2018年03月

2018年03月31日

少子高齢化詐欺化?

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330日に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の地域別将来推計人口」によると、2030年以降は全都道府県で総人口が減少するとしている。また、2045年には東京都を除く全ての道府県で2015年の人口を下回るとのことだ。

誤解の無いように補足すると、東京都では2045年まで人口が「増え続けるのではなく」、2015年の人口を下回るのが2045年だとの推計である。

総務省によると、2016年の都道府県別人口増減率は前年比で7都県(東京都・沖縄県・埼玉県・愛知県・千葉県・神奈川県・福岡県)に人口増加が見られる。沖縄以外は大都市を抱える都県のみである。

その中でも東京都の人口増加率は0.8%と突出して高い。これは1980年の日本の人口増加率(0.9%)に迫る数字である。特に2000年からの増加率は、2011年からの3年間を除けばいずれも高い水準で推移している。

だからと言って「東京は人口が増え続けているからしばらくは安心」なのだろうか?

確かに、東京都政策企画局の2060年までの東京の人口推計」によると、東京都区部の人口は2030年にピークを迎えるまでは増加を続けると見込まれている。

様々なインフラが整備された都市に人口が集中することで生産性は上がり、さらなるインフラ投資も可能になるだろう。東京都でも空き家問題は顕在化しているが「人口増加」という現実が続く限りその危機意識は希薄になりがちだ。

http://agora-web.jp/archives/2031960.html

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こういう、公的機関の数字が出た時はよく考えた方が良い。まずこれは何のために作られた数字か、である。

それこそまさか日本政府がこれからの国民生活を脅かすような真似をして税金取り漏れるような真似をするわけがない。最後まで搾り取るためには正しい場所にいてもらう必要がある。

であれば例えばこういう観測気球と言うか狼煙を打ち上げて国民の反応を観てオリンピック後の人民配置計画を作るのかもしれない。

普通の若者に東京にばかり集まられたら多すぎて官僚は息苦しくなる。

 

それよりは東京に集まらず地方のスマートシティの運営に関わってもらい、これから年を取っていく人たちがワンストップでサービスを受けられる、その係員をやってもらいたい。

 

そうすれば地方の老人も最後まで黙って税金払うし相続税取る機会だし若者も税金払って地方の面倒見てくれる。

 

その為に「東京に来ても良いことないよ、地方で管理人してなさい、全体は東京で舵取りするから安心して農業でも楽しんでくれ」などは、ありえるすき焼き、筋書きである。やばい、どうしても「離れですき焼き」を思い出してしまう。



tom_eastwind at 18:00|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月30日

36-3

本来ならインターネットが出て来た時に、まさにテレビが出て来た時代に新聞社がその利権を押さえて長い勝利の図を描いた時のように、大資本でインターネット技術を吸い上げて自分たちが制御出来るようにすればよかったのだ。

 

20世紀当時であれば可能だった。何故ならインターネットの持つ国境を超える力とはいえど総務省と組んでテレビ電波に制限をかけるようにネットにも制限をかけることが出来たからだ。

 

何故なら当時はネット住民はカネもなく若いだけだったから、例えばグーグルがユーチューブを買って彼らの技術を自社内に組み入れることでユーチューブ成長の歯車を制御しつつ自社の技術と融合化させて更に放送法など周辺整備も行えることが出来た。

 

ところがそれまで放置していたネット技術が拡散すると不安を感じ始めネットに乗るかとなった。けど次は新聞社が既存の設備をどうするんかと言うことになった。

 

何故ならあちらの土俵に乗ればこちらが長年かけて築き上げてきた新聞印刷所、配達と集金体制、そういう「長いお付き合い」を将来的に切る必要がある。

 

けど今切らなければ傷はもっと深くなる。なのに結局歴代社長は「長いお付き合い」を切れないままYahoo,そしてGoogleと言う黒船が日本に上陸して来た。

 

そうなるともう遅かった。既存のメディアはネットを通じて自社の記事を掲載され、かと言って記事掲載しなければそのメディアは存在しないのと同様で部数や読者を落とす。

 

なので苦し紛れに自社のウェブサイトを作っても所詮一社のみの対応では勝ち目がない。もしあの時に全国のメディアがお互い疑心暗鬼にならずメディア・ネットを作り一次記事をYahooGoogleに渡さない、そうやっていれば二次媒体であるネット企業は戦う術を失い撤退するしかなかった。または日本国作メディア・ネットと協力するしかなかった、中國で起こったように。

 

日本のメディア大企業と呼ばれる連中は結局社内出世戦争には強いが本当の戦いを知らない、そして外国から黒船が来たらびっくりして「夜も眠れぬ上喜撰」となった。

 

今は国会で与党、野党、マスコミがそれぞれの立場からバトルロワイヤルをやっているが、問題は外なのである。外国から来る新しい技術をどう取り入れて日本の国益にするか、なのである。

 

そのような考えもないままに内向きに下らんシモネタバラシをやり社内で出世ばかり考えて、本来の社会の木鐸と言う立場を忘れている。いや、おそらく最初から持っていなかったのだろう。

 

労基署が内向きに腐った法律を振り回し野党はメディアは森友の「やってない証拠を出せ」と政府に要求している。

 

しかし現在の周囲を見渡して欲しい。既に中朝会談が行われ北はロシアとも連絡を取り米国とも直接交渉でまた多くの妥協を見出すだろう、自分たちの核爆弾は何発か誰も分からない場所に隠した上で。

 

そして数年経過すればまた何か欲しくなったら核開発を再開する。そういう時北朝鮮は平気で言う。「約束はしたが、守るとは言ってない」

 

これからの2ヶ月で極東地域の勢力分野が決まるだろう。そんな時に一体日本は何をやっているのか?

 

全く日本は何時の時代も全員揃って大事な問題を先送りして目先の鶏のエサのような下らん問題でこっここっことやっている。頭を下に向けていれば問題が通り過ぎるとでも思っているのか?

 

これから5年後、10年後に日本がどこかの国の領土になったからと言っても誰も文句は言えない、それは今この時期に下らんアフォ記事で喜んでいるだけだからだ。



tom_eastwind at 17:55|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月29日

36-2

日本の新聞メディアは長い歴史の中で日本政府と組んで盤石の経営体制を築いてきた。最初は戦前の大本営発表の垂れ流し。戦争に勝ってます!記事を書くことで何も知らない国民を戦争に向かわせた。

 

その結果として死んだ300万人の日本国民の責任は誰も取らず戦後は左翼新聞と正反対の方向に「転向」した。政府を攻める記事を書いたが、裏では新聞と政治は完全に結託していた。新聞はガス抜きとして活動することで政府から様々な援助を受けてきた。

 

日本にテレビが入って来た時、日本にはテレビに関する法律がなかった。そこで新聞社がそれぞれの地域でテレビ局の親会社となり独占(寡占)免許を与えられてここに戦後のマスコミ体制が成立する。

 

広告はその地域で売る必要があるから、その地域のテレビ新聞に掲載され、どちらのメディアも認可制であるから地域広告を独占した。

 

これでメディアの戦後の長い「お花畑」時代が始まるのである。

 

20世紀の終わりに発明されたインターネットなど経営陣は誰も分かろうともせず無視放置、その結果として21世紀になりネットが強力な広告獲得合戦のライバルになると、さあどうするかと悩んでしまった。

 

けど悩む以前に30年と言う長い時間があったよね。誰かが早い時期からインターネットの持つ爆発的な力を理解して対応すればまだ良かった。ところが当時の経営陣は「自分の在任中に爆発さえ起きなければ」と問題を先送りした。

 

先送り、これこそ日本が世界との戦いに負けた時の主因の一つであるのは明白なのに「今そこにある危機」を先送りしたことでネット爆弾の威力はますます強力になった。



tom_eastwind at 17:53|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月28日

36-1

社会問題が起こると最近の日本のメディアは自分がまるで正義の味方であるかのように発言権のない弱者を叩き農家を営む一般市民を死に追い込み、それでいて自分や周囲は楽しく高給を受け取りキャバクラでどんちゃん騒ぎする。

 

ブラック企業で電通が取り上げられた時も、おいおいよく言うよ自分とこでも既に死者出しているではないか、おまけに夜討ち朝駆けする新聞記者に営業時間などないのに、同じように働く弱者を叩き自分たちが正義の味方面をする。

 

日本では元々メディアなど営業時間を持たずに働く人々はたくさんいた。新聞記者、警察、若い医者、皆そんなもんだと思って働いてた。

 

労働の質が個人で働き完結する労働者と、工場など全員が一丸とならないといけない業種は同じ労働法を適用してはならない。その時代は共通の社会認識として同じ労働法を適用しないという考え方があった。

 

ところが21世紀になり成果主義などで頑張る連中も出てきたもののブラック企業も出てきたので労基署が動いた。動くのは良いのだが動くのに方向性がかった。手当たり次第にショットガンを撃ちまくって、当たったら叩く。

 

その結果として仕事はきつくてもやりがいがあって時間なんて考えない、例えば起業家、IT企業等が叩かれて、労基署対策として余分な時間と経費が発生した。このお金は誰のものにもならないサンクコストであった。

 

そこにまた自分たちこそがオールブラックス日本代表であるのに、官僚や政治家が労働法整備を急がなかったから子供ブラックメディアが日本企業を叩きにかかった。そして政府さえも新聞が売れれば良いってくらいに紙面で叩き出した。

 

現在のテレビ新聞メディアが本当に社会の木鐸であるのか?どう見ても、ない。では社会としてはどうすべきか?

 

逆攻撃すればよいのだ。メディアは毎月36協定を労働組合と締結しているか?時間内に終わっているか?持ち帰り残業なんてしてないよな?

