2006年09月05日

プリンシプルのない日本

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白洲次郎という人物に接する。

本を通じて知合いになるってのは、片道通行のようでいて、本気で本を読み込み始めると、相互通信みたいな事が起こる。

読書が面白いのは、吉田兼好も言ってるけど「まだ見ぬ世の人を友として」語り合う事が出来るという事だ。

 

 

例えば防人の歌を読む吉田兼好は、その話に涙して、時には話し掛け、そして自分の蓄えとして、翌日も戦おうと思ったろうな。

白洲次郎の本2冊「風の男白洲次郎」と「プリンシプルのない日本」を読む。特にこの「プリンシプルのない日本」は、彼が1950年代に書いたコラムであり、今ならブログと言えるくらいの雑文であるが、実に彼の卓見というか識見を感じられる。てゆ〜か、50年前の文章なのに、まるで今の事を書いているみたい。女系天皇、憲法改正、自衛隊問題など、政治的問題から経済問題まで、実に深い洞察を持ちながら、それを一言で片付ける技術を持っている。

そうかそうか、戦前から戦後にかけてこういう人物もいたのか。すっげ〜な、かっこいいな。なりたいな、そんな人間に。

思わず彼に話し掛ける。「吉田茂って、どんな爺なの?」とか、「あんたさ〜、かっこつけすぎだけど、でもかっこいいよ」とか。

すると彼が速攻で反論する。

「吉田茂ってのは歴史に書いてるだけの爺じゃね〜ぞ、本気で死ぬ覚悟をした国士だよ」

「おいおい、俺はおかまじゃね〜ぜ、男に好かれても、うれしくもくそもね〜や」という軽口が、その文章からにじみ出てくる。

これが相互通信(Interactive) になっているから気持ち良い。雑誌や情報誌では、一方通行なので、テレビと同じ「放送」だ。片方から片方に情報が流れるだけ。

勿論これはこれで必要なのだが、やはり交信出来る本ってのは、本読みからすれば至福の一時と言える。

白洲次郎。同じ時代に生きていたが世界が違っていた人。それにしてもかっこいいな。

彼の言葉は、今この時代、日本語を読める人には是非知ってもらいたいので、あえて著作権を無視して書く。

プリンシプルのない日本
「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。

僕らは原則を持っているだろうか?流されていないか?常に気をつけて生きていかねば、本棚の白洲次郎に怒られてしまう。

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tom_eastwind at 00:05│Comments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

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