2017年03月

2017年03月31日

ぶれない日本人

今回はずっと東京だったので移動の面倒はなかったが本当は大阪にも行ってみたかった。いくつか個人面談予定を入れてたがなかなか予定が合わず次回にしようとなった。

 

移住の仕事をしていて本当に面白いのは、とにかく東京から北の街に住む人からは殆ど問い合わせがない事だ。

 

今まで移住を約300組以上取り扱ってきたがそのうちの70%は関東である。そして名古屋、大阪、福岡が続く。人口比率で言えば西日本の移住者が多い。

 

なので僕の日本出張は東京をベースにして名古屋から大阪、福岡の間を新幹線や小型機で移動することになる。仕事で東北新幹線や上越新幹線に乗ることはない。別にぼくが選り好みをしているわけでなく本当に問い合わせがないのだからどう行きようもない。

 

この傾向は何だろうと推測しようにも僕は九州人なので思考回路として関東より北の人々の発想の推測のたてようがないが、おそらく東北の人々からすれば彼らの移住は東京であり故郷は東北、だから地元の駅から東京の上野駅まで出るのが移住、海外なんてあり得ないのかもしれない。

 

戦後すぐの移住者の県別データを観れば移住者に九州や沖縄からの人々が目立つ。

 

ハワイや米国本土、ブラジル等南米に移住した人々。しかし彼らの殆どは強かった。

 

移住した先の場所がどれだけ酷い場所であろうと、政府によって騙されたと分かっても絶対にその場所を逃げずに戦った。そして最悪の労働環境でも朝から夜まで働き爪の垢を貯めるようにこつこつとお金を貯めて子供に教育を与えた。

 

そして子どもたちは移住先の国で親の努力をその背中を観ながらたくましく成長した。

 

ペルーでは日系移民の子供であるアルベルト・フジモリが地元民を抜いて大統領になった。その子供であるケイコ・フジモリも移民三世であるが大統領候補として戦った。

 

面白いのは選挙戦の相手がポーランド系ドイツ移民の二世であるクチンスキ氏やフランス移民のメンドサ候補であった事だ。スペイン系でもメスティーソでもない移民の子供たちが選挙を戦い国を動かしているのだ。

 

ハワイでは日系二世が第二次世界大戦で米国への忠誠を誓い財産を奪われて収容所に放り込まれた親たちの為に欧州戦線で戦い米国陸軍で最も多くの死傷者と最も多くの勲章を授与した。

 

結局生きるってのは逃げることではない。どんなに苦しくても前を向いて生きることだ。どこで戦うかを決めるのは本人だ。しかし嫌な事がある度に逃げていてはどこで生きていくことも出来ない。

 

東北の人々は自分の生まれ育った国で生きる。考えてみれば彼らにとっては東北大震災も長い歴史の中の1つなのかもしれない、何度も自然災害に遭ってもその場所から逃げない、雪が降れば東京に出稼ぎに行くけど自分の故郷は東北。

 

九州や沖縄の人々は「日本」と言う国が成立する前から大陸や朝鮮半島と貿易の歴史があり海外と言う意識がないのかもしれない、だから「海の向こう」に行くなら東京より距離的に近い朝鮮半島や満州や上海、そして海を渡ったハワイやカナダや米本土に移り住むのも単なる引っ越しの延長だったのかもしれない。

 

ブレずに海外に移住してその国で根を張ってその国に貢献している日系移民。そして米本土でもカナダでも日系移民の二世、子供たちは努力して政治やビジネスの世界で貢献している。

 

どこで生きるかを決めるのは本人の自由だろう、けれど自分が選び与えられた環境で努力するかどうかは本人次第である。

 

逃げずにブレずに自分の人生を生きる世界の先達たち。負けてられんぞ、もっと働こっと。



tom_eastwind at 14:08|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月30日

ブレる日本人

「ぶれる日本人」とでも言うのか、移住を舐めている日本人が最近目立つ。勝手な妄想で移住して天国に来たと自分の都合だけで物事を判断するくせに判断のための試金石がないから訳の分からん輩に騙されて、それでも自分は正義の実行者くらいに思い込んでるから始末に負えない。

 

だから自分が努力せずに出来なくて周りの人が着実に努力して出来たことを他人のせいにして被害者面するけど、要するに自分が自分の人生に対して努力をせずに無知無教養で無責任でバカでいるだけなのだ。

 

こういう輩が数年して永住権が取れても取れなくても仕事がないし毎日の生活が退屈になりいつの間にか「日本礼賛」して「だからニュージーランドは駄目なんだよ、だから日本に帰るんだよ!」とほざく。

 

ふざけるな、日本を出る時に後足で砂をかけるようにして何と言ってたかもう忘れたのか?

 

それこそ一番の被害者は親の都合で勝手に連れてこられた子供である。英語も中途半端、日本での基礎教育がないから学校に追いつくのも大変、友達もいない街に帰国子女として戻ることになるのだから。

 

ましてや永住権を狙ってたけどその為のビザも取れず時間ばかり経過して、けど何も変わらないままに毎日ぶらぶらして時間を潰すだけで最終的には自分が潰れてそれを他人の責任にして逃げるやつ。

 

くそったれが、自分が日本で体制に巻き込まれて何も考えずに生きてきた経験だけを「被害者面」してNZを天国と勝手に思って逃げ込んできて何の努力もせずに美味しい思いが出来ると思ってて、けど現実の壁はどこの国でも同じなのに、またも誰かのせいにして日本に逃げ帰る。

 

そうやって何時も他人のせいにして自分を騙して子供に迷惑をかけて生きてろ、そうやって逃げてるだけの人生を自分でも分かっている、その心の痛みが死ぬまで続く、それが神様が与えた罰だ。



tom_eastwind at 13:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月29日

チョコパン

「黄金の豚」もずっと前に会社で買った社員用DVDだけど自分が観る機会がなくて、今日初めて観た。

 

6年以上前の作品だけど篠原涼子の演技と共に脚本の良さを感じる。

 

チョコパン泥棒呼ばわりされた子供、自分のせいでもないのに貧しさに生きた子供の気持ち、母親だけは信じてくれた、そしてその子達の辿った道。

 

第三話では病院を舞台にした天下り問題とレジデントと呼ばれる研修医の待遇をネタにして話は始まる。

 

日本の会計検査院を舞台にした話だけどテレビ番組として描ける程度の簡略さを番組の売りにしているのだろう、分かりやすい、ははは。

 

それでも何だか中身にきちんと芯が通ってて、今の状況に何か言いたい脚本家や制作側の気持ちがちらっと伝わってくる。

 

権力のど真ん中にいる人々が自分勝手にやってる事を会計検査院が調査するというあり得ない筋書きだが、ディズニーランドの楽しさか。

 

最後の言葉。信じる。

 

貧しさを経験した事のない人には絶対に理解できない世界がある。そしてそこを越える力。ある。これは絶対にある。「いーみ分かんないんだけど!」下らん常識とやらを鉄壁のように構える金科玉条の教条主義者。1足す1が2にしかならないバカばっかり、芯子からすればこの世はバカばっかりなのだろう。



tom_eastwind at 13:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月28日

雨と電波

かなり以前ぼくがブログで「オークランドで雨が降ると無線LANの電波が雨に撃墜される」と書いたら沢山の「アフォー」呼ばわりコメントが来た。

 

当時僕は雨が液体と言う物質であり電波も空を飛ぶ電気の物質である以上、まっすぐ飛んでる電波が上から降ってくる雨にぶつかって、ぶつかりどころが悪ければ撃墜されると思っていたのだが一般市民からすれば電波は物質ではなく雨に撃墜されるなど妄想であるとの認識。

 

ううむ、そうなのか、それじゃあオークランドのスカイタワーのすぐ近くで仕事してて晴れの時は普通にネットに繋がるのに雨が降ると(特にオークランドの雨が降るときは土砂降りが多い)急につながりが悪くなるのはどう理解すればよいのだと思ってた。

 

そんな時あるコメントで「一応電波の本職ですが雨が電波を妨害することはありますよ」と頂いた。それで何となく納得出来たのだが、今日読んでた日経ビジネスに今後のネット速度が急激に高速化高品質化していく記事があった。

 

現在の通信速度は最大1ギガビット/秒だが2020年には第5世代と呼ばれる高速大容量で10ギガビット/秒、現在の10倍に当たる速度になる。

 

僕が最初に携帯電話に触れたのは1980年代の自動車電話と1990年代に香港で仕事に使っていた肩掛け式の携帯電話だった。

 

この肩掛け式の電話は第二次世界大戦で使ってたトランシーバーのようにデカくて香港ではヤクザ用語で「大彁(左なし)大タイコータイ=兄貴の持つ電話」と呼ばれてた。路上の殴り合いの喧嘩の時はこの鉄の塊で相手をボコボコにするのに都合の良い道具でも合った。

 

その頃の通信速度は第2世代で9.6ビット/秒で現在の速度の10万分の1であった。それでも音声通信には十分だった。

 

それが第三世代になりデータ通信が始まると世界は全く変わり高速大容量の通信が必要となり現在に至る。

 

その記事の中で触れていたのは、電波にも色んな種類がありその特性を決めるのは周波数との事。

 

「低い周波数の電波は雨や霧の影響を受けにくく、障害物も回り込んで伝わる特徴を持つ。一方、高い周波数の電波は障害物を回り込まずに直進しようとして反射されたり雨や霧の影響も受けやすいので遠くまで届かない、その為無線通信には適さない」日経ビジネス2017.03.20 No.1883 P107.

 

なるほど、直進性の強い高い周波数の電波が撃墜されてたのだ、でもって日本では余程沢山の中継基地があって電波がリレーのように目的地に届いてたから「雨で撃墜」なんてのは思いもしなかった。ところがオークランドのような田舎では十分な数の中継基地もなく雨も強く高周波の電波を使っていたので、日本の一般市民では考えられないような状況が発生していたという事なのだろう。

 

それにしても通信技術の進歩はまさに世の中を変えていく。

 

時代の変化といえば一昔前は英語とパソコンだった。1970年代の日本では営業をしていて英語の必要性はほぼゼロであった。何故なら余程大手商社でない限り英語を使う需要などなかったからだ。

 

パソコンも同様で1980年代に導入されて「ワープロ」と呼ばれたキーボードの付いてるタイプライターを使うのは秘書室か英語環境で働く人々であった。

 

その頃の優秀な営業スタッフは現在大手企業でカチョーやブチョーやヤクインになっているのだろうが、彼らは英語もキーボードも扱えないから未だ持って秘書に手書きの文章を渡して「メール送ってね」となる。

 

これが80代の人々であればまだ分かるが現在の50代で普通に仕事をしていればキーボードは必須であろう。

 

通信技術にしても何にしても世の中の変化はますます速度を上げている。やだやだとか面倒くさいとか言ってると、あっという間に時代に取り残されていくだけだ。

 

さ、働こっと。



tom_eastwind at 13:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月27日

沈思黙考

朝はだいたい4時ころに目が覚める。それから1時間程度はふとんの中で目をつぶりながら頭を自由に働かせる。この時が一日で最も思考能力が上昇する。

 

こんな時は頭の中でエクセルとWordファイルが同時に立ち上がって頭の中で両方を操作しながら説明資料をワードで作り添付資料としてエクセルで計算したファイルが表になってWordファイルに乗ることになる。

 

こうやって資料を作っていると必ず副次効果として「あ、これならこの人にも適用出来るんじゃないか」と思いついて今度はメモを立ち上げてそこにどんどんメモを残していく。これは走り書き。

 

そうやって1時間も考えてたら今日の全体図、全体が間違ってないか俯瞰図、そしてメモを整理してすべての相関図の出来上がりになる。

 

不思議なもので昼間どれだけ考えても接触点のなかった単独の要素が早朝の黙考だとまとまる。「あ!これ、こうやったらひっつくではないかー」と自分でもびっくりするのだが、色々話を聴いているとそういう事って結構世間では普通にあるようだ。

 

多分人間の頭の中にはまだ使われてない部分が多くて日頃目が覚めている時は活用されてないけど睡眠を十分にとって更に起きても体を動かさず頭の中だけで目をつぶって考え事をすれば使われてない部分が起き上がって活性化して物事をいろんな視点から観ることが出来るようになるのだろう。

 

今日のネタは海外相続である。最近の国の流れでは海外に出ても日本国籍がある限り課税するぞ、親子で5年以上住んでても駄目、今後は十年だぞ、てな事でルールは厳しくなっている。

 

けれど何も海外に移住しなくても国内に居住しながら相続対策を作ることは出来る。

 

去年までは高層マンション節税対策が人気だったけど今年からは税法改定によって効果が薄れた。去年まで効果10だったのが今年からは効果7くらいに落ちている。

 

けれど不動産自体が持つ節税効果は基本的に変化しておらず、日本国内で親子同居の場合は100坪までは80%軽減されたり事業所や賃貸の場合も節税効果がある。

 

