2005年07月21日

国家から地球へ 「廃国置球」 みゆきはニュージーランドで生まれた。

ニュージーランドから

 

みゆきは12歳。香港人の母親と日本人の父親を持ち、南島のクイーンズタウンで生まれ、現在の国籍はニュージーランドである。今は中国語の勉強の為に母親と一緒に香港に住んでいる。

 

彼女は自分の事をアジア人と呼ぶ。広東語では「亜州人」と書く。両親が教えたわけではなく、本人がいつのまにか、自然に学校で同級生に説明していたのだ。国籍や国境という概念を持たない彼女にとっては、日本人でもなく中国人でもなくニュージーランド人でもなく、アジア人である事が一番自然なようだ。

 

「ね、みゆきちゃん、日本語でみゆき{幸雪}ってどんな意味?」

「幸せな雪。冬に生まれたからね」

「12月?」

「ううん、7月。だってNZの冬に生まれたんだもん」

 

彼女が通う香港の中学校での会話である。雪を見たことがない同級生は不思議そうに「7月に雪が降るの?雪ってどんなの?」と聞いてくる。そして最後に出る質問がいつも同じ。

 

「みゆきちゃん、何人?」

「アジア人だよ。」

 

淡々と答える彼女の顔には、何の抵抗もてらいもない。

 

自意識の中では日本人でもない、中国人でもない、ましてやニュージーランド人でもない彼女は、ニュージーランドに生まれ、1歳の年に香港へ移住した。7歳でNZに戻ってオークランドの小学校に転校し、10歳の年にまた香港へ。勝手な親だなと思ったかもしれない。

 

たまに旧正月を利用して家族旅行で日本に行くと、箱根の露天温泉で5歳年下の弟と二人、夜空から落ちてくる雪を珍しそうに眺めていた。

 

浅草の商店街を歩きながら、英語で書かれたでんでん太鼓やキモノを見て「お父さん、日本っていろんなものがあるね〜」と、本当に楽しそうに笑っていた。

 

みゆきの通う香港の学校では、広東語で授業を受ける。英語の授業には苦労しないが、国語=中国語の勉強は大変そうだ。今でも何かあるととっさに出てくるのは英語だ。

 

父親と話すときは、片言ながら日本語を使う。聞き取りには問題ないが、話すのは苦手だ。だから「お父さん、おまえは今日どこ行くの?」となる。アニメで憶えた日本語だ。

 

父親に新しいデジモンのCDをおねだりする時は、面倒な電話はせずに、英語でeメイルを送るのが彼女の得意な手段である。女はいつの時代も、生き残るすべを知っている。母親や友達とは、勿論広東語で話す。

 

みゆきについて両親が一番考えたのは、子供のアイデンティティをどこに置くか、という問題であった。

 

私は誰?と悩むような根無し草にはしたくない。バナナにもしたくない。(バナナとは、外側が黄色で中身が白い、つまり西洋圏文化のみを理解するアジア人という意味である)どこかの地域にアイデンティティを持ってもらいたい。その結果選んだのが香港=中国である。

 

日本でも良かったのだろうが、父親の仕事の都合で日本に定住出来ない、また香港漢字を学べば日本漢字にすぐ馴染める、そういう事情もあり、母親が子供二人を連れて香港に戻ったのだ。

 

香港で彼女が使う広東語には、やはり不自然さがある。おそらく英語にしても、生粋のキーウィが使う英語とはどこか違うのだろう。日本語にいたっては、駅員さんとの会話が精一杯である。

 

「全くひどい両親だ、親の都合であっちこっち連れまわして、どこの言葉も満足に覚えられない。一体何を考えているんだろう?」とも思っただろう。そこで彼女は行く先々で自分の身を自分で守るすべを身に付けた。それは、国を国として考えないという事である。

 

「言語」を方言程度に考えておけば、少々変な方言でもいいだろう。元来博多弁の人が東京弁を話すようなものだ。「文化」については、自分さえしっかり持っていれば、どこの国でも自分の家のように過ごす事が出来ると言う「強さ」を身に付けた。

 

廃藩置県という言葉がある。藩というものが国家レベルの権力を持っていた江戸時代には住んでいる藩の事を「私の国では」という言い方が存在した。例えば鹿児島で生まれた人は、「私の国は薩摩です」と言っていた。

