2006年04月05日

残業=時代に取り残された法律。

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「もし法律が実態にそぐわなければ、要件が整っていてさえも、適用すべきではない。」

 

これは渡辺洋三という法律家が自著で語っている言葉だ。戦後すぐ彼が執筆した法律書にも、数十年経過した後の本にも同じ趣旨を語っている。

 

 

 

法律が人間の作ったものである限り、その法にはその時の時代背景に基づいた国民的総意が存在する。ではその時代背景が変化し、国民的総意が変化するならば、法律はそれに基づいて変化すべきである。

 

もし諸事情により法律の変化が遅れを取った場合は、その法律を適用する事が法の精神自体を歪める事になるのだ。法は人のために存在する。その逆はあり得ない。

 

従って、法律家でもあるソクラテスが言い放った(と巷間言われている)「悪法でも法は法なり」とは、実は間違いなのだ。

 

*********

 

いきなり堅い話であるが、最近の日本でも、NZに住む日本人の間でも、そのような問題が出てくる。

 

社会の殆どの人は給料を貰って生活しているのだから、給料は高い方が当然良い。しかし経営者にとっては、あまり給料が高いと商品の競争力がなくなるので、経営判断からすれば安くて優秀な労働力を求めて発展途上国に工場を移す。

 

これが最近の国内産業の空洞化と呼ばれている話である。

 

仕事が無くなっては困る労働者の選択肢は三つ。

 

1・給料を下げてでも雇用してもらう。

2・経営者になる。

3・自分の能力を高めて、他に出来ない仕事振りで高い給料を確保する。

 

このうち1と2は選択しずらい。そこで高度な知識を売り物にした「知識大国」や高度な技術を売り物にして「技術大国」になろうとしているのが日本である。しかしこの技術大国を構築するには「時間当たりの労働」という、越えるべき法律問題が残っている。

 

それは、このような知識や技術は、時間当たりのばら売りが出来ないという事である。つまり、1時間働いたら何個作れると言うような工場労働ではないという事だ。ある人は風呂に入りながら発明するだろうし、ある人は子どもと公園で遊びながら技術を開発するだろう。そんな人に時間管理が適用されるべきか?

 

また、残業と言う発想は、20世紀初頭の工場で働く、誰がやっても同じ内容の仕事をする事が前提で作られた発想だ。

 

ところが高度な技術には個人差がある。だから手の早い人がプログラムを1時間で書いたとする。ところが手の遅い人は、同じプログラムを10時間かけて書いたとする。すると手の早い人は1時間分の賃金しかもらえないが、手の遅い(または手抜きな)人は今の法律では10時間分の給料を貰える事になる。

 

これって公平?手の遅い人の方が高い給料をもらえると言うのは、法律の趣旨から言っても違うような気がする。

 

時代が工場労働から知識労働に移動する中では、法律もそれにあわせて変化する必要があるだろう。

 

最近は日本でも労働法の見直しが行われて、「見なし労働」という考え方が導入され始めている。よい事だ。法律が時代に追いつかなければ、捨てられて無視されるだけでなく、時には存在自体が社会の成長を妨げる事になるのだから。

 

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tom_eastwind at 20:17│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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