この理由は親子一緒に住んでた自宅を納税のために売却するのは「忍びない」と言うわけだからこのあたりはお上の情状酌量で良い判断だと思う、治安維持に効果がある。「自宅なくした!日本死ね!」みたいなのになるとやばいから。

 

このように日本では日本独自の不動産価格評価方法がある。では海外の不動産ではどうだろうか?国ごとに評価方法が異なるが日本で贈与や売買の際には価格決定は当該国の「地価」で計算される。

 

ここに両国の法律の差異が発生する。僕の発想は情報商社であり情報に非対称が現れるとビジネスが成立する。通常の商社が一物二価を世界規模で見つけ出して貿易をして利益を出すのと同様である。物品の一物二価が情報においては非対称なのである。

 

そこで両国の租税協定、それぞれの国の不動産評価鑑定基準の違い、ビジネス習慣の違い、両国の不動産売買における法的側面、色んな点を比較して一面を齟齬無く同じ色に染めてしまう。

 

けどこれはルービックキューブと同じである一面の色が揃っても他の面で色が違っていれば三次元個体として成立しない。

 

この脳内ルービックキューブをやるのが冒頭に書いたように昼間の何かしている時間、つまりパソコン叩いてたり歩いてたりする時にはなかなか三次元個体にするための脳内運動が集中出来ない。

 

でもこれが寝ている間の沈思黙考だとすべての意識をルービックキューブに集中出来るからだろう、不思議な事に「あれ?出来た!」となるのだ。

 

沈思黙考、皆さんもやってみませんか。糖質制限と同じで何か薬買えとかじゃないしやってみて損はない話ですよ。



tom_eastwind at 13:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月26日

ネットフリックス

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NetflixHuluなど、インターネットを利用した有料動画配信サービスが盛り上がりを見せているのはご存知の通りだが、Netflixしか利用していない家庭の子どもの82%は、テレビCMが何なのかを理解していないという調査結果が海外で発表され、話題になっている。

 

海外のストリーミングTV専門のニュースサイトが実施したこの調査では、一般的なテレビを観ている家庭の子どもと、Netflixだけを視聴している家庭の子どものグループに分け、それぞれについてCMとは何かを尋ねたところ、前者では知らないと答えたのが38%だったのに対し、後者では82%と、2倍以上にも及んだのだとか。

 

母数が100とそれほど多くない上、「CM」という尋ね方がやや曖昧であるという指摘もあるなど、設問設計そのものには多少のツッコミどころもあるようだが、確かにNetflixしか観ていなければ、CMの存在を知らなくて何ら不思議ではない。

 

テレビがタブレットのようにタッチで操作できると誤解して画面を触る行動は最近の子どもに特有の症状と言われるが、こうした部分も同様に、環境による違いとして将来的にクローズアップされる可能性がありそうだ。

 

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1050337.html

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そう言えば我が家では日本出張から帰ってきたらネットフリックスが観られるようになっていた。

 

奥さんいわく家が使っている電話会社SPARKSが「2年契約するとネットフリックス1年間無料で観られるよ」って事で、どうせ自宅はSPARKSの無線LAN使ってるしそれならちょっと観てみるかって事でネットフリックスの契約をしたとの事。

 

抱き合わせビジネスは日本の携帯電話業界でもやってて2年契約でケータイ本体が無料だとか色々と面白いのだけど、こういうのはNZでも普通に消費者の心をくすぐるようである。

 

早速ネットフリックスを観てみるとオリジナル番組の出来が良い。今日観たのは英国製作番組のようで何だかひたすら暗くてどこにも光がないのにりょうま君は面白そうに観てた。英国式ブラックユーモアに染まったのか?

 

米国ではテレビ番組の衰退から「24」、「プリズンブレーク」等番組そのものが映画のように売れるビジネスモデルを導入して成功した。

 

ところが日本では相も変わらず駄作ばかり安い制作費で作ってお茶の間に馬鹿番組を垂れ流している。

 

先週日本に滞在してた時もNHKの報道番組や国会中継やってない時間帯は民放のニュースを観てたけど、ありゃもうニュースと言う名のエンタメでさえない。ぼけた連中の覚醒剤程度の興奮剤でしかなく、ほんとにつまらなくて途中でCNNBBCに切り替えた。

 

民放のビジネスモデルが昭和の時代は「無料でテレビ番組を観られるけどテレビ宣伝も一緒に観てねモデル」だったのがテレビ自体が老年層向けにシフトして若い層に観られなくなり製作費が減少して番組がまたつまらなくなり結果的に下らない番組を惰性で観るだけの「新たな一億総白痴」を生み出した。

 

昼間にテレビを観る人は仕事をせずにネットも使わず番組で放映された事だけを事実としてその後新聞で書かれた事を最終確認として結果的にマスコミの情報統制に制御されてますます白痴化する。

 

そんな中で全く新しい発想で作られたネットフリックスなどのネット系番組供給会社はまさに時代の最先端を走り、同時にテレビ局の存在とビジネスモデル自体を完全に破壊するのもである。視聴は有料であるがそのお金を使って良い独自番組を作ったり世界の良質な番組を提供する。

 

世界で良質な番組を作っている側からすれば視聴率に応じてネットフリックスから配当が入るしネットフリックス自身が優秀な製作会社に潤沢な予算で良い番組を作らせて視聴者に提供することで視聴者は「さらば民放こんちはフリックス」となる。

 

そうなると無料民放を観るのはまさに「終わりな人々」だけになりテレビ局はますます予算は不足して広告主も付かず若者が観ないから将来性もなくいずれ滅びる運命にある。



tom_eastwind at 07:19|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月25日

リーガルハイ 法と民意

昨日のレンタルビデオの続きと言う訳ではないが土曜日に堺雅人と新垣結衣のテレビドラマ「リーガルハイ」を観る。とても興味深く最後まで観た。

 

特に堺雅人の「役柄を見事に演じる能力」に改めて嬉しさを感じたり新垣結衣のあの独特の演技力もびっくりした。あそこまで迫真とお笑いをうまく素直に表現出来るってすごいなーって。この二人が次に出るドラマは是非とも観てみたいと思う。

 

ところで番組内でサラ金の広告がバンバン出てるのは何か意味があるのか?あの時間帯はサラ金に金を借りたい人たちが視聴している時間帯なんだろうか?

 

モビット、アイフル、随分爽やかな宣伝である。昔とは宣伝の基準が全く変わっている。てか昔はサラ金はテレビ広告出来なかったけど大手銀行がサラ金やる時は良いって風に基準が変わったのだろうか、中身は何も変わらなくても。

 

銀行主導のサラ金と同時に、増えすぎた弁護士が過払い訴訟で電車吊り広告やテレビ宣伝もやってるがああ言う訴訟は今は古いサラ金に向かっているけどいずれ医療訴訟に向かうようになるだろう。

 

今までは医療知識のない死亡患者の家族が黙って受け入れていた家族の死であるが自分の頭のなかに試金石のないバカは病院の廊下に博多の飲み屋街「中洲」のポン引きのようにうろちょろとたむろする弁護士に名刺を渡されて「ご家族の死は医療過誤です、医師を訴えましょうよ!泣き寝入りするのですか?正義はあなたにあるのですよ!」とか扇情的に訴えられてすぐに乗ってしまい自分を悲劇のヒロインに仕立てて舞い上がって弁護士の仕立てたテレビ会見で泣きながら「私のあの人はもう帰ってこないんです!こんな悲劇を繰り返さないために医者を訴えます!お金は勿論下さいよ!」となるだろう。弁護士の成功報酬は30%かもっとだろう。

 

医者と弁護士、どちらも頭は良いがまともに議論すれば医者に勝ち目はない。何故なら弁護士は口を鍛え医者は腕を鍛える、鍛える場所が違うからだ。以前であれば医者同士で守り合うこともあったが最近は医者の数も増えてセカンドオピニオンが普通に出される時代になれば医療に熱心に取り組む医者であればあるほど訴訟リスクが高まることになる。

 

そして結果的に医師は萎縮して今度は治る筈の患者でさえ危険度の高い手術だからと拒否されて死に至る。バカの家族が目先のカネと偽りの正義にのぼせ上がり弁護士に騙されてバカ家族が日本人全体の医療効果を引き下げるという最低の悪循環に至る。

 

これは弁護士が口を出さなくても既に産婦人科や小児科等で現れている現象である。馬鹿が自分の中に試金石も持たないまま自分のやっている行為が将来的に何を生み出すかも考えずに目先の感情だけで暴れて結果的に地域医療に大きな悪影響を与えている。

 

それが今度は増えすぎた弁護士と引っ付いて新たなる社会問題を起こすのである。

 

リーガルハイの最高裁の場面で弁護士の堺雅人が本来の法律の存在意義を実に明確に語っていた。

 

民衆はバカである。民意が判決を出すなら法律など不要である。その時の気分でバカが空気に飲まれて自分が真実で正義で正しいと思い法を無視した判断をして自分が魔女裁判を起こして無実の人々も火あぶりにするのだ。

 

「一緒に世界を変えましょう。自分だけが正義、世の中は時代が変わっても決して変わらないものがあるのよー」それが無知蒙昧による正義信仰である。

 

嘘に砂糖をかけて甘くすれば脳内糖分不足バカがすぐに引っかかり世間の80%はバカだからすぐに空気に流され他のバカたちと一緒に魔女の十字架を担いで正義の味方の顔で地面に突き立てられた十字架に火をつける、栄光に満ちた笑顔で!

 

そのような中世の間違いを正すために近代西洋の法律が出来た。法律は時には苦しい真実を垣間見せるがそれでも社会を安定させるためには必要である。

 

疑わしきは罰せず。何故英国の裁判所で裁判像が目隠しをしているのか?それは人によって法の適用が変わってはならない事を意味している。決して真実から目をそらすと言う意味ではない。

 

ところが民意はまずマスコミに煽られた大衆の欺瞞的結論ありきである。小雪が悪女であるならば悪魔であるならば死刑である、そして小雪は人を殺してきたと推測される、だって新聞やテレビがそう言ってるんだもん、だから疑わしきは小雪であり小雪は悪女であり悪女は殺すのだ!

 

ふざけるな!そのようなバカどもの集団が米国南部では「ミシシッピバーニング」のような白人による黒人の集団リンチを招いたのだ。

 

そのような暗黒時代を経て法律は次第に整備されて現代に至る。勿論現代の法律が完璧であるわけはない。特に時代が変わり民意が変われば法律も時代に合わせて変化することは当然である。そう、民意はそれなりに時代を反映した意見であるのも事実である。

 

しかしだからと言って法治国家において民意と言う「ぬえ」のような得体の知れない存在が法律の上位に来てしまえば、それはもう国家ではなく個人的殺人さえ正義感と言えば許容される無法社会になる。

 

無法社会を防ぐためにロクでもない法律社会があるのだ、ここを勘違いするな。どんなろくでも無い法律社会でも無法社会に比べれば遥かに“まし”なのである。

 

何が最高の社会形態か?人によって答えは違う。

 

けれど少なくとも人間がバラバラになって森林に戻って個人生活するよりはお互いを信じて守り合い分業することで社会はより暮らしやすくなる、だからどんなに不完全でも法律を作り共有できる価値観を持つのだ。そうしなければ共同生活など成立もしない。

 

リーガルハイを観ながらサラ金や電車の中吊りの弁護士の広告を観て思うのは、これって日本の末期症状か?である。

 

これ以上バカが増えると本当に日本が昔から持っていた良さが消えてしまうぞ、そんな怖さを感じながら週末のリーガルハイとその広告を観た。



tom_eastwind at 07:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月24日

これからNZ起業を目指す皆さんへ

今日はこれからNZで起業しようビジネスを立ち上げようと考えている人向けの話である。

 

それはNZであれ世界のどこであれだが、海外で日本人が立ち上げるビジネスを最も批判して足を引っ張るのは自分だけが正義であると言う自惚れ仮面を被り他人の努力を妬みつつ自分は何の努力もせず他人の悪評を振り撒いたりちくったりする日本人であるということだ。

 

なのでビジネスを立ち上げる時は必ず当該国の法律と日本の法律を学び自分のやっているビジネスの範囲ではどのような法律が適用されるのか理解して法律武装を行い法律の許容範囲ギリギリまでやるにしても決して一線を越えてはならないと言うことだ、例えそれが「だってー、他の人もやってるんだもん」と言う下らん感情論に負けそうになっても、だ。

 

ある具体例を出そう。僕は今から10数年前にオークランドのシティで日本人移住者や学生やワーホリ向けにビデオレンタルをやっていた。当時はシドニーに日本語ビデオを卸売する会社がありそこと契約をしてビデオを毎月仕入れていた。

 

当時は日本のテレビ局が集まって日本脚本家連盟を通じて放送番組協会(放番協)と言う組織を作りそこが海外の日本語ビデオレンタルを通じて著作権収入を確保しつつ日本のテレビ番組を世界に広めよう、同時に在外邦人の子どもたちに番組を通じて日本語に触れる機会を増やそうと言う趣旨だった。

 

