2007年04月02日

車間距離は心の余裕

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以前も何度か書いたが、ニュージーランドでは交通道徳がしっかりしていると感じる。

 

例えば停電で市内の電気が全部止まり、シティの信号全部が消えた時でも交通ラッシュは起こらず、皆が譲り合って運転してた。

 

それとか、日常でも人が親切に自分の時間を使って他人の為に手助けをする行為をよく見かける。

 

 

これなどはキリスト教文化で育ったキーウィ(ニュージーランド人)の特徴と言う人もいるし、確かにその部分はある。ただ、同時に忘れてはいけないのは、彼らは仕事においては非常にハングリーであり、俺が生き残るかお前が生き残るかだ、みたいな点もあるという事だ。

 

だから、彼らも「お前か俺か」となれば、遠慮なく他人を押しのける。では何故日常生活ではあまりハングリーではないのか?

 

反対に例えば大陸中国人の場合、平気でバスの列に割り込むし、自分さえ良ければ他人の事は全く関係ないという顔で生きている。

 

そのような態度はキーウィからしたら「実に嫌らしい」と感じるし、行列を守る日本人からしても、「同じアジア人と思われたくないわ」と言う気持ちになるだろう。

 

しかし、中国の古いことわざにあるように「衣食足って礼節を知る」という人間の原則は、キーウィにも中国人にも等しく当てはまる。

 

つまり大陸中国人は衣食足ってないから礼節を知らず、てゆ〜か、礼節を知って実行すれば、ほぼ確実に死んでしまうような国に生まれ育っているから、礼節等生きる為に邪魔だから、真っ先に捨ててしまっているのだ。

 

行列に割り込む大陸中国人にとっては、このバスは常に「最後のバス」だと思うから、他人を押しのけてでも乗る。それが衣食足たない中国人が礼節を忘れて行う行為だ。

 

ただ、だからと言ってキーウィが「これが最後のバスだ」と知っていても行列を守るだろうか?やはり、誰かを押しのけてでも乗り込むという人間が出てくるだろう。

 

ただ、そうならないのは何故か?

 

それは、ニュージーランドでは「この次もバスは来る」と知っているから、あえてみっともない真似をして他人を押しのけないだけなのだと思う。勿論奉仕の精神が豊かである事は当然だが、その上に実際の生活面でも「次のバスが来る」のを、政府が保障しているからだ。

 

ニュージーランドでは政府が人々の生活を保障している。出産から幼児医療、学校教育、失業保険、母子手当て、老齢年金まで政府によって社会保障が組み立てられているから、生まれた時から衣食が足っているのだ。

 

国民としては、食っていけるし服も買える。だから礼節を知る事が出来るし、キリスト教文化がその上に乗っかっているから他人を助けると言うことが堂々と出来る。

 

もし日本が社会保障を充実させて、昭和40年代の頃のように国民を守ってくれるなら、今のように社会が「ぎすぎす」する事もなかったろうにな。

 

これから益々社会保障が切り捨てられ、生活が厳しくなれば、確実に犯罪は増えるし治安は悪化するし、国民の心は大陸中国人並みにすさんでいくのではないだろうか。

 

そうなれば、礼節の国と呼ばれた日本の歴史や伝統は崩壊していくんだろうな。

 

朝の交通ラッシュで前行く車を見ながらいつも思うのは、そんな事。

 

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tom_eastwind at 00:01│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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