様にどのようにレストランにいる時間を楽しんでもらうかという総合エンターテイメントのような感触である。

 

そう言えば渋谷でも宮益坂あたりのお店はどこもお洒落であり自分がどれだけ田舎から来た田舎者であるかを痛感させられる。

 

渋谷で出た話題が「東京中心部にいるとどこが不況か分からない」という内容である。実際に港区など東京5区にいると景気の良さしか感じない。

 

大手メディア本社、大手企業本社、政治の中心地、日本のど真ん中、とにかく日本の良いところのすべてがここに凝縮している。

 

恵比寿を昼間歩けば、特にガーデンプレイスではベビーカーを押して楽しそうに歩く親子3人とか普通に見かけて誰の表情も何の屈託もない様子である。少子化?高齢化?どこの話?である。

 

このあたりでは今も次々と高層マンションが建設されており人が集まる街となっている。

 

けれど同じ東京でも足立区や千住、昔の山谷あたりに行くと今でも木賃宿があり一泊1500円とかで泊まれる安宿があり人々は高齢化して建物は老朽化している。

 

その時ふと思い出したのが不可触賎民という言葉だ。同じ東京都民でも住んでる場所がちょっと違うだけで観ることも触れることもない人々が存在する事実である。

 

渋谷に住む人々が山谷に行くこともなく山谷に住む人が渋谷に行くこともない。お互いの生活レベルは大きく異なっても相手の地域に行くことがないからそんな事を感じない。または万が一何かの用事か現場の仕事で渋谷に行くことがあっても渋谷の住民からすれば目に入らないし手にも触れないまますれ違う。

 

日本で情報発信をしたり優位な立場にいる人達は自分の身の回りに観えるものしか見ないから自然と彼らの価値観で情報が発信されて彼らの中で共有される。

 

従って日本全体の少子化高齢化貧困化デフレなどは文字としては存在しても手に触れる現実問題として感じることはない。

 

5区に住む5区民もそれなりに身分相応な暮らしをすることで倹しくして彼らの社会の中の階層に溶け込んでいるがそれが既に日本全体からすれば高品質であることを認識していない。何故なら彼らの世界は5区で完結しているからだ。

ちなみにここの5区は本来は「千代田区、中央区、港区、渋谷区、新宿区」であるが最近は目黒の一部や台東区の一部も含まれるようになっている。

 

戦後の日本でフラッグキャリアの東京採用職員に福岡転勤命令が出た時に拒否して退職したその理由が「箱根を越えて向こうに行ったことがないから」だったそうだ。東京から西は魑魅魍魎、悪魔の住む世界か、または誰も仲間のいない原野か密林に放り出される気持ちだったのだろう。

 

東京は自己完結して日本の二極化はこれから益々進んでいく。



tom_eastwind at 11:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月22日

テロなど準備罪

今日本で議論されているのにテロ等準備罪がある。国際組織犯罪防止条約を批准している日本では現行国内法でテロ取締が出来ないから今までの実行後の逮捕から計画時点、つまり犯罪を実行しなくても取締が出来るように変えていくのである。

 

日本は戦前の治安維持法で多くの反政府派が事件を起こしてもないのに拷問を受けて殺された歴史がある。「蟹工船」を著した小林多喜二は良い例である。

 

何も犯罪を起こしていないのに本を発行しただけで反政府派と見做されて警察で特高から竹刀で叩き殴る蹴るの拷問を受けて死亡したが死体を引き取りに来た関係者に「病気だ」等と平気で嘘を言ってた、体中には傷跡が明確に残されているにも関わらずである。

 

このような事件は戦前日本中で広まった。主たる目的は共産党取締であったが特高は共産党に限らず一般市民まで「お上に逆らった」というだけで警察に連行して拷問したのだ。当時の事実を描く社会派映画はたくさん製作されているからその気になれば自分で探すことは可能だ。

 

戦後日本が刑法を改正した際には戦前の「犯罪予防」の反省から「起きた犯罪、実行された犯罪」のみを取り締まるようになったのはまさに戦前の法律では「誰も何も起こさなくても」「二人以上の人間が何かささやいた」だけで合法的に逮捕拷問出来たことに帰する。

 

そして今安倍内閣が進めているテロなど準備罪も既に国会で何度も廃案になっているにも関わらず安倍政権が安定している内に名前を変えて出してしまおうという事である。

 

今の日本はまさしく戦前である。治安維持法と同じ思想弾圧発想である。まずは法律を作る時は国民を安心させて「そんな、政府があなた達に何か危害を加えると思ってるんですか?妄想ですよー」とやって法制化をする。

 

その後は警察が政府の都合の悪い人間の思想を「捏造、拡大、歪曲化」して犯罪を仕立てて国民に「ほら、こんな悪い犯罪人がいた!テロなど防止法があるから取り締まることが出来たのですよー、皆さん良かったですねー」とやって正当化するのだ。

 

一旦法律が出来上がればその運用は政府や警察の判断でいかようにもなる。政府の権限は日本で公的暴力装置に支えられているからそこには自由な言論や反対議論が通る隙間はない。政府がNOと言えばNOなのだ。

 

僕が2020年以降の日本が「完全に法的及び社会的に暴力的実権を握って国民が奴隷化される」と主張する一つの理由が上記のような戦後型治安維持法がこれから次々と社会や経済に対して導入されていくからだ。

 

勿論支配側にはこの法律は適用されない。何故なら彼らは自分たちの都合のように法律を解釈するから身内は守るのだ。

 

また基礎教育から洗脳され自分の頭でものを考える事を失った人々にとってはむしろ自分が考えなくて良いから楽である。

 

政府が悪いやつといえばそれは悪いやつなのだ、問答無用である、それが自分に火花が飛び散ってくるまでは政府がやっていることに従順に従うのだ、戦前の多くの日本人が治安維持法を認めたように。

 

何度か書いたが昔「光る風」という漫画があった。SF的な近未来を舞台にした漫画だけどそのテーマはまさに戦前の治安維持法を取り上げており漫画の中に登場する様々な人々が自己を持って生きようとすると治安維持法がいきなり普通の市民を攻撃していく姿が描かれている。

 

更にこの法律が最終的には日本の軍国化につながり人々が誰も文句を言えないようにした上で海外派兵を行っていく。

 

勿論戦地で行われた事実などは一切書かない。戦時中の朝日新聞などが日本政府大本営発表を垂れ流したのと同様である。

 

この治安維持法とは別に大手マスコミは既に政府意見を忖度して政府発表をそのまま「事実」として国民に流している。

 

だから現在でも米露関係や日露関係、一体誰がイスラム国を作ったかなどの真実は国民には伝えない。

 

その上今回のようなテロ等準備罪が成立すれば国民は見えず聴かず知らずの状態に陥る。それは政府にとって一番国民を制御しやすい状態である。

 

今回の日本出張の間にNHKの日曜討論等を観るが間違いなく番組制作側には大きな見えない圧力がかかっており制作側は自発的に番組編集権を使って政府の意思を忖度した内容を作り上げるのが定点観測的によく分かる。

 

毎日の生活をしている普通の日本人にはゆでガエルみたいなもので気づきにくい変化であるが数ヶ月ごとの定点観測をすれば分かる。

 

目の前の日本、特に東京では世の中の上澄みがきれいに観えるから皆うまくいっているように観える。けどその下の海底の見えない部分には二極化とアベノミクスの失敗した現実がオリのように溜まっているのが今の日本だ。



tom_eastwind at 10:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月21日

技能移民

東京での面談開始。今日は移住を検討中の30代後半のお客様。

 

最初に無料診断に基づいて色んなビザの種類をどれが一番可能性あるか、どれが早いか等を勘案しながら話を進めていく。

 

実際のビザの種類は年齢や学歴にもよるが投資家ビザ、起業家ビザ、技能移民、リタイアメントなどがある。それぞれ費用対効果が違っておりご本人のニュージーランドで希望する生活形態によっても選択肢が変化する。

 

今から5年以上前であれば起業家ビザの要件が緩くこの時期には起業家部門で申請するお客様が目立ったし実際にほぼ問題なく全員がビザが取れた。

 

ところが2014年の総選挙スキャンダルによって起業家(LTBV)ビザの取得が突然厳しくなり更に既存の起業家ビザそのものが廃止された。

 

その後現在の起業家(EWV)ビザに変わると昔と違って要件が厳しくなっており更にその審査も「落とす為の審査」になった。

 