趣旨は立派であるが実際には友好団体みたいなもので各テレビ局はほんとの売れ筋は自局で海外販売網を作って売りたい、だから放番協を通じて販売される番組は堅苦しいものが多かった。

 

当然僕らは放番協に対して「もっと希望の多いビデオを販売して下さい」と要望するのだがテレビ局の利害関係が優先されて売れ筋が出てこない。

 

そこで僕らのような小売店ではお客様から売れ筋を聴いてシドニーの卸会社に問い合わせるとそこには在庫があるというので仕入れた。

 

放番協から仕入れるビデオには認定シールが貼られているのだがシドニーから仕入れるビデオには認定シールは貼られてない。

 

僕からすればどのような仕入れルートであれきちんとお金を払って買っているのだから問題はない善意の第三者である、卸会社と当該テレビ局の間の契約はこちらの問題ではないので認定シールがなくても良いと言う判断だった。

 

ところがある日放送番協から連絡が入る。「お宅では違法ビデオのレンタルをしていませんか?」

 

何だろうと思いつつ連絡をしてみると

「認定シールを貼ってないビデオをレンタルしてるでしょ」

「してますけど何か問題が?」

「そちらに在住の日本人から通報がありましてね、詳しく教えてください」

との事。

 

そこで当社の仕入れ方法の説明をして現地でどのような番組を提供しているかも説明して、元々の問題が放番協にあるのでは?と疑念を投げかけた。

 

けど電話では隔靴掻痒の感があり翌週東京に飛んで放番協の事務所を訪問した。

 

すると責任者の方が出て来て何とニコニコしながらこちらの話を聴いてくれたのだ。何だこりゃ?と思いつつ話を聴いてみると実際の問題は米国西海岸あたりでレンタルをしている会社で、お金を払わずにビデオだけダビングしてレンタルしてたり影に隠れてアダルトビデオをレンタルしてたりするのでこれを取り締まる為に活動をしているとのこと。

 

けど通報窓口に通報、つまりチクリが入った場合すべてのケースで調査する必要があり連絡をして来たとの事。

 

当社はまず法的見解を述べる。当社はすべてのテレビ番組、映画についてもお金を払って仕入れておりそのお金が卸売会社を通じて放番協に行くのか当該テレビ局に行くのかは預かり知らぬことである。

 

そこで彼らから出てきた提案が「じゃあ空シール売りますからすべてのビデオに認定シールを貼ってくれませんか、それで良しとしませんか?」であった。

 

僕とすれば仕入れ費用が1ドル追加になるが、それでも放番協と揉めても意味はないので決着した。

 

その後雑談の中で相手から「ところで今回の通報、つまりチクリですがオークランド在住のこういう方ですよ、ご存知でしたか?」と聴かれてポカンとした。

 

と言うのもその男性は僕が会ったことも話したこともなく仕事で色んな事業をやってたがそのどことも絡まなく全く安倍晋三の森友状態だったからだ。

 

オークランドに戻って担当スタッフに事の顛末を話すと「えー?!」。と言うのもあるスタッフはその人物のことを知っており当社に全く関係のない存在であるのに「何であいつが?」であったからだ。

 

結局推測するに要するに妬みなのであろう、オークランドで後発企業でありながら偉そうに何かやりやがって、気に食わねーからチクってやれ、そうだあいつんとこはビデオレンタルなんてやってるけどシールの貼ってないのは絶対に違法だろう、よっしゃこれをネタにしようって魂胆だったのだろう。

 

ここから導き出せる答えがいくつかある。その1つは法律武装である。レンタルショップは小売業でありそこで何を売るかは小売店の自由である。放番協「だけ」から仕入れるというような縛りはない。

 

実際にレンタルショップでは弁当も売ってた。何を売るかはこちらの自由である。そして何を仕入れるかも法律の範囲内であれば問題はない。

 

しかし当社を批判する人間の目的は自分の憂さ晴らしであり法的側面なんて全く考えていない。だから「あいつが叩かれれば俺は気持ちいい」だけなので法的理性なんて期待する余地もない。

 

放番協が日本の国内法で問題と出来るのは著作権である。基本的には脚本家が作品を作りテレビ局または脚本家が著作権を持つのだろうがいずれにしても日本国内法においては著作権が法的根拠となる。

 

最近ジャスラックがカラオケ店、パチンコ屋、喫茶店などで流れる音楽の著作権裁判をやって和解に持ち込んだり勝訴したりしているのも同様の流れである。

 

ついでに言えば当時日本のご両親が海外に住む子供達に日本のテレビを録画して送っていたがあれも著作権法では違法である。つまり日頃立派なことをのたくってる偉そうな連中が真っ先に法律違反を犯しており自分の違反については「その程度、誰でもやってるからいいじゃん」で誤魔化そうとする、それが現実である。

 

つまりこの法律のポイントは「対価を支払ったか?」である。気に食わないやつには使わせないとか利用者を恣意的に選択するものではなく、あくまでも対価支払にある。

 

実際にオークランドで仕事をやってみて法律を理解した上で他の日本人を観ていると、自分に関係ない時はまるで紳士淑女のように「ほーりつがー!」とか立派な事を言うがいざ自分が当事者になった途端「あ、これは良いんです、だって誰でもやってるしー」とか「あ、これは好意でやってて報酬は寄付だから良いんですー」とか平気で姿を変える。

 

こういう地域においてこれから新しく仕事をしようと思えば一番良いのは地元の変な日本人と付き合わない事でありそれがだめなら最低限の付き合いに抑えて自分の仕事の内容や趣味や家族など余計な事は一切言わない。そして自分が何をするにしても常に法律武装をして何かあった時に弁明ではなく対決出来る状態でいることだ。

 

ビデオレンタルはその後すぐVHSDVD に変わったりネットの進化やワーホリ市場が急速に縮小する中で撤退した。なのでそれからは社員向けの福利厚生の一環としてDVDをシドニーの卸売屋さんから買っていた。リーガルハイ等面白い作品も楽しめたものだ。

 

けど時代の流れは元に戻らず遂にシドニーでも卸屋さんが去年撤退した。

 

時代の波は逆らうものではなく乗るものである。随分と大変な思いをしたビデオレンタルであったが感傷に浸ってる暇などない、古くなったビジネスモデルは衣替えをするしかない。

 

ビジネスモデルは常に変化する必要があるので起業家に対して言えるのは「上手くいってる時に次のビジネスモデルを育てろ、そして古くなったビジネスは撤退の時期を見極めて迅速に動け」である。



tom_eastwind at 14:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月23日

自衛隊出動

海上自衛隊がいよいよ第四隻目の「護衛艦という名前の空母」を就航させた。全通甲板を持った「ひゅうが(日向)」、「いずも(出雲)」に続き「かが(加賀)」の出番である。

 

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海上自衛隊最大のヘリコプター搭載型護衛艦「かが」が22日、就役した。第4護衛隊群(広島県呉市)に配備予定で、海自の哨戒ヘリや陸上自衛隊が導入する新型輸送機オスプレイの搭載が可能。甲板が平らな「ヘリ空母」タイプは計4隻態勢となり、海自は空母の建造を進める中国を念頭に、日本周辺の警戒監視任務などに投入する。

 

 かがは、既に配備されている「いずも」型の2番艦。船体の両側の開口部に遮蔽板を設置し、いずもよりレーダーに探知されにくい構造になっている。ほかに甲板が約50メートル短い「ひゅうが」型2隻も運用している。

 

 海自は警戒監視以外の任務として「大規模災害派遣や、人道支援などの国際平和協力活動を担うことが期待される」としている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H5U_S7A320C1000000/

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海上自衛隊側では護衛艦と言う名称で呼んでいるが実態は空母でありヘリコプターが同時に飛ばせるよ、でもってオスプレイも離着陸可能ってのは、いずれ垂直離着陸が可能なハリアー戦闘機も使えるわけで最近の軍事用語で言う強襲揚陸艦が出来ましたって事だ。

 

日本では空母は第二次世界大戦では主に太平洋に展開して戦艦や巡洋艦、駆逐艦などと空母打撃群を作り太平洋戦争を戦った。

 

しかし米軍側では艦載機を積み敵国の近くまで侵入して艦載機で敵地を攻撃して制空権を奪い同伴している上陸用艦艇に積載した上陸用舟艇で敵国の海岸線に突入するための母艦としての運用も行われていた。

 

この運用は現在も同様であり東南アジアで何かあればすぐに横須賀や佐世保に停泊している空母群が出動して中国沿岸部の監視警戒任務についている。

 

戦後は大型空母よりも強襲揚陸艦と言う名称で小型だが小回りの効く艦載機積載の艦艇を打撃群の中心として運用されている。

 

日本は敗戦後空母を持つことは米国によって禁止されてきた。これは戦闘機も同様でありゼロ戦を作った中島製作所がその技術で国産戦闘機を作ることの危険性をよく理解していた米国によってこれも禁止されてきた。

 

その戦後の軽装備体制が現在は米国の許可が出たのだろう、空母=強襲揚陸艦や戦闘機の国産化に向けて進んでいる。空母を作っているのは石川島播磨重工である。

 

「大規模災害派遣にも使える」と言うのは英語でリップサービス、日本語ではおためごかしとでも言うか、要するに尖った話を和らげるための手法にすぎない。いずれにしても空母の目的は敵地に侵入して相手の土地を攻撃することであるのに全く変わりはない。

 

戦後の自衛隊としては1970年代から空母建設計画は出ていた。しかし全通甲板となると明らかに空母であり当初はヘリコプターを飛ばせる護衛艦として建設されていた。

 

しかし2009年に就航したひゅうが型護衛艦は全通甲板として世界、特に中国に大きな衝撃を与えた。日本にとっての仮想敵国はすでにロシアではなく中国になっており、中国の沿海部に直接接近して攻撃ヘリや戦闘機を投入して沿岸地域を短時間で叩くことが出来る兵器が登場したのだ。

 

そして続けて三隻が就航すれば何が起こるか?空母は常に修理や訓練が必要であるが三隻あれば常に最低一隻は中国沿岸部に張り付いて警戒監視任務が可能になる。これが大きい。

 

つまり日本は国会では自衛隊の書類がどうのこうの紛失したとか破棄したとか言ってるけど現場ではすでに対中国に向けた専守防衛及び先制攻撃の準備が出来上がったと言うことだ。

 

「ひゅうが」は1918年日本帝国海軍戦艦として就役、太平洋戦争中盤で航空戦艦に改造されその後も大きな戦果を上げて19457月に呉軍港で大破着底するも生き残り戦後の19477月に解体され29年の軍歴を閉じた。

 

「いずも」は英国で建造され1900年に日本帝国海軍装甲巡洋艦として就役、日露戦争で活躍した後第一次世界大戦では米国西海岸防衛に派遣され、その後は太平洋戦争でも活動し19457月に米軍により呉軍港で大破着底、戦後の194511月に海軍から除籍され45年間の活動を終える。

 

「かが」は本来は戦艦として建造される予定だったが軍縮協定により何度か建造計画が変更になり1928年に空母として就航、支那事変や太平洋戦争を戦ったがミッドウェー海戦で米軍艦爆部隊の攻撃により194265日撃沈、沈没された。

 

なおミッドウェー海戦で撃沈された日本帝国海軍空母は四隻、飛竜、蒼龍、加賀、赤城である。



tom_eastwind at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月22日

死ぬのは奴らだ。

先週末にオークランドに戻った時の宿題もたくさんあり今日は午前中地元大手会計事務所で3つの議題で会議。

 

一つ目の議題は日本とニュージーランドの今年の租税協定において日本居住者がNZに居住を開始した場合、NZで株式会社を設立してビジネスをするのと個人でビジネスをするのとどちらが有利かを現在の日本NZ租税協定をベースにしての議論。

 

結論から言えばくだんの日本居住者が今後10年以上NZを居住地として生活するなら会社を作ったほうが絶対とは言えないが一概に有利な点が多いと言うこと。何故なら現在の租税協定では二重課税の相殺が出来る案件はいくつかの縛りがあるからだ。

 

僕がこの手の議論をする時は先にまず自分なりに分析して自分なりの結論を作りそこに至る論理を根拠法を基礎にして相手と議論に入る。だから相手に何故僕がこの結論に至ったかを説明出来るしその結果として答えが出れば会話の意味がある。

 

一番ダメなのは自分が答を知らないままに質問をすることだ。知らない事は聴かないのが基本である。

 

こうしておかないと一発で相手に引っ張り込まれて論理的にぼこぼこにされて相手に旨いとこだけ吸い取られて終わりである。

 

特にNZと言う国の面白い点は、キーウィは個人的にはとても良いやつばかりであるが仕事となると全く別でポールマッカートニーそのもの「死ぬのは奴らだ」である。俺かお前か、最後に生き残るのは一人である。

 

だから彼らとやり取りする時はまず相手にこちらを理解させて「下手をすればお前が負けるんだぜ」と理解させて話を進める必要がある。その為にも弱みは見せられない、つまり「知らない」と言うことは美徳ではなく自分に対する死亡宣言を下すようなものなのだ。

 

