2017年11月

2017年11月30日

倭寇

前回の日本出張で機内映画で中国映画を観た。日本の倭寇と中国南部の兵隊との戦いである。

 

God of War” 中国名は「蕩寇風雲」

 

20176月に公開されたのだが、今までの中国映画とは随分違うな。

 

松浦から送り込まれた武士と浪人の部隊が中國中部の浙江州、台州等を攻め込んでいた時代、日本の集団は倭寇と呼ばれた。

 

倭はチビを意味して寇は外敵と読まれたりする。いずれにしても倭寇と言う言葉は日本人を蔑む言葉であることに変わりはない。

 

この頃すでに中國と日本には銃が伝わっており通常の小銃、散弾銃、大筒等があったとあるので1500年代の倭寇の話だろうが、当時は純粋の日本人は倭寇部隊の3割程度、7割は日本に渡ってきた中國人や朝鮮人であったと伝えられているので、映画に出る倭寇が全員日本人ってのもちょっと時代考証がどうかとは思うが、まああくまでも映画である。面白ければ良いのだって雰囲気がよく伝わってくる。

 

それに松浦は1300年代の倭寇であり1500年代に倭寇やってたかな、まあいいや、一緒にしちまえって言う、何時もの中國の「没問題!」なのだろう。小説として描くなら前期と後期の倭寇を一緒にした方が話が早い、時代考証より面白さである。

 

また映画では日本刀鍛造の素晴らしさもきちんと表現しており中国側の主人公が「どうやったらここまで切れる刀が出来るのだ?」と賞賛研究される場面もある。日本刀の扱い、これも公平である。

 

ちなみに古美術商が扱う主な刀は古くからの技術で作られる日本刀であり明治以降の軍隊で腰に据えた軍刀ではない。作り方が全く違うので切れ味も全く異なるのだ。

 

この映画で古来の日本刀を使う武士として倉田保昭と小出恵介が出演している。

また日本は中國の漢字文化で成長したので武士など漢字を学ぶ階級の人々においては当時の中国人との会話がそれなりに可能であったから「今日の勇者は明日の勇者ではなく水に形無く変化するものが唯一生き残り戦いに勝つ」 等と中國のことわざを倉田保昭演じる日本の武士が語るのが両国の近さを感じさせる。

 

台州の戦いでは2万人の倭寇に対して3000人の兵で中國を守ろうとする戚継光将軍とその優秀で勇気のある部下たちが活躍する。

 

日本軍の陽動作戦に台州の部隊は逃げようとするが戚夫人は自ら鎧を身に着けて城を守ろうとする、たった数百の兵で。

 

日本の浪人たちが鎧を付けてるけどその下には流しの浴衣のようなものを着ている。

 

平野での戦いでは明軍が両翼展開等孫氏の時代からの戦い方を踏襲している。

盾の使い方がギリシアの亀甲陣とよく似てて、お、コピーしたなって思いつつも、これは中國がギリシアに教えたのかもとかも思ったりして楽しむ。

 

ここ10年の中國の映画は日本を冷酷無残な人殺し集団で中國の英雄が武術で空を飛び宙を舞い日本軍を奇跡的にやっつけるって荒唐無稽な話で、観ている中国人でさえ呆れる程だった。

 

江沢民以来の国策で日本を仮想敵国として来たが、現在の習近平は日本を敵視するのではなく内側に取り込もうとしている。そこでこのような映画が出来て日本と中國の兵隊がお互いに勇敢に平等の立場で戦うと言う場面が次々と出てくる。

 

当時の中國で本当に明朝の兵隊をここまで強く描くのはかなり事実誤認であるとは思うが勿論中国映画なので最後は中国軍が勝ち自分の城を守る。倭寇は日本に追い返される。

 

折角明朝の倭寇をやるのなら次は元寇でもやらないかな。あ、けどあれは完璧に歴史的に中國が負けたのでネタとしては使いづらいかも。

 

倭寇の最後の場面では実に奇抜な武器で戦いを挑むのだがネタバレになるのでこれは割愛。

 

オークランドから香港に行く一本目の映画としては実に楽しめました。中國が変わり始めた一幕ならうれしいな、頑張れ習近平、そうも思った。



tom_eastwind at 18:28|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月29日

街の噂

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中国で軍の前政治工作トップが自殺=汚職で調査中

 

【北京時事】中国国営新華社通信は28日、軍最高指導機関である共産党中央軍事委員会メンバーだった張陽・前政治工作部主任(66)が23日に自宅で首をつり、自殺したと伝えた。張前主任は8月下旬から、汚職で失脚した郭伯雄、徐才厚の両元中央軍事委副主席の不正問題に関連して調査を受け、収賄などの容疑が掛けられていた。

前天津市長に懲役12年=収賄6億8000万円−中国

 張前主任は最高位の上将で、軍内部で党の活動や政治教育を担当する部門の最高責任者だった。10月に決まった2期目の習近平指導部の人事で党の中央軍事委から外れたが、国家中央軍事委には形式的に残っていた。習指導部が進める反腐敗闘争で、郭、徐両元副主席をはじめとする軍の大物が摘発されてきたが、現職の軍高官が自殺するのは異例の事態だ。
 中国国防省は張前主任の自殺について、「自殺で罪を逃れるのは卑劣」と題する論評をウェブサイトに掲載。「張陽は罪を恐れて自殺した。恥ずべき方法で自らの一生を終えた」と非難した。
 張前主任は、胡錦濤前指導部で実質的に軍を支配していた郭、徐両元副主席と密接な関係だったとされる。両元副主席と近かった房峰輝・前統合参謀部参謀長も張前主任と同様に8月下旬から当局の調査を受けているもようだ。(2017/11/28-15:53

https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112800628&g=int

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何でこの記事を掲載したかと言えば、たまたま地元の会計士と話をする機会があり彼がアジア系なもんだからオークランドのアジア人ビジネスに詳しい。

 

去年地元で評判になったのが、中國で40億円ほどの賄賂を集めてNZに移住してNZ市民権を取得している中国人ビジネスマンの話である。

 

このビジネスマンは去年の習近平の狐狩りに狙われてNZの税務当局が彼の財産をすべて把握した上で没収。その後本人は弁護士を連れて北京に出頭。半拘束状態で約3ヶ月の調査を受けて最終的に弁護士を入れて中国政府と落とし所を作った。

 

まずこの中国人ビジネスマンを公開裁判にかけて汚職有罪判決を出す。これで国民は喜ぶ、通常中國で有罪判決が出れば確実に牢獄入りだからだ。

 

ところが有罪判決が出た後、彼は弁護士と共にニュージーランド行きの飛行機に乗りNZに帰国して自由の身となった。

 

その代わり彼の持つ資産40億円のうち半分は中国政府が、半分はNZ税務署が没収したと言う話である。彼の生活資金がどれだけ残されたかは知らないが中國で牢獄に入ることを考えればニュージーランドの空の下で手足を伸ばして生活するほうがましであろう。

 

実はこの会計士、中国人ビジネスマンと何度か話をする機会があったようでその時の様子を語ってくれたのである。見掛けも話もきちんとした人物でありながら、NZでやってるビジネスはでかくその話は常に大きい。

 

NZの各都市を回りつつ「お、ここはゴルフ場がいいな」とか「ここで牧場買って牛乳を中國に売るぞ」とかである。その時の様子も聴かせてもらったが、とても興味深い話であった。

 

多分その雰囲気のまま中國で賄賂集めてたんだろうな、貧乏な田舎農民の土地を巻き上げて工業団地にして外国企業に売ってたんだろうな、なんて想像してしまう。

 

冒頭の共産党中央軍事委員会のメンバーが66歳で首をくくって死ぬような事になったのも賄賂である。

 

現在習近平は二期目に入って意気軒昂である。自分の足場を固めるには12億人の国民を味方に付けておくのが良い。その為には中国国内では「ハエも虎も叩く」し、海外では「狐狩り」で外国に逃げた連中を捕まえる政策で国民を喜ばせている。もちろん有罪判決後に取引して逃したことは発表しない。

 

街の噂、知っておくのも大事な事である。



tom_eastwind at 18:46|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月28日

M&Aと海外相続

今日の午前中はM&A案件で外部取引先各社合計6名で当社オフィスでシンジケート会議である。午後は顧客との海外相続個人面談が入っているがその間にも社内でやるべき事があり今日は昼飯抜き。

 

今回のシンジケート会議は第一回目でお互いの立ち位置を確認してそれぞれが自分の方向性の理解を説明してそれを聴いて全員が方向性の調整をする。

 

初めての会議の時に利害関係の調整が大事である。誰がどの仕事を担当して責任を取るのか?その責任に対する報酬は誰がいくら取るのか?これを最初にしっかり決めておかないと後になって「この仕事はお前だろ」とか「これは俺の取り分だ」と言う話になる。

 

何せ参加メンバーの半分以上はキーウィ又は西洋思考だから彼等の論理思考で仕事の進め方を組み立てていく。こういう初回の会議では発言を少し控えて彼等の論理を聴き発想の仕方を理解しておくことにする。次の会議の為の学びの時間である。

