2006年10月07日

民敗れて国家あり

3df4f679.jpg

長距離トラック事故が目立つ。特に、飲酒運転の長距離トラックが起こす交通事故が増加している。

 

何故だろう?運転手はプロの商売であり、酒を飲む事の危険性を理解している筈なのに。

 

単なる酒飲みなのか?

 

 

その実態を暴く為に、NHKや日経ビジネス等のメディアで半年ほど前に特集を組んでいた。(最近はすっかり下火になったが、おそらく上司に「それはやるな」と言われたのだろう)

 

過剰労働の原因は、トヨタの看板方式ではないが、とにかく最近は大企業が合理化や経費削減の号令の元に、有無を言わさず下請けに無理難題を押し付け、下請けは更にその下請けである物流会社に無理を言い値段を下げ、結局物流会社はそのしわ寄せを運転手に押し付けて、その結果の過重労働が慢性疲労を生み、それを紛らわす為に酒を飲んで運転し、その結果一般の市民を巻き込んだ交通事故に繋がる図式なのだ。

 

あまりにざっくりと書きすぎてしまい申し訳ないが、これは少なくとも、風がふけば桶屋が儲かる以上の確率で正解だと思う。

 

一ヶ月で25日以上も働く彼らは、その労働時間の殆ど揺れ動く車中で過ごす。ある運転手に日経の記者が同乗した。長崎から東京へ荷物を運び、東京で荷物を積むとそのまま長崎に戻る、往復で2日の旅。

 

長崎の運転手は40代、これ程の過重労働では精神的にも参るし肉体もぼろぼろだが、この仕事を辞めたら、次の仕事がない。失業手当も半年しか出ないし子供は学校に通っている。そうなると、辞めると言う事がそのまま家庭崩壊になるのだから、石に噛り付いてでも働きつづけるしかない。

 

タクシーも同じだ。仙台の運転手など、月収が12万円しかないと言う。初乗り料金区間の客を取る為に1時間、駅前で並ぶ。

 

何かしなければ、そう思っても彼らが今更仕事を変える事は、能力的にも体力的にも資金的にも出来ない話だ。それを甘えと言えば言える。何故今まで機会があったのに、やらなかったのか?危機感がないではないか!・・・しかし、今目の前で死にかかっている人に「お前の自己責任だよ」と言えるほど、人は信念を持っていないと思うし、その信念を本気で貫いたら、心が痛むと思う。

 

長時間残業、サービス残業、とにかく「住みやすい社会作り」というお題目の中で、次々と国民が倒れていく。

 

 

今年1月29日付けのブログで渋谷の浮浪者の話を書いたが、昭和30年代、東京に乞食はいなかった。勿論東京オリンピックを迎えた東京都が、無理やりに彼らを追い出したという事もあるが、実際それ以降乞食を見る事はなくなり、皆どうにか定職についたものだ。乞食という言葉さえ、最近は死語かな。

 

 

多分このブログを読む30代前半の人は知らないと思うが、昭和の時代は片足がない戦傷者軍人が白衣をまとい、神社の市でアコーディオンを弾きながら乞食をしていた。でも、彼ら元軍人の苦労を知る人々は、戦傷者に対してお金を包んで渡していた。そして国家は彼らに対して死ぬまで「軍人恩給」を払いつづけた。つまり、社会に連帯感、政府にセーフティネットがあったのだ。戦争で苦労をしても政府が面倒見るよ、怪我をしたら軍人用の年金があるよ。

 

しかし平成の今、国家によって擂り潰された人々を救う仕組や連帯感は、一体何処にあるのだろう。

 

日経ビジネスやNHKではそういう問題を取り上げたが、結局この問題は解決されないまま、報道は終了した。何故か?それは、この問題を突き詰めてしまえば、日本という国家の根幹を揺るがす問題になるからだ。

 

この問題を本気で解決しようと思ったら、まず商品の価格破壊(下請けに値引きを押し付けるだけの値下げ)や過剰サービス(必要でないものを買わせる)を停止する必要があるし、次に給与体系の見直しをする必要がある。

 

ところが今、日本の企業が軒並み好景気で納税が10兆円増えたって言うその10兆円の原資は、実は国民に不要な物を買わせ、下請けに値引きを押し付け、結果的に発生する労働者の賃金の低下とサービス残業によって支えられているからなのだ。

 

もし今賃上げを認めてしまえば、企業は軒並み赤字になり、日本の納税が減少し、国家の赤字が拡大する。だから今はとにかく労働者に泣いてもらうしかないのだ。請負労働で雇用形態を誤魔化していた大手メーカーも、これからカイゼンすると言うものの、本当にそうなるか?

 

「国が税金欲しければ、労働者を少々絞る事くらい、目をつぶってくださいや、日の丸親方〜」

「ふふふ、越後や(あ、田中は失脚したので、この場合は山口やが正解か)、お前も悪じゃの〜」

 

そうささやく声が聞こえるような気がする。

 

「今は国家の非常事態である、国民は痛みを分かち合って欲しい。そうする事で国家が生き残り、最終的には国民に配分がいくのだから」

 

それは強い人にとっては本当だろう。でもこれから日本が、てゆ〜か安倍さんが導入する「再挑戦が出来る社会」では、強い者が先に稼ぐけど、君も頑張ったら強くなれるよという仕組だから、勉強する時間のない弱い者は、結局いつまで経っても弱いまま、搾り取られて捨てられるだけなのだ。決して全国民に「結果の平等」として行き渡るような再配分はしないと言ってるのだ。

 

では、誰が挑戦出来るのか?それは、親の苦労を見て「お父さんのようになっちゃ駄目だ、一生懸命勉強して一流大学に入って一流企業に就職しなくっちゃ」と考える子供だ。

 

そしてその受験勉強とは、他人を蹴落とし、人間として間違っていても試験で正しければマルをつけねばならない、その過程で個人の自由や尊重を奪い、人としての感覚を麻痺させていく

 

結果的にチャップリンのモダンタイムスみたく、国家の歯車になるしかない国民を作る為の仕組が出来上がる。

 

歯車社会の再構築の為には、長距離運転手が交通事故を起こしても、あまり問題にしてはいけない。丁度昭和中期に水俣病で多くの人が病気になっても「チッソ」の責任を認めようとしなかった通産省と同じだ。何故なら当時は「今は国家の一大事」だから、企業や国家の責任を認めてしまえば、折角伸びてきた日本の企業の芽を摘む事になるからだ。

 

国家の一大事を誰が作ったか(政府だろ)は問題ではない、問題は今の国家の一大事をどうするか(国民に付回し)だ。

 

結局数十年経って水俣病は政府によって政府の責任と認定されたが、今から10年後、長距離運転手の事故が国家の責任と認定される日は来るのだろうか?

 

もし来たとしても、死んだ人は戻らない。まさに、民敗れて国家ありだ。

 

 

写真は自宅から見るランギトト島。山に掛かった雲と黒い海が、まるでターミネーター1のラストシーンみたいです。

 

「嵐が来るわね」

 

人気ブログランキング



tom_eastwind at 00:00│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