だから議題で出て来るであろう英単語は頭の中で事前に記憶する必要があるし日本とNZの両国の法律体系が違うので僕がAと言えば彼らにBと聴こえることもあるのでこの点の言葉のすり合わせ=「俺たち同じ船に乗ってるよな?」も大事である。

 

二つ目の議題は投資ポートフォリオの具体的作成についての今後の見通し。通貨の三分割では日本円はお勧めしないとのこと、いくら日本株式が上昇しても通貨安で結局利益を失うぞ、これは僕も同意見。

 

長期的に日本が円安に進む中、円で資産を持つ危険性は高い。日本で鎖国生活を送るにしても輸入品は確実に値上げされるので結局為替リスクから逃げることは出来ない。

 

米ドルはトランプがどうであれやはりドル高に向かう。イエレン議長が公定歩合引き上げに積極的であり日欧が量的緩和と言う輪転機ぐるぐるをやってるが米国はそこから先に逃げ出していく姿勢が明確なのでドル高に繋がる。ここも同意。

 

最後はM&Aの話を聴き込む。最近は日本の飲料メーカーがNZに進出して飲料メーカーの買収をやっているがその近況、今後のNZで売れそうな企業、日系企業が理解出来そうなビジネスモデルを持っている企業の話を教えてもらう。

 

この会計事務所にとって僕の立ち位置は「顧客を紹介してくれるエージェント」であり一発屋ではないので彼らも長期的付き合いをしたい、だから良い話を聴かせてもらえる。これは有り難い事である。

 

今後M&Aの具体的情報を提供してもらうようにして次の議題に移る。つまり雑談。お互いに堅い話をした後は「イースターはどうするの?」とかである。これはお互いにリラックスする意味でも大事な息抜きでありこの時に軽い冗談を交えながら次にどっちに話を持っていくか、お互いになぞなぞをかけてみたりもする。

 

そんなこんなで会議が終わったのがもうお昼。この事務所からうちのオフィスに戻る途中に洋食屋のMORITAがあるので、昨日に引き続き今日もここでお昼ごはんだ。

 

このレストランは本当に日本にある洋食屋であり所謂キーウィの料理ではないが伝統的な日本食でもなくあくまでも日本にある洋食屋である。

 

僕らが日本で食べてきたオムレツやビーフカレーやパスタ、それに和食の海鮮丼などもあり、落ち着いた内装でゆっくり出来るので午前中の会議で話した事を頭のなかで整理するのにもちょうどよい。

 

いつも言うことだけど僕は英語が得意ではない。何せネイティブでないし高卒だし英語勉強したのは28歳の年でクイーンズタウンに住み始めてからだから発音など話にならない。

 

それでも何とか語彙を増やして適切な場所で単語を選ぶだけは学んだので発音が悪くても何とか通じている。

 

つまりボロボロの飛行機に絆創膏貼り付けて空を飛んでいるようなものだが航空力学的には何とか空を飛べている状態である。

 

だから会議では何とか会話も成立するが1時間以上色んなネタを喋っていると終わった時は脳みそが豆腐になっており気をつけないと耳からとろけだしてしまう。なので会議後の一休みはとても役に立つ。

 

今日はスコッチ肉ステーキランチ20ドルで脳みその再生を図り無事に脳みそが固まってくれたのでほっとする。

 

さあ、午後は議題を一つづつまとめて顧客向けレポート作成だ。そう思って仕事を再開したら早速会計事務所からMAに関する情報が送られてきた。「今年もダッシュしてますね」と言われたが、休むのは死んだ後で十分。生きてる内に出来るだけのことを後悔しないように全部やる、それのみである。



tom_eastwind at 22:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月21日

幸福度調査

先週書いた「住みやすさ調査」と違い、これは何となく分かるかもと思う調査結果だった。

 

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[ニューヨーク 20日 ロイター] - 国連と米コロンビア大学が設立した「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」と同大学地球研究所は20日、最新の「世界幸福度報告書2017」を発表した。

報告書の幸福度ランキングでは、ノルウェーがデンマークを抜いてトップ、日本は51位だった。一方、サハラ以南諸国とシリア、イエメンが下位となった。

 

ランキングは2012年に開始され、今年で5回目となる。155カ国を対象に、1人当たりの国内総生産(GDP)や健康寿命、困難時に信頼できる人がいるかどうか、政府や企業における汚職からの自由度などを手掛かりに幸福度を調査。

 

210位は、デンマーク、アイスランド、スイス、フィンランド、オランダ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、スウェーデン。

 

最下位は、南スーダン、リベリア、ギニア、トーゴ、ルワンダ、タンザニア、ブルンジ、中央アフリカ共和国となった。

 

このほか、ドイツは16位、英国は19位、フランスは31位、米国は1ランク下がって14位だった。日本は51位、シンガポールが26位、タイが32位、台湾が33位などとなった。

 

地球研究所の所長でSDSNを統括するコロンビア大学のジェフリー・サックス教授はインタビューで、米国のランク低下は不平等と不信感、汚職が原因と指摘。さらに、トランプ政権が実現を目指す経済政策は事態を悪化させるとし「富裕層対象の減税、一部の人々の保険制度からの除外、軍事費捻出のための食事配給削減と、全政策が不平等を助長するものだ。提案されているすべてが間違った方向に向いている」と述べた。

http://toyokeizai.net/articles/-/164020

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仕事生活をしやすいかと言う視点であれば、特にオークランドで仕事生活をしていれば、ましてやシティのど真ん中で現場の仕事をやっていれば「生活しやすい」とは到底言えない。毎日が戦いでありちょっとでも乗り遅れたらあっと言う間に取り残される。

 

僕は日本の市場成長経験世代なので分かるけど、今は誰もが絶対に勝つと思ってこの市場に進出してきて多くの人々は早々に退出するのだけど、退出するよりも多くの人々がこの街に夢を観てやって来るので結果的に昔の日本のように市場はどんどん熱くなっていく。

 

変化は都市を大きくするが同時に物凄い力でそこにいる人々を巻き込み成長していく。生き残れるのは力の流れを読んでその流れに乗った人々だけでありそれはいつも決して多数ではない。

 

都市の人口増加と言うパイの拡大が街を発展させてオークランドはこれからもニュージーランドの中の一極集中の坩堝として成長していくだろう。

 

けど調査にもあるようにシティを一歩外に出ればそこは昔ながらの自然と優しい人々が生活しており、勿論2世紀のオークランドのようなのんびりさはもうないけど、それでも北半球の生活と比べれば地元に根を張った人々は楽しい隣人付き合いもあり生活を楽しみながら生きている。

 

1人当たりの国内総生産(GDP)は国民を豊かにさせているが、これを享受出来ているのは国民のうち50%くらいではないか。

 

20世紀に自宅を購入して退職までにローン支払いが終わり21世紀に年金を受取り夫婦でリタイアメントハウスに入居できる、そんな人々にとっては生活物資は豊かになり物価スライド性の年金は今までの貯金と合わせて持ち家があれば生活に苦労はしない。

 

 

健康寿命は前回も書いたようにこの国はぴんぴんころりの発想なので死ぬまで元気と言う人が多いのも健全であろう。

 

そしてここがキーウィの良い点だけど「困難時に信頼できる人がいるかどうか」は、キーウィ同士の人助けって本当に良いなっていつも思う。自分の状況がどうであろうと目の前の人を助ける習慣が国の中に根付いている。

 

こんな事書くとまた「そんな事はありません!私は悪いキーウィを知ってます!」って書く人がいる。

 

だけど、こっちが「一般論」を書いている時に個人の主観の「例外」を持ち出して如何にも鬼の首!ってのは頂けないぞ、日本語の会話力をもっと付けてから参加しろ、でないとお前が酸化するぞって話である。

 

もっと簡単に書けば「豚骨ラーメン美味しいよね」って書いたら「豚骨ラーメンの塩分が云々でカロリーがどうこうで夜中に食べることで肥満がうんちゃらで、だからあなたの言ってる事は間違いです!」と言われるようなものだ。

 

「政府や企業における汚職からの自由度」これも社会の大事な要素である。僕がこの国の仕事をやりやすいと感じるのは、まさに20世紀の日本で村社会の利権、政治家の贈賄や「俺は聴いてない!」だけで理論が通じない馬鹿社会を観てきたからだ。

 

ほんとに日本人は理論建てが弱い。特に田舎の人間になればなるほど根回しすべてであり「聴いてない」の一言ですべてがぶっ壊されるし「あそこに話は通したか?」で義理立て筋立て最後はこんにゃく(鴻池料理らしい)が必要となる。

 

その点このNZと言う国はそういう事を「出来るけどやらない」と言う文化があるのだ。誰もが生き馬の目を射抜くようなビジネス社会で生きているけど、騙すとか嘘をつくとか賄賂とかは、やっぱりビジネスマン同士の暗黙の了承で「そりゃやめようぜ」ってのがある。正直に紳士的に、背中に斬りかかることはしない、そういう文化がある。

 

僕の場合いろんなキーウィとビジネスをする機会があるけど、上に行けば行くほど「出来るけどやらない」と言う暗黙は感じる。

 

勿論政治家でもある種の人々はまさに「こいつら食人鬼だな」と思うようなやつもいるし時々食われた奴も見るが基本はやはり「人を騙さない文化」である。

 

その意味で仕事をするにしても日本と違ってやりやすい。ひょっとして相手が騙すのでは?と考える必要はない。勿論もちろん何度も書くが例外はある。けれどビジネスの基礎が嘘をつかない誤魔化さないなので日本よりは気を使う部分が少ないのは事実である。

 

幸福度調査かー。自分のために生きてるか?自分の中に試金石を持っているか?ニュージーランドに来てもいつも他人と比較してしか生きていけない、つまり自分の試金石を持たない人にはあまり意味のない調査かもしれんなー。



tom_eastwind at 18:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月20日

本筋は何か?

日本では僕が東京にいる時から森友学園、南スーダン、豊洲移転と国会や都議会あちこちで賑やかにやっており今週も続くようだけど、北朝鮮や中国の問題はやらなくてよいのか?

 

北朝鮮は日本領土にミサイルを撃ち込み米軍基地を攻撃するって言ってるんだし中国は海洋進出、国内環境汚染の日本への影響、特に環境汚染は確実に日本の子供の体に害毒が蓄積されている。それがいつ爆発して発病するのか?

 

日本はもう昭和30年代〜40年代の公害でどれだけ多くの国民が死亡して子供に障害が残ったのかもう忘れたのだろうか?それともお上が何も言わないから何も問題ないと思考停止に陥っているのか?

 

四日市ぜんそく、水俣のイタイイタイ病、子どもたちが原因も分からないまま公害に巻き込まれており中国ではすでに奇形児の発症が観られている。

 

そっちのほうが余程国難であるのに国内のしようもない書類手続きや政治家同士の喧嘩やってる暇はないと思うのだが、それともテロ法案通すためのガス抜きか?

 

海外のニュースで中国や北朝鮮の問題はやってて森友や豊洲の問題はどこもやってない。

 

まあいいや、こっちは本業がある。月曜日の朝からランドバンキングのボードミーティング。約2時間かけて現状の開発状況報告、予算執行、今後の進捗予測、今後新規で仕入れる土地の情報等の報告を受けて今後の方針や戦術を議論していく。

 

今年はすでにイーストタマキ開発計画に相当の力を注ぐことになるが、これでオークランド地元の人々の住む場所が提供出来るなら良いことである。

 

会議をやりながらもまたついつい思う、日本人は性格的なのか後天的学校教育のせいなのか、とにかくお上と紙に書いた事は無条件に信用する。自分の頭で健全な疑問を持とうとしない。政府にとって見れば実に操りやすい奴隷であるが生きている人間からすればどうなのか?