 

ただ今回参加のメンバーは非常にレベルが高く現在の案件に対する理解度も深く議論も円滑に進み1時間程度でぎゅっと凝縮した会議は終わり次の段階に移ることで全員了承。

 

その後オフィスに戻り頭を整理して誰がどんな発言をしたからこうだなって相関図を書きつつ議事録の作成にかかる。

 

その後別の緊急な用件で近くの銀行に行き手続きをする。ところが手続きに30分以上かかりその次の銀行で次の手続きをしていたらもう次の面談の時間になり、オフィスに戻ってメールチェックしてすぐに次の面談に入る。全く次々次々と忙しい。

 

海外相続にはいくつもの方法があるが、肝要なのはどのような手法を取ろうと5年単位で仕組みを組み替える必要があるということだ。

 

例えばマンション相続が日本で流行っているがこれも税務当局がすでに規制にかかっている。民間が思いついた仕組みでもいずれ政府は対応する。この期間が大体5年だ。なので下に対策あれば上に政策ありで5年で仕組みの効果がなくなる。

 

当局の考えは日本国民の所得は平等であるべきだ、だから高額所得者は所得税を高くして税金を取り政府がそのカネを再配分する仕組みだと言う考え方だ。もちろん再配分はお上のお手盛りである事実は決して表沙汰にはならない。

 

そして相続税とは、一人の日本国民が生涯にわたって得た収益に納税漏れがないか、申告漏れがないか、等を調査して死んだ国民の財産を出来るだけたくさん国庫に入れることである。なので税務調査が入れば4人に1人は追徴課税される。

 

もちろんここでも再配分がどこまで国民全体に平等かつ公平に行われているかは国民には知らされない。官僚が離れのすき焼き体質であるのは何時の時代も変わらない。

 

じゃあどうすりゃいいんだ?

 

一つの究極の答は「生きてる内に全部使い切ってしまえ」である。

もう一つの究極の答が「日本国籍を離脱せよ」である。

 

どちらも極端なのだけど相続とは当局とのいたちごっこである。当局とどんなに強い絆を持って政治家に個人事務所を提供したりしてても、捕まる時は捕まる。印鑑の名義貸しはいくら税務署長に教えてもらったからと言って何時迄も通用するものではない。

 

だから全額使い切るか国籍離脱が究極の答になるのだ。

 

しかしニュージーランドに移住しても今度はNZの法律がある。NZに贈与税も相続税もないのは事実だが、NZでは結婚した夫婦または事実婚パートナーが別れたらその時点で二人の財産は合算されて半分こされてしまうという事だ。

 

つまり旦那が100万ドルあり奥さんが10万ドルあり二人の共同口座で住宅を100万ドルで買ってその後離婚した場合、住宅を売って得た現金と10万ドルの現金を合わせた110万ドルを二人で55万ドルづつ分けるようになる。

 

つまり旦那が独身時代に一生懸命働いて作ったお金や旦那が両親から受け取った資産(自宅や現金)を、離婚と言うだけで“がさ!”っと持っていかれるのだ。

 

これは痛い。なのでNZでは家族信託制度と言う仕組みがありたとえ子供が結婚しても資産は家族信託の中に入れておいて、離婚によって直系親族の資産が奪われないようにする仕組みを作っておく。

 

もちろんこれは法的仕組みを理解した上で誰が設立者となり誰が資産管理をする受託人となり誰を受益者にするかを明確にする必要がある。受益者は何時でも変更可能である。日本の遺言状のようなものだ。

 

下手な結婚をすれば折角真っ赤に焼けてフライパンから飛び出したのにぐつぐつ煮立つ深鍋に飛び込んだ大豆のようなものである。

 

どこの国にも法律はある。NZに来ただけで幸せになるってわけではない。それは相続だけではなく日常生活で英語を使う、移民として働く、そんな環境で毎日を楽しく生きようと思えばやはり自立した発想で自分の人生を自分だけの力で切り開いていく必要がある。

 

新天地は無限の可能性もあるけど無限の危険もあるのだ。かと言って何が危険で何が可能性なのか、自分に試金石がない状態で渡航するのは北朝鮮から小舟で日本海に繰り出しイカ釣りをするようなものだ。



tom_eastwind at 22:24|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月27日

黄砂の籠城

シドニー出張の機内用読本として持ち込み週末に読了。1900年に起きた義和団事件を舞台にした小説で上下2巻ある。作者はベストセラー作家の松岡圭佑。

 

中國の北京を舞台として日本など11カ国の公館が集まる東交民巷と言う一つの街区を各国の軍隊約400名で封鎖籠城して約2ヶ月、義和団及び清朝正規軍を相手に籠城戦を戦う物語である。

 

映画では「北京の55日」でチャールトン・ヘストンが主演したが実際は日本の駐在武官である柴五郎が総指揮を取り各国の兵隊をよく取りまとめて戦い抜いた。

 

黄砂の籠城自体は小説であるが史実に基づいている。但し細かい部分はもちろんフィクション、作者によって作られた推測による筋書きだったり歴史の視点から観れば「そこ、違うっしょ」と言うのもあるが、全体的にはよく出来た作品である。

 

英米主導の中國侵略の様子や義和団が結成された背景もそれなりに史実に基いておりお互いの言い分もそれなりに書き込まれている。

 

確かにドイツ公使や日本人が殺されたりしたが中國にだって言い分はある。元々外国、特に英国がアヘン戦争で中國を侵略して土地を割譲させた挙句中国国内にキリスト教を布教する目的で教会を作ったが実態として教会はその地域で権力を握り漢人クリスチャンを優遇してそれ以外の漢人を差別したり、時には土地を奪ったりしていた。

 

義和団は元々梅花拳と言う武術集団が平民の苦しみの声を聴き西洋人に対抗する組織として始まった。

 

この組織を清朝は当初取締の対象としていたが次第に西太后が西洋に対抗する組織として利用するようになり政府黙認の下で義和団が北京に進出して西洋人に対して暴力を振るうようになりそれが急激に組織を拡大して約20万人となった義和団が11カ国が集まり東交民巷を包囲したのである。

 

柴五郎中佐は元々中國通で11カ国公使武官会議の際も的確な意見をフランス語等を使いこなして説明した。

 

言語能力や戦闘能力の高さだけでなくバラバラの各国の利害関係を上手く取りまとめ一つの軍隊にしたのだ。

 

北京に籠城した連合軍は少ない兵で雲霞の如く攻めてくる義和団を跳ね返したが清朝正規軍は銃と馬を持ちこれにはてこづった。

 

柴五郎中佐の適切な助言で各国は兵隊を融通しあい四方の壁を守ったが爆薬などで防壁を破られ次第に籠城場所が小さくなっていく。

 

もう後がない、そういうギリギリの時に天津から救出部隊2万人がやって来て北京の連合軍は籠城から解放される。

 

各国間の駆け引き、スパイの疑い、激しい戦闘場面、その後も楽しい話があったりとか盛りだくさんだけど、何より良いのは立ち止まらずに読めると言う事だ。いちいちページを戻らなくても筋書きがすっと頭に入るので、これは良い。

 

おかげで週末出張はシドニーなのに、何だか北京にいるような気持ちになり義和団事件の読み込みにも役立ち飛行機に乗っているのが楽しかった。

 

日本の学校の教科書では義和団事件はあまり大きな扱いではないが、この戦いで日英同盟が築かれたと言う史実がある限り、一度は読んでおく小説である。



tom_eastwind at 00:09|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月26日

希望するから絶望する。

「心が折れる」と言う言葉を聴く。特に21世紀に入ってから精神的に不安定になりやる気が出てこなくなったりとかで心身症の1つとして「心が折れる」と言う表現を使うようになった。

 

戦後の経済成長期には殆ど使われなかった言葉であるから21世紀になって流行り始めた病気なのか認知され始めた病気なのだろう。20世紀後半なら「自己責任でしょ」で終わってたのが、21世紀の現在ではそうはいかない。

 

病気ってのは時代によって変化するわけで昔は病気じゃなかったものが今では病気になったりする。それだけ日本人の体質が食べ物、空気、水で物理的な影響を受けて社会に対する心の持ち方=気が変化していく中でまさに「病は気から」で病気として認知されるようになったのだろう。

 

ただ古来から自殺する人はいるわけだし「どう観てもこいつおかしいな」なんて作家はカフカ、太宰治など歴史上たくさんいる。

 

カフカが観たものは何だったのだろう?永遠の絶望か?しかし同じ時代に幸せに生きた東欧の人たちもいると思えばやはりこれはカフカ個人の問題であろうし、それは太宰治の時代も同様だ。

 

古代の中國でもそれは同様だったようで、だからこそ中國の哲学に「平常心」と言うのがある。大笑いするな、大泣きするな、何があってもいつも心を平常に保ち、感情に流されるな。

 

平常心でいることで心の気持ちは激動することがなくそれが身体への好影響をもたらす。

 

