2006年04月22日

感情と言うものについて

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理性と感情は、人間の精神を構成する二大要素だ。

多くの人は、理性で感情を制御しようとする。しかし時には、制御してはいけない気持ちまで、理性で制御してしまう。

その良い例が「復讐」である。山口県で発生した母子殺人事件、栃木のリンチ殺人事件。どちらも、本来は復讐の意味で死刑を与えるべきだ。

個人が社会に参加してルールを守る大前提は、ルールを守っている限りこちらの財産や生命を社会が守ってくれるからという、ごく簡単な双務契約である。

ところが、警察が個人の財産や生命の危機を無視して「知らね〜よ、お前の息子が勝手に遊んでるんだろ」とか「女にも問題があったんじゃないの〜?」等と言ってしまう神経は、すでに社会参加という人間の基本精神が、警察にも社会にも存在していない事を意味する。

復讐は「あだ討ち」という名目で江戸時代に公認されていた。名誉毀損に対しては「決闘」という形で名誉保存の手段が認められていた。

ところが何故か時代の変化により、そのような伝統的なプライドを守る手段が否定されたというのは、一体何故だろう。

答えは簡単で、民主的と呼ばれる政府が国民を支配しようとしているからだ。殺す権利は国だけが持っている、個人には与えない。そうする事で国家の統制を強めているだけなのだ。

全く下らない話だ。おまけに今回の日本の「共謀罪」である。

全く、やってられない世の中になり始めている。かと言って体制になびこうという気も湧かない。自分がやりたい事が出来ずに生きていても、あまり意味はないと思う。

人間って面白い事に、時代が経てば文明や文化は進歩するものと思っている。ところが文明がどれだけ進歩しても、ナスカの地上絵やピラミッドの分析は出来ず、文化が進歩しても人殺しの数は増えるばかりだ。

もしかして人類って、後退しているんじゃないか?本気でそう思う今日この頃。

感情を大事にしよう。直感を大事にしよう。理屈がどれだけ通っていても、間違いは直感でわかる。という事で、今日は感情剥き出しの写真を一枚啓上。

5月21日 東京国際フォーラムでNZ移住説明会を開催します。国と政府の違いが分る、まるでネスコーヒーみたいな説明会をしています。

 

 



tom_eastwind at 18:25│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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