 

ニュージーランドの人々は基本的に素朴であり日本以上に物事を単純化して短眼的に判断することがある。そして学校で科学やちょっと難しい算数を勉強していないから1+1が11となったりすることがある。

 

シーシェパードに騙されたりするのが良い例で目先の感情だけですぐ判断する。

そのぶん後で訂正するのも素直なのだけどそれでも自分が間違ったとは言わない。何故なら何が間違いだったかを段階的に検証する能力が薄いからだ。

 

あれ?何で失敗したんだろう?えーっと、とか考えているうちにだんだん分からなくなって最後には「あの時はあれでよかったんだ、さあ過去のことは忘れて次にいこう」となる。

 

明るくて前向きで人情もろくて良いのだがその分冷静な分析が苦手、お、こりゃ寅さんか?等と思ったりもする。

 

キーウィとオークランドのシティのど真ん中で会議しながらも時々その思考回路に疑問符を持ったりするのだが彼らも家庭に帰れば立派な父親である。

 

そうそう、会議の前の雑談で一人のキーウィおじさんが最近新しい若いスタッフを見習いで雇ったとの事。投資会社のアナリストなので本当は経験のあるやつが欲しかったけど、丁度友達の息子が大学出て仕事がないって事なんで、経験不足だけど採用したんだと。

 

「まだまだ能力は低いけどこれから毎日鍛えてやる、大丈夫、あの子の親父は俺の良い友達だからね」やっぱりこの国はコネで入社なんだなって更に実感である。

 

そんなこんなで月曜日が始まる。自分は誰も支えてくれない。本筋を外さないようにしなきゃ。



tom_eastwind at 17:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月19日

すべての人々に平安を

今日も午前中の時間を使ってプールに行く。出張中は東京でプールに行く時間もなくオークランドに戻って週末のプールで泳ぐと日本で固まってた筋肉が引き伸ばされているようで気持ち良い。

 

僕は健康のためだけに水泳をするわけではなく元々実家が漁村で夏休みはいつも海に潜り中学生から高校生までの6年間はずっと水泳部だったので体が水に馴染んでおり、潜ったり泳いだりすることで気持ちもほぐれるからなのだ。

 

プールに行く前に出張中にずっと駐車場に入れてた車を洗おうと思いつつショッピングモールに手紙を放り込むと、そのすぐ反対側に洗車サービスがあった。

 

観ると中東系の小柄なおにいちゃんが車を拭いてたので近づいて料金表を観ると普通サイズで15ドル、大型で25ドルとある。安いな。

 

混み合ってないようだったので彼に「この車だけどいくら?」と聴くと「25ドル。タイヤも洗うなら10ドル追加だよ、45分で終わるよ」と言われたので、それならとお願いする。この値段はアルバニーの洗車場の半額くらいだ。

 

何せモールはプールに隣接しているし泳いでちょっと買い物して戻れば45分が1時間でも問題ないだろう。車内に盗られて困るものは置いてないのでそのままプールに向かう。

 

普通の日本人からすればびっくりするかもしれないがこの国では車中泥棒は多い。

 

第一日本からニュージーランドに車をおくる時だって社内のラジオやその他いろんな物が盗られるのはごく普通で今更誰も驚かないし保険も適用されない。「そんなもん最初から付いてない」と言われて終わりだ。

 

車がNZに到着後に引き渡されてさてと車で買い物に出かけてモールに駐めたほんの一瞬で車内泥棒に遭ったりもする。

 

なので例え車を洗ってもらうだけでもこちらは最低限の注意をしておく必要はある。盗られてぎゃあぎゃあ騒いで「こんなのー、日本じゃあり得ないー!」なんて言ってもどうしようもないのだ。

 

1時間ほど泳いで駐車場に戻ると案の定まだ彼はタイヤを洗ってるところで、まあそんなもんだろう、じゃあいいやと同じフロアにあるショッピングセンターで果物とハムを買う。今日のお昼ごはんだ。

 

買い物が終わって車に戻ると今度はきちんと掃除が終わってた。35ドルなので財布から50ドル札を出すとおにいちゃん、ちょっと首をかしげながらお札を両手で広げて透かしている。

 

偽札と思ってるのか50ドル札を観たことないのか、それともその両方なのか分からないが仲間が彼からすぐその50ドル札を取りあげて15ドルのお釣りを僕に渡してくれる。

 

彼らには彼らの独自文化があるし僕らと同じアジア人と思われるのもどうしても不思議なのだが、欧州人からすればトルコからあっちは全部アジアになるという実に大雑把なククリをしたからなのだろう。

 

移民東アジア人の車を移民西アジア人がビジネスとして洗う。昨日とは違った感じの異文化交流。ほんとにオークランドも移民が増えたな、実感する時である。

 

にこっと笑ってありがとうと言って注意して車に乗り込むがすべてのものが所定の位置にあるので「おー、わりかし親切ではないか」と思いながら車を出す。

 

値段の安い分カーポリッシュ、つまり磨きがないのでちょっと光ってないな、けどこれでいいや十分と思いつつ自宅に帰りお風呂に入り(これは日本独自の文化だな)昼ごはんを作って午後の読書を楽しむ。

 

今読んでるのが濱嘉之シリーズである。日本で3冊買ってすでに昨晩1冊読了、今日は2冊めを開始。作者が元警察の警察小説であるから内部情報に詳しくより信憑性があり読んでて楽しくさせてくれる。

 

特に小説の舞台が東京なのだけどよく出張ベースで福岡博多の場面が出てくる。中洲の描写などはまさに「あ、あそこか!」と目に浮かぶのでこれもまた一興である。今から20年前ならこんな気軽に本を読むなんて出来なかった。

 

今晩は昨日韓国マーケットWANGで買ったおでん料理である。用意された具材に春雨とゆで卵を別途作って鍋に入れて奥さんと二人でおでんを突きつつ、彼女が取った竹輪の中にイカの足が入ってて僕が取った竹輪の中身がゴボウだったのが何となくおかしくて二人で笑う。

 

今頃車を洗ってくれたおにいちゃんも家族と一緒に楽しく食事しているんだろうな。何気ない、世界のあちこちから集まった移民のオークランドでの夕食である。

 

すべての人の上に平安を。



tom_eastwind at 20:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月18日

WANG

土曜日の午後は奥さんと一緒にWairau(ワイラウ)ロードに買い物に出かける。

 

この地区はグレンフィールドに隣接する商業地区であり高速道路の出口に直結しており元々は住宅や家電製品の大型店が並んでいたのだが今では車のディーラーや気軽なレストラン、電気製品専門店、ボーリング場や学生向け塾とか各国食料品店も所狭しと並んでいる。

 

その中の一つにWANG TRADINGと言う韓国食材ショップがありここの見物がてらの買い物である。

 

韓国市場はノースショアに多く、元々は大きな倉庫の中を区分けして肉屋、キムチ専門店、野菜屋、服のリフォーム、レンタルビデオショップなど業態の統一しないお店がまさに市場のようにごっちゃ混ぜに並んでいたものだ。

 

が、ここWANGは単体で食材に集中していており外見も内装もそれまでの韓国市場と比べればずっとお洒落にしておりお店専用カートもありちょっとした地元スーパーマーケットの小奇麗な雰囲気を醸し出している。多分今までとは違った次元でいこうって事だろう。

 

入り口に積み上げてた韓国製のカップうどんが定価1.90ドルのところを1.14ドルで売ってたので早速2個をカゴに入れる。他にもLOTTEのチョコがあり「韓国原産!」とうたってた、うむむ、半分本当だけど。

 

LOTTEの歴史は戦後の日韓関係と密接なつながりがあるなーとか思いつつ奥さんと二人でお店を周りながら漢字で書かれた中国食材のコーナーに行くと早速奥さんが「ねえ、韓国の人って何でも韓国で作られたって言うよね、漢字が韓国発祥なんて平気で言うくせに漢字書けないのはお笑いだけど」

 

肉屋さんで今晩の夕食にしようと牛肉を観て「カルビもいいけどプルコギは味付きだから簡単に作れるね」と話してたらお店のおじさんが韓国語で「カルビxxっx、プルコギxxxx!」と言われたのだが、肉の単語以外は同じアジア人で隣国と言いつつ全く分からん。

 

今晩は手軽に食べたかったので味付きのプルコギにしてお金を払うときもやはり韓国語でxxx!と言われたが、やはり分からんものは分からん。お店は綺麗でもテナントさんは韓国市場のままなのか。まあいいや、英語の勉強に来たわけでもないし「カムサムニダー」でお金を払って次のキムチ屋さんに移動。

 

キムチはやはり韓国人オリジナルであり試食も出来る。この店の奥さんは僕らを観てニコッと笑って簡単な英語で「キムチ美味しいよー」とお勧め、1パックで5ドル程度の3種類入ってるキムチを買う。これは焼肉に合うし食べてて楽しい。

 

日本食材コーナーもあり冷凍食品や調味料やラーメン等が小奇麗に並んでいる。

 

ここでは明日の晩のおかず用におでんの冷凍パックを買う。「JFCフローズンおでんセット」とタイプされているけど、JFCは世界中で日本食を売ってる卸売会社でありメーカーではない。

 

ちなみにおでんセットが433グラム入りで9.20ドル。今の日本円だと730円くらいかな。

 

ついでにサンポ−食品という佐賀県のメーカーが作ってる豚骨棒ラーメンを買う。一袋3.70ドル(約270円)なので日本で買うより高いがシティで下手な店で食うより余程美味しいので輸送距離も考えれば十分に適正価格だろう。

 

同じコーナーで売ってた上州赤城素麺270グラムが2.70ドルだったので、ほー、素麺の方が安いんだと思ってたら奥さんが最初にカゴに入れてた韓国製らしい素麺と見比べて「ね、この素麺さっきの棚に戻して」と言いつつ上州赤城素麺をカゴに入れた。

 

その時に僕に確認するように「上州って日本よね?韓国の地名じゃないよね?」と聴いてきたので思わず笑ったが、中国から見れば上州と慶州のどっちがどっちかわからないのも現実であろう。

 

それから冷凍の鯖があったので僕の夕食のおかず用に買う。随分身が厚くていつも買う鯖とはだいぶ違うよねと言って「ほんとに日本人は商売が下手ね、こっちの方が安いし身が厚くてずっといいじゃん」と言い返された。

 

干物とまるごとの鯖を比較されても困るのだけど確かに彼らには区別がつかないだろう。こういう「文化責め」される時は僕が何故か日本代表になってしまう。困ったもんだが言い返しても勝ち目がないので笑うしかない、ははは。

 

土曜日の午後、香港から移住した奥さんと日本から移住した僕が移住先であるノースショアのワイラウの韓国スーパーでああだこうだ言いながら食材を買っている。

 

日本国内で日中や日韓を語るのと、実際にその人々と肩を並べて生活するのとでは実感が違う。そこには国家的どーちゃらこーちゃらはまったくない。

 

お店の名前は中国風のWANGなのに韓国スーパー、そこに色んな国の人が買い物に来てあーだこーだ言いながら今晩の食材を買っていく。

 

アジア人移民が本格的に始まってもう20年になろうかというオークランド。良きにつけ悪しきにつけ日本と韓国と中国が近いのを肌で感じた土曜の午後の買い物であった。

 

夜はもちろん韓国人の作った本格的プルコギとキムチを焼肉台に乗せてじゅーじゅーと焼く。奥さんはここでも「なによ、プルコギって肉が小さく切ってるわねー、けち」と文句を言い、僕は1980年代から観て食べてきた韓国のプルコギを説明しつつ、そんな移民たちの夜は過ぎていく。



tom_eastwind at 16:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月17日

視点の違う二極化

「ケータイがあってSNSがあって甘えるな!」

 

夜、TVONEを観ながら奥さんと食事をしていると最近の若者の就職状況の様子が流れてた。

 

やはりニュージーランドでも世界と同様にオークランドの一極集中と更にその中でも二極化が始まっている。

 

その中でもアジア人の二世たちは大学を出た賢い子どもたちでも地元に根付いたコネがないから仕事探しには苦労する。

 

そんなテレビを観ながら奥さんに「最近は大変だよね、おれたちは30年前だったからまだ仕事もあったしローンで家が買えたけど、今のアジア人の若者は大変だね」と言うと冒頭のように激しく反論。

 

「だって考えてみてよ、あの子達は皆携帯電話持っているのよ、それもiPhoneは一台500ドルもするし通話料金だっていくらだか。それにネットが発達していつでも世界中の反対側にいる友だちとテキストでお喋りが出来てるんだよ」

 

「第一大学に行くお金だって親が出しているんだし大学に行ってる間は友達と遊べるんだしさ、やっぱり今の子供は贅沢」

 

彼女たち香港人からすれば1997年の中国返還という歴史的な香港大崩壊を目の前にして世界各地に飛び散り移住した時の気持ちは、まさに「私どうなるの?」であった。

 

1980年代と言えば航空券代も高く携帯電話もなく勿論インターネットもなく国際FAXも殆ど利用されていなかった時代である。

 

一度海外に出てしまえば次いつ故郷に帰れるのか分からないし移住先の生活ではとにかく一生懸命最低賃金で働くしか無くお昼休憩などあってないようなもので、週末だって仕事をして故郷の友達と連絡するにしても手紙で片道一週間かかってた。

 

そんな時代を過ごして現地で永住権を取って少しでもまともな仕事を見つけて少しづつ現地社会に馴染んでいった。

 

そういう苦労をして来た人々からすれば、やはり今時の若者が「仕事がない」なんてふざけるな、レストランの皿洗いでも公共工事の現場での土方でもゴミ清掃でも、仕事はいくらでもあるだろう!って気持ちである。

 

このあたり奥さんが本気で怒ると僕らのような甘えた日本人はなかなか太刀打ち出来ない。うちだけなのかもしれないが。

 

奥さんにとっては「二極化は間違いなく起こっている。しかしいつの時代だって若者が楽して好きな事して生きていける時代なんてなかった」のである。

 

特に香港のように何の資源もない土地で英国人に支配されている場所では常に頭を研ぎ澄まして生きていかないと、あっという間に周囲に食い殺されていた。

 

このあたりの感覚は日本と言う平和で安全な国で1980年代を過ごした僕にはなかなか理解出来ないのだろう、かわいい奥さんであるがこのあたりはどうしようもない生活実力の差である。

 

「九蓮宝燈!」その後奥さんがにこにことして僕のところにやって来て手元のパソコンを見せてくれた。麻雀ゲームで役萬作って大喜びである。うーむ、人生はやはり楽しい。



tom_eastwind at 16:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月16日

ふるさとは遠きにありて思ふもの

あなたが好きなのは日本なのか日本政府なのか?