自分が望むことへまっしぐらに突き進むことは大事だけど、だからといってそこにあまりの情熱をかけ過ぎるとそれが砕けた時に心までポキンと折れてしまう。

 

情熱のかけ過ぎとはある意味無思考である。そこには理性が伴ってない。人生にとって何が一番馬鹿らしいか。それは人によって違うだろう。けど普遍的に言えるのは情熱の炎で眼が見えなくなって自分を滅ぼしたり他人を傷つけたりすることが一番馬鹿らしいだろう。

 

希望は心の光である。失うな。けれど、それと「これしかない!」と思い込む黒い情熱を混同するな。あくまでも冷静に希望を持ちその為に一歩一歩前に進む。けどその希望が消えた時でも決して感情的にならず次の希望を考える。

 

世の中最善ばかりじゃないけど必ず次善がある。失望とは希望を失うことである。絶望とは希望が絶たれる事である。だから常に今の希望だけじゃなくて、人生他にも良いことは一杯あるさ、そう心の選択肢を持っておくことだ。

 

そうするとこで心に余裕が出て来て世の中に起こった嫌なことでも「ま、いいか、次、いこ」で心の切り替えが出来る。

 

悩むことは大切だ。けれどその悩みは成長するための手段であって悩みと言う手段の為に自分が潰れては意味がない。

 

丹田に息を込め心を落ち着け平常心で人生を一生懸命生きる。それが人生を満足できる生き方である。



tom_eastwind at 07:46|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月25日

シドニー

金曜日から一泊二日の出張で久しぶりのシドニーに行く。

 

10年ぶりではないかな、2000年当時はワーキングホリデイセンターの起ち上げでスタンフォードプラザホテルにHISと共同オフィスを持ち無料情報センターを作り、ここにやって来るワーホリが一階では航空券や旅行の予約をして二階ではフラット情報や携帯電話レンタルをやっていた。

 

その当時は自社で無料月間情報誌を紙媒体で発行しててその編集や印刷や郵送をお願いしてた提携先がシドニーにあり、同時に無料情報センターもシドニーの別会社と提携していたのでよく往復していた。

 

その後印刷はDTPが主流になり自分でPC上で編集をして印刷もオークランド地元の会社に依頼するようになった。

 

無料情報センターは大当たりしたが同時にシドニーと提携する意味がなくなり解散して各自が独自に情報センターを運営するようになった。

 

当社はその後方向性を微調整して永住者向けのビジネスに転換したので今では無料情報センターはやっていないがシドニーでは今もワーホリ向けにやっているようだ。

 

方向性も変化して今ではシドニーの提携先と連絡を取ることはなくなったけど、今回は久しぶりにシドニーの定点観測で訪問する。

 

すると、ほー、10年前の田舎者が今は立派なビジネスマンになっているぞ、シドニーって感じだ。

 

僕が頻繁に往復していた頃にシドニーって、田舎の百姓が座ってた農地の下にウランがあってそれで大儲けって感じの成金だった。頭の悪いのがスーツ着てる感じで、服が浮いていた。

 

けれど今回訪問するとマーティンプレイスを歩くビジネスマンがスーツをしっかり着こなして颯爽と歩いている。

 

おー、良い方向に変わったな、うれしい話である。

 

シドニー空港も以前のような杓子定規ではなくサービス精神もあり合理化もしてて、大きな変化を感じた。

 

シドニーではお客様と夕食で中華街に行く。昔から食ってる鮑のしゃぶしゃぶは雁屋哲がシドニーで流行らせた食い物であるが、日本人の口に実に合う。そして大きなカニを炒めて下に焼きそばを敷いた料理も、麺に蟹の旨味が吸われて美味。

 

この店って朝11時から翌朝4時までやってる海鮮料理店で、入り口に水槽があってそこにアワビや鮮魚やカニがあって注文を受けるとビニール袋に注文したものをテーブルまで持ってきて「これでいいよな?」と確認してから調理に入る。

 

だから出てきたものは実に旨い。望んだ味以上であるからお客が絶えない。

 

そのお客もこの街ではすでに中国系オージーが白人と混じって仕事をしているのだろう、10人がけのテーブルにも一人くらい中国人がいる。

 

うん、なんとなくいいな、この距離感。オージーが支配しているけどそこに中国人が入っている、それも豪州生まれってのがいい。こうやって良い方向に古い移民と新しい移民が結びつき、それでいながら香港で食べるような美味しい海鮮料理を楽しめる。これはいいな。



tom_eastwind at 07:28|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月24日

明日の仕事、人間の仕事。

昨日の「失われる仕事」に続いて今日は少しは夢のある話を書く。

 

僕が子供の頃にハヤカワSF文庫に大変お世話になった。小学生の頃から文庫本をひったくるように読んでいた。

 

その本の中ではロボットが人間のような行動を起こしたものだ。アシモフの作品はロボット三原則などロボットの将来の在り方を実に想像力豊に描いたものだが、あれはアシモフの頭の中に観えていた未来である。

 

  1. A robot may not injure a human, or allow a human to be injured.

       第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また人間が危害を受けるのを何も手を下さずに黙視していてはならない。

  1. A robot must follow any order given by a human that doesn't conflict with the First Law. 

       第二条:ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。

  1. A robot must protect itself unless that would conflict with the First or Second Laws.

       第三条ロボットは自らの存在を護(まも)らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る。

 

何故アシモフが未来を観えたのか?それはアシモフが人間を理解しているからだった。こうなったらこうなる。まるで囲碁や将棋のように先を観れば途中にどのような自然災害があろうとも人間は望む方向に進む、たとえそれがレミングの行進であっても。

 

そんな彼の頭の中を理解して漫画にしたのが手塚治虫だ。彼は元々医者の道を目指していたのに漫画家になったが、これは漫画界にとって素晴らしい奇貨である。

 

もし手塚治虫が医者になっていれば彼は日本中にいる医者の一人だったのが漫画家になることで世界に一人の人間になり世界中に夢を与えた。そしてその夢の中に将来への機械との付き合い方を明確に示した。

 

それが例えば「火の鳥」である。

 

人は何故生きるのか?平安の時代の権力抗争、火の鳥の絵をめぐる戦い、その血を飲めば永遠の生がと火の鳥を狙う人々、舞台は果てしない未来に繋がり人類が死に絶えた星で何とかロボットを人間に近づけようとする博士。

 

悠久の歴史をテーマにして描かれた「火の鳥」は今も小学校の頃に読んだのと同じだけどその独自性と世界観は今も全く古びていない、古典音楽やビートルズが今の時代にも人々に感動を与えるように。

 

いつの時代も感動を与える仕事。機械が人間の仕事を奪っていると思わず機会が人間にもっと自由な生活を与えてくれて日常の些事に悩まされずもっと人間本来の時間が使えるように「助けてくれている」と考えれば自分が次に何をすべきかが観えてくると思う。

 

戦後の日本で洗濯機が出来て冷蔵庫が普及して炊飯器が出来た事で家庭の主婦には思い切り自由な時間が作れた。その時間をどう自分や社会の為に活かすか、それはまさに本人次第であるが、間違いなく戦後の機械化は女性の社会進出に貢献した。

 

それと同様にこの時代にやって来た機械化を奇貨として自分がやりたい事をやる、それも機械を利用して人間がより人間らしく生きていける世の中を作る、そう考えることで「失われる仕事」よりもたくさんの、もっと生産的な仕事を生みだしていく、僕はそう思う。



tom_eastwind at 17:15|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月23日

失われる仕事

オークランドシティの地元銀行を回った時の感想を書いたことがある。

 

クイーンストリート沿いのある銀行では半年前まで5人位が楕円形のカウンターの中で仕事をしていたが今回行くとそこがすべてATMに置き換わり、入金出金全てに対応して案内係が一人いるだけで後はすべて機械操作。

 

日本もいよいよその方向に舵を切ったなと感じたのがこの記事。

http://www.sankei.com/economy/news/171121/ecn1711210042-n1.html

 

この銀行はこれから6年で社員数4万人の内6千人を削減する。つまり毎年1千人が純粋に減少するわけで新入社員の補充を考えれば毎年1千人以上が退職していくって事だ。

 

それでも仕事が回るってのは今まで銀行がやって来た仕事がいかにコンピューターとインターネットで合理化出来るかって話である。

 

いや別に産経が銀行を嫌いってわけじゃなくて、本当に世の中がどんどん機械化されて人間の仕事が減っていく時代になったなって意味である。

 

何故なら金融とITは実に相性が良い。お互いに数字のやり取りがすべてであり早い時期から機械化された日本の銀行支店窓口などは人間が不要になっていた。

 

人間。

 

こんな使いづらい設備はない。人間は、泣くし喚くし文句を言うし何よりも自分が労働者と言う商品であることを理解出来てないから自分の労働力の市場価値を理解せず、すぐに権利とかどうとか言うけど、じゃあお前の価値分かっているのかって話である。

 

そうなると経営者からすれば、泣かないし喚かないし文句を言わないし何よりも自分が機械であることから権利を主張しないロボットに仕事をさせれば良いと思うのは当然である。