逆に興味深いのがここ2年は技能移民の方が一般的な日本人にとっては取得しやすくなった事である。

 

ポイントは以前が140、現在は160とハードルは上がったがそれでも真面目に英語学校に通い英語力を身に付け専門学校で専門資格を取り現地企業で就職出来れば学校通い始めから永住権取得まで合計すると5年くらいかかる。

 

が、それでも場合によっては時間はかかるが技能移民を正確確実に取得する方が起業家よりも正解かもしれない。

 

勿論本人の経歴次第ではあるが無理して起業費用等のリスクを取っても起業家は実際にビジネスを成功させねばならず、そんなもん先のことなどで分かるはずもなくリスクは高い。勿論起業家ビザでワークビザを取得すれば3年程度は働けるビザを保持しておりEWV部門で永住権申請が通らない場合はそれまでに作った地元ビジネスマンの経営する会社に入ってワークビザの申請も可能である。

 

ただこれは自分でビジネス経験のある人には高いリスクだしビジネス経験のない人にとっては更に高いリスクとなる。

 

それよりもまずはワークビザを取得して数年経過してから永住権狙いってのもありだろうとなる。

 

何のビザを申請するか。これは本当に最初の選択肢をきちんと考えて選ばないと必ず2年程度でNZから撤退することになる。特にニュージーランドが良い場所と思い込み悪い部分を一切観ようとせずに渡航した場合は撤退の危険性が高くなる。

 

逆に言えば良いことばかり言う人の話はあまり信用してはならないという事である。NZは天国ではない。しかし地獄でもない。日本よりは収入も減るけど人間らしい生活が出来るというだけだ。

 

移住業務を取り組み始めて分かるのは日本の生活で社会的に地位の高い人、例えば大手企業の課長補佐とかが一番移住の夢と現実を区別出来ずに撤退することが昔はよくあったという事だ。

 

最近の問い合わせでは地に足の着いた移住計画を考えてる方が増えているのでいきなりダメになることはないがそれでも僕ら現場から観るとまだまだ甘い認識で来る人も目立つ。

 

特に家族と一緒に来る人は、3年後に永住権が取れたあとの生活スタイルどうしますか?10年後の生活は?

 

移住計画ではしっかりとした長期展望を持つことが肝要である。



tom_eastwind at 20:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月20日

東京は寒い!

東京では昼間から雪が降ってて夜になると気温が低下、渋谷の蕎麦レストランに向かう時は気温が2度に下がりガンガンに冷えてくる。

 

今晩はお客様と蕎麦ダイニングだが店に入った僕がスーツにマフラー、コートも着ておらず「寒くないですか?」と聴かれた。

 

寒いけどコート持ってないし店に入れば暖かいのでおしゃれなカウンターでオープンキッチンを観ながら夕食で体を温める。

 

それにしても港区や渋谷では人々が賑やかに美味しいものを食べて東京は景気良いじゃないかと思わせる雰囲気である。

 

ところがこれで足立区に行くと急に雰囲気が変わる。東京でも地域によって全く違う様相がある。

 

美味しい蕎麦や料理を食べながら最近の東京の話をする。やはり小池知事が豊洲移転問題をどうするのか、都議会で小池新党がどこまで伸びるのか、自民党都議会とどう折り合いをつけるのか、まだまだ方向性は観えてこない。

 

東京の定点観測はまだ続く。



tom_eastwind at 19:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月19日

天下り

文科省が早稲田大学天下り事件で事務次官が辞任する事になった。他にも天下りがありこれで幕引きを狙っているのか?当然事務次官は次の天下り候補になるだろう。

 

天下りは何故起こるのか?それは官僚人生が安月給で始まるからだ。年功序列で能力に関係なく給与が決まる。だから新入りの給料は安い。

 

しかし最後まで官僚として勤め上げればその後はご褒美として天下り、下った先では高い給料と退職金を受け取ってそれまでの安月給からバランスを取っていく。

 

現在のような天下りを無くすなら官僚の給与体系を能力別や初任給の大幅増額をすれば良い。やってる仕事は立派なものであるのだから高い給料をもらってもおかしくない。

 

実際にニュージーランドでは官庁の仕事は民間から公募して能力に応じて高い給料が保証されている。官民交流が普通であり働けばその場で収入を得ることが出来て数年で仕事を退職することもある。

 

では何故日本が官民交流をしないのか?それは官僚の考え方が「俺たち選ばれた人々だもんね、民間を統率して運営するのは俺たちしか出来ないもんね」というのがあるからだ。

 

官民交流などやってしまい民間人に能力があれば官僚のプライドが傷ついてしまう。そんなのダメだ、官僚は東大法学部を卒業した支配層は日本で最も優秀なのだ。

 

なら最初から給与を高く設定すればよいのだが何事も前例と慣例で動く官僚は空気を読むから給与変更はしない。その代わり天下り制度を作ったのだ。

 

しかし今の時代天下りなどはどう観ても天下り先への利益誘導になる訳で当然禁止されている。なのにそこの法律は無視して空気を読んで給与改定もやらないからおかしな話になる。法律よりも空気が優先される文化である。

 

官僚としては今回他の省でも行われている天下りにまで波及しない内に文科省次官を辞任させてこの事件を終わらせようとしている。そこを政府がどう対応していくのか。

 

しかし官僚が今考えるべき事はもっと現実的に官僚の給与体系の見直しをすることだろう。変わりたいけど変われないのならあまり優秀な集団とは言えないかもしれない。そんな集団が国家のトップにあれば後も推して知るべしだろう。



tom_eastwind at 15:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月18日

ココイチ香港

昨日の夜9時過ぎに香港に到着してコーズウェイのホテルに移動してベッドに部屋に荷物を下ろしたのが23時過ぎ。

 

今日の香港ではコーズウェイベイの日本カレーショップ「ココイチ」で昼食。香港の弁護士と店の前で待ち合わせて二人でカレーを食べる。

 

今年のオークランド企画の一つにカレーチェーン展開がある。すでに店舗交渉を進めており2月には一店目を開店予定である。

 

日本のココイチは既に海外展開しており香港でも人気のある店である。弁護士にメールで「知ってる?」と聴くと「よく知ってるよー」との返事だった。そこで彼と一緒にコーズウェイベイでココイチカレーを食べることになったのだ。

 

11時の開店とほぼ同時に店に入ったので空席が目立ったけどカレーを食ってる最中にどんどんお客が入り12時前にはほぼ満席、お店のオペレーションは慣れたモノで運営もうまくいっている。

 

僕はポークカツカレーHK$69ドルを注文、相手はチキンカレー62ドル。料理は間もなく出てきて香港や中国で展開しているココイチの地元の評判もよく安定して展開している。

 

そう言えば日本のファストフードで最初に香港に馴染んで地元客に定着したのは吉野家牛丼だった。

 

1990年代初期に展開開始して当初は僕の勤務する香港島アドミラルティにお店が出来て僕も喜んで通ったものだがメニューはしょっちゅう変化していた。

 

当時の香港の衛生基準では生卵を提供出来なかったので違和感があったがその後の朝定食に牛丼ではなく牛肉の下にご飯の代わりにインスタントラーメンが敷かれており子どもたちの人気になった頃には吉野家で何が出てきてもびっくりしなくなった。

 

出店後2〜3年もすると吉野家としてもどんな料理が香港人に受けてどこまでなら日本の牛丼を改造出来るか取り組みそれが一定の成果を出し始めた。自宅の近くのビルのフードコートにも吉野家が出店して家族でよく利用したものだ。

 

こういう「食べ物商売」の一番難しい点はどこまで日本の味に拘りどこから地元に合わせて変化出来るかである。特に日本人の場合日本の味に拘るので海外出店がうまくいかない。

 

吉野家も最初の米国出店展開は失敗して撤退したことがある。豪州でも上手くいかずその後アジア地域で再度出店をしたらこれは成功した。アジア人の舌が日本人に近いのか。

 

レストラン業界でも「美味しければ売れる」と考えている経営者は多いが現実問題として美味しいだけではどうしようもない。立地条件、時期、地元に合ったメニュー、そして如何に出店後すぐの物語を作って成功させるかだ。

 

韓国人や中国人が日本の居酒屋経営とか持ち帰り寿司を売ってるがあれも彼らは「美味しいだけでは客が来ない」と分かっているからあえて日本食の販売を行っているのだ。

 