 

まさかテレビ局幹部が銀座の女を囲ってないよな?まずは大手メディア幹部の写真をネットにUPする。次に繁華街に詳しい弱者が幹部がいたら写真を撮りネットにUPする。

 

ネット社会では様々なことが可能である。個人対大新聞が戦うことも可能である。10人くらいがチームを組めば日本の新聞の悪事なんていくらでも暴露出来る。

 

ただ大事なのは訴訟合戦ではなく、お互いに時代遅れの労基法にしがみついているのではなく21世紀の新しい働き方を議論しようと言う立場である。

 

その意味で国会に提出された新しい働き方を野党とメディアは自分の働き方を振り返ってこの法案に何の意味があるか、真摯に考えるべきである。



tom_eastwind at 16:55|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月27日

イースター

キリスト教国家ってのは不思議で、例えば米国の一部では原理主義があってそれは神がすべてを作りダーウィンの進化論を認めないとか。

 

けど間違いないのは米国もNZもイースターが祝日であり、人間が死んでからまた復活して、そして空に飛んでいくって話をネタにしたらお休みが取れるってことだ。

 

今年のイースターは330日のイースターフライデイから4日間である。国内も国外も観光地は相当の混み合いをみせて、タウポあたりでは別荘で魚釣り三昧に浸るご家族も多いだろう。

 

それとは逆にこの時期のオークランド・シティはお正月の霞が関状態で、どこにも人がおらず「ウォーキングデッド」かと思わせるくらいだ。

 

僕は今年はとにかく3月末まであり得ないほどの忙しさでイースターのことは全く考える余裕がなく、とにかく毎日の仕事を終わらせるだけで、イースター前にある程度目処がついたのでその時になって初めて「あれ?イースター、何の予定もないな」ってことに気づく状態だった。

 

全く始末に負えんな、けどまあ日本からAmazonで送ってきた小説がたくさんあるので、今回は寝&読イースターとしよう。



tom_eastwind at 11:55|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月26日

4月から最低時給上昇

401日からニュージーランドの最低時給が16.50セントになった。331日までは15.75セントだったので4.8%の賃上げだ。ほんとにまあ分かりやすい国だ。

 

景気の良い内に毎年賃金上昇させて企業が自社の利益から人件費に支払いを回せよって理屈である。

 

そりゃ今のオークランドの物価上昇を観てたら最低賃金も上昇させなくちゃと思うが、これには2つの面がある。

 

まずここ数年のオークランドの住宅価格高騰で何よりも地元キーウィは自宅を買えず賃貸住宅は貸し手市場で家賃は毎年上昇している。だから現在の最低賃金でオークランドのフラットを借りることは困難になっている。

 

また第二に最低賃金上昇は経営者からすれば払いたくないカネである。だから人を雇わなくなる。最低賃金の対象者は学校卒業したばかりの若者とかであり、今まではオークランド大学で会計を学びMacのレジでハンバーガーとコークを入力出来た。

 

しかしこれからはそのような労働機会も賃金上昇で減少していく。今のオークランドは景気が良いと言っても雇用の絶対数は日本などに比べれば圧倒的に少なく、前任者が退職しない限りその席は空かないし、もっと言えば前任者の退職に合わせて仕事をコンピュータ化して合理化すれば席そのものが消失してしまう。

 

最低賃金上昇は行うべきだがそれと同時に政府はどうやってNZ国内に雇用を作るのか?この点は賃金上昇よりも更に喫緊な問題である。



tom_eastwind at 11:51|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月25日

こおろぎ

昨日からコオロギの声が盛んだ。自宅のベッドで夜仕事をしているとコオロギの合唱が始まって、何だか日本の昔のようだ。

 

最近の東京でマンション住まいだとコオロギの声を聴くこともないだろうな。

 

そういえば夏のオークランドはセミが鳴く。シティのオフィスからドア2ドアで昼間なら15分で行けるんだけど、こうやってみるとオークランドはまだまだ緑の街である。

 

これは1800年代に英国から入植した人々が次々とカウリなどの自然大木を伐採して英国に送り英国で様々な形の家具になったからである。

 

山にある自然木を目先の利益のためだけに切る。

 

その時の反省を基にNZでは早い時期から自然林伐採禁止、その代わり米国カリフォルニアから導入したラジアタ松を植林して様々な木材製品を製造輸出するようになった。ラジアタ松は成長が早く加工もしやすいので現在もNZの主流木材となっている。

 

その結果としてカウリ等の歴史のある古い木は自然の中に残されるようになり北島各地で自然公園として人々に親しまれている。カウリはそれだけでなくて公園に入ると空気が変わって人に安らぎを与えてくれるようだ。多くの観光客が「ここだけ空気が違う、、、何か違う」と言われている。

 

実際にマオリ族の言い伝えだとカウリはマオリ族誕生時の神聖な役割を果たしたとのこと。高さ50m、幹の太さ16m、樹齢2000年、そんな大木が自然公園の中に堂々と立つ姿は観光名所でもある。

 

観光資源は再生資源である。木は一度切れば終わりだが観光と自然を資源としてビジネスにすれば同じネタで毎年利益が出るわけだから余程良い。

 

これだけ自然が豊かなニュージーランドは偶然に緑が守られてるわけではない。例えばNZでは自宅内にある木さえ勝手に切ってはいけない。眺望が悪いからと木を切ったらシティカウンシルが来て「もとに戻せ」とか「罰金だ!」とかになるほど、例え私有地であっても緑を大事にする。

 

1980年代初頭、僕が初めてオークランドに来た時、成田空港からオークランド空港までの飛行機がたまたま機材故障でオークランドに朝到着する予定が夜になってしまった。

 

ところが夜のオークランド市街に近づくと窓から観る市街地が、まるでビロードを敷いたようななだらかな場所にぽちぽちとあちこちに光る地元自宅の様子が何だか宝石のようだったのを今も覚えている。

 

長い時間をかけて自然と緑を大事にしてそれが現在の観光地としてのNZの価値を高めていく。

 

これからも政府は自然と緑を守るをテーマにいろんな施策を打ってくるだろう。良い事である。自然を大事にしてその自然で観光業を発達させて再生ビジネスを確立させたのだ。



tom_eastwind at 11:16|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月24日

法の精神

最近ある本を読んで日本の大人後半の人々に感じることがあった。

法とは人を縛ったり殺したりするものではなく、人を活かすための道具である。社会を円滑に回すための手段として法律があり法の精神とは人を活かすことである。

 

だから法律を解釈する時に大事なのは、条文を平よみするのではなく起草者の気持ちを読みとることである。

 

起草者が何時どのような時代背景でその法律を作ったのか?そこを理解しなければ法の精神は理解出来ない。

 

例えばNZで労働組合が認められたのは1900年代初頭であるが、これは英国

で発生していた労働者のこき使い、立場の違いを利用して一方的に労働者の権利を搾取してたから、NZでは誰もが手に汗をして働こう、他人を使って稼ぐのは良くないという考え方があった。

 

結果的にこの法律は何度かの変遷を経て今は随分柔らかくなったけど、それでもNZが労働者の天国であろうと言う考えが労働組合法の精神にある。

 

例えば日本では戦時の1940年代に作られた借家法は現在の社会で国民全体の利益になっているか?

 

明治時代に作られた民法が現在の社会に適合しているか?だから現在大改正を行ってインターネット時代に合った法律が導入されようとしている。

 

考えるべきは法を無意識に遵守することではなく法を今生きる人々の生活のために有効活用することである。

 

一番良い世の中は法律がないことである。もし国民全員の価値観が同じであれば、例えば日本なら誰も人を殺さないし泥棒もしないだろう。法律は少なければ少ないほど良い。その場にいる多くの人々の良識で判断すればそれが一番良いのだ。

 

しかし現実的には日本国民の中でさえも価値観が異なり人殺しも泥棒も存在する。だから取り締まるための法律が必要になる。

 

自分の行動が日本のどの法律に抵触するのか、またその法の精神と次代拝見はどうであったのか?

 

その時に法律を作った人が何を目的としていたのか、その時代背景を考えて法の精神を理解すべきだ。

 

大体法律があるから目を閉じて「守れ−!」って叫ぶ団体が帰路では道路にはみ出したりバスの中で酒盛りしたり沖縄に行けば昼間は叫び夜は国際通りで騒ぐ。

そして仲間内で飲めば若い頃の昔話。全学連とか共闘とか「俺たち、凄かったよね」とお互いを褒め合う。そこに法の精神は、ない。

 

NZで一番良いなってのは、法律をある程度自由に解釈出来ることだ。 

tom_eastwind at 05:17|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月23日

生きる。

人は、死ぬ。原発が無くても人は死ぬ。寿命が来れば、人は死ぬ。大事なのはどう死ぬかであり、どう生き残るかではない。

 

「日経ビジネス2018・03・05」の3・11特集を読んだ。原発事故に対して、これを機会として福島を再興しようとする人々。

 

「亡くなったほとのことを考えれば何でも出来る」その通りである。

 

しかしその前に聴きたい。何故貴方達は原発を受け入れたのだ?

 

原発は十分に危険な発電所である。水力ダムだって崩壊すれば下の村は全滅する。つまり電力を作るのは常に危険なのだ。

 

それでいながら福島の人々は原発を受け入れた。受け入れた以上どうこう言っても自己責任だ。電力全面停止が「ありえない状態」かもしれないが、現実的に起こったのだ。

 

なのに東電や政府を攻める。攻めるべきは自分自身ではないか?

