2017年05月

2017年05月31日

香港空港にて

羽田空港から香港へ向かい1時間の乗り継ぎでオークランド行きに乗り換える、はずだったが今年2度めの飛行機遅延で乗り換え出来ず。15分でも遅れると乗り継ぎ出来ないので、やっぱり香港での1時間の乗り換えはきついな。

 

乗り継ぎ時間ってMCTと表示される。Minimum Connecting Time である。MCTが短いほうが乗り継ぎに便利な空港となり例えばシンガポールのチャンギ空港は乗り継ぎしやすい。

 

成田空港は国際線から国内線はかなりきつい。オークランドから成田に到着してそのまま九州の福岡や宮崎に行こうとするときつっきつである。

 

今回は結局空港のホテルを取ってもらい予定を一日伸ばしてオークランドに帰着。奥さんには「どこで遊んでたの?」と聴かれるが飛行機の都合と言ってもあまり信用されない。

 

ホテルをチェックアウトして香港空港のラウンジでシャワーと昼ごはん、それから約6時間をラウンジで仕事。香港はニュージーランドとの時差が4時間なので昼過ぎにはオークランドのスタッフはもう退社しているので後はメールで連絡を取るしかない。

 

ラウンジでは僕のような世界中あちこちからやって来たビジネスパーソンがパソコン開いて電源探してプラグを差し込んで黙々と仕事している。空港で大事なことは電源が見つかるかどうかだ。

 

ゆったりとしてソファの向かいに座っているおじさんは北欧人だろう、高い鼻と生真面目そうな顔で仕事している。時折かかってくる電話には楽しそうに話している。パソコンはウィンドウズだ。

 

右隣には白髪でお洒落な水色のメガネをかけたおじさんがMacのパソコンを叩きつつ新聞のクロスワードで遊んでいる。

 

二人ともビジネスマンだろうに運動靴を履いているから、仕事を終わらせて自分の国に帰るのだろう。

 

何だか突然中島みゆきの歌を思い出した。

“故郷へ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと”

 

石川啄木が歌った「故郷の訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」

 

時代は変化して飛行機が高速化しても、人々の気持ちは同じだな、これは国の問題じゃなくて人間の問題だな、周りのおじさんの顔を観ながらそう思った。

 

あ、おれもおじさんか。



tom_eastwind at 18:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月30日

美味しいカレーの値段

羽田空港国際線の出発ターミナルにはB級グルメのお店が並んでて楽しい。もちろん服飾等お金持ち御用達の店は超一流だけどフードコートではうどんにラーメン、カレーに立ち食い寿司など実にB級多彩で楽しい。

 

今回も出国ゲートをくぐってまずは寿司屋に並び好きなネタを注文して電子番号札を持って出来上がるのを待つ。高級寿司ではないので軍艦巻きの海苔もそんなに期待出来ないが持ち帰りレベルで考えればOKである。

 

寿司を食い終わって次はカレーであるがこれは旨い。銀座のフレンチが作るカレーって呼び込みだけど、確かにこれは旨い。

 

最近のカレーって甘いか辛いかしかない店が目立つけど、この店は甘辛い。甘みが美味しくて辛味もあって、その両方が一つのお皿で踊っているので口の中で味覚ダンスである。

 

値段は高い。1900円、だったかな。家賃を考えればこうなるのだろうが場所を考えれば納得出来る味である。

 

日本では消費者が馬鹿になっている。自分たちが労働者として買い叩かれているのは消費者としての自分が労働者としての自分を買い叩いているからである。

 

世の中は誰もが時には消費者となり時には労働者となる。ならば消費者である自分が労働者である自分に優しくすることで社会って優しい場所になれるんだけどな。

 

でも政府に洗脳された馬鹿消費者は自己責任を無視して労働者を攻め上げる。電車の駅では落雷が落ちて安全上一時停止している電車を「ふざけんなよ!俺は仕事があるんだよ!」と怒鳴り上げる。

 

同じ馬鹿が鉄道事故があれば労働者を吊るし上げる。まさに馬鹿の生き地獄である。

 

ブログのトップレフトにも長年書いているがニュージーランドは天国ではない。けれどこの国では労働者と消費者が仲良い。その分労働効率は悪いが社会全体が柔らかい。

 

羽田空港で美味しいカレーを食べながら、値段って問題を考える。

 

結局頭の良い経営側に上手いこと搾取された労働者が自宅に帰って消費者になった瞬間に自分で自分を虐めて不幸になっているんだろうなこの社会って感じである。

 

羽田空港の1900円のカレー、これを消費者としていつも食えるように、そして労働者として適正な賃金を得るために働こうっと。



tom_eastwind at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月29日

出国税

昨日の夕方で仕事が終わり、喋りすぎとホテルの乾燥した空気で喉も痛くて夜はおとなしく部屋でカップ麺食いながら仕事。

 

けどこのカップ麺がローソンで買った赤唐辛子入りのバリカタ豚骨ラーメンだったので咳き込みながら食うことになった。美味しいんだけど、やっぱファミマの鮭ハラミおにぎりにしておけばよかったと思っても、後悔先に立たずである。

 

昨晩最後に発信したメールが午前1時だったので朝9時から休憩を挟んだ16時間労働、これは立派なブラック企業かなと思わず苦笑するが、僕が生きていた日本の昭和の時代って好きで仕事をしていたわけで物を作ったり考えたりする事が自分の精進であり苦笑はするが苦痛にはならなかったし、それは今も同じだ。

 

今回の出張で対応した案件は3カ国をまたぐのが殆どだったので頭の中のルービックキューブが大回転する。一つの国の法律は一面の色を揃えてクリアしても他の国の法律では色がちゃがちゃ、すべての面をどうやって色を揃えるかが一番頭を使う部分であり、これはほんとに頭を三次元にしないと案が出てこない。

 

数件の案件では更に国籍や居住認定要件もあるので日本の判例である居住認定5要件を念頭に「居住の本拠」を確定させて各年度における税制大綱に定める税率を確認する。

 

他の国と日本の租税協定があるかどうかを確認しつつ案件ごとにどのような対応が可能かを考えリスクとリターンを比較考慮して頭の中で「あみだくじ」と言う選択肢をいくつか作る。

 

僕の仕事はここで終わりだ。ゼロリスクが良いのか、どこまでリスクをとるのか、その割合を説明して判断するのはお客様であるから、ここから先はお客様の理解力の問題である。

 

はっきり言えば日本の東大法学部を出た霞が関の財務省の連中に勝てる人間は少ない。なので普通の知識で日本を生きて来たのなら税務署に言われるままに納税して下さいである。

 

それでも自分が大きなリスクを背負って作った資産は確定申告で毎年きちんと最高税率55%納税しているのに更に相続の時点で55%取られれば二重課税であり合計で75%が持って行かれる。これって違法ではないのか?

 

おいおい財務省、君らは何のリスクもなく僕らの血と汗の結晶を取り上げるのか?だったら俺達が失敗した時の保証はしてくれるのか?「はい、やりますよ。社会保障と言う形できちんと政府が再配分しますよ、病院ご案内します」と、日本は実によく出来た仕組みである。

 

突っ破ねた金持ちも作らないけど餓死する貧乏人も作らない、国家社会主義の下で国民全員下向きの平等、けど国民の数%である支配層は別ね、僕らは上向き、君らと違うから。

 

出国税は英語でEXIT TAXとなる。「お代は出る時にね」となる。この発想は相続税100%と同じ根源である。

 

「俺が作った国の庇護を受けてお前が稼いだんだから、この国で稼いだ利益は全部置いてけ」である。そこには国民が所得税で納税したと言う視点はない。

 

本来都市国家とはルソーの時代に言われたように森に住む人々が自分たちの生存を守るために都市国家を作り適材適所で能力を発揮して総合力で禽獣を駆逐したことにある。

 

その過程において国家に参加した人々が自分たちの権利の調整をするために創ったのがサービサーとしての政府である。ところが何時の間にかこの政府が「オラが大将」になった。ここにおいて都市国家の定義が変わった。

 

国民の為の政府が本来は公務員として国民の為に国民から金をもらって働いているのに何時の間にか国民を支配するという、天地がひっくり返る現象が発生したのだ。

 

公僕が支配者になり主権者が奴隷になるというこの現象は逆転現象であるがそれは主権者が馬鹿である時に起こる現象でもある。

 

そしてこの現象を起こすために有効なのが基礎教育時点における洗脳教育である。この仕組は日本では実に見事に作用されており中国共産党がうらやましがる程である。

 

そして21世紀においてついに国家が思いついたのが「出国税」である。相続税以上に「俺の国を出て行くならカネ置いてけ」である。

 

おいおい日本憲法では国民の移動の自由は保障されているよね、そこに課税って憲法違反ではないか?移動をするのに課税するってのなら「やりたいならやってくれ、その代わり憲法で保障された移動の自由な国家と言う看板は外してくれ」って話である。

 

こうなれば人々は国家と言うしがらみから逃れる時代ではないのかな。自分の価値観に合った国でとか住みやすい国とか、要するに世界を自分の街として住みやすい場所に住む、そういう生活が普通になる、そんな時代がこれからの時代ではないか。

 

移住が引っ越しになる時代。東京都でも住民税の安い地区に住む、保育所の整った地区に住む、それが国を選ぶ時代。そんな時代が来たなって感じる今回の出張であった。



tom_eastwind at 15:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月28日

最終日の仕事

日本出張も今日が最終面談だ。それにしても今回の出張は長かった。香港から福岡に入り鹿児島、そして福岡に戻り翌日は大阪。後半は大阪から東京に移動して約一週間面談を続けたので鹿児島の記憶が去年のような感覚だ。

 

最終日も4件の面談でありその間もメールや電話が入るので朝9時から夕方5時までソファに座って昼飯抜きでずっと話してたので夕方にはほんとに喉が痛くなった。そしてソファから立ち上がるとスーツのズボンはいつものように蛇腹になってた。

 

今年の日本も大体予想通りの動きだ。アベノミクスが始まりバズーカ等で景気を持ち上げたのはまさに偽薬効果でありよく効いた。しかしこの政策は当初から経済専門家達からは多くの批判が出ていた。

 

何故なら日銀には物価上昇させる仕組みが元々存在しないからだ。むしろ下手な政策を打つ事でスタグフレーションの危険が出てくる。円安で輸入商品が値上がりする中賃金が上昇せず結果的に一般国民にとってダブルパンチになる現象だ。

 

偽薬も最初の1年は効果があり物価が上昇するかと思われたが案の定途中で腰折れして物価は下がった。そしてレストラン業界ではまたもデフレに戻った。

 

そんな中企業の景況は良く株価は上昇を続け一部の人々は投資などで豊かになり高級時計の宣伝が毎週のように週間日経ビジネスを賑わせた。

 

大企業は円安で輸出を伸ばして売上が増加するが日本全体では一部の話であり社会の80%の中小企業には何の利益も落ちてこなかった、トリクルダウンは存在しなかったのである。

 

大企業は人件費を「非正規」や「派遣」で切り詰めるから官製春闘で安倍首相がいくら賃上げを要求しても国民全体には行き渡らない。

 

そんな中で次第に人々は「この先どうなるの?」と考え始めた。今は利益が取れててもこの先は?オリンピックの後は?