ココイチのカレーをしっかり食って夕方の飛行機で香港を出て羽田に向かう。到着は21時過ぎ、そこから都内のホテルに移動するので今日は夜12時頃には眠れそうだ。



tom_eastwind at 15:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月13日

打ち返す

年明けから立て続けに様々な案件が飛び込んでくる。

 

この仕事をしていると毎日同じことの繰り返しというのが無い。何故なら世間の変化がそのまま飛び込んでくるわけで昨日と同じ今日がないのである。

 

朝会社に行き一日の予定を時間単位でこなしていくのだけど毎日必ず何か「えー!」と思うような事が突発的に起こる。

 

そんな生活をオークランドで20年もやっているとちょっとやそっとでは「えー!」も出なくなる。「ほー、そう来たか」であり頭はすでに突発事件をどう対応して最善の手段を選択するかと動き出している。

 

これはテニスと似たようなものだろう、フェデラーが自分のコート内に入った黄色いテニスボールを瞬時に打ち返す時にいちいち考えず反応するのはそれまでの練習で思い切り鍛えたから反射的に体が動くのだ。

 

僕の場合も似たようなもので今まで様々な突発的経験をしてきたので何かあればすぐその場で対応する。相談する相手もいないのですべて自分で判断して決定してその結果責任もすべて自分で取るので他人を気にせずにいれる。

 

誰かが突然待ち伏せ的にボールを打ち込んでくればまずはとにかく相手のコートに打ち返す。それから考える事もよくある。

 

こっちが知らなくても相手にとってゲームは始まっているのだ「えー!」なんて言ってる時間はない。

 

例えば2004年に起こったホテルインターンシップ事件などはまさにこれだった。

 

あれこそまさにこちらが全く予想もしなかった時にいきなり「待ち伏せ」を食らって全国新聞やテレビニュースのトップを飾ったものだが、とにかく取り敢えずボールを相手のコートに打ち返してから「誰が仕組んだんだ!」と考えても分からない。

 

そこでマスコミ取材では相手に対して英国人が理解共有出来る倫理観や契約観念をベースにして打ち返した。

 

「あなたには倫理が分かるのですか!?」と語気を荒めて質問する記者に「え?倫理って何ですか?」と返した時には相手が唖然として次の言葉が出てこなかった。最初に倫理の観念が違うって返せば相手はそこから先の議論にいけない。当時の記録は今でも手元にある。

 

契約観念についても「タダ働きさせた!」と主張する記者に僕は「あなた達はインターンシップという制度を知っているのですか?学生が社会人になるために企業で無給の期間限定実務体験をするのですよ。それがホテルと当社と当事者の間できちんと契約をされていてその後のホテル就職にも繋がる。それのどこが問題なのですか?」と返した。

 

取材後にテレビ局のカメラマンが僕に「あのさ、お前は悪い時に悪い場所にいただけだよ、気にするなよ」とあっさり言われた。

 

その後めちゃくちゃ頭に来て労働局と移民局にも行って調べてみて分かったのが「お前は悪くない、悪い場所に悪い時にいただけだ、相手は労働組合だよ」だった。

 

何のことはない、インターンシップに参加した女性のホームステイ先が労働組合と繋がっててそこと地元新聞がつるんでホームステイオーナーが「夕方の公園で今晩住むところもない初めて会った日本人女性を保護した」という話に切り替わってこの待ち伏せが行われたのだ。

 

ただボールを打ち返すにしても自分なりに幸運だったと思うのはやはり子供時代に読書を通じて追体験を得ることが出来たからだと思っている。子供時代に図書館で色んな本を読んだ事が社会人になって生きているのは毎日の生活で良く分かる。

 

僕は高卒だし小中高と何が一番キライだったかと言えば学校の授業だった。なのでかなり積極的に先生に嫌われたタイプである。

 

一番ひどかった時は数学の時間になると授業が始まって最初の5分で手を挙げて「先生、トイレ」と言って授業が終わるまでトイレにいたのが一学期くらい続いてた。

 

けどその分図書館の本が僕にとっては良い先生になってくれた。世界中の良い本を集めて無料で貸してくれるのだからこんな良い場所はない。

 

そこでは科学から歴史、宗教、政治、色んな事を学ぶことが出来た。

 

ALIVE」という本では「人間が生き残るために死んだ仲間の肉を食うことは許されるのか?」がテーマだった。これは大岡昇平の戦記にも繋がる。

 

1970年代当時は日本でも社会党がどうこう言ってたが読書を通じて共産主義が人間には実現出来ない、てか人間が人間である限り実践出来ない性善説を基礎にした理想論であることも分かった。

 

僕にとって学校生活の中で授業で学んだ事は理不尽への反抗であり図書館で学んだのはまだ見ぬ世界だった。

 

あの頃の読書が今の自分を作っているのだなーとよく思い出す。生きるとは戦うこと、そして実践することだ。



tom_eastwind at 20:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月12日

グローバリズム

トランプ氏の主張する「雇用は米国で」を突き詰めれば高い原価で物を作ることになる。グローバル化は世界で最も安い場所で最も良いものを作って売る方法であるがそれを否定するわけだ。

 

これも一つの国家を守るための知見である。国家の中で消費するもので国内で生産可能なものは原価が高くても国内で生産しなさい、そうでなければ輸入関税を取るよという国内保護主義である。これで雇用を守るという発想だ。

 

世界中で起こっている二極化は一部の人々にのみ利益が集中する仕組みであり関税が撤廃されて一番喜ぶ人々も二極化の上の人々である。

 

本来人間の生活は地産地消であるのに社会が進化してコンテナ船やジェット輸送機が世界の海や空を駆け巡るようになって世の中が変化してグローバル化が始まった。

 

但しグローバリストからすればもう一つの観方をすれば地球が一つの「地」であり地球の中で最適な場所で生産して最適な場所で消費すれば消費者にとっては有り難い話であり、支配者が歴史的経緯で作った国家とか国境で線を引くのはおかしいとも言える。

 

日本でも花の栽培で本州から沖縄に生産が移動した時に「沖縄の花を買うな!」という話は出てこなかった。何故なら本州も沖縄も一つの地域だったからだ。

 

ならば規模を拡大して国家を無視して地球生産地球消費とすれば良いではないか。

 

つまりグローバリズムの行き着く先は経済が国境を越える事であり国家否定に繋がる。それで困るのは国家であり国民ではない。

 

そこで国家が自分の存在価値を守るために関税という仕組みを作り国民と生産と消費を国家の中で自己完結させようとしている。

 

しかし21世紀でこれだけ情報が世界を飛び回り人々も能力に応じて好きな場所で住めるようになった現代、果たして国家はそういう「上からの押さえつけ」だけで維持出来るのだろうか。

 

トランプの主張はそれなりに面白い。既存の国家を守り国民を守るという視点からはそれなりに正論である。

 

ただ世界規模で世の中が不可逆的に激動して変化している時にトランプの主張が米国民に通用するのか?

 

日本は幸い内需が大きく(地産地消効果あり)更に世界で最も高品質の商品を地方のちっちゃな会社が創り出すわけで米国のようなラストベルト(錆びた地帯)で傍観拱手するような事態にはならないだろう。

 

日本にとっては世界で最も優秀な製品を作って海外に販売する機会であるから地球レベルで地産地消をやってくれるとビジネスの機会が増大するとも言える。国家をしっかり守りつつ輸出で稼げるならグローバリズムもありだろう。

 

21世紀の国家がどうなるか。トランプの2017年は強硬な事態を生み出すだろうが同時に世界の国境や国家の壁が一気に下がっていき東西ドイツで起こった「国境の壁崩壊」のように世界の国境崩壊の始まりになる年になると考えている。



tom_eastwind at 19:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月11日

2017仕事始め

日本ではすでに2017年の業務が開始されており今更「明けましておめでとう御座います」にはならない。

 

朝会社に行きまるで長期休暇がなかったかのようにいつものスタッフがいつもの机に座って「おはようございまーす!」から始まる。普段と違うのは朝の渋滞が殆ど無くて自宅から会社まで20分ほどで到着するくらいだ。

 

スタッフは三々五々デロンギのオフィスコーヒーでフラットホワイトを作ったり机の上の郵便物の整理をしつつ930分に全員出社後に何時ものように各部署でミーティングを開始する。2017年の始まりである。

 