 

つまり福島原発に限らず日本の原発は常に危険を抱えている。その危険と得られる利益を比較してどうするかだ。

 

もし危険を理解して原発を受け入れるなら自己責任。もし危険を理解せず経産省のバカ役人の話を真に受けるならこれも自己責任。もし福島市役所の話を「怪しいな」と思いつつも受け入れたら、これも自己責任。

 

貴方達は博打に負けた。この問題は津波とは別である。地震と発電所爆破で直接に死んだ人は少ない。むしろ津波に巻き込まれた人が多く死んだのだ。

 

津波で亡くなった方の責任を東電が負う必要はない。福島の再興に向けて協力する姿勢は良いと思うが、福島は東京に電力を売ることでカネを得たのだ。東京は危険な原発を福島に作ることで危険を避けたのだ。

 

博打と同じだ。負けた方が文句を言うのは筋違いである。



tom_eastwind at 11:57|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月22日

アラカン山脈

今日はかなり頭に来た話でブログを書くが、ほんとに日本の優秀な大学を出た社会人がビジネスという戦争するのに戦略企画の段階で物事を考え抜いてない。

 

なあなあで何となく始りこうなったらこうなると言う順序立てもないまま「やれば出来るだろ!」と精神論ばかり大声でどなり細かい点を詰めてないから途中で何度も企画の根本を変更をする。

 

その度に本来目的を忘れてとにかく目の前を通り過ぎるための手段が目的化する。結果として本来目的とは違ったものになって失敗してしまう。それから全員が誰かに責任を押し付け合う。

 

こんな簡単な事がわからないし出来ないのは明治以降の日本の学校教育にある。日本の学校教育は極端に言えば戦場の兵士や工場の歯車を作る仕組みであり自分でものを考える事を徹底的に否定する教育である。

 

だから答のある場面では皆が「そこに到達する道」を考えることが出来るが答のない場面では皆がどちらに行けば良いか分からず右往左往することになり本来目的を忘れて目先の細かいことにばかり意識が行って失敗する。典型的な利口バカである。

 

生きるとは明日の世界が分からない中で自分の頭で今自分が置かれた場所を確認して、今日をどう生きて明日に向けてどう準備するかを考えることだ。

 

そういう、生き残る訓練を徹底的に奪いぬくのが日本の学校教育である。だから学校で優秀なのは役所や大会社での立ち回りが上手でも一人で生きて行くことは出来ない。

 

そして、そういう小利口な連中が出世して社会の上部に行き部下に無意味でバカな命令を押し付けてご本人は昭南島の料亭で芸者とどんちゃん騒ぎ。

 

一度でもいいから、雨季のアラカン山脈を歩いてみろ、そしたら現実が分かるから。

 



tom_eastwind at 11:33|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月21日

王毅外相が国務委員に。

これは日本にとって朗報である。何故なら王毅外相は中國のジャパンスクール出身であり流暢な日本語を話し日本での勤務経験もある「知日派」だからだ。

 

勿論公の席で日本語は使わないが最近河野外相と会談をした際に間に入った通訳に「そこ、違うから」と指摘できるほどである。

 

言葉って大事だな。日本人はどうしても「言わなくても分かる」があるけど、世界でそれは通用しない、言わなければ分からない。

 

その意味で王毅外相が今の時期に習近平の下にいるのは有り難い。何故なら彼は日本人の「言わなくても分かる」が分かるからだ。



tom_eastwind at 06:02|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月20日

デジタルデバイド

昨日の午後オフィスに光ファイバーが導入された。

 

ビル自体は1960年代に建設されて古いのだけど、オーナーが良い人でIT対応に気を使っているので助かる。但しそれはスパークス(電話会社)から来た技術者の腕が良い事を保証するものではない。

 

オフィスの天井をこじ開けて窓側に穴を空けてやるので、とにかく音がうるさい。仕事をしている机の隣で壁にドリル当ててガリガリやるわけで、その間ネットも使えないし、だったらいいやとっとと自宅に帰って仕事を再開とする。

 

日本にいるとネット環境はつながって当然だろう。NZもネット環境は80%以上と言われるが、これはADSLで更に人口分布比率であり実際の国土に引きなおすと50%程度ではないか。

 

先月の出張で南島を回った時は立派な国道を走っているのにネットどころか電話もつながらない山があった。

 

このようにNZはよく言えば手付かずの自然があり、悪く言えば文明の利器の恩恵が北半球の都会のようには届いてない。

 

手付かずの自然は100NZ!と言う宣伝にはぴったりであるが、仕事をするうえでは人も環境もまだまだ田舎である。



tom_eastwind at 06:52|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月19日

コップの中の嵐

日本人ビジネスマンが英語通訳を入れて米国で米国人と会議を行った。冒頭日本人が10分ほど話をするのだが通訳は何も伝えない。そこで米国人が通訳に聴いた「彼は今何を言ったのだい?」すると通訳は「彼は何も言ってません。無意味なことをつぶやいてるだけです」

 

この意味は日本人ビジネスマン同士の会話の多くは実は何も肝心なことや具体的な事を話さずその場の空気や雰囲気だけで物事を進める事を意味している。

 

確かに多くの日本人ビジネスマンは朝から夜まで仕事をしているが実際にそれは無駄のない価値のある仕事であろうか。

 

内部調整、根回し、言い訳、他人への責任転嫁、忖度、実はそんな無駄な事に多くの時間をつかい、肝心の価値ある仕事そのものへの具体的な取り組みや方向性の決定、進出と撤退の判断基準作り等大事な部分は殆ど考慮されないままに時間だけ費やしているのではないだろうか。

 

実際に第二次世界大戦では日本で最も優秀な頭脳を持つ軍人が実に無駄な時間を費やして肝心の作戦はいい加減で自滅した。

 

今も東京では日本の最高意思決定機関である場所で仲間内で足を引っ張ってみたり怒鳴り声を上げてみたり揚げ足を取ってみたり、どれを観ても見苦しいばかりである。

 

国会で語るべきは国の進め方や予算の決定や法律の制定である。肝心の作業をせず朝から晩までぐちゃぐちゃやってて、これが国会か?

 

これに輪をかけて酷いのが新聞である。新聞は実に偉そうに政治や経済を語るが自分とこは何やってるのか?

 

最近は日経新聞本社で販売店オーナーが自殺した。押し紙問題である。新聞の実売部数は右肩下がりなのにスポンサーから広告費用を取るために水増しした部数を発行して販売店に押し付けて回収会社に引き取らせている。全く紙とカネと時間のムダであり、第一広告費用を水増しさせるためにやっているなら詐欺である。

 

新聞社は道徳や法律や環境を語り世間や政治家を吊るし上げるが自分たちは何をしているのか?商道徳を無視して販売店に押し紙を押し付けスポンサーを騙して法律違反を行い無駄な紙を使って環境破壊をしているのは、まさに自分たちではないか。

 

国会議員もひどければ新聞社も酷いものだ。まさに周囲の現実を観ずにコップの中だけで争っている。つまり日本の社会は上に行けば行くほど理屈も通らず無駄な事をやってコップの外の世界から取り残されているのである。

 

中國では習近平が全人代で勝利宣言、米国ではトランプ大統領が世界の覇権国家から降りる準備を進めて英国はEU離脱、どれも21世紀の国家関係を決定する重要な議題である。

 

そして米国や中國では民間企業が次々と革新的な発想で新しい技術を作り上げ世界標準を獲得して、日本はまたいつもの様に他人が作ったルールの上でバタバタするしかなくなる。

 

現在国会でやってる財務省のどっかのバカがミスって作った書類問題もコップの中の勢力争いには大事だろうが国として前に進むべき時に朝から晩までやってる問題か?

 

またそれに火を注ぐような事をしている新聞社は自分たちのやっている犯罪を棚に上げてケロッとしているわけである。

 

コップの外を観てみよう。そして今、日本が世界の中でどのような地位にいるのか考えてみよう。



tom_eastwind at 06:51|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月18日

空飛ぶタクシー

昨日の地元ニュースを観てたらクライストチャーチで空飛ぶタクシーCORAの実験が成功したとの事。

 

このCORAは米国のキティホーク社が開発しててグーグル系列だ。ならば米国で試験をすれば良いようなものだが米国で試験の認可を取得するのが難しくてNZで実験をすることになった。

 

電気で動き時速150km100km飛ぶことが出来る。タクシーと言うより小型セスナで主翼に垂直エンジンがずらっと並んでおり、おお、いよいよここまで来たかって感じだ。

 

今後実際に空を飛ばすとなれば航空管制が必要になるだろうが、それは技術的にすでに確立されている。離発着出来る場所を作ればNZなら今からでも実用化出来そうだ。

 

今のオークランドはセスナやヘリも移動手段として一般的に利用されている。田舎の郊外の交通事故の場合はドクターヘリを飛ばすし地域の大きな緊急病院にはヘリパッドもある。

 

空飛ぶタクシーが出来れば緊急時の搬送にも利用出来るし勿論観光や通勤にも利用出来る。

 

20世紀半ばは手塚治虫の漫画の中にしかなかった空飛ぶタクシーだが、人間は望むものは何でも作るものだ。後は真剣に望むことだけである。



tom_eastwind at 09:46|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月17日

YOUは何しに中國へ

中國で日本人に嫌われる日本人駐在員と言う記事が面白い。

http://www.mag2.com/p/news/352911?l=tqc0836b38

 

中國で中国人に嫌われるならまだ分かるが、同じ国籍である日本人に嫌われると言う切り口が面白い。しかしこれは現実である。

 

但しこの場合誰が誰をどう嫌いなのかを明確にしておかないと意味がぼやけて誤解を生むことになる。

 

まず中國に派遣される日本人駐在員であるが、彼らの殆どに共通する悪い点が2箇所ある。

 

それは基本的な中国語さえ学ぼうとせず英語も話さず日本語ができる地元中国人スタッフに判断そのものを任せてしまう事。もう1つは日本人同士が仲間内だけでつるみ一切現地や外部の価値観や情報を取り入れよう、学ぼうとしない点である。

 

逆に言えば上記2点をクリアーするようなら地元の中国人やリスクを取って中國で起業している日本人からの信頼を勝ち取ることが出来る。

 

続いて、上記の記事では信頼している中国人に騙される日本人駐在員と言うパターンが描かれているが、これは事実である。日本人駐在員が日本人駐在員としてあり続けて中国人が中国人であり続ける限りこの構図は変わらない。

 

僕が香港で仕事をしていた1990年代も全く同じ状況であった。日本から派遣された駐在員は日本人同士でつるみ昼飯も夜も一緒、そして地元の悪口ばかり言って酒を飲む。

 

ところがそういう酒を飲ませる店を経営している日本人からすれば「お前らリスク取ってんのか?」となる。腹の中では」「バーカ」と思いつつお金はきちんと払ってくれるのでまあいいや、である。

 

しかしそういう日本人が時々香港人を連れて飲みに来ることがある。「おいマスター、俺はさ、他の日本人と違ってさ、ちゃんと地元の香港人を信頼しているんだよ!日本人とつるんでないんだよ!」

 

実はこれが最悪の、犬も倒れるワンパターンである。

 

中国人や香港人が上手な日本語で上司の信頼を勝ち取る。それからゆっくり上司を騙しにかかる。

 

香港に八百伴が進出してその時に旅行部門として取引をしてて色んなケースを観てきた。

 

