2005年11月26日

鉄板焼

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今から10年位前の香港での話。香港には日系スーパーのイオン吉之島(ジャスコ)がある。吉之島と書いて「カッチートー」と発音する。そこには当然日本のインスタントラーメンや高級野菜が並ぶのだが、地下はフードホールになっている。

 

そのホールには色んなお店が並んでおり、日本式の鉄板焼店も人気がある。鉄板焼と言っても何の事はない、お好み焼屋みたいな鉄板の上で料理した肉や野菜を、更にお客用のちっちゃな鉄板の上に乗せて、ジュージュー言わせながらお客に出すだけなのだ。

 

しかし場所はフードホール。鉄砲玉みたいなちっちゃな子供が走り回っている中を、真っ赤に焼かれた、脂が飛び散ってる鉄板を、不安定な木製のトレイに乗せて何とか空いているテーブルを探すのだから、危険極まりない。まあ今まで事故はないようだ。てゆ〜か、多分事故っても新聞に載らないだけなのかもしれない。

 

そんな、日本で考えたら信じられないような危険と隣り合わせの日常風景で、更に面白い事があった。

 

昼過ぎでやっと忙しさが終わりかけた頃の事だ。多くのテーブルには食べ残した食器が散乱しており、片付けが出来てない。そんな時に小さなバックパックを背中に担いだ若いお兄ちゃんが鉄板焼を注文した。

 

牛肉と野菜セットにご飯付きで45香港ドル(約750円)である。お値段的には高級の部類に入る。

 

すると鉄板の後ろで汗をかいてたアルバイトの鉄板焼兄ちゃんが、かなり忙しかったのであろう、ぶすっとしたままいきなり無言で、鉄板の上で温めてた野菜に牛肉の細切れを放り込んで、牛肉入りの野菜炒めを作ったのだ。

 

そうして焼きあがった野菜炒めを、たまたま皿洗いが間に合わず鉄板がなかったので、発泡スチロールのお皿にどさっと乗せて、「はい、どうぞ!」とやった。

 

バックパックの兄ちゃんは当然文句を言う。

「こらこら、俺は牛肉と野菜セットを注文したのに、これは野菜炒めではないか!」

アルバイト君も負けてない。

「食べちゃえば同じだろうが!多めにしといたんだから、喜べ!」

 

普通の日本人ならこの辺で切れるか帰るのだろうが、この兄ちゃん忍耐力があった。

「ならば牛肉と野菜は別に出るはずだ。これは手抜きだから値段を安くしろ、そうでなければ俺はお前のボスに文句を言うぞ」

 

う〜む、脅しであるが、利に叶っている。ここで普通ならアルバイトシェフもごめんなさいというところだろうが、こんな場合にお店がお金を返す事は香港ではあり得ないし、そうなると自腹という事になるから、

「うちの鉄板焼は、野菜と肉を一緒に焼くんだ、嫌なら食うな。しかし料理は作ったんだから金は返さん!」といいのけた。

 

いやいや、日頃香港人とビジネス交渉してて、そのしぶとさに辟易している僕からすれば、楽しいバトルだ。

 

結局は「持ってる者の勝ち」であるから、バッパー兄ちゃんは、金を返してもらえずに飯も食えないとなると、それこそ「噴飯もの」なので、次の交渉に入った。

 

「よし分った。では料理はこれで良いとしよう。しかし鉄板がついてないぞ。これはどういうことだ。これは鉄板焼なのに鉄板がなければ、単なる<焼>ではないか。俺は<焼>は注文していないから、これはお前の作り間違いだ。そんなものに金を払うわけにはいかん」

 

するとシェフ。有無を言わさずにカウンターの外に出た!よっしゃ喧嘩だ!そう期待した僕をよそに、シェフは何と!とんでもない行動に出た。

 

シェフはいきなり近くのテーブルまで走り、そこに置いてあった食べ残しの鉄板皿を取り上げて、キッチンに戻ってすかさず洗い始めたのだ!

 

10秒ほどで洗い終わるなり(香港式皿洗いは洗濯からリンスまでが異常に短く、脂汚れをすべて落とすという発想はない)、発砲スチロールのお皿に盛ってあった、そろそろ冷え切り始めた野菜炒めを、どかっと鉄板皿に移したのだ!

 

「ほい、鉄板焼出来上がり!もってけ!」そう言うなり、シェフは嫌なものを見たように顔をそらして、次のお客の注文を取り始めた。

 

すると不思議な事に、バッパーのお兄ちゃんは自分の要求が通ったと考えたのだろう、満足そうな顔でテーブルに座って、片手には漫画さえ持って、冷えた料理を冷えた鉄板の上でおいしそうに食べ始めたのだ。

 

結局これをどう理解するか?お互いに相手に言い負けてたまるかという点のみが重視され、本来の意味である料理をどうおいしく食べるかという当初の論点や観点が、次第にお互いの主張をどう通すかという「面子論」に変化したのであろう。

 

このあたりが日本人には理解しがたい点であるが、確かに香港人や中国人は面子を大事にする。日本人だって面子を大事にするという人もいるだろう。しかし同じ「面子が大事」という言葉を使っても、その意味するところは大きく違うという点に気付いて欲しい。

 

「面子が大事」というのは実に抽象的な言葉であり、だから同じ言葉を発していても温度差が違うのだ。だから本来なら議論の際にはこのような抽象的な言葉は出来るだけ省いて、数値化する事が(それこそ)大事である。

 

鉄板焼のケースで言えば、面子の為に自分の命を含めた、何を賭けられるかだろう。金か?命か?仕事か?生活か?

 

客は、例え料理がまずくても、自分の主張を通したから、相手に妥協させた精神的な満足感が、冷えた料理でも「うまい、勝利の肉だ」と思わせたのだろう。

 

シェフからすれば、相手の要求を完全にはねのける事が出来ず、少しは悔しい思いをしたのだろう、最後には目をそらしてしまった。バッパー君の判定勝ちといったところか。

 

どうでもいいけど、もっと本質的なところを大事にしようぜ。冷えた料理は体に悪いよ、ね、お兄ちゃんたち。

 

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tom_eastwind at 02:47│Comments(0)TrackBack(0) 世界と日本 味めぐり 

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