日本では株価が2万円近くなり企業収益も向上、経済の表面では調子良く観えるし安倍政権がアベノミクスで失敗してもその分外交で取り返している。

 

今年も官製春闘で安倍首相が直接経済団体に賃上げを要求して大手企業では毎年賃上げが行われており名目賃金も見かけは良い。

 

しかし社会の多くを占める「普通の人々」にとって物価上昇の中で賃金は上がらず実質賃金はマイナスになっている。

 

そして問題はこれからの日本の行く末だ。

 

マスコミや世間に顔の出る人々は皆恩恵を受けている側だからあまり関係ないが、社会構造が大きく変化して現在日本社会で労働する人々の多くは益々可処分所得が減少して貯金も出来ないまま健康保険、介護保険、年金の将来の期待もないままに「ただ生きていく」しかない。

 

年収が300万円のサラリーマンだと女性と結婚する機会も減る。つまりこれからずっと一人で生活して老人になっても独居であり誰も看取ってくれずの人生となる。

 

それでも東京オリンピックまでは政府も何とか賑やかに騒いで国民に夢と希望を持たせようとするがそれでも2020年までである。

 

子供の頃から親や先生に言われて真面目に勉強して横並びを学び逆らわず文句も言わず黙って学校に通って大学まで卒業したけど、そこに待っていたのは多くの普通の人々を巻き込み死ぬまで続くベルトコンベアだった。

 

これからの日本で普通に人間らしく生きていこうとすれば東大法学部を卒業して官僚になるのが一番良い。日本一団結心の強い優秀な組織に入ってしまえば皆に守られながら一生が保障される。仕事で失敗しても責任を取らなくて良い。

 

町内会でごみ捨てや道路清掃の当番が来ても奥さんが「宅は東大卒ですので〜」とやんわりNOと断れる。

 

いずれにしてもこれからの日本は、普通であることが息苦しくなる時代である。

 

普通でない生活を送るためには子供の頃から自分の頭で考えて健全な疑問を持ち「親だから先生だから」と無批判に信用しない事だろう。学校生活は生き辛いけど社会に出た時の対応能力は保存されるから動物の集団自殺に巻き込まれることはない。



tom_eastwind at 19:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月10日

仕事再開

長かったクリスマス休暇も終わり明日から今年の仕事再開である。これが日本なら戻ってみたら机がなかったって話であるがここがニュージーランドだからこんな長期休暇も有り得る話だ。社会全体がビジネスよりも個人生活を優先する文化で長期休暇に国民の合意があるから出来る話である。

 

仕事再開とは言っても今日もあちこち走ったが車の通行量はいつもの半分くらいであるからオークランドでは今週終わりまでは休みを取っている会社の方が多いのだろう。

 

オークランドの夏とは言っても気温が大体23度位なので車の窓を開けて走れば十分に涼しい。空じゃ雲達が楽しそうに飛び回っている。

 

ほんとこの街で生活をしているとのんびりしているのを感じる。のんびりし過ぎてやばいと思ったりもする。日本のような顧客サービスが徹底しない部分があるからのんびりしているのか。

いずれにしても明日から仕事である。日本の仕事と比較して一番違うのは労働時間の密度が濃い点であろう。

 

日本の場合は何かあれば残業とか休日出勤で同じ労働量を薄く広げる事が出来るけどNZのように残業しない国では時間あたりの密度を濃ゆくして時間内に仕事を終らせる発想である。

 

だから自然と密度が濃ゆくなる。日本だと昼食時間はきっちりと一時間取って昼飯食って喫茶店でお茶してだべって男性であればスポーツ新聞を堂々と広げて昼間から「なんちゃらナイト探検隊!」を読んでる。

 

けどNZでは昼休みってのはきっちりしてなくて特にシティで仕事をしていると時給ベースではないビジネスマンだろう、近くのテイクアウェイショップで買った持ち帰り寿司を歩きながら食べてたりする。

 

だからと言ってニュージーランド人の個人業務処理能力が日本人より高いわけではない。

 

ただ彼らは出来るだけ簡単な仕事作りを行い出来るだけ手間をかけずに高い効率を追求する方法だけは知っているので最終的にどれだけ仕事が出来たか結果は別にして密度は自然と濃ゆくなるのだ。

 

つまり僕らから見れば要領の悪いことをだらだらとやっている場合もあるけどそれでも彼らなりに濃い密度で仕事をしているのは事実である。

 

キーウィの仕事ぶりについて色んな評価があるがもし本当にキーウィが皆大馬鹿だったらこの国のインフラシステムは稼働してないし今のような街の発展もないだろう。

 

日本のようにサラリーパーソン全体がレベルが標準的であり大きな当たり外れがない分だけ集団としての日本人は使いやすい。

 

けれどキーウィは当たりハズレがある。そして一部少数の「当たってるやつ」がボスに付いた時には仕事が思い切り効率的短時間に回る。

 

どちらがビジネス効率よいかと言えば日本だろう。けどそれは休み取らない仕組みの上に成り立っており上司がバカであればシステム開発のデスマーチのような最高に無駄だらけの仕事になったりもする。どっちが人間らしいか。



tom_eastwind at 17:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月09日

ラーメンラボ再訪

20170109ラーメンラボ再訪

 

食べログではないがお休み最終日のお昼はタカプナのラーメンラボに行く。先週来た時はお休みだったので家族もここで食べるのは初めてである。

 

シティの丸天ラーメンはフードコート内であるがタカプナのラーメンラボはタカプナで一番背の高いマンションのレストラン並びの一角で単独店舗である。

 

小奇麗な白を基調とした内装で店の奥にギター等の楽器が並んでいるのがらーめん屋さんらしくなく明るさを出している。

 

昼間の営業時間は1430分で僕らが店に入ったのが1350分くらいだったがその時点でほぼ満席。5分ほどしてテーブルが空いてやっと座れたが顧客の半分以上はアジア人である。

 

ここも麺の太さやトッピングが選べてとんこつラーメンにはニンニクチップや油の量の調節も出来る。

 

僕は魚介豚骨ラーメン、奥さんは豚骨ラーメン、りょうま君は担々麺の大盛り。一品料理で鶏の唐揚げを注文して待つこと15分くらいで料理が揃う。

 

キッチンもどんどん料理を作って大忙し、フロアスタッフは一名でテーブル案内メニュー取りお皿片付けと凄い忙しいけど笑顔は忘れてない。

 

こういうきちんとした店がこれからオークランドは増えてくる。なんちゃって和食に対する気持ちと美味しいものが無いなら自分で作るぞという行動力を持った移住者が増えている証拠であろう。

 

今年の僕のテーマの一つが「日本人による日本水準で地元の人々に愛される日本食作り」である。和食と言ってもB級グルメが中心であるし僕が料理を作るわけではない。

 

しかし今のオークランドではKAZUYAを筆頭に次々と素晴らしいレストランが展開されているがまだまだ色んな業態が可能である。

 

オークランドで頑張っていきたいそんな人々を応援しつつ5年先の日本人社会で日本人雇用の場にも繋げていきたい。

 

普通に移住するだけの行動力を持った日本人が普通に頑張れば決して負けない、そういう分野で新しいビジネスを広げていきたい。今年からのテーマだ。

 

そんな事を考えながら出てきたラーメンを食べる。旨い。手間暇をかけて作っているのが本当によく分かる。

 

家族全員で「美味しいよねこれ!」と舌鼓を打ちながら休暇最後のラーメンを楽しんだ。



tom_eastwind at 17:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月08日

ランドバンキング説明会1月22日開催

今日は宣伝です。

 

日本からランドバンキングに様々なお問わせを頂いておりますが北米型のランドバンキングとはビジネスモデルが異なり特にNZでは政府住宅供給公社との連携で運営されている為に日本からのお問い合わせに対して直接ご案内差し上げることにしました。

 

そこで東京でニュージーランドランドバンキング説明会を行う事にしました。12213:00から2時間、東京都内での開催です。参加無料ですので興味のある方はお問い合わせ下さい。

 

***

ランドバンキングという言葉がニュージーランドでも少しづつ定着して来たが元々はカナダや米国で使っていた言葉でありカナダや米国の運営方法とは違う点が多いのでこのあたり明確にしておく必要がある。

 

まず北米で行っているのは何もない原野や砂漠地帯の土地を共同購入して10年単位で保有していつの日か高速道路や高速鉄道が敷設されてその土地が住宅開発される事を目標にしている。つまり土地の長期保有、Buy and Hold である。