相手が顧客なのでこちらは余計な事は言えない。けれど観ていると「あ、やばし!」と言う状況がしょっちゅうあった。なにせ仕入れ部門の香港人バイヤーがベンツに乗ってるのに駐在員は地下鉄通勤である。

 

しかし相手企業に忠告するのは僕の仕事ではない。聴かれたら一応応えるだろうが当時の香港ではこちらがチクった事が分かれば雇われ地元ヤクザに腕の一本も叩き切られる可能性がある。実際に当時の旅行業で既得権益に触ろうとした日本人駐在員は腕を斬られオフィスはハンマーなどでぼこぼこに叩き壊された。

 

世間を知らない日本人はすぐに「正義!」とか言うが、腕を一本叩き切られてもその「正義!」を追求するならどうぞである。



tom_eastwind at 09:02|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月16日

真面目と要領と。

金曜日は週末と言うこともあり様々な案件が同時進行で、こういう時は自分がバタついてもかえって周囲を混乱させるだけなので司令塔に徹する。

 

報告はすべてメールでやり取りするので片付ける先から次のメールが入ってきて朝から増えることがあっても減ることはない。

 

ベテラン連中は言われなくても自分のやる事を分かっているし、何でも聴いてたら無能と思われるのは理解しているので必要最低限の質問だけしたらすぐ自分の仕事に戻る。

 

しかし当社のやり方に慣れてない場合、あちこちに聴きまくりそのうち自分が誰に何を聴いてるのかわからなくなったりする。

 

真面目に仕事をするのとそれを周囲にアピールするのは別問題である。真面目さが何でもカバーするわけではない。

 

僕らの仕事はスピード勝負だから自分が面している問題の何が大事な問題で優先順位がどうなっているかをその場で読み取り実行することが必要になる。

 

ちょうどテニスの試合をするようなものだ。相手が打ち込んで来たボールが、何故ここに打ってきたのか目的を瞬時に理解して正しい場所に打ち返す。打ち込んで来たボールを「持ち帰って検討します」なんてのはありえないのだ。

 

だから真面目であるよりも仕事の処理速度の早さ、要領の良さが要求されるのだ。

 

金曜日は各部門を朝から動かして、それこそ一気呵成に進めた。進められた担当者は自分が何故これを今やっているかなど考えずにとにかく言われた事を一気に進める。

 

それで金曜日の夕方になると色んな事が収まりよく納まる。ただそれでも真面目にやってて要領の悪いのは夕方になっても話がなかなか前に行かない。彼ら、今日も残業かな。仕方ない、こうやって仕事を覚えていくしかないもんな。

 



tom_eastwind at 14:01|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月15日

笑いのツボ

笑うタイミングがずれる。

 

夕食時に米国の1980年代のコメディ番組”FULL HOUSE”を龍馬くんと一緒に観ていると、どうも笑いがずれる。

 

この番組は3人の男兄弟がいて一人が結婚して奥さんがいなくて女の子が3人生まれてて一番ちっちゃいのは多分番組に出始めたのは生後6ヶ月くらいではないか、名前をミッシェルと言う。

 

この子が無茶苦茶おちゃめで可愛いのだけど、生まれたときから演技をしているようなもので、もう演技ではなくて素で話すからますます楽しい。

 

ミシェルにとって叔父にあたる二人は何時もミシェルを可愛がるけど、それがほんとに古き良きアメリカ、みたいな家庭構成になっており実に健全で明るくて家族がお互いに愛し合っていて、観てて幸せになる。

 

番組自体が本当の家族が成長していく姿を映しているので当時としては随分思い切った脚本だったと思う。

 

ただ、この番組を御飯を食べながら観ていると、どうも龍馬くんの笑うタイミングと僕の笑うタイミングが微妙にずれる。そして笑う場所が違ったりする。

 

たぶん英語をネイティブとしている龍馬くんと日本語をネイティブにして英語を聴く僕の場合は笑うツボが違うのだろう。

 

これは生まれ育った国で身に付けた感性の問題だと思う。そこには宗教観や道徳や国民性が深く影響しており、笑うと言うその感覚が浮かぶタイミングがどうも違うのだ。

 

これはクイーンズタウン時代にあるウィンドサーフィン仲間と工房でバカ話シてた時のシモネタであるので興味のない人は飛ばしてほしい。

 

「おいTom,良いビデオあるんだけど観るかい?」

「何だそりゃ?」

「ポルノビデオだよ、おふくろとは一緒に観れないよな、ははは!」

僕からすれば全然笑えないどころか、彼が笑える感覚が理解出来ない。

 

これがやはり文化の違いである。母親と一緒に観ると言う時点であり得ないわけで、それがどうやったら笑いに繋がるのか全く意味不明である。

 

話題はFULLHOUSEに戻るが、長女や次女が成長するにつれていろんな問題が出て来る。そんな時に二人が悩んだりすると龍馬くんもよく分かるようで「うんうん」と頷く。けど僕からすれば「そこって悩むとこ?」と感じたりする。

 

つまり笑いのツボだけでなく悩みのツボも異なるのだ。

 

龍馬くんは完璧にキーウィ社会でキーウィと毎日いっしょに過ごしてキーウィの感覚を持っている。

 

勿論お母さんは香港人だからこれまた感覚が違うけど何故か笑いのツボは日本人と同じである。香港で生活してた時もよく映画を観たりしたけど笑うツボは同じ。

 

これはやはり漢字文化、仏教文化、儒教的考え等の価値観が同じだからだろう。但し文化大革命の為に過去の文化をすべて壊してしまった大陸中国人の場合は香港人と違い同じ中国人でも明らかに異なる。

 

しかし相手の価値観を尊重することは大切だしNZで生活をするのだから彼らの価値観を学ぶことは必要である。少なくとも国際結婚をするなら相手の持つ価値観を理解すべきであり、それは相手の言葉を学ぶよりも長期的取引においては一番重要である。



tom_eastwind at 12:13|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月14日

自由の国

米国にこんなジョークがある。

うちの10代の息子はよくこう言う。

「自由の国だからね、したくないと思えばしなくてもいい」

したくないことには宿題、学校、掃除、ゴミ出しなど・・・。

↑理屈的に彼は正しい。その結果が待っているだけで。

 

表現の自由が何を言ってもいいと思っていること。

↑表現の自由は言った事に対する結果に縛られるので自由ではない。

 

 

・したくない事はしないけどその結果は自己責任。

・表現の自由はあるけど言った事に縛られる。

 

上記はどちらもそれなりに納得出来る話である。

「したくない事をしない」けどそれは、

1・先生の言う事に盲従したくない。

2・周囲と同じ行動をすることを求められたくない。

3・自分の頭でものを考えたい。

4・自分のことは自分で決めたい。

とかだった場合は危機の多い生活ではあるがそれなりに納得出来る生き方である。そう、自分が取る自由に対する自己責任さえ理解していれば「やりたくないことはやらない」も有りだと思う。

 

表現の自由。これは最近どうなんだろうと考えることが多い。と言うのも例えば作家が表現の自由として小説を書く分には縛りは少ない。

 

人の口から発せられる言葉は言霊である。一度口から出ればもう戻せない。そして政治家が発言すると大体の場合記録に残る。

 

だもんで政治家が今日ある政治課題についてAと発言したら独特な思想を持つある種の人々が政治目的で「お前、10年前に言ってた事と違うじゃないか!嘘つき!辞めろ!」となる。

 

でも政治家だって政治知識を身につける中で政治的に変化しつつ自分の主張を変えるのは人間としてある意味当然である。だって人は成長して変化するものなのだ。変化しない人間など面白くもなんともない。

 

英国のチャーチル首相が言ったことわざと言われているが「25歳で貴方がリベラルでなければ情熱がない。30歳過ぎて貴方が保守でなければ脳みそがない」

 

16世紀の哲学者が使った言葉だとも言われているが人間の信条とはこんなものである。時代と共に変化していき、また変化して成長すべきが人間なのだ。

 

だから政治家の長期的な思想変更を持って政治家を攻める輩は自分が1001日も変わらない「退屈で成長しないボケだ」と言ってるようなものだ。

 

大事なのは今日の彼の語ることが今の時代と人々の気持ちに合っていて正しいかであり、60年代安保の亡霊が出て来て70年前の思想と同じだと、その方が敗退的であり廃退的である。

 

その意味で日本は自由の国だろうか?たぶん多くの人々にとっては違うだろう。他人に盲従して自分の意見を持たず自分の頭で考えずにいるから自由は不要であるからだ。

 

それに自由を実行するためには自己責任を理解する必要があるが今の日本に実行者としての自己責任、生活者としての自己責任を理解している人がどれだけいるだろうか?

 

自由は権利であるが権利とは常に義務が付帯する双務契約である。自分の都合の良い点だけ自由を主張して何かあれば「それは、私は知りません、私の責任ではありません」と逃げることは出来ない。



tom_eastwind at 10:34|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月13日

霞が関サイクロン

昨日の午後はオークランドにサイクロンがやって来て気温が16度まで下がり「うわ、冬だぞ」と思いつつフリースのジッパーを上げて自宅に帰ったのだけど、自宅もすごい冷え込んでて夕食後はとっととベッドに入って仕事。

 

日本だと16度と言っても普通だろうけど夏場のオークランドで16度はさすがにきつい。贅沢言うな、夏場でも20度前後、冬場でも10度前後、東京の気温に比べたら話にならんくらい緩い!と思うだろうが20年もオークランドに住んでいると16度はきついのだ。

 

特に昨日の午後遅くから土砂降りの雨と強い風がオークランドを襲い自宅の屋根をバンバンを雨が叩いてた。

 

しかしそんなのは今の日本の東京の霞が関からすればぬるま湯のようなものだろう。

 

森友問題、本来は新聞が騒いだ小ネタにしか過ぎなかったのに財務省の連続した杜撰な対応で大変な騒ぎになってしまった。

 

誰がリークしたかは大事ではなく天下の財務省がこんな書類の偽造をやるなんて公文書偽造だとわかっているだろうし財務省の外の人間だって普通に法律を知っていれば「やるはずはない。費用対効果があまりに合わない」と判断していた。

 

ところが外の常識は中の職員には通用しなかったようだ。

 

今回の事件ではすでに自殺者が出ておりこれから特捜部が立件を視野に入れて逮捕者が出るだろう。

 

思えば財務省は大蔵省と呼ばれていた時代に大不祥事を起こして大蔵省を分割されて金融庁が作られた。大蔵省自身は財務省と名前を変えてそれから7年くらいは何も出来なかった。

 

2001年から2006年まで総理を務めた小泉首相の時代は官邸主導であり財務省は完全に死んだふりをするしかなかった。

 

けれどその後自民党が1年単位で首相交代、実務を取り仕切る財務省が次第に勢いを付けて来てその後民主党が政権を取った時は思い切り民主党を振り回して勢いを取り返した。

 

そのままきちんと仕事をしてれば良かったのに篭池とか安倍首相の奥さんとかがわいわいやって、付き合う必要ないのに彼らに付き合うように忖度して、ここまでならまだしも、どうせ書類書き換えやるなら全部口裏合わせろやって話なのに、特捜部に出した書類と国会に提出した書類の內容が違うなどとバカな事をやってしまった。担当者は一体何をやっているのだ?

