2006年12月27日

浅草博徒一代 〜アウトローが見た日本の闇〜

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「戦争前までは一般の日本人の生活は、朝まだ暗いうちに起き出して仕事に出かけ、一日精一杯働いて夕方にはうちに帰って飯を食べて寝てしまう、と言う具合で、普通の家では夜9時ごろにはみんな寝てしまったものです」

 

 

906年生まれの浅草博徒が見た東京は、実は闇だけではなく、当時の東京を見事に再現していた。それがこの本の売れた理由だろう。

 

この本は、博徒から聞いた話を書き取った医師が、彼の死後それを一冊の本にまとめて1988年に出版され、日本だけでなく、遂には1991年には英語版まで出版されて、2003年にはウォールストリートジャーナル誌でボブディランの盗作問題まで引き起こした程の名作である。むしろ、日本での評価の方が低いのではないかと、今回読了して感じた。

 

当時の東京は、利根川から江戸の名残りが薫る深川などまで、すべて小船で移動するのが当たり前の街であった。ちなみに江戸と言えば浅草、深川、溜池、精々西の端は目黒くらいまでの、江戸城を中心とした東側と南側が中心で、その当時は新宿などは江戸の端っこであり、淀橋と呼ばれていた田舎であった。

 

この掘割を利用した水運は、お屋敷に石炭を運ぶのも、田舎の野菜を東京に届けるのも、そして尾篭な話ではあるが、東京で「おわい」を貰い受けて自分の村の畑に肥料として撒くにも船を使っていた程に利用されていた。

 

お上の眼を盗んで、違法な物資や博打帰りの旦那衆を送る「あいまい船」なんてのもあった。真っ暗な川や掘割を、小さな灯り一つで小船を操り、商品やお客を目的地まで届ける。最近の映画で言うならトランスポーターかな。実はこの博徒も、一時期はあいまい船の仕事をしていたから、実に詳しい。

 

違法と言ってもあくまで役人がそう決めてるわけだけで、夜9時に人々が寝る時間を過ぎて家に帰ろうとすれば、それだけで「怪しい事をしている」という事になる。そこで警察に捕まると、この前書いたミランダ判決以前の世界の風潮ではないが、即効で警察に放り込まれて拷問を受ける事になる。

 

とにかく人権無視の時代だったから、やってる方からすれば犯罪の意識はないのだが、お上に捕まると何かとうざい。だからこのような商売が発生するのだ。

 

今の時代では考えられないが、夜9時に街を歩くと言う事は、それだけで怪しまれるわけで、例えばパチンコで夜10時まで遊んで、勝った玉を現金に替えて家に帰る時に、道端に立っている警察に「お前博打やったろ、逮捕だよ」と言われて、そのまま警察に連行、拷問を受けるようなものだ。

 

まあ警察は別にしても、当時はそんな具合で、移動については、道路の代わりに水路が普通に使われていた時代の話から、この物語は始まる。

 

「ヤクザは、今流行りの暴力団ではございません。私らは今度の戦争の前から、博打一つで身代を立てたもんです。麻薬や女の稼ぎなど、私らヤクザから見れば本筋じゃあありません。街でたまに会っても、そんな連中には目もくれませんでしたよ」

 

明治の終わりから大正、昭和と生き抜き、東京大空襲も経験して戦争に負けて、そこから立ち上がった日本というものを、博打場の親分として生き残って見つめてきた彼の視点は、実に淡々としていながら明察なジャーナリストの眼を持っている。

 

当時の人々が、狭い長屋の軒先でメザシを焼きながら世間話に戯れて、仕事帰りのオヤジはどぶ板を下駄で駈けながら自宅に戻り、子供を連れて近くの風呂屋で汗を流す。

 

熊蔵という殺人囚は元々風呂屋の三助だ。風呂屋で男女関係なく背中を流すのが仕事で、そこで知合った若い女に惚れてしまい、女の為に風呂屋の奥さんと子供を殴り殺した罪で収監されていた。

 

浅草の博徒は、博打場に取締りをかけた警察の面子を立てる為に刑務所に入るが、そこで知合ったのが上記の熊蔵だ。日本の闇を見たというよりも、当時の風呂屋の様子がよく分かる風景の方が興味深い。

 

刑務所の中では、犯罪受刑者は金は持てないが、看守は金がない。だから看守の生活の苦しさを知っているヤクザは、自分の立場を良くする為にも看守に金や現物を渡す。まさに、上に政策あれば下に対策ありだ。その時の生々しい現場の雰囲気も書き上げている。

 

明治、大正から昭和の後期までを生き抜いた博徒は、その後も刑務所に入る。殺人が一回、麻薬販売幇助が一回である。博打しかしないヤクザが、何で麻薬販売幇助で捕まったか、そこが浮世の渡世の義理と言う奴で、この下りがまた面白い。

 

今の時代、モノは豊かになった。

 

ただ、命を張って生き抜いたヤクザが、義理と人情を大事にして刑務所に3回入り、60歳過ぎて、自分の責任でもないのに、一時でも愛した人を守る為に薬指を落としたという体験、そして何よりも、「まあこんな事は、人様にお話できるようなこっちゃありません、みっともねえ話だ」と言わせる謙虚さが、僕らの心の空虚さを際立たせる。

 

彼は本の中で、他人の為に網走刑務所に入った経験を話している。零下30度の網走で山深く入り、直径1メートルくらいある大木を切る作業をするが、それって高倉健の網走番外地だよね。

 

その中でも特に、戦時中の中国や満州国にいた受刑者の話が面白い。仲間の腕を切り落として荼毘に付した男は、絞首刑では死ぬまでに12分30秒かかるという事を執拗なまでに博徒に話をして、その背景がとにかく面白く、ネタに不自由しない。

 

結局この博徒の一番面白い部分は、本人も気付かないままに、真実に忠実なジャーナリストとして、時代の背景を見事に抉り出したという事ではないだろうか。

 

その後彼が出所後に乗る予定だったけど結局遅刻してしまい乗れなかった、北海道の函館から青森に戻る洞爺丸が沈没した事件も出てくる。

 

歴史を上から見て描いているのが司馬遼太郎だとすれば、この博徒は、歴史を下支えした人々と共に生きてきた視点から、日本という国を、当時を切り取るように見つめていた。

 

日本人の歴史を知りたいなら、是非読むべき一冊だと思う。

 

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tom_eastwind at 00:48│Comments(0)TrackBack(0) 最近読んだ本  

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