 

これに対して現在ニュージーランドで行われているのはオークランドを中心としたこれから10年以上にわたって起こる(既に起こっている)急激な住宅不足を解決するために政府が保有する土地を住宅用地に用途変更した後民間に売却して民間企業は土地を担保として住宅を建設して政府や個人に売却、その後は売却で得た資金で次の地域を政府等から買い取り同様に住宅建設を行い半年程度で売却をする仕組み、つまり Hit and Run である。

 

北米型もNZ型も土地を個人または組合所有(区分所有)することでまず投資資金の担保を確保しているがそこから先が違う。

 

北米型は大型のインフラ建設、例えばカリフォルニアの高速鉄道計画を長期予測して予め安く土地を大量に仕入れるわけだがNZ型は目の前にいる住宅購入希望者たちの為に政府と組んで次々と住宅を造成しては希望者に売却してすぐ次の物件造成に移るので半年から一年単位で投資先が変わる。

 

どちらも政府からの土地払い下げや土地担保があるものの運用期間が全く違う。利回りに関しては両方が最終的に終了した時点で比較可能であるが毎年または4年程度で年利58%程度の配当が行われるNZ型と10年後の世情によって数十パーセントの利回りが期待出来る北米型とでは10年後に比較している時点でゲームは終わっているので単純比較というわけにはいかないだろう。

 

また投資終了時点で日本及び投資先国の税制がどう変化しているか、この点も考慮すべき点である。

 

現時点でランドバンキングはノースショア、南オークランドのマクレナン、イーストタマキの開発と進んでいる。特にイーストタマキは政府が強力に推し進めているので開発速度が早い。

***

 

等と現地でしか入手出来ない情報も含めて説明会でご案内致します。問い合わせ先は下記アドレスからお願い致します。

http://www.eastwind.co.nz/immigrant/landbanking.php



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2017年01月07日

まるてんラーメン。

今日は家族で丸天ラーメンで昼食。去年一回来て美味しくてこれなら家族連れてきて場所だけ知ってもらえれば次は自分たちだけで来れると思ったので連れて行く。

 

前回はビジネスランチだったのでスーツにラーメンとバランス悪かったが今日は会社もお休みなのでジーンズにTシャツで訪問、安心して餃子も注文出来る。

 

金山市場(マーキュリープラザ)は元々中国食材を売ってる場所で今も食材市場があるけどフードコートの方は一昔前と比べると「明るい雰囲気」ではない。賑やかなのだけど段々香港の下町に近づいて来たかって感じである。

 

りょうま君も奥さんも東京で一風堂や一蘭など美味しい店を食べ歩いているのでいくらオークランドだからと言っても出前一丁に毛の生えたようなレベルは案内出来ない。

 

その点丸天ラーメンは自分で一度食べてるし雰囲気も分かるので安心して連れていける。

 

日本から来たばかりのお客さんにはちょっと連れて行き難いが下町の雰囲気は奥さんにとっては地元であり全く問題ない。りょうま君に至っては美味しければ何でもいい、丼しか観てないのだから。

 

店のメニューを3人で観ながら奥さんは「豚骨ラーメン」僕とりょうま君は「醤油とんこつラーメン」にする。この時に麺の太さと油の量も聴かれるが麺は細めん油は普通でお願いする。ここまで聴いてくれるのはラーメンラボくらいか。

 

追加で餃子と炒飯を注文。その場でお金を払ってカウンター上にある麦茶をコップに入れて暫く待つともなくすぐに料理が出てきた。

 

フードコートの作りなので高級店のようなサービスは期待出来ないのは当然だがラーメンを運んで来れる女性スタッフも愛想が良く炒飯の時には最初から小皿を3つ用意してくれた。餃子もタレ用に3つのタレ皿。

 

ラーメンは勿論美味しくてりょうま君は「おー!」と言いながらパクパクと食べ始めた。

 

そしてスープをレンゲで飲みながら日本で覚えたのだろう、そこに炒飯を少し混ぜて食べてる。これは旨いだろう。

 

特にこの店の炒飯は完全に日本式の「焼き飯」である。普通に柔らかく炊いたご飯に味付けと具材が乗っかっている。

 

だからラーメンスープを上手いこと吸ってくれてとてもバランスが良い。奥さんからすれば炒飯は中国料理であるから掟破りだけどそれでも美味しいからパクパクと食べてもらえた。餃子も皮の柔らかさと具の旨味にバランスがあって美味しい。

 

よっしゃ、ここ紹介出来たので奥さん次はりょうま君と二人だけでも来れる。僕も久しぶりに日本式の「焼き飯」を食べたのでラーメンは三分の一くらい残した。

 

麺は何グラムなのか、僕には多すぎだったが自分のラーメンを食い終わったりょうま君は暫く僕のラーメンを観て穏やかに「お父さん、お腹一杯?」と聴いてくる。

 

僕の隣の奥さんがりょうま君をじろっと睨むけどりょうま君はたじろがずに「お母さん、ちょっとだけだから」と僕の前にあるラーメンを自分の空っぽの丼と交換して食べ始める。

 

美味しいもんな、まだまだ育ち盛りだし美味しければ食べたいよな、それに炒飯もまだ残ってるし餃子もある。そこでりょうま君がパクパクと食べる。

 

奥さんからすれば「食い過ぎ!」となるのだろうが美味しいのだしたまにはいいではないか。だってこの後りょうま君はジムでトレーニングなんだから。

 

会社は来週水曜日から再開だ。食えるうちに美味しいものを食っておこう。



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2017年01月06日

死ぬのは奴らだ。

昨日「人生は試験だと思うと積極的になれる」と書いたばかりだがこの記事は若い頃から現行の国家制度の下で人生設計を行い人生が勝ち負けのある試験と思わずに着実に組み立ててきた中高年の人々の老後にはこれからきつい話になる第一章である。

 

***

塩崎恭久厚生労働相は6日の閣議後の記者会見で、日本老年学会などが高齢者の定義を「75歳以上」に引き上げるべきだと提言したことについて、「社会保障制度における年齢の定義を見直すことは、企業の雇用慣行や国民の意識も踏まえて、慎重に議論すべきだ」と述べた。その上で、引き続き高齢者の就労促進などに取り組む考えを示した。

 日本老年学会などは5日、高齢者の心身が若返っているとして6574歳は「准高齢者」と呼び、社会の支え手として捉え直すべきだとした。高齢者は7589歳と定義し、90歳以上は「超高齢者」とするのが妥当だとしている。

〜以下省略〜

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H1U_W7A100C1CC0000/

***

 

要するに老齢年金を削る。その為に現役労働者を増やして年金支給をどんどん後期にずらして当面は75歳からの支給にする。それまでは働け。最終的には死ぬまで働け老齢年金は払わんって仕組みを作りましょうって事だ。

 

こうすれば年金制度そのものは立派に維持していますよと言えるし実態としては支払いをしなくて済むのでお金はかからない。やったね、である。

 

若い頃から積立をして退職したら貰えると思ってた年金が「退職」という概念自体を思いっきり後期にずらされてしまう為にもらえなくなる。

 

勿論政府もバカではないから企業の定年制度を観なおさせる。当面は最低でも65歳まで雇用継続しなさい、そしていずれは定年の廃止と75歳まで働ける仕組み作りという事になる。少子化で労働者が減少するなんて問題はこれで解決である。企業に対しては一旦60歳で定年した後の再雇用は給与は従来の半額程度にする。給与半額、それで嫌ならコンビニでアルバイトしろ、であろう。

 

 

 

記事から最初はそれるけど、財務省は国家財政をどうやって黒字化させるかを常に考えている。国家歳入が50兆円しかないのに100兆円を超す支払いの中で何が多いの?医療と年金?ならそれをどうやって切り捨てるかを考えるのは支払う側の当然の行動である。

 

医療についてはまず薬価見直しで小野薬品の抗がん剤のオプジーボ(プラシーボ)が狙い撃ちにされたがこんなの医療産業で数十年続いた薬価慣行を一気にぶっ壊すわけで普通に考えれば「あり得ん」だが、国家財政を黒字化したい財務省からすれば「徳政令」なのか「世直し」なのか分からんが、やった。

 

まず薬価を下げる、次は薬を必要とする人々を減らす、そして終末医療であるパイプつなぎを止めてホスピスにして静かに薬無用で死んでもらう。

 

特にチューブ外しは法的側面も含めて(医者が殺人罪に問われないように)これは来年からマスコミを使って一般国民への洗脳?扇動?の先導が始まるだろう。

 

「このチューブで一ヶ月200万円かかります。それだけあれば貧しい家庭の子供が学校に行けます、いずれ死ぬ人とこれから社会を支える子供へとどっちへの投資が正解ですか?」

 

いずれにしても国民感情を動かすプロである電通が付いているのだから思いっきり情緒に富み1930年代の「僕が行くから君も来い、狭い日本にゃ住み飽きた」とか明治時代のブラジル移民送り出し国策の時のように国民を煽るだろう。

 

江戸時代や明治時代におばあちゃんはチューブを付けてましたか?誰も自然に苦しまずに最後まで意識を持って生きてましたよね、それが普通じゃないですか?