 

古くにはラッダイト運動とかあったけど、例えば自動車産業がビジネスをしている以上効率を求めるのは当然だ。今までは使える機械がなかったから人間を使っただけであり機械がやってくれるならそんな便利なことはない、すべて機械化しろって話である。

 

もちろん現実問題としては想像して創造する人間を超える機械は出来ないわけで匠と呼ばれるプロは生き残り、その技術を数値化して機械を成長させるが、それ以外の「普通の人々」に生き残る道はない。

 

単純にネジを締めるだけの仕事ならチャップリンじゃなくても出来るのだ。

 

そんな時代がこれから来る。今までは田舎の銀行でも就職出来れば「エリート!」と呼ばれたものだが、これから先は銀行の仕事の多くは機械に取って代わられる。銀行に入行しさえすればエリートと呼ばれていた時代はもう終わったのだ。

 

銀行の中でも人間にしか出来ない仕事、そこ以外に生き残る道はない。

 

スーパーマーケットのレジ打ち、銀行の入出金、ホテルの受付、倉庫の荷物出し、多くの作業がどんどん機械化される。その先にあるのはAIである。

 

これから社会に出ようとする若者が選ぶべき仕事は何があるだろう。けれど学歴だけでは生きていけない時代が来るのは間違いない。



tom_eastwind at 16:41|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月22日

アリとキリギリス

日本では新卒の給料が3年間毎年上昇しているとの事。へー、そうなんだ、けど全然実感ないよねってのが一般的な意見であろう。てかそれよりも大卒でも月収が20万円程度って1980年代から殆ど変わってないな。

 

1990年代から物価が下落しているからそれでも良いのだと言えばそうかもしれないけど、これじゃ貯金も出来ないぞ。1970年代なら貰った給料を貯金して夫婦共働きで30代後半には自宅が買えた。けど今の時代で普通のサラリーマンが給料だけで自宅買えるか?

 

おまけにこれから消費税も上がるし円安だと輸入製品の価格が上昇する。ガソリン等は原油価格が下がっているから良いけど、一旦世界の原油価格が上昇すれば確実に物価が上昇する。

 

更に問題は所得税ではなく実質的な税金化している健康保険とか厚生年金とか介護保険の負担が次々と増えていくって事だ。

 

2020年に向けて政府は一般サラリーマン国民から如何に薄く広く課税するかの仕組み作りをしている。そしてそれが実行されれば確実に庶民の可処分所得は減る、そしてそのうちゼロになる。

 

そうなると毎月もらう給料はすべて家賃や食費や携帯電話代に回って遊ぶお金もなくなるし貯金なんて夢のまた夢である。

 

それなのに「初任給上がったー!」と記事になるのは、政府が声を大にして訴求したいのだろう。

 

他にもアベノミクスでGDPが伸びて相対的な国家の借金が減ったと言うけど絶対的な借金額は変わらないわけで更にその借金は毎年発行する赤字国債によって毎年膨れ上がっている。

 

国の借金を減らす方法は2つある。国民から集める税金を増やすかインフレーションを起こして通貨価値を下げて実態としての借金を減らす方法である。

 

どっちになっても国民の負担が増えるわけで雀の涙ほどの給料が上がっても増税や通貨価値下落に依る物価上昇で全部食われてしまう。

 

そう考えると今の日本で一番危険なのは何も準備せずに2020年を迎えることである。

 

日本も1980年代のバブル期には誰もが「この幸せな時代が何時迄も続く、株価は上昇を続ける」と本気で思い込んでいた。

 

証券会社のボーナスは年3回とか銀行が特別賞与とかだったり、商社では「稼ぐ財務」と言う言葉が流行ったものだ。

 

「私をスキーに連れてって」が流行して国内スキー場はどこもカップルスキーヤーで賑わいお昼ごはん時になるとでっかい山小屋セルフレストランで料理を載せたトレイを掲げて目の前のテーブルでご飯を終わりそうな人の後ろに立ってた。

 

時代は確実にバブルだった。しかし多くの人はその事実に気づかず毎日を楽しく生活していた。そしてバブルが弾けた。

 

最初は1990年後半まで上昇していた株価が、少しずつ上昇が止まり翌年から少しずつ下がり始めた。それでも証券会社は「まだいける!」と考えていた。ところがそこから株価は段々下落を始めた。

 

そして不動産の総量規制が不動産市場を直撃、一気にお金の流れが止まり不動産の暴落を招く。住専が吹っ飛び長銀などが「飛ばし」を行い粉飾決算をするがそれも及ばず1997年の銀行や証券会社の倒産により完全にバブルは崩壊した。

 

1990年までに資産を形成した人々はそれでも生き残れた。ローンを払い終わった自宅、保険、貯金があればバブル崩壊に依る物価下落は逆に現金価値を高めるために生活に大きな影響は出なかった。

 

けどバブル時代を謳歌して何の資産も持たずとか「来年も給料上がるだろう」と自宅をローンで買った人には大変な時代になった。まさにアリとキリギリスである。

 

バブル期にずっと給料が上がることを前提にローンを組んでボーナス払いを入れたけど、何と給料が上がらずボーナスが支給されずでは自宅を手放すしかない。それでも日本ではローンが残るのでアパート生活で家賃を払いつつ更に残債を払うダブルパンチになった。

 

そこから始まる「失われた20年」は家族の離散を招きお父さんはブルーシート生活。

 

2017年の今は目先の景気が良いと言うがこれは一部の話であり日本全体では国民生活は上昇していない。そして問題は2020年が来れば国民生活は決定的な打撃を受けてまさに「その日暮らし」生活に突入していくのだ。

 

とにかく働かないと食っていけない、けど一生懸命働いても貯金も出来ず自宅も買えない。そんな状態が65歳まで続く。結婚もできなくなるだろう。退職金も出ない会社が増えるだろう。

 

そして65歳過ぎると更に悲惨である。老後生活に必要な資金は年金では賄えない。なので65歳過ぎても道路工事などで夜間の仕事を得て働く必要があるけど、身体が動くか?

 

3年しか残されていない。バブルの時も多くの人々はバブル崩壊の準備をせずに滅びた。3年後に向けて今何が出来るか。しっかり準備しておかないと人生後半はブルーシート生活になる。



tom_eastwind at 03:37|PermalinkComments(0)NZの不動産および起業 

2017年11月21日

おときた議員について

東京都議であり一時期は小池さんとこで働いてた若いお兄ちゃんであるが、僕は個人的に嫌いではない。

 

何故なら数年前から時々ブログを読む中でほっこりする記事があり「こいつ人間として悪くないよな」と思ったからだ。

 

自分ひとりで選挙していつ落ちるか分からないギリギリの集票で何とか議席保ちつつ頑張りながら、テレビ効果に気づいて顔出しするって戦略は上手くやっている。それは正解なのだけど、何せ政治戦略とかの知識が薄い。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/13911571/

 

大学出て立派な企業で働いたからって、やってることや話すことが上っ面だけなのだ。テレビ受け狙っているのか知らんけど、ほんとに政治家したいのか?それにしては動機が分からない。

 

これが中曽根元首相の孫であればおじいちゃんから学んだ政治哲学で政治家を目指したいと言うのは分かる。群馬のきつい選挙区でもきちんとした政治哲学を語り地元後援会も支持しやすいだろう。

 

けれどおときた議員については政治哲学がなく政策に対する一貫性がなく都政を語ってもその日の自分のブログのヒット数で意見が変わるようなものである。

 

適当に東京の大企業の中でうろちょろしてれば年収1200万円はいけそうな人物なのに何で中央政治に口出しするのかが疑問。

 

彼には日本をどうするかという哲学がない。国造りの思想がないのだ。ないのに無理して政治家やらなくても他に仕事はいくらでもある。

 

東京では豊洲、地方ではもっと色んな問題がある。彼が区議会議員で一生やりたいならそれこそ紋付袴の落語連中やドブ板の饅頭やさんと仲良くしてその地域に住む人の「毎日の生活を過ごしやすく」だけを集中していけば区議会議員で食っていけるだろう。

 

けど国家となればそうではいられない。利益相反する人たちの意見をまとめて国を引っ張っていく、それはおときた議員には不可能である。何故なら主張に根本がないからだ。

 

この理由は簡単で彼は政治をビジネスの延長として考えておりブランデーを高級品として人々に誤解させて高くても当然と思わせ高級品として買わせ、その意味だけは正解なんだけど政治の世界では殆どが貧乏人である国民をどう救済するかが出来てない。何故田中角栄が評価されたか。もう少し考えて政策を作った方が良い。

 

そうは言っても政治家は国民が作る。もしかして地頭は悪くなさそうだからそのうち政治家として成長するのかもしれない。けれど現時点では彼を政治家として語るには無理がある。



tom_eastwind at 09:26|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月20日

拉致

今日までの数日は本当に日本の旅日記であったが、日本にいる間に見かけたニュースで引っかかるものがあり、これから数日はそちらを書きたい。

 

最近北朝鮮との交渉でトランプ大統領が拉致問題を取り上げた事でニュースに出て来た。特に横田めぐみさんの父親が体力も弱る中、何とか子供を取り返したいと言う記事。

 

僕はこの問題は何度か書いたけど、これこそ戦後日本の矛盾した仕組みの最たるものの一つだと思っている。

 

普通自国民が海外の政府組織に誘拐されたら自国政府は取り返すために動く。当然だ、それが憲法の中に明記されているからだ。

 

国民の生命と財産を保護するのは国家の義務でありそれが出来なければ何のための政府であるのか?国民が誘拐されても何の行動もしなければ政府の憲法違反である。それなのに誰も何も言わない。

 

国家が国民の生命と財産を守らなければ何のための政府だ?国民は自分と家族の生命と財産を守るために自己防衛権を政府に委譲して防衛費用負担として納税しているのに、その政府が自分の義務を守らなければ何のために政府は存在しているのか?

