2006年09月30日

一所懸命な人々

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 そろそろ夏の終わり、夜はジャケットを軽く羽織りたい東京の説明会、30代半ば+子供1のご夫婦が、個人面談の際に今の気持ちを語っていた。

 

先月の残業が160時間、毎晩12時過ぎにしか帰れず、家族の会話もなく、お互いにぎすぎすしてきて家庭の不和まで出てきて、これじゃあ一体何の為に夜遅く迄頑張って仕事しているのか分らないし、こんな国でこれから子供を育てても、いつ子供が誘拐されたり学校で授業中に殺されるか分らない。

 

大体、子供が無事に大学を卒業出来ても、就職出来るのが日本国内の企業しかないとなれば、子供は親と同じような道を歩くしかない。

 

そんな生活をさせたくないと、真剣に子供の未来や夫婦の生活を大事にしたいご夫婦+子供1だが、親に移住の話をしたら「なに〜!日本を捨てるのか!」と怒られたと言う。

 

僕も日本人だから、その親の言ってる日本語は理解出来るし、感情も理解出来る。でも、その内容は、完璧に洗脳された宗教団体という感じしかしない。まるで日本全体が「一所懸命」という古代宗教に染まっているようだ。

 

出て行くななんて、おいおい、一体いつから国家が国民を選ぶようになったの?国民は、憲法で保障された、幸福な生活を追及する権利及び住居の移動の自由があるのではないか?

 

同じ価値観を持つ国民が自分の理想とする国家を作るのが民主主義であり、その運営を委託するのが選挙であり、委託を受けた公僕は、国民に対するサービス産業ではないか?いつから国家がそのご主人である国民に指図するようになったのだ!

 

本来国家は、国民の代表として国民が住みやすい国造りを行うのが仕事である。ところが現在は、政府が国家運営に失敗しておいて、そのつけだけを国民に対しているのが実態だ。

 

その癖政府は、自分では責任を取らず、増税、医療費負担率値上げ、年金の切り捨て、セーフティネットがないままの綱渡りをさせて、落ちて死ぬ人が年間で約8千人、労働者の賃金は益々下がり、サービス残業が横行して、本来取り締まるべき労働基準局も見てみぬ振り。

 

そりゃそうだ。まともに残業をつけられたら、企業としては利益が減るし、そうなると政府の税収も減ってしまう。せっかく増え始めた税金は、国民総サービス残業で支えられているのだから、この仕組を壊す訳にはいかないだろう。

 

しかし、その為に国民が犠牲になる、どんな理由があるのだ?

 

そしてここからがさすがに優秀な統治者である政府だ、彼らはこんな理屈を作り出して国民を洗脳した。

 

「お前は日本で生まれて親に育ててもらい、教育を受けて食い物をもらってきた。その親を捨てるような恩知らずな真似は、恥知らずである。もっと国を愛しなさい」

 

一見それらしい理屈だが、国=山河や日本人を愛するという事と、無策によって失敗した政府のつけ払いをするというのは別問題だろう。

 

大体子供の頃に無料教育を受けられたのは、自分達の父親世代が頑張って働いて税金を払ったからであり、政府が自分でお金を作った訳ではないという事実に、しっかり目を向けよう。

 

先の大戦で日本が荒廃した時に、ゼロから国家を建て直したのは経済だし、それを作ったのは現場の日本人だ。

 

政府の義務として社会福祉を充実させた結果、今の老人が年金をもらえていると言っても、それだって若い世代が税金を払っているから成立している制度であり、実際、若い世代が年金を払わなくなった現在、政府は早速年金の減額を行っている。本来なら60歳からもらえる筈だった年金を65歳にしたのが分りやすい例だ。

 

つまり、政府が自分で作った訳ではなく、国民の労働から徴収したお金を、政府が胴元になって再配分しているけど、その政府自体が馬鹿な政治をやって外で赤字作ったから、今は国民がもっと痛みを感じて、この国でしっかり納税しなさい、逃げちゃあ駄目よと言ってるのだ。

 

一所懸命という概念は、昔から日本人の遺伝に組み込まれている思想だ。でも、例えばNZでは一箇所で一生住むと言う概念はなく、高く買ってくれるならいつでも売ります、売って、もっと気候のよい街に住みますってのが普通。