 

そして日本がいよいよ国民を国家社会主義の名のもとに増税を行い相続税は近いうちに実質100%まで持っていかれる、国民の資産の再交付は国家の仕事として。

 

そうやって日本の動く方向に去年から明確な方向性を見せたのが安倍政権による安保、憲法、防衛である。

 

安倍首相は前回の第一期政権の際の失敗を胸に刻み第二期の今回はまずは経済を立て直した。そして本丸である安保、憲法、防衛に踏み込んで「戦争出来る普通の国」を作り経済政策においてはすべての国民を下向きの平等にする国家社会主義を導入した。

 

さすがに国民もここまで来れば次の方向性は観えてくるわけで、やはりというか今年になって海外に目を向けるようになった。祭りの2016年は終わったのだ。



tom_eastwind at 12:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月27日

日本の真ん中東京です。

数日前から東京は思ったより涼しくて移動中もこれなら気持ち良い。日本出張は花粉明け梅雨前が良い。

 

午前中に恵比寿を出て品川で一つ目の外部会議、午後は有明で二つ目の外部会議。東京って狭いのか広いのかよく分からんが移動に時間がかかる。

 

有明では立派な橋が出来上がってたが何故か通行止めになっている。運転手さんに聴くと「あー、あの橋ですね。橋のこっち側はもう出来上がっているんですよ、けど反対側の出口が築地でまだ市場が築地から立ち退いてないから道路が向こう側に抜けないんですよ」とのこと。

 

築地の移転問題ってこんなところにも影響が出ているんだ。移転することを前提に橋を作ったけど移転そのものが不明になったので現時点では「越すに越されぬ何とか川」なんだ。

 

訪問先はどちらも日本企業で2時間程度の会議で久し振りに日本らしさを感じる。初対面なのでお辞儀して名刺交換して椅子に座って一つ一つ話を進めていくがそう言えば僕も1980年代まではこうやって日本企業と仕事してたんだよなって思い出す。

 

これがニュージーランドだとあまり事前に名刺を渡す習慣がなく、会議室で初対面でもいきなり「はい!」とファーストネームで自己紹介して椅子にどかっと座って雑談から入る。これで相手との距離感を測るのだ。

 

よくあるネタが「週末のラグビー」とか当たり障りのないネタである。日本のビジネス社会では初対面の人に絶対言ってはいけないネタがある。政治、宗教、スポーツである。

 

NZでも会話ネタは同様であるがラグビーだけは別物である。誰もがオールブラックスを好きだから先週の試合結果はネタに出来る。

 

東京にいるとここが日本の中心であるのはよく分かる。でも、じゃあそれ以外の地域ってのは全て「地方」になるのか?福岡の人々は自分たちの住む街が中心であるから「地方」と言う認識はない。福岡以外の周辺が地方である。

 

東京から周辺に巡業するとドサ回りになるし地方巡業は行先が北海道でも九州でも一括りにして「地方」となる。146だ。

 

まあそれだけ東京には力があるし日本の政治経済の中心地でもあるからな。

 

東京はまだまだ景気の良さが持続するだろう、2020年までは。問題はそこから先である。社会が高齢化する中で一人暮らしの老人が身寄りをなくしたらどこに住むのだろうか。

 

もしかして東京の中で二極化が始まるんじゃないか?例えば港区、中央区、千代田区には資産家とその家族が集中して豊かな老後を過ごしている時、足立区や東京西部では老人たちが古ぼけた安いシェアハウスに二人一部屋で住んで料理は共同購入して野菜は自家栽培、身体の弱った者から順次病院に送り込まれ治療ではなくホスピスで最後を迎える、誰の看取りもなく。

 

久し振りに昼間の東京の街を移動しながらそんな事をふと思った。



tom_eastwind at 10:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月26日

正確に恐れろ

先日書いた「安心」に「よ〜分からん」とコメントを頂いたので「自分で安心する」と言う事を違う角度から書いてみる。

 

例えば剣士が目の前に刀を持って右上段に構えている。そのまま斬り込まれれば自分は確実に斬られる。

 

しかし相手の刀の長さと踏み込みを見切って足を引いて間合いを取れば相手の刃はどんなに鋭くても絶対に自分は斬られない。

 

つまり刀が鋭いかとか剣士が強いかとかは自分が間合いをきちんと取れば何の意味も危険もないのである。

 

間合いを自分できちんと測って距離を持ち接すれば安心である。例えばあなたの目の前にハブが攻撃状態でとぐろを巻いていてもお互いの間に分厚い透明プラスチックがあれば安心であるから安心してハブの攻撃状態を見ることが出来る。

 

つまり刀もハブも危険であるが正確な間合いを取っていれば又は防護措置を施していれば恐れる必要はない。

 

原発もこれと同様である。万が一吹っ飛んでも自分が放射線が強力に流れる場所にいなければ恐れるものはない。だから原発被害と間合いを置くのは正解である。

 

原子力爆弾の放射線が長期的に与える影響は実は少ない。原爆はその強力な爆発力で付近の空気を一気に吸い上げ強烈な火力と風力と高熱で周囲を吹き飛ばし焼き上げるのだ。

 

なので副作用である放射線による人体への影響は短時間に極端に集中して体内に吸収した場合のみでありその場合でも個体によって影響は大きく変わるしいちばん大事なのは原爆病は皮膚接触などの人体経由感染をしないと言うことだ。

 

原発の放射線は福島から風に乗って南西にも流れて一気に放射線を浴びる可能性があるから危ない。身体の弱い子供であれば半径50km以内であれば影響が出る。だから避難は当然である。

 

これは上記の剣士の話で言えば相手の鋭利な刀の届く範囲にいるという事だから逃げるのは当然だ。

 

話は少しそれるが本当に恐るべきは中国からやって来る公害なのだが何故誰もこれを問題にしないのか?お上が問題にしないから問題ではないってか?こりゃ立派な公害でありすでに日本では多くの被害者が出ていると僕は推測している。

 

ただそれが中国の公害と直接結びつける実験結果が出てないから公害が自分の病気の原因と思わないだけだ。

 

個人がまずやるべきは政府の安全神話を健全な疑問で検討して対応して何か起こる前に自衛行動に移す、自分をまず安全な場所に移した上で政府がやって来た事を検証して今自分が何をやるべきかを考える、そして実行に移す、自分の距離感が安全であると納得できるまで。

 

そうやってまずは自分の身の安全を図る、そこで安心が得られる。安心した時点から今度は今後の安全を考える。安心とは無知でいることではない。

 

例えば政府は放っておくとすぐに無知を基礎にしてハンセン病患者を隔離した。当時の政府は彼らを隔離することでハンセン病患者の人権を奪った、丁度現在の精神病院が措置入院と言う形で現在の社会に不適合な人々を強制的に病室という名前の独房に放り込むように。

 

そして病院で死ぬまで隔離である。現在の精神病院の年間死亡数を調査すれば面白い結果が出るだろう、「新しい形の殺人」と言うことで。

 

ちょっと話はそれるが「カッコーの巣の上で」と言う古い映画がジャック・ニコルソン主演で作られたが、体制側による支配とは前頭葉手術で人間を強制的に何も考えさせずに支配することである。

 

考えてみよう、一体日本に原発は必要なのか?今の日本で八ッ場ダムのようなムダなダムを作ったり諫早水門作ったが、あれって本当に今の時代の日本に必要なのか?

 

そういう事を体系だって考える力を持つその先に日本のエネルギー行政が観えてくる。果たして経産省のやってることで何が正しくて何が間違いか?それを個人が考えることが必要である。

 

彼ら経産省は東大法学部卒業であるから土建やエネルギーの専門家ではない。つまり技術を知らない人間が技術を語っているのだ。1960年代において日本は資源のない国であったから山奥に水力発電所を作り電気を自前で確保し原子力を永久循環エネルギーとするために“もんじゅ”を計画して実行した。

 

“もんじゅ”も水力発電も当時の発想で言えばエネルギー政策である。しかし21世紀になり電力需要は大きく変化した。製造業は世界に移転して日本では需要は減少している。

 

ところが役所の大卒は困った事に「俺たち絶対間違いしないもんねー」神話を信じているから自分の先輩の作った道は絶対に否定出来ない。だって俺たち失敗しないんだもんね−神話があるからだ。

 

現実にはその神話が1945年と1991年に日本を滅ぼしたのであるがそんな事実には東大法卒は目をつぶり相も変わらず「無知な民」を「絶対に間違わないエリート」が技術も知らずに指導していく夢を観ているのである。

 

だから正確に恐れるとはバカな連中が暴走している時には間合いを取ってバカと一緒に心中しないような場所に自分を置くことである。

 

どんな暴走している列車でも自分がその列車に乗ってなければまず安全であるし更にその列車の予想転覆位置に自分がいなければ更に安全である。そうやって危険から間合いを取れば常に安心していられる。

 