 

ならば早期に警察のトップに話して原本書類の入れ替えをこそってやれば良かったのにそれもしてない。

 

ここまで財務省の対応がチグハグなのも情けない限りである。

 

この事件の一番の要点は安倍首相が1年前に番記者に語ったように「国有地売却なんて首相案件じゃない」である。

 

まさにその通り。年間表向きの予算で90兆円、特別会計を入れれば100兆円は軽く越している日本政府の予算を執行している親玉が、たかだか10億円程度の案件に対応するか?考えれば分かることだ。

 

そして勘違い妻が何をやるにしても財務省がいちいち相手にする必要はない。

 

なのに今回は、

1・勘違い妻を忖度した役人がいて、

2・決裁文書にいちいち政治家や勘違い妻の名前を記入した役人がいて、

3・問題になると決裁文書を改ざんした役人がいて、

4・更に特捜部に提出する書類を本当の原本にした役人がいて、

5・議員に渡した書類と辻褄が合わなくなり、

遂に霞が関サイクロンを完成させたというわけだ。

 

ただ今回の案件、これで麻生財務省や安倍首相の首を取ると言う話にはならないだろう。あくまで財務省の中だけで片付けるべきだ。

 

だってどう考えても森友問題とは麻生財務省の首を取る問題とは思えない。財務省内部の自爆なのだから。財務省役人の任命責任って言うなら民間企業の職員が事件を起こす度にその企業の社長は辞任するのかって話である。

 

ただ折角の機会だからこれを針小棒大にして大蔵省を解体した時のように今の財務省から国税庁を切り離してはどうだろうか。

 

国税庁は財務省職員の天下り先になっているから、まず組織を切り離す。次に国税庁を国民の年金を徴収する各種年金事業財団と合併させる。

 

年金財団等と言っても国民にとっては名前を変えた税金である。そして年金を払わない時に取り立てる方法としては税務署が本職である。

 

歳入庁という仕組みはまだ日本にはないがNZではIRD(Inland Revenue Department) 、米国ではIRS (Inland Revenue Service)と言う名前で財務省とは切り離されて独立した調査権を持って活動をしている。

 

大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶ事件ではその代価として金融庁を切り離した。今回の森友書類改造事件では国税庁を切り離せばよい。



tom_eastwind at 07:58|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月12日

鎖国している開国日本

ニュージーランドに住んでいると財務省や麻生さんが吹っ飛ぶような森友問題とか全然関係ないわけで、毎日読むNZヘラルドの記事には地元で発生したサイクロン(暴風雨)とか地元の政治家があーしたこーしたとか本国である英国の皇太子が結婚するとか中國との貿易で何が売れるか等である。

 

今のNZにおいて日本は政治的にも経済的にも中國と比較して相対的に低下している。NZを訪問する観光客も圧倒的に中国人が多くNZの酪農製品や農産品を売る相手としても中國の存在は大きい。

 

NZにとって何よりも良いのは、中國は良いものは良い値段で買ってくれるし金払いがよいって事だ。その分消費者に価格転嫁をするわけだが安全な食品であれば高くても買う消費者層が存在するから問題はない。

 

これが日本だと、やれ形がどうだの、やれ値引きだの、やれ支払手形が半年後支払いだどうだの、やれ返品だの、とにかく日本の商習慣を日本式に押し付ける。ところが実際に購入するのは中國の十分の一以下である。そんな面倒臭い国と付き合うだろうか?

 

変な話である。1945年の戦後の日本は米国主導で西洋化して米国からビジネスを学んだはずなのに1977年に経済解放された中國の方が余程資本主義的に世界と付き合っている。これはやはり中国人が本来持つビジネスパーソンとしての資質であろう。

 

日本と言う島国はどうしてもビジネスパーソンになりきれない。職人と言うか、細かいことに打ち込むのが得意であっても、それをどう売るかと言う部分については弱い。良ければ売れると思い込む。

 

そして商品を更に複雑化させて消費者を惑わせる。取引先は「業者」と呼び自分が偉いとふんぞり返りそれが良いと思い込む。

 

そして更に弱いのは身内同士で叩き合う性格である。

 

何故この100年西洋、つまり英国と米国が発展したか?それは彼らは内部でどれだけ喧嘩してても外部に対しては一枚岩で戦うことが大事と知っていたからだ。

 

何故アジアが植民地化されたか?それは身内が分裂したからだ。あいつが気にいらない、だからガイジンの手を借りてあいつを叩く。しかしその先を全然読んでない。

 

「あいつら」と言う身内を叩くことで「ガイジン」が日本の権力を奪う、それが明治以前から戦後まで続く日本人の本質である。

 

日本が鎖国したいならすればよい、もちろん世界の常識を日本人から隔絶させているのは表向き開国実質鎖国主義な官僚であることは明確であるが。

しかしもし世界に広がっていきたいなら根本のところから考え直さないと日本人は世界でますます存在価値の低い国になる。 



tom_eastwind at 21:01|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月11日

床屋

「どちらから来られたんですか?」

オークランドでは行きつけの床屋がなくてもっぱら東京出張時に散髪するのだが、今回は1年ぶりくらいに散髪に行くと、少ない髪を切られながら聴かれた。

 

ノースショアからですと言えばうそではないが質問の意味に答えていない。なので九州からと言えば今度は「ご家族はそちらにいらっしゃる?」。

 

うーむ、これも家族の意味が一族郎党であればYESだろうが質問の意味は妻や子供と言うことだろうからNOである。

 

あれ?もしかしてこの人、俺が日本から長期出張とか単身赴任駐在と思っているのか?

 

しかしまともに自分の経歴を話し始めたらきりがないし髪切り終わるまでに終わらない話になりそうなので適当に想像におまかせすることにした。

 

手際よくやってくれたので髪を洗うのも含めて25分程度ですっきりと終了。腕は良いですね、それにしてもオークランドは日本人が働く散髪屋さんが増えたものだ。

 

古くからの店も入れれば10店くらいあるのではないか。日本人経営の店だけでも5店くらいある。

面白いのはこういう日系理髪店(美容室)に来る中國や韓国のお客さんは自国の理髪店の実力を評価しておらず、日系店が中國のお客さんが多いからと中国人スタッフいれようかと思ってるんですよと中國のお客さんに言うと「だったらもう来ないわよ」みたいな発言をされることである。

 

20年前は日本人のお店はほとんどなくて仕方ないから地元のおっちゃんのやってる店で切るのだけど、何を言っても通じずにばさっばさっとやられて終わり。それでもそんなお店が今でも固定客持ってやってるんだから大したものだ。

 

理容師、料理人、服の仕立て、どれも手に職系であり一人でやれる仕事だ。そして手先の器用な日本人には合った仕事である。

 

NZに移住を希望する人はあいも変わらないけどNZに移住出来る人は日本のホワイトカラーでは非常に限定的である。それはホワイトカラーだともろにNZで生まれ育った人々や中国人、インド人との競争になり日本で学んだ限定的な業務内容では通用しないのが一般的なのだ。

 

日本の場合は仕事を事細かく分けてしまい全体が観えないし全体を動かす知識がない事が多い。

 

それに対して理容師、料理人など手に職系は一人で完結させることが出来るし英語がネイティブである必要はない。むしろ英語力よりも気配りが大事であり、それこそ日本人が得意とする分野である。

 

ビザの認可も厳しくなっている現在、日本人が普通に技能移民で入ってくるのはかなり難しい。それよりは手に職系で入ってきてワークビザを取得、その後移民局の様子を観ながら永住権申請をするのが通りやすい道になっている。



tom_eastwind at 16:59|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月10日

くれない族

20年前のニュージーランドに住む日本人と現在のニュージーランドに住む日本人が変化するのは当然だろう。

 

20年前はワーホリで来て一生懸命働いてワークビザを取得、そして永住権を取って独立して自分でビジネスを起こすと言う流れがあった。

 

そういう彼らは自立独立しているわけで、何をやるにしても自分がやらなくちゃと言うのが当然であった。

 

ましてやNZ政府の個人向け補助金とか生活保護とか一切考えず、一生懸命働いてこの場所を与えてくれたNZ政府に対して雇用を創り利益が出れば納税して貢献した。

 

しかし最近の日本人の集まりの話を聴くと、いつも「誰それさんがNZ政府からこれだけ補助金貰った、私も欲しいのにNZ政府がくれない」とか「私は生活に困っているのに政府が補助金くれないから大変だ」とか、とにかく「くれない族」が急増している感じが否めない。

 

これはやはりワーホリの目的を「白人彼氏見つけて腕にぶら下がって結婚して可愛いハーフの子供を生むんだ!」と誤解してNZにやって来る人が増えたからなのだろうか?

