2006年01月13日

お客様の平等とは?海外納税のすすめ

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またまた最近の、個人的に気になるネタだが、「顧客の平等」とは何だろう?

 

当社が取引している日本の東京三菱銀行が、今年1月から支店名など大幅な変更を行った。

 

例えばNZの銀行では、顧客を明確に差別化している。儲かる顧客は専任担当者を置き、徹底的に手厚く保護する。ファイナンシャルプランを作り、投資先を選定し、時には金も貸す(勿論担保は分厚く取る)。

 

しかし、お金がない顧客からは口座維持費(月5〜10ドル)をしっかり取り、金は貸さず、窓口での対応もおざなりだ。

 

No Money ,  No talk  という言葉があるが、まさに顧客差別の代表例である。

 

でも、よく考えてみれば、銀行は商売をしている訳で、銀行の理屈から言えば、儲かるお客とそうでないお客に、同じ時間と手間をかける事が平等なのだろうか?それは決して平等ではない。自社の利益に貢献してくれた割合に応じてサービスを提供するという視点から見れば、間違いなくNZの銀行は、平等である。

 

レストランでも同じだ。毎日食べに来るお客は「常客」だから、良い席を用意するとか、余分に一言挨拶するとか、一見客との差別化を図るのは、商売の常道だろう。

 

しかし今の日本では、銀行は市民サービスを行う場所であるという雰囲気があり、国民もそれを納得しているから、銀行はすべての顧客に同質のサービスを提供する必要があると、新聞や世間では一般的に言われている。

 

政府も、国家が護送船団方式で銀行を保護しているのだから、その代わりにしっかりと貧乏人も守れと言っている。これって、実は共産主義的発想なのだが、日本は元々社会主義国家だったので、それはそれで筋は通っている。

 

問題は最近の銀行の動向である。自由化という錦の御旗の元、戦後50年続けた社会主義国策を、正反対の方向に変更するのだ。

 

つまり、金持ちには手厚いサービスを、そうでない人には、それなりのサービスを、というわけだ。

 

今の日本では、新旧二つの流れが渦巻いている。でも、そこにはもっと大きな流れがある。

 

銀行は国際化する人々に追いつくのか?双頭の龍は、その片方を国内の金持ちに向け、反対側を国内の一般人に向けて、その体内で活動する銀行員という肉体をすり減らしながら活動しているが、肝心の日本人の一部は、すでに国家の壁を越えて世界の壁に向かっている。

 

「海外納税のすすめ」を読みながら、サービスと国際化について考えた。



tom_eastwind at 23:41│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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