正確に恐れるとは今目の前で起こっていることやこれから起こるであろう事を予測してその状態をまず自分の頭で考えて行動を起こすことである。そうすればどんなに危険な状態でもパニックにならずに行動出来る。



tom_eastwind at 07:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月25日

孤高であれ、自分であれ。

最近は財津和夫やフォーク・クルセダーズの古い歌を聴く中年層が増えている。それは当然であろう、彼らの青春時代の歌なのだから。

 

12弦ギター、バンドは手を振って観客を鼓舞するが、最近の若者と違いノリが悪い。それでもおじさんおばさん達が立ち上がって拍手をしている。

 

彼らコンサートに来た人にとって財津の歌は今の和製ロックバンドのような今をはしゃぐ歌ではなくおじさんおばさんが過去を思い出して懐かしむ歌なのだ。

 

ただそのコンサートのビデオを観ながらすごく思ったのは、こいつら浮かれ顔で遠くを見ているような顔つきの逃げ切り世代はずるいって事である。

 

若い頃に反政府とか言いたい事やりたいことをやって卒業したら長い髪を切ってサラリーマンになり企業戦士として日本政府体制に尽くして政府が作った一億総中流の中で自分たちだけは医療、退職金、企業年金、死ぬまで食っていける立場を維持した上で偉そうに「俺達の頃はなー」なんて、誰がそんな話聞くか。

 

そんな古ぼけがコンサートに来て若い頃の気持ちを思い出すのは良いがその気持のまま会場を出て若い頃の雰囲気に浸って「おれたちの頃はなー」なんて言ってると今の若者が怒り出すのも当然である。

 

「ふざけんな!生まれた時代が違うだけで何を威張っているんだ?お前の能力と今の俺の能力を比べてみろ、俺は絶対負けてないぞ!」

 

なのに生まれた時代だけで差別される?おかしくないか???

 

「無能で政府の終身雇用年功序列に乗っかっただけの逃げ切り世代が偉そうに若い頃の反政府の自慢話をするんじゃねー!」そんな現代の若者の批難が聴こえてきそうである。

 

今の逃げ切り世代がやってること、それは当時の彼ら若者が一番嫌っていた体制への寄りかかりではないか?

 

なんかずるい。立派なこと言ってて結局やってることは当時の体制側と同じじゃないか、長いものに巻かれ友達と妥協して気持ちのよいことだけして・・・。

 

その場その場で立派な事を言うけど結局その場の空気に流されて自分を持たず、北朝鮮帰国運動が起これば善意で人々を送り込みその後の悲惨な事態には知らん振り、拉致問題が起こればなかった事にして社会党や民進党を応援して最後は「俺の人生は良かった」とでも言うのなら、少なくとも世間の公儀を実行したなどと言って欲しくない。

 

生き残るため1960年代のゲバ棒時代と総括で殺されないために生き残りの手段を選んだ人々なのだ、または「いちご白書をもう一度」のように長い髪を切って就職したように自分が戦線を離脱したのだ、そのくせ「イムジン河」や「悲しくてやりきれない」だけは今も口ずさむ、まるで今の民進党の古狸のように。

 

つまり本当の「主義者」のような信念もなく目先の空気に流されて、つまり今の 日本の女子中学生と同じ程度の空気を読む認識能力だけがあったと言う事だけは自己認識する必要がある。

 

そんな連中が過去を懐かしんで音楽会に来るのならそれは彼らが否定していた演歌を聴いていた人々と全く同じ行動である。もっと孤高であれ、自分であれと言いたい。



tom_eastwind at 21:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月24日

渋谷暴動

1971年に渋谷で中核派が起こした暴動で新潟から派遣されていた若い警察官が殺害された。この事件の首謀者の一人が暴動後に逃走していたが昨日逮捕されたとのこと。

 

40年以上前の事件であり普通に考えればこれって時効じゃないのか?当時の殺人罪の時効は15年だから現在は殺人罪の時効がなくなったと言っても当時の事件であるから時効が成立しているはずであると思った。

 

一体どんな法律論で逮捕出来たのだろうと調べてみるとこの中核派犯人は15年の時効が発生する前に共犯が逮捕されていたので時効が停止した。時効の停止とは時効時計の15年の針がある一定の時点で止まるわけで次に時計が再開しない限り時効の猶予はない。

 

その後共犯の公訴が継続している間に殺人罪の時効が延長、その延長が来る前に今度は現行法である殺人事件の時効廃止となり今日に至ると言う(ほんとはもっと複雑怪奇な法律の解釈があるけど)なんとも不思議なめぐり合わせな事件である。

 

法の不遡及は大原則であるがその不遡及に当たらないのが今回の事件である。

 

ただ僕がこの事件を読みながら考えたのは「おいおい、もっとやばい連中がいるだろ、そいつらはまだ放置かよ」って話である。

 

1960年代から70年代にかけて日本では学生運動が盛り上がり学生同士の殺し合いから警察署襲撃、最後には浅間山山荘立てこもり事件まで毎日のようにテレビを賑わせた。

 

その背景には日本共産党の指導があり当時の公安は若い刑事を隠密捜査の為に中核派などに学生として送り込み内部情報を獲得していた、まさに命がけで。何故なら身元がバレた瞬間に学生らにリンチに遭って殴り殺されるからである。

 

そんな時に赤旗振ってゲバ棒を振り回していた連中が今の民進党にも社民党にも残っている。彼らの一部は間違いなく暴力集団として政府及び警察と対立していた。

 

東大安田講堂では立て籠もった集団が講堂の下にいる警官隊に講堂の上から30cmくらいの石を落として殺しにかかった。火炎瓶投げ込みなどは普通である。

 

これに対して機動隊の若者は集団陣形を作りジュラルミンの盾で亀の甲のように固まり講堂に対して突撃をかけてバリケードを破って内部に攻め込んだ。

 

この当時の危機管理に当たったのが佐々淳行でありその上司が後藤田正晴であった。

 

当時の暴力集団は警察を襲って銃を奪い銀行強盗に使い仲間内では「総括」と言う名前でリンチにかけて殺した。

 

公安はこのような事実を掴み誰が何をやったのかを把握して、後藤田はこれら学生のうち優秀な連中を自分の協力者(タマ)に仕立て上げ国鉄労働組合(国労)や動力車労働組合(動労)の幹部に仕立て上げ国鉄民営化の際にスパイとして操り民営化を成功させた。

 

国鉄がJRに民営化される時点でスパイはそれなりに優遇されてJR各社で食(職)を得ることが出来て、何故かそのまま中核派の発想で現在も生きている。JR北海道が今も上場出来ずに事故ばかり起こしているのもここに原因がある。

 

しかしそれが民間企業であるJRだけなら良いが実態としては民進党とか社民とかに現在でも犯罪者が残存している。

 

現在の政治家で1970年代前半に20歳代だった人々で弁護士など独立した仕事をしていた人々を検索すれば随分過去の危うい人々がいる。

 

こういう連中が政治家として自民党をどうこう文句言ってるが、そいつらをとっとと時効停止でひっ捕らえてもらいたいものである。



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2017年05月23日

国策の喜劇又は国民の悲劇

大阪でテレビをBGMにして仕事をしていると民放の広告が賑やかである。

 

中高年向きのお肌宣伝ではもう宣伝と言うより番組である。というか番組に仕立てた広告かそれともテレビ通販番組か?

 

その中でやはり最近は弁護士の宣伝が目立つ。以前はサラ金の過払い金返還事件で弁護士が多額の利益を得たがその延長で今度はB型肝炎訴訟をやっている。

 

最大3600万円返還されますよ!と宣伝しているが訴えると言うか訴える相手は国で訴えることが出来るのは昭和16年から63年まで国の集団予防接種でB型肝炎ウイルスに持続感染している人。

 

これなら相当数の患者数が期待出来るというのであちこちの弁護士事務所が参入してきている。着手金無料なんてのは手続きが簡単な割に成功報酬を高く取れるからだろう。

 

しかし日本の弁護士は以前は広告を控えると言うのが一般的であった。弁護士としての社会的地位の維持、弁護士とは正義を実現する人々、そんなイメージを持つ為に「お金儲け」ではないから「広告はしない」と言う立場だった。

 

ところが弁護士の数を増やすと言う国策によりそれまで1万数千名しかいなかった弁護士が急増した。問題は新しく弁護士の資格を取った人々が食っていける仕事がなかったと言う事である。

 

つまり弁護士の仕事は増えてないのに数だけ増えたから若い弁護士に仕事は回ってこない。そこで企業内弁護士として大手企業法務部に就職する道も出来た。

 

しかし開業した場合はそういうわけにはいかない。そこで若い弁護士が選んだ道が今までの日本になかった集団訴訟裁判である。

 

最初が過払い金訴訟に始まり次第に訴訟が儲かると分かり弁護士事務所が次々と参入して現在の広告宣伝に至っている。

 

国家として弁護士を増やすって一体どんな理論だったのか?税金を使って法学部を増設して学生を増やしたのは良いが弁護士資格が取れず学部自体が存立の危機にある現場って何なんだ?