 

日本人である彼女は英語もできずキーウィ男である相手は日本の文化を理解しようともせずにお互い何を言ってるか分からない状態で結婚する。

 

誰しも自分の人生をどう生きるか自分で決める権利がある。しかし自分の失敗を他人に押し付けることは出来ない。自分の人生を自分で決める権利があるのは、その義務の部分である自分の失敗は自己責任であることを受け入れる場合のみである。

 

権利だけ主張して義務は無視する。それは通らない。

 

ましてや日本人がニュージーランドに来てまで「NZ政府があれもくれない、これもくれない」なんて話を聴くと、本当に頭が痛くなる。

 

いいかい、結婚したのはあなたの判断だ。結婚して子供作ってその後になって旦那が納税してないとか前の奥さんの子供の養育費払ってないとか、貴方に暴力を振るうだとか、要するに自分の確認不足だし自己責任だ。

 

その自己責任をNZ政府に押し付けて金くれってのか?それは筋違いだろう。

 

自分がやった失敗は自分で片付けるしかない。頼る相手はNZ政府ではないし、ましてや日本政府でもない。自分しかない。

 

くれない族が集まって愚痴を言い合っても何も生み出さない。それよりは一歩前に進んで自分が何が出来るか、考えようよ。



tom_eastwind at 06:27|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月09日

不確実性

ドラッカーの言葉。

***

確実性を必要とする人は、起業家に向かない。そのような人は政治家、軍の将校、外国航路の船長など、色々なものに向かない。それらのものすべてに意思決定が必要である。意思決定の本質は“不確実性”にある。

***

 

孫子の兵法には「如何に負けないか」とか「勝てない戦はしない」とか実践的な戦闘方法が書かれいているがドラッカーの場合はどちらかと言えば勝てる見込みがあれば行け!である。

 

不確実性を嫌う孫子に対して不確実性を取ってでも意思決定をしろというドラッカーの対比が面白い。

 

僕が仕事をする時の考え方は「勝率6割なら行け」である。この意味は、絶対勝つと信じて力を注げば2割程度勝率は上がる。そして後の2割は、神様は努力している人を助けるものだと思いこんでることだ。

 

でもってここで大事なのは「思い込むこと」。

 

そんな神懸りでいいのかと思われるだろうが望みもしない事が叶うわけもないし失敗すると思って行動して成功することもあまりない。

 

絶対上手くいく、そう信じて実行する。すると大体勝率6割。思った通りに上手くいったって言えるのはせいぜい3割。ははは。

 

けどそれでも人より10倍多く手を繰り出していれば勝率は6割でも勝ち星は何もしない人より多いし、何よりも大事なのは失敗することで学べることだ。

 

この「失敗からの学び」は本当に大きい。何故なら失敗は痛いから一生忘れない。面白い事に上手くいった事って結構忘れるけど失敗は一生忘れないのだ。

 

失敗から学び成功から果実を得て更に新しいことに挑戦する。その時は絶対に自分を信じる。絶対成功すると信じる。結果的に4割程度は失敗するけど、そのことにくよくよしない、勉強できたんだ、よかったと思う事が大事だ。

 

けど、同時に大事なのは何かに挑戦しても常に引き際を見極めることだ。つまり撤退方法。起業家では、撤退の見極めが出来ない人が多い。

 

オークランドで20年、香港で6年生活していろんな日本人起業家を観てきたけど、継続して成功する人って引き際が上手。

 

やってみたけど上手くいかない、けどそこで同じことをずっと繰り返して何とか成功させよう、または最初成功したけどそのうち勢いが無くなり始めて、けど方向転換出来ずに十年一日のように同じことをやって昔の思い出にひたり続けていると結果的に致命的な傷になる。

 

日本では起業する危険度は非常に高い。基本的にはやらない方が良い。そういう社会制度だからだ。

 

けど、どうしてもどうしてもやりたい、好きで好きでたまらない、危険度が高くてもやりたい、そういう気持ちのある人は起業すれば良い。但し常に撤退の時期を見極めることが大事だ。

 

なにせ不確実なビジネスをするのだ、一回だけ成功することは簡単だけど継続して生き残ることは至難の業である。

 

僕はオークランドで様々なビジネスを手掛けてきたが、運良く引き際だけはわきまえていたようで、市場が縮小したり競合が現れて「青い海ポリシー」として撤退する時にもあまり大きな傷を受けることはなかった。

 

特に2003年頃はワーキングホリデイ市場が盛り上がってたがそこで僕が社内でワーホリ撤退宣言を出すとスタッフ全員が大反対。「何でこんなに盛り上がっている市場から離れるんですか?!」

 

けどその時点で日本は大きな社会変化を起こしていた。それまでは格好良さのフリーターとか流行ってたがこれからの若者世代は海外に出る金銭的余裕も時間的余裕もなくなるし日本国内が心地よいと感じるようになる、そう予測して会社の方向性をワーキングホリデイより更にニッチな移住と言う市場に切り替えた。

 

当時は仲間の日系企業にも「市場が変わる。今のうちに変化した方がいい」と言ったが、誰も相手にしてくれなかった。けど実際に市場は変わった。

 

何故移住が?それは当時の日本社会の長い不況だけではなく子育て、教育、相続、人間らしい生活、そういうものが記事にならない社会問題になっていたからだ。

 

この、公開されているデータを基に実際に街を歩き肌感覚で人々の顔を観て市場を予測して、押す事と引く事は本当に大事である。

 

この平衡感覚がない人は例え最初の事業に成功しても次で絶対に失敗する。これを英語ではビギナーズラック(Beginner’s Luck)という。つまり本当の意味のプロフェッショナル起業家ではなく偶然上手くいった素人と言う意味だ。

 

独立しよう、起業しようとする人にまず必要なのは、何をやりたいか、そしてそれがどこまで好きになれるか打ち込めるか、一晩中寝なくてもやれるか、更にその事を継続出来るか、次にそのビジネスモデルは何年間継続出来るのか、潜在的競合は誰なのか、そういう事をすべて読み切った上で不確実性に挑戦する情熱があるかどうかだ。

 

ドラッカーが「押す」であれば孫子は「引く」であろう。どちらも正解。両方の真ん中を狙って行動する。多分これが中庸なのだろうと思うが、リスクのないところにリターンはないし、かと言ってリスクを取りすぎて本体が倒れたら本末転倒である。これも中庸である。



tom_eastwind at 09:14|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月08日

割れ窓理論

5年前と比較すればオークランドは年収の上がった人々と全く上がらなかった人々の二極化が明確に分かるだろう。

 

昨日も6時のニュースではウェリントンの乞食とホームレス問題をやってて、シティカウンシルとしても100万ドル(約8千万円)の予算を付けて対応するようだ。

 

これはオークランドシティも同様で一昨年から何度も議題に上がっているがカウンシルの中で意見がまとまらないのか、なかなか進まない。その間にガタイのでかい乞食連中がクイーンストリートを歩く若い女性を脅かしたりして街の雰囲気を悪くしているのは事実である。

 

シティとしても夏場になれば北半球から大型観光客船が北半球のお金持ち老人夫婦を連れてくるわけで治安は大事である。

 

この問題は英国でも議論になった「割れ窓理論」を適用すべきだろう。すべての乞食行為を条例によって禁止して乞食行為をすれば即時逮捕、留置場に放り込み、その上で本人の希望で住みたい田舎に仕事を与えて送り出す。

 

そしてすべての道に誰も座らせないことで街を完璧にきれいにすれば窓ガラスを割る人間はいなくなる。

 

ただオークランドシティの致命的な問題は、クイーンストリートでギターを弾いたり歌ったりして小銭を集めている程度の低い大道芸人と乞食がどう違うかなのである。

 

これがニューヨークや東京であれば大道芸人でもプロの域に達しており明らかに乞食と違って自分の芸を売ってるのが分かる。

 

ところがオークランドのシティでは当社のビルの前でも毎日2時過ぎからアフロヘアで汚れた小錦みたいなのがタップダンスやってるが、なにせ下手。

 

もし乞食がハモニカ吹いたり歌ったりした場合、小錦とどう違いを定義するかは警察にとって難しいものがある。

 

またニュージーランドでは今もシティを裸足で歩く若者がいる。そして彼らは数日風呂に入ってない。乞食と違うのは物乞いしないことだけであるが歩く姿で乞食と区別するのは難しいものがある。

 

うーんオークランドシティ、まだまだ悩ましい限りである。



tom_eastwind at 15:55|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月07日

国勢調査

昨日は5年に1回の国勢調査であった。家族に一枚手紙が届きそこにパスワードがありネットにアクセスして自分の家族構成を記入すれば終了だ。

 

国勢調査は国の現状を把握する必要があるので一般的な標本調査と異なり全国民を調査する全面調査になる。

 

この調査の結果が出ると「やった!俺の政策正解だ!」と喜ぶ政治家もいれば「やっぱり駄目じゃん、今までの政策」と言う政治家もいる。

 

NZの政治家は能力の多寡は別として今ある国家の形を理解してこれを如何に未来に向けて国民にとって良い生活が実現出来るかを政治的に実現していくのが仕事であるから、国勢調査はある意味議員の通知簿みたいなものなのである。

 

5年前と比較すればオークランドは年収の上がった人々と全く上がらなかった人々の二極化が明確に分かるだろう。

 

今回の国勢調査ではこの5年間で富裕層と呼ばれる人々が急増した事が明確になるだろう。すでに政府の中間調査でも明らかになっていることである。

 

ただこの多くは外国から流れ込んで来た投資資金を上手く運用して不動産開発、株式投資、国債などで利益を出した人々でありその数はどこの国も同じだけど常に少数である。

 

そうやって時代の波に乗れた人々は21世紀のインターネットの発達とコンピューター、そしてAIの発達で世界は20世紀とは全く違った様相になるが、十分についていける。

 

今まで若手下っ端のスタッフが手入力でやってた調査集計はすべてNZの国勢調査のように最初からネットで入力、集計は自動的にPC、その分析をやってたアナリストはAIに置き換わるので、「大学は出たけれど」人口は増加するだろう。

 

もちろん今年の国勢調査ではネットを使えない人も多いわけで手作業が必要となるだろう。しかし音声入力が出来るようになれば機械と会話しながら自分の家族構成の話が出来る。

 

そうすれば近い将来は国勢調査が毎年もやれるようになる、だって作業が超簡略化されるからだ。そうやって21世紀はますます変化していく、「大学は出たけれど」となっていくだろう。

 

