2007年01月14日

一貫性

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昨日と今日は自宅に引き篭もり。一週間に一回の部屋掃除、庭の草むしり、ガレージの掃除、金魚の水替え、料理、洗濯、全く普通に家庭の作業。

 

家族が一時帰国しているので、のんびり出来るかと思ったらそうでもない、これが結構寂しいのだ。一人で家に帰って料理して、映画を観ながら食事をするのも楽しいのだが、正月にずっと家族一緒に日本をあちこち見て周り、そのままお父さんだけ出勤なので、これは結構寂しいものだと感じた。

 

あれ?おかしいな。

 

元々結婚なんてあり得ないし、ましてや万が一あったとしても日本人しか僕のメンタリティは理解出来ないし〜なんて思ってた僕が、何と国際結婚して、これが17年続き、子供が二人いる状態で、生まれ変わってもやっぱり奥さんともいちど結婚したいと思うなんて、挙句の果てに一人でいる事が大好きなはずの人間が、何時の間にか家族の存在をとても大事に感じている。

 

いやいや、人間って、変わるものですな。若いときの発言には十分気をつけようっと。

 

そうは言っても、若い時にはそれが正解と思って話しているわけで、その気持でいる時に「他の考え方もあるよ」なんて言っても、こりゃ無理ですわな。

 

てゆ〜ことは、やっぱり人はその年代に応じて言ってる事が変化しても、それを認めるべきだろうって事。

 

例えば坂本竜馬。彼は最初に剣を持ち、次に銃を持ち、最後に万国公法を持った。時代の変化に合わせて、自分の立ち位置を変化させた。

 

それが人によっては「あいつは言う事がころころ変わる」と言う事になるのだろうが、自分が生きてる人生、てゆうか、環境がどんどん変化しているのに、10年前も今も同じ事言ってちゃ、そりゃ進歩しないどころか、退化して、最後は恐竜みたいに滅びるしかない。

 

移住に関しても同じだ。移住環境、つまり日本やNZの経済事情、両国の法律、そして国民感情は、日々変動している。今日はOKな事でも、明日はNOだ。

 

だから、日本を出る時に思ってた仕事や家庭環境がそのまま実現出来るケースは少ない。殆どの場合は「あれ?思ってたのと違う」と言う事になる。大事なのは、その時に勇気と叡智を持って方向変換出来るかどうかだ。

 

方向変換ってのは、自分の持つプライドとの戦いだ。ゴミ拾いをしてでも家族を守る。金がなければ、もっと働く。頭を使って、何か新しい仕事を見つける。

 

いいじゃないか、弁当を作って日本人のオフィスに売りまくっても。夜や週末に、ゴミ収集車に乗って働けば良い。建築現場で働けば、良い給料も取れる。

 

恥かしいとか、そんなもん家族が生き残る為には決して感じてはいけない気持なのに、父親としては妙なプライドがあるから、最初に作って発表した計画を変更したくない。

 

例えば日本でIT関連の技術があるから、ニュージーランドでIT業界に入り、そこで成功してやると思っていても、その通りになる人は、約半数である。

 

後の半分は、日本での技術不足、会話能力や意思伝達能力の不足で、結局自分が望む仕事には就けない。結局は永住権が取れたものの、日本食レストランでキッチンハンドやってますと言う事になる。

 

勿論キッチンハンドが悪いと言うのではない。むしろ、NZの仕事の現場を知る意味ではとても良い事だし、僕も移住当初はやっていた。ある意味、誰でも一度は通る道だろう。

 

ところが、そこで得られる収入は、ITに比べればかなり低い。自分が期待していた自分像とは随分違ったものになる。そりゃそうだ、日本の大手であればあるほど、憶える技術は所詮、その会社の中でしか通用しない技術であり、一般社会で通用する技術ではない。

 

つまり日本の大手企業で働くと言うのは、世界的に観た場合、実に壮大な無駄を築き上げていると言える。だって、終身雇用時代のシステムだから、他の会社で互換性のあるような技術を教えてない。ところが時代は既に終身雇用ではない。

 

そうなると、自分は能力があって仕事が出来てと思って移住して見ても、実際には働く場所もなく、2年もすれば自分の生活能力の無さに気付き、だからと言ってゼロから何かの技術を学ぼうと言う気も無く、結局日本に帰国、と言う事になるのだ。

 

単純に帰国するだけなら良いのだが、そう言う人に限って必ず愚痴をこぼす。やれ、あれが駄目だ、これが駄目だ、この国は駄目だ、そう言うことになる。

 

本当に不思議なのは、じゃあ何故事前に自分の能力や現地事情を調べなかったのかと言う事だ。NZを極楽かなんかと勘違いして、何も調べずにやってきて、極楽でない事に気付いて文句を言われてもな〜って感じ。

 

僕がオークランドにやってきた時は、最初から会社を興すつもりだった。だって、そうしないと、家族を食わせる事が出来ないと分っていたからだ。

 

1996年当時は、給料も安く生活費は高く、普通にサラリーマンをやっていては食えないのは分っていた。だから、出来るだけ費用のかからない起業と言う事で、観光タクシーの運転手から入ったのだ。

 

最近ビザを取得してやってくる30代の夫婦の場合、僕から見れば,事前の勉強不足ではないかという気がする。冷静に客観的に判断するってのが、どうも出来てないような気がする。日本が良くないからNZに来るんですってのは分るが、じゃあ本当に両方の国の善し悪しを把握しているのだろうか。

 

言う事はころころ変わっても良い。そんなもん、どうでも良い。一貫性なんて、全くどうでも良い。大事なのは、生き残れるかどうか、ただそれだけだ。一貫性が食えるか?一貫性が飯を食わせてくれるか?一貫性が君の家族を幸せにするのか?しない、絶対に、しない。

 

生き残るって言う一番大事な問題を目の前にした時に、君は自分のプライドを取るのか、それとも家族の生活を取るのか?

 

移住は、結局定住出来た者だけが楽しめる人生だ。夢見る夢子ちゃんじゃなくて、しっかりと地に足を付けて、自分の能力と現地で必要とされる能力や生活を理解してから来て欲しい。

 

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tom_eastwind at 17:34│Comments(0)TrackBack(0) 移住相談 

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