 

政府が約束を破るならばこちらも政府との約束を破棄する。つまり自己防衛権を取り戻し自分で自分や家族の身を守るのみである。

 

1970年代から80年代にかけて世界ではいろんな事件が起こった。例えばドイツがハイジャックに遭った自国民を救出するために外国の空港に自国救出部隊を送り込み、見事自国民を救った事件があった。

 

当然である、これでドイツ政府はドイツ人を世界の何処にいても守ると宣言したのだ。

 

イスラエルではオリンピックに参加したイスラエル人選手がテロリストに殺されてそのテロリストに報復するために世界中に特殊部隊員を送り込みテロリストを殺した、二度とイスラエル人に手を出さないようにするために。

 

ところがそのような時代背景の中で北朝鮮が日本人を次々と誘拐していった。その事件は当時も関係者は知っていた。

 

それなのに当時の政治的背景、左翼が人権を主張し北朝鮮が「楽園」と主張した状況下では「北朝鮮様がそのような事をするはずはありません!」となり北朝鮮による拉致誘拐は日本政府黙認の下で行われた。

 

本来ならば自国民が一人でも他国に誘拐されればそれは国家間の戦闘行為に繋がる。何故なら国家主権を侵害されたからだ。

 

なのにそれが日本では社会党あたりが「そんなことはありません!」と騒ぎ、自民党も「へ、まあいいや、この国は人が多いしな」って放ったらかしたのが実態である。

 

つまり日本政府は国民に武器放棄を要求し納税を要求したけれど国民の生命と財産を守ると言う約束を拒否したのだ。

 

では日本政府は本来はどうあるべきだったか。

 

答えは非常に簡単である。北朝鮮を敵国と指定してまずは誘拐の疑いのある人々の帰還を要求する。彼等が否定すれば調査の上軍事行動に出る。この場合いくつかの方法がある。

 

まずソフトなのは北朝鮮から諸外国に派遣されている外交団の誘拐である。スイスにも米国にも北朝鮮代表団はいるのだから拉致されたと思しき数だけ誘拐して日本に連行して軍事捕虜として交換交渉をする。

 

もちろん諸外国は自国で行われた犯罪に対して抗議をするだろう。けどそりゃ抗議上等、こっちは自国民を守るために背に腹は代えられない、事件が終わったらなんぼでも訴えてくれである。それくらい開き直らなくてどうやって国際犯罪に対応出来るか?

 

北朝鮮が拉致被害者交渉に乗らないなら、次は軍事行動である。軍事行動で一番注意すべきは「兵力の逐次導入」である。やるなら一気にやる。つまり平壌に攻め込み相手の政府機能を破壊する。

 

その結果として国連やあちこちで問題が出てくるだろう。けれどその問題は枝葉末節であり国家としてすべき根幹は国民の生命と財産の保護であり、それが出来なければ何のための国家か?国家なんてやめてしまえって話である。

 

日本政府が拉致された人々の生命を守れないなら日本全体が中央集権国家であることを止めて各地域毎に同じ価値観や考えを持つ人々が集まり自治体を作り、その大きなくくりとして米国やドイツのように連邦政府を作る。

 

そして各自治体は独自の兵隊を持ち拉致や誘拐があれば連邦政府の指示に従わず独自に動く。それが外国であっても軍事行動を起こす。

 

それくらいの気持ちがなくてどうやって国民を守れるのだろうか?今の日本政府は安倍首相を除くと拉致問題にはどうしても「俺のことじゃないもんね」と逃げている感じがする。

 

政権の安倍首相の周りにいる政治家の皆さん、あなたの子供がある夜突然浜辺ですのこに巻かれて拉致されて、それでも「平和的話し合いを〜」とか言いますか?

 

少なくとも僕の文脈ではあり得ない。僕は国家の代表ではないから軍隊を動かせない。けれど自分の家族が誘拐されれば間違いなく武力行使してその相手を探し出して家族を救い出し犯罪者には責任を取らせる。

 

国家が自分の役割を取れないなら自己防衛権利は個人に戻る。国家が国民の生命と財産を守る代わりに国民に対して武装解除と私的制裁を禁止しているのに、国民に発生した生命と財産の被害に対して国家が「えっと、それはですねー」なんて言ってれば国家の存在は無意味である。

 

何故そんな国に納税するか? 何故そんな国の法律に従うか?君は奴隷か?



tom_eastwind at 19:22|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月19日

コールドケース・機内にて

機内で日本のテレビ番組「コールドケース」を観る。全部で5本のエピソードがあった。吉田羊の演技を観るのは初めてだけど、良いではないか。

 

吉田羊が刑事役で迷宮入りの事件を解決していく話であるが主人公だけでなく毎回出演する役者の演技が怖いほどによく出来てて、観てるこっちが時々ぞっとなる。

 

そして監督が上手いのか絵が良く出来てる。怖い場面では怖く、明るい場面では明るく、きちんとその場に合った作り込みが出来ている。

 

そのおかげで11時間の飛行時間の半分近くをこの番組を観て過ごしたけど日頃ゆっくり見る機会がないのでまとめ観出来て良かった。

 

香港からオークランドは現在A350が就航しておりこのフライトではインターネット接続が出来るので1時間ほどネットにも繋げて必要なメールを送る。

 

この費用はUSD9.95であるから街中のネットカフェに比べれば高いけど機内で誰にも邪魔されずに仕事をして一気にメールを送れば月曜日の作業が少しでも早くなるので安い投資で高い時間を買うようなものだ。

 

それにしても飛行機の発展は目覚ましい。空港で働く前世紀のやり方を踏襲する役人どもを放置したまま次々と新しいサービスを開発してくれる。

 

それは機内のエンターテイメント設備の発展だ。昔は機内にあるものは新聞と雑誌だったのに、それが何時の間にかちっちゃい画面だけど映画が観られるようになり、それが今度はビデオオンデマンドの時代になり好きな時間に好きな映画を観られるようになった。かと思うと座席のリモコンでテレビゲームも出来て子供には楽しい時間である。

 

機体そのものも高速化して長距離を飛べるようになった。日本からニュージーランドなど1970年代は直行便がなくて豪州経由とかだったがジャンボの就航で成田−オークランドの直行便が飛ぶようになった。

 

30年前の飛行機は降機開始から1時間かけて着陸していたが現在は到着15分前から降機開始なので機内での有効時間活用が出来る。

 

これはやはり真面目な航空会社の人々が常に顧客サービス視点から「何が出来るか?」を考えて来た結果である。

 

だからだが世界の航空会社評価を観ても常に上位に来るのはアジア系で日本航空、全日空、キャセイ航空、シンガポール航空等である。今年の調査では中東の航空会社の評価が急激に高まっているが、これは国策会社として生き残りをかけた施策であろう、良いことだ。

 

それに対して万年下位なのは米国系航空会社である。彼等のサービスの悪さは定評がある。何せ乗客を自分とこの都合で引きずり出すくらいだからだ。そりゃ自家用ジェットが流行るのもよく分かる。

 

飛行機の旅がきついと感じ出すのは身体を動かさなくなった時である。機内でもストレッチングをして血の流れを良くする。身体を毛布でくるんで暖かくする。常温の水か温かいお茶を飲み適度な睡眠をとる。これだけで旅は随分楽しいものになる。

 

航空会社も常に進化をしている。旅人も進化すると更に旅を楽しめる。



tom_eastwind at 21:47|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月18日

観光

福岡で最後の仕事を終えて今日のフライトでオークランドに戻る。今回は弾丸特急のような出張で毎朝起きると「ここはどこだろう?」状態になる。ベッドの位置や枕が変わるので「えっと、どっちから降りるんだっけ?」である。

 

おまけに今は東京も福岡も学会等で宿泊場所の確保が大変だ。ビジネスホテルのAPAホテルでさえ1泊2万円以上と普段の三倍近い価格になる。

 

それでも寝ないわけにはいかないので駅前のホテルを予約するけど当日チェックインをすると周りは外国人だらけ。特に福岡は博多駅前のホテルがどこも外国人観光客で混み合っており、なるほどこれがYOKOSOJAPAN効果なのかと実感する。

 