 

言っておくが僕の意見はチューブなしである。ニュージーランドで長いこと生活をしていると老人、特にホスピスで生活をして最後には静かに棺桶に入り墓場に行く人たちを観てきて感じたのが「自然でいようよ」である。

 

元気な夫婦が70歳過ぎて体が弱ればリタイアメントハウスに入る。そこで10年程度のんびり生活をして足腰が弱ればそのまま隣接のホスピスに入って電動車いすで生活して自分で呼吸が出来なくなれば最後は医師や看護婦に看取られながら息を引き取る。

 

医療経済学観念からすればチューブは全くの無駄金である。それよりも生きている間の尊厳とか生き甲斐とか、カネはかからないけど老人を大事にする政策のほうが絶対に良い。

 

ただ日本の場合はそこに空気を読むとか本筋と違う話が出てくるから何時まで経ってもめんどくせー理屈の通らない話になっているのが現状だ。

 

そこで電通が出番で「死ぬまで元気でいようね」キャンペーンが行われるのであろう。

 

でもって思い切り話がずれたけど要点としては医療と年金の削減である。勿論官僚はいつものように自分たちだけは守られる仕組みを作った上で一般国民に削減強制という事になる。

 

いつもと同じことである「死ぬのは奴らだ、俺じゃない」政策である。



tom_eastwind at 18:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月05日

人生は試験だ。

天命宿命と書くと「人は天命や宿命から逃れられないのか」と思われるかもしれない。

 

けど、そうではない。人は天命宿命から逃れられないのではなく、自分から選んでいるのだ。

 

誰しも生きている限りは自分で道を選んでいるわけであり人生という片道切符の川で海に向けて「流される」にしてもどの川を選ぶかは自分である。そして川の中でどう動くかは本人次第である。

 

そして天命も宿命も同様で、どのような形であなたの人生に天命と宿命が影響するにせよ、それはあなたが選んだのだ。

 

とここまで書いたがこれは一つの思考方法であり試験大好きで答さえあれば必ず点数を取ってみせる自信のある人なら挑戦のやりがいがある試験なのではないだろうか。

 

ここから書くのはスウェデンボルグという人が彼の記した本の中に描かれている話などを元にしている。

 

この話はキリスト教だけではなく人が生きる時の考え方の真ん中に持ってくる事で宗教を越えて生活に積極性が出てくるので頭を柔らかくして考えてみて欲しい。

 

あなたが通う泰明小学校には一学年が能力順に3教室ある。能力が高い11組の教室は南向きで陽当たりが良く小さいながら校庭も目の前に観えて友達が皆仲が良い。教室は勿論エアコン完備である。

 

12組の教室はエアコンはあるけど広い道路の向こうに大きなビルがあるので観えるのはオフィスでガリガリと働いていつも紙切れを売った買ったと騒ぐサラリーパーソンだけ。子どもたちも自分の事ばかりでガリガリしている。

 

一番能力の低い13組の教室は日の当たらない北向きでエアコンなくてすぐ近くを流れる川は汚い。おまけに学校の近くには煩い繁華街があり朝からゴミ臭くて仲間はクラスメートじゃなくてくされメートだ。

 

この3教室の子供達が給食時間になると大きな食堂に集まりクラスや班毎に食事をするのだがすべての子供達の手にあるのはとても長いフォークだけ。だから目の前の料理を取って食べることが出来ない。

 

1組の子どもたちはそれでも長いフォークを使って向かい側に座る友達に料理を取って友達の口に入れてあげる。友達も同じように向かい側の友達に料理を渡す。

 

ところが2組と3組の子どもたちは自分のことしか考えないから長いフォークで何とか自分だけ料理を取ろうとするが自分の口に持ってくることが出来ない。

 

なので給食時間の度に1組の子どもたちは楽しく笑いながら食事するけど2組と3組の子供はいつもいがみ合ってお腹を空かせたままである。

 

そんな時12組に新たに転校して来た子供がいた。彼は1組をいつも羨ましく思いながらある時校長先生に聴いた。

 

「先生、僕は1組に編入出来ませんか、今のクラスにはどうしても馴染めなくて」

すると先生は言った。

「いいよ、その代わり君が1組に入れる能力があるかどうかテストするよ。その結果によっては君はもしかしたら能力が低いからと3組に落とされるかもしれないよ、それでも良いかい?」

 

子供は「先生、どんな試験ですか?」とおずおずと聴いた。

「難しいものではない、1組で生活出来るだけの他人を尊敬したり他人と一緒に生活出来る能力、そしてクラス全体を良くしようとする努力があるかどうかだ。但しこの試験を受ける時、君はこことは違う場所に行ってもらい試験を受ける気持ちになった今の記憶を一時的にすべて消してしまうよ。そしてもう一度言う、もしかしたら君は試験の結果として落第して3組に編入になるかもしれないよ、それでも良いね?」

 

子供は自信を持っていった「やります!」何故なら答が分かっていたからだ。

 

そして子供が次に目が覚めたのはこの地球であった。

 

自分が何故この地球に生まれたのか分からない。人は何時も戦争をして他人のものを奪って憎み合っている。何故僕はこんな世の中に生まれたんだろう?

 

「どうせこんな世の中だ、生きるのは一回限り、だったらもっと戦争をして他人から略奪して現世でご利益をかっぱらってやろうぜ!」

 

「一体何だろうこの地球って・・・。けど少なくとも家族だけは信頼出来て家族だけは守っていこう」

 

「このままじゃ地球は滅びるよ、人間同士が救い合わなきゃ未来はないよ。未来があるからこそ人間は生き延びる価値があるんだ!」

 

子供なりにいろんな事を思いつつ人生を通じて様々な事を学び何がほんとか分からない中でそれでもすべての人間に共通する普遍的な真実を探そうとする。

 

時にはグレてみたり時には他人を傷つけたりしながらそれでも頭の奥の方で「何か違う、そうじゃないよな」と感じたりする。

 

そして自分が何故この世に生まれたかその理由は分からないけど自分がこの世で出来ることを自分の能力の範囲内で実行しようとする、この世を少しでも良くするために。そこで分かったのは人のために何かしている時は心が暖かくなるってことを。

 

そして試験期間が終了して子供の地球の旅は終わった。再度校長先生の前に出た子供は試験の採点の場に挑む。

 

校長先生は言った「君が望む1組編入は非常に程度が高いので自然と試験も厳しくなった。大変だったろう、君は戦乱の世の中に生まれ教育もなく生きていくしかなかった。そんな自分にやる気をなくしたり愛想を尽かして不良になってしまえば落第だった」

 

「そして君が試験期間中、何故こんな試験を受けているのかを忘れた状態でも本来あるべき答を君が見つけ出すことが出来たか。いずれにしても試験に参加することを選んだのは君の意思であった、おめでとう!君は明日から1組だ」

 

これは寓話である。けれど自分の不幸を嘆きつつ人生を腐りながら意味もなくだらだらと生きるよりは「この人生って試験なんだよな、校長先生はいつも空から僕を見ているんだよね、頑張ろう!」と思うほうが人生は間違いなく楽しくなる。



tom_eastwind at 11:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月04日

二級市民 その2

僕が1991年香港に移住した当時、広東語はほぼ分からなかった。就職した職場は同じフロアに当時約200人いた社員のうちの殆どが香港人だった。

 

そこで僕は毎朝出社して香港人スタッフの顔を見る度に広東語で馬鹿の一つ覚えでにこっと笑って上を指差して「今日は良い天気ですね」と言った。

 