 

国策の結果として国家が告訴されたのを観るのは喜劇ではあるがその為に税金を払ってた国民には悲劇である。



tom_eastwind at 15:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月22日

大阪から東京へ。

福岡と鹿児島の仕事も無事終了して昨日夕方福岡から大阪に移動。

 

それにしてもオークランドを出てから5日間、機内泊も合わせて毎晩寝る場所が違うのでほんとに朝起きて「今どこ?」である。

 

時間の都合もありこの区間を飛行機で行こうと予約状況確認したら全便満席。すごいなーこの区間、景気良いですね。なのでまた博多駅に行き新幹線で新大阪に向かう。

 

博多駅で美味しそうな弁当を買い新幹線で昼飯を食べて博多駅から小倉駅までの景色を楽しむ。何せ関門海峡を越えて本州に渡るとそこから新大阪まではもぐら新幹線、とにかくトンネルを繰り返しながら新大阪に向かうからだ。

 

新大阪ではホテルにチェックインしてまずコンビニで水と非常食を買い込むが7/11で買ったのでPBが目立つ。けれどこのPBが美味しい事が後で分かる。特にカレーパンとか最近の流行かって思うくらいだ。最近あちこちでよく見かける。

 

昨日の夕食はホテル内の和食レストランだ。ここは広い店内に和食、鉄板焼き、寿司バー、天ぷらバーがあり古い友人と飯を食いつつ昔話を楽しむが、皆根っこは変わらず今の時代に調和しながら生きてるな、すごい。

 

けどそこでふと気づいた、何かこの数日、まるで食べログになっているぞ。けど実際によく食う旅であった。鹿児島の屋台村の焼酎と焼き物、黒豚しゃぶしゃぶに鹿児島豚骨ラーメン、そして福岡ではイカに関サバにバー七島。

 

さあ今日は午後から面談である。ホテルのラウンジを使って1時間超の話でビザが取れるかどうかの話をする。

 

このあたりは本当に情報格差がある。NZの現場で仕事をしているのと日本にいて情報を収集するのではその中身に大きな格差がある。二次情報と一次情報の違いと言うか伝聞情報はどうしてもそれが事実かどうか確認するための試金石がないから判断が大変だろうと思う。

 

大阪の仕事を終えて伊丹空港に移動して羽田に飛び到着後に恵比寿に移動するのだけど、僕の移動地点から言えば大阪から東京の場合は飛行機移動の方が一時間節約出来るようだ。大阪と東京、単純に比較出来ないな。

 

当初は2020伊丹発の羽田行きしか取れずにいたがある旅の本に書いてたが伊丹と羽田の区間は搭乗時間が近くなるとドタキャンがよく出るとのこと。

 

そこで16:30に空港でチェックインした際に「早い便空いてますか?」と聴くと、ほんとに17:15発の席が空いてるとの事でそちらに予約を変更してもらう。

 

伊丹からは1時間足らずのフライトで羽田に着くのでほんとに飛び上がってからすぐ降りる感覚で、パソコン開くのも面倒なので小説読んで機内を過ごす。

 

さあ、そんなこんなで東京に着きこれから一週間東京滞在。オークランドにも仕事があるし東京の仕事もあるのでこの一週間はネットで繋ぐ二都物語である。



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2017年05月21日

福岡2日目

鹿児島で過ごした夜は想い出深くこの夜はこれからもいつも思い出すだろう、自分を元気付ける為にも。

 

翌朝ホテルからの錦江湾と桜島の借景を楽しみながら鹿児島中央駅に戻る。鹿児島黒豚のしゃぶしゃぶを食べて新幹線に乗り途中の有明海の景色や筑後の景色を楽しみながら福岡に戻ると午後3時だ。

 

それから福岡のホテルに移動して荷物を片付け夕方からは「河太郎」でイカと関サバの夕食を楽しむ。

 

博多では古くから「魚は生きとらんと魚やない!」と言われる。死んだ魚は刺し身にはならないのだ。

 

河太郎には生け簀があり多くのイカが透明な姿で泳いでいる。このイカを捌いてもらうのだが肌の部分は透明であり体の部分は皿の上で今も泳いでいる。

 

この透明なイカを箸に乗せて醤油を少し漬けて口に運ぶのだが口に届くまでにもぷりぷりとする食感が指に感じられ、口に入れるとイカの肉は口の中で予感したようにぷりぷりとして溶けるように甘くて旨い。

 

イカの肌を食いイカの胴体は天ぷらにしてもらうが、これがコリコリとしてまた旨い。刺し身は味噌汁になり食後の締めに味噌の味と共によく合う。

 

夕食の予約が夜830分しか取れずゆっくりした夕食が終わったのが夜10時過ぎ。そこから中洲の七島バーに行くと運良くテーブルが一つ空いており土曜の夜の七島のカクテルを楽しむ。

 

ここは1950年代に出来たバーであるが今も新しい技術を学び変化しつつ、けど基本は変えない。基本を変えない為に表面を変化させていく。大事だなー、この店も1970年代から通っているが素晴らしい接客とカクテルには本当に勉強させてもらえる。

 

真夜中前には七島を出てホテルに戻る。その時間でも中洲は賑やかだ。土曜日もお客が入ってるなー。

 

今回の九州を回った旅は学びの旅だった。九州、少なくとも僕が観た鹿児島と福岡は変化を続けている。沖縄も同様である。俺も変化しなきゃ。



tom_eastwind at 01:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月20日

鹿児島

僕が福岡に住んでいた頃、鹿児島は遠い場所だった。福岡から在来線しかないし飛行機だと鹿児島空港から鹿児島市内に出るのに1時間かかる。さらに鹿児島南部の観光名所の指宿となると更に遠い。

 

それでも1980年代は仕事でよく訪問していた。鹿児島ではよく泊まっていたのが城山観光ホテルである。城山は西南戦争の最後の舞台になった場所でもある。

 

今回も鹿児島訪問となった際にどこに泊まるかを考えたが城山観光ホテルがまだ経営しているのを聴いてとにかく行ってみようと思い鹿児島中央駅に到着してタクシーに乗ると約15分で山の上に到着した。

 

そしてホテルは何と現代式に改築されており広いロビーや整備された客室、そしてスタッフの昔からのホスピタリティと、正直びっくりした。実は「時代に付いて来れてるのか?」と少し疑問があったからだ。

 

バブル崩壊以降東京近辺、特に熱海などは老舗旅館が次々と倒産していった。時代の変化を理解出来なかった二代目社長が潰していったのだ。

 

別府のホテル群も同様で特に杉乃井ホテルは多大な投資に失敗して倒産した。城山観光ホテルも昭和の名門でありどうなるのかと考えていたが、このホテルは努力を重ねて無事に時代を乗り切ったようだ。

 

ところがこのホテルでも何と外国人団体がどんどん入ってくる。そっかー、鹿児島の人気が出ているんだ、この街が外国人を受け入れようと頑張っているんだ、そう思うと鹿児島人の意気込みに嬉しくなった。

 

夜は鹿児島の屋台村にご案内頂く。ここはびっくりした。街中にあるのだが古い屋台を20軒くらい繋げて昭和の狭い商店街を模して一つの屋台は8名くらいしか座れないんだけどそれぞれの屋台が繋がることで大きな集客効果を出して、ここにも外国人観光客が続々とやって来てた。

 

屋台の一つに座り焼酎と焼鳥を注文するが、これがまた旨い。外見だけでなくきちんと味を守っている。料理を作ってる焼台のお兄ちゃんはまだ18歳に観えて年を聴くと苦笑いしながら「今もそこに座ってるお客様から聴かれたんですけど、もう22ですよー」

 

それでも22歳と言う若さでこうやってお店の焼台に立ち、料理を配ったり店の外で呼び込みをやっている女の子もどう観ても20代前半である。このような若者が地元で働き外国人を呼び込み自分たちの生活を支える。

 

こりゃいいなー、そう思いつつ焼酎と焼鳥を楽しむ。

 

その後天文館に行くがここも実に客が多い。よく入っている。話を聴くとビジネスモデル自体を昭和のモデルから大きく変化させて対応しているのがよく分かる、これはまさに自己努力である。

 

時代の変化に合わせて自分を変化させる。それがしっかり実行されている。これはむしろ今のオークランドの日本人に理解して実行してもらいたい事である。

 

外国に住みながら変化をせず過去の栄光にしがみつき時代の変化を観ようとせず尚且つ変化せずいつも愚痴るのは「世間が悪い」である。それじゃ駄目でしょ。

 

鹿児島、薩摩は江戸時代を生き抜き時代の変化に合わせて尚古集成館を作り英国海軍と戦争をしてむしろ英国と友好関係を作り明治維新を実現させた。

 

その後西郷隆盛と大久保利通が国造りをして東京の警視庁も薩摩が作った。その後西南戦争が起こり大久保が暗殺されたがそれでも薩摩の血は明治政府に注ぎ込まれて今の日本の礎を作った。

 

彼ら明治の元勲が作った官僚制度もよく出来た制度であった。だた問題はその後時代が変わったのに官僚制度を変化させることに失敗した事であった、そしてそれは今も片付いていない。



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2017年05月19日

福岡1日目

香港を午前中の便で出発して久し振りに福岡入りする。五月晴れでそれほど暑くなく過ごせる。

 

福岡空港ではあいも変わらず入国審査で外国人旅客無視の対応。外国人に「Yokoso!」と言いつつ現場がこれでは話にならん。

 

既に羽田空港では対応が良くなっているのに福岡空港では会いも変わらず農林水産省と法務省と外務省が他人無視の作業を行い空港会社はこれを制御することも出来ずましてや空港に乗り入れている航空会社には何の権限もなくますます混沌状態が続いている。

 

福岡の街は空港から博多駅まで地下鉄で近くタクシーでも15分程度だ。中洲や天神も地下鉄で3駅程度、タクシーで10分。とにかく街がうまく小さくまとまっている。

 

福岡に住んでいた頃は博多駅で仕事を終わらせて10分歩いて中洲に出て屋台で夕食を食べたりそこから更に10分ほど歩いて天神の屋台に行ったものだ。

 

この夜の中州も賑やかで、この街も間違いなく景気が良い。バブル崩壊後やリーマン・ショックでかなり景気が左右されたが現在はすっかり上り坂である。

 

街を挙げてITビジネスを誘致したり東南アジアからの観光客の受け入れ体制を作りホテルのロビーではアジア人家族たちの賑やかな中国語と韓国語が飛び交っている。

 

ホテルから中洲に向かう川沿いには観光客向けの屋台があいも変わらず繁盛していてどこも賑やかである。豚骨ラーメンも売れている。

 

そのまま中洲に入って昔からの馴染みの店に顔をだすとここも調子良さそうだ。地元のサラリーマンが入れ替わりに入ってきて楽しそうに笑って会話している。

 

うーん、福岡も景気が良いな、そう思ってホテルに戻るともう真夜中12時前なのにまだロビーも賑やかである。良いことだ。

 

翌朝。香港で一夜を過ごした後なので福岡でベッドで起きてから右に降りるか左に降りるか迷う。毎日寝る場所を変える時に起こる現象だ。

 

今日は天神で福岡の会社2社様とランチミーティング。久し振りに日本式挨拶と色んな会話で久々に日本を感じる。仕事は毎日午後3時に終わらせて土日は完全休日と言うと何だかいつも気悪い感じがする。

 