福岡空港でも昼頃になると韓国行きや台湾、香港行きの飛行機に乗り込む外国人がひっきりなしに行列を作っている。

 

空港のレストランで昼ごはんを食べていると横に座った香港人家族と友人だろう、総勢8名くらいでやって来てカウンターでぎこちなく注文をして1000円札を「いち、にい」と数えて支払っている。

 

座って食事をしながら話をする彼等の雰囲気を見ると日本の旅行を楽しんだようで「あそこは良かったねー」等と思い出し喜んでいる。

 

日本には中國からの客船もよく来るし日本人にとっては普通の景色でも観光客からすれば「道にゴミが落ちてない!」とか「みんな優しく声をかけてくれる!」とか「道を譲り合ってる!」とかびっくり最大である。

 

そうだよな、彼等の国ではまず観ることのあり得ない話だもんな。

 

それにしても最近は団体観光客が次第に個人旅行客や家族旅行になってリピーターが増加、今までの東京、富士、京都、大阪と言った定番ツアーから、飛騨高山とか合掌作りの家とか「君の名は」の舞台めぐりとか実に多様化している。

 

またそのような旅行情報をネットで共有して旅先の写真を載せる事でますます情報拡散、日本の地方に観光客の目が届くようになっている。

 

良いことである。11月は旅行シーズンとしては天気もよく程々に涼しく外国から来た観光客に楽しんでもらえばにほんも外貨収入を得られる。

 

ニュージーランドは外貨収入の3割が旅行産業からの収入であり観光は重要な外貨資源である。

 

日本もこれから少子高齢化するけど世界から観光客に来てもらい外貨を得て新しい産業として成長させる手法を考えるべきだろう。

 

その為にまずやることは今の日本の自然環境を確保することである。つまり自然破壊に繋がるような開発はもう止めてその代わりに外国人が来た時に分かりやすいように英語、中国語、韓国語の表示を増やしてハラル等各国の文化習慣を理解して違う文化の人でも安心して旅行に来られるような国にする。

 

次に人々が今の日本人としての良さを失わず、人に優しく礼儀正しく、他所の国から来た人に丁寧に接する事である。

 

そして最後に日本政府。特に国土交通省は民間への余計な行政介入をせずに民間に自由にやらせる事だ。とかく役所が民間の仕事に入ると邪魔をして不要な規則を作りせっかくの自由な発想を潰してしまう。

 

観光の本来の意味は「国の威光を観る」である。旅行業で働く連中には自由な発想がある。それを邪魔さえしなければ日本のインバウンド業界は更に伸びるのだから、国家の為に官僚は口出しするなと言いたい。

 



tom_eastwind at 21:18|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月16日

九州王国

今回は東京から大阪を飛び越して九州に移動する。毎回の移動はオークランドから計算すると大体17,000km。地球一周が約40,000kmだから毎年地球を5周してる計算になる。それでも体力的には疲れると言う事がないので有り難い。

 

考えてみれば九州は東京よりも歴史的に古い。東京がまだ葦のそよぐ沼地だった時代に既に中國やロシアと取引をしていた。

 

江戸時代以前の歴史を観ても日本の貿易の中心は日本海であった。北はロシアから南は沖縄から朝鮮半島、広州まで貿易を行っており日本の南の窓口が博多であった。

 

多くの豪商を輩出しており古くからの寺や神社があり太宰府等中國の窓口があるかと思えば唐津、長崎等も取引の港であり、九州は鎌倉時代以前から栄えて「海の道」を作り古代日本の貿易を支えてきた。

 

海の道を一番有効活用したのは平安時代の平清盛だ。中國と貿易を行い九州各地から集めた物資を瀬戸内海経由で大阪に運びそこから京都へ。この貿易で莫大な利益を得た平清盛は博多を中心として海運を発展させ瀬戸内の中心となる厳島神社に奉納もした。

 

その後も商人文化は続き博多は商人たちが集団統治をする自由都市となった。

 

その後1590年頃には豊臣秀吉の朝鮮侵略の基地とされて江戸時代になると黒田氏による藩体制が確立されたが、それでも博多は天神を中心とする武士の街と祇園あたりを中心とする商人の街に綺麗に分かれて共存して来た。

 

今日から3日は九州だ。美味しいものを食べながら仕事をしよう。



tom_eastwind at 21:15|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月15日

表参道

今日は表参道ヒルズで打ち合わせ。シドニー本店のイタリアンレストランが日本進出してお洒落なお店に仕上がっているけど、賃料高いんだろうなと思わず考えてしまった。

 

けどシドニーの家賃に比べればまだまだ安いのだろう。とにかく土地とか家賃はオークランドも高いけどシドニーはもっと高い。とにかく家主は神様みたいなものである。

 

人口が増えるってこういう事なんだろうな、日本も1980年代までは世界一人件費が高くて家賃も高い国だったのだから今更オークランドやシドニーが高いと言っても「オタクも人口増えてた時は高かったでしょ」と言い返されればどうしようもない。

 

表参道のあたりは外国人も多いけど道端でウンコ座りしてタバコ吸ってる日本人の雰囲気も、ちょいとおかしな感じを受ける。世も末な連中を見かけるようになった。

 

もちろん高級品店も並んでいるし裏道にもお洒落な店が軒を連ねてて街の雰囲気は随分とお洒落なのだが。

 

レストランはナチュラルを主体としたお店でワインもオーガニックでありバーとダイニングルームが別になっていて、今日はバーでゆっくりと仕事の打ち合わせを行うが昼時になると急にお客が増えて何時の間にかバールームもお洒落なお客様でほぼ満席。

 

考えてみればここは東京でも高級な地域であり周囲を走る車は大型でヒルズの中のレストランを利用する人たちも高級な雰囲気で道端に座ってたのとは随分違う。

 

何時もホテルの中で打ち合わせをしているので久しぶりに街での打ち合わせでレストランを利用してお昼時にたっくさんの日本人を観るとなんか「おお!」って感じである。やはり東京都心はまだまだ勢いがあるな。

 

この雰囲気だけを観ていると「日本はまだいける」って感じがするけどちょっと郊外に出ればコンビニの前でたむろって先のなさそうな、または先の見えた人々がタバコ吸ったりビールを呑んでたりするんだからその落差が大きい。

 

今回は時間がなく昨日の夕方に羽田到着、そして今日の表参道での打ち合わせが終わったらそのまま羽田空港に向かう。

 



tom_eastwind at 15:06|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月14日

東京到着

羽田空港はいつものように混み合うが、以前よりも外国人の入国手続にかかる時間は短くなったので良いことである。今日も大体30分で入国出来たのでYOKOSOJAPANである。

 

羽田から都内に向かい明日からの仕事に備える。今回は移動が多いのでとにかく忘れ物をしないように気をつけなきゃ。一度出たら戻れない日程なので要注意である。

 

本職の旅行屋なのに忘れ物はやばいので物忘れの究極の対策としているのが「モノを持たない」事である。実際に僕が出張をする時は荷物は最低限にしている。

 

服は最低必要な枚数にする。上着とジーンズは毎日同じものを着る。会う人は毎日違うので毎日同じ格好をしてても初めて会う人からすれば新しい格好である。

 

今回の日本のように冬に入り始める気候でも上着は夏物、コートなしである。人と会うのはオフィスやホテルの中で移動するのも基本的にタクシーなのでDoor to Doorだから外を歩くと言う事がない。

 

移動用のケースに入れるのは少ない着替えと洗面道具と仕事用の書類だけ。なので時々「お荷物はこれだけですか?」と聴かれる事もあるが、そう、これだけである。

 

出張先で朝起きてカバンに最低限の荷物を詰めたら出発。カバンに入れるものを視覚で捉えているので写真を観るようなもので「あれ?これが不足しているぞ」と気づくようにしている。

 

そして旅先で買い物は基本的にしない。お土産も買わない。買うと忘れる可能性が高まるからだ。

 

だから旅から戻ると上着は必ずクリーニングにだすけど、一年も同じ上着を着ているともうダメ。買い替えが必要になる。ジーンズは洗えば数年は使えるからそれほど問題はないけど、それでも数年に一度は買い替えが必要。

 

僕の場合ジャケットもジーンズも作業服と考えているので汚れるのはかまわないと思っている。適度に清潔でありさえすれば良い。

 

さあ、冬に入り始めた東京で仕事開始。



tom_eastwind at 15:05|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月13日

サンタクロースがやって来た。

今年も隣のビルにサンタクロースがやって来た。僕がこのオフィスに移ってきて17年になり毎年この時期になるとオフィスの窓越しに観るこのサンタクロース。隣のビルは以前は本屋さんだったのが数年前にファーマーズと言うデパートが移ってきて上層階はアパートになっている。

 

それでもサンタクロースだけはあい変わらず毎年クリスマスになるとオークランドシティの繁華街の一番人通りの多い交差点に立つ。

 

建物自体が古いのに合わせてこのサンタクロースも古い。この街に何の娯楽もなかった時代に作られて一年に一回の真夏のクリスマスパレードを観るためだけに子供たちが日曜日の朝から道路に座り込み、人がいるだけで楽しいお祭りだった時代の主役だったサンタクロースである。

