2006年08月01日

知識の限界と智恵の無限

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知識の限界と智恵の無限

 

僕はどんなに苦しくても、絶対に苦しいと言わないようにしている。それは、苦しいと言ったり思ったりした瞬間に、人間の能力が収縮、低下するからだ。

 

 

 

「苦しいと言わなくても、苦しいモンは苦しいじゃね〜か」と言う事自体は間違っていない。でも、口に出して言ってしまって自分の能力が下がるようなら、言わない方がましじゃないか?

 

間違っているかどうかよりも、もっと優先するモノがあるはずなのだ。それが「生き残る」という事ではないか。

 

痛いとか苦しいと言うのは、困った状況に陥った時だろう。でも、そんな時こそ持てる力をすべて発揮して戦うしかない。だって、困った困ったと言っても誰も助けてくれないし、ましてやそれで能力が低下するのだから、言わない方が良いどころか、絶対に言ってはいけないのだ。

 

困ったと言うと能力が低下するかどうかという問題は、人によって違うのかもしれない。でも、恐怖を目前にして「立ちすくむ」という言葉があるように、普通の人間はほぼ、自分の常識以外の物体や現象を目前にすると、思考停止に陥り、動きが止まるのだ。

 

脳みそも同じ事で、例えばサラ金で金を借りて自殺する人は、それ以外の選択肢を見つける事が出来ないからだ。その時点で、すでに思考停止状態になり、視野が思い切り狭まっており、他の選択肢を探すよりも、最も手近で分りやすい、自殺と言う道に走ってしまうのだ。

 

どうせ死ぬくらいなら、サラ金に殴り込みをかけろ!あいつらは金儲け、こっちは命張ってるとなれば、そう簡単には負けないし、相手だって減額交渉に乗ってくれるかもしれない。駄目といわれたら、その時に死ねば良い。急いで死ぬ必要はない。

 

「いやいや、あんたら強いからそんな事言ってられんだよ。俺はもう、疲れちまったよ、このまま死なせてくれ」

 

そうか?それが本当に正しいのか?それは単に思考能力が停止して、一番楽な解決方法しか見えなくなっているからじゃないのか?疲れたのは生活ではなく、生き残ろうとする能力ではないのか?

 

サラ金で金を借りる人でも、見事に逃げ切ったり交渉して減額させたり、しっかり戦う人もいる。この違いって何だろう?

 

僕はそこに、知識の限界と智恵の無限を感じる。知識は学校で学ぶもので、10円に10円を足したら20円になると知っている。サラ金に年利200%で金を借りたら、借金が2倍になる事を知っている。だから、どうやって返済しようかと悩む。これは普通の知識だろう。

 

でも、そこに智恵があればどうなる?立ち止まって、生き残る為に考える智恵。

 

「ちょっと待て。こんな金利が大体OKなのか?てゆ〜か、払わなければどうなるのか?この国は法治国家だ。何か手段があるのではないか?」と、契約の内容ではなく、契約自体が正当かどうかを考える智恵。

 

弁護士に相談したりする時の恥の重さと、自殺する事の重さの比較。それが出来れば,選択肢は広がるのではないか?

 

香港あたりでは、サラ金の金など普通に踏み倒す。何故なら、金を返さねばならないという「間違っていない理論」は「生き残る」という理論よりも優先度が低いからだ。

 

それと同じで、有名な大学を出て立派な一流企業に勤めていて、知識がどれだけ豊富な人でも、美人局に引っかかって自殺する事もある。彼らが自殺に走るのは、色んな理由があるだろうが、大体の場合は、思考停止に陥るからだ。

 

どうせなら美人局に騙されたふりをしてダブルエージェントになれば良い。そしたら、美人の彼女とも遊べるではないか。奥さんに聞かれたら、それこそ「国家の仕事だ、我慢しろ」と言えばよい。

 

「いやです、国家の為に一生を棒に振るような事をするなんて!」というくらい根性なしなら、最初からよその畑に種まきするような真似はやめておけ。一生を棒に振るったって、棒を振った結果なんだ、諦めろ。少なくとも自殺するくらいのことではないぞ。

 

こんなエリートは、日常で智恵を使う訓練をしていないのだろう。智恵を使う訓練とは、自分のしたい事をする事で身に付く。例えば12時だから飯を食うのではない、腹が減ったから飯を食うのだという物事の本質を理解していれば、世の中の大体の事は見えてくる。

 

智恵を磨く事は難しくない。でも、多くの日本人は親の引いたレールの上で、あれは駄目これは駄目という教育を受けて育っているので、感情を我慢する事ばかり憶えて、結局楽しむ事や生き残る事の喜びを、つまり生きる智恵を失ってしまった。

 

だから最近の若者はよく「何で生きてるんだろうね?」なんて、究極的な質問をする。そりゃそうだ。子供の頃にきちんと感情を育てる訓練をしていないから、生きる事の喜びが分らないから。喜びは罪だ、そう学んだ子供たちが大人になれば、そりゃあ「何で生きてるのか?」って自問するだろうね。

 

我慢する事は大事だが、親の引いたレールを歩く我慢は「そうすればもっと良い生活があるよ、だから無駄な智恵は捨てなさい」という、智恵と引き換えの我慢だから、結局大人になった時に、組織の歯車としては有用だが、一人の人間としては全く生存能力のない状態になっているのだ。

 

死にたい人を止めようとは思わない。でも、苦しいとか死にたいとか思ったら、本当に思考停止してしまうよ。その前に、一つ大きく深呼吸をしてみな。楽しい事を考えてみな。それだけで選択肢が広がる。

 

写真は香港の海。このあたりのフェリーの船底には、博打で借金漬けになった人が海面からちょびっと首だけ出した状態で縛り付けられてた、という噂です。多分、本当の事だろうと思います、はい。

 

 

 

 

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tom_eastwind at 00:02│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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