 

今の御時世で日本を離れて海外に移住すると言うと「お前、逃げんのかよ!」と言われることがあるようだ。

 

この場合何から逃げるかによるが相手が日本を支配する層であり相手の土俵でどう戦ってもかなわないならば相手の土俵を離れるのも戦術の一つである。

 

そんな時に「お前は日本を捨てるのか!」とも言われるが、いやいやそりゃ違う。誰もが日本を故郷として愛しているから日本を捨てるのではない、日本政府と対等の立場になるために日本の法律が適用出来ない場所に移動するのだ。

 

兎追いしかの山小鮒釣りしかの川である。日本人は殆ど誰もが自分の生まれ育った故郷が好きである。けど好きだっていうのは自分の故郷に対してであり、その故郷を支配する政府と呼ばれる組織のやってることが好きになれないから一時的に海外に身柄を移すだけである。

 

こういうのは例えば清朝の中国で圧政に耐えかねた一般市民が自由と正当な労働の対価を求めてゴールドラッシュに湧く米国やそしてこのニュージーランドのダニーデンに自己責任でやってきてその街に根付いたのと同様である。

 

共産党支配を嫌って上海から香港に移ってきた中国人、客家や潮州の人々は更に南のアジア諸国に華僑として渡りその土地で財産を築き上げたがそれでも故郷の山や川や人々を自分の心の拠り所としており故郷の村に学校や病院を建てるのが当然のようになっている。

 

中国人の考えには世界が自分の庭という感覚があるから世界中どこに行っても最後に帰るのは自分の生まれ育った故郷なのである。

 

世界には自分の生まれ育った場所を追われて海外に逃亡する人もたくさんいる。ロンドンではアフリカやロシア東欧あたりから追われた人々が逃亡生活をしているしイラン革命を起こしたホメイニ師はイラン当局によって追放されてパリで反政府運動を繰り広げて最後にはイラン革命で母国へ凱旋した。

 

だから世界的に観れば生まれ故郷を離れて生活をするってのはそれほど特別な事ではない。

 

それは日本でも実は同様である。日本は江戸時代は各藩ごとに国が分かれており隣の藩は隣国であった。昭和前期の時代の東京では知らない者同士が話す時に「おたくのお国はどちらですか?」などという言い方が残っていた。

 

つまり日本では鉄道も道路も発達していなかった頃には自分の生まれ育ったムラから出て行くなんてのはあり得なかった。そんな時代に領主に逆らったり飢饉から逃れるために逃散したりして故郷を捨てることもあった。けれど誰もが自分のお国を持っていたのである。

 

昭和の戦後になり新幹線が発達して海運が盛んになり田舎の若者が東京や大阪に集団就職するようになった。若者は都会で働き彼女を見つけて結婚して子供を作り何時の間にか都会人になっていった。

 

それでも自分の故郷があるわけで盆や正月になると帰省して久しぶりの故郷を懐かしむのである。

 

徳洲会病院の故郷は徳之島である。徳之島で育った若者が都会に出て医者になり「命だけは平等だ」と訴え大阪で病院を作り西日本を中心に病院を建設し各地医師会の反発に遭いながらも離島医療にも取り組み、自分の貧しかった故郷にも病院を作り地域に貢献した。

 

これなどは故郷の徳之島を出て日本全体で成功して故郷に錦を飾った華僑の日本版であるが結果的に国家によって徳田虎雄は殺処分となった。国家権力の中で支配層と戦っても勝てない、これが今の日本の現実なのである。

 

他にも日本国内で日本を良くしようとして戦い潰された人々は枚挙に暇がない。ましてやそれが一市民であった場合どうなるのか?

 

納得できない状況で頭を下げたまま自分の気持を殺して一生生きろと言うのか?

 

それができる人は良いだろう。納得できない状況を納得して自分を抑えて生きていき自分の子供や周囲に「お上にさからうじゃねーだ、長いものには巻かれろだ」と言えるならこの世はそれで良いのかもしれない。

 

けれどそうでない人々、どうしても自分の中の炎を消せない人々、子供に間違った事を教えたくない人々、そういう人々に残された道は日本の憲法に保障された「移動の自由」を実行することなのだ。

 

しかし世界中どこに行っても生まれ故郷を嫌う人は少ないと思う。例え故郷を出て都会で過ごしていても、

「故郷の訛なつかし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」気持ちは故郷への情念と共に常にあるし、

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」である。



tom_eastwind at 11:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月15日

生活の質

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【ウィーン共同】米コンサルタント会社マーサーは14日、今年の世界231都市の「生活の質ランキング」を発表、ウィーンが8年連続で1位となった。最下位はバグダッドで、日本の都市では東京が最高の47位だった。

 同社は各都市の政情や治安、医療、公共交通、自然環境など39項目を調査した。2位はスイスのチューリヒ、3位はニュージーランドのオークランド。欧州は15位までに11都市が入るなど、高い評価を受けた。

 アジアではシンガポールが最高の25位。うち東アジアでは東京が最上位で、神戸が50位、横浜が51位、大阪が60位、名古屋が63位だった。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/314573

***

 

オークランドに戻ると早速今年もマーサーの調査結果が出てた。でもオークランドが3位は正直どうなのか?

 

確かに政情は安定している。世界の発展している都市の中で政治度はクリーンだし治安も北半球の都市に比べればずっと良い。

 

けど医療はどうだろうか?この国では大雑把に言えばピンピンコロリが良いとされていてガンも延命治療ではなくそのまま受け入れて痛み止めだけ飲んで寿命を全うしなさいと言う考えだ。

 

だから何とか病気を治療しようとしてお金を使うとか体中にチューブを入れて肉体延命だけすると言う発想はあまりない。

 

それが子供で治療を受ければ確実に治癒するなんて場合は受け入れもするが日頃難しい手術をしていないので高度医療が日本や米国のように頻繁に行われておらず医者が手術慣れしていない。

 

だから子供の難病手術の場合は寄付を集めてシドニーや米国の病院に行って手術を受けることがよくある。

 

 

公共交通は最近は良くない。とにかく急激な人口増加に道路建設が追いついておらず交通渋滞が大きな問題になっている。シティは新しく地下鉄を作るのに街中掘り返して工事しておりこれも大変な騒ぎである。

 

そしてそれどころかオークランドでは急激な人口増加で住宅が圧倒的に不足しており毎週のようにニュースで問題になっている。

 

低所得者に至ってはアパートの家賃が払えず友達の家のガレージに住み込んで寝る時は車の中ってのもあるくらいだ。

 

確かにオークランドはここ15年の目覚ましいばかりの発展で映画館も増えてレストランが増えてエンターテイメント性が高くなり以前と比べて美味しいものを食べることも出来るようになったしそういうものを利用出来る消費者としては良い状況であろう。

 

勿論環境は良い。何せ空が青く空気が透き通ってて智恵子が来れば「オークランドには本当の空がある」と言うだろう。

 

ちょっと郊外に行けば自然が広がってて砂浜で遊び山に行けばブッシュウオークが盛んであり週末にはワイヘキ島でワイナリー巡りとかも楽しめる。

 

けれどそれはそういった時代に乗れている人、つまり住宅が安い時代に自宅を買って仕事が地元企業で安定していて子どもたちも手間がかからなくなった、そんな人たちが楽しめる生活環境であって、地元では現在は若者の就職の機会は決して増えておらず仕事も選べない。

 

また日本から来る人たちはこれから英語を勉強して専門学校で仕事を覚えてワークビザを取って永住権につなげても肝心の生活を楽しむだけの給料が取れなければオークランドの生活は苦しい。

 

言葉は通じないし学生時代の友達もいないし物価は高いし家賃も高い。翻って日本を観ると安くて良いものがたくさんある。友達もいる。言葉も通じる。日本国民としての生活する権利も保障されている。仕事さえあれば日本の方がよほど過ごしやすい。

 

だから調査結果だけを観てオークランドが良い都市だと思うまでは間違いないだろうけどそこに住むとなると全く別の世界が広がっていると思った方が良い。

 

ただ1つだけ言えることは自分の人生は自分で切り開く、身を削ってでも働くことを厭わない、常に周囲を観て機会を掴まえては独立して一旗揚げよう、そういう気持ちがあるならば今のオークランドは成長の波に乗ることが出来る可能性が高い事を付け加えておく。



tom_eastwind at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月14日

二世物語

昨日で東京での仕事を全部終わらせて今日の羽田発のキャセイ航空で香港経由オークランドに戻る。

 

最近のキャセイ航空はオークランドと香港の間が一日二便なので便利である。人口約600万人の香港であるがニュージーランド航空と合わせて一日4便飛んでるのでいかに香港とオークランドが繋がっているかよく分かる。

 

元々香港人は1980年代から世界各国へ移住した。それは1997年の中国返還に危惧を感じた香港人中流層が子供を連れてカナダ、英国、米国、豪州、そしてニュ−ジーランドにも移住したからだ。

 

当時の人口約600万人のうち60万人が移住した。10人に一人は海外に移住したのだから今あなたが住んでいる街の10人に一人がいなくなったらどう思う?

 

香港人からすれば英国の植民地として積極的放任主義で長年過ごして来たわけでお隣の大陸中国が共産党による中国支配、大躍進による餓死、文化大革命による虐殺等を目の前に観てきたわけでそんな中国がまた香港に侵攻してくるわけだから香港に住んではいられないとなるのも当然であろう。

 

そこで子どもたちの将来の為に英語を話す香港人は海外に移住して各地で生活を再構築した。

 

今では海外に移住した家族の子供達がそれぞれの国の二世や三世となり海外で生活根拠を作りながら親戚のいる香港とを行き来している。彼らのような移住組が現在のキャセイ航空の顧客に多いから自然とニュージーランド往復の飛行機も最新型を導入したり飛行便数を増やしたりして対応しているのだ。

 

そうそう香港では最近のテレビ番組などや各種エンターテイメントで海外生まれの二世香港人が香港で活躍している。

 

二世香港人は例えカナダで生まれ育ちカナダの大学を卒業してカナダで仕事を得てもそこは4千年の歴史を持つ中国人の末裔であるから自分たちの香港人としてのアイデンティティが強く親から学んだ広東語を普通に話すバイリンガルである。

 

このあたり海外に移住した日本人は現地社会に溶け込みその社会で生活をする事が多いから海外生まれの日本人二世は日本語が苦手、又は全く出来ない場合がある。

 

勿論香港人バイリンガル二世と言っても話せるけど広東語の漢字を書けない二世もいる。更に彼らの広東語はどうしても学校教育で学んでないから普通に話す時は問題ないのだが香港でしか使ってない言葉や最近の流行の言葉などは聴き取れず「何それ?」ってのはよくある。

 

うちの奥さんも香港のテレビ番組観ながらよくぶつぶつと「全く今の時代この世界じゃあ広東語もまともに出来ないのかねー」と言ってるが、けどそれはうちのりょうま君にも適用される言葉である。りょうま君は話すに問題はないけど漢字はほとんど書けないからりょうま君もお母さんのぶつぶつの対象である。

 

けどまあ香港のテレビや映画に出てくる二世の若者が彼ら同士の普通の会話の中では普通に英語で話しているのは親から習った言葉よりも学校で習った英語のほうが使いやすいからなのだ。

 

日本もこれから海外在住組が増えていくことになるだろうが、大事なのは子供の英語ではなく子供の日本語教育である。日本人のアイデンティティを守りつつ海外の生活を普通に楽しめる子供作りが大事になる。



tom_eastwind at 17:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月13日

今日の参院予算委員会

今日は民進党による森友学園問題の追求が続いてたけど安倍首相に対する攻撃が少し弱まっている感じだ。この筋では叩けないと気づいたのか官僚役人に対しての攻撃が強まっている。

 

「安倍首相が勝手に名前を使われたのなら名誉棄損等で森本学園を訴える事は考えてないのか?」と言う質問に対して「首相という行政の長にいる立場である以上無駄な時間は使えない。第一お宅の元首相である菅直人氏に名誉毀損で訴えられて時間を使ってしまった。勝訴しましたよ、勝訴。私は何の賠償金も払ってないけど時間を使ってしまいましたよ。元首相が現役首相を訴えるなど時間のムダな事をされましたけど、私は無駄な時間は使いたいくないですよ!」と強調してた。

 

あはは、これには民進党も反論のしようがない事実でありテレビを観ている側からすれば笑うしかない。安倍一強を作っているのはやはり民進党である。

 

共産党からは古いネタのオスプレイをやってた。沖縄で不時着したオスプレイの安全問題を「私はですね、現地に行って観てきましたよ、きれいな海で子供が遊ぶ場所にオスプレイが落ちたんですよ!」と言うけど、空を飛ぶものは落ちる。

 

ましてや戦争に使う道具である、そんなもんに100%の安全なんてあり得ない。、むしろ落ちた時の被害を最小限にする技術の話、飛んでる時に最大限の攻撃力を持つ話、そこがオスプレイの存在理由である。

 

そして今回のオスプレイの操縦士は実に上手くトラブルを避けて見事に地上ギリギリの海面に不時着することで隊員も沖縄住民も救ったのだ。その事実は無視か?