ランチミーティング終了後、今日は午後の新幹線で博多駅から鹿児島に向かう。さて数十年ぶりの鹿児島はどんなやらである。



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2017年05月18日

香港

オークランドから11時間の旅で香港に到着。コーズウェイベイのホテルに移動して夜の街見学だ。

 

コーズウェイベイはあいも変わらず賑やかである。日本人社会ではシンガポールが人気があるが香港もまだまだ活気がある。

 

夜の店にも日本人駐在員の姿が多く、むしろこの2年は景気上昇の雰囲気である。これは深センや広州という一大製造拠点を背後に持っているからだろう。

 

深センは製造拠点と言ってもすでに中国のシリコンバレーになっており毎日のように新しい技術が開発される。広州は高付加価値商品をアジア・アフリカ向けの市場に送り出している。

 

これは中国南部が自分たちのビジネスモデル変更に成功したと言うことであるが、香港の日本人ビジネスもそこに乗っかっていると言うことだろうか。

 

それにしても香港で生き残るというのは生き馬の目を射抜く事が出来ると言うことである。香港の日本人ビジネスマンが生き残っているのか?次はもっと時間を取って香港を訪問してみよう。



tom_eastwind at 00:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月17日

出張開始

今日からまた日本出張だ。朝自宅を出て一旦会社に出て朝会議だけ参加してオークランド空港に向かう。

 

こんな生活をもう20年近くやっているわけで時系列で観れば1996年に僕がシティ内のホテルからオークランド国際空港までの送迎運転手をやってた時は、朝一つ目の予約が大体朝4時ホテル出迎えである。

 

ホテルに10分前に到着して予めベルデスクに降ろされていたお客様の荷物の数と形を確認して車に積み込む。お客様は時間通りに降りてくるがさすがにまだ眠そうだ。

 

荷物とパスポートと航空券を確認して忘れ物チェックをして車に乗り込み空港に向かう。車内では旅の様子をお伺いしつつ出国手続きの説明を行う。

 

実はこの「旅の様子伺い」が結構大事で、ここで旅行中の新婚カップルの不満がなかったか、ホテル、食事、ガイド、観光地に問題なかったかをそれとなく聴き込んでおいてもし何かヤバそうな兆候があればすぐに日本の旅行会社に報告書を提出して帰国後のトラブルを出来る限り最小化することになるのだ。

 

ここの聴き込みが甘くて報告なしに日本に帰国したお客様が旅行会社に行って「話が違うんじゃない!?」となるとこちらに旅行会社から雷が落ちる事になる。これは強烈であり晴天のゴルフ場でいきなり落雷を喰らうようなものであるから気を使う。

 

空港に到着すると出発ターミナルに横付けして荷物を台車に載せて出発カウンターにお客様を誘導して旅券と航空券を提出して荷物を預けてタッグの目的地を確認して出発ゲートに送り込むと仕事は終了。

 

すぐに車に戻り一直線にシティに向かい次の仕事に行くが、これが大体朝5時のホテル出迎えだから450分にはシティのホテルに到着する必要がある。

 

つまり当時はシティから空港の往復+搭乗手続き10分であり空港とシティの間を20分で走ってた計算になる。

 

朝早いからと言う理由もあったが、今時シティから空港だとどんなに飛ばしても(てか交通渋滞で飛ばせない)30分以上かかる。ましてやチェックインは行列で20分は手続きに時間がかかる。

 

つまりそれだけ当時は飛行機に乗る人も少なく車の交通量も少なく1時間単位で空港を往復することが出来たのだ。

 

時代が変わるのは当然でありこの20年でオークランドはすさまじいまでの変貌を遂げた。20世紀の終わりオークランドの人口は100万人と言われていた。

 

2015年現在すでに約150万人+。2025年には200万人に増加すると予想されている。

 

毎年約45万人がオークランドに流入しており例えば2年毎に大阪府池田市または神奈川県伊勢原市または福岡県筑紫野市が一つ誕生している計算になり、10年毎に千葉県松戸市、兵庫県西宮市、大阪府東大阪市が誕生している事になる。

 

これってやはり街が発展している証拠だ。けど元々ロサンジェルス並に広い土地で元ネタ人口が思い切り小ちゃかったから東京や大阪のような急激な変化ではなかったが、それでも少しづつ確実に発展して来たのだ。

 

ところがそれがここ5年の変化はまさに毎日新しい街が出来上がり新しい道路が作られ1年前に印刷発行された住宅地図に載ってないなんてのがざらである。

 

現在当社で開発しているフェンチャーチ地区も道路を作るところからやってる訳でこの場所は1年前は政府の古い住宅とちっちゃな丘があるだけだったが、そこいら一体を全部整地して今までの道路を潰して他の場所に新しい道路を作るわけで、そりゃー街の景色も変わるだろうって話である。

 

日本でも東京と大阪では1970年代後半から1990年代にかけて街の様相が見事に変わった。

 

繁華街には丸源ビルが建ち大阪では末野興産が無理矢理に地上げして街の景色を完全に一転させた。今までの古い東京や大阪を知っている人たちからすればもう全く別の街が誕生したのだ。

 

毎日景色が変わる、これと同様の現象が起こっているのが現在のオークランドなのである。

 

シティの道路は地下鉄建設で次々と封鎖されスカイシティを中心とした地区はアパートやレストランが並び朝と夕方の渋滞は高速道路がまるで駐車場状態になっている。

 

もう20年前のようにシティと空港を1時間で送迎出来る仕事なんて不可能になったな。

 

そんな事を考えながら今日もキャセイ航空で香港に飛ぶ。



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2017年05月16日

正確確実に失敗する人々

昨日は調べ物で第二次世界大戦中の欧州戦線と太平洋戦線の戦い方を観ていた。


戦前から戦中の大日本帝国陸軍大学校は東大よりも優秀な学生が集ったと言われている。

 

幼年学校から始まり陸大をトップクラスで卒業すると天皇陛下から恩賜の刀をもらうくらいで今の日本で言えば東大や京大をトップクラスで卒業して霞が関に就職、事務次官まで行ける能力を持った人々にあたる。

 

エリートは試験に強いわけで答のある質問に対しては無茶苦茶強いが答のない状況ではまともな判断が出来なくなるのも一つの特徴である。

 

しかし戦争に常に正しい答があるわけはなく、生き残るための知恵が要求される。だから机上のエリートは戦争をやらせたら弱い。答があるはずだと思い込み現場を見ずに判断するからだ。

 

陸大卒業で生きる知恵があったのは石原莞爾である。彼がある演習時に自分の部隊を率いて模擬戦闘をやることになったが、そこが田んぼであり農家の米作りの苦労を知っている石原は上官に「ここでは戦えません」と上申した。

 

すると上官は「ふざけるな!戦え!」と言った。そこで石原はその場でいきなり道路にばったりと倒れて「石原被弾!戦死!」と叫んだのである。

 

今自分がどのような状況に置かれているか、今自分が出来る選択肢がいくつあるのか、常に選択肢をたくさん持つために今どう行動するのが最適なのか、こういう事は学校では学べない。ある意味「感覚」である。

 

感覚と言うのは学校では学べない。現場で実行してて何かのはずみにふと理解するのだがこういうのに限って学校で真面目に試験に取り組んでいる学生にはなかなか理解出来ず身に付かないものである。

 

この感覚は現場で生きている人間は比較的よく持っている。中卒のヤンキーでも暴走族の上にいけるのはこの感覚を持っている。

 

生き残る、とでも言うか、現実を観つつその場の最適の解を考えることが出来るのである。

 

族の頭は1+1を11に出来るが陸大卒は1+1が2にしかならないから選択肢が限定されるので現場で戦争するには弱い。

 

第二次世界大戦では陸大卒が参謀本部に入り現場を無視した机上の空論命令を発しガダルカナル島では全く意味のない銃剣突撃で多くの兵隊を殺した。

 

ガダルカナル島が餓島と呼ばれ日本兵が次々と餓死病死をしていた時に参謀本部では毎晩のように料亭で芸者を揚げて宴会をして仲間内の人事や出世や生き残りや、要するに頭が良いから自分が生き残ることを最優先にして戦争していたのだ。

 

こんな現場無視で戦争に勝つわけがない、当然その結果としてニューギニアの敗北、インパールでの部隊長による抗命事件、その頃牟田口は昭南島の料亭で芸者を揚げて遊び回っていた、戦意高揚と言う美名のもとに自分の生き残りのみを考えて。

 

頭が良いと言うのをどう定義すべきか?知能指数か?偏差値か?それとも喧嘩の現場で多くの敵を前に自分一人でどうやって生き残るか?

 

大日本帝国においてはどうやら頭が良いというのは「仲間内をうまく取りまとめて自分が一番になる」事であり本来目的である戦争に勝つと言う要素は含まれなかったのである。

 

戦争に勝てる軍人は組織の中ではみ出し者である。何故なら組織の調和も“なあなあ”も理解せず、又は理解しても絶対に従わないから数の論理で組織中枢からはじき出されるからである。

 

英国軍のモントゴメリー将軍のように自分の軍隊が確実に相手より多いときのみ戦闘するという明確な定義を持っている将軍は戦争には強かったが戦後は現役幹部から疎んじられた。米軍のパットンは天才的な感覚(第六感)で戦車部隊を率いて勝利を重ねたが戦後は左遷、同じく米軍のマッカーサーも同様で最後は「老兵は死なず、ただ去るのみ」となった。

 

軍隊にかぎらず大きな組織はその組織構造ゆえに一旦形が出来上がれば後は自己崩壊していく要素をその内面に持っているのであろう。

 

これは日本も同様で戦時中は常に精神論で最後には竹槍でB29を撃墜するなどバカな事を思いつき、それが町内の爺さんが真に受けて子供や奥さんに竹槍を持たせてB29に向けて竹槍を振り上げる。

 

子供が「これ、届かないよ」と言うとじいさんは「それはお前の気合が足りんからだ!いいか、俺達が若い頃はなー!」と訳の分からん精神論が出て来てそれで話は終わり、あとは「エイヤー!」である。

 

このような日本で最も賢い人々が正確確実に失敗するのは、その内面に持つ本来的な要因が優秀な連中の集まる組織の中で萌芽するわけで、これは現在の霞が関にも直結している。

 

優秀な連中は人生において失敗した事がない。先輩も皆同様である。ならば先輩が決めた事は間違いないわけで目の前の現実など一時的な現象に目がくらんではいけない、現実が間違いなのだとなる。

 

日本が何故失った20年なのか?何故バブル崩壊を止められなかったのか?今はオリンピック前の景気であるが2020年以降の右肩下がりの社会では今まで成功者と思われた人々まで地獄に引きずり込むだろう、丁度日本が現場を見ずに敗戦で地獄に落ちたように。

 

正確確実に失敗する、そういう人々を僕はたくさん観てきた。そして今それは東芝でも起こっている。優秀な大学を出たエリートが不沈戦艦の東芝を沈めている。

 

東芝トップの発想は分かる。日本政府と組んで原発でGO!、けどそれは仲間内の理論だけ優先して原発の現場現実を無視した結果ではないか?

