2007年01月02日

こん車、何ばしよっとや!

0bea9684.jpg

「こん車、何ばしよっとや!」いきなり僕らの乗るタクシーの運転手が唸った。それもそうだろう、目の前の交差点のど真ん中に対抗車線から右折して車列に突っ込んだ車のおかげで、こちらが青信号になっても、その車が邪魔をして進めないのだ。

 

よく見ると、左手の10メートルほど奥にJRの踏み切りがあり、そこの信号で車列が出来ている。

 

距離と信号を見れば、突っ込んでよいかどうかの判断など、すぐ出来るだろうに、地元ナンバーの小型車に乗ったおっちゃんは、何食わぬ顔でこっちを振り向きもせずに、ゆうゆうと交差点のど真ん中で車を止めている。

 

おっちゃんの横には20代後半の女の子も座っているが、その子もこっちをちらちら見ながらも、悪びれる様子もない。前の車との車間距離は十分に取っているので、ほんのちょっと、1メートルでも後ろに下がればこちらの車は進めるのだが、それさえしようとしない。十分に後ろに下がる余裕があるのに、だ。

 

それまで楽しそうに喋っていた運転手が急に乱暴な地元長崎の方言を使ったのは、やはりせっかく海外からの観光客を迎えて「私の住む街」がどれだけ歴史があって良いところか説明をしている最中に、こんな状況に追い込まれた怒りからだろう。

 

長崎の街には歴史がある。古くは江戸時代から中国、韓国、その他遠くからのお客様を迎えた街だ。今もその気風が残っており、よそから来る人に対して優しい。国宝級のお寺もあるし竜馬の亀山社中もある。稲左山から見る景色は絶景だ。

 

誰しも自分が住んでいる街の事を誉められると、いくら直接関係がなくても嬉しいものだ。もちろん、悪し様に言われると気分が悪いのも間違いないが、その場合は一応反論も出来る。

 

しかしこの運転手のように、観光客の目の前でマナーを守らない地元の運転手が出現した場合、何とも言い訳のしようがなくて、自分には直接関係がなくても恥をかいた気分になる。

 

このような感情は、一種の故郷愛と呼べば良いのだろうか、あまり理論的ではないが、でも感情としては十分理解出来るものだ。

 

こんな書き方をすると「お前は自分の生まれ育った街に対して、恩義もふるさとを大事にする気持もないのか!」と怒られそうだ。

 

だが、長い間海外で生活をして、クイーンズタウン、香港、オークランドと家族で渡り歩いて見ると、一箇所の土地に対しての無条件で感情的な愛よりも、一緒に旅をする自分の家族に対する愛のほうが強くなる。

 

ましてや、奥さんの旅券は中国特別行政区香港、僕は日本、子供はニュージーランドと日本と香港の旅券を持っている「寄せ集めチーム」なのだから、どこか一箇所だけ抜き出して気分的に「故郷」と言うのは難しい。

 

どこか特定の土地に対する愛情が突出して、時には家族よりも土地や国家に固執するあまり、家族をないがしろにするというような事は、僕ら家族の場合は、まずあり得ない。常に家族単位で国境を越えて移動しながら、その時に最も生活条件の良い国を選んで生活するのだ。ビザなどはその為の手段だ。

 

日本の小説でも、家族の家柄の違いで結婚できないとか、本家を守るとか言う言葉が出てくる。島崎藤村の「破戒」では、主人公が部落出身だった為に、遂に日本を出て新天地を求めて旅立つという場面で終わる。

 

しかし、世界の歴史を見てみれば、紀元前1000年頃にイスラエル国家を創ったユダヤ人は、紀元前586年頃にバビロン王国によって滅ぼされた後流浪の民となり、エジプト人の奴隷として忍従を強いられ、モーゼに導かれてエジプトを出た後も、主に欧州に離散しながら、差別を受け続けてきた。

 

しかし彼らは、世界中に散らばって迫害を受けながらも、家族と言う単位で行動する事で、実質的に世界にまたがる、国境のない国家を作り上げていたのだ。どこの国に住もうと関係無い,家族は助け合うのである。

 

そしてイギリスのロスチャイルドとフランスのロスチャイルドが組んで第一次世界大戦を誘導し、米国においては有名な証券会社や銀行として活動しながら、彼らは米国や欧州の利益よりも自分達の家族の利益を優先して行動した。

 

第一次世界大戦当時に、連合軍に協力する代わりに、戦争後にはイスラエルの土地を自らの国家にするようにと決めた有名なバルフォア宣言など、その最たるものだ。結局2500年かけてやっと自分の国をエルサレムの土地に再興したのだから、その行動力たるもの、凄まじいものがある。

 

これなど、帰属するのは国家ではなくて自分の血統の流れる家族であるという事を明快に示している。

 

今世界のユダヤ人は約1300万人、そのうち600万人は米国に住んでいる。ちなみに日本に住むユダヤ人は1000人、NZに住むユダヤ人は15万人である。

 

日本沈没第二部では、日本が沈没した後に世界に散らばった日本人の運命を描いている。

 

土地を基本にして生きてきた日本人。そのために、時には家族同士の争いにまで繋がった土地。しかし、その土地神話=一所懸命は、そろそろ変化しても良いのではないだろうか。

 

土地=一所懸命となれば、その土地をどうとでも法律的に変更出来る政府の方が強い。つまり、土地と言う人質を政府に取られているようなものだ。

 

土地と言う呪縛から逃れて、国境を越えて本当に家族同士が助け合う、そういう時代が来ているのではなかろうか。

 

土地を大事にする気持はわかる。僕も日本はdaisukiだ。しかしその日本に住んでいる限り迫害されるとしたら?結局は財産が全部奪われるとしたら?

 

ユダヤ人も自分の土地を好きだからこそ、2500年かけて取り返した。しかし、その土地にいる事で迫害を受けるとしたら?その選択の余地は、あまりないと思う。家族よりも土地を取るか?目の前にいる、あなたを愛する家族よりも、売る事も出来ない土地を取るか?

 

日本政府としては、土地神話は、国際化が確実に進む中で、絶対に国民に気付いてもらいたくない問題だ。だからこそ、テレビで馬鹿番組をやって話をそらし、歴史を着色して土地への愛情を国家への愛情にすり替えようとして、時には政府を批判するような番組で不満組にガス抜きを行い、問題点をそらす。

 

2006年が日本政府の明治化とすれば、2007年が日本人としての本当の意味で、自分の為に生きると言う事を、個人のわがままとしてでなく、家族の一員として理解して、正しい道を進む元年だと思いたい。

 

写真は亀山社中の近くにある竜馬のブーツに足を突っ込んだ竜馬が、舵を動かしているところ。江戸鎖国時代の竜馬にとっては国境など意味はなく、ましてや藩の土地など全く眼中になかったのだろうな。

 

この竜馬も、その意味では同じだろう。旅券を3冊合法的に所持して、国境を何の苦もなく越えている彼。この竜馬が大人になってこのブログを読んだら「おやじの時代は、何を下らん事で悩んでたんだろうね〜」って、笑われるかもしれない。

 

 

人気ブログランキングへ



tom_eastwind at 23:17│Comments(0)TrackBack(0) 移住相談 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