 

空中給油が危険って言うけど、そりゃ時速250kmで空を飛んでいる飛行機同士が接続するわけだから腕の良い飛行士がお互いに必要である。給油パイプがヤバイ事になったらギロチンしろとかパイプがオスプレイのプロペラに触れたら「カタストロフィ(破壊)」とか、そりゃそうでしょ、墜落でしょ。

 

一体オスプレイを何と思っているのか?子供の遊ぶ竹とんぼとでも思っているのか?

 

「空中給油でどこまで行くんですか?こりゃ外国に攻め込む道具ですよ!」って、いやまさにその通り。強襲揚陸艦の武器の1つなんだから何かあれば沖縄から中国や日本海側から北朝鮮に侵攻出来る武器である。だからこそ安心であり戦争を回避出来る武器であるのだ。

 

通常のヘリコプターでは動けない行動範囲を持っている武器であるからこそ有用なのである。

 

このような垂直離着陸が出来る戦闘機は英国が持つハリヤーが有名である。アルゼンチンとのフォークランド紛争でもハリヤーが活躍して空中ではアルゼンチン戦闘機を撃墜したのは有名な話だ。

 

ハリヤーはその一方操縦性の難しい飛行機であるが、共産党は戦争する道具に一体何を要求しているのだ?君らの先輩である中国共産党やソビエト共産党は農具の鎌や鋤を武器にして戦い政権を勝ち取ったよね?

 

オスプレイを国会での質問対象にするのは自己バカ晒しにしかならないので止めた方が良い。竹とんぼと戦争の道具を比較するのは無意味であるだけでなく自分の無見識を晒すだけである。

 

稲田防衛省はあいも変わらず可愛らしく的はずれな回答をしていたが、今国会で議論すべきは朝鮮半島有事であろう。

 

今日も日本の平和ボケは続くって感じだ。



tom_eastwind at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月11日

南スーダン及び森友学園、撤収

今日は賑やかな話の連続だ。自衛隊の南スーダン撤収記事が賑わいである。そして森友学園も学校建設撤収の報道。

 

国会では稲田防衛大臣の火消しで安倍首相が代弁したり嫁さんの不始末の森友学園問題で大声出したり本当に忙しい首相であったが、これでまずはどちらも一息ついたようなものだ。

 

南スーダンは元々が現在の自衛隊の目的から考えれば無理筋の派遣であり一人でも自衛隊員が死亡すればそれこそ国会で安倍政権が叩き潰されてしまう。その前に決断をすることが出来て安倍政権としてはほっと一息であろう。

 

安倍首相が日本を普通に戦争出来る国にしたいのは分かるが現在の国民の意識としてはあくまで防衛戦争であり外で防衛戦争やる時も精々が東南アジア防衛である。南スーダンは遠すぎる。

 

森友学園事件については安倍首相も腹立たしい限りであろう。嫁さんも首相夫人なんだから布袋寅泰にキスしたり派手好きなのは分かるが少しはじっとしてろってとこだろう。

 

野党としては賄賂問題で追求したいとこだろうがどうもそこはなさそうだ。安倍首相としてもたかが田舎の学校一つでヤバイことはしないだろう。だからこそ国会では賄賂もらっていたなんて事実が出てきたら首相辞めますよと堂々と言えたのだろう。

 

安倍一強政権、まだまだ続きそうだ。



tom_eastwind at 13:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月09日

変な夢

昨日変わった夢を観た。

 

僕が大手旅行会社の新入社員向けに講義をすることになった。議題は旅行屋としての心構え。新入社員は学校を卒業したばかりでありまだ若い。

 

そこに参加していた耳が出るほど短い髪の若い女性から質問があった。

「旅行業に男女差別はありますか?」

 

僕自身が約40年間大きな括りでの旅行業に従事しており日本だけでなくクイーンズタウン、香港、バンクーバー、オークランドと各地でインバウンドやアウトバウンド業務を経験したのでその経験の中で回答をした。

 

まず旅行業の業務そのものには基本的に男女格差はない。何故なら旅行業で必要とされる能力は顧客への気遣いであり自由な発想である。つまり首から上の仕事であり体力よりも知力が要求される。

 

旅行業において男性が女性より有利なのは事務所の高いものが取れるとか倉庫の書類の入った重い箱が持てるとかくらいである。

 

しかしながら日本社会そのものが真夜中まで残業出来る男性、子供を生まない男性、古代の発想である男性優先の考えを持つ男たちが自分の領域を出来る限り確保してデカイ顔をしたいから女性を排除するように作っているから女性が馬鹿らしくて社会進出しないだけだ。

 

旅行業でも頭の固い男連中は新幹線や飛行機の切符を売ったりホテル予約をしたりとかの誰でも思いつくようなビジネスモデルばかりやるからすぐに値段競争になり過当競争が起こりどこも利益が出なくなる。

 

それでも会社で生き残れるように毎晩遅くまでサービス残業しているから企業がなかなか市場から退出しないまま皆が苦しいって事になる。

 

けど旅行業というのは「旅」を売っている訳でそれは自宅を出て外を回ってまた自宅まで帰るというところは基本であるがそれ以外はどのような旅でも良い。;だから自由な発想が必要なのである。

 

人が旅をする目的は大きく分けて2つある。

 

1つは「現地情報確認作業」である。これは例えば写真や本やテレビ番組などを通じて仕入れた現地(旅先)の情報を実際に自分の足で回ってそれが本物であるかどうかを確認する作業である。

 

だから旅行客が旅先で写真を撮ったりして日本に戻ると写真を整理してても「お?これどこだっけ?何時だったっけ?」と言う事がよく起こる。確認出来て安心したので記憶のファイルはデスクトップから書類入れに移ってしまい記憶の表面から消え去ってしまうのだ。

 

2つ目は「トラブル体験」である。旅行の英語はトラベルだがその語源はトラブルから来ていると言う話があるくらい旅行では旅先のハプニングがよく起こる。

 

旅先で確認作業というのは記憶ファイルから消えるけど旅先でびっくりしたりするとその記憶は長い間デスクトップに置かれたまま何かの機会にすぐ思い出す「おお、そうそうあの時は大変だったなー」である。

 

例えば僕にとって明日の311日は東北大震災のあった日でその日名古屋で仕事をして博多駅まで新幹線で移動しようとしてホームに立ってたら突然ホームが揺れだして「お?飲んでないのにどうして?」と思ってると駅員のアナウンスがあった。

 

「たった今静岡あたりで大きな地震を感知しました。次に来る新幹線が今日最後の電車になりますので、予約をしていないお客様でもこの新幹線にご乗車下さい。繰り返します、大きな自身の影響でこれ以降本日の新幹線は運行致しません」

 

さすが地震大国だと思いながらその時はまさかあれ程の大惨事になると思わず最後の新幹線に乗って予約してあった座席に座り博多駅まで立席の必要はなかった。

 

ところが博多駅に向かう途中辺りから様々な情報が断片的に入って来て東北で大きな地震が発生したとの事。

 

博多駅に到着してその夜はお客様と会食の予定でお店に向かった頃は津波の被害が甚大で、けど市役所などの緊急連絡機関もすべて寸断されており詳細が分からないとの事。

 

実は米国の911テロ爆破事件でも飛行機がビルに突入するまさにその時間に成田空港近くのホテルで出発準備をしながらテレビを観ていた。

 

最初は映像だけで何が起こっているかアナウンサーも全く分からない様子であったがこりゃヤバイ、空港が閉鎖されたり大規模なフライトキャンセルが起こるぞと思って急いで成田空港に向かい、空港閉鎖寸前の成田空港から予定通りのフライトで香港に向けて飛び立った。

 

ちなみにその時は僕の乗った飛行機が最後の飛行機になり他の殆どの路線は取り消しになった。

 

この2つの事件は今も明確に記憶に残っており当時の細かい点を今も思い出すことが出来る。これが旅のトラブル体験である。

 

そんな事をつらつらと話してたら最初の若い女性からまた質問が来た。「LGBTについてどう思いますか?」

 

そこで夢が覚めた。これ、一体何だったんだろう。



tom_eastwind at 13:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月08日

東京の空の下

今回の東京は寒いな。3月なんだから暖かいと思ってコートも持たず春用のジャケットだけで来たので寒い。

 

それにしても東京って冬になると雪が降って零度以下になったりするし夏になると40度を超すような熱射日になったりで、全くすごい話である。東京の人たちは余程我慢強いのか。

 

オークランドは冬でも雪は降らずコートなしで生活出来るし真夏でも25度を超すことがほとんどなく一般家庭では冷房もない。窓を開ければ涼しい空気が入ってくるからだ。

 

東京での仕事を開始する。天気が良くて空もきれいでホテルの部屋から富士山が見える。これも美しい景色だ。江戸時代は日本橋からも観えてたんだろう。

 

ただ空はきれいでも地上に近くなるとスモッグなのかちょっとオレンジっぽいどんよりとした空気である。それでもテレビニュースでは「今日は雲一つない快晴」と言うから、スモッグがあること前提なのか。

 

そんな東京の空では現実問題として森友学園問題、北朝鮮の金ファミリーの長男金ハンソル氏の映像が世界に向けて流されてる。

 

北朝鮮は金正男氏暗殺からマレーシアとの派手な国際衝突をやってて両国の在留人を出国禁止にしたりしてる最中の長男の映像は北朝鮮にとって相当にきつい宣伝になっている。

 

長男は流暢な英語で「数日前に父親が殺されました」と淡々と語っている。北朝鮮のミサイル発射も米国を相当に刺激しているしどこかの国に避難した長男を匿っている国も当事者になっているわけで実に国際的大騒ぎである。

 

けど日本でニュースを観ているとどうも第三者的な扱いである。これでほんとに北朝鮮が暴走したらミサイル発射も韓国侵攻もあるわけでそうなったら中国も黙ってないし在日韓米軍も攻撃を開始する。朝鮮戦争の再開である。

 

ミサイルの目標が日本にある在日米軍なんだから日本の領土にミサイルを撃ち込まれるわで大変な騒ぎだ。

 

1945年の敗戦以来国土にミサイルを撃ち込まれた事もないし戦争もした事がない国が突発事態にどう対応するのか?他人事じゃないのにな。



tom_eastwind at 16:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月07日

在日米軍攻撃訓練

今朝の臨時ニュースで安倍首相が「北朝鮮の脅威が新たな段階になっている事を日米首脳電話会談で確認した。大統領が日米は一つである事を日本国民に伝えて欲しいと言った」との日本国民向けのメッセージ。

 

北朝鮮が在日米軍を攻撃する訓練として4発の弾道ミサイルが日本海に向けて発射された。米韓両軍の合同演習を念頭に置いたミサイル発射であるがこれはトランプ大統領を怒らせただろうと想像に難くない。

 

トランプ大統領はもともと政治家ではないし今の国防長官は軍隊上がりの「狂犬」ジェームス・マティス元中央軍司令官である。つまり「今度は何か起こる」というカードが揃っているのだ。

 

マティスの発言の一つに「アフガニスタンでベールを着けないと言う理由だけで女性を殴る男たちを撃ち殺すのは実に愉快だ」と言うのがある。政治的配慮を全く検討しない発言でありまさに軍人の発言である。

 

日本は長い間米国の核の傘の下に軽武装でいられたがそろそろ戦後の借り物平和の時代も終わりに来ている。歴史に「もし」はないが世界の戦争の歴史が示す通り周囲に持ち札が揃ったら時代の変化が起こる。

 

日本では自立して戦争が出来る軍隊を作ろうとしている安倍首相が安定政権を維持している。

 

中国は習近平体制がいよいよ盤石になりそうだし軍部には不満が溜まっている。朝鮮戦争を通じて北朝鮮と一緒に戦い長期にわたる「血友」の関係だった中朝関係もすでに戦争時の当事者は亡くなっており習近平が金体制を守る特段の理由もない。

 

中国人民解放軍はその気になればいつでも北朝鮮侵略が可能であり今回の金正男暗殺が契機となり北朝鮮が新たな段階に入った事を意識しているだろう。

 

つまり舞台に役者は揃い後は皆で踊るだけになっているのだ。

 

今までも北朝鮮のミサイルは日本海に向けて撃ち込まれてきたが今回の日本側の対応は突発事件に対して前回までのような「遺憾でございます」から首相による臨時ニュースに昇華して「北朝鮮の新たな脅威」になった。これもおそらく米国側から「おいMr安倍、電話で直接話すぞ」と言われたのだろう。

 

安倍首相の表情も昨日の国会答弁のような攻撃的な雰囲気ではなくどちらかと言えば「緊張している」顔つきであった。この人は正直なのだろう、すぐ顔に気持ちが出てくる。

 

第一次世界大戦は欧州の火薬庫バルカン半島で1914628日に起こったオーストリア=ハンガリー帝国のフェルナンド大公暗殺事件で始まったが、その何年も前から欧州は戦争に向かう雰囲気を各国が醸成していた。

 

暗殺事件は直接世界の歴史とは関係ないが何か情勢が歴史的変動をする時の引鉄にはなる。

 

今回の金正男暗殺事件から始まる一連の北朝鮮の動きが今までにない「新たな段階」になっているのは間違いない。

 

米韓ではすでに「金正恩暗殺部隊」が作られている。

 

安倍首相がわざわざ臨時ニュースで発表するのも後になって「何で言わなかったのか!」と国民からの突き上げを回避するための手段であろう。

 

これから何が起こるにせよ、何が起こっても良いだけの準備をしておく必要はあるだろう。



tom_eastwind at 15:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月06日

三権分立

午後からNHKで国会審議をやってたので仕事しながら観てたら、これが面白い。安倍首相ら政府側と野党側の質疑応答であるが何せ生放送、ひとりひとりの個性がよく分かる番組だった。

 

稲田防衛大臣が南スーダンの「戦闘」について面白い事を言ってる。要旨は「現地で戦闘が行われているが国会では“戦闘”と言うと自衛隊海外派遣を撤退する事になるので国会では戦闘と言わないのです」みたいな点だけど、じゃあ言葉だけ変えれば法律違反にならないから良いってか?