 

頭が良い人に限ってこのような失敗をする。失敗の原因は自分の頭で考えない事であるのと同時に自分の事だけ考えて天下国家の視点からものを観ることが出来ないからである。

 

天下国家で考えて日本の原発はどうあるべきか?僕は放射脳もエネルギー庁も同じレベルで正確確実に失敗する人々だと思っている。

 

喧嘩はどんな事言っても勝たねば意味はない。負ける喧嘩を建前や理屈や美名で美化しようと意味はない。負ければそのような美化は負けた現実ですべて引き剥がされるからだ。

 

だから僕ら下々はエリートバカに付き合わず自分たちの生き残りを彼らエリートに頼らずに考えていく必要があるのだ、僕ら自身が正確確実に失敗しない為に。



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2017年05月15日

ハーレム・ジャパン

明後日から日本出張だ。いつも時間を追っかけているような生活だけどこれはこれでそれなりに楽しい。

 

18歳から旅行屋として仕事をしてきたので飛行機の長時間飛行もホテルを転々とするのも苦にならないのも大きな要素かもしれない。2週間の出張でも最小の荷物なので旅先のホテルでよくびっくりされる「これだけですか?」。

 

そして僕の場合時差ボケがない。まるで伝書鳩のように常に到着した国の太陽の位置で身体が自動調節するようである。

 

例えば10年以上前だがバンクーバーで会社を2社経営してた時はオークランドから香港に12時間かけて移動して時差5時間、香港からバンクーバーまで12時間飛行、時差は15時間である。

 

香港からの飛行機がバンクーバー国際空港に朝9時頃に到着するとそのままタクシーに乗ってシティの自社オフィスに移動してそのまま会議を始めて午後ホテルに荷物を置いてシャワーをしてからそのまま現地スタッフとディナーミーティングが普通だった。

 

帰路はバンクーバーを出発して香港に12時間かけて到着すると約2時間の乗り継ぎでオークランド行きのフライトに乗り更に12時間かけてオークランドに戻り、つまり24時間以上を移動してその後空港に置いてある自分の車でシティのオフィスに戻りそのまま午後仕事をしていた。

 

ホテルを転々とするのも慣れである。添乗員をする時はお客様の誰よりも早く起きて朝食の会場チェック、昼間は一日中皆を盛り上げながら観光場所の周囲に危険がないか見張り自分はカメラを持たず常にお客様の写真を撮りつつ一番近くのトイレがどこにあるかを確認してお客様の緊急に備える。

 

夕方ホテルに到着すればまず部屋割りを不平等にならないように「あ、この人は昨日のホテルの部屋が裏側だったから今日は景色の見える部屋にしよう」とその場で決めて皆に部屋に入ってもらい更にその後各自の部屋を訪問して設備に問題ないか確認してお風呂に入ってもらい僕はすぐに夕食レストランで椅子配置とメニューチェック、全員がレストランに来るのを待って夕食を開始する。

 

お酒を飲まない奥さんたちもいれば朝まで飲みたい親父もいるわけで夕食の終わりの時間を見計らいつつ早く帰りたい人には声をかけて帰して飲みたい親父には次のバーまで連れて行って一緒にお付き合いで飲みつつ彼らが部屋に帰ってから自分も部屋に戻り翌朝の日程を確認漏れがないか再度チェックして寝る。

 

そして翌朝一番最初のお客様が起きる前に起きて朝食会場をチェックして〜と、この毎日の繰り返しを旅行期間中24時間やるわけなので、一番早く起きるお客様より早く起きて一番遅く寝るお客様より遅く寝て、まさに体力勝負である。

 

1980年当時一番多かった時は一年に100日以上添乗してて日本にいる時は営業活動で午前1時ころから営業先を訪問なんてのもあったから体内時計はほんとに生活環境に合わせて伝書鳩のように設定されたようだ。

 

今の日本では添乗業務は営業担当者が客先で獲得したインセンティブツアーでも派遣会社に添乗を依頼する案件も多いようだが僕が日本にいた当時はまだ添乗員派遣会社は観光労連(旅行会社系の労働組合連合・JTBが中心だった)が設立したフォーラム・ジャパンくらいしかなかったので自分で取った仕事は自分で添乗するのが普通だった。

 

ところでこのフォーラム・ジャパン、当時は労働組合幹部が若い女性添乗員希望者を面接して採用してその後は女性添乗員をオフィスではべらかすので「ハーレム・ジャパン」等とお笑いで冷やかされたがハーレム達は今でも旅行業界でしっかりと地位を確保しているようだ。

 

そりゃそうだ、当時の組合幹部は組合員=社員を統率する能力があるわけでハーレムの管理は得意であり、さらに組合幹部卒業後は会社側の経営幹部になり自分たちのハーレムに仕事を回すわけだから彼女たちハーレムは安心して良い仕事が出来る。

 

フォーラム・ジャパンの設立の発想は元々は同一労働同一賃金と言う、やっと最近になって記事ネタになるような話を1980年代当時から意識して実行して労働組合が人材派遣会社を作った点にある。ある意味当時の労働組合としては画期的な発想だったと言える。総評系でありながら現実的であった。

 

今でこそ大手旅行会社は自前で添乗員派遣会社を持っているがそれでも季節ごとに必要人員が大きく変化するのでどの会社もハーレムとは契約をしている。

 

今週はオークランドから香港に移動、一泊して街の情報を得て翌日の朝の便で福岡に移動、ここで3泊してレストラン事業、その後大阪に移動して個人面談。次の日に東京に移動して恵比寿をねぐらにして都内移動やホテル内での個人面談と移動続きだ。

 

オークランドの仕事はあと一日で終わりその後は出張で5月末まで忙しくなるが僕にはハーレムがいないので自分の事は自分で面倒を見る。荷物をまとめるのも自分の仕事だ。これもまた楽しである。



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2017年05月14日

日本のいちばん長い日

週末は土日ともプールに行く。ほんと最近きちんと泳ぐ中国人の若者が増えたな。以前のこのプールはJJIBBAが弁当持ち込む団欒の温泉施設だったのに様変わりである。けどこういうイナゴなら歓迎である。

 

あ、昨日のタイトルの175とはいなご=「いち・なな・ご」の数字変換です。でもって日本でもマイナーな、けど良い歌作る175ライダーズが何故か語呂が合ってたのでタイトル決定です。

 

泳ぎ終わって自宅に戻り龍馬くんと奥さんと昼ごはん食べながらネットフリックスでSFドラマを観てたらアムステルダムが舞台になってた。

 

奥さんが「アムステルダムってオランダだよね?」と言うと龍馬くんは無言。僕が「龍馬、キミはアムステルダムがどこか高校で勉強したよね?」と聴くと彼は自信いっぱいの顔で「お父さん、僕らは高校では数学と英語ともう一個学ぶけど、そこに世界地図も世界の歴史も入ってないよ。大学の歴史や地理の勉強が何故あるのか知ってる?あれは高等教育なんだよ」と言う。

 

そう、ニュージーランドでは高校までの授業で歴史と地理を学ばないので僕が彼らと話をしていてもズレを感じるし、何で西洋人が平気で慰安婦問題や南京大虐殺なんてあふぉーな話を真に受けるのかが理解出来る。

 

要するに英語圏に移住した中韓英語ネイティブが自分たちの利権を広げるために英語圏人に分かりやすく信じやすいように捏造した歴史を英語圏人に押し付けるとこれまた歴史と地理にアフォーな平均的英語圏人(合理的思考が出来ず基礎となる知識も身に付けてなく自己無知に疑問を感じる事がない低能人)が真に受けるのだ。

 

それに対して英語が話せる日本人でも心情が日本人なので「そこまで言わなくても分かるだろう」とか「いちいち嘘に反論するのもみっともない」と言うことで英語での理論展開をやらなかったから現状がある。

 

又は英語ネイティブの日本人だけど日本の歴史も地理も学ばずに育った「生まれっぱなしのバナナ(外は黄色で中は白)」はあふぉーの状態なので中韓理論に一発で洗脳染められて日本批判をするのは、これはもう親の責任であろう。

 

閑話休題:

正しい歴史を子供に教えるとか、又は歴史的に正しいって言われてる話は勝者によって作られるから古事記であろうが常に疑問を持って読めとか、現在の天皇を尊敬するのは彼の行いを観て個人的に当然としても歴史の中の天皇制度には疑問を持て、元々半島から日本にやって来た侵略者の子孫ではないかとか、子供が自分で新しい物事を判断する時の試金石を持たせるのが親の役目である。

 

しかし親自身が学校教育の中で「何が正しくて何が疑問を持つべきで事実は観る角度に依って違うけど真実と事実は違う」ってことを学んでなければ子供に教えようもないわけで、これは貧困家庭の子供が貧困世帯として大人になり貧困の連鎖が起こるのと同様に、バカ親の子供はバカと言う、まるで今の中国の富裕層のようなバカ話が出来上がるから今の中国人を批判する多くのバカ日本人は天に向かってつばを吐いているようなものだと思った方が良い。

 

本題に戻る:

全くバカな話であるが日本人はどうしても自分たちが小学校の頃から歴史や地理を学んでいるから世界中の人々もそうだろうという前提でものを考える、だからいつも捏造派に議論負けするのである。

