2005年11月04日

特許で思う事

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誰か、こんな事を考えた事があるかな?日本語が特許で、日本語を話す時には特許を持っている人にお金を払わなくてはいけないとか?

 

日本語だと作者不明なので、じゃあ分りやすいところで言えばハングル文字はどうだろう?あれは今から500年ほど昔の王様、世宗(セジョン)大王が学者に命じて作らせたそうだけど、もしその時点でこの王様が特許申請していれば、面白いことになっただろうね。

 

1980年代まで、特許に関してはあまりうるさくなかったのを覚えている。特許とか著作権、知的著作権というものが表層化してきたのは、米国が震源地である。

 

その理由は明確で、70年代にベトナム戦争などで威信が地に落ちた米国が、その復活を目指して取り組んだのが知的著作権だからだ。

 

つまり自分がまず先に国家の金で新技術を作り、他国がその真似をしようとすると金を要求する。要するに他国が頑張って技術革新をしようと思えば、米国に金を払わなければいけないルールにしてしまったのだ。

 

この結果、米国は座っていても世界中から特許利用権としてお金が入るようになった。

 

確かに60年代の米国は気前良く日本等の後進国に技術提供をしてきた。良い例が電話のベル研究所やテレビ技術だが、その結果日本製の安いコピー商品が米国に入り、遂には米国の電気メーカーが次々に倒産する事になったのだ。コピーだらけになって自分とこの会社が倒産するようになって初めて、米国は特許の大事さを知ったという事だ。

 

そこで米国発の権利を守る為に知的著作権という概念を持ち込んだのだが、これで一番儲かったのはマイクロソフトである。特許とは本来、製作者のやる気を出させる為のボーナスみたいな仕組であるから、製作者に一定の特典を与える事に疑問はない。つまりビルゲイツが儲けるのは当然であろう。

 

しかし今の米国が推し進めている特許の概念は「座っていて金が入る仕組」を作るだけであり、肝心の「世の中に貢献する」という視点が抜けている。つまり誰かが人に役立つ革新的な商品を作ろうと思っても、そこに特許がひっかかると、それだけで高いお金を払って特許技術を買わなければいけない。それがそのまま商品コストに影響してしまい、結局商品が適正な価格で市場を流通しなくなるというわけだ。

 

リナックスは無償ソフトで、ある意味人類の進歩に貢献していると言っても過言ではないだろう。

 

中国はコピー大国と言うが、その中国は著作権というものに対して、元々ゆるい考えしか持っていない。歴史を振り返って見れば、中国産の技術はたくさんある。

 

例えば船の甲板を作ったのは中国だ。火炎放射器、運河、一輪車など、2000年以上前の技術は世界でもダントツのトップだった。その頃は米国など存在さえせず、英国では野山に穴を掘って住んでるような連中ばかりだった。

 

まあ昔の話を掘り返しても仕方ないが、今も中国と言う国は、特許というものに対して限定的な特典を与える程度にしか考えていないと感じる。良いアイデアが出れば皆で競って真似をし合い、それを更に良いものにしていくという仕組だ。だから最初に仕組を作った者も、うかうかしていられない。

 

しかし特許と言っても所詮は人間同士の決め事だ。米国では、ディズニーのキャラクターの著作権期限が来る度に、著作権法を変更して著作権者の期間を伸ばしているといわれている。

 

つまり、その程度の、道徳性も公共性も理論的強制力も存在しないようなガキ大将のルールを、一体いつまで真面目に守らねばならないのか?

 

これも結局昨日のテーマと同じように、適当につきあってけという結論に至る。いずれ国家間の力関係が変化した際に、新しい司法裁判判例が出てくるまでの辛抱だろう。



tom_eastwind at 22:40│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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