 

娯楽の増えた現在のオークランドでも毎年一回のクリスマスパレードは賑やかで地元の子供達の楽しみになっている。日本人?一回参加したら「もういいや」って感じの娯楽である。日本は何て恵まれた国なんだ。ゲーム好きのキーウィの子供をお台場に連れて行ったら一日中一歩も外に出ずに発狂したように遊ぶだろうな。

 

日本人は今の日本の娯楽環境を観て何も感じない、当然、くらいに考えているのだろうけど、娯楽の遊び度では日本は間違いなく世界のトップクラスである。

 

ただそれは受け身の遊びであることが大きな特徴だ。自分から外に出ていくアウトゴーイング“Outgoing”な遊び、乗馬や釣りやヘリスキー、エベレスト登山等はニュージーランドの方が発達している。

 

受け身の遊びと言う意味でよく使われる「立てばパチンコ座れば麻雀、歩く姿は千鳥足」と言うのがある。これなどは如何にも伝統的な日本らしい遊びである。

 

ただその遊びも最近は随分と縮小しているようだ。パチンコ人口は減り麻雀を打つ人口も減少してお酒を飲む人も減った。

 

少子化と可処分所得の減少と言うダブルパンチだし国家レベルの減少なのでここの民間企業が対応しようとしてもどう出来るものではない。

 

そこで日本企業が生き残る為に必要なのが海外進出と言う事になる。幸い大手企業は手元資金があるし銀行借り入れも低利でいける。

 

これからますます厳しくなる日本国内ではなく海外に目を向けようって事だ。

 

「僕も行くから君も来い、狭い日本にゃ住み飽きた」である。これは戦前の満州国へ飛び出していく若者たちを誘った言葉であるが、まさに今の日本があの時と同じような空気である。

 

国内は少子高齢化で疲弊し経済は活性化されず、高いお金を払って大学は出たけれどちゃんとした就職先がなく、そんな時代には海外に飛び出して行くと言うのも一つの選択肢であった。 

 

ただ今の流れはどちらかというと個人ではなく企業が「僕も行くから君も来い」になっている。最近はNZでのM&A案件を手がけることが増えてきて今も同時進行で数件抱えているが日本人もそろそろOutgoing,外向きに動き出しているのかもしれない。



tom_eastwind at 10:04|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月12日

時の流れ

毎年、一年が終わるのがどんどん早くなっているような気がする。勿論これは気持ちの問題であり物理的に時間が短縮するわけではないと思うがもしかして本当に時間が短くなるってあるのかもしれない。

 

アインシュタインがなんちゃら理論で、実証されてはいないけど、どうやら時間って過去から未来に向かって一方通行で同じ速度で流れているものとは違うのかもしれないって話だ。

 

過去も未来も現在も実は一つの大きな団子になっててその中を人が行ったり来たりしているのかもしれない。

 

まさにタイムマシンの世界であるが現実的にスウェデンボルグのような科学者があの世とこの世を往復してみたり未来の人間が今の世に出てきたり過去に飛び立って行方不明だった飛行機が現代の空に飛び出したりして、世の中は分からない事だらけである。

 

人間が知っている事より知らないし見えないし証明出来ないけどそこにあるってのを感じることがあるのに西洋式教育を受けて「見えないものは存在しない、証明できないものは存在し得ない」等と考えていくと、キリスト教と西洋式教育はその正反対にいるんじゃないかと思ったりするが、あれでキリスト教社会がよく維持出来るものだと思ったりする。

 

僕自身はキリスト教ではないし「見えないし証明出来ないけどそこに存在するもの」を感じることが出来るので西洋的な矛盾に突き当たることなく自由に思考することが出来る。

 

その意味で理論よりも感覚が優先しているので理論はもっぱら感覚を証明するために組み立てることにしている。まず感覚と言う一つの現象が起きて、それが何故起きてどのような仕組みになっているのかを仮定論で組み立てて再現実証が可能かどうかを検証して理論にしていく事にしている。

 

その意味で僕はアインシュタインの時間に関する「団子」って理論が理解出来そうな気がする。もちろん最終学歴高卒なので大学で学ぶような専門知識はないが、今までいろんな体験をしてくる中で感じた「団子」はそれほど意味不明ではない理屈になっている。

 

時間の長さとは変化するものである。人によって長さが違う。それは意識の問題であるが西洋式の時計で測る時間とは違う時間の流れがこの世には存在する。

 

意識は無限の中に存在してそこに時間は存在せず空中に茫漠として存在するものであり意識の使い方一つで時間は変化する。

 

そう考えていくとこの自分の頭の中で起こっていることが理解しやすくなる。頭の回転が早くなる時って実は時間も異常に早く回っているのではないか。何も考えずに副交感神経が優先している時って意識の中で時間がゆっくり流れているのではないか。

 

ニュージーランドを旅する人がよく言う「この国は時間がゆっくりしている」というのが一つの体験証拠であろう。

 

もしNZに来たことがなくて、けど時間がのんびり流れているってのに興味があれば、NZの田舎を旅すると良いかもしれない。アインシュタインじゃなくても時間の流れは変化するってのを実感することが出来るだろう。

 

けど、てな事を書いたからって現実に自分の物理的時間が増えるわけではないので、やはり毎日緊張して1分単位を大事に使うことを考える。

 

横断歩道で赤信号を走って渡りきって反対側でフーフー言いながらテレテレと歩くような馬鹿な無駄な時間は使わず、信号待ちの50秒の間に一つのことを考える。焦って走ってけど目的もなくフーフー言うよりはゆっくりと交差点で考え事をする方が自分にとっての時間の使い方は正解な気がする。

 

残りの約2ヶ月、自分のやるべきことに意識を集中しよう。



tom_eastwind at 10:03|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月11日

ASESAN

ASEAN。もう17年以上前の話だけど、小渕さんが首相だった頃にオークランドでASEANが開催されてその時に当社が携帯電話レンタルをやってて、日本航空経由で数十台の携帯電話の申込みがあった。

 

誰が使うのかと聴くと、何でも日本の首相やVIPを守るために送り込まれた自衛隊が持つとの事。それも一人二台ずつ持ち万が一の故障にも備えるとの事。

 

オークランドのASEANは無事に開始されてシティの数少ない高級ホテルが各国首脳の取り合いになって裏方では部屋取りで大変な騒ぎだったが、テロも起こらず無事に終了した。各国からの非公式な銃など武器の持ち込みも裏方で徹底した管理が行われるが実際には皆政府専用機で防御用の武器を持ち込んでいる。

 

今回のベトナムASEANも裏方ではホテル確保が大変だったろうな、それから護衛部隊。米国だと大統領専用車に堂々と護衛車がずらっと並び腰に拳銃と肩に自動小銃を支え、最近の護衛車には後部に機関銃を積んでいる車両もあるようだ。

 

機関銃と自動小銃は基本的に違う。鉄砲玉が出るって意味ではどのような銃も同様だけど機関銃の場合弾倉をベルト式にした場合ほぼ無制限に射撃出来る。それも据え付けが基本なので銃口がぶれず長距離射撃と敵の一斉制覇にすごい威力を発する。銃身が熱くなるので交換が必要だけど、それ以外では陸上戦では最も強力な兵器の一つである。

 

それに対して自動小銃は弾倉に入る銃弾は20発から30発。それに対してオートマチックで発射すれば約30秒で銃弾を撃ちきってしまい交換の間に完全に無防備になる。

 

なので実戦では弾倉を上下逆さまにして頑丈なテープで止めて最初の弾倉を打ち終わったらすぐにひっくり返して次の弾倉を差し込んで無防備の時間を極力短くすることもよくあるくらいだ。

 

但し狭いビルや路地での戦いには効果がある。機関銃では攻撃出来ない場所で機動的に移動して敵を補足して撃ち倒すには良い。

 

米軍正式銃のM-16は銃身が長くて屋内戦では不利だけどそのような時は銃身の短い自動小銃を使う。初期の自動小銃で言えばイスラエル製のウージ等が有名だ。

 

なので機関銃は大統領専用車が周囲をテロリストに完全に包囲された時には相手を一気に殲滅するための武器となり長銃身の自動小銃は市街戦、短銃身の自動小銃は屋内戦と使い分けることになる。

 

大統領などの護衛隊の目的は相手を殲滅することではなく自分の警護対象を安全地帯に逃がすことであるから拳銃は威嚇にはなっても相手を撃退する能力が低いので実務能力は低い。

 

て、それで今日の本題は自動小銃や機関銃の話ではなくベトナムで行われた首脳会談の結果である。

 

日本はここ1年の外交は結構上手くいってる。トランプと組むのはどうかって話もあるが政府からすればトランプと組むのではなく政府主導の外交を行い米国に対してきちんとしたパイプを作ると言う事だろう。

 

戦後の日本は外務省が米国との交渉を一手に引き受けて他の部門には一切触らせず外務省が自分の意見を通すために「これはアメリカ様の意見です!」とやって政府を押し切っていた。

 

そのような状況を変化させるために安倍+菅政権になって高級官僚の人事権を政府が握り次に政府主導の外交に変化させた為、今まで外務省が保持していた利権を政府が取るようになり国家レベルでの外交が出来るようになったのは良いことだ。

 

フィリピン、ベトナムとも交流して中國の海洋進出を防ぐための「東アジアの真珠のネックレス戦略」で抑え込みにもそれなりの効果が出ている。

 

但し外交は政治と同じで一寸先は闇である。今回もくだらん新聞は安倍首相が日本でトランプ大統領とゴルフした時にこけたとか実にくだらんネタを披露して喜んでいるが自分の属する国の最高権力者をそういったくだらんレベルの批判してどうする??

