2006年04月03日

同一性の誤謬

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「ごびゅう」と入力すると、この誤謬が出てくる。

 

僕は会議でもよく「部分無謬全体誤謬」という言葉を使う。自分が人を使うようになってから分った事だが、組織が少しでも大きくなると、必ず出てくる問題である。

 

一人一人は、自分の部分の最適化を図ろうとして、それ自体は問題がないように見えるのだが(部分無謬)、全体を繋ぎ合わせて見ると、本来の目的とはかけ離れたものが出来上がってしまう(全体誤謬)事がある。

 

これは何もうちのようなちっちゃい会社だけで起こるわけではなく、古くは大東亜戦争の日本陸軍や海軍、そして政府までもが見事な誤謬を起こしていたし、バブル時代も誤謬が発生していた。つまり、組織であればこれは「風邪」みたいなもので、時々はかかるものなのだ。

 

誤謬が起こる原因の一番は、担当者が全体図を理解せずに、自分の事だけ良ければ問題なしという姿勢を取る事にある。

 

だから常にリーダーは、全体図を説明した上で部門別に「やるべき事と方向性」を指示すべきなのだが、担当者からすれば面倒臭いだけなので、聞く耳を持たない。

 

そうすると、大体の場合組織は方向性が支離滅裂になってしまい、船頭多くして山に上がる状態になるのだ。

 

こんな時の特効薬は、誤謬社員全員の入れ替えだ。

 

何故なら、全体誤謬を起こす人は、視野の狭い人であり、これは会社の社内教育で訂正すべきものではなく、社会人になる前に、学校で学ぶべきものだからだ。

 

会社は学校ではない。終身雇用制でもないニュージーランドでは、社員を育てると言う仕組を社内に内包しないし、してしまえば他社よりも余分に経費がかかり、商品の価格に競争力をなくしてしまう。

 

まあここまで極端な事を書けば、反論をしたくなる人もいるかもしれない。社員を教育するのは会社の責任とか、どうちゃらこうちゃら。

 

しかし、これは元々議論をするものではない。社会は現実であり、そこで負けてしまえば、どれだけ理屈を並べても意味はないのだ。本気で会社に教育責任を持たせようと言うならば、社会構造自体を変革する必要がある。

 

反論者は、そこまで踏み込んで議論出来るだけの実績と根性があるのか?疑問である。

 

 

まあ、反論が出てもいないのに、そんな事を書いてもあまり意味がないので、もっと面白い話にしよう。

 

それはタイトルにある「同一性の誤謬」である。例えば電機メーカーは、ある会社がプラズマテレビを作ると、全社が見事なまでに同じ市場で競争して、その結果商品寿命が短くなり利益を産むのが難しくなる。

 

100億単位の資本投資をしながら、その商品寿命が1年というのもざらである。勿論彼らにも言い分はあるのだろうが、それだけの金があるなら、NZで定期預金をして、その金利で儲けた方が余程確実である。

 

ところが日本人の場合、誰かが仕掛けをやると、見事なまでに皆同じ事をやって潰しあう。仕事の目的が潰しあいとか自慢のし合いならそれでも良いだろうが、あくまでも利益を出すと言う視点から見れば、他人が既に押えている市場で後から追いかけて喧嘩するより、相手が手を出していない市場に投資したほうが余程儲かるではないか?

 

そのような単純な理屈を認めようとせずに他社追随をする電機メーカーを見ると「あ〜あ、思考停止しているな、結局新商品を考えるよりも追随の方が仕事している気になるんだろうな」と思ったりする。

 

愚かな話である。

 

 

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tom_eastwind at 23:05│Comments(1)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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この記事へのコメント

1. Posted by 通りすがり   2006年04月07日 04:22
何かすごい屁理屈だな。視野が狭すぎ。小さい会社で社長なんかやってると井の中の蛙?天狗?お山の大将?になるんだな。
一言だけ教えてやるが「企業は人なり」。これを忘れた経営者は必ず失敗するよ。それを考えたくないなら個人企業でもやってなさいってこった。
だいたいニュージーランドで社員教育がきちんとできていないという事を言うならば、だからこそ、ニュージーランド企業の国際競争力が低いのだと言う事実になぜ思い至らないのだろう。

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