 

まあいいや、機会や場所があれば僕自身でつたない英語ではあるが日本の立場を説明していこう、そんな事を思いながらネットフリックスを観ている。

 

そう言えば昨日の夜は土曜日なので遅くまで映画を観る夜なので日本で買ってきた「日本で一番長い日」をゆっくりと観る。2016年発表・原田眞人監督版である。

 

真夜中なのに久々に積極的に腹が立つ映画であった。

 

それだけ映画の出来が良いとも言えるだろうが出演する誰もがまさに人間として無責任である雰囲気を見事に演じている。役所広司も山崎努も東条英機もまさに秀才でありながら彼ら「偉そうな理屈を知ってるけど現場現実を考えない自己責任否定論者」が日本を滅ぼしていった物語である。

 

人は誰のために生きているのか?少なくとも犯罪人であっても自分の為に生きているはずだ。ところがこの時代の偉そうな連中は大義名分を並べて如何にも他人がどうこう、最後は天皇がどうこう、けど結局思考停止のバカばっかりなのである。

 

半藤原作作品としてこうやって天皇を描くのか、その周囲をこうやって描くのかと思うと、うーん、作品としては良く出来てるが映画を観てる方からすれば松坂桃李と天皇を演じる本木雅弘がよく出来ている意味ではこの映画は素晴らしいし救いようがあるけど、だけどだけど日本自体の存在価値がどうなのかと本気で考えてしまう。

 

一体当時の日本って鈴木貫太郎と天皇が救うだけの価値があったのか?誰もが無責任。国家で最も優秀であるべき人々が実際に優秀なのに目先の人間関係にくらんで正しい判断が出来ない。超優秀なバカの集まりである。

 

1+1は超優秀なバカ連中の戦争の世界では2でしかないのだ。それが負けを意味するとなったら突然理屈をふっ飛ばして精神論を持ち出して話をそらすのだけは得意だ。ここが無駄な学問を身に着けたバカの特徴である。

 

1+1が11になるのは脳みそ自由活動の時だけだ。1+1を11に出来る戦争指導者は平時においては存在価値のない異常性格者として扱われ政策決定者になれない。

 

モントゴメリーもパットンも戦いには強いがそれは現場を見ていたからであり逆に言えば政治には無頓着、その結果として優秀な戦争指導者は政治家になれないのである。政治が要求する能力と戦争が要求する能力は全く正反対なのだ。

 

日本はむしろ第二次世界大戦で一旦滅びた方が良かったのではないか?本気でそう思いながらこの完成度の高い映画を観終わった、怒りと共に。

 

僕は自分の父親が兵隊としてニューギニアに送り込まれ殆どすべての兵士が死んだ中で生存率5%、つまり100人の兵隊が送り込まれて何とか生き残って日本の土地に戻れたのが5人と言う戦場で生き残ってきた人間なのである意味戦争を間接的にでも理解出来る最後の世代かもしれない。

 

そして今、海外に出て生きていく自分の生活も1+1が11になる事がよくあった。その意味で戦争学は勉強になった。

 

ただ自分がどう転んでもこのような太平洋戦争には、もし自分が指導者であれば突入しなかった、それだけは明確である。

 

喧嘩は勝つ時しかしちゃいけない。

 

偉そうにバカどもが「何もしなくても負けるなら喧嘩して負ける方が良い」とでも思ったのかもしれないが、それこそ天皇の意思を聴いたのか?

ここにいつも日本の限界を感じる。日本では高級なバカが重宝されて高級公務員としてバカの渦に巻かれて目先の自分の利益だけの為に生きていく。

 

けど彼らはいつも大義名分を持ってバカがえらそーに立派なことを言って原発を田舎に作り電気だけ自分とこに引き込みその費用はなんちゃら方式で全国民が負担する仕組みを作り、まさに天才的な連中である。

 

日本の軍隊は下に行けば行くほど強くなる、上に行けば行くほどバカになると言う理論は、日本の軍隊は戦争をしない平時においてのみ通用する仕組みしか存在せず戦時では全く通用しないと言うことを証明する言葉であろう。

 

何故なら戦争の現場を知る兵隊は生き残りのために泥の中で草をかじりながら全精力を傾けるが兵隊を戦地の最前線に送り込んだ幹部将校たちは自分の立場の生き残りのために南方軍の本部の昭南島で日本から進出した料亭で毎晩芸者を揚げてどんちゃん騒ぎして上司におべっかを使い無意味な精神論を語り芸者と夜を過ごすからだ。

 

そう言う幹部将校の更に上にいて東京で偉そうな理屈を並べる天才的なバカどもの集まりが参謀本部であり彼らが日本を滅ぼした。

 

今の日本の問題は、日本を滅ぼした連中の作った仕組みが現在も残っており官僚と呼ばれる人々が日本の将来を考えていながら正確確実に失敗への道を歩いているという事である。



tom_eastwind at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月13日

175ライダーズ

今週もまた弁護士との会議で中国市場の話になる。日本から海外の送金も今は大変になったが中国の場合は政府が強制的に日々新しいルールを導入するのでもっと大変である。

 

以前の中国の両替商の話で「蟻のお引越」を書いたが今週の中国人弁護士との会議でも同様で、いくら中国国内で稼いでも海外に送金、それも投資目的の送金は禁止となっているので余程地方政府と人脈がないと送金不能である。

 

今回の中国人弁護士は中国本土の銀行のNZ進出の際のアドバイザーもやっているくらいで中国政府の上から現場の下のことまでよく知っている。つまり上の政策も下の対策もよく知っている。

 

そこで海外、例えばNZの永住権を欲しがる大陸に住む中国人は様々な送金方法を考えるのである。

 

話を聴いているとこりゃもうドラマですか?みたいな話がポンポン出てくる。例えば日本でも1980年代に流行った絵画を使った資金移動とかごく普通に出てくる。「ありゃいいんだけどな、目利きと人脈が相当広くないと難しいんだよな」とか普通に喋ってるけど、お前弁護士だろってつい笑ってしまう。

 

他にもいろんな話をしたが、やはり彼らは僕ら日本人とは全く発想の視点も規模も異なる。かっ飛ぶような発想であり、その発想はある意味学ぶものがある。

 

ただ何でかなー、やはり彼らのやり方は焼畑農業であり持続性がない。確かに一発で大きく当たるだろうがそれだけであり当たった後は荒廃した土地が残るだけである。

 

まさに麦畑にある日イナゴが大群で襲ってきてそこの麦を一瞬の間に全て食い尽くしてまた次の土地に移動する。食われた方はたまったものではない。

 

やはり日本人の発想としては一つのものを大事に使い続けたい、一粒の麦もし死なねばである。

 

そう言えば3年前の起業家ビザトラブルの時も5年前にビジネスモデルを作ったのは当社であった。

 

当時はNZ政府にとっても利益があり起業家も利益があるって三社一両得ビジネスモデルを作ったのだけど、何時の間にかそのやり方が中国人系列に情報が流れて換骨奪胎で中国人だけが得をするとんでもないビジネスモデルになりこっちが巻き込まれて大変な騒ぎになったものだ。

 

彼ら中国人も僕が作った方法をそのまま実行してNZと言う国への貢献を大事にしてくれれば良かったのに目先をケチってイナゴ方式でやったものだから当時の起業家ビザそのものが廃止された。

 

しかし彼ら文化大革命を何とか生き残った人々からすれば日本人やキーウィのような甘いことは言っておれないのだろう、とにかく自分が生き残ってなんぼ、他人なんてどうでも良い、今目先の自分の生活がすべてって事になるのだろう。

 

NZに住んでるといろんな人種と付き合うことになるしそれに慣れることも必要なのかもしれないが、焼畑農業は僕のやり方ではないなー。



tom_eastwind at 19:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月12日

お国柄と言うか差別と言うか

2019年に東京で開催されるラグビーワールドカップのニュースを今日の夜6時のテレビでやってた。

 

インタビューは日本でやっており出演してたキーウィコーチの後ろの看板には日本語の広告が出ていた。あ、それから安倍首相もテレビに出てた。

 

ニュージーランドはBグループである。日本はAグループなのでまずはこれで日本チームは負けが一つ少なくなった、ははは。

 

Aグループでは英国から2チームが参加するが英国ってのは僕が学校で学んだ時は「イギリス」と言う一つの国と言う認識だった。

 

なのに何か国際試合があるとアイルランド、スコットランド、ウエールズ、イングランドがそれぞれ別々に出てくるわけで彼らも日本語での正式国名は「イギリス」と言う国ではなく「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と言う舌を噛むような名前である。

 

また英国人も他国の人から「イングランドから来たのかい?」と聴かれると少し嫌そうな顔をするそうだ、これは知り合いの英国人から聴いた話である。

 

日本でもおそらく江戸時代はそんな雰囲気ではなかったか。

「お国はどちらですか?」

「薩摩でごわんす」

みたいな感じだったのだろう。

 

その点ニュージーランドは小さな国だし移住して来た初期の人々は英国から集団移民でやって来たがすぐに村を作り街を作り一つになったので外国人に対しては「俺たちキーウィ!」で通じる。

 

ところがやはりNZ国内ではビジネスをやってる人々からすればオークランドとクライストチャーチは東京と大阪のような関係だし(あまり良くない)、オークランドに対して首都のあるウェリントンの人々は自分たちのことを日本で言えば「横浜」って感覚で捉えている。「なに?オークランド?田舎者と移民の集まりでしょ。」である。

 

南島、特にクイーンズタウンへオークランドのビジネスマンが休暇でスキーに行くとする。空港でタクシーに乗ると元気な運転手がにこっと笑い「はい!どこからだい?」と聴いてくる。

 

そこで「JAPAN!」と言うとすごく喜んでくれて「おー!良い国だね、大好きだよ〜、寿司、天ぷら〜!」となって話がはずむ。

 

ところがこれが「オークランドからだよ」って言うと「あ、そ」で会話が見事に終了する。南島の人々は手に汗をかいて働かないオークランドのビジネスマンを嫌いなのだ。

 

この国は元々が社会主義であり地主など自分で働かずに小作人を使うような人々を嫌う傾向にある。

 