 

野党が「派遣されている自衛隊員の家族に実態を教えなくてどうするのか!?」みたいな事を言ってるがこれは的外れ。

 

自衛隊は軍隊である。その軍隊の行動をいちいち後背地の家族に伝えられるわけがない。そんなのは軍の秘密事項であり専権事項である。なのに家族や感情論を引っ張り出して「大事な子供を戦地に送ってるのに」国会で議論するのはまさに無駄どころか有害である。

 

こんな非常識な話を野党が真面目な顔で言ってるのだから国会というのは面白い場所である。

 

森友学園の質疑では安倍首相が野党の森裕子議員とちゃんちゃんバラバラしている。森議員の印象操作に対して「完全に失敗してますよ!」と興奮気味に答えている。

 

だが、このやり取りは安倍首相の勝ちである。森議員もなかなか上手だけど安倍首相、今回の政権では説明も「間のとり方」も上手い。相手の質問に対してバカ正直に答えるのではなく会話のやり取りの中で相手に攻撃を仕掛けている。

 

国会中継は下手なテレビ番組より余程面白い訳でついついはまって観てしまった。

 

日本は民主主義で三権分立と呼ばれいているが実際はそうではない。三権のうち司法についてはその人事権を行政府である内閣が保持している。

 

誰が裁判所のトップに来るかは内閣、つまり総理大臣が決定することが出来るので司法が独立しているとはいい難い。嫌な奴や言うことを聴かないやつを排除出来るのが内閣総理大臣である。

 

勿論実態としては今まで内閣が司法判断に対して表向き直接に何かを指示することはなかった訳であるが内閣が人事権を持っている以上その立場は司法としても忖度するわけでその意味では司法よりも行政が上だと言える。つまり日本では司法は独立していないのだ。

 

そしてこの行政府である内閣もその活動に対して立法府である国会で説明義務がある。これが今日観てた番組だ。

 

国会の場では例え少数政党であっても議員であれば内閣に対して質問する権利がありその権利を悪用濫用しているかどうかは別にして権利はある訳で、ここで議論された事が立法に影響をあたえるのは当然であり、行政府である内閣が出来るのは決定した法律に従って粛々と実行するのみである。

 

内閣は法律に書かれた事を実行するのみであり内閣が国会を無視して法律を作ることは表向き出来ない以上、形式的には国会が日本の最高機関であることは間違いない。

 

つまり三権分立とは言っても実態としては国会が最高の権限を持っており国会が決定する内容の殆ど(法案)は政府ではなく官僚が作るわけでその意味で考えれば日本の国策は選挙で選ばれた政治家ではなく行政の決定権はあれど責任を問われることはない人々が決定していると考えてよい。

 

そうなるとこの国会でやり取りをしているのも大きな意味でのガス抜きであり政治家と呼ばれる役者たちが生放送の舞台で演技をしているわけだから面白いのも当然であろう。



tom_eastwind at 15:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月05日

空の上から

オークランドを朝9時に出発するキャセイ航空は午後便の14時とは違って朝御飯が出る・・・。

 

なんちゅうしょうもない事を書いても意味がない。それよりも面白いのは飛行機の機体がA350で機内でいよいよWi-Fiが使えるようになった事だ。

 

今まで飛行機の中は日常生活の中で唯一ネットで繋がらない場所であり本と映画をじっくり楽しめる場所であったがこれからは機内も日常生活の延長になりそうだ。

 

自宅にいる時も家全体がWi-fi繋がっており会社は勿論なので一日の相当な時間ネット空間にいるわけだが飛行機の中くらいは強制的に「繋がらない」空間で良いかと思ってた。

 

けど実際に繋がってみるとこれはこれで便利である。1時間US9.95でクレジットカード精算だ。

 

何せ11時間のフライトである。ご飯食べながら映画を2~3本観て、ちょっとパソコン開いてネットに繋がるには良い感じだ。

 

以前は飛行機の機内って聖域でありネットは嫌だと思ってたんだけど、面白いものであり繋がってみればやはり便利である。



tom_eastwind at 15:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月02日

アベノミクス第三弾

以前から指摘されていた事だがいよいよ安倍首相の指揮下で実行に移されそうなのがインフレによる物価上昇である。

 

具体的には下記池田信夫ブログが簡潔にまとめているので読んで頂ければ分かる。

http://agora-web.jp/archives/2024676.html

 

財務省は日本最高のエリートの集まりだがそのエリートが運営する国家財政がいつも赤字ってのは、こりゃ恥である。

 

東大卒で民間企業に入社して会社経営を黒字で運営している同期から同窓会の席で「お前何やってんだよ、毎年赤字って、民間ならとっくに倒産しているぜ、ばーか!」と笑われるのが恥である。

 

だからこそ財務省は何とかして財政の健全化を図りたい。しかし現状で出来ることは増税であるがそれが政治家の一番嫌がる事である以上政治的に難しい。

 

けれどインフレ導入による物価上昇で実質的に国家赤字の削減は財務省と日銀の判断で可能である。

 

現在は日銀が政府の打ち出の小槌となっており国債をバンバン発行してくれてるがそれでも国債は借金であることに変わりはない。

 

ところが国債の表面価格はインフレが起こっても上昇しない。物価スライドではないからだ、こんなの当然の理屈である。だったら100円のカネを民間から国債を売って借りておいて毎年2%づつ物価上昇すれば5年後の100円は90円の実質価値しかない。

 

逆に言えば物価が10%上昇すれば国の借金が10%減少するのだから政府財務省からすれば面白くて笑いが止まらない様相になる。

 

つまり国債はババ抜きのババであり物価上昇が始まった時点で真っ先に狙い撃ちにされるのが個人で国債を買った人々であり政府の生贄であるという事が簡単に分かる。

 

けれど政府は絶対にそんな事は言わないし販売窓口の勧誘員も絶対に言わない。新聞でも絶対に書かない。

 

だからネットも使わないしテレビと新聞だけ信用して銀行や証券会社の窓口で甘い言葉で「政府保証ですよー」ってのに釣られて自分の虎の子の預金で国債を買う。

 

これが財務省の狙っている政策である。これはこれで間違いない愚民政策でありよく出来ていると思う。日本が究極の社会主義国家であるのもこの愚民政策が徹底しているからであり、だからこそ治安も良いし生活者としての安心感が高い国づくりが出来ている。

 

勿論買った方がどんな事を言っても自己責任であるから文句の言いようはない。愚民は端金を持った自分を恨むしか無い。それはバブル期に証券会社や保険会社や銀行に騙されて変額年金買ったりアパート建てた人々と同様である。

 

結果的に首をつって死ぬことになっても誰も知った事じゃない、世の中を知らなかったあんたの自己責任ですよって事にしかならない。

 

安倍首相の周辺では南スーダンの駆け付け警護とか学校法人に土地を安く売っただとか国会でやっているが国民にとって自分の生活に直結する問題はむしろ財政インフレ政策なのである。

 

簡単に言えばインフレが起こり物価が1年で2%上昇しても銀行に預けているお金は金利が2%に増えない限り実質的に現金の価値が減る。昨日まで100円で買えたパンが今日は102円払う必要がある。

 

そして池田信夫氏の書くとおり物価が毎年2%の上昇で終わる可能性は非常に低い。何故ならそれが誰も制御出来ないインフレーションの怖さでありハイパーインフレーションでなくても年率10%で物価上昇が10年続けば国債など紙切れ以下である。

 

つまり国民がその財産を国家に振り回されないようにするためには自分が勉強して愚民から昇華して良民になることでしかない。

 

じゃあインフレーションの時にインフレーションに合わせて価格上昇するものは何か?それは以前なら土地であったが人口減少の日本で土地価格の上昇は東京都心部以外では考えられない。株は値上がりが予想出来るがどの株が上昇するかは分からない。純金でも買っておくか。

 

いずれにしても現在の状況を把握したいのであれば戦後すぐの日本経済とハイパーインフレーションを扱った城山三郎の「小説日本銀行」を読むことをお勧めする。この本は日本銀行に就職している若者の間でも人気である。



tom_eastwind at 15:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2017年03月01日

信自己2

今年の年始に書いた言葉だ。もう3月になるけどこの言葉は今もいつも頭の真ん中にある。

 

世の中普通の人は誰でも失敗を恐れるし無理だと思うことはやらない風習がある。

 

けれど自分を信じるとはその正反対の行動である。

 

誰でも失敗はする、けどその失敗は次の成功への踏み台である。もちろん致命的な失敗は別だけど致命的と思わない限り世の中にそんなたくさんの取り返しのつかない失敗などない。

 

つまり心の持ち方一つで失敗は成功の母になるし苦しい状態でも何も機会がないよりどれだけ良いかを実感するようになる。

 

辛苦は無に勝る(まさる)と言う言葉がある。どんなに苦しくても苦しんでる限りは機会があるのだ。本当に苦しいのは何も出来なくなった時だけだ。

 

それなのに失敗を恐れて何もしないというのは世間に染まった証拠かなまけ者の言い訳にしか過ぎない。

 

ゲーテの言葉にも「人間は努力する限り悩むに決まったものだ」というのがある。

 

悩みこそ前向きに生きている証拠であり辛くて苦しいからこそ成長している証拠なのである。

 

これは「無理だと思うことはやらない」も同様である。多くの会社員がいつも言うことは「やった事ないから出来ませーん」である。

 

これこそ自己否定の究極であり責任回避の常套句である。

 

では生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんのおっぱいを観て「吸った事ないからわかりませーん、わたしミルク飲めませーん」って言うか?

 

では初めて戦場に出た若者が敵を目の前にして「人を殺したことないから撃てませーん」なんて言って自分が殺されてそれで兵士の役割務まるか?

 

誰にも初めてはある。てか生まれて来た時からすべての事は初めて尽くしである。だからこそ初めてやることを積み重ねることで年輪が広がり豊かな人生を送る事が出来るのだ。

 

なのに自分を利口と思っている人間、責任を取りたくない人間に限って「出来ませーん」という自分を利口と言うがそんなもん単なる人間の退化である。どうせ退化するなら人間やめて山に入って猿でもしてろ。

 

大事なことは自分を疑わない事である。自分は出来る、例え初めての事でも努力して学ぶことでやれる、そう思い込む、つまり自分を信じることが何よりも自分を成長させる幹となるのだ。

 

その結果として失敗することがあってもそれは糧になるし諦めずに次に挑戦すれば必ず成功するしその成功体験が更に人生を豊かにしてくれる。

 

他人が「そんな事出来るわけないじゃんかー」と言ってもそれは他人の話であり自分の話ではない、そう解釈出来る人間の方が自由度が圧倒的に高い。何でも出来る、こんな楽しい話はない。

 

でもって世の中の殆どの事ってのは、何かを失敗しただけで命まで取られる事はない。ならば再挑戦の機会は常にあるわけだ。

 

ところが挑戦しないまま年を取って後になって「んー、自分の人生って何だったんだろ?ただ飯食って寝るだけの、何の意味もない人生だったなー」と思うくらい虚しいものはないのではないか?

 

人間、長生きするためだけに生きているのではない。長生きでギネスブックに載ってもそんなの次に記録を抜くやつはどんどん出てくる。

 

それよりも他人と比較するだけでごみ満足を得るよりも自分だけしか出来ない事をして人生を満喫するほうがよっぽど楽しいものだ。

 

信自己。他人から見ればはらはらするかもしれないが、やってる本人は勝算100%である。自分を信じる限り人生は楽しい事ばかりになり積極人生を生きることが出来る。



tom_eastwind at 14:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