最初は彼らもあっけに取られて「あいつ、バカ?」という顔をされたが暫くするとこいつなりに俺たちとコミュニケーションを取ろうとしているのが分かったようで笑いながら「おいおい、お前の発音じゃ通じねえよ」とだんだん広東語を教えてくれるようになった。

 

そして半年もすると昼飯にも一緒に行くようになり他の支店の香港人で僕が日本人と知らないままに彼らの日本人上司の悪口を言ってると「おいおい、こいつは日本人なんだぞ!」と飯に誘ってくれた仲間がびっくりしたようになる。

 

だが僕が「そうだよね、ありゃダメだ、日本人の中でも浮いてるよ。けど心配するな、あいつは今単独で赴任している“太空人”だ、そして日本に帰っても出世出来ずに地方支店ばかりをドサ回りする“人工衛星“になるからさ、彼の上司がそう言ってたよ」と言ったら皆が大笑いした。

 

1年もすると社内の日本から派遣された駐在員から声がかかるようになった。本来なら現地採用など普通に口をきく相手ではない。けど日本からの駐在員は英語は勿論広東語などまず不可能である。

 

そんな時東京本社からの特別な指令が来た場合いつも使っている日本語の上手な香港人だとどこまで信頼出来るか分からず利益相反する可能性がある。

 

そこで僕のような少し広東語の出来る現地採用日本人をしぶしぶ使うようになった。

 

当時の深センは急速に発達した街であったが一種の無法地帯でもあった。そこでのトラブル処理に日本の理屈は通用しないしだからと言って相手の言い分を聴けばまた

カモにされる、落とし所を探すのが僕の仕事だった。

 

また取引先社員の東完出張先での突然死、棺の輸送、生命保険の為の死亡証明書作成において「こう書いて欲しい」と依頼すると関係者は日本の保険や葬儀の手続きが分からないから何故だと聴いてくる。

 

そんな時に相手を観ながら時に誠実な話をしたり時に時間節約な話をしたりしてお互いに最も有効な手段を決めていく。

 

日本からのVIPを深セン経由珠海まで連れて行くのにどうやって他所に負けない最高級車を手配するか、九龍駅から広州駅までの直通列車の切符をダフ屋から騙されずに買う方法なども当時の僕の仕事であった。

 

ダフ屋からしても九龍駅の切符売り場の柱の近くにいる自分に近づくのが日本人とは思っても寄らなかっただろうが自分で切符の現物を確認するのでガセを掴まされる事はなく何度も適正価格で買うので彼らもお得意にしてくれた。今の時代ならあり得ん話だが。

 

けれどその為に広州の工場で故障でラインが止まった時の緊急修理作業員として日本から出張でやってきた大手メーカーの技術者を無事に広州に送ることが出来たので定価より少し高い切符代でもメーカーからすれば元は取れただろう。

 

特に面白かったのが日本から来た大物総会屋の付き添い、銀座の超高級宝飾店会長の付き添い等などだが僕は今でも香港側のツインホテルを観るたびに思い出すことがある。

 

当時僕が住んでいた街は住民の半分が元ヤクザのような下町であり僕は自分が日本人という事は言わず生活をしていた。なので通勤時は穴の開いたジーンズとTシャツ、会社に着いてスーツに着替えて昼間はスーツにネクタイ、そんな生活を6年続けた。

 

そんな事をやりながら香港の仕組みを学び彼ら地元民を尊重しながらどうやって会社の利益を確保していくかを考えた。

 

そうやることでやっと日本人駐在員からすれば現地採用でありながら、香港人からすれば日本仔(日本のガキ)も日本人及び香港人からそれなりに対応してくれるようにもなった。それからだ、こちらの話も少しは相手が聴いてくれるようになったのは。

 

香港には天賦の平等も公平もなかった。それは努力して実力で勝ち取るものでしかなかった。

 

移住した先の何のつてもない場所では自分が頑張るしか無い。権利ばかり主張しても誰も相手にしてくれない。

 

特に父親は日本で生活していた時以上に頑張るしか無い。何とか地元に馴染み少しでも良い仕事を見つけ一生懸命働いて日本人であることが誇りと言えるような仕事をしてもらいたい。

 

そうやって頑張った父親の背中を見た子供達がもしそのまま第二世代、二世としてニュージーランドに残って根付けばジャパニーズキーウィ、日系キーウィとして日本とニュージーランドの間で活躍していくのだから。



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2017年01月03日

二級市民

移住していきなり何もせず最初から一級市民扱いしてくれ?あり得んし。

 

僕が落下傘移住を三回繰り返した中でいつも気をつけていたのが「現地と地元の考えを尊重する」事である。常に地元の人の意見を聴き何故そうなるかを相手に反対する前に考えてそこで自分との価値観の距離を測って自分自身の羅針盤とした。

 

何故普通の日本人が海外移住する先で他のアジア人よりも地元民に受け入れられやすいか。それは日本人が「軒を貸してくれた相手に礼を尽くす」事を理解しているからだ。

 

なのに移住したばかりの人々が日本の問題は棚に上げて日本の常識だけで相手を判断して裏で批判して、ところがいざ相手を目の前にすると何も言えずにヘラヘラ笑っているだけ。

 

そして何かあれば身内だけで不公平だとか文句ばかり言うがその前にあなたはどれだけ現地に貢献したのか?

 

公平や平等は最初から社会にあるものではない。自分で努力して勝ち取るものであり移住したからだけで自動的に付いてくるおまけではない。

 

なのに一部の日本人はニュージーランドに来たばかりで彼らの文化も理解しないまま教育が悪いとか要領が悪いとかあれがこれが、とにかく日本が正しくてNZが間違いみたいな話をする。

 

じゃあ日本は何でもかんでも100%素晴らしい国なのか?日本とNZ、どっちが一方的に100%正しいなんてあり得ないわけだし人間に完璧がないのにその悪い点だけを一方的に批判するのはどうなのか? じゃ日本に悪いとこはないのか?

 

まさに「嫌なら日本に帰れば?」という話にしかならない。

 

NZに住むというイイとこ取りだけして日本に残った人々に「ほら、おれってすごいっしょ!」と自慢するけどNZではキーウィ生活に馴染めずにすぐ「それって日本では〜」と身内だけでやるのは片手落ちでしょ。ましてや日本人だけでつるんで傷を舐め合うようなのはどうなのか。

 

そして大体においてそういう人間は数年で日本に帰っていく。自分が望んでいた無料の尊敬が得られないし自分が嫌だと思う人間と同じ街に住んでて楽しくもないからね。

 

そして日本に帰っても「ほら、俺さ、無制限永住権取ったからいつでもNZに戻れるんだよー」と周囲に下手な言い訳しつつ日本社会で窮屈な生活を再開することになる。

 

僕は何もニュージーランドを目をつぶって礼賛しているわけではなく良い点も悪い点も含めて観ている積りだ。問題だらけと言える部分もあるが良い部分もある。問題があれば指摘すれば良いが価値観の違いが基礎にあればそこは君子淡交であるべきだ。

 

ただその前に日本人もその街で努力しようよ、他人が話を聴いてくれるだけの努力を。

 

僕は自分の日本人としての価値観だけで相手を評価して悪い点ばかりを取り上げて批判する積もりにもならない。何故なら価値観とは100人いれば100個あるからだ。第一僕のような目くそがキーウィの鼻くそを笑えるか?どっちも悪いところがある。

 

彼らと生活する中で良い悪いは価値観の問題もあるしそして良い点と悪い点を合計すればどう観ても日本に住むよりNZの方が住みやすい、良いと思えるからNZに住んでいる日本人は多いのだ。

 

昨日も書いたけど戦前の日本からハワイやブラジルに移住してサトウキビ畑などで働きながら子どもたちに教育を付けさせた人々は移民先の人々がどういう言う前に一生懸命働いて何とか英語も学び地元を尊重して努力して来た。だからこそ地域で認められる存在になった。

 

彼らにとって自分は英語もまともに出来ない移民一世であり自分の子供の世代、つまり二世の時代になって地元白人の子供と同じ学校に通ってやっと少しは一人前である。

 

それでも普通に生活していればまだまだ一級市民とは言えず1.5級であろう。それでも当時の黒人よりはましだったが。

 

僕が何度か例に出すハワイ移民二世部隊「442日系部隊」の話は移住を考えている人々には是非とも彼らに関する映画でも本でも良いから学んでもらいたい。

http://tom.livedoor.biz/archives/52114247.html

 