 

キーウィであれば「日本で昔起こった成田空港闘争なんて、土地を買い上げる政府のごり押しに反対せずとも、条件闘争で高く売りぬけばよかったじゃないか、その金で他の土地に豪邸を建てれば良い事。何で武力闘争までして同じ国民同士で殺しあうんだろうね?」と、疑問に思うだろう。

 

勿論成田闘争は、当時の自民党代議士による地元利益誘導の結果として、一番弱い農民にしわ寄せがあり、何も土地だけの問題ではなく、きちんと段階的に説明してこなかった政府の責任であり、その片方では先鋭化する学生運動が背景にあった事は間違いない。それでも、土地をビジネスの対象として見ているキーウィからすれば、その為に人が死ぬ必要はあるのか?と思うだろう。

 

成田闘争までいかなくても、日本人は一箇所でじっとしているのが好きだ。そりゃ分る。その方が何も考えなくてよいからね。でも、江戸時代も飢饉や悪政に対しては、農民が「逃散」という手段で他の国に移動した例がある。

 

僕らが幸せを追求する権利を守り、家族を大事にする、その為の移住であれば、それは本来国家としても、目先の利益が減るという狭い視点ではなく、日本人がより国際化する事で世界とのつながりを深め、それが日本の国際理解につながり、ビジネスに広がっていくと言う視点で見るべきだ。

 

1億2千万人が住む日本で、海外に住む日本人はまだたった100万人程度だ。香港では1980年代から90年代にかけて、600万人の人口のうち、60万人が移住した。そして移住した人々が香港の尖兵として、地元香港とビジネスを繋げて更に発展させている。その結果として、香港からオークランドに飛ぶキャセイ航空は、一日二便の運行体制である。それでも満席になる事が多い、キャセイにとってのドル箱路線だ。

 

ところが人口1億2千万人の日本では、福岡線がとっくの昔に廃止され、最近は中部線も廃止、次は関空線も廃止と言われている。そしてその機体は上海線に回されている。要するに、観光客としての日本人はもう終わった、日本Passingである。 

 

日本と香港、どちらが本当の意味で国際化を行っているか?

 

いいかげんに政府も、目先の利益ではなく国家天下の百年の計を考えて、日本人の移住政策を進めるべきではないか。ドミニカに日本人移民を捨てるような真似をするのではなく、積極的に大和精神を世界に広めようとしないのか?

 

一所懸命のような「目を閉じて砂に頭を突っ込むオストリッチ的安定」は、これからの国際化には、もう通用しないのだから。

 

最後に言っておく。どれだけ日本から外国に移住する人が増えたと言っても、それが国家のバランスを崩す事は絶対にない。どれだけ移民が入ってきても、日本には長い時間をかけて築き上げた、素晴らしい技術があるのだ。

 

日本に労働者が必要であれば、優秀な外国人を入れればよいのだ。実際、多くの優秀な外国人が日本で働きたがっている。彼らに対して門戸を開き、多角的な視点で民主的な国家運営をすれば良いのだ。

 

すでにフィリピンからは看護婦を送り込む計画が進んでいる。頑張れば、肌の色に関係なく夢を達成出来る、そんな魅力的な日本にするのだ。そして同じ価値観を持つ人々が世界中から集まり、日本の旗の下に一つになればよい。

 

え?外国人にこの国を乗っ取られるのではないか?おいおい、心配するな。最終的に土地と法律を押さえているのは日本政府と日本人だ。必要ならいつでも法改正すれば良い。

 

大体、世の中に閉鎖された安定なんて永続しない。 いつまでも鎖国は出来ないのだ。今こそ第二の維新だ。世界に向けてドアを開けるのだ、戦え、そして生き残り、勝ち抜け。戦争は、守りに入っては絶対に勝たない。100万人を海外に移住させて、120万人の移民を受け入れろ。

 

世界が小さくなる中で、今この移民政策をしっかりと見直して、労働力としての外人ではなく、消費者、国民としての外国人を受け入れる仕組を作ることが、本当の意味での天下国家の百年の計である。

 

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tom_eastwind at 00:01│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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