 

今の日本が考えるべきはいずれ去る米国の後にどうやって中國と対面するかである。ある意味北朝鮮は小さな目先の問題だ。百年の計を考えれば今こそ中國との対話と立場の明確化をすべき時期である。

 

今ならまだ米国の傘の下にいるし米国も助けてくれる。けれど2年後に米国が日韓から軍備を撤退したらどうなる?だから今のうちに中國政策を明確にして彼等中國に「日本はこうやるよ、その為にこんな軍備増強をするよ、けどそれはこっちが先制攻撃するものじゃなくて、あくまでも国防のためだよ」と相手が納得できる行動を起こす必要がある。

 

ASEANは世界の中では比較的に安定した平和な組織でありちっちゃな国同士が成長しながら組んでいこうって発想である。そして日本はアジア地域の国家からは「信頼出来る国」として高い評価を得ている。

 

ならば今のうちに中國との百年の計を考えて「アジアの真珠のネックレス」を当事国である中國も含めて「上手く収める」計画を日本が主導して提案すべき時期だと思う。



tom_eastwind at 09:58|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月10日

人生を楽しむ角度

今日あるスタッフと話してたら「今年はあんまり楽しくなかったな」って感想。11月に入り残り後2ヶ月足らずとなるとやはり来し方を振り返っていろいろと考えてしまうようだ。

 

けれど僕からすればそのスタッフにとって今年一年と言うのはとても幸せだった年だと感じている。

 

何故ならその人の子供はすくすくと成長しており親とも会話が成立している。世間では子供が親を殺したり親の言うことを聞かない子供がパーティの場でもゲームばかりしてそれを制御できず周囲に苦笑いする親がいるが、そのような家庭に比べればずっと幸せである。

 

何故ならその人は体力的にも健康であり毎日自分の足で歩けるし車の運転もできる。世の中には怪我や病気で動けないとか痛風で足を引きずっている人もいるのに、そう考えたら何と幸せなことか。

 

何故ならその人は両親や兄弟等の家族にも恵まれており毎日楽しく会話も出来る。世の中には家族と生き別れになったり相続を巡って大喧嘩になり一生の縁を切ったなんて話もある中で恵まれた話ではないか。

 

世の中そうやって考えれば、まずこうやって生きていること、健康であること、家族が幸せなこと、それだけで幸せの90%以上は確保したって言えるのではないか。

 

勿論上を観ればきりがないよね。豪華な住宅、華やかな生活、ブランド品を身に着けて極上の食事をして。

 

けどその豪華な住宅に住んでる人は幸せなのか?もしかして家族もおらず一人で寂しく生活しているんじゃないか?

 

華やかな生活をしているけど実は誰も周りの人を信用出来ず、自分がお金がなくなった瞬間に周りの人は一斉にいなくなり誰も私を褒めてくれないし煽ててくれない、金だけがすべてだってのに気づくのにとても恐れている。

 

ブランド品や極上の食事だってこっちがカネ払っているうちに自分でのぼせ上がってるだけで素直な素の自分に戻ると実は人間としての中身空っぽで誰も相手にしてくれない。

 

そんな事を考えてみれば、人間にとって大事なのは何かって自然に観えてくる。

 

自分の立つ位置を総合的に考えて、今持っているものと持っていないもの、今年失ったものと今年得たもの、そういうのを比べてみると実は今年ってすごく幸せな当たり年だってというのが分かるはずだ。

 

よく例えに使われるコップの中の半分の水であるが、幸せって「足るを知る」なのである。

 

足るを知り今の自分が持っているものを考えればどれだけ幸せか。

 

人生を楽しむって、どの角度から観るかで全然答えは変わるけど、自分がその主体であることに変わりはない。

 

ならば自分がより自分の人生を楽しむために楽しい角度から自分の生活を観てみればどうだろうか。状況は何も変わらないのに突然頭の上の黒い雲が消えて青空と涼しい風が吹いて自分が笑顔になるのに気づくから。



tom_eastwind at 09:56|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月09日

Nothing too late

日本語で言えば「何事も遅すぎる事はない」となる。人が何かをするのに「年を取った」とか「今更遅いよ」ってのは言うのはやめようよ、人に遅すぎることは何もないんだから。

 

日本人だって60歳過ぎて芸の手習いをする人もいればキーウィも年をとっても毎日楽しく生きている。コーラスで歌ったりボランティアで生活の心を豊かにしたり、とにかく年の事など考えず毎日を学びの場にしたり楽しむ場にしたりしながら何時も言ってる、「遅すぎることはないよ」

 

日本では年相応と言う言葉があるけど年相応という言葉に逃げて何もしないってのは違う。人はいくつになっても成長するし年相応と言うのは毎年脳みそのシワを増やして様々な価値観を学び異国文化を通じて自分の許容範囲を広げることだ。

 

そしてその知識を子供たちに伝えて早い時期から成長することで更に学びを得ることが出来てそれが社会の質を高めていくことになる。

 

なので年を取って何もしなくなるってのは社会に対する義務の不履行だと考えたほうが良い。

 

身体で言えば年を取れば体力が落ちるってのはありだろうが、それでも食事に気をつけて健康を保つことは出来る。

 

カロリーってのは現代の食育ではあまり大事な問題ではないと思う。カロリー計算は食料に含まれるエネルギーを計算するわけだがエネルギー消費は個人差が大きい。

 

例えば1リットルのガソリンで走れる距離は車によって違う。大型の米国者だと1リットルで3km程度だろうが今の時代燃費の良いクルマなら20km以上走る。

 

 

長生きをするためだけに健康に注意して息苦しい人生を死ぬまで送るよりも楽しく生きるために常に適度な運動と心豊かに過ごして年相応の運動をして晴耕雨読で学びの生活をしたほうが人生をより楽しめる。

 

学びに遅すぎると言う事はない。



tom_eastwind at 09:41|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月08日

ZERO

来週月曜日から日本出張。今回は一週間というとんぼ返りなので出張で通常行う東京や大阪での個人面談はなし。時間的にかなりきつくほぼ毎日移動なので普段使う足のないスーツケースではなくキャリーバッグにする。

 

このキャリーバッグを使うようになってもう15年位になる。おかげで表面はズタズタ、角っこはボコボコであるがキャリーのタイアは堅牢だし引きずるのに問題はないので現在も現役である。

 

1970年代に旅行業に入った時には日本航空JALの海外商品ZEROと言うのが業界で一時期評判になった。

 

大学生の卒業旅行で米国行きの往復の国際線と初日の宿だけ取って後は自由行動と言うツアーだ。

 

画期的だし当時流行っていた旅先の空港のシールがベタベタと引っ付いたキャリー付きスーツケースにバッグパックと言う出で立ちで若者が旅をしていたが、JALZEROは大衆向けの売り込みをしていたのに大衆は振り向かず大失敗した。

 

そのすぐ後からHISが個人旅行を販売して大成功したのはまさに皮肉であるが、当時の日本航空としては実に良い商品であった。

 

小田実などがカバン一つで世界を旅するとかシベリア鉄道でユーラシアを旅するとかが若者の流行になっていた。

 

今の時代からすれば「何それ?」と言う感じだろうが、戦後の日本で一般人が海外旅行出来るようになった時代の始まりはそんなもんである。日本航空を利用するハワイ一週間旅行が30万円だった時代である。

 

今のようにインターネットもなく動画もない時代だから「自分の目で見てやろう」と言う「事実確認」的な旅が主流であった。

 

北欧の社会主義、米国のヒッピー族、シルクロード沿いのアフガニスタンやイラン、トルコなど当時の日本人からすれば珍しいものだらけであった。

 

特に当時のシルクロード沿いの旅は今のようにイスラム原理主義がうずまっておらず人々は極東からやって来た日本人を珍しがり歓待したものだった。

 

時代は移りシルクロードはまさにイスラム原理主義に晒され米国のヒッピー族は姿を消し北欧も失敗した社会主義により経済不況に陥り世界は変化した。

 

2001年の911テロでは米国が自演で仕掛けたテロとは言え世界を変えた。

 

そして今がある。ZEROと言う商品は面白かったな。けれど、良いからと言って売れるわけではない。生き残ることと夢とは全く別問題である。 



tom_eastwind at 15:03|PermalinkComments(0)諸行無常のビジネス日誌 

2017年11月07日

みんな一緒に