ところで話はちょっと本題から逸れるが、こういう調査をやると必ず出てくるのが「それで個人情報が漏れる?」である。

 

いやもう今の時代、仕組みを作ったからと言ってそれが100%安全なんてのはあり得ない。どうしても自分の身元を明かしたくなかったら電話線を叩き切ってパソコンも携帯電話も焼き捨てて山の中に篭って自給自足生活をして今後の通信手段はすべて狼煙にすることだろう。

 

個人情報と言う響きに安全安心大好きの日本人は敏感に反応するけど、世の中に100%安全なんてない、食べ物も含めて。最近の食べ物ネタでもプロの料理人は「牡蠣はコンプガチャ」と言ってるくらいで、どんなに丁寧に扱っても牡蠣は一定の確率で当たる。当たりたくなければ食べない事だ、つまり21世紀の個人情報を保護したいならパソコンも携帯電話も自宅の電話もすべて捨てて山に隠れろって事だ。

 

大体不思議なのは、そんな個人情報を気にする人々が自分の家族の名前を表札に掲載しているのは良いのか?って話だ。

 

話を戻すと、今年の国勢調査はNZの国力を測るために必要な作業であり、シティの乞食や大道芸人、波に乗って成長した建設業、ホテルなど旅行業、様々なデータになるだろう。

 

興味津々である、21世紀のNZが二極化してオークランドが都会化して乞食が増えて、けど何時の間にかゆるい雰囲気がなくなって街はクラクションの煩さに段々心のゆとりがなくなり、何時の間にか北半球の田舎都市になるのではないか。

 

せっかく国勢調査をやるのだ。シティカウンシルも政治家も二極化ではなく誰もが上向きの平等になれる仕組みを作って欲しいものだ。



tom_eastwind at 15:55|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月06日

あおり運転

日本では昨日も77歳の男性運転手が20代の男性運転手の車を追い抜き止めさせ窓から胸ぐら掴んだと言う1月に起こった事件の記事があったが、去年からこの手合の記事が目立つのはやはり高速道路で煽り運転やって夫婦が死亡した事件以降である。

 

では煽り運転は日本独特の運転方法なのかと言うと、そういわけではない。ニュージーランドでも乱暴な運転をする連中はいる。例えば最近南オークランドで撮られた下記のビデオを観れば良い。英語だけど画像を観るだけで意味が分かる。

 

http://www.nzherald.co.nz/national-video/news/video.cfm?c_id=1503075&gal_cid=1503075&gallery_id=189289

 

ただ普通に観てたらバスの後ろから白い乗用車が突っ込んでバスに体当たりして更に前方で車を止めてバスを緊急停車、そして乗用車の運転手がバスの運転席に向かいバスの運転手を怒鳴りつけるって話で、どう観てもバス運転手が被害者だ。

 

しかしこれには前フリがある。実はこの運転手が元々問題運転手で、今までも運転が乱暴で乗客の評判が悪く、この日も乱暴なだけではなくなんと道行く自動車や停車していた自動車にぶつけて知らぬふりをして走り抜ける。

 

これに頭にきた一般市民が自分の車でバスを追いかけぶつけて止めさせ暴行におよぶという話である。

 

実際にオークランドではバスの運転が荒い。何時も笑顔の運転手もいるし乗客も皆まともなのだけど、バス会社自体の体質として何だか「俺が大将!」みたいなところがある。

 

僕も昔の話だけど普通に道路脇に駐めていた自分の車にバスがぶつかって来て、その場では運転手が謝って会社の事故対応窓口に連絡をしてくれと言われてメールで連絡したらなしの礫。

 

頭にきて直接電話したら「バスの運転手は悪くない、道路に駐車していたお前が悪い」である。ふざけんな、こっちは駐車出来るかどうかの場所確認をして駐めている。おまけにこっちは走ってないのだ。それでも相手の反応は「知らん」である。

 

こういう時NZでは警察はまず出てこない。事故当事者と保険会社が契約に応じて処理をするのだが、バス会社って自分が公共機関であることを悪い意味で勘違いして「自分は街を支えるインフラ会社だ、だから文句言うな」みたいな態度に出る。

 

この時は相当頭に来たので当該のバス会社に影響力のある会社経由で文句を言ったら後日修理費は払われたし営業車だったので休業補償も取った。

 

但しバス会社から補償を取るのはかなり難航する。基本的にぶつけられ損くらいに考えておいたほうがよい。

 

なにせバス会は基本的にお役所の仕事ぶりでありながらストライキを打つ時は官公労のような、あ、同じか、要するに組織として市民サービスを行うと言う発想がないのだ。

 

南オークランドのバス運転手に限らずシティを走るバスも随分荒い。こっちが赤信号で停止してたら隣の車線にバスが入り込みこちらの車から10cmくらいのところを擦り抜けるように走っていくのでこっちがヒヤヒヤする。彼らからすれば少しくらいぶつかってもいいだろう、こっちは公共機関なんだからなのだろうか。

 

それにもう一つ言えばバス会社はシティカウンシルと組んであちこちにバス専用レーンを作っている。それは急増する交通量をバスに乗り換えさせる政策だから分かるのだけど、シティカウンシルはバスを重宝するのに運転手の勘違いは止めようとしない点だ。ここも何か市民目線ではないなと感じる。

 

それと、バスに限らずだが最近のオークランドは以前と比較しても確実に運転手のいらいらが増加している。15年前なら黄色信号で交差点に入って赤信号になったら歩行者から睨まれたりボンネット叩かれたりしたものだ。

 

10年前に信号が緑になって前方の車が動かなくてもクラクションならす事はなかったものだ。

 

5年前は右折禁止で右折する車もなかったものだ。

 

それが今では赤信号でも交差点に突っ込みちょっとした事でクラクションならし交通法規を守らなくなったオークランドである。

 

僕のオフィスが7階で座ってる机からはちょうど大きな交差点がいくつか観えるのだけど、昼間から交差点に突っ込む車やクラクションの大きな音や路線を守らない車を観ることが本当に増えた。

 

人口が増えて良いこともあるけど、段々昔の「心の豊かさ」が無くなり始めているのも事実だ。



tom_eastwind at 11:07|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月05日

向き不向きは変えられない。

219日号の日経ビジネスの特集「社員の賞味期限」が面白い。

 

マックジョブ人材とクリエーティブ人材があるという。マックジョブとは決めたれた事をきちんと反復してやる、答が分かっているので答に向かってどう進めばよいかを考えれば良いだけの人材である。

 

クリエーティブとは名の通り、答のない中で最適な解を考えてそれを創り上げる仕事が出来る人を示す。

 

向き不向きは変えられない。どう努力しても出来ないものは出来ない。それよりも割り切ってマックとクリエーティブに分けて適材適所にしてしまえば良い。

 

しかし現在の日本のビジネス社会が企業人に要求しているのは新入社員として入社して一通りの部署巡りをして課長の椅子、部長の椅子、役員の椅子を狙えるようにしつつ、順々に同期の枝切り、片道出向を行う。

 

その結果としてクリエーティブは育たずマックが中心になる。けどこれからの社会はインターネットとAIによりマックはすべて賄われてしまい企業に必要なのは「クリエーティブな人材のみ」と言う時代が来るって事である。

 

新卒として入社した一流大学卒業の優秀な社員は答のある仕事には強い。何故なら解答がそこにあるからだ。ところがこれからのビジネス社会で起こる事は答のない社会で自分が答を創り出すことである。

 

子供の頃から答が分かっている状況で答を見つけるのにどれだけ短時間でやれるかって勉強しかしていないから答のない中ではパニックに陥ってしまう。

 

これはこれで本人の罪と言うにはかわいそうかもしれないが、けどそれが世の中である。自分が騙されていた、ドツボに嵌ったと思ってもどうしようもない。

 

すでに時代は変わったのだ。これからは例えばドイツの教育のように大学狙ってギムナジウムに通うか中学生からマイスター狙うかである。

 

大体子供の向き不向きは3歳位で分かる場合が多い。勿論大化けもあるけどそれは例外で、大体においては早い時期に子供の向き不向きや得意とするものは観えてくる。

 

「とりあえず大学」とか奨学金とかは、もう今の時代に合致していないのだろう。行くだけ無駄な場合もあるのだ。

 

だから後は適材適所で早いうちに子供にあった環境を提供して子供が幸せに生活出来るようにすれば良い。他人と比べるのではなく自分の子供に集中してその子の幸せを考えれば良いのだ。

 

向き不向きは変えられない。



tom_eastwind at 22:20|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月04日

国籍

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訪豪中のジャシンダ・アーダーン・ニュージーランド(NZ)首相がキリビリの首相シドニー官邸でマルコム・タンブル豪首相と共同記者会見し、アーダーンNZ首相は、「ニュージーランドに足を踏み入れたことのない犯罪者をNZ国籍を持っているということだけでNZに追放するのは筋が通らない」とタンブル豪首相に苦言を呈した。
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 アレックス・ビアンという男性の場合、米領サモアに生まれ、子供の時にNZ国籍を与えられたが、NZには一度も行ったことがない。NZのジャーナリストは、キリビリ・ハウスで、タンブル首相に、「そのような者をNZに追放することが倫理的か?」と質問されて、「イエス」と答えた。
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この記事は国籍についての大事なところを突いている。

・国籍とは何か?

・二重国籍は何を意味するのか?

・国民の「守られるべき権利」とは何か?