そして彼ら二世は自分たちが米国に忠誠を誓い砂漠の収容所に放り込まれた家族の為に欧州戦線で命を投げ打って実に勇敢に戦い第二次世界大戦で最もたくさんの勲章を獲得した。

 

戦争の英雄であり戦いで片腕を失くしたダニエル・イノウエは戦後ハワイに戻り弁護士から米国上院議員となり米国大統領継承第三位の地位にまで上り詰めた人である。

 

長くなるがテキサス部隊の話は知っておいてもらいたい。

 

***

4日間にわたる激しい戦闘が終わったばかりの442部隊に突然指令が下った。ボージュの森でドイツ軍に包囲されたテキサス部隊211名を救う指令だ。すでに何度も他の米軍部隊によって試みられたが全て阻止された。

 

多くの兵が「ビールでも飲ませろよ」と文句を言う中、故ダニエル・イノウエ(米上院議員)はそのような強行突撃を「これは機会だ!おれたち日系部隊が米国への忠誠を証明するのだ!我々の価値を証明するのだ!」と周囲を励ました。

 

ひどい天気でぬかるみの森の中を進み、突然すぐ近くから撃たれたが弾は外れ近すぎるから白兵戦で相手の首を掴んで殺すこともあった。味方も多くがやられた。隣にいた誰かが突然吹き飛ばされるが前進あるのみだ。ブービートラップにかかっても運の良い兵は湿った爆薬のおかげで怪我をせずに済んだ。


深い森では敵軍の砲弾が木を吹き飛ばしてその破片が背中を切り裂いた。目の前の仲間の脳が一瞬のうちに切り取られてそのまま崩れ落ちた。背中に砲弾の破片を食らった兵はその破片が体をぐるりと回り、さらにそれが熱いものだから痛さと熱さでのた打ち回った。

 

二世は最後にはバンザイ攻撃で丘を駆け上がり手榴弾が届く距離まで近づく為に決死の突撃をした。しかし何人の仲間が倒れても決して逃げなかった二世部隊。最後には一人の英雄が仲間を失った怒りで機関銃を握りしめてその場で12人を撃ち倒し34人をたった一人で捕虜にした。彼はその後米軍兵士に与えられる最高の勲章メダルオブオナーを授与される。

 

442部隊はまさに自分たちの血で忠誠を証明したのである。そしてこの戦いが転回点となり二世部隊、日系米国人の忠誠心を米国人が認め出すようになったのである。

 

戦闘後に兵士を激励しようとスピーチ台に立った白人の将軍は集まった兵士の数を見て「皆どこへ行った!」と怒った。

 

「戦死か入院です」ダニエル・イノウエは不敵な笑顔で突き飛ばすような声でその場の雰囲気を説明した。例えば193名いたI中隊は最後には8名、それ以外は死ぬか怪我をして後方に送られていた。それを聞いた将軍はショックのあまりスピーチさえ出来なかった。

***

 

ハワイに移住した日本人は最大の努力で自分たちの生活を勝ち取った。その子どもたちは命を賭けて米国人社会での公平と平等を勝ち取った。

 

たかがニュージーランドに移住したというだけで地元に100年前から住む人々と最初から対等平等に扱ってくれってのは、それはあり得ない。

 

まず自分の実力を相手に見せた上で「一緒にやろうぜ、俺もこの国のために頑張るからさ」という姿勢を見せる事で初めて彼らも受け入れてくれるのだ。

 

長くなるので明日に続きます。



tom_eastwind at 13:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月02日

天命宿命運命

昨日の話に続く部分があるけどこれからニュージーランドの永住権を目指す人、既にNZに渡航して学校などに通いながら永住権を目指す人達に是非とも知ってもらいたい事がある。

 

それは、

1・NZに行けばそれだけで自動的に幸せになるなんてあり得ない。

2・NZで生活する努力は最善であるが自分や家族が擦り切れないように

  生活する事が最重要だ。

3・生活費はどうするのか?面子よりも目の前の生活だ。

4・10年後の自分や子供のことが見えているか。

 

他にもたくさんあるけども、まずは上記だけでも渡航する前に自分で理解して対応するだけでも実際の生活に随分違いが出てくる。

 

人間に天命があるとしたらそれは生まれる場所も時間も選べないという事である。あなたが今の日本で生まれた事は変えようがない。

 

それでも移住を考えることが出来るだけで今のアフリカの内陸部で虐殺されている人々よりは生きる選択肢が多い。

 

ところが同じ時に生まれてもそこが米国のトランプ家の家系であれば米国の支配者層だから移住なんて考える必要もない。

 

だから天が与えた時間と場所で生きる。受験と思えば良い、どこでいつ試験を受けるかは誰か他の人が決める。自分がやるべき事は与えられた場所で最善を尽くす事だけだ、文句を言っても始まらない。

 

そして自分の個人的な状況を宿しながら生きる。結婚しているのか、子供はいるのか、家族の介護が必要なのか、自分の体は健康なのか。これも人によって全く状況が違う。

 

ただ1つだけ言えることはどんな場合でも自分の与えられた環境の中で努力して頭を使って精一杯頑張っていれば必ず運命は開けるという事だ。努力の中には観たいものだけ観るのではなく自分を客観的に判断する意志力も含まれることは理解すべきだ。

 

天命と宿命は他人の決めること、けど運命だけは自分で切り拓ける。そう信じて頑張った人にのみ道は拓ける、これは時代にも場所にも関係ない。

 

石川達三の「蒼氓」は移住を考える人には是非とも読んでもらいたい一冊である。

 

明治時代にブラジルに移民した人々の話であるがこれを読めば今も昔も移住する人々の気持ち、不安や高ぶりや残してきたものやこれから起こるだろうものへの期待、それは100年前も今も何も変わらないという事だ。

 

今の時代はインターネットもあるし下手に情報ばかり集めて情報バカになる人が多いけど肝心の生きる力考える力判断する力が弱ければ情報など何の役にも立たないどころか生きる障害になるだけだ。



tom_eastwind at 12:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年01月01日

信自己2017

オークランドは今日も晴天である。昨晩は年越しそばを食べながらスカイシティの花火を観てた。今朝はプールで初泳ぎして家に帰り昼過ぎから年末に注文しておいたおせち料理を開く。

 

そっかー、オークランドでも予約制でおせち料理を食べることが出来るようになったんだな、時代は変わるなー、地球は狭くなったなー、実感する。

 

日本だってそうである。戦前の日本はテレビもなく交通網が整備されておらず農業中心だった為人の移動がなかった。東京の人は東京で、九州の人は九州で生まれ育ってそこで死ぬのが当然であった。

 

戦後日本人が高度成長の波に乗り交通が整備され田舎から大阪や東京など都会へ集団就職することになって都会は田舎者の集まりになった。

 

そこで初対面の田舎者同士で交わされる言葉は「おー、そうですか、私は九州からです、おたくお国はどちらですかー?」と普通に「お国」という言葉が挨拶に使われていた。

 

今の時代初対面の人同士で「お国」と言う言葉が使われることがあるのだろうか?

 

21世紀は世界的に観ても「お国」の意味が変化していく時代になる。国境の壁はますます低くなり人々の自由を求めての移動は増えていく。

 

これから3年の間に動ける人は動くだろう。日本は生まれ故郷でも住む場所は別、そんな事が普通になっていく。既に時代環境は出来上がっているのだ。

 

そんな事を考えながら今年やるべきことを一つ一つ整理にかかる。既存の事業計画に加えて今年から新たに追加する事業を入れて時系列で整理していつ何をするかをまとめる作業だ。

 

今年の営業再開は111日(水曜日)からである。

 

そして今年最初の日本出張個人面談会は120日(金)から22日までの3日間だ。

 

もしこれから3年以内に自分や家族の進路を考えるのであれば是非とも個人面談に参加されることをお勧めする。

 

移住に関しては殆どの人にとって一生に一回だろうが僕はこれを毎日取り扱っているので皆さんが思いもよらない提案や間違ってる方向性についても軌道修正方法をご案内出来るので参考になると思う。

信自己とは自分を信じるという事だ。とにかくまず「自分には出来る、絶対出来る」と信じることだ。そして出来る事を前提に最大の努力をすることだ。


失敗しても死ぬわけじゃない、むしろ努力の間に学んだ事が次の機会に生きる。そうやって人は学んでいくのだ。2017年が良い年になるかどうか、すべて自分次第である。
 



tom_eastwind at 18:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