2006年08月16日
家族の夕食
一昨日は竜馬8歳を学校に迎えに行き、その後7時頃から、お父さん手作りの夕食だ。
最近は彼らも慣れたせいか、味付けに文句を言う。味が薄いだの濃いだの、一人前に文句を言う。
何を言う!このヤマサ様が見えぬか!本だし様の素晴らしさを理解しているのか!等と、他愛もない会話。
そんな時に時々出るのが、みゆき16歳との夕食を挟んでフルーツ時間に話す、ニュージーランドの歴史や世界の歴史。
彼女にとって歴史は、今だ馴染みが無い。香港では共産党の悪口は言えず、ましてや教科書には書かれていない。触れてはいけない問題だもんね。
そして回りの友達は、大陸中国から来た子供は嘘の歴史を学び、台湾から来た子は共産主義反対の歴史を話しているので、子供たちの中で歴史観が一致しない。
そんな時にみゆきは、僕に聞いて来る。「ねえお父さん、毛沢東の時代に何があったの?蒋介石って誰?」
その当時の歴史の背景、西洋諸国との係わりの中で、日本を含めたアジアがどのような政策を取ったか、みゆきに話す時は極力僕の主観を抜いて、歴史的事実のみを簡単に伝えるようにしている。
そのうち話が広がり、国境は一体何という事になると、僕は壁に貼ってる世界地図の、アフリカの部分を説明する。
「ね、みゆき。国境が民族や地理で分かれているなら、何でアフリカの国境は直線で作られているのか分る?」
国家は他の強大国家によって作られ、そこには蹂躙と忍従の歴史がある。でも、それを教科書に書けない国家がある。
同じ国内の世論でも、今だもってつい60年前の歴史の評価さえ定まらない。
みゆきは聞く。「お父さん、それっておかしくない?事実は一つでしょ?」
その通りだが、事実は、それを書く者によって左右されるし、真実は観る角度によって変わる。
僕らが知るべき事は、正義を追求する時も、それがどの角度から観た真実かを理解するべきだと言う事。
どの真実を選ぶか、それによって個人の行動は変わるのだが、その時に、出来れば他人の選択も尊重してあげる事。それがあるだけで、社会はかなり違ったものになる。
その後、1840年代のマオリとイギリス社会の関わり、ワイタンギ条約の成立の経緯などを、ゆっくりと説明していく。
彼女もワイタンギ条約の事はある程度学校で学んでいるようで、話についてこれる。
その間竜馬8歳は、鉄砲を持ってぎゃんぎゃん吠えながら居間を走っている。まあいいか。
写真は、先週のスキー場です。