2007年01月23日
オデッサファイル
またも、日本でまとめ買いしてきたビデオを楽しむ。
昨晩は、僕の大好きなジョンボイト主演の1974年の作品「オデッサファイル」。
原作はイギリスの正統ミステリー&スパイ小説の大家、フレデリックフォーサイスだ。
フォーサイスの作品は、他にもフランスのドゴール暗殺未遂事件をテーマにした「ジャッカルの日」やクリストファーウォーケン主演の「戦争の犬たち」は、どちらも映画化されている。
ジョンボイトは「真夜中のカウボーイ」で映画界で一定の地位を獲得して、ダスティンホフマンと共に有名になった。この映画、大都会ニューヨークに出て来た、夢見る田舎者をカウボーイ姿で演じて、結局夢破れて都会の現実を知るという、当時としては実にセンセーショナルな映画だった。
二人の演技はその後も語り継がれ、それぞれに演技派俳優として今に至っている。
僕は「真夜中のカウボーイ」以来のファンで、彼の朴訥とした顔と演技がなんとも言えない。あ、そうそう、アンジェリーナジョリーのオヤジでもある。
でもってオデッサファイル。この映画を観てナチによるユダヤ殺害に憤る人は多いだろう。最近では「シンドラーのリスト」の上映もあり、ナチスによるユダヤ人虐殺は欧州における大きな妖怪のようにのしかかっている。
ただ、僕がどうしても分らないのは、あれだけ頭の良いユダヤ人が、何故自分達が死地に追いやられようとしているのに逃げなかったのかという事だ。
ナチス以前にも欧州ではユダヤ人に対する迫害は頻発した。露西亜、ポーランド、本場米国でも差別はあった。まともな商売につけないからユダヤ人が金融事業を始めたというのも、皮肉な話だが、中世からユダヤ人が差別されていたのは間違いない。
しかしユダヤ人は常にその迫害を切り抜けて生き残ってきた。何故ドイツでだけ、600万人もの死者が出てしまったのか?
これが数の問題であるとは思わない。要するに600万人であろうが60万人であろうが、そこで一定の数の虐殺があった事は事実である。そしてその予兆はあったににも関わらず、何故ユダヤ人は国境を越えて逃げなかったか?
殺されるよりも、新天地に逃げ込む方が良いではないか。元々流浪の民だ。逃げる事には抵抗がなかったろうに。
勿論、ビザが発給されないとか技術的な問題もあったろう。しかしヒトラーの台頭から危険を感じ取った一部のユダヤ人は、いち早く米国等に移住していた。だからヒトラーが危険であると言う情報は、ユダヤ人社会全体に広がっていたと思うのだ。
なのに、こんなにたくさんのユダヤ人は、最後の瞬間、逃げ切れなくなるその最後の一線を越えるまで、何故ドイツに残ったのだろう?
ポーランドや東欧から集められたユダヤ人もいるから、本当に逃げ切れない人もいたのだろうが、少しでも歴史の本を読む時間のある人なら、当時のヒトラーの主張とユダヤ人差別を見て、こいつはやばい、命会っての物ダネだと、逃げられたのではないだろうか?
そこに感じるのは、「まだ大丈夫、もうちょっといけるさ」とか「まさか俺のところまでは来ないよ」とか、危機感の無さではなかったのか?
誰も分らないが、ただ、逃げ切ったユダヤ人もたくさんいて、彼らがイスラエルを作り、そしてナチスを、それこそ地の果てまで追い詰めて、南米で、他国で犯罪を犯してまで元ナチスを誘拐した。このあたりが映画の骨子となる。
でも、これを他人事と考えずに、今の日本で当てはめて欲しい。今、生活を、真綿で首を締められるように、じわじわと締め付けられていないか?そして気付いて見れば、もう抜け出せない。ぬるま湯に浸かった蛙が、そのうち熱湯で煮え殺されてしまうようなものだ。
まさに今の日本に、それを感じる。てゆ〜か、勿論体制側についている人々からすればこの世の春だ。これから50年、また楽しく、昔のように生きていけるのだから言う事はない。問題は、これから先50年、政府に搾り取られて働かされる人々のほうだ。
あっちこっちで県知事が逮捕され、そのまんま東が宮崎県知事になっても、肝心の選挙の仕組は変わっていない。選挙の仕組を議論すべきなのに、表面だけ手直ししようとしている。選挙に金がかかるから、どうしても資金を持っている団体と組まざるを得ない。
そして当選すれば、彼らの為に働かざるを得ない。そう言う構造の上で選挙をやる限り、不正はなくならない。選挙資金の配分など、構造的に見直す必要があるのは自明の理なのに、何故そうしないか?
中央政府からすれば、その方がいつでも地方を叩けるから、仕組の改正なんてやりたくないのだろうと、穿った考えを思ったりする。
最初に法律違反をやらせておいて、政府の言う事を聞いている間は頭を撫でて、ちょいとでも逆らおうものなら、国賊扱いで国策逮捕だ。見事なまでに「長いものに巻かれる国造り」が出来た。凄いね、美しい国。
日本政府が国家よりも国民を優先して守るなんて、思わないほうが良い。日本政府は、天皇を中心とした国家を守るのだ。国民は、国家がうまく運営されている間だけ、その余禄で守ってあげるのだ。
政府にとって国民とは,あくまでも余剰物資がある時に施しをする対象であって、主権在民としての国の支配者に尽くすと言う発想は、全くない。主権在民にならないように、「民は寄らしむべし、知らしむべからず」を、しっかりと教育や社会で教え込む。そして主権在府をこれからも守り続ける。
オデッサファイルを観ながら、政府に飼い殺しにされた挙句に強制収容所に放り込まれてガス室送りにないように、もっと賢くならなくちゃと思った。