 

まずNZからすればサモア国籍でNZに住まない人間に国籍を与えると言う仕組みに問題があることに気づくべきだ。

 

NZでは実際に永住権を発給する際は居住しないと発給しないという決まりがある。これをサモア国籍にも適用すれば良いだけだ。そうすればサモア国籍なら豪州からサモアに送り返せば良いだけだ。なのでこれはNZの間違いであり豪州にどうこう言える立場ではない。

 

そしてNZ国籍を保持すると豪州に合法的に住むことが出来て働くことが出来る。例えばシドニーは人口400万人のうち30万人程度のキーウィが生活をしている。しかしその中にはシドニーに仕事を求めて引っ越したのではなくNZよりも社会保障が厚く、簡単に言えばNZより稼げるからNZの失業者がシドニーに集まると言う現象が起きている。

 

豪州からすればキーウィが労働目的でシドニーに来るなら分かるけど豪州の社会保障を狙って来るなら駄目でしょ、ましてや豪州で犯罪するんだったら国籍のある国、つまりNZに送り返すよ、それに対してNZの首相が何を言おうが通らないのは当然である。

 

NZに住んだ事なくてもNZ国籍を与えたのは間違いなくNZ政府である。そこを棚において「犯罪者を送り返さないでよ」は通らない。国籍を与えると言うのはそれだけ重い決断である。

 

国籍を与えた以上NZ国民としてNZ政府が保護する必要が出てくる。つまり豪州で犯罪を犯したNZに住んだこともない悪人がNZ国籍であると言う理由でNZに受け入れてNZ国民として生活や住居など権利の保証をする。それがNZの法律だからだ。

 

例えば中国人がNZ国籍を取得して中國国籍から離脱した場合、その中国人の中国国籍は自動的に削除される。そしてNZ国籍保持者として扱われる。

 

NZ国籍取得をする際に虚偽申請を行っていればNZ国籍剥奪は可能だ。問題はこの時点でNZ国籍を剥奪するとこの犯罪者は無国籍になってしまうという事だ。だから生まれた国に送り返すことも出来ない。

 

日本でも他国の国籍を取得した場合は日本国籍を離脱する手続きを行う必要がある。

 

では二重国籍の場合何が起こるか?例えば英国国籍とNZ国籍を持っている人間がNZで犯罪を行い逮捕、裁判で1年以上の刑務所送りになった場合どうなるか?

NZ政府や裁判所からすれば英国に送り返したいところだろう。しかし実際には案件ごとに判断されるだろう。たぶん英国に送り返すと言う選択肢もあるだろうが英国だってNZと同じようなことを言うだろう「送り返すなよ」って。

 

永住権とは単純に「一生住んで働いて良い権利」であり何時でもNZ政府によって剥奪出来る権利である。国籍はそれより重いのである。



tom_eastwind at 18:03|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月03日

戦場の地球人

世の中には不幸な人は多い。自分が受けたトラウマでPTSD治療を受ける必要があるのに治療も受けずに平気で何十年も世の中を渡り歩いて他人に迷惑かけているのがいる。

 

今現場でやってる移民局案件もNZ政府の「お前、病気じゃない?」と思うような「完全に間違った判断」であるが、NZ政府からすればそんな細かい事は知ったこっちゃないだろうがこっちからすればお客様の大事な問題であり、英語もまともに読めない中國在住の中国人にNZ在住の日本人の書類審査させるか?って話である。

 

一応NZ政府に雇用されているわけだから英語は分かる筈なのに中途半端な英語知識とNZの移民法の解釈も出来ず中國式の物事の考え方でこちらに回答してくるから、まさに「お前、馬鹿?」である。

 

こういうのは日本にもいる。中途半端に英語は出来て白人に媚び売るのは出来るが現場の仕事は出来ない、子供の頃にトラウマを抱えた人間ではないかとしか思いようがない。

 

しかしこれがNZの現実の現場でありこの戦場でどう戦うかが僕らの仕事となる。実際に現場をやってる弁護士からすれば「あり得ん」であるが。

 

例えばNZ移民局に書類提出してNZで審査していたらある日突然「担当は中國になったからそちらからの連絡を待つように」と言われて待ってたら中國の担当者から今までの経緯を全く無視した問い合わせが来ると言う事である。

 

おいおい、今までの経緯を分からない中國在住の中国人担当者を置いてまたゼロから説明かよとなるが、問題は今まではNZの常識で物事を判断していたのに、それがいきなり世界で汚職度が高く嘘が多く詐欺が行われている国の常識で物事が判断されて、それがこの仕事の担当者かいって話だ。

 

とにかく彼らから来る問い合わせが馬鹿げている。具体的には書けないが、例えば「前回の申請書で貴方の身重は170cm体重60kgと書いてるが写真を見るからにあなたはそうではない。証明したまえ」みたいな話だ。

 

冗談じゃない、身重や体重を誤魔化す馬鹿がどこにいるか?と思ったら、あ、いた、中國に、である。

 

何故なら中國では替え玉受験が当たり前であり写真も公的証明書も印刷所で偽造するから信用されていない。ところがそのことをNZ移民局の上層部は知らないから自分たちと同じ性善説で処理するのだろうと考えて委託するが、南半球の世間を知らない連中が北半球で常識の擦り切れた連中に仕事を投げただけのバカ話である。

 

僕らの仕事は毎日が血を流さない戦場であり、仕事は戦争だ。ただこれが同じ常識の人間同士ならまだましだけど、全く違う生活環境で育った人々が全く違う常識で物事を決めていくのは、戦い方を根本的に変える必要があるので本当に大変だ。

 

日本では城山三郎の商社サラリーマンの米国での物売りや日本の首相が欧州に行くと「トランジスタラジオのセールスマン」と言われたりした時代があった。

 

彼らセールスマンにとっても米国の田舎を毎日重い見本を持って歩くのは、まさに殺されないだけで戦場であるのは変わりなかっただろう。

 

そういう現場を軽く無視してNZ政府に媚を売って職を得て中國式の考え方をする中国人職員は正直言って人間的にどうなのかと思うが、彼らからしたらこちらの意見など蛙の面に小便なのだろう。

 

あー嫌だ嫌だ、地球人やっててある時地球にやって来た宇宙人から「こいつらどいつも皆同じ地球人」と思われることが。



tom_eastwind at 17:01|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月02日

CRS 共通報告基準

ニュージーランドで去年から導入されたG20世界の新規制である共通報告基準(CRSCommon Report System)が本格化されて来た。

 

先日もある知り合いがオークランドの銀行でちょっとした手続きをしようとしたら窓口でいきなり「あなた日本人でしょ、日本の納税者番号を提出して」と言われて「おれはNZレジデントで日本の納税者番号は持っていない」と言うと、今度は「じゃあ何故持っていないか説明文を書け」と言われて大変。

 

CRSは約3年前のG20会合の際に財務省会議が開かれその子分である各国国税庁が調整して作り上げた、各国の非居住者の財務情報を非居住者の居住する国の国税庁に自動的に通知する仕組みだ。

 

今までは各国の国税当局が自国の居住者の国外財産について疑義を感じた時に直接先方国家の国税庁に連絡をして、必要であれば裁判所命令を取り付けて情報提供を求めてきた。

 

しかし新しい規制であるCRSが導入されれば今後は世界中の国税局が自動的に個人情報の交換が出来る。つまりいちいち個人を特定しなくてもお皿に載って届けられるのだ。

 

税務署にとってはこんな便利なものはない、だからこそ日本ではマイナンバー制度を性急に進めた。システム上の問題はあれど折角G20で決まった事項なのにマイナンバーがないと自動報告でいくら日本国籍と分かっても今度は日本側で同姓同名とか名義預金とか住所が合致しないとか様々な問題が発生し処理に手間取る。

 

システム上に不具合はあるし役所によって対応が違うけどそれでも今回導入することで個人が国外に所有する資産は自動的に日本国税局に通知が行き個人がマイナンバーで特定されて「お尋ね」が個人に送られて来ることになる。

 

これで完全に一丁上がりだ。所詮個人が国家と同じ土俵で相撲を取っても勝ち目はないと言う事だ。

 

但しこの仕組みがNZに導入されることは早い時期から決まっていた事で知っていた人は日本のマイナンバー制度が始まる前に手続きをしていたのでマイナンバーもCRSの影響も受けない。

 

またCRSが導入された後でも1回だけならば運が良ければ手続きが間に合う場合もある。それはかなり技術的な問題も含むが、やってやれない事はない。

 

それにしてもこの仕組、元々は米国の大企業や富豪が世界の税制を利用して節税した為に各国が協力して作り上げた条約である。

 

例えば米国発のスターバックスが米国で納税してないとかで問題となったわけであり、そういう仕組みを作ったのが英国が支配するケイマン諸島とかバージン諸島であり、普通に生活している日本人には関係ない法律や条約である。

 

しかし今回は本当に「もらい事故」と言うか、真面目な日本人にとっては迷惑な話である。きちんと納税もして家族のことを考えていただけなのに、いきなり犯罪者扱いである。日本人が一番嫌がるパターンだ。



tom_eastwind at 23:21|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

2018年03月01日

裁量労働制切り離し

安倍首相は経済界が希望する裁量労働制を切り離す事にした。これは一つの正しい政治的判断だと思う。

 

と言うのも数日前に書いた通り日本ではJob Descriptionがない。そのような状態で裁量労働制を導入すれば労働者は無制限に働かせられる。

 

問題は現在も実態として日本の労働者は夜遅くまで働いているわけで、これが労働基準監督署からすれば36協定違反となる。だから会社からすれば正社員は裁量労働と見做して既存の勤務形態が36協定違反とならないようにしたい。

 

ここまで来ると労働者ではなく奴隷であるがそれはご本人が職業選択すれば良いだけだ。

 

そして本来21世紀における労働者とはすでに一つの商品でありその労働の成果に応じて賃金を支給されるべきであり時間に応じた賃金支払と言う仕組み自体に既に時代の変化についていってないなと感じる。

 

20世紀の工場の為に作られた36協定とかは組織で動くから理解出来るけど世の中が変化して個人が自宅で仕事を出来るようになった時代、そういう人々に対しても36協定を適用するってのは無理がある。

 

だから「高度プロフェッショナル」と言う仕組みが導入されるのは理解出来る。

 

しかし経済界が望むのは自社が労基署に訴えられないように、そして残業代を減らすような仕組み作りをしたい、そういう背景があるから問題なのだ。

 

裁量労働制はありだ。しかしその本来の目的を悪用してJob Descriptionもないままに導入すれば上司が帰らないから部下が帰れないけど残業代がつかないと言う実に誰にとっても無駄な状態になってしまう。

 

どうも経済界トップと言うのは自分が昭和の時代に団結心で真夜中まで働いたのが誇りでありそれを21世紀にも実現させたいとのぼせているようだ。

 

経営者にとっては名誉な誇り、労働者にとっとは迷惑な埃である。



tom_eastwind at 04:15|PermalinkComments(0) 諸行無常のビジネス日誌