 

しかし中央集権国家(法律の統一化)になりインターネットが発達し(情報伝達の迅速化)、飛行機が日本の空を縦横無尽に赤字を垂れ流しながら飛び回るようになった現代(移動速度の迅速化)、日本で「私の国」は死語になりつつある。

 

ならばいっその事「廃国置球」、国家を地域、地球を国家と置き換えてみたらどうだろう。すべての人々の移動の自由。実は1700年代にそんな事を考えた。ジャン・ジャック・ルソー。彼の書いた「社会契約論」は、その後のフランス革命の理論的基盤となった。

 

 彼の教えをかなり簡単にざっくり説明すると下記のようになる。

 

「人は、生まれた社会に縛られる奴隷ではなく、社会に自発的に参加する人民である。その社会に不満があれば、社会を自分の住みやすいように変える(政治家となって世論を導く)か、自分の好きな、他の社会を選ぶ(移民)べきである。国家は、その魅力をもって国民を自国に留める努力をすべきであって、暴力と恐怖によって留めるものではない」 

 

この理論、現実世界では当然のように見えて実行されてない。今もアジアのある国では恐怖と無知によって国民を移動させないようにしている。「嘘でしょう?」そうだろうか?例えば「親の面倒は子供が見る」という儒教的ルールを社会の仕組みに持ち込むことで、どれだけ多くの若者が自分の夢を捨てただろう。実態として移動しずらい社会制度そのものに疑問を持つ事はないのだろうか?

 

少なくともニュージーランドでは、年老いた親は社会が面倒を見ると言うルールがあり、リタイアメントビレッジという決まりが定着している。詳細は省く。リタイアメントを書き始めると、到底この紙面に収まらないからだ。

 

他にも日本にはたくさんの「見えない束縛」がある。年金制度は国民にとって「飴」であるが、その代償として若いうちから強制的に金を払わせるという「鞭」が並存する。

 

誰しも折角払ったものは取り戻したいから、移民する時に年金がどうなるのか心配する。ましてや支払った年金さえも受給出来なくなるかもしれない。

 

しかしニュージーランドの社会福祉制度では「受益者負担」という考えが無い為、一度も年金を払わなくても受け取る事が出来る。

 

何もニュージーランドの社会制度を絶賛するわけではないし、この国にも様々な問題がある事は当然理解している。しかし両国を「県」として比較してみると、あなたはどちらの県に住みたいだろう?

 

東京でも区によって税金や手当てが違うように、ニュージーランドと日本の税金や社会福祉が違うと思えば、どちらが住みやすいだろう。

 

勿論、新しい国の新しい文化を理解出来るだろうかという不安はある。そういう人は自分で自分の人生を選択すればよいと思う。馴染みのある日本がよいと思う人もいる。日本を良くしよう、そう思って政治家を目指す人もいるだろう。また、新しい文化に不安な人は移動する必要はない。

 

しかし少なくとも、移動の自由は転職の自由と同じであり、福岡で生まれ育った人間がよりよい条件を求めて東京で働くように、日本で生まれ育った人がニュージーランドに自由に移動して生活が出来る、そのような環境を整える事が社会の使命の一つではないだろうか?

 

「日本に生まれ育った恩義を忘れたのか?」そのような理屈で人の自由を縛る事はやめてほしい。「俺をこの国に住まわせたいなら俺の住みやすいように国の仕組みを変えてくれ。政府が国民を選ぶんじゃない、国民が政府を選ぶんだ」

 

国家は亡くなっても山や河は残る。そして僕らが愛してやまないのは、子供のころに毎朝眺めた緑の山であり、釣りをしたきらきらと光を跳ね返す美しい河であり、少なくとも今の政府やそのシステムではないと言う事実を、もう一度目を開いて見直して欲しい。

 

みゆきはアイデンティティとしての「国」は持っているが、拘束される意味での「国家」は持っていない。今、日本人は海外に住むかどうかの段階で議論している。彼我の差は大きい。

 

江戸時代末期に坂本竜馬と言う日本人が誕生した。そして今みゆきはアジア人として生活している。みゆきの子供が生まれる頃には、地球人が誕生するのかもしれない。

 

新日本人の誕生はこれで終了します。

 



tom_eastwind at 18:18│Comments(0)TrackBack(0) 2003年 移民昔物語  

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