2005年07月21日

2003年2月 故郷と国家

棄民 国家を選ぶ民たち。

 

故郷と国家の違いって何だろう?日本人が海外で生活するって、どういうことなんだろう?

 

棄民

 

今日の日本が直面する大きな課題の一つに「移民」がある。貧しさを解消する為に日本へやってくる外国からの労働移民と、経済的に収入が低下してでも自分に合った生活のために出て行く日本人移民。少子化問題を抱えながら、政府や国家としての魅力が失われて、日本人から見捨てられていく国。

 

明治以降の日本移民で、経済的な減収があっても海外に住みたいと思う集団現象が発生したのは、今回が初めてである。その直接的原因はバブル以降の日本の制度疲労と社会構造の変革であるが、更にその背景には、集団思考の人種であった日本人の中に、「新日本人」が育ってきた事が大きい。

 

新日本人は、周囲の期待をも大事にしながら、それでも自分の気持ちを優先出来、生き生きとした個人思考が出来る人々である。政府や国家の決まりに縛られず、本当の人間らしい生活は、時にはお金よりも大事であると、人々が気づき始めた証拠と言える。

 

自分が生きる場所は自分で決める。国家に与えられた仕事をするのではなく、自分がやりたい仕事をする。働く場所がなければ国を変えればよい。これが21世紀の国家のあり方だろう。移民と貿易を完全に自由化した瞬間、国家は株式会社に変わり、採用と教育と労働条件の良い所に優秀な民は流れはじめる。

 

東洋の真珠、香港にて

 

皆さんがよく香港人という言葉を使うが、正確には香港人という民族は存在しない。また、香港に住む人の多くは、最近100年内に中国の各地方から戦乱を逃れてきた難民や仕事を求めて集まってきた移民達である。国内移動で「難民・移民」と言うと疑問を持つかもしれないが、彼らは話す言葉も書く文字も違うのだから、実態として移民といえるだろう。

 

見も知らぬ土地と言葉の世界に、何の知識もなく飛び込むのだ。そのような「よそ者」たちばかりが集まった土地で彼らの子供が生まれ、英国統治の中で中国全土の文化を足し引きしながら成立したのが現在の香港文化と香港人である。同じ小学校を出て同じ校区に通っている子供達も、それぞれに違った故郷を持っているのだ。

 

公屋

 

彼らの多くが住む住宅は公屋と呼ばれ、大きなアパートから物干し棒が真っ直ぐに突き出ている景色は、観光で香港を訪れた人も見た事があるだろう。特にダイヤモンドヒルと呼ばれる地区には、つい最近までバラック建ての小屋が密集して、そこにも1万人以上の人々が生活をしていた。

 

最近はかなり改善されたというものの、部屋はあいも変わらず狭い。ねずみ小屋と呼ばれる日本の小さなアパートと比較しても、信じられないくらいの狭さである。5人家族が日本の1DKに住む状態を想像して欲しい。家族で食事をしたテーブルを片付け、テレビを見ている居間が、夜はそのままマットを敷いた寝床になる。

 

そんなスラム街で生まれ育った子供達は、難民である彼らの親から国家の怖さを教えられながら大きくなり、アメリカのテレビを見ながら「あんな大きな家に、いつか住んでやる」と、小さい頃から心に決めていた。

 

1980年代から既に60万人以上の香港人が海外移民をした。人口の約10%である。英国が香港を中国に返還する事を決めた年から、人々が音を立てて移民をはじめた。彼らの殆どは大企業の優秀なマネジャークラスので、通常3ヶ国語を話す。4ヶ国語を話す人も珍しくない。

 

そして彼らの一番の特徴は、世界中どこに行っても怖くないという点である。彼らがたった一つ怖がるのは、中国共産党のみである。その中国共産党がやってくる・・・彼らの選択は「逃げる」しかない。

 

元々共産党の迫害や戦乱を逃れてきた人だから、中国の政治の怖さは知り尽くしている。今日言う事と明日言う事が違うなど日常茶飯事、約束は、力のある者が決める一方的なルールであり、弱いものは約束を破られてもただ笑って見過ごすしかない時代から逃げてきた人々が、また中国から逃げるのである。

 

世界が庭

 

中国で生まれ育ち、そして逃げてきた人々からすれば、言葉の通じる西洋諸国への移民などは、日本人が東京から大阪に行くようなものだし、移民先がどんなに大変と言っても、殺される事も約束を破られる事もないのをよく知っている。従って、どの国に行こうとも彼らに捨てるものはないのである。

 

移民先で殺されない安心、これがどれだけ素晴らしい事か、今の日本人移民に理解出来るだろうか?

 

「あら、今はアメリカに住んでるの、あ、そ〜、で、パスポートはカナダ?そうそう、子供は今度オークランドの学校に通うのよね?お正月は中国に里帰りするの?」などという会話が、まるで近所の引越しや子供の通学並に平気で成立する中国人移民に、海外に住む恐怖など、全くない。

 

ホーウィックで生活をする65歳になるおばあさんは、全く英語が出来ない。でも楽しそうに毎日散歩している。「外国生活の心配?何を心配するの?食べるもの?言葉?住むところ?仕事?何言ってるの、中国大陸から逃げてくる時はもっと悲惨な思いをしたんだから、あれ以上ひどいところはないでしょう。見てよ、香港の家に比べれば、同じ値段で10倍の広さの家を買えるわよ。」

 

平和な環境に慣れた日本人には、これだけ守られた、安定した環境でさえ不安を感じる贅沢が出来る。贅沢だという事さえ分かってない。

 



tom_eastwind at 22:22│Comments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

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