それはこの国が1900年代初頭に「不在地主法」を制定したことにも現れている。この法律は地主が不在で小作人を使って得た利益は100%課税としたのである。つまり他人を働かせて利益を得るようなことは許さないと言う考え方である。

 

だから南島ではオークランドのように紙切れに署名して大金を右から左に動かすようなビジネスマンは嫌われるのだ。

 

世界から観ればNZなど南太平洋の小島である。以前も書いたがある時ニューヨークの視聴者参加型テレビ番組でたまたまNZ出身の若者がテレビ電話インタビューに出てた。

 

すると番組司会者が「おー、先週もNZ人だったな、今週もNZ人かい、ところでNZには後何人残っているんだい?」と笑いのネタにされた。実際に番組に出てた人々は大笑い、テレビに出たキーウィは苦笑いである。

 

それでもNZ国内だけで言えばそれなりに地域差別と言うか地域愛があるのだから人間というのは洋の東西を越えて必ず自分の内側と外側って区別を付けたがる。そしてそれが時には差別となる。人間とは全く面白いものであると思う。



tom_eastwind at 14:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月11日

東京零年

今日会社に届いた日経ビジネスの表紙記事を読むと赤川次郎が「東京零年」の話を書いていた。

 

実は赤川次郎ってずっと昔に一冊だけ読んでそれ以来一切目を通してない。あまりに軽すぎてちょっと時間が勿体無いと記憶している。

 

その赤川作品の1つが「東京零年」で去年吉川英治文学賞を取った。

 

赤川次郎いわく「今、世の中が恐ろしい方向に動いているではないでしょうか?一国の首相が、自分とは異なる意見を聞くと、怒ったり攻撃したりする。〜後略〜」との事。安倍首相のことか。

 

何だろ、そこで気になってAmazonのレビューを観てみると「東京零年」の内容はどうも「1984」系の本のようだ。近未来の監視社会がテーマである。

 

けどこれって何も今に始まった事ではなく英国はすでに監視社会でありそのデータは警察などの調査機関が普通に利用してデータを蓄積して犯罪調査やテロリストの犯罪予防に重宝しているわけだ。

 

文明と科学が進歩すれば監視社会になるのは権力側の統治からすれば治安しやすく逮捕しやすいので当然の話でありそれが嫌なら個人は森に戻るしかない。

 

東野圭吾の「プラチナデータ」は二宮和也主演の映画で観た。これも監視社会がテーマである。

 

東野圭吾作品も僕はあまり好きになれず2冊程度読んで終わりにした作家だ。内容はよく作り込んでいるのだけど中盤からすぐに話が腰砕けになったようでネタがズレ始めて最後は「え?これで終わり?」と感じてしまうのが読まなくなった理由である。

 

けれど映画自体は非常に面白くて豊川悦司と二宮和也の演技も良くて更にその監視社会の仕組みも良く出来てた。まさに「その通り」である。

 

日本の警察はすでにNシステムで犯罪者逮捕に利用している。例えば交通事故が起こればまず現場検証で遺留品などから車種を特定する。そしてその周辺のNシステムでその車種を限定して調査する。

 

警察が持つビッグデータを使用すれば同じ車種の車がどこを走っているのか、またはどこを走っていたのかがすぐ分かる。

 

車を特定してまず持ち主を調べだして免許証のデータで顔写真を抜き出す。次にNシステムで特定した車の写真を撮れば運転している人間の顔写真が取れる。この顔写真と免許証の写真が一致すれば犯人は特定される。

 

他にも犯人の写真が撮れればたとえ車に乗っていなくても歩道に仕掛けている防犯カメラに顔写真データを送り防犯カメラにその顔が映った瞬間に自動的に本人特定を行い移動する場所にある防犯カメラに次々とその姿が映し出されて「今どこにいてどこに向かって歩いているのか?」が分かる。

 

すでに日本でさえこれだけのシステムが出来上がっており警察がその気になれば犯人の特定はその科学捜査能力で行えるし捜査する刑事たちは犯罪者を捕まえるプロであるから一般人が逃げることはほぼ不可能である。

 

更に警察は事件を追及する時は見立てを行ってから事前予測に基づいてある程度犯人像を限定して捜査する。だから見立て違いはよくあることで数年前もネット書き込み事件で何度も誤認逮捕した。

 

けれど警察が誤認を認めることは少なく更に自分たちの身を守るためには高知白バイ事件などが「作りあげ」られる。だから普通の人間が逮捕されたら警察に逆らうことなどほぼ精神的に不可能である。

 

つまり日本はすでに監視社会であり世界で最も治安の良い国の一つになっているのはそれだけ警察力が強いと言うことだ。だから今更「監視社会は〜」等と言ってもムダな話なのである。

 

それよりも警察に目をつけられない注意をしつつ万が一何かがあった場合は出来るだけ関わりを持たずにいることか、又は共産党にでも入って警察との戦い方の勉強でもすることが個人にとって出来る精一杯のことである。

 

それさえも嫌でむやみに自由とか平和を唱えたいのなら南太平洋の小島で魚でも食って一人暮らしをするかどこの国の領土でもない南極でペンギンと一緒に海に潜って魚でも捕まえるくらいが良いだろう。

 

あ、その際は日本国籍離脱をすることをお忘れなく。そうでないと日本国籍を保持している間は日本の法律が適用される事があるから。



tom_eastwind at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月10日

移民一世

ニュージーランドに初めて観光客としてやって来るとこの国の人の良さに観光客はびっくりして「何て良い国だ!」と感激するのが一般的である。

 

そして移住を考えてこの国にやって来る。

 

オークランドは人種のるつぼであるから白人キーウィは一般論としてアジア人個人に対してあまり関心を持たない。簡単に言えば「見えてない」状態である。

 

ただ日本人の場合は少しは視界に入るようでうちのお客様もオークランドに移住して住居を構えた先では地元白人キーウィ社会の客人としては受け入れられているようである。

 

けれど移民の子供になるとそうはいかない。両親は学問があり歴史を知ってても学校に通う多くの子供は学校で歴史を学ぶ機会がないから目先で判断して「あ、アジア人」で終わりだ。

 

日本から移住した両親は最初から一世として覚悟もしているから移住した先で白人先住民と簡単でもいいから近所付き合いが出来れば有り難い。

 

けれど子供が通う学校ではそうはいかない。子供の英語は親の数倍の速度で成長するけど学校の様々な行事では大多数の白人キーウィ母娘がアジア人に対して同じクラスでも「あんた誰?」である。視界に入ってないのだ。

 

なので移民の多いオークランドの白人の多い中学校から高校あたりでは見事にアジア人グループと地元キーウィ白人に分かれる。

 

アジア人も更に中国人と韓国人に分かれており日本人の場合はどこの学校でも圧倒的少数であるから中韓どちらのグループからも声がかかる。

 

そして多数派である白人キーウィは親も含めてそこにいるアジア人が視界に入らないまま白人だけで学校生活を送る状態になる。

 

3年以上前かな、龍馬くんが地元ノースショアのウエストレイクスボーイズ高校に通ってた時もそうだった。

 

アジア人の子供はほとんど例外なくアジア人だけでグループを作り白人とは全く接触点がない。

 

学級のクラス委員にあたる学生はすべて白人の子供で構成されており学校のパンフレットを作る時も彼ら白人の子供が表に出る事が多い。

 

学力だけで言えばアジア人の子供は優秀であるがスポーツは全く出来ない?やらない?どちらか分からないがおそらく親の方針であろう、ほぼ全員が音楽等の室内クラブに入り白人キーウィはその正反対でスポーツクラブで毎日朝から走ったり海で泳いだりラグビーしたりしている。

 

龍馬くんの場合は日本人の父親と香港人の母親を持つオークランド生まれのキーウィであり僕も奥さんも地元アジア人社会には参加していないのでアジアコネクションもない。

 

なので龍馬くんは肌は黄色だけど何時の間にかバナナとして(外は黄色で中は白)白人キーウィグループに入って走ったり泳いだり後半はデボンポート近くの海軍訓練所にも仲間と通っていた。

 

今ではTVONEで時々司会を務めるサム・ウォレスが学校の親と息子の朝食会で公演をした時も全部で150人くらい入ってた会場でアジア人は僕と龍馬と後2組あるかないかだった。

 

僕と龍馬くんが座った丸型テーブルで皆がバイキング料理をテーブルに置いて食べるのだが彼ら白人同士のお喋りの合間に僕が入り込んで「そうだよね、今は良い時代だ、デビッド・ロンギは良い仕事したよ」と言うとお父さんたちが口をあんぐり開けてびっくりしてた。

 

まさかアジア人が英語を話すなんて!ましてやデビッド・ロンギを知ってる?そうなると会話は進む。僕はその席で自分なりのNZに対する認識を話したが、彼らからすれば「あり得ん!」であったようだ。

 

僕はこのような経験は今まで学校だけでなく普通のパーティでもビジネスの現場でも何度でも経験している。どうも白人キーウィはアジア人に対して一定の偏見を持っておりそれはあながち間違っていないと言う現実の中で時に僕のような異星人を観るとびっくりするのだろう。

 

これが北半球の都会であれば何も珍しいことはないのだけど南半球の羊と牛しかいない小島ではよほど珍しい事になる。だから地元の人々と仲良くしたいならまずNZの歴史や社会の基礎を勉強しておくことだ。

 

移民一世はある意味腹をくくって地獄の門をくぐって来たからまだよい。しかしその子どもたちは別問題である。

 

この仕事をしてて初めてお客様に会う時に常に聴かれるのが「子供の英語は大丈夫でしょうか?」である。それに対して僕が常に言うのは「子供の英語は心配しないで下さい、それよりあなた自身の英語を考えて下さい」だ。

 

これからは更に加えて「あなたは覚悟を決めてやって来た、けれど子供はそうではない。子供は移民二世になるのです。いずれ日本に帰るにせよ最初は地元の学校に通うわけで、その時に子供は子どもたちの世界で嫌な思いをすることもありますよ。だから少なくともご両親はNZで生活をするなら最低限のNZの歴史や文化は記憶に入れておきましょう」と伝えよう。



tom_eastwind at 17